2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

数学を初めとした理系の学問と哲学について 15

1 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 13:38:02.81 0.net
文系や政治の話なども
めいめいが好きなように話題を提供して
ゆるい議論をしよう

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536636403/

2 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 14:30:11.94 0.net
>>1
タイトル読め

3 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 14:47:50.88 0.net
まあ、哲学を大きく取れば政治学や社会学も含まれるっちゃ含まれるからなあ。

4 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 18:14:36.75 0.net
ラジカルだな

5 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 20:12:13.17 0.net
他者論でもやろうか

【己の欲せざる所、人に施すこと勿れ】    
『論語』衛霊公 第十五

    子貢が、人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい、と聞きました。

  子日わく、其れ恕(ジョ)か。
       孔子が言うには、それは恕(つまり相手の身になって思い・語り・行動することだ)と答えたが、

 (子貢には難しいと思ったのか言葉を継いで)
 
   己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。
       自分が嫌なことは人にするな、と言いました。

6 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 21:57:26.50 0.net
>>3
政治の話(政治「学」ではなく)しか話しないのはホント板違い。

7 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 22:11:16.36 0.net
理系の人たちのマナーと頭が悪すぎる

8 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 22:27:06.43 0.net
いや、俺文系だから俺のマナーが悪い。

9 :考える名無しさん:2019/11/23(土) 22:34:03.62 0.net
数学を初めとした理系の学問と哲学について 15

新スレ(本家)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1574515806/

馬鹿が糞テンプレ付きで建ててしまったので、不本意ながら早目に建てます

10 :考える名無しさん:2019/11/24(日) 00:37:38.16 0.net
>>9
なんか腐ってるぞ

11 :考える名無しさん:2019/12/04(水) 23:41:57 ID:0.net
掛け算の順序の固定についての議論、いくつもの種類の異なる問題が
混ぜこぜにされていて、これだけ長く続けていながら、まったく
整理されていない。

そもそも、「掛け算の順序の固定」という問題の命名自体が混乱している。
固定されているのは、掛け算ではなく、掛け算がどのように利用されるのか
を説明する文脈だろう。つまりは、掛け算の操作を説明するメタ言語の
問題であり、掛け算の使い方をそのように限定する必要があるのか、
という問題だ。「1袋当たり60gのポテトチップスが5袋あったら、
合計で何グラムですか?]という設問に対して、5×60=300で300gと
解答したら、1袋当たり60g×5袋=300gの順序で、つまり、
60×5=300と数式を書き表さなければ、答えをきちんと300gと
書いても不正解とするような指導が横行しているという批判。
問題をきちんと議論したければ、まずは、「掛け算の順序の固定」
という混乱した命名が改められるべきだろう。

12 :考える名無しさん:2019/12/04(水) 23:55:17 ID:0.net
1袋当たり60g×5袋=5袋×1袋当たり60g=300gなのだから、
式を60×5=300と書いても、5×60=300と書いても、きちんと
300gという単位の付いた答えを導き出したなら、不正解すべき
理由がないことは当然だろう。その一方で、掛け算を単に
数式の操作としてではなく、計算としての利用法を教えようと
するなら、何をどのように計算しているのか、きちんと理解
されていることを確認する必要が生じる。その意味では、
順序より重要なのは、60が1袋に入っている内容量をグラム数
で表したものであり、5が袋の合計数を表していて、計算
の結果として得ようとしてるのが、5袋に入った内容量の
重さの合計のグラム数であることをきちんと把握している
かどうかだ。

13 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 00:03:53 ID:0.net
問題が混ぜこぜになっているというのは、ここで、1袋当たり60g×5袋
と考えようと、5袋×1袋当たり60gと考えようと、どちらでもいいでは
ないか、という批判と、そもそも、計算を教えるのに、数の操作だけを
教えればいいのであって、文章に対応するように数式を考えさせる
必要はないという批判が入り混じっていることだ。

14 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 00:29:53 ID:0.net
確かに、数学という専門の学問分野で技能を身に付けるのに、数学操作
の技法をいちいちその応用の文脈に関連付けることを要求されたと
すれば、技能を磨くのにも、研究を進めるのにも足手まといにしか
ならないだろう。しかし、理工系のエンジニアも含め、多くの人は、
数学の研究そのものには関心がなく、どのようにか実際に利用できる
数学の技法にしか関心がないのも事実である。また、エンジニアの
専門職を目指す人々の中にも、数学の能力は秀でていながら、
それを工学的に活用する術がないために脱落する人々も数多く存在する。

15 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 01:10:27.59 0.net
掛け算を教えるのに、1袋当たり60g×5袋=300gというような文脈に
固定する必要はまったく存在しないし、柔軟に順序を入れ換えて
考えるのを禁止することは、操作の応用能力を伸ばすことを阻害する
だろう。しかし、同様のことは、数学の操作と日常言語の関係に
ついても言えるのだ。数式の操作から導き出された、現実と
どのように対応するのかも不明な数値が独り歩きして、
というよりも判断の正当化の根拠として悪用されて、組織の
意思決定に利用されることはよく見られる。数式がなにを
どのように把握することになっているのか、日常言語の
表現との対応関係が追求されて初めて、そのような悪用
に対するコントロールが機能する。

16 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 01:19:45.73 0.net
デフレにしても、少子高齢化にしても、数量的に把握される問題であるが、
問題そのものは、単純に数量的なものではない。まずは、現象として
何がどのように問題となっているのかきちんと記述できなければ、
いくら表面的な数量だけに注目しても無意味だろう。

17 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 01:22:06.91 0.net
数学的には「可換でない」といいます。

18 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 01:34:54 ID:0.net
だから、問題は、掛け算が可換であるか、否かではない。
掛け算を教えるのに、その利用のテンプレートを固定する必要があるか否か
ということ。

19 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 01:37:19 ID:0.net
問題の所在をきちんの記述できないから、何を議論しているのかが
いつまでたってもかみ合わない。教師が何を正解とし、何を不正解
とするかを決める不合理が容認されているということであれば、
それは全教科について当てはまる。

20 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 06:26:06.26 0.net
盗んだバイクで走り出している奴のような言い分だなw

21 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 08:28:34 ID:0.net
>>18
んなことは言ってない。
掛け算を教える話しだろう?
意味の齟齬が生じる事を指している。

22 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 08:42:44 ID:0.net
「掛け算の順序の固定」の議論は、学校の算数の教え方を批判する
側が、問題を適切なメタ言語で記述する技能がないために、
自分たちが批判する「誤り」とまったく同じ誤りを犯して
いることにまるで気づいていないという笑い話のような状況に
なっている。問題の本質は、可換がどうのとか、順序が
どうのということではなく、技能を身に付けさせる教育を
するのに、固定のテンプレートを押し付けることが学校や
教師の側に許されるべきか否かだ。これは、すべの教科に
当てはまる問題であり、それを、「『掛け算の順序の固定』の
問題」として奇妙な限定を加えて、議論しようとすること
自体が、同様のテンプレートの強制である。

23 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 08:49:26 ID:0.net
さらには、言葉の意味は、その用法であり、言葉を身に付けるとは、
その使い方に慣れることだ。「×」のような数学記号の場合でも、
そのことはまったく変わらない。掛け算のやり方を身に付けているとは、
「×」の記号を、数学の計算において使えることである。だからこそ、
使い方のテンプレートを固定して、数学として成立している「×」
の使い方をしているのに、それを禁止したり、罰したりすることは、
教わる側が数学の理解度を深めるのを妨げることになると批判して
いるのだろう。

24 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 08:58:32 ID:0.net
「『掛け算の順序の固定』の問題」などという奇妙な議論のテンプレート
を外すなら、同様の問題が他の教科、例えば、英語の教育でも生じることが、
直ちに理解できるはずである。例えば、「×」の「意味」を教えるという
目標に匹敵するものとして、"have"という動詞の「意味」を教えるという
教師/学校側の目標を想定することができる。"have"には様々な用法が
あるので、それらの用法を自在に使いこなすことができなければ、本当
に"have"の「意味」を理解したことにはならない。しかし、教師/学校側
は、まず"have"を動詞としてテンプレートに当てはめる使い方を習熟
させなければ、生徒の学習目標が達せられないと考えて、固定された
テンプレートを利用して試験をし、そのテンプレートどおりに"have"
を使うことだけを評価することが考えられる。

25 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 09:18:18 ID:0.net
そのような状況で、英語の試験を実施したとしよう。
例えば、「"have"を使った文を5つ書きなさい」という課題が与えられる。
英語の学習の意欲があり、自分で英語を勉強している生徒が、
"I have a pen"、"You have a dog"のように「○○ have/has ●●/s」
というテンプレートに合せて文を書くのを繰り返させられることに
飽き飽きして、
1. I have a pen.
2. You have a dog.
3. He has a cat.
4. She has a bag.
と回答して、そのまま行儀よく、5. We have a house.とでも
書く代わりに
5. I had enough!
と回答したら、教師/学校側はどのようにその生徒を評価するだろうか。
他の生徒よりも"have"の用法に習熟していることは明らかであり、
英語としてむしろ、実際に使い物になる用法を身に付けていること
が分る。しかし、そのことによって、その生徒の回答にそのまま
丸をつけて満点を与えるような度量のある教師や学校は、日本に
限らず、どこの国でもまずほとんど存在しない。5番目の回答は、
バツを付けられて返されるか、悪くすると、素行に問題があると
して、本人や親が呼び出されたり、さらに酷い場合には、暗黙
に教師から報復されるだろう。

26 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 10:08:26 ID:0.net
アホが来たじゃねーか…

27 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 10:18:23 ID:0.net
言葉にする技能が欠けていると、不満を感じたときにすぐに手が出て
しまうんですよ。「アホ」とか、「バカ」とか、自分の不快感を
表明するのにしか役立たない言葉がすぐに口を突いて出るのも、
それと同じ。

28 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 10:20:25 ID:0.net
アホも言葉ですけどね

29 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 10:23:11 ID:0.net
アホな返し

30 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 11:52:31.31 0.net
まともに数学もできない馬鹿かよw

31 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 13:20:13.05 0.net
感情の吐露はいいです

32 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 13:37:06 ID:0.net
数学で哲学をしようとするのがそもそも愚か、具象的な意味のない道具(数学)をこねくり回す物好きを馬鹿というw

33 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 14:39:01 ID:0.net
偶(even)、すなわち、「そろ(揃)ふ」様態と、
奇(odd)、すなわち、「そろ(揃)はない」様態
の区別なんて具象的で、猿でも区別できると思うが?

34 :猿にも劣る思考能力:2019/12/05(木) 14:51:23.77 0.net
偶数、奇数を数えることと、偶(even)、すなわち、「そろ(揃)ふ」様態と
奇(odd)、すなわち、「そろ(揃)はない」様態を区別することは、
どちらが先ですか?

35 :What are the odds?:2019/12/05(木) 16:25:28 ID:0.net
さて、ここで質問です。
偶(even)は、「そろ(揃)ふ」様態であるのに、
偶然が、奇(odd)なることなのはなぜでしょう?w

36 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 16:27:56 ID:0.net
こういう質問をいつも学校の教師にぶつけていたら、
「反社会的性格」の烙印を押されることは必至だな

37 :What are the odds?:2019/12/05(木) 16:45:52 ID:0.net
777か666か
どちらが出ても奇(odd)なることでしょう

38 :What are the odds?:2019/12/05(木) 17:36:53.84 0.net
ここでさらに質問です。
秩序は、偶然が重なること、偶然×偶然=偶然^2によって現れるのか?

39 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 17:43:33.20 0.net
もっとからかうんだ!

40 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 17:56:38 ID:0.net
ブラウンカーのπの連分数計算によって近似されることになる、
(2^2)/((2^2)/π)=πは、秩序の相殺、(2^2)/(2^2)=1による、
秩序の消失、最終的に秩序が姿を消すことよって
πが現れることを表していますか?

41 :学術:2019/12/05(木) 18:39:08 ID:0.net
数えることと、揃うこと奇なることは混同しない方がいいと思う。
揃うことは余ることでないとか、奇なることはたかられ覗かれ暴力を受けることでないとか、数学も対哲学じゃなきゃ時に大事です。

42 :学術:2019/12/05(木) 18:40:30 ID:0.net
数学が哲学を求める偏りより哲学はあらゆる学問を求める可能性が在る。

43 :It's odd, isn' it?:2019/12/05(木) 20:28:22 ID:0.net
数えること、すなわち、数が現れることは、
「そろ(揃)ふ」様態と「そろ(揃)はない」様態の区別を基礎としている。

44 :考える名無しさん:2019/12/05(木) 23:47:51 ID:0.net
>>41
上に挙がってるのはダジャレなんだよね。

45 :考える名無しさん:2019/12/06(金) 00:37:48 ID:0.net
哲学とは、日常言語の表現による適切な記述を試行錯誤によって探ることだ。

偶然(そろふ様態)が重なることが、秩序が現れることであるとするなら、
偶然が重なることは、通常、奇なる(そろはない)ことである。
すると、ランダム性とは、「秩序が現れない」こと、すなわち、
「偶然(そろふ様態)が重なることがない」ことではなく、
秩序が現れる度合、偶然(そろふ様態)が重なる度合に応じて、
奇なる(そろはない)度合が高まることである。

46 :考える名無しさん:2019/12/06(金) 00:46:30.86 0.net
この本で九鬼が多分、似たようなことを言っていたような気が
するが、本屋でちらっと立ち読みしただけなので、記憶が定か
ではない。頭の切れる人だとは思うけど、苦手なんだよね、
ああいう「秀才的」な文章は。

偶然性の問題
九鬼周造
岩波書店, 2012
あらゆる事象はゆくりないめぐり逢いであり、その邂逅の源泉に原始偶然が
厳存する―。偶然性を定言的偶然、仮説的偶然、離接的偶然の三つに大別し、
偶然性の本質を解明した九鬼周造(1888‐1941)の主著。ヘラクレイトスの
偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来くりかえし問い続けられてきた
「偶然と必然」の問題への九鬼独自の解答。

47 :学術:2019/12/06(金) 07:42:07.98 0.net
独身か結婚かじゃないけど地獄にも数学いるし天国にもある九鬼はロマンチストだな。
ニセ天国ぐらいの余った次元だろう。

48 :考える名無しさん:2019/12/06(金) 10:33:45.89 0.net
不遇/不偶(uneven)であることが解消(cancel)されて
偶然(そろふ様態)が「奇なる(そろはない)こと」として
現れることが、数えることであると言えるのではないか。

49 :考える名無しさん:2019/12/06(金) 11:05:48 ID:0.net
差異とは、まずなによりも、不遇/不偶(uneven)であることと
偶然(even)(そろふ様態)であることの区別である。

50 :Oddly even:2019/12/06(金) 11:29:45 ID:0.net
数えられた数は、"oddly even"な様態で現れているのではないか。

51 :考える名無しさん:2019/12/10(火) 17:08:54 ID:0.net
数学を理解する上で大事な能力は、「想像力」です!( ˘ω˘ )
英語で言うと「Imagination」ですね。

これ、結構意外に思う方も多いのでは?(‘;’)
もし意外に思わない方は、きっと数学が得意だったりするのでは
ないかなと思います。(‘ω’)

なんだか数学を理解する上では「論理力」が大事になってきそうな気が
します。「分析力」なんかも必要そうな気が。。。(‘;’)

52 :考える名無しさん:2019/12/10(火) 17:09:14 ID:0.net
もちろんそれらも大事なのですが、
数学を「理解する」時に大事になってくるという意味では、
これは明らかに「想像力」が大事です。( ・`д・´)

つまり別の言葉で言えば、頭の中で思い描く「イメージ」です。( ・`д・´)
数学が苦手な人の多くが「何をやっているのか分からない」
「数式の意味が分からない」と言います。これは別の言葉でいうと
「何をしているのか、<イメージ>が湧かない」と言っているのと同じです。(-_-;)

数式や、何かの証明を見ていても、「何をしているのか?」「何がしたいのか?」
のイメージを頭の中で持っていることが、数学を理解する上でとても大事な
能力になってきます。( ・`д・´)

特に大学(理学部)レベルの数学になってくると、このイメージがないと
証明も何もできなくなってしまいます。

53 :考える名無しさん:2019/12/10(火) 17:21:02 ID:0.net
>>52
たしかに「虚数」は、 "imaginary number"

54 :考える名無しさん:2019/12/10(火) 17:40:30 ID:0.net
虚数とは、実数ではない複素数のことである。ただし、しばしば「虚数」と訳される
英語の "imaginary number" は、「2乗した値がゼロを超えない実数になる複素数」と
して定義される場合がある。iまたはjで表される虚数単位は代表的な虚数の例である。

1572年にラファエル・ボンベリは虚数を定義した。しかし当時は、ゼロや負の数で
すら架空のもの、役に立たないものと考えられており、負の数の平方根である虚数は
なおさらであった。ルネ・デカルトも否定的にとらえ、著書『La Géométrie(幾何学)』で
「想像上の数 (仏: nombre imaginaire)」と名付け、これが英語のimaginary numberの
語源になった。その後徐々に多くの数学者に認知されていった。

55 :考える名無しさん:2019/12/11(水) 13:59:33 ID:0.net
数学的、存在論的

56 :考える名無しさん:2019/12/11(水) 14:28:27 ID:0.net
クラスメイトを見回して
「彼らは何をしているのか?」
「私達は何がしたいのか?」

57 :Nice try:2019/12/12(木) 07:54:13 ID:0.net
数えるとは、"oddly even(奇にそろふように)"に現れることが、
重なるにつれ、"evenly odd(そろって奇)"に現れるようになる
ことであると表現することができないだろうか。

58 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:23:01.59 0.net
同じことばかり言ってて、よく飽きないなw

59 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:46:32.87 0.net
飽きないよ。反復が現れることの基礎だからね。
反復が現れないなら、特定の性質を有する同一性も現れない。
ところが、反復とはどのようなことかをうまく表現することは容易ではない。

60 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:48:47.05 0.net
一時、流行した「〜には差異しかない」という表現は何の役にも立たない。

61 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:51:54.16 0.net
さらに、ここには重要な鍵があるように感じられる。
理念的には、反復を象徴する円周と反復されることのない直線は合致する。
そこに反復をどう捉えるかという重要な問題がある。
そこで中心的に考えられなければならないのはやはり、等しさと比だろう。
だが、等しさとはそろふことではないのか。

62 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:54:49.14 0.net
ここで「そろふ」とひらがな表現していることは意図的だ。
「揃う」と書いてしまうなら、意味が限定される。
しかし、私の念頭にあるのは、「そろふ」という表現であり、
「そ(反/逸)り」が「あ(合)ふ」ことだ。

63 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 18:56:53.09 0.net
イメージがどのように整合的に関連するのかを浮遊的に考える。

64 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 19:01:38.00 0.net
例えば、海面に凪の状態が生じる。凪はそろふ状態であり、偶然である
と言えるが、偶然が生じることは奇なることではないのか。
それでも、そのような状態は、反復的に現れる。

65 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 19:04:18.22 0.net
円形を錯覚と表現してしまうことは容易だ。しかし、円形が錯覚である
なら、反復して現れるものすべて、同一性を帯びて現れるものはすべて
錯覚であると言わざるを得なくなるのではないか。

66 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 19:47:08 ID:0.net
揃う、というのは同期現象のことだから、微分方程式で記述できる論理的なことだろう。
https://www.math.kyushu-u.ac.jp/pages/laboratory06.html
ここにある、振り子の同期現象が有名だね。バラバラに揺れる振り子が何個あっても、
やがて振り子同士が同期してくる。メトロノームの同期現象も同じだろう。

>数学の強みはその普遍性にあります。細胞だろうが電気回路だろうが、もしそれらの
根底にある数学的構造が同じであれば、同じ手段で研究できるのです。

多様な解釈を許容する文学が主観的表現であるのに対して、一意決定システムの数学や科学は、
汎用性を志向する客観的記述や表現が要請される。

67 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:03:51.96 0.net
数学は、微分積分の基礎をうまく日常言語で記述することができて
いないだろう。イメージで捉えることが重要なのは、それが必ずしも
正しい方向に導いてくれるからではなく、捉え方が間違っているなら、
どのように間違っているのか、個別の事象としてではなく、全般的な
関連において気付くことを可能にするからだ。

68 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:06:14.18 0.net
そもそも、数学的にどのような表現が主観的であり、どのような表現
が汎用性を志向する客観的であるか、その区別を記述することもできないだろう。

69 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:09:37.51 0.net
小保方晴子のやっていたことが、科学というより、巫女がするような呪術や魔術、
もしくは手品や詐術に近いのは、その実験が著しく再現性を欠いているからだろう。
その意味では、オウムの麻原の空中浮遊とも似ている。誰にでも、何処でもそれができない、
ということは、再現性という論理的な反復可能性がない、つまり、その反物理学的行為や
実験には何の論証もない、ということであるので、それは科学の圏外にあるファンタジーに
属する行為や興行となってしまうのだ。

70 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:09:52.74 0.net
そのように惰性で日常言語において用いられている区別に依拠することに
対して、反省を促すようにすることが哲学の役割だ。

71 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:12:31.05 0.net
みんな数学の本質がわかっていない

72 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 20:39:12.49 0.net
>>71
じゃあ聞くけど、ABC予想はどう解決したの?

73 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 22:48:09 ID:0.net
>>58
視野狭窄で病的に執着を持つようになるのは自閉症スペクトラムの症状によくある

74 :反省しました:2019/12/12(木) 23:38:25 ID:0.net
>>62
>私の念頭にあるのは、「そろふ」という表現であり、
>「そ(反/逸)り」が「あ(合)ふ」ことだ。

数学の方に気をとられて、惰性に流されたにつまらない説明の
仕方をしてしまったな。

実は、「そろふ」は、「そ(反/逸)る」+「あ(合)ふ」と解釈
しなくてもよく、むしろ、「そ(反/逸)る」+「ふ」と解釈
した方が、より一般的で面白い。どうして面白いのかと言えば、
日常言語に働いている論理と数学で用いられる論理の共通性を
見て取ることができるからだ。

75 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 23:40:23 ID:0.net
こじつけてるだけだけどね

76 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 23:49:10 ID:0.net
「そろ(揃)ふ」と表記されるが、漢字は常に(中国語においても)当て字
である。「そろふ」は、「そ(反/逸)る」+「ふ」と分析することができ、
「ふ」は、一般に反復を表す助詞として説明されることが多いが、
動詞の再帰表現をつくるのに用いられる語尾である。この「ふ」を用いた
日本語の再帰表現において極めて特徴的なのが、「○+ふ」の形で
用いられることによって、しばしば、「○」によって表される作用/様態
が反転して表現されることになることである。そのことを、単に
「反転する」、「逆転する」と言語表現で記述してみても、
実例を列挙しなければ、その反転がどのような事態を表すのか、
明確に伝えにくい。ここで、数学の表現を隠喩として用いることが
役に立つ。

77 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 23:54:57 ID:0.net
再帰表現をつくるための「ふ」によって生じる反転は、+が−になる、
または−が+になるような正負の反転の作用ではない。むしろ、
この反転は、ちょうど、指数-1を用いて数学表現を反転させることに
喩えられる。つまり、αに指数として-1を適用して、αからα^-1に
して、αがその逆数である1/αに反転させられる作用である。
具体的に見てみよう。

78 :考える名無しさん:2019/12/12(木) 23:58:01 ID:0.net
じゃあ聞くけどガウスの逸話は?

79 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 00:11:10 ID:0.net
「あ」は、不特定に離れる様態を表すのに用いられ、そのことは、
「あれ」、「あなた」、「あた(辺)り」、「あ(或)る」などの表現
において見て取ることができる。ところが、「あ」+「ふ」によって
「あ(会/遭/合)ふ」になると、それが反転する。「そ」は、やはり
離れる様態を表すのに用いられるが、「そこ」、「それ」、「そちら」、
「そ(反/逸)る」などから分るとおり、特定の仕方で離れる様態を
表すのに用いられる。これをやはり「ふ」によって、「そ」+「ふ」
にすると、「そ(沿/添)ふ」という意味になる。同様に、「そ(反/逸)る」
も「ふ」を付けると「そろふ」となる。これは、作用が働く方向の
正(+)と負(−)の単純な逆転ではない。むしろ、指数-1を使って
逆数にするような反転の作用である。

80 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 00:26:10 ID:0.net
同様に、「す」についても、「すすむ」、「す(透/梳)く」、「す(擦)る」
のように遮られずに真っ「す(直)ぐ」に作用が働く様態を表現している
と考えられるが、「ふ」を付けると「す(吸)ふ」となる。これが、単に
正(+)と負(−)の反転ではないことは、「ま(撒)く」≒"spread around"
と「ま(舞)ふ」≒"spin around/turn around"の関係を見ても分るだろう。
明らかに「ふ」によって「反転」が生じるが、これは、指数の-1による
ようなひっくり返し方である。

ただし、数学操作の場合と違うのは、再帰表現の「ふ」がそのような
用いられ方をする例がいくつも見られるにしても、「ふ」の用法は、
そのように規定されるわけではなく、機械的にそのような解釈を
当てはめることはできないということだ。

81 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:01:56.08 0.net
>「ふ」によって「反転」が生じるが、これは、指数の-1による
>ようなひっくり返し方である。

この喩えは、さらに深く追求することができる。再帰表現を形成する
のに用いられる「ふ」は、「ふたたび」の「ふ」でもあり、
数を数えるときの「ひ、ふ、み」の「ふ」と共通であり、数として
は2を表すのに用いられ、いずれにしても中国語の「复(複)ピンインfù」
(重複する,重なる)を流用したものであると考えられる。
しかし、数えるときには単に2を表現する「ふ」は、再帰表現の形成
に利用される場合、ただ単に2を表現しているのではない。
むしろ、この「ふ」が指数-1のように作用するという喩えをさらに
先に進めて、x^-1=x^(i*i)=x^(i^2)におけるi^2に対応するように
作用していると考える方が合理的である。そう考えることは、
日本語の表現についてさらに重要な示唆を与えてくれる。

82 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:12:08.92 0.net
「○」+「ふ」という再帰表現として挙げた具体例、つまり、
「あ(会/遭/合)ふ」、「そ(沿/添)ふ」、「す(吸)ふ」、「ま(舞)ふ」
を見ると、いずれも動作/作用/様態が、再帰によって自らに返って
いることが分る。というよりも、「自ら」が、i^2=-1を指数として
用いた場合のように作用する「ふ」によって現出しているのである。
このことは、日本語の表現において「われ(我)」が、指数における
負の値に対応する「引け目」によって現れることとそのまま結び
ついていると考えることができる。

83 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:37:58.06 0.net
「われ(我)」は、まずなによりも、特定の誰かに対する「引け目」
として現れる。それは、自らが特定の相手に及ばないということ
であり、極めて単純に表現するなら、我<相手A、であり、
対数の底を隠喩に用いると、e^log(自我)<e^log(相手A)であるが、
我と相手の比較において、e^log(自我)/e^log(相手A)=
e^(log(自我)-log(相手A))であるが、この場合の指数が
マイナスになること、つまり、log(自我)-log(相手A)<0
となることが、それによって「我」が現れるところの
「引け目」である。その「引け目」によって特徴づけられる
「もの」である我が、人(ひと/1)に対して数ならぬ存在として
自己認識されるのである。その場合、人(ひと/1)とは、
不特定の等しさを表し、隠喩をそのまま続けるなら、
相手Aと対等である相手Bが存在するとして、相手Aに対する
相手Bの比較は、e^log(相手B)/e^log(相手A)=
e^(log(相手B)-log(相手A))=e^0=人(ひと/1)ということ
になる。そのe^0=人(ひと/1)に対して、我が人(ひと/1)
の数に入らない「もの」、我<e^0として自己認識される。

84 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:40:50.88 0.net
この関係は、隠喩をそのままに一般化すると、次のようになる。

我<人<主、我=人/主、主=人/我、人=我×主
我=e^−α
人=e^0=1
主=e^α
我=人/主=(e^0)/(e^α)=e^−α
主=人/我=(e^0)/(e^−α)=e^α
人=我×主=(e^−α)×(e^α)=e^(α−α)=e^0=1

85 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:44:00 ID:0.net
ところで、日本語で「ひ、ふ、み」と数を数えるときに1を表す「ひ」
は、中国語の「匹 ピンインpǐ」を流用したものであると考えること
ができ、「匹 ピンインpǐ」は、「匹敵する,相当する,釣り合う」
ことを表現するのに用いられるとともに、「単独の,独りの」を
意味するようにも用いられる。

86 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 09:54:14 ID:0.net
哲学的に考えると、「我」を現出させる「引け目」が、再帰表現の「ふ」と
同じように指数におけるマイナスとして作用して、つまり、-1=i^2として
作用して、αが、α^(i^2)、α^(i^2)=α^(-1)=1/αにひっくり返されるように
自省をもたらしていると言えそうである。

87 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 10:17:56 ID:0.net
>>72
ABC予想はまだ解決してないよ

88 :学術:2019/12/13(金) 11:37:38.74 0.net
再帰動詞とか再帰動名詞とか懐かしいわい。

89 :anonymouse ◆Iow/mouse. :2019/12/13(金) 12:40:35 ID:0.net
岩波の国語学原論ってどうなん

90 :anonymouse ◆Iow/mouse. :2019/12/13(金) 12:41:02 ID:0.net
時枝誠記

91 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 20:02:31 ID:0.net
数学をシニフィアン・ラカン虚数ポエムにしてはいかんなw

92 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 20:11:05 ID:0.net
ハイデガーも語義とかにやたらこだわって拘泥していた観があるけど、
そこはあまり深追いするところじゃない感じがするのだけどな。
語などは、深く追究・遡及していけば、いくらでも多様にフォークしていく種を
もともと有しているので、占いのようなこじつけで、なんとでも言えちゃうような
混沌とした原初の世界になっていくだけだろうし。

だから、それはフロイトの精神分析と似ている。つまり、疑似科学。

93 :考える名無しさん:2019/12/13(金) 21:07:42 ID:0.net
ガウスの逸話は?

94 :考える名無しさん:2019/12/14(土) 13:24:39.22 0.net
>それは、自らが特定の相手に及ばないということ

「およ(及)ぶ」という表現も、「およ」がどのような作用/動作/様態
を表していたのか不明ではあるものの、その用法から考えて、おそらく
再帰表現である。というのも、「およ(及)ぶ」は、「定位置から動かずに
届く」ことを意味しており、作用を働かせる中心性を含意しているからだ。
例えば、「影響が及ぶ」という表現を考えてみるといい。また、
「及び腰」という表現が、「本腰を入れる」ことと対比されるのも、
それが、腰は入れずに小手先だけ届かせようとするような姿勢を
表すからである。

逆に「目がおよ(泳)ぐ」という表現における「およ(泳)ぐ」は、
目の位置が定まらない、中心に留まらないことを意味するように
用いられ、「およ(泳)がせておく」のような表現も「位置の定
まらない動きをさせておく」ことを意味するように用いられるが、
「およ(及)ぶ」と「およ(泳)ぐ」の「およ」が共通していた
のかどうかは定かではない。ただし、検索してみると、
同語源としている辞書もあるようである。

>日本語源大辞典によれば「泳ぐ」の語源について、大言海は
>「及ぶ」と同義としています。

95 :考える名無しさん:2019/12/14(土) 13:46:10.89 0.net
自らが特定の相手に及ばないという「引け目」は、劣等である
「われ(我)」が数ならぬ存在であることを自覚させて、自省の
契機となり得るが、それが、必ずしも、人としての自省をもた
らすわけではない。劣等であることの自覚は、相手にかな(適/
敵)はないこと、自らが相手として取るに足りない存在であること
によって、かな(適/悲/叶)しみを生じ、劣った存在である
「われ(我)」は、哀れむべきものとして現れ、自己憐憫を生む。

96 :考える名無しさん:2019/12/14(土) 14:16:19.56 0.net
自らが劣等であることを自覚し、自己憐憫を抱え込んだ「われ(我)」が、
「われ(我)」や自分がかな(適/敵)はない相手よりさらに大きい存在を
頼みにすることによって、それを乗り越えようとすることは、
その大きな存在を前にして、いずれにせよ、自分も相手も等しく
取るに足りない存在に過ぎないという謙虚さをもたらすわけではない。
むしろ、自分が、相手より大きい存在を頼みにすることによって、
相手より優位に立つことができるなら、今度は、相手にその劣位を
思い知らせてやろうという、「われ(我)」を忘れた尊大さを
もたらす、力のシーソーゲームが展開されることになる方が常だろう。

97 :考える名無しさん:2019/12/14(土) 14:27:40.56 0.net
さらに、そのような力のシーソーゲームが展開されている見せ掛けを、
自らが劣位におかれていると日々に感じている人々に信じ込ませる
ことは、統治の安定性を確保するために有益でもある。

98 :考える名無しさん:2019/12/19(木) 20:19:39.44 0.net
位相空間は「近さ」の概念が定義された空間のこと

99 :考える名無しさん:2019/12/19(木) 21:57:54.67 0.net
近いとか遠いとか関係ない
適当な開集合系が位相空間

100 :考える名無しさん:2019/12/19(木) 22:15:57.35 0.net
解析学における点列の収束や関数の連続性、ε-δ 論法、ハウスドルフ空間など、
位相空間に近傍のイメージを持つのは自然なので、位相空間を近さの概念を定義した
空間であるとしても特に差し支えないどころか、そうした位相空間において重要に
なる近傍のイメージを捉えることにそれは寄与することだろう。

101 :考える名無しさん:2019/12/19(木) 23:20:04.47 0.net
位相空間は一種の圏なんだよ

102 :考える名無しさん:2019/12/20(金) 20:37:26.14 0.net
数学を舐めたらいけないよ?

103 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 01:26:39.14 0.net
では、数を数量化するとは、どのようなことであるのかを明確に説明してください

104 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 09:35:58.14 0.net
x=log(e^x)=∫[e^0, e^x] 1/t dt
https://www.wolframalpha.com/input/?i=x%3Dlog(e^x)%3D∫[e^0%2C+e^x]+1%2Ft+dt

105 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 09:45:25.21 0.net
ネイピア数で重要なのは、e^0とe^1の関係であり、
e^x/e^0=e^(x-0)= e^0/e^-x=e^(0-(-x))=e^x
という比の関係なのに
e=2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …
という数値ばかり強調して、eを用いる数学操作を導入するのに
e=e^(1-0)であることさえ明示的に教示しようとしない数学教育は
根本から狂っていると思う。

106 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 10:50:34 ID:0.net
>>105
根本的に貴方が間違って育っているからこそ、このスレばかりで発言するんだろ?

107 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 13:10:15.06 0.net
ダブルバインド強制の洗脳ばかりで、
教育が家畜化のための躾とすり替えられているんですよ

108 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 16:21:16 ID:0.net
文系で数学操作に日常的に携わることのない人々は、いくら複雑な公式を
暗記させられたところで、入学試験のためにそれを憶えている必要性が
失われれば、それを暗記している意義はすぐに失われて、暗記のために
費やされた労力は、何の役にも立たない。そんなことを強制するより、
数の基本的なな関係を身に付けさせた方が、よほど有意義ではない
のか。

x+y=∫[e^0, (e^x)(e^y)] 1/t dt
https://www.wolframalpha.com/input/?i=x%2By%3D∫[e^0%2C+(e^x)(e^y)]+1%2Ft+dt
x-y=∫[e^0, (e^x)/(e^y)] 1/t dt
https://www.wolframalpha.com/input/?i=x-y%3D∫[e^0%2C+(e^x)%2F(e^y)]+1%2Ft+dt

109 :考える名無しさん:2019/12/21(土) 18:18:10.58 0.net
>>104-105 >>106
このような関係は、それを、何も現れていないデフォルトの等しさ、
e^x/e^x=e^0=1から、比において何らかの特定の事象が現れることの
隠喩として捉えるなら、あらかじめ数が存在することを前提とする
ような神秘主義的な存在論を要求することなく、哲学的な存在論
ともはるかに整合性のとれたものとなるのではないか。

110 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 10:50:45.23 0.net
∫[(-1)^(1/1000000), -1] 1/x dx≒3.14159i

https://www.wolframalpha.com/input/?i=∫[(-1)^(1%2F1000000)%2C+-1]+1%2Fx+dx

111 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 10:57:03.24 0.net
単位と円周率の関係

112 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 10:57:52.06 0.net
単位の精度と円周率の関係

113 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 13:47:11 ID:0.net
数って一般的に認識関係を数量的に理解するために必要なだけで
それ以外では、数学研究のための数式だよね

114 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 14:42:03 ID:0.net
>数って一般的に認識関係を数量的に理解するために必要なだけで

それよりもまず、数を数量化して理解するとはどういうことかを
考える必要があるのでわ?

115 :考える名無しさん:2019/12/23(月) 15:50:24 ID:0.net
どういうこととはどういう意味か?
数字を量として理解できないということか?

116 :学術:2019/12/23(月) 16:43:38 ID:0.net
暗唱高鳴るのがコーランだけど。

117 :学術:2019/12/23(月) 16:44:03 ID:0.net
書いた分だけ時代遅れ。ナッシュとか。

118 :学術:2019/12/23(月) 16:44:41 ID:0.net
殺しのゲーム、復讐のゲームだよ。本質は。

119 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 05:36:01.53 0.net
ゲーム脳だと、ゲームだからって前提でそれをやるんだよね。
本質すらその前にゲームだから、脳がゲームだからどうにもならない。

120 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 08:33:37 ID:0.net
世界はゲーム的に広がっているでしょ。周囲の人々が所与として
受け入れている仮の前提を受け入れているように振る舞わないなら、
ゲームに参加させてもらえない。

121 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 08:42:46.24 0.net
自分1人で独立国宣言をしてみても、国境なんて存在しないんだと
言い張って入国審査の係官を無視してみても無駄なんですよ

122 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 08:56:39.32 0.net
人々がみな宗教的な行事に参加していたのも、教義を知っていて、
それを信奉していたからというよりも、そのように振る舞わないと、
結婚するのにも、子供に名前を付けるのにも、身内を埋葬するの
にも大きな不都合が生じたからでしょう。

123 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 09:05:13.84 0.net
社会的には、事実を自ら確認できることよりも、心服/信服させる(convincing)
「明証性」に従順であるように振る舞うことが、ゲームに参加させてもらえる
ことの前提条件なのです。処女懐胎であり、ムハンマドこそ最高の預言者なのです。

124 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 10:01:42.25 0.net
人々がそのようにゲームに参加していることから考えると、
心服/信服させる(convincing)「明証性」は、時と場所によって
変わり得るのだから、熱狂的にゲームに参加していて、非参加者から
見れば狂信的に振る舞っているようにさえ見える人々の変わり身の
素早さも、なんら驚くに当たらないのです。

125 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 10:05:37.89 0.net
踏絵は、日常生活のいたるところに用意されていて、それを踏むか否か
毎日、確かめられているのですよ

126 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 11:09:39.90 0.net
所与とされるゲームの規則を受け入れることができない者には
ペナルティが科せられて、常に劣位に置かれるが、ゲームの
規則の変化に適応できない者もやはり、敗れ去るしかない。
ゲームの規則はいつ変わるか分らないのだから、優位を常に
保とうとするなら、ゲームで先頭に立つのは得策ではなく、
調子に乗って先頭に立つような人々をうまく利用しながら、
目立たないようにその後ろについている方がいい。

127 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 14:58:19 ID:0.net
まあ、いかにもお上に従順な日本人的な卑屈な奴隷の発想だな。
欧米人なら、ゲームが自分らに不利になりそうであれば、ゲームのルールを
自分たちの強みを活かしたコードに書き換えることだろう。

ノイマン=モルゲンシュテルンの考案したゲーム理論は、
抽象的数理記号操作に秀でたユダヤ人タイプの人間に適した
フォーマットを持っているだろう。

俺からの提案は、現在のゲームのルールを変えよ、ということだ。
なぜなら、現在の資本制は不公平な悪のゲームだからな

128 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 15:06:56.95 0.net
>ノイマン=モルゲンシュテルンの考案したゲーム理論

所与のゲームの規則がゲームの途中で変わったりすることがなく、
ゲームの参加者が規則を弄ることはできないことを前提とした
モデル化でしょう。そんなものは、屁理屈を正当化するために
しか役立ちませんよ。

129 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 17:27:53.78 0.net
ゲーム理論は、構造主義的な観点を有する考え方だと思うよ
机上の空論というのも実は大事なもの。たとえば、チェスはもともと、戦争の机上演習として
考案されたものではなかったかな。ゲーム理論はシミュレーションともつながっているので、
悪魔の頭脳を持つ男と呼ばれた天才ノイマンが、そんな屁理屈レベルの拙いシステムを考案しないだろう。

130 :考える名無しさん:2019/12/24(火) 20:14:33 ID:0.net
数学の教育には、イメージしやすい関係を使って教わる側にとって
分りやすいよう教えようという考えが大きく欠けてる気がする。

∫[(-1)^(1/2), -1] 1/x dx=lim x→∞ i*x*sin(π/(2x))

https://www.wolframalpha.com/input/?i=∫[(-1)^(1%2F2)%2C+-1]+1%2Fx+dx%3Dlim+x→∞+i*x*sin(π%2F(2x))

131 :考える名無しさん:2019/12/25(水) 01:04:42.55 0.net
(∫[(-1)^(1/2), -1] 1/x dx)+(lim x→∞ i*x*sin(π/(2x)))=iπ

lim x→∞ (1+iπ/x)^x=-1
という関係であれば、e^(iπ)=-1という表現とは違って、
なんらイメージしづらいことはないよね

132 :考える名無しさん:2019/12/25(水) 02:54:11.95 0.net
>>130
具体化しすぎればそれは数学じゃない。
誰かが考えた公理を習うことが数学だと断定している時点で、
自分が具体化していないものを扱う才能がないと説明しているようなものだ。

133 :考える名無しさん:2019/12/25(水) 08:02:35.42 0.net
>誰かが考えた公理を習うことが数学だと断定している時点で

妄想乙

134 :考える名無しさん:2019/12/25(水) 13:03:18.22 0.net
lim x→∞ (1+iπ/x)^x=-1
を-1の自己性質化(self-qualification)として見るなら、
逆に-1の脱自己性質化(self-disqualification)は、
lim x→∞ (-1)^(1/x)=lim x→∞ 1+iπ/x
として表されることになるだろう。

135 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 02:59:17.11 0.net
π々くんとか、その典型なんだけど、そもそも日本人は抽象思考が苦手なんだよ。
同じ民族の島国で閉塞しているから、そんなに抽象思考を展開して使用しなくても
ほとんど不自由はしない。

それと対照的なのがユダヤ人。ノイマンやグーグル創業者とかもそうだけど。
彼らは土着的な祖国がないので、頭の中で仮想的な空間を作り、そこで非常に緻密で
高度な抽象的構築物や宇宙を形成できる。日本人にはそういう能力がなく、職人的な
身体性の知であったり、現場主義的な実用優先の知が重視されてやすい。
福沢諭吉の実利優先の教育方針が、この日本人の傾向をさらに強めた。

それも別に悪くはないと思うけど、ただ時代は抽象化能や汎化能を必要としている
ので、そういう能力を高めるのもいいんじゃないの。それに哲学は抽象化能力が
必須なのではないかい。

136 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 03:05:04.09 0.net
マルクス、フロイト、アインシュタインとかそういうユダヤ人の典型

137 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 10:16:17.84 0.net
数学の技法自体、まずは、まだ十分に明確になっていない整合性を見出す
ことが可能であるように感じられる数学的な操作のイメージがあって、
そのイメージを厳密に記述しようとして、記述に矛盾が生じないように
注意深く様々な定義を用いるわけでしょう。そのために、本来は互いに
関係しているはずの技法が、別々の独立した数学操作として展開されて
いく。また、それぞれ独立に開発された技法であっても、同様の数学的
操作に対する別方面からのアプローチであるなら、互いの技法との
対応関係が見出された時点で共通するイメージが生じることになる。

とすれば、既に開発された様々な技法を身に付けよう、または身に付く
ように教えようとする人々が、記述の整合性を確実にするために
まずは、それぞれ独立した別々のものとされる技法における厳密な
定義から学びましょうというのは、費用対効果から考えて、賢明な
考え方ではないでしょう。

138 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 10:46:06 ID:0.net
実際、対数の底eが、e=lim x→∞ (1+1/x)^x=2.71828...と計算される
ことを習い、x^2=-1、x=√1=iにより、虚数について教えられ、
e^iπ=-1となること、この計算が正しいことが、三角関数を用いた計算、
e^ix=cos(x)+i*sin(x)により証明されることなどを、数学操作による
解法とともに示されても、いったい、何をどのように考えるように
教えられているのか、全体的にイメージすることが難しい。それは、
個々の操作の正しさが理解できないというより、何をどのように納得
しようとしているのか、全体としてその理路が不明だからでしょう。

139 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 10:55:16.36 0.net
これに対して、当面、数学としての厳密さを無視しているとしても、
「負に向き直る」ことなら、誰にでもイメージできる。
また、「どのように向き直るのか」を考えたなら、向き直ること
に回転がかかわり、何か大きさのあるものが向き直るのであれば、
回転に半径が伴うこと容易に理解できる。さらに、「負に向き直った
状態」からその状態が解消されるまで元に戻ることも、それを
イメージするのはまったく難しいことではない。

140 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 11:14:19 ID:0.net
したがって、
lim x→∞ (1+iπ/x)^x=-1
lim x→∞ (-1)^(1/x)=lim x→∞ 1+iπ/x
のような関係をイメージすることは、e^iπ=-1や
e^ix=cos(x)+i*sin(x)をイメージすることよりはるかに容易だ。

さらに、e^ix、cos(x)、およびi*sin(x)をそれぞれ○○展開する
と、e^ixはcos(x)+i*sin(x)と等しくなるので、e^ix=cos(x)+i*sin(x)
である、というような証明を提示されても、展開する操作そのもの
をどのようにイメージしていいのか、極めて捉えにくい。
これに対して、lim x→∞ (-1)^(1/x)=lim x→∞ 1+iπ/x
からは、lim x→∞ 1+iπ/x=lim x→∞ cos(π/x)+i*sin(π/x)
という関係を容易にイメージすることができる。
実際、今のようにインターネットで計算サービスを利用できる
時代であれば、私のように計算がひどく苦手な人間でも
lim x→∞ (1+iπ/x)^x=lim x→∞ (cos(π/x)+i*sin(π/x))^x=-1
となることを簡単に確認することができる。

141 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 13:28:16.20 0.net
>>114
もう考える必要がなくなったのだろうか?
115についてはどう考えているのだろうか?

142 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 13:55:21.07 0.net
現に考えているでしょう。
e^ix=cos(x)+i*sin(x)
は、抽象的な印象を与える公式であり、関数の互いに対する対応関係を
表しているようには見えるが、数量関係を表しているようには見えない。
e^iπ=cos(π)+i*sin(π)=-1
であれば、具体的ではあるが、依然として、iπという数値、または
三角関数において円周上でπによって表される点と-1という数値の
間の静的な対応を示しているように見える。それに対して、
より具体的に
e^iπ=lim x→∞ (1+iπ/x)^x
cos(π)+i*sin(π)=lim x→∞ (cos(π/x)+i*sin(π/x))^x
と書き換えたなら、同じように-1という数値が現れる関係を表して
いるにしても、それが無限の操作による微分積分の考え方を伴う
動的な数量的現象として表現されることになる。
lim x→∞ (1+iπ/x)^x=lim x→∞ (cos(π/x)+i*sin(π/x))^x=cos(π)+i*sin(π)=-1

143 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 14:01:21.41 0.net
数記号で考える必要性っていったい何?

144 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 14:08:58.64 0.net
スレタイ嫁

145 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 16:21:55 ID:0.net
数式で完全な哲学は描けないのはスレタイを読めばわかるだろ

146 :考える名無しさん:2019/12/26(木) 23:40:22.25 0.net
eは、πカウンター(計数器)。

147 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 00:02:11.83 0.net
lim x→∞ (1+iπ/x)^x=e^iπ=-1であり、
e^(iπ/π)=lim x→∞ (1+iπ/(xπ))^x=e^(i*1)であり、
e^(iπ/iπ)=lim x→∞ (1+iπ/(x*iπ))^x=e^1であるのだから、
結局のところ、e^1において指数として現れる実数(e=e^(1-0)の
場合、1)は、πの計数量でしょう。

148 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 00:09:45.57 0.net
だから、-1=(-1)^(π/π)であり、
(-1)^((π/π)*(1/π))=(-1)^(1/π)=e^(i*1)であり、
(-1)^((π/π)*(1/iπ))=(-1)^(1/iπ)=e^1となり、
(-1)^(log(x)/iπ)=e^log(x)=xとなる。

149 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 00:53:51.14 0.net
πカウンターというより、1/πカウンターと表現した方がいいのかな。
まだ、表現として不十分だけど、試行錯誤しながら、どのように日常言語
で記述すれば、実際に行われる数学操作を把握しやすくなるのかを探る
ことができる。

150 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 00:58:10.62 0.net
>数記号で考える必要性っていったい何?

日常言語の側から数学記号によって縮約されている数学操作をどのように
記述すべきかを考えているんですよ。

151 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 01:15:58 ID:0.net
なんだろう、e^(1-1)=e^0=1は、1(ひと、人) だけれど、
e^(1-0)=e^1=eは、Das Manという感じがする。

152 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 10:22:36 ID:0.net
人は、デフォルトで「名は体を表す」ものであると受けとめている。
だから、数学記号を用いた数式を示された場合でも、「何をどのように
すればどうなるのか」が表されているものと理解するが、用いられて
いる記号が「どのようにする」のかを示さないラベルに過ぎない場合、
どのようにすれば良いのか分らないのであれば、それを無視することになる。
それでも理解を試みようとするなら、まずその記号が何を表して
いるのかを、その記号の名称から理解しようとする。だから、マイナス
記号や負のように、記号とその名称がうまく適合している場合には
大きな混乱を生じることなく理解されるのに対して、iというラベル
では何も理解されず、それを虚数と呼ぶことは、混乱を助長するだけ
になるのだ。

153 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 14:32:24.12 0.net
数学の技法を日常言語の表現で記述しようとする必要などないと考える
人々は、根本的な思い違いをしている。それを巧みに使いこなすのに
日常言語の表現で記述する必要がないということであれば、日常の
日本語であっても同じことなのだ。日本語で何かをうまく表現しようと
するのに、私がよくそうするように、外国語の対応する表現をメタ言語
として使用として意味を解釈しようとする必要などさらさらない。
日本語を母語として育った人が、英語を流暢に話すことができるよう
にするのに、いちいち英語の表現と対応する日本語の表現を探し出す
必要がないのと同じことである。それが必要とされるのは、あくまでも、
自らが何をどのように表現しているのかを言語化して検討することが
できるようにする自省のためなのだ。数学の技法であろうと、日常
言語の表現であろうと、自省がなければ、用法はテンプレート化し、
化石化する。流暢に使えるようになっても、というより、自動的に
流暢に使えるようになればなるほど、用法をうまく説明することが
できなくなるという事態が生じる。

154 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 17:50:18 ID:0.net
自然対数の底(ネイピア数)eは、以下のとおり計算される。
e=lim x→∞ (1+1/x)^x=2.71828...
そのように計算されることによってeの同一性が現れるとすれば、
逆にeがその同一性を失っていくプロセスを考えると、
lim x→∞ e^(1/x)を計算すればいいわけだが、その結果は、
lim x→∞ e^(1/x)=e^0=1であるものとされる。これは、
数値計算として、いくらでもその値が1に近づくという意味
においては正しいだろう。しかし、微分積分の考え方からすれば、
このように「無視できるほど小さい部分」が最初から存在しなかった
ことにすべきではない。素直に逆算するなら、
lim x→∞ e^(1/x)=1ではなく、あくまでも
lim x→∞ e^(1/x)=lim x→∞ 1+1/x
であると考える方が妥当である。

155 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 17:59:43.56 0.net
lim x→∞ e^(1/x)=1ではなく、
lim x→∞ e^(1/x)=lim x→∞ 1+1/x
と考える方がなぜ妥当なのかと言えば、既により一般的な形で
e^iπについて指摘したとことがそのまま当てはまる。
lim x→∞ 1+1/x=lim x→∞ cos(1/x)+sin(1/x)
であり、実際、
lim x→∞ (1+1/x)^x=lim x→∞ (cos(1/x)+sin(1/x))^x=e
である。
https://www.wolframalpha.com/input/?i=(lim+x→∞+(1%2B1%2Fx)^x)%3D(lim+x→∞+(cos(1%2Fx)%2Bsin(1%2Fx))^x)%3De

156 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 18:43:25.54 0.net
数学に落ちこぼれた人間の寝言

157 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 19:04:46.23 0.net
数学が分からないというのは、数学を具体的に表現し具体的に理解しようとするからだ。
それでは永遠に算数の延長である。

それは暗記しコピペするメタ知識を根底にする習慣が原因だ、
愚民として育つ経験のない貴方は愚考ができない、いつもエリートのような
事ばかり表現しようとする、合理的に見えるそれは他者が作った具体性を
習い学ぶ謙虚さからくるものだろうが、そこに自尊心があるかぎり、
愚には流れない、愚か者にはなれない、それが貴方である。
どんな完璧な秩序も自立的に対称性が崩れる、それを受け入れられないだけだ。
だからこそ神の原理、真理のような比喩される類を信仰してしまう。

158 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 20:36:57 ID:0.net
無限大なんて途方もないことを言わなくても、x=10000で
もうそれなりに近い値になるね。

(cos(1/10000)+sin(1/10000))^10000/e=0.9999

159 :考える名無しさん:2019/12/27(金) 23:23:43 ID:0.net
誤:=0.9999
正:≒=0.9999

160 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 00:18:14.46 0.net
lim x→∞ (1+sin(1/x))^x=eで計算しても同じようなものだけど、
学校でまったく数学勉強しなかったから、こういう関係をまったく知らないんだよな
(cos(1/4)+sin(1/4))^4=(1+sin(1/2))^2
(cos(1/2)+sin(1/2))^2=1+sin(1)

161 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 00:23:51.23 0.net
つまりは、
(cos(1/(2n))+sin(1/(2n)))^(2n)=(1+sin(1/n))^n
https://www.wolframalpha.com/input/?i=(cos(1%2F(2n))%2Bsin(1%2F(2n)))^(2n)%3D(1%2Bsin(1%2Fn))^n

162 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 02:45:51.92 0.net
eの近似値なら 級数exp1で計算した方がはるかに早い

n=12とか13あたりで既に真の値にかなり近い

163 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 02:48:34.87 0.net
e = lim _{x→∞} (1+1/x)^x は かなり効率の悪い定義だね

164 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 05:49:40.35 0.net
>無限大なんて途方もないこと
日本語が変、 無限大は数学上の数値を示し計算可能な値である、
故に「こと」ではなく、認知しえる「もの」

165 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 07:43:02 ID:0.net
>>162-164
哲学的に考えるとはどういうことかをまるで理解していないようですね

166 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 09:20:42.25 0.net
>認知しえる「もの」

日本語では、「もの」は、漠然として捉えがたいから「もの」なのですよ?
言い換えるなら、「もの」とは、「特定されない質量」なのです。
この場合、「も・の」の「も」が表現しているのは、万葉仮名で「も」
という発音に当てられた、「雲」、「茂」、「藻」という漢字や、
「もり(森)」、「も(盛)る」、「もくもく(と煙が立つ)」という表現
からも容易に推察できるとおり、英語で表現するなら"amassing"であり、
「も・の」の「の」が表現しているのは、「ものものしい」などの
表現から感じ取ることができるとおり、「重さがかかっている」こと
なのでしょう。

要するに、「もの」とは、"a certain/some mass(或る質量)"である
ことになります。数学操作において用いられる無限大は、そのような
「或る質量」ではないでしょう。

167 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 10:31:32.47 0.net
うーん、無限大が「数値」で「計算可能」ねぇ...
非標準な手法を使わないと「無理」ですけどね。
しかし、本来、非標準であるはずの「0」は、
しれっと標準なふりをしている。

168 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 11:22:08.39 0.net
>しれっと標準なふりをしている。

だから微分積分法の言葉による説明がとても分りにくくなるのでしょう

169 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 11:25:13.35 0.net
本来、互いに関係しているはずの操作が、それを技法として教えるときに、
あたかも互いにバラバラであるかのような印象を与えるように切り離して
教えることが、数学の教育の、しかも基礎を学ぶべきときに行われている。
それが弊害をもたらさないわけがないのです。

170 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 11:26:30.51 0.net
切り離して教えることが ×
切り離して教えられることが ○

171 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 11:30:31.57 0.net
それが行われるのは、テンプレートとして与えられる式と、
数値として算出される結果だけ重視して、本来、伝えられる
べき技法をきちんと記述することを軽視しているからでしょう。

172 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 12:14:36.82 0.net
手口が手品なんかと同じなんだよね。指示によって注意を関係のない方向に
逸らしておいて、わざと流れをつかめないようにして、結果を提示して、
「ほら見事でしょう!」とやる。こちらは、そんなことなんて関心が
なくて、技法を身に付けたいだけなのに。

173 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 13:26:37 ID:0.net
ミスディレクション。
ダメな数学本は、語り方がへたなので読者がかってにミスディレクションされてしまう。
かといって、基本的には「諸説ある」ので、へたに語るとバッシングをうける。
英語のものならインターネットでただでいくらでも拾えるので、これを読んだほうがよいと思う。
日本語は叙述ミステリーのための言語であるw

174 :考える名無しさん:2019/12/28(土) 21:49:33.86 0.net
真言宗に出会って

175 :考える名無しさん:2019/12/29(日) 13:31:08.24 0.net
こういう計算は、実際にWolframで実行させると面白いね。
三角関数を習うときに基本として、関数sin(θ)で、
sin(0)=0、sin(π/2)=1、sin (π/2)=1/√2となることが
基本として教えられる。すると、
数値計算として、lim x→∞ π/x=0と「見なされる」、つまり、
この計算の結果は、「数値として」は、いくらでも0に近づくこと
になるのだから、lim x→∞ sin(π/x)=sin(0)=0と計算されること
になり、実際、lim x→∞ sin(π/x)を計算させたなら、
Wolframのアルゴリズムも、結果として0を返してくる。

176 :考える名無しさん:2019/12/29(日) 13:51:36.19 0.net
では、lim x→∞ sin(π/x)という計算が「実際に」どのようにその計算結果
として0に近づいていくのかを観察してみると、
sin(π/10) =0.30901699...
sin(π/100) =0.03141075...
となって、すぐに数値の並びの特徴に気づく。そのままxの桁数を
アルゴリズムで扱ってもらうことができる限度まで大きくすると
sin(π/1000000000000000000) =3.1415926... × 10^-18
を返してくる。xの桁の数値を1ではなく、2にすると、
sin(π/2000000000000000000) =1.5707963... × 10^-18
となり、ちょうど半分の値を返してくる。

177 :考える名無しさん:2019/12/29(日) 15:49:33 ID:0.net
>>176
このことは、どのようにイメージできるだろうか。
ところで、当たり前のことながら、sin(θ)の代わりにtan(θ)を用いても、
ほとんど同じ数値結果となり、実際にWolframに計算させると、
sin(π/1000000000000000000)/tan(π/1000000000000000000)=
0.999999999999999999999999999999999995...
である。

178 :考える名無しさん:2019/12/29(日) 17:31:25.89 0.net
どうも問いの筋がよくないから、やめておこう。
イメージからなにか分りやすい表現ができるような気がしたけど、
そううまくはいかないようだ。

179 :考える名無しさん:2019/12/29(日) 17:54:52.56 0.net
どういう感じのイメージを考えていたかというと、cos (θ)のθが0に
近づくにつれて、cos (θ)が1に近づくことを、単位円の半径を極大化
させることと関係付けて、円周率の近似の精度が高まるような関係。
でも、数学的な技能が欠けているから、技法的に確かめることのでき
ないような仕方でイメージだけに誘導されると、混乱するだけに
なりそうだ。

180 :考える名無しさん:2019/12/30(月) 01:41:10.79 0.net
愛の効果を確かめてみた
(cos(π/10000000000)+sin(π/10000000000))^(1/π)≒1.0000000001
で、π/xの分母の1の後に続く0の桁数を多くするほど、結果の数値の小数点
以下の0の数が増えて、小数点以下に現れる1の位置が下がっていく。
ここで、^(1/π)の1をiに変えて^(i/π)にしてみると、
(cos(π/10000000000)+sin(π/10000000000))^(i/π)≒
0.99999999999999999999500000000314159265244250605874... +
9.99999999... × 10^-11 i
という値が返されて、数値の実数部分の小数点以下に314159265...
とπの数値の並びが現れる

181 :考える名無しさん:2019/12/30(月) 08:10:37.60 0.net
結局のところ、三角関数による円の表現が、整数による実数の近似を
基礎としているのに、数学が近似について説明するメタ言語が、
収束において整数による近似と実数の数値が同一となるかのような
錯覚を利用するから、理解が混乱するのだろう。

182 :考える名無しさん:2019/12/30(月) 08:13:28.12 0.net
整数による実数値の近似という関係において円形が現れるのであって、
整数による近似と実数値が、近似ではなく、収束して等しい状態
に達したと想定するなら、円形は現れないだろう。

183 :考える名無しさん:2019/12/30(月) 09:09:41 ID:0.net
数えることによって近似するのではない。
数える行為自体が、比において等さを近似することなのだ。

184 :考える名無しさん:2020/05/27(水) 15:57:34 ID:0.net
そういうことだ
(スタンプラリー用)

185 :考える名無しさん:2020/08/19(水) 07:41:28 ID:0.net
海外の文系→リベラルアーツを習得した上で専門分野も身につけた高度な人材
日本の文系→理系の下位互換

これが現実

186 :考える名無しさん:2020/08/19(水) 07:57:24 ID:0.net
下位互換って言うほど勉強してるか?法経済経営は除いて。

187 :考える名無しさん:2020/08/19(水) 10:59:21 ID:0.net
>それでわしは最近、子供に赤表紙の法学の本を何冊か買ってやった。
彼が法律の趣味でもいくらか身につけ、家の役にたってくれたらと思ったからだ。
これなら生計がたつからな。ところが倅は文学趣味にすっかり汚染されとるのだ。
もし倅が法学に尻ごみするなら、技を身につけさせよう、床屋か競売人か、
せめて法廷弁護人の職を学ばせようと決めた。このような実技なら、
死神オルクス以外、倅から奪うことはできまい。<
ペトロニウス作、『サテュリコン』、p.79-80

188 :考える名無しさん:2020/08/19(水) 17:02:10 ID:0.net
>もし誰かある者が世のあらゆる悪徳を敵視し、頑固一徹に人生の正道を闊歩し始めると、
まず第一に彼は生き方の相違から世間の憎悪を招く。
いったい誰が正反対の価値を承認できるだろうか。
次に財産のみを積み重ねようとこころざす者は、この世の中でおのれの所有するもの以外は何も信用しようと欲しない。
そこで、可能ならばいかなる手段を用いてでも文学の愛好家を誘き寄せようとする。
彼らもまた金より劣った存在だということを見せつけんがためである。<
ペトロニウス作、『サテュリコン』、pp.152-153

189 :考える名無しさん:2020/08/19(水) 21:58:27 ID:0.net
例えば、リンゴを数学で定義しようとしたら、非常に複雑になり、不可能だろう。
重量などの数量ならば端的に数値で表せるのだが。

AIならば、大量の画像データーの読み込みなどから、学習して、確率的に同定する事ができるだろう。

人間は子供でも、香りや食感から、比較的簡単にリンゴを同定して、一度食べれば理解し認識して、簡単に言葉で表している。

190 :考える名無しさん:2020/08/20(木) 20:58:27 ID:0.net
>数えることによって近似するのではない。
>数える行為自体が、比において等さを近似することなのだ。

このことは、なにか難しい議論を必要とすることもなく、日本語の表現を反省してみるだけで簡単に分かる。
「『ひと(一)』つ」を数えるとは、何かが数えられるべきもとして「匹敵する」こと、
つまり、「『ひと(等)』しさ」において比べものとなるということであり、
その互いに匹敵するものとして近似されるものが不特定の対象である「ひと(一/人)」なのだ。

191 :考える名無しさん:2020/08/20(木) 23:52:16 ID:0.net
既に以前に指摘したことであるが、日本語の「ひと(一/人/等)」という表現そのものが、
中国語の「匹」の流用であると考えられる。
https://en.wiktionary.org/wiki/

192 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 08:56:37 ID:0.net
日本語の表現が「あいうえお」によって組織化されていることは、
表現の相互的な関係を探るうえで大きな手がかりとなる。
その場合、母音の違いを単なる発音の変異体と見ることは、表現の解釈を貧しくするだけでなく、
しばしば、手がかりを放棄してしまうことにもなる。

193 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 09:04:49 ID:0.net
例えば、「ひたむき(直向き)」という表現における、「ひた(直)」を、
「ひと(一)」の母音交替形として説明することは容易だ。「ひたむき」とは、
「ひと(一)向き」であり、単に母音の発音が変化して「ひと」が「ひた」になっただけだというわけだ。
ここで、「ひた(直)」がもともとは、「ひと(一)」と共通の表現であるというのはその通りだろう。
だが、その共通性を、より限定された数としての「ひと(一)」の解釈に還元することにより、
まさしく表現としてのその「共通性」が見失われてしまうのである。それは、どういうことだろうか。

194 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 09:21:09 ID:0.net
「ひた(直)」がもともとは、「ひと(一)」と共通の表現であるとして、
「ひた」と発音が重なるその他の日本語の表現としてすぐに「ひたひ(額)」や、
料理のときの「ひたひた」にするという表現が想起され、「ひたひた」という表現からはさらに、
「ひた(浸)す」や「ひた(浸)る」との関連が思い浮かび、さらに「ひた(浸)す」の古語を調べれば、
それが「ひ(漬)つ」とつながり、「ひ(漬)つ」という表現が現代語の日本語にすれば、
「『びっ』しょり濡れる」ことを表現するように用いられることから、それが
現代語の「びっしょり」という擬態語に受け継がれていることを見て取ることができるだけでなく、
場合によっては、「ひつ(櫃)」という表現ともつながっているのではないかという疑問まで浮かんでくる。

195 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 09:35:04 ID:0.net
さて、「ひたひた」という表現を検索してみると、次のようなエントリがヒットする。

http://www.betterhome.jp/jiten/hitahita/hitahita.php
>いちばん水加減を迷うのは、「ひたひた」ではないでしょうか。
>「ひたひたの水」となっている場合は、鍋やボールに材料を平らに入れ、
>水をそそいだときに、材料の頭が見えたりかくれたりするくらいの微妙な量を表します。

要するに、「ひたひた」とは、そそいだ水の水面がちょうど具材の頭のレベルに「匹敵する(≒match)/対等である」ようにすることであり、
ほぼ「面一に合ふ」ように、フランス語の表現を用いるなら、"d’égal à égal"にすることである。

196 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 09:55:33 ID:0.net
さて、ここで"d’égal à égal"とはどのようなイメージなのかGoogleで画像検索をしてみると、
最上位でヒットするのが以下の画像である。
https://fr.web.img6.acsta.net/pictures/18/12/19/09/37/5135685.jpg

見てのとおり、誰か2人が「ひたひ(額)」を互いに合はせている。
すると、「ひた・ひ」という表現は、「ひた・ふ」、つまり、「自らが面一に合ふ」という、
現存せず、記録としても残っていない再帰形の動詞の名詞化なのではないか、という推測が直ちに生じる。
ところで、「ひ(漬)つ」という表現の用例を岩波古語辞典で見ると、以下の例が引用されている。
>「白袴の袖ひつまでにねのみし泣くも(万六一四)」

「袖ひつまで」というのは、現代語にすれば、「袖が『びっ』しょり濡れるまで」という意味であるが、
普通はそのような解釈が与えられた時点でその表現が理解できたものとして満足してしまう。
しかし、「『びっ』しょり」が「ひつ」を受け継いでいるとすれば、
「『びっ』しょり」とはどのような様態を表現しているのかが問われなければならないはずである。
「袖が『びっ』しょり濡れる」というのは、袖の向かい合う布が濡れて「面一に『ぴっ』たりと合ふ」ことを表現しているのではないか。

197 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 10:09:20 ID:0.net
さて、「ひ(漬)つ」および「『びっ』しょり」」を「面一に『ぴっ』たりと合ふ」と説明することで、
さらに「『ぴっ』たり」という表現が出てきた。
この「『ぴっ』たり」という表現がどのように用いられているかを考えてみると、
「(この服)『ぴっ』たりだわ!」と言えば、英語にすると"A perfect match!"ということであり、
「『ぴっ』たり止まる」と言えば、"stop at a perfectly matching point (in time/space)"ということであり、
やはり、「面一に合う」作用として理解される「ひつ」(「ひ(漬)つ」を含むが、より一般的である)を受け継いでいると理解することができる。
すると、その「ひつ」という表現が、蓋がぴったり合う構造体である「ひつ(櫃)」ともつながっているのではないかという疑念さえ、
それほど突飛な憶測ではないように思えてくる。

198 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 10:27:13 ID:0.net
私は、「ひと(一/人/等)」が中国語の「匹」の流用であると考えられることを以前から指摘している。
https://en.wiktionary.org/wiki/

ここで、Wiktionaryに記載される中国語の「匹」の用法を再び確認してみると、
既に指摘したとおり、英語の"to match"や"to be equal"に対応するものとして説明されている。
だが、日本語で考えても気づくとおり、「合ふ(≒to match)」、「等しい(≒to be equal)」と表現しても、
「どのように」合ひ、「どのように」等しいかは、様々であり得るだろう。
そこで、「匹」が「どのように」合ひ、「どのように」等しいことを表現しているのか手がかりがないか探ってみると、
Wiktionaryの「匹」の説明には、さらに以下の記載がある。
>(Sichuan) Classifier for flat surfaces or objects (hillside, leaves, tiles, etc.).

このことは、中国語の「匹」の用法においても、私が想定する日本語による流用に遡って既に、
「面が合ふ」ことや、「面が等しい」ことを表すように用いられたことを示唆しているのではないか。
残念ながら、私は中国語ができないので、現時点で、これについて深く追求することはできない。

199 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 10:48:32 ID:0.net
基地害スレ

200 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 10:52:51 ID:0.net
既知に害が及ぶことを恐れていては、哲学をすることはでませんよ

201 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 11:05:03 ID:0.net
そもそも、学会という基地内の住民には、哲学をすることも、されることも「かなはない」ことなのですよ。

202 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 11:24:05 ID:0.net
あらかじめ「かなはない」ものと諦めることによって基地内に閉じ籠っている。
「学者」として認定してもらうことと引き換えにね。

203 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 14:49:47 ID:0.net
なるほど 低学歴らしい 定型化された解釈ですこと w

204 :考える名無しさん:2020/08/23(日) 18:18:37 ID:0.net
それが高学歴らしい模範的な回答ですか?

Nicht zur Erkenntnis vorausbestimmt. – Es gibt eine gar nicht seltene blöde Demütigkeit,
mit der behaftet man ein für allemal nicht zum Jünger der Erkenntnis taugt.
Nämlich: in dem Augenblick, wo ein Mensch dieser Art etwas Auffälliges wahrnimmt,
dreht er sich gleichsam auf dem Fuße um und sagt sich:
»du hast dich getäuscht! Wo hast du deine Sinne gehabt!
Dies darf nicht die Wahrheit sein!« – und nun, statt noch einmal schärfer hinzusehen und hinzuhören,
läuft er wie eingeschüchtert dem auffälligen Dinge aus dem Wege und sucht es sich so schnell wie möglich aus dem Kopfe zu schlagen.
Sein innerlicher[58] Kanon nämlich lautet: »ich will nichts sehen,
was der üblichen Meinung über die Dinge widerspricht!
Bin ich dazu gemacht, neue Wahrheiten zu entdecken?
Es gibt schon der alten zu viele.«

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 2, S. 58-59.

205 :考える名無しさん:2020/08/28(金) 09:35:46.81 0.net
「板に付く」という言い方は、いつ頃からどのように使われるようになった表現だろう。
「板に付く」は、一般に、与えられた役柄が「ぴったり合ふ」という意味で用いられる。
この場合も、「板に付く」という表現が表しているのは、上に説明した「ひつ」の場合と同様に「面一に合ふ」ことであるが、
「ひつ」が専ら「ひた(漬/浸)す」や「ひた(漬/浸)る」に関連付けられて、
「面一に合ふ」ことではなく、「面一に濡れる」ことを連想させるようになり、
「ぴったり合ふ」として通用しなくなった、つまり、専ら「ひ(漬/浸)つ」を意味するように受け取られるように
なってしまったために、その言い換えとして、このいかにも持って回った「板に付く」という表現が用いられるようになったのではないか、
という疑念が浮かぶ。

206 :考える名無しさん:2020/08/28(金) 12:19:05 ID:0.net
それ数学と関係あんの?

207 :考える名無しさん:2020/08/28(金) 15:12:36 ID:0.net
「ひと」しさは、数学の基礎でしょう

208 :考える名無しさん:2020/09/17(木) 09:58:31.15 0.net
545 :可愛い奥様 :2020/09/15(火) 07:13:20.37
イチャイチャラブラブ系のセフレだなあ
こっちはレスだし、相手もレスって言ってるけど真実はわからないw
前は好き好き言い合って泥沼不倫してたけど苦しくて辛かった
婚外では好きって言わない方が沼らないで楽しい

548 :可愛い奥様 :2020/09/15(火) 10:46:04.48
イチャイチャラブラブ系のセフレいいよねぇ
やはり恋人ぽい感じは大事

550 :可愛い奥様 :2020/09/15(火) 10:47:16.35
>>548
うん、セックス以外は用無しって感じでたまにちょっと傷つくけど
それで冷静になってまた楽しい!に戻る
好きだと優しくされても冷たくされてもずっと辛い

552 :可愛い奥様 :2020/09/15(火) 12:16:52.69
お互いセックス以外は用無しじゃない?w

ラブラブセックスは苦手だわ
頭撫でられたりするとゾゾっとするw
最中に好き?とか聞かれると冷める
肉欲まみれのセックスが良いわ

553 :可愛い奥様 :2020/09/15(火) 12:53:48.59
>>552
私もそう
いつも複数人のセフレを呼んで3Pか4Pをしてしまう
騎乗位で下の男は膣、後ろからの男はアナル、前の男にはフェラでメチャクチャにされると
「私の身体が玩具にされてる!」
と興奮して連続逝きしながら失禁、失神する
旦那では味わえない快楽が止められない

209 :考える名無しさん:2020/12/05(土) 16:03:32.30 0.net
数学は『科学の女王』でなくて
正しくは『哲学の女王』だわな

総レス数 209
71 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200