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【グルメ】知られざる「焼肉」歴史 客自身が網の上で焼くスタイルは戦後に定着[3/14]

1 :ねこ名無し ★@\(^o^)/:2017/03/14(火) 09:31:22.62 ID:CAP_USER.net
 躍進である。その数およそ2万軒。国内の焼肉店は、政府統計で「洋食」カテゴリーだったのが、2013年からは単一の業種として扱われるようになった。事業所数でも、ハンバーガー店の約3倍となっている。

 この数年の“肉ブーム”で焼肉人気もさらに加速した印象だが、現在のような客自身が網の上で焼くスタイルが定着したのは戦後のことだ。

 とはいえ、それ以前から日本に肉を焼いて食べる習慣がなかったわけではない。

 関西風のすき焼きもある種の「焼肉」ではあるし、もっと言えば中山間(ちゅうさんかん)地域など、特定の地域では肉を焼いて食べる習慣はあった。

 さらに言えば、昭和初期、戦前の時点で朝鮮式の焼肉料理も日本に入ってきていた。『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(澁川祐子著、新潮文庫)では次のように書かれている。

 1933(昭和8)年3月25日付の東京朝日新聞で「趣味の朝鮮料理 風変わりな牛肉料理」として「焼肉と心臓」というメニューのレシピを紹介。「長ネギ、砂糖、醤油、胡麻油、ゴマ」といった味つけや食べ方も焼肉そのものだった。

 当時、朝鮮半島からの移住者によって「カルビ焼きやすき焼き風のプルコギなど」が伝えられたという説の記述もある。もっとも現代様式の「焼肉」の「定着」となると戦後という見方が衆目の一致するところ。

 46(昭和21)年にオープンした東京・新宿の「明月館」など、現代の「焼肉」に続く様式の店舗が続々と立ち上げられたのは、戦後のことだった。

 そして混乱期を抜けて、物流がよくなるとメニューの質も一足飛びによくなっていく。モランボン研究所の所長などを歴任した理学博士の鄭大聲氏は著書で真っ先にユッケやレバ刺しといった肉の生食メニューを取り上げ、絶賛している。現代のコンテンツなら炎上してもおかしくない。

 さらにロースを指して「人気抜群のメニュー」としながら、「今はタン塩にその座を奪われ」と言いつつ、カルビを挙げて「人気ではロースに勝るとも劣らない」と持ち上げる。

 戦前から数えて約100年、戦後からでも約70年の間、この国の「焼肉」の看板は何度もかけかえられている。

 翻って言えば、われわれの焼肉文化には、まだまだ発展する余地が残されているということなのかもしれない。

 ■松浦達也(まつうら・たつや) 編集者/ライター。レシピから外食まで肉事情に詳しく、専門誌での執筆やテレビなどで活躍。「大人の肉ドリル」に続く新著「新しい卵ドリル」が好評発売中。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170314/dms1703140830001-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170314/dms1703140830001-n2.htm

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/images/20170314/dms1703140830001-p1.jpg
焼肉のバリエーションはグンと増えた。肉厚の牛タンは絶品だ

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