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南京大虐殺はなかった

1 :イカ天の寅次郎:2024/03/14(木) 10:18:06.85 ID:6XCiUul00.net
よね。

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 17:26:53.98 ID:cr7JjcQ30.net
脅しには屈しない。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 18:26:05.93 ID:njpqpFVR0.net
まあ、どんな事にも永遠にいちゃもん実際に付け続けることは可能ってことでw

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 19:57:45.81 ID:8wYbYVu20.net
>>597
「あった派」はしばらく見ないうちにまた一段と劣化しているなw
「第一大隊戦闘詳報」は散々過去スレであった派が手も足も出ずに逃亡済w

どれだけ適当な証言を持ち出そうと根本的に「旅団命令を」「連隊長から」受けているのに連隊命令の記録が存在しない時点で終わっているw

日本語が理解できないお前には阿羅氏は完全否定している事が理解できないだけだw


『南京戦史』 (p317)
「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」
「軍事的慣例と異なる記述」
「全文を通じてその表現は極めて異様」

板倉由明氏「本当はこうだった南京事件」
「『南京戦史』では、『戦況の進捗状況とチグハグ』『了解し難い部分』
『その表現は極めて異様である』と、かなり留保した穏健な表現になっているが、全文を詳細に検討すれば、
この戦闘詳報が信頼性の低い、後日改ざんされた疑いのある文書なのである。

東中野修道氏「南京事件の徹底検証」 (p109)
そのため、問題の処刑命令なるものは、師団命令の記録にもない。旅団命令の記録にもない。連隊命令の
記録にもない。第二大隊の陣中日誌の中にもない。
ただあるのは第一大隊戦闘詳報の中だけということになる。つまり、処刑命令なるものは阿羅氏も消去法で
推定するように、第一大隊戦闘詳報執筆者の創作であった。これが唯一考えられる可能性のように思われる。

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 19:59:37.26 ID:8wYbYVu20.net
>>598
南京での出来事に杭州湾の例を出したバカが何か喚いているなw

だから杭州湾での出来事が南京と何の関係があるのか説明してみろよw

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:19:03.11 ID:8wYbYVu20.net
>>600
>だから宇和田氏が万年筆かインク壺を持っていて日記を書いていたのは事実だ。
>自分のものか人に借りたものかはわからないが。所有に至った経緯を証明することは必要ない。

アホwwwww
宇和田氏の日記を連隊会が確認して2ヶ所を引用した時は虐殺の記述なんか無かったわw

それが朝日新聞の手に渡った途端、宇和田氏の没年を書き換えた挙句、全く関係ない写真を虐殺の写真とされているw
しかも、当時一兵卒が知るはずもない情報が書き加えられ内容も矛盾w

「宇和田氏本人が書いた日記を加筆、改竄したもの」としか判断できねーよw

しかも朝日は「1年間インクで毎日日記を書いていた」と主張しているのだから、少なくとも「宇和田氏がインク壺を携行していた」か「万年筆を所有していた」と証明出来なければ朝日の主張は成り立たないw

日本語が不自由なお前に理解出来るように言えば「インクで書かれた日記は朝日の捏造」と言っているんだよw

それを否定したいなら「宇和田氏がインク壺を携行していたか、万年筆を所有していた事」を証明しろよw

普通の人の判断w

「当時、一兵卒が毎日インクで日記を書くのは不可能に近い」


「日記は捏造」

あった派の判断w

「当時、一兵卒が毎日インクで書いた日記がある!」


「日記は本物だ!」

最初から結論ありきで、原因と結果が逆転しているw

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:27:32.50 ID:Ot7FJSKu0.net
>>628

その素人連中がお前らイチャモン派の親玉なの?
本人たちが完全否定してないのに阿羅が完全否定すると何かがひっくり返るのか?
イチャモン派の頭ん中はよう分からん

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:27:42.65 ID:8wYbYVu20.net
>>601
>>602
過去スレであった派が悉く「第一大隊戦闘詳報」の証明に失敗して逃亡しているのにお前ごときに証明出来るとでも思っているのかよw

もし証明出来ればあった派にとって歴史上の快挙だぞw

所詮過去スレから何も学ばない無能には無駄だがw

とりあえず「第一大隊戦闘詳報」の矛盾について触りだけw

丸MARU 1990年6月号 通算527号
兵士たちの「南京事件」城壘 連載18回
P206
ナソだらけの戦闘詳報
 師団の数字は各連隊からの数字を合計したものである。連隊の数字は各大隊の数字を合計したものである。だから連隊の数字が師団より、大隊の数字が連隊より大きいことはありえない。
しかし、鹵獲表を見ていくと、第百十四師団で鹵獲した重機関銃が一挺なのに第一大隊だけで七挺鹵獲したことになっている。小銃と拳銃も、師団のものより第百五十連隊と第六十六連隊第一大隊の合計だけで上回っている。この表には第百二連隊、第百十五連隊の記録がないが、もしそれらの資料が残っていれば、それぞれの連隊も百五十連隊や第六十六連隊と同じくらいの鹵獲品があったであろうから、ますますつじつまが合わなくなる。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:30:49.84 ID:Ot7FJSKu0.net
>>629

山本武のことを言ってるのだろうが、これは【南京の下関に於いて】と明確に書いてあるだろうが
まさか第六師団が杭州湾から上陸して上海戦に参加したことを書いていることが読み取れないのか?

お前、本当に日本人か?

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:32:58.14 ID:8wYbYVu20.net
>>631
「お前ら「あった派」の言ってる事が一から十まで出鱈目だ」と言っているんだよw

無理して日本語を理解しようとするなよw
所詮、日本語が母国語では無いお前ら「あった派」には日本語を理解する事なんて不可能なんだからw

そうでなければ、これ程意味不明なトンチンカンな書き込みが出来るわけがないw

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:50:55.01 ID:Ot7FJSKu0.net
>>634
イチャモン付けてるのは、阿羅、板倉、東中野の素人三羽烏だけだろうに
マトモな学者が一人もいないのがイチャモン派により箔をつけてるな

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 20:52:05.76 ID:8wYbYVu20.net
>>633
バカが気付くまでもう少し黙って見ていたかったがw
お前本当に日本語が理解出来ているのかよwwwww
何と書かれているのか声に出して読んでみろw


>583
>この朝風聞するところによると、こんどの南京攻略戦で、抗州湾に上陸した第六師団(熊本)が、南京の下関に於いて、敵軍が対岸の浦口や蕪湖方面に退却せんと揚子江岸部に集まった

【【【数万の兵達】】】

を、機関銃掃射、砲撃、あるいは戦車、装甲車などによって大虐殺を行い、白旗を掲げ降伏した者を皆殺しにしたというので、軍司令官松井大将が「行軍にあるまじき行為」と叱り、ただちに死体を処理せよとの厳命を下し、毎日六師団が死体を焼却するやら、舟で揚子江上に運び捨てているなど、現場は実に惨憺たる状況である、と言う。

殺されたのは「市民」でも「便衣兵」でも「安全区に潜伏した敗残兵」でも無く「交戦中の敵兵」w
兵隊が白旗を拒否されたからどうしたw
日本軍には白旗を受け入れる「義務」は無いという程度の事は理解出来るよなw

>583
「らしい」
「この朝風聞するところによると」
「伝聞した」

>583に書いてあるのは「伝聞」と「伝聞」と「伝聞」w
しかも内容は唯の戦闘w

わざわざ書いてある内容を何度も読み返せるように「杭州湾」と書き込んでやったのに、内容に全く気付かないんだもんなあw

「あった派」は一度書き込んだら脊髄反射で内容なんか直ぐに忘れてしまうのかねw

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 21:15:21.24 ID:Ot7FJSKu0.net
>>636
おいおい・・
恥ずかしさに耐えきれず、早くもお得意の転進かよ
杭州湾の話はどこ行ったんだ?

638 :浮月斎:2024/04/24(水) 21:17:31.82 ID:cr7JjcQ30.net
>635
>イチャモン付けてるのは、阿羅、板倉、東中野の素人三羽烏だけだろうに
マトモな学者が一人もいない

あんたの云う「マトモな学者」って誰のこと?

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:05:00.49 ID:Ot7FJSKu0.net
>>638
普通の学者だよ
阿羅や板倉なんて学者ですらない上に東中野は【学問研究の成果というに値しない】門外漢
こんなのしか縋るものがないからイチャモン派だと馬鹿にされる

ところで杭州湾は?

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:15:05.43 ID:8wYbYVu20.net
>>637
いやさあw
人を「不勉強」と批判しておいて出してきた資料は全て裏付けの無い「伝聞」でしかも内容は「交戦中の敵兵」ってのはどうなのよって話なんだがw

だから直接関係ない「杭州湾」と何度も指摘すれば自分の書き込みを読み返して「自分の書き込みに何かおかしい所があるのでは?」と気付くのでは?と思ったのだけどw

結局、そういう配慮は無駄だったようだねw

まあ「あった派」が相手では分かり切った事だけどw

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:22:49.19 ID:cr7JjcQ30.net
>639

そーかい。あんたは「虐殺派」の学者しかマトモと認めないのか
と思った。笠原十九司とか。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:25:08.85 ID:Ot7FJSKu0.net
>>640
もうこの恥ずかしさは一生消せないな
↓↓↓
629:名無しさん@お腹いっぱい。:[sage]:2024/04/24(水) 19:59:37.26 ID:8wYbYVu20
>>598
南京での出来事に杭州湾の例を出したバカが何か喚いているなw

だから杭州湾での出来事が南京と何の関係があるのか説明してみろよw

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:27:22.96 ID:Ot7FJSKu0.net
>>641

阿羅と板倉は学者ではない
東中野は【学問研究の成果というに値しない】門外漢
この素人三羽烏しか例として出してないけど?

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 22:33:06.94 ID:Ot7FJSKu0.net
>>640
これもお前だな
いやはや、、こんな低レベルな読解力しかないんだから、理解できないことが多すぎてイチャモン派になっちゃうのもわかるよ


592:名無しさん@お腹いっぱい。:[sage]:2024/04/23(火) 20:36:55.60 ID:pis3EWXp0
>>583

>山本武 第9師団歩兵第36連隊第6中隊 分隊長
>『一兵士の従軍記録』

南京と遠く離れた抗州の出来事が何か関係あるんですかねえw
相変わらず「あった派」は地図や時計やカレンダーといったもので時間や空間を把握する能力に多大な欠陥があるなw

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 23:34:16.58 ID:zJGKTYmF0.net
>>630
>「宇和田氏本人が書いた日記を加筆、改竄したもの」としか判断できねーよw

歴史学者の秦郁彦氏は本物だと認めている。それだけだ。これで終了。

>>632
過去スレの記録を2009年頃からざっと読んだが、戦闘詳報が捏造されものだという決定的な証拠はなかった。
秦郁彦氏は本物として「南京事件」に取り入れている。他の二人も同様だ。
残念だったな。

それはそうと、南京事件はなかったとかいう学術論文はいつになったら完成するんだ?
バカでも阿呆でも、学術論文が学術雑誌に掲載されたら、一人前の研究家だ。
もう世間から「否定派」とバカにされたりしないぞw
それと東京裁判での松井と広田の冤罪を晴らしてくれよ。おまえのお仲間は再審請求するそうだけどw

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 23:43:12.77 ID:cr7JjcQ30.net
>643

しっかりした研究を行うのに、何も学者である必要はないでしょう。ジャーナリストや一般の在野の研究者だってかまわない。社会科学とか人文科学とかの文系の学問とは、本来、そうしたものだ。

冨沢繁信氏は某銀行の常務さんだけど、「南京事件の核心」「南京安全地帯の記録と完訳」などのしっかりした研究を残している。池田悠氏は某政治家の政策秘書だけど、「一次史料が明かす南京事件の真実」というしっかりした研究書を出している。

「東中野は【学問研究の成果というに値しない】門外漢」というけど、私はそうは思わないな。れっきとしたアジア大学の教授(現在は定年で引退)だし、「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」のほか、数々の出版物の著者になっている。

あんたら「虐殺があった」派が東中野教授を目の敵にするのは、東中野教授の研究が煙たいからじゃないのか。わしは東中野教授に対して、あんたらのような侮辱にも等しい低評価は与えていない。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 23:48:05.44 ID:Ot7FJSKu0.net
>>646
> 東中野教授を目の敵にするのは、東中野教授の研究が煙たいからじゃないのか。

んな馬鹿な
どんどん東中野のトンデモ本をソースとしてくださいよ
イチャモン派が不利になるだけなんだから止める理由がない

648 :っだ:2024/04/24(水) 23:54:29.60 ID:zJGKTYmF0.net
いちゃもん派か。捏造改竄派というのもあったな。
ゆうさんは、なかったことにしたい派だ。あまりセンスがいいとは思えないが。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 17:41:24.48 ID:s0tByySz0.net
まあ、ほとんどどんなことにも永遠にいちゃもん付けることが可能だって話だな。
地球平面派の球面派へのいちゃもんとか、 ガードナーの「奇妙な論理」を読むと昔からこうだったのかとか、どんな細部にこだわるんだよってのでびっくりする。

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 19:42:37.72 ID:TSnYPUM10.net
>>642
いくらなんでもこちらが「杭州湾」と書き込めば「自分は杭州湾の出来事を書き込んだのか?」と思って自分の書き込みを確認すると思ったのだがなあw

人がわざわざ「杭州湾」と何度も出してやって「第6師団が何をやったか」確認出来るように誘導してやったのになあw

自分の書き込みを確認していれば「第6師団の虐殺」の対象は「市民」でも「敗残兵」でも「便衣兵」でも無く「交戦中の敵兵」である事が理解出来たはずなんだがw

で、「白旗を揚げた連中を皆殺しにした」という事だが、南京陥落以前に「「投降してきた」中国兵が「武装解除して」「電線で拘束して」いたにもかかわらず、手榴弾を投げ付けて逃亡した」例」があるw

投降を受け入れて、武装解除して、拘束していても手榴弾を投げ付けて逃亡するなら投降を受け入れる必要は無いw
事実ハーグ条約には白旗を受け入れる「義務」は無いw

なによりこの話は第9師団による「伝聞」でしかないw

虐殺の根拠は「伝聞」と「伝聞」と「伝聞」w

「あった派」の脳内では「伝聞」であっても虐殺の根拠になるんだろうなあw

真面目な顔でそう主張するようなバカは学問板ではまともに相手にされないだろうけどw

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 20:07:41.99 ID:TSnYPUM10.net
>>645
>過去スレの記録を2009年頃からざっと読んだが、戦闘詳報が捏造されものだという決定的な証拠はなかった。

日記の筆跡鑑定を拒否した時点で捏造確定だアホw

連隊会が確認した時は
「虐殺の記述は存在せず」w

日記が朝日の手に渡った途端
「無関係な写真を虐殺の写真として掲載」w

「著者の没年を変更」w

「兵士の日記としては矛盾が多い」w

「日記の筆跡鑑定を拒否」w

戦闘詳報が本物なら朝日がここまで改竄する必要なんかねーよw

それこそ筆跡鑑定で本人かどうか一発で分かるのにそれを拒否するのはよっぽど都合が悪かったからとしか判断できねーよw

そもそもこの記事は朝日が「都城第23連隊は虐殺と無関係」という訂正記事を出す事で決着しているw

宇和田日記が本物なら「第23連隊は虐殺と無関係」という記事にはならないw

最初w
昭和59(1984)年8月4日 朝日新聞夕刊
 「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」

無関係な写真とセットで南京大虐殺を捏造w

これがわずか数年後にはw

昭和62(1987)1月23日 朝刊全国版
「証拠保全を取り下げ、「南京大虐殺と無関係」、都城23連隊が表明」

 《いわゆる「南京大虐殺」報道に関して、都城23連隊会(宮崎市)は朝日新聞社を相手に、当時の状況を記録した日記の保全の申し立てを小倉地裁に行っていたが、22日、申し立てを取り下げた。取り下げに当たり「連隊は南京虐殺とは無関係」と表明した。この問題は、朝日新聞が59年8月、日記の内容を報道したのに対し、連隊会側が「連隊として虐殺に関係したような印象を与えた」と反発していた》

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 21:00:05.92 ID:h2JCZkgy0.net
>>650
そんな顔真っ赤な言い訳が通用するわけないだろ
お前の日本語能力の欠如を衆目に晒したこの恥ずかしいレスを一生背負っていけ


592:名無しさん@お腹いっぱい。:[sage]:2024/04/23(火) 20:36:55.60 ID:pis3EWXp0
>>583

>山本武 第9師団歩兵第36連隊第6中隊 分隊長
>『一兵士の従軍記録』

南京と遠く離れた抗州の出来事が何か関係あるんですかねえw
相変わらず「あった派」は地図や時計やカレンダーといったもので時間や空間を把握する能力に多大な欠陥があるなw

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 22:44:29.16 ID:LQgXXe9p0.net
>>651
おまえは、ネットの記事だけを根拠にしてるのか?
連隊会側が、「取り下げに当たり「連隊は南京虐殺とは無関係」と表明した。」、だけだ。
その後を調べた秦郁彦氏の記事は以下の通りだ。結論は、虐殺はあった。ただ、南京戦史には記載されていない。

「このあたり経過は元中隊長の吉川庄司が書いた「朝日新聞との闘い われらの場合」(『文藝春秋』1987年五月号)に詳しい。
形の上では痛み分けにも見えるが、傷だらけになった多数の関係者を知れば、喜劇と笑ってもおられない。
吉川手記によれば、坂元元大隊長は心労のあまり入院、御本人も酒の力を借りなければ眠れぬ夜が続いた。
もっとも苦しんだのは、最初のうち日記提供者と誤認された河野未亡人で、村人から白眼視され肩身の狭い思いで暮らしているという。
また仮処分などの手続きで数百万円の金銭的負担が生じ、本訴を断念する理由にもなったが、せいぜい百万円+実費が相場なのに、
老人から法外の金額をしぼりとる弁護士おいたことも、ついでに書きそえておこう。
吉川はすべての責任を朝日にかぶせているが、連隊会の方も途中から日記は本物と知りながらつっ走ったのだから、相打ちであろう。
どうやら真相は、連隊会からただされた宇和田未亡人が、面倒を恐れて日記は焼き捨てたと述べたこと、その前に連隊史のため、
宇和田日記を借り出して読んだ人が、読んだと言いそびれてしまったことにあったようだ。
なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋吉正行伍長)もいるし、
確実と考えてよいと思う。」
『昭和史の謎を追う 』 上、文藝春秋〈文春文庫〉、1999年12月10日、195-196頁。から抜粋

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 22:08:41.80 ID:GO3QkE2f0.net
ネトウヨが何を思おうが勝手だが、これが史実

第三次家永教科書裁判控訴審(東京高裁) 判決(最高裁結論支持)
学界の状況に基づいて判断すると、南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は、行為の性質上その実数の把握が困難であるものの、特に非難すべき程多数で、残虐な行為として指摘され、中国軍民に対する大量虐殺行為とともに南京大虐殺と呼ばれて、南京占領の際に生じた特徴的事象とされているのが支配的見解であると認められる。

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 22:42:22.30 ID:v0LgI83i0.net
>>653
アホwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
コイツアホすぎるwwwww

秦が「南京事件」初版(1986年)に虐殺が書かれた日記を「宇和田弥市上等兵の日記」と明記w
その信頼性の根拠としていた秋吉正行伍長の記述が「南京事件 増補版」 (2007)ではごっそり削除w

宇和田日記の虐殺の記述の信頼性の根拠は「秋吉正行伍長の記述」なのに、それが「南京事件 増補版」(2007)にはどこにも書かれていないんだよw

1999年の主張w
「たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋吉正行伍長)もいる」w

2007年の「南京事件 増補版」w
「そんな記述はどこにも存在せず」w

8年の間に秋吉正行伍長の信頼性がゼロになったという事でしかないw
秦は曽根一夫の事も最初は信用していたからなあw
何度騙されれば気が済むのやらw

ネットに書かれている事(自分に都合の良い部分だけw)を鵜呑みにして、自分でその内容を全く調べようとしないからこうなるw

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 23:01:34.67 ID:v0LgI83i0.net
そもそも朝日の「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」という記事自体が捏造だったのだから「日記は事実」とか言い張っても意味はないよなあw

写真は南京とは無関係w
日記は別人の物w
没年を捏造w
兵士が戦場で毎日インク書きw
一兵卒が知るはずのない内容w
筆跡鑑定を拒否w
秦でさえ最初は信頼性の根拠としていた兵士の記述を無かったもの扱いw

「だけど虐殺はあったんだあ~~~~~!」

アホかとw

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 23:17:50.13 ID:ikEDgdAw0.net
>>655
秋吉正行伍長の記述が「南京事件 増補版」 (2007)では削除されているのは知っているが、
「連隊会の方も途中から日記は本物と知りながらつっ走ったのだから、相打ちであろう。」という
記述はそのままだ。はい、論破w

それに>>651で、
>そもそもこの記事は朝日が「都城第23連隊は虐殺と無関係」という訂正記事を出す事で決着しているw

こんな嘘を書いたのは誰だ? それとも、勘違いしたのか?w 
連隊会側が、「取り下げに当たり「連隊は南京虐殺とは無関係」と表明した。」、だけだ。
朝日が「都城第23連隊は虐殺と無関係」という訂正記事を載せたら、連隊会側の勝利で大喜びしてるわ。
本当にバカだな、おまえは。読解力も知能も最低だw これは弁解できないわなw
今日限りで南京事件スレを引退して、蟄居してろ。

>>656
>「だけど虐殺はあったんだあ〜〜〜〜〜!」

はい、南京事件はありました。南京事件はあったという複数(3人以上)の歴史学者が存在するし、学術論文もあります。
残念でしたw あれっ?否定派には何にもないの?w あっ、いちゃもん派だったかw

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 23:51:07.01 ID:v0LgI83i0.net
>>652
いくらこちらを批判したって「お前が」「日本語理解力」や「資料の内容を理解する能力」が根本的に欠如している事実が変わるわけでもないだろうにw

「虐殺だ!」と喚き散らした対象が「敗残兵」でも「市民」でも「便衣兵」でもない「交戦中の敵兵」で、何度それとなく指摘してもそれに気付きもしないとかもはやギャグでしかないw
もう少し根本的な知識と基本的な日本語理解力を身に着けない限り、お前はまともに相手にしてもらえないよw

それとも「知識を身に着ける必要はなく、相手を批判すればするほど自分の能力が上がる!」とでも思っているのかなw

まあ、自分がまともな知識を身に着けていないから「知識を使って反論するより相手を貶める事に全力を尽くす」のだろうがw

「正論で相手に勝つ」より「相手を貶める」事を重視する。
まさに半島の「声闘」だなw

やっぱり半島人のやり方だなw

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 00:03:35.36 ID:ggYDdpC20.net
>>658
> 「お前が」「日本語理解力」や「資料の内容を理解する能力」が根本的に欠如している事実が変わるわけでもないだろうにw

自己紹介か?
山本武の南京での下関虐殺を「杭州湾での出来事」と認識していたお前が言うと説得力あるな
しかし本当に恥ずかしい奴だ


592:名無しさん@お腹いっぱい。:[sage]:2024/04/23(火) 20:36:55.60 ID:pis3EWXp0
>>583

>山本武 第9師団歩兵第36連隊第6中隊 分隊長
>『一兵士の従軍記録』

南京と遠く離れた抗州の出来事が何か関係あるんですかねえw
相変わらず「あった派」は地図や時計やカレンダーといったもので時間や空間を把握する能力に多大な欠陥があるなw

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 00:23:27.29 ID:zM2PUyz80.net
>>658
> 「お前が」「日本語理解力」や「資料の内容を理解する能力」が根本的に欠如している事実が変わるわけでもないだろうにw

おまえが言うな! これはギャグか? 大間違いしたくせに。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 00:36:48.69 ID:Cn5gUVjI0.net
>>657
> 「連隊会の方も途中から日記は本物と知りながらつっ走ったのだから、相打ちであろう。」という
> 記述はそのままだ。はい、論破w

どこが論破なんだw
秦の一方的な思い込みを張り付けたじゃねーかw

連隊会
日記から2ケ所引用w「虐殺の記述はなかった」


「日記は存在していた」=「虐殺の記載の存在を知っていた」という風にミスリードw
後日、秋吉正行伍長の話を丸ごと削除w

相打ちどころか秋吉正行伍長の話を事実と信じこんだ秦の一方的な思い込みw

朝日の記事w
「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」
都城第23連隊の兵士が持つ写真と日記を掲載w

「連隊は南京虐殺とは無関係」と表明した記事を掲載w

朝日は自分が「都城第23連隊の日記」として記事を掲載したのに、後日「連隊は南京虐殺とは無関係と表明した」と自分の記事を完全否定する記事を掲載しているのだから朝日の記事自体が否定されてるわw
何しろ自分で自分の記事を否定する事になるのだから、本気で連隊会の主張を否定するなら「連隊会の表明」そのものを掲載するわけねーだろw

> はい、南京事件はありました。南京事件はあったという複数(3人以上)の歴史学者が存在するし、学術論文もあります。

「歴史学者の数で事件の存在が決定される」という根拠は?
あったという歴史学者が3人以下なら南京事件はなかった事になるのかなw

で?「事件」というからには「国際法違反」もしくは「不法行為」に分類されるが「国際法」も専門的な「軍事知識」も持たない「歴史学者」が何を根拠に「事件」を定義するのかなあw
「軍隊の不法行為を歴史学者が定義する」と主張する学術論文が存在するのかなあw
そしてそれが世界で共通の認識として受け入れられている根拠はw

どれか一つでも出してみろw

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 00:45:56.36 ID:Cn5gUVjI0.net
>>659
ここは学問板だから「資料を基に議論するところ」であって「資料も出さずに相手を非難するところ」ではないのだよw
気に入らない相手を非難するのは勝手だけど、せめて資料に基づいて主張を述べてもらえないかなw

それすらできないならそれこそ半島の「声闘」でしかないw
「声闘」がやりたければ半島でやってねw

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 00:50:24.38 ID:06Y7Qcac0.net
>>662
この資料を「杭州湾での出来事」と認識するような馬鹿と何の議論が成立するんだ?

山本武 第9師団歩兵第36連隊第6中隊 分隊長
『一兵士の従軍記録』
この朝風聞するところによると、こんどの南京攻略戦で、抗州湾に上陸した第六師団(熊本)が、南京の下関に於いて、敵軍が対岸の浦口や蕪湖方面に退却せんと揚子江岸部に集まった数万の兵達を、機関銃掃射、砲撃、あるいは戦車、装甲車などによって大虐殺を行い、白旗を掲げ降伏した者を皆殺しにしたというので、軍司令官松井大将が「行軍にあるまじき行為」と叱り、ただちに死体を処理せよとの厳命を下し、毎日六師団が死体を焼却するやら、舟で揚子江上に運び捨てているなど、現場は実に惨憺たる状況である、と言う。

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 13:45:50.07 ID:Cn5gUVjI0.net
>>663
自分で出した資料で「大虐殺」とされているのは「市民」でも「便衣兵」でも「安全区に潜伏した敗残兵」でも無く「交戦中の敵兵」という事が読み取れないようなアホと議論が成立するとでもw

アホの理屈w
「「市民」でも「便衣兵」でも「捕虜」でも「安全区に潜伏した敗残兵」でも無く、交戦中の敵兵を殺害したから大虐殺」w

普通「杭州湾」と指摘されれば「自分の書き込みのどの部分か?」と思って内容を確認しようとすると思うがねw
それさえせず、新しい資料も出さず、コピペするだけで自分で出した資料の内容さえ把握していないアホに何を言っても無駄w

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 13:59:39.31 ID:Cn5gUVjI0.net
新しい資料を出すでもなく、自分で「虐殺を否定する資料」を出している事にも気付かず、自分の行いを無視して、相手を批判する事にのみ注力するw

所詮「あった派」なんてこの程度だよなw

666 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2024/04/27(土) 15:08:33.99 ID:CBTAbG0d0.net
>>664
>「交戦中の敵兵」という事が読み取れないようなアホと

相手が「無抵抗の丸腰の平服の男たち」では読み取りようがないんです。
あなたのような「解釈」を当時の「皇軍」は日中戦争でおこなったため、
未来永劫「虐殺した」と認めるしかないのです。

667 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2024/04/27(土) 15:15:08.77 ID:CBTAbG0d0.net
支邦通の松井岩根大将もさぞや無念だったでしょう。
日本も1012年に公布したハーグ陸戦法規前文の法の精神を、
天皇機関説を葬った後の「皇軍」は、日清日露一次大戦に
気を配った「せいおうしきぶんめいこくのせんそう」としての
建前をかなぐり捨て、まさに戦国乱世の落ち武者狩り感覚で
のぞみ……アァ

668 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2024/04/27(土) 15:16:29.14 ID:CBTAbG0d0.net
↑誤記ごめん。1912年です。on書き失礼

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 16:41:02.58 ID:06Y7Qcac0.net
>>664
さすがこの資料が「杭州湾での出来事」と読み取った馬鹿は一味違うな
この資料で「大虐殺」とされているのが「白旗を掲げて降伏した者」だということを読み取れないとは恐れ入ったよ

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 16:45:55.55 ID:zM2PUyz80.net
>>661
おまえは>>651で、
>そもそもこの記事は朝日が「都城第23連隊は虐殺と無関係」という訂正記事を出す事で決着しているw

でたーっ!、否定派の伝統芸、捏造改竄。
捏造改竄派の元祖、田中正明以来、伝統芸は否定派に脈々と受け継がれている。
滅びゆくなかに否定派の意地を見たw 感動したw

>朝日は自分が「都城第23連隊の日記」として記事を掲載したのに、後日「連隊は南京虐殺とは無関係と表明した」と自分の記事を完全否定する記事を掲載しているのだから朝日の記事自体が否定されてるわw

誤読も伝統芸の一つだったなw おまえは、よく自分に都合のいいように読み間違えるな。何回恥の上塗りを繰り返すんだ?w

昭和62(1987)1月23日 朝刊全国版
「証拠保全を取り下げ、「南京大虐殺と無関係」、都城23連隊が表明」
つまり、証拠保全を取り下げ「南京大虐殺と無関係」と都城23連隊が表明したのは新聞の小見出しだ。
「南京大虐殺と無関係」と、括弧つきで記載されているのが見えないのか?
証拠保全を取り下げたのも、「南京大虐殺と無関係」と表明したのも、主語は都城23連隊だ。
連隊側が表明したという事実を、朝日が記事にしただけだ。
朝日は、最後まで宇和田日記は本物だという態度を崩していない。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 16:46:44.60 ID:zM2PUyz80.net
>>661
>「歴史学者の数で事件の存在が決定される」という根拠は?
>あったという歴史学者が3人以下なら南京事件はなかった事になるのかなw

歴史学者の数が何人でという根拠はないが、複数の歴史学者が南京事件はあったということを認め、
それに意義を唱える歴史学者はいない(0人)のは事実だ。

>どれか一つでも出してみろw

おまえに命令される義務はない。おまえが南京事件はなかったという証拠を出せ。
永遠に無理だけど。だから、おまえらは永遠の負け犬だw

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 16:47:28.24 ID:zM2PUyz80.net
>>662
>ここは学問板だから「資料を基に議論するところ」であって「資料も出さずに相手を非難するところ」ではないのだよw

学問板と言うくせに、否定派が一つも根拠となる資料を出せないのはなぜだ?
根拠となる資料を一つも出せないのに、何で「南京事件はなかった」と主張できるんだ?
「声闘」? おまえの故郷の伝統芸か? トンスルとかいう酒を飲んで大暴れする祭りか?
おまえらの仲間内でやってろ。迷惑だ。

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 16:57:59.03 ID:zM2PUyz80.net
>>671
×意義を唱える→〇異議を唱える

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 19:53:31.33 ID:hbtsi4Hd0.net
>>661

第183回国会 参議院 予算委員会 第18号 平成25年5月15日
内閣総理大臣(安倍晋三君) 
歴史認識については歴史家に任せるべき問題であると、このように思うところでございます。

675 :浮月斎:2024/04/28(日) 01:24:59.29 ID:fHKrIZOn0.net
>671
>おまえが南京事件はなかったという証拠を出せ。

一般に「ない」ということを証明することを「悪魔の証明」といわれます。

 「ある」ことの証明は、特定の「あること」を一例でも証明すればすみますが、「ない」ことの証明は、能力、時間に限りある人間のできる業(わざ)ではありません。ですから、訴訟においては、「ある」ことの証明は、当該事実を主張する側が証明する必要があり(立証責任は自分にある)、訴訟においては、「ない」ことの証明は、当該事実を主張する側が証明する必要がない(立証責任は相手にある)とされている場合が多いです。―「西野法律事務所」のホームページより引用

676 :浮月斎:2024/04/28(日) 03:22:22.46 ID:fHKrIZOn0.net
>671
>おまえが南京事件はなかったという証拠を出せ。

虐殺派(虐殺があった派)の諸君は、南京大虐殺があったとされている期間(昭和12年12月13日から翌年2月初旬までの約6週間)の間に、次のような写真が南京市内で撮影されていることを、どう説明するのか。

https://www.howitzer.jp/history/page11.html

677 :浮月斎:2024/04/28(日) 04:32:18.11 ID:fHKrIZOn0.net
>676 自己レス

これはオマケだ

南京の孤児と日本兵(画像)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Orphan_and_Japanese_soldiers_in_Nanking.jpg

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 07:49:03.57 ID:7UTOkExP0.net
>>676
80年以上前のプロパガンダ写真にコロッと騙されんなよ恥ずかしい

マッカラム安全区国際委員(1938年1月9日)
難民キャンプの入口に新聞記者が数名やってきて、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は1枚も撮らなかった

ジョージ・フィッチの手紙(「南京大残虐事件資料集第2巻 英米資料編」P42)
12月30日
今日の午後、私が日本大使館を訪れた時、大使館員たちは新年の祝賀について約60人の中国人(多くがわれわれの収容所の幹事)に指示を与えるのに忙殺されてました。旧来の五色旗が国民党の青天白日旗にとって代わることになり、彼らは五色旗約1000枚と日本の国旗約1000枚を、新年の祝賀用につくるように命じられました。
1000人以上を収容している収容所は代表を20人出すことになり、小さい収容所は代表10人を出すことになりました。元旦の午後1時に五色旗が鼓楼に掲揚されるとともに、(プログラムによれば)適当な演説と音楽が行われる予定です。
もちろんこの旗を振って新体制を歓迎する幸せな人々がニュース映画に撮影されるのです。ところで市内の焼打ちはつづき、12歳と13の少女の強姦と誘拐が3件発生したとの報告が入りました。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 12:16:08.53 ID:fHKrIZOn0.net
>678

マッカラムやフィッチが嘘を書いているとは少しも考えないんだな。特にフィッチは、プロパガンダ本「戦争とは何か」の第一章と第二章を書いていることが分かっている。

それぞれの写真が、従軍記者・カメラマンにとって、日本軍の公正な態度を国民にアピールする意図をもって撮影されていることは確かだろう。しかし、中には、ごく自然に陥落後の南京市内の情景を撮影されたと思えるものもある。

幾つかの写真からは、南京市民の安堵した表情すら感得される。無理やりやらせているなら、そこに恐怖の表情があるはずだ。

また、毎日何千人と殺害されている同じ市内(南京城内の面積は鎌倉市とほぼ同等)で、これらの写真撮影が可能だとは、常識的判断を以てしては有り得ない。特に、大通りの雑踏などは、毎日何千人と殺害されている市内で撮影は不可能である。

まあ、おまえさんが納得せえでも、これらの写真を目にすれば、南京事件など存在しないと、多くの日本人は納得してくれるだろうと思う。

五毛党やその類は処置のしようがないから、放っておくしかない。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 13:03:41.07 ID:7UTOkExP0.net
>>679
どうもお前は勉強が足りないようだな
上丸洋一「南京事件と新聞報道」でも読んでみろ
既知の内容も多い書籍だが、お前にとっては目から鱗だろう

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 14:29:57.64 ID:fHKrIZOn0.net
>680

他の人の意見も聞いてみたい。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 14:38:24.22 ID:fHKrIZOn0.net
>680
>上丸洋一「南京事件と新聞報道」

で、この本のなかには、何が書いてあるんだ?
別に読みたい意欲は湧いてこないんだが。

683 :浮月斎:2024/04/28(日) 16:10:01.41 ID:fHKrIZOn0.net
南京陥落後の市内を撮影した写真(時系列のならべたもの)を再掲する。

https://www.howitzer.jp/history/page11.html

これほど反証となる写真の数々がありながら、なおも「南京大虐殺はあった」と言い張る神経は、いったい、どこから来るのだろうと考え込まざるを得ない。

また、これら虐殺とは相反する写真の数々に対する反論が、「おまえは勉強不足」であり「何々の本を読め」とはこれ如何に。この高慢なものの言い方は、精神病理学上の何かの病いに該当するのではないか。

人を有罪にするには「合理的な疑いの余地がない」程に起訴内容が真実相当とされないといけないんだぞ。

これら虐殺とは相反する写真の数々の存在は、明らかに虐殺の存在について「合理的な疑い」を生ずるではないか。

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 16:23:22.93 ID:z5XaJwwD0.net
>>683
じゃあお前はコレをどう思う?
https://i.imgur.com/DjcK5mF.jpeg

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 16:42:40.50 ID:z5XaJwwD0.net
>>683
令和にもなって戦前のプロパガンダ写真を信奉するとか頭弱いにも程がある
多発する日本軍の強姦対応に追われていたマギーも当時の新聞のプロパガンダにかかるとコレ

「教会からオルガンの音に乗つたのどかな讃美歌の声がもれて来る。アメリカ人のジョン・ マギー牧師が戦火が去つてほつとした支那市民信者を集めて礼拝の最中で、ああけふは日曜だつたかとこちらが教へられるほどの落つき振りだ。軍の宣撫工作も着々と進み、この日は 日本大使館裏の広場で兵隊さんたちが菓子や煙草を避難民にも配給してゐるのを見た。〔略〕 かうして抗日排日のお題目を忘れた支那人たちと日本の兵隊さんたちとの交際は日とともに親密さを加へて行く」(12月2日付香川新報「慕ひ寄る支那民衆 平和に帰った南京市」)

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 16:43:52.27 ID:z5XaJwwD0.net
>>685
誤)12月2日
正)12月21日

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 16:53:45.11 ID:z5XaJwwD0.net
>>682
こんなのもある
まさにお前や阿羅に捧げたい

歩三六記念誌刊行会『歩兵第三十六連隊戦友会誌』88年刊
鷹尾正
「私自身それに手を染めなかったばかりでなく、現場を目撃したこともない。当時の戦友達と語り合っても同様の答が返って来る。ある戦友は難民区を訪れて焼餅を軍票で買った思い出や、ささやかな加給品の菓子を子供に与えて喜ばれたことを懐かしげに語るのである
(中略)
要するに〔虐殺を〕『見なかった』『やらなかった』ということと『無かった』ということは別なのである」

688 :浮月斎:2024/04/28(日) 18:16:52.56 ID:fHKrIZOn0.net
一方、虐殺派の巨頭・Iris Changが出してきた写真がどれほどイカサマなのかを下記のWebページに示す。俺は英語ができるので、説明を英語で書いてしまったが、状況は分かるだろう。

https://www.howitzer.jp/nanking/page01.html

Example 1
キャプションの書き換えは笠原十九司の「南京事件」(1997年刊 岩波)と同じだ。笠原は、これを国民政府軍事委員会政治部『日寇暴行実録』(1938年刊)に所収されたものからの転載とし、「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」というキャプションを付けた。
 が、元のアサヒグラフ1937年11月号では同じ写真に「我が兵士に護られて野良仕事により部落へかえる日の丸部落の女子供の群」とある。

Example 2
冬に占領したのに刀を振るう日本兵が夏服を着ている。

Example 3
目隠しをされて二本の棒に括り付けられ、日本兵の銃剣刺突の練習に使われる哀れな男 ――― 9月28日付Baltimore Sun紙(つまり、占領前)に既に記載。しかも、場所は天津とのこと。要するに、あっちこっちで使われているニセ写真の使い回しである。

Example 4
どこかの写真館で撮影された写真を加工して「日本兵が女の下着を脱がせてお土産のポルノ写真を作成」と偽っている。日本兵の服装が異常で、おそらくは支那兵。

Example 5
右の黒っぽい日本兵のくるぶしを見よ。足の甲が扁平で異常。人の陰の付き方も異常。刀を持った日本兵が奇異なチョッキを着ている。明らかに合成写真。

Example 6
南京戦史資料集Uの折り込み写真12月16日の流用。元の史料では既に平穏を取り戻し、「兵民分離」のために日本兵が中国人の身体チェックをしている写真が、笑顔の南京市民、子供の姿、通りの古着屋の露店と共に映っている。チャンはこの写真に「市内の大量殺戮で恐れおののき、誰も声を挙げない中国市民の集団を検査する17人の日本兵」というキャプションを付けた。

Example 7
場所の特定を困難にするための写真の切り取り。
撮影場所は兵士の記憶から明らかに三叉河河口付近で鹿児島45連隊が遭遇した江東門の戦いの現場と判明。つまり、死体の山は全員が支那兵。チャンはこれに「南京市民たちの屍体は揚子江の岸辺に引きずられて来て、川に投げ込まれた」とキャプションを付けた。


以上、南京大虐殺が真実であれば、これほどに世間の目をあざむく技巧を施す必要はないはずである。アイリス・チャンが書いた文章も全て真偽を疑ってかかる必要があり、鵜呑みにはできない。

689 :浮月斎:2024/04/28(日) 18:22:06.67 ID:fHKrIZOn0.net
>684

支那共産党のプロパガンダ写真だろ。

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 21:11:07.08 ID:TQjOH5FK0.net
決めつけw
片方の傾向の写真だけ採用するってのは恣意的過ぎる。

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 21:40:40.32 ID:z5XaJwwD0.net
>>689
共産党と何の関係があるのか詳しく説明してみ?

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 22:05:22.09 ID:fHKrIZOn0.net
>687
>要するに〔虐殺を〕『見なかった』『やらなかった』ということと『無かった』ということは別なのである

ふん、いろいろとヘッポコ理屈を考え出すものだな。いや、感心した。

しかし、お前はひとつ見逃しているぞ。何千何万、いや数百人でさえ、まとめて殺していたら、近傍にいる人間はその事に無関心ではいられない、ということだ。

15日に安全区内で佐藤振寿氏が撮影した写真のうち、三人がテーブルに付いて水餃子を食っている写真があるだろ。氏が手記に「十五日の南京は自宅で食事を作れない難民が多かったせいか水餃子を食べる難民が多かった」と記している写真だ。

東京裁判の判決文は「これらの無差別な殺人によって、日本側が市を占領した最初の二、三日の間に、少なくとも一万二千人の非戦闘員である中国人男女、子供が死んだ」と述べているが、この判決文が真実ならば、13,14,15日は修羅の巷のはずだ。傍らで人がどんどん死に、ワー、ギャーと悲鳴が聞こえる中で水餃子を食ってる中国人三人は、どーゆー神経なんじゃい、ということになる。

安全区外にも民間人がいて、そいつらを一万二千人殺しているなら、それは、いつ、どこで起きたのか。その主張を支える史料的根拠は何だ、ということになる。少なくとも、自分の知る範囲で、安全区外で一万二千人を殺している事件に触れた史料は存在しない。

12月24日、金陵女子文理学院の副学長室に起居していたミニー・ヴォートリンは金陵大学近くの教会で開かれたクリスマス・ディナーに招かれて出かけているではないか。30万人なら7千人/日、20万人なら4千7百人/日が殺されている南京市のど真ん中で開かれたクリスマス・ディナーに招かれたミニー・ヴォートリンが、何千何万という殺人や8千の強姦事件(ベイツの見積り)を、彼女の日記に書き残しているのか? 否、そんなもの、ミニー・ヴォートリンの日記のどこを探してもないよ。

朝日新聞だけで80人、読売新聞は50人の特派員を派遣し、同盟通信やその他を含めて130人以上の特派員が占領後間もなく南京入りしている。安全区には20人を超える欧米人が2月初旬まで留まっていた。

彼らの目を掠めて、何千何万という南京市民を、日本軍がこっそりと殺していた、とでもいうつもりかね、君は。

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 23:00:32.03 ID:kzXuE31a0.net
>>692
> ふん、いろいろとヘッポコ理屈を考え出すものだな。

イチャモン派はどうして揃いも揃って読解力が足りないんだろうか
【要するに〔虐殺を〕『見なかった』『やらなかった』ということと『無かった』ということは別なのである】は歩兵第36連隊の鷹尾正の言葉なんだが?

694 :浮月斎:2024/04/29(月) 03:58:49.81 ID:nGonDVXu0.net
>693

それでも、「要するに〔虐殺を〕『見なかった』『やらなかった』ということと『無かった』ということは別なのである」という言葉にお前が共鳴し、自分の主張の論拠に使えると思ったからこそ、わざわざ引用したのだろう。だからこそ「まさにお前や阿羅に捧げたい」などと皮肉っぽい書き方をしたのだ。

歩36は13日に光華門を破った後、連隊主力は城内に入らず、光華門近くの防空学校に集結・宿営して、そのまま24日に東方・嘉定に向けて転進して行ったので、城内見学を許された者以外は南京城に入っていない。

入城式に参列を許されなかった近藤平太夫氏(伍長)が城内見学をしているところを見ると、全員でないにせよ、かなりの数の兵員が交代で城内の見学をしているのかもしれない。

だから、同部隊の元兵士が1970年代の朝日新聞による南京大虐殺キャンペーンを経て88年の部隊史に上述のような感想を述べたとしても不思議はない。

それをお前はわしや阿羅氏に「捧げたい」そうだ。お前が自説の論拠に使おうとした以外、何の意味があるのだ?

695 :浮月斎:2024/04/29(月) 04:14:11.85 ID:nGonDVXu0.net
>693

で、その『歩兵第三十六連隊戦友会誌』に、「自分が城内見学をしている時に(他の部隊によって)南京大虐殺がありました」という回想なり報告があったのかよ? なければ、14日から23日までは虐殺事件はなかったということになるが。

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 07:40:27.24 ID:ZgZXpjoG0.net
>>694
>>695
お前の言いたいことがマジで分からん
歩36Rの兵士の手紙を貼ることの何が【へっぽこ理屈】なんだ?

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:49:15.38 ID:6PyqD50+0.net
酷いアラシだなw

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 16:05:26.03 ID:0L3t2aBT0.net
いちゃもん派のあほぼんとかへっぽこ爺さんとか、
新たなお笑い芸人がぞくぞく誕生している。

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 09:55:01.94 ID:Fi45bag40.net
荒らしが始まったら無かった人の書き込みも激減

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 14:26:11.17 ID:UE5DmPFt0.net
あげ

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 14:40:56.03 ID:IBcthTeK0.net
否定派はずっと昔から同じ連中だろ?
「あったという証拠もってこい、俺が認める事はないから俺の勝ちな!」
自分でいちゃもんつけて勝手に自分で審判も兼ねて自分有利に判定して自分で勝ち名乗り上げてるだけ
それが他人からどう見られてるかなんて考えないパッパラパーだから
20年以上も前から否定された!勝った!言い続けてもちっとも歴史学の世界では相手されない

でもそうやってずっとバカ踊りし続けないと否定論なんてすぐ消えちゃうから
顔真っ赤にしながら寿命尽きるまでずっと踊り続ける気だぞこいつら

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 14:42:37.11 ID:HMdBu2kT0.net
書き込み数が700になったので、これまでの状況を「まぼろし派」(虐殺がなかった派)であるわしの観点で、いったん整理する。

1)虐殺があった派(「虐殺派」という)は、これまでに虐殺があったという証拠を示せていない。示された「証言」なるものは全て伝聞であり、証拠能力がない。

2)宇都宮六六連隊への投降兵1500余人殺害命令は戦闘継続中に出されたものであり、捕虜を取っている余裕がない状況でやむなく命令が出され執行された。これは国際法上合法である。

3)南京攻略戦が開始された時、ほぼ全ての民間人は安全区に集められていた。虐殺が発生したとすれば、安全区内でしか発生し得ない。安全区外に住民が残留していた可能性は(笠原十九司のダーディンへのインタビューにより)否定しえないが、安全区外の住民に対し、いつ、どこで虐殺事件が発生したか、虐殺派は示せず、史料的裏付けもない。

反論は歓迎する。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 17:06:35.88 ID:Fi45bag40.net
>>702
1) 柳条湖事件なんかは証言しか証拠がないぞ。主に花谷氏の証言だ。でも、日本軍の関与は歴史的事実とされている。
刑事事件なみの証拠を歴史検証に求めるなよ。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 22:25:37.75 ID:IsRZRjZD0.net
>南京攻略戦が開始された時、ほぼ全ての民間人は安全区に集められていた
それは疑問だと思う。南京は100万都市なのに安全区には20万。80万はどこに行った?
安全区外に市民はいないと言ってる者は、実際に安全区外を調べたわけではない。それこそ伝聞証言でしか無かろう。

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 23:19:56.78 ID:Dl6cRhf60.net
>>702
66Rは助命を約束して投降させたんだからそんなイチャモンが通用するわけなかろうに
どうにもイチャモン派のレベルが低い

706 :浮月斎:2024/05/01(水) 00:51:02.87 ID:N/IcLiYV0.net
>704
>南京は100万都市なのに安全区には20万。80万はどこに行った?

まだ、こんな初歩的な問題でもたついている奴がいるのかよ。

君、疎開という言葉を知らない?

ラーベ日記 12月6日の条

「ここに残った人は、家族をつれて逃げたくても金がなかったのだ。お前ら軍人が犯した過ちを、こういう一番気の毒な人民の命で償わせようというのか!
なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ?首になわをつけても残せばよかったじゃないか?どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ?」
(出典:ジョン・ラーベ著「南京の真実」講談社刊 p.85)

↑これに対応する英文↓

And so people who had to stay behind because they didn’t have the money to flee with their families and a few small possessions, the poorest of the poor, are supposed to pay with their lives for the military’s mistakes! Why didn’t they force the well-off inhabitants, those 800,000 propertied citizens who fled, to stay? why is it always the poorest people who must forfeit their lives?
(出典:“THE GOOD MAN OF NANKING” pp51-52)

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 00:53:57.91 ID:N/IcLiYV0.net
>705
>66Rは助命を約束して投降

状況が変わったというしかない。

708 :浮月斎:2024/05/01(水) 03:06:21.92 ID:N/IcLiYV0.net
>704
>安全区外に市民はいないと言ってる者は、実際に安全区外を調べたわけではない。それこそ伝聞証言でしか無かろう。

南京陥落時、人口が安全区に集中していた、また、安全安全区外に市民はいなかったという論拠

(1) 12月8日付 NYT ダーディン発電報
「12月8日、唐生智は、全城門を閉鎖した。[中略] そして唐生智は、城内の市民に対しては安全地帯に集結するよう、そして黄色の腕章に特別の印のある特別許可証を携帯するもの以外、安全地帯の外を出歩かないよう命令を発した。」
(出典:12月8日付 NYT ダーディン発 電報)−「南京事件資料集 @アメリカ関係資料編 (南京事件調査研究会/編 青木書店)」p.389)

(2)  「ヴォートリン日記」12月8日の条

(翻訳)「今夜は、初めて避難民を受入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、何と心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。」

(原英文)
“This evening we are receiving our first refugees and what heartbreaking stories they have to tell.
They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately; if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned.
Most of the people come from near South Gate and the southeast part of city.”
(出典:"Terror in Minnie Vautrin's Nanjing" by Minnie Vautrin p.69)

(3) 南京安全区档案・第九号文書(12月17日付)
(翻訳)「言い換えると、帰国軍隊が本市に入城した13日、私どもは市民のほぼ全員を安全区という一地区に集合させていたが、そこでは、流れ弾による被害は殆どなかったし、全面退却中であっても中国兵達による略奪もなかった。」
発;ジョン・H・D・ラーベ 宛:日本大使館
日付:1937年12月17日
(原英文)
LETTER TO JAPANESE EMBASSY
December 17,1937
“….In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even when in full retreat….”
JOHN H.D. RABE Chairman

(次に続く)

709 :浮月斎:2024/05/01(水) 03:11:54.45 ID:N/IcLiYV0.net
(708の続き)

(4)  Robert O. Wison(金陵大学病院医師)の家族宛12月18日付の手紙
(翻訳)「南京市の九割の地から中国人が居なくなり、掠奪を働く日本兵の集団がうろつくだけになっている。残りの一割の地に恐れおののく二十万人の中国人がひしめいている」
(原英文)
…Nine-tenths of the city are totally deserted by Chinese and contain only roving bands of plundering Japanese. The remaining tenth contains almost two hundred thousand terrified Citizens….
(出典:"Eyewitnesses to Massacre" edited by Zang Kaiyuan p.394 )

(5) 「ヴォートリン日記」12月21日の条
(翻訳)「南京に住んだ事のある者なら、街なかが今どうなっているか、想像もできないだろう。見るも無残なものだ。バスや自動車が腹を見せて道端に転がっている。顔が既に黒くなった死体があちこちに転がり、脱ぎ捨てられた軍服がそこいらじゅうに散乱している。家々や商店は燃やされていないまでも掠奪か破壊の憂き目にあっている。安全区の街路は混雑しているが、安全区の外で日本兵以外の人影を見ることは滅多にない。」

(原英文)
“Those of you who have lived in Nanking can never imagine how the streets look ? the saddest sight I ever hope to see. Buses and cars upset in street, dead bodies here and there, with faces already black, discarded soldiers’ clothing everywhere, every house and shop looted and smashed if not burned.
In the Safety Zone the streets are crowded - outside you seldom see anyone but Japanese.”
(出典:"Terror in Minnie Vautrin's Nanjing" by Minnie Vautrin p.89)

(6) ティンパーリ著「戦争とは何か」
(翻訳)「ここに記録した事例は南京安全区を対象にしたものに限られていることに注意が必要である。安全区の外は、1月末まで事実上の無人地帯であった。」
(原英文)
…It is to be noted that the incidents thus noted cover only the Nanking Safety Zone, and that the rest of Nanking was practically deserted until the end of January….
(出典:”What War Means” by H.J. Timperley, Victor Gollancz Ltd. 1938, p.143)

710 :浮月斎:2024/05/01(水) 03:14:56.47 ID:N/IcLiYV0.net
(709の続き)

上記の、「南京陥落時、人口が安全区に集中していた、また、安全区外に民間人はいなかった」という事実は下記の日本側の記録とも符合している。

歩二〇の掃蕩
「城内掃蕩では、難民区以外の城内には殆ど住民を見ず、婦女子は煉瓦壁のある建物金陵女子大学か?に収容され、難民区には多数の中国人が集合していたが、入城当初から立入禁止区域として厳重に警戒されていた」
(南京戦史本文 p.167)

歩三八の戦闘詳報12号(12月14日)
「南京城内には避難民相当多数有りしたるも之等(これら)は一地区に集合避難しありて掃蕩地区内には住民殆ど無し」
(南京戦史資料集I p.590)

(終り)

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 09:35:23.14 ID:SmV/50Rw0.net
おじいちゃん、また認知症が出てるの

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 20:35:02.45 ID:N8oSRuvq0.net
>>708-710
では80万人はどこへ行ったのか?
当時の中華民国の輸送力や生産力で80万の「難民」を別都市に吸収出来るとは思えない。
安全区に入れなかった80万は、南京城内にいないとすれば、周辺郊外にたむろするしかなかろう。
つまりは戦場に、だ。
南京虐殺は陥落後ではなく陥落前に終わっていたのかもしれない。

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 22:14:40.12 ID:JBj2FRUX0.net
>>709
お前はヴォートリンの日記にこう書いてあることは知ってるのか?

南京事件の日々(ミニー・ヴォートリンの日記)
四月一五日―――紅卍字会の本部を訪ねると、彼らは以下のデータを私にくれた―――彼らが死体を棺に入れて埋葬できるようになったときから、すなわち一月の中旬ごろから四月一四日まで、紅卍字会は城内において一七九三体の死体を埋葬した。そのうち約八○パーセントは民間人であった。
城外ではこの時期に三万九五八九体の男性、女性、子どもの死体を埋葬した。そのうち約二五パーセントは民間人であった。これらの死体埋葬数には私たちがきわめてむごい殺害があったことを知っている下関、三汊河の地域は含まれていない。

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 22:18:04.63 ID:JBj2FRUX0.net
>>708
ラーベはその後こう書いてることは知っているのか?

ラーベの日記(1938年1月17日)
南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したと言ってよいだろう。
日本軍は安全区から出るようにとくりかえしいっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。今は道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、なかには盗まれた故宮宝物もまじっている。
難民の数は今や約二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。

(『南京の真実』文庫版p216)

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 23:21:53.07 ID:JBj2FRUX0.net
>>710
夏淑琴は事件当時どこにいたのか知ってる?

夏淑琴『南京大虐殺と原爆』
南京市内に当時、外国人が避難できるように作られた「安全区」という地域がありました。南京市内の状勢がずい分安定してからですけれども、私の母方の伯父が、その安全区から私たち二人を迎えに来ました。 そして、孤児院から私たちを引きとってくれました。
あとになって知ったことですが、私たちの家族だけではなく、私が住んでいたのはほんの小さい地域ですが、その地域だけで一日のうちに二百人前後もの人がいっペんに殺されたのです。赤ん坊から老人まで無差別に。

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 23:24:14.20 ID:JBj2FRUX0.net
>>709
安全区外が危険だから安全区内に人が殺到しただけ

H.J.ティンパーリ『戦争とはなにか』
市内を見まわった外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。 南京の中心部では、昨日は一区画ごとに一個の死体がかぞえられたほどです。死亡した市民の大部分は、十三日午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした。
恐怖と興奮にかられてかけ出すもの、日が暮れてから路上で巡警につかまったものは、だれでも即座に殺されたようでした。その苛酷さはほと んど弁解の余地のないものでした。南京安全区でも他と同様に、このような蛮行が行なわれており、多くの例が、外国人および立派な中国人によって、はっきりと目撃されています。

717 :浮月斎:2024/05/02(木) 15:10:31.29 ID:HfkjLk3X0.net
>716
>H.J.ティンパーリ『戦争とはなにか』

この本は立命館大学の北村稔教授の研究で、国民党の国際宣伝処がカネを使ってティンパーリに書かせたことが分かっている。学術書の体裁をとった南京大虐殺のプロパガンダ本だ。そんなことは、南京事件の研究者としては初心者レベルでも知っていることだ。

718 :浮月斎:2024/05/02(木) 15:13:04.30 ID:HfkjLk3X0.net
>712
>安全区に入れなかった80万は、南京城内にいないとすれば、周辺郊外にたむろするしかなかろう。

それは、おまえさんの単なる妄想ないし憶測。

国民政府は、日本軍が南京に近づく前に南京市から半径10マイルの民家その他の施設を焼き払っている。1)堅壁清野作戦といって、城を囲む敵兵に何も利用できるものを残さないことと、2)銃砲の射界を確保するためだ。

そんな焼け野原に80万人が何日もたむろせるわけがない。南京城の周囲で民間人が大量虐殺されたという史料・記録も存在しない。

アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」も東京裁判判決も、日本軍による軍民無差別の殺人(女子供を含む20万以上の死亡)は、あくまでも13日に南京城が陥落した後から、ということになっている。

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 17:50:17.92 ID:pVPzNsTq0.net
>>717
お前がティンパーリを出してきたからティンパーリで返したんだろうが

この本は駿河台大学の井上久士教授の研究で、国民党の国際宣伝処がカネを使ってティンパーリから買い取ったことが分かっている。学術書の体裁をとった南京大虐殺目撃実録の本だ。そんなことは、南京事件の研究者として初心者レベルではわからないが初級レベルなら知っていることだ。

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 21:24:51.90 ID:HfkjLk3X0.net
>719


?????????????? NANIO AHOKOITERUKA SAPPARI WAKANNAI

721 :浮月斎:2024/05/02(木) 21:46:52.94 ID:HfkjLk3X0.net
https://www.youtube.com/watch?v=cwJAohwSqpc

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 21:53:06.34 ID:pVPzNsTq0.net
イチャモン派は定期的に壊れる義務でもあるのか?

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 21:53:55.97 ID:HfkjLk3X0.net
>721 自己レス

コピペミス。すまんm(__)m 正しくはこれ↓

北村教授が入手した「曾虚白自伝」にいう

「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた三人の重要人物のうちの一人であった。オーストラリア人である。そういうわけで彼が南京から上海に到着すると、我々は直ちに彼と連絡をとった。そして彼に香港から飛行機で漢口に来てもらい、直接に会って全てを相談した。我々は秘密裏に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を決定した。我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに連絡して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。〔中略〕このあとティンパーリーはそのとおりにやり、〔中略〕二冊の書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」
(出典:『南京事件の探究 −その実像を求めて』北村稔 文春文庫 p.43)

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/03(金) 07:38:29.76 ID:7Mul+A7I0.net
>>718
じゃあ80万人はどこに行ったの?
1−2カ月で女子供老人を含む80万人を非難させ受け入れさせる輸送力や余剰生産力が中華民国にあったと言うのか。
計画的に行わないと南京の都市機能もマヒする。それだけの行政能力が中華民国にあったと言うのだろうか

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/03(金) 09:49:07.58 ID:mYHm4hZ80.net
>>723
そんなものは井上久士『南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処』でとっくに論破されてるよお爺ちゃん

726 :浮月斎:2024/05/03(金) 12:35:19.31 ID:2hz5Eov90.net
>725

同じ結論になっているようだが、どんな風にロンパされとるんや。

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