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意識のハードプロブレムの答え10

1 :時計 :2021/06/03(木) 19:09:24.35 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
意識は根源的であり、科学を説明する。
科学は意識を説明するというよりは、意識は意識自身を説明する。
そして、他者の意識に関しては、それは存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え9
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1617317718/

2 :時計 :2021/06/05(土) 10:29:13.59 0.net
階層の存在とは、例えば色です。
コンピュータディスプレイはRGBの色の配列です。
人の目には所謂色として映ります。
それは粒度の違いではないでしょうか。
階層の異なりは粒度の異なり、そのように思います。
そこに創発の概念は必要ありません。

3 :時計 :2021/06/05(土) 10:29:49.44 0.net
>>2は前スレ最後からの続きです。

4 :時計 :2021/06/05(土) 10:47:25.86 0.net
>>2
様々な学術は様々な粒度を持つと思います。
意識が創発するなどは極めてナンセンスです。
意識はあらゆる階層に関わります。

5 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 11:30:12.52 0.net
>>4
識別システムだからね

6 :超球面論理 :2021/06/05(土) 12:07:40.56 0.net
創発とは、和ではなくて積ですね。
さらには冪もあります。
単純に「和」のレベルの「意識」もあるでしょうが、
「冪」のレベルで創発した「意識」こそが、意識として求めているものです。

「冪」の段階の創発であれば「忘却」が可能になるので、なかなか便利ですw
「積」も「忘却」に近いことができるけど、「冪」には敵わない。

7 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 13:37:43.66 0.net
私は、算数や数学は義務教育レベルから放棄していたので、数学の隠喩に
ついて語ることはとても危ういのですが、隠喩として用いる場合でも、
和と積と冪は、そのように互いに別々のものとしてではなく、数学に
おけるそれらの相互の関係になぞらへて考えた方がいいのではないか、
と思っています。

「創発」という表現がどのような意味で用いられているにせよ、現象の
変化はまずは、和のように量的なもの/"quantification"としてよりも、
積のように質的なもの/"qualification"と感じられるのではないで
しょうか。それは、「高い/低い」、「重い/軽い」、「強い/弱い」の
ように直ちに数量化が可能であると感じられるような場合でも、
そうなのではないかと思われます。「何かが質的に変わった」という
認識がまず生じて、それが、例えば、「重い/軽い」の変化であっても、
それは、単に和として「重さ」が加わったということではなく、
現象に質的な変化をもたらす「重い/軽い」という現象の特性に
おいて「重さ」が加わったと「量的に」認識することが、現象の
「数量化」なのではないかと思います。そのような関係性で隠喩を
用いた場合、その量の変化において「重い/軽い」という特性は、
冪として表現されることになるのではないでしょうか。すると、
現象に何か新たな質的な変化が現れて、それがまだどのような
特性の変化によるものか明確でない場合、その変化は、当面、
量的には表現され得ず、その質的な変化をもたらす新たな要因
が特性として冪に加わったこととして、つまり、それが特定
されたなら数量化が可能になるかもしれない、冪における
新たな要因の和としてイメージされるのではないでしょうか。

8 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 13:56:12.08 0.net
経験の質的な変化をどう捉えるか、でしょう

9 :超球面論理 :2021/06/05(土) 15:15:20.89 0.net
どちらかといえば、相転移のような個体・液体・気体・プラズマのような、
不連続な相変化が創発に近いのかもしれません。
ベイトソンの学習階層に従えば、学習の階層も創発かもしれませんね。
「意識」にも、このような不連続な変化(階層)があるとして「無」から思考実験しております。

10 :超球面論理 :2021/06/05(土) 16:05:58.17 0.net
「無」は「存在」しませんから、この世界は「無」ではありません。
「空」は「存在」する「無」であり、「色」の一種ですw
「無」が尽きること無く「否定」され続けるということが「空」でしょうね。
なにしろ「無」は尽きませんからw
そして、「時間」や「空間」がないとすれば、「否定」のみが残ります。
「否定」が「有」であるとすれば、それも「否定」されて「無」となり、
「無」も「否定」されて「有」になります。
「時間」がないとすればこの有/無は重ね合わせの状態にあり、それ自身が時空間の素でしょう。

11 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 16:12:03.87 0.net
「ゆめ(夢)」も「まぼろし(幻)」も現実に存在しますよね。

12 :考える名無しさん:2021/06/05(土) 17:59:02.53 0.net
>>9
そもそも、成果や効果として認識されるものが全般的に「相移転」的な
現象ですよね。例えば、単純に庭の草むしりのような作業にしても、
その成果として認識されるのは、単純に抜いた雑草が抜いた分だけ減る
ということではない。雑草を抜くことによって植物の生育環境が変わり、
それまで生い茂っていた雑草が生えにくくなる。栽培植物を育てて
いるのなら、その育てている植物の成長に有利なように環境が変わり、
その効果が目に見えて現れる。

13 :超球面論理 :2021/06/05(土) 20:42:08.01 0.net
草むしりですら、創発あるいは創発に近い相転移とすれば、
創発に近い現象は巷にあふれていますね。
ま、創発になると、単なる相転移ではなく能動的ななにかが発現するんでしょうけどね。

14 :超球面論理 :2021/06/05(土) 20:53:00.67 0.net
連続的な世界でなく、一変した世界というのが創発的であるのかなと思います。
初等カタストロフィー理論におけるカスプがありますね。
これを「弁」のように考えるなら、同じ道からは後戻りできない。

15 :超球面論理 :2021/06/05(土) 20:59:14.80 0.net
そうか「カスプ」か。
可逆的時間にもなんらかのカスプのようなものができれば、別の流れができる。
可逆的な時空間にある「(正)空」/「反空」からなにかを創発させるのはそのような機構でしょうね。

16 :でこすけ:2021/06/06(日) 07:34:05.13 0.net
>>前スレ991
個人的にはここでどのようなものを物質として想定しているのかが気になるところです。
たとえば私たちはそれをどのようにして認識するのでしょうか。
もちろんハードプロブレムも関わるところです。

>>前スレ992
言葉じりで恐縮ですけど、
物質というのは「神経系の機能による働き」ということでしょうか?
また「時間・空間的諸現象の実体である身体(神経系)」というのは
物質でしょうか?精神でしょうか?必ずしも物質とは限らない気がします。
そして992さんのその答えについて
その様にお考えになる根拠も気になるところです。

>>前スレ994
「それを言っちゃぁおしまいよ」というやつですね。
元ネタがわかりにくいでしょうけど。

>>前スレ996
このレスもやがて時間の中に埋没していくのでしょう。
哲学をする意義が垣間見えるところだと思います。


ちなみにですけど、
>991と>992は解釈によって同じことを言っているようにも思えますし
違うことを言っているようにも思えます。
つまり同じ人かもしれませんし、違う人かもしれません。
私はそこを(何らかの記号で)識別できるようにしておいた方が無難に思いますが
いかがでしょうか。
ちなみにニセモノが現れても文脈からニセモノだと解るというメリットもございます。
創発が起こるのです。

17 :でこすけ:2021/06/06(日) 07:43:33.33 0.net
>>前スレ998
私としても一方で言葉に音節、単語、文節、文章…のように階層があり、
また一方では物体に基本粒子、重粒子、原子、分子…のような階層があって、
これらのことがたまたまかどうか始めは見極めがつかなかった、
むしろ漠然と関係ないと思っていたのですが、
今ではどちらも「主観が生み出す構造」として
つまり同じこととして理解し得ると考えています。
これはただの解釈というレベルではなく、
音なり素粒子なりが実際に成立するメカニズムが基本的に同じという意味です。
私はすべてのことは主観(間主観)の内部で起こることだと考えます。

ただ時計さんの懸念の本質はこのレスの三行目のような気がします。
私も何で何で坊やの端くれとしてもっと突き詰めさせていただきたいところです。
いかがでしょうか。


ちなみに世界の開闢が創発であるか否かについては私は微妙だと考えます。
創発は何も無いところには起こらない建前があるためです。
開闢が創発であるのならば、世界には初めから何かがあったことになります。

18 :時計 :2021/06/06(日) 09:02:15.45 0.net
>>17
創発をWikipediaで調べると、こうありました。

「創発」は主に複雑系の理論において用いられる用語であるが、
非常に多岐にわたる分野でも使用されており、時として拡大解釈されることもある。

これは私の考えに近いです。創発という一般性のありそうな用語が気になります。

19 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 09:53:41.68 0.net
https://kotobank.jp/word/創発-552975

>「創発」とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として
現れること。物理学や生物学などで使われる用語「emergence」(発現)が
語源で、自律的な要素が集積し組織化することにより、個々のふるまいを
凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態をいいます。<

「創発」や「emergence」(発現)という表現が、このように用いられている
のであるとすれば、「創発」というのは、日常的な日本語の表現にするなら、
「化(ば)ける」ということになるでしょう。

哲学は、伝統的に「同一性」についてずっと議論をつづけてきましたが、
「同一性」を「化(ば)ける」こととの関連で深く考えることを怠ってきた
のではないかと思います。「ば(化)ける」というのは、例えば、
「最後の晩餐」において、
>イエスはパンを取り、「これがわたしのからだである」といい、
杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちに与えた<
というような「奇跡的」なイメージと結び付いていたわけですから、
哲学は、神学から離れようとする取組みにおいて、合理主義的な科学の
側につくという立場を明確にするために、「ば(化)ける」という
合理的にうまく説明がつかないように見えることは、問題として
取り上げること自体を避けたのでしょう。これは、例えば、
錬金術が、単に、金ではない別の物質から金を作り出すことができる
かという問題ではなく、専ら魔術的な秘儀のようなイメージと結びつく
ことになったことにも見られ、哲学と科学の関係にしても、哲学と
物理学の関係について議論しようとする哲学者は大勢いるのに、哲学
と化学の関係については、ほとんど誰も取り組んでいるようには
見えないことにも反映されているのではないかと思います。

20 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 10:13:20.22 0.net
>ちなみに世界の開闢が創発であるか否かについては私は微妙だと考えます。

「創発」というのは、それを「ば(化)ける」こととして見るなら、まずは
結果として現前するものでしょう。どうして「そうなった」のか、合理的な
手続きとしてはまだ、うまく説明がつくよう("accountable")にはなって
いない現象として現前する。そこで、これは、物事はすべて「『なる』ように
『なる』」、「『なるようにしかならない』、『中動態』が本来の在り方
である」と言って済ませてしまうなら、それは、「結果論」による責任追及と
対極をなす「結果への開き直り」にしかならないでしょう。

21 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 10:39:58.18 0.net
「ば(化)ける」ことについて、一例として「日本語の起源」について考えてみるといい。
既に繰り返し指摘したきたとおり、後に「日本語」として独自に発展する
こととなる「日本の基礎」は、中国語から生まれた(ここで、「生む/生まれる」
という対比でみれば、「生まれる」というのは受動態であるように見えるが、
表現の用法としては中動態的でしょう)。したがって、中国語なしには、
「日本語」は生まれなかったと言っても過言ではない。にもかかわらず、
日本語は、中国語系統の言語ではない。謂わば、日本語は、中国語の表現の
自由自在な流用が生み出した「化け物」である。

22 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 11:14:50.28 0.net
中国語の表現を、中国語と呼べる体系に即して用いることのできない話者が、
にもかかわらず、中国語の表現を、それが何らかの一貫した体系に照らして
通用するものであるかの如くに流用してつか(使)ふ。これは、謂わば、
「擬態」としての中国語の表現の用法であり、それによって相手を
「ば(化)かそう」とすることである。その相手が、そのような流用に
「ば(化)かされまい」としてその「擬態」を拒絶したなら、「日本語の基礎」
が生まれることはなかっただろう。しかし、実際には、試しに「ば(化)かされ」
てみることが役に立ったため、その「擬態」が「ば(化)かし、ば(化)かされる
ことの相互性」の有用性として確立された。そのようにみづから(身づ柄/
自ら)に役に立つ/つか(仕/使)へるものとして進化させらつづけた「擬態」
としての中国語の表現の流用が、中国語の体系的な規範とはまったく
無関係に、みづから(身づ柄/自ら)が継続的につか(使)ふ言語の用法となった
とき、結果として「日本語」が現前し、「日本語」が成立したと言うことができる。

23 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 11:25:12.13 0.net
>数学におけるホモトピー (homotopy)とは、点や線や面などの幾何学的対象、
あるいはそれらの間の連続写像が連続的に移りあうということを定式化した
位相幾何学における概念のひとつである。<(Wikipedia)

歴史言語学も、喩えるなら、数学におけるホモトピーのような関係を追求して
諸言語の系統的な関係を確立することばかりに専念しているから、言語の
使用に本来的である「擬態」をうまく扱うことができない。

24 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 14:47:05.68 0.net
>>16
明示する目的なら物でいいですが、そうでない時は、どのような物も物質として想定されていると思います
物を認識する時点でその物の質感や感覚がセットなので。
どのようにして認識するのかについては、誰もが視覚や触覚などの感覚神経で認識しているのではないでしょうか。

重ねてになりますが物質は、精神的要素(質感)の実態という側面と 時間・空間的諸現象の実体である身体を場とする
神経系の機能の側面との重ね合わせ(実態と実体)を認識して、はじめて物質足りえると思います。

文章の途中でちょんぎられてしまってるので、擬似問題でしかありませんが、「時間・空間的諸現象の実体である身体(神経系)」
という文だとしても、時間・空間的諸現象は精神的要素に依存した質感や感覚的な実態で身体(神経系)が諸現象の実体、
つまり実在するという認識ですので、物質と精神は切っても切れない間柄ということになります。

ちなみに前スレ991・992どちらも私の投稿です。

25 :時計 :2021/06/06(日) 16:44:10.76 0.net
>>18
Wikipediaを見る限り、創発説は、
数学的に分析することの極めて難しい現象は存在するということを
主張しているに過ぎないと私は考えました。

26 :前スレ976:2021/06/06(日) 16:53:34.97 0.net
前スレ>>993
「完全な無」自体は何か想定しているようで、
実は何の意味もなさない、ただ統語論的に成立しているだけの
無意味な言葉だと個人的に思っています。
つまり、人間が想定している「完全無」は厳密には錯誤だということです。

27 :時計 :2021/06/06(日) 17:06:09.23 0.net
>>26
0こそ無理数だという考えがふと頭を過りました。

28 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 17:06:34.70 0.net
辞書には
要素間の局所的な相互作用が全体に影響を与え、その全体が
個々の要素に影響を与えることによって、
新たな秩序が形成される現象。
とありましたね。
基本的な単語の意味から外れた世界観に
創発という言葉を当てはめることによって、自然に新たな秩序が
形成される現象が起きてくれる訳ではないので
よくわからない単語を多様するのはどうかと思います。

29 :超球面論理 :2021/06/06(日) 17:24:12.07 0.net
「完全な無」などなく、「無」と「語る」ことで不完全になってしまうw
わたしの場合、「無」とは「語られることを拒否するもの」であり、なんらかの表現/指示などを拒否するものだ、
と考えたことから、「無」をNOTオペレーターとみなしております。

NOTオペレーターがただひとつである、ということから1ビット時空間を導出することまではできましたが、
その先が不透明です。
多ビット化や連続体のようなものをどこに求めるか。
簡単にいえば次元の拡大の問題ですね。
「創発」というものもこの次元の拡大にあります。
直交補集合(補空間)をどうやって自然に発現させるか。
とすれば、否定オペレーターではなく直交オペレーターと表現したほうがより的確なのかもしれません。
直交の直交とすれば「拡大」します。
否定の否定では、空間が広がっていない場合は元に戻ってしまいます。
元に戻った(行って帰ってくる)ときになんらかの位相差がなければなりません。

30 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 17:32:15.42 0.net
語るしか無いのが語りなわけで、語りだけで実証できないならむしろ完全な無でいいんじゃないの

31 :超球面論理 :2021/06/06(日) 17:33:46.25 0.net
ベイトソンの学習階層は、新たな秩序ですね。
すべてのモナドは関手の随伴対から得られる(クライスリ圏を参照)。

32 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 17:41:59.26 0.net
>>28
「創発」と見なされる現象は、結局のところ、"retrospective"に
そう認識されているのですよ。ところが、人は、いつでも、
"prospective"に語りたがる。そうすると、「複雑系」科学とか
言いはじめて、あたかも"prospective"にそれを実現する手続き
を規定できるかのような錯覚に導かれる。

33 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 17:48:29.00 0.net
実際のところは、試行錯誤を繰り返しながら、「どうしてそうなったのか」
を探るしかないのです。

34 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 18:04:03.40 0.net
「創発」にもっとも近い概念は「ボトムアップ」下意上達です。ボトムアップはトップダウンの対義語であるように、創発の対義語は「意図」です。したがって、創発の条件は、まず現場発であることが挙げられます。
次に、意図的ではない、というのが2つ目の条件です。

個人的にはこの説明がすっと入ってきますね、そもそも哲学的な思想を語っている時点で意図的満載なんですよね。
そもそも物理学や生物学などで使われる用語「emergence」(発現)が語源で、自律的な要素が集積し組織化することにより、
個々のふるまいを凌駕する高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象あるいは状態の事ですし
確かに実現する手続きを規定できるかのような錯覚しか生じないでしょうね。

35 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 18:26:15.47 0.net
重要なのは、作用としての「する/される」と結果としての「なる」の
関係を省察することでしょう。このように「した/された」から、
必然的にそのように「なった」ということではないが、どのように
「した/された」が、どのように「なった」ということと無関係で
あるわけでもない。所与の条件下でどのようにか「する/される」
ことが、どのようにか「なる」結果と強く結びつくことが見出される
なら、その関係性が追求される。ただし、「所与の条件」という
のは、原理的に無限定であり、その変化が結果に影響する限りに
おいて制御されるのであって、一定である限りで「不在」である。

36 :超球面論理 :2021/06/06(日) 19:05:34.89 0.net
創発って、ま、ようするに不連続的進化(変化)ですよね。
そこには(初等)カタストロフィがみられる。
これをクライスリ圏とみなせば、自然のプログラミング...

37 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 19:15:10.65 0.net
「所与の条件」というのが原理的に無限定とはどうしてでしょう?
おつむてんてんの私でも解るように説明して頂けると助かります。

38 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 20:09:51.16 0.net
残念ながら、おつむてんてんでも解ることはありません

39 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 20:12:33.81 0.net
>>36
だから、それは、複雑系科学で"prospective"に手続きを確立することができる
と考えるような錯覚なのですよ。

40 :考える名無しさん:2021/06/06(日) 20:20:30.11 0.net
>>37
敢えて言うなら、条件は同様であるはずなのに結果が異なることから、
条件として何が違っていたのかが探し求められる。

41 :考える名無しさん:2021/06/07(月) 05:28:12.95 0.net
>>35
それ「所与の条件」ではなく
「所与の問題」です。
おつむてんてんになった原因判明

42 :考える名無しさん:2021/06/07(月) 07:16:28.47 0.net
所与の条件として探し求められる問題でしょう。

43 :でこすけ:2021/06/07(月) 09:05:07.63 0.net
>>2
「粒度」にはレベルがあることが前提になっていると思いますが
私のかんじではそれは発生過程でだんだんに上位を獲得するもの
のような気がします。
私の肉体は以前認識上でたとえば受精卵だったときがあり
私はその頃からすでに原始的な意識はあったと考えているわけですが
その時はそのときなりの粒度があったろうと空想するのです。

私ごとで恐縮ながら時間の都合があり
詳細はまた改めて展開してみたいところです。
生命の進化などにもかかわりそうな気がします。

44 :考える名無しさん:2021/06/07(月) 10:39:01.76 0.net
中動態について言えば、日本語の古語で自発を表す助動詞とされる「ゆ」
は、万葉仮名からも類推されるとおり、中国語の「由」や「俞」に関連する
発音の表現を流用したものであると私は考えているが、フランス語の
表現と対比してみると、フランス語では、「ゆ(結)ふ」ことを意味する
《nouer》が先で、それをひっくり返す《dénouer》が「(ゆるめて)解く」
ことを表現するのに対して、日本語では、「ゆ」が、「ゆるむ」に見られる
とおり、「(解けるように)『ゆる』む」ことを先に表現し、それを
ひっくり返す「ゆ(結)ふ(復/覆)」が、フランス語の《nouer》に対応する
ように「ゆ(結)ふ」ことを表現していることが分かる。

45 :考える名無しさん:2021/06/07(月) 11:29:42.93 0.net
>>44
フランス語の《dénouement》という表現が、事態の「中動態」的な結末を
表現するように用いられることから見ても、この対応関係の解釈は妥当だろう。

https://www.cnrtl.fr/definition/d%C3%A9nouement

46 :いい湯だな:2021/06/07(月) 20:16:20.47 0.net
《dénouement》としての「湯(ゆ)」
と言ってみると、うまくイメージがつかめる。

47 :考える名無しさん:2021/06/08(火) 13:16:49.57 0.net
平仮名の「ゆ」の字源は、由の草書体であるとのことだが、
その平仮名としての形象や、由の変体仮名の形象を見ても、
「ゆるむ」作用のイメージを想起させることを意図しているように思える。
https://ja.wiktionary.org/wiki/ゆ#/media/ファイル:Hiragana_YU_01.png

48 :考える名無しさん:2021/06/08(火) 13:20:39.34 0.net
例えば、フランス語を母語とする人にこの画像ファイルのイメージを提示して、
これは《dénouement》を表現する形象文字であると説明しても、
難なく受け入れられるだろう。

49 :超球面論理 :2021/06/08(火) 20:44:36.12 0.net
「無」をホワイトホールの類似物と考えてみる。
「無」は「無」ですら弾き出す。
この作用を否定オペレーターあるいは直交オペレータとする。
否定あるいは直交なのでこれを「有」とすれば、
「無」→「有」
変化だとすれば「無」は「有」に転じてしまうが、時間を考えなければ、
「無」↔「有」
これが同時に存在するとすれば、重ね合わせなので1量子ビット空間だ。
一般的な量子ビットと異なるのは、複素数ではなく{0,1}しかないということ。
これを[[a],[b]]のように表すなら、a+b=1(a,bは0か1)という制約?がある。
人工世界(人工意識・人工宇宙)では、これをゼロ意識として、そこから、
より上の段階の意識を創発させるw

50 :超球面論理 :2021/06/08(火) 21:17:04.51 0.net
これを総粒子理論からスピン0のボソンと考えるなら、(人工世界での)ヒッグス粒子であるw
これ自身は直交オペレーターであり、空間の類似物でもある。
この半分が対象でありスピン1/2のフェルミオン。2つを区別するために+,−がつく。
直交オペレーターが自分自身を演算することで時間の類似物も発生する。
時間の類似物が発生することで(人工世界での)ビッグバンが始まるw
そこまではいい。どうせ人工世界だ。この先を構想中。
低次元微分トポロジーにみられるようななんらかの制約が発現すると予想。
これが3+1次元あるいは11次元にみえるような宇宙をつくりだす。
(細かいことは、(応用した)製品化を構想しているので説明を割愛w)
創発とは自発的プログラミングである。
(この世界のシステムは単純で、同じであることと違うということの同居から始まる)
量子論的モナド(ロジー)?

51 :時計 :2021/06/09(水) 06:30:14.64 0.net
>>43
私は諸学問は階層というよりもネットワークを成すものかと考えます。

52 :時計 :2021/06/09(水) 06:39:56.39 0.net
>>51
例えば、立体を平面に写す方法は沢山あるように、
諸学問は多様性を持つように思います。

53 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 06:47:55.68 0.net
物理の上に化学が乗り、その上に生物学が乗り、その上に動物生態学が乗り、
その上に歴史学や社会学が乗るといったような階層的な物事の見方は、
事実関係を大きく誤認しているわけですが、ほとんどの場合、それを正しい
ものとして暗黙に前提とすることが強制されていて、その誤りに気づかせ
ようとすることすら暗黙に禁止されている。

54 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 06:50:52.81 0.net
しかも、物理学における力学と実力行使による暴力を意図的に混同させようとしている。

55 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 08:08:43.46 0.net
>>47-48
平仮名の「ゆ」の形象や、画像ファイルの由の変体仮名の形象は、
反ファシズム(反結束主義)」の象徴として利用するのに最適だろう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/Fascist_symbol.svg/1355px-Fascist_symbol.svg.png

そのように考えることは、「ゆ(結)ひ(復/覆)」が「『ゆ』を
ひっくり返すこと」を表現し、「結束すること」を意味するように
用いられることから見て、合理的である。

56 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 09:48:56.36 0.net
>>53>>54は個人的な主張なのかな?
主張しているとおり、正しいものとして強制されているとすると
それが誤りであることと、意図的に混同させようとしている事実だと説明のつく
論証をしていかなければ、闇雲に拒絶しているだけに見えてしまうよ

57 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 10:16:59.20 0.net
>闇雲に拒絶しているだけに見えてしまうよ

正しいという根拠が示されておらず、実際に有効ではない見方を拒絶する
ことを、闇雲とする理由が不明ですね。そもそもが、そのような見方は、
すべてを包含する神のような存在が、天体のように巨大なものから、
塵や埃のように極小のものまですべてを支配し、大きいものの方が
小さいものを支配するという見方を逆転させただけのものでしょう。
その逆転は、神が退場させられることによって生じた。

58 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 10:31:41.45 0.net
実際に有効ではない見方に見える理由もなければ根拠も不明な主張だから

59 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 11:11:32.17 0.net
例えば、水の分子を水素と酸素に分離でき、水素と酸素から水の分子を
構成することができるというようなことから、社会的な出来事の
妥当な解釈を導き出したりすることはできないのですよ。それらの
事実は、階層構造において関係しているわけではない。

60 :考える名無しさん:2021/06/09(水) 12:13:55.22 0.net
>>59
別に実際、散見されている階層構造の説明で、意図せずボトムアップ的に新たな哲学的秩序はこうだという理論があったわけではあるませんしね。

61 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 00:37:14.90 0.net
2017/02/15(水) 08:56:02.52 0
>>612-650
「う(埋)める」の「う」と「う(浮)く」の「う」の関係を中心として、
その「う」という表現要素が、「う(倦/膿)む」、「う(倦/膿)み」、
「うみ(海)」、「うぶ(初/産)」、「うへ/うは(上)」、「う(産)む」、
「うま(旨)し」、さらには「うば(奪)ふ」まで、様々な表現に現れている
と考えられることを見てきた。ここで記号論的な観点から、「う(埋)める」
の「う」と「う(浮)く」の「う」の関係さらに一般的な結論を導くこと
もできる。
657 :
考える名無しさん
2017/02/15(水) 09:10:38.95 0
私は、「う(埋)める」 の「う」が、「うむ(≒自ずと一杯になる)」という
再帰形の表現を介して「う(浮)く(一杯になることによって表面が上がる)」
の「う」と関係していることを説明した。一見、奇妙に見えるかもしれない
が、この関係は、極めて「具体的」である。コップに水が「一杯になる/満た
される」状況を想像してみるといい。コップに水が「一杯になった/満たされた」
ことは、「(水の)表面が上がること」を見ること以外にどのようにして知る
ことができるだろうか。

私が自説の正しさを証明しようとして、とってつけたように「う(埋)める」
の「う」と「う(浮)く」の「う」を関係付けているわけではなく、
「表面が上がること」がすなわち、「一杯になる/満たされる」ことを
「具体的」に示しているのである。

62 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 00:51:02.94 0.net
>>61
コピペしたのは、数年前の私自身の書込みである。
ところで、この書込みとは完全に無関係のシュテファン・ツヴァイクの
著作に、この書込みの趣旨と見事に対応する記述が見られる。

>ある思想がひとたびある人間をとらえると、それは彼の思考と感情の
最後の繊維までも支配してしまって、内面的にたえまなく発熱させるものだ。
[...] したがって、ちょうど化膿した指先から棘がでるように、母胎から
赤ん坊が生まれでるように、果実が外皮からとびだすように、生きた思想が
内面から外面へ溢れでるときが、あらゆる思想家にやってくる。
ツヴァイク全集17、『権力とたたかう良心』、pp.130-131

私は、この本の原著をドイツ語で読んでおらず、それが手元にもないので、
この箇所のドイツ語の表現がどのようなものであるのか知らないが、
ツヴァイクがドイツ語で表現した捉え方が、言語の境界を越えて、
日本語の表現法と見事に合致していることを見て取ることができる。

63 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 00:56:23.47 0.net
推論の妥当性は、このような遭遇と発見によって検証の可能性に向けて
開かれているからこそ面白いのである。

64 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 01:02:45.53 0.net
ただし、>>61
>「うむ(≒自ずと一杯になる)」という再帰形の表現を介して
という以前の説明は正しくない。「うぶ」は再帰形であるが、「うむ」
はそうではない。

65 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 01:07:20.35 0.net
推論に誤りが含まれていても、有効性を発揮するのだから、推論から完全に
誤りが含まれないことが確かめられてからでなければ、それを示しては
ならないとするような考え方は、手続き的にも間違っている。有効性を
確認しながら、推論を改良していけばいいだけの話である。

66 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 01:10:05.69 0.net
誤:推論から完全に誤りが含まれないことが
正:推論から完全に誤りが排除されていることが

67 :超球面論理 :2021/06/10(木) 02:11:29.30 0.net
寝る前にちょこっとだけメモ。
不変量invariant
変換においての不変量。
保存則でもよいのだが、invariantとすることで「意識」としての問題が明確になってくる。
invariantがなければ「意識」も成り立たない。
この辺の問題を探っていくと、どれも循環参照に陥る。
逆に考えれば、「循環参照」こそが根本的なものではないだろうか。
いつも問題としている「アイデンティティ」とは自己参照であり、最短の「循環参照」だ。
双対性を考えれば、圏論における「射」も「循環参照」でなければ「意味」を持たない。
なんらかの「ループ」があるから圏論そのものが成り立つのだ。
そして、超対称代数からいえば、その「ループ」は「位相」を持つ。
この「位相」が、すべてを生み出している。

「階層構造」に一言。局所的に階層構造をみいだせる「階層多様体?」を考えるべきであって、
完全な階層構造は無意味だ。ISOのOSIで懲りたw
「階層多様体?」とは「階層ネットワーク」か?
トンネル効果も「階層ネットワーク」のしわざだと考えるのがおもしろい。
トポロジカル絶縁体や超電導/超伝導におけるフォノンの効果も「階層ネットワーク」かもしれない。

68 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 07:24:10.83 0.net
>>61にコピペした書込みの日付は、2017/02/15(水)となっており、
確認してみると、私が日本語を中国語との関連で考察するようになったのは、
2019/05/25(土)の書込みで日本語の再帰表現について、それが中国語の
「复(fu)」と関係しているのではないかと思い始めたことがきっかけなので、
その2年以上も前のものであり、その時点は、「日本語が中国語の表現を
大々的に流用した中国語のピジン言語として成立した」という結論どころか、
中国語との関係さえまったく意識しておらず、日本語の表現の相互関係だけ
から発音の用法についての類推を進めていた。

したがって、コピペした書込みの時点で提示した「うみ(海)」、「膿(うみ)」、
「う(産)み」、「う(倦)み」についての解釈は不十分であるが、その後、
依然として中国語の表現との関係は考慮に入れられていない
2019/03/12(火)時点の書込みで既に
>うみ(海)や膿(うみ)は、満ちることによって表面(=う)が上がってくることを表していたと考えられるが
というより適切な解釈が提示されており、
今となっては、それが、「表面/表面化」を表現するように用いられた中国語の
「肤(膚)ピンインfū」の流用と、「累加する」様態を表現するように日本語の
「ま行」の発音として体系化されることになった、中国語で「満ちる」、
「あふれる」などを表現するように用いられる「弥(彌)ピンインmí」および
それ関連するような表現の流用の組合せであると明確に説明することができる。
さらに、今回、そのように日本語の表現を解釈することが、日本語だけでなく、
ツヴァイクがドイツ語で表現する隠喩を、日本語においてメタ言語で記述する
ことにもそのまま応用することができることが見出されたわけである。

69 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 07:35:42.95 0.net
誤:それ関連するような
正:それに関連するような

70 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 09:31:42.83 0.net
545考える名無しさん2019/03/05(火) 07:48:24.890
          天(あめ)
         ↓た(垂)る↓

う(表面(/化))   (↑う○ぶ↑)→→→なが(流)る→→
_________[***うく***]________
地(つち) or 水(みず) ↑↑↑↑↑
          ↑↑うむ[⇒うみ(海)]↑↑

546考える名無しさん2019/03/05(火) 07:56:59.670
う(表面(/化))   ←←うごく→→
_________[***うく***]________
地(つち)     +++うごめく+++

71 :考える名無しさん:2021/06/10(木) 09:37:31.90 0.net
天(あめ)と
↓た(垂)る↓
に加えて、
← ← ← ふ(振)る/ふる(揮)ふ
→ → →

ふ(降)らす ↓↓↓ ふ(降)る
を追加することができる。

72 :でこすけ:2021/06/11(金) 11:58:48.91 0.net
>>7
私が数学に疑問を持ち始めたのは高校生のときです。
数学は自然のものではなく人工的なものだと考えるようになりました。
宇宙は数学的に解釈できるものではあっても数学的にできているわけではない、
これはたとえば円周率を永久に確定できない時点でそれはそういうことだと思います。
数学は限りなく宇宙に近づくことができても宇宙そのものは表現できない、
つまり解釈(場合によっては手段)であって真理(少なくとも私にとっては目的)
ではないということです。

私はそもそも世界は数字や図形以前に言葉ですら写すことのできないものだと思います。
これは私たちが何故(答えは常に近似にすぎないにもかかわらず)自然を探究するのか
という問いにつながります。
あるいは私たちが自然を何か記号で表現しようとするということはどのようなことなのか、
それは世界の様々な営みの中でどのように位置づけられるのか、
そもそも探究することにどのような意味があるのか、そういった疑問にも発展します。
また、意識のハードプロブレムというのはそのレベルまで関わりかねないものだ
というチョッカンもあります。

例によって自分語りになりますが、私個人が最終的に知りたいのは「本当の世界」です。
これはプラトンの洞窟の喩えで言えば「洞窟の外側」のことです。
その答えはもはや検証できるものではないことを流石に私も知っているつもりですけど
となると何故私はそれを知りたいと思うのか(個人的な事情だけではない気がする)、
そもそも知識欲とは何なのか、何故ヒトには知識欲があるのか、
そしてその答えは「本当の世界の仕組み」にかかわりそうだというチョッカンが
あったりするのです。

73 :でこすけ:2021/06/11(金) 12:08:35.38 0.net
>>18
じつは私の「創発」は栗本慎一郎経由のマイケルポランニーだけで、
それ以外のことは(それ以外がありそうだということは知っていましたが)よくは知りません。
また栗本を経由しているのでマイケルポランニーとも誤差があるかもしれませんし
そもそも私の勝手な解釈になっている可能性も(むしろ)高い気さえします。
しかし言葉の意味というのは「創発」に限らず得てして個人差があるものですし、
ただ私としても>>19にある
「部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として現れること」
というところからははずれていないつもりです。

私としても「創発」という表現では抽象的すぎて
ぱっと見だけでは階層云々につながらないため字面的にいかがなものか
というかんじはありますが、
個人的にはパソコンで一発変換できないところが気に入っていたりもします。
一方で対義概念的なところに「ゲシュタルト崩壊」がありますが
むしろこちらをなんとかしたいです。

74 :でこすけ:2021/06/11(金) 12:14:44.29 0.net
>>19
「創発」という表現では層との関わりがわかりにくいので
私としてはたとえば「層発」とか「創層」とか何か違う言葉を当ててもいいのかな
とか思ったりすることもあるわけですが、
私個人の趣味で勝手なことを言わせてもらうと「閃」とか「浮」とか
のような字を当ててみたいかんじがあります。
創発は稲妻が突然閃くような、雲が地面からふわっと浮き上がっているような、
そういうイメージがあるためです。
いずれにしてもマイケルポランニーが化学に精通していたということは
大変興味深いことだと改めて思ったりさせていただきました。恐縮です。

>>20
私としては結構な確率で宇宙は始まる前から何かがあったのだろうと考えていますが、
しかし現段階では確信が無いというのが率直なところで
故にやたらと断言はできないところです。
むしろたとえば物理学者が四つの相互作用や二十数種類ある基本粒子などについて
それらを統一的に理解することを目論んでいるように、
私としてもビッグバンやパラダイム変換やあるいは等能性による効果や
さらにはゲシュタルト崩壊あたりまでのこの世界で起こるありとあらゆる変化を
最終的には統一的に説明してみたいという野心があったりします。
と思えば「創発」はそれほど悪くない表現だったような気もするところです。

75 :でこすけ:2021/06/11(金) 12:18:14.76 0.net
>>22
話によると「天皇制」という言葉はコミンテルンがつくったもののようで
当然ながらそれ以前はそれに当たる概念さえ日本には無かったとのことです。
おそらく平均的な日本人が「日本語」という単語を使うようになったのは
明治以降ではないでしょうか、
いずれにしても外国語を意識して成立した単語の様に思えます。
「やまとことば」みたいな表現があったかもしれませんが
それもまた外部なしではあり得ないはずです。

何が言いたいのかと言うと、創発は関係の中から起こる可能性がある
ということです。
それはおそらく様々な層の干渉であろうと察するところです。

76 :でこすけ:2021/06/11(金) 12:34:08.91 0.net
>>24
>視覚や触覚などの感覚神経
ここでいう「感覚神経」というのは物質でしょうか?精神でしょうか?
もしそれが物質であるならば、それはどのようにして精神とは異なる実体である
ということがわかったのでしょうか?
あるいは物質は精神的現象を経由して認識されるということだと理解しましたが
物質が実体として成立している痕跡は他には無いのでしょうか
(たとえばリベットの実験のような)?
物質そのものを経験できないとすれば「無い」とは言えなくても
「有る」とも断言は出来ないと思います。
たとえば先端物理でも素粒子は空間的な部分をもたないとされていますが
そのようなものはどのようにして存在できるのでしょう。
物質は一般的に言って不可解であり
(じつは意識のハードプロブレムこそがその不可解さの最たるものだと私は考えますが)、
それが存在するとするのであれば証拠が必要になるのではないかと私は思います。
「それが今までの常識だったから」というのは物質が実体であるとする理由になり得るのか、
いかがでしょうか?

77 :でこすけ:2021/06/11(金) 12:49:38.99 0.net
>>25
ただしあの記事は客観的世界を信じている人が書いたものでしょうから
私としてはあくまでも参考です。
すべての出来事は意識の内側で起こるのであり
それは意味の更新すなわち創発だと言い得る…
(私としてはそのような解釈が一番スッキリする気がするんですが)

>>26
「黒い音」とか「甘ずっぱい思い出」とか、言葉はやりたい放題です。
「完全な無」というのもそのたぐいのような気がします。
少なくとも「無限」というのはそういうものでしょう。
ポエムとかいわれるゆえんだと思います。

>>28
味というのは舌で感じているのではなくて脳で感じているそうです。
となると物体が運動量やエネルギーを交換するのも視覚なりを通して
脳で感じているということになるのでしょう。
生物の進化なども脳で感じていること、ということになります。
では脳の存在は何で感じているのでしょうか。
素粒子というのは追求していったらよくわからないものになってしまいました。
これは哲学者にとっては面白いことになったということだと思うのですが
とにかく黙っている場合ではない気がします。
この際何でも喋っておいた方がいい、いずれにしてもたぶんカオスの時代だと感じるのです。

>>34
私としては構造的なコントロールはあり得ない気がしています。
ひとつの現象がその次に起こるであろう現象に対して影響できるのは
選択肢を狭めることだけだと思います。
いずれにしても現象は認識のないところでは起こる気がしません。
認識されていない現象とはどのようにして起こるのか、
ただしここで言う「認識」は本来であればもっと根源的な概念に還元される
べきものではあろうと思います。

78 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 13:30:43.09 0.net
「創発」という表現は、英語から借用されたカタカナ語の「クリエイティブ」
に相当するように用いられているのではないかと思います。
実際、Wikipediaの「創発」の項目のページから英語版に移ると、
次のように記載されています。

>In art, emergence is used to explore the origins of novelty,
creativity, and authorship.<

「クリエイティブ」であることには、やはり、行為とその時宜が
かかわっていて、誰かが既にその手続きを確立してしまって、
そのとおりにやれば同じ結果が得られるようになった時点で、
その行為は、既に分かっていることの反復となってしまい、
「クリエイティブ」とはされないでしょう。ちょうど、
「化け物」は恐ろしいけれども、その「正体」が分かって
しまえば、実は「〜に化かされていただけ」ということになって、
「化け物」がその力を失ってしまうのと似たようなものなの
ではないかと思います。

79 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 13:58:59.12 0.net
「細工は流々、仕掛けは上々、後は仕上げを御覧じろ」というのを
面白がっているうちは、まだまだ浅いのですよ。そんなことだと、
細工や仕掛けが分かってしまえば、つまらなくなって幻滅するだけです。

80 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 14:04:46.15 0.net
アンチサイコパスとしての哲学には、幻滅が既に織り込み済みなのです。
意図的に誘導された錯覚がもたらす手品のような面白さなど、どうでもいい。

81 :でこすけ:2021/06/11(金) 14:08:56.33 0.net
私が想定している「創発」は(普通の意味での)自然の中で起こるものではありません
(この点はよくわかりませんがマイケルポランニーとは違うかもしれません
 じつは私はMポランニーは遠い昔に薄い本を一冊読んだだけなのです)。
たとえばどこかにたくさんの化学物質が集まって
それが何らかの過程でいいかんじに組み合わさったら生命になったみたいな
そういうことではありません。
「創発」はあくまでも意識の中で起こる現象です
(でこすけさんの世界モデル(?)によると、意識は複数あって、
 認識されている現象はすべてそれらの中で起こっていることになりますw)。
認識されている世界は意味の集積であり、意味は意味媒体に依拠し、
そして意味は意味媒体から創発されているというのが順番であるように思えます。
意識は生成された瞬間はカオス(意味の階層はたぶんひとつかふたつか)で、
そしておそらく外部の影響を受けながら創発(変異)を繰り返し、
意味(情報•ミーム?)は淘汰圧を受けながら洗練されていくというイメージです。
進化論的には進化とは世代を重ねながら起こる現象ですから
これは意識レベルで言えば成長という表現になりますが
それでも情報単位で言えば進化と言い得るはずです。

82 :でこすけ:2021/06/11(金) 14:11:48.01 0.net
>>81
ただしここでポイントになるのは私たちの認識上で上位のように感じるものが
本当に(構造的に)上位だとは限らないということです。
私は以前(これを覚えている人はいないと思いますが)素粒子に意識があるのか
どうかを保留していました。
素粒子は意識の中でつくられた(創発された)ものだったかもしれないからです。
もし素粒子に空間的な広がりがあった場合、
それは半分にされ、それがまた半分にされ、そして無限に半分にされかねません。
そこで私は半分にするということは創発かもしれない
つまり素粒子は意味にすぎないもの(幻想)かもしれないとも考えたのです。
素粒子は意識の構造上で原子の上位である可能性があります。
時計さんが以前「過去は未来の出来事かもしれない」という趣旨のコメントを寄せていましたが、
空気の振動は聞かなければ音にはならないという発想からすれば
過去と思しき出来事も認識しなければ起こったことにはならないのかもしれません。
順番というのは構造的には常識とは異なるかもしれないというおはなしです。

83 :でこすけ:2021/06/11(金) 15:19:21.18 0.net
>>51
私としても様々な学問がネットワークを成すというのは
なんとなくながら分かる気がします。
マイケルポランニーが学者の社会(ネットワーク)を考察していて、
たとえば学術的な全ての知識を一人の学者が網羅した上で
すべてに目配せをしながらその全体をバランスよく進歩させることは不可能だが、
それでも一人一人が自分の専門分野に近いところと影響を与え合うだけで
全体が均等に進歩することはあり得る、とか、そんな感じだったと思います。
つまりトップダウンではなくボトムアップによるバランスの維持です。
このときどの分野が上位とか下位とか、そういうことは関係ない気がします。
ただ学問と自然は別々だということはあると思います。
化学物質が成立していなければ生物は成立し得ないでしょうし
生物が成立していなければ社会も成立できない気がします
(しかし化学はなくても生物学はあり得る気がします)。
認識されている世界はよほど注意深く見ておかないと
その構造はわかりにくい気がするところです。

84 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 16:20:10.29 0.net
さて、では、AIは「笑い」を判別できるのでしょうか?
様々な「笑い」を判別する手がかりを与えてくれるのではないかと思い、
ベルクソンの『笑い』を図書館で借りてきました。まだ読んでいませんが、
ぱらぱらとページをめくってみた限りでは、どうも期待薄という気がします。
AIが表情や声として「笑い」を認識することはできるでしょう。
しかし、人にとって重要なのは、それがどのような「笑い」であるかです。
「にこにこ」しているのと、「にやにや」しているのは違うし、
「にこっ」と笑うのと、「にやっ」と笑うのは違います。
満足して笑顔になるのと、どう反応していいのか答えに窮して苦笑いを
浮かべることもまるで意味が違うでしょう。それは見た目や声で判別
できるのか。AIにとってだけでなく、人にとってもその判別は難しい
はずです。それでも、その「笑い」がどのような笑いであったのか
は、人にとって重要な意味をもつ。見下されて嘲笑されるのと、
あたたかく見守られてほほ笑みかけられるのとでは、その影響は
段違いではないでしょうか。「笑い」は、にその多様な違いの判別を
含めて、どのように適切に記述できるのか。

85 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 16:41:06.87 0.net
笑いの心地よさを決めるのは、自らが相手とどのような関係にある
と認識するかに大きく依存しているのではないでしょうか。
例えば、見知らぬ誰かが自分に笑顔を見せたとして、
それを「ほほ笑みかけてくれた」と感じるか、それとも
「気持ち悪い笑顔を向けられた」と感じるかは、相手が自分に
対してどのような関係にあると認識するかに依存するのではないでしょうか。

86 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 17:00:59.09 0.net
これは「笑い」が言葉として既に表現されている場合でもつきまとう
問題なのです。例えば、フランス語で小説を読んでいれば、
《ricanement》という表現が出てきて、仏和辞典を引くと、
「冷笑、嘲笑」などと記載されている。もちろん、その解釈が
そのまま当てはまる事例もあるのですが、それが当てはまらない
事例も頻繁に出てくる。すると、その《ricanement》をどう解釈する
かによって、読みは大きく違ったものとなる。

87 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 21:06:07.28 0.net
>>72
ただ、全ての数学的法則や定理なども思考の人間産物で、数学的真理も存在しないとすると、
前スレでも指摘されたように、人類誕生前の世界は何の数学的・自然法則もなく、
単なるカオス状態なのかという問題が出てくるからなぁ。

つまり、人類誕生前の宇宙歴史を考える以上は、何らかの法則やら真理やらが
人類に先立ち存在するという前提が必要になるというわけですかね。

88 :時計 :2021/06/11(金) 22:00:59.21 0.net
>>82
「経験していない過去は未来であり得る」ですね、確か。
純粋な主観主義では、主観的経験の羅列が時間だと考えるわけです。

創発に関しては、繰り返しになるかと思いますが、
発見とか整合とか身近な言葉で置き換えられないものかと考えます。

>>84
私の考えでは、笑いこそ整合性です。
過ちを捨てること。ボケとツッコミの関係です。
それが基本で、ニヒリズムなども関わってくるのかなと思います。

89 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 23:29:50.72 0.net
>>77
舌や軟口蓋にある食べ物の味を感じる味蕾と呼ばれる物質が人間の舌には約10,000個あり
障害が起こると神経伝達されませんので脳は味の質を味覚処理をすることはありません。
となると物体が運動量やエネルギー云々の話も眉唾です。
例えば生物の進化などを脳はどのように感じているということになるのでしょうか?
例えば、脳の存在を感じたいのであればCT画像などで確認すれば感じとれますが。

90 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 23:31:40.80 0.net
笑いは、基本的にうれしい気持ちの表れなのではないかな。
どのようにうれしいと理解できるのか、できないのか
によって、またそのうれしさを相手に見せたいのか、
隠したいのか、隠しているように見せたいのか、
それとも、相手をまったく気にしていないのか、
そういうことによって、いろいろ分類されているように思える。
「うす笑いを浮かべる」のと「少しだけ微笑む」のと
表情として区別できるような違いがあるだろうか。

91 :考える名無しさん:2021/06/11(金) 23:34:30.82 0.net
いつも爽やかな笑顔でかわいらしい人と、
いつも薄笑いを浮かべていて気味が悪い人の違いは、
どこにあるだろうか。

92 :時計 :2021/06/12(土) 01:42:02.48 0.net
>>90
整合性というと硬いですが、整合性は感情として喜びを伴うと考えます。
しかし、おっしゃるようにコミュニケーションとしての笑いは様々だと思います。

>>91
悲しい時に憂いを含んだ表情をするとか、
そうすべきときにそうするかどうかではないかと思います。

93 :超球面論理 :2021/06/12(土) 02:02:02.30 0.net
創発は、発見よりは発明の類だと思いますね。
発明の圏なんてものもあるような気がしてそれらしきものを探しています。
層(数学)周辺にそのようなものがあると思います。
数学屋ではなく人工知能屋なので抽象的なものというより実装可能なものをと考えています。

94 :時計 :2021/06/12(土) 03:56:48.83 0.net
>>93
確かに、発明の方がしっくりくるような気はします。
応用がはっきりしている方が、学習意欲は高まりますね。
数学が好きであれば、何でもいいのかもしれませんが。

95 :時計 :2021/06/12(土) 05:01:45.75 0.net
>>94
応用のない数学などないのかもしれません。

96 :非標準超球面論理 :2021/06/12(土) 06:20:36.16 0.net
あ、ちょっと思いついた。
圏は対象と射からなる。
対象は(恒等)射を持つ。(恒等射からなる、と考えてみる)
射は2つの対象(domain,codomain)を持つ。(2つの対象からなる、と考えてみる)
恒等射も2つのdomainからなると考えてみる。
(domain,codomainは、対象の集まりとも説明されるが、それ自身も対象であってよい)
つまり、「対象」は恒等射を持つ故に、常に2つだw
これは、「非標準」な圏論だw
標準圏論上で非標準圏論を展開した場合、どちらがより基本的か、といえば、非標準圏論だろう。
数学的圏論ではなく哲学的圏論や物理学的圏論あるいは文学的圏論は「非標準圏論」だろう。
「アイデンティティ」の圏論的意味が確定した、と思う。(説明はせんがねw)
というわけでハンドル変更。

97 :考える名無しさん:2021/06/12(土) 06:34:16.04 0.net
>>90-91
このような問題について考えると、人々によって普通に評価の
対象となると考えられている「人格的な特徴」は、事実として
どこにどのように存在するのかという哲学的な問ひに導かれる。

98 :非標準超球面論理 :2021/06/12(土) 06:36:15.62 0.net
純粋数学なんて応用は度外視ですよw

「存在」とは、「アイデンティティ」を[持つ/与えられる]ことである。
それには虚身が必要だ。
実身/虚身のペアが対象だ。
いままで「射」を中心に考えてきたがこれを改める。
実身・虚身をつなぐものが恒等射であり、
これは化身(の集まり)としての直交補集合(空間)をつくりだす。

99 :考える名無しさん:2021/06/12(土) 06:46:30.39 0.net
一般に「人格的な特徴」は安定していると考えられているので、
特定の人を描写において「爽やかな笑顔」が「気味悪い薄笑い」に
容易に可逆的に不安定に切り替わってしまう記述は、独特の印象
を生じさせ、その印象とは、記述している「本人の方が著しく
情緒的に不安定である」というものである。その一方で、人は
誰でも自らがそのような「人格的な特徴」を表現するとされる
描写の対象とされている(多くの場合、暗黙に)ことを意識しており、
その描写は、多くの人にとって決して安定していない。

100 :非標準超球面論理 :2021/06/12(土) 06:47:40.97 0.net
ちょっと訂正、実身から虚身を経由して実身に帰ってくる(帰り方はまだ詰める必要がある)のが恒等射。
物語論的恒等射wが対象であり存在。
アイデンティティが他から与えられる場合は(他から)「語られる」が、
自分自身が与える場合は「自分語り」。

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