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世界、伝説上の英雄教えろください

1 :天之御名無主:2013/11/06(水) 00:22:23.70 .net
アーサーとかジークフリートとかそんな感じのお願いします

2 :天之御名無主:2013/11/06(水) 20:04:28.58 .net
('仄')パイパイ

3 :源頼家:2013/11/07(木) 01:33:31.91 .net
概要

治世期間はたったの4年と短く、頼朝時代の老臣に掣肘されて大した業績を挙げられなかったものの、鎌倉幕府二代目将軍という立場と後述するあまりに凄惨な最期で一応歴史にそこそこの認知度を残すことが出来た。

御家人達を纏め上げ、幕府を盛り立ててゆこうという気概こそあったが、北条氏の政敵であった比企能員の娘(若狭局)に惚れ込み、
ついには彼女を妾にしてしまい、比企氏と緊密な関係になってしまったため実家の北条家との関係が悪化、その後ヤンデレママ政子に若狭局を殺されたことで激昂、
北条氏を皆殺しにしてやると息巻いたためご乱心として将軍の座から引き摺り下ろされて幽閉され、1年後変死した。
死因については暗殺説が濃厚で、しかも風呂場で刺客に襲われ、金玉を握りつぶされ、ペニスを切断されて悶死という大変ショッキングな死に様であったらしい。

愚昧で思慮分別が欠落した、典型的な親父の遺産を食い潰す駄目な二代目(例えるとしたら劉禅)としての印象が定着しているが、
親父の頼朝からは跡継ぎの器量無しの烙印を押されなかったので、辛うじて廃嫡された人物にカテゴライズされることを免れている。

ふぐり切断伝説の真贋

金玉を握りつぶされ挙句ペニスを斬りおとされて死んだというのは慈円の悪ふざけによる捏造ではないかという疑惑もあるが、
頼家の死から30年後、頼家の金玉を握りつぶしてペニスを斬りおとした刺客張本人を名乗る人物が、
鶴岡八幡宮に切断した頼家のペニス(らしきもの)を慰霊、供養のために奉納したという話が複数の史料に記述されており、
また面白がった口さがない野次馬達が脚色を加えて全国に喧伝したこともあって、
今では金玉を握りつぶされて死んだというのが半ば史実として定着している。

ちなみに、自称頼家のペニスを切断した刺客が奉納したと言われる頼家のペニス(本当に頼家のペニスかどうかは不明だが)は
今尚安置されており、閲覧料7165(ナウい息子)円を支払う事で誰でも閲覧する事が出来る。
閲覧した人の証言によれば「大根と見間違うほどの」サイズだったらしい。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/niberunku/hagene/1.htm

4 :名無し:2013/11/07(木) 01:43:12.32 .net
亜細亜大学の田中双葉は人格障害

5 :エジプト情勢に関し、緊急のお願い!!:2013/11/11(月) 06:54:23.25 .net
サラディン 《Saladin》  出身地:イラク
 アラビア語での名はサラーフ・アッディーンで、イラクのクルド族の出身。サラディンはラテン語名。
エジプトの遠征に参加した後にファティマ朝の宰相となり、1171年には新王朝アイユーブを開いた。
アッバス朝の承認を得て「スルタン(イスラム世界で支配者の意)」の称号を戴く。
 その後、シリア、イラク北部、イエメン、北アフリカにまで領土を広げ、
87年には十字軍が築いたエルサレム王国を滅ぼしてエルサレムを奪回。
92年に第三次十字軍と休戦条約を結んで、キリスト教徒のエルサレム巡回を許した。
十字軍との交渉で見せた寛大な精神と開明さは、後のイスラム教徒の間で英雄視されるようになった。

6 :林檎の木(ソフィア)と生命の木(シェキナ):2013/11/28(木) 22:55:04.02 .net
ガイウス・カシウスと言う名の、ローマ軍の盲目の兵士。
十字架にかけられたキリストを槍で貫いた事で知られる。
伝説では、キリストを刺した時に血がしたたり落ちて彼の目に入り、目が見えるようになったという。
その後、改心した彼は洗礼を受け、聖人になったとされる。
ロンギヌスは後に呼ばれるようになった名である。
 また、このロンギヌスの槍を手に入れたものは世界の王として君臨するが、失ったときに破滅するとも言われる。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3

7 :精神科病院に関する統計最新版 - 精神科医の犯罪を問う:2013/12/08(日) 23:15:07.93 .net
ヘクトル  紀元前7〜8世紀

トロイア戦争の英雄。

ギリシア伝説で,トロイア戦争におけるトロイア軍の総大将。その名は〈支え手〉の意。
トロイア王プリアモスとヘカベの長子。アンドロマケの夫。アステュアナクスの父。
彼はたんに勇敢なばかりか,情理をもわきまえた名将としてよく祖国防衛の任にあたったが,戦争の10年目に,ギリシア軍最大の英雄アキレウスの身代りに出陣したパトロクロスPatroklos を討ち取ったため,
親友の死に奮起したアキレウスとの一騎打ちに敗れて戦死した。その死体は戦車に引きずられてアキレウスの陣屋に運ばれ,10日余も野ざらしにされたあと,莫大な身代金でプリアモスに贖(あがな)われた。
その後まもなくトロイアが陥落したとき,幼いアステュアナクスはアキレウスの遺子ネオプトレモスに殺され,アンドロマケの身柄は褒賞として同じネオプトレモスに引き渡されたという。
ヘクトルの活躍はホメロスの叙事詩《イーリアス》によってよく知られる

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E5%90%8C%E7%9B%9F

8 :里親さん募集です。推定3ヶ月 三毛猫ちゃん。:2013/12/14(土) 08:54:23.58 .net
アキレウス(アキレス) 紀元前7〜8世紀

トロイア戦争におけるギリシャ軍最大の英雄。

テッサリア地方のフティア王ペレウスと海の女神テティス との子。
赤子のころ,わが子を不死身にしようと願ったテティスによって冥界の川に浸されたが,
母親の手がつかんでいたかかと(踵)だけは生身のままに残った(←アキレス腱の名の由来である)。
成人後,出征すれば早世する運命にあるとの母親の警告をふりきってトロイアに渡り,
めざましい働きを示したものの,戦争の10年目に,捕虜の女奴隷をめぐる総大将アガメムノンとの争いがもとで戦闘を放棄,
味方を敗北寸前にまで追い込んだ。しかし親友パトロクロスの戦死を機に再び武器をとり,敵の総大将ヘクトルを討って友の仇を報じた。
彼はさらにアマゾン族の女王ペンテシレイア,曙の女神エオスの子メムノン等を討ったが,トロイア王子パリスに矢をかかとに射かけられて落命したという。
アガメムノンとの争いの一部始終はホメロスの《イーリアス》で有名。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~retutuki/nanarekisi/hougu.htm

9 :「はたらく魔王さま!マグロナルド虎ノ門出張店」開催:2013/12/19(木) 14:51:37.27 .net
ソロン 前640ころ‐前560ころ

アテナイの政治家,詩人。「ソロンの改革」をおこなった。

王家から出た名門に属したが,富裕とはいえない家に生まれ,若くして海上貿易に従事した。前600年ころサラミス島の領有をめぐるメガラとの争いに市民を激励して名声を得,前594年アルコンに選ばれた。
当時のアテナイでは,平民である多数の農民が土地と身体を抵当として貴族から借財し,それを返済できない場合には土地を債権者である貴族に引き渡し,
収穫の1/6の納付と引きかえにその土地を耕作する,ヘクテモロイと呼ばれる隷属農民の地位に転落し,さらに1/6を納付できない場合には家族もろとも債務奴隷となった。
そこで平民は負債の帳消しと土地の再分配を要求し,貴族との間に激しい党争を続けた。ソロンはアルコンの地位につくと,調停者としての全権を委任され,
危機克服のための大改革を断行したが,市民は貴族,平民ともそれに満足しなかった。ソロンはアルコンと調停者の任期を終えてから旅に出,エジプト,キプロス島などを歴訪した。
党争を続ける祖国に戻ったのち,血縁関係にあるペイシストラトスが僭主政の樹立を狙っていることを見抜いて市民に警告したが,むなしかった。
一説にキプロス島で死んだという。
彼はまたアテナイ最古の詩人であり,その抒情詩には快楽や富を肯定するものもあるが,多くは富者の貪欲と民衆の過大な要求を戒め,独裁政に反対し,
正義と中庸にかなった秩序と繁栄という彼のポリス理念を表現している。また彼はギリシア七賢人の一人に数えられ,〈やりすぎるな〉をモットーにしたと言われる。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~retutuki/nanarekisi/hougu.htm

10 :天之御名無主:2013/12/19(木) 16:10:16.41 .net
>>3
「二代目暗愚説」ってあまり信じていない。
特に鎌倉幕府なんて綱渡りにつぐ綱渡りで出来た複雑な事情を持つ産物で、あれを血筋で維持するなんて不可能に近いと思う。
おそらく頼朝本人が二代目に生まれて来ても維持するのは無理。

11 :天之御名無主:2013/12/22(日) 12:41:23.98 .net
>>3
劉禅って、元々蜀漢国力的にオワタに近いじゃん
それに40年国を持たせてるし。まぁ孔明とかのおかげもあるけど
親父の遺産を食い潰すって感じとは違うだろ

12 :天之御名無主:2013/12/23(月) 04:37:01.42 .net
アッティラ

13 :青いネコミミをつけた姿であったため全国の腐女子が歓喜:2013/12/23(月) 12:52:08.50 .net
>>12
アッー!!

14 :I disapprove of what you say, but I will defend:2013/12/23(月) 17:44:53.98 .net
ペイシストラトス  Peisistratos  (前600年ころ〜前528年か前527年)

前6世紀アテナイの僭主。
ピュロスのネレイダイの子孫として、名門貴族の家系を誇った。40歳のころに僭主制を樹立。
その後5年間で敵対者を打ち破って、以後30年ぐらいペイシストラトスによるアテナイ支配が続いた。
彼の時代にアッティカ産の黒絵の壷がギリシャ全土で流通し始め、またアッティカ赤絵の製法も開発され、アテナイの商工業は盛んになった。
また中小農民に対する優遇政策を推し進め、彼らからの税収入がペイシストラトスの権勢を支えた。
『村の裁判官』を任命して巡回裁判をさせるとともに、自らも田園を視察して農民間の争いを和解させ、彼の政治は後世『クロノスの時代』と呼ばれるほどに善政として知られた。
彼はまた、ホメロスの叙事詩をはじめて編纂した人物ともいわれている。

http://www.meigennavi.net/tb/word/038/038627.htm

15 :対地震テンプレ拡散:2013/12/24(火) 22:27:24.82 .net
クレイステネス Kleisthenes (前570年?〜前507年)

前6世紀後半のアテネの政治家。アテナイに民主政を導入したことで知られる。
クレイステネスは民主派の支持をえてアテネの政治体制を根本的に変えた。
血縁にもとづくアテネ古来の4部族を廃し、都市部・内陸部・海岸部の3つの地区の住民から構成される10部族に再編成した。
さらに従来の四百人評議会は、各部族50人の代表からなる五百人評議会にかわった。この新しい制度のもとで民衆の国政参加の度合いは飛躍的に増大し、民主政の基礎がきずかれた。
オストラキスモス(陶片追放)の制度も、彼が創始したとされる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9#.E3.83.81.E3.83.BC.E3.83.A0THE.E8.93.AE

16 :「はてなスペース」のユーザーを増やすために企画を募集:2013/12/25(水) 19:33:38.26 .net
テミストクレス Themistokles (前527年?〜前460年?、前462年?)

古代アテネの軍人・政治家。
前480〜479年の第2次ペルシア戦争の中で活躍、とりわけサラミスの海戦でアテネ艦隊の指揮し、ペルシャ軍を破る。
しかし勝利の8年後、陶片追放にあってアテナイから追い出され、遠いペルシアで客死。

http://blogs.dion.ne.jp/dear_you/archives/10206218.html

17 :「拡散」して「リサイクル」してナンボ。:2013/12/26(木) 22:39:39.44 .net
ペリクレス (前495ごろ〜前429)

アテネの黄金時代を築いた古代ギリシャの軍人・政治家。演説の達人。
失脚の多いアテネの社会で、指導者としての地位を守り続ける。
彼の治世は決して成功ばかりではないが、彼はその失敗さえも良い方向に変えてしまう能力を持ち合わせていた。
33歳の頃にクーデター的に民主的改革を断行してアテナイの政権を握った。
支配権を握ってからは、徹底した民主政への施策を行い、スパルタとペルシアの両方に対抗する姿勢を強めた。
さらに前451?年にアテナイ市民権を両親ともアテナイ人である者に限ると定めた市民権法を成立させ、アテナイ国家の結束力を高めることに尽力した。市民団としての封鎖性を具体化させた。パルテノン神殿の建築はその直後の前440年代初めから始まる。
 前446年のエウボイア反乱に対しては厳しい処置で臨み,その直後,現状維持を図ってスパルタと三十年和約を締結した。政敵のトゥキディデスを陶片追放で国外退去させた後は連年将軍職に選ばれて〈一人支配〉を実現した。
パルテノンをはじめアテナイに美観を添える大土木工事が推進され,彼とその愛妾アスパシアの文化サークルには国の内外から多くの学者,芸術家などが集まって〈ペリクレスの黄金時代〉を現出させた。
しかし,前433年コルキュラの内紛に介入してコリントスとの対立を強め,翌年には〈メガラ決議〉によって隣国の通商活動に打撃を与えて反目を買い,前431年勃発のペロポネソス戦争への道を突き進んだ。
アッティカ住民を長城内に疎開させ海軍を主力に戦うペリクレスの作戦は,開戦翌年に疫病の蔓延を招き,同年将軍職を失ったばかりではなく,みずからも病魔に倒れた。

http://www40.atwiki.jp/genesis-ticket/pages/208.html

18 :ハンガリーにおける哲学者の迫害に抗議する署名:2013/12/27(金) 23:27:50.79 .net
アルキビアデス (前450ごろ〜前404)

古代ギリシャ・アテネの将軍・政治家。栄光と流転の人生。

アテナイの名家の出で、父はクレイニアス、母はデイノマケ。
父が前447年にコロネイアの戦いで戦死したので、幼い彼はペリクレスの家で育てられるようになった。
巨額な父の遺産を相続し、アテナイ随一の人物(ペリクレス)を後見人に持ち、しかも類い稀な美貌を持つとあって、彼はわがまま気まぐれに育ち、傍若無人な性格となったという。 
学問について、彼はソクラテスの弟子となり、師の親しい友ともなった。ポティダイアの戦い(前432年)では師のソクラテスに命を救われたが、前424年のデリオンの戦いでのアテナイの敗走のときには、逆にアルキビデアスが徒歩のソクラテスを馬上から守ったという。
 しかしソクラテス以外にも、プロタゴラスやプロディコスなど、他のアテネ在住のソフィスト(哲学者)たちから受けた影響も大きい。
戦場でのアルキビアデスは非常に勇敢だったので、それをみこんだ有力者ヒッポニコスは莫大な持参金を付け娘のヒッポレテを彼に与えた。

http://auto2ch.doorblog.jp/archives/27303250.html

19 :海面下の潜水艦から航空機を射出できますか?:2014/01/20(月) 22:32:39.11 .net
ペロピダス  前410ころ〜前364

テーバイの政治家,将軍。民主派に属し,前382年,スパルタ軍がカドメイアを占領したときアテナイに亡命したが,
前379年,帰国してスパルタ軍を駆逐した。前371年のレウクトラの戦,続くペロポネソス半島への侵入でエパメイノンダスとともに活躍し,
前369年以後はテッサリアのフェライの僭主アレクサンドロスと戦い,キュノスケファライで勝利したが,自身は戦死した。

http://dic.pixiv.net/a/LBX#h3_2

20 :イデの力が解放したらどうなるか、誰もわかっていないんだぞ!:2014/01/23(木) 05:45:56.81 .net
エパミノンダス(エパメイノンダス) Epameinondas  ?〜前362

テーバイ(テーベ)の軍人,政治家。友人のペロピダスと協力してテーバイの勃興に貢献した。
前371年にスパルタとテーバイの友好が決裂すると、レウクトラの戦いで強豪スパルタを撃退した。
この戦いで彼は、従来の重装歩兵密集隊に改良を加えて,左翼を厚くした斜線陣形を導入し、これはギリシャ戦争史の革命といわれた。
前370〜前369年にペロポネソス半島に侵入し、スパルタを破ってメッセニア人を解放、スパルタに対抗する独立国家を樹立させた。
アテナイの海上支配にも対抗し、船隊を率いてエーゲ海を航行した。
前362年,4度めのペロポネソス半島侵入を行うが,マンティネイアの戦でスパルタ・アテナイ連合軍と交戦,戦死。
彼の死後テーバイの勢力は急速に衰えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%87%E8%80%85%E7%8E%8B%E3%82%AC%E3%82%AA%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E3%83%A1%E3%82%AB#.E3.82.AB.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.81.AE.E9.81.BA.E7.94.A3

21 :「カエサルはルビコン川を渡る際、11軍団の艦隊を投入した」:2014/01/24(金) 08:24:05.17 .net
マーメルクス・アエミリウス   (前5世紀)

ローマの独裁官。

紀元前426年に彼は三度目の独裁官となると、以前撃破してその王を戦死せしめていたフィディーナにとどめを刺すために軍を起こした。
 フィディーナ側はローマ軍の肝をつぶすためにフィディーナ市の城門から無数の投げ槍に火をつけたものを打ち出したが、
アエミリウスは少しも驚かず、騎馬隊をいったん丘の上に退かせ、炎の中で敵軍と乱戦状態にあった自分の歩兵隊の一隊に鋭く下知して敵軍のかがり火を奪わせた。
 一方で、丘の上に集結した騎馬隊に、すべての乗馬の装備をはずさせ、その裸馬の群れを敵勢の真ん中になだれ込ませた。 
ローマ軍の火攻めと馬をつかった反撃に、フィーディナ軍は大混乱をきたし、とうとうローマ側は大勝利を得た。

『敵勢にむかって攻めかかろうとて、火災に驚いて蜜蜂のごとくに逃げ奔るは末代までの恥辱、なんとしても取って返して敵にかかるは武士のつとめぞ。
フィーディーナを其の火で焼きはらへ、情け容赦は戰には禁物ぢゃ』
                   〜Suis flammis delete Fidenas, quas vestris beneficiis placare non potuistis〜
                                     ティツス・リーウィウス『ローマ史』

http://ja.wikipedia.org/wiki/BASTARD!!_-%E6%9A%97%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E7%A5%9E-

22 :雑誌インタビューで仮面ライダーを邪悪展開化公言:2014/01/30(木) 16:43:14.18 .net
フィリッポス2世  (前382〜前336)

ギリシャ北方のマケドニアの王。 デルフォイ神殿をめぐるギリシア都市国家間の争いに介入し、勢力を伸ばした。
  前338年、デモステネスの主導するアテネ・テーベ連合軍をカイロネイアの戦いで撃破。
  同年、スパルタを除く全ギリシア都市にコリント同盟を結ばせ、フィリッポスをその盟主としてペルシア遠征を計画したのだが、私怨により暗殺された。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%AC

23 :中国で甲冑って聞かんな:2014/01/31(金) 05:18:19.06 .net
アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世) (前356〜前323)

ギリシャを征服した父フィリッポスの後を継ぎ、ギリシャ諸国を平定。
 その後東方遠征の事業を開始、ペルシャに進撃してダレイオス3世の大軍を撃破。 さらに東方に遠征して中央アジア、北西インドにまたがる世界帝国を実現した。
 征服地ではその制度・慣行を尊重し、東方民族主体の新帝国軍を編成、ギリシア傭兵の植民地定住策などにより東西の融合を目指した。
 前323年にバビロンで急死したため、さらなる遠征の計画は実現されなかったが、東西交流は活発化し、ヘレニズムと呼ばれる豊かな世界文化が開花した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E6%88%A6%E8%A8%98

24 :天之御名無主:2014/02/03(月) 19:16:59.14 .net
デイビー・クロケット

25 :天之御名無主:2014/02/04(火) 13:12:27.27 .net
バレンタインの季節です。
吉川裕(東北大学大学院)による贋ラブレターの計に注意しましょう!
身も心もズタズタにされます。
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発信者 よしかわゆたか
SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か

2/11 23:24

スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。
研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、
「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。
じゃあまた。

26 :【電通】SIPS:2014/02/07(金) 23:36:08.27 .net
ダレイオス3世   (在位;前336〜前330)

アケメネス朝ペルシア帝国最後の王。  アレクサンドロス率いるギリシャ軍に前333年のイッソスの戦い、前331年のガウガメラの戦いで敗退したあと、逃亡している途中に部下に殺害された。


スキッピオ、アフリカヌス  (前236〜前183)
     プブリウス・コルネリウス・スキッピオ 大スキピオ
    カルタゴを破ったローマの将軍。

ローマの将軍だった同名の人物の息子。
17歳のとき、父に従って初めてハンニバルの軍隊と戦うが、敗走。 カンネーの戦いでも敗北。
前208年、スペインのバエクラで、カルタゴのハンニバルの弟ハスドルバル将軍を打ち破り、ローマによるスペイン支配を確立した。
前202年、ザマの戦いでハンニバルを破る。

ミトリダテス大王、ミトリダテス6世、エウパトール・ディオニソス(前132〜前64,位;前111〜)

小アジアのポントス王国の8代目の王。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3

27 :パチンコ、パチスロをやめる暗示文 -ギャンブル依存症:2014/02/14(金) 05:08:05.84 .net
スッラ、ルキウス・コルネリウス・スラ・フェリクス (前138〜78年)

共和制ローマ時代の高名な政治家。 
「執政官」。 マリウスと争い、 小アジア方面で功績を挙げる。
『味方にとってはスッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとってはスッラ以上に悪しきことをした者は無し』 
しかし彼が前79年に隠退し翌年没してから10年を経ずして,彼の体制はくつがえされた。

カティリーナ、ルキウス・セルギウス  (前100or102〜前62)

ローマの秩序に大きな影響力を与えた人物として、ルネッサンス時代の著述家によく引き合いに出される人物。
没落パトリキ出身のローマの政治家。同盟市戦争に従軍し,スラの恐怖政治に荷担して蓄財。
プラエトル,アフリカ総督就任後,コンスル職を目指したが,一度は不当搾取罪に問われて立候補できず,クラッスス,カエサルら政界多数の協力を得た前64,前63両年にも落選した。
その直後,政権担当者暗殺,内乱状態再現を狙って全イタリア規模の陰謀を組織したが,コンスルのキケロの追及を受け,エトルリアへ逃亡(前63年11月)。一味は逮捕,処刑され,彼自身も翌年討伐軍との戦闘で敗死した。
陰謀参加者は旧スラ派の不満分子を核に没落退役兵,都市貧民に及び,前2世紀後半以来の社会崩壊へのスラ的処方箋の破産を象徴する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%98%E5%8D%B4%E3%81%AE%E6%97%8B%E5%BE%8B#.E4.B8.BB.E9.A1.8C.E6.AD.8C

28 :情報戦争加熱 文章によって暗示をかける基礎を公開:2014/02/21(金) 16:48:24.49 .net
カティリーナ、ルキウス・セルギウス  (前100or102〜前62)

ローマの秩序に大きな影響力を与えた人物として、ルネッサンス時代の著述家によく引き合いに出される人物。
没落パトリキ出身のローマの政治家。同盟市戦争に従軍し,スラの恐怖政治に荷担して蓄財。プラエトル,アフリカ総督就任後,コンスル職を目指したが,一度は不当搾取罪に問われて立候補できず,クラッスス,カエサルら政界多数の協力を得た前64,前63両年にも落選した。
その直後,政権担当者暗殺,内乱状態再現を狙って全イタリア規模の陰謀を組織したが,コンスルのキケロの追及を受け,エトルリアへ逃亡(前63年11月)。一味は逮捕,処刑され,彼自身も翌年討伐軍との戦闘で敗死した。
陰謀参加者は旧スラ派の不満分子を核に没落退役兵,都市貧民に及び,前2世紀後半以来の社会崩壊へのスラ的処方箋の破産を象徴する。

ローマの名家の出身。 若いころから素行は良くない。
スッラの流浪生活中に、彼の名代となって働く。 そのころ、妹の夫、自分の妻子、ウェスタの神殿の童貞ガビアを殺害したという罪で、クラウディウス・プルケルに糾弾された。
統領職への就任を2度も、当時の統領衆であったマンリウス・トルクアーツスとアウレリアス・コッタに妨害されたため、彼らを殺害しようと図ったものの失敗、しかしその後、判官と検事を買収したので、罪に問われずに済んだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A0_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29

29 :“押しつけ”の反省から生まれた検索時代の新手法:2014/02/21(金) 16:52:17.43 .net
ポンペイウス 前106‐前48   Gnaeus Pompeius Magnus

共和政末期ローマの政治家,将軍。いわゆる三頭政治家の一人。
ローマを長年にわたって悩ませた外敵との戦いに終止符を打ち,東方を平定した将軍としての業績は,高く評価される。
またクリエンテス関係のもつ役割を十分に見抜き,積極的に利用したばかりか,ある種の世界帝国理念をも保有した政治家であり,とりわけ組織の才に恵まれていたといえる。
若い頃には無冠にして大権を授けられるなど,法を超える形で権力を伸張したにもかかわらず,晩年には元老院の保守派いわゆる秩序護持派にかつがれて,カエサルに相対さざるをえなかった。
将軍・政治家として同時代人を抜きんでるみごとな才能を有していたとはいえ,カエサルとの対立・抗争を通して明らかになるのは,両者の政治家としてのスケールの差であり,また人間性の差でもある。

http://anchor.doorblog.jp/archives/27834739.html

30 :メンバー募集を開始します!|TPG〜てぃあらぷりんせすがー:2014/02/26(水) 18:39:12.86 .net
カエサル、ガイウス・ユリウス  (前100or102〜前44 /56歳)

古代史の中でアレクサンドロス大王と並び称される古代ローマ最大の英雄、最大の武人。
政治家であると共に西洋史上、もっとも大きな影響を残した人物。 英語読みではシーザー。
ガリアを平定してローマ文化がヨーロッパ内陸部にまでひろめる基礎を築き,内乱の勝利者として単独支配者となり,世界帝国的視野に基づく変革を行ったが,共和政ローマの伝統を破るものとみなされて暗殺された。
ギリシア・ローマの歴史の流れを決定的に変えた大政治家。
常に運命の女神と共にあることを確信したばかりか,世人に〈運命の寵児〉とみなされた一方,政敵を心から受けいれてゆく仁慈の人としても知られる。
実戦の雄であったばかりか,軍略をめぐらす将軍としても卓抜しており,一方,人心の向かうところを正しくつかんだ民衆派政治家として,社会改革を遂行したが,業なかばにして倒れたといえよう。
彼の窮極の狙いが,王政であったか否か,という問いは同時代人にまでさかのぼるが,共和政の破壊者とみなす説,逆に帝政の礎石をすえた人物とする説というように,政治家としての評価も定まらない。
しかし世界帝国ローマを統御するには1人の力によるしかないという認識は,養子のオクタウィアヌス(アウグストゥス)によるいわゆる帝政の成立により現実のものとなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D
政治家としてのスケールの大きさ,つまり世界帝国的視野を一応認める説が有力であるが,異論もないではない。豊かな人間性,また最期の悲劇性など,その人間像についても,文学者,芸術家の手でさまざまの角度から幾度もとりあげられてきた。

31 :「放射能から大切な人」を守る料理法:2014/03/23(日) 08:22:27.53 .net
ウェルキンゲトリクス  (前82頃〜前46)

前52年のガリア人の大反乱の指揮者。アルウェルニ族の有力者の子。父は王位を望んだという嫌疑で殺された。
前52年にカルヌテス族が反乱をおこしたのに呼応して,自己の部族の者ばかりではなくガリア全体に反乱を呼びかけて同盟軍を組織,その指揮者となった。
数々の合戦で一時はカエサルを窮地に追い込んだが,アレシアの戦で攻囲されて大敗した。
降伏後ローマで投獄され,6年後の前46年にカエサルの凱旋式のあと処刑された。
ロマン主義時代にガリアの愛国主義者と賛美され,19世紀末にはフランス国民の英雄,20世紀初頭にはフランス史における最初の抵抗運動家という評価が与えられた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E6%92%83!%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%A9%E9%9A%8A%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

32 :カエサルはルビコン川を渡る際、11軍団の艦隊を投入した:2014/03/26(水) 17:25:47.31 .net
アウグストゥス、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス (前63〜後14) 在位;前27〜後14年

ローマ帝国の初代皇帝。

ウェリトラエの富裕な騎士身分のガイウス・オクタウィウス GaiusOctavius とカエサルの姪アティア Atia の間に生まれ,初め父と同じガイウス・オクタウィウスの名を称する。
父は法務官・マケドニアの支配者として力を振るったが、前58年に死去。母によって学芸をたしなみ祖先の遺風を重んじるべく教育された。
12歳のとき、慣例に従って祖母ユリア(=カエサルの妹)の頌辞を述べたのが、公の場への初登場である。
男子に恵まれなかったカエサルに愛され、前46年のアフリカ凱旋や、スペイン遠征にも同伴。 
18歳のとき、生涯の友アグリッパとルフスと共にイリュス地方のアポロニアに送られたが、その地で遊学中にカエサルの暗殺されたことと、カエサルの遺言が、自分がカエサルの養子となり、カエサルの資産の相続人に指名されていることを伝え聞き、すぐにイタリアに上陸。
名門ユリウス氏族の後継者としてガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス Gaius Julius Caesar Octavianus と名のった。
カエサル死後の資産相続の正当性を巡り、まずカエサル派の実力者マルクス・アントニウスとは不和となる。アントニウスもカエサルの遺言とその効果を自分のために使おうとし、最初はオクタウィアヌスを若輩者として軽視していた。
しかし、アントニウスとカエサルの暗殺者デキムス・ブルートゥスの勢力(共和派)との戦いの中で、和解が成立し、オクタウィアヌスは元老院から元老院議員および前法務官の地位を与えられ、ムティナの戦いでも勝利をおさめた。
(しかしこの勝利に対して、元老院はオクタウィアヌスに正当な名誉を与えなかったので、軍隊は彼を統領にすることを要求する運動を起こした) 前43年、アントニウスを支持するレピドゥスを加えて「国家再建三人委員」を結成。
元老院の承認によって独裁官の全権を得ると,彼自身は北アフリカ,シチリア,サルディニアおよびコルシカを勢力基盤とする。前42年,フィリッピの戦で共和派の残党を一掃した際には,頭目ブルトゥスの首をカエサルの彫像の前にささげたといわれる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%BE1/2%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

33 :「暴走温室効果」は起こりえるのか?:2014/04/09(水) 18:27:37.29 .net
マルクス・アウレリウス・アントニヌス、  (121〜180)
   ”ローマの五賢帝”の最後のひとり。  ”哲人皇帝”としても知られる。
    しかしローマ帝国の最盛期であったその治世は、問題が山積みで、彼も異民族との戦いの中で、生涯を
    閉じた。  彼の死と共にローマ帝国の衰退も始まった。

スペインの名家の家系だが、ローマで生まれた。幼い頃から勉学に励むと共に「ギリシャ的訓練」によって肉体の鍛錬に励み、時の皇帝ハドリアヌス(五賢帝の3人目)に認められ、まもなく皇帝の養子となるコンモドゥスの娘と婚約した。
これがマルクスが出世するきっかけとなった。  若い頃の彼は多くの学者に学び、とくにストア派の哲学に強く傾倒した。
皇帝ハドリアヌスが死んだとき、その遺言でハドリアヌスの後継者アントニヌス・ピウス(五賢帝の4人目)の養子となった。
  このとき17歳。  アントニヌスには他にも養子がいたが、マルクスただひとりだけが後継者として指名され、カエサルの称号を与えられ、翌年に18歳の若さで執政官となり、 また皇帝の娘を嫁に与えられた。  (コンモドゥスの娘との婚約は破棄) 
マルクスはこの養父をとても敬愛し、それは23年間の彼との生活(``)のなかで彼と離れたのはたった2晩で、そのときマルクスは病気になった、といわれるほどである。
マルクスはアントニヌスの養子たちの中でもっとも養父に愛されたが、アントニヌスが死に、元老院から次期皇帝への就任の打診があったとき、同じく前皇帝の養子であったルキウスと共に次の皇帝となることを要請した。
 これが皇帝の共同統治の先例となった。   このルキウスという人物は怠惰で享楽的でマルクスとは正反対の性格の人物で、皇帝となってもその自覚も責任も持たない人物だったが、マルクスに対しては常に尊敬と親愛を持って接し、2人の仲はとても良かった。

http://senki.kusakage.com/index.htm 

34 :名無し:2014/04/15(火) 16:09:43.18 .net
勝又祥死ね

35 :テレ朝・小松アナ「韓国の対馬」発言→ネット上で大騒動に:2014/05/16(金) 00:30:13.91 .net
コンモドゥス帝、ルキウス・アリウス・アウレリウス (161〜193 位;180〜193)

ローマ皇帝。五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の長子。
父帝の晩年に共同統治者となり、父帝の死後徐々に元老院と敵対していった。側近や親衛隊の意向に左右される性格で、自ら闘技場に出て剣闘士(グラディアトル)として格闘することを好んだといわれ、
自分をヘラクレスの化身と見なすほどの狂信者ぶりを示したため,周囲の反感を買い最後に暗殺された。

マルクス・アウレリアス帝の10番目の子供。母の名は父帝の2番目の妃ファディラ。成年まで達した兄弟は、異母姉のルッキラとファウスティナ、同母姉のコルニフィキアしかいない。
父帝の片腕だった共治帝ルキウス・ウェルスの実父だったコンモドゥスにちなんで命名されたが、ルキウス・ウェルスはコンモドゥスが8歳の時に脳卒中で死去したため、マルクス・アウレリアスの後継者として帝王教育を受けて育った。
19歳のとき改名して「マルクス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニウス」と名乗る。
その翌年と翌々年の(ドナウ方面の)ゲルマン遠征にも父に従い、ゲルマン人、サルマタイ人と戦ったが、180年に父が遠征先で病死すると、周囲の意見を無視して父帝がおこなっていたゲルマン人との戦争を打ち切ることを布告し、
すぐにローマに帰って単独支配者となったことを宣言した。 (※この“戦争中止”に関しては正しかったと判断する評者が多い) ローマに戻ったコンモドゥス帝は180年10月22日に凱旋式を行った。
コンモドゥスの代になって、帝政初期の頃の専制政治とドミニティアヌス帝流の武断政治が復活され、ふたたび陰謀と流血の悲惨な時代が始まる。
そののち彼は政務・軍務をおこたるようになり、剣闘などの遊興に耽り、身辺を近衛兵で固め、とくに近衛都督ペレンニス、クレアンデルらを重用し、
その行政を避難する者には厳罰をもって応じたので、国外からの諸民族の侵入や、国内では財政の窮迫、貨幣の悪質化、物価の騰貴などのたくさんの問題が巻き起こり、帝国に癒すことの難しい傷を与えた。

http://dic.pixiv.net/a/%E5%8D%81%E6%9C%AC%E5%88%80

36 :ヴォルムスのアブラハム:2014/05/23(金) 19:15:01.43 .net
チンギス・ハン
蒙古の王で蒼き狼(ポルテ・チノ)の子孫とされる。
源義経と同一、野獣の神を脅したなど、伝説・逸話は多い

37 :真実の地球人類史:2014/05/25(日) 22:05:35.33 .net
そういやハーンネタで何かあったな、なんだっけ?
モンゴル人は狼以外にも猪とか他の動物神を信仰してたとか
そういう話だったかな?

38 :昨日見た夢が気になるので詳しい方がいましたら宜しく:2014/05/30(金) 07:02:37.74 .net
ガウェイン

「円卓の騎士」の1人であり、「忠義の騎士」として名高い。
アーサー王の甥に当たり、オークニー王ロトとアーサーの異父姉モルゴースの子。
弟にガヘリス、ガレス、アグラヴェイン、モルドレッド(異父弟)がおり、息子にはフローレンス卿、ロヴェル卿、ガングラン卿がいる。

初期の伝説によれば、アーサー王の甥として最も優秀な騎士として活躍した。朝から正午までは力が3倍になるという特性をもち、円卓の騎士中ランスロットに並び立つ存在。
強情で勇猛果敢ゆえの失敗も少なくないが、アーサー王の片腕として分別を働かせることもある。
「ガウェイン卿と緑の騎士」、「ガウェインの結婚」など、逸話が多い。
ガラティーン(Gallatin)という銘の剣を愛用していたとされる。この剣はアーサー王のエクスカリバーの姉妹剣とも言われているが、劇中での出番はほとんど無く、資料も乏しいため形状や性能、入手経路など不明な点が多い。

http://phoenix-wind.com/ranking/vote/vote_gintama.php

39 :ミリオンアーサー急落!!その理由は!?:2014/06/11(水) 22:10:55.10 .net
フランスの一地方を治めていたバンという王(通称:ベンウィックのバン王、w:en:King Ban)の息子で両親は共に早くに他界している。
彼は湖の乙女という妖精に育てられたため、「湖の騎士(Lancelot du Lac)」とも呼ばれる。
その後、成人になった彼は武者修行のためブリタンニア(ブリテン島)に渡り、そこでアーサーと運命的に出会った。
そして彼に惚れ、のちに円卓の騎士として名を馳せることになる。馬上槍試合では、槍、剣術、乗馬のどれも彼の右に出るものはいなかった。
騎士としての行動や振る舞いもまた素晴らしいものだった。
アロンダイトは、ランスロットの愛用する剣である。ただ、アーサー王伝説には登場せず、
14世紀初頭の中英語詩『ハンプトンのビーヴェス卿(ビーヴィス卿)(英語版)』の異本(ケンブリッジ大学キーズ学寮蔵 175 写本など)が初出である。
アロンダイトはこの詩の中でビーヴェス卿の息子ガイ卿の剣として登場するが、同時に「元々はランスロットの剣であった」という故事が語られている[1]。
アロンダイトは刃毀れしにくい剣と言われている。ランスロットは、同じ円卓の騎士のガウェインの3人の弟(ガレス、ガヘリス、アグラヴェイン)をこの剣で斬殺してしまっている。
さらに、アーサー王の妃グィネヴィアに通じていた(愛人)と言う説もあり、主君アーサー王に密告されるのを恐れてガウェインの弟たちを殺したとも言われている。
また、ランスロットは、トランプのクラブのジャックのモデルにもなっている。

生い立ち
ランスロットの父ベンウィックのバン王は、即位したばかりのアーサー王の後ろ盾となってイングランド統一戦に兵を送ったフランスの領主である。
そのためにフランスを長期間留守にしてしまい、そこをクラウダス(w:en:Claudas)に攻められて、弟のボールス王ともどもに領地を失った。
その時二人は憤死したとも、戦死したとも伝えられる。
落城の折、バン王の王妃エレインは赤子のランスロットを抱いて逃亡するが、湖の畔で休んでいるうちに、湖の精ニミュエによってランスロットはさらわれてしまう。
このニミュエに育てられたため、ランスロットは「湖のランスロ(Lancelot Du Lac)」とも呼ばれる。

http://may.2chanlog.net/b/res/254209556.htm

40 :「私は共犯者か?」 (タムラ・レポート) - 田村設計:2014/08/13(水) 08:34:50.69 .net
グィネヴィアとの恋

ランスロットは長じて立派な騎士となり、アーサー王の宮殿を訪れて円卓の騎士に列せられることになった。ランスロットは武勇でも騎士道を守る心でも、円卓の騎士の中で並ぶ者がなかった。
トマス・マロリーのキャクストン版では、トリストラムと並ぶ最高の騎士とされる。 しかし、アーサー王の王妃グィネヴィアと恋に落ち、騎士道と不義の恋との板挟みに苦しむことになる。

荷車の騎士
ある時、ブラデメイガス王の子マリアガンスはグィネヴィア王妃に横恋慕し、彼女と護衛のケイ卿をさらう。それを知ったランスロットは救出に向かうが、マリアガンスの部下の待ち伏せを受けて馬を射殺されてしまう。
乗馬を失ったランスロットは重い鎧に難儀するが、森で荷車を見つけた。
当時は罪人か不浄な者しか荷車に乗ることはなかったが、王妃を救うために動き回るための乗り物は必要であり、ランスロットはこれに乗ることにする。
荷車に乗って国中を走り回るランスロットの姿は噂となり、幽囚の王妃やケイ卿の知るところとなる。
王妃らはランスロットが騎士道に背く行いをしたために、罰として荷車に乗っているのだと誤解する。
いくつもの冒険を超えてランスロットはマリアガンスを破り、王妃らを救出するが、グィネヴィアは荷車の一件でランスロットをなじる。
半狂乱となったランスロットは三日三晩森を彷徨うが、気を取り直して王宮に帰り、王妃に事情を説明して誤解を解く。
円卓の騎士の身代わり

ランスロットは円卓の騎士の身代わりを務め、その窮地を救ったことが一再ならずある。

ケイ卿が遍歴騎士としての旅に出ている時、多くの騎士に挑戦されて負傷する。そこを通りがかったランスロットは、ケイの武具を身に着ける。
ケイだと思って挑戦するサグラマー、ガウェイン、ヘクター・ド・マリス、ユーウェインはいずれも相手をケイだと侮って敗れる。

http://ameblo.jp/punk1shxxx/entry-10934604706.html

41 :天之御名無主:2014/08/20(水) 18:29:09.87 .net
ステンカラージン

42 :とめブログ\(^o^)/は無効!ジムに協力する者は共犯:2014/08/22(金) 06:40:41.57 .net
二人のエレインとの出会い

優れた武勇や騎士道精神をもつランスロットを慕う女性は多かった。

アストラット(シャロット)のエレイン姫はランスロットに愛を拒絶され、衰弱して命を落とす。彼女の亡骸は小船に乗せられ、アストラット王の悲しみとランスロットへの非難を綴った文書と共に流されてキャメロットに流れ着いた。

そしてもう一人、ペレス王の娘、カーボネックのエレインは、魔法の薬の幻覚と、家臣らの演技を使って、ランスロットにグィネヴィア王妃と誤認させて、彼と一夜を共にする。このとき身篭った子がガラハドである。

ランスロットの母の名もエレインであり、彼の人生には何人ものエレインが登場することになる。
アーサー王との決裂

ある日、ランスロットとグィネヴィアは、不義密通の現場を、円卓の騎士でありガウェインの弟であるアグラヴェインと12人の円卓の騎士に踏み込まれてしまう。この時ランスロットはアグラヴェインと12人の騎士たちを殺害してしまった。

王妃グィネヴィアは不義の罪で火刑に処せられるべく、刑場に引き出される。そこをランスロットは急襲し、警護に当たっていた多数の円卓の騎士たちを殺してグィネヴィアを救出する。この際に、ガウェインの弟ガヘリス(とガレス)を殺してしまう。
ランスロットを敬愛する二人は、グィネヴィアを救出しにやって来る彼を傷つけないよう、丸腰であった。(正確には、グィネヴィアの処刑に反対だったガレスとガヘリスは、
アーサー王の命令に仕方なく従ったことを周囲に示すために平時の服装で丸腰のまま王妃の処刑に立ち会った)三人の弟を失ったガウェインはランスロット討伐を強硬に主張するようになる。

ランスロットとグィネヴィアを追討するために、アーサー王は国中に触れを出すが、人望あるランスロットを助けるべく、円卓の騎士の半ばまでがアーサー王の命に従わなかった。こうしてランスロットとアーサー王を巡って円卓の騎士は二つに割れてしまう。

結局、アーサー王はランスロットとグィネヴィアの篭る城「幸福の護り」を落とすことが出来ず、ランスロットも自らが原因で円卓の騎士が二分してしまったことを後ろめたく思っていた。ランスロットは、アーサー王が一騎討ちを挑んできても、それに応じなかった。

http://may.2chan.net/b/res/274845320.htm

43 :静岡書店大賞:2014/09/24(水) 20:54:25.43 ID:VPFsi6r9B
アーサー王との決裂

ある日、ランスロットとグィネヴィアは、不義密通の現場を、円卓の騎士でありガウェインの弟であるアグラヴェインと12人の円卓の騎士に踏み込まれてしまう。
この時ランスロットはアグラヴェインと12人の騎士たちを殺害してしまった。

王妃グィネヴィアは不義の罪で火刑に処せられるべく、刑場に引き出される。そこをランスロットは急襲し、警護に当たっていた多数の円卓の騎士たちを殺してグィネヴィアを救出する。
この際に、ガウェインの弟ガヘリス(とガレス)を殺してしまう。ランスロットを敬愛する二人は、グィネヴィアを救出しにやって来る彼を傷つけないよう、丸腰であった。
(正確には、グィネヴィアの処刑に反対だったガレスとガヘリスは、アーサー王の命令に仕方なく従ったことを周囲に示すために平時の服装で丸腰のまま王妃の処刑に立ち会った)
三人の弟を失ったガウェインはランスロット討伐を強硬に主張するようになる。

ランスロットとグィネヴィアを追討するために、アーサー王は国中に触れを出すが、人望あるランスロットを助けるべく、円卓の騎士の半ばまでがアーサー王の命に従わなかった。
こうしてランスロットとアーサー王を巡って円卓の騎士は二つに割れてしまう。

結局、アーサー王はランスロットとグィネヴィアの篭る城「幸福の護り」を落とすことが出来ず、ランスロットも自らが原因で円卓の騎士が二分してしまったことを後ろめたく思っていた。
ランスロットは、アーサー王が一騎討ちを挑んできても、それに応じなかった。
また、ある時はランスロット側についた円卓の騎士ボールスがアーサー王を打ち倒した。
ボゥホートは剣を抜いてアーサー王の首を掻こうとしたが、ランスロットはそれを止めて王の命を助けた。

ロチェスター僧正の仲裁でグィネヴィアはアーサー王のもとに返され、一年間の休戦となった。
ランスロットとランスロット派の円卓の騎士たちはフランスへと渡る。
そこでランスロットはエクター・ド・マリス、ブレモア、ボールス、ライオネル、ラヴェインといった味方する円卓の騎士たちに、
自らと同じだけの広さの領地を与えて報いた。


http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%81%8C%E6%96%AC%E3%82%8B!

44 :司会はバカリズム:2014/10/13(月) 00:08:42.16 ID:SFEp4LvxP
ガウェインとアーサー王の死

休戦の一年が過ぎると、アーサー王の軍勢は海を渡ってフランスへ攻め込んできた。
円卓の騎士同士の戦いに嫌気が差したランスロットは使者を送って和議を申し出る。
しかし、三人の弟を殺されたガウェインはこの申し出を受け入れないようアーサー王に迫り、
可否を巡ってランスロットはガウェインと一騎打ちを行う。この一騎打ちでガウェインは重傷を負う。

一月が経ってもまだアーサー王とランスロットはフランスで対峙していた。
その間にアーサー王の息子モードレッドがブリテンで反乱を起こしてしまう。

ようやく和議を受け入れたガウェインは、先発隊としてブリテンに渡るが、ランスロットとの一騎打ちで受けた傷によって満足に戦えず、
傷の上を一撃されてモードレッドに殺されてしまう。

アーサー王もまた、ガウェインの霊が枕元に立って「ランスロットと合流してから会戦に挑め」と忠告したにも関わらず、
和議に失敗して単独でモードレッドに挑んでしまう。
結局、二人は相討ちとなり、アーサー王に従った円卓の騎士の大半も、ここキャムランの丘で討ち死にしてしまう。

円卓の騎士の中でランスロットに従った半数を除けば、生き残ったのはベディヴィアだけであった。
無二の親友であったガウェインや主君のアーサー王、そして多くの円卓の騎士の死に責任を感じたランスロットは出家を決意する。

余生
アーサー王の死の後、王妃グィネヴィアは出家し、迎えに来たランスロットも拒絶する。
ランスロットもまた出家し、二人は二度と生きて逢うことはなかったという。
グィネヴィアの死が伝えられると、ランスロットは自ら食を絶って生を終えた。

http://www.madan-anime.jp/character.html?c=z1

45 :パンを食べているとガンになる!?:2014/10/20(月) 22:16:24.82 ID:FnHhsZ7kn
ケイ卿(Sir Kay, Ceiとも)は、アーサー王伝説等に登場する伝説の人物で、円卓の騎士の一人。エクトル卿の子でアーサー王の義理の兄(乳兄弟)にあたる。
他にカイ、カイウス、カ、クーとも。

『マビノギオン』ではベディヴィアと共に超人ばりな特技を披露し
(九日九晩水の中にいても息が続く、九日九晩寝ずに働ける、人に傷を負わさせればその傷は絶対に治らない、
機嫌のいいときは背が伸びる、手から出る熱で洗濯物もすぐ乾かしてしまうなど)、
「キルッフとオルウェン」では、巨人ウルナッハのもとに単身乗り込み、機知でもってウルナッハを討ち取った。
最後はグウヴィザグに殺されるが、アーサー王が仇を撃つ。

トーマス・マロリーのアーサー王の死においては、アーサー王の義兄にして忠臣として描かれている。
この物語においてケイ卿はアーサーの乳兄弟として育ち、万聖節の日(11月1日)に騎士となる。
ある日の馬上槍試合においてケイ卿は剣を折ってしまい、代わりの剣を弟であるアーサーに取りに行かせる。
アーサーは家に戻り剣を探すが見つからなかったため、代わりに大聖堂前の石に刺さっていた剣(カリバーン)を抜いて持ってくる。
この出来事がきっかけでアーサーは自身がユーサー・ペンドラゴンの息子であるということを証明し、新王の資格を有することを知る。
アーサー王が即位した後、ケイ卿は司厨長に任命される。
その後、アーサー王にベディヴィアと伴われてモン・サン・ミッシェルの巨人を討伐するなどの活躍を見せる。
ケイ卿の最期には諸説あり、ローマ軍との戦いで戦死したりするものがあるが、カムランの戦いで果てたのが通説となっている。

後世の文献では、ケイ卿の性格には道化的で愉快な性格がみられるようになる。たとえば、ハルトマン・フォン・アウエの『イーヴェイン』では、
ケイはケノンに話を求め、ケノンが自分の体験した泉での不思議な出来事を語る。その話を聞いたケイは「そんな話はウソだろう。」と嫌味を言うが、
そのあまりの口の悪さに王妃ギネヴィアはケイを叱責する。

一方で、フランスの「聖杯」の散文物語『ペルレスヴォ』では、アーサーの息子ロホルト(『アーサー王の死』に登場するボーレと同一人物とも)を殺害し、
島々のブリアンと共にアーサーに反旗を翻す不義の臣として描かれている。

http://koujouchou.naturum.ne.jp/e690083.html

46 :昆明の無差別襲撃、SNSで事件現場の生々しい写真が拡散:2014/10/21(火) 18:56:19.03 ID:sECWznCJX
エクター・ド・マリス卿(Hector de Maris)は、アーサー王伝説に登場する、円卓の騎士の一人。
ベンウィクのバン王の息子であり、円卓の騎士の筆頭であるランスロット卿の弟。
アーサー王の養父である「エクター卿」と同名なので、区別するために出身地をつけて「エクター・ド・マリス」と呼ばれる。
彼の名がフランス語表記なのは、エクター・ド・マリス自身がフランス人であるのと、
アーサー王物語がフランスで発展し、イギリスに逆輸入されたさい、フランス語表記がもてはやされたことによる。

アーサー王の物語の中では、行方不明になるランスロット卿を捜索するエピソードにしばしば登場する。
また、聖杯探求中にお互いそれとは知らずパーシヴァル卿と槍試合を行い、自身も重傷を負ったものの、パーシヴァル卿にも瀕死の負傷をさせている。
このときは突如現れた聖杯により、たちまちのうち怪我が治癒された。
漁夫王・ランスロット卿とともに、聖杯の恩恵を受けた数少ない人物である。
その後はガウェイン卿としばらく旅を続けるが、結局聖杯を見つけることがかなわず、キャメロットに帰還した。

物語の終盤、円卓の騎士の間で内乱が起きると、ランスロット卿の味方となり、ボールス卿・ライオネル卿らとともにアーサー王と戦った。
アーサー王とランスロット卿の間に和議がなると、ランスロット卿からベンウィクとギエンヌの王に封じられる。
アーサー王の死後、ランスロット卿が行方不明になると、彼を探しにイングランドやウェールズを7年間探し回った。
ようやく居場所を探り当てたときには、すでにランスロット卿は死亡しており、その死に目に会うことはできなかった。
その後は、ランスロット卿の遺言で聖地回復のため、トルコ人との戦いに出発したボールス卿らに同行。聖金曜日に死亡した。

a.wikipedia.org/wiki/ロードス島伝説

47 :産経を懲らしめようとしたら韓国の恥を世界に拡散してしまった:2014/10/23(木) 06:46:19.12 ID:VegM8mzZn
ジークフリート 《Siegfried》  出身地:北欧
 ゲルマン民族の伝説中の英雄。北欧ではシグルド《Sigurd》と呼ばれる。
叙事詩「ニーベルンゲンの歌」では第1部の主人公として登場する。
 悪竜ファフニールを退治して不死の体とニーベルンゲンの宝物を手に入れた
ニーダーラントの王子ジークフリートは、ブルグント国の姫クリームヒルトを妻とする。
だが、その妻とブグルント国王妃ブリュンヒルトの争いに巻き込まれ、命を狙われる。
ブルグント国の重臣ハゲネの奸計により、背中にある唯一の急所を刺し貫かれ、息絶えた。

     ハゲネ 《Hergene》  出身地:北欧
 ドイツ叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に登場する武将。
ブングルト国王グンテルに仕えた重臣で、その忠誠の厚さをもって知られる。ハーゲンとも。
 ジークフリートと結婚したグンテルの妹クリームヒルトに嫉妬したグンテルの妃ブリュンヒルトは、
ハゲネにジークフリートの殺害を命じる。無敵のジークフリートの背にある唯一の急所を、
泉の水を飲んでいる隙をついて槍で刺し、ハゲネは暗殺に成功する。
クリームヒルトは復讐を誓ってフン族の王エッツェルと結婚し、グンテル一族を宴に招き、同行していたハゲネも首を刎ねられた。
クリームヒルトもその場で生涯を閉じた。

http://batspi.com/index.php?%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88

48 :「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:2014/10/24(金) 23:29:20.68 ID:/OytAj7qw
オグン
Ogun
 アフリカにおける文化英雄神。ナイジェリアのヨルバ族をはじめとして、遠くカリブのハイチまでの広範囲で信仰されている(ハイチのヴードゥー教では「Ogoun」と発音する)。
火と金属の神であり、戦士の神であり、また酩酊の神、文化の神でもある。オグンは古い神々の一人であり、大地がまだ固まらずに水浸しだった時代に、至高神オロルンに命じられて地上の人々の生活を助けるために大地に降臨した。
青銅しか知らなかった人たちに鉄器の作り方を教え、畑と町を築くために密林を切り開いてやった。そうして各地を回って人々に文化を伝えていたオグンは、あるときイレという町で盛大に歓迎を受け王になるように人々に懇願された。
しかしオグンはこれを断り、山にこもって狩猟と農耕にいそしんだ。しかしイレの長老らの度重なる懇願に根負けし、後にイレの王となった。彼は国をよく治め、外国との戦争に勝ちつづけた。しかしあるとき、
戦いのさなかにのどが渇いたオグンは、トリックスターエシュ神のヤシ酒を飲み干して酔い、敵味方問わずの大虐殺を犯してしまう。これに恥じたオグンは天空へと戻っていった。

http://futalog.com/index.php?mode=ttl&s_word=%83%8D%83%7B%83K

49 :ユーザの潜在特徴を考慮した情報拡散モデル:2014/10/24(金) 23:56:53.09 ID:/OytAj7qw
ワイナミョイネンが文献に初めて登場するのは1551年にミカエル・アグリコラが作成したハメ(Häme)の神々の一覧である。
アグリコラや他の作家はワイナミョイネンを魔法と歌と詩の神と記述している。多くの伝承の中でワイナミョンネンは世界誕生にまつわる中心人物とされていた。
彼が海に漂う間に1羽の鳥がやってきて彼の膝の上に卵を産んだ。卵は波に打たれて壊れてしまったが、その破片が世界を構築した。天上を覆うものが空になり、黄身が太陽になった。

18世紀にクリストフリード・ガナンデルが民間伝承をまとめたが、ワイナミョイネンはカレウィ(en:Kalevi)の息子でイルマリネン(en:Ilmarinen)の兄弟とされている。

http://q.hatena.ne.jp/1307715855

50 :個人運営の「越えられない壁」とは?:2014/10/26(日) 07:06:40.97 ID:/yyKY/wbq
パーシヴァル卿(Sir Perceval / Percival) はアーサー王伝説に登場する円卓の騎士の一人。聖杯探索の関連で最も有名な人物の一人。多くの国で長い時代に亘り語り継がれたため、
言語によってはパルジファル、パルツィファルなどの呼び方もある。語源としては、 perce(貫く)+val(谷)、すなわち「谷を駆け抜ける者」が有力である。『アーサー王の死』によれば、投げ槍が得意とされている。
物語によりパーシヴァルの出生には様々な設定があるが、ほとんどの場合に高貴な出生で、父はペリノア王という設定。母は名前が出てこない場合が多いが物語において重要な役割を担う。
また家族として様々な人物が登場する。彼の姉は無名であったり物語によりディンドランとも呼ばれ、聖杯を運搬する役で登場する。
彼がペリノアの息子の話ではトー卿、アグロヴァル卿、ラモラック卿、ダーナー卿という兄弟が登場する。 また、息子に白鳥の騎士のローエングリンが登場する場合もある[1]。
母親のもと15歳まで騎士とは無関係に育つが、父の死後、彼は母にウェールズの森に連れて行かれ、そこで騎士たちと出会うことになる。
彼はそこで見た騎士に憧れ、騎士になるべくアーサー王の下へ向かう。そして、彼は自らを素晴らしい騎士であると証明でき、
アーサーに騎士爵を授けられると円卓の騎士の会合に誘われ参加し、それによりパーシヴァルは円卓の騎士の一員となる事となった。
彼はその後、聖杯探索の任務に就き、一度失敗するが、最後にはガラハド卿と共に聖杯探索を成功させた三人の騎士のうちの一人となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%BC%BE%E3%81%AE%E7%8E%8B%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%A7%AB

51 :chikara:2014/10/27(月) 16:21:01.07 ID:AArTClIEX
*底の国:人麻呂の伝承「水を潜って海神の国。地を通って根の国、底の国に抜けると出雲の国へ出る。」
底の国をパソコンでみると。「西中国・にしなかくに」再度パソコンでみると。
「細戈千足国=サホコチタル・ホソホコチタル・ソコチタル」パソコンの解説を記すと。
もともとサホコチタル国は根国の一部であったようで、根国との区別があまり明確でない。
「ホソホコチタル」の意味は精巧な武器(戈や鏃・やじり)をつくる人たちがいた地。
「川本町誌」歴史編p31.32 p46.47で「瑞穂町・長尾原遺跡」内容が書かれているが、大集落となる「たたら製鉄」の遺跡とおもわれる。
そこの住人が激減したとき、川本地区の人口が激増している。
江津市大字後地に「波来浜遺跡」がある。墓のよせ集めで、その1つB二号墳第一、第二、第三、第四、第五の主体が収められているが、副葬物がバラエティー。
・第一主体、八個の土器と1本の鉄鏃。
・第二主体、二個の土器。
・第三主体、土器三個、鉄鏃銅鏃各二本。
・第四主体、土器一個、銅鏃二本。
・第五主体、土器一個。
8世紀の初めに海(江津)〜川本(江川沿い)までの国・底の国が存在した。

52 :chikara:2014/10/27(月) 22:58:05.72 ID:pkYSsYJuP
「古事記」「稲羽の兎」
話は2部構成で 1. 兎の海を渡る話。
地名=「氣多前」・ketamae = 出雲勢力の土地 =火山灰の降る怪しく変な地形が多い国のひとつの前まで。
「和邇(わに)」= 鯨くじら・和邇族(第三の海人の作った)軍船。
どこに、上陸しようとしたか。 島根半島・中部の北で「鬼島」・鬼(おに)刀禰(とね)族・たたら製鉄の民。
「大黒島」=大黒天(だいこくてん)=インドの攻撃の神。
上陸の寸前に「八」=出雲勢力のことで、人麻呂・得意の略字、八を書き。中に縦に棒線を引き、
次ぎに二の字を書くと「出」、雲なんてめんどうだったのだろう。
鬼刀禰なんてとんでもない。
兎=兵 は日焼けした肌を切られてしまった。
2. 人麻呂・不比等・行基と小野族・鬼刀禰族・忌部族・関東の蝦夷人で、出雲王朝を倒した話。
大黒天が言った。水門(境水道)から真水へむかい(宍道湖から斐伊川の)蒲(ほ)黄(おう)<葉や花粉を乾燥させると傷薬となる。
がまの三種のひとつ>をのぼりそこ(物部の本拠・一大率・大社)を倒しなさい。
「稲羽」は季節のことで、(昔は平野いっぱいに米の実りがあったが、三瓶噴火により灰が降り注ぎ、日照不足で取れない。
そこで物部たちは、東へ東へと勢力を延ばし、あるものは南へと、「氣(け)多(た)」とか「八氣(やぎ)」あやしげな土地名)米の収穫に行った為、守りが手薄と知っていた。
人麻呂も行基もこの地は初めてでない。 境水道入口付近。松江市美保関町に三保神社(昔鯨が群れをなして現れその1頭が固まって島となったそうだ。
また毎年正月に神社に鯨が参拝するそうだ)これが(水道・海中)鯨島である=人麻呂のうわさ・昔話のたぐい。
かつて行基が、年上の人麻呂に漢字や物事を教え。人麻呂は文字や言葉を操り、神様となった。
唐の進駐軍が来たとき、ケツの穴の毛まで抜かれる事を知っていた。そこで、三者は、分担を決め動いた。
不比等の担当は、九州以外の古墳の石や岩に書いてあったであろう文字を
消し去ること。
文字のすべて。もし唐に攻められ敗れても墓とわからぬように。

53 :chikara:2014/10/27(月) 23:47:32.90 ID:pkYSsYJuP
人麻呂の8世紀はじめ、根の国=鬼刀禰族=たたら製鉄の人たち。
 紙のない時代だから、周布の歴史を書いた偉人と想像するしかないが。
国分寺が浜田市国分寺町にできる以前の古代より、石見(現在の島根県西部)中心の位置にあった。
また、古代の舟が浮かぶ頃より「津摩・つま」の港は古代より存在したのであろう。
古墳時代が日本の黄金時代で。第一の海人=鬼刀禰族・九州王朝。第二の海人=出雲勢力・物部族・蘇我族。第三の海人和邇族。
ともに、シケの時の避難港、休憩港、商い品の積み出し港として。大貿易、唐・洛陽からベトナムやボルネオまで。
 私がおもうこと。2点。
*昼は「大麻山」や「たかしま」がめじるし。
夜は物部が支配した「大麻山」「どびん山」「大山」「高山」に火が灯され、シケのとき(唐音の蛇岩・源田山と大山境の大穴)、火による合図もあったのでしょう。もうひとつの避難港は萩市・田万川町「江崎港」・竜神崎、山は須佐町「高山」、めじるし。

*「古事記」で須佐之男命や津摩がでてくるが、古事記の話で、「津摩」は実在し、スサノウは架空の人で、藤原不比等あたりをモデルにかきあげたのでは?誰の子か不明。
「和邇族で京都の田辺氏に育てられた」。わかっているのはここだけ。ここも想像。
成人し和邇族の地、三隅・田ノ浦にゆき後に津摩港より朝鮮に渡り、朝鮮・Ulleung島より苗木を持ち帰り斐伊川に植林し洪水を防いだ。
この功績により出雲の一大率に召し抱えられ、唐への使いに抜擢された。
そこで、人麻呂や行基との出会いがあった。

「鉄は赤土から採る」ソロモン王の言葉(紀元前11世紀のイスラエル王)。
ヒッタイト人やフェニキア人も同じ技法。
斐伊川―――>赤色に染まる(スサノウの大蛇退治・植林の後)。
石州瓦―――>赤土。江川の両岸。
たたら製鉄跡―――>三隅町・井野や岡見。

54 :chikara:2014/10/28(火) 21:34:52.35 ID:RRlgkWiQn
1300年前、石見の国で人麻呂は、対 物部族戦略。
石見地方のむかし話で、巨人の伝説;柿本人麻呂・作で行基(ぎょうき)の協力でできたもの。
わかった事。
@巨人=物部族=出雲一大率(将軍)勢=敵。
Aどこらへんか・場所=山名で、しめす・名付け地の人に教える。
B物部・出雲勢力=「キーワード」をしめす・名付け地の人に教える。
C物部族の神 大山祇 神・命・尊・金子神 大山津見神 を祭る神社が近くに存在。

*@浜田市「折居海岸」 A「大糞山おおぐそやま」(三隅町井野)「 B「大神山(おおやま)」=大麻山 *井野にたたら製鉄の跡(大穴)があった。今在住の人に聞いたが分からない。
C873 八幡宮 境内神社の一つ、三島神社 (井野村蛇山)・大山祇命


*@益田市「土田海岸」A「大神山(おおやま)」ふもと たたら製鉄跡の大きな穴・三隅町岡見) B「唐音の蛇岩」C1066三剣神社(鎌手村金山)・大山祇命
「大穴」= 海に向いていてシケるまえに音が鳴る。風向きでなる。石見の国の海の関係者に感謝されたらしい。現存しない。*中山鈩(イロリ)遺跡.・たたら製鉄の跡。

*@江津市「浅利海岸」 A「どびん山」=宝神山または浅利富士(上津井の上畑神社〜井田の大人おおひと・(江津市松川町) 南に江の川。 B「八神やかみ」・地名。C735上畑神社(松川村上津井)・大山祇尊


注・日本の黄金時代とは、古墳時代。この頃人口の2割は渡来人で、占めていた。たたら製鉄の人(鬼(おに)刀禰(とね)族)第一の海人で日本人のルーツ、(地中海エルサレム〜モンゴル〜バイカル湖・神武〜蘇我族・物部族)第二の海人、人麻呂や僧・行基(和邇(わに)族)は第三の海人。

55 :chikara:2014/10/29(水) 00:13:04.93 ID:4gXlQqksH
 中学の頃、歴史の時間に昔話を聞いた。おおおとこが大麻山と高城山をまたぎ糞をした。
 「大糞山」の位置=大麻山と漁山と高城山でどこからでも2つの山が見えるから、その間のやま=「大糞山」・・・・と人麻呂が話してまわつた。
名付けたのは、学者の行基。玄武岩の山で、よく肥えた土地。動物の糞は肥料として使えることを8世紀初めに知る人。表示出来る人はこの人しかいない。
それなのに浜田市は「野山岳」と変更している。
「那賀郡史」大島幾太郎 昭和15年1940完成とある地図にも「大糞山」とある。
地質学の先生の本で「−石見・畳ヶ浦と黄長石霞石―」桑田龍三 昭和63年1988下記に・「この山だけが玄武岩でできている。この辺の他の山はほとんど花崗岩。
・・・玄武岩の大きな露頭がみられる。ここと他に3ヶ所・萩の明神池・出雲の大根島・浜田の長浜台地が霞石(玄武岩)である」。という事は、物部族はすべてを知っている。
大根島の「土」をひと握り持たせ探させ、入埴している。1300年前・地図ない。紙ない。字しらない。物事しらない。驚きだ!

〇花崗岩・かこうがん・・・たたら製鉄の材料。

56 :chikara:2014/10/29(水) 03:23:09.22 ID:ObtEGQS9A
人麻呂伝承。「江津市の歴史」編著 山本熊太郎1970 P3〜6
狭姫とオカミの会話
オカミ 「我は国つ神大山祇巨人(おおやまぎおおひと)の子、雲を呼び霧を立て雨を降せるから諸人は我をおかみと申す。
我はここに千代(ちよ)、出雲に八千代(やちよ)住み、”万代(よろずよ)は海神の国、終わりには天つ国”に行くものだ。
この山は大山といい我が父大山祇巨人の休み場である。
父はこの大山に腰かけてあの須津の海で足をすすぐ時、爪先の土を投げたのがあの大島で、脛(すね)についた土を投げたのがあの高島である。
父はまたこの山に腰かけながらおならをしたからこの大穴をあけた。
穴の底の岩根からは水を潜って”海神の国”、地を通っては根の国、底の国に抜けると出雲の国へ出る。
今見える東の涯(がい)煙立つ山(*三瓶山)がそれである」
 上記中 ”万代・・・・・終わりには天つ国” = 7世紀末に終 焉した鬼刀禰族の東表国
= 古田説・九州王朝の終焉。
 穴の底・・・・”海神の国”・・・・・= 人麻呂や僧侶・行基の第三の海人 = 和邇族。

57 :chikara:2014/11/04(火) 07:31:04.23 ID:Xuj0hwY4e
日本の最古の地図が行基図と言われ、現存しないが、江戸時代まで使われたという。
 地図ができたのが、8世紀前半、1000年使われたことになる。
人麻呂と試行錯誤した、地名が、たくさん入っていたことでしょう。
 キーワードの1つ、「唐音の蛇岩」・・・本人は「トウオンノジャイワ」しかし、1300年後の人々は、「からおと の じゃいわ」となってしまった。
 島根半島の「菅浦・すげうら」の海上に浮かぶ島。「鬼島」と「大黒島」は、「オニジマ」と「ダイコクジマ」が、「おにじま」と「おおぐしま」となってしまった。
 山名が完全に変えられているのが、「大神山・おおやま」と「大糞山」は、「大麻山・たいまさん」と「野山岳・のやまだけ」。
 読みが同じで、字が変わったもの。「神山・こうやま」から、「高山・こうやま」、「大神山・おおやま」から「大山・おおやま」。「鷹島・たかしま」から「高島・たかしま」。
 読み間違いや勘違い「戈千・ホコチ」から「千丈・せんじょう」
位置
「唐音の蛇岩」益田市西平原町
「大山」浜田市三隅町岡見と益田市土田町の境。源田山の南で、茶臼山の西。
「菅浦」松江市美保関町菅浦 菅浦湾沖に「鬼島」「大黒島」がある。兎の上陸地点。
「大麻山」浜田市三隅町室谷 JR西日本・折居駅より東へみえる。おおやま。
「(大糞山)野山岳」浜田市三隅町井野 「大麻山」「漁山・いさりやま」「高城山」を線でむすび垂直に線を引いた底のやま。
「漁山」浜田市弥栄町、「高城山」浜田市三隅町
「千丈渓・せんじょうけい」島根県邑南町〜江津市桜江町に位置する渓谷。
「高山・こうやま」山口県萩市須佐町。

58 :chikara:2014/11/24(月) 18:34:44.77 ID:pQC8+OeJi
 島根県浜田市三隅町湊浦の田ノ浦海岸B&Bのそばに鰐島(わにじま)が、存在する。
1300年前より。百済からの渡来人和邇族がすんでいた証しである。
わに島は、大きなクジラの形をしたもの。
近くには、三隅川がながれ、川上の沢元に大神山(おおやま)があり、たたら製鉄の民、鬼刀禰(おにとね)族がすんでいた。
その後麓に、小野族が入植し、河内の物部族、阿波忌部族が入り、互いに争った。しかし、たたらの民は、浜田市周布の地へ。
人麻呂は少年期にここに住み。わに島のことを知っていた。ここで、考えてみよう。隠岐の島から背に乗り本土に渡るのに、何を選ぶか。
サメ、クジラ、南方のワニの3択なら、クジラに決まっているではないか。
古事記の稲羽の兎の作者は人麻呂とわかる。現存しないが、見えてきた行基図。
上陸点の松江市美保関町菅浦(すげうら)の鬼(おに)島、大黒(おおぐ)島。不比等は、古事記の書に介在した。

59 :chikara:2014/11/24(月) 18:40:34.77 ID:pQC8+OeJi
私が通う道場の、岡田道場長に聞いたことがある。
出雲大社(いずもおおやしろ)のご神体様は、海蛇様だそうだ。正月始めに暖流と寒流の混ざり合う潮目が大社沖だそうで、暖流に乗って来た。
海蛇様が失神するか、死んでしまい、大社の浜に打ち上げられ、神主におおさめするそうな。
大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山が神体山なそうな。
主祭神は二社ともに大物主大神(おおものぬしのおおかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)=大黒天(だいこくてん)だそうだ。
否定はしないが、14世紀頃室町時代からのことだろう。やはり、二社とも、古神道(原始神道)であったとおもう。
出雲大社は、石見のむかし話・伝承の大山祇・大山積見神と思う。
大神神社は、昆刀比羅神では、なかったか。大神山(おおやま)現在の大麻山(たいまさん)の麓に住んでおられた、故人の三浦尚(ひさし)氏の談が残っている。
「昆刀比羅とは、インドの方で、ワニということ」である。
また、大黒天はインドで攻撃の神や、台所の神様だそうな。

60 :chikara:2014/11/24(月) 18:44:22.76 ID:pQC8+OeJi
古事記の稲羽の兎の研究家で、江戸時代の新井白石や明治の島根の森?外は、田ノ浦海岸のわに島は知らなかったのであろう。
しかし、人麻呂の研究家で、江戸・明治時代の浜田の藤井宗雄や明治・益田の矢富熊一郎は、わに島を知り、尚且つ古事記・稲羽の兎が人麻呂の作と知っていたに違いない。

61 :chikara:2014/12/08(月) 04:31:11.44 ID:PASXPuV/1
私が思うに、不比等=スサニオで古墳の文字消しに対しての恩賞と新日本国の忠誠として神社建立させたものと思っていた。
出雲の物部・大山祇 大津見神に対抗するものと思っていた。
また自分でも春日神を建て中央集権の実権を握ったとみました。
しかし、古墳の数は、現在107、戦国時代に破壊されたか。
このキーワードが、韓国、Ulleung島、の石州瓦にあるとみました。

62 :chikara:2014/12/08(月) 04:43:56.93 ID:PASXPuV/1
兵庫県のスサノウを祀る神社数は663社。
兵庫県の古墳数107。
61.スレ補足。

63 :天之御名無主:2014/12/14(日) 23:06:24.82 .net
コベントリーのゴダイバ(ゴディバ)

64 :chikara:2014/12/15(月) 14:55:33.21 ID:kqfMgu1xF
不比等=スサノウ=ヤマトタケル=古事記、日本書記の編纂責任者であれば、古墳の文字消し、豪族抑え込み。
物部・大山祇大山積見神社勢力の弱体化。
東海、関東及び以北の東北では、61・62のスレが成立する。
また、古墳の数から、当時の関東の中心が、群馬県とわかる。

65 :chikara:2014/12/15(月) 16:44:01.94 ID:kqfMgu1xF
 物部族実力。稲羽の素兎で無血で倒されるまでの話。
人麻呂のうわさ話や伝承。
西の高野山、大神山・おおやま(現在の大麻山・たいまさん)山頂より光通信を確認。
夜、島根県西部の山々に火を燈している。
海沿いに江津・浅利富士、浜田・大麻山、浜田と益田の境・大山、益田・権現山、山口県萩・高山。
沿岸より奥では、大田・大江高山、赤雁山、狭姫山、邑南・冠山、浜田と広島県北広島の境・丸瀬山、津和野・青野山。
唐と貿易するのに、夜の海の燈台がわり。
また、たたらの大穴・中山鈩跡、大山の麓、現在の岡見小学校に真北向きで海がしける前に吹く風で音がなる。
音が鳴った時は、晴れていても、海岸線の山に火を燈さない。
完全に気象まで、支配していた。
参考、鈩跡の調査報告書が、松江・島根県立図書館資料室にあるが、方位尺で測定しているが、真北ではない。
地球の磁極が、シベリアにあることから、鬼刀禰の人は、北極星や星座で真北を割り出している。
やはり、「鉄は赤土から採る」ソロモン王の言葉。
また、ヒッタイト人やフェニキア人も同じ。
鬼刀禰族は、メソポタニア最初の王国を倒した民につづいている。

66 :天之御名無主:2015/01/24(土) 01:08:56.52 ID:SzxqjOKWT
あの石堂の婆がISISの人質の首に日本での「人工地震」や「人工津波」
「人工津波による原発破壊」「1つ目ゴジラによる放射能汚染」の願掛けを行ったわけか
わかった
ヘリテージ財団の石原慎太郎氏から、ISISの2人人質の首をかけて、人質後藤氏の母を名乗る
テンプル騎士団系メガネの石堂順子なる朝鮮人秘密結社会員が日本に「人工地震」「人工津波」
「人工津波による原発破壊」「ゴジラ1つ目放射能汚染」カードによる願掛けを行い、
日本を攻撃することがわかりましたのでお知らせいたします
作家の三島由紀夫フランス大東社マンソン会員が1970年代の在日朝鮮人左翼共産党社会主義者など
による日本の自由社会への攻撃を「楯の会」という幾分時代錯誤な右翼的秘密結社をつくり
三島由紀夫氏の首をかけて日本の学生運動の鎮圧消滅を願い切腹斬首で亡くなりました
それと同じことを反日朝鮮人の石堂順子という自称人質後藤氏の母親を名乗る女がやろうとしてます
この日本への攻撃をただちに阻止してください
初めからISISのメンバーの後藤氏は助かり(処刑されたふりをして逃がされ)民間軍事会社の
湯川氏だけが生贄に処刑されるという手はずになっているのかもしれませんし、
実際には家族ではなく赤の他人が集まった北朝鮮工作員家族の後藤氏を自称母親の石堂氏が裏切るのかもしれません
こういう反日朝鮮人後藤氏一家と石堂一家の日本への呪いは石堂一家と後藤一家に跳ね返るでしょう

67 :渋谷青春祭 2015開催決定!!:2015/01/30(金) 14:46:12.22 ID:phF0pefy7
マルスMars

 ローマにおける軍神で、ギリシアのアレスに相当する。ユノがフローラから与えられた奇跡の薬草を使って一人で産んだ息子。
英語読みだと「マース」。マルスの祭礼は3月と5月に行われ、マーチ(March=3月)は彼の名にちなんだもの。
3月には神官団サリィが戦争の踊りを舞い、祭礼の歌を歌うが、5月のアムバルウォリア祭では12名の神官団アルウァレスが古歌を歌い、マルスに畑地を守るように請う。
これはマルスが本来農耕神であったことに由来している。
ユピテル、クイリヌスとともに大フラメン(神官団)の祭祀を受け、元来は三大主神格の一つであったと思われる。
 ローマ人にとってマルスは自分たちの祖先である。ヴェスタ女神に仕える巫女レア・シルウィアがマルスと交わって生まれたのが伝説中のローマの祖であるレムスとロムルスだからだ。
この時この双子の赤子を助けた狼とキツツキ(ピクス)はともにマルスの聖獣である。
第2代皇帝ヌマ・ポムピリウスの治世の頃、空から落ちてきたローマの命運を象徴する聖なる盾は、11個の複製とともにマルス神殿につるされ、これを神官団サリィが守っていた。

http://dic.pixiv.net/a/%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-1000%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9D-

68 :集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密:2015/02/04(水) 14:33:21.57 ID:SWGruyCXm
トリスタンとイソルデ

<フランスへ>

トリスタンが物心ついた頃、既に母は亡くなっていた。父王は可愛がってくれたが、継母はトリスタン暗殺を企てていた。危険を察知した侍従のグヴァネイルは、トリスタンを連れてフランス王の宮廷に逃れた。

フランス王によって大切に養育され、トリスタンは立派な若者に成長した。しかし、トリスタンに恋し、拒絶された王女ベリンダによって、彼はフランスを追われてしまう。その後、ベリンダは悲しみと後悔の中でその短い生涯を終えた。

<コーンウォルへ>

その頃、母国ライオネスでは父王が亡くなり、継母が国を治めていた。帰国することに不安を感じたトリスタンは、生母の兄マークが治めるコーンウォルへ行った。マーク王は甥を歓迎した。

ある日、アイルランド王からの法外な要求を持って、騎士モーロントがやって来た。断るためにはモーロントと決闘し、勝たなければならない。
トリスタンが進み出た。

激しく槍を突き合い、剣で打ち合った。そして、深手を負いながらも放ったトリスタンの剣が相手の兜を打ち破った。
剣の先が折れてモーロントの頭に突き刺さり、瀕死のモーロントは、アイルランドに帰るとまもなく生き絶えた。

<トリスタンとイソルデ〜出会い>

モーロントの槍には毒が塗ってあったため、トリスタンの傷はなかなか癒えなかった。治療法を求めて、トリスタンはイングランドへ渡ることにした。
海が荒れ、何日も漂流した挙句、辿り着いたのはアイルランドだった。

近くの城に入り、そこがアイルランド王の宮廷であることを知ったトリスタンは、偽名を使うことにした。トリスタンは王妃の薬湯のおかげで徐々に健康を取り戻した。
音楽と詩に才のあることを認められ、王女イソルデの教師をすることになった。トリスタンは美しく聡明なイソルデに好意を持ち始めていた。そしてイソルデも、優しく物静かなトリスタンに惹かれていった。

まもなく城で試合が開催され、大勢の騎士達が各地から参加した。傷の癒えたトリスタンも出場し、卓抜した強さで優勝した。
しかし、モーロントとの闘いの傷が開き、危険な状態に陥ってしまった。イソルデは献身的に看護し、トリスタンは少しずつ回復していった。

http://achtelnote.dip.jp:8080/

69 :苦情処理体制の整備等:2015/02/05(木) 21:00:40.33 ID:Khm2/wl8X
<トリスタン〜仇と発覚する>

ある日、一人の侍女がトリスタンの剣の先が欠けていることに気づいた。
そして、その欠けた形が亡くなったモーロントの頭蓋骨に刺さっていた刃先と合うように思えた。
侍女は、モーロントの姉である王妃に自分の考えを話した。王妃は弟の遺品から刃先を取り出し、トリスタンの剣の欠けた場所に合わせてみた。
ぴったり合った剣によって、トリスタンが弟の仇であることがわかった。

 王妃は王に弟の復讐を願ったが、トリスタンの優れた気質を認めていた王は、トリスタンをアイルランドから追放することにし、二度とアイルランドに来てはならないと告げた。

コーンウォルに戻ったトリスタンは、日を追う毎にイソルデへの気持ちが募っていった。
そして、アイルランドでの出来事を聞きたがるマーク王に、イソルデの美しさ、愛らしさ、聡明さを話してしまった。
マーク王は普段は物静かで遠慮深いトリスタンが情熱的に語ることに驚き、甥の心をここまで捉えたイソルデに興味を持った。
そして、見たこともないイソルデにすっかり夢中になってしまった。

<トリスタンの誓い>

ある日、マーク王はトリスタンを呼び、これから頼むことを拒絶しないと誓ってほしいと告げた。
トリスタンは大恩ある叔父に誓いを立てた。
マーク王は、「これからアイルランドへ行って、王女イソルデをコーンウォルの王妃として連れて来てくれ。」と命じた。

アイルランド王から、二度とアイルランドに足を踏み入れないように言われているということは、入国したら殺されても仕方がないことを意味する。
それでも誓いを守るため、トリスタンはアイルランドへ向かうため出航した。ところが暴風雨によって、今度はイングランドに漂着してしまった。
トリスタンは無名の騎士としていくつかの試合に出場して優勝した。

http://senki.kusakage.com/setume/monsu-no.htm

70 :ロンドンに位置する私的所有の国家で、ロスチャイルド家が所有:2015/02/06(金) 06:29:26.09 ID:tetpWAl0t
<アイルランド王の誓い>

ある日、アーサー王の宮廷にアイルランド王がやって来た。
彼はアーサーを裏切ったという嫌疑を晴らすために、告発者である円卓の騎士ブラアノーと決闘することになっていた。
彼は円卓の騎士の中でも最も獰猛で知られた人物であった。年老いて体力も劣るアイルランド王は、自分の代わりに闘ってくれる騎士を探していた。

 無名の騎士の噂を耳にしたアイルランド王は、トリスタンのもとを訪れ、自分の潔白を証明するために闘ってくれるよう頼んだ。
トリスタンは、「私はトリスタンです。私が勝利したときは何でも願いを叶えると誓っていただけますか?」と聞いた。アイルランド王は誓いを立てた。
トリスタンはブラアノーと闘い、見事彼を倒した。

 嫌疑が晴れたアイルランド王と共に、トリスタンは再びアイルランドを訪れた。弟の復讐を願っていた王妃も、「王を救ってくれた貴方には感謝の気持ちしかありません。弟の恨みは忘れました。」と言い、トリスタンを歓迎した。
トリスタンと父の約束を知ったイソルデは、期待と喜びにあふれていた。しかし、トリスタンの口から出た言葉は、あまりに残酷なものであった。
アイルランド王はトリスタンの願いを聞き入れ、イソルデはコーンウォル王妃となるため、出立した。

<マーク王の誓い>

コーンウォルでは盛大な結婚式が執り行なわれ、若く美しい王妃に老王マークは満足していた。
城下に珍しい竪琴を持った吟遊詩人が現れ、マーク王はさっそく宮廷に呼び寄せて竪琴を所望した。吟遊詩人は、「何でも願いを叶えると誓って頂ければ・・・。」と答えた。
てっきり褒美のことだと思い込んだマーク王は、吟遊詩人に誓いを立てた。

 吟遊詩人は短い詩を口ずさみながら竪琴を奏で、イソルデを望んだ。誓いを立てた以上、イソルデが連れ去られることを黙認するしかなかった。

トリスタンが宮廷に戻ったとき、既にイソルデは連れ去られた後だった。
トリスタンは後を追い、イソルデを奪い返した。
マーク王はトリスタンへの感謝の気持ちを示したが、内心では若く凛々しい甥トリスタンへの嫉妬と疑惑が芽生え始めていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88#.E3.82.AC.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.AC.E3.82.A2.E9.96.A2.E9.80.A3

71 :ゴールデン・リリーと霞ヶ関埋蔵金:2015/02/07(土) 09:42:58.54 ID:WFXOiJ6LV
<トリスタン、追放される>

ある日、トリスタンとイソルデが部屋で抱き合っている様子をマーク王に見られてしまった。
トリスタンは国を追放され、イソルデは河岸の塔に幽閉された。

<イソルデとの再会>

 追放されたトリスタンは、諸国を旅しながら各地で武勲を立て、名声を手にしていた。
一方コーンウォルは敵の侵略を受けていた。困り果てたマーク王はトリスタンに助けを求めた。
トリスタンは叔父の軍勢の先頭に立って闘い、敵を追い払った。トリスタンの命がけの戦いに怒りが解けたマーク王は、再びトリスタンを宮廷に迎えた。
イソルデは既に幽閉から解かれており、愛し合う二人は時折会うことが出来るようになった。

<フェレディンの恋>

マーク王の宮廷を訪れたトリスタンの友人フェレディンは、一目でイソルデに恋してしまった。
しかし、イソルデとトリスタンが愛し合っていることを知り、自分の想いを表に出すことは無かった。

 辛く苦しい日々を過ごすフェレディンの健康はだんだん蝕まれていった。
やせ衰え、死期が近いと感じたフェレディンは、イソルデに自分の想いを込めた手紙を送った。
同情したイソルデは、フェレディンを勇気付けるために思いやりのこもった返事を書いた。
そしてイソルデの手紙に励まされたフェレディンは、生きる気力を取り戻し、徐々に快方に向かった。

そんなある日、フェレディンの元を訪れたトリスタンは、イソルデからの手紙を見つけた。
嫉妬に苛まれたトリスタンは、宮廷を出て森に姿を消してしまった。
イソルデは自分の手紙が原因でトリスタンがいなくなってしまったことを知り、もう一度フェレディンに手紙を送った。
それは、「貴方の想いに答えることは出来ません。どうか何処かへ立ち去ってください。」というものだった。

http://purisoku.com/archives/6839062.html

72 :最新ゲームが体験できるイベント『5pb.祭り』3月1日に開催決定:2015/02/08(日) 08:37:36.50 ID:u90DfX7bA
<トリスタン、再び追放される>

 森に入ったトリスタンは、叶わぬ恋と友に裏切られた悲しみとで苦しんでいた。
なんとか生きてはいたが、すっかりやつれて面変わりしてしまった。
ある日、近くに住む百姓たちから大事な家畜を奪っていた強盗を倒した。
トリスタンに感謝した百姓たちは、正当な評価と褒美を受けられるよう、彼をマーク王の所に連れて行った。

 目の前の薄汚れた男がトリスタンだと気づかないマーク王は、彼に感謝し王妃イソルデと侍女達に命じて、良い待遇を与えることを命じた。
みるみるうちに健康と体調を取り戻したトリスタンは、以前より美しくたくましくなっていった。男がトリスタンだったとわかったマーク王は、何度も窮地を救われてきたことも忘れて、再びトリスタンを追放した。

<トリスタン〜アーサー王との出会い>

イングランドにやって来たトリスタンはある森に入った。その頃、アーサー王は妖妃モルガン・ル・フェの魔術の力でさらわれ、行方不明だった
。王の捜索のため、森の中には円卓の騎士達がつめかけていた。

トリスタンと最初に出会ったのは、騎士ケイ達だった。ケイはトリスタンに何処から来たのかを尋ねた。
トリスタンが臆病者で知られるコーンウォルの騎士であることを知ると、ケイ達は彼を嘲笑した。温厚なトリスタンは、ケイ達の思い違いを正すために彼らと闘う愚を避け、そのまま放っておいた。

 翌日、ケイ達はトリスタンを待ち伏せていた。勝負を申し込み、トリスタンが狼狽する様子を見て笑おうと考えたのだった。
仕方なく槍を取ったトリスタンに彼らはことごとく倒され、自分達の思い違いを反省させられることになった。

トリスタンが先へ進むと、一人の騎士が三人に襲われていた。トリスタンは次々に三人の騎士を倒し、組み敷かれていた騎士を助け起こした。
その威厳のある風貌にこの騎士こそアーサー王に違いないと直感した。アーサーはトリスタンに、宮廷に招待してふさわしい名誉と待遇を与えたいと言ったが、
トリスタンはそれらのすべてを断り、王を安全な場所まで送り届け、再び旅を続けた。愛するイソルデと別れている苦しみを忘れるため、トリスタンは各地で弱者を助け、不正をただし続けた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/XXXHOLiC

73 :貧富の差と利益の源泉:2015/02/18(水) 13:41:17.37 ID:orVTGgQWS
<トリスタン、アーサー王の試合に出場>

 追放されたトリスタンの身を案じ、イソルデは一人の侍女にトリスタンへの手紙を託して旅立たせた。
忠実な侍女は、ある泉のほとりでトリスタンの愛馬を見つけた。
そばでは憔悴しきった面持ちのトリスタンが眠っていた。
目を覚ましたトリスタンにイソルデからの手紙を手渡すと、みるみるうちにトリスタンの顔色は明るくなった。

 誰にも憚ることなくイソルデへの想いを話し、イソルデのことを聞き、久しぶりに幸福に満たされたトリスタンだった。
侍女はトリスタンに言われ、近く開催されるアーサー王の試合まで帰国を延ばすことになった。

 試合当日、トリスタンの強さはずば抜けていて、その闘いぶりに尊敬の念を抱いたランスロットは、トリスタンとその日の名誉を争うことはしまいと決めた。
一番の勝利者に祝福を与えようとしたアーサー王だったが、トリスタンは愛するイソルデの侍女の前で勝利できたことに満足し、早々に試合場から姿を消していた。

<トリスタン、円卓の騎士となる>

 騎士達が勝利した騎士の行方を捜している頃、トリスタンは常に忠実な侍従グヴァネイルの元で傷の手当てを受けていた。
宮廷からの使者にトリスタンの素性を尋ねられたグヴァネイルは、コーンウォルのマーク王の甥、ライオネスのトリスタンであることを打ち明けた。

トリスタンを高く評価していたアーサーは、マーク王が不当に彼を追放したことも知っていたので、トリスタンに宮廷に止まることを薦めた。
宮廷に到着すると、トリスタンは王妃ギニヴィア、貴婦人達、大勢の騎士達の歓迎の言葉で迎えられた。

アーサー王はトリスタンを円卓に導いた。
それは、トリスタンとの決闘の末に亡くなった、騎士モーロントの席だった。
トリスタンが席に着くと、心地よい音楽と香りの中、モーロントの名が消えて、トリスタンの名が光り輝きながら浮き出してきた。
トリスタンは騎士の中の騎士、最も尊敬される円卓の騎士となり、盛大な祝宴が催された。

http://www.pep.ne.jp/tips/horitu/

74 :ハンガリーは悪徳銀行家を追い出し、政府通貨を発行し始め:2015/02/19(木) 12:33:49.22 ID:yTa1OfE5L
<マーク王の計略>

その頃、コーンウォルのマーク王は、王妃イソルデを見るたびに激しい嫉妬に苛まれていた。そして、とうとう自らの手でトリスタンを殺すことを計画した。
幼い頃からの忠実な騎士二人を連れて行くのはいいとして、イソルデを残して行くのも気がかりだったため、彼女とその侍女達も連れて行くことにした。

アーサー王の宮廷があるキャメロットまで近づいたとき、マーク王は二人の騎士に計略を打ち明けた。彼らは断固反対し、アーサー王にマーク王の計略を告発すると言って、彼の元から去って行ってしまった。
マーク王はアーサー王に弁明しなければならなくなった。
しかたなくイソルデと侍女達を近くの僧院に預け、一人でキャメロットへ向かった。

しばらく進むと、前にアーサー王の騎士達が見えた。彼らは習慣として、見知らぬ騎士に出会ったときは勝負を挑み、力量を確かめることになっていた。隠れるには距離が近すぎた。
彼らはマーク王を見つけ、その武具によって臆病者で知られるコーンウォルの騎士であることを知った。彼らはマーク王をからかうことに決め、彼ら一行の中に道化が一人いたので、彼に騎士の武具を付けさせておいた。

騎士達から勝負を申し込まれたマーク王は、彼らの中から闘う相手を選ばなければならない。ふと見ると、小柄で貧弱な体つきの騎士がいた。
迷わず彼を選んだマーク王だったが、「我こそは湖の騎士ランスロット!」という声と共に勢い良く馬を走らせて来るのを見て、慌てふためいて逃げ去った。騎士達の爆笑を背に浴びながら・・・・。



http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88

75 :chikara:2015/02/21(土) 08:44:49.77 ID:2iYPR1Frg
 300年前の日本人。
江戸の人(現在の東京)であるが、60歳で大森代官・石見、備後、備中の三国にある幕府直轄天領の最高責任者。井戸平左衛門正明(いどへいざいもんまさあきら)1672〜1731。
将軍は吉宗で、享保の飢饉に私財や自身の命を引換に大森銀山領22万の民の救済・支援で一人の餓死者もださなかった。
また、甘藷(かんしょ)・サツマイモの普及に努めた人。
中国地方の民の恩人。
大田市大森に井戸神社が鎮座する。
石見の大田市、江津市、浜田市。
備後の三次市を中心に碑が何十と現存する。
イスラム国と名乗る、盗賊集団に翻訳して聞かせたいものだ。
アルラジージャの記者の方、どうかな?

76 :高結合圧電単結晶の構造・特徴・物性と育成・加工技術:2015/02/22(日) 14:56:36.90 ID:yeKTcityO
<トリスタンとイソルデ〜運命の再会>

イソルデは僧院の側の森で、自分の悲しい恋を綴った詩を口ずさみ、竪琴を奏でていた。
その声を聞いていたのは、悪辣な騎士ブリューズだった。
彼はイソルデに襲いかかり、失神した彼女を連れ去った。
そしていったん彼女を地面に横たえ、離れた場所に繋いである馬を取りに行った。

イソルデを探しに来た侍女は、倒れているイソルデを見つけて悲鳴をあげた。
それを聞きつけ、一人の騎士がやって来た。しかし事情を聞く間もなくブリューズが戻ってきて、雄叫びをあげながら襲いかかって来た。騎士は槍の一突きでブリューズを馬から落とした。
落馬したブリューズはその場から逃げ去った。

 騎士は倒れている婦人に近づいて、顔を覆い隠していた見事な金髪を退けた。その顔を見た途端、騎士は気絶してしまった。
びっくりした侍女は、まず主人であるイソルデを起こし、その後倒れている騎士を介抱するため、二人がかりでその兜を外した。
兜の下から現れた顔は愛するトリスタンだった。イソルデは涙を止めることが出来なかった。まもなくトリスタンは気がつき、愛しいイソルデの腕に抱かれている幸せに酔いしれた。

 円卓の騎士となった者は、その後十日間、試練の旅に出なければならなかった。
他の円卓の騎士達は変装して彼に勝負を挑み、その力量を試すことになっていた。
トリスタンは既に七日間の試練の旅を過ごしていて、何人かの円卓の騎士と闘っていた。
残りの三日間をイソルデのいる僧院の近くで過ごした後、イソルデと侍女達を伴ない、アーサー王の宮廷を目指した。
竪琴を奏で詩を口ずさみながらの短い旅は、彼らにとって生涯で最も幸福で光輝いた時間でもあった。


http://ncode.syosetu.com/n2835cm/

77 :ネコ視点でのキャットファイトがすごい迫力:2015/02/23(月) 05:57:10.15 ID:/RQrxnjDJ
<白い手のイソルデ>

 騎士ガウェインがブリタニーから戻り、マーリンの姿無き声を聞いたことを報告した。
「聖杯」に関する情報も公表され、「聖杯」によってあらゆる罪が赦されることを知っていたトリスタンは、「聖杯」捜索の旅に出ることにした。

トリスタンがブリタニーに着いた頃、王は謀反を起こした臣下達と戦っている最中だった。
王の側はかなりの劣勢で、トリスタンは王に助勢を申し出て勇敢に戦った。
彼の勇姿に覇気が高まった王の軍勢は、謀反を制圧することに成功した。
感謝した王は、清楚な美貌と教養あふれる王女イソルデを、トリスタンの妻として与えようと申し出た。
(ブリタニーの王女イソルデは、非常に美しい手の持ち主で、コーンウォルの王妃イソルデと区別するため、白い手のイソルデと呼ばれている)

トリスタンは迷った。彼が愛する人はコーンウォル王妃イソルデである。
しかし、彼女は叔父マーク王の妃であり、彼の愛が成就する望みは無かった。
いつまでも辛く悲しい日々が続くのだ。更に、「聖杯」探索のためには、自身の生活を純潔なものにしなければならない。
いろいろなことを考え合わせると、白い手のイソルデと結婚することにより、「聖杯」捜索に打ち込めることになる。トリスタンは白い手のイソルデと結婚した。

<トリスタン、瀕死の重傷となる>

しばらくの間、トリスタンは平和で幸福な日々を過ごした。ところが、沈静化していた内戦が再び激化し、トリスタンは常に先頭に立って戦った。
敵の投石を受けて大怪我を負ったトリスタンを、医療の心得のある白い手のイソルデは献身的に看護した。
徐々にトリスタンの心にも白い手のイソルデへの愛情が芽生え始めていた。
一時は回復の兆しを見せていたトリスタンだったが、日に日に容態は悪化していった。



http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC

78 :まず読んでください。近未来小説です。:2015/02/25(水) 14:21:53.28 ID:yS7K5MWXB
もはやなすすべも無く、人々が途方にくれる中、常に忠実な侍従グヴァネイルがトリスタンにささやいた。
「絶望とされたトリスタン様の怪我を、コーンウォル王妃が治してくださいました。」
 トリスタンは枕元に妻を呼び、前に自分をに治療してくれたコーンウォル王妃に使者を送り、ブリタニーに来てもらうよう話した。

 白い手のイソルデは、航海に優れた忠実な臣下を使者として送ることにした。
トリスタンはその臣下を呼び、指輪を託して言った。「この指輪をコーンウォル王妃に届けよ。
そして、瀕死のトリスタンが救いを求めていることを話せ。もし王妃が一緒に来てくれたなら船には白い帆を、拒絶されたなら黒い帆をあげてくれ。」

 運良くコーンウォル王マークが留守をしていたため、王妃イソルデはすぐにブリタニーへ行くことを同意した。
臣下はイソルデを伴ない、真っ白い帆をあげてブリタニーに向かった。

<トリスタンの最期>

トリスタンは王妃イソルデの到着を待ちわびていた。
様態がますます悪化してきたトリスタンは、侍女の一人に 「コーンウォルの方角に見張りを立て、船の帆の色を知らせよ。」と言いつけた。

白い手のイソルデもまた、愛する夫を治療してくれるという人の到着を待っていた。
当初は王妃イソルデとトリスタンの過去を知らなかったが、次第にいろいろな事が耳に入ってきた。
彼女は美しいイソルデと夫が再び出会うことが不安になってきた。
夫との静かで幸せな日々を奪われるのではないかと疑い始めていた
。そして、彼女に出来る治療なら自分にも出来るはずと考え、王妃イソルデの到着を夫に隠すことに決めた。

 真っ白い帆をあげた船が見え、侍女は白い手のイソルデに言われたとおりのことをトリスタンに告げた。「黒い帆の船が見えました。」
絶望したトリスタンは、「愛する人よ。私達はもう二度と会うことはない。」と言い、息を引き取った。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC

79 :chikara:2015/03/03(火) 07:09:43.63 ID:C9xtCppep
 「八咫烏」とは、人麻呂の「鬼刀禰(おにとね)」への誹謗中傷。
古事記、日本書記作成に関与している。[禰]の字を書きたくないだけのこと。
メソポタミアの最初の 王朝を倒した歴史をしらない。銅剣より強力な鉄剣や鎌の作成。
星座の観測と航海術。日本語の50音のしくみ。
 年がら年じゅう炭を 扱っているので、顔も手足も衣も真っ黒。身丈も150前後。
種族長の指示や返事が「かぁかぁ」と聞こえたのであろう。3本足というのは[鬼]の足部分。
当時(壬申の乱まで)、移動 手段は舟のみ。
わかったこと、スサノウ=ヤマトタケル=神武=不比等。仕事とは、植樹と古墳の文字消し。
鬼刀禰の国=根の国・周布河口の津摩(つま)の港より江川を上り芦田川を下り、瀬戸内海へ。
熊野川を上り仕事をした。
この仕事の積み重ね(東海、関東、東北)と出雲の一大率を無血鎮圧した時、不比等に絶対権力が転がる。
 「禰」の意味は、はじまり。
神様がヒトの種のはじまりとして名づけた。「鬼刀禰」=スーパー原人=同一種の石見原人。
「やたがらす」とは神様と鬼刀禰に申し訳ない。

80 :chikara:2015/03/03(火) 07:18:22.19 ID:C9xtCppep
「八咫烏」とは、人麻呂の「鬼刀禰(おにとね)」への誹謗中傷。
人麻呂は、古事記、日本書記作成に関与している。
[禰]の字を書きたくないだけのこと。メソポタミアの最初の 王朝を倒した歴史をしらない。
銅剣より強力な鉄剣や鎌の作成。星座の観測と航海術。日本語の50音のしくみ。
 年がら年じゅう炭を 扱っているので、顔も手足も衣も真っ黒。身丈も150前後。
種族長の指示や返事が「かぁかぁ」と聞こえたのであろう。3本足というのは[鬼]の足部分。
当時(壬申の乱まで)、移動 手段は舟のみ。
わかったこと、スサノウ=ヤマトタケル=神武=不比等。
仕事とは、植樹と古墳の文字消し。
鬼刀禰の国=根の国・周布河口の津摩(つま)の港より江川を上り芦田川を下り、
瀬戸内海へ熊野川を上り仕事をした。
この仕事の積み重ね(東海、関東、東北)と出雲の一大率を無血鎮圧した時、
不比等に絶対権力が転がる。
「禰」の意味は、はじまり。
神様がヒトの種のはじまりとして名づけた。
「鬼刀禰」=スーパー原人=同一種の石見原人。
「やたがらす」とは神様と鬼刀禰に申し訳ない。

81 :大量の偽情報でファイル拡散を食い止める新サービス:2015/03/10(火) 03:00:33.47 ID:UusNOq5Lh
魔術師マーリン
マーリンの母親は人間だが、父親は夢魔だった。
その生まれによるものか、幼少の頃から不思議な力を持っていた。
成長してからはユーサー王の相談役となり、魔法や予言によって何度も国の窮地を救った。


<マーリン、円卓を作る>

ユーサー王の歿後、息子アーサーの相談役になっていたマーリンは、ある日魔法の円卓を作った。
座席の数は十三で、そのうちの十二席には、それぞれ座るにふさわしい騎士の名前が、魔法の力で浮き出ていた。

十三番目の席は「不吉の席」とされ、誰も座ることが出来なかった。以前に座ろうとしたものがいたが、いきなり大穴が現れ、彼は吸い込まれてしまった。
(十三という数字は、キリスト教だけでなく北欧の神話やトルコの民族伝承においても不吉とされている)

十二の席の騎士が誰か亡くなったとしても、その席にふさわしい名誉・力量・武勲に優れた騎士が現れるまで、誰もその席に座ることは出来なかった。
ふさわしくない者が座ろうとすると、見えない力で床や壁に叩きつけられ、大怪我をさせられた。

<消えたマーリン>

アーサーが王妃ギニヴィアを迎えてから数年後、突然マーリンは姿を消した。

当時マーリンは、湖の妖精ヴィヴィアンと愛し合っていた。ある日、ヴィヴィアンはマーリンに言った。「貴方の魔法で美しい城を作って、一緒に暮らしたいわ。」
マーリンが彼女の望みを叶えようとすると、ヴィヴィアンは言った。「やり方を教えてくださったら、私が作ります。その方が私の好みの城を作れますもの。」

マーリンはやり方を教え、ヴィヴィアンは大喜びでそれらを書き止めた。
マーリンに対するヴィヴィアンの愛はますます深くなったようで、二人は幸せな時を過ごした。

しばらくして、二人は花の咲き乱れた森を歩いていた。白薔薇の側に腰を下ろし、マーリンはヴィヴィアンの膝に頭を乗せ眠ってしまった。
目覚めたとき、マーリンは自分がヴィヴィアンの作った魔法の塔に囚われていることを知った。
ヴィヴィアンは、「ときどき戻って来ますわ。」と言い残して、塔を出て行ってしまった。その日以来、マーリンの姿を見た者はいない。

http://ncode.syosetu.com/n6687cj/24/

82 :「最後の最後のご奉公」とは:2015/03/11(水) 12:59:59.35 ID:7NPJHgnQL
正しくて、正しくは無い物語。



  ここに今、もう一つの物語を語ろう。
  長い年月を経て、それでもなお、人の心を惹きつけて止まない、ある一つの物語から生まれた、「もう一つの」物語だ。

  神話も伝承も、それ自体ひとつの世界として解釈すれば、歴史を背景にして見るのとは、違った模様を織りなすだろう。
  どのようにして作られたのか、何のために語られたのか、
  誰によって作られたのか、どんな場所で語られたのか、
  私たちは本当の本当なる真実を、決して知ることは出来ないのだから。

  私は今、この物語を、物語として解釈しよう。
  彼らは13世紀の勇士だった。と同時に、古代北欧の英雄だった。
  4、5世紀、あるいはそれ以前、それ以後の、多くの激動の時代を生きた人間だった。
  竜殺しの英雄だった。半分だけの女神だった。
  栄ある一族の王だった。冷たく暗い復讐を決意する姫君だった。一族随一の剣士だった。
  詩と音楽で人々を和ませながら、戦場に恐怖の赤い旋律を奏でる剣士だった。

  あるひとりの高貴な男に、一人の女による、愛と死の物語があった。
  至高の英雄を愛し、英雄に裏切られ、その英雄とともに燃え尽きた女の伝説は、いつまでも変わることなく生きつづけた。

  ある一族に、一人の女による、悲しくも壮絶なる復讐の物語があった。
  幾度も書き直される物語の中で、復讐されるべき王は、異国の英雄から彼女の兄弟たちへと摩り替っていった。

http://sai-zen-sen.jp/comics/twi4/onakin/0001.html

83 :天文学的規模の天皇の金塊によって賄われていたということ:2015/03/14(土) 13:54:04.40 ID:86PCDrUJS
 よくある批判に、「ハゲネはジーフリトを騙し、背後から襲って殺した。だから卑怯者だ」というものがある。
  そのように思って読んだ人は、物語が後半に入り、ハゲネが正々堂々たる武将として描かれるのを読んだ時、奇妙に思ってしまうだろう。
  一体、どちらのハゲネが本来の姿なのか。彼は本当に卑怯者だったのか?
  ジーフリト殺害の背景。まずは、ここから始めたいと思う。

  「そのほかにも私はあの男についていろいろ知っております。
  あの男は、あるとき竜をも退治しました。彼はその血を全身に浴びて、
  そのため肌が不死身の甲羅と化したのです。
  どんな武器も彼を傷つけ得ないことが度々証明されました。」(詩節100)

  …と、「ニーベルンゲンの歌」序盤でハゲネ自身によって語られているとおり、ジーフリトは過去に竜を殺したことがあり、竜の血によって、全身が硬質化し、刃物の通らない体となっている。
  その彼の唯一の弱点が、ハゲネがクリエムヒルトから聞き出し、実際に暗殺に使われた「肩甲骨の間」であった。
  そこは、竜の血を浴びるとき、木から落ちてきた一枚の菩提樹の葉によって隠されていたため、「竜の血を浴びていない」、唯一の生身の部分である。
ハゲネが槍で貫いたのは、まさにそこ、彼の唯一の弱点だった部分であった。


  さて、ここで、問題である。

http://ncode.syosetu.com/n1036cl/

84 :偽ウイルスアラートがFacebookで大規模拡散:2015/03/15(日) 17:02:59.96 ID:ebVtH1f6K
 当時の武器といったら剣、槍、弓矢。もちろん鉄砲など、便利なものは無い。
  この手もちの武器だけで、背中のド真ん中の一点しか刃物の通らない相手を真正面から殺すことは、可能だろうか?
     答えはもちろん、"不可能"。

  ハゲネが後ろからジーフリトを襲ったのには、避けて通れない理由があったのだということを理解しておくべきである。
  そもそもジーフリトの体には、背中からしか刃物が通らないのである。従って、殺すためには、背後から襲うしかない。
  物語の都合上、またはハゲネ自身が抱く確固たる決意によって、どうしても死ななくてはならないこの人物を殺すには、ハゲネがとった、一見卑怯とも見える方法しか無かったのだ。
  ハゲネを卑怯と呼ぶのであれば、最初から卑怯な方法でしか倒せないような魔法を身につけたジーフリト自身もまた、卑怯である。
  全編をとおして、魔法で武装している人などジーフリトだけなのだ。
  魔法禁止の世界なのに、前提からして有利に立っているとは、これいかに。

  それでも「正々堂々と戦えよ!」と、仰るかたがおられるかたは、ひとつ、考えてみて欲しい。
  ハゲネは、いくら強くても生身の人間。対してジーフリトは、竜の血を浴びた半神の英雄だ。
  人間は神には勝てない。人間は英雄には勝てない。これは大原則である。たとえば、生身の人間がギリシア神話のヘラクレスと正々堂々戦って倒すのは、物語のお約束と世の中の原則上、不可能だ。
  それだけではない。ジーフリトは、アーティファクトの一種と考えられるニーベルンゲンの剣、バルムンクを手にしているのに対し、ハゲネは、特殊な武器など何も持っていない。装備品にしても相手のほうが格上なのだ。戦ったら、確実に負けることは決まっていた。

  そんな状況で、あなたなら、全身が鎧のように硬く、急所の一点以外は刃物の通らない恐ろしい人間の背後に回って、その急所を襲えるだろうか。
  少しでも狙いを外したら刃物は通らない。しくじったら、振り返ったジーフリトが怒ってあなたを殺すのだ。
  ヤツが死ぬか、自分が死ぬか。まさに命がけの一撃である。

http://ohmura-study.net/001.html

85 :朝日新聞を廃刊に追い込む不買運動より効果的な3つの方法:2015/03/16(月) 18:10:30.39 ID:c3RQgoXad
 しかもハゲネは、グンテルとともに直前のシーンで武装を解除している。(詩節976)
  殴られたら確実に死に至る肌着一丁の状態で、この一撃必殺の暗殺を成し遂げたのだ。凡人には到底、そんな勇気はもてない。

  もちろん知将と呼ばれたハゲネであれば、勝てないことは、よくわかっているはずだ。
彼は分かっていて突っ込んでいくほど若くなく、無謀でもない。激情家にもかかわらず、第三歌章でジーフリトが理不尽な申し立てをした時でさえ、怒りを押さえて沈黙していたくらいなのだ。
  しかし、それでも彼には「ジーフリトを殺さねばならない理由」があった。
それほどまでに彼を駆り立てた不誠実が、ジーフリトにはあった。
それについては後で述べるとするが、生身の人間でありながら、この半神の英雄に立ち向かったハゲネの勇気と決意は褒められるべきである。




***余談

    シグルド(ジーフリト)は、オーディンの血をひくヴォルスンガ家の者…つまり、神の子孫。
  一部のサガによれば、ハゲネは小人アルプフリーヒの子(つまり半分は妖精族)だとされているが、神の子孫と小人の息子では、ちょっと格差がありすぎる。
ハゲネには、ジーフリトにかなうほどの血筋は無いのである。

  また、「ニーベルンゲンの歌」以降の物語は、キリスト教時代のため、過去の神話や神々が消えたあとに書かれたものであった。
  ジーフリトもハゲネも、過去の伝説を引きずってはいるものの、キリスト教徒である。
キリスト教徒が、異教の神や小人の子孫であるはずはない。従って、ハゲネの「小人の子孫」という部分は後世に削られ、正真正銘、普通の人間として描かれるようになっていた。
かつては持っていたかもしれない、小人の魔力は持ち合わせていない。
  にもかかわらず、ジーフリトだけは、依然として「半神の英雄」としての能力を備えたまま描かれ続けた。
  魔法など認めないキリスト教時代において、ハゲネは正々堂々と魔法の援護を捨てて生身の人間として生きているのに、ジーフリトは、魔法の助けを借りて生きている
。竜の血のおかげで、すっぱだかで戦ったってへいちゃらなのだ。

  本当に卑怯なのは、どっちだったのだろうか。

http://ncode.syosetu.com/n2835cm/

86 :天之御名無主:2015/03/16(月) 22:58:37.51 .net
コベントリーってあまり良い印象が無い地名

87 :ヴァージン・ギャラクティック社に破壊工作:2015/03/17(火) 02:18:34.57 ID:TjCAdWyaI
物語の進行上、どうしてもジーフリトに死んでいただかねばならなかった、というのは抜きにして、どうしてハゲネはジーフリトを殺したのか。彼自身が殺意を抱いたのか、それとも他者の殺意を代行しただけなのか?

 これについて、ハゲネがジーフリトへの殺意をはっきりと口にする箇所がある。

 「私たちは私生児を長く飼っておくべきでしょうか、」
 ハゲネが言い返した、「それは立派な武士の名誉ではありません。
 お妃さまの一件を自慢話にしたとあっては、
 あの人の命をもらうか、さもなくば自分で死んでしまいます。」(詩節867)

 このセリフの直前のシーンを見てみよう。
 結婚後、ひさしぶりに帰郷したクリエムヒルトは、プリュンヒルトと、些細なことから口論になり、勢いで、プリュンヒルトとグンテルの初夜にまつわる秘密をバラしてしまう。
 ”グンテルと床をともにすることを拒んだプリュンヒルトを押さえつけ、おとなしくさせた最初の男は、クリエムヒルトの夫・ジーフリトである”と。
 おとなしくなったところを手に入れたのがプリュンヒルトの夫・グンテルなのだから、自分の夫のほうが勇士としてはすぐれているし、プリュンヒルトは自分の夫の妾のようなものではないか。…

http://www29.atwiki.jp/wabu/sp/pages/86.html

88 :IRSに徴収された税金はアメリカ合衆国の手に渡っていない:2015/03/18(水) 15:14:56.14 ID:9zsOfK1l9
 「ニーベルンゲンの歌」では、ジーフリトはプリュンヒルトを押さえつけただけで、実際に犯したわけではない。
 クリエムヒルトのセリフは、半分は嘘なのだ。そのぶん、まだ救いようはある。
 だが、半分は紛れもない事実であり、知られてはならないグンテルとジーフリトだけの秘密だった。それをバラしてしまった挙句、クリエムヒルトは、その証拠とばかり、初夜の床からジーフリトがこっそり持って来た指輪と帯とを見せるのである。

 大衆の面前でプライドを傷つけられ、辱められたプリュンヒルトは、その場では気丈にふるまうものの、戻ってきて、泣き出してしまう。
 それを知ったハゲネが激怒するのである。

 もういちど、彼のセリフをよく見てもらいたい。

 「お妃さまの一件を自慢話にしたとあっては、
 あの人の命をもらうか、さもなくば自分で死んでしまいます。」

 この、「自分で死んでしまう」とは、一体誰のことか。
 むろんプリュンヒルトである。ハゲネはグンテルの一の家臣として、プリュンヒルトへの求婚旅行にも同行している。彼女の気位の高さは十分に承知の上だ。その彼女が、大衆の面前でどうしようもなくプライドを傷つけられたとあっては、自殺くらいしかねない。

 いや、事実、この「ニーベルンゲンの歌」のもとになった各種のサガ(「エッダ」に収録されている詩歌、ヴォルスンガ・サガ両方ともに)では、自殺している。
 そこでハゲネは、妃が死を決意する前に妃の殺意を代行した。当然ではあるまいか? 主君が苦労の果てにようやく結婚にこぎつけた妃が、男同士の秘密をうっかり妻にバラしてしまうような、口の軽い男に、生か死かの土壇場まで追い詰められているのだから。

 サガとは違って、「ニーベルンゲンの歌」のプリュンヒルトは、死ななかった。それは、この、ハゲネによる自発的な殺害予告によって、彼女の心がいくばくかでも安らいだお陰ではないのか。
 ジーフリト殺害によってハゲネは、彼にとって"より"重要なもの、主君の奥方の命を守れたわけである。

 さらに、ハゲネは言っている。
 「それは立派な武士の名誉ではありません。」
 と。

http://www.nullgiko.net/

89 :chikara:2015/03/18(水) 17:06:39.03 ID:4E+x+yyqR
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族。
ゴールデンルート福山・芦田川〜江川・江津は英雄だけでなく、
大和春日郡・小野族の石見国入植(江津市の川波地区・浜田市三隅町小野地区・
益田市高津〜飯浦町の小野地区)。
阿波・忌部(いんべ)族の浜田・大麻山の入植。
(三重県から和歌山県にかけて)牟婁むろ・物部族の大麻山や室谷への入植。
物では、江津市桜江町の甘南備寺の正門上のつり鐘。「大和国鋳造」とある。
水運は古墳時代〜700年くらい使用。物部族が造ったルートか?
入植場所は「那賀郡史」大島幾太郎著1940の那賀郡全図31と
「津和野史」沖本常吉著1970の第一巻 p40の図12の旧美濃郡小野村。
「邑智郡誌」森脇太一著1937の写真のp(24)。
飛鳥時代「渡り山」で現在「坂本山」の頂上であったが、今は江川沿い道側
にあり、正門のつり鐘は覆いをかぶりみえない。

90 :chikara:2015/03/18(水) 20:13:30.69 ID:4E+x+yyqR
  人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。
 山名の変遷。鬼山(おおやま)〜神山・大神山(おおやま)〜双子山〜大麻
山。
もうひとつの おおやま の話。
石見原人の鬼刀禰族は弥生時代に九州より舟で益田・鎌手地区に上陸。石
見西部でたたら製鉄を繰り返し移動していた。前回の鬼山(おおやま)の大
穴(中山鈩跡)は「穴が海に向いていて、海がシケル前の風が吹くと音が鳴
る」地元の民は{雨かんむりに龍とかいたひと文字}おかみと読み水の神
と祀った。文字が変化し「於迦美神女(おかみのかみのむすめ)」となり、
地名の「岡見」ができた。物部族は唐や朝鮮と貿易していたため、話を聞
き山や大穴を占領してしまった。
山名も変化した。鬼山(おおやま)〜神山・大神山(おおやま)〜大山。
益田市立図書館蔵書「石見鎌手郷土史」矢富熊一郎著1966
浜田市立三隅図書館蔵書「岡見村誌」岡見郷土研究会1930 P1,P20 や「那
賀郡史」大島幾太郎著 1940 完成 P748で紹介している。

91 :chikara:2015/03/19(木) 09:30:22.62 ID:aNBmY5oNv
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。こんどは、海部(うみべ)漁人の入植。
越後・物部族ーー>岡見・松原
能登・物部族ーー>岡見・須津
若狭・物部族ーー>岡見・青浦
出雲・物部族ーー>益田市・土田
出雲・物部族ーー>益田市・木部町・大谷
私の母は松原に里があり屋ごうが「佐渡屋」。 1300年の歴史かぁ。
このあと、木部に周防国都濃より紀角族=紀真鳥宿禰族=紀部族が
入植したそうだ。
参考文献 浜田市立三隅図書館蔵書「岡見村誌」岡見郷土研究会P22,P21

92 :慈善運動やボランティアなどは悪の手先です:2015/03/19(木) 14:14:45.57 ID:eopZlGU9p
 大衆の面前で秘密をバラされ、愚弄されたのはプリュンヒルトだけではない。
  妃との初夜を他人に手助けさせた、グンテルもそうである。このように酷く名誉を損なわれながら、なおもジーフリトと懇意にすることは、「武士の名誉に関わる行為」だと、ハゲネは言っているのである。

  つまり彼の殺意には第一に、王と王妃の名誉を傷つけた報復のための殺害、という理由があるのだ。
  これは、忠誠心と呼んでもいいだろう。騎士としても当然の行為である。


  彼が卑怯だと思われやすいのは、そのあとにとった行動が、騎士文学では定石の「決闘」ではなかった、と、いう点である。
  決闘によってジーフリトと戦い、主君の名誉を守ろうとしたのであれば、誰も彼を卑怯者呼ばわりできはしない。

  しかし、「決闘」は出来なかったのだ。その理由は、一つ前の項、「ジーフリトを正々堂々と殺せるか」で書いたとおりだ。
  魔法で武装したジーフリトを通常の方法で殺すことは出来ない。しかも彼は、アーティファクトを装備している。
  戦えば必ず負ける。負けるのが分かっていてつっこんでいくのも、当時はひとつの勇気だったかもしれない…が、ハゲネは、この「玉砕」の道を選ばなかった。
  なぜなら彼には、「どんなことがあっても」「確実に」ジーフリトの口をふさぐ必要があったからだ。

  ジーフリトはもう一つ、語ってはならない大きな秘密を隠していた。それは、そもそもの発端、グンテルがプリュンヒルトへの求婚の課題を果たすとき、実はジーフリトの力添えを得ていた、ということである。
  プリュンヒルトの課した3つの課題、そのいずれも、グンテルは自分ひとりの力で果たすことは出来なかった。
  つまり、グンテルは、彼女の夫としては全くふさわしくなく、彼女が「すぐれた勇士の妻になった」と思っていたは、幻想だったことがバレてしまう。
  そうなったとき、王と妃の関係が、どちらかの死という最悪の結果に終わることは、目に見えていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%B3

93 :chikara:2015/03/19(木) 19:37:45.92 ID:eCZjbFpb3
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。美濃郡安田村(現在の益田市遠田町安田小学校のあたり)の伝承。
{大昔には火の風ひの雨吹き降ろしものにて、海々所々に在る古墳は其の時代の人
間が難を避けしもの}西暦700年前後の三瓶山大爆発の威力、すごさ。
 参考文献 浜田市立三隅図書館蔵書「岡見村誌」1930 p19
      江津市立図書館蔵書「江津市の歴史」校閲 小笠原宣秀 編者 山本
     熊太郎1970 p2〜6
島根県の図書で、三瓶山噴火に関連資料=伝承は、他にない。

94 :chikara:2015/03/19(木) 19:50:48.93 ID:eCZjbFpb3
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。益田市木部町への紀氏の入植は
 参考文献 浜田市立中央図書館蔵書「津和野町史」第一巻 沖本常吉 著 p39,40
大和朝廷の律令政治の始まりの一歩。

95 :円元直接取引と中共大使館スパイ事件:2015/03/20(金) 02:08:10.29 ID:m6Cwwuqzn
 なるほど、一般に言われるように、「自分の第一の家臣としての地位を脅かされる危険性」や、「ジーフリトへの嫉妬」なども殺害の理由としては在ったかも知れない。
  しかし、そんなものは取るにたりない理由だ。ジーフリトには自分の国があり、普段は遠方の国に住んでいる。
ハゲネと同じグンテルの家臣という立場ではないのだから、競い合う必要は最初から無い。
  ハゲネはグンテルの第一の家臣としての地位を奪われることは決して無いし、ジーフリトは優れた勇士だが、ハゲネの国内での評判が傷つけられた様子はいささかも感じられない。
(ハゲネに不満があるとしたら、グンテルがよそ者のジーフリトを必要以上に信用したという点においてだろう。)

  ハゲネには、主君の名誉と王の威厳を守るために、またプリュンヒルトの命を守るためにも、どうしてもジーフリトを殺さねばならない理由があった。
  グンテルとて、自分の名誉に関わる秘密を暴露され、妃が愚弄されたのだからもっと怒ってもいいはずだ。
むしろグンテル自身が、妃の名誉のためにジーフリトを糾弾すべきではないのか。
  にもかかわらず、この優柔不断な王は、過去にジーフリトがよくしてくれたことが忘れられないらしく、身内よりもジーフリトの肩を持つ。

 すると国王がみずから口を開いた、「あの人は我々に
 もっぱら利益と名誉とを与えてくれた。あの男は生かしておかなくてはならぬ。」(詩節868)

  さらに、ジーフリトにはかなわないのだから仕方が無い、とも取れる弱気な発言もする。

  「それに、あの珍しく勇敢な男は、恐ろしく強い。
  もしさとられようものなら、だれだって手に立つまい。」(詩節872)

  これに対し、ハゲネだけが王にジーフリト殺害を唆し続けた。
  詩節870では、ジーフリトが亡いものとなれば、あまたの国々が王の領土となるであろう、とまで囁いている。

  http://ncode.syosetu.com/n8576cm/

96 :chikara:2015/03/21(土) 10:18:21.11 ID:L3Mheb54q
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。 三瓶山の爆発・噴火によりどうなったか?
出雲や石見の山々は焼け、人も死に絶えた。ここで考えられること。
出雲の最高権力者・一大率は、舟で東へ逃げ延びた。古事記のスサノウの
国造りからみて能登半島。
大麻山のたたらの大穴で、鬼刀禰族11人以上300人以内。
同じように吉備の国も、吉備の国の生き延びた人は、「神」のしわざ。=
「鬼」のしわざ。ここから桃太郎の鬼退治のはなしが生まれた。
京都の田辺氏に育てられた、不比等ことスサノウは、ウングルドから苗木
をもちかえり。古湊から三隅川を上り現在の浜田市弥栄町(村)で植樹をし
た。たまたま鬼刀禰と出会った。この八咫烏と呼ばれた鬼刀禰。おにとね
の長(おさ)は、スサノウを助け一緒に植樹してまわることにした。

97 :chikara:2015/03/22(日) 19:38:58.22 ID:xNPa/L/GK
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。皇室の三種の神器。
八咫の鏡。八咫烏と呼ばれた鬼刀禰族の作品か。
草薙剣。八咫烏と呼ばれた鬼刀禰族の作品か。
やさかにのまがたま。八咫烏と呼ばれた鬼刀禰族の作品か。
スサノウ=石見・出雲・備後・安芸・備中の焼け野原に植樹=古事記の出
雲の国造り=何本もの川をのぼり、植樹。古墳内に生存者はいないか確認
と文字消し。古事記や日本書記の登場人物を列記。スサノウ、ヤマトタケ
ル、神武。20年くらいの仕事。ということは、藤原不比等の成り立ち。

98 :日本社会を操れるかっていうデータを取るための実験:2015/03/22(日) 22:14:31.78 ID:F6EHEOn9C
 最初にジーフリトがグンテルの宮廷を訪れ、客人となったのち、ブルグントは、ザクセンの宣戦布告を受けている。
  ザクセンの王、リウデゲールとリウデガストは大軍を率いており、攻め入るまでの短時間に多くの手勢を集めるのは、難しい。勝てるかどうかは確証が無かった。
  グンテル王は頭を悩まし、信頼する家臣たち、ハゲネや、弟のゲールノートらを召し出している。(詩節148)
  そのとき、ジーフリトに協力を求めよ、と、言い出したのは、ほかならぬハゲネなのである。

 さらに勇士は言う、「なにゆえにジーフリトに仰らぬのです。」(詩節151)

  …この時点まで約1年、ジーフリトは、エッツェル王の宮廷にて過ごしている。(詩節138)
  客人のもてなしに1年かけるのは、当時は普通だった。もてなすことが名誉になるからである。
  その期間、ジーフリトは、模範試合などで目覚しい活躍を見せ、「およそ肩をならべるもののないほど、彼の力量は立ち勝っていた」(詩節122)と、述べられている。
  もしハゲネが、ジーフリトの力が自分より優れていることに嫉妬し、疎んじていたなら、明らかに「自分より優れている」と分かっているジーフリトに、わざわざ名を上げさせるように進言しただろうか?

  実際、詩節129では、「彼に対し敵意を抱くものなどは一人としていなかった」と、書かれている。一人として、と言っているのだから、もちろんハゲネもである。この時点で、彼はまだジーフリトを憎んではいない。むしろ好意をもって迎えている。
http://anicobin.ldblog.jp/archives/43457486.html

99 :ネット上の一連の炎上事件について:2015/03/23(月) 21:26:53.59 ID:aV4rtO9vj
 その理由はおそらく、この男が、ブルグントの国にとって好ましい存在だったからである。
  ジーフリトは、「美しいグンテル王の妹姫」クリエムヒルトに求婚しに来たのであり、両者の婚姻は、敵に回しては厄介なこの男を親戚として味方につけるものだ。
  ジーフリトは、当時、最高、最強の勇士だった。
  このジーフリトとの親戚関係があれば、近隣諸国は、決してブルグントに手出しできないだろう。

  この時点で、ジーフリトとクリエムヒルトは実際には会ったことはないままに、すでに両思いの仲だった。
  クリエムヒルトが、庭で様々な協議に興じるジーフリトを、窓辺から見て思いを寄せているシーンがある。(詩節133)
  王の一家の側に仕えるハゲネが、その思いに気づかぬはずはない。二人の婚姻が上手くいくであろうことは、ハゲネにとって確実な目算だったと思われる。

  ハゲネがジーフリトに対し悪意を抱く理由は、決して「力の差」ではない。
  しかるに、彼がジーフリトを殺さねばならなかった理由は、嫉妬などの感情ではない。全く逆に、過去に自分がジーフリトを信頼してしまったことに在ると考えられるのである。

  その証拠に、プリュンヒルトへの求婚旅行に出かけるときも、この旅行にジーフリトを同行させよ、ハゲネが言うのである。

 「ではわしの意見を申し上げよう、」ハゲネが口を出した。
  「この困難な仕事は、ジーフリト殿にも片肌脱いでいただくようお頼みなさるのが上分別かと思われます。
   プリュンヒルトの事は、ジーフリト殿がよく心得ておられるから。」(詩節331)

  重大な秘密を伴う、この旅行には、ハゲネと、その弟ダンクワルトの二人、つまり、絶対に信頼できる腹心だけが同行している。
  その中にジーフリトを加えよと言ったハゲネの言葉は、彼がジーフリトを信頼していた何よりの証拠になりはしないだろうか?

  それなのに、ジーフリトはのちに、その信頼を裏切る失態をしでかすのだ。

http://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E7%B4%AB%E4%B9%83

100 :chikara:2015/03/23(月) 21:48:48.28 ID:FGwu7KkR7
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。三瓶山の大爆発を、663年に仮定。
次に、人麻呂=三輪高市麻呂と仮定する。
石見の復興最初の入植者を大和・春日郡の和邇族と小野族と仮定して、西暦年号
をつけると、下記のように。
663年 三瓶山噴火。人麻呂6歳大和・春日郡現在の桜井市。
           不比等4歳推測(京都・田部氏 名 田辺史大隅)。
           行基まだ未生。
670年 和邇族浜田市三隅町湊浦に入植。小野族三隅町小野に入植。
           人麻呂は綾部氏と共に三隅町小野へ。
次に阿波・忌部族(山部・麻、木綿ゆふ)の大麻山入植。
この頃、小野族や綾部氏と人麻呂、益田市小野地区戸田へ。
この頃、不比等ことスサノウ浜田市弥栄町(村)に植樹。鬼刀禰との出会い。
鬼刀禰は、たたらの大穴ちかくにスサノウを祀る彌榮(いやさか)神社建立。
次に牟婁・物部族の大麻山や室谷へ入植。
スサノウと鬼刀禰益田の石川を上り津和野へ入り植樹。
そして、出雲の国へ。川を1本1本上り、朝鮮・ウングルドを行き来しながら
植樹と古墳に入り生存者探しと文字消しの仕事。

101 :「盲者の国では片目の男でも王になれる」ということわざがあるように:2015/03/24(火) 08:10:03.22 ID:X/ibIMPEH
 ハゲネはかつて、この男を味方につけよと王に進言した人物、その人だ。
  そのジーフリトが、こんどは王の「絶対に知られてはならない秘密」を握り、すでにその一部をバラしてしまった。これは、知られれば王の威厳を損なうだけでなく、宮廷の崩壊にさえ繋がりかねない、恐ろしい秘密である。
  栄光につつまれたアーサー王の宮廷が、ランスロットと王妃グウィネヴィアの不倫から崩れていったことを、考えてもらいたい。

  もしジーフリトが、王の求婚旅行にまつわるイカサマを人々に教えてしまったら?
  グンテル王の権威は失墜し、宮廷が崩壊しかねない
 彼は思ったはずだ。
  ジーフリトを王に信頼させたのは、自分である。従って、この責任は自分がとらねばならない。オトシマエは俺がつける、と。

  だから、彼は裏切られた怒りを込めて、言うのである。

  「ハゲネは永久にあの男を敵といたします」(詩節873)

  と。
  ここまで言わしめるからには、浅い怒りではあるまい。たとえ殺害に失敗しても永久にこの男を許すまじ、との気迫が、大いに伝わってくるではないか。

http://bikini-warriors.com/story/story.php

102 :chikara:2015/03/24(火) 10:36:46.63 ID:JqIWcecAm
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。伝承と伝承の間は想像するしかない。
鬼刀禰族の分派は、浜田市周布川口に。別分派江川〜邑智郡邑南町・旧 瑞穂へ。
小野族の分派は三隅小野へ。別分派は江津市川波地区へ。
一方、人麻呂は綾部氏の元を離れ、ゴールデンルート使い近畿へ。
そこで行基と知り合い、年下だが、弟子となり、行動を共にする。
そして、舟で太平洋を北へ北へ向かい。宮城県の阿武隈川〜福島県〜阿賀野川を
下り、新潟〜能登へ。そう、物部の一大率の牟婁・物部への使者の逆コース。
能登の国で一大率と行基・人麻呂の出会いがあり、新潟・能登・若狭物部族と共
に出雲へ。そこで、スサノウと出会う。
一大率は能登より苗木をとりよせ。一緒に植樹を行う。
一大率は人麻呂・行基・スサノウ=不比等の3名を自分の使者として唐へ派遣。
唐書の弓の名手は、人麻呂のことか。
また一大率は大田市へ物部神社を建立。
次に石見へ海部を派遣・入植させた。

103 :クレームで泣き寝入りしないために大切な「文章化」のこと:2015/03/25(水) 08:01:56.81 ID:apqI6lwai
ハゲネはもともと、友情に厚い男である。
  「ニーベルンゲンの歌」でも何度か触れられているとおり、彼はかつて、親友ワルテルと戦いたくないために、一族が殺されるのをただ黙って見ていたという過去を持つ。(詳しくは「ワルター物語」の項を参照)

  「ニーベルンゲンの歌」クライマックス、ハゲネとグンテルのみが生き残り、ディエトリーヒおよびヒルデブラントと対決するシーンで、以下のように書かれている。

 ヒルデブラントが答えた、「よくもまあそんなことを
 咎めだてされるものだ。スペインのワルテルがおん身の一族を
 あまた討った際、ワスケンの岩根で盾の上に座っておったのは
 だれであったか。かかる例はおん身にも数々あろう。」(詩節2344)

  ヒルデブラントが「和議に満足されたほうがよいぞ」と言うのに対し、ハゲネが「戦わずに広間を逃げ出すとは。」と返し、そのあとにこのセリフが続くのである。
  ヒルデブラントが言っているセリフの意味は、「かつてハゲネが友ワルテルと戦いたくなかったように、お前は戦いたくない相手なのだから、おとなしく投降してくれまいか」と、いうことである。
  しかも、戦わないのは不名誉なことだと言い返すハゲネに対し、かかる例はおん身にも数々あろうと、言う。

  つまりハゲネは、名誉よりも友情を重んじようとする人物であった、少なくとも、ヒルデブラントはそう思っていた、と、いうことになる。


 http://ncode.syosetu.com/n8592co/

104 :リボン運動などの社会貢献活動も実は裏があります:2015/03/26(木) 13:11:36.04 ID:w3qBbrjxO
 と、ここまではハゲネ側からの弁明だが、ジーフリト側からの異議申し立てもあるに違いない。
  そこで、ジーフリトが何故、秘密を妻にバラしてしまったのか、という点について、そもそもの部分から述べてみたい。

  ジーフリトとブルグント族(主にハゲネ)との関係が崩れたのは、ジーフリトが「口にしてはならない秘密」をクリエムヒルトにバラしてしまっていたことが発覚したためである。
  クリエムヒルトは、大衆の面前でプリュンヒルトを辱めた。…そこまでは前にも語った。
  しかし、それだけなら「女の嘘だ」と、流すことも出来た。

  プリュンヒルトが「証拠はあるのか」と、問うたとき、クリエムヒルトはこう返している。

 「お留めにならぬほうがよろしいのに。
  証拠はこのわたしの手にある金の指輪です。
  これは夫が初めてあなたの側に寝(やす)んだ時、わたしに持って来てくれたのです。」(詩節847)

  この指輪が紛失したのが初夜の晩であることは、プリュンヒルト自身が一番よく分かっている。指輪がクリエムヒルトの手にある以上、彼女の言葉が全くの嘘だということは、在り得ない。
  だが気丈なプリュンヒルトは、なおも抵抗をこころみる。

http://stinger.s57.xrea.com/cgi-bin/up/src2/up1789.txt

105 :「イエズス会」の拠点があったがために、広島と長崎に:2015/03/27(金) 19:39:30.87 ID:QeS00Ekta
 「この貴い指輪は私が盗み取られて、
  長い間意地悪く匿(かく)されていたものです。
  誰が盗んだのか、今ようやく突き止めることが出来ました。」(詩節848)

  クリエムヒルトが盗人だとすれば、彼女の名誉は守られ、逆にクリエムヒルトは、嘘をつくために盗みを働いた卑劣な人物となる。
  そこでクリエムヒルトは、動かぬ証拠とばかり、自分のしめていた帯を指し、さらに反論するのである。

 クリエムヒルトは再び言った、「わたしは盗人ではないはずです。
  あなたが名誉を重んじられるのなら、黙っておられればよいのに。
  私が嘘つきでない証拠にはわたしが締めている
 この帯をごらんなさい。夫は確かにあなたを妻としたのです。」(詩節849)

  指輪と違って、帯などというものは、そうたやすく盗みだせるものではない。帯を解くのは、服を脱ぐときだけで、服を脱ぐときというのは、プライヴェートな時に限られるだろう。
  しかも、その帯は、指輪と同じく初夜の晩に失われたものだった。となれば、彼女が帯をとき床についたとき、ジーフリトがそこにいたのは確実となる。
  この二番目の証拠によって、クリエムヒルトの言葉は、覆せない真実となるのである。


  なぜジーフリトは、このような盗みを働いたのか。
  たとえ妻に秘密をばらしてしまっても、指輪と帯がなければ「女同士の言い争い、口からでまかせです。」と、いうことで、丸く収まっていたはずなのに。

  ここにジーフリトの弁明がある。
  すなわち、その指輪はかつて、彼がプリュンヒルトに与えたものだったのであり、彼はどうしてもその金の指輪を盗み出さねばならなかったのだ、と。

http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E9%AD%94

106 :chikara:2015/04/01(水) 16:23:42.36 ID:O6n5N1FIQ
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防「江川」考。
漢字の最多画数の文字はゴウの字だそうだ。
将棋の駒に飛車というのがあるがこの裏に龍王とある。
この「龍」を よこ三個、× たてに三段 =「龍」を九頭書いたものだそうだ。
意味はすごくうるさい・やかましい。
ゴウ(龍九頭)川 ー> 紅川 ー> 郷川 ー> 江川。
雷鳴とどろく大雨の日は必ず土石流と大氾濫を繰り返したのだろう。
この龍・大蛇を退治したのが、スサノウ。
江川を上り県境を越えると神野瀬(かんのせ)川、三次から西城(さいじょう)川、
馬洗(ばせん)川、可愛(えの)川にわかれる。
えの川の安芸高田市吉田町国司(くにし)で植樹したのが、スサノウでウングルド
の苗木かどかわからないが、「すがすがしい」と言われたそうだ。
ここにスサノウを祀る清(すが)神社が鎮座する。
当時ウングルドは無人島であったが、スサノウはたびたび行き来したそうだ。
竹島2島の領有権で揉めているが、そういえば、日本の国会議員が竹島の隣の
ウングルドを視察しようとしたとき。猛反対を受け中止となった。
島に石州瓦のかなり古いのが存在するという。

107 :天之御名無主:2015/04/01(水) 17:05:46.94 ID:O6n5N1FIQ
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防「江川」考。

108 :chikara:2015/04/01(水) 18:30:34.23 ID:O6n5N1FIQ
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防「江川」考。
川の話にもどる。8世紀の初め、三瓶山が大爆発している。
「川本町誌」地誌篇 著者 山本熊太郎 小笠原純久1969で赤土がさきか、川がさきかわからないという。江川の両岸は、赤土がひろがる。

109 :chikara:2015/04/01(水) 18:34:33.13 ID:O6n5N1FIQ
江戸・明治時代や平成の合併の美郷町の「郷」の字。現在の「江」の字。

110 :chikara:2015/04/02(木) 02:04:56.78 ID:fT74Ve4pz
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。
鬼刀禰の「鬼」について語ろう。
日本初見えでは、現存遺跡で、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘の中の「鬼前大后」読みがkamiかoniとかわからないが、
神も鬼も意味的に近いらしい。
 日本民俗・国文・国語学者で歌人の折口信夫(おりくちしのぶ)1887〜1953は古代研究の「日本芸能史」ノートで、日本
古代の固有言語でオホビト (大人)のこと記している。オは大きいの意。ニは神事に関係するものを示す語。
オニは神でなく神を擁護するもの。巨大な精霊。山から来る不思議な巨人をい い、オホビト(大人)のこと。
 また、日本の文化人類・民俗学者の小松和彦(こまつかずひこ)1947〜は、民間信仰の研究の「日本妖怪異聞録」のな
かで、先住者=民=敗者=鬼。 征服者=勝者=人間。とかいている。
やはり、後者は大和朝廷のことか。

111 :chikara:2015/04/02(木) 11:55:42.75 ID:J42djXAAR
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。踏鞴製鉄を語る。
たたら製鉄=宮崎駿・監督の「もののけ姫」でも名前が出てくる。
古代人は知っていた。鬼刀禰族・おにとね=「鬼」・天才、偉大なの意味。「刀」・剣、稲刈りの鎌の意味。
「禰」・ね、一番最初の民・たみ(紀元前1000〜1500年前より最初のヒト種・九州北部より)。
鉄を作る工程は1回70時間(約3日)。
炭を使用。必要な木材10〜13トン地表面積にして1ヘクタール花崗岩(かこうがん)や砂鉄大量の水使用。
下流は毎回洪水被害。60人くらいで分業。家族を含めると300人の大集落。鉄の取れる量は微量。
あと大量の水(川や沢のそば)。

112 :chikara:2015/04/03(金) 08:40:37.49 ID:nvVF4lJ9j
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。行基の仕事を紹介。
港の建設..。江川の江津、周布川の津摩、萩市田万川町・江津川の江崎、萩市須佐町・須佐川,唐津川の中津など。
温泉の発掘・温泉津・港。有福温泉・都野津港。
石州半紙。
台風に舞い上がらない鉄分を含む石州瓦。
江津市桜江町坂本の甘南備寺の開基。
行基図と物部所在のキーワードの地名。「竜神崎」「唐音の蛇岩」「大糞山」「八神」など。

113 :chikara:2015/04/03(金) 20:10:49.18 ID:ePS7FT9YU
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。第二の海人・物部を語ろう。
出雲王朝の物部族は、水運を利用して、全国に大山津見神・大山祇神・三島神社・山神神社の4500社くらいの一大勢力だった。
日本海沿岸中心に(山陰・ 北陸・新潟・山形・秋田・青森)から福島・東海・四国。潮の流れを読み、神社を夜は、燈台に利用し、
光通信や唐・朝鮮・ボルネオ、シャム、スマトラなどと大貿易を行っ ていた。日本海・新潟県〜福島県〜宮城県・太平洋を川で
繋いでいた。唐朝の揚子江の運河を参考に!
 よく、出雲風土記の地図を掲載したものがある。なぜか、道が書き込まれている。暖流と寒流が大社沖でぶつかるとか、隠岐
の 島から酒ビンに手紙を入れて流すと島根半島の菅浦(すげうら)あたりに漂着することを知っていた。神西湖や宍道湖をもち
中海をもち、良く肥えた土の大根島 ももっている。集落から集落への移動も、物資の移動も舟さえあればすむ。島根半島の中心
は菅浦。また新潟に450社あるのも、阿賀 野川や信濃川があるからだ。

114 :chikara:2015/04/04(土) 04:40:46.83 ID:7BWVHMTlt
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。大麻山と高山(こうやま)の石合戦。三隅町の伝承。
石合戦の相手、神山こうやまの巨人とは。2014/09/23調査。萩市立図書館蔵書 「須佐町誌」須佐町誌編纂委員会
1993で、高山の八合目に「宝泉寺」と「黄帝社」があるそうだ。創建年代や関係者等明らかでないらしい。
然し、中国の名君の一人として知られている黄帝は、航海・造船の神とあがめられており、日本の神社にまつられて
いるのは、全国的にも珍しいとのこと。紀元前97年〜28年くらい前より存在。
 須佐の地名は出雲の千家(せんけ)清主の説では、「須佐はもと須佐男命に関係があり、神山(こうやま)という山はま
ことに近国に比類のない名山であっ て、須佐男命の神山ということであろう、今は神の字を高と書くのである」という。
(注進案)・・・千家清主・出雲大社の代々続く神主。

 大麻山と高(神)山の石合戦=巨人・大人を連想=物部族住んでいた。
萩市立図書館蔵書「山口県の神社」山口県神社庁1972より「勝馬田(かつまた)八幡宮」境内神社の中に「大山祇命」を
発見。物部の神がやっぱりいた。住所・田万川町下小川。
田万川町の「竜神崎」人麻呂のキーワードともくされるとこの記載はなかった。ただ、竜神崎のめのまえに名島が浮かぶ。
この名は万葉集にでてくる。
*@山口県萩市須佐町・田万川町「?須佐湾や江崎港」A「高山or神山or甲山 こうやま」(萩市須佐町)B「竜神崎」(萩市
田万川町) C「勝(かつ)馬田(また)八幡宮」(萩市田万川町下小川)・大山祇命

115 :chikara:2015/04/04(土) 06:12:10.81 ID:7BWVHMTlt
 chikaraのひとりごと。
 ずっとむかし西暦662年に 白村江(はくすきのえ)の世界大戦がありました。その戦いは、倭(わ)と百済(くだら)の連合国と唐と新羅(しら
ぎ)の連合国が戦い、後者の唐・新羅 軍が勝利しました。この時、日本の歴史が動き出しました。三人の偉人の登場です。まず一人目
は、ペンネームで、柿本人麻呂でした。西暦657年,現在の奈 良県桜井市にわに(和邇族(わにぞく)・百済からの渡来人で三輪大社で代々
神主を務める)の子が生まれました。子供は、綾部夫婦に預けられ、小野族の住む 現在の島根県浜田市三隅町小野へ7歳で移り住みま
した。後、大将・大麻比(おおあさひ)古(この)命(みこと)が率いる、いんべ(忌部)族が攻めて来 て、命からがら戸田の小野郷小野(益田市
戸田・柿本神社の立つ地)へ逃れ、過ごしました。青年となった彼の履歴書を書くと本名は、みわのたかいちまろ(三 輪高市麻呂)。趣味
は言葉あそび(筆者のひとりごと・ひらがなの作者、ペンネームも柿本佐留や猿丸大夫と使い分けた)、特技は弓や。西暦702年石見の
国美乃の郡司となり、藤原不比等(ふひと)(二人目の偉人は物部族(出雲勢力)を滅ぼし、律令政治の日本国を造り、古事記や日本書記
に介入した人)と僧侶・行基(ぎょうき)(三人目の偉人は、西暦668年生まれ今の大阪府堺市に和邇 (わに)族の子。学者であり舟旅しなが
ら行基図・現存しないが江戸時代まで使われた日本地図を作った人。全国に港,ため池,堤,治水の用水路建設,架橋, 貧民救済や墾田
開発した人。東大寺の建設。大僧正の位を贈られた人)の協力を得て、石川(今の益田川)と江川の河口に軍港を造り、井野(現在の浜
田市三隅 町井野)のたたら製鉄で剣や矢先を作り、石見の森林の木で軍船を造 り、その作り方を全国に伝えるため、紙を生産し、
いんべ(忌部)族、おにとね(鬼刀禰)族、小野族、蝦夷(えぞ)人(関東の人)200隻に乗せ新羅の都へ 攻め込みました(結果は敗戦だった
のでしょう・歴史書に出てこない)。

116 :chikara:2015/04/04(土) 06:13:46.04 ID:7BWVHMTlt
 chikaraのひとりごと。つづき
また、大地震と唐の進駐軍(白村江の敗戦9か月後九州王朝である東表国の博多湾に 47隻の軍船
2000人の兵で現れ39年間駐留し九州全土の集落へ入り老人子供を殺し若者の男女は唐本国へ奴隷として送り。全部の古墳(墓)を
あばき尽くし た)の略奪により破壊された法隆寺(大宰府あたりにあったという)の廃材を奈良に送り再建した。石見地方の昔ばなし(大
糞(おおぐそ)山の三隅大男、折居 の鞍(くら)島、睾丸のあたる山がある江津大男、忌部(いんべ)族と小野族の争い、鬼刀禰族と物部
族の争いの話)や古事記に挿入する詩、万葉集におさめられた短歌や詩の創作。西暦701年以前の歴史の創作。などなどがあげられる。
尚、神武天皇〜701年までの話(現在 のエルサレムを逃れたユダ(エブス)人。彼らはゴビ砂漠を東に向かいモンゴルの地にたどり着き
神武の生まれた時代に朝鮮半島を南下し九州北部にたどり着 き、勢力をつけ出雲を経由し大和・今の奈良に建国した)を信じ、
日本陸軍はモンゴルに満州国を建国した。ソ連のバイカル湖西岸をめざすも、ノモンハンで大敗した。西暦701年以前50年は完全に創作
の歴史である。 もし、ソマリア・ユダ説が本当なら、日本人とは、ソマリア(オッフル)人(混血人(エジプト人とシュメール人)・対岸のイエメン
王朝が支配)に 紀元前660年ユダ人の血が混ざったことになる。ソマリア(オッフル)人66%、ユダ(エブス)人34%の混血人となる。
柿本人麻呂・柿本佐留・猿丸大夫=三輪高市麻呂657年〜706年

117 :chikara:2015/04/04(土) 06:48:37.81 ID:7BWVHMTlt
 chikaraのひとりごとU
柿本神社(益田市・戸田)の文献で、石見の地に7歳の天才現る。例1・人麻呂が他の場所で生まれ、7歳になった時に石見の地に来た。例2・石見の地で生まれ育ち7歳になり、
天才ぶりを発揮する。私が思うに、前者の例1と思う。
 また、三隅町・小野集会所から三隅川に沿い岡崎を下り八曾(やそ)にて潮風に誘われ現在JRの通るところを抜けると田ノ浦海岸(三隅町湊浦)となる。そこに鰐(わに)島
・(どう見ても大きなクジラ)がある。そこまでの距離は2Kmで、10歳たらずの子供で人麻呂が奈良県桜井市で生まれたとして、海を見た いという好奇心から歩いたり走っ
たりして40分くらいの所だから、鰐島・4m(よこ) × 35〜40m(ながさ) × 3m(たかさ) がより大きく見えたはずである。そこで、古事記の因幡の白兎の話を彼がつくった
としたら、いつ。新羅の都攻め(藤原不比等や行基とともに)失敗のとき、命 からがら(人麻呂にとって人生2度目),隠岐に逃げたとき、波の彼方に見える、島根半島や大山
を見ながら創作したのでしょう。行基が船を造る間(幾日も幾 日も待ったのでしょう)。この話に出てくる、和邇(わに)は、少年の日に見た、田ノ浦の鰐島(巨大な岩島)である。

118 :chikara:2015/04/04(土) 06:51:45.79 ID:7BWVHMTlt
 chikaraのひとりごとU つづき
712年に古事記が完成。この話は、日本書記(完成720年)には記載なく、その後作成された出雲の風土記に記載なく因幡の風土記は
現存しな い。昔話で「狭姫(サヒメ)と巨人(おおひと)」二部構成になっていて。雁(かり)の背に乗るほど小さい乙子狭姫(おとこざひめ)は朝鮮のソシモリから (雁に乗っ
て)五穀の神である母(死にぎわ)に種を授けられ、大田市の巨人の住む佐比売山(現在の三瓶山)・長者原へやってきた。オカミと話をした(佐比 売山の噴火は大山?巨人の
放屁が原因)。また、サヒメは実際に足長土が土田海岸から高島へ歩いて渡るのをみた。この後の話が、五穀伝来の話(米の都茂郷種 村へ下り)。浜田市三隅町の「岡見」
や「須津(すづ)の大島」や福浦沖の「鹿島」、益田市の「高島」や鎌手の「亀島」、赤雁の比礼振山(権現山)「種」 などの地名が挿入されている。これは、石見の国(大
田市〜益田市)を東に西に駆け抜けた人麻呂しか知り得ない事。また、1300年後の時代に紙・短歌や長 詩・ひらがな・歴史書(創作)・ペンネーム・囲碁などなどを伝へま
した。ベニスのレオナルド=ダ=ビンチのような大偉人である。
 いまひとつ、確信はないが、出雲王朝(一大率)が唐の国へ使いを出した時の弓の名人というのは、人麻呂ではなかったか。また、その同行者が、藤原不比等や僧侶・
行基ではないか。唐の都・洛陽(らくよう)より3人で帰国したのではないか。
注1・冒頭の柿本神社は、益田市に2か所存在。もう1つは高津。
注2・645年の大化の改新や聖徳太子の存在がまったくウソ!創作の歴史とは・・・。
注3・「氣」三瓶山が噴火し出雲大社近辺は、昼でも火山灰で暗くイオウの臭気でムンムン。
以上創作・ちからのひとりごと

119 :chikara:2015/04/04(土) 20:46:52.58 ID:BPQEnyY2X
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。三瓶山噴火・スサノウ・潮の流れ
・実地調査 2014/09/26
*松江市役所美保関支所0852 55 5740のみなさま
*松江市美保関町菅浦の井川芳行さんに聞いたところ「大黒島」おおぐしま、(「小黒島」こぐしま)、「鬼島」おにしま、と呼んでいる。
また、昔ばなしとか 伝承とかもない。・・・・・・しかし、人麻呂が、話、教えた、事が、1300年後に文字として残っているのは、石見の
巨人・おおひと伝説とあわせても おもしろい、すごい話である。
・島根県立図書館 蔵書
*「片江郷土誌」片江郷土誌編纂委員会1965 p10.11
*「大社町史」上巻 大社町史編集委員会1991 p32〜36
*「出雲市誌」出雲市誌復刻刊行郷土誌刊行会 出雲市役所1951 p38
人麻呂のつくった話で、三瓶山の爆発は西暦700年前後と予想ができ、いまも煙(灰)が上がるのが、確認できる。(いまと言うのは、
人麻呂が赴任した西暦702〜703年頃)これに上記の「片江郷土誌」の「美保関灯台の風向き記録S33/04月〜S37/03月までの風向
きと風速毎秒6以上の風向き回数」統計表。「大社町史」上巻で平成元年(1989)の月間天気日数表・大社、松江、松江気象台資料。
「出雲市誌」のS16〜25年の出雲市の日照時間と風向きおよび風速の表。やはり、灰混じりの三瓶山噴煙は、簸川平野の米作をダメ
(日照不足)にしている。出雲勢力である、物部族は、東(特に)へ、西へ、南へと領土を拡大 した。食料と唐・新羅への輸出品としての
米確保は、絶対であった。ここで「古事記」の稲羽の兎の「稲羽」は季節を表し、一大率(将軍)のそばの家来も当 然、東国へ稲刈りに
向かったはず。大黒天は攻撃の神様であるから、出雲大社は手薄(守りが薄い)、物部族を倒しなさい・倒れる。斐伊川の蒲黄を上り
攻撃す れば将軍が倒れるというはなし。物部倒しを「古事記」に入れとかなければと人麻呂、不比等、行基とも、思ったに違いない。
 人麻呂が創る話の後か先かには必ず、「速須佐之男命」・スサノウが登場する。スサノウ=藤原不比等なら私の話のつじつまがあう。

120 :chikara:2015/04/04(土) 21:16:30.32 ID:BPQEnyY2X
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。三瓶山噴火・スサノウ・潮の流れU
「島国観再考」岡本雅享2010pdf p82〜84で海流の道で、スサノウの国引き図を参考に語られている。
「古事記」編纂の頃の人は潮の流れ・道を知っていた。 そう!物部族やスサノウ=不比等。
やはり、一大率とスサノウが出会い隠岐の島や能登より苗木を取り寄せ植樹したと予測される。

121 :chikara:2015/04/05(日) 00:55:34.39 ID:rsCnLB12u
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「牟婁」考。
物部族が。大麻山に住んでいた。「三隅町の神話と伝承」寺井実郎編著1960では、紀伊の牟婁の地より、来たと、故郷の「むろ」にちなんで、
室谷と呼んだそうだ。私の義理の兄は、三重県の南牟婁 郡の出身。調べてみると、こうなる。
 奈良県、三重県、和歌山県あたりに、北から吉野・熊野・牟婁と国(地域)があった。国といっても境すらない。集落から集落への移動は舟。
道もない。川を 上り下り、海を西へ東へだけであった。集落、集楽を合わせ800戸くらいで国とよんでいたらしい。牟婁の地は三重県志摩半
島南部から和歌山県田辺市・南紀白浜 あたり。物部の神,大津見神を祀る神社は三重県北牟婁郡の長島・赤羽神社。和歌山県は東牟婁
郡の川岸・若宮八幡神社の合計4社。夜は燈台であったのであろ う。ここから、鬼山(おおやま)の鬼刀禰を追い出し神山〜大神山(おおやま)
し、もう一つの「岡見の」鬼山(おおやま)から神山〜大神山(おおやま)の頂 上に夜の光通信基地を築いた。牟婁(むろ)物部族、当時の裏日本
から表日本への大栄転。出世コースに乗ったのである。昼は、三瓶の海から須佐・高山、見島の海の監視。夜は光通信基地。
 岡見・大山とたたらの大穴(中山鈩跡)を占領し、光通信を遂行したのは、海部・長(をさ)格の岡見・青浦の若狭・物部であった。

122 :chikara:2015/04/05(日) 01:20:39.21 ID:rsCnLB12u
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。大麻山と高山の石合戦にかかわる二人の浜田の偉人。
藤井宗雄(むねお):庄屋の家に生まれ。幼少期に「社のあるなしに関わらずすべての神を敬い拝むと神に誓った」人。森神、塚神に至るまで。
江戸時代〜明治にか けて国学者・儒学者・歌人。この、石合戦を紹介した人。吟醸酒の「三つ桜」を命名した人。石見神楽の六調子をテン
ポの良い八調子・新舞に変えた人。大国主 や人麻呂の研究家。
三浦尚(ひさし):日本で初めて缶コーヒーを製造販売した人。島根県のホームページで紹介あり。西の高野山と言われる大麻山の麓に住み、
家は代々回船業で、故 人であるが、先祖は、高杉晋作の騎兵隊に多額の援助をされたそうだ。大麻山に五社、六神社と尊勝寺の紹介。
大麻山神社・大山津見神、大元神社 境内金屋護神社・農業神と鉄の神、弥山神社、金刀比羅神社、彌榮(いやさか)神社。金刀比羅神とは、
インドの神でワニの意味で、鬼刀禰族、小野族、和邇族とも 深い関わりありということ。鉄の神、「金子屋さん」は14世期頃、播磨の国より始
まり、正月や盆に仏壇に半月のモチを供える。このモチは、稲刈りの「鎌」 をあらわすとか。また、尚氏のご存命時、司馬遼太郎氏も小説の
ネタで、面談されている。

123 :chikara:2015/04/05(日) 02:22:53.53 ID:rsCnLB12u
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。<島根 石見の国は,「大麻山・浜田市三隅町」山頂より今でもみえる>
東は三瓶山〜西は山口県萩市須佐町「高山こうやま」まで。そう、人麻呂も行基も三隅兼連も大 内義満も。三隅;はじめは「隅」の文字を使われてない。
それまでは「角」で、兼連の死以降に変更されている。「隅」の文字を調べてゆくと、広辞苑や三省堂 国語辞典では、角と隅は、同じ意味しかないが、グ
ーグル、ヤフーで調べると、中国、宗の時代に城や城壁のなかの一区画を表し、それが、防御・消防という意 味に使われ、元・明時代と使われたそうだ。
@後醍醐天皇説。それは、建武の新政の時、宗の君主制を学んでいた。A説、この時代、人生を戦(いくさ)だけに 生きた3人。死亡順に、三角兼連、
足利尊氏、大内義弘(*注・後醍醐天皇は3人より以前に没している)。大内義弘は、明とも貿易し、朝廷の南北を統一さ せ、石見の国の守護にもなり、
学があるのは、この人。「隅」の字こそ、兼連の生きざま。囲い「口」を、突破し「十」、突き抜け(常に南朝・公家方を貫く) 「巾」、都(東へ)「ム」かう。
・・・義弘が名付、弟、義満(よしみつ)が三隅の城の配置を見て、隅々(すみずみ)という言葉をつくったと思われる。
三住;朝鮮の古文書「海東諸国記」。李王朝指示、著者、日本通の申叔舟(シンシュクシュウ)1471年。・・・日本通、第一人者が、「隅」をしらなかった。
それでAの説。

124 :chikara:2015/04/05(日) 03:28:47.13 ID:rsCnLB12u
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「!!」
石見国。「邑智郡誌」1937で、著者・森脇太一が、一説と記すところによると、浜田市三隅町井野で石が切り出され、大和国でも、知れ渡った。高名な石。
〜石見・いわみの国。
また「石見鎌手郷土史」1966で著者の矢富熊一郎が鎌手の3遺跡について、弥生時代のもので、出土物から九州より渡って来た。またまた井野の伝承と
して 鬼刀禰族が井野に存在したと「三隅地方の神話と伝説」1960、「三隅町誌」1971で寺井実郎は書いている。
故人の三浦尚(ひさし)氏が「井野・室谷歴史班レポート」の中でインタビューで、彌榮(いやさか)神社について、書かれているが。私の仮説は、焼け焦げた
山や原野に、スサノウが、舟で三隅川を上り、最初の植樹をした。鬼刀禰の民は、たたらの大穴のそばにスサノウを祀る神社を建立、いの一番 なので、
読みに「い」をつけたのではないか。次に益田の石川を上り津和野へ。同じように彌榮神社を建立したが読みに「い」をいれなかったのでは? のち に、
京都の祇園で地元の民が建立するとき、人麻呂が介入して「八坂神社」に、また、出雲勢力の「八」をきらい。神社名を「氷上・鹿島」に。ヤマトタケルや
 神武と名をかえて植樹と古墳の文字消し出雲王朝を無血で倒したとき。不比等に実権が転がり込んできた。鬼刀禰の協力があったからこそなのに
「八咫烏」と は、古事記・日本書記。「神」の1300年の恨みはすごいぞ!!
彌榮神社が先で弥栄村名は昭和の合併のとき公募してできたものだそうだ。

125 :chikara:2015/04/05(日) 08:30:53.36 ID:+wwVaTjnk
 八世様と聖人様
NHKの大河ドラマでセットの釈迦如来木像がおかしい。とクレームがついたそうだ。私の家も浄土真宗本願寺派(西本願寺派)で仏壇が
座敷に鎮座し ている。中央に「阿弥陀如来絵像」。左手側に本願寺八世様の「蓮如上人絵像」右手側に「親鸞上人絵像」となっている。
そう「阿弥陀如来木立像」の間違いだ ろうの抗議電話らしい。私が言いたいのは、時代背景で当時の本願寺を描写した書物がないため、
決めつけられないということである。現在西本願寺に国宝の阿弥陀堂はあるが、大河ド ラマの時代に阿弥陀堂があったかわからない。
八世様も聖人様も明治天皇のおかげで世に知らされた。天皇家保有の「古事記」も同じように。それでも、聖人のほう は、大正10年まで、
実在したかわからなかったらしい。本願寺本堂裏から奥様から聖人宛の手紙が出てきて、実在事実を確認されたくらいだ。八世様も
聖人様 も生前、「他流は名号より絵像、絵像より木像。当流には 木像よりは絵像 絵像よりは、名号というなり」との伝承があるそうだ。
そして、西派の法改正で、 本尊は、「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)一仏である」と。平成19年9月20日。私の家の床の間の掛け軸の
6文字の「南無阿弥陀仏」です。仏壇を開いたまま座敷に入室が、三尊絵像の目線がどうしても下になるのが申し訳なかっ た。

126 :chikara:2015/04/05(日) 09:48:19.28 ID:+wwVaTjnk
 藤井宗雄、矢富熊一郎、三浦尚や寺井実郎の四偉人
時代背景(古事記の明治期の出展・高島の浜田藩・三隅 井野地の折居川挟み浜田藩と津和野藩境)にかかわらずパソコンの使える
現在に生きていたら、すべて解明していたことであろう。人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と物部族
との攻防も鎌倉時代の八世様や聖人様のことや、10年くらいの海没もいきさつを予想できたろうに!
 三隅町の伝承。神元といえば、三保から三隅に向かって子落のはずれの東一面の土地をいいますが、この土地の東寄りの大奥に
厳島明神がすんでいたといわれています。今も神元に明神屋敷という地名や明神原という名が残っていますが、そこに明神様の住居
があったのだと伝えられています。厳島明神は、毎日のように舟に乗って海に出ました。ついには、自分の住居近くまで海にしてしまい
ました。これは、私の仮説ですが、何らかの原因で地球温暖化となり、年々海没してしまったら、住民もびっくりしてしまうだろう。地名か
ら岡ア(岡ア神楽社中や佐々木桜の地)や森溝(JRの三保三隅駅から 前三隅中学旧舎あたりの地)まで。現在の海から1.5Kmくらいの
ところ。10年くらい話だろう。ここで現在、鎌倉時代の幕府のありかが、わからないらしい。神社が焼 きうちを受け、最終的に広島・宮島
に逃げ去った。関東のどこかにあったであろう、政治を司った建物の柱跡などできるはずがない。北極やグリーンランドの氷 河の溶解
の出来事だったのであろう。宮島移転で運よくまた氷が復活したのであろう。地質学者は全国の伝承、言い伝えを検証したらいいと思う。

127 :chikara:2015/04/06(月) 02:19:10.38 ID:k3+p+q602
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「京の田辺氏」考。
Wikipediaでは、不比等は史(ふひと)とも書いた文献もある。
壬申の乱ののち、京都の田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家にしばらくかくまわれていた。
123のスレで「隅」の字は、中国・宋の時代にできた。日本では、平安京の時代。史実にはんするもの。
ということは、中臣鎌足の子というのもあやしい。壬申の乱じたいあったか、なかったかもあやしい。

128 :chikara:2015/04/06(月) 23:35:10.77 ID:0ETzSZNco
 鬼刀禰の行方(ゆくへ)
九州ーー>島根県益田・鎌手上陸ーー>浜田市三隅町・岡見の大山ーー>三隅町・井野(室谷)の大麻山ーー>浜田市周布・周布川口
ーー>邑智郡邑南町・下亀谷の長尾原ーー>広島県三次市三良坂町「野竹B地点遺跡」8〜10世紀まで。ここから、不明。

129 :宇宙の法では他者に闇を及ぼしてはならない、と有ります。:2015/04/07(火) 03:04:58.82 ID:HPSN533Df
 「ニーベルンゲンの歌」の原型となった、一連のニーベルンゲン伝説を確かめてみる。
 ジーフリトの原型であるジーフリトは、竜を倒し、莫大な財産を手に入れる。その黄金は、かつて北欧神話の身の代償として差し出したものであり、
小人アンドヴァリの呪いがかけられている恐ろしいものだった。
 黄金の中には、アンドヴァリのはめていた指輪、神々が最後に差し出した指輪が含まれていた。これが、くだんの「貴い指輪」である。

 プリュンヒルトへの求婚旅行のシーンで言われているとおり、ジーフリトは、プリュンヒルトに面識があった。
 プリュンヒルトの家臣は、ジーフリトだけを見知っており(詩節411)、プリュンヒルトは最初にジーフリトに挨拶している(詩節419)。
 彼は過去に、この国へ来て、プリュンヒルトと知り合っていたのである。

 原型となるサガでは、ジーフリトはかつて、プリュンヒルトと婚約しており、その時の誓いの証しとして、ニーベルンゲンの指輪を渡している。
「ニーベルンゲンの歌」では、婚約したとまでは書かれていないのだが、過去にプリュンヒルトの国を訪れたことまでは引き継がれている。
 つまり、この指輪は、彼がかつて愛の証としてプリュンヒルトに与えたものだった、と考えることができるのである。

 今は彼には愛する妻がある。過去の一時期とはいえ、プリュンヒルトと将来を誓いあい、
大切な宝な指輪を渡してしまったことが妻に知られたら、妻は、今でもプリュンヒルトに思いをかけているのではないかと疑うかもしれない。
 その疑いを未然に防ぐためにも、指輪はプリュンヒルトから取り戻したい。
 指輪は、いま自分の妻であるクリエムヒルトが手にするべきものだ、と。

http://ncode.syosetu.com/n8858co/

130 :chikara:2015/04/07(火) 19:33:51.82 ID:Sc1VwRlJ7
 「益田・高島と不比等、人麻呂から古事記〜神武〜朝鮮・扶余伝説に繋がる。」
人麻呂の石見赴任は702年と聞く。1300年前からの五穀の種伝承。「チビ姫と巨人(おおひと)」の話は、古朝鮮、扶余地方の
ソイモリより始まる。出雲王朝・一大率の命で唐の都・洛陽(らくよう)へ。そこで、古朝鮮・扶余伝説、ユダの十支族伝説と人
麻呂自身の九州・吉野体験を神武の名や地中海、エルサレム、ゴビ砂漠、モンゴル草原やバイカル湖西岸地名を仕入れ古
事記を創りあげている。
 実際の話は、一大率の命で益田・土田派遣の物部族が高島に渡り、夜は火の合図=光通信を行っていた。あのシケの前
に音が鳴る大穴は海部で岡見・青浦の若狭・物部(をさ格)が占領し、大山の頂上に神社を建てて燈台・光通信を行うと共に
各海部に漁の指示をだしていた。それがずっと続き、なにもかににも口をだし、境界線の問題にも関与し、江戸時代の初め
津和野藩と浜田藩の境も若狭・物部の意見で大山も高島も浜田藩となった。1000年は実権を握っていた訳であった。

131 :chikara:2015/04/07(火) 22:50:42.94 ID:Sc1VwRlJ7
 「益田・高島と不比等、人麻呂から古事記〜神武〜朝鮮・扶余伝説に繋がる。」U
前スレ つづき
「那賀郡誌」大島幾太郎1940 p133,134の火塚(古墳)でやはり「火の雨を降らせ、火の風を吹かせた」の記述あり。アナカシコや
カシコミ、カシコミの因果関係についてといている。益田・安田の伝承であり、三瓶山の大爆発のエネルギーを考え三瓶にコン
パスをあて円を描くと、もちろん石見・出雲は全滅。
「石見鎌手郷土史」矢富熊一郎1966のなかで、高島の植生で、クサフジーー>「島根県ではほか沖ノ島で生息、また朝鮮でもみ
れる。」これは、物部が島に来る前にスサノウが植樹している。出雲の植樹は、隠岐の島経由で植樹。
ハマヒサカキーー>「姫榊」字からサヒメやチビヒメを連想。
ナシカズラ・フウトウカカズラーー>秦の始皇帝が不老不死の実がなる木。島根本土とまったく異なる植生あり。
江戸時代に入り、島にスレ75の甘藷ことサツマイモが持ち込まれている。この後ムギも栽培されている。8世紀の初め。島では
五穀は実らないとの伝承があったのだが!ネズミの大発生により、島民全員が本土に逃れたが、浜田の殿様の指示で一部の
人は戻された。昔話も数多くうまれたが高島と鎌手では、国が異なる為、相手側の話は互いにしらなかった。
 明治22年に島が美濃郡鎌手村に編入され、昭和に38豪雪、49集中豪雨によりとうとう無人島となった。海部の出雲・物部は
1300年後に元のさやに帰ったことになる。あの土田の地へ。!

132 :地震と“怪奇”月食のコワ〜イ関係:2015/04/08(水) 10:00:34.90 ID:acYuHWr0H
だがここに、大きな落とし穴があった。
 詩節44でも言われているとうり、ジーフリトは、クリエムヒルトのことを知るまで、「ついぞ心の悩みというものを知らなかった」。
 「ニーベルンゲンの歌」のジーフリトは、過去に恋はしたことがない、将来を誓った乙女をすっぽかすような真似はしていない、クリエムヒルト一筋である…と、この詩人は書いてしまったのである。
 ならば、指輪は、ジーフリトが婚約のしるしにプリュンヒルトに与えたものでは在り得ない。
 よしんばジーフリトが与えたものだったとしても、彼には、それを取り返す理由がなくなってしまう。


 さらに問題なのは、ジーフリトが、指輪だけではなく帯まで盗み出していることである。
 帯はニーベルンゲンの宝ではない。サガなど、他の物語にも出てこない。従って、ジーフリトがプリュンヒルトに与えたものではないし、彼には、それを盗み出さねばならない理由は何一つ見当たらない。
 あるとすれば、「いたずら心」か。まさか「記念に」とは思っていなかっただろうか。

 指輪だけならまだプリュンヒルトにも言い返す術があったものを、帯まで盗み出してしまったことによって、彼はクリエムヒルトに、動かぬ証拠を提供してしまったのだ。
 しかもクリエムヒルトが、その帯の由来を知っているということは、グンテルと自分の悪巧みを洗いざらい話してしまったということにはならないか?

 これでは、口の軽い男と思われて仕方が無い。
 さらには一国の主としてふさわしからぬ盗人と非難されても、プリュンヒルトから深く恨まれても自業自得だ。

 ジーフリトの死は、結局のところ、弁護のしようもない自らの行為によって招かれたものと言えるのではないだろうか。

http://matome.naver.jp/odai/2137465097551498701?page=2

133 :太陽の温度が30℃弱しか無い事は、天文学者の常識でもあります。:2015/04/10(金) 12:18:05.15 ID:SMcyQarwx
と、ここまでハゲネの汚名をそそぐために話を進めてきたわけだが、ジーフリトの殺害者、卑怯者、という謗りが消えても、彼が完全に無実だというわけでない。
 なぜなら彼は、ジーフリト殺害とは別の罪を犯しているからだ。
 それについて語る前に、まずは、ハゲネが「いかにして」ジーフリトを殺したのか、ということを正確に知ってもらいたい。
 ジーフリト殺害を決意し、表明したとき、「どうやって殺すのだ」と問うグンテルに対して、ハゲネはこう答えている。

 「私があの勇士の王妃から、秘密を探り出しておくからです。」(詩節875)

 最初にジーフリトがブルグントへやって来た時、ジーフリトの名と過去の武勇について語るのはハゲネである。(詩節86〜)
 またハゲネは、ジーフリトがプリュンヒルトの国へ行ったことがあるのも、知っていた。
 つまり彼は、ジーフリトについて誰よりも多くの情報をもっており、この不死身の勇者に「秘密」があることを、あらかじめ知っていたことになるのだ。
 でなければ、この確信に満ちたセリフは出ないだろう。

 ハゲネはクリエムヒルトのところへ行き、ジーフリトも自分たちと一緒にザクセンとの戦いへ出るが、誰かがジーフリトを傷つけるようなことになってはいけない、どこを守れば良いのか(つまり、弱点はどこなのか)と、尋ねる。

 「お妃様、」ハゲネが言った。「もしもあの方が何者かに
 傷でも負わされることをご心配なさるなら、
 どういう工夫でそれを防いだらいいかお聞かせくださいまし。
 私は馬上でもまた徒歩の場合でも、いつもご守護いたしましょう。」(詩節897)

 するとクリエムヒルトは、ジーフリトは、かつて竜の血を浴びたとき、ただ一箇所だけ血を浴び損ねて、生身のままの場所がある、と答える。

http://ncode.syosetu.com/n4138ck/

134 :「 ブッダが去った後に、全てを消し去る 陰始勢力等の動き」:2015/04/12(日) 09:29:11.59 ID:xikHfc5+j
 「竜の傷口から熱い血潮が流れ出し、
 天晴れな勇士がそれをからだに浴びた際、
 両方の肩の間に一枚の広い菩提樹の葉が落ちてきました。
 この場所こそ、あの人の急所なのです。これが私の心配の種なのです。」(詩節902)

 夫の殺害を企てている人間に、夫の急所を教えてしまうなんて奥さんとしてバカだなあ…と、思うかもしれない。
 しかし、よくよく読んでみて欲しい。この秘密を打ち明ける直前に、クリエムヒルトはこんなことを言っている。

 「私は、親愛なるハゲネよ、おん身が私に信実を
 つくしてくれることを信じて、どこがいとしい夫の急所であるのかを
 打ち明けておきましょう。こういうお話をするのも、
 ひとえにおん身の信実を信じればこそのことなのです。」(詩節901)

 彼女は、他の人物になら秘密を話したりしなかった。相手が心から信用しているハゲネだったからこそ、夫の唯一の弱点を打ち明けたのだ、と、言っているのである。
 クリエムヒルトがハゲネをいかに信用していたかについては、彼女がジーフリトの国へ嫁するシーンでも、語られている。

 嫁ぐ妹に対し兄のゲールノートから、誰でも好きなものを千人連れていくが良いと言う。そのとき、クリエムヒルトが最初に選んだのが、ハゲネとその弟ダンクワルトだった。
 これに対しハゲネは、トロネゲ出身の者の気性はよくご存知のはず、ほかのものを選んでもらいたい、と固辞する。(詩節697−699)

 見知らぬ遠方の国へと嫁ぐに至って、最初に選んだのがハゲネだったというのは、彼女にとって、ハゲネが頼りになる存在であったことを証明している。ハゲネも、この時点では彼女には心から仕えていたはずだ。

 だが状況は、クリエムヒルトの一時帰国後に大きく変わっていた。
 かつて仕えた姫君と、主君の奥方とがいさかいを引き起こすにあたって、ハゲネが選んだのは、家臣として正しい選択…つまり、プリュンヒルトの側につくこと、だったのである。

 兄王の側近として仕え、おそらく幼い頃からなじみがあっただろう一族の勇士の心がすでに自分のもとから離れていることに、彼女は気づかなかったのだ。


http://ncode.syosetu.com/n4366cp/

135 :不吉なこと言い残して連絡途絶えてます髪は金髪で黒っぽいメッシュ:2015/04/13(月) 14:28:52.58 ID:vdH8QOqf5
 そこに悲劇があった。
 確信に満ちたセリフから推測するに、ハゲネは、今でも自分がクリエムヒルトに信頼されていることを知っていて、逆手にとったのではなかろうか。

 そのような非道な行為をしたということは、ハゲネは、大衆の面前で主君の王妃を愚弄したクリエムヒルトにも怒りを覚えたのだろうか?
 そうではない、と私は思う。彼女は幼い頃から自分が仕えてきた、一族の女性である。対してプリュンヒルトは、主君の妃とはいえ別の一族の女性だ。
 ひとえに、プリュンヒルトに鞍替えしたためにクリエムヒルトをないがしろにしたとは、考えにくい。
 従って、これは、クリエムヒルト個人に対する悪意なく、彼女に、愛する夫殺害の片棒を担がせた行為と理解する。
 ハゲネは心を鬼にして、クリエムヒルト自身の口から、ジーフリト殺害の鍵を探り出したのである。

 ここに、ハゲネはひどい裏切りを成した不実な男との見方が生まれる。
 ゆえに詩人は、言うのである。

 国王の郎党はいずれも晴れやかな様子であった。
 だが思うに、ハゲネがなしたような恐ろしい裏切りは、
 ほかのいかなる武士も敢えてしないところである。
 王妃クリエムヒルトは、彼の誠実に信頼したことなのだから。(詩節906)

 と。

 ハゲネが成したのは、ジーフリトへの裏切りではない。前にも述べたように、信頼を裏切ったのはジーフリトのほうである。
 ここで言及されている、彼の犯した「裏切り」とは、自分を信頼してくれていた一族の女性、かつて自分が仕えた王族の一人である、クリエムヒルトへの裏切りのことなのである。

 ジーフリト暗殺は、ジーフリトを背後から襲ったから卑怯なのではない。信頼してくれた者を欺き、その口から秘密を聞き出したゆえに、卑怯だと言われているのだ。

 この点を心において、もう一度このシーンを読み返してほしい。
 詩人が、これに続く場面で彼を糾弾するのは、ジーフリトの殺害者だから、ではなく、クリエムヒルトの信頼を裏切った者だからなのだ、とすると、物語の後半に見える、彼への糾弾と賞賛の意味が、はっきりと見えてくるのではないか?

 これは、あの不実きわまる男、ハゲネの企みによるものである。(詩節911)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E7%97%95%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC

136 :天之御名無主:2015/04/14(火) 10:11:55.11 .net
>>1

斎 藤 別 当 実 盛

「昔の朱買臣は、錦の袂を会稽山に翻し、今の斉藤別当実盛は、その名を北国の巷に揚ぐとかや。
朽ちもせぬ空しき名のみ留め置いて、骸は越路の末の塵となるこそ哀れなれ」

137 :地球人と ET は肉体は違っても霊魂に大差はない。:2015/04/14(火) 19:41:22.44 ID:2ubcAoOXC
物語が後半に入ると、夫を殺されたクリエムヒルトの復讐が始まる。
 「愛する夫」を殺されたことに対する「報復」だから、これは読者にも理解しやすい。しかし、ハゲネが自らの罪に対し、悪びれた様子もなく堂々としていることについては、理解しがたい。

 ジーフリトを暗殺しておきながら、なぜ堂々としているのか?
 読み手はこう思う。”もしかするとハゲネは、ものすごく残忍な男で人を殺してもどうとも思わないのではないのか” ”なんて冷酷で非情な人間なのか”と。
 そのため、ハゲネをかばうブルグント勢や、親友と呼ぶフォルケールの言動を訝しみ、フォルケールの死に際しての彼の嘆きを無視してしまう。

 しかし、ここまでに述べたとおり、ハゲネにとって、ジーフリト殺害は罪ではない。
 ジーフリトは殺されても仕方ないことをしでかしたのであり、彼の死によってしか、ブルグント族の王の権威と安泰は守られなかった。
 よって、彼には、殺害に対する良心の呵責は無くても仕方が無い。問題があるのはクリエムヒルトに対する裏切りのほうである。

 彼は、詩節1001で、ジーフリトの死体を見下ろしてこう言っている。
 「わしは、この人の亡骸を
 城下へと運んでゆこう。プリュンヒルトさまの心を曇らせた婦人に
 事の由が知れたとて、かまうことではない。
 どんなにあの婦人が泣き悲しんでも、わしの関するところではない。」

 ハゲネはクリエムヒルトの信頼を裏切ったわけだが、自分が仕える婦人は今はプリュンヒルトなのであって、クリエムヒルトではない、主人を悲しませ追い込んだ女に痛める心は無い、と、キッパリ言い切ってしまっている。

http://ncode.syosetu.com/n6073cm/

138 :ツイッターで「ラッスンゴレライ」の本当の意味:2015/04/16(木) 22:37:40.78 ID:guhKdlKrj
 今は他国に嫁いでいるとはいえ、かつて仕えた姫君をこうまでバッサリ斬り捨てるあたり、人間らしさに欠けるとも言えるが、
この時代の軍人には必要なものだったかもしれない。
 過去の情に囚われていては、国を守れないこともあるかもしれない。
 かといって、完全に情を捨てきった人物ではないことは、もちろん、各所に出てくる、彼と友人との会話を見ていれば分かることである。
 ハゲネという人物は、冷酷なのでも無情なのでもなく、情より国の安泰や主君の名誉を重んじ、限られた友人にしか心を許さない、
気難しい人物だったのではなかろうか。クリエムヒルトに対しても、心の奥底で、良心の呵責はあったはずだ。

 それを裏付けるように、詩節1113では、こうも書かれている。

 王は近親のものを伴って彼女の面前にやってきた、
 しかしハゲネは敢えて彼女の前に出ようとはしなかった。
 たしかに彼は妃に悩みを与えた自分の罪を知っていたのだ。

 クリエムヒルトのことなど、かまうことはない、知ったことか、とは言いつつ、自分の罪は自覚していたのである。


 ところで、クリエムヒルトの兄弟たち、グンテル、ゲールノート、ギーゼルヘルは、ハゲネの態度に対し、不誠実だと怒りを覚えている。
 彼らが怒っているのは、ジーフリト殺害に対してではない。
殺害前は「なにも殺さなくても」と止めていたわりに、殺されたあと、誰も嘆いたりしていない。あっさりしたものである。
 クリエムヒルトも、ジーフリトが殺されても夫の国には戻らず、夫の仇がいるブルングントに留まることを選んでいる。

 そう、クリエムヒルトは、兄グンテルとは和解したのだ。
詩節1113から1115にかけて、彼女と兄弟たちの和解が語られている。
よって、これ以後の彼女の復讐は「ジーフリトの殺害者」として、兄グンテルとハゲネに向けてなされたものではなく、
すべて、決して許すことの出来ない人物であるハゲネ一人に対するものととらえるべきである。
 ハゲネへの復讐のために一族全員を皆殺しにしなければならなかったのは、
グンテルらがハゲネ一人を差し出すことを拒否したからであり、
彼女には、ハゲネを討てるだけの強い手駒がいなかったからだ。最初からそれを望んでいたわけではなかった。

http://fertilize.exblog.jp/i21

139 :chikara:2015/04/20(月) 04:46:48.81 ID:y9EGq9n/h
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。三瓶山の爆発と地震とその後おこったであろう飢餓や疫病が歴史からほうむられている。
「日本人の信仰心」著 前田 英樹2010のなかで、本居 宣長(もとおり のりなが)、鈴木重胤(すずき しげたね)、
村岡典嗣(むらおかつねつぐ) 、 保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう)、小林 秀雄(こばやし ひで
お)、柳田 國男(やなぎた くにお)著書や思想と英樹自身の歴史感を書いている。
このなかで、柳田國男は{一日の始まりは日暮れから}といい。本居宣長は暦のない古代人は、「真暦考」1782
の中で、{まず、去年(コゾ)まきおきし青菜(アヲナ)の花の咲(サケ)る見ては、苗代時(ナハシロドキ)をしり、つくり
おきし麦(ムギ)の穂(ホ)のあからむを見ては、田植(タウウ)るときをしり、又その稲(イネ)の刈時(カリドキ)をもて、
又麦(ムギ)まく時をしるが如く、年々にかくしてもてゆけば、いかでか其時々のしりがたきことはあらむ、教(ヲシ)
へずて有るべき事を、なほこちたくをしふるは、すべてかの国人(クニビト)のくせなりかし。}

140 :chikara:2015/04/20(月) 05:09:39.22 ID:FjX9xoFYt
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。  *新年表

659 不比等、生まれる。
662 白村江の戦い。
663 三瓶山の大爆発。日本中の建造物が崩壊。人麻呂こと三輪高市麻呂、生まれる。
668 行基、生まれる。
670 和邇族、小野族の三隅入植。人麻呂7歳で三隅。
---   忌部族の三隅入植。小野族益田・戸田(人麻呂)へ。
---   スサノウ、三隅で植樹。鬼刀禰と出会う。
---   牟婁物部、大麻山に入植。鬼刀禰族、浜田・周布へ。
---   スサノウと11名の鬼刀禰(八咫烏) 石見〜>出雲、植樹。海部の石見への入植。
702 人麻呂、行基が石見入り。
---  人麻呂、行基、不比等と11名の鬼刀禰(八咫烏)が、出雲王朝を倒す。
---   大和朝廷成立。律令政治の始まり。不比等実権握る。
706 人麻呂こと三輪高市麻呂、死去。
712 古事記できあがる。

141 :『報道ステーション』が中東の日本人学校と日系企業の所在地一覧:2015/04/20(月) 10:46:14.33 ID:qHYepvYDq
 もしクリエムヒルトが、夫の殺害に対する報復を望んでいたなら、夫の殺害を容認した兄・グンテルもハゲネと同罪である。和解することなど、ありえない。彼女が兄弟との和解を選んだ時点で、彼女の怒りは、ハゲネの、自分に対する「裏切り」に向けられていたことになる。
 案外、彼女自身、自分の失言のせいで夫が死んだのだと自覚し、夫も悪いことをしたのだと分かっていたのかもしれない。
 ジーフリトの殺害は、後々まで語られていながら、実際は人々の行動理由にはなっていないのだ。

 クリエムヒルトが、ハゲネに恨みを抱く理由は、ジーフリト殺害の一件だけではない。
 ハゲネは、ジーフリトの遺産であるニーベルンゲンの財宝を川に沈めるという行為によって、二度もクリエムヒルトを裏切っている。
 この黄金を彼女に返却すれば、二度めの裏切りは清算され、彼女も、少しは気が収まったことだろう。何も自分から望んで後戻りのできない戦いを選ぶことは無いかもしれない。
 そのため、復讐を実行に移す前に、彼女は最後の話し合いを試みた。それが、ハゲネに対し最初にかける言葉なのだ。

 王妃はいった、「おん身に会いたがっている人は、
 おん身を歓迎もするでしょう。しかし私はおん身のよしみのために
 挨拶をしようとは思わぬ。ただラインの彼方ウォルムスから
 何を持参したかを聞きたい。それによっては歓迎もしようが。」(詩節1739)

 最初に黄金のことを聞くとは、奇妙に思えるかもしれない。クリエムヒルトが黄金に執着する浅ましい女に見えるかもしれない。
 しかし、その裏に、ハゲネに「和解する気はあるか」と、いう問いかけが隠されているとすると、合点がいく。この問いかけは、彼女とハゲネの間でしか通用しないものである。
 それに対しハゲネは、自分は何も持参していない。持ってきたのは盾や鎧や兜やらである、と、答える。和解する気はない、もし敵意を持つのなら戦うまでだ、と、言っているのと同じことである。
 これが決定打となって、もはや誰も止めることの出来ない、クリエムヒルトの復讐は始まる。

http://www.nichinichi.com/ja/gallery/thegallery/index.htm

142 :chikara:2015/04/20(月) 12:56:17.23 ID:anV4SPivB
 スレ139・140のつづき
柳田國男は「祭日考」の中で、{祭りの目的は遡るほどただひとつ、神と共に新しい米を食することである}。・・・・つまり嘗(なめ)と呼ばれた収穫後の
祭りには、永い物忌(ものいみ)の期間が本来必要だったのである。伊勢には常勤の物忌の役あったので、稲が刈取られて調整を終わるならば、直
ぐにも神様の祭りに取掛ることが出来た。之に反して農民は常の生活をしてゐる。それが此祭に奉仕するに適した精神状態となるには、昔は一月
以上も厳しい謹慎を経なければならぬとしたのである。謹慎中には、男女の分離がある、あるいは「外部との交通の制限、雑音の禁止、結んだり曲
げたり火に焚いたりしてはならぬ物の色々、乃至は或種の手を著けぬこと」、そして獣肉などの制限があった。「斯うして静かに家の中の生活を続け、
稲は稲村に積み上げたまま、祭りの来るまでそっとして置いた」
 収穫を終え、神を迎えて饗宴するにふさわしい身となるために、一ヵ月以上の斎忌が必要と感じられた長い時代があった。丈一月の祭りは、こんの
ことを示している。稲を取り入れて後、慎重に祭の準備をし、その後不自由な一ヵ月余りの生活を、家の中で黙って、音も立てずに送る。我が身の穢
(けが)れから抜け出すために、いろいろなことを自分に禁止する。日常使う火は、それ自体が穢れていたので、これに触れるのも制限する。針仕事
なども禁じられている地域が多い。禁止のひとつひとつには、その理由を説明できなくなっているものもある。しかし、何が穢れで、なにがそうでないか、
これを明らかに直覚していることは、祭り人にとって一番大事なことだっただろう。祭がただひとつの「まつりごと」であった時代の記憶なしには、こうした
直覚は、祭り人の心に棲みつきはしない。祭という饗宴の本体は、そのようにして迎えられる。・・・・
 暦のない時代、農耕作業と神ごとのみが一年をつくる、道筋であった。<―chikaraの ひとりごと

143 :触れたり、食べたりすることで、そのコードに触れる:2015/04/21(火) 18:40:12.74 ID:6anDOzFZG
「ニーベルンゲンの歌」後半は、実はジーフリト殺害に対する復讐の物語ではない。
 ハゲネによる、クリエムヒルトに対する「裏切り」への報復の物語である。
 ゆえに、裏切りを働いたハゲネを庇う一族すべてが報復の対象となり、
ジーフリト殺害の件では和解しているはずのグンテルら兄弟たちも、彼女の怒りを受けることになるのである。

 悲劇は、ジーフリト殺害ではなく、ハゲネとクリエムヒルトの不和から始まった。

 ハゲネは国と主君の名誉を守ることを第一に置き、クリエムヒルトという個人ではなく、彼女の「主国の妹姫」という肩書きに仕えた。
そして彼女が他国の王妃となった後は、自国の「王妃」という肩書きを持つプリュンヒルトに忠誠を誓った。
つまりそのために、過去に忠誠を誓った相手をあっさり裏切り、現在の主君たる女性の名誉を守ろうとした。
 言ってみれば、男の理屈である。

 クリエムヒルトは、ハゲネが自分個人に忠誠を誓ってくれていたものと信じ、裏切られたことを悲しみ、自分の感情のために国も名誉も家族でさえも犠牲にする。
 これは女の理屈である。

 どちらも正しいのだが、同時にどちらも不完全で、決して相容れることのない理屈だった。
そのため、彼らの前には、互いの信念を貫き通したがゆえの衝突と破滅しか在り得なかったのだ。

 自分の信じた道を貫いても、罪とはならない。
 この物語の中で散っていく人々のほとんどが、己の信念に従ったことによって命を落としている。
 ハゲネは男の理屈を貫いて命を落とし、クリエムヒルトは女の理屈を貫いて、キリスト教的な倫理を信念とするヒルデブラントに誅殺される。
 戦って死した者にだけ信念がある。古代北欧的な悲劇の法則である。
 ジーフリトやエッツェル王には、そのような信ずべき道は無かったのではないだろうか…。

http://ncode.syosetu.com/n9016cm/

144 :“セリウス” ネコ科のヒューマノイド リランとい う星団から:2015/04/26(日) 04:56:17.96 ID:EfYxrx+uG
 さて、このようにしてクリエムヒルトとハゲネの対立によって、フン族とブルグント族は相果てるのだが、このシナリオは、
もはや古代北欧の伝承にあるような「呪い」とか「運命」からは離れている。
「ニーベルンゲン伝説」の根幹を成す、黄金の呪いはどこへ行ってしまったのか。

 この物語はニーベルンゲン伝説の一つである。
ニーベルンゲンとは中世の形では「ニベルンゲ」、ここではニーベルンゲンの財宝と呼ばれる、ジーフリトが得た莫大な財宝の所有者を指す言葉だ。
 この財宝は、ジーフリトの死とともに妻クリエムヒルトが所有し、その後ハゲネによってラインの川底に沈められる。
元となっている北欧の伝承では「呪われた黄金」とされていた。

 詩のエッダ「レギンの歌」では、こう語られている。
 ニーベルンゲンの財宝は、かつて小人アンドヴァリが持っていたものである。
巨人フレイズマルの息子を殺したせいで囚われた三人の神々のひとりロキが、身代金として差し出すためにその黄金を奪い、
アンドヴァリは悔しさから黄金に呪いをかけた。
 ロキはその黄金を、巨人フレイズマルに渡し、いずれその黄金が命取りとなるだろうと告げる。
そのとおり、呪いは成就され、フレイズマルは欲にかられた息子、ファーヴニルに殺される。
ファーヴニルは竜に化けて黄金の上にとぐろを巻き、誰にも渡さぬように見張ることにした。
 だが、そのファーヴニル自身も、やがて黄金のために死ぬこととなる。
分け前を貰えなかったファーヴニルの兄弟レギンが、シグルズを唆して殺させるのだ。

 その黄金は、持ち主を破滅させ、王たちの不和の元となる宿命を背負っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Get_Ride!_%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC

145 :HHOガスとは、水素66.6%・酸素33.3%の混合ガス:2015/04/28(火) 01:33:08.58 ID:/S9MtyXCJ
「ニーベルンゲンの歌」では、黄金は竜の守っていたものではなく小人たちの国に隠されていたものと設定が変更され、黄金にまつわる呪いも明確には語られない。
第3歌章でハゲネが、ジーフリトにまつわるニーベルンゲンの国での出来事、竜殺しの偉業について語るシーンで、手に入れた黄金が呪われているといった伝説には触れない。
また、ジーフリトの死後、クリエムヒルトが黄金をブルグントに運ばせようとするシーンでも、小人アルプリーヒは「ジーフリトが隠れ蓑を手に入れ、
ニーベルンゲンの国を支配したことが」ジーフリト自身に不幸を招くことになったと呟く(1120)のであり、黄金の呪いについては語らない。

 もちろんこれは、ニーベルンゲンの財宝にまつわる伝説が聞き手にとって既知のものだったために省かれているとも言えるのだが、
黄金はもはや、物語に悲劇をもたらす決定的要因ではなくなり、フン族とブルグント族の戦いが、黄金を巡るものではなくなったことを示しているとも取れる。

 だが、黄金さえなければ物語は前半で終わっていたかもしれない。ハゲネ最大の失敗は、ジーフリト亡き後、その遺産である黄金を利用しようと考えてしまったところにある。

 第十九歌章で、ハゲネはグンテルに、「妹御と仲直りされよ、そうすればこの国に莫大な黄金がやってくる」と勧めている。(1107)
 グンテルはこれにあっさり乗り、ゲールノートとギーゼルヘルをやってクリエムヒルトを懐柔させる。
その結果、クリエムヒルトは兄弟たちへの恨みは捨てるが、直接の殺害者であるハゲネに対してだけは、怒りを捨てない。

http://ncode.syosetu.com/n3266cp/

146 :chikara:2015/04/29(水) 02:02:04.01 ID:8BagnTgTs
 「八岐大蛇(やまたのおろち)考」初見えは古事記712 続いて日本書記720であるが、広島県安芸高田市八千代町上根の伝承で、この地に
「国王ヶ池(ごこうがいけ)」在り、大蛇の出現場所としている。中国山地の分水嶺の近くである。そばに川がながれている。
江川水系で2番目に長い源泉点にちかくで「簸川(ひかわ)」という。江川の上流で、三次より可愛(えの)川、八千代町勝田から簸川となる。池
そばの山を垂直に登ると、山頂にスサノウを祀る「黄幡社」や「観音堂」「釈迦堂」が建立する。先人達の研究を紹介。
 江戸時代中期の医師で歴史家の本居宣長が古事記傳を書いている。その「2」でp497〜p516九之巻.八俟遠呂智(ヤマトヲロチ)の段を著す。
日本初の注釈入り写本である。名古屋城の蔵書を観ながら言葉の解析をしている。出雲の國の風土記、書記、記紀を中心に展開しているもの。
「八千代町史」八千代町史編纂委員会 合原龍三,柳川伊豆衛,浮本勇、二張俊佐久,清角篤江、資料の提供 小都勇二,中原権之,片山卓郎、1990
のp180書記の原文
「高田郡史」上巻 高田郡史編纂委員会 高田郡町村会発刊1972の p46
 Chikaraの ひとりごと
上記3書を考えるとこうなる「古事記」編纂にあたり人麻呂と不比等が介入している。池ちかくに大山積見神を祀る「龍山神社(たつやまじんじゃ)」
あり。出雲の國と間違ったと思われる。時期的に出雲地区の植樹を終わり、江川へまわったばかり。スレ106.の「江川」考で、江川の最初の字
「ゴウ(龍九頭)川」の「龍山神社」に一頭取られた為に「頭が八頭になった」人麻呂、不比等の遊び心とおもわれる。川が赤く染まったと云うのも、
「紅川(こうがわ)」への変化。草薙の太刀も、スサノウに同行した、八咫烏と呼ばれた鬼刀禰が、流域の花崗岩質の赤土や砂鉄から作成したもの。
「やさかにのまがたま」もここの産か。郡史、神武の東征でこの地へ駐屯もおかしい。やはり、スサノウ=神武=ヤマトタケル=不比等で間違いない。

147 :chikara:2015/04/29(水) 11:55:25.23 ID:MIo0NloMQ
スレ146.の訂正。池よこの農道を100m登と右手側の小堂が「黄幡社」またすぐよこに寺がある。
 「簸川」がつぎに歴史に登場するのは、1555年の厳島の合戦に勝利した、毛利元就のルート。安芸高田市吉田の
郡山城 ー> 可愛川 ー> 簸川 ー> 根の谷川 ー> 太田川 ー> 宮島。陶晴賢との合戦。両軍あわせ35000の兵。

148 :chikara:2015/05/07(木) 20:04:14.19 ID:JFIRza6SU
スレ147 のつづき。「八千代町史」や「高宮町史」高宮町史編さん委員会 校閲 甲斐英男, 監修 潮見浩1976で、古墳や遺跡から出土品には、
天皇家の三種の神器に匹敵する宝が存在。鉄の太刀や勾玉(まがたま)やガラス等。古代には、道路がなかった為、川を使って舟で行き来し
たのではあるが、両者には100km以上の距離があり、尚且つ大陸とも大貿易を行っていた。安芸高田市高宮町川根・地区や安芸高田市八
千代町土師・地区に大豪族が存在。弥生時代〜古墳時代に!物部勢力でもなく、吉備勢力でもなく、まだ大和政権も存在しない時代に。三
瓶山の大爆発で、滅びてしまった。

149 :chikara:2015/05/09(土) 13:46:32.59 ID:qHLt4JfSK
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。 「古事記」稲羽の素兎、大国主に国を寄こせとせまるアマテラスの「国譲り」考。
安佐北区図書館蔵書「アマテラスの正体」伊勢神宮はいつ創られたか 著 林順治2014 逆説の日本史〈1〉「古代黎明編―封印された
「倭」の謎」著 井沢元彦(小学館文庫)1993の第二章 大国主命編を読んで。
 江戸時代の本居宣長がいうように、「古事記」の登場人物は実在した。を受けて考えてみると、大国主は、当時の一大率こと出雲勢
力・物部族の王。アマテラスは、不比等を筆頭に人麻呂、行基や11名の鬼刀禰になる。ただここでいいたいのは、大黒天と大国主は
まったく異なる神であった。出雲大社は この時大山積見神を祀っていた、それを人麻呂あたりが、大黒天に変えさせたと思われる。
また、島根半島を取り巻く神社も大山積見神を祀る神社から祭神をかえられている。夜の燈台であり物部の光通信基地であった。
 この体制に変化ができたのは、14世紀、現在の兵庫県の播磨国で金屋子神が生まれた頃。ここで、仮説だが、出雲か三輪の大社
で人麻呂の書き物を発見したのではと思うのである。この時期より、両大社とも大国主神を祀り尚且つ大黒天=大国主となった。
また金刀比羅神社も大国主神を祀るようになった。金屋子神は鉄の神、稲刈りの「鎌」をつくるとして、農業神として祀られた。
かつては、鬼刀禰の民は金刀比羅神社(インドでワニの意味)を建て鉄の「鎌」をつくった。
 「草薙の剣」も鎌の役割をした。日本民族大系3普及版「稲と鉄」さまざまな王権の基盤 著者代表森浩一1983で書いている。

150 :chikara:2015/05/17(日) 12:52:43.14 ID:AZTH18wmz
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「西中国」と「高天原」。
 「新説 日本の始まり」著者 栗原基(はじめ) 発行 黄土社1968、「向原町誌 上」 向原町誌編さん委員会 小野?圓荘ほか 向原町1992、
「美土里の歴史と伝説」美土里町史編集委員 委員長 佐々木順三 委員 日山龍登,川手哲夫,高杉寿  美土里町1972、「実在した高天原〜
邪馬台国山陰説補論」著者 田中文也 梓書院2012この4書を読み終わり考えたこと。江の川流域の国、天津神と国津神の影響を受けた
国、「記紀」の高天原(たかがまはら)がある国、九州・東表国と出目(鬼刀禰族)を同じくする国、古代朝鮮・任那(加羅)と姉妹国こと、西中国
(にしなかくに)が存在した。しかし、三瓶山の大爆発により全滅(スサノウと11名の鬼刀禰で生存者を探すもいなかった)した。西暦663年。

151 :銀河宇宙線を考慮した パーカー不安定性の時間発展:2015/05/19(火) 22:28:17.53 ID:doXJ/jEOZ
 ここでハゲネが黄金に欲を出したのは、個人的な欲望からではない。
ジーフリトの遺産はクリエムヒルトのもの、彼女が所有権を放棄すれば王である兄たちのものである。どう転んでも個人のものにはならない。
 しかし、「ハゲネは私情より国益を第一に考える軍人」という性格設定のもとに見れば、彼が財宝を欲しがるのも分からなくはない。
莫大な財産は国を潤し、兵力を養うに必要なものだ。ハゲネとしては、クリエムヒルトと兄たちを和解させることによって、
その財宝をブルグントの国のために使わせる算段だったのだろう。

 しかし、クリエムヒルトは、後先考えず感情で振舞う女性だった。
 和解はしても、彼女が莫大な夫の遺産を手に私兵を囲うようになっては、結局、国を危うくする原因なのである。
 ハゲネの言う「有能な男ならば、女などに財宝を委ねておかないでしょう。/あの方は施しによって、とどのつまり、/勇敢なブルゴント人を後悔させるようなことをしでかすでしょう」(1130)と、いうのは、鋭く当たっている。

 のちにエッツェルの元に嫁いだクリエムヒルトが、まさにその通り、任された財宝によって兵を囲い、
夫である王の意思を無視して自国を危うくするような事態を引き起こすことを考えれば、彼女に莫大な財産を委ねておくことは危険である。
再びプリュンヒルトと諍いを起こす可能性とて、無いわけではない。

 叙事詩内の表現は常に大げさなため正確な量は分からないが、ニーベルンゲンの財宝はブルグントの国の財政に匹敵するか、それ以上のものだったのではないだろうか。
 それを未亡人である一人の女性が握っている。これは危険な兆候である。
 たとえば、財宝を与えたあまたの騎士たちに亡き夫の仇を討たせることを考えたとしたら、どうなるか。これは内乱となる。
ハゲネは王の親戚であり重臣である。そのハゲネを標的にした戦いは、後編のエッツェル王の宮廷での戦いと同じく、一族すべてを動員した大規模なものとなってしまう。

 ゆえにハゲネが、クリエムヒルトのみならず主君たる王たちからも怒りを買うと分かっていながら、財宝を取り上げることを考えたのは、人情的には残酷だが、「国防」という視点からすれば正解と言えよう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E5%BA%A7

152 :ドローン少年ノエルの釈放を求める署名開始:2015/06/12(金) 03:48:06.39 ID:KEyhgu21d
 だが結局クリエムヒルトは、、「夫の復讐をするために」エッツェル王のところ嫁いでしまう。
黄金を川に沈めなければ、クリエムヒルトはそれを使って国に災いをもたらしただろうし、黄金を川に沈めたからこそ、
クリエムヒルトは自由に使える財産(権力)を求めて異国の王に嫁ぐ。
 結局のところ結末は変わらないのだが、そこにはもはや、クリエムヒルトの受け継ぐ財産が「ニーベルンゲンの黄金」である必要性は、なくなっている。

 「ニーベルンゲンの歌」では、黄金はブルグント族の直接の滅亡原因になっていない。
 「ヴォルスンガ・サガ」や「詩のエッダ」では、黄金を要求するのはアトリ(エッツェル)である。クリエムヒルトを妻としたアトリは、
黄金を手に入れるため、妻の兄弟たちを偽りの饗宴へと招く。ヘグニ(ハゲネ)は心臓を抉り出される拷問に合いながら口を割らず、
グンナル(グンテル)は蛇の牢に入れられながら黄金のありかは話さない。そのためアトリは黄金を手に入れることが出来ない。
 隠された黄金のありかが最後まで明かされないのは 「ニーベルンゲンの歌」においても同じだが、
黄金を要求するのはエッツェルではなくクリエムヒルトで、彼女が兄弟たちを呼び寄せたのは、黄金を手に入れるためではなく、兄弟たちとともにハゲネをおびき出すためである。

 ここでも、「黄金の呪い」の持つ重要性は薄れている。
 この時代において、黄金(財産)は権力を意味した。多くの財産を持ったものは多くの軍備や家臣を持つことが出来る。莫大な財産とは、常に争いの元となる。
たとえジーフリトの得た黄金が、呪われたニーベルンゲンの財宝で無かったとしても、クリエムヒルトが莫大な財産を受け継ぐということ事態が、悲劇に繋がっている。


 物語のお約束として、黄金を手にした者=「ニーベルンゲンの一族」は滅びることになっているが、彼らが滅びる原因は黄金そのものではなく、
もっと人間的な理由、嫉妬や憎悪、裏切り、復讐といった、登場人物たちの感情によってのみ生まれた確執だと言えるのではないだろうか。

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153 :SMS経由で拡散するAmazonギフトカードを装ったマルウェア:2015/06/13(土) 05:52:35.65 ID:V6FXAzxdO
はじまり語り〜シャルルマーニュ伝説とは


 シャルルマーニュ伝説とは。シャルルマーニュ、つまりシャルル大王とその部下の騎士たちを題材にした、英雄物語である。
「シャルル」はフランス語だが、ドイツ語で言うと「カール大帝」。二編では、こちらのほうが通りがいいかもしれない。

 一言で言ってしまえば「ディートリッヒ伝説と同じノリだが、どっちかというとアーサー王に似ている伝説群」。

 ディートリッヒのモデルは5世紀に活躍した西ゴート族の王テオドリク、アーサー王のモデルは2世紀ごろのケルトの英雄(だといわれている)だが、
このシャルルマーニュは、8世紀から9世紀はじめにかけて生きたフランスの王で、教皇から西ローマ帝国の王冠を授けられた人である。(それで皇帝と名乗っている)
 比べてみると、比較的新しい時代の人物で、それゆえ物語とは別に、実際の歴史もある程度分かっている。
 それによれば、シャルルは物語ほど短気ではなく、優秀な人間とのことだが、物語中のシャルルはかなりヤな性格にされている。
 まあ、物語というのは得てして、ドラマチックに盛り上げるための小細工をするものだから。歴史に忠実には描くまいが・・・。(笑)


 この物語には、多少史実に近い、古い時代の作品群と、後世に作られた完全パロディ作品群とが存在する。
 古い時代のものは、11−13世紀に成立した、作者未詳の叙事詩群「シャンソン・ド・ジェスト」(フランス語の武勲詩)。「ロランの歌」も、こちらに含まれる。
 新しい時代のものは、15−16世紀に成立した、ボイアルド、プルチ、アリオストの3人の詩人による、ルネサンス時代の文学である。
ロランがオルランドゥと名前を変えて登場するのは、こちらのほうだ。
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154 :第4回 MANAWALK杯:2015/06/14(日) 07:40:09.67 ID:2yD7OsBRl
 シャルルが戦っていた時代は、キリスト教がまだ確たる地位を獲得しておらず、イスラム教が勢力を伸ばしつつあった時期である。
この何百年か後に、両者の対立を決定付ける十字軍遠征がはじまる。
 物語の中での当面のシャルルの敵は、未開部族、サラセン人だった。

 だが、それだけではない。架空の物語だから何でもアリ、とばかり、シャルルマーニュの部下達は、
ギリシア人と戦ったり、中国人と戦ったり、化け物と戦ったり、もはやRPGの世界である。
 特にルネサンス時代のものになってくると、ムチャの度合いが飛躍的にアップして、「どうしようもない」エピソードが増えてくる。
 騎士物語とは言うものの、コイツらほんまに大丈夫なんか、と心配になるくらい困った人たちである。

 ロマンチックな物語。
 中世ファンタジー。
 名作騎士文学。
 人は、そんなふうにこの伝説群を呼ぶ。…だが、本当にそう思うのか? 否。オレはそうは思わない。彼らには思い切り良いまでのツッコミこそが相応しい!
 その理由を今ここに語ろう。そして見よ、彼らの快いまでのハミだしっぷりを!!

 ――シャルルマーニュ伝説の大半が、「歴史的事実」と謳った偽書であることは、既に多くの学者によって語られている。
(学者でなくとも、フツー、そんなこと現実には在り得ないだろうよとツッコミを入れることは大いに可能。)
 だが物語は、存在しなかったもう一つの歴史である。在り得ないことも、架空の歴史だからこそ起こり得る。

 実際とは違うキャラと化した歴史上の人物たちの世界、どうか心行くまで楽しんで(ツッコミ入れて)やってほしい。

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155 :九州観光推進機構 に ◆hpAOHJZGzaoO:2015/06/15(月) 10:26:49.88 ID:hEq33KC5i
名前 主要装備品 物語中のキャラクター紹介(※史実とは異なる)
シャルルマーニュ ●ジョワイユーズ(剣) フランスの王、西ローマ帝国の王冠を戴く偉大なる王。
とにかく常識の無い部下たちにぶんぶん振り回され放題だが、そもそも主君自身が親バカで我侭なので、それも仕方がないだろう…。
裏切り者の家臣に騙されるのは、古時代の叙事詩でも同じである。
オルランドゥ(伊)
ロラン(仏) ●デュランダル(剣) シャルルマーニュのいちばんのお気に入りな甥っ子。でも愛国心はゼロ。
惚れたハレたで友人をブチ殺すと言い出したり、惚れた女があっさり別の男と結婚したと知るや、
発狂して大暴れする、とてつもなく手前勝手で自制心の無い男。
リナルド ●バヤール(馬) オルランドゥのいとこ。名門クレルモン家の長男。(弟3人、妹1人)
落ちてるものは何でも拾う貴族のぼん。マイペースだが、シメる時はシメてくれる重要キャラ。
周りがあまりにも弾けすぎて、常識人に見えてしまうことも。^^; 諦めるときは、意外とアッサリ。
ブラダマンテ ● リナルドの妹。純白のスカーフをトレードマークにする女将軍。
めちゃめちゃ強く、しかも美人ときたもんだ。戦場で出会った敵軍騎士・ロジェロと恋におちるが、
相手がしょっちゅう攫われるため、苦難の道を歩むことに。そんなとき、彼女の意思の強さが光る。
ロジェロ ●ヘクトルの盾 ヘクトルの血を引く名門王子。
魔法使いアトラントが半幽閉状態で大切に育ててきた秘蔵っ子だが、そのわりに魔法の罠にはよく引っかかる。
強いには強いがよく攫われる王子様で、流血やピンチが似合う男No.1である。
甲斐性と自衛能力、運は皆無だが、ブラダマンテへの愛は一途。
アストルフォ ●魔法の槍
○魔法の本
○魔法の角笛
○グリフィン(乗り物) イングランド王の長男で、大富豪の超絶美形。
ただしナルシーな性格と口ほどにもない腕っ節の弱さから、仲間の騎士には敬遠されてきた。
そんな彼に女たちが様々な魔法道具を与え、魔法戦士に早変わり…。


http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9A%97%E9%BB%92%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3

156 :警視庁捜査二課 03−3501−0110:2015/06/16(火) 05:14:56.94 ID:Sj//sV13l
マラジジ . 要所要所に登場するリナルドのイトコ。自称偉大なる魔法使いだが結構、まぬけ。
魔法に失敗してとっ捕まったり、自らの命惜しさにイトコを罠にハメたり、と小市民ぶりを遺憾なく発揮する御仁である。
何故かメソポタミアの神様を使い魔として従えている。
アンジェリカ ○魔法の指輪 カタイ(中国)の王女にして、最強のマジカル・プリンセス。
その美貌と頭脳で男たちを手玉にとり、自らの願望を成就させる。単身敵軍に乗り込んでも全然OK。
甘い誘惑と大胆な犯行は、中国四千年の歴史(当時だと三千五百年くらい?)が生んだ秘術か。
フロリマール&
フロルドリ − オルランドゥがくっつけるカップル。そしてオルランドゥのせいで引き裂かれてしまう。
何かにつけてオルランドゥのやらかす冒険に巻き込まれるフロリマールを待っているフロルドリの心労は絶えない…。
イサベラ&
ゼルビノ − オルランドゥがくっつけるカップル。そしてオルランドゥのせいで引き裂かれてしまう。
係わり合いになったのが運のつきだと諦めてもらうしか。
【敵】アトラント ○魔法の盾
○グリフィン(乗り物) ロジェロの育ての親。育ててどうするつもりだったのかは謎。
占いでロジェロがキリスト教徒に改宗してしまうと出てからというもの、ヒステリックに閉じ込めようとした怪しい魔法使いである。
ロジェロと一緒に育てていたマルフィサが攫われても、完全無視。少年のみが彼の範疇らしい。
【敵】アグラマン . アフリカの王。父のかたきシャルルマーニュを討つべく大軍勢を率いて攻め込んでくる。
そのわりに姑息だったり人望が無かったりで、最初は有利だったはずが、フランス勢のラブコメディに巻き込まれているうちに、
いつのまにか押されちゃってる可愛そうな人。マジメに攻めちゃ馬鹿を見る、か…?
【敵】マンドリカルド ○ヘクトルの鎧 タタール王・アグリカンの息子。
一騎打ちで父親を倒され、オルランドゥを父の仇と憎んでいる。
オルランドゥから名剣ドゥリンダナを奪おうと執拗に付回すが結局戦いもせずに剣を手に入れるが、
その後、ロジェロに倒されて取られてしまったという。
…自分、父親から国継いだんならちゃんと仕事しなよ(笑)


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/dog.html

157 :chikara:2015/06/18(木) 10:39:12.47 ID:p3WjgR4Uc
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「白村江の敗戦と三瓶山の大噴火と地震」
 7世紀終わりの状況。九州、天津国こと東表国は滅び唐の進駐軍が存在。本州、国津国こと物部・出雲王朝が存在。天津国の江川流域の西中国は、
三瓶山の噴火で滅び宝を求め物部族が一早くはいりこんだ。四国、大洲に東表国王族逃れ、物部族も上陸し大山津見神社こと燈台を建立。吉備国も
三瓶山噴火と地震で滅んだ。近畿の豪族たちも度重なる地震で滅んだ。大和朝廷こと日本国も成立していない。

158 :chikara:2015/06/18(木) 11:51:53.71 ID:W6OBVYmzj
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「日本國成立年の考」
 扶余伝説の始皇帝の少年少女の一部が到達したという熊野をめざし、西中国を出発した。次に東海から関東、そして太平洋を東北まで。
足跡は、スサノウ・神武・ヤマトタケルを祀る神社。再び、太平洋を南下して東海へ。木曽川、長良川を上り植樹や古墳の文字消し、再び
近畿へ。唐や新羅のいう倭国の統一するには、物部を倒す事と考え、「古事記・稲羽の素兎」「出雲國風土記・国譲り」の史書が裏付けで
ある。アマテラスの名で、大国主こと出雲王を無血で倒し、日本國こと大和朝廷を成立させた。日本國の成立は、人麻呂の石見国への再来、
702年から三輪高市磨呂が死亡する706年の間と推測される。

159 :chikara:2015/06/22(月) 11:39:22.85 ID:7SSCmuHYB
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「行基図」と「諸藩巡見使」考
 江戸時代、「巡見使」の役職があった。将軍の名代として、諸藩を巡回する仕事。3代〜12代将軍まで続けられ計8回行われたそうだ。
仮説、8世紀の行基図をもって諸藩の城に上がり、地名合わせをしている。その証しは、「古事記傳」本居宣長の「古事記」の註釈入りの
写本。「高島」の表記。古事記や日本書紀では、「鷹島」であり、当時の石見の浜田藩や津和野藩では、「祇園島」と呼んでいた事がわか
る。写本の作成が、江戸時代中期、現在の松阪の医師が、名古屋城で日本書紀や出雲国風土記を中心とした書物の中で、挌闘する様
と諸藩巡見使の偉ぶる姿が思い浮かぶ。この時「戈千・ほこち」を「せんじょう」と読んだ為、「千丈渓」と名がついた。

160 :北星学園に電凸!植村隆の雇用継続は大山綱夫理事長らが決定!:2015/06/22(月) 14:58:21.72 ID:FTfCW2UBD
【敵】ロドモン . アルジェリア王。アグラマン王の提案でフランスに攻め入るが、ろくでもないことが次々とその身に降りかかり、
リナルドとの一騎打ちで負け、アグラマンとケンカして軍を飛び出し、その帰り道イサベラを手篭めにしようとして失敗、
さらに通りすがりのオルランドゥに殴られて川にドボン。いい加減まっすぐ家に帰れよと言いたくなるもんだ。
【敵】グラダッソ . 中国はセリカンの王様。
−−わりと脇役な皆さん−−
オリヴィエ ●オートクレール(剣) オルランドゥの幼馴染にして親友。知将。フランス軍きっての常識人。
意外と、というか実際かなり強いはずなのだが、
親友オルランドゥが彼の制御力をはるかに越えて暴れまわってくれるため、フォローが追いつかない。苦労人。
オジエ・ル・ダノワ . デンマークからやってきた豪傑。
見た目は人間離れしているが、やってることは普通の人間並み。
恋愛ネタへの絡みが似合わないため蚊帳の外となり、出番が少なく…
マルフィサ . ロジェロの双子の妹。
幼き日に生き別れ、物語終盤でようやく戻ってくる。
女ながらに戦場に立つ、強くて大胆不敵なお嬢さん。
ガヌロン(ガノ) . 裏切り者の悪役おじさん。
イスカリオテのユダらしい。
チュルパン ● 偽歴史書によく名前を使われる大司教。
僧侶なんだか騎士なんだかよく分からない、杓丈でがっつんがっつん人殴るキャラ。懺悔する前に頭カチ割るってアナタ。
リッチャルデット
アラルド
「野人」グイド . リナルドの弟の一人。リッチャルデットは雰囲気的に次男。
兄と一緒に戦っていることが多い。
アラルドの影は薄いが、雰囲気的に末っ子なグイドは、リナルドのライバルでもあるという。

http://www.groundnet.co.jp/jinbutsu.html

161 :薬剤分子設計学研究室:2015/06/23(火) 08:08:27.15 ID:uYeknO3hp
「ロランの歌」とは? …


 「ローランの歌」と書かれている場合もある。ロランはシャルルマーニュの甥、オルランドゥのフランス語名。
カタカナ表記だと全然似てないが、綴り自体は「ローランドゥ」なので、実はそれほど掛け離れてはいない。
 簡単にあらすじを言うと、シャルルマーニュがイスパニヤに侵攻し、マルシル王を追い詰めた際、
奸臣ガヌロンが裏切ったことにより、右腕となるロランと、その親友オリヴィエが戦死するという悲劇的な物語である。
 が、悲劇とは言いながら、ツッコミどころは満載。さすがシャルルマーニュ伝説、ツボは決して見逃さない。


◆歴史とのリンク …

 シャルルマーニュ伝説の特徴は、とかく事実を不自然に誇張したがると、いう点にある。
まぁそれ言っちゃうと叙事詩なんてやつはほとんどが歴史ファンタジーなんですが(笑)
 イスパニヤ侵攻自体は歴史的事実で、この戦いからの帰還途中、
ピレネー山脈のロンスヴァルで何人かの部下が命を落としているのも事実だが、規模や時期、登場する人物には、
歴史的な正確さはほとんどない。イスパニヤ侵攻は8世紀の出来事だが、「ロランの歌」が書かれたのは、最古の写本で11世紀半ば。
詩人は歴史を記録したかったわけではなく、過去の偉大な王であるシャルルの業績を派手に称えたかったようである。
◆あらすじ …

 この物語には、本来1から291までのパラグラフ番号がついているが、面倒なので端折った。
 オックスフォード・ボードレイアン・ライブラリー所蔵写本を底本とした和訳から。
http://yugioh-wiki.net/index.php?%A5%AE%A5%E3%A5%E9%A5%AF%A5%B7%A1%BC%A5%A2%A5%A4%A5%BA

162 :Akt特異的なFRETバイオセンサーの開発:2015/06/24(水) 18:04:46.60 ID:za7WKJhcS
ロランの歌−あらすじ1


場面は、シャルル王がイスパニア(スペインのこと)攻略のため7年を費やし、国中のほとんどの場所を制圧し終わったところから始まる。
(ここからして、実際のイスパニヤ攻略の歴史的事実からは遠いが、脚色として流しておこう。)

スペイン王・マルシルは、山間いの砦、サラゴッズに追い詰められていた。
マルシルのもとには二万以上の兵があったが、
それでもシャルルマーニュ側には勝てない。もはや打つ手なしとなった王は、智将・ブランカンドランを召し、いかがせりと問う。
ブランカンドランは答えて言う、「シャルルマーニュのもとに使者を遣わし、忠誠を誓うと伝えさせなされ。
贈り物をして喜ばせなされ。キリストの教えに帰依する、サン・ミシェルの祭りに出席すると伝えなされ。
その証として人質を送るのです、10人でも、20人でも、信用されるまで。私も息子を送りましょう。その子らみな、殺されようとも」
ブランカンドランは最初から、シャルルマーニュに屈服する選択肢を持っていない。この提案は、
フランスの軍勢に引き上げてもらうための偽りである。実際にサン・ミシェルのお祭りになったとき、マルシルはシャルルマーニュのもとに現れない。
約束を破られたと知った王は怒って人質たちを殺すだろう。
だが、「このままイスパニアの国を奪われるよりは、はるかにまし」だと、ブランカンドランは言う。
これを聞き、マルシルは「そのように」と答え、さっそく使者をたてるのだった。

さて、使者の答えを聞くべく待ち受けるフランス王シャルル、歴史上の年齢と違って、白髪、白髭の堂々たる老人の姿をしている。
周りには、ロラン、オリヴィエを含む12人衆。ルネッサンス版の12人衆とはかなりメンツが違っている。
(この”12人”という人数は、ディートリッヒ伝説でもベーオウルフでも登場する。日本でいう四天王のような、いわばお約束の数字だ)

http://owarino-seraph.com/article/charactor2.php?p=v3

163 :三重県と県警はパチンコ業界に媚びるな!:2015/06/25(木) 13:01:39.08 ID:Al6rTucle
マルシル王の使者・ブランカンドランからの申し出を聞いても、シャルルは半信半疑。なぜなら、過去にも同じように恭順の誓いをした時に、フランス側からの使者、バザンとバジールを斬り捨てたからである。
シャルルは今回も偽の和睦だと疑っていた。だが、ガヌロン伯は言う、「申し出を無下に退けるのはいかがなものか」。また重臣ネームも進み出て言う、「ガヌロン殿の言うことも最もです、戦いに敗れたマルシルをこれ以上攻めるのはいささか罪なるかと」
そこで人々は、「なるほど、そうかもしれぬ」と納得した。
「さて、では一体誰が使者として発つべきか。」シャルルマーニュが人々に問う。だがシャルルも、サラセン人が本気で恭順の誓いをするのかどうか、まだ半信半疑である。相談役のネームをはじめ、血気盛んなロランなど、重臣たちには行くなと命ずる。

そこへロランが提案する。「わが義父、ガヌロンをば行かせ給え。」人々みな納得し、「そうだ、ガヌロンがよい。大いなる知恵者ガヌロンこそ相応しい。」
だが、これを聞いたガヌロンは苦悶に顔をゆがめ、きっとロランをにらみ付けた。「おのれロラン。よくもわしを指名したな。よくも義父を危険な任務につかせおるわ!」…どうやらガヌロンはかなり行きたくないらしい。
「ならば私が行きましょうか?」「たわけめ、指名されたからには退けぬわ。わしが生きて戻った暁には、手痛い目にあわせてくれようぞ。」そんな脅しにもロランは笑っているだけである。
ガヌロン伯は主君シャルルに向かって言う。「参らねばならぬというならサラゴッズへ参りましょう。ただ、わしはもう生きて帰れぬものと思いまする。
わしが戻らぬときには、一人息子ボードワンに目をかけてくださるよう。わが息子にはすべてを譲る所存にございます。」
シャルルマーニュは苦笑する。「そう気が弱くてはのう。」(当然の反応だ)

王は使者の証たる、手袋と御杖を差し出した。受け取ろうとしたガヌロンだが、ふとした弾みに受け取り損ね、和平のしるしである手袋がはたと地面に落ちる。
フランス人は不吉な予感を感じ取るが、ガヌロンは素早く場を発ち、自らの陣屋へ帰ってしまった。

http://ncode.syosetu.com/n1272cn/

164 :舛添が韓国に 4 兆 円 を貢いだ可能性あり!!!:2015/06/26(金) 03:08:07.99 ID:sm4wajhMb
さて、サラセン人のもとへたどり着き、ブランカンドランと出合ったガヌロン伯。
まずブランカンドランはシャルルマーニュの偉業を褒めたたえ、イスパニヤに何を望むのか、と、さぐりを入れる。ガヌロンはそれは分からぬと答えつつも、シャルルマーニュをけしかけているのは彼の甥ロランだ、その思い上がりぶりは甚だしいものと囁く。
ブランカンドランも同調して言う、「にっくきはロラン、世界のすべての国々を屈服させ、支配しようとでもいうのか。」
ガヌロン「全くだ。フランスをして、世界の覇者と成すつもりか。」
ブランカンドラン「…気があうのう、おぬしとは」
ガヌロン「うむ。」
ロラン嫌いで意気投合。かくてブランカンドランはマルシルの御前にガヌロンを紹介するとき、好意を持って成した。
ガヌロンはわざとに弁舌爽やかに用向きを告げる、すなわち、キリストの教えに服し、シャルルマーニュの家臣としてイスパニアの領主となるがよい、と。もしこれを受け入れなくば命は無い。
マルシルは怒りに震え、ガヌロンを斬捨てようとするも、部下に止められる。

ガヌロンはさらに言う、「シャルル王の仰せには、そこもとはキリストの教えに服せよとのこと。さすれば、イスパニアの国の半分は、そこもとの手に残される。
しかるに残る半分は、甥なるロランに与えるとのこと。さ、お受け取りくだされ。これが王の親書なれば」
親書には、マルシルの忠臣であるアルガリフを人質として寄越すように、と書いてある。最初から裏切るつもりの取引なれば、応じればアルガリフの命は無い。
これにはマルシルも、その息子ジュルファレも怒りで顔色を失うが、あわやガヌロンを斬捨てんというとき、ブランカンドランが進み出て、「お待ちくだされ、かのフランス人はお役に立ちますゆえに」と、進言する。

それを聞いてマルシルは考えを変えた。ガヌロンに高価な贈り物をして機嫌をとりつつ、いかにすれば、被害をおわずシャルルマーニュに撤退してもらえるものかと相談を持ちかける。

http://sabagebu.com/character.html

165 :chikara:2015/06/26(金) 08:58:43.00 ID:VupMezOWC
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「鬼刀禰ことスーパー原人のメソポタミアとの関係」考擦。
 民俗学の柳田國男は、思想の中に神のおちぶれた姿が妖怪である。また、鬼と呼ばれたもの、日本民俗・国文・国語学者で歌人の折口信夫(おりくちしのぶ)
1887〜1953は古代研究の「日本芸能史」ノートで、日本古代の固有言語でオホビト (大人)のこと記している。オは大きいの意。ニは神事に関係するものを示す
語。オニは神でなく神を擁護するもの。巨大な精霊。山から来る不思議な巨人をいい、オホビト(大人)のこと。鬼刀禰族は金刀毘羅神社を建立してたたら製鉄
を行い、「鎌」や「太刀」をつくった。そして稲作は縄文時代の九州北部の集落遺跡で確認されている。紀元前5世紀の頃のことであった。紀元前4世紀には、東
北の青森まで普及したようである。先ごろ集落遺跡発掘で確認されている。金刀毘羅神というのは、インドの「ワニ」の意味で、鬼刀禰族は、九州とインドを往復
していることも解かる。あのメソポタミアの最初の王朝を倒した部族の可能性がある。鉄の武器をあやつり、戦車で王朝を倒したのである。また、トルコと旧ソ連
の新興国の山岳地帯、コーカサス地方に日本人の顔をした少数民族があると聞いたことがある。ここに、金刀毘羅神社がないかなぁ。また、三笠宮様のオリエ
ントの研究資料など見たいなぁ。

166 :chikara:2015/06/27(土) 04:08:08.31 ID:BDrXZ4G2U
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「日本國の船出と古事記・日本書記の役割」考。
 唐の侵攻を阻止しなければならない。古事記と日本書紀を誰が読んでも、日本國はすごい強国でなければいけない。三瓶山の大爆発で中国地方が丸焼けとなった
ことをさとられては、ならない。相次ぐ地震でほとんどの建築物が崩壊したことをさとられてはならない。唐の軍船に関門海峡を越えさせてはならない。日本國の位置
や都の位置や集落、集落に城壁のないのをさとられてはならない。663年に稲作の不作をさとられてはならない。何世代もつづく歴史のなかで、常に英雄が出現した
ように思わせなければならない。中央集権の律令政治でなければならない。

167 :武蔵野大学生の「集団食い逃げ」事件:2015/06/27(土) 14:35:23.60 ID:A0xJLfWQE
ガヌロン「王は戦をお止めにはならぬでしょう。その甥、ロランの命あるうちは。
その友なるオリヴィエもまた、手ごわい。シャルルの周り固める13人衆が、フランスの二万の軍勢を率いておりまする」
右腕たるロランと、その親友オリヴィエある限り、シャルルマーニュは戦意を失うまい、つまりロランとオリヴィエを殺せ、というのである。
「無駄な血を流す策はおやめなされ。此度は人質を20人も送れば、シャルル王も納得して国へ戻るでしょう。
しんがりには、必ずロランとオリヴィエの軍が残りまする。この2人さえ討ち取れば、もはやフランスが二度と侵攻して来ることは、ありますまい。」
これを聞いてマルシルは喜び、ガヌロンに親愛の口付けをする。
「しかし、何ら誓約の無いのでは心許ない。そなたには、ロラン謀滅を企てる用意はおありか」
「無論のこと。」と、ガヌロンは剣に誓いをたてる。かくて企みは成り、ガヌロンには高価な贈り物が成される。
使者は友好の意を持ち帰るが、その裏で、シャルルマーニュの引き上げるとき、マルシルは軍を率いてしんがりをつとめるロランとオリヴィエを討つ算段となっていたのである。

裏切り者ガヌロンはガルヌの町へと帰り着く。待ち受けるシャルルと廷臣たちの前に、マルシルより託されたサラゴッズの城門の鍵を差し出し、マルシルは親書にあった申し出を受けるつもりでいる、と述べる。
しかして、20人の人質を差し出すことについては逆らわぬが、アルガリフをその中に交えよとの命だけは赦免して欲しいとの旨、告げる。
これを聞いてシャルルマーニュは、マルシルが軍門に下ることを承知したものと考え、ガヌロンの労をねぎらい、戦は終わったと皆に引き上げを告げる。
イスパニヤ攻略はこれで終わった、みなフランスへ戻るのだ、と。人々は、恐るべき裏切りをまだ知らぬ。

その夜、眠るシャルルマーニュは、シジェール渓谷にいる夢を見た。
両の手に持っていたトネリコの枝をガヌロンが奪い、凄まじく振り回し、地面に叩きつけて折ってしまうという夢だった。不吉な夢は、未来を予言する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89_%E3%83%90%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%88

168 :chikara:2015/06/28(日) 16:22:13.28 ID:SnK9Lgy0A
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「実際は閲覧(見てない)してないもの。歴史の糸を紡いだ伝承。」考
 実際は閲覧(見てない)してないもの。古事記、日本書紀、出雲國風土記。
浜田市三隅町の伝承。
001昔、大男がいて、あの山(大麻山)とあの山(高城山)をまたぎ糞をした。そこにできたあの山の名を大糞山・おおぐそ(野山岳)と言う。
002 遠く牟婁の地から物部族ややって来て、ふるさとの名にちなんでその谷を室谷と言った。
003 もっともっと昔、鬼刀禰族が大穴に住んどった。
004 鬼と物部が戦い鬼は穴を追い出された。物部族は神社を大神山・おおやま(大麻山)建て住んだ
005 もっと昔、遠く三輪山の麓の春日から小野族がやって来て、すみかを小野と言った。
006 小野族やって来た同じ頃、和邇族も三隅川河口の海辺へやって来た。
007 遠く阿波の地から忌部族(いんべぞく)がやって来た。大将の名を大麻比古と言った。来る途中のこと、折居海岸に着くと、馬を降り、ここから舟で行くと
鞍を海に投げ捨てた。この時できた島を鞍島と言う。大麻比古は大神山・おおやま(大麻山)から見下ろして、麓でうろちょろする小野族に、大石を投げて追
い出した。おおやまに神社を建て住んだ。
008 物部族は和邇族とも戦った。物部族は、しこたま油を疣られ苦戦した。
009 おおやま(大麻山)は2つの石合戦をした。@山口県萩市須佐町の高山(こうやま)とどちらの山が高いか?おおやま(大麻山)の勝ち。A益田市赤雁の
比礼伏山(権現山)とどちらの山が高い?これもおおやま(大麻山)の勝ち。

001 で三隅町の井野や室谷地区の伝承。浜田市浜田地区の伝承。では、あの山(漁山・いさりやま)とあの山(大麻山)をまたぎ糞をした。そこにできたあの
山の名を大糞山と言った。 また三隅町にもうひとつ「大山・おおやま」がある。益田市との境で、「源田山・げんたやま」と「茶臼山・ちゃうすやま」の間に位置
し、大穴(鬼刀禰のたたら製鉄のかんな流しの跡・中山鈩跡)もある。

169 :chikara:2015/06/28(日) 18:07:10.10 ID:i9jmdlgYc
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考A
 益田市安田の伝承。
010 「大昔には、火の風火の雨吹き降ろしものにて、海々所々に在る古墳は、其の時代の人間が難を避けしもの」。
*009 大麻山と比礼伏山(権現山)の石合戦の伝承はない。
山口県萩市須佐や田万川の伝承。
011 大陸(唐や新羅)へ渡る舟の風まち、潮まちとして津(みなと)が栄えた。須佐の地名は、スサノウがよく利用したためその名が地名となった。田万川の伝承として、
50年に一度大しけになる。また、「高山・こうやま」があり「名島」とともに万葉集に名が、出典されている。高山の八合目に「宝泉寺」と「黄帝社」があるそうで、創建
年代や関係者等は明らかでないらしい。然し、中国の名君の一人と知られている黄帝は、航海・造船の神とあがめられており、日本の神社に祀られているのは、
全国的にも珍しい。また009 の高山と大麻山の石合戦の伝承はない。

170 :chikara:2015/06/28(日) 19:26:35.50 ID:Gm6ZAafAP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考B
浜田市三隅町湊浦の伝承。
006 和邇族が暮らしていた証しとして「鰐・わに」島がある。*どう見てもクジラ。
江津市の伝承。
012 昔、大人(おおおとこ)が西(天つ國・九州)へ向かってあるく途中一つの山をまたげたとき、睾丸が触れて削れた山を浅利富士(どびん山)と言う。
013 五穀伝来の話。話の範囲は古朝鮮の曽尸茂梨(ソシモリ)からはじまり島根県の石見地方全体の地名を含めた広大な話。狭姫(サヒメ)と大人
(大山祇大人)の話のやり。
大田市の伝承。
014五穀伝来の話。話の範囲は古朝鮮の曽尸茂梨(ソシモリ)からはじまり島根県の石見地方全体の地名を含めた広大な話。狭姫(サヒメ)と大人
(大山祇大人)の話のやり。*013 の話よりもっと詳しく。津和野や益田、三隅、浜田の人々の知らない事。
015 弘法大師の光(灯り)の話。
松江市美保関町福浦三保神社の伝承。
016 境水道の小島「鯨島」について「古、この海上に鯨あつまり、三保神社に年頭の礼をなした。そのとき一頭の鯨が凝り固まって島となり、此れゆえに鯨島と名つけた」。

171 :chikara:2015/06/28(日) 20:07:50.22 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考C
安芸高田市吉田の伝承。
017 スサノウがヤマタのオロチを退治した時「すがすがしい」と言った。この地に清神社(すがじんじゃ)が建っている。
018 吉田に稲田橋があり。可愛川(えのかわ)から橋の下を流れる川が稲田川(多治比川)でスサノウの嫁の稲田姫の名と関係ありとのこと。
019 神武が東征の途中、宮之城に駐屯し、稲田川を探索した。
安芸高田市八千代町土師の伝承。
020 石見の大人の足跡があったとして伝わった。*今は土師湖に沈んでいる。たたら製鉄のかんな流しの一遺跡か?
安芸高田市八千代町上根の伝承。
021 簸川(ひのかわ)伝説。ヤマタのオロチ@、A、B。

172 :chikara:2015/06/28(日) 20:24:38.33 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考D
 日本海沿いの図書館と蔵書の紹介(参考文献)A
. ・浜田市立三隅図書館 蔵書
*「那賀郡史」大島幾太郎 昭和15年完成。としている。1940
   注) 書中の年号には前に「紀元」○○○○年、西暦に直すには+660が必要。
*「岡見村誌」岡見郷土史研究会1930西暦に直すには+660が必要。
*「三隅地方の神話と伝説」編集人 寺井実郎1960(昭和35年)
*「三隅町誌」三隅町編纂委員会1971(昭和46年)
*「三隅の歴史」編者 松井豊治1993
*「ふる里の語りべ」下巻 三隅町1994(平成6年)
*「石見鎌手郷土史」矢富熊一郎1966 保存状態良好。
*「石見高島の秘話」著 矢富熊一郎 発行者 益田市史談会1960
*「石見・畳ヶ浦と黄長石霞石」桑田龍三1988 (昭和63年)
*「日本人の信仰心」著 前田英樹2010

・浜田市立中央図書館 蔵書
*「周布村を中心とせる郷土史の研究」米谷蔵 中尾廣市1930
*「周布村の歴史」 中尾典央 識1933(昭和8年)
*「周布村郷土誌」 田中賢二郎 中尾廣市 1937
*「井野村の歴史」井野村尋常高等小學校1932
*「那賀郡史」大島幾太郎 昭和15年完成。としている。1940 1976版
*「島根の神々」神社庁1987
*「濱田」浜田市役所1951
*「浜田市誌」上巻 浜田市誌編纂委員会1973
*「浜田の歴史と伝承」史跡探訪会1989
*「日原町史」上巻 沖本常吉1964 p16
*「津和野町史」第一巻 沖本常吉1970 p36〜43

173 :chikara:2015/06/28(日) 20:42:39.89 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考E
 日本海沿いの図書館と蔵書の紹介(参考文献)B
・益田市図書館 蔵書
*「石見鎌手郷土史」矢富熊一郎1966  (かなりいたみ在り)
*「石見六郡社寺誌」修訂 小林俊二 石見地方未刊資料刊行会1933  2000年修正版
・江津市図書館 蔵書
*「江津市の歴史」校閲 小笠原宣秀 編者 山本熊太郎 江津市文化財研究会1970 ( 昭和45年)p2〜6
*「川本町誌」地誌篇 著者山本熊太郎 小笠原純久1969(昭和44年)
*「川本町誌」歴史篇 川本町誌編纂委員会 門脇俊彦 三上鎮博 原龍雄 尼川尚明 波多野虎雄 森脇太一 藤田典幸1977(昭和52年)
*島根半島四十二浦巡り「七浦巡りの旅〜鹿島・島根〜(改訂版)」島根半島四十二浦巡り再発見研究会 関和彦 監修2014(平成26年)
・大田市立中央図書館 蔵書
*「三瓶山の物語」石村禎久1962
*「三瓶山―見たまま聞いたまま・附十二勝解説」著者兼発行者 今田俊英 今田見信1963
*「三瓶山 歴史と伝説」石村禎久1984
*「江の川流域の伝承と考察―鴨山にも触れて―」白石明臣1988
*「群盲がなでた 島根・三瓶火山」著 松井(長瀬)整司2008
*「三瓶山とともに」“三瓶山”国立公園指定50周年記念事業実行委員会(受託団体)NPO法人緑の水の連絡会議2014
・萩図書館 蔵書
*「田万川町史」町史編纂委員会1999
*「須佐町誌」須佐町誌編集委員会1993
*「山口県の神社」山口県神社庁1972
・島根県立図書館 蔵書
*中山鈩遺跡「中山たたら遺跡 緊急発掘調査報告」三隅町教育委員会1983
*石見部製鉄遺跡「石見部たたら報告書」島根県教育委員会1984
*「美保関町誌」上巻 美保関町誌編纂委員会1986
*「史実と傳説の美保関」美保関新聞社1968
*「片江郷土誌」片江郷土誌編纂委員会1965
*「七瀬年代史」森脇武夫1975
*「大社町史」史料編 古代・中世 上 大社町史編集委員会1997
*「大社町史」上巻 大社町史編集委員会1991
*「出雲市誌」出雲市誌復刻刊行郷土誌刊行会 出雲市役所1951

174 :大阪都構想が万が一実現していたら日本は在日に乗っ取られ:2015/06/28(日) 20:49:57.46 ID:VFFwuUcgl
その頃、サラセン人の軍勢40万、鎧兜を身に纏い、ロランの軍を討つべく、山間(やまあい)に身を潜ませていたのだった。

やがて夜が明けた。

いざ出立というとき、シャルルマーニュは問う。「さて、誰が殿軍(しんがり)を務めるべきか」と。
敵に背を向けて撤退するのだから、最後をつとめる者は危険にさらされる。
まして、相手は、恭順の誓いをしたとはいえ、過去に裏切ったことのあるマルシルである。
無論、最後をつとめるものはロランとオリヴィエでなくてはならない。ここでガヌロン言う、「わが継子ロランこそ。
あれほど武勇のある者はおりますまい。」 「しかして先頭はいかがする」 「デンマルクのオジエ殿。かの方を除いて、他にはありますまい。」
ガヌロンは、危険な使者をつとめさせられたお返しに、危険なしんがりの役をロランに押し付けたことになる。

自分がしんがりに指名されたことを知るロランは怒り心頭、義父を非難しつつ、この役目は必ず果たすと誓う。
ガヌロンは使者の証たる手袋を取り落としたが自分はそのような失態はせぬと言い、指揮官の証たる弓をシャルルマーニュの手より受け取る。


かくて、待ち受ける伏兵40万、ロラン率いるフランスの軍勢2万。
ガヌロンのはかりごとにより、ロンスヴァルの谷間において、血戦の幕は上がるのであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%ABD%C3%97D%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9#.E4.BA.94.E5.A4.A7.E9.BE.8D.E7.8E.8B

175 :chikara:2015/06/28(日) 21:22:20.03 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考F
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)C
・安芸高田市中央図書館 蔵書
*「甲田町誌」甲田町誌編纂委員 主任 宗川肆郎玖 ,種田光登,山下鉄夫,中村周吾,重藤剛介甲田町1967
*日本歴史シリーズ第1巻「日本の誕生」編集兼発行人 鈴木勤 発行所 世界文化社1967
*「新説 日本の始まり」著者 栗原基(はじめ) 発行 黄土社1968
*「真説 日本の始まり」著者 栗原基(はじめ) 発行 講談社1969
*現代日本文學大系20「柳田國男集」筑摩書房1969
*「美土里の歴史と伝説」美土里町史編集委員 委員長 佐々木順三 委員 日山龍登,川手哲夫,高杉寿  美土里町1972
*「高田郡史」上巻 高田郡史編纂委員会 高田郡町村会発刊1972
*「日本の民俗 広島」著者 藤井昭(あきら)発行 第一法規出版1973
*日本民族文化大系3普及版「稲と鉄」さまざまな王権の基盤 著者代表 森浩一1983
*「万葉集」古典を読む 大岡信(まこと)岩波書店1985
*ふるさとめぐり「伝説を訪ねて」監修 合原龍三 八千代町広報委員会 伝道久雄,小坂輝登,石神博,岡山ハトノ,神川八重子,向井慧,山岡敏夫1992
*「向原町誌 上」 向原町誌編さん委員会 小野?圓荘 向原町1992

176 :chikara:2015/06/28(日) 21:40:43.67 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考G
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)D
・安芸高田市中央図書館 蔵書2
*「遠野物語」著者 柳田国男 発行所 新潮社1992
*「古墳時代の鏡・埴輪・武器」著者 樋口隆康(ひぐちたかやす),大塚初重(おおつかはつしげ),乙益重隆(おとますしげたか) 発行 学生社1994
*「古事記」校注・訳者 山口佳紀 神野志隆光 小学館1997 p74〜79
*「ふるさとの昔話」馬洗川のもおりで聞いた話。西城川のねきで聞いた話。可愛川のへりで聞いた話。著者 下土居省三(しもどいしょうぞう)1998
*「考古学へのまなざし」著者 森浩一 発行 大巧社1998
*「謎で日本史がわかるQ&A100」著者 歴史探検ワーキンググループ 代表筆者 小西慶太(こにしけいた) 発行 竹内書店新社2001
*「やりなおしの日本史」著者 後藤寿一(ごとうじゅいち) 発行 オーエス出版2001
*「図説日本史なるほど事典」監修 川原崎剛雄(かわらざきたけお),比留間淳一(ひるまじゅんいち) 発行 実業之日本社2002
*「吉田町の寺社建築」吉田町教育委員会2002
*「船佐村郷土誌 著 黒瀬斎 大正4年1915頃の毛筆書」翻著 発行 築地昭二2003
*民俗資料選集33「辻堂の習俗V」編集 文化庁文化財部 発行 財団法人国土地理協会2005

177 :chikara:2015/06/28(日) 21:48:40.49 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考H
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)E
・安芸高田市中央図書館 蔵書3
*「稲作伝来」(先史日本を復元する4)著者 森岡秀人(もりおかひでと),中園聡(なかぞのさとる),設楽博巳(したらひろみ)発行 岩波書店2005
*「日本の祭り文化事典」監修 星野絋,芳賀日出男 編集 社団法人全日本郷土芸能協会 発行 東京書籍2006
*「みたち第1号古墳」(三原市本郷町) 編集 広島県教育事業団事務局 埋蔵文化財団調査室 発行 広島県教育事業団2006三太刀山(みたちやま)
*「江の川何でも事典」編集 中国建設弘済会 発行 国土交通省中国地方整備局 三次河川国道事務所2007
*図解「古代史」旧石器時代〜律令国家成立まで 監修 東京都歴史教育研究会 編集 成美堂出版編集部 発行 成美堂出版2007
*広島地域の風化花崗岩「まさ土」の一考察 安全な住宅基礎の設計法 著者 西村光正/芳賀保呉夫(はがやすお) 五月書房2007
*「柳田國男の民俗学」著 福田アジオ2007
*「見るだけですっきりわかる日本史」著者 後藤武士 発行 宝島社2007
*「読むだけですっきりわかる日本史」著者 後藤武士 発行 宝島社2008
*「奥備後の民俗誌」比和町郷土史研究会 著者 発行 倉岡侃(くらおかかん)

178 :chikara:2015/06/28(日) 21:57:48.12 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考I
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)F
・安芸高田市立八千代図書館 蔵書
*昭和四十四年「八千代町郷土誌」資料 八千代町1969
*「八千代の昔話」監修 岩瀬博 編集 大谷女子大学説話研究会 八千代町教育委員会1985
*「広島県の歴史散歩道」広島県の歴史散歩研究会 編集者 滝尾英二 山川出版社1976
*ふるさとめぐり「伝説を訪ねて」監修 合原龍三 八千代町広報委員会 伝道久雄,小坂輝登,石神博,岡山ハトノ,神川八重子,向井慧,山岡敏夫1992
*「江の川いきもの事典」国土交通省中国地方整備局三次河川事務所2007
・かわもと図書館 蔵書
*「石見町誌」上巻 石見町誌編纂委員会1972
・邑南町立図書館石見分館 蔵書
*「邑智郡誌」森脇太一1937 復刻版1972

179 :chikara:2015/06/28(日) 22:06:38.84 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考J
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)G
・邑南町立図書館 蔵書1
*「古代朝鮮」井上秀雄 日本放送出版協会1972
*「邑智郡誌」森脇太一1937 復刻版1972
*「萬葉集」森本治吉(ぢきち) 佐伯梅友(うめとも) 藤森朋夫(ともを) 石井庄司(しやうじ) 朝日新聞社1973 p112 p247.248
*「日本の古典4 古今集・新古今集」著者代表 久保田淳 集英社1979
*「八千代町史」八千代町史編纂委員会 合原龍三,柳川伊豆衛,浮本勇,二張俊佐久,清角篤江、資料の提供 小都勇二,中原権之,片山卓郎、1990
*「高田郡史」上巻 高田郡史編纂委員会 高田郡町村会発刊1972
*「鐡の道を往く」企画編集 鉄の道文化圏推進協議会 発行 山陰中央新報社2002
*「古来の砂鐡製錬法(たたら吹製鉄法)」俵國一 編1932

180 :chikara:2015/06/28(日) 22:14:12.28 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考K
 江川流域の図書館と蔵書(参考文献)H
・邑南町立図書館 蔵書2
*「波来浜(ならはま)遺跡発掘調査報告書」―第1・2次緊急調査概報―江津市教育委員会
昭和48年3月  1973
*「長尾原遺跡発掘調査報告書T」瑞穂町教育委員会1994
*「芋殿さんの碑」川本町歴史研究会1990
*「本居宣長」著 村岡典嗣(むらおかつねつぐ)1928
*「梅原猛の授業 仏教」毎日新聞2002
*日本古典選「古事記 上」著 神田秀夫  太田善麿(おふたよしまろ) 朝日新聞社1962
*「島根県民謡 民謡緊急調査報告書」島根県教育委員会1986
*「瑞穂町誌第1集」瑞穂町誌編集委員会1964
*「瑞穂町誌第2集」瑞穂町誌編集委員会1966
*江戸時代の書「角?経石見八重葎(つぬさはふいわみやえむぐら)」石見地方未刊資料刊行会1999
*「高宮町史」高宮町史編さん委員会 校閲 甲斐英男, 監修 潮見浩1976
*面白いほどよくわかる「日本の神様」監修 山折哲雄、著者 田中治郎、発行者 西沢宗治、DTP キャップス、発行所 日本文芸社2007
・三次市立図書館蔵書
*「古事記傳」1(古事記の一之巻〜六之巻) 、2(七之巻〜十四之巻)著 本居宣長 1764年(明和元年)に起稿し1798年(寛政10年)に
脱稿した。版本としての刊行は1790年(寛政2年)から宣長没後の1822年(文政5年)当館では古事記傳1〜5有。
*「野竹遺跡群 広島県三良坂町文化財調査報告書第5集」広島県三良坂町教育委員会2002
*「百済滅亡と古代日本」―白村江から大野城へ― 著 全榮來(ジョン ヨンラエ)2004
*「お江戸でござる」杉浦日向子(すぎうらひなこ)監修 新潮社2006

181 :chikara:2015/06/28(日) 22:25:42.89 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考L
 その他
・広島市立安佐北区図書館蔵書1
*日本の民話(全20巻)第11巻兵庫・中国T(兵庫・鳥取・島根) 制作代表 早川貞和/ 編集代表 坂田貞和/ 編集人・山名健弌 アイフォトス/ボンカラーフォト
 編集/河原桃子・高橋靖知・伊美和芳・三橋美枝子・杉山径一・芥川順子・谷口晴子 研秀出版1980
*「広島県風土記」監修人 渡辺則文 北川健次、編集 新井政義、編集協力者 川村善二郎 発行 旺文社1986
*「古代を考える 河内飛鳥」著 門脇禎二(ていじ),編 水野正好 吉川弘文館1989
*逆説の日本史〈1〉「古代黎明編―封印された「倭」の謎」著 井沢元彦(小学館文庫)1993*逆説の日本史〈2〉「古代怨霊編」著 井沢元彦(小学館文庫)1998
*日本の妖怪百科 絵と写真でもののけの世界をさぐる D妖怪を調べる手引き索引 監修 岩井宏實(ひろみ)河出書房新社2005
*「古事記の暗号」裏読みすると見えてくる真実 著 河原宏 文芸社2010
*「古代神話に隠された 日本人の起源の謎」著 中山良昭 河出書房新社2010
*「激変!日本古代史」卑弥呼から平城京 著者 足立倫行(あだちのりゆき)朝日新聞出版2010

182 :chikara:2015/06/28(日) 22:33:57.22 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考M
 ・広島市立安佐北区図書館蔵書2
*「森浩一の考古学人生」著者 森浩一 大巧社2010
*「森浩一の考古 交友録」著者 森浩一 朝日新聞出版2013
*日本古代史の論争51「歴史読本」編集部 編者 飯倉義之(いいくら・よしゆき),川口勝康(かわぐち・かつやす),熊田亮介(くまた・りょうすけ),小島瓔「ネ豊」(こじま・よしゆき),
小林敏男(こばやし・よしお),柴田弘武(しばた・ひろたけ),瀧音能之(たきおと・よしゆき),中村修也(なかむら・しゅうや),西川寿勝(にしかわ・としかつ),深津行徳(ふかつ・ゆきのり),
古橋信孝(ふるはし・のぶよし),前田晴人(まえだ・はると),松尾光(まつお・ひかる),義江明子
(よしえ・あきこ) 新人物往来社2012
*「実在した高天原〜邪馬台国山陰説補論」著者 田中文也 梓書院2012
*「倭人伝,古事記の正体」卑弥呼と古代王権のルーツ 著者 足立倫行(のりゆき)朝日新聞出版2012
*「平成23年度 ひろしまの遺跡を語る 古代の東アジアとひろしま ―白村江の戦いと寺町廃寺―」編集 広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室、発行 財団法人広島県教育事業団2012
*本当は女系で万世一系だった 八咫烏の「超」日本史 著者 大賀茂真也1963〜 発行 ヒカルランド2013
*「アマテラスの正体」伊勢神宮はいつ創られたか 著 林順治2014
*日本の祭り大図鑑B豊作、豊漁を感謝する祭 監修著者 松尾恒一ミネルヴァ書房2015
*日本の祭りD中国・四国編 編集 吉田明彦 理論社2015

183 :chikara:2015/06/28(日) 22:53:22.41 ID:sn/pNzRU4
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考N
書き込み 追文。
 スレの注釈
 51 「江津市の歴史」編著 山本熊太郎1970 P3〜6
 57 唐音の蛇岩・地質学・岩石学http://www.geocities.jp/qvolcanoes/karaoto.htm
110 鬼と呼ばれたもの:www.fafner.biz/act9_new/fan/report/oni/onitoyobaretamono.htm
111 たたら1:www.wakou-museum.gr.jp/iseki%20tyousa.htm
112 行基が正法寺737年に開基。那賀郡誌 著 大島幾太郎1940
130 曽尸茂梨(ソシモリ)考sosimori : Kamnavi.jp/it/sosimori.htm
131 高島(島根県)―Wikipedia : ja.wikipedia.org/wiki/高島_(島根県)

184 :人の想いがわからない皇太子夫妻:2015/06/29(月) 22:04:52.89 ID:YJIfQ6yWf
悲劇の予兆は既に始まっている。
ロラン含め12人衆をしんがりにおいてフランスへ戻るシャルルマーニュの心は重い。さてはガヌロンめ、敵と内通しおったか、もしもロランを失えば取り返しはつかぬ…などと涙するが、
だったら今から戻って止めろよという気がしなくも無い。(仮に負けん気のロランが命令を聞かなくても、努力くらいはするべきだ…)
ロランをしんがりに任命したのは、貴方です。シャルルマーニュ殿。

その頃、マルシル側はガヌロンの言ったことを鵜呑みにし、いざロランを討ち取れ、さすれば右腕を失ったシャルルマーニュは二度と攻めては来るまいと戦いの時を待っている。
後に残りしフランスの12人衆と戦うべく、マルシルも手の者から12人を選び出す。
敵の本隊が帰国して、今や数の上でも圧倒的とあって、負けかかってたわりには強気である。
武装して近づきつつある鎧のきらめき、兵士たちのどよもしに気づいたオリヴィエはロランに寄りて言う、「どうやら、サラセン人との戦いは免れないようだな」と。
「なに。ここを一歩たりとも退くものか。まさに願ったりだ。」
その気合いは認めるが、ロランよ、戦況を良く見たまえよ。

迫り来る軍勢を前にして、オリヴィエは言う、「ガヌロンはこれを承知していたはず。おのれ、わざわざ我らを危険な目に合わせる企みか」
 「黙れ、オリヴィエ。あれは俺の義父だ。悪口は聞きたくない!」(※)
かくて戦は始まろうとする。味方の不利は既に明白、オリヴィエはロランに駆け寄って、援軍を呼ぶため角笛オリファンを吹き鳴らせと要請する。
だが、ロランはそれを拒む。なぜに辱めを受ける必要があろうか、異教徒などわが剣にて切り伏せてくれるわ、と。

そう、はづかしいから援軍なんか呼ぶもんか、オレの力だけで勝てるわい、と言いやがったのであるこの男。
そんなこと言ってる場合じゃねーよ。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/56403/blogkey/1170275/

185 :技術者の技術に対する興味が驚くほど少ない:2015/06/30(火) 03:29:15.11 ID:CZC3HHTkd
かくして、ロランの意固地のために、フランス勢2万vs.イスパニヤ勢40万、という、絶対勝てない戦いが開始された。
最初の段階で角笛を吹いていれば、先に山を越えた本隊が戻ってきて、マルシルの軍勢は打ち破れたはずなのに、である。
これは勇気ではなく無謀である。オリヴィエは忠告したんだが…。

先陣を切って駆け来たるマルシルの甥アエルロー、よせばいいのにガヌロンの裏切りを告げ、
「ここでシャルルマーニュは右腕(ロラン)を失えり!」などと挑発するものだから、怒ったロランにばっさり切られあえなく落命。
この調子で、挑発されたオリヴィエも、挑発してきたサラセン人を切り伏せる。
フランス12人衆vs.イスパニヤ12人衆はフランス側に軍配が上がった。

しかし戦いはさらに苛烈を極め、ついに、マルシルが手勢を引き連れて戦場に姿を現す。
やがて、1人、また1人と味方が倒れてゆく。
ついにロランは、援軍を呼ぶべく角笛を吹こうとする。だが、
今度はオリヴィエの激しい怒りに遮られる。
「オリヴィエ、なにゆえの怒りか?」
「そは強者の名にそむこうぞ。そなたは先刻、我が吹けと申したときには角笛を吹かなんだ! この惨状はそなたのせいと知れ。
今さら笛を吹こうとももう遅い、恥を上塗りするだけだ!!」
ロランは、オリヴィエの妹オードと婚約している。
この戦に生きて戻れば、オードと結婚するのだが、オリヴィエは、それすら許さぬと激しい怒りようである。

そこへ大僧正チュルパン(※いかがわしい歴史書に必ずと言っていいほど名前の出てくる人。
聖職者だが、戦場においては殺戮者でもある^^;)が割って入り、諍いはやめにしてほしい、もはや手遅れとて吹かぬよりはマシだ、
と角笛を吹くようロランに促す。

http://ncode.syosetu.com/n9563co/

186 :chikara:2015/06/30(火) 04:51:29.98 ID:N2sCKYm3z
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸を紡いだ伝承。」考O
 ・・実地調査・・
*松江市役所美保関支所0852 55 5740のみなさま「菅浦」すげうら
*松江市美保関町菅浦の漁師さん。「大黒島」おおぐしま、「鬼島」おにしま
*邑智郡邑南町役場0855 95 1111のみなさま 井原「冠山」かんざん
*甘南備寺 江津市桜江町大貫0855−93−0358
*安芸高田市八千代町上根、「国王ヶ池」,「黄幡社」,「龍山神社」。
*安芸高田市役所高宮支所のみなさま 「黄幡社」高宮町史の3物件は、位置不明。
*安芸高田市役所八千代支所のみなさま「 国王ヶ池,黄幡社」妙見山or明鏡山。
*安芸高田市役所 教育委員会0826−42−5623 吉田町の「黄幡社」の写真と位置確認。

187 :chikara:2015/06/30(火) 14:33:09.34 ID:N2sCKYm3z
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「アマテラスの一派と王座と名字(姓名の姓)」考
 国津國(物部族・出雲王朝)の王、オオクニヌシより「国譲り」で、アマテラス一派は、無血で物部の領土を手に入れた。
次は、王座の選考になる。14名の天才集団であるから、この中の誰が王座でも構わないはずであるから、一番年(とし)
の若いものを王座につけたのと思う。そして次の王座は、アマテラスの一派14名が女とまじわりできた子供の成長を観
察して決める。男でも女でも関係ない。子供は誰の子かわかるよう、代々名字を名乗った。よりすぐれた者を王座にする
ため。唐に対しては、旧随書のような歴史書を送りつける。制作は、人麻呂と不比等が担当した。

188 :chikara:2015/07/01(水) 00:03:41.50 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考P
 *ブログ:薄味:http://woodenplane.air-nifty.com
 *「歴史班レポート」4-houkoku-rekisi Adobe Acrobat  一色裕光,松前早紀,三鼓健太,宮村翔吾,山田健太, 蓬典恵

◎「人物・事件でわかる 日本史」編著者 宮瀧交二,発行 日本文芸社2010
◎「ジャパン・クロニック(日本全史)」(編集委員/宇野俊一,大石学,小林達雄,佐藤和彦,鈴木靖民,竹内誠,濱田隆士,三宅明正,講談社,1995)
◎「広辞苑」(編者/新村出・しんむらいずる,岩波書店,1990)
◎「中国道路地図」(発行人,青柳栄次,昭文社,2002)P.NO.139.155.165.166
◎「島根県道路地図」(発行人,黒田茂夫,昭文社,2010)P.NO.48
◎「スマートホン」グーグル「マップ」
◎「手帳・NOLTY リングスリム1」k.k.日本能率協会マネジメントセンター2014,2015
 年齢早見表、度量衡換算表、単位換算法など

189 :chikara:2015/07/01(水) 00:15:19.47 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考Q
*W柿本人麻呂―Wikipedia text:ja.wikipedia.org/wiki/柿本人麻呂
*島根県江津市観光協会text:sin1.g.adnxs.com/clik?mpmZmZmZqT_D9Shcj8KIP2Q730-NI-4_w_UoXI_CpT-amZmZmZmpP4Uj98DxxkJr4tX
*「柿本人麻呂」浜田考http://www.yohseikai.com/sub38.htm
*島根県:柿本人麻呂―text:www.pref.shimane.lg.jp/life/bunnka/sinkou/internet_kikakuten/bungakusya/hitomaro.html
*柿本人麻呂の終焉地にーtext:www.bell.jp/pancho/k_dialy-6/2011_10_04.htm
*柿本佐留とはーコトバンーtext:kotobank.jp/word/柿本佐留
*万葉集48番―text:www.school.ikeda.osaka.jp/hosokawa-jhs/kenkyu/mannyou.pdf
*柿本人麻呂屋敷跡・桜井市―https://ja.foursquare.com/v/柿本人麻呂屋敷跡碑/523b9927498ee7613be1d628
*意外に多い正体不明―https:bushoojapan.com/tomorrow/2014/03/17/1681
*柿本朝臣―https:www.burari2161.fc2.com/kakinomotonohitomaro.htm
K柿本人麻呂とは―コトバンク―text:kotobank.jp/word/柿本人麻呂
*新ぐるっと人麻呂―text:goutucci.or.jp/goutu/hitomaro.html
*従来の人麻呂像―text:www.geocitieocities.jp/yasuko8787/z210.htm
W三輪高市麻呂―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/三輪高市麻呂
*特集・月の万葉歌@―text:88d.jp/stories/manyo1/
*猿丸大夫とは誰のことか―text:mugentoyugen.cocolog-nifty.com/2008/07/post_82c3.html
*益田市ホームページ―https:www.city.masuda.lg.jp/kanko/hitomaro_01.html

190 :chikara:2015/07/01(水) 00:28:52.95 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考R
W藤原不比等―Wikipedia text:ja.wikipedia.org/wiki/藤原不比等
*藤原不比等と百済系田辺史との関係―text:www.geocities.jp/yasuko8787/o-109.htm
*藤原不比等―text:jiyodan.exblog.jp/13093443/
*藤原不比等編―text:reyline.web.fc2.com/fuhito.htm
Y「藤原不比等」―text:dic.seach.yahoo.co.jp/searchi?p=藤原不比等&stype=prefix&aq=1&oq=&ei=UTF-8
*藤原氏の興亡―text:www.mb.ccnw.ne.jp/hisao11/page.8.html
W藤原氏―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/藤原氏
*大和路アーカイブ「藤原不比等」―text:yamatoji.nara-kankou.or.jp/contents.php?contents=0000004537
*益田氏とは―益田市ホームページtext:www.city.masuda.lg.jp/kanko/masudashi_01.html
W蹈鞴製鉄―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/蹈鞴製鉄
W古事記―Wikipedia― text:ja.wikipedia.org/wiki/古事記
・参考文献 「古事記」田辺聖子 集英社1986
W田辺聖子-―Wikipedia−text:ja.wikiedia.org/wiki/田辺聖子
B「古事記傅」21−4―text:kumoi1.web.fc2.com/CCP118.html
W因幡の白兎―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/因幡の白兎
*名著25「古事記」―text:www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/25_kojiki/
*古事記とは―text:dic.nicovideo.jp/a/古事記
Y八雲立つ 出雲八重垣―text:ditail..chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111552716
*古事記のものがたり―text:www5c.biglobe.nejp/~izanami/monogatari/01.htm
*丹ものがたり 天日槍3―text:sakezo.web.com/hiboko3.html
*気多と青谷寺地遺跡―text:yakamihakuto.seesaa.net/article/388410096.html
Ask美保関町鬼島―text:www.search..ask.com/web?l=美保関+鬼島&o
Ask境水道鯨島―text:www.search..ask.com/web?l=境水道+鯨島&o

191 :chikara:2015/07/01(水) 00:39:17.97 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考S
W日本書記―Wikipedia―text:ja.wikiedia.org/wiki/日本書記
W日本書記さんそ―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/日本書記さんそ
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*斉明天皇(皇極)35.―text:himeruna.exblog.jp/i23/
*古代の東アジアとひろしま text: www.harc.or.jp/gyouji/pdf/h240121shiryou.pdf
*歴史と世間のウラのウラ―text:blog.livedoor.jp/ahonokoji/archives/2010-11-06.html?p=2
B日本と天皇の起源!そして―text:xuzu0911.exblog.jp/16785835/
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W小野氏―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/小野氏
Y小野妹子って苗字は?―text:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp./question_detail/q1095089345
*和邇遺蹟―text:inoues.net/club4/2008wanisi4.html
K猿女氏とはーコトバンク―text:kotobank.jp/word/猿女氏
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W行基―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/行基
K行基ーコトバンク―text:kotobank.jp/word/行基
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J東表国―khuritai32―text:khuritai32.jindo.com/東表国/

192 :chikara:2015/07/01(水) 00:48:31.09 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考21
*矢冨熊一郎、著 1966「石見鎌手郷土史」益田市立図書館所蔵 まだ高島に人が住んでいた時代。昭和30~40年代。
*隠された本当の歴史―text:www.geocites.jp/kamuluke/sassay/truehistory.html
R日本超古代人とシュメール人―text:washimo-web.jp/Report/Mag-Sumer.htm
*金官加羅―text:plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201306120000/
R世界最古の王朝―text:plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201306120001/
R2ページ目の記事一覧―text:plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/?PageId=
*国東の輝き:新次元の―text:trakl.exblog.jp/20733010
J関山久重著?むろまっち―text:majinnnn.jugem.jp/?cid=51
*「推理」新羅国は倭国を―text:blogs.yahoo.co.jp/manase8775/28089380.html
*独島呼称考・下条正男―text:www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takesima08/iken-B.data/shimojodokuto.pdf
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Y伊勢神宮創建設―text:bloggs.yahoo.co.jp/rich036kit/12726204.html
*真説・古代史(9) ―text:www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/kodaisi9.html
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*大麻山と高山の石合戦―text:woodenplane.air-nifty.com/log/2008/03/post-b858.html
*大黒天―Ask.com Searc―text:www.search..ask.com/web?大黒天&0
*七福神(大黒天)―text:www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/daikoku.html
*いづのめおほくにたまおほくにぬしのおほかみ―text:www.search.ask.com/web?=dis&q=

193 :chikara:2015/07/01(水) 01:08:09.29 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考22
*特集大神神社(おおみわじんじゃ)―text : www.kintetsu.co.jp/nara/report_powerspot/oomiwa.html
Ask綾部氏―text:www.search..ask.com/web?l=綾部氏&o
*「みすみ」へようこそ♪―text:blog.goo.ne.jp/hamadakankou
*「いわみの種」は島根県―text:iwaminotane.com
*ナシカズラ実「不老不死」―text:ryukyushimpo.jp/news/stryid-231150-storytopic_5.html
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*クサフジ―text:kotobank.jp/word/クサフジ
Ask浜ヒサカキ 分布図―text:www.search.com/web?l=dis&q=ハマヒサカキ
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*江津市のホームページ― http://www.city.gotsu.lg.jp/
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*島根県 川本町http://www.town.shimane-kawamoto.lg.jp/
*邑南町 | 【邑南町】島根県邑智郡邑南町http://www.town.ohnan.lg.jp/
*萩市のホームページ―http://www.city.hagi.lg.jp/
*桜井市ホームページhttp://www.city.sakurai.lg.jp/
*福岡県糸島市ホームページ:古代都市「伊都国」 トップページhttp://www.city.itoshima.lg.jp/
Ask白村江の闘い唐・新羅の武器 Vs 日本・百済の武器 -Ask.com Search
*島根県:私と島根・関裕二http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2007/No64/p16/p16.html
Ask関 裕二 生年月日と住所 -Ask.com Search
*1209夜「物部氏の正体」― text : 1000ya.isis,ne.jp/1209.html
W関裕二とは― Weblio辞書 text : www.weblio.jp/content/関裕二
W関裕二― Wikipedia  text : ja.wikipedia.org/wiki/関裕二
*関裕二 「教科書に載らない古代史」―text:yomimonoweb.jp/sekiyuuji/p22_3.html

194 :chikara:2015/07/01(水) 01:17:57.11 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考23
Ask井沢元彦連絡方法 -Ask.com Search
W井沢元彦−text : ja.wikipedia.org/wiki/井沢元彦
Askナシカズラ分布図 -Ask.com Search
Askクサフジ分布図 -Ask.com Search
Ask浜ヒサカキ -Ask.com Search
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Ask桑田龍三 -Ask.com Search
*唐音の蛇岩からおとのじゃがん―text:www.geocities.jp/qvolcanoes/karaoto.htm
*細戈千足国―text:kotobannk.jp/word/細戈千足国
?細戈千足国 とは - コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E7%B4%B0%E6%88%88%E5%8D%83%E8%B6%B3%E5%9B%BD-487506
*神武記31年・国伏の描写―text:www.dai3gen.net/jinmuki.htm
Ask古代 にしなか国 -Ask.com Search
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*サホコチタル・ホソホコチタル・ソコチタル/細戈千足国―text:gejirin.com/src/Sa/sahokotitaru.html
Ask古田武彦 -Ask.com Search
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Ask鎌手村史 -Ask.com Search
Askソロモン王時代-Ask.com Search
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W田中敏明(歴史学者)− text : ja.wikipedia.org/wiki/田中敏明(歴史学者)
W新羅―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/新羅
W井上秀雄―Wikipedia―text:ja.wikipedia.org/wiki/井上秀雄
W井上秀雄とはWeblio辞書 ― text : www.weblio.jp/content/井上秀雄
?井上秀雄とは― コトバンクhttps://kotobank.jp/word/井上秀雄―1055904
Ej三国史記:総合図書:金富? 井上秀雄 ― text : www.ebookjapan.jp/ebj/title/1401.html

195 :chikara:2015/07/01(水) 01:27:42.27 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考24
g旗田巍とは― goo Wikipedia  wpedia.goo.ne.jp/wiki/旗田巍
J島根県の寺院 ― text : japan-web-magazine.com/Japanese/shimane/temple/index.html
*「九州王朝説批判」について―川村明 text : home.p07.itucom.net/strmdrf/kyuusyu.htm
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*IZUMO DOUTAKU 古田武彦 text : www.furutasigaku.jp/jfuruta/izumo1j.html
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*九章 隼人と天武 text : www5.ocn.ne.jp/~toyokazu/jpn/nswana/nsw-09.html
*周王朝から邪馬台国そして現代へ(古田史学の会)正木裕/久留米地名研究会 text : chimei.sakura.ne.jp/f-31yamaichikoku.htm
*古田武彦 : 「君が代」は九州王朝の讃歌 – PageTAKA’s blog  text : pagetaka.hatenablog.com/entry/2013/01/17古田武彦 : 「君が代」は九州の讃歌
*棟上寅七の古代史本批評 text : ameblo.jp/torasichi/
*古田武彦 text : www.yo.rim.or.jp/~nohara/furuta.html
* www.seminarhouse.or.jp/kodaisi/kodaisi10.pdf
*古田史学の素晴らしさ text : www.geocities.jp/pujo106blue/
*東京古田会 2014,09,29 古田武彦と古代史を研究する会 邪馬台国・邪馬壱国・卑弥呼・ 和田家文書・東日流外三郡誌研究 text : Tokyo-furutakai.jp
*九州王朝倭国 text : www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/4322/

196 :chikara:2015/07/01(水) 01:34:07.33 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考25
*レース、イベント (石見の周布の物部のはなし) text : www.cyclesforum.net/cyclepicnic/course_syoukai/iwami/iwami.index.htm
*須佐之男命:玄松子の祭神記−text : www.genbu.net/saijin/susano/htm
*「邪馬台国論争・終結宣言」www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/index.htm
*島根県の寺院 − text : japan-web-magazine.com/Japanese/shimane/temple/index.html
*倭国と日本国の関係史−text : www.ne.jp/asahi/isshun/original/
*日本文明・・・−text : d.hatena.ne.jp/nisikiyama2-14+kurigonn-32/20140719/1405780014
*万葉作者プロフィール−text : neige7.pro.tok2.com/challenge_017.htm
*琵琶湖の霊力 −text : www.kuniomi.gr./geki/iwai/yamatai09.pdf
*古代で遊ぼ−川上しのぶ(かたばみ)――text : www.ne.jp/asahiwoodsorrel/kodai/kodai/index.html
*アマがえるブログ:ホツマツタヱ―― test : amagaeru.blogzine.jp/blogcat7330434/
2 民俗学・神話学@2ch掲示板―text : awabi.2ch.sc/min/
g 益田市鎌手海岸の絶景と、「唐音の蛇岩」―text : blog.goo.ne.jp/tako_888k/e/acb344bf302941cfc55e41b754818b07
*唐音の蛇岩・地質学・岩石学― text : www.geocities.jp/qvolcanoes/karaoto.htm
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*古代出雲「修験道と出雲」の謎(その1) text : shigechanizumo.seesaa.net/article/250825420.html
*中世 和歌年表 千人万首 text : www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nenpyo_h.html
*紀氏のルーツ.pdf
*日本史のブラックホール・四国.pdf
*古田武彦研究年譜.pdf

197 :chikara:2015/07/01(水) 01:41:35.00 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考26
*text : kenkokusi.web.fc2.com/tamayori/index.html 崎元正教 文責2013/02月吉日開設hp
*鬼と呼ばれたもの:www.fafner.biz/act9_new/fan/report/oni/onitoyobaretamono.htm
*曽尸茂梨(ソシモリ)考sosimori : Kamnavi.jp/it/sosimori.htm
*神奈備にようこそindex : Kamnavi.jp/index.htm
*たたら1:www.wakou-museum.gr.jp/iseki%20tyousa.htm
*島国観再考:岡本雅享(福岡県立大学人間社会学部公共社会学科准教授)1802_okamoto.pdfhttp://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo18_2/1802_okamoto.pdf
W高島(島根県)―Wikipedia : ja.wikipedia.org/wiki/高島_(島根県)
*高島 | 島カテゴリ | 島根 http://www.travel-mast.com/island_cat/takashima-shimane-2/
*中国四国農政局/1.古代(弥生時代〜平安末期)http://www.maff.go.jp/chushi/kj/yoshino/3/1.html
*古代以前の出雲http://bell.jp/pancho/travel/izumo/history.htm
*『わがまち桜井』目次|桜井市立図書館http://www.library.sakurai.nara.jp/original/kyoudo/wagamachi_mokuji.html
*河勝のブログ :http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=6
*飛鳥の扉http://www.asuka-tobira.com/
*秦野エイト会http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/
?八咫烏(やたがらす)とはhttps://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F-143753
* かるかんタイムズ : 【古事記の謎 】なぜ出雲は討伐されず国譲りだったのか スサノオとは 八岐大蛇とは http://karukantimes.com/archives/51340650.html
* やさしい古事記講座(173) 大国主38(宇摩の千足神社の解説): 建国と今(元から考える) http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/bloghimk_kabuk/2008/08/173_38_a7c3.html
*あかし 歴 史(万葉集)http://homepage3.nifty.com/nobu3/rekisi.manyousyu.htm
*とんでもニャ〜Mの推測3-7http://www.geocities.jp/easyclub_choro/tondec7.htm
*古代であそぼTophttp://www.d3.dion.ne.jp/~stan/index.html

198 :chikara:2015/07/01(水) 01:51:34.87 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考27
*西国の山城http://saigokunoyamajiro.blogspot.jp/
*古代出雲王国 スサノウ 谷田茂 スサノウ超考古学 : blog.livedoor.jp/shig1/
*堀貞雄の古代史・探訪館 : members3.jcom.home.ne.jp/horisadao/
W 本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、
春庵。自宅の鈴屋(すずのや)[3]にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた 伊勢・松阪http://ja.wikipedia.
org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7
W古事記伝 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E4%BC%9D
W 村岡典嗣むらおかつねつぐ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E5%85%B8%E5%97%A3
W 保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%94%B0%E8%88%87%E9%87%8D%E9%83%8E
W 前田 英樹(まえだ ひでき、1951年 - )http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E8%8B%B1%E6%A8%B9
W 小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日[1] - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家http
://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_%28%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6%29
W 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚 現在の兵庫県神崎郡
福崎町生まれ  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7

199 :chikara:2015/07/01(水) 02:15:59.85 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考28
W 鈴木重胤(すずき しげたね、文化9年5月5日(1812年6月13日) - 文久3年8月15日(1863年9月27日))は、江戸時代後期の国学者
 兵庫県津名郡仁井村 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E8%83%A4
Ask杉浦 日向子(すぎうら ひなこ、本名:鈴木 順子(すずき じゅんこ)、1958年〈昭和33年〉11月30日 - 2005年〈平成17年〉7月22日)
は、日本の漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。http://jp.ask.com/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%
90?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com
Ask三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ、明治3年3月17日(1870年4月17日) - 昭和27年(1952年)5月14日)は江戸文化・風俗の研究家
である。本名は万次郎、後に玄龍。その多岐に渡る研究の業績から「江戸学」の祖とも呼ばれる。http://jp.ask.com/wiki/%E4%B8%
89%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%B3%B6%E9%AD%9A?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com
Ask岸井良衞(きしい よしえ、1908年(明治41年)3月21日 - 1983年(昭和58年)11月15日)は昭和時代の劇作家、演出家、プロデュー
サー、時代考証家。本名は良雄。弟に俳優岸井明がいる。http://jp.ask.com/wiki/%E5%B2%B8%E4%BA%95%E8%89%AF%E8%A1%9E?
lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com
Ask稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。稲垣一城(いながき
 かずき)の筆名も持つ。本名・稲垣秀忠(ひでただ)。http://jp.ask.com/wiki/%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E5%8F%B2%E7%94%9F?lang=
ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

200 :chikara:2015/07/01(水) 02:24:07.03 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考29
Ask林 美一(はやし よしかず、1922年2月12日 - 1999年3月31日)は、浮世絵研究家、時代考証家。大阪市生まれ。大映京都撮影所勤務を経て、
江戸文芸、特に浮世絵の研究を始める。映画、テレビなどの時代考証も行い、日本のアカデミズムでは扱われない浮世絵、特に春本(艶本・春画
)について多くの編纂、紹介の書を著す。在野の研究者ながら、考証は確かで、後発の学者たちは大きな恩恵をこうむっているが、未だ正当に評
価されているとは言いがたい。jp.ask.com/wiki/林美一?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com
Ask新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側
御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家
継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折して八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚、
晩年は著述活動に勤しんだ。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、諱は
君美(きみよし、有職読みで きんみ)。http://jp.ask.com/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%99%BD%E7%9F%B3?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=
apnap=ask.com

201 :chikara:2015/07/01(水) 02:33:33.86 ID:oy4t+4iQP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考30
Ask森 ?外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、
陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森林太郎(もりりんたろ
う)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部[1]卒業。大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としドイツで4年過ごし
た。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。
その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。
乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。
 http://jp.ask.com/wiki/%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

202 :chikara:2015/07/01(水) 03:07:53.13 ID:8kIaFslyG
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考31
*森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日[1])は、日本の考古学者。同志社大学名誉教授。専門は日本考古学、日本文化史学。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%B5%A9%E4%B8%80
Askヤマトタケル(やまとたける、景行天皇2年 - 43年[1])は、記紀に登場する皇子である。ヤマトタケルノミコト(やまとたけるのみこと)とも呼ばれ、
諱は小碓尊(命)(おうすのみこと)。第12代景行天皇の皇子・第14代仲哀天皇の父。『日本書紀』、『先代旧事本紀』では日本武尊、『古事記』では
倭建命と書き、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)ともいった。また、『尾張国風土記』逸文と『古語拾遺』では日本武命、『常陸国風
土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)と書く。ヤマトタケルは『日本書紀』、『先代旧事本紀』では景行天皇
の第二皇子。『古事記』では第三皇子。母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。
 http://jp.ask.com/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

203 :chikara:2015/07/01(水) 03:47:14.89 ID:8kIaFslyG
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。インターネット ブログ、ホームページ等 参考文、歴史の糸を紡ぐ。」考32
Ask神武(じんむ、庚午年1月1日-神武天皇76年[2]3月11日)は、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。日本書紀によると、
天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日-神武天皇76年3月11日とされる。『古事記』では[1](かむやまといわれひこのみこと)と
称され、『日本書紀』では(かむやまといわれひこのみこと)、(はつくにしらすすめらみこと)、(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さのの
みこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされた。これにより、
2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止され
たものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。以下は主に『日本書紀』に拠った神武天皇の事跡である。
内容が神話的であり、神武天皇の実在も含めて現在の歴史学では、そのままの史実であるとは考えられていない。『古事記』にも
神武天皇の物語があり、大略は同じだが遠征の経路などが若干異なる。『日本書紀』『古事記』の神武天皇の記述は東征が大部
分を占めており、詳細は神武東征の項目も参照のこと。
http://jp.ask.com/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

204 :chikara:2015/07/01(水) 13:46:45.47 ID:DKj8jYywg
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「草薙の剣にかわるもの」
◎使用パソコンとウィルスバスター
*Qosmio Windows7   東芝製   ノートン セキュリティ
*dynabook Windows 7 東芝製   ウイルスバスター クラウド
*Lavie Windows 7    NEC製   ウイルスバスター クラウド
*Lavie Windows 8    NEC製    ウイルスバスター クラウド
◎使用ルーター
*au DATA08W

205 :電凸して聞いてみたら乗っ取りではなく:2015/07/01(水) 16:22:48.72 ID:WNMzlB/Qh
ロランは三度、角笛を吹く。その音色ははるか遠方に去っていた、シャルルマーニュの耳にも届く。
あれは戦を告げる音、さてはロランの身に何かあったかと馬首をめぐらさんとする王の前に、ガヌロンが進み出て、「思い過ごしでございましょう、戦などあるものか。」と、まっすぐフランスへ帰らせようとする。
だが、急を告げる角笛の音は決して消えず、人々は戦のあったことを知る。
ガヌロンの裏切りは知れ、彼は捕虜となる。
シャルルマーニュはすぐに軍を引き返させ、ロランを援護しようとする。

ロランとオリヴィエは死を予感し、捨て身の覚悟で敵陣に切り込む。
ロランはマルシルの右の拳を斬り落とす。また、マルシルの息子を斬り殺す。
だがオリヴィエは、マルシルの叔父アルガリフの手によって致命傷を負わされ、相打ちとなって倒れる。
親友が死にゆくさまを見たロランは、ようやく辺りの惨状に気がついた。
味方のほとんどが討ち死にし、辺りは死屍累々。残る味方はゴーチェとチュルパンのみ。
満身創痍の3人は、身をよせあい、せめて命の尽きるまではと死に物狂いで剣を振るう。

ちょうどその時、ようやく、フランスの軍勢が吹き鳴らラッパとどよもしが、戦場に聞こえてきた。
「まずい、本隊が戻ってきてしまった。戦闘が再開されればイスパニヤはおしまいだ!」
イスパニア軍は浮き足立つ。

サラセン人の軍勢が逃げ出した後、ロランは、戦場をまわり、12人衆の遺体をかき集める。
最後まで息のあったチュルパンも死ぬ。
ひとり残されたロランは、天然の大理石が姿を見せる木陰に倒れ伏し、そのまま気を失ってしまう。
それを見ていたのは、戦場に潜んでいた異教徒だった。
ロランが気を失ったのを見るや近づいて、その手から剣を奪おうとした。
だが、名剣を奪われそうになった瞬間、ロランははっと正気に返り、とっさに角笛オリファンで賊を殴りつける。角笛は砕け、ばらばらになって散った。
もはや生きながらえることはあるまい、と、彼は死を覚悟する。
「ならば異教徒の手に奪われるよりは、美しきデュランダル(剣の名前)よ、お前もここで果てるが良い」
剣を力いっぱい大理石に打ち付けるが、名剣は名剣たるがゆえに、簡単には折れてくれない。
ロランは嘆き、免罪の言葉を述べながら力尽きる。

http://ncode.syosetu.com/n1836cq/

206 :情報論的学習理論と機械学習 研究会:2015/07/02(木) 14:45:12.29 ID:shDIRPhEY
そして最後の一人まで天に召され、戦場が静まったのち、シャルルマーニュがようやく戦場に辿りつく。
呼べども答えは返って来ない。怒りに震える王は、全軍に追撃の命を下す。
(なぜか天使が降りてきて「やっちまえ、シャルルマーニュ! まだ日は沈まないよっ」などと、けしかけている…)
その日、日が暮れるのは異様に遅かった。フランスの軍勢はイスパニヤ軍をこてんぱんにしたあと、野原に野営する。
そのときシャルルマーニュは不吉な夢を見る。さらなる大きな戦い、鎖につないだ熊(=ガヌロン)を巡る争い。

一方、ロランによって傷を負わされたイスパニアの王マルシルは、サラゴッズへと逃げ帰っていた。
人々は戦に加護をもたらさなかった不甲斐ない神々の神像を砕き、もはや負け戦と嘆いているが、
その時、遠くバビロニアより、バリガン王の率いた軍勢がサラゴッズにやって来た。
冒頭にもあったとおり、シャルルマーニュのイスパニア侵攻は7年かけたものであり、
その最初の年に出していた援軍要請に応えた軍が、今、ようやく到着したのだった。


すでにヤル気を無くしているイスパニア勢に渇を入れ、我らなら憎きフランスを打ち破れるわと豪気なバリガン。
マルシルの軍兵は悉く敗れ去ったものの、代わりにシャルルマーニュの懐刀、ロランとその他12人衆が討ち取られたことを聞くや、勝機を見る。
シャルルマーニュの軍勢は、後退の難しいセーブル河の川べりに宿営しているという。
マルシルの仇を討たんと、バリガンは闘志を胸に燃え立たせるのであった。


翌朝、フランス勢はまだ、イスパニアに援軍の現れたことを知らぬ。
シャルルマーニュは言う、「甥(ロラン)の遺骸を捜したい、わしを先頭にやらせてくれ!
 奴はかつてこう言った、『敵国にて死ぬる時は、敵地に頭を向け、戦に勝ってこそ』と!」。
かくて戦場を前に単身ウロついた王は、緑の中に、倒れ伏したロランの遺体を発見する。
悲しみにくれるシャルルマーニュと家臣一同は、弔い合戦を誓い合う。
「おおロランよ。わしという悪い主君に逢ってしまったがために、こんなところで死なねばならぬとは。
一門に勇士はあまたおれど、そちほどの者はおらぬわ」

http://kpyzz.weeklypromo.tigermailbox.country/?sov=1090011510&hid=gymskwkwkoowqsmqiq&nodl=nodl&redid=9713&gsid=280&id=XNSX.animesin.net-r9713-t280

207 :chikara:2015/07/02(木) 16:00:24.57 ID:a9XLG/gUF
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「江川と備後・三次のまち」考
 広島県北部の三次市。このマチで橋を渡るたび思うこと。川は、どちらに流れるのだろう。南〜北、西〜北、東〜北へ、最後は江津のマチから
日本海に注ぐ。ヤワタのオロチを連想する。古代を考える人、古田武彦氏も、このマチで、万葉集を読みふけったそうだ。たたら製鉄跡、野竹遺跡
群もこのマチにある。ここから鬼刀禰族がどこへ行ったか不明である。行き先候補を3つ書き出しておこう。@陸路、「鉄の道」の雲南市〜米子市。
A芦田川〜瀬戸内海〜四国の香川・徳島。B芦田川〜瀬戸内海〜岡山県南部・兵庫県播磨。それとも、3派に分かれて全部の地へ。時代的にも
武士が世に出てきて、「太刀」や農耕の「鎌・クワ」は必需品であった。また、このマチには、市立図書館があり、数多くの本をかかえる。蔵書の中
でも江戸時代の古事記の註釈入り写本の「古事記傳」本居宣長1〜5がある。

208 :難視聴対策衛星放送、本日をもって終了:2015/07/03(金) 12:48:12.86 ID:V8+kCllCg
しかし、そんな彼でもシャルルマーニュの愛しい甥であり、最も親しい友であり、心許せる唯一無二の相手であったことは間違いない。
馬鹿な子ほど可愛いと申すべきか、無謀ながら天真爛漫ゆえの人望とでも言うべきか。
王の嘆きやいかに。人々の嘆きやいかに。
アンジュー伯ジェフロワの吹く角笛のもと、人々は死せる友人たちの遺骸を運び出そうとする。
…と、そこへ現われたる、異教徒の軍勢!

いざ、ロンスヴァル決戦・第二幕。敵はバビロニアの王、バリガン率いる異教徒たち。

http://ncode.syosetu.com/n0639cm/

209 :金髪にしたら親方からなんか言われ:2015/07/04(土) 02:22:51.84 ID:PMgEIfz0D
「突っ込めーーーーー!」
もはやそうとしか言いようの無い場面展開である。フランスだからと言って「フォロー・ミー!」とは、言っていないのである(笑)
その時、ロンスヴァル平野に展開したるフランス勢の戦力をここに挙げてみよう。

第一団・第二団はフランス人からなる10万の騎兵。
第三団はバヴァリアのつわものからなる2万の騎兵。デンマークのオジエ・ル・ダノワが指揮をとる。
第四団はアレマン人から成る2万の騎兵。大公ネームが指揮をとる。
第五団はノルマン人から成る2万の騎兵。大公ネームとジョズランが編成し、老武者リシャールが指揮をとる。
第六団はブルトン人から成る3万の騎兵。隊長はヴェドン。協力にランスのテドバルト、オトン、ネヴロン。
第七団はポアトゥーとオーベルニュのつわものから成る4万の騎兵。大公ネームが編成し、ジョズランとゴドセルムが指揮する。
第八団はフランドルとフリーズのつわものから成る4万の騎兵。大公ネームが編成し、ラムバルトとガリシアのアモンが指揮をとる。
第九団はロレーヌとブルゴーニュの人々から成る5万の騎兵、大公ネームとジョズランによって編成され、大公チエリーが指揮をとる。
第十団はフランスの精鋭10万の騎兵。シャルルマーニュが直接率いる。これで総勢、42万である。

なんという水増し増員。そんなにいねーだろ常識的に考えて…

だが「突っ込めー!」だけに、つっこみ入れてる暇も無いほど戦場はめまぐるしく動き出す。
戦も最高潮なれば、ロランが力尽きるとき叩き割ったはずの角笛オリファンが復活して戦場で吹き鳴らされていても、もはやいささかの驚きも生じ得ない。
鬨の声上げられ、バリガンは大音声にてのたまう、「愚かなリ、愚かなリシャルルマーニュ! 我が前に立ちふさがるとは。逃れていればよかりしものを! ロラン亡き後、我らに刃向かい、勝つ見込みはあらじ!」
実は敵のほうがセリフが格好いい。まあ確かに、ロランと主力の12人衆亡き後とあっては、普通は勝ち目がないと思うわなあ…。何故かそうはならないのが物語のお約束だけと゛。

http://over-lap.co.jp/narou/narou-award3/

210 :SRPGの名作をやりたい!おすすめ教えてくれ。:2015/07/06(月) 10:59:06.17 ID:2rxMA8lNx
…と、まあ、戦いは大群同士の混戦となるのだが、主力騎士がいないはずのフランス勢、なぜか強い。弔い合戦だからか。手負いの獅子か。
「なんと、フランスの手ごわいことよ」
「者ども続け! 汝ら勇士なり、われに続く意志なきものは、いまにして去れよ!」
「この戦いに手柄成したる者には麗しの姫をとらせようぞ、領土と身分も与え、取り立てようぞ!」
「皆のものよく聞け、ロンスヴァルにて討ち死にしたる汝らが愛しき者どもの仇を取られい! 異教徒に対する正義は我らにあり!」

異教徒に対する最後のセリフももちろん横暴だが、ロンスヴァルにてフランス勢が討ち死にしたのは、
ひとえにロランのせいだろう…。

決着はなかなか着かず、草原を紅に染めてもまだ終わらない。双方、味方が次々倒れていくのを見て「これではまずい」
とは思いはじめているのだが、憎しみの連鎖は止まらない。ついにバリガンとシャルルマーニュは出会い、一騎打ちとなる。
バリガンの一撃はシャルルマーニュの兜を割り、頭皮を剥ぎ取って頭蓋骨まで露出させるが、そのとき目の前に現れた天使
(と、いうか幻であの世見てるって)の叱咤のおかげで、シャルルは気を持ち直す。
くらえ反撃。渾身の力をこめた一撃は、バリガンの頭をスイカのようにカチ割って、異教の王を敗退させた。

「我、勝利したり…。」

貴方も頭蓋骨が見えてますが。


やがて、夜が明ける。
いまやサラゴッズはシャルルマーニュの手にあり、生き残ったマルシル王の后はキリスト教に改宗することを誓う。
残るは裏切り者・ガヌロンの処罰のみ。罪人を率いて国へ戻った王の軍勢、哀れなるは、何も知らず待つ乙女なり。

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211 :アガルタ人のようなある者たちが長年の間内部地球に居住:2015/07/07(火) 22:06:57.80 ID:m8BCTqbzi
オリヴィエの妹、オードは、兄と婚約者・ロランの帰りを今か今かと待っていた。
だが、戻ってきた王の告げたのは、2人の死である。それだけではなくシャルルマーニュはこんなことを。
「心配するな、替わりのものを探して取らせよう。わしの倅、ルイじゃ。いずれは王になる者、これ以上の者はあるまい。」
「ああ、なんと異なことを!」オードは泣き崩れ、こう答える。「ロラン様亡きあと、私はもはや生きながらえようとは思いませぬ!」
そして、その場に倒れ伏して死んでしまうのである。

ショック死だろうか。
だとすれば、半分以上シャルルマーニュのせいだろう。
(※ちなみに別の叙事詩では、シャルルの息子ルイはとんでもないドラ息子として描かれている。女性的に、そいつと結婚するよりは死んだほうがマシだという配慮だろう)


悲しみののち、ガヌロンの裁判は始まった。
罪状はイスパニヤ進軍中、ロランとオリエヴィエと2万の兵を王から奪い、12人衆を裏切ったこと。
それすなわち、シャルルマーニュへの謀反である、と。
しかしガヌロンは堂々としてこう答える、「ロランめが私の死を望み、わざと使者に指名したゆえにでこざいます。
私はロランに殺意を抱いたのであって王を裏切るつもりはありませんでした」
…私怨かよ、お前。
「私はロランに復讐したまでのことです。」
…でも他の12人衆と2万の兵が死ぬのは分かってたよね。

こうして一通りの答弁を終えたガヌロン、詮議の際、自らの一門の者を集め、王にとりなすよう耳打ちする。もしも自分を処刑せよと言い立てる者があっても、一騎打ちにてその者の口をふさぐようにとも。
ガヌロンが「裏切った」という証拠は無い。マルシルが最初から裏切るつもりだったんだとすれば、
ガヌロンが何もしていなくたってしんがりの軍は全滅したはず。
今回は、それがたまたまロランの軍だったということで。
所詮は官僚の世界である。
数のものいわせ反論を封じようとするガヌロン、異議を唱えたるはただ一人、ジェフロワの弟・チエリーのみ。

http://www.uniblue.com/cm/revizer/pcmechanicpm/jp_01/download/?clickid=v1_7876228_0_3o1_93F831B81F3204861362261568_9_3563148_kql2_533_93F831B81F320485816727808_m_1_6600454733295805686_6012___-1_3b_385_1

212 :AdWordsの品質スコアで知っておきたいこと:2015/07/08(水) 23:32:18.03 ID:695Kj7tQQ
「物申す。ロランがいかにガヌロンに危害を加えたとて、ロランの王への奉公は、それを補って余りあるもの。
(ぶっちゃけて言えば、「ガヌロンよりロランのほうが大事だった」と、言っている)ガヌロンには、ローラン殿を裏切りし由々しき罪あり。
私は裁きを望みまする。また、ガヌロン一門の者に不服とする者あらば、我が剣にかけて成敗いたす所存!」

とか何とか言い出せば、一騎打ちの決戦になるのは騎士の常、所詮正義とは力のことか。
受けて立つはガヌロン一門よりピナーベル、チエリーと向かい合いて剣打ち合わす。だがここへきてもガヌロン側汚し。
戦いながらピナーベル、賄賂やるからガヌロンを王にとりなせ、などと囁いて来る。「断固お断り!」チエリー烈火の如く怒り返す「お前こそ我がほうにつけ。
この戦いをここで止めれば、貴様を王にとりなしてやる。だが、ガヌロンだけは断じて許さぬ」オイオイ。真面目に戦おうぜ、君たち。

そうこうしている間に決着の時は来た。
ピナーベルの剣がざっくりチエリーの顔に切りつけ、チエリーの剣はピナーベルの頭を真っ二つ。
シャルルマーニュvs.バリガンの決着の着き方と被っているが、気にしてはいけない。
王は勝者チエリーを抱き寄せて、決闘を見守っていたガヌロン一門は30人、みな捕らえて絞首刑に処す。
ガヌロンだけは、軍馬に四肢をくくりつけて引き裂かせる極刑に処する。
さらば、ガヌロンよ。かくて復讐は完遂されり。


そののち王は、イスパニアから連れ戻ったマルシル王の后に洗礼を受けさせ、ジュリアーヌと改名させる。
これで全てが終わった…というそのとき、大天使ガブリエルが現れて言う。
「シャルルよ、全軍をひっさげインフにある王ヴィヴィアンを救え。キリスト教徒がそなたの助けを待っておる!」
「やれやれ」と、シャルルマーニュは呟く。「さても我が苦労は尽きぬのか…。」
そしてフランスの偉大なる王は、悲しみを胸に抱くいとまもあらず、次なる戦に挑むのであった。

http://ncode.syosetu.com/n3394ch/

213 :今後のライフサイエンス・ヘルスサイエンスのグランド:2015/07/09(木) 08:30:21.97 ID:Nlx4SoO1t
【原題】 Beowulf

【舞台】 初期中世 北欧ゲルマン世界

【主人公の属する属する人種】

アングロ・サクソン系 ※写本がイングランドにあり、英国の古い伝承と言われますが、ケルト人の物語ではありません
物語の舞台と登場する民族名から、南スウェーデン起源と推測されている。

【原文・使用言語】

原文は、大英博物館に納められている一種(コットン・ヴィテリアス)のみ現存。
古い写本を集めていたコットンさんという人がいて、その人が本を分類するときにローマのヴィテリウス帝の胸像を置いた本棚に納められていたことが写本名の由来。
コットンさんのコレクションは、通称「コットン文庫」といわれる。
1731年に一部が火災によって破損しており、このことが物語の読解をさらに難しくしている。

言語は古い時代の西サクソン方言からアングリアンなどが混在しており、平たくいえば部分ごとに言語が混じっている。
固有名詞もページによって綴りが違うのが当たり前。
時代を経て書き写されていくうちにそうなったのではないかと言われている。また、ところどころにルーン文字も使用されている。

【詩の成立】

アングロ・サクソンの王家では、詩人(scop)たちによって、古い時代の物語がハープの伴奏に合わせて歌われていた。
この口伝の物語が元になって、のちに「ベーオウルフ」の物語が書かれたとされ、類似する伝説は多く遺されている。
また、実際に起こった歴史的な出来事に関連する部分もあるが、直接的に元になったわけではなく、
名前を持って来て物語に歴史的な奥行きを持たせるための技巧だったようだ。

http://ncode.syosetu.com/n9718g/1/

214 :営業プロセスがブラックボックス化している課題を解決する事例:2015/07/10(金) 10:21:01.39 ID:F2xec7yk6
【特徴】
主人公の戦う相手は生身の人間や部族ではなく、怪物、魔女、竜という空想上の存在。
その意味では、史実としての戦争の記録ではなく、実在した英雄の異形を讃える英雄詩とも違う。
また、本来ゲルマンの英雄叙事詩であったものに、あとからキリスト教的な表現が組み込まれており、
古き伝統と新しい宗教とが入り混じる時代の作品であることを如実に表している。
【物語の概要】
前半/グレンデル退治
他国でグレンデル大暴れの噂を聞きつけたベーオウルフ、15人の部下とともに赴き、退治。

後半/火竜退治
前半の戦いから50年。部下が宝を奪ったことから火竜との戦いとなるも部下に見捨てられ(?)、年老いたベーオウルフは、その戦いで命を落とす。

前半と後半の間が50年も空いているという珍しいつくりだが、全体としては統一された物語で、1人の詩人の手による編纂であろうと言われている。

基本的な物語の流れは、このサイトで取り上げている他の北欧叙事詩、「ニーベルンゲンの歌」と同じ。
何より武勇と手柄を尊び、家柄や血筋に誇りを持ち、自分の一族や国を重んじるという考え方が基本にある。
また、この物語も「ニーベルンゲンの歌」と同じく、本来は異教的な伝承であったものに後世になってからキリスト教的な要素が差し込まれているが、
「ニーベルンゲン」ほど巧みには融合しておらず、あとから付け加えたであろう部分は明確にわかる。
【時代背景】
アングロ・サクソン人がベーオウルフ伝説を持ってブリテン島にやってきた頃、ローマは既に滅びていたが、ローマ化されたケルト人と、
ローマ化されないケルト人(ピクト人と呼ばれる人々なども含む)が住んでいた。ブリテン島は既にキリスト教化されていた。
アングロ・サクソン人はいわばヴァイキングである。
最初は略奪者としてブリテン島を訪れたが、やがて定住するようになり、王や貴族といった階級も生まれ、キリスト教化していく。
その過程で文字として記録されたのが、おそらく、現在残るベーオウルフ写本の始まりだったのだろう。
アングロ・サクソン人は文字を使わず、口伝のみで物語を記憶していたため、ブリテン島に持ち込まれた時点の原型は、推測するしかない。

http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA(%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3)

215 :太陽は光も熱も出さない。ただ放射線を出している。:2015/07/12(日) 03:53:31.73 ID:IFrpokOcn
われは聞く、これはシルディング族の
君主に忠実なる一隊。刀と鎧を携えて行き給え。
道しるべとしよう。



この、少々特殊な物語の読解のポイントを書いておこう。

■勇者の名前は継承される。

大きな武勇を立てた人の名前は語り継がれ、その人にあやかるために子供に同じ名前をつけることがしばしばある。
だから、同じ名前の人物が何人も登場するのは、むしろ当たり前。この「ベーオウルフ」物語の中にも、主人公のほかにもう1人、かつての英雄で「シルドの子ベーオウルフ」という人がいる。
名前だけで判別がつかない場合は、「○○族の」とか、「○○の子」といった、その人の出生を示す肩書きをチェック。


■ゲルマン人には、苗字が無い。

ゲルマン人にもケルト人にも苗字はない。
アイスランドでは現代でもファミリーネームを使わない。そもそも「苗字」という制度が出来る以前の物語だったりする。
苗字が無いので、上記のように自分の所属や家系を苗字がわりにしていました。そのせいで、1人の登場人物に対し、ついている名前は多種多様。
たとえば主人公ベーオウルフだと、「ヒゲラーク家の者」「ゲータ(族)の勇士」「エッジセーオウの子」などが苗字代わりである。


■主従関係はほぼ絶対

ヴァイキングのオキテみたいなものを想像するとわかりやすいかも。
ベーオウルフの中に登場する人々は、戦士の誇りや武勇を非常に大切にしていて、無謀に思える戦いにもサクサク出向いていく。
「ええ、何でそこでそうなるの!?」 「おいおい…、そんな無茶な」と、いう時は、まず彼らの価値観を考えてみる。すると意外にも当然の行為だったりすることがある。
また、主君への忠誠は、ほぼ絶対。ほぼ、というのは、たまに見捨てられたり裏切られたりする君主がいらっしゃるから。
ベーオウルフもあまり部下に恵まれていなかったような気がするが、多分、彼が強すぎて他の人がついていけなかったからだと…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B

216 :chikara:2015/07/12(日) 08:54:25.77 ID:pgSmtbdjz
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「島根・石見の図書館めぐり」

 図書館の司書のみなさま1300年前の出来事 (地図・紙・文字を知らない時代)です。
情報昔話を書いた本はありませんか。

@「古事記」いなばのうさぎ
 「古事記」・うたでスサノウが詠み日本最初の和歌といわれている。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
出雲を5回も連呼し、人麻呂は今後出雲のことを「八」のじで示す。宣言。

A石見地方のむかし話・・・巨人伝説は人麻呂がその土地へ行き話伝えているもの。物部族が住んでいる。キーワードは「蛇」(大蛇・海蛇)、
地名の中に「八」出雲の略字。「氣多」「氣」、「物部神社」
 益田市土田海岸・・・蛇岩  ヒサメは足長土が高島に歩いて渡るのを見た。
  推測だが、石見鎌手郷土史の著者・矢冨氏はその事を知っていたか。

B人麻呂と藤原不比等と僧侶・行基(ぎょうき)の関係。

217 :アフリカ人は出アフリカ組みに対し遺伝的に極めて多様:2015/07/13(月) 19:09:19.70 ID:DgPab2KzH
「ベーオウルフ」の邦訳は、2010年時点で以下の物が存在する。注釈がない限りは基本的に全訳。ただし、底本が異なる場合もある。
残存する写本が一種類しかないのに何故底本が異なるのかというと、
火災や経年劣化によって破損・消失した単語や文字をどのように埋めるかが研究者によって異なるため。
また、写本は人が手で写す物のため写間違い、書き間違いというものも存在し、誤っていると思われる単語を修正するかしないか、等でも研究者によって分かれるところがある。

※原語→英語→日本語 などと重訳されているもの、抄訳はここに含めていない。
訳者 出版元 出版年 備考
厨川文夫 岩波書店 1941 対訳 サイズ大きめ
長埜 盛 吾妻書房 1969 -
鈴木重威・もと子 グロリヤ出版/部分訳 1978 -
大場啓蔵 篠崎書林 1978:1985 サイズ小 物語調で一般向け
長谷川 寛 成美堂/終結部未完 1990 ラノベっぽい独特の雰囲気を持つ訳
羽柴竹一 原書房「古英詩大観」 1985 -
苅部恒徳 研究社 2007 -
忍足欣四郎 岩波書店 2004(第六刷) 文庫 原典に従いつつ読み易さにこだわる
小川和彦 武蔵野書房 1993 -
山口秀夫 泉屋書店 1995 対訳 原典の単語の並びに忠実な訳
藤原保明 筑波大学紀要 1995-6 -
杵矢好弘 甲南大学紀要 1999-2002 -


一般向け、かつ値段やサイズが手頃なものは以下。


「中世イギリス英雄叙事詩 ベーオウルフ」 岩波文庫 忍足欣四郎訳(1990)

一言一句までキチンと訳されている、と専門家のお墨付き(笑)なので、ベーオウルフを読みほぐしてみたい方にはオススメ。
巻末の考察は役に立つ。
こちらは、足りない文書や前後の出来事を極力補ってスムーズに読めるように仕立てられている。
一時期、絶版となっていたが、映画化などのブームで重版されたようだ。(2007年時点の情報)

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%96%B0%E6%92%B0%E7%B5%84

218 :chikara:2015/07/14(火) 08:52:36.65 ID:zcJtsSJIw
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歴史の糸をツムグ 三瓶山の大爆発〜サヒメと巨人〜万葉集〜出雲國風土記・国引き(植樹におきかえて)
〜古事記・稲羽の素兎〜オオクニヌシとアマテラスの国譲り〜日本國の船出」
 ・益田市図書館 蔵書
*「石見鎌手郷土史」矢富熊一郎1966

・浜田市立中央図書館 蔵書
*「井野村の歴史」井野村尋常高等小學校1932

・浜田市立三隅図書館 蔵書
*「岡見村誌」岡見郷土史研究会1930西暦に直すには+660が必要。
*「那賀郡史」大島幾太郎 昭和15年完成。としている。1940
       書中の年号には前に「紀元」○○○○年、西暦に直すには+660が必要。
*「三隅地方の神話と伝説」編集人 寺井実郎1960(昭和35年)
*「三隅町誌」三隅町編纂委員会1971(昭和46年)
*「石見・畳ヶ浦と黄長石霞石」桑田龍三1988 (昭和63年)
*「日本人の信仰心」著 前田英樹2010

・島根県立図書館 蔵書
*中山鈩遺跡「中山たたら遺跡 緊急発掘調査報告」三隅町教育委員会1983

・江津市図書館 蔵書
*「江津市の歴史」校閲 小笠原宣秀 編者 山本熊太郎1970
  江津市文化財研究会 昭和45年 p2~6

・大田市立中央図書館 蔵書
*「三瓶山 歴史と伝説」石村禎久1984 p72〜84
*「三瓶山物語」石村禎久 編集 松井辰郎1962 p58〜60

219 :chikara:2015/07/15(水) 00:27:33.97 ID:7sg90OMVZ
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「1300年前からの伝承」
 大麻山の頂上からは、いまも石見の国全域がみれる。8世紀の初め、行基と人麻呂の師弟が眺めている。あの牟婁・物部族も。
行基はこれをスケッチしている。これが、行基図の地図のはじまりだ。また夜の眺めもスケッチしている。物部族の燈台と光通信。
大山積見神を祀る神社の灯り。師弟は、舟と歩きで確認している。人麻呂が各地でウタを詠み、手記ねしている。その時のウタが
万葉集に掲載されている。三瓶山の麓の伝承「サヒメと巨人」の赤雁とサヒメの第2の飛行ルート、津和野・青の山、丸瀬山、冠山、
大田・大江高山、三瓶の原っぱの丘の赤雁山、狭姫山。もちろん、須佐や益田や三隅や浜田や江津の「サヒメと巨人」伝承は、三
瓶の麓で完結している。三隅の人々は、中山鈩跡が、海がシケになる前に吹く風で音が鳴る。事自知らない。音が鳴る事を知るの
は、江津と三瓶の麓に住む人々だけ。1300年前よりの伝承。これに気付いた人は、「石見鎌手郷土史」1966矢富熊一郎氏と「那賀
郡史」 1940大島幾太郎氏の二人のみ。

220 :chikara:2015/07/15(水) 01:01:25.11 ID:7sg90OMVZ
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「西中国・にしなかくにの規模、範囲」
天津國の西中国の範囲は江の川流域だけでなく、江の川流域を中心として広島県太田川(おおたかわ)流域、沼田川(ぬだかわ)流域、芦田川
(あしだかわ)流域、と訂正したい。古事記傳の「葦原中国」や「高天原」が「にしなかくに」存在する。このことは、遺跡や
古墳、そして出土品より推測できる。それが、663年の三瓶山の大爆発により滅び、上根の地へまっさきに駆け付けた
のが、物部族で、いち早く、大山積見神を祀る、「龍山神社(たつやまじんじゃ)」を建てていたので、不比等や人麻呂は、
出雲の国と間違った。古事記傳の「ヤマトのオロチ」。

221 :沖縄戦の流れをまとめてみる:2015/07/15(水) 21:20:55.91 ID:0uqBU+sAg
「中世イギリス英雄叙事詩 ベーオウルフ」 岩波文庫 忍足欣四郎訳(1990)

一言一句までキチンと訳されている、と専門家のお墨付き(笑)なので、ベーオウルフを読みほぐしてみたい方にはオススメ。
巻末の考察は役に立つ。
こちらは、足りない文書や前後の出来事を極力補ってスムーズに読めるように仕立てられている。
一時期、絶版となっていたが、映画化などのブームで重版されたようだ。(2007年時点の情報)


前述したように、この物語は言語自体が研究対象であり、単語の意味やニュアンスについては諸説あるため、翻訳にブレが生じるのはある程度仕方が無い。
専門家のかた曰く、「シェイクスピア時代の英語なら、日本語で言うと江戸時代くらいのもので何とか訳せるレベルだが、アングロ・サクソン語は奈良時代かそれ以前にあたり、よほどの人じゃないと訳せない」。らしい。
日本では数人しか訳せる方がいないそうな。

また、詩人が歌い上げることを目的として作られた物語のため、読んで判りやすいようには作られておらず、韻を踏んでリズミカルな文章になるよう単語が配置されている。口に出してはじめて本来の姿となるというわけだ。

従って、「ベーオウルフ」を一つの物語としてスムーズに読める文章にしようとすると、直訳よりは、欠けている単語や説明文を補ったほうがいい。
それでも読みにくいことには変わりないので、このサイトの内容が、「ベーオウルフ」の多少難解なストーリーを読みほぐす手助けになれば幸いです。

 それでは―――
 怪物と竜、勇者たちの物語、めくるめく古えの「ベーオウルフ」の世界で、良き旅を…。

http://novel18.syosetu.com/n2333cs/

222 :沖縄戦の流れをまとめてみる:2015/07/16(木) 13:44:22.68 ID:0FVuPT6K2
ストーリー要約(1) −グレンデル討伐


そのときから怪物たちはみな目覚めた、
巨霊も、妖精も、また悪霊たちも。
久しい間、神と争ってきた、巨人族も。



章 行 内容
序 1-52 序章、シルディング族(デーン人)の系譜をシルド・シェーヴィング(ロースガール王の曽祖父に当たる)の代から語る。
1 53-114 ヘアルフ・デネの次男、ロースガールがシルディング族の長となり、物語の舞台となるヘオロット(牡鹿館)を建造するが、
沼地の怪物グレンデルがあらわれ、館を占領するようになる。
2 115-188 グレンデルは夜毎あらわれて、ヘオロットの館からシルディング族の者たちを攫い惨殺する。誰もこの怪物を止めることが出来ないまま、12年の月日が流れた。
3 189-257 その噂を聞きつけたヒゲラーク家の家臣(ベーオウルフ)、人間の中で最強の勇者は、15人の部下とともにシルディング族の国デーンへと向かう。
しかし岸辺にいた番兵は、彼らを用心してすんなり通そうとはしない。
4 258-319 15人の隊を率いるベーオウルフは、番兵に、自分たちの血統・出自を述べ、援助に来たことを知らせる。
5 320-370 ヒゲラーク家の者たちは館に到着し、ロースガールへの謁見を求める。取り次いだウルフガールは、主君(兄)ロースガールにこのことを告げる。
6 371-455 ロースガールはベーオウルフのことを知っており、彼の家系について語る。謁見を認められたベーオウルフはロースガールと会見し、
グレンデルの噂は聞いている、自分たちはその怪物を倒すために来たのだ、と告げる。
7 456-498 ロースガールはベーオウルフたちゲータの勇士たちを歓迎し、ヘオロットにて宴をひらく。

http://dic.pixiv.net/a/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%89%8D%E4%BA%BA

223 :食肉生産のブラックボックスを超える:2015/07/17(金) 04:51:04.59 ID:yCAiFnrZ7
8 499-558 しかし、ロースガールの家臣のひとりウンフェルスは、このことをあまり好ましく思っていない。ベーオウルフが親友ブレカとの勝負に負けたことがある、
と挑発的なことを口にしたため、彼は、その時のことについて詳しく語りだす。
9 559-661 語りの続き。ベーオウルフの過去の武勇伝。ブレカとともに海の怪物と戦った話に、ロースガールは喜ぶ。ロースガールの妻が登場し、勇士たちを歓迎する。
10 662-709 夜を前にして、ロースガールは館から離れるが、ベーオウルフは残る。夜が訪れ、見張りの者たちは眠りについてしまうが、彼だけは目覚めていて、戦いの時を待っていた。
11 710-790 グレンデル登場。扉の留め金を溶かして押し入った怪物は、手近にいた兵士を惨殺。ベーオウルフは、武器を持たないこの怪物に素手で挑むことを望み、自分の力だけで押さえつける。
12 791-836 戦いの激しさで、ヘオロットの館は鳴り響く。ベーオウルフの仲間たちは、彼を助けようと剣を振りかざす。しかし、致命傷にはならず、ベーオウルフのもぎ取った腕だけがその場に残される。
13 837-924 グレンデルの逃げ込んだ沼は血で赤く濁っていた。人々は、怪物が死んだものと思い込み、喜びの宴をひらく。招かれた詩人はベーオウルフの過去の武勇を語り、
また、シゲムントについても語り始める。
14 925-990 ロースガールは怪物を倒してくれたベーオウルフに感謝の気持ちを述べ、息子として縁を結びたいと申し出る。例のウンフェルスは、悔しいのか黙ったまま側に控えている。
15 991-1049 戦いで傷ついたヘオロットの館が修復される。ロースガールはベーオウルフに様々な贈り物をするが、その中には、ヘアルフデネの剣も含まれていた。
16 1050-1024 歌とご馳走の宴の中、グレンデル討伐に関わった全ての者に対し贈り物がなされる。詩人はフィンの武勇についての歌を謳う。
17 1025-1191 歌の続き。フィンの死までの物語が語られる中、王妃ウェアルフセーオはロースガールのもとへ行き、たとえベーオウルフを義理の息子としたとしても、
国と民は実子に継がせよ、甥のローズルフがそれを盛り立てるだろう、と告げる。こういう王位継承問題とかはメンドウですな。(個人的?)



http://ncode.syosetu.com/n3394ch/

224 :どの惑星や衛星にも固有の生命が存在出来る:2015/07/18(土) 14:13:25.39 ID:9jVhKCsq3
18 1192-1251 ウェアルフセーオはベーオウルフに杯を差し出し、言葉をかける。しかしその時、人々は、災いが終わっていなかったことをまだ知らない。夕暮れが来て、ロースガールは床につくが…
19 1251-1320 グレンデル誕生秘話が語られる。この怪物には母なる水魔がおり、息子の復讐のためヘオロットに侵入する。しかしベーオウルフはそこにはおらず、
この水魔もグレンデルほどの力は無かった。そのため、手近にいたひとりの兵士(王の側近)を攫うに止め、すぐに退散してしまう。
20 1321-1382 攫われたのは、王の心の友だった。近しい家臣を失ったロースガールは嘆き、ベーオウルフに対し、水魔を退治して欲しい、そうすれば褒美を与えよう、と言う。
21 1384-1472 この依頼を快く引き受けたベーオウルフは、ロースガールとともに敵の本拠である沼地へ向けて出陣する。そこにはアシュヘレの惨殺死体が転がっており、
沼地には怪物たちがそこかしこに蠢いている。口先だけで腰抜けなウンフェルスは、自分が戦うのはイヤなので、持っていた剣、ルンティングをベーオウルフに渡す。
22 1473-1556 ベーオウルフは戦いに挑み、怪物たちによって水底へ引きずり込まれる。そこには水の流れのない館があり、くだんの水魔が座していた。
彼は剣を投げ捨て、己の手によって戦おうとする。魔女はベーオウルフを組み敷き、短剣で彼にトドメを刺そうとするも、先祖伝来の胸当てに阻まれ、命を奪うことが出来ない。
23 1557-1650 ベーオウルフの目に止まったものは、古伝に聞く巨人の作った大剣だった。
並の人間では使いこなせないこの剣をもって、彼は水魔とその息子であるグレンデルを滅ぼす。
グレンデルの頭を切り離したあと、剣は、柄を残して溶けてしまう。一方、水が血に染まったことでベーオウルフは死んだものと思っていた人々は、驚き、かつ喜びに沸き返る。
24 1651-1739 戦いを終えたベーオウルフは、これでもう何も心配することはない、とロースガールに告げ、戦いに使った巨人の剣の柄を渡す。
ロースガールは、かつてのデーン族の王ヘレモードにも勝れた力はあったが、後に一族に災いをもたらしたのだと言い、ベーオウルフには、そうはならないようにと忠告する。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/~amphibia/xenobiores/forum/yybbs/yybbs.cgi?pg=20

225 :銀行家と宗教指導者の多くはドラコニアン:2015/07/19(日) 16:55:30.18 ID:BIH9dlZAq
5 1740-1816 教訓の続き。どんな勝れた人間も、いつかは年を取り力を失うのだということを、老王は切々と説く。
そして、再び酒宴の席が設けられた。夜が明けて、ベーオウルフたちは国もとへ帰る準備をはじめる。
ベーオウルフはウンフェルスからルンティングを正式に譲り受けるが、戦わなかった彼を嘲ることはしなかった。
26 1817-1887 ベーオウルフたちは、ロースガール王とその王子レスリークに友情を誓い、国許へむけて旅立つ。
ロースガールは、もしも自分の息子の身に何かあったら彼がこの国を治めてくれ、とまで言い、様々な宝を贈る。だが、王には予感があった。
年老いた自分は、二度とベーオウルフと会うことはないだろう、と。
27 1888-1962 船にはロースガールから贈られた宝が山と積まれていた。この宝を持って、彼らは故郷へ帰りつく。
28 1963-2038 ベーオウルフは、主君ヒゲラークにグレンデルとの戦いの顛末を報告する。
29 − 本によって、この間を29/30に分ける場合と、すべて30に入れる場合がある。
途中、一章ぶん抜けているという解釈もある。内容は、上の続き。ロースガール王の息女、フレーアワルの政略結婚と、その失敗についての話。
30 2039-2143
31 2144-2220 ベーオウルフは、すべての宝を差し出すとともに自分が王に忠誠を誓う者であることを告げる。
(何て欲の無い…)しかし、このことが味方からの彼への嘲りを産み、王さえもベーオウルフを軽んずる。
しかし転機が訪れて、ヒゲラーク王の死と、メロヴィング王朝との戦争ののち、彼は国土の王となる。
…50年の歳月が流れたある日のこと、竜の守る宝に、手を出した男がいた。

http://novel18.syosetu.com/n2333cs/

226 :小学生に嘘を教えこむ、韓国交流グループ:2015/07/21(火) 19:16:19.79 ID:L8z+dODPr
32 2221-2311 この章もあちこち破損しています。/竜の巣に侵入した男は、
主君に罰を受けて逃亡中だった。宝を渡せば主君と和解出来ると思い盗みを働いたのたが、
実はこの宝、遠い昔、戦いで全滅した一族のものだった。それを3百年の間、竜が守っていたのだった。
 宝を奪われた事を知った竜は怒り狂い、日の暮れたあと人間への報復のため飛び立つ。
33 2312-2390 竜の吐く息は国中を混乱に陥れ、王宮までも焼き尽くす。
ベーオウルフは炎を防ぐ鉄の盾を造らせ、ただ1人で戦いに赴こうと決意しながら、
かつての戦いでヒゲラーク王が殺されたときは1人では無かった…と、彼は回想の中で語る。
その戦いから帰ってきたものはごく僅かだった。ベーオウルフは、
王の子ヘアルドレードさえも命を落としたその戦いから生還したのだった。
34 2391-2459 回想の続き。死を覚悟した彼は、自らの人生を振り返り、
王座に就いた後、ヒゲラークとその息子が殺された報復をしたことを回想する。
かつての身内どうしの争いを思い、血縁者に命を奪われるよりは戦いで死ぬほうがいいと思う。
35 2460-2601 さらに回想。ベーオウルフの祖父にあたるレーゼル王が死んだ後の争いと、
これまで自分は常に1人先頭に立って戦ってきた…と、いうことを語る。若い頃、多くの戦いに出会いながら勝ち残って来たのだから、
今度も勝つと告げ、竜の洞窟へと赴く。しかし50年という歳月は彼の体からかつての力を奪っており、部下たちは、みな逃げてしまった後だった。

http://matome.naver.jp/odai/2137067528643231501

227 :chikara:2015/07/23(木) 08:58:53.94 ID:EAnw+0hrr
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「1300年前からの伝承」 スレ219の訂正文
 大麻山頂からは、いまも石見の国全域がみえる。8世紀の初め、行基と人麻呂の師弟が眺めている。あの牟婁・物部族も。
行基はこれをスケッチしている。これが、行基図の地図のはじまりだ。また夜の眺めもスケッチしている。物部族の燈台と光
通信。大山積見神を祀る神社の灯り。師弟は、舟と歩きで確認している。人麻呂が各地でウタを詠み、手記にしている。その
時のウタが万葉集に掲載されている。三瓶山の麓の伝承「サヒメと巨人」の赤雁とサヒメの第2の飛行ルート、益田・比礼振
山や種〜津和野・青の山、大麻山の南・丸瀬山、冠山、大田・大江高山、三瓶の原っぱの丘の赤雁山、狭姫山。もちろん、
石見の国の「サヒメと巨人」伝承は、三瓶の麓で完結している。須佐、益田、三隅や浜田の人々は、中山鈩跡が、海がシケに
なる前に吹く風で音が鳴る、事自体知らない。音が鳴る事を知るのは、江津と三瓶の麓に住む人々だけ。1300年前よりの伝承。
これに気付いた人は、「石見鎌手郷土史」1966矢富熊一郎氏と「那賀郡史」 1940大島幾太郎氏の二人のみ。

228 :医者とヒーラーの多くは実際にはプレアデスの出身:2015/07/23(木) 19:18:04.68 ID:Hs34L+dhT
36 2602-2693 ただ1人、ウィーラーフという若者だけは、主君の苦しむのを見て加勢に加わる。
ベーオウルフは自らの盾でウィーラーフを庇い、竜に名剣ネグリングを突き立てるが、その剣は真っ二つに折れてしまい、彼は竜の渾身の一撃で首に致命傷を負う。
37 2694-2751 武器を失ったベーオウルフは、なおも力を振り絞り、焔の中、素手で竜を締め上げ、ウィーラーフが竜を切り裂くことに成功する。
しかしベーオウルフの体内には竜の毒が回っており、身動きすることが出来なくなっていた。死が間近に迫った事を知った彼は、ウィーラーフに、竜の宝を確認するよう告げる。
38 2752-2820 隠れていた部下たちは、竜が死ぬや否や宝の品定めに入る。ウィーラーフは宝の一部を持って大急ぎでベーオウルフのもとに報告に戻るが、彼はもはや死にかけていた。
ベーオウルフは、民が多くの宝を手に入れたことを喜び、自分の死体は火葬して岬に埋葬して欲しい、と遺言し、自らの武具をウィーラーフに与える。
39 2821-2891 目の前で王を失ったウィーラーフの悲しみは深かった。宝は手に入ったものの、それはベーオウルフの命と引き換えにであったからだ。ウィーラーフは、戦いから逃げ出し、王を見殺しにした部下たちに怒りの言葉をぶつける。
40 2892-2945 ウィーラーフの指示で、知らせを待っていた人々に、王の死が告げられる。このことが近隣に知れ渡れば、また再び争いが起こるだろう…。
41 2946-3057 使者が、かつての激しき争いの展開と結末について続きを語り終えたとき、人々は立ち上がり、竜との戦いの現場へ赴く。
竜の焼け焦げた死体の側には、古代の錆びた剣が転がっていた。

http://ncode.syosetu.com/n2361by/

229 :爬虫類人が支配する月は「巨大な宇宙船」であり:2015/07/25(土) 06:56:42.45 ID:7ni/fxh+X
42 3058-3136 宝には、それを手にいれようとする者が苦しむよう呪いがかけられていたのだった。
ベーオウルフさえも、その運命からは逃れることが出来なかった。
ウィーラーフは、人々に王の遺言を告げ、宝を運び出し、葬儀の準備をするようにと指示する。
43 3137- 竜の死体は海に投げ込まれ、ベーオウルフの遺体は、ロネスネス(鯨岬)へと運ばれ、火葬される。
そこには、海の上ならどこからでも見えるほどの小高い塚が築かれ、黄金が共に埋葬された。
こうして、民の嘆きとともに、ベーオウルフの生涯と物語は静かに幕を閉じる…。

http://ncode.syosetu.com/n8239l/

230 :chikara:2015/07/25(土) 10:08:38.41 ID:n4NiwL8YM
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「天つ神社(あまつじんじゃ)・上根妙見山」
「昭和44年八千代町郷土史」1969 P 251〜267で現代の黄幡社(おおばんしゃ)の場所にあったとのこと。古老の言い伝えでは、
龍山神社(たつやまじんじゃ)よりふるくからあったと記あり。廃社ではあるがかなり大きな社であった。
chikaraのひとりごと。・・・>三瓶の噴火で焼け残った可能性がある。江の川流域を中心とした国・天津國の西中国(にしなかく
に)で唯一のもの。その後、最初にやって来たのが四国にいた物部族。まず、龍山神社を建立し、開拓した。次に来たのが、
スサノウと鬼刀禰で、植樹をした。 当時ゴウの川、ゴウの字じは「龍が9頭」と書いていた。ヤマタノオロチは、9頭から龍山神社
に1頭取られた=スサノウに退治された。8頭になり最後に江津から日本海へ注ぐ。斐川(ひのかわ)の水源が国王ヶ池(ごこうが
いけ)で、大蛇の出現場所。1300年前からの伝承。

231 :chikara:2015/07/25(土) 21:23:04.59 ID:OKBOPntht
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「和泉式部や浅利姫は人麻呂のペンネーム?」
石見の国を行基と旅するのに、女性の名も使用したのでは、ないか?
たとえば、「和泉式部」「子式部」これは、三隅町小野に地名がついていなかったので、「子落し」と手記したのではないか?
越物部の入植地の「松原」を記憶するために、このペンネームを使ったのではないか?
「浅利姫」は、「浅利」の地名を記憶するために、手記にし、このペンネームを使ったのではないか。

232 :久留米市立・高牟礼中学校校長と教師の皆様へ公開質問:2015/07/27(月) 19:52:12.96 ID:Rsxa3b6cZ
筑陽神社 島根県松江市東出雲町下意東字宮山815
笠屋神社 山梨県南アルプス市小笠原469浅殿神社 滋賀県野洲市比留田693
箕島神社 滋賀県高島市安曇川町三尾里558
宇伎多神社 滋賀県高島市野田501池田神社 静岡県静岡市駿河区池田1207
那閉神社 静岡県焼津市浜当目3−14−13
澤神社 京都府綾部市栗町裏山2與能神社 京都府亀岡市曽我部町寺蛇谷1
高知坐神社 高知県宿毛市平田町戸内4233天高市神社 奈良県橿原市曽我町字宮久保659
飛鳥坐神社 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708
鴨都波神社 奈良県御所市宮前町513河俣神社 奈良県橿原市雲梯町689
狹井坐大神荒魂神社 奈良県桜井市大字三輪狭井
長津瀬神社 長野県上田市長瀬2375厳島神社 広島県廿日市市宮島町1−1
大倭物代主神社 兵庫県宍粟市山崎町下牧谷宮ノ谷299小野神社 境内 三嶋神宮 東京都多摩市一ノ宮1−18−8
城上神社 境内 恵比須神社 島根県大田市大森町イ−1477
大年神社 境内 恵比須神社 島根県江津市和木町41阿須利神社 および境内 恵美須神社 島根県出雲市大津町龍王山3668
賣布神社 境内 恵美須社 島根県松江市和多見町81彌久賀神社 境内 恵比須神社 島根県出雲市湖陵町大池1302−1
砥鹿神社里宮 境内 三河えびす社 愛知県豊川市一宮町西垣内2
海津天神社 境内 恵比須神社 滋賀県高島市マキノ町海津1253−2
小槻神社 境内 恵比須社 滋賀県草津市青地町873赤田神社 境内 恵美須神社 山口県山口市吉敷780
山口大神宮 境内 恵美須社 山口県山口市滝町4−4
小田井縣神社 境内 恵比須社 兵庫県豊岡市小田井町15−6
織田神社 境内 織田恵比須神社 福井県三方郡美浜町佐田97−6
春日大社 境内 市ノ井恵毘須神社 奈良県奈良市春日野町160
村屋坐弥冨都比売神社 境内 恵比須神社 奈良県磯城郡田原本町大字蔵堂字大宮426
印岐志呂神社 境内 恵比須社 滋賀県草津市片岡町245
大縣神社 境内 大国恵比須神社 愛知県犬山市宮山3

http://home.hiroshima-u.ac.jp/~amphibia/xenobiores/forum/yybbs/yybbs.cgi?pg=20

233 :囲い込み” 「生活保護費を打ち切る」と虚偽の説明:2015/07/28(火) 04:24:21.85 ID:hU7n+lOZN
ヘレベアルド 王兄 ヒゲラークの父、レーゼルの長男。弟の矢に当たり死亡。 −
ヘスキュン
(ハスキュン) 王兄 国がオフテレとオネラの襲撃を受けたとき、
スウェーデンに出兵して討ち死にする。 −
レーゼル
(フレーゼル) 先王 ヘレベアルド、ヘスキュン、ヒゲラークの父。
孫のベーオウルフをひきとって育てていた王。 −
ウィフスターン
(ウェーオホスターン) スウェーデン
王家出身 ウェーグムンディング一門の貴人。
かつて、スウェーデン王オネラのもとに仕え、叛旗を翻した
エーアンムンドを討ち、その剣を奪う。 −
ウィーラーフ
(ウィーグラフ) 王の親戚、部下 ウィフスターンの息子。ベーオウルフの父、エッジセーオウと、
ウィフスターンはともにスウェーデン王家出身。
一族の最後の一人が、彼である。 後
ヘアルドレード
(ヘレベアルド) 王位継承者
(だった) ヒゲラークの息子。
スウェーデンの王権争いに巻き込まれ、戦いで命を落とす。 間
エアヴォル
(イオヴォル) 王の血族 父/ヒゲラーク
過去の回想に何度か登場。

http://kyomatsu.sakura.ne.jp/imageboard/imageboard.html

234 :開発者のための WebKit:2015/07/29(水) 08:18:52.60 ID:x3Pwv45BI
デーン族(シュルディング)

岩波文庫版では「デネ族」となっている。デネはデンマーク人のこと。別名イングウィネ。

名前 地位 家系・関係 登場
ヘレモード 過去の王 かつての悪王。巨人に欺かれ異境で死ぬ。その後、シルドが流れ着く。 −
シルド
(シュルド) 過去の王 波を越えてやって来た、デーン族の伝説の王。
「シェーフの子シルド」という意味でシルド・シェーヴィングとも。
死した後は、船に乗せられ海へと送り出された。 −
ベーオウルフ 過去の王 シルドの息子。主人公ベーオウルフとは、同名だが別人。 −
ロースガール
(フロースガール) 王 曽祖父/シルド・シェーヴィング 祖父/ベーオウルフ 父/ヘアルフ・デネ
かなりのご高齢のようです。 前
ヘオロガール
(ヘレガール) 先王 ヘアルフ・デネの息子、ロースガールの兄。死去。
死因は不明。死後、弟のロースガールが王位を継いだ。 −
ハルガ 王族 ロースガールとヘオロガールの兄弟。 −
ローズルフ
(フローズルフ) 王弟 ヘアルフ・デネの孫、ハルガの息子、ロースガールの甥。
優しい、人望が厚いなどの話が出てくるが、その信頼とは裏腹に、
ロースガール亡きあと、その若き息子たちから地位を奪わんと謀反を起こす。 前
ウェアルフセーオ
(ウェアルフセーオウ) 王妃 ロースガールの妻。 前
レスリーク
(フレースリーチ) 王子 ロースガールの息子。長男。

http://ant.edb.miyakyo-u.ac.jp/QJ/

235 :電気を生命力の源とするある知的生命体はクラゲのような姿:2015/07/30(木) 03:50:02.93 ID:dhU3MTPpw
ロースムンド
(フロースムンド) 王子 レスリークの弟。 前
フレーアワル 王女 ロースガールの娘。
のちに、ヘアゾベアルド族の首領インゲルドのもとに嫁ぐが和平はならず、
争いとなり、フレーアワルとインゲルドの仲は険悪になってしまう。 −
ホンドショー
(ホンドシオーホ) 家臣 グレンデルが襲ってきたとき、最初に落命する家臣。 前
ウンフェルス
(ウルフェンス) 家臣 父/エッジラーフ 兄弟/兄弟を殺した、との記述が出てくる。
ロースガールに仕える戦士の一人。ベーオウルフに剣を渡す。 前
アシュヘレ
(アッシュヘレ) 家臣 弟/ユルメンラーフ
老顧問官。グレンデルの母なる水魔に殺害される。

http://ncode.syosetu.com/s1626b/

236 :「江戸しぐさ」のとんでもない捏造:2015/07/31(金) 12:01:38.42 ID:4S5MRYYEu
その他(他の国の人たち&分類不明)

ヘアゾラフ
(ヘアゾラーフ) ウィルヴィング族 主人公ベーオウルフの父、エッジセーオウがかつて戦で倒した勇士。
この男を倒したことから、エッジセーオウはデネの国に渡ることになる。
シゲムント
(シィエムンド) 詩人の語り ワルス(ウェルス)の子。龍を倒した伝説の英雄。
「ニーベルンゲンの歌」に出てくるシゲムントと同一人物。
フィテラ 同上 シゲムントとともに旅をしたという人。詩人の語りの中に出てくる。

http://ncode.syosetu.com/n6337cb/

237 :日本の学校で教えられる近代史は嘘です:2015/08/01(土) 14:40:54.62 ID:nzWfkdEl6
フィテラ 同上 シゲムントとともに旅をしたという人。詩人の語りの中に出てくる。
フィン フリジア王 フォルクワルダの子。フリジア人の王。ヒルデブルフを妻とする。
フネフ ヘアルフデネ ヘアルフデネの首領。
妹ヒルデブルフがフィンに嫁ぐが、そのフィンの裏切りによって命を落とす。
ヘンゲスト
(ヘンジェスト) ヘアルフデネ フネフの家臣。武将。
主君の暗殺後、フィンと和平を結ぶが、やがて復讐のためグースラーフらとともにフィンを殺害する。
グースラーフ ヘアルフデネ 旅から戻り、主君フネフが暗殺されたことを知り、逸る心を抑えかね、フィンを殺害する。
オースラーフ ヘアルフデネ 同上

https://ja.wikipedia.org/wiki/BIG-4

238 :もうすぐ北風が強くなる エコの嘘と洗脳:2015/08/02(日) 02:58:07.70 ID:SgF82GOmi
ハーマ 詩人の語り ブロージングの首飾り(ブリシンガメンと同義)を持って逃亡する人物。
ヴォルスンガ・サガやシドレクス・サガのヘイミル(ハイメ)のことと思われる。
エオルメンリーチ 同上 ハーマに首飾りを奪われた王。エルマナリク、エルムリッヒと同一人物。
スリュス
(モードスリューゾ) ? オッファ王の妃。以前は残忍な人物だったが、
夫を持ってからは生まれ変わったような賢夫人に。
…ヴァルキューレ?^^;
オッファ ? ヘミング(ヘムミング)の親族。
エオメル
(エーオーメール) ? オッファの息子。ガールムンド公の甥(孫?)にあたる。
インゲルド ヘアゾベアルド フローダ王の子。ロースガールの娘、フレーアワルを娶るが、和平はならない。
エーアンムンド シルヴィング
(スウェーデン) シルヴィングの先王、オフテレ(オーホトヘレ)の息子。
現在の王で叔父であるオネラに叛旗を翻し、ゲータ族の国に助けを求める。
エーアドギルス
(エーアドイルス) シルヴィング
(スウェーデン) 同上。
オネラ シルヴィング
(スウェーデン) シルヴィングの王。オフテレの弟。
ヘアルドレードの跡をついで王となったベーオウルフが
エーアドギルスに手を貸し、倒す。
ダグレヴン
(デイフレヴン) フリジア ヒゲラーク王の殺害者と思われる勇士。
戦場にてベーオウルフと一騎打ちして破れ、命を落とす。

http://ncode.syosetu.com/n6337cb/

239 :アササニ文明。それらの系(天体の集まり)は太陽系にとても近い:2015/08/04(火) 02:28:02.45 ID:kmRkCdwmw
 岩波文庫版の「ベーオウルフ」を参考にして、登場人物の系譜を作ってみた。
 名前の読み方は泉屋書店のほうにあわせてますが、何でかというと字数が少なかったので…(そんな理由かよ)

 人物名の下の数字は、生存年。出典は、グレゴリウス(Gregorius Episcopus)の著書…「史書」(Historiarum Libri Decem=直訳すると歴史十巻)または「フランク史」(Historia Francorum) とのこと。
 生存した時代は5世紀頃ということで、「ニーベルンゲン伝説」の人物たちや、「ディートリッヒ伝説」に登場する人物の、実在モデルたちと、ほぼ同じ。

 生没年がついていないのは、実在したかどうか分からない人物。この物語には、実在と虚構が交じり合っている。

ウェデル族(ゲータ)

http://www27.atwiki.jp/duel_masters/pages/7305.html

240 :ガン細胞は、ミトコンドリア機能不全細胞です:2015/08/05(水) 11:08:30.66 ID:TQdd5OVbJ
「ベーオウルフ」内に登場する神はキリスト教の神であるが、物語の内容は紛れもなく異教的で、ゲルマン民族の世界そのものである。
 ある考察によれば、この物語内に登場する人物たちの祖先は、海を越えてやってきた農耕神かもしれないという。

 ノルウェー、スウェーデン南部からデンマーク北部に住むゲルマン民族の始祖Scyld−Scefing(シルド・シェーヴィング)は、穀物の束を持って潮流を流れて来たという漂流伝説が存在するという。
 「ベーオウルフ」冒頭の、シルドを埋葬するシーンを見てみよう。


 その時、親しい伴人たちは、その自ら願ったように、
 この人を海の流れへ運んだ。
 ありし日はシルディングの友として言葉で治め、
 愛せられる国王として久しく(国を)領していたが。
 そこには港に舳先に金輪をつけて
 氷結び、出で立つ用意して貴人の船は立つ。

 <中略>

 人々はこの人に贈り物と巨宝とを備えたが、
 その数は、始め子供の頃に
 ただ一人浪を越えて、この人を送り出した人々の
 心尽くしに劣りはない。                    【泉屋書店版より/28−46】

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/383314/blogkey/1189220/

241 :6億の人がシドニア地区付近の地下に住んで:2015/08/06(木) 17:07:32.79 ID:JtTjmWNe9
 つまり、シルド・シェーヴィングは子供の頃に、船に宝とともに乗せられて漂着し、土地の人々に育てられて、偉大な首長へと成長した、外来者なのである。
 これがどうして農耕神になるのかというと、

1.シェーヴィングという名は「シェーフの息子」を意味し、シェーフ(Sceaf)は一般に「穀物束」と解されている。
2.北欧神話において、海と豊穣の神であるニョルズや、その息子フレイが属するのはヴァンル神族という、外来者たちである。

 …と、いう二つの理由が挙げられる。
 また、比較神話学者は、日本や朝鮮半島にもある「漂着王」との関連も述べているが、このあたりは今ひとつ得意分野ではないので、省く。

 とかくシルド・シェーヴィングは、人々も語るとおり、外来のものだった。
漂着した子供を神の子とみなし、死後に伝説化することは、想像に難くない変化だろう。こうして、シルドの子孫は「神の子」となる。
 主人公ベーオウルフの属するウェデル族、ロースガール王のデーン族ともに、この神の末裔に当たる。

 こうしてみると、考えかたによっては、この「ベーオウルフ」という物語は、
ベーオウルフという人物個人をたたえるものではなく、農耕神であり、
渡来の神の末裔である民族そのものの栄光を歌うためのものだ、と言うも出来そうだ。
 そう考えれば、物語の始まりが主人公であるベーオウルフではなく、シルドの息子である、
もう一人のベーオウルフから始まる疑問にも説明がつく。シルドが神ではなく一人の人間として描かれているのも、
物語がキリスト教圏で作り変えられたときの修正だったのかもしれない。(サクソの「ゲスタ・ダノールム」にも、
オーディンを人間の初代王として、ウプサラに国が作られたのがアース族のはじまりだ、という、
神から人への転化をあらわす話がありました。)

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%81%AE%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E5%86%92%E9%99%BA#

242 :カーボンナノチューブに発ガン性!というウソ:2015/08/09(日) 19:45:11.68 ID:BrOlHeFO1
 しかし、そうすると、主人公ベーオウルフの死とともに予言される一族の滅亡は、民の繁栄をたたえた歌としては随分と意味深長だ。
 北欧の神話では、神々さえも最終戦争によって滅びなければならない。
 神の子孫の滅亡は、或いは、世界の終末と再生を歌うゲルマンの伝承にとっては必然的な結末だったのかもしれない。


+++

 ところで、北欧において、豊穣はしばしば「海」と結び付けられている。
 北欧神話に登場する裕福な神、ニョルズは海神であり、その息子フレイは、豊穣を与える力を持つという。
 また、北欧神話とは違うが、叙事詩「カレワラ」に登場する、大地を富ませる装置”サンポ”は、略奪戦争の結果、海に沈む。
その結果、海は大地より肥沃になったのだという。
 これらは、厳しい寒さと短い夏のため、大地の実りが少ない北国ならではの感性と思うが、ベーオウルフもまた、海と深く結び付けられた存在である。

 まず、ロースガール王の館においてベーオウルフと友人ブレカと泳ぎ比べをした、という過去の話が語られている。
冬の海で、しかも鎖鎧を着たまま5夜も泳いでいたというから、すごい話だ。(第8節)
 次に、ベーオウルフの母、水魔との戦いのため、湖にもぐる場面である。
ベーオウルフは、水底の水魔の館に辿り着くまで、まる一日、水の中を進んだという。(第22節)
 見落としがちな場所だが、もう一箇所ある。
 ベーオウルフが仕える王であり、叔父でもあるヒゲラーク王が戦死した戦いを回想するシーンである。
ここで、ベーオウルフは海を泳ぎ渡って帰国したことが語られているが、戦場はフリジア(位置的に、だいたいデンマークの西のほう)である。
 そこから「海を」渡って、ノルウェー側にある国に帰ってきたのだから、鎧を着たまま海峡を横断したことになる。(第33節)

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90

243 :つのものが類似している場合、それらは摩擦を起こさず:2015/08/10(月) 22:07:42.31 ID:7A2i/NnJY
 いずれも、ベーオウルフと海の強い関係を示していると思う。
 (ちなみに「カレワラ」でも、主人公ワイナミョイネンが波間をただよい、ポホヨラに漂着する場面がある。)

 その、「海」と関係あるベーオウルフが、前半で、「水の」魔女であるグレンデルの母を倒し、
後半で「火を」吐く竜に倒される、というのは、何とも示唆的な気がする。
 彼は、自ら「海の近くに葬ってくれ」と、遺言してもいる。

 ベーオウルフと豊穣を象徴する「海」の関係、そして、豊穣神シルド・シェーヴィングの息子と同じベーオウルフという名前、
…これらは、一つに繋げて、何らかの関係あるものと考えても、あながち間違ってはいないような気がする。

 <もしも、ベーオウルフがかつてのシルド・シェーヴィングと同じく、豊穣、国を富ませる力を持った人物だったとしたら?
 その死が、一族にとっての没落を意味することは明らかである。そう考えれば、最終節で謳われる、王国の挽歌にも理由がつくのではないだろうか?…>
http://dic.pixiv.net/a/%E6%A6%8A%E9%81%8A%E7%9F%A2

244 :chikara:2015/08/11(火) 23:01:22.94 ID:9Y5hwG7p8
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「万葉集」考。
 チ・ミョンクヮンやイ・ヨンヒが指摘するように、「万葉集」は、隋・唐語と百済・新羅語と倭・日本語で構成されている。ここで、
考えられること。古事記、日本書紀、万葉集の歌の全部を人麻呂が造った。唐が日本へ攻め込まぬように!盾となっている。
山城や防人も書が先で、後からつくられもの。この英雄たちは、三国志の孔明より凄い。

245 :フィールドを作って推移物質と交差する:2015/08/20(木) 02:23:16.88 ID:k2tCuJ6ie
詩人は、名に何を託したのか

 物語の中に登場する人物のほとんどは、実は実在していた人物だといわれている。 しかし、中には実在していなかった架空の人物も存在していた。
 実を言うと、主人公のベーオウルフも、存在した証拠の無い人物なのだが―――、
 この、架空の人物たち、いわば物語を進めるために生み出された人物たちの名前には、様々な意味合いがこめられているようだ。

 例えばウンフェルス。
 彼はロースガール王の家臣のひとりで、ベーオウルフに嫉妬を抱き、難癖をつける人物だが、この名前には、「不和をもたらす者」の意があるそうだ。
このような縁起の悪い名前がつけられることは無かったはずで、これは、ウンフェルスが詩人によってベーオウルフに対抗する悪徳の象徴として生み出されたことを意味しているという。

 次はウィーラーフ。
 北欧ではよくある名前らしいのだが、言葉どおりに訳すると「戦に生き残りしもの」。主君ベーオウルフとともに竜と戦い、生き残る彼には相応しいと考察者は述べている。

 さらに第16節から17節へと続く、吟遊詩人の歌に登場する、グースラーフとオースラーフという人物がいる。
 グースラーフは「戦いの生き残り」の意、オースラーフは、「オルドラーフ」の写し間違いではないかとみなされ、こちらも「切っ先を逃れた者」という意味。
戦いに生き残る者につける名前には、ふさわしいと思われる。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%BA%A7

246 :人の原点は移住した8つの星座の34種類の星の人々:2015/08/21(金) 22:45:07.09 ID:m8O2xhZZE
 このように見てくると、主人公ベーオウルフの名に課せられたものも、あるいは、かつて存在した過去のベーオウルフ、シルド−シェーヴィングの息子としてのベーオウルフの再現であったのかもしれない。
「転生」というと別の神話世界の話になってしまうが、かつての指導者の息子と同じ名を持ち、人間離れした力を持つ英雄ベーオウルフには、確かに半神としての素質は備わっているのだろう。


 また、古代北欧社会には、次のような名前にまつわる常識があった。

・まだ名前をつけられていない子は、人間とはみなされない。
・従って、名前をつけられる前の新生児は、殺しても罪にはならない。
・子供に悪い名前をつけると、早死にすると信じられていた。

 そのために、過去に偉大な行いをした王の名前などを好んで子供につけ、その人物のようにあれ、と願ったのである。
 名前がいかに重要な意味を持つかが、伺える。

 つまり、名前には、すべて意味があると考えたほうがよい。
 北欧神話の文献「エッダ」において、登場する全ての人物に対し、名前の意味の分析が試みられているのは、そのような理由もあると思われる。
名は体を現す、ではないが、神話上の登場人物ともなればこそ、つけられた名前は、おそらく、その人物の本来の姿、あるいは本質をあらわす可能性が高くなる。

http://matome.naver.jp/odai/2139356833992229501

247 :二元性を超えた高次元への入り口です。:2015/08/22(土) 05:02:16.19 ID:Cq6pCW0fp
 しかし名前の意味だけが、その人物の全てでないことも、確かである。
 生きた人間が次第に成長していくように、神話や伝説の中の登場人物たちも、語り継がれるうちに、少しずつ性格を変えていく。
 物語の中で果たされる役割と、名前の意味、この二つをそろえて考えて、はじめて、その「人物」の姿が見えてくるのではないだろうか…。

http://ncode.syosetu.com/n4076cm/

248 :地殻上部における金属元素の濃集:2015/08/23(日) 07:59:16.39 ID:/+RkCHoNF
ベーオウルフは、
なぜ死ななければならなかったのか




 「ベーオウルフ」の物語は、前半と後半に分かれている。この後半で、主人公であるベーオウルフは単身竜に挑み、命を落とす。
 しかし、この死にはいくつかの不可解な点があった。
 まずは、高齢になっているにもかかわらず、ベーオウルフがたった1人で戦いに赴いたことだ。同行した12人の部下たちのうち、逃げずに戻って来たのはウィーラーフのみ。
また、竜と戦った時期も、前半から50年もの隔たりがある。

 これについて、前半と後半はある意味をもって対を成している、と考える一派がある。
 前半はベーオウルフの誉れと名声を、後半はその没落を描く、というものである。前半でのベーオウルフは謙虚であり、
神のご加護を受けていたから魔物グレンデルに勝つことが出来たのだが、後半は、王座につき奢っていたために神の寵愛を失ったのだというのだ。
 もっとも、これについては、多くの反論がある。
 もし神の寵愛を失っていたなら、相打ちとはいえベーオウルフは竜を倒すことは出来なかったはずであるし、
本文を読む限り、後半のベーオウルフが奢った王であるとは到底言えない。
 また、キリスト教的な要素が、物語の成立以後に付加されたものである可能性も考え合わせれば、この没落説には疑問を感じざるを得ない。

http://asvaghosa.blog.fc2.com/?mode=m&no=9

249 :UFOはコロナにある内部文明に向かうものです:2015/08/24(月) 06:53:44.28 ID:T7tVPc6za
 そもそも一番の疑問点は、民に慕われ人望も厚かった良き王ベーオウルフが、最後の最後で部下たちに見捨てられ、
孤独の戦いで命を落とした点にあるのだ、と多くの研究者は指摘する。なぜ彼は部下に見捨てられなければならなかったのか
。その直前に、彼への信頼を失わせるような出来事があったのではないか――と。

 しかし私は、この考えにも異議を唱えたい。
 ベーオウルフは孤独のうちに死んだのではなく、部下のウィーラーフの助けを得て、ともに戦い、竜を倒している。
 巨大な竜を前にして怯えるのは、人間の当然の心理であろう。
その当然の心理に基づいて逃げ出してしまった11人の部下たちは責められるべきではない。ウィーラーフとて、はじめは怖気づいて動けなかったはずだ。
 この恐怖の中からただ一人、ウィーラーフだけが、恐怖を乗り越えて現場に戻ることが出来た。それだけでも勇気ある行動だ。

 北欧の伝承では、竜を倒すことが出来るのは、シグルドのような神の血を引く特別な存在だけだった。
 ドイツの英雄叙事詩 「ヘルデン・ブッフ」においても、そうだ。
英雄たちは皆、成功するにせよ、失敗するにせよ、竜には一人で挑み、 たった一人で戦う。
 しかしベーオウルフは違っていた。
 彼のもとには、縁者ウィーラーフが戻ってきた。戦いは二対一だった。

http://stophimitsu.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-7865.html

250 :tsu(スー)という新SNSの紹介、拡散騒動に対する疑問:2015/08/25(火) 10:30:34.84 ID:oxAPGj6wb
 戦いの前、ベーオウルフは竜の吐く火炎に具えた特別製の盾を作らせていたが、
ウィーラーフの持つ盾は普通の盾だったため、炎によって砕け散ってしまう。ベーオウルフは彼を庇う。
ウィーラーフは、炎に手が焼けるのも構わず、竜の腹に一撃を繰り出す。
 しかして、剣を失い劣勢にあったベーオウルフもまた、竜に、トドメとなる一撃をくらわすことが出来たのである。

 老いてなお、民のためと言い竜に立ち向かい、その背中を、恐怖を振り払った若者が追っていく。
 そこには、奢り高ぶった王の姿も、老いて力衰えた戦士の姿もない。
 あるのは、勇敢で、身内思いの慈悲深き勇者の姿だけなのだ。


 ベーオウルフは、決して自らの非によって死ぬさだめにあったのではない、と、この物語を愛する幾人かは言う。
 それは、戦の民としての運命であり、戦場で死んだ者は天の宮殿に迎え入れられる、という信仰のもとに生きる、ゲルマン勇士のさだめられた結末なのだ、と。
 私もそう思う。
 もしも、この人物が戦士として衰えた人物なら、戦乙女たちは天への扉を開け放たず、戦いの場において誉れある死を与えたりはしなかっただろう。
彼の思いは、次の世代を担う若者、ウィーラーフへと受け継がれた。
それは、この物語を語った者が、ベーオウルフが孤独のうちに死なせたくなかったが所以である。

 死は、誰のもとにも訪れる。どんな高名な者も死ぬ。
 だからこそ、その死は彼にふさわしい形で訪れる必要があった。たとえば…”竜との戦い”といった。
 北欧神話・叙事詩の一端としてこの物語を読むのなら、彼の死は、彼自身に与えられる最高の褒賞として描かれたクライマックスだったのではないだろうか。

http://ncode.syosetu.com/n1771d/

251 :日本製「先行者」開発プロジェクト:2015/08/26(水) 21:14:56.57 ID:+xxozCrw4
敵対者たちは何者であったのか

 この物語が書かれた当時の人々にとって、竜は実在するものであったらしい。
 歴史書に、「竜の飛来」を書き記すほど、空想と現実がいりまじっていた。あるいは、理解しがたいものや、特定の気象現象 を、生き物になぞらえたものが「竜」だったのかもしれない。
 ただし、その竜とは東洋の神々しいイメージではない。
邪悪な生き物であるとのイメージであったが、トカゲの形をして、コウモリの羽根などが生えているわけではなかった。羽根がコウモリのようなものであることもあれば、 鳥の羽根であることもあり、
さらには羽根がなく、単なる蛇のようであることも、足がたくさん生えたムカデのような姿であることさえあった。
 要するに、何なのかよく分からない、得体の知れない巨悪のことを、すべて「竜(ドレキ)」と、呼んだらしいのである。


 北欧の伝承において、竜は黄金にまつわる存在であることが多い。ニーベルンゲンの黄金、
シグルドのサガでもそうであるように、「ベーオウルフ」に登場する竜もまた、大地の底に眠る財宝を 抱え、
たった一つが盗まれただけで人間たちへのあまりにも激しい報復を試みる。
 竜が、気候の乱れ、たとえば大嵐といったような、生身の人間にはどうしようもない大破壊をもたらす存在として描かれるだけのものであったなら、
黄金との深い関係は生まれなかったはずだ。
 竜たちは、なぜ黄金を守るのか? 何か彼らを黄金に牽き付けるのか。
http://ncode.syosetu.com/n9646bv/

252 :経営理念を浸透する4つのステップ:2015/08/27(木) 08:26:33.57 ID:qRzBpBOfJ
 ニーベルンゲン伝説に登場する、黄金を守る竜ファーブニルは、もとは人間(小人、あるいは巨人族とも)の姿をしていた。
しかし、黄金欲しさのため父親を殺し、兄弟たちを退けて、自ら竜に変化する。
 ベーオウルフには、黄金を守る竜がもと人間であった表記はされていないが、その黄金を大地深く埋めた男、
滅びた一族の最後のひとりが、竜に変化したと、読めなくも無い。
 (なぜなら、一族無き今、その男の最後の役目は黄金を隠すこと、守ることであり、
彼はもはや必要のないはずの富をわざわざ人目につかぬよう保存した人物だからである。…黄金への欲が全く無かったら、こんなことをするだろうか?)

 竜は、欲望の象徴でもある、と読めるのではないだろうか。
 人間の悪しき感情、醜い内面を形にして、外に出したものである。
だからこそ、勇者たちはこぞって竜退治に出かけ、倒すことで成長し、誉を得る。
倒すのに非常な困難を伴うのも、失敗して命を落とす者がいるのも、また道理。なぜなら、その生き物は、自らの悪しき欲望の投影でもあるのだから。

 しかし、これは、一つの視点に過ぎない。
 ならば竜に挑んで倒れたベーオウルフは欲望に負けたのか? と、言うと、そうではないからだ。黄金を欲して竜を怒らせたのは彼ではないし、彼は、死すべき運命にある年老いた王だった。
 そして、この竜は、黄金を守る竜である以前に、「人々を苦しめる」悪竜だったのだ。

 この場合、竜を倒し、生き残ったもう一人の人物、ウィーラーフにこそ、竜退治の英雄の名は相応しいだろう。
 化け物退治は、一族の王を奪い去ったかわり、莫大な富をもたらした。
叙事詩の世界において、竜退治を成し遂げた者には、大いなる栄誉が与えられることになっている。
ベーオウルフ亡き後、その意志を継ぐのはこの人物なのだと、物語の語り手は言いたかったに違いない。

http://agora-web.jp/archives/1538346.html

253 :バナー設置、直アフェリエイト交渉も:2015/08/28(金) 10:16:50.57 ID:ymhkZbaU6
これに対し、前半の敵対者であるグレンデルとは、異形のものというだけで、具体的な姿はなかなか見えてこない。
水に潜む鬼という怪物は、人々がにもともと持っていた概念なのだろうか。
それとも、何か別のものを視覚化したものであろうか?

 グレンデルの性質述べられている記述は何箇所かあるが、それによれば、グレンデルとその一族は、
「兄殺しのカインの罪から生まれた存在」だという。
グレンデルは人と交わることができず、賑やかなヘオロットの暮らしが妬ましくて仕方が無かった。
そのため、ロースガールの国を襲い、荒らしまわるのだという。
 だが、ベーオウルフ伝承がキリスト教改宗以前から存在していたものであることが事実だとすれば、
グレンデルとその一族についての「兄殺しのカインの罪から生まれた存在」という出自は、後付けされたものということになる。(アベルとカインの話は旧約聖書に出てくる)
 この出自を取り払ってしまえば、彼ら水魔の一族が沼に住む理由も、人を憎む理由も見当たらない。
それどころか、独り子の息子が傷つけられたことに対して怒るグレンデルの母の所業は、なんとも人間臭くすら感じてくる。

 そもそも彼らが怒ったのは、ヘオロットの城が建てられたことによって自分たちの生活が脅かされたからだ。
むしろ人間側が無作法な侵入者では無かっただろうか?
 確かにグレンデルは城の人間を何十人も惨殺している。
しかし、計画的に館を襲い、勝てないと知るや退くことを知っている。挑発のために王の側近を一人だけ殺すといった戦法も取っている。
決して理性のない単なる怪物ではなかった。

http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

254 :chikara:2015/09/04(金) 15:28:24.55 ID:1BmIkkeH9
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「日本書紀の聖徳太子」考
聖徳太子のモデルは、僧侶・行基上人ではないか?本願寺におまいりしながら、思った。

255 :ガンマ線が放出され「太陽や人間の意識」に意図的な作用:2015/09/06(日) 04:47:00.46 ID:HciGF0M4A
 ここから推測するに、グレンデルら水の魔物たちもまた、元は人間であったと考えられる。
 竜の中に人間から変化したものがいるように、グレンデルとその母も、
何がしかの理由で怪物に変化せざるを得なかった人間とは考えられないだろうか。
聖書の影響は、その理由を聖書的にすることにおいて現れている。
 また、彼らが魔物の姿をしているのはカインの罪というが、聖書においてはカインは人間である。
物語の背景となる世界がキリスト教への改宗によって変化していても、
人間が罪や欲によって異形のものに変化するという基本的な部分では変わっていない。
 とどのつまり、水魔もまた、ゲルマン民族が古来より持っていた原始的な恐れの対象に他ならない、と考えられる。
 怪物たちが、ともに単なる怪物ではないことは、恐らく確かであろうと思う。


 グレンデルの母である水の魔女もまた、水底の館に財宝の数々を隠し持っている。
 竜は洞窟や地底に宝を溜め込み、水魔は水底に黄金を隠す。どちらも同じ、宝への強い執着と欲を表している。
地上において欲にとらわれた者が竜となり、水底において欲にとらわれた者が水魔となる。
そして、両者を倒す存在であるベーオウルフは、無欲であり、どちらの場合においても宝に手をつけることをしない。
 物語の前後に語られる二種類の敵は、どちらも、人間の内面に在る悪しき部分を象徴しているような気がする。

 これは一つの読み方に過ぎないが、「ベーオウルフ」は、単なる怪物退治の話ではない、と私は思っている。
 物語の中には、多くの、人間たちの戦いも語られる。手ひどい裏切りがある。惨めな敗北もある。それらはすべて歴史として語られる。
 その中で、目に見える悪との戦いが、グレンデルや水魔、あるいは竜との戦いだったのかもしれない。

 人と人との戦いには、善悪など無いだろうから…。

http://www.geocities.jp/kyosukemanga/right06.htm

256 :コストをかけて外注していたものを自力構築可能に:2015/09/07(月) 12:47:48.90 ID:T2qmiN7AS
「ベーオウルフ」は、なぜイギリスで書かれたのか


 ベーオルウルフは「イギリス文学」に属する。
 ゲルマンの伝承なのに、なぜイギリスなのか? 
イギリスというイメージと合わないと思われるかもしれない。
実はこれにはゲルマン民族の大移動、俗に言う「ヴァイキング」が大きく関わっている。
 この物語は、他のゲルマン伝承と同じく、もとは口伝として人々の間に記憶されていた。
つまり、人の移動なくして、伝承の移植はあり得ない。
 イギリスは、ヴァイキングの一派が略奪のため上陸した地のひとつであった。
 考えられることは、大ブリテン島へ行ったヴァイキングがいたか、
あるいは奴隷として引っ張ってこられた人がいて、この物語を覚えて帰ったか。
 もちろん、当時、大ブリテン島にいた人たちは、そうした侵略者を恐れこそすれ、
称えることはしなかったのではないか、だとか、、
ゲルマン民族であるデーン人やウェデル人の栄華を歌う「ベーオウルフ」のごときものを、こんなふうに書かなかったはずだ…という意見もある。
 しかし、事実として、「ベーオウルフ」は存在する。
 そして、文字を知る学識ある地位の者、僧侶か、専門の学者でなければ、物語を羊皮紙に書き記すことが出来なかったのだ。


 ヴァイキング時代は、793年のリンディスファーン修道院襲撃事件から始まる。ちょうどその時代、
西欧の安定したキリスト教圏はカール大帝の没とともに分裂期を迎え、
イスラム教徒の進攻や内乱、王族の権威失墜など、さまざまな問題を抱えていたという。
 この動乱期にあって、海を越えて疾風のように押し寄せるヴァイキング船は、
人々にとって強い恐怖の対象だった。それは、誰も止めることの出来ない破壊を意味した。
 だがそれは、実は一方的な見方でしかない。
 ヨーロッパ全土が荒廃の時代を迎えていた中で、ヴァイキングの略奪行為は、
弱体化した社会基盤に揺さぶりをかけ、新たな結束を生み出したとする考え方もある。
淀んだ空気は、乱されて浄化されなければならない。彼ら、海を越える脅威の民族は、社会の攪拌と再生という役割も担っていたのではないか。
 その行為が歴史の中でどのような役割を果たしてきたのか…を考えようとすれば、一方的に「悪」とみなすことは出来ないのだ。

http://ja.halo.wikia.com/wiki/Dropship_77-Troop_Carrier

257 :台湾の危機を知って下さい:2015/09/09(水) 17:49:38.10 ID:Aw4WYeU3k
 物語を最初に書きとめた者が誰であったかは、もちろん、分からない。
証拠などあるはずもなく、分かるわけがない。
 しかし、それが誰であれ、「彼」は、物語を完全にキリスト教的なものとして書き換えることはしなかった。
「神」という言葉は使いつつ、その神が絶対たる世界の主であることは、強調しなかった…、
物語の中の人々が、古代ゲルマンの法と倫理に従がって動いていたとしても違和感が無いほどに留めたのである。
 それは、「彼」が、この物語に最大限の敬意を払った結果だと、私は思う。



 さらに、この物語について、幾つかの視点から、その立場を明らかにしてみようと思う。
 「アーサー王伝説」、「ベーオウルフ」、「ニーベルンゲンの歌」とならべた場合、分類は以下のようになる。

 イギリス文学が「アーサー」「ベーオウルフ」、ドイツ文学が「ニーベルンゲン」。
 元地にケルト神話があるのが「アーサー」、北欧神話が「ベーオウルフ」「ニーベルンゲン」。
 騎士物語としては「アーサー」「ニーベルンゲン」がひとまとめとなり、「ベーオウルフ」は入らない。

 …ベーオウルフを北欧神話と呼びたければ、そう呼んでも間違いではないし、
イギリスにあるんだからイギリス文学だ、と言っても、問題はない。
だが言えるのは、ベーオウルフに登場する人物の実在のモデルたちが生きたのはスカンジナヴィア半島だったこと、
物語は、ただの一度も、それが書き留められた場所=大ブリテン島には触れていない、と、いうことである。

 ベーオウルフは「イギリス文学」と呼ばれてはいるが、「イギリス人の文学」ではない。
 あくまでも、ゲルマン人の叙事詩なのだと私は思う。

http://matome.naver.jp/odai/2141341391352546701

258 :ゼロサム難しすぎて許されてる感:2015/09/10(木) 02:34:30.65 ID:DbVp1BJ+P
ベーオウルフと北欧神話、叙事詩のつながり



 ベーオウルフの中には、北欧神話・叙事詩(サガ)につながる部分が存在する。特に、サガと共通する点については、この物語を語り継いできた人々が何者であったかを考える上で重要と思われるので、いくつかを抜き出して、ご紹介したい。

 まず一箇所は、第6節、主人公ベーオウルフがロースガール王に対し、「もし自分がグレンデルとの戦いで死んだら、自分の遺品を、ヒゲラーク王のもとへ届けて欲しい。」と頼むシーンである。

 ヒゲラークに遣わしたまえ、もし戦いが我を捕らえるなら、
 我が胸の装う最上の鎧かたびらの最上のものを、
 最良のものを。 それは(ゲータの王)レーデルの遺品、
 ウェーランドの名作ぞ。運命は常にその定めのままに行く。(452−455)

 このウェーランド(Welande)とは、鍛冶屋ヴェルンド、またはヴィーラントと呼ばれる人物と同じである。
 「エッダ」にも登場するし、その他、シドレクス・サガなどにも登場する、北欧神話ではかなりメジャーな伝説的存在だ。ベーオウルフが身に着けていた防具は、この鍛冶屋の作で、のちにグレンデルの母・水の怪魔との戦いでは、彼の身を守ることになる。
 ヴェルンド伝説は移民とともにブリテン島に渡っていた、ということだろう。

http://www.dmm.com/lp/game/flowerknightgirl/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_78952_79003&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

259 :李承晩が「国籍:日本」と手書きした文書が発見され:2015/09/11(金) 04:08:35.13 ID:8GeyrCNf+
さらにもう一箇所、興味深い記述がある。第18節で、グレンデル討伐に成功したベーオウルフに与えられた褒美の品についての記述部分である。

 天下にはこれに勝る勇士たちの
 秘めた宝を聞いたことがない、
 ハーマが輝く都へブロージングの首飾りを持ち去ってからは、
 飾り玉と宝の盃を。エルメンリークの
 敵意を逃れて、永遠の訓えを選んだとき。(1197−1201)

 この、「ブロージング族」とは、北欧神話に登場する女神、フレイヤの持ち物「ブリーシンガル(または、ブリシンガ・メン)」を作った小人族のことである。つまりブローシング族の首飾りは、神々の世界でも類稀なるフレイヤの首飾りの姉妹品ということになる。
 ここでは、「その、素晴らしい首飾りにも匹敵するものがベーオウルフに与えられた」と、語られているのだから、語った人も、語りを聞いていた人々も、北欧神話の元知識が十分にあり、説明しなくても意味が分かったのだろう。

 また、ここで言うエルメンリーク(Eormenrices)■とは、実在した東ゴートの王エルマナリクのことである。随所に実在した人物が登場する、この「ベーオウルフ」だが、実在した人物は、すべて、このエルマナリクと同じ5世紀、民族移動時代に生きていた。
 エルマナリクといえば、シドレクス・サガにも登場するローマの王、エルムリッヒ(Elmrich)■の原型となった人物でもある。
 そのエルマナリクの敵意を逃れて逃げ去った、ハーマ(Hama)なる人物も、実在していたのではないか?

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E9%AB%AA%E3%81%AFDQN%E3%81%AA%E5%AD%90

260 :chikara:2015/09/12(土) 12:06:48.44 ID:B0qtEUtm9
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。益田市の「鎌手」地名考。
 弥生時代、九州北部より舟で上陸し移り住んだ民。たたら製鉄の人々。農耕作業の稲を刈る「鎌」を作る人々。
鬼(おお)と読み。意味は、大きい精霊(神に近い存在)。位置的に上手(かみて)。鬼刀禰族の上陸地点。
「鬼」の文字は3本の足。いつも炭を扱っているので、頭から手から足の先までカラスのように真っ黒。身長も150cm前後。
不比等や人麻呂は、「八咫烏・やたがらす」と呼んでいた。

261 :中国の大学で美女ロボットが授業:2015/09/13(日) 14:58:16.34 ID:1M+zZv0mZ
これについて、ハーマの実在モデルは、確認されていない。 しかし、シドレクス・サガには、よく似た名前でハイメ(Heime)■と、
いう人物が登場するため、私としては、このハイメの原型がハーマだった、という説をとりたい。
 このハイメは、シドレクス・サガ内でエルムリッヒの大臣ジフカを殴り飛ばし、囚われたところを脱走して身を隠す、ということをしている。
このエピソードは、あるいは、「ベーオウルフ」で語られた歴史的事実を原型としているのかもしれない。
 輝く都が何処だったのかは定かでは無いが、「神々の国」とする説(つまり、戦士専用の天国、ヴァルハラ)もある。

 さらにもう一箇所は、870節あたりから始まる、吟遊詩人による語りである。

 さまざまに言葉を変えながら。すべてのことを語った、
 シゲムンドについて伝え聞いた
 勇武の業の人に知られぬ数多くのことを、
 ワルスの子がシゲムンドの戦いを、遠征のことを、
 <中略>
 共にいたフィテラのほかは知らぬ争いと凶行を、…(874−879)

 このシゲムンド(Sigemund)とは、北欧神話において、シグルズ(Sigurðr)の父であるシグムンドのことである。シグルズは、
ジーフリト、ジークフリート、セイフリートなどと少しずつ名を変え、多くの物語に登場する。
 しかし、ここではシグルズは登場せず、竜を退治した英雄はシゲムンドになっており、ともに居るのは、シゲムンドの甥フィテラとなっている。
 フィテラ(Fitela)の北欧語形はシンフィョトリ(Sinfjçtli)、つまり、「シンフィョトリの歌」にも歌われる、
シグムンドと、彼の妹シグニーの息子の近親相姦によって生まれた息子のことだ。この「ベーオウルフ」が書かれた時代は、
「エッダ」よりも古い。

 サガに知られる人物名や伝説を既に知っている人々に対して語るのでなければ、この物語は意味を成さない。
 と、いうことは、この物語の「聴衆」も、お約束事を十分に理解し、既知の出来事をわきまえている人々だったことになる。
 物語が書かれたのは、故郷をはるか離れた遠い島、だが、生まれたのは、おそらく、他のゲルマン伝承と同じ、
北の大地だったのだろう。

http://www.sen2.net/contents/history/rekichi/38851918/%E5%8D%81%E4%B8%83%E4%B8%96%E7%A5%9E

262 :タルムード・ガザの子供を殺すことについて良心の呵責を感じない:2015/09/15(火) 22:16:23.38 ID:oamIFXac3
英雄は、ただ1人

「君の往来の業績には相応しくない、ただ1人、
ゲータの勇士達の中で、悲しみを耐え忍ぶのは、
戦って倒れるのは。」――ウィーラーフ



 「ベーオウルフ」でひとつ解せないのは、主人公が常に一人で敵に立ち向かうことである。
 RPGなら苦難を耐え忍ぶのに仲間はお約束だろう? と思うのに、目立つ仲間はおろか、家族すらほとんど登場しない。
 なぜ、彼はひとりだけで戦わねばならないのか。
 なぜ味方や親しい者がほとんど登場しないのか?


 最後の戦い、火竜退治に一人で赴いたことは、多くの本で言及されているが、実は、それ以外のシーンでも、彼は常に単体で戦っている。
 グレンデルとの戦いでは、部下が右往左往しているところ、たった一人で怪物を組み伏せる。
 その母である水魔との戦いでは、ただ一人水の中に飛び込む。
 そして、竜との戦いの時は、老いたる身でありながら、単独、竜に挑むのである。

 それぞれの場面において、部下がいなかったわけではない。
 グレンデル討伐時は、15人の部下と一緒だったと書かれており、他にもロースガールの部下たちがいたはずだが、彼らの活躍の場はほとんど無い。
 ずば抜けてベーオウルフが強かったから、というのもあるだろうし、あるいはベーオウルフ自身が一対一の決闘を望み、部下たちをとおざけた可能性もあるが
(何しろ、武器を捨てて素手で怪物に挑むような御方だ)、それにしても、折角の部下が頭数出されただけで細かい描写は全く無し、というのも寂しい。名前が出てくるのは、ロースガールの家臣だけだ…。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%BE%8D_(%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB)

263 :chikara:2015/09/16(水) 12:04:55.51 ID:t1Z8wRvWj
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。1300年の歴史があるもの。
古事記や日本書紀。
大田市の「物部神社」。
安芸高田市吉田町の「清(すが)神社」。
風習で、仏壇に半月のモチ供える=稲刈りの「鎌」を表す。
浜田市三隅町大字岡見字「松原」の屋号、「佐渡屋」=越物部族が、海部として新潟よりやって来ている、事実。

264 :妻を亡くし遺族年金の対象とならない 父子家庭の父と子を救いたい!:2015/09/18(金) 18:31:51.44 ID:x4xOKvabt
 水魔との戦いの時は、もっと酷い。
 部下たちは、ロースガールおよびその家臣たちとともに岸辺で見守っているだけ。戦いの場にすら同席しない。水面が赤く染まり、ベーオウルフが死んだかもしれない、という時になっても、まだ見ているだけなのだ。
 これも、甲冑来たまま水に飛び込めるような人間ばなれした人間がベーオウルフしかいなかったから、という理由もあるだろうが、せめて一人くらい同行を申し出ても…と、いうか、自分とこの大将がたった一人で行こうとしてるのを、止めるくらいしたっていいだろう…。

 さらに火竜との戦いの時は、ついてくるだけついてきたもんの、部下たちは遠巻きにしているだけ。ウィーラーフ(ウィーグラフ)に「これじゃダメだ、オレたちも戦おう」と、言われても動かない、

 何て薄情な家臣たちなんだ!!

 確かにベーオウルフは類稀なる強力の持ち主、30人ぶんの力を備えていると記述があり、部下が10人少々いたからといって、大して役に立つかどうかは分からない。しかし、王は今や年老いて、それほどの力は無かったかもしれない。
 しかし、だからって見てるだけでいいわけがない。
 戦場に散ることは最大の名誉のはずの戦士が、「あいつはスゴイから任せちゃおう」「怖いからイヤだ」ってか。

 ベーオウルフには、そんなに人望が無かったのだろうか。それとも、部下たちの気に入らないところがあったというのか?
 彼は良き王として王位にあったはずであり、よい政治をし、何度も国の危機を救っている。もし、部下たちが真に勇敢でありさえすれば、どの戦いも、かくも孤独なものとなる理由は無かったはず。
 ならば私は言おう。ベーオウルフに否があったわけではない。彼の人徳なさが、孤独な戦いの原因では無いのだと。

 そう―――

http://www.dmm.com/lp/game/aigis/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_43841_43883&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

265 :chikara:2015/09/20(日) 18:36:19.46 ID:+8lq3vvgd
  人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「二つのおおやま」考。
@最初は、鬼山(おおやま)->大神山(おおやま)->{雨カンムリに龍](おかみのやま)->於迦美姫山(おかみのひめのやま)
->大山(おおやま)現在に至る。三隅町字「青浦」に住む、若狭物部族が、中山鈩跡とともに7世紀終わりからずっと支
配(江戸い時代が終焉するまで)。
Aもう一つの鬼山(おおやま)。->大神山(おおやま)->大森山(おおもりやま)->権現山(ごんげんさん)->大麻山(たいま
さん)->双子山(ふたごやま)->大麻山(たいまさん)。西の高野山と言われる。7世紀終わりに牟婁物部族が大糞山(お
おぐそやま)と合わせ支配したが14名の英雄が日本國を興した時、滅びた。

266 :ごみ屋敷問題には新法を制定せよ 所有者の責任問えない理由:2015/09/23(水) 14:25:38.33 ID:lIRDQGxA6
 ベーオウルフの最大の悲劇は、部下に恵まれなかったことだ。

 365歩ほど譲って、ベーオウルフが、猪突猛進型の「止めるヒマもなく突っ込んでしまう人」だったとしよう。
 それでも、目の前で主君に突っ込まれたら、フツー後に部下も続かないか?
 いや続くだろう。なぜ続かないのだ。

 あまり血の気の多い若者ばかりだと国が滅びてしまう気もしないが、あまりに戦わなさすぎだ、ベーオウルフの部下のみなさん…。
 せめて家族だけでも出てくれば、ベーオウルフ孤独じゃなかったんだ! と、安心できるところ。
 家族といったら、養母のヒュグド、亡き祖父、一族最後のひとりウィーラーフ…。
 ギルガメッシュ・サガよろしく、同じくらいの力を持つ親友がいれば! とか思うところ、親友ブレカは前半にちょろっと回想されるだけ。
 グレンデルは、罪を犯したゆえに「人と交わる喜びを絶ち、孤独のうちに生きねばならなかった」。
 だが、ベーオウルフに、孤独の辛酸を舐める理由が何処にあったというのか?


 仲間出してやれよ。一人で戦うのは哀しすぎる。
 神様がいるんなら、ちょっと厳しすぎやしないかい?

 鯨岬の塚の前に立って、そう思うのは、きっとオレだけでは無いはずだ。

http://go.spaceshipads.com/afu.php?zoneid=361258

267 :有酸素運動レベルで1年半で放送終了の幻の体操!:2015/09/26(土) 08:49:34.32 ID:J+ywG4+Lc
控えめすぎ?


心は激しくなかった、それでも彼は神の与え給うた豊かな才能を、
戦いでは逞しく守っていた、久しく侮られていた
ゲータの人々が彼を勝れていると思わなかったので。(第31節)


 味方に、「久しく侮られ」「ただの怠け者と思われ」ていたベーオウルフ。
 その理由が、単に「酒に酔って暴れたり、人をあやめたりすることが無かった」だけだとしたら、 我々は、彼の周囲の人々はなんと見る目のないこと、と呆れるだろう!
 戦いで武勇を示し、分別をわきまえた男が、血気盛んで向こう見ずな若者よりも臆病に見えるならば、それは、自分の経験が足りないからに他ならない。
 だが、これは紛れも無い事実である。
 30人ぶんの力を持ち、他国の困っている人のために命がけで怪物退治までする勇敢なベーオウルフは、ゲルマン戦士に似合わない優しさの持ち主だったゆえに軽んじられてしまったのだ。

 こんなん許されていいのかベーオウルフ。あんた強いんだから、もうちょっとアピールしなきゃいかんだろう。王に「弱公子」なんて思われて、過小評価されているのに、それに甘んじるのか?

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E9%AB%AA%E3%81%AFDQN%E3%81%AA%E5%AD%90

268 :最初は青白い大きなガスの塊でした。それがそのうち冷えて赤いガスに:2015/09/29(火) 09:51:59.33 ID:RCn19KdNS
 前半で出てくるウンフェルスなど、口先ばっかり派手で、いざという時はちっとも戦わない人だったが、それでも王のお側近くにいられたもんだ。自分からはなんも喋らないけど仕事はキッチリするベーオウルフのが偉くたって、おかしくないだろう。
 ベーオウルフの友人ブレカだって、泳ぎ勝負はいかにも自分が勝ちましたといわんばかり触れ回り、そのことを人々に信じさせていた。(そしてベーオウルフは、物語中で、それは嘘だと撤回する)
 この時代の勇士というものは、ある程度派手に立ち回って、自分を宣伝しなければ地位や名誉が得られないものだったのかもしれない。
 だのに控えめすぎだ、ベーオウルフ。自分がやったことをもう少し誇ってもいいんじゃないのか。

 え、何? 何だって?

 「人の心中に多くの侮りの心が生まれ育ったとき、魂の番人は眠っている。
 その眠りはあまりに深く、苦悩に縛られている…
 そして邪まにも、矢を射る殺害者がすぐ近くにいる。」


http://www.gemki-fujii.com/blog/2011/000740.html

269 :カルトの大本を辿ると大本教と紅卍字会と大日本皇道立教:2015/10/01(木) 02:34:30.75 ID:dpoz84MEI
 …それは、以前ロースガール王がベーオウルフの出立に際して託した訓戒…。
 傲慢な心が勢いを増せば、人は必ず破滅すると。かつて、悪王ヘレモードがそうであったように、禍いの源たる思いに囚われるなと、かの老王は言った。
 その忠告を忠実に守り続けたというのか。

 ベーオウルフの実力があれば、普通に戦ったって国の一つ二つは盗れるだろうに、なんとも真正直な生き方。それでも王となれたのは、まさしく「転機のおとずれ」によるもの。
ヘタしたら、彼は王にはなれていなかったのではないか? それとも、自分が望むと、望まざると、彼が王をつぐ運命だったのか。

 だが、ベーオウルフ。
 力だけではなく、「見かけ」も強くなければならなかったこの時代、「ただ優しいだけでは守れない」ものもあったのではないのか。
 誉れや栄光の輝きは、宝石の輝きと同じく、無意味であると同時に永遠でもある。
 竜との戦いのあと、その財宝である宝石を手に入れたのは遺された者たちだった。死したベーオウルフが手に入れたのは、永遠に失われない英雄の名と輝き…。
 たとえ宝は失われても、英雄の名は失われない。ベーオウルフは、ロースガールが言った「とこしえの利益」を求めた。
 だからこそ、良き王と呼ばれたのだろう。

 でもサ、死んでから認められたってどうしようもないじゃん、生きてるうちにもっと幸せになろうよ。と思うのは私だけなのか。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/nyan2/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_84666_84725&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

270 :自分の重さで臨界量を超えてしまうと、回転運動を始めたのです。:2015/10/03(土) 12:59:49.88 ID:VR1xdUUSt
哀しき血族

それから寝室に行き、哀歌を歌う。
一人が他の一人のため。
老の身には全てが広すぎるように見えた、野も住居も



 ベーオウルフの家族について、考えたことはあるだろうか。
 英雄とても人の子である。両親は存在する。
 ベーオウルフの母は、レーゼル(フレーゼル)王の娘。名前は不明。父は、スウェーデン王家、つまり異国の王家からやって来た入り婿である。しかし、母はおそらく早くに他界し、
父もまた、ロースガール王の言うように、ウィルウィング族のヘアゾラフという勇士を殺したことから国を追われ、一時期、ロースガールのもとに身を寄せる。
 と、いうことは、妻の身内は庇ってくれなかったのだろう。
 争いの火種となるヤツはとっとと外国にでも行ってしまえ! …その後、ベーオウルフの父親が帰国したかどうかは、分からない。
 そのため、ベーオウルフは、祖父レーゼルのもとで育てられた。

 ベーオウルフをとりまく親族たちには、つねに不幸がつきまとっていたようだ。
 物語の本筋ではほとんど触れられていないが、
彼の祖父にあたるレーゼル王には3人の息子がおり、前半で主君として仕えているヒゲラークは、末っ子だった。
 この兄弟たちの中、長男ヘレベアルドは、次男ヘスキュンに誤って暗殺されてしまう。
 しかし、レーゼル王にとっては、実の子同士が殺しあったわけだから、生き残った者に対し、死んだ者の報復をすることは出来ず、
賠償を求めることも出来ない。
 最期の戦いに赴く前、かつての祖父と同じほどに年老いたベーオウルフは、年老いた王の身にふりかかった出来事を回想する。
彼は、祖父の悲しみを間近に見て、その思いを感じ取っていたのだろう。
http://zxignition.tv/

271 :太陽系は銀河の中心の近くにまで来ている。:2015/10/04(日) 08:45:09.24 ID:joQEZXi07
 やがて、祖父は悲しみのうちに死ぬ。
 王が死ぬや、デンマーク勢との争いが起こり、王の次男ヘスキュンは討死。ヒゲラークだけが生き残り、王位を継ぐ。

 時は流れ、ヒゲラークは、フリジア人との戦の中、ベーオウルフがグレンデル退治の褒美としてロースガール王から賜った、あの、素晴らしい首飾りをつけたまま戦場に倒れる。

 かつてグレンデル退治の際おとずれた壮麗なヘオロットは、ロースガールの息子たちに反逆した、ロースガールの甥・ローズルフとの戦いで焼け落ちる。

 話の中に出てくる戦争のほとんどが、「同盟の破綻」。かつて良好な関係として語られた人々さえ、物語が進めば、敵同士となることがある。
 序盤で援助をするデーンの民、つまりロースガール王の一族とベーオウルフの一族さえ、何度か争ったことがある、という。
 平和は一次のものでしかなく、隣人はいつ敵となるか分からない。たとえそれが、血族であっても。
 ベーオウルフの生きていた時代は、そんな時代だった。

 華々しい英雄譚とは裏腹に、ベーオウルフの普段の生活には、幸せの影は全く見えなかった。
 親友として名前の出てくる人物も直接登場はしないし、親しく話をする相手の存在も、あまりいない。

http://wizardbarristers.com/

272 :指値がダメでも結果的に得する考え方:2015/10/05(月) 05:48:31.84 ID:Pybf8VvyG
それは、単に語り部となる詩人の手落ちなのか?
 それとも、ベーオウルフとは本当に、このような人生を送った人物なのか。

 この孤独な英雄の周りには、多くの争いと、親しい者の死と、裏切りとがあった。
 だが、同時に、決して裏切らない者たちがいることも、彼は知っていたはずだ。
血のつながりはなくとも父として接すると言ってくれたロースガール王、父代わりだった祖父、
彼の葬儀で挽歌を歌い、死を悼む、祖父の妻ヒュグド…。

 孤独の影を背負ったまま、ベーオウルフは、単身で竜に挑むことを淡々と語り、出陣する。
 だが、守るべき価値あるものを持たない者が、死を覚悟しなければならぬ戦いに、堂々と赴いたりするだろうか?

 彼の父方の一族、スウェーデン王家の血を引く者は、ウィーラーフだけになっていた。
 だが、そのウィーラーフこそ、ベーオウルフの危機にただ一人かけつけ、助成する勇士である。
 ベーオウルフに妻や息子がいたかどうかは分からない。だが、いなかったとしても、彼は満足していただろう。
たった一人の身内に助けられ、目的を遂げて、看取られて逝くのなら。

 「運命は、わが親族なる心猛き戦士らを、ことごとく滅びへと追いやった。
  我も、後を追わねばならぬ。」(2814-2816)

 だがベーオウルフ、死んでヴァルハラに行ってしまったら、また戦いの日々が始まってしまう。
 願わくば、あなたに平穏なる眠りのあらんことを。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/teppen/index003_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_91613_91684&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

273 :ロックフェラーの投資は全てクーン・ロエブ商会の共同:2015/10/07(水) 15:58:05.68 ID:8Il6l1xVR
不完全な語り手たち

やがて焔は亡骸を焼いた。
胸にも暑く。心悲しく。



 ベーオウルフ、という物語の名を知る者は多いが、実際に読んだことのある者は少ない。
 そして、その内容を詳しく理解しようとした者は、さらに少ない。

 以前、酒場の酔っ払いが声高に、
「ベーオウルフは竜に負けたのさ。老いぼれが無茶するからだ」なんて知ったようなことを言ってたもんだから、全力で本当のところを分からせてやった。
 だが、真実など誰が知ろう。
 この物語の原典は、ただ一種類しかない。
 それも、火災によって一部が破損し、あちこちが抜け落ちた不完全なもの。
18世紀にアイスランドの好古家家ソルケリン(そう呼ばれるからには、彼は専門の学者ではなかった)が転写したものを参考にしつつ、抜け落ちた部分を補って現在の形に復元されたものだ。
もちろん移し間違いはあるし、抜け落ちた言葉も、あるだろう。
 写本は基本的に、転写を繰り返すほど、原本からは違っていくものなのだ。  今、目の前にある物語が、どこまで、最初に「書かれた」物語と同じなのかは、わからない。
 もしかすると…原本では失われてしまった部分で、ソルケリンが書き損じていた部分があったとすると…、その部分の言葉は、中世ではなく、近代人の言葉に置き換わったまま広まってしまうことになる。
 もちろん全く分からないわけではなく、「多分ここは書き間違えたか、写しそこないだろう」と、いう推測をたてることは出来る。
 証拠が無いだけだ。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/gang/index001.html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_93420_93491&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

274 :川の様子から、船は月の最大の交通機関なのかも:2015/10/09(金) 10:09:35.21 ID:CrFvRKvzC
 さらに、これは、たった一種類の写本であって、かつて語り継がれていた「ベーオウルフ」の物語の、ひとつのバリエーションでしかない可能性も否定できない。  大抵の物語には、少しずつ筋の違う、いくつかの種類が存在するものだ。
 地方や、語り手によっても違う。
 「ニーベルンゲンの歌」や「ヴォルスンガ・サガ」などだと、異なる時代に書かれたと思われる何種類もの原本が残っており、比較考察も出来るが、一種類しか残っていないベーオウルフでは、そのようなことが出来ない。
 実際は異なる結末にたどりつくバージョンがあったとしても、その内容を知ることは出来ない。


 また、「カレワラ」のように、比較的現代に近い時代に再編纂されるということもされていないため、かつて語り継がれていた形のままである。
 話の流れは、紙に書かれた物語としては飛び飛びで描写が乏しく、時代が古いため、価値観や時代背景も少し分かりにくいかもしれない。

 話のスジが分かりにくいのには、聴衆が当然知っているべきだった当時の常識を、我々が知らないためでもある。
 たとえば、「一寸法師みたいな」 などという喩えを使っても、外国人には全く分からないのと同じことだ。
 「壇ノ浦に沈んだ 平家の武士たちが」だの、「密教僧の呪いを受けて帝が寝込んだ」だのと同じノリで、「その剣はかつて ウィフスターンが」だの、 「シゲムンドは竜を倒した」だの、語られているのだと思えばいい。

http://www.mediafactory.co.jp/bunkoj/madan/

275 :最近彗星をあまり見ませんが、これからやって来ます。:2015/10/10(土) 18:12:44.83 ID:jzZIJzrHM
 しかし、外国人が、いくら研究しても、日本人が感じている「歴史的出来事への感情」が分からないように、実際のところは、その時代、その場所に生まれ育ち、文化を身に染み込ませなければ、おそらく理解できない。
 たとえば、平家、壇ノ浦というキーワードを聞いて、胸に込み上げる感情を、ただ日本の歴史を学んだだけのアメリカの留学生が持つこときは可能だろうか?


 現存する唯一の「ベーオウルフ」写本には、様々な方言が入り混じり、何度か書き直された形跡があるという。
 少なくとも、前半と後半の間には不自然な歳月が流れており、もしかすると、間に別のサガがあったかもしれなし、元々別の人物の所業だったものを一人の業績に仕立て上げたのかもしれない。
 真実は語る人々とともに消え、今はもう、この地上に存在しない、
 たった一種類の、しかも不完全な写本を前にして語ることの出来る言葉は少なく、そのどれも、真実でありながら全てではない。

 語り手たちは、失われた言葉を蘇らせることは出来ず、たどたどして言葉で新たな物語を紡ぎ、少しでも、かつて物語が語られていた時代に近づこうとする。

http://ansaikuropedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%82%A2

276 :第1種接近遭遇は、UFOを200メートル以内で目撃すること:2015/10/11(日) 19:45:46.30 ID:fBOy/+3WH
部下の不始末、上司の責任

それは兵士隊の中で十三番目の武士、
戦闘の始まりを引き起こしたのは



 ベーオウルフの死は、国と民とを守ろうと、火竜と戦ったためである。だが、なぜ竜は人間を襲ったりしたのか。
 それは、ベーオウルフの部下に、竜の守る宝に手を出した輩がいたからである。(お約束)

 不始末をしでかして逃亡中だった卑しい男は、たまたま竜の巣を見つけて、「らっきー、これで許してもーらおっと」と、いう感じで、竜の巣から黄金の杯を盗み出し、それでご主人の機嫌をとろうとした。
ソイツがその場で竜に見つかって八つ裂きにされちゃってれば、こんなヤヤコシイことにならずに済んだのに。 おお、神は、こんなどーでもいい奴の身まで守ってしまうものなのか…。
 こいつに責任取らせりゃいいんだって。(ムリ)

 ベーオウルフら一行は、この男の道案内により竜の巣にたどり着くが、その後の戦いに男が出てこないところを見ると、どさくさにまぎれて逃げたのかもしれない。どちらにせよ、お咎め無しだ。
 ベーオウルフは、部下の不始末の責任を取って死んだことになる…。  だが、彼は文句ひとつ言わない。
 もう若い頃ほどの力は残っていないことを知りながら、誰かの力を頼りにはせず、自ら率先して竜退治の計画をたてる。自分用に、竜の火でも溶けない特別製の鉄の盾を作らせたのも、その証拠だ。
 老いた身でなぜ戦うのかと聞かれれば、自分は王であるから民を守らねばならないということ、自分がこの国で一番強いんだから当然だ、と言う。
 なんていい王様なんだ!

http://www.dmm.com/lp/game/flowerknightgirl/index007_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_4622_7045_110165_110244&utm_content=olg&utm_source=imobile&utm_medium=adnw

277 :心が低波動の感情を自ずと認識するように仕向けていました:2015/10/12(月) 05:50:17.50 ID:N8Cw7DAcP
だが、そんな気高い覚悟も、ビビリの部下たちには通じなかったのだ。
 竜におじけづいて、老いた王をただ一人戦場に残し、戦いもせず森に逃げ込む。愚か者め。 「お、王様は強いからいいよな」 「う、うん。きっと大丈夫だ」「オレたちがいなくったって…」とか、言い合ってたんだろうか。

 ただひとり、戦場に戻り王を助けたウィーラーフは、のちに激怒している。
 「お前ら、君主の恩を忘れたのか?! 武士にとっては恥の生命よりも死のほうが勝る! 人が貴様らの誉れなき振る舞い、逃亡が知られたあかつきには、一族の銘は奪われると思え!」

 まったく、そのとおりだ。
 何で王様一人が戦わにゃならんのだ。身内の不始末の責任はお前らにも関係あるだろうが。

 ベーオウルフもベーオウルフだ。
 誰かを責めることもせず、ただ黙々と戦いに赴く背中は、悲しすぎる。だったら、なぜ部下を連れてったんだ? 誰だって、1人で戦うのは嫌だろう。ほんとは誰か一緒に戦って欲しかったはずなのに、何で何も言わずに行ってしまったんだろう…。

 部下の不始末は上司の責任かもしれないけれど、1人ですべての責任を背負いすぎるのもどうだろう。
 何かあったら直ぐ部下のせいにする上司、シッポ切りが上手な政治家さんなどに、見せてあげたい、この責任感。
 部下を大切にするのはいいけれど、その優しさを汲み取れない連中が相手では、単に甘やかしているのと変わりない…。(涙)

http://tounomamare.com/log_anime

278 :カイパーベルトなどの宇宙空間からやって来ます。:2015/10/14(水) 21:36:15.46 ID:YjmzEzBYK
もう一つの物語――ディートリッヒ伝説



 ここで扱うのは、「ニーベルンゲンの歌」では第2部に登場するディエトリーヒ王と、その仲間たちの物語である。
 資料の関係で、ここでは「ディートリッヒ」という読みになっているが、古ドイツ語読みではディエトリーヒとなる。
 「ニーベルンゲンの歌」内では、脇役として、ブルグント族とフン族の全面戦争に巻き添えを食らう形になってしまった東ゴート族の王ディエトリーヒだが、
物語中で少しだけ触れられているとおり、彼には彼の国があり、「それまでの」エピソードがあり、さらには「その後の」エピソードも存在していた。
それが、ディートリッヒを主人公とする、一連の物語である。

 国を追われ、辺境伯リュエデゲールのもとに身を寄せていたというエピソードや、ハゲネたちとの戦いで多くの仲間たちを失いながらも、
その後、叔父によって奪われていた自らの王座を取り返し、数々の武勇伝とともに去ってゆくエピソードは、ディートリッヒ自身の伝説にも形を変えて組み込まれ、
「ニーベルンゲンの歌」での物語とは、少し違った形で未来へと続いていく。

 その物語は異教的と言われながらも「ニーベルンゲン」よりさらに後まで語り継がれ、吟遊詩人たちの間に多くの物語を生み出したという。

 ディートリッヒのモデルとなった実在の人物、テオドリクは、東ゴートではなく西ゴート族の王だったとされる。
 史実では、フン族の王のもとに客人として身を寄せることも、国を追放されることもなかったが、物語の中には、史実と、虚構とがまじりあい、両者の境界をあいまいにしている。
出会うはずの無かった二人の王、ディートリッヒと、フンの王アトリ(またはエッツェル)を出会わせる。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%AE%E3%81%86%E3%82%8A%E3%82%93

279 :火星には2種類の火星人がおり、どちらも知能が非常に発達している:2015/10/17(土) 15:15:42.76 ID:ZKXcgwPtM
 では、ディートリッヒは、どのようにしてフン族の国へ行ったのか。彼はそれまで、自国で何をしていたのか?
 「ニーベルンゲンの歌」が主人公たちの死によって幕を閉じた後、生き残ったディートリッヒとその忠臣、ヒルデブラントは、いかにして自国を取り戻したのか?

 意外なところで意外な話と繋がる、「もう一つの物語」。
 知れば、ディエトリーヒが何故エッツェル王のもとに亡命したのか、どうやってブルグントの国のことを知ったのか、などが分かり、より一層世界が広がること間違いなし。
 巨人や妖精、小人に竜と、お約束要素も揃ってナイスファンタジー!

 この物語は、異説や外伝的物語が多く、細かい状況設定を知るのは難しい。
 「ディートリッヒ伝説」と総括しているのは、「彼にまつわる一連の神話・伝承群」が、ひとつに繋がった物語ではなく、様々な時代、様々な地域で書かれたたくさんのエピソードの集合体だからである。各エピソードが矛盾しあっているケースも多い。
 すべてを網羅しようとすると、ドイツ全域の叙事詩をかき集めることになり、読み終えるころには、いっぱしの『ドイツ中世文学研究家』になってしまうという(笑)
 とてもそこまでやる気力は無いので(とかいいつつけっこう探してるが)、ある程度アバウトな資料だと思って読んでいただきたい。
  −参考書−

 「これがベストだ!」…と、いう参考書は、いまんとこナシ。特にヨーロッパでは、地元ということもあり有名なようだが、日本ではあまり知名度は高くない。
 あっちこっちの本から少しずつ持って来て繋ぎ合わせた感じになっているので、細かいところは随時修正。

http://www.vap.co.jp/nobunagun/character/index.html

280 :天之御名無主:2015/10/19(月) 14:09:50.68 ID:3q4FuRdAN
吉野天人は月天人の話だから火星天人の新作能そろそろ作って欲しいな。

281 :全ての知的生命体は進化すると、霊的存在になります:2015/10/23(金) 20:46:50.79 ID:K4WVyHtOj
RPG的お約束。



 「ディートリッヒ伝説」は、なんだかアーサー王伝説に似ている。

 彼のうわさを聞きつけた各々の地域の腕自慢たちが挑戦しにやって来て、挑戦の末に負けて仲間になってくれる、という。
RPGの王道。これぞファンタジーの原典。円卓の騎士も作れそうな勢い。主要な仲間の人数も、ちょうど12人だし。
 皆して勝手なことをやっているところも、なんだか円卓の騎士っぽい。
皆さんたいそう個性的で、クセのある部下ばかり、若いディートリッヒだけじゃぁなかなかまとまらない。
個性的な人々の主であるディートリッヒは、アーサー王と同じく、仲間に裏切られたり足元すくわれたりと苦労の連続。
さすがに奥さんが浮気したせいで死ぬってことは無いけれど、マジギレして部下とケンカするのは若いからだよね(笑)

 え、でも、その仲間って「ニーベルンゲンの歌」で死んじゃってるんじゃないの、って?
 ご安心あれ。
 そのことについては別項で触れますが、この「ディエトリーヒ伝説」は「ニーベルンゲンの歌」と同時期に作られたものではないので、
仲間たちは「ニーベルンゲンの歌」には出てこない。話は、完全に繋がっているわけではなく、微妙にズレているんです。
 「ニーベルンゲン」に出てくる仲間たちは、「ディートリッヒ伝説」の仲間たちとはメンツが違うし、エッツェル王の側の事情も、少しずつ違っている…。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/koigasaki/index007_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_83457_83513&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

282 :銀河中心には同様の巨大ブラックホールが存在する:2015/10/25(日) 23:28:44.81 ID:GXr3orHuX
 ディートリッヒをとりまく数々の物語は、大きな流れ成す物語が交じり合い、一つの流れとなっていく大河ドラマ形式の物語。
 某有名小説家は「日本人の鑑賞に耐えうる伝説はギリシア神話だけだ」などとぬかしおりましたが、とんでもない。この、ドイツ・中央ゲルマン系伝説の登場人物たちの持つ人間臭さ、ドラマだって、捨てたもんじゃーないです。

 何より、仲間たちが皆イイやつだ! 個性豊かで、みんな好き勝手やってんのにさりげなく仲間思い。ただ腕っ節が強いだけじゃない、心も強い。これが本物の英雄伝説だよね。

 そんでもって、私がいちばん好きなのは、キリスト教的すぎるといわれるラストシーン。
 物語の最後、年老いたディエトリーヒが狩りに出かけるシーンで、彼は嵐の中で漆黒の○○と出会い……おおっと?! ここから先はネタバレだね! 言わない言わない。やはり英雄の結末はコレがなくっちゃ!(ドレだよ)
 個性豊かで愉快な仲間たちもてんこ盛り。

 資料が少ないぶんハマります。勝手な想像でハマります。ケンカするハイメとヴィテゲを止めようとして巻き込まれるディートリッヒ殿下とか。いいね友情。あまりのお約束っぷりに、古きよき時代のRPGを思い出し、ホロリとさせられてしまうのです。

 そこが魅力的であり、日本ではマイナーながら一部の人に愛されている理由なのです。

http://ja.knightsofsidonia.wikia.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

283 :ブラックホールが光の速さの約半分という超高速で自転:2015/10/26(月) 03:51:29.84 ID:tRiq1GaRm
注釈

ディートリッヒ Dietrich
シドレク    Thidrek
テオドリク   Theodrich

 カタカナに直すと別の名前のように見えるが、実は「シドレク」も「ディートリッヒ」も、似たような綴りである。
 d→th、ch→kと直してみると、ホラそっくり。
 名前の綴りは、時代によって少しずつ変化していくのである。

 このコーナーで扱っているものは、「ディートリッヒ伝説」と称してはいるものの、今のところ、「ディートリッヒに関する一連のサガ・伝説ひとまとめ」という扱いになっている。
 ディートリッヒに関する伝説の中心は「シドレクス・サガ」だが、これ「のみ」と、いうわけではない。シドレクス・サガは古アイスランド語で書かれたノルウェーの散文、他に中高地による「ヘルデン・ブッフ」という英雄叙事詩の集大成にもいくつか作品が入っている。

 これらは、一人の人間にかかれたものではなく、時代も、地域も異なるテキストである。
 中身も、さまざまな先行する伝説をつなぎ合わせたものため、互いのエピソードで矛盾があったり、つぎはぎだったり、明らかに違う時代に挿入されたと思われるシナリオが入っていたりする。

 また、後世に作られて、派生していった別系統の物語や、本来、ディートリッヒ伝説とは別に発生し、のちに組み込まれていった伝説も存在する。
 順番バラバラに作られた幾つものストーリーが後からつなぎあわさせているので、たとえば、ディートリッヒが子供の頃の出来事が、ディートリッヒが年取ってからのエピソードより後の時代に作らて辻褄が合わなくなってることなどが起こり得る。

 日本語による資料はあまり存在しない作品なので、各方面から寄せ集めた資料によるコーナーである。
 なお、自分の手持ちの資料というのが、ドイツ中世文学の側に偏っている(古アイスランド語の資料は無い。名前の読みなどはドイツ語が基本)ことは、一応、明記しておく。

http://www.sacred-texts.com/neu/beo/beo00.htm

284 :ヘラス盆地の峡谷を写した映像には、青い液体の水がはっきりと見える:2015/10/30(金) 12:59:56.92 ID:a3noSAOBB
語られた範囲

ニーベルンゲンの歌は「ドイツ叙事詩」だが、同じゲルマン民族の伝承として北欧神話の中にも一部が組み込まれ、ドイツのみならず北欧でも異なるバリエーションのものが語り継がれている。大まかな筋書きを書くとこうなる。
4世紀
東ゴート族フン族に大敗、以後、フン族に組み込まれることに。
戦いの際、東ゴート王エルマナリク死去。(「エッダ」でシグルズの娘を殺す非道な王として描かれている人)
  ↓
5世紀〜6世紀
アッティラ誕生、フン族の王国を拡大し、ブルグント族も都ヴォルムスを攻め落とし、ブルグントのグンナル王死亡。
フンの王国はアッティラ死亡とともに瓦解。
東ゴート族の王家にテオドリク誕生。幼少時代を人質としてローマで過ごしたため、生涯ローマびいき。
フン族から独立後、色々あって西ローマの統治を任され、「大王」と呼ばれる人気を博す。
他もメロヴィング朝のブリュンヒルドなど、元ネタと思われる歴史上の人物たちの活躍。
 ↓
10世紀前後
「エッダ」をはじめとする北欧の伝承に、テオドリク、グンナル、アッティラ(アトリという名前で出てくる)などが見られる。
シドレクス・サガなど低地ドイツの物語もあり、ある程度の筋書きが出来ていたようだ。
 ↓
13世紀
北欧の荒々しいサガを宮廷用の騎士物語に直した「ニーベルンゲンの歌」が作られる。
具体的な変換例には、戦乙女→宮廷の貴婦人 バーサーカーによる殺人→バーサーカー設定消滅、計算高い殺人 とか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8X

285 :天之御名無主:2015/10/30(金) 22:40:03.22 ID:b8muWSnTB
映画のホビットとかスカイリムの設定って装備品の細かいところまで世界観共有してるよな。神話世界で欧米に勝てる気がしない。三皇五帝とか古事記や檀君神話はイメージわかなすぎ。

286 :「板わかめ」の美味しさを皆様に知っていただきたい:2015/10/31(土) 05:04:48.06 ID:zIMbplW/B
「ニーベルンゲンの歌」と関連作品群


このページは、以下の3つの視点から作品群をまとめてみた。
ただし関連する作品はとても多いので、全部を集められたわけではない。(というか、どこまで入れていいのか判断に困るものも…)

■「ニーベルンゲンの歌」と同時代に作られた作品

過去の伝承をもとに、「ニーベルンゲンの歌」をひとまとめのエピソードとして成立させた大本の詩人の名は、知られていない。しかし、その内容の類似や他の作品での言及から、同時代に作られたとされる作品はいくつか知られている。

■後の時代に書かれた異なるバリエーションの「ニーベルンゲン伝説」

16-18世紀に、「印刷」という新しい技術を用いて量産されていた、新しいタイプの物語について。
この時代になってくると、もともとの「ニーベルンゲンの歌」は忘れられ、ジーフリトとクリエムヒルトの単純な「ロマーン」、または竜退治の物語となってしまい、北欧神話が元であった気配も薄れている。

■「ニーベルンゲンの歌」と戯曲の時代

いちど忘れ去られた「ニーベルンゲン」伝説が再発見された19世紀、ドイツ・ロマン主義や愛国心、または政治的な意図などの影響を受けて、さまざまな焼直し作品が生まれた。中でも有名なのはワーグナーの「ニーベルングの指輪」だが、それ以外にも多くの作品がある。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/flowerknightgirl/index003_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1455_2567_113572_113651&utm_content=olg&utm_source=clpack&utm_medium=adnw

287 :ナチュラルガーデンをより詳しく知って:2015/10/31(土) 05:09:34.53 ID:zIMbplW/B
>>285
いつもはゲームの話すると火病起こすのに、どうした?
いい加減下手な工作で人払いするの止めようぜ>バハムート

288 :天之御名無主:2015/11/01(日) 18:05:10.77 ID:NRxh48gOl
たぶん人違い。ゲーム好きだし、北欧神話も好きだから。

289 :正社員とフリーランスの格差は拡大:2015/11/01(日) 18:40:35.77 ID:x1PbdhTvK
おまえさぁ、日本のゲームやって元ネタわかってるだけで
ちょっと前までオタク扱いされてたんだぞ・・・

ハマヌーンなんかドラクエで出たら、単なるザコキャラで
インド人からクレーム来たわぁ

世界観を統一させることが偉いことなのかね?
ただの発想の貧困さに言い訳をしてないかね?

290 :端午の節句と菖蒲の関係?:2015/11/01(日) 19:24:03.88 ID:x1PbdhTvK
841 :名無しさん@3周年:2015/10/21(水) 11:00:30.84 ID:1bK71cou.net[6/19]
ディベート詐欺師の手口テンプレ
-----------------------------------------
・持論を示さずとりあえず「意味不明」等と知能障害を起こしてみる
・持論を示さずとりあえず「日本語できない人?」等と相手を貶してみる
・持論を示さずとりあえず「勉強しろ」等と居丈高になってみる
・持論を示さずとりあえず「読めばわかる」等と嘘をついてみる
・持論を示さずとりあえず「何で?」等と逆質問だけで自分のターンをつかもうとしてみる。
・相手と同等の根拠を出さず、口先だけで否定する
・要点をまとめず膨大な量の引用だけして相手に最大限の手間をかけさせる
・嘘を具体的に引用して指摘されてもスルーで別の話をする
・一つの言葉を独自解釈した上に粘着して議論をそらす
・自分は被害者で弱い立場だとアピールして味方を増やそうとする
・相手の意見を歪めて解釈した上で自分の意見が正当であるように見せかける
・相手を怒らせた後で急に丁寧な言葉を使い始め誠実なのは自分だと印象付ける
・意味するところが同じでも、一語一句同じでなければ「そんな事は言っていない」と平気で言う
・相手をやたらと厳しくルールで縛ろうとするが、自分にはそれを適用せず甘々

291 :chikara:2015/11/20(金) 19:25:55.39 ID:jqUHpQF6p
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「鬼と神」の関係。
 「鬼」・・・・古代人は「おお」と読み。(山から来る)大きい精霊。それが「神」に変化した。
三つのおおやま=鬼山。
@仁徳天皇陵、大山古墳のおおやま。考えられること。鬼山→大山。
A浜田市三隅町岡見の大山。 「おおやま」=鬼山→大神山→大山。
B浜田市三隅町井野・室谷の大麻山。 最初は「おおやま」(鬼山→大神山)→権現山→大麻山→双子山→大麻山。

292 :WordPress”管理”者が知っておくべきこと:2015/11/24(火) 06:39:30.05 ID:hDpcaBy3r
 「ニーベルンゲンの歌」と同時代に作られた作品


「エーレク」 「イーヴェイン」 
ハルトマン・フォン・アウエ 創作年代(1180-1185)

アルトゥース・ロマーン。「アーサー王伝説」の一つ。

「パルチヴァール」
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ 創作年代(1200-1210)

ドイツ版「聖杯探求」物語。アーサー王伝説の一つである。
主人公パルチヴァールは英語読みのパーシヴァルに当たる。
「ニーベルンゲンの歌」は、この本の最初の部分を真似しているが、
後半に入ると、逆に「パルチヴァール」のほうが「ニーベルンゲンの歌」に言及している。
このことから、「ニーベルンゲンの歌」は、「パルチヴァール」の前半と後半が書かれる間の期間に仕上げられたと考えられている。

フランス流布本サイクル
(1215〜35)

特定の作者によるものではないが、フランスで作られた、アーサー王伝説関連の様々な物語群。

http://shining-world.jp/BA/

293 :「黒い九月」と「モサド」の報復合戦:2015/11/25(水) 11:52:41.46 ID:p89iqgZ5K
後の時代に書かれた異なるバリエーションの「ニーベルンゲン伝説」


韻文「不死身のザイフリート」
創作年代;現存する最古の印刷 1530年ごろ 現存する最新の印刷 1642年ごろ

言語や様式は統一されているものの、全体的に矛盾の多い物語。腕白者の少年ザイフリートが竜を退治して乙女クリエムヒルトを助け出し、結婚するまでの話。
しかし、ザイフリートは小人から「君は暗殺され奥方とは8年しか暮らせない、だが君が死んだ後、奥方がその仇を討つだろう」という予言を受ける。
(続く結婚後の物語は、ここには入っていないが、やはり暗殺者はハゲネだったのだろうか。)

悲劇「不死身のゾイフリート」
創作者;ハンス・ザックス 創作年代(1557年)

当世風の職業、職匠歌人(マイスタージンガー)と呼ばれた中の一人、ハンス・ザックスによるもの。ハンスの本職は靴屋の親方。副職が劇作家。
「ニーベルンゲンの歌」や先述した「不死身のザイフリート」など多くの作品をもとに、むりやりつなぎ合わせた全7部の膨大な悲劇戯曲を書き上げた。
ゾイフリートとディートリヒがヴォルムスのバラ園で決闘し友情が芽生えるところや、ディートリヒの師匠がプリュンヒルトであるところなど、笑える要素が盛り込まれている。
これらマイスタージンガーの手によって、それまで騎士階級の文学だった「ニーベルンゲンの歌」が、民衆に広く浸透していくことになる。

民衆本「不死身のジークフリート」
創作年代;現存する最古の印刷 1726年

内容は韻文「不死身のザイフリート」とほとんど同じだが、名前が現代風に改められ、韻文から散文に書き換えられたことで民衆向けになり、
矛盾点が取り去られて分かりやすくなっている。ハーゲンヴァルト(ハーゲン)の性格がかなり変化して、臆病で卑怯な人間にされているのが、
もとの「ニーベルンゲンの歌」ファンには辛い。民衆化された伝説は、形だけを名残として残す。

http://offer.alibaba.com/exclusive.html?alpsm=true&match=rule&prior=medium&ruleid=50&rank=solelp&tv=2&imp=5bjs451a4ad704rqqhq&xp=vBGyhwZnj-7MxYrtjP-C9fhAiN8M218IEGdOu-
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294 :フジファブリックの一度は聴いてみてほしい:2015/11/26(木) 01:59:41.59 ID:wIYHo8OyQ
「ニーベルンゲンの歌」と戯曲の時代


『ニーベルンゲン』 フランツ・ルードルフ・ヘルマン

三部作の戯曲。1819年に発表。


『ニーベルンゲンの財宝』 エルンスト・ラウパッハ

1828年に初演。


『北欧の英雄たち』 ド・ラ・モット・フケー
(Friedrich Baron de la Motte=Fouqué: Der Heid des Nordens, 3 Bde. 1810)

「大蛇殺しのジグルド」「ジグルドの復讐」「アスラウガ」からなる三部作の戯曲。1810年にまとめて「北欧の英雄たち」として発表された。
中でも、第一部の「大蛇殺し」は、のちにワーグナーの戯曲にも影響を及ぼしている。
ちなみにアスラウガっていうのは、シグルドの娘・アスラウグのこと。特にヴォルスンガ・サガをたくみに取り入れ、中心として扱っているようだ。
(この人は、他にも、北欧の英雄伝説を元にした「ウンディーネ」を製作していることで知られる)

<自分的ポイント>
ブリュンヒルトの性格が、「ニーベルンゲンの歌」よりも古い伝承、ヴォルスンガ・サガに近い。ジグルドを愛しつつ憎む葛藤や、
ジグルド暗殺とともに自分も命を絶つところは北欧女性らしい気性の激しさを持っている。しかも暗殺者はヘグニではなく、グンナルの末弟グットラム。
ここでのヘグニは、グンナルの弟であり、ジグルド暗殺を思いとどまるよう進言する役であることに注目。

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295 :モサドのメイール・ダガン長官は彼に念押ししていた:2015/11/27(金) 12:35:14.75 ID:NkaEwQOCo
「ニーベルンゲンの歌」と戯曲の時代

『ニーベルンゲン』 フランツ・ルードルフ・ヘルマン
三部作の戯曲。1819年に発表。

『ニーベルンゲンの財宝』 エルンスト・ラウパッハ
1828年に初演。

『北欧の英雄たち』 ド・ラ・モット・フケー
(Friedrich Baron de la Motte=Fouqué: Der Heid des Nordens, 3 Bde. 1810)
「大蛇殺しのジグルド」「ジグルドの復讐」「アスラウガ」からなる三部作の戯曲。
1810年にまとめて「北欧の英雄たち」として発表された。中でも、第一部の「大蛇殺し」は、のちにワーグナーの戯曲にも影響を及ぼしている。
ちなみにアスラウガっていうのは、シグルドの娘・アスラウグのこと。特にヴォルスンガ・サガをたくみに取り入れ、中心として扱っているようだ。
(この人は、他にも、北欧の英雄伝説を元にした「ウンディーネ」を製作していることで知られる)

<自分的ポイント>
ブリュンヒルトの性格が、「ニーベルンゲンの歌」よりも古い伝承、ヴォルスンガ・サガに近い。
ジグルドを愛しつつ憎む葛藤や、ジグルド暗殺とともに自分も命を絶つところは北欧女性らしい気性の激しさを持っている。
しかも暗殺者はヘグニではなく、グンナルの末弟グットラム。ここでのヘグニは、グンナルの弟であり、
ジグルド暗殺を思いとどまるよう進言する役であることに注目。

『ニーベルンゲン』 フリードリヒ・ヘッベル
「不死身のジークフリート」「ジークフリートの死」「クリームヒルトの復讐」から成る三部作の悲劇戯曲。1861年、第一部と第二部がワイマールで初演される。

<自分的ポイント>
しょっぱなからフォルケールが出てくる。しかも歌う!v 出番が多いぞー。わーい。(思いっきり個人的だなソレ)
基本的なあらすじは「ニーベルンゲンの歌」と同じなのだが、ひとつ大きく違うことは、「ニーベルンゲンの歌」では省かれていた基本となる物語、
竜退治やブリュンヒルトとジークフリートの出会いなどが、ジークフリート本人の口から過去の回想としてかたられていることだ。それによって、
全体的な流れが矛盾なくスムーズになっているとも言える。

http://atlus-vanillaware.jp/osl/gad.html

296 :警察官のお仕事とウラ話:2015/11/30(月) 07:42:25.77 ID:PH2E8J5lX
『ニーベルングの指輪』 リヒャルト・ワーグナー

「前夜 ラインの黄金」「第一日 ワルキューレ」「第二日 ジークフリート」「第三日 神々の黄昏」からなる、四部作の戯曲。
ヘッベルと違い、こちらは、「エッダ」など古い北欧神話を元にしている。
そのため、ヴォルスンガ・サガに登場する双子の兄弟がジークフリートの両親となっている。
オーディンがヴォータン、フリッグがフリッカなど、神々の名前が独特の書き換えになっている。
また、ここにしか登場しないエルダという女神や、ローゲという炎の神もいる。



「ブルンヒルト」「クリームヒルト」 パウル・エルンスト

前者は1911年に初演。プリュンヒルト伝説に視点を絞った戯曲で、ハーゲンにジークフリートを暗殺させたのち、ブルンヒルトが自害するところで終わる。
後者は、そのあとに書き上げられ1924年に初演。
ディートリッヒもヒルデブラントも登場せず、リューディガーがハーゲンをとらえ、エッツェル王がクリームヒルトを成敗する。
なぜかリューディガーの娘の名前がグートルーン(クリエムヒルトのこと)…。


「ニーベルンゲン族の災い」 マックス・メル

それぞれ1942年と1951年に初演された、二部作の戯曲。
話の筋は「ニーベルンゲンの歌」に近いようだが、詳しいことは分からない。

「ニーベルンゲンの歌」 フリッツ・ラング

1924年製作の無声映画。
第一次世界大戦後、愛国主義バリバリ時代のドイツで第二次世界大戦の前までに作られた映画。
勇壮なニーベルンゲン伝説は愛国心を煽り、ドイツ民族の誇るべき伝統扱い。
ヒトラーもこの映画の前半部分(英雄シグルズの超人的な戦いとか)がお気に入りだったそうです。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%9E%9C%E5%AE%9F

297 :「ミュンヘン」、本当はイスラエルのモサドじゃなくて、CIAの出番:2015/12/03(木) 09:22:39.65 ID:r9tA+0JCv
「ニーベルンゲンの歌」の原典

「ニーベルンゲンの歌」が書かれたのは、13世紀初頭である。当時はもちろん、まだ印刷機は無い時代だったので、
本はすべて手写しの「写本」であり、紙は羊の皮を薄く延ばした「羊皮紙」だった。
手書きで写していた都合上、書き間違い、写本する人による付けたし・改ざんは良くあることで、そのため本は写されるたびに少しずつ変化していく。

「ニーベルンゲンの歌」の写本は、現在(2002年時点)までに約30数種類が発見されている。
その中でも、書かれた当時に近い13〜14世紀に書かれた写本には大文字のA,B,C…という記号がつけられ、15〜16世紀の新しい写本には小文字のa,b,c…という記号がつけられている。
これらの写本の中で、どれが最も原典に近いものかについては、さまざまな議論が交わされた歴史がある。

羊皮紙の耐久性の問題、また本を傷める「写本」という行為、手書きでは1冊の本を作るのに時間がかかりすぎること――
などから、印刷技術が発達する以前の本は、どんな物語でも、記録でも、最初の一冊(オリジナル)が残っていることは、まず無い。
よって、現存するもののうち、どれが最も最初の一冊に近いかが議論されることとなる。。
特に写本A,B,Cの3種類については、それぞれが最も原典に近いとされた時代があるが、
現在は「B」がオリジナルに最も近いものと結論づけられている。

3種類の写本それぞれについて、概要をまとめてみた。

http://www.dmm.com/lp/game/kanpani/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_
5010_7534_114007_114086&utm_content=olg&utm_source=imobile&utm_medium=adnw

298 :びっくり仰天、大麻の嘘!:2015/12/04(金) 14:07:18.49 ID:Z1q9tdtNC
写本A;ホーエンエミス・ミュンヘン本

基本的に、2人の書写家によって13世紀末ごろに書き写されたもの。18世紀末までフォーアアルルベルグのホーエンエムス伯爵家にあったが、
その後、経緯を経てミュンヘンのバイエルン国立図書館へ移る。エピソードの繋がりが不自然で語調もバラバラ。カール・ラッハマンは、この最も矛盾の多い写本Aこそ最も原典に近いと考えた。
最も不完全なものが最も古い形を示しているとされていた時代は、これがオリジナルに近いとされていたが、現在では改悪されたものとして否定されている。

詩節2361。


写本B;ザンクト・ガレン本

3人の書写家によって13世紀半ばないし後半に書き写されたもの。もともとはヴェデンベルグ伯爵の所蔵であったが、16世紀にはスイスの歴史家チューディの所蔵するところとなり、
1768年にザンクト・ガレンの修道院図書館に移される。エピソードの繋がりは自然で完成された形態になっており、数字や時間の進み方にメルヘン的な要素(実際にはありえない人数や年数)が含まれている。
1865年、バルチュによってこの写本Bが最も原典に近いとする説を発表され、その後、1900年に出されたブラウネの論文「ニーベルンゲンの歌の写本事情」が決定的となって、現在に至る。

詩節2379。

※現在では、写本Bが最も原典に近いという説が採用され、日本で刊行されているものも含め、「ニーベルンゲンの歌」と呼ばれているものは、これを元に現代訳されたものである。

http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-c994.html

299 :「思考は現実化する」というロシアの研究論文:2015/12/05(土) 18:34:13.15 ID:64xOfMl2S
写本C;ホーエンエムス・ラスベルクあるいはドーナウエッシンゲン本

13世紀前半に書き写されたもの。写本Aと同じくホーエンスムス伯爵家に由来するが、それからラスベルク男爵の所有を経て19世紀半ばにドーナウエッシンゲンのフエルステンベルク公爵の図書館に移る。
エピソードの繋がりがより滑らかになり、メルヘン的な要素がかなり修正されている。
アドルフ・ホフマン(1810〜1870)とツァルンケは、最も矛盾が少なく、話がスムースに進むこの写本Cが最も原典に近いと考え、ラッハマンの説に異議を唱えた。
現在では、ニーベルンゲンの歌の「後日談」というべき外伝作品(別の作者によるものと思われる)との繋がりから、B写本を修正したものと考えられている。


詩節2440。この写本Cは、インターネット上にテキストがある。


このように、同じ物語でも、書き写される途中ではしょられたり新たなバリエーションが付け加えられたりするのが、中世独特の「伝説の伝播」形式だった。
原本に近いだろう、というだけで、写本Bもまた、最初の詩人が書き記した物語とは、どこか違っていたのかもしれないが、そもそも、この「ニーベルンゲンの歌」自体、
生きて変化し続けていく物語だと考えるなら、「原典そのもの」であることに、大した意味はないのかもしれない。


****************

さて、B写本とC写本だが、内容は良く似ているのだが、面白いことに作者の基本的なスタンスが異なる。

  B写本とC写本では、特にハゲネの扱いが大きく異なっている。


B写本は日本語訳でもお馴染みの内容なので、作者はハゲネ側にもクリエムヒルト側にも立っていないし、異教的な内容もそのまま書き記していることが分かるはずだ。
ところがC写本では、作者はクリエムヒルトに肩入れし、終始ハゲネを悪役として罵倒し続ける。トロネゲのハゲネを「卑怯者」とするために、B写本にはない「不誠実(untriuwe)」や「不実(mit untriuwen)」、
または「不快、邪悪な(Ubel)」という単語を名前の先に頻繁に付け足しているのだ。

決定的なのは、そんな酷い男が勇敢であってはならないので、ハゲネがジーフリトを殺害したあとのシーンで「恐ろしい勢いで逃げ出した」となっていたのを「恐怖のあまり」と書き換えてしまったことだ。

http://dragonbrave.com/tutorial2/p1

300 :メーリングリスト“超”入門講座:2015/12/07(月) 17:41:02.31 ID:nUDBHy2du
ハゲネは逃げ出した
 ハゲネは恐ろしさのあまり逃げ出した

一言足すだけで、場面の印象はかなり変わる。

前半部分は見どころのほとんどをジーフリトに譲っているハゲネに対し、「ジーフリトと一緒に出てくるから目立たないだけで、
実はこの人もバケモノじみた英雄だったんだ」と読者に気づかせるシーンが、そのジーフリトの殺害シーンなのである。
ジーフリトは、まともに戦えば生身の人間では勝ち目のない、化け物チックで半伝説的な英雄である。
弱点は背中の真ん中、肩甲骨の間だけ。そこを間違わず一突きにしなければ、失敗した瞬間に自分が死ぬ。

たとえば、わずかな傷からしみこんだだけでも人を殺せる猛毒を持った大蛇がいるとしよう。
そのヘビは今のところこちらには気づいていない。
しかしその蛇を倒すための道具は、一本の槍だけ。
蛇のリーチなら槍の長さは射程圏内だ。そういう状況で、あなたは、そのヘビに近づいて一瞬で頭を一撃でつぶせるだろうか?
ハゲネはそういう状況で一撃必殺をやって、かろうじてジーフリトのリーチ外に逃げる。(それで最後の一撃をかわし、致命傷を負わずに生き残る)
状況的にこれはかなり凄いことなのだ。
そこで読者は、「ヒーローの殺害」という悲しむべき場面にもかかわらず、その見事な殺害者を悪くも思えないという微妙な感覚に陥ることになる。
これが後半、クリエムヒルトが悪鬼の如き存在に転化した際に生きてくる。

しかしC写本は徹底し、ハゲネはとにかく悪い奴で、クリエムヒルトはその復讐のために全生涯をかけることになる悲劇のヒロインで正しいことをやっているんだ、というシナリオになっている。
キリスト教的な要素を全面に押し出そうとし、伝説的な内容に細かく修正を加えている。
ただ、物語の筋書きを大きく変えることは出来ないから、作者が正義にしたかったはずのクリエムヒルトは後半ではそのまま悪巧みはするし、
夜中に襲撃しようとするし、最後はディートリッヒに誅殺されることになる。
ある意味、そこで破綻を来たしていると言えなくもない。

http://www.wtrpg0.com/?utm_source=gdn&utm_medium=int&utm_campaign=03_72890

301 :人間が人間を編集し、造り出す時代の一歩手前に何を思う:2015/12/08(火) 16:42:10.31 ID:jWqxWTV79
のちの時代では騎士物語として扱われているディートリッヒ伝説だが、実在したゲルマン民族の英雄から発生し、語り継がれたということを考えれば、
もともとは、北欧神話と同じくゲルマン民族の伝説だった、と、いえるだろう。そして実際、彼の物語には、騎士物語に特有のモチーフ、恋愛や宮廷に関するところが少ない。
ひたすら戦い、武勇を求めるゲルマン的な精神に貫かれている。

 さて、ディートリッヒの伝説と同じ、ゲルマン民族大移動時代を材料にした「英雄歌」 (heldenlied[独], heroic lay[英])で
残されている最も古いものの一つが、古ドイツ語の時代(8世紀半〜11世紀半) の、『ヒルデブラントの歌』 " Hildebrandslied ''である。

 エッダ詩にある古アイスランド語の「ヒルデブラントの挽歌」は、断片のため詳細が分からないが、中高地ドイツ語のものでは、
ディートリヒ の剣術指南役ヒルデブラントと、ヒルデブラントを父と知らない息子のハドゥブラント Hadubrand が戦場で敵軍同士として
鉢合わせになるという悲劇的エピソードのストーリーが分るようになっている。
 息子が父の顔を判別できなかったのは、ヒルデブラントが、あまりにも長いこと国を空けていたのが原因、とされていることからして、
エピソードの挿入箇所は、ディートリッヒがフン族の国から戻ってきた直後、ということになるだろうか。

※「ヒルデブラントの挽歌」と、「ヒルデブラントの歌」(2種類)は、別物なので注意!

 「ヒルデブラントの挽歌」には息子の名前は出てこず(息子が倒されたあとから話が始まる)、異父兄が登場している。
書かれた言語は、古アイスランド語である。エッダ詩に分類される。

 中期高地ドイツ語で書かれた「ヒルデブラントの歌」は、同じタイトルで新旧の二種類が存在する。
 両者のオンラインテキストは、ココ。↓ 
  http://homepages.uni-tuebingen.de/henrike.laehnemann/hildebrandslieder.htm
 正確なものかどうかの確認はとれていないので、ある程度の内容が分る…くらいの資料として使うほうが安全だと思う。

http://hexa.vector.co.jp/rpg/?m=gg

302 :原子力規制を監視する市民の会:2015/12/11(金) 12:10:30.18 ID:bmAEpuRKg
++
 「エッダ」に書かれた物語は、中世(特に12-13世紀あたり)のころ、口承文学として伝わっていた「英雄歌」を、
吟遊詩人(Minnesinger=ミンネジンガー)たちがつむいで、英雄叙事詩(Helden Epos, [複数]Epik) としてまとめあげたものだと考えられている。
 口伝である以上、人から人へ伝えられる上で変化していくことは避けられない。
 ゲルマン民族には、物語を文字として書き記す習慣がなく、すべての伝承は口から口へ伝えていったものなので、
書き記される以前の原型は失われてしまい、推測することは困難である。伝わっていく過程で新たなエピソードが加えられたり、
既存のストーリーが変更されたりしても、どの段階でそれが行われたのかは分からないのである。

 もちろん、最初に伝説を語り始めたのが誰だったのか、最初の段階ではどのような物語だったのか、といったことも、分からない。

+++
 しかし、例外として、、作者を特定出来るエピソードも在ることには在る。

 ディートリッヒに関する伝説そのものの始まりは特定不可能だが、一つのまとまった文学作品として存在する場合は、
そのけいしきや内容から、ある程度の推測が出来るのだ。
 たとえば、「シドレクス・サガ」の場合である。
 この作品は、それまでに存在した多くのディートリッヒ関連エピソードを、編纂・編集したものである。
 言ってみれば、リヴァイバル版なのだ。

 以下は、この物語の成立に関する説の、本よりの抜粋である。

 『…原型はドイツ語で記されていない。しかし歌謡として北欧に伝わり、ノルウェーのベルゲンにいるザクセン商人たちの間で謳われているうちに、
それを聞き知ったアイスランド人が1250年頃に、古ノルト語の散文で書き留めた。それが現在、ティードレクス・サガと呼ばれている作品である』

-----「ニーベルンゲンの歌を読む」(講談社)より

https://ja.wikipedia.org/wiki/RAVE%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9#.E5.85.AD.E3.81.A4.E3.81.AE.E7.9B.BE

303 :木下黄太が拡散、三菱商事や三井物産など本社移転はデマ?:2015/12/12(土) 13:55:28.52 ID:IRMacI3Mr
シドレクス・サガ/ストーリー構成


 シドレクス・サガとは、それ以前にあった多くの英雄物語を、かなりムリヤリに一本につなぎ合わせたもので、本当なら交わることのない物語の世界を交わらせ、各地の英雄たちに夢の饗宴をさせた物語である。色んな種類の伝説が混ぜ込みごはん状態。
 完訳は存在せず、完全収録の英語本は絶版…ということで、このページの情報は、半ば自らの記憶に頼りつつ、他、多くのサイト情報と資料本から合成して作ったものになっている。^^;

 部分的に和訳の存在するものについては、「和訳;在」と示したが、これは存在するか否かではなく、管理人が発見したか否か…と、いう点である。 (在るのを知らなかったり、在ったのに忘れている場合は、存在しても、書いてない。)

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=36253

304 :エボラも人造ウイルスかよ!:2015/12/13(日) 19:21:58.28 ID:zDMlnOCh6
シドレクス・サガ 第一部


1.ザムソンとヒルデスヴィント   和訳/?

 ディートリッヒの祖父ザムソンの代の話。ザムソンには、あとあと敵になる長子エルムンレク、ディートリッヒの父・ディートマル、庶子のアキがいます。エルムリッヒはローマ、ディートマルはベルン周辺を相続。


2.ディートリッヒ最初の戦い  和訳/在


 ディートリッヒ成人、12歳。ヒルデブラント師匠とともに巨人(小人?)退治へGO。ここで、初期装備ヒルデグリムとナーゲルリングを手に入れます。


3・ハイメ  和訳/在

 おもしろキャラ・ハイメ君登場。ブルトガング持ってベルンに殴りこみ、ディートリッヒに敗北し軍門に下る場面です。

4.オザントリックスとオーダ  和訳/?

 突然話が飛びます。「ヴィルキネン王室」と、「ヘルトニット王室」という二つの王家が登場。ヴィルキネン王室は巨人族で、ヴィーラントの父・ヴェードが属しています。
 オザントリックスはヘルトニット王室に属しており、ヘルトニット王が、ヴィルキネン王室を制して従えます。オザントリックスはフン族の王メリアスの娘、オーダと結婚しようとし、姦計を用いてフン族の王都を略奪し、オーダを手に入れます。

 ※なぜヴェルンド伝説がこんなところにミックスされているのか。

http://dragonic.vector.co.jp/rpg/?m=fo

305 :10月26日(月)経産省前テントひろば裁判:2015/12/14(月) 04:42:45.45 ID:rACPZ+ybw
5.アッティラおよびエルカ  和訳/?

 なぜかメリアスはまだ生きていた。でも急死。
 そのスキをついて、アッティラが攻めてきて国を奪いますが、さきにメリアスがフン族と言ってしまっているので、
ここでのアッティラはフン族ではなく、フリースラント王オジットの第2王子だそうです。
 さらにアッティラは、メリアス王の孫で、オザントリックスとオーダの間に出来た娘・エルカと結婚して支配の正統性を得ようとします。
そのためアッティラの家臣、ロディンゲル(「ニーベルンゲンの歌」のリュエデゲールのこと)を交渉に行かせ、エルカを連れ出させます。

 アッティラとエルカ結婚。娘を奪われたパパ・オザントリックスは腹の中でかなり怒っていたようです。

 ※アッティラの役割が、ニーベルンゲン伝説とはかなり違いますね。

6.鍛冶屋ヴィーラント  和訳/在

 ヴィーラントが鍛冶屋修行に行く話。詳しいところは和訳が存在する(確か青土社の「ゲルマン神話 下」に載ってたハズ)ので端折るとして、ヴィーラントの父はここで土砂崩れにあって死亡。
「エッダ」での展開と違い、ヴィーラントはニドゥンク王のもとに仕えます、王に裏切られ、その仕返しとして王の息子たちを殺し、娘を手篭めにして子を宿させます。
 こうして生まれるのが、のちにディートリッヒの仲間の一人になるヴィテゲ君です。

http://gamebiz.jp/?p=150697

306 :『神社庁』は原発、戦争屋、反社会的存在なのです!:2015/12/17(木) 19:52:55.46 ID:s0aBGRokl
シドレクス・サガ 第ニ部


7.ヴィテゲ   和訳/在

 鍛冶屋を継ぐのはイヤだと言い出したヴィテゲ君、ディートリッヒに挑戦しに、
父にもらった名剣ミームングを手にベルンへ向かいます。
 途中、ヒルデブラント、ハイメ、ホルンボゲと出会い一緒に盗賊団を倒したり。
 ベルンではディートリッヒと激しい戦いになり、打ち負かすところまで行くのですが、
ヒルデブラント師匠のとりなしで仲間になってくれることになります。

8.勇士と竜  和訳/在

 ヴィテゲに負けた汚名を挽回するために、ディートリッヒは単身、旅に出ます。

 途中、エッケと名乗る騎士(巨人?)と戦い、激しい戦いの末、勝利。新たな剣、エッケザックスを入手。
さらに、エッケの弟・ファゾルドとも戦います。
 ファゾルドを殺すパターンのものと、生かしておいて仲間にするパターンのものがあるようですが…?

生かしておいた場合の続き⇒ディートリッヒとファゾルドは山で、竜に食われそうになっていた男を助けることに。
この男は実はヒルデブラントの甥、ジントラムでした。竜を倒して助けて、新たな仲間ゲット。

※これは…ファゾルドを生かす選択肢を選んだ場合の特典っスか…。なんかシュミレーションRPGみたい(笑)

http://gamebiz.jp/?p=150697

307 :神社本庁の法廷闘争:2015/12/17(木) 19:59:38.80 .net
シドレクス・サガ 第ニ部


7.ヴィテゲ   和訳/在

 鍛冶屋を継ぐのはイヤだと言い出したヴィテゲ君、ディートリッヒに挑戦しに、
父にもらった名剣ミームングを手にベルンへ向かいます。
 途中、ヒルデブラント、ハイメ、ホルンボゲと出会い一緒に盗賊団を倒したり。
 ベルンではディートリッヒと激しい戦いになり、打ち負かすところまで行くのですが、
ヒルデブラント師匠のとりなしで仲間になってくれることになります。

8.勇士と竜  和訳/在

 ヴィテゲに負けた汚名を挽回するために、ディートリッヒは単身、旅に出ます。

 途中、エッケと名乗る騎士(巨人?)と戦い、激しい戦いの末、勝利。新たな剣、エッケザックスを入手。
さらに、エッケの弟・ファゾルドとも戦います。
 ファゾルドを殺すパターンのものと、生かしておいて仲間にするパターンのものがあるようですが…?

生かしておいた場合の続き⇒ディートリッヒとファゾルドは山で、竜に食われそうになっていた男を助けることに。
この男は実はヒルデブラントの甥、ジントラムでした。竜を倒して助けて、新たな仲間ゲット。

※これは…ファゾルドを生かす選択肢を選んだ場合の特典っスか…。なんかシュミレーションRPGみたい(笑)

http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB

308 :「同神社の土地を買い取ったので、神社を潰す」:2015/12/19(土) 18:09:08.87 ID:eDb1/4ALT
9.ヴィテゲとハイメ その1  和訳/在

  ベルンに戻ってきたディートリッヒは、エッケザックスを手に入れたので前の剣ミームングをハイメにあげる。(勝負したとき、ハイメの剣・ブルトガングを折ってしまった代わり。)
しかし、ヴィテゲがイラン突っ込みを入れてしまったためにハイメが怒り出し、宮廷を飛び出していってしまいます。
 ハイメ君、勢いではるか北方の盗賊団に仲間入り。(…誰か止めろ、この面白い男を…。)

10.デーン人ディートライプ  和訳/在

 そんなハイメ君、ビーテロルフの息子・ツッパリのディートライプにボコボコにされたことがきっかけてベルンに戻ってきます。
 ディートライプもまた、ディートリッヒに会ってみたいとベルンを目指します。
 当然どこかで鉢合わせ。ディートライプは、ディートリッヒのもとに仕えて、あれやこれやのトンでもないことをしでかしますが、
結局、エルムリッヒの宮廷で「ただものじゃない、コイツは」と、いうところを示して、ことなきを得ます。

11.さらに何人かの勇士  和訳/?

 エルムリッヒのもとから帰ってきたところでディートリッヒの父・ディートマルが死亡。ディートリッヒがベルンの王位を継ぎます。
 ホルンボゲの子アマルング、ウィルドエーベル、遍歴者ヘルブラントらは、ここで仲間入り。いきなり仲間が増えた…。

http://game.tsutaya-adult.com/game/detail/80?sc_cid=ggame-adult_a31_n_ntwk_max_b1_000080_00001442

309 :戦争中の「八紘一宇」の公的な使われ方:2015/12/20(日) 04:45:29.20 ID:uHrP5FEzL
シドレクス・サガ 第三部
12.ウィルドエーベルとイーズンク  和訳/?
 仲間になったばかりのウィルドエーベル大活躍。
 ここでは、先ごろのアッティラとオザントリックスの不和が突然再燃。
アッティラがディートリッヒに援軍を要請したことから連合軍が誕生しますが、どうやら負けたようです。ヴィテゲは相手方の捕虜に。
 捕まったヴィテゲを助け出せ大作戦には、戦闘員ウィルドエーベル、スパイに楽師イーズンクが投入されます。熊に化けたウィルドエーベルの活躍によって、ヴィテゲ救出に成功。

13.ヴィテゲとハイメ その2   和訳/在
 しかしさらに問題が発覚。ヴィテゲが戦場で無くした剣・ミームングは、ハイメが拾ってこそっと持ち逃げしていたのでした。(面白すぎる!)
 返すのはイヤだ、拾ったもんはオレのだと言い張るハイメ君をなだめすかし、一時的に返却させることに成功したディートリッヒでしたが、
返してもらったとたんヴィテゲがこの剣でリムシュタイン伯を殺してしまったので、また二人がケンカしはじめます。

 で、結局、このケンカをディートリッヒがかなり頑張って仲裁して、ハイメにゴメンナサイを言わせるのです…。個性豊かな部下を持つと大変だな、王様。

14.ジークフリートの青年期  和訳/在
 実はここの和訳、サイトにおいてあったりして。⇒コレ
 面白いのは、ブリュンヒルトがハイメのいとこになっていること。ハイメ君ちは、馬ブリーダー。
ここでジークフリートに名馬グラニを譲るブリュンヒルトも牧場の主。「スレイプニルの血を引く名馬」を扱えるのは、ここの血筋だけなんでしょうか。

15.ニーベルンク族  和訳/在
 「ニーベルンゲンの歌」でおなじみの面々が登場。しかし王の名はアルドリアーン。
 グンター、ゲールノート、ギーゼルヘル、クリームヒルトは正妻の子なのに、兄弟の中、ハーゲンだけが妖精族の子。(女王、浮気。)
 …と、いうより、ハーゲンが兄弟に入ってること自体、異質かもしれない。
 ディートリッヒは、豪華な宴を開いて、彼らを招待。グンターとハーゲンが仲間になります。

http://game.tsutaya-adult.com/game/detail/28?sc_cid=ggame-adult_a31_n_ntwk_max_b1_000028_00001456&id=28&id=28

310 :証人尋問で明かされた幸福の科学学園の実態:2015/12/21(月) 02:58:43.09 ID:jYPK+sG0A
シドレクス・サガ 第四部
16.ベルタンガランド  和訳/簡訳のみ在
 ここでシドレクの12人の仲間たちの名前と、彼らの容姿等についてが語られます。
 ヒルデブラント、ハイメ、ホルンボゲ、ヴィテゲ、ファゾルド、ジントラム、ディートレフ、アマルング、ウィルドエーベル、ヘルブラント、ハーゲン、グンター王。
 しかし、もっと優れた12人がいる、それはベルンタンガランドの王のもとにいる11人の息子たちとジークフリートだ、とヘルブラントが言い始め、ディートリッヒはこの王に挑戦しに行くことに。

 なお、ここではじめて、アマルングがジークフリートの親戚だったことが判明します。

 17.結婚  和訳/部分的に在
 そろそろ皆様、お年頃のようです。
 アマルングはイーズンクの娘と結婚。ホルンボゲ、アマルング、ジントラム、ヘルブラントはディートリッヒに忠誠を誓いながら、それぞれの国へ帰還。
 ジークフリートはグンター、ハーゲンの妹、グリムヒルト(クリエムヒルト)と結婚。ハーゲンは、グンターにブリュンヒルトを娶ってはどうかと提案する。ここで悲劇が起きるわけです…。
 ブリュンヒルトが初夜の床でグンターを拒否したことからジークフリートが登場し、おなじみの「男同士の秘密」が誕生します。

18.ヘルボルトとヒルダ  和訳/?
 ディートリッヒはベルタンガラントの王アルトゥースの娘ヒルダを妃にと望み、ヘルボルトを使者に送るのですが、
ヘルボルトは彼女に恋をしてしまい、横から掻っ攫って逃亡。(アルトゥースって…。)
 仕方がないのでディートリッヒはドレカンフェルズの女王の娘と結婚。ディートライプとファゾルドは、この女王の国へ行きます。

19.ウァルターとヒルデグント   和訳/在
 少し過去に遡った物語です。この「シドレクス・サガ」に登場するハーゲンは隻眼。彼が目を失うのは、この部分。
 和訳は「ニーベルンゲンの歌」の部分で書きました。⇒こちら

20.イロンとイゾルデ  和訳/?
 あまり関係のないエピソード。
 アルトゥース王の息子たち、イロンとアポロニウスの冒険など。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/dragonprincess/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_2343_3547_41732_41774&utm_content=olg&utm_source=popads&utm_medium=adnw

311 :新興宗教の一覧 信者数の多い新宗教の傾向は?:2015/12/22(火) 10:33:58.16 ID:7ZthldV81
シドレクス・サガ 第五部

21.ディートリッヒの逃亡  和訳/在(長いためか、部分的に抜けている)

 ローマにいる、ディートリッヒの叔父・エルムリッヒが、大臣・ジフカの美貌の妻を襲ったことからジフカの復讐が始まる。
 エルムンレクの3人の息子たちは、ジフカの狡猾な罠によって命を落とす。(ちなみに、息子たちのうち一人を殺すのがオザントリックス)
 さらに、ディートリッヒのもう一人の叔父、アキ(ディートヘアになっている場合も)の息子たち(エガルド兄弟)も殺され、この兄弟の後見人の一人だったヴィテゲが激怒。
 甥のディートリッヒにまで手を伸ばすエルムリッヒに、危機を報せるためヴィテゲは馬を駆り、その間にハイメ君はジフカを平手打ち。
 ディートリッヒはここで国を負われ、アッティラの領地まで逃亡。ついていったのはヒルデブラントとウィルドエーベルのみ、だったようです。

22.アッティラの宮廷のディートリッヒ  和訳/?

 もうすっかり忘れかけているころだがアッティラとオザントリックスはいろいろと怨恨があります。
 オザントリックスとの再戦を決意したアッティラはディートリッヒにも助力を要請するが敗北。ディトーリッヒは重傷で死にかけ。
 なんとか傷をいやし、オザントリックスの兄弟、ヴァルデマールを攻略します。

23.グランシュポルト  和訳/在

 ディートリッヒの弟・ディーターは、このアッティラの宮廷で、アッティラの息子たちの乳兄弟として暮らしていました。
 ディートリッヒは、エルカ王妃に国を取り戻す援助をして欲しいと願い、ヴァルデマールの件で借りのある王妃は、それを受け入れる。
 助太刀に二人の息子とロデンガーも追加。王と王の関係は、貸し借り無し。

 エルムリッヒ側は、ジフカ、ライナルト(ヒルデブラントの親友)、ヴィテゲ(エルムリッヒ側につくことを選んでいた)を戦線に投入。
 ディーターおよびアッティラの息子たちは戦死。
両軍とも大きな被害を得て、この戦いではディートリッヒは勝利するが、多くのものを失った。
ディートリッヒの弟を殺してしまったヴィテゲは、戦線を離脱して行方をくらまします。

http://game.tsutaya-adult.com/game/detail/80?sc_cid=ggame-adult_a31_n_ntwk_max_b1_000080_00001442&id=80&id=80

312 :正月に知っておきたい神社の「常識」:2015/12/24(木) 02:14:35.13 ID:Klu5UWN/1
シドレクス・サガ 第六部

24.ジークフリートの死  和訳/?
 突然話が飛び、グンター王の国へ。
 少し粗筋が違うのですが、「ニーベルンゲンの歌」にも語られているとおり、ハーゲンの手によってジークフリートが命を落とします。

25.ヘルトニットとイーズンク  和訳/ない!(言い切り) 探したけど無い〜〜ッ
 魔女オスタシアを妻とするヘルトニット王が、かつて11人の王子とジークフリートでディートリッヒの12人の勇士たちに攻撃を挑んだ、あのイーズンク王に戦をしかけるエピソード。
ディートライプ、ファゾルドが魔女によって呼び出された怪物と戦い戦死。魔女も、魔法の使いすぎで力尽きて死にます。
こんなところで死なないでェ…ディートライプ・・・!

26.グリムヒルトの復讐  和訳/粗筋のみ在
 エルカ王妃を亡くしたあと、再婚をのぞむアッティラは、グリムヒルト(クリエムヒルト)と結婚。「ニーベルンゲンの歌」でも述べられている復讐劇の始まり。
 多少異なる点があるものの、大筋は同じです。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/grandharem/index001.html/=/navi=none/?utm_medium=dmm_affiliate&utm_source=http%3A%2F%2Feroanimedougakan.blog.fc2.com%2Fblog-entry-8.html

313 :スマホの速度制限を解除できる裏ワザ:2015/12/25(金) 08:16:31.33 ID:1dH0qgSAk
シドレクス・サガ 第七部


27.ディートリッヒの帰還  和訳/在

 ディートリッヒは、ようやくベルンへ帰還。ベルンの町はヒルデブラントの息子ハドゥブラントが居丈高に治めていましたが、父に気づかないハドゥブラントは、親父のゲンコツでようやく素直に。
 エルムリッヒはすでに他界し、ジフカが王位を継いでいること、しかしジフカには求心力は無いことを知ったディートリッヒは、ジフカとの最終決戦に挑み、勝利。ローマの王となり、キリスト教徒になります。
 これを見届けたあと、ヒルデブラントは死去。

28.ディートリッヒの最後の竜  和訳/?

 ヘルトニット王の死後、王妃イゾルデを盗賊団が狙い始める。王妃を助けるためヘルトニットの城に向かっていたディートリッヒは、途中で竜を倒そうとするが、エッケザックスを家に置いてきたため、勝てません。
 あわやというところ、都合よく剣や甲冑など見つけたりして…竜と盗賊団に勝って…王妃と再婚します。
 いいのか、それで。

http://www.dmm.co.jp/netgame_s/dragon/

314 :コロンビアでは川が血の赤に変色:2015/12/26(土) 04:03:11.65 ID:f7Dwdro0h
29.アルドリアンの報復  和訳/粗筋のみ在
 話はニーベルンゲン伝説へと戻ります。
 ハーゲンの遺児、アルドリアンが成長して、父と一族のかたきとばかり、アッティラ王を殺害。
しかし、殺害方法は異なっており、「ニーベルンゲンの財宝のありかを知っているのは、生き残りである自分だけ」と言い、
財宝のありかへアッティラを誘い出し、閉じ込めてしまうというものです。
 このあと、彼はニーベルンゲンの国へ戻り、王妃ブリュンヒルトにこのことを報告するのでした。


30.ハイメの死  和訳/部分的に在
 ディートリッヒの帰還後、ハイメは何故か僧院に入っていたりします。(と、いうのも、ジフカに嫌がらせをする理由がなくなったからか…。)
 しかし、僧院が巨人アスピリアンの危機にさらされた時、昔とった杵柄で戦いに出、勝利。このうわさを聞いてやってきたディートリッヒに発見され、連れ戻されます。
 この時点で、すでにかつての仲間のうち、生き残って側にいるのは、ハイメ君のみ。(ヴィテゲは逃亡したまんま行方不明。)

 そののち、別の巨人に挑戦しに行くが、みくびりすぎたためアッサリ死亡。
 ディートリッヒは弔い合戦をしかけます。

エンディング  和訳/前者のタイプのみ存在
 ディートリッヒが馬に乗って行方不明になるパターンと、ヴィテゲに、弟・ディーター殺害の復讐するため探しに行き相果てるパターンの二種類があり、前者が一般的。

http://vel.vector.co.jp/rpg/?m=gg

315 :セシルマクビー 福袋 交換 提供:2016/01/05(火) 10:09:06.68 ID:Fo6mHw1Y8
ディートリッヒ・フォン・ベルンにまつわる伝説は、ニーベルンゲン伝説と切っても切れない関係にあるが、その二つの伝説はもともと交差する位置には無かったものと考えられている。

 まず、ディートリッヒの原型とされる歴史上の人物、テオドリク王は、ブルグント族と直接的な関係には無い。そもそも時代と活躍の場所が違う。
 本来、ディートリッヒの伝説とニーベルンゲンの伝説の両者は、独立した、無関係の物語のはずであった。

 では、どこで二つの物語が交差することになったのか。いつから両者が交わるようになったのか?
 「ニーベルンゲンの歌」そのものの発祥段階とは別に、物語の交差、という視点から、この部分を少し掘り下げてみたい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E4%BB%81

316 :Rails Girls Kyotoに落選しました。:2016/01/07(木) 18:08:18.48 ID:ZCwW87TEb
 ディートリッヒの伝説群と同じように、ニーベルンゲン伝説も、歴史的なモチーフ、北欧神話的なモチーフの両方を合成して登場した二重構造の伝承になっており、ストーリーには二本の柱がある。

 神話的モチーフにあたるのが、プリュンヒルトの結婚に関する偽りが原因の、ジーフリト殺害という、前半部分のストーリーだ。
 プリュンヒルトの原形、「エッダ」に登場するシグルドリファはヴァルキューレ(戦乙女)である。
 戦乙女とは、北欧神話に登場する戦の父オーディンの娘たち(血の繋がりがある肉親、というよりも、私設部隊のようなもの)のこと。
 つまり、プリュンヒルトが登場する話とは、本来、神話の一部だったと考えられるのである。

 シグルドリファ(=プリュンヒルト)がシグルズ(=ジーフリト)と出会い、将来を誓い合うというストーリーもあるが、
ここではシグルズは、オーディンの血を引くヴォルスング家の者、という神話的な設定だし、
その場面でシグルドリファがシグルズに教えているルーンの使い方も、神話的意味合いを持っているといえるだろう。

 歴史的モチーフにあたるのが、エッツェルの宮廷でのブルグント族の全滅という、後半部分のストーリーである。
 この部分、エッツェルの宮廷でのブルグント族の殺害は、史実を反映したストーリーだとされている。
 史実として、ヴォルムスに拠点をおいたブルグント族の国は、フン族との戦いで大敗を喫し、滅ぼされたとされる。
 エッツェルは、「エッダ」ではアトリと呼ばれ、一般には、実在したフン族の王アッティラをモデルとしているとされている。
 アッティラは、その弟ブレダ(ブレーデルの原型か?)とともに、ブルグント族の国を攻め、陥落させる。
 さらに、この大戦で戦死したブルグント族の王の名は、グンテルの原型と思われるグンナルという。

 テオドリクが活躍した年代も、時間にすれば、この出来事から100年と離れていない。
 これらの歴史的な出来事が、時とともに混ざっていくのは、至極当然の経緯といえるだろう。

http://www.gofa.co.jp/art/150117_knight/index.shtml

317 :ネット広告を表示しただけでウイルス感染のワケ:2016/01/08(金) 11:48:29.50 ID:ZYbmLMmFg
 ところで、「ニーベルンゲンの歌」に含まれる二本の柱、前半と後半のストーリーは、元々は起源を異にするものでありながら、「エッダ」の中で既に一つの物語として語られている。
かなり早い段階から、二種類の、全く異なる発生による神話が混ざり合ったのだろうと思われる。
 そしてさらに、そこにディートリッヒの伝説が混じりこんだ。

 ここには、ディートリッヒの伝説とニーベルンゲン伝説が、ともにノルウェー、もしくはアイスランドにおいて編纂されたという経緯も関係する。
 ディートリッヒにまつわる伝説は、ドイツ商人がノルウェーに持ち込んだものが元になって、その地で発達したとされる。
また、ニーベルンゲンの伝説は、「エッダ」や「サガ」に登場するように、アイスランドで多く語られていたようなのだ。
 ノルウェーやアイスランドに住んでいた人々は、当然ながら、ヨーロッパ内陸の地理には疎かった。
 ニーベルンゲン伝説とディートリッヒの伝説は、いつしか同じ地域、同じ時代の物語と認識され、入り混じるに至ったのではないかと推測する。

 そして、北欧にやってきた伝説は、再度、自分たちの生まれた場所へと帰る。
 ニーベルンゲン伝説は、かつてブルグントの拠点のあったヴォルムスへ。ディートリッヒの伝説は、テオドリンの住んだヴェロナへ。
 しかし、かつて異郷の地で築かれた二つの伝説の関係は切れることなく、その後、形を変えながら現在へと至るのである。

http://www.ammanu.edu.jo/wiki1/ja/articles/%E5%9B%9B/%E9%A7%BF/%E5%9B%9B/%E5%9B%9B%E9%A7%BF%E5%9B%9B%E7%8B%97.html

318 :DJ警官が活躍、サッカーW杯日本代表出場決定の裏で活躍する人々:2016/01/09(土) 14:52:21.40 ID:viPEqQ7SA
***余談だが、私は、二つの物語の接点は「シグルトの殺害」ではないかと思っている。彼は、過去に偉業を達成しながら、女性への裏切りが原因で命を落とす登場人物である。
 殺害方法や殺害者は微妙に違っても、彼は必ず、「戦わずして命を落とす」。
 神話的/歴史的ストーリーを貫いて流れる因果関係は、すべて、この「シグルドの殺害」という点に端を発していると思う。
 言い換えれば、彼が死ななければ、前半と後半のストーリーが繋がることは無いのである。

 シグルドの原型となる人物が歴史上に存在したか? と、いう問いかけは過去に何度も成されたが、今のところ、答えは出ていない。
 それらしき人物もしない。
 また、シグルドの殺害者、あるいは、その場面に重要な役割を果たす者として必ず登場するヘグニの原型も、分かっていない。
 しかしながら、彼らが、かなり古い時代の伝承から既に登場していたであろうことは予想され、それだけに、想像をかきたてられるものなのである。

***史実として、ディートリッヒの原型・テオドリクが、国を奪われ、一定期間(大抵10年ほど)放浪して王位を取り戻しに帰郷するといった出来事は起こっていない。
 にもかかわらず。物語においては、何故か必ずこのエピソードがついて現れることになっている。
 「王の追放」と「放浪」のモチーフが、いつ、どのような理由から生まれたのか? それは、今もうまく説明がつかない疑問である。

 しかし、放浪の期間があるからこそ、ディートリッヒはアトリ(エッツェル)のもとへやって来るのだし、ニーベルンゲン族の滅亡に関わることが出来るともいえる。
 そう考えると、あるいは、これは物語を交差させるための必然だったのかもしれない。

http://ncode.syosetu.com/n1413da/

319 :鈴木宗男が新設NSC長官の谷内正太郎の本性を暴く:2016/01/11(月) 07:11:34.19 ID:/48TVprTi
各エピソード成立年代の予想
 ディートリッヒの伝説に関係する、数々のエピソードについて、それぞれの成立年代をおおまかに予想。

5世紀以降/初期のディートリッヒ伝説
 ディートリッヒのモデルとなった王、テオドリクスが実際に生きていた年代を考えると、これが一番古いはず。
伝説は、テオドリクスが没した直後から作られ始めたそうなので、このあたりか。
 この時点では、まだそれほどバリエーションは無く、ヴェルンド伝説との関連も無かったと思われる。

5世紀以降/初期のニーベルンゲン伝説
 ブルグント族の滅亡と、アッティラの急死を結びつけた、最初の伝説の発生は、おそらく、それら歴史的事件の直後に生まれていたはずだ。
 この頃は、まだプリュンヒルトは登場していなかったと思われる。

9世紀/ヴェルンド伝説
 エッダの中身の発祥年代→8世紀−13世紀、その中でもシドレクス・サガは最古の部類に入ることから、この話はけっこう古いはず。
 鍛冶屋ヴェルンドの伝説はディートリッヒ伝説とは別個に発生し、あとで繋がった、という説が主力である。

9世紀/ハイメ伝説?
 ハイメというとディートリッヒの一の家臣として登場する人物だが、9世紀に筆写された「ベーオウルフ」に登場するハーマという人物や、ヴォルスンガ・サガに登場するヘイミル(ヘイム)など、
他系統の伝説に、よく似た名前が見え隠れすることから、もともと別に発祥した伝説の登場人物だったのではないかという説がある。
 ハーマやヘイミルの名前とともにヴェルンドの息子ヴィテゲ(ヴィッテッヒ)が登場することもあり、あるいは、失われた物語では既に盟友と呼ばれる関係を築いていたのかもしれない。

9世紀/ヒルデブラント・サガ
 定説では、だいたい9世紀ごろの発祥、とされている。
 ヒルデブラントに関係する詩は、エッダ詩の中でも最古の部類に入る。ドイツ語、古アイスランド語の詩があり、
それぞれ、少しずつ設定が違っているが、息子と戦い共に死ぬという悲劇的な結末は同じである。
 ヒルデブラントは元々、ディートリッヒとは別に活躍していた英雄だったのではないか、という説がある。
先にヒルデブラントがいて、人気だったため同じく人気のあった王伝説にくっつけた、という予想。

http://dic.pixiv.net/a/%E5%85%88%E5%B0%8E%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%81

320 :「エボラウィルス」生物兵器という陰謀論が浮上?!:2016/01/14(木) 02:14:48.47 ID:g1wvvxLJ4
12−13世紀/ニーベルンゲンの歌

 これは、記されたのが1203−4年頃とほぼ時代が確定されているので、分かりやすい。(※ここでは、ニーベルンゲン伝説自体の成立とは別に、伝説をリテイクして「歌」とうう作品を作った時代をさす)
 「ニーベルンゲンの歌」の作者は、最初からブルグント族とディートリッヒを出会わせるつもりで物語を書き始めた気配がある。

12−13世紀/シドレクス・サガ

 写本の段階では、最古のものは1250年ごろのもの。原本が書かれた年代はもっと古い可能性があるが、
ストーリーの中に「ニーベルンゲンの歌」との繋がりを含んだ部分もあるため、「ニーベルンゲンの歌」が読まれたのちに改変され、付け足されたのは確実だろう。
 ディートリッヒに関する物語は、「ニーベルンゲンの歌」が異教的として禁止された後も読み継がれていたため、時代を追うごとに細かいバラエティの広がりが大きくなる。
 ヘルデン・ブッフに収められた、シドレクス・サガとはつながらない単発の話も、この時代から後に付け加えられていったものとされる。

16世紀以降/その後の伝説−民衆本

 印刷技術の誕生により、廉価な大衆本として読まれるようになると、かつての伝説は、宮廷文学から、より御伽噺めいた民衆の好むストーリーへと転化していく。
不死身の英雄ジークフリート、竜にさらわれる姫君クリームヒルト、大王ディートリッヒなど、半ばパロディ化されたキャラクターが登場するのも、この時代。
 時代が古くても二次創作って言うんだろうなソレは、とか、ボソリと呟いてみる。

http://ddd2.nussygame.com/?gclid=CL2e_OPvm8oCFRMHvAodBAcBGg

321 :見たり聞いたりしたもので世界を把握するメカニズム」:2016/01/17(日) 23:07:04.12 ID:J06O6SSPX
サガの種類と内容
saga とは、「物語/語られた出来事」を意味する。英語の say と語源が同じだというから、もともとは、「書き言葉」ではなく「話し言葉」を指す言葉だったのだろう。
古代北欧を語る上で、神話と並んで欠かせないのが「サガ」である。


●アイスランド・サガについて
「サガ」という言葉はよく目にするが、「アイスランド・サガ」と聞いて何のことだかピンとくる人は、少ないかもしれない。
うちの家族などは「アイスランド・佐賀」だと勘違いして、「アイスランドと佐賀は姉妹都市だったんか?」と、聞いてきた。かなりショックである。
…が、一般人の反応は、そんなものなのだと思う。
全く興味のない身内に囲まれている間に、私もだいぶ人が丸くなってきた、っていうか世の中の一般レベルがわかるようになってきた。
ここでは、読み手が全く興味も予備知識もない一般人だと想定して、イチから簡単に説明してみることにする。

アイスランド・サガとは、ひとつの物語のタイトルではない。12−13世紀に発達した、アイスランド人のサガ文学の、一般名称(総称)である。当時の、文学のいちジャンルだったと思ってほしい。

12−13世紀というのはは、アイスランドにキリスト教が広まり、定着した時代。
布教と同時に、アルファベットが伝えられ、ものごとを紙に書いて記録するという習慣も生まれた。
それまで口伝として語り継がれてきた物語を文章化して記録に残したのが「アイスランド・サガ」と、いうジャンルだ。
口伝から文字記録へと移行するのだから、
もちろん、それまで伝えられてきた「喋る」物語とは異なっているだろうし、何度も書き直されているうちに、付け加えられた部分や削られた部分もあるだろう。
また、大元の口伝も、実際にあつた出来事を元にしているとはいえ、歴史そのものではないし、多少の脚色も入っているはずだ。(※1)

成立については多少の議論はあるものの、
一般的に「アイスランド・サガ」と呼ばれる物語の多くは、「多少の脚色の入った、物語形式の歴史的な記録」と、考えられている。

http://www.sports747.com/#

322 :「女性が支配する平等と自由を獲得している部族と社会」:2016/01/18(月) 16:47:31.33 ID:MLLVCIVjz
●サガの種類

サガの種類は、一般に、大きく4つの種類に分けられ、「宗教・学問的サガ」「王のサガ」「アイスランド・サガ」「伝説的サガ」と、分類される。
この分類は現代人が勝手につけたものだが、その中身や性格はかなり違っているので、区別しておいたほうがいいかもしれない。
ここで取り扱うのは「アイスランド・サガ」なのだが、それ以外の3種類についても簡単に説明しておく。

「宗教・学問的サガ」(司教のサガ)
その名前から予想されるとおり、アイスランドへ布教しにやって来た宣教師や、アイスランドの学者たちが記した、
かなり正確な”歴史記録”である。口伝だったものではなく、最初から記録として残すことを目的として学術的に書かれたものだと思っていいだろう。
アイスランドへの移住を語った「植民の書」や「ストルルン・サガ」がここに入る。


「王のサガ」
主に9−13世紀のノルウェー王家の歴史を取り扱っている。
アイスランドに王政は無いが、アイスランド人たちの故郷はノルウェーである。ノルウェーへ戻り、王に重用された者も多くいた。
そういった人々がアイスランドに伝えるために作った物語や、ノルウェーで書いた歴史物語…というのが、これにあたる。
サクソの「ゲスタ・ダノールム」などがここに入る。

「伝説的サガ」(古代のサガ)
他のサガと違って歴史的な出来事はほとんど見られない。
成立時代はアイスランド植民よりも前の時代に遡り、「ヴォルスンガ・サガ」や「アトリの歌」などがここに入り、どちらかといえば神話に近い物語となっている。歴史的な要素は、ほとんど含まれない御伽噺に近いサガだ。

http://www.dmm.com/lp/game/kanpani/index004_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1536_2625_80543_80597&utm_content=olg&utm_source=propellerad&utm_medium=adnw

323 :2つめの太陽か、あるいはフェイクか幻想か:2016/01/19(火) 04:54:29.37 ID:ykQ5UvSGx
●アイスランド・サガのここがポイント

アイスランド・サガは、何といっても、自国語での独自文学、それも庶民の暮らしぶりを書いたものであるところに価値が大きい。
日本にも「枕草子」とか「蜻蛉日記」とか自国語での独自文学は多くあるが、それは貴族階級の洗練された文学であって、庶民の暮らしぶりをありのままに書いたものではない。
もちろん、文字が書けるにはそれ相応の学問が必要だから、アイスランド・サガも厳密には庶民の文学ではないのかもしれないが、
「誰それと誰それが結婚して、その結婚生活がどうだった」だの、「誰それのところに息子が何人生まれて、
そのうちの一人がどこそこで死んで…」だのいう、他愛も無い、人の噂話と同等レベルの記録が大量に残されているのは、世界の他の地域でも類を見ないだろう。

アイスランド・サガは、言ってみれば、遠くから来た人どうしが出会って「何か変わったことはなかったか?」と尋ねたとき、
相手が返す「ここ最近の出来事」の集大成なのであり、そのため、平穏無事な暮らしの描写ではなく、「争い」と「訴訟」を中心として進んでいく。
人々が大きな関心を払った出来事は、現代と変わらず、ゴシップや事件なのだ。

力強い語りと、シンプルなまでの生活の記録、その上に、無人の島にゼロから築き上げられた社会での物語であることが彩を添える。
 独特のリズムがあるので、最初は読みづらいかもしれないが、短い物語から攻めていくといいかもしれない。

http://ncode.syosetu.com/n4680cs/

324 :「TOKIOの将来」が話題に:2016/01/21(木) 02:23:28.37 ID:gRvUvkHd9
●オマケ/アイスランド・サガの人物名が分かりにくいワケ

名前には運命があり、善い名を授けられればそのコはいい人生を、悪い名を授けられれば悪い人生を歩む、という考えがあった。
また、古代北欧(およびケルト社会)では、子供は名前を与えられたときから人間になるのであって、
まだ名前をつけていない新生児は、殺しても殺人にはならなかったという。

これだけでも名前がどれだけ重要視されていたか分かると思う。ノリでヘンな名前つけちゃいけないのだ。
となると、過去に実在した誰かの名前をつけていくしかない。親戚で成功した人の名前とか。死んだ祖父ちゃんの名前とか。
家系図の中に、同じ名前の人がいつぱい存在するのは、そのためだ。よく出てくる名前は、だいたい50種類くらいか…。
同じ名前なのにどうやって区別するかというと、「あだ名」をつけて区別する。たとえば、グリーンランドを発見した
「赤毛の」エイリークと、オーラーヴ王の息子「血斧の」エイリークは別人、というふうに。

人名のわかりにくさは、サガを読もうとする人が最初にけっつまづく点かと思うが、
あだ名で区別するんだと理解すれば、ちょっとは読めるようになる。かもしれない。
** サガのお仲間メモ **

●サットル

サガに比べて、ごく短い散文作品。サガの内容をかいつまんだ、粗筋のようなもの。

純粋な「神話」として語るなら、歴史を物語にして語るサガやサットルは含まれないのだろうが(なんせ神が出て来ないし)、神話・伝承という区分にするなら、
既に成立から千年を経たサガ文学も含まれる。
また、「北欧」神話という呼び方にこだわるなら、アイスランドでつくられたサガは北欧以外の地域の神話・伝承、ということになるかもしれないが、
人々の会話や小唄の中にぽろりと神々の名前が出てくることが多く、どういった場面で、どういった神々が思い出されていたのかを知る上で非常に有益。


http://www.imperialsaga.jp/?entry_from=ygdn

325 :「島根県青少年の健全な育成に関する条例」の改正(案)について:2016/01/22(金) 08:21:01.73 ID:qGaVmM3At
北欧神話との関係

北欧神話とサガをひとまとめにしている本もあるくらい、北欧神話を語るには、アイスランド・サガを避けては通れない。
北欧神話は、ノルウェーからアイスランドへ移住した人々が、本国から持っていった伝承だ。
対して、アイスランド・サガは、アイスランドへ移住した人々自身の物語である。そのため、
双方の語り手は同じ人々ということになる。

北欧神話とアイスランド・サガが、同時代・同地域に、同一言語で書かれたものだ。
たとえば、北欧神話の主要な文献の1つに、スノリ・ストルルソンの書いた「散文エッダ」があるが、同時にスノリは、
ノルウェー王家の歴史をつづった「ヘイムスクリングラ」の著者でもある。

サガの世界に生きる人々は、神話の中の神々が実際に信仰されていた時代を生きている。
だが、スノリの時代、既に北欧神話は消えかかっていたようで、実際にスノリは「これが忘れられないために記す」と、
「エッダ」のなかに書いている。


スノリがアイスランドで「エッダ」を記録していたその頃、本国ノルウェーでは、北欧神話の神々は既に死んでいた。
早い段階からヨーロッパの影響を受け、キリスト教の伝播によって、元々あった神話伝承が廃れていったのである。
古い伝統を踏破し、神々を讃えたスカルド詩人たちが出なくなったのも、そのためだ。
海を越えた先、離島アイスランドではキリスト教の影響がまだ弱く、神話伝承が辛うじて生き残っていた。
影響がゆるやかだったために、キリスト教えの伝来とともに文字の文化や、紙に書いて記録する文化が浸透してから、
以前からの伝統を記録するだけの猶予があったのである。


アイスランド・サガは、人々が、実際にどのように神々を信仰してしたのかを示した、貴重な資料である。

http://www.nullgiko.net/

326 :戦争法案の裏で、こっそりと「ネット発言&デモ禁止法」が:2016/01/29(金) 22:06:09.64 ID:XwlN9DKhb
サガの中には、ケニングという独特の技法がある。
「戦の光のオーディンに墓を与えたり」と言えば、剣もつ戦士を殺したのは自分である、と殺害を告白していることになる。
ぽっと口からそういった言葉が出て相手にも伝わるということは、言っているほうも、聞いているほうも、神話を日常的なものとして知っていたことになる。
神話が、どんな社会的状況で生き、成長していったのかを考えるうえで、サガが描き出す当時の光景が重要になってくる。

神話はもちろん、人によって語られたものだ。その神話を、いかなる社会、いかなる人々が語っていたのかを知ることは重要だろう。
北欧神話が血なまぐさく、意味不明に見えるなら、それは現代社会の常識を基盤に考えてしまっているからだろう。
法律を乱すことが何よりの悪とされ、集団を守ることが第一と考えられた時代には、その手段として殺人のような厳しい罰が持ち出されることも、決して不思議ではなかった。
集団のおきてを破った者が生きていては、おきて自体の権威が落ち、結束が乱れて外部からの攻撃に弱くなる。おきてに反した者は、必ず殺されなくてはならなかった。

そういった社会では神々も厳しく、法律や約束事に関係する場合が多い。神々は法をたて、裁判を開き、人の運命に介入する。
また女神たちは復讐を請負い、約束ごとの後見人をつとめ、あるいは結婚を契約として扱う。
サガの世界を知れば、その中の人々が見ていただろう神々の世界もまた、理解できてくるはずだ。

北欧神話は、北欧だけで語られたものとは限らない。

ゲルマン民族はヨーロッパ中を大移動してた民族だ。
人が移動するということは、その人たちが持つ神話も移動していくということである。北欧神話の生息地は、北欧に限らない。
たとえばドイツやスイスでも、
オーディンやフレイヤのような古代の神々を信仰した記録や伝承が残されている。それらを伝えているのは、過去に移住していったゲルマン人の子孫たちだ。

だが、アイスランド・サガは、「アイスランド人のサガ文学」なのだから、北欧を舞台にした、北欧のみで書かれた作品である。(だから「アイスランド」サガと呼ばれる)
アイスランド・サガの世界は、よく知られている北欧神話と同じ時代に、同じ世界観の中で語られた物語であり、神話の世界を語る上では重要なものになる。

http://ncode.syosetu.com/n1872bu/

327 :ビートルズは、自分で曲を作っていないのです。:2016/01/30(土) 16:31:56.92 ID:rCeDGKMeA
サガの真実

法則というのは、たとえば、こういうことだ――

「良き事は存在し、悪しきことは存在しない。良き事を信じるのは良いこととされたが、悪しきことを信じるのは良くないこととされた。」
これが、アイスランド・サガに描かれる世界観、サガを語った人々の考え方だ。
良き事は存在するが、悪しきことは存在しない。それはつまり、悪しきこと、望ましくないことは記録に残さない、ということでもある。
彼らにとって真実とは「良き事」であり、悪しきことは、たとえ聞いても存在しないものとして後世に伝えるものに入れなかったのである。

古代北欧の世界では、子供の名づけに関して、家系の中の有名人や良いことをした人の名前をつけることが多い。
これは、サガの中の登場人物に同名の人がわらわら出てくる一因にもなっているのだが、それはともかく、名前に関する呪術信仰のようなものを感じる。
つまり、よき名前を得た子は存在するが、悪しき名前を得た子は存在しないのである。

また、これは、サガの中で、登場する人物の行動が紋切り型になっていることの理由でもある。
たとえば戦いの場面があったとする。死に際して怯えるのは悪しきことであり、臆病者のすることである。
だから主人公格の人物や、好ましく描かれている人々は決して怯えず、悔いる言葉を口にすることは無い。
もし実際は口にしていたのだとしても、その描写は後世に残らない。
好ましい人物は、あくまで理想的な行動、物語としての「お約束」的な行動しかとらないのである。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/crime_busters/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_1206_2288_118246_118325&utm_content=olg&utm_source=anitube&utm_medium=adnw

328 :天津大爆発の裏で蠢く権力闘争:2016/01/31(日) 06:32:44.57 ID:porN/qrdz
真実とは何か

サガを読む上で重要なことは、その中に含まれる真実とは何か、ということである。
アイスランド・サガは、しばしば、歴史的なものとして扱われる。
実在したことが知られている人物が登場することも少なくなく、物証として名前が残っていることもある。
また、サガの中で起きている出来事について年表を作り、時間を特定することが可能である場合もある。
つまりサガは、完全な架空の物語ではない。
中で起きている出来事も、一部の呪術に関する記述などを除けば、現実的なものとして、現代人が受け入れることも難しくない。

しかし、(ここが重要なのだが)サガの中に書かれたことは、すべてが真実ではない。
それは日本の伝説的な偉人、たとえば源義経だとか、聖徳太子だとかについて記された記録と同じことだ。
義経が弁慶と戦ったとき、本当に弁慶が刀を集めていたかどうかなんて分からない。が、義経と弁慶は実在したらしい。…そのようなものである。

そして最初にあるとおり、「好ましくない出来事は、記録に残さない」。
現実に起きた出来事と、人々の意識の中にある出来事は違う。
客観的な現実と、主観的な現実の違いである。サガの書かれた時代に「客観的に見た出来事を記録する」という概念は無かった。
現代の意味で「歴史」を定義するならば、サガは歴史ではない。人々がかくあるべし、と望んだ形に整えられた、過去の出来事なのである。

ただし、アイスランド・サガは決して、実在しなかった人物を存在させることはない。
(神話的なサガを除けば、他のジャンルに分類されるものでも同じ。これは、サガ文学の特徴といえるかもしれない)

http://www.gofa.co.jp/art/150117_knight/index.shtml

329 :臓器移植、美談にするな:2016/02/01(月) 13:48:20.49 ID:JWBjr+Fd+
運命とは何か

「詩のエッダ」に含まれる「巫女の予言」の中で、巫女は神々の死と世界の終焉について語る。
トール、オーディン、フレイといった有名な神々の戦いと敗北、神々の世界や大木ユグドラシルの消失…それは既に決まっている未来であり、寸分たりとも変えることは出来ない。

それと同じことが、サガの世界にも書かれている。
サガの世界、というより古代北欧の世界における「運命」とは、たとえ成就が未来であっても、「既に終わってしまったこと」と同じ意味で扱われる。
戦士たちの運命は、戦いに赴く前に既に決まっている。
起きるべく争いは、場合によっては、起きる何年も前から予言されている。

だが現実的に考えて、運命が決まっているなと゜ということは、ありえないのである。
サガは、サガの中に語られる出来事が「終ってしまった」後に作られる。
つまりサガ、およびエッダ詩は、それが語られている時間より過去の出来事を描写している。
運命についての描写は、サガが未来に作られたことの証明であり、未来だからこそ付け足すことの出来た「フィクション」だと言える。
悲劇的な出来事について、何の理由もなく淡々と書くよりも、「それは過去に、運命づけられていたことなのだから、仕方が無い」と書くほうが、納得はいくだろう。
事実、サガの中で運命によって予言されるものは、すべて「悲劇」である。
サガの中では運命による予言は、夢の解釈や女たちの直感によってもたらされるものだが、「成功」について、そのようにして予言されるものはない。

http://www.fantasy-earth.com/

330 :マーケターなら知っておくべき「マイクロ・モーメント」とは?:2016/02/02(火) 07:30:57.98 ID:EcP9c7om6
時間とは何か

サガの中における時間は、暦によって客観的に計られたものではない。「xxx暦xxx年」などという記述はサガの中には一切なく、
年代を特定するものは、「オーラーヴ王がxxxをした年の春」などといった、出来事による記述になる。
サガの書かれた時代に時計は存在しない。
また暦も無い。年月を数えることはあっても、それがすべての人に共通の、暦というモノサシの上でのどの地点であるかは、重要ではなかった。
時間は、特筆すべき「出来事」を基準として計算される。
そして、「出来事」がない間の時間は、サガの中では語られない。
あるシーンからあるシーンへ、何年も場面が飛ぶことは当たり前で、何もなかった時間は存在しなかったのと同じことになっている。

http://ncode.syosetu.com/n4698cv/

331 :消費者金融の元社員が語る:2016/02/03(水) 05:35:12.27 ID:G1xDMQvaq
実在とは何か

サガの中に登場する人物は、名前と、それに付属する長ったらしい家系だけであることが多い。
たったそれだけなのだが、それこそがサガの中で重要なものである。
サガの中で言う「実在」とは、過去と結びついたものでなくてはならなかった。氏素性のはっきりしない人物は、存在したのかしなかったのか証明することが出来ない。
だが、サガで頻繁に出るように、「▲▲という男がいた。xxの息子で、母のxxはxxの娘だった。xxの祖父はxxであり、かつてxxを行った人である。」の、ように、家系について(ことに、
知名度の高い勇名な祖先、あるいは子孫について)語ることは、始まりにある▲▲の実在を証明するための記述であり、いわば身元証明のようなものである。


サガの作者たちは、サガに語られる内容が、内容が「彼らにとっての真実」であることを目指していた。
それは、現代で言うところの「客観的な真実」ではない。だからサガは、現代的な意味での「歴史」ではない。
サガの作者たちは過去の出来事を「歴史」としては語らなかった。だが、嘘を伝えているつもりは、まったく無い。
ここまで挙げたような法則に従って、「彼らの真実」を語っているのである。

サガの中の真実とは、「彼らにとっての真実」とは何か。
それは、良き事だけを存在するものとし、好ましくない出来事は存在しないものとして消去した理想的な形での伝記である。
良くない出来事については、それは運命によつて予言されていたものとし、過去に遡って予言のシーンを付け加える。
多くの家系によって証明された、実在する人物を記録し、実際にあった出来事を語る。(だから小説などというものは論外。)
時間は、皆のよく知っている出来事を基準にし、聞き手が「ああ、あの頃の話なんだね」と、回想できるようにする。

サガの世界は、それを語った人々の持つ概念と切り離しては理解できない。
「真実」や「過去」や「時間」という言葉の概念は、今の時代、21世紀におけるそれとは異なるものなのだ。

http://over-lap.co.jp/bunko/arcadiagarden/

332 :chikara:2016/02/04(木) 13:42:05.13 ID:ScpY14sw1
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「神」文字のなりたち。
弥生時代、益田市「鎌手」へ九州北部より舟で稲刈りの鎌をつくる民。鬼刀禰族が上陸した。
かれらは、「おおやま」に大穴を掘り、かんな流しというやりかたで、砂鉄を集め、鎌や剣を
つくった。人々は、鬼が住む山、鬼山(おおやま)と呼んだ。鉄を作り出すためには、大量の
木炭を必要とした。1回の工程で木材資源になおすと10〜12Tが、3日で、消費した。いよいよ
森林資源がなくなり。民は、大穴を去り、浜田市三隅町の大麻山(当時は鬼の住む山=鬼山・おおやまと
、と呼ばれた)へ移動した。とり残された、真北に向いた大穴(中山鈩跡)は日本海が大シケになる前ふく
風で泣く(女の)声がする。人々は雨カンムリに龍と書いて「おかみ」と呼んだ。この伝承から、行基や人麻呂
は「神」と言う文字をつくった。・・・鬼刀禰が田んぼで使う鎌を作る大穴の「泣く女の声」
=大きい精霊の声を「神」と表現した。

333 :シリア難民はISISのトロイの木馬:2016/02/04(木) 14:19:08.97 ID:+YJhaUNpn
アイスランド年代記

ヴァイキング時代から現在へと至るアイスランドの歴史の、アバウトな年表。
年表内に出てくる人物は、アイスランド・サガにも登場する。



793 大ブリテン島でのリンディスファーン修道院略奪が、記録に残る最初のヴァイキング行。
この辺りからヴァイキング時代はじまる
8世紀>大ブリテン島とノルウェーの中間に位置する「フェロー諸島」への移住が始まる。
810 デンマークの大艦隊、フリースランドへ侵入830 ハールヴダン黒王、アンスガル、ビルカへ最初の布教活動
845 ハンブルク大司教座がヴァイキングにより破壊される。852 アンスガル、ビルカへの2度目の布教活動
860 ハラルド美髪王生まれる870 フェロー諸島への移住船が難破。偶然、アイスランドを発見する。
872 ハラルド美髪王、ノルウェーの専制君主になる874 インゴールヴがアイスランドへの最初の入居者になる
911 この頃、エギル・スカラグーリムスソン誕生。ノルマンディーが建国される
930 アイスランド共和国が建国される。ウルヴリョットによる国法施行。全島民会が創設
933 ハラルド美髪王死す937 孔雀のオーラーヴ生まれる
961 ノルウェーのハーコン王死す965 地区憲章が制定される
969 オーラーヴ・トリュグヴァソン王が誕生970 キャルタン・オーラーヴスソン生まれる
981 司教フレズレクとソルヴァルドがアイスランドを訪れる983 蛇の舌のグンラウグ生まれる
985 赤毛のエイリークによるグリーンランド発見986 ハーコン候とその子エイリークがヨームのヴァイキングに対し勝利する
989 ヒータル谷の勇士ビョルン生まれる。この頃エギル・スカラグーリムスソン死す
997 オーラーヴ王、アイスランド布教にサングブランドを派遣
1000 アイスランド、キリスト教に改宗。オーラーヴ王死去。
                    レイヴ・エイリークスソンによる北アメリカ発見

http://draw.kuku.lu/p/panda/

334 :太陽からの「非常に奇妙な形での生成物」が認められ:2016/02/05(金) 11:45:50.42 ID:cUfLWzK1G
                 1014 デンマークのスヴェン王死去
1015 オーラーヴ聖王、ノルウェーの支配権を得る1028 クヌート王、ノルウェーの王となる
1035 クヌート王死す。マグヌス善王が王位につく1044 マグヌス王、ヨムスボルグを破壊
1055 イースレイヴがスカーラホルトの司教となる1056 アイスランドの「学問の父」、セーンムンド誕生。
セーンムンドのエッダ、と名づけられた書物もあるが、実際はセーンムンドが書いたものではない。(彼が書いた書物は現存していない)
1066 ヴィルヘルム(ウィリアム)征服王による英国侵略。ヴァイキング時代終わる
1067 学者アリ誕生。1082 ギツルがスカーラホルトの司教となる
1104 スウェーデンのルンドに大司教区が出来る1106 ホーラルに司教区が出来る
1117 アイスランドに国法(グラウガンス)が出来る1123 全島民会でキリスト教徒のための法律が採用される。これにより、じょじょにアイスランドのキリスト教化が始まる。
1133 学者セーンムンド死去。1147 (第二次十字軍が派遣される)
1148 学者アリ死去1152 ノルウェーのニザルロス(トロントヘイム)に大司教区が出来る
1179 スノリ・ストルルソン誕生。のちに「散文エッダ」「ヘイムスクリングラ」を著す、もっとも有名なアイスランドの学者である。
1217 ハーコン・ハーコンスソンがノルウェーの王位につく
1241 スノリ・ストルルソン死去1262
−63 アイスランドがノルウェー王に服従する1270 ラヴン・オッドソンがアイスランドの知事に任命される
1281 ノルウェーの法律ヨーンスボークが導入され、アイスランドの自由の時代が終わる
1300 ヘクラ火山、大爆発1397 アイスランドがデンマーク領土となる。
1402
−4 ペストの蔓延により、アイスランド全島民の3分の2が死亡。
1843 民会再開1918 デンマークとの君合国として、独立王国になる
1944 デンマークより完全に独立、アイスランド共和国となる。

http://www.nijiyome.com/lp/app305_01/?en=ydn&em=banner&et=bn_728_90_app305_08

335 :「消費者購買行動モデルの変容:AIDMA理論・AISAS理論」:2016/02/08(月) 21:04:27.63 ID:DlALRKVu/
主要サガのリスト


 読んだことのないモノもけっこう…あります。目安程度で。あんま信用しないように(^−^;
 内容まで書いてると量が激しくなりそうだったので、とりあえずタイトルのみ列挙。細かいデータは見つかり次第追加。
 分類間違ってたら指摘お願い。

●アイスランド・サガ

めんどりのソーリルのサガ(原題:H(oe)nsa-Þóris saga)
登場人物が生きた時代:ブルンドの焼死は962年とされる
サガの書かれた時代:13世紀
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

蛇舌グンラウグのサガ(原題:Gunnlaugs saga ormstungu)
登場人物が生きた時代:グンラウグの誕生は983年とされる
サガの書かれた時代:13世紀
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

フレイル神ゴジ・フラヴンケルのサガ(原題:Hrafnkels saga Freysgoða)
登場人物が生きた時代:10世紀半ば
サガの書かれた時代:
邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

グリーンランド人のサガ(原題:Gr(oe)nlendinga saga)
登場人物が生きた時代:カルルセヴニのヴィーンランド行きは1004-8年頃とされる
サガの書かれた時代:1375年
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

http://ncode.syosetu.com/n0534cw/

336 :chikara:2016/02/09(火) 04:12:37.66 ID:rP8X3Bboo
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。石州和紙。行基はなぜ紙すきをしなければならなかったか?
8世紀の初め、唐と新羅からの攻撃を防ぎどう守るか。先制攻撃しかない。行基が軍舟の図面を書き、それぞれの軍港(津)で材木を切り出し、図面を
見て軍舟を作り舟出する。温泉津、江津、津摩、津田、高津、唐津(現在の萩市須佐町)が軍港。三隅に拠点がないのは、物部族は、まだ味方ではなかった。
物部族の支配地。松原、須津、青浦、土田、大谷、高島。山は、浅利富士、大麻山、大山、(赤雁)権現山、青葉山(青野山)、(須佐)高山。大田以東
〜青森までの日本海沿岸と日本海に注ぐ川の両岸。福島県郡山地区。瀬戸内海大三島や四国の海沿い。
ただ、物部族の夜の光通信だけは、利用。日本海がシケになるかならないか教えてくれた。温泉津、江津、津摩、津田、高津、唐津より300隻で
新羅の都を攻めるも、落せなかった。しかし、戦いに敗れたが、隠岐の島まで逃げ帰り、物部族の本拠に攻め込み、オオクニヌシに國譲りをせまり、
これに成功した。これが、古事記に書かれている。「稲羽の素兎」と「アマテラスとオオクニヌシの国譲り」である。
これが、大和朝廷の成立。九州の天津國・東表国や中国地方の天津國・江川沿岸西中国(にしなかくに)や物部族の中津國でない國。
日本國へと続く。人麻呂こと三輪高市麻呂の死亡する。702〜706年の出来事である。

337 :AI&VRで「セックス」がオワコンに:2016/02/09(火) 19:25:44.98 ID:c0fts59nG
棒打たれのソルステインのサガ(原題:Þorsteins þáttr stangarhçggs)
登場人物が生きた時代:サガの書かれた時代:邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

ヴェストフィヨルド人アウズンの話(原題:Auðunar þáttr vestfirzka)
登場人物が生きた時代:ハラルド王の在位は1047-66、スヴェイン王は1047-76年サガの書かれた時代:邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

バンダマンナ・サガ(原題:Bandamanna saga)登場人物が生きた時代:11世紀以降サガの書かれた時代:邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

ヴァープナフィヨルドのサガ(原題:Vápnfirðinga saga)登場人物が生きた時代:11世紀以降サガの書かれた時代:邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

ドロプラウグの息子たちのサガ(原題:Droplaugarsona saga)登場人物が生きた時代:11世紀以降サガの書かれた時代:邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

スールの子ギースリのサガ(原題:Gísla saga Súrssonar)?登場人物が生きた時代:死亡は978年サガの書かれた時代:13世紀邦訳:ギースリ・スールスソンのサガ(三省堂)

エギルのサガ(原題:Egils saga Skalla-Grímssonar)?登場人物が生きた時代:910-990サガの書かれた時代:1230年以前邦訳:アイスランド サガ(新潮社)

http://novel18.syosetu.com/n3672dc/

338 :DECAXって何?:2016/02/10(水) 11:38:58.25 ID:Y7oqJq38j
グレティルのサガ(原題:Grettiis saga Ásmundarsonar)?
登場人物が生きた時代:996-1031
サガの書かれた時代:1260-1325年ごろと言われる
邦訳:アイスランド サガ(新潮社)

ラックサー谷の人々のサガ(原題:Luxd(oe)la saga)
登場人物が生きた時代:
サガの書かれた時代:13世紀中ごろ
邦訳:アイスランド サガ(新潮社)

エイルの人々のサガ(原題:Eyrbyggja saga)
登場人物が生きた時代:874-1031年
サガの書かれた時代:1200-1240年ごろ
邦訳:アイスランド サガ(新潮社)

ニャールのサガ(原題:Brennu-Njáls saga)
登場人物が生きた時代:960-1015年ごろ
サガの書かれた時代:1280年ごろ
邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

https://www.calbee.co.jp/ddon/

339 :謝罪会見の裏で不倫相手と堂々と交際継続:2016/02/11(木) 05:06:50.39 ID:uEucyHHth
●王のサガ

ハーコン善王のサガ(原題:Hákonar saga góða)→ヘイムスクリングラに含まれる
著者:スノリ・ストリリソン(1179-1241)
成立:
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

スヴェッリル王のサガ
著者:カルル・ヨーンスソン
成立:1180年代後半
邦訳:

ハーコン・ハーコナルソンのサガ
著者:ストゥルラ・ソールザルソン(1214-84)
成立:1265年ごろ
邦訳:

ストゥルルンガ・サガ(中心はアイスランド人たちのサガ)
著者:ストゥルラ・ソールザルソン(1214-84)
成立:
邦訳:
追記:著者はスノリ・ストゥルルソンの兄の息子。



http://www.asahi-net.or.jp/~YQ5Y-YSD/

340 :原発再稼働と安保法強行の裏に、何がひそんでいるのか?:2016/02/12(金) 09:54:38.57 ID:U4X0vaZLf
●宗教・学問的サガ

アイスランド人の書(原題:Íslendingabók)
著者:アリ・ソルギルスソン(1067-1148辺り)
成立:1120年頃
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

植民の書(原題:Landnámabòk)
上記「アイスランド人の書」と内容はほぼ同じ。

赤毛のエイリークルのサガ(原題:Eiríks saga rauða)
著者:
成立:
邦訳:アイスランドのサガ(東海大学出版会)

司教パールのサガ
著者:
成立:1211年以後
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

http://www.comipo.com/

341 :「距離感の近さ」と「ストーリーの演出」!?:2016/02/13(土) 04:36:12.24 ID:M/YlR6Lsj
古代のサガ

勇士殺しのアースムンドのサガ(原題:Ásmundar saga kappabana)
関連伝承;ヒルデブラントの挽歌、ヒルデブラントの歌
邦訳:サガ選集(東海大学出版会)

ロルフ・クラキのサガ
関連伝承:ベーオウルフ内のデンマーク王
邦訳;

ヴォルスンガ・サガ
関連伝承:ニーベルンゲンの歌、シドレクス・サガ
邦訳:ゲルマン北欧の英雄伝説―ヴォルスンガ・サガ(東海大学出版会)
    アイスランド サガ(新潮社)
http://ww.justtakeit.xyz/JP/LP2/index1m.html?isp=New+Media+Co.%2CLtd&brand=&model=&zone=333340&cat=all&sxid=6ay5500wh3uu

342 :情報拡散がこの世の中を変えると信じてください。:2016/02/14(日) 15:52:13.32 ID:5xw9VFlE3
「ケニング」とは?

「ケニング」(Kenning)は、人や物を、その属性によって彎曲に示す複合語…つまり、簡単に言うと比喩の技巧である。
たとえば、「鯨(いさな)の泳ぐあたり」といえば、海。
「荒野を歩むもの」といえば鹿である。これは、叙事詩語りを聞く人々にとって共通の概念があったからこそ成立した方法であり、鯨に馴染みのない日本人や、鹿を見たことのない太平洋の島の人には通用しない。

日本で通用しそうなケニングというと…、たとえば「妖怪の住まう赤絨毯」と言って国会議事堂とかか。(冗談です)

この、比喩を巧みに使えるかどうかというのが吟遊詩人の力量を左右していたわけであり、詩人には、いわば豊富な語彙やイメージ力など、表現の才能が必要とされていたことが伺える。
ケニングにも時代ごとの流行りや個人の趣味嗜好は在り、
と「船」の代称として「水に浮かぶもの」などと、ストレートに表現する、日本人にも分かりやすいものもあった。
また、単純な比喩ではなく、ちょっと考えなくては分からないような、二重・三重の複雑なケニングもあったようだ。
と言葉で言っても多分分からないと思うので、実際にどんなケニングが在るのかは、あとに挙げる、実際の使用例を見ていただきたい。

http://www.ah-soft.com/voiceroid/ai/

343 :政権批判デモ、その裏で過去の悪政に苦しむ庶民:2016/02/15(月) 07:44:25.04 ID:Zu3ihA/S2
ヘイティ[heiti]について

 ヘイティとは、単語を別の言葉で言い換える、代称語のことを指す。
船=「水に浮かぶもの(flota)」、といったスナオな表現がこれに当たる。機能的にはケニングに類似する。
 日本語に直すと二言以上になっていても、原語で一言ならヘイティになるという。
ケニングの使用(1)

ソナトレク<子を失いて>


 これは、「エギルのサガ」の主人公、
スカラグリームの息子にしてアイスランドきっての英雄、エギルが晩年に作ったとされる歌である。
 スカラグリーム(単にグリームとも)の一族は、ハラルド美髪王と仲が悪く、
それによってアイスランドへの移住の道を選んだ、いわば一族そろっての跳ねッ返り。
エギルの兄は壮絶な戦死を遂げているし、エギル自身も、自分を毒殺しようとしたバールズ公を刺し殺して逃げている。
 それだけではない。彼は豊富な詩才をも併せ持ち、巧みなケニングで人々を感動させ、
斬首台に引き出されながらも死なずに済んでしまうという恐るべき人物である。ただの乱暴ものではないのだ。
 彼の詩は魔力を持ち、ルーンによる呪術も良くしたとまで言われる。
 だが、そんな彼でも、老いを避けることは出来ず、息子ボズヴァルの溺死を防ぐことも出来なかった。
 これは、息子に捧げられた、「ソナトレク」と呼ばれる、ゲルマン文学の最高傑作のひとつとされる詩だ。
かなり長いので、間を端折りながら紹介する
http://blogos.com/article/120101/

344 :AKBの食事が貧相な弁当に!:2016/02/16(火) 01:59:33.74 ID:U6FwLmRat
『歌の秤のかくる息の重さもて舌を動かさんとするは
 難し
 オーディンの獲物(詩の蜜酒、すなわち詩作)ののぞみも今はかすか
 魂の隠れ家(胸)より
 そを引き出すは難し

 太古ヨーツンヘイマル(ヨトゥンヘイム、巨人の国)より連れ去られし
 フリッグの身内の嬉しき拾い物(詩作)をば
 心の住家より移すこと易からず
 深き悲哀がために

 詩の蜜酒は申し分なく残れり
 されどブラギ(詩神)は黙す
 巨人の首の傷(海)は
 身内の奥津城に押し寄す

 かくいうは さながら嵐に倒れし樹木のごと
 一門の危機に瀕しおればなり
 身内のなきがらを
 家より運び去る者の心は晴れず

http://ncode.syosetu.com/n0885dc/1/

345 :国際漫画祭「捏造従軍慰安婦ブースを韓国政府が裏で後押し」:2016/02/17(水) 04:39:15.64 ID:YOwWvNpcY
<中略>

 ラーンは余より
 手荒くも奪い去れり
 海は一族の絆を、強固なる糸を断ち切れり

 事が剣にて決する事ならば
 麦酒の鋳造者(海神エーギル)は亡きものと知れ
 もし嵐の恐ろしきはらから(海)に刃向かうこと得るのならば
 エギルの花嫁(ラーン)に
 戦いを挑まんものを

 されど我が子を殺めし者と戦う力
 余に備わるとは思えじ
 老いの身の寄る辺なきこと
 衆人に明らかなれば

<中略>

 我は槍の支配者(オーディン)と
 親しき仲なりき
 彼を信ずることにより不安なかりき
 車の友、勝利を決める者(オーディン)が
 余との友情を断つまでは

<後略>』

アイスランド サガ/新潮社/谷口訳より
http://akimoto.jp/japan/?start=101

346 :みずほ銀行「マル暴」融資:2016/02/19(金) 10:38:28.11 ID:yiLltkExo
 ( )内に書かれたのがケニングであらわされる意味である。麦の鋳造者→エーギル、槍の支配者→オーディン、という具合に。
 ちなみに、「ラーン」はエーギルの妻で、海を荒れさせ、人の魂を網でからめとる女神の名前だ。
嵐の時は、彼女が海に網をかけ、船員たちをからめとると考えられていた。

 この詩の中では、海で溺死した息子は海の神々に奪い去られたのだとし、かつて神は自分に勝利を与えてくれたのに、
今はそのような信仰さえもゆらぎ、神を疑うことを知ってしまった、と述べられている。

 ものすごーく簡単に直すと、こう。

 「うちの息子は、ラーンのせいで海に攫われてしまった。殴ってすむことならエーギルを殺してやるのに! なんてことだ。
オーディン、あんた、かつて俺を勝利に導いてくれただろ? 何で今度は俺の息子を助けてくれなかったんだ。
あんたは俺に、色々な才能を与えてくれたけど…。
 俺は悲しみながら、ただ死を待つのみだ。」

 ここまで簡単にしてしまうと、かなり俗っぽい気がするが、要するに、言いたいことをいかにカッコよく遠まわしに言うかがケニングなのだと。
 オーディンなど、神々の名を名指して直接文句を言うわけにもいかなかったので、このような遠まわしなケニングの技巧で運命を嘆いたのかもしれない。


 エギルは、アイスランド最高の詩人として今なお語り継がれる人物である。
エギル・サガは、エギルの一族の4代にわたる記録と、エギル自身の誕生から死までの長い記録を細かく、勇壮に記している。
 その生涯はヴァイキングと呼ぶに相応しいほど荒々しく、しかしながら、子供たちに対しては人一倍の愛情を注ぐ根っからの詩人だった。

http://ncode.syosetu.com/n0160y/

347 :ソーシャルメディアでの動画広告の拡散率を予測!:2016/02/20(土) 05:16:48.39 ID:ElQtum2na
ケニングの使用例(2)

ギースリの殺害告白


 「ギースリ・スールスソン(スールの息子ギースリ)のサガ」は、運命に取り付かれたように不運に見舞われ、
一生を波乱の中に過ごすギースリの物語だ。追放されてなお命を狙われつづける危険な人生を送る点においては、
「グレティルのサガ」のグレティルと同じ。サガの中の豪傑たちは、命の危険にみまわれることが多い。

 ここに紹介するのは、ギースリが、姉の婿…つまり義理の兄ソルグリームの殺害者となってしまい、
そのことを、実の姉ソールディースに見抜かれる切っ掛けとなる”運命の歌”だ。
 何気なく口にしたケニングの比喩が、彼のその後の人生を、復讐に燃える姉に追われるものへと変貌させるのである。
 その歌とは、以下のとおり。

http://www.clubotwo.jp/matching/?utm_source=i-mobile&utm_medium=cpc

348 :AITが販売するクチコミソーシャルマーケティング:2016/02/22(月) 20:37:24.16 ID:Izr3mw36M
『巨人殺しグリームの墓塚に
  雪が溶けて 我は見たり
  みどりの若芽のふき出すをば
  ガウトの戦闘の輝きに 一撃を与えつ

  槍の衝突の戦士は兜のスロートを殺め
  安らぎの土地を求めつる者に
  かれを呑み込む
  土地をば与えつるなり』

ギースリ・スールスソンのサガ/東海大学出版会/大塚訳より

 これだけでは何のことだか分らないと思うので、解説を抜粋しよう。

 「巨人殺し」とは、トール神のこと。トールはアイスランドの発音で「ソール」(ソル)となる。つまり、「巨人殺しのグリーム」=ソル・グリーム、となり、被害者である義兄ソルグリームのことを指している。

 ガウト、スロートはオーディンの別名で、ガウトの戦闘の輝き、兜のスロートとは、戦士のことを指す。
 この戦士というのが、殺されたソルグリームを指している。
 槍の衝突の戦士というのは槍の使い手を指すのだが、そもそもソルグリームは寝ているところを槍で突かれて死んでいるので、ここではソルグリームの殺害者、ということになる。

http://ncode.syosetu.com/n2730cp/

349 :霊性が高くなれば、魂が高次元に願い、死ぬのが延期:2016/02/23(火) 09:28:43.42 ID:1tkdzeFnv
 上の歌から、すべてのケニングを取り去って、ダイレクトな表現に直してみよう。

 『ソルグリームの塚に雪が溶けるのを見た
  私はソルグリームに槍の一撃を与えた
  そして、ソルグリームに墓という土地を貸し与えた』

 パッと聞いただけでは死を悼む歌に聞こえそうなものだが、もちろん周りに人のいる中で、堂々と殺害を告白するわけにもいかない。
 その場にいた中で、その歌の隠された真意に気づいたのは、歌を記憶したギースリの姉・ソールディースだけだった。
 春になり、ソールディースは、旅立とうとしている、亡き夫の兄ボルクルにそのことを話してしまうのだった。

 ソールディースが裁判を起こそうとしていることを知った、ソールディースとギースリの兄、ソルケルは、弟ギースリにそのことを告げた。
 ギースリの返答は、こうだ。

 ヴェール 美しく着飾れる
 我が姉に
 ギューキのむすめグズルーンの
 強き心はあらざりき

 わたつみ(海)の炎 こがねの女神(原文ではサーガ)の
 グズルーンは
 兄弟の復讐を胸に
 夫の命を奪いけり

http://www.lodossonline.jp/lp2

350 :天之御名無主:2016/02/24(水) 06:33:46.56 ID:eLfEPU3n2
真実味を帯びるジンギスカンの義経伝説

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/45/296.html

徳川幕府の将軍の歴史には、秘密ではあるが公的なものがある。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://music.geocities.jp/jphope21/0104/48/314.html )

( 個人的意見 )

351 :「ルイスマーケティングの中国人爆買いの真相を探る」:2016/02/26(金) 05:30:07.74 ID:TJ6L5k4Ur
 ここで引き合いに出されているのは、ニーベルンゲン伝説の原型とされる物語のひとつ、「詩のエッダ」に歌われる、ギューキ王の娘グズルーンである。
古代北欧では、血のつながりは夫婦のつながりよりも強いのが一般的で、たとえ夫であっても、兄弟を手にかけた場合は復讐の対象になるものだった。

 伝説に歌われるグズルーンは、兄弟の絆を重んじて、最初の夫シグルズの殺害に復讐しない。
また、再婚して嫁いだアトリが、兄弟たちを殺害した時、復讐のために夫アトリと、アトリとの間に出来た息子たちを、ともに殺害する。

 だが、ソールディースは、そのグズルーンとは裏腹に、夫の復讐のため実の兄弟を追い込もうとしている。
ギースリは、当然あるべき兄弟の絆が裏切られたことを知り、上記のように、飄々と歌い上げたのだった。

 ギースリは機転に富んだ男だった。だが、多くの葛藤と、不運を抱えた男でもあった。
 彼は裁判で追放の刑を受け、13年ののちに壮絶な最期を遂げるが――、この歌は、物語の始まりに過ぎない。
グレティルの追放



 グレティルは、生まれながらの乱暴者、つねに人と悶着を起こすが、同時に人間的であり、今も慕われている英雄の一人である。
 詳細あらすじは→こちら。
 少年時代の彼は、父親からは嫌われていて、言うことをきかず、家の仕事も何一つまともに出来ない。
力任せで、わがままな手に負えない子供…だった。

 これは、そんな少年だったグレティルが、スケッギという男を殺害したあとに語る歌の一つである。

 『柄のついた化け物が、先刻スケッギを襲ったようだな。
  この物騒な女の巨人は、おそろしく血に飢えていた。
  固い口をスケッギの頭上に開き、
  歯は頭蓋に深く食い込んで、
  何も遠慮はしなかったね。
  おれもそこに居合わせたのさ。』      筑摩世界文学大系10/松谷訳
http://deagostini.jp/ww2/?utm_source=imb_rch_pc&utm_medium=banner&utm_content=impact&utm_campaign=ww2

352 :きっかけメディアと拡散メディア:2016/02/27(土) 22:07:28.89 ID:bGGhjDU5l
 人々は、ケニングに気付かず文字通り怪物がスケッギを襲ったのだと思い、そんな化け物はここにはいないと反論するが、ただ一人、奉公人スケッギの主人であるソルケルだけは、「柄のついた化け物」が武器であり、彼を殺したのがグレティルだったと見抜く。
 この歌は彼の最初の殺人であり、最初の追放をもたらすきっかけとなる。このときは三年間の追放だけで済んだのだが、彼は、その後も、次々と悶着を起こし続けるのである。

 故郷を追放され(期間限定で島の外に追放する、ゲルマンの法律)、その後も帰還と追放を繰り返されながら、波乱に満ちた苦難の冒険が続く。
 あるとき、グレティルは油断から農民たちに捕まって、縛り上げられてしまうのだが、地元の名士ヴェルムンドの妻、ソルビョルグによって掬われる。
 そのときの、グレティルとソルビョルグの会話は、とても面白い。

 ソルビョルグ「ひどい目にあったものだね。あんたのような恐れを知らぬ者が、つまらぬ連中に捕まるとは。」

 グレティル「わが不運は
  海の屋根(氷)のフィヨルド(イーサフィヨルド=地名)の只中で極まれり
  老豚どもが わが首根っこを
  おさえしとき」

 ソルビョルグ「彼らがあんたを捕まえたとき、どうしようと思ったのだ?」

 グレティル「多くの者は、シガル(娘の恋人を絞首刑にしたデンマーク王)が婚戚に支払いし報酬(絞首刑)が
  余に相応しいと言えり
  男たちが栄誉の葉をつけたる
  ななかまど(トール神の救い=ソルビョルグ)を見出すまでは」

 ソルビョルグ「妻が、あんたを家に招いたのか?」

 グレティル「シヴの夫(トール神)の二つの手の救い(ななかまど=ソルビョルグ)が
 余に ともに帰らんことを勧めたり。
 彼女はスンド(オーディン)の妻(女神ヨルズ=大地)の紐(大地を取り巻く蛇=グレティル)に
 よき馬を与え
 平安を恵みたり」
アイスランド サガ/新潮社/谷口訳

http://static.hangame.co.jp/r02/game/chocotto/lp/2015/t01/?wapr=56c6761a

353 :太陽も進化しようと、極が増える:2016/03/02(水) 01:55:31.11 ID:lgHg1NuEo
さっきまで、殺されかけていたというのに、まるで自分の不注意を自分で茶化しているかのような軽快な物言いである。
 これを聞いて、ソルビョルグは、グレティルがこれから多くの苦労を背負うだろうことを、予見するのだった。

 グレティルは、手のつけられない荒くれでありながら、時に常人をうわまわる勇気を見せ、苦境を切り開く男だった。通常の人間であればたえられないなこと、成し遂げられぬことも平気で成し、そのたびに、上記のような歌を残した。

 彼は、社会集団を掻き乱す異端者であるとともに、ある種人々の理想であり、畏敬を集めた存在だったかもしれない。
ケニングの使用例(4)

グンナルの最期



 最後は、「ニャールのサガ」よりの紹介である。

 ハームンドの子、グンナルは、アイスランドで最も勇敢で立派な男として名を知られていた。彼はニャールほか、多くの友人たちを持ち、常に堂々と振るまった。人を殺すことは好まなかったが、いざ戦いが始まったとき、彼ほど恐ろしい者は、ほかにいなかったという。

 だが、この男の運命は、美しいが高慢な女ハルゲルズを妻にしたことから、破滅へと向かい始める。
 望まぬ争いに次々と巻き込まれていくグンナル、彼と弟に言い渡された、3年間のアイスランド追放の刑。…しかし、グンナルは故郷を離れる直前、その美しい景色に気づき、死を覚悟して故郷に留まることを選ぶ。
 民会で追放を宣告された者からは、すべての権利が剥奪された。
 これを機に、グンナルに妬み恨みを抱く人々が集まり、殺害を目論みはじめる。ある夜の襲撃、多勢に無勢だったが、グンナルはよく防ぎ、戦った。
 2人を殺し、16名に瀕死の重傷を負わせたあと、力尽きて倒れた彼は、フローアルドという男の手によって、とどめをさされる。

 勇敢な男の死を前にして、エルヴァルの詩人・ソルケルは、このような詩をつくった−−−

http://ncode.syosetu.com/n6611cg/

354 :消費者団体の役割:2016/03/03(木) 12:17:19.56 ID:gtHbVOGKk
 『われは聞けり  キョルの南にて
 戦いに疲れしグンナルが槍もて
 竜骨の道の馬の導き手を相手にまわし
 身を防ぎしことを
 大地の腕輪の火を浪費する者は
 ヴィソルの月の嵐をいやます樹16を負傷させ
 2名を殺せり』

アイスランド サガ/新潮社/谷口訳

 「キョル」は地名。ケニングではない。
 「竜骨の道」は海を、「竜骨の道の馬」が船を指し、その導き手とは襲撃者たちのことを指す。
 「大地の腕輪」は上と同じく海のこと、「大地の腕輪の火」は黄金を指し、それを浪費する者とは、物惜しみせぬ男という意味でグンナルのことを指す。
 「ヴィソルの月」は盾を、「ヴィソルの月の嵐」は戦を、それをいやます樹とは戦士たち、ここでは襲撃者たちのことを指している。

 人々はグンナルの死を悼み、襲撃者たちを非難したが、これは、彼自身から選んだ死でもあった。
 死後、塚におさめられたグンナルは、月夜に塚の中からこう歌ったという。

 「宝を分かつ者  晴れやかに
  心おきなく戦える
  逞しきホグニの父は言えリ
  戦士は屈服するより 戦いにありて
  兜をいただきて潔く
  死ぬることを望むと言えり」

 …と。
http://www.nijiyome.com/lp/app316_01/?en=i-mobile&em=banner&et=bn_728_90_app316_01

355 :どこを狙ってくるか、六ヶ所村の核廃棄物貯蔵施設:2016/03/04(金) 13:20:25.17 ID:MF5qsvFpf
みずうみ谷家の人々 1

初代 トルステインの冒険



 これは、人々の間に「みずうみ谷家の人々」として語り継がれた、ある偉大なる家系の物語である。
 なぜそのように呼ばれたのは後から分かるとして、まずは始まりの一人から語り始めよう。


 アイスランドのヴァツ谷の神殿屋敷に住む有力な一族、「みずうみ谷家」のそもそもの始祖、
ケティル・ラウムは、北ノルウェーのロムスダールから来たのであり、若い頃は剛勇の士として知られた男でもあった。
 彼には一つの悩みがあった。それは、息子トルステインが、力においても率直さにおいても自分に全く似ていないことで、彼は、息子が臆病者なのではないかと思っていた。
 やがてトルステインが成人したときのことだった。
 ロムスダールとイェムトランドを区切る荒野に、盗賊が住み着いているとの噂が立ち始め、人々がその荒野が姿を消すようになった。
ケティルは今はもう老人で、かつてのような力は無い。自分で出かけていって、その盗賊を倒すことは出来なかった。
 人々は、首長であるケティルがことの始末をつけられないことを嘆き、陰口をたたくようになった。
そのことはケティルの耳にも入り、ある時、彼は息子を前にして思わずこう漏らした…

 「まったく、わしの若い頃はもう少しマシだった。昼間っからビールで腹を冷やしていることなんぞ無かったものだぞ。
お前の年頃には、わしはもう、富と名誉を手に入れていた―――
ところが、お前ときたら、大きくも逞しくも無いではないか。これでは、お前に勇気など期待することは出来そうもない。」

https://signup.jp.riotgames.jp/ja/signup/index?realm_key=jp&ref=ja_jp_trde

356 :イラクではRVが完了した。:2016/03/07(月) 13:24:02.91 ID:K1KhMlBJE
 これを聞くなり、トルステインは怒って家を飛び出してしまった。トルステインにも、思うところはあったのだろう。
 数日して、彼はひとり荒野に出かけていった。
盗賊が出るとの噂が立ってからは、誰も通らない荒野の道。彼は、大きな森まで来ると、道から逸れて一本の細い小径が出来ていることに気が付いた。
辿ってみと、森の奥には一件の小屋が建っている。
 入ってみると、小屋はきちんと整備されており、誰かが住んでいる気配があった。テーブルにはクロスがかけられ、ベッドが整えられている。
何より驚いたのは、部屋の四方の隅に、財宝が積み上げられていたことだ。
 トルステインは、ここが盗賊の家だろうと確信を持って、天井まで届く財宝の袋の蔭に身を潜めた。
 やがて夜も更ける頃、外でひづめの音がして、誰かが、小屋の中へ入って来る。
それは、美しい金色の巻き毛をした、堂々とした体格の男であった。
 男は暖炉に近づき、そこに残る燃えさしが、いつもより多いことに気付く。
 「どうやら、俺のいない間に誰かがここに来たらしい。」
外は寒く、トルステインは冷えた室内で待っている間に、薪を追加してくべてしまったのだ。
 男は剣を持って部屋の中を探し回った。
トルステインは小柄な体を生かしてこっそり屋根の上に抜け出し、男が諦めて武器を置くまで待っていた。

 やがて男は床に入り、眠りにつく。
トルステインは、男が壁にかけておいた武器、一目で素晴らしい業物と分かるその剣を取り上げると、眠っている男の胸を力いっぱい刺し貫いた。

http://www.tower-of-goetia.com/

357 :メインランド州のフレデリックにあるデトリック基地:2016/03/08(火) 07:13:51.40 ID:YJAmoMLrz
 剣は男の体を抜けて、寝台のマットまで届いていた。しかし、男はそれでも死なず、目を見開くと逞しい二本の腕で襲撃者の肩を掴む。
トルステインは壁にしっかりと押さえつけられ、身動きが取れなくなってしまった。
 「貴様はどういう奴だ。なぜこんなことをする」
トルステインは自分の氏族を答え、盗賊を退治しに来たのだと答える。

 男は、トルステインの父、ケティルのことを知っていた。かつて名を馳せた勇士だったからか、それとも、地区の首長だったからか。
 「俺はあんたの父親のことは知っている。
しかし、俺はあんたたちに直接悪いことをしたわけではない――それでこんな目に遭わされるとは思ってもいなかったが」
胸に剣を刺したまま、男は言った。
 「俺の名はヨクル、ゴートランドのインゲムンド伯の息子だ。いま、あんたの命は俺の手の中にある。俺の言うとおりにすれば、あんたの命だけは助けてやろう。」
もろともに死ぬか、生き残るかの瀬戸際で、トルステインはヨクルと名乗る男から、指輪を受け取ることになる。
その指輪は彼の形見で、彼は、形見の指輪をヨクルの母親に届けるよう言い残されたのだ。
 さらに、ヨクルは言う。
 その指輪を母に渡したら、母は息子の殺害者と父とを和解させてくれるだろう。そうしたら、おまえは妹と結婚し、子供が出来たら自分の名前をつけてほしい、と。
そうすることによって、血を伝え、名を残そうとしたのだろう。
 トルステインがすべてに承諾したことを確かめると、ヨクルは力尽きて死んだ。

 死んだヨクルを埋葬したあと、トルステインは財宝を纏めて家路についた。
 村まで戻って来たところで、彼は、ちょうど彼を探しに出ようとしていた父と村人たちに出会う。
心配していたという父に対し、彼は、「あんなひどい別れ方をしたあとで悲しまれるとは思ってもみなかった」と、軽口をたたき、持ち帰った財宝を人々に見せる。
 彼はヨクルを殺したことを話した。
 人々は再び、安心して森を通り抜けられるようになり、父親のケティルは、息子のことを少し見直したのである。

http://ncode.syosetu.com/n9759dd/

358 :イスラム対キリストの聖戦の一部のスリーパーとして活動:2016/03/09(水) 17:21:39.18 ID:Jxx1syKzn
 さて、この事件からしばらく経ったある日のこと、トルステインは、ヨクルとの約束を果たすため旅に出ることにした。
殺害者が被害者の家族のもとへ行くのだから、当然、気はひけるはずであったが、彼は約束を破るようなことはしなかった。

 指輪を持って現われたトルステインに対し、ヨクルの母は訊ねた。なぜ、そんな悪い知らせをはるばると告げに来たのか、と。
彼は答える、それは自分がヨクルを殺したからで、ヨクルが死ぬ前に約束をしたからなのだ、と。
 ヨクルの母は悲しみと怒りで顔を真っ赤にした。
「あなたは不敵な男だわ。そんなことをわざわざ言いに来るなんて――ここでしばらく待っておいでなさい。夫と話をしてきます。」
 彼女は夫のもとへ行き、息子の死を告げる。
指輪を見せ、ヨクルが死ぬ前に言い残したこと…自分の殺害者と和解し、妹と結婚させることを話した。

 ヨクルの父であるインゲムンド伯は深い溜息をついて、言った。
 「なんと難解なことだろう。息子を殺した者に友情の贈り物をせよというのか。しかも、それが殺された本人の望みとは。」
 伯は、息子の命の代償として、トルステインも殺してしまおうかと思った。だが、妻はそれを押し留めた。
彼らには、他に息子はいない。老齢になったら、きっと支えとなるものが必要でしょう、と。
 トルステインには才能と幸運があった。ヨクルは、それを見抜いていたから自分たちのとへ寄越したのだ…と。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7

359 :O2Oビジネスの現状と今後の可能性:2016/03/10(木) 11:06:58.41 ID:lilsxmD01
最初の怒りが収まってから、インゲムンド伯はトルステインを連れてこさせ、謁見した。トルステインは言う。
「私は進んであなたに身を預けよう、それが、名のあるものの成すべきことだ」と。
 インゲムンド伯は彼をじっと見、そして、彼の中に息子ヨクルが見つけたものと同じものを…天賦の才を見つける。
 「なるほど。ならばわしは、お前の申し出を受けよう。お前はわしの息子の代わりとなるがいい」
こうして、トルステインはインゲムンド伯のものとなり、息子として伯のもとに留まって、あらゆる賢明さと優雅な動作を身に付けた。
 それから間もなく彼はヨクルの妹トルディスに求婚したが、これが一族にとって好ましいことと判断した伯は、この求婚を快く受け入れる。
かくしてヨクルの遺言は、ほぼすべて達せられた。
 この結婚から間もなくして、インゲムンド伯は老齢のため病に倒れ、帰らぬ人となる。
 トルステインは妻を連れて実家に帰り、やがて、妻トルディスは男の子を産む。彼は、この子の繁栄を願って、母方の父の名「インゲムンド」をつける。

 インゲムンド少年はやがて、恐れ知らずで戦いを好み、友情にあつい冒険者へと成長していくが、その物語は、また別の機会に。


 …ちなみに、「ヨクル」という名前の人物は、このあと家系の中に何人か現われるようだが、トルステインの息子の中にヨクルという名前の子供はいなかったようだ。

 ヨクルの名をもつ息子得るのは、父の望みを継いだ息子のインゲムンドで、彼の次男の名前が「ヨクル」である。

http://www.dmm.co.jp/lp/game/molestertrain/index001_html/=/navi=none/?utm_campaign=admg_965_1979_131213_131292&utm_content=olg&utm_source=imobile&utm_medium=adnw

360 :chikara:2016/03/11(金) 02:01:31.06 ID:zTaAPNUMr
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。 八岐大蛇(やわたのおろち)考。
初見えは「古事記」次に「日本書紀」。
私の見解。
 江の川=中国太郎と呼ばれるこの川は、7世紀終わり、{龍 x ヨコ 3列, 龍 x タテ 3段}=「龍」x 9頭(ゴウ)川。漢字の最多画数の文字である。
「古事記」では出雲の斐伊川としているが、「日本書紀」の記載どうり、安芸の国、現在の中国山地の広島県安芸高田市八千代町上根の斐川
(ひのかわ)である。分水嶺近くに「ごこうヶ池」がありこの川の水源となっている。大蛇の出現場所としている。スサノウ達が「上根」に到達したとき
すでに物部族が来ていて、「龍山」に大山?命(おおやまつみのみこと)の社を建立していた為に出雲の国と勘違いしたのである。
つまり、9頭の龍から「龍山」に1頭とられたので、8頭になり、江津市で1つになり、日本海に注いでいる。江の川流域には、砂鉄が採れる。
この砂鉄で鬼刀禰が草薙の剣をつくり、スサノウに献上したにちがいない。また、江川流域には、神武が訪れたという話もある。
また草薙の剣もヤマトタケルは人を切るどころか、火を消す為の「鎌」の役割しかしていない。当時ごうの川流域は天津國・西中国(にしなかくに)が
存在していたが、西暦663年に三瓶山が大爆発して焼失したため、中国地方各地の植樹を行った。また、鬼刀禰の協力で、古墳の文字を消して
まわった。また、記紀の高天原や天岩戸などそのものが江の川流域に存在している。

361 :アフリカ全体が、大量のレプタリアンが存在:2016/03/12(土) 13:38:44.20 ID:xvadohRuE
みずうみ谷家の人々 2

二代目 インゲムンドへの予言



 ここから、物語は大海原へと出て行く。
 二代目インゲムンドは、武器の扱いがうまく勇敢で、名誉を重んじるが友達には気安い、人々に好かれる好漢であったらしい。
彼はふたりの義兄弟、グリムとフロームンドとともに夏はヴァイキングに出かけ、冬は父の館で大きな尊敬を受ける客として過ごしたという。

 ある夏のことだ。
 彼は、義兄弟たちとバルト海でのヴァイキング航(つまり略奪旅)から帰ってくる途中、別のヴァイキング船と出会う。
インゲムンドたちはただちにその船に漕ぎよせると、またたくまに戦いが始まった。
 血の気の多い男たちは一日中戦いつづけたが、いずれも勝利することはなく、日が暮れた。
 夜が迫り、互いに剣を引いた時、彼らは自分たちが戦った相手をはじめて見た。インゲムンドとセームンドのはじめての出会いだ。
 彼らは一目見て、相手がひとかたならぬ人物であるのを知り、話し合いをしようと言い出した。
これ以上戦っても勝てるかどうかはわからないし、どうせなら味方のほうが良いからだ。
 セームンドは名乗った。「俺はソグンの出のセームンド。あんたの名前はよく知ってる、噂で聞くからね。
どうだい、こうやって一日戦ったあとだし、和平を結んでもいいんじゃないかな。」
 インゲムンドはこれに応じ、ふたりは新たに義兄弟の契りを結んで、来年は一緒にヴァイキング航に出よう、と誓い合う。
 彼らはこの約束を守り、その後、三年つづけてともにヴァイキング航に出る。

http://www.dmm.co.jp/netgame/community/-/commu/detail/=/id=3021

362 :無接点充電の要求度が上位20%以内にラ ンキング:2016/03/13(日) 05:55:39.76 ID:R/o9ZG5UN
おりしも、この時代は、ちょうどハラルド美髪王がノルウェーの専制君主となるべく各地の集落を併合していた時代だった。
ハラルド王は厳しい圧政で国をひとつに纏めた王である。
この王に逆らった者たちが国を離れ、アイスランドへの移住を開始するのだ。

 三年目の夏の終わりのこと。
 インゲムンドが、彼の義兄弟たちとともに故郷に帰ってきたその時、故国では、ハラルド美髪王が東部ノルウェーを支配し、西部の首長たちを粉砕すべくイェダール周辺に船を集めていた。
 ハラルド王と、アグデの大キョトヴェ王を中心とした小王たちの連合軍とがハフルスフィヨルドで決戦の時を迎えようとしているのを知って、彼らは悩んだ。
インゲムンドとセームンドは、どちらに加担すべきかで意見を交わしたが、彼らは和解しなかった…
インゲムンドは、幸運に恵まれたハラルドはいずれ、さらに大きな力を持つようになるだろうといい、セームンドは、この戦いでハラルドに命を預けることは好ましくないと思っていたからである。
 彼らはここで別れた。
 セームンドは家に帰ったが、インゲムンドはそのままハラルド王のもとへ駆けつけ、加勢して勝利を収める。
ハラルドはインゲムンドと友情を結び、その証しとして、彼にフレイ神の刻まれた銀の首飾りを与えることにした。
これは、敗北したキョトヴェ王から奪われたもので、つねに高価な飾りとして称えられてきたものでもあった。

 こうして、インゲムンドは王のもとで地位と栄誉を得たが、セームンドは、結局ハラルドには従わなかった。
 服従をのぞまず、多くの家族が新天地アイスランドを目指す中、彼もまた、故郷を後にした。
 しかし、こうなってもまだ、彼らの友情は途切れてはいなかったのである。

http://ragnarokonline.gungho.jp/lp/multi02/?utm_source=i-mobile&utm_medium=banner&utm_term=&utm_content=ro_TC142&utm_campaign=BR&wapr=56e3cbb7

363 :稲田朋美と在特会の関係を裁判所が認定:2016/03/15(火) 02:57:30.63 ID:OZM3UpQpP
 さて、あるときインゲムンドは、義兄弟グリムとフロームンドの父で、自分の養父でもあるイングヤルドのもとへ、お客として招かれることになった。
この祝宴には魔法に長けた一人のラップ人も招かれており、人々に運命判断をして差し上げようと言い出した。
 未来を知りたい多くの人々が彼女のもとを訪れ、将来を予言してもらう。
 インゲムンドははじめ、運命など信じない、と言い、予言を拒むが、女は自ら告げる。
 「あなたはいずれ、アイスランドへ行く。そして、その地で最も尊敬される一族の祖となるだろう。」
 彼はあざ笑った。自分は故郷を捨ててそんなところへは行かない、大海の中の荒れ果てた島へなど移住してどうするものか、と。
しかし女は退かなかった。
 「私の言葉が正しい証拠は、あなたの持っていたフレイ神の像が証明してくれる。神は、あなたの移住を望んでいるのだから。
やがてあなたは、アイスランドの地で住まうべき土地を見つけたとき、再びその像と出会うでしょう。そうしたら、私の言葉を思い出しなさい。」

 彼女は、同じような運命を、グリムとフロームンドにも予言するが、インゲムンドはそれを信じず、女に腹をたてていた。
 けれど、後になって、ハラルド美髪王から貰った、あの銀の首飾りを探してみると、女の言葉どおり、確かに無くなっていたのである。

 春になって、インゲムンドが義兄弟たちに例年のようにヴァイキング航に出かけようと言った時、彼らは、運命に抗いたくはない、と言った。
自分たちは、あのアイスランドへ行く。
あそこはそれほど悪いところではない、何より、王の支配がなく、各人がそれぞれ首長をいただいて自由にやっている…と。

http://www.konami.jp/we/2016/cp/view.php5?id=myclub_campaign&cm_mmc=1a_we2016-_-we-play-again-_-gdn-_-pc

364 :chikara:2016/03/16(水) 00:49:09.15 ID:ItuGV9hUf
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「14人の英雄が現れる前の」歴史考。
「記紀」記載の天皇は存在せず。西暦720年以降の天皇は、実際に存在した。
 倭人と呼ばれる人々には二つの海人族國家が存在し縄文・弥生・古墳時代、白村江の戦いまで
続いた。鬼刀禰族の天津國と物部族の中津國である。両國には國境もなく暗黙の不可侵があった。
倭人の住む位置とは、中国遼東半島より東の朝鮮半島&日本列島と考えられる。このうちほとんど
が天津國であった。中津國は、出雲〜青森までの日本海側と、福島県の川沿い。諏訪地方、静岡県
の三島地方、三重・和歌山県の牟婁地方、瀬戸内海大三島、四国太平洋側沿岸。東大阪の出雲など
であった。白村江の戦いに中津國は参戦しなかった。天津國は敗戦と唐の進駐軍によって、完全に
滅びた。古墳時代に米や刀剣輸出で輝く時代をむかえたが、白村江の敗戦(西暦662年)。663年に
三瓶山が大噴火し、倭人文明は衰退した。

365 :35歳からはOECD平均以下55歳以降は最下位:2016/03/16(水) 21:44:12.51 ID:61A42yMcl
 こうして、インゲムンドは、ふたりの義兄弟とも道を異にすることになる。
 グリムとフロームンドはアイスランドへ渡ったが、
インゲムンドは故郷へ帰り、父トルステインの死後は、屋敷を継いで、メレ伯<寡黙の>トリールの娘、ヴィグディスを娶った。
 やがて彼女は男の子を産む。この子の穏やかな目を見て、インゲムンドは「トルステイン」という名前を与える。
やがてもう一人の息子が生まれたが、こちらは、長男と正反対に鋭い目をしていた。
 彼は、この子に、父トルステインの願いを受けた「ヨクル」の名を与える。父が殺害した男、すべての始まりの名前だ。

 長男は成人すると、賢くて落ち着きのある青年となり、誠実で、言葉も行動もつねに思慮深い人物となる。
対して、次男は、荒々しい気性の一個の戦士となっていく。
 インゲムンドにはさらに何人かの子供が出来、ひとりは、母の父の名を取ってトリールと、もう一人はヘグニと名づけられる。
 長男トルステインは、「みずうみ谷家」の一族の、最大の栄華を築くことになる人物である。


 しかし、このような幸せの中にあっても、インゲムンドは、かつてラップ人の女の下した予言を忘れてはいなかった。
 予言はやがて成就され、彼はアイスランドに移住するが、その物語は、また別の機会に。

http://www.news-postseven.com/archives/20101022_4077.html

366 :、ソーシャルメディア・マーケティングと呼ぶのはやめよう:2016/03/17(木) 04:01:51.81 ID:fL0krbbE1
みずうみ谷家の人々 3

インゲムンドの移住



  女の予言を忘れられないインゲムンドは、ラップ人の占い師たちを雇い、失われたフレイ神の像を探させる。
だが像は見つからず、占い師たちは、自分たちが見た光景…三つのフィヨルド大きな湖、荒涼とした尾根を語り、
その像は、尾根の下にあるのだ、と言った。そして、この像を見つけたければ、インゲムンド自身が探しに行くほかないのだ、と言った。
 フィヨルドと湖は、アイスランドを意味していた。
 フレイ神の像がその場所を指し示したのだとすると、インゲムンドは、その場所へゆかねばならない。

 運命を受け入れることを決めた彼は、祝宴を催して、人々を招待し、アイスランドへ行くことを告げる。
多くの人々は、指導者であるインゲムンドとともに行くことを決めた。
  移住したインゲムンドたちは、先にアイスランドを訪れていた義兄弟のグリムによって迎えられる。
一冬をグリムのもとで過ごしたインゲムンドは、春になると居住地を探し始め、
ラップ人の占い師たちの告げたのと同じ風景を持つ場所を見つけて、ここを住まいと決めるのだった。

 彼は湖の側に、神殿を持つ屋敷をたてた。
 そして、まさに予言のとおり、屋敷の柱をたてるために掘られた穴の中から、あのフレイ神の像が見つかったのである。
 (湖の側に屋敷を立てたことから、インゲムンドの家系は「みずうみ谷家の人々」と、呼ばれるようになる。)

http://cf.xonline.jp/project/359/?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=P_359&gclid=CJPsrJ-lwMsCFUsGvAodkRECqQ

367 :アメリカカンザイシロアリ拡散:2016/03/18(金) 10:27:02.07 ID:yVBuG+1Y1
 移住はうまくいった。
 インゲムンドについて来た人々は屋敷のまわりの土地を手に入れ、何年か立つうちに、牧場には家畜たちが群れなすようになっていた。村が出来、インゲムンドは民会の主宰者となって、人々をよく治めた。

 屋敷にある神殿には、インゲムンドが、とあるノルウェー人を奸智にかけて無償で譲り受けた、エッテタンゲと名づけられた立派な剣が収められている。
 何もかもが上手く行っているように見えた。
 だが、ふたりの息子、トルステインとヨクルが一人前に成長するにつれ、インゲムンドは年老いて、かつてのような肉体の勇敢さは無くなっていた−−−

 そんなとき、禍いの種はやって来る。
 インゲムンドの義兄弟、セームンドの甥である、フロルレイフという名の男が、母親のリョットとともにアイスランドにやって来たのだ。
 義兄弟の親戚ということは、自分の親戚とも同等である。
 もてなさないわけにはいかなかったが、インゲムンドよりも、セームンドがこの男の来訪を好まなかった。
 セームンドは言う。「お前と親戚であることを拒みはしないが、お前は母親よりも高貴な父親を持っていて、しかもお前自身は母親に属しているのではないか?」と。
 分かりやすく解釈すると、「フロルレイフとは親戚だが、フロルレイフの母親、リョットは身分違いで、親戚とは思いたくない」と、いうことだろうか。
 このリョットという女は魔女で、魔法を使うことで人々に忌み嫌われていたのだ。

 フロルレイフは横柄な男で、何かにつけて人々といさかいを起こし、多くの人々の恨みを買っていた。しかし、母親の魔術によって守られていたため、容易に傷つけることは出来なかった。
 あるときフロルレイフは、ウニという農夫の家へ行き、そこの娘を自分の情婦にしてやる、と言い出した。農夫ふぜいの娘にはそれで十分だろう、と。
 ウニは息子のオッドに、あの男をどうにかしろと言うのだが、オッドは、フロルレイフには魔術に長けた母親がいるため、片付けるのは困難だ、と答える。オッドとて、姉妹がいいようにされるのを黙って見ているつもりはなかったが、我慢していたのだ。

http://www.summonnight.net/

368 :ホモ・サピエンスの行動や技術は特別なのか:2016/03/22(火) 13:00:45.17 ID:89+qbvcRg
 そうこうしているうちに、オッドとフロルレイフの仲はますます険悪になってしまった。
 オッドはセームンドのもとへいき、すでに多くの人々が苦情を持ち込んだだろうが、
フロルレイフがこの地方に与えた不安と侮辱は大きすぎる、と文句を言う。
 みな、セームンドの親戚だから我慢しているのだ、と。
 セームンドはなにも答えない。
オッドの殺意を知りながら、親戚を庇い立てしなかったのだ。

 一方で、フロルレイフは母親から魔法のかたびらを貰い受けていた。このかたびらには、刃が通らないのだ。
 オッドは下男たちとフロルレイフを待ち伏せし、4人がかりで襲ったが、この魔法のかたびらのせいで、傷つけることが出来ない。逆に、フロルレイフによって斬り殺されてしまう。
 この殺害で、農民たちはついに辛抱を切らした。
 人々はセームンドのもとへ押しかけて、あの男をどうにかしてくれ、あんたの親戚なんだろう、と口口に責め立てた。
 セームンドも、これ以上かばいきれなくなって、オッド殺害に対する賠償金を払い、
フロルレイフの屋敷を、息子を殺されたウニの所有とし、殺人の罪を犯したフロルレイフを地域から追放した。

 しかし、追放したとはいえ、フロルレイフは親戚だ。
 セームンドは、インゲムンドに、この男を引き受けてくれないか、と頼み込む。インゲムンドは迷った。
自分がよくても、息子たちは、この男と決して打ち解けないだろう。
  それでも彼は、友情のために、この頼みを聞き入れることにした。

 そしてこれが、彼の死をも招くことになるのだが… それはまた、次の機会に。

https://www.ucscard.co.jp/mymelody/?utm_source=gdn&utm_medium=cpc&utm_content=DSK_%
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369 :メキシコ世界遺産上空にベル型UFO出現:2016/03/23(水) 02:58:27.55 ID:SwajyQ6Fb
みずうみ谷家の人々 4

インゲムンド殺害と息子たちの復讐

 フロルレイフは、インゲムンドの屋敷に来てからも、態度を改めようとはしなかった。
 みずうみ谷の川には鮭が多かったが、フロルレイフは、許されたとき以外にも勝手に網を張り、魚を取っていた。
しかも、こともあろうに、身を寄せているインゲムンドの屋敷の下男たちが注意したのに腹をたて、石を投げて追い払ったのだ。

 下男たちからこれを聞いた、インゲムンドの息子のひとり、気性の荒いヨクルは、奴に思い知らせてやると言い放ち、飛び出して行ってしまう。
 もうひとり、聡明な兄のトルステインも腹はたてていたが、フロルレイフは父の客人なのだから、
このことは慎重に扱わなければならないと思っていた。
 インゲムンドは、喧嘩っ早いヨクルがフロルレイフとことを起こさないよう一緒に行け、と、トルステインに言う。
 「でも父さん。僕だって、ヨクルとフロルレイフが取っ組み合いにでもなったら、手綱を取れるかどうかは分からないよ。」
こう答えて、トルステインは家を出て行った。
 ここでも、人々はフロルレイフに対する不満を限界まで溜め込んでいたのだろう。

 川に着いたインゲムンドの息子たちは、フロルレイフに向かって警告する。
 お前はお袋の魔法を当てにしているんだろうが、あんまり思い上がるな。お前とおれたちとは対等じゃない、と。
 だがフロルレイフは聞く耳を持たず、諍いののち、石の投げ合いを始めてしまった。インゲムンドは、この争いを止めるため、老いた体で馬に乗り、川へと急いだ。
 息子たちは、争いを好まぬ父親のやって来るのを見ると、手を止め、川から遠ざかる。しかし、フロルレイフは違っていた。
 彼は槍を手にするや、川べりをやって来るインゲムンドめがけて、投げつけたのである。

http://i-mobile.co.jp/partner.aspx?af=pcdefault

370 :chikara:2016/03/23(水) 22:31:56.31 ID:jzZXUYIlc
 九州王朝の大化年号と、記紀の大化年号と東アジア白村江の戦いの関係。
九州王朝の大化元年は、西暦695年。記紀の大化元年は、645年。
東アジア白村江の戦い。中国側、662年。日本側、663年。韓国側不明。 *「古代朝鮮」井上秀雄 著1972では、p210で
六六三年としている。
 また韓国の歴史研究家によると、「ひいでるくに」=「日本」は、隋や唐が、百済のさして名称で、それを盗用したも
のだ。ブログで書き込みがあるそうだ。

371 :いまだ新発見の遺跡があるストーンヘンジ:2016/03/24(木) 05:35:26.89 ID:Jd2ClqaH/
自分が身を寄せている家の家長に手を出すということは、自ら、保護を無効にすることである。
フロルレイフは、その短気さでもって、身元引受人を襲うという、とんでもないことをしでかしたのだ。

 槍が胸を貫いたのを知ったとき、インゲムンドは、すぐさま召使に自分を家に連れ帰るようにと言った。彼は、死を悟っていた。
自分の高座で死ぬことを選んだのだ。
 インゲムンドは最後に召使にいいつけた。
 「お前には、もう、ものを頼むことはないだろうから、よく聞くのだ。
川にいるフロルレイフのもとへ行き、すぐにどこかへ立ち去るようにというのだ。
わしは一度、あの男を引き受けたのだから、ここで見捨てるわけにもいかんだろう。」と。
 自分が死んだことが分かれば、息子たちは、復讐のためにフロルレイフを殺すことが分かっていたからだ。

 そして彼は、高座に座ると、息子たちが戻るまで灯はともさないようにと言いつけ、息を引き取った。

 召使はフロルレイフの所へ行き、主人を手にかけた恩知らずだが、主人の命令なので忠告をする、殺されないうちにどこかへ行けと伝えた。
フロルレイフは召使に礼も言わず、そそくさとその場を立ち去ってしまった。

 一方で、トルステインとヨクルは家に戻ってきて、灯がついていないことを不審に思っていた。しかも、なにやら床が濡れている。
 急いで灯をつけてみると、なんと、高座の上で、父が血まみれになって死んでいるではないか。

http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ap/ap4lab/recent/ge_report/2013Artifi_Radio_report/Chapter1.html

372 :捕雷公譚:2016/03/24(木) 12:52:25.48 ID:iEKQwwEMI
TVゲームのスカイリムの製作者は北欧神話みたいなのかなり集めたんやな。
現代の家族ゲームでも神話と同じ構造持ってるな。
レヴィ=ストロースみたいに基本的に富の移動と再分配の物語やと思うわ。
時間的な剰余が言語やゲームという形で出てくるんや。繁茂する蔦蔓やな。
単なる殺し合いは物語的におもしろくないな。

373 :捕雷公譚:2016/03/24(木) 12:59:42.56 ID:iEKQwwEMI
モノのあわれ。モノガタリ。
物自体が運んでくれとささやきかけてるんよ。
言語はモノの移動・流通の指令文・呪文や。
お前どけとか。反対に動くなとか。

374 :捕雷公譚:2016/03/24(木) 13:09:15.81 ID:iEKQwwEMI
古代人も現代人も同程度の脳の計算をしてたと思うな。
おじいさん・おばあさんとか先祖から親族の名前までかなり覚えてるからな。
ムラという半閉鎖系の交換体系の周密なコードを覚えていると言い換えることができる。
ボケ老人の脳の中もコードがギチギチに詰まってる。
まわりの人が死んで現実に対応する写像が不必要になったからボケるんや。

375 :chikara:2016/03/24(木) 20:39:47.37 ID:ZlgrMz6Rg
 記紀や万葉集の中の天皇はどうも存在しないと思われ、西暦720年以降の天皇は、実在するように思う。
しかし、記紀の中で、動きがある。並びに、動きがあったと予想される(神社の建立)人物。
スサノウ=萩市須佐、益田市高島、浜田市大麻山、江津市浅利、出雲國、宍道湖・中海の北岸(島根半島)、南岸の出雲市〜
安来・米子市(川を上った川側)。隠岐の島〜出雲。江の川流域〜最後は安芸高田市上根のゴコウヶ池。
オオクニヌシ=大社〜能登〜大社。
神武=安芸高田市吉田の可愛(えの)川流域。〜瀬戸内海・淡路島。〜紀伊半島を東、北上し熊野川を上り、熊野、〜奈良。
越物部の長(をさ)=信濃川河口〜大田市。
ヤマトタケル=関東・群馬。〜宮城〜青森。〜静岡。〜飛弾。〜出雲。
イズモタケル=出雲。
アマテラス=出雲。

376 :捕雷公譚:2016/03/24(木) 20:46:47.61 ID:iEKQwwEMI
移動してるんやな。部族がな。

377 :南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点:2016/03/25(金) 04:18:50.65 ID:FuuaAxKr7
>>372
また、お前か・・・スカイリムだけ特別なワケじゃないだろ
そういうごっこ遊びには飽き飽きだわぁ

378 :未来のインディ・ジョーンズになるために…!:2016/03/25(金) 04:26:45.78 ID:FuuaAxKr7
 息子たちはすべてを悟った。そして、召使の姿が見えないことで、すでに父がフロルレイフを逃がしてしまっただろうことも知る。
 聡明なトルステインは、この報復のためには、じっくりとことを運ばねばならないと言った。
 「われわれの父は、フロルレイフが自分の金であがなうことは出来ない。」
この時代、殺人は、ウニの息子オッドの時のように賠償金であがなわれるのが普通だったのだ。


 息子たちは、父インゲムンドを首領にふさわしく栄誉をもって葬った。
 そして、復讐の果たされないうちは決して父の高座に座らないことを誓い、遊びに出ることもなく、会合にも出席することを止めた。

 彼らはフロルレイフを追い詰めることだけを考えていた…。

 インゲムンドの息子たちと、魔法使いの母を持つフロルレイフとの戦いの物語は、また、次の機会に。

http://ncode.syosetu.com/n5766de/

379 :チェーンメールを受け取った際は、転送は止めてください!:2016/03/27(日) 08:35:35.97 ID:G1LUuJXJh
みずうみ谷家の人々 5

三代目 トルステインの知恵
 インゲムンドの跡を継いだのは、聡明な長男、トルステインだった。
 アイスランドの文化として、血のつながりのある者が殺された場合、残された親戚が血の復讐<フェーデ>を遂げなくてはならなかった。
それは法律というよりも、義務であり、使命であると言ったほうが相応しいだろう。

 みずうみ谷の屋敷を逃げ出したフロルレイフは、セームンドの屋敷に隠れていた。
といっても、セームンドはすでに亡くなっており、屋敷は息子のゲイルムンドが継いでいたのだが。
 ゲイルムンドは、インゲムンドを殺したフロルレイフを匿いたくはなかったが、従兄弟を自らの手で突き出すことは出来なかった。
ただし、インゲムンドの息子たちが望むのなら、好きに連れて行かせるつもりだった。

 春も近くなった頃のことだった。冬中、機を待っていたトルステインは、弟たちとともに、ゲイルムンドのもとへやって来る。
 賢いトルステインは、父たちが築いた友情を無駄な争いはしたくない、と言い、
もしフロルレイフがここにいるのなら、奴をこれ以上隠さないで欲しいと交渉を持ちかける。
 血の復讐の義務は、当然、ゲイルムンドにもある。ゲイルムンドの屋敷でフロルレイフを殺せば、
ゲイルムンドは敵にならざるを得ない。
 だからこそ、直接的にフロルレイフを差し出すのではなく、隠すのをやめ、屋敷から追い出してくれないか、と言ったのである。

 トルステインが帰り、屋敷から離れた頃、ゲイルムンドは、フロルレイフに言った。
 インゲムンドの息子たちが来た、これ以上お前を隠し通すことは不可能だから、別の隠れ家を探せ。
 フロルレイフは嘲笑しながら返した。お前は、インゲムンドの息子たちと戦う勇気のない、意気地なしだ。

https://brave.pigg.ameba.jp/?frm_id=c.pc-ad-other-microad_201602_26-piggbrave

380 :chikara:2016/03/28(月) 07:12:25.49 ID:/W5ODMMBa
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「根の国、底の国、高天原」(再)考。
記紀と江津の伝承を合わせ糸を紡ぐとこうなる。
根の国とは、「ねのくに」=鬼刀禰の国=「おおとねのくに」=三隅〜周布(浜田)。
底の国とは、天津國・西中国=「あまつくに・にしなかくに」=江の川流域の国=
八頭の龍で”最後は江津から日本海流れ出る”=八頭の龍で胴体は一つの国=国の底
=川本〜江津。
「高天原」=「たかがまはら」=広島県安芸高田市向原町に実在する。市役所Tel、
0826422111教育委員会。

381 :有村 誠 アルメニアで新プロジェクト、スタート:2016/03/28(月) 12:46:34.95 ID:WKbDu8YZJ
雪の上には、母、リョットの家に向かうフロルレイフの足跡が点々と残されていた。
 ゲイルムンドの領地内ではフロルレイフに手を出さないと約束したトルステインたちは、目指す男が程よい場所まで逃げるまで待ってから、追跡を始める。

 リョットの家についたのは、午後遅くだった。トルステインは、牧童のひとりをリョットの屋敷にやり、そこで、何が行われていたかを見てくるように告げる。
戻ってきた牧童の報告から、リョットの母親が何か良くないまじないをしようとしているのを知ったトルステインは、すぐさま襲撃を決める。
 夜になり、フロルレイフの母親は、インゲムンドの息子たちに呪いをかけるための儀式を始めようとする。
だが、インゲムンドの次男、血気盛んなヨクルが真っ先に飛び込んで、それを邪魔した。フロルレイフとヨクルは取っ組み合いになり、斜面を転がり落ちる。そのとき、襲撃には、トルステインとヨクルの弟、ヘグニも加わっていた。
 ヘグニは、今まさに、悪しき呪いをかけようとしているリョットの姿を見つける。だが、呪いがかけ終わるより前に、ヨクルがフロルレイフの首を切り落とし、リョットに投げつけた。それで、呪いは消えてしまった。
 魔女リョットは、腹立たしげに言った。もう少しで、お前たちに狂気を呼び起こし、獣のようにしてやれたものを。
 トルステインは答える、それは残念だったな、運は僕らのほうにあったのさ。
 そして彼らは、邪悪なまじないを打ち破るとともに、魔女の命も奪ったのであった。

 父親の敵討ちをすませた彼らは祝宴を開き、トルステインは、正統な後継者としてインゲムンドの跡に座る。
 こうして三代目の主人公、トルステインのもとで、みずうみ谷家の全盛期が訪れるのである。

http://www.nijiyome.jp/lp/app267_a02/?en=i-mobile&em=banner&et=bn_728_90_app267_a05

382 :「エンキドゥとフンババが友人関係:2016/03/29(火) 04:16:42.33 ID:31niLsxni
 トルステインは幸運と知恵に恵まれた人物として知られていたが、争いを回避することもうまかった。
 インゲムンドの妻の兄弟、ヨールンドの息子でモールという男がいた。インゲムンドの息子たちにとっては、従兄弟である。
 このモールが、トルステインたちの屋敷の近くにあった、持ち主のない豊かな土地を、誰にも相談せずに自分のものとした。
人々はそれは、<革頭巾のトルグリム>という、評判のよくない男の仕業だろうと噂した。トルグリムは、まじないの知識のある男で、
モールの地位を、みずうみ谷の人々より高くすることに熱心だった。しかも、その新しい土地をモールから譲ってもらい、自分の家と畑を作るのに使った。

 自分たちの屋敷に近い土地を、何の相談もなく他人のものにされてしまったインゲムンドの息子たちは、侮辱されたと感じていた。
 当時はまだ、アイスランドへの移住が始まってから一世代しか経っておらず、
持ち主のいない、開発されていない土地というのも多かったが、それぞれの領地間での力関係というのもあったのだ。

 とはいえ、いきなり争いになるはずもなく、まずはご近所になったのだから挨拶から始めるものだった。
 トルステインは何度かトルグリムの屋敷を訪れるが、そのたびにトルグリムは家を留守にした。
トルステインたちとの会合が、不愉快なものになることを知っていたからだ。
 何度も不在が続くうち、これ以上避けていられないと思ったか、
トルグリムはモールに、一緒にトルステインの息子たちと会ってくれないかと頼み込む。
かくてモールは、従兄弟たちと会うことになった。
 トルステインは、身内の者を踏みつけにするのは良くないことだ。とモールを責める。
モールはモールで、君たちこそ、自分の領地を騒がせている、と文句を言う。
両者の間に不満が募っていったが、トルステインは、しばらくは何もしなかった。

 ある時、ヨクルが言った。兄貴は、いつまで奴らの好きにさせておくんだ? と。
 するとトルステインが答えた。今まではただ傍観してきたが、今ならばトルグリムを襲ってみるのも良かろう、と。

 強運の男は、自分の見極めた時期にしか、動かなかったのである。

http://blog.goo.ne.jp/warabidaniyuukoku/e/0a3324056ca81bdb90cc0378a86f0ebb

383 :chikara:2016/03/29(火) 11:09:30.51 ID:ft8dXkvcI
     人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「根の国、底の国、高天原」考。
    記紀と江津の伝承を合わせ糸を紡ぐとこうなる。

    根の国とは、「ねのくに」=鬼刀禰の国=「おおとねのくに」=三隅〜周布(浜田)。

    底の国とは、天津國・西中国=「あまつくに・にしなかくに」=江の川流域の国=八頭の龍で”最後は江津から日本海流れ出る”=八頭の龍で胴体は一つの国=国の底
    =細戈千足国(ホソホコチタルコク)=川本〜江津。

    「高天原」=「たかがまはら」=広島県安芸高田市向原町に実在する。市役所Tel、0826422111教育委員会。
  筆者の考えていること。他の人が思いつかない事。

*鬼刀禰(おおとね)が建てた社やお堂。
    三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ・インドのワニ神を祀る)・金刀毘羅(インドのワニ神を祀る)神社・貴布禰(オカミ・水神を祀る)神社。彌榮(スサノウを祀る・樹木の神)神社。.
    飛鳥時代。近畿に王朝は存在しない。近畿に渡来人や物部族(東大阪の出雲町)が入り込む。飛鳥と呼ばれた場所には、宮廷もなく、小屋で、行基がすいた和紙に人麻呂、
  不比等、行基で、万葉集、古事記、日本書紀を書き上げた。木簡がない。
    大きい古墳問題、前方後円墳、筆者が想像すること。鬼刀禰族は、移動の民。まず岡山で墓にする前は、円の部分に空気穴をあけ(北極星の方角・真北)鎌や刀をつくり。
  大穴で暮らし、 長(をさ)が死に材木資源がなくなると、墓にして、移動。岡山→淡路島→近畿→東海→最後は関東・群馬。

384 :考古学者らが期待してやまない6つの事柄:2016/03/30(水) 13:17:15.19 ID:yBifHgtPQ
 トルグリムはトルグリムで、自分が襲われるのを悟ると、すぐさまモールに助力を求めに走った。
すぐさま、モールは手勢を集めて迎え撃ちに走る。このとき、トルグリムは茂みに隠れて、ヨクルの剣にまじないをかけようとしていた。
 戦いが始まり、荒々しいヨクルは最前線に立って剣を振るったが、彼の剣エッテタンゲは、このときばかりは全く切れなかった。
トルステインは、それが何か呪いのせいだと気づく。
 「誰か、トルグリムの奴を見かけたか?」「いや、今日は見ていない」
 「なら、奴がどこかに隠れているに違いない。
ヨクル、お前はトルグリムを探せ。代わりにヘグニが先頭に立て」

 ヨクルは剣を引いて、トルグリムを探しに走った。間もなく彼は、茂みの中で目を爛々と光らせ、剣をにらみつけていた男を見つけた。
ヨクルがトルグリムに切りつけ、その目から力が消えると、エッテタンゲはまた、元の鋭さを取り戻した。
だが、その間に、弟ヘグニはモールの身内の手にかかって、倒れていたのであった。


 この争いは次の民会で裁かれ、トルステインの決定によって、こう決まった。
 モールが受けた損害は、トルステインの兄弟ヘグニの死と相殺すること。
また、モールは争いの元になった土地を自分のものとしていいが、その土地を自分のものとするために、トルステインに銀百マルクを支払うこと。

 これをもって、彼らは手を打ち合い、平和のうちに引き上げたのである。

http://norse-corp.com/

385 :chikara:2016/03/31(木) 03:06:06.51 ID:9p2Vt1bPR
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「製鉄遺跡と前方後円墳(江の川流域の2基)」考。

*甲立古墳(広島県安芸高田市甲田町)2015安芸高田市教育委員会の発掘調査報告書を見ると、円の部分は、製鉄遺跡
と同じ真北に通路(穴の出入り口)がある。
*辰の口古墳(広島県神石町・現在の比婆郡神石高原町)1995神石町教育委員会と広島大学文学部考古学研究室の発掘
調査概報によると円の真北方向に通路(穴の入り口)がある。

筆者の考えること。墓にする前は「たたら・かんなながし」をおこない、尚且つ、この穴で生活(居住空間)で、長(をさ)の死で墓に
する。効率のよいやりかたである。

安芸高田市立図書館の司書に「前方後円墳の終焉」2010編者 広瀬和雄、太田博之 発行 雄山閣を出してもらってみると、
この本の中で藤沢敦氏は「後期前方後円墳が築造され、後期古墳が継続する地域としては、福島県中通りと浜通りがあげられ、
宮城県南部でも伊久では確認されるが、亘理・柴田については、不明確である。」としている。

*私の推測、宮城県南部の「伊久」が終焉の地であり、北限。=「鬼刀禰族の長(をさ)とヤマトタケルとの出会いがあった」と考える。

386 :南アで最古のヒト属新種発見:2016/03/31(木) 09:47:25.69 ID:7yjyK0Hf/
 ある夏のことだった。
 トールエイとグロアという姉妹が、トルステインの土地にやってきた。客好きで面倒見のよい彼は、姉妹のために土地を用意し、屋敷を与えてやった。
そのために妻からは、「グロアに頭をおかしくされたんじゃない?」などと、言われることになるが。

  屋敷を整えると、グロアは祝宴を開くと言って、トルステインと付近の首領たちすべてを招待した。
だが、祝宴の三日前、トルステインが眠ろうとしていると、枕もとに一家に付き従う守護女神(フィルギエ)が現れて、宴には出るなと告げた。
彼女は次の番も、また次の番もトルステインのもとにやって来て、繰り返し同じことを告げた。
 サガにおいて、家づきの守護神の言うことに従わなかった者は、たいてい悲劇的な最後を遂げるが、トルステインは守護女神の言葉に従った。
宴の日、彼は気分がよくないことを理由に家にとどまり、家の者も宴には出なかった。
 その日の夕方、グロアは自らの屋敷にまじないをかけ、たちまちのうちに大きな崖崩れが起こって、屋敷と、屋敷の中にいた人々を、グロアもろとも飲み込んでしまったのである。

 トルステインたちは、生き残っていたグロアの姉妹トールエイを追放した。だが、その後もグロアの屋敷があった辺りには怪しいことが多く、人は近づかなかったという、

 トルステインはやがて、老人として死ぬこととなる。跡を継いだのは息子たちだが――、それはまた、別の機会に。

http://www.magazine-r.co/latest/

387 :chikara:2016/03/31(木) 22:29:25.36 ID:3WnldwZSM
 「讃、珍,済、興,武」の倭の五王(四世紀の宋書)。
筆者の誰がどの領土の王かわからないが。
五国の予想。
九州・天津國・東表国。
大陸の遼東半島より東の朝鮮半島・天津國・加羅(任那)。
江の川流域・天津國・西中国。
出雲〜青森日本海側と飛び地・中津國・物部族の国。最後の王はオオクニヌシ。
岡山〜近畿〜東海〜関東〜最後は宮城県「伊久」・天津國・鬼刀禰族の移動した王。

388 :天之御名無主:2016/04/01(金) 15:40:19.99 ID:JlB9AQNty
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389 :chikara:2016/04/04(月) 22:55:17.31 ID:4HaCT+oO+
 「隠岐の国,伯耆の国、前方後円墳,記紀,三瓶,大山」考。
 隠岐の国,伯耆の国の前方後円墳の存在は、鬼刀禰族(踏鞴製鉄の民)存在したことを意味する。
記紀には、鬼刀禰は、出てこないが、金山毘古神,八咫烏,スサノウ,神武,ヤマトタケルの記載
がある。中ノ島に1基。島後の重栖川域に1基、八尾川域に7基の計9基となっている。記紀や
出雲國風土記などを参考しても、古墳時代以降ずっと、天津國・隠岐の国である。物部族は、ここ
への進出はない。出雲國風土記の中でスサノウが綱で引き寄せている。石見の国と出雲の国の堺
なる佐比賣山や伯耆の国の火神岳(大神山・大山)が出てくる。前者は三瓶・さんべと読み。後者
大山・だいせんと読む。
 伯耆の国の前方後円墳は大山の麓の日野川域や孝霊山から幾筋も流れ出る川域に集中している。
おそらく古代川域で砂鉄が採れ、前方後円墳は、すべて製鉄遺跡であり、居住空間であった。鬼
刀禰の国の天津國であった。変化が起きたのが、663年に三瓶の大噴火により、出雲の土地で米が
採れなくなり(現在の鹿児島と桜島の噴煙・稲の日照不足)、物部族の侵略にあった。山名の変遷は、
鬼山(おおやま)→大神山(おおやま)→大山(おおやま)→大山(だいせん)。最後の読みの変化は、江
戸時代の諸国巡見使の仕業。偉ぶった巡見使が城にあがりこみ、行基図を取り出し山名を「だいせ
ん」と強制させた。以前のスレ、(仁徳天皇陵こと)大山陵古墳と同じ運命をたどったことになる。

390 :chikara:2016/04/04(月) 23:30:11.65 ID:4HaCT+oO+
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「福島県の前方後円墳事情と古代國家」考。

 太平洋と阿武隈高地を挟んだ海岸線の浜通り川筋には活発に前方後円墳が建設されている。
また、阿武隈川沿いの中通りにも前方後円墳が存在するが、会津盆地には、ない。
筆者の考えは浜通りと中通りの川沿いは、砂鉄が採れ、かんな流し(踏鞴製鉄)が可能であった。
ここで仮説であるが会津盆地と中通りに古代(七世紀終わり頃)暗黙の境界が存在したと想定する。
阿賀野川上流の会津盆地側を物部族(出雲王朝)の中津國、阿武隈川(中通り・福島盆地、郡山盆
地)側が鬼刀禰族の天津國。記紀では白河に関を設けて以北と以南を政治上の境界としたとしている。

筆者のシルバールートとして、日本海(越物部)〜阿賀野川〜阿武隈川・太平洋を物部族は、もっていた。
八雲神社、八重垣神社が阿武隈川の下流(宮城県の丸森町、亘理町、角田市の八社)に存在。筆者は、
社名から、記紀や人麻呂を想像する。しかし、祀られているのが、スサノウ(神)。「ここは、物部族の燈台
だろう」。と叫びたくなる。アマテラスの一団が変更させた。元は、オオヤマツミ神を祀る神社であったろう
に!ここから、物部族は、南下し静岡の三島や紀伊半島の牟婁、四国・室戸岬などを手中に収めた。

391 :金融機関を狙うトロイの木馬「Dridex」:2016/04/07(木) 01:52:09.74 ID:7FfG9V0YE
「赤毛のエイリークのサガ」



 「エイリークル」になっている本もあるが、つづりの最後のrを発音するか、しないかについて、専門的なことはよくわからないので、今のところ保留。
多いのは、エイリークという表記のほうだ。

 アイスランド・サガは実在の人間の実際の記録であるため、このサガに登場する人々は、実際に存在した人物だ。
その中でも、サガのタイトルにつけられている人物、エイリークはグリーンランドの発見者である。
 彼は農場の奴隷をめぐるいざこざで殺人を犯しハウカダルルを追放されたあと、
さらに長椅子用の木材をめぐる争いで、ソルゲストルという男と揉めることになる。
争いは、互いの手勢を率いた本格的なものとなり、ソールスネスの民会で有罪を言い渡される。
王権の支配するノルウェーと違って、各地区の人々が自治をするアイスランドでは、
罪人はその地区の人々自身がひらく民会によって裁きを受けることになるのだ。
 彼に言い渡された判決は、「3年間の追放」。
しかし、彼はこの3年間をただ待つことはせず、クノル船と呼ばれる大型の商船に家畜や食料を積んで、仲間たちとともに冒険の旅に出る。
かつて、仲間が見たという新天地を目指すというのだ。
 遥か西方、グリーンランドの発見と移住。
彼がこの地に「緑の陸地」と名前をつけたのは、その響きがよければ、人々の心をひきつけるだろう、という考えからだった。
 それは、アイスランドでキリスト教が公認される15年ほど前のこと。
 結局、この地への移住は失敗に終わるのだが、 新天地を目指した冒険者たちの魂は、サガの中で今も熱く生きている

http://withnews.jp/article/f0140903000qq000000000000000W00o0401qq000010767A

392 :chikara:2016/04/07(木) 04:46:15.05 ID:c33NRDSKT
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「歌人・和泉式部」(再)考。
和泉式部の「日記」はまだ、読んでないが「子落し」の伝承が三隅に存在する。九州で防人(さきもり)の夫に会うために歩き旅の途中、足手まといの子供を「子落し」で捨て、
旅を続ける話。そして「松原」で歌を詠んだ。九州へ向けて旅を続ける話。
伝承では「子落し」「松原」しか地名がでてこないが、現在の地名を並べ書くと、次のようになる。「折居(おりい)」「東平原(ひがしひらばら)」「子落し[小野(おの)と岡ア
(おかさき)との境]「西河内(さいごうち)」「湊浦(みなとうら)」「古市場(ふるいちば)」ここから小字「松原」「中山」「須津(すづ)」「青浦」ここから大字「西平原」「土田」
ここから小字「木部」「大谷(大浜)」とつづく。
上記のなかで、「松原」集落と「中山」の間に「岡見川」が流れている。淵が存在し、[猿猴(えんこう)=河童の一種で毛むくじゃら]でると伝承がいわれの川。

また、彼女は東北,現在の福島県で歌を詠んでいるが、日記では行っていない塩竃(しおがま)の地名が入っている。

私が思うのに、人麻呂が、地名を覚えておく為、和泉式部の名で、メモった。この時代道がなかった。メモった時、瀬戸内海が直接九州へつながっているのを知らなかった。
当時の女が、九州から福島を旅する訳がない。まぁ間に都 というものを書いてはいるが、私の思うところは、近畿王朝は、720年まで存在しない。

393 :chikara:2016/04/07(木) 05:10:56.95 ID:c33NRDSKT
  人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。記紀と出雲國風土記、「竹島」や「ウルルン島(鬱陵島)」再考。
「島国観再考」の岡本雅享氏、「石見鎌手郷土史」の矢富熊一郎氏、世界最初缶コーヒ−(三浦コーヒーオーナー一族)の三浦尚氏の研究を
いとで紡ぐと。スサノウは、ウルルン島(鬱陵島)苗木を持ち帰り、まず高島に植樹。次に大麻山周辺。つづいて津和野で植樹。出雲に向かい
植樹を行った。苗木を取り寄せた場所は、出雲國風土記の「国引き」の地より、尚、新羅國というのは、ウルルン島(鬱陵島)の苗木と思われ
る。苗木といっ所に入ってきたのが「ハマヒサカキ」。ウルルン島(鬱陵島)に当時住人はなく、スサノウは、自由に行き来したようだ(七世紀の
終わり頃)。竹島問題の前に、こちらのウルルン島(鬱陵島)も日本の領土になるのではないか?「ハマヒサカキ」のDNA鑑定をしてほしい。
朝鮮半島、ウルルン島(鬱陵島)、高島、隠岐の島で区分したうえで、調べてほしい。
あとひとつ。高島にナシカズラ(この実は、秦の始皇帝が不老不死の薬の原料となる)が生息するとしている。以前ニュースか新聞で萩の見島
で、この「ナシカズラ」が話題になったような記憶があるようなないような。見島にナシカズラがあるなら、このDNAも調べてほしいものだ。二島
のDNAが近いものであるなら、スサノウは一番最初、見島で植樹を行ったことになる。

394 :2000年前の医療法がなぜ滅びない!?:2016/04/08(金) 11:23:22.83 ID:4DztY5sWm
 さらに、このエイリークの息子レイヴの話も残されている。
 彼は、ノルウェーのオーラーヴ・トリュグヴァソン王に仕えていたが、
布教に熱心なこの王がグリーンランドにも布教しようとしたのを受けて航海に出て、道に迷い、偶然にも新たな陸地を発見する。
 このことから、レイヴは<幸運のレイヴ>との2つ名で呼ばれるようになり、
以後、彼の兄弟やが何回にも渡って、アメリカ大陸とその周辺の島々に渡航することになる。
 この物語の中で「スクレーリンギャル」と呼ばれているのは、アラスカインディアンだろうか。
 彼らの間に接触があったのは10世紀のことなので根本的な因果は無いが、双方の神話において、ワタリガラスが大きな役割を果たしているのは、なかなかに面白い。
 物語の中に語られる「レイヴの小屋」の探索や、当時の人々が記した古い地図など、考古学的にも面白そうな分野だ。
 現在、アイスランドには、アメリカ大陸を指差して立つレイヴの像が建てられているという。


 ただ、タイトルや冒頭とは裏腹に。
全体を通してみた場合、この物語は、エイリークの息子のひとりソルスティンと結婚し、のちに寡婦となった女性、グズリーズルが主人公のようにも思われる。
 彼女はヴィーヴィル、エイリーク、さらにカルルスエヴニといった主要な人物の家系に何度も登場する。
そして、物語は、彼女の家系にのちに生まれた偉大なる人々(キリスト教にとって、だが)を語るところで終わっている。
 物語の中で、キリスト教の布教が行われ、エイリークが信仰をめぐって妻といさかいをおこしている中、
古い信仰の歌を知っていた最後の世代であるグズリーズル が、キリスト教の司祭たちの母として描かれて物語が閉じられるのは、いかにも布教時代らしい終わり方ではないだろうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD

395 :chikara:2016/04/08(金) 12:02:15.67 ID:c3gfBMHmx
 千葉県市川市旧行徳寺町の「さんこうあん」の先生へ。

質問の返答をお願いできたら、幸いです。

@和泉式部=人麻呂の可能性確立。
A万葉集のオリジナルの作者、編纂、詩(うた)全部の作者=人麻呂の可能性確立。
B古事記の編纂に参加、「稲羽の素兎」の段や「国譲り」の段、スサノウの「八雲たつ・・・」=作者が人麻呂の可能性確立。
C出雲國風土記の「国引き」の段=作者・筆者が人麻呂の可能性確立。
D行基(紙をすき、高い山に登り全国の地理をスケッチ、屋根瓦の作成、いっしょに行動=漢字や物事を教わる「人麻呂
との師弟関係」の可能性確立。
E日本國の船出=人麻呂が参加重要な役割を担った可能性確立。

396 :chikara:2016/04/09(土) 11:43:58.04 ID:MhdQIFhCp
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。  英雄が現れる前、「輝く倭の古墳時代」考。

 倭の五王たちは、「米」、「鎌・刀剣」を大陸へ持ち込み何を手にいれたのであろうか。
一番利益をあげたのは、岡山〜近畿〜東海〜関東・群馬を移動した鬼刀禰(おおとね)の長(をさ)=中津國の王に違いない。
筆者が思うに、物だけでなく。戦勝國から多数の奴隷を連れ帰ったのではないか。
長(をさ)=王は、この連れ帰った奴隷に読み書きを教え「鎌,刀剣つくり・踏鞴製鉄」や「米つくり・農耕作業」の労働力として
使用した。たたらで使う「炭」の原料の森林資源が不足すると、土地定住にこだわらず新しい労働者と共に次の土地へ行き、
まず、前方後円(墳)をつくった。かんな流しの鈩(いろり)兼住居である。関東・群馬では、労働者ではなく、「馬」を連れ帰り
放牧して、馬をふやした。群馬県に前方後円(墳)が多い理由と思う。

397 :マイナス金利で個人向け10年物国債募集中止!:2016/04/09(土) 13:38:37.82 ID:O111PZ8nR
「フレイル神ゴジ フラヴンケルのサガ」

 「エイリークのサガ」は、新天地を目指して旅立つ冒険者たちと入植の記録だが、こちらは、入植者たちの権力争い…、と、いうより、横暴な首領(ゴジ)の追放と逆襲という、人々の争いの記録のようなものである。
そのため、登場人物も少ない。エイリークのサガに比べ、一人一人の性格や表情が見えやすくなっている。
 フレイル神、とは、北欧神話で言うところのフレイ神のことだ。この神を篤くあがめていたことから、フラヴンケルは「フレイル神ゴジ」とあだ名されている。
 サガが記録された時代はすでにキリスト教時代に入っているので、フラヴンケルは異教徒扱いされている。
ただし、出てくる情景や人々の振る舞いは、古い神々の時代のように感じる。まだキリスト教はそれほど影響力を持っていなかった時代なのだろう。

 フラヴンケルは、フレイファクシという名馬を持っており、この馬を半分フレイ神に捧げていた。
そして、誰もこの馬には乗ってはならぬ、乗った者がいれば必ず殺すという誓いをたてていた。
 この言いつけを、雇われていたソルビョルンの弟、エイナルが破ってしまう。
彼は主人フラヴンケルの逃げた羊を捕まえるために使ったのだと、正直にこのことを打ち明けるが、正直者に待っていたのは死の一撃だった。

 フラヴンケルは横暴な首領で、それまでも、人を殺めても何のつぐないもしていなかった。人々は彼に逆らうことを恐れ、追放や財産没収を言い渡せない。
しかし、法律に長けたサールムは、ソルケルとソルゲイルの兄弟の力を借りて、これを成功させる。
 時は、何事もなく流れた。
 フラヴンケルは、別の場所で信頼される穏やかな性格の首領になったように見えていたが、実は復讐の機会をうかがっていただけだった。
その復讐は、外国から戻ってきたばかりの、サールムの弟、エイヴィンドルに果たされる。
 サールムは再び追放され、老齢になるまで、フラヴンケルに逆らうことは許されなかったという。

 誰が正しいのか、とか、誰が一番悪いことをしたのか、なんてのを抜きにしても、だましだまされあいの権力闘争が見えてあまり明るい話ではない。
 かなり後味が悪いサガ…かもしれない。

http://kanibattleblog.blog.fc2.com/blog-entry-384.html

398 :chikara:2016/04/09(土) 15:16:51.17 ID:MhdQIFhCp
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。英雄が現れる前、白村江の戦いの翌年「三瓶山の大噴火に関しての文献」。

    筆者が、大田市立図書館を訪れ司書に「三瓶山」の歴史、噴火、伝承の本を何冊か出してもらった中の一冊。
    「三瓶山 歴史と伝説」1984著 石村禎久 P4〜5の中で、

    地層から火山活動を見るのと違って、出土品から火山活動の年代推定をしてみるとおもしろい。
    三瓶山の最後の活動は千三百年前だったのではないだろうか。・・・・・・。
     三瓶山の名の由来
    神亀三年(726)とき朝廷は、全国の山の名や土地の名を三字名なら二字名に、凶音をもつ名は
    好文字の名に変えるように命令した。
    佐比売(さひめ)山という古名をもっていた三瓶山は、このときに改まった。
    古代の三瓶山は、実は佐比売と三瓶の二つを一緒に使っていた。・・・・。
    P8〜「三つの瓶の神話」「万葉集から」「明治の古記録」・・・とつづいちいる。
    三瓶山の大噴火を研究中の人に、一資料として報告します。。
    筆者の結論。
     662年 白村江の戦い。
     663年 三瓶山の大噴火。

399 :TPPの重大欠陥を主権者に拡散しなければならない::2016/04/10(日) 15:38:58.78 ID:zA1htm8Vi
エイヴァンド・キンリヴァの殉教

 殉教、と言うとキリスト教徒のようだが、エイヴァンドは古き神々側の人間である。
 時はオーラーヴ・トリュグヴェソン王の御世。10世紀後半のことである。
これより先、語りはゲルマンの人々自身の手による文章からの翻訳をもとにしている。

 ……白きキリストが北欧の地にやって来たとき、彼はその地にあった全ての神々の栄光を奪い、神々を巨人たちと同じみじめなものとして扱った。
 キリストは栄光好きな神で、何者も、己に勝る栄誉を有することを許さなかった。
そうでなくとも、ささやかに労りを持って語られることすら許せなかった。
と、いうのは、天地を創造し、悪魔と戦って人間に救いと天国をもたらしたのは彼であり、彼以外の何者も、神として崇められることが許せなかったからである。
 もちろん彼も「神」ではなく、神の息子であったはずなのだが――。

 彼は、自己の栄誉を高めることにひどく熱心で、己の敵を死後まで追及して、燃える地獄に投げ込んだが、
そこは、誓いを破ったり人を暗殺したりした卑劣漢が停留させられる、最もひどいニフルヘイムよりも、七倍も悪い場所だった。
神々が男らしく生きて自分の栄誉を維持しようとも、キリストに抗うことは全くの無駄だった。
キリスト教の神に栄光を見、キリストの命ずるままに教会に行き、彼の召し使いである牧師がたくみに説く節制と祝日と祈りの命令を守るのでなければ、その者は悪魔の力に委ねられるからである。
 こんな力を持つ神に対して、泰然と立つことの出来る者は多くはいなかった――まして彼が、どんな神や女神たちよりも確実に勝利する、天使の群れを持つのだと聞いては。

 また民衆は、オーラーヴ・トリュグヴェソンや聖オーラーヴのような、キリストを崇めた大王たちが大いなる勝利を収めたことも知っていた。
キリストに帰依した王たちは、平和につけ戦につけ、彼から幸運を得ていた。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%BB%E8%84%B3%E5%86%92%E9%99%BA%E8%A8%98%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC

400 :chikara:2016/04/10(日) 22:14:26.62 ID:ujkP3qUtP
 「ニセ」玄松子。盗作! 全文削除せよ。

401 :chikara:2016/04/10(日) 23:46:57.95 ID:ujkP3qUtP
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「鬼について」再考察。

今日、安芸高田市立図書館に「甲立古墳」2015安芸高田市教育委員会の本を返却。館前フロアーで神楽面の展示会であった。
75%が鬼。その他、もろもろ。
ここで、考えてみよう。
 14名の秀才集団(アマテラスの集団)が天下を奪取したとき、誰を王座に就かせるか話し合い(会議)をすれば、おのずとしれたこと、
一番年若い者を選び、他13名は、補佐することになる。
ここで、言いたいことは、この当たり前、こと。720年以降の初代天皇は、鬼刀禰(おおとね)の年若い者。
つまり、浜田市三隅の「大麻山」の鬼。=「八咫烏」のひとり。歴代の天皇が、伊勢神宮ではなく、熊野へ参拝する訳である。
また、鬼刀禰族もともとは、九州・天津國(東表国)が元祖。鬼刀禰が近畿で鎌や刀剣を作った時代、現代の奈良・三輪山。
古代は鬼山(おおやま)と呼ばれたであろう。山に社(お堂)を建てた。今は、大神神社(おおみわじんじゃ・インドのワニ神を祀る)
と呼ばれ参拝されている。今の天皇も参拝されている。
文献では、中国で三世紀末に書かれた「魏志倭人伝」記載の「鬼國」「鬼奴國」が初見えであった。中国では、「鬼」は存在しない。
 筆者や鬼の研究者の解釈。
「鬼」を古代人は「おお」と読み、おおきい精霊と崇めた。鬼刀禰は鈩に吹き込むと泣く声をおかみ(字 ;「雨」 カンムリ に「龍」)と崇めた。
精霊や「おかみ」から、アマテラスの集団は「神」の文字を造りだした。

402 :chikara:2016/04/11(月) 01:32:22.43 ID:WDXZjeL0U
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。筆者の主観からスレ140を修正したもの。

    *新年表


    662 白村江の戦い。
    663 三瓶山の大爆発。日本中の建造物が崩壊。人麻呂こと三輪高市麻呂、生まれる。
    664 不比等、生まれる。
    668 行基、生まれる。
    670 和邇族、小野族の三隅入植。人麻呂7歳で三隅。
    --- 忌部族の三隅入植。小野族益田・戸田(人麻呂)へ。
    --- スサノウ、三隅で植樹。鬼刀禰と出会う。
    --- 牟婁物部、大麻山に入植。鬼刀禰族(物部族との戦いに敗れ)、浜田・周布へ。
    --- スサノウと11名の鬼刀禰(八咫烏) 石見〜>出雲、植樹。海部の石見への入植。
    702 人麻呂、行基が石見入り。
    --- 人麻呂、行基、不比等と11名の鬼刀禰(八咫烏)が、出雲王朝を倒す。
    706 人麻呂こと三輪高市麻呂、死去。
    712 古事記できあがる。
    720 不比等、死去。大和朝廷成立。律令政治の始まり。日本書紀できあがる。
    --- (室町時代始め)日本書紀で「大隅隼人」の記載の書。「隅」の字この時代に入る。書き換えた者、薩摩・大隅出身。

403 :来ました シャープを鴻海に売り飛ばした黒幕:2016/04/11(月) 04:42:21.64 ID:J0nkvqxyE
 この二人の王はいたく敬虔で、キリスト教の神に献身するあまり、彼らの国のなんぴとたりとも、主にすべての栄光を捧げるのでなければならないと考えていた。
古い神々を誹謗することで正しい心を示すのでなければ、容赦はしなかった。
そこで彼らは、従わぬ民に洗礼か抹殺かを迫り、あらゆる手段をも辞さなかったのである。…

 …だが、多くの人々にとって、自分たちが最近まで崇めてきた神々を罵倒するのは、決して容易なことではなかった。
いくつかの家族は船に乗り、新天地を目指して旅立ったが、中には、祝福を受けてきた神を捨てるよりは、
むしろ栄光高められんとしているキリスト教の神の敵となり、彼が与えようとしている拷問を、甘んじて受け止めようとする者たちも現われた。
 そういうキリスト教への反抗者の中に、エイヴァンド・キンリヴァという男がいた。

 動乱期にあって、オーラーヴ・トリュグヴェソンの友人であったエイヴァンドは、決して王の友情をもった洗礼の勧めに応じなかった。
王は彼に、ひどく残酷な、大きな贈り物をした。彼を捕らえさせ、最後には、「死」と「拷問」を持って脅かしたのである。
 エイヴァンドは、断固として「否」をもって答えた。
 すると王は、一枚の、真っ赤に焼けた炭火を取って来させて、これを彼の腹の上に置いたので、腹は裂けて焼け爛れた。
 王は問うた。お前は、死ぬまえにキリストに帰依して、許しを請うてはどうかと。しかし、エイヴァンドは答えた――
 「いや。私は断じて洗礼を受けることは出来ない。
まだ子供の頃に両親によって神に捧げられたので私は、生涯を通じてこの神々に献身的に仕えて来た。
彼等は私を助け、私を力強い首領としてくれた。それ以上のものを望みはせぬ」
 こう言うと共に、エイヴァンドは事切れた。

http://www.nims.go.jp/research/elements/rare-metal/study/

404 :chikara:2016/04/11(月) 09:50:01.26 ID:2RH3XixPs
また・・・・かぁ。「 ニセ 玄松子 」かぁ。

405 :chikara:2016/04/11(月) 11:30:36.47 ID:2RH3XixPs
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「八雲神社、八重垣神社が阿武隈川の下流(宮城県の丸森町、亘理町、角田市の八社)に存在。」スレ390
宮城県での「スサノウ」行動の伝承がないか「宮城県の図書館蔵書 下記が検索結果」。
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検索条件:分類 = 記紀を含め県内でスサノヲ(スサノオ・スサノウ)行動伝承がないか、表示順:項目名 = 関連度 , 順序 = 昇順
該当する資料は見つかりませんでした。

以上のことから、八社の祭神がアマテラスの一団に無理やり換えられている。

406 :釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見:2016/04/12(火) 19:17:10.73 ID:vLLRFqnxb
古き神々とキリスト・2

詩人ハルフレッドの場合



 難物詩人と呼ばれたハルフレッドは、オーラーヴ・トリュグヴェソン王をこの世の誰よりも愛して、
この王に対する愛のゆえに洗礼を受けていた。
 しかし、彼の心情の中では常に、ひそかに古い慣わしを懐かしくも思っていて、彼に詩才を与えた神(オーディン)や、
かつて称える歌を作った神々が罵られるのを聞くのを、決して好まなかった。
 彼は言った―――人々が神を信じないからと言って、その悪口を言う必要はない、と。
 そしてある日、広間の中で古い習慣が罵られた時、彼は思わず、次のような内容の小詩を口ずさんだ。

 「かつて、我は喜んでフリッドスキャルフの主(オーディン)を礼拝し、彼はまた、遅滞なく我に答えてくれた。
ところが今は、人々は別の習慣を持ち、別の幸福を持っている。」

 これを耳にした王はいたく怒り、彼の詩人ハルフレッドに要求した。この悪い詩を償うような他の詩を作るように、と。
するとハルフレッドは歌った。

 「オーディンを喜ばすため、人々は全世界で歌った。われらの古い兄弟の詩は美しく響く、
愛情を憎しみに変えるのは困難だ―――彼の導きは我にとって心地よく、貴重なものであったのだから。
しかし我等は今、そう、キリストに仕えている。」

 つまり「出来ない」と言いたかったのだろう。しかし王はこれを良しとせず、
ハルフレッドが古き神々に執着していることをなじり、もっと良い詩を作って自分の怒りを静めるよう要求した。
 詩人は仕方なく三度口を開いた。

 「我はオーディンの名を否定した。
かつて異教の時代にあっては、人は勝利を与える彼の大鴉に挨拶をしてその名を呼び、
神はずる賢くも座ったまま、戦士たちを鍛えていたのに」

http://itxsns.skr.jp/input2.php

407 :インドで小型のエイリアンが発見される!?:2016/04/12(火) 19:24:23.76 ID:vLLRFqnxb
>>400
ついでに言えばコピペは「玄松子」だけでないがな
その全てに許可取れとか、アホ過ぎるだろ

そうやって起きる未来は「過疎」を通り越した「死」だ
日本人は引っ込み思案が多すぎる

この板の書き込みだって、新しく分裂したから応援してやろうって気持ちだ
それは他のコピペ本だって例外じゃない
あれだけ詳細に書いてるのにもったいない、それは著作者の感想を越える「感動」だ

作品がどうこう言うなら、これから「作品」になるんだろ

408 :chikara:2016/04/13(水) 00:08:16.79 ID:ew5oF+CSV
>>407 服部半蔵Z殿
たしか、グーグル検索の1ページを書き込んであったような記憶がある。

 ネットの書き込みを休止中(2015/9月〜12/31)に古代名「龍山」の神に3度おどされた。
車で走行中3度とも、車両は大破した。体はケガひとつしなかったが、修理に110万かかった。
 実は、3年前、夜中AM2時頃「宇宙からのすごいパワー」が身体に入ってくるのを感じた。今思えば、神か阿弥陀様であったんだろう。それ以来明日はドコドコへ行き、何を調べよう。
図書館につき、頭の中に浮かぶことを、司書に伝えれば、PCで調べすぐにだしてもらえる。こことここをコピーすればよい。頭の中で見当をつけてしまう。亡くなられた、研究者達が、
「筆者」が来るのを待っていたように、どんどん頭にはいってきた。おそらく鬼刀禰が「誹謗中傷された、"八咫烏"名を晴らすために筆者が生まれてきたように思う 」。

だから半蔵殿あなたのやくめが終わったので、”すなお”に生きてください。「命をもってゆかれぬように。」

409 :chikara:2016/04/13(水) 01:44:16.90 ID:ew5oF+CSV
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「三瓶山噴火(663)と記紀とオロチとスサノウ」関連。
2016年4月12日
安芸高田市市立八千代図書館で2書調査。「昭和四十四年 八千代町郷土史」と「囈藩通志 五巻」の調査。
 実は筆者の研究で、三瓶山の大噴火で中津國・西中国(にしなかくに)=江の川流域の国はほとんど焼失したのであるが、
社が、二つ残った。そのひとつが(図面)八千代町上根の國王ヶ池(ごこうがいけ)そばの「妙見社」である。囈藩通志 巻三
九六一の上根村・地図に記載がある。8世紀の初めより「天つ神社」と呼ばれ、かなり大きな社だったらしい。伝承で祭神は
「北極精神」らしい。はじめて見る名の神である。今は「明鏡山善教寺・妙見原」と小社の「黄幡社(おおばんしゃ)」が建つ。

残るもうひとつの社は、島根県美郷町で8世紀初めより「天津神社」とよばれている。またの機会に調査したい。

410 :chikara:2016/04/14(木) 07:15:41.86 ID:ZqBMRszo1
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「三瓶山噴火(663)と記紀とオロチとスサノウ」関連。
2016年4月13日 調査対象;島根県美郷町「天津神社」。
島根県邑南町立図書館で3書調査。「邑智郡誌」「邑智町誌」「角?経石見八重葎」。
郡誌・・・・設立 白鳳四年九月。 祭神 高皇産神。 適用 式内社。
町誌・・・・勧請 天武天皇御字 白鳳四年四月。高皇産霊尊 天狭[雨カンムリ 啓]尊 二座祭神。
八重葎・・・・仁明天皇ノ御字 承和九壬戌四月。祭神 國常立尊、國狭槌尊。
祭神は記紀の同じ神らしいが。一番新しい資料の「邑智町誌」であるが、信用できない。720年までの記紀の中の天皇は、実在しない。
筆者の研究どうり三瓶の噴火で中津國・西中国(にしなかくに)壊滅したが、二つの社だけが残った。7世紀の奇跡である。

411 :chikara:2016/04/14(木) 12:51:22.55 ID:ZqBMRszo1
玄松子氏「祀神記」の「こんぴら研究」と筆者の指摘・訂正。「別板・マイナー神」再。

金毘羅
こんぴら
別名
金刀比羅/琴平:ことひら
……
航海の守護神。水の神。火難除けの神。
もとはインド王舎城の守護神でクンビーラ。 薬師十二神将のうちの宮毘羅大将、あるいは般若十六善神の禁毘羅大将と同体とされる。仏法守護にあたる夜叉神の上位の神。
中国に入り、金毘羅はガンジス河の鰐として蛟竜と漢訳され、航海を守る神としての金毘羅竜王を香川県・松尾寺に勧請して伽藍守護神の金毘羅権現となり、現在は金刀比羅宮に祀られている。
言い伝えでは、讃岐の象頭山の天狗を金毘羅坊といい、これに祈ると霊験が多いが、祟ることも甚だ厳しいという。
金刀比羅と称する神社は、現在、大物主神を祀っていることが多いが、中には「金」の名から金山彦神を祭神とする神社も多い。また崇徳天皇とする神社もある。
玄松子の「金毘羅と金刀比羅」の研究の深さに関心させられたが、5%くらい訂正させていただきたい。
以前、誰かがネットにかきこんでいた。
金毘羅・・・「こんぴら」四国のお寺系。
金刀比羅・・・「こんとぴら」が神社。=実際に鬼刀禰(おおとね)が、たたら製鉄遺跡そばに建立している。読みの中に「と」をふくむ。
 例えとして関東を流れる「利根川」の古代名が「刀禰川」「と」をはつおんしている。
岡山には、両方の神社が、建立されていてややこしいが、「車の逆輸入の考えで、四国からお寺系の社がやって来た」としようじゃないか。
「金刀比羅と称する神社は、現在、大物主神を祀っていることが多い」・・・明治政府の調査に@「インドの鰐神」を祀るとは回答できず記紀から「大物主」を
もってきた。奈良県・三輪明神「大神神社(おおみわじんじゃ)」も昔のホームページで原始宗教とか鰐とか大黒とか病を治すとかの書き込みがあったような、
なかったような。
「金山彦神を祭神」A金屋子さんは、14世期播磨国〜出雲国〜全国へ。「崇徳天皇とする神社」は不明。@と同じ理由かもしれない。

412 :chikara:2016/04/14(木) 13:03:57.34 ID:ZqBMRszo1
「東アジアの文明」考。
四大文明を学んだ頃、「黄河文明」を知り、北京原人〜さすが中国4千年歴史」。
今ここにきて、黄河文明が紀元前10世紀頃。中国の歴史研究者は揚子江文明がもっと古い。
筆者の知るところ、揚子江の「稲作」は、紀元前12世紀と聞く。筆者は、揚子江文明を紀元前12世紀頃と推定する。
しかし、日本の博多の水耕遺跡の年代は紀元前15世紀で、九州北部の文明が中国より進んでいたことになる。

413 :chikara:2016/04/14(木) 13:12:28.18 ID:ZqBMRszo1
   世界四大文明の話へ戻ろう。
世界最古の文明はメソポタミア文明。西暦で、紀元前25世紀ごろ〜。最初の王朝が、インド北部より現れた「鉄剣と戦車」
の集団に倒された。時代は、紀元前15世紀頃。忽然ときえた。イスラエルのソロモン王は「鉄は赤い土から採る」。鬼刀禰族
(おおとねぞく)につながるとおもわぬかなぁ。
 2番めに古いエジプト文明。紀元前23世紀頃〜。もちろん遺跡としてトルコやロシアその他でメソポタミア・エジプトより古いものもある。
海底遺跡では、日本・沖縄やインドで発見の建造物は、100万年以上前の物という。まぁここは「宇宙人や神の領域である」。
 メソポタミアの「クサビ型(形)文字」。エジプトの「象形文字」。大分・国東(くにさき)半島の製鉄遺跡の「文字」。天皇家の八咫の手鏡の「文字」。
この4点が繋がりがないというのかぁ。

414 :chikara:2016/04/14(木) 13:48:32.67 ID:ZqBMRszo1
出雲の国の祭神の変更。
出雲大社と島根半島の神社。神社名の変更があったか、わからないが、宮城県と同じ理由。
社は夜は、燈台であったはず。そうしたらいつ変更。古事記の「稲羽素兎の段」と、アマテラスとオオクニヌシの「国譲りの段」
無血で中津國・出雲王朝は、滅亡した。ただ一人反対したのが、イズモタケル日本書紀登場人物。名前が本当かどうかは
わからないが神社に祀られている。

服部半蔵Z殿いかがかな。

415 :社会の底辺がなる職業だと思っていたら、プログラマになっていた話:2016/04/14(木) 22:14:09.48 ID:b+FTgv6++
 オーラーヴ王はまだまだ満足しなかった。もっと良い詩で神々を愚弄しろと強いた。
詩人の顔はさらに険しくなり、言葉は割れた――

 「フレイとフレイヤが我に怒るなら怒るがいい、ニヨルドの聖なる森が我から遠のくがいい。
オーディンとトールが呪いの魔法をかけるがいい。
そうなったら我はキリストと神の慈悲を請うまでだ。
神の子の怒りは、我には重くて耐え切れない。
なぜなら彼は、彼の父から、地上のすべての力を託されたのだから。」

 それはよい詩だ、と、王の怒りも少し和らいだ。
しかし、さきの悪い詩を贖うためには、さらにもう一篇の詩が必要だと要求する。そこで、ハルフレッドは続けた。

 「われらの王は、人々が犠牲をささげるのを禁ずる慣わしをもつ。
すべてのノルンらの言葉は、以前は貴く、また神聖なものだったが…今は何物にも数えられぬ。
万人が、オーディンの一族を見殺しにする。
我はまた、キリストに祈るためニヨルドの一族を見捨てなくてはならない。」


 オーラーヴ・トリュグヴェソンが彼の最後の告白に満足したかどうかは、記されていない。
しかし、ハルフレッドは先のエイヴァンドのように新しき神々に逆らうことはしなかった…
かつて、祖先のごとく、勇敢に戦い、生きた戦士の彼でさえ、新しき神の支配に抗うことは出来なかったのである。

 だが、洗礼を受けて以来、ハルフレッドは常に不安を抱え、臨終の際まで、心の中にある秘密の信仰を捨てることは出来なかった。
 彼の魂の悩みは、ここに記されている。

 「もし我が魂が本当に救われてあることを知るならば、いま我は、嘆くことなく死にうるものを。
若き日には、我は鋭き舌を持てり。我は万人が死すべきを知る。また我は、ただ一事を除いて我が何物をも恐れざるを知る。
その一事とは地獄なり。されど神は、我が何処に生涯を終えんも、その場所を支配し給うべし。」

http://www.d3p.co.jp/bulletgirls2/

416 :歴史的発見相次ぐ 日本人の起源論争にも波及:2016/04/14(木) 22:21:24.11 ID:b+FTgv6++
まあ、話に付き合う机があるなら
一時、なに?倒錯文章??止めるよう努力すんわ

気に入らないことあんだったら言ってみん

417 :アコリス遺跡で新発見!!:2016/04/14(木) 22:27:31.24 ID:b+FTgv6++
>>408
神話受けると、小説カケんのか?
だったら故意よ(泣)

カケないなら、死んだほうがマシじゃい!

ゲヘヘ、そっちがその気なら、取って置きのネタをかましたるぜ・・・ヘヘヘ

418 :chikara:2016/04/15(金) 02:27:36.61 ID:IA6ZjJ/xi
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。

 「神社 仏閣」を調べるうえで、日本の暗闇の部分を避けてとうれない。
中国のチベット仏教の地への侵攻は、すさまじいものである。100万もの仏教関係者が行方不明となっていると、米国政府関係者があかしている。中国の仏教弾圧である。
一方、日本でも、暗闇がある。明治政府のしたことである。時は、戊辰戦争までさかのぼる。この時、浄土真宗の東派が、幕府方に対し200万両、寄付したことにはじまる。その寄付を
受けこんどは、浄土真宗の西派が、明治政府側に200万両寄付したらしい。明治政府は、神道の国をアピールし浄土真宗西派以外の仏教に圧力をかけた。とくに鹿児島では、政府
だけではなく県も圧力をかけたようで、お寺の廃業があいついたと聞く。また全国で改宗や仏閣物件が売られたそうである。神社の祭神調査や格式付けを行い暗闇の時代が終わった。
 今祭神やご本尊をしらべるには、地方の過疎化も進み至難の業となった。したがって、江戸時代の資料と明治の初めの神社の調査資料と、明治の初めの仏閣の資料
があるものなら必ずつかわなければならない。スレ410 の結論は、ニセの勧請(由緒)をつくりながら、日本書紀に「白鳳時代」の書き込みを忘れてしまった。不比等、行基、人麻呂であった。

419 :日本の金融はかなり前から在日に乗っ取られていた!!!:2016/04/15(金) 20:16:51.28 ID:ZWhhikOnL
仏教で思い出したけど
今、解体なんたらって
欧米の本パクったみたいな
風に教えてるらしいね

420 :プログラマーの年収!低いの?高いの?SEが暴露!:2016/04/15(金) 20:31:10.18 ID:CI4E7lFgp
そもそも、ここは人がいないだろ
人がいないなら、それ相応の使い方がされる

コピペも自演も否定されるなら過疎板はどうなる?
過疎は罪か?

421 :chikara:2016/04/17(日) 21:41:58.23 ID:CCPxcTUxs
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、1191名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。
4月17日の安芸高田市立八千代図書館にて、大発見。
平安時代〜現代まで、「記紀」は研究の対象となったが、ひらがな・カタカナがあるが為「思考が麻痺」していた。
大山?―→オオヤマツミとよむのだが、「記紀」でちゃんと読み方をやさしく教えている。「ひらがな」や「カタカナ」が
確立していない当時、「大山津見」とは、読み方を書き込んだのである。
禰之國―→「根之國」。[雨カンムリに龍]―→「於伽美娘」。いまでは「ひらがな」や「カタカナ」表現されるのであろうが、
この時代には、漢字しかなかった。
「?」の文字は、「ころも」辺に「氏」・・・・・「大字典」P1999の四段めに記載あり。

422 :chikara:2016/04/17(日) 22:09:59.86 ID:CCPxcTUxs
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。
「天津神社」の調査。 スレ418 のつづき。 4月15日、益田市立図書館。
「石見六郡社寺誌」修訂 小林俊二 石見地方未刊資料刊行会1933  2000年修正版  P74〜75.
元は、島根・美郷町大字吾郷天津越の麓(ふもと)二尾山にあった。

423 :chikara:2016/04/17(日) 22:37:14.62 ID:CCPxcTUxs
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「江戸時代の諸国巡見使」考。

古文書。巡見使への説明要項(年不詳) 庄原市七塚町 増山家文書。
(旧版 「庄原市史」近世文書編」の写し。
「庄原市 歴史編」2005 P202〜207。
文書が欠落している為、年代不詳とある。・・・・・スレ389 補足。

424 :chikara:2016/04/20(水) 17:28:51.07 ID:1R0CdJtyG
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。だいじょうぶか、全国の「大山?」神社。

「おおやまつみ」の神を祀る神社さんに物申す。
祭神を「大山祇」は間違い。

正解は「大山?」→「コロモ辺」に「氏」で、このままで、「おおやまつみ」と読めないので、古事記で
「大山津見」や「大山積」と書き込んでいる。・・・・ひらがな・カタカナが確立されてない時代だから
である。
日本書紀のオリジナルから書き換えが何度となく繰り返された為「コロモ辺」が「ネ辺」になったのである。

「?」の文字は、「ころも」辺に「氏」・・・・・「大字典」P1999の四段めに記載あり。

元は物部族が「大山?」の社・お堂で夜は燈台のかわりに「火」を燈したもの。
そばで、物部の動静観察し音(読み)を古事記に書き伝えた。もちろん「神」という
字や古事記が書き始める前の事。

425 :chikara:2016/04/21(木) 08:33:17.55 ID:tl+F6xznA
おおやまつみの神  大山?  大山津見

426 :chikara:2016/04/22(金) 06:43:19.04 ID:w26rsPA97
行基図について
行基は実存の人物。作成時期は、八世紀前半、約1300年前と推測できる。
「オリジナルは自分で紙をスキ、山に登りスケッチしたものを何枚か集め、集約されたものに地名をかきこんでいるもの」と思われる。
ネットには行基図の掲載もある。興味深いものは竹島(独島)やウルルン島(鬱陵島)の拡大図であるが、上下(北南)が逆である。
検証すると、海は「東海」とある。韓国が、北京オリンピックで指摘したとうり。しかし出雲國風土記(完成年を733年)認識として新羅
の地を指、ウルルン島より苗木を隠岐経由で持ち帰り、スサノヲが植樹している。その時、ウルルン島には住人がいなかった。
また島には石州瓦が存在するらしい。考えられること、行基も上陸している。江津より舟にて。筆者の認識では、海名は「東海」だが、
「ウルルン島」「竹島」は日本領。・・・・島を見て自国領と言っているような気がしてならない。

*{お寺で保管図とまったくことなり。 図じたい 大きなものとかんがえられる。ネット掲載は、二頭の龍が日本を支えた図。朝鮮半島、
島が二島描かれたもの。だれかが、半島側の内側島に独島、外側に鬱陵島新たに書き込まれてあった。}

427 :chikara:2016/04/26(火) 09:12:09.61 ID:OsWhAXdPN
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。

「天津國・鬼刀禰族(おおとねぞく)」から見えるもの、導きだせるもの。

 @「なかの國」とよばれた中津國・物部族(もののべぞく)は同じ鬼刀禰のDNAをもちながら、考え方の違いから天津國内より独立、勢力を拡大した。
 最後の王は、「オオクニヌシ」。
 A(日本書紀の)扶余の十支伝説の「扶余族(ふよぞく)」も同じ鬼刀禰のDNAをもつ。中国を統一したのが「秦」の始皇帝。モンゴルの民もまた同じ
である。あの「元」・ジンギスハーンもまた同じである。
 B高句麗・新羅・百済の民も同じ鬼刀禰のDNAをもつのである。日本海を新羅の人が「東海・海東」と呼べば名もそうなる。日本の國名・成立が後
だからである。
 Cそして、メソポタミアやエジプト文明。追随するヨーロッパ文明、に必ず、影響を及ぼしたと筆者は考える。

 博多の水耕遺跡の年代=紀元前17世紀。
「魏志倭人伝」、3世紀終わり。
「宋書」の倭の五王、4世紀。
「邪馬台国論争終結宣言」1955 著 山形明郷。

428 :ニュースを制する拡散インフラはどこなのか:2016/04/27(水) 13:01:15.81 ID:CKSTEaweC
>>408
これだからコミ障は・・・
お前が割れから、何を受け取ってるか知らんが
神の言葉を、ボキャブラリーを削るお前は最大の不敬だろ

なぜ人に表現の自由があるか、わかるか?
言葉を殺すことは、「神」を殺すこと・・・「人」は恐怖で「獣」になる
「言葉」とは「神」 「言葉」を遮ることは「神」を遮る

ゆえに「神」は人の殺生を嫌う
誰だって、自由に喋りたいからな

その神の意思を、魔逆悪に語るお前は悪魔だな

429 :chikara:2016/04/29(金) 06:41:04.21 ID:2JqYZOfKr
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。大田市立中央図書館 書籍調査。

「三瓶山」の最後の噴火情報。
参考資料。
 島根大学地学会 会報。「地学島根」第1巻 第2号 1960年12月。
「天武天皇 白鳳六年(680)」の記載がある。
 白鳳・・・・・私年号。広辞林では、仏家の縁起碑文などにみられる。
 天武天皇・・・・宮内庁のホームページで40代天武(てんむ)天皇673〜86とある。日本書紀より(ひねり)出しと思われる。

当館、蔵書の「国史大系1日本書紀上 著 黒板勝美 国史大系編集会 吉川弘文館2000。
P13の「やまつみ」表記についての調査。「山祇」であった。日本書紀書き換え(写し),卜部書をはじめとして八書を比較したもの。
オリジナルに近いところで、「?・衣ヘンに氏」が「祇・示ヘンに氏」に写されている。
「素戔嗚」も「須佐之男」と読み(音)方をやさしい文字で教えている。今なら、ひらがな・カタカナで表現されるものであって、祭神
として「須佐之男命」と崇めるのは、大変な間違いである。「すさのを」「スサノオ」などにするべきである。

430 :chikara:2016/04/29(金) 10:11:43.70 ID:2JqYZOfKr
>>428 「・・・ト」かぁ。
 筆者はスーパー原人である「鬼刀禰(おおとね)」と「鬼」の名誉回復をネットに書き込んでいるもの。
1300年もの間、記紀で「八咫烏」と誹謗中傷を受けてきた。

「ヤマツミ」問題は安芸高田市立中央図書館司書の提示された「学研 新漢和大字典」
部首五画 「示」ヘンの「祇」のページ四二三〜四二四が答えの1つのような、ないような。
”唐以前本無ニ從レ衣之「?・衣ヘンに氏」字”とある。意味は「まさに」。
P424で中国の清時代につかわれている。
筆者の解釈は、「祇」の字、古事記・日本書紀が書かれる前 日本でつくられた文字。
また清の時代に中国が輸入した文字。いわゆる、漢字の逆輸入である。

431 :chikara:2016/04/29(金) 20:41:19.20 ID:2JqYZOfKr
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。 B番めの「だいせん」。

@大阪・大山陵古墳(だいせんりょうこふん)=鬼山(おおやま)→大山(おおやま)→大山(だいせん)。
A鳥取・大山(だいせん)=鬼山(おおやま)→大山(おおやま)→大山(だいせん)。

鬼刀禰族(おおとね)の前方後円墳&踏鞴製鉄遺跡、居住空間=鬼山(おおやま)。行基が当地へ来て、行基図に「大山」と記載。
江戸時代に入り、諸国巡見使が将軍の名代として諸国の城へ上がり込み行基図の山名をむりやり押し付け改名させた。

*行基図が江戸時代中頃まで使われた。簡単な計算方法。関ヶ原の戦い〜戊申戦争を300年として、将軍が15人。
8代将軍吉宗くらいまで使われたことになる。諸国巡見使は3代将軍家光から始まり、将軍が新しく就いた時、旗本(家来)が任にあたった。

B広島県三次市・大仙北古墳群(だいせんきたこふんぐん)。

432 :映画「サブイボマスク」とコラボした中津市PR映像拡散中!:2016/05/01(日) 22:34:18.89 ID:qBK+cgXYj
ろくはらたんだい?

433 :カンベイ湾に9500年前の都市が水没:2016/05/02(月) 19:28:35.31 ID:lTb94aFLT
貴様が「神」をどう思ってるか知らんが
他人に”神”を裏目、憎めって欲望が透けて見えるぞ

434 :行政解剖される不自然死の33%もが医薬品等による薬物:2016/05/03(火) 14:19:13.19 ID:iImUqWExX
>>430
逆効果では?
先輩風吹かす気はないが、ここの住人にコピペがどうこう言って
イチャモン付けて達成出来るモノなのかね?

435 :核不拡散条約(NPT)再検討会議の決裂に対する談話:2016/05/05(木) 04:20:43.07 ID:39A9WnilZ
どうせ皆殺し大好きさんと同じマインドなんだろ?
寄生虫って、すぐ規制主の力を不当に使いたがるよね
なんつーか、凄い醜いワー・・・

皆殺しするにしても、それは自分でないわけだよね?
神様も、なんでお前の為に力を行使しなきゃならんのよ
とか、思ってるんじゃね?

436 :良質な被リンク獲得に必要な7つの基本施策とナチュラルリンクの特徴:2016/05/05(木) 04:25:06.98 ID:39A9WnilZ
ボケが神の言葉を歪めてるというなら
ボキャブラリーを増やす方向で改めるべきでない?
つーか、こっちにはそんな意図欠片もないんだけど・・・

437 :chikara:2016/05/08(日) 13:55:44.42 ID:JB0D1URDG
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「きぶね社」について。

鬼刀禰(おおとね)が建立した「きぶね社」について。「貴船」や「貴舟」は間違い。「水の神」というのも間違い。

本字は「貴布禰社」である。海運(行・航)や(川の上りくだりの)水運(行)にて海難、水難から舟を守る、船乗りを守る神。
{雨カンムリ龍」で「おかみ」である。古事記でやさしく読み方を教えている。”淤加美娘”。風が大穴に吹きこむ時、娘の声
のような音がする。そして海は大しけとなる。このさまから声を「神」とした。すなわち風音は、悪天候を知らせる。現在に
置き換えれば、「天気予報の神」。

なぜ「布」なのか? 布に「海図、川図、夜の星図(星座)」を描き、船乗りが携帯した。考えられること。地球が球であるこ
とを知っていた。星図で北極星がどの星か知っていた。北半球ではどこからでもこの星が見えることをしっていた。

製鉄遺跡の空気取り込み坑兼出入り口は真北の北極星に向いている。また、前方後円墳の発堀調査報告書を見るとまた
同じである。

438 :chikara:2016/05/09(月) 07:54:17.42 ID:9I64uJTmV
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「石見神楽」考。

 5月4日久城「櫛代賀姫神社神楽殿」と7日横田「あんな坂 こんな坂 手づくり自然公園のATUSHIコラボ舞を見て感動感激の両日
でした。久城社中170周年おめでとうござおます。三隅・古湊出身の筆者にとってDVDの画面が頭の中に残りました。

 自称、「矢富熊一郎」先生の一番弟子としてうれしいようなくやしいような、そんな気持ちでいっぱいです。ホームページの演目
「貴布禰」の内容と史実がまったく違う。京都ではなく、現在の岡見小学校なのである。

 史実、スーパー原人こと鬼刀禰(おおとね)族は、九州博多で稲作をはじめる。紀元前17世紀。揚子江文明紀元前12世紀。黄河
文明紀元前10世紀。倭・日本の歴史は、縄文、弥生、古墳時代とつづくのである。弥生時代にこの石見地方へ森林・木を求めて
上陸したのが、鬼こと鬼刀禰であり「鎌」を作る者たち。だいぶのちに地名を「神の手」〜「鎌手」と呼ばれるようになる。花崗岩から
なる石見地方は川域から砂鉄がとれる。彼らは、現在の大山の麓、岡見川の中山、岡見小学校のところに北向きの大穴を作り
「鎌」をつくった。その穴にかぜが吹き込み娘の声がした。スレ437。森林資源が不足すると、大麻山へ移動し、人麻呂・不比等・
行基の3人と出会い11人が行動を共にし、一番の若者を王座・天皇についた。現在の茶臼山、大山、源田山の山筋(脈)を古代人
は鬼山(おおやま)と呼んだ。

あと15年すれば鬼の角はなくなり、「天の岩と」「鍾馗」「大江山」は、角なし鬼で舞われ、「貴布禰」では女神面となるはずである。

439 :chikara:2016/05/10(火) 17:01:24.81 ID:O8aXdgUOH
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「続石見神楽」考。

演目「八岐大蛇(やまたのおろち)」
古事記で出雲国と記載があるが、実際は「江の川」。記紀と伝承から古代神社とゴウ川の関係。

 龍龍龍
 龍龍龍
 龍龍龍(ごう)川と古代で呼ばれていた。スサノヲと鬼刀禰(おおとね)が上根に到達したとき、すでに物部族が「龍山(
たつやま)」にオオヤマツミの社を建てていた。この社の為、出雲の国と間違った。九頭の龍から「龍山(神社)」に一頭
とられ八頭龍になった。上根の地には斐川(ひのかわ)が流れ。大蛇の伝説がある。”女が井戸のそばで洗い物をして
いたとき、櫛を井戸に落し飛び込んで取ろうとした。女は大蛇に変身し櫛をくわへ出て、川を下って行った”。→櫛名田
姫。ほかの伝承で”ごこうヶ池から出現し川を下った”。池そばに三瓶大噴火で焼け残った天つ神社(妙見社)があった。
筆者は古老の伝承で祭神が「北極精神」らしいが「貴布禰社」と確信。今は黄幡(おおばん)神の小社が建立。
斐川の下流の可愛(えの)川流域でも大蛇や神武の「宮の城」進駐。稲田川・稲田橋。→稲田姫。スサノヲと清(すが)
神社境内の貴布禰社。日本書紀でも安芸の国と記載。「やまたのおろち」は「江の川」。

440 :chikara:2016/05/12(木) 05:33:17.07 ID:cNnNbvMTp
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「彌榮(いやさか)神社」考。

 三瓶山噴火(663)。素戔鳴(スサノヲ)の植樹に対しお礼の社を鬼刀禰(おおとね)が建立した古代社(明治の初め確認)。
従って「素戔鳴」と「樹木・木(牛頭天王)」を祀る。

浜田市三隅町井野(諸谷)仲間山。江戸時代の書「石見八重葎」に記載されていないお堂<小社>。三隅町三隅(岡崎)
「三角神社」に合祀。明治23年井野(下今明)ト395「天満宮」に「祇園社」を合祀する際、名称を[彌榮神社]へ。

益田市種村町904−1。[彌榮神社]。[弥栄神社]。

益田市高津町飯田宝来山。[彌榮神社]は今はない。考えられるのは、上記の種村町に移転されたがどちらか不明。

鹿足郡津和野町後田(下之原)67。[彌榮神社]。

441 :chikara:2016/05/13(金) 08:17:14.04 ID:tIdqzP9AZ
大昔、三隅に「神」がすんでいた。

追い出された厳島明神。「三隅地方の神話と伝承」編集人 寺井実郎 1960 P23〜24。
 湊や古湊地区から八曽、岡崎、森溝方面は海であったと伝えられています。今、湊の田の浦に鰐島と云う島がありますが、
これは大昔には湊が島であって、湊一帯を呼んだ呼名だといいますし、古市場中組に岩鼻と言う所があったり、イカダ場と言
う所もあり、西河内に船着と言う名があるかと思えば、岡崎に鯛が鼻と呼ばれる場所があり、森溝岩ガ本にある岩石は、マゴ
ウコトナキ海石だと言われていますし、こうした呼び名から考えて、この地域一帯はどうやら海であったらしいといわれています。
 神元といえば、三保から三隅に向かって子落しのはずれの東一面の土地をいいますが、この土地の東寄りの大奥に厳島
明神が住んでいたといいます。今も神元に明神屋敷という地名や明神原という名がのこっていますが、そこに明神さまの住居
があったのだと伝えられています。
 厳島明神は水の神様なので、毎日のように船に乗って海に出ました。が、明神様にしてみれば、その住居から森溝の船着場
まで歩くのがどうも大儀でなりません。船着場の近くへ住めばいいものをこのあいだを海にしてしまえば事がすむと考えた。これ
を知った農民は、たまったものではないと屋敷に火を放った。明神様は子供を連れて命からがら逃げ出した。明神様は浜田近
辺を、住む場所を探しさまよったが、現在の安芸高田市経由で宮島へ辿り着いた。

以上から筆者は鎌倉時代の出来事で”海面がなんらかの影響で年々上がったが、運よく元にもどったことになる”。地質学者が
鎌倉幕府の政治を司った建物の柱跡がないというのは、これが原因である。出雲の国では、島根半島は、いくつかの島となった
ことだろう。考えられることはグリーンランドの氷河や北極の氷がゆっくり解け出し海面が上がったが、運よく厳島明神が逃げ出
した頃からたまたま海面が下がった。

442 :chikara:2016/05/15(日) 10:17:47.37 ID:XpMgM/oG1
  「日本書紀廿九 天武天皇(十一年壬午)」考。

この段は室町時代の大内義弘の書き込みと断定する。
「大隅隼人」の「隅」の字は中国、宋の時代につくられ、元時代に「消防とか区画」に意味が変化していったもので、大内
義弘が中国より取り寄せた書(輸入の書物)から使ったもの。義弘も西暦720年当時、大和王朝、近畿王朝が存在しない
ことを知っていた。

 奈良文化財研究所の林正憲氏の前方後円墳の副葬品と編年関係のDVDを見、宋書の「倭の五王」を考えると機内に
6〜8世紀初めまで王朝が存在するとは思えない。あの河内の大古墳群の副葬品の製造年が古墳時代初期の終わり
から中期の初め(遅くとも5世紀はじめ)まで、ここから北摂地区と東海愛知や岐阜大垣地区へ古墳製造が移動している。
近畿王朝と呼ばれた者達は東海へ移動したのである。紀ノ川や熊野川を下り紀伊半島(横)の太平洋を北上したのである。

 ならどうして。鬼刀禰(おおとね)の王朝は、稲刈りの「鎌」をつくり、中国大陸へ「米」を輸出。炭を作る森林(木)資源が不足
した。倭の五王の中で1番利益をあげたはずである。大陸からは奴隷(敗戦国の若者達)を連れかえり、教養(教育)をつけ
させた。前方後円墳は製鉄のかんな流しのたたら鈩(いろり)であり、増える人々の居住空間であり、最後は、長(をさ)や王
の墓。空気抗兼出入り口は鉄や銅鋳造のうえで温度調整が必要の為、真北にある。夜、北極星の方向へ穴をあけている。
墓になるときのなごりから「北枕」というのではないのかな。

443 :chikara:2016/05/15(日) 15:24:06.21 ID:XpMgM/oG1
 「日本書紀」研究者に一読してもらいたい書。
*「國史大系 第一巻上 日本書紀 前篇」編 黒岩勝美 國史大系編集會 吉川弘文1951
*「國史大系 第一巻下 日本書紀 後篇」編 黒岩勝美 國史大系編集會 吉川弘文1952
上記の2004年度版。
ネットネーム「修都」のような人格崩壊者もいるから書き込む。
予想。1965年生まれ。N高校教諭。A卒。N修。H・H。と思うのだが「修都」さん。
あまりにも性格が悪すぎなので日本國の道路を歩いてほしくない一人。

444 :chikara:2016/05/17(火) 17:10:56.62 ID:IezjpsizL
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「万葉集の果たしたもの」考。

 河内の古墳群をみてずっと大昔から大和政権がつづいていると思う事態おかしなこと。古事記や日本書紀は年代
がおかしい。万葉集は524人が登場するが、人麻呂が一人で書き上げたもの。この書のおかげで、唐が攻めてこな
かった。魏志倭人伝で倭の人々の風俗、習慣から考え方まで調べている。300〜400年でこれだけの文化人の出現
するということは、教育と流通がすごい速さで発展したと考えたから。攻撃するのをあきらめた

445 :chikara:2016/05/22(日) 09:35:53.32 ID:p8Hb1zzGp
人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「志津の岩屋・島根県邑智郡邑南町」考。

 長州の毛利候が参勤交代のおり江戸城にて浜田の松平候に、この「岩屋」が「天の岩戸」ではないのかの問い合
わせがあったと伝えられる。「天の岩戸」は日本書紀で九州と書き込みがある。松平候は浜田に帰ってすぐ「志津の
岩屋」に通づる道を整備拡張した。

446 :chikara:2016/05/29(日) 10:05:11.67 ID:0zyZPenVc
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「日本書紀」考。

 「日本書紀」研究者に一読してもらいたい書。
*「國史大系 第一巻上 日本書紀 前篇」編 黒岩勝美 國史大系編集會 吉川弘文1951
*「國史大系 第一巻下 日本書紀 後篇」編 黒岩勝美 國史大系編集會 吉川弘文1952

 [日本書紀巻第廿八 〜 日本書紀巻第(三十)]先人の研究には申し訳ないが、ここの部分は、「大内義弘」の書き
込みと断定する。旧内務省(宮内庁)所有「本」の筆跡鑑定ができるものなら実現させてほしい。

 巻第廿七の「鬼室福信」「鬼室集斯」の読み方も「おおふくしん」「おおしつしゅうし」で、意味的には、現在の「皇室」
=「鬼室」である。この時代の「天皇」「神」「鬼」の関係を記すると、「天皇」の上が「神」で「神」の上が「鬼」である。
この関係は「古事記」「日本書紀」の中で不変。

447 :chikara:2016/06/13(月) 14:31:12.99 ID:Ncl4VoEIL
 人麻呂・不比等・行基の3人と八咫烏と呼ばれた、11名の鬼刀禰族と
物部族との攻防。「前方後円墳」考。
海から見て「八頭龍と一つの胴体」を紙に書いて眺めると胴の部分は「底」となる。「川本〜江津」のこと。
スレ50 底の国:人麻呂の伝承「水を潜って海神の国。地を通って根の国、底の国に抜けると出雲の国へ出る。」
底の国をパソコンでみると。「西中国・にしなかくに」再度パソコンでみると。
「細戈千足国=サホコチタル・ホソホコチタル・ソコチタル」パソコンの解説を記すと。
もともとサホコチタル国は根国の一部であったようで、根国との区別があまり明確でない。
「ホソホコチタル」の意味は精巧な武器(戈や鏃・やじり)をつくる人たちがいた地。
「川本町誌」歴史編p31.32 p46.47で「瑞穂町・長尾原遺跡」内容が書かれているが、大集落となる「たたら製鉄」の遺跡とおもわれる。
そこの住人が激減したとき、川本地区の人口が激増している。
江津市大字後地に「波来浜遺跡」がある。墓のよせ集めで、その1つB二号墳第一、第二、第三、第四、第五の主体が収められているが、副葬物がバラエティー。
・第一主体、八個の土器と1本の鉄鏃。
・第二主体、二個の土器。
・第三主体、土器三個、鉄鏃銅鏃各二本。
・第四主体、土器一個、銅鏃二本。
・第五主体、土器一個。
8世紀の初めに海(江津)〜川本(江川沿い)までの国・底の国が存在した。

以上のことから鉄から銅の生産に切り替わった。しかし、農耕の「鎌」だけは鉄でなければならなかった。
これは、仮説だが、前方後円(墳)の「方」の部分で銅を生産し、「円」の部分で」鉄を生産した。

解明するため島根・邑南町「邑南町立図書館」の河瀬正利先生寄贈の3000冊・「河瀬文庫」の乱読と目録・エクセルで作成中。

448 :chikara:2016/07/13(水) 04:56:34.04 ID:uL58dGE8z
 ネット再投稿。
「白村江の敗戦の後に来た一大事」考。
 暦のない時代、歴史年表を造る事は、大変なこと。唐から帰った使者から、唐の暦にあてはめて年月を知り、稲作
の循環から1年1年数え過去としている。日本では、西暦663年としている、白村江の戦い。中国や韓国の歴史研究
家のほとんどが662年としている。ここで、1年の誤差とは何なのか検証すると。天変地異であり、大地震(原因は三瓶
山の大爆発、大噴火)が起きたこと。このことは、島根県益田市安田の伝承で確認ができる。663年三瓶山が噴火と
莫大なエネルギのため大地震が起き、数多くの建物が崩壊し中国地方は焼失し、稲作もできなかった。
 662年 白村江の戦い。
 663年 三瓶山の大噴火。
これが、真の歴史で、不比等も古事記や日本書紀に書くことができなかった。なぜならば、唐國や新羅國に責め込ま
れれば、the End。記紀と万葉集で、知識人、有能な國の指導者が数多く存在したかのようにしむけた。書。

449 :chikara:2016/07/13(水) 05:29:16.69 ID:uL58dGE8z
  ネット再投稿
「暦のない時代の一年」考@
「日 本人の信仰心」著 前田 英樹2010の中で、本居 宣長(もとおり のりなが)、鈴木重胤(すずき しげたね)、村岡
典嗣(むらおかつねつぐ) 、 保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう)、小林 秀雄(こばやし ひでお)、柳田
 國男(やなぎた くにお)著書や思想と英樹自身の歴史感を書いている。
このなかで、柳田國男は{一日の始まりは日暮れから}といい。
本居宣長は暦 のない古代人は、「真暦考」1782の中で、{まず、去年(コゾ)まきおきし青菜(アヲナ)の花の咲(サケ)る
見ては、苗代時(ナハシロドキ)をしり、つ くりおきし麦(ムギ)の穂(ホ)のあからむを見ては、田植(タウウ)るときをしり、
又その稲(イネ)の刈時(カリドキ)をもて、又麦(ムギ)まく時をしる が如く、年々にかくしてもてゆけば、いかでか其時々
のしりがたきことはあらむ、教(ヲシ)へずて有るべき事を、なほこちたくをしふるは、すべてかの国人 (クニビト)のくせ
なりかし。}

450 :chikara:2016/07/13(水) 05:31:09.59 ID:uL58dGE8z
 ネット再投稿
「暦のない時代の一年」考A
柳田國男は「祭日考」の中で、{祭りの目的は遡るほどただひとつ、神と共に新しい米を食することであ る}。
・・・・つまり嘗(なめ)と呼ばれた収穫後の祭りには、永い物忌(ものいみ)の期間が本来必要だったのである。伊勢には
常勤の物忌の役あったので、 稲が刈取られて調整を終わるならば、直ぐにも神様の祭りに取掛ることが出来た。
之に反して農民は常の生活をしてゐる。それが此祭に奉仕するに適した精神状 態となるには、昔は一月以上も厳しい
謹慎を経なければならぬとしたのである。謹慎中には、男女の分離がある、あるいは「外部との交通の制限、雑音の
禁止、 結んだり曲げたり火に焚いたりしてはならぬ物の色々、乃至は或種の手を著けぬこと」、そして獣肉などの制限
があった。「斯うして静かに家の中の生活を続 け、稲は稲村に積み上げたまま、祭りの来るまでそっとして置いた」収穫
を終え、神を迎えて饗宴するにふさわしい身となるために、一ヵ月以上の斎忌が必要と 感じられた長い時代があった。
十一月の祭りは、こんなことを示している。稲を取り入れて後、慎重に祭の準備をし、その後不自由な一ヵ月余りの生活を、
家の 中で黙って、音も立てずに送る。我が身の穢(けが)れから抜け出すために、いろいろなことを自分に禁止する。
日常使う火は、それ自体が穢れていたので、こ れに触れるのも制限する。針仕事なども禁じられている地域が多い。
禁止のひとつひとつには、その理由を説明できなくなっているものもある。しかし、何が穢 れで、なにがそうでないか、
これを明らかに直覚していることは、祭り人にとって一番大事なことだっただろう。祭がただひとつの「まつりごと」であった
時代 の記憶なしには、こうした直覚は、祭り人の心に棲みつきはしない。祭という饗宴の本体は、そのようにして迎えられる。
・・・・暦のない時代、農耕作業と神ごとのみが一年をつくる、道筋であった。

451 :chikara:2016/07/19(火) 08:30:49.97 ID:iHbKQNdjT
 ネット再投稿  「鬼」についてT

 日本初見えでは、現存遺跡で、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘の中の「鬼前大后」読みが[oo],[ki],[yatagarasu],[eki],
[kami],[oni]とかわからないが、神も鬼も意味的に近いらしい。

 日本民俗・国文・国語学者で歌人の折口信夫(おりくちしのぶ)1887〜1953は古代研究の「日本芸能史」ノートで、日本
古代の固有言語でオホビト (大人)のこと記している。オは大きいの意。ニは神事に関係するものを示す語。オニは神
でなく神を擁護するもの。巨大な精霊。山から来る不思議な巨人をい い、オホビト(大人)のこと。

 日本の文化人類・民俗学者の小松和彦(こまつかずひこ)1947〜は、民間信仰の研究の「日本妖怪異聞録」のなかで、
先住者=民=敗者=鬼。 征服者=勝者=人間。と書いている。

 日本の歴史学者で山口県出身の武光誠(たけみつまこと)1950〜は「鬼と魔で読む日本古代史」PHP研究所2003
P39〜43で鬼の正体・・・・{精霊などと呼ばれる人知を超える超人的存在を便宣上「魔」と総称する。そういった、あるもの
の集団@からは「神」。別の集団Aからは「鬼」と見られる。それにたいするまつり方、かかわりを知る集団から見れば
超人的存在は、人びとに恵みをもたらす神となるゆえにきわめて多くの魔のなかに、神とされたもの、鬼と呼ばれたもの、
神とも鬼とも見られたものがあったことになる。・・・・}。

452 :chikara:2016/07/19(火) 10:02:17.27 ID:iHbKQNdjT
 鬼についてU *民族学の柳田國男「お化け妖怪は落ちぶれた神」

 「妖怪談義」講談社1977のなかで・・・・{初めから妖怪として生まれた妖怪もいるだろうし。全ての妖怪を神の零落した
姿とするのは強引過ぎる。・・・・或いは、妖怪が神格化して生まれた神などもいるであろう。そもそも「妖怪」は、古くは
「物の怪」といい。正体不明なもの。その存在に対しては不思議な感情あるいは、不安な感情を抱かせるもの、であって
・・・・}。

 書の中で「鬼」の初見えは、出雲國風土記であるが大原郡のところに出てくる。オリジナルに近いところの写しの「鬼」
文字では「ノ」(鬼文字の頭部分のツノがない)。写した人はどう読んだのか。「修訂 出雲国風土記参究」今井書店1957
著者 加藤義成氏(島根県・加茂町出身){一つ目小僧、山爺(やまじじ)、山父(やまちち)、山鬼(えき)のような妖怪のたぐい
としている}。ここでもう一度読み方を考えてみよう。[oo],[ki],[yatagarasu],[kami][oni],[eki]。

 ここで言えることは「鬼」の意味あいが、単に「大江山の鬼」や「吉備の桃太郎の鬼」など、ごく一部を見て、悪者とするのは
間違いである。どちらかというと「東北・なまはげ」など、だい多数は「良い鬼」なのである。また名字に「鬼」文字含む
人は鬼刀禰(おおとね)の末裔と考えられる。仮説ではあるが、製鉄遺跡や前方後円墳の通風孔が北極星の方角という
ことは、その反対側の真南で「ガラスレンズで火を熾した」。

453 :chikara:2016/07/20(水) 23:44:09.81 ID:Lc5y/+jnK
 ネット再投稿(別スレ)

{雨カンムリ龍}(おかみ)の風音。 ―→ 於迦美姫(おかみのむすめ)の風音(娘の声)。 ―→大山積(おおやまつみ)・物部族の社(お堂)兼燈台=夜の
光通信基地。―→大神(おおかみ)=石見大人。―→神(かみ)。

   日本人・天皇家の始祖である、鬼刀禰(おおとね)族が九州北部・天津國・東表国より、益田市の「鎌手」へ上陸。 たたら製鉄で「鎌」を作った人々。
この「鎌」のおかげで、日本の水耕栽培は、九州北部(博多の水耕遺跡は紀元前17世紀)〜青森(水耕遺跡は、紀元前5世紀)徐々にひろがった。現在
の浜田市三隅町岡見の岡見小学校にあった遺跡(大穴・中山鈩跡)が、海がシケル前に吹く風で音が鳴る。娘の声でシケを教えてくれる。おおきな精霊
の声を「神」とした。

   7世紀終わりから1000年浜田市三隅町大字岡見字「青浦」の若狭物部族は大穴と石見の海を支配した。昔は、大山の山頂に神社があった。

 「神」の文字をばらすとわかるように、「ネ」=鬼刀禰。右の「田」に使用する「l」=鎌。つまり、鬼刀禰が鎌を作ったとき生じたおおきな精霊を「神」とした。
「神」という文字をつくったのは、行基、人麻呂、不比等である。

 人麻呂や不比等は鬼刀禰を「八咫烏(やたがらす)」と呼んだ。人麻呂は行基のすいた紙に鬼刀禰と書くのが、めんどうだった。身長が、八尺(145cm
たらず、いつも炭をつくっているから頭・顔・衣・手足の先までカラスのように真っ黒。長(をさ)と家来のやりとりが、かぁーかぁーと聞こえた。三本足というの
は「鬼」文字の足(下)部分。

 八咫烏が熊野〜奈良へ神武を先導したというのは、夜の星座や星の認識があり、北極星の方角へ進めば奈良に到達することを知っていた。

 不比等の正体はスサノヲ、神武、ヤマトタケルと名を使い分けた人。実際に九州北部〜島根〜広島〜岡山〜兵庫、淡路〜熊野〜奈良〜
東海〜関東、群馬〜東北の太平洋側、青森まで。青森〜東海、高山〜和歌山〜奈良〜島根。時代は7世紀終わりの頃。目的は中国地方は植樹と古墳の
文字を消すこと。熊野や高山は、秦の始皇帝の派遣した少年少女の動向を探ること。不比等だけではなく、八咫烏と呼ばれた鬼刀禰の11人と行基と人麻呂
の計14人。遠征地には、神社が必ず、名乗った名で建立されている。

454 :chikara:2016/07/22(金) 10:38:27.27 ID:SwlcdsLwq
 鉄器と青銅器の製造・加工ならびに溶融点

青銅器とは銅と錫(すず)の合金で加工。・・・・青銅剣(刀)など。
 800〜900°Cで製造・加工できる。900度の炉が必要。

鉄器。・・・・鉄剣(刀)、鎌、斧、鍬(くわ)など。
 400〜800度で製造・加工できる。
  砂鉄400度から可能。
  鉄鉱石600度から可能。

銅。・・・・融点は1083度(約1100度)で古代では銅鐸、鏡など。

純鉄。融点は1535度。

鬼刀禰(おおとね)の「たたら製鉄」は九州(天津國東表国=鬼国)で生まれ、@韓半島へ広がり、原料が砂鉄から鉄鉱石に変化した。A西日本から
東日本に徐々に広がった。Aのルート。天津國西中国(にしなかくに)=鬼奴国―→西城川を上り、高梁川を下り吉備へ。播磨、四国、淡路、河内
大和へ。―→東海―→関東(群馬)―→福島。「前方後円墳」やかつて吉備や機内で大古墳を築いた「古代王朝」の軌道と同じ。

455 :chikara:2016/08/08(月) 22:07:00.20 ID:1Pgd52trh
 甲冑(かっちゅう)の開発は陸戦に多大な影響をおよぼした。

7世紀はじめ隋国が滅びたのは、韓半島の高句麗国が強国だった為。

隋の攻撃は、612、614、,618年の三度。青銅剣の隋に対し、高句麗は、鉄剣と甲冑を身にまとい勝利した。

618年 隋は唐に滅ぼされた。

**
邑南町立図書館本館 蔵書
「日韓鉄器文化の特質と交流」 鉄器文化研究会 2001 の中で、P62〜70韓国三韓・三国時代の武器と武具・・・・甲冑(かっちゅう)。
「鉄」 編者 森浩一 社会思想社 1974 の中でP46〜49「甲冑(かっちゅう)」。P61〜65「鉄製武器」でP64の甲冑図。

456 :chikara:2016/08/25(木) 21:20:53.32 ID:NlgO2+wqk
 鬼の出目と「河瀬文庫」は面白い

 鬼の出目は、紀元前17世紀九州。すでに稲作行い鉄器の鎌、斧を使用していた。
彼らは、鬼刀禰(おおとね・[ootone])と名乗り、紀元前15世紀にはメソポタミアの1000年つづいた世界最初の王朝をインド北部よりあらわれ
戦車と鉄剣で倒し忽然と消えた。鉄の製造をヒッタイトへ伝え、メソポタミアには、楔形文字、エジプトには象形文字、ギリシャには天文文化、
を伝えた。

 世界最古の製鉄遺跡が大分県の国東(くにさき)半島存在する。


◎島根県・邑南町立図書館本館 蔵書が面白い。

*河瀬文庫0464「シベリア極東の考古学1著 ア・べ・オクラドニコフ他.訳 岩本義雄 ほか 河出書房新社1975 鉄器時代P306〜316.
*河瀬文庫「シベリア極東の考古学2 著 ア・べ・オクラドニコフ他.訳 萩原眞子ほか 河出書房新社1982
*河瀬文庫「シベリア極東の考古学3 著 ア・べ・オクラドニコフ他.訳 岩本義雄 ほか 河出書房新社1983
*河瀬文庫「海から知る考古学入門――古代人との対話 著 森浩一 角川書店2004
*河瀬文庫0821「巨大古墳の世紀」著 森浩一 岩波書店1981
*河瀬文庫「研究論集Y」奈良国立文化財研究所学報第38冊1980 日本古代の鬼面文鬼瓦 毛利光敏彦P29〜65 東北アジアの
ツングース民族{願い事を形にして屋根の上にあげ魔除けや福を呼ぶまじないとして永く親しみ愛されてきた}。
*河瀬文庫0068「インド考古学の新発見」B.K.ターバル著、 訳 小西正捷(まさとし),小磯学 雄山閣出版1990 この中でダーイマーバード
出土品13銅製の象,14サイ,15水牛,16 2頭の牛に引かれた御者付き車。(戦車)、リンガヴェーラブラ:ハーリーティーの出土品25土偶(鬼子母神)。

457 :chikara:2016/08/27(土) 07:03:46.86 ID:cBXFEFsu6
 「おおやまつみ」考

古代は「鬼山?」。オニ ヤマ キシ(コロモに氏)。

―ー> 「大山?」に変化し。

現在 日本書紀の書き写し間違いから、「大山祇」になってしまった。

458 :chikara:2016/08/28(日) 04:57:18.98 ID:HiTylCyHo
 古事記
 日本書紀
 出雲國風土記

三書のなかの「国造り」や「国引き」は苗木を植えること=「植樹する」。

なぜ? 鬼刀禰(おおとね)の金属器生産過程で国土の木々がなくなっていった。
たたら製鉄は紀元前17世紀より始まった。1ヘクタールの森林を炭に変え、3日で消費し、わずかな「鉄」を手にした。

これが、古墳時代に「鉄」だけでなく、「青銅器、銅生産」も行われようになる。「川本町誌歴史編」

459 :chikara:2016/08/28(日) 06:07:19.78 ID:HiTylCyHo
 7世紀の終わり〜8世紀に人麻呂・スサノヲ(不比等)・行基の3人と八咫烏と呼ばれた11名の鬼刀禰族が「植樹」をはじめた。

 古墳と呼ばれるものは金属生産遺跡&居住空間&最後は長(ヲサ)の墓。近隣の森林はなくなってしまった。

貝殻型古墳は青銅器生産遺跡。円墳は鉄器生産遺跡。方墳は青銅器・銅生産遺跡。前方後円墳は鉄・青銅・銅生産遺跡。

通風孔は北極星の方向。考えることは真反対の南側でガラスレンズで太陽光で火を熾した。

広島県で不比等は「神武」と「スサノヲ」の名を使い分けた。ここから「神武」名で進んだ地は淡路→熊野→奈良。これが記紀の東征。

鬼刀禰(おおとね)は古墳&金属生産遺跡の壁面に書かれていた(だろう)文字を「鉄ノミ」で消してまわった。

スレ454融点のようにたたらの砂鉄から鉄生産400度C〜800度C。青銅器・銅生産900度C〜1100度C。より多くの森林を失うことになった。

東海→関東(群馬では不比等と名乗った)→福島(浜通り・中通り)→青森(太平洋側)までは「スサノヲ」「ヤマトタケル」と名を使い分けた。

飛弾高山(熊野と同じように秦の始皇帝派遣の少年達の動向調査)→大和→出雲へ(不比等は)ヤマトタケルで移動。

460 :chikara:2016/08/30(火) 13:32:34.87 ID:Wk4w7PVoF
日韓の「竹島」問題とあわせウルルン島(鬱陵島)も協議されたい

 この時の新羅というのが(石見・出雲の)国造り・国引きがウルルン島(鬱陵島)の苗木。新羅の都攻めもこの島より(300隻の軍舟)行われた。
海名は「海東」もしくは「東海」かも知れないがこの島は、日本領と確信する。スサノヲ・行基・人麻呂・鬼刀禰族・小野族・和邇族・阿波忌部族・
(群馬・蝦夷)鬼刀禰族の生活(暮らした)跡がある。

*「古代朝鮮」著 井上秀雄 日本放送出版協会1972 この本の年表を見ると、新羅の都攻めを730年としているが、私は704年前後と確信する。
史実としてこの戦いに敗れ、命からがら(潮の流れに乗り)隠岐の島逃げ延びることができた。そして稲刈りの季節で
中津國出雲王朝こと物部族の本拠、大社攻めを実施した。これが「古事記・稲羽の素兎」。そして、「国譲り」とつづく。

 記紀の「アマテラス」は個人としては存在しない。江戸時代の記紀研究家で「古事記傳」を書いた本居宣長の言った「古事記の一人一人実在
する」がくずれた。アマテラスは集団=不比等・人麻呂・行基と八咫烏と呼ばれた11名の鬼刀禰(おおとね)。

461 :chikara:2016/09/03(土) 14:00:27.03 ID:t8LIYJU2z
 「神」の文字と字から読み取る。古代の稲刈りと「鎌」のカタチと作業。

  {雨カンムリ龍}? (?)
(おかみ)の風音。 ―→ 於迦美姫(おかみのむすめ)の風音(娘の声)。 ―→大山祇(おおやまつみ)・物部族の社(お堂)兼燈台=夜の
光通信基地。―→大神(おおかみ)=石見大人。―→神(かみ)。

 上記は「古事記」書の一部分であるが、現在浜田市立岡見小学校の「たたら・中山鈩(いろり)跡」=遺跡。詳細は島根県立図書館(松江
市)蔵書の「中山たたら遺跡 緊急発掘調査報告」三隅町教育委員会1983、地図では「石見部たたら報告書」島根県教育委員会1984に掲載。

「神」の字は行基により8世紀につくられたもの。
象形文字のようなつくりかた。大穴は鬼刀禰(おおとね)族が(鉄器)鎌をつくるのに建設遺跡(構造物)。
「示す」ヘン=「ネ」ヘンは鬼刀禰の構造物。「田」で使う。古代、鎌のカタチは四角(長方形)で木
の柄をつけたもの。稲刈り作業は二人が「田」に対して対角線上にすすめた。つまり鬼刀禰が鎌を
つくるときの大穴が風の吹き込みで娘の声で「日本海の大シケ」を教えてくれる。その「娘の声=
?」=「貴布禰社に祀られるもの」を「神」とよんだ。この大穴から鬼刀禰が去ったあと物部族が
占領した為、近隣住人が物部族を「神」と呼ぶようになった。

462 :chikara:2016/09/04(日) 13:57:56.41 ID:kq2PvCT9/
 スカパーの「時代劇チャンネル」 吉宗評判記・暴れん坊将軍 放送担当者に憤慨している。

 先頃放映分の中で、「石見銀山代官が鉱山の銀塊を横領して江戸に持ち込み、簪(かんざし)を作り大奥へながし、賂
(まいない)金として蓄財。この金で幕府中枢職を狙うものであった。

この映像はテレビ朝日が制作したらしいが、芋殿様や吉宗候を馬鹿にしてないか!!!

再投稿
75 :chikara:2015/02/21(土) 08:44:49.77 ID:2iYPR1Frg
 300年前の日本人。
江戸の人(現在の東京)であるが、60歳で大森代官・石見、備後、備中の三国にある幕府直轄天領の最高責任者。
井戸平左衛門正明(いどへいざいもんまさあきら)1672〜1731。将軍は吉宗で、享保の飢饉に私財や自身の命を引換
に大森銀山領22万の民の救済・支援で一人の餓死者もださなかった。また、甘藷(かんしょ)・サツマイモの普及に
努めた人。中国地方の民の恩人。大田市大森に井戸神社が鎮座する。石見の大田市、江津市、浜田市。備後の
三次市を中心に碑が何十と現存する。筆者は「芋殿様」のおかげで銀山が世界遺産になったと確信する。

*島根県・邑南町立図書館本館蔵書・・・ 「芋殿さんの碑」 川本町歴史研究会1990

463 :天之御名無主:2017/09/30(土) 00:01:34.69 .net
↑おもしろい

464 :天之御名無主:2017/10/23(月) 20:49:38.60 .net
うむ。

465 :天之御名無主:2017/10/23(月) 23:43:52.36 .net
神武天皇

466 :天之御名無主:2017/10/24(火) 09:15:12.28 .net
デイビー・クロケット

467 :天之御名無主:2017/12/18(月) 23:39:46.70 .net
ジークフリード

468 :天之御名無主:2017/12/19(火) 18:42:24.95 .net
足柄山の金太郎

469 :天之御名無主:2017/12/22(金) 13:00:14.18 .net
プレスター・ジョン

470 :天之御名無主:2017/12/23(土) 18:54:42.70 .net
宗江

471 :天之御名無主:2017/12/24(日) 13:09:45.66 .net
ヤマトタケル(日本武尊)

472 :天之御名無主:2018/01/31(水) 08:35:19.94 .net
神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

OZDE0

473 :天之御名無主:2018/07/13(金) 01:21:03.30 .net
いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

O1V

474 :天之御名無主:2018/08/28(火) 20:43:46.27 .net
アッティラ

475 :天之御名無主:2018/09/01(土) 12:29:41.00 .net
>>470
水滸伝の中で宋江は、役人で乱を起こした同名の人物がモデルとの説がある

476 :天之御名無主:2018/09/04(火) 11:28:17.56 .net
三國志の方のメインの豪傑は実在しても伝説化したキャラだな

477 :天之御名無主:2018/09/05(水) 00:51:07.37 .net
昔の英雄の話は、みんな伝説的にアレンジされているのではないか

478 :天之御名無主:2018/09/07(金) 00:44:15.13 .net
>>469
東方からのプレスタージョンだと思うたら、チンギス・ハンやフビライ・ハンの襲来だったという
ヨーロッパ人の悪夢

479 :天之御名無主:2018/09/07(金) 17:37:36.51 .net
キリスト教国側にとって、異教徒により酷いオチが着いたもの

480 :天之御名無主:2018/09/08(土) 05:43:03.98 .net
 イスラム世界の更に東方にキリスト教の国家が存在するとの噂は全くの出鱈目でもなかった
ネストリウス派が東方に布教活動したことで、唐の都長安にはネストリウス派(景教)の教会も建てられ結構な信者がいたらしい
その後中国では景教廃れるが…

481 :天之御名無主:2018/09/08(土) 18:23:03.55 .net
アンタル=イブン=シャッダードの知名度は低いようだな

イスラム圏ではビッグネームの模様

482 :天之御名無主:2018/09/09(日) 05:37:30.11 .net
実在の人物だが、伝説的な賢王サラディン

483 :天之御名無主:2018/09/09(日) 16:24:54.90 .net
ただし少年性愛者である

484 :天之御名無主:2018/09/09(日) 17:36:20.79 .net
坂田金時

485 :天之御名無主:2018/09/09(日) 20:26:19.50 .net
ただし頼光に釣られて酒呑童子一行ジェノサイドに加担

「鎌止め」は由縁の無い事ではないのだろう

486 :天之御名無主:2018/09/10(月) 19:39:54.96 .net
チャック・ノリス
(近年、欧米の青年の間でチャック・ノリスなら…云々のパターン等でjokeになっている)

487 :天之御名無主:2018/09/12(水) 13:05:29.94 .net
チャック・ノリス・ファクトな
wwww

488 :天之御名無主:2018/09/14(金) 11:30:44.97 .net
チャック・ノリスはジョークのジャンルとしても親しまれているが、伝説的カンフースターのブルース・リーはガチで神格化している人らがいるな。
本人は気さくで気の良い面があったらしいが。

489 :天之御名無主:2018/09/14(金) 11:46:14.39 .net
スティーブン・セガールも好きだが神格化まではいかんだろうな

490 :天之御名無主:2018/09/14(金) 15:30:35.49 .net
うむ

491 :天之御名無主:2018/09/17(月) 22:05:28.54 .net
アーサー王なんかも歴史というよりはカナーリ伝説、伝奇的な要素の人物だろう…

492 :天之御名無主:2018/09/19(水) 07:23:10.41 .net
平将門

地方有力者から反逆者、ついには祟り神にして東京の守護神的存在に

493 :天之御名無主:2018/09/20(木) 07:55:05.17 .net
中東の英雄ならサラディンよりバイバルスの方が劇的に思える

奴隷階級から成り上がった隻眼(に見える異貌)のスルタン

494 :天之御名無主:2018/09/20(木) 17:42:48.06 .net
>>475
水滸伝の登場人物では、九紋龍史進のモデルが実在した史斌という人物とされている
彼は宋江と反乱を起こし、その宋江の乱の鎮圧後に再び反乱を起こしたが、宋国側にも同調者が出るほどの人物だったと

495 :天之御名無主:2018/09/21(金) 13:59:36.09 .net
水滸伝のモデルとなった伝説的人物は上記以外にも複数存在するらしい。

496 :天之御名無主:2018/09/22(土) 22:29:16.60 .net
印度に実在した伝説的な女豪傑ラクシュミー・バーイー

497 :天之御名無主:2018/09/22(土) 22:33:22.80 .net
↑王妃だが、あのセポイの反乱のリーダーの一人

498 :天之御名無主:2018/09/24(月) 16:28:12.52 .net
女傑と言えば、ジャンヌ・ダルクもかなり伝説的要素あるだろ

499 :天之御名無主:2018/09/25(火) 06:03:49.11 .net
日本の伝説的女傑として巴御前がある。
生没年は不詳、平安時代末期の信濃国の女武者で武勲を立てたが、最終的に尼になったとか。

500 :天之御名無主:2018/09/25(火) 13:55:48.01 .net
古代中国、伝説上の女兵士の「花木蘭(ファ・ムーラン)異民族のフン族と戦いディズニー映画のネタにもされた

501 :天之御名無主:2018/10/09(火) 19:35:09.14 .net
女豪傑だと水滸伝の一丈青扈三娘などもいる。
伝説だが。
ただ、水滸伝の豪傑には結構モデルとなった実在の人物が存在するという。

502 :天之御名無主:2018/10/10(水) 10:20:35.60 .net
イギリスのダイアナ妃も伝説の妃となるだろうか。
もう様々な関連本や真相ネタとされるものも出され伝説化は始まっているか…

503 :天之御名無主:2018/10/11(木) 12:29:10.71 .net
ネガティブ評価も伴ってるからいいとこ支持層の記憶に残る位では
政治的偉人でもないし…

504 :天之御名無主:2018/10/11(木) 17:48:43.54 .net
今の王族は政治的主役は期待し辛いんだよなぁ
タイの故プミポン国王あたりか

505 :天之御名無主:2019/04/20(土) 21:37:46.10 .net
かなり現実的にケマル−アタチュルク

506 :天之御名無主:2019/04/22(月) 23:02:33.29 .net
ヴァン-ヘルシング

507 :天之御名無主:2019/04/23(火) 14:37:11.29 .net
釈尊も別名 世雄 などと呼ばれる。

508 :天之御名無主:2019/04/29(月) 15:02:51.03 .net
小原庄助

509 :天之御名無主:2019/05/05(日) 08:28:40.66 .net
役小角(えんのおづぬ)

510 :天之御名無主:2019/05/05(日) 08:28:41.40 .net
役小角(えんのおづぬ)

511 :天之御名無主:2019/05/05(日) 16:55:55.60 .net
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青と6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青と6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
 異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
 youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください

【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111

D清水(東京都葛飾区青と6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青と6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青と6−23−20)

512 :天之御名無主:2019/05/05(日) 22:17:28.86 .net
怪傑ハリマオのモデル

513 :天之御名無主:2019/05/08(水) 17:15:53.86 .net
谷豊か。

514 :天之御名無主:2019/05/08(水) 17:15:54.08 .net
谷豊か。

515 :天之御名無主:2019/05/21(火) 00:59:47.02 .net
ホンカイサン

516 :天之御名無主:2019/05/27(月) 05:51:24.31 .net
ホンカイサンは源義経がモデルと高木彬光の小説に出てくる。

517 :天之御名無主:2019/05/31(金) 23:08:15.41 .net
それは判官が語源との説

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