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現象学辺りを用いて様々なことを考えてみよう

1 :考える名無しさん:2018/06/19(火) 05:50:32.14 0.net
主要な方法としては現象学を採用するが、色々組み合わせても良い。例えば、ハイデガーの解釈学的現象学は、ハイデガー以外でも使える道具なのか?

2 :学術:2018/06/19(火) 13:26:10.73 0.net
sei あらわる hakyou 象 解釈 meta fucker

3 :考える名無しさん:2018/06/19(火) 16:40:39.13 0.net
フッサールは現象学をあらゆる学問の基礎となるべき概念として想定していたらしいが
現象学が学問にどう活かされるのか分からないままポストモダンに突入してしまった
昨今、脳科学、認知心理学、心の哲学と言うことが盛んに言われる世相をみると
時代を先取りしていたと言えなくもないが

4 :考える名無しさん:2018/06/19(火) 19:19:31.79 0.net
デリダのフッサールの研究書『声と現象』難しかった。
「表現」と「指標」の対比がフッサール哲学の基本になっていることは分かったが。

5 :現象学人:2018/06/26(火) 19:11:09.64 0.net
現象学的還元=判断中止と言われるが、それはどういう状態なのか、その本質を記述してみよう

6 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:12:25.83 0.net
そもそも、一切の判断中止状態で、何が起きるのか。

7 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:23:09.74 0.net
まずは林檎で

8 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:36:12.57 0.net
竹田せいじさんは「赤くて丸くてツヤツヤ」があるから、林檎だと言う認識が生じるといっている。

また、「スーパーで買われた記憶」などが、それがあの林檎である確信を補強するだろう。

で、さんさそれがなんだと言うのだ?

9 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:37:00.44 0.net
ワロタw

10 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:37:21.85 0.net
理解できないなら書くな

11 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:39:15.98 0.net
アルミ缶の蓋を開けて、中の液体を流し込む。甘く苦い味がする。コーヒーだ。
私は昨日購入したあのコーヒーを飲んでいると、信じている。

で、それが何なのよ。

12 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:48:26.73 0.net
でも還元した後どうするの。
自分の中ではコーヒーを実感できたけど
だれか教えて。

13 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:48:29.09 0.net
いちいち、記述する必要があるのだろうか?

事象そのものに即して体験すると言うことは、体験している己自身も「事象そのもの」になっていると言えると思うのだな。

14 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 19:54:41.99 0.net
例えば、何故、目の前のそれが「私の身体」として現れるのか?

このように、問いかけることは、現象学的ではないのかもしれないよね。

「私の身体」をエポケーして、それを体験してみましょう。
床やテーブルと違って「熱」を持っている。
感覚がある。動かすことが出来る。
この事から「私の身体」と言う確信が生じる。

それでどした

15 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:00:57.41 0.net
要は「還元」することで、認識主体と認識の客体と言う分離感が終息する。
自我が消滅して、事象そのものとして、事象と共に動くことが出来ると。

16 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:03:19.44 0.net
確信の先にあるのが
自然科学じゃないなら
どんな知識が待ち受けているのか

それとも実感を愛でればいいのか

17 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:03:53.72 0.net
>>15
仏教みたいだな

18 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:07:07.36 0.net
赤くないリンゴもあるけど

19 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:10:09.72 0.net
「看護現象学」の記事を読んでいたのだが、
看護士は、近代的に数値化された看護学に支配されており、
癌患者の痛みを段階で記述することに職務上とりつかれているのだが、
患者に「いい加減にしろや!」とキレられてしまう。
患者はストライキを起こして薬を全く飲まなくなってしまうが、
ある時、患者の痛みの声を聞いて看護士が「無我夢中で介抱」しているさなか「この薬を飲んでください」と言ったら、
患者「うん」と素直に飲んだと言う経験談を現象学的に分析していた(話は私がある程度加工している)が、
要は、看護士は「事象そのもの」になっていたと言うことだよね。
ハイデガーの言うピュシス(自然)と言うか。

20 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:10:29.52 0.net
あー、駄目だな

教えてくれてるのに理解してない

21 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:16:31.64 0.net
赤くなくても、リンゴ特有の形をしていて、昨日スーパーに並んでいた記憶が想起されることによって「それは昨日購入した林檎である」と言う確信が生じるんじゃないですかね

22 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:22:29.34 0.net
>>19
それ患者とのコミュニケーションの問題であって
現象学関係あるのかな
相手への思いやりでしょ

つまり観念化必要?

23 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:22:52.21 0.net
ただ、この看護学の記事やハイデガーの思想を、つい仏教的に解釈してしまうのは、ひとつのドクサなのだろうか。
或いはたまたま仏教が現象学的な真理を説いているのだろうか?(どちらも純粋な観察を方法論としてもっている)

24 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:24:07.92 0.net
数値化に支配されているって本当かな
先入観かもしれない

まずそれを還元しようよ

25 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:25:16.28 0.net
>>23
俺は還元できるぞ
って人がいればいいんだけど

フッサールはできたん?
俺にもできる?

26 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:26:10.26 0.net
理解力無い人間に教えようとしても無駄

27 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:28:39.75 0.net
そっか仏教っぽいと
感じるひとはこれまでも
結構いると思っていいんかな

28 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:30:06.39 0.net
いや、これは典型的な「近代学術批判」なんだと思うよ。フッサールの『近代諸学の危機と』を読むと、
ガリレオが世界を数字の衣で覆ってしまったと批判している。
この事例の看護士は「近代的学問的訓練を受けた人間の良心から」、あえて、痛みを数値化して、客観的に病状を把握しようとしている訳で、これはよく大学病院などで見られるお決まりの行動だ。
もう典型的な近代批判のパターンに重なっている訳ですよ。
わざとらしいほど典型例だが、まあ、確かにそう言う事はあるよね。
孟子の言う「惻隠之心」などを発揮すると「何無駄話してるの!」なんつって怒られたりするわけだ。

29 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:31:11.49 0.net
それ以前に危機書すら知らんだろうコイツは

30 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:31:35.37 0.net
>>3
基礎というのは

心構えと理論的基礎とどっちかな?
気持ちなら学問やる人に有用な姿勢だよね
言葉通り基礎なら
基礎の上に積み上げないといけない

で今どの科学の基礎が現象学なん?

31 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:33:13.38 0.net
危機書の話だろ

レスが基本的外れなんだよな

32 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:34:14.91 0.net
>>28
なるほど
具体的な科学の手順じゃなくて
近代科学の杓子定規批判というか
暴力的な部への歯止めと
考えるのね

それなら分かる気がする
ありがとう

33 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:35:32.62 0.net
ちなみに『近代諸学の危機と』なんて本は無い

34 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:35:43.69 0.net
24
そうそう、俺もそう思うよ。著者は、フッサールの著作を何冊も読んでいるだろうから、つい、フッサールの視点で現象を考えてしまう傾向はあると思う。
もっとも、この推論自体も「還元」される必要があるのだけどね

35 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:36:31.67 0.net
>>28
あでも
数学での把握と個々人を見る臨床って共存するでしょ
ガリレオが悪いと思えないけど

36 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:36:40.63 0.net
タイトルを間違えてるところを見るとなぁ

37 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:40:26.75 0.net
科学的にものを考える際に
自分の思い込みを対象化するための姿勢、かな

でもリンゴ例だと得られた結果があるわけでしょ
それ還元不足だよっていうツッコミは野暮になる
うーん...

38 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:41:11.79 0.net
うーん、話しがズレまくってるな

39 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:42:45.52 0.net
37は基礎知識がある
けど35がド素人すぎて話がズレまくってる

40 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:42:50.54 0.net
>>28
では今日的な視点からみると第一義に
現象学は科学万能の傲慢さを
批判するというんでいいんかな

41 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:46:02.13 0.net
>>39
両方俺だけど...

でもフッサールの発想が
近代科学批判として
今までにないポイントを持っているなら
すごいよ
でそれが還元作業とは思えない

42 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:47:17.58 0.net
じゃあ、37の解釈がちょっとズレてるのかもな

43 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:51:20.76 0.net
もし竹田さんの前で
自分が還元を実行して見せて
還元じゃないとか
それ成功!とか
言ってくれたらいいけど
それは竹田さんはやらないんだよね

ということは個々人の心の問題ってことになる
還元成功かどうかの基準がないのだから

44 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:52:01.74 0.net
まあね

45 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:53:15.28 0.net
前にみんなで話し合うっていうのがあった
あなたにとっての悲しみってなんですか?
とか

でこれグループカウンセリングでしょ
もしこれフッサールの系譜から生まれた手法なら
メチャクチャすごいんだけど
どうなん

46 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:54:36.11 0.net
35
まあ、でも確かに、死ぬほど痛いのに「その痛みは5段階で言うと何ですか」みたいなこと言われたら、キレるよね。「見たら分かるだろ」と。
まあ、ガリレオと言うか、一種の「役人意識」みたいなものが、直接の原因だが、根源的には近代学術に数字信仰があると言う指摘も、間違いではないのかもしれないね。

47 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:54:54.07 0.net
竹田=フッサールじゃないからな

48 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:56:03.76 0.net
還元の成否基準がないということは
やはり科学者が姿勢として
持つべき近代科学批判の在り方
ということかな

繰り返しになるけども

49 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 20:58:18.37 0.net
ややこしいのでコテをつけるか。コテをつけると、変なアイデンティティーが生じて、議論がネジ曲がっちゃたりするんだよな。やめよう(笑)

50 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:00:00.41 0.net
>>46
うん
その場合はでも、数字信仰によって
医療が人を幸せにしないよっていう
論じかたすればいい気がする
そういう社会的な姿勢を醸成すれば

基礎付けの哲学やらんでもいいでしょ

51 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:03:54.92 0.net
フッサールやハイデガーすら還元してみると。
勿論、仏教や神道の影響も還元すると。
しかし、還元は還元出来るのか?
デカルト的な話になってくるが、還元は還元出来ない?
「何かが在る」と感じられること自体は否定できないか?

52 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:09:49.00 0.net
俺のイメージだと、竹田さんらの現象学って、「言葉遊び」なんだよな。
ウィトゲンシュタイン的な意味ではなくて、俳句とか短歌やカルタみたいな、良くも悪くも知的遊戯になっているような気がする。
単なるイメージだけどね。

53 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:11:09.48 0.net
最近はそんな感じね

54 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:21:07.90 0.net
>>52
あーわかるわかる教育的なやつ

言葉を使った遊びで
癒しを求めているのかも
これはいいこと
不安の解消

あ、だけどフッサールの意図では
少なくともないのかも
基礎付けてないもんね

55 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:36:15.82 0.net
例えば、5ちゃんねるのこの一連のコメントも「還元」出来ていなくてはならないわけです。
自然的態度を取ると「はあ?てめ、フッサール読んだことないべ!馬鹿が!」みたいなコメントを残しがちなんですが、そこは還元を通して、事象そのものをみると、単なる電子化された記号が並んでいるだけなんですね。
つまり、煽ったり切れたりというのは、「超越」しちゃっている訳です。
5ちゃんねるだけでなく、日常生活でもたまたま美女と一、二回目が合っただけで「俺のこと好きなのかな?」と「超越」したり、同僚や友達の声のトーンがいつもと違うだけで「嫌われてるのかな」などと「超越」していませんか?
いや、LINEにちょっと間があるだけで「超越」しているでしょう。
「あ、今、超越してるな」と気が付く事も、一種の「現象学的還元」なのではないでしょうか。つまり、現象学的還元が出来れば、5ちゃんねる的な世界からは、自由に生きる事が出来るとは言えるでしょうね。
勿論、5ちゃんねるだけではなく、「世界」から自由になるとも言えるでしょう。
ちゃんと還元出来てればね

56 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:44:34.72 0.net
それは冷静になって見る、じゃダメなんか
哲学しなくてもいいと思う
フッサール以前に科学者は経験的に
知ってそうだけど

あ超越できているなっつう気持ちが
ほんと気持ちだけかもしれない

57 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:45:06.60 0.net
やっぱ還元の例に説得力がないかなあ
リンゴはだめだよ

58 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:49:37.67 0.net
そもそも「美女」と認識した時点で「超越」している訳です。還元しましょう。
フーコーなどが「狂人」とは何なのかと解釈学的?に探求しているように、美と言う観念も、一度解体する必要があるんじゃないかな。

59 :いいからマラ洗えよ純一wwwwww:2018/06/26(火) 21:53:22.48 0.net
いいいかげんにしろwwwwwwwwwwwwww

60 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:53:50.36 0.net
いや、無理に「冷静になろう」としている時点で後手に回っているわけで、還元すれば、既に怒りと言う気分が解体しているはず。だってそこにあるのは、ただのインクの染みとか記号なんだもん。怒りが生じた原因は対象ではなく、心の側にあることになる。

61 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 21:58:43.12 0.net
あなたはあなたの思考が 今 超越していることに気がついてますか?

事象そのものに戻りなさい

62 :考える名無しさん:2018/06/26(火) 22:04:02.50 0.net
>>60
なんか心理禅っぽい
言い方

63 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 07:52:26.64 0.net
例えば、目を閉じると青や紫や赤などの光が見えたりする現象があるが、これは、医学的物理科学的には「目の錯覚」「光の残像」「視神経の異常」などと言われるが、スピリチュアル界隈では「丹光」と言う一種の神秘現象と見なされている。
どちらの解釈も「還元」したとして、何かが見えてくるだろうか?

64 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 12:25:34.35 0.net
欲望論どうよ

65 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 14:22:12.53 0.net
現象学ってオワコンだろう

66 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 14:29:15.21 0.net
メルロポンティとか美術の人読んでたりするね
なのでそういう文学チックな知覚の思索とか
そういう方面じゃないのかな

単なる論理的思考とか緻密な理論とかは
そういう読者は求めてない

67 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 16:19:50.06 0.net
>>66
哲学ってそういうもんだろう。

68 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 16:30:13.26 0.net
>>67
でも思索エッセイとして面白いじゃん、
が許せない人もいたりする

俺は随筆というジャンルが
すごく好きなので別にいいんだけど

69 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 17:39:34.96 0.net
>許せない人もいたりする

それは極一部だろう。
文学部哲学科なんだから。

70 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 20:35:43.44 0.net
まあいいから「丹光/残像」の現象学やってみろよ。

71 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 20:58:19.04 0.net
主に緑色とオレンジ、青の斑点が見える。

72 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 21:00:39.51 0.net
大学で哲学やってましたなんてのは大体中途半端、そんなプライベートの時間を割いて
読書しておくべき一般教養レベルの豆知識なんかに4年もかけてどうするんだって
哲学科なんて選んで良いのはガチの研究者になるやつだけだろう

社会人になって飲み会なんかで大学で取る第二外国語のプチ講座なんかやりだして
フランス語のつづりって男性形と女性形があるんだよね、とか得意気に語ってる馬鹿がいるけど
片言ですら話せねーの(笑)それと変わらん

73 :考える名無しさん:2018/06/27(水) 21:06:31.73 0.net
と言う観念に支配されている。

74 :考える名無しさん:2018/06/28(木) 05:49:43.21 0.net
おい、これが5ちゃんねる哲学板の実力か?2ちゃんねる時代の方がまだ鋭い洞察とかあったぞ

75 :考える名無しさん:2018/06/28(木) 06:26:18.44 0.net
自分で調べて自分で考えろ

76 :考える名無しさん:2018/06/28(木) 07:18:50.99 0.net
自分と言うのは、経験の場全てを言うのであって、5ちゃんねるも含まれる。

77 :考える名無しさん:2018/06/30(土) 23:12:07.81 0.net
お前らスレタイ読めるか?用いろって言ってんの?ね?用いろ?な?

78 :考える名無しさん:2018/06/30(土) 23:46:46.84 0.net
自分でやれって言ってるでしょ

79 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 06:41:23.48 0.net
ここは哲学初心者や小学生しかいないのだろう。

80 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 07:37:49.74 0.net
用いるにも技量が居るだろう。
そもそも現象学を理解し、運用できる人間が5チャンネルには居ないようだ。

81 :学術:2018/07/01(日) 08:15:43.52 0.net
文化 芸術 体育 活動の優秀な国学哲学者なんかがでたらいいな。

82 :学術:2018/07/01(日) 08:18:16.82 0.net
国哲学者。

83 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 13:10:01.43 0.net
現象学は漠然としすぎている
フッサールがやろうとしたことは認知心理学や心の哲学、脳科学が引き継いでるから
顧みられることはもうない

84 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 22:56:03.63 0.net
脳科学や心理学を評価するにはやはり現象学が必要ではなかろうか?

85 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 23:03:56.35 0.net
そんなに現象学の応用が知りきゃ有料で教えてやっても良いぜw

misokensp@gmail.comまでメールくれ

86 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 23:24:16.69 0.net
脳科学とか認知科学者が
今フッサール読んで云々って哲学側の
希望的観測っぽく感じる

裁判官はカント読めとか

87 :考える名無しさん:2018/07/01(日) 23:28:13.43 0.net
猿飛エッチャン

88 :考える名無しさん:2018/07/02(月) 02:31:22.12 0.net
しかし、科学は現象学とは方法論が違う訳で、科学の限界をわきまえたら現象学になってしまうではないか。そして科学であろうとするならば、やはり現象学に批判され続けるだろう。

89 :考える名無しさん:2018/07/06(金) 15:00:46.00 0.net
こっそり教えると
現象学と言語ゲーム論を齧ると、自分でも哲学が出来るようになる。
では、これらの思想を知る前と知る後で何が違うのか。
現象学などを知る前にだって、自分なりに考えていたではないか?
これらの思想を徹底的に考える以前の思索とは実際は、中高生の作文と同じで「考えているつもりで、考えさせられている」のである。
要するに、その考えとは「既存の考えの復唱」でしかない訳である。

90 :考える名無しさん:2018/07/06(金) 15:45:17.07 0.net
そうか、それは良かったな

91 :考える名無しさん:2018/07/06(金) 23:44:36.78 0.net
人間の意識がどのように生起したのか解いた哲学者っていますか?

92 :考える名無しさん:2018/07/16(月) 21:30:37.12 0.net
いないね

93 :考える名無しさん:2018/07/16(月) 22:46:10.99 0.net
>>92
そういうのの仮説とか扱ってるサイトとか機関ないかなぁ

94 :考える名無しさん:2018/07/20(金) 07:58:20.00 0.net
現象学を経済学に応用している例としては並木信義の『幸福の経済学』がある

95 :学術:2018/07/20(金) 13:52:36.31 0.net
子供のころの言葉遊びでも高度な抽象野が働いて、ちゃんとした偶律(率)で哲学に依存しなくなるだろう。
現象学と言ったら、時代、時間の外の精神の欠落だから、面白みがあるんじゃないの?
こちらは規(奇)律がいい子供たちを創出したでしょう。

96 :学術:2018/07/20(金) 13:55:58.25 0.net
現象というとイメージでもなくオマージュといっても筆致長けない、
何か一瞬の出来事の要で、眩暈がしたのを、レヴィナスが先記につづっているが
捕虜収容所、なんかの人生の方が、古典哲学に縛られて、代謝回復疲労レベルが
はかばかしく、子供のころの軍役を対照として、因果なことから観照まで経験できて
思い出しています。

97 :考える名無しさん:2018/08/07(火) 13:45:16.27 0.net
>>91
意識それ自体の構成は知らないけど、意識がいかにして対象を構成するかについては、フッサールも『論研2巻』〜ゼーフェルトを経て『イデーンT』で集中して論じてるよ

98 :考える名無しさん:2018/08/07(火) 19:06:35.75 0.net
「腑に落ちる」のが理解することであるなら、
意識で理解するわけではないのだろう

99 :学術:2018/08/07(火) 22:25:38.44 0.net
意識は昇ってくるものだと思う。原因なんてないんだよ。

100 :考える名無しさん:2018/08/08(水) 11:53:22.53 0.net
意識に昇るのは、気に触ることがあったからでしょう

101 :考える名無しさん:2018/08/08(水) 11:54:30.97 0.net
気に触ると意識に昇り、腑に落ちると意識されなくなる

102 :考える名無しさん:2018/08/08(水) 11:56:53.79 0.net
更新が行われているのですね

103 :学術:2018/08/08(水) 15:44:44.67 0.net
戒律に触れる気質ではなあ。

104 :考える名無しさん:2018/08/12(日) 19:03:39.90 0.net
学術とかいうクソコテはなんなんだよ

105 :考える名無しさん:2018/08/15(水) 11:18:30.45 0.net
竹田青嗣をフッサール現象学を理解する助けにしてる人は今すぐやめたほうがいいよ

106 :考える名無しさん:2018/08/25(土) 23:57:14.64 0.net
>>105
まじか 詳しくお願いします

107 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 22:30:13.05 O.net
現象学を基礎から教えるとまずは根本的な誤解を解くことから
現象学は主観的相対的な学問ではない
三人称客観的な視点を排除して一人称のその人にしか見えない
私秘的な特別な世界に対する見方を提示する学問「ではない」
このことがわかってないからとんちんかんな話しか出てこない

では一つ掘り下げて見よう
志向性とは何か
これをまともに理解している奴は一人もいないからフッサールの現象学は何が何だかわけがわからなくなっている
意識は常に何かに対する物だ
それが志向性だが何でそう考えなくちゃいけないか
何故志向性が必要なんだかまともにわかっている奴がいない

現象学は誰から始まるかというとフッサールではなくブレンターノ
そしてフッサール自身が現象学はブレンターノから始まると思っていた
何故か
そしてそれならブレンターノが現象学の創始者として仰ぎ見られる筈なのにそうはなっていない
それは何故か

ブレンターノは自然科学の正しさや自然の客観性は全く何も疑ってなかった
但しそれとは別に心理学は自然科学とは独立に存在する
自然の物理現象に意識は心理は全ては還元できない、精神現象は物理現象とイコールではない
ここに現象学が創出される
どうしてイコールではないか
何故なら気分とか始め物に対する物理現象に対する意識ばかりではないから
対象がなくてもそれに対する意識はあり精神現象は存在する
意識は物理現象にだけではなく何らかの対象に対して存在する
それが志向性で従来の自然科学モデルの哲学に対する独立宣言がここに行われる

108 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 22:49:33.21 O.net
ブレンターノは精神現象は物理現象とは違う独自の対象性=志向性を持つ、
自然科学に対する独立した学問として「(精神)現象学」を作った

フッサールは次のステージに移る
自然物なんかいらなくね?あるのは精神現象だけじゃないか?
意識以外のブレンターノが当然前提にしてた自然物自然科学客観はいらないと断言する
自然科学に色目使う哲学の全てにマウントを取る
皆が喝采した
このインパクトで誰もブレンターノなんか忘れちまった、あれは自然現象、精神現象どちらにも色目使いすぎ

フッサールは自然物や自然科学は意識を通してしか表れないんだから
存在する証拠、保証がないとがんがんふかす
あるのは、意識に映るのはイエナで戦争に勝った君主、ワーテルローで戦争に負けた君主だ
そういう意識現象だけだ
しかし、それを突き詰めると懐疑論になって何も客観的な認識ができない
イエナとワーテルローを戦った君主は別人か?
バラバラかアナーキズムか?
イエナで勝ちワーテルローで負けセントヘレナで死ぬ皇帝ナポレオンという志向対象はいるから意識は客観性を持つ
最後の最後で意識の中だけだがちゃんと志向性があり客観的な統合が成立する

それがフッサールにおいて変容した志向性であり現象学

109 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 22:55:52.63 O.net
フッサールは確かに自然的態度を罵倒し意識しかないと言う
しかし、それは懐疑論や相対主義
主観的相対的な真実しかないと言う思想とは正反対な物だ

一方では意識を離れた主観を離れた客観は三人称はないと叫びながらその裏口で誰にとっても同じな三人称客観を導入する
それが意識の内部に現れる志向性
これがわかってないから現象学には誤解しか生じない
志向性が何か何で必要なんだかわかるように説明できる奴がいない不思議な学問が現象学

110 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 23:17:41.78 O.net
更にフッサールはそこから客観性、絶対的な誰に取っても正しい誰に取っても同じな学問に現象学を仕上げる

厳密な学問としての哲学
それは三人称で客観的な絶対的な万人にとって誰がどうやっても平等に正しいものだ

フッサールは個々の現象はどうでもよい、個々の知覚、経験、出来事はどうでもよい
形相、個々の意識現象を越えた客観性を持つものだけを追いかける
イデア的に誰がどうやっても同じものアプリオリなもの
論理時間数学自然科学
論理もそれは経験を離れて正しい
フッサールが現象学でテーマにしたものはそんなのばっかり
個々の経験を離れて超経験的に無時間的に正しいことばかり
赤とかそういう物も同じこと
赤い物は赤い本質があるから互いに赤は赤と認識しコミュニケーションが成立する
郵便ボストも薔薇の花もそこに同じでくくれるもの本質イデア的に同一性がある
本質直観
意識は互いに違うように見えて本質は三人称客観的に万人に妥当する
それがどうやって発生するかばかり研究した
算術の哲学
論理学研究
ヨーロッパ諸学の危機
幾何学の基礎

こんなに客観に絶対に、個々人の経験を離れた真理に固執した学者はいない
ただ、その前に自然科学や物理主義に根差した哲学を罵倒するマウントするから志向性と同様にわけがわからなくなるが
フッサールぐらいの客観主義者はどこにもいない
フッサールが罵倒するのは素朴実在論と同時に相対主義歴史主義世界観哲学で
客観的な三人称の真理を否定しては全ては相対主義だ主観的だ蒙昧主義だとする思想

111 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 23:27:32.43 O.net
でブレンターノの志向性はフッサールとは別な角度から復活する
客観的な三人称主義的な思想が主導した分析哲学の中から哲学的ゾンビだコウモリだクオリアだ識のハードプロブレムだ
極私的私秘的な領域は自然科学には物理主義には自然現象には還元できないんじゃないかとの思想が滔々と流れて湧き出した

それを潰して自然に還元するために志向性がデネットだかサールだかが使いだす
しかし、ブレンターノでは精神現象は物理現象に独立するだったがその逆に使おうとするからそこまで祭り上げられない

これが志向性を巡る哲学の状況

112 :現象学のおさらい:2018/08/31(金) 23:38:28.20 O.net
復習すると全ては意識だとして一旦自然物を完全に排斥したフッサールは裏口から
バラバラに見える意識に志向性を与えて客観性を相対的な物から離れる絶対的な正しさを与えた
そっから個々人が別々に知覚しているように見えても
共通なイデア的な本質があるから普遍が成立し共通理解が成立すること
本質を人間が把握できるから論理も数学も自然科学も成立すること
現象学はそういう三人称的な客観を把握できる厳密な学としての哲学であること

これが現象学で最低押さえるべき基本ね

試験に出るからよく覚えるように

113 :学術:2018/09/01(土) 10:26:17.44 0.net
減少額 今日はジン と減り の番組まで徹夜だな。

ジョイント アンド ジャム とかね。タイトルがすごい年配だけどね。

114 :学術:2018/09/01(土) 10:27:14.27 0.net
サイマグネット PP メタルファ―

115 :学術:2018/09/01(土) 10:27:56.88 0.net
サイマグネット PP メタルファ―

116 :学術:2018/09/01(土) 13:17:42.58 0.net
現象学者というと確かにアタマのヨコに何か砲がありそうで怖いよなあ。
筆舌に尽くしがたいことを語るのもよいが、哲学を実用兵器として
自己確認するのもよいだろう。

117 :考える名無しさん:2018/09/01(土) 22:49:56.74 0.net
>>106
誤訳だらけなの。
仮に竹田訳が一般向けに書かれたものだとしても、それで本来フッサールが意味しているところを読者が理解できないのなら、それはまずい訳だと思うの。
少なくとも術語は定訳を用いるべきだと思うの。
現象学会へ投稿する論文に竹田を引用なんてしたら、中身読む以前にリジェクトされるよ。

118 :現象学のおさらい:2018/09/02(日) 04:37:55.07 O.net
志向性再説
知覚だけしかなかったら、人は心的現象があるとは気づかない、心があるとは気づかない
知覚とは別なもの=回想、存在しないユニコーンとか、未来の想像、あるいは対象はない、少なくとも今ここの知覚への反応とは切り離された気分その他
これは物的現象、自然物とは違う精神の現象である、現象学、これがブレンターノ

119 :現象学のおさらい:2018/09/02(日) 04:51:03.83 O.net
志向性再説
フッサールも知覚とは違う精神作用を通じて心だけではない外界はあると気づく、目の前の知覚とは違うことのわかるユニコーンや回想や気分を通じて
そういうものと目の前の知覚は別だ、心とは別に外界はあるが人間はどうたどり着く
志向作用、目の前のアウステルリッツの会戦を指導して勝った君主に関する知覚、ワーテルローで負けた君主に関する知覚を生じさせる志向作用と、それらが同じ一人の人物で皇帝ナポレオンのことだという志向対象、ノエシス、ノエマが必ずある
でなければユニコーンと知覚を違うもので外界の客観性なと把握できないから
バラバラのアウステルリッツの君主のイメージ、知覚、ワーテルローの君主のイメージ、知覚、皇帝ナポレオンというイメージ、知覚はバラバラにあり、現実も空想も何一つ区別がなく、峻別せず、現実を理解することができない
ユニコーンと目の前の薔薇の知覚、現実と想像されたものが区別つかない

120 :現象学のおさらい:2018/09/02(日) 05:06:10.51 O.net
志向性再説
志向作用の中から志向対象に関する、客観的普遍的か知識を確定する、本質をまとめる
それが志向性
それは個人のばらばらの知覚に依存しないアウステルリッツのワーテルローの君主の本質としての皇帝ナポレオン
薔薇の花も郵便ボストも一つ一つ色合いは違うが共通の本質としての赤があるから人は赤を語れる
コミュニケーションができる、理解ができる
アウステルリッツの君主の服の様々な色合いとかバラバラな要素に興味なく、三人称で客観的で万人に妥当する本質にしか興味ない
そうやって三人称の客観的な学問を確立する

志向性は個々の知覚とは関係ないアプリオリな論理や数学、赤と言う普遍、形相、イデア、そして科学に対する
ヨーロッパ諸学の危機を論じて三人称客観的だから現象学



ブレンターノは物的現象と心的現象は別で独立だとしたがサールやデネットは志向性を逆用して、心的現象は独立に見えても全部物的に還元できるとやる
クオリアとか心は物理現象に還元できないんじゃない?という党派と戦うため

121 :現象学のおさらい:2018/09/02(日) 13:05:22.67 O.net
厳密に言えばイエナやアウステルリッツで勝った君主と言ってもそれら自体が既にノエシスノエマで抽象化された物だ
実際に知覚するのは馬のいななき土ぼこり硝煙の匂い
網膜に映る光の束鼓膜を刺激する音の涙や痛みに対する単なる反射だけなら人は内面を持たない
回想、想像、反省、意識していることに対する意識=自己意識
そして物が物としてあるのも網膜に映ったある視点からの一の目だけではなく一の目の像の裏には六の目があるなど「さいころ」という志向対象に対する意識が知覚とは別にあるから
それらなくして何が何かという認識は存在しない成立しえない
イエナやアウステルリッツやワーテルローの戦場での網膜への知覚から皇帝ナポレオンまでの抽象化普遍化作用
それは知覚とは物的現象や自然とは関係ない切断されている
その意味では知覚に還元する経験論に対立し否定するのが現象学
単なる知覚経験への還元に対抗し普遍的な物を、知覚を越えた本質を単なる知覚からは出てこない物を認識し把握するのが志向性であり現象学

個物に対する普遍や本質、知覚毎に人毎に違うのにそれを越えた三人称客観を把握するのが個々の薔薇や郵便ボストではなく本質としての赤を相手にするのが現象学
論理や数学赤と言う普遍や科学
三人称客観を取り扱うのが現象学
厳密な学としての哲学=三人称客観
その前にさんざん自然や物理現象への直接的還元を罵倒するから分かりにくいが
物理現象に還元志向の分析哲学とは対立するが主観的な経験的相対的なアナーキズムからは最も縁遠い客観主義者がフッサールでこれは著作を百ページも真面目に読めばそれ以外に解釈しようがない

122 :現象学のおさらい:2018/09/02(日) 13:43:09.99 O.net
フッサールの問題意識にはヒュームの問題があって外界なんかどうでもいい
知覚以外に外界という現実はないし因果性も人間が勝手に外界に投影したものでしかない
しかし、それを突き詰めたら全くのアナーキズムか懐疑論
数学は経験や知覚とは独立に存在する、イデア的非経験としても自然科学さえ経験科学さえ成立しなくなる
ヒュームに立脚すると
そうじゃないんだ個物を知覚しててもそれはある側面を理解するだけじゃない
志向作用と志向対象があいともなって自然物自然的態度を前提にしなくても知覚や直接的経験を離れて
この赤をこの個物の知覚離れた本質を人間は理解して認識しているから互いに懐疑論ではなく普遍的な客観的な万人に妥当する認識を経験科学として構築できる
それが志向性概念であり現象学だ

123 :考える名無しさん:2018/09/04(火) 00:46:53.05 0.net
第六研究のkategoriale Anschauungまでは話として理解できるんだけど、kategoriale Repräsentationのところが勉強すればするほどわからない

124 :考える名無しさん:2018/10/20(土) 17:58:15.59 0.net
>>117
それはない。
日本で現象学がわかっているのは武田先生だけ。

125 :考える名無しさん:2018/10/21(日) 18:32:42.39 0.net
現象学なんて言葉遊びだから、「わかる」ものではないよ。

126 :考える名無しさん:2018/10/26(金) 16:13:48.19 0.net
わかる奴もいるだろ

127 :考える名無しさん:2019/01/01(火) 23:35:03.57 0.net
107のように中々分かってる人物が来ているじゃないか。
上げて置こう。

128 :考える名無しさん:2019/04/20(土) 18:32:20.84 0.net
フッサールの見た景色
たぶん誰も分かってない

129 :107:2019/08/06(火) 04:42:53.81 0.net
フッサールは全てが主観的意識現象しかないと言ったのだろうか
外界は存在せずに意識、主観しかないと考えていたのか
バークリーやヒュームみたいな物自体は存在しない、経験や主観や感覚しかないと考えて現象学を作ったのか?
全くそうではない
知覚以外の物はある
目の前の知覚経験とは違う現に今体験知覚していること以外のことを人間は認識している
回想、ユニコーンみたいな想像物
イエナで体験した戦争の勝った指揮官とワーテルローで負けた指揮官が同一の認識を指すと理解することもできない
戦場での馬のいななき、土埃の知覚からナポレオンにたどり着くこともありえない認識できない
外界はある、意識、感覚を越えた世界の客観はある
それはフッサールにおいては当然の前提で世界の客観的普遍的三人称的把握を問題にするのが現象学

ただ、それが志向性の問題だと謂うこと

世界は主観しかないが何だか外界があると確信形成=錯覚するのかとか、そんな痴れ言とは現象学は何の関係もない

世界が志向性という形で絶えず客観的に三人称的に主観や知覚を越えてたちあらわなければ
回想も未来の想像もユニコーンも何もでてこない
目の前の次から次へと現れる知覚の荒波しかなくなる
そうではなく志向性通じて主観や私的な知覚、経験離れて目の前の馬のいななきや土埃離れてナポレオンを万人が認識可能

130 :107:2019/08/06(火) 05:12:42.42 0.net
目の前の知覚、体験しかなかったら、全てか主観で外界など存在しなかったらナポレオンはじめ、あらゆるものが認識できないことは理解できたと思う、
例え普遍
この郵便ポストから受けるある色にかんする知覚と薔薇の花から受ける知覚
それが同じものだという認識も、知覚や主観では出てこない あるものが赤であるものは赤じゃない
これも経験を越えた普遍を認識できるから
これを本質直観という

数も論理も無限を体験できない人間には知覚や主観では把握できない
ナポレオンを認識できるのもそういう本質直観を通じて

あらゆる認識はそういう三人称客観を志向性の中で構成するから成立する

フッサールの現象学は経験越えた三人称客観がいかに構成されるかを、実地に体験する学問
だから厳密な学問としての哲学
現象学は厳密で誰がやってあ同じ方法で三人称客観で正しい物を認識できる

論理学研究、イデーン、現象学の理念、ヨーロッパ諸学の危機、幾何学の起源

全部自然科学以上に客観的三人称的普遍的で誰がやっても同じ結論にたどり着く厳密な学問を狙ったもの

フッサールが目の仇にしたのは志向性無視するただもの論と主観主義、相対主義者
認識は相対的であり人の数だけ真理があるなどフッサールは認めない
赤にしろ、数にしろ、ナポレオンにしろ人間の主観離れて客観的に認識できる
それが現象学
あるものが赤い、イエナのナポレオンとワーテルローのナポレオンが同一人物という認識、二+二=四の計算もできない

131 :考える名無しさん:2019/08/06(火) 05:35:17.70 0.net
志向性とかさっぱり分からん

132 :考える名無しさん:2019/08/06(火) 07:17:22.29 0.net
間主観性

133 :107:2019/08/06(火) 19:22:45.23 0.net
志向性とは何も難しいことないよ
目の前の薔薇、目の前の郵便ポスト、それは知覚としては同じではない全く別な物だが共に「赤」として扱う
イエナの将軍、ワーテルローの将軍
「ナポレオン」として扱う
この「として」が、目の前の知覚を越えて「として」として扱い主観や単なる知覚、経験を越えた客観「として」扱うことが「志向性」
間主観性も同じこと
赤としてナポレオンとして扱うから、ばらばらな知覚が同時に赤になりナポレオンになり 認識が成立する
じゃないと同じ赤とかナポレオンという人物がイエナでもワーテルローでも戦ったという認識が成立しない
永遠に薔薇も郵便ポストも赤としては同じという客観性が成立しない
志向性は主観性や知覚、経験を越えて三人称客観を成立させる

134 :107:2019/08/06(火) 19:32:26.92 0.net
薔薇も郵便ポストも色合いは違うが赤としては同じで客観的に赤
そういう客観性が他の人も同じだから赤に対する客観的共通認識が成立する
同様にイエナとワーテルローの将軍はナポレオンとして同一
人々に薔薇も赤、郵便ポストも赤
ナポレオンはイエナにもワーテルローにも関わった
誰にも妥当する客観認識
それは志向性通じて捉えられ本質直観で把握される

二+二=四
あらゆる論理も経験と関係なく真理
科学も知識も主観性や相対性とは関係ない三人称、客観性として成立する

135 :107:2019/08/06(火) 20:33:26.61 0.net
志向性が何故理解されないかと言うと、郵便ポスト、薔薇の花、その知覚自体は同じではないから、主観や知覚だけでは認識は成立しない
なのにどちらも赤いものとして認識は成立する
赤「として」は共通で知覚を離れて客観的に同じだから
主観や知覚を越えた三人称的な客観が成立している
本質を直観すれば共に「赤」 「として」同じだ
経験を離れて先経験的に、先験的に、超越論的な本質を直観できる
超越論的現象学

厳密な学としての哲学

そのために志向性、本質直観、超越論的 これらが必要になる
主観や経験、相対性を越えた、客観的に非経験的な絶対的な学問、そういう領域がきちんとある

そのための志向性

これを理解していないあらゆる現象学に関する妄想は要らないから

136 :107:2019/08/06(火) 20:50:39.88 0.net
薔薇の知覚、郵便ポストの知覚
それ自体は全く別々
にも関わらず赤「として」は同じ
だから共通な客観的認識が成立する
としてが志向性
共通な客観が本質直観
これらは個々の知覚を経験を離れて越えて成立する
超越論的、先経験的
超越論的現象学は主観知覚相対的ではない
客観的超経験的で絶対的に正しい

現象学はこれかわかればいい

137 :考える名無しさん:2019/08/06(火) 21:09:41.56 0.net
やけたぶたけた

138 :107:2019/08/07(水) 05:26:38.87 0.net
人間が万物の尺度だ式の、主観的、相対的で恣意的な思想を否定することがフッサールの現象学のやったことだから
それを理解しないと何も始まらない

目の前の知覚や体験だけからは、薔薇や郵便ポストが色は違うから同じだとは扱えない
経験を越えて非経験的=超越論的に正しい本質を比較し直観することではじめて郵便ポストや薔薇が赤であることを説明できる

個々の事物を越えた有るものと有るものが赤「として」共通である
その「として」として扱う関係づけるということが「志向性」
あらゆる認識は志向性を通して成立する

じゃないと主観的な相対的な恣意的なばらばらな体験があるだけ、流れているだけ
まとまらない
志向性、本質直観、経験を越えた認識

直観論的現象学、語義的にそういうこと
フッサールの現象学

139 :107:2019/08/07(水) 07:50:45.69 0.net
直観論的→超越論的

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

要旨は、
・自然的態度に基づくガリレオ以来の科学主義は行き詰まっている
・相対主義は間違っている、何でも正しいの根なし草がヨーロッパを危機に追い詰める
・志向性が単なる個人の主観を越えて学者たちの間主観性として、あるいは連綿と続く生活世界が積み上げた真理として存在する
それを通じてヨーロッパ学問の危機を克服する
・それが出来るのは三人称客観の超越論的現象学だけ

140 :考える名無しさん:2019/08/07(水) 09:55:54.68 0.net
志向性とはつまり「集合」ですね

141 :考える名無しさん:2019/08/07(水) 18:02:04.06 0.net
志向性と現象学の分かりやすい説明ありがとうございます。
昨日の自分と今日の自分、一年前の自分は生命体としては微妙に違うはずですが、同じ「自分」として扱うのが現象学なんですね。
いや現象学と言うか志向性。
しかし、何故、「物事を共通の特徴で括る能力」を「志向性」と言う名前をつけたのでしょうか?カントの悟性とはどう違いますか?

142 :107:2019/08/07(水) 19:08:29.25 0.net
逆だろ
共通としなければ、ただただばらばらなだけ
認識がない
薔薇と郵便ポストが赤だと認識できないだけじゃなく、一瞬前の薔薇、今の薔薇、一瞬後の薔薇
関係ないものがあるだけ
共通だとくくり関係づけることから全ての認識が成立する

過去保持や未来統握あって世界が成立する

143 :考える名無しさん:2019/08/07(水) 22:06:13.66 0.net
85 :彼氏いない歴774年 :2019/08/05(月) 19:09:19.61 ID:EhXBPGQ5.net
彼氏のSEX、タイミングが絶妙で
私がイキそうになると止める、また動く、これを繰り返すからもうどちゃくそびしょ濡れまんこ。

キスされたらキュってなるしびしゃってなる。

彼氏がいくタイミングで一緒にいくのでもう最高の最高の最高だよね

中だしキメたい

144 :107:2019/08/08(木) 00:03:48.00 0.net
朝、東の空を見ると光の球が見える
二時間後に南東の空に光の球が見えたとして、その二つが同じものであるとする根拠はない
それが同じもので毎日上がって沈むがまた上り生活を支えるものとして信仰し、更に天動説ではなく地動説で動く天体だと認識し太陽と認識する
「太陽」として認識する前の空を見上げた時に見える光りの球が同一で連続していると捉える必要はない

「として」扱う、志向性で扱うまえにはそれは何でもないばらばらな光の球の知覚でしかない
あらゆる物、文化、あらゆる対象が志向性として扱わなければ意味をなさない
人間の認識はそういうものだ
ガリレオ以来の自然科学は絶対の真理ではない
太陽として扱うにも膨大な生活世界や歴史の蓄積を前提にする
それなしの裸の自然物などは意味をなさない

志向性や生活世界が全ての根本で逆ではない

145 :107:2019/08/08(木) 00:18:34.27 0.net
志向性通す前には主観的な、ばらばらな個別的な体験、知覚の束があるだけ、
志向性あって太陽として赤としてナポレオンとして客観的普遍的に扱える
その前は無でしかない
志向性や生活世界通した一人称越えた三人称で、他者にも妥当する普遍的客観的な物だけを扱うのが現象学
知識も認識もコミュニケーションも三人称客観を前提にアプリオリに立脚し成立する
数学や論理は経験では説明できないし、赤も個別の郵便ポストや薔薇とは切断された超経験的な物で、普遍抜きに知はありえない
超越論的現象学とはそういうもの

146 :141:2019/08/09(金) 12:13:58.38 0.net
「逆」とはどう言うことですか?

瞬間瞬間に意識に上がる光の玉を「太陽として」扱うことで、我々の経験世界が生じていると言う事ですよね。
私が107さんにレスを付けて会話できいのも「
志向性」の働きと言う事ですよね
ネットが普及してきた初期にチャットをやっていて、よく、同一者である「として」語っていた記号(ハンドルネーム)が、ネットだけにキャラ設定の整合性が曖昧なので、
志向性が混乱し、ゲシュタルト崩壊のようなことが起きることがありましたが、「として」の意識が日常性を担保していることに異論は無いです。

それを志向性、「インテンショナリー」(英語)や「インテンショナリテート」(ドイツ語)と表現するのはどうなんですかね。
むしろ、「脱自」的な意味合いが感じられるのですが。
107がおっしゃるのはカントの悟性判断みたいな働きで、
語感としては、内的な概念性を突き破って外(事象そのもの)に向かう、と言うような印象を受けますね。
つまり、太陽を現象学的に記述すると言うのは、「太陽」の自然科学的、神話的な装いを突き破って、
「光の玉」の次元に「還元」すると言うことではないでしょうか?

107さんが言った「逆だろ」とはそういう意味ですか?

147 :141:2019/08/09(金) 12:21:23.03 0.net
嫁が作った「ドロドロした香辛料が効いた液体」も母親が作った「ドロドロした香辛料が効いた液体」も、
我々は同じく「カレー」として認識しますね。
“それ”をカレーとして受け取る能力が志向性なのか、
「カレー」なるものを「ドロドロとした香辛料の効いた液体」に還元するのが志向性の働きなのか
どちらなのか、どちらでもないのか。

148 :146:2019/08/09(金) 16:00:07.51 0.net
現象学が何なのかはある程度分かったとする。
では、現象学を実践する段になった場合にどうなのかと。

例えば、「サルトルのテキスト」を現象的に解釈しましょうと言う場合。

149 :学術:2019/08/09(金) 17:17:57.89 0.net
ヒュームの知覚の束は知ってる。

150 :107:2019/08/09(金) 19:31:01.70 0.net
>>146
だから逆だって
個々の光の球はどうでもいい
意味をなさない
最初に太陽として捉えている人間が先にある
そこから光の球が出てくる

151 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 21:11:59.35 0.net
107はあちこちで長々と同じ事を書いてるが、要は
「現象学は中世普遍論争における実念論と同じだ」
と言ってるに過ぎないんだよな

もし現象学が本当に107の言うようなものでしかないなら
そんなもんは竹田が言うように
「完全な「死に体」の思想」
であり
「現象学についての議論は標本的研究だけに任せて放っておけばいい。」

152 :107:2019/08/09(金) 22:12:36.02 0.net
>>151
だから、そういう考え方がゴミなんだよ
個々の知覚や体験はどうでもいい
太陽が太陽として認識されるのは経験に逆らってでしかない
事実からは理論は出てこない
だって太陽が東から昇ったからって翌日東から上がるなどとはとても言えない

ある時間の視覚に映る光の球は一時間後の視覚に映る角度の変わった光の球とは関係ないから
少なくとも自然や物の側には

唯物論や自然主義、唯名論は論理的に破綻している
現代哲学のそういう負の遺産や主観主義や相対主義は全面的に破棄しないと始まらない

こんなのはわかりきったことで、太陽が上るということも自然主義や物理主義や相対主義では説明できない

死ねば?

153 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 22:14:13.46 0.net
まあフッサールとは何の関係もないな

154 :107:2019/08/09(金) 22:17:40.66 0.net
唯名論なんか純粋な論理的誤謬なんだから
そんなものに基づいて批判している奴は死ねばいい

まあ、死ねばいい馬鹿しか哲学史にはいないから、こんな馬鹿みたいな批判しか出てこないんだが

155 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 22:17:42.24 0.net
個々の知覚や体験からしか始まらないのだよ
いきなり三人称に飛躍できるわけないだろ

個々の知覚や体験が、それが知覚や体験である限りにおいて
普遍な形式がある、って話であってな

156 :107:2019/08/09(金) 22:26:22.80 0.net
フッサールの著作を馬鹿な唯名論や自然主義から解き放って読めばここに書いている読み方しかできないんだけどね
めくらしかいないから

論理学研究をイデーンをヨーロッパ諸学の危機を読んだことがあるならこういう読み方しかできないことはわかるはずなんだが

志向性を
本質直観を
超越論的現象学を
お前らどう解釈しているんだ?
裸の物なんかなくて常に既に本質としてアプリオリに把握するのが志向性であり本質直観であら超越論的なんだけどな

超経験=超越論的
志向性や本質が裸の物だと思ってなんかいないよな

157 :107:2019/08/09(金) 22:28:07.07 0.net
>>155
個々の経験では何も始まらないから全ては普遍や本質から始まるというのが哲学の本質だアホウ

158 :107:2019/08/09(金) 22:34:49.66 0.net
個々の知覚や経験では何も言えない
すべては、全体の中でつねに既に方向づけられ関係付けられてはじめて意味を持つ
個物は意味はない

こんな初歩の基本のおさらいもわからずに哲学を語るなよ

死ね
阿呆

159 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 22:42:14.90 0.net
全然違う
よく聞けよ

知覚や体験が個々のものであったとしても
それが知覚や体験である限り、どうしても普遍とならざるを得ない形式がある
それを見極めましょう、というのが現象学だよ

だいたいお前は念仏唱えてるだけであっては

160 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 22:53:04.04 0.net
おい、107を「よく分かってる」とかほざいたバカ>>127はどこ行った

161 :考える名無しさん:2019/08/09(金) 23:53:29.85 0.net
何らの素養も無しに論理学研究なんか読んだって無駄なんだよ、無駄無駄
音楽を聞いたことも無い奴が楽典を読むぐらいに無駄
読んでもいいけど、それで分かった気になってんじゃねーよ

フッサールの頭の中は、その背景に数学があるけど、おまえらには無いだろ?
数学は個々の主観によって捉えらているのに、それが超普遍的な内容を持ち得るのは
そもそもどういう事態なのか、というのがそもそものフッサールの出発点

そして数学を深く捉えているが故に、ガリレオの「数学化された自然」を批判することもできるわけだ

おまえらにできるのは、言葉のぼんやりした雰囲気から思いつく連想に次ぐ連想、それだけだ

162 :146:2019/08/10(土) 05:37:06.28 0.net
>だから逆だって

また「逆」ですか?
この場合の「逆」は、「カレー」だろうが「ドロドロした液体」だろうが問題ではなく、「認識者」がそれらの構成主体(アルケー) であると言う意味での「逆」なのでしょうか?

もしかして、わざと理解されないように語ってます?
一般的に、現象学とは、事物が認識主体とは無関係に客観的に存在していると言う「自然主義的世界観」を否定し、認識者が世界を構成していると言うと「逆向き」の形式を取ると考えられていますね。
107さんは、そう言う考え方が間違っていると言うのか、その考え方に戻りなさいと言っているのか、そのどちらでもないのか?

1 我々が素朴に体験する「太陽」は自然科学的な神話など様々な概念が張り付いて構成されているフィクションである。
2これらを「エポケー」すると、「太陽と呼ばれている『光の玉』」が現れる。
3「太陽」にせよ「光の玉」にせよ、それらの現象を構成しているのは「意識」である。

とこれで、こうやって議論なり対話している最中にも「馬鹿」だの「死ね」だのと言う言葉が飛び交っているのですが、
現象学的に言うとそれらは客観的に実在するのでしょうか?
現象学的対話の中では「馬鹿」はエポケーされませんか?
それとも、現象学を議論している時は現象学からは逸脱して、普通の意識で討論しているのでしょうか?
あるいは「現象学的に還元しようが馬鹿は馬鹿」と達観して、あえて馬鹿にしているのでしょうか

163 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 05:48:23.08 0.net
フッサールの高弟だったハイデガーやアーレント、なども特に数学者じゃないしね。
現象学を意味もなく秘教的な学問にするのはやめてほしいな。
「現象学を理解できる自分は選ばれた人間」と言った誤ったエリート意識が現象学を分かりにくい学問に仕立て上げている可能性も疑わなくてはならない。こんな構図があれば、原理的に他人に現象学を理解させることは不可能。

164 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 06:10:17.53 0.net
現象学は秘教でもなんでもない
「なんでも現象学」とすることが可能だから

ハイデガーもメルロ・ポンティも、その「現象学」の大家
しかしフッサールを捉え残った
そもそもフッサールを理解するとか、土台無理だろ
3行読むだけで疲れる
疲れるだけなら良いけど、結局はよくわからない

165 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 06:13:02.75 0.net
西洋社会と無関係に育ったアマゾンの奥地の原住民は何かの拍子で「ナポレオンと呼ばれる人物」に出会っても、その馬に乗った小男を「いわゆるナポレオンとして」扱うことが出来ないと思うんですよね。
つまり「ナポレオン神話」を共有していないと、ナポレオンは存在しない訳ですよ
或いは「ナポレオンを崇拝する強力な軍隊や人民」などの提灯持ちとワンセットじゃないと「皇帝ナポレオン」は存在しない。
要するに神話や舞台装置がナポレオンを「ナポレオン」たらしめていると思うんですよね
この神話を伴った意識を「志向性」と呼ぶならそうなんでしょう。
数学が成立するのも1+1=2と言う「神話」(ルール・公理)を伴った意識が数字と言われるインクの染みを見たときに現れる現象なんじゃないですか?
現象学ってそれ以上の事を何か言ってるんですかね?

166 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 06:29:03.37 0.net
フッサールはハイデガーに「君と僕だけが現象学だ」と話すなど特別な期待を持っていたそうだから、「ハイデガーが現象学をさっぱりわかっていない馬鹿」と言うには無理があると思うんだよね。
日本人特有の劣等感意識がフッサールを理解出来る自分はハイデガーやメルロポンティより上みたいな疑似ヒエラルキーを作っちゃうんじゃないですかね

167 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 07:19:57.79 0.net
現象学をやっていても気がつくと「単なる2ちゃんねらー意識」になってしまうと言う「問題」もあると思うんだよね。
あえて、意識して「2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)を演じている」と言う側面もあるだろうし、
現象学を実践している人も「人間世界」や「企業社会」「2ちゃんねる」に存在している限りは、
その場の社会的ルールに従うべきと言うことはあるかもしれないが、その場合にも「あえてルールに従っている」と言うことを意識に上らせなくてはならない。
しかし、ともすると「ルールに従っている」と言うよりは「その場の雰囲気に無自覚に流されている」と言うケースが、かなり知的な人間であっても多いように思う。

168 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 07:27:26.69 0.net
>要するに神話や舞台装置がナポレオンを「ナポレオン」たらしめていると思うんですよね

ハイデガーが「存在」と言っているのも、そんなことだと思うんだよ。
ナポレオンが個人として客観的に実在すると言うのも、観察者(主観)がナポレオンを生み出していると言うのも、共に「存在忘却」で、実際は、ナポレオンはナポレオン以外の要因でナポレオンたりえる(金剛経)と言う仏教の空(縁起)みたいなお話ではないだろうか?とふと思った。

169 :考える名無しさん:2019/08/10(土) 07:54:09.14 0.net
志向性って、もっと簡単に言うと、同じ部屋に居ても、「出世しよう」と思う(志向する)人間には「政治的現実」が見えるので「上座、下座」が存在するが、そんな意識が全く無い新入社員の天然くんには「上座、下座」は見えない。
芸術的志向性を持つと「ただの便器」が「芸術」に見えるが、志向性を外すと「便器」
用具的志向性を持てば、「道路脇の繁み」が「トイレ」に見えたりとか、そう言う事でしょう。

170 :107:2019/09/16(月) 09:45:29.62 0.net
唯名論経験論の誤り
郵便ポストが赤だと知る、すると
薔薇の花、
物や経験に先だって、規約の説明取得に先だって、薔薇もまた、共通な性質を有するとわかる
郵便ポストや薔薇の花は赤であって別な色ではないという、普遍了解がないと見たことのない物がそれでも赤とわかる、経験に規約に先立つ拘束性が説明できない
経験に逆らってそれらの了解はある

唯物論の誤り
ある唯物論的解釈で、ある法則を説明したとして、無限な別な解釈、法則、説明がありうる
正しさは唯物論とは関係ない

自然主義や物理主義、三人称客観から個物から説明する方法論は唯名論のジレンマと同じ困難は避けられない
赤が何故、別な物でも赤か、物理主義や経験論、唯名論では説明できない
クワインはじめ哲学の主流派は全てゴミ
単純な間違い
自然からは自然への解釈は出て来ない
別な解釈でない必然性はそこにはない
三人称客観からは答えは出ない

一方、カント以来の相関主義も馬鹿
主観や相対的解釈と言っても物からの物に触発されての説明は同じだ
馬鹿じゃねーの、死ね
私が客観に的中する根拠なんかないから
一人称の視点、本当の自分とかないから
繰り返す、主流派も反主流派も馬鹿じゃねーの

171 :考える名無しさん:2019/09/16(月) 13:30:42.19 0.net
〉繰り返す、主流派も反主流派も馬鹿じゃねーの

あなたはどの立場から言ってるの?

172 :学術:2019/09/16(月) 13:42:26.80 0.net
現象学って閃光放つ飛び道具とちゃうん。

173 :107:2019/09/16(月) 14:22:25.91 0.net
現象学を経験論的にしか解釈しない奴とかカント、相関主義的にしか解釈できない奴は死ねば良い
経験からは経験と経験がどういう関係にあるか、その認識は絶対に出て来ない

174 :考える名無しさん:2019/09/16(月) 14:27:30.91 0.net
カントを相関主義と決めつける奴は死ななくていいのか

175 :107:2019/09/16(月) 14:30:03.71 0.net
aという経験とbという経験からはab間の関係は出て来ない、出しても他でない、そうでなければならない理由はない
論理的に経験論や唯名論や唯物論はおかしい
誤謬でしかない
三人称客観からは、事実からは、事実を越えた認識は発生しない、その認識が他でない根拠がないから
それをひっくり返した一人称も単なる裏返しでしかなく、その一人称の配置が他でなくそれが正しい理由がない
自然主義も相関主義も論理的に破綻している

176 :107:2019/09/16(月) 16:14:55.46 0.net
三人称客観の自然主義に基づく哲学の主流派も、野党第一党の主観主義の相対主義もゴミだから
全てが掃除されないと

177 :考える名無しさん:2019/09/17(火) 18:38:24.25 0.net
君は誰かがそう言ったから信じているだけですよ
竹田とか読んでも無駄

178 :107:2019/09/17(火) 19:46:30.32 0.net
郵便ポストを認識して赤だと把握する
薔薇の花を認識してこれも赤だと把握する
しかし、郵便ポストと薔薇の花で共通な物など導ける物など無数にある
その中から赤だと選び出すことは物や経験からは出て来ない
無数に別な関係を選べるから
経験に逆らって選び出すから郵便ポストも薔薇の花も赤だと把握できる
三人称客観無差別の自然主義からは物単体は認識できても物と物との関係を選択できない
無数の無差別な関係からよりわけられないから

179 :考える名無しさん:2019/09/17(火) 21:18:28.53 0.net
また壊れたテープレコーダーが始まったのか

180 :考える名無しさん:2019/09/17(火) 22:15:07.34 0.net
a 1という経験、a 2という経験からA という法則を導き出したとして、 BたとかCだとか無数の別な法則でないのかという無限後退は避けられない
事実に合致するのが良いと言い出しても、人によって経験から導き出すものはそこから導き出す利益は違う、無限に違い食い違う、時に譲れない
万人にとって利益になるもの、利益を導くものが一致するならともかく、全くそんなことはないからこまっている
三人称客観から何かを導き出せるとは嘘であり、絵に描いた餅だ
三人称客観から導き出した何かに従っているとして、それに従っている理由は別の所にあり三人称客観自体にはない
出鱈目だ

かといって主観が法則を作り出す現実に適用させるとか言い出しても、そのどれが正しいかわからないから答えにならない
さっきと同じで A と言ったら無数の別な答えに対するこれを採用する根拠がない

いずれも間違いだし、何の価値もない
実在から答えを導けるという物理主義や自然主義もカント以来の実在を括弧に入れる観念論や相対主義も論理的間違い

181 :考える名無しさん:2019/09/18(水) 08:42:37.97 0.net
おまえ説明下手だな

182 :考える名無しさん:2019/09/19(木) 22:39:36.69 0.net
経験したa1とa2、その間の関係は無数に導ける、経験論や唯物論、唯名論はその中から答えを出せない
無数の答えを同じ権利で出せるから
それを乗り越えようとする一人称の観念論や、相対主義や相関主義
これを採用しても全く事態は変わらない
一人称同士で何故それが正しいか何故採用しなければならないか
全く答えになっていないから

現象学はそういう物を排除して成立する

183 :考える名無しさん:2019/09/20(金) 06:14:34.66 0.net
いかに成立するのか
その道理を説明しないと

184 :考える名無しさん:2019/09/21(土) 16:32:43.99 0.net
a1、a2、a3、…an
b1、b2、b3、…bn
c1、c2、c3、…cn

m1…mn


事物の三人称の系列があって、自然主義、唯名論はaやbやcや以下mまでの事実から次はa1からa2…anが導かれる事実を越えた法則性ルール当為が導かれると言うが
事物、自然、経験それ自体からは、そんな物は導かれるわけがない
a1、a2の後はb3だったりc7だったりa1に戻ったりa2でいつまでも足踏みしていても何も問題はない
a1a2の後はa3と同じくらいの権利を有する

当たり前だが事実と「関係なく」事実に逆らって法則やねばならないは創造される
自然主義や唯名論、唯物論は論理的にはじめから破綻している

一方、カント以来のコペルニクス転回や相対主義、実在論否定の相関主義は同じことの繰り返しにすぎない
a1a2a3…an
が先行すると言ってもじゃ何故、それに従うのか、他者の提示する別な系列、理論に優越する根拠なぞ何もない妄想に過ぎない

三人称自然主義や一人称相対主義を克服したところにしか哲学は成立しない
主流派も反主流派最大派閥も哲学的に抹殺した所に初めてまともな哲学は成立する

これは当たり前の前提条件だ

185 :考える名無しさん:2019/09/21(土) 17:16:40.95 0.net
それは克服するための前提条件じゃなく破綻するための前提条件を
並べ立てたところでまともな哲学とやらは成立し得ない

186 :考える名無しさん:2019/09/22(日) 15:58:12.26 0.net
経験論、唯名論的、フッサール読解ほど、現象学を侮辱したものはない

187 :考える名無しさん:2019/09/22(日) 17:48:58.48 0.net
哲学の言語によって数学を説明することは可能か

かつてフッサールが諸学問の基礎付けとしての現象学を打ち出しましたが
それが成功したかどうかはさておき、先人の業績を踏まえつつ、数学、法学、経済学、家政、町内会、etsを哲学の言語によって説明することは可能でしょうか?

188 :考える名無しさん:2019/09/22(日) 18:12:06.02 0.net
数学etsが哲学の産物だから理性と知性によって学習することができるだけですよ。

189 :考える名無しさん:2019/09/22(日) 20:09:02.33 0.net
何だそりゃ

190 :考える名無しさん:2019/09/22(日) 22:01:42.60 0.net
何だそりゃ哲学

191 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 10:38:29.38 0.net
経験論や唯名論、唯物論、自然主義は論理的に間違っている
そんな物を正しいと思う奴は哲学を語る資格はない

a1という事実、a2という事実
経験から語るにせよ、その間の共通な事実や関係について語るならa1という体験、a2という体験とは別な原理がいる
経験からは出てこない経験からはみ出した原理が
それを認めて語るなら経験とは別な原理を前提にしているわけで既に経験論でも唯名論でも何でもない

まあ、哲学者の半分はそういう馬鹿だから自然主義が主流派なんだが

192 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 10:45:44.48 0.net
一方、生得論や先験論で原理を仮定する立場も、論理的におかしい
そういう不変的な普遍的な構造があるなら人間の認識は同一であるはずだが、全くそうはなっていない

経験論も先験論もa1やa2の体験から導かれる原理はAてめBでもCでもいいはずなのに、何故Aなのかの説明が原理的にできないから

論理的に間違っている

193 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 11:13:36.10 0.net
三人称が基本の分析哲学の中でクオリア論争とかは三人称に対する一人称の復権なんだろうが以上のようにどちらも間違っている
現象学に意味があるとしたら以上の二つの思想を完全に根絶した中でしかあり得ない

194 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 12:26:41.79 0.net
根絶し得ないから論理にも劣る文句しかでないわけだが

195 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 14:50:52.23 0.net
唯物論や唯名論では、帰納を説明できない
これは初歩的な哲学の常識であって

例えば郵便ポストがある色の性質持っている
薔薇の花がある色の性質を持っていると帰納し抽出し、それに赤という普遍名をつけるにしても、
経験に先立って赤という物の区別がついていなければできるわけはない

赤がわかっていなければ赤い物だとよりわけることも共通な物だと区別することもできるわけがない

物や経験に先立って、それらとは関係なしに認識が既にあるから赤とか共通だとか判断できる

自然主義、唯名論、唯物論、経験主義は哲学的には吟味に耐えない、成立しない妄想のたぐい

それはとっくに気付かれている単なる事実

196 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 18:04:31.95 0.net
うむ、説明するまでもないことに文句をつけてもしかたあるまい

197 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 18:43:14.08 0.net
郵便ポストが人によって全然違う色のように見えていたとしても
「郵便ポストは赤い」と普遍的に不都合なく記述される事実に対して
何も矛盾しないのだよ

おまえらは本当に無能だわ

198 :考える名無しさん:2019/09/23(月) 22:29:50.32 0.net
>>197
>>196

199 :考える名無しさん:2019/09/24(火) 06:08:09.74 0.net
197は自明なことではない
198は馬鹿

200 :考える名無しさん:2019/09/24(火) 09:24:41.29 0.net
ここ腐っても哲板w

201 :考える名無しさん:2019/09/24(火) 23:02:21.68 0.net
「Aである」と「Aではないように見える」が矛盾しないのは当たり前。
矛盾したらそれは「見える」の意味ではない。

202 :考える名無しさん:2019/09/25(水) 05:50:21.21 0.net
「赤く見える」こと以外に「赤である」ことの意味などない
赤ではないように見えるなら、赤ではない

ばーか

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