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【国内】韓国ノリに発がん性の疑い 韓国から証拠の危険物が海岸に漂着、撤去に巨額税金[06/12]

1 :ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2014/06/12(木) 18:27:19.06 ID:???.net
(画像:日本海側の海岸に漂着したポリタンク)
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 中国食品の残留農薬や食品添加物が「危ない」と一部メディアを賑わせているが、日本人も日常的に口にする大人気の韓国食品に、
発がん性物質が含まれているとの疑いが急浮上している。韓国の業者が本当は隠したいはずの食品汚染の証拠が、続々と日本に
“上陸”しているのだ。薬品漬けの実態のシッポが見えてはいるのだが、輸入時にすべての食品を検査しているわけではないため、
被害の実態は計り知れない。

 日本海に面するある砂浜を散歩する地元の男性は「もうずっと前からこの調子だ。これでも10年ぐらい前よりは、多少ましになった
感じはする」と呆れた様子だ。海の色は南国のようにエメラルドブルーに映えるが、砂浜はゴミで埋め尽くされている。ほとんどが
中国語や韓国語のラベルがあるペットボトルや廃材、プラスチックなどの生活ゴミ。今春も中国のPM2.5や黄砂が日本に飛来し、
各地で問題になったが、漂着ゴミはかさばるだけに処理も大変そうだ。中には針付きの注射器や点滴といった医療廃棄物、
鋭利なガラスの破片、農薬の空き瓶など危険物も転がっているので、おちおち散歩もできない状態だ。

 ●発がん性の恐れがある過酸化水素、韓国ノリの養殖に使用か?

 そんなゴミ溜めみたいな海岸線の中でも目立つのが、20リットルほどの容量がある青いポリタンク。残っているラベルを読み取ると、
ハングルで「過酸化水素水」「硝酸」「塩酸」などの表記があり、取扱注意のマークや毒物の含有を示すドクロマークが目に入る。
 さらに細かく調べてみると、蔚山や釜山などの海に面した都市にある化学薬品卸企業のシールも確認できる。

 「ポリタンクには中身が入っていることがあり、それが人体に触れるとやけどの危険がある」と語るのは、地元自治体の廃棄物処理担当者。
 そして「たいていが韓国ノリの養殖で、網の消毒用に使われている。有毒なので韓国当局も使用を禁じているはずだが、ご覧のようなありさま。
 私は絶対に韓国ノリを食べないね」と諦観した表情だ。

 中身の薬品が確認できるポリタンクのうち、最も多いのは「過酸化水素水」だという。そもそも食品には、天然由来の過酸化水素が含まれている。
 日本では昔から漂白剤や殺菌剤としてカマボコやちくわなどの練り物に添加されてきた。

 だが、動物実験で発がん性の可能性が指摘されたため、食品安全委員会は1980年から使用基準を「最終食品の完成前に過酸化水素を分解し、
又は除去しなければならない」と定めた。結果、カズノコや分解加工を施したシラス以外での使用は事実上ない。カズノコは一般的には正月など
たまに少量食べる程度のため、過酸化水素が原因でがんになる可能性はほとんどないと思われるが、韓国ノリには過酸化水素が含有されている
疑いが極めて高く、リスクを無視できないと、日本海側の廃棄物処理関係者の間で話題になっている。

 前出の自治体担当者は「他の自治体で、ポリタンクそのものにノリ養殖業者の名称が書かれていたことがあった。ノリの養殖イカダが丸ごと
流されてきたこともある。イカダには過酸化水素のポリタンクが山積みになっていて、調査した結果、釜山のノリ養殖業者が出元だったと判明した」
と明かす。(>>2以降へ続く)

Business Journal 2014.06.12
http://biz-journal.jp/2014/06/post_5102.html

405 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2014/06/17(火) 21:57:36.50 ID:Y+nrp2PDr
昭和35年2月 外務省発表集 第10号(抜粋)

記事資料 昭和34年7月11日

(三) アジア・豪州関係
1 在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について

記事資料 昭和34年7月11日

一、 第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、
日本政府が強制的に労働 させるためにつれてきたものである というような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、
右は事実に反する。実情は次のとお りである。

1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達してい た。
そし て、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加による ものであり、
残りの30万人の大部 分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、
国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少数部 である。
しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支 払われている。

元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、
日本内地で はすでに1939年7月 に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮か ら内地へ送り出される労務者について実施され た。
かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3 月
(1945年3月以後は関釜間の通常運航が壮絶したためその導入は 事実上困難となつた)までの短期間であつた。

406 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2014/06/17(火) 21:58:54.39 ID:Y+nrp2PDr
>>405
二、 終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、
約90万人、個別的引揚 げで約50万人 合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が 与えられた。

(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を 調査し、
その結果、 帰還希望者約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、 残余のものは自ら日本に残る途をえらんだ。

(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人 が申し込んだが、
実際に北朝鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。

(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、
1958年末までに数千 人が南鮮へ引揚げた。北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、
便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思わ れる。

こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつ た。
戦時中に渡来した労 務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数で ある。

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