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マルティン・ハイデガー

1 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 05:25:21.13 0.net
ないので立てました
過去スレがあったら適当に貼ってくれ

2 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 10:57:49.92 0.net
 

3 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 10:58:18.73 0.net
 

4 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 10:58:45.63 0.net
 

5 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 13:06:30.06 0.net
ハイデガ−の「存在」は、「時間」を“基底”としているが、「時間」概念を導入した論理展開は、
発生的現象学の分野に入る。だから、フッサ−ルとの対比の中で、ハイデガ−の哲学理論(解釈学的現象学)を
論究する時は、フッサ−ル前期の静態的現象学(純粋現象学)の時間概念を導入しない現象学論理との根本的違いを
理解しながら進める必要がある。

6 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 15:07:52.91 0.net
反ユダヤ主義ナチス哲学者

7 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 17:19:20.07 0.net
渡辺二郎万歳。
俺、昨日、
池上鎌三の哲学概論、
ゲットしたぜ。

8 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 18:00:01.26 0.net
さみしい時代だ、、、
鎌三はともかく、
二郎にも反応なしか。
一ノ瀬も嘆くかもな。
一堂零、冷越号?だ。

9 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 18:54:23.72 0.net
【例】

 波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
             ↓
  波平、ガダマーが分からない
             ↓
 瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
             ↓
 で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
             ↓
 瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる
             ↓
 また、「存在了解」が分からない波平
             ↓
 瞬時に『存在了解とは何か?』を立てる
             ↓
           無限に続く

10 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 20:16:19.78 0.net
糞スレ毎日立てる>1はやっぱ精神病なの?

11 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 20:51:15.14 ID:Br5BfrpMg
そもそも、存在と時間というタイトルが変だ。
存在というのは神のこと。時間など関係ない。
タイトルをつけるなら現存在と時間だろう。

12 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 21:38:01.58 0.net
KMN訳以外はクソ

13 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 21:46:07.42 0.net
うむ。ハイデッゲルのきもいところを、
しっかり抽出していそうだからな。

14 :考える名無しさん:2014/08/28(木) 21:50:34.23 0.net


15 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 07:37:24.98 0.net
 すでにハイデッガーのスレはありましたよ。まだレスも100届いてません。
立てる前に既に立ってないか、200以下のところに落ちてないかよく見てみ
ましょう。

Martin Heidegger 1889-1976

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/

16 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 07:55:18.35 0.net
 ここもセンスのある書き込みはないね。字面だけ読んで精一杯な人だけ。
ハイデッガーとは関係なさそうな人たちだ。

17 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 11:18:14.43 0.net
>>15
あったのか
このスレは落として
しかしアルファベットでスレ立てとはアホだね
それじゃ誰も見つけらんねえよ

18 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 17:37:58.80 0.net
 人名アルファベットくらい普通に読むのがここの住人だと思ったけどね。
アルファベットじゃ分からんとは高校生くらいでしょ(笑)

19 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 18:05:23.72 0.net
向こうは見つけ辛くて過疎ってるからこっちを本スレにしよう

20 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 18:06:23.97 0.net
>>18
読むのは誰でも読める
ただ検索はしないでしょ

21 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 18:10:38.73 0.net
了解

前スレ
Martin Heidegger 1889-1976
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/

22 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 18:19:44.29 0.net
 どっちのスレでも読みこなせないヤツばっかなのは同じでしょうに。

 「ETV 哲学を読もう」的な会話がせいぜい。よく分からんという人に講師が
通説を伝授。そこに「それは通説ではない」という反論。ここまでできれば
まだいいくらい。ほとんどがもっと低次元の会話に終始すると思われる。

 横文字タイトルの方が好きだなあ。 
理由1 横文字の方が見栄えが良い。
理由2 あのスレの方が年表つきで扉が凝ってる。

 しかしこっちの方がとっつきやすいといえばとっつきやすいんだろうから
こだわる気はないがね。

23 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 19:20:02.65 0.net
むしろハイデガーは積極的に忘れるべき
ナチス哲学者だよ?

24 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 19:36:56.03 0.net
なんだよ「ナチス哲学者」ってw

25 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:21:04.32 0.net
「むしろハイデガーは積極的に忘れるべき」と言う人が「ハイデガー」を
どれくらい理解しているか。そこから問題になる。ハイデガーの生涯・
思想。全部読解が難しいわけで。「忘れるべき」と言う人は「ナチス
協力の哲学者」という1件だけで書いてる人だろう。

 その手の貧困はたえずこの人に付きまとう。「シュピーゲル対談」
読むと、その辺は全部説明されてるので、それさえも>>23は読んでない
ことが分かるわけだが。

26 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:27:44.00 0.net
だから読まんでいいってことだよ

27 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:28:14.31 0.net
田舎出の田吾作が上京し哲学を学んでかわいいガール=他なるものをゲット
ハイデッガーはナンパ哲学の教祖では無いか?
差異と隔たりからことばを紡ぎ出すネットナンパとは現代の倫理ナリ!(すっとぼけ)

28 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:30:44.94 0.net
ナチスに協力したというのは単なる時流の読み間違いじゃないでしょ
ナチスは当時から異常な反民主的暴力集団だと思われていた
そういうのを支持したというのは単なる一時的な間違いではないはずだよ

29 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:44:02.05 0.net
 ナチスが文明に対するアンチの傾向を持っていたこと。ハイデッガー
自身がやはりアンチだったこと。そこで上手くやれば自分の考えていた
思想を注入することができると思ったこと。しかし大学をも牛耳ろう
とするナチスにたいし、譲歩せざるをえない局面もでてきたこと。譲歩
してしまうことで後年弾劾されてしまう事実も起こってしまう。そう
までして大學体制を政治から守ろうとはしたものの、結局はナチと
その系統から白眼視されて総長辞職となった。

 ハイデッガーのナチ協力は以上の面から語り得る。ハイデッガーは
大学側から「ナチと対等に渡り合えるのは貴方しか居ない」と言われ
当初断ったが引き受けてしまう。そこからがあの場面になった。

 そういうことは「シュピーゲル対談」ですべて語られている。ここで
色々言ってるのは無知と偏見で固まった輩でしかない。なので本来は
まともに相手する価値はない輩である。ハイデッガーをネタにするに
はナチ加担の歴史しかない。あとは現象学・神秘主義・曖昧化を
指摘し、終わらせる。これがいつものパターンなので今度もそうなる
ことが予想される。

 既に内容が予想されるスレッドもまあ珍しいが(笑)実際その通りに
なていくだろう。

30 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:55:55.45 0.net
いやマルクス主義に対する憎しみからナチスに協力したんだろう
ドイツ赤化を防ぐためにナチスを支持した
これが事実だろう

31 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:57:02.61 0.net
そんなことどうでもよくないか
別にロリコンで悪魔崇拝者でオカマ言葉で話してたって学問には一切関係ない
大事なのは著作の中身だろ

32 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:59:07.26 0.net
だれがナチスの背後にいるのか当時から知ってたんだろ

33 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 23:03:25.65 0.net
ツェランもハイデガーから真実を知らされて、絶望して身投げしたのかもね
世の中いろいろあるから他殺であったとしても驚かないけど
ベンヤミンの自殺だって真相は不明だし、ツヴァイクの自殺も謎だらけだしな

34 :考える名無しさん:2014/08/31(日) 23:37:30.36 0.net
>>31
> 大事なのは著作の中身だろ
その中身を読み解く手がかりになるかもしれないから
どうでもいいとは言い切れない

35 :Wegmarken:2014/09/01(月) 02:54:14.15 0.net
1889年9月 標高600mの小さくてきれいな町ドイツのメスキルヒで生まれた 。
1911年 フライブルク大学で神学から哲学に専攻を変更。
1919年 フライブルク大学でフッサールの助手となり教壇に立つ。
1920年 フッサール邸にてカール・ヤスパースと出会う。以後ナチ加担による中断を
はさみながら戦前は互いに往来し戦後は往来はないものの1963年まで文通は続いた。 
1924年 学生ハンナ・アーレントと既婚のハイデガーの愛人関係が始まる 。
1927年 『存在と時間(有と時)』前半部が「現象学年報」第8巻に掲載。同時に別刷刊行。
なお「前半部」の前置きは1953年第7版以後は削除された。
1933年 フライブルク大学総長となる。
1933年 ナチに入党 。
1934年 ハイデガーの進めたナチ化改革により学内が混乱し総長を辞任。
1938年 『哲学への寄与』(刊行は没後)
1946年 ハイデッガー裁判の結果、大学の職務と講義の停止命令が下された。『「ヒューマニズム」に関する書簡』
1951年 名誉教授として大学に復帰。
1959年 『放下』
1961年 『ニーチェ』上下2巻
1962年 『技術と転回』
1975年 ドイツでハイデガー全集刊行開始。第1回配本は第24巻『現象学の根本諸問題』
1976年5月 フライブルクにて逝去 。

36 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 09:39:35.22 0.net
 年表が出たけど、最も詳細なものは講談社『人類の知的遺産75 ハイデッガー
』(1984年10月初版)所収の茅野良男作成のものだと思う。ハイデッガーの思想
全般−初期から中期・後期−についてもよく書いてある。絶版だが古書店
でもときどき見かけるしamazonでも500円から出ている。

 茅野の年表ではハイデッガーの生涯の不明な点がよく調べられている。
 たとえば1933年にハイデッガーはナチス入党をしているが、このとき
の経緯も

《総長職受諾最初の週に、ナチス党の地区群指導者ケルパーが二人の指導者
をともなって総長室を訪れ、バーデン州文教長官ヴァッカーの意向として
入党を促す。》

《かなり熟慮したあとで、総長職在任中及びそれ以降、党のいかなる職務
にも就任せずまた党のための活動もしなという明確な条件付きで、大学の利
害のために入党を言明する》

 と書かれており、どういう経緯での入党だったか分かる。

37 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 11:35:41.40 0.net
>>36
茅野氏の年表が詳しいのは同意だけどナチス加担関連については
その本の出版後出てきたファリアスやオットの研究は反映されていない

38 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 11:49:48.59 0.net
ハイデガーの存在忘却

39 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 12:44:34.90 0.net
 世界や人間を滅ぼしたい欲望や衝動や衝動的実行について
はもともとそういう欲求は初源の否定性や暴力としてあるのだから、
その欲求自体に否定も肯定もできないししても無駄なことだ。

 ハイデッガーのそういう考えがあるであろうことは『哲学への寄与』
から透けて見える。ナチにかぎらず殺傷や暴力を肯定しうるとしたら
そこだったろうし、世の所謂哲学研究者や学生がついていけないし
ハイデッガーにそういうものがあることさえ読もうとしないのは
学者の限界であるし、ハイデッガーにおける暗さにいつまで
も手が届かないことはそこから来ている。

 人間のなかの初源の否定性の激烈さへの眼差しは中期から後期に
かけてsein→seynへの変換としてある。むしろそこからすると
ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしか
なかった。ナチスとハイデッガーの最大の隔たりは実はそこにある。

 これまでのハイデッガー関連項目にはそういうところがなぜか
出てこなかったがもういいかげん本音を吐いてもいい頃だろう。
ハイデッガーの考える人間には自己破壊や殺傷やら当人にさえ訳の
わからない暗い衝動が渦巻いている。「あれは比喩」「あれは文学」
とかで誤魔化すべきではない。

 ハイデッガーは全然健全でもないし不健康。ナチスなどよりも
はるかに人間観は不健康で、俺などはそこが魅力だが(笑)研究者は
ハイデッガーの悪事をナチス加担だけにし、「思想は素晴らしい」
にしようとする。違う、思想が暗いんだよ(笑)

 と言っても少し齧っただけの方や他人の評価しか知らない方には
チンプンカンプンでしょうが。ここに書いたのは本当だぜ、

40 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 13:53:24.68 0.net
思想と哲学は別だし、哲学に関してはハイデガー個人に属するものでもない。
存在者と存在の区別とかは、「神の実在の証明」の問題から出てきているもので、
それに対するハイデガーの答えも、ハイデガー独自のものではない。
現存在と他の存在者の区別に関しても、用語法を除けば、ハイデガー独自の
ものではない。そうした基本的な概念にまつわるハイデガーの思想が
ハイデガーに特有のものとは言えるだろうが、だからといって、ハイデガー
個人に属さない哲学まで捨てろというのは、風呂の水と一緒に赤ん坊も
捨てろと言ってるようなもの。

41 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:01:11.77 0.net
その哲学者個人を肯定的に評価しようと、否定的に評価しようと、属人哲学は哲学ではないんだよ。

42 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:07:16.92 0.net
ニーチェ的には属人哲学以外はない

43 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:10:26.76 0.net
そう思うなら、哲学書なんて読まないで偉人伝でも読んでいればよろしい。

44 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:13:12.21 0.net
そういうわけにもいかんだろ
今は哲学の話題なわけだし
哲学と人間を切り離すことはできない
哲学とはそういうものなんだよ

45 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:31:38.27 0.net
数学と数学者、物理と物理学者、曲と作曲家を切り離すことが
できるように、哲学と哲学者を切り離すことも簡単にできる。
モーツァルトやガロワが糞ガキだったとして、それで
モーツァルトの曲や群論に対するお前の評価は変わるのか。
アインシュタインが自分の息子を精神病院に閉じ込めて
捨てたからといって、相対性理論の評価が変わるのか?

46 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:46:31.96 0.net
> 相対性理論の評価が変わるのか?

ん?ハイデガーのナチス加担の事実をもってハイデガーの思想の評価が変わると言っている人がいるのか?

47 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 19:10:59.96 0.net
>>45
そこが哲学の特殊性
哲学はいかに生きるべきかと関わる
哲学の原因はその人の感情や性格であって、哲学の結果は行動にあらわれる
思想はその人自身と不可分なのだ

48 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 19:44:13.28 0.net
人生哲学を語るスレに変わりました。

49 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:36:21.06 0.net
>>48
あほやなあ
哲学のことを何もわかっていない
才能がないからやめてしまえ

50 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:40:51.09 0.net
才能がない人間でも踏ん切りがつかず続けてしまう
それが哲学徒の哀しさ
根本的に頭が悪いので間違いしか蓄積されない

51 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:50:56.01 0.net
>>48
的外れな皮肉ほど恥ずかしいものはない

52 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:52:37.09 0.net
まったくだ
哲学を理解していない
恥ずかしいやつだ

53 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 22:55:44.79 0.net
恥ずかしいとはどういうことか哲学的に記述してもらえますか?

54 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 23:01:13.35 0.net
> 恥ずかしいとはどういうことか哲学的に記述してもらえますか?

その役目は>>48が適任だな

55 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 23:04:40.29 0.net
いや、無理でしょう恥知らずですから。
恥を知っていると自負する>>52>>52が適任です。

56 :考える名無しさん:2014/09/01(月) 23:16:48.24 0.net
まあそう慌てなくてよい
>>48が今の心境をそのまま記述すればよいのだからそれを待ちましょう

57 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 02:05:41.39 0.net
≫もともとそういう欲求は初源の否定性

初源の否定性というのは、ハイデガー的には、
Unmittelbarkeit(直接性、文字通りなら無媒介性)の
接頭辞、unの表すものじゃないか。
ヘーゲルのいう直接性がその実は既にはらんでいる否定性、
たとえば、ドゥルーズ風に言えばこれは、根源的差異、みたいなものだ。
38さんは、ちょっとバタイユなどの思想に近く解釈しすぎじゃなかろうか。

58 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 03:06:34.93 0.net
>>57
 この世に生誕すること自体で孕まれる自他への否定性。生誕すること
自体、否という間もなく‘させられる’ものである。否という間もなく
母胎から離されてしまう。最初の衝撃はそれなんで。そこに初源の否定
性が刻印されて何ら不思議はない。

 貴方の言うように無媒介なものかもしれない。何らかの契機によって
人格の変幻が起こったりするその根底に初源の否定性が想定できる。
ハイデッガーは人間のそういう暗部をよく洞察していたと俺は思って
いる。『哲学への寄与』を辿るかぎり、そこは読みこめるところだと
思う。

 ハイデッガーを読む場合に外してはならないのは、あの思索には
人間に元からあるもの、自然とか何か、歴史とは何か、歴史として
刻印されるものとは何かという視線が絶えずあることだ。彼は哲学史
家だという評価で哲学史との関連でのみ捉えるならこぼれおちてしま
うものがある。「人間とは何者か」の答えはまだ出ていない。
「ヒューマニズム書簡」の主題だが、「人間とは何者か」を覆蔵され
る歴史から捉えるのが彼の方法。たえず他の哲学者との比較で論じなけ
れば済まないような批評はそこからだけしか見れないなら不毛だよ。

59 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 03:26:13.82 0.net
ハイデガー哲学が、ひじょうに暗いムードがある、というのはたしかにそうだと思うが、
それは文学的な読みだろうな。
私としては、そういう文学的な読みのほうが、真に迫っていると言いたいが、
狭い意味での哲学として読む人は、ふつうは、そこまでムードを感受しないから、
あんまり伝わらないのじゃないか。。

60 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 03:41:06.66 0.net
≫ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしかなかった。

あと、これは正確だね。
しかも、ナチじゃなく、ニーチェ批判についてのほうがよりあてはまる。
ニーチェは、普通に読むと、強い、美しい、はやい、優れている、
などという言葉から、近代的な含意を除ききれなかった、
という感じがあるからな。

61 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 06:34:18.39 0.net
根本的な誤解をしているよ。現存在が人なのであって、人間が現存在なのではない。
ハイデガーがあれほど強調していた、哲学では基本の基本である哲学と実証科学
の区別を無視すれば、すべてを読み誤る。

62 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 06:42:02.55 0.net
>ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしかなかった。

ナチスに対してまったく異なる立場だったハンナ・アーレント、
シュテファン・ツヴァイク、ヴィリー・ミュンツェンベルクのどれを
読んでも、そんな単純化された結論は出てこないと思うぞ。
そんなことは、街宣右翼をどんな連中がやっているかを見ても簡単に
分るだろう。具体的に誰が、何をどう動かしているのか見なければ、
単純に表面的なプロパガンダに誘導されるだけだ。

63 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 06:54:05.74 0.net
具体的な一つ一つの事実関係の真偽のほどはしらないが、徹底的に事実解明されるべきだと思うね

>ナチスとシオニストの協力関係
>第1章 ドイツ・シオニスト連合とアイヒマン
>第2章 シオニスト=ナチ通商協定(ハーヴァラ協定)
>第3章 ナチスはユダヤ人内部の違いを見分けていた
>第4章 ルドルフ・カストナー事件
>第5章 正統派ユダヤ教徒たちによる告発
>第6章 同胞を裏切ったシオニスト・ユダヤ人
>第7章 シオニスト組織の最高幹部たちの衝撃的な発言
>第8章 同胞ユダヤ人を“神に捧げる犠牲”にして建国されたイスラエル共和国
>第9章 第2のホロコーストは起きるか?
>第10章 シオニストにとって「同化主義」が最大の敵

64 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 06:59:12.65 0.net
シオニストだったハンナ・アーレントが、ナチス協力者のハイデガーの
愛人で、その後、シオニスト・シンパの共産主義者で米国諜報機関の
ために働いた反共工作員を二番目の夫にして一緒に活動していたこと
からも、世界はそんな簡単に割り切れるものではないことが分る。

65 :考える名無しさん:2014/09/02(火) 09:43:48.55 0.net
そうですね。
アレントの博論は、
ヤスペルスには、
かなり辛い点つけられてたみたいだし。

66 :考える名無しさん:2014/09/03(水) 09:50:45.68 0.net
哲学も自然科学も、2000年以上の歴史を持っている。
自然科学は、それまでの研究の積み上げを前提にして新しい研究が進むが、哲学はすぐにスタートラインに戻ってしまう。
それは、哲学が人間の思考や社会の在り方を研究するという、研究する人自身がその中にいて、自身も研究対象も双方が揺らいでいる学問だからだ。
ハイデガーがナチスの一員であったことは、当然自身の哲学に大きな影響があったといえるし、逆に言えばハイデガーの哲学はナチスと親和的だということにもなる。

67 :考える名無しさん:2014/09/03(水) 16:34:05.83 0.net
熊野訳と高田訳てどちらがいいの?

68 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 14:21:10.83 0.net
高田訳

69 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 20:42:56.27 0.net
熊野訳もいい。甲乙付け難い。

70 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 20:49:59.53 0.net
文庫でちまちま4冊買うのは面倒臭い
単行本の高田訳がいい

71 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 21:06:51.98 0.net
社会の在り方ねぇ
すごく壮大なようで非常に矮小なものだと思わないのか?
なんで人間の社会は宇宙の真理と密接であるような扱いをするのに
内容としてはほぼ同様であるアリの生態学には目を向けないんだ?
人間が特別だからなのか?

72 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 21:19:43.24 0.net
>>71
>>66への感想なら、論点が違うよ。

人間の思考や社会の在り方を研究する、というところじゃなくて、研究する人自身がその中にいて、自身も研究対象も双方が揺らいでいる、というところが論点なんだ。

73 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 23:43:01.04 0.net
>哲学が人間の思考や社会の在り方を研究する
この一文は誤解や記述のミス、不要な部分ということ?

74 :考える名無しさん:2014/09/05(金) 23:54:18.86 0.net
いや、たぶん「例示」だろうな

75 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 06:54:14.70 0.net
>>47
>哲学の原因はその人の感情や性格
なんだとしたら、哲学なんて誰にでもできるわな。

76 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 10:39:15.53 0.net
>>73
誤解でも記述のミスでもない、重要な部分だけど、論点じゃないよ。
論点が導かれる前提だよ。

77 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 11:45:52.03 0.net
社会の在り方を研究しないだろ
それは社会学の領域
哲学とは無関係だ

78 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 12:25:07.32 0.net
いやするだろ
つーか社会学って「社会の在り方」とか研究する学問なのか?
「在り方」ってどういう意味だか分かってんのか?

79 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 12:33:07.81 0.net
社会の在り方を研究するのは文化人類学だな。

80 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 13:44:37.00 0.net
政治学だろ

81 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 13:46:40.35 0.net
とにかく哲学とは形而上学であって社会などという俗世を研究するものではないのは確かだ

82 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 14:03:15.30 0.net
社会哲学なんて分野もあるからいずれにせよ
> 哲学とは無関係だ
これは間違いだな

83 :考える名無しさん:2014/09/06(土) 14:10:09.30 0.net
>>81
「社会の在り方」ならそれは形而上的なものとなると思うがな
「社会」そのものを研究するのとはまた別の話だ

84 :考える名無しさん:2014/09/07(日) 14:44:07.93 0.net
なんかさぁ、◯◯についての学問だ→いや違うの繰り返しだよな
悪い意味で哲学の本質なんだと思う
最終的には「金を得るために意味不明なことを言ってるだけ」でなおかつ「頭いいって尊敬もされたい」って欲望が生み出した
悲しき現代の宗教だと思うよ

85 :考える名無しさん:2014/09/07(日) 18:17:25.60 0.net
 ハイデッガー・フォーラム9/20〜21に東洋大学白山校舎であるらしいね・
「統一テーマ 可能性としての現象学」「特集 フッサール」らしい。
つまらなそうだから行かないけどね。いつまで同じことやってんの?が
正直な感想。2014年にハイデッガー語るなら『哲学への寄与』以外にはない
でしょ。相変わらず「ナチス加担だけがハイデッガーの悪事。思想は
素晴らしい」でまとめる習慣。もうそういう場所からは早く退散することだ。
ハイデッガーは学者の自慰の道具じゃない。

86 :考える名無しさん:2014/09/07(日) 22:57:45.35 0.net
>>85
もちろん、自慰の道具じゃない。
生活の糧だ。

87 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 11:01:30.06 0.net
『存在と時間』はシコれる本だな
オカズとしていい出来だ
そこらのグラビアアイドルの写真よりよほど抜ける

88 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 12:29:10.67 0.net
>>87
す、すげえ。

そこまで飢えてるやつは始めて見た。

89 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 12:58:28.90 0.net
哲学書を読むなんてマス掻くのと同じだという喩えだ
哲学するとは思考することに意味がある
読書は他人の思考の足跡をなぞる行為に過ぎない
このスレにしたって表向きはハイデガーのスレだがレスそのものは全然ハイデガー的ではない
デリダのスレも全然デリダ的ではない
“モノ”に出来てないってことだ

90 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 13:09:15.05 0.net
>>89
なんだ、たとえか。
下品なやつだな。

じゃあ、一応コメントしとくと、自慰行為というのは肉体に根拠を持つ自然の変態系。
読書は、社会的な自己、つまり共同性の中の自己のその共同性に対する関係の確認行為。

ハイデガーの共同性の中での位置とハイデガーのたどった勉学の経緯を理解できる範囲で、読者はハイデガーを理解できる。
モノにするというのは、そういうこと。

91 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 17:06:07.26 0.net
>>90
おっ、ちょっとはハイデガーぽいじゃん
思うんだがデリダを論じるならデリダ的な文体で書くべきじゃないか?
東の郵便本は論じている対称と論じている文体が解離し過ぎていて何だかなあと思ってしまう
浅田の構造と力もそうだが
彼らにはフランス人のように書くのは無理なのか?
かといって外国人的に書こうとすると初期の丹生谷みたいになるだけだしな

92 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 18:38:07.12 0.net
ハイデガーでもデリダでも、日本人が文体まで模倣すると悲惨になるという印象しかない。
あれは一種文学の世界だから、シェイクスピア研究の論文がシェイクスピアの文体を真似するようなもん。

93 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 18:50:27.00 0.net
そう
ラカンにしてもデリダにしてもドゥルーズにしても文学的な文体なんだよ
日本の思想家は柄谷にしても総じて電化製品か何かの説明書みたいな文体だ
そういうことに意識的である程度成功=文体の外国文学化してるのは蓮實くらいか

94 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 18:55:02.69 0.net
>>93
成功かどうかは別にして、蓮実の文体って、1行で済む話を3ページぐらいに引っ張るね。

人気のフランス哲学は、メルロ=ポンティ以外みんなそんな印象がある。

95 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 22:20:29.68 0.net
「◯◯は、しかし、××だと考える。」

こういうのってあっちの言葉の構文をとくに考えず真似してるだけで
不自然にも程がある日本語だよな,

96 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 22:42:27.82 0.net
 また無意味なことを言う(笑)あらゆる言われる言語は個人の想念を孕む、という
意味ならばあらゆる思想は個人の想念を孕むし個人の体験から導出される、と
言う意味なら文学とも言える。

 しかしそれらが素晴らしいのは決して書き手本人にのみ妥当する世界が
描かれる訳ではないという一点にある。「あれは文学」という人はあれらが
書き手にのみ妥当する訳ではない。普遍性を狙って書かれており、またそれを
獲得もする、という一点を逃している。生半可な感想だよ。大学生とかが
仲間内で盛り上がりそうな話だな(笑)さほどたいしたことを言ってる訳では
ないとそのうち分かるよ。もうそういうところで時間潰す気はないな。

 あなたらは「あれは文学ですからね」で終わる人間よ。それだけのこと。

 柄谷の話が出たついでに柄谷が引用する「他者を手段としてのみならず目的
としても扱え」。あれこそ何が言いたいのか、どういう実現を指しているのか。
さっぱり不明な文言ではないのか。唯一考えられるのは左翼政治へのオルグ
こそがまさしく「他者を手段として、かつ目的として扱うことである」という
左翼の自己正当化だけだ。政治の論理なんだよ、早い話が。そのくらい
見抜いておかなきゃまたヤツの詭弁の思うつぼだぞ。学生君。

97 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 23:38:25.95 0.net
他人を見下したい人
知的だと崇められたい人
社交的に褒め合うのが好きな人
頭をつかうのが面倒な人
上記に当てはまる人が集まる場所

98 :考える名無しさん:2014/09/08(月) 23:42:35.77 0.net
>>97
ある哲学者によると、哲学者同士というのは相手の説を否定することしか考えてないそうだよ。

だから、会えば必ず言い争いになるんだそうだ。

99 :考える名無しさん:2014/09/09(火) 00:04:08.28 0.net
>>98
そこらへんのおっさんの政治や社会に対する文句と
哲学書を書く行為ってそこまで方向性は変わらないんじゃないかと思う
必要なのは「増築」する力だよな

安倍のせいで増税だよ。カミさんがお小遣い減らせってさ。てめえがお茶すんのやめろよなってハナシだよホント。

果たして今まで問われたことがあっただろうか。
貨幣経済、言語の交換―いずれも「消費」つまり失われてゆく命、死への強い要求と
その充満による快楽とが人類にとって欠かせぬものとなった時に、それは薄く削り取られてゆく。
神は言うだろう。
「消費を止めよ、生を求めよ」
だが、我々はそこで反論しなければならない。
「神よ、あなたこそが我々に何かを求めるのよ止めよ」、と。

こんな感じ

100 :考える名無しさん:2014/09/09(火) 00:07:55.98 0.net
>>99
なに言ってるかわからないよ。

101 :考える名無しさん:2014/09/09(火) 20:01:51.26 0.net
>>100
理解力が全然ない
ちゃんと読んでないどころか
そもそもアタマが足りてない

102 :考える名無しさん:2014/09/09(火) 22:30:27.05 0.net
>>98
 ああ、大ウソだねえ。継承しその意義を読み解きながらながら限界を指摘
する。ハイデッガーのニーチェ解釈の方法はそれじゃないか。

 《相手の説を否定することしか考えてない》って誰のことか分からないが
テレビに出てくる人たちのやってる論争のことを言っているならまあ分かる。
歴代の哲学者がそうということはないね。

103 :考える名無しさん:2014/09/10(水) 13:11:01.78 0.net
>>102
現実の大学教師の自嘲をそんなにマジに受け止めるなよw

104 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 15:50:50.16 0.net
>>103
 現実の大學教師もその論争を横目でみてる輩もたいしたことないという点
では同じだな。
 
 ハイデッガーは研究者の偉大さは単に大きな発見をしたとかいうこととは
関係ないとはっきり書いてるけどね。もちろん論争で勝つことでもない。
じゃあ何かというのはどっかに書いてある。ここにはそのテキストは書かない
。(笑)探してみれば見つかるからね。

105 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 18:33:17.74 0.net
>>104
もし、ハイデガーが偉いとしても、君が偉いわけじゃないからw

だいたい、ハイデガーを偉いなんて思う人間は哲学愛好家の中でもごく少数だろ。

106 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 18:49:18.12 0.net
>>104
 君は「偉い」という語を簡単に書いてるが君の言う「偉い」とはどういう
意味なんだろう。参考のために教えてくれないかね。ちなみにハイデッガー
の言う「研究者の指導者性」とは一般に言われている意味-たとえば辣腕、
大きな業績の達成-とは相当違いがあるんだが。

107 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 18:51:40.56 0.net
 失礼。>>106>>104ではなくて>>105に向けたものです。

108 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 19:02:28.96 0.net
>>107
やっぱりそうだったんだね。
「研究者の指導者性」が「研究者の偉大さ」とどういう関係があるのか聞きたいところだけど、ま、それは置いといて。
「偉い」というのは、他者が「偉い」と思う、ということだけだよ。

大きな発見をした人、他人のために自分の利益を追求しない人、貧しい人のために尽くす人、そして、他人の意見に耳を傾ける人、かな?

109 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 19:53:31.31 0.net
>>108
 そう。正確には「研究者の指導者性」なんだけど、「偉大さ」と同じ意味で
ハイデッガーは使っていると読んだのでね。

 ハイデッガーがこれらの語彙を使う場合、彼の思想が大きく陰を落として
いる。彼の思想からみればこの場合「指導者性」と「偉大さ」は同じだと
解釈したわけね。 

 そこででは「研究者の指導者性」は何だと貴方は考えるでしょうと聞きたい
ところだけど>>108を読んで一般的な回答しか出てはこないと分かったので
どちらでもいいです。ハイデッガーにさほど通じているわけでもないだろう
しね。
 俺から見るとハイデッガーの下すそこでの見方は鋭利で彼らしいと思った
ところだけど。まあこの辺で。

110 :考える名無しさん:2014/09/12(金) 20:28:21.74 0.net
>>108のように人を馬鹿にするつもりが逆に馬鹿にされているのを見ると
もうネット止めたらいいのにと思う

111 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 00:24:18.13 0.net
ニュートンのプリンキピアが実は「カエルの王子が書きました」ということが発覚しても
誰もプリンキピアの結果を捨てようとはしないだろう
だがハイデガーの存在と時間が「ハイデガーじゃなくてパプアニューギニアの33歳の無名のおじさんが書いた」ということが発覚したら
どうなるんだろうか

112 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 00:57:42.88 0.net
哲学でも小説でも長編なら作者が誰かってことで作品の価値が変わるようなことは少ないだろう

113 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 09:13:33.06 0.net
>>111
ドイツ人の思惟でなければハイデガー的には『存在と時間』は無意味だろ

114 :考える名無しさん:2014/09/13(土) 09:30:59.61 0.net
>>109
「指導者性」というのは、個人的な関係と政治的な要素がその中心を占めるから、政治家を偉大であるとか小物であるとか評価するのと変わらない。

>>110
なにを口惜しがってるのかわからないけど、反論があるなら具体的に指摘することだよ。

115 :考える名無しさん:2014/09/14(日) 16:59:15.51 0.net
哲学への寄与の訳はどう?
無駄に終わりそうなら新しい英訳も検討したい

116 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 00:13:45.68 0.net
>>97ってなにげに名文だなw

117 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 00:20:35.09 0.net
>>114
 ハイデッガーの言う「研究者の指導者性」では「個人的な関係と政治的な
要素」は考慮に入らない。それじゃどっかの会社の社員が呑みやで話す
出世の仕方と変わらないじゃないの(笑)しかし俗っぽいねえ貴方は(苦笑)

>>115
 創文社版翻訳でとくに困ったことはないけどね。渡辺二郎がひどく
怒って自分で翻訳し直したそうだけど、渡辺が考えた用語をみると、それ
でも分かりにくいことには変わりはない。いずれ弟子が整理して渡辺二郎
翻訳版が出るだろうが、創文社版で足りてるな、俺の場合は。なんとか
自分なりのイメージが掴めるまでに4回は通読したけどね。慣れると良い
訳だよあれも。

118 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 09:36:29.08 0.net
>>117
ハイデガーって、普通に俗っぽいんじゃない?

だから学長の座にこだわったし、ナチスと強調し足し、戦後も自己弁護的な言い訳に終始したんだろ?

119 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 09:37:37.45 0.net
>>118
>ナチスと強調し足し −> ナチスと協調したし

ひどいな、こりゃw

120 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:18:36.57 0.net
>>117
 1966年の「シュピーゲル対談」でも、散々断ったものの「ナチスによる支配を
逃れるために他にはいない」という説得に負けたとしている。ただアンチ現代
文明という点では共通しているし、なんとか自分の思想を注入できないか
とも考えていた。また、まったく迎合しないことはできず、入党することも
引き受けてしまう。しかしそれもまた大学の利害のためだったという。
結局ユダヤ人人事で抵抗しもめて信用を失い本人ももう沢山ということで
約1年で辞任している。

  こういうことを知りたいなら『人類の知的遺産75 ハイデッガー』(
茅野良男 講談社)に詳細な年表があるから読むと良い。絶版だが古書店
にもあるしamazonで500円から出ているので入手はしやすい。

 強大な権力が大学を支配しようとしたときに守ろうとした人間の右往左往
の一種だとみるがね。そういうときに堂々としてられる人間などいないよ。
通俗性のかたまりだとしても付き合わないと仕様がない。機嫌を損ねること
は即大学に跳ね返ってくるわけだしね。

 まあでも本を読まない人や読んでも理解できない人に何言っても無駄っぽい
けどね。

121 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:28:34.98 0.net
偉そうに言いながら結論はただの想像の件

122 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:31:31.70 0.net
>>120
>>118だけど、なぜハイデガーの戦後の言い訳を鵜呑みにするの?
それを鵜呑みにするなら、確か学長就任演説だかのナチス礼賛も鵜呑みにしなきゃいけないだろ?

なぜ一方が「仕様がない」から発言してしまったことで、一方は信じられる発言だと思うの?

社会情勢としては、一方はナチスの波の中、一方は反ナチスのうねりの中、というまったく等価な状況なんだよ?

123 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:55:27.17 0.net
>>122
前半は同意するし、茅野の本はファリアス等の研究を盛り込んでない

しかし後半の
> まったく等価な状況なんだよ?
これは違うのでは?

124 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:56:41.87 0.net
>>122
 「まったく等価な状況」は違うでしょう。もうどうしようもないという
状況で学長就任の嘆願がきてるのでね。少なくともハイデッガーの周囲では
もうどうしようもない、という状況だった。ハイデッガーの前任は就任早々
認められず飛ばされている。そこでとうとうお鉢が回ってきた。そういうと
ころは貴方は知っているのかな。

 今の社会でもそうですよ。これはおかしいということがあっても変えていく
ことは難しい。原発反対で大デモをあれだけ都内でやっても現在、原発は
各地で再稼働していってる。ナチスよりは穏便な今の情勢でさえそうで、
権力のある側ない側の差異は埋めることはいつでも困難。ましてや相当
強硬な当時の情勢では太刀打ちなどできない。逆らえば何されるかわかった
ものじゃないのだから。
 
 盟友だったヤスパースやその妻もひどい目に遭ってる、そこも知らない訳
ではないだろうね。身近にもうそういう状況があった。いつ自分もそういう
ことになるか考えれば、抵抗は難しいでしょう。
 謝るっていうのも「何で?」と考えても不思議じゃない。その状況
にいるいないの違いは決定的だよ。

 2011年当時原発反対で盛り上がっていたが今はどうなのか。結局再稼働
していることで反対運動は負けて行ってるわけだが?今でさえ変えていく
のは困難なんではないのかい?ましてや当時はどうか想像してごらんなさい
な。
 個人と状況の関係についてもっと考えることを奨めるね。

125 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 10:58:19.32 0.net
>>124
> もうどうしようもないという 状況で学長就任の嘆願がきてるのでね。
その根拠は結局ハイデガー自身の弁明でしょう?

126 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:12:42.97 0.net
>>123
戦後の欧米の反ナチスのうねりは、30年代のドイツにおけるナチスの圧力と変わらないだろう。

それはともかく、ハイデガーはナチスの圧力から大学を守るために学長になったわけじゃないだろ?
積極的に、ナチスの意志を大学にもたらしたかったとしか読めない。

それに対しての、戦後の言い訳が見苦しいし、ハイデガーの社会人としての通俗性を表しているというのが僕の見かた。
だから、著作の中の表現にもその通俗性は表われていると思うし、逆にその通俗性を抜きにしてはハイデガーを理解するのは難しいとも思ってる。

通俗性というのは、必ずしも否定されるべき評価基準ではなくて、その通俗性を解明すべき人間のあり方にまで客観化することが哲学の大きな課題でもあると思う。
たとえば、ハイデガーの時間概念は、通俗性、つまり、日常的な感性によっているんじゃないだろうか?

127 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:15:33.34 0.net
>>124
言い訳せざるをえないのが、戦後の状況であるということを指摘してるんだよ。

それが、戦前も戦後も個人と状況の関係が等価であるということ。

128 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:16:39.55 0.net
>>125
 前任メレンドルフが総長就任2週間で「ユダヤ人排斥プラカード掲揚拒否」
が原因でたやすく免職される、という状況は普通は「とんでも
ないことになった」と見ることです。そんなことは普段はありえない。
そこさえ理解できないのかな。もっと年表くらいは読みなさい。茅野良男
のものが最新資料を入れてないという批判があったがそれでも相当詳細に
やってる。それくらいは読みなさいや。こういうところに書くのなら。
amazonで500円で出てるって書いたじゃない(笑)簡単に買えるんだからさ。

129 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:25:55.41 0.net
>>128
横だけど、1冊の本に書いてあることが真実である保証はどこにもないよ。
前任者を追い落とすためのハイデガーの策略ではないとも言い切れない。
そう思われてもしかたがないくらい、ハイデガーはナチスに傾倒していたという何人もの証言があるようだ。

130 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:29:32.33 0.net
>>126
>たとえば、ハイデガーの時間概念は、通俗性、つまり、日常的な感性によっ
>ているんじゃないだろうか?

 これは具体的にどういう辺りがそうだと考えるのかな?ちょっと説明して
もらいたいね。ほんとに読んでる人とは思えないんだが(笑)まさか
良く読んでもいないのにそういうことを書いてる訳でもなかろうから。
ちょっと貴方の説明を読みたいなあ。あんまり期待はしてないけどね(笑)

131 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:32:27.16 0.net
>>126
そんなこと俺に言われても困るんだが、
とりあえず当時の社会情勢が「まったく等価の状況」というのは聞いたことがない
というかそもそも「等価の状況」って意味がよくわからない

>>128
> 茅野良男のものが最新資料を入れてないという批判があったがそれでも相当詳細にやってる。
いくら詳細にやっていたって今話題になっている件についてその後の研究を盛り込んでいないのだから仕方がない
あなたもフーゴ・オットの『伝記への途上で』を読んでみればよいだろう
絶版などという事態にはなっていないので、茅野氏の本のように安くはなっていないが

132 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:41:56.66 0.net
人類の知的遺産は文庫化されているものが多いがハイデッガーのはスルーされているな
需要がないのか、または「終わった研究」なのでもう著者が今更文庫化したくないのかわからないが…
ナチス関係の記述は陳腐化していて役に立たないが、年表が詳しいことは確かなので是非学術文庫に入れてほしいものだ

また話は変わるが「現代思想の冒険者たち」シリーズの高田珠樹のほうは文庫化されるそうだ(10月発売)
加筆があるのか楽しみだ

133 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:44:52.35 0.net
>>130
横レスだけど、日常的な生は堕落した非本来的なもので、我々がそこに帰るべき本来的な
ものがあるというのは、非常に通俗的な宗教的言明だと思う。

134 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 11:45:01.03 0.net
 ナチスに一部は共感するのだからまったくの無関心ではなかったはずだ。
『わが闘争』を熟読していたとしても不思議ではない。「傾倒」といえば
言えるだろう。それで何が言いたいのかよく分からないね。

 あと「ハイデッガーの悪事はナチスに加担したこと」といういつもの
話が出てるが。ハイデッガーの中には世上の、また世界のあらゆるものに
たいする否のイメージがどこかにある。そこからするとナチスもまた人間が
考え出した文明の一種でしかなく、実際1930年代後半はそういう考えに
傾いて行く。有の神性からみた人間は犠牲になるもの、という考えが出てくる
。ナチスよりもハイデッガーの方が相当頽廃的なんで。そこもナチス加担
を騒ぐ人間はハイデッガー思想を誤解してると言いたいところだね。

 「ヒューマニズムを越えて」と云う標題の作品を戦後すぐに発表している
。ここの人は読んでも分からなかったんだろうが。そこでの人間像の根底が
やっぱりそのいわば理性的動物としてではない人間になってる。ナチスの
思想はまだ理性的動物に偏していた。がハイデッガーの後年の批判になる
。すでに1930年代後半に萌芽しているわけだけど。

135 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 12:05:46.04 0.net
>>130
 
 まったく忙しいな。ここの人は(笑)ハイデッガーのいう本来性ってのは
別に天から降ってきたり、聖書に書いてあってり、神父から啓示を受けたり
して授かるものではないのよ。
 <既有的に将来する>っていう言葉があるけど、自分の自覚もしていな
い過去の意識の堆積からあるとき思いもかけない人物が生成し
てくる。それまでこうだと思っていた自己からくみ取れないものが
ある時生成する。周囲や、自分からも理解できないものだけど、そういう
ものが生成してくる。それは意識できないけども堆積し埋もれていた自己
なんで、そういうものにこそ本来性はあるんだよ。という思想なわけ。

 なんで自分がこれを、この人に惹かれるのか。ありえない。でも気になって
仕様がない。ハイデッガーはそういう、自分が制御できない気がかりこそ
自己なんだという。かれのいう本来性とはそういう思想であって自然哲学
と言っていいものだ。宗教とは言えず自然哲学というべきものだ。人間
における自然な発露を重要視している。

136 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 12:29:33.31 0.net
>>131
「等価の状況」というのは、社会と個人の精神のあり方、ということ。
その時代の社会の価値観による圧力と言い替えてもいい。

共同性というのは、常に個人に対してなにかの統一的な圧力を加える。
その圧力の度合いが、戦前のナチスと戦後の反ナチスでは等価だということ。

137 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 12:35:31.22 0.net
>>136
解説ありがとう
しかし、私の頭が悪いせいもあってイマイチあなたの言っていることがよく分からない
実証的な話というわけでもなさそうだから、
わたしのほうで「違うのでは」などと噛み付いたのがそもそも誤りだったのだろうね

138 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 15:33:23.64 0.net
 おっと間違えてるな(笑)134は>>133ね。

139 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 15:55:03.57 0.net
(笑)

140 :考える名無しさん:2014/09/15(月) 19:55:26.75 i.net
例の反ユダヤ本が出てしまっている以上、ハイデガーを茅野の記述から擁護している人の虚しさが予め確定してしまっている

141 :考える名無しさん:2014/09/24(水) 15:27:08.74 0.net
ハイデガーの用語って1つで十分なものに3つくらい名前ついてるのが多くない?
哲学用語なんて問題を先取りしてないとどうせ意味がわからないんだから
用語より文脈の方が大事だと思うんだけど

142 :考える名無しさん:2014/11/10(月) 21:27:21.56 0.net
>>141
「存在と時間」だと記憶してるけど、言葉がない以上に「文法」がないって言ってるよ。

143 :考える名無しさん:2014/12/05(金) 00:46:26.20 0.net
そこらのへんの言葉の苦労は学んだあと自分で哲学を要約しようとすればわかるよね
なるべく用語使わず直観的に、それでいてどうでもいいことは飛ばす
これが難しいこと難しいこと

144 :考える名無しさん:2015/01/01(木) 14:59:23.67 0.net
創文社のアナクシマンドロスの訳はひどいね。

145 :考える名無しさん:2015/01/23(金) 11:24:37.03 ID:jXMtHru6q
大学で反ナチの教授をいじめてたらしい

146 :考える名無しさん:2015/02/26(木) 01:17:37.71 0.net
実存的と実存論的でも全然意味違うからなぁ

147 :考える名無しさん:2015/03/08(日) 11:34:10.89 0.net
>>146
どう違う?

148 :考える名無しさん:2015/03/08(日) 15:40:35.74 0.net
>>135
「それは意識できないけれども、堆積し埋もれていた自己なんで」と
述べているけれども、現象学的還元を経て現出された「自己」は、内在的構成として
認識(=意識として)されるのではないでしょうか。

149 :考える名無しさん:2015/03/09(月) 07:27:39.29 0.net
>>148
 そこは重要な問題だけども、現象学的還元も、行為や気がかりが為され
てその後に還元されていくしかないものですね。何もないときから還元される
ことはない。あくまで事実としての発露・生成があって、それからのことにな
る。そこがやっぱり自然の思想だと思います。自己における未明な部分を
重要視するというね。

150 :考える名無しさん:2015/03/09(月) 15:40:58.15 0.net
ハイデガ−哲学は、前期(存在と時間)の「作られてある(被制作性)」と、
後期思想の「なる(生成)」に分かれるけれど、後期の“生成”は人間を含めた
存在そのものを自然(フユシス)として捉えている。つまり、日常性からの現象学的還元によって、
自然=生成として捉えらている。

151 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 00:22:05.98 0.net
言動や服装がオカシイから、やっぱり、食ってるんじゃないか

152 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 00:24:06.80 0.net
被制作性の方がよくね?と考える読者も多いんじゃないの
実際ハイデガーコミュニティではどうなんですか

153 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 00:28:24.44 0.net
法政大学の高屋敷直広の汚れの原因は何?
仲良しを装うじゃない。詐欺をしてる人なんだけど、安全を手放させてるね。
言動や服装が突飛だし。
麻薬をやってたり、カルト団体に入ってない?
犯罪性があったら、警視庁に通報して欲しいんだけど。

154 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 03:56:40.60 0.net
Die Zeit des Weltbildes

第二外国語で読まされたな。翻訳は出ている。
先生は、ドイツ語の造語感覚をハイデガで學んでほしい、と思われたようだ。
俺の講義を聞いたら、即ドイツ語堪能。言い訳許しません、って雰囲気を穩やかに出すもんだからかなり疲れた。

研究室に遊びに行ったら、Spiegelにこう書いてあったけどどう思う?読んでないのか?これ、貸すから、
とかユキ口調で言われてもねえ…。

ドイツ語の先生って人柄のいい人が多かった。

だから文学部の廃止には反対。

155 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 10:19:41.70 0.net
>>152
ハイデガ−哲学の本質を知る為には、前期の「作られてある(被制作性)」と
後期の「なる(生成=制作性)」お両方の論理の究明が必要でしょう。

156 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 12:42:55.35 0.net
>>155
訂正  「なる(生成=制作性)」お両方の論理→「なる(生成=制作性)」の両方の論理

157 :123:2015/03/16(月) 16:21:49.19 0.net
生成重視派の日本の先生も死んでしまった。

158 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 16:49:34.90 0.net
>>156
両方学ぶと『哲学への寄与』を重視して前期軽視になる人多くないですかね

159 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 19:26:16.78 0.net
ハイデガ−哲学の「作られてある(被制作性)」は、現存在(=人間)が
世界の中に存在するということですが、この「世界内存在」と相関関係にあるのが
「なる(生成=制作性)であり、ここで重要なことは、「存在」の本質に於いて
どの様な様態で成立しているのかと言うことである。ハイデガ−は後期の哲学にて
両者(被制作性と制作性)の深化した様態につては述べていない。
しかし、ハイデガ−哲学の「存在」の本質を考察すると、この「存在」領野に於いて
被制作性(世界内存在)と制作性(生成)が“融合化した形”で存在している考えられる。

160 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 19:35:28.71 0.net
>現存在(=人間)が世界の中に存在するということですが

ハイデガーは、現存在が、「世界の中に存在する」という表現の妥当性を明確に否定している。
「現象学の根本問題」を読みなさい。

161 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 20:14:53.02 0.net
>>160
横だけど、「現象学の根本問題」の当該箇所を提示してくれるとありがたい。
引用してくれれば、それにこしたことはない。

162 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 20:17:42.35 0.net
ハイデガ−哲学では、「現存在」を次ぎのように定義している。
「現存在」〜他の存在物から区別された実存としての人間の、自己の存在を
了解しつつある在り方のことであり、この「現に(D)a」ある場所とは、世界であり、
現存在は「世界内存在」と定義されている。

163 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 20:22:43.40 0.net
>>160
現存在が「世界内存在」という概念と、「世界の中に存在する」という概念の
違いについて説明願います。

164 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 20:59:39.58 0.net
存在する、って意味の動詞に、seinとともに、existierenってのがある。英語のbeとexistと似た関係かも。
seiendって言葉は存在者って訳を当てることがあるけれど、これはseinの現在分詞だ。
Existenzは女性名詞で実存と訳されることも多い。その場合はDaseinとほぼ同じ意味だ…。

ちょっと考えてもそれぞれ意味合いが違うんじゃないか、と思うだろう。
ハイデガはどんな意味でDaseinを使っているんだろう、とかを考えないと、
とても彼の意味しようとしている哲学的なコンテンツに迫ることはできないだろう。

語られているのは小説のように具体性のある男女関係などとはちょっと異なるだろう。
おおむね形而上の話だ。だから言葉に対する微妙な感覚を考えなければならない。

日本人同士が解釈の違いを議論するのに、翻訳を使うのは無理があるかも。
日本語読んであらすじを把握する、ってのは小説ほど効果はないんじゃないかと思ったり。

まあ、原文を見ると自明なこともあるかも知れないよ。

165 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 21:15:12.71 0.net
>>164
日本語では説明できない概念、ということかな?

日本の翻訳者や研究者はそれに触れることもできない、ということでもあるのかな?

166 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 21:47:47.76 0.net
世界の中にいるのではなく、世界にいるんでしょ。

167 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 21:50:54.64 0.net
「現象学の根本問題」って文庫本出てなくて、高いんだよね。
そのうえ原書も手に入りにくいみたい。

168 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 21:56:48.80 0.net
「世界の中に存在する」というのでは、容器の中に物が入ってるイメージになってしまう。
箱の中に猫が入っているように、世界の中に現存在が存在するのではない。

169 :考える名無しさん:2015/03/16(月) 23:32:50.07 0.net
邪馬台国論争で、「海中に在り(倭地絶在海中)」を海の中に沈んでいると読んだ人がいて、椅子から転げ落ちそうになったことがある。

170 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 00:17:21.88 0.net
>「海中に在り(倭地絶在海中)」

その「中」は、「center」とか「middle」だね。
「世界の中心で愛を叫ぶ」系の人ですか?

171 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 00:24:59.09 0.net
「中」
>字源 象形。旗ざおを枠に突き通した様。
中 - ウィクショナリー日本語版 - Wiktionary

世界の中心系だと、「独在論」に毛が生えたようなものになってしまうよ。

172 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 01:03:54.13 0.net
>>165
日本人の中ですら、厳密に概念を共有できるか?と言うとほぼ絶望的なのかも。
ベターなのは、できるだけ論者の言語を学び、原語で理解しようと努めることなのでは?
翻訳が役に立つかは、…、やはり個々の翻訳次第。

人間にとって、言語とは何か?と言うと大げさだけど、哲学するにはそのヘンは必要だと思う。
その意味で、存在と時間がよくわからない、と素直に言えない環境はよくない環境だ。
ドイツ語も勉強させて、一つ一つの言葉をできるだけ説明して、それではじめてスタートレベルでしょう。

ハイデガが日本人だとよかったのだけれど。

哲学者の言語的な立場として、新しい概念には新しい言葉を、と考えるのは無理もないと思うけれど、
その言葉は普通の言葉で定義できるなら、その努力をすれば理解者も増えると思う。
ハイデガがアランの定義集みたいなものを作ってくれていたら、我々日本人にもより近付けたと思う。

173 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 01:24:42.08 0.net
>>161
 ハイデッガーが言ってるのは、彼の言うIn-der-Welt-seinsとは、直前にある
ものの中に別の直前のものがある、てことではない。コップの中に水が有る、
というようなことではない、ってことですね。In-der-Welt-seinsとは実存疇で
ある、Daseinsを表す特有な語である。とかね。

 In-der-Welt-seinsを世界内存在としたり世界の-内に-有ることとしたり
、それはどういう訳語をしてもいいんで、ただその場合、あくまで現存在
現有、sein〜が有る〜であるの発現するdaそこ、を指している、それはまた
モノの中にあるモノを指すのでは決してない。そのことの方が重要でしょう
。もともと世界がハイデッガー有論では直前にあるもの,延長するものでは
ない。

 それって『SEIN UND ZEIT』の第一部 時間性をめがける現存在の学的解釈
と、存在にたいする問いの超越論的地平としての時間の説明 第一篇 
現存在の予備的な基礎分析 第二章 現存在の根本機構としての世界内存在
一般(以上、渡辺二郎訳)、節でいえば第12節、第13節に書いてありますよ。
『現象学の根本諸問題』を引っ張りだすまでもなく。

174 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 08:36:45.16 0.net
>>170>>171
centerでもmiddleでもないな。
inだな。

175 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 08:49:29.68 0.net
>>172
翻訳というのは一種の解釈だと思う。

原書(原語)で理解するといっても、もともとその国の感覚まで把握できるほどその国の言葉に精通している人は、ごく一部の専門家を除いていないといったほうがいい。
翻訳というのは、一人でやるよりも数人以上がかかわることが多い。
たぶん、素人が原書を読むより、翻訳された言葉のほうが、むしろうまく理解できることが多い気がする。

「存在と時間」についていえば、理解しにくい、あるいは理解できないのは翻訳だからではなく、ハイデガー自身が理解できていない概念だからだと思う。
原語の問題なら、ドイツの哲学愛好家は普通に理解できることになるが、そういう話も聞かない。
同じことは、ドイツ語ではないが、ドゥルーズやデリダについてもいえることだと思う。

176 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 08:53:45.18 0.net
>>173
「内」あるいは「中」という日本語(中国語)の理解のしかたが違うんじゃないだろうか?

「内」も「中」も、日本語としては複数の概念を持つ言葉だから。

177 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 09:14:20.79 0.net
日本語の当たり前の感覚に照らして自分で考えて、妥当性を検討してみることが大切だよ。
人がどのように存在するのか考えてみること。「世界内存在」とか「世界の中に有ること」
とか無理な表現をしなくても、「世界にいること」として自然に理解できる。「共に世界に
いること」を当たり前の日本語の感覚として理解できない日本人の方が少ないと思う。

178 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 09:19:44.95 0.net
>>174
>centerでもmiddleでもないな。
>inだな。

そうなの?じゃあ、例文の「(倭地絶在海中)」を「in」を使って英訳してみてください。
「in the sea」とか「in the ocean」を画像検索すると参考になるかもw

179 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 09:24:45.77 0.net
こういう場合は、逆転の発想で「surrounded by」とするのが正解線だけどね。

180 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:01:53.29 0.net
>>178
やだよ。
俺はそれほど親切じゃないw

181 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:06:02.24 0.net
>>178
Hawaii Island is in the Pacific Ocean.

182 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:31:53.27 0.net
認知言語学の範疇だな
あのへんの隠喩論の方が、半端にハイデガーをハイデガー語で検討するより理解が進む
“In”の隠喩的用法とか、多くの言語にみられるだろ

183 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:33:43.72 0.net
>>177
当たり前だと思うけど、それだと言っても言わなくても変わらないんじゃない?

それとも、そんなことですら、あらためて宣言しないといけないくらい西洋哲学は袋小路に入り込んでいたということ?

184 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:54:43.93 0.net
>>181
はい、不正解
>the Pacific Ocean.
は、海ではなく、地域だよw
「(倭地絶在海中)」
は、地域を指定するものではないからね、念のため。

185 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 12:57:34.51 0.net
>当たり前だと思うけど、それだと言っても言わなくても変わらないんじゃない?

そうだよ。西洋哲学の伝統では、日本語で当たり前に表現できることが当たり前に表現できない。

186 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:04:32.41 0.net
例えば、日本語では、「私は<いる>」が、私の目の前には「机が<ある>」。
現存在の存在の態様とそれ以外の存在者の態様(それがvorhanden seinであれ、
zuhanden seinであれ)は、最初から区別されてしまっている。

187 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:05:34.19 0.net
>>184
え?
中国語も英語も苦手な人だったのかな?
それとも日本語が苦手な人なのかな?

188 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:08:27.13 0.net
>>187
では、あなたは、
>絶在海中
という表現をどういう在り方を意図しているものと心得ているの?
勝手に<絶>を抜かしたりしないようにねw

189 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:12:17.46 0.net
>>186
日本語の場合は、動物とそれ以外の区別じゃない?

190 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:15:05.29 0.net
>日本語の場合は、動物とそれ以外の区別じゃない?

まさに、そういう、すべてを存在者に還元してしまう見方に対抗するために
ハイデガーは存在論を論じているといえる。

191 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:16:34.35 0.net
せっかく日本語を使っているのに、わざわざその長所を捨てて、西洋哲学の
枠組みで考えるようにしてから、その枠組みで日本語の表現の意味を解釈しよう
というのは愚かだ。

192 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 13:34:04.88 0.net
>>188
とりあえず、魏志倭人伝を読んでからにしてよ。
スレチもはなはだしくなるけどw

193 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 14:45:32.70 0.net
いくら強弁したところで、ハイデガーは、現存在は「世界の中に存在する」のではないと明記している。

194 :考える名無しさん:2015/03/17(火) 15:30:13.78 0.net
>>193
>現存在は「世界の中に存在する」のではない

 むしろ現存在とは〈世界の-内に-有ること〉に等しい。と言った方が叶って
いるでしょうね。その場合、〈世界〉の意味合いが重要になるでしょうが。
あと、In-der-Welt-seinsを言いなおせばAls-der-Welt-seins
〈世界-として-有ること〉が唯一可能な言い換えにも思える。

 「海に中にある日本」とか、やっぱり有るものとして海や日本が捉えられる
。なんでこれはハイデッガー的な世界ではないし例証にはならない。ハイデッ
ガーのいう世界が有るモノではない、が最も分かりにくいんでしょうが、
あれは内面性とか主観とか観念とか言い換えられるものなんで、それを念頭
におけば分かるんじゃないかと思いますけどね。

195 :考える名無しさん:2015/03/19(木) 20:27:12.00 0.net
>>194
現存在は、本質的には「主観=人間」と同じ概念と解釈していますが、
このハイデガ−の「世界−内−存在」とは、フッサ−ルが述べている「間主観的領野」と
どの部分が異なっているのでしょうか。私自身は、「現存在」を有限(生命体)な存在と
捉えているので、「現存在」は身体性(有限な存在)を内包していると解釈しています。

196 :考える名無しさん:2015/03/19(木) 20:34:19.76 0.net
>現存在は、本質的には「主観=人間」と同じ概念と解釈していますが

ハイデガーの主著を読めば、現存在が主観と同じ概念だなどという解釈はでてきようもない

197 :考える名無しさん:2015/03/19(木) 22:00:03.16 0.net
ハイデガ−が、主観−客観という言葉を使わないのは、デカルトの心身二元論に
対する現象学的捉え方からきている。しかし、ハイデガ−が「世界内存在」を認識
していると言うことは、まぎれもなく主観と客観の現象学的な連関によって成立している。
フッサ−ルは主観と客観の連関を、「内在−超越」として表しているが、「世界内存在」の概念は
論理の整合性の観点から「現存在」概念が“主観”であることを明確にする必要がある。

198 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 00:32:47.97 0.net
アホすぎる

199 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 00:53:50.94 0.net
 まず主観と世界の-内に-有ることとの関係を言うならば『現象学の
根本諸問題』の以下の部分を読めば良いと思います。ハイデッガー全集
第24巻 243頁 節でいうと第15節にあたります。

《われわれが世界というこの現象に関して、主観性をそれに相応する
仕方で規定しているということを前提するならば、世界は或る「主観的
」なものである。世界は主観的である、ということが言っているのは、
現有という有るものが世界の-内に-有るという仕方で有る限り、世界は
現有に属しているということである。世界は「主観」がいわばその
内側から「外へ投射する」或るものである。》

 また、現有が実存することで初めてモノは内世界的に現れること
ができる。その場合、世界は現有にたいし、先行して投げられている
、言い換えれば〈私〉は私が私を選びとる前にすでに〈私〉として
存在しており、そこで世界は既に固有な心の色合い・情念・心性
として生きられてしまっている。私が選びとる前に既に〈私〉として
生きられてしまっている主観において、モノはモノとしてまた
事柄として侵入してくることができる。モノや事象やが〈私〉の色合い
をもってひとまず私に捉えられる、その独我性はこのような構造に
よって立っている。

 先-選択的に生きられている生体験としてはこういうことがいつも
個体において起こっている。

200 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 01:02:13.77 0.net
アホすぎる

201 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 01:07:34.76 0.net
つまりは、ハイデガーの捉え方では主客図式における客観は成立せず、したがって、主観も成立しない。

202 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 01:08:52.83 0.net
>>200
マネすんな、どアホ

203 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 01:13:54.36 0.net
>>201
鋭いね
そういうことになる
そもそものハイデガーによる考え方じたいに問題があった
残念なことにハイデガーは死ぬまでその考え方を変えれなかった
そこから彼がなぜナチだったかもじつは説明できる

204 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 03:02:25.89 0.net
>>195
>このハイデガ−の「世界−内−存在」とは、フッサ−ルが述べている
>「間主観的領野」とどの部分が異なっているのでしょうか。

 そこはそのまま「間」が挟まっているか否かの違いですよね。現有
とか現存在では共に-有ること、共存在とか言って、人間が一人だけで
はなく他者とともにいることが言われてはいるけど、この複数性は
それ自体再度世界内部的に-有るモノとして捉えられ、実は相互的な
存在が、そのまま有るのはなくて世界の、世界の-内に-有ることの
現象として解釈されていく、というところに特徴がある。そうやって
世界を濾過されることでしか共に-有ることも入ってこないのがハイ
デッガーの特徴でしょう。

 というといかにも閉鎖的にも読めるけども、もともと人間の存在
形式には独我性が事実性として入っており、絶えず独我的な
意味合いを、世界を反射させていく。そこが徹底して捉えられていく
のがこの思想の特徴だと思いますけどね。

205 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 08:49:57.78 0.net
>絶えず独我的な意味合いを、世界を反射させていく。

ハイデガーにそのような方向性があるかどうかとは別に、その読み方は、
そのまま逆に読めば、開かれ、共有される方向になる。
思索の途を一方通行でたどらなければならない理由はどこにもない。

206 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 08:59:03.94 0.net
前にも言ったが、Da+seinから成る現存在(Dasein)のダイクシス(Deixis)、<Da>を
どのように解釈するかという問題。フンボルト流に<Da>を正当にダイクシス(Deixis)
として理解すれば、その時点で既に独我論的な解釈は成立しない。

207 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 09:02:02.24 0.net
言語は存在の家であり、現存在(Dasein)という概念の成り立ちにより既に
独我論的解釈の目論みは裏切られてしまっている。

208 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 11:41:51.55 0.net
>>207
気の利いたことを言おうとするのは、ちょっとどうかな?
言葉は存在とは無縁のものだし、知性や概念のごく一部でしかない。
存在とは、あそこにあるものでしかないし、現存在というのはそこにあるものの中でそこにあることを人間が自覚しているということに過ぎないのだから。

209 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 12:57:26.11 0.net
アホすぎる

210 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 13:05:19.20 0.net
>>204
「世界−内−存在」と「間主観的領野」は、本質的には同じ概念であるということですね。
そこで、一つ尋ねたいのは、フッサ−ルの「間主観性」は身体性(=キネステ−ゼ)を基底
として、現象学的還元により現出しますが、ハイデガ−の場合は、「現存在」に至る現象学的還元に於いて、
「身体性」の記述は見当たらないけれども、「身体性(=キネステ−ゼ)」に代わる概念があるのでしょうか。

211 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 15:39:13.52 0.net
>>209
どのスレに対する感想か知らないけど、内容も根拠もなしでそんな感想書くと、自分の頭の悪さをさらけ出すだけだよ。
おばあちゃんに教わらなかったのかい?

「いいかい。他人をバカなんていう人は、自分がバカなんだよ。おまえも他人の悪口いっちゃだめだよ」

こんなこと言われた経験もない、寂しい家族だったのかな?

212 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 17:08:59.91 0.net
>>210
>「世界−内−存在」と「間主観的領野」は、本質的には同じ概念であるという
>ことですね。

 間主観性というのは複数の主観を相互関係させることで抽出される、いわば
客観性の根拠ですね。でこの概念はそのまま理性や合理性の根拠たらしめ
られていく。>>204に書いた様に、共に-有ることは現有における世界内部的
に-有るものとして再度主観化されてしまう。ここで再度主観化されてしまう
このことを今一度考えてみることが必要なんです。おそらく貴方も
さほど気にすることもなく素通りしたであろうから。

 再度現有において有るモノとなる、というのは、個体に於いて、
個体特有な価値づけを蒙るということに等しい。そこで知の権威は剥奪
されていく。何故なら個体における理解、ハイデッガーでは存在了解とか
有の理解とか言われるんだけど。それを蒙って行く。ここが重要で、という
のは現代の知の流通様式を考えてみると、知は一度設定されてしまうとその
まま権威を獲得し、「知っていなければならない」「知っているか否かで
できる序列」を構成してしまう。で、現代の知に付随する権力にもこれは
結びついているとも言える。また、さらに敷衍
すれば、教育における根本問題にも結び付く。知を蓄積すればするほど
素晴らしいのか、偉いのか、人間として高いのか、というね。その問題
にも結び付く。そういう近現代の難問にこの問題は結びついている。
間主観性っていうのはそういう難問を孕んでいる。で、フッサールにたいし
ハイデッガーが位置する差異ということも、やっぱりそこで考える必要が
ある。何言ってるんだと思うかもしれないが、ここに知とか理性とかに
付随する最も大きな問題、その端緒があるわけです。

 ほとんどの人が素通りしているんだろうし貴方も素通りしたみたいなんで
再度強調するけれども、これがあるからハイデッガー思想は近現代の
根本を批判する根拠足り得る。その肝だと俺は思ってるので。なんでここ
でも強調しておきます。

213 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 18:29:24.37 0.net
>>212
横で申し訳ないが、内容についてというより、言葉のあいまいさ不適切さを指摘しておきたいな。

「知の権威」「現代の知の流通様式」「知に付随する権力」「教育における根本問題」など。
あげればきりがないけど、君自身の主観的な価値基準では明確な概念になってるのかも知れないけど、一般的には状況や個人差の大きい相対概念に過ぎない。

その種の言葉を多用すると、それぞれの感じ方に解消されていく危険が大きくなると思う。

214 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 20:04:40.04 0.net
哲学を思想とごたまぜにしてしまっていることに全く自覚がない
適当に言葉を並べて商売する評論家でもやらせればいいかもしれないが、
哲学には向かない

215 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 20:42:37.11 0.net
>>204
人間は一人だけでなく他者と共にあるという「複数制」は、それ自体“再度” 世界内部的に
「有るモノ」という現象は、絶えず独我的な意味合いを世界の内で“反射”させていく、と述べていますが
そうしますと、世界の内で「有るモノ(=それぞれの私)」が、多くの主観(=私)の共有物として、
独我論的な主観(私)ワ−ルドを形成し、この「有るモノ」は反復(=反射)を繰り返すことによって深化
し続けるということでしょうか。

216 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 21:40:01.72 0.net
その安易に主観/客観を割り当てる歩み方が間違っているとしかいいようがない。
ハイデガーは、主客図式による現存在の存在の解釈が誤っていると
考えたからこそ、主客図式にはよらない存在論を展開した。したがって、
その存在論を再び主客図式によって解釈するのはナンセンスである。
それでも、ハイデガーの存在論により、主観/客観について語りたいの
であれば、存在論の側から主観/客観とはどのようなものであるかを
記述する必要がある。

217 :考える名無しさん:2015/03/20(金) 21:56:26.25 0.net
ハイデガーは単なるアホです、アスペです。

218 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 05:39:00.08 0.net
>>215
 まず>>199を今一度読んでほしい。世界を主観は内側から外側に投射する、
とありますね。外側とは他者であり社会であり国家でありすべてですね。
で、その場合、〈私〉とは私が選びとる以前に既に生きられてしまっている。
生-体験の構造だと。私が言いたいのはそういうことで、ハイデッガーを
引用することでそういうことが言えるということ。もちろんその場合世界
とはハイデッガーに倣って有るモノすなわちアメリカやイスラムや日本
やではないのは当然ですが。

 そうすると、世界(この場合は貧困や社会やとしましょう)のもろもろが
独我的な意味合いをたえず投射されて〈私〉に現れてくるしかないことに
なりますね。つまりメディアによって報道され「こういうもの」として
入れられてくる情報はひとまず〈私〉によって世界(この場合は各自性)
を投射されて私に現れてくるしかない。そこで知によって思考されて
解読され把握もされるとしても、そこでまたしてもその情報は世界を反射
され固有な色合い(たとえば「当然だ」「悲惨だ」「どうでもいい」「
面白い」「もっと死ねばいい」…)を帯びていく。異なる生-体験として
成立する世界(各自性)が媒介するとこういうことは至極当然に思える。
で、こういう人間の内面の奇怪さ、不可解さが、我々の実は本質的なもの
であって、社会や国家や常識や「こういうもの」という流通はそこを絶えず
逸することで流通し、一般通念を形成していく。

 間主観性の議論に戻れば、あの議論はそういう面をすべて逸するもので
逸して行く面は学校教育や知の体系や、の特徴と一緒なわけです。そういう
ことがハイデッガーを読むことで言えるということです。色んな読み方
はあると思いますが私の場合はそういう風に読んでいます。むしろそれは
フーコーが展開したことに通ずると思ってますが。

219 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 08:45:11.38 0.net
思想が哲学によって鍛えられていないと、論理の飛躍に無自覚になる。
そこにハイデガーの最大の弱点もあったのだろう。

220 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 11:42:24.02 0.net
現存在が世界に内属するなら、それが社会であれ、他者であれ、そもそも
現存在は、外部の世界について語ることができるのか?また、語ることが
できるとしても、できないとしても、その場合、内と外とは何を表して
いるのか?

221 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 14:45:54.04 0.net
そういう思想蔑視をするやつは、分析哲学をやるべきだと思うけど
ロゴスでゴリ押しするなら、現象学なんか曖昧だろ

222 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 17:32:23.07 0.net
哲学することを知らない

223 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 19:14:38.77 0.net
ハイデガ−によれば、「現存在」とは“現象学的還元”によって、「それぞれの私」という捉え方で、
個々の現存在(実存的な私)として「世界の内」に存在している。
この様な現象学的な存在に対する捉え方が、“間主観性(=相互主観性)”であり、主観(私)と客観(=他者=世界)の
連関をア・ポステリオリ(後天的)として捉えられている。この点は、カント哲学の基底となっているア・プリオリ(先天的)の概念
とは180度、異なる論理となっている。この辺の哲学的論理の違いが、現象学的存在を理解する上での難しさとなって表れている。

224 :考える名無しさん:2015/03/21(土) 21:58:37.45 0.net
現存在が世界に内属する限りで、世界が常に既に人称構造の関係性として現れるのは当然のことだろう。
Think different? by 2ch.net/bbspink.com

225 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 02:05:18.94 0.net
>>220
 現有は主観として、世界を対象に投射する、それを考えればこれは此方と
彼方でもありハイデッガーはこれを内と外というふうに表したわけですね。
主観を内部性として、で対象を外部として。このとき、主観は世界を対象に
投射するのだと。これは至極もっともな話で、人間が何かを認識するときに
たえず反復される構造でもある。さほど首をひねる話ではないと思いますけ
どね。たえず現有はそうやって外部を知る。だからそこで固有な色合いが
注入されていく契機がいつもある。

 それと世界とは現有(現存在)の有(〜で有る、が有る、〜として存在する
)である。また、絶えず現有によって先行的に投げられていく、それによって
対象を自分のモノとすることである。それを『現象学の根本諸問題』で反復
してますね。で、世界とは何か主観がその中に入っている容器のようにも
見えるんだけど、その意味ではなくて、むしろ現有の有(=有る)と同じ。
これは個体にたえずつきまとう了解性の先行、を指している。

 現有(現存在)と世界の-内に-有ること(世界内存在)、有の理解(存在
了解)は同じ、と木田元が言ってたと思うんだけど、それはこういう構造に
なってるからだと思いますね。

226 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 09:29:08.65 0.net
アホすぎる

227 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 09:31:52.24 0.net
もはやハイデガーとは何の関係もないごたまぜ

228 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 17:14:56.22 0.net
>>225
現存在(現有)は主観として、世界を対象に投射する。人間が何かを認識するときに
たえず反復する構造でもある、と述べていますが、「人間が何かを認識し、反復する」と
いうことは、現存在(現有)が「志向性」を基底として「投射(=企投)」という現象化が
起こるものと解釈しています。この「志向性」はフッサ−ル現象学の根本に位置する概念ですが、
ハイデガ−の場合にも、志向性は「作られてある(非制作性)」概念の基底となっていると思います。

229 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 17:19:00.40 0.net
>>228
訂正 作られてある(非制作性)→作られてある(被制作性)

230 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 17:27:49.14 0.net
>>228
 ところが現有(現存在)の有(〜である、〜がある)を根本で司る
のは時間からの贈与であり、もともと萌していた芽が成長する時熟
であるわけです。そこで、世界の投射とは、実は主観の自在になすこと
ではなく、ある偏向を蒙ることになる。その偏向とは時間から起因
する。まさに「有と時」なわけで。そこで時間を導入したこと、
「ある」が時間から贈与されるとした点がハイデガーがフッサールに
付加した決定的な点であるとも言えるんじゃないですか。

 そこで現有(現存在)はただ自在に変動しうる意識ではない。時間
に拘束されていくしかないことがいわば言われたも同じですから。

231 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:16:00.21 0.net
私もあなたも「世界にある」のではなく、「世界にいる」。

232 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:25:31.46 0.net
>>231
日本語としては、動物については「いる」、動物以外のものについては「ある」。
「ある」も「いる」も関係やあり方を表現する言葉ではないよ。

233 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:30:18.67 0.net
死とは、生命を失うこと。

234 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:34:17.79 0.net
私もあなたもそこの誰かも「世界にある」のではなく、「世界にいる」。

235 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:35:28.34 0.net
現存在とは誰か?誰かがいる。

236 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:42:21.67 0.net
1行レス君は、思考を持続させる訓練をした方がいいんじゃないだろうか?

1フレーズしか書けないのは、思考が断片的だからだよ。

237 :考える名無しさん:2015/03/22(日) 19:44:23.16 0.net
Heidegger und die Frage nach dem Sinn von Sein: das Dasein ...
Giovandomenico Davoli - 2013

>Wer ist das Dasein? Es existiert als In-der-Welt-sein. Diese Existenz ist
>jedoch nie von derjenigen der «Anderen» getrennt: Zum In-der-Welt-sein
>gehort notwendigerweise das Existieren von anderem Dasein.
>Wer das Dasein in der ...

238 :Wer ist das Dasein?:2015/03/22(日) 19:46:59.84 0.net
現存在とは誰か?誰かがいる。
そこにいるのは誰か、それが問題だ。

239 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 02:17:53.32 0.net
 高尚な話が続いてるからここらでハイデッガーの悪口も入れといた方が
いいか(笑)

 反ユダヤ主義者のナチが何を言ってるか。読む価値なし。という声は
いまだに2ch.に定期的に書かれるしスレッドもあるし。例の黒ノートも
翻訳されるだろうからいずれ数年後には出版される。
 1930年代後半からの謎の思索も一部は出たし90年代までよりは見えて
きたけどけどまだまだ翻訳が済んでなくて未刊行の原稿も多い。もちろん
黒ノートも含めて。ハイデッガーの全貌が見えるための素材がそろうまで
にはまだ時間がかかりそうですね。

240 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 02:42:09.47 0.net
ハイデガー表記じゃないやつは蒼古趣味か京都の連中に思えてならない

241 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 02:43:12.80 0.net
そろそろ「フッセル」に近付いていると思いますです

242 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 03:53:51.11 0.net
>>240
 渡辺二郎は東京大学卒業同教授名誉教授から放送大学名誉教授だったけど
表記は「ハイデッガー」だった。彼の著作集でもそう。茅野良男は東京大学
卒業北海道大学助教授から御茶ノ水女子大教授から大阪大学教授。表記は
「ハイデガー」「ハイデッガー」両方使用している。また渡辺も茅野も
seinは「存在」と訳しており「有」とはしていない。
 つまり「ハイデッガー」表記か「ハイデガー」表記かは京都学派とは
無関係ということだ。
 加えて言えば「存在」「有」という区別は学派によってあるが思想を
理解できていればどっちの訳語でも関係なく読める。肝心
なのは諦めずに自分なりに読み続ける。考え続ける。それ以外にはない。

 また俺はあるところで某学者(ハイデッガー関連の立派な単行本も出して
いる)が派閥を渡り歩く大変さを吹聴してるのをみて学者世界の内幕を
垣間見、俗世の垢、言い換えれば政治的歩行が身についてるハイデッガー
研究者ってあるんだと知り、学者の世界の内幕を見て俺とは関係ないなと
思い知ったことがある。また「ハイデッガー研究者」といっても学者
のはしくれであり、政治的世界に染まるってこともあるとね。だいたい
ハイデッガー学者の集まりに行けば分かるが名刺交換に挨拶に凄いことに
なってる。俗世なんだよハイデッガー研究する連中が。まあその連中の
恩恵で翻訳も読めるのだし感謝もあるけどね。
 それがあってその立派な単行本(数千円もする)も未だに読んでいない。
書店では今もみかけるけどね。

 有だろうが存在だろうが熟読するしかないのは同じ。ただ熟読する
のかいないのか。する気もないならどのみちハイデッガーなど関係ない
のだから黙っていればいい。

243 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 08:34:57.71 0.net
ハイデガー研究なんてのはどうでもいい。そんなものは哲学学にすぎない。
重要なのはハイデガーの思索の歩みが哲学をするのに役立つか否かであり、
ハイデガーの思索が重要であるとすれば、それが役立つ限りに過ぎない。
哲学に役立つとは、不特定の人間に役立つことであり、ハイデガー研究に
役立つことなどというのは、哲学学者にまかせておけばいい。

244 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 09:02:00.08 0.net
>>242
文章が滅茶苦茶だな。
くだらんことに必死でレスするなよボケ。

245 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 10:21:48.43 0.net
>>243
> 重要なのはハイデガーの思索の歩みが哲学をするのに役立つか否かであり、
> ハイデガーの思索が重要であるとすれば、それが役立つ限りに過ぎない。

それは、役立たない、従って、ハイデガーの思索は重要ではないという結論が
出ているんじゃないか。

246 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:06:26.54 0.net
ハイデガーの思想には大きな欠陥があり、だらかハイデガーの哲学における思索も無価値だ
というのは、ニュートンが錬金術を信じていたり、投資で大失敗したりしたから、微積分は
役に立たないというのと同じだよ。ハイデガーの思索が哲学に貢献するものがある限りで、
その思索はハイデガー個人のものではない。微積分がニュートン個人の人格とは無関係であるようにね。

247 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:14:37.04 0.net
何が役に立つかわかったものではない、と言う信念をもっているのが吉。
世紀の大発明、とかはそういうのが多そうに思う。
好きだからやってる、でいいんじゃないの?

248 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:20:23.59 0.net
>>246
「欠陥」をはっきり指摘するできるほど明確な思考じゃないから、優れた点も
よくわからないというのが最大の欠陥じゃね?w

249 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:23:40.75 0.net
ハイデガーは哲学として特に何かをいっているのでもないところが問題。
彼はなにをやったか。
WW2という哲学的も大変重要な経験をへてナチの党員でもあった。
しかしそのことにはまったく言及しない。
ハイデガーっていったいなにをやったんだろう?

250 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:27:04.03 0.net
死後何十年も経ってなお、極東の同盟国の人間に語られる程度のことはしたわけだね。

251 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:44:33.86 0.net
>>243
>重要なのはハイデガーの思索の歩みが哲学をするのに役立つか否かであり、
>ハイデガーの思索が重要であるとすれば、それが役立つ限りに過ぎない。

 ハイデッガーはある講義で次のように言ってるわけですが。
《われわれは哲学することにたいして確信を持っていない》《われわれが、
哲学することに希望はないというこの印象をほんの少しでも弱めようと
思ったり、あるいはこの印象をあとになってから、そうはいっても結局は
そんなにひどい状態ではないのだ、哲学は人類の歴史の中でいろんなことを
成し遂げてきたのだ、などと指摘することによって調停しようとしても、
それは誤解というものであろう。》

 で、ハイデッガーが指摘する哲学の今日的情況としてこういうことがある。
《哲学が、誰にでも関わり誰にでも分かる或るモノであるかのようなふりを
すること》《哲学が究極的で最高のモノであるかのようなふりをすること》
或いは反対に《哲学をすることを、絶望的仕儀、何か陰鬱なもの、不機嫌な
もの、「ペシミスティックなもの」、すべての暗いモノとネガティブなもの
の方を向いているとみなす》《これの出所は、ノーマル人間のこれまた傍目
にも馬脚がはっきりと見え隠れしているもうろう視圏と、ノーマルなものが
本質的なものなのであり、平均的で、したがって普遍妥当的なものが真なる
ものなのだ(永遠の平均)というノーマル人間にとっての指導的な思い込み
である。》《いったいわれわれは今日、人間的現有についての或る解釈の
なかで動いており−この解釈によれば、例えば哲学とはいわゆる文化財の
中の一つであり、多分一つの学であって、これには保護が必要だ、ということ
になっているが−この現有解釈が最高の解釈だということはそんなに確実
なのか?》

252 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:50:01.59 0.net
249つづき

 ここでハイデッガーは明らかに哲学についての問い直しに向かって
おり、 それなしで哲学を先験的な何かとすることには与しないと言明
している。 で、あの『SEIN UND ZEIT』も、sein 「存在する(有る)」
を哲学は 問うてきた、今改めてそれを行う、という宣言で始めるわけ
だけど、 哲学が人間をどのように規定してきたか、を横目で見ながら
人間、 その生、日常、使命から見直すことになったのがあの本ですね。
そこで 現存在としての人間にとって哲学が何かを実際のテキストをも
って示した。 ハイデッガーの言説にはだから哲学の今日への疑問符が
溢れかえっている。 ちなみに上の引用は全集第29/30巻『形而上学の
根本諸概念』(1929-1930 講義)の1節ですけどね。

 そこで>>243での「哲学に役立ちの選別」が、哲学を先験的に、それ
に奉仕 すべきもの、奉仕するかで言説の価値を測ると決めて、、何故
奉仕すべきなの か、よく分からないところが、楽天的に思えるんです
ね。
 それ自体大きな問題である、どのようにseinが忘却されていったか、
成立から見直すことが必要な大きな問題領域を先験的に言うことはない
わけです。

253 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:53:10.36 0.net
>>251
その「ペシミスティックなもの」を排除するために大戦とナチのことは語らなかったということかな。
ならば笑止だね。
哲学者としてもたいしたことはしていない。
戦争体験者としてもナチの当事者としても「ペシミスティックなもの」としての過去は封印する。
こんなもの哲学者ではないだろ。

254 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 11:57:15.70 0.net
「seinの忘却」ってのがわかんない。
ハイデガーがでっち上げたただの都市伝説じゃないの?

255 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 12:00:08.04 0.net
ハイデガーいいとこ劣化ニーチェだw

256 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 13:11:31.96 0.net
私もあなたもそこの誰かも「世界にある」のではなく、「世界にいる」。

257 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 13:16:51.74 0.net
>>251>>252
自分の議論の論理すら理解できていない印象

258 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 13:19:38.80 0.net
そもそも、現存在が世界に「ある」のではなく、世界に「いる」ことすら
素直に認められない人間に何を言っても無駄なわけだが。

259 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 13:23:38.82 0.net
哲学よりハイデガー研究の方が重要であると考える人間は、ハイデガー教の教祖でも目指せばいいんだよ

260 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 13:27:59.46 0.net
もうちょっと正確に言えよ
ハイデガー教なら教祖は置かずにLichitungを崇め、その番人たらんとする

261 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 15:10:53.03 0.net
>>230
ある(現存在)が時間から贈与されるものであり、現存在は時間に拘束
される、と述べていますが、そうしますとハイデガ−の時間概念は、「流動的な時間」概念
として現出し、フッサ−ルの場合は、「不動的な時間」概念として捉えられている。

ハイデガ−哲学の“現存在”が、「流動的時間」概念で捉えられていることが、現有(現存在)が
“時間”に拘束されるという現象化となって現れていると考えています。

262 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 15:45:50.43 0.net
http://busyreadywhat.org/Authors/Heidegger/Heidegger%20Martin%20-%20Sein%20und%20Zeit.pdf

263 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 21:31:04.80 0.net
>>261
 私が>>230で言いたかったのは貴兄が>>228
>ハイデガ−の場合にも、志向性は「作られてある(非制作性)」概念の基底
>となっていると思います。
 としたことへの異和感からです。ハイデッガーの場合、〈何かが有る=
存在する〉とはDaseinの歴史・経歴・根からの贈与だ、というのが主観に
よる有るものへの志向性を拘束してしまう。言い換えれば有るモノが〈私〉に
現象する際、またもっと端的に〈気にかかる〉という際、それは〈私〉が
そうしようと決めている訳ではなく、ある自然的態度としてその〈気がかり〉
は為され、もっというなら〈私〉に贈られる。

 これは卑近な例で、異性が気にかかるという場合をみれば明らかです。
〈私〉はある異性にたいし、何でという自覚もなく強力に惹きつけられて
いたりすることがある。志向性は、〈私〉の〈思いのまま〉を表す概念では
なく〈私〉は〈私〉にとって〈思いのまま〉ではない。 そのようにして
自己は他と異なる、或る場合共通化・共約不可能な何者かとして現れて行く。
私にも分からない、他人に説明もしがたい〈私〉があることが起こってくる。

 フッサールもたしか体験流という概念、〈私〉を私が内省するとしても、
それもまた〈私〉として内閉されており、私は自己にたいし全くの外部と
しては存在しがたいとして書いていたと思いますけどね。そういう自己の
自己にとっての不透明さについて、その根拠がよく追究されていくのが
ハイデッガーでありまたサルトルが作家論で運命的な過程を描く根本ですね
。どちらも経歴という概念に重きを置いているし、人間の悲劇的な側面に
たいし敏感だったと思う。サルトルは前期の哲学における、自己は自己に対し
、まったく透明な存在として理解することが可能、という考えを後期に放棄
していますから。「一生の間自己になしうる批判的作業」としており、
サルトルの前期からの明白な転向ですね。そんな簡単なものではない、と
した訳です。インタビュアーを驚かせている。

264 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:05:06.62 0.net
>>263
なんか単語をこねくり回しているだけで
たいしたことは書いてないな
ハイデガーもその程度ということか

265 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:05:06.84 0.net
>自己は他と異なる、或る場合共通化・共約不可能な何者かとして現れて行く。

論理が逆だよ。共約不可能であることが個として現れる。

266 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:06:56.66 0.net
世界があることには必然的に、互いにそこにいることが対応し、
世界は常に既に人称構造の関係性として現れる。

267 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:22:09.11 0.net
互いにそこにいるのがひと(one)である。

268 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:42:54.21 0.net
ハイデガーを読むことは
ハイデガーの語用を知ることだけか
こんなの哲学とはいえないよ

269 :考える名無しさん:2015/03/23(月) 23:45:40.71 0.net
H・ドレイファスみたいな読解も悪くないんじゃないかと思えてきた

270 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:14:08.66 0.net
G・スタイナーの読解もかなりいい

271 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:21:00.93 0.net
日本のハイデゲリアンからみれば、ドレイファスもスタイナーも論外で、
渡邊二郎とかの方がずっといいという評価になりそうだけど、
ぶっちゃけ『寄与』の研究によって、渡邊二郎の解釈枠は無効になりつつあるじゃないですか
そうなると、英語圏のざっくり読解も捨てたものじゃないと思う

272 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:27:15.35 0.net
でも故・木田元さんはスタイナーの読解をずっと評価してきたよね
寄与については木田元は全く重視しなかった
たしかにあれはインデックスだから当人以外には意味ないけれど

273 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:35:30.62 0.net
木田元は非アカデミシャンには影響あるけど、研究者コミュニティでは扱いが難しい人なんじゃないですか

274 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:52:20.76 0.net
くだらないハイデガー原理主義的研究者よりも立派な仕事をしてきているよ
ただし木田元はハイデガー研究者というよりも現象学研究者
『ハイデガー『存在と時間』の構築』とかちゃんと整理してみせたのはいい仕事だね
もっとも他の日本人研究者があまりに信者すぎたからな

275 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 00:56:13.68 0.net
木田元のめるぽんってどうなんですか

276 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 01:04:10.34 0.net
木田元の著作は本人はハイデガーを偉大な哲学者だと思って書いてはいるけれども
結果的にはその逆で
ハイデガー哲学といわれるものが特に存在しないくらいに薄いものだというこをと白昼にさらしてしまっている
そりゃそうだよハイデガーは講義だけの人でしかも内容は文献解釈学
ハイデガー独自のなんてないに等しい

277 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 01:05:11.87 0.net
でもフッサールよりは面白いけど

278 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 01:09:31.42 0.net
フッサールは木田元も言っているけれどたしかにツマラン
思考の段階を踏むのが主目的になってしまっていて読んでいて眠い
でもハイデガーの「ニーチェ」が面白いのはたとえばニーチェ自身の思考が面白いからですよ
ハイデガー自身は日本だったら東大の学長になるくらいに正統な職業教授になれただろうね

279 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 01:22:45.26 0.net
あっやっぱり駄目だな
ハイデガーは論文がほとんど無いから教授も無理
浅田彰スタイルだわw

280 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 02:08:52.35 0.net
>>271
>『寄与』の研究によって、渡邊二郎の解釈枠は無効になりつつあるじゃない
>ですか

 何を指しているのかのかよく分からない。渡辺は死の前に自分のために
『寄与』の翻訳を独力でやり、病床で解説本まで書いている。その解説本が
渡辺の最後の本になったはずだ。>>271が言ってることがよく分からないが?

>>272
>寄与については木田元は全く重視しなかった

 俺は木田に直接会って『寄与』についてこちらの読み方をぶつけ、木田の
感想を聞いたことがある。こちらの読み方がなぜ出てくるのか、その背景
まで言ってくれた。その上で言うと、決して軽視などしてはいなかった。
木田はこちらの意図が分かっているなと思ったよ。会話の内容はここに
書く気はない。

281 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 02:09:50.74 0.net
278つづき

>>274
>もっとも他の日本人研究者があまりに信者すぎたからな

 信者というほど読みとることができれば大したものだというべきだろう。
日本の研究者は今もそうだろうが何がハイデッガーの意図なのか、読みとる
ところから苦労している。頑張ってるがね。

>>276
>ハイデガーは講義だけの人でしかも内容は文献解釈学
>ハイデガー独自のなんてないに等しい

 ハイデッガーの全集開けば「講義だけでしかも文献解釈学」とかが偽り
であることはすぐ分かる。上記のような話は読んでもいないのがすぐに
分かってしまう。加えて講義にすぎない記録でも独自性は抜きんでている。

>>279
>ハイデガーは論文がほとんど無いから教授も無理 浅田彰スタイル

 ハイデッガーは講義のたびに新しい概念を駆使し思考を展開する自在さと
深さがある。講義は彼の場合新著といってもいい密度と展開をみせる。浅田
にかぎらず日本でそのレベルの書き手はまず今ではいないと言っていい。
知ったかぶりせずに読めばわかる。

282 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 02:12:18.69 0.net
「実存」と「存在」の明快な二分法のことですよ

283 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 02:13:24.23 0.net
ネットでの絡み方から見て、関口さんあたりですかね

284 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 02:41:47.50 0.net
>>280-281
あまりデカイことは書かないほうがいいよ
あなたが誰かはこちらは知っている(笑)
それに私が木田元さんに会ったのはあなたよりもけっこう後だ
もちろん会話したうえでのことを書いている
晩年もいいところだから本音を吐いてくれた
ハイデガーにちゃんとした論文がほとんど無いのはまったく事実
講義の独自性というけれどもそれは何?そうはいっても書けないでしょう

285 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 03:42:03.11 0.net
>>284
 まず木田が優れていたのはまずハイデッガーのみていた知の遠近法、
有をめぐる歴史的推移について、テキストを確かめながら丹念にたどる
ことをやった。ハイデッガーの迫真性をまともに受けて辿ってるのが
木田の本だと俺は思ってます。辿って行く中で自分の読み方を提起する。
歴史や時代におけるハイデッガーの意味を自問自答しながら書いている。

 言い換えれば、他の研究者と違うのは、ハイデッガーの焦燥や眼差し
にたいし、他の研究者ほどに離れて客観視せず、論文を書く素材にもせず、
再構成することに筆を費やす。というのは今の研究者の場合、論文の材料には
するが、ハイデッガーの衝動や視線からは距離をおいている人が多い。
彼らはそこで書いてる。学者っていうのは対象に同化しないのが学究的
姿勢であると決めてるのか、そうして書いてる。
 木田の場合、そういう研究者に比べてハイデッガーにたいする距離が
近い。それは木田はハイデッガーが提示する遠近法に共感するするところが
大だったからだろう。そこが木田の本の特徴であり、魅力でもあったと
思いますね。ハイデッガーにたいする視線が他の研究者とちょっと違う。
あの衝迫にかなり同化して書いていた感じがする。

286 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 04:05:33.18 0.net
283つづき

 『寄与』について、木田が俺の読み方に率直な感想を言ってくれた。
その内容はあの本の意味を充分くみ取ったものだった。それだけで俺には充
分だし、ただそれで木田が自分で研究するつもりかどうかは知らないし、
俺の関知するところではない。仮に俺に木田が「あれは重要ではない」と
言ったとしたら、まっこうから反論するまでですね。木田さんそれは大きな
誤りですよ、と説明するまでですね。彼に延々あのとき説明したように。
現に木田が直接言った内容はあの本の重要性をくみ取るものだったので。
俺が木田にそう言うことはなかったわけだけど。

 なんで何故貴方にそういうセンスのないことを言ったのかは不明ですね。

>ちゃんとした論文がほとんどないのは事実

 こういうこと言われると実は呆れるしかないのね。あの密度、知の遠近法
、知の歴史を読み解く手つき、テキストを読み解く手つき、深度・強度、
どれをとっても比類のない恐るべきもの。それを木田も最初から感じて、
80年代まで温めて、そこでやっと書き始めた。
 これは大袈裟なことを言ってるわけではないし現に木田も再三書いてた
でしょ。それを真に受けずにいる読者が「そうはいっても」と歪めている
訳でしょう(笑)そういう読者の方が読みとる器量に欠けるだけのこと
じゃないですか。

287 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 08:33:35.53 0.net
なにこの長たらしい自演

288 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 09:22:25.34 0.net
長たらしいだけで内容がまったくない
         
>あの密度、知の遠近法
>、知の歴史を読み解く手つき、テキストを読み解く手つき、深度・強度、
>どれをとっても比類のない恐るべきもの。
     
ちゃんとした論文をほとんど書いていないのは事実
しかしフッサールは書いている
ハイデガーは論文は苦手で書けなかったんだよ
これは事実

289 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 10:16:11.29 0.net
>>288
論文?

噴いちゃったじゃないか ?(?`?´?)?

290 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 14:40:47.22 0.net
>>263
「志向性」の定義は、「意識は常にあるものについての意識であり、その意識の特性を志向性という」と
定義されている。つまり、志向性の定義は「意識」の働き(ノエシスとノエマ)であり、「意識」そのものを
対象としている。

従って、上記に「志向性は,私の思いのままをあらわす概念ではなく、私はわたしにとって〈思いのまま〉ではない。」と
述べていますが、「志向性」とは“意識を対象”としているので、この場合は「志向性」とは別の概念と考えられる。その別の概念とは
上記で、「私(現存在)が、私の思いのままにならない」ということは、私(意識=主観)が有るモノに〈転化〉しているからであると
解釈しています。その有るモノとは、ハイデガ−後期思想の「なる(生成=制作性)」の概念へ〈転化〉したものと考えています。

291 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 17:09:26.46 0.net
自演しかいない

292 :考える名無しさん:2015/03/24(火) 22:49:47.80 0.net
>>288
 論文というのは大学に提出するもののことですかね。普通あれは教授試験
のためとか、になるんじゃないですか?ハイデッガーなら『存在と時間(有
と時)』ドゥルーズなら『差異と反復』、フーコーなら『理性と非理性』、
だったか。あとは日本のハイデッガー学者みたいに研究会のために
書くことはあるだろうけど。長文のものは教授試験とかがなければ書かない
んじゃないのかね。

 あとは自己の思索の発展を発表するものとしては単行本、評論、講演、
が大抵の思想家にとってはなっていくでしょう。大学に籍がある人なら
講義もだけど。しかし講義がそのまま単行本化されるだけの深度と密度、
展開を維持している人は限られているでしょうね。古くはヘーゲル、20世紀
以降ならハイデッガー、フーコー、デリダ…

 そう考えて行けば論文が少ないことは特に問題ではない。論文が少ないから
どうだと言えるものではない。つまらないところで引っかかっているように
見えるけどね。ほんとに読んだことあるのかい?(笑)

293 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 00:55:19.52 0.net
 論文問題について今少し考えてみますとこうも言えるでしょうね。
 
 ハイデッガーのもので学術論文といえて作品化されているものとしては
確かに少ないですね。『存在と時間』がそうだけどあれも未完成で、あとは
講義記録に講演記録、手紙形式のものは論文というには形式が違う。そう
考えるとハイデッガーには完成した論文はない。とか木田元も書いてたと
思うが。アカデミズム出身にしては、実に変わったスタイルで思想を発表
していった人だというのは言える。

 にもかかわらず強力な強度と深度が印象づけられているのはむしろ不思議
で、思索そのものの力があるとしかいいようはない。あと、1920年代後半
になると、大学での学としての哲学批判が講義の中でしばしば語られていく
ようになる。前レスで引用したように。学としての哲学批判がなされていく
と並行して、同時に言いたいことを独自のターム
で展開していくという講義スタイル、また歴史的なテキストを逐語読解する
ことで有の歴史を辿り、自己の論を裏付けるスタイル。彼の思索が深まって
いく過程で、哲学史を歴史的に辿るだけの講義からは大きく外れて行く。
ハイデッガーの有論を展開するために場に講義はなっていく。また同時に
言うことが徐々に秘教めいていって、聴いていた学生とか、分かって聴いて
いたとはどうも思えない(笑)今講義記録で読んでも難しいものが、学生
に理解されていたとは思えない。
 論文というような、アカデミズムの伝統的な表現からどんどん外れて行く
ところがあった。それは彼の思索について回る特徴でしょうね。

 にしても、「だから大した事ありません」とは言い切れないのはたしか
だから。変わったスタンスで発表しつづけた思想であることを裏付けること
にはなるでしょうけどね。

294 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 07:53:27.29 0.net
>>293
なにをどう書いてもハイデガーのどこが注目すべきところなのかということが全く書かれないよね
フッサールはヨーロッパでもその考えは取り入れられアメリカでは分析哲学の基礎を作ったとして
フレーゲとともにフッサールの名はあがる
ハイデガーはヨーロッパでも衰退傾向でアメリカでは存在すらあまり知られてはいない
あなたがハイデガーを評価するレスはどれも形容詞ばかり(笑)
まあ信者さんだから崇拝の対象なのはわかるが信仰心を抜いたらなにもない読解屋さんじゃない(笑)
ハイデガーはただの読解屋で文学の領野
ちゃんと距離を置いて読んでいる私のようなしっかりした読者にはそれが実に簡単にわかる
たしかに読解文としてしっかりしているとは思うがね

295 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 08:28:37.26 0.net
ハイデガー教信者の自作自演

296 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 10:34:27.34 0.net
>>95
英文の書き方を真似してるんだっけ?

297 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 11:19:35.26 0.net
フッサール流の直観で、正三角形を考える、とか言うのを聞いたことがあったな。

298 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 13:38:30.55 0.net
>>294
アメリカというとサンデル教授が有名だけど、彼は哲学者なの?

299 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 15:26:11.17 0.net
>>294
 「ハイデッガーはただの読解屋」というのは以下の2つの意味で盲目
だと分かる。

 1.著述全体を眺めればテキスト読解は一部に過ぎない。存在の
歴史、遠近法を裏付けるための歴史を読むという手法で為される。
典型的なのは『現象学の根本諸問題』だが、実証的手続きを踏む
ために為される部分。
 人間の事実性の解釈学、また存在史の解釈、と並立し自己の論を
裏付けるもの。ここだけでも>>294の話はでたらめであると分かる。
 2.テキスト読解は自己の存在論の裏付けとしてのみ為されるが、
その方法で為される読解は類をみない精緻なもの。木田元が再三
書いているように。

 加えて言えば>>294のフッサールやハイデッガー評価は
「フッサールはヨーロッパで、アメリカで〜という高い評価がされてい
る。知られている」
「ハイデッガーはヨーロッパでは評価が下がってきておりアメリカ
ではこういう人物が居ることさえよく知られていない」という
要するに外面的風評にすぎない。

300 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 15:27:57.23 0.net
297つづき

 で>>294自身の評価としては「ただの読解屋で文学の領野」という
、存在史の解釈や事実性の解釈学、存在忘却からの奪取その過激さ
という面を読めない貧困なもの。『存在と時間』一作だけでも
上記の特徴はあからさまに出ている。
 これで「しっかりした読者」はどう考えてもない(笑)

 プラスこれだけは言えることを一応書いておくと>>294の書き方で
分かるのは俺ならめったにしない書き方である。

 世界でのの評判を持ち出してその思想の評価とするいわば
政治屋、ジャーナリスト、オタク、噂話好き、ごろつき文化人に
顕著な手法。この手法を無造作に書き連ねて行く。
 このような「この思想は今はこういう評判です」を仲間内でいつも
やっている人間かもしれないが、俺なら知っても当てにはしないし
自分で読まなければ何も分からないと思ってるので。世界の評判
でその思想を測ることは俺ならない。程度が知れるからね。

301 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 16:18:00.44 0.net
ドイツでも分析哲学が広まってるし、そういう権威主義でうならせる手法は通じにくくなってると思うけどね

302 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 16:50:56.33 0.net
298つづき

 プラス言わせてもらえば>>294の話とは

「これだけの諸外国の学者が言ってるんだからそうなんだよ。私はそういう
大多数の側にいるんだよ」
「木田元だってテキスト読解については文句なく褒めているが、『哲学への
寄与』へはノー・コメントだ。偉い先生が言ってるんだからそうなんだよ。」

 といった多数派や権威に寄り添うことを自己の是の根拠にする、いわば
政治屋、少数であることに怯える人間に顕著なものである。これに感心
しろといわれても無理であり、思索に関わる人間に必要な孤立にも耐える
力がこの人物にはない気がする。そういう匂いがするということだ。
この人物がハイデッガーを語れることはないとしても当然で、そういう
器量がない。何故ならハイデッガー思想とは、究極、人間が単独で有る
しかないことを訴えるものである。この人物が多数派や権威に添うことを
是の根拠としている限り、そういう思想と無関係であるとしても、理解でき
ないとしても、当然な結末である。それも最低の読解力はあると仮定しての
話だが。

303 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 16:55:42.26 0.net
>>301
たとえば、「存在」とか「現存在」というのは、分析哲学ではどう説明するの?

304 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 23:35:25.65 0.net
>>303
>たとえば、「存在」とか「現存在」というのは、分析哲学ではどう説明する
>の?

一言言っておこう。ただしウィトゲンシュタインとハイデッガーについて
だけどね。両者の問題領域は実は驚異的に重なっている。それを以下に
挙げてみよう。
 ここで何が伺われるかが問題だが、ウィトゲンシュタインの問題意識は
言語とその使用と意味について旋回しつづけている、が、、
それは彼の場合、そのまま存在問題に移行しうる過激さを孕んでいる。

 ウィトゲンシュタインの『哲学的文法』の冒頭のいくつかを辿るだけで、
これが存在問題であることはあからさまに分かる。またそれが読めない
でハイデッガーが同時代の中で占める本当の位置について云々する人間が
笑止千万でしかないことも分かるはずだ。
 これが分からないでウィトゲンシュタインの射程が分かることも
考えられない。

305 :考える名無しさん:2015/03/25(水) 23:36:12.61 0.net
302つづき

《3.意味は言語からこぼれ落ちる、ということができる。
反対の意味(が言語に含有される場合):「貴方は真面目に言っているのか?
それとも冗談として言っているのか?」(のように)
 我々が言葉で意味する場合、我々には、言葉に付随する何者かがあるかのよ
うに思える。》

《9.要求とその実現との間に食い違いはないのか?「私はある要求を理解
する、というのはただそこに何かを付加するからである。名づけるにそれが
解釈ということである」しかし言うなれば、「いかなる文章も、なお解釈の
要求の内においてある」それはこういう意味である。ライダー(それに乗って
我が物とする特定の人間)のいない文章はない。》

《50.「何かを別の何かに写像する」とは様々な事を意味している。比較にお
ける様々な規則。
 「この色彩の陰影は、このバイオリンの音色の写しです」という文章に
よって意味されていることを、我々は理解することができない。
 連関するものにおける投射の規則について語ることには意味がない。》

306 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 04:37:59.86 0.net
ウィトとハイデガーの思想的関係性は20世紀からもう明らかになっているよん。
ウィト研究者の常識れ〜す。

307 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 06:34:38.90 0.net
 ウィトゲンシュタインの抱いていたであろう問題領域として心と意味という
のがあるのは彼の書いたものを読んでみれば明らかで、上に引用した断片
の中でも、言葉が発話する者や受け手やによって何かを付加されていくこと、
、要求と実現という関係において、やはり解釈という媒介で何かが
はさまること。人間にとって言語活動とは何であり、そこで何が起こって
いるのか、は意味の可変性を形成する問題としてたえず意識されていること
が分かる。

 それらはモノと意味にたいして心が媒介し、左右する領域があることに
ウィトゲンシュタインが敏感だったこと、を表わすし、これもそのまま
存在論の問題と言ってもいい深度を備えている。またこのような
問題領域をsein「存在する、有る」の問題として全面展開し、かつ形而上学
の歴史において、沈んでいったものであることを掘り起こそうとした
思索としてハイデッガーがあることを想起させるし、ウィトゲンシュタイン
を読むことは言語活動の実践を批判する作業が存在論の言語的展開になること
を教える。

>>306
>ウィトとハイデガーの思想的関係性は20世紀からもう明らかになっている
>ウィト研究者の常識

 そうならばウィトゲンシュタインという思考の深度と拡がりとハイデッガー
の思索の深度と拡がりは見事に交差している、それは常識だというわけで、
ますますハイデッガーは偉いということになるんじゃないの(笑)ウィトゲン
シュタインという稀代の天才と重層する思索を同時代にまったく関係ない
別な場所で展開していた思想として。

308 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 08:18:33.20 0.net
ハイデガーを褒めるにしても、貶すにしてもキャッチコピーの言葉ばかりで、哲学の言葉ではないな。

309 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 08:20:16.50 0.net
電通とかプロパガンダ業界の人間がよくこういう文章を書く

310 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 08:34:17.44 0.net
ウイットゲンシュタインは数学の勉強したんだよね。

311 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 09:20:12.58 0.net
>>307
ハイデッカ−後期の思想の「なる(生成)」概念と、
sein「存在する・有る=現存在」の存在論とは、どのような連関にあるのでしょうか。

312 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 10:33:15.69 0.net
>>304
>>303の質問に、どう関係するの?

313 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 14:07:38.66 0.net
>>303
>たとえば、「存在」とか「現存在」というのは、分析哲学ではどう説明
>するの?

 現存在や存在の意味が受け取れていれば簡潔になされるものだ。
「〜である」や「〜がある」の命題・判断の起こる場所が現存在であり現有、
その場合の「ある」が存在であり有。たったこれだけのことなので、やや
こしい分析もへちまもない。むしろ上記のような質問をしてくること自体、
分析哲学も存在論も天上の何かと思いこんでいるから出てくるのではないか。
実は人間における日常的な意味作用を表してあるだけだ。

 ウィトゲンシュタインにおいて、言語への問いが徹底されていき、そこで
存在の問いが浮かび上がるという構造はあるが、ただそれは分析哲学派に
あるような論理の解析や命題の分類といった程度のモノではない。そこで
終わるならハイデッガーへの通路など生まれようもなかった。分析哲学派
とハイデッガーとの共通点となるとないと言うしかない。分析哲学派に
ウィトゲンシュタインは厳密には入らないだろう。後者で思考は、意味とは
そもそも成立しうるものなのか、という問いまで進行してしまう。
 そこまで行かなければハイデッガーとの重層性へまでたどり着くこと
もなかった。

314 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 14:14:58.37 0.net
311つづき

 対象が像に変換されるときの無限、その帰結はあの徹底した論証
から導出されるもので、しかし同時にその帰結とはハイデッガー有論
から導出されていくものに等しい。「ある」の底無し性とウィトゲン
シュタインの言語分析で現れる底無し性は一緒といっていい。しかし
それは 分析哲学派全般に言えるものではない。

>>308
>ハイデガーを褒めるにしても、貶すにしてもキャッチコピーの言葉ば
>かりで、哲学の言葉ではないな。
 
 そういうお前さんは「哲学の言葉」とやら書けるのか?だいたい
「哲学の言葉」って何だ(笑)分かっているというならまず自分から
実際にここで 実践してみせるのが筋だが、おそらくお前さんには
無理だろう。ハッタリだろうから(笑)書けもしないなら他人に向か
ってもったいぶって感想言うのは止めとけ。

315 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 14:17:05.90 0.net
既にいくらでも書き込んでいますよ。それを見分けられないのは、
あなたが哲学を理解できないだけの話。

316 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 14:28:44.17 0.net
>>313
「存在」とか「現存在」というのは、分析哲学のテーマにはなりえないということ?
分析するまでもなく自明の、言葉の使い方の問題に過ぎないということ?

>>315
>>303に対するレスなら、申し訳ないが再レスしてよ。
あくまでも、分析哲学での「存在」と「現存在」の扱いについてという質問。

317 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 14:44:46.60 0.net
「存在」は哲学の普遍的テーマだけど、「現存在」はハイデガーが作り出した特殊概念だから、
ハイデガー哲学以外では扱えないだろう

318 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 15:01:14.33 0.net
>>315

 ああそう(笑)だいたい分かるけどね。貴方が書いたのは。しかし、このスレ
で俺以外で書いてる人でまだ思考する努力のある人といえば、時どき持論
を向けてくる>>290氏がいるが。この人は>>311とおそらく同じ人で自分で
考えて整理し、提示してくる。或いは尋ねてくる。この人はそれなりに
考えている人だなと分かる。

 あとは正直首を傾げるようなのが多いな。知ったかぶりか、他人の評判で
知ってるつもりになってるか、生半可な読みで済ましているか、それは>>294
>>308のことを言ってるんだが。

そういうどうしようもない自称(実際は詐称)「しっかりした読者」か
その似たような小型同類か、もしくは長文というだけで不快になってる
アレルギー(笑)あとは何の気もない1行感想、で全部じゃないか?俺なりに
レスを見分けて行くとね。貴方のいう「哲学」は見えないんだけどね。
消えたのかしら(笑)

319 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 15:30:14.62 0.net
ハイデガー教の信者とハイデガーを貶して悦に入っている人間は、哲学を理解できない点で同類ということだね。

320 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 15:44:11.26 0.net
特殊であるなら、それは哲学ではなくて思想だよ。

321 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 17:48:55.72 0.net
>>316
>「存在」とか「現存在」というのは、分析哲学のテーマにはなりえない
>ということ?
>分析するまでもなく自明の、言葉の使い方の問題に過ぎないということ?

 あくまで俺の感じですけどね、あれはわざわざ「〜の分野ではどう
変わる?」と検討するような概念ではない。あのまんまで流通していく
他はないもの。貴方の言うとおり、自明という他ないですね。

 何故ならsein にせよDasein にせよ、どっちも言ってみれば単純
極まる命題やその一部に変換できる。

 「私に於いて貴女は必要である」→「‘貴方が必要である’が現れ
る私(場)」がdasein の一例。

 また上記における「(必要で)ある」がsein。

 これだけ見る限り、どこにも曖昧なものはないし、簡潔に
概念化されているとしか言いようはない。

322 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 17:51:01.59 0.net
319つづき

ただ、sein や Dasein に止まらない、ハイデッガーの諸概念
までとなると、また別で。カルナップという分析哲学者が言ったよう
な、実証できない領域を、想定として、表層に視えないもの
をあえて根拠として論ずるわけだから、よって無意味である。と
なったでしょうね。ハイデッガー的な時間性が「sein ある」を贈る
、というのもどこで言えるんだ、ということになりね。

 分析哲学でやるかぎり、カルナップみたいな読み方になることは
避けられない。ただ、分析哲学って恐ろしく閉鎖的で、排他的な
分野ですよね。アレに添う限り、深層記号として導出される概念は
一切使えない。で、一方、世界(この場合有るモノの集合として)や
人間を考える場合、深層として導出される概念を使って考えていか
なきゃ仕様がないってところが出てくる。でなきゃ無意識、心的外傷、
原体験、生-体験など実証することはできないし全部使えないことに
なる。ハイデッガーじゃほとんどそうだと言ってもいい。失くして
しまう代償が大きすぎる。
 
 深層としてしか導出されないとしてもそれが想定されなければ
説明がつかないとしたら使用するしかない。人間の全体性を
掴み、そこで本来性やまた可塑性を考えて行くためにはそれは
必要なものなんだと思うので。

323 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 18:13:05.42 0.net
>>317
ハイデガー以降の哲学者は、その状況における人間のあり方、という意味で普通に使ってると思うんだけど?

324 :考える名無しさん:2015/03/26(木) 23:56:10.17 0.net
>>323
ハイデガー以降のハイデガーの影響を受けた一部の人たちだけだろう。

325 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 19:35:18.37 0.net
「現存在」の概念は、日常的意識次元(=普段の生活世界)より「現象学的還元」によって、
現出した“存在”を「現存在」と定義している。だから、フッサ−ル、メルロ=ポンティその他の
現象学者が「現象学的還元」により現出した“存在”は、言葉は違ってもその〈本質〉は同じ概念である。

326 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 19:39:41.53 0.net
改行くんが活躍しているみたいですね♪
改行くんって精神病のヒキコモリですからね♪♪

327 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 21:37:12.83 0.net
そこにいるのは誰か?

328 :Da bin ich:2015/03/27(金) 21:51:06.34 0.net
>Proto-Germanic *-tha- (cognates: Gothic -da, -ta, Old High German
>-do, -to, Old Norse -di, -ti), from PIE *-to-, also *-eto-, *-oto-,
>suffix forming adjectives "marking the accomplishment of the notion
>of the base"

Daseinの「Da」は、日本語の「だ」に似ているけど、「私だ」のように「だ」が「sein」になるね。

329 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 21:52:49.32 0.net
320のいうカルナップなんか論理実証主義だから古杉
分析は科学哲学・言語哲学・心の哲学・認知科学系というように多岐に渡る
知らないなら黙って哲学学をしていれば良い阿呆が

330 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 22:09:23.19 0.net
「彼」の呉音(ごおん)は、「ヒ」だけど、この「ヒ」の意味は、英語の
「here」とか「he」と同じだね。

>here
>Old English her "in this place, where one puts himself," from
>Proto-Germanic pronomial stem *hi- (from PIE *ki- "this;" see he)
>+ adverbial suffix -r.

331 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 22:14:20.38 0.net
この手の比較は体系的ではなく、恣意的になるから、普通は学問から
排除されるんだけど、哲学のセンスを磨くのには不可欠であるような
気がする。

332 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 22:26:45.83 0.net
>no
>"negative reply," early 13c., from Old English na (adv.) "

否定の「No」は、日本語の禁止の「な」を想起させる。
ポルトガル語の付加疑問文ように「Nao e?」になると、まるで
日本語の「ね?」のような気がしてくる。

333 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 22:35:35.98 0.net
なぜこんな体系にならない無駄な比較の「体操」のようなことをするかというと、
普段、意識するような文法規則のレベルよりさらに遡って自らの思考を組み換える
可能性を探るためだ。

334 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 22:48:49.26 0.net
語学がよくできる、つまり、流暢に多言語が使える人間に哲学のセンスが
決定的に欠けている場合がよく見かけられるが、その理由は、そうした
人たちがこの手の「体操」を全くしないことに関連しているのではないか
と思う。流暢に多言語が使える人間は、極めて多数の慣用表現に精通して
いて、その言語で通用する「適切な表現」を即座に使う。つまり、面倒で
無駄な「体操」のようなプロセスは一切省いてしまう。

335 :考える名無しさん:2015/03/27(金) 23:36:56.40 0.net
>>334
それはハイデッガーのこと?
彼は仏語も英語も古代ギリシア語もラテン語もできたよ

336 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 00:55:26.30 0.net
なにも理解していないようだね。流暢に多言語が使えるのと、
多言語が読めることは全く別のことだよ。

337 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 01:15:04.71 0.net
ハイデッガーは多言語を使えたよ
ただしアスペルガーだったからコミュ障だったけれどね
人間嫌いだったのもアスペルガー由来のコミュ障だったからなんだってさ
本に書いてあった

338 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 01:26:53.47 0.net
それは面白いですね。
ハイデガーと同年生まれ(1889年)のヴィトゲンシュタインも自閉症だったらしいですし、カントやアインシュタインやアラン・チューリングもそうだったらしい。
自閉症と思考の関係は、医学でも哲学でも研究対象になりますね多分。

339 :Da bin ich:2015/03/28(土) 08:33:11.04 0.net
日本語では、座まし(イマシ)が、汝(イマシ)そのものであるように、
現存在は哲学的反省をするまでもなく、既に言語によって表現されて
しまっている。むしろ、当たり前すぎて、そのことを意識しなくなっている
から、日本語が哲学に向かないかのような錯誤に陥る。

340 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 10:16:59.68 0.net
ラカンの適当な「漢字かな交じり」だから日本人に精神分析はいらん論と近いな
そこまで言語の拘束力強くないでしょ

341 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 22:27:11.58 0.net
 20世紀の人間行動科学として、一般的に採用されているものを思い浮かべる
と、一種の行動主義心理学や認知行動科学で、遺伝以外に先天的な性質の介在
を想定しない。環境因子や学習によって個々の自発性は変え得る。その見方を
発展させた。それを研究した人間の意図はともかくとして、これはその後
の社会に大きく受け入れられた。何故そう言えるのかというと、学校教育
にしろ企業教育にしろ、現在社会的に普及している人間観は上記の
行動主義心理学にきわめて近い。

 実際に発露された言動や行動を人格と等価とし、それが変われば人格も
変わったとみなす。今の精神医学で採用されている見方もそうですね。
自由を奪ったり薬物で気分を変えてみたり、それは外的な力によって
人格は変えられるとする。そういうイデオロギーになっていく。

 これは分かり易いし、学校や企業が、社会が、問題のある人間を、
なるべく早く矯正し、復帰させることを必須とする、早急に復帰できないなら
もう不適格とする。いわば篩い落としの方法で人材を選択する、そういう
理念にも叶っている。

342 :考える名無しさん:2015/03/28(土) 22:27:47.46 0.net
339つづき

 行動主義心理学は今の社会の求める人材育成方法に合致しており、
社会の認める哲学足り得るものになっている。そこには価値の源泉を社会
適応性に置き、他に見出せなくなっている現代の風潮も関係している。

 行動主義心理学を含めた認知行動科学が社会に受け入れられていく
という動向は学校教育をみても企業教育をみても露わに思えるんですが、
なんで一部の鋭敏な人間が学校教育に疑問を感じ、同時に企業教育にも
疑問を感じていくかそれが分かってきた。で、そういう教育の背景に20世紀
英米哲学の歴史が実は流れている。けっこうこれは重大な問題で、一朝一夕
には解決されないだろう。

 そこが分かってきて、そこでハイデッガーの特異性がまた改めて見えてくる
。あの存在論が何だったのか位置付が可能な作業にも思えてきた。英米
哲学っていうものが社会の主流たりえている現代でのむしろ外部性なの
かもしれない。そういう位置づけができるだろうし、ハイデッガーを今
読む意味もそこにあるんじゃないかと。

343 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 07:24:29.08 0.net
なるほど、アスペルガー症候群としてのハイデッガーという視点で学ぶということですね。
たしかにそれなら新しい人間学としても可能な視点ですし、アスペルガー症候群をしっかりと
捉え直す視点でハイデッガー哲学を考える意味もありますね。
ハイデッガーが他者の感情に配慮できなかったり、場の空気を読むことができなかったのは
さまざまな評論などから伺えますが、それをポジティヴに捉えることによって行動主義的な
視点による解釈も可能ですし、ユニークな試みだといえるでしょう。
自閉症というのは特別な障害ではなく、スペクトルとして傾向の大小があるという考え方ですから
同時にハイデッガーもスペクトルの中に位置づけてみれば理解も変化してきますね。
障害者の思考というのは、限定された駄目なものではなくて、傾向の中で判断し解釈しなおすべきです。

344 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 07:46:26.17 0.net
珍説だね。いまさら診療できるわけじゃなし。
本質は残された叙述や書物のみ。

障害者の思考とか、ちょっとおかしいんじゃないか?

345 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 08:38:35.10 0.net
カントもアスペルガー症候群だった、ヴィトゲンシュタインもアスペルガー症候群だった。
しかし両者とも大変個性的で優秀な哲学者だったわけです。
同時にハイデッガーもアスペルガー症候群だったが個性的で優秀な哲学者だったといえるでしょう。
知的なレベルにおいて問題がなければアスペルガー症候群という障害は思考する上でも問題がない場合も多いんです。

346 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 08:50:17.27 0.net
>>345
まあたしかに差別はいかんわな
ウィトも色々と学者からケチがついてるけどそれでも有名
知的障害がないんなら問題はないんじゃね

347 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 09:39:34.44 0.net
アスペルガー症候群と、現象学の間主観的現象を混同しているところがある。
それは、現象学の論理を正しく理解していないからでしょう。

348 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 10:57:57.56 0.net
アスペルガーがいちばん苦手とするのが現象学的な思考だけどな

349 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:09:14.48 0.net
アスペルガー症候群といっても明確な基準や範囲があるわけじゃない。

権力争いや学長までやったハイデガーをアスペ認定というのは理解しにくい。
カントにしても、著作を読む限りどこにも不自然なことろはない。
ヴィトは思い込みの激しさや、その著作の公開のされ方から見ると、ちょっとどうかな、とは思う。

いずれにしても、誰かをアスペ認定してなにかがわかるということはないし、もちろんアスペ患者への対応に影響を及ぼすこともない。
もう少し違う角度から論じたほうがいいんじゃないだろうか?

350 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:28:28.77 0.net
ナチの問題もハイデガーが他人(ユダヤ人)のことまで考えられなかったからかな?
そうだとしたらハイデガー極悪人説とかも吹き飛ぶような
悪意はなかったんだろう
たんに障害のせいだ

351 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:37:41.93 0.net
これは面白い、ビル・ゲイツにも自閉症疑惑があるんだね。
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/utigawajihei336.html

352 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:42:19.72 0.net
>>350
ハイデガー自身もアーリア人優性思想を持っていたんだろう。
愛人については、思想より個人を優先させた、ということだろうな。

353 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:54:34.60 0.net
>>352
思想的偏向だけでハイデガーのナチ問題は説明つかんだろ
大戦後だっていろんな学者からナチ問題を責められても沈黙したままだった
ということはハイデガークラスの極めて優秀な知能でも答えられなかったというわけじゃなくて
そもそも悪いとか思ってなかったんじゃないの?
偏屈でかなり変わった人だったのは交流があった日本人の学者もいってるしな
エジソンなんかも自閉症だったらしいからそういう天才的な人ほど傾向があるのかもしれないわな

354 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 11:58:46.82 0.net
>>353
ナチスに信念をもって参加したから、言い訳もろくにできなかったんじゃないの?
ハイデガーは、ナチスは素晴らしいと思ってただけだよ。
戦前の日本の知識人だって、敵国壊滅を信じて疑わなかったんだから。

355 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 12:03:51.61 0.net
ハイデガーは愛人だったアーレントにも、著作とかでもナチ問題を非難されているね。
あとは親友だったヤスパースには、何度もナチのことで追求されていて、ついには絶縁。
でも自閉症だったならば、そうしたことも説明可能なように思えるんです。

356 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 12:11:18.20 0.net
>>354
ハイデガーを一般人レベルで考えるのはどうかと思うよ
図抜けて優秀というかもう超天才だったわけだしさ
天才的な思考力をもつ人間がユダヤ人虐殺とかに賛成なんかしないだろ
そんなんそれこそ一般人でもわかることやんけ
だからこそ不自然過ぎるんだろうな
そんでもっていまだに謎として論争にもなってるし本もイッパイある
天才ゆえの障害として自閉症だったと考えるとかなり見通しはよくなるよな
それっぽい特徴もあったわけだしさ

357 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 12:17:29.29 0.net
>>355
別に自閉症じゃなくても、友人と絶縁はするだろ。

>>356
>天才的な思考力をもつ人間がユダヤ人虐殺とかに賛成なんかしない

なんの関係がある?
優秀な人間は、優秀ではない人間を見下すだけじゃなくて、自分より優秀な人間を抹殺したくなるという精神性を持つことは珍しくなさそうだ。

358 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 12:23:19.35 0.net
>>357
ハイデガーが自閉症だったとしても彼の哲学の価値が減じることはないよな
アインシュタインも自閉症だったらしいから学問的思考能力に問題ないともいえる
ならばむしろ自閉症だったと考える方が納得できる要素は多いように思うがな

359 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 13:25:51.21 0.net
村上靖彦の『自閉症の現象学』なんかにアスペとされる人たちの典型例が記述されているけど、
アスペは、現前についての問いを発することはない。現前について何も疑いを抱くこと
がないのがアスペの典型的な特徴なのだから。

360 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 13:31:34.68 0.net
>Caught: The Backstory on the Paris Anti-Semitism Hoax

ノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)だって、身元詐称詐欺疑惑が
でていて、まともな反論もなされていないのだから、なにが真実なのかよく分らないな。

361 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 13:35:41.89 0.net
>>358
なんでそんなにアスペや自閉症にこだわるの?
理解できないところを病気のせいにしようとする誰かの思いつきに過ぎないのに。

ハイデガーのナチス礼賛は全然不可解じゃない。
主観的には自分を含むアーリア人が世界を導くのは当然だと思っていただけのことだろう。

たとえば日本の吉本隆明だって、限定付であっても麻原礼賛を繰り返していた。
知識人は、それぞれ自分独自の価値観を持っている。
その価値観に基づいて、個人や集団や政策を評価するのは当然。

362 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 13:38:50.92 0.net
>Caught: The Backstory on the Paris Anti-Semitism Hoax

ノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)だって、身元詐称詐欺疑惑が
でていて、まともな反論もなされていないのだから、なにが真実なのかよく分らないな。

大事なことなのでもう一度言いました。

363 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:02:26.02 0.net
三島憲一「ハイデガーの『黒ノート』をめぐって ――反ユダヤ主義と現実感覚の喪失」を読む
http://an-storycritic.hateblo.jp/entry/2014/08/24/195842
                       
ハイデガーピンチだな

364 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:07:19.37 0.net
                     
三島は1300ページの『黒ノート』読解が相当退屈だったらしく、「それにしても、この『黒ノート』の
真正反ユダヤ主義のずさんさはなんなのだろう」「ばかばかしくて読んでいられない」「ドイツの崩壊と
恋愛沙汰のなかで筋道立てた思考ができなくなっていたのだろうか」と終始手厳しい。

365 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:09:53.22 0.net
               
ハイデガーの技術論は、技術論と反ユダヤ主義との内的結合が明らかになったことで、
全部ダメになってしまうのだろうか?専門家の解明を待つしかない。

ある分野で頭のいい人間は他方ではどこか偏っていて、ゲーデルのように妄想に生きて
いるものだが、ハイデガーのように専門分野まで電波に冒された場合はどうなるのだろう。

366 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:13:13.72 0.net
◆ハイデガー研究会 http://heidegger.exblog.jp/22997407
『黒ノート』が出版され、それをめぐるメディアでの議論は、沈静化したが、それは我々が、
『黒ノート』を読み考える努力する時期が到来したということである。『黒ノート』が我々に
とって真の課題となったということである。『黒ノート』以後もハイデッガーは20世紀最大
の哲学者として残るのか、それとも彼の哲学は悪しき価値観を孕むものとして廃棄されるのか。
彼の哲学が破棄されるべきだとして、現代哲学の基盤となっている彼の哲学をそう簡単に廃棄
することができるのか。そのように問いながら我々は今回『黒ノート』を我々の課題として受
け止める。

367 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:30:35.81 0.net
>>366
君はバカだから極論で考えちゃうんだよね
正しい部分と間違った所が見分けられないなら読むの止めたらどうかな
受け止める前に理解する努力をしようね

君の知性では理解できずバカな信仰しか持てないだろうけど

368 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:34:34.87 0.net
手厳しいな

369 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:36:52.79 0.net
>>367
それはハイデガー研究会の公式文章だぞw

370 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 14:53:51.20 0.net
ハイデガーなんて笠井潔の小説でしか知らんわ

371 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 16:14:26.48 0.net
>FBI charges 17 over '$42m theft' of Holocaust survivor funds

名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League)とかサイモン・ヴィーゼル・センターとかの
ユダヤ人権団体はなぜか、ホロコースト被害者詐称詐欺なんかの犯罪をまるで追求しないんだよね。
いままでに詐称がバレた人間が何人もいて、歴史証言の信憑性を傷つけることになっているのに、
なんでだろう?不思議でならない。ホロコースト生存者のための基金から莫大な金額を
だまし取る詐欺まで発生してるのにね。

372 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 16:53:18.16 0.net
そもそもイスラエルのシオニストが戦後賠償によって得た金で立ち上げたもの
やましいところが一杯あるイスラエルにしてみればロビー活動の一環だから
あまり揉めたくないんだよ

373 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 00:52:56.24 0.net
 『黒ノート』は衝撃的だけど、いくつかテキストで確認すべき点がある。

1.1945年の第二次大戦終結までは情報も回ってこない。ドイツ軍が何をやって
いたのか、回っていなかった可能性。ユダヤ人対策もそうだし、「殲滅」と
いうところまで一般ドイツ人が知っていたのか。ハイデッガーが人種絶滅政策
まで知っており賛同していたのか問題。

2.ドイツ軍の行状が明らかになった戦後も変わらぬ反ユダヤ主義だったか。

3.1〜2と関係するが、ハイデッガーの思想における技術・操作主義批判
と反ユダヤ主義は終生同じだったか。>>363の三島憲一の引用によると、
「ユダヤ人への問いとは単に人種問題ではなく形而上学的問題」とも
いつの年代か不明だが書いてるらしい。人種問題と自己の形而上学的問題を
終生同一化していたのかという問題。

 現在流通している『黒ノート』問題では、1〜3が不明で、すでに明らか
になっていた「ハイデッガーはナチだった」を改めて裏付ける資料でしか
なく、『黒ノート』公開によって読めるはずの年代ごとの思考の変遷に
ついて一言も触れられていない。

374 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 00:58:01.74 0.net
371つづき

 その意味では相変わらずのスキャンダル記事に止まり、歴史的資料の公開
の意義が発揮されていない。「ナチだった」という史実はもう出てしまって
いるので。年代に拠る思考の変遷を指示していないという点で、話題性先行
の記事、為されるべき読解がされていない、という性格は否めない。「そう
いうことは実際の全テキストが翻訳され発売されてから読んでください」
ということか。そうすると全集PRの一種でしかないことにもなるが(笑)
 
 日本でも戦中は文学者のほとんど、戦後のリベラルも戦中は戦争に熱狂
していたという史実はある。それくらい「自国の戦争」のような現実を
リアルタイムで超えることは難しいとも言える。
 『黒ノート』の読みは今のところ、歴史的文脈とテキストとの繋がりが
抜かされている点で以前と変わらぬジャーナリスティックな騒動に止まっ
ている。最も肝心なところが抜かされた読みや紹介しか出ていない。
 
 仮に終生変わらぬ反ユダヤ主義者だったとすれば、またそれは改めて
根拠を検討すべきであるし、ハイデッガーが言っているからといって
何でも肯定すべき理由などないのだから、ナイーブなところは終生
残っていたとして受け取るべきとも言える。

 いずれにせよ現在の『黒ノート』紹介は肝心なところに言及しない不十分な
ものである。

375 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 01:11:30.25 0.net
「私だ」の「だ」は、何を表しているのだろう。
「私だ」は、「私です」や「私である」と言い換えることもできる。
では、「〜だ」は、「〜です」や「〜である」の言い換えに過ぎないのか?
だとすると、「嘘だ」=「嘘です」ということになるが、この言い換えは
必ずしも成立しない。

376 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 08:16:55.93 0.net
>>374
単に何が何でも擁護したいだけの難癖だな

377 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 08:25:49.00 0.net
「火事だ」とか、「蛇だ」とか言うとき、その発言は、「それは火事です」、
「それは蛇です」を表していて、その省略なのだろうか?

378 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 08:33:20.68 0.net
「嘘だ」がなぜ「嘘つけ」という命令形になるのだろうか

379 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 08:46:06.37 0.net
>>375
それが言葉の多義性。あたりまえ。

>>378
「嘘(を)つけ」は反語表現。

380 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 10:33:38.67 0.net
>>375>>377
マジレスすれば、時枝誠記が参考になると思う。

381 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 11:02:23.32 0.net
>>373
>>374
ひどいね三島憲一先生を無能扱いかよw
1、2、3の項目なんか三島憲一先生クラスは百も承知
黒ノートはハイデガーが全集の最後に出すことを自ら指示していた
ハイデガーは存命中ナチについてなんとしても語らず黙った
それ以外ににもいろんな情報をあれやこれや知っていて黒ノートも全部読んでいる
その上での月間みすず誌上での文章
そうでなければハイデガー研究会ほどのところが大騒ぎなんかしないだろ
9月のハイデガーフォーラムでも
★第10回大会の統一テーマ「民族という問題――『黒ノート』が問いかけるもの」
ということになっている
おまえみたいな素人が学者を舐めるじゃねえよ 阿呆が

382 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 11:41:26.45 0.net
三島憲一先生は、エリ・ヴィーゼルの身元詐称疑惑についてどのような立場をとられているのでしょうか?

383 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 12:09:52.22 0.net
一番不思議なのが、ハイデガーのナチス支持や反ユダヤ思想が先験的に悪いことであるかのような論調しかないこと。
世の愛国者たちというのは自民族を最高の存在と考えたいし、近隣の他民族を排除したいもの。
ユダヤ人もドイツの中枢にいた。

ハイデガーがユダヤ人排斥の思想を持つことがなぜ不自然だと思うんだろう?

384 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 12:29:57.12 0.net
>>383
そこはヨーロッパならではの状況もあるみたいですよ。
日本人には分かり難いけれど、第二次大戦の敗戦国というだけでドイツもめたくそにやられたそうで。
それに世界的にお金を握っているユダヤ人を国家が虐殺したということで、敗戦時にドイツは「ナチは悪です。
しかし我々一般人にも現政府にも一切関係ありません。」というように、ナチを異端として切り捨てんだそうです。
だからナチはあくまでも「特殊な現象」であって、ドイツそのものとは関係ないというスタンスを貫いたから、
ナチが虐殺したといわれる人数も全部アメリカ及びユダヤ人のいうままにして、その戦後賠償などの条件ものんだ。
だからメルケル首相なんかも「戦争時のドイツ=完全悪」という等式を完全に踏襲している。
よくいわれるのが実際のところのユダヤ人虐殺の数やその実態は、ドイツとしてはいっさい検証なんかしていない。
つまりドイツにとっては、ヒトラーを全否定するしか戦後に生き延びる術がなかったらしい。
だから今回の「ブラックノート」は日本人の感覚としては「それと他の著作は別でしょ?」という感覚なんだけれど、
ドイツではそうはいかない。
下手したらヒトラーの「我が闘争」みたいに、発禁的なあるいは自然消滅的な運命がまっている可能性があるらしい。
それくらいに「ナチ問題」は世界一の悪行ということになっていて、ナチ礼賛みたいなものは駄目らしい。
そういうのは、日本ではピンと来ないですよね。

385 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 12:46:52.46 0.net
たしかに死んだユダヤ人のかなりの人数がチフスとかの伝染病だったらしいね
でもすべて虐殺したことになってるな

386 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:00:39.85 0.net
>>384
ドイツの資本家は他国を侵略し、ユダヤ人の資産を略奪した。
日本の資本家は他国を侵略し、国民の富を略奪した。

ドイツ国民は、自分の利益に無関係な資本家の行動を自分の意思ではないと考えた。
日本国民は、自分の不利益である資本家の行動を自分の意思であると感じていた。

西欧人にとっては、国家はたんなる政治機構に過ぎない。
日本人は確かに、国家と国民が分離できないアジア的な後進性の段階にある。

ハイデガーは、日本人のような国家と一体になってしまうという後進的な感情からではなく、自らの利益のための思想としてナチスを支持したと見るのが自然だろう。

387 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:08:01.10 0.net
ユダヤ人の定義がユダヤ教を信仰しているかどうかだからね〜
所謂宗教弾圧みたいなものなんでしょ
19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパや東欧の相次ぐ民主化の波で民族主義が台頭してき時代
中世まではユダヤ教徒として括られたものがユダヤ人のとしての人種的な民族的括りにされた

これは民主主義社会の弊害
多数派が政権を握るという社会制度上は民族対立が激しく起こる
社会の勉強でもあまり教えない負の側面

388 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:12:33.07 0.net
>>386
>自らの利益のための思想としてナチスを支持したと見るのが自然だろう。
         
そうみたいですね、ノートから読めるのはやはりハイデガーの個人的な思想でしょう。
だから日本なんかとは同じ敗戦国でも次元が違うほど悪なのが「ナチ」らしいです。
今でもナチにはユダヤ人と親ユダヤ派、それから反ナチの人や団体、国家から圧力があります。
日本人がどう騒ごうが、「ハイデガーは悪」という烙印を決定的にされたら、歴史的にもそうなるしかないんですよ。
それほどにヨーロッパでは過酷な状況なんですよね、ナチズムは。
ハイデガー研究会とかの出版社もやってるようなところは対岸の火事じゃないわけです。
だからハイデガー系学会が騒いでいる。

389 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:17:24.27 0.net
ユダヤ人という幻の人種が近代で作り上げられたのがいけない
実際19世紀から20世紀初頭では多くの人が宗教を理由にユダヤ人扱いされるのを恐れてキリスト教やイスラム教に改宗している

資本家云々はあまり関係ないよ
ユダヤ資本はむしろ戦後に台頭してきている

390 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:22:12.68 0.net
ハイデガーは全集読みしたくなるね

391 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:22:45.90 0.net
>>389
君は資本主義の歴史もシェークスピアも知らないと見える。
ハイデガーを読むにはそれでも不都合はないだろうが、ナチスの問題はそれではわからない。

392 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:26:53.43 0.net
全集は五十巻以上あるが著作は十冊程度

393 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:27:23.58 0.net
>>389
>多くの人が宗教を理由にユダヤ人扱いされるのを恐れてキリスト教やイスラム教に改宗している
                          
まったくそうで、思想家のアーサー・ケストラーはそうしたユダヤ人の戦後の権力構造に疑問を感じて自らもユダヤ人であったにもかかわらず
「ユダヤ人とは誰か 第十三支族・カザール王国の謎」という著作書いてしまった。
そうしたら書いてはいけないこと書いたユダヤ人の裏切り者として、凄い脅迫に遭い続けて、1983年にまだ20才くらいの若い奥さんと
ともに服毒自殺をしてしまった。
ちなみにウィキペディアなんかに書いてある最後のくだりは、捏造されたはなしだそうです。
本当にことはもう書けなくなってしまった。

394 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:29:18.41 0.net
日本は単一民族だろうし構造的な差別もないし何故か豊かだし平和だ

395 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:30:22.15 0.net
>>393
数多の裏歴史を鵜呑みにするのもいいが、紹介するのは確実性の高いものに限定してほしいと思う。

396 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:33:14.77 0.net
>>394
民族の定義にもよるが、日本を単一民族とする意見はきわめて少ないだろう。

397 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:33:22.96 0.net
戦前の近代日本は荒れてそうだが

398 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:34:57.60 0.net
ちなみにハイデガー全集は、ドイツでは今のところは全94巻の予定。
その最後の94巻目が黒ノートです。
2014年2月の刊行されていて、600頁でものすごく厚い本。
手元にあるだけで威圧的な厚さですね。
ちなみに厚さは「4cm」もある。

399 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:35:04.03 0.net
そうかもしれない
日本は単一民族という幻想が極めて平和的に機能する国だと思う

400 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:35:54.46 0.net
ヒットラーは民族の浄化を画策した。
これは現在の中国が、チベットやウイグルに対して行っているような、非常に残忍な行為。

日本は西欧やアメリカロシアの植民地侵略に対抗して、アジアに対する欧米の植民地支配から
独立させ、日本にとっては経済封鎖などでの国家存亡の危機に対し、自衛ために戰っただけ。
一番の脅威は、ロシアの南下政策だと考えていたことは窺われる。
敗戦の色濃い状態で、世界ではじめてのアジアサミット=大東亜会議を開き、
その音頭をとったのは東條内閣総理大臣。

日本とドイツを同一視して日本を非難するのは、戦勝国、アメリカの意向に沿ったもので、嘘捏造のプロパガンダ。

当時、戦時中は一般に国内をまとめ、国威発揚する必要がどこの国でもあったことは明らかなので、
日本の大政翼賛会と同様、ヒットラーは多くのドイツ人から圧倒的な支持を受けていたことは、当時の資料を
みれば明白。

401 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:36:47.47 0.net
王朝が万世一系で基本的に潰れてない

402 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:37:29.80 0.net
>>395
事実ですよ、ケストラーのことは。
亡くなってからすぐに日本では栗本慎一郎なんかが事実を書いている。

403 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:41:32.79 0.net
紀元前600年に神武天皇が即位して以来この王朝はずっと耐えずに現代に至るまで続く
これは異常だと思う

404 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:42:44.68 0.net
そこは自治を望んだと言われるギリシアとは違うと思う

405 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:44:42.35 0.net
ハイデガーはギリシアに還るとして、日本人はいかなる本質に還るべきなのか
起源とは何かとか、気になる

406 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:54:32.37 0.net
>>400
>ヒットラーは民族の浄化を画策した。

ユダヤ人以外には特段の行動を起こしていない。

>現在の中国が、チベットやウイグルに対して行っているような

根拠のない一方的なプロパガンダを書き込むべきではない。

>日本にとっては経済封鎖などでの国家存亡の危機に対し、自衛ために戰っただけ。

日本の満州侵略がなければ、経済封鎖もなかった。
満州利権の大きさは、同時代のルポを読むとよくわかる。

>>402
ケストラーの経歴が事実だからといって、著作の信憑性は担保しない。

>>403
天皇の歴史は日本書紀成立後に始まるから、支配の歴史は千数百年。
それでも確かに非常に長い歴史だ。
問題は、その歴史の解明を拒否して虚飾で糊塗する日本政府のあり方。

407 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:59:07.29 0.net
確かにそうだ
日本書紀の成立は西暦720年で、そこでは神武天皇は127才まで生きた事になってる

こういうフェイクの起源を基礎に据えるのは当然ありえない

408 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:59:50.52 0.net
>>406
>ケストラーの経歴が事実だからといって、著作の信憑性は担保しない。
                           
それはほとんどの思想書にあてはまることでしょう。
そういう批判は意味がない。

409 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 13:59:58.07 0.net
こういうフェイク、というのは日本書紀を知らずに語ってしまうという語り手のフェイク

410 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:02:00.23 0.net
>>408
思想の問題ではなく、事実の問題なんだろ?

411 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:02:28.89 0.net
恐らくはそういうフェイクを嫌ったであろうハイデガーは、ユダヤなるものに対しては慎重に振舞ったはず

412 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:03:06.50 0.net
>>410
は?

413 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:04:43.12 0.net
409 もっと勉強せいよ

414 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:15:58.52 0.net
森羅万象⇒日本⇒日本独自の文化

だから、昔から日本はいい意味でも悪い意味でも、日本自身、が本質って気がする。

先進国から適度に情報が取れて、しかも、支那は海が苦手で、ほとんど侵略の脅威がなかったから、
情報は蓄積され、操作され、昇華されて独自色を強めていくことができたんだと思う。

極東の島国で本当によかった(笑

415 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:16:35.67 0.net
>>405
日本人とギリシア人も同じ起源を共有してるかもしれない
還るべき起源は同じかもしれない
そこは分からない

416 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:18:35.42 0.net
近代主義とかそれへの変革への反感は全く無い

417 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:20:15.66 0.net
社会運動をする人についての反感も全く無い

418 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:20:36.03 0.net
ハイデガーがの本がなくなってもまったく問題なしw

419 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 14:24:17.18 0.net
>>406
基地外の意見だな。

ユダヤ人以外って…(笑 それが問題なのに。

チベットやウイグルに対する中国の侵略は現在進行中の史実


日本の歴史ってのは、他国の歴史でも多かれ少なかれそうだと思うけれど、事実そのものは科学的に
主張できない。だから国民がそれを受け入れてきたかどうかが問題だ。
うんたわにきょうさん、と言うのを人は信じた。事実はどうだったかはまた別のこと。

420 :なんとなく思ったななしさん:2015/03/30(月) 14:48:14.67 0.net
  
 ケクレが見たベンゼン感の夢と同じことなんじゃないの 

 亀甲ヘクサゴンの中に○見て 何を思うか ・・・・・・
   
      個人的には これは心理ではなく 確定座標上の 

   ANALOG guidance とゆー見解をしていますが
   

421 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 18:06:02.19 0.net
三島憲一って哲学畑の人ではなくて思想屋さんでしょ。

422 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 18:45:35.18 0.net
哲学は戦前でも戦後でも変わらない。思想は戦前と戦後で変わる。
戦後の思想屋さんは、戦前戦中に活動していれば戦前戦中の思想屋さんだっただろう。
思想屋さんのご主人様は時代とともに変わる。

423 :考える名無しさん:2015/03/30(月) 19:45:13.11 0.net
>>421-422
哲学というのは高尚なもので、社会や政治に影響されないからね。
もちろん、逆にいえば社会や政治にとっては哲学というのは不要なものだ。
いわば、オタクの一種がその収集癖と偏執性を高度に進化させたものなんだろう。

現代の日本にだけ見られるオタクの亜種なのかもしれないな。

424 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 05:10:07.59 0.net
多くの人間は自らの哲学を持って実践している

しかし哲学を哲学する現代の多くの哲学者は無用の長物

425 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 08:01:40.02 0.net
>>423
基地外の意見だな。

426 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 08:59:35.99 0.net
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6#.E8.AA.9E.E6.BA.90.E3.81.A8.E3.81.9D.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3
ウィキペディアによる「哲学」

江戸後期から明治初期にかけて、儒学あるいは西洋流の学問一般(とくに物理学)は窮理学と呼称していた[14]
(例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。)。
明治維新前後、日本に哲学が移入したが、最初は儒教から入った「理」という字をあてて、
理学と呼んでいた。しかし、理の字は物理学に使われてしまった。[15]日本における「哲學」(希哲の学)という訳語は、
明治初期に西周[注 6]によって作られた表現である[16]と複数の文献で解説されている[6][7]。
「哲学」の初出は西周の『百一新論[注 7]』1874年(明治7年)とされる。
北宋の儒学者であった周敦頤の『通書』志學第十[17]に「士希賢」(士は賢をこいねがう)との文言があり、
ここから「希哲学」の語が生まれ、中国西学が<Philosophy>の訳語として転用したものを西は採用し、
さらにこれを変形させて(「希」の省略)、「哲学」とした[16][注 8]。

いかにも中国西学が偉いんだぞ、的な表現だけれど、ここから「希哲学」が生まれ、ってのの論拠は書いていないし、
前後関係が不自然な影響を受ける。

そこで、世界代百科事典の希哲学を見ると、

…そこで西周は,周濂渓(れんけい)の〈士希賢(士は賢をこいねがう)〉(《通書》志学)にならい,
賢哲の明智を愛し希求するとの意で,はじめ〈希哲学〉(哲智すなわち明らかな智を希求する学)と訳し,
のちに〈哲学〉と定めた(《百一新論》1874)。…

とある。つまり、どうやら中国では「士希賢」までであり、「哲学」は西周による和製だってことになる。
ウィキは若干嘘っぱち(笑 気をつけましょうぞ。

427 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 09:00:36.75 0.net
日本の戦後思想は基地内の思想だろう

428 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 11:58:55.49 0.net
単なる蔑称として「思想」を使うやつこそ哲学から遠い
ハイデガーのDenkenは「思想(思考)」に近い意味合いがあるが、
「哲学を放棄して思想に走った」とまとめるのはさすがに愚かなのではなかろうか

かといって黒ノートのスルーはもっと論外と言える

429 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 12:21:51.59 0.net
>>428
日本語の「哲学」と「思想」はどう違うんだろうね?

430 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 12:28:30.58 0.net
ところで、その「黒ノート」とやらは、「アウシュヴィッツのガス室」や「アンネの日記」なみの信憑性があるものなのでしょうか?

431 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 12:30:15.41 0.net
出たよテンプレ歴史修正主義者

432 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 12:53:10.50 0.net
強制収容所の生存者の証言は、信用できるものなのですか、信用できないものなのですか?

>Miklos Grüner: Elie Wiesel Cons the World

>Auschwitz Survivor Claims Elie Wiesel is an Impostor ...

433 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 12:54:54.06 0.net
さあ、困りましたね。どっちなんでしょう?

434 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 13:01:03.56 0.net
とりあえずハイデガーという哲学者が実在したことから疑うべき

435 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 20:21:57.18 0.net
 三島憲一の紹介する文面で今さらながらに気づくのは、技術・操作の支配、
物理的分析・操作で支配されないものはない、という信仰、の全面化する
地球という惑星にたいし、

「技術の最後の幕は、この地球が自らを爆砕することにある。そして現在の
人類が滅びることにある。これは不幸でもなんでもない。それどころか、
存在者の優位によって深く汚染されている状態からの、存在の(des Seins)
浄化なのだ」

 という診断を下している点で、これを応用すると、オウム真理教の
地下鉄サリン散布=無差別テロも肯定はされないにしても、動機は紙一重
でつながっているとされてしまう。「日本という国家、また世界の浄化で
ある」という点ではつながっている。

 オウムによるテロは新国家建設のための戦争である。とか、
色々言われてもいるが、真理が蔑ろにされ、もう変更不可能だと看做した
うえでの破壊・殺傷だったとしたら、真理のための破壊という点ではつな
がっている。また、麻原による真理への導きは、自己の前世からの因果、
生誕以来の意識の堆積をすべて、ヨーガ修行と内省によってこれら
を解析・超出し、そのうえで自己の模範とすべき自己を探り当てる、
それ自体は(宗教思想の内部では)論理的で、自己を時間として規定し、
時間から贈られる有を基に考えられている思考である。

 有が時間から贈られるという1点では麻原の存在観とハイデッガーの存在観
は同じである。ただその時間を麻原の場合は一度は超脱することを理想と
する点では違うにしても。
 そのような2人の思想を比べてみて、両者とも現代世界にたいし、
破壊的な衝動を抱えていた、またその根底に時間を基にしたかたや超脱
・解脱、かたや本来性の哲学を考えていた。そこが興味深い。
 

436 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 21:51:11.30 0.net
>Comme on le sait, le Musee d’Etat d’Auschwitz vient d’admettre que
>le numero matricule A-7713 etait bien celui de Lazar Wiesel. Au moins
>sur ce point, qui est d’une grande importance, M. Gruner a donc dit vrai.

437 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 21:58:06.12 0.net
le Musee d’Etat d’Auschwitzとは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のことですね。
さて、困りましたな。

>アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所での事務総長挨拶

>私は何年も前から、ナチス強制収容所の様子をとらえた画像を見てきました。
>多くの生存者から心が痛む話もお聞きしました。私はこちらに来る前に、
>[ホロコースト]生存者の[アーサー・]シュナイアー師、そして
>ノーベル平和賞受賞者でもある国連ピース・メッセンジャーのエリ・ヴィーゼル氏
>ともお話をしました

438 :考える名無しさん:2015/03/31(火) 22:11:17.52 0.net
なんで黒ノートを死後刊行 
そして全集最後に収録せよ
なんてハイデガーは指示したのだろうか
ハイデガーの考えていたことがわからない

439 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 00:24:56.61 0.net
世間をあざ笑いたかったんだよ
20世紀最大のお笑い芸人
それこそがハイデガーの真実

お前ら全員バカにされたって事だ
これにこれてこれからは自分の哲学を持って人生生きろよ
間抜けども

440 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 00:25:39.87 0.net
>>439
千葉スレ上げたのお前か
口調かえんなや

441 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 07:54:24.78 O.net
技術のヤバさはハイデガーの予測通りだろ
否定できる奴いるのか?

442 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 12:33:38.27 0.net
近代文明批判なんて誰だってできる

443 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 12:58:08.41 0.net
じゃどうする、って案が出てこないことが問題

444 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 15:38:43.65 0.net
ハイデガーだけの意見じゃないし皆が抱いているものだよ

445 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 16:07:47.84 0.net
>>440
勝手に決めつけんな!
殺すぞ!!

446 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 19:33:10.25 O.net
>>442
じゃあやってみ

447 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 20:45:21.49 0.net
ネットによる知識の氾濫によって理解せずに結論だけをついばみ
それをもって知識人を装う愚か者が倫理を騙り世の中が腐敗している
ネットとは愚衆にとって蛇の囁きに等しい甘言

>>446のような愚者が己を賢者と勘違いして傲慢にのたまう姿こそ何よりの証
石を持って撃ち殺せ!!

448 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 20:48:48.82 O.net
>>442に言ってんだよ

簡単なんだろ?
俺がハイデガー舐めた発言したかい?

失せろ>>447

449 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 20:50:20.60 0.net
>>447
自己紹介、乙。

と反応するのがネット倫理だっけ?

450 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 20:52:38.88 0.net
>>448
ハイデガーの書を信仰しているから馬鹿にされたんだろw
お前がバカだという証拠に反論にすらなっていない自分のレスを読み直せよ

451 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 20:53:36.15 0.net
>>449
それはまた違う例えだね

452 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 21:46:49.61 0.net
この中で罪を一度も犯したことがないと思うものは石を投げなさい

嘗てキリスト様そう言って自分だけ石を投げつけて女を殺しました

453 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:08:36.94 0.net
>また、ネタニヤフは二階の正面に座っていた86歳のホロコースト生存者
>エリ&amp;#183;ヴィーゼルを紹介し、「歴史の教訓を学んだことを約束することが
>できると願っている。私ができることは世界の指導者たちに過去の過ちを
>繰り返さないよう促すことだけである」とヴィーゼルに語りかけた。

454 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:14:23.65 0.net
反ユダヤのおっさんがコピペを貼る流れか

455 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:20:04.27 0.net
>「私は、ラザールと再会するという事がとても嬉しかった。しかし、
>飛行機を降りた時、全く見覚えのない人物を見た私は唖然とした。
>さらに、その人物はハンガリー語を話すどころか、強いフランス訛り
>の英語を話していた。結果、我々の会合は10分程で終了した。
>再会を記念してその人物は、「夜(Night)」と題された彼の著作と
>称する本を私に手渡した。事情を知らなかった私はその本を受け取ったが、
>そこに居合わせた皆にこの人物が、私と離ればなれになった人物とは
>別人である事を話した」

456 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:22:23.00 0.net
>エリ・ヴィーゼルは、二度と私には会いたくないようだとミクロスは話す。
>彼は大きな成功を収めつつある。彼は、ホロコースト(Holocaust)に関する
>45分間の講演で25,000ドルを得ている。私は、エリ・ヴィーゼルが詐欺師
>であると、FBIに正式に届け出たが回答は無かった。スウェーデン王立科学
>アカデミー(Swedish Royal Academy of Sciences)にも告訴したが、結果は
>同じだった。私が接触を試みようとしたアメリカ及び、スウェーデンの
>メディアも無関心だった。

457 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:23:32.93 0.net
ユダヤもパレスチナで散々アラブ人を殺してるからな

458 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:25:53.06 0.net
小保方さんがノーベル賞をとっちゃったようなものじゃないかな?
小保方さんを批判すると、女性差別だとか叫ぶ連中が湧いていたけど

459 :考える名無しさん:2015/04/01(水) 23:34:34.38 0.net
三島憲一先生は、エリ・ヴィーゼルの身元詐称疑惑についてどのような立場をとられているのでしょうか?

460 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:13:22.18 0.net
今のイスラエルの愚行ゆえにナチが許されるとか馬鹿なんじゃないの

461 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:17:08.32 0.net
lose youreself

462 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:18:09.25 0.net
I am just lost.

463 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:22:28.23 0.net
統合失調症のブツ切りの感じ

464 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:24:11.34 0.net
その気になればそうでなくも出来るので統合失調症ではない

465 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:37:40.27 0.net
明後日の方向を向いてブツブツ言う感じ
しかし独り言でもない

466 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:38:03.73 0.net
東スレにいた基地がここに来たか

467 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:41:13.57 0.net
そういう事じゃない

468 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:46:14.61 0.net
統合失調症は、そのまま取れば人格の統合を失って支離滅裂な発語を繰り返す状態
黙らず発語はする しかし全く機能しない発語

469 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:48:23.89 0.net
にちゃんではそんなに自分は支離滅裂じゃない
教養がないのに哲学版にいて、その上で何か言いたい、けど教養のバックボーンがないからまとまった事が言えないだけ

470 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:49:10.18 0.net
だからお前は東スレがないからここに難民として来てるんだろ
許されると思ったら日記帳に使う
速攻で消えろ

471 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:54:31.70 0.net
難民じゃないw

472 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:56:17.13 0.net
責任という事が良くわからなくなった

473 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:56:29.54 0.net
だって反ユダヤコピペ貼って、そのうち「安倍さん支持」とか連貼りするんだろ
うぜー

474 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 00:58:45.62 0.net
ネットでの言動には割りと責任は取れる
でもリアルでの言動にはそういう時に釈然としないものが残る

475 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:01:20.67 0.net
リアルは空虚でボロボロ 各種積み上げたものがゼロの状態

476 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:04:19.84 0.net
ネットでのdisが訴えられても割りと抵抗なく償える

自分はリアルで人格触れ幅が極端なところがあって、見知らぬ他人をウザく感じて睨む事がある

477 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:05:56.76 0.net
金持ちニートかよ
だったら本買いまくれ

478 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:06:50.60 0.net
でも同時に本当は全然ウザくもない
そこら辺の齟齬がどうも何ともいえない

479 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:12:15.40 0.net
統合失調症とされる人が、何かを必死に固着的に伝えようとしてるけど、
でも同時にそれを拒絶して独我的に、しかし同時に統合を失調して、ブツブツ反復する様な、そのジレンマ

480 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:16:22.05 0.net
でもその様な言動の背景には何もない その空虚

固着的な表現と、意思疎通の拒絶を実践するかのように見える言動のジレンマ、焦燥と、
しかしそこには何もない事の空虚

そんな事を言っても何にもならない

481 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:24:42.34 0.net
そういう空虚なジレンマがある時に、他人に対する責任というものを考えると、混乱する

482 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:25:39.98 0.net
上の一連の連投に、恐らく意味はない
読まないと思うけど、読んでも無駄だと思う
そこはすまん

483 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:34:22.83 0.net
ネットでないリアルの他人がウザくないけど、なぜかウザいかのように睨んでしまうというのは結構あるんじゃないかと思う
一方で知り合いには普通に振舞う

484 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:36:27.81 0.net
その場限りで

単に、旅の恥は掻き捨ての様な、恥知らずなだけかもしれない

485 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:37:16.30 0.net
その他人に具体的な何かは全く感じてない
シルエットしか見えてない

486 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:38:21.03 0.net
恥知らずだな

487 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:39:40.64 0.net
単に旅先でごみを捨てて、気がついたらごみを手放していた、って最悪の厨二感が出てくる

488 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:55:23.04 O.net
>>450
誰が信仰してんだ?

どうした現代技術批判しろよ

489 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:57:19.66 O.net
でまた昔、内田スレで連投さんが暴れてるのか…
公の場面では出さないんじゃなかったか?

490 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 01:59:07.26 O.net
訂正

内田スレにいた

491 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:03:02.27 0.net
ツイッター見ても何か言いたいという事がなくなった

492 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:07:42.53 0.net
ひどいことは言った
エスカレ−トした最頂点の所で、翻訳しかしてないのに偉そうに、という様な事は言った

493 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:11:05.85 0.net
誰のツイッターを見ても反論したいという事は無くなった

494 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:11:20.49 0.net
>>488
過ちを認める事は負けでも悪いことでもない
理性的になれ

495 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:12:26.98 O.net
ああ、なるほど。
でもハイデガースレでまた愚痴並べるのやめてね

496 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:18:52.15 0.net
原発問題に関して高校生に向かって、会津の頃から福島は中央政府に虐げられてきた、
という様な事を言っていてイラッとした記憶はある

497 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:20:00.75 O.net
内田が?
誰の話だ?

498 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:23:38.66 0.net
内田樹の話。

499 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:24:28.21 0.net
結局あれから俺全然読書してないな。。。

500 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:28:46.41 0.net
―原発の話にもどるんですが、原発って、東京で消費する電力を、福島で作ってたわけですよね。東京の犠牲になっていたわけですよね。なんでそういうシステムが生まれてしまうのでしょう。

戊辰戦争ですよ!決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ。
東北の出身者は中央に上がっていけなかったんですよ。政界でも官界でも財界でも・・・。
明治の藩閥政治の間は、東北出身者にはエリートへのキャリアパスは存在しなかったんです。だから、原敬は爵位を拒否したんです。あれは東北人の意地なんです。
私は薩長藩閥が作った政府が出す勲章なんか要らないって。原敬の号は「一山」っていうんだけど、あれは「白河以北一山百文」、東北地方は地価ただ同然という明治の東北差別に対する原の抗議のしるしなんです。

僕は、四代前が庄内藩士、三代前が会津藩士という賊軍の系譜の直系ですから、東北人の悔しさはよくわかるんです。東北人の屈託は内田家の家風ですから。「われわれは日の当たらないところに置かれている」という。東北人である限り、いくら努力しても報われないっていう。
だって考えてみてくださいよ、東海道新幹線の開通が1964年でしょ。東北新幹線の開通は2010年ですよ。半世紀遅れてる。
福島も地元が原発を誘致したわけだけれど、それは地元に産業がないからでしょう。
産業がないのは福島県人の自己努力が足りないからじゃなくて、戊辰戦争以来150年間の、東北に対する政治的・経済的な制裁の結果なんですよ。東北にはチャンスが与えられなかった。
六ヶ所村ってあるでしょ。あれは昔の斗南藩の領地なんです。会津藩が戊辰で負けた後に、改封されて極寒の下北半島の原野に移された。不毛の荒地に。
吹雪が吹いて、食べるものもろくに採れないところに会津藩士たちは追いやられ、そこでずいぶん餓え死にした。その斗南藩のところに今六ヶ所村の再処理施設があるわけですよ。
産業が何もないところに。農作物も育たないし、自然資源もない。そこで生きていかなきゃいけない人たちがいる。だから、「よごれもの」を引き受けるという誘いに手を上げざるを得なかった。
他に生きる道がないんだから。」

501 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:33:16.81 0.net
ツイッターで繰り返される経済成長批判の論調を、自分が何となく見てイライラしてた記憶がある。

今読むとそう問題ないんじゃないかとも思える。

502 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 02:33:49.69 0.net
○ツイッターで繰り返される内田達の経済成長批判の論調を、

503 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 08:11:35.72 0.net
>だって反ユダヤコピペ貼って

アウシュヴィッツ強制収容所の生還者の証言を転載したら、反ユダヤって
どういう理屈なのでしょう?

504 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 08:40:26.47 0.net
ヒットラーは実はユダヤ人だったし、実はUボートで脱出して、南米あたりで余生を送った、って話があるな。
メルケルはヒットラーの孫、とか言う話もある。
アンネの日記は偽作で、筆跡がおかしいし、そもそも当時普及してないボールペンが使われていた、とか。

おっと、スレチでした。すみません。

505 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 08:51:29.48 0.net
「反ユダヤコピペ」の要旨をまとめてみると、こういうことですね。

1. ミクロス・グリュネル氏は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からの生還者である。
2. グリュネル氏は、強制収容所でラザール・ヴィーゼル氏と親友となったが、そのヴィーゼル氏
に強制収容所が与えた番号がA-7713であったことを記憶していた。
3. エリ・ヴィーゼル氏は、自らをアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からの生還者である
と主張し、番号A-7713の入れ墨をナチスによって入れられたと証言している。
4. グリュネル氏は、そのことを知り、エリ・ヴィーゼル氏と会ったが、エリ・ヴィーゼル氏
は、親友のラザールとは全く別人で、ルーマニア領ハンガリー人地域出身地のはず
であるのに、ハンガリー語を全く話さず、番号A-7713の入れ墨を見せることも拒否した。
5. アウシュヴィッツ国立博物館は、番号A-7713が、グリュネル氏の主張どおり、
ラザール・ヴィーゼル氏のものであることを確認している。
6. グリュネル氏は、エリ・ヴィーゼル氏の身元詐称をFBIとスウェーデン王立科学
アカデミーに通報したが、完全に無視された。
7. グリュネル氏の主張を嘘であるとする誹謗中傷に対して、グリュネル氏は裁判
で自らの主張の正しさを証明しようとしたが、裁判所は、エリ・ヴィーゼル氏の
強制収容所に関する身元詐称は、歴史家などが判断するべきことであり、裁判官が
判断すべきことではないとした。

これのどこが反ユダヤなんでしょうね?
それにグリュネル氏自らが、強制収容所に入れられた「ユダヤ人」でしょう。

506 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 15:27:53.21 0.net
ユダヤ人の定義=ユダヤ教を信奉する人。
これは客観的に判断するには曖昧で判り辛く、多くの人々は明確な根拠を持っていなかった。
そのため二十世紀半ばまでは誰でも「自分はユダヤ人である」といえばユダヤ人になれた。

近代欧州におけるユダヤ教は概ね貧困層に多く広まっていた
19世紀頃までの文献に出てくるユダヤはユダヤ信者という意味だった。
しかし19世紀に始まったシオニズム運動(イスラエル国建国)によってユダヤ人という民族意識を高めていき徐々に民族として形成されていった。
これはマルクスの社会主義の影響を受けて起きた運動ともいえた。

しかし社会主義運動はは民族主義の台頭も起こした。
少数派の政治勢力はそれまで以上に無視され、或いは敵視された。
その結果ロシアや東欧で暴動と迫害がおき多くの人々がドイツ等のよゆ豊かな西欧に流れていった。
やがて第一次大戦がおき政治情勢が変わる中で西欧でも格差が広がり移民が深刻な社会問題となった。

そんな中で第二次世界大戦中でホロコーストが起きた。
二度の大戦後の大量の難民・移民問題の解決策としてパレスチナへの移住は欧米に黙認されやがてイスラエル建国に至った。

現代のイスラエルの社会問題として過激な原理主義的なユダヤ宗派とそれ以外の宗派との間に軋轢が生まれている。
もともとイスラエルはパレスチナにおけるアラブ人を少数派民族とするために手当たり次第に世界中から移民を受け入れユダヤ人としたためだ。

507 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 15:45:06.76 0.net
こういった歴史的背景を知るとユダヤ問題は血統によらない事が判る
元々ユダヤ人は聖書に出てくるバビロン捕囚から始まるため50世代以上の歴史があり血としては保たれていない

極々少数のパレスチナに残った中東系の人達がユダヤ人といえる
しかし現在の人々は白人だ

聖書の表現にあるように元々は中東の褐色の肌や北アフリカの黒人がユダヤ人だ
なのに現代では白人がユダヤ人を代表して名乗る矛盾

508 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 16:03:35.18 0.net
ユダヤ人の事を白人・黒人・黄色人と同じような民族と考えてる人が多いね
ユダヤ人=ユダヤ教信者だから

日本でいえばオーム人・仏教人・キリスト人・創価人といってるのと全く一緒なんだよ
だから時間がたてば立つほど証明なんて殆ど出来なくなる
戦時中にユダヤ扱いされたかどうかでしかないんだから

509 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 16:18:11.56 0.net
そこは血統主義で凝り固まったハイデガーさんに言ってあげてください

510 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 17:46:56.83 0.net
資金の流れ: エリ・ヴィーゼル財団→バーナード・マドフ→???

>His foundation, the Elie Wiesel Foundation for Humanity, lost substantially
>all of its $15.2 million in assets to Madoff; including his personal
>investments, total losses may be as high as $37 million. "We gave him
>everything, we thought he was God, we trusted everything in his hands,"
>Wiesel said.

511 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 17:48:14.85 0.net
これってようはナチス告発したやつの信頼性が一部怪しい→ホロコーストはなかった
という詭弁ですよね

512 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 17:49:25.13 0.net
ハイデガー研究者には枢軸国大好きな右翼がそこそこいるのは有名だけど、
これはまずいですよ

513 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 17:57:36.33 0.net
ヒトラーナチスがユダヤ人を迫害して資産を収奪したことは、だれもが認める事実。
そのナチスをハイデガーが賛美していたことも誰もが認める事実。

それだけでも十分じゃないかな。

514 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 18:59:07.42 0.net
そして当時のドイツではヒットラーを多数のドイツ人が支持していたのも事実。

515 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:15:17.44 0.net
詭弁論者はあなたのようですよ。それに論理的思考能力も著しく低いと言わざるを得ない。

516 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:21:50.99 0.net
>514 の帰結は、だから、ハイデガーだけを責めるわけにはいかないだろう。

517 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:30:32.65 0.net
では現代においてパレスチナに住んでいた百万に及ぶ人たちを武力によって追い出し
土地と財産を強奪しているユダヤ人は良いのか
さらに難民はパレスチナ人と勝手に名づけられてアラブ周辺国に人権も無く940万に及ぶ人達が置かれている

ユダヤはたった300万人の被害
しかしパレスチナ住んでいた人たちは1000万人

ナチスの一番の罪は悪逆非道なユダヤ人を根絶やしに出来ず、奴らに被害者面をさせる口実を与えたこと

518 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:31:02.54 0.net
私は、個人的にはホロコーストはあったのだろうと考えています。
ただ、それは、身元詐称が疑われるような人の証言とは別様に起きた
可能性が高いのだろうと思う。

まず、エリ・ヴィーゼル氏は、ホロコースト証言の草分け的な存在であり、
既に公表されている他人の証言を後追いで真似たわけではない。すると、
もし、グリュネル氏が主張するようにエリ・ヴィーゼル氏が身元詐称を
しているとすると、その証言内容もやはり捏造であることになる。

次に極めて重要なのが、詐称が事実であるとすると、なぜ、エリ・ヴィーゼル氏
が、グリュネル氏の親友であり、実際にアウシュヴィッツに収容されていた
同姓の別人の実在する個人識別番号を知っていて、しかも、身元詐称をしても
本人が名乗り出てくることも、収容所における処刑または病死の記録が出てくる
こともないことを確信していたのか、という問題です。

519 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:42:08.80 0.net
現実問題としてユダヤ教がカルトとしての側面を持っている事実はたしかだ
旧約聖書を読めば判るようにイスラム教などより遥かに古い経典のため原始的で残酷かつ排他的な宗教
ヨーロッパで恐れられて追い出されたのも無理は無い
虐殺の有無に関らずユダヤ教の本質に目を背けてはいけない
彼らは他民族の絶滅を聖典の元に誓った狂信者達だと言うことを

520 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:44:25.46 0.net
通常の身元詐称犯罪において、詐称犯が実在した人物の個人情報を使っていて、
その個人が行方不明である場合、何が疑われるでしょうか?

ここで、ホロコーストがどのように行われ、だれが関与していたのか、
重大な疑念が湧いてくるわけです。

521 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:45:18.90 0.net
また一般に悪魔教カルトによるイケニエは行われた事実は無いといわれている
それは恐らく事実だ
実際にやったのユダヤ教徒でありそれが捏造されて流布されたのだから
これはアメリカで実際に起きた事件だ

このようにユダヤ教はカルト的な要素をその教えに含んでいる恐ろしい宗教

522 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:56:46.39 0.net
>>516
これが歴史修正主義者の基本ね

大東亜共栄圏は悪くなかった論法と一緒

523 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 19:58:38.51 0.net
ホロコースト証言をしている人間が、ホロコースト犠牲者の個人情報を
なぜが握っていてそれを身元詐称に悪用し、嘘の証言を重ねて、現実に
起きたホロコーストの全容解明を妨げているとした場合、これは
本当に恐ろしいことではないでしょうか。

524 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 20:02:04.33 0.net
死人に口無し
敗者や死者に語る権利は無い
今までの歴史はそうやって作られてきたし
これからの歴史もそうやって作られていく

恐ろしいと感じるのは自らが闘えば敗者となる自覚があるからだ

525 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 20:07:43.52 0.net
 1935年に講義された『形而上学入門』で

《(今日、価値概念の文献が「哲学」と自称しているしまた)
、国家社会主義(ナチス)の哲学として横行しているが、この運動の
内的真理と偉大さと(つまり地球全体の惑星的本質から規定されている
技術と人間的本質との出会い)には少しも関係しないあの哲学の
ごときは、「価値」と「全体性」とのこの濁流の中であてずっぽうな
網打ち漁をしているのである。》

 という有名なセンテンスを書き、戦後も削除しなかったことが謎とさ
れていた。しかし『黒ノート』によれば技術の最終的形として、
「地球自らの爆砕」がある。それは「存在者の優位によって深く汚染
されている状態からの、存在の(des Seins)浄化」だというのだから、
その展開には世界戦争もある、また、ドイツ民族浄化もある、
ナチス最盛期のリアルタイムではそう捉えていた。戦後も、根本の
ところでは変更はなかった、その可能性がある。

 それが公になることでの紛糾に巻き込まれ、答えることの億劫
から全集最後の刊行を指示した。「あれが私の本音で、他には
言うべきことはない。失望するならすればいい」というね。

 ドイツ民族を崇高に捉え過ぎているところはついていけないが、
技術と効率と主体化に淘汰・支配される人間と自然その惑星的
運命をどう捉え、超えるのか、という問いはいまだに生きていると
いう気がする。ハイデッガーほどの鋭利さでこれを掴まえているの
はマルクスくらいだろうし、マルクスと込みで読まれていくだろうと
思いますね。

 今回の『黒ノート』刊行でこれまで読み方が分からなかったテキスト
の意味が明らかになる、同時にナチズムとの関係も分かってくるところ
が大いにあるのかもしれないし、その意義はあるでしょうね。

526 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 20:43:11.85 0.net
>>522
無知だな

527 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 20:43:56.96 0.net
うん

528 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 20:47:15.58 0.net
読まないと何も言えないな
それがもどかしい

529 :526:2015/04/02(木) 20:48:17.25 0.net
被ったな

530 :526:2015/04/02(木) 20:50:06.18 0.net
でも学者になれないから読む余裕がない
そういう意味で読む事が不可能

531 :526:2015/04/02(木) 21:00:33.86 0.net
ハイデガーについてはlostというのが大事な気がする
失われてしまうという危機の哲学ではなくて、失われてしまっている、という変革の哲学という感じがする

532 :526:2015/04/02(木) 21:03:26.65 0.net
>(つまり地球全体の惑星的本質から規定されている
技術と人間的本質との出会い)

あとは、ここにも「人間的本質」というのがあるが、技術を論じるにあたって大事なのは、この人間的本質というものだと思う。

533 :526:2015/04/02(木) 21:07:33.14 0.net
人間がその本質に即して技術を使うことも出来るし、逆に支配されることも出来る

それから近代に書かれたフッサールの「ヨーロッパの危機」とは何だったのか

534 :526:2015/04/02(木) 21:16:31.95 0.net
「地球全体の惑星的本質から規定されている 技術と人間的本質との出会い」は、
単なる人間の技術利用でもなければ、技術による人間的本質のスポイルでもなくて、
両者の本質が、明らかになって、実現されて、更に体現されてる。

535 :526:2015/04/02(木) 21:19:20.44 0.net
《(今日、価値概念の文献が「哲学」と自称しているしまた)
、国家社会主義(ナチス)の哲学として横行しているが、この運動の
内的真理と偉大さと(つまり地球全体の惑星的本質から規定されている
技術と人間的本質との出会い)には少しも関係しないあの哲学の
ごときは、「価値」と「全体性」とのこの濁流の中であてずっぽうな
網打ち漁をしているのである。》

それをナチスの運動が担ってるという事になるのか。

536 :526:2015/04/02(木) 21:36:01.87 0.net
ハイデガー程の人が、価値」と「全体性」の解明と実現について脱力に陥らずに、
何故オプティミスティックになれたのか気になる。

537 :526:2015/04/02(木) 21:44:36.23 0.net
ここに至って、ハイデガーの思考と教養の密さと個性、また言葉の背後にある学問の厳しさと異様さが何となく想像される。

538 :526:2015/04/02(木) 21:46:55.98 0.net
併せて自分の教養の無さと平凡さを痛感させられる、というのは別にいうまでも無い。

539 :526:2015/04/02(木) 21:57:40.11 0.net
というかハイデガーのナチス問題については、ハイデガー本人が語ればよかったんだと思うが、
彼は戦後にナチスとユダヤ人との関係について語らなかったのだろうか。

540 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 22:04:23.59 0.net
やはりハイデガーの病理というものを感じてならないですね
形而上学入門での発言もそうだがハイデガーはいつも自分の立場ばかり
ユダヤ人が当時からドイツでもかなり商売をして成功していたのは事実
そらがゲルマン民族からすれば脅かされると感じるのも理解はできる
しかしユダヤ人にだって女性も子供もたくさんいる
そういうことにはハイデガーの思考が及ばなかったのだろうか
レヴィナスがいう「他者の死」がハイデガーの想像力の中には無かったということが
あまりにも異常な「精神」であるように感じられる
やはりハイデガーはそもそも異常だ

541 :526:2015/04/02(木) 22:06:21.54 0.net
人命よりも哲学の方が優先されたんだろう

542 :526:2015/04/02(木) 22:09:00.09 0.net
ユダヤ人が堕落しているように見えて、それが文明の堕落に結びついているという様な事かもしれません
その点では反体制知識人ととそう変わらない

543 :526:2015/04/02(木) 22:09:32.87 0.net
ともかく読まないと始まらない

544 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 22:10:21.03 0.net
人命よりも優先される哲学というものが存在するな
それはたんにその人の「欲望」を記述しただけに過ぎないものではないか
じつに意味のない後退だといえる

545 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 22:15:22.31 0.net
ユダヤ人を創価系の在日と置き換えれば日本人にもわかりやすいだろう

546 :526:2015/04/02(木) 22:15:37.60 0.net
ハイデガーというよりナチスの組織が異様なんだとは思う。
その両者が一部噛み合ったという事じゃないかと思う。
一部かみ合ってるだけに、そこが難しい。

547 :考える名無しさん:2015/04/02(木) 22:17:45.31 0.net
           
●ハイデガーの黒ノート日独会議(2014年12月)「一般読者」からの親近感
http://togetter.com/li/758173
ハイデガーがいわば遺言で死後公表を指示した通称「黒ノート」、正式には『考察』が今年刊行されはじめた。
そこには全面的ではないにせよ、いわば近代的方法や資本、つまり近代的自我を批判するものとしての反ユダヤ主義(世界ユダヤ人組織という言及)があり、
そのステレオタイプの可否を巡ってセンセーションを巻き起こしている。そこでは主にナチスのレイシズムを否定するために、近代形而上学をユダヤ的とする
ステレオタイプが認められるのか? 編者のペーター・トラヴニー氏が、福島事故直後に次いで来日、日本の若手のハイデガーフォーラムでの日独哲学者会議が
二日間にわたって行われた。そこで語られるのはハイデガーの孤独なのだが、一般読者には馴染みのあるレイシズムや陰謀論という話題だ。哲学は何を見落と
してきたのだろう。不完全だが実況ツイートなどをまとめておく。アメリカの反主知主義にかぶれレイシズムや陰謀論が吹き荒れる中、自公圧勝という総選挙と
重なり、非常に興味深いシンポジウムであった。

548 :526:2015/04/02(木) 22:21:24.06 0.net
人間的本質が技術に敗北したという事かもしれない。
ユダヤ人への関係は、その敗北の拗れの結果であるといえるかもしれない。

あえて言えば、ベストは尽くしたが、技術が悪いと。

こんな俗な言い方はダメだが

549 :526:2015/04/02(木) 22:34:30.75 0.net
ハイデガーや、ドイツ、ユダヤについて「噛み合う」「人命」と言っても、読まないとダメだ。

550 :526:2015/04/02(木) 22:39:01.28 0.net
ホロコーストは第二次大戦中の出来事だ。
そもそも戦争に入らざるを得ないという時点で、何かが拗れている。
その十年以上前に、なぜかドイツ人がナチスを選んだ。

また、ハイデガーが直接ユダヤ人のを命じたわけでもないが、
しかしだからハイデガーとナチスによるユダヤ人迫害は無関係であると言えないのも難しい。

551 :526:2015/04/02(木) 22:41:11.55 0.net
その辺も歴史を学ばないといけない。

552 :526:2015/04/02(木) 22:46:45.82 0.net
でも俺学者じゃない。

553 :526:2015/04/02(木) 22:48:03.52 0.net
どちらかというと諦観的な人命主義者で、殺さず、死なずなら何でもいいじゃないかという所はある。

554 :526:2015/04/02(木) 22:48:53.41 0.net
にちゃんで連投してしまうが、リアルでは特に何も言わない。

555 :526:2015/04/02(木) 22:50:40.01 0.net
強いて言えば雑多な世の中が落ち着く。

556 :526:2015/04/02(木) 23:56:48.57 0.net
こういう態度を、精神の堕落と復権という観点から批判したのがハイデガーかもしれない。

557 :526:2015/04/02(木) 23:59:03.09 0.net
「精神とは、全体としての存在者もろもろのものを盛り上げるものの事である。」
形而上学入門

558 :526:2015/04/03(金) 00:08:52.69 0.net
全体としての、というのは恐らく専門分化することによる精神の知性化及び道具化に反対している。
その様に精神が知性化、道具化すると、本来は精神と結びついた詩と芸術、国家建設と宗教(これ等が併置されてる、後者については共産主義をまず想起すべきだろう)
が、知性に従属するようなものとして矮小化する。

つまりは精神の知性化によって、文化が全体性を喪失し、専門化しつつで矮小化するが、こうなった「文化」の肯定が、寧ろ自分が野蛮でないことを示すことの証となる。

559 :526:2015/04/03(金) 00:09:39.61 0.net
この知性とは、謂わば世俗的な自己意識だろう。

560 :526:2015/04/03(金) 00:11:01.61 0.net
そういう知性が反野蛮の名の下に文化を分断し、その中の特定領域において、それを自己の意識の下に利用し、形骸化する。

561 :526:2015/04/03(金) 00:17:46.13 0.net
アメリカ、ロシアが出てくるところだけまず拾い読みした。
その辺りでは「世界の暗黒化」について語られていて、それをもたらすものが精神の様々な失調であるとされてる。

562 :526:2015/04/03(金) 00:20:26.84 0.net
でも分化した領域でも、凡庸化せず面白いものはありそうな気もする。

ここでは精神の失墜と全体性の喪失が結び付けられてるが、それは必ずしも妥当しないかもしれない。
前後を読まないといけない。

563 :526:2015/04/03(金) 00:24:06.31 0.net
つまりは人間が技術者になると、閉鎖的かつ矮小的になりつまらなくなるのだという事だと思う。
それがつまりは全体性の喪失だと思う。そしてこれが文化の分断と矮小化をもたらす。

564 :526:2015/04/03(金) 00:45:52.98 0.net
そうするとどうしても官僚批判的になり、しかもそれがナチスと結びついてしまった。

565 :526:2015/04/03(金) 00:48:03.59 0.net
勿論ハイデガーはナチスの顧問ではないが、官僚批判的な、革新を求める事の孕む危うさというのはあるだろうと思う。

566 :526:2015/04/03(金) 00:49:57.40 0.net
また、ナチスにどういう思想があったのかは分からない。

567 :526:2015/04/03(金) 01:11:31.05 0.net
ここから成熟について江藤淳を考えるべきかも知れない。

568 :526:2015/04/03(金) 01:12:41.45 0.net
江藤淳でハイデガーを擁護するという事は出来ると思う。
官僚批判という点ではハイデガーは特殊ではない、彼が特殊なのは、それを批判しつつ体制側に寧ろ擁護的であったことだろう。

569 :526:2015/04/03(金) 01:14:38.17 0.net
そこでは江藤による、小林秀雄論(彼は理想的文化人に近いかもしれない)も読まれるべきだろう。

570 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 03:14:25.39 O.net
ブログでやれ

571 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 03:19:52.61 O.net
まあいいか
俺はこの板興味無くなったから好きにやれ

572 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 03:21:42.32 0.net
ハイデガー読み始めるには何から読んだらいいの?

573 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 03:33:54.32 0.net
>>539
>というかハイデガーのナチス問題については、ハイデガー本人が語ればよか
>ったんだと思うが、 彼は戦後にナチスとユダヤ人との関係について語らなか
>ったのだろうか。

 1966年に『シュピーゲル』の取材で座談会をやり、ナチスとの関係、
総長時代のユダヤ人教授や学生との関係、について相当喋ってる。これは
『形而上学入門』(平凡社ライブラリー)に収録されてるので簡単に読める。
Amazonでも買える。

 それによると総長時代に民族主義学生がユダヤ人排斥プラカードを学内に
掲示させてほしいと申し出てきたのを許可せず、学生がナチス突撃隊大学局
に通報し、そこからナチス突撃隊大学局から圧力がきた後、バーデン州知事
に応援を乞い、「私の手には負えない」と突き放された。だがハイデッガー
は断ったと言う。

 またナチスから「ユダヤ人の書いた図書を図書室から放逐せよ」という
催促がきたとき、あるいは学内で焚書せよ、という要請が来た時、いずれも
拒否した。なのでユダヤ系だったフッサールの本は学内で最後まで自由に
読めた。

574 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 03:40:41.65 0.net
571つづき

 ユダヤ人女子学生ヘレーネがフライブルクで学位がとれず、バーゼル
大学 で1942年に学位をとり論文を出版したとき、その論文の前書きに
学生は 「この論文が完成したのはハイデッガー教授のおかげ」と添え
ていた。

 大学付属病院長やノーベル賞候補となった物理学教授をユダヤ人いう
理由で免職するよう求められたときにも拒否した。

 また戦前に不倫し戦後も交流のあった元々の弟子ハナ・アーレントは
ユダヤ人。1920年代に互いに行き来し学者として信頼しあった、戦後も
対面こそなかったものの手紙の交換は1966年まで続いたヤスパースも、
妻がユダヤ人、二人はナチスの目をごまかし続け、敗戦直前に収容所行
き が決まり寸前で敗戦で助かった。ハイデッガーは戦後に夫妻にたいし
、手紙で苦労をいたわる言葉をかけている。

 個々の人間的関係で、ハイデッガーの反ユダヤ主義はみえない。
あくまで 形而上学の歴史からみた意味として有の忘却とユダヤ人の
歴史とを同一視 し、断罪すべきとみなしていた。しかもそれも、一体
いつまでのことか、 どういう意味合いが最終的に付加されているのか
肝心なところを『黒ノート』 研究者も言わないので分からない。これ
が今のところ、センセーションを 煽る発掘にすぎないと思えるのは
その理由による。

 もともとハイデッガーは「元ナチ党員」「ヒトラーの同調者」と
いう糾弾は変わらずあったので、その糾弾とどう違うのか、反ユダヤ
主義の意味づけの変遷がたどれない今の段階では判断できないという
こと。

575 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 05:07:13.56 0.net
 『黒ノート』刊行がこれまでと違うモノになるのか。分からない
段階で、「技術の最終的な作業は地球の爆砕」「有の浄化」というのは
彼の感性がよく出ているが、反ユダヤ主義については戦前のテキスト
だけでは何とも言えない。

 ハイデッガーの技術論とか話が出てるが、1955年から言われた
放下 Gelassenheit の話が出ないのもおかしいし、ということは
やっぱりハイデッガー読みじゃない人しか居なかったと思われて
も仕方ない。

 放下の立場からすれば、技術が我々の有を留めないでいる限り
我々はこれを放置することができる、避けがたい使用という側面に
止まる限り放置し、我々の存在本質を塞ぐ地点では否を投げることが
できる。
 これは技術にたいするそれまでとはまた別の態度で、有に重きを
置く立場に対し技術がどのようなことを為し得るのか、見定めて行
くわけで、ならば有を深化させる技術はあり得ないのか、という問い
も出てくるんではないか、俺などはここに探ってしまう。
 「ここで技術は、一層高きものに向けて差し向けられていくのであり
ます」とハイデッガーは言う。しかも「人間の本質と仕事と作品が
新しい仕方で返し贈られることは可能か」と。

576 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 05:11:19.77 0.net
573つづき

 たとえば現代の音楽界ではmixingやeffect、フレーズごとの切り貼りの
ような作業は複雑なものまで非常に簡単にできてしまうという。これが
技術が有を存在を深めて行く一つではないとどうして言えるのか。ジミ
ヘンのelectric guitar演奏のように、戦争での爆撃を音楽の一種として
再現する音感でアメリカ国家を演奏し、それ自体がアメリカという国家へ
の批判たらしめてしまう。そういう複雑な表現まで電気が可能にしている。
 映画でも、映画作りでも、CGの発達によって考えられなかった
映像ができるようになっている。これもまた、映像作家の想像力を
深化させる、その一つになっているとも言えるはずではないか。
ハイデッガーの技術論の後半1955年になされたこの講演を抜きに
は技術論は語れない。

 ハイデッガーというと技術には否定的としか思えないのが生涯
通じてあるにはあるが、晩年にはまた別に読み換えが可能な概念も出
してきている。そういう面も読まずに単純に伝統主義者と規定
することはできない。

577 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 06:27:45.68 O.net
ハイデガーは技術のヤバさと同時に「技術(テクネー)」に救済の可能性も見ていた。
そこで「建築」が出るわけよ

578 :526:2015/04/03(金) 08:07:24.28 0.net
「地球全体の惑星的本質から規定されている 技術と人間的本質との出会い」は偉大な内的真理である、
と言っているので、技術はハイデガーによって人を形骸化させるものとして全面的に否定されてるのではないとは思う。

「技術」と「人間的本質」がそれぞれその本来性において出会えばいいという事だと思う。
そこで大事なのは、「人間的本質」と「惑星的本質」としての「技術」とは、その「出会い」の実現とは何か、という事になる。

579 :526:2015/04/03(金) 08:16:36.82 0.net
気になったのは、「詩と芸術」、「国家建設と宗教」が併置されている事。
それらを関連付けつつ、存在の意味を問うた時に、歴史的全体性というものが出てきて、
それはグールドの様な孤立した表現というのもの許さないのではないかと思う。

580 :526:2015/04/03(金) 08:26:35.56 0.net

気になったのは、「詩と芸術」、「国家建設と宗教」が併置されている事。
存在の意味を問うた時には、歴史的全体性というものが出てきてそれらが結びついてしまい、
そこではグールドの様な孤立した表現というのもの許さないのではないかと思う。

581 :526:2015/04/03(金) 08:35:33.27 0.net
存在は空虚な語であってはならないという様な事を言ってる。
そこで、ヨーロッパ、ドイツ民族の運命というのが出てきて、コスモポリタンな方向には行かない。
恐らくそうすると歴史的全体性が、平均人と技術と閉鎖の、ハイデガーが否定すべき形骸性に捉われてしまうからだと思う。

582 :526:2015/04/03(金) 08:37:45.46 0.net
つまりは、アメリカに本来性はあるかという事。

583 :526:2015/04/03(金) 08:45:55.04 0.net
ハイデガーは良く分からない。

584 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 08:47:50.31 O.net
いい読みだ
続けてください

585 :526:2015/04/03(金) 09:02:51.80 0.net
歴史的本質を取り戻せ、という空虚なことしか言えない。

586 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 09:17:49.45 0.net
問い直せだろうな。

587 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 10:49:30.55 0.net
何故存在者が、無を克服し、存在者として実体的にあるのかと考えるのは大事ただ。

588 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 11:00:28.92 0.net
そうするにあたっては、現存在として存在の意味への問いを引き受けなければいけない。
このあたりは、
現存在は人間的存在のゾルゲに過ぎないのではなくて、存在者の存在そのものの脱自的なゾルゲである、「現存在は存在一般へと本質的に関連する」、「現存在は孤立した自我ではない」と言われていて、存在と時間から読まないといけない。

589 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 11:09:25.17 0.net
形而上学入門の中の一説だが、[]で括られていて、『存在と時間』の中でしばしば言われている、現存には存在理解が属しているという命題はこの事を意味している、という一文で終わる。

解説的で違和感があるが、これはハイデガーの言葉ではなく編者か訳者の注なのだろうか。

かき回してすまん、消える。

590 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 11:18:18.27 0.net
ハイデガーの存在論は分からない。
すまん。

591 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 11:49:44.80 0.net
黒ノートを意地でもどうでもいいものにしたい人、
ひとりで同じ事書いてるからすぐバレるな
「ハイデッガー」にこだわるのも含めて、
ようは「ちょい昔の解釈枠」「ナチスの内的な偉大」にこだわる右翼ってことだろ
隠さなくていいよ

592 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 12:14:28.69 0.net
ハイデガーが黒ノートの全集最終巻に収録を指示していたという一点をとっても納得がいかない
そんなことをして何の意味があるのか
どうもハイデガーにはこうした理解不能の謎行動が多い
本当に優秀だったのかすら疑わしくなるくらいだ

593 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 12:21:19.72 0.net
形而学入門の冒頭の哲学論も面白い。
哲学は異常な事を異常に問う事だと言ってる。
こういう振幅が良い。

594 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 12:28:37.63 0.net
>>593
しかし方向性としてはハイデガーの哲学は19世紀以前の哲学の戻っているように思える
現代の趨勢である認知科学や脳科学などの流れにはなんら寄与しない

595 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 12:43:22.46 0.net
>>580
>存在の意味を問うた時には、歴史的全体性というものが出てきてそれらが
>結びついてしまい、そこではグールドの様な孤立した表現というのもの許さ
>ないのではないかと思う。
>>581
>存在は空虚な語であってはならないという様な事を言ってる。そこで、
>ヨーロッパ、ドイツ民族の運命というのが出てきて、コスモポリタンな
>方向には行かない。恐らくそうすると歴史的全体性が、平均人と技術と閉鎖
>の、ハイデガーが否定すべき形骸性に捉われてしまうからだと思う。

 ハイデッガーは『形而上学入門』の中で、芸術家は存在を暴力的に作品化
するが、しかしそれはついに叶わず、存在によって砕け散る、という犠牲を、
また『哲学への寄与』の中で神が人間に存在を遣わすことと、人間が神に
存在を捧げることでの投げ送り、また存在が人間を犠牲する、没落させる
ことについて語る。そしてそれらは本来的芸術の型式を意味し、文化や
世界観の流通とは異なるものとなる。

 もう一つ、国家や民族や宗教はあくまで根源への媒介として捉えるべきで、
どこまでも国家や民族などの自体に捕らわれるべきではない。そうなると
ホントの右翼思想なんで、そこにあの思想の終着点をみているべきでは
ない。あれらの概念によって何を指示したがっていたのか、を考えるべきで
ある。

596 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 12:44:11.93 0.net
593つづき

 もう一つ、現代の表現形式にハイデッガーは感性的に疎かったし、
メディアや商品・複製として流通する段階で拒否してしまい、意義をもはや
視ようとはしなかった可能性がある。
 今あの芸術観を読んでいく場合、必要なのは、根源的な犠牲が、没落が、
神との交感が、人間に要求する形式はハイデッガーが見なかった
場所にも実はあったのではないか、そこを見て行く我々の感性であって、
既製国家や既製民族や既製宗教やにあの思想を押し込めて、どこにも
現代文明からあの思想に通じる通路はないと結論付けることにはないと
思う。

 ハイデッガー自身、狭い場所に引き籠って「どこにも私の思想の具現化
などない」と信じ込んでいたかもしれないが、そこは彼は感覚的に限界で
自己の思想の射程を自身は見定める目は持ってはいなかった。
 ハイデッガー思想の射程をどこまで見るかによってあれは右翼思想に
止まりもするし遠い将来と遠い既有を結合しうる途方もない批判にもなり
うる。
 そう読んでいくよりないと思っている。ハイデッガーを国家自体や民族自体
に結び付けていくことにはもう先はない。というのが俺だけの独断的な読み方
ですね。「可能性の中心」はそこにはないと。

597 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 13:00:18.60 0.net
フランス現代思想ってハイデガーをそういう方向で読んだ人たちでしょう
「ハイデガー左派」ですね

598 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 13:03:05.59 0.net
どのみちアジアはともかく欧州ではハイデガーアレルギーが加速しても仕方ない
長いものには巻かれるのはどこでもおなじこと

599 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 13:05:52.25 0.net
自分は消える。
度々すまない。

600 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 13:21:53.43 0.net
ドイツでハイデガー研究が下火になってるのは兆候的ですね

601 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 13:33:27.16 0.net
ナチ問題抜きでもハイデガーのような前世紀の訓詁学が廃れるのはしかたないかも。

602 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 14:00:38.49 0.net
そんなことを言ったら、哲学なんて廢れざるをえないだろう。

科学だと、リーマン積分を前提として、と言ったら、直ちに前提までが決まってしまう。
だから、その上に何かを追加していく過程もそこだけ説明すれば、みんなが了解できる。

でも、哲学なんかだと、属人的な要素が強すぎる上、言葉が恣意的に、俺様定義で使われるものだから、
その時代までのロードマップを書こう、なんて気にもならないし、やろうとしても、とても深くはできない。
その意味で、ハイデガーとドストエフスキーは同じような、いわば文学作品だ、と言う話も成り立つのかも。

機械が発達しているのだから、科学のように、用語を世界的に統一して、過去の作品を統一的に書きなおす、
とか、用語の類似性を確立して、A≒B、のような関係でひもをつけて検索できるように体系化してしまうとか、
かなりの大鉈を振るわないとダメなんじゃないかと思う。

哲学のコンピュータシステム化。これは哲学する対象ではなく、道具として作るって意味だけど、
そういう革命が必要だろう。
無論初期状態ではかなり劣化する可能性はあるけれど、それは修正を加えていけばいいだけのこと。

そういう試みはアカポスではやっているのかなあ…。

603 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 15:48:37.68 0.net
ギリシアから続いてきた哲学が、現代になって不可能になるという事をどう理解するか。

604 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 16:04:22.49 0.net
参加者が増える事は良いのかどうか。

605 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 16:10:38.28 0.net
黙って読めないんだよな、、

606 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 16:13:01.33 0.net
読む気はなくただ喋って発散したいだけというのは無意味だし破壊的だが、それがやめられない。

607 :考える名無しさん:2015/04/03(金) 17:04:03.48 0.net
テツガクハツヅイテイル
サイブンカサレタダケ
ゲンダイノテツガクハレキシガク
カガクカラブンリシタノデジュウヨウシサレテイナイノハアタリマエ

608 :☆ Divide(反目させ), Isolate(孤立させ) and Control(誘導する):2015/04/04(土) 09:13:02.27 0.net
>>524
うまく生きようと思うなら、おとなしく誘導に従って生きるか、
誘導を先導する役割を与えられた生きるしかないが、それは
人としてよく生きることではなく、家畜の生き方でしかない。
人としてよく生きようとするなら、犬をけしかけられ、棒で
殴られ、いつ処分されるかもしれないことを理解しながらも、
従っているのは強制されているからで、自らの意志で誘導に
従っているのではないこと自覚するのを忘れてはならない。

609 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 09:47:36.54 0.net
【国際】「ガス室、ささいなこと」 ル・ペン前党首
 勢力を広げるフランスの右翼・国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン前党首が2日、ユダヤ人虐殺に使われた
「ガス室」について、 「大戦中のささいなこと」と発言した。
検察当局が、人道上の罪にあたる可能性があるとして、予備的な捜査に乗り出した。
                           
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1428098192/-100

610 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 10:15:22.13 0.net
極右は馬鹿を誘導するガス抜きの役割を与えられて、それを忠実にこなしているだけのピエロだろ。

611 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 10:49:27.70 0.net
ハイデガーもピエロというところがどうにもね

612 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 11:35:23.80 0.net
真実を追求する気のない哲学者は、
犯人を逮捕する気のない警察官、
火事を消火する気のない消防士、
患者を治療する気のない医者のようなものだ。

613 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 11:42:05.28 0.net
思想くんキタ

614 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 11:44:25.17 0.net
真実なんてのがありえない、ってことは文学の永遠の命題。

だから哲学何ぞは無意味、ってことなんだ、実は。

615 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 12:59:46.71 0.net
それは健康なんてありえないから病気は放置ってことでわ

616 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 13:06:27.62 0.net
真実はありえないが、健康はありうる。だから却下だ。

617 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 13:17:45.65 0.net
入る 人ら〜 ♪

618 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 13:29:09.37 0.net
真実を絶対的なものと考えるのが誤りなんですよ?
絶対的なものであるなら、それを常に追求する必要はないでしょう。
健康と同じように相対的なものであるからこそ、常にその追求を怠ってはならないのです。
健康状態を絶対的なものと見なして、あらゆる病気の兆候を見つけて、それを
積極的に排除しようとするなら、その治療によって却って命を縮めることになる
でしょう。身体の機能が自己回復することなく、不可逆的にバランスを崩していく
のが病気なのです。人はみな最終的には病気になって死にますが、わざわざ自ら
バランスを崩して死に急ぐこともない。不可逆的にバランスが乱れてきたら、
それを元に戻そうとする。真実の追求もそういうものではないでしょうか?

619 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 18:08:16.41 0.net
>>597
>フランス現代思想ってハイデガーをそういう方向で読んだ人たちでしょう
>「ハイデガー左派」ですね

 解釈してくれてありがたいけども、フランス現代思想って誰かいますかね。
デリダのことかと思ったが、彼は存在を痕跡として、現存するものからの
遡及としての意味しかなく、「痕跡の消去の痕跡」でしかない。また「かつて
現前したことはなく、将来あるとき現前することもない」としていわば
有名無実化してしまう。
 デリダはこれで存在を救った延命させた、と思ったかもしれないが、
こういういわば論法だと、あの個体に貫通する自然や時間
の概念もどうでもいいものにしかならない。また、この読み方における
ハイデッガーはせいぜい『存在と時間』までで、1930年以降での芸術と
存在の緊張や芸術家の犠牲は言及もされない。これがデリダの読みだとしたら、
とうてい納得できる代物ではない。レトリックが煩雑なわりに得るものは
乏しすぎるが正直なところです。

 ハイデッガーから未来的な、積極的な可能性を読んでる人って意外と
見つからない。

 1.ナチス加担の史実を細かくやる
 2.テキスト解釈を細かくやる
 2.他の思想家との関連を細かくやる
 4.思想形成を細かくやる
 5.研究する価値もないと切り捨てる
 
 だいたいハイデッガー研究は1〜4に収まる。でなければデリダみたいな
存在者の背面として、ネガとしてのみ成りたつとする。それは俺からすると
不毛なレトリックとしかみえない。デリダは相当影響されたとインタビュー
で言ってるが、あれが現代でもっともましなハイデッガー読みだとしたら、
首をかしげますね。

620 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 18:12:41.31 0.net
>>619
>ハイデッガーから未来的な、積極的な可能性を読んでる人

そういう読み方をすると、意外と普通の精神訓話みたいになりそう。
サルトルなんかもそんな感じがする。
悪い意味じゃなくて。

621 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 18:18:28.74 0.net
デリダはハイデガーに限らず何を読んで書くにしてもピントがズレている
それが彼の持ち味なのかもしれないけれども
デリダはあまり役たつような読みをしてくれないから困る

622 :考える名無しさん:2015/04/04(土) 20:53:26.24 0.net
芸風ですよ。それを見極めたうえで利用するなり、切り捨てるなりすればいいだけのこと。

623 :考える名無しさん:2015/04/05(日) 00:10:02.24 0.net
日本だと見えないだろうけど、ボーフレ以来の「フランスでのハイデガー受容」は無視不可能だよ

デリダしか見えないのはさすがにしょぼい

しかもここの論調がそうであるように「ドイツだけ見るために形式的に退ける」議論でしかない

624 :考える名無しさん:2015/04/05(日) 00:17:20.87 0.net
もうすこし文章を書く練習をしたほうがいい。だれになにが言いたいのか不明。

625 :考える名無しさん:2015/04/06(月) 04:52:58.20 0.net
それがデリダ流

626 :考える名無しさん:2015/04/06(月) 10:12:53.58 0.net
デリダみたいに自覚的なら、まだいいんだけど・・・

627 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 12:02:22.96 0.net
デリダの場合は、現前に於ける「主観」の捉え方から来ている。
現前に於ける「主観」の捉え方の相異を、ハイデッガ−と論理比較することにより、
現代哲学に於ける新たな展望が開かれると考えられる。

628 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 12:05:07.23 0.net
まだ屁理屈合戦やってんのか

629 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 16:31:35.15 0.net
ハイデガーというと必ずデリダが取り上げられるのには閉口。

630 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 16:49:36.69 0.net
閉口と言いながら口を開いているのは矛盾ではないのか?

631 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 17:42:32.67 0.net
ハイデガ−とデリダ、そしてサルトルは供にフッサ−ルの“現象学”の流れを継承しているので、
従来の哲学的視点とは別の観点から、欧米哲学(分析哲学・科学哲学)と対比する形で論究する必要がある。

632 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 17:48:42.02 0.net
>>631
×欧米哲学
◯英米哲学
   
  www

633 :考える名無しさん:2015/04/07(火) 18:09:13.46 0.net
第一次世界大戦前のドイツ観念哲学を含めて従来の西洋哲学をニ−チェ、そしてフッサ−ル、ハイデッガ−は
近代文明の危機として批判しているが、その原因を西洋哲学の内にあるとし、フッサ−ルは新たなる哲学として
現象学を提唱した。第二次世界大戦後にフッサ−ルの現象学を継承したのが、メルロ=ポンティそして、ハイデガ−、サルトルであり、
その後に続くのが、デリダ、ドゥル−ズ、の現象学哲学者である。
従って、ハイデガ−を論究すると必ずデリダが取り上げられるのは、デリダがフッサ−ルの初期の哲学を論点としているのに対して
ハイデガ−は、フッサ−ルの中期(純粋現象学)を論点として、「現存在」の論理を展開したからである。

634 :考える名無しさん:2015/04/09(木) 20:18:40.61 0.net
フッサ−ル哲学には、初期、中期(イデ−ンI)、後期(イデ−ンU)と分かれるが、
ハイデッガ−は、後期(発生的現象学)と関わりは、あったのでしょうか。

635 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 15:48:40.96 0.net
純粋現象学(静態的現象学)と発生的現象学の違いについては、
まだ、日本では哲学的に理解している人は少ないと思われる。両者の論理的な
違いは、フッサ−ルのイデ−ンTにて展開する「超越論的主観」をベ−スとしているが、
一般の読者は、この「超越論的主観(=コギト)」の概念がよく解らないでしょう。デカルトの
方法序説、省察を読むと大まかな輪郭をつかむことは出来るけれども、この「超越論的主観」と
“現象学的還元”がどう連関するのかは、難解なところがある。

636 :相互内在:2015/04/10(金) 16:48:57.92 0.net
名無しさん@1周年:2015/04/10(金) 11:11:54.58 ID:jgAsEKcm0
人(ひと)とは、数としての1、つまり1対1対応であり、
他者としての同一性、つまり、単位であり、周期である。

637 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 17:46:30.45 0.net
いつまでもハイデガーじゃないだろwww

638 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 18:07:39.22 0.net
科学だと先人の上に乘れるから、過去のことはあんまり触れないですむけれど、
哲学ってのは文学作品と似たところがあるからね。

ハイデガーはあくまでも道具や手段。

639 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 18:21:33.23 0.net
道具にすらならんよ

640 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 18:21:53.42 0.net
>>638
なんの道具?
どんな手段?

641 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 18:56:14.01 0.net
読み手が哲学をするための

642 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 18:57:45.37 0.net
>>641
なにがわかるの?

643 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:00:35.35 0.net
さ〜

644 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:15:57.46 0.net
やってもわからないがやってみないとわからない、ということか。

本人だって自分がたてた課題を解決できなかったんだろうね。
ハイデガーもフッサールも。

645 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:33:05.67 0.net
>>640>>642
 ハイデッガーは人間とは自己とは何者かを探る最適な方法。フッサ
ールの現象学的還元を土台に自己性を還元で解析される構造として
さまざまな「ある」の命題の現出する場、また時間からの贈与として
捉えた。

 どうせたいしたことないだろうとたかくくっているのかもしれんが
そうバカにしたもんではない。またあれは哲学史が人間にとり
重要な問いを伝統的に取りこぼしてきたことへのアンチを大きな
思考のモチーフにしている。哲学史全体への問いかけが入ってるし、
講義でも散々科目としての哲学と自分がやろうとしている思考は違い
ノーマルであることを讃え平均を求めさせるものではないと断って
いる。ハイデッガーは読む価値あるよ。

646 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:37:58.85 0.net
>>644
それは、ハイデガ−の「現存在」の概念を理解して言ってるのか?

647 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:42:22.47 0.net
>>645
>「ある」の命題の現出する場

どういう意味?

>時間からの贈与

時間とはなにかすら決められないのに、そこからの贈与という意味があるの?

>哲学史が人間にとり重要な問いを伝統的に取りこぼしてきた

どんな問い?

648 :考える名無しさん:2015/04/10(金) 19:45:11.13 0.net
>>646
ハイデガーとフッサールが自分の課題を解決できたということ?

ちなみに、ハイデガー現存在というのは、ただ人間は存在者との相互の関係性の中にいる、といってるだけじゃないの?

649 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 00:25:37.80 0.net
>>647
>「ある」の命題の現出する場 どういう意味?

 〈〜である〉〈〜がある〉が現成する場がDasein。しなわち現有
また現存在。

>時間からの贈与  時間とはなにかすら決められないのに、そこから
>の贈与という意味があるの?

 〈有 sein とは既有的に将来する〉というのは『sein und zeit(
存在と時間、有と時)』でもその直後の講義『Die Grundprobleme 
der Phanomenologie(現象学の根本諸問題)』でも根幹となる命題
これは現有 現存在の全体を決めるのは経歴である。という命題とも
関わっている。ここが読めないならハイデッガー有論が読めている
とは言い難いくらいの根幹。これらの命題で有 存在が時の贈与
であることは同義として浮かび上がってくる。

>哲学史が人間にとり重要な問いを伝統的に取りこぼしてきた
>どんな問い?

 『sein und zeit』冒頭にある問い。〈ある〉とか何か。

 どれもハイデッガーにとっての根幹を表すもの。

>>648
>ハイデガー現存在というのは、ただ人間は存在者との相互の関係性
>の中にいる、といってるだけじゃないの?

 いやいや全然違います(笑)

650 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 03:16:50.26 0.net
>>645
ハイデガーは読む価値はあると思う
しかし先進的な面は無いから何かを解明していくようなことは一切ない
              
>>649
現存在といってもハイデガーの場合は存在がすべて同じ次元で捉えられてしまっているためにトートロジー的な面がある
これはハイデガー哲学のすべてにおいて共通した性質で彼は何もかも同じ平面に並べようとした
こうした行為がある意味は人生論的であり読んだ人の精神安定剤にもなっている
しかしそれだけしか取柄がないのがハイデガーの欠点だと思う
差異のない思想はどこにも超越しないんだよ

651 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 05:22:23.44 0.net
>>650
>現存在といってもハイデガーの場合は存在がすべて同じ次元で捉えられてし
>まっているためにトートロジー的な面がある

 同じ次元というか、個体の次元でしか論じきれないのがアレなんでね。
それと、初期サルトルのような乗り越えを強い、世界や社会への責任を問い
、自己欺瞞を論じる哲学では自由と責任が脅迫観念となって、かつては
そのサルトル哲学の性格と政治が結び付き、オルグ(する、またはされる)
のための格好の哲学みたいに読まれるところがあったはずだ。

 ハイデッガーの場合、〈ある〉の可能性は時熟として、または有限性と
してひとまず捉えられる。乗り越えはそこで、自己の有限性へ向かう。
真理もまた同様に考えられる。これは初期サルトルやマルクス主義の強迫
観念による根の喪失にたいする強固な揺り戻しをもたらす、いわば解毒剤
の役目をもっている。小坂修平とかたしかそう言っていたと思う。

 そのように現代思想史として観ていくと貴方が読む仕方とはまったく
違う側面が意義がみえてくる。少なくとも個体にたいする平準化。水平化
にたいし自己性を揺り戻させる哲学としては強度は凄まじいものがある。
>先進的な面がない で済ますことは到底無理と思う。

652 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 12:03:44.07 0.net
>>649
「〈〜である〉〈〜がある〉が現成する場」をなぜ関係として捉えることができないのだろう?
「現成する場」や「経歴」が「関係」ではないとする根拠はなにかあるのだろうか?
それを説明しないと「いやいや全然違います」ということにはならないと思うが?

「既有的に将来する」ことが、なぜ「時間からの贈与」なのか?
時間の定義が必要だ。

言葉というのは、意識の表出だし、意識というのは、つねになにものかについての意識だ。
存在もまた、なにものかが存在しているのであって、ただ存在があるわけではない。
言葉も意識も存在も、実体を離れて有るものではない。

「〈ある〉とか何か」などと、存在という言葉をいくらもてあそんでも、幽霊の実在を追い求めるようなものだ。

いずれにしても、君には普通の言葉で書くことを勧める。
「現成」「場」「既有的に将来」「時の贈与」などなど、まずはそうした概念を普通の言葉で説明してみてくれ。
それは、君自身の思考にも大きな意味があるはずだ。

653 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 15:27:16.77 0.net
>>651
>少なくとも個体にたいする平準化。水平化
>にたいし自己性を揺り戻させる哲学としては強度は凄まじいものがある。
                  
ものは言いようかもしれないがそれでは何も言っていないに等しい
強度、強度というけれどもあくまでも同じ平面においてのこと
ハイデガーの実際の功績というものはきわめて曖昧模糊としているのが実際だ
ようするに「存在と時間」から亡くなるまで言っていることの次元が同じということ
同様に「現存在」と「戦争」「ナチ」「人生」「死」というものも同じ平面に置いて考えたでよね
ハイデガーは終生「同じ平面」で考えることをやめられなかった
やはり差異が発生しないとどうして新しい側面が出てこないんだよね
そこは最終的にハイデガーの大きな欠点となったと思う
いい事も悪い事も一緒くたにしてはいけないんだよ

654 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 18:42:23.32 0.net
>>652
 ハイデッガーを読めば〈ある〉は具体的な事実を表すものであることは
分かる。簡単にいえば「ここのサイトは面白い」「外は曇ってる」「数年前
に死んだはずの母が目の前に立っていた」ようするに
我々にとっての日常や内面から幻想からすべてを〈ある〉で括っている。
それだけの広さや深さが込められている。読んだことあれば分かるはずだがな
。2ch.でアレが読めている人に会ったことないので。貴方もたぶん分からなか
ったと思うが。熟読をお奨めする。俺だって数年かけた。そういう努力は
したのかな?ただ言っとくと、あの〈ある〉は今言ったように拡がりと
深さを備えた、日常から幻想まで含みこんだターム。英語でいうbe動詞でも、
現実や狂気や幻や関わりなく現成(が分からないなら現れ)を表している。
また貴方の言葉を借りれば「幽霊」まで含みこんでる。

 またbe動詞にすぎない以上〈ある〉は何の変哲もない述辞にすぎない。
〈〜である〉〈〜がある〉は日常語じゃないの(笑)〈既有的に将来する〉
はちょうど植物が、胚において含みこまれていた資質が時が過ぎ生長する
にしたがい徐々に実際に現れてくる。これは植物自身からすると、新たな
自分は向こうからやってくるようにも見える。しかし実は視えてはいなか
ったものが生長で現れて行った。これを〈既有的に将来する〉と表現している
。たったこれだけの、いわば歴史、自己史のことを言ってる。存在者を
自然史として表現するのでこういう言い方になる。全集24巻『現象学の根本
諸問題』にも出てくるし、『有と時』でも《第一次的に歴史的に有るのは
現有である》第73節 というふうに出てくる。ハイデッガーの根幹だとい
っていい。数年かけて読めば分かるよ。それだけの労力を自分で惜しまな
い事が大事だぜ。

655 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 18:58:54.80 0.net
>>654
「日常や内面から幻想からすべてを〈ある〉で括っている」ことを「広さや深さ」と結びつける理由はないな。
普通の人が普通に使っている言葉の意味に過ぎないから。

「既有的に将来する」をそう使っているなら、そう書けばいい。
もともとあるなにものかが、時間の経過と状況によって現実性を持ってくる、というように。

両方ともハイデガーに頼る必要はない。
どこのおじさんでもおばさんでも、日常的にそうした会話をしている。
ー この歌手はもともと才能があったから、いい曲に巡り合って花開いたね ー

それがハイデガーだと言い切るなら、それもハイデガー解釈の一つの卓見だとは思うが。

656 :考える名無しさん:2015/04/11(土) 21:07:27.84 0.net
>>654
ハイデガーの存在は現代哲学の存在・実在についての探求にはまったく関与していない
べつにそれでもいいのだが本当に思想に広がりがないから発展性がない
科学哲学のように科学との連動ができるわけではないから特殊だよな
ハイデガー思想はハイデガーの中だけで循環して完結するのみ

657 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 13:09:54.40 0.net
>>649
木田元氏は、ハイデッガ−の思想を前期「作られてある(被制作性)」と
後期の「なる(生成)」論理に分けているが、前期の「作られてある(被制作性)」が、
「存在と時間」に記述されている「現存在」の時間性(=時間作用)を基底とした
「世界の内に有る」(=世界内存在)」と解釈しています。

他方、後期の「なる(生成)」論理は、「現存在」を「なる(生成)」という存在へ向けて
企投することによる“存在了解”と解釈しています。
そして、「なる(生成)」へと企投された現存在は、「存在のそのつどの生起の仕方によって
現存在のそのつどの在り方が決められるというようなものである。存在は、おのずから生起し、
おのずからその生起の仕方を変えるものである。」と後期のハイデッガ−は述べている。

つづく

658 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 13:15:22.45 0.net
重要なのは、なす(作為)となる(自然)の対立だよ

659 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 13:42:06.31 0.net
>>657つづき
後期に於いて、「現存在」が存在了解から存在の生起へと思想展開をしていますが、
前期の現存在が「作られてある(被制作性)」への企投では、「時間」を基底としていましたが、
後期の「なる(生成)」への企投により、「時間」概念は消滅している。つまり、すべての存在者を
存在たらしめている存在は、現存在が能動的に了解したり企投したり、自分の生き方を変えることによって変えたり
出来るものではない。 従って、時間概念も、自分の“主観”によって構成された概念であり、「なる(生成)」の
領野では、本質的に「時間」の概念は無いものであると解釈しています。

私は上記のように、ハイデッガ−後期の「なる(生成)」論理を解釈していますが、貴方(>>649)は
「なる(生成)」論理をどのように解釈しているのかを、私の今後の参考としたいので説明を願います。

660 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 13:43:27.88 0.net
その対比を聞くと前期だけ展開するのもアリだな

661 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 16:40:48.60 0.net
>>655
 基本的には貴方の解釈で合ってる人間観であり一個の人間を自然史
としてみていく思想だと思う。しかしこれが誰でも言う話かといえば
たしかに「どこかのおじさんおばさん」でも似た事は言うが、それを
一個の経歴とからめて、人間と人間との通約不可能性、世界とは元々
一個の人間、一個の人間とは経歴の別名、というところまで展開する
わけではない。そこが思索の力業だし、一応あれは博士論文として
前半が書かれたものになっている。

 それと、貴方は「誰でも言っている」ようなことを
言うが、実際は現代社会はノーマルを称え標準を尊ぶ。〈ある〉
を時間からの贈与と捉える思想、日常から幻想・狂気まで捉える、
それも自然史であり自己の有限な可能性として捉えるという場合、
たとえば学校教育のように、誰でも同じ課程をクリアすることを要求
するカリキュラムにたいする否定を含んでくる。あれで個体は捉え
られないことは明らかであり、また、個体にとっての本来性と背反
することになる。もっといえば現代社会全般があの思想とは背反して
いる。ここでハイデッガーに倣うなら、個体性の本質は現代では圧殺
するものにそもそも先行されていくしかないことになる。

 《形而上学は歴史的にseinの問いをなおざりにしてきた》というのは
近代全般を問い直す、批判力を備えている。そもそも有史とは
何なのか、という問い直しを孕んでいる。アメリカニズムと共産主義
とファシズムを並べて批判する射程がある。それがあれの歴史的な
存在理由だよ。

 ここまでやさしく解説する人間などそうはいないだろう。カネ取るよ
(笑)。

662 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 16:51:27.62 0.net
そんなやつがナチ使ってユダヤ人否定しようとした浅知恵が面白いってことかな

663 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 17:29:08.33 0.net
「個体」を表すハイデガーの用語は何で、その「個体」についての議論は、
『存在と時間』のどこに書かれているのですか?

664 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 18:03:53.00 0.net
思想的な哲学が邪道であるように、哲学の思想的な読みは邪道である。

665 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 18:36:34.19 0.net
>>661
並べて論じるのもいいがやはり並置してしまうと限界がある
ハイデガーの限界はそこにある
差異のない思想というものはどこにもたどり着けないんだよ
「すべて同じです、そしてみんな死にます」ではある意味思考停止
だからハイデガーはなにも探求できなかった
ドイツ語版のwikipediaに日本の禅との関連性も指摘されているが
あれは悪い意味で差異のない並置思想に陥るしかない問題点を指摘している

666 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 19:16:32.77 0.net
「黒ノート」のナチ関連抜粋を「ハイデガー読本」で読んだが内容は稚拙
あれをわざわざハイデガーが生前に全集最終巻に収録することを指示したことで個人的には納得がいった
ハイデガーはなんでも同じ平面に並置しようとするから個人的な感情レベルの記述も全集という体系の中で並置しようとしたわけだ
それはある意味一貫した考え方だと思うが同時にハイデガーの病理的側面を浮き彫りにしている
「黒ノート」における稚拙な感情的記述を全集最終巻で公開することが自然だと考えていたのならばやはりキーワードは「並置」だろう
善悪というものですら並置して差異をなくしてしまいその価値を消失させる
ナチについても同様にハイデガーは「立場が違えばドイツ人が逆であった可能性もある」といって戦争や殺戮という大問題を並置してしまう
並置された戦争や殺戮はもうそれ以上論じられることはなく死へ至る道として諦念の境地へと至ることを求める
やはりハイデガーの同一平面並置思想は問題を結果的には隠蔽したり思考停止する装置として機能してしまう
差異をなくしてしまったら問題はどこになくなってしまう
そこが大きな問題だろう

667 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 19:43:58.13 0.net
差異と隔たり―他なるものへの倫理―: 熊野 純彦

668 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 19:48:57.34 0.net
「存在と時間」は同一平面併置思想ではないんじゃないかな

「存在と時間」の冒頭で、存在の普遍性はカテゴリーとしての類的普遍性を超出した超越概念であると言われる
存在の超越概念としての普遍性と、存在者を規定する普遍としてのカテゴリーの多様性という区別がなされていて、両者の関連が探られてる

ここで後者が差異で、そういう意味では「存在と時間」は存在者間の併置によってそれらの差異を抹消するものではなくて、
むしろカテゴリカルな最高普遍的な概念であるとして忘却されてきた存在から、改めて存在者の差異を考え直すという書物であるといえるかもしれない

669 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 19:53:25.09 0.net
最高の普遍概念である存在を問うても無駄であるという存在忘却に抗いつつ、
存在と存在者との間に区別を導入し、改めて存在を問うという時には、必ずしも差異を抹消する同一平面併置思想にはならないのではないか

670 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 19:58:54.50 0.net
カテゴリカルな存在者次元での普遍性と、それを超出する超越概念としての存在次元での普遍性と二つ考えられてる
この二つの普遍性の導入は必ずも存在者次元での差異の抹消には向かわないと思う

671 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:03:08.58 0.net
カテゴリカルな普遍としての存在によって存在者を規定するというのは、イデア論のプラトン的な思考だと思うが、
ハイデガーはアリストテレスを先行者として見つつ、アリストテレスはプラトンの存在論を「原則的に新たな土台の上に設定した」と評価してる。

672 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:06:43.53 0.net
>>668
いや完全に同一平面併置思想になっている
そもそも主題であるさまざまな「存在」について論じるにしても語る主体の人間を現存在としている
つまり存在の差異をそこで消失させてしまっているわけですよ
そしてずべて同じ存在の地平においてしまっているから「存在と時間」ではいっこうに思考が進まない
結果、ハイデガーは「存在と時間」の完成じたいを断念する
しかしこれは当然の帰結で同一平面併置思想にしてしまっては(このときそれを意図してとは思えないが)
それぞれの存在が語れば語るほどにトートロジーと化してしまう
これにはさすがのハイデガーも苦戦して彼も認めているように文章自体がグチャグチャになってしまった
だからもうどうにも続編を書くことなど出来もしなかったわけだ
存在トートロジーは多くの研究者も指摘しているから新しいことではないが問題は彼がそれを終生やり続けたこと
同一平面併置思想は差異を結果的になくしてしまうからこれでは戦争やナチ問題すら「全体の一部」となってしまい
語るに語れなくなってしまっている
アーレントに対してもヤスパースに対しても何も応答できなかったのは同一平面併置思想のせいということになる
なんで同一平面併置思想だったのかはここではおいておくがそれが致命的であったのは確実だ
「存在と時間」にそれぞれの存在の差異を読み取れるとしたらそれはむしろ誤読だ
存在トートロジーについては多くの研究者でさえ賛同しているという事実があるわけだからね

673 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:08:07.81 0.net
むしろ最も平板なプラトニズムと言えるかもしれない、同一平面併置思想を批判するために、存在と存在者の区別を導入してるのではないかと思うが

674 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:10:04.25 0.net
それは存在を最高普遍な類概念として捕らえてるんだと思うが、ハイデガーは冒頭でそれを批判してると思う

675 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:12:39.09 0.net
一般論で語れないからその後に詩に行ったのじゃないですか

676 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:16:55.16 0.net
全てを併置するような抽象性があったから下巻が書けなかったのか、
そうではなくて寧ろそれを適切に批判した結果、理論的に書けなくなったのか、ここは考えどころ

677 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:17:03.70 0.net
>>675
そういう指摘をする学者もいるよ
しかしそうではないだろう
むしろしつこいようだが同一平面併置思想であるからこそ「詩」と「哲学」の差異も消失していたと考える方が自然
だからハイデガーは「ヘルダーリンの詩」を用いて思考することは退行ではないと考えた
「詩」だろうが何だろうが「死」にいたる人間にとっては同じものとなるということ

678 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:19:53.93 0.net
>>661
金をとるなら、<やさしく解説させてあげた>僕にも分け前をくれよw

「通約不可能性」とか「一個の人間とは経歴の別名」ぐらいは、おじいさん、おばあさんの範囲だな。
「世界とは元々一個の人間」と言ってしまうと、ただの観念論だけど。

「それと、貴方は」以下の段は、個性を大切に認め合おうと教育評論家が言っていることとの区別がつきにくい。

「アメリカニズム」というのがどういうものを考えているのかわからないが、「共産主義」と「ファシズム」はを並べるのは資本主義者のプロパガンダでよく使われる。
しかし、「共産主義」というのは経済上の体制だし、「ファシズム」は独占資本がその体制を維持するために政治上の独裁体制を樹立した状態をいう。
哲学の中で扱うには、マルクスの経済分析を経ずには無理かも知れない。

なんにしても、こういう風に地に足の着いた議論ができるのは、君のハイデガー解釈の力量のおかげだ。
やっぱり金をとれるのは君だけだなw

679 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 20:29:32.53 0.net
>>672
なんで併置思想だったの?なんで??

680 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 21:53:38.73 0.net
範疇的な類的普遍性と、それらを超える普遍と関連するものとしての存在
存在忘却によって、この類的普遍性と、超越概念としての存在の普遍性が混同され、存在が忘却された

681 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 21:55:33.68 0.net
そういう意味では、存在について問うとは、
種々の類的普遍概念による概念的な区別と、その様な概念的な区別一切を超えた普遍を体現するものとしての存在との違いとその関連を問うという事になるかもしれない

682 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 21:56:17.65 0.net
概念としての存在者と、超越概念としての存在

683 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 21:56:55.04 0.net
>>679
なんでかは色々と推測できるでしょうね
それはともかくこのスレの人はかなりハイデガーを読み込んでいるのでレスが書きやすい
皆さんレベルが高いと思う

684 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 21:59:34.54 0.net
そういう意味では、多様な類的普遍としての諸概念と、それら一切を超越しつつ統一し超越概念として普遍を体現する存在

685 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:05:43.60 0.net
知性によって可能な諸概念によって把握される存在者と、それらを超える超概念としての存在、
それと主体の実存構造の分析が何故か結びついてる

686 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:10:17.18 0.net
youtube見ながら斜め読み、推敲無しでもこのくらいは出来る
学者はちゃんとしなさいよ

687 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:10:54.22 0.net
6P位しか読んでないからな

688 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:19:14.58 0.net
でもいちいちそういう事言うために頑張るの(youtube見ながら流し読み、推敲無しでそれらしく書き込み)馬鹿らしいでしょ
それが無いようにそれなりにやって下さいよ

689 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:30:38.04 0.net
やはり消えよう

690 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:34:12.33 0.net
一言どうでもいい嫌味を言いたくなった

691 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:34:47.29 0.net
どうでも良いですよ

流れで言えそうだから言ってしまった
それ程の嫌味でもないけどね

692 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:36:38.78 0.net
下の人間からの嫌味は勢いしかない
言うべきことも、言いたい事も無いと思う 
それ以上のものは無いと思う

693 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:39:31.93 0.net
無意味に変な事をやってしまったと何ともいえない気持ちになってる

694 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:41:15.56 0.net
脱力してる
気力が萎える

695 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:42:30.29 0.net
考える気にもならない
統御を失うだけ

696 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:44:57.62 0.net
それなりにやって下さい、と言っただけだから、拙速と連投以外は大したこと無い

697 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:49:12.34 0.net
皮肉じゃなくああいう状態が知的なのかと
そういう事について考える気にはならんが

698 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 22:50:21.81 0.net
ハイデガー読みも沢山いるけど、そうなのみたいな

699 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 23:00:21.99 0.net
止めよう

700 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 23:02:12.05 0.net
本当はやりたくない マジで
知識ないし

701 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 23:03:15.44 0.net
あえてやってはいないが 
知識ない状態で一石投じるという事はやりたくは無い

702 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 23:06:27.43 0.net
ぼうっとしてたら言わなくてもいいし言いたくもない事を言ってしまって、変な話ああ、と思ってる
もうやらない

703 :考える名無しさん:2015/04/12(日) 23:14:50.23 0.net
ハイデガーは悪い奴じゃあない
ただ思い込みが激しかっただけさ

704 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 02:45:03.93 0.net
悪いのは頭だろ

705 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 05:15:45.48 0.net
起きてもうた

存在は超越概念とは言われてるが、それは超概念では無かった
存在の普遍性は、類的普遍性を超越しているとは言われているが、そういう「超越概念」は概念化不可能であるとは言われてない

706 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 05:47:06.72 0.net
>704 は世界的になの知られた、頭のいい人なんだろうね(笑

707 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 06:45:02.28 0.net
>>678
 ハイデッガーにおける経歴の特徴は自己に意識されていない経歴も含めて
いる。そうとしか読めないところにあると思う。貴方がどういうイメージで
経歴を捉えたか分からないが、俺の読むハイデッガーにおける経歴概念では、
受精から胎内、そこですでに経歴が始まっている、つまり経験は
始まり刷り込まれている。そのように植物でいう種子のできる前段階や
すなわち前世代、そこから次世代の種子が形成されるところまで経歴の中に
含みこんでいる。で、どこまで経歴は遡行できるのかといえば、少なくとも
受精と胎児時代までは遡行はできてしまうとみなしている。俺はそう
読んでいる。意識の起源は遡行できてしまうと。これが「じいさんばあさん」
にとって常識かはともかく一個の人間を意識の起源を探る場合に最重要な
考え方と思っている。
 
 教育評論家の個性尊重とどこが違うのかといえば、そこではどうしても
常識や悟性や正常や社会性の範囲内で、という条件が付いて回る。教育は
子供を社会に送り出すのが役目だから。ハイデッガーの場合、、前に
書いたように〈ある〉は狂気や自壊やをも含みこむ。ヤスパースの回想に
出てくるが、当時勤めていたフライブルク大学で、時どき郵送されてくる
精神病者らしき人からの手紙があり、「高尚な学問が無意味ではないかと
いう疑問が不安に充ちた調子で書かれていた」。それを読んだハイデルベルク
大学職員が「無よりも下らない」と嫌悪感を示していた。しかしヤスパース
は多大な興味を示し、もう一人これに多大な興味を示していた仲間が当時
知り合ったマールブルク大学のハイデッガーだったとしている。

 人間の意識や存在とは常識や悟性や教養や社会性に収まるかどうかで
規定できない。むしろそのようなものさえ実存として包括しうる
ものを考えるべきと2人とも考えていたと言うことだと思う。
ヤスパースの回想にある。これらはハイデッガーやヤスパースの捉える
個性がどういうものかよく示している。

708 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 06:48:58.47 0.net
 失礼。>>707の以下は誤り。

>当時勤めていたフライブルク大学で、時どき郵送されてくる



>当時勤めていたハイデルベルク大学で、時どき郵送されてくる

の誤りです。よろしく。

709 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 09:18:08.07 0.net
「個体」を表すハイデガーの用語は何で、その「個体」についての議論は、
『存在と時間』のどこに書かれているのですか?

710 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 10:10:44.15 0.net
個体は存在(Existenz)でしょうね

711 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 10:14:36.63 0.net
こじつけ

712 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 10:45:30.08 0.net
>>707
その意味での「経歴」では、つげ義春の漫画におもしろいのがある。

おばあさんが前世の因縁を語るので、主人公が「前世なんかあるのですか?」と問いただす。
そうするとおばあさんは驚いた顔をする。
「だって、前世がなければ、その人は幽霊みたいなもんじゃありませんか」。

「経歴」を遺伝や歴史と重ね合わせないで独立させると、つかみどころのないきわどい概念になると思う。
現実とのつながりを失うことが深さではないだろう。

いわゆる異常性を含めて個性と位置付けるのは、現代の知識人の一般的な見かただと思う。
逆にいえば、境界を設定できるのかできないのかということが現代的な課題でもある。

713 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 10:50:44.00 0.net
>>672
>なんで同一平面併置思想だったのかは、ここでは置いておくが、
それが致命的であったのは確実である。

>ハイデッガ−の「世界内存在」に於ける「現存在」の位置づけが
「同一平面併置思想」であると述べていますが、一番重要な問題点は、
何故、現存在が「同一平面併置思想」として捉えられていたのかという“論点”にあるのでしょう。

714 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 11:42:20.12 0.net
Exis&amp;#173;tenz, die
Wortart: Substantiv, feminin

1. a. das Existieren, Vorhandensein, Bestehen
b. (menschliches) Dasein, Leben
2. [berufliche Stellung als] (besonders materielle) Lebensgrundlage
3. (mit abwertendem Attribut) Mensch

Duden online

715 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 11:43:54.38 0.net
Existenz, die
Wortart: Substantiv, feminin

1. a. das Existieren, Vorhandensein, Bestehen
b. (menschliches) Dasein, Leben
2. [berufliche Stellung als] (besonders materielle) Lebensgrundlage
3. (mit abwertendem Attribut) Mensch

Duden online

716 :考える名無しさん:2015/04/13(月) 19:20:19.28 0.net
>>713
>一番重要な問題点は、何故、現存在が「同一平面併置思想」として捉えられていたのかという
>“論点”にあるのでしょう。
            
それは単純なことでハイデガーは「存在」という括りで「存在すべて」を論じる方法をとったからですよ
「存在するもの」はなんでも「存在」がつくわけですから人間も存在であり「現存在」であるというようにね
他の現代哲学では「存在」というのは人間の知覚認識の構造内にあって「幻覚」であってもそれを感じた人
には「存在」しているわけです
そして「存在」はさらに客観性という差異の地点において物質としての「実在」という概念から検討される
だから「幻覚」は「実在」ではないということになる…
そういうようにして現代哲学の存在は実在論という科学の領域ともリンクするようになったわけですよ
これが哲学の発展性というものです
しかしハイデガーは「同一平面併置思想」になってしまったがゆえに自己完結的考察はしたものの科学や
他の哲学との連携が取りにくいという特徴がある
このスレでもよく出てくる木田元御大もハイデガーの講義を称賛はするものの「いままで哲学者の用語
として通用してきた誤りを語源学的に正す。それも話しの本筋から離れたところで何気なくいう。」と
いうようなことをよく書いている
しかしこうした評価はある意味では「本筋」よりも細部が面白いといっているのと同じでじっさい
評価の高いハイデガーの講義も本筋がどうこうというのはあまりない
それは彼が述べていることはいつも平準化させて論じることなのでそこで完結してしまうからだといえる
でしょう
これは欠点というようりもそういう特徴をもった思想家であっただけだと思いますね
つまりハイデガーに科学哲学のようなものを求めるのは筋が違うはなしだしそれは意味がない
どんな哲学者・思想家にも論じている内容の方個性が違うのでその違いで使い分ければいいだけです
「同一平面併置思想」という表現は否定的な意味ではなくてそうした思想のベクトルなのだということ
そしてそれがわかるとハイデガーを読みやすくなるということでもあるわけです

717 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 01:10:30.78 0.net
Am meisten sprechen Leute, die nichts zu sagen haben.

718 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 09:46:58.98 0.net
>>716
私は「現存在」の概念を、日常的次元から「現象学的還元」によって現出した存在を
「現存在」と解釈しており、日常的次元に於ける人間存在と、現象学的還元による「現存在(非日常的次元)」は
概念が異なると解釈しています。

ハイデッガ−は“日常的次元”と、現象学的還元によっての“非日常的次元”の違いをどう解釈していたのでしょうか。

719 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 11:13:14.48 0.net
現実から逃げるなと仰っておられます。

720 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 12:13:41.44 0.net
>>718
解説書的な説明をしても仕方ないのでザックリと自己解釈でいきますね
そもそも現存在というのは存在のなかでも自由な立場にあるということです
だからイスや机やマグカップのようの物質でもなく本能の拘束が強い犬や猫とも違うわけです
人間以外の動物ということで考えても精密な道具を作れるのは人間だけですよね
だから言語能力も含めて人間に出来ることというのはかなり広くて自由度がある
だいたいそういうことをハイデガーは現存在について書いていると思います
「存在と時間」ではそうした人間を「現存在」として他の存在の中で比較して考察していますが存在を存在で語るので
なんか読んでいるほうも書いているハイデガーも混沌としてしまっているわけです
ただハイデガーはそうした同じこの世界にいるにしても人間の際立った重要な点を照射するために同一平面において
考えたのでしょうね
フッサールの現象学的還元というのは人間が持っている思考能力を駆使していけということだからハイデガーの考えた
人間の自然な態度ということの重要性とはそもそも違う
ハイデガーは最晩年の思想がそうであったように自然の流れのなかの人間生活というのを重視したということでしょう
ザックリと平易にかくとこんな感じでしょうか

721 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 12:41:41.87 0.net
718の続き
だからハイデガー思想というのはその副次的作用として「安心感」を得られるということがあるわけなんです
もちろんそれはハイデガーの主題ではないけれども彼の考えに添っていくと「あるばまま」ということの重要性
の認識に至るわけです
渡邊二郎もハイデガーのそうして面を人生論として解釈していますがあくまで結果的に副次的な効果としてそういう
読者に安心感を与えるような側面もあるのでしょう
そう考えていくとフッサールのような徹底して現象を考えぬくというストレスが溜まるような行為とはやはり違うわけなんですよ
ハイデガーはだから現象学的還元のような方向性はとらなかったけれども逆に日常というものを重視してその中での人間生活という
ものの可能性を考えていったんだと思いますけれどね
そうでなければハイデガーと日本の仏教とのかかわりなんかドイツで論じられるはずもないですから
ハイデガーはそもそもクリスチャンで神学校のエリートだったわけですがそれを捨てて哲学の道ヘ進み仏教的な側面が強くなっていった
そういうこともハイデガーが求めたいたことは最初から日常の重要性だったと考えれば辻褄が合うはなしですけれどね

722 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 12:43:08.84 0.net
訂正
「あるばまま」→「あるがまま」

723 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 13:20:02.99 0.net
ハイデガーの思想なんてどうでもいいよ。重要なのは、ハイデガーが存在の
哲学をどうとらえなおしたかだけで、それが重要性を有する限りで、その
考え方は、ハイデガー個人とは切り離されることになる。

724 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 13:23:30.34 0.net
>>723
どう捉えなおしたと思う?

725 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 13:33:48.30 0.net
「存在とさぞか」神学校出身のハイデガーの若き日の著書であるというのは言おうと思った

726 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 15:11:42.29 0.net
存在者をまず分類して、そこから特別な存在者である現存在を導き出すような捉え方はしていない。

727 :723:2015/04/14(火) 15:29:21.53 0.net
嫌になって送信ボタンを押すのは止めたつもりだったが押してた

勿論「存在と時間」はそれにつきるようなものでもない

728 :723:2015/04/14(火) 15:39:21.64 0.net
「存在と時間」には不穏なものをも感じるのだが、それも含んですごい感じはする

729 :723:2015/04/14(火) 15:42:09.81 0.net
たまたま木田元の新書を拾い読みしていたが、
フッサールに後継者視されながら「何も分かっていない」と絶望されたり、カオス

730 :723:2015/04/14(火) 15:46:07.29 0.net
著作は他の名著と同じくらい論理的に精緻そうだし

731 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 20:49:50.19 0.net
>>721
>ハイデガ−はだから現象学的還元のような方向性はとらなかった。

>ハイデガ−は1922年にマ−ルブルク大学にてナトルプに、
「アリストテレスの現象学的解釈−解釈学的状況の提示」(ナトルプ報告)の
 論文を提出している。
 ハイデガ−自身が、論文の表題に「現象学的解釈」と表記しているので、ハイデガ−思想の
 方向性として、存在者に対する何らかの「現象学的」作用によって“現存在”が現出したと解釈する方が、
 論理としての整合性があると思います。

732 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 21:31:55.79 0.net
「ナトルプ報告」ではまだアリストテレスの概念を解釈している程度だから現存在はまだ出てきませんね
「カッセル講演」ではディルタイの考察
やはり「存在と時間」で結実したと考えるべきでしょうね

733 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 22:59:17.42 0.net
デリダがハイデガーのことを「強迫神経症の病人」と一刀両断したらしいけどそのへんどうなの?
「過度にびびりすぎ」って感じか?

734 :考える名無しさん:2015/04/14(火) 23:48:02.51 0.net
>>733
デリダの「精神について」はハイデゲリアンにもかなり読まれているのであれはそれなりの意味があると思いますよ
そしてハイデガーの問題点を照らし出すことにも成功していると思う
しかしデリダの文章というのはもう酷いというか書き方が悪いと感じて仕方ないですね
デリダとサールの論争をサールの反論テクスト全引用するというイヤらしくて嫌味なことを平気でするわけだから
ちょっとデリダも精神分析的な人格診断を受けるべきだとは思います(笑)
ハイデガーのそうした精神分析的な見方はデリダのテクストがきっかけになって最近はそうしたハイデガーの読み方も出てきたの事実
このスレでも上の方で色々と書かれているけれどもそれをおいておいたとしてもやはり「謎の人間性」であることは確かですよね
「黒ノート」の出版でそうした精神分析的読解というか人格研究なんかももっと進むでしょう
自分としてはハイデガーにはそもそも精神的なある種の問題があったと考えてます

735 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 00:18:43.16 0.net
>>733
 以下に1999年のデリダへのインタビューから発言を出しておこう。

《ハイデガーの厳命にたえず逆らい続けているのですが、それでも、
私自身、この厳命が自分のうちから発せられるのを感じています。
したがってハイデガーは現にここに存在し、ある種の厳格な父のように
私に憑き纏っているのです》

《ハイデガーという師を現場監督としながら、私は一種な非礼な尊敬
をもって彼に対立しています。》現代思想2015年2月号臨時増刊
『デリダ 没後10年の遺産相続』「ハイデガーをめぐる対談」

 デリダのこの時点でのハイデガーがいまだ途轍もなく大きいことが
またハイデガーをたえず横目でみながら書いてきたことが如実にわ
かる対談。

 ソースの出せない発言は実証に耐えられないし信用するだけ低次元
を晒すことにしかならない。この手の話が通用するのは公衆便所か
匿名ネット掲示板くらいだろう。

 

736 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 00:40:14.82 0.net
ここは匿名掲示板だクソボケw

737 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 00:56:47.79 0.net
>>736
 ネットを公衆便所にするかどうかは使用者しだいだよ。実証できない
論説は「俺はこう読んでる」「こう思います」などとなるべく
自己の読み方だとことわりを入れるのがマナーとしてあったほうが
分かり易い。

 便所の落書きだから「クソ」とかつい入れちゃうんだろう?(笑)
臭ってるぞ(笑)。

738 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 00:59:26.53 0.net
ハイデガー信者はハイデガーを神格化しすぎだよw心の拠り所なのはわかるがなww

739 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 01:13:38.38 0.net
>>737
横山さん落ち着いてくださいよ。

740 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 08:34:52.77 0.net
女性的というのだろうか、ものごとをすべて個人的な好悪感情に寄せて評価する
その人が真実を言っているかどうかよりも、その人の評価を優先させる

741 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 08:37:28.64 0.net
あの人は不倫をしたから、そんな人の言うことはなにも信用できない、というわけだ

742 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 08:55:38.34 0.net
逆に自分が好感情を抱く人間の言うことならすべて真実と思い込む。
自分にこんなにやさしくよくしてくれるのだから、真実を言っているに
違いない、というわけだ。

743 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 09:41:53.08 0.net
 神格化はしないし全部正しいともしないが言ってることが一々合点
がいくことが多い。思索として素晴らしいものは素晴らしいというしか
ない。下らないものは下らないというしかない。

 「哲学」はただの業務、教養文化事業となってその中で自己の高値
を競争する場になってしまっている。「…イズム」の銘柄で公開の
場に出て自己の高値を競争する。
 これは俺が思うに「ハイデッガー研究」にしても同じで、名称が
どうであれ、アカデミズムという公開の場で自己にどれだけ高値を
つけられるかを競争している。既製のタームや古典や科目をだしに、
論文を書き、資格試験をとり、肩書きや地位を付ける。そのための場。
ということは「哲学」にしたところで現代にある諸々の場における
主体の意志、もっとはっきり言ってしまえば権力への意志の場。

 これが『「ヒューマニズム」についての書簡』の冒頭に出てくる
「哲学」の現状分析にある。こういうことを言える「学者」など
おそらくどこにもいないし、俺にしたところでここまではっきり
アカデミズムのことを表層ではなく内実として書いてあるとは思わ
ないので感動してしまう。これはこの作品のさわりにすぎないが、
ここまで書いてくる人間が現代の論壇に(実はいるかもしれないが)
俺にはみえない以上、ここに書いている、すでにもう居ない人間に
耳をすましたくなるのは当然。別の講義でもやはり「哲学」
の現況や「学問」での「偉大さ」とは何か、業績をあげることか
どうなのか。批判しているのを読んだことがある。
 やはりこの人はちょっと違うものがある。それは強烈に伝わって
くる。今の過激と言われる学者でもここまでは書けないんじゃない
かという鋭利さと批判がある。何か違う。

744 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 09:55:25.42 0.net
741つづき

 ここはハイデガースレッドなんだから、とりあえずきちっと読んで
書いてほしい。それしか言う事はないな。ちゃんと読んでいる人の書
いたものはそれだけのものがにじんできてると思うから。「たいした
ことはない」ならそう言えるだけの根拠や典拠を出して言って欲しい
ね。
 俺の感じをいうと、ハイデッガーの代表作という世間の触れこみを
真に受けて最初に『存在と時間』読む人が多いようだが、あれだけ
熟読してもだめで、やっぱり全集が出てるんだから活用していくのが
正しい。あの思想の全体像が浮かぶまでには数冊は目を通すことが
必要と思う。じゃなきゃ入り口でうろついてお終いになる。具体的な
タームもおそらく分からずじまいだろう。ここに書いてる人も
ほとんど頓珍漢っぽい。

 入門書とか、初心者への入門を書こうとしたのかもしれないが、俺
からみると、ちょっとこの説明じゃハイデッガーの意図と違うんじゃな
いかっていう箇所があったり、ためになるところもあるが、後から
読んであの説明は違うと思うところもある。偉い学者が言ってるから
って鵜呑みにしないほうがいい。本物のテキストを丹念に読むしかない
よ。

745 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 10:31:14.84 0.net
>>743
>>744
横山さんは自己評価が大き過ぎます。
2ちゃんねるではBBSですからBlogでもやったらどうですか?
ハイデガー研究会に論文を投稿するのもいいでしょう。
ここは所詮2ちゃんねるですから。

746 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 10:41:46.60 0.net
うむ みんなの2ちゃんだ

747 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 11:03:04.83 0.net
横山発狂wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

748 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 11:18:05.76 0.net
「有と時」…「存在」と訳すべきところを“監修者”の方針で、「有(う)」とする。
誰もがツッコミを入れたくなるところですが、存在」でいいんじゃないですか?
監修者の意向でそのように訳語を指定される、木田先生は「文化的暴挙」とまでおっしゃってますが、
そう言われても仕方がないですね。

749 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:02:48.40 0.net
もとはザインだよね

750 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:04:09.09 0.net
存在でも有でも良いが、両方ともseinではない
そうするると翻訳の否定に行き着くな

751 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:15:20.81 0.net
ザインは日常単語というより文法に関わるという感じ

752 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:16:42.44 0.net
単なる述語じゃない

753 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:21:10.45 0.net
seinて述語になるのかな
das ist sein てなるかな

こうなるとseinは二回出てくる

754 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:23:38.59 0.net
それは存在であるとなると、「それ」も存在でseinな訳でそうするとsainが三回出てくる

755 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:31:25.84 0.net
こういう文法と対象の捩れというか、そういう所は大事だろうな

756 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:34:02.08 0.net
こうの止めよう
違う事したい

757 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 13:44:25.76 0.net
だらしがない

758 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 14:54:12.04 0.net
Da sein

そこだ

そこにいる

759 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 15:00:07.64 0.net
>>738
信者とはそういうものだろう。

760 :考える名無しさん:2015/04/15(水) 19:23:00.72 0.net
ドイツ人ハイデガーは、欲望と性を語ることが少ない。
デリダはかつて、《 Geschlecht ゲシレヒト》つまり「性」という題名の論文の冒頭で、ハイデガーは「性」について一度も語ったことがない
かもしれないと書いた。ハイデガーは、存在を問う能力をそなえた存在者を指すために、「人間」ではなく、中性的な「現存在(ダーザイン)」
という語を選んだ。だから、「現存在」とは事実においては「人間」であるが、ただし「現存在」としては中性的である。中性的であるとは、
具体的に男か女かのいずれかに属するというのではなく、その両性のいずれにも属さないということである。ハイデガーは、具体的な人間を存在
論的なレベルでは「現存在」と命名し、これに中性的な存在を見るわけである。
◆財津理/思想研究家/法政大学教授

761 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 04:37:27.71 0.net
>>745
>ハイデガー研究会に論文を投稿するのもいいでしょう
>>748
>「有と時」…「存在」と訳すべきところを“監修者”の方針で、「有(う)」と
>する。誰もがツッコミを入れたくなるところですが

 ハイデッガーが生きていたらあの種の研究会は「哲学」の教養文化事業の
中で自己の高値を喧伝する場にすぎないと喝破しただろうね。第一
あそこでは1級の思想家がやるように自己の日々の生活の立ち位置から
検討に付すことはない。大学「哲学」がどういう思考スタンスで立ち、
その結果、客観性を名目にどこにも加担しないことで、結局どこに
どういう歴史性の中に自分が立っているのか、一切検討されない安全な
場所に収まっている。哲学的思考と哲学研究は違う。

 自己の立ち位置を検討に付し思索を練り発表するのではなく、既製の思想
や著作を道具として寄木細工のように論文を書き発表することが多く、あと
はテキスト解読もあるにはあるが、大学院生あたり翻訳をやらせ先輩がネチ
ネチいびってる時間もある。見苦しい。まあ本人は「あれは指導だ」と言い
訳するだろうが。指導がどっちつかずの訂正してニヤニヤ笑ったりせん
だろうが。

 どこぞの社交場かと見まごう平身低頭の名刺交換もあり(笑)。役には
たつところもあるが堅苦しいので俺はもう行かないだろうな。

 またハイデッガー研究会は渡辺二郎の系列が主宰で、渡辺は「有」の訳
を否定していたが、あそこの研究会では創文社全集版も副読本として
立派に使ってるぞ(笑)。正確には手元に置いてる。行きゃあ分かります。
論文や翻訳ではさすがに「存在」で統一してるけどね。一応開かれた研究会
が建前だから。
 あと木田元が言ってるからって鵜呑みには俺はしないね。権威でついて行く
のは危険だよ。何度も言うように自分の読むこと以外は頼りになるものはない
。これは徹底して言うけどね。

762 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:30:50.15 0.net
>>760
現存在を「中性的であるとは具体的に男か女かのいずれかに属するいうのではなく、
その両性のいずれにも属さない。」と述べているが、「現存在」の概念を現象学的に捉えた場合に
男と女の両方の要素を「両義的」に、兼ね備えた現象学的な存在というのが正しい解釈である。

それは何故かというと、ハイデッガ−は「日常性」をどう理解しているのかは分からないが、
現象学的論理から「現存在」を捉えていくとすれば、当然、私たちが普段“日常的生活次元”に於いて
世界内存在として存在する「現存在」を認識してるわけではない。つまり、「現存在」とは日常性からは
かけ離れた“特殊”な存在である。

従って、日常的次元の「存在者」と「現存在」とは、“存在論的差異”が生じており、この差異化現象が
歴史性への解体を可能としているのである。また、上記の男女の「性」に関しては、中性的ではなく例えて言えば
コインの裏と表の関係(=両義性)と捉えのが正しい解釈でしょう。

763 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:31:32.65 0.net
問題はその自分の読みがあてにならないところだなw
権威主義を否定するわりには全集翻訳の権威を振りかざす。
俺はハイデガーだけがハイデガーを理解しているとばかりに他人をこきおろす。
裸の王様ならぬ素っ裸のメンヘラおじさん。

764 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:33:49.64 0.net
コインやめて粒にすればいいのに

765 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:34:06.63 0.net
>>761
問題はその自分の読みがあてにならないところだなw
権威主義を否定するわりには全集翻訳の権威を振りかざす。
俺だけがハイデガーを理解しているとばかりに他人をこきおろす。
裸の王様ならぬ素っ裸のメンヘラおじさん。

766 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:42:31.38 0.net
>>763
横だけど、誰のレスに対してもそういう言いかたをしちゃいけないよ。
むしろ自分の知的レベルを晒しているだけだということに気づこうね。

>>762
ハイデガーが直接男女を取り上げていないとしても、現存在というからには男であるか女であるかのいずれかしかない。
性同一障害であればなおさらそのどちらかになる。
ただ、ハイデガーの視野が、性のところまで届いていなかったということに過ぎないんじゃないかと思う。

社会や事物を存在者と見れば、現存在はその社会や事物との関係でしかない。
性の視野を獲得するには、人間の身体の一部としての精神を存在者として見る視点が必要。

そんな風に思うんだけどね。

767 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:52:05.59 0.net
>>766
ごめんなさい。訂正を入れなかった。
760は全く関係ない。

768 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 10:53:40.03 0.net
たとえば実際の世相と同期した文化的装飾彩度とかの算出は
やはり印刷物の配布とカラーテレビの普及からだと思いますんで
どこかで調整が必要なのは分かりますがそこを二極かで相殺とか
ちょっとELECTRIC化しすぎかなって思いますね 

やっぱエロスと直結させたのが罠だったんじゃないの 
ショッキングピンク とかいちお括りは蛍光色だし

769 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 11:00:51.27 0.net
昭和の日本のヤンキーなんて
眉毛を細くして鬼剃りパンチパーに女性用サンダル履いて
踵はみ出してエアーヒールでウンコ座りしてましたからね

770 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 11:32:48.47 0.net
哲学ではなく、哲学者にこだわると何を議論してるのかわけわかんなくなるんだよねw
だから、前にも書いたように、議論が女性的だと言うんだよ。

771 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 11:39:09.38 0.net
★★★★★哲学者木田元氏の業績とお人柄を偲ぶ好著!
投稿者 mountainside 投稿日 2015/1/1
・・・木田氏は創文社版のハイデッガー全集の翻訳の出来の悪さを嘆いていたと伝えられていますが、
そのような翻訳もあったのかもしれませんが、私は『ヘルダーリンの詩作の解明』や『哲学への寄与論稿』などは
名訳であり、辻村氏の『有と時』も、数多いこの著作の翻訳の中で最も優れたものの一つではないかと思っています。・・・
                    
>>761 
あなたが書いてAmazonの『木田元(KAWADE道の手帖)』のレビューだけれど                          
発売日は、2015/1/5なのに、2015/1/1にレビューしていいの? レビュー読むと本の内容も一切書いてないけれど?

772 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 11:44:17.09 0.net
デリダにしても、ハイデガーにしても性について語れるような哲学の
枠組みはもっていないよ。それをしようと思うなら、存在の哲学に
とどまっているのではなく、生物学や社会学なんかを哲学的に脱構築なり、
再構築なりしなきゃならないからね。そういう作業をとばして、突然、
性について語り出したところで、トンデモ科学か評論家もどきにしか
ならない。

773 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 11:53:06.93 0.net
TelecasterってElectric Guitarは男らしいってことになってるけど
元々はBroadcasterだし 

774 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 16:42:25.72 0.net
>>771
 貴方がペーストしたレビューは俺ではないですね。ここには書いてま
せんから。
 ただこの方が創文社版全集訳を悪くない。名訳もあると書いているの
には賛成で。元々俺が『sein und zeit』初めて読んだのが昔の河出
書房(新社になる前)で出てた世界の大思想の1冊『有と時』だった
んです。辻村公一訳のね。これは俺には「存在」訳よりも疑問が少な
くスッと読めた。創文社版では辻村は改訳に取り組んでいる。これも
良かった。レビューさんのいう『哲学への寄与論稿』も、数年の作業
の後、ドイツ側の協力者ヘルトムート・ブフナーが翻訳最終段階で
逝去するという劇的な別れがあり、創文社版全集翻訳を支えてきた
ドイツ側代表ともいえるブフナーはこの翻訳に賭けて終了前に逝って
しまっている。そのためこの翻訳は「ヘルトムート・ブフナーに捧ぐ
 氏の協力なしにはこの翻訳はならなかった」という献辞が書かれて
いる。そういうこともあの巻には背景として入っている。ハイデッ
ガーの翻訳は皆苦労するらしいが中でも『寄与』は難物だったろう
から、それを成し遂げた日本&ドイツ共同チームは功労賞ものだし
翻訳もあの本の凄みと重みを読ませるものとなっている。良い訳だ
と思いますよ。
 あれも数回読み返してようやく全体の構造が浮かんでくる日本語
でも難物には変わりないものだけどね。よくやり遂げたと思えますね。

775 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 17:31:13.30 0.net
>>774
「この邦訳全集では、監修者の方針で『存在』という訳語を使ってはならないらしく、
通常<存在>と訳される<Sein>は一律に<有>と訳される。したがって。『存在と時間』は
『有と時』になる。たぶん監修者は、ハイデガーのこの本を、道元の『正法眼蔵』の第二十
『有時』の章にムリヤリ結びつけて読みたいのであろう。それも一つの解釈かも知れないから、
ご自分でやる分には仕方ないが、全集の翻訳全体の訳語をそれで統制しようというのは暴挙と
いうしかない」木田元『ハイデガー拾い読み』p22より
また木田氏は「一行五十五字、一ページ二十行という組み方も、読み手の生理的能力を超えている」とも、本のレイアウトをも批判している。

776 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 17:49:59.17 0.net
「有と時」の「時」って「とき」と読むの?「じ」と読むの?

777 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 17:57:25.76 0.net
 u to toki ですね

778 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:43:35.10 0.net
「存在と時間」長いな
しかも全集は五十巻以上ある 何時になったら読み終わるか
こういうのは本末転倒かもしれんが、そう考えて途方にくれてしまう

779 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:44:45.83 0.net
しかもハイデガ−だけ読んでるわけにもいかない
更に自分は哲学者、批評家志望じゃない それでも読まないといけない気がする

780 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:47:41.30 0.net
アウトプットの場がない、そもそもそれをする中身がない

781 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:50:08.98 0.net
人は物言わぬ機械としては一時もいられないが、十分な人間になるには先が長すぎる
その結果がこの愚痴だ

782 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:50:30.40 0.net
>>778
文庫本100冊分、と思えばたいしたことないんじゃない?

気の持ちようだよ。

783 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:52:42.62 0.net
ハイデガ−で主だった所を五十冊、ほかに全部あわせて一千冊位を読めたら色々変わりそうな気がする
頑張りたい

784 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:54:36.72 0.net
読んだ内容をペラペラしゃべりたいのではなく、ともかく読まないと何も始まらない

785 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 19:59:11.74 0.net
その後で漱石が英文学について感じたような「欺かれた」様な気持ちになるのかもしれない。

786 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 22:41:56.27 0.net
>>778
ドイツで予定では最終巻に配置される第94巻目の黒ノートが600頁で出版されたんだよw

787 :考える名無しさん:2015/04/16(木) 23:45:37.20 0.net
>>777
さんくす。片方が音読みで片方が訓読みというのがちょっと居心地悪いね。

788 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 01:25:06.04 0.net
>>775
 木田は日本におけるあの本の翻訳史や自身の翻訳経験から言ってるんだろう
が、あの全集が「有」で通してくれて俺などは助かったと思っている。
「存在」や「存在する」では感じられなかったハイデッガーにおける言葉へ
の含みが「有」の方が伝わってきた。また「ある」の方が形容詞や形容動詞
にも通じ、意味がとりやすい。
 
 「空が美しい」は「存在する」で言おうとすれば「空が美しいとして
存在する」と回りくどく晦渋になる。ドイツ語 sein は「がある」自動詞
構文だけでなく「である」形容詞構文も含めるのだから(辞書を引けば即
分かる)そこからみれば「存在する」は無理があり「ある」の方が翻訳としては
通りが良い。「有」は「ある」の名詞形だとすればこれも分かる。単に
「仏教的な用語をわざわざ…」というだけではこの翻訳問題は見落として
しまう。木田やその他の研究者は知ってるだろうにそこに言及してない。
だからダメなんです。俺とか初心者も初心者で読んで行った人間で。その
俺みたいのがそう感じたのだから。

>>778
 平凡社ライブラリーで『カッセル講演』というのが出てる。これは『sein
und zeit』の問題意識を簡潔に講演したもの。これから読むのも手だよ。

789 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 01:52:24.49 0.net
『カッセル講演』平凡社ライブラリー 定価:本体1`400円(税別)

http://livedoor.blogimg.jp/kay_shixima/imgs/6/1/616ec436.JPG

790 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 02:52:29.93 0.net
>>788
でもそういう意見は間違いなくかなりの少数派だよ
>>775が引用した以外をちょっとみてみた
木田元は『拾い読み』で「講義録の欠点・講義録の翻訳について・全集版講義録の翻訳の酷さ」と題して書いているね
「問題は全集版で出された講義録である。〜巻によって多少の差はあるが、原書そのものの校訂にも問題が多い。〜
私たちが読んでいてもすぐ気がつくような校訂とミスが頻出する。(以下、>>775の文が入る)
その結果、通常〈存在者〉と訳される〈Seiendes〉が〈有るもの〉とされ、〈存在論〉という訳語も使えないので〈オントロギー〉と
カナ書きされ、〈存在論的〉という形容詞も仕方なしに〈オントローギッシュ〉となる。〈時間〉という言葉さえ使えないらしく、
〈時間論〉が〈時論〉になる。もうめちゃくちゃである。「訳者あとがき」でやりにくくてって仕方なかったと訴えている巻もあるが。
なによりも精神の自由を重んじるはずの哲学で、こんな訳語の統制をする方もする方だが、その言いなりになる方もどうかと思う。
たしかに〈存在〉とか〈存在者〉とか言われても分からない人には分からないであろうが、それでも〈存在〉は日本語の中で今も生きて
使われている言葉だし定着している。〈有(う)〉というのはほとんど死語であろう。こんふうに訳語を統制されたのでは、分かりやすく
訳そうという気にもならないのか、この全集版の講義録の邦訳は、私たちが読んでも分からないものが多い。」             

791 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 03:17:42.95 0.net
>>788
つまり木田元の意見というのは「邦訳全集版は『存在と時間』だけでなく、とても面白いはずの講義録をも破壊してしまった」ということ
23頁には「ハイデガー講義録のように分かりやすく面白いものを、こんな読めない翻訳にしてしまうというのは、一種の文化的犯罪ではないか
とさえ言いたくなる。」と書いている
君が書いていることは「君自身だけ」のことであって、木田元は「哲学者・翻訳者・一般読者」などのそれぞれの最大公約数的見解をしっかりと
書いているわけよ
そして、全集として受け継がれるものだからこそ、将来に向けてもそれに相応しい翻訳かどうかということを木田元は考えて述べている
木田元だって学者であり翻訳もたくさんやっているし、辻村さんとだって他の翻訳者とも色々と話したこともあるだろう、だってハイデガー業界と
いえども翻訳や監訳のトップ連中なんかは学会でしょっちゅう合うだろうしね
君はなんせ考えが浅い、一般読者と専門家でもトップ集団の情報量や交友関係を馬鹿にしてはいけないと思うよ
そういうのを不遜というんじゃないか?
君が書くのはスレの最初から読むと、「自己満足の押し付け」「自己陶酔」「俺は木田元とか学者より上」という狭い了見というか、妄想だよな
その道で、亡くなったら特集の研究書みたいなのが出る人と自分が同じ情報量や経験値や人脈があるとか、絶対に無いから
もう少し考えて専門家である故人に対しても、敬意のあるレスをするべきだと俺は思うわ

792 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 03:32:13.63 0.net
>>788
それからひとつ抜けていたから書いておく
「有」とすると「有る」のほかに、「有する」ということばも強く連想される
つまり「有」という漢字には、「所有する」という意味が強くあるわけ
そこはもう「存在」という日本語の用語とはかなり違うが出てくるということがあるそうだ
ちなみにこれは木田元も書いてたかどうかは知らないが、上の方にある法政大学の教授のか方の考えね
調べたら出てきたよ

793 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 03:41:47.96 0.net
>>790
 なるほどね。俺は木田がいうような〈存在〉〈存在者〉がそも最初から
ピンとこなかった。たとえば〈存在者〉っていうけど〈者〉っていうからには
人間のことだろう、物ではない、と思っていた。だが実際は人でも物でも
〈存在者〉ですよ。この部分は『有と時』では〈有るもの〉で、そも〈者〉は
使用されない。

 それから〈存在〉でも〈存在者〉との別が分からなかった。ほぼ同じと
思っていた。どっちも普段われわれは「存在」「存在者」などめったに
言わないでしょう。『有と時』では〈有(=あること)〉と〈有るもの〉
で違いは前者よりははっきりしてるようにみえた。有論とは〈〜がある〉
〈〜である〉の命題によって実は何が言われているのか、その命題と自己
について判断停止し、現象学的還元し、根源的主体として時と有をあげる
ことだと。どんどんクリアになっていった。

 時間についても元々ハイデッガーにおいては計測的時間も計測的距離も
批判され、それらの根底としての時や距-離が論じられる。なんで元々
「時間」という日常的語彙とは異なっている。不思議ではない。これは
実際にアレを読めば分かるはずだ。あえて日常語で固めることがアレの理解を
深めるわけではまったくない。〈有〉〈時〉という非日常語で固めたことが
俺には非常にありがたかった。
 
 現代人の日常の知や常識やを批判することであの思想は始まる。そこを
去って行くことで別次元の知へ移行する。それがあの本でしょう。そこ
を通常の知の体系とまっすぐにつながっていると思わせるようなら
もう駄目です。あれにはある思考の転倒が仕掛けられている。そのことは
語彙を変えることで伝わり易い。なのに一種の教養に過ぎず知識にすぎない
とか、特に今はそのように読書がなっていく。自己の世界観を過激に変えて
しまう思想は敬遠され、あるいは通俗化される。そういう読者の願望を
語彙で遠ざける機能もあるわけで、それはむしろハイデッガーの意図に
沿った美点だと思いますね。 

794 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 04:15:01.81 0.net
>>791
 貴方は貴方の読書感覚で書く。貴方の感覚は誰にも同化される保証はない。
俺にしても同様。それ以上のことは言えません。俺とかが最大公約数のこと
など分かるわけない。また木田や誰かが分かっていると思っているとしたら
それは怪しい。そう思いますね。

 それとね。貴方の言う話はようするに研究者に敬意をもちなさいと
礼をもちなさい、といわば先験的に言い切って説教しちまっている。
問題はその人物がその研究の成果として具体的に何を言ったか、これだけ
です。これらの検討が大事で、俺なりに足を運びまた読んでもいます。
そういう具体的な言説のレベルでやる議論こそ重要なんだよ。先験的な権威
主義で言葉を垂れても聴く耳など持たれないとしても仕方ないだろう。ど
っかのサロンじゃあるまいし(笑)。そういう呑気な姿勢で本など読んでる
つもりはないしその手の人間が相手にされる場所もあるだろうが俺には
関係ないな。
 具体性のない議論はやっても意味はない。研究者だろうがそうでなかろう
が、具体的な議論であることで議論は成立する。そうじゃなく「研究者は
特別な人種。とにかく尊敬してなさい」こういう話が通用しないとしても
当然ですよ。なんで通用しないか。不必要に権威主義。そういうのは
いらないから。まっとうなことを言えば納得する。そうでないならしない。
単純明瞭な話です。そうでなければいつまでたっても学閥とか権威とか
支配する特殊部落と思われてるだけよ。

 貴方もその手の話は良いからハイデッガーの関する見解でも書いたらどうか


795 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 10:51:30.45 0.net
>>793
横だし本筋に関係ないんだけど、「ウ ト トキ」は語呂が悪いんだよね。

君の解釈には説得力があるとは思うけど。

796 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 20:12:22.50 0.net
>>793
ようやくスタイルだけではなくてちゃんと書き始めてくれたよだね、ありがとうございます
挑発して良かったよ、今まででのスレで一番いい
あのね、俺はあなたのことは全く知らないですけれど、はっきりいって今回くらいしっかり書いてくれても書き方が悪い
それで何が悪いのかというと、あなた(君は失礼だから改めるね)は相変わらず自分の「便・不便」しか書いていない
木田元については、俺もべつに絶対的存在だとは思っていないし、木田がいうから「真」である、という意味じゃない
ただ木田元が言っているのは「ハイデガー講義」の読みやすさが全集訳では失われてしまっているということ
そして木田元にとってどうかということを超えて、研究者以外の読者のことを考えて翻訳問題を書いている
>あえて日常語で固めることがアレの理解を深めるわけではまったくない。〈有〉〈時〉という非日常語で固めたことが俺には非常にありがたかった。
やっぱりここでも「俺」にとってのことしか書かれていないよね
あなたにとっての「お好み」というのは他の人には関係ないでしょう
まして木田元は自分の「お好み」も示してはいるけれども、他人であり本を読む一般読者のことを考えて書いている
だから「俺」のことは置いておいて欲しいんだれどもね(何回日常語で書けば分かるのかな?)
それからなんで『有と時』だけの個人的な好みに終始するのかね?
「この全集版の講義録の邦訳は、私たちが読んでも分からないものが多い。」と木田元は書いていると>>790でも書いてあるでしょう
つまり俺の指摘にはこたえずに、自分の「お好み」と「持論」のようなものしか書いていないわけですよ
本当に単純なことをあなたにレスしてるだけだけれどね、なんでそういうレスになるのかわからない
申し訳ないけれど、【>>790についてのレス】を頼む

797 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 20:35:47.80 0.net
>>794
>貴方の言う話はようするに研究者に敬意をもちなさいと礼をもちなさい、といわば先験的に言い切って説教しちまっている。
これも誤読というか誤爆でしょう
「君が書いていることは「君自身だけ」のこと」とそこでも書いているけれどもこれもスルーしているよね
>先験的な権威主義で言葉を垂れても聴く耳など持たれないとしても仕方ないだろう。
>どっかのサロンじゃあるまいし(笑)。そういう呑気な姿勢で本など読んでる
>つもりはないしその手の人間が相手にされる場所もあるだろうが俺には関係ないな。
ここでも相変わらす「俺」のことだけしか書いていない、そして頓珍漢すぎる極論的批判
>具体性のない議論はやっても意味はない。
日常語での単純な指摘に対して、あなたがそのレスを全く読めていないだけだよ
そんな複雑な議論なんかまだ全くしていないんだけれど
>貴方もその手の話は良いからハイデッガーの関する見解でも書いたらどうか?
「その手の話」にすらまとまな返答がかえってきていないんだけれども、どうしろというの?
あなたは自分のことを話したいだけでフライングしているんだけだよ
やっぱりここでも>>791へのまともな返答になっていない
一所懸命書いているのはわかるけえれども、思い込みが先行してしまっていて騒いでいるだけ
冷静になって、俺の単純な日常語のレスに返答してください
お願いしますね m(_ _)m
(でもあなたがレスをこうして書いてくれていることには本当に真面目に感謝しているよ、断じて釣っていないからね)

798 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 20:50:48.24 0.net
>>793-794
それから凄く気になる点を書くね
あなたは常に「言葉が汚い」
誰に対しても必要以上に「挑発的」で「侮蔑的」すぎるかな
>特殊部落
ひどいよね、この表現もさ
俺は気にしないけれども、もうこれ哲学板のレスとはいえないでしょう?
その言葉を解同にでも出向いて読み上げてみればどう?
俺のレスはそんな過激なこと書いてないけれども
あなたには申し訳ないけれども「精神疾患」を患ってらっしゃるのかな?と思っていたわけです
あまりにもどのレスも変だからね
検索したらあなたと思わる人が以前に自分でスレを立てているんだね
それらはまだ目を通したくらいでちゃんと読んでいないので内容にはふれないけれども
頼むから冷静なレスを頼む、これじゃ応答にならないですから

799 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 20:51:05.36 0.net
>>796
>あなたにとっての「お好み」というのは他の人には関係ないでしょう

 木田が「他人や読者一般」を考えて言ってるらしいんだが、現に何の哲学的
トレーニングも受けていない俺みたいのが『有と時』を読んでそれまでに
読んだ「存在」訳ハイデッガーの本『形而上学入門』『ニーチェ T、U』
のときよりも分かりいいと感じた。それは上レスに書いた理由によることが大
きい。
 あと、他の人のことは知りませんよ。俺は俺の経験にもとづいて言うしか
できない。それが唯一の真実であるから。

 「一般読者」という言い方はハイデッガー研究者らしくないですね。
ハイデッガー研究者なら安易に「他人の感じる経験自体」について言わない
と俺は思いますが。これははっきり言っておきたいんだがハイデッガー
とウィトゲンシュタインは「語りえないことについては沈黙しなければ
ならない」という命題において共通しています。「語りえないこと」とは
ハイデッガーにおいては「他人の経験自体」である。他人ではない自己が
あたかも他人のように語ることとはハイデッガー思想ではありえない。
あくまで他人に自己を移して言うだけである。それが誠実さというもので、
木田の発言はハイデッガー的ではまったくないですね。ハイデッガーを
長年研究していたのならそういうところで生かしていかなきゃ意味がない。

800 :考える名無しさん:2015/04/17(金) 20:51:46.58 0.net
797つづき

>ただ木田元が言っているのは「ハイデガー講義」の読みやすさが全集訳では
>失われてしまっているということ
>「この全集版の講義録の邦訳は、私たちが読んでも分からないものが多い。」
>と木田元は書いている

 これも他人のことは俺は言う気はない。

 『有と時』以外の講義についても創文社版の方が読みやすかったですね。
講義録『ニーチェ』は先に平凡社版後から創文社版と両方目を通してます
けどね。

 あと元々ハイデッガーの語彙はどう翻訳者が工夫してみても難解という
のもあるでしょう。『哲学への寄与論稿』訳を渡辺二郎が批判し、彼は
自分で訳語を作り翻訳していたらしいが、その訳語をみると回りくどく
長ったらしくそれが分かりが良いとも思えなかった。結局あの本は「こういう
ことが言いたいのではないか」とイメージしながら読んでいくしかない。

 創文社版は特に分かりが悪い訳ではない。が俺の経験に基づく結論で、
「一般読者」がどうか。俺だって大学人ではない「一般読者」ですけ
どね(笑)。「一般読者」が読みやすかったと言ってるわけ。

801 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 04:04:30.64 0.net
>>799-800
レスありがとうございます
返答大変遅くなりました
 
本当に不思議でならない、なんでこんな単純な日常レベルのレスであなたが感情を爆発させて、またもや自分の「お好み」と「持論」を執拗に展開するのかが
>他の人のことは知りませんよ。俺は俺の経験にもとづいて言うしかできない。それが唯一の真実であるから。
邦訳書籍が、それを読む「一般読者」に対して、適切なものになっているかどうかを語ることの、どこがそれほどまでに特殊なことですかね?
>木田の発言はハイデッガー的ではまったくないですね。ハイデッガーを長年研究していたのならそういうところで生かしていかなきゃ意味がない。
『拾い読み』は雑誌『大航海』の連載企画で、学会向け論文ではないのは知ってますかね?
それでそういう挑発的かつ盲目的な「持論展開」をしても、そもそもそういうことを問うているものではないこともわからないかな?
>創文社版は特に分かりが悪い訳ではない。が俺の経験に基づく結論で、「一般読者」がどうか。俺だって大学人ではない「一般読者」ですけ どね(笑)。
>「一般読者」が読みやすかったと言ってるわけ。
その「一般読者」というのは=「俺」でしょ?それなら、またあなたは「俺」の「お好み」を性懲りもなくご開陳しているわけだ
あなたの論理にもならないその書き込みはただの「ディスリスペクト (disrespect) 」にすぎず、それは極めて個人的な「放恣」の発露でしかないわけよ
何が憤懣やるかたないのか理解し難いが、ごく単純なレスに何回返答機会を与えても、質問意味とは違う誤爆しかできないとは信じられないねえ
あなたがどういうコンプレックスを持っていて、他人や社会に対してどういうルサンチマンを抱えているのかは知らない
でもさ、それこそ「この俺」には関係ないよ
ほとんど言い掛かりのような、レスに覚えない内容をグダグダ書かれても、こちらはどうすればいいのか分からんわ
もう真面目にやってそれなら、あなた異常者だよ(笑)いや冗談抜きでさ
どうする、これ以上やる意味あるかな?

802 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 07:17:59.88 0.net
>>801
 まず「一般読者」でどういう対象を木田が指していたのか、俺にはよく
分からないし、実際どういう層を指していたのか、貴方には分かるという
なら俺に聴かれてもどうしようもないですねえ。俺なりに精一杯の回答なの
で。ご不満ならもうお聞きになるのはもう止めてください。その方が良い。
1人1人の感じ方がどうかとか俺には答える器量もないし分からないと言う
しかないですね。木田はよく答えられたなと思うし、「存在」もよく分から
なかった「有」の方がまだ分かったという人間なんで、そう答えるしかない。
そう答えるしかないが回答ですね。これが嫌がらせに思えるなら「一般読者」
にとってどうとか、聴くのは辞めた方がいいでしょうね。精一杯の回答で
気に入らないというなら俺にはもう無理ですね。

803 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 08:14:15.90 0.net
一般人を装った京都人脈の人にしか見えないけど

804 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 08:28:11.53 0.net
 それと木田元のハイデッガー読みでこれは後から考えれば書き方として
あそこはハイデッガーへの誤解を生むのではってところ、ちょっと書いて
おきたい。 

 木田は『ハイデガー』の中で、当時の生物学のユクスキュルやベーアに影響
されて『存在と時間』を発想されていると書いている。生物学の環境世界論
がハイデガーに影響を与えている。とする訳だけど、虫や哺乳類がその種に
見合った環境を探し生きていく、同じ場所にみえてもその種によってその
意味は違うっていうのは、ハイデッガーが書いているところによれば、
《或るものに方向を定める、それを計算する、それを利用する、用いる、
形態づける、改造する、そして増大させる》ことに関連づけられる、これは
また《世界のもとへの引き渡しの内を動くことを意味する。》《つまり現有
は世界の内に〈有るもの〉として、その都度既に、世界のもとにと自己を
手離してしまっている。》《現有に適った仕方での世界への有は世界に依拠
して有ることであり、したがって世界のもとにとその都度-既に-頽落して有る
ことである。》

 木田が引用する全集第21巻『論理学−真性への問い』にそう書かれている。
が、この部分の具体的な引用はされてはいない。
 実際には先にコレが書かれ、次にこの有ることの典型として生物学が引用
されている。
 木田は同時代の生物学をハイデッガーに影響を与えた部分であり《ここでの
口吻は、世界内存在という概念の形成に際しての生物学からの影響を否定
しようとしているもののように聞こえるが、よく読んでみればこの叙述は、
実証的な生物学研究そのものからは環境世界理論のごときものは生まれない
のであって、こうした理論を形成するとき生物学者は哲学者として考えて
いるのだということを−多少非難気味に−主張しているだけのことであって、
右の影響関係の否定にはなっていない。》と語る。

805 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 08:29:12.61 0.net
802つづき

 しかしハイデッガーが生物学における種を表す時には先に頽落としてそれは
前置きされているのである。その頽落の典型のように生物種が次に描かれて
いく。
 これを木田は《「世界内存在」と言う概念の形成に(フッサールより)
もっと直接の影響を及ぼした》としている。木田の『ハイデガー』だけを
この全集第21巻より先に読んでいた俺は、『存在と時間』やハイデッガーの
他の著作と頑張って通路づけようとしていた。
 しかしいくら頑張っても何か違うと言う感触しかない。それは当然で、
生物種の世界関係とは、『存在と時間』の本来性にとって否定的媒介でしか
ないのである。先に引用したように、或るものを利用し、計算し、改造し、
増大させる、自らの生存を強大に、自らに有利にしていくことでのみ世界
と関わる生存世界は人間の存在からは頽落でしかないのである。それを
ハイデッガーがそう先に書いていることは木田の本では省かれているし、
よって否定的でしかない、という点が顧みられないようになっている。これ
は書き方として欠陥ではないかと今は思えてくる。

 木田の本からは恩恵も受けているが、今読み返すと実際にハイデッガーを
読んだ感じと違う点もあるということも事実として言っておきたい。

806 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 09:55:18.32 0.net
一般には、人類も生物種として世界と関係するもの捉えられているのだから、
世界内存在としての現存在こそが人間であるとすることで、逆に
生物種(人類を含む)の世界との関わり方が、欠如態として捉えられること
になるのでしょう。

807 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 10:00:07.46 0.net
言い換えれば、人類という生物種が人間なのではなく、人間の在り方の
欠如態が人類という生物種なのである、と言うことができるでしょう。

808 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 10:08:12.06 0.net
人類は生物種として他の生物種と同じ世界にいるが、その世界は、世界内存在の
世界ではなく、欠如態である、ということもできる。

809 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 13:29:50.31 0.net
>>798
横だし本筋には関係ないけど、「特殊部落」を差別用語とかいう方がどうかと思う。

普通に、自分たちの仲間意識だけで集まる閉鎖的な集団のことをさしているのは明らかなんだから。
今も残る田舎の閉鎖性の極端な例一般をさす言葉ではあっても、ことさら被差別部落を取り上げ指し示す言葉ではないだろう。
少なくても、現在特殊部落という言葉から被差別部落を連想する人がいるとは思えない。

田舎に対する差別用語だといわれればそのとおりだと思うが、そういう違いを無視したのでは、社会学も文化人類学も成り立たない。
部落開放同盟の松本治一郎や中西義雄も、一般的に集団の閉鎖性という意味でこの言葉を使ったといわれている。

大切なのは言葉狩りではなくて、その内容だろう。

810 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 14:00:14.97 0.net
【特殊部落】
世界大百科事典 第2版 - 特殊部落の用語解説 - 明治後期から今日まで,被差別部落と
その出身者に対して用いられてきた差別呼称。

811 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 15:59:27.53 0.net
 本来「部落」とは「集落」のこと。「部落」と聞いただけで「差別」と
大騒ぎするのはどうですかね。ちなみに>>794ではたしかに「学閥とか権威とか
支配する特殊部落」と本気の差別で書いてますが(笑)。

812 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 16:26:55.15 0.net
>>810
用例はある?

813 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 16:53:11.86 0.net
現存在は原人間のようなものだと思う
科学者、政治家、そういった特定の存在了解を未だ持たずに、存在と関わる何か

814 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 17:02:10.09 0.net
存在と時間第一章第一説
存在の意味はメタという事に関連しそう
そのメタについての叙述を展開するには、自己言及の錯視に陥らないように、それについての問いの構造というものが設定されなければならない

815 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 18:02:10.25 0.net
>>804
生命、或いは生物学という領域は、世界内存在(=現存在)という“枠内”のみでは
捉えられないものを含んでいる様に思える。
つまり、ハイデガ−後期の「生成(なる)」論理は、「存在は自ずから生起し、
自ずからその生起の仕方を変えるものだ。」とハイデガ−自身も述べている。

「生命の進化」は、自ずから生起し、自ずから形態を変え進化していくものであり、
「生成(なる)」論理と、「作られてある(被制作性)」論理との対比の中で論究されるものと考えられる。

816 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 18:42:31.37 0.net
> それまでにも,〈世界内存在〉という概念がマックス・シェーラーの〈世界開在性〉という概念を媒介にして
> ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの〈環境世界理論〉(ウムウエルテンレーレ)に結びつくものだという予感はあった.
> それに,ハイデガーが『現象学の根本問題』のなかで,〈世界内存在〉と〈存在了解〉と〈超越〉とは
> 同じ一つの事態であり,すべてが〈時間性〉にもとづくと言っていることも念頭にあった.

> ハイデガーが言うのはあくまで「世界への超越」である.つまり,ハイデガーは,
> 神経系の分化が進むことによって人間が,単なる〈生物学的環境〉に縛りつけられている状態から脱け出て,
> 〈人間的世界〉を開き,動物的な〈環境内存在〉から〈世界内存在〉へ超え出ることを〈超越〉と呼んでいるのである.
> とすれば,そうした〈世界〉の構成を可能にするシンボル機能と〈存在了解〉も関連があるにちがいない.

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0269810/js/another02.html

817 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 20:00:24.74 0.net
>単なる〈生物学的環境〉に縛りつけられている状態から脱け出て,
>〈人間的世界〉を開き,動物的な〈環境内存在〉から〈世界内存在〉
>へ超え出ることを〈超越〉と呼んでいるのである.

超え出るもなにも、すでにそこにいるんですよ人は。だから、
他の生物や人類の〈生物学的環境〉について語ろうとするなら、
既に超え出ているところから、超え出ていない存在の様態に
ついて語るしかない。

818 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 20:16:27.67 0.net
超越についていえば人間が動物と異なる点については
シンボル化、つまり丸山圭三郎の言(こと)分け構造について言ってるだけでは

819 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 20:21:19.85 0.net
つまり動物の環境内世界というのは、コジェーヴ=バタイユ的に言えば
無媒介的な即時性の存在了解の段階、水の中の水にあるような段階
そして超越は、言語を媒介とした、シンボル化された言分けされた世界の状態へと移行
するってことではないのかね

820 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 21:00:19.67 0.net
相互了解が可能でない限りにおいて、目の前にいるのは人類ではあっても、
人ではないかもしれない。逆に、目の前に現れたその姿が人類とはまるで
違っていても、相互了解が可能である限りで、人がいることが認識される。

821 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 21:14:12.53 0.net
「吾輩は猫である」と書かれた文章を読んで、「猫がこの文章を書いたのか」
と考える人はまずいない。そこに引っ掻き跡ではなく、文章が書かれていおり、
その文章が了解可能である限りで「人が猫を騙って書いた」ものと認識する。

822 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 21:19:31.33 0.net
SFの世界を考えてみるといい。宇宙から生物が地球に到来したとして、
その生物が「宇宙動物」ではなく、「宇宙人」として認識されるのは、
地球の人との相互了解の可能性によってだろう。

823 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 21:39:56.04 0.net
>>819
水の中の水って重水のこといってるの?

>>822
では高次元の存在を感知した人はそれを高次元人と見ても
高次元の存在からはこの世界の知性を知性と認識しなかった場合は?

824 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 21:44:00.90 0.net
デカルトから始まった哲学の限界を学んだら?
何処までもいっても人間を至上とした主観的な哲学は傲慢であり相互理解性においては
間違った答えを出すといわれている所以

825 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:05:40.58 0.net
「吾輩は猫である」と言ってみたところで、我々が人であることは
免れないのですよ。人類が生物界の頂点にいるというイデオロギー
を完全に廃棄してもね。それに人類であっても、人でないと認識
するなら、人が、人類を動物として扱うことは歴史が証明済みでしょう。

826 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:07:27.48 0.net
そんなの完全にスルーした分析哲学が全盛じゃないですか
ドイツでも

827 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:14:57.74 0.net
分析哲学とは洗脳のことでしょう
米国だけでなく、敗戦国のドイツも歴史を穿り返されると都合が悪いのです。

828 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:27:50.77 0.net
類的普遍性を体現する諸概念を超える「超越概念」としての存在を問うとはどういう事か
つまりは、世界貫通的な超越概念としての存在があり、更にそれをある存在者が問うという事がある

829 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:34:38.85 0.net
存在の最包括的な類概念というものではなく、諸々の類それ自体を「超出」したもので、そういうものとして類的普遍とは別の普遍と関わる
こういう超越概念としての存在の意味をある存在者が問うというという事

830 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:37:01.35 0.net
○存在は最包括的な類概念というものではなく、諸々の類的普遍を体現する諸概念を「超出」したもので、
そういうものとして類的普遍とは別の普遍と関わる

831 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:38:30.01 0.net
勿論寝起きだ
タバコを吸うようなものかもしれん

832 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:47:02.33 0.net
承認求めるのではなくて自分はやるべき事をやりたいと思ってる
哲学=自分のやるべき事ではないが、哲学には価値があり、関わる意義がある
だから、飽くまでタバコを吸うような惰性的で無意味なものに過ぎないが、こうして書き込んでしまう

833 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 22:48:57.84 0.net
現状「哲学=自分のやるべき事ではない」から、読み続けられはしない
だから実質のために読んで考えるという事が無くて、形式的に書いてしまう

834 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 23:22:11.67 0.net
遊びが無い
結局哲学者の名を借りた自己の押し付けしかない
止めよう

835 :考える名無しさん:2015/04/18(土) 23:34:01.83 0.net
現代において分析哲学を洗脳と言い切るのは無理があるね

836 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 00:58:52.45 0.net
じゃあ、分析哲学の学会でフィヒテの研究でも発表してください。

837 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 08:13:06.21 0.net
物の本質を解き明かすなんて事は科学がやれば言いわけで
哲学の役目は社会性に目を向けてどう問題を解決するかの思考の提示でしょ
分析哲学が流行っているのはそういった理由なんだからさ

もうハイデガーの書なんて捨てちゃいなよ

838 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 09:55:53.79 0.net
 ハイデッガーはフッサールとの思想的蜜月と別離をもっている。

 ハイデッガーの世界内存在を著書『存在と無』で重要な概念として
あげる(ただ使用法は大きく異なる)サルトルにもつながる。サルトル
はこの書でしばしばハイデッガーを自己の思考の元のようにあげる。

 ハイデッガーは『「ヒューマニズム」書簡』でマルクス思想との
対話の可能性をあげている。

 ハイデッガーはニーチェのことを西欧形而上学の完成者として強く
意識し問題視していた。『ニーチェ』という大部の講義録もある。

 フーコーは晩年の対談でハイデッガーに関するノートが数冊あること
をあげ、ハイデッガーとニーチェが自己を導いた2大思想だったと
している。ハイデッガーはヘーゲルやマルクスよりも自分には重要
としている。

839 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 09:58:18.23 0.net
836つづき

 デリダはハイデッガーを「私を見張り、非難の言葉を投げかける」
「ある種の厳格な父のように私につきまとっている」と1999年対談で
語る。デリダはハイデッガー読解を思考においてしばしば行っている。
 
 エマニュエル・レヴィナスは『全体性と無限』『存在の彼方』で
ハイデッガー思想を強く意識しこれへの反命題として自己の思想を
立てている。 

 ウィトゲンシュタインは「私にはハイデッガーの「存在する」への
問いがよく分かる」と漏らしたとされている。

 ハイデッガー思想から少なくともこれだけの渦巻きができている。
哲学と反哲学、個体と社会、言語の限界、あらゆる問題がここには
ある。流派を超えた高原のようなもの。こういう渦巻きがなぜ
生じたのか。それ自体が一個の考察に値する。「流行」を追う思考
とはまったく次元の違う問題としてある。

840 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 11:58:57.75 0.net
それを流行と呼ぶんだが

841 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 15:50:11.96 0.net
「現存在」というのは、“日常的次元”より存在者(人間を含めた全ての事象)が、
現象学的還元によって創出したのが「現存在」であり、他の存在者一般から超越した存在(=人間)である。
後年、ハイデガ−は人間(=現存在)が、おのれの生き方を変えることによって、つまり、人間が主導権を握って
従来のヨ−ロッパの人間中心主義的(=主観主義的)な文化の克服という新たな方向を求めていたが、「現存在」が
能動的に存在了解したり、企投して自分の生き方(=考え方)を変えることによって、人間中心主義的な文化形成を変える
ことが出来るものではないことに気がついた。

存在者が「なる(生成=制作性)」という領野へ企投することにより、受動的存在としての「現存在」を創出する。
つまり、「作られてある(被制作性)」という存在了解から、存在の生起(生成の論理)へと思想展開がなされている。

ハイデガ−哲学に於いて、「存在と時間」での世界内存在(作られてある=被制作性)の「現存在」と、
「生成論理(なる=制作性)」の「現存在」は、例えて言えば、車の両輪であり、互いに長所と短所を持っており、
両者の調和が、ハイデガ−哲学における本来の方向である。

842 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 15:57:48.25 0.net
>>839
> ウィトゲンシュタインは「私にはハイデッガーの「存在する」への
> 問いがよく分かる」と漏らしたとされている。

分析がよく勘違いしてるのはこれを言ったのはあくまでウィト側だけで
ハイデガー側は何も共感を示してないって事。

要は分析側はハイデガーとウィトが関係あると思ってるが
実際問題ハイデガーは何も言ってないし、事実関係無い。

843 :考える名無しさん:2015/04/19(日) 21:15:27.39 0.net
>>840
 「流行」評価と言う場合、「今は〜ですよ」とひたすら新しさや売れ方
や当世の受け入れやすさで値段を喧伝するという競り師的売り方になって
くる。いわば思想が卸売市場になっていく。
>>838>>839であげたサルトル、フーコーやデリダ、レヴィナスがその手の
読み方でハイデッガーを挙げていた訳ではない。フーコーは長年ハイデッガー
など挙げた事はなく晩年のインタビューで初めて深い関係を表明したもので
狂気の歴史や理性の歴史、主体の歴史を具体的な政策や法律や思想史の叙述
方法をとるフーコーが最晩年になってハイデッガーをあげるというのが
センセーションを読んだ。デリダはずっと批判や読み換えと一体で、これも
ハイデッガーが怒るような読み方とデリダは知っていた。単純な迎合とは
異なる。レヴィナスになると終生ハイデッガーを厳しく批判し続けることで
自己の思想を形成し続けた。
 ウィトゲンシュタインにせよあくまで談話をきいた人間の話として残って
いるだけで、著作で名前が出ている訳ではなく、ましてや生前に影響関係
が言われたことなど皆無だろう。

 まともに名前をあげ、著作の中で積極的な影響を公言していたのはサルトル
だけ。しかもそれも実は勝手に読み違えることでタームを
使っていた。サルトルは60年代には「ハイデッガーのいう存在は疎外と同じであり
自由を否定するもの」と否定するようになっている。
 様々な思想が背景に実は影響を隠していたりアンチであることで、または
読み換えることで自己を形成していった。
「今は〜ですから」「今は〜じゃ売れません」と今の卸値を売り叩く競り師
とまるで違っている。

844 :考える名無しさん:2015/04/20(月) 00:12:42.78 0.net
流行には段階がある
これは流行に乗り遅れた段階

845 :考える名無しさん:2015/04/20(月) 00:22:16.79 0.net
同時に逆らう方向にも作用しますし

846 :考える名無しさん:2015/04/20(月) 00:25:25.97 0.net
流し雛 と 鯉の滝登り 

847 :考える名無しさん:2015/04/20(月) 00:28:13.77 0.net
鯉のぼりでもいいんだけど 
流し雛との対比はあまりにも極端だと思ってこっちにしました 

848 :考える名無しさん:2015/04/20(月) 07:20:35.92 0.net
ミシェル・フーコーにとってのニーチェとハイデッガー

http://georges-canguilhem.blogspot.jp/2012/03/3.html

 フーコーが「ハイデッガーの読むニーチェ」に「衝撃を受けた」ことに
ついて語っている。ハイデッガー思想との出会いが「わたしの哲学的歩み
のすべて」を決定づけたとしている。

 フーコーのような狂気や処罰など具体的な歴史や系譜学を主な仕事として
きた思想家が自己の仕事を振りかえる中でこういう回想をしたことはフー
コーの読者に驚きを与えた。

849 :考える名無しさん:2015/04/22(水) 17:18:40.83 0.net
遊びが無い
結局哲学者の名を借りた自己の押し付けしかない
止めよう

850 :考える名無しさん:2015/04/23(木) 20:34:21.71 0.net
ハイデガ−とフッサ−ルの「純粋主観性」の捉え方の違いて、ハイデガ−の場合は
「主観にとって様々な仕方で経験可能なものの存在、つまり、最も広い意味で“超越的なもの”が
そこで構成されるので超越論的主観と呼ばれる」のであるが、ハイデガ−は主観性の行うその構成作業を、
フッサ−ルの様にいわゆる純粋意識の所行としてではなく、あくまで事実的人間存在の実在の可能性として
捉えるべきとのべている。

851 :考える名無しさん:2015/04/23(木) 21:37:51.23 0.net
>>850
訂正  「純粋主観性}の捉え方の違いて、→「純粋主観性」の捉え方の違いについて、

852 :考える名無しさん:2015/04/24(金) 06:26:51.68 0.net
フーコーがハイデガーのどこを受け継いだのか分かる人いますか

853 :考える名無しさん:2015/04/24(金) 06:31:12.73 0.net
衒学趣味

854 :考える名無しさん:2015/04/24(金) 08:16:34.23 0.net
分からないということですね 

855 :考える名無しさん:2015/04/25(土) 02:01:09.76 0.net
>>850
へー
ソウデッカー

856 :考える名無しさん:2015/05/01(金) 22:58:54.46 0.net
主幹(小並感)

857 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 00:35:53.84 0.net
90分でわかるハイデガー (90分でわかるシリーズ)2015/3/31ポール・ストラザーン、 浅見 昇吾単行本¥ 1,080
存在とロゴス――初期ハイデガーにおけるアリストテレス解釈2015/3/31阿部将伸単行本¥ 3,996
マルティンとフリッツ・ハイデッガー: 哲学とカーニヴァル2015/3/24ツィンマーマン,ハンス・ディーター単行本¥ 3,240
「存在の問い」の行方―『存在と時間』は、なぜ挫折せざるをえなかったのか (立正大学大学院文学研究科研究叢書)2015/2/28木村史人単行本¥ 4,860
僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス (講談社文庫)2015/2/13堀田 純司文庫¥ 832
解体と遡行―ハイデガーと形而上学の歴史2014/12村井 則夫単行本¥ 6,480
ハイデガー読本2014/11/25秋富 克哉、 古荘 真敬単行本¥ 3,672
ハイデガー 存在の歴史 (講談社学術文庫)2014/10/11高田 珠樹文庫¥ 1,296
超訳霊言 ハイデガー「今」を語る 第二のヒトラーは出現するか 公開霊言シリーズ2014/6/20大川隆法単行本¥ 1,512
最初期ハイデッガーの意味論―発生・形成・展開2014/5渡邉和典単行本¥ 3,564
始源の思索: ハイデッガーと形而上学の問題 (プリミエ・コレクション)2014/4/8田鍋良臣単行本¥ 4,752
丸山眞男とハイデガー―近代・近代化を焦点に2014/5岡田紀子単行本¥ 5,724
ヤスパースとハイデガー―形而上学のゆくえ (西洋思想叢書)2014/4堤正史単行本¥ 4,104
哲学とナショナリズム―ハイデガー結審2014/4中田光雄単行本¥ 3,500
ハイデガーとトマス・アクィナス2014/1/31ロッツ,ヨハネス単行本¥ 4,860
始めから考える―ハイデッガーとニーチェ (九州大学人文学叢書 6)2014/1菊地 惠善単行本¥ 5,184
田辺元とハイデガー: 封印された哲学 (PHP新書 884)2013/9/13合田正人新書¥ 842

858 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 03:36:48.72 0.net
ポモふう言葉遊びの元祖

859 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 18:57:54.30 0.net
>>858
>ポモふう言葉遊びの元祖

 デリダによるハイデガー読解が否定神学であり、seinが「過去どこにも
現前したことはなく、将来現前することもない」「痕跡としてのみ考えられる」
など、神秘化を遂行した。だから上のようなことが言われる。
 ハイデガーがデリダによってそういう解釈されたことが、面白かった
反面、エピゴーネンを大量生産し感心されていった。これは実は不運だった。
他にどうにかでも読める人間がいなかったから、ああいう読みが通った
のだから、他が貧困だった、といえばそれまでなんだが。

 実際はハイデガーのテキストを読む限り、時熟
によって現成していく自然、あえていまふうに言ってしまえば全体生成の
実存版だ、実存範疇だという性格を強く持っている。自由はあるが、それも
可能性として予め制約されてしまう自由。

 スピノザのものとして知られる神即自然という生成を念頭におくといいと
思う。ハイデガー有論が神学的とされるのは、根底にあるのは〈ある〉を
司る宇宙意志、主体であり実体。そういう読みを可能にする性格があるから


860 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 18:58:52.24 0.net
857つづき

 あれがただの実存思想とは言えないのは、たとえばサルトルとかと違う
のは根底に神学がある。逆らい難い意志があって、〈自己〉もまたそこから
現成していくと考えられているから。サルトルはそこで神学的な逆らい難い
意志が存在するところを敏感に察知して、「ハイデガーにおける存在は
言語活動含め主体がそれを超えられない点で、それは疎外と一緒であり、
私はよって、この哲学を拒否する」と断定していた。

 そういうところもあるが、なにごとも個の自己責任や法的責任によって
規定される現代の人格にたいする強い反命題たりうる。あの思想にある
潜在的な威力とは、〈自己〉と言う場で内的に現成する抗しがたい自然=神
の発想にある。

 最初にでたデリダに戻ればそういう辺りはまったく盲目で、いたずらに
否定神学に(本人の抗弁にもかかわらず)入ってしまったのでさほどの
意義はない。

861 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 23:11:01.78 0.net
「過去どこにも 現前したことはなく、将来現前することもない」
「痕跡としてのみ考えられる」

この「痕跡」が神的なものだとも否定によって見出されてるとも思わない

862 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 23:39:30.56 0.net
デリダの考えが他人に沈黙を強いる事も、何らかの超越的な強制力として働く事もないと思う

863 :考える名無しさん:2015/05/11(月) 23:40:23.22 0.net
止めよう
もうやらない

864 :考える名無しさん:2015/05/12(火) 00:25:00.02 0.net
 実際、デリダの読解に比べれば、日本の翻訳研究者の研究本、渡辺二郎や
茅野良男はじめ辻村公一あたりの読解の方がまだ原典に忠実にやろうとして
いる良質さがある。

 デリダはあえて厳格な父に反抗する息子。これは本人が言ってる通り。
わざと怒られるような読みをやってみせる。現代思想2015年2月臨時増刊
『デリダ 没後10年目の遺産相続』収録1999年のインタビューで本人が言っ
てる。ああいうインタビューがもっと早く出ていたら、あのデリダの
テキストの意味はもっと早く分かっていたと思う。あれを頑張ってまとも
に受け止める必要などなかった。そういう意味では衝撃的インタビューだっ
たのかもしれない。
今頃こういうこと言われても、と思ってる人だっているかもしれない。

 日本の60年代からの研究者の質の良さが改めてクローズ・アップされる
時かもしれない。ただ、今の研究会はハイデガーの思想をまともに受け止める
器量はなくなってる、かつての方が良かったとも思うが。

865 :考える名無しさん:2015/05/14(木) 03:32:42.80 0.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1393514224/35
  ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 

866 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 05:33:44.46 0.net
>>864
権威を否定する割には
けっこう学者の権威を書いているよねアンタは
なんか馬鹿みたいだな 死ねよ糞ったれ♪

867 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 15:30:55.85 0.net
 デリダのようなトリックで散々惑わし、あげく「あれは反抗でした」など
カミング・アウトされては災難だと言ってる。まあ俺は読んだときから
「この読みじゃハイデガーには届かない」と見切ってたので被害は少なかった
けどね。全然当てにはならないこういう読みをなんで日本の研究者はもて
はやすのか。訳分からんと思ってた。木田元まで「デリダの読みはいい」
などと持ち上げてたからね。デリダの方から「あれは反抗してただけ」と
内幕ばらしてしまった。あの読みがいいなどと言ってたヤツは皆頭丸めた
方がいいかもね。

 デリダなどに比べれば日本のかつての研究者の方がまだ変なハッタリや
トリックがない分いい。たったそれだけのことだ。

868 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 16:43:45.51 0.net
「〜には届かない」という発想がそもそも駄目でしょう、どう考えてもあんたよりデリダのほうがトリッキーではない

869 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 16:44:21.85 0.net
そしてあのインタビューをそうやって「俺の師匠の凄さの再確認」のために読む発想が終わってる

870 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 21:01:03.34 0.net
 ハイデガーにたいしてだけじゃない。フロイトにたいしても同様に
駄目なんだよ。おんなじように、元々デリダがフロイトを批判する
手つきとハイデガーを読む手つきはおんなじ。

 フロイトへはこう言ってる、

《無意識は、代理者たち、受託者たちを送りだし、派遣することを意味
する。しかし、委託者がどこかに、「現実に存在し」、現前し、「彼
自身」であるチャンスとが、いわんや彼が意識をもつようになるチャン
スなどは、そこには一つもないのである。》

《現前性のあらゆる可能な様態との対比において根底的なこの他性
の特色は、〈事がすんでから〉、〈遅ればせに〉という解消不可能な
諸効果のうちに認められる。》「差延」

 この手の論法がフロイトとハイデガーへは同じように用いられる。
このデリダの論法はある一事を逃がしている。フロイトは臨床的
事例から、ハイデガーにせよ実際に彼がみてきた実際に生きている
人間の姿から、それぞれ帰納する概念を作り論じた。これが事実性
の解釈学ということだ。
 デリダはこれらの概念があたかも机上の理論で
あるかのように措定しているが、実際はまるで違い、実際に生きている
人間から導き出したものである。

 フロイトもハイデガーもデリダにかかれば机上の遊戯に早変わり
する。俺はこれを読んで「ああ、こりゃあとんでもないな」と思った。
思ってたら上記のようなネタばらしのようなインタビューが出てきた。

 2ch.だから思想も人気商売になる。しかしちっとまともに
読んでみればデリダの書いたものが思想としてどの程度なのか。
すぐにばれてしまう。フロイトやハイデガーと同列に並べられる
ほどのものはない。

871 :考える名無しさん:2015/05/17(日) 23:51:25.83 0.net
 誤字訂正。>>870「しかし、委託者がどこかに、「現実に存在し」、現前し
「彼自身」であるチャンスとが」
は「「彼自身」であるチャンスとか」の間違い。よろしく。

872 :考える名無しさん:2015/05/18(月) 14:04:58.53 0.net
フロイトを読んでからフロイトを語るべきだろ。
ろくにフロイトも読んでいないのにハイデガーを持ち上げる道具にされてはフロイトが泣く。

873 :考える名無しさん:2015/05/18(月) 18:39:57.87 0.net
 (笑)フロイト理論のさわりなど誰でもちっとは読んだことくらいはある。
それくらいポピュラーなものだ。また、意識的な人間ほど人間における奇妙な
回り道や抑圧についても知っている。意識的にはならない潜在的領野が
あることも分かる。フロイトの無意識はそれほど身近だよ。意味のない
潔癖さは時間の無駄だ。
 ちなみに俺の読書の中にはフロイトも入っている。ご心配には及ばない。
デリダの読むフロイトが、ハイデガー同様に「怒らせる」目的で、あるい
はレトリックの実験で書かれたものにすぎず、何らその核心に触れること
はなく、小難しい語彙で書かれた、実はマンガのようなものであることも
分かる。

 デリダのテキスト読めばおんなじ手つきで換骨奪胎してる。彼がテキスト
中でフロイトを言ってるのか、ハイデガーを言ってるのか。わざわざ
見間違うような書き方をしているのだから相当な人でなければ気づく
はずだ。
 おそらくデリダにあるのは行動主義心理学のような深層への否定性であり
表層主義だ。
デリダがアメリカでもてはやされた理由は俺には分かる。勿体ぶった
書き方してるがレトリックだけで実は浅いのもデリダのその傾向性にせいで、
実は英米的なんだよ。そういうこともちっと読めば分かるようなものだ。
日本の研究者が輸入ものに弱く何でも鵜呑みにする癖がデリダをめぐる
現象には良く出ているわけだ。

874 :考える名無しさん:2015/05/18(月) 20:44:13.01 0.net
フロイトは哲学や思想ではない、心理臨床ね。
臨床の知というのはそれなりの実用性を持っている。
デリダはただの戯言批判家で難しく言葉を並べて目新しさを競うのが商売だっただけ。
ハイデガーは哲学者。
ただハイデガーは「フロイトは読んでもいない」と60年代にラカンがドイツに尋ねた際にいった。
そもそもハイデガーとフロイトは全く関係ない。
ラカンにはハイデガーも関係はあったけれどね。

875 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 00:02:05.24 0.net
ハイデガーは「真理」(=Wahrheit)の概念を古代ギリシャにまで遡って、アレテイア=隠れていないこと、とするべきとの主張を各所で述べているが。
ギリシャ語・アレテイアとドイツ語・リヒティッヒカイト(Richtigkeit)の差異を主題として明確に述べている論考としては、「真理の本質について」
(Martin Heidegger, Gesamtausgabe,I. Abteilung: Veroffentlichte Schriften 1914-1970, Band 9 Wegmarken, Vittorio Klostermann, Frankfurt am
Main, pp177-202, 1976  ハイデッガー全集第9巻.道標.所収 真性の本質について 創文社. 東京. pp217-246, 1985.)を挙げておく。

創文社の『ハイデッガー全集』の翻訳については、木田元が批判していた。→★「闇屋になりそこねた哲学者」木田元・晶文社

「真理の本質について」も例外ではない。まずタイトルからして真理ではなく「真性の本質について」となっている。最初のp217を見ると、
「真性」と「真理」両方が出てくるので、当然、読者は原文のドイツ語では異なる単語なのだろうな、と思うわけだが。
原文を確認してみると、どちらもWahrheitであり、わざわざ二通りに訳し分けて読者を混乱させる意味がわからない。

一方、Richtigkeitは「正しさ」と訳されている。
他の翻訳者がやっているように紛らわしい単語は直後に( )して原語を入れてもらえないだろうか?
要旨をパラフレーズすると、リヒティッヒカイトとは一般的な真理観、「知(=言葉)と物の一致」としての真理を指し、
アレテイアとは隠れていないことを指す。

876 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 00:38:31.85 0.net
>>874
 申し訳ないがハイデガーがフロイトを読んでいない、はちょっと考え
られない。ラカンがいつ尋ねたか知らないが、『ツォリコーン・ゼミナール』
ではフロイトもビンスヴァンガーも相当論じている。語った年月日も記録
されており1965年11月のゼミナールでの聴講生との談話にフロイトは
出てきている。相当論じており、
「フロイトの理論は要素の因果関係に偏している」「カントによれば、
分析とは元来、悟性能力を分解することである。分解とは要素への解消では
ない。分解の根本性格とは、対象を、存在者の存在を可能にする統一(総合)
への還元することです。」としている。別の頁では、フロイト批判しながら
「人間存在とは存在理解です」という命題を繰り返している。
そのような悟性の統一を把握せねば人間存在は掴めないと言いたがっていた
と読める。

また同じ1965年11月にビンスヴァンガーへも批判をしている、
「ハイデガーの理論には冷たい関心はあるが愛するという人間性が認められ
ていない。私はハイデガー理論に愛を導入する」という批判をひき、
「愛するという側面を除外したことはない。それもまた有るとしての関心
の幅に入っている」という反批判を返している。

877 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 00:39:37.55 0.net
874つづき

 ハイデガー夫妻は1955年にフランスを訪れ、ラカンと会食している
ようですね。以下のサイト『東京ラカン塾』に書かれています。ハイデガー
は1955年9月にジャン・ボーフレの招きでノルマンディーを訪れ。講演を
しています。
そのときにラカンとも会ったんでしょうね。その時の記念写真も残って
います。

ハイデガー、マルクス主義者コスタス・アクセロス、ラカン、ジャン・ボ
ーフレ、ハイデガーの妻エルフリーデ、ジョルジュ・バタイユの妻
シルビア・バタイユ 
http://entregulistanybostan.tumblr.com/post/35792128179/martin-heidegger-costas-axelos-jacques-lacan
ハイデガー、エルフリーデ、ラカン
http://3.bp.blogspot.com/-m21RMqGBRzo/Tzr2sU0VKeI/AAAAAAAAEtE/_0vFhJKbDhw/s1600/tumblr_lz7wwa1LXG1qjiyiqo1_400.jpg
東京ラカン塾 『ハイデガーとラカン』(日本語版)抄録:序
http://www.lacantokyo.org/schedule.html

878 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 01:04:36.24 0.net
 >>876の分解と対象のあたりが曖昧な気がするので今一度書いてみると、
カントにとって分析とは悟性の分解のことであった。そしてその分解の目標
とは、人間にとっての対象物の対象性を、存在論的に可能にすること、統一
(総合)へと還元することにあった。要するにそれこそが自分の行った
存在論に他ならない、という意味だと思う。そういうところからフロイト理論
における要素への還元が、ある sein の統一に行きつかないという意味で
批判したかった。そう俺は捉えています。

879 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 01:06:40.59 0.net
>>876 >>877
それにハイデガーをフランスに招いて講義をさせているから何回もあっている
レヴィもメルロ=ポンティらも会っている
しかしハイデガーは「精神分析など全く知らないし、フロイトなんぞ読んだことはない」と平気でそういう
嘘というか強がりをドイツに来たラカンがフランス語で質問した言葉にドイツ語で返した(笑)
ヤスパースと親しかったのにフロイトを読んでもいないはずがない
このエピソードはルディネスコの本にも書かれている(他にもかかれているが)有名なお話
なんせいまだにハイデガーの心の狭さを象徴するエピソードとして有名らしい
それから東京ラカン塾はそれ以上は参照しないほうがいい
代表のO氏は10年くらい前に自分の女性患者と不倫して婚約したが彼女はサイコパスだったために
その言動に怒ったO氏は彼女を絞殺
数年前に出所してきたが当然ながら医師免許は剥奪
それでも無神経にもラカンの精神分析とかやっている
あたりまえだがかつての友人や専門家も彼には
一切タッチしていない
他人の精神分析なんかするくらいなら自己分析して公表するべきだろうね
だからもう触れるな

880 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 01:52:57.57 0.net
>>88
 ああそう。まあ考えられるとすれば、精神分析ともラカンの理論とも
否定でしか向き合えないことを知っていたハイデガーは、その場所での論争
になるのを回避した。
 ラカン理論を思い描けば、発達心理学としてはよくできてはいるが、
個体性そのものにたいする解釈学としてはいまだ不十分である。リアリティ
に到達できてはいない。それは見えてくるわけで、そこをしかし説明する気
にはならなかった。けっこうラカンのことが好きだったか、世話になった
か、ということも考えられますね。食事も御馳走になってるでしょう(笑)。
ハイデガーはヤスパースの哲学へも面と向かっては批判はどうも避けている。
義理堅かったというか(笑)

 そんなことを思いますけどね。比べてみれば噛み合うことはなかった
わけだから。意外とハイデガーは喧嘩を避けるところがある。良く言えば
平和主義者。悪く言えば裏表。そういう彼の性格がそこでの解読の鍵だと思
える。

881 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 01:54:41.17 0.net
 訂正。>>880>>879へのレスです。

882 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 02:18:08.55 0.net
>>880
当時のフランスくらいハイデガーを熱烈に受け入れてくれたところは戦後無かったわけで
だからハイデガーもしょっちゅうフランスに行っていた
フランスの現代思想界はハイデガーに対してかなり興味を持っていてリスペクトしていたもんね
だから全く同年のウィトゲンシュタインとはそこで差が出た
ウィトゲンシュタインはいまだにそれほどは研究は進んでいない
むしろ日本の方がウィトゲンシュタインは研究が進んでいる
ハイデガーも日本の研究はかなりレベルが高いけれどね
でもあの例のノートのせいでネガティブな方向の研究書がけっこう出るんだろうな
どうせやるならしっかりとした研究をして欲しいけれども
しかし今の日本のハイデガー研究者じゃ頼りないんだよな
国士舘の連中はそもそも変だしさ(笑)
高田珠樹、熊野純彦・・・駄目だよななあハイデガー以外も駄目な人達ばかりがハイデガーに入り込んでいる

883 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 15:09:07.54 0.net
http://zaitsu.blog137.fc2.com/blog-entry-63.html
財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー

『存在と時間』のいくつもの邦訳はそれぞれ長所をもっているが、特に称えるべきは戦前に出された本邦初訳である寺島實仁訳と戦後に出た松尾啓吉訳であると私は考えている。
この難解な原書を最初に訳した寺島の苦労はいかばかりであっただろうか。初めての翻訳でここまで仕上げることができたのは、たとえそこに瑕疵(かし)があったとしても、称えられるべきである。
実際、その後に『存在と時間』を訳した者たちは寺島訳を常に参照して作業を進めたはずである。

松尾訳は、すさまじい執念を感じさせる業績である。専門家以外には近づきがたい翻訳ではあるが、日本のハイデガー研究者たちは、今後も松尾訳のとりわけ「事項索引兼訳語対照表」の恩恵をこうむるはずである。
「市井の一無名詩人」松尾は、アカデミズムに納得のいかないものを感じているだろうが、すでに報われていると言ってよい。私もハイデガーを論じるときは常に松尾訳を手許に置いている。

私は、一応、松尾が皮肉を込めて言う「プロフェサー」であるが、こんな肩書きは大学を定年退職すれば何の価値も無い。私は、市井の人間としてこのブログで記事を書いているつもりだ。
では、なぜ私はブログで仰々しく「大学教授」やら何やらの肩書きをひけらかすのか。それは、生きていくための方便であると言っておこう。およそ20年前、私が訳したドゥルーズの『差異と反復』の「解説にかえて」のなかで、お世話になった多くの先生方の名前を出した。
それは感謝の意を表するためでもあったが、生きていくための方便でもあった。人が生きていくためにはそれなりの方便が必要である。ただし、その方便の意味を広言する必要はない。

884 :考える名無しさん:2015/05/19(火) 15:17:16.90 0.net
>>883
この人、素直な人だよね。
自分のドゥルーズの翻訳についても、わからないところはわからないと正直に書いてるし。
だからといって、全体として翻訳がいいかどうかは知らない。

885 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:01:15.62 0.net
遺跡都市で400人殺害か=「イスラム国」、女性・子供ら標的―シリア
時事通信 5月24日(日)21時3分配信

【カイロ時事】国営シリア・アラブ通信は24日、地元筋の話として、過激派組織「イスラム国」が制圧した
中部の遺跡都市パルミラで、多数の女性や子供、高齢者を含む少なくとも400人を殺害したと報じた。
同通信によれば、政府機関で働く職員やその家族らが標的になった。また、パルミラ脱出を図る数千人の行く
手を阻み、所持品を没収するなど住民への締め付けを強めているという。
「イスラム国」はアサド政権の軍部隊との交戦の末、21日にパルミラ全域を支配下に置いた。掌握した地域では、
抵抗する住民を殺害しているとの情報が出ていた。 

886 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:16:58.85 0.net
大先生の文章がナルシストの中年まんまでキモい
「リツイート&お気に入り」が欲しいんだろうが
悪い意味での伝説を次々と作り続けている。

887 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:18:39.93 0.net
だれ?

888 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:35:44.92 0.net
正確な数字ではないが、人間の性向(Human Propensity)を考える上で参考になろう

大量虐殺を行った歴史上の支配者

第10位 ヤクブ・ゴウォン (ナイジェリア) 110万人
1966年クーデター未遂事件が起き、ナイジェリア北部州の首相らが殺害された。しかし
北部などではイボの虐殺が起こった。これにより権力を握ったヤクブ・ゴウォン中佐は
連邦制を復活させたが、イボへの虐殺は続いていた。

第9位 メンギスツ・ハイレ・マリアム (エチオピア) 150万人
エチオピアは単一民族国家でもないし,単一宗教国家でもないのです.メンギスツ軍事
独裁は,数十万の国内のアムハラ人を虐殺したといわれています.

第8位 李 承晩 (韓国) 少なくとも120万人
日本と韓国では知名度の低い「保導連盟事件」などで虐殺。1950年の朝鮮戦争勃発で、
李承晩大統領の命令によって、軍や警察、共産主義からの脱却を目指す人間、政治犯や
民間人など、少なくとも120万人あまりを大量虐殺した。
朝鮮戦争の初期に、韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害。
そして、排水溝や炭鉱や海に遺棄。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されている。

889 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:36:12.96 0.net
第7位 金日成 (北朝鮮) 160万人
1950年、朝鮮戦争が始まった。北朝鮮軍は侵攻した地域で民衆に対し虐殺・粛清などを
行った。1980年代以降はそれまで頼みの綱だったソ連などからの援助が大きく減り、
大量の餓死者が出た。

第6位 ポル・ポト (カンボジア) 170万人
総人口800万足らずのカンボジアで、200万から300万近くの人間が虐殺された。正確な
死者数はわからない。この前代未聞の大量虐殺は、わずか4年間で達成されたのである。
知識人と言われた人々にいたっては、実に6割以上が殺されたという。

休日のレジャー・音楽・映画、恋愛などは、資本主義的行為とされ全面的に禁止された。
国民に課せられた使命は、農作業や土木工事など、ただアリのように黙々と働き続ける
ことだけだったのだ。

機関銃で蜂の巣にされる運命。海外からわざわざ帰国した女子学生も殺された。男女の
教員を、ひとり残らず、高い絶壁から突き落として殺してしまったこともある。

第5位 エンヴェル・パシャ (トルコ) 250万人
エンヴェルは中央アジアからギリシャにいたるテュルク系諸民族をオスマン帝国に大統一
するという理想を抱いていた。ロシア軍への協力を罰するためとしてアルメニア人の
シリアへの強制移住が行われ、死の行進と混乱のなかで200万人にのぼるアルメニア人が
トルコ軍によって虐殺された。

890 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:36:48.56 0.net
第4位 レオポルド2世 (ベルギー) 1,500万人
19世紀後半、ベルギーの君主レオポルド二世はアフリカのコンゴを「個人植民地」にし、
暴虐の限りを尽くしました。強制労働により象牙やゴムを採集し、不平分子は有無を言わ
さず虐殺。コンゴ軍は死体の右手を切断して持ち帰るのを常としていました(生きた人間
の右手を切断することも行われていました)。
レオポルド二世治下の20数年間で犠牲となったコンゴ人は当時の人口の約半分、
1000万人にのぼると言われています。

第3位 アドルフ・ヒトラー (ドイツ) 1,700万人
ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。「劣等民族」
または「不穏分子」としてシンティ・ロマ人(約20万人)、ポーランド人、セルビア人
(50万から120万人)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、
エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされる。殺害
されたこれらマイノリティーの合計は、900万人とも1100 万人とも言われる。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所をはじめとする「絶滅収容所」をポーランド
領内に建設した。とりわけ「絶滅収容所」には、ユダヤ人の大量殺人を目的とする「ガス
室」が設けられ、「ツィクロンB」と呼ばれる毒ガスを使って、約600万人のユダヤ人
を殺害したとされる。ユダヤ人の遺体は焼却処分され、それに伴う死体運搬等の
労働はユダヤ人が行うよう命じられた。
とくに被害が大きかったのが中央および東ヨーロッパで、1939年当初のユダヤ人人口は
700万人であったが、そのうち500万人がホロコーストで殺害されたとされる。

891 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:38:13.91 0.net
第2位 ヨシフ・スターリン (ソ連) 2,300万人
殺戮した人間の数ではヒトラーをはるかに上回るのである。スターリンは強制労働収容所
と称して、シベリアなど、ロシア北西部に数えきれない収容所をつくっていた。その数、
百カ所以上・・・実態は、恐怖の強制労働に他ならなかった。スターリンは、国家の
工業化のために、大量のただ働きの奴隷労働者が欲しかっただけなのである。

反対派を皆殺し
約1,000万人の強制集団農場化に反対した富農層(クラーク)を、銃殺、あるいはシベ
リア流刑で完全に撲滅した。

第1位 毛沢東 (中国) 7,800万人
毛沢東は良識ある人たちすべてを憎悪し、抹殺を指令した

大躍進政策で、2、700万人以上餓死
「大躍進政策」、「文化大革命(人肉宴会が行われた)」で3000万人〜8000万の自国民を
殺した。 第2次大戦の犠牲者を超える可能性もある、世界最悪の虐殺者。

学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言い
がかりを付けてリンチ。1000万人〜3000万人を虐殺。孔子や文化財を否定、破壊する極端
な「左」傾偏向主義運動に発展。

知識人などに「階級の的」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。
広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。
その内、食われた者は百数十人。武宣県において食人行為を行った者は推定1万〜2万人に
のぼる。

892 :考える名無しさん:2015/05/24(日) 22:39:27.00 0.net
■番外編 フランクリン・ルーズベルト&ハリー・トルーマン(アメリカ) 42万人
第二次世界大戦中、アメリカに亡命中の物理学者等が綴った原子爆弾の可能性と政府の
注意喚起を進言する手紙をルーズベルト米国大統領が読み、1941年に原子爆弾の開発を
決断した。
合同会議にて、「日本はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分」との
結論が出ていたが、トルーマンはその結論を信用せず、原爆実験の威力を知り、核の力で
ソ連を抑止できるという考えのかたわらに、日本への原子爆弾投下命令を最終決定した。

**
残念ながら中国における日本軍の蛮行の記事は見当たらなかった

893 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 10:51:57.83 0.net
>>892
>中国における日本軍の蛮行の記事

当時のシカゴ・デイリーニューズ、ニューヨーク・タイムズで報道されてるってさ。

東京裁判では、虐殺数は20万人となっていて、日本軍の関係者が殺人罪に問われてる。

894 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 11:45:34.63 0.net
存在と時間翻訳者で
なんだかんだで一番小物感があるのは
あの弟子のせいかもしれんが

895 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 18:53:01.23 0.net
かわいいガールおじさんの師匠?

896 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 19:15:32.79 0.net
http://www.saisei21.jp/report/2012/report-1

秦に見られる中国史の伝統――思想弾圧・大量殺戮・粛清

 征服王朝から、もう一度初めて中国を統一した秦に戻ろう。なぜなら、ここに中国史を貫く特徴が
顕著に表れているからである。その特徴とは、思想弾圧、そして大量殺戮と粛清である。思想弾
圧に関しては、今さら多言を要す必要はないだろう。秦の始皇帝は歴史に名高い「焚書(ふんし
ょ)・坑儒(こうじゅ)」を行なった。焚書・坑儒とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにす
る)」の意味である。これは多くの人が知っているが、意外と知られていないのが秦の大量殺戮と
内部粛清である。『史記』の『白起列伝』には、中国統一に至る過程でのすさまじい殺戮が記述さ
れている。例えば、紀元前293年、秦軍は韓と魏(ぎ)の連合軍を破るが、この時24万人を斬首し
ている。その後も数万人レベルの斬首はざらで、最もすさまじかったのは紀元前260年の長平の
戦いである。この時、秦軍は山西省高平県の長平で45万の大軍を擁した趙(ちょう)軍を降伏させ
るが、問題はその後である。45万の趙軍のうち戦闘中で命を落としたのは5万人。残りの40万
人は捕虜となったが、秦の白起将軍によりこの40万人の捕虜ほぼ全員が生き埋めにされて処刑
(坑殺)されたのである。

897 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 19:16:20.88 0.net
 次は粛清である。紀元前210年に始皇帝は巡幸中に死亡すると、粛清の嵐が始まる。始皇帝
の身辺の世話をしていた宦官・趙高(ちょうこう)と宰相・李斯(りし)は、まず始皇帝から後継指名を
受けていた長男の扶蘇(ふそ)を自殺に追い込む。そして、次男の胡亥(こがい)を二世皇帝に据え、
権力をほしいままにした。傀儡政権を樹立した後は、趙高と李斯以外のグループの重臣を次々に
殺戮。次いで胡亥の兄弟である12名の皇子を処刑し、10名の皇女を磔にした。ところが、次はさ
らなる内紛と粛清である。今度やられる方に回ったのは李斯であった。趙高は権力独占のために
邪魔になった李斯を追い落とすため、謀反の罪をかけ、皇帝の名において逮捕させる。そして例
によって一族皆殺しである。これを「族誅(ぞくちゅう)」と言うが、族誅は中国史の伝統である。凄惨
な粛清はさらに続く。趙高は、今度は二世皇帝・胡亥を自殺に追い込み、始皇帝の孫である子嬰
(しえい)を3世皇帝に立てるが(紀元前207年)、既に自らの力も国の力も衰え切っており、今度
は逆に趙高一族が子嬰によって誅殺されることになる。因果である。

 なお、秦は子嬰が即位した翌年、紀元前206年には滅びてしまうのであるが、滅ぼしたのが有
名な項羽と劉邦である。この時、項羽がやったこともすさまじい。項羽は秦の首都・咸陽(かんよう)
に向かう途中で造反の気配を見せた秦兵20万人を穴埋めにして殺している。また、子嬰が降伏
して秦が滅亡した後、項羽は子嬰一族や官吏4千人を皆殺しにし、咸陽の美女財宝を略奪して、
さらに始皇帝の墓を暴いて宝物を持ち出している。そして殺戮と略奪の限りを尽くした後、都に火
をかけ、咸陽を廃墟としたのである。

898 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 19:25:57.19 0.net
>>896-897
とんでもない王権だね。

日本でも、対一向一揆は酷かった。
天草も同じかも知れない。

知識人の弾圧も、江戸も昭和も同じだったな。
日露戦争や15年戦争でも、自国の兵士を平気で犠牲にしたことも有名だ。

どこの国でも、ろくでもない支配者というのはいるものだな。

899 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 20:02:26.03 0.net
運と環境・状況次第では誰しも支配者の側に立つ、あるいは支配者になる可能性を否定できない。
つまり誰もが、己または己の子孫が、大量殺戮に加担する立場に立つ可能性を否定できない。
誰もが、そうした状況下に置かれるまで、自分がそうした場合どう行動するのか予知できない。

900 :考える名無しさん:2015/05/25(月) 20:43:38.00 0.net
≫次男の胡亥(こがい)を二世皇帝に据え

胡亥(こがい)は、秦朝の第2代皇帝。
帝号は二世皇帝。現代中国語では秦二世とも称される。
姓は嬴(えい)。始皇帝の末子。

901 :考える名無しさん:2015/06/13(土) 00:30:05.19 0.net
確かに本郷と比べると駒場は学問的に自由さはあるが、アカデミックでないかもしれない。
駒場出身哲学者の学術書と自称しているものをみると、学問的方法論が未熟なものが多い。
それに駒場の先生たちは、本郷にアカデミックコンプレックスを持っている。
ちなみに私は本郷出身です。

902 :考える名無しさん:2015/06/14(日) 05:41:11.20 0.net
♪マールティン♪
♪マールティン♪
♪ハンバーグ♪

903 :考える名無しさん:2015/06/15(月) 09:37:14.91 0.net
>>901
駒場か本郷の哲学者で、安保法案や改憲についてなにか発言してる人はいないの?

904 :考える名無しさん:2015/06/15(月) 14:31:19.42 0.net
本郷出身の哲学者と駒場出身哲学者の具体例を挙げてくれ

905 :考える名無しさん:2015/06/15(月) 23:56:35.27 0.net
熊野先生か佐々木主幹は、安保法案や改憲についてなにか発言していないの?

906 :考える名無しさん:2015/06/19(金) 15:39:21.70 0.net
ハイデッガー全集メモ

Gesamtausgabe (Heidegger)
http://de.wikipedia.org/wiki/Gesamtausgabe_%28Heidegger%29
・ハイデッガー全集の独、日、英版リスト

邦訳ハイデッガー全集
http://ambos.hatenablog.com/entry/2015/01/03/220709
・邦訳状況一覧

『ハイデガー読本』秋富克哉, 古荘真敬, 森一郎, 安部浩(法政大学出版局, 2014年) 
http://www.amazon.co.jp/dp/4588150707/
・巻末に全集全巻のサマリーあり

907 :考える名無しさん:2015/06/27(土) 10:32:26.51 0.net
Angstを不安と訳すのは誤訳

908 :考える名無しさん:2015/06/28(日) 01:40:57.22 0.net
結局ハイデガーの言う無ってなんなんだろ

909 :考える名無しさん:2015/06/29(月) 18:33:15.59 0.net
存在=無

910 :考える名無しさん:2015/06/29(月) 19:54:36.03 0.net
「現存在」は有限的存在であり、ハイデガ−に於ける「無」の概念は、
「有」の対極にあるものとして、無限的存在としての「無」という意味である。
だから、ハイデガ−自身も「私が死ねば、現存在も消滅する」というような内容の記述をしている。
多くの西洋人に共通する概念として、「死」というものを「無」と捉えている傾向がある。

911 :考える名無しさん:2015/06/29(月) 22:57:13.85 0.net
もう夏休みかい?

912 :考える名無しさん:2015/06/30(火) 00:16:59.48 0.net
 ハイデガーの無を考える際にもハイデガーの思索の性格を考えれば
いい。ハイデガーとは本来的存在の見出し方を歴史に問い、存在者に
追い回されている人から存在者が滑り落ち、自己にとって本来的
とみなされるものは何も無い退屈を見出し、そこから逆に見出していく
思索ですね。その場合に「これは自己的ではない」「何も自己的では
ない」という存在者の崩落を発見させ、自己の本来性からの声を聴か
せる、そこでの否定作用の根源「何故〜でないのか」「…であっては
ならない」の根源が無である。ハイデガーにとって、通常の論理的な
根拠の追求もまた存在問題に関わることでしか発現しないとされてい
く。論理の根源も亦存在問題である。
 
 「形而上学とは何か」が無を扱ったとされる最も典型的な論文です
が、そこでは存在者をあらしめる存在と、存在者を否定する無は
同じく共属する、と云われている。肯定作用と否定作用の根源は同じ
だと言う。肯定と否定の苛烈さは存在と無から送られると。学的
研究者に於いてもそこでの判断の根源は存在と無であるとされる
くらいですから。学的研究者もまた一個の実存で、そこで学を追求
させる根源はやはり存在問題だと。他の講義でも、ある学的概念に
同化すること、その実存的運命こそ研究者の偉大さを表すと述べて
ますから。

 なので否定作用の根源がハイデガーにおける無である、でいいと
思います。無はハイデガーに於いては存在と共属します。

913 :考える名無しさん:2015/06/30(火) 13:25:25.76 0.net
>>912
「無はハイデガ−に於いては存在と共属する」と述べていますが、
「世界内存在」にある「現存在」は、有(ある=存在)の領野に属しており、
ハイデガ−に於ける「無」は、世界内存在(有限世界)とは別次元と解釈される。
従って、「無」と「有(現存在)」とが根源に於いて、共属するという論理が理解できません。

914 :考える名無しさん:2015/06/30(火) 18:17:59.30 0.net
 まずハイデガー用語について考えてみます。ハイデガー用語の意味と
貴方が書いている意味は違っていると思います。
 世界内存在(「世界の-内に-有ること」ともいう) 
In-der-Welt-sein での世界 Welt をハイデガーはこう書いています。

《世界は全体性として、如何なる有るもの(註:存在者)で「有る」
のでもなく、現有(註:現存在)がそれ自身を如何なる有るものへ
関わり合わせ得るか、そして如何なる仕方でその有るものへ関わり
合わせ得るかということに関して、そこから現有がそれ自身に指示
を与えるところのものである。》創文社全集9巻『道標』193頁

 よって貴方が書いている世界とは上の引用における「有るもの」
(存在者)である。ハイデガーが注意しながら「こうじゃないん
ですよ。気をつけてくださいよ」と言ってるその意味になっちゃって
ます。

 それと現存在 Da-sein とは文字通りにいえば「現に-有る」。現
存在とは、何かを「有らしめる」もしくは「無からしめる」繋辞で
ある。現存在というと、何か存在者だと読めるけど、実はこれもまた
違って、肯定と否定を成立させる判断させる文節である。これを
ハイデガーは人間の存在論的概念として用いる。よって正しくは、
肯定や否定や事象が成立する地平とでも言った方がよい。
 
 そこから考えると、有(有らしめる肯定作用)と無(無からしめる
否定作用)が現存在において共属するはおかしくはないわけです。

915 :考える名無しさん:2015/07/01(水) 18:10:47.48 0.net
>>914
「現存在」とは、他の存在物(事物や道具)から区別された、自己の存在に
関心をもち、それを了解する唯一の存在者(=人間)のことと定義されている。

ハイデガ−は、本来性の「現存在」について、「先駆的な可能性としての死への存在」と
述べている様に、本来性の「現存在(=人間)」を“有限なる存在”として捉えている。

従って、「現存在(=人間)」の有限性に対して、肯定(有限性)と否定(非有限性)が成立する地平は
論理として成立しないと思います。

916 :考える名無しさん:2015/07/01(水) 20:44:20.94 0.net
>>915
 まず否定(非有限性)とされていますが、否定する場合、「現存在的に」
ですから。そこを考慮しなきゃいけない。現存在とは先に述べたように判断
や事象が映現する場所ですね。人間をハイデガーが「現存在、現有」と名づ
けるのはだからです。意味があります。なので現存在の存在とは「〜である
」「〜ではない」という文節が判断が映現する場だとも言えます。で、この
文節や判断とは、本来的には没-交渉的。無関連 unbezuglich。他者からは
伺い知れない。そこに現存在の単独化 Vereinzelung が言われる契機があり
ます。言い換えれば現存在とは可能性として有限である。
したがって貴方が仰る

>肯定(有限性)と否定(非有限性)

というのとは異なり、否定もまた有限的ということになります。

 肯定作用をさせる淵源有と否定作用をさせる淵源無は現存在の地平で
共属しますが、それはそもそも現存在自身が有限的だからで、その場合、
有限的だとはハイデガーに於いては二つに意味されることがあります。
 一つは何時かは存在者としては終わるということ、二つ目は可能性として、
言い換えれば時熟として、既有的に将来する可能性として。ということ。
 現存在とは時熟の可能性であり、この可能性は自ずと無限からは弾かれて
いる。有限です。その意味で現存在は有限的であって、「現存在は有限的
とは第一次的にはこの意味である」「終息するということを意味しない」と
ハイデガーは『存在と時間』原書でいうと330頁で述べています。

917 :考える名無しさん:2015/07/01(水) 20:49:26.65 0.net
914つづき

 現存在に於いては肯定も否定も有限的また現存在は時熟の可能性と
して有限的である。
 その根源である有と無は現存在に於いて共属する、ですが、ハイデ
ガーによればこの命題はヘーゲルが言っている、となっています。

《「純粋な有と純粋な無とは、かくして同一である」。ヘーゲルのこ
の命題(『論理の学』第1巻、旧刊全集第3巻78頁)は、正当に存立
する。》ハイデッガー全集第9巻道標146頁 創文社版

 しかしここでまたハイデガーはヘーゲルに異議を申し立てており、
以下のように続けています。

《有と無は共属する。但しそれは、有と無との両者が−思惟について
のヘー ゲルの概念から見られるならば−それらの無規定性と無媒介性
という点で一致するからではなく、有それ自身が本質に於いて有限的
にあり、それ自身を、無の内に投げ込まれて保たれている現有の超越
の内でのみ、開示するからである。》

 ハイデガーによれば有と無との関係とは次のようになります。

《無は有るものにとって、無限定な漠然とした対向に留まらず、無は
それ自身を、有るものの有に所属するとして露呈する。》同書145頁

 無は有にとって、そこに所属する対抗概念である。ということが言え
ます。そこでの関係は有限と無限ではないということです。

918 :考える名無しさん:2015/07/01(水) 23:17:56.48 0.net
― 『現象学の根本問題』 木田元監訳 (作品社 2010年)より

われわれは、存在者ならばいつでも容易になんらかの領域から自分の前に差し出し、表象することができます。[略]

では、哲学の対象はどうでしょうか。
「存在」といったものを表象することは可能でしょうか。
そんなことをしようとすれば、眩暈(めまい)に襲われるのではないでしょうか。[略]

たしかに、存在者であれば、それはなにかあるものであり、
机であったり椅子であったり、樹木、天、物体、言葉、行為であったりします。
たしかに、こうした存在者なら思い浮かべることができますが、
しかし存在を思い浮かべるなんてことができるでしょうか。

というのも、存在などというものは無のように思われるからであり、
しかもほかならぬヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っているからです。

となれば、存在についての学である哲学は、無についての学だということになります。

919 :考える名無しさん:2015/07/02(木) 11:18:21.14 0.net
ハイデッガーにとっては存在も無も同次元のこと
逆にいえば、それがハイデッガー哲学の真骨頂でもあるわけ

920 :考える名無しさん:2015/07/02(木) 17:07:26.00 0.net
>>917
ハイデガ−に於ける「現存在(=存在者)」は、“有限的”であり、
“存在者(=現存在)”と“存在”の関係は、有と無の関係にあると述べていますが、
そうしますと、ハイデガ−が述べている「無」とは、「現存在」の“有限性”に対して、
「無」とは、「無限的存在=存在}として捉えられるということでしょうか。

921 :考える名無しさん:2015/07/02(木) 17:25:27.70 0.net
>>916
「現存在的」に否定する。この場合の「否定」の意味は、
ヘ−ゲル弁証法に於ける「正(即自存在)」→「反(対自存在)」での「否定」
とは異なるのでしょうか。

922 :考える名無しさん:2015/07/04(土) 16:03:09.80 0.net
>>920
>ハイデガ−に於ける「現存在(=存在者)」は、“有限的”であり、
>“存在者(=現存在)”と“存在”の関係は、有と無の関係にあると述べて
>いますが
 色んな語彙が出てきてこんがらがってる感があるので用語を整理します。
その方が良いみたいなので。現存在を現有に、存在を有にします。元々
日本語訳では存在も有も同じく sein の訳語ですから。
 で、再度現有について述べると、>>914にも書いた通り、「有る」が現象
する地平。「〜がある」「…である」が現象するのが現有 Dasein 。なの
で、現有と有の関係はそのまま読めばいい。「有と無の関係」ではないし、
そう書いたこともないです。

923 :考える名無しさん:2015/07/04(土) 16:04:30.37 0.net
>>921
 ヘーゲルの言うその辺りの否定とは論理学または精神哲学である。で、
ハイデガーの言う現有的な肯定や否定とは、むしろ実存的事実である。そこ
での描写は方法としては哲学的語彙を使用しているけども、むしろ実存が
対象化されている。そこは大きな違いがある。なので一緒ではないです。

924 :考える名無しさん:2015/07/04(土) 16:05:00.67 0.net
>>920
>そうしますと、ハイデガ−が述べている「無」とは、「現存在」の
>“有限性”に対して、「無」とは、「無限的存在=存在}として捉え
>られるということでしょうか。
 既に>>916>>917でも書きましたが、ハイデガーの論ずる現有に於ける有
と無は共属します。で、現有における可能性の有限性は「有る」の有限性で
す。というのは、人間は様々に、思惟、嗜好、好み、行動…、ハイデガー
的には慮り sorge に於いて有限的です。現象する「有る」は絶えず有限的
で、それはわが身を顧みれば明らかな訳です。で、そこで「有る」の有限性
は、「無い」の有限性と同じです。それはそうです。何故なら「私はカレー
が一番すきである」ならば、「カレー以外は一番好きでは無い」のだから。
「有る」が有限的ならば「無い」もまた有限的。よって「無いこと」もまた
有限的です。

 それと、肝腎なことで1つ。ハイデガーに於いて難しく思える論理は、
全て人間的事実、言い換えれば内省に於いて見えてくる事柄を実は指して
います。それが実存的ということです。わが身を顧みながら読むことが大
事です。
 またそもそも現象学自体、人間的事実に対する解析の方法を主題化する
ものでしょう。エポケーや還元とはそういう意味だと捉えるとすれば、ハ
イデガーの方法が現象学の延長上にあることは見てとれると私などは捉えて
います。

925 :考える名無しさん:2015/07/05(日) 18:55:26.69 0.net
>>924
ハイデガ−の「現存在」は“有限的存在”ですが、
この有限性(始まりと終わりがある=時間)は、「身体性」を
基底とすることで成立していると解釈している。ハイデガ−の著書には
「身体性」の記述は見当たりませんが、 この「現存在」の有限性と身体性が
どのように連関しているのでしょうか。

926 :考える名無しさん:2015/07/05(日) 19:23:45.77 0.net
>>917
>有それ自身が本質に於いて有限的にあり、
それ自身を無の内に投げ込まれて保たれている現有(現存在)の
超越の内でのみ、開示するからである。

>上記の「現有(現存在)の超越の内でのみ開示する」ということは、
「現存在」の死によって“無化”するということでしょうか。

927 :考える名無しさん:2015/07/05(日) 20:40:36.30 0.net
たいせつな本)木田元:上 小林秀雄『モオツァルト』
[文]木田元  [掲載]2006年05月28日

 my classics
 本当になにもかもを小林秀雄に教わった

 第二次大戦敗戦のときまだ十六歳だったから、本らしい本を読みはじめたのはそのあとのことになるが、あのころ私たちの世代は、なにもかも小林秀雄に教わったような気がする。
 ボードレールもランボオも、正宗白鳥も志賀直哉も、アランもドストエフスキーも、西行も実朝も、ゴッホもセザンヌも、と、こう並べてみると、本当になにもかもだ。
 モーツァルトを教えてくれたのも小林秀雄だった。もっとも、彼の『モオツァルト』は敗戦の翌年に発表されていたのに、なぜかすぐには読まなかったようだ。
私が最初に手に入れたのは創元文庫版の初版、昭和二十八年一月の刊行になっている。
 これがなんとも衝撃的だった。なにしろ小林秀雄は、アンリ・ゲオンがモーツァルトのかなしさをtristesse allante(トリステス・アラント、疾走するかなしさ)と呼んだことにからめて、こんなふうに言うのだ。
 「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。涙の裡(うち)に玩弄(がんろう)するには美しすぎる。空の青さや海の匂(にお)ひの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知つてゐた『かなし』といふ言葉の様にかなしい」
 あのころ、こんなことを教えてくれるのは、小林秀雄だけだった。それまではベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタなどを熱心に聴いていたのに、これを読んで、
言われるままにモーツァルトの交響曲やピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、五重奏曲と聴いていくうちにすっかりはまってしまい、いまだにその呪縛から脱け出せないでいる。
 小林秀雄は、戦争中に「安物の蓄音機」と「僅(わず)かばかりのレコード」で聴きつづけた音を頼りに、戦後一年間「全く他に筆を絶って」この『モオツァルト』を書き上げたと伝えられる。
いまは再生装置の性能も再生可能な曲や演奏の数も、信じられないくらい増大している。いまさら小林秀雄でもあるまいとよく言われるが、私にとっては依然としてこれがかけがえのないモーツァルト論である。(哲学者)
     *
 単行本は1947年に創元社から。写真は『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫・420円)

928 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 02:01:08.41 0.net
>>925
 身体性はないけれども全編に亘って〈この私〉というのが根底で目配せ
されています。〈この私〉は世界・有限的・単独的として標的となっていき
ます。どのような語彙によってかというと現有 Dasein という単語によって
また世界の-内に-あること in-der-Welt-sein という単語によって実は指示
されています。
 その現有の〈この私〉の有限性は>>916にも書きましたが2つの意味で指
示されています。1つには〈いつか終息する〉2つには〈(終息することと
はまた別に)可能性として〉。2つ目は分かりにくいならば先き挙げたカレ
ーの例を指せば分かると思います。「私の一番好きな料理はカレーです」
において、それは寿司でもうどんでもラーメンでも牛丼でもエビフライでも
その他でもなく紛れもないカレーである。それは味覚という身体性その制約
である。また別の例でもいい。「私はスポーツは視る方が好きです」におい
て、運動という身体性は実践的であるよりも概念的に発達していることを
表している。これらはどちらにしても身体性の制約を表しています。すな
わち可能性の制約とはこのようなこととして起きてきます。
 要するに現有の身体性として出てはこなくとも、想い sorge として
出てくることで、また超越 trans として出てくることで、既に表されても
いると思えます。

929 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 02:23:57.95 0.net
>>926
 ハイデガーに於ける超越が無に投げ込まれることによって可能、また、
ハイデガーに於いては学的現有もまた無によって可能だとされています。
嘘だと思うなら「形而上学とは何か」をお読みになればいいのですが。
何故なら無によってのみ現有は有るもの(存在者)の群れと衝突し、想い
を抱き、自己の可能性を見出し、また根拠を追究する。それは
有と無の作用によるもので、そのように、有るものの群れから抜け出してい
く、自己を見出していくことがハイデガーに於ける超越です。そこでは
学的現有でさえ、根底に超越を抱えていることが指摘されていきます。

 よってそれは現有の死を措定することで切迫もしますが、直接的には死と
は関係はありません。現有が死と関係してくるのは本来的自己との関係で
呼び声に耳を澄ます、という局面でのことだと思います。

 先にも出てきましたがハイデガーに於ける無を考えるならば「形而上学
とは何か」という論文が最適です。全集ですと第9巻道標に収録されて
いますから、お読みになると良いと思います。

930 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 10:31:08.93 0.net
>>929
>無によってのみ現有は有るもの(存在者)の群れと衝突

この「無」とはなに?
「現有」の否定性?
「現有」の非在?

931 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 18:45:00.12 0.net
>>930
 そこは貴方が出していらっしゃる内の1つ目。「現有の否定作用」という
ことですね。

932 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 20:26:11.37 0.net
>>931
ありがとう。
その否定作用はその現有自体がもつもの?
有そのものに根源を持つ否定作用?

933 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 20:43:40.25 0.net
>>932
 現有の否定作用が絡まなければ超越もないのだから、その否定作用とは
時熟とも関連する。時がもたらすものとも言える。
 よって否定作用の場所は現有である。で、その根源は現有の有。歴史性
が正解でしょうね。
 人間的実存にとって、有はたえず現有という場で映現する。単に論理学
や弁証法では片付かない。そこが味噌だと思います。

934 :考える名無しさん:2015/07/06(月) 21:02:12.96 0.net
>>933
ありがとう。

そうすると、ほぼヘーゲル?
弁証法的な止揚の概念がないだけにも見える。
もう少し考えてみたい。

935 :考える名無しさん:2015/07/07(火) 01:20:36.83 0.net
>>934
 ヘーゲルというのは実存ではない理性・精神(個=共同)哲学。よってハ
イデガーの遺した実存分析とは異なってきますね。
 というのは本来性というのは、必ずしも理性的・精神的とは言えない。む
しろ没落的であることさえある。没落的な本来性とは理性に於いては矯正
されていくしかない。そこはフーコーが分析したような〈狂気の歴史〉〈監
視と処罰〉の問題もまた入ってくる。ハイデガー有論が近代性と相容れない
のに対してヘーゲル哲学とは理性・精神の賞揚である限りで近代性を表す。
精神とは絶えざる対自化の運動である。そこでは没落性は排除されていく。
その差異が出てくると思います。

936 :考える名無しさん:2015/07/07(火) 10:41:34.90 0.net
>>935
ヘーゲルについてはちょっと誤解があるようだ。
歴史としての人間というのがヘーゲル。
その大きな流れの中に弁証法を見ている。

弁証法というのは、当然、上昇も下降も含んでいる。
その下降が没落といえば没落。
それ自体が持つ上昇と下降の内部的な対立から、新たな状況が生まれ、それがさらに展開するという、いわば螺旋を分析している認識だ。

〈没落的な本来性〉というのが個人の問題に含まれるとしても、〈理性〉もまた個人が所有する。
それは社会的、自然的な状況との関係に外ならない。
その個人と社会、自然との関係を論じているのがヘーゲル。

政治としてのナチスの理解ができなかったように、ハイデガーには、その社会、自然の考察がないように見える。

937 :考える名無しさん:2015/07/07(火) 12:05:24.58 0.net
>>936
 そうですね。ヘーゲルに於いては他人に対し自己を視るという契機が人倫
的実体として設定されている訳です。自己と他者との関係が、国家に繋がる
契機でもあります。『精神現象学』に書かれていますが。この契機というのが
、聊か安直な気がするわけです。自己は他者に自己を視る。たしかにそうです
が、一切見えない時。また、自己が他者にも視えると思っていることが、
錯覚にすぎないという場合がしばしばあります。そこで自己と他者には
ハイデガー的に言うならば没-交渉的という関係しか見えないということ
にもなる。その辺の関係性というのが、ヘーゲルに於いては聊か安易に済ま
されている感があります。人間に於ける現実がやや安易に片付けられてい
るというか。そういう感じがありますね。

 ヘーゲルに於いては論理の構成上、どうしても国家に繋がるところで
関係性にしてもみていく。その制約があると思います。本来性に於いて、
それが国家に繋がるか否かはこの実存レベルでは関係なくなっていく。
ヘーゲルに於ける関係性の構成の仕方には精神哲学という性格上の制約が
ある。言い換えれば人間的現実との齟齬が見える。ヘーゲルに於ける論法
では、論理的な構成が優先され、個体はその構成上のコマのようにも
視えるんですね。
 そういうところで現実的ではないという感じがありますね。ヘーゲルが
思っているほどには人間を捉えてはいないと思っています。

938 :考える名無しさん:2015/07/07(火) 18:29:56.83 0.net
>>937
ヘーゲルの捉え方が、僕とはまったく違うようだ。

「人間に於ける現実」というのは、社会、自然を離れてはあり得ないというのは、ヘーゲルの根本理念だ。
それを、「自己と他者」が「没-交渉的」と読むことはちょっと理解できない。
〈自己〉も〈他者〉も、自然性であり、社会性であることからは逃れられない。

〈自己〉が〈他者〉と関係するのは、自然性においてであるか社会性においてであるかのいずれかということになる。
もうひとつの関係のしかたがあるとすれば、国家の一員としての関係のあり方だ。
理念としての国家、マルクスのいう幻想の共同性の中での〈自己〉と〈他者〉ということになる。

こうしたそれぞれの〈現実〉が、ハイデガーではどう捉えられるのか、それは知りたいと思う。

939 :考える名無しさん:2015/07/07(火) 20:10:30.79 0.net
>>924
一般的な意味に於いての「実存」とは、現実的(=生活世界)な存在であり、普遍的な本質ではなく
時間・空間内にある個体的・主観的存在と記述されている。

>922では「内省に於いて見えてくる事柄を実は指している。それが“実存的”ということです。」と
述べていますが、ハイデガ−に於ける「内省」というのは、時間・空間に限定されないということでしょうか。

940 :考える名無しさん:2015/07/08(水) 05:48:40.96 0.net
>>938
 ヘーゲル的精神に於いては他人と私との一体が、それも理性的人間同士の
関係ですが、至極立派に描かれていく。具体的には『精神現象学』B理性
B理性的自己意識の自己自身による実現 とかですね。
《私は他人を私として、私を他人として看てとる。》という言い方がされて
いく。《それゆえ或る自由な民族の内には、ほんとうに理性が実現されてい
る。》と続きます。
 ちょっと現実味が乏しい感がありますね。例えば電車に乗っておれば
奇声を発して走り回ってる知的障害者に出会う。同じ人間ですが理性的にも
見えないしこちらは恐れ戦くだけです。最近手記を発表した酒鬼薔薇聖斗
にしても、今は矯正されたことになってますが、たとえそうでも彼と
普通に話ができる人は稀でしょう。現実に出会う人間を浮かべれば、ヘーゲ
ルが挙げている人倫の国とはそれこそ理念でしかなく、事実とは異なる。
ハイデガー的問題ではなくマルクスの問題になりますが、ヘーゲルによって
描かれる労働の場面、これも上記の同じ章に出てきますが、これも一体感
として描かれ、後にマルクスなりが摘出した貧困や階級の問題からすると
これも理念以外には見えません。
 ちょっと現実の人間とは齟齬があるように思えてなりませんね。あくまで
理念として国家や社会を描いた、という感があります。

941 :考える名無しさん:2015/07/08(水) 06:27:50.22 0.net
>>939
>ハイデガ−に於ける「内省」というのは、時間・空間に限定されないという
>ことでしょうか。
 勿論内省が〈この私〉によるものである以上、〈この私〉の諸条件に拘束
されています。〈視る私〉も、〈この私〉という歴史性や経歴に拘束されて
いる。〈この私〉における諸条件を解いていく、それ
も時間性を基盤に、というのが『有と時』既刊部分での方法の1つである。
 ただ、ハイデガーの場合、〈この私〉の何もかも全部お見通し、とかを
狙うモノじゃないと思いますね。むしろ、〈この私〉に於いて内的に
訪れる〈私〉や外的に襲撃する有るものとの関係に、〈私〉をむしろ
運命として発見していく、という思索が初期にはあったと思います。
フッサールの弟子だったけど、厳密性や学問の成立はハイデガーの方は求め
てはいかなかった。その違いがある。

 あと前にも書きましたが一度よくお読みになっていただければ色んなこと
が見えてくると思いますよ。所詮私の読み方に過ぎませんから。貴方がご自
分で読むとまた違った感想が出てくるかもしれない。ハイデガー
の本は今は岩波文庫でも『存在と時間』は新訳されて新しくなってます。
ちくま学芸文庫でも出ています。平凡社ライブラリーでも『形而上学入門』
『ニーチェ』が1000〜2000円で出ています。入手はしやすいんじゃないです
か。

942 :考える名無しさん:2015/07/08(水) 15:19:30.96 0.net
>>940
「理念は自然として存在するかぎり自己自身にたいして外面的であるため、そこから矛盾が生ずるのであるが、この矛盾を詳しく言えば、理念の形成物は、
一方では概念によって産出された必然性を具え、理性的な規定をその有機的な統体性において有しているが、他方では、相互に無関心な偶然性とどうにもならぬ放埓さを具えているということである。」
「善は主体にとって偶然なものとして措定されている。それゆえこの主体は善に対立したものに向かって決意をすることができるし、悪であることができる。」
(樫山訳『エンチクロペディー』250及び509)

ハイデガーの関心と近いと思われるところを任意に引用してみたが、自然と精神の関係や、善と悪についてはこんなことを書いている。
引用はこのくらいにしておくが、歴史、社会における人間、国家における人間についても、もちろん考察している。
それぞれの大きな関係性の中で、人間そのもの、あるいは精神のあり方を解明している。

ヘーゲルに深入りするつもりはないが、ひとつの著作だけでは把握しにくい、違う読み方があるということだけを指摘しておきたい。

943 :考える名無しさん:2015/07/08(水) 20:55:50.02 0.net
>>929
>ハイデガ−に於ける“超越”が、無(現有の否定作用)に投げ込まれる
ことによって可能となる。

>無(現有の否定作用)へと企投することによって、有るもの(存在者)の群れから
抜け出していく、自己(=主観)を見出していくことが「超越」ですが、この「超越」によって、
本来的な「現存在(現有)」が創出する。

「超越」によって現出した本来的な現存在は、「作られてある(被制作性)=現前性」と解釈しています。

944 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 19:33:32.21 0.net
ハイデガ−前期(存在と時間)では、ある存在ということを「作られてある(被制作性)」という意味へ
向けて企投するが、ハイデガ−後期では、「なる(生成)」という意味に向けて企投することによって異なった
存在了解が行われる。そこから異なった存在概念が形成される。

945 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 20:12:40.33 0.net
ハイデガー前期しか知らないが。
なるということは意志ですよね。
そうあろうとするということですか?

946 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 20:39:22.77 0.net
>>945
ハイデガ−後期の「なる(生成)=自然」論理は、意志・身体性を含めた「現存在」そのものが
〈おのれのうちに内臓している運動の原理(=自然の生成原理)によって、自ずから生成してきたものであり、
そこに有る(存在する)ということは“なる(生成)”として捉えられている。

947 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 20:47:25.29 0.net
>>946
ヘーゲル的な感じがしますね。弁証法的というか。
自然の内在する原理による自己生成。
あるというより「なる」か。なるほど。w

948 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 22:56:48.09 0.net
>>947
ハイデガ−の「なる(生成)」をもう少し詳しく述べると、
「すべての存在者を存在者たらしめる「存在」とは、現存在が「能動的に了解」したり、
おのれの「意志」によって“存在”を変えることは出来ない。つまり、“存在”のそのつどの
生起の仕方によって「現存在」のそのつどの在り方が決められる。

ヘ−ゲルの場合は、「なる(生成)」の様な“客観的領野=自然”の働きかけはない。
あくまでも主観的領野での“弁証法的展開”がなされる。ヘ−ゲルの“絶対精神”は主観的領野に
於いて成立している。

949 :考える名無しさん:2015/07/18(土) 23:25:51.20 0.net
>>948
前にも指摘したが、精神現象学を読んだだけでヘーゲルに触れるのはよしたほうがいいと思う。

950 :考える名無しさん:2015/07/19(日) 08:21:19.16 0.net
>>494
 仰りたいことは理解できるが、厳密にいえば1927年の『有と時』第73節
歴史の通俗的理解と現有の経歴 ですでに《有は既有的に将来する》《
歴史とは「過去性」というよりは過去性からの由来を謂う》《「歴史を
もつもの」は或る生成の連関の内に立っている》のように、自然の生成
こそが歴史であり、つまりは現有の根本である、という命題はこの時点、す
なわちいわゆるハイデガー「前期」で語られている。これは木田元も岩波新
書『ハイデガーの思想』141頁で指摘もしている。ただ有の理解(存在了解)
といったような主体を匂わせる概念が使われなくなっていった、「出来事」
「生起」という概念の方に有を語る手法が変わって行ったということですね。
「生起」は全集では「性起 ereignis」という翻訳語で、生成というよりは
具体的な言いまわしでは「神と人間のあいだで交わされる自性の委ね渡し」
という言い方になる。全集第65巻『哲学への寄与論稿』の根本概念で。

951 :考える名無しさん:2015/07/20(月) 05:00:27.97 0.net
 失礼。>>950>>494宛てではなくて>>944へのレスですね。訂正します。

952 :考える名無しさん:2015/07/21(火) 19:15:06.01 0.net
>>951
ハイデガ−は「作られてある(被制作性)」の従来の西洋哲学に対して、
「成りいでてある(生起)」の論理は、存在に対して、ああ了解したり、こう了解したり、
現存在に左右されることの出来るものではなく、むしろ“存在自体”の方から現存在に
ああ現れれてきたり、こう現れてきたりするものであり、現存在はそれを“受け入れる”しかないと考えています。

「成りいでてある(生起)」の領野(=自然)に於ける現存在は、自然(=客観的存在)に対して受動的連関となるので
“世界内存在”との“現存在”の位置づけも変化してくるものと解釈している。

953 :考える名無しさん:2015/07/21(火) 19:53:32.21 0.net
>>952
 異存はないです。その仰るところの成りいでてあるところにたいして
、現有はしかし、また一方主体として拮抗しもするわけですね。そこで
拮抗する場合、自然として《既有的に将来する》歴史性にたいし、
どこに超越の根拠を求めるか、と云う場合、より遡行しての歴史性
の由来に、超越の根拠はある。《善きもの》《模範》の根拠はある。
自己という歴史性の根っこに、可能性に、応答することで、そこで自己
という過去性に反対し撤回していくことができれば、超越はある。
超越の根拠はある。これは『有と時』の第74節 歴史性の根本体制
にもありますが、決してそこでも純粋意識とかにはならない、て
いうのがハイデッガーの歴史性であるし、また、現在の実存が屡、
理性的動物ではない場所に入りこむその端緒(それは恐ろしいことでも
ある訳だけど)や必然性も掴むことになる、と考えています。

954 :考える名無しさん:2015/07/22(水) 18:29:17.88 0.net
>>953
>また、現在の実存が屡々、理性的動物ではない場所に入り込む
その端緒(それは恐ろしことでもある訳だけど)や必然性も掴むことになる、と考えています。

>現存在が「成りいでてある(生起)」の領野(=自然)に入るというよりも、私は現存在が
自然(成りいでてある領野)と一体的(融合化)となった様態と捉えています。

ハイデガ−は、自然(成りいでてある領野=客観的存在)と一体としてある「現存在」の時間制を
どの様に捉えていたのでしょうか。

955 :考える名無しさん:2015/07/22(水) 18:34:32.78 0.net
>>954
訂正
   「現存在」の時間制→「現存在」の時間性

956 :考える名無しさん:2015/07/28(火) 11:46:32.57 0.net
>>954
 現有の時間性こそ『有と時』の全編を貫く主題である。貴方が読めば良い
だけのお話です。時熟、既有的な将来、脱自、…すべてがそうです。

 貴方がご自分で読む気があれば分かる話です。貴方が直接読むことで
掴めるはずの話は私はお断りします。私は講師ではありません(笑)。

957 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 03:32:43.37 0.net
日本語訳を真に受けての議論ばかりだな
ハイデッガーの中国語訳で中国人同士が議論してたら笑うくせに

958 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 09:54:29.65 0.net
>>957
笑う人はいないだろ?
英語でアメリカ人同士が議論しても笑う人はいないだろ?

959 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 10:39:04.95 0.net
日本のハイデガー右派は英語圏を小馬鹿にしているから笑うかもな

960 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 11:47:05.92 0.net
>>959
そうすると、日本のハイデガー右派は、ドイツ人に小馬鹿にされてる、ということでもあるのかな?

961 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 14:11:32.62 0.net
955さんのレスのポイントは、何語で議論するか、ということではなく、

≫日本語訳を真に受けての議論ばかりだな

ここなのじゃないか。

962 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 14:50:12.99 0.net
ハイデガーってアレントの乳吸ったのか。ええなあ。

963 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 16:56:43.74 0.net
>>961
翻訳を真に受けることが悪いとも思えないが?

素人の原典解釈より、語学、哲学の専門家の翻訳の方が適切なことがほとんどだと思う。
たまに誤訳を指摘するレスが出てくるが、たしかにそうだと思える指摘は見たことがない。
翻訳も解釈のひとつではあるかも知れないが、適切な解釈である場合が多いし、原典や複数の翻訳を参考にしても、特に翻訳に疑問は感じることはないな。

964 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 19:27:44.73 0.net
それはそれで分かるし、わたしにしても翻訳で読まざるをえないわけだが、
けれども、あまりハイデガー的な考え方とはいえないのではないか。
「言葉は存在の家である」(Die Sprache ist das Haus des Seins.)であって、
ハイデガーにとってのその「家」は、ドイツ語なのだろうだから。

965 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 20:25:44.32 0.net
>>964
そのドイツ語をドイツ人と同じ感じ方で受け止めることはできないし、まして、ハイデガーというある環境にいた個人の感じ方と同じ感じ方で受け止めることはできない。
逆にいえば、ある論理の中でのその言葉は、その論理を日本語で表すことができるなら、十分、日本語で理解できるものとなる。

哲学的な著作が翻訳できるかどうかは、人類としての共通の論理によって書かれているかどうかによる。
普通の哲学的な著作で、和訳で読むのが難しければ、原典をその国の人が読んでも難しいのだと思う。
ハイデガーはある環境の中にいた個人であり、同じ言語を使う人間だからといって、概念的な共通性が多いかどうかはわからない。

一般的に、論理性が薄くなる順に、例えば、小説、戯曲、詩といった順に翻訳が困難になるとはいえるだろう。

966 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 20:34:39.46 0.net
しかし、ハイデガーはいうなれば、詩をもって思考する、というのを、
存在を出で来たらすこと、としたわけだからな。
もっとも翻訳困難な部類になるのじゃないの。

だしたい「人類としての共通の論理」
ハイデガーは、こういうのがあるということを、
あたかも自明のことであるかのように云うのを、むしろ批判した方だろう。

967 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 20:58:03.98 0.net
>>966
それだと、ハイデガーは哲学者ではなく、詩人ということになる。
詩人は個人の心を揺さぶるが、社会を変えることはできない。

968 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:04:04.62 0.net
わたしは、後期のハイデガーは、哲学者だと思ったことはない。
もちろん、クイズで、
ハイデガーは何の学問をした人でしょう?
といった問題が出るようなことでもあれば、
哲学者、と答えるけれども。そうでないと、不正解とされるだろうから。

969 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:10:45.97 0.net
>>968
了解。
理解すべき対象ではなく、共感すべき(あるいは拒否すべき)対象ということか。

970 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:26:41.23 0.net
理解と共感というのは、どう違うの。

たとえば、ノウハウ本を読んで、なるほど、と思い、
書いてあるとおり(と自分が読解したように)やってみたら、
自分もできた、こういうのは理解ですか?

971 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:33:14.00 0.net
>>970
理解はその対象の解明であり、共感は相手との同一感による思考の停止、ということだろうな。

972 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:37:39.48 0.net
≫理解はその対象の解明

では、哲学がその「解明」なることをしたという例を、
ハイデガーでなくてもよいので、一つ示してください。
説明は不要、事例を示すだけで結構です。

973 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 21:52:57.15 0.net
>>972
ヘーゲル『法の哲学』

974 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 22:03:30.82 0.net
最近、木田元の著作を読み始めたんだが、著作をどの順番で読むと、よりハイデガーのことがわかるのか教えてくれ

ちなみに『反哲学史』は読んで現在は『わたしの哲学入門』を200ページまで読んだ。
次に読むといい本てある?

975 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 22:05:50.53 0.net
>>973

書名ではなく、事例をお願いします。
たとえば、こういうことをこういうふうに解明した、というように。
もちろん、一行でけっこう。

976 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:16:42.20 0.net
>>975
国家の本質が精神であり、市民社会の止揚のよって成立するということを解明した。

977 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:29:47.56 0.net
解明したのじゃなく、ヘーゲルはそう考え、そうした考え方を提示した、
ということだろう。そんなの違う、という「哲学者」もたくさんいることだし。

978 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:41:46.21 0.net
>>977
君がどう思おうと自由だが、論理によって解明したという事例をあげている。
解明されたものが正しいかどうかはその検証による。
ケチをつけたいだけの質問なら、他の人を相手にしてくれ。

979 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:46:28.26 0.net
また吉本隆明信者か…

980 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:50:56.62 0.net
とすると、「論理によって解明した」というものを、
違うという哲学者は、没論理的な人ということか?

981 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:55:57.65 0.net
>>980
科学技術でも、解明されたものを批判検討していく。
哲学も同じ。
もっとも、国家と市民社会の関係についてヘーゲルの間違いを指摘できたのは、マルクスぐらいか。

982 :考える名無しさん:2015/07/29(水) 23:58:37.42 0.net
ということは、その問題に関しては、マルクスだけが正しくて、ほかは間違い、と。

983 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:02:20.59 0.net
>>982
いまの研究段階では、そうだろうね。

984 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:11:20.74 0.net
ようするに、マルクス信奉者でない者にすれば、その説明だと、
ある考え方に接して、それについて宗教的信念をもつようなことを
981さんは、「理解」といっている、ということになるだろうな。

985 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:14:09.94 0.net
>>984
そこまで絡むなら、自分で国家とはなにかを提示してごらんよ。

986 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:23:49.76 0.net
だいたい、わたしは、哲学が何かを「解明」できると思っていないからな。
論理というものに、普遍性があるとも思っていないし。
基本的に、〜とは何?、という問い方を真剣にはしないから。

987 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:25:57.58 0.net
>>986
それなら、>>969で終わりだろ?

ストーカーか?

988 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:34:41.26 0.net
「たとえば、ノウハウ本を読んで、なるほど、と思い、
書いてあるとおり(と自分が読解したように)やってみたら、
自分もできた、こういうのは理解ですか? 」

わたしは、こういうことを「理解」だと思うが、
あなたはどう思うか、ときいただけだが。

989 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:36:12.55 0.net
>>988
思わない。

これでいいか?

990 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 00:43:50.18 0.net
べつにかまわないよ。

991 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 12:07:45.37 0.net
個体の死を先取りしたのがハイデガー
資本主義の死を先取りしたのがマルクス
ギリシア的に、あるいはイギリス的になろうとしても
結局彼らはドイツ的だったと思う
ドイツ的というのは当時の貧しい社会を反映した観念論ということ
ユダヤ的なものが鍵だったが
両者ともスピノザからの離脱が早すぎた

992 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 13:31:05.94 0.net
>>956
ソクラテス・プラトンから始まる西洋哲学に対して「作られてある(被制作性)」という
存在概念であることをハイデガ−は解明した。この西洋哲学の“解明”は、今まで誰しも
成し遂げられることがなく、ハイデガ−の偉大な足跡であることは誰しも依存のないことでしょう。

ハイデガ−は、1927年に「存在と時間」を出版したが、この時期に「作られてある(被制作性)」の
存在概念と同時に、「成りいでてある(生起)」存在概念の構想をすでにもっていた。

ハイデガ−が西洋哲学の方向性を示した「成りいでてある(生起)」の論理は、「時間概念」の問題があり
非常に難解ではあるが、ハイデガ−より後世の我々に託されたものとして、存在概念の更なる論理の深化により、
主観領野(能動的な企投)に於ける「存在概念」と、客観領野(=自然)の存在概念との連関の解明が希求されている。

993 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 13:36:25.54 0.net
>>992
非常に難解なのではなくて、本人の時間概念が空中分解してるんじゃないだろうか?

994 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 14:14:18.99 0.net
>>993
それでは説明になっていませんよ。
ハイデガ−に於いては、時間概念は重要なテ−マになっている。
しかし、時間概念といものが、志向性(主観的意識)によって構成されたものか、
そうではなく、ハイデガ−の「時間性」は主観的意識をも含めた存在(=自然)そのものに関わる
のであれば「時間」そのものの位置づけが変わってくるのであり、その意味に於いて難解である訳です。

995 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 14:19:05.04 0.net
>>994
それだと、ハイデガーの時間概念が成立していない、ということになると思うけど?

996 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 15:49:04.98 0.net
次スレ
マルティン・ハイデガー2 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1438238895/

997 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 16:41:33.67 0.net
世間と違ってハイデガー「有」派が多いなここは
なぜ?

998 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 20:09:15.20 0.net
>>995
ハイデガ−前期の「現存在」が、能動的(=志向性)に「成りいでてある(生起)」へ企投する存在領野に
於いては、ハイデガ−的な時間概念は成立している。
後期のハイデガ−哲学に於いては、「現存在」が自然(=生起)との一体性の様態の中で、受動的な連関となるので、
この領野に於ける「時間概念」がどのように変様していくのかは究明中です。

999 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 20:09:51.62 0.net
>>995
ハイデガ−前期の「現存在」が、能動的(=志向性)に「成りいでてある(生起)」へ企投する存在領野に
於いては、ハイデガ−的な時間概念は成立している。
後期のハイデガ−哲学に於いては、「現存在」が自然(=生起)との一体性の様態の中で、受動的な連関となるので、
この領野に於ける「時間概念」がどのように変様していくのかは究明中です。

1000 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 20:43:17.01 0.net
 

1001 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 20:43:59.55 0.net
 

1002 :考える名無しさん:2015/07/30(木) 20:44:34.56 0.net
 

1003 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1003
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