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デカルト論破

125 :考える名無しさん:2018/03/29(木) 15:14:47.59 0.net
>>123

たしかにフッサ−ルの言う厳密学としての学とは『現象学』のことです。 私が>>118で述べているのは、
方法的懐疑、あるいは現象学的還元を実行する場合に、 その対象となるものは“一切の事象”である訳です。
ですから、いかに“優れた論理・理論そして、学”であっても、一旦、“すべての事象”は、還元あるいは懐疑されねばならない訳です。

一切の事象(主観的存在と客観的存在)をエポケ−(括弧入れ)した超越論的『主観的領野(不可疑的領域)』にて、本質観取が
行われる。 

つまり、フッサ−ルの“学”は方法的懐疑によって、一旦、【括弧入れ(エポケ−)され】、その後に、超越論的な“主観的領野にて、
“学”が括弧入れ(エポケ−)から“解放”される訳です。

上記を具体的に述べると、 従来からある、自分の考え・理論などの諸々の既成概念を鎧(よろい)に例えた場合に、
還元・懐疑によって、自分(=主観)にまとわり付いていた鎧(よろい)を脱ぎ捨てた超越論的主観(主観的領野)に於いて、
一旦、括弧入れしておいた“学”などの一切の事象を、“括弧から解放”し、超越論的な主観的領野(=構成的内在)にて、
“本質観取”される訳です。

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