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意識のハードプロブレムの答え14

1 :時計 :2021/11/27(土) 16:12:50.96 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え13
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1635120903/

2 :時計 :2021/11/28(日) 09:52:22.87 0.net
>>前スレ999
私はオリンピックに関してと特に思いはありませんから、
思いが叶ったとも、叶わなかったとも思いません。
ただ、思いがあるから、あるいは言葉があるから、
未来があるという考えには基本的に賛成です。

3 :偽パルメニデス :2021/11/28(日) 09:57:04.24 0.net
>>1
貴方はわたしには他人

存在すると同時に存在しない? 

4 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 10:15:11.33 0.net
前スレ998読みましたけど
自由意志、天啓、理心、存在
どういう意味で使ってるか
説明があると読み取り
やすいんですが。

5 :時計 :2021/11/28(日) 10:27:28.36 0.net
>>3
難しい質問ですね。
貴方には私の意識は存在しないと考えます。

6 :時計 :2021/11/28(日) 10:32:29.91 0.net
>>4
自由意志は、人間的な因果に捕われない志のことだと思っています。
天啓は、神あるいは超越者から与えられる教えだと思っています。
理心は、言葉遊びでもありますが、
その言葉で理性が感情より優位であることを示したつもりです。
存在は、主観的であると考えています。

7 :時計 :2021/11/28(日) 10:40:19.51 0.net
>>2
正:特に
誤:と特に

8 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 11:23:07.86 0.net
>>6
詳しくどうもです
人間的な因果に捕われないで理性的な志しを持つのは無知ゆえというより、無意識ゆえだと思います。
今だ意識できない潜在的な理ですね。
神的なというのがこれまた何を意図しているのか分かりませんが、真の天啓なるものは、いわゆる真理だと思います。

9 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 11:44:03.34 0.net
「思惑が当たる/外れる」ということについて考えてみることが、
神的であること、神をいは(斎/祝)ひ、まつ(祀/祭)ることについて
考える手がかりになるのではないかと思ひます。

10 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:10:08.41 0.net
前スレからの問ひに対する応答ですが、
挨拶でなぜ下位の側が先に声を発することが許されるのか
というと、下位の側の挨拶は、相手の「ご機嫌うかが(伺/窺)ひ」であり、
相手の気を損ねるような状況が生じていないかどうか、挨拶する側が
配慮する立場にあることを明示しようとする行為だから、というのが
答えです。だから、互いが同等の立場にあると認識しているのなら、
互いにご機嫌うかが(伺/窺)ふ言葉を交わすことになる。

11 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:11:24.33 0.net
神をいは(斎/祝)ひ、まつ(祀/祭)ることについて考える手がかりで、思惑が当たる外れるについて考える意味が何にあるのでしょうか?

12 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:14:49.16 0.net
なぜ挨拶に許しが必要という認識を抱いてしまったのでしょう···

13 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/11/28(日) 12:15:52.10 0.net
この世界の物理法則は保存則だけでよい。
数学的定理としてはタルスキの定義不可能性定理(あるいはゲーデルの不完全性定理)
だけでよい。
ただし、どちらも、もう少し一般化せねばならない。
そうすれば、後者は前者から導出可能であろう。
「定義」を定義できないのは、タルスキの呪いであるw
一般化された保存則のもとでは、エントロピーですら保存されるw
エントロピー増大則は、勝手に増大しているわけではなく、保存則の配下にある。

14 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:19:14.73 0.net
相手の意向をおうかが(伺/窺)ひする御用聞きの場合も同様ですが、意向を
うかが(伺/窺)ふというのは、形式的に行為を代行する権限を得るわけですから、
主権者とそれを代行する側との間の関係が生じることになります。

15 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:26:33.75 0.net
「ねぎ(禰宜)」ではない「ねが(願)ひ」事として、「〜『を』してください」
と相手に自らの思ひを伝へることは、行為を「催促する要求である」と受けと
められる畏れがあり、そうなると自らが相手に要求を突きつけることが
できる立場にあると思ひ上がっているものと相手に理解されるからです。

16 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:28:15.45 0.net
>>14
これは、どのレスの何にあてたレスでしょうか?

17 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:35:21.01 0.net
可能性ならね

18 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:38:41.15 0.net
相手に声をかけるということは、相手を呼ぶということであり、
自分に対して相手の注意を求めることになるわけですから、
相手の注意を求めるからには、自分がどのようにか相手に
役立つことをする用意があることを示すのでなければ、
声をかけるだけで相手に対する要求となってしまうからです。
無用な電話をかけられたら、それだけで迷惑でしょう。
それと同じことです。

19 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:40:52.27 0.net
>>16
>>14は、レスというよりも、説明の敷衍です。そのように敷衍すること
によって、通常に「政治」と呼ばれているものと「意」の関係が
分かりやすくなります。

20 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:46:30.77 0.net
通常、「政治」と呼ばれるものは、形式の上では、主権者の意向に沿ふように
執り行はれることを、その正当性の基礎としている。このことは、天皇を中心と
したまつりごとでも、王権政治でも、民主主義の議会政治でも共通しています。

21 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:51:24.81 0.net
であるとすると、「政治」がどのように実現されているのか
を知るには、そこにおいて「意向」が実際にどのように働いて
いるのかを記述することが重要であることになる。

22 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 12:52:43.79 0.net
>>19
そうでしたか、すみませんでした、続けてください。

23 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/11/28(日) 13:07:25.04 0.net
決定論は非決定性をも含んでいる。
チューリングの停止性問題によって、非決定性が決定論的に与えられるw
チューリングの呪いである。
(それ以前に、時空間のない状態では決定論は無意味だ)

自由意志は、保存則に従う。
意識の根源が点(無定義用語)の振動であるとすれば、それが自由意志である。
宇宙はひとつの自由意志であり、その内での、階層化された内面も自由意志である。
その自由意志の内にも自由意志がある。
この自由意志はそれぞれの主観世界である。
(階層化のメカニズムは...なんだっけ。よく思い出せないので、ここは考え直そう)

24 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 13:43:35.23 0.net
保存則は、権利(or責任or義務)や raison d'être、
pride(self-respect)、自尊心、誇り的

モンテスキューやロック的な流れの三権分立は
国(共同幻想)の権力についての概念だが
stateとしては個(自己幻想)も構造は同じ

全くのfreeか free agentか 特定に仕えるagentかとか
コンテクストの方向決定の原因論とかおもろいかも

25 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 13:48:50.28 0.net
インフラ化すると、隠密とか忍者みたいに
透明になるのね
いろあるものはさいわひなり か

26 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 14:33:38.03 0.net
絶対王権の政治では、形式上、行政の執行は王の意向に沿ふように
行はれることによって正当化されるはずです。しかし、そこで
実際に様々な意向がどのように働いて。王の権力の執行として
実現されるかは、それほど単純ではないでしょう。場合によっては、
王は、王の意向に沿ふものとされる提案を提示されて、それを
自動的に承認する、形式だけの権限付与機能を担わされることも
考えられる。

27 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 14:42:58.43 0.net
では、民主主義の議会政治における、主権者とされる国民の意向は、
現実にどのように働いているでしょうか。絶対王政においても、
そこで執り行われる政治が、その形式を以外では、必ずしも
王の意向にそのまま沿ふものであるとは言えないものであるとすると、
民主主義の政治において、国民の意向は、絶対王権の王の意向
よりも実効力を発揮していると考えられるのか。また、そもそも
民主主義の議会政治は、「国民の意向」に沿うようにまつりごと
を執り行うことを可能にする制度なのか。

28 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 14:54:43.06 0.net
このような問ひを発することが可能である一方で、「思ひを同じくする」
人々が協力して、各自の意向に沿ふようにすることで、各自が独力では
かなへることできない各々の思ひをかなへることは可能であり、人類の
歴史上、ずっと行われてきたことであるとも言えます。その典型が、
人々が集団で集落を形成することであり、例えば、各世帯の暮らす
ことになる住居を、順番に協力しながら建てることで、独力では
到底持ち上げることのできない大きな建材で造られた世帯ごとの住居
を建て、維持することが可能になる。

29 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 15:05:14.44 0.net
だが、ここでさらに問ひが浮かび上がる。それは、民主主義の議会政治に
おいて国民が投票し、その投票によって示されるものとされる意向が、
その数においてとりまとめられることは、集落を形成する人々が互いに
順番に力を貸すような仕組みと同じような働きをするのか。「投票に
よって意向をとりまとめる」ことは、それとは似ても似つかないまったく
別の働きをしているのではないか。

30 :時計 :2021/11/28(日) 15:06:02.80 0.net
>>8
無知と無意識の異なりは、無知は賢くなることで
有知になることが可能であるのに対して、
無意識は科学的に意識的になることが不可能である
ということだと思います。
そういう意味では、自由意志は無意識ゆえだという考えは、
自由意志は無知ゆえという考えより厳しいのかもしれません。
私は、天啓を未来的に考えています。
それゆえ、私は、それを真の自由意志と表現しました。

31 :時計 :2021/11/28(日) 15:35:48.89 0.net
民主主義に関しては、将来的にはテコ入れが必要かもしれません。
例えば、立候補するのに資格を取得することとか。
あるいは、有権者側に、大学入試のような共通試験を作って、
低い点数の有権者は投票できないようにするとか。
もっといいアイデアがあるといいけど。

32 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 16:22:06.77 0.net
>>30
「科学的に」をどう定義するかによりそうですね、科学は理論的に矛盾したとしても、実験結果が事実なら結果を受け入れる、そういう意味で哲学より単純ですね。

それから、未来的に考えると、「ゆえに真の自由足りえる」というのは、可能性という意味でしょうか。

33 :時計 :2021/11/28(日) 16:40:56.25 0.net
>>32
この「科学的に」は「経験論的に」というようなことです。

そうですね。未来を切り開く可能性というニュアンスです。

34 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 17:23:29.53 0.net
>>32
経験論的に無意識が意識的になることは不可能という考えは、どういう推論によるものなのでしょうか。

35 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 17:27:56.39 0.net
>>34のレス番は、33へ訂正

36 :時計 :2021/11/28(日) 17:37:38.23 0.net
>>34
経験論的に、無意識と意識をわけるということです。
私自身、無意識とはこういうものだという考えは十分にはありません。
ただ、精神科学の世界で無意識というものは語られていますから、
それを指しているつもりです。

37 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 17:41:33.86 0.net
>>36
なるほど、そうですね。

38 :時計 :2021/11/28(日) 17:43:16.45 0.net
>>37
私としては、本来、自由意志は存在すると考えるのは無知ゆえなのかを
問いたいと思っています。
ただ、無意識ゆえにという考えもあると指摘されましたから、
それについても考えてみたいと思っています。

39 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 18:47:28.53 0.net
fff

40 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/11/28(日) 18:54:24.92 0.net
決定論は決定論的に非決定論を含む。
だからといって、それが自由意志ではない。
決定論的自由意志を考えるなら、
決定論的世界と自由意志側に決定論的世界があればよい。
2つの決定論的世界があって、それぞれの世界を保ちながら干渉し合う。
そうなると、どちらの世界にも、相手側からみればそれぞれの自由意志がある。

わたしの決定論的な内的世界の外側には外的世界の自由意志があり、
わたしの決定論的世界に従わない場合もある。
ということで、決定論的世界=自由意志、であるw
これならば、決定論的な機械であっても自由意志を持っているということに...
そうなると、無意識も、意識の内にあるひとつの決定論的自由意志である。
意識は、複数あるかもしれない内的自由意志を調停しているにすぎない、
のかもしれない。

41 :時計 :2021/11/28(日) 19:19:31.81 0.net
>>40
>決定論は決定論的に非決定論を含む。
私はこの考えに基本的には賛成です。神はサイコロを振る。
私は、決定論に対する無知が自由意志であるかという問題意識を持っています。
私は、それも自由意志かもしれないが、
天啓こそ、自由意志の本質ではないかと考えています。

42 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 20:59:32.63 0.net
将来、自由意志の存在が示されたら、どうやって意識が脳をドライブするか理解出来るようになるかもしれませんね。

43 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/11/28(日) 22:02:36.70 0.net
自由意思を考えると、それは決定論的世界から隔離された内部構造を持っていなければならない。
自由意思そのものは決定論的あるいは機械的であってもよい。
自由意志側は、その外側の決定論に従わない。
自由意志側の決定論に従う。
(ただし、ここでいう決定論は決定論的非決定論を含む)
自由意志は主観的世界での決定論によって外側の決定論的世界と接続される。
外側の決定論的世界も、自由意志側の主観世界からみれば、
自由意志側の決定論に従わないひとつの自由意志である。
特に、なんらかの霊的な存在など必要としない、決定論的自由意志である。
意識は、自由意志側のさらに内部の(複数の)無意識的自由意思を調停する
自由意志の記録である。
無意識内部にもさらに意識としての主観世界があったとしても、
意識としての主観世界とは交わらない。
無意識と意識の入れ替わりがあれば、多重人格も説明できるw

44 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 23:27:52.00 0.net
>>28-29
集落における順次の相互扶助では、自らが集団の意向に沿うように力を貸す
ことで、自分が助けを借りる番が回ってくれば、今度は、集団が自分の
意向に沿ふように力を貸すという形で集団と各自の意向が円環を形成する。
しかし、民主主義の議会制度の下では、主権者とされる国民の意向が
どのようにとりまとめられ、その意向に沿ふように政策が実施された
ところで、人々の間で各自の意向がそのように相互協力的な円環を
形成することは決してない。

45 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 23:40:07.76 0.net
企業組織が経済活動の中心を担っている社会においては、理念の上では、
通貨の使用が、そのような集団と各自の意向が円環を形成する機能を
果たすべきものとされる。しかし、あらゆる企業組織は、階層的に
組織化されてされており、人々は常に、階層的に上位の者の意向に
沿ふように働いて賃金を得る一方で、各自の意向は、消費者として
商品やサービスを購入することによって実現されるようにする。
民主主義の議会政治は、そのような形での意向の働きの組織化を
基盤として成立している。

46 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 23:44:59.32 0.net
>>44
誤:その意向に沿ふように政策が実施されたところで
正:その意向に沿ふように政策がどのように実施されたところで

47 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 23:47:52.79 0.net
>>27
誤:その形式を以外では
正:その形式以外では

48 :考える名無しさん:2021/11/28(日) 23:52:11.21 0.net
社会科学系の人々も、思想系の人々も、制度やイデオロギーについて
語ることばかりに熱心で、各自にとって社会がどのように機能している
のかを記述することにはまるで関心がない。

49 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 02:16:03.87 0.net
ホストに成るぞ

50 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 07:52:10.44 0.net
>997主権者のこゑを聴くとはどういうことか2021/11/28(日) 08:07:26.600
>>985
政治が抱えている問題の核心もこのような具体性のレベルにある。
それは、それがどのようなものであれ、思ひがかなふとき、
その思ひをかなへるように働く意の向き、すなわち、その意に
沿ふ向きが「正」であり、その意に背く向きが「反」であることであり、
「正」に向かふことが「良い」こととされ、「反」に向かふことは、
「悪しき」こととされるということである。<

さて、民主主義の議会政治における「意向のとりまとめ」によって
正当化されてまつりごとの執行されるとき、その政治に投票の有権者と
して参加する各自の意向はどのようにかなふ(またはかなはない)ことになるのか?

51 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 08:03:47.75 0.net
誤:まつりごとの執行されるとき
正:まつりごとが執行されるとき

52 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 08:32:01.66 0.net
塩なめくじさんは撃沈してしまったのだろうか。

53 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 08:57:24.07 0.net
>>45
掲げられるイデオロギーの違いがどうであれ、世の中で
物事が自らの意向がかなふように動いていないと訴える人々に
対して政治活動が提示する提案は、いずれも、各自の商品や
サービス(公的、半公的な福祉サービスを含む)の消費購買力
を高めることができるように(直接にであれ、間接的に
であれ)金回りをよくすることと、より多くの人々の活動
が企業組織を中心とする階層化された組織集団の活動に
より効率的に組み込まれるようにするという約束を掲げる
ことでしかないように見える。

54 :偽パルメニデス :2021/11/29(月) 09:48:58.93 0.net
>>5
貴方がわたしを後ろから殴り殺す

わたしに貴方は物理として存在する、しない、どっちですか?

存在するなら意識しなくてもしても関係なく存在するということになりませんか?

55 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:15:28.16 0.net
>>54
殺されたら物理的に意識できないから、偽パルさんも存在しないということになるんじゃない、主観主義者ってそういうことかと。

56 :政治としての心身問題:2021/11/29(月) 10:16:10.88 0.net
>>50>>53
一般的に政治的な問題とされていることの核心も、人々の意向の
働きの組織化にあると考えるなら、みづから(身づ柄/自ら)が
「できること『を』する」において「を」によって示される
呼応関係の実現、すなわち、「みづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)」
が「を」/"Why not 〜?"と呼びかけることに「みづから(身づ柄/自ら)
の身(み)」が「を」/"Why not?"と応えることが「できるようにする」
ことそのものが、政治とは無関係の単なる個人的なの行為など
ではなく、「ひと(人/一)」としての心身問題であるとともに、
すぐれて「(反/)政治的な問題」であることが分かる。実際、
そのことをわきま(弁)へていなければ、先に引用した紫式部に
よって詠まれた歌を適切に解釈することもできないだろう。

>数ならぬ 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
                         ― 紫式部
>心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず
                         ― 紫式部

57 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:17:14.17 0.net
誤:「できること『を』する」において
正:「できること『を』する」ことにおいて

58 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:23:54.69 0.net
多くの人は、私の書込みについて、後からの誤記の訂正の多さに
呆れて、きちんと誤りがないか見直してから「書き込む」ボタンを
押せばいいではないか、と思うかもしれないが、そうはいかないのだ。
私は、自分で既に考えて整理のついたことを書き込んでいるのではなく、
書込みながら自分の考えを互いに関連付け、整合性がとれるかどうか
試行錯誤しているからである。人と対話するのに、いちいち自分の
発言を見直してから話していたのでは、対話が円滑に成立しなくなって
しまうのと同じで、そのような書き方では、思考の働きが妨げられて
しまうことになる。

59 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:26:07.14 0.net
誤:個人的なの行為
正:個人的な行為

60 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:43:41.27 0.net
「することができる」ことの自律性を放棄し、「させていただける」
ことだけができると認識している人(そのような存在を「ひと(人/一)」
と呼ぶことがふさわしいのかどうか疑問だが)の集合による、「民主主義」
の政治は、形式としてだけでも成立し得るのだろうか。

61 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:45:43.66 0.net
事実、階層化された企業組織における人事に「民主主義」は不在である。

62 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 10:58:09.08 0.net
ところで、個人の消費購買力を向上させるように金回りをよくすることも、
そのために人的リソースが企業により効率的に活用されるようにする
ことも、階層化された企業組織における人事の円滑化と直接に結び付いて
いる。

63 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 12:10:24.53 0.net
日常は終わらないので定義しきれず完全なソースコード
をフルコンパイル不可能
ときに暫定的包括処理とインタプリタになる

ビッグデータ活用は短期的インタプリタの精度上げと
ニチジョウのソースアップデートに

64 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 12:19:56.03 0.net
快感の分配問題の気もする
暴君ネロのような場合ネロに快感が一極集中する
セネカの最期はエグかったが、昨今の静かなストア派ブーム
は理解できる

65 :時計 :2021/11/29(月) 13:15:22.19 0.net
>>54
物理として存在するかということはよく解りませんが、
実在するかしないかであれば、実在すると思います。

66 :偽パルメニデス :2021/11/29(月) 13:20:02.19 0.net
>>55
認識に対象化されないだけで存在するでしょう
耳が不自由な人は音波を器官不全で認識に対象化出来ない
わたしたちは対象化するがわたしたちが居なくても音波は存在する

恐竜は認識に対象化するまで存在しない?
新発見はどう説明するか
顕微鏡の世界は想像できない形態の生物が


わたしは主観に関係なく存在するって普通に理解します

67 :偽パルメニデス :2021/11/29(月) 13:22:32.60 0.net
脳は物理的干渉で変容します
場合によっては機能しなくなる

物理と意識の関係は?

68 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 13:26:41.41 0.net
制度的には絶対王政であっても、王の権力は、王の意向を伺って
それに沿ふようにまつりごとを執り行う人々が、その意向を
どのようにか誘導すること、つまり誘(『を』び)き出すことが
できるなら、主導権を失って無力化する。
これと同じことは、議会選挙制による民主主義においても当てはまる。
「民意」という投票によってカウントされる意向に沿ふように
政策が実施されたとしても、その「民意」がどのようにか一方的に
誘(をび)き出されるものであるのなら、その「民意」に賛成する
票を投じた人々にすら、政治を主導する力はない。個人が消費者
として自らの意向に沿ふように行う商品やサービスの消費購入
活動においても、それが広告宣伝活動という誘(をび)き出しに
よって動機づけられ、あらかじめ決められた選択肢に個人の
意向を反映させる余地がないことは、既に人々によってよく
認識されているだろう。

69 :PR活動によるをび(誘)きとしての統治”管理”:2021/11/29(月) 13:35:57.19 0.net
人々は、かなふことを願っている思ひである自らの意向を、
議会選挙制度における投票を介して、その選挙の結果がどうであれ、
「自らの意向のまがいもの」を、その意向が反映されるとされる
「民意」としてつかまされることになっていないだろうか。

70 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 13:43:30.95 0.net
みづから(身づ柄/自ら)にできることをしようとつねに試みる
ことは、それだけで既に十分に(反/)政治的である。

71 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 14:43:41.16 0.net
>PR活動によるをび(誘)きとしての統治管理

このように表現してみると、「『を』びく」という言葉の意味も明確に
理解できる。それは、他者に、みづから(身づ柄/自ら)の心の呼びかけ
の声である「を」/"Why not?"に、みづから(身づ柄/自ら)の身の応答
の声である「を」/"Why not?"が応えようとしているかのように
思い込ませて、他者を自分の意向に沿ふように誘導しようとする
ことである。

72 :をとり(囮)としての知識人:2021/11/29(月) 14:49:33.40 0.net
すると、教室の授業を含め、様々な言論メディアにおいて社会的な地位を
与えられて言論活動をしている知識人は、本人にその自覚があろうと、
なかろうと、人々を誘(をび)き寄せる「をとり(囮)」の役割を担っている
ことが分かる。

73 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 14:51:51.99 0.net
>>66
理解の仕方は人それぞれでいいんじゃないですか。

74 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 15:09:36.40 0.net
「をとり(囮)」は、をび(誘)き寄せるためにその場所に置かれている
のだから、「をとり(囮)」に「『をび(誘)く』ことをやめろ」という
のは土台無理な話である。「をとり(囮)」は、「をび(誘)く」ことを
しなくなったら、その役割をする別の「をとり(囮)」で挿げ替へられる
だけだ。

75 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 15:43:42.33 0.net
>>74
すげ替えたければどうぞどうぞ

76 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 18:18:14.79 0.net
自分が相手の意向に沿ふようにするという形式をとりながら、
自分に都合が良くなるように相手の意向を誘導する振舞ひは、
別に陰謀論のようなものを想定しなくても、日常的に行はれて
いる行為であり、セールス・トークとは基本的にそのようなもの
であり、また、相手を尊重していることを示す必要がある場合
の誘いかけも、そのような形式をとる。先日、『オックスフォード
ミステリー ルイス警部』という英国のTVドラマを観ていると、
ちょうどそのような場面が出てきた。
https://www.youtube.com/watch?v=XK-19yKM4eM
40:16-40:20で、ルイス警部のアシスタントが
"Fancy a pint, Sir?(1パイント(のビール)、いかがでしょうか)"
と問ひかけると、ルイス警部が、"Why not?"と応える。
この"Why not?"は、提案されたことに対する同意を示すもの
であるが、ルイス警部は、誰の意向に沿ふことになっているのか。
少なくとも言語表現の形式上、それは、ルイス警部本人の意向である。

77 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 18:35:23.77 0.net
なぜなら、ビールを飲むことを誘いかける問ひは、同等の立場からの
"Why don't we have a pint?"という提案ではなく、
"(Do you) fancy a pint, Sir?"というルイス警部本人の気分を尋ねる
問ひかけの形式をとっているからだ。この場合、"fancy a pint?"
は、「1パイント(のビール)『を』!」/"Why not a pint?"という
「心の呼び声」が、問いかけられた相手であるルイス警部にあるか
どうかを尋ねているのである。したがって、ルイス警部が
"Why not?"と提案に同意するとき、ルイス警部は
「みづから(身づ柄/自ら)の心の呼びかけの声」の意向に沿ふように
することを表明していることになる。無論、それは、形式の上だけ
のことであって、実質上、意向の主導権を握っているのは問ひかけた
方であるが。

78 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 18:52:05.46 0.net
>>69
構文が乱れて文が成立していないな。書き換えます。

人々は、かなふことを願っている思ひである自らの意向を、
議会選挙制度における投票を介して(その選挙の結果がどうであれ)、
「自らの意向のまがいもの」に変換されて、「民意」として
つかまされることになっていないだろうか。

79 :時計 :2021/11/29(月) 20:10:31.05 0.net
>>78
そこは曖昧にぼかされているように思います。
民意を反映するという言葉があります。
民意が実現するとは言いません。

80 :時計 :2021/11/29(月) 20:11:08.16 0.net
>>79
「言いません」は言い過ぎたかな。
「あまり言いません」ということで。

81 :時計 :2021/11/29(月) 20:27:57.86 0.net
1枚の紙が必要な時、ルーズリーフしか手元にない。どうするか。
ルーズリーフの穴の部分を切断するという立場はあり得る。
この立場は、完璧主義、潔癖症などと言えると思う。
もう1つの立場では、ルーズリーフの穴の部分を切断しない。
あるものを活かす、妥協的な立場などと言えると思う。
私は、両方の立場を理解できる。
完璧主義は世間との折り合いが悪い。
世間と衝突することもしばしばである。
後者の立場は世間との間に波風は立たない。
どちらも良いところと悪いところがあるように思う。

82 :考える名無しさん:2021/11/29(月) 23:26:00.97 0.net
>>81
ルーズリーフが紙じゃないなら兎も角そもそも紙だから、穴をどうしようが波風は立たないんじゃないかと。
そして、そもそもなんで、そういう思考実験がでてきたのか、分からないわけだけどw

83 :身にしたがふは心なりけり:2021/11/30(火) 00:33:57.85 0.net
前スレで、以下のことを指摘した。
>思ひをかなへるように働く意の向き、すなわち、その意に
沿ふ向きが「正」であり、その意に背く向きが「反」であることであり、
「正」に向かふことが「良い」こととされ、「反」に向かふことは、
「悪しき」こととされる<

この考へを踏まえるなら、相手に対する「よ(良)し」という「ゆる(許)し」
は、「みづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)」の呼びかけである「を」/
"Why not?"が相手に導かれていることを認識しながらも、その呼びかけの
「を」/"Why not?"に「みづから(身づ柄/自ら)の身(み)」が
「を」/"Why not?"と応へることである、と記述することができる
のではないか。

逆に言えば、みづから(身づ柄/自ら)が相手の命(みこと)にしたが(従)ふ
べき立場にある場合、「みづから(身づ柄/自ら)の身(み)」は、相手の
呼びかけである「を」/"Why not?"に「を」/"Why not?"と応へること
しかできないので、「みづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)」は、
そのように応へる「みづから(身づ柄/自ら)の身(み)」にしたが(従)ふ
他ない。

84 :身にしたがふは心なりけり:2021/11/30(火) 00:39:30.37 0.net
みづから(身づ柄/自ら)が、相手の呼びかけである「を」/"Why not?"に
「を」/"Why not?"と応へることしかできない身(み)であれば、
「みづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)」は、「良し/悪し」を云々することができない。

85 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 00:43:07.88 0.net
現代でも政治問題の核心は、みづから(身づ柄/自ら)の心身問題としてある
と言うことができる。

86 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 01:05:47.38 0.net
だからこそ、「を」/"Why not?"と応へることしかできない身(み)として
ある者は、しばしば、酒でみづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)
の働きを麻痺させようとするのだろう。また逆に、「を」/"Why not?"と
呼びかけることはできても、それに「を」/"Why not?"と応へること
のできる身をとも(伴)はない心(こころ)は、あらかじめ応へのない
ことを知りながら、その呼びかけの声(こゑ)を歌に詠むことになるのだろう。

87 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 01:16:42.39 0.net
ちなみに、私自身は、駿河なる/「する」=「なる」ことを
志向しているので、酒を飲むこともごく控え目であり、
歌を詠もうとすることはまったくない。

88 :時計 :2021/11/30(火) 02:10:25.71 0.net
>>82
タイトルは「ルーズリーフは1枚の紙bニ言えるのか」bナす。
そb烽サも何故そのb謔、なことを書b「たのかというbニ、
最近bフこのスレの読試メと書き手の「bキれ違ひ」を風試hしたかったかb轤ナす。:)
成功していないようですが、それでいいんです。不完全性も表現ですから。

89 :時計 :2021/11/30(火) 02:22:38.26 0.net
>>88
82さんはYESですよね。NOという完璧主義者もいるんです。

90 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 03:44:16.50 0.net
ホストの面接行こう

91 :偽パルメニデス :2021/11/30(火) 05:41:32.14 0.net
>>73
学問が成立しますか?
議論するのは何故?

92 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 07:15:26.80 0.net
>>90
ホストというのは、客の意向に沿ふサービスを提供する振舞ひをしている
ような見せかけで、酒を沢山飲ませて客の判断力をゆるめ、
客の意向を自分たちの商売の都合の良いように誘導しやすいようにして、
そのことが結果として客にもたらす不利益の大きさに配慮することなく、
自分たちのためだけに最大限の利益を引き出そうとする、をび(誘)き寄せ
の技法そのものではないでしょうか。

93 :「『を』とり(囮」としてのホスト:2021/11/30(火) 07:21:07.51 0.net
ホストは、客に、金さえ払えば、みづから(身づ柄/自ら)の意向(「〜を!」)が
かなへられるという幻想(fancy/fantasy)を売りつける「『を』とり(囮)」商売、
すなわち、「(相手の)「〜を!」を取り込む」商売であるように私には見えます。

94 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 07:27:03.02 0.net
ところが、ホスト自体が、そのような商売でみづから(身づ柄/自ら)が客に
幻想(fancy/fantasy)を売りつける側に立って、客をカモにして得た金で
ホストみづから(身づ柄/自ら)が自分の意向(〜を!)をかなへることが
できるようになるという幻想(fancy/fantasy)で、ホストとして働く
人々に「みづから(身づ柄/自ら)の身」を商売の利益のために売り渡させる
囮ビジネスとして成立しているのかもしれません。

95 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 07:38:03.86 0.net
カラオケも、出来合ひの流行歌をみづから(身づ柄/自ら)が歌うことで、
その歌にみづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)の「〜を!」を託そうと
する、自らの心を自分で歌に作って詠もうとすることの手軽な代替
として提供されているように思へます。

96 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 08:51:51.12 0.net
断っておくが、私は、人の行為として「を(誘)き」は許されるべきでなく、
呼応関係は誠実でなければならないとか、倫理学者がよく唱へるように
人は、呼びかけられたらそれに応える応答責任があるとか、そんなこと
を言いたいわけではない。人の呼応関係は、他の生物の場合と同様に、
本来的に虚々実々のかけひきとして成立している。私が示そうとして
いるのは、統治、すなわち、「をさ(治/長)む」ことによる人々の
意向のとりまとめと、その統治の技法と組み合わされた通貨の使用
によって必然的に累加的に強化されることになる「をび(誘)き」に
よる人々の意向の誘導が、全体として、統治される人々の各自の
意向がかなへられることについての期待/約束の組織化に関して、
どのような状況が生じることになるかである。

97 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 08:53:10.41 0.net
誤:どのような状況が生じることになるかである。
正:どのような状況をもたらすかである。

98 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 08:58:38.91 0.net
>>91
議論は理性と感性を触発されるので哲学にも必要です。ここは、哲学好きの交流の場ぐらいの感じでおります。
学問としてはプライベートの時間に。

99 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 09:06:44.60 0.net
>集落における順次の相互扶助では、自らが集団の意向に沿うように力を貸す
ことで、自分が助けを借りる番が回ってくれば、今度は、集団が自分の
意向に沿ふように力を貸すという形で集団と各自の意向が円環を形成する。
しかし、民主主義の議会制度の下では、主権者とされる国民の意向が
どのようにとりまとめられ、その意向に沿ふように政策がどのように
実施されたところで、人々の間で各自の意向がそのように相互協力的な円環を
形成することは決してない。<

>企業組織が経済活動の中心を担っている社会においては、理念の上では、
通貨の使用が、そのような集団と各自の意向が円環を形成する機能を
果たすべきものとされる。<

統治が、統治される人々の各々が、とりまとめられた意向に沿ふように
振る舞うように導く一方で、各自がみづから(身づ柄/自ら)の意向は、
商品やサービスを購入するようにをび(誘)かれることによってしか
かなふことがないとすれば、各自の意向がかなへられることについて
の期待/約束の全体としての組織化は、必然的に巨大なねずみ講の様相を
呈することになるだろう。人々は、そのことに気づきながらも、他に
選択肢がない以上、そのように導かれることを認めざるを得ない。
そのことは、人々の間にどのような関係性を生じさせることになるだろうか。

100 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 10:37:12.15 0.net
>>88
そうでしたか、流石スレ主さん。
まぁ、哲学は幅があるので興味ないテーマの書き込みはスレ違うまでもなく通りすぎています。
因みにルーズリーフの端を切った後のサイズ感が嫌いですw

101 ::2021/11/30(火) 10:41:27.28 0.net
自然1.5478177機械1.0711874@0.1いあ

1111…

102 ::2021/11/30(火) 11:28:15.27 0.net
鬼辻無惨*川

103 ::2021/11/30(火) 11:32:11.74 0.net
鬼舞辻無惨=やすだ

104 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 11:47:40.85 0.net
そのような状況において、各自には何も為すすべがないかと言えば、
そんなことはない。できることをしようとすることはできる。
そのできることとは、とりまとめられてしたが(従)ふほか意向に、
それを自らの意図に沿ふように利用できる限りで、便乗すること
であり、自らの意向がをび(誘)かれることには、乗せられないこと、
または乗せられたふりをして、をび(誘)く側に期待を持たせたうえで、
その期待を裏切ることである。

105 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 12:08:36.23 0.net
統治、すなわち、「をさ(治/長)む」ことは、その本来の意味においても、
呼びかけの声である「〜を!」の意向に沿ふ方向に人々の行為を累加的に
向かはせることなのだから、その集団の意向に各自が沿ふようにする
強制力を揮ふことと引替へに、各自に順番が回ってくれば、今度は、
集団の各々が、その順番が回ってきた各自の意向に沿ふように強制力を
発揮して、集団と各自の意向が円環を形成するように機能しないならば、
必然的に全体主義的な支配に向かう傾向を示すことになる。

106 :時計 :2021/11/30(火) 12:09:40.31 0.net
>>100
冷静なツッコミ、ありがとうございます。:)
確かに、規格のサイズでなくなることも不完全ですね。

107 :時計 :2021/11/30(火) 12:12:01.94 0.net
>>106
しかし、穴の部分は元々書けないわけですから。
サイズ感が気になる感覚は解ります。

108 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 12:13:25.88 0.net
さらに、「をさ(治/長)む」こと(即ち、統治)と「をび(誘)く」こと(即ち、PR
もしくはプロパガンダ)は、互いに結合して強化し合ふことが、歴史的にも
よく知られている。

109 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 12:18:11.24 0.net
780考える名無しさん2021/11/23(火) 19:16:47.770
https://manyoshu-japan.com/9324/
>神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫で
たまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば
いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と
天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ<

「四方の人をもあぶさはず 恵みたまふ」という表現は、まさしくそのような
統治の「よ(良)さ」のPRもしくはプロパガンダであると見ることができる。

110 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 12:29:57.65 0.net
>撫でたまひ 整へたまひ 食す国も

撫でると民草(たみくさ)が整ふのは、撫でる方向によって
民草(たみくさ)が向き付けられるからであるが、ここで「食す国」
は「『を』す国」であり、「食」という漢字が当てられている
ものの、「統治する国」を意味している。

111 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 12:34:31.20 0.net
日本語が哲学をするのに不利な言語であるなどということは決してない。
そのように思ひ込むように誘導されているのは、人々が日本語で
哲学的に考へる習慣をつけると、PRもしくはプロパガンダがどのように
人々を「を(誘)びく」ように使はれているかが、容易に読み解かれて
しまい、その効果が大幅に薄れてしまうことが懸念されるからである。

112 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 13:56:56.80 0.net
>>104
誤:したが(従)ふほか意向に
正:したが(従)ふほかない意向に

113 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 13:57:10.65 0.net
>>107
そうでしたね、穴だから紙として使えませんよね、そこまで考えませんでした。
そうかぁ、変なサイズ感が嫌だったのは規格サイズじゃなくなった違和感だったんのかぁ、違和感の原因が分かってスッキリしましたよ。

114 :時計 :2021/11/30(火) 14:02:48.50 0.net
>>113
ルーズリーフは、他のルーズリーフと接続可能な1枚の紙。
その穴を切断することは、接続可能性を放棄することに等しい。
完全だが、切断の跡は消えない。
接続可能性は、他者との接続の可能性の喩えでもあって……
そのようなことを考えていました。
ただまあ、規格の問題とか、話には少し「穴」がありましたね。:)

115 :時計 :2021/11/30(火) 14:05:28.20 0.net
>>113
確かに、規格を破ると落ち着きませんね……

116 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 14:38:03.68 0.net
>>114
いやぁ時計さん、接続可能性をルーズリーフで語れるとか哲学的センスありますね、私はそういう気のきいた発想力がまるで沸いてこないタイプなので羨ましいです。

117 :時計 :2021/11/30(火) 15:00:38.25 0.net
>>116
そうでもないですよ。:)
というのも、ルーズリーフの単純な印象ですから。
ルーズリーフには機能と機能不全がある。

118 :時計 :2021/11/30(火) 15:48:02.97 0.net
>>117
何か褒め殺しにされたような…… :)

119 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 16:03:53.86 0.net
>>118
いえいえ、純粋にそう思ったんですよ。
接続可能性で考えてみると、選り好みで放棄しないほうがいい面もあるでしょうけど、やはり自分のアンテナが向かいやすい話を書かれる方とは、相性がいいのか、ハッっと気づかされる事も多いし、険悪になりづらいっていうのもある気がします。

120 ::2021/11/30(火) 16:10:22.21 0.net
0.12212…https://i.imgur.com/eO13H8S.jpg

121 ::2021/11/30(火) 16:10:38.86 0.net
https://i.imgur.com/g4YIJff.jpg

122 :時計 :2021/11/30(火) 16:23:59.61 0.net
>>119
素直に、ありがとうございます。:)
そうですね。このスレッドは、考えが考えを呼ぶ場であってほしいと思います。

123 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 16:32:49.50 0.net
「かむか(考)ふ」ことによって「神(かむ/かみ)がゆ(行)きか(交)ふ」
のであり、「神(かむ/かみ)」がめぐ(巡)って来ることが「めぐ(恵)み」です。
この場合、「かむか(考)ふ」ことの「かひ(効=交・力)」として顕現する
ことになる「神(かむ/かみ)」は、多神教の神でも、ましてや一神教の神
でもなく、あへてそれを表現するとしたなら、汎神教の来訪神でしょう。

124 :時計 :2021/11/30(火) 16:44:17.82 0.net
>>123
観我得るとか…… 当て字ですが。:)

125 :時計 :2021/11/30(火) 16:54:55.10 0.net
>>124
濁音を外すとすると、「観可得る」かな。

126 :時計 :2021/11/30(火) 16:59:20.90 0.net
>>125
「かみ」であれば、「上可得る」の線もあるかも……
その場合、「かんむり」とかも関係しそうですね。

127 :時計 :2021/11/30(火) 17:00:28.66 0.net
>>126
被る(かむる)とか、色々広がって行きますね。

128 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 19:52:32.68 0.net
だったら、勘案するの勘(かん)の方がよくないか?

129 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 20:01:03.22 0.net
デジタル大辞泉「勘合」の解説
かん‐ごう〔‐ガフ〕【勘合】
[名](スル)
照らし合わせて真偽を確かめること。また、よく考え合わせること。
「原本と勘合する」

130 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 20:07:47.04 0.net
鑒(かんが)みる

131 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 20:11:22.78 0.net
良心の声とは誰の声(こゑ)か、
また、良心にしたが(従)ふとはどのようなことか

132 :でこすけ:2021/11/30(火) 20:12:24.07 0.net
|д゚)チラッ

133 :時計 :2021/11/30(火) 22:44:21.01 0.net
>>128-129
勘ふ(かんがふ)って辞書にありました。
異体字というのかな。

>>130
難しい字…… 鑑のことらしいですね。

>>131
良き言語的思考のことではないでしょうか。

134 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 23:13:06.71 0.net
「かがみ」はご神体です

135 :考える名無しさん:2021/11/30(火) 23:54:12.04 0.net
勘案(かん‐ガフ)することと
鑒(かんが)みることは、照らし合わせることとして
互いに似ていますね

136 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 00:21:44.16 0.net
愐(思う、考える)=心・面
鏡は、心の面向きを映し出すのかもしれません

137 :時計 :2021/12/01(水) 03:00:50.31 0.net
>>134
三種の神器に鏡はありますよね。

>>135
確かに。そう考えると、
「考える」と「鏡」は語源的に関係しているのかもしれません。

>>136
その漢字は初めて見ました。
愐。表層的な感じはしますが、鏡を関係させると深いですね。

138 :偽パルメニデス :2021/12/01(水) 07:15:34.22 0.net
認識主体は鏡の中の自己

139 :時計 :2021/12/01(水) 12:39:02.30 0.net
>>138
他者は自己の鏡。

140 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 13:48:41.14 0.net
私の理解では、他者は自己の部分的な存在を写す鏡、認識主体は自己を写し出す鏡かな

141 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 14:05:20.95 0.net
心身問題は、「を!」/"Why not?"の呼応関係から理解することができるが、
行為において、みづから(身づ柄/自ら)の心(こころ)が「を!」/"Why not?"
と呼びかけ、みづから(身づ柄/自ら)の身(み)がその呼びかけに
「を!」/"Why not?"と応じるように現れるとしても、ここで、心(こころ)
と身(み)があらかじめ分かれていると考えるべきではない。

そのように心(こころ)と身(み)を、あらかじめ分かれてあるものとして
捉えて、その二つがどのように関係しているのか、どのように統合され得る
のかを考えようとするのが、西洋の思想や哲学に広く見られる根強い
偏見である。

なにごとも意のままである「駿河なる」/「する」=「なる」状況では、
心(こころ)と身(み)が分かれて現れることはない。意に沿はないことが
まったく生じない、完全に心(こころ)に身(み)をまかせられる状態が
「不死/富士」の夢に過ぎないとしても、「することができる」限り
において、心(こころ)と身(み)の呼応関係における「を!」/"Why not?"
は合致しており、心(こころ)と身(み)が分かれて意識されることはない
のである。その呼応関係のつながりとしてある魂(たま)/息(いき)の
緒(を!)が乱れて初めて、呼びかけの「を!」/"Why not?"が心(こころ)
として、応答の「を!」/"Why not?"が身(み)として意識されて現象する
のである。

142 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 14:33:57.94 0.net
例えば、何らかの「をとり(囮)」にみづから(身づ柄/自ら)が「をび(誘)き」
寄せられてとら(囚)はれる場合を考えてみよう。

その「をとり(囮)」がどのようなものであれ、「をとり(囮)」は、捕捉し
ようとする相手の「を!」/"Why not?"を誘発するものとして、その
「〜を!」を取り込むように魅惑する働きをすることによって相手を
「をび(誘)き」寄せる。そのようにしてをび(誘)き」寄せられて、
みづから(身づ柄/自ら)がその「をとり(囮)」に近づいていくとき、
その「をとり(囮)」を仕掛けた相手や、第三者から見れば、既にその
魅惑の「とりこ(虜)」になっているように見えても、さらには自身
でもそのことを自覚していてさえ、その魅惑がみづから(身づ柄/自ら)
の「を!」/"Why not?"を映すものである限り、それに
「を!」/"Why not?"と応答して近づいていくことは、みづから
(身づ柄/自ら)の意に沿ふことであり、心(こころ)と身(み)は互いに
分かれたものとして現れない。

143 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 14:49:37.06 0.net
ところが、「をとり(囮)」に到達したと思ったその瞬間、みづから(身づ柄/自ら)
は、その「をとり(囮)」を仕掛けた相手にに「とら(囚)はれ」てしまい、その
ときになって初めて、みづから(身づ柄/自ら)がその魅惑に騙されていて、
罠にかかってしまったことに気づく。すると、そこから逃れようとするが、
もうみづから(身づ柄/自ら) は、「とら(囚)はれの身(み)」となってしまって
いるので、いくらみづから(身づ柄/自ら)の意が、そこから脱出すること
であっても、それを呼びかける「を!」/"Why not?"に、みづから(身づ柄/自ら)
が「を!」/"Why not?"と応じることは「あた(能)はない」。
かくして、みづから(身づ柄/自ら)「を!」の呼応関係が合致しなくなり、
心(こころ)と、心の呼びかけのままにならない身(み)が現れる。

144 :考える名無しさん:2021/12/01(水) 14:53:18.80 0.net
だからこそ、第三者から見れば、みすみすみづから(身づ柄/自ら)罠にかかろう
としている人を止めることは難しいのだ。罠にかかろうとしている本人は、
自らの呼びかけである「を!」に自らが「を!」と応えているだけなので、
それを止められることは、無関係の他人が自らの自由を奪おうとする
余計な干渉であるように感じられるのである。

145 :妖怪茄子杜邊慧紺乃荒琵阿唖汰万万〜 :2021/12/01(水) 16:07:10.75 0.net
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146 :妖怪増産桑江沙阿華笥万饅〜 :2021/12/01(水) 16:09:15.09 0.net
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147 :時計 :2021/12/01(水) 17:28:58.45 0.net
>>141-144
「を!」が心と身体を繋ぐ、ですか……
私は、「〜を」は目的(語)を示すと思いますが……

148 :時計 :2021/12/01(水) 17:30:40.93 0.net
>>145
絵文字は何を示しているのでしょうか。
Macだからかズレて表示されているようですが……

149 :時計 :2021/12/01(水) 17:31:11.41 0.net
>>148
>>145-146でした。

150 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/01(水) 18:37:56.36 0.net
>>139,140
主観的な他者ですね。
それが圏論のモナドとして機能するならば、
モナド/トリプルのどこかに圏論的な主観がある。
一度じっくりと考えなきゃいけないことだとは思っているのだが。

151 :時計 :2021/12/01(水) 20:15:21.87 0.net
>>150
圏論、解るの羨まし。

152 :時計 :2021/12/02(木) 03:16:22.52 0.net
>>151
私も数学、勉強しようかな。
とりあえず群論から入ろうと思っています。

153 :時計 :2021/12/02(木) 06:02:21.21 0.net
>>152
手始めに5次方程式の解の公式は存在しないということから
理解しようと思っていますが、書籍は積読のままです。:)

154 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 07:30:04.22 0.net
719 :おさかなくわえた名無しさん :2021/12/02(木) 03:02:15.96 ID:HTNDXU1W
昨日友人に誘われて裁判の傍聴に行ったんだけど、なんとなく連れられて入った覚醒剤の裁判、裁かれてたのが高校のクラスメイトで衝撃を受ける。
それなりに進学校でその中で運動ができ成績上位教師の覚えも良く推薦で地元国立大に入り、地元新聞社に入るというある種地元の中での王道勝ち組コースに乗ってた奴で噂では嫁子供居るって話だったのにと。
人間何が起きるか分からんなぁと。

155 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 08:37:14.50 0.net
>「を!」が心と身体を繋ぐ、ですか……

逆ですね。呼びかけの「を!」と応えの「を!」が合致しないことが
意識されることによって、心(こころ)と身(み)が分かれて現象する。

>私は、「〜を」は目的(語)を示すと思いますが……

目的(語)を示すように用いられるのが呼びかけの「を!」/"Why not?"
であるということです。つまりは、「〜を○○する」と言う場合、
「を」は、「を」によって目的(語)として示される対象である「〜」
が「を(惜)し」/"regrettable"とされる現状にあることを表現して
いることになります。

「駿河なる」/「する」=「なる」とは、その「を(惜)し」/"regrettable"
であることが解消を意味しますが、それは、呼びかけの「を!」を
消し去ることによってではなく、呼びかけの「を!」に応えの「を!」
を完全に合致させること、意のままにすることができることによって
実現されることであり、その理想として夢見られるのが「駿河なる/
『する』=『なる』富士/不死」です。

156 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 09:10:25.44 0.net
>>141
その理解で心脳問題が解明できてるわけじゃないのが残念

157 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 09:39:29.71 0.net
そんな問題は電脳にでも解明してもらえばいいでしょうw

158 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 09:42:43.61 0.net
今日も
誰一人来ず・・

159 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 09:50:31.85 0.net
>>157
哲学で解明できないと電脳にも解明させられないね。

160 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:11:55.71 0.net
>解明できてるわけじゃないのが残念

私にとって「心脳問題」は、解明できないというより、
その設定そのものに関心がなく、それを解明しようという気も
起らない、私にとっては「知ったことではない問題」ですが、
引用させていただいた表現には、感心があります。

「できるわけではない」というのは、即ち、呼びかけの「を!」/"Why not?"
に応えの「を!」/"Why not?"がないということであり、何かを
することができる呼応関係があるとしても、「〜という『うら(憾)み』」
があるだろう、というのが「〜ではないのが残念」という指摘が表現
しているところであると考えられます。「残念」は、"what is regrettable"
ですが、呼びかけの「を!」/"Why not?"が、それに対する応えによって
実現されてみの(実)るのではなく、虚ろに再帰することが「うら(恨)み」と
なるのでしょう。

161 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:12:45.62 0.net
誤:感心があります
正:関心があります

162 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:15:18.12 0.net
>>160
全く関心がなければ、心身問題は、「を!」/"Why not?"の呼応関係から理解することができると自ら言い出しはしないと思います。

163 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:17:49.84 0.net
私の説明をどう理解するのかについて応えるつもりがまったく
なくても、自らの言葉遣いにおいてそれに応えてしまうw
「語るに落ちる」とは、こういうことですね。

164 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:19:56.26 0.net
>>163
どういうことでしょう?

165 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:20:50.95 0.net
私は、「心身」が分かれて現れるのがどのようにしてなのかを問題に
することを「心身問題」と呼んでいるのであって、「心脳問題」という
のがどのような問題なのか、私にはまったく関心がない。「心腸問題」
なら身近なこととして少しは面白そうですが。

166 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:23:29.32 0.net
>>165
心身問題を考えてるのはあなたの心脳だったりしますよ。

167 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:23:41.46 0.net
脳を感じることができる人がいるんでしょうか。
眩暈の原因が脳にあるとか言う場合でも、それを脳の働きとして
感じているわけではなく、それを脳の働きとして捉えるのは、
生理学的な解釈であると思いますが。

168 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:32:14.40 0.net
>>167
脳自体は感覚できないので感じようとしても無理ですね。
脳の働きへのアプローチ方法は限定されないと思います。

169 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:35:59.46 0.net
どのようにか「身(み)」の安全が確保されると、
危険から「身(み)」を守ることに心(こころ)を
配る必要性がなくなり、安「心」する。

170 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:37:22.67 0.net
心の解釈は、自らの心が行う

171 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:38:29.30 0.net
>脳の働きへのアプローチ方法は限定されないと思います。

だったら、「心」とセットにして考える対象を「脳」に限定する理由が
不明ですね。「心脳問題」ではなく、「心神経問題」でもいいことに
なるでしょう。

172 :でこすけ:2021/12/02(木) 10:38:46.73 0.net
>>41
私は主観主義における「自由意志」というのは
むしろ前提のひとつとして理解することにしていました。
「前提」というのは、それ以上さかのぼらないことにしておく概念
というかんじです。

たとえば時計さんの目の前に催眠術が使える手品師が現れて
「お好きなカードを一枚お選び下さい」とか言ったとします。
傍から見ると、つまり客観的な見方からすれば
どう考えても時計さんが催眠術師のコントロール下にある状況です。
そして案の定、時計さんは予め手品師が選んでおいたカードを選ばされます。
それでもこのとき御本人は自分の意志で選んだつもりでいるでしょうから
そこではたしてこれを「自由意志」と言い得るものなのかどうかの問題です
(たぶん私たちの様々な日常的な選択も似たようなもののはずです)。
つまり普通は自由は無さそうな気がするわけですけど
しかしここで>>1の「客観はある種の主観」にてらしあわせることにすると、
それは少なくとも主観主義的には「自由意志」と言い得る気がするのです。
「仕組まれた自由」であっても本人が「自由」と思えば、
たとえば私が「開放感は本質的には開放とは関係ないつくりものだ」とか
「その開放感は錯覚だ」とか言ってみたとしても、
やっぱり時計さんにしてみれば「自由意志はある」と言い得る、
ていうかそもそも言い切ったところで本質的な差し支えはない気もするのです。

「無知」とか「無意識」とかは「客観」であって
主観主義のあずかり知らぬことではなかろうか、というおはなしです。

173 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:44:19.79 0.net
>>171
いいことになるならそれでいいですよw

174 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:50:58.22 0.net
主観主義は、受動的意識に逆らわない主義といいかえられるかもしれませんね。

175 :でこすけ:2021/12/02(木) 10:51:29.60 0.net
>>172「前提」について
ゲーデルか何かによって完全な(閉じた)世界観はあり得ない
ということになっていて、
その上で世界観をコーチクしようと思えばどこかでヒヤクするしかなくなる
と思うのです。
つまり無条件な前提を採用することになるわけですが、
このときどこでヒヤクするのかは個人の自由だと思います。
整合する世界観の前提になり得るものはひとつではない気がするのです。

176 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 10:53:34.13 0.net
>>175
整合させる世界観なら、人それぞれになりますね。

177 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 11:13:00.90 0.net
>>176
私は「整合(理性)」というのはある種の錯覚だと考えますが、
これを>175に足すかどうで迷いまして、
そして迷った挙げ句に「やらなくて後悔するよりやって後悔しよう」
に走ったわけです。

178 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 11:19:55.42 0.net
自演疲れた・・


今日も誰も来ない・・

179 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 11:33:09.15 0.net
>>177
「ある種の」錯覚ということなら、別に錯覚しない真理があることを示唆しているように聞こえるのですがどうなんでしょうね。

180 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 11:33:09.27 0.net
>>177
「ある種の」錯覚ということなら、別に錯覚しない真理があることを示唆しているように聞こえるのですがどうなんでしょうね。

181 :でこすけ:2021/12/02(木) 12:09:06.38 0.net
>>180
「錯覚」というのはたぶん普通は問題が起こることなのではないか
という印象なんですが
「整合」には基本的には問題が起こらないことのような気がします。
ただ「整合」は構造的には「錯覚」と同じものなのではないか
というニュアンスのつもりでした。
どちらも仮想現実という意味では同じというかんじです。
私は「真理」については懐疑的です。それこそ錯覚だと思います。

ちなみに>>177はでこすけでした。

182 :時計 :2021/12/02(木) 12:32:45.44 0.net
>>172
自由意志と主観主義について。
主観主義からも自由意志の存在は当然ではないと思います。
例えば、今日の昼御飯に何を食べるか選ぶ時、
これまでの過去の経験から導き出されていることは確かです。
そして、無知であるがゆえに、
私は自由意志でそれを選んだのだと言えるのかもしれません。
私は、その枠を超えるものとして、天啓を挙げました。

183 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 12:33:26.10 0.net
仮想現実が主観的な世界観なら、整合(理性)がある種の錯覚だとしても、そうでなくても、どういうわけかはわからなくても主観的にそう感じられさえすれば、問題にならないものではないでしょうか。

184 :時計 :2021/12/02(木) 12:36:48.55 0.net
>>155
心身を合一することに関心があるのではなく、
心身が分かれて現象することに関心があるということでしょうか。

「〜を」というものは、目的(語)を示す、
あるいは、対象を示すと言ってもいいかもしれません。
それくらい「〜を」は一般的な観念で、
呼び掛けや応えの「〜を」は意味を限定し過ぎのように思います。
また、「太郎!」というのは呼び掛けですよね。
「〜を」はなくても、呼び掛けは可能だと思います。

185 :時計 :2021/12/02(木) 12:40:09.48 0.net
>>178
少なくとも私は>>178ではありません。:)

186 :時計 :2021/12/02(木) 12:44:46.77 0.net
>>174
自由意志の殆どが無知によるものであれば、
主観主義は受動と天啓からなるものということになるかもしれません。
ただ、その結論に行き着くかどうかはまだ解りません。

187 :時計 :2021/12/02(木) 12:46:57.82 0.net
>>186
自由意志は「予想外の行為をする」というものでしかなかったらどうでしょうか。
それは決定論の枠組みの中で、語ることは可能だと思います。

188 :時計 :2021/12/02(木) 12:47:53.10 0.net
>>187
予想外の行為を予想するというある種の矛盾は感じますが……

189 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 12:52:41.64 0.net
>>187
他者が自己の鏡として主観的に存在をするとき、それが他者からの教え

190 :時計 :2021/12/02(木) 12:53:09.24 0.net
>>185
言うまでもなかったですね。すみません。:)

191 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 12:53:42.26 0.net
>>189のつづき。
だとしても、主観主義的には天啓ということになりますね。

192 :時計 :2021/12/02(木) 12:56:30.98 0.net
>>189
確かに、他者からの教えと言えると思います。
新しく生まれ変わることも、鏡を更新することに過ぎないのかもしれません。

193 :時計 :2021/12/02(木) 12:58:00.29 0.net
>>191
私の考えでは、天啓は他者と非依存的です。
そして、日常的であり、常識的であるように思います。

194 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 13:02:39.06 0.net
>>187
どういう状態を自由意志による行為かが共有されていない時点で、何が自由意志で何が強制で何が受動的か、そもそも解釈によるのかなと思えてきます。

195 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 13:04:54.67 0.net
>>193
私の考えと主観主義は等しいからではないでしょうか?

196 :時計 :2021/12/02(木) 13:10:41.19 0.net
>>194
私は、未定義のまま語ることは定義を確定させるために、
必要だったりすることもあると思います。
とは言え、定義は大切ではないということではありません。
私は、自由意志は、非決定論的な意志と言い換えられると思います。

>>195
うーむ。それはあるかもしれません。
ただ、私は他者の意識は存在しないと考えますが、
他者は存在すると考えます。

197 :でこすけ:2021/12/02(木) 13:38:22.40 0.net
>>183
ご指摘のとおり、普通は問題にはならないと思います。
ただ、とりあえず意識のハードプロブレムがあります。
つまり物心二元論と唯心論と唯物論と唯心論とでどれが整合するのか、
整合することに本質的な意味が無かったとしても
なんだか闇雲に整合させたい人がいたりもするのです。
たぶん患っているのだろうとは思いますが
実際症状に心当たりがあったりもするところです。

198 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 13:41:35.39 0.net
>>196
言い換えられると思いますが、いいかえれることに何の意味があるのかピンとこないです。

他者の意識はが主観に存在しないのは最もだと思います。他者の意識はこうだろうと、自分の意識で推測するしかありません。

199 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 13:44:33.48 0.net
>>197
疑似問題で問題ない派じゃありませんでしたか?

200 :でこすけ:2021/12/02(木) 13:58:49.97 0.net
>>199
私個人は擬似問題だと考えますが
世間一般ではそうでもない印象があります。
「ハードプロブレムがある」というのはそういう意味です。
私は世間には疎いので、もし解決されたというのなら
どのように解決したのかは興味があるところです。

201 :時計 :2021/12/02(木) 14:06:01.64 0.net
>>198
私達の4次元時空間が静的に決定されているとすると、
自由意志は無知ゆえです。
非決定論的意志の1つは、知らないという否定です。
もう1つの可能性は天啓という神秘です。
私は後者の自由意志は大切ではないかと思っています。

202 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 14:07:14.87 0.net
>>200
私も興味ありますが、解決も解明もされていないようですね、物心二元論と唯心論と唯物論と唯心論とで整合するかどうかも不明です。

203 :時計 :2021/12/02(木) 14:07:26.40 0.net
>>198(後半)
私はそこで存在しない他者の意識は本質的に声だろうと思っています。

204 :でこすけ:2021/12/02(木) 14:14:51.75 0.net
>>201
>自由意志は大切ではないかと思っています
そのように思う理由をうかがいたいのですが、
私には自由意志が時計さんの中でどのように位置づけられているのかが
イマイチよくわからないのです。
必然ではないけれども必要ではある、とはどういうことでしょうか。

205 :でこすけ:2021/12/02(木) 14:23:06.22 0.net
>>204
私の記憶の限りでは時計さんから「自由意志」という言葉が初めて出てきたとき
なんだか空気が変わった気がした覚えがあります。
命の次に大切なもの、くらいの勢いを感じた気がしました。
それに対して「自由意志は無い」を繰り返す私はキチクということになります。

206 :時計 :2021/12/02(木) 14:26:23.24 0.net
>>204
私の説明が不味いですね……
自由意志には無知ゆえの自由意志と天啓の2つがあると考えています。
前者はいわゆる錯覚ですよね。
自由意志があるような気がするとでも言うようなものです。
後者は正しく自由意志ではないかと考えています。
だから、大切だと考えています。

207 :時計 :2021/12/02(木) 14:36:55.61 0.net
>>203
体裁という言葉がありますが、声の思想はそれに通じると考えます。

208 :でこすけ:2021/12/02(木) 14:44:21.83 0.net
>>202
そこで私は少なくとも二元論は無いと思うのです。
根拠は甚だ曖昧ですけど
つまり基本的な実体が二種類あるのは不自然だというものです。
ハードプロブレムがその端的な破綻だと思います。
かと言って唯心論とかそれ以外では心もとないというのも厳しいところです。

ただ、私がそこで一番問題だと思うのは
最初からその問題は人智を超えているとか諦める姿勢です。
あーだこーだ試行錯誤することに意義がある
と思うのでござりますですよ、私は。
昔の映画の『羊たちの沈黙』を思い出したりします。

209 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 14:51:04.65 0.net
>>201
これから体験する可能性の具体的ななにかを知っている人間はいないと思います。それと、4次元時空間がどう関連してくるのかわかりません。
天啓の法は、分かるのですが···

210 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:00:46.22 0.net
>>208
意識のハードプロブレムが破綻した疑似問題だと確信しているわけでもなく、疑心暗鬼な感じでしょうか?

211 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:02:49.73 0.net
>>210は後で書きなおします、すいません。

212 :時計 :2021/12/02(木) 15:14:22.82 0.net
>>209
その知らないということが自由意志その1だと思います。

213 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:33:10.31 0.net
>>212
知らないことを求める意志ということを言われているのでしょうか。

214 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:33:10.31 0.net
>>212
知らないことを求める意志ということを言われているのでしょうか。

215 :時計 :2021/12/02(木) 15:35:34.95 0.net
>>213
運命を知らないことから生まれる自由意志の感覚ということです。

216 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:36:44.16 0.net
>>203
これについては、どういうことかさっぱりです。他者が言わんとしている心の声的な話でしょうか?ずれまくっているかもしれません(汗

217 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:41:19.28 0.net
>>208
意識のハードプロブレムについて、何を言っているのかさっぱり意味がわからないという人は一定数いるということですので、疑心暗鬼しながら、天啓を授かるまで試行錯誤するしかないですね。(210の書き直しです。)

218 :でこすけ:2021/12/02(木) 15:41:36.01 0.net
>>210
私は擬似問題だと確信しています。
今回の身ず柄さん(仮名)の解説でますます確信を強めたくらいです。
「心もとない」というのは一般的に言って多くの人にとって、ということです。
むしろ目下のわたしの感じでは唯心論のみならず唯物論でも唯我論でも
上手にやれば整合するだろうというかんじです。

219 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:50:59.51 0.net
>>215
なるほど、運命を知らないからこそ自由に意志を働かせている感覚になる。

220 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:54:09.96 0.net
>>218
ですよね、そういうスタンスだとおもってました。

221 :でこすけ:2021/12/02(木) 15:57:37.30 0.net
>>203
たとえば時計さんは私や216さんの声を聞いたことはないはずが
すると私や216さんの意識はどうなってしまいますか?

222 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 15:59:55.13 0.net
>>218
サールですね
意識はなにも特別なものではなく、胃の消化や胚の減数分裂などと同様に、生物としての自然現象だ。意識はニューロンやシナプスといった神経生物学的な過程から生じる。そこからはみ出す心の現象など「ない」。だから現代の科学的な知見を踏まえ、それと整合のとれた説明を与えればよい。

223 :でこすけ:2021/12/02(木) 16:00:45.64 0.net
>>203
たとえば時計さんは私や216さんの声を聞いたことはないはずですが
すると私や216さんの意識はどうなってしまいますか?

224 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 16:02:09.27 0.net
>>222
どうやって生じているかのを無視したいなにかがあるんでしょうね。

225 :時計 :2021/12/02(木) 16:03:59.64 0.net
>>216
他者の意識と呼ばれるものは主体の中の声だということです。

>>221
架空の声だと思います。
例えば、それは漫画等を読んでいると現れると思います。

226 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 16:05:49.30 0.net
>>218
ということで、意識のハードプロブレムは整合の取れる説明が出来ない問題と言い換えたほうがいいかもしれない。だからこそキッパリこの謎から足を洗えていない。

227 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 16:13:09.96 0.net
>>225
主観の中の声は、主観しなければ顕れないのでそれはそうだと思います。
マンガに書かれている文字は誰が発生しても同じだけれども、それをどう意識しているかは、マンガをみて主観した本人にしか分かりませんよね。

228 :でこすけ:2021/12/02(木) 16:21:17.79 0.net
>>222
>意識はニューロンやシナプスといった神経生物学的な過程から生じる
この文章がサールのまんまかどうかは存じませんけど
ここで言う「意識」がもうちょっと普遍的な「精神」のことだとすれば
私は少なくともクオリアについてはそのようなものではないと考えています。
気持ち的にはあくまでも「意識が脳をドライブする」なのです。
私がイメージした唯物論はクオリアを物質とする立場です。
クオリアを心だとすれば唯物論はなくなりますけど
もはや素粒子が空間的な広がりさえ持たないとき
物質をどのように定義するのかによってはクオリアを物質として位置づけるのは
アリだと思うのです。
私がココロと言っているものをモノと言っていて、
つまり名前が違うだけのことです。
いずれにしても脳がクオリアをつくるのではなく
クオリア(的な何か)が脳を作るのだと思います。
ただクオリアをモノとして扱うのは一般的に言って紛らわしい
私の唯心論というのはその程度のはなしです。
要は一元論であれば極端な話でいうと「神」でもいいのだと思います
(たぶんスピノザ的な神になるのでしょうけれども)。

229 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 16:42:11.56 0.net
>>228
すみません、私もどこかの誰かの話を引っ張ってきただけなのでそのものかどうかはわかりません。
 
クオリアが物質だという言い方は斬新ですね。

230 :時計 :2021/12/02(木) 16:57:27.08 0.net
>>227
それを架空の声と表現しています。

>>228-229
例えば、机という物質は、木、有機物、分子、原子……
と要素に還元されて行くもので、クオリアとは異なると思います。

231 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 16:58:13.59 0.net
>>228
私としては、モノと呼んだり、神でもいいというような、抽象的な感じは、どちらかというと、どうでもいいといったっスタンスです、でも抽象的にでも、解った感じを味わえればそれはそれで、意義があることなんだろうとは理解しています。

232 :でこすけ:2021/12/02(木) 17:00:32.84 0.net
>>229
私は哲学についてはほとんどオリジナルを読んだことはなく
一般的な解説書をナナメ読みしている程度のものですが、
私が知っているサールはそんなかんじでしたから
実際に大筋はそうなのだろうと思います。
私はサールの「日本人はデカルトと発音することすらできない」という言葉以来
彼については大変イメージがわるいです。
私は発音どころか聞いたことさえないですけど。

233 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 17:18:37.41 0.net
>>230
架空の声は天啓と繋がりますね。

234 :でこすけ:2021/12/02(木) 17:20:34.90 0.net
>>230
私には世界は本当はもっと違うもののような気がするのです。
ビッグバンがあってインフレーションがあって
やがて星ができて生命が誕生してみたいな宇宙観はたぶんある種の虚構です。
そういったものは観測事実に対する解釈にすぎないもので
実際の歴史はじつは今回身ず柄さんが示してくださったような
そういうものの延長上にあるもののような気がするのです。
本当の歴史は冷蔵庫の中の牛乳の理屈で語るべきのような気がします。
たとえば1000年前のアメリカ大陸はアメリカではなかったはずです。
同様に冷蔵庫の中の牛乳は
冷蔵庫の扉を開けるまでは牛乳としては存在していない
という理屈です。
つまり分子や原子はつい最近まで存在していなかったと言い得る気がするのです。

235 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 17:41:04.56 0.net
>>234
本当の歴史とはどんな歴史ですか?

236 :時計 :2021/12/02(木) 19:08:17.82 0.net
>>233
声と天啓は重なり合う部分はあると思います。
ただ、私は、天啓は運命に対する超運命と考えています。
このことは、自然科学に対する神学と類似的だと思います。
これは飽くまでスケッチです。

237 :時計 :2021/12/02(木) 19:10:49.12 0.net
>>234
物質の理解の歴史はあって、それを>>230は述べています。
それを無視して、クオリアは物質であるとは言えないと私は思います。

238 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/02(木) 19:14:02.88 0.net
「予想外の行為」というものはなく、
すべては可能な行為のひとつであり、それは存在確率の波として、
すべての可能な行為に広がっています。
確率0も可能な行為のひとつです。
確率0と不可能は、また違う問題です。ここは微妙ですねw

239 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 19:16:03.30 0.net
>>236
スケッチから自分なりに理解を繋げるは中々難しいです。

240 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 19:25:10.50 0.net
>>237
本当の歴史というからには仮想現実の歴史ではどうにもならない気もしますしね。

241 :でこすけ:2021/12/02(木) 19:32:59.41 0.net
>>235
抽象的なことしか言えませんけど、
言わばそれぞれの心の中にだけあるものの集積という感じです。

アナロジーとして以前「ア・バオア・クー」に例えたものがあります。
ここでの「ア・バオア・クー」というのは『機動戦士ガンダム』に出てきた
つまり架空の宇宙要塞ですけど、
すなわちそのものは実在しません。ただ映像やイラストとしてあるだけです。
これはたとえば「富士山」もそうだと思うのです。
「富士山」の映像はそれを見た主観の中にしかないものなのであって
客観的にあるわけではない、
つまり世界というのは主観の集積という考え方です。

ただしそれを認識した主観は思いのほか沢山あるのではないか
(人間だけでない)というのが汎心論です。

242 :でこすけ:2021/12/02(木) 19:52:12.12 0.net
>>240
「本当の歴史」というのはちょっと違う気がしてまいりました。
少なくともビッグバンや何かはある種の虚構ということです。
たとえば実際に起こったビッグバンと呼ばれる現象は
たぶん私達が想像しているものとは全く違うものだと思います。
光はあったようなのでめっちゃ明るいかもしれませんけど、
実際に見た人はいないわけで、その意味で想像上の現象です。
たぶんそもそも「時間」が想像の産物です。

>>237
細かいことですけど、私の感性では「机」は「物質」ではなく「物体」です。
>>230では「物質」になっていますけど意味はありますか?

243 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 19:57:54.90 0.net
>>241
以前時計さんが世界をジグソーパズルに例えていたと思いますが、ひとり一人の心がピースだとしたら集積したもので世界が出来上がりそうに思えません、それでいいようにも思えますが、それとは別に集積した真心に沿う自然の理が出来上がるようにも思えます。さしずめそれが私の思う真理です。

244 :時計 :2021/12/02(木) 20:04:59.58 0.net
>>238
超球面さんの考えは、まさしく決定論的だと思います。
確率0と不可能は違うという謎めいた言葉は気に掛かりますが……

>>239
私は、スケッチに関してはポジティブに捉えています。
スケッチがあって内実があることは、ままあるからです。
とは言え、スケッチはある種の先走りかもしれないとは思います。

>>242
物質と物体の違いは難しいですね。
未知の物質というと素粒子などを思い浮かべますが、
未知の物体というとUFOなどを思い浮かべます。
机に関しては、物質と物体、どちらも使えるような気はします。

245 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 20:11:08.17 0.net
>>242
仮想現実の世界ではビッグバンが虚構だとしても、それで納得できる人がいればそれはその人のとって真理でいいのではないでしょうか。

246 :時計 :2021/12/02(木) 20:15:54.91 0.net
>>243
今、確認しましたが、精神は不滅であるなどの
哲学的命題をジグソーパズルに喩えていたようです。
私の主観主義では、他者の意識と呼ばれるもの=声ですから、
その集積は、まとまりの欠けたものになるという印象はあります。

247 :時計 :2021/12/02(木) 20:21:40.04 0.net
>>244
正:先送り
誤:先走り

248 :時計 :2021/12/02(木) 20:22:48.44 0.net
>>247
先走りも「誤」ではないかもしれません。

249 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 20:24:55.38 0.net
>>244
先走りだったとしても、内実に関わるなにかがあるからポジティブになれるんでしょう。私は抽象的な発想力に欠けるので、しばしば読み間違っていそうですので、そのときははっきり言っていただけると有り難いです。

250 :でこすけ:2021/12/02(木) 22:02:20.70 0.net
>>245
どこかでゲーデルを引用しましたが
つまり私はあくまでも真理(=完全な知識)は無いというのが基本です。
のみならず「知」というのは閉じた体系をつくるものではなく、むしろ流動的で
万物のいとなみの中に絶え間なく生じたり消えたりするもっと一般的な何か
という印象です。
「知」は「情報」と本質的な関係を持たないと言って過言でない気さえします。
ただご指摘の点についてはそれでいい気もします。
誰かにとっては神は実在だし、アトランティスも存在したし、
鎌倉幕府も1192年でいいのです。
そもそも真理が無いというのは誰も真実を知り得ないということですが
問題が無ければ問題は無いのだろうと思います。

251 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 22:10:51.12 0.net
>>250
恐らく真理は完全な知とは異なり
完全な理解にすぎないと思っています。
「のみならず」から「気さえします」まで同意です。

252 :でこすけ:2021/12/02(木) 22:24:19.53 0.net
>>244
物体と物質の違いについてです。
私の感じでは物体というと意識の中に現れている物理的存在というか
物理風存在という感じで
それが物質か精神かというとよく考えてみればじつは精神現象的なもの
のような気がします。
たとえば机は板とか引き出しとか脚とかの総称で
つまり存在というよりも意味というかんじです。
物体というのは物質が複合したものの意味ということになります。
それに対して哲学的な文脈での物質というのは物理的な実体のことです。
私の感じでは原子さえ哲学的には物質ではありません。
つまりこれ以上分割されないとされている基本粒子だけが物質にあたります。
ただ時計さんにとっては机は意味ではなく実際の存在でしょうから
それを物質と表現するのは分かる気もしてきました。
この認識の違いは主観主義とチョッカン主義の違いに由来した気がします
(私も普通の感覚では机は存在していることになっています)。

253 :でこすけ:2021/12/02(木) 22:33:52.09 0.net
>>251
確かに「完全な理解」によって得られた知識は真理と言い得るもの
のような気もします。
しかし「完全な理解」というのがぱっと思い浮かびません。
そんなに簡単に行くものではなさそうですけど、
可能性を模索してみたくはなりますね。

254 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/02(木) 22:39:14.23 0.net
>>244
残念ながら決定論の定義からは外れてしまうのです。
過去も未来もなく、∫な全部です。
時間や空間を持ち込んでいるのは「主観」の側です。
主観からみた未来も関係しているわけです。
このイメージを伝えるのは難しい。
ただたんに「保存則」さえみたしていればよい(なんでもあり)という世界w

255 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 22:43:21.77 0.net
天皇や神の意を表すとされる表現に「すめら(皇)」というのがある。
統治することを意味する「す(統)べる」という表現との関連がすぐに連想
されるが、岩波古語辞典を引くと、「すめ」の「め」の母音と「すべ」の
「べ」の母音が違うので、これらが同一の語源であると考えることは
誤りと考えられると示唆しており、ネットで検索しても同様のことが
指摘されている。

https://kotobank.jp/word/皇-448702
>「すべ」という形を後世とることもあり、語源は動詞「すぶ(統)」と
考えられていたが、上代特殊仮名遣いの上からは、「すぶ」の語尾は乙類、
「すめ」は甲類なので、疑問である。<

しかし、このような考え方は、私には、「すめら」が表現として何を
表しているのかを完全に無視しているように思はれる。というのも、
日本語において、「す」は"let through"を想起させるような発音
として用いられており、「すめ」と「すべ」が。それぞれ、「す・む」
と「す・ぶ」の活用形として「め」と「べ」は互いに異なるものの、
双方の表現における「す」の用法は共通であると考えることが
できるからである。

256 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 22:46:15.49 0.net
>>253
ありがとうございます、引き続きこの線から考えていくつもりです。

257 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 23:07:44.28 0.net
現在は、住吉大社と呼ばれる住吉神社というのがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/住吉大社

「住吉」と表記されるものの、そのもともとの名称の読みは「すみよし」
ではなく、「すみのえ」だったとされる。さらに、
>「住吉」のほか「住江」「墨江」「清江」「須美乃江」という表記も見える
という記載と、「すみのえ」から「すみ『よ』し」になったという経緯から
考えて、「すみの『え』」の「え」は、や行えが発音として区別されなかった
としても、少なくともや行の活用としての「え/𛀁」として意識されたと考える
ことが妥当である。では、「すみのえ/𛀁」は、全体としてどのような表現で
あったのかと言えば、それは「通過する依(よ)り代」だろうと私には思える。
このことは、住吉神社が水路の通行の安全に結び付けられて信仰されたこと
からも窺うことができる。
>住吉大社については、海上交通の守護神とする信仰が最もよく知られる。
『日本書紀』神功皇后紀には、鎮座した筒男三神の言に「往来船
(ゆきかよふふね)を看(みそこなは)さむ」とあり、
当時には三神を航海守護神とした認識が認められる。<

258 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 23:18:31.99 0.net
さらに、なにより住吉神社の住吉三神は、
底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、
表筒男命(うわつつのおのみこと)であり、「筒(つつ)」から想起される
のは、現代の日本語の「つつ(筒)ぬ(抜)け」という表現においてもそうで
あるように、「妨げなく通過させる(≒"let through without hinderance")」
ことだろう。このことは、「住吉三神」の項目でWikipediaに記載される
「『土佐日記』における記述」のエピソードにもはっきりと見て取れる
はずである。また、そのような神の働きは、「妨げなく通過させる」だけで
なく、「どちらの方角に向かふことが妨げを生じないのか」を示すこと
にもあったことが分かるだろう。

259 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 23:32:20.60 0.net
このように見ると、「すめら(皇)」の「すめ」は、「すみのえ/𛀁(住吉)」
の「すみ」と共通であるとともに、そのいずれの「す」の発音の用法も
「す(統)べる」の「す」と共通しているものと考えることができること
になる。

「す(統)べ」の「べ」は、再帰表現を形成する「〜ぶ」の活用形であると
自然に解釈され、「すめら(皇)」が、従う者が向かふべき方角としての
意向を示すことを表現するとすれば、「す(統)べ」は、従う者が向かふ方角
が自らの方に向かってそろふようにすることを意味しているものと解釈
することができるだろう。

260 :でこすけ:2021/12/02(木) 23:36:55.23 0.net
>>230
私の感じではクオリアはもちろん精神的な実体であり、ゆえの唯心論です。
ただ最近ちょっと思ったことがあります。
例によって与太話ですけど、まあ聞いてやって下さい。

私には存在するというのは関係を作ることのように思えます。
つまり要素がふたつ以上必要になるのです。
たとえば「こっち」というのは「あっち」があるから成立するのであって
「こっち」しかないものは存在しない気がするのです。
あるいは片面しか無いコインはあり得ないというかんじです。
もちろん私たちの世界の外側のことまではわかりませんけど
少なくとも私たちの世界では要素をひとつしか持たないものというのは
事実上で「無」に等しいように思えるのです。

「こっち」と「あっち」が成立しているとき認識上ではその境界が想定されます。
私が思うに「これ以上分解できない存在」というのは
たぶん私たちの感覚ではとらえることができないものだと思うのですが
しかしそれは「こっち」と「あっち」とその「境界」からなるとは言い得る気がします。
ここでヒヤクかもしれませんけど、
そこで懸案の「存在」と言い得るものは「こっち側」でも「あっち側」でもなく
たぶん「境界」です。
もちろんもっともシンプルな「それ」が具体的にどのようなものなのかは
私にはわかりません。
しかしクオリアはそのようなものの集積ではあるような気がします。
主観というのは関係性を前提にしているということがあります。
実際にクオリアは境界上に現れている気もします。
こちら側に対する向こう側があるかんじです。

261 :でこすけ:2021/12/02(木) 23:37:55.63 0.net
>>260つづき
ただそこでふと思ったのです。
「もっともシンプルな「境界」は精神と言い得るのか」
単細胞生物に精神現象が伴っていたとしてもそれを意識とはいいにくいように
もっともシンプルな精神は精神と言いにくい気がする
意識は徹底的に分解してしまうと精神と言い得るもののではなくなってしまうのではないか
となると意識は本当に精神と言い得るものなのか…

だからどうしたという気もしますけど、とにかくそういうおはなしでした。
にしてもあらためて文章にしてみるといろいろ見える気がするものです。
お粗末様でした。

262 :考える名無しさん:2021/12/02(木) 23:50:50.45 0.net
統治は、統治者や統治される人々が何らかの「悪のイデオロギー」の
ようなものに憑かれることによってではなく、す(統)べる意向に沿ふ
ように各々が振る舞ふことによって自ずと全体主義に向かうのである。

263 :時計 :2021/12/03(金) 05:21:31.92 0.net
>>249
了解しました。

>>252
そうですね。物質の意味は広く捉えています。

>>254
そうなんですか。いつか解りやすく説明して頂ければと思います。

>>260-261
存在も境界こそが存在だと言っているような……
私は境界は概念であると思います。
勿論、存在ではありますね。
意識を分解するとは例えばどのようなことでしょうか。

264 :時計 :2021/12/03(金) 06:48:45.77 0.net
>>263
正:存在の境界
誤:存在も境界

265 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 08:09:48.32 0.net
統治とは、意向に自ずと(あたかもそれが自ら望むことであるかのように)
従ふようにさせることである。

266 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 10:33:28.11 0.net
>「すみのえ/𛀁」は、全体としてどのような表現であったのかと言えば、
それは「通過する依(よ)り代」だろうと私には思える。<

「え/𛀁」がなぜ私には「依(よ)り代」をイメージさせるように用いられて
いるように思えるのかと言うと、「帰依(きえ)」の「え」は漢語であり、
「依」を構成する「衣」が、万葉仮名では、「や行え」ではなく、
「あいうえお」の「え」に当てられていたと考えられるものの、
「すみのえ/𛀁」の「え/𛀁」に当てられた「江」と同様に「や行え」
のイメージで当てられた漢字としては、「兄」、「枝」、「柄」など
があり、これらはいずれも「つ『え』(杖)」のように「たよ(頼/手依)り」
にするものとしてイメージされるからである。

267 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 11:52:39.62 0.net
統治支配というと、一般に、力によって相手を制圧して意向に従わせる
こととしてイメージされがちだが、そのようにイメージしてしまうこと
自体が統治支配による誘導である(したがって、その統治支配を嫌ふ者
にとっては「誤誘導」ということになる)。力の行使によって相手を
制圧しつづけなければならないのであれば、それは力の対抗関係で
あり、その相手に対する統治支配は成立していない。

例えば、馬に乗ることを考えてみるといい。力比べで自分が乗る馬に
勝てる人はいない。それでも、乗馬する人は自分を運ばせる馬を
支配(≒"control")しており、走ることは馬に「まか(任)せて」、
自分は、馬がその力をどのように使ふかを、自らの意向に沿ふ
ように誘導しているだけである。同様に、統治支配も、力比べで
相手を抑えつけることにその本質があるのではなく、むしろ、
自らの意向に従わせようとする側が、自らは、必要最小限の
力しか行使することなく、永続的に安定的にま(任/負)け
(≒"concession")つづけることができるように、他者が発揮する
力を配向する術(すべ)を握ることにある。そのような術(すべ)
を仕組みとして構築することに成功しているのが、統治権力
であると考えることができるだろう。

268 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 11:58:42.14 0.net
だからこそ、統治は、しばしば、舵をとることとしてイメージされてきたのだ。
オールを漕ぐことも、舟を運ぶ流れや風を生じさせることも、舵をとる者の
役割ではない。

269 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 12:13:50.82 0.net
舵をとる者が自らオールを漕ぐのは、自ら統治するというのかな

270 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 13:18:54.61 0.net
ここで重要なこととして、ま(任/負)け(≒"concession")の相互性は、
取り引き/交換として現れ、ま(任/負)け(≒"concession")の循環性は、
分業として現れることに留意しよう。

では、統治支配は、そのま(任/負)け(≒"concession")が相互的である
ことも、循環的であることも完全に否認しながら、どのようにして
永続的に、安定的に、ま(任/負)け(≒"concession")つづけること
ができるのだろうか。それは、自らのま(任/負)け(≒"concession")
を支配関係において自らが一方的に与える「ゆる(許/赦)し」および
「めぐ(恵)み」として仕組むことによってである。支配下にある
人々は、生きているだけで、統治権力によって生命財産を保護されて
いるという「ゆる(許/赦)し」と「めぐ(恵)み」を一方的に与えられ
ていることなるのだ。

271 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 13:42:14.57 0.net
そのような統治の理念の在り方は、統治勢力が互いに支配権を競い合ふ状況
においては、比較的容易にその支持の基盤を確立することができるだろう。
しかし、現代では、地域紛争は繰り返されているものの、世界的には
そのような統治の理念がうまく機能するような状況ではなくなっている。
それでも、それに取って代わるような有効性のある理念は、いまだに
見出されておらず、統治は迷走をつづけているように見える。

272 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 13:43:34.47 0.net
>>270
誤:ことなるのだ
正:ことになるのだ

273 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 13:53:18.40 0.net
迷走知っていられる程度の余裕があるという、見方もできそうだ。

274 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 13:55:52.36 0.net
>>273
迷走知って ✕
迷走して ○

275 :時計 :2021/12/03(金) 16:46:40.87 0.net
>>270
「任」は「任す」、つまり「まか」あるいは「まかS」だと思いますが。

276 :時計 :2021/12/03(金) 16:59:29.32 0.net
>>275
「任ずること」と「負うこと」は寧ろ逆向きのように思います。

277 :時計 :2021/12/03(金) 17:02:02.23 0.net
>>276
ただ、「任」には「負う」のニュアンスはありますね。

278 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 17:15:08.29 0.net
任すと言った方が、統治する側で任された方が実際は任を負わされる、みたいなニュアンスの話?

279 :時計 :2021/12/03(金) 17:20:52.00 0.net
>>278
私は「負けるが勝ち」みたいな話かと思いましたが、
そういうニュアンスもありますね。

280 :時計 :2021/12/03(金) 17:22:47.48 0.net
>>278
「任す」のは人々でしょう。統治側は「任」を「負う」。

281 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 17:26:10.02 0.net
>>280
統治側が、義務を負わせるというのもありますよね。

282 :時計 :2021/12/03(金) 17:29:58.76 0.net
>>281
そうですね。それはありますね。

283 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 17:40:14.60 0.net
ちょっとした面白さはありますが、言葉に拘りすぎると、やや偏狭になってくるな気がします。

284 :時計 :2021/12/03(金) 17:47:00.81 0.net
>>283
言葉遊びはセンスは問われるように思います。

285 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 17:53:46.94 0.net
>>284
自分センスないから向いてないかもw

286 :時計 :2021/12/03(金) 18:04:21.66 0.net
>>285
「言葉遊び」に「言語ゲーム」のニュアンスを込めていたりする。
私のセンスもどうかな。:)

287 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/03(金) 19:11:56.57 0.net
言語ゲームは language game。
言葉遊びは word game。

288 :時計 :2021/12/03(金) 19:21:21.67 0.net
>>287
鋭いツッコミ、どうも。:)

289 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/03(金) 19:39:24.43 0.net
word gameと異なり、language gameはとても深刻な問題である。
対戦wする場合、word gameは共通のlanguage上で行われるが、
language gameは、異なるlanguage間か、
同じlanguageに属していても意思疎通が困難なほどに異なったlanguage間、
あるいは、
同じlanguageなのにお互いに異なる理解の間で行われる。
このスレで行われているのはlanguage gameであり、
いかに都合よく誤読したうえで共同幻想(バベル)を作り上げるかというゲームであるw
ただし、この共同幻想(バベル)も、それぞれの主観によって作り上げられる、
それぞれの主観によって異なるものである。
主観ごとの共同幻想(バベル)が同じものになるなんて保証は微塵もないw

290 :非標準超球面論理Nexus/CDT :2021/12/03(金) 19:47:10.35 0.net
それぞれの夢見る共同幻想(バベル)は、同じだという保証はない。
しかしながら、共通の敵(という「幻想」?)が存在し、共同でこれと戦うことで、
共同幻想が同じものであるという「幻想」が得られるw
ビッグブラザーは、このような共通の敵を作ることで、
個々の共同幻想が同じものであるという「幻想」を植え付ける。

291 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 19:58:04.33 0.net
そうですかね?コテさんにしても、三者三様にしかみえないけどw

292 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:02:47.96 0.net
私は、ま(任/負)け(≒"concession")と書きましたが、"concession"の
動詞形である"concede"を辞書で引くと、以下のようにその用法が説明されています。
以下の1の用法は「ま(負)ける」に、2の用法は「まか(任)す」に、それぞれとても
近いように思えます。

https://www.merriam-webster.com/dictionary/concede

1 (1) : to acknowledge grudgingly or hesitantly
 (2) : to relinquish grudgingly or hesitantly

2 : to grant as a right or privilege

293 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:06:15.13 0.net
というか、そういうことを読む人に自分で考えてもらえるように
最初から括弧内に英語の対応すると私が考える表現を記載しているわけですが、
ここには英語がある程度でもできる人はいないのでしょうか。

294 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:09:01.65 0.net
おお牧場はみどり

295 :時計 :2021/12/03(金) 20:11:16.74 0.net
>>293
concessionは譲歩という意味だと思っていました。:)
すみませんが、興味のない投稿では、辞書はあまり引きません。

296 :時計 :2021/12/03(金) 20:13:13.69 0.net
>>295
超球面さんの言うように誤読がポジティブに働くといいのですが…… :)

297 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:15:05.18 0.net
>譲歩という意味だと思っていました

販売する人が販売価格を譲歩することを「負ける」と表現すると思いますが?

298 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:18:46.14 0.net
商品を買ったときに、売る側が、「これは『お(御)ま(負)け』です」と
何かを追加してくれるときも、売る側の人の譲歩だと思いますが?

299 :時計 :2021/12/03(金) 20:21:11.98 0.net
>>297
しかし、限定されたシーンですよね。

300 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:21:26.26 0.net
自分で考える習慣を身に付けないと、いくら哲学用語をいじりまわしても
哲学をすることはできません。

301 :時計 :2021/12/03(金) 20:22:00.60 0.net
>>298
それも限定されたシーンだと。

302 :時計 :2021/12/03(金) 20:22:47.46 0.net
>>300
それは同意します。

303 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:24:08.31 0.net
>>300
怖い怖い

304 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:27:02.59 0.net
こういうのもありますよ。こちらは「まけ(任)」の方ですね。
自分で少しくらいは調べてみたらどうですか?

コンセッション方式 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org › wiki › コンセッション方式
コンセッション方式(Concession)とは、ある特定の地理的範囲や
事業範囲において、事業者が免許や契約によって独占的な営業権を
与えられたうえで行われる事業の方式を ...

305 :時計 :2021/12/03(金) 20:28:07.00 0.net
>>304
すみませんが、興味のない投稿では、Wikipediaを引くこともありません。

306 :時計 :2021/12/03(金) 20:30:51.42 0.net
>>305
パッと見た感じ、移譲するということかなと思いました。

307 :時計 :2021/12/03(金) 20:31:22.01 0.net
>>306
そういう意味では、譲るという意味があるのかなと思います。

308 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:31:33.37 0.net
例えば、馬を飼育する牧場(まきば)は、元来、競馬のための馬を育てている
わけではなくて、軍事用の馬を育てているわけです。それは、やはり、
統治権力から、まか(任)されて馬を飼育する場所なのだろうと、私には
思へるのです。

309 :時計 :2021/12/03(金) 20:32:06.43 0.net
>>307
まあ、譲歩を易しく言うと、譲ることですよね。

310 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 20:33:41.48 0.net
「根負け」するとは、抵抗するのをやめて相手に譲ることでしょう。

311 :時計 :2021/12/03(金) 20:38:56.42 0.net
>>308
ネットで調べてみました。牧畜の方が古いみたいです。


まき

牛馬などを放し飼いにする土地をいう。牧場の古名。日本の牧畜は上古にさかのぼるが,大化改新 (645) 以降,軍馬,駅馬,農耕用牛馬の管理も厳密に規定されるようになり,その飼育の場である牧場も国家による制度化が行われた。

312 :時計 :2021/12/03(金) 20:39:49.84 0.net
>>311
撒くに関係するかも。

313 :時計 :2021/12/03(金) 20:43:08.41 0.net
>>312
撒き場ですね。1つの候補にはなるかなと思います。

314 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/03(金) 20:50:51.24 0.net
>>291
同じということだけではなく、三者三様のような違いでも、
共同幻想なのですw
同じスレを読み書きし、意見を書いていろいろ返って来る、
なんてことも「共同幻想」なのです。
そもそも、「共同幻想」そのものが「幻想」です。
われわれが唯一(唯二?)可能なことは「誤読と幻想」だけなのです。
「誤読と幻想」というハンドルに変えたいのですが、超球面もすてがたい。
かといってまた長くするのもためらわれるw
ええい、長くしてしまへー。

315 :時計 :2021/12/03(金) 20:52:17.19 0.net
>>312
さらに「蒔く」に関係して、無から有への運動、「間来」を連想します。
「間」と「無」の親近性は言うまでもないかと。

316 :時計 :2021/12/03(金) 22:00:30.32 0.net
>>314
また、ハンドル、長くなりましたね。:)
共同幻想について考えていましたが、矛盾に近い感覚はあります。
幻想であるが、共同しているという。
共同しているものというと例えば初等的な数学ですね。
でも、幻想と言っていいのか……
そもそもこのような共同幻想観は誤読かもしれません。

317 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 22:22:57.31 0.net
>>314
もしかして段々、仮想現実に寄ってきてやしませんか?

318 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/03(金) 23:22:20.96 0.net
virtual reality ではなく virtual = real を目指しています。
仮想的な現実(感)ではなくて、
現実は仮想(幻想)であり、仮想(幻想)が現実であると。

virtualは「虚像」ではなく、「実際(上)の/事実上の」という意味のほうが強いのです。
仮想的な現実(感)としての「仮想現実」ではなく、
事実上の現実(そのもの)としての「仮想現実」ですね。
残念ながら、後者の意味で「仮想現実」が使われているのはマレですね。
virtual real(事実上の現実)ですかねぇ。
それでもわたしの考えとは、ちょいと違う。
「現実とは事実上のものであり、real is virtual である」 ということか?
仏教においても、現実など無い/この現実は本当の現実ではない/現実とは仮想である、
という3つぐらいに分類できるかもしれません。
「無い」ことは語れませんから、ひとつ目はアウトですw
われわれの「現実」とは本当の「現実」ではない、というのは非生産的であり、
インチキ宗教やセミナーの類でよく使われるものですw

319 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/03(金) 23:30:43.59 0.net
オペレーター至上主義(オペレーター原理主義)に従えば、
現実とはオペレーター/オペレータ(operator/演算子/作用素)によって得られるものなのですw

320 :考える名無しさん:2021/12/03(金) 23:32:29.31 0.net
>>318
でこすけさんの言う仮想現実も、現実とは仮想であるでしょう、多分。

321 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 08:14:57.42 0.net
>>292
ま(任/負)く≒"concede")ことの英語を用いた捉え方としてやはり好都合に
思えるのが、"concede"に類似した表現である"give leeway"である。
こちらの表現を用いると、「負ける」ことは、"give leeway to (someone
to do 〜)"(即ち、逆から見れば「(誰かに〜することを)勝手にさせる」)
こととして記述することができるので、「(相手に)ま(負)ける」ことと
「(相手から)まか(任)される」ことが表裏の関係として捉えられる。
また、現代語でもよく使われる「まか(罷)り(通)る」という表現における
「まか(罷)る」は、古語においては、「お許しをいただいて貴人のもとから
退去する」ことを意味するように用いられるが、この用法も"be given leeway
to go away"としてそのまま解釈が成立し、そこから、「まか(罷)り(通)る」
という用法も、より一般的に"be given leeway (to do 〜)"と適切に記述
される。

さらには、例えば、「み(見)まくほ(欲)し」という表現は、一般に
「ま(任/負)く」とは無関係であるものとされ、この「まく」は、
> (推量の助動詞「む」のク語法「まく」に形容詞「ほし」の付いたもの)
願望の意を表わす。< https://kotobank.jp/word/まくほし-386983
とされるが、上記のように「ま(任/負)く」≒"give leeway (to do 〜)"
と理解するなら、「み(見)まくほ(欲)し」は、"want to be given leeway
to see 〜"と解釈できることになり、こちらの解釈も十分に成立するように
私には思える。

322 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 08:27:31.51 0.net
「ま(任/負)く」≒"give leeway (to do 〜)"という解釈がそれなりに
妥当なものと成立するとしても、「まく」という発音がどのようにして
そのような意味を表現するようになったのかは明らかではない。

この場合、「まか(罷)る」という表現の方が、「ま(任/負)け」という
表現に先行して用いられて、そこから後者の表現が用いられて、さらに
活用されることになったものと仮定してみるなら、「まか(罷)る」は、
「ま(目)か(離)る」として、"to be overlooked"(つまり、「大目に
見てもらう」、「容認してもらう」)に相当するような表現に由来する
のではないかという思ひも浮かぶ。

323 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 10:17:54.12 0.net
https://kotobank.jp/word/言まく-2004935
>※万葉(8C後)二・一九九
「かけまくも ゆゆしきかも 言久(いはまク)も あやにかしこき」<

「見まく」、「かけまく」、「言はまく」などの表現に見られる「〜まく」を、
> (推量の助動詞「む」のク語法「まく」に形容詞「ほし」の付いたもの)
願望の意を表わす。<
とする従来の国語学の解釈は、不自然ではないだろうか。というのも、
これらは、ク語法を外すなら、「見む」、「かけむ」、「言はむ」
となり、岩波古語辞典に記載されるとおり、
「一人称の動作につけば、「・・・よう」、「・・・たい」と話し手の
意志や希望を表し」(p.1437)ていることになるからだ。ところで、
「〜く」には、尊敬の意を伝える機能も、謙譲の意を伝える機能も
ないだろう。したがって、上に引用した文の場合にも、話し手の「意志
や希望を直接的に表現している」ことになるはずである。しかし、
そのように考えることは、その行為が「ゆゆしき」、「あやにかしこき」
とされることと明らかに矛盾しているだろう。行為がそのようなもの
であると認識されているのなら、その行為自体が「尊敬」、「謙譲」、
または「婉曲」の意を伝えるように表現されなければならないはず
だろうと、私には思える。

324 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 11:16:28.58 0.net
>>321
このように見ると、統治は、安定的にま(任/負)け(≒"concede")つづける
ことができ、なおかつそのま(任/負)け(≒"concession")を、相手には、
統治する側が自らの意向に沿って一方的に与へる「ゆる(許/赦)し」
または「めぐ(恵)み」であると認知されるようにする仕組みを構築し、
維持することにあることが分かる。

というのも、相手に「ま(任/負)く」≒"give leeway (to do 〜)"
ことができないなら、統治する側は、あらゆることを自力で行ふ
必要があることになり、それは、勝手に振る舞ふことではあっても、
もはや統治ではなく、また相手に「ま(任/負)く」≒
"give leeway (to do 〜)"にしても、そのま(任/負)け(≒"concession")
を、統治する側が自らの意向に沿って一方的に与へる「ゆる(許/赦)し」
または「めぐ(恵)み」であると相手に認知させることができないなら、
相手は、「自らの力にまか(任)せて勝手に振る舞ふ」ようになり、
それまで統治してきた側は、逆に支配されることがないとしても、
統治体制は崩壊するからである。

325 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 11:24:25.88 0.net
"con permiso"とは、統治の認知である。

326 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 13:11:55.09 0.net
統治者が統治を維持するためには、相手をいつでも自らの意向に沿ふように
させる必要があることは、サン=テグジュペリの"Le Petit Prince"/
『星の王子さま』にも明確に描かれている。"le petite prince"は、
王の統治する星を、日本語の古語の表現とぴったりと対応するように
「まけ(任)のまにまに(任命にしたがって)まかる(罷)る」のである。

https://www.ic.unicamp.br/~roland/le_petit_prince/chap10.html
>Mais le petit prince, ayant achevé ses préparatifs,
ne voulut point peiner le vieux monarque :
- Si Votre Majesté désirait être obéie ponctuellement, elle pourrait
me donner un ordre raisonnable. Elle pourrait m'ordonner, par exemple,
de partir avant une minute. Il me semble que les conditions sont favorables...
Le roi n'ayant rien répondu, le petit prince hésita d'abord, puis,
avec un soupir, prit le départ.
- Je te fais mon ambassadeur, se hâta alors de crier le roi.
Il avait un grand air d'autorité.
"Les grandes personnes sont bien étranges", se dit le petit prince,
en lui même, durant son voyage.<

327 :時計 :2021/12/04(土) 13:20:26.79 0.net
「任く」を「まく」と読むことは、
「始ず」を「はず」と読むようなものだと思います。
それで可笑し(をかし)なことになる。

328 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 13:25:56.77 0.net
私は、その気さえあれば、誰にでも自分で容易に確認できることを書いている
つもりだ。それにしても、私は、ここに私が書いているようなことを論じている
思想哲学関係の日本語の著作を目にしたことがない。無論、それは私が単に
無知であることに起因している可能性は大いにある。それでも、一般人として
私は、他の人々に比べて特に読書量が少ないということはない。であるとするなら、
やはりそのことは、日本の思想哲学関係の研究者の重大な手落ち、あるいは
怠慢を反映していることになるのではないだろうか。

329 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 13:27:27.95 0.net
>>327
日本語において、漢語の場合を除き、発音に対する漢字の割当てと送り仮名は
便宜上のものに過ぎない。

330 :時計 :2021/12/04(土) 13:31:40.84 0.net
>>328
私も研究の最前線のことは解りませんが、
日本語では、語源の研究は少し疎かになっている印象はあります。
英英辞典だと、語源の解説はよく載っていますが、
日本語辞典だと、語源のことはあまり書いてありません。

331 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 13:32:30.50 0.net
>>328
哲学の理論上説明が必要ならするだろうけど、字や単語の意味だけ深堀りして考えることはあまりないだろうね。

332 :時計 :2021/12/04(土) 13:36:49.05 0.net
>>329
「任す」は「mak-asu」で、語源は多分、使役形ですから、
「mak」と「mak-as」とでは、大きくニュアンスは異なると思います。

333 :時計 :2021/12/04(土) 13:47:03.30 0.net
>>332
私は、「任す」の「asu」という使役形は
本質的な役割を果たしているように思います。

334 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 14:54:43.00 0.net
>>331
>字や単語の意味だけ深堀りして

私が論じていることが日本語の「字や単語の意味だけ」の問題であるなら、
なぜ日本語の表現を通して私が論じていることが、日本語とは無関係である
と考えられているフランス語による描写とぴったりと合致するというような
ことが生じ得るのですか?

335 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 15:06:48.11 0.net
>>334
人間の考えることですから、日本語でもフランス語でも描写が重なることもあるんじゃないかと。正直何を論じているのかは、読んでないので解らないのですが。

336 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 17:08:08.45 0.net
学問においても、明証性が要求されるとき、人が要求しているのは、
そのことが「誰にでも明白であると認められる根拠」を示せなど
ということではなく、その主張を認めることが、人事権の行使に
おいて、自分に有利に働くか、または少なくとも不利に働くことが
ないことを保証するお墨付きを、要するに、それが上からの意向に
沿っていることを示す事前認可の印を示せということでしかない。
だから、「誰にでも明白であると認められる根拠」を示すことが
明証性を示すことになると誤認しているうちは、それを頭ごなしに
否定されることを繰り返して、その理由が分からず、混乱し、
悩みつづけることになるのである。

337 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 17:17:29.35 0.net
だが、学術論文を書いて、それを査定してもらい、その査定を
制度的な人事において自分の有利な評価につなげたいなどという
目的とは何の関係もない便所の壁の落書きにおいて、そのような
「明証性の要求」など、私の知ったことではないのだ。

338 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 17:19:33.97 0.net
統治の仕組みについて解明してそれを明示しようとすること自体が、
人事的には間違いなく大きく不利に働く。

339 :時計 :2021/12/04(土) 17:21:55.74 0.net
>>337
同情しないな。

340 :時計 :2021/12/04(土) 17:24:06.19 0.net
>>338
であれば、落書きなどと言わず、真摯に向き合って下さい。

341 :考える名無しさん:2021/12/04(土) 17:38:18.31 0.net
統治の目的は、つか(仕/使)へるように力を発揮させることにある
のであって、それとは無関係に各々が自由に最大限の力を発揮する
ことができるようにすることにあるのではない。そのことを
理解していないと、なぜ明らかに何の役にも立たないことに
多大な労力を消費させられるのか、なぜ空回りさせられつづける
のか分からず、闇雲に統治の「非効率」を非難しつづけることになる。
ところが、それが統治の役に立たないなら、勝手に力を発揮させない
ようにすること、力を空回りさせつづけることこそが、統治を安定
させるために欠かせないのである。

342 :時計 :2021/12/04(土) 17:45:33.41 0.net
>>341
統治者に有効なヴィジョンがないことも少なくないかと。
あと、統治というものが、国家、企業、大学、何の統治を
指しているかによっても、話は変わり得るのではないでしょうか。

343 :時計 :2021/12/04(土) 17:46:53.60 0.net
>>340
とは言え、落書きでもいいかなという思いもあります。:)

344 :時計 :2021/12/04(土) 17:48:11.78 0.net
>>343
落書きの中にいいアイデアのある可能性は否定できないように思います。

345 :時計 :2021/12/05(日) 01:53:13.25 0.net
>>341
例えば、大学の研究の場合、政府に仕えるように力を発揮することと、
各々が自由に最大限の力を発揮することは、両立可能だと思います。

346 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 02:02:50.07 0.net
Haskell stackが簡単だったので、ひさしぶりにHaskellをインストールして遊んでみた。
Haskellを使って圏論としての主体の仮想現実(主観世界)を記述できるかどうか試行錯誤。
はたして主観というものを圏論的にHakellで実装できるのであろうか。

347 :時計 :2021/12/05(日) 02:08:34.50 0.net
>>345
国家に仕えると言うべきか。

>>346
仮想現実(主観世界)を記述できれば凄いことだと思います。

348 :時計 :2021/12/05(日) 02:09:10.80 0.net
>>347
主体の仮想現実(主観世界)ですね。

349 :時計 :2021/12/05(日) 02:10:14.12 0.net
>>348
私には想像も付きませんが、できれば公開してほしいです。

350 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 06:54:08.51 0.net
キズナアイが、手動なのか自動なのかわかる人おるか??

351 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 08:49:51.04 0.net
>>346
実装できるか否かを客観的に理解していないなら不可能でしょうけど、逆なら技術を駆使すればなんとかそれらしいモノならできる可能性はあるんじゃないですか。

352 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 09:23:57.36 0.net
>>341
例えば、競技スポーツについて考えてみると分かりやすい。
プロの競技スポーツを組織化して運営すること自体が、統治の仕組みとして
巨大な空回りの仕掛けを成立させることである。トップ・アスリートが
超人的な能力を見せて競い合ったところで、それによって一般の人々が
利用できる衣食住のリソースを増大させるにすることになんら貢献する
わけではない。そのことは、競技のレベルをいくら向上させたところで、
それを見ることは、一般の人々にとって娯楽としての「余暇」となる
だけで、その「余暇」が増えるわけでもない。では、なぜトップ・アスリート
は、若いうちに重大な身体的な損傷を受けて障害を抱える大きなリスク
を冒してまで、人並外れた身体能力や身体技能を見せるために競い合う
必要があるのか。その理由ははっきりしている。それは、競技スポーツが
統治の仕掛けとして編成されているからである。

353 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 09:24:02.32 0.net
主観がどこにどのように発生するのか定義できるのかを探る。
まず主体が必要だ。
主体 :: 主体 -> 主体
と書いてみて、::の左側の主体も集合としての主体であることに気づく。
左側は集合主体の元でなければならない。
元としての主体のも内面としてのその主体の集合である。
左側と右側(主体から主体への写像)の主体は階層が異ならねばならない。
だが、主体にとっての主体は自分自身である。
なんらかの階層がないと、マルガブ流に、主体は「存在」しないということになる。
ほんとうに存在できないのかは、後で実際に動かしてみようw

354 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 09:24:58.06 0.net
誤:その「余暇」が増えるわけでもない
正:その「余暇」が増えるわけでもないことからも分かる。

355 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 09:45:15.76 0.net
プロのスポーツのトップ・アスリートは、平均的に見れば、20代の半ばで
引退する。例外的に活躍する選手でも、30才くらいまでには何らかの深刻な
身体的な障害を経験することがごく普通であり、30代の前半にはそれが
回復不可能なまでに悪化して引退していくことが当たり前である。
一般の人々の健康を増進するための手本としては、プロ・スポーツは
何の役にも立っていないどころか、健康の増進が目的なら明らかの手本
として有害ですらある。

では、なぜプロのアスリートがその時点で発揮できる身体能力や身体技能
の限界レベルで競い合う必要があるかと言えば、そこで活躍されて、
高く評価されることが特別な「めぐ(恵)み」であり、活躍の場を与え
られているアスリートは、発揮することのできる能力や技能によって
そのことを特別に「ゆる(許)され」ているものと人々に広く認識させる
ためである。見せる能力がただ単にレベルが比較的高いというだけでは、
そのように「選ばれている」ことを演出することができない。
そのように選ばれて、活躍することをゆる(許)され、めぐ(恵)まれる
ことに人々が憧れるようにするためには、そのモデルは、人々に
、自分では到底かなわないと感じさせるほど、また、そのように
自分も選ばれることを目指す人々の大多数を、そのために費やす
労力と時間のほとんどにおいて、空回りさせるように「並外れたレベル」
でなければならないのである。

356 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 09:47:42.69 0.net
誤:明らかの手本として
正:明らかに手本として

357 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 09:58:45.65 0.net
トップ・チームで勝利につか(仕/使)へるように最大限の力を発揮できるように
選んでもらい、活躍の場を与えらえることが「ゆる(許)される」ことであり、
そこで活躍できることが「めぐ(恵)み」であるものと認識されるようにように
仕組まれたモデル、それがプロの競技スポーツである。

358 :時計 :2021/12/05(日) 10:51:51.78 0.net
>>355
20代半ばはまだ早いんじゃないかな。
プロ・スポーツを支えているのは、趣味としてのスポーツの経験者、
高校生スポーツの経験者、実際にスポーツをしていて
その難しさを知っている人たちだと思います。
さらに、にわかもいるでしょうが、
やはり経験者が一番の応援者かなと思います。
要するに、プロ・スポーツは統治の仕掛けだけではなく、
目の肥えた応援者の心を掴む必要があるということです。

359 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 11:00:10.14 0.net
スポーツするのが苦手な自分ですら観てるだけで心を動かされる事があります。頭でっかちな必要性とは別物な真価があると思う、

360 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 11:06:10.45 0.net
プロ・スポーツも他の職業と同様に社会の分業を基盤として成立している。
分業は、衣食住の必要を満たすための活動を自らすべてやるのではなく、
本来、自分がやる必要のある活動の一部を他人に任せ、それと引き換えに
他人がやる必要のある活動の一部を自分が担うことを集団として組織化
して行うことで、全体として効率がよくなり、より大きな成果を出す
ことが可能になるようにすることによって維持され、発展してきた。
例えば、作物を育てることを専業とする他人がいなくなれば、自分で
作物を育てなければならなくなる。では、他人がプロ・スポーツで
活動することをやめると、その結果として、何を自分でやらなければ
ならないことになるのだろうか。

361 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 11:20:53.81 0.net
自分が必要としていない商品やサービスを売りつけようとしてくる
販売員は、煩く、迷惑に感じさせられることが多いが、それでも、
多くの商品やサービスは需要があるから販売されつづけている。
販売員は、その商品やサービスの提供者とそれを買う客の案内役、
口利きの役割をしており、存在しなくなれば、客は、情報を
収集して、商品やサービスの詳細を理解するための作業を
自分だけでやる必要が生じ、そのことは、相当な不便をもたらす。
では、プロ・アスリートが存在しなくなると、どのような不便が
自分に生じるのだろうか。

362 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 11:23:22.29 0.net
このように見てくると、プロを頂点とする競技スポーツ、競技アスリートが
社会で人々にとってどのような役割を果たしており、それが統治の仕組みと
どう結びついているのかがより明確に分かるようになる。

363 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 11:24:19.04 0.net
誤:競技アスリート
正:アスリート

364 :時計 :2021/12/05(日) 11:51:37.68 0.net
>>360
プロ・スポーツ選手のその替えの効かなさは貴重だと思います。
ほとんどのプロ・スポーツ選手は、金、あるいは時間という形で、
子供の頃から自らに投資をしており、さらのそれでも狭き門です。
そういう観客側から起こる尊敬の念は大きいと思います。

>>361
例えば、本を買うために、批評家の言葉は参考になりますが、
現代では、アマチュアの批評(読者のレビュー)、Wikipediaなど
代替手段も発展しつつあると思います。
やはり替えの効く存在は弱いかなと思います。

プロ・アスリートがいなくなると、新しいプロ・アスリートが生まれ、
多分、競技レベルは少し落ちるでしょうね。
そして、観客も少し減る。

>>362
高校生スポーツの盛んな野球、サッカー、
競技人口の多いゴルフ、日本の伝統芸である相撲など、
それぞれ上手く行っている理由は少し異なるかもしれませんが、
共通するところを考えることは面白いかもしれません。

365 :時計 :2021/12/05(日) 11:52:12.79 0.net
>>364
正:さらにそれでも
誤:さらのそれでも

366 :時計 :2021/12/05(日) 11:54:58.20 0.net
>>364
サッカーに関しては、ユースの存在も大きいですね。

367 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 12:10:52.50 0.net
では、プロ・スポーツは、他の動物種の場合であれば、どのような活動に
相当するのですか?遊びではないですよね。他者が遊ぶのを見ていても、
遊びにはなりませんから。

368 :時計 :2021/12/05(日) 12:22:02.83 0.net
>>367
プロ・スポーツは基本的には人間特有の文化だと思います。
動物の生態として、近いものは、
例えば、群れのボスの座を巡ると戦いとかでしょうか。

369 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 13:34:55.09 0.net
>>368
集団で餌を確保するため、チームワークを発揮する動物もいますよね。
彼らの間でどう、うまく仕事をこなすかで、序列が自然に定まっていくとか

370 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 13:53:32.27 0.net
>>369
プロ・スポーツが消滅しても、社会の集団的に組織化された分業がなくなる
わけではないでしょう。だから、プロ・アスリートが、その分業を基盤とする
社会でどのような役割を担っていると考えられるのかを問ひかけたわけです。

別に私は、統治の仕組みだから悪いと言っているわけでも、統治の仕組み
に協力することになるからプロ・スポーツを廃止しろと言っているわけ
でもないので、誤解のないよう。ただ、私は、統治の仕組みに一方的に
協力する関係を強化することが、どのような結果をもたらすのかを問題
としているだけです。

371 :時計 :2021/12/05(日) 13:56:06.37 0.net
>>369
しかし、それは労働ですよね。
ゲームで事を決めるのは、暴力は危険だからです。
動物がゲームを行うことは私はあり得ると思います。

372 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 13:56:30.94 0.net
近代五輪は、国家を主催者とする祭典として開催されているはずですが、
五輪競技が、そこに参加するアスリートだけのためのものとなるなら、
五輪開催は意味を失い、不可能となるでしょう。

373 ::2021/12/05(日) 13:57:43.59 0.net
ハードプログレム

374 :時計 :2021/12/05(日) 13:57:59.90 0.net
>>370
プロ・スポーツが存在するのは、戦いの本能ゆえじゃないかな。

375 :時計 :2021/12/05(日) 13:59:33.23 0.net
>>372
その通りだと思います。

376 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 14:03:03.56 0.net
>>370
そういう意味でしたら、人間の心を身をもって体感できることの素晴らしさじゃないですかね。

377 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 14:09:14.16 0.net
>>371
人間にとっては労働でも、自然界の動物にそういう概念はないんじゃないかと。うまく獲物にありつけたときは、人間がス勝利したとき満足感を得るように動物たちも満足していそうです。

378 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 14:15:35.05 0.net
では、それは、観客にとって、牛を闘わせることや、鶏を闘わせることや、
ドッグレースを観戦することなどで体感できることとどう違うのでしょう。

中東のラクダレースは、騎手のほとんどが外国人で、南アジア出身の子供
だったらしいですね。騎手に感情移入してレースを観戦していたという
ことではなさそうです。

379 :時計 :2021/12/05(日) 14:24:13.92 0.net
>>377
労働は自然な目的を持ちます。
ゲームは人工的な目的、ボールをゴールに入れるなど、を持ちます。
私は、労働とゲームいう言葉でそのようなことをイメージしていました。

380 :時計 :2021/12/05(日) 14:28:49.25 0.net
>>353
初歩的な質問ですが、主体は主体から主体への関数であるということでしょうか。

381 :時計 :2021/12/05(日) 14:33:53.09 0.net
>>379
ただ、例えばウィトゲンシュタインがそうしたように、
ゲームという概念は一般化できますよね……
そういう意味では、377で言われていることは正しいと思います。

382 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 14:41:28.04 0.net
>>379
労働は、人工的な現金を得る目的という感覚ですね。
ゲームが人工的な目的なのはわかります。

383 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 14:53:37.76 0.net
>>378
違わない感覚の人もいるかもしれませんが、スポーツをする人も、観戦する人も、決められたルール、同じ条件のなかで、それぞれでが極めた技や、表現を楽しみますよね。

384 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 15:02:05.81 0.net
>>380
まだ試行錯誤中です。
関数とみなすこともできるわけですが、主体から主体への写像です。
主体は関数であり、アイデンティティを与える、というつもりでしたが、
残念ながら、主体の別の元にも写像できることになってしまうので、
instanceを作らねばなりません。
Haskellのclassはinterfaceで、Haskellのinstanceがclassの実装になるようで、
Haskellでいうinstanceをつくらねばならなかったようです。
(実際に、Haskellでは日本語の名前は使えませんし...試行錯誤中)

385 :時計 :2021/12/05(日) 17:03:57.76 0.net
>>382
労働が人工的か……
そう言われるとそうかもしれません。

>>384
ある主体から別の主体への関数にもなってしまうのかな。

386 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 17:19:42.95 0.net
>>385
経済は人工的な概念の最たるシステムなので、労働に従事することもそこに組み込まれている気がしませんか?

387 :時計 :2021/12/05(日) 18:38:11.13 0.net
>>386
労働というと確かにそんな感じかも。
働くことと言えばよかったかな。

388 :時計 :2021/12/05(日) 18:39:28.28 0.net
>>387
いい言葉があるか考えてみます。

389 :時計 :2021/12/05(日) 19:03:27.92 0.net
>>388
蟻が働くとは言いますが、蟻が労働するとはあまり言いませんね……

390 :時計 :2021/12/05(日) 19:04:38.11 0.net
>>389
結構難しいですね。肉食動物の狩りを働くことと言えるか……

391 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 19:17:02.78 0.net
経済はメタボリズム(新陳代謝)かも

392 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 19:47:15.60 0.net
>>388
傍の人を楽にするから、働くとか言ったりするので、肉食動物も仲間で互いが協力することで···こじつけすぎかぁ

393 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 21:56:30.29 0.net
なかなかうまくいかないので、とりあえずjavaで。
// class 主体 {
// private String name;
// public 主体(String name) {
// this.name = name;
// }
// public 主体 id(主体 subject) {
// return subject;
// }
// public String toString() {
// return name;
// }
// 主体 わたし = new 主体("わたし");
// 主体 who = わたし.id(わたし);
// System.out.println(who.toString());
主体である「わたし」は、「わたし」という主体にidentityを与えて、
「わたし」を存在させる。
しかし、ここでおかしいのは、「わたし」以外の主体も存在してしまうということだ。
「わたし」以外の主体はなく、ここで「わたし」が存在させられるのは「客体」だ。
public 客体 id(客体 object) ;でなければならない。
このmethodに主体である「わたし」を適用できるのだから、
class 主体 extends 客体
または
class 客体 extends 主体
のどちらかである。
はたして、どちらであろうか?

394 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 22:02:45.90 0.net
うーん、インデントが削除されてしまう。
前に//を置いてもダメか。
// test
# test
ともかく、主体が客体を継承するのか、客体が主体を継承するのか。
主体は主体にも客体にもアイデンティティを与えられなければならないが、
この場合、主体がアイデンティティを与えられる主体は客体としての主体である。
主体が最初から客体としての性質を持っているのか、
主体が主体(自分自身)に客体としての性質を与えているのか、ということである。

395 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/05(日) 22:49:07.55 0.net
主体は、自分自身以外の主体とは交わらない。
たとえ自分自身であっても、そのような場合は客体だ。
客体としての自分自身の内面にはアクセスできない。
そう考えると、それが「無意識」だ。
つまり、主体が客体を、客体が主体を、「継承」なんて「しない」。
そうなってくると、
主体は自分自身を自分自身だけでは客体化できない。
自分自身を客体化するには、主体(自分自身)を客体として扱う別の客体が必要である。
主観世界は、このように「行って帰ってくる」ような物語構造を持っている。
別の客体によって客体としてとらえられた主体が客体として主体に帰ってきたとき、
はじめて。主体自身の客体化が可能となる。(ややこしい)
主体自身の客体化は、客体の客体として帰ってきたものにアイデンティティを与えるという作業になる。
確からしさ/確かさは、たくさんの客体から客体としての自分自身が帰ってくることによって確保される。
同様に、客体自身の確からしさ/確かさも、たくさんの客体から...客体の客体としてその客体が...
とことんめんどくさいw

396 :考える名無しさん:2021/12/05(日) 23:30:40.93 0.net
iPS細胞(人工多能性幹細胞)が、然るべき時期に
廻りの細胞と相互作用して、ある役割(いずれかの臓器etc)を
担っていくプロセスと似てるかも
全体的サステナビリティに不可欠な その具体的な役割を漂白して
抽象化すると、機能的には内外両面への独裁主義・ファシズムの
様相(solitude)
最悪?なケースは癌化か(isolation)
個々をlonelinessにし依代希求からの全体主義もあるか

397 :時計 :2021/12/06(月) 01:09:16.46 0.net
>>393
>主体 who = わたし.id(わたし);
主体 who = わたし
と同じではありませんか。
個人的には全て客体で、主体はプログラムの外にいるようにも思いますが……
面白いと思います。

398 :考える名無しさん:2021/12/06(月) 12:35:40.25 0.net
集合論におけるゲーデル的なものが
集合を「周期」とした際での量子力学(観測問題)じゃないか?
任意のある時点の問題はデデキント(切断)とか

399 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/06(月) 12:36:58.13 0.net
客体としての「わたし」は主体ではありません。
主体 who ではなく 客体 who = ですね。
主体としての「わたし」と客体としての「わたし」をどのようにつなぐか。考え中。

400 :考える名無しさん:2021/12/06(月) 14:55:53.67 0.net
>>270-271
Der Einsame

Verhaßt ist mir das Folgen und das Führen.
Gehorchen? Nein! Und aber nein – Regieren!
Wer sich nicht schrecklich ist, macht niemand Schrecken:
Und nur wer Schrecken macht, kann andre führen.
Verhaßt ist mirs schon, selber mich zu führen!
Ich liebe es, gleich Wald- und Meerestieren,
Mich für ein gutes Weilchen zu verlieren,
In holder Irrnis grüblerisch zu hocken,
Von ferne her mich endlich heimzulocken,
Mich selber zu mir selber – zu verführen.

http://www.zeno.org/nid/20009250174

401 :時計 :2021/12/06(月) 19:38:44.33 0.net
>>399
客体としての「わたし」とは、「わたし」の脳神経系のことでしょうか。

402 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/06(月) 20:18:44.62 0.net
客体としての「わたし」は、主体としての「わたし」からみた「わたし」ですね。
全部を外側からみることはできないので、他の客体からみた客体としての「わたし」を受け取らねばなりません。
主体としての「わたし」が、客体として「わたし」にアイデンティティを与えて存在させる。

403 :時計 :2021/12/06(月) 21:20:48.20 0.net
>>402
例えば、過去の「わたし」は客体としての「わたし」でしょうか。

404 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/06(月) 21:30:10.12 0.net
それは客体としての過去の「わたし」ですね。
過去の「わたし」と今の「わたし」や未来の「わたし」は違うわけです。

class 主体 と class 客体 を結びつけているのは、Propertiesでした。
class 主体 extends Properties
class 客体 extends Properties
です。
過去の「わたし」と、今や未来の「わたし」はPropertiesが少し異なるわけです。

というわけで、javaで実験していますが、class 主体 の id methodは次のようになります。
public 客体 id(Properties properties) {
return new 客体(properties);
}
主体はPropertiesを客体化してアイデンティティを与えて「存在」させます。

405 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/06(月) 21:36:22.57 0.net
var subject = new 主体(new Properties("わたし"));
System.out.println(subject);
var object = subject.id(subject);
System.out.println(object);
の結果が
主体 [Properties [name=わたし]]
客体 [Properties [name=わたし]]
です。
主体の「わたし」と客体の「わたし」です。
現在のところPropertiesにはnameしかありませんが、集合になる予定です。

406 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/06(月) 22:04:31.29 0.net
と、こんな簡単にはいきません。
主体からPropertiesを引き出し(主体という皮を引き剥がす)て、
客体に換装する必要があります。
引き出す/引き剥がすのに必要なのが、他の客体です。
客体に換装するのは主体側でできるでしょうが、
Propertiesを引き出すことはできません。
でも、他の客体が主体のPropertiesを引き出してくれるメカニズムはまだ考えていませんw

407 :407?:2021/12/07(火) 00:42:40.39 0.net
マトリョーシカや onionだと
合わせ鏡になっちゃいますね
>>407

408 :時計 :2021/12/07(火) 06:14:06.10 0.net
>>404-406
Propertiesなるものは少し調べてみましたが、
キーと値の集合のようですね。
例えば、名前以外では何が入るのでしょうか。

409 :時計 :2021/12/07(火) 06:27:10.41 0.net
>>392
「働く」より適切な言葉を見つけることは、難しいですね……

410 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/07(火) 07:41:38.49 0.net
properties とは特性とか特質の複数形ですね。
それが持っている何かの集まりです。

これも、主体によって与えられる属性だとしてしまうと、面倒になるので、
主体なしに存在できる特性でなければなりません。
微分トポロジー的には、微分構造ですw

411 :時計 :2021/12/07(火) 07:56:34.97 0.net
>>410
何となくpropertiesというと実在的なものを連想します。
身長、年齢、職業……

412 :時計 :2021/12/07(火) 08:44:39.54 0.net
世界と私のインターフェイスは身体だと
考えられることは多いと思いますが、厳密には脳神経系だと思います。
世界→脳神経系→私→脳神経系→世界
「私」はある種の結節点のように考えられると思います。
それで正しいのかどうかよく解りませんが。
あるいは、これを以て、
「私」は存在しないと考えることも可能かもしれません。
私は、涅槃という快楽こそ「私」であるように思います。

413 :時計 :2021/12/07(火) 08:48:08.72 0.net
>>412
「私」の源泉であるように思います、
と言う方が正確かもしれません。

414 :時計 :2021/12/07(火) 08:53:15.24 0.net
私の言語感覚では、
「俺は独りだ」というのは切実で、
「僕は独りだ」というのはナイーブで、
「私は独りだ」というのは少し滑稽です。
これは詩なのだと思います。

415 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 11:31:45.80 0.net
生きていること、息をしていることが、既にどのようにか
呼応関係/《accord》/"agreement"が成立していることとしてあり、
そのことは、対比が1/1として成立している限りにおいて、
それは何も変化が生じていないデフォルトの存在状態とされ
(それを、変化の不在を表すように0によって代表しようと、
存在自体を表すように1によって代表しようと構わないが)、
意識されない。

416 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 11:48:45.47 0.net
「〜を」という意は、《vouloir》/"want"/「欠損」として現れ、
《ce qui est regrettable》/"what is regrettable"/「を(惜)しきこと」
を指し示すが、その意が応えによって満たされる限りにおいて、
それは《agréable》/"agreeable"/「意に沿ふ」こととなるので、
呼応関係/《accord》/"agreement"が回復されて、《regret》/
"regret"/「く(悔)ひ」が残ることはない。

417 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 11:59:14.31 0.net
したがって、自らの意として「し(識/知)る」ことになるのはまずなによりも、
現状で未だに呼応関係/《accord》/"agreement"が回復されていない
《ce qui est regrettable》/"what is regrettable"/「を(惜)しきこと」
であり、それが意識であるが、意識されていることは、意が応えによって
満たされて、現状が《agréable》に/"agreeable"に/「意に沿ふ」ように
なるに応じて「わす(忘)れ」られてゆく。

418 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:01:43.48 0.net
逆に、「く(悔)やむ」とは、呼応関係/《accord》/"agreement"が回復され
ないことであり、《regret》/"regret"/「く(悔)ひ」が残りつづけること
である。

419 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:13:24.84 0.net
生きていること、息をしていることそのものが既に、呼応関係/
《accord》/"agreement"が成立していることとしてあるのだから、
「く(悔)やむ」ことばかりが一方的に増えてゆくと感じられるなら、
それはそのまま、「生きづらさ」として意識されることになる。

420 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:18:02.67 0.net
>>412
どの世界とのインターフェースかによるのではないでしょうか。

421 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:19:09.51 0.net
旧来の宗教、思想、哲学の教へをそのことに対する対処法を示そうとする
ものとして理解し、そこに示される対処法を批判しているのが
ニーチェの哲学である(私の意図は、ニーチェの論述の解説をすることに
あるわけではないが)。

422 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:21:59.96 0.net
>>415
意識されないと意識している時点で、後の祭りでしょう、無視するならわかりますが。

423 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:29:33.73 0.net
>>422
例えば、1は、何らかの対比が1/1に接近していき、元の対比の関係が
忘れられたものであると言うことができますが、その対比の関係は
忘れられた時点でもはや意識されないでしょう。

424 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 12:52:37.04 0.net
>>423
関係性が無意味な例えなら、それ自体忘れ去られますが、その例えなら、1+1=2を誰かが学ぶとき、また、こうして例えられることによって意識されるでしょう。一度意識させられた関係はそれが存在する限り潜在意識に刻まれる。

425 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 13:01:54.81 0.net
アナロジー間にあるズレをε-δ論法的に漸近化させていくと、連続性を維持しながら、
やがて収束値1が得られる、なんていう理解でもいいんじゃない

それが収束値の1/0.999999999999……… = 1になっているということ

426 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 13:18:03.06 0.net
数学は苦手だからよくわかってないけど、アイデンティティーはそんな感じで自己の連続性を維持しているのかも。

427 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:06:00.01 0.net
「く(悔)やむ」ことばかりが増えていくのは、そもそも、自らにかなふこと
のない意を《vouloir》/"want"/「欠損」として抱えつづけているからであり、
応えがないのは、それを得ることに自らがあたは(能)はないこと、
《vouloir》/"want"/「欠損」が満たされるにあたひ(価/値)しない身分
であることをわきま(弁)へていないことに理由があるので、その「不足分」
の責めを負う(《s'en vouloir de 〜》/"be wanting of 〜")のは自分であり、
自らを「く(悔)ひあらためて」、身の程をわきま(弁)へるように自らの
意を縮小する(《se réduire》/"diminish"/「わ(侘/詫)ぶ」)ことによって、
「く(悔)やみ」を解消すべきであると教へるのが、禁欲主義であり、
その究極の理想として自らを無にすることを目指すのがニヒリズムである。

428 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:11:23.82 0.net
このように言語表現の上でも、言語の境界を超えてきれいな対応関係が
見られることは、そのような捉え方が、コモンセンスとして通用している
ことを示しているだろう。

429 :でこすけ:2021/12/07(火) 14:17:51.15 0.net
>259
記紀神話は海洋民的な感覚が背景にあると聞いたことがありますが、
それが住吉三神と「スメ(ラミコト)=スミ(ノエ)」としてつながっていた
とすれば大変興味深いことのように思えます。
住吉三神は宗像三女神を経て朝鮮半島に通じるかもしれませんし
(私個人は天皇家のアイデンティティのルーツのひとつは朝鮮半島にある
 と予想するため)、
そういったところから「古代の東アジア人の何たるか」が覗けるかんじがあって
なるほど鋭い指摘のような気がします(個人的には「圧巻」とさえ思えます)。

ただ、このタイプの話は一歩間違えるといわゆる「トンデモ」
になる可能性があるようです。
「トンデモ」というのは私の理解するところによると
表面的な整合性だけで実情を伴わないもの、あるいは実情には伴わないもの
でありながら表面的には一応整合しているものです。
一方で歴史というのは一筋縄ではいかないという話があります。
そのことのついて私が読んだものでは関西人の食文化を例に挙げていました。
大和朝廷は水稲農業を基盤としてもちろん畿内を中心に成立したわけですが、
となると長江流域の文化の影響を受けながら関西人に納豆を食べる習慣がない
というのは不可解だというのです。
のみならずコテコテを好む傾向は何処からきたのでしょうか。
いろいろ複雑な事情があったであろうことを思わせるお話です。
私としても「天皇家のルーツは朝鮮半島」と言い切れなかったりするわけです。

430 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:20:03.22 0.net
しかし、そのような教へは、「生きづらさ」、「息苦しさ」を感じている
生き方を快方に向かはせるどころか、むしろ、「や(病)み」を慢性化させて、
さらに深刻化し、生きようとすることそのものに反するとニーチェは批判
しているのである。

431 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:22:40.26 0.net
人は人、自分は自分だからなぁ

432 :でこすけ:2021/12/07(火) 14:22:55.37 0.net
>>429>>259宛ということにさせていただきます。


ところで言葉に関するちょっと面白い動画を見つけたので
ご紹介してみたいのです。
昔の日本語(方言)が二分くらい録音されているというだけのものですが
個人的には大変興味深いものでした。
私は日本語のルーツに少し興味があったので
なんだか参考になった気がしたのでした。

じつは私は三回立て続けに繰り返してしまいました。
一回目は音だけ聞いて、意味を意識しないように心がけました。
コメント欄を読みながら音だけ聞いたかんじです。
するとまったく日本語的でなく、どちらかというと中国語的(大陸的?)
なかんじに聞こえたのでした。
一般に日本語はどこの言葉にも似ていないとか言ったりしますが
なかなかそうでもない気がしたわけです。
ところが二回目に画面の文を読みながら聞くと
今度は発音が聞き取れるかんじがあります。
三回目にいたっては日本語としか思えなくなっていまいました。
なんだか不思議なかんじだったのです。
ただし印象には個人差があるかもしれませんのでご了承ください。

https://m.youtube.com/watch?v=-G8T-N1fBz0
 

433 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:23:53.01 0.net
>一方で歴史というのは一筋縄ではいかないという話があります。

ローマが、勝手にギリシアの神々を流用したことからも分かるとおり、
歴史が一筋縄でいくわけがないでしょう。

434 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:28:42.58 0.net
>人は人、自分は自分だからなぁ

人は人、自分は自分でやっているにもかかわらず、きれいな対応関係が
生じてしまうから面白いのでしょう。ニーチェは、ドイツ語で書いたわけ
ですが、ここでは、日本語、フランス語、英語だけを用いて論じています。
それでも、それぞれの言語で表現される「理屈」は、ニーチェの論述
を無理なく移すことができるようにうまく適合する。

435 :でこすけ:2021/12/07(火) 14:30:41.67 0.net
>>255
「す」と「th」とがつながっているかもしれない疑惑についてですけど、
アホはこう考えますというお話です。

たとえば宇宙人が何らかの事情で「円」を作図しなければならないとなったとき
たぶん我々で言うところの「コンパス」的な道具を使うだろうと察します。
これは必然といえば必然だし、偶然といえば偶然ですけど、
しかし少なくとも歴史的な経緯としてつながらないのはあきらかです。
一方でペルセウスの神話とスサノオの神話が似ているという話があります。
現代のドンキーコングなどにも受け継がれた、英雄が怪物的なやつをやっつけて
嫁を娶る系の物語です。
ここで問題になるのはペルセウスとスサノオとが同一起源であるか否かではなく
遠く離れた社会がなぜそれぞれに似たような物語を語り継いだのかです。
つまり問題は「す」と「th」とが同一起源なのかどうかではなく、
もしそれが同一起源であったとしても何故それぞれの社会にそれが定着したのか
というところだと思うのです。
じつは起源はきっかけに過ぎないという考え方です。

私が何故この話にこだわりたいのかというと
そこに深層意識が関わっている可能性を感じるためです。
それはもちろん「『意識』の構造」に関わることになるはずです。


ところで余談ですけど、日本人は何故年末になると『第九』を聞くのか、
私が聞いたところによるとじつは楽曲の内容やイメージとは関係なく
ただ単純に一年の最後にスタッフがみんなで集まって何かやろう
というのが始まりだったらしいです。
しかし聞く側はやっぱり「あのかんじ」だと思うのです
(私も『時計じかけのオレンジ』以来お気に入りです)。
意識の深層にはきっと何かがある気がするのです。

436 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:36:47.07 0.net
>>434
すべてが対応しないことで面白さが生まれるんですよ。

437 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:42:02.51 0.net
>すべてが対応しないことで面白さが生まれるんですよ。

すべてが対応していたら、もともと別言語ではなく、同一言語でしょう。
異なる環境の別々の地域で日常的な活動において直接には関係の薄い人々
によってそれぞれ使われてきたにもかかわらず、意外なまでの対応関係が
生じるところに面白さがあるのですよ。

438 :考える名無しさん:2021/12/07(火) 14:58:58.03 0.net
>>437
同じホモサピエンスですから母国語は違っても言語感覚が対応するのはある意味当然という気もしますが、面白さのツボはいろいろですね。

439 :時計 :2021/12/07(火) 17:17:52.97 0.net
>>416
私は「〜を」は対象を示していると思います。

440 :時計 :2021/12/07(火) 17:22:20.08 0.net
>>439
「惜しい」のSは無視できないでしょう。

441 :時計 :2021/12/07(火) 17:32:05.59 0.net
>>440
刺す、割く、去る、指す、咲く、さる……

442 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/07(火) 20:03:18.03 0.net
propertiesは、モノではなく、性質である。
モノがないのに性質だけある。
その性質の集まりにアイデンティティを与える。
そうすると、主観的な客体になる。

しかし、性質の集まりなんてものがあるのだろうか。
性質よりも「集まり」とはなんだろうか。

443 :でこすけ:2021/12/07(火) 21:18:41.73 0.net
>>289
>主観ごとの共同幻想(バベル)が同じものになるなんて保証は微塵もない
どのような過程で仮想が共有されるようになるのかについての私の考えなんですが、
結論的に言うと偶然だと思います。
長い時間をかけると似たようなものになっていくというイメージです。

確か『ナショナルジオグラフィック』だったと思いましたけど
何故エジプトとマヤのピラミッドは似ているのかみたいな動画があって
その結論は「偶然」でした。
四角錐でなるべく高く造ろうと思えば斜面はあの角度くらいが限界になるため
なんとなく形が似ているだけなのであって
ようするに互いに何らかの歴史的なつながりがあるわけではない、
というものだったと思います。
また一般に世間では始皇帝の度量衡とか我がニッポンのJIS規格とか
規格の統一という現象が起こりがちです。
これはたぶんざっくり言って「便利だから」だと思うのですが、
進化論的に言うと生存戦略としてその方が有利
ということになるのだと思います。
逆に言うとバラバラな妄想はやがて消えていくのに対し
互いに影響し合うことによってアイデンティティを強化したものは
結果として生き残る確率が高いということです。
共同幻想は何らかの「力」によってもたらされるような
そういうものではないイメージをもっています。

444 :でこすけ:2021/12/07(火) 21:32:11.62 0.net
>>443
ようするに例によって当てずっぽうなはなしなんですけど、
たとえば「意識のハードプロブレム」がネット上でも
一部の人間の妄想に過ぎないように、
「物質世界」もこの世界に所属するすべての主観を想定すれば
そのほんの一部にすぎないイメージです。
「この世界に所属するすべての主観」というのがどのくらいあるのかというと
私の印象ではダークマターとされるものでさえそのほんの一部にすぎない
という感じです。
宝くじをみんなで買えば、中には当たる奴もいるという感じです。
共同幻想は結果だと思います。
すべてをコントロール出来るシステムがある気がしないのです。

445 :でこすけ:2021/12/07(火) 21:43:46.51 0.net
>>444
なお、久々なんですけど、
ただしある一定のレベル以上の生命みたいなものはただの偶然ではなく
初期条件が揃うと(ここまでは偶然ですけど)
そこから先にドライブがかけられるシステムはある気がします。
たとえばこれまた当てずっぽうなチョッカンなんですけど
今回の身ず柄氏の指摘するシンクロニシティ(?)も
その部分に関わる気がしています。
つまりただの偶然ではないという考え方です。

446 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/07(火) 22:05:40.88 0.net
propertiesはなぜ集まりなのか。
これも上のでこすけ氏の考えでよさそうですね。
「たまたま」ですね。
「たまたま」も集まってくるとなんらかのアトラクターとかいろいろな「構造」が
できてきて、ある方向に変化が加速化する。
その「たまたま」が重なって進化!したもののひとつとしての巨大構造が
ブラックホールですね。
となると、propertiesの起源は、混沌あるいは無秩序でよいかもしれません。
無秩序は超低温なのか超高温なのか。無秩序の温度はどうなのか。
と、考えるなら、温度は超低温と超高温の2つしかないデジタルな世界かもしれない。

447 :でこすけ:2021/12/07(火) 22:50:27.35 0.net
>>395
>主体は自分自身を自分自身だけでは客体化できない
私的には「客体化」は「創発」に還元されますけど
創発は基本的には外部に影響されないものであり
つまり私としては客体化は主体の内部で完結し得るのではないかと考えます。
その前提には「『因果律』は虚構」という考え方があります。
境界のこっち側とあっち側とは連動しますが
それは結果ではなくむしろ前提であって、
しかし創発についてはこっち側だけで起こることになります。
というのは単純にセルが接するセルはひとつだけではないためです。
創発とは複数のセルからの影響がひとつのセルの中で混ざっているだけ
のイメージです。
これはもちろんセルが3つ以上ある世界でしか起こらない現象
ということになります。

ところで超球面さんは因果律についてどのようにお考えになるのでしょうか?
(ハンドルが長くなっても呼び方はこのままにさせていただきますm(_ _)m)

448 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/08(水) 07:22:10.72 0.net
問題は、自分自身の客体化です。
自分自身だけでは自分自身を客体化できない、と考えています。
他者がいない状態では、自分自身という概念も持てないですね。

因果律は捨てましたw 保存則だけです。
そもそも、時空間の無い状態で考えていますから少なくとも時間的な因果律はありません。

449 :でこすけ:2021/12/08(水) 09:40:29.24 0.net
>>448
「客体化」はは時計さんの「立ち止まり」に通じる気がします。
「クオリアとは立ち止まることだ」という考え方です。
もちろん「立ち止まること」というのは比喩ですけど
しかし何かを象徴しているかんじもあります。
つまり歩いていたから立ち止まれたのであって
では何故自分が歩いていたことがわかったのかというと
周りの人も歩いているなかで、それが自分だけ立ち止まったりしたとき
周りの人と違うことに気付くとか、そういうことのような気がします。
ただしこのことをもって「客体化」というのが具体的にどういうことなのか
それは私にはわかりましぇん。

450 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 10:29:14.23 0.net
ニーチェは、『喜ばしき知恵』(河出書房新書)の中の「願い」と題された
詩(p.33)において、次のように書いています。

私は多くの人びとの心を知っている。
それなのに、私自身が何者であるかを知らないののだ!
私の眼は私にあまりにも近すぎる。―
私の目にするもの、目にしてきたものは、私ではない。
私が自分自身からもっと距離を取れるなら、
私にとって有利だろう。
とはいえ敵ほど遠くでなく!
最も近い友でさえ、すでに遠くに離れすぎる。―
親友と私の中間のところを!
諸君には私の願いが分かるだろうか?

451 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 10:38:16.74 0.net
このようにニーチェも自分の「願い」を言葉にしてうまく表現して伝へる
ことに困難を感じているところを見ると、やはり、哲学をするうえで、
ドイツ語と比べも、日本語を用いることが不利であるどころか、むしろ、
とても便利であることが実感される。

ニーチェは、「親友と私の中間のところを」表現するのに適切なドイツ語の
表現を見出すことができず、それを指し示そうとするなら、「友情」という
表現を用いる他ない。そのことは、同書の「愛と呼ばれる一切のもの」
(pp.82-85)と題された文が、「その真の名は、友情である」という言葉
で締めくくられていることからも見て取れる。

452 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:03:36.87 0.net
文学ですからね

453 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:05:08.59 0.net
ここで、ニーチェの著作の日本語訳も、"Freundschaft"を忠実に訳すように
「友情」という表現を用いる他ないが、それでも、「親友と私の中間のところ」
を表現するのにふさはしい日本語で日常的に用いられている表現そのものは、
容易に見出すことができる。それは「さか・な(肴/魚)」の「な」である。
「さかな」は、「さけ(酒)の『とも(友)』」と言い換えることができるが、
「とも(友)」と言い換えたのでは、「とも(供)にある」こととして既に
二つに分かれてしまうので、遠すぎる。この「な」は、「汝(なむじ)」
の「な」であり、古語の人称代名詞としての「な(己/汝)」でもあるが、
「さか・な」の場合もそうであるように、独立して「とも」の代わりに
用いられることはない。では、日本語でもやはり、「とも(友)」や「友情」
という表現に頼るしかないのかと言えば、そんなことはない。
ここで、「幼なじみ」という表現を考えてみるといい。「幼なじみ」の
「な」も「さか・な(肴/魚)」の「な」、「汝(なむじ)」の「な」と
同様のイメージを想起させるように用いられている。「幼なじみ」は、
「とも(友)」または「友情」のように「とも(供)にある」ことと
して既に二つに分かれた状態を前提としたものではなく、むしろ、
切り離すことが難しいな(慣)れ親しんだ関係性を表現している。
とはいえ、それと同時に「なじみ」であること自体が、互いに
「なじみ」であるもの同士の間に同一性はないことも伝へる。

454 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:10:55.12 0.net
ここで、「愛と呼ばれる一切のもの」(pp.82-85)と題された文の締め括りの
部分を引用してみよう。

>しかし、場合によっては、持続する愛なるものも世の中には生じうる。
二人の人間相互の所有願望が、新たな欲求と所有欲に場所を空け、
彼らを超えた理想を目指す共通の気高い渇望に道を譲るようなことも
ありうるのだ。―しかし、このような愛を知っている者があるだろうか?
このような愛を経験した者があるだろうか。その真の名は、友情である。<

455 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:32:44.72 0.net
ここで「友情」という表現に固執するなら、「友情」を通してニーチェが
描こうとしているような人間関係を経験したことのある人は、存在するに
しても、それほど多いわけではないでしょう。また、私は、「幼なじみ」が、
そのような人間関係を生むと言いたいわけでもない。しかし、それを、
人間相互の関係に限定するのではなく、人との関係も含めて、物事に
「なじむ」こととして、「なじみ」として捉えるなら、何であれ互いに
愛好する物事に「なじむ」関係を通じて、「新たな欲求と所有欲に場所を
空け」、互いに既に獲得しているものを超えた理想を目指す共通の渇望
が生じることは、そう珍しい経験ではないでしょう。

456 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:38:53.08 0.net
みづから(身づ柄/自ら)に「なじむ」ことは、「我と我が身は、つねに
もっとも身近にあるはずである」と考えられることから、簡単そうに思えて、
実はそれほど簡単なことではない。

457 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 11:45:55.35 0.net
キングカズは、ピッチになじんでいるだろうか?

458 :時計 :2021/12/08(水) 12:58:15.35 0.net
馴染みの店とか。

459 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 13:04:26.65 0.net
酒と肴は、互いを「な」とすることにより、
理想を目指す共通の気高い渇望を生んできたと言えるのでは?

460 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 18:21:42.97 0.net
なチュラルとか

バナナフィッシュは、この世界は誰のオリジナル(イデア)か か
See more glass、シビル・カーペンターは見つけた
シーモア・グラースは拳銃を手にした

ポストモダン的にはシミュラークル、微小な差異 ずれ
偏倚(clinamen)と高次の秩序 的方向性か

時空間のない意思は自由意志かも

461 :時計 :2021/12/08(水) 18:22:19.59 0.net
>>453
毎度お馴染みとか。

462 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 18:54:47.87 0.net
自分で書き込んでおきながら、もはや記憶も定かでない昔に書いたような
気がするのだから不思議なものだ。

946考える名無しさん2021/03/15(月) 09:15:33.380
哲学をするとは、それがどのような「知」であれ、「知を『愛好の対象』とする」
仲間を形成すること、つまり、専門家として互いに認め合う「なあ‐なあ」の関係を築くことではない。そうではなく、ニーチェの言うとおり、他の何を差し措
いても「知を友とする」こと、いわば、「『知』に『なあ』と呼びかけられる」
ような、「知との親密な関係」を築こうとすることなのである。
》die gebornen geschwornen eifersüchtigen Freunde der Einsamkeit《
http://www.zeno.org/nid/20009255516

463 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 19:03:20.22 0.net
つまり、ニーチェは、「友情」こそが持続する愛であると言いながら、
哲学者が守るべきことを誓うべき「友」は、孤独であると宣言しているのだ。

464 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 20:44:31.54 0.net
>>463
有言実行ですね

465 :時計 :2021/12/08(水) 20:59:21.28 0.net
>>462
「なあなあ」は「馴馴」のような。
「なあ」はまた別のように思います。

466 :時計 :2021/12/08(水) 21:01:04.86 0.net
>>465
「なあなあ」は「馴れ合い」が近いですね。

467 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 23:37:29.21 0.net
「なあ」は、"n'est-ce pas?"に近いようにも感じられますね。
そうやっていろいろ試していると、別言語においてどのような
表現が対応するのか考える手がかりになるように思えます。
明確に分かりやすい説明ができるようになるまでは、
最初からあまり限定してかかることは得策ではありません。

468 :考える名無しさん:2021/12/08(水) 23:45:37.12 0.net
同じく「なあ」に近い感じがするのは、例えば、英語で相手に尋ねるのに
"you"の代わりに"we"を使う疑問文ですね。これは、いわゆる
"The patronizing we"と呼ばれる用法ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nosism
>The patronizing we is sometimes used in addressing instead of you,
suggesting that the addressee is not alone in their situation,
that "I am with you, we are in this together." <

469 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 00:41:57.17 0.net
「なあ」と呼びかけられて不快に感じることがあるとすれば、
それはまずなによりも、その呼びかけが"patronizing"であると
感じられることによるものではないだろうか。

470 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 00:48:11.78 0.net
"The patronizing we"は、TVドラマのセリフではとてもよく使われている。

471 :時計 :2021/12/09(木) 01:26:50.17 0.net
「なあ」は「中」や「仲」と呼応している感じはする。

472 :時計 :2021/12/09(木) 06:40:57.99 0.net
>>471
「中」より「内」の方が近いかな。音的にも。

473 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 07:53:44.67 0.net
例えば、自分独りで「それはそうだ・な」と何かについて納得するとき、
「な」によって「己が汝(な)としての我に呼びかけている」という
意味で「己/汝(な)」としての「我々」/"we"が立ち現れると言えるのでは
ないだろうか。

474 :時計 :2021/12/09(木) 08:00:31.78 0.net
>>473
「それはそうかも・ね」
この「え」は「会」であり、他者と会うことを示しているかもしれない。

475 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 08:11:42.34 0.net
では、「ねえ」と呼びかけることと、「なあ」と呼びかけることは
どう違うのでしょう。「ねえ、聞いてよ」とは言いますが、
「なあ、聞いてよ」とはあまり言わないでしょう。また、
「なあ、聞けよ」とは言いますが、「ねえ、聞けよ」というのは
変な感じがします。

476 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 09:02:16.62 0.net
このように見ると、「ねえ」という呼びかけの「ね」は、
「ねが(願)ひ」の「ね」や、「ねぎ(禰宜)」の「ね」と同様の
働きをするように用いられているように思えます。

477 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 11:10:12.14 0.net
>423考える名無しさん2021/12/07(火) 12:29:33.730>>424
>>422
例えば、1は、何らかの対比が1/1に接近していき、元の対比の関係が
忘れられたものであると言うことができますが、その対比の関係は
忘れられた時点でもはや意識されないでしょう。

124考える名無しさん2021/08/17(火) 16:31:09.980
>>110
逆にラテン語の方から見れば、日本語の「人(ひと)」という表現は、
料理のときの「水加減」の「ひたひた」という表現を見ても分かるとおり、
結局のところ、《adaequō》の名詞化である。
https://fr.wiktionary.org/wiki/adaequo#la
adaequō, infinitif : adaequāre, parfait : adaequāvī, supin : adaequātum
1. Égaliser, rendre égal.
2. Égaler, atteindre.<

何らかのx/yの対比が1/1に接近していき、「ぴったり1として認められる」よう
になることが、「『ひと』しさ」を表現する《adaequō》の名詞化としての
ひと(人/一)であると言うことができる。

478 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 11:15:05.79 0.net
>468考える名無しさん2021/12/08(水) 23:45:37.120
同じく「なあ」に近い感じがするのは、例えば、英語で相手に尋ねるのに
"you"の代わりに"we"を使う疑問文ですね。これは、いわゆる
"The patronizing we"と呼ばれる用法ですね。<

"patronizing"という表現を"ostentatiously superior and condescendingly
favorable"として説明する次のサイトのメタ言語的記述には、優れた洞察力が
発揮されていて、これは、哲学的に考えるのにもとても役に立つ言い換えである。
https://www.etymonline.com/word/patronizing#etymonline_v_30325

479 :でこすけ:2021/12/09(木) 11:24:40.56 0.net
>>263
>私は境界は概念であると思います
私としてもこの一文についてはまったく同意です。
私が私の意図をうまく表現できていなかったのですが、
「存在するもの」というのは境界として機能することによって存在可能になる、
あるいは「存在するもの」は認識上では境界として機能している、
つまり「境界が存在」ではなくて「存在が境界」というイメージですから
>>260では分かりづらかった気がします。
ちなみに「あっち側」とか「こっち側」とかももちろん概念です。
私としてはあくまでも世界は解釈するのが精一杯のものなのであって
それ以上のことはできない、というのが基本的なスタンスのつもりです。

>意識を分解するとは例えばどのようなことでしょうか
「分解」というとパソコンを分解するみたいでしたけど、
考える上でその構成要素を列挙するみたいなことのつもりでした。
細胞分裂みたいに二つ以上の意識に分けるイメージを持ったかもしれません
けど、ちなみに私はそういうことはあり得ないと考えます。
さて、たとえば精神(意識)は感覚、感情、言葉などで構成されています。
感覚は五感などで構成されています。視覚は様々な色彩を認識します。
このあたりでたとえば「黒」がこれ以上分割できるものなのかどうかは
私にはよくわかりませんが、
とりあえずこのとき「黒」しか持たない主観、つまり言葉や感情はもちろん
他の感覚のみならず「赤」とか「青」とかさえも持たない主観は
一般的に言って「精神」と言い得るのかという問題です。
なお私としては「黒」は他の色があるからこそ「黒」のような気がします。
すると唯心論とか言っている私でさえそのようなものが「精神」と言い得るのか
どうかは微妙な気がしてくるのです。
微妙というのは「そうだという気もするし、そうではないという気もする」
ということです。

480 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 12:04:13.91 0.net
>>478
このように見たとき、ニーチェが好んで用いる»Untergang«という表現は、
英語の"The patronizing we"と呼ばれる"we"の用法に近いものであると
考えることもできるのではないだろうか。

https://www.deutschestextarchiv.de/book/view/nietzsche_zarathustra01_1883?p=18

>Was gross ist am Menschen, das ist, dass er eine
Brücke und kein Zweck ist: was geliebt werden kann
am Menschen, das ist, dass er ein Übergang und
ein Untergang ist.

Ich liebe Die, welche nicht zu leben wissen, es sei
denn als Untergehende, denn es sind die Hinüber
gehenden.

Ich liebe die grossen Verachtenden, weil sie die
grossen Verehrenden sind und Pfeile der Sehnsucht
nach dem andern Ufer.<

481 :時計 :2021/12/09(木) 12:36:24.71 0.net
>>475
「ねえ」は女性的、「なあ」は男性的という気はするかな。

482 :時計 :2021/12/09(木) 12:50:49.61 0.net
>>479
「青」という概念はありますが、
どこからどこまでが「青」であるかは、はっきりしません。
この時、境界のメタファーは有効であるかどうか少し悩みます。
悩むということは有るということを示しているようにも思えますが。

黒しか色を持たないと、
点画のようにモノクロの情景しか描けないですよね……
精神はどれくらい高等な生物から持つのかは問題ですね。

483 :時計 :2021/12/09(木) 15:20:13.89 0.net
>>482
点画には黒と白とが必要ですね。
黒しか色が無ければ、画という概念は消失すると訂正します。

484 :考える名無しさん:2021/12/09(木) 23:46:35.96 0.net
>>478, >>480
ここでせっかく"condescendingly"というとても興味深い表現が使われて
いるのに、これに単に「見下すように」などという訳語を当てはめて
分かったつもりになっていては、哲学的に考えることはできない。
"condescendingly"を「見下すように」というような意味合いで
用いるのは、もともとは派生的な流用であり、"to condescend"の
語源的な用法は、見下される側の反感を伝へることを意図するもの
ではない。
https://www.etymonline.com/search?q=condescend
condescend (v.)
mid-14c., of God, a king., etc., "make gracious allowance" for human
frailty, etc.; late 14c., "yield deferentially," from Old French condescendere
(14c.) "to agree, consent, give in, yield, come down from one's rights or
claims," and directly from Late Latin condescendere "to let oneself down,
stoop," in Medieval Latin "be complaisant or compliant," from assimilated
form of Latin com "with, together" (see con-) + descendere "to descend,"
literally "climb down," from de "down" (see de-) + scandere "to climb,"
from PIE root *skand- "jump" (see scan (v.)).

485 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 09:17:04.98 0.net
>>484
これはちょうど、日本語において「あまくだる(天降)」や「あまくだす(天降)」
が、語源的には、それに対する反感を伝へる表現ではなかったであろうことと
平行する関係にある。
https://kotobank.jp/word/天降-2003192
あま‐くだ・る【天降】
@ 天上界から地上界に降下する。
あま‐くだ・す【天降】
天上界から地上界に下しつかわせる。

486 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 09:30:54.07 0.net
いずれにしても、ニーチェの用いる»Untergang«という表現にどのような
日本語の訳語を当てはめてみたところで、それを、何らかの「主体」の動作を
表現するものとしてしか理解しないなら、この表現をうまく解釈することは
できないだろう。»Untergang«が、言うまでもなく、陽が沈むことを隠喩
とする表現であるとしても、ニーチェは思想的に天動説を信じていたわけで
もなく、»Untergang«という動作に「主体」が想定されなければならない
としても、その「主体」は、「橋渡しの役割を果たす」ことにおいてその
ように表現されるのだから。

487 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 09:37:10.05 0.net
このような表現を解釈するのに、視点を定めることが難しいとすれば、
まさにそれが視点を固定せずに切り替えることを要求することを意識する
ことが大切なのであり、それがすなわち「かむか(考)へる」ことである。

488 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 10:37:15.68 0.net
ニーチェの場合にはとくにそうであるが、哲学の著作が翻訳において
とても分かりにくくなる大きな要因として、重要な表現に対して
適切な訳語を決める必要があり、訳語を決めることそのものが、
しばしば、視点の固定を要求することにある。ところが、哲学に
おいては、重要な表現はまさに逆に視点の切り替えを容易にする
からこそ、多用されて、重要性を帯びているのである。

489 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 10:39:11.69 0.net
そのことを意識しないと、哲学の著作の翻訳は、展開されている
「かむか(考)へ」を固定的な思想に変換してしまうことになる。

490 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 10:42:52.50 0.net
誤:視点の固定を要求することにある
正:視点の固定を要求するということがある

491 :でこすけ:2021/12/10(金) 10:55:50.25 0.net
>>482
私は世界はデジタルであろうと考えます
(実際に量子論的にはそういうことになっているようですけど)。
たとえば一般に虹は7色とか言ったりしますが、
厳密には100万色とか人間には区別がつかないだけで
あるいはそれ以上の色があるのではないかとも思ったりします。
最終的には基本単位があり、そのレベルでは言わば明確な境界があるのですが
しかしそれがあんまり細かいもんだから認識上はアナログに感じるけれども云々
というイメージです。

ちなみに私は「時間」もアナログではなくデジタルだと考えます。
ヌルヌルと流れるようなものではなくパッパッと変わるかんじです。
たとえば放たれた矢が的に当たるとき、矢が空中に浮かんでいる状態から
的に接触している状態に移行するのに何秒かかるのか、
答えとして0秒というのはおかしい気もしますが
とにかく時間はかからないと思うのです。
そこに当たっているともいないとも言えないみたいな中間的な状況がある
わけはありませんから、あるのはビフォーとアフターだけだと考えます。
つまりパッと変わるのです。
私たちが時間に「長さ」を感じるのはある種の錯覚だと思います。

感覚というのは文化的な要素の影響を受ける
つまり自然のありのままとは関係なく成立しているもののようです。
たとえば昔の日本人は「グリーン」を「あお」として認識していたようですけど
一方で日本人は英語の「r」と「l」とを区別しないように
昔は区別していたらしき「お(o)」と「を(wo)」区別しなくなりました。
時代の移り変わりで区別するようになるだけでなく
区別しなくなることもあるようです。
私たちはなんとなく世界をアナログ的なものとしてとらえる傾向がある
ような気がするのですが、
たぶんそれは世界そのものとは基本的には関係のない、
ただの思い込みだと思います。

492 :でこすけ:2021/12/10(金) 11:16:58.75 0.net
>>491
今回私は便宜的に、存在の基本単位は精神的なものだと考えます(唯心論)
ということにしておきましょう。
つまりこの世界には運動とかエネルギーの交換とかはなく
ただただ「精神的なもの」が情報を交換しているだけということになります。
するとここで「情報の交換」にはどれくらいの時間がかかるのか、
そこで私はビフォーとアフターしか無いと考えるのです。
交換する前と交換した後です
(私が知る限りではコペンハーゲン解釈は解釈にすぎないのですが
 どうなんでしょうか?)。
そしてこの変化が時間の基本であろうと解釈します。

493 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 11:20:49.94 0.net
>>488-490
だからこそ、既に視点の固定された訳語となった「概念」をいくら
パズルのように弄り回していても、「かむか(考)へ」ていること
にはならず、哲学もどきにしかならないことが多いのである。

494 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 11:29:32.05 0.net
「交換」とは、互いにどのように「ま(負/任)け」る/"make concessions"
ことが容認可能かを探るプロセスである。

495 :でこすけ:2021/12/10(金) 11:32:06.14 0.net
>>482
>精神はどれくらい高等な生物から持つのかは問題
私としては少なくとも「無意識」は始めから有った気がしています。
「無意識」というのは私の理解するところによると
たとえばキーボードでタイプするとき指先の力加減をコントロールしたり
一方でタイプに集中しながらマバタキをしたりさせる意識のことです。
単細胞生物が熱でモゾモゾするのはスルメが炙ったときにモゾモゾするのと
違う気がするのです。

496 :でこすけ:2021/12/10(金) 11:35:55.40 0.net
>>494
まったく同意です。経済人類学の本にもそのように書かれていました。

497 :Waage:2021/12/10(金) 11:39:20.80 0.net
したがって、「かむか(考)ふ/かむ・か(交)ふ」こと/"pondering"/
»Erwägung«も、そのように均衡を探るプロセスである。

498 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 11:42:12.37 0.net
>>496
>経済人類学の本にもそのように書かれていました。

具体的に書名をご教示いただけますでしょうか。
書名が不明であれば、著者名でも構いません。

499 :時計 :2021/12/10(金) 12:51:37.39 0.net
>>494
「任す」ね。

500 :時計 :2021/12/10(金) 12:56:24.78 0.net
>>495
始めというのはいつでしょうか?

501 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 13:03:50.27 0.net
「贈与論」の哲学的な議論は、日本で徹底的に考へ直すことが必要だろう。
「あた(与)ふ」を英語の"giving"やフランス語の《donner》から考えるなら、
いかにそれを思想的に交換から切り離そうとしても、贈与はいずれにしても、
「ま(負/任)け」/"concession"の相互的な容認である交換からの変形として
捉えられることになるだろう。その一方で、日本語の「あた(与)ふ」は、
まずなによりも「あた(能)ふ」ことと表裏一体であり、「あたひ(値/価)」
と結び付いており、その意味で"valoir"/《valoir》と関連している。

502 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 13:04:44.83 0.net
誤:"valoir"/《valoir》と関連している。
正:"value"/《valoir》と関連している。

503 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 13:06:12.36 0.net
また間違えた。
正:"value/valor"/《valoir》と関連している。

504 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 13:27:45.81 0.net
西洋の思想や哲学は、「贈与論」を、裏に表にやたらと神の「恩寵」/"grace"
のようなものと関連付けたがることが多い。「贈与」は、何らかの交換条件付き
の取引きなどではなく、その本来の姿において、「無償の」/"gratuitous"な
「めぐ(恵)み」である、というわけだ。
しかし、>>415で指摘したとおり、
>「生きていること、息をしていることが、既にどのようにか
呼応関係/《accord》/"agreement"が成立していることとして<ある
とするなら、そのような「無償の恵み」自体が、"grace"、"gratuitous"、
"agreement"のいずれにも共通する語源として想定される"*gwere- (2)"
https://www.etymonline.com/word/*gwere-?ref=etymonline_crossreference#etymonline_v_53052
によって示されるとおり、意に沿ふようにする「ま(負/任)け」/"concession"
の容認として捉えられていることになり、やはり、これは、それが相互的に
成立する交換の変形であることになるだろう。

505 :でこすけ:2021/12/10(金) 13:30:01.96 0.net
>>498
おそれいります。私の話は話半分なところがあって
実際にそのような本があるのかどうかさえわかりません。
ただご指摘のことは栗本慎一郎の主張にもとづくものです。
じつは本で読んだのかテレビで見たのかも微妙ですが
貨幣と交換とは別々の起源をもつという考え方の基本とされる部分です。
栗本慎一郎はカールポランニー系の経済人類学者ですが
彼自身のオリジナルも多く、
その部分がポランニーにさかのぼるのかどうかは
ポランニーを読んでいない私にはわかりません。
交換以前に贈与があって、贈与は相手を圧倒するために行うとか
そういう語り口のものです。
ちなみにポランニーはハンガリー人です。
私としても誰かの参考になるかもと思ってあえて「経済人類学」
をあげてみたのですが
いまいち親切でなく甚だあやふやで目下恐縮しているところです。

506 :でこすけ:2021/12/10(金) 13:37:39.96 0.net
栗本慎一郎的には、親しい人の間で物質の交換は起こりません。
状況にもよるでしょうけど、基本的にはサッとあげちゃいます。
交換は親しくない人との間で起こります。
ただしこのとき「等価」という概念が無ければ成立しません。
故に贈与が先行したであろうと考えるようです。

507 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 13:43:22.51 0.net
マルセル・エナフの贈与論は、ポール・リクールが称賛していたが、
イデオロギー的な工作(実のところ、それが左寄りであれ、右寄りであれ、
新自由主義であれ、宗教原理主義であれ、全体主義的な統治に都合の良い)
と呼んで差し支えのないほど酷いものに私には思える。

508 :でこすけ:2021/12/10(金) 13:44:03.86 0.net
>>500
厳しいツッコミですね。その部分はあえてぼかしています。
私としてはむしろ生物以前にまでさかのぼりたいんですけど
しかし科学との辻褄あわせで躊躇があります。
私の歯切れの悪いゆえんです。

509 :でこすけ:2021/12/10(金) 13:46:39.00 0.net
>>506
>交換は親しくない人との間で起こります
→交換は親しくない人との間で起こることになっています(いたと思います)

510 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 14:37:31.63 0.net
さあ、どうでしょう。
私には、子育てでさえ、「ま(負/任)け」/"concession"の相互的な容認
として成立していると考えることもできるのではないかと思えます。

511 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 15:34:54.13 0.net
まずは視点を固定しなければ物を考えることのできない人々は、
すべてを「べき」論に変換してしまい、物事を記述するという
ことを知らない。そのような人々は、実は「考えている」わけ
ですらなく、既存の「べき」論のテンプレートに沿って言説
の良し悪しを判定して、テンプレートに適合した言説を構成して
いるだけである。

512 :時計 :2021/12/10(金) 18:25:05.62 0.net
>>501
「任す/makasu」のおいて、「あす/asu」は
本質的であるように思われる。

513 :時計 :2021/12/10(金) 18:26:38.72 0.net
>>512
正:において
誤:のおいて

514 :でこすけ:2021/12/10(金) 18:28:52.56 0.net
>>510
>>494でいう「交換」というのはある程度のところまで発達した意識が前提
だと思うのですが、
確かにそれを思えば「等価」と「恐縮」とどちらが先かは微妙な気もします。
そこで一応>>506では「物質の交換」としておいたのですが、
これも貨幣という概念を抽象化するとその起源は人間以前にさかのぼる
かもしれませんから、やっぱりややこしいことになりそうなかんじもします。
いずれにしても富の交換なり消費なりはもっと普遍的ないとなみに還元され
そうな気がするところです。
さらにはそのような意識の変遷の解明が意識の発達そのものの解明である可能性もまったくないわけではない気がしたりします。

ただ、このての話が全体主義に云々というのは私にはいまいちピンとこなかった
というのが率直なところです。

515 :時計 :2021/12/10(金) 18:31:15.96 0.net
>>506
交換は、等価というより、原則的には、
より価値の高いものへと起きると思います。
お互いに価値の高いと思っていることが大切です。

516 :時計 :2021/12/10(金) 18:39:49.04 0.net
>>512
正直なところ、「負く/任く」は無いと思う。
まだ、「割く/咲く」の方がある。

517 :時計 :2021/12/10(金) 19:08:05.25 0.net
>>515
価値の高いと思っているだけですから、
詰まらないものを摑まされる可能性はあると思います。

518 :でこすけ:2021/12/10(金) 20:02:32.77 0.net
>>517
実際に倭人がアイヌからごっそり砂金をせしめたとか
そういう話は世界中にたくさんあるようです。
あるいは私たちがネットにアクセスするために個人情報を登録するのは
本来は圧倒的に不当な取引だという話を聞いたことがあります。
たとえばラインが無料なのは運営が集めた個人情報を換金しているためだそうで
(契約書には個人情報の保護を保証しないとなっているようです)、
しかし利用していて問題がなければ問題はないという気もしますから
交換というのは本人が良ければそれでいいというものなのかもしれません。
現代板わらしべ長者に通じるはなしですね。

519 :考える名無しさん:2021/12/10(金) 20:08:31.79 0.net
マインドマップってどうなん?

520 :時計 :2021/12/10(金) 20:11:51.96 0.net
>>518
価値の低い/高いを偽る例はありそうですね。
嘘と言い切れないことが難しいところです。
LINEの場合、役に立つことは本当ですから。
その価値はあるだろうと思っている、あるいは思わされていますね。
市場が淘汰するといいのですが、
ネット企業に関しては、新規参入は結構難しそうです。

521 :時計 :2021/12/10(金) 20:18:01.68 0.net
>>519
変わった見た目の木構造。:)
木構造は(『論考』とか)書籍によく見られます。
生物の分類などにも。

522 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/11(土) 01:44:19.39 0.net
no-cloning theorem
これの意味が夢に現れた。
なぜクローンがつくれないのか。
夢でみた答えは単純明快だった。
量子論的な証明もあるわけだが、もっと単純だった。
一粒子の世界ならばそれでもよいのだが、二粒子以上のときでも正しいかどうか検討中。

523 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/11(土) 02:20:41.33 0.net
二粒子以上であってもおなじ世界にいるのならばそれはつながっており一粒子だw
一粒子は保存則からみて存在できないので最低でも二粒子だ.
一粒子なのに二粒子で、二粒子なのに一粒子だという奇妙なものではあるが、
それを量子とすれば、cloningすることができない。
世界は存在しない、という理屈と同じである。
体系内で体系自身をcloningすることはできない。

そう考えると、主体内部の主観世界では主体自身を(完全な形では)客体化できない。
主観世界に主体は存在しないのだ。
完全な形というは、完全性ということであり、cloningである。
ふつうの客体を客体化できるのは、最初から主観世界にあるものだからである。
と、ここまでバカなことを書いていたわけだが、
このバカバカしい考えは、単純にいえば、「公理的集合論」と同じものである。
主観だ主体だ客体だ、とかいっても、「公理的集合論」の一部に過ぎない。

524 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/11(土) 02:29:19.00 0.net
マインドマップツールは、昔FreeMindを使っていたが、今は動かない。
なかなか便利でしたよ。

525 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 09:13:38.18 0.net
マインドマップは階層化して関連付けするわけだけどそれって階層的ネットワークモデルみたいで古くない?
それに既存の価値観に沿った関連付けはできるけど異質なものを関連づけたり新しい関連付けを見つけるのは難しいから新しい発想も生まれにくいと思ってる
ただ記憶術という点ではイメージや視覚的に関連付けができるから効果があるように思う

526 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 09:23:29.67 0.net
>子育てでさえ、「ま(負/任)け」/"concession"の相互的な容認
として成立していると考えることもできる<

一方、または双方にとって「ま(負/任)け」/"concession"が容認限度を
超えると、子離れ、親離れが生じ、「ま(負/任)け」/"concession"の
相互的な容認が続くなら、実力行使のの力関係に逆転が生じても、
協力関係が存続し、一方、または双方にとって容認限度を超えながら、
共存せざるを得ない状況に追い込まれるなら、啀み合いながらも
子が親に、または親が子に、あるいは親と子が互いに依存する関係を
耐えつづけるより他ない関係が生じる。

527 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 09:24:46.27 0.net
誤:実力行使のの
正:実力行使の

Windows 10になってから、やたらとチャタリングのような誤記が増えたな。

528 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 09:38:23.64 0.net
哲学に重要なのは、適切な表現を見出すことができるように記述を
試みつづけることである。

529 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 09:57:29.41 0.net
記述を疎かにする「べき論」は、暗黙に絶対化された自己都合の他人への
押しつけである。

530 :時計 :2021/12/11(土) 10:00:31.48 0.net
>>525
一般的なグラフにするとカオスですから……

>>526
「任す/委す」という表現はありますね。
「まかす/makasu」の「あす/asu」は使役形と考えられ、
これが「譲る」という意味と関わると思われる。

531 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:07:31.08 0.net
通常の意味で「政治的」とされる言説は、常に、他人の自己都合を
代弁するように見せかけて他人をまとめて誘導しようとするものである。
それが「誤誘導」と判断されるかどうかは、人々がその言説に
よって誘導されることによって生じる結果に依存する。

532 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:09:57.52 0.net
https://kotobank.jp/word/割譲-45242
割譲(読み)かつじょう(英語表記)cession

国家領域の得喪(とくそう)の一方式で、ある国の領域の一部が合意によって
他の国に移転することをいう。割譲は、戦争を処理するために行われる場合と、
平時における交渉に基づいて行われる場合とがある。前者の場合には、
講和(平和)条約により、戦敗国の領域の一部が戦勝国に譲り渡される。

533 :時計 :2021/12/11(土) 10:12:40.24 0.net
>>530
「任す/委す」は「撒かす」や「巻かす」に近いという考え。

534 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:23:06.63 0.net
ナメクジみたいに粘着していないで、いい加減あきらめたらどうかな

535 :まき(牧)ば(場):2021/12/11(土) 10:26:02.13 0.net
https://kotobank.jp/word/委任統治-435256
委任統治とは - コトバンク

第一次世界大戦後,国際連盟が採用した統治制度敗戦国ドイツ・トルコの
領土や植民地を,国際連盟の監督下に委任という形で特定国に統治させた。

536 :時計 :2021/12/11(土) 10:29:48.21 0.net
>>534
またそれか。

537 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:32:11.41 0.net
>子育てでさえ、「ま(負/任)け」/"concession"の相互的な容認
として成立していると考えることもできる<

親子間の相続も、割譲や委任統治の一種である。

538 :時計 :2021/12/11(土) 10:35:05.06 0.net
誤りを正すことは哲学として大切。

539 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:35:35.31 0.net
こうやって一般的に妥当すると考えられる表現による記述を探ると、
物事が分かりやすくなるでしょう。物事を考えるのに「べき論」から
入ることは、思考の混乱を招くことになる。

540 :時計 :2021/12/11(土) 10:36:00.52 0.net
>>537
釣りにしか見えないな。:)

541 :時計 :2021/12/11(土) 10:39:06.00 0.net
>>530
使役形は、させることを意味するから、
「譲る」というニュアンスが生まれる。

542 :時計 :2021/12/11(土) 10:40:17.44 0.net
>>534
とりあえず名前付けたらどうだい?

543 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 10:49:01.58 0.net
>誤りを正すことは哲学として大切。

では、「正『す』」ことによって、あなたは誰に何を譲っているのですか?

544 :時計 :2021/12/11(土) 10:52:44.73 0.net
>>543
読者に正しい未来の思想を譲っている(であればいいな)。

545 :時計 :2021/12/11(土) 11:37:12.74 0.net
>>525
良いものは古くならないと思います。
マインドマップはどちらになるのか解りません。

546 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 11:43:21.29 0.net
神さびて神威の神域恋オーラ快あり不快なきままに。

547 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 11:45:14.90 0.net
いにしえの文にまつわる既視感と恋の本質古びて居ない。レコードを思い出し詠んだ歌。

548 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 11:46:37.13 0.net
日常的な「多言語使用」は、言語表現に対する感性に関してジャイロスコープ
のような働きをする。ここで私が言う「多言語使用」とは、いわゆる、
バイリンガルが日常的に家庭内と外で2言語を使い分けたり、複数の言語の
話者が混在している地域で必要に応じて人々が複数の言語を使ったり
するようなものとは異なる。

バイリンガルは、その言語能力を職業的に仲介役を果たすために、
自らの2つの母語を用いるのでない限り、言語表現の対応関係について
反省的に捉える必要性に迫られることはあまりない。また、複数の
言語の話者が混在する地域における多言語使用の場合も、必要に応じて
多言語で用件をやりとりすることが求められるだけで、異なる言語
における表現の間でメタ言語的な反省を迫られるわけではない。

549 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 11:54:25.18 0.net
ところが、ほとんど実用性のない「多言語使用」、例えば、それぞれの
言語において簡単な用件を足すのにも役に立たないほど拙い言語能力の
レベルでの言語使用で、異なる言語において反応的に表現を理解する
必要性に受動的に対応しているだけでも、認識に要する労力の節約の
必要性から、メタ言語的に表現を捉える能力が磨かれる。他人から
見れば何の役に立っているかさっぱり分からないような「多言語使用」
が、本人の省エネ的な認識能力の向上には大いに役立つのである。

550 :時計 :2021/12/11(土) 12:00:38.39 0.net
>>548
壊れたジャイロスコープでなければいいですが……

551 :考える名無しさん:2021/12/11(土) 12:01:48.29 0.net
このことは、ピジン言語としては中国大陸の人々とコミュニケーションを
とるにはますます役立たなくなっていったであろう日本語の基礎となった
言語が、そのことにより、独立した言語として役に立つ日本語を形成して
いったものと思われることと似ていて、興味深い。

552 :時計 :2021/12/11(土) 12:12:05.33 0.net
>>551
日本語の基礎となった言語は縄文時代に作られたのかなと
まあ、ぼんやりとですが、思っていました。

553 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:16:33.67 0.net
原人の先祖の野獣の嗚咽も意外に複雑でしょう。

554 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:17:27.07 0.net
取り鳥部落奴婢の歌声。

555 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:17:46.78 0.net
下からがよろしいな。

556 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:18:56.40 0.net
接する接種の時人間が多知覚媒体であること。

557 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:20:07.59 0.net
例えば快哉一番のオフェンスはどうしてもシュードラなどの低位の生物の下取りになります。

558 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:21:22.25 0.net
下取りの存在と思えぬ色気の受動の攻撃性というものはうなずく方も多いと思う。

559 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:21:58.15 0.net
だから帝国文法なんかこれからは大事だ。文学ならば。

560 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:22:59.22 0.net
サイズの問題はサインの問題で。シーズはシーヌで。

561 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術師悪魔召喚居士:2021/12/11(土) 12:23:46.01 0.net
帝国文書などは魅力があると思いませんか。物自体にも。静謐な。

562 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/11(土) 22:40:51.04 0.net
集合の存在公理
∃x(x=x)
「identity」であり、「存在」の公理なわけだ。
ただし、ZF(C)の公理的集合論に集合の存在公理を含めることは少ない。
無限公理から導出できるので、公理としては「いらない」のである。
∃x(∅∈x∧∀y∈x(S(y)∈x))
S()についてはペアノの公理を参照されたい。
ようするに自然数である。

563 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/11(土) 23:21:19.97 0.net
「存在」や「アイデンティティ」はこれでよい。
「主体」は、
正則性公理
∀x[∃a∈x⇒∃y(y∈x∧¬∃z(z∈x∧z∈y))]
∀x(x≠∅⇒∃y∈x(x∩y=∅))
まあ、いろいろと表現のしかたはあるけど、
「主体」はがトップレベルにあるとすれば、
主体は「空」であるか「客体」を持つとでも考えればよい。
とかいってしまうと、なんか逆だ。「主体」が始まりである。
正則性公理を考えると、「主体」はトップレベルの集合ではない。
「主体」が根源となって、「客体」を生み出し、主観世界をつくっている。
「主体」を集合とするのは早計だったようだ。
「主体」は、主観世界において「客体」をつくりだす「核」だ。
「主体」を基礎クラスとして書き直そう。
でもおかしい。すべてのクラスの基礎クラスはObject(客体)である。
これが虚構/虚像/幻想といわれる原因だったのか...

564 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/12(日) 02:32:22.33 0.net
客体は主体を継承する。
これは考えてなかった。
となると、propertiesは継承したほうに入る。
結局、客体とは主体が客体の皮をかぶったものである。
客体の正体は主体であるw

たとえば、いまわたしの目の前にコップがあるが、
このコップの正体は「わたし」である。
「わたし」が「コップ」というpropertiesをまとって目の前にある。
目の前にあるといっている「わたし」は、「コップ」継承した「コップみているわたし」
という客体である。
この「わたし」という客体がひとつであるならば、さまざまな客体を多重継承している。
javaではできないのc++が必要だ。
「わたし」という客体が複数であるならば、それは基本クラスとしての主体の「わたし」に
よって統合されるだろう。

565 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/12(日) 02:59:45.71 0.net
そう考えていくとなんだかおもしろくなってきた。
これならマインドマップでも書ける。
ただし、基本クラスの主体の「わたし」によって統合/整理された、
もうひとつのマインドマップ(複数)がある。
前者が胎蔵曼荼羅、後者が金剛界曼荼羅か?
後者は、それぞれの客体を主観的主体としたマインドマップ群である。
2つの曼荼羅は日本独自のものらしいが、本家の曼荼羅はこの2つの曼荼羅を統合したものかもしれない。
2系統の異なるネットワークが合体したひとつのネットワーク。
2系統のエッジがノードをつないでいる。

566 :まき(牧)ば(場):2021/12/12(日) 07:47:57.33 0.net
「まき(牧)ば(場)」とは、その名称のとおり「任(ま)き場(ば)」であり、
「牧場(まきば)」=「委任管理地」である。このことは、「牧場(まきば)」
とは、どのような用途の土地空間であり、なぜその土地空間が「まきば」
と呼ばれる必要があるのかを考えてみれば、明らかだろう。

「まきば」とは、統治権力のために軍用の馬を飼育するための放牧地
として管理されて使われた土地空間である。そのような土地は、
統治権力の都市機能が集中した場所からは離れたところにあり、
一見、ただの空き地に見える。しかし、そこは放牧の目的で管理
されているから空き地のままなのであり、土地空間が建造物にも
耕作地にも占拠されていないという理由で、勝手に住居を建て
られたり、畑を耕されたりしたら困るのである。だから、そこは、
「まきば」=「任(ま)き場(ば)」と呼ばれて、「統治権力によって
委任されて管理されている土地」であることが明示される必要が
あるのだ。

567 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 07:54:51.47 0.net
したがって、「牧(まきば)」という表現は、その土地空間が「統治権力に
よって委任されて管理されている土地」であることを人々に知らしめる
とともに、それが何の目的で管理されているのかを、「まきば」という
表現に当てられる漢字によって伝えることもする、効率的な表現である
と言うことができる。

568 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 07:56:39.80 0.net
当たり前のことだが、特定の言語表現は、その言語表現の必要性に応えて
いるのである。

569 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 08:04:12.66 0.net
このことは、意味不明な法律用語の場合でも同様であり、法律用語は、
そのように一般の人々には意味不明となる表現のまま規定されて用いられる
ことで、「法律の権利義務を規定する側および法律専門家による解釈を
一般の人々が必要とするようにする」という要求に応えているのである。

570 :時計 :2021/12/12(日) 08:05:30.08 0.net
>>566-567
適当なことを言わないように。
>>311-313を参照のこと。

571 :時計 :2021/12/12(日) 08:06:30.17 0.net
>>570
あるいは適当なことは適当なこととして言うように。

572 :時計 :2021/12/12(日) 08:10:40.09 0.net
>>569
いわゆる専門用語ですね。

573 :時計 :2021/12/12(日) 08:15:49.64 0.net
>>572
法律に関しては、大体のものは皆読めると思います。
量が多い。

574 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 09:07:22.16 0.net
統治権力を確立することが、みづから(身づ柄/自ら)の「ま(負/任)け」を、
相手側に「ゆる(許/赦)し」または「めぐ(恵)み」として認知させて、
安定的に、永続的に「ま(負/任)け」つづけることのできる仕組みを
構築することにあるとすれば、大いなるものによる「恩寵」/
「無償の愛による赦し」こそが本来の「純粋な贈与」であるなどと
するような考え方が、いかに全体主義的な統治支配のイデオロギー
そのものの反映であるか明確に理解できるはずだろう。そのような
考え方は、いくら言葉巧みに脚色されたところで、その本質において
国民のひとりひとりが生まれながらにして「天皇の赤子」として、
返すことのできない無限の恩恵を受けているというイデオロギー
と同様のものである。

575 :時計 :2021/12/12(日) 09:59:35.34 0.net
>>574
もういいかな。
>>530参照。

576 :時計 :2021/12/12(日) 10:04:53.72 0.net
>>575
「任す」を「任く」と読むことは、
「正す」を「正づ」と読むようなものだ。

577 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:09:57.67 0.net
まあ粘液を吐きつづけることしかできないのだろう、ナメクジだから。

578 :時計 :2021/12/12(日) 10:13:32.44 0.net
>>577
貴方に言われたく無いわ。:)

579 :時計 :2021/12/12(日) 10:16:14.83 0.net
>>578
いい加減、名乗ればいいのに。

580 :時計 :2021/12/12(日) 10:24:38.28 0.net
>>578
貴方の名前、蝸牛でいいと思うよ。
身づ殻ということで。

581 :時計 :2021/12/12(日) 10:26:15.76 0.net
>>580
私は、「身づ空」が好きだな。

582 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:28:11.80 0.net
日本語を殺すことになるのは、送り仮名を非標準的に使ふことでも、
非標準化された旧仮名遣いを使ひつづけることでもなく、表現の
必要に応じた表現方法の柔軟性を抑圧し、排除しようとすることだ。
硬直した日本語の表現はテンプレート化し、外来の借用表現
を取り入れることにも不自由を生じるようになるので、
外来の表現によって置き換えられることになり、
それを繰り返すことだけを強制されるなら、最初からグロービッシュ
でも使っている方が便利であることになる。

583 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:29:39.88 0.net
>私は、「身づ空」が好きだな。

そんなに粘着質では、「空蝉(うつせみ)」は無理だ。
粘液が乾燥して付着した汚いゴミになるだけ。

584 :時計 :2021/12/12(日) 10:33:07.24 0.net
>>583
貴方はまとまな会話はできないんですか。:)

585 :時計 :2021/12/12(日) 10:34:11.61 0.net
>>582
しかし、間違いの表現はありますから。

586 :時計 :2021/12/12(日) 10:35:47.88 0.net
蝸牛さんは失礼と断定でできているようで。:)

587 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:40:04.06 0.net
他人に粘着していないで、自分で正しいと思う議論を展開していれば
いいだけだろう。どうせ便所の壁の落書きなのだから、判断は、
読む人に任せればいいだけのこと。

588 :時計 :2021/12/12(日) 10:43:04.68 0.net
>>587
誤りを正すことは哲学の大切な仕事だと思います。
あと、便所の壁のように思うのは蝸牛など少数派だと思いますよ。

589 :時計 :2021/12/12(日) 10:43:39.92 0.net
>>588
5chは5chということです。

590 :時計 :2021/12/12(日) 10:44:32.87 0.net
>>588
正:蝸牛さん
誤:蝸牛

591 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:45:56.41 0.net
哲学はあなたにそのような権限を委譲していない。

592 :時計 :2021/12/12(日) 10:48:04.77 0.net
>>591
哲学は万人に開かれています。

593 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 10:56:26.29 0.net
では、なぜそれをあなたの正否の断定によって閉じようとするのか?

594 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 12:35:47.95 0.net
人が正しいと思っている意見を書き込むことで
自分を閉じないことになりますけど、596さんが
閉じようとするのか?と疑問を感じることは
時計さんには関係ないんじゃないですかね

595 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/12(日) 12:44:08.69 0.net
客体classは主体classを継承する、といっても、継承できるのはあくまでも客体classである。
基本classはObjectである。
そこで、主体はinterfaceであると考えてみた。
コップという客体を考える。
abstract class コップ implements 主体 (extends Object)
コップは主体を実装しないのでabstract classである。
Objectは指定しないでもextendsされる。
これに、コップをみている「わたし」が加えられる。
class コップをみているわたし extends コップ
コップは、abstract なので単独では実装できない。
中心となる主体の「わたし」は、外延である「xxxのわたし」という客体を
統合したものだ。
「xxxのわたし」は、「xxx」を擬人化したものではなく、「xxxのわたし」の
abstactな親classである。
もうひとつの曼荼羅は、この「xxxのわたし」を主体とした小さな曼荼羅の集まりである。
2つの曼荼羅は異なるネットワークであり、これが脳梁のようなもので接続され、
ひとつのネットワークになる。

596 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 13:53:18.81 0.net
正しいと思っている意見を書き込むのはまったく自由ですが、
いちいち私の書込みに粘着して私に指図しようとするから、
それが無用であると言っているだけです。

597 :時計 :2021/12/12(日) 14:06:02.06 0.net
>>593
開かれている主張を断定と言うのは揚げ足取りかと。

>>596
正すことも自由だと思います。:)

598 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 14:19:49.51 0.net
では、そのような粘着が無意味であり、無用であり、
レスの無駄であると却下することも自由でしょう。

599 :時計 :2021/12/12(日) 14:23:01.00 0.net
>>598
誤りを正すことは有益なことです。

600 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 14:28:28.54 0.net
>>596
あなたには無用でも開かれた掲示板ですから
書き込みにコメントが付くことを愚痴るのは
ナンセンスですね。
>>598
却下だと書き込めても、誤りだと考えた人から
コメントを付くことは却下されないので
それは我慢するほかないでしょうね。

601 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 14:37:44.88 0.net
>>598
自分で正しいと思う議論を展開していけば良い、
どうせ便所の落書きだ、と言うつもりなら、
自分用のスレに書き込めばいいのではないか?

602 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 14:41:23.61 0.net
思うに、蝸牛さんのレスはコメントしづらく、このスレのような、
多人数がいるところに投下するべきものではない。

そのコメントしづらいレスの殻を割って、衆目に晒すに相応しくなるよう、
料理しているのが時計さんである。

603 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 14:44:24.76 0.net
誰に有益なのか知りませんが、便所の落書きに対する上書きに
過ぎないわけですから、我慢する必要などさらさらないでしょう。
有益であると主張する無駄な上書きに対して、それが無益である
とその都度、指摘したところで文句を言われる筋合いはない。

604 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 14:48:48.36 0.net
>>603
だいたい、スレ違いなんである。このスレは、
意識の問題について書き込むスレであるから、
そのレスが意識の問題どう関連しておるのかを、
最低でも自分自身に分かるように附属すべきである。
それが出来ないなら、出ていくべきである。

605 :時計 :2021/12/12(日) 14:55:02.02 0.net
>>603
万人に有益ですよ。:)
有益を無益というのは誤りです。

606 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 14:55:48.64 0.net
>>603
便所の落書きも誤りです。

607 :時計 :2021/12/12(日) 14:58:14.58 0.net
>>603
リアル便所へどうぞ。:)

608 :時計 :2021/12/12(日) 14:58:58.12 0.net
>>607
いや、冗談ですよ。
勿論、そもそも便所の落書きという表現は誤りだと思います。

609 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:01:11.23 0.net
「な(負)け」は、物事が相手の「意」に「まか(任)せ」られることを
容認することだと思いますが、それがなぜ「意識」に関係ないと
思えるのでしょう。

610 :時計 :2021/12/12(日) 15:02:15.14 0.net
>>608
真面目な話ですが、便所の落書きであれば、
これまでの有意義な議論は存在しなかったと思います。

611 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:02:19.22 0.net
誤:「な(負)け」
正:「ま(負)け」

612 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:05:13.37 0.net
「『ま(負)け』たままでは『くや(悔)し』い」というのは、
「意識」の基本的な性質ではないでしょうか、

613 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 15:06:50.71 0.net
>>612
>意識のハード・プロブレム(いしきのハード・プロブレム、
>英:Hard problem of consciousness)とは、
>物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、
>どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)
>というものが生まれるのかという問題のこと。

614 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:09:22.40 0.net
>>610
それは心理の性質じゃない
それを意識の基本的な性質ということで
有益ななにがあってそう表現しているのか

615 :時計 :2021/12/12(日) 15:11:50.14 0.net
>>609
相手の意に任せること。
意識のハードプロブレムというより、倫理的な問題を感じます。
私は、主体性は大切にした方がいいと思います。

>>612
負けるが勝ちという言葉もありますよ。

616 :614:2021/12/12(日) 15:12:08.13 0.net
レス番間違えた、>>612に訂正

617 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:18:29.86 0.net
「く(悔)ひ」のことを英語で"remorse"と表現する。
https://www.etymonline.com/search?q=remorse
> from re- "back, again" (see re-) + mordēre "to bite,"

つまり、「く(悔)ひ」とは、その表現どおり「く(食)ひ」でもあるわけだ。
「ま(負)けた」ままでは、相手に「勝手」にされて「く(食/悔)ひ」が
残り、それを「くや(悔)しさ」として抱え込む。「ま(負)ける」
ことが相互的でないなら、それは一方的に自分の「意」に反し、相手の
「意」に沿ふ方向に物事が進められることになるのだから、そのような
感覚が生じることは、意識の基本的な様態であると言えるでしょう。

618 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:22:13.54 0.net
間違った認識を正されたくないとき悔しいという負けの感情が沸いてくるもの

619 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:24:19.98 0.net
それを一般にナメクジのルサンチマンと呼ぶのでしょう

620 :時計 :2021/12/12(日) 15:29:52.53 0.net
>>617
"remorse" は「良心の呵責」でもありますが。
とは言え、言いたいことは大体解ります。
私としては、柔軟に負けることの倫理を考えたいです。

621 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:31:15.83 0.net
>柔軟に負けることの倫理を考えたいです

だから、安定的に、永続的に「ま(負)け」つづけることができる仕組みを
構築することが、統治権力の確立であると指摘してきたのですよ?

622 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:33:12.89 0.net
>>620
意を改めない限り言葉で取りつ食ろうしかないのでしょう
良心の呵責というより、悔しさから食ってかかっている場面が浮かぶ

623 :時計 :2021/12/12(日) 15:35:15.20 0.net
>>621
負け続ける必要はないと思います。:)

624 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:37:17.45 0.net
>>623
柔軟に勝ちにいけばいいじゃないですか

625 :時計 :2021/12/12(日) 15:38:00.84 0.net
>>623
負ける政治家は求められているかもしれませんが、
結構難しい問題ですね。
姿勢が負けているとか、給与が負けているとか、色々とありますし。
とりあえず、形だけは勘弁かな。

626 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:40:26.25 0.net
>柔軟に勝ちにいけばいいじゃないですか

「柔軟に勝ちにいく」とは、「勝ち」を相手による「ゆる(許)し」の形式
によって獲得することであり、それは、物事を自分の意に沿ふように
「勝手」に進められるように「まか(任)せ」られるようにするという
ことなのです。

627 :時計 :2021/12/12(日) 15:41:42.95 0.net
>>624
そうですね。
勝つことはいいことだと思いますが、
勝ち/負けの対立を超えたいという思いもあります。

628 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:42:43.16 0.net
だから、負けのような勝ちがあり、勝ちのような負けがある。

629 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:47:43.98 0.net
>>627
というか、柔軟に勝ってたわけですけどね、時計さんが

630 :時計 :2021/12/12(日) 15:49:57.62 0.net
勝つことは主体性を持つことのように言われていると思います。
しかし、負けることもあっていいんじゃないかと思います。
主体的に負けること。これが私の言いたいことかもしれません。

631 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 15:54:19.18 0.net
>>627
論理の飛躍した解釈で意のままに意見する時点で対立にはならないんですけどね。
だから、正しい見解を書き込むだけでいいんでしょうけど、相手が勝ちに来たばあい
面倒なことになるんですよね。勝ったと思わせておくののが柔軟な負け方かもしれません。

632 :時計 :2021/12/12(日) 15:59:17.74 0.net
>>629
私にとって勝つことは、哲学的に成長することです。
そういう意味では、このスレッドに関わる全ての人達が
勝てればいいなと思います。
ただ、それを勝ち/負けで語っていいのか……
よく考える必要性はあるかなと思います。

633 :時計 :2021/12/12(日) 16:00:27.97 0.net
>>632
形で負けて、実質で勝つ。
そういうことはあると思います。

634 :時計 :2021/12/12(日) 16:04:03.81 0.net
>>631
そうですね。
>>632のような考え方は、単純な勝ち/負けは超えているかなと思います。
何を勝ちと思うのか。よく考えるといいかもしれません。

635 :塩なめくじ:2021/12/12(日) 16:17:08.13 0.net
勝ち負けで考えてる時点で、時計さんのレベルを超えることは出来ないんだよ。
分かったら次から言葉遣いに気を付けることだな、蝸牛野郎が。

636 :時計 :2021/12/12(日) 16:30:33.48 0.net
真の敗者はいない。:)

637 :時計 :2021/12/12(日) 16:34:00.09 0.net
>>630
我ながら倒錯した考えだ。:)

638 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 16:48:48.40 0.net
結局哲学は自分との戦いにならざるを得ないと思います、がんばろうっと。

639 :時計 :2021/12/12(日) 17:11:25.18 0.net
>>638
そうですね。私も蝸牛さんも塩なめくじさんも他の皆さんも
成長したと思います。哲学の良いところですね。

640 :時計 :2021/12/12(日) 17:16:49.75 0.net
>>633
形は大人の世界、実質(実利)は子供の世界、かもしれません……

641 :時計 :2021/12/12(日) 20:01:33.56 0.net
>>640
何か童心に還りました。:)

642 :時計 :2021/12/12(日) 20:17:06.69 0.net
>>641
童心を経由して大人に戻る。

643 :時計 :2021/12/12(日) 20:28:37.88 0.net
>>642
私にとって、形は論理学的整合性で、
実利は皆さんと楽しく過ごすことです。
勿論、形は重要です。

644 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/12(日) 21:41:26.85 0.net
「主体」は単なる「核」としての基底であり、
「主観世界」は「主観的客体としての主体」の集まりである。
単純に考えれば、「主観世界」あるいは「主体」は、「集合」である。
ただし、外延ではなく、内包による「集合」であるため、
うっかりするとパラドックスに見舞われるw
「意識」は常に「パラドックス」と闘うものであり、
「意識」そのものが「防衛機制」のトレースであろう。

そう考えるならば、「脳」は「集合論的処理装置」であり、
「意識」は「(集合論的)パラドックス」と闘った履歴である。
「防衛機制」のログである、ともいえる。
loggerとしての「意識」はlog4jと同様に、極めて危険なバグを内在させており、
外部のclassをloadして実行可能なのだw
それは「洗脳」とも呼ばれる。
自発的な「洗脳」は、狂気でもある。

645 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 23:21:33.11 0.net
か(勝)ち/ま(負)けの関係から、「まき(牧)」がどのような「意識」に
より(つまり、どのような呼びかけに応えて)「ま(負/任)き」と呼ばれる
のかを考えてみることも面白いだろう。「まき」には、古くは、「馬城」
という漢字も当てられたとのことで、岩波古語辞典では、それを語源
と推定して、「まき」は、「うまき」の「う」が脱落したものと説明して
いる。しかし、「う」が脱落すべき理由はなく、これはどう見ても
民間語源説の類であり、「牧」という漢字が「まき」と呼ばれる
土地空間の用途を明示するために当てられたものであるのと同様の
理由で、「管理された馬が飼育されている領地」として「馬城」と
いう漢字が当てられたと考える方が自然である。

646 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 23:39:40.68 0.net
古語において、「まき(牧)」に類似した「まき(牧)」ではない「空き地」が
どのように呼ばれたか特定できないが、現代語で「空き地」が想起させる
イメージは、建物が取り壊された後の土地であり、「所有者や管理者が不在
の土地空間」というものではない。「まき(牧)」との対比ですぐに私に
思い浮かぶのは、日本語の「空き地」というよりもむしろ、フランス語の
《terrain vague》という表現の方であり、こちらの方がその土地空間に
関する「管理の空白」を強く感じさせる。

さて、「まき(牧)」がどのような「意識」により「ま(負/任)き」と呼ばれ
るのかという問題であるが、現代のような土地所有権の概念が通用して
いたわけではない日本の古代においても、勝ち/負けは、まずなによりも
水利権などを含めた土地空間を占拠して資源として利用することにおいて
行為として実現して示されたものと考えることができる。したがって、
一般に土地空間を利用できるように占拠する側が「勝ち」であり、
それを明け渡す方が「負け」であることになる。

647 :考える名無しさん:2021/12/12(日) 23:57:30.04 0.net
ところが、である。「まき(牧/馬城)」として使用される土地空間は、
一見したところ、誰にも占拠されておらず、排他的に土地が利用されている
ようには見えない。「勝ち/負け」の関係から言えば、まさしく、
「土地管理の空白地帯」、《terrain vague》であるように見え、
そのことが、その管理の空白につけ込む勝手な利用を誘っているように
さえ感じられることになる。だが、その土地空間は、「まき(牧/馬城)」
として利用しているのだから、当然、そのような勝手な利用は排除され
なければならない。その一方で、いくらその土地空間が領地として
既に「勝ち」により獲得され、占拠されているものであることを
告知しても、「勝ち」≒「占拠」なのだから、土地利用に関して
いつまでも「空白のまま」であるように見える場所を「領地」である
と宣告を繰り返してみたところで、宣言に実効力が伴っているよう
には感じられないことになる。そこで、逆に「ま(負)け」によって
「その土地が明け渡されたもの」であることを示す「ま(負/任)き」
という表現が効果を発揮することになる。「明け渡されたもの」
である以上、その土地空間が「空いている」のは自然であり、なおかつ、
その土地は、「明け渡された」相手によって管理されているので、
それ以外の者による勝手な利用が排除されることが示される。

648 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 00:09:23.56 0.net
「まき(牧)」という表現を「委任統治領」という概念との対比で考えてみることも面白いだろう。

https://en.wikipedia.org/wiki/League_of_Nations_mandate
>The article referred to territories which after the war were no longer
ruled by their previous sovereign, but their peoples were not considered
"able to stand by themselves under the strenuous conditions of the
modern world". The article called for such people's tutelage to be
"entrusted to advanced nations who by reason of their resources,
their experience or their geographical position can best undertake
this responsibility".<

649 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 00:17:41.88 0.net
とにかく





650 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 00:32:32.39 0.net
少しは褒めてもらってもよさそうなものだが

651 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 00:38:27.31 0.net
まあ、こういうことを書いても、人格を否定されないだけマシであるとは言える。

652 :時計 :2021/12/13(月) 02:39:16.33 0.net
>>644
洗脳はタイムリーな話題ですね。
負け≒任せ、という蝸牛さんの勝ち/負け観とも符合する。:)
敢えて、そうされたのかな。

>>645-648
私は、勝ち/克ちは、超えるというニュアンスがあるように思う。
一方、負けは、間の滞在性がその本質であるように思う。
負けの方が難しいね。
勝ちは超えること、負けはとどまること。
そういうニュアンスは感じる。
私の言う、勝ち/克ち=哲学的成長とも矛盾しないし。:)
負けと牧の関連はかなり抽象的なものだと私は思う。

>>649
まらえとは?
まらうの命令形でしょうか。

>>650-651
よく頑張ったね。:)
人格とかある種の拘りでしかないと私は思うよ。

653 :時計 :2021/12/13(月) 02:48:08.78 0.net
>>644
意識はパラドックスと闘うもの。
きちんと理解してはいませんが、印象に残りました。
ダブルバインドを連想しましたが、関係はないかな。

654 :時計 :2021/12/13(月) 03:16:57.03 0.net
>>652
正:勝ち/克ちは超えること
誤:勝ちは超えること

655 :時計 :2021/12/13(月) 03:19:01.80 0.net
>>654
katsuとkoeruは似ていなくもない。:)

656 :時計 :2021/12/13(月) 03:23:19.93 0.net
>>655
強い者は勝つ/克つ。
弱い者は負ける。
強いと硬い、弱いは柔らかいと関係していそう。

657 :時計 :2021/12/13(月) 03:24:50.48 0.net
>>656
正:強いは硬い
誤:強いと硬い

658 :時計 :2021/12/13(月) 03:26:04.15 0.net
>>656-657
かた - かつ
よわ - やわ

659 :時計 :2021/12/13(月) 03:30:56.34 0.net
>>658
弱い(柔らかい)者の正義はあると思う。
じっくり考えたい。

660 :時計 :2021/12/13(月) 03:56:45.22 0.net
敗者の美学。とどまること。先を急がない。

661 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/13(月) 07:36:23.88 0.net
>>653
「ダブルバインド」はベイトソンですね。
基本は公理的集合論と学習階層のベイトソンですから。
これらは型システムとして「同じもの」ですw
(バートランド・ラッセルの論理階型理論)
「意識」が(広義の)防衛機制であるならば、ラッセルのパラドックスなどの
集合論のパラドックスを解消するために、ラッセルのとった階型理論のようなものを
使うだろう、ということで、
「ダブルバインド」=パラドックスとすれば、それでまちがいありません。

662 :時計 :2021/12/13(月) 08:08:34.14 0.net
>>661
精神の生態学、読みました。面白かったです。
ダブルバインドは、親が子に愛情を示さないのに、
口では愛しているよとか言うとか、そういう状況ですよね。
個人的には、メタ・メッセージに着目することは、
ダブルバインドの解消に繋がるのかなと思います。
そう書いてあったかもしれませんが。:)
この例のように、メタ・メッセージが
目を背けたくなるようなことだと問題ですよね。
意識はパラドックスと闘うということは、
このようなメタ・メッセージに立ち向かうということだと
言えるのかなと思いました。

663 :時計 :2021/12/13(月) 08:10:29.13 0.net
>>661
バートランド・ラッセルの論理階型理論は知らないですから、
今度調べておきます。

664 :時計 :2021/12/13(月) 08:46:02.20 0.net
>>663
少し調べてみましたが、何となくでしか解りません。:)
とりあえずx∈xは不可みたいですね。
それをもっと一般化した感じかな。

665 :時計 :2021/12/13(月) 09:02:54.78 0.net
>>664
とりあえず図書館でこれ借りてきます。
今8冊借りていて読んでいるところですから、年明けかな。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480083050/

666 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 09:13:13.28 0.net
>>645-648
このように見ると、「まき(牧/馬城)」という表現は、「(統治)権力は空白
(土地空間の場合であれば、《terrain vague》に相当する)を嫌う」という
「意識」に応えるものであることが分かる。ここで、近代の「委任統治領」と
いう表現が、古代の「ま(負/任)き」という表現に対応することも注目される。
「委任統治領」とは、その土地空間が国際連盟によって委任されて統治される
地位にあると指定されることを意味しており、「国際連盟委任統治」の元の
英語の表現が"League of Nations mandate"である。ここで、"mandate"
という英語が、日本語の「ま(任)け」とぴったりと合致していることが分かる。

667 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 09:21:52.81 0.net
言語表現は、一般的に通用する意識に応えるものであるのだから、日本語を
母語とする人々のなかで、このようなことに気づくのが私だけであるという
ことはあり得ないだろう。それが人文系で歴史や言語を専門に研究の対象
とする人々であれば、なおさらのことである。ところが、このようなこと
を私以外誰一人指摘しているようには見えないという事実は、とりもなおさず、
そこには言論統制のための隠蔽と誤誘導の意図が働いていることを強く
疑わせると言わざるを得ない。

668 :時計 :2021/12/13(月) 09:27:33.60 0.net
>>666
"mandate" は「権限」のイメージがありますが、
「委せ/任せ」でもあるんですね。

669 :時計 :2021/12/13(月) 09:30:01.26 0.net
>>667
「負け/任け」理論は貴方独自のものだと思いますよ。:)

670 :時計 :2021/12/13(月) 09:32:46.75 0.net
>>667
まあ、陰謀論ですね。どこまで本気なのか……

671 :時計 :2021/12/13(月) 09:42:16.78 0.net
私はどちらかと言うと、
負け/任せより、負け/間抜けを連想するのだけれども。
負けの「ま」は、抜けると間抜けということで。
抜けないで、とどまること。
これは大切なんじゃないかな。

672 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 10:25:23.38 0.net
都市部の《terrain vague》は、管理不行き届き場所として麻薬の密売人や
それを管理する暴力組織およびその末端につらなる若者が縄張り争いを
する場所となりがちである。

673 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 11:47:37.13 0.net
小3生、NFTアートで「4000万円」ゲット 加藤浩次「すごい時代ですねぇ」

小学3年生が、ゾンビになったクモをイメージして書いたデジタルアートが、9月におよそ170万円で購入された。
この小学生は3カ月で200作品を販売して、取引総額4400万円以上になったという。いったいなぜなのか?
NFTとは、「Non‐Fungible Token」の略で、直訳すると「替えがきかないしるし」の意味。
簡単に言えば「デジタルの絵につけられる鑑定書」のようなもので、難しく言うと
「デジタル上で唯一無二のアイテムとして保存されている資産のことで、ユーザーにデジタル世界での所有権を与る」もの。

674 :時計 :2021/12/13(月) 12:09:39.02 0.net
>>672
あまり行きたくはないですね。

>>673
供給不足の状況なのかな。

675 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 14:21:15.58 0.net
「ま(任)け」⇒「まき(牧/馬城)」は、
「あづ(預)け」⇒「『あづき』なし」と平行する関係にあるだろう。
このことからも、「『あづき』なし」は、「手に負えない」ことを
表現しているものと考えることができる。

676 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 14:25:42.39 0.net
日本語の古語の「あづきなし」にそのまま対応する英語の表現が、"intractable"である。

https://ja.wiktionary.org/wiki/あづきなし
あづきなし(上代語)
どうにもならない。

https://www.etymonline.com/search?q=intractable
intractable (adj.)
c. 1500, "rough, stormy;" 1540s, "not manageable," from French
intractable (15c.) or directly from Latin intractabilis "not to be handled,
unmanageable," from in- "not, opposite of" (see in- (1)) + tractabilis
(see tractable). Related: Intractably.

677 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 14:28:29.16 0.net
このことを指摘しているのもやはり、私以外には誰一人見当たらず、
これも、日本語の表現についてまともに論じることが、いかに言論統制によって
抑圧され、隠蔽され、なおかつ誤誘導されているかをよく示す具体例だろう。

678 :時計 :2021/12/13(月) 15:18:03.19 0.net
>>675-677
平行しているようには見えませんが……
誰も誤誘導していないと思いますよ。:)

679 :時計 :2021/12/13(月) 15:19:43.84 0.net
>>678
勿論、隠蔽もしていない。
抑圧は知らない。

680 :時計 :2021/12/13(月) 15:22:51.86 0.net
>>678
あ、あと「あづきなし」は「むなしい」、「無益だ」の
意味もありますから、"intracable" とは少し違うかと。

681 :時計 :2021/12/13(月) 15:23:41.49 0.net
>>680
正:intractable
誤:intracable

682 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 15:31:06.95 0.net
問題が"intractable"であるなら、それに取り組むことは、
「虚しく」、「無益である」ことになると思いますが?

683 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 15:36:20.93 0.net
妥当な推論からは、様々な既存とされる関係性を容易に導き出すことが
できる。場当たり的な説明は、その都度の無理な辻褄合わせを要求する。

684 :時計 :2021/12/13(月) 15:59:49.08 0.net
>>682
"intractable" な問題に取り組むことはまた別でしょう。

685 :時計 :2021/12/13(月) 16:04:13.53 0.net
>>684
"intractable" には
• (of a person) difficult or stubborn.
という意味もあります。

686 :時計 :2021/12/13(月) 16:09:10.18 0.net
>>685
「むなしい」、「無益だ」とはニュアンスは異なるかと。

687 :時計 :2021/12/13(月) 16:14:57.41 0.net
>>686
"stubborn" と「あづきなし」は大分異なるような……

688 :考える名無しさん:2021/12/13(月) 17:54:57.17 0.net
なんかもう、今後スレタイに沿った書き込みにはなりそうにもないね

689 :時計 :2021/12/13(月) 18:31:41.59 0.net
>>688
基本的には書き込む人の自由でいいかなと思っています。

690 :時計 :2021/12/13(月) 18:40:34.52 0.net
>>689
判断は任せるということで、スレタイ自体は大切にして頂ければと思います。

691 :時計 :2021/12/13(月) 19:22:17.00 0.net
>>688
蝸牛さんだと思うんだが。:)
違ったら御免。

692 :時計 :2021/12/13(月) 21:19:32.00 0.net
図書館で借りて、今日、読み始めた本が
冨田恭彦著『詩としての哲学』です。
西洋の古典的な理性主義に対して、
ロマン主義から始まる想像力優位的な哲学を説くらしい。
意識のハードプロブレムの考察に寄与すればいいなと思っている。

693 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 04:05:01.53 0.net
理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫)を
読み始めたとこですが、生物種の99.9パーセントが絶滅するそうで、、

音楽は理系に分類されるそうですが、ということは音楽は集合論かも
1‰の栄光の和音のキセキ、絶滅しまくる不協和音

フレーム問題でフリーズし彼岸へ逝くもの、解消するもの
見えざるおてて

694 :天(あま)の命(みこと)/mandate:2021/12/14(火) 06:53:16.37 0.net
天(あま)の命(みこと)/mandateに目覚めたので、ここを「社(や・しろ/代/城)」
として「しる(記)す/し(知)らしむ」。

「『意識』、すなわち、『意を識(し)ること』の現実は、呼応関係の身体化
である『まき(牧/馬城)』=『ま(任/負)けの実行』/"fulfilling of mandate"
≒『委任統治』として現れる。」

695 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 06:56:03.84 0.net
数ならぬ 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
                         ― 紫式部

696 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 06:58:37.89 0.net
いつものことながら、眠っている間の「私(わたくし)」は、自分自身でも驚くほど頭がいいw

697 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 07:07:31.73 0.net
(統治)権力の「空白」/《terrain vague》が、呼びかけの「〜を」に
よって指し示される。

698 :妥当な推論はネットワークを形成する:2021/12/14(火) 07:11:48.24 0.net
240 :考える名無しさん:2015/05/29(金) 19:58:40.17 0
例えば、「ヤマトタケルノミコト」の「ミコト」が主体の尊敬の気持ちを
表しているのか、「ヤマトタケル」の尊い身分を表しているのかを
問うことが無意味であることは明白だろう。「ミコト/命(mandate)」を
受けて/体現して、そうでない人々(「ミコト」という表現を使う主体を
含む)に対して「ミコト/命(mandate」を実行する立場にあるという関係性
の認知が、敬称として機能しているのだから。

同様に「数ならぬ身」が謙譲の表現として機能するのは、そのように発言
する主体の相手が「人/一」として数えられる以上の存在であり、主体を
「人/一/他人)」と同等に見なさなくても当然であるという関係性の表明で
あるからに他ならない。「数ならぬ」を単に「身分が低い」とするのは、
そのような関係性を表す表現を、発言する主体の属性を表す表現と取り
違えてしまうことになる。

241 :考える名無しさん:2015/05/29(金) 20:18:56.80 0
ちなみにメキシコのスペイン語では、相手の言ったことが分らなくて
聞き直す場合に、英語の「I beg your pardon?」の意味で「¿Mande?」
と言う。言うまでもなく、元来は「何をお申しつけでしょうか」という
意味の謙譲表現だが、日常的に多用されることによって、丁寧な表現
ではあるものの、謙譲の意味は薄れている。同じスペイン語圏でも
この表現が使われない国では、謙譲の意味が強く表れすぎて、奇異な
印象を与えることになる。

699 :時計 :2021/12/14(火) 07:14:04.36 0.net
>>693
今0.1%しか残っていないということでしょうか
それともこれからのことでしょうか。
人類が誕生してから急速に種が減っているという話を
どこかで聞いたことがあるような気がします。
確かに音楽は99%かそれ以上、ノイズ=無意味ですよね。

700 :時計 :2021/12/14(火) 07:24:32.85 0.net
>>698
命は尊い人の名前じゃないの? 知らんけど。

701 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 07:28:04.55 0.net
「国際連盟委任統治」/"League of Nations mandate"としての地位の指定が、
「意志」/「心(こころ)」であるとすれば、その呼びかけの「意」/「〜を」に
よって指し示される「対象」が「委任統治領」とされることになる、現状で
「(統治)権力の空白」が生じていると見なされる土地空間であり、その
「意」/「〜を」に応えて「具体的」に統治を実行する国々が、委任統治機構
の「現実」/「身(み)」である。

この三者、つまり、「意志」/「心(こころ)」と「対象」と「現実」/「身(み)」
は、『ま(任/負)けの実行』/"fulfilling of mandate" において現実となる
のであり、その呼応関係の身体化を離れて、各々が実体としてあらかじめ
現実に存在するわけではない。

702 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 07:29:33.06 0.net
>>700
知らんなら黙っとけ

703 :時計 :2021/12/14(火) 07:32:11.08 0.net
>>701
「負け/任け」に拘るね。:)

704 :時計 :2021/12/14(火) 07:32:28.64 0.net
>>702
スレ的にな。

705 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 07:36:12.53 0.net
>>703
"No pain, no gain"、負けなくして勝ちなしだからな。

706 :時計 :2021/12/14(火) 07:40:25.17 0.net
>>705
生きること=勝ち、とも言える。

707 :時計 :2021/12/14(火) 08:07:32.02 0.net
>>699
正:ことでしょうか。
誤:ことでしょうか

708 :時計 :2021/12/14(火) 08:24:40.88 0.net
目を瞑ると、心は水面のよう。
水面に落ちる水滴のようにアイデアは生まれ、
静かに音を立てて、広がる。
あるのは心象。
そこから心の営みを始めよう。

709 :時計 :2021/12/14(火) 08:27:03.46 0.net
鳥達の囀る声が聞こえるかい?

710 :時計 :2021/12/14(火) 08:30:56.81 0.net
聞こえるのは通りを通る車の音だったり、:)

711 :時計 :2021/12/14(火) 08:33:02.05 0.net
>>710
正:だったり。
誤:だったり、

712 :時計 :2021/12/14(火) 08:48:45.25 0.net
>>710
金槌の叩く音が聞こえる。

713 :時計 :2021/12/14(火) 08:51:08.69 0.net
音の世界だね。それはそうだ。

714 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 09:06:32.60 0.net
>一九六 われわれの聴覚の限界
われわれの耳は、自分が答えることのできる問いのみを聴く。<
ニーチェ、『喜ばしき知恵』、p.256

715 :時計 :2021/12/14(火) 09:37:26.23 0.net
>>714
含蓄はありますが。
聞こえる音を概念化してしまうとは言えるかもしれない。

716 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 10:11:55.26 0.net
>>694-695
このように表現することができることを見れば、日本語が哲学をするのに
いかに「効率的」な言語であるか分かる。日本語は、哲学をするのには
向かない言語であるというより、むしろ、思考のプロセスをあまりにも
効率よく表現することができる「ゆゑ」に、日本語で表現された思考を「哲学的
に見せる」ために、漢語や輸入概念を当てはめた解説が要求されることになる。

717 :聖なる一月:2021/12/14(火) 10:51:27.43 0.net
『喜ばしき知恵』というのが、ニーチェの著作、"Die fröhliche Wissenschaft"
の日本語訳の書籍名であるが、とはいえ、身につけることのできるものとして、
何か喜ばし知恵があるわけではない。このことは、「初春を迎えられることが
喜ばしい」のであって、喜ばしい初春とそうではない初春があるわけではない
のと同じことだ。つまり、"Die fröhliche Wissenschaft"とは、「知ることを
喜ばしいこととして迎え入れる」ことである。

718 :でこすけ:2021/12/14(火) 13:45:51.76 0.net
せっかくなので>>494の解説というか解釈というかです。
このレスを投稿したのは私ではありませんし
また投稿主がどのような趣旨の表現を試みたのかは私にはわかりませんので
これはあくまでも私の理解ですが、
しかし私はこのレスに関連して「経済人類学」をおすすめした
という経緯もあるためちょっと気になっていたのです。

私は投稿を始めた頃から「私はアバウトだ」と繰り返してきましたが
これは「経済人類学」というよりも「栗本理論」だったかもしれません。
ただ「栗本理論」というのはその昔メディア上に出たりもした表現ですけど
たぶん実体はない気がします。
つまりこれまたあくまでも私が勝手に捏造する「栗本理論」です。

719 :でこすけ:2021/12/14(火) 13:50:28.14 0.net
>>718
で、私が理解するところによると「栗本理論」というのは
経済人類学者カール・ポランニーの自然観(栗本はエコノミーをエコ(自然)の
ノモス(法理)としてとらえているようです)を、
科学哲学者マイケル・ポランニー(カール・ポランニーの実弟)の
「暗黙知理論」なるものでフォローしたものというのが骨格になるものです。
私はポランニー兄弟が学会からどのような評価を受けているのかを存じませんが
私としても基本的にはもちろん肯定的です。
細かいことはいろいろありますけど
方向性には闇雲に賛同したい気持ちがあるのです。

栗本理論を象徴するのが例の「パンツをはいたサル」ですが
これは「人間はパンツを脱ぐために履く」という
一見なんだかリアリティのない理屈を「裸のサル」に対抗して表現したもの
のようです。
人間は裸になってしまったからパンツを履いたのではなく
パンツを履いたから体毛が薄くなったという考え方が根底にあります。
「脱ぐために履く」というのは「過剰蕩尽理論」と言われますが
ここで「過剰-蕩尽」というのが分かりづらいのでマコトに僭越ながら
解説させていただくわけです。

720 :でこすけ:2021/12/14(火) 13:53:55.26 0.net
>>719
経済学では経済的な営みに需要と供給とか生産と消費とか
そういったサイクルを想定することがありますが
栗本に言わせるとそれらは過剰と蕩尽というサイクルに還元されるとのことです。
これはじつは経済的な営みに限らず人間のすべての営みはこのサイクルを持つ
とされます。
人間は過剰を溜め込みやがてそれを蕩尽する、
ここで過剰は蕩尽するために蓄積されるというのが過剰-蕩尽サイクルです。
たとえば先日話題にのぼった「スポーツ」を例にとると、
スポーツ選手が苦しいトレーニングや厳しい食事制限をするのは
じつは良い成績をあげるためではなく、
いつかそのような生活を止めるためだと考えます。
その開放感が本当の目的だというのです。
普通はちょっとピンとこないはなしです。

しかしここで「暗黙知」なるものが関わるとされます。
「暗黙知」というのはある種の「深層意識」ですが、
栗本によれば人間の行動はそのようなものに常にコントロールされている
というのです。
つまりスポーツ選手は表層意識レベルでは良い成績をあげるために
トレーニングをしているつもりであっても
無意識にはいつかそれをやめるためにやっていると考えます。
にわかには信じがたいところですが
ただし深層知が関わること自体はある程度ではあり得る気がします。
たとえば多くの動物は本能的な衝動に基づいて行動しているはずですが
結果的に個体維持や種族維持へとつながります。
いいにおいがするものを食べるとそれが栄養になったり、
やりたいからやると結果的に子供ができたりするわけです。
そしてそこにはそのようなシステムをつくった何らかの構造があるはずです。
私たちは思いのほかそのシステムにコントロールされているのであろう
と考えるわけです。

721 :でこすけ:2021/12/14(火) 14:01:41.44 0.net
>>720
そこで>>494に戻るわけですけど
>互いにどのように負けることが容認可能かを探るプロセスである
ここで可能性を探っているのは、私の解釈では「深層意識」です。
交換は、もちろん状況により程度の差があるでしょうけど、
無意識のうちに相手の心を探っている行為だと思うのです
(たとえば「交換」は物だけではなく言葉も対象になります)。
そしてこの問題は意識の構造に関わるものであり
やがて意識のハードプロブレムにもつながり得る気がするので
スルーするのはもったいない気がしたわけです。


なお、私が栗本理論に共鳴するのはあくまでも方向性です。
細かいことはいろいろある、
とは是非とも付け加えさせていただきたく存ずる次第です。

722 :時計 :2021/12/14(火) 14:05:23.87 0.net
>>716
「表現」、効率」、「哲学」、「言語」、「思考」等も
漢語や輸入概念のような……

>>717
私の言いたかったことは、目を瞑り思考することは、
音の世界に入ることではないかということです。
ニーチェの言葉はやや的外れですね。
青い空という時、赤い空も無いことは無いと思いますが。

723 :でこすけ:2021/12/14(火) 14:21:01.73 0.net
>>720
思いのほかそのシステムにコントロールされているのであろう
→思いのほかその構造にコントロールされているのであろう

構造というのはつまり「深層知(?)」のことです。

724 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 14:44:56.90 0.net
>>717
誤:喜ばし知恵
正:喜ばしい知恵

725 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 14:51:49.31 0.net
目を瞑り、耳を瞑る。それが硬(かた)(つむ)瞑りなんです。
硬瞑りが音や色を理解しようなんて、土台無理なんです。

726 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 14:53:28.09 0.net
>>725
語:硬(かた)(つむ)瞑り
正:硬(かた)瞑(つむ)り

727 :時計 :2021/12/14(火) 14:55:36.71 0.net
>>725
勿論、ずっと閉じていれば、唯の阿呆ですが。:)
たまには硬瞑りも一興かと。
耳を自然に瞑ることはできませんが。

728 :時計 :2021/12/14(火) 14:59:50.38 0.net
私は音の世界は本当に大切だと思いますが、
中々伝えることは難しいです。

729 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 15:04:37.32 0.net
蝸牛とはまた、肩(かた)積(つ)む理(り)でもあります。
禍であり渦である迷宮、その奥深くに瞑る牛、
古い名はミノタウロスなどと言い、クレタ島の伝説にも記されています。

隆々とした肩に理を積み侵入者を憚らんとしますが、
その理が過ぎて潟(かた)つ無理となり、テセウス王に、
でんでん、無視(むし)む死、アリャリャとね、と、
やっつけられる物語でございます。

730 :時計 :2021/12/14(火) 15:17:44.91 0.net
>>729
まあ、語源は諸説あっていいと思います。
蝸牛さんもそういう柔軟さがあるといいですが。

731 :時計 :2021/12/14(火) 15:28:19.87 0.net
>>730
硬瞑りは、上手いと思います。:)
肩積む理は、無いことは無いかな。
潟つ無理は、難しいですね。
私としては、硬瞑りを推したいです。:)
Wikipediaには、笠つむりなどが書いてありました。
つむりは貝のことらしいです。

732 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 15:30:53.42 0.net
»Beruf«はドイツ語で「使命」を意味し、
その語幹の»Ruf«は「呼び声」を意味し、
ハイデガーは»Ruf«を「良心/知ることの声」
»Stimme des Gewissen«と解釈しています。

『主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。』(創世記3:9)
という、この呼びかけに応えられる者こそ、
超越性に目覚める者ですが、蝸牛はでんでん無視無視、
それができず、哲学から見放されている有様でございます。

733 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 15:34:17.08 0.net
>>731
日本語において、漢字表記は本質的なものではありません。
傘つむりは、「民間語源説」»Volksetymologie«、
もしくは"Etymological fallacy"の類でしょう。

734 :時計 :2021/12/14(火) 15:34:44.58 0.net
音の世界。意識の「意」は「音」から構成されています。
そこからも音の世界は大切なことだと解ると思いますが、
まだまだ十分に説明されていないように思います。
音と思考は切り離しできるのか。これも興味深い話題だと思います。
私は、天啓は基本的には音だと思っています。
だから、自由意志の本質は音だと。
音の世界の魅力が少しでも伝わるといいのですが。

735 :時計 :2021/12/14(火) 15:44:10.97 0.net
>>732
»Ruf« を聞きたいものです。

>>733
私は語源は様々あっていいと思いますが、
言葉は音の印象、例えば、擦るということは、擦る音の印象、
そういったものからの影響は受けざるを得ないと思います、

736 :時計 :2021/12/14(火) 15:44:42.18 0.net
>>735
正:思います。
誤:思います、

737 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 16:24:12.29 0.net
このやりとりは、倫理的になかなか面白いものですね。
私は、「蝸牛」ではないが、一般の人なら誰でも「ナメクジ」に褒められて、
仲間と見なされてすり寄って来られたら、かえって迷惑で気持ち悪い。
その意味で、「ナメクジ」に貶されるのはむしろ有難いことでしょう。
本人も穢いなりにそれを自覚して、自分が他人に近寄ってはならないという、
「ナメクジ」の側ではなく、人の倫理を尊重しているようにも見えます。

738 :時計 :2021/12/14(火) 16:32:52.24 0.net
>>737
何か名前を付けませんか?
無ければ、名前の必要な場合、蝸牛さんと言及すると思います。

739 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 16:52:44.44 0.net
匿名の掲示板なのだから、意図的な成りすましによる混乱を避けるという
決まりを守るなら、書込みを特定の人格のようなものに結び付ける必要
はまったくないというのが私の基本的な考えです。レスをしたいときには、
レス番号を指定すればいいだけでしょう。文体や書込みの内容から
読む側が勝手に自分自身で考えをまとめればいい。混乱が生じるなら、
それは、悪意による成りすましによるものか、読む側に読解力が不足
しているかのいずれかであり、いずれにしても、匿名の掲示板で哲学を
することにおいて、人格のようなものが想定されることになる名前を
つけることのデメリットの方が、匿名性のメリットを大きく上回る。
意図的に工作しようとしたなら、人格なんていくらでも捏造できる
わけで、パソコンやスマホのIDなどその悪意を排除するのには
何の役にも立たないのだから。

740 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 16:58:59.67 0.net
まずなによりもデメリットとして大きいのは、ハンドル名をつけるだけ
でも、読む側には、それを特定の人格として同定する動機付けとして
働くのだから、読む側が、そのような人格の想定に依存せずに自分で
哲学することの妨げとなる。さらに、ハンドル名を付けることで、
書き込む側に、自分を後でそれを利用して自分の利益(商業的なもの
であれ、単に売名としてであれ)つなげるつもりがあるのではないか
という無用な疑いを生じさせることになる。

741 :時計 :2021/12/14(火) 17:01:21.33 0.net
>>739
トリップは成りすましを防ぐと思いますよ。
しかし、匿名でいたいということですから、
蝸牛さんという言及は最小限にします。

742 :時計 :2021/12/14(火) 17:04:32.75 0.net
>>740
逆に、発話者を同定することは、発言の理解に繋がると思います。

743 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 17:11:45.90 0.net
私の書込みの動機が少しでも、個人の売名や商業的な利益にあるのであれば、
これだけいつも書き込んでいるのだから、匿名であっても、何らかのハンドル名
を使ったブログかTwitterにでも誘導しているはずでしょう。私は、
他人のブログを参考にさせてもらったときには、そのことを隠し立てしない
ようにリンクを貼ることや、説明の簡略化のために辞書サイトその他を
引用することはあっても、自分のソーシャル・ネットワークその他の活動
に誘導することは一切していない(というより、そのような活動そのものに
関心が全くない)。私の書込みに、いわゆる「思想」が欠落していることも、
先入観なしに見れば、一目瞭然でしょう。私は、誰にでも都合の悪いことは
平然と言うが、誰かの「思想」に都合の良いことは一切言わない。

744 :考える名無しさん:2021/12/14(火) 17:19:33.32 0.net
私に個人的な動機が働いているとすれば、それは「言いたいことを言う」
ということだけです。

745 :時計 :2021/12/14(火) 17:19:40.85 0.net
>>743
私は、ある程度の量を発言するのであれば、
名前を付けることを推奨はしますが、無理強いはしません。

746 :時計 :2021/12/14(火) 17:21:21.31 0.net
>>744
名前のある方が伝わると思いますが、前述の通り無理強いはしません。

747 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 17:39:20.55 0.net
>>743
難しくかむかへている様子ですが、簡単に言うと、名前を付けて呉れといふのは、
臭いからシャワーを浴びて呉れと言われているのと同じです。

748 :塩なめくじ:2021/12/14(火) 17:44:57.69 0.net
>>747
誤:難しく
正:陸奥かしく

749 :でこすけ:2021/12/14(火) 18:15:25.18 0.net
>>748
私としても「ある程度の量を発言するのであれば」
名乗った方が有利だと思います
(独特な文体なりを確立できていればその必要はない気がします)。
言葉というのは文脈の中で理解されるものだからです。
むしろ多少の欠落や誤謬があっても読む側が勝手に補正するという
メリットさえある気がします(等能性)。
実際に訂正されなければ気付かない誤りはしょっちゅうです。
というわけで私は多少の誤りは訂正しないことにしています。

750 :でこすけ:2021/12/14(火) 18:25:03.76 0.net
>>723
>深層知(?)
このクエスチョンマークは「知」に対してつけたものです。
深層にあると想定されるものが実体なのかシステムなのかを
保留しておきたかったためです。
ぶっちゃけ私としては見極めがつかないということがあります。

ところで先の投稿で「栗本」というのは
かつてのニューアカの騎手の一人ともされた栗本慎一郎氏のことです。
一番重要なところが陥没していた気がします。
また「過剰と蕩尽」はポランニーではなくバタイユだった気もします。
いろいろテキトーになっている気がします。

751 :時計 :2021/12/14(火) 18:37:34.82 0.net
>>750
騎手は旗手ですね。:)
等能性ということで。
深層知と暗黙知の違いはありますか?
今度、ポランニーの著書を読んでみようかなと思っています。

752 :でこすけ:2021/12/14(火) 19:45:22.37 0.net
>>751
>深層知と暗黙知の違いはありますか?
私としては「暗黙知」という表現を誰が始めたのかは存じませんが
少なくとも栗本がM・ポランニーから引っ張っているのは確かのようです。
ただ栗本の暗黙知についての理解がポランニーの意図通りのものかどうか
私はM・ポランニーは『暗黙知の次元』しか読んでいないのでわかりません
(ちなみにM・ポランニーのその他の著作の翻訳は30年前ながら支離滅裂
 というのが栗本の評価です
 訳者がポランニーを理解できていないというのです)。
つまり私が理解している「暗黙知」はあくまでも栗本経由であることを
予めお断りさせていただきます
(実際には私がさらに誤読しているかもしれませんけれども)。

私の理解によると
「暗黙知」はひとつの宇宙につき一つしかないようなものです。
「暗黙知」はすべての生命の深層にあるものですが
つまり私たちの意識は深層でそれを共有していることになります。
むしろ個々の意識は暗黙知の辺境としてあるようなイメージです。
ちなみにその意識はまだ眠っているようなかんじらしいのですが
やがて覚醒するときが来るとかなんとかで
若干オカルトめいた展開を見せます。
なお、そこまで行くと、つまり私はおおいに懐疑的です。
ただ、貨幣経済や言語や生命のいとなみや
そういったことは「深層」を想定することによって整合する
というスタンスには共鳴できるというかんじです。
ちなみに「過剰蕩尽」についても基本的には懐疑的です。

ところで>>749>>748宛になっていますが
これはあやまりです。
そもそも付けた記憶がないのです。

753 :時計 :2021/12/14(火) 19:54:36.19 0.net
>>752
そのような暗黙知は深層知と言えるのかもしれませんね。
私が図書館で借りようと思っていたのはその『暗黙知の次元』です。
私は、ユングの集合的無意識を連想しました。
暗黙知に反証/実証の可能性があるのかということは気に掛かります。

754 :でこすけ:2021/12/14(火) 20:40:11.90 0.net
>>753
その「暗黙知」なるものが実体を伴うものなのか、システム程度のものなのか、
私はそういう視点で栗本の『意味と生命』を読んだことはないので
ただちにどうこうとは言えないのですが、
一方で「素粒子」は五感でイメージできるものではないということがあり、
また一方で「無意識」も五感でとらえることができないもののようで、
そしてそのふたつがどのようにしてつながるのかがよくわからない
というのが意識のハードプロブレムかもしれませんけど、
いずれにしてもそのようなものが私たちの日常の根底にある
というのが一般的な認識として違和感のないものではあろう
とも思ったりはします。
本当にそのような世界があるのかどうかギリギリのところでは証明できない
ということがあるので最後にはあやふやにならざるを得ないのですが
かと言って見えているものしか存在しないというのははなはだ不可解
のようにも思えます。
そしてここで時計さんと私とで対立することになるわけです。
現時点でとりあえず思うのは、
永久に決着はしないだろうということです。

755 :でこすけ:2021/12/14(火) 20:57:38.52 0.net
>>751
>騎手は旗手ですね。:)
>等能性ということで。
まさにそういうことだと思います。
ではこのような現象はどのようなメカニズムにより実現されるのか、
そもそも既成の世界観から整合させることは可能なのか、
あるいは「脳」はどのようにしてそのような現象を実現するのか、
ただしこれはイージープロブレムかもしれないところです。

756 :でこすけ:2021/12/14(火) 22:38:24.16 0.net
ところで鍋奉行をやりたがるのが私の悪い癖なんですが、
僭越ながら昨今話題の身づ柄氏についてです。
なんで本質でない部分でそんなに喧嘩をしているのか
私にはなんだか不可解なかんじがあるのです。

私は近頃一身上の都合でスレッドをあまり読めていないのですが
つまり私の勘違いかもしれませんけど
身づ柄氏は「こっち派」か「あっち派」かと言えば「こっち派」
のような気がするのです。
『意識のハードプロブレムの答え』における「あっち派」というのは
私が勝手に決めるんですけど、ようするに「意識は脳の産物」とする
いわばチャーマーズ派です。
それに対して時計さんも私も実は超球面さんも「はじめに意識ありけり」
「(物質としての)脳こそ意識の産物」というのがざっくり基本であって、
どうやら私の見立てでは身づ柄氏もその傾向がある様に見えるのです。
故にこのスレッドに投稿しているのだろうと思ったのですが
ただし私としてもまだまだ不明瞭です。
身づ柄氏はまさに「身」を考察しています。
彼は存在論か認識論かと言えば認識論を展開しているのであって、
以前うっすらながら「身」とは認識上どのようなものなのかについての
考察があった気もします。
「脳」は存在するものである以前に認識されたものであり
そうは言っても私はカントは正しい気がするのです。

いずれにしても御本人が本当のところでどのようにお考えなのか
私にも充分にはわかりません。
しかし私としては今後の展開に期待させていただいているものなのであります。

757 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 00:16:11.93 0.net
とても奇妙なコメントですね
それは、誰かが提示した絵画を見て、その絵画がどのような
見方を示しているのかよく分からないので、絵画を描いて
見せて欲しいというような要望するような奇妙さです

758 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 00:17:21.44 0.net
誤:見せて欲しいというような要望
正:見せて欲しいと要望

759 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 00:19:48.20 0.net
少なくとも私には、そのような要望にどのようにすれば
応えられるのか、まったく不明です

760 :呼応関係としての記号作用、あるいは神を迎え入れる空虚な社:2021/12/15(水) 10:12:26.56 0.net
「言葉は存在の家である」/»Die Sprache ist das Haus des Seins«という
のは、ハイデガーの言葉ですが、日本語で考えるなら、記号論的により
一般化して、次のように言うことができるのではないかと思ひます。

記号作用(semiosis)とは、考へる/かむ(神)か(交)ふことによって訪れる神を
迎へ入れることであり、神がそこでやす(休/安)らふことができるように
迎へ入れる社(や・しろ/代/城)が、象徴(symbol)としての「しるし(印/記/標/験)」である。

761 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 10:29:28.71 0.net
良い考えが思い浮かぶのが大抵、私が眠っている間であることも、
私自身が安らかに夢を見ている間には、日中に私の心に入り込んだ
様々な悪霊が自然に退散して、快く神を迎へ入れることができる
空虚が心という社(やしろ)に生じ得るからなのかもしれません。

762 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 10:59:34.16 0.net
無論、ここで順序を間違へてはならないでしょう。

心に生じる「空虚」/"vacuity"は、呼びかけの「〜を」によって
意に沿はない現状として指し示されるものであるのだから、
そのままでは不快となるはずだ、ところが、そこに神が訪れて、
やす(休/安)らふように迎へ入れることができる。つまり、
心に生まれた空虚(それを示す呼びかけ)が、神によって満たされる
(神の訪れによって応えられる)。したがって、快く感じられるのは、
神を迎へ入れることそのものであり、それによって実感される
心地よさは、神がそこにやす(休/安)らふことそのものである。

763 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 11:02:25.62 0.net
誤:不快となるはずだ、
正:不快となるはずだ。

764 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 11:10:09.91 0.net
そして、神を迎へ入れることによって残された社(や・しろ/代/城)を、
象徴(symbol)としての「しるし(印/記/標/験)」として他者に示す
ことができるように、言語表現としてここに書き記す。

765 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 11:34:18.37 0.net
>三三三 認識とは何か
「笑わず、嘆かず、罵ることなく、理解すること!」―スピノザは、
いかにも彼らしく、簡潔に凛として語っている。しかし、結局のところ、
この「理解する」とは、その三つすべてが一時に感じられるような
形式でないとしたら、一体何ものだろうか。
[...] 
われわれとしては、この長い過程の最後の和解の場面と最終決算だけが
意識されるため、その結果、「理解」とは何らかの和解的で、正当で
良いもの、本質的に衝動に対立する何ものかであると思い込んでしまう。
[...] 
そう、われわれの内面の闘争には、ことによると多くの見えない英雄的
行為が隠れているかもしれないが、スピノザの言うような、神的なもの、
永遠に休らうものなど存在しないのは確かなのだ。

ニーチェ、『喜ばしき知恵』、pp.339-340

766 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 11:44:02.70 0.net
スピノザは、「コナトゥス」という概念を重視しているとしても、
それを、衝突し合う「いきほ(勢)ひ」の様態において捉えるのではなく、
「いきほ(勢)ひ」が相殺されて現れる結果としての「慣性」として
しか捉えていないとニーチェは批判しているように私には読めます。
私自身は、(日本語に訳された)スピノザの表現はどのように理解できる
のかよく分からず、スピノザの著作はほとんど読んでいないので、
そのように批判することが妥当であるのかどうか判断がつきませんが。

767 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 11:54:10.79 0.net
いずれにせよ、日本語で表現される神(かみ)は、永遠に休すらふことが
願はれる場合には忌まれ、時宜よろしく訪れるときには、いは(斎/祝)はれて、
ひと時を過ごした後、再び戻っていく存在なので、「スピノザの言う
ような、神的なもの、永遠に休らうもの」に対するニーチェの批判は、
社(や・しろ)にやす(休/安)らふ神には該当しないでしょう。

768 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 12:04:37.07 0.net
ニーチェが、「この長い過程の最後の和解の場面と最終決算」と表現する
相互作用の結果も、日本語で考えるなら、「相互的な『ま(負/任)け』
の構成の暫定的な実現」として捉えることが有効であるように私には思へます。

769 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 12:22:27.61 0.net
ニーチェは、引用した文の別の箇所で
>これら一面的なもの同士のあいだで闘争が生じ、時としてそのなかから
ひとつの中点、ひとつの安定、三方向への承認、一種の公正と契約が
生まれる。< (p.339)
とも書いています。そのように「公正と契約」が均衡として生じる
とするなら、それは、それぞれの衝動が、その見出された「中点」
を介して自らの「いきほ(勢)い」を相手側の衝動に互いに「まか(任)す」
ように(したがって、自らは下に押し下げ、相手を上に押し上げる
ように)、「中点」がそのすべての衝動の作用を「あづ(預)かる」ことに
よってであると見ることができるのではないでしょうか。

770 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 12:28:12.58 0.net
まあ、あまりこのような単純化された隠喩に頼りすぎると、それに引きずられて
観察を記述しようとする取り組みが疎かになるので、注意が必要ですが。

771 :時計 :2021/12/15(水) 12:41:36.88 0.net
以上、自称便所の壁の落書きでした。

772 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 17:34:07.69 0.net
>694天(あま)の命(みこと)/mandate2021/12/14(火) 06:53:16.370
天(あま)の命(みこと)/mandateに目覚めたので、ここを「社(や・しろ/代/城)」
として「しる(記)す/し(知)らしむ」。

「『意識』、すなわち、『意を識(し)ること』の現実は、呼応関係の身体化
である『まき(牧/馬城)』=『ま(任/負)けの実行』/"fulfilling of mandate"
≒『委任統治』として現れる。」 <

このような関係性が、フランス語の表現においてもそのまま成立することは、
>>326で、サン=テグジュペリの"Le Petit Prince"/『星の王子さま』に
描かれている、王の命(みこと)に従って"Le Petit Prince"が王のもとから
立ち去る行為が、「まけ(任)のまにまに(任命にしたがって)まかる(罷)る」
という日本語によって表現されることによって示した。同様のことは、
ドイツ語の場合でも当てはまる。「命(みこと)」に相当するドイツ語は、
»Befehl«だろう。ここで、その動詞形、»be­feh­len«をDuden onlineで
検索してみると、その語源は、次のように説明されている。
https://www.duden.de/rechtschreibung/befehlen
Herkunft ⓘ
mittelhochdeutsch bevelhen, althochdeutsch bifel(a)han = übergeben,
anvertrauen, zu einem untergegangenen Verb mit der Bedeutung
„(der Erde) anvertrauen, begraben“, dann = zum Schutz anvertrauen

773 :考える名無しさん:2021/12/15(水) 17:40:49.47 0.net
ちなみに、日本語の古語の「みまか(身罷)る」という表現は、「死ぬ」
ことを意味している。このような言語表現の「論理」は、いくら
「論理学」を勉強したところで、誰も教えてくれないだろう。

https://kobun.weblio.jp/content/みまかる
学研全訳古語辞典
み−まか・る 【身罷る】
あの世へ行く。死ぬ。
出典古今集 哀傷・詞書
「妹(いも)のみまかりける時詠みける」
[訳] 恋人が亡くなったとき詠んだ歌。

774 :時計 :2021/12/15(水) 18:46:58.40 0.net
マケマケの実。
あるかもな。

775 :時計 :2021/12/15(水) 18:51:22.83 0.net
>>773
辞書を引くと、「罷る」は「死ぬ」の謙譲語を意味するらしいが。

776 :時計 :2021/12/15(水) 18:52:17.06 0.net
>>775
因みに、6つくらいの意味があった。

777 :時計 :2021/12/15(水) 19:08:56.10 0.net
>>775
正:意味し得る
誤:意味する

778 :時計 :2021/12/15(水) 19:28:44.44 0.net
やしろ
やしき
やすむ
やすい
やすらぐ
やさしい
いやす
全部、繋がっていると言えば、繋がっているだろうな。
「いやしい」の意味的反転は気に掛かるが、
「いい」が肯定にも否定にも使われることを考えるとあり得るか。

779 :時計 :2021/12/15(水) 19:42:25.13 0.net
思弁的唯物論で有名なメイヤスーの著作を2冊借りて来ました。
チャーマーズとはまた違った意味で刺激的な本になりそうです。
今、7冊借りているから、どの順番で読もうか考え中。
ポランニーの『暗黙知の次元』は、次回借りに行きます。
また、7冊程ピックアップして、年明けに借りに行くつもりです。

780 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/15(水) 22:02:37.85 0.net
決定論はwikipediaによれば、らゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している。
わたしは、時間のない状態から考えているので決定論にはあてはまらないのだが、
考えてみた。
「先行する出来事」とは「過去」のようだが、「過去」など存在しないわけで、
「現在」しかないのだから「現在の出来事」である。
時間など無いとしても、「変化」がある。一方向でも双方向でもなく、
とりあえず「可能性の空間」とすれば、その「可能性の空間」も「現在」である。
どれかに「変化」するのは確率的だとしても、それは「現在」の確率である。
もし、「未来」というものがあれば、「未来の可能性の空間」は異なるかもしれない。
ただし、保存則だけはみたすはずだ。
ゆえにw、時間があった場合、決定論は、可能性の空間自体も変化するので成り立たない。
時間がなかった場合は、最初から成り立たないw

781 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/15(水) 22:14:31.96 0.net
ま、簡単に言えば、決定論なんてω無矛盾でなければ成り立たないということ。
「現在」という体系の中では、「不完全」であるか「矛盾」するかのどちらかでしかない。
保存則を満たす体系では決定論など「存在」しない。
保存則を満たさない理由は「無い」、ということで、「保存側側を満たす体系」など
不要であり、単に「決定論など『存在』しない」といえようw

782 :時計 :2021/12/15(水) 22:43:40.62 0.net
>>780-781
標準的な決定論はそういう意味だと思いますが、
私は広義の決定論、運命論と言えるものはあると思います。
(神はサイコロを振る)
全時空間の全ての事象は決定されているという考え方です。
で、この種の決定論=運命論は自由意志と相反しそうですが、
両立する可能性について考えています。
決定論=運命論、無いかなあ。

783 :時計 :2021/12/16(木) 07:07:38.08 0.net
>>775
「行く」と「逝く」のようなものかな。

784 :時計 :2021/12/16(木) 07:42:12.51 0.net
天啓には、自=天であるのものと、他=天であるものがあって、
自由意志的であるのは前者。後者は直観のようなもの。
運命はあるともないとも言えるように思う。
そうであれば語らないことは誠実であるように思われるかもしれないが、
私は可能性のあることは語ってもよいように思う。

785 :I hand it to you:2021/12/16(木) 10:15:19.03 0.net
交換は、自らが「ま(負/任)け」るあた(能/価)ひする相手に
自らの「ま(負/任)け」を認めて、それを相手に許しとして
あた(与)ふことの相互性を基礎として成立する。

786 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 10:16:04.72 0.net
誤:ま(負/任)け」るあた(能/価)ひする
正:ま(負/任)け」るにあた(能/価)ひする

787 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 10:35:01.20 0.net
「ゆる(許/赦)しをあた(与)ふ」とは、"Help yourself"と
相手に命じることである。

788 :でこすけ:2021/12/16(木) 11:06:06.69 0.net
>>757
私は投稿するとき、読む人がどのような受け取り方をするのか
ある程度の想定はしているつもりです。
もちろんそのリアクションは想定内のこともあれば想定外のこともあります。
ただ、今回は第三者から>>756がどのようにうつるのか
その部分がちょっと弱かった気がします。
たとえば私としては何かを要望したつもりはなかったのです。
しかしそう思って読み返せば確かにそのようにも読める気がします。
ただ、このレスの内容は投稿するとき既にsirimeturetuだ
という自覚はありました。
ま、いいか、と思ったのでした。

789 :でこすけ:2021/12/16(木) 11:21:54.63 0.net
>>770
「観察」というのは、どうしたって何かに引きずられるものだと思うのです。
まったく客観的なところからの「観察」は無いということです。
しかしそのようなものに対しては何気に異様な憧れがあって、
すると何故「客観」は求心力を持つのか、その仕組みが気なります。

ところで今更なんですけど、
私は770さんが何故「ま(負/任)け」にこだわるのか
そこのところがイマイチよくわかりません。
私は「負ける」と「任す」とが同一起源の可能性はあると思います。
「スポーツ」が構造的には「統治」というのもわかる気がします。
しかし「統治」は、たとえば「いじめ」のように、
強いものが弱いものを蹂躪することも想定できると考えます。
となると「任せる」はともかく「負ける」は違うかんじがするのです。

790 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 11:40:54.79 0.net
>>789
交換と恩寵を互いに対立する概念と見なしたり、まったく別々のもの
であると考えたりする欧米の思想哲学系で主流の「贈与論」が誤った
前提に基づいているものと私には思われ、その誤りに気づく鍵が
"concede"という捉え方にあると考えられるからです。"concede"
に相当する日本語の表現を考えた場合、英語、フランス語、ドイツ語
などと比べても、「与える」こと、「許す」こと、「任せる」こと、
「負ける」ことを同一の行為の多面的な表れとして捉えることが
容易となる。
https://www.ei-navi.jp/dictionary/content/concede/
concede
認める,敗北を認める;与える

791 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 11:45:27.36 0.net
無論、英語の"concede"という表現は、そのような関係性を示すのに
好都合な一例に過ぎないわけで、他にいくらでも同様の関係性を示す
ことのできる表現が、英独仏語に見られることを、具体例を挙げて
説明してきました。>>790で示すようにネットで少し辞書を引いただけ
でも、すぐに気づくような関係性をなぜそこまで執拗に否定したいのか、
そちらの動機の方が私には分かりかねます。

792 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 11:56:19.93 0.net
永遠無限の神による恩寵のようなものを前提とするなら、そのような
捉え方が不都合になるのは明らかですが、そのような前提を暗黙に
自然なものとする「贈与論」は、そのまま直ちに全体主義のイデオロギー
(政治的に、右派、左派、新自由主義、共産主義、社会主義、無政府主義、
宗教回帰のいずれの装ひをまとっていたとしても)となる危険性を孕んでいます。

793 :でこすけ:2021/12/16(木) 11:57:29.29 0.net
>>764
「うつろ」な空間には「みたま」的なものが「やどる」という信仰が
列島社会にいつ頃からあるのか、
今回ちょっと考えてみたのですが、けっこう縄文時代に遡りそうな気がします。
『竹取物語(かぐや姫)』にはそのような信仰が背景にある
というはなしを聞いたことがありますが、
これはさらに「銅鐸」にさかのぼるという説があって、
考えてみればそもそも「土器」もそのたぐいのような気がします。
古代の製鉄に宗教性があったように
今で言う「焼き物」にも宗教性はあった気がするのです。

ただ、私も寝る前より起きた後にこのスレッドをひらくことが多いのですが
(起き抜けの方がいろいろ思いつく気がします)
しかし「知識」は本質的には「ノイズ」だというのが私の考え方の基本です。

794 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 12:00:26.31 0.net
>>793
日本の神(かみ/かむ)というのは、日本が国として成立する以前から、
既にその語源からして内部空間の反響作用をイメージさせるものだった
だろうと思われます。

795 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 12:08:23.86 0.net
ただし、このような感覚は日本語に特有で、日本に限られるものである
ということではないでしょう。空を天穹/ドーム構造として捉えることも
そのような感覚の表れではないでしょうか。

796 :時計 :2021/12/16(木) 12:18:41.38 0.net
>>785
私は、交換の基礎はwin-wInだと思います。
低価値だと気まぐれも大きいですね。昼食のメニューとか。

>>789
上司が部下に仕事を任せる時、負けているわけではないですよね。

>>790-791
紛らわしいから「任せる』という言葉が出来たのかも。

797 :時計 :2021/12/16(木) 12:25:49.38 0.net
>>796
正:「任せる」
誤:「任せる』

798 :時計 :2021/12/16(木) 12:27:51.58 0.net
>>793
>「うつろ」な空間には「みたま」的なものが「やどる」という信仰が列島社会にいつ頃からあるのか
初耳です。:)
結構言われていることなのでしょうか。

799 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 12:40:10.30 0.net
>>756
正しくは、チャーマーズが、脳からどのように意識は生じたのか問題にしたのが、意識のハードプロブレムであって、脳の産物が意識なのか、意識の産物が脳なのか、どちらにせよそれらは意識のハードプロブレムではないし、無論意識のハードプロブレムの答えではないことだけ、一応指摘しておきます。

800 :時計 :2021/12/16(木) 12:40:34.74 0.net
>>798
勾玉とかそんな感じかも。半分しかない。

801 :時計 :2021/12/16(木) 12:46:53.70 0.net
>>799
「P=NP」を証明しても、「P≠NP」問題の解決にはなるでしょう。
例えば、そんな感じでは?

802 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 12:50:53.27 0.net
>>801
P=NP」と「P≠NP」の数記号がわからないのでなんとも・・・

803 :時計 :2021/12/16(木) 12:51:21.20 0.net
>>801
「脳からどのように意識は生じたのか」という問題に、
「脳からどのようにも意識は生じない」と答えることですね。

804 :時計 :2021/12/16(木) 12:52:28.84 0.net
>>802
すれ違いましたが、>>803に説明しました。

805 :でこすけ:2021/12/16(木) 12:53:50.56 0.net
>>791
丁寧な解説ありがとうございます。
791さんのスタンスが私の中でわかった気がします。

私の動機もしくはスタンスなんですが、
どちらかというと存在論ふうな見方をしたいと思っています。
私としてはたとえば「統治」でいうと、
つまり「統治」というのをどのようなものとしてとらえるのかというと、
「統治する側とされる側とのアイデンティティを強化する制度」
というかんじです。
個のアイデンティティは内部だけでは不安定になりがちなので
外部からの要素が加わるとそれを維持できる可能性が高まる、
たとえば筋肉は使わなければだめになりますが、
使うというのはスポーツをするとか、日常生活をするとか、旅行に行くとか、
つまりDNAに無い要素によって実現されます。
人格も同様に維持されるためには様々な外部要素が必要になり
「統治支配」などもその一つ、というのが私の考え方です。
このとき統治する側もされる側も相手に対して表層意識レベルでは
「負け続ける」ということがあったとしても
解釈としては(あくまでも解釈としては)「勝ち続けている」
とすることも可能のように思われ、
ただ私にしてみればそれはどちらでもよかったというのが率直なところです。
ですから791さんの主張を否定するつもりはありません。
「私は悲劇の主人公」というアイデンティティはむしろそうとう強固に思えます。
「統治」という構造の中でどちらの立場にあったとしても
自らを「敗者」と位置づける傾向があるとすれば(しかも人類普遍的に)
それはたいへん興味深いことのように思えます。

806 :時計 :2021/12/16(木) 13:00:36.90 0.net
>>805
えーっと、統治される側も「負け続ける」んでしたっけ。
統治する側が「負け/任け」続けるという話だったのでは?

807 :時計 :2021/12/16(木) 13:04:56.47 0.net
>>806
統治と被統治の関係をある種の交換(負け/任け)と
見るということでしょうか。
私は前述の通り交換の基礎はwin-winと気まぐれだと思いますが。

808 :時計 :2021/12/16(木) 13:16:02.58 0.net
>>807
しかし、100円でチョコレートを買ったとして、
win-winの関係で見ることもできるし、
お互いにお金と商品を負け合ったということもできるかもしれませんね。
何かネガティブな感覚ですが……

809 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:17:52.40 0.net
>>803
脳からどのようにも意識は生じないという認識は
どのようにに生じたのかという問いに、何一つ
応答していないので正答に値しませんね。

810 :でこすけ:2021/12/16(木) 13:20:11.60 0.net
>>798
ソースがはなはだグダグダなので>>793では触れなかったんですが
私が聞いたのは芥川龍之介の『羅生門』付近だったと思います。
あの話が平安時代だったかもっと前だったのかさえ覚えていませんけど、
そのくらいのころの屋根付きの門の屋根の下には部屋があって
そこは神的なものが宿るためのスペースだったというのです。
うつろな空間に霊が宿るの例としてかぐや姫と一緒に桃太郎
が挙げられていましたが、これはちょっと無理がある気がします。
これが一般に言われていることなのかどうかはわかりませんけど
私個人は子供の頃、天井裏や縁の下は霊的な空間として認識していた記憶が
あります。
とにかく今回「かみ」の語源が音にまつわるものだというのは大収穫の
ような気がしてホクホクです。

811 :時計 :2021/12/16(木) 13:20:26.91 0.net
>>809
そうですかね。私は答えの1つだと思いますよ。

812 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:21:07.64 0.net
>>807
そこが根本的な違いでしょうね。私は、"win-win"が交換の基底である
とは思ってはいません。英語で表現するなら、
"Help yourself as I do myself so that perhaps we may be able
to help each other"という容認が相互に成り立つことが、交換に
よる協力関係が生じる基底ではないかと思っています。

813 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:22:08.27 0.net
>>811
思うのは自由なのでなんとも・・・

814 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:22:36.48 0.net
誤:思ってはいません
正:思っていません

815 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:25:07.98 0.net
>>812
より分かりやすく言い換えるなら、既に述べたことの繰り返しですが、
交換の基礎とは、相手に許しを与えることの相互性です。

816 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:27:43.18 0.net
統治支配とは、その、相手に許しを与えることの一方向化なのです。

817 :時計 :2021/12/16(木) 13:29:35.44 0.net
>>810
語源というのは遊びだったりもすると思います。
例えば、紙は神とはあまり関係ないと思いますが、
例えば、それは加未とかで、音は同じで面白いということも
理由であり得ると思います。
神の語源は何でしょうね……
でこすけさんの言う音の語源とはどういうものでしょうか。

818 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:34:42.57 0.net
例えば、人々が政府に税金を納めるとき、人々は政府にお金を贈与して
いるわけでも、収める税金と引き換えに政府の公共サービスを購入して
いるわけでもないでしょう。

819 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 13:39:35.49 0.net
私は、神(かみ/かむ)の語源は、「鑒(/kˠamH/)」の発音の語末を
開音節に移したものだと考えています。「鑒」は「かがみ」ですが、
この語源は、「かがみ(鏡)」がご「神体」とされることにも関係しているでしょう。
https://en.wiktionary.org/wiki/

820 :でこすけ:2021/12/16(木) 13:43:29.11 0.net
>>806
あれ?
私の認識では普通は統治する側が勝っていて統治される側が負けているんだけれども、
じつはどちらも互いに負けあっているというはなしだと思っていました。
私としては群れをつくる動物の大多数の個体は従属タイプで
リーダータイプは5%くらいという説を聞いたことがあったので、
あるいはオスがメスの亜種であるように
リーダータイプは従属タイプの亜種にすぎない、
たいていの人間は支配者であっても土鈴根性が根底にある、
そういうことかなと思いながら読ませていただいていたのです。

821 :でこすけ:2021/12/16(木) 13:52:21.38 0.net
>>815
私には815さんがそのように考えるのは815さんの個人的な資質
のように思えるのです。
私は仕事がら日々多くの人に接しますけど
本当に底意地の悪い人はこの世に実在すると思っているのです。
世界が自分を中心に回っていると本当に信じ込んでいるやからです。

822 :時計 :2021/12/16(木) 14:01:33.38 0.net
>>812,815
確かに、交換は相互に許しを与えていると言えそうです。

>>813
そうですね。:)

>>816
統治者を選挙で選ぶことも許しを与えることでは?

>>818
公共サービスの購入と言えないことはないように思います。

>>819
私は「鏡」の「か」と「が」の連続性は
画を映していることを示しているように思います。
だから、「ななみ」とかでも悪くはなかったかなと。:)

823 :時計 :2021/12/16(木) 14:03:00.51 0.net
>>820
「負け=任け」という話ですから、それは統治者からの行為を
指しているように思いました。

824 :でこすけ:2021/12/16(木) 14:14:18.38 0.net
>>799
これはちょっと訂正しようと思っていたんですけど
すっかり忘れていました。
訂正というかニュアンスについてはもっとこだわった方がいい気がしたのです。

「脳が意識の産物」というと「脳」がまるで実際に存在するもの
であるかのようですけど(時計さん的にはひとことあるとは思いますが)、
つまりニュアンス的には極端にいうと「脳は意識が生み出した幻想」です。
また、「意識を生み出すようないわゆる物質としての脳は存在しない」
これが「こっち派」の意識のハードプロブレムのひとつの答え
になりうるのではないかということです。

825 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 14:15:13.22 0.net
>統治者を選挙で選ぶことも許しを与えることでは?

選挙で選ばれるのは、形式上の統治の主権者である国民から
権限の行使の委任を受けたその代理人です。実際に、そのように
機能しているかどうかはまた別の話ですが、なぜそのような
形式がとられているのか、その形式と実際の政治的な権限の
行使はどのようになっているのかを適切に記述することが
大切です。

826 :でこすけ:2021/12/16(木) 14:17:00.14 0.net
>>824
ちなみに「幻想としての脳」はあると思っています。

827 :でこすけ:2021/12/16(木) 14:19:44.94 0.net
>>826
ちなみに「幻想としての脳」はあると言い得ると思っています。

828 :でこすけ:2021/12/16(木) 14:37:11.02 0.net
>>823
私は「統治」というと、本来はもっと普遍的なものだとは思うのですが、
故に「統治」と「統治支配」とを使い分けたりもするんですけど、
とにかくどうも政治的なイメージが強くあります。
すると運営側は非運営側にひっくり返されたりすることが時々あります。
私は本当のイニシアチブは非運営側にある気がするのです。
しかしそれを言ってしまうと身づ柄さんと対立しなくなってしまいます。
私の目的はそういった一連がどのようなプロセスで起こったのか
それを解明することではなく、
じつはその解明のやり方を明らかにすることです。
目下、どうやったら謎が解けるのかさえわからない状況です。
とりあえず手当たりしだいに何でもやってみたい
今日は久々の遅番なので、ちょっとテンションが上がっているのです。

829 :でこすけ:2021/12/16(木) 14:52:52.66 0.net
>>819
おそれいります、しかしもう少しご説明いただかなければピンとこない
(英語が読めればまた別かもしれませんけど
 しかしとりあえず「鏡」が数千年数万年も遡る気がしないのです)
というのが率直なところです(お願いしているわけではありません)。
それに「音」とのかかわりも不明です。
私は子供の頃、真っ暗闇の中で聞く木々のざわめきや小川のせせらぎに
霊的なものを感じたという経験を思い出して
「“かみ”の語源は音に通じる」というのに闇雲にリアリティを感じたのでした。
しかしチョッカン的にはやっぱりつながりそうな気がするので
少し模索してみたい気持ちです。

830 :時計 :2021/12/16(木) 15:15:56.58 0.net
>>825
そうですね。よく考える必要はあると思います。
私は有権者の試験を作ったらどうかと思うことはあります。
自動車の免許のように、多少の努力で誰でも取れるようにしたら
デメリットは少ないと思います。

>>828
私は政治のイメージというか、政治の話かと思いました。:)
人ではなくシステムが統治するという話は小説等にありそうですね。
最近は改憲は話題になっていますが、そもそも憲法の全文を
読んだことのある人はどれくらいいるのでしょうか。
私も流し読みでしたから、自戒も含めてです。

831 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 17:11:04.09 0.net
選挙の開票結果は、よく「国民の声」などと言い換えられることが
ありますが、「投票」は、英語で"vote"であり、語源的に"vote"は、
"vox populi"/「民の声」ではなく、"vow"と共通して「誓約」である
ようですね。すると、人々は自分の声を届けたくて投票していても、
選挙制度を運用する側は、政党や政治家が掲げる政策に(選挙後、
それがどのように実施されることになるにせよ)対する投票者の
「誓約」と見なしているのかもしれません。実際、中米や南米
などの「ポピュリズム」とされる政治では、選挙はそのように
運用されているのではないかという気がします。

832 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 22:46:54.84 0.net
>>824
解説お疲れ様です、しかしながらなにをいっているのかさっぱりわかりません、
なりうるのかどうかも私の感知するところではないのでなんとも・・・

833 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 23:48:16.63 0.net
>>794-795
> (Die Poeten zum Beispiel waren immer die Kammerdiener irgendeiner
Moral). – Es versteht sich von selber, daß auch diese Tragöden im
Interesse der Art arbeiten, wenn sie auch glauben mögen, im Interesse
Gottes und als Sendlinge Gottes zu arbeiten.<
http://www.zeno.org/nid/20009250492

例えば、私は、上に引用したニーチェの»Kammerdiener irgendeiner Moral«
という表現の»Kammerdiener«に日本語の「神(かみ/かむ)に仕へる者」という
表現を空耳してしまうのです。そしてそのような空耳によって生じる
イメージは、「必ずしも間違っていない」どころか、ニーチェが伝へよう
とするイメージとうまく合致しているのではないかとすら感じられるのです。
というのも、»Kammerdiener«は、»Kammer«+&#8206;»Diener«と分解され、
»Kammer«は、英語の"chamber"(そう、「エコー・チェンバ―」の
「チェンバ―」です)と語源を同じくし、»Diener«は、「つか(仕)へる者」
を意味しているからです。しかも、ニーチェは、それに続いて、その
ような者たちが、自らを»Sendlinge Gottes«、すなわち、
「神(かみ/かむ)のつか(使/遣)ひ」と思ひなしていると述べています。

834 :考える名無しさん:2021/12/16(木) 23:53:54.07 0.net
>(例えば詩人はいつでも、ある何らかの道徳の臣下であった) ― 彼ら
悲劇役者たちも、自分たちは神のために、神の使者として働いているのだ
と信じていても、やはり種の利益のために働いているのは明らかである。<
ニーチェ、『喜ばしき知恵』、p.61

835 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 02:02:10.22 0.net
脳が幻想ってまだ言うてるのかw

836 :でこすけ:2021/12/17(金) 09:11:01.68 0.net
>>835
そこでうかがいたいのですが、
「幻想では無い」というのはどういうことでしょうか?
ちなみに私は「共同幻想」としています。
たとえば「国家」や「貨幣」を「共同幻想」と言ったりしますけど、
あるいは835さんが想定する「幻想」とはどのようなものでしょうか?

837 :でこすけ:2021/12/17(金) 09:52:43.58 0.net
>>833
まったく当てずっぽうな話なんですけど、
私には古代ギリシアや古代エジプトなどの迷路のような神殿も
同じような感性にもとづくもののような気がします。
確かフォーククルセダーズの『帰って来たヨッパライ』では
神様の声のところにエコーがかかっていましたが、
あるいはそういうところにもつながるのではないかとか思ったりします。

一方で「訪れる」というのは「音-擦れる」ということなのではないか
という説を聞いたことがあります。
察するに何百年も昔は本当に静かだったでしょうから
聞き慣れない足音や息づかいにも敏感だったのではないか
というのです。
あるいは言霊信仰というのもありますが、
古代人にとって音とか声とかにはそれ自体に霊的な要素があったのかもしれない
などと空想したりもします。

838 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 10:00:09.64 0.net
>>833-834
»Kammer«は、"chamber music"が「室内楽」であるように「内部空間の響き」
を感じさせる表現でしょう。詩人が»Kammerdiener«であるとするニーチェの
言葉の選択には、詩人は、言葉という「内部空間の響き」に仕へる者である
という感覚が働いているのかもしれません。実際、他の箇所でニーチェが
詩について述べていることから、ニーチェは、詩を詠むことは、言葉の
韻律によって神に働きかけようとする行為、さらには神に対して強制力さえ
働かせようとする行為に起源が求められると考えていたことが分かります
(ニーチェ、『喜ばしき知恵』、pp.157-161、「八四 詩の起源について」)。

839 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 10:07:50.19 0.net
古今集仮名序
力をも入れずして天地(あめつち)を動かし
目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ
男女(をとこをむな)のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

840 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 10:16:44.38 0.net
この思索は自然と、「詩の起源について」⇒「言語の起源について」
⇒「意識の起源について」という歩みを辿ることになるでしょう。

841 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 10:22:42.66 0.net
そこから「意識の起源について」まで思索することは、上流に遡ること
ですが、逆に下流に下っていくと、「自分たちの声が政治にまったく反映
されていない」、つまり、「自分たちの声には何の響き/効果もない」
と人々が感じている現在の政治問題につながるのではないでしょうか。

842 :でこすけ:2021/12/17(金) 11:17:30.19 0.net
>>817
>でこすけさんの言う音の語源とはどういうものでしょうか
とりあえず上流からですもちろん私の勝手な持論です:)
貨幣と交換との起源は別とする栗本派の私としては
発音とコミニュケーションとの起源は別と考えます。
すると先日話題になった呼びかけとしての「wo」というのは
リアリティがある気がします。
「呼びかけ」は言語的な活動の最も基本的なもののひとつに思えるのですが
「wo」はサルでも発音できそうな印象があるためです。
それに対して「na」とか「ma」とか「ra」とかは
あとからできた発音のような気がします。
始めは意味もなく発音していたと思います。
そして今でも子供たちの間で意味のない遊びがやがて広まったりするように
しかし発音がコミニュケーションツールとして機能し始めると
むしろ加速して普及する気もするところです。
何故「発音」と「概念」とが結びつくようになったのかというと
ナントカって病状にありがちな、たとえば音から色をイメージしたりするやつ、
そしてサンタクロースのイメージカラーが何故かコカコーラで落ち着いたような
暗黙の共同幻想的なものが背景にあって‥
つまり私としては説明がグダグダになるんですけど
そういったことは世界中で同時多発的に起こるとは思います。
つまり偶発性も大いにありそうな印象です。
そこで懸案の「おと」という日本語の起源なんですけど
私にはまったく見当がつきません。
ただ「おと」と「こえ」とでは概念としては「こえ」の方が古いような気は
します。

843 :でこすけ:2021/12/17(金) 11:20:55.88 0.net
>>842
やっぱり貼っておきましょう
https://m.youtube.com/watch?v=DXcH-NKcJew
 

844 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 11:31:41.73 0.net
したがって、和歌において詠まれる「いき(息/生)の『を(緒)』」、
「たま(魂)の『を(緒)』」も、意の呼応関係における呼びかけの
「〜を」/《vouloir》であり、詩歌は、「応へを求めるその声が、
応答によって満たされないままとなっている『空虚な現状』」を
指し示す意識の言語化として詠まれているのです。それゆゑ、
その「空虚な現状」を指し示す意識の言語化としての詩歌を
至高のものとして美化することを「みづから(身づ柄/自ら)」が
引き受けるなら、それは、そのままニヒリズムに導かれること
になる。

845 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 11:47:08.48 0.net
ところで、ニーチェが重視しているのは、あくまでも、「意(の呼応関係の
実現を志向すること)」であって、「意識」ではない。ましてや、「意識」と
対比されるものとして概念化された「無意識」などではない。そのことに留意
することは、ニーチェの言説を大きく読み誤らないために大切でしょう。

846 :でこすけ:2021/12/17(金) 12:02:29.80 0.net
>>830
>私は政治のイメージというか、政治の話かと思いました
普通は「統治」と言ったら政治の話だと思います。
にもかかわらず私は何故かもっと違うことの例え話だと思っていました。
私としても始めから私が推してきた階層論だと思っていたので
すっかりその気でいたのです。
一方で832さんには「何を言っているのかわからない」
と言われていまいましたけど、
自分だけ違う世界にいるのかな、とか思ったりします。

そういうわけで、私は世間の「選挙には行かないとイカン」みたいな風潮には
はなはだ違和感を感じます。
下流の話になります引き続き私の勝手な持論です:)
まず大前提としてデカいことを言うんですけど
私は日本人の政治観はヨーロッパ的なものを取り入れて以来
大きく歪んだと思います。
その前がよかったのかどうかはじつはわかりませんけど
今一般に信じられているものは合理性に欠ける印象があります。
ヨーロッパ的な政治観は司法を行政から切り離すところからも見て取れるように
キリスト教的な(世界の終わりに裁判をやるというようなローカルな)価値観
にさえ基づくものであり、
より合理的な制度が検討し得るのではないかと考えるのです。
たとえば選挙制度もはなはだ不合理に思えます。
せっかくなので「国民の声」についていうと
それはこちら側から届けるものではなく
政治家が察するべきものだと考えます。
このとき問題になるのは、如何にすればそのような政治家をコンスタントに確保
できるのか、つまりそのためのシステムづくりだと思います。
このときシステムというのは制度であったり風潮であったりするものです。

847 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 12:11:18.38 0.net
>>841
「誰にどのように投票したところで、自分たちの声が政治にまったく反映
されない」、「自分たちの声には何の響き/効果もない」と人々が感じるなら、
人々が選挙で投票することに無関心になるのは自然なことです。これを
「民主主義の危機」などと呼んで、いくら投票を促すように働きかけた
ところで、人々が、「投票は自らの意見を声にして表明して、政治に
反映させようとすること」であると認識し、「自分の声は無力である」と
実感しているなら、わざわざ投票所に足を運ぶ人が増えることはない。
そこで、「民主主義を守ることは国民ひとりひとりの義務であり、投票
することがその義務を果たすことだ」などと言って、投票を義務化する
ことは、その語源においてだけでなく、制度上も「投票」/"vote"を、
実質的に「誓約」として規定することになる。すると、投票行動に
おいても、まともであるとされるのは、選択肢として示されたいずれか
の党派性なり、政策なりに、自らが誓約することであり、白票を投じる
ことは、誓約することを拒絶する行為と見なされることになる。
そのような選挙制度の運用のされ方は、「民主主義制度」に基づく
とされる政治が行われている国々でも、実際にしばしば見られることで
しょう。私には、そのような「民主主義制度」の運用は、人々を容易に
全体主義的な統治支配の下に置くことになる、極めて危険なものに
見える。

848 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 12:20:43.23 0.net
ニーチェは、一方で、詩をパロディによって笑いに変え、他方で、
いかなる党派性や思想にも自らが誓約することを拒絶する。
その思索の歩みは、一見、何か極端な思想を目指しているように見えて、
その実、道徳の美学化によるニヒリズムを拒否し、政治や宗教の党派性に
自らがコミットすることも拒絶することにおいて、極めて中道的
(「中動態」的などではないので誤解のないよう)であると言える。

849 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 12:38:42.03 0.net
>>848
ニーチェの歩みとは真逆のこと、つまり、一方で、詩を至高のものとして
美化して賞賛し、人々を道徳の美学化によるニヒリズムに導こうとし、
他方で、政治や宗教の党派性に自らコミットするように人々を誘うことを
一緒に組み合わせたような言説を展開している人が、現代の思想哲学の業界にも
大勢いるのではないかという気がします。

850 :でこすけ:2021/12/17(金) 13:15:46.80 0.net
>>847
>(前略)極めて危険なものに見える
私は基本的には天邪鬼なので、こういった指摘があると
これまたちょっと違う感があるのです。
いや、私も関心は大いにありながらしかしこの話題はスレチですから
よその相応のスレッドに行って徹底的にやってみたい気持ちもあるのですが、
というのは日本の社会に問題がなければ政治改革的な必要はないけれども
私の周りだけなのか状況はむしろそうとうヤバいかんじがあって、
しかし、はっきり言えば手遅れのようなかんじがあるのです。
選挙に行く以前に世の中を変えようとする行動自体が無駄な気がします。
というのは政治を安定させるのはたぶんゲーデルの理屈からすると政治の外側であり、
たとえば権力の暴走を防ぐために議会制とか権力分立とかやっても
悪意のある天才からしてみればどうにでもコントロールできるのであって、
もちろんそういう天才は滅多にいないとしても
ようするに社会を安定させるのは最終的には制度ではなく人間だということです。
民度が低ければ自動販売機は成立しない理屈です。
では日本はどうなのか、
先日身づ柄さんから「正しい日本語を教育するべきだ」
というような投稿がありましたけど、
私としてもやっぱり言葉には人間性が現れるものだと思っていて、
一方で私は昔の日本語、たとえば「うつろ」とか「みたま」とか「やどる」とか
そういうものは綺麗な言葉のような気がするのですが、
その他方でネットスラングなどは知性やセンスならあるもの
基本的には退廃的なイメージがあります。
退廃は取り繕っただけでは済まない
取り返しのつかないところまで来ている気がするのです。
君主制であっても君主も市民もみんないい人なら安定するし、
民主制でもだめになるときはだめになるという
ありふれた結論になってしまいました。

851 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 13:41:38.67 0.net
>>836
横になりますが、多い描いた想定を
真に思い込んでしまうのが幻想で、
他人もみんな同じように幻想していると考え
「共同幻想」としているという発言になるのは
特徴的といえるかもしれません。
「幻想ではない」とは
例えば認識が事実に基づいた想定の場合
を言います。
846に絡めるなら、自立的に統治されえない
認識は幻想に陥る危険性を孕むのではないかと。

852 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 13:42:03.02 0.net
多い描いた×
思い描いた○

853 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 14:55:50.14 0.net
>>835
そういう疑問はどこから出てくるのだ?
疑うものと信じるものをごっちゃにするといつまでも知りたいことが知れないぞw
専らお前は他人を混乱させるのが目的みたいだがw

854 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 14:57:24.74 0.net
>>853>>836あてなw

855 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 15:06:03.34 0.net
>>850
そもそも選挙なんて飲み会の幹事の延長だぞw
居れば個が集になって社会が合理的に進むがいなければ個が個のままなだけだw
個の損得勘定で幹事を選ぶか選ばないかだけだw

856 :時計 :2021/12/17(金) 15:11:46.77 0.net
今更になりますが、>>771の悪態は少しキツかった。
関係者に迷惑を掛けたと反省しています。御免。

857 :時計 :2021/12/17(金) 15:23:49.13 0.net
>>842
「wo」はサルでも発音できそうというのは納得。
言語ゲーム的に考えると、
言語の発生は自然的にあり得るかなという気はします。
「おと」と「こえ」、どちらが古いのか。
概念的には明らかに「おと」が古いでしょうが、
言語としては解らないですね。

>>846
階層論の話としても解釈できるかもしれませんね。
私は無投票も投票の1種だと思います。
寧ろ、分数の投票を認めるべきではと思います。

大衆の欲望に任せた結果が戦争でしょう。
市民が攻撃されたら堪らんということで大戦は終わりましたが。
積極的に戦争を終えたわけではないように思います。

858 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 16:38:02.96 0.net
>>856
気にすることはありませんよ。学問の世界では、そんな発言より
はるかに酷い扱いを受けます。罵詈雑言を浴びせられ、人格を
否定されたうえに、それを書くためにどれほど多くの時間と
労力が注ぎ込まれていたとしても、何も書かなかったことにされ、
それだけならまだしも、何か使えることが書かれていれば、
他人名義で勝手に使われるのです。だから、「便所の壁の落書き」
というのは、かなりポジティブで楽観的な表現なのです。
そこへの書込みは、最悪、すぐに消されたとしても、それを
不特定多数の人が既に目にしてしまったなら、その効果まで
完全に消し去ることはできない。さらに、書込みに罵詈雑言が
浴びせられた場合でも、何の強制力も働かず、しかも、
書込みが匿名である限り、人格攻撃をしても効果がない。

859 :時計 :2021/12/17(金) 17:30:32.53 0.net
>>858
ポジティブな意味合いもあるんですね。
貴方の考え方が少し理解できました。
東浩紀氏とか大澤真幸氏とか学会の外で活動する人もいますよね。
今後、学問のあり方も変わって行くのかなと思います。

860 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 18:17:16.88 0.net
基本的にこいつは正論から逃げていつまでもいいわけしとるw

861 :時計 :2021/12/17(金) 18:48:28.46 0.net
>>860
え? 私のことでしょうか。

862 :時計 :2021/12/17(金) 18:49:08.48 0.net
>>860
正論から逃げるとは?

863 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 19:00:43.53 0.net
正論ってどれ?
あんましよく読んでないのでw

864 :時計 :2021/12/17(金) 19:05:38.13 0.net
>>860
一番困るのは貴方が858さんである場合ですね。
文体的に違うと思うけど。
この辺りは名無しさんの限界かな。

865 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 19:20:50.63 0.net
ハンドルすら無いひとの意見は無視するのが正論およびセオリー(さらにはマナー)ですがな。
木にすることありません。(誤変換がおもしろいのでそのママ)

866 :時計 :2021/12/17(金) 19:25:46.18 0.net
>>865
そうなんですか。:)
まあ、話が続いているとか、特定できる時はありますが。

867 :時計 :2021/12/17(金) 19:32:38.96 0.net
メイヤスー、1冊読み終えました。
思弁的唯物論ですが、ハードプロブレムとの関連はどうなんだろう。
「メイヤスー ハードプロブレム」で検索すると、
このスレッドの13が3番目にヒットしました。:)
美魔女さんが発言していたみたいで。
それくらい情報が少ないということですね。

868 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 19:37:22.39 0.net
「脳」は「幻想」です。
それは、「そのようなものは存在しない」とか、そういうわけではありません。
「脳」という「概念」が「幻想(=概念)」なのです。
「存在」というものは、「存在公理」あるいは「無限公理」として体系外から与えられるものなのです。
体系内においては「幻想」でしかありません。

869 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 19:39:49.23 0.net
>>866
「特定できる」ということが「幻想」ですよw
それは体系内において「幻想」でしかありません。

870 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 19:42:58.73 0.net
まさに「誤読と幻想」なのです。
インディアン・ポーカー(自分では知っているわけですが、たいていは忘れたまま議論しています)
としてハンドルに掲げていますw

871 :時計 :2021/12/17(金) 19:50:29.26 0.net
>>869
確かに、幻想ですね。

>>868,870
私は脳は実在すると思いますが。
ただし、極めて主観主義的な実在ですが。
幻想と言ってもいいのかな……

872 :時計 :2021/12/17(金) 19:55:39.35 0.net
メイヤスーの言う唯物論は次のようなものらしいです。

1. <存在>は、思考とは分離され、また思考から独立している。
2. <思考>は<存在>を思考することができる。

これは主観主義と両立できそうな気はします。

873 :時計 :2021/12/17(金) 19:57:18.53 0.net
>>872
1は厳しいのかな……
よく考えます。

874 :時計 :2021/12/17(金) 20:06:13.15 0.net
>>872
1に関しては、思考と分離された存在は、
それが有るという限り、思考の内側に有るように思います。

875 :時計 :2021/12/17(金) 20:07:19.71 0.net
メイヤスーは魔法使いみたいで面白いけどね。

876 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 20:35:47.59 0.net
>>872
1は、それを語る以上、2に含まれてしまいます。
語れなければそれは「存在」ではなく「実在」です。
メイヤスさんはいまひとつマヌケなところがありますね。
翻訳の問題かもしれません。
1が「存在」ではなく「実在」であれば、問題ありません。
1が原文でも「存在」であれば、マヌケです。
「存在」は「思考」から分離できません。
分離できないにもかかわらず「実在」という無理やりな概念はありますが、
語られた「実在」は「実在」という「存在」です。
「無」は「無い」のだから「語れない」のと同じですw
語られた「無」は「存在」してしまいます。
このような公案では師匠をぶん殴って構いませんw
ただし、ぶん殴ったあとに気の利いた一言が必要ですけどね。

877 :時計 :2021/12/17(金) 20:42:46.47 0.net
>>876
もしかしたら、<存在>は物自体のことかもしれません。
そうすると1のように思考と分離しますし、
2のように思考できるということが
相関主義批判(カント的な哲学の批判)になります。
そうだとすると、多分原文でも<存在>でしょうね。:)

878 :時計 :2021/12/17(金) 21:00:40.84 0.net
>>877
適当なことを言いました。
物自体は思考可能で認識不可能というのがカントの主張ですね。

879 :時計 :2021/12/17(金) 21:05:38.64 0.net
>>876
原文で「実在」の線は多分無いかな……
メイヤスーの株を下げてしまった。:)

880 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 21:25:29.63 0.net
結局、フランス語でも、「存在」と「実在」の区別はなかったw
ま、メイヤスーは思弁的実在論なのだから、そこは「実在」という意味での「存在」であろうw

881 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 21:29:48.25 0.net
よく考えると、思弁的実在論なのだから、単なる「存在」でよい。
思弁的実在=仮想現実=ふつーの意味での存在
こういってしまうと元も子もないw

882 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 21:32:54.10 0.net
もっと元も子もないいいかたをするならば、
思弁的実在=仮想現実=ふつーの意味での存在 =「幻想」w

883 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 21:42:49.87 0.net
>>868
じゃおまえの存在してるものって何?

884 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 21:44:12.73 0.net
こいつら一人一人のルールや設定がまちまちだから収拾がつかないだけだろw
いつも似たようなことをほじくり返してわけがわからなくなってるだけだからw

885 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 21:44:46.68 0.net
は!
「脳」が「幻想」であり=「思弁的実在」であれば、
パラドキシカルな存在であるw
この「矛盾やパラドックス」と闘う「防衛機制」が「意識」だ。
(狭義の)意識のハードプロブレムの答えは、「脳が集合論的(矛盾許容)装置」である、ということでよさげ。
ただし、工学的あるいは計算機科学的な見地。

886 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 21:46:09.23 0.net
コテつけてるのって拗らせてますって言ってるようなものだからなw

887 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 21:47:31.70 0.net
>>885
全然違うぞw

888 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 21:49:49.54 0.net
存在とは(広義の、あるいは、一般的)「存在公理」∃x(x=x)に従うもの。

889 :でこすけ:2021/12/17(金) 21:50:32.76 0.net
>>851
率直なご意見ありがとうございます。
お若い方でしょうか、私としては「特徴的」という表現が意外でした。
じつは「共同幻想」というのは吉本隆明の『共同幻想論』を意識したもので
むしろ今更のカビが生えた概念だと思っていました。
あるいは隔世の感というやつでしょうか、恐縮です
(851さんの意図はそういうことではないかもしれませんけど)。

>思い描いた想定を真に思い込んでしまうのが幻想
私は度々「冷蔵庫の中の牛乳」を引き合いに出して物質を考察してきました。
「牛乳(物質)」というのは冷蔵庫の中の灯りのようなもので、
灯りは扉が閉まっているときは本当は消えているにもかかわらず
引き続きずっと灯りっぱなしのような錯覚がありますが、
同様に牛乳も扉を閉めてからもそこに存在し続けるような感覚は錯覚
というのが私の考え方です(私の完全オリジナルではありませんけど)。
たとえば牛乳の味は牛乳自体にあるのではなく、舌の上でさえなく、
意識の中だけにある、
つまり冷蔵庫の中(意識の外)には無いもののように考えられます。
冷蔵庫の中にある気がするのは気のせいです。
となると牛乳の味とはまさに851さんが言うような「幻想」です。
また、そのようなものは、もし他者のものと厳密に比較することができる
のであれば、80億人が全員微妙に認識がことなることにもなるでしょう。
このとき誰も「本当の姿」を認識している人はいないというのも
それを幻想とする理由です。

さて、しかしそうは言ってもやっぱり扉が閉まっている冷蔵庫の中には
扉を開けたとき私たちが牛乳として認識する「何か」が入っているはずです。
それはどのようなものでしょうか、
その答えは意識のハードプロブレムの答えとつながるものであろう
と私は考えます。

890 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 22:16:17.78 0.net
「脳」が「(公理的)集合論装置」あるいは、その一部だけを表現した
「無限(公理)エンジン」であれば、意識のハードプロブレムの答えとなる。
無限公理からは存在公理を導出できるため、「存在エンジン」でもある。
「存在」を「幻想」とするならば、「幻想エンジン」でもあるw
「装置」という表現に戻すならば、(脳=)「幻想装置」!
集合論のパラドックスと闘う「防衛機制装置」だ。
これが防衛機制としての「意識」をうみだしている。

891 :でこすけ:2021/12/17(金) 22:17:59.41 0.net
>>855
一応ですが、
私は選挙制度や代議政治に問題があると思っているのではなく
もっと合理的で実情に合った制度なりが可能なのではないか
ということを言っているつもりです。
その昔、禁止薬物の不法所持をしていながら「法律を決めたのは俺じゃない」
と言い放った俳優がいましたが
言っていることは確かにそのとおりなわけです。

892 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 22:22:57.14 0.net
>>889
な、読むだけ無駄だろw

893 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/17(金) 22:39:01.25 0.net
というわけで、わたしは意識のハードプロブレムの答えを得ましたw
リーマンゼータ関数と関連付けられそうですね。
週末はそっち方面の文献あさり。
ゼータの深みは無限にあるので、そこは存在確率1の超球面で回避できそうな気が。
直観ですけどね。わくわくしてます。

894 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 23:06:25.83 0.net
>>891
で、それをどう合理的に解決するのだ?

895 :でこすけ:2021/12/17(金) 23:11:36.90 0.net
>>893
続報お願いします!

896 :考える名無しさん:2021/12/17(金) 23:12:31.88 0.net
>>889
冷蔵庫の中の牛乳を引き合いにした考察ですが
考察中の牛乳の味について意識しているので意識の中に
だけあると錯覚するかもしれませんが、牛乳は冷蔵庫の
中にあるとかないとか、扉をを開ける開けないに関係なく

事実、口に入るまで、その牛乳の味を意識することは
できないですよね。だから意識の中にあるじゃないか
とかいう事ではなく、意識の中にしかないという考えが
幻想だと言えるということです。
なので、冷蔵庫の扉を閉めたら牛乳が無くなる
という考えも幻想です。

味覚の感じ方も、人それぞれなので、その人が
事実味わっている時の味が、その人にとって本当の
牛乳の味なだけです。
同じ人が同じ牛乳を飲んでも、体調や、前に食べた物などで
味覚の感じ方は変わることもありますし
他人の味覚と牛乳の味に対する認識が異なったとしても
味覚が異なるだけで、それは幻想ではないです。
それがなぜ幻想の理由になりうるのかわかりません。

扉を開けたとき、でこすけさんが牛乳として認識する「何か」
は認識違いがなければ、何かではなくて牛乳パックに
牛乳が入ってます。

897 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 00:38:04.62 0.net
牛乳飲んだことがないやつの意識に牛乳の味なんてあるわけないのになw

898 :でこすけ:2021/12/18(土) 00:56:44.69 0.net
>>896 ご丁寧にいたみいります
>意識の中にしかないという考えが幻想
私としては逆に「意識の中にしかないわけではない」とお考えになる理由
をうかがってみたいです。
一般的には有るのか無いのかは確定できないことだと思うのですが
故にテキトーでも良いと私は思います。

ちなみに私が「意識の中にしかない」と考える理由ですが、
これについては「誰もいない森の中で木が倒れたとき音はしているのか」
という問題の方がわかりやすい気がします。
結論としては私は「音はしていない派」ですが、
ようするにラジオ局が放出する電波が音ではないように
つまり電波は変換機で変換して初めて音になるように、
空気の振動も変換しなければ音ではないと考えるためです。
音は意識の中でのみ鳴っているのであって
意識の外側でも鳴っているようなかんじは錯覚だと考えます。
これは色や味やにおいも同様です。
故に誰もいない森には音どころかそもそも森が存在しないとも言い得ます。
もちろんそこには「何か」が存在するのだろうとは思いますが
空気の振動がそれだけでは音ではないように
「何か」があるだけではそれはいわゆる森ではない
あるいはそれは森と言えるものではないという解釈です。
冷蔵庫の扉を開けた瞬間あかりがつくように、
どこでもドアの扉を開けた瞬間そこにそれまで無かった森がはじめて現れる
というかんじです。

899 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 01:15:43.21 0.net
裏付けのネタをとろうとしてるだけだなw
結局ただの釣り師w

900 :でこすけ:2021/12/18(土) 01:25:38.73 0.net
それから「感覚に個人差があることが何故「感覚は幻想」になるのか」ですが
今度は視覚を例にとってみたいです。
たとえば全人類で一斉に同じ空を見上げたとき
もし厳密に比較することができるのであれば同じ色を見ている人は
一人もいないということになると思うのです。
このとき誰が見ている色がオリジナルなのかというと
じつはそもそもオリジナルなんてものは無いということになる気がします。
それを決める基準がないためです。
つまり見えている色は本当の色ではないという意味でそれは虚像(幻想)
ということになります。

そもそも私たちの視覚は進化の過程で調整されたもののようです。
たとえば空気は見えませんがパソコンは見えて
そしてパソコンの向こう側は見えません。
しかし視覚器官がX線か何かをとらえることができるものであれば
もっと違う景色が見えたことでしょう。
私たちの視覚は生命活動のためか何かのために調整されたものであって
ありのままを見ているわけではないと考えるのが妥当のように思えます。
私たちの感覚は外部をそのまま写しているわけではない
という意味では虚像ということになると考えられます。

ちなみに幻想であってもそれが現実であることに変わりはない
とは私も考えます。
そこで私はそのようなものを「仮想現実」と表現しています。

901 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 01:30:25.84 0.net
>>898

ちょっと面白いので横の横からレス。

私は「誰もいない森で木が倒れたとき音はしているのか」には音がする派ですね。
正確に言うとその問題を聞いて理解した瞬間、音がする事になった、と考えてます。
質問の仕方が悪いので木が倒れるという事象は私の知覚下に入ると考えます。
誰もいない森とか情報の与え方が適当すぎると思います。

仮にその木が被質問者にとって完全知覚外であるとするなら音はしません。(というか考える事ができません)
これは怒る人がいそうな変形の仕方ですが完全知覚外と言う事で質問をこう変形します。

「ある森に木がある。森の存在はあなたには知らされない。木の存在もあなたには知らされない。さて、ある時この木が倒れたとする。当然、木が倒れたという事もあなたには知らされない。あなたはこの木が倒れたとき音がすると言えるか?」

怒る人がいそうだよなー。何かごめんなさい。

902 :でこすけ:2021/12/18(土) 01:54:15.77 0.net
>>859
余談ですが、私は「便所の落書き」というと
カール・ポランニーが着目した「沈黙交易」を想起します。
あまり馴染みがありませんけど人間社会では普遍的な営みのようです。
私は「便所の落書き」には掲示板のようなイメージがあります。
不特定多数の誰かに対するメッセージという印象があるのです。
沈黙交易は特殊な空間でなされるとのことですが
はっきり言ってネガティブなイメージがあるのは意味のないことでは
ない気がします。
むしろ故に価値がある気さえするのです。

903 :でこすけ:2021/12/18(土) 02:26:49.23 0.net
>>901
>誰もいない森とか情報の与え方が適当すぎると思います
率直なご意見ありがとうございます。
この問題は私が考案したものではないので(出典は数百年前に遡りそうです)
引用しておきながら他人事のように言いますが、
私も901さんがご指摘のとおり雑な問題だと思います。
「誰もいない森」とかいわれても「野生動物はどうなんだ?」
とか思っちゃうわけです。

ただ、私はこの問題のポイントは「音とはどのようなものか」
転じて「感覚とはどのようなものか」だと思います。
ちなみに私は感覚は意識の外側をうつしたものではないと考えます。
認識されたものは認識者のためにカスタマイズされたものだということです。
そこで牛乳にもどると、牛乳は私に対して、猫に対して、昆虫に対して、
植物に対して、グラスに対して、それぞれ別の姿で現れます。
牛乳に客観的な姿というようなものはなく、
実際にあるのは誰かの目に写ったものだけの世界です。
客観的な牛乳がある気がするのは錯覚だと思います。

904 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 03:44:02.23 0.net
>>903
話の便宜上、自分の外界を物理世界、自分の知覚する世界を認識世界として切り分けします。

幻想という話でくくりはじめると幻想の中から出られないような気がします。
考えるスタート地点を幻想と置くとあれも幻想、これも幻想、全て幻想。終わり、となりそうです。
なので私は実際上「幻想と考えない認識世界」を考えるスタート地点としてます。

でもって存在は認識世界上に立てるしかないんじゃないですかね。まあ、自分というものは認識世界から出られないわけなので厳密な意味で言えば何かの存在を確定させられませんが、状況証拠でほぼ間違いなく存在すると言う事はできるかと思います。

最初に幻想化しちゃうと存在するとか言うのが恐ろしく面倒になるので知覚とか認識とかは事実として扱って(個人差は当然認めます)幻想と考えられるのは目をつむるってとこでしょうか。

存在に対する認識の仕方のお話と読みましたがちょっとズレたレスですみません。

905 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 03:49:25.13 0.net
>>903
客観的な尺度とは言語ゲームが可能な存在同士で
成り立つものだから、客観という意味がわからない
生き物が客観を持つことは不可能。なので現代の日本人
には客観がある。だから会話が一応通じるわけですよね。
動物には客観がない。あるのは主観のみだという主張は
確かにそうでしょう。でも人間には両方ある。
主観をできるだけ排除した思考、つまり、理性や意志や感情を
抜きにした考えが客観性となる。味覚障害や好き好み、低温殺菌製法でないとか
お腹を壊すから、ビーガンだから、などと言った主観と切り離したときの、おおむねの
味覚測定を抜きにしたとしても言語としてある程度コミュニケーションがとれることを
理解し合えていると考える。それが客観性なのではなないでしょうか。
牛乳の味がわかるという前提で言葉は成り立っている。

906 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 06:54:56.71 0.net
見え方なんてどうでもいいわボケw

907 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 06:59:10.97 0.net
やっぱりこいつは人としてのセンサーがバカになっとることだけはわかるw
なぜなら思考に対するロジックが破綻してるからw

908 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 09:56:07.56 0.net
木の倒れた時の衝撃波がてめえの耳に届いてないか分解能の下限を超えてるだけだろw
その木が倒れて今まで日光を遮ってたのに陽が当たるようになったらどう考えるんだこの馬鹿はw

909 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/18(土) 11:01:01.88 0.net
「意識」を発生させる「集合論装置」の実装を考える。
チューリングマシンは基本的に7つ組である。
7つも必要か?
ということで、これを減らそう。
1つ組。ひとつの集合だけである。(無限か有限かは先送り)
遷移あるいは写像がなければならないので、1つでは足りない。
2つ組。ふたつの集合。
2つ目の集合も1つ目と同じように考えてしまうと、それを結びつける第3の集合も必要になる。
なので、2つ目の集合は、第一級関数群としてみる。
2つの集合の外積となる。すべての組み合わせがある。
特に、選択したり学習したりなどしない。
ここまで考えたところで、こりゃベイトソンの学習階層だ、と気づく。
2つ組でやっとゼロ学習。
ということは3つ組で学習Tに相当する。
2つ組と3つ組の違いをみながら、学習T相当の意識を考える。
これを意識Tとしよう。はたしてこれは(広義の)防衛機制と呼べるものなのか?

910 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/18(土) 11:13:47.59 0.net
ジョージ・バークリー
誰もいない森で倒れた木の音の話はジョージ・バークリー。
哲学の問題であって、物理や理科wの問題ではない。

911 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/18(土) 11:26:43.70 0.net
現在おこなわれている「幻想」という議論は、
「人知原理論」に基づいて...って誰も読んでないか...
この板のお題そのものが「人知原理論」の系統であるような気がする...

しかし、バークリーの名が、カリフォルニア大学バークレー校のあるバークレー市の
元になっているという事実は関係がよくわからん。

912 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/18(土) 11:35:44.32 0.net
板じゃなくてスレか。
こちら、どことはあかさないが雪である。出かけようかどうか迷う。

913 :時計 :2021/12/18(土) 11:41:54.02 0.net
>>911
バークリー、読んでいないです。:)
倒れる木の話をしていたことは聞いたことはあります。
あとは、観念論の走りということくらい。

914 :時計 :2021/12/18(土) 11:46:42.73 0.net
これ読もうかな。
『観念説の謎解き』
https://sekaishisosha.jp/book/b354230.html

915 :時計 :2021/12/18(土) 12:00:03.60 0.net
バークリーに特化するならこちらか。
『バークリの『原理』を読む』
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b457054.html
原著の方が易しいかも。:)

916 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 12:49:08.63 0.net
>>898
> 「意識の中にしかないわけではない」とお考えになる理由
> をうかがってみたいです。

既に書いたとおり、口に入るまで牛乳の味を
現実に意識することはできないので、意識の
中にあるじゃないかとかいう事ではなく、
意識の中にしかないとは考えられない。
と考えました。

> 一般的には有るのか無いのかは確定できないことだと思うのですが

テキトーにしか認識を確定しない意識なら
そういう意識ではそれはそうなので、
牛乳についても確定しないままの意識で
良いと思います。

> ちなみに私が「意識の中にしかない」と考える理由ですが、

冷蔵庫の中の牛乳は扉を閉めている時は
ないと考える理由ではなく
考えられる(つまり認識で確定できた)理由を
答えてください。
わからないときはそう言って頂ければ。

917 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 12:50:17.28 0.net
>>900
幻想は幻想でしかないので現実に
幻想しているだけで
すなわち現実ではないでしょう。

実際、仮想ゲームを現実にしていても
仮想ゲームをやっている現実は場なので
バーチャルゲームのストーリーは
現実ではなく、仮想です。

作られた仮想現実の感覚世界で
ゲームを楽しみます。
幻想を仮想現実と表現しても
表現が変わるだけで幻想と現実は
異なります。

そこまで認識を確定する必要がない
テキトーでいいと考えて

> ちなみに幻想であってもそれが現実であることに変わりはない
> とは私も考えます。
> そこで私はそのようなものを「仮想現実」と表現しています。

と表現を理解してほしいと
いうことであれば理解できます。

918 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 15:06:05.54 0.net
幻想という言葉に惑わされてるみたいだがそれもまた現実だからなw

919 :考える名無しさん:2021/12/18(土) 16:19:10.88 0.net
>>918
忠告どうもです、でも大丈夫ですw
惑わされたら理解できますではなく
信用できますと書いていたでしょう。

920 :でこすけ:2021/12/19(日) 08:42:29.01 0.net
>>910
意識のハードプロブレムの答えは大丈夫でしたか?
寝て起きたら「たいしたこと無…」とかなりませんでしたか?
私はそういうことがよくあります。

921 :でこすけ:2021/12/19(日) 09:06:25.72 0.net
>>896
私が言う「幻想」というのは
知覚されているものと知覚の対象とにはズレがある
ということを表現したもののつもりでしたが、
適切では無かったかもしれません。
「意識の中にしかないという考えが幻想」と矛盾しないとは思いますが
ニュアンスは微妙に違ったかもしれません。

たとえば目のまえに果肉が詰まったリンゴがあるように感じても
実際にはそのリンゴはスカスカのようです。
原子のスケールを関東平野にたとえると
原子核は高層ビルくらい、電子は小鳥くらいになるらしく
物体にぎっしりしている感じがあったとしてもそれは錯覚のようです。
また、これは時計さんと考え方が異なることではありますが、
私にはパソコンなどは機能はしていても存在はしていないという感覚があります。
実際に存在しているのは「素粒子」といわれるものだけだと考えます。
そしてその「素粒子」なるものはその構造的に感覚でとらえることのできない
ものです。
意識の外側には感覚的な世界は無い気がするのです。

本当は扉が閉まっている冷蔵庫の中がどうなっているのか
もちろんそれはわかりません。
しかし私には普通の印象とは全く違うもののように思われるのです。

922 :でこすけ:2021/12/19(日) 09:21:54.21 0.net
>>905
「客観」については私は不親切だった気がします。
私が想定したのは言わば究極の客観
「どこでもないところからの眺め」です
(ちなみに私はトーマスネーゲルは読んだことはありません)。
>>1に「客観はある種の主観」とありますが
言わば主観を離れた完全な客観です。
私としても>905で想定されている「客観」に
異論はありません。


もっと具体的に解説できればいいのですが
ちょっと時間がありません。ビンボーヒマナシというやつです。
率直な意見を細かいことにこだわらずどんどん寄せていただくのは大歓迎ですが
私はコロナ休暇が終わってしまったので申し訳ないことになっています。

923 :K:2021/12/19(日) 10:05:58.86 0.net
>>1 あなたが言いたいのは、私たちが知る世界は脳を通して感じたものだから、例えば自分じゃない他人について説明するとき、自分が使えることばを使って説明しようとするが、そのことばがその他人をいい表しているかと言われとそうではない、自分が理解できた他人の偶像でしかない、結局は自分の一部。しかし、自分が他人を感じていた以上、その場に、もしくはその場が、自分に他人を感じさせた物体があったりある場なのも事実と言うことですか。

924 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/19(日) 11:52:36.71 0.net
>>920
ええw特に問題なく実証方法を検討中です。
あれっと思ったのはリーマンゼータ関数ですね。
これを調べていくと、ド・モアブルの定理やらメビウス関数やらいろいろなものが
でてきて、最終的にはオイラーの公式にたどりつきました。
こうなってくると、
「超球面」と表現している確率半径1の保存則が、「公理的集合論」そのものと
ほぼ同じものなのではないかと、思いつきました。
まあ、なんにしても、答えは最初からハンドルとして掲げてありますw
推理小説の答えはすべて冒頭にあるのです。
それしてこれは>>1を満たします。

925 :時計 :2021/12/19(日) 11:59:02.41 0.net
>>923
後半部は概ね同意です。
前半部の
>私たちが知る世界は脳を通して感じたものだから
に関しては、必ずしもそうではないと思います。

926 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 13:16:47.98 0.net
>>921
知覚と知覚対象にズレがなかったら、知覚できないので
幻想という単語はは不適切だと思いますが・・・。

ミクロレベルに換算して認識した物と、通常認識した物は
スケールが違うのだから、りんごがぎっしり詰まっている
という認識に対して錯覚というのも不適切だと思います。
認識を混同している、でこすけんさの錯覚ならアレですが。

物はなんであれ素粒子で構成されてるので、パソコンも
素粒子の集合体ですし、パソコンを機能させるのは
パソコンじゃないので、パソコンは機能していても存在は
していないという感覚がするのは不可解ですね。
パソコンを機能させるのも、機能をプログラムするのも
それを利用するのも人です。

意識の外側に感覚的な世界が無いのは同意ですが
そもそも意識に外側は無いと思いますよ。
扉が閉まっている冷蔵庫の中が普通の印象と違うもの
のように思われるなら、今のところその認識はマトモな
考えとは思えません。
僭越ながら、せっかく返信頂けるなら、書き込みボタン
押す前によくよく確認し直すことをお勧めします。

927 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 13:37:18.68 0.net
>>925
そうではない一例をあげていただけると勉強になります。

928 :時計 :2021/12/19(日) 13:42:45.06 0.net
>>927
直感はどうでしょうか。
勿論、これも脳が生み出したものだと
考える人はいるとは思いますが、
私はそうではない可能性はあると思います。

929 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 14:00:21.73 0.net
>>928
なるほど、難しいですね。
たとえば、研究没頭した日々を過ごすと
関係しそうな潜在意識に意識がなぜか偶然
ひっかかり、必要なものを発見したりしますが
それが直観だとすると、さて脳が生み出したと
考えるか私が気づいたと考えるべきかみたいな。

930 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 14:02:35.56 0.net
あぁ、直観ではなく直感のほうでしたか。
怪しいと気づくのは脳じゃなさそうな気が・・・

931 :時計 :2021/12/19(日) 14:17:35.40 0.net
>>929-930
感の方ですね。
あとは、祈るという行為だとか。
私は脳科学の限界を感じますが。

932 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 14:27:00.33 0.net
大人になってから祈ったことないなぁ
自分とかけ離れ過ぎていて
どう考えたものかよくわかりませんが
分野を超えたところに科学の突破口が
あるような気がします。

脳科学の限界は技術的なことでしょうか?
理論的なことでしょうか?

933 :時計 :2021/12/19(日) 14:44:25.21 0.net
>>932
祈るという行為は決心という行為に似ているように思います。
他力は祈り、自力は決心という感じで。
限界は理論的だと思います。
動物一般、人間一般のことしか解らないのでは。
勿論、それで十分かもしれませんが。

934 :時計 :2021/12/19(日) 14:46:09.57 0.net
>>933
そもそも脳科学は人間一般でさえ明らかにしない
という考えもあり得ますね……

935 :時計 :2021/12/19(日) 14:51:53.37 0.net
>>934
というより、そういう話でしたよね。:)

936 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 15:06:34.94 0.net
>>921
おまえの中ではリンゴがあるのは普遍だがw
冷蔵庫の中身云々なんて目前だけを信じるアホの話だろw

937 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 15:07:38.53 0.net
>>923
こいつらには主張はないぞw

938 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 15:13:34.92 0.net
恐くて瞬きもできないじゃないかw

939 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 15:19:45.27 0.net
個々の見え方の違い、その表現の違いを幻想というならこいつの言うことはすべて幻想だw
迷惑な話だw

940 :時計 :2021/12/19(日) 16:41:11.99 0.net
>>936-939
「確かに存在するもの」を幻想と呼ぶことに私は躊躇します。
牛乳が必要な時、でこすけさんは冷蔵庫を開けると思いますよ。:)
まあ、哲学用語ですね。

941 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 16:44:58.75 0.net
これまでのスレ全体見て、
「存在」(という概念?)自体は人間の思考や認識などでは
完全には把握しきれないし、語りきれないと考えてよいのかな。
存在(か実在)=物自体というような感じで。

942 :時計 :2021/12/19(日) 17:30:33.44 0.net
>>941
私は実在は認識可能だと考えています。
完全な把握は、不完全性定理における完全さであれば、
不可能でしょうね。

943 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 17:58:26.97 0.net
>>940
え?哲学用語ってどれのことですか?

944 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 18:01:04.77 0.net
>>940ただの幻想を哲学用語として使うには文才に問題ありすぎるとは思いませんか?

945 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 18:11:07.87 0.net
>>941
それを語るのが残された哲学と言っても良いんじゃない

946 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/19(日) 18:40:54.06 0.net
哲学・思想用語としての「幻想」ですね。吉本隆明が「上部構造」を「共同幻想」といったことがはじまりですw
わたしは、ポスト・モダンの条件における「大きな物語」と同じものだと考えています。
誤読と幻想における「幻想」も同じなのですが、どちらかといえば、「共同幻想」も
幻想である、ということになりますw
ゲーデル文のような存在ですね。

947 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 20:52:24.14 0.net
確率半径1の保存則というと、Insta360などの全天球カメラの
映像を連想します(誤読です、
動画(record)であるため複数の文脈(音?)が付き纏う
奥行きの意味が飛んでしまった2次元の抽象情報
球の内面の具体的模様を、球の内部の何かが
知覚、表象化するという構造

冷蔵庫の中の状況は不明または無い問題ですが
「冷蔵庫が部屋にある」とはそう名付けた事態の像
その像の向こう側は無い
全天球の2次元上のある部分で
単に球内面の模様の移り変わりなのでは

void に 響(toyo(豊?))む 命(mik OTO(音))

この映像を裏返すと、占いの水晶玉でしょうか、他力が浮かぶ玉です

948 :考える名無しさん:2021/12/19(日) 21:13:44.71 0.net
>>942>>945
まあ部分的一面的には把握できたり語ったりはできるだろうか。
さすがに完全な把握などはできないと思うけどね。

949 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/19(日) 22:16:13.39 0.net
超球面は存在確率半径1の保存則である。「存在」が抜けていましたね。
「存在」とは「アイデンティティ」です。
集合というと○で囲まれた内に要素の点を並べるようなイメージですが、
超球面では存在集合の要素が球面としての○をつくります。
この○の半径が存在確率1です。超球面なので、1次元球面(=円)ではなく、
n次元球面を想定しています。
nは0,1,2...だけでなく...-2,-1,0も想定しています。
それどころか、複素数でもかまわないだろうと考えていますw
いまのところ整数あるいは整数だけの複素数だけを考えるのが限界ですが...
もともとinternal set theoryのようなものを想定しているので、
ハンドルには「非標準」がついています。
この存在確率半径1の集合は、もうひとつの(反転した)集合とペアです。
この2つの集合で、さらにポアンカレ球のような超超球面を持っていますw
説明が悪いのでうまく想像できないと思いますが...
解析接続の逆で、なめらかに分離することができますw
これが主観世界なわけですね。(あくまでも人工主観世界、とします)

950 :947:2021/12/20(月) 00:08:30.57 0.net
恐れ入ります

951 :時計 :2021/12/20(月) 04:13:30.40 0.net
少し早いですが次スレッド立てました。

意識のハードプロブレムの答え15
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1639941094/

順序に混乱のないよう古いスレッドから先に使って下さい。
よろしくお願いいたします。

952 :時計 :2021/12/20(月) 05:34:14.65 0.net
>>943-944
幻想という言葉は日常ではあまり使いませんし、
でこすけさんや超球面さんの幻想という言葉の使用に関しては、
私はアリだと思っています。
超球面さんの使用する幻想に関しては、>>946で納得しました。
でこすけさんに関しては、要するに唯心論的存在のことだと思っています。

953 :時計 :2021/12/20(月) 10:07:36.67 0.net
>>952
唯物論的実在というほうが正確でしょうか。

954 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 10:26:29.74 0.net
唯物論的実在・・・
唯物論者と何が違うのだろう

955 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 10:28:39.00 0.net
>>952
「幻想抱くのもほどほどにしとけよ」とか普通に使われてますけどね。

956 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 10:54:34.06 0.net
言わないだろうね。幻想は自ずと見えるものであって、
自分の意志によって見るものではないからね。

957 :時計 :2021/12/20(月) 12:12:29.82 0.net
>>953
唯心論的実在の間違いでした。すみません。

958 :時計 :2021/12/20(月) 12:15:56.49 0.net
>>955
私はほとんど使いませんが、確かに使用例はありますね。
「幻想を抱く」は望みが薄いことへの期待ですね。
でこすけさん的には、実在が確かであることへの望みの薄さでしょうか。

959 :時計 :2021/12/20(月) 12:17:29.91 0.net
>>957
ほとんど正反対で…… 本当にすみません。:)

960 :時計 :2021/12/20(月) 12:21:12.67 0.net
>>956
幻想を得ることで精一杯というニュアンスかもしれませんね。

961 :時計 :2021/12/20(月) 12:24:23.19 0.net
>>953を補足しますと、
唯心論と実在という相克する概念が幻想を生じさせるのかと思います。

962 :時計 :2021/12/20(月) 12:26:30.67 0.net
>>961
幻想という概念、ですね。

963 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 13:49:50.74 0.net
都合の悪い事実を幻想と言い放つ輩もおるなw
陰謀論でもなんでもないのにw

964 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 13:58:37.56 0.net
>>962
でこすけさんは冷蔵庫の考えのイメージが強すぎて冷蔵庫の扉を開けると実在化するって感覚なんでしょ。
冷蔵庫の例えは物の現物と認識がずれてるよねって例え話には使えるんですけどいちいち全部冷蔵庫に入れてるのが問題かと。

記憶による知覚ってのがつかめてないんじゃないかなと思います。

簡単な思考実験ですが、初めて行く大きな建物で長い廊下を通って会議室に案内されたとします。
でこすけさんの表現だと会議室の扉を閉めた瞬間、廊下が冷蔵庫の中へ消え去ります。(あと、今見えている世界に住んでると思い込んでる人の廊下も(消し飛びませんがw)消し飛びます)
実際は廊下は記憶の中にあって記憶による知覚により、廊下は見えなくともそこにあると分かります。(記憶による知覚補完とも言えます)
これは記憶による知覚があるよねという話と自分の頭の中に世界があるよねって事を理解してもらうための思考実験です。

記憶と言うと固定化された過去というイメージが強い人が多いと思われますので、「変動可能な現時点記憶」くらいの表現が良いかもしれません。
そして記憶内の「認識された世界」は自分が意識を向ける(意識が記憶にアクセスする)事で立ち現れる訳です。
(でこすけさんはここに扉が一つあって変な事になってる感があります)
この思考実験から「認識された世界」は種々の概念を含む複合体として「変動可能な現時点記憶」の中に存在するんじゃないかなーなんて考えてます。
つまるところ、扉つき冷蔵庫を記憶としてるだけででこすけさんと言ってる事はあんま変わらんような気もしますが。

965 :時計 :2021/12/20(月) 14:42:34.96 0.net
>>964
確かに、幻想の問題は、記憶の問題でもありますね。
1分前の記憶は記憶らしいですが、
1秒前の記憶も記憶と言えば記憶ですし。
私は実在は存在するという立場ですから、
この辺りの問題はでこすけさんに答えて頂ければなと思います。
記憶は幻想なのか。1分前でも1秒前でも。

966 :時計 :2021/12/20(月) 14:47:15.02 0.net
>>965
まあ、その実在が幻想という考えですか……
実在は直接的に知覚しているものに限るという考えなのかな。

967 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 15:23:09.59 0.net
それならリンゴをリンゴと思うことが無理だろw
毎回これは何だって話になるがこいつは都合のいい理屈しか作れないからなw

968 :時計 :2021/12/20(月) 15:39:29.80 0.net
>>967
林檎は知覚されていれば林檎なんじゃないですか。

969 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 16:06:47.30 0.net
>>968
冷蔵庫の中身が何かというのも同じことだろw

970 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 16:41:45.27 0.net
おまえがトルコ風呂だと思っているものはソープランドだからなw

971 :時計 :2021/12/20(月) 17:18:56.49 0.net
>>969


972 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 17:24:57.85 0.net
そんなレベルかw

973 :時計 :2021/12/20(月) 17:33:26.52 0.net
>>972
どんなレベルだか。

974 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 17:52:15.91 0.net
チー牛いる?

975 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 18:22:32.87 0.net
こいつは粘着するタイプw
どうせレス乞食だがw

976 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2021/12/20(月) 19:11:20.70 0.net
巨視的存在であっても、誰も見ていないとき存在しない、ということは、
量子論的に「証明」されていたりしますw
でこすけ氏の冷蔵庫は、この量子論的な「誰も見ていないとき」をあらわしています。
かくして、シュレーディンガーの牛乳は半分しか存在しないのですw

977 :964:2021/12/20(月) 19:51:24.04 0.net
>>976
私に当てて書いてる部分がありそうだなーとか思うのでレスつけます。

追補ですが、認識された世界は認識された世界なので扉を閉めて見えなくなったけど「ある」だろうと認識するみたいな感じですかね。(一応、厳密な話は分かるっちゃ分かりますけど普段ほとんど考えてませんのでぶっちゃけ忘れてました)
シュレーディンガーの猫だと50%とかで死にますが先の思考実験で意識を向けた際、廊下がある確率は99.999みたいな9が並ぶ確率かなーと思います。(扉を閉めてから時間が短いほど確率は上がると思います)

あと、認識世界とか考えてくと基本世間常識に従わないと考えられんので考える際はほとんど厳密な話は無視してるんですわ。

978 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 21:43:22.61 0.net
>>967
そもそも都合のいい記憶だけ使ってるだけだよなw

979 :考える名無しさん:2021/12/20(月) 23:42:06.64 0.net
>>976
そういう証明を簡潔に伝えるのがおまえの役割だろw

980 :時計 :2021/12/21(火) 00:20:24.35 0.net
>>975
君のレスは必要ないが。

981 :時計 :2021/12/21(火) 07:46:50.96 0.net
>>978-979
もしかして、蝸牛さん?

982 :でこすけ:2021/12/21(火) 08:11:07.35 0.net
>>980
超球面さんは「木にすることはない」と言っていましたが
私は「枯れ木も山の賑わい」と言って
そういったものもこの世界に存在する以上
ある程度は考慮するべきだと考えます。
ゴキブリは一匹いると百匹いると言いますが、
理解できないため感情的になり
何故かブーメランを次々と投げ始める人というのは
この世に大勢いらっしゃるようで、
そのようなあやうい構造の意識が何故存在するのかは
意識のハードプロブレムにも少なからず関わる課題だ
と思うのです。

983 :でこすけ:2021/12/21(火) 08:14:50.12 0.net
食事のときに「熱ちいとムカつく」と言った人がいたんですが
「わからないとムカつく」ということもあると思うのです。
何故わからないとムカつくのでしょうか?

984 :時計 :2021/12/21(火) 08:29:59.50 0.net
>>982
確かに「必要ない」は言い過ぎたかもしれません。
「いい加減だ』くらいにしておいた方が良かったかもしれません。
ブーメラン現象は、他者は自身の鏡だから起きるのだと思います。
そういう意味では、イージープロブレムかなと思います。
さらに適切な説明があるとしても。

>>983
解らないとムカつくですか。
私はあんまり経験はないと思いますが……
誤ったことを言う人には腹立たしさを感じることはあると思います。

985 :時計 :2021/12/21(火) 08:30:30.25 0.net
>>984
正:「いい加減だ」
誤:「いい加減だ』

986 :でこすけ:2021/12/21(火) 08:31:36.46 0.net
>>884
逆に完全に同じということはあり得ないと思います。
同じルールで統一できると思うのは幻想です。
同じことを繰り返しているように思えても
文脈は絶え間なく変化しています。
言葉の意味は文脈によって意味が変わるのです。
なお、議論というのはここであれどこであれ
基本的には結論が出る(見解を統一させる)ものではありません。
そもそも何であれ答えを出さなくてはならないというのも幻想です。

987 :時計 :2021/12/21(火) 08:32:39.64 0.net
>>984
解らない→自分は正しい→相手は間違えている
こういう推論が働くのかもしれません。
私も気を付けたいと思います。:)

988 :考える名無しさん:2021/12/21(火) 08:35:49.72 0.net
>>984
>私はあんまり経験はない
私は誰にでもあることかと思っていました。
学生の頃、数学なんかで答えを見ても理解できないことがあって
何故かやり場のない怒りがこみあげたものです。

989 :時計 :2021/12/21(火) 08:51:19.63 0.net
>>988
数学は、こちらの理解が追いつていないことがほとんどですから、
腹の立つことはあまりなかったです。
腹の立つのはもっと解りやすく説明せよという不満かもしれませんね。

990 :でこすけ:2021/12/21(火) 08:58:17.79 0.net
>>947
おそれいります。
私は宮沢賢治の詩をわけもわからず読むように
最初の何回かは全く意味が頭に入ってこないまま
繰り返し読んでしまいました。
たいへん心強いものがあります。

しかし私はこういうときは『ブレードランナー』を思い出してしまいます。
「目くるめく瞬間もやがては消えるときが来る、涙のように、雨のように」
>947のようなものもたちまち彼方に埋没してしまうのは
大変惜しいことのような気がします。
宮崎駿あたりは「惜しまずにまた新しいものを作れば良い」
という考え方のようですけれども、
「アイデアは次から次から出てくるものなんですよ」
とどこかで言っていた気がします。

991 :でこすけ:2021/12/21(火) 09:13:41.84 0.net
>>990
他人のせいにする、というのは確かにあるかもしれません。
ちなみにそういうのはある種の病気だということを聞いたことがあります。
ていうか、書いて投稿したことさえある気さえします。
例え話として「私が不幸なのは時計がカチカチ言っているからだ」
というものを思いついたんですが(たぶんある種の分裂症状)
「時計」というのがスレ主とかぶることに気がついて
紛らわしいと思いやめた記憶があります。

992 :でこすけ:2021/12/21(火) 09:22:39.41 0.net
>>991>>989宛でした。

なお、このスレッドのうちに投稿しておきたいものから
優先させていただいております。
既にそうとう取りこぼしている気がするのですが
場合によっては蒸し返していただけますと助かります
恐縮です。

993 :でこすけ:2021/12/21(火) 09:42:13.06 0.net
>>947
「球の内部の何か」つまり「意識の内部の何か」
これがわかったらちょっとすごいことのような気がします。

994 :でこすけ:2021/12/21(火) 10:12:32.29 0.net
>>967
このレスには「リンゴ」が2回出てきていますが
前者は客観的リンゴ、後者は主観的リンゴだととらえることができます。
そこで伺いたいのですが、967さんが前者が実在するとお考えになる理由
についてです。
おそらくそれは認識者がいなくても存在するということだと思うのですが
私はそのようなものは存在し得ないと考えます。

ただ、それが本当に存在するのか否かは最終的には確定できないものだ
とも思います。
そこでたとえば967さんが、リンゴが見えるからリンゴが存在する
というのではなく、
つまり太陽が動いているように見えるから太陽が地球のまわりを回っている
というようなあっさりした認識ではなくて、
リンゴの存在を疑って疑って疑い抜いて
その結果リンゴは「確実に」存在するという結論に至ったのであれば
そのプロセスをお示しいただきたいと要望するのです。
あるいはもしそのような論証があるのであれば
現代物理学にも疑問を投げかけることになるかもしれません。
ここはひとついかがでしょうか?

995 :でこすけ:2021/12/21(火) 10:17:43.90 0.net
>>994
なお、私がリンゴの存在を疑う理由のひとつが
つまり意識のハードプロブレムです。
客観的なリンゴがどのようなプロセスを経て主観的なリンゴに変換されるのか
そうは言っても普通は謎だと思うのです。
967さんの意識のハードプロブレムの答えについても
うかがうことができれば、と存じますけどいかがでしょうか?

996 :時計 :2021/12/21(火) 11:02:22.91 0.net
>>991
「おでこがテカテカするから私は不幸だ」はどうかと
勧めるのは止めにしておきます。:)

997 :でこすけ:2021/12/21(火) 11:06:09.19 0.net
>>924
超球面さんのレスには初めて聞く言葉が多く
今回も意味がサッパリわかりません。
リーマンゼータ関数については何度かググったことがありますが
何回見ても意味がわかりません。
ただ複素数とか素数が関わっているということくらいは
さすがにわかります。
何しろそう書いてあるわけです。

私としては単純に「リーマンゼータ関数」というところに
ビビッときました。
全く関係なさそうなところからのアプローチはアリな気がします。
まったくトンチンカンか、超リアルか、どちらかだろうという印象です。

なお例の栗本慎一郎は「天才は頂上に降臨する」みたいなことを言っています。
研究とは高い所に登ることではなく麓に降りてくることだというのです。
そしてその構造は超球面さんの宿題なのではないか
というような気もしたりますw

998 :でこすけ:2021/12/21(火) 11:21:42.60 0.net
>>904
私は大抵のことは幻想だと思っていますが
それで終わるとは思っていません。
むしろその幻想が生まれる構造に興味があります。
また、意識のハードプロブレムはそこに関わる問題だと思います。
ただ、今回はあらためて自分の説明の下手くそ加減を実感しました。
どのような言い訳ができたとしても
私の言いたいことが伝わっていないという現実は
認めなければなりません。

>>996
完全に平和ボケですね。微笑ましいことのようにも思えます。

999 :でこすけ:2021/12/21(火) 11:24:08.95 0.net
今回もゲットできそうだ!

1000 :でこすけ:2021/12/21(火) 11:24:53.13 0.net
あー!

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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