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【忘れられた】滝村隆一を語ろう【在野の政治学徒】

1 :21世紀:2013/03/31(日) 15:16:22.68 ID:nRBBaqsY.net
在野の政治学徒・滝村隆一(深谷直人)について忌憚なきご意見をお願い致します。
なるべく専門外の人間にも理解できるよう分かりやすく語って下さい。

2 :21世紀:2013/04/01(月) 21:26:46.81 ID:565nezNV.net
『ニッポン政治の解体学』より

(引用)

自民党の派閥は、…この基本的構造が根本的に変更されない限り、派閥の存在形態は変化しても、派閥そのものは決して消滅しまい。
……結局のところ、派閥の数が現在の五から二か三くらいに淘汰されて、それぞれがさらに巨大化することになろう。(p35〜36)

(引用おわり)

2013年4月現在、自民党の派閥は7派閥(額賀派、大島派、麻生派、岸田派、石原派、二階派、町村派)だから、
派閥数が減るとの予測は外れたが、前半の本質的な話はまったく正しかったことになる。

3 :法の下の名無し:2013/04/02(火) 17:34:06.28 ID:MtG5FovA.net
滝村さんは「派閥」と「金権政治」「金権腐敗」とを論理的に区別することが出来ずに「政策集団としての派閥」をも一気に
捨て去ろうとしているのではないだろうか?

4 :21世紀:2013/04/04(木) 05:43:43.30 ID:vGfeFpEp.net
誰も書き込まないのは寂しいものですね。>>3もコテハンつけ忘れましたが私ですし…(汗)

『ニッポン政治の解体学』を読み解くために山本七平『「派閥」の研究』(1985年)を取り寄せました。

*****(引用開始)*****

では一体「派閥」とは何なのであろうか。それは「藩閥」といわれようと「地方閥」といわれようと「金権閥」といわれようと、
すべて「派閥」の一形態といい得る。そして政党の前に派閥があり、藩閥の前に藩があったのだが、この藩なるものが
一種の派閥連合であった。いわば藩の前の分国大名の時、それは一揆連合という形で成立したわけである。それは藩であれ党であれ、
その藩主・党首は派閥連合に推戴された顔にすぎず、これは現在でも変わりはない。
現代の日本の総理は強力な「職務権限」を持っているといわれる。しかしそれは「法と権利」の世界という、
厳密にいえば日本には実在していない世界の話であって、その職務権限をアメリカの大統領のように行使することが
できるわけではない。それが日本の「事実の世界」、すなわち「現実政治(リアル・ポリティックス)」の実情であり、
それがゆえに「田中曽根内閣」などという言葉が出てくる。だが田中角栄氏は自民党員ですらないのである。
そして「派閥解消」などといえば「派閥解消派閥」ができるだけである。なぜそうなるか、欧米であれ日本であれ、
それぞれに伝統がある。伝統は決して軽く見てはいけない。(前掲書p254〜255)

簡単にいえば派閥とは政治的利害に基づく結合であって、それ以外の何ものでもないのである。
従って派閥がある方が有利である限り派閥は存続するであろうが、派閥に属しても別にメリットがないとなれば解体する。
もちろんそれは何らかの集団を構成しないということではないが、現在の派閥とは全く違った政治集団となっても不思議ではない。
この点を無視して、問題をいわゆる「政治倫理」のお説教で解決しようとしてもそれは無理であろう。(同書p274)

以上のことは、問題がすでに新しい政治情勢に対応するよう制度の変革を求める時期に来たことを示しているのであろう。
国鉄の場合も同じだが、制度をそのままにして「倫理のお説教」や「何々叩き」を繰り返すことは実は意味がないのである。
大正十四年以来の現在の中選挙区制度はそれなりのメリットがあったであろうが、現在は逆にゃくにこの制度が桎梏になって来ている。
簡単にいえば同一選挙区で自民党同士が争うことは政策で争うのでなく「選挙区サービス競争」で争う以外にないこと、
そして同一政党でありながら選挙で争うことは、「政党内政党」すなわち派閥を成立させる重要な一因となることである。
この点での制度的改革なしに派閥の害を云々しても意味はない。
そして他の要因はすべて、もはや派閥もバラマキも不要という段階に来ていると言ってよい。(同書282〜283)

*****(引用終了)*****

5 :21世紀:2013/04/04(木) 15:34:28.12 ID:vGfeFpEp.net
吉本隆明さんが大塚英志さんと対談してる『だいたいで、いいじゃない。』(2000年7月)で
滝村隆一さんに触れているところがあります。

*****(引用開始)*****

知人に南郷継正という空手の先生がいて、彼の流派は防具を付けてやるんです。で、大山倍達の極真会は防具は付けない。
そうすると素人は防具を付けないほうが凄いと思うんだけど、それは違うんだと彼は言うわけです。
(中略)
僕は本当かねぇと思ったり、そんなに強くないんじゃないかと思ったりしていますけど(笑)。
(中略)
哲学者の滝村隆一君が試したことがあるんです。彼は南郷さんの道場で段クラスなんですが、浦和の駅で待ち合わせの時に
自分のほうが先にホームに上がって、彼が上がってくる時に仕掛けたら、どうしたの?なんて具合に、あっさりよけられちゃったって。
だから、かなり強いんだと思うんだけれども、それでも極真会には敵わないんじゃないかなという気がします。(前掲書p232)

*****(引用終了)*****

2000年というと、滝村さんが『世紀末時代を読む』と『ニッポン政治の解体学』を出版したあとですから、
それを読んで吉本さんは「哲学者」という称号を滝村さんに与えたのでしょうか?

6 :法の下の名無し:2013/04/04(木) 23:10:10.51 ID:yVrahZ/d.net
お知らせ

市原警察署の生活安全課の帰化人創価警官の指導の元、
入学式から2週間ほど、在日の創価学会員を主体とした自称防犯パトロールが、
2週間ほど行われることになりました

生活安全課の指導であることと、パトロールであることは、
絶対に公言してはいけないとの指導も、帰化人創価警官より出ています

期間中は2人組の在日の創価学会員が、頻繁に創価批判者の自宅周辺を、
うろつき回ると思われます
日本人の方は、充分に注意してください

7 :21世紀:2013/04/05(金) 04:44:19.45 ID:p5XJzpXw.net
滝村隆一さんの論考は実に難しい。それは『マルクス主義国家論』のような原理的?なものはもとより、
『ニッポン政治の解体学』のような時事問題を扱ったものですら「何を言っているのか良く分からない」のが本音です。

それに対して、『ニッポン政治の解体学』の理解を助けてくれると思われる論考を発見したので紹介します。
著者は政策研究大学院大学教授の竹中治堅さんです。

*****(引用開始)*****

「首相の人事権と派閥:安倍政権誕生の意義と課題」(2013年1月10日)

竹中治堅(政策研究大学院大学教授)

派閥の復権?

第2次安倍晋三内閣が誕生して2週間少し経つ。本稿では首相の人事権と派閥に焦点を当て、安倍内閣誕生の意義について考えてみたい。

総選挙後、「各派閥が勢力を強めている」(『日本経済新聞』2012年12月24日)、
「派閥の存在感が増している」(『朝日新聞』2012年12月21日)という報道が相次いだ。派閥は復権しつつあるのか。
自民党は総選挙で大勝し、現職議員が急増した。このため、報道されているように、各派閥の規模自体は拡大しているのかもしれない。

結論から言えば、派閥の力が大きくなったわけではない。第2次安倍内閣の誕生の意義の一つは派閥の影響力が
改めて限られていること、そして首相が強い人事権を持っていることを示したことである。

本稿では次の順序で論じていく。まず、派閥が1990年代以降、影響力を低下させる一方で首相の人事権が強まってきたことを
簡単に振り返る。その上で、安倍首相の就任過程、そして、内閣発足時の一連の人事について解説する。具体的には、
派閥の力が限定的である一方、首相の人事権が強力であることを示す。最後に、首相にとって残される課題について簡単に触れる。

派閥の盛衰と首相の人事権

1955年に自民党が結党されて以来、長年にわたり自民党の派閥は政治の中心にあった。派閥は中選挙区制のもと
選挙で大きな役割を果たした。派閥は候補者を見いだし選挙戦の実動部隊となった。派閥の領袖は首相を目指し、
事実上の首相選出選挙であった自民党総裁戦は派閥中心に行われた。

もともとは八つあった派閥が1970年代には五つにまとまると自民党政権は実質的には派閥の「連立内閣」となった。
派閥は閣僚人事に強い影響力を及ぼすようになる。派閥の推薦にもとづいて閣僚は起用されたからである。
また、各派閥に割り振られる閣僚の数は派閥の規模に応じて決まった。派閥が人事で影響力を行使するということは
逆に首相の人事権が束縛されていたことを意味していた。人事権に対する制約は首相の指導力への重しであった。

このような派閥の役割が低下することになったきっかけは1994年に実現した政治改革である。政治改革により選挙制度が
中選挙区制から小選挙区制に改められ、政治資金に対する規正が強化された。中選挙区制のもとでは自民党が政権を取るためには
同じ選挙区から複数の当選者を出す必要があった。自派の勢力拡大も目的に各派閥は競って候補者を擁立した。
党執行部の意向に反して、自派の候補を無所属で出馬させ、当選させることもあった。党執行部の候補者を公認する権限は限られ、
党首である首相の派閥に対する関係を制約した。

8 :21世紀:2013/04/05(金) 05:19:57.46 ID:p5XJzpXw.net
小選挙区制では政党の候補者は1人に限られ、無所属での当選は難しい。このため派閥は自由に候補者を出馬させることは
できなくなった。むしろ自派の候補者の公認を執行部にお願いする立場になる。つまり、党執行部の公認権は強くなった。
また政治資金に対する規正が強化され、派閥は以前のように巨額の政治資金を集めることができなくなる。
政治資金は党中央に集中するようになる。公認権や政治資金の配分権を最終的に握るのは首相である。

こうして1990年代後半から徐々に派閥は影響力を低下させていく。この一方で首相の人事権は強まっていく。
派閥の衰退がはっきりしたのは2001年4月に小泉純一郎氏が首相に就任した時である。小泉首相は派閥から推薦を受けず、
自分の考えで閣僚人事を行った。

2006年9月に安倍晋三氏が第1次安倍内閣を発足させた時も安倍氏は首相が強い人事権を持っていることをはっきり示した。
自身に近い政治家を閣僚に任命したため、安倍内閣はなぜか「お友達内閣」と揶揄された。要するに安倍氏は
確立された首相の人事権を行使しただけのことであった。

閣僚人事

昨年9月の総裁選から第2次安倍内閣の組閣もこの延長戦に位置づけることができる。安倍首相は早くから総裁戦への意欲を見せていた。
これに対し、安倍氏が属していた町村派の会長の町村信孝元外相や実力者の森喜朗元首相は出馬を自重するよう働きかけた。
しかしながら、安倍氏はこれを振り切って出馬した。町村氏も総裁選に挑んだため、同じ派閥から二人の候補者が
総裁を目指すことになった。

かつても同じ派閥から二人の候補者が総裁選に名乗りを上げたことがある。1998年7月の総裁選には小渕派から会長の小渕恵三外相と
梶山静六元官房長官が立候補した。この時は小渕氏が勝利した。

しかしながら、今回は逆に派閥の代表の町村氏は敗れ、安倍氏が勝利した。また決選投票では勝利できなかったものの、
第一回投票で一位になった石破茂元防衛相にいたっては無派閥である。これは総裁選における派閥の影響力の低下の証左である。

安倍首相が行った閣僚人事も派閥の衰退を明確に示している。安倍首相は就任後の記者会見で、閣僚人事について、
前回、自分の近い人ばかりを起用したという批判を意識し、「必ずしも私と完全に意見が一致する人ばかりではなく、
広い見地から能力を重視しながら、幅広く安倍内閣に参加をしていただいたつもりであります。」と発言している(官邸ホームページより引用)。

9 :21世紀:2013/04/05(金) 05:50:31.18 ID:p5XJzpXw.net
しかし、安倍首相は派閥の推薦を受け付けなかった。また、麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉官房長官、甘利明経済再生担当大臣を始め、
要職には安倍首相の側近や近い人を起用している。つまり人事権を存分に行使したということである。
付言すれば、今回の閣僚の中で無派閥の政治家の数は少なく数えても4名もいる(新聞社、通信社によって数え方が違う。
なおこのこと自体が派閥のまとまりが弱まっていることの現れである。)。この数は岸田派から入閣した閣僚と同じである。
また、閣僚人事に先立って安倍首相が行った執行部人事でも派閥の影響力の低下は現れている。幹事長を続投した石破氏のみならず
野田聖子総務会長、高市早苗政調会長ともに無派閥である。

委員長人事など

ただ、首相が強い人事権を行使し、派閥の力が限定的であるとしても今後の政策決定過程で首相が存分に指導力を
発揮できるかどうかはいまだはっきりしない。一つ大きな課題があるからである。それは内閣がつくった法案を
確実に国会で成立させることである。日本の国会の内閣に対する独立性は高い。首相にとっては予算や法案成立のため与党の幹事長、
国会対策委員長、委員会の委員長、理事などから協力を得ることが大切なのである。これらのポストにも首相が人事権を
(********)影響力を確保しているかどうかは不明である。

*****(引用終了)*****

竹中治堅さんの解説は実に分かりやすいと思います。滝村さんと竹中さんの違いはどこにあるのでしょう?
学問の本質にも関わると思われますが、「具体、抽象」とか「共通性を捉える」といったことで
理解することが可能だとは思えないのですが…

10 :法の下の名無し:2013/04/05(金) 05:56:35.50 ID:p5XJzpXw.net
>>9
>首相が人事権を(******)影響力を

失礼しました。

○首相が人事権を通じて強い影響力を

11 :21世紀:2013/04/12(金) 13:28:14.50 ID:zoJzbeZ3.net
それにしても誰も書き込まないなあ。本当に滝村隆一氏は忘れ去られてしまったのかな?

滝村隆一氏については南郷継正氏が発行している『学城』でいくつか触れている論文がありましたね。

*****(引用開始)*****

しかしながら、ここで見落とすことができないのは、南郷継正のいかなる書のいかなる論述にあっても、そこには
「弁証法」がしっかりと背後を支える骨格であるかのごとくに、強調され続けてきたことである。
ここで対照的なのは、かの世界的な政治学者として知られる、滝村隆一である。滝村は、かつて「二重権力論」
(彼の処女出版である『革命とコンミューン』に所収されている)において、権力の移行過程における過渡期の構造を
見事に論じることによって、立派に弁証法を駆使していたにもかかわらず、どういうわけかその後、「弁証法を軽視すれば
罰なしにはすまされない」と述べたエンゲルスの言に反逆するかのように、弁証法の有効性を否定されるようになった。

(中略)

このように滝村は、弁証法は社会科学の学的方法としては役に立たないとして、弁証法から意図的に離れられた。
しかし、滝村は弁証法を捨てた後、はたしていかなる発見をなしえたであろうか?はたして、エンゲルスの「予言」を
くつがえることができるような成果を上げたといえるであろうか?(本田克也「『新・弁証法・認識論への道』を読む」)

*****(引用終了)*****

12 :21世紀:2013/04/12(金) 13:43:58.10 ID:zoJzbeZ3.net
上記の本田克也氏は法医学がご専門のようだから、政治学を専門とされている現代の学者さんで本田氏が説くような
「弁証法を重視」している学者がいるのか探したところ、獨協大学法学部で教鞭を執っていた星野昭吉名誉教授が一連の著作を
ものしていることを知った。

例えば『世界秩序の構造と弁証法』(2010年)では「国家中心的国際政治と脱国家中心的世界政治のダイナミクス」として
「コミュニタリアニズム志向政治勢力とコスモポリタニズム志向政治勢力」との相克とを論じている。

13 :21世紀:2013/04/13(土) 04:32:20.37 ID:8YxCpAjl.net
そういえばカントは『永遠平和のために』で世界共和国を唱えたのでしたっけ?

14 :21世紀:2013/04/14(日) 09:48:41.05 ID:EQ90fA7R.net
確かに星野名誉教授の「国際政治と世界政治との統一」は注目すべき弁証法的把握ではあるが、
では滝村氏を批判する本田氏を筆頭とする南郷学派が如何なる弁証法的把握を提示しているかは別問題であろう。

以下、南郷学派の政治把握を駆け足ながら見て行きたい。

15 :21世紀:2013/04/14(日) 18:29:54.95 ID:EQ90fA7R.net
『学城』で発表された南郷学派の国家論関係論文(すなわち滝村隆一批判論文)は

近藤茂美「マルクス国家論の原点を問う」(1)〜(3)
加納哲邦「学的国家論への序章」(1)〜(4)
近藤・加納「滝村『国家論大綱』をめぐって」(1)

です。

執筆者の一人である近藤茂美氏は国立大学の医学部を卒業し都内の大学病院に勤める医師のようですが、
もう一人の加納哲邦氏のプロフィールは不明です。

16 :21世紀:2013/04/14(日) 18:49:16.93 ID:EQ90fA7R.net
ちなみに、私が素人ながら思うのは、「政治」と「統治」の区別です。いわゆる「ポリティクス」と「ガバメント」ですね。
宮沢内閣解散以後、日本政治は大きく変化してきたのでしょうが、その中の一つの視点が「官僚主導から官邸主導(政治主導)へ」
なのでしょう。中学校の教科書的には「司法・行政・立法」の三権分立の実体が「裁判官、官僚、政治家」なのでしょうから、
従来は行政職が立法職を実質行っていたということでしょう。

試みに「政治」とは「立法」であり、合意できるルールづくりであると考えたならば、現在おこなわれているTPPの話し合いは
正に政治でありポリティクスなのでしょう。そしてそれは「時間、空間」というフレームで見た場合、地球を覆う広い空間を
国家の外(国家間)で行われているのでしょう。

つまりは「細胞」が「生体の中」にあるように、「国家」は「政治の中」にあるのではないでしょうか?

17 :21世紀:2013/04/14(日) 21:12:35.69 ID:EQ90fA7R.net
仕事が忙しくて時間があまりとれませんから、『学城』No.1(2004年)に掲載された近藤茂美氏の
「マルクス国家論の原点を問うーヘーゲルから継承した市民社会と国家の二重性について」(1)について一つだけコメントします。

この論文で近藤氏が引用している書籍がまた凄まじい(笑)。
エンゲルス『空想から科学へ』
ベルンシュタイン『社会主義の前提と社会民主党の任務』
カウツキー『権力への道』

そして彼は宣言するのです。

*****(引用開始)******

滝村隆一の「発展史観」において、ヘーゲル『歴史哲学』の斜め読みがいかなる欠陥をもたらしたのか、

*****(引用終了)******

現代においてヘーゲルは完全に古典であり、学説としては現在進行形で活用することは出来ないというのが常識となっていますから、
別に滝村がヘーゲルを斜め読みしたかどうかは大した問題でもないと思うのですが…?

それよりも「(次の)国家についての規定は、日本弁証法論理学研究会の三十年にわたる研鑽において得た結論であり、
学的検証を充分に踏まえたものであることを言明しておく。」と大言壮語された国家の規定が

国家とは何か、といえば端的には、社会の実存形態である。正確には社会が実存できる形態、である。

なのが残念です。端的には「社会」は「家」の内外にあるもので、「国際社会」が「国家」の外に「国家間」として実存することでも
理解できることですが、現代の日本における社会が家庭の外や企業の外に「間・家族」「間・企業」としても実存していることの
観察によっても認識できることです。

この近藤氏はS賀大学を出てJ天堂で働くエリート医師…ふふふと思わず失笑が…wwww

猿も木から落ちるというやつでしょうか?(笑)。

18 :法の下の名無し:2013/04/14(日) 21:21:32.74 ID:EQ90fA7R.net
それにしても滝村氏は南郷氏の師匠筋に当たるそうですから、南郷氏の弟子である本田氏や近藤氏、加納氏は言うならば「孫弟子」
なのでしょう。そんな孫弟子らによる徹底批判は「恩を仇で返す」「庇を貸して母屋を取られる」「後足で砂をかける」
「獅子身中の虫」で、滝村氏からするならば「寝耳に水」「長崎の仇を京都で」といったところに違いありません。

正に一寸先は闇、仁義なき骨肉の争いの様相を呈しているようです(けけけけ)

19 :21世紀:2013/04/15(月) 15:58:57.88 ID:s8RbsAYc.net
>>17

近藤氏の「国家は社会の実存形態」というのは、「自由主義を推し進めていってもアナキズムまでは行かないよ。国家は残るよ」
という常識的なことが言いたいのだろうか?それならそう書けばいいのだから、そうではなくやはり「国家の定義」として
「国家は社会の実存形態」だと述べたのだろう。それにしても舌足らずというか、不明瞭でよく分からない規定である。
「社会」といっても様々な社会があるであろうし、実存する具体例としては「ご近所の小社会」もあれば
「通勤電車に同乗した小社会」もあるだろう。「就職した企業の同じ部課内の社会」もあるだろうに。
当然にそれなりの規範なりマナーなりエチケットなりが求められる。昨今のインターネットを使っての国際的な
コミュニケーションで求められる「ネチケット」は「ネット社会」におけるものだ。

「国家は社会の実存形態」……天下の大秀才・近藤氏の定義は私のような鈍才にはまるで理解できぬものである。

20 :ろんろん:2013/06/25(火) 18:26:23.65 ID:B+VrF1Fo.net
こんなスレがあろうとは……。

滝村さん、年金もらってるのかな…。

いまは半病人の老人みたいな生活
してるんだろな。

南郷氏までとはいかないが、
この人は若き日の俺の大師匠だから、
いまは彼の未完の著作以上に、彼の健康と生活が心配だ…。

安らかな晩年を、送ってほすぃ…。

21 :法の下の名無し:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:DWZ9puTR.net
>>16
「試みに」がいつの間にか忘れられて大胆な滅茶苦茶な結論が導かれるよくあるレトリック。
瀬江が養老孟司の文章に出てきたこの手の論理詐術を徹底批判していた。

22 :法の下の名無し:2014/03/16(日) 20:46:20.75 ID:NUeC9Wts.net
こんなスレがあるとは…

明治維新史の泰斗原口清先生の著作集第一巻で
滝村隆一先生からの学恩に言及しています

23 :法の下の名無し:2014/06/22(日) 01:39:09.59 ID:LsGRm0es.net
>23
レスありがとうございます
著作集第一巻
唯物史観史学の偏向是正において
「私が最も多くの影響を受けたのは
三浦つとむ氏の初労作であり、やや後には三浦説を政治学の分野で独自に
発展させた滝村隆一氏のそれであった」
とあるので、学恩ということで問題ないかと思います







 

24 :法の下の名無し:2014/07/30(水) 23:15:15.67 ID:ZN2iS1XL.net
>>23
>偏向是正

そうでしたか。私が自分の歴史学観から原口清さんの文言を読み誤ったようですね。

三浦つとむや滝村隆一は何だかんだ言ってもマルクス主義者です。ですから所説を批判しても
唯物史観・発展史観には帰ってきます。

原口清は同じ東京大学史学科出身の羽仁五郎の唯物史観の使用法の批判に三浦や滝村の言説が
役立った、つまりは自分の「真正マルクス主義歴史学者としての学説確立の学恩者であると三浦や
滝村を認識していたのですか・・・。

私はてっきり実証史学者としてマルクス主義者から「転向」したのだとばかり思っていましたが
「修正」だったのですね。

25 :法の下の名無し:2014/07/31(木) 00:35:49.82 ID:674qW2nA.net
倉敷誘拐監禁事件の犯人が、岡山県出身・法政大学卒業と聞いた時、滝村のことを思い出した。

26 :法の下の名無し:2014/12/07(日) 00:56:15.67 ID:LB02STt+.net
アマゾンで検索したら
国家論大綱の第二巻が出版されるようで嬉しいです

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