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【竹島】島根県竹島問題研究会が隠岐諸島・知夫村で聞き取り調査 「戦前、鬱陵島での生活の実態」[08/26]

112 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2014/09/15(月) 15:21:24.51 ID:AJk+1R0t.net
●内藤教授の見解
 内藤教授が池内教授、半月城教授とともに、独島問題を日本側代表としてコメント
 内藤教授GJ!

この文書によると安龍福は日本の役人たちの前に朝鮮八道地図を取り出して見せて、江原
道に鬱陵島と独島が属したことを知らせた。当時日本は鬱陵島を竹島、独島を松島と呼ん
でいた。

内藤正中島根大学名誉教授
「最も一番重要なのは安龍福が提示した朝鮮八道地図という文書です。そこを見れば江原
道に鬱陵島と独島が入っていることがはっきりと記載されています。すなわち安龍福は二
つの島に対する認識を持っており、これを幕府代官の幹部に記録するようにしたのは非常
に大きい意味があるので、一言で安龍福は独島問題を解決する上で画期的な意味がありま
す。」

内藤正中教授
「1696年の事態の結果、幕府は鬱陵島は日本の領土ではないとしながらはっきりと朝鮮
に返すと言いました。これが最初の主張です。二番目は 1877年、明治 10年、島根県が
申請した竹島外一島に対して日本政府の太政官が本邦(日本)は関係がないという決断を
下しました。この二つが決定的な根拠です。」

内藤正中教授
「持ち主のない土地ならば日本政府が主張する固有領土論は成立することができません。
そんな決断を下してもこれを国内外に公表する行為はほとんどないまま、ただ地方紙に記
事が掲載される程度に止めました。当時韓国は統監府の支配下でそれに対する異議があっ
ても抗議ができる状況ではなかったのです。」

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