2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【話題】近代の日本はなぜ「植民地」になることなく、列強となったのか=中国 [12/4] [昆虫図鑑★]

828 ::2020/12/05(土) 00:20:54.05 ID:Swko7j2l.net
>>814
黒船で来たペリーはシーボルトの著作に書いてある日本地図が、自分たちの実測とあまりにも正確で、
日本人をアジアの蛮族程度に考えていたことを見直し、攻撃ではなく外交で接触することに作戦変更
米国は8年後には米国は南北戦争に突入しており、植民地とするよりも日本を交易地にしたほうが都合がよかった
ロシアはクリミア戦争で衰退中で、交易地として日本を見ており、植民地化するほどの注視をしていなかった
スペインやポルトガルは幕末時にもはや大国ではない
英国は、同時期に長州と薩摩と戦争を降伏させるも、租借地を了承せず「賠償金は将軍から取れ」と交渉される
幕府が政権返上し借金と賠償金は新政府が真面目に返し始めて、植民地化するきっかけを失う
薩英戦争・下関砲撃事件を通じた交渉で英国は両藩が外国との通商を強く望んでいることを知り、新政府樹立の
政治路線に影響を与えることとなった
フランスは幕府に加担し軍事顧問団を入れて幕府の兵の西洋化を促し、将軍に北海道を担保にした借金を
させることに成功し函館戦争まで軍事顧問団を連れていき北海道を奪い取ろうとするも、新政府は英国に
借金する形で、フランスに返済してしまう
ときには本国の意向を無視して将軍権力の絶対主義路線を支援し自国の政治的有利を確立しようとした駐日フランス公使ロッシュと
表面上は中立を保ちながらも、薩摩藩・長州藩と接近し、高杉晋作と会談したり鹿児島や土佐を訪問するなどして幕府以外からの
情報収集に務めた駐日英国公使パークスの二人の外交官が交渉を通じて得た日本への理解が植民地化を防いだともいえる
ロッシュのフランス本国の意向を無視し日本びいきで幕府への極度の肩入れや、パークスの内政不干渉主義などを導いた
当時の日本の対応が複雑な国際事情を上手に渡り歩いたといえる

総レス数 1008
300 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★