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意識のハードプロブレムの答え10

129 :でこすけ:2021/06/14(月) 06:25:26.30 0.net
>>126
私としましてはジャングルやサバンナで原始的な暮らしをしている人々が
どのような宇宙観をお持ちなのかまでは存じませんが、
おそらくたとえば平均的な文明人なら漠然と時間は宇宙空間の隅々まで一定の
ペースで歩調を合わせて流れているものと思っているのではないかという気がします。
しかしたぶんそのような時間感覚は私たちの勝手な思い込みです。
私は相対性理論には懐疑的ですが、
仮に相対性理論が間違っていたとしても時間は相対的なものであろうと考えます。
絶対的な時間は日常感覚から身についた幻想だと思います。
少なくとも知性が持つ普遍的な宇宙観でなければならない理由は無いはずです。
何故なら理性はたいていのことに究極の根拠を示すことができないためです。

同様に私は「超越した真理」というのも日常感覚から身についた幻想であろうと考えます。
少なくともそういったものが客観的に成立しているという根拠は得られないはずです。
ただ、ここでご理解いただきたいのは、私が疑念を持つのは一般的な定理や論理
などではなくて、それを正しいと認識する理性の方だということです。
私たちに「A=A」が正しいか否か判断する能力は有ると言い切れるのか、
有ると考えるのであればその究極の根拠はどのようなものなのか、
ちなみに私はすべての真理とされるものは本当は仮定の域を出ていないと考えますが、
そしてそれでトラブルが起こることはたいていの場合で無いとも思いますが、
いずれにしても絶対的な答えは無いと考えておく方が妥当のような気がします。

さて、「“絶対的な答え”は無い」というのは“絶対的な答え”足り得るのか、
この矛盾から見えてくるのは「言葉」や「知性」といったものに本質的な意味はない
ということだと思います。
少なくとも「思考」という営みは世界の中の必然ではなく、
むしろ何かの副産物のような気がするところです。

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