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意識のハードプロブレムの答え16

1 :時計 :2022/01/26(水) 12:54:46.21 0.net
1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。

意識のハードプロブレムの答え15
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1639941094/

2 :考える名無しさん:2022/01/26(水) 20:43:04.61 0.net
>>1
1の考え、続き。
全ての事物は客観化可能であり、それもまた主観である。
脳神経系を含む私の客体は、私の主観的意識の精緻な表現である。

3 :時計 :2022/01/28(金) 01:41:46.61 0.net
>>前スレ997
ヤハウェに関しては、私は唯一神だとは考えていません。
神は人を欺くことはあり得ると思うからです。
神の欺きは人への試練だと考えればいいのではないでしょううか。

神が人に言ったことはそれまでのことです。
神が人に嘘を言ったのであれば、その理由はあると思います。
残念ながら、その理由は聖書からははっきりとは解らないと思います。
聖書が神の言葉だと仮定しても、そういう問題はあるわけです。

三位一体の神のうち、聖霊は人に優しいというと
語弊があるかもしれませんが、そういう風に思っています。
聖霊は人の力であり、まあ言ってしまえば、
修行によって高まり得るものだと考えています。

キリストに関しては、そういう人はいたかもなくらいの感じです。
穏やかな肯定と言いますか。
総論すると、私はキリスト教の信者だと言えるかは問題です。
形式的に信者になる、バプテスマを受けることはあっても、
本質的には私は大きくは変わらないと思います。

4 :でこすけ:2022/01/28(金) 03:23:20.86 0.net
>>3
私は創造主は善でも悪でもないと考えます。
何しろ善と悪とを創った存在ですから超越しているのは当然です。
そして人間に悪を憎む心を与えたのも創造主のシワザであろうと思うのです。
当然何らかの意味があってのことだと考えます。

ここでもちろん無神論者である私が言う「創造主」は比喩にすぎないものです。
しかしそのような何らかのメカニズムは間違いなくあると考えます。
そのメカニズムを「神」というのなら「神」でもいいですけど、
私としてはとにかくそのメカニズムを解明したい気持ちがあります。
そしてそれは意識のハードプロブレムの解明にもつながる気がしています。
とにかくそれは「世界の仕組み」の解明でもあるはずだからです。

ただ、それをやる「怖さ」もまた「神の御業」のように思えてなりません。
このスレッドでも以前に確か青薔薇の貴公子が「聖域を犯してはいけない」
と警告をしていましたが、
しかし「聖域を犯したい願望」もまた神による被造物だと私は考えるので
そもそもエデンの極東に追放されたのであれば
いっそのこと海に飛び込んでやろうかとか思うわけです。

5 :時計 :2022/01/28(金) 04:09:42.91 0.net
>>4
創造主の意志に関しては、私には解りません。
そもそも人格化してよいものか。
でこすけさんの仰るように、メカニズムと考えるのも一理あると思います。
人の知り得ることには限界があり、神はその限界を超えている、
そういう風に思わなくもないです。
人の限界に神はいる。ポジティブに言えばそういうことかもしれません。

少し話は逸れますが、笑いと涙って何なのだろうなと思います。
笑いは過ちの無化のように思いますが、
はっきりとは解りませんし、涙はもっと解りません。
私がこのことを考えるのは、涙って強いなと思うからです。

6 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 04:45:25.09 0.net
この世は必然で出来ているので
意識の必然性を求めれば答えが見える

7 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 09:19:12.90 0.net
極楽寺殿御消息(13C中)第四五条「たとへにも一寸のむしには、
五分のたましゐとて、あやしの虫けらもいのちをはをしむ事我にたかふへからす」

8 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 09:28:28.12 0.net
「魂」が、ここでは「たましゐ」とつづられているが、より古くは、
またより一般的には「たまし・ひ」であり、この「ひ」は、「火/日」
としてイメージされていたようである。「たまし・ひ」の、「たま」は、
「たましひ」が「魂/霊(たま)」とも言い換えられることからも明白な
とおり、「球体」のイメージを想起させるものであり、したがって、
「たましひ」は、「求心化するように働く火/日」としてイメージされた
であろうことが推測される。

9 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 09:33:01.33 0.net
意識が必要なものならば哲学的ゾンビは
存在不可能と言うことになるなぜ不可能なのか

10 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 09:40:51.91 0.net
「一寸の虫にも五分の魂」という慣用句は、「みづから(身づ柄/自ら)が
数ならぬ者として扱われるような存在であるとしても、そんな『自分にも
意地(いぢ)』がある」ことのたと(喩)へとしてよく用いられる表現であり、
「意地(いぢ)」の「意」は、漢語そのままの用法であると思われるが、
「意地(いぢ)」自体は和製漢語であり、「いぢ」の「ぢ/ち」は、「ちから(力)」
、「いのち(命)」、「ち(血)」、「ちち(乳)」、「ちち(父)」などの「ち」
と同様に、「狭い所を通るときの勢ひの集中」のようなイメージを想起
させる発音の用法に由来するのだろうと思う。

11 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 09:46:57.72 0.net
>哲学的ゾンビ

意志のない、それ自体としては生命として活動しない爪の角質も生きた身体
の一部であり、生命の活動は無生物を包含している。したがって、ゾンビが
生命活動をするのなら、それは爪の角質のように何らかの生命の体の一部
として働いていることになるだろう。

12 :新型ショーヴィニズム・ウイルス:2022/01/28(金) 10:54:40.12 0.net
>「たましひ」は、「求心化するように働く火/日」としてイメージされた
であろうことが推測される。

「自己中心的」であるとは、みづから(身づ柄/自ら)の「たましひ(魂)」が
求心化して働くのに都合のよい物事の巡り合はせを正当化し、その巡り合はせ
を恒常化しようとして、その循環を乱すように働く要因をあらかじめ徹底的
に排除しようとすることだろう。

13 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 10:57:00.51 0.net
>168考える名無しさん2021/06/08(火) 10:48:36.320
864 名前:新型ショーヴィニズム・ウイルス[sage] 投稿日:2021/06/08(火) 10:42:32.51 0
「宗教評議会が人間はほとんど呼吸をするたびに罪を犯していると宣言したので、
まもなくジュネーヴでは誰ひとり安心していることはできなくなってしまった。」
ツヴァイク全集17、『権力とたたかう良心』、p.83

14 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 11:52:51.63 0.net
このように「自己中心的」な根拠に基づいて物事の巡り合はせが
どのようであるべきか、どのようであることが「正しい」かを
主張することにおいて、保守と呼ばれる勢力に属する人々も、
革新と呼ばれる勢力に属する人々も、その思考形態は、大抵の場合、
まったく変わらない。

15 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 18:40:59.89 0.net
意識の必然性という観点で考えれば、種の存続の為なのではないか。
広大な宇宙で無数に生まれては消えゆく星々、それら個々に意識が介在しなくとも、宇宙の法則に従い誕生と破滅を繰り返すことができる。
生命も宇宙のどこかしらには存在し得るパーツで成り立っているが、それらが組み合わさって偶然、自律的に動いてしまった(ここでいう自律的な動きとは、星々の現在の動きのように、突き詰めれば宇宙誕生時のエネルギー収支から断定可能なものでないということ)。
自立性を必要としない場から、自立性あるものが生まれてしまったが故に、それらが自律性あるものたらしめる為に、取捨選択を目的とした意識が備わる必要があったのではないか。
物質とエネルギーは等価交換が可能であり、星々の誕生と破滅の過程においては、都合よく働く為に何ら問題ないが、生命においてはただでは滅べない訳で、生存している間に、種の存続の為の行動をしなくてはならない。そこに、意識の必然性が生まれるのではないか。

16 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 18:52:37.25 0.net
なんのために種の存続が必要なの?

17 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 18:54:36.74 0.net
たとえば宇宙が今から3秒後に壊れて、すべての生命が一気に途絶えたとしても
誰一人困らないと考えられるけど

18 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 18:59:00.01 0.net
たとえば、かつて存在していたマンモスや恐竜は種として存続出来なかったけど、
そのことで誰も別に被害を受けていないし、それに困る生命も特にいない

恐竜を人間に置き換えても同じことで、人間が種として存続しなくなっても
別に誰も困らない

19 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 20:55:53.20 0.net
困る困らないの尺度で考える必要性や、また何をもってして困るのか、「誰」の対象が何なのかを定義する必要があるが、言いたい事は何となく理解できるので、私なりに弁解すると、
まず、種の存続の必要性は無論、その種が存在し続ける為に必要である訳で、なぜ存在するのか、存在しなくてはならないのかと問われれば、前述したように、偶然に存在可能な環境が整ってしまった為に存在しているのであり、困る困らないという問題は、そこに意味を求めている事の裏返しだと推測できるが、本質的には意味などないはずだ。
絶滅種のヒエラルキー内にいる捕食者や被捕食者にとっては少なからず影響があるが、環境(というよりかは前提)が変わることで意識による取捨選択を行い、それを異なる種に置き換えることや、居住を変えることができるという点(俗にいう適応や進化)で、意識の必然性を説明できるはずだ。
宇宙が3秒後に崩壊した場合は、困る対象がいなくなる為に困らなくなるという所で、意識の必然性とは趣旨が異なるような気がするものの、仰ることは概ね正しいのではないか。
マンモスや恐竜、はたまた人間のようなものが隕石によって絶滅しようとも、絶滅後の環境から生まれる新たな生命にとっては知った事ではない為、困らないと言えるだろう。
生命の誕生には意識の介在は不可欠であろうが、無機物に意識が介在しないかと言われれば、そうではあろうが、宇宙の法則という概念自体が意識そのものであり、命あるものないものに関わらず、よりマクロな次元の前提には逆らえないが為に、それらの取捨選択には従わざるを得ないのではないか。

20 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 21:29:08.57 0.net
>>15
「自立性を必要としない場から、自立性あるものが生まれてしまったが故に、それらが自律性あるものたらしめる為に」

「自立性あるものを必要としない場から、自立性あるものが生まれてしまったが故に、それらが自立性あるものたらしめる為に」に修正

21 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 21:32:44.39 0.net
人間は別に自律的でもない。他律的
自律神経とか言うけど、自分の意志と関係なく勝手に動いているので
本来は他律神経と言うべきところ

つまり惑星が軌道を周回しているのと同じことだよ、血液の循環は

22 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 21:38:19.27 0.net
神経の反射もそうだ。そのシステムは人間が意志的に構築したものでも
生化学的に合成して作ったものでもない

予めある神経ネットワークなのであって、その意味では自律的でなく他律的なものである。おおよそこの世界にあるものは、すべて他律的である。
憲法を自分で作った人間はいない。すでにそれはあるので、私達はそれに他律的に
従うだけ

君がAさんや事柄Bを好きになったのは、自律的にそうなったのだろうか。
いや、他律的に好きになるように仕向けられているだけなのかもしれないではないか

23 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 21:47:48.63 0.net
たとえば数学が有する規則性は、誰かが構築したものなのだろうか。
ガウスが数学の体系を作った?まさか、そんなことはないだろう
ZFCでも事情は大して変わらないだろう

数学はアプリオリにもともと宇宙にある数の構造であり、個々の数学者はそれを
事後的に発見しているだけだ。構造を発明しているのでなく、構造を発見している

つまり、物理学や数学のような構造それ自体も他律的であり、
予めアプリオリに備わっているものであり、我々はそれを目的に応じて
活用させてもらっているだけなのだ。我々の意志や自律性というのも、
だから厳密に考えると、かなり危うい性質を帯びているように見えるだろう

24 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 22:06:34.90 0.net
たとえば、今、パソコンを使って書き込みをしているが、すべて他律的なことが
分かる。パソコンを部品も含めて自分で全部自作している人間はいないだろう
またアンテナ基地局設置、通信回線の整備もずべて自分でやっている人間は
いないだろう。そこで使われるプログラム言語やwebアプリケーションを全部、
自分で構築している人間もいないだろう。5ちゃんでの書き込みは、そのルールに
従っている。一度に千行書き込みすることは出来ない。禁則記号表現のようなものもある

つまり、人間は隅々まで政治、経済制度含めて他律的なものに囲繞されていることが分かる。君の家の中にあるもの、もしくは、家自体を考えてみよう。そこに自分で
自律的に作ったものや電化製品や衣類、寝具、本、音楽のファイルがあるかどうかを
考えてみよう。

自分で作ったものなど、ほぼ皆無なことに嫌でも気づかざるを得ないだろう
その点では月と太陽と同じである

25 :考える名無しさん:2022/01/28(金) 23:47:00.00 0.net
普通に自分の腹具合に気づかっているだけでも、自分の身体と安定的に
共生して、自分の健康維持に役立っている腸内細菌にとって「良い」こと
をするように自らを統制していることになる。腸内細菌の側も別に
宿主である身体に気づかっているわけではないが、生存するための
活動をつづけているだけで、宿主の役に立っている。

26 :考える名無しさん:2022/01/29(土) 08:34:09.21 0.net
掲げるイデオロギーがどのようなものであろうと、どれほど現状に不満を
抱いていようと、誰でも自分に都合の良い環境が実現されて、それが
可能な限り長く保たれることが望ましいと考えているのだから、
自らの自滅だけを願っているのでないかぎり、暗黙の環境保守主義
(environmental conservatism)に反対する者は誰もいない。
だからこそ、「環境保守主義」は、人々を一元的な全頭個体管理、
つまり、全体主義に導くのにとても便利なのである。

27 :でこすけ:2022/01/30(日) 08:54:49.01 0.net
>>5
私ももちろん人間にはわからないことがあるとおもいます。
しかしその限界についてはわかる気がします。
「限界がわかる」というのはちゃんとした根拠があって
答えが出せないということが明確になるということです。
たとえば意識のハードプロブレムもそれは人間の限界の向こう側だ
という考え方がありますけど、
それがそうであるならばシッカリとしたその理由は見つかる気がします。
たとえば「1÷0」について「0には何を掛けても1にはならない」
という具合です。
ある意味ではそれが意識のハードプロブレムの答えになると思います。
わかり得ないこととして思考停止してしまうのは如何なものか というお話です。

28 :でこすけ:2022/01/30(日) 08:57:21.15 0.net
>>5
ところで「涙」についてですけど
私は悲しいから涙が出るのではなく涙が出たから
「悲しい」 という感情をもったのだろうと考えます。
人間が感情を持つようになったのは感情を持たない人よりも
生き残る可能性が高まったからだと思います。
ちなみに私は悲しみが表現されたものとしては
ミケランジェロの『ピエタ』の聖母の表情が印象に残ってます。
何故かうっすら笑みを浮かべていて、しかし深い悲しみが表現されているわけです。
悲しみとは何なのか、笑いとは何なのか、 つまりよくわからんわけです。

29 :でこすけ:2022/01/30(日) 09:09:29.10 0.net
>>28
「悲しみ」というのは「目頭が熱くなる」という身体感覚の意味だと思います。
一方では言葉の場合、意味に対して言葉が充てられることがあります。
たとえば「ペンにリンゴを刺したもの」という概念ができて
そこに「アポーペン」という単語が充てられます。
しかし「ペンにリンゴを刺したもの」というのはどこから来たのか、
最初に「ペン」と「リンゴ」とが無くてはなりません。
意味は上位と下位とが行ったり来たりしながら形成されるのだと思います。
しかし一番最初はどちらかといえば下位だと思うわけです。

30 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 09:36:50.83 0.net
1÷0に関しては、
その答え×0=1となる宇宙を接続すればよいだけです。
あるいは虚数を使うことで解決できるでしょう。ただし非標準です。
とか書いていたら、なめらかに球面の表と裏をつなぐ方法がみつかったような気がしました。

31 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 11:28:08.56 0.net
虚数にまで拡大すれば、0の除算も楽に解決できる。

意識も虚数(あるいはx元数)を持つ。
意識に上らない虚数部分が無意識かもしれない。
ということは...精神拡張の原理...
なるほど。
この虚数平面を非標準的に球面にしたとき、量子ビットになる。
0と1を極としたとき、それぞれの極は極限であり、球面の裏と表の虚数世界がある。
量子脳でなければ、このようなことはできない。
ともかく、単純な量子脳をモデル化しよう。

32 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 11:39:42.61 0.net
量子論的な数学も可能性がみえてきた。
0,1,2,3...
これらは自然数だとしても量子論的に接続されている。
数学より算数が難解なのは、日常的な量子論的世界を含んでいるからなのだろう。
コインの表裏の間にも量子論的世界が広がっている。
ってことは、量子論的実在がある。
哲学と量子論は「同じもの」であり、純粋数学はその一部にすぎない。
哲学は、「最初から」「虚数」を扱っている、と考えたい。

33 :塩なめくじ:2022/01/30(日) 12:00:34.06 ID:EAn+n4HA0.net
球面の表と裏を繋いだものはクラインの壺といいます。
4次元のクラインの壺の面は交差しません。

複零性を持つ簡単な集合は二重数(双対数)です。
虚数や実多元体は冪零空間を持ちません。

34 :塩なめくじ:2022/01/30(日) 12:07:53.29 ID:EAn+n4HA0.net
この人はそういう人だと思うので、これ以上突っ込みません。

35 :時計 :2022/01/30(日) 13:06:41.79 0.net
>>27
解らないことがあるという考えよりも、
解ることは何かという考えの方が建設的ですね。
私も後者の方が好みです。
ハードプロブレムに関しては、クオリアがあるから私は解る一方で、
AI等の機械も解るという機能を実装されつつあるわけです。
その辺り、どう考えるかですね。

>>28
私は涙と悲しみが結び付いた経験はあまりないように思います。
涙は「祈り」と関係するように、少し、思っています。
ただ、よく解りません。
昔からあるイメージなのですが、深海まで潜って、
水面から顔を出した時、涙が出る。
そういうことがあるのかどうかよく解りませんが、
涙は、そのようなものだというイメージはあります。
よく考えたいところです。
『ピエタ』は微笑みのようにも見えますね。

>>29
「熱くなる」という感じは私はしないかなあ……
何だろう。「篤くなる」かな。:)
言語の意味は状況に応じて変わりますし、
その対応力が言語を理解する力なのかなと思います。

36 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 13:26:46.33 0.net
二次元球面ではなく一次元とすれば、
その裏側をひっぱりだせば∞になる。
交差は無い。ただし、3次元的構造が必要になる。
○は2次元だが、∞はひねってあるので2次元では足りない。
3次元までとはいかなくても2次元+余次元があればよい。
幅があればメビウスの帯だが、局所的に0次元球面とみなすならば、
メビウスの紐?

37 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 17:35:37.18 0.net
そもそ0のような特殊な点を想定していない超球面なので、これでいいのだ。

メビウスの「紐」を複数つなげてもトーラスのようなものにしかならない.
もう一捻り加えられるか検討中。
ともかく、外側と内側が連続しているなめらかな超球面が必要だ。

38 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 17:39:36.77 0.net
そもそもの「も」が抜けた。
もぬけの殻である。
この暗示は大きい。「も」はorでもある。orがまだ隠されているのだ。

39 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 18:19:14.65 0.net
射影仮説も多世界解釈も同じものである。
無意識は多世界である。
意識は多世界的であり、射影である。
無意識が量子演算をしているとするならば、脳は量子コンピュータである。
主観・客観ともに、その裏には量子ビットが隠れている。
ということで多主観世界と多主観的客観世界を考えたい。
意識した主観世界の他に無意識的な多主観世界がある。
「夢」は多主観世界の想定されるひとつの世界、ではなく、フーリエ変換された世界である。
多世界が位相としてひとつの世界にあらわれる。
かなりおもしろい。
といういことは、量子コンピュータは夢をみるのだw
夢見るコンピュータである。

40 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 18:39:33.37 0.net
単純モデルを考える。
ニューロンは単純な入力に対して、すべての可能性を、持ちうる。
量子論的ニューロンはすべての可能性を量子ビットのまま演算する。
量子ビットのまま遅延処理されるとすれば、ニューロンがつたえるのは量子ビットである。
ニューロンが伝えているのはパルスである。
パルスは量子であり、量子性を持っている。
そのはずだ。
観測してしまうから単なるデジタルになってしまうとすれば、
観測しなければ量子のままのはずだ。
観測されないパルスは二重性を持っている「はず」だ。
これは表裏のある球面である。
バルス!

41 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 18:55:04.19 0.net
バルスを唱えたので、これは閉じる。
パルスの真実は語られない。
主観とは氷山の一角にすぎない存在である。
その豊穣なる世界を語るには主観は非力だ。
客観もまた同じ。
無意識を含めた量子論的世界が「意識」だろう。

42 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/01/30(日) 22:56:52.86 0.net
一回転すると裏返り、さらに一回転すると元に戻る。
一次元球面なら想像は容易だが、二次元球面となると難しい。
さらに難しいのは0次元球面の回転だ。
ここに至ると回転ってなんだ、ということになる。
答えは波である、なんて簡単にはいかない。
並進対称性を生み出す超対称性変換の構造が必要だ。
となると、一次元球面も、なんらかの超対称性変換によって生み出された並進対称性である。
離散は連続であり連続は離散である。切り離せない。
そうなると対生成もつながっている離散である。
最初からペアなのだろう。単独の粒子など存在しない。
となれば、意識もなんらかのペアである。

43 :でこすけ:2022/02/01(火) 12:17:06.04 0.net
>>2
これは「脳」が「心」を生み出すのではなく、
「心(的な作用)」が「脳(に感じるクオリアなど)」を生み出す、
ということだと思いますが(私も基本的には同意見ですけど)、
しかしこれだけでは物心二元論を否定することにはならない、
つまり意識のハードプロブレムは解消されない気がする上に
そもそもクオリア(脳に限らず)を生み出すメカニズムがわからなければ
問題の先送りになってしまう気がします。
ただ、物心二元論の否定に関しては私も時計さんも既に示していることになっていて、
私の場合は唯心論(汎心論)であるのに対し、
時計さんの場合は自分の意識の外側には何も(他者の意識も)存在しない
(唯我論)というのが私の理解です。

44 :でこすけ:2022/02/01(火) 12:19:40.04 0.net
>>43
いずれにしてもクオリアが生成されたメカニズムが問題です。
私の考えは今一度まとめさせていただきますと、
雑多(ランダム)な外部情報が「創発」と呼ばれる作用によって整理され
やがて「自覚」という機能が獲得(創発)されたときにその対象になったものが
「クオリア」というイメージです。
ただ、私にひとつわからないのが「ドライブをかけるシステム」です。
「創発」は基本的にはランダムだと思うのですが、
どこからか、たとえばクオリアの生成などでは必然性が与えられる瞬間がある
ように見えます。
たとえば「クオリア」は共同幻想でもあります。
「共同幻想」もまた初めは「たまたま」だと思うのですが
どこからかドライブがかかり得るものになります。
たとえば誰かが言い出した「世の中が悪いのは資本家による搾取のせいだ」とか
そういった特殊な妄想が広まったりすることが実際にあったわけですが、
妄想が広まるためにはその前提として個が妄想を受け入れる機能の獲得があります。
しかしそのプロセスが何故必然性を持つのかがよくわかりません
(必然性を持つというのは淘汰される者がほぼいないということです)。

さて、ちなみに世間一般ではクオリアがどのようにして生成される
と考えられているのか、私はまったく存じません。どうなんでしょう。

45 :でこすけ:2022/02/01(火) 13:56:36.32 0.net
自然法則は当初は神によって決められたものだと考えられていたようです。
しかしやがて神とは関係ないことになったようです。
同様に普通はクオリアは物質と関係があると考えられているわけですけど
クオリアのメカニズムを追求していくと物質は無くてもいいことになる
ような気がします。
たとえば物自体の様々な情報(五感)も(認識上では)電気信号に変換されて伝達される、
つまりどうせ全て同じものに統一されてしまうのであれば
「物自体」がいわゆる「物質」である必要はない気がするのです。
私たちがテーブルの上にリンゴを認識するのは
少なくとも「そこにリンゴが存在するから」の一択ではないということです。
そして、もしそこにリンゴが実際に存在するのであれば
なんともハードなプロブレムが生じることになってしまいます。

証拠は無いが、リンゴは存在するに決まっている
(証拠は無いが、犯人はあいつに決まっている)。
意識のハードプロブレムは人間の限界を超えた問題である
(よくわかっていない事情があるが、調べてもわからないことはある)。
探偵小説ならばこのタイプはフリであって後から名探偵が登場するわけですけど
現実の世界では名探偵は現れてくれないような気もしたりします。

46 :でこすけ:2022/02/01(火) 14:31:17.54 0.net
私は自分が何らかの意識体験をしていることを自覚します。
その印象として、たとえばスレ主にも同じような意識体験があると感じます。
そしてさらにこの二つの意識は情報を交換しているように見えます。
このことなどから、おそらくこの世界には複数の意識的実体が存在し、
そしてじつは「深層意識」と呼ばれるレベルから複雑に影響を与え合っている
ということになると考えを発展させます。
「意識体験」とは情報交換そのものですが、
ただしそこで体験する「世界」はじつは「共同幻想」であり、
そしてそれはそのように情報の交換をしながら少しずつ形成されるものだ
というのが私の目下のかんじです。


ちなみに意識は何故情報交換をできるのか、ですけど
私はむしろ意識は情報交換をすることによって存在し得るのも
のような気がしています。
意識は一個だけでは存在できない、
最低でもペアである必要がある気がするのです。
何故「共同幻想」になったのか、
むしろ個人的な幻想は淘汰され結果的にそのようになっただけ
(つまりたまたま)なのだと思います
(どこからか自律分散型方式で維持されるのだろうと思いますけれども)。

47 :考える名無しさん:2022/02/01(火) 14:33:08.91 0.net
>>43
意識のハードプロブレムは擬似問題でそもそも何も問題などないという認識から
「解消される意識のハードプロブレムはある」に認識を改めましたということでしょうか?

48 :時計 :2022/02/01(火) 14:47:34.51 0.net
>>43
確か以前も言いましたが、私は我の本質は無だという考えに
共感しますから、唯我論という言葉は使いません。
これも以前に言ったことがあると思いますが、
私はクオリアがあるから考えることができると考えます。
クオリアを説明するというより、クオリアから説明するわけです。

>>44-45
でこすけさんの考えは、創発による随伴現象説といったところでしょうか。
私はリンゴは実在すると思いますよ。

49 :考える名無しさん:2022/02/01(火) 14:48:41.22 0.net
デジタル脳のアホの考えることであるw

50 :考える名無しさん:2022/02/01(火) 14:49:42.49 0.net
さてここでアホはどちらでしょうかw

51 :時計 :2022/02/01(火) 14:55:38.30 0.net
>>48
クオリアを考えるクオリアもあるわけで、何か永遠ですね……

>>46
存在は主観的であるゆえに、他者の意識の存在しないということは
私の考えの基本です。
複数主観説もそういう主観に過ぎないと私は考えます。

52 :でこすけ:2022/02/01(火) 14:56:19.14 0.net
私たちが体験している世界は認識している通りのものが
存在しているわけではない、
という意味でいわゆる「仮想世界」です。
構造的には「夢」と同じことだと思います。

ただし一応お断りしておきますと
これは映画『マトリックス』のように皆で同じひとつの世界に参加している
ということではありません。
それぞれが自分の部屋で別々に同じ映画を見ている感じです。
映画と違うのはそれぞれがそれぞれの目線で見ているところです。
昔『ルパン三世』でひとつの事件を「ルパン目線」「次元目線」「銭形目線」
などで違うバージョンをやるという企画がありましたけど、
私たちは自分のために編集された映画を見ていることになります。
それでそのソフトなんですけど、これは電波放送的なものではなく、
みんながそれぞれのDVDを持っているかんじです。
どのようにしてそのDVDを入手したのかというと
ざっくり言って「自前」です。
>>46の要領で自然に成立したのだと思います。
このことから言えるのは、私たちが体験している世界はどこにも無い
つまり「嘘の世界」だということです。
「嘘の世界」ということは「本当の世界」が別にあるかもしれない
ということです。

まともな人間だったら自分の知性を疑うところです。

53 :時計 :2022/02/01(火) 15:01:16.61 0.net
>>49
私はデジタル脳には否定的ですが。
でこすけさんもそうじゃないかな。

54 :時計 :2022/02/01(火) 15:11:50.16 0.net
>>52
本当の世界とは何か、前スレでも少し述べましたが、
それは現実の痕跡のあることではないでしょうか。
例えば、私は今フーコーの『言葉と物』を読んでいます。
それは図書館で借りたものです。
これは2020年発行の新装版ですから、
図書館が最近購入したものでしょう。
図書館には様々な本があります。
『言葉と物』はそのうちの1冊です。などなど。

55 :でこすけ:2022/02/01(火) 15:23:46.68 0.net
>>47
私の立場はざっくり言ってライプニッツです。
ライプニッツに意識のハードプロブレムはありません。
故に私にもその問題はありません。
しかしチャーマーズが「意識にはハードプロブレムがつきまとう」
みたいなことを言うかんじは分かります。
私にもチャーマーズ的な「脳」と「心」とが相互作用するのは不自然に感じます。
しかしそれは物心二元論に由来するためだと思います。
二元論の立場を取れば意識のハードプロブレムはあるということです。
ライプニッツは多元論というふうに私は学校で教わりましたが
それはスピノザに対してであってデカルトに対しては一元論だと思います。
唯心論のみならず唯我論もどちらかといえば一元論ですが、
意識のハードプロブレムは一元論の立場を取ることによって解消される
というのが私の考えです。
もともと私が唯心論に贔屓なのは基本的な実体が二種類あるとすることに
不自然さを感じたためです。
にしても「擬似問題」という表現は(確かにそう表現した記憶がありますが)
適切ではなかったかもしれません。恐れ入ります。

56 :でこすけ:2022/02/01(火) 15:40:39.01 0.net
>>54
じつはこの問題でネックになるのは「わかる」
というのがどういうことなのかです。
私は近代の哲学者の中でカントが一番なのは
やっぱり理性は疑えることを言い出したためだと思います。
「事実」らしきを認識している気がする
しかしそもそも「事実(存在)」以前に
それを「認識する」というのはどういうことなのか、
私たちは何を知り得るのか、
以下えてして退屈なはなしが延々続くことになるわけです。

57 :時計 :2022/02/01(火) 15:43:46.19 0.net
>>56
まあ、「現実の痕跡」に対して、
そのようなものがある夢だと考えることもできるわけです。
そうすると「リアリティのある夢」だということになりますが、
「リアリティのある夢」と現実は何が違うのかと言われると、
困ったことになります。:)

58 :時計 :2022/02/01(火) 15:54:16.14 0.net
>>57
しかし、殆どの場合は「現実の痕跡」という考えは有効だと思います。

59 :時計 :2022/02/01(火) 16:07:54.88 0.net
>>56
「解る」ということは、あることが知の体系に収まることだと考えます。

60 :でこすけ:2022/02/01(火) 16:09:22.72 0.net
>>48
私が言う「唯我論」というのは「意識の外側には何も存在しない」
という立場のことで、たぶん一般と極端には違わないと思います。
私と時計さんとでは基本的に意味が違うということです。
私が存在しないとしているリンゴも意識の外側にあるとされるもので
時計さんの言う意味でのリンゴは私も存在すると思います。
その意味では物質も神も存在します。ややこしいところです。
なお唯心論というのは意識の外側に他者の意識だけが存在するとする立場、
二元論というのは意識の外側に何かが二種類あるとする立場になります。

>>51
>何か永遠ですね
そこで超球面さんがバナナの皮を言っているわけです。
自分で自分を踏んでコケる、
クオリアでクオリアとは何かを語るのはアリだと思います。

>>53
いわゆるマジレスですけど、 
私は自然はデジタルだと解釈しているし
アホでない人間は存在しないとも考えています。
真実を語れる人間はいないということです
(自然はデジタルではない)。

61 :時計 :2022/02/01(火) 16:13:56.12 0.net
>>60
私の立場は、存在は主観的である、ゆえに主観主義
ということで宜しくお願いします。:)

バナナの皮はそういうことだったんですか……

62 :でこすけ:2022/02/01(火) 16:16:21.52 0.net
>>59
たとえばその知の体系が間違っているものだとしたら
それはわかったことになるのでしょうか。
そもそもその体系が正しいかどうか、どうすればわかるのでしょうか。
先日「創造主とは善と悪とを超越したものだ」みたいなことをいいましたけど
真と偽とを超越することもある気がするのです。

63 :時計 :2022/02/01(火) 16:25:38.55 0.net
>>62
それは一応「解った」ということになると思います。
例えば、日本地図を鏡面対称的に知っている人がいるとします。
名古屋は東京と大阪の間にあるということをその人は解ります。

しかし、クオリア自体が鏡面対称である人はどうでしょうか。
私はそのような人はそれが真実だと思うしかないように思います。

この例のように知の体系はいつでも転び得ると私は思います。

64 :でこすけ:2022/02/01(火) 16:33:01.66 0.net
>>61
私としても本当は意識の外側のことはわかりません。
しかし直観的には他人にも意識はある気がする、ゆえに直観主義です。
つまり根拠は無いかもしれないわけですけど、
しかしある程度は検証できない部分でも直観で語れると思うのです。
今更ながら漢字で書く覚悟ができた気がします。:)

65 :でこすけ:2022/02/01(火) 16:44:26.41 0.net
>>63
その意味では私も「解った」と言い得ると思います。
たとえば私たちが見ている地図が正しい保証もないわけで
つまり相対的な知識として有効というかんじです。

しかし問題はたとえば何度も繰り返してきた「A=A」です。
むしろ「A≠非A」の方がわかりやすかったのかなとも思うんですが、
それ等が正しいとされる究極の根拠は何なのか、
私にはそのようなものはあり得ない気がするのです。
これはあくまでも「究極の」がミソになります。

66 :時計 :2022/02/01(火) 16:54:44.70 0.net
>>65
「=」の本来の使い方は、
A=B+C
B+C=D
ゆえにA=D
みたいな感じだと思いますが、「A=A」で何を意味しているかですね。
私はAはAと同一的だと思いますけれども。

67 :時計 :2022/02/01(火) 16:56:42.77 0.net
>>66
しかし、「究極の根拠」と言われると何だろう……

68 :でこすけ:2022/02/01(火) 17:07:59.18 0.net
>>66
なるほど。
私はたとえば「2022年2月1日17時00分00秒にでこすけさんが見ているリンゴは
2022年2月1日17時00分00秒にでこすけさんが見ているリンゴと同じもの」
という意味だと理解していましたけど、
要は右辺と左辺とのあらゆる要素が同じものという意味です。
普通はこれはまったく当たり前のことです。
しかし普通でない場合、たとえば意識がブッダモード風になると
「色即是空(A=非A)」とか、
はなしが違ってくることはあり得ると思うのです。
というよりもこれは私の経験なわけです。あるいはつまり「胡蝶の夢」とかです。

69 :時計 :2022/02/01(火) 17:11:33.93 0.net
>>64
私は神の存在を直観します。:)

70 :時計 :2022/02/01(火) 17:15:24.34 0.net
>>68
「色即是空」はまさに時制の問題だったりして。

71 :でこすけ:2022/02/01(火) 17:21:16.21 0.net
>>67
何故「A=A」が普及したのかというと、正しいからではなくて、
有効だったからだと思います。それは「色即是空」よりも絶対に有効です。

しかし正しいかどうかは分からない、ことさら分る必要もないですけれども。

72 :時計 :2022/02/01(火) 17:40:04.66 0.net
>>71
根拠付けるものを根拠付けられるかという問題なのかな。

73 :でこすけ:2022/02/01(火) 17:49:41.10 0.net
>>69
私は神の存在についてはギリギリ保留です。
見極めがつきません。
気になるのは>>42のペアの相方です。

74 :時計 :2022/02/01(火) 17:52:17.93 0.net
>>73
まあ、それゆえに直観なのですが……
何のペアか気になりますね。

75 :でこすけ:2022/02/01(火) 17:53:42.38 0.net
>>73
ペアの相方のあり方ですに修正させていただきます。

76 :時計 :2022/02/02(水) 04:20:50.59 0.net
>>74
神の存在は直観より直感かもしれません。
その辺りはカタカナの良さですね。

77 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/02(水) 20:50:07.39 0.net
神は公理なので、すくなくとも体系内には「いません」。
神(がいたとして)の側からは人間は体系外なので「いません」。
無矛盾であるためには「神」を体系外に追い出すしかありませんw
公理というものは「幸せな『嘘』」です。
神もまた「幸せな『嘘』」でなければなりません。

78 :時計 :2022/02/03(木) 01:32:02.17 0.net
>>77
神はいると思うけどなあ……
矛盾しているのかな。

79 :考える名無しさん:2022/02/03(木) 02:04:06.17 0.net
無職のあほ

80 :時計 :2022/02/03(木) 03:13:43.19 0.net
>>79
ごゆるりと。

81 :時計 :2022/02/03(木) 08:08:49.88 0.net
フロイトの『夢判断』を読んでいます。
フロイトによると、夢は望みを叶えるものだそうです。
夢日記を書こうかな。

82 :時計 :2022/02/03(木) 08:11:33.98 0.net
>>81
止まったビデオのような夢を見たことがあって、
しかも、視点は自由に動かせるんです。
これは夢のことを知りたいという願いだったのかなと、
今は思います。

83 :考える名無しさん:2022/02/03(木) 11:40:54.03 0.net
あほの無職

84 :時計 :2022/02/03(木) 17:32:05.25 0.net
>>83
無職は幸せな市民だと思いますが、あほはいけませんね。

85 :時計 :2022/02/03(木) 17:42:59.32 0.net
>>84
無業と呼びたいところ。

86 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/05(土) 10:01:57.27 0.net
超球面を、局所的に複素数座標を書き込める多様体のようなものと考える。
この複素(超)平面上の実数部分が通常の意識であり、他が無意識領域である。
意識した点と対になる反対側の点での局所座標もある。

射影仮説として実数(超)線に射影してもよいし、
多世界仮説としてたくさんの世界(実数)線をもっていてもよい。
量子論的な意識の構造である。
となれば、意識は(量子)計算できる。
Quantum Algorithm Zooにあるような量子アルゴリズムを意識計算と考えたい。
意識計算はイマジナリ計算(演算)なわけだ。

量子コンピュータは量子ひつじの夢を見るか?
量子コンピュータは自立/自律した意識を持つわけではないが、意識計算を行っている!?
Zooを探せば自意識を持つようなアルゴリズムがあるかもしれない。

87 :でこすけ:2022/02/05(土) 16:08:30.55 0.net
光に波動性と粒子性とがあることは実験的に確認されていた
と思いましたけど(イージープロブレム)、
何故それが両方の性質を持つのかについては
たぶんハードなプロブレムとして未解明のような気がします
(実際どうかは知りませんけど)。
答えはたぶん、客観的な自然がそういうものとしてつくられてる
というようなことではなくて、
世界を認識する側の仕組みの問題のような気がします。

ひとつの粒子は観測されていないとき複数の場所に存在する
とされていることについて、
じつは観測されていたとしても本当はそこには存在しない、
最初から素粒子はどこにも存在しない
(認識されている世界は「仮象」にすぎない)という
「でこすけ解釈」を「コペンハーゲン解釈」に対抗して提起してみたいです。
既にありそうな気がすごいしますけど。

88 :でこすけ:2022/02/05(土) 16:33:58.31 0.net
私は汎心論を支持しています。
たとえば単細胞生物にもすでに原始的ながら意識はある
とする考え方です。
しかし基本粒子にまでさかのぼるのかどうかは躊躇がありました。
今回「基本粒子は観測できない」という闇雲な確信を持ったんですけど、
「観測できない」ということと「存在する」ということとは別のこと、
つまり基本粒子そのものは(他者の意識のように)観測できなくても
存在する分には存在する、
そしてそれには意識的なものが伴うと考えることにしました
(というよりもたぶん意識そのものだと思います)。

さて、となるとシュレーディンガーの猫はどうなるのか、
猫を入れておくのを箱ではなくて部屋にしてみましょう。
部屋の外にいる人にとって猫は生きていると同時に死んでいます。
しかし部屋の中にいる人にとってはどちらかに確定されます。
ただし汎心論的には部屋の中にいるのが人ではなくて
光子であっても確定されることになります。
となると部屋の外にいる人にとって「確定されない」というのは
どういうことなのか、
「世界」というのは私たちが普通に考えているようなものではない
という量子論にありがちな結論になるということだと思います。

89 :でこすけ:2022/02/05(土) 16:55:37.79 0.net
>>87
>最初から素粒子はどこにも存在しない
「見えているところには存在しない」に訂正されます。


ちなみに「汎心論的哲学的ゾンビ」ですけど、
これは私たちの意識は私の身体を構成する無数の意識の中で
どのような役割りを持ったものなのか、という問題につながります。
結論的にいうと、たぶんリーダーです。
全てをコントロールしているわけではありませんけど
全体の方向を決めることができたりします。
たとえば「今日は休みなので5chをやろう」とか決めるのはリーダーですけど
キーボードをさわる力加減までコントロールしているわけではありません。
チャーマーズが言っている哲学的ゾンビがどのようなものなのか
じつは私は具体的にはよく知らんのですけど、
少なくともサーモスタットにはそのような意識は無い気がします。
ただ、汎心論的にはサーモスタットも無数の意識的なものの集合です。
そして同様に、哲学的ゾンビもたぶんリーダー不在ながら
無数の意識的なものの集合ということになります。

90 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/05(土) 16:57:03.03 0.net
観測されていないとき、複数の場所というか、複数の場所に出現する確率的な存在ですね。
(存在)確率解釈です。
複素平面(球面)では複数ではなく、ひとつの点です。
あいまいさはありません。
観測してしまうと、複数の場所で確率的に「点」として発見されるわけです。
いうなれば、この複素平面(球面)が実数としての観測者からみた「波」です。
複素平面(球面)上をサーフィンしてるのですw

91 :時計 :2022/02/05(土) 17:24:57.19 0.net
汎神論のでこすけさんに質問ですが、
1つ1つの神経細胞に意識はあるとお考えでしょうか。

92 :時計 :2022/02/05(土) 17:27:00.96 0.net
因みに、汎神論と主観主義は共存可能だと考えます。
全ての存在に意識があり、それは私の主観であるということです。

93 :時計 :2022/02/05(土) 17:28:26.13 0.net
>>91-92
正:汎心論
誤:汎神論
:)

94 :でこすけ:2022/02/05(土) 17:38:30.06 0.net
リーダーには「統括(統治)」という役割があります。
「統治」は統治する側のためにあるようでいて
じつは統治される側のためにある気がします。
統治される側は統治する側を取り替えることが可能ですが(困難であっても)
その逆は全体という枠組みではありません。

アイデンティティはそれを維持するためのシステムが無ければ
流転する世界の中では維持されません。
たとえば奴隷は本来はその主人にとって財産であり
車の所有者が車を大切にするように奴隷も主人に大切にされるようです。
全部とは言えなさそうですけど「立派な御主人様にお使えできて幸せです」
という感性はあり得るわけです。
そのような立場にある人はその立場で技能や社会性などを身に着けます。
アイデンティティが強化維持されるわけです。
もちろん私は奴隷制がいいとは思いませんけど、
まったく自由な人間が破綻するリスクをかかえるよりは
生物としてはマシかもしれないということです。
地球上で繁殖に成功した生物にイヌやネコのような愛玩動物や
コメやムギのような穀類がありますが、
「周縁(わかりにくい表現ですけど)」を他者に丸投げする戦略は
リスクがありつつもかなり有効という印象です。

ではどのようにして「丸投げ」を覚えるのか、
これは学問的な課題のように思えます。
ただし意識のハードプロブレムの伏線になるのかどうかは微妙です。

95 :でこすけ:2022/02/05(土) 18:04:21.75 0.net
>>90
>観測してしまうと、複数の場所で確率的に「点」として発見されるわけです
私はてっきり厳密に観測すると一箇所に確定されるものだと思っていました。
観測されていないとき、普通の感覚では粒子はあくまでも1個であって
それが何処にあるのかはわからない(だけ)という気がするわけですけど、
量子論的には「複数の場所に同時に存在する(検証と矛盾なく)」
ということになって、つまりそれを如何により解りやすく理解するのか
というのがたぶん潜在的な課題だったのだろうと思っていたのです。
そこで>>90は率直に言うと、わかりやすいのでむしろ違和感があります。
あくまでも超球面さんの解釈ということでしょうか。
つまり「複素平面」という概念を導入すればイメージしやすい
という解釈だと思いますけど。

96 :でこすけ:2022/02/05(土) 18:30:10.29 0.net
>>91
>1つ1つの神経細胞に意識はあるとお考えでしょうか
ここで言う「意識」が>>89で言うリーダーのことであるならば
そのようなものはあるのだろうとチョッカンします。
ただし感情や感覚の無い単純な構造の意識です。

私は私意外にも意識はあると決定的な根拠は無いながらも考えます。
たとえば超球面さんは交差点で赤信号のとき止まるはずです。
それは赤信号と何らかの関係があるはずです。
しかし信号機から物理学的なプレッシャーが超球面さんの身体に影響している
ように観測はされないはずです。
では何故超球面さんはそこで停止するのか。
私は明確には言えませんけど多分、超球面さんも私と同じように色を見ていて
それで赤信号で止まったのだろうと考えるのが一番自然な気がします。
私は世界を見回したとき、私の意識のような複雑なものがある日突然できた
というようには思えません。
むしろよりシンプルなものから少しずつ成長したと考えるのが妥当に思えます。
決定的な証拠はない、あくまでもチョッカンに過ぎないものではありますが、
しかしそのような解釈で最終的な辻褄が合うことはありそうな気がするのです。

97 :時計 :2022/02/05(土) 18:47:48.04 0.net
>>96
全ての事物は客観化可能であると考えると、
でこすけさんのそのような考えも客観化可能なわけです。
私は、運命論と自由意志の存在の両立は鍵であるように思いますが、
まだまだ考え中です。

98 :でこすけ:2022/02/05(土) 18:53:34.66 0.net
>>92
世界とは、「世界がひとつだけ存在している」ということなのか、
「複数の実体によって構成されている」ということなのか、
もちろん必ずしも矛盾することではありませんし、
どちらの視点にも一長一短がありそうな気もしたりします。
しかし私は本当はどちらでもない可能性の方が大きいような気もしていて
そういうときは「沈黙しなければならない」とかが脳裏をよぎります。
私としては黙るつもりはありませんけれども。

99 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/05(土) 19:37:44.49 0.net
厳密という概念は難しいと思いますが、
観測すればそれはひとつです。
同じ状況で同じことを繰り返せるのなら複数の場所で確率的に観測できますが、
一回生の出来事であれば、それもままなりません。
波というのはその確率の波です。
点自体は波ではありませんが、複合体であれば波です。

100 :でこすけ:2022/02/05(土) 19:45:28.80 0.net
>>97
>全ての事物は客観化可能
これが具体的にどのようなことなのか実は今一ピンときていないのですが、
私は少なくとも他者の意識については永久にブラックボックスだろう
と思います。
このときは入力に対して出力をある程度でコントロールできれば
それでいいというのが基本です。
汎心論によって意識のハードプロブレムから物質や生命や
いろいろなものがコントロール可能になればそれで良い、というスタンスで、
ただしそれは裏を返すとあくまでも解釈にすぎないということです。

101 :時計 :2022/02/05(土) 20:07:57.77 0.net
>>98
汎心論と主観主義を両立させるとすると、
世界とは、私の世界だと思います。

>>100
客観化可能とは、物質的な記述が可能だということです。
私は、存在しない≒ブラックボックスだと考えます。

102 :でこすけ:2022/02/05(土) 20:19:50.91 0.net
たとえば時計さんが何かをシャリシャリ食べていたとします。
私が「何を食べてるの?」と聞くと「リンゴ」と答えたとします。
すると私はたとえばビートルズのCDにプリントされている青いですかリンゴを思い出します。
たぶん時計さんのイメージはそれとは違うリンゴです。

103 :時計 :2022/02/05(土) 20:22:30.32 0.net
>>102
そうかもしれませんね。
しかし、そのような考えも客観化可能なわけです。

104 :でこすけ:2022/02/05(土) 20:39:11.16 0.net
>>99
たとえば時計さんが何かをシャリシャリ食べていたとします。
私が「何を食べてますか?」と聞くと「リンゴ」と答えたとします。
すると私はたとえばビートルズのCDにプリントされている青いでリンゴ
を思い出したりします。
たぶん時計さんのイメージはそれとは違うリンゴです。
このとき多分マルガブ的に言うと、それぞれが認識したリンゴの感覚
(時計さんは音、味、香り、食感など、映像は無し、私は音だけ)
以外のものとしてリンゴは存在していないことになるような気がします。
同様に実は素粒子も認識されている以外のものとしては
ある意味では存在していない気がします。
にもかかわらず何故素粒子は現れるのか、
そういえばさっき本屋に行ったらカルロロベッリ本のキャンペーン
をやっていました。見ておけばよかった。

ちなみに>>102は間違いです。
最近コンピューターの調子が悪いのです。

105 :時計 :2022/02/05(土) 20:47:50.49 0.net
>>104
間違いでしたか……
しかし、それも客観化可能だと思います。
素粒子の理論は未完成ですが。
所謂、量子脳も客観化だと思います。

106 :時計 :2022/02/05(土) 20:50:27.45 0.net
>>105
以前にも言いましたが、私は脳神経系の感覚のモデルとして、
カメラを考えています。
だから、それが量子的か古典的かは区別していません。
確かに量子カメラって何だろうという感じはしますが……

107 :時計 :2022/02/05(土) 20:58:45.24 0.net
>>106
まあ確かに、全ての事物は客観化可能というとき、
量子論をどう扱うかは問題ですね。
私は今の所、生物学、精神科学に量子論は必要だとは考えていませんが、
将来的には解らないですね。

108 :考える名無しさん:2022/02/05(土) 21:00:07.15 0.net
>>92
>全ての存在に意識があり、それは私の主観であるということです。

前半はともかく、後半は自己中心的そうな考えだなぁ。
神とか集合意識の主観(人間個人にとっては客観かな)なら話は別だけど。

109 :でこすけ:2022/02/05(土) 21:02:01.03 0.net
>>101
>世界とは、私の世界だと思います
これについて、私は私自身の「汎心論」と同じように
肯定も否定もできる気がしません。
何が正しいのか、私自身には最終的にはわからないと思っています。
ただ、時計さんの考え方の延長で「世界」が意識によってつくられたものだ
ということを説明することは可能のような気がします。
説明可能は「神」についても同様です。
たぶんバチ当たりです。

110 :時計 :2022/02/05(土) 21:04:11.47 0.net
>>108
ごもっともで。
まさに、自己中心的に世界を考えています。:)
神に関しては、寧ろ、全ての事物に宿るものと考えたりします。

111 :時計 :2022/02/05(土) 21:11:54.52 0.net
>>109
反証可能性のないものは科学ではないという考えはありますが、
私にしか解らないこととか、1回しか起きなかったこととか、
科学ではないとしても、知ではありますよね。

112 :でこすけ:2022/02/05(土) 21:39:37.29 0.net
>>108
ここで言う「自己中心的」とはちょっと違いますけど、
私は客観的にはこの世界には中心は無いと考えています。
これは仮の話でもいいんですけど、
とりあえず素粒子に意識的なものがあるとすると
たとえば目の前に時計さんがいたとしてもそこに時計さんの意識は無い、
時計さんの身体のどこを探しても時計さんが体験している色や音は出てこない、
つまり意識は別のところにあって、しかしそれでもそれらは関係をつくっている
すなわちネットワークをつくっている印象があります。
そしてそのネットワークには中心がある気がしない、というかんじです。
ただ、自分を中心に同心円的に他者を配置することは解釈として可能です。
つまりすべての主観は世界の中心にあると言って差し支えがない気もするのです。
そこへもってきて究極の客観的世界が認識できないとなると
ますますその中心は遠ざかります。

私には認識されている宇宙空間はユークリッド的で端っこがあるように思えます。
そこから先は何も無いことになるわけです。
しかしそのようなものにはどこか違和感があります。
むしろ世界が意識的なもののネットワークとして限りなく相対的にできている
という考え方のほうがリアリティがある気がするのです。
実際に世界が物心二元論的な構造を持っていたとしても
精神の世界の方には中心は無い気がします。

113 :でこすけ:2022/02/05(土) 21:54:38.02 0.net
>>111
むしろ間違い無いように思えるのは、
全ての意識は言わば自分バージョンの映画を見ているということの方で、
みんなが本当に同じ物語を見ているのかどうかは厳密にはわからない気さえします。
「知」は本来個人的なものでしかないのだろうと思います。
私などはむしろ他者とのズレは日常茶飯事です。
キツネにつままれっぱなしなのです。

114 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/05(土) 23:15:43.25 0.net
その人限定の世界だとして、
その実世界が実数とすれば、
夢は虚数の側にある。
「意識」は、この実数と虚数からなる超球面を回転させ、
虚数側の世界を(自分の)実世界に召喚する。
無矛盾になるように回転を試みる。
回転するパズル。
そのパズルが解けると答えが現れる。
われわれは、そして宇宙のすべてのものは、宇宙は、「意識」を持っていて、
ひたらにパズルを解こうとしている。
銀河ヒッチハイク・ガイドか...

115 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/05(土) 23:44:28.60 0.net
究極の答えがみつかると、宇宙の根源であるもつれが解消され...
この宇宙は消滅する。
あるいは、安定化した結晶になる。
安定化した結晶は秩序であるが、すべてが秩序にみたされると、それは究極の無秩序に等しい。
そこに、また秩序が生じれば次の宇宙が...
これは...完全なる秩序、または完全なる無秩序が、矛盾であることを意味する。
完全であり無矛盾であるたったひとつの冴えた答えは...ある...
その答えは封印しよう。
おそらくその答えは無意味だ。
この宇宙の核は「矛盾」であり、この「矛盾」は解消されない。

116 :でこすけ:2022/02/06(日) 00:07:41.73 0.net
>>114
私は以前「何故眠るのかがよくわからない」と投稿しました。
それに対して超球面さんから「クラゲも眠るらしい」
とコメントを寄せていただきました。
それで私が最近ちょっと思ったのは「夢」を見るためではないか
ということです。
私たちは覚えていないだけで膨大な情報をこなしているのではないか、
個人的な幻想と共同幻想とを行ったり来たりしながら…
しかし何のためにそんなことをするのかがよくわかりません。
ただ生物が進化した過程で「夢」と「現実」とどちらが先にできたのか、
あながち「夢」は無いこともない気がするのです。
少なくとも『ドグラ・マグラ』的には「夢」だったはずです。

117 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 00:26:07.16 0.net
「意識」は「防衛機制」の一種であり、
それは「矛盾からの防衛」である。
「生命」や「進化」なども「防衛機制」である。
(「防衛機制」を濫用しているということに注意w)
「存在」までもが「防衛機制」である。
というわけで意識のハードプロブレムの答えの証明方法はわかった。
実際の証明となると、不可全性定理をさらに一般化する必要がある。
前から唱えている「(いまだ存在しない)一般不完全性定理」なわけだが、
(本当に、)「魔導書」あるいは「ネクロノミコン」と呼ぶにふさわしいものだ、
ということが確定的になってきた。

118 :でこすけ:2022/02/06(日) 00:41:10.10 0.net
>>115
ビートルズ『アクロス・ザ・ユニバース』の歌詞の個人的に印象に残った一節で
「降りしきる雨の中、紙コップから水が溢れるようにして言葉が溢れてくる」
みたいな、そういう部分がありました。
そうそうそうそう、意識の中ではそんなかんじで言葉がどんどん湧いてくる気がします。
これは一説によると数千年前の人類からとのことですけど、
あるいはもっと前のような気もします。
あるいはハトなんかでも頭の中では意味もなくクルッククルック
終始まわっていそうな気もします。
この現象は、それでもみんなは「矛盾」を解消しようとはしている、
そういうことのような気がした(過去形)というただそれだけのおはなしです。

119 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 00:48:36.58 0.net
防衛機制による矛盾の解消は矛盾の回避であり、
矛盾許容論理です。
矛盾の(本当の意味での)解消は「矛盾」します。
無矛盾は矛盾です。実際の無矛盾は矛盾を許容(/回避)しているにすぎない。

120 :時計 :2022/02/06(日) 03:15:53.84 0.net
>>113
うーん、私は実在は唯一的だと確かに思います。
寧ろ、それが実在の性質かなと。

121 :でこすけ:2022/02/06(日) 08:34:36.58 0.net
>>117
魔物が召喚されるのでしょうか。
ちなみに奴らとゲームをしてはいけないそうです。
奴らは汚い手を使うらしいのです。

>>120
実在が唯一的であって、それでいて汎心論もアリであるならば、
つまり>>108のように存在するのは「神」の方であって
それぞれの意識は神の一部として成立している
と考える方がわかりやすい気がしますけど、
あるいは神の一部が時計さんという考え方ではなくて
時計さんの一部が神と考える方が合理的ということであるならば
何故そのようにお考えになるのかは
一般的に言ってちょっと気になるところです。
主観主義というのはそういうものだ
と言ってしまえばそれまでのような気もしますが。

122 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 09:55:40.55 0.net
一晩考えてみました。
>>1 は、これを矛盾許容論理であるとすれば、たしかに正しいと。

そして、この宇宙の核となり、宇宙を生成させてしまった構造。
それは、一種のゲーデル文ですね。
せっかくだから名付けましょう。「ゲーデルの魔物(悪魔)」。
マクスウェルの魔物の親戚ですね。
「構造物」なのかと思ったのですが、魔物としたほうがよさそうです。
もしかするとゲーデルの魔物とマクスウェルの魔物は同一かもしれません。
ゲーデルの魔物は「知性」の根源です。
あ!、この2体(匹?へたすると柱?)はペアですね。

123 :時計 :2022/02/06(日) 10:09:28.91 0.net
>>121
神→自然→私を構成するもの、という考えはナシではないと思います。
寧ろ、反駁は難しいように思います。
殆ど悟りですね……

私自身は、私は神の部分であるとは考えていません。
しかし、魅力的な考え方だとは思います。
またいつか、折を見て、考えてみたいと思います。

124 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 11:52:04.81 0.net
「神」も防衛機制の一種ですね。
これがやっかいなのは共同幻想としての「神」です。暴走します。

125 :時計 :2022/02/06(日) 12:25:41.60 0.net
>>124
布教する人は親切でやっているつもりだと私は思います。
だから、これは難しい問題で、
信者でなければ天国に行けないと本気で信じていれば、
布教してしまいますよね。
そこはマイルドに考えたいと私は思っています。

126 :時計 :2022/02/06(日) 12:37:28.58 0.net
>>122
疑問を持つこと。
神は存在するか?
万物の理論は存在するか?
数学は無矛盾か?(これは証明されていますか)
進化論は正しいか?
などなど、世界を分断しますが、どちらかとは決めない、だから、
矛盾しない、そういう姿勢は大切かもしれないと思いました。

127 :時計 :2022/02/06(日) 12:39:27.56 0.net
>>126
超球面さんに質問ですが、私は数学は不完全で無矛盾だと思っていますが、
そこのところはどうなのでしょうか? 間違えていますか?

128 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 12:46:42.47 0.net
マクスウェルの魔物を秩序でありエントロピーを減少させるものだとすれば、
ゲーデルの魔物は無秩序でありエントロピーを増大させるものである。
ただし、ゲーデルの魔物も知性であり、破壊神というよりは、こちらが創造神である。
マクスウェルの魔物のほうが破壊神だ。
とすれば、もう1柱の維持神がどこかにいる。
調停するものとしての存在確率半径1を司る。
確率としての、パスカルの魔物? それよりオイラーの魔物のほうがいいかな。
とも思ったが、パスカルの魔物にしよう。

129 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 12:54:52.01 0.net
数学は不完全で無矛盾であり、完全で矛盾です。
ただ、完全で矛盾な数学を唱えるひとはいないかもしれません。
不完全で無矛盾であるということに同意します。
それが矛盾許容論理でもあるわけです。
なので、数学は(不完全で無矛盾な)矛盾許容論理として語られますw

130 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 12:59:38.28 0.net
ゲーデルの完全性定理を、不完全性定理の限定された一部であるということにする
作業が必要なのだと思います。
この作業によって数学は不完全で無矛盾なものを扱うものだ、
ということが明確なるでしょう。

131 :時計 :2022/02/06(日) 13:10:40.62 0.net
>>129
完全性を求めることは数学者の気質みたいなもので、
それゆえに数学は不完全であることは、
彼らにとって衝撃的だったのかなと思います。
私は無矛盾ならいいやという日和見的なタイプです。:)

>>128
マクスウェルの魔物は聞いたことはありますが、
ゲーデルやパスカルの魔物とはどういったものでしょうか。
興味あります。

132 :時計 :2022/02/06(日) 13:16:54.26 0.net
>>130
新しい話題でもあるみたいですね。
私には研究の最前線をフォローする能力はありません。:)
入門書みたいなものが出るのを待ちます。

133 :時計 :2022/02/06(日) 13:29:32.97 0.net
>>132
研究というのは数学のことですが、
今ガロア理論の学習をしています。
何百年遅れているのか……

134 :考える名無しさん:2022/02/06(日) 16:28:36.39 0.net
>>121>>123
まあ個人的な感覚の話だけど、
唯物論・唯心論・汎心論・不可知論云々に関わらず、
神(または世界・宇宙意識など)←個人の意識はその一部という考えは、
自己中心的思考が好きでない人であれば、それを前提とするのが自然だろうね。
その逆の考えと含めての妥当性云々はともかくとして。

135 :時計 :2022/02/06(日) 16:55:12.77 0.net
>>134
私的には、自己中心的でいいんじゃないかなと思います。
それは事実ですし。

136 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 17:00:13.12 0.net
公理を使うことで「完全」なわけですが、
その公理を含めた体系を考えると、残念ながら数学は不完全です。
ゲーデルの魔物ですw

137 :時計 :2022/02/06(日) 19:19:33.77 0.net
>>136
なるほど。それがゲーデルの魔物ですか。
無矛盾かつ完全な体系が将来的に見つかる可能性はないのでしょうか。

138 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 20:25:56.51 0.net
定理だけでやりくりできる閉じた体系は、完全かつ無矛盾でしょうね。
それはいくらでもあります。
数学全部を含んでしまうと不完全かつ無矛盾です。
完全かつ無矛盾であっても、一般化?してしまえば不完全かつ無矛盾であると、
証明するような作業が必要だと考えます。
ゲーデルの魔物の手にかかれば、完全かつ無矛盾こそが矛盾になるのですw

139 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/06(日) 21:24:47.58 0.net
定理は体系内で証明できなければなりませんが、
それを破壊するだろうゲーデルの魔物はどのようなことをする魔物なのか。
考え中。
マクスウェルの魔物は知性を持ち仕分けします。いまのAIですね。
この逆の動作をするとなれば、ごちゃまぜにするということ?
次元を拡張する?

140 :時計 :2022/02/07(月) 05:48:30.30 0.net
>>138
完全かつ無矛盾であることが矛盾するというのは面白いですね。
確かに魔物かも……

>>139
マクスウェルの魔物は魔物を含めた系を考えると、
エントロピーは増大しているのかな。

141 :でこすけ:2022/02/07(月) 08:03:21.38 0.net
私は円の直径を1としたとき、円周が無理数になるのはアリだと思います。
ただしそれは多分「近似」です。

便宜的にこの世界は物心二元論的なものだとします。
いわば物質界と精神界とが張り付いてできているかんじです。
このとき「私の意識」というのは、
たとえば「私の身体」が物質空間の中でひろがりをもっているようにして
精神空間(?)の中でひろがりをもっていることになるのでしょうか、
私には意識には「ひろがり」はない気がします。
しかし、かと言って「点」でもない気がします。
「今」という概念にしてもそうですけど、
つまり「今」というのは時間軸上の「点」でも「長さ」でも無い
あるいは「今」は「0秒」でも「非0秒」でも無い、
要するに「自然」というのは数字や図形で表現できるものではない
ということだと思うのですが、
しかしそもそも「今」の方が虚構かもしれませんから、
となると「私の意識」も虚構なのかなとか考えたりするわけです。

「ひろがり」とは何でしょうか、
ビックバンで「ひろがり」ができるというのはどういうことなのでしょうか、
意識の中に投影されている物質空間の「ひろがり」は
カント的に言って空間自体のまんまであり得るのでしょうか、
そういうことを半世紀生きた人間が月曜の朝に考えているのは「キモい」
かもしれないというお話です。

142 :時計 :2022/02/07(月) 08:29:22.90 0.net
>>141
近似≒有理数ではないでしょうか。

意識のひろがりですか……
視界はひろがっていますが、そういうことではないですよね。
時間に関しては波のようなものかなと思ったりします。
何の波かと言うと、意識強度のようなものです。

143 :でこすけ:2022/02/07(月) 08:52:34.61 0.net
「それ」が見えているところに「それ」は無いかもしれない
というのはよくあることです。
光の速度が有限ならば、たいていの天体は既にそこには無い気がします。
あるいは喫茶店なんかでジュースにストローをさしたりすると
まっすぐのはずのものが液体の表面を境に曲がって見えたりします。
私もインテリのハシクレとして眼鏡を愛用していますけど、
新調するとちょっと世界がズレたりなんかして適応するのに時間がかかります。
私に普通に見えているリンゴ、あるいは誰かが見ている素粒子は
本当にそこにあるのだろうか、という展開です。

素粒子の本体が原始的な意識だとすると
素粒子の不可解な性質に説明がつくきゃもしれないとか
ド素人丸出しに考えます。
何故素粒子の交換が引力や斥力になるのか、
実際に回転しているわけではない「スピン」とは何なのか、
私はよく知らんのでしゅが「カラー」とか「フレバー」とかが何なのか、
ここで意識のハードプロブレム的に問題になるのは
それ等が精神現象に由来するものであるならば
何故そういったものが運動状態や粒子(物質)の性質の変化
などとして認識されるのかということです。
そしてこの謎が解けたらちょっとしたことのような気がするわけです。

「睡眠とは何か」永眠とは言いますが、
本来は「誕生」は目を覚ますことなのかもしれません。
というよりも夢の世界(及び生前と死後との世界)こそが本当に本来であって
「現実」とされている世界こそが本当のような気がするのは錯覚かもしれません。
ここでこのレスの文脈的に気になるのは「眠気」です。
「眠気」とは何なのか、何故眠くなるのか、
脳内物資がどうこうではなくて、あのかんじというか、クオリアというか、
闇雲に眠りたいあの感覚はどのようにしてたとえば成立したのか、
私たちの「体験」はどのようにしてつくられているのかということです。

144 :考える名無しさん:2022/02/07(月) 15:13:29.74 0.net
こいつの分解能の周期はそんなレベルw

145 :時計 :2022/02/07(月) 19:15:56.72 0.net
>>143
私は、素粒子より更に基本的な存在はあるんじゃないかなと思っています。
眠気は、眠りへの快楽ですよね。そのまんまですが。:)
睡眠は布団の中限定ですから、本当の世界とは言い難いかと。

146 :考える名無しさん:2022/02/08(火) 10:51:20.64 0.net
公理さんが部屋に入ると、部屋の中の雰囲気や文脈が
不自然になる
カレが入ってくるまでは、自然だったのに、ということにされる

量子力学の観測問題と同じ?

147 :考える名無しさん:2022/02/08(火) 11:00:55.54 0.net
亭主元気で留守がいい、とか
社長が見回りに来ると、お帰りになられるまで各部署のノリは空々しくなる
みたいな

148 :でこすけ:2022/02/08(火) 13:31:42.53 0.net
私はどちらかというと知識を網羅するのではなくて
ひとつの問題に答えを出したいのが基本なので、
たとえば原著とか入門書とかにこだわってはいませんし
何ならヒントになればいいので間違いだらけの本でもかまわないんですけど、
ただし入門書などではアレンジされている可能性を意識しているつもりです。
そもそも原著であっても著者の主張が正しいかどうかはまた別ですし、
とにかく答えは記憶するものではなくて理解するものだと私は認識しています。
ちなみに私の課題というのはつまり「本当の世界」です。

で、今ニワカに考えているのが「イデア」です。
つまりプラトンの原著を今更ひとつひとつ読むのはかったるいわけです。
そこでふと考えてみたらウィキペディアを見てなかったと思って
それでさっそくウィキペディアを見てみたわけですけど、
そしたらひょっとするとひょっとする気がしてきたわけです。

前提として私は「イデア」には懐疑的です。
もちろん「概念」みたいなものは当たり前にあるのだろうと思うわけですけど
それは多分一般にイメージされるような固定したものではなく、
むしろ同じものは二度と無い勢いで状況に応じ変化していくだろうと考えるし
あるいはたとえば宇宙が始まる前からあったような普遍のものではないだろう
とかも考えるわけです。
たとえば「存在」は関係の中でしか成立できないと私は考えますが
同様に「概念」も関係の中で初めて成立できると思います。
「自然法則」も宇宙が無いところには無いと思うのですが
何故ならそれは共同幻想だと思うからで(自然法則は客観的なものではない→
意識の無いところでは物体は慣性の法則に基づては運動しないなどということ→
唯心論-汎心論的には物体は意識の中でイメージされたものでしかない)
それが実は「イデアの起源(?)」に通じる気が今回してきたのです。

149 :でこすけ:2022/02/08(火) 13:37:19.54 0.net
>>148つづき
ウィキペディアにあったことの私の理解によると、
人間は生まれて来る前はイデア界にいて
つまりイデアに囲まれてイデアと関わりながら生活しているにもかかわらず
そのこと自体は生まれた瞬間に忘れてしまうとのことなんですけど、
ただイデアの影として存在する現世においては何かに接するたび
逐一その背後(?)に忘れていたイデアを思い出す、
そしてこのことは例えばリンゴをリンゴとして認識できるのはそういうことだ
という認識論につながるようなのです。
で、それがでこすけさん的にどうしたのかというと、まあその真偽はともかく、
とりあえず「生まれて来る前の世界」に引っかかったのでした。

私は「生まれて来る前の世界」を信じます。
一般的には意識が脳と関わるので意識は脳ができてから生じる
と考えられているのでしょうけど、その証明されたことのない言わば仮説は
星々が動いて見えるから天動説になるのと同じレベルの錯覚のように思えます。
受精卵から細胞分裂を繰り返しながらやがて神経細胞が生じるとしても
その明確な境界はあり得る気がしませんし、
そもそも物質が何らかのパターンで関係をもつと物質に還元できない実体が生じる
ということがある気がしません。
意識の原型は受精以前に既にあって、そのようなものが素粒子などと同様に
たまたまシステムに加わり相応に成長したと考えるのが私には妥当に思えます。
少なくともそれを否定する観測事実はないはずです
(本能的に認めたくないということはあっても論理的には否定できないはずです)。

となると私たちは生まれる前から世界に関する情報(まだ知識ではない)
を持っていたということになります。
少なくとも世界を理解するための素養はその頃にすでにあった気がするのです。
であるからこそ記憶や自覚などがしかも短期間でできるようになるのだと思います。

150 :でこすけ:2022/02/08(火) 14:16:09.98 0.net
>>142
>視界はひろがっていますが、そういうことではないですよね
意識をハタから見るとどう見えるのか、みたいなことのつもりです。
実際にはそのようなことはできないというのがヒントではないかと思います。

>>145
私としても電子やクオークやニュートリノのようないわゆる基本粒子
とされているものをアルケー(万物の根源)とするのにはちょっと抵抗があります。
なので電子やクオークには意識(の原型)があるみたいなことは言い難かったのです
(アルケーを「心的なもの」とするのが唯心論だと考えます)。
たとえば皿は何でできているのか、皿は床に落とすと割れるわけですけど、
それをこれ以上分解できないところまで砕くと最後はどうなるのか、
私は半分の半分の半分の半分の半分の…とキリが無くなる気がするのです。
するともはやどこからかは新しい素粒子を造っていることになるのではないか、
そしてそれはどこからかがわからないということになって、
「何でできているのか」という疑問は無効になる気がするのです
(電子などはそれ以上分割できないことになっていますけど
 未知のテクノロジーを前提にすれば将来的にはわからないと思います
 先端物理の世界では私たちの直観に反することが起こり得るようです)。
技術的に可能かどうかは知りませんが、「それが以前は何だったのか
(たとえば電子は電子になる前は何だったのか)」は知り得ても
「それが何でできているのか」という問題はどう理解したらいいのか
私にはよくわからないところがあります。

ちなみに「夢」の話ですけど、それももちろん「仮想現実」であって
「本当の世界」ではないと考えています。

151 :でこすけ:2022/02/08(火) 14:31:46.18 0.net
>>146
ちょうどさっきユーチューブのオススメででてきたんですけど
ちょっと面白かったです。
二重スリットに関する最近の実験結果とのことですけど
観測とは関係ない気がしてくるのです。
参考になるのかどうかは微妙な気がしますが。

https://m.youtube.com/watch?v=MNFdpuoxO8w
 

152 ::2022/02/08(火) 15:01:22.67 0.net
死ね・

153 :時計 :2022/02/08(火) 17:35:55.42 0.net
>>148-149
>>142で意識強度という言葉を作りましたが、
私は私という生命の発生は意識強度の高まりだと思っています。
しかし、それでは輪廻転生しそうですから、
何とか解脱したいものだと考えています。
解脱という言葉はふさわしいのかは解りません。

>>150
意識をハタから見るとはどういうことでしょうか?
できないことなんですよね。

アルケーの探求に終わりはあるのか。
私は「現象」はある種の終わりだと思います。

154 :時計 :2022/02/08(火) 19:03:01.13 0.net
>>149
死後は生まれて来る前の世界に還るのかな。

155 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/08(火) 22:40:10.89 0.net
パスカルの魔物が超球面をつくるとしたら、
マクスウェルの魔物はこの超球面の次元を下げ、
ゲーデルの魔物は超球面の次元を上げる。
この3匹の魔物は直交補集合を拡大縮小維持する。
保存則や対称性は維持される。
これは「意識」の超球面でもあり、実数部分が「意識」で虚数部分が「無意識」だ。
超球面上での超対称性が時空間や電荷のようなものをつくりだす。
宇宙や意識の作動原理/根源は「矛盾」であり、
「矛盾」なくして宇宙や意識は「ない」。

156 :でこすけ:2022/02/08(火) 22:45:14.56 0.net
>>153
>意識をハタから見るとはどういうことでしょうか?
ここではたとえば時計さんが見ている世界を外側から覗くかんじではなくて、
時計さんの意識の外側から時計さんの意識の全体を眺めるかんじです。
もちろんそのような視点がある気がしませんし
そもそも視覚の構造的にあり得ないはずです。

>私は「現象」はある種の終わりだと思います
なるほど、これには私も闇雲に同意です。
しかし、となるとアルケーとは何だったのか、
ちょっと考え直させていただきたく存じます
……

>>154
もし意識の原型が受精以前からあったのであれば
そう考えておくのが妥当だと思います。
死とは消えて無くなることではなくて
自覚や想起などが出来なくなる(たぶん記憶が無くなるわけではなく
思い出すことができなくなるだけ)ということだと思います。
生前の記憶が無いのは忘れたというよりも
それを再生する能力が無いということだと思います。
信じるか信じないかはあなた次第です。

157 :考える名無しさん:2022/02/08(火) 23:00:55.82 0.net
https://ja.wikipedia.org/宇宙論的証明

158 :でこすけ:2022/02/08(火) 23:11:27.61 0.net
>>153
ところで時計さんは何故に解脱したいのでしょうか。
今という時代のすべてが良いとは思いませんけど
少なくとも釈迦の時代に比べれば抜け出したいほど悪い時代の気がしません。
私などはむしろ可能性に溢れた時代のような気がするほどです。

>>155
私には「維持」は結果のように思えます。
維持神に象徴されるようなベクトルはない気がするのです。
創造神と破壊神とだけが機能していて、
そのふたつのいとなみのぶつかるキワで誰かが踊っているように見えるのは
そのように見えるだけの錯覚というイメージです。

159 :考える名無しさん:2022/02/08(火) 23:19:11.16 0.net
>>157
要するに、西洋哲学の伝統は、それに関してどのような立場をとるにせよ、
「『〜だから』このように『なる/なった』」という"cause"/「原因」⇒
"effect"/「効果」の関係を理(ことわり)として追求することに強く
拘っている。これに対して、実践的にむしろ"effect"/「効果」の方から
推論して物事を暫定的に捉える方向を重視したのがプラグマティズムで
あると考えられるが、制度化された宗教としての一神教の神学とは
無関係な「効験」を重視する多様なカミの信仰の方が、一神教との
関係で自らの独立した地位を確保しようとしている哲学よりも、
プラグマティズムの考え方と親近性がある。

160 :考える名無しさん:2022/02/08(火) 23:29:11.25 0.net
究極的な「〜だから」/"because"を問えるか否かという方向性で議論を
追及することは不毛だ。

161 :でこすけ:2022/02/09(水) 01:21:59.80 0.net
>>160
私も基本的にはそういうことだと思います
(「故に」私が語っているのは真理ではなくて解釈としています)。
ところが「理由」は多くの社会で力を持ってきた
というのがたぶん実際の歴史で、
そしてそのことにはまさに「理由がある」と言い得るような印象があります。

何らかの力によって維持されているようにも見受ける私たちの日常世界は
実は微妙なバランスの上で訳もなく現象として現れているだけのものであり
そもそも肥沃というのは始めからどこにも無い気がします。
それでも万物流転の状況でとにかく生き残ろうと思ったら
もはやひたすら開拓するしかないと思うのです。
しかも手探りでです。

162 :時計 :2022/02/09(水) 01:30:08.90 0.net
>>156
そうですね。脳が連結でもしない限り……
アルケーは素粒子の方向性は永遠のように直感します。

死生観というものは様々ですね。
私hは基本的にはこの宇宙での性は今回限りだと思っています。
死後はどうなるか、はっきりとは解りません。

>>158
また苦しい時代になるかもしれませんし……

163 :でこすけ:2022/02/09(水) 02:05:37.20 0.net
>>162
これからは個人レベルだと間違いなく悪くなると思います。
時代状況はだいたい百年くらいの周期で良くなったり悪くなったりのようで、
目下の日本はバブルを頂点に下り坂という印象です。
また、二千年の歴史を持つ大和民族の歴史はあと数百年で終わると思います。
しかし三万八千年の歴史を持つ列島社会の歴史自体はまだ数万年続くとも思います。
時代は絶え間なく変化するということだと思います。
とりあえず「花は場所を選ばずに咲く」とか言って
あとは自分次第だと思います。
また、人間の知能はまだだんだんと進化している過程にあって
しかも一説によると二十世紀には飛躍的に向上しており
私にはそれはざっくり朗報のように思えます。
「知は力なり」というやつです。トータル的には良くなる気がするのです。
人類が滅びるときと言うのはみんなが幸せになって腑抜けになって
それで滅びるのだと思います。

164 :時計 :2022/02/09(水) 05:29:27.08 0.net
>>162
正:私は
誤:私hは

正:この宇宙での生
誤:この宇宙での性

何か寝惚けていたみたいです。

>>163
バブル以降、下り坂ですか。
デフレーションはいいのですが、給与が上がらないのは何ですね。
あとは、円高でいいんじゃないかという気はしています。
国際的に、相対的に、給与は上がりますし。
テロリストが核を持ったらどうなるのかと思ったりします。

165 :考える名無しさん:2022/02/09(水) 11:00:35.76 0.net
>>159
制度的な宗教としての一神教の神学と双子のような関係にある
西洋哲学の伝統が、その問題設定の基礎となる認識そのものに
おいて、どのように歪んでいると考えられるのか、また後で
書き込むことにしよう。

166 :考える名無しさん:2022/02/09(水) 11:12:20.91 0.net
最も根本的な問ひとして、"Why?"と"Why not?"はどちらが先なのか?

167 :考える名無しさん:2022/02/09(水) 22:50:36.43 0.net
私が考え方として示そうとしていることはとても単純なことなの
だけれど、問ふことそのものの基礎を問題にしているので、
なかなか気が乗らないな。へたに書き出すと、自分の言葉に
言いくるめられやすく、無駄に言葉を費やすことになる。

168 :考える名無しさん:2022/02/09(水) 22:54:59.73 0.net
事象や事物に関して最も根本的な問ひを発するというのは、
その理(ことわり)≒"the reason why"を問ふことなのか?
これが、私が問題としていることである。

169 :考える名無しさん:2022/02/09(水) 23:02:58.05 0.net
私が問題としているのは、理(ことわり)≒"the reason why"の現れ方、
それがどのようにして現れるのか、ということでもある。

170 :でこすけ:2022/02/10(木) 05:45:00.91 0.net
>>164
私のような心配性からすると、びっくりするほど呑気に見えます。
ていうか私のユーチューブのオススメ動画には
南海トラフから始まって政治経済社会文化、果ては陰謀論やオカルトまで、
日本はヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい、
そんなのばかりです。
私だけなのか、やっぱりヤバいのか、見極めがつきません。

>>168
おっしゃりたいことを完璧に理解できているつもりはありませんけど
しかしなんとなくわかるような気もしたりしなかったります。
ちょっと違うというよりも、だいぶ違いそうですけど、
私のかんじでいうと、「謎」というのも錯覚だということです。
一方のたとえば「A≠非A」が正しいと感じる根拠は
究極的には「気のせい」でしかない、
故に場合によっては「色即是空(A=非A)」が成り立つこともあり得る、
同様に「謎」の本質も「気のせい」にすぎない、
たとえばシュールレアリズムの謎めいた絵画に答えがあるわけではない、
私は単純に「幻想」と表現してしまいますけど(知は幻想)
カフカが言う「理解と誤解とを厳密には区別できない」
に通じる気がするところです。
「1+1=2」はじつはすり替えだったりもするわけです。
たぶんウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」もそういうことだと思います。

171 :でこすけ:2022/02/10(木) 06:02:10.68 0.net
>>148ですが「答えは理解するもの」というよりも
「答えは納得するためのもの」に修整させていただきたく存じます。
もはやどうでもいいことでしょうけれども。

172 :時計 :2022/02/10(木) 06:48:48.43 0.net
>>170
日本はヤバいですか。
その中でも南海トラフは特別だと思いますが。

謎に関しては、表現の問題かなという気はします。
気の所為というのはある意味では何でもそうですよね。
自己中心的もそうですし。

173 :考える名無しさん:2022/02/10(木) 08:56:15.77 0.net
>西周(にしあまね)は「理学」「窮理学」の語を哲学と同意の訳語として使用した。

哲学とは、究極的にキュウリ学なのか?

174 :考える名無しさん:2022/02/10(木) 09:16:53.75 0.net
>"Why?"と"Why not?"はどちらが先なのか?

"Why?"は、「理由(〜だから)」を求める問ひ/"query"であり、
"Why not?"は、「否認(〜ない)の理由(〜だから)」と問ふ/"inquire"ことによって、
「さそ(誘)ひの呼びかけ」/"solicitation"として用いられるのだから、
その表現の形式から見れば、当然、"Why not?"よりも"Why?"の方が問ひ
として先であるように見える。しかし、本当にそうだろうか。
むしろ、"Why?"は、"Why not?"に抵抗して初めて浮かび上がってくる
ものではないのか。「否認(〜ない)」のないところで"Why?"と問ふ
ことは、「意味」をなさず、「空を切る」ことになるだけではないのか。

175 :考える名無しさん:2022/02/10(木) 09:20:08.59 0.net
断(ことわ)り/事割りもなく、理(ことわり)を問ふ

176 :聞き分けのない人:2022/02/10(木) 09:32:52.09 0.net
哲学をする者が"Why?"と問ひかけるとき、その問ひが本当に求めているのは、
「理(ことわり)」ではなく、「さそ(誘)ひの呼びかけ」/"solicitation"としての
"Why not?"の正体の方ではないのか。

177 :考える名無しさん:2022/02/10(木) 09:34:43.63 0.net
物分かりの良い哲学者

178 :考える名無しさん:2022/02/10(木) 17:07:23.68 0.net
誤:と問ふ/"inquire"こと
正:を問ふ/"inquire"こと

179 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/10(木) 22:48:53.35 0.net
創造神・維持神・破壊神
人工マナ・カナ・レナと同じで二体分の情報量しかないのです。
さらにいえば人工マナ・カナも一体分+NOTの情報量。

180 :いやどうして:2022/02/10(木) 23:27:41.34 0.net
https://www.etymonline.com/search?q=yes
yes (adv.)
>Used in Shakespeare mainly as an answer to negative questions.

181 :考える名無しさん:2022/02/11(金) 00:00:09.10 0.net
>Everyone knows that he is the ultimate ass-kisser and yes man.
He just does whatever his boss says and never asks why.<

182 :いやどうして:2022/02/11(金) 11:26:58.31 0.net
現実が確かにそうであるという「肯定」/"affirmation"が既に、
"Why not?"/「を」(さそ(誘)ひの「呼びかけ」)−"Why not?"/「を」
(さそ(誘)ひにこころよく応じる「こた(応)へ」)の呼応関係を
基礎として成立して「を(居)り」、"Why?"/「どうして」という問ひ
は、その呼応関係に破綻/ことわ(断)りが生じて、その破綻/
ことわ(断)りの由来、すなわち、理(ことわり)/理由を求める
ものとしてしか生じ得ないのではないか。

183 :考える名無しさん:2022/02/11(金) 11:30:30.47 0.net
それが、"An yes (=why not?) man never asks why"という表現の論理だろう。

184 :をなり神:2022/02/11(金) 13:16:33.79 0.net
展開される現実の基礎をなす呼応関係が、これまでに生じた
破綻/ことわ(断)りを理(ことわり)として織り込み済みで
あるとしても、そのことは、現実が、隠れた既存の理(ことわり)
(それが未知であれ、既知であれ)の展開に過ぎないことを
意味するわけではない。そうではなく、そのことが示す
のは、そこに働いている呼応関係を問題とすることなしに
理(ことわり)を求めても意味を成さないということである。

185 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 08:09:54.13 0.net
経験がもたらすのは、現実が成立する前提とされている呼応関係の相対化である。

186 :折たく柴の記:2022/02/12(土) 08:23:32.07 0.net
日本語において存在する様態を表すのに用いられる「を(居)る」という
表現は、「を(折)る」という表現との発音の重なり(互いの語源的な関係
は明らかにされていない)からも、英語の"to recoil"によく対応している
ように思われる。

https://www.merriam-webster.com/dictionary/recoil
recoil verb
a : to fall back under pressure
b : to shrink back physically or emotionally

https://www.etymonline.com/search?q=recoil
recoil (v.)
c. 1200, recoilen, transitive, "force back, drive back, beat back"
(senses now archaic or obsolete); c. 1300, intransitive,
"shrink back, retreat," from Old French reculer "to go back,
give way, recede, retreat" (12c.), from Vulgar Latin *reculare,
from Latin re- "back" (see re-) + culus "backside, bottom,
fundament" (see tutu).

187 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 09:24:41.07 0.net
>>185
"Yes man"が常習的に無視するのが、自らが生きている呼応関係を
相対化する他者の経験である。

188 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 09:27:10.81 0.net
統一的な理性(主義)による社会全体の統治がもたらすのが、人々の間の
関係を「ざまあみろ合戦」として仕組むことである。これは、単に
理念的に考えればそうなるというだけのことではなく、実際に日々の
実践として現に生じていることだろう。

189 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 09:29:16.99 0.net
699考える名無しさん2017/08/16(水) 14:07:21.480>>712
「『大海原で激しい風が波を逆立たせていて、他人がさんざん苦労しているの
を、陸地から眺めるのは心地よい(ルクレティウス「事物の本姓について」
二の一−二)』人間から、このような性質の萌芽を取り去ってしまったならば、人間の生き方の根本をなす存在様態を破壊しかねない。同じく、いかなる統治体制にも、単に卑賤であるばかりか、悪徳な職務が必要とされる。それらの悪徳は、そこにしかるべき場所を見出して、われわれ人間社会における縫い目として活用される―あたかも毒が、人間の健康の維持に使われるように」

「そうした悪徳をわれわれが必要としているのだし、この共通の必要性なるものによって、悪という真の性質が捨象されているのだから、それは許容されるべきだというのなら、その役目を、われわれなどより、もっとたくましくて、臆病
ではない市民たちに演じさせるべきだ。彼らならば、祖国を救うために、自分の
命を犠牲にした昔の人々のように、自分たちの名誉も良心も犠牲にするはずだ。
でも、われわれのような弱虫人間は、もっと簡単で、危険の少ない役割を引き
受けるとしよう。公共の利益が、裏切りや、嘘や、殺戮を要求するのであり、
こういう任務は、もっと従順で、柔軟な人々にお任せしようではないか。」
モンテーニュ「エセー6」p.13 宮下志朗訳

190 :でこすけ:2022/02/12(土) 09:40:05.12 0.net
「すべては気の所為」というのは絶対的究極的必然的根拠は無い
ということで、すべては相対的に、基本的には偶然で決まるということです。

「摂理(ことわり)」というのは何らかの必然性を問うものですが
私はそもそもそのようなものが本当にあり得るのかどうかに疑問を持ちます。
人間が勝手に言っているだけの「幻想」のようにも思えるのです。
たとえばこの宇宙は何故「三次元空間」なのか
私にはそれはたまたま人間がこの宇宙をそう解釈しただけのものであって
何らかのメカニズムによって空間軸が三つに調整されているわけではない気がします。
「この世界に何故「摂理」があるのか」
そもそもこの問いには意味が無いかもしれないというチョッカンです。
あるいは「世界が無いところにも「摂理」はあるのか」
「宇宙が無いところでも「運動の三法則」は有効なのか」
ちなみに世界が無いところというのは時間も無いことになるはずです。

さて、となるとにわかに「摂理」という概念の人類学的起源が気になります。
しかしこれは人類の誕生以前にさかのぼる気もします。
サルかなんかでもチーンとやると餌を貰えるとか学習することがあるためです。

191 :時計 :2022/02/12(土) 11:25:44.68 0.net
>>188
よく解りません…… :)

>>189
私は、全ては気の所為だとは思いますが、
相対主義者ではないかな。

確かに、摂理には革命が付き物なのかもしれません。

192 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 11:58:59.93 0.net
やっていることはリーシュを使った犬の訓練と実質的に同じ。
首輪にリーシュをつないで犬に歩かせる。
最初のうち犬は自分で方向を決めて歩きはじめようとするが、
進む方向を決めようとするその瞬間にリーシュをひっぱってやる。
すると犬にはそれが不快なので、犬は歩く方向を変える。
犬がそのままの方向で歩けると感じて進みだすと、
またリーシュを瞬間的にひっぱってやる。すると、
犬はまた歩く方向を変えることになる。
それを繰り返していると、犬は飼い主に許されている方向でだけ
歩いているのだということを認識して、飼い主によって
リーシュが引かれたときにそれに自分からすぐに従うようになる。
それによって導かれる方向が、どのような理由によって
決められたのかなどを犬が勝手に判断しようとすることはなくなる。

193 :時計 :2022/02/12(土) 13:36:25.77 0.net
>>191
>>189への言及は、>>190への言及でした。

>>192
188さんでしょうか。
「ざまあみろ合戦」とは?

194 :時計 :2022/02/12(土) 13:37:48.39 0.net
>>192
理性主義は、人と犬の関係のようなものだということなのかな。
そもそも192さんは188さんなのかは解りませんが……

195 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 13:43:22.33 0.net
よく分からないのなら、それなりに幸せに生きているということだから、
無理に分かろうとする必要はないのです。

196 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 13:53:18.83 0.net
人はしばしば、飼い主の誘導に従うだけの犬に、なぜそちらの方向に
向かわせようとするのか、なぜその方向から逸れると吠えたてるのか
その理由を尋ねるというまったく無駄なことをする。理由が説明される
ことがなく、尋ねるだけで噛み付かれる恐れがあるなら、それはそれで
黙って誘導されるままにされるわけだが、犬も飼い主の誘導に従って
いるだけなのだから、本当の理由など知らない。餌がもらえて、大事に
飼ってもらえるというだけのことだ。それでも、噛み付かれることを
覚悟で理由を尋ねて、まったくナンセンスで支離滅裂な理由が返って
くるなら、理由としては無意味であっても、返答としては意味がある。
なぜなら、それによって、自分が誘導されているのが、飼い主の
誘導に従っているだけの犬に過ぎないことが分かるからだ。それが
はっきりと分かるまでは、その犬がなにかきちんとした理由があって
人々を導こうとしているのだという錯覚に囚われていることになる。

197 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 15:03:43.99 0.net
長い時を経て、たったそれだけのことがはっきりと分かったとき、
それまでずっと吠えたてられることに我慢し、噛み付かれる痛みに
耐えてきたことがまったく無意味で、無駄であったように思え、
それによって生じる空虚感に対する対応を誤ると自滅に向かう。

198 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 16:06:31.43 0.net
「ざまあみろ合戦」はどのように生じるのか。
誘導されるとおりにしなければ、吠えたてられ、噛み付かれるの
だから、黙っておとなしく従っていればいいものを、
理由をしつこく尋ねたり、理由として与えられた説明の矛盾を
指摘したり、つべこべ言っているから、吠えたてられ、噛み付かれ
て酷い目に遭わされるのだ、「ざまあみろ」というのがまずあり、
なぜそのように誘導されるのか、理由もわからずにただ盲目に
率先して従った連中が、誰よりも先に狭い家畜小屋に閉じ込め
られたり、屠畜場に送られたりして、「ざまあみろ」というのがあり、
最後に、ただご主人様の指示に従って誘導するだけで、どこに
どのようにどのような理由で誘導しているのか、理解していない
ことが広く知られて、群れをうまく誘導することができなくなった
犬が飼い主にとって用済みになり、処分されることになって
「ざまあみろ」というのがある。ただ、そうやって、
「ざまあみろ合戦」に皆が夢中になっている間は、全体として
の管理はうまくいっていることになる。

199 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 17:12:34.69 0.net
>>148
>自然法則は客観的なものではない
じゃあ人類や生命が生まれる前は自然法則も全く存在しない
デタラメカオスの宇宙世界とでも思ってるんでしょうかね?

正直こういう考えを見かけるたびに全く意味不明だとしか
思えなかったりするなぁ。

200 :考える名無しさん:2022/02/12(土) 18:45:25.35 0.net
本当の世界の答えは、理解するもの
という前提の人にとって
その人が信じられる本当の世界で
なければならないというのが条件になるのでは?

イメージされた仮想の意識が本当で
自然法則もイメージされた意識に過ぎない
という世界でも、そういう人にとっては
成立する世界なんじゃないでしょうか。

もし物的証拠をだしたとして、物質は存在しない
と思っている人にとっては、無意味でしょうし。

201 :考える名無しさん:2022/02/13(日) 02:24:42.92 0.net
時が生み出すおまえらの妄想w

202 :でこすけ:2022/02/13(日) 08:47:49.89 0.net
>>199
最近読み始めた方でしょうか、
私は「意識的なもの(主観)」の生成は生命以前にさかのぼる
と主張してきたつもりです。
もちろん「秩序」もそこまでさかのぼります。
ただし相応の「秩序」です。

私の理解では、私の主張はそれほど極端なものではありません。
カントやニーチェも似たようなことを言っていると思います。
たぶんウィトゲンシュタインやダメットやデネットも同様です。
ただ、それに対してマルクス・ガブリエルやメイヤスーが待ったをかけていて
そして彼らの言い分も正当で、
そこでどのように折り合いをつけるのかがじつは意識のハードプロブレムの答え
につながるのではないか、というのが私の見立てです
(つまりアテにはなりませんけど)。

ところで私は唯心論-汎心論を主張しています。
すると普通にまともな人は疑問を持つようです。
そこで私は物質が存在する根拠やそもそも物質の定義などを尋ねるのですが
今まで一度も答えてもらったことがありません。
そこで199さんはいかがでしょうか。

ちなみに私が物質の存在に懐疑的な理由はざっくり三つあります。
基本的な実体が二種類あることが不自然に感じること、
物質自体を認識できないということ、錯覚で説明がつきそうだということ、
こういったことに対する反論もございましたらお願いしたく存じます。
いかがでしょうか。

203 :考える名無しさん:2022/02/13(日) 10:25:08.42 0.net
数学としてではなく、数学ポエム的に考えると、
秩序というのは数の自乗ではないかという気がする。
存在としての数の効果の"self-qualification"。
1をいくら自乗しても何も変化せず、秩序が生じないのは、
単位としての1が秩序の自壊である円周率πの裏返しで、
円を一周することをいくら繰り返しても始点に戻って
来るだけだからである、と言えるのではないかな。

204 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/13(日) 11:11:51.59 0.net
1の自乗

なにものかが自乗させているのだとすれば、第二者あるいは第三者が「いる」。
しかし、その何者かも1に類似するものであれば、犯人探しは無限に後退?するかもしれない。
ここは、1自身が自乗してしまうような構造を持っていると考えてみるw
1にはゲーデルの魔物が取り憑いている。
自分自身を基準として自分自身が存在する。自己言及的存在だ。

205 :考える名無しさん:2022/02/13(日) 11:50:30.70 0.net
> そこで私は物質が存在する根拠やそもそも物質の定義などを尋ねるのですが

物質の定義は時間的・空間的諸現象のもとである実体でいいと思います。
根拠はこの定義に反して物質がないことにすることと不自然だから
と思ってもらえれば理解できると思います。

206 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/13(日) 13:06:41.13 0.net
1は自己言及的存在である。それでは2はどうなるのか、と考える前に、
1が概念としての存在であることに踏み込む。
以下、だらだろと考えたが、すっぽりと中略w
とりあえず1の存在公理を体系外に置くか、1の抱える矛盾を封印して飼いならすか。
2つの道しかない。
それでもこの2つは単に解釈の違いであって、同じことである。
ここで気づくのは、体系内外あるいは封印としての結界の内外であり、
「境界」が「ある」ということ。
「境界」は変換演算子の集合としてのタイヒミュラー空間である。
タイヒミュラー空間は、パスカルの魔物の棲処なのだろう。

207 :考える名無しさん:2022/02/13(日) 14:05:27.92 0.net
自己を1とするなら、"self-qualification"は1の自乗になる
わけだから、いくらそれを繰り返しても、自己の性質は見えてこない。
自己がどのようにか分割され、その分割された状態が"self-qualification"
を自乗として繰り返す。すると、多様な存在が現れる。

208 :考える名無しさん:2022/02/13(日) 14:14:34.89 0.net
分割がもたらすのは、比だろう。世界が事象の性質が様々な比の
"self-qualification"の組合せとして立ち現れる。ただし、あらゆる性質を
取り込んだ存在を求めるなら、秩序は自壊に向かい、逆に統一を求める
なら、あらゆる性質が元に戻って、分割もなく、"self-qualification"と
してもゼロである1となる。

209 :199:2022/02/13(日) 22:22:59.36 0.net
>>202
いえ、数スレ前からずっと読み続けてるよ。
そこで言う意識的なものが生命以前から存在する宇宙意識や神のようなものなら、
それらが秩序や法則などを作るというのも不思議ではないでしょう。

ただ、さすがに人間などの意識・思考が自然法則を作ったと言うなら、
超能力や魔法を使っているようなオカルト同然としか思えないと。

まあ、個人的には唯心論でも、スピノザやシェリングなどの客観的観念論に近い
ものなら妥当性の面ではありだと思う。
でこすけさんなどの唯心論者に物質の定義を言うとすれば、
シミュレーション仮説・ホログラフィック理論でのプログラムや情報や数学的構造に
近いものだと答えるのがいいかな。

210 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/13(日) 22:56:46.08 0.net
世界を二次元(複素)球面とすれば、実数としての世界は一次元球面であり、
他の虚世界も一次元球面であり、この2つの交点は2点だ。
これを、時間を度外視した三次元世界とすれば、四次元球面上にあって、
実世界と虚世界の交点は二次元球面である。
この交点としての二次元球面上にすべての情報が書き込まれる。
この情報が投影(どこに?)されたものがホログラフィック仮説だろう。
時間は、交点としての二次元球面が移動すればよい。
この考えで世界モデルを構築できるかどうか検討中。
この世界には(超)球面とタイヒミュラー空間しかないのかもしれない。
われわれの世界そのものがタイヒミュラー空間(変換演算子の集合)なのかもしれない。
寝る前にjavaのstreamをいじっていたら遅延処理にでくわした。
streamは「結果」ではない。
結果としてのオブザーバブルではなく、演算子のまま扱って遅延処理させるのが吉だろう。
そう考えると、「意識」も遅延処理される演算子だ。
「物質」とは「結果」ではなく「演算子」なのだ。これでよいのだ。
観測者はstreamの末端処理である。

211 :考える名無しさん:2022/02/14(月) 09:17:01.24 0.net
哲学をするには、他人が「哲学分野」で提案した抽象的な概念を頼りにして
自分の考え方を整理しようとするよりもまず先に、具体例をメタ言語的に
言葉で記述しようと試みることが大切だ。無論、その場合にも、抽象的な
捉え方、抽象的な言葉遣いが要求されるわけだが、それらは、多くの場合、
より一般的に広く通用しているものであり、特別に学術研究をしなければ、
身に付けることができないようなものではない。

例えば、"Why?"と"Why not?"はどちらが先か、という問ひを私は示した
が、この問ひがどのような意識の働きによるものかは、別に何か特別な
哲学的概念のようなものを頼りにしなくても簡単に説明することができる。
"Why?"は、まず「疑問」としてあるよりも先に、直面している事態
に対する「感嘆」、"Why?!"としてある。それが、"Why not?"を介する
ことによって「さそ(誘)ひの呼びかけ/自問」に変わり、その"Why not?"
から最初の「感嘆」に戻って来ること、すなわち、反省により、「感嘆」
であった"Why?!"が「理由の問いかけ/理由の応へ」である"Why?/
(That's) why"に変わる。

212 :考える名無しさん:2022/02/15(火) 06:45:58.67 0.net
簡単だな

213 :でこすけ:2022/02/15(火) 10:21:23.54 0.net
>>205
私はそもそも「空間」が虚構なのではないかと主張してきました。
私が認識している「物理学的空間」とされているものは
意識の外側にあるものをそのまま写しているだけなのか、
あるいは基本的には異なる何かがつまり変換されて現れているのか、
私には後者のような気がしています。
えてして認識されているものはその対象自体とズレがあるようなので
その可能性は小さくない気がするのです。
ここで意識の外側には物質が運動したり相互作用したりする空間は無く
そこに依存する実体もあり得ないという考え方につながります。

214 :でこすけ:2022/02/15(火) 10:24:08.00 0.net
>>213
「空間」というのは視覚的にイメージされているものだと思います。
真っ暗闇の中で手にさわるものや音やにおいなどで空間を認識できたとしても
そこでイメージされる空間は視覚的に表現されていると言い得るように思います。
となるとビックバン直後のような視覚的なイメージの無いであろう世界では
「空間」はどのようにして機能していたのか、
誰もいない森の中に「空間」はあるのか、
生物は「空間」を発見したのか創造したのかという疑問が生じます。
ここで一般的には前者だと思いますが、
後者の可能性もあるというのは興味深いことだと思います。

なお、前者を立証するためには例えば何故ビックバンで空間が生じるのか
という問題を解決しなければならない気がします。
後者を立証するためには問題は意識の内部だけで済みますが
前者の場合は「どのようにして空間が生じたのか」という問題と
「どのようにしてそれを認識できるようになったのか」という二つの問題を
解決しなければならなくなるということです
(個人的には「オッカムの剃刀」がちらつきます)。
あるいは「物理学的空間」が意識の中で「ひろがり」として現れるのも
意識のハードプロブレムに含まれると言い得るような気がするところです。

215 :時計 :2022/02/15(火) 12:17:41.41 0.net
哲学は、「わかっていることをわかること」という側面があり、それゆえに、
大多数のわかっている人達には不要であるように思われることもあります。
しかし、実はそうではないと思います。
「わかっていることをわかること」により、
「これからわかるようになることをわかること」があり得るように思います。

216 :時計 :2022/02/15(火) 12:21:11.14 0.net
哲学者は実験台でもあると思う。

217 :考える名無しさん:2022/02/15(火) 12:24:37.11 0.net
>>213
空間を虚構と解釈したり表現するのはあり
認識でしかないという意味では、大差ないので。
盲目で空間を視覚的に、物と物の間として見ることが
できない人も、自分が移動できる領域を空間認識と
捉えているのではないでしょうか。
それは視覚障害者でなくても同じことだと思います。
視覚的にイメージされているというのにも通じます。

意識は生じ得る対象として思考対象にしてますが
個人的に空間に関しては今のところ、対象外です。

218 :考える名無しさん:2022/02/16(水) 05:14:12.70 0.net
空気中だから物のありがたみがわからんのだろうなこのアホはw

219 :でこすけ:2022/02/16(水) 08:49:41.01 0.net
>>217
たとえば目を瞑って歩いているとき
足の裏の感覚だけで空間を理解するのは難しい気がします。
そもそも自分が歩いていること以前に自分に足が有ることを知らなければ
空間が認識できる気がしません。
私は自分にどんな臓器があるのか全部は知りませんけど
視覚が無い生物は自分の身体がどのような形状なのかさえわからないだろう
と思うのです。

夢の中で体験している空間は実在しません。
ステレオグラムに感じる空間も実在しません。
また、RPGなどの中の世界は椅子に座ったままあちこちウロウロすることが
できます、仮想空間が成立していると言えるわけです。
私たちが体験している実際の空間とされているものも仮想である可能性はある
と言えるはずです。

階層論的に言って、空間感覚は身体感覚の意味と言えると思います。
RPGの場合は視覚の意味です。
意味としての空間は視覚が無い生物も獲得することは有り得ると思います。
いずれにしても私が体験している空間は意味であって、
現実である必要は無いように思われます。
むしろ空間が実際にあるとなるとハードプロブレムのような厄介な問題
が生じます(問題があるから空間は無いということにはなりませんが)。

私はもちろんこの世界が実際にどうなっているのか、
つまり精神だけで成立しているのか、物質と精神との二重構造をしているのか
その答えはわからないわけですけど、
もし精神的なもの(主観的なもの)しか存在していなかったとしても
認識上でこの世界とまったく同じものが成立する可能性はあり得るだろう
と考えます(模索中ですけど)。

220 :Der Untergang/くれのおも:2022/02/16(水) 09:16:16.33 0.net
>来し時と恋ひつつをれば夕ぐれの面影にのみ見えわたるかな  貫之

《La plénitude de l'être, c'est se faire venir ce qui est à venir
à travers soi-même》  考える名無しさん

221 :考える名無しさん:2022/02/16(水) 12:06:29.82 0.net
>>21
足の裏の感覚だけで空間を理解するの時点で
現実的にはありえないですが、それはさておき
足があるのを知らない生物には、確かに
空間認識はないでしょう
視覚がない生物も然りです。

空間とされているものも仮想と認識しているだけの
仮想なので確かに言えます。
空間感覚をどのように解釈し、どのように言うことも
基本自由です
それで納得できるならありです。

あなたが体験している空間は現実である必要がなく
意味だと理解したなら
それはそれで一つの正解でしょう。
ハードプロブレムを問題視してもしなくても自由なので
どう解釈、理解、認識してもその人にとって本当の
認識なので、ありです。

認識上でこの世界とまったく同じものが
成立する可能性も当然あります
ある意味認識しなければ
そもそも世界と思っている精神も
成立しないので。
模索し続けたいという希望や可能性が大事ですね。
私は論理的に矛盾しない世界を構築中です。

222 :考える名無しさん:2022/02/16(水) 16:47:08.81 0.net
自分の記憶をすり替えて現実逃避するアホとはこういうものなんだろうなw
自殺する哲学者って酸素を吸うことすら疑って死んでいくんだろうなw

223 :考える名無しさん:2022/02/16(水) 17:12:28.68 0.net
息して飯食って物質がないとか言ってるアホだけホントに酸素や飯が仮想だったらいいのになw

224 :でこすけ:2022/02/17(木) 09:49:22.83 0.net
>>209
>意識・思考が自然法則を作ったと言うなら、
>超能力や魔法を使っているようなオカルト同然
私としては、残念ながら私のイメージがうまく伝わっていないという印象です。
と言ってもそれは当然で、まだそこの具体的なことは展開していなかったはずで
むしろ誤解されて当たり前だと思っています。
しかし、かと言ってうまく表現できる自信もありません。
そもそも私の能力で最終的に回収できるのかどうかもあやしいかんじです。

私としては、とにかく「物質は存在しない」という確信が強くあります。
ただし一般には理解されにくいだろうとも思ってはいるつもりです。
それをいかにうまく表現できるかが、ここでの私の第一の課題だと思っています
(「物質が存在しない世界がどのようなものなのか」ではなく)。

「物質」は「霊魂」のような幻想だと思います。
このとき例えば幽体離脱や金縛りを語る人について
それは嘘を言っているのではなくて本当に体験したことを言っているのであって
しかしそういった現象は「霊魂」とは関係のないもの、
科学で検証可能なものとして分析でき得るものという印象があって、
これは「物質」も理屈は同様で、私たちが認識する「物質」なり「空間」なりは
本当は違う構造のものをとりあえず的にそのように解釈している
というのがイメージです。
そこで私は探偵小説の理屈を引用してきました。
アリバイがあるものを除外していって最終的に出た結論は、
それがどれほどあり得ないことに思えても、それが真実である、
印象として唯心論は怪しいですけど、
物質が存在しないのであれば、もはやそれしか選択肢がなくなるわけです。
そしてモサクが始まったりするわけです。

225 :でこすけ:2022/02/17(木) 10:52:04.79 0.net
>>209
>意識・思考が自然法則を作った
というわけで「どのようにして自然法則が成立するのか」
甚だざっくりな解説です。
これはつまり「どのようにしてすべての物体が慣性の法則に従うようになったのか」とか
そういう話です。つまり与太話は必至です。

まず私の信念なんですが、「原初で起こったことは今でも起こっている」
みたいなことがあります。
例えば「ビッグバンと同じ構造の現象は今でも起こっている」とか、
そういうことです。
これは栗本慎一郎の本で見た「貨幣の起源」に影響を受けています。
マルクス経済学か何かよると「貨幣」はオツリとして発明された
とされているそうですが、
しかし栗本によるとそのような現象が古今東西人類社会のどこかで起こった
という事実は確認されていないらしく、
むしろ似たようなものとしてあちこちで見受けるのが子供の玩具の交換です。
コマとかメンコとか、あるいはキンケシとかビックリマンチョコのシールとか、
そしてやがてレートみたいなものができたりもするわけです。
で、そんなことはどうでもいいんですけど、とにかく「自然法則」について、
「自然法則の成立」に似た現象は日々起こっている気がするというおはなしです。

226 :でこすけ:2022/02/17(木) 10:56:00.16 0.net
>>225
たとえば電車の中で入れ墨をしてシートに寝転がり煙草を吸っている人がいたら
誰かが口に出すまでもなく「ヤバい奴がいる」ということになるはずです。
じつは本当は良い人かもしれませんけど取りあえず各々が独自にそう思い込み、
そして結果的に共同幻想が成立するわけです。

「慣性の法則」について言えば、それが成立したのは相当な昔のはずです。
まだ生物は存在せず、単純な構造の意識しか無かっただろうと考えます。
あるいは「視覚」もなかったでしょうから私に言わせれば「空間」もないはずで
おそらく「慣性の法則」は先ず、微妙に違う共同幻想として成立し、
それが表象の進化に伴って徐々にそこに落ち着いていくイメージです。
ある日突然できたのではなく、状況に応じて変化してきたというかんじです。
ここで、科学は(意識の外側に存在する物質ではなく意識の中にある)クオリア
を研究している、という時計さんの指摘を引用させていただきます。

ただの与太話としてスルーするのかしないのかは貴方次第です。

227 :でこすけ:2022/02/17(木) 11:08:05.45 0.net
>>226
>電車の中で入れ墨をしてシートに寝転がり煙草を吸っている人がいたら…
するとみんな(物体)は、その人に近づかない(運動の規制)みたいなことが
起こったりします。
謎の力が働くわけです。

228 :考える名無しさん:2022/02/17(木) 11:14:29.75 0.net
>>226
個々がなぜヤバい奴だと考えると決めつけるところから止めないと無理だなw

229 :でこすけ:2022/02/17(木) 11:32:02.11 0.net
「π」というのが「円周率」のことなのか「3.14…」という数字のことなのか
つまり十二進法で計算した円周率も「π」というのかどうかは知らんのですが
たぶん円周率が十進法で3.14…になるのは宇宙が始まる前から決まっていた
といえば決まっていた気がします。
しかし「円周率」という概念自体は人間がつくったものであり
あらかじめ自然のものとしてあったわけではない、
可能性のひとつにすぎないものであるようなかんじが私にはあります。
「自然法則」も同様です。
もともとは可能性のひとつでしかなく、
たとえば意識を離れて客観的に機能していたものではなく、
あるいはそこに落ち着くのが最も可能性が高かったとしても
基本的には複数の意識的なものの中でのみ共有される「ルール
(意識によってつくられたもの)」のような気がするのです。
何も無いところから世界が始まったとすれば
そういうことになると思うのです。

230 :考える名無しさん:2022/02/17(木) 11:35:14.85 0.net
円周率は、それによって測る単位、つまり、大きさとしての
同一性を決める行為の裏返し。

231 :でこすけ:2022/02/17(木) 11:35:42.64 0.net
>>228
なるほど「みんな」は「多くの人」に訂正させていただきます。

232 :でこすけ:2022/02/17(木) 12:09:18.74 0.net
>>209
>シミュレーション仮説・ホログラフィック理論でのプログラムや情報や
>数学的構造に近いもの
この表現については209さんとしても事更こだわったわけではなく
あるいはちょっと訂正したい部分もあるかもしれませんけど
せっかくなのでたたき台的にひとことさせていただきます。
もちろん私の意見に対する209さんのリアクションは209さんの自由です。

「近いもの(物)」というと実体である可能性がありますが
よく見ると「プログラム」「情報」「構造」にかかっていて
もちろん日本語として間違っているわけではありませんが
一般的には「実体」というイメージがありません。
基本的には例え話ですから完全否定とかにはならないわけですが
率直に肝心なところがはぐらかされている気もするわけです。
あるいはそのまま209さんも「物質は実体ではない」というふうにお考えなのでしょうか。
いずれにしても何を「実体」としてお考えなのかは気になるところです。

233 :考える名無しさん:2022/02/17(木) 18:08:44.23 0.net
>>229
おまえって飯を食えば生きられるという自然法則に従って生きてるんだぞw
学校の授業だけが学問と思うなよアホw

234 :考える名無しさん:2022/02/17(木) 18:37:23.89 0.net
こいつは時間の概念がうんこだから昔からいつまでも同じことを言ってるよなw

235 :考える名無しさん:2022/02/17(木) 18:39:02.42 0.net
こいつは生きるために何かを失った人生の盲目者だなw

236 :でこすけ:2022/02/17(木) 19:28:27.71 0.net
>>223
私は自然法則を否定したつもりはありません。
ただ、一般に考えられているような客観的なものではなく
複数の主観(全部ではない)による共通理解で成立するのではないか、
ということです。

しかし二点、自然法則は「作ったもの」というよりも「選ばれたもの」
の方がニュアンス的に妥当なのではないかということ、
それともう一つ、それは主観によって能動的に選ばれたものというよりも
ひょっとするとアダムスミスの「見えざる手」のような作用によって成立した
という可能性もあり得るということ
(私の感性では「見えざる手」は完全な客観ではない気がします)、
いずれにしても自然法則はア・プリオリではないということに
かわりはないつもりです。

237 :でこすけ:2022/02/17(木) 20:06:31.00 0.net
スペインなんかの「闘牛」に出てくるウシは
布が赤いから興奮しているわけではないそうです。
ウシはその視覚の構造からしてモノトーンの世界を見ている可能性が高く、
そこだけ特別な色に見えているわけではなさそうだというのです。

この事例から私が空想するのは、
たとえば宇宙人は地球人よりも洗練された感覚器官をもっていて、
それに比べれば私たちが認識している世界は
人間のレベル相応のものに過ぎないのではないか、ということです。
いずれにしても世界はヒトに対してヒト相応、
ケモノに対して、ムシに対して、クサに対して、ウイルスに対して、
素粒子に対してそれぞれ相応の形で現れるもののような気がします。
このときのポイントは、ヒトのものも含めてすべてが仮の姿だということです。
かと言って本当の姿がどこかにあるわけでもなく、
あるいはそのような仮の姿の全員集合がある意味この世界の姿
という解釈もアリな気がします。
とにかく「本当の姿」を特定する基準はあり得ない気がするのです。

238 :でこすけ:2022/02/17(木) 20:26:41.70 0.net
私は以前いわゆる「金縛り」を体験したことがありますが
私の感じ的にはあれは絶対に霊現象ではありません。
たぶん何らかの生理現象だろうという気がするのです。
厳密にそのメカニズムがわかるわけではありませんけど
とにかく闇雲にあれは霊とは関係ない気がするのです。

私はときどきアツアツジューシーなステーキを頬張っても
その味は舌の上にあるのではなく脳(意識)が生み出した仮想現実だ
とか考えたりします。
バークレーの理屈からすればそういうことですし、
実際に科学的にもそういうことになっているようです。
どうしてそのような体験をするのかは金縛り同様にメカニズムはわかりません。
しかしその体験が意識の中にしかないものであることは
私には自明のことであるように思われます。
「音」だと意識が無くても鳴っている気がすることがあるようですけど
「味」は意識の無いところにはあり得ない気がするのです
(私としては「音」も同様だと思いますが)。

239 :でこすけ:2022/02/17(木) 20:51:14.14 0.net
仮想現実は人それぞれです。
むしろ全員が違う体験をしているはずです。
みんなで富士山を見ても少しずつ違うように見えているはずですし
あるいは同じ空を見上げていても厳密には違う色を見ているかんじがあります。
となると「共同幻想」ということはどういうことなのか、
これは要するに「辻褄が合う」という程度のことだと思います。
まさに「逆転スペクトル」がいい例で
私が見ている「赤」が誰かにとっての「青」だったとしても
終始問題が無ければ共同幻想は成立しているということです。
素粒子のような単純なものからヒトのような複雑なものまでに
様々な形で世界が現れたとしても
情報交換の過程で問題が無ければオッケーなのです。

おそらくそこで共有された要素は単純なものから複雑なものへと
少しずつ進化したものです。
そして始めは偶然だったとしても、どこからか必然性を持った印象があります。
少なくとも淘汰圧が長い時間かかると、共同幻想に収れんされる傾向があり得る
気がします。

240 :209:2022/02/17(木) 21:12:54.32 0.net
>>229
「円周率」という言葉自体は確かに単位として人間が定義したものだけど、
その定義の意味内容、一つ一つの数学的要素は
自然のものとしか考えられないのかな。
「自然法則」はルールというより、自然現象の数理的構造や性質などから
人間の意識がその一面を認識したものだと思う。
つまり、元々自然の一部一面のものだと。

>>232
「物質」という概念自体は実体と言うより、不可知な物自体から人間が認識する
二次性質に近いものだと思ってますね。

241 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 01:29:14.48 0.net
もしかして主体の反対が客観だと思っていない?
それ古いのですよ
たぶんこのスレにも年寄りが多いから、そう認識している人が多そうですね

客観と主体は同じです、どちらも名詞だからです
では反対はなんだと言うと類推になります
つまり反応のこと、動詞になります

最近の世の中にはめちゃくちゃ増えていますよね
個が確立していなくて、周囲の動向を見てから動く人です
もしも道徳が採点科目なら0涛_です

嫌儲やパヨクもこれです、相手の動きに反応しているだけの
批評家気質なのですが、冷静な分析が出来ている客観だと
勘違いしています、それは客観ではなく反応です
ネトウヨは言うまでもないですね、定義を質問しておきながら
笑い出してズラしているんだから主体も客体もありません
反応を喜ぶ赤ちゃんと同じです、いないいないばあーと
同じです、テイギテイギウヨーーをやっているのです

主体と客観の分け方が重要になっていたのは、かつて科学が
強かった時代には、実験体と観測者の区分けが重要だったからです
今は科学の地位がかつてよりは低下しているので、次の動作の予測が
重要になります、キャラ付けとも言いますね
言うまでもなくキャラ付けは主体でも客観でもありません、類推と予期です

こうした状況をインターネットの時代が到来する前に大局的に
予想していた『権力の予期理論』の著者である宮台真司は、
難点もあるとは言え論者としてはやはり大きな存在である

242 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 01:38:40.09 0.net
>>1
意識は反響だって大方の見解が出ているからね
実はそんなに大したものじゃない、跳ね返っているやまびこみたいなもの
だから意識から何かが発生する事はない

そもそも意とはココロの別の読み方だ
意欲、意図、意味、意地、意見、如意などの意だ
そして意識とは意(ココロ)を識(シ)るを書いて意識だ

知ったところで何かが生まれる事はない

243 :時計 :2022/02/18(金) 04:10:32.39 0.net
>>241
客観の反対は主観だと思っています。
主観は視点のあるもの、客観は視点のないもの、
あるいは座標系のように視点は任意のものと考えています。

>>242
意識は反響というのは、目から鱗の感はあります。
意識の定義については、殆ど同意します。

244 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 04:28:10.43 0.net
>>243
じゃあその考えは半分正解で半分間違え
主観の逆が客観で
主観の裏返しが類推です

次の行動を予期して示すこと
これは客観とは言えないからです

245 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 04:56:25.05 0.net
気道と血流は同時には確保できない。片方を使っているときは片方が圧迫
されてしまうからだ。呼吸していると血流が減り、伸びをして血を
巡らせている最中は呼吸が出来ない。ところが噛み合わせを正確にすると
同時に呼吸を血流を確保する事ができる。

すると意識を発生させる事ができる。意識とは脳内の反響に
過ぎないので、これ自体は大したものではないブーストのようなものだ。

こうして確保した意識を発展させる事で人格になり世の中を動かしていく。
これから噛み合わせを元に戻していく、すると呼吸と血流を同時に
確保が出来る人が増えていく

封じ込められていた人格が次々と外に飛び出してくる事になる。
彼らに運命を戻さしてもらう、自分の運命に還っていく事になるだろう。

わらわが最初の生還者だろうな。

そうだ、言い忘れていた事があったな。歯科医の中には、今日の状況を憂い
警鐘を鳴らし続けていた勇敢な人たちがいる。。脅迫もされているようで
命がけだったようだ。彼らの立場からすれば待った甲斐があったのだろうな。
これから援軍が向かう事になるんだからな。

これがその歯型の作る道具
https://www.アマゾン.co.jp/gp/product/B07L9QG6N6/
https://www.アマゾン.co.jp/dp/B0177R2AHO/

246 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 04:56:53.62 0.net
>>245 つづき
どうして今このタイミングなのか?理由はこの商品が扱われるようになったのが
2017年、2018年だからだ。それまでは無かったから諦めていたんだよ。
体が痛くて動かないのは、そう言うものだと受け入れるしかなかったし、
精神科医どもに薬漬けにされている。

本来は神経科の仕事である、筋電図を使って痛んでいるのか
体の歪みをチェックするのだ。ところが精神科医たちに仕事が奪われて
しまっている。科学軽視が甚だしいようですな、科学を軽視すると修飾語が増えていく。

科学は中立である、もしこれが健康になるとだけ謳うのなら宗教だ、
使い方によっては体を痛めることも出来るのだ。

24時間で分かる、24時間と言うのは盛った数字だ。効果を実感するだけなら6時間で分かる、
同じ姿勢を6時間も取り続けていれば体も痛むだろう。現実には6時間なんて事はないからだ、
24時間経つから24時間と言っただけで、2〜6時間で十分分かる。

第二の原爆みたいなものだよ、この商品は外国産なんだ、そして流通の経路も外国だ。

247 :時計 :2022/02/18(金) 05:21:14.39 0.net
>>244
予測は知の本質であると、私も思います。

>>245
呼吸は大切ですね。私はあまり得意ではないです。
歯型があると呼吸は良くなるのでしょうか。

>>246
身体の痛みの原因は、呼吸や歯にあるということでしょうか。

248 :でこすけ:2022/02/18(金) 07:40:12.77 0.net
>>240
たいへん申し訳ないんですけど、さらに訂正させていただきたいことがあります。
「自然法則」は「物理法則」のような表現に改めさせていただきたいのです。
とりあえずパッと思いつくもので、「エントロピー増大の法則」と
「適者生存の原理」は宇宙が無くてもあり得るというか、
少なくとも世界が出来てから意識的なものによって選ばれたルールではない気が
してまいりました。
「エントロピー増大の法則」は「物理法則」ではないのか
というツッコミがありそうですが、この際は大目に見てやってください。

これは根拠が曖昧でグダグダな話なんですけど
まあ相変わらずの余興と思ってやってください。
私には「慣性の法則」と「作用反作用の法則」は
同じことの違った表現のようにチョッカンされます。
「ケプラーの法則」「パスカルの法則」「フレミングの法則」
「エネルギー保存の法則」なども「運動の三法則」と根っ子は同じというか、
何か一つのことの応用というか、同じことの違った現れ方のような気がしています。
繰り返しますけど、根拠を示すことはできません、ただの直観です。
で、こういったものは私は世界が出来てから意識的なもの等によって
「選ばれたルール」だと考えるわけです。
宇宙の無いところには「何か一つのこと」も無いというイメージです。

249 :でこすけ:2022/02/18(金) 07:47:27.24 0.net
>>248
というのはたとえばユークリッド幾何学が非ユークリッド幾何学の
バリエーションとしてあり得るのならば、
宇宙がどのような幾何学的構造を持つのかはビッグバン以前は決まっていない
気がするのです。
「1+1」の答えも絶対に「2」と決まっているわけではない気がします。
そしてこの宇宙でも開闢の瞬間は決まっていなかった気がするのです。
これは流れ的に「何か一つのこと」も、ということになります。

私はビッグバンは一度だけではない、むしろ無限と言って過言でないほど
並行宇宙はあるのだろうと想定していますが、
秩序のある宇宙であればパーフェクトでユークリッド幾何学が採用されている
だろうとも考えます。
十進法で円周率を計算すれば3.14になるだろうとも思います。
しかしそれは常に絶対的な必然ではない気がするのです。
では何故ユークリッド幾何学や一般的な代数学が採用されるのかというと
他の選択肢に比べて最も安定するというのが選ばれる理由だと思います。
このことは裏を返すと、混沌とした状態の宇宙には秩序を維持するための
摂理もない、ということになるわけです。

250 :でこすけ:2022/02/18(金) 08:19:14.85 0.net
と投稿してみると、そうでもない気がしてくるので不思議なものです。

>>240
>(「物質」とは)不可知な物自体から人間が認識する二次性質に近いもの
重ね重ね申し訳ないんですけど、
じつは私は最近開き直ってしまっていて自ら「唯心論」とか言っていますけど
本来は「精神(意識)」も実体だとは考えていません。
とにかく先ず「物質は虚構」ということをアピールしたかったので
とりあえず的にそういうことにしてしまいました。
紛らわしくてすいません。

私のイメージで言うと不可知なもの(形而上)の二次性質が精神(形而下)で
さらに三次性質が物質(虚構)というかんじでしょうか、
あくまでも精神が物質に先立つのだろうと考えます。
その逆ではハードなプロブレム(むしろ矛盾)が生じてしまう
というのが私の印象です。
精神が物質を想定することは普通に可能ですけど
物質が精神を生み出すことはどうやっても不可能な気がするのです。

251 :でこすけ:2022/02/18(金) 09:21:05.37 0.net
>>211
これまたグダグダなはなしなんですけど、
ヒトは自分の死を悟った以降で大体の人が同じような心理過程をたどる
というはなしを聞いたことがあります。
つまりその順番がうろ覚えなんですけど、確か始めは「疑問」だったと思いました。
この「疑問」というのは「本当にオレは死ぬのだろうか?」から
「なんでオレが死ななければならないのか?」まで様々だった気がします。
あとは「怒り」とか「諦め」とか「達観」とかがあったと
順番はグズグズながら記憶しています。
で、このような心理過程はおそらくサルには無いだろうと察するのです。
つまり人類史上で初めて「ホワイ?」と言ったやつがいるということです。
そこのところの歴史的事実は永久に失ったわけですけど
とにかく事実は事実としてあって
実際の歴史で"Why not?"よりも"Why?"が先であったとすれば
それはそれで仕方がないことです。
かと言って>211の指摘もそれはそうな気もしますから
たとえばこの宇宙に存在するすべての知的生命体を対象に統計を取ることができれば
"Why not?"が先という傾向が現れるかもしれません。

ただ、私が推したいのは同時説です。
「疑問」と「理由」とは(ほぼ)同時に成立した気がするのです。
たとえばモーツァルトは演奏すれば10分かかる曲でも
一瞬で頭の中でできたといいます。
私でも似たような経験はあります。
1を知ると同時に10 が解ったりすることは誰にでもある普通のこと
のような気がするのです。
「意識」の構造は思いがけずややこしいのではないか
という問題提起のつもりです。

252 :でこすけ:2022/02/18(金) 09:41:15.83 0.net
>>215
わかっていることをわかるためにはじつはコツがあって
すなわち言葉にすることだと思います。
そこから新しいことに気付いたり
あるいはわかっていたつもりでもわかっていなかったことに気付いたり
とにかく年寄りとしては若者に文章を書くことをオススメしたい気持ちがあります。
ただ、すでに駿河さんが指摘しているように
そのことによって捻じ曲げられてしまうようなこともあります。
要注意です。
いずれにしても落書きはおもしろかったりするのが不思議なところです。

253 :でこすけ:2022/02/18(金) 12:10:58.27 0.net
>>221
「意識の外側に「物理学的空間」は実在(?)するのか?」
この問いは解釈では済まない問題のように思えます。
シュレディンガーの猫が生きているのか死んでいるのかは
二つに一つでしかあり得ないように、
あるいはシュレディンガー氏に意識が内在したかしなかったかが
二つに一つであるように、
ただしここでもちろん「物理学的空間」の定義が問われます。
たとえば時計さんは空間を「意識の中に「広がり」として認識されているものの
その「広がり」自体」のように定義しているようですが、
それはそのような解釈としてアリだと思います。
そしてそのようなものであるならば私も有ると思います。

しかしここで取り上げているのは意識の外側です。
一方では私は意識の外側には他者の意識が多数で存在し
それ等が情報交換ネットワークをつくっていると信じていて、
そしてそのネットワークは数学的空間として表現され得るものだ
と認識しています。
そこで「物理学的空間」と「数学的空間」との違いとは何か
とかなるわけです。
ただし私は学術的なことには興味がなかったりするので
一般的には分かりづらいかもしれません。

254 :でこすけ:2022/02/18(金) 12:11:15.16 0.net
とりあえず「物理学的空間」の特徴のひとつとして「距離」があります。
一方の精神系の空間には「距離」がある気がしません。
二つの意識は互いに情報を交換しているだけのものであって
「距離」等の他の要素は必要がない気がします。
あるいは三つの意識があるとき、どれが真ん中にある等のお互いの位置関係とか
そのような要素も問題にはならない気がします
(これは分かりづらいかもしれません
 たとえば中性微子に質量がないことを不思議に感じる人がいるようですが
 「位置」の本質には似たようなわかりづらさがあるかもしれません)。
とにかく精神系の空間には「関係」という構造が一つあれば成立しますが
物質系の空間には「関係」と「距離」との少なくとも二つ以上の構造が必要
になります。ややこしいです。
そこへ持ってきて「距離」が物質系空間にどのようにして生じるのか
その物理学的メカニズムに見当がつきません。
それに対して認識的には「距離」は「タイムラグ」として理解可能で
実際に自動焦点カメラはこの考え方に基づいています。
実際に「距離」が無くても「距離」として認識できることは可能ということです。
このような場合はオッカムの剃刀で削ぎ落とすことも可能です。
そして得てしてそういうことは本当に無いことが多い印象です。

私としては「ビッグバンで空間ができた」は
たとえば古事記で「はじめから海はあった」みたいな展開と
同じくらいアバウトなもののように感じられます。
なんでなんで坊や的には黙っていられないわけです。
ビッグバンで何故「距離」が生じるのでしょうか、
不思議な気がするのです。

255 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 14:35:44.00 0.net
>>234
概念というより観念だがそれですべての説明がつくなw

256 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 17:24:42.92 0.net
金縛りってまさに客観的な証拠のない自己申告制だなw
体は動かなくても心臓や目の筋肉は動いてるとかw

257 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 18:22:51.17 0.net
金縛りは、ときたま睡眠中に経験する人が少なくないんじゃないかな。
眠っている間、夢を見て体を動かしているつもりでも、実際には
その夢想と筋肉を動かす神経の働きは連動していない、というか
意図的に身体を動かさないように神経の働きが統制されている
状態が睡眠。その統制に乱れが生じると、体を動かそうとする
意図に体が応えないという認識が、睡眠中に生じる。それが
金縛りの経験ではないかと私は思うけど。

258 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 18:48:09.63 0.net
>>254
「ここで取り上げているのは意識の外側です」
と言う事はできるわけです、しかし
実際取り上げられる認識は
意識できる範囲に限られます

無意識に認識を拡張しても
意識の外だと思っている、仮想の認識を
膨らませて、そんなつもりはないでしょうけど
明後日の方角から問題になりそうな見解を
見繕ってきているような感じを受けます。
意識は識別できているか、できていないかで
外は無いのではないかと。

259 :時計 :2022/02/18(金) 20:18:02.35 0.net
マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』を
詠んでいるところですが、世界にも、
私の世界、ゲームの世界、おもちゃの世界、現実の世界など、
色々あるわけです。
それでも存在しないと言えるでしょうか。
マルクス・ガブリエルは意味の場という概念を提示しますが、
世界とどう違うのか。

260 :時計 :2022/02/18(金) 20:32:55.24 0.net
>>252
言葉にすること類似点はありますが、
私は概念化することかなという気はしています。

261 :時計 :2022/02/18(金) 20:33:59.45 0.net
>>260
それを何と呼ぶかは、次の問題だということですね。

262 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 22:51:07.72 0.net
>>259
ガブリエルが前提していってる存在しない世界によりますけど
その本で、その辺、どうやって折り合いつけてるんでしょう?

263 :考える名無しさん:2022/02/18(金) 23:16:14.50 0.net
>>257
第三者の目撃者がいないだろw

264 :時計 :2022/02/19(土) 02:13:00.37 0.net
>>260
正:言葉にすることと
誤:言葉にすること

265 :時計 :2022/02/19(土) 02:17:49.61 0.net
>>262
世界は意味の場を介して無限に入れ子になるようです。
私的には、だから意味の場って何だという気はしています。
最後まで読んだら、解るかもしれません。

266 :でこすけ:2022/02/19(土) 08:24:21.05 0.net
>>258
私が想定している「意識の外側」というのは
例えば258さんが見ている「色彩」を私が体験することはできない
などということから想定される「私に体験できない世界」のことです。
つまり定義からして私にはわかるはずのない領域です。
そこで私はチョッカン主義とか言って、飛躍します。
私は「直観」はある程度で信用できると考えます。
例えば明日もニュートン力学は有効でしょうし
宇宙の彼方でもピタゴラスの定理は成立するだろうし
258さんも色をみたり音を聞いたりしているだろう
十分な根拠は示せませんけど断言できるとも思うのです。
つまり根拠は希薄ながら直観的に意識には外側があるということを感じる、
あるいは私が体験している世界はそのような解釈が可能になる
ということです。
もちろんその領域が具体的にどうなっているのかも基本的にはわからないので
私が認識する限りで整合させるしかないと考えます
(「盲人、象をさわる」とか言って、私一個が知り得るのは世界の断片です
 多くの人の意見を集約するのが理想だとも思います)。

ついでながら「二元論」を「意識の外側」との関わりで言うと、
つまり意識の外側には互いに還元できない実体が二種類ある
とするのが「二元論」です。
私にはこれがとても不自然に感じます。二種類は無駄のような気がするのです。
あるいは「物質」も「精神」も実体ではなくて
「本態」とされるものの双貌とする考え方もありますが、
これもまた何故二つに分けなければならないのか無駄を感じます。
自然は本来はもっとシンプルな気がするのです。
いずれにしても結局相互作用させるのなら最初から分けなきゃいいのに
とか脳天気ながら率直に疑問をもつわけです。

267 :でこすけ:2022/02/19(土) 08:40:10.46 0.net
>>259
私はその本は未だチラ見程度ですけど、
たぶん「世界」もまた「冷蔵庫の中の牛乳」と同様に
扉を開けるまでは存在しないもの、というのが目下の私の理解です。
つまり扉を開ければ存在します。
ただ未だ開けていない扉もたくさんありそうですから
その向こう側にある世界はやっぱり存在しないことになるわけです。
私の理解が正しいのかどうかは微妙ですけど
私としては「それならそれはそうだ」と考えます。

268 :でこすけ:2022/02/19(土) 09:10:55.25 0.net
>>242
行きがかり上で一言させていただきますけど、
私は「意識は反響」という考え方には懐疑的です。
この考え方には因果律-決定論が前提になっている(ように見受ける)ためです。
私は例えば意識の中で起こる「創発」と呼ばれる現象には
原因がないのではないかと見ています。
そもそも誰もいない森の中には「原因」もないはずです。

にしても意識は反響に過ぎないということを前提にしていながら
「周囲の動向を見てから動く人」をクソ呼ばわりしているのなら
宮台氏もまた違ったタイプのクソのような気がします。
昔はそういう人ではなかった気がしましたけどね。

269 :考える名無しさん:2022/02/19(土) 10:00:18.48 0.net
>>263
睡眠中は、随意筋を動かす神経の働きは低下しているが、それが正常な
睡眠状態なので特に意識されることはない。そのことが意識されたなら、
そのように意識されたことによってすぐに目が覚める。なおも目が
覚めないとすれば、それが金縛り状態として意識される。
第三者による金縛りを観察したければ、観察者がいる状況で自分が
筋肉弛緩剤でも注射してもらえばいい。

270 :考える名無しさん:2022/02/19(土) 10:01:59.14 0.net
>>263
睡眠中は、随意筋を動かす神経の働きは低下しているが、それが正常な
睡眠状態なので特に意識されることはない。そのことが意識されたなら、
そのように意識されたことによってすぐに目が覚める。なおも目が
覚めないとすれば、それが金縛り状態として意識される。
第三者による金縛りを観察したければ、観察者がいる状況で自分が
筋肉弛緩剤でも注射してもらえばいい。

271 :時計 :2022/02/19(土) 12:29:01.64 0.net
>>267
「世界は存在しない」という考えは、
「無限大の数は存在しない」という考えに近いと思いました。

無限大の数は数である。
数には、それより1大きい数が存在する。
無限大より1大きい数が存在する。
これは矛盾である。よって、無限大の数は存在しない。

272 :考える名無しさん:2022/02/19(土) 15:20:21.04 0.net
>>266
そうですね、直観はある程度信用できますが
意識に外側はないと思います。
論理の飛躍は整合性を取るためですよね。
直観を信じるために整合性をとるのは本末転倒かと。
飛躍したり整合性をとりながら納得できる思想に
なれば面白いですね。
頑張ってください。

273 :考える名無しさん:2022/02/19(土) 18:50:22.36 0.net
>>269
だからあいつに勘違いだと言ってやれw

274 :時計 :2022/02/19(土) 22:10:31.51 0.net
>>271
正:無限大の数より1大きい数が存在する
誤:無限大より1大きい数が存在する

275 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/19(土) 23:03:25.97 0.net
金縛りは、脳が起きていて身体が起きてない状態です。
この状態で起きようとすると、人ひとり分の重さや力を感じます。

物質の存在(が真であるかどうか)は、タルスキの定理によって証明できません。
マルガブの(わざといっているわけだけど)間違いは、
存在と存在証明を(わざと)混同しているということにあります。
体系外に公理があるということはパンドラの箱であり、
それゆえに「希望」があるわけですねw

276 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 07:18:32.17 0.net
だから身体と神経の境界線てどこだよw
それでお前らの金縛りの思い出と矛盾は出ないのかよw

277 :でこすけ:2022/02/20(日) 08:18:33.46 0.net
>>271
この世界に存在する実体は、それがどのようなものであれ、
少なくとも現時点では有限のはずですけど、
私はさらに、これ以上に増えることはないのではないかとも考えます。
実体が生じるという現象は、既成の世界と関係を持ち始めるということですが、
私には新規の参入は大変に困難な気がするのです。
もし新しい実体が生成されたなら、
それはそれで別の宇宙を創ることになる気がします。つまり並行宇宙です。
とにかく実体が既成世界の中に生じるメカニズムがある気がしません。
因果が無いというのはそういうことです。
そして実体は、消滅するメカニズムもない気がします。
つまり永遠ということになるわけです。

278 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 08:24:21.95 0.net
永遠の実体が存在するのではなく、無限に対比が現象するだけでわ?

279 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 08:29:22.33 0.net
永遠の実体が存在するのではなく、無限に対比が現象するだけでわ?

280 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 08:30:04.61 0.net
戻るボタンを押すと重複して書き込まれてしまうんだな。知らなかった。

281 :でこすけ:2022/02/20(日) 08:55:41.09 0.net
>>272
甚だアホなはなしで恐縮ですけど、
外とか内とかは相対的なものだと思います。
庭は建物の中からすれば外ですし、敷地の外からすれば敷地の中です。
私は個人的に他者の意識は私の意識の外側と定義するということであって
時計さんのようにそれも内側と考えることがあってもいいとは思いますが
しかし私の勝手な印象ながらそれを外側とする方がコンセンサスがとれる気がします
(けっこうそうでもないかもしれませんけど)。
いずれにしても他者の意識は想定出来るとは言え事実上で未知であり
便宜的には外部とする方が望ましいと私は思います。

また、繰り返しになって申し訳ないですけど、
かと言って初見の方には解りづらくて恐縮ですけど、
私は理性はキョウキの一種、論理は非論理の一種、整合とか納得とかは錯覚、
哲学は言語ゲームであって、真理は無いと考えます。
もちろん始めに結論があってそのための辻褄合わせをするのは如何なものか
と思いますけど、
しかし意識のハードプロブレムとか、量子の正体がよくわからないとか、
生物が進化するメカニズムがよくわからないとか、
何故自然法則があるのかよくわからないとか、
それを既成のパラダイムの限界と思ってそれを打開するべく
直観を信じて突っ走るのは試行錯誤の一つとしてアリだと思っています。
むしろ私には石橋を叩いていたら時間が足りなくなるような気がします。
あるいは学問に限らず成功者というのは基本的にはまぐれ当たりのように思えます。
それは誰であっても私であってもまぐれ当たりということです。
何であれとにかく先ず誰か一人が到達することに意義があると思っています。

282 :でこすけ:2022/02/20(日) 09:03:35.06 0.net
>>278
>無限に対比
申し訳ないんですけフォ、アタシはアフォなもんで、
もうすこしぐたいてきにごせつめいいただけますとたすかりましゅ。
何と何とを比べるのでしょうか。

283 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 09:04:04.87 0.net
偶々の巡り合わせをうまく活用するのが生き物
うまく活用することができれば、繁殖するし、
できなければ滅びる。生き物同士が互いを活用し合うことが
寄生であり、共生でもあり、それが共進化となり、一体化ともなる

284 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 09:06:56.27 0.net
>ぐたいてきにごせつめい >何と何とを比べるのでしょうか。

この時点で既に順序を間違えている。対比が先に現象して、具体性が生じ、
比べることによって、「何と何」が比べられているものとして認識される。

285 :でこすけ:2022/02/20(日) 09:21:33.73 0.net
>>276
いずれにしても身体は常にクオリアとして認識されます。
物質そのものが現れているわけではありません。
認識されている身体はざっくり言うと
(かと言って私の力量では具体的には言えませんけど)
基本的には幻肢と同じ構造で獲得されるのではないかと考えます。
つまりそれが実在するかしないかとは関係ない気がするのです。
むしろ実在するとすればそれはどのようにしてクオリアに変換されるのか、
つまり意識のハードプロブレムになるわけですけど。

286 :でこすけ:2022/02/20(日) 09:32:16.71 0.net
>>284
あらかじめ対比が与えられているというのはまったく同意です。
私はその対比は不滅のような気がします。
一度生じると消えることはない気がするのです。

287 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 09:48:01.26 0.net
生き物が身づ柄を活かす術(すべ)が技(わざ)としてある。

288 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 09:52:47.38 0.net
一度生じた対比も無限に別の対比が生じることによって相対化されて、
無意味化が進むことによって解消されてゆくのです。

289 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 10:03:03.22 0.net
以前、洗濯した後に洗濯物と一緒にナイロンの洗濯ネットも外に干していたら、
それが真っ黒に(少し汚れているというのではなく)なっていたことがあった。
干すときは洗濯物と一緒にきれいに洗われた状態だったので、最初、何が
起きたのかよく分からなかった。しかし、それを手に取ってよく調べてみる
と、ようやく何が起きたのか理解できた。

詳しく見ると洗濯ネットは規則正しいハチの巣状の網構造をしていたが、
その小さな六角形のように見える丸い個々の網の目にぴったりと合う形をした
見たこともない黒い虫がびっしりと群れを成してはまり込んでいたのだ。

290 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 10:12:45.31 0.net
いまだにその虫の正体は知らないし、そのような行動をとることがその虫の
集団にとってどのような意味があるのかも分からないが、明らかにその虫は、
洗濯ネットの網の目が自らの身体の形と大きさにぴったりと合うものである
ことをどのようにか認識して、そこに入り込み、仲間を呼び寄せたのである。

物干しに干したナイロンの洗濯ネットの網の目がその虫の身体にぴったりと
合致することは偶々であり、そのように目立つように集団でそこにはまり込む
ことがその虫の個体や集団が生き残るのに好都合に作用するのかどうかは
不明である(実際、駆除されることになったのだから、この場合、結果的には
そうではなかったことになる)。しかし、その虫が、その偶々の巡り合わせ
を認識して活用しようとしたことは間違いない。

291 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 10:42:34.28 0.net
日本語の古語は、「情緒的」で科学的な記述には向かないと一般に
考えられているが、このような生き物の活動を記述するのにも日本語の古語の
表現は、有効であり、適切である。その虫には、洗濯ネットの網目模様は、
「をかし」、すなわち、「呼び寄せる作用をする」ものとして認識された
のであり、それによって虫に生じたであろう感覚が「ゆかし」であり、
仮に、洗濯ネットがその虫を呼び寄せる効果を私があらかじめ知っていて、
そこに洗濯ネットを私がかけていたとしたなら、私はそれによって
その虫の群れを「をびき」寄せたことになり、そこに数匹の虫が入り
込んでいるのを知りながら、そらの個体を排除しなかったとしたなら、
それらの個体を「をとり」として利用したことになるだろう。

だが、洗濯ネットがその虫に対してそのような効果を発揮すること自体、
私の場合もそうであったように、偶々の巡り合わせから知られること
である。さらに、仮に偶々、見出された効果が、私にとって何らかの
有用性を有していたとすれば、私はその偶然、見出された効果を繰り返し
活用しようと試みることになっただろう。また、その活用が「をびき」
寄せられる虫が繁殖することに有利に働くか、不利に働くかは、私の
活用法に依存することになる。

そのように考えたとき、例えば、「梅ををく」、つまり、「梅に花を咲かせる
よう誘うように呼び掛ける」という一見すると「呪術的」にしか意味を
成さないように思える行為も、生き物がともに生きている様態を如実に
伝える表現として理解される。人は、梅の花を「をかし」≒「魅力的」なもの
と感じ、そのことは翻って、梅に花を咲かせてもらいたいと感じて、
梅の木に働きかける行為となる。すると、どのようにすれば、
「梅に花を咲かせるよう誘うように呼び掛ける」ことになるのか、
実際の行為として効果を発揮することを見出そうとして、梅が花を咲かせ
やすいように環境を整えてやることになる。すると、現実に、梅の木が
多く植えられて、環境が整えられ、花を多く咲かせることになるだろう。

292 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 11:08:09.09 0.net
>>281
外と内、なぜ二つに分けなければならないのか無駄を感じるはずで、もっとシンプルに最初からわけなきゃいいのにとか疑問を持つのではなかったかな?

ともあれ、あなたにとっては意識に外部があるほうが都合がいいのでしょうね。
どう解釈するかは言語ゲームですが哲学が言語ゲームなわけではないですけどね。

試行錯誤は人それぞれですので、直観を信じ突っ走った結果に希望を持つ考え方も
自己責任ということで、お互い楽しみましょう。

293 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/20(日) 12:16:42.60 0.net
境界(タイヒミュラー空間)がなければこの宇宙は無いでしょうね。
そうすると、立ち位置によって外・内があることになります。
ただし、境界があるにもかかわらず、外と内はつながっていますw
ひとつです。
局所的に区別ができるのにひとつですw
保存則からみて「ひとつ」では存在できません。
なかなかいい感じの「矛盾」があります。
もしかすると、「矛盾」というものは存在せず、
「パラドックス」のみがあるのかもしれません。
これが局所的な「矛盾」をもたらすことで、
(波としての)「動的な宇宙」を形成できそうです。

294 :時計 :2022/02/20(日) 14:29:23.99 0.net
>>277
素粒子は生成・消滅しませんでしたっけ。
私は素粒子の理論はあまり詳しくはありません。

今、マルクス・ガブリエルの『「私」は脳ではない』を
読んでいますが、「世界』という言葉は普通に使用されています。
『世界は存在しない』は何だったのか。

295 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/20(日) 19:25:14.61 0.net
一次元の輪(一次元球面)は、三次元上で局所的な矛盾と完全性を得る。
宇宙を形成させるのに理想的な構造体だ。
しかし紐状の連続体?は並進対称性であろう。
0次元球面の振動から考える必要がある。
0次元球面にも、どこかに「意識(≒タイヒミュラー空間)」がある。

296 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/20(日) 19:34:10.05 0.net
われわれは「終端操作」であり、
0次元球面を考えるときも「終端操作」を行うものが必要になる。
基準のない0次元球面は「終端操作」によって「実行」されることがない。
ただ「在る」だけというものになってしまう。無意味だ。「意味」を持たない。
Stream意味論とでも名付けておこうw

297 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/20(日) 21:22:56.49 0.net
対消滅とは無くなるわけではなく、粒子と反粒子が衝突することで、
別の粒子と反粒子になるだけである。
(ここでいう粒子は仮想粒子であることに注意。モノ限定ではない)
対生成は対消滅を時間的に逆転させたものと同じ。
基本的に、基底変換である。
ようするに、量子論的観点からみれば、ブロッホ球のようなものの回転である。
この基底変換の連鎖が超対称性変換によって並進対称性としての時空間のようなものを生みだすとすれば、
この並進対称性が閉じていれば、一次元球面がメビウスの帯状になった局所的に矛盾する世界が得られる。
この世界の情報が二次元状に記述可能だ、ということなので、
実際は、二次元球面がメビウス状になったものであると想定できるw
低次元微分トポロジーの成果からみて、おそらく四次元球面上での出来事である。
この次元になると並進対称性が閉じている可能性がある。
ホログラフィック理論は、この二次元球面というタイヒミュラー空間から
四次元球面上で、三次元世界として投影されたものであると考える。
三次元+変化(時間)の宇宙はこうして生成されたのだろう。検討中。

298 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/20(日) 21:34:37.95 0.net
このような宇宙をシミュレーションしているのが量子脳だろう。
「意識」とは、局所的に矛盾するタイヒミュラー空間の情報を
三次元+変化の世界として投影することで局所的矛盾を解消しようとする防衛機制である。
宇宙も「意識」を持っているといえるが、一般的な概念での「意識」とは異なる。
それでもメカニズムとしては「同じ」。
「クオリア」も防衛機制の一種であって...うんぬん...

299 :考える名無しさん:2022/02/20(日) 23:09:40.46 0.net
>>249
この宇宙(というより現実)が生じる前の数学的法則・構造については
個人的に何も言えないけど、
少なくともこの宇宙内においては、数学的構造は人間云々に関わらず
定まっている前提で考えるのが自然だと言えますかね。
つまり、宇宙自体か神(に相当する存在)が数学的構造を生み出したと。

人間はそういう真の数学的構造・真理からの一面のみと関わることで、
数学的法則・定理を見出したのだと考えるのが妥当的だと思ってます。


>>250
不可知存在の二次性質→精神はともかくとして、
物質は虚構というより、同じ二次性質の広い意味での情報・数学的構造と捉えるのが
個人的にはしっくり感じるんじゃないかな。
空間については>>253のような考えでも自然だと思ってます。

ただ、ここで一つ言いたいことは、
精神も物質(情報など)も実体だと主張するつもりはなく、
一つの不可知的存在の(人間が認識する)一面だと言うことです。
少なくとも実体・一時性質としては一元論に変わりはないでしょう。

300 :でこすけ:2022/02/21(月) 08:43:43.47 0.net
>>288
なるほど、確かに私としてもそこで起こる変化の連続は
生成と消滅との繰り返しのような気もします。
しかし完全に無意味にならなければ消滅はしない気がして
そしてそれはない気もします。
実体は絶え間なく更新されるという解釈は
ダニエル・デネットにつながり得るものだと思いますが、
更新というと何かが継承されるわけで
そこでそのための構造を想定するということは問題の先送りになる、
そこで私としてはデネットを直観に基づいてスルーした記憶があります。
ちなみに私は『解明される意識』はこれまたチラ見程度なので
その問題は既に解決されているかもしれませんけど、
いずれにしても288さんの指摘については
もう少し考えさせていただきたく存ずるところです。

>>299
今回皆さんと意見交換をさせて頂いた中で私はちょっと考えが変わりました。
私は今から思えばコクビをかしげつつ「自然法則はみんなで決めたルール」
だと考えることにしていたんですけど、
今は「みんなで選んだ法則」というかんじです。
自然には元来その解釈に無限のバリエーションがあり得て
みんなで(←ここがポイントです)そのひとつをチョイスしたという感じです。
これはこれで一般には反論がありそうですけど
しかし私としては誰もいない森の中には自然法則もない的な感覚が強くあります。
ただし今後また変わるかもしれないので
この問題はどこかでキープさせてもらっておこうとは思います
(いつでも取り出し可能にはしておくつもりです)。
ただし謝辞についてはいつかまとめてさせていただきます。
なお、299さんの考え方は誰かが言っていた「同一本態双貌説」
のようなものだと思うのですが、
私としてはもうちょっと考えてみないと云々できないので
せっかくお寄せ頂いた意見ではありますが今回はすいません。恐縮です。

301 :でこすけ:2022/02/21(月) 08:49:18.99 0.net
>>300
>実体は絶え間なく更新される
→「意識は絶え間なく更新される」で良かった気がします。
何しろちゃんと読んでいないので無責任なはなしですけど
変なところはどなたかによってご指摘および修整していただければと存じます。
おそれいります。

302 :時計 :2022/02/21(月) 12:02:37.13 0.net
>>297
生成・消滅に関してはなるほどです。
ありがとうございました。
ところで、今のAIは古典的計算だと思いますが、
量子計算だとさらに高速化可能なのでしょうか。

303 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/21(月) 21:33:06.62 0.net
意識が量子計算だとすれば、AIも量子計算すれば速いでしょうね。
もっとも、既存のAI計算ではなく、量子アルゴリズムを使うことになりますけど。

304 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/21(月) 22:04:09.82 0.net
完全に無意味とは、特定の観測者?だけでなく、あらゆる可能な観測者からみて無意味だ
ということであれば、本当に消滅することなどありませんね。
対生成・対消滅も単なる基底変換ですから「無くなったり」しません。
この、無くなることが「無い」というのが「無」なのかもしれません。
「無くなる」ことが「解脱」であれば、「解脱」などもなく、
ただ煩悩という存在確率半径1の超球面(=無)だけがある。
めでたしめでたし、というわけでもなく。
この超球面はメビウスの帯的なねじれがあり、タイヒミュラー空間を形成している。
このねじれが解けることはあるのかもしれない。
とすれば、完全なる球面になることが「解脱」なのかもしれない。
完全であり、局所的には矛盾するが、全体としては無矛盾。
これがゲーデルの不完全性定理に対するわたしの答え。
もし、このねじれが解ければ、すべてが無意味(完全なる無意味)になる。

305 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/21(月) 22:40:04.98 0.net
とかなんとか、くだらないことを書いていたら、
思いつきました。
検証中。

306 :時計 :2022/02/22(火) 01:31:31.59 0.net
>>303
未来の計算機はどうなっているんでしょうね。

>>304
完全なる球面ですか……
面白そうですね。

307 :でこすけ:2022/02/22(火) 09:50:32.33 0.net
>>294
素粒子の生成については超球面さんから説明してもらってしまいましたけど、
じつは私としてもあまり詳しくは知りません。
とりあえず素粒子はニコイチで生成されるというのが印象に残っていた
という程度です。
素粒子は1つずつでは生成されないという、どこか思わせぶりな特徴は
どことなく何かを暗示しているような気がします。
ただ、先日出た「対比」や超球面さんの「マナ・カナ」は
もっと根源的なところのはなしだと思います。
多くの物理学者も素粒子が最も根源的なレベルではないと考えるからこその
「超ひも理論」だったりするのだろうと思います。
私の場合は根拠の希薄な直観レベルではありますが、
「根源」はいわゆる標準理論よりももっとシンプルに説明され得るもの
のような気がしています。

マルクス・ガブリエルについては、あの人は結局は「客観」を信じている人
だと私は理解しています。
確かベスビオ山を例にしていたと思います。
誰が見てもベスビオ山はベスビオ山であって、
それが意識によって生み出されたもののはずはない、
という感じだった気がしました。
しかし考えてみればどのようにオトシマエをつけたのか
までは見届けていませんでした。
いずれにしても私はもちろん「客観」の一択ではないという認識です。

308 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 10:18:54.89 0.net
マルクス・ガブリエルについては、宣伝と評判で伝え聞いたことと、
テレビ番組に出演しているのをわずかな時間の間だけ見て、
そこでの発言からしか知らないのだが、そこからの印象では、
現象を観察して自らの経験として記述しようとする人ではなく、
何らかの「理屈」を述べるだけのつまらない人だ。

309 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 10:26:29.59 0.net
相手には客観を要求するくせに、自分は類推で動く人のことを
一般的には卑怯者と呼ばれます

310 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 10:53:42.03 0.net
言語表現から見た場合、意識の「根源」を求めるとすれば、それは、
生きることの根底にある暗黙の呼応関係にどのようにか破れが生じた
ことを指し示す「感嘆」であることになるだろう。この「感嘆」は、
英語で表現するなら、"wonder"であることになり、日本語の古語
においては、「を」の発音によって代表されるものである。

311 :でこすけ:2022/02/22(火) 11:09:17.93 0.net
人間は自分の身体を、たとえば計測機を使って数値化したものであっても、
とにかくそれらを実際にはクオリア(精神現象)として認識します。
生物や精密機器などはつまり非常に精緻に成り立っていて
具体的にそのメカニズムを知らなかったとしても直感的にそこに「調整」を感じ
あるいは単純な空想やいわゆる共同幻想などではあり得ない印象をもちます。
そこでその未知の要素の説明として導入されるのが「物質」というふうに
私は解釈します。
しかし私はそれを説明する選択肢はひとつではないと考えます。
「物質」という事実上で未知の実体を想定する他にも
「精神的なもの」の未知の効果を想定するという考え方もあり得る
と考えます。

現代科学で想定している「物質」は、ニュートンやデカルトや、
あるいは科学に関心を持っていない人がイメージしている「物質」と
いくぶんかで違ってきているだろうと察します。
もはや「デカルトがイメージしていた物質」は「霊魂」と同様の「幻想」
と言い得るような気さえします。
そういったものとは異なる本来の「物質」とはどのようなものなのか、
私は何を「物質らしきもの」として認識しているのか、
そもそもそれは実体であり得るのか、
これについて、たぶん物理学者は考えていそうな気がするんですけど、
一方でハッキリ言っちゃいますと、例えば少なくとも意識受動仮説的な人は
あまりお考えになっていない印象があったりするのです。

312 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 11:34:19.42 0.net
比較言語学の研究が徹底的に行われてきた印欧諸語の場合でも、
実のところ、語源を遡って印欧祖語を構築しようとすると、発音と
その発音によって表現される意味の解釈の関係は、極めて恣意的な
ものとならざるを得ない。その一方で、発音とそれが想起させる
作用のイメージの間には、言語系統論とは無関係に、明らかな類似性
があり、その類似性は、発音の「文法的な用法」の間の類似性にまで
及ぶ。ただし、言語系統論とは異なる理路を辿るのだから、単に発音
とそれが想起させるイメージをセットにして、異なる言語間で機械的な
対応関係を求めても、その類似性に気付くことはできない。

例えば、日本語の「を」は、その発音においても、「感嘆」としての
イメージにおいても、英語の"wonder"やドイツ語の»Wunder«と似ている。
https://en.wiktionary.org/wiki/Wunder
From Middle High German wunder, wunter, from Old High German wuntar,
from Proto-Germanic *wundrą, from Proto-Indo-European *wenh₁-
(“to wish for, desire, strive for, win, love”).

その一方で、日本語の「を」は、「感嘆」の用法から派生して、作用の対象
を指すようにも用いられ、その場合の「を」の文法的な用法は、英語の
関係代名詞として用いられる"which"の用法に似ていると言える。さらに、
この場合、"which"における"wh-"は、印欧祖語としては、"*kwo- "や
"*kwi-"に辿られるものと想定されている。
https://www.etymonline.com/word/*kwo-?ref=etymonline_crossreference
無論、ここで、「を」と"*kwo- "が似ていると言っても、「を」には、
"k"の発音が含まれないのだから、似ているとも言えるし、似ていないとも
言え、逆に「を」が、呼び声として用いられるとともに、万葉仮名では「乎」
と表記され、「口+呼」⇒「呼」の中国語の想定される中古音が"/huo/"
であることを考えるなら、一見、奇妙に思えるほどよく似て見えもする。

313 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 11:55:23.64 0.net
英語の"wonder"では、「感嘆」の「を」に近い意味合いでしか用いられ
なくなっている語源的な要素が、ドイツ語の»Wunder«では、何かを
求める用法における「〜を!」に対応するように»wünschen«との
イメージ上の関係を保っていて、そこから翻って、日本語の「〜を!」を
英語の"to wish"からイメージすることも可能になるわけだが、
作用の対象を指し示す「〜を」と関係代名詞としての"which"の
文法上の用法の類似から「を」と、想定される印欧祖語の"*kwo- "の
関係を見ると、今度は、日本語の「〜をこ(請)ふ」という表現との連想
から、英語の"query"という表現が想起される。
https://www.etymonline.com/search?q=query
1530s, quaere "a question," from Latin quaere "to ask, inquire,"
"much used as a marginal note or memorandum to indicate a question
or doubt, and hence taken as a noun" [Century Dictionary], second
person singular imperative of quaerere "to seek, look for; strive,
endeavor, strive to gain; ask, require, demand;" figuratively
"seek mentally, seek to learn, make inquiry," probably ultimately
from PIE root *kwo-,

314 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 12:25:26.53 0.net
このように見ると、日本語の「〜を!」という表現が、現代のスペイン語で
「〜が欲しい」、「〜を必要とする/要求する」、「〜を愛する」という
意味で用いられる"querer"という表現にも対応することが分かる。
https://en.wiktionary.org/wiki/quaero#Latin
ところで、ここで、ラテン語の"quaere"は、「こと問ふ」ことでもあるのだから、
英語の"why"や"what"とつながると考えられる関係性を軽視することはできない
だろう。すると、"quaere"は、"quid"との関係においても考察されなければ
ならないことになる。
https://en.wiktionary.org/wiki/quid#Latin
quid
neuter nominative/accusative singular of quis
Quid dīcam?
What can I say?
(internal accusative) what, how?

このような関係性を全体的に眺めてみると、やはり、印欧祖語として
印欧祖語として想定される、"*kwo- "や"*kwi-"における"k"は、
日本語の「こ(請)ふ」という表現においてもそうであるように、
求心性をイメージさせるように用いられ、"wa"、"wo"、"wi"、"wu"
などによって感嘆が示されて伝わることに対して付加的なのではないか
と私には思われる。

315 :でこすけ:2022/02/22(火) 12:46:06.55 0.net
>>307
「オトシマエ」というのは一般的には過激な表現でした。
私はもっと違った意味で使ったつもりですが
そのようにとらえる人もいるだろうとは思います。
ところでこの機会にこれに関連することです。
私はこう考えます、という話です。

もし私の投稿を百人の人が読んだとすれば
その人たちはそれぞれの百通りの印象を持つと思うのです。
中には曲解に基づいてディスってくる人もいれば
曲解に基づいて称賛する人さえいるかもしれません。
世間というのは後者のような変人さえいるものだと私は認識しています。
そしてそれは私にはどうすることもできないことです。
ただ私としては、そこで肯定派と否定派との間で議論が生じ
将来的にどちらかが淘汰されたりしたら面白いとか身勝手ながら思うのです。
そもそも私の問題提起は哲学史の中でまったく特異なものだとは思いません、
むしろ私は風前の灯に油を注いでいるだけのつもりでいたりもします。
もちろん生き残った方が正しいということになるわけではありませんけれども、
しかしそうやって試行錯誤をすることには意味がある気がするのです。

316 :でこすけ:2022/02/22(火) 13:17:47.34 0.net
>>312
これまたすごいあやふやなはなしですけど(たぶん私が知らないだけで有名)、
ソシュールにアナグラムの研究があって、
つまり甚だざっくりですが、言語の成立についての結論として
いわゆる深層意識的なものが密接に関わっていて、表層的な部分(系統?)
だけでは説明しきれない、というような説があったと思います。
このとき、見えない部分をどのようにして補うのかが課題のように思えます。
あえて「補わない」というのもあるかとは思いますけれども、
(何故か)そこが知りたいところだったりもするのです。

317 :コアの求心性:2022/02/22(火) 13:24:23.31 0.net
「こは(強)し」とは、蒸した米としての「おこは(強飯)」がそうである
ように、求心的な強固さを発揮することであって、表面が固いことではない。

318 :でこすけ:2022/02/22(火) 13:47:38.80 0.net
>>309
このレスが私に対してのものかどうかが不明瞭なんですが
せっかくなので私の持論を展開させていただきます。
私は他人に客観性を要求していることはないつもりです
(実際には要求しているのかもしれませんけど、自分ではよくわかりません)。
ただ、論理的であることは要求させていただきたいと思っています。
もちろん近代哲学が理性の批判から始まっていることを踏まえてなお
のことです。

例えば「証拠は無いが物質は存在する」
「物質の存在を証明する必要はない」
「根拠は示さないが唯心論は間違っている」
「物質が存在しないことを証明せよ」
私にはどれも非論理に思えます(だから悪いということにはなりませんが)。
私は「論理」は錯覚だと思いますけど、
「論理的に考察しましょう」と言われた上でそういうことがあれば矛盾を感じます。
なお私が「気がする」「思う」を多用するのは
それが錯覚であることの可能性を踏まえているためです。
それが錯覚であったとしても、とりあえず誰かにとって説得力があれば
ミームとして生き残るだろう、
この世界はそういう構造のものだと考えます。

319 :でこすけ:2022/02/22(火) 14:06:00.93 0.net
人間は様々な植物の栽培をします。
麦、大豆、米、バナナ、…、
しかし農耕という営み自体はメソポタミアかどこかで始まったものが
世界中にひろがったものである可能性があります。
ただ、ここで気になるのがアメリカ大陸のトウモロコシなどです。
始まった時期などを見ると独自に始まった可能性もないわけではない気がします。
いずれにしても世界中で農耕が始まったのは
ホモ・サピエンスの十万年以上の歴史の中で
ほぼ同時期と言って差し支えがないほど一時期に集中している
といいうるようです。
もちろん何らかの構造があるはずです。
これは言語の成立にも関わる気がしたりします。

320 :時計 :2022/02/22(火) 14:24:29.94 0.net
>>294
正:「世界」
誤:「世界』

言語には普遍性はあるように私は思っています。
書き言葉でも、「H」は空間を示しているのではないかとか、
「T」は舌の形を表しているのではないかとか。
「無」は「N」や「H」と結び付きやすくて、
「D」や「L」とは結び付き難いのではないかとか。
ある程度、恣意的だとは思いますが。

321 :でこすけ:2022/02/22(火) 14:41:40.69 0.net
>>320
>0320 時計 ◆Mjk4PcAe16 2022/02/22 23:24:29
ちょっと前からですけど、おかしくないですか?
初めて気がついたんですけど、前からちょいちょいあったんでしょうか。
あるいは何かの前触れでしょうか、

言葉については相当な広がりをもったものだと最近思っています。
「知の考古学」とかいって、
形而上学もそういうものに還元される気さえします。

322 :時計 :2022/02/22(火) 14:48:24.53 0.net
>>321
「>0320」とは何でしょうか。
それは私の発言でしょうか。
あまりそのようなことを書き込みした覚えはありませんが……

言葉は面白いですよね。
「A」とは何かとか、凄く面白いと思います。

323 :時計 :2022/02/22(火) 14:49:54.05 0.net
>>322
というか、未来の書き込みですね。:)

324 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 19:00:43.34 0.net
まだアホが言い訳ばかりしてるのけw
正しい解釈の元ディスっているのだがw

325 :時計 :2022/02/22(火) 19:25:45.69 0.net
>>324
寛容の心でお願いします。:)

326 :考える名無しさん:2022/02/22(火) 22:11:25.08 0.net
元×
基〇

327 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 01:01:17.91 0.net
>>319
農耕ぐらいはメソポタミアが生み出したというより大体の人間は思いつくだろw

328 :でこすけ:2022/02/23(水) 07:31:36.61 0.net
>>327
農耕が始まるというのは社会が伝統的にそれを受け入れるということです。
例えば言葉を思いついたのは人類の六百万年の歴史の中で
ときどき突然変異的に現れた天才によって何度もあったのかもしれませんけど、
それも社会の中で定着しなければ意味はないと思うのです。
中には一千万年前に栽培を習得した天才的な猿人さえいたかもしれません。

例えば十万年前の人間(ホモ・サピエンス)をタイムマシンで現代に連れてきて
いろいろ学習させれば中には量子論を理解できる人もいるだろうと思うのです。
つまり十万年前に既にその水準に達していたのであるとすると
それ以降なら世界中に栽培を成功させた個人は大勢いた気がします。
一方で例えば私がたまたま知っている例では
弥生時代の関東では西日本ではどんどんひろがった稲作(水稲)が
拒絶されたかのように行われなかったというかんじがあるそうです。
それが大和朝廷の成立と同時期に一斉に関東でも水稲が広まります。
もちろん何らかの事情があったはずで、
このことは「できるからやる」とはかぎらないということです。

農耕を社会が受け入れたのは、十万年以上の歴史のなかでこの一万年に一斉に
という印象があります。
じつは土器や金属器などの熱による加工とか、柱や車輪やテコの利用とか、
馬や舟の発達とか、発酵食品とか、あとは忘れましたけど、
そういったことは世界中でまばらに始まる一方で
ざっくりとはほぼ同時期とも言えるかもしれず
「知識のビッグバン」と言ったりもするようです。
その背景には一般的に言って何らかの連絡がある気がします。偶然ではないということです。
そして言葉の発達もしかりなのではないか、ということです。

329 :でこすけ:2022/02/23(水) 08:03:36.20 0.net
>>328
せっかくなのでもうひとこと付け足しますと、
じつは農耕はメソポタミア以前に東アジアで既に行われていた
という研究があるようです。
文字記録もヒエログリフとかが東洋起源の可能性もあるそうです。
そして古代日本(縄文)はじつはいわゆる新大陸と
思いのほか密接につながっていた可能性も示唆されているようです。
私がそれを知っているうえで>>319を投稿したのは
「連絡」についてイメージを膨らませていただきたかったからです。
ヒトはヒトである以前に生物ですが
例えば最近「セレンゲティルール」とかありましたけど
私は言葉以前の種を超えさえもする連絡手段が絶対にある気がするのです。

330 :でこすけ:2022/02/23(水) 09:14:42.20 0.net
>>292
分ける意味がないように思えるのは物質と精神であって、
それも世界が生成される過程でのことであって、
例えば主観的と客観的とか、先天的と後天的とか、
理解のとき便宜的にでも意味があれば内と外でも、場合によっては物と心でも
相応の文脈限定で分別も成立することはあると思います。
また、私が例えば目の前にリンゴを認識しているとき
そのリンゴは意識の外部に由来するという解釈は可能だと思います。
そしてその未知の部分こそが個人的ながら私の知りたいところだったりするので
そのように想定するのは少なくとも私にとっては意味があるのではないかと考えます。

ところで「突っ走る」というのは、言わば保険です。
例えば邪馬台国論争では畿内説と九州説とがありますが
両方を一人でバランスよく研究するのは一般的に言って困難な気がします。
つまりどちらかは間違った研究をひたすらするかもしれないわけです。
しかしそれも全体の中では意味があったと思いたい、
もしも私が私の考えを突き詰めていって間違いが判明したのなら
それはそれで何らかの意味はあったのだろう、犬タヒではないだろう、
何しろ私は「物質は存在しない」とか言っているのです。
今でもときどき「書き込みをする」をクリックするとき指が震えます。

331 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 09:22:45.25 0.net
>邪馬台国論争では畿内説と九州説とがありますが

私は、この論争自体にあまり意味がないように思う。
それよりはるかに重要なのは、おそらく日本語の共通の基礎が、
今の日本となった日本列島の広域にわたって政治的な統合よりも
先に成立していた可能性が極めて高いと思われることだ。

332 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 10:26:59.19 0.net
結局無駄な話だw

333 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 10:34:05.91 0.net
生活を成り立たせている基盤が失われて、それまで協働で暮らしていた
人々がばらばらになるのでない限り、言葉の使用は根強く残る。
ところが、日本列島では、大きな方言差があるにしても、北方の
アイヌ語を除けば、渡来系とされる人々がまとまって暮らしていた
集落でさえ、別言語が用いられていたという痕跡すら残っていない。
しかし、そのことは、日本列島に暮らしていた人々が均質であった
ことも、日本語の基礎となった言語が外来の言葉の影響をほとんど
受けない均一で純粋な言語であったことも意味しない。事態は、
その真逆である。なぜなら、日本語となった言語が大陸からの
言語表現を歴史的に大量に取り込みつづけてきたことが明白だから
である。

334 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 10:39:09.95 0.net
生活を成り立たせている基盤が失われて、それまで協働で暮らしていた
人々がばらばらになるのでない限り、言葉の使用は根強く残る。
ところが、日本列島では、大きな方言差があるにしても、北方の
アイヌ語を除けば、渡来系とされる人々がまとまって暮らしていた
集落でさえ、別言語が用いられていたという痕跡すら残っていない。
しかし、そのことは、日本列島に暮らしていた人々が均質であった
ことも、日本語の基礎となった言語が外来の言葉の影響をほとんど
受けない均一で純粋な言語であったことも意味しない。事態は、
その真逆である。なぜなら、日本語となった言語が大陸からの
言語表現を歴史的に大量に取り込みつづけてきたことが明白だから
である。

335 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 10:40:16.80 0.net
また「戻る」をクリックしてしまった。重複で書き込む意図なんてまるでないのに。

336 :時計 :2022/02/23(水) 11:54:49.55 0.net
>>でこすけさん
それで、>>321の私の投稿は何だったのでしょうか。

337 :時計 :2022/02/23(水) 11:58:37.02 0.net
>>336
投稿日時の、2022/02/22 23:24:29というのが凄く不思議なのですが……

338 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 17:56:35.20 0.net
>>330
意識に外側があるかないかという話に戻しますが
外側があるという考えが、チョッカンに基づいているので
客観的にいって、論理的に説明のつかない考え方では
ありますが、そういう風に考えるかどうかは
個人の選択なのでアリだと思います。

リンゴについては、世界が生成される過程というのが
何の世界のことかわかりませんが
物質(目の前のリンゴ)と精神(心象のリンゴ)を
分ける意味がないように思えるなら
リンゴが意識の外部に由来すると解釈することで
何を言えるのだろうかという感じはします。

「突っ走る」に保険の意味が込められていたとは
気づきませんでしたが、もし間違いだったとしても
考えないで後悔するより、考えて結論を受け入れられる
ことは幸せなことですし、あれこれ色々考えるプロセスに
喜びを感じることは実際ありますね。

339 :考える名無しさん:2022/02/23(水) 18:22:40.75 0.net
時えーーん

340 :でこすけ:2022/02/24(木) 04:33:26.92 0.net
>>325
私としては、有ること無いこと色々おしゃべりしたいと思っているので
ネタを振って貰えればラッキーだと思っています。
にしても一般に、争いは同じレベルでしか起こらないといいます。
彼のような優秀な人が私の与太話に反応するのは不可解な気がしています。

>>336
たぶん運営に何らかのトラブルが起こっているのではないかと思います。
よそのスレッドでもおかしくなっているようです。
当初は私だけなのか、あるいはみんなもそうなのか、
勿論わからなかったので確認してみたい気持ちがありました。
ひょっとするとネット全体に大規模なトラブルが起こったのかもしれないとか、
ある種のサイバーテロ的なものかとか、そんなことも脳裏をよぎりました。
一応調べてみると、経産省が23日にウクライナ関連でのサイバー攻撃に対する
注意喚起を一般企業等に対してうながしているようですが、
たぶん関係ないと思います。

341 :時計 :2022/02/24(木) 07:31:21.23 0.net
>>340
ネットのトラブルでしょうか。
>>321の質問に答えますと、私にも何故そのようになるのか、
よくわかっていません。

342 :でこすけ:2022/02/24(木) 09:56:54.37 0.net
>>333
長い日本列島にどのようにして同じ言葉が広まったのか、
私としては漠然とした空想である上、あまり面白い話ではありません。

列島近辺に日本人の祖先が来たのはほぼ4万年とされているようですが、
これはたぶんある程度の群れで来たということだと思います。
以後ここに定着し子孫を増やしたというのは、それが個人ではない
ということだと考えます(個人であればもっとさかのぼるかもしれません)。
おそらくこの時点で、もちろん非常に単純なものながら
すでに言葉は話されていたと思います。
むかし映画のキャンペーンでアフリカから来日したニカウさんが
「カジャ」か「チッドレッ」かしか言いませんでしたけど、
とりあえずそういう感じのイメージです。
地球上に現存するすべての生物は40億年前に誕生したたった一個の細胞から
枝分かれしたものであろうと言われているようですが
(おそらくそれは偶然で、そしてそうとうレアなことのようです)、
同様に、つまり日本人と日本語は、すべてそこにさかのぼるのではないか
ということです。

なおこの人たちの子孫は、日本列島だけでなく東アジア一帯に広く拡散したようです。
さらにはこの人たちとは別の群れも後からやってきて
そして複雑に混ざり合いながら列島社会も絶え間なく変容したようです。
東アジアではアクセントでも関西弁のような抑揚のあるものと
関東や九州のような一本調子のものとが混在していたり、
文法でもSVOとSOVとが混在しています。
もちろん国境の無い時代ですから人酒でも言語でも西洋の影響さえ少なからず
あったようです。

いずれにしても広まったというよりも
もともと同じだったものが隔離されて別物になったというイメージです。

343 :でこすけ:2022/02/24(木) 10:24:27.80 0.net
>>342
たぶん文脈か何かを考慮しているのだろうとは思いますけど
「人種」がNGは厳しいです。

ところで邪馬台国ですけど、
いわゆる魏志倭人伝には小笠原諸島との関わりがほのめかされていたりします。
じつはそれは小笠原ではないかもしれませんけど、
とにかく数千年前の列島人が小笠原諸島と行き来していたことは
発掘調査から明らかになっているようです。
岸から見える島ならともかく、どうやってたどり着いたのかは不思議です。
そしたら最近聞いた話によると、4万年前は海面が今よりも低く、
つまり島伝いに容易に行き来できたらしいのです。
ポイントは、やがて海面が上昇してもその習慣が残ったということです。
青森の三内丸山遺跡から南方の貝が発掘されているとのことですが、
その背景にある列島社会の流通ネットワークの起源は
4万年前にさかのぼる可能性がある、
というよりもそのように考える方が自然のような気がします。
言葉の伝播もそのようなネットワークの上で起こったことのように思えます。

>328
一千万年前にいたのは「猿人」ではなくて「類人猿」つまり「ヒトのようなサル」でした。
直流二足歩行はまだだったはずです。訂正させていただきます。

344 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/02/24(木) 11:07:22.38 0.net
フッと去るの気持ち マザー5。

345 :時計 :2022/02/24(木) 12:07:57.23 0.net
>>341
しかし、どんなトラブルなんでしょうね……
でこすけさんのコンピュータには未来の情報が
表示されたということでしょうか。
その未来は実現しませんでしたが。:)

>>343など
以前にも言いましたが、私は経験していない過去は
未来だと考えています。
それゆえ過去には、未来としての興味しか持てません。
現在の選択が未来を切り拓いていくというイメージでしょうか。
過去とは不思議なものです。

346 :でこすけ:2022/02/24(木) 12:12:21.56 0.net
>>338
確かに「世界」といえば多様な意味が想定され得る表現ですから
説明されなければわかりにくかったかもしれませんけど、
この場合は「実際に存在するもの(実体)の集合」のことです。
私としては実体が二種類あるのは不可解な気がするのですが、
しかしそれは個人の印象に過ぎず、一般的にはどうなのかが気になっています。

「リンゴが意識の外部に由来する」というときの「リンゴ」は
あくまでも「心象のリンゴ」のことです。
何かの物体を認識するとき、そこには何らかの仕組みがある気がします。
例えばテレビ番組でディズニーアニメ『白雪姫』がやっていて、
そこで白雪姫が「リンゴらしきもの」を齧っている映像があったとします。
その「リンゴらしきもの」というのはもちろん実在しないものです。
では何故実在しないものを私は認識できるのか、
私は目の前に「リンゴ」を認識するとき、それが実在していない可能性もある
と考えます。
つまり「実在する」と「実在しない」と選択肢は二つあって、
そしてどちらが正しいのかはバークレーの考察を踏まえたりすれば
断定はできないと考えます。
そこで楽しい言語ゲームが始まるわけです。

ちなみに「突っ走る」というのはナントカっていう学者が使った表現を
思いっきり丸パクリしたものです。
その学者はノーベル賞クラスの人だったような気もするんですが
とにかく誰だったかがサッパリ思い出せません。
とにかく研究の先端では確実に外堀を埋めながらではなく
リスクを背負ってでもインスピレーションで突っ走った方がいい場面もある
みたいな文脈だったと思います。
いずれにしても記憶はグダグダです。

347 :でこすけ:2022/02/24(木) 12:19:49.43 0.net
>>345
ちなみにこのレスも
0345 時計 ◆Mjk4PcAe16 2022/02/24 21:07:57
になっています。
また私のコンピューター自体は現在20220224の12時すぎです。
レスの表示がおかしいのは私だけでしょうか。
私はひたすら運営に対して疑念があります。

348 :時計 :2022/02/24(木) 12:24:23.86 0.net
>>347
私のブラウザ、あるいは、5chブラウザでは表示は正しいようです。
何なんでしょうね。原因は、全く解らないです。

349 :でこすけ:2022/02/24(木) 12:43:38.98 0.net
>>345
>経験していない過去は未来
少なくとも一般的にイメージされている「時間」は
何らかの現象に対するこちらがわからの解釈なのだろうとは思います。
実体の集合としての「世界」は本来もっと違うもののような気がします。
意識のハードプロブレムはそのあたりでの認識を誤ったことに由来する
のではないかと考えています。

350 :でこすけ:2022/02/24(木) 12:52:16.63 0.net
>>348
あ、と思ってスマホから5ちゃんを開いたら、なんと、こちらは正常でした。
私の機械の問題のようです。確かに以前からポンコツ気味です。たまに誤爆したりします。
お騒がせ致しました。
サイバーテロとは何だったのでしょうか。

351 :時計 :2022/02/24(木) 13:03:30.84 0.net
>>349
客観的時間と主観的時間があるかもしれません。
私が言っていたのは主観的時間のことです。
まあ、ただ、相対性理論などを持ち出すとややこしいわけで……
意識のハードプロブレムと、主観/客観の問題は
通じるところはあると思います。

>>350
スマホでは正しく表示されているようで良かったです。:)

352 :でこすけ:2022/02/24(木) 13:17:54.99 0.net
突然「量子論」のはなしですけど、
私が若い頃に読んだそれ系の入門書によると
空が青いのは光に波の性質があるため、
星が見えるのは光に粒の性質があるため、
とあった記憶があります。
詳細はまったく覚えていませんけど、
つまり観測する側はどのようにしてその性質を使い分けているのか
闇雲に不思議に感じたことを覚えています。
星から飛んでくる光が波でもあり粒でもあるとき
それを波ではなく粒として活用するのであれば
そこに何らかの仕組みがある気がするのです。
その問題に対する私の今の答え(インスピレーション)は
一般的に言って飛躍です。
粒だから見えるのではなくて、見えるから粒として解釈する、
というものです。
そもそも「原因(時間的な前後関係を前提にしたもの)」というのは何なのか、
これもまた本来のそれにあたるものというのは
普通に考えられているものとは全く違うもの
のような気がするのです。

353 :でこすけ:2022/02/24(木) 13:36:14.71 0.net
>>351
流れ的にいうと「客観的時間」は無いことになります。
むしろすべて相対的に決まるイメージです。

ここでポイントになるのは、
ここで学習したいのが「言葉(理屈)」ではなく「世界像(イメージ)」
だということだと思います。
たくさんの言葉を積み上げるのは、たったひとつのイメージを獲得するため
みたいなことだと私は考えます。
かと言って「万物は流転する」みたいな表現があったらいいとも思います。
「真理」は無く、「客観」もなく、「知」は開放系であり、
「現象」は常に相対的に生じるみたいなことをひとことで言い表すとすれば
どういうことになりますでしょうか、お願いします。

354 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 13:46:15.49 0.net
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MISSION
この国は変えられる。
わたしたちは、日本をアップグレードする。
この国の未来を憂えるのではなく、変えるために、私たちは、日本の英知を結集する。

大学で培われた知見、企業が有するデータ。
それらを組み合わせ、掛け合わせ、知のめぐりを巻き起こす。

その先に描くのは、データ時代にあるべき強い日本の姿だ。
知の死蔵により停滞した市場を、知の開放によって覚醒させる。
データサイエンス、テクノロジーを駆使し、生産性を高め、産業の仕組みを革新する。

一個人、一企業ではなし得ない。
だからこそ、あらゆる制約・枠組みを解き放ち、人、企業、社会に、革新の連鎖を起こしていく。
東大の知を擁するAl企業として、私たちJDSCは、日本をアップグレードする

東京大学の知を社会に還元する
ビッグデータ、機械学習、IoT、ロボティックスなど、デジタル領域で東京大学は膨大な知見を有しています。
JDSCは東京大学の複数の研究室と協力し、知の社会還元と実装をリードします。
また、東京大学エッジキャピタルを株主に加え、大学とのより強力なパートナーシップを推進してまいります。

2022年 テンバガー候補
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AI銘柄で、東大からみ
AI分野の成長は、まだ始まったばかり
半導体株の成長が何年も続いたと同じ
今後のAI分野の成長、楽しみ

355 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 14:01:23.76 0.net
>>310考える名無しさん2022/02/22(火) 10:53:42.030
>言語表現から見た場合、意識の「根源」を求めるとすれば、それは、
生きることの根底にある暗黙の呼応関係にどのようにか破れが生じた
ことを指し示す「感嘆」であることになるだろう。

呼応関係に生じた破れが示されることは、自ずと「さそ(誘)ひ」を
生じる。その「さそ(誘)ひ」に呼応する「こた(応)へ」が、
呼応関係を回復させるように意に沿ふものであるならば、
破れによる「感嘆」はをさ(治)まり、意に反するように破れ
を勝手に利用するものであれば、それは「脅威」となる。
翻って、破れを勝手に利用できるように見せかけて「さそ(誘)ひ」
を意図的に生じさせ、その「さそ(誘)ひ」に呼応する「こた(応)へ」
を、こた(応)へる者の意に反して自らに都合よく勝手に利用するなら、
その「さそ(誘)ひ」は、「をび(誘)き寄せ」となる。
さらに、そのように「をび(誘)き寄せ」られた者が、それに
よって成立した新たな呼応関係を自らに都合よく利用するなら、
「共生関係」が生じる。ただし、そのような「共生関係」は、
その都度の呼応関係の相互的な「もてなし」として成立しており、
恒久的なものではない。したがって、呼応関係に破れが生じれば、
いずれもが、いずれに対しても「脅威」となり得る。

356 :時計 :2022/02/24(木) 14:06:51.99 0.net
>>352
色は波としての光の性質のように思います。
ただ、仰るように説明は恣意的なものかもしれません。
法則(原因)は観測から決まるわけで。

>>353
>「真理」は無く、「客観」もなく、「知」は開放系であり、
>「現象」は常に相対的に生じるみたいなことをひとことで言い表すとすれば
全ては主観的幻想である、などでしょうか。
私は真理や客観は存在すると思いますよ。
真理に関しては、それは絶対かという問題はあると思います。
それはそうなんですが、それは真理であると私は仮に置きます。

357 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 14:13:39.76 0.net
186 :考える名無しさん:2015/05/16(土) 12:47:36.57 0
そもそも「あなづり」とは、語源的にどのような語なのだろうか。
岩波古語辞典に「あなづり」の語源の説明はなく、少しグーグル検索を
してもヒットしない。

それでも、岩波古語辞典で「あながち」を引くと「アナは自己、カチは
勝ちか。」と説明されており、「@身勝手」の意味が出ている。「あなづり」
の「アナ」も同じく、「自己」であり、「あなづり」は、「己(あな)連り(つり)」
であろうということが、容易に連想される。つまり、「あなづらるる」とは、
「見くびられる」、「軽んじられる」というより、「自己に都合よく扱われる」
という意味合いであっただろうことを容易に推測することができる。

187 :考える名無しさん:2015/05/16(土) 12:58:20.99 0
そこで「ついじのくずれ」をグーグル検索すると、伊勢物語、第五段の
「築地の崩れ」の文例がヒットし、そこには、こう書かれている。

>童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。

「築土」とは主が境界を定めるために作るものであり、「築土がくずれ」
ていれば、その境界を無視して、他人が勝手にそこを通るのである。
つまり、枕草子に書かれている「築土のくずれ」とは、「他人が自分に
都合よく利用するもの」の象徴であると解釈することができる。

188 :考える名無しさん:2015/05/16(土) 13:02:35.37 0
つまり、結論として、「あなづり」とは、「自己都合に合わせて扱うこと」
であり、「あなづらはし」とは、「人に都合よく扱われやすい」ことである。

358 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 14:20:01.31 0.net
>石城(しき)を掘り崩すのは、何処からでも鬼神(もの)に入りこんで来い
と呼びかけることに当る。京の年よりにもあつたし、田舎の村々では、
之を言い立てにちつとでも、石城を残して置かうと争う人々が多かった。<

折口信夫、『初稿・死者の書』、p.67、国書刊行会

359 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 16:08:18.69 0.net
「さそ(誘)ひ」とは、相手の意に沿ふように/「あなづ(侮り」を
生じさせるように、わざと「すき」を見せることである。

360 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 20:38:38.73 0.net
>>353
過去スレでレスしたけど、さすがに真理が無いのは言い過ぎかと。
誰も自然法則だの数理的法則だの思い通りに変えられない以上、
何かの真理があるとしか考えようがないからね。
もっとも、本当の真理や存在などは人間にとって不可知なもので、
それらの一面しか知りようがないと思いますかね。

361 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/24(木) 21:45:02.25 0.net
タルスキの定義不能性定理によって、
真理を定義することは不可能なのですw
(厳密には算術真理は算術では定義できないつーことであって、わざと濫用してますw)
真理が無いのではなく定義できないのです。(ゲーデルの魔物がいます)
体系内で真理を求め(あるいは、定義し)ようとすれば矛盾に見舞われますw
真理は体系外にあり、真理を体系内に持ち込む(すなわち真理を得る)ことは不可能なのですよ。

362 :考える名無しさん:2022/02/24(木) 23:13:47.12 0.net
体型外にあるの真理じゃなくて理解の法則性ですよ
そもそも真理は持ち込んだり得ようとして知覚できる存在ではありません
非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6さんが
真理を定義することは不可能という認識は正しいんですけどね。

363 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 08:47:47.74 0.net
「をび(誘)き寄せ」を、それと知りながら、敢へてそれに欺かれて
「さそ(誘)ひ」に乗せられたかのように振る舞ふことにより、
「をび(誘)き寄せ」が魅惑によって心を奪う効果を最大限に
引き出して手懐ける「わざ(技)」を磨くことに芸術がある。

>>271考える名無しさん2022/02/18(金) 09:16:57.750
>無自覚に魅惑によって心を奪われていると身の破滅を招く。
翻って、うっとりと気をとられているうちに身の破滅を
呼ぶものも、美として表象される。そうならないように、
そのような効果を手懐けることのできる技芸を追求して
磨きをかけることが芸術である。

>>359 名前:考える名無しさん 2022/02/24(木) 16:08:18.69 0
>「さそ(誘)ひ」とは、相手の意に沿ふように/「あなづ(侮り」を
生じさせるように、わざと「すき」を見せることである。

364 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 08:48:40.27 0.net
花咲か爺、或いはわざとらしさの消失

365 :猫だまし:2022/02/25(金) 08:55:38.97 0.net
>>287考える名無しさん2022/02/20(日) 09:48:01.260
>生き物が身づ柄を活かす術(すべ)が技(わざ)としてある。

単に寝転がって、無防備にすきだらけに見えるようにしていることにさえ技がある。

366 :でこすけ:2022/02/25(金) 10:37:14.40 0.net
>>355-
ようするに生物というのは本質的にずる賢いものだという
ある種の告発でしょうか。
確かに群れをつくる生物の大半の個体は表面的には従順のようですが
その中身はやっぱり自分勝手なもののような印象を持ちます。
歓楽街の女に至っては、力のある男に甘えた声を出しながら近づいていって
(服従の意思表示)そうして案の定いろいろむしり取るわけです。
これはもはやパートのおばちゃんでさえ「雇うより雇われる方が楽」とか
本能的に浮世の真実を知っていたりしますから怖いはなしです。

さて、私としてはどのようにしてその戦略を習得したのかが気になります。
たとえば蜜で虫をおびき寄せて花粉を運ばせるとか、
そこには未知のシステムがある気がするのです。
悪気はないだろうけれども、たまたまでは済まないと思うのです。

367 :でこすけ:2022/02/25(金) 11:04:54.70 0.net
>>356
>すべては主観的幻想である
おそれいります、お手数おかけ致しましてすみません。
しかしながら私のイメージと致しましては、Tシャツにプリントするような
もっとキャッチーなコピーが望ましいと考えております。
あるいは普通の人は漢字が並んだだけで意味がよくわからなくなるのではないか
という危惧もございます。
うるさいことばかりで申し訳ございません。

368 :でこすけ:2022/02/25(金) 11:45:42.55 0.net
>>360
>誰も自然法則だの数理的法則だの思い通りに変えられない
私としても「真理は無い」についてはじつは曖昧です。
「訳わかんないけどとりあえず言い切っちまえ!」という勢いしかありません。
ただ、個人でどうすることもできないということの仕組みは
絶対的客観的云々の一択ではない気がするのです。
ただし、ようするにその根拠が甚だ曖昧なのです。

私は「自然」とされているものはじつは「流通市場」のようなもので、
つまり「流通市場」は個人で完全なコントロールができないものですけど
しかし全体を動かしているのは絶対的客観的云々ではない気がします。
何が売れるのかは構成員の外部が決めてくることではない
かと言って個々の構成員でもないわけで、
たぶん集団意識というか総意というか、あるいは象徴的にいうところの
「見えざる手」です。
同様に、少なくとも私たちが体験しているレベルの宇宙は
それを構成する要素の総意的なもので運営されている気がします。
宇宙が「無」から始まったというのはそういうことのような気がします。
この「無」というのは自然法則や数学的法則さえ無い(確定されていない)、
たぶん完全な「無」です。
つまりすべては開闢のあとにつくられたもののような気がするのです。

369 :でこすけ:2022/02/25(金) 11:48:57.39 0.net
>>368
と投稿してみると「完全な無」は保留したくなります。
この2年間はこの繰り返しでした。

370 :でこすけ:2022/02/25(金) 12:01:04.83 0.net
>>368
自然(おのずとしかるべきもの)
古代人がつくった言葉ではない気がします、わかりませんけど。

371 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 13:19:01.23 0.net
何かの「物質がある」こと、あるいは「何も存在しない」ことが
あることすら、既にそれが理(ことわり)として、つまり、何らかの
比として具現化しているということでしょう。

例えば、それは、「鉄」が「物質」として存在することであって
もいい。「鉄」は、「鉄」とされる「物質としての性質」を伴わず
に現れることはできない。そのような反現実的な現れ方が可能
であるとしたなら、鉄の分子が存在したとしても、それはあらゆる
別の物質の分子とランダムに混じり合っていることになる。
そのような「鉄」の分子の存在を想定したとしても、そのような
「鉄」は、「『鉄』とされる物質」として現象しない。「鉄」
が「鉄」とされる「物質としての性質」を伴うものとして現れる
のはあくまでも、それが同様の性質を伴う物質の分子のカテゴリー
として、他の物質の分子との相対的な関係、例えば、比重や
磁力に引き付けられる性質において相対的に分離されて、
まとまって同質のものとして現象するからである。ところが、
これは、すべての「物質」について言えることであり、特定の
物質が孤立してそのもの独自でなんらかの「性質」を有するわけ
ではなく、そのような性質は、すべて相対的な比、すなわち、
「理(ことわり)」として現れる。

372 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 13:38:06.78 0.net
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MISSION
この国は変えられる。
わたしたちは、日本をアップグレードする。
この国の未来を憂えるのではなく、変えるために、私たちは、日本の英知を結集する。

大学で培われた知見、企業が有するデータ。
それらを組み合わせ、掛け合わせ、知のめぐりを巻き起こす。

その先に描くのは、データ時代にあるべき強い日本の姿だ。
知の死蔵により停滞した市場を、知の開放によって覚醒させる。
データサイエンス、テクノロジーを駆使し、生産性を高め、産業の仕組みを革新する。

一個人、一企業ではなし得ない。
だからこそ、あらゆる制約・枠組みを解き放ち、人、企業、社会に、革新の連鎖を起こしていく。
東大の知を擁するAl企業として、私たちJDSCは、日本をアップグレードする

東京大学の知を社会に還元する
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JDSCは東京大学の複数の研究室と協力し、知の社会還元と実装をリードします。
また、東京大学エッジキャピタルを株主に加え、大学とのより強力なパートナーシップを推進してまいります。

2022年 テンバガー候補
JDSC 4418
AI銘柄で、東大からみ
AI分野の成長は、まだ始まったばかり
半導体株の成長が何年も続いたと同じ
今後のAI分野の成長、楽しみ

373 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:08:27.81 0.net
神がいました。

神は孤独であることを選択なされたなかったので、神がご自身を延長するために、神の一人子を創造しました

天国では神と神の子は永遠に一体であり不変です

しかし神の子は「もし自分が独自の神になったらどうなるのか?」と思ってしまいました

その自我を思いついた瞬間、神の子は神と分離してしまいました。

神の子が神から分離した瞬間、神は答えである聖霊を創造しました。

しかし神の子は神から分離したことに罪悪感(原罪)を感じ、神に恐れを抱きはじめました。


そして聖霊を選択せず、「神から逃げろ」という自我の声を信じ宇宙を作りました。

これがビックバンの始まりです

ルシファー(自我)が幻想宇宙(マトリックス)作った時点で、もうこの幻想宇宙という映画は撮影済みで、すべて一瞬で作られているので、自由意志はありません。

この幻想宇宙こそがカルマ(投影=結果)であり、神の子(心=映写機)が作ったルシファー(想念)が原因です

唯一の自由意志は、神の子によるルシファー(自我)の映画かミカエル(聖霊)の映画かを見るという選択しかありません。

ルシファー(自我)の映画は裁き、罪、罪悪感、死、不幸、怖れを中心に展開する映画であり、永遠に彷徨います。

ミカエルの映画は安らぎ、無罪性、幸せ、赦しの映画でありエンディング(天国に帰る)があります。

私たち一人ひとり神の子の選択とは、幻想宇宙開始以来常に、ルシファー(自我)かミカエル(聖霊)かの2択だったのです。

そして、イエスは天国に帰ることに成功して、天国から私たちに語りかけるために「奇跡講座」を作りました。

374 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:09:53.20 0.net
パーサ:森で木が倒れたとき誰もいなかったら倒れる音はするか、っていう古い謎々を覚えてる?

ゲイリー:覚えてるよ。答えは証明できないから、必ず議論になるんだ。

パーサ:で、あなたの答えは? 議論はしないと約束するわ。

ゲイリー: 聞いている人がいようがいまいが、木が倒れる音はすると思うな。

パーサ: その回答は、かたちのレベルでさえ、まったく間違い。
木が倒れると音波が送り出される。
音波は電波みたいなもので──どっちもエネルギー波だけど──受け取る相手が必要なのよ。
この部屋にはたくさんの電波が飛び交っているけれど、受け取るレシーバーがないから何の音もしていないでしょう。
人間や動物の耳はレシーバーよ。
森の真ん中で木が倒れても、聞いている人が誰もいなければ音はしない。
音は聞く者があって初めて音になる。
あなたが見たり触れたりするまでは、エネルギー波がモノとして現れないのと同じ。
つまりタンゴを踊るには二人の人間が必要ってこと。
何かがかかわりあうためには二元性が必要なの。
だって二元性でなければ、かかわりあう相手がないでしょう。
見るほうにそれと対応する姿がなければ鏡には何も映らない。
二元性がなければ森のなかの木もない。
量子物理学者の一部が気づいているとおり、二元性は神話なのよ。
そして二元性が神話なら、木がないだけでなく、宇宙だってやっぱりないの。
それを認識するあなたがいなければ、この宇宙はない。
この宇宙がないなら、このあなたもない理屈になる。
存在という幻影を生じるためには、一なるものを分割しなければならない。
あなたがたがやっているのが、まさにそれ。すべては仕掛けね。


ゲイリー・レナードの「神の使者」からの引用でした

375 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:16:24.49 0.net
死は存在しません。「神の子」は自由です。

死はひとつの思いであり、数多くの形をとりますが、多くの場合、認識されることはありません。
死は、悲しみ、怖れ、心配、あるいは、疑いとして現れるかもしれません、
怒り、信仰心の欠如、信頼の欠如として現れるかもしれません。
肉体に対する心配、羨望、あなたが今そうでないものになりたいという願望があなたを誘惑するためにとるあらゆる形で現れるかもしれません、
このような思いのすべては、死を救い主として、解放を与えてくれるものとして崇拝することの反映にすぎません、

怖れの体現、罪の宿主、罪人の神、あらゆる幻想と欺瞞の王である死という思いは、確かに強力に見えます。
というのは、死はすべての生命あるものを自らの腐食した手の中にもっているように見えるからです。
あらゆる希望や願望をその生命を枯らす手で握りしめ、すべての目標を視力のない目で知覚しているように見えるからです。
脆弱な者、絶望している者、病める者は、それだけが実在的であり、不可避的であり、彼らの信頼に値すると考えて、死のイメージの前に頭を垂れます。
というのは、死だけが確実にやってくるからです。

死以外のものはすべて不確実であると見られます。
やっとのことで手に入れたとしてもあっという間に失われ、その結果は不確かであり、それらがかつて生み出した希望は裏切りがちであり、その航跡には希望や夢の代わりに塵と灰汁の味が残ります。
しかし、死は当てにすることができます。
というのは、それが到着するときには確かな足取りでやって来るからです。
死は、それ自身に対する人質としての生命を奪うことに決して失敗することはありません。

あなたはこのような偶像に頭を垂れるのでしょうか。
ここでは「神ご自身」の強さと力が、塵でできている偶像の中にあると知覚されているのです。
ここに、「神」と正反対のものがあらゆる創造物の主として宣言されており、生命を支持する「神の意志」よりも強いとされ、終わることのない愛と、「天国」の完璧で不変の恒久性よりも強いとされているのです。
ここにおいて、「神の意志」と「神の子」の意志はついに打ち破られて、死が神聖な「神の子」の肉体の上に置いた墓標の下に休息するべく横たえられているのです。

376 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:17:09.93 0.net
敗北して神聖な存在でなくなった彼は、死が彼にこうなってほしいと望むものになったのです。
死が自ら書いた彼の墓碑銘には彼の名前はありません。
というのは、彼は塵になったからです。
墓碑銘には次の言葉が書かれているだけです。
”ここに「神」が死んだことを証言する証人が眠る”。
そして、死はこれを繰り返し、繰り返し書きます。
その間に、死の崇拝者は同意し、額を地面につけてひざまずきながら、恐ろしそうに確かにその通りだとささやくのです。

いかなる形であれ死を崇拝しながら、大切にしたくない形や避けたい形を少数選び、一方で残り全部の形を信じるということは不可能です。
というのは、死は全体的であるからです。
すべてのものが死ぬか、それとも、彼らは生きて、死ぬことはあり得ないかのどちらかです。
いかなる妥協も不可能です。
というのは、ここには再び明確な立場があり、私たちが正気でありたいならば、この立場を受け容れなければならないからです。
一つの思いと完全に矛盾するものは、その正反対のものが誤っていると証明されなければ、真実ではあり得ません。

「神」の死という考えは、あまりにも途方もないものであるために、狂気の者ですらそれを信じることに困難を覚えるでしょう。
というのは、それは「神」はかつて生きていたけれども、なぜか死亡した、どうやら「神」が生き残ることを望まなかった人々によって殺されたらしい、ということを暗示するからです。
彼らのより強い意志が「神の意志」に勝利したのです。
そのために、永遠の生命が死に道を譲ったのです。
そして、「父」と共に「子」も死んだのです。

377 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:17:19.35 0.net
死の崇拝者たちは恐れているかもしれません。
しかしながら、これらの思いが恐ろしいということがあり得るでしょうか。
もしも彼らが、自分たちが信じているのはこれだけだということを見て取ったならば、彼らは一瞬のうちに解放されるでしょう。
そして、あなたは今日これを彼に示すのです。
死は存在しません。
そして、今、私たちは彼らの救いと私たちの救いのために、あらゆる形の死を放棄します。
「神」は死を作られませんでした。
したがって、死がどのような形をとろうとも、それは幻想であるに違いありません。
これが、今日私たちがとる立場です。
そして、私たちは死を見過ごして、その彼方にある生命を見ることができます。

私たちの「父」よ、今日、私たちの目を祝福してください。
私たちは「あなた」のメッセンジャーです。
私たちは、すべてのものの中に輝いている「あなたの愛」の栄光に満ちた反映を見つめます。
私たちは「あなた」の中においてだけ生き、動きます。
私たちは「あなた」の永遠の生命から分離してはいません。
死は存在しません。
というのは、死は「あなたの意志」ではないからです。
私たちは、「あなた」が私たちを「あなた」と同じような存在として永遠に「あなた」の一部とするために置かれた場所、すなわち、私たちが「あなた」および生命あるものすべてと共有する生命の中に住んでいます。
私たちは「あなたの思い」を私たちの思いとして受け入れます。
そして、私たちの意志は、永遠に「あなたの意志」と一つです。
アーメン。


イエス・キリストの「奇跡講座」という本からの引用でした

378 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:18:55.69 0.net
死とは何か

死とは、すべての幻想を派生させる中心的な夢である。
生まれてから年をとり、活力を失って最後には死んでいくものが生命だと考えることは、狂気ではないだろうか。
私たちは以前にもこの質問をしたことがあるが、今、もう少し丁寧に考えてみる必要がある。
この世界のすべてのものはただ死ぬだけのために生まれてくるというのが、この世界における一つの不動にして不変なる信念である。
これは「自然の理」であり、疑問視すべきことではなく、生命の「自然な」法則として受け入れるべきことだと見なされている。
周期的に移り変わるもの、変化する不確かなもの、頼りにならない不安定なもの、一定の軌道の上を一定の形で盛衰するもの
こうしたもののすべてが、神の意志であるとされている。
しかも慈悲深い創造主がこうしたことを意志することができるのかと尋ねる者は、ひとりもいない。




イエス・キリストの奇跡講座からでした

379 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:26:43.57 0.net
「神」の神聖な「子ども」である私に安らぎがありますように。
私と一つである私の兄弟に安らぎが訪れますように。
この世界の全てが私たちを通して安らぎで祝福されますように。



「父」よ、私が与えるのは「あなた」の安らぎですが、それを私は「あなた」から受け取ります。
私は「あなたの子ども」です。永遠に「あなた」が私を創造されたままの状態であり続けます。
というのは、「偉大な光線」は永遠に静かに、いかなるものにも煩わされることなく私の内部にあり続けるからです。
私はそれらの光線に沈黙したまま確信をもって手を伸ばします。というのは、それ以外の場所には確実性を見つけることはできないからです。
安らぎが私に訪れますように。そして、安らぎがこの世界のすべてに訪れますように。神聖性の中で私たちは創造されました。
そして、私たちは神聖性の中にあり続けます。「あなたの子ども」は完璧な無罪性ということにおいて「あなた」と似ています。
この思いと共に、私たちは喜んで、“アーメン”と言います


イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした

380 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:55:12.05 0.net
問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。

何が問題なのかを知らなければ、それが解決されることはない。
それが本当はすでに解決されていても、あなたがそのことを認識しなければ、あなたにとってはその問題は存続していることになる。
これがこの世界の状態である。
神からの分離という問題が事実上ただ一つの問題であり、それはすでに解決されている。
しかし、その問題が認識されていないので、解決法は認識されていない。

世界中の誰もが個々に特有の問題を抱えているかに見える。
だが、それらはみな同じ問題であり、そのすべてを解決する唯一の解決法が受け入れられるためには、それらが一つのものとして認識されなければならない。
問題が何か別のものだと思い込んでいる者には、その問題がすでに解決されていることがわかるはずがない。
たとえ答えを与えられたとしても、その妥当性がわからない。

それが、今あなたが置かれている立場である。
あなたは答えをもっているのに、依然として何が問題なのか、確信がない。
次々とさまざまな問題が立ち現われ、一つが決着するとすぐにまた別の問題が生じるかに思える。
まるでそれらは終わりがないかのようである。
完全に問題が解決され、心安らかでいられる時間はまったくない。

問題が数多くあると見なしたいという誘惑は、神からの分離という問題を未解決のままにしておきたいという誘惑である。
世界はあなたの前におびただしい数の問題を提起し、そのどれもが異なった答えを要求しているように見える。
このように知覚することで、あなたは、自分の問題解決法は必ず不備なもので、失敗は避けられないという立場に置かれる。

381 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 15:55:37.35 0.net
世界が抱えているかに見える問題のすべてを解決することなど、誰にもできはしない。
それらは、一見あまりにも多様な形と内容を持ち、実に多くのレベルに存在しているため、解決不可能な状況をあなたにつきつけているように見える。
あなたがそれらのことを思うとき、狼狽と落胆を感じずにはいられない。
これまでの問題を解決したと思ったとたんに、予想もしていなかった別の問題が現れてくる。
そのほかの問題は否認という雲に隠れて未解決のまま残っており、ときどき浮かび上がってきてはあなたを悩ませるが、未解決のままで再び隠蔽されてしまう。

この複雑さはすべて、問題を認識しないことによって、それが解決されないようにするための必死の試みにほかならない。
問題がどのような形で現れようと、自分には神からの分離という問題しかないということが認識できたなら、その答えの妥当性が分かるので、それを受け入れることができる。
目の前に立ちはだかるように見えるすべての問題の根底にある一様性を知覚することによって、あなたは自分がその全部を解決する手段をもっていることを理解するだろう。
そしてあなたは問題を認識するので、その手段を使おうとするだろう。

私たちはにはただ一つの問題しかなかったのに、そのことを認識しそこなってきた、ということを実感しようと努める。
問題は何なのかを尋ね、答えを待つ。
答えは与えられるだろう。
それから、その解決法を求める。
そして、それが与えられるだろう。



イエス・キリストの奇跡講座という本からの引用でした

382 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 17:30:32.97 0.net
「最後の審判」とは何でしょうか

「キリストの再臨」は「神の子」に以下の贈り物を与えてくれます。
すなわち、「神を代弁する声」が、間違っているものは間違っており、真実であるものは決して変わっていないと宣言するのを聞くことです。
そして、これが審判であり、これにおいて知覚が終焉します。
最初にあなたは、これを真実であり、今や修正されたマインドから投影されたものとして受け入れた世界を見ます。
そして、この神聖な視力によって知覚は沈黙の祝福を与え、それから姿を消します。
知覚はその目標を達成し、その使命を完了したのです。

この世界に対する最後の審判は、いかなる有罪判決も含んではいません。
というのは、それはこの世界を完全に赦され、罪もなく、まったく何の目的もないものとして見るからです。
原因がなく、そして今や「キリスト」の視力からすると一つの機能もなく、この世界はすっと姿を消して無になります。
この世界は無の中で生まれたのであり、無の中で終焉します。
そして、この世界はそもそも夢の中で始まりましたが、その夢の登場人物のすべてもこの世界と共に姿を消します。
今や肉体は無用となり、したがって、徐々に姿を消すことになります。
なぜなら「神の子」は無限だからです。



383 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 17:31:15.50 0.net
「神の最後の審判」はこの世界に有罪判決を下して、あなたも一緒に地獄に落とすだろうと信じていたあなた、次に述べる神聖な真実を受け容れてください。
「神の審判」は、「神」があなたのすべての過ちに与えた「修正」の贈り物であり、それによってあなたをそれらの過ちから解放し、それらがもっているように見えたすべての結果から解放したのです。
「神」の救いの恩寵を恐れることは、苦しみからの完全な解放を恐れ、安らぎと安全と幸せに戻ることを恐れ、あなた自身の「帰属意識」との結合を恐れることに他なりません。

「神の最後の審判」は、「神の子」を祝福し、「神」が「神の子」と共有される永遠の安らぎに戻るようにと彼に呼びかけるという、「神」が指定された計画の一歩一歩と同じく慈悲深いものです。
愛を恐れないでください。
というのは、愛だけがすべての悲しみを癒し、すべての涙をぬぐい去り、「神」が「ご自身の子」と認めている「子」を苦痛に満ちた夢から優しく目覚めさせることができるからです。
これを恐れないでください。
救いはあなたがそれを歓迎することを依頼しています。
そして、この世界はあなたの喜びに満ちた受容を待っており、それはこの世界を解放するでしょう。

以下の言葉が「神の最後の審判」です。
”あなたは今も「私」の神聖な「子」であり、永遠に罪のない存在であり、永遠に愛にあふれ、永遠に愛され、あなたの「創造主」のように無制限であり、完全に不変であり、永遠に純粋です。
そういうわけですから、目を覚まして「私」のもとに戻ってください。
私はあなたの「父」であり、あなたは「私の子」なのです”。



天国に帰ったイエス・キリストの奇跡講座という本からの引用でした

384 :時計 :2022/02/25(金) 18:31:47.56 0.net
>>367
「適当に生きよ」とかどうでしょうか。:)

>>383
控えめに言って、真理性はあると思います。
他の引用に関しても。

385 :時計 :2022/02/25(金) 19:53:47.43 0.net
>>384
「控えめ言って」の後は、大体控えめではありませんが、
この場合、本当に控えめだと思います。:)

386 :時計 :2022/02/25(金) 19:54:16.78 0.net
>>385
正:控えめに言って
誤:控えめ言って

387 :時計 :2022/02/25(金) 19:56:02.53 0.net
>>384
人生とは神と離れて神に還ること……かもしれません。
(そんなことは言っていない?)

388 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 20:03:59.85 0.net
天国では、原初の創造主である父なる神、その一人子である神の子、そして神の子の分離に対する神の答えである聖霊が三位一体で存在してます。

私たちが見ているこの世界は、自我が作った世界であり、存在してません。
自我自体が誤謬なので、この世界では「不完全性定理」や「不完全性定理」などの誤謬があります。

私たち神の子の正体は心であり映写機であり原因です。

この世界は心の投影でスクリーンであり結果です。

389 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 20:07:07.47 0.net
不完全性定理や不確定性原理でした

390 :考える名無しさん:2022/02/25(金) 20:34:41.20 0.net
夜見る夢の中の登場人物は全部自分が作っていることは容易にわかります

自我が秘密にしておきたい大切な秘密は、この起きているときの世界もあなたの夢であり、すべての登場人物はあなたが作っています。

この場合のあなたとは、神から分離した神の子の心のことです。

391 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/25(金) 20:57:39.67 0.net
体系外についてもう少し説明すべきだったかな。
体系外から、ある体系をみているのならともかく、
体系内からみた場合、体系外なんてそんなもんあるわきゃねーだろーというのが正しい認識ですw
体系内における体系外は、体系内での仮想的もしくはイマジナリな存在です。
体系内からみた真理は、体系内の仮想的体系外であり、
想像上のものだと考えてもよいでしょうw
公理的集合論の「公理」は体系外ですが、たんなる想像上のものよりも複雑な構造だと考えられますw

ようするに「真理」とは「共同『幻想』」ですよね(大笑

392 :360:2022/02/25(金) 22:23:47.86 0.net
>>368
>私たちが体験しているレベルの宇宙は
 それを構成する要素の総意的なもので運営されている

その要素の総意的なものは「人間の意識」ではないというのなら同意かな。
宇宙の運営自体は人間外の原意識のようなものがしていて、
人間の意識はその宇宙の一面を空間的に変換して認識していると
考えるのが自然だと思う。

393 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 00:56:36.38 0.net
73 :おさかなくわえた名無しさん :2022/02/25(金) 22:35:39.24 ID:75DMaH2y
自分が過去に診察を受けた産婦人科医が総じてクソだったと気づいた事。
20歳でまだ未経験の時、腹痛で総合病院の内科に行ったら問答無用で産婦人科に回された。そこでいきなり看護師に「下脱いで」と言われて男の医者に内診された。医者にいきなり指を突っ込まれて痛くて涙が出てきて「痛いです」と言ったら、「中きついねw」とニヤニヤしながら言われて当時は意味もわからず屈辱を感じた。内診を終えた後で医者は問診票を見て、「未経験だったんだ?!」と慌てて言ってきた。当時は医療行為だからと思って何も言わなかったけど、今なら訴えてもおかしくない程の事をされたと理解できる。
次に診察を受けたクリニックはメディアにも取り上げられる名医と評判の女医だったが、不正出血を訴えたらろくに話も聞かずヤリmン認定された。まだ未経験だった。
現在アラフォーのBBAになって酷い生理痛と不正出血を抱えているが医者に行けない。産婦人科に行くくらいなら子宮が爆発して死んだ方がマシだと思っている。

394 :時計 :2022/02/26(土) 06:05:56.08 0.net
>>387
昔、考えたこと。
人は、天国で天使が遊ぶ超リアルなRPG。
イデアの世界の実体化かな。

395 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 07:17:53.09 0.net
イエス・キリストの奇跡講座によると

最初の分離で、神の子の心は神と一体の心と分離して知覚(意識)が生じ。

第2の分離で自我の心と、聖霊の心という選択肢があるように見えます。

第3の分離は自我の心を選んでしまったことで聖霊は思い出となってしまいます。

第4の分離は自我がビックバンを起こして幻想宇宙(マトリックス)を作りました。


この幻想宇宙が作られた目的は、神を排除することでした。

なんで神は自然災害や我々の苦しみを放置するのか?という謎の答えは

そもそもこの幻想宇宙に神はいなかったのでした。

この幻想宇宙は偽神(自我)によってつくられたからです。

そしてすべての死、不幸、殺人、戦争、絶望、病気の創造主こそ自我でした。

我々が本当に幸せになるには、神の答えである聖霊(赦し)を選択して自我を取り消すことだそうです。

この聖霊による自我の取り消しは、仏教のカルマの解消に似ています。

この幻想宇宙にいるかぎり、カルマは永遠に展開します。

396 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 08:01:54.49 0.net
たったこれだけのことをはっきりと口に出して表現してみるだけでも、
常日頃から、いかに奇妙な洗脳にさらされて生きてきたのか
気づくことになるだろう。

>>371考える名無しさん2022/02/25(金) 13:19:01.230
何かの「物質がある」こと、あるいは「何も存在しない」ことが
あることすら、既にそれが理(ことわり)として、つまり、何らかの
比として具現化しているということでしょう。

例えば、それは、「鉄」が「物質」として存在することであって
もいい。「鉄」は、「鉄」とされる「物質としての性質」を伴わず
に現れることはできない。そのような反現実的な現れ方が可能
であるとしたなら、鉄の分子が存在したとしても、それはあらゆる
別の物質の分子とランダムに混じり合っていることになる。
そのような「鉄」の分子の存在を想定したとしても、そのような
「鉄」は、「『鉄』とされる物質」として現象しない。「鉄」
が「鉄」とされる「物質としての性質」を伴うものとして現れる
のはあくまでも、それが同様の性質を伴う物質の分子のカテゴリー
として、他の物質の分子との相対的な関係、例えば、比重や
磁力に引き付けられる性質において相対的に分離されて、
まとまって同質のものとして現象するからである。ところが、
これは、すべての「物質」について言えることであり、特定の
物質が孤立してそのもの独自でなんらかの「性質」を有するわけ
ではなく、そのような性質は、すべて相対的な比、すなわち、
「理(ことわり)」として現れる。

397 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/26(土) 09:40:16.16 0.net
体系内に、イマジナリとしての体系外を持ち込む。
結局のところ、体系外は体系内にしかないw
公理的集合論の「公理」も、
集合論という体系内での、アンタッチャブルな擬似的体系外である。
以前から求めていた「パンドラ構造体」の一種であろう。
と考えたら、公理系なんていうものは矛盾許容論理の一種なんだなと思う。
さらに考えれば、科学哲学とは、「矛盾許容倫理」ということになるw

この「矛盾」はパラドックスによるものであって、実際には無矛盾である。
しかし、「矛盾」がなければ、すべてが「解脱」してしまって本当に「消失」しかねないw
われわれは「矛盾」を飼いならす/ねばならない。
飼いならされた「矛盾」の一種に「神」がいますなw
ただし、暴走の要因となるので、わたしは「神」を否定しますがね。

398 :理不尽な世界:2022/02/26(土) 09:54:42.53 0.net
世界は、何の理(ことわり)/断りもなしに比の具現化として現象する。
ところが、世界がそのように比の具現化であることを、事後的に
反転させて、世界は何らかの理(ことわり)により現れるものである
と見なそうとすることにより、あたかも理(ことわり)が、世界が
現象することに先立ってあらかじめ存在するかのような錯覚が生じる。

399 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 10:25:02.65 0.net
西から昇ったお日様が東に沈む〜w

400 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 10:58:13.62 0.net
そのようにお日様が東から昇ることをあらかじめ存在する
理(ことわり)によるものと考えてしまうのですね

https://www.ipros.jp › モノシリ › オトナの中学理科講座
>太陽系の惑星はそのほとんどが地球の北極側から見て反時計回りに
自転していますが、金星だけは自転方向が逆向きです。 従って、
太陽は西から昇ることになります。

401 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 11:12:25.87 0.net
天文学から人文学へ

402 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 11:28:24.37 0.net
神話的世界を司るのは誰か

403 :考える名無しさん:2022/02/26(土) 12:42:11.07 0.net
北極って場所が変わるらしいぞw

404 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/26(土) 21:05:53.10 0.net
体系内に体系外をつくるには境界が必要になる。
この境界は体系内に属する。
体系外にはどのみちいけないのである。
だが、体系外にはいけないし、「ない」のに、体系内にとっては有用である。
公理的集合論をじっくりと眺めてみてほしい。
この、体系内の体系外(境界しかないけど)は、集合論のパラドックスを排除する。
論理というより倫理的規定であるw
R18の規定を乗り越えて、この体系内の体系外に踏み込んでみよう。

405 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/26(土) 21:36:52.23 0.net
体系内の体系外は禁断の場所である。
もともと「そんなもんない」のだから、想像上の場所である。
矛盾の根源なのに、そこに矛盾はない。
すべての可能な世界がそこにある。
この風景は...量子コンピュータか。
無矛盾で可逆な世界。
その世界の中で一片のひもの振動にすぎないのがわれわれの世界か。
あるいはブラウン運動している微小粒子。

406 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/26(土) 23:37:26.41 0.net
無意識を、このイマジナリな世界とすれば、
「意識」とはイマジナリな世界に浮かぶ一片の(不完全な)無矛盾ラインである。
「意識」は不完全だが、局所的無矛盾性を持つ。
この不完全性と局所的無矛盾性は、まさに数学における「証明」と同じことなのではないか。
てことは、意識のハードプロブレムは数学のハードプロブレムだ。
もっとも「数学」が自発的に自分自身を「証明」するわけではないが、
(量子)脳がやっていることは「証明」と同じものである。

407 :でこすけ:2022/02/27(日) 06:13:57.14 0.net
>>371
そもそも、例えば目の前にリンゴを認識していたとして
仮にそのリンゴが薬品の効果などによる本当の幻覚だったとしても
とにかくミカンやバナナではないリンゴを認識している
ということ自体は絶対に「真」なのか、
じつは「偽」の可能性があり得るのではないか、
というのが「純粋理性は批判できる」ということだと思います。
あるいは「我思う、故に我有り」も絶対に正しいとは言えない、
じつは認識機能がまともである保証はない、
私は「私」という概念は曖昧だから「何かが考えている、故に何かが存在する」
と修正するべきだとしてきましたが、本当は、
「何かが考えている、故に何かが存在する、と言い得る」みたいに
つまりさらにぼやかすべきだった気がしています。

>>392
私のイメージでは「要素の総意」というのは実体では無いものです。
意識でもありません。
例えばみんなで居酒屋に行って焼き鳥の盛り合わせを注文したとします。
するとたいてい最後の一本には誰も手を伸ばしません。
何らかのシステムが「手を伸ばす」という物理学的現象に制約をかけている印象です。
その「システム」の正体が実体のわけはなく、ようするに一般的には「空気」
と呼ばれるものがそれにあたると考えられます。
私が思うに、この現象世界を動かしているのは突き詰めると
「見えざる手」とか「エス」とかいわれる実体のないもののような気がするのです。
また、いちいちケチを付けるようで恐縮ですけど、
「宇宙の一面」という表現には「宇宙」が実在するニュアンスを感じます。
私としてはそのようなものは存在せず、
様々なレベルの意識にそれぞれの相応の姿として現れているだけであって
その背後に実体があるかのような感覚は錯覚なのではないか、と考えています。

408 :でこすけ:2022/02/27(日) 06:40:50.33 0.net
>>407
>現象世界を動かしているのは…
例えば私がニューヨークへ行って『自由の女神像』見物したとしましょう。
それはたぶん日本の出版物に印刷されている写真とソックリなはずです。
しかもそれは私以外の誰であっても同じ経験をすることになるでしょう。
そのように心像を表す構造は「見えざる手」によってまとめられた
と言い得る気がします。

409 :美魔女:2022/02/27(日) 06:58:52.69 0.net
私のおっぱい ぷるんぷるんだよ。👰

410 :「あなづらはし」とは:2022/02/27(日) 08:05:46.13 0.net
「あなづ(侮)らはし」とは、どのような表現だろうか。
この問いに関しては、随分以前に既に応へを示しているが、今や、より明確で
より分かりやすい記述が可能となっていると思われるので、再訪しよう。

https://kotobank.jp/word/侮らはし-426110
1. 軽蔑したい。尊敬・尊重する価値がない。
2. 気軽に心を許せるさま。気のおけないさま。

>>357
>187 :考える名無しさん:2015/05/16(土) 12:58:20.99 0
そこで「ついじのくずれ」をグーグル検索すると、伊勢物語、第五段の
「築地の崩れ」の文例がヒットし、そこには、こう書かれている。

>童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。

358考える名無しさん2022/02/24(木) 14:20:01.310
>石城(しき)を掘り崩すのは、何処からでも鬼神(もの)に入りこんで来い
と呼びかけることに当る

359考える名無しさん2022/02/24(木) 16:08:18.690>>363
「さそ(誘)ひ」とは、相手の意に沿ふように/「あなづ(侮り」を
生じさせるように、わざと「すき」を見せることである。

411 :「あなづらはし」とは:2022/02/27(日) 08:43:00.38 0.net
>>410
「あなづ(侮)らはし」についての日本語における「1. 尊敬・尊重する価値がない」、
および「2. 気軽に心を許せるさま」という説明は、それぞれ用法の文脈の違いは
あっても、ともに、「軽く扱っても構わない」ことを意味するものとして、この
表現を解釈している。しかし、そのような解釈がある程度、妥当であるにしても、
それが「あなづらはし」という表現の形成とどのように関係しているのか不明
だろう。この場合も、説明のメタ言語を日本語に限定することなく、他者の言語
を介在させるなら、日本語としての表現の論理も直ちに明白となる。

例えば、上の文例を見ると、「築地(ついぢ)」や「石城(しき)」を「掘り崩す」
ことについて昔の人々がどのように感じていたのか、現代の我々にも難なく
理解できるはずである。それは、「(侵入を防ぐ囲いを掘り崩すのは)わざわざ
自ら災厄を招き入れるようなものだ」という感覚である。それが、>>358
「之を言い立てに」の「之(これ)」に当たるわけだが、同じことを、例えば、
ポルトガル語を母語とする人が表現したとすれば、
"Fazer isso seria convidar o desastre."と言っただろう。ここで用いられる
"convidar"という動詞は、「招待/招来する」ことを意味し、"con-"が、
動作の作用が自らに戻って来ること、つまり、再帰的な意味合いを伝えること
になっているはずである。

412 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:09:01.05 0.net
したがって、もし、築地(ついぢ)/石城(しき)を自分たちの手で掘り崩して
何かの禍(わさはひ)が起きたなら、その禍(わさはひ)は、英語の表現を
用いるなら、"a self-invited disaster"ということになるだろう。

このように考えると、「あなづ(侮)らはし」という表現は、英語をメタ言語
として用いて、既に適切に記述することができるようになっている。
すなはち、「あなづ(侮)らはし」≒"letting oneself to be taken as inviting"
である。

ここで、「あなづらはし」をその表現形成の要素から見ると、「あな・つら・は・し」
であり、「〜し」が、"letting"に相当し、「〜は」は、「つる」に付加されて、
それを再帰表現とするように用いられている「〜ふ」の変形であるので、
"oneself"に相当し、この場合の「つる」は、「引き寄せる行為」としての
"to invite"に相当すると考えられるので、「つら」が"inviting"に相当し、
「あな」は、「己(あな)」として自己であるが、これは、さらに「あ・な」
として形成されており、「あ・な(己/汝)」であるが、この場合の「あ」は、
「な(己/汝)」が相手側であること、すなわち、「あ(相手の)・な(自己)」
であることを示しているが、英語の表現では、相手側は、"to be taken"という
受動形によって隠されているが、明示するとすれば、"(to be taken) by others"
ということになる。

413 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:14:51.93 0.net
Forgive(聖霊の赦し)はfor(神の子のために) give(与える) 神の子のために与えます

Remember(神を思い出す)はre(再び)member(メンバーになる)神と一体化していることを神の子に思い出させます

Present(贈り物、現在、出席している)はpre(前もって)sent(送られている)聖霊であり、現在にあり、常に神の子の心の中に実在しています、

Determine(決断する)とはdeter(あきらめさせる)mine(神の子が作った誤謬である自我を)であり、自我を選択せず聖霊を選択することを決断することです。

Surrender(降伏)はsur(究極の)render(与える)であり、ルシファー(自我)の降伏です。

日本の神社に行くとき参りましたといいますが

参りましたとは、神には敵わないと悟ることであり、ルシファーの降伏であり、つまりSurrenderです

神にはかなわないと知り、降伏するのが神社の本当の目的だったのでした。

414 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:15:33.82 0.net
このことから、「あなづ(侮)らはし」を「あなづ(侮)る」というより単純な表現に
戻すと、「あなづ(侮)る」≒"to take (someone/something) as inviting
(to be taken advantage of)"であることが分かる。

415 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:23:52.98 0.net
There's a mountain and it's mighty high

You cannot see the top unless you fly

And there's a molehill of proven ground

Ain't nowhere to go if you hang around

mountainとは聖霊の偉大さです

天国に帰るには奇跡が起こらなければなりません

molehillとは自我の卑小さです

自我を選ぶなら、ただあてもなく夢の中で彷徨うだけです

416 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:24:46.16 0.net
Everybody wants to sell what's already been sold

Everybody wants to tell what's already been told

What's the use of money if you ain't gonna break the mold?

Even at the center of fire there is cold

All that glitters ain't gold

sold told mold cold goldのoldは自我です

みんなこの夢の中で自我(sold)に投資したい

みんなこの夢の中で自我の言葉(told)を語りたい

この夢(mold)から目覚めてみないかい

この世ではfire(幸せ)の絶頂でも、cold(不幸)にとって代わられる

All that glitters(神)はgold(自我)ではないです

417 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:24:56.50 0.net
There's an ocean of despair, there are people livin' there

They're unhappy and each and every day

But hell is not fashion, so what you tryin' to say?

絶望に満ちたこの世界があり、みんなここで暮らしている

みんな毎日が不幸である

だけど不幸はファッションじゃないので、もっといい選択があるんじゃない

418 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:25:19.69 0.net
There's a lady, 99 years old

If she led a good life, heaven takes her soul

That's a theory and if you don't wanna know

Step aside and make a way for those who want to go

99歳のレディがいる

もしいい生活を送れば、天に召されると信じられてる

そんなのまやかしだよ、もしあなたが真理を知りたくないなら

天国にいきたい私たちに道を譲ってよ

419 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:25:51.56 0.net
Everybody wants to sell what's already been sold

Everybody wants to tell what's already been told

What's the use of bein' young if you ain't gonna get old?

Even at the center of fire there is cold

All that glitters ain't gold



ここのsold told old coldは父、子、聖霊の三位一体です

みんな本当はすでに神に与えられた聖霊を兄弟に差し出したい

みんな本当はすでに神に与えられた聖霊の言葉を兄弟に語りたい

神の愛を求めたほうがいいんじゃない

地獄(fire)の果てにさえ、聖霊(cold)はいる

永遠に価値があるのは、自我じゃなくて、神である


https://www.youtube.com/watch?v=7IQE62Vn4_U

420 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 09:41:47.18 0.net
「イエスとブッダが共に生きた生涯」ゲイリー・レナード著

この本がおすすめです。

この本によると、釈迦には息子ラーフラがいたことはあまり知られていませんが、その息子ラーフラがイエスの前世だったそうです。

そして、来世でラーフラがイエスとなり、釈迦はキリスト教の12使徒のひとりであるフィリップだったそうです。

そしてイエスとフィリップ(釈迦)とマグダラのマリア(イエスの妻)はこの生で天国(涅槃)に帰ることになりました。

イエスはサカ、釈迦はヒロジという名前で、BC700年前後の日本での生があったそうです。

この生ではサカ(イエス)とヒロジ(釈迦)はメグミ(マグダラのマリア)に二人とも恋をしてライバル関係だったみたいです。

天国(涅槃)に帰ったイエスと釈迦ですら何百回と輪廻転生してきたそうです。

amazonでこの本売ってますので、興味があるなら買ってみてください。

421 :あなづりとあなどりの間:2022/02/27(日) 10:26:05.11 0.net
>>412, >>414
このように見るとさらに、「あなづ(侮)り」から「あなど(侮)り」への
発音の変化は、単なる「機械的な」発音の変化によるものではなかった
だろうことが推察される。それは、「あなづらるる」こと、要するに、
「相手から都合よく扱われるような『すき(隙)』を見せる」ことに
対する警戒感から、「『すき(隙)』を見せているように見える相手を
自分に都合よく扱えると思う」ことに対する警戒感への反転に対応して
いるものと考えることができる。つまり、「『あな』づ(侮)り」に
おいて「あな」が「相手の自己」であることが前提とされている
とすれば、「『あな』ど(侮)り」の「あな」は、「過信する自己」
としての己(おのれ)に反転しているのだ。それにより、"to be taken
as inviting"の「つる」が、意識の働きにうまく適合しなくなり、
"to take"を表現する「とる」に変化したのだろうが、その結果
もたらされた「あなどる」という表現はもはや、その語源的な
表現形成の論理との関係が断ち切られて、それ自体では解釈困難な
ものとなっている。

422 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 10:40:30.38 0.net
このように日本語の表現の論理を詳しく見ると、新仮名遣いの規範化が、
他の諸外国の言語表現にそのまま対応する日本語の論理的な理解を、
いかに「積極的に」阻害/妨害しているかがはっきりと分かる。

423 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/27(日) 11:08:09.89 0.net
体系内体系外における公理を考える。
とりあえず公理的集合論であまり語られることのない存在公理を扱ってみる。
存在公理によって、集合論内部に要素(元)の存在と証明が与えられる。
これは存在しない、ことの証明でもあるw
存在公理を満たさないものは存在しないのだ。

存在公理を体系内体系外から体系内に引きずり込むと矛盾が生じる。
ただし、これを矛盾としない数学者もいるだろう。
矛盾許容「倫理」の出番である。
判断基準は美学であり、美しいか美しくないかであるw

わたしとしては、これは純粋な矛盾であり、それゆえに美しいと考える。
体系内体系外は、そもそも美しくないのだが、それが純粋な矛盾であれば、
その限りにおいて、許容される。

424 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 11:18:12.02 0.net
うまく混ざり合い、溶け合うようにして利用するのが生きること
であり、理(ことわり)/断りに応じてばらばらに別れるように
なるのは死である。サラダ・ドレッシングは、サラダにかけて
食べれば美味しいが、ドレッシングだけを飲んでも美味しくはなく、
さらにそれを、その原料となる物質、水、油、クエン酸、炭素
などに純粋に分離して摂取すれば、まるで美味しさは感じられない。

425 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 11:41:24.74 0.net
この世界を作り出し、その土台となり、世界を維持している「論理」とは、単純に言えば次のようなものである。
「あなたが、私が為すことの原因である。あなたが私の前に居ることが、私の怒りを正当化する。そして、あなたは私とは別個に存在し思考する。
あなたが攻撃するとき、私は無垢であるに違いない。そして、私の苦しみの種は、あなたの攻撃である。」




イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした

426 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/02/27(日) 11:41:51.72 0.net
純粋な矛盾とはなにか。
アイデンティティに関わるものであろうが、
矛盾律は爆発律であり、爆発でもある。
秩序的な爆発。
乱数発生器なのか?
乱数発生器だとしても、美しい乱数を発生しなければならない。
秩序と非秩序を持ち、すべてを活性化させる。過剰でも不足でもない。

427 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 11:42:15.83 0.net
この世界の価値についてもう一度考えるために少し時間を費やす価値があるかもしれません。
おそらく、あなたはこの世界の価値についての思いのすべてを手放すことで何も失うものはないと譲歩して認めるかもしれません。
あなたが見ている世界は確かに容赦のない世界であり、不安定で、残酷で、あなたのことなど気にかけることはなく、すぐに報復に走り、無情で憎しみに満ちています。
それは与えますが撤回します。
そして、あなたがしばらくの間大切にしていたすべてのものを奪い取ります。
永続的な愛はここでは見つかりません。
というのは、それはここにはまったく存在しないからです。
これは時間の世界であり、すべてのものが終わる場所です。

この世界の代わりに、失うことは不可能であり、愛が永遠に継続し、憎しみは存在することができず、報復には何の意味もない世界を発見することは損失でしょうか。
あなたが本当に欲しいもののすべてを発見することは損失でしょうか。
そして、それらのものには終わりがなく、時間が存在する間はずっとあなたがこうであってほしいというまさにその状態であり続けると知ることは損失でしょうか。
しかしながら、それらのものですら私たちが語ることができないものと遂に交換されるでしょう。
というのは、あなたはその場所から、言葉がまったく機能しない場所へと移動し、言葉はまったく語られることがなく、それでいて、確実に理解されている沈黙の中へと入っていくからです。


イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした

428 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 11:43:51.63 0.net
私が見ているのは、復讐の一つの形です。

今日の考えは、攻撃の思いをマインドの中に保持している人が、この世界をどのように見ているかを正確に描写しています。自分の怒りをこの世界に投影している人は、復讐がまさに自分に襲いかかってくると見ています。
こうして、彼自身の攻撃は自己防御であるとして知覚されます。
この悪循環は、彼が見方を変える気持ちになるまでますます悪化していきます。
彼が気持ちを変えなければ、攻撃の思いと反撃の思いが彼および彼の全世界の人々の心を奪うことになります。とすれば、マインドの安らぎが彼にとって可能であるはずがありません。

あなたが脱出したいのは、この野蛮なファンタジーからです。それが実在していないと聞いたら、それは喜びのニュースではないでしょうか。脱出できると分かったならば、それは幸せな発見ではないでしょうか。
あなたは自分で破壊したいと思うものを作りました。あなたが憎み、攻撃したいと思い、殺したいと思うもののすべてをあなたが作りました。あなたが恐れているものはすべて存在していないのです。

今日、少なくとも周囲を5回見回しますが、1回につき少なくとも1分は費やしてください。あなたの目を一つの物体から別の物体へ、一人の体から別な体へとゆっくりと移動させながら、次の言葉を自分自身に向かって言ってください。

私はやがて壊れるものだけを見ています。
私は永続するものは何も見ていません。
私が見ているものは実在していません。
私が見ているのは復讐の一つの形です。

練習が1回終わったところで、自分自身に次の質問をします。

これは私が本当に見たい世界だろうか。

その答えが明らかであることは確実です。



イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした

429 :美魔女:2022/02/27(日) 15:13:50.79 0.net
私は爆乳ですぅ

430 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 17:29:42.36 0.net
イエス・キリストによると、みんながキリスト教だと思っているのは実はパウロ教であり、自我の宗教だということです。

もちろん聖書の中にはイエスが言ったことも含まれてますが、自我の要素も混ざっています。

さらに教会の人たちがありとあらゆる改ざんをしたので、矛盾だらけということです。

431 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 21:39:04.95 0.net
>>407
宇宙を成り立たしている背後の不可知なシステム(または神や集合意識など)が
真の存在だと考えるのが自然だと個人的には思いますかね。
人間が認識する「宇宙」は現象としての姿と考えるのはありかもしれないかな。

432 :考える名無しさん:2022/02/27(日) 22:34:00.33 0.net
>>412
誤:「あなづ(侮)らはし」≒"letting oneself to be taken as inviting"
正:「あなづ(侮)らはし」≒"letting oneself be taken as inviting"

433 :vivre sans frontieres:2022/02/28(月) 10:13:24.84 0.net
生きる力としての「いのち(命)」は、その都度の相対的な有限性、
すなわち、その相対的な「できる『かぎ(限)り』」としてしか
具体性、つまり、「からだ(身体)を具えるという性質」を有さない。

434 :峰富士子:2022/02/28(月) 11:29:38.88 0.net
因みに私は爆乳ですぅ

435 :考える名無しさん:2022/03/01(火) 04:09:01.66 0.net
奇跡講座を引用している者です

自我がビックバン起こしたときに、すべては一瞬でこの宇宙という映画は作られているので、自由意志はないといいました。

ということは、すべて事前に決まっているなら、我々は努力する必要ないんじゃない?と思います。

さらに親殺しのパラドックス問題もあります。以下wikipediaからの引用です

「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というものである。
その場合、その時間旅行者の両親のどちらかが生まれてこないことになり、結果として本人も生まれてこないことになる。
従って、存在しない者が時間を遡る旅行もできないことになり、祖父を殺すこともできないから祖父は死なずに祖母と出会う。
すると、やはり彼はタイムトラベルをして祖父を殺す……。
このように堂々巡りになるという論理的パラドックスである。

436 :考える名無しさん:2022/03/01(火) 04:21:36.82 0.net
しかし、我々が行動する理由があります。

閉鎖系の中でも、我々がある選択をするたびに「小ビッグバン」というビックバンが起こります。

いわばマルチシナリオみたいなものです、違う世界線に移行するみたいなものです。

だから仮にタイムマシンを使って自分の親を殺しても、それはひとつの世界線なので自分は消滅しないです。

それでもその小ビッグバンは大ビッグバンの中のことであり、限定され固定されています。

奇跡講座のいう自由意志は、聖霊を選択することです。

聖霊の機能は赦しであり、自我の取り消しです。

私が作ったなんちゃって数学でいうと、発散が自我を選択することであり、永遠に幻想宇宙のなかで彷徨います。

収束とは聖霊を選択することで、この幻想宇宙(結果)を投影した自我(原因)の取り消しであり、その実数解とは天国です。

437 :でこすけ:2022/03/01(火) 10:45:06.71 0.net
>>384
>「適当に生きよ」
なるほど、
しかしもうちょっとガツンというインパクトがあったら良いとも思います。
なかなか難しいのです。

>>409
私の理解するところによると、おっぱいは原子で構成されています。
さらに原子はいくつかの大変に小さな「素粒子」と呼ばれるものでできている
とされており、つまりその内部はスカスカのようです。
すると明確な三段論法により、おっぱいもその内部はスカスカということになります。
そのようなものが何故ぷるんぷるんに感じるのでしょうか。
そもそも何故に神様は「クオリア」をお創りになったのでしょうか。
「クオリア」こそがあらゆる罪と災厄との根源のような気がするのです。

438 :考える名無しさん:2022/03/01(火) 13:39:52.43 0.net
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一個人、一企業ではなし得ない。
だからこそ、あらゆる制約・枠組みを解き放ち、人、企業、社会に、革新の連鎖を起こしていく。
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JDSCは東京大学の複数の研究室と協力し、知の社会還元と実装をリードします。
また、東京大学エッジキャピタルを株主に加え、大学とのより強力なパートナーシップを推進してまいります。

439 :時計 :2022/03/02(水) 05:19:44.34 0.net
>>437
中々難しいですね……

固体って不思議ですよね。流体の方が解りやすいように思います。

440 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 08:53:01.82 0.net
>>410-412, >>432
ここでさらに面白いことに気づく。それは、英語の"contempt"と日本語の
古語の「あなづり」の対応関係についてである。

私は、「あなづり」という表現について論じはじめた当初から、それを
侮蔑や軽蔑を意味するものとして英語の"contempt"に相当するものと
解釈することは不適切だろうと指摘してきた。その理由は、
「人にあなづらるるもの」の典型とされるのが、「築地(ついぢ)の
くずれ」とされるからである。ここで、「あなづらるるもの」は、
あくまでも「築地(ついぢ)のくずれ」であって、それに囲まれた
土地の占有者ではないことに留意する必要がある。

>崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて春夏に
>なれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。
『源氏物語 第十五巻 蓬生』

にもかかわらず、"contempt"の"con-"を再帰を表現するものと解釈し、
"tempt"を"attempt"や"temptation"、さらには"tension(すなわち、
「引っ張る働き」)"と共通するものと見なすなら、先に
「あなづ(侮)らはし」≒"letting oneself be taken as inviting"
とした解釈における"inviting"を"tempting"に置き換えても、そのまま
「あなづ(侮)らはし」≒"letting oneself be taken as tempting
(to be abused)"として適合するように考えられることである。
しかし、である。ここで示した"contempt"の利用法は、正統と
される語源的な解釈においては、二重に誤ったものとされるのである。

441 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 09:16:38.24 0.net
https://www.etymonline.com/search?q=contempt
contempt (n.)
late 14c., "open disregard or disobedience" (of authority, the law, etc.);
general sense of "act of despising, scorn for what is mean, vile, or
worthless" is from c. 1400; from Old French contempt, contemps,
and directly Latin contemptus "scorn," from past participle of
contemnere "to scorn, despise," from assimilated form of com-,
here perhaps an intensive prefix (see com-), + *temnere
"to slight, scorn, despise," which is of uncertain origin.

まず、"contempt"の"con-"については、ラテン語の"com-"に由来
するとされるが、日本語の「ふ」が(例えば、"com-"に対応させる
なら「あ・ふ」について考えてみるといい)再帰表現を形成する
ように用いられているとする解釈が、国語学、日本語学、言語学
において忌避され、「反復継続を表す」と説明されるのとまったく
同様に、印欧諸語の語源的な解釈においても"com-"が再帰表現を
形成するように用いられているとする解釈は、徹底的に忌避されて
おり、上に引用した例では、"com-"は、"intensive prefix"、つまり、
「強調」の働きをするように用いられているとされる。さらに、
"contempt"の"tempt"の方については、それ自体で"to slight,
scorn, despise"、つまり、「軽蔑」を表現するように用いられて
いるとされ、ここでは、省略した続く説明では、"to cut"、つまり、
「切断する」という意味に語源が求められる可能性が示唆されている。

442 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 09:48:00.28 0.net
私自身はラテン語が読めないので、ラテン語の"contemptus"や"contemnere"が
どのような表現として用いられていたのか、その用法を文献から確かめてみる
ことはできない。だが、ここで、文献学/フィロロジーや歴史言語学を離れて、
哲学的に見るなら、"contempt"を「"to cut"/『切断する』ことの強調」と
見るより、「言語学的な常識」を無視して、”con-”を再帰表現を形成する
ものと解釈し、"attempt"、"temptation"、および"tensionとの「語呂合わせ」
から、"tempting to oneself"(これは、一般に通用する英語の表現ではないが)、
すなわち。「自ら挑発すること」と解釈した方が、仮説のネットワークを
うまく形成することがはるかに容易となり、好都合である。
その具体例としては、例えば、"daredevil"という表現について、それが
どのようにメタ言語的に記述されるかを考えてみるといい。単純にGoogle検索で
上位でヒットした文を単に例として引用する。
>By engaging in daredevil behavior, she invited danger and further abuse
Teresa Aiello, "Child and Adolescent Treatment for Social Work Practice"
https://books.google.co.jp › books
これに関して形成され得る仮説のネットワークについては、気が向いたら、
また追って書き込むことにする。

443 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 09:51:41.79 0.net
>>442
貼り付けた引用から肝心の部分が脱落してしまったので、改めて引用する。
>By engaging in daredevil behavior, she invited danger and further abuse,
... By picking up men in servicerelated employment, she could feel
contempt and ...

444 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 10:10:15.51 0.net
米国の映画やTVドラマを観ていると、犯罪者を追い詰めた主人公が
"Don't tempt me (or I'll shoot you dead)"というようなセリフが
よく用いられているのを耳にする。これは、相手がこちらの「すき」
を窺って反撃しようとする気配を見せることに対する警告/威嚇だろう。
この場合の"tempt"は、どのような働きをするように用いられて
いるだろうか。この場合の"tempt"の用法は、「あなづ(侮)らるる」
(「あなど(侮)る」ではなく)という表現における「つる」に似ていない
だろうか。

445 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 10:14:26.43 0.net
そもそも、"contempt"の"tempt"の語源的な意味を"to cut"に限定しようと
すること自体が、私にはとても疑わしく見える。

https://en.wiktionary.org/wiki/tempus#Latin
Etymology
Two roots have been proposed: (1) from Proto-Indo-European
*tempos (“stretch”), from the extension *temp- of the root *ten-
(“to stretch, string”), whence also tempora, with meaning development
"what is stretched, stretching" → "stretch (of time)" → "time,
occasion"; (2) from Proto-Indo-European *temh₁- (“to cut”), thus
"a section (of time)", this root also giving Latin temnō, tondeō,
Ancient Greek τέμνω (témnō); compare the etymology of English time.

446 :畜群を挑発する気配りの欠如:2022/03/02(水) 10:20:00.41 0.net
>Für die Verächter der »Herden-Menschheit«. – Wer die Menschen
als Herde betrachtet und vor ihnen so schnell er kann flieht,
den werden sie gewiß einholen und mit ihren Hörnern stoßen.<

Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 1, S. 830.
http://www.zeno.org/nid/20009238727

447 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 10:30:50.89 0.net
"tempting"には、その「引っ張る働き」において双方向性がある。

448 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 13:34:03.83 0.net
The Eclectic Review - 629 ページ - Google ブック検索結果
1860
>The whole expedition is one of the most daring and successful on record.
His old contempt for the Spaniards led him, with his thirty ships,
in the most reckless manner, into the Spanish ports.<

449 :考える名無しさん:2022/03/02(水) 19:24:17.51 0.net
>>440
誤:典型とされるのが、
正:典型が、

誤:にもかかわらず、
正:興味深いのは、それにもかかわらず、

450 :時計 :2022/03/02(水) 19:36:02.54 0.net
「生意気」の語源は何だろう。
分解してもよく解らないように思う。

451 :時計 :2022/03/02(水) 19:38:04.37 0.net
>>450
「生ぬるい」などの「生」らしい。
なるほど……

452 :時計 :2022/03/03(木) 03:37:14.58 0.net
>>451
しかし、「生意気」という言葉はおかしくないだろうか。
意気は生ではなく、強いように思う。

453 :鬼神(もの)の魅惑:2022/03/03(木) 07:46:38.52 0.net
学術において相互承認される理路というのろ(呪)ひによって封じ込めた
はずの「もの(鬼神)」が、言語表現の実際の用法において再びその姿形を
顕にするように戻ってきてしまう。誰もが気づくその姿形は否認しようも
ないが、なぜどのようにそれが現れたのかは、学術の理路においては、
その理路がそもそ「のろ(呪)ひ」であったことを認めてしまうのでは
ない限り、説明がつかない。学術は、自らの地位を守るためには、決して
そのようなことを認めることはできないので、説明のつかない姿形として
顕現して戻ってきてしまった「もの(鬼神)」の方が、「もののけ(物の怪)
/魑魅魍魎」として扱はれるのである。

https://thesaurus.plus/related/contempt/provocation
>Provocation and contempt are semantically related.
In some cases you can use "Provocation" instead a noun "Contempt". <

454 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 07:47:39.99 0.net
誤:その理路がそもそ
正:その理路がそもそも

455 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 08:03:45.70 0.net
>されども強く抑ふれば、もと顕理はおかすべからざるものなるが故に、
そのかしらはえさし達せずして止まむと、その道をみそかに求むる。<
富士谷御杖、『古事記燈』、巻一中、「神祇弁」

456 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 08:06:40.07 0.net
美魔女 快楽の果て

457 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 08:20:02.87 0.net
>>446
>sie gewiß einholen und mit ihren Hörnern stoßen.

畜群を「あなづ(侮)る者」は、その群れに確実に「『とが(咎/尖)』め」られる。

458 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 08:26:29.58 0.net
そこでこそ、マスメディア、ソーシャル・メディアという「闘牛場」が役に立つ。
闘牛場という「見せ場」を与えられてこそ、闘牛士は、観衆の賞賛を浴びるのである。

459 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 09:11:57.61 0.net
twitterでもそうであるように、「闘牛士」は大勢の人々に観られながら、
「闘牛場」という囲まれた空間内で牛と対決しているのであり、決して、
大勢の人々に混じってその中で闘牛をしているのではない。
それが、人々が勝手に出入りする公衆トイレとは違うところだ。

460 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 21:39:58.76 0.net
>>452
『生』には未熟という意味があるので『未熟者が息巻くな』が転じて、生意気じゃないですかね

461 :考える名無しさん:2022/03/03(木) 23:30:01.56 0.net
「なま」を「未熟」と解釈するのは、適切とは思えない。
「生乾き」や「生焼け」は、「乾き」や「焼け」が「中途半端」である
ことを意味しているのであって、「未熟」であることはまったく意味していない。
「生卵」も、焼いたり茹でたり、火で調理していない卵のことであって、
「未熟な卵」を意味しているわけではない。

462 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 00:14:03.54 0.net
生首(なまくび)

463 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 00:27:33.77 0.net
>なまし【生し】
>「なましとは、し習はぬすがたなり」(沙石州七ノ一)
岩波古語辞典

そもそも、「習ふ」気がなければ、「未習」ではあっても、
「未熟」ではないだろう。「習ふ」気があって初めて、まだ「習熟」して
いないことが可能になる。野犬は、飼いならされていない犬ではあるが、
未熟な犬ではない。人に飼われていない子犬が「成熟」しても、
「し習ふ」ことはない。

464 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 00:30:01.72 0.net
「生意気(なまいき)」というのは、「意気(いき)」が「し習はぬすがた」
を見せているということではないのか?

465 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 00:33:34.72 0.net
誤:「し習ふ」ことはない
正:人に「し習ふ」ことはない

466 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 01:09:59.29 0.net
「成熟」しているなら「生意気」ではなくなり、「し習ふすがた」を見せるはずだ
というのは、「し習はせよう」とする側の都合に過ぎない。

467 :時計 :2022/03/04(金) 06:08:27.29 0.net
「ナマ言ってんじぇねえよ」のように、「ナマ」だけで、
「生意気」を意味することがあるのも不思議です。
「生意気」はある意味では「いきいき」であり、
ポジティブに捉えることも不可能ではないかもしれません。
私は仏教的なバックグラウンドを感じます。

468 :時計 :2022/03/04(金) 06:09:30.75 0.net
「生」の否定生には、仏教的なバックグラウンドを感じるということです。

469 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 08:48:42.60 0.net
「生」を「なれない(さま)」と解釈するこちらのメタ言語的な記述の
方が適切なのであって、それを、例えば、岩波古語辞典に見られるように、
「未熟」を「原義」として規定して記述しようとするから無理が生じる。
「『なま』を言ふ」相手に対して、(痛い目にあはせて)「ひとつ教へて
やろう」と思ふのも、自分が既に経験していることを、相手がまだ
経験していない、つまり、「未習」であると感じるからであって、
相手が「未熟」、つまり、「まだ成熟していない」と感じるからではない。

生硬(読み)せいこう
https://kotobank.jp/word/生硬-545009
@ 世なれないで頑固(がんこ)なこと。ぶこつなこと。また、そのさま。
※星巖集‐丙集(1837)竹兜集・聞子成訃音詩以哭寄三首「生硬骨将レ同二北地一、瑰奇才殆亜二東坡一」 〔北史‐辛昂伝〕

470 :la dolce vita:2022/03/04(金) 09:05:56.95 0.net
「なま」を構成要素として含む表現としてより解釈が難しく、興味深いのが
「なまめく」および「なまめかしい」である。

「〜めく」は、「うごめ(蠢)く」や「春めく」に見られるとおり、何かの
様子が累加的に強まることを伝へる表現であるが、「なま」を上のように
「なれない(さま)」と理解して、「なまめく」を「『なれない(さま)』が
累加的に強まる」と解釈するのは明白に不適合である。それどころか、
「なまめく」および「なまめかしい」は、英語やフランス語に置き換えるなら、
"suave"/《suave》に対応する表現であり、「なれないさま」や「ぶこつなさま」
、すなわち、《fruste》や《grossier》とは真逆の意味で用いられている。
このことは、「なまめく」に「婀娜」という漢語が当てられてきたこと
からもはっきりしている。この場合、「なま」の「な」の発音にうまく
対応するイメージを表現しているのが中国語の「娜」の用法である。
https://cjjc.weblio.jp/content/niǎonuó
白水社 中国語辞典
袅娜
ピンインniǎonuó
(古くは niǎonuǒ )((文語文[昔の書き言葉]))
1.(草・木の柔らかくか細い様子)なよなよしている,しなやかである.
用例
春风吹着袅娜的柳丝。=春風がしなやかな柳の枝にそっと吹きつける.
2.(女性の姿がたおやかで優美な様子)なよなよしている.

471 :「なまめく」のか:2022/03/04(金) 09:12:49.39 0.net
la dolce vita

472 :歴史修正主義の陥穽、あるいは歴史哲学の課題:2022/03/04(金) 10:18:28.44 0.net
>>453
執拗に戻ってきて姿形を顕現してしまう「もの(鬼神)」/《revenants》を
封じ込めようとするなら、戻って来るような場所をあらかじめつねに
占拠して塞いでおくように自分たちで創り出した亡霊/《revenants》を
絶えず呼び覚ましておく必要がある。

473 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 14:17:22.71 0.net
>>463-464
自らが経験を通じて「しなら(習)はされた」ことを「し(習)ふすがた」を
見せない相手は「生意気」である。そこで、「なら(習)ほうとしない」
相手に「思ひ知らせて」やろうということになる。ところが、その
「思ひ知らせてやろう」とするこころみが裏目にでてうまくいかず、
「し(習)ふすがた」を見せなくても、まるで「とが(咎)め」を受ける
こともなく平然としているなら、「思ひ知らせてやろう」という気持ちは、
「ルサンチマン」に変わる。

仮に、相手が「生意気」であるというのが、相手が「未熟」である
という認識であったとしたなら、「思い知らせて」やろうというこころみ
が失敗することは、誤っていたのは自らの認識の方で、相手は実は
「成熟」していたという見直しにつながるはずだろう。しかし、
そのような見直しは、相手を「(未熟であると)あなど(侮)っていた」
場合に典型的に生じるものであって、「生意気」であると感じている
場合に生じるものではない。

474 :でこすけ:2022/03/04(金) 15:01:14.10 0.net
>>439
>固体って不思議
これがどのような意味合いなのかが今ひとつよくわかっていませんけど
私としては例えば知識以前で素粒子は個体のようなイメージがあります。
実際には個体のはずはないわけですけど、となると実際は何なのか、
…そこで逆に個体というのが何だったのか、みたいなことになると
私もそのあたりでちょっと不思議な気持ちになります。

私は世界には始まりがあると考えているので
もちろん「クオリア」もある日突然始まったのだろうと考えます。
昨日は無かったものが今日は有るということが実際にあったということです。
そもそも「クオリア」とは何なのか、
これについて世界は意味の階層として理解できると信じている私としては
ざっくり「クオリア」もまた「何か」の上位であろうと考えます。
つまり或る日突然「創発」されたのだろうと思うのです。
ここで問題になるのがもちろん「何か」の方で
これは場合によっては意識のハードプロブレムの答えにつながり得るもの
のようにも思えます。

475 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 15:43:30.89 0.net
素粒子に個別性はありませんよね。
個別性のない個体というのはイメージしにくいですね。

476 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 15:46:03.73 0.net
>>472
この課題を十分に理解していない人々と、歴史について哲学的に議論しようとする
ことは、まったく不毛であるように私には思える。

477 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 16:40:23.89 0.net
>小少将の君は、そこはかとなくあてになまめかしう、
二月ばかりのしだり柳のさましたり。
『紫式部日記』
https://ja.wikisource.org/wiki/紫式部日記_(渋谷栄一校訂)

この用例において、「なまめかし」が表現しているのは、
「生き生きとした『しなやかさ』を感じさせる」ことであることは、
明白だろう。

478 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 16:43:40.71 0.net
したがって、「なまめく」の場合、「〜めく」が伝へようとしているのは、
「しなやかさ」の「累加性」であることが分かる。

479 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 16:59:50.30 0.net
このことは、枕草子に列挙されている「なまめかしきもの」の具体例を
見てもすぐに確認できる。

https://manapedia.jp/text/2653
>薄様の草子。柳の萌え出でたるに、あをき薄様にかきたる文つけたる。
三重がさねの扇。五重はあまりあつくなりて、もとなどにくげなり。

>高欄にいとをかしげなる猫の、あかき首綱にしろき札つきて、
はかりの緒、組のながきなどつけて引きありくも、をかしうなまめきたり。

「三重がさねの扇」とは、
https://kotobank.jp/word/三重襲の扇-637107
>檜扇の板数が多く厚くなったもの。板七、八枚を一重といい、その三倍のもの
である。「三重襲の扇」は、「なまめかしきもの」とされるのに対して、
「五重襲の扇」はあまりにも手元があまりにも厚くなりすぎることを
指摘している。では、「一重襲の扇」と「三重襲の扇」では何が違うのか
といえば、それはやはり、板の枚数が増えたことによる打ち扇いだときの
扇の動きの「しなやかさ」だろう。これは、体の関節の多い部位の方が、
「しなやかさ」を感じさせるのと同じことであり、ここで注目されて
いるのが「しなやかさ」であることは、続いて、猫が歩く様子が例として
挙げられていることからも分かる。

480 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 17:04:38.24 0.net
「なまめかし」という感覚において重要なのは、「生き生きとした『しなやかさ』」
であって、「(力なく)なよなよしている」ことではない。だからこそ、
「『二月ばかりの』しだり柳のさま」なのであって、「暖簾に腕押し」の
ような様子は、「なまめかし」くはないのである。

481 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 17:27:38.92 0.net
見ての通り雑食性なので、どんな材料でも投げ入れてくれれば、
餌として歓迎しますよ。

482 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 22:29:07.35 0.net
https://kotobank.jp/word/柳腰-648811
柳腰(読み)りゅうよう
@ 柳のしなやかな枝。〔庾信‐和人日晩景宴昆明池詩〕
A 柳の枝のように細くしなやかな腰。美人の腰の形容。やなぎごし。
※本朝文粋(1060頃)四・入道前内大臣表〈大江匡衡〉
「扶二微力於春風一、柳腰弱而劔珮重」 〔温庭筠‐南歌子〕

483 :suave, supple, and catlike:2022/03/04(金) 22:46:55.88 0.net
>As with the lovable British hit man of twenty-odd films, there is
more than one way of being a Bond. You have your suave, supple,
catlike bond, your stiff-shanked bond, your uncommitted, barely
there bond. The type of bond that links together atoms in a molecule,
or one molecule to another, explains why the carbon lattices of
a diamond are hard enough to be a girl's best friend forever, while
the carbon chains in our food are ...<
Natalie Angier, "The Canon: A Whirligig Tour of the Beautiful
Basics of Science", 2009

484 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 22:48:45.72 0.net
誤:suave, supple, and catlike
正:suave, supple and catlike

どうも昔から、"and"の前に","を入れてしまう癖が抜けない。

485 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 22:50:20.00 0.net
出版年も間違えていた。
誤:2009
正:2008

486 :考える名無しさん:2022/03/04(金) 22:59:43.88 0.net
今から1000年以上前に生きた清少納言が、わざわざ具体的な例をいくつも
列挙して示す価値があると思った捉え方の感性と、現代の米国人の
サイエンス・ライターの記述の感性がほとんど重なっていることが確認
できる。

487 :時計 :2022/03/04(金) 23:39:04.99 0.net
>>474
無重力下での液体と、重力下での固体の違いとか、
結構難しいかなと個人的には思いました。

488 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 00:24:28.88 0.net
1 名前:時計 ◆Mjk4PcAe16 2022/01/26

(水) 12:54



>>1 無職 乙!



1 名前:時計 ◆Mjk4PcAe16 2022/01/26

(水) 12:54



>>1 無職 乙!

489 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 04:10:23.11 0.net
奇跡講座の引用をしている者です。

脳は量子からできているのに、その量子からできている脳からクオリアが作られているってどういうカラクリなんでしょうか

奇跡講座では、この世は心の投影であり、結果であるといってます。

よって、身体や脳も結果であるので、脳や身体はただ心の指令に従っているだけということらしいです。

例えると、心が腹話術師で身体が人形です。

え?でも脳のある部分を刺激すると身体の機能がストップするから、やっぱり脳は原因じゃない?と思いますが

それさえも「脳のある部分を刺激する」という心の指令の結果だそうです。

490 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 07:23:32.88 0.net
液体、固体、気体というのは、命/生きる力の具体化である「なまめかしさ」
を前提して、それとの対比においてしか現れ得ない捉え方である。
液体生命、固体生命、気体生命というものは存在しない。
一見、液体、固体、または気体としてしか思えない対象が命/生きる力
を現象させる場合、つまり、そこに命/生きる力が宿っている場合、
それはそこにどのようにか「なまめかしさ」があらかじめ潜んでいる
場合に限られる。命/生きる力を「無視して」物質的に記述するなら、
それは、液体、固体、または気体として現れる分子と何らかの高分子
の対比ということになるのだろう。しかし、液体、固体、または気体
という物質的な捉え方そのものが、「なまめかしさ」に対応する高分子
が解消されて初めて、高分子との対比においてその欠如として現れる
知覚である。したがって、命/生きる力の具体化である「なまめかしさ」
が、液体、固体、または気体の物質から構成されるという捉え方は、
逆立ちしている。そうではなく、液体、固体、または気体という物質
的な捉え方の方が、命/生きる力の具体化である「なまめかしさ」の
解消として現れるのである。

491 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 07:35:18.96 0.net
>例えると、心が腹話術師で身体が人形です。

身体が人形であったとしても、その人形が「いきいき」として見えるように
なるためには、その「人形」は、液体、固体、または気体の物質などとして
ではなく、高分子としての振舞ひを見せるものでなければならないだろう。

492 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 07:39:03.43 0.net
https://pub.nikkan.co.jp/uploads/book/pdf_file53747fb684138.pdf
「高分子の形を 理解する」

493 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 09:09:35.13 0.net
「なまめかしきもの」を破壊せずに通り抜けることができないものが
「固体」であり、浸透して抜けることがあるものが「液体」であり、
「気づかれる」こともなく、いつの間にか通り抜けてしまう
ことがあるのが「気体」だろう。

ところが、光は「なまめかしきもの」を破壊することも、染みるように
入り込むことも、通り抜けることもあるものでありながら、固体でも、
液体でも、気体でもない。

494 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/03/05(土) 09:17:03.00 0.net
なぜ物があるだとか、心があるのだとか、ソレを考えるだとかしてしまうのか。

すべてはアイデンティティの問題であり、アイデンティティとは自己同一性である。
圏論的には自己射なのだが、行って帰ってくるという物語論でもある。
同じであって、かつ、違う、という矛盾を持つのがアイデンティティであって、
うんぬん...今日は遠出してメシを食おう。

495 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 09:21:04.77 0.net
>>491
奇跡講座の引用をしている者です。

心が腹話術師で身体が人形というたとえが不適切だったかもしれません。

身体は結果であり、身体自体では何もできないし、何もしないということです。

身体が高分子の振舞いをするかどうかとかは、分析する科学者に任せておくとして。

この世界のすべては結果であり、原因はこの世界にはないということが奇跡講座のいってることらしいです。

496 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 09:56:44.31 0.net
哲学的に考えようとするなら、みづから(身づ柄/自ら)の感覚に忠実に
記述しようとすることを疎かにしてはいけない。

497 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 10:21:23.20 0.net
確かな現実、その「たしか(確)かさ」とは、生きる力/いのちが残っている
限り、多少なりとも「なまめかしさ」を具えている自らの「手にぴったりと
合ふように触れる」感覚に依る。物理学的には固体とされても、しっかりと
つかもうとすれば手をすり抜けてしまう砂のような流体的な感覚は、
固体が溶けて液体となり、流れ去ってしまうような「不確かさ」の
典型とされ、気体は、否定しようのない圧迫的な存在を感じさせることは
あるものの、つかみどころがなく、得体が知れず、跡形もなく消えてしまう
ことにもなる、満腔と空虚の入れ代わりを代表する。

498 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 10:46:12.21 0.net
夢の「主人公」    

肉体は、この世界の夢想における中心的存在である。
肉体がなければ夢は存在しない。また、肉体があたかも目に見えていて信じられる人格であるかのように行動する場である夢がなければ、肉体は存在しない。
肉体はあらゆる夢の中で中心的な位置を占めており、その夢が語るのは、肉体が他の肉体により作り出され、肉体の外側にある世界に生まれ出て、しばし生きては死んでゆき、そして同じように死にゆく他の肉体たちと塵に戻ってひとつになる、という物語である。
生きるために与えられるつかの間の時間の中で、それは自分の友や敵とする他の肉体を探し求める。
身の安全が、肉体の主たる関心事である。
自らの快適さが、肉体を導く指針である。
それは快楽を探し求め、痛みをもたらすものは避けようとする。
何よりもまず、肉体は自らの苦痛と喜びは異なっていて区別できるということを、自分自身に教えようとする。

499 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 10:46:45.34 0.net
この世界の夢想は多くの形をとるが、その理由は、肉体は自分が自律的であり実在していることを、いろいろなやり方で証明しようとするからである。
それは、この世界の宣言するところによれば価値があり実在するものとされる小さな円形の金属や紙切れにより買い求めたものを、自分の身につける。
肉体は、そうしたものを得るために仕事をし、無意味なことを行い、そうして手に入れたものをまた自らが必要としてもいなければほしくもない無意味なもののために投げ捨てる。
自分を守り、自分のものと呼べる無意味なものをさらに収集するために、他の肉体を雇い入れる。
肉体は自分の夢を共有できる特別な肉体を周囲に探し求める。
時には肉体は、自分よりも弱い肉体の征服者であるという夢を見ることもある。
しかし、夢の中の或る局面においては、自分を傷つけたり拷問したりする他の肉体たちの奴隷となることもある。

500 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 10:47:21.83 0.net
誕生から死に至るまでの肉体の一連の冒険が、これまでに世界が見てきたあらゆる夢のテーマである。
この夢の「主人公」は決して変わることはなく、その目的も変わらない。
夢自体が多くの形で現れ、その「主人公」は非常に多くの様々な場所や出来事の中に自分を見出すように見えるが、夢には一つの目的しかなく、それがさまざまな形で教えられているだけである。
夢が何度でも繰り返して教えようとするこの一つのレッスンは、夢は原因であって結果ではない、というものである。
さらに、あなたは夢の結果であって、夢の原因ではあり得ないというものでもある。

そのようにして、あなたは夢を見ている者ではなく、夢そのものとなっている。
それゆえに、あなたは夢が企てるさまざまな場所や出来事の間を行き来して、むなしくさまよう。
肉体がすることはこれだけだというのは、本当のことである。肉体は夢の中の人影にすぎないからである。
だが、夢の中の人影たちを実在するかのように見ていない限り、誰が、彼らに対して反応したりするだろう。
彼らをありのままに見た瞬間に、夢の中の人影は、もはや彼に対して結果をもたらさなくなる。なぜなら彼は、自分が原因となって彼らを実在するかに見せることによって、彼らにそうした結果を与えたということを、理解するからである。


イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした 

501 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 11:37:23.79 0.net
「陽光を集めて求心化した玉」、すなわち、「生きるものの魂/
たま(玉)し・ひ(火/日)」のように見える美しい球体が、
実は、はかなく消える、草の葉の上の「つゆ(露)」に過ぎなかった、
というのが典型化した日本語の表現の感性である。

502 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 12:03:26.85 0.net
その草の葉の上の「つゆ(露)」のように消え去ってしまう
生きる力/いのちをつなぎ留めておきたいという「を(惜)しさ」
を物象化して表現するのが、「たま(玉)の『を(緒)』(≒《vouloir》)」である。

503 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 14:56:26.03 0.net
死に向かふとは、「なまめかしさ」をそこなふことであり、
復活するとは、「なまめかしさ」を取り戻すことである。

504 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 15:48:17.76 0.net
生殖とは、「なまめかしさ」を復活させるための活動である。

505 :美魔女:2022/03/05(土) 15:52:42.05 0.net
私がお風呂から上がって髪を乾かしていると、
昔の彼氏がよく「艶めかしい」と言ってましたわ。👰

506 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 16:06:34.28 0.net
老人過疎(自演)板 5ちゃんねる

一般(99.999%)  Twitter / Facebook / Instagram


誰も来ないから 仲良くね💛

507 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 17:08:17.16 0.net
すべては逆転していたのでした。

あなたは、この世界が原因であり、あなたはこの世界の結果であると思ってきましたが

あなたこそ、この世界を作っている原因だったのでした。

あなたとは、神から分離した神の子の心です、

奇跡講座はマトリックスから脱出するためのツールです。

そして私は映画「マトリックス」のモーフィアスみたいなものです。

この野蛮なファンタジー(マトリックス)から目を覚まして、現実(天国)に戻ろうと兄弟に呼びかける神のメッセンジャーです(-ω☆)キラリ

508 :考える名無しさん:2022/03/05(土) 17:23:05.64 0.net
ミソケンって普段はソロってるの?

509 :非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) :2022/03/05(土) 23:09:38.30 0.net
「存在」という問題に、「点」を考えてみる。
「点」は実在ではない。
概念的存在である。

たとえ概念的存在でも、「点」自身がアイデンティティを持ちうるのだろうか?
単数とか複数とか関係のない超抽象的存在の「点」だとする。

それでも「点」が「存在」するための「場」は必要かもしれない。
とりあえず、「点」自身が「場」であるとする。
もうなにも無く、「存在」という属性だけとすれば、
この「場」はoperatorであろう。
「存在」するのは「存在operator」だけであるw

とすれば、「存在operator」がアイデンティティのoperatorでもあり、
「意識」となるべき「根源」である。

510 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/05(土) 23:54:58.45 0.net
斯くして、「点」はoperatorであり、自分自身を観測するobserverでもあり、
observableとしてoperator自身を得る。
バナナの皮は、観測者であり被観測者でもあるわけだ。

なのだが、大きさのようなものを持たない限り「矛盾」する。
この「大きさのようなもの」の根源を0次元球面に求めるなら、
存在確率半径1であるw

「点」としての「存在」「アイデンティティ」「意識」は、
ひとつの「量子ビット」に相当する。
量子論的存在、量子論的アイデンティティ、量子論的意識、は、
量子論的『煩悩』だw
この世界は、たったひとつの量子ビットがみている「夢」なのかもしれない。

ここで想定している量子ビットは、完全かつ無矛盾で、局所的に矛盾する。
lambda式として考えるなら、x -> x であり、xとして自分自身が与えられる。
x = x -> x
これが宇宙方程式だったとは...
ええい、ハンドルに付加してしまへ。
きゃ、非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想)x=x->xにしたら長すぎると怒られたw
残念。誤読と幻想を置き換えよう。

511 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 10:53:15.43 0.net
言語表現を適切に解釈するとは、その表現にもともと感じられたであろう
息吹を取り戻させることであって、それを機械的に組み合わせれば意味が
成立するような要素に分解することではない。これは、例えば、生物の
身体を物質としての特定の要素に分解することができたとしても、それらの
要素を機械的に組み合わせれば生物の身体が出来上がるわけではないのと
同じことである。

512 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 11:17:36.05 0.net
>二月ばかりのしだり柳のさましたり。
『紫式部日記』

これは、早春のネコヤナギ
https://images.immediate.co.uk/production/volatile/sites/10/2021/02/2048x1365-Pussy-willow-SEO-GettyImages-1142433198-9abc353.jpg

513 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/06(日) 11:24:32.34 0.net
昨夜は書き込めなくなったが、今日は大丈夫かな?

宇宙および意識の根源はx=x->xであるw
バナナの皮方程式だ。
時間の根源となる一方向性も、この式でまかなってしまおうw
そしてx=x->xは「無の構造」でもある。
さらには(広義の、濫用の)防衛機制の方程式でもある。
双対性を考えた場合、x<-x=xも存在するw

514 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 11:37:39.05 0.net
私は脳ではない読み終わった
うーん、なんだかなって感じ

515 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/06(日) 11:38:55.30 0.net
われわれ、そしてわれわれの宇宙は、
x=x->xのxにへばり付いている波の一種である。

516 :美魔女:2022/03/06(日) 19:09:59.36 0.net
小学校の頃の初恋、10代の頃の恋愛、20代の頃の恋愛、30代の頃の恋愛、40代の頃の恋愛、みんな財産だ

517 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 20:08:27.06 0.net
みづから(身づ柄/自ら)が「生身(なまみ)」であることの
「なまめかしさ」≒「いきいきとした『しなやかさ』」/
"resilience"を前提とすることなしには、固体も、液体も、
気体も存在し得ない。つまりは、いかなる物質も物質として
捉えられることがない。このことが示しているのは、生きる
ものにとって、「なまめかしさ」こそが感覚を可能にする
センサの役割をしているということだろう。それはちょうど、
重さを量るのにバネを利用することに喩えることができる
が、それは生き物の体にバネのようなものが備えられて
いるというのではなく、体は、それが「生身」である、
つまり、生きている限りにおいて、それ自体が量りの「バネ」
の役割をしているのだ。したがって、その「バネ」が働かなく
なった身体は、もはや身体ではなく、「亡骸(なきがら)」である。

518 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 20:31:35.82 0.net
ところで、万葉集では「なまめく」という表現は用いられていない。
それでも、「やなぎ(楊/柳)」が出てくる歌はそれなりの数が見当たり、
その多くは早春に芽吹いたやなぎ(楊/柳)について詠んだものである。
それが、愛でられるのはやはり、芽吹いた張りのよいやなぎ(楊/柳)の
枝が、いのちの「いきいきとした『しなやかさ』」/"resilience"/
「復元力」を象徴するからだろう。

519 :考える名無しさん:2022/03/06(日) 21:01:39.83 0.net
まず物質が存在して、そこから生命が生成したという考え方は、
哲学的には成立しない。

520 :時計 :2022/03/06(日) 21:18:34.24 0.net
>>488
無職ではないが、無職になりたいです。:)

>>489
正にハードプロブレムですね。
キリスト教であれば、聖霊は脳を超えた存在かなと思います。

>>506
せっせと「いいね」でもしときな。

521 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 09:29:16.90 0.net
>>517
生きているとは、「なまめかしさ」/"resilience"としての身体性を具えて
いるということであり、その身体性とは、「た(溜)め/"retaining"をともなふ
吸収(例えば、息をす(吸)ふこと)/"absorbing"と排外(例えば、息をは(吐)く
こと)/"shedding"の働きの繰返し」の具現化だろう。また、そのような
身体性を具えた「もの」として「半ば(、つまり、「なまなかに」)物象化
されて」現れるのが「生身(なまみ)」である、ということができる。

522 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 09:34:19.68 0.net
こので重要なのは、「なまめかしさ」/"resilience"としての身体性は、
その本来の働きにおいて「バネ」のように「た(溜)め/"retaining"をともなふ」
ということであり、この「た(溜)め/"retaining"」こそが身体の具体性
として物象化されるのだ。

523 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 09:40:55.67 0.net
したがって、「『バネ』として働かなくなった身体」(この言い方そのものが
矛盾である)は、いくらその体(からだ)が「物質」としてはが同じものを
保持しつづけている「た(溜)め/"retaining"」であるとしても、それはもはや
身体ではなく、むくろ(躯)に過ぎない。

524 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 11:25:53.26 0.net
誤:「物質」としてはが同じ
正:「物質」としては同じ

525 :美魔女:2022/03/07(月) 11:28:40.70 0.net
私のなまめかしさにあなたたちはみんな鼻血ブーして倒れるわよ。👰

526 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 11:34:56.73 0.net
ロシア兵もウクライナ兵も義勇兵も
モロトフカクテルを投げた一般市民も
みんな同じく滅びるんですか?

527 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 12:06:27.53 0.net
昼だよ

無職

 ↓

528 :考える名無しさん:2022/03/07(月) 19:30:15.89 0.net
枕草子「九月ばかり」

九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露はこぼるばかり濡れかかりたるも、いとをかし。

透垣の羅文、軒の上などは、懸いたる蜘蛛の巣の毀れ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。

少し日たけぬれば、萩などの、いと重げなるに、露の落つるに、枝のうち動きて、人も手触れぬに、ふと上ざまへ上がりたるも、いみじうをかし、と言ひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじと思ふこそ、またをかしけれ。

529 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 12:11:46.47 0.net
https://manyoshu-japan.com/11980/
万葉集 第8巻 1598番
>さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
さをしかの あさたつのへの あきはぎに たまとみるまで おけるしらつゆ<

この場合、「さ・を(雄)・しか(鹿)」がその鳴き声によって伝へるのは、
云うまでもなく、「さ『を(惜)し』か」の「を(惜)し」である。

530 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 12:22:36.61 0.net
この歌に限らず、万葉集の歌において「を(雄)しか(鹿)」が詠まれている場合、
ドイツ語を用いて説明するなら、全般的に、「を(»rufen«)・す(»lasse«)」
の掛詞として用いられている(「『を』す」が「『を(治)』す」と解釈される
場合も含めて)。

531 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 12:29:56.68 0.net
>>530
このことは、>>529に引用した万葉集ナビで「さをしか」をキーワード
として検索してみれば、誰でも自分自身で確認することができるだろう
(ただし、その確認のためにこのサイトの現代語訳を頼りにすることは
できない)。

532 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 16:26:18.50 0.net
>>526
例えば、万葉集の以下の歌における「さをしか」の多義性について考えて
みるといい。ここで、「さを鹿(しか)」は、無論、みづから(身づ柄/自ら)が
狩猟の獲物とするために待ち構えている獣であるが、「さを(惜)しか」が
嘆いて告げるのは、獲物を待ち構えるみづから(身づ柄/自ら)のいのち(命)
であり、それは大君が召喚する者、すなわち、「を(治)す」者として、
ちょうど獲物として狩られて大君に捧げられる「さを鹿(しか)」のように
みづから(身づ柄/自ら)が大君に仕へることによって、「さを鹿(しか)」
を狩る我と、狩られて大君に捧げられる我のみづから(身づ柄/自ら)が、
表裏一体のものとなるのである。その場合、その大君が国を統べる個人
として表象されても、民主主義国家の理念上の統治の主権者とされる
国民として表象されても、そこに表れる関係性は実質的に何の違いも
ないだろう。

https://manyoshu-japan.com/9693/
万葉集 第16巻 3885番
>獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし
大君に 我れは仕へむ <

533 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 16:31:16.01 0.net
武力によって交戦するための後方支援に協力することを呼びかける
自称「平和主義者」は、たとえ、その後方支援が「人道的支援」に
限定されるとしても、武器をとって交戦する戦闘行為に反対しない
限りにおいて偽物である。

534 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 16:46:24.27 0.net
誤:みづから(身づ柄/自ら)のいのち(命)であり、
正:みづから(身づ柄/自ら)のいのち(命)が失われることであり、

535 :考える名無しさん:2022/03/08(火) 19:00:32.51 0.net
言語が異なっていてもそこに表れる意識の働きは、しばしば、
とてもよく似通っている。例えば、ドイツ語では、
「過去」のことを»Vergangenheit«と言うが、それを日本語
では、「いにしへ」と表現する。»Vergangenheit«は、
»Ver・gangen・heit«と分けられるが、»Ver-«は、この場合、
「(滞りなく)『す(過)』ぎる」ことを想起させるように用いられ、
»-gangen-«は、「い(往)ぬ」ことを意味し、»-heit«は、
英語の"childhood"などの"-hood"と同様に"condition, quality,
position"などを表現するとされる。
https://www.etymonline.com/word/-hood?ref=etymonline_crossreference

そこで、»Vergangenheit«と「いにしへ」を再び比べてみると、
「いにしへ」の「〜へ」の用法が不確定であるにしても、発音は、
»-heit«と類似しており、「いに・し・へ」の「い(往)に」は「い(往)ぬ」
の活用形であるので、そのまま»-gangen-«に対応し、「し」も、
「(滞りなく)『す(過)』ぎる」場合の「す」と同じイメージを想起させる
「す」の活用形であると見られるので、表現の要素の並びは異なる
ものの、表現に現れた意識の働きは、ドイツ語と日本語とほぼ
完全に共通していることになるだろう。

536 :時計 :2022/03/08(火) 20:09:43.79 0.net
>>527
無職、いいね。

>>535
「〜へ」と»-heit«に関係があるのは面白いですね。

537 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 08:06:16.33 0.net
>>532
それにしても、これほど簡潔に狩る人としての我と、獣として/獣の如く
狩られる対象としての我と、その命が失われることと引き換へに
「みづから(身づ柄/自ら)」がつか(仕/使)へて、その身が捧げられる
ことになる相手としての、我にとっての主である君の関係性を、
言葉の論理に沿って、明確かつ心に響くように訴えかける言語表現を、
西洋の哲学や思想の言説において見たことがあるだろうか。

私は、中国の古典については何も知らないので、もともと中国にこれに
類似した説話があって、それをこの歌が流用しているのかどうかは
まったく分からない。しかし、いずれにせよ、これ以上にないほど
簡潔明瞭でありながら、それが伝へる感覚として誰の心にも響く
表現を可能にしているのは、まずは心の訴えとしての「感嘆の声」
であり、その感嘆を利用した「嘆きの声」であり、その嘆きを
「さそひ」に活用した「呼びかけと応への声」であり、その
ことによって作用/動作の対象を指し示しめすとともに、
呼応関係を成立させることによって、つか(使)ふ側とつか(仕)ふ側
の非対称性を確立する日本語の「を」の用法である。

538 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 08:06:58.05 0.net
誤:指し示しめす
正:指し示す

539 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 08:42:36.61 0.net
>>532
この歌において「さを(雄)しか(鹿)」は、人である我が獲物として待ち受ける
「対象」としての獣であるが、そこに現れる「さを(雄)しか(鹿)」の嘆きの声
である「を(惜)し」が告げるのは、「さを(雄)しか(鹿)」/「その
『さを(雄)しか(鹿)』を狩る者」である(互換的な)「我」の命が失われること
になることであり、その命が失われるのは、「我」を「『を』す」/召喚する
ことによって「我」を「『を』さ(治)める」ことになる「主としての君」に、
「我」が「我が身」を捧げて「つか(仕/使)へる者」となることによる。
それは、「君」に捧げられることは「我が身」の栄華であるが、
そのことによって、「を(惜)し」い「我が命」が失はれることの嘆きが消える
わけではない。

540 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 09:06:03.48 0.net
西洋の哲学や思想の言説は、それを日本語で考え直すと、
いかに無駄に長たらしいものであるか、長たらしいものにならざるを
得なくなっているかに気づかされる。また、逆に、その言語表現が
簡潔である場合、表現が概念として「名詞化/物象化」されるので、
それをどのように解釈するのが妥当であるのかを知ることが、
複雑な謎解きのようになってしまう(自ずと「哲学学」や「哲学者研究」
に変わってしまう)ことが多い。

541 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 09:09:11.21 0.net
無論、和歌においても「名詞化/物象化」は極めて頻繁に用いられる。
しかし、それは、明白に掛詞としてであり、その実践と切り離されると、
「名詞化/物象化」は、心に響く言語表現としての有効性を失う。

542 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 17:32:49.89 0.net
この場合、具体的には、日本語の「を」、およびそれを「名詞化/物象化」
した掛詞である「(玉の)緒(を)」と、それに対応すると考えることができ、
やはり「名詞化/物象化」されて哲学における表現としても用いられる
英語の"will"を比べてみるといい。確かに、"will"は、「名詞化/物象化」
されることによって「扱いやすく」なるが、それが本来、基礎とする
はずの共通感覚から切り離され、抽象化されて、あたかもその抽象化こそ
が哲学的に考えることであるかのような錯覚さえもたらす。しかし、
そのことによって同時に、"will"について哲学するなら、誰の言説に
おける"will"なのかを問題にしなければ、議論すら成り立たないような
ことになる。そのようにして議論が成立したとしても、そこで行われる
ことになるのは、「誰々の"will"の概念について」というような考察
であり、いくらそのような考察を積み重ねたところで、もたらされるの
は、「哲学学」や「哲学者研究」における"will"の概念の用法の「多様性」の
インベントリ作成に過ぎない。これに対して、>>532, 537, 539に示した
日本語の「を」の用法の「多層性」は、日本語の表現として「を」を
用いることそのものであり、したがって、それは、誰のものでもなく、
それと同時に、それを日本語としてみづから(身づ柄/自ら)が使ふ限り
において、誰のものでもある。それゆえ、「○○の"will"の哲学」という
ものが成立するものと考えられたとしても、「○○の『を』の哲学」など
というものは成立しない。しかし、このことは、日本語が曖昧で
概念の構成に向かないために哲学に向かない言語である、などという
ことを意味しているわけではない。むしろ、それが、示しているのは、
日本語の表現を自省的に捉え直そうとすることが、「誰々の哲学」の
ような「哲学のまがひもの」を介してではなく、そのままコモンセンス
の追求としての哲学につながるということである。

543 :考える名無しさん:2022/03/09(水) 18:25:05.31 0.net
実際には、誰の哲学=物象化された取り扱いが哲学の営みになっているので、区別・差異の学的領域と労働、その対価性は別領域からの"できない"という量計算を実施する過程で生じるので主体に紐付けしたのはフッサールだけど、哲学が誤ることがないのは、"誰かが"存在しているからだと思うよ。それも日本語が許してるわけだが。

544 :でこすけ:2022/03/10(木) 09:52:49.89 0.net
>>468
話が微妙にズレるんですけど、
私は次の動画を見たときこのレスを思い出しました。
「偏歴語」なるものに関する3分くらいの考察ですが、
私としては世界がどのようなものなのかをイメージするに良い動画
のように思えます。
https://m.youtube.com/watch?v=CJOfX3EUXiA

ここで哲学者的(?)に気付くべきなのは
拡散されるのが物や名前だけではないだろうということです。
きっと習慣や制度や、価値観や世界観や、
相当いろいろなものが拡散される気がするのです。
もちろん習慣、制度、価値観、世界観などは物ではないというのが特徴です。
なお、ここで私が想定しているのは「ミーム」です。
ただし私にはオリジナルをちゃんと理解できている自信はありません。
なにしろ例によってドーキンスの本は一行たりとも読んだことがないのです。
 

545 :でこすけ:2022/03/10(木) 10:12:37.22 0.net
>>544
私のイメージで言うと、「世界」はどこまで行っても「ミーム」
的なものでしかありません。
「世界」は実体としては存在しません。
実際に存在しているものの大部分はおそらく人間の感覚ではとらえることの
できないものなのであって、すべての概念は、つまり「私」さらには「心」
も含めて、それらは「意味」でしかないものです。
人間は何のためにメシを食うのか、
それは物質的な身体を維持するためではなく(物質としての身体は存在しない)
「身体」というイメージ-アイデンティティ-ミームを維持するため
ということになります
(その具体的な構造はたぶん単純なものから進化してきたものです)。

このとき世界は気が遠くなるほど複雑に干渉し合います。
それは基本的にはランダムでひたすら滅茶苦茶なんですけど、
例えば流れていく雲が一瞬だけ馬とか龍とかに見えることがあり得るように
時折そこに「何か」が浮かび上がったりします。
この「何か」というのは、つまり何らかの「秩序」ということになりますが、
その成立にある種の必然性があるのであれば
もはやそれは「アイデンティティ」と言い得ると思います。
そのようなアイデンティティ(実体でないもの)の高確率な連鎖が
この世界なのだろうと思うのです。


今回は我ながら言いたいことが伝わっていない気がします。
といいますか、飛躍があった気もします。お粗末様でした。

546 :でこすけ:2022/03/10(木) 11:02:29.83 0.net
>>525
「鼻血は赤い、赤いは電気、電気は光る、光るは親父のハゲ頭」とは言いますが
何故「赤いは電気」なのでしょうか、子供の頃から不思議でした。
俄に思うに、私にとって電球色はざっくり黄色のようなかんじがあるのですが、
昔の人にはそもそも黄色が赤のひとつだったということのような気がします。
昔の人は暖色は全部「赤」でまとめていた気がするところです。

そんなことはどうでもいいんですけど、ここではクオリアについてです。
世界は始め何も無かったとすれば、例えば「赤のクオリア」はどのようにして
成立したのか、もはや哲学につなげるのに必死です。

もちろん私の当てずっぽうな妄想に過ぎないものですけど
とりあえず私が空想するに、意識はその初期ではぐちゃぐちゃだったと思うのです。
例えば「赤」と「青」どころか「赤い」と「甘い」との区別さえしていなかった
(する必要もなかった)だろうと思うのです。
これはもちろんすべての人間に当てはまることのつもりです。
つまり「赤」の成立は、それが「甘さ」とは何かが違うのに対し
「青」とはその部分で同じでありながら、やっぱり「青」とは違う
ということに気付くことによって成立したのだろうと思うのです。
「黄色」は「赤」と違うことに気付いて初めて「黄色」として独立する、
これは逆に言うと、「赤」のようなものは始めからあったんですが
それが「赤」としては成立していなかったということです。
ただし「それが赤であることに気付いた」ということではありません。
あくまでも「相対的に「赤」として位置づけられた」ということです。

ここで個人的に気になるのはその「気付き(創発)」です。
ある程度のレベルに成長した精神にはある種の必然のように思えます。
この必然性はそのまま秩序が成立する必然性(例えば生物が進化する必然性)
につながる気がします。

547 :でこすけ:2022/03/10(木) 11:09:02.79 0.net
>>546
>区別さえしていなかった
というよりも、それ等の違いを意識していなかった
ということでしょうか。
いつもはスルーしていたんですけど
ある時ふと立ち止まったのでしょう。
では何故その時にかぎって立ち止まったのか、
理由か何かがある気がするところです。

548 :時計 :2022/03/11(金) 02:43:22.64 0.net
>>544
動画、拝見しました。

日本は確実に、中国の影響を受けていますね。

>>545
ミーム的なものとミームは異なるのでしょうか。
まあ、ミームもよくわかっていませんが。:)

549 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 07:51:21.98 0.net
301 :おさかなくわえた名無しさん :2022/03/11(金) 07:30:40.85 ID:abLDhJ8O
自分で言うのも何だけど自分は可愛い系で若い頃は男にモテた
かっこいい先輩からお姫様みたいに扱われてエッチなこともいっぱいしてもらって
結婚した今でもそれがいまだに忘れられない。
妻も子供も愛してるけどエッチに関してはあれが最高だったと思ってる。
今でも連絡取ろうと思えば取れる距離だから、もし何かあれば、って日々妄想してる。

550 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 10:26:34.09 0.net
おまえの話だとミームも物質だぞアホw

551 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 11:57:29.68 0.net
「ミーム」か。ラジオ番組で「ミーム」を話題にしていて、それに
関連してジェラール ジュネットの『パランプセスト』を宣伝していたけど、
この本面白いのか。図書館で借りてきて自分で確かめてみようと思ったが、
蔵書になかったので、代わりに同じ著者の『フィギュール』を借りて目を
通してみたんだが、あまり議論の展開がなくてつまらなかったので、
少しだけつまみ読みしてすぐに返却した。

552 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 12:00:11.10 0.net
これかな。
https://www.franceculture.fr/emissions/les-chemins-de-la-philosophie/le-meme

553 :でこすけ:2022/03/11(金) 20:05:05.61 0.net
>>548
私としても「ミーム」を引用するにあたり
一応『ウィキペディア』などをチェックしてみたんですが、
どうも研究者によって定義は様々なようです。
具体的なことはわからない(興味もない)のですが
とにかく言い切りづらかったので曖昧な表現にしてみました、という程度です。
なお、私が「ミーム」に想定している要素はふたつあります。
ひとつはそれが情報であって実体ではないということ、
もうひとつはそれが伝播する過程で変異と淘汰とによって進化する
ということです。

>>550
>ミームも物質
「物質(という概念)もミーム」ということのつもりです。
むしろ「ミーム」を突き詰めていっても
精神とは違うタイプの実体としての物質は虚構
ということになるだろうと私は直観します。
ちなみに私の感覚では「身体」も「メシ」もミーム(実体の無いもの)です
(クオリアとして現れている「メシ」の背後に物質としての「メシ」が
 確かに存在する、と主張されるのであればその根拠をお示しいただきたい)。

>>551
情報提供ありがとうございました。
私はまったく存じなかったのでちょっとググらせていただいたのですが、
私が上で「進化」という表現をした直後に早速疑問符がつけられた気もします。
文学作品は必ずしも進化するとは限らないという意味です。
「変異」の仕組みがポイントになるのだろうと思います。

554 :でこすけ:2022/03/11(金) 20:14:40.01 0.net
>>553
例えばヒトの意識とウイルスの意識とを比較します。
「ウイルスの意識」といっても感情どころか感覚さえ無いもので、
なにしろ感覚器官があるように思えませんから、
普通はそのようなものは「意識」とは言えないものなのかもしれませんが、
とにかく何らかの「実存」が内在しているというかんじです。
するとウイルスの意識というのは比較的シンプルなものになるわけですが
ただし私のイメージではそれは規模ではなくて構造(?)の問題です。
例えば万有引力の法則だけでいってもウイルスはこの宇宙に存在する
すべての物体とされるものからの影響を受けているのであり、
それは表層意識にのぼらないとしても、少なくともそれだけの情報を持っている
(たぶん深層意識で)ということです。
これはポーカーで例えるとヒトもウイルスも持っている手札の数は同じですが
ウイルスがワンペアくらいであるのに対しヒトはストレートフラッシュくらい
(たぶんロイヤルストレートフラッシュではない)のかんじです。
文脈で言えば、単純か複雑かは漠然とした情報量の規模のことではなく
単純な情報から昇華されたミームの保有数の規模ということになります。
ここでのポイントは、それぞれの役がそれらの内部のことにとどまらず、
ウイルスにとって世界がワンペアとして、
ヒトにとっての世界がストレートフラッシュとして現れる、ということです。
すると次に問題になるのはストレートフラッシュとしての世界は真実なのか
ということです。
この世界は本当に四次元時空なのか、本当に物質と精神とだけでできているのか、
ヒトに見えているものだけがすべてなのか
(もちろんその裏側もあります)、
なお、ダークマターのそれがノーハンド(本当の混沌)なのか、
あるいはもっとシンプルな物質が存在しているのかは私にはよくわかりません。

ところで一応つけ足しますと、あくまでも「そのように見えないこともない」
というお話です。

555 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 20:15:09.42 0.net
ミームもミームなら、何も言っていない。

556 :でこすけ:2022/03/11(金) 20:34:19.72 0.net
>>555
確かに最終的には超球面さんが指摘するバナナの皮問題に行き着きます。
しかし「物質」が虚構ということになれば
意識のハードプロブレムは解消されます。
とりあえずは精神とは違う実体としての物質の存在を証明したいところです。

557 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 20:42:26.14 0.net
"したい"というのは、どういうマインドなのか。

要は、利益から謂うところの"〜すべき"という話?

何故、という前提があるのか。

558 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 21:41:04.03 0.net
>>556

結局、証明とか言って何に向き合ってるか、わからねぇーんだよな。、

559 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/11(金) 21:53:03.07 0.net
ミームはモノではなく情報です。
遺伝的でもあります。
情報とは何か、というと、エネルギーって何なんだ、ということと同じくらいに
いまだにわからないことなのです。
ちなみに情報とエネルギーは等価であろう、ということにもなっています。
単なる情報概念やエネルギー概念と異なるのは、ミームは遺伝的(文化)だということです。

x=x->xにおける、->は大きさのようなものです。
遺伝子やDNAが、宇宙というシステムのコピーだとすれば、
すべてを生みだす爆発律としての構造を持っています。

560 :考える名無しさん:2022/03/11(金) 22:05:55.12 0.net
繋がりがあること自体がミームに乗せられてるんだよなぁ。

哲学者なのかもしれないけど、「行き着いてる」のに、

その先、行っちゃダメよ、ダメダメ

561 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 01:06:06.83 0.net
情報もものだアホw

562 :でこすけ:2022/03/12(土) 04:33:22.83 0.net
私の考え方は単純なもののつもりです。
これは今までにも度々言ってきたことですけど、
つまり「物質」は「霊魂」のように、やがて虚構として理解されるのが
普通になることもあり得るのではないか、ということです。

例えば昔の人はある種の病状を「狐憑き」として理解して、
それで除霊か何かをすると実際に治ったりしていたようです。
しかし我々からすれば普通その世界観はちょっと違うかんじがします。
近代は科学が「物質」の存在を前提にして様々な成果を挙げ
実際に私たちの生活は豊かになりました。
しかし少なくとも先端物理では普通の人が普通にイメージする物質とは
かけ離れたものを「素粒子」として想定しています。
このときじつは「素粒子」というのがどのようなものなのか
イメージしづらいものになっています。
例えば「素粒子」には構造的に映像情報がありえません。
科学雑誌にあるようなイラストはイメージに過ぎないもの(近似-虚構)です。
ここで私には「実体(実際に存在しているもの)」とは
そもそもどのようなものなのか、という問題に行き当たるように思えます。

一方で近代哲学は「世界」を理解するものではなく
解釈するものとして位置づけてきた、と私は理解しています。
少なくとも普通は理性には「真理」を理解することはできないように思えます。
すると存在論で先ず哲学風に少なくとも言えるのが「我思う故に我在り」で、
それが正しいかどうかはともかくとしても
とにかく何かが存在しているようなかんじがあります。
そこで私は唯心論-汎心論的に世界を想定しておくのが
とりあえず何かと整合するのではないかと考える、ということです。

あるいは唯物論なら、とにかく二元論でないのならアリだとは考えます。
要は整合する(ような気がする)かどうかの問題だと思います。

563 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 04:45:35.04 0.net
x=x->x から
x=(x=x->x) になるとバナナの皮...で
Arrivederci, signor Perfetto!
デザイン可能段階へ、ですか

564 :でこすけ:2022/03/12(土) 04:59:22.34 0.net
>>562
>普通になることもあり得るのではないか
私としては実際の歴史ではむしろ無い気がしています。
「霊魂」の存在を信じている人がいなくならないように
「物質」の存在を信じる人もいなくはならない、
むしろ近代社会で「物質信仰」は無くならない気さえしています。
そもそも「量子」さえ多くの人には理解されない気がします。
私も「量子」については正しく理解できている自信はありません。
ただ、それでことさらな問題も起こらないだろうとは考えます。
あくまでも良く言えば「教養」、悪く言えば「お遊び」のレベルだと思います。

>何かと整合
これは具体的には「意識のハードプロブレム」などのことです。
私は「世界」を精神的実体のネットワーク、意味のヒエラルキー
として解釈しておくと、
さらには何故自然法則が成立するのか、進化はどのようにして起こるのか、
形而上と形而下とはどのようにして相互作用するのか
などの問題も理解しやすくなる気がしています。
ただし現段階ではあくまでも直感的なものです。
少なくとも二元論的な世界観では、そういった謎は解けない気がしています。

565 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 05:42:10.16 0.net
「虚構」や「コピー」は既に二元論ともいえる、それが「気がする」だけなら。合わせて、数学の解も気がするだけか、考えたら良い。

566 :でこすけ:2022/03/12(土) 07:01:41.73 0.net
>>519
私はへそ曲がりなので、そう来られると今度はいちゃもんをつけたくなります。
「物質とは何なのか」という問題はないがしろにはできないとも考えるのです。

ここで私が個人的に問題にしたいことは少しややこしいことです。
例えばこのスレッドの住人でオフ会をしたとしましょう。
何処かの居酒屋に集まったとします。
そしてこの店では生ビールが中ジョッキ一杯で一万円だったとします。
やがて私も生中一杯が一万円だということに気付きます。
ぼったくりバーならともかく、そこで一応時計さんや超球面さんに確認しますが
どうやら生中一杯一万円は私の見間違いでは無いということになります。
これはおそらく、この世界に私が存在していなかったとしても
やはりその店では生中一杯が一万円であることに変わりはなかっただろう、
つまり世界は私と関係なく存在している気がするということになるわけです。
ただ、このことは私には本質的な問題ではない気がします、
そのようなことは夢の中でも起こり得る気がするためです。
みんなで同じ世界を体験しているということ自体は
物質的世界が客観的に存在している決定的な証拠にはならない気がするのです。

本当の問題は、私がいつその店に行っても、いつもやっぱり「生中一杯一万円」
とお品書きに書いてある、つまり世界に恒常性が認めらるということです。
これはその背後に何らかの構造があると考えておくのが妥当のように思えます。
もし夢だったら次の瞬間に値段が変わっていることもあり得ると思いますが
現実とされる世界ではそのようなことは普通は滅多に起こらない、
あるいは現実が仮想であったとしても恒常性については説明するべきこと
のように思えるのです。

ここでとりあえず思い付くのがやっぱり世界は意識と関係なく存在している
というパターンです。
しかしいろいろ考えると世界なり物質なりの存在は認識とか観測とかと不可分
ということにもなります。
そこで、さあどうする? という展開になるわけです。

567 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 07:15:05.70 0.net
数学と物理のアプローチの違い。

568 :でこすけ:2022/03/12(土) 07:29:42.36 0.net
>>565
私の理解するところでは、数学の解は前提によって変わるものです。
平行線もその前提によって混ざったり混ざらなかったりします。
ただ、前提を決めれば結論も確定する、という気はします。
しかし私はそれも気のせいだと考えます。
じつは気のせい「だけ」ではありませんけど、
ただ、そこのところの説明は難しいと実感しています。
「理性は完全ではない」
その根拠としてカントの二律背反は如何なものかと思いますが、
例えばこの世界には情報を実体としてとらえる感性もあれば
それは実体ではないととらえる感性もあって、
そしてそれらはたぶんどちらが正しいというものではない気がします。
…やっぱり説明は難しいんですけど、
私としては、私の内的経験がその根拠になっています。
「胡蝶の夢」とかがわかりやすい気がするのですが、いかがでしょうか。
「正しい」という確信には究極の根拠が無いということです。

ところで>>564の最後の「二元論的な世界観」は
「物心二元論」に訂正させていただきます。失礼しました。

569 :でこすけ:2022/03/12(土) 07:48:25.07 0.net
>>562>構造的に映像情報がありえません
素粒子は光波の振幅よりも小さいらしいので
光を当てて見る、ということはできないそうです。
そこでより振幅の小さな電子で「電子顕微鏡」とか言って
それで映像化したりすることが可能のようです。
しかし電子顕微鏡による映像は本物と言い得るのか、
それは疑似映像ではないのか、
ところが、となるとそれでは光による映像が本物というのであれば
それが本物であるという根拠はどのようなものなのか、
これは言わば現代の「胡蝶の夢」です。
(*ノω・*)テヘ

570 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 07:56:53.69 0.net
>>568

仏教親派なので、物心の方がしっくりきますね、法則を含むか否か等の子細は置いておいて。「気がする」話でいえば、円周率が3.14..に比べれば、居酒屋で提供される酒類一万円が、いくらいつ訪れても同じでも、根拠として不確かという"気がします"し、カントのアンチノミーは不備の指摘はあれど、アプローチとしては言葉の基盤を問う強いもので、特に情報等の、その内容に問うて実体か否かが左右されるレベルではない"気がします"。

つらつら気がしましたが、その一つは、貴殿の論も少し落ち着かない"気がします"よ。

571 :哲学の問ひとは:2022/03/12(土) 09:31:26.77 0.net
»を« oder ein Ruf für Alle und Keinen

572 :でこすけ:2022/03/12(土) 09:54:08.54 0.net
>>570
たとえばある日、飲み屋でぼったくられてみんなで騒ぐ夢を見たとしても、
そういう夢を見ることもあるだろうで済むと思うのです。
特別何ともおもいません。
しかし毎日毎日ぼったくられる夢ばかりをみたら、何か意味があるのかなと、
そう感じるのが普通だと思います。
何かの構造を直観したりします。

ちなみに私の論が落ち着かないというのは気のせいではありません。
例えば
>私の理解するところでは、数学の解は前提によって変わるものです。
>平行線もその前提によって混ざったり混ざらなかったりします。
ここで言いたかったことはうまく表現できなかったので妥協しています。
よそのレスでは「裏側」と表現してみたりもしていますが
うまく伝わった気がしません。
もっと日本語を勉強しておけば良かったと思っています。

573 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 09:54:15.05 0.net
統治者のことば、すなわち、みことのり(詔)は、各自に対する呼びかけの
「を(≒"Why not?")」/»ein Ruf für jeden«であり、その呼びかけに
各自/»ein jeder«が各自の応への「を(≒"Why not?")」/
»ein Ruf von jedem«で対応することが、統治(すなわち、主−僕の関係性)
の確立である。
ここで、万葉集 第16巻 3885番歌の「さ『を』しか(鹿)」の「を」と、
オウディウスの歌における、ラテン語で「呼ぶ」ことを意味し、
日本語の古語の「をく」に対応する"voco"のつか(使)ひ方を対比して
みよう。

https://manyoshu-japan.com/9693/
万葉集 第16巻 3885番
>獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく
たちまちに 我れは死ぬべし大君に 我れは仕へむ<

>nomen et erept saepe vocasse viri,
>そして奪い取られた夫の名前をいくどもよんだ(といわれる)、
風間喜代三、『オウディウスでラテン語を読む』、p.20

574 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 10:23:46.83 0.net
日本語は、西洋の言語と比べて情緒性が強く、論理性が弱いので哲学を
するのには向かないと言われることが多い。しかし、この場合、
日本語における「さ『を』しか」の「を」の用法とオウディウスの
詩で用いられるラテン語の"voco"の用法を対比してみると、いずれもが
情感に強く訴える呼びかけの声として用いられているものの、後者
のラテン語の"voco"の用法は、統治者のみことのり(詔)に呼応することに
強く抵抗する嘆きの声/»ein Ruf«として発せられ、それが、その声を
聴く者の心にも響いて、各自に自らの呼びかけの声/»ein Ruf von jedem«
そのものとして感じられて情緒性を発揮することに強く偏っている。

575 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 10:28:31.26 0.net
>>572

その際にも、例えば毎日雨が降る、或いはその夢を見ても"心当たり"がなければ、さほど意味を感じないかもしれない。だから「構造の直観」というよりは、直観を前提とした構造、直観の構造といってしまいたいぐらいですが、

数学の前提によって変わるのは、解ではなくて、解の認識、見え方だと思います。平行線の例では、曲面と平面それぞれの解は本来交わらないわけですから。

ただアプローチが異なるだけで、自分も意味がはじまる境界には目を向けていますし、ここら辺の表現はシンプルな事態のわりに難しく、また遊べる気はします。

576 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 10:47:16.21 0.net
これに対して、「さ『を』しか」の「を」は、同様に嘆きの声として
発せられるものの、それが、「我れが死ぬべき」ことを「を(惜)しむ」
声として発せられたとたんたちまちに、そこに待ち構えて「を(居)る」、
鹿を狩る者の「我が死ぬべきこと」の嘆きの声の響きとして反転する。
ところが、この反転が生じるのは、鹿もそれを狩る我もともに、君の
「を(召)す」対象として君に我が命を捧げてつか(仕/使)へる者である
ことの気づくことによってである。つまり、「さ『を』しか」の
嘆きの声が我がものとして互換的に響くこと、それが強い情緒性を
発揮することそのものにメタ言語的な認知の働きがある。

577 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 11:24:26.66 0.net
さらに、この歌は、次のように終わっている
>老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね

これが、命を捧げて我が身が君につか(仕/使)へることの理性による
「合理化」であり、それによって実現される我が身の栄華を、各々が声を
合わせて皆に対する各自の呼びかけ/»ein Ruf von jedem
für jeden von uns«として歌うことにより、全体としての「合理的な統治」
が確立されることになるだろう。その際、統治者の各自に対する呼びかけの
「を(≒"Why not?")」/»ein Ruf für jeden«が、何を呼びかけるものである
のか(悪霊や疫病神の退散であろうと、鬼畜の退治であろうと、国を守る
ことであろうと)は問題ではない。

これに対して、哲学をする者が発する問ひの声としての「を」は、
»ein Ruf für Alle und Keinen«であると言うことができるのではないか。

578 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 16:44:09.92 0.net
あらゆる者に対する呼びかけでありながら、
誰に対する呼びかけでもない問ひとは、
それが自らのものである限りにおいて、
誰のものでもあり得るような問ひだろう。

579 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 17:14:34.37 0.net
時間を理解するためには時間が必要だアホw

580 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/12(土) 21:01:55.91 0.net
>>563
x=(x=x->x) は想定していなかった。
想定していたのは(x->x)=(x->x)->(x->x)だった。
だが、'='に階層性を認めることでx=(x=x->x)も成立する。
注目していたのは'->'という大きさのようなもの、だったのだが、
その逆の働きをする'='も(反)大きさのようなものだ。
「同じ」という働きの'='と、
「違う」という働きの'->'が揃った。めでたい。
もう一つ何かが必要だが、式をじっと見つめると、
'('があるではないか、これは「階層性」だ。

581 :考える名無しさん:2022/03/12(土) 21:21:02.59 0.net
なんぼ代入しても頭ん中。

582 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/12(土) 23:10:57.98 0.net
=,->,()と三種類あるものは何かというと、
これは境界であり、境界はタイヒミュラー空間であり、タイヒミュラー空間はオペレーターである。
三種類のoperatorと考えてみる。
operatorを変換器(変換子)と考えていたが、どうやらそう単純ではないようだ。
=は2つを1つにし、->は1つを2つにする。
それでは()は何をするoperatorなのか? 単なる補助記号ではない。
subshellのようなものとすれば、多世界を繋いでいる。
3つめは=と->が揃ったとき自ずと現れるはずだ。
3つあっても2つ分の情報しかないはずだ。
数学の危機、物理の危機に続くのは哲学の危機であろう。
ここで科学哲学から哲学哲学となり哲学の危機に立ち向かわねばならないのかもしれない。
哲学の危機とは倫理や美学の危機であるw
そういや『悪い言語哲学入門(ちくま新書)』がでていた。コレを買ってこよう。

583 :でこすけ:2022/03/13(日) 09:17:58.42 0.net
>>575
私は、「哲学」は世界の外側ではなく、内側で起こっている現象のひとつだと考えます。
さらに「哲学」と「非哲学」との境界は曖昧で、「哲学」は事実上の開放系だと考えます。
「哲学」はいうほど哲学しているものではないとも考えています。
「哲学(探求)」は一般的な自然現象のひとつということです。
もちろん「直観」も自然現象のひとつです。

私はこの世界で起こっているすべての事象はたったひとつの「創発」という現象に還元されるのではないかと考えています。
もちろん「直観」も「創発」に還元される概念です。
また、「考察」とか「想定」とか「推測」とかは、「直観」に還元されるだろうと考えています。

もちろん「直観」は常に妥当であることはないものです。
じつは逆に、完璧に妥当ということもありません。
そもそも私は、いわゆる「哲学」をできているとは思っていません。
ただ、そもそもいわゆる「哲学」は幻想ではないかと考えています。
私にできるのは、せいぜい「お遊び」くらいのものなのだろうと思っています。

584 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 09:42:16.79 0.net
>>568

>前提を決めれば結論も確定する、という気はします。
 しかし私はそれも気のせいだと考えます。

前提を決めた場合、命題によって、例えば方程式のように
解が一つに確定したり、複数の解に確定したり、
解自体が存在しなかったりすることはありますね。
それ以外なら、解自体は存在しても人間にはそれは不可知だったり。

ただ、ここで誤解して欲しくないことは、
(知的に正常な)個人によって数学的な解や真理が異なるということは
ありえないということだけは言っておきますかね。

585 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/13(日) 10:52:25.67 0.net
何をもって解とするかは個人によって異なりますねw
通常はあきらめて学校でおそわったような解を選ぶんでしょうけど、
それはそれでいいとして、もっとよい解があるはずです。
ただし、それは(暗黙的な)前提が異なるということです。
どちらかというと、前提がおかしいということですね。
同じ前提からの出発を拒否するのですから、とうぜん解は異なりますw

586 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 11:46:18.42 0.net
解の導き方も雑ですw
よって解ではありませんw

587 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 12:21:32.97 0.net
生きることは、どのようにか結ばれた状態が保たれることを前提とした、
結ぶことと解くことの繰り返しであって、一方的に結びつづけることでも、
一方的に解きつづけることでもない。

588 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 12:31:55.15 0.net
解はあっても意味はないからなw
おまえらが意味を持ちたいだけの話だw

589 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 14:02:43.30 0.net
>>583

月並みですが、車のハンドルにある「遊び」は、"意図的"な誤差を修正する上で大切になる。もちろん、遊びだけでは意味がないし、一生懸命やってる人に失礼かもしれない。

ここには二つの観点があって、一つは「哲学」が意味を成すのは、言葉の整合性だけでなく、「遊び」という体感、あるいは内的経験だと思います。

さらに一つは、「直観」の表現を共有するところに理解があるならば、緩い準則に思われるかもしれないけれど、「思いやり」だと思います。

どちらも、よくある哲学にはあまり見られない傾向だと感じます。「哲学」が"できているか"否かは自省的ながら重要という認識です。

もちろん引き継がれているテーマがあって、それは人によっては「直観」の捉え方に形式を提示したカントだったり、それを空間に配置したハイデガーだったりしますが、

誰かの哲学であり続けることの違和感だけは、どこかで持ち続けたいと向かい合っています。

590 :考える名無しさん:2022/03/13(日) 16:29:51.01 0.net
>>585
それなら、そこで言う解は偽物であって、
誰も本物の解は知らないということですね。
前提もお互いに異なるか不備があることですし。

結局、数学的な本物の解や真理は不可知であって、
それらが人間の思考に還元されるものや相対的なものではないことは確かです。

全く同じ前提でも数学の真理や解が個人・社会・文化により異なることは
数学界では許されないなら、そうとしか言いようがないですね。

591 :590:2022/03/13(日) 16:33:09.61 0.net
あ、590での「解や真理が不可知」は
「それらが完全には知り得るわけでない」という意味ですね。
説明が下手ですまない。

592 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/13(日) 22:50:25.24 0.net
対象を[[a],[b]]とする。
'->'による変換は[[1,0],[0,1]]だ。
これが大きさのようなものだとすれば、
変換の左辺の[[a],[b]]と右辺の[[a],[b]]には違いがある。
ただし、絶対座標も無いし、第三者もかかわっていないので、違いを検出することはできない。
なので、[[1,0],[0,1]]をそのまま残す。
[[a],[b]]=[[1,0],[0,1]][[a],[b]]
[[1,0],[0,1]]の逆行列は[[1,0],[0,1]]自身なので、これが左辺についていようが右辺についていようが同じであり、
そのまま残すゆえに
[[1,0],[0,1]][[1,0],[0,1]]=[[1,0],[0,1]]ではない。
[[1,0],[0,1]]が変わらないとすれば[[a],[b]]の側が変化する。
[[a],[b]]が変わらないとしたとき(そちらを基準としたとき)、
[[1,0],[0,1]]^nが、物質や物理量として得られる。
とすれば、[[1,0],[0,1]]はさまざまなユニタリ変換として捉えられる。
これを、観測者としての粒子を加えて4x4のゲートとしたのがゲート型量子コンピュータだ。
そう考えると、位相キックバックを対象でもなく、ゲートでもなく、
虚構的存在として独立させたものが物質や物理量であろう。
現実のゲート型量子コンピュータにおいて、観測者が外側にいる、ということが問題なのだw
観測者もまとめてゲートに放り込めばよい。
多世界解釈である。
ということは、(中略)
なので、量子脳が量子コンピュータなのではなく、われわれが観測者として
量子コンピュータ(という宇宙)の中にいるのだw
外側は無い。
これが一般不完全性定理だとすれば...なかなかおもしろい。
超対称変換を量子ゲートで書き直せば、そこに答えがあるだろう。
まず、生成演算子・消滅演算子を廃止してそれにかわるものが必要だ。
物質(粒子)が「ある」と考えること自体が量子論の見通しを悪くしている。
さて、この雑wな考えを寝ながら考察してみよう。Zzzz

593 :でこすけ:2022/03/14(月) 08:48:58.46 0.net
>>583の補足です。

「あの鳥はどこで鳴いているのか?あそこではなく、ここ(頭の中)だ」
というような禅問答があったと思いました。
和尚さんが「ここだ」と言いながら小僧さんにデコピンをした瞬間
小僧さんは悟った、みたいな展開だったと記憶しています。
タイトルをチェックしようと思って少しググったんですが
なんだか出てきません。よくわかりません。

すべての現象は意識の中で起こっているのだと思います。
唯心論というのはそういうものだと思います。
ただ、私が想定している意識は人間のものだけではありません、
最も原始的な意識からのすべての意識です。
ただし原始的な意識には相応のレベルの様相で世界が現れているのだろう
とは思います。

いわゆる「意味」はいわゆる「文脈」の中にあって初めて成立するものです。
この「文脈」には暗黙の場合(言葉ではない場合)もあります。
このことは「下位(意味)」は「上位(文脈)」のもとで、と抽象化できると思います。
そして「上位」が成立することが「創発」という現象です。
「事象」というのはそこに何らかのかたちで意味が見出されることであり
つまりこの世界で起こっているのは「創発の連続」と言い得る、と考えます。

594 :考える名無しさん:2022/03/14(月) 09:34:01.74 0.net
ほらw
こいつの信じたいだけの抽象的な意味しかないだろw

595 :考える名無しさん:2022/03/14(月) 13:55:10.25 0.net
>Haja ou não deuses, deles somos servos.
Fernando Pessoa, "Livro do Desassossego"

「神がいようといまいと、我々は彼らの[を(召)す]つか(使/仕)ひである。」

596 :考える名無しさん:2022/03/14(月) 13:57:54.02 0.net
現在の坊主ならもっとマシなことかもっとアホなことを言うだろうなw

597 :考える名無しさん:2022/03/14(月) 14:05:35.51 0.net
坊主に対するヘイトスピーチですか?

598 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 10:56:55.13 0.net
意識のハードプロブレムに対する個人的見解は、以下の通り。みんなはどう思います?

私達自身が、意識現象そのものである。 私達自身という脳の電気現象が周りをメタ認知している。
自分自身について考える必要は無い。論理の公理と同様に自明だからだ。

われ思うゆえにわれあり。 から、自分自身がいる事だけはわかるだろ。それを利用するんだよ。
あと、脳の電気現象そのものだから 哲学的ゾンビは絶対に存在しないと思う。

どうです?こういう見解は。

599 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 11:08:29.14 0.net
脳という器官の分類が意識に先立って存在するのか

600 :でこすけ:2022/03/15(火) 11:12:24.89 0.net
>>588
私としてはむしろ本質的な意味のある解はない気がしています。
「1+1=3」式とか「1+1=田」式とかではない
「1+1=2」式の代数学は、それが正しいから採用されているのではなく、
妥当とか、有効とか、つまり正否とは違うところで選択された気がします。
場合によっては「1+1=10(二進法)」と表現したりもするのは
その方がとりあえず便利だからでしょう。
私としては「環境に適応したミーム」とか言ってみたい気持ちがあるのですが、
しかし実際には選択肢が他には無かった、自然競争は起こっていなかったでしょうから
「よそを淘汰させて残ったもの」とは言いづらいのですが、
ニュアンス的にはそのようなものではないかと思います。

ちなみに例えば十進法は十二進法よりも何かの要素で有効だからこそ
より広く普及したのだろうと思います。
あらゆるミームは淘汰圧にさらされるのだろうと考えます。

601 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 11:21:04.72 0.net
>>599
脳などないとか、水槽の脳だとしても、とにかく我々を存在させる何かがある。
私一人だけという可能性はあるが、他人がいると考えた方が建設的だからそうしてみる。

私達自身が意識現象そのものであるという仮説  とでも言っとこうか

602 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 11:49:29.76 0.net
>>598
補足します。

素朴実在論を支持したうえで、我々の意識(俗に脳死で死んじゃうやつ)は(意識を失うことがあるので)物質ではなく現象であり、
意識のない時=意識現象が発生してない時に私は宇宙に存在しないし、
何かを知覚する時の感覚と脳内の電気的状態、起こっている現象は 完璧に1対1対応する

という仮説を立てるとハードプロブレムは自明な事を疑問にしてるだけ という風に解釈できる。。。
みたいな感じです。何というか抽象的で語彙力ないから伝えにくいんだけどこういう感じ。

603 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 11:55:43.78 0.net
我々の真の姿は赤いと思ってる時に脳の中で変化するあの電気現象である。
何かあらゆるものを思ってる時にいつもいつも活性化し、失神とかノンレム睡眠の時に不活性化する特定の脳の部位かな。

たぶん、境界ははっきりしないと思う。 とにかく、脳細胞や脳細胞の集まりじゃなくて現象の方が
とらえどころのない私達自身と仮定すれば上手く説明出来るからさ。。。
詭弁かもしれないけどどうだろう、自信なくなってきたな....

604 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 11:57:52.94 0.net
脳死判定された人の脳に電極刺して、高電圧を加えたら脳内の電気的状態に変化が生じるのでわ?

605 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 12:08:54.65 0.net
なんで私達自身は現象なのかと言われたら そう仮定すれば上手く説明できたから。
具体的には、
・脳の電気状態と私の心理状態は1対1対応するなら、私の心理状態=脳の電気状態と見なしたい。
・だとすれば私は物質や生物ではなく生体内現象じゃないの?
・あ、これならクオリア説明不要じゃん
って思ったからです。。。。

 この仮説に致命的欠点はある?仮説としてのおかしさ。

606 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 12:16:09.36 0.net
>>604
脳死になるほどの状態ならそもそも無理でしょ。
たとえ正常時と違う状態で動かしているなら行動的に生きてるように見えても屍だよ。
人間に似ているロボットを動かすのと同じこと。

いや、でも部分的に意識が戻るのかな?言えそうかも?下手したら。

とにかくその問題は脳死判定のやり方次第じゃないですかね。。。想像するとぞっとしますけど。

607 :でこすけ:2022/03/15(火) 12:52:03.62 0.net
>>589
おそれいります。参考にさせていただきました。
考えてみればここでの私の主張も、その動機の本質はアカデミズムに対する
「怨恨」だったのでしょう。

例えば私は相対性理論に懐疑的です。
l'=al t'=bt このときaとbとの値はアインシュタインの時代には
計算では求まらない、
これは中学生でもわかることですから学者がわからないはずはない、
ただ、このことはひょっとすると偉い学者さんの顔に泥を塗ることになる
かもしれないから、そこで忖度があるのではないか、
別にそれは要するに思いやりですから私としても全面否定するつもりは
ないつもりですけど、
しかし科学としてはいかがなものか、
しかも科学的世界観は宗教的世界観を駆逐した的なこともあったわけですから
いつか逆に駆逐されることになったとしても文句を言える立場ではない、
そういう勢いが私にはある気がします。
悪意の無い人も思考停止している時点で結局は「同じ穴のムジナ」とか、
そういうかんじです(過失はやっぱり罪かもしれないわけです)。

「罪を憎んで人を憎まず」とは言いますが「学問を憎んで学者を憎まず」
といったところでしょうか、
いずれにしても歴史の中で淘汰されるのは私の方(唯心論)だとは思っているつもりです。

608 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 13:03:29.91 0.net
で、脳死判定された人の脳細胞は生きているのですか、死んでいるのですか。
普通、死んだ細胞は形を失って膿になってしまいますよね。
頭蓋骨の中にそのような状態で腐敗もせずに死んだ細胞が長期間にわたって
保存されているのですか、それとも脳の細胞の大部分は生きたままなのですか。

609 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 13:12:06.71 0.net
生体内現象だとすると、どうやって生体はクオリアを現象させているのかが哲学かもね

610 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 13:19:27.26 0.net
>>608
脳死と細胞死は違う。

脳死は意識現象が引き起こされない状態の事としましょう。私の仮説から。
でも臓器提供のように他の臓器は生きてる場合だってあるでしょう。

単に、不可逆的に意識現象が引き起こされない状態になればそれが真の脳死と思いますが?
細胞とか関係ない。いや、関係あるかもしれませんが現代科学はそこまで発展してないので。

理想的に正しい脳死は、 不可逆的に意識現象が引き起こされない状態 でいいかと。
可逆的でも現代科学レベルで無理なら実質戻せない=不可逆的。

あと、ここから心と命は別物だとも言えますね。
ロボットでもある意味意識現象が引き起こされるように作れば命なき心あるロボットが作れるかもね。
植物とは対照的にね。

意識現象を 心とか魂という風に見なすこともできるかな。 そんなもんただの物理現象だ(でも、物理現象として実在するね、)と。
まあ結局は唯物論的ですが、 
宇宙をも現象と見なして現象に特別な価値を見出せば唯心論的解釈も、、、うーん、出来るかわかりませんね。
こじつけになりそう

611 :でこすけ:2022/03/15(火) 13:42:10.98 0.net
>>605
私の率直な印象ですけど、私としては「電気」という表現に違和感を覚えます。
それでは「『電気』とは何なのか」という問題が生じるように思うからです。
おそらくこれを突き詰めていくと、あるいは量子論になります。
するとそこで「観測問題」のようなハードなプロブレムに結局行き当たる気がするのです。
一般的に言うところの「問題の先送り」です。
ここで私が勝手に妄想するのは天才の出現です。
いつか凄い天才が現れてペロッとひとこと言ってみたら
パッとシュレディンガー方程式の意味が解った的なことが起こる可能性は
ゼロではないと思うのです。
例えば物理学者はすべてが覆ることを想定して
それで量子の性質にカラーとかフレーバーとか頓珍漢な命名を
あえてやったりすることがあると聞きました。
クォークという名称もそのたぐいのようです。
例えばフロギストンとかエーテルとかも成立したことがあったかもしれませんが
より大きな枠組みの中では無効になったということだと思います。
これは電子や光子も状況は同じで、より大きな枠組みでは無効になる可能性が
無いわけではない、そういったものの印象が直観と異なるということは
そういう可能性がゼロではないということだと思うのです。
「電気」なるものの認識が根本的に変わる可能性があるのではないか
というお話です。
個人的には、そのことを踏まえた上で「意識」と「電気」との関係を
どのように理解するのかが問題になるのではないかと考えます。
私が知るところでは、ジョン・サールが
「精神と物質とは相互作用している、それでいいじゃないか」
みたいなことを言っていたはずです。
しかしそれでは納得が行かないから私たちは騒いでいるのです。
何かもうひとつ欲しい、
ただ、もしもその欲求がお門違いの本質的なものではないのであるならば
それはそれでそれがそういうことだ
ということを明確にしていただきたいという気持ちがあるのです。

612 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 14:32:53.81 0.net
>理想的に正しい脳死は、不可逆的に意識現象が引き起こされない状態

では、iPS細胞の技術の進展によって、脳死判定された人の脳細胞から、
脳細胞として機能する脳を再生することが可能になったとすれば、
脳死は存在しないことになるのでは?

613 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 14:51:11.35 0.net
やたら非現実的な型にはまった「思考実験」とやらを他人に押し付ける
ことには熱心なくせに、こういう具体的な思考実験は忌避するんだよな、
連中は。

614 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 14:57:56.80 0.net
たらればは仮想実験だから

615 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 16:12:48.97 0.net
>>607

「怨恨」と「懐疑」とは違うと思います。言い換えるのは失当と存じますが、要するに「真実」に対する振る舞いです。我々は大抵は「哲学」の「見解」を共有している。そのことをフッサールのエポケー(高める思考停止)を引き合いにして説明することは可能性です。ここにおいて、何かを"言辞的"に「考える」ということは経験的であって、であれば多分に「態度」がその本質になると思います。これは現代哲学では「アジャスト可能性」として西側では取り上げられていますが、「哲学」は「科学」ではありませんよね。

616 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 16:26:36.03 0.net
>>613
それどういう意味です?
誰を皮肉ってるの?

617 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 17:31:03.53 0.net
坊主だろw

618 :考える名無しさん:2022/03/15(火) 20:42:12.34 0.net
>>600
>「1+1=2」式の代数学は、それが正しいから採用されているのではなく、
 妥当とか、有効とか、つまり正否とは違うところで選択された気がします。

では「1+1=2」さえも厳密に正しいと証明されてないということかな。
数学的真理というものもやはり厳密にはまだ不可知なら興味深くて面白いかも。

ただ、数学的定理や真理も人間の思考や言語に還元されると思ってるのなら
ただの人間中心主義的思考に他ならないなぁ。
ま、そう考えるのも自由ですが、個人的には全く納得できないかな。

619 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/15(火) 21:57:24.12 0.net
証明もなにも、
1+1=2 は、単なる「言明」です。
いわゆる「命題」の現代的な捉え方であり、
それは「記述」といってもよい。
もうちょっといろいろ入れて体系をつくれば、
公理が体系外にあるかどうかは別として無矛盾あるいは矛盾することが証明できるかもしれませんw
もちろん矛盾も無矛盾が証明できるとか証明できないと証明するようなことも可能ですね。

620 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/15(火) 22:08:02.45 0.net
× 矛盾も無矛盾が
○ 矛盾も無矛盾も

一般不完全性定理の早道は、無矛盾は矛盾するという証明なのだが、
そうなると証明ってなんだよってことになる。
それを数学のある領域で解決したのが不完全性定理だが...
これを一般化すると...
いちばん成功しているのは公理的集合論だな。
チートだとは思うけどねぇ。kobayashi-maru testと同じ。

621 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 01:36:30.60 0.net
ケーキが一つあってもう一つ増えたら何個だおっさんw

622 :でこすけ:2022/03/16(水) 08:42:25.22 0.net
>>615
相対性理論を例にあげたのは、物理学者はあまりこのスレを読んでいないだろう
と考えたためです。
同じような批判を哲学者に対してもできるつもりでいますが、
なんとなく遠慮してしまいました。

もちろん私も含めてですが、
思い込みというのはなかなか捨てられないものです。
そもそも自分に思い込みがあるということに気付くのも難しいことです。
何故なのかはわかりません。

623 :でこすけ:2022/03/16(水) 08:56:32.23 0.net
>>618
>数学的定理や真理も人間の思考や言語に還元される
私のイメージでは「人間の思考や言語」ではなくて、
「この共同幻想に参加しているすべての意識の総意」です。
この「意識」には人間のものだけでなく原始的なものが含まれます。
また「この世界に存在するすべての意識の総意」ではありません。
あるいは言い方を変えると、
ある種の自然法則などは客観的にあるのではなく、間主観的にあるのではないか
ということです。
自然界の斉一性なり恒常性なりは、自律分散システムによるものの気がします。
たぶん集団意識(見えざる手-非実体)です。
ひとつの意識で決められることではないことに変わりはありません。

624 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 13:29:23.60 0.net
>>623
618ではないですが
どうやって間主観的にあるかや総意というのも問題の先送りという感じでしょうか
集団意識なるものがあるとしたら確かにひとつのというか一人で決められませんね。

625 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 15:39:49.99 0.net
見境がないとはよく言ったものだw

626 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 16:12:29.66 0.net
イエス・キリストの奇跡のコースの学習者のものです

脳が原因であり脳から意識が発生するというのは例えると、5chの書き込みを見て5chの書き込みが5chから発生したと言ってるようなものじゃないでしょうか

その背後にいる書き込み者という本当の原因を見逃していると思います。

奇跡のコースによると、意識は観測者からのものであり、その観測者はこの時空の宇宙の外側にいるといってます。

私たちの肉体、及び脳は観測者ではなく、自我のスケープゴートらしいです。

627 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 16:25:28.44 0.net
ところで、ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう
という本読んだ人いたら、著者はどんな意見をもってたか教えてください。

628 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 16:28:10.25 0.net
>>626
脳は意識の原因というより資源みたいな感じじゃないでしょうかね
テレビ番組をみるには、テレビ自体が必須ですから
電気とか外部との送受信がひつようなわけですよ、意識も

629 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:32:22.31 0.net
永遠に子。なのかなあ。

630 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:33:20.26 0.net
原始女性は太陽であった。太古の記憶が紡ぎだす。それが詩さ。

631 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:34:38.84 0.net
哲学にも哲学画のような動画やアニメみたいなヴィジョンと、音楽召喚魔法のような
ステージが必要だ。

632 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:39:58.36 0.net
耳をすませば 海が聞こえる 目に映るすべてが メッセージ。

633 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:40:19.57 0.net
統合的ではある。

634 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:40:44.46 0.net
ジブリランド じゃないけどね。

635 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:41:33.98 0.net
動きの中へ入っていって。意識的に無意識的に意識を使う。

636 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:48:34.78 0.net
舞one哉。1

637 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/16(水) 16:53:18.91 0.net
一気鬱。

638 :618:2022/03/16(水) 20:16:18.77 0.net
>>623
「すべての意識の総意」が多くの人間の総意でないのなら
自然・数学的法則は人間に先だって存在していて、
人間にとっては発見されたものと同然でしょうね。

639 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 21:37:34.82 0.net
発明じゃない?数字がその辺に転がってるわけじゃないから

640 :塩なめくじ:2022/03/16(水) 21:46:14.38 ID:k+IPciEC0.net
時計さん消えたの?

641 :考える名無しさん:2022/03/16(水) 21:51:06.18 0.net
学術はおる

642 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 02:37:38.07 0.net
>>628
そうですね。

奇跡のコースによると、肉体はこの世界で生きるためのただのデバイスにすぎず、肉体自体では何もできないし、何もしないということです。

5chはただのデバイスであり、5chの書き込みは結果であって原因ではないです。

脳科学だと、ストレスを感じるときにアドレナリンが発生するから、アドレナリンが原因だと考えますが、アドレナリン及び脳神経は結果です。

脳が原因だと考えている限り、罠にはまっていると奇跡のコースはいってます。

ただ、アドレナリンという結果は原因(時空の外側にいる心)を証言するので、脳科学に意味がないことはないらしいです。

643 :でこすけ:2022/03/17(木) 08:40:30.13 0.net
>>621
つまり「1+1=2」は現実に対応しているだけで、
必ずしも「正しい」ということではないというかんじが私にはあります。
それはたとえばケーキがひとつあってもうひとつ増えたら3個になる世界は
どこにも無いだろうとは考えますが、
それを踏まえた上でも「1+1=2」は選択肢のひとつにすぎない、
現実に適合するというのは「正しい」の絶対的根拠にはならない気がするのです。
あくまでも「妥当」とか「有効」とかのものです。

これはたぶん知性が絶対的基準を持ち得ないためです。
印象で言うと、人間が「自由」であったり「平等」であったりする気がするのも
そうではない理由が見つからないためのような気がします。
つまり私の主張は、あくまでも私の印象です。

644 :でこすけ:2022/03/17(木) 08:54:21.32 0.net
>>643
ところで私が理解するところによると、
順番としては1に1を足したら結果として2になったのではなく、
もともと2というのは1が二つあるということ、
つまり「1+1=2」は結論ではなく、むしろ定義だということになっています。
確か西田幾多郎で読んだ気がします。

するとここで気になるには、どのようにしてそのことが人類社会にくまなく広まったのか、
そのメカニズムです。
私は「実体」の構造に深く関わることのような気がします。

645 :でこすけ:2022/03/17(木) 09:09:38.29 0.net
>>623
>自然法則などは客観的にあるのではなく、間主観的にあるのではないか
客観的にあらかじめあたえられているものではなく、
多くの主観によって、ただし「決められた」というよりも「選ばれた」
というニュアンスのような気がします。

私には宇宙の無いところには自然法則も無いかんじがあります。
宇宙が無いというのは時間も空間も無いということです。
「宇宙が始まる前」というのは変な表現ですが
「自然法則」は「宇宙」とセットで生じた気がします。
ただ「自然法則」とされているものの全部かどうかの見極めがつきません。
そこで我ながら姑息ですけど、
>623では「ある種の自然法則」と表現しています。

646 :でこすけ:2022/03/17(木) 09:17:37.18 0.net
>>624
なるほど確かに問題の先送りです。失礼しました。
送った先が問題になるということなのでしょう。
彼と私とでどちらが妥当なのかは第三者に委ねる
というのが望ましいのだろうと思います。
よろしくお願い

647 :でこすけ:2022/03/17(木) 09:34:48.04 0.net
>>646
します

>>627
以前超球面さんがその本をおすすめしてくださったので私もちょっと覗いたんですが、
なぜ痛みや悲しみを感じるのか、その答えは書いて無かった気がしました。
そこにしか関心が無かったので他の部分についてはわかりませんけど
「このような本があるとは、今の若者は恵まれているなあ」
と思った記憶があります。

>>638
それについては同意です。
私の主張のポイントは「客観は幻想」ということのつもりです。
「世界はあらかじめ与えられている」とか
「世界は意識が無くても存在する」とか
そういう感覚は錯覚だろう、という方向で考えています。

648 :でこすけ:2022/03/17(木) 09:38:43.39 0.net
>>647
>世界は意識が無くても存在する
ここで言う「意識」は私的にはもちろん人間限定ではありません。一応。

649 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 09:51:26.33 0.net
78 :彼氏いない歴774年 :2022/03/17(木) 00:27:52.77 ID:a+BWMqyG
オナ中に地震来て、悶々したままテレビで地震情報見てる

650 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 10:48:23.25 0.net
西田は宗教スレに跨がってるのか、

あちこちに名前が出るな。

651 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 15:09:53.24 0.net
論理を持たないアホとは話にならんなw

652 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 20:42:00.79 0.net
>>626
自由意志がない可能性がある事を示唆する検証結果もあるし、意識の解明がこれだけ進まないのも、確かに脳の処理で全て完結すると考えるのに限界があるからかもしれない。

クオリアが全て結果であれば、脳に量子性があることは明白で、もつれを起こしている主体との伝達は自らが感じることは出来ず、一方自らは神経から伝わる感覚から、それがさも自ら本体に起因すると錯覚してしまっているのかも。

とすれば、神経は自らを動かす助けをし、かつまやかしの自我を産む、主体にとって都合の良い存在ではないか。

五感をあらゆる方法で遮断するような数々の人体実験が、大方幻覚症状が現れるような結果に落ち着くのを不思議に見ていたが、腑に落ちるな。

653 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 20:44:13.45 0.net
>>643
「2+3=5」のような数学的法則や数学的構造は
人間の認識・経験により現実の構造の一面から見出したものだとして、
それらの「妥当性」が高いものとしての発見の一種として考えるのが自然かな。
ちなみに数字や演算記号などは「発見」された構造や定理などを表現する
「発明」された概念でいいと思う。
つまり、数学での概念は、
「発見」された構造や定理と「発明」された表現記述記号
の二通りがあると。
もっとも前者は現実の一面から推測されたものかもしれなくて、
本質的には誤謬的で不可知的でしょうけどね。

>>644
では、「2+5=3+4=7」のように同じ数の等式が複数ある場合は
定義とは言えなくなるなぁ。
やはり「2と5を足したものや3と4を足したものの大きさはは7に等しい」
という結論として考えるのが自然かと。

654 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 20:53:06.17 0.net
  、

655 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 21:29:18.53 0.net
増える、、間主観性?

656 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 22:31:01.01 0.net
>>652
もしイエス・キリストの理論を知りたいなら

ゲイリー・レナード「The Disappearance of the universe」日本語訳「神の使者」
ケネス・ワプニク「A Vast Illusion」日本語訳なし
ヘレン・シャックマン「A Course In Miracles」日本語訳「奇跡のコース」

上の3つの本を読むことをお勧めします。

英語の原書は米国amazonで買えます。

送料の問題もあるので、Kindleがおすすめです。

クレジットカードが必要で、米国amazonはたまに日本のクレジットカードの支払い処理を拒否するので、もし拒否されるなら、クレジットカード会社に電話して規制を一時的に解除してくださいと電話する必要あります。

657 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 22:49:54.60 0.net
奇跡のコースの自由意志の解釈です。

神の子の心が自我を選択し、自我がビッグバンを起こしたその一瞬で、エントロピー増大の法則やらなにやら、宇宙の挙動や脚本は全部起こったのです。

ビリヤードに例えると、最初の一突き(ビッグバン)で玉の動きが過去、現在、未来と線形に展開する形で玉の動きは全部決まっていて、玉に自由意志はないです。

自由意志がなくて、すべて事前に決まっているなら、私たちは努力する必要ないじゃない、と思いますが

私たちの選択でマルチシナリオが可能です。

例えば、頑張って勉強すればいい大学に入れるし、勉強しない選択すれば大学に入れないみたいな感じです。

すべてが事前に決まっていることと、マルチシナリオって矛盾するんじゃない?と思いますが、矛盾しないらしいです。

658 :考える名無しさん:2022/03/17(木) 23:20:13.97 0.net
あなたがたの経験では決断はここで行われるんだけれど、ほんとうはそうじゃない。
小鳥が脳で決断していないのと同じで、決断は人間の脳で行われてはいないんです。
あなたがたはロボットみたいなものだって言ったのは冗談じゃないのよ。プログラマーがほかにいるわけではない。
誰もいはしないんです。
わたしたちが言っているのは事前の自己決定のこと。
このレベルでのあなたがたの運命は、神ではなくてエゴとの契約で定められている──神は契約はしませんからね。
あなたがたのエゴの心全体がプログラマーで、脳に信号を送っている。
脳はハードウエアの一部で、信号を身体に、あるいはコンピュータ・ユニットに送って、何を行い、何を見、何を感じるかを指示しているというわけ。



ゲイリー・レナードの「神の使者」からの引用でした

659 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 08:42:28.91 0.net
感性と理性は、一般に相反するものであるかのように、感性が理性を、
また理性が感性を受け入れることを拒むものであるかのように思はれて
いる。しかし、日本語の「を」が感嘆の声として、またその声を利用
した誘ひかけとして、その誘ひにおいて動作/作用の対象を指し示す
指示として、さらにはその誘ひに応じる応答として呼応関係を確立して
統治を実現するように用いられることに見てとることができるとおり、
感性と理性の関係は、経験を活用することに基づく多層性によって
特徴づけられる。そして、そのように経験を活用することに基づいて
感性と理性が反転を繰り返しながら多層的な関係にありつづけること
こそが、人称において人格であるということに他ならない。哲学の
営みは、その多層性が階層として固着して、経験を活用すること
のしなやかさが失はれ、感性と理性が単に相反するものとして現れ、
二律背反的に、あるいは双極性として互いを拒絶するような関係と
なることがないように、不断に経験を再活性化させようとすること
にある。

660 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 09:39:26.53 0.net
>>658
宗教というのはこういうものなのでしょうけど、この語り自体ゲイリー・レナードという人の自己決定なんですよね。
それ自体の真理については、神の使者を信じよというスタンス。
哲学は、一応その概念の理論的な説明を要するけど、宗教はそれがない。
この違いで板も分かれているのだと思います。

661 :でこすけ:2022/03/18(金) 10:00:56.50 0.net
>>651
あなたが想定する「論理」とはどのようなものでしょうか。
このスレッドでは「論理とは何か」という問題も提起してきたつもりです。
私が聞いたところによれば「不完全性定理」なるものがあって、
完全な論理体系は無いらしいのです。
また、私としてはそのレベルまで深堀しなければ意識のハードプロブレムは解明
されないのではないか、という印象がありますが、いかがでしょうか。

>>653
私としても、すべての数式が「定義」とは思えません。
ただ「定義」というよりも「前提」だったかもしれません。
何故1たす1は2なのか、いずれにしてもじつはそれは「結果」ではなかった
と考えておく方が史実としてリアルのような気がするというおはなしです。

662 :でこすけ:2022/03/18(金) 10:57:13.75 0.net
>>656
私は最近656さんどころかこのスレッド自体をしっかり読めていませんけど、
ゆえに656さんの主張を正しく理解できていないかもしれないわけですが、
一応目下の印象を述べさせていただきますと、
いろいろなところで私の主張と近いかんじがありながら、
しかし決定的に違う感じがするのは「絶対」を認めるか否かです。
そもそも656さんのお考えが完全に「イエス・キリストの論理」に
一致するのかどうかが不明ですが、
その傾向のものは突き詰めていくと「絶対者」的なものに行き着く印象があります。
それに対して私のかんじでは最終的な部分が「からっぽ」のような気がするのです。
例えて言うと、すべては唯一の「A」に起因するというようなものではなく、
「A」は「B」に起因し「B」は「A」に起因する、
つまりすべては相対的に決まってくるイメージです。

それでは何故そういうことになっているのかというと、
たぶん、これは「向こう側」の問題ではなく「こちら側」の問題です。
私たちの認識能力では「絶対」を理解できないということがあると思うのです。
たとえばたぶん厳密に比較することができれば80億の人間は
超微妙な違いとはいえ全員違う世界を見ていると考えます。
まったく同じ色彩の人はいないだろうと察します。
それでは誰が「正解」なのか、
しかし「正解」は無いと思うのです。
これはたとえば造物主がいたとして、
そこで造物主がデザインしたものこそが「正解」なのかというと
それを「正解」とする究極の根拠を私たちには持ち得ない気がするのです。
そもそも「理解」というのがある種の錯覚だと考えているので
限定的に「正解」が成立することはあり得るとは思いますけど、
そこからさらに突き詰めてしまったら取り返しのつかないことになってしまう
ような気がするのです。

663 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:08:36.75 0.net
>>660
私自身が宗教というか「神」という概念に対して抵抗がないため、哲学板の人達のスタンスと調和できなかったかもしれませんね

一応「神の使者」という本はそれなりの論理展開がありますが、全部引用するわけにはいかないので、抵抗を感じられるのは仕方ないですね。

664 :でこすけ:2022/03/18(金) 11:14:18.12 0.net
>>660
このレスで私たちが重たく受け止めるべきなのは
5行目の「一応」だと思います。つまりあくまでも「一応」なのです。
それでは何故「理論的な説明」が必要なのか、
そもそも「理論的な説明」とは何なのか、
どんどん追及するにしてもいずれはどこかで立ち止まることになります。
「思考停止」とは言いづらいですけど、「究極」には至らないわけです。
下手をすると「理論的な説明を信じよ」になってしまいます。
結局は宗教と同じことになる気がするわけです。

…ということは660さんもお考えになったかもしれませんけど
一応ツッコまさせていただきました。恐縮です。

665 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:18:21.99 0.net
ニーチェの著作が思想として読まれるべきものではなく、哲学として
読まれるべきものであるとするなら、エマソンやペソアの著作は、
思想としても、哲学としても読まれるべきものではなく、表現として
読まれるべきものなのだろうと私は思う。その読み方を知らないと、
そのいかにも独特の表現を単に思想や哲学としてうまくまとめて
整理しようとして、何が面白いのかさっぱり分からないということになる。

666 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:25:37.76 0.net
>Ao escrever esta última frase, que para mim exactamente diz o que define,
pensei que seria útil pôr no fim do meu livro, quando o publicar,
abaixo das «Errata» umas «Não-Errata», e dizer:
a frase «a este incerto movimentos», na página tal, é assim mesmo,
com as vozes adjectivas no singular e o substantivo no plural.<

Fernando Pessoa, "Livro do Desassossego"

667 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:26:28.29 0.net
>>662


混沌の第一の法則は、真実は人によって異なるというものです。
この種の原則が皆そうであるように、一人一人は別々であり、他者と自分を分け隔てる一連の異なった思いをもっていると、この法則は主張します。
この原則は幻想には序列があるという信念から派生しています。すなわち、ある種の幻想は他の幻想よりも貴重であり、したがって、真実であるという信念です。
それぞれが自分自身のために序列を確立し、他の人が尊重するものを攻撃することによってそれを真実にします。
そして、そうすることは正当化されます。なぜなら、彼らの価値観は異なっており、それらの価値観をもっている人々は異なっているようであり、したがって敵だからです。


イエス・キリストの「奇跡のコース」からの引用でした

そもそもの混沌とは、自分と他人が分離しているからだということですね。

我々が真に平和になるには、ワンネス以外ないということらしいです。

もちろんこの世界では我々は自分のアイデンティティーを肉体と同一視しがちであり、そう考えると、肉体同士はひとつになれないのでワンネスなんてありえないと思いますが、我々の正体は心であり完全なる抽象なので、ワンネスは可能らしいです。

ちなみにワンネスはこの世界ではなく、天国で達成されるみたいです。

668 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:29:28.40 0.net
>Obedeça à gramática quem não sabe pensar o que sente.
Sirva-se dela quem sabe mandar nas suas expressões.
Conta-se de Sigismundo, Rei de Roma, que tendo, num discurso público,
cometido um erro de gramática, respondeu a quem dele lhe falou,
“Sou Rei de Roma, e acima da gramática”. E a história narra que ficou
sendo conhecido nela como Sigismundo “super-grammaticam”.
Maravilhoso símbolo! Cada homem que sabe dizer o que diz é,
no seu modo, Rei de Roma. O título não é mau, e a alma é ser-se.<

Fernando Pessoa, "Livro do Desassossego"

669 :でこすけ:2022/03/18(金) 11:33:20.72 0.net
>>659
私としては「理性」は「感性」のひとつのように感じます。
おそらく歴史的経緯として「理性」は「感性」から派生したのではないか
という印象を持ちます。
これは「意味の階層構造」的な考え方からの推測です。
個人的には、それでは何故一般に「理性」と「感性」とが相反するものとして
認識されているのか、その過程や構造に重要な何かがある気がします。
ただしこれは私個人の印象に過ぎないものではあります。

670 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 11:43:00.74 0.net
>考える名無しさん

>人称において人格である

>Fernando "Pessoa"

671 :でこすけ:2022/03/18(金) 11:45:28.59 0.net
>>667
私は>>662で「絶対は無い」みたく言ったわけですが
もちろんこれも相対化されるだろうとは思います。
実際私は時計さんや美魔女さんの考え方もアリだと考えているつもりです。
「信仰で理性を包む」みたいな考え方だったと理解しています。

ただ、私個人は彼等の世界観にのめり込んではいけません。
これはたぶん理性系の問題ではなく感性系の問題だと思います。

672 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 15:54:42.51 0.net
相対論からの脱却が最近の京都学派の学術らしい。

673 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 16:28:57.48 0.net
空想に基づいた思考に論理はないので
理論的な説明はできません、なので
思考を膨らませるなり飛躍させるなり
たとえ話に転じることに終始し、論理ではなく
観念にいたるわけです。
「理論的な説明を信じよ」というのも観念です
660でいうところの一応とは
事実の共通了解が伴う理論的な思考です
なので論理的な思考に至る必要性がない
という前提なら、宗教でもなんでも
理論的な説明ができない思考で構わないと
いうことになります。

674 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 17:09:40.07 0.net
>>673
奇跡のコースを引用している者です。

空想に基づいた思考だからといって、その空想に基づいた思考に論理がないとは言えないと思います。

アインシュタインが相対性理論を発表したとき、それは空想に基づいた思考だったと思いますが、論理がないということはない同じです。

後にその相対性理論という空想に基づいた思考が現実に適用できるため、その観念は事実の共通了解になったと思います。

たしかに奇跡のコースのいう「天国」は空想であり、天国が存在するかどうかなんて証明できないですが、形而上学の思考なんだから事実の共通了解が得られないのは仕方ないと思います。

奇跡のコースの形而上学の観念は、空想といわれればそうですが、論理性がないどころか、論理は首尾一貫してると思います。

675 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 17:32:14.79 0.net
>>667の文章で、空想に基づいた思考であるのに、私が断定的に語ったのがいけなかったかもしれません。

あくまで形而上学の思考なので、空想に範囲を超えられないのはその通りだと思います。

676 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 17:38:26.68 0.net
>>674
相対性理論はアインシュタインによって理論的に説明
されているので、空想に基づいた思考ではありません
そもそも論理的思考力に基づいているから
理論足りえるのです。
宗教に事実の共通了解(理論的説明)は要りません
信じるか信じないかは信者の自己決定に
委ねられるので。
論理が首尾一貫していると感じるから
信じるに足ると思えるのでしょう。
宗教はそこに価値があります。

677 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 17:44:32.25 0.net
>>671
たしかにのめりこむのは危険だと思います。

678 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 17:57:29.91 0.net
>>676
なんか聞いた話では、ニュートンの万有引力はいまでこそ事実の共通了解と認められてますが

ニュートンが万有引力を発表したとき、当時の物理学者から「万有引力?有形な物体の作用なしにものごとが動くなんてありえない」みたいな認識だったみたいですよ

現代の私たちやニュートンにおいては理論的説明でも、当時の物理学者には空想だと思われてたと思います。

ガリレオもそうですよね、聖書が”理論的”と認識していた人たちには、ガリレオの理論は”空想”だった思います

アインシュタインの相対性理論もそうだと思います。

現代の私たちには理論的説明だとわかりますが、発表された当時に果たして物理学者は理論的説明と認識していたでしょうか

679 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 18:09:09.28 0.net
>>678は私です

>>676
確かに一般的に宗教と呼ばれているものに、理論的説明は必要ないかもしれません。
信者が信じれば、その宗教は”理論的説明をしている”となると思います

奇跡のコースは、その理論が真実か間違っているかはともかく、理論的説明を大事にしているのです。

こればかりは>>676さんは、私のことある意味盲目的な信者だと思っているかもしれませんので、私が奇跡のコースは理論的だといってもわからないし

>>676さんの言っていることも、それはそれで正しいと思います。

680 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 18:16:32.47 0.net
>>678
論理的思考力は人によって差があるので
いつの時代にも生きている内に理解できる人もいれば
できないまま死んでいく人もいるわけです。
どう認識しているかは真実であって、事実である必然性はないということです。

681 :時計 :2022/03/18(金) 19:51:13.68 0.net
>>640
いますよ。:)

少しバタバタしていますが、皆さんの投稿を楽しく読ませて頂いています。

私事ですが、4月にキリスト教のバプテスマを受けることにしました。
一応、キリスト教徒になります。
キリスト教徒になることに決めたのは合理的な理由からです。

「一応、キリスト教徒」と言ったのは、
仏教と二足のわらじを履こうと考えているからです。
私は、キリスト教の神と仏教の神は同一的だと考えていますし、
(そのことは牧師にも伝えてあります)
浄土真宗の悪人正機説が正しければ、
キリスト教徒という異教徒も救われるでしょう。
そういう意味で合理的なのです。
私は、非開放的な宗教は信じません。

ただ、私は少し異端的なところがあって、
聖書は神的な書であるという教えがありますが、
私は聖書どころかあらゆる書物、事象は神的だと考えています。
だから、一般的なキリスト教徒とは噛み合いつつ噛み合わないというか、
微妙なところにいます。

>>669
私は感性の過大評価には懐疑的です。
私は偉大な芸術は感性ではなく理性によって作られると考えています。
あとは、スキルですね。スキルはもちろん大切です。
感性で作られた芸術は、常識の枠を超えられないように思います。

682 :時計 :2022/03/18(金) 20:08:00.15 0.net
>>681
説明できないことを理性ではなく、感性と呼ぶとして、
説明できないことには色々とありますよね。
道徳的なこととか。
そういう意味で、理性は大事だと考えています。

683 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 20:22:55.87 0.net
久しぶりに個人的に好きな真理とか真実について話題になってるので、
改めて真理論について個人的にまとめてみる。

真理の定義についての立場の分類は
インフレ・デフレ主義とか主観・客観主義とかいろいろあるけど、
ここでは外界と人間精神との関係を基準に分類してみた。

真理的内在主義:
真理概念は、人間の思考・観念のみで構築されたもの(人間の思考・精神内容に還元)
命題の真理条件は、人間の思考・観念の範囲内に収まる。

真理的外在主義:
真理概念は、人間の思考・観念を超越するもの(人間の思考・精神内容に還元不可能)
命題の真理条件は、人間の思考・観念を超越する。

もちろんこれは知識や意味論における内在・外在主義をなぞらえている。
真理対応説は外在主義、合意説や相対主義などは内在主義に当たるだろうか。
ちなみに真理の多元主義があるように、
領域分野により外在・内在主義が分かれる立場もあり得るかな。

ちなみに個人的には、
自然科学・数学的分野での真理は外在主義、
人文社会・倫理的分野での真理は内在主義
となるのが妥当的だと思う。

684 :考える名無しさん:2022/03/18(金) 22:36:15.01 0.net
真理そのものについて語られる存在論的真理と、知性の分析と総合の作用である判断について語られる認識論的真理に分類されます。
真理はこの認識に関する超越的価値なので、知性が目指す超越的対象ということになります。
ゆえに真理の認識は不可能だという考え方が主流です。

仮に真理があると仮定してみると、真理そのもののについて語られるのは存在論的真理、知性の分析との、総合の作用である判断について語られたものを認識論的真理と言います。
経験を超越したアプリオリな超越論的な認識形式によって明証される真理そのものの根拠により分析されなければ、存在論的真理には当たりませんので、哲学的には内在主義、外在主義どちらも認識論的真理にあたるでしょう。

685 :時計 :2022/03/19(土) 05:10:38.70 0.net
私は、実在は、繰り返し確証されたもの、
真理は、確証されるもの、だと考えています。
このように、真理は、実在を抽象化したもの、
そこから派生したもの、だと考えられると思います。
2+3=5は、実在であるか真理であるかは、
微妙な問題だとは思いますが、あまり重要な問題だとは思いません。
敢えて言えば、真理でしょうか。
後は、事物には実在という言葉を使い、
文には真理という言葉を使うという習慣はあるかもしれません。
私には、これら2つの概念は、本質的に
同じようなことを指しているように思えてなりません。

686 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/03/19(土) 06:41:40.89 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=bKn_lz6NoBA
相対性より 物自体。物の理論としては物理はチープで微弱危険。

687 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 08:22:45.06 0.net
物理論。

688 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/03/19(土) 08:41:09.01 0.net
something who's christ maria?聖母マリア伝。のほうがおすすめ。

689 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 11:38:44.73 0.net
>>685
真理はありのまま誤りなく認識されたことのあり方です
なので実在を抽象化した時点で真理ではなくなります
つまり主観によって繰り返し確証されたものは
実在ではなく真実の存在です

690 :時計 :2022/03/19(土) 11:58:35.54 0.net
>>689
実在という概念を抽象化したものが、真理という概念だということです。
どちらでもあまり変わらないかもしれませんが。
私は、実在という概念の中でも抽象度の高いものが
真理という概念なのかなと思っています。
自然科学は実在を扱い、哲学や数学は真理を扱うように。

691 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 12:26:11.20 0.net
>>690
実在の概念とはなんでしょうか、概念化せずに客観的に実在するから実在であって
実在を概念化し、それを更に抽象化したものが真理ではなく真理という概念・・・
真理はありのまま誤りなく認識されたことの「あり方」ですので
主観的な真理の認識や概念と、真理を混同されているのではないでしょうか
哲学も新実在論、素朴実在論など実在を扱いますし

692 :時計 :2022/03/19(土) 12:35:54.57 0.net
>>691
少し混乱してしまいますね。
新実在論で扱うのは、実在という概念の真理性であって、
実在という概念の内側ではないでしょう。

> 真理はありのまま誤りなく認識されたことの「あり方」です
これに関しては、なるほどと、一理あると思いました。
私の考えに寄せますと、ありのままを知ることは確証による、
ということでしょうか。
しかし、このこと自体を真理とすることも魅力的だと思います。

693 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 13:28:31.70 0.net
>>692
哲学者によってどう扱うかは色々なんでしょうね
具体的には知りませんが。
私は物理学者が扱う実在と哲学者が扱う実在を
別の実在とは考えていません。
ありのままは知るというより、客観的な見え方なので
確証でいいかもしれませんが
私としては明証のほうがしっくりきます。

694 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 13:35:36.40 0.net
693の追加です
その概念の真理性の矛先は結局は真理なので
真理性を論じる実在論という概念においては
真理以前の模索なのでしょう。
確かに真理性というのは概念の在り方であって
真理の在り方とはまるで違いますね

695 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 14:35:55.87 0.net
とうとうおっさん匿名で自演かよw

696 :美魔女:2022/03/19(土) 15:08:27.86 0.net
やべえー
昨日 パィナップルしか食べてねえや

697 :時計 :2022/03/19(土) 19:23:41.69 0.net
>>693-694
物理学者の扱う実在はある種の実在であり、
哲学者の扱う実在は実在一般ではないでしょうか。
単純な話だと思いますが。

>>695
695は私ではありません。:)

698 :考える名無しさん:2022/03/19(土) 21:01:35.33 0.net
>>697
そうですね、真理を引き合いに出さず単純に、それもいいと思います。

699 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/19(土) 22:44:31.63 0.net
なんというか。
認識論(煩悩)から離れられてないですよね。
かといって、煩悩がなければ人間ではなくなってしまいますw
究極の無秩序は秩序であり、究極の秩序は無秩序です。
最近のいろいろな実在論は、認識論から離れられていない。
認識論から離れるためには、認識論を究めてしまえばよいw
流通が回復していないので、とりあえず開いている店で、
生ビール・ハイボール。店を変えて生ビール・ハイボール。
さすがに町中華の王道、瓶ビールにはいかなかった。

700 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/19(土) 23:28:47.11 0.net
アイディンティティoperatorを考える。
|0>を|0>に、|1>を|1>にするゲートとすれば、
|0><0| + |1><1| である。
量子とすれば|0>や|1>ではなく、α|0> + β|1> なので、
アイデンティティゲートは 培x><x|であろうか。もちろん|0><0| + |1><1| と等価である。
|α|^2 + |β|^2 = 1 である。
存在確率半径1だ。
この「存在」は、「認識論的存在」あるいは「(認識論から離れた)実在論的存在」である。
認識論と実在論を区別せず、どーでもいいじゃん、と開き直れば、
「量子論的存在」であるw
「粒子」は、常に培x><x|という「世界」を背負っている。

701 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/20(日) 03:01:48.64 0.net
粒子は球面であって、operatorはそれを回転させるにすぎない。
1粒子が、どのようなoperatorであってもユニタリ変換であるかぎり粒子を変化させるわけではない。
粒子は「その」粒子のママだ。
もうひとつ粒子が必要になる。
2つの粒子のテンソル積が回転して、そのテンソル積を2つの粒子に戻す。
これは3つの粒子のひとつの粒子を基準として、残る2つの関係として捉え直したものだ。
operatorは3つの粒子の「関係」である。
この「関係」は、粒子が背負っている「世界」である。
「世界」は変化しない。
粒子は全体を捉えきれないので、局所的な矛盾をひきおこして動的な(意識)世界をつくってしまう。
とすれば、主犯はアイデンティティである。

702 :時計 :2022/03/20(日) 05:32:24.93 0.net
>>698
真理を引き合いに出さないというより、
私の考えは、実在概念は真理より基礎的ではないかということです。
真理はどこからやってくるのかという話ですね。

703 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 07:33:21.08 0.net
>>702
主観主義者は真理を引き合いに出さなくても
「主観からやってくる」以外ないですね
なので真理はどこからやってくるのかの話
ではないはずです
真理は基礎的な実在概念からどうやって主観に
やってくるかの話です
主観主義の実在概念の話なので

704 :時計 :2022/03/20(日) 18:06:53.38 0.net
>>703
私は主観主義者ですが、
真理は実在概念からやってくると思いますよ。
寧ろ、実在概念こそ主観的です。

705 :anonymouse :2022/03/20(日) 18:57:53.82 0.net
実在

われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。

706 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 19:45:59.27 0.net
>>704

そうですね、寧ろ実在概念こそ主観的でしたら、その中で抽象度の高い真理の概念が主観にやってくることになりますね、本当にやってくれば客観的なんですけどね。

707 :時計 :2022/03/20(日) 19:50:07.25 0.net
>>705
私の主観主義では、客観はある種の主観だと考えます。

708 :時計 :2022/03/20(日) 19:52:52.65 0.net
>>706
そうですね。真理という概念は、抽象度は高いと思います。

709 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 20:14:42.34 0.net
>>708
抽象度の高い真理を客観的に概念化できると思いますか?

710 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 20:26:50.90 0.net
どういう種なのか、ある種の客観を主観を説明できない内は、主観の域を出ませんよね。

711 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 20:30:49.61 0.net
どういう種なのか、ある種の客観を説明できない内は、主観の域を出ませんよね。
訂正

712 :時計 :2022/03/20(日) 20:34:49.57 0.net
>>711
実在を客観する主観ということです。

713 :時計 :2022/03/20(日) 20:35:57.94 0.net
>>709
真理は客観にも主観にもあると思います。

714 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 20:45:18.72 0.net
>>712
> それは実在概念とどう違うのでしょうか

715 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 20:48:31.46 0.net
>>713
思っているのは主観ですので客観にもある主観的根拠がないと「客観にもある」かはわかりませんよね。

716 :時計 :2022/03/20(日) 21:01:25.81 0.net
>>714
違いはないかな。

>>715
客観的真理は、単純に重力とか、物理的真理などです。

717 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 21:09:12.49 0.net
>>716
なるほど、わかりました。

718 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/20(日) 21:15:47.49 0.net
うーん。主観的真理ですよねぇ。
共同幻想としての主観的客観。
体系内での客観的真理を完全かつ無矛盾には定義できない。
体系外に主観(あるいは公理)が必要。
ということは、(体系外の)公理こそが「主観」であるとw

719 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/20(日) 21:30:19.37 0.net
そう考えると、真理とか実在とか(公理とか)、
みんなで(いまだ存在しない)一般不完全性定理の周辺をさまよっている。
遭難しないようにね。

720 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/20(日) 22:25:48.41 0.net
行列計算だと右から左に流れるので、とりあえず左から右に流れるように書き方を変える。
まず、なにがしかの(仮想)粒子(量子)をxとする。
x -> U -> x'
xがユニタリ変換Uによってx'に変換される。
だが、x側の基準はx'側の基準と同一ではないし、そもそも基準が与えられていない。
方法としては、基準となる粒子を合わせて変換してから基準を分離する。
これは(ゲート型)量子コンピュータの標準的なやりかただ。
ゲートを通ったという情報は量子キックバックとして現れる。
Uの左から右へ変換して、さらに右から左に戻すとx''は、とりあえずはx側の世界で
基準を共有できるが、それは幻想であるw
幻想としての並進対称性が現れる。

721 :考える名無しさん:2022/03/20(日) 22:29:05.01 0.net
主観主義は、主観をさ迷う運命ですから

722 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/20(日) 23:35:35.61 0.net
さまよえるオランダ人か。
永遠に港に入れない。
さてどうすべきか。
といえば、ファインマン流にやるべきかもしれない。経路積分か。
とすればすべての主観を集めて合成して確率分布を引き出す。
真理もまた、存在確率であると。

723 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/21(月) 01:53:30.82 0.net
量子キックバックじゃねーや、位相キックバックだ。
まあ、量子位相だけど。

724 :時計 :2022/03/21(月) 04:33:29.61 0.net
>>718-719
>>721
主観というより、客観が問題なのかなと思いますけど。
私は、客観の本質は「繰り返すこと」だと思っています。
それは、真理にも通じる考えで、彷徨う原因でもあるかなと。

725 :でこすけ:2022/03/21(月) 08:48:29.15 0.net
>>705
ここで「われわれ」というのは人間限定が暗黙の前提でしょうけど
私としては人間限定に意味はあるのか疑問に思います。
突き詰めていくと最後のところがよくわからなくなって、
「世界は客観的に存在する」みたいなことを少なくとも断言はできなくなる
気がするのです。

726 :でこすけ:2022/03/21(月) 09:09:57.12 0.net
>>725
たとえば「われわれ」に含まれ得るものを限りなくひろげていくと
最後にはこの世界に存在するもののすべてとかになってしまって
つまりそれを取り除いたら何も残らなくなってしまうかんじです。

727 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 09:24:35.86 0.net
>>724
客観の本質は理論の有無かと
理論を繋げるには試行錯誤を繰り返す必要がありますが
ただ繰り返しても固定概念になるだけでしょうし

728 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 11:31:58.73 0.net
単純な疑問と質問

>>685
「実在は繰り返し確証されたもの」、「真理は確証されるもの」との定義では実在が現在完了形であるのに対して、真理は単なる現在形
受動態になっているのは「主観によって」が省略されているからだと思うので、それは横に置いておく
「実在は繰り返し確証されたもの」とあるが、「確証された」状態に至る前に、対象として「何か」があったはずである
「何か」があり、その内の「繰り返し確証されたもの」が「実在」ということだが、その「何か」とは何か
これが第一の疑問
加えて上記定義を踏まえて「真理は実在を抽象化したもの」とされる
「真理は確証されるもの」においては真理は「対象」として単なる現在形で定義されているのに「実在を抽象化した」では「対象」というより「操作の産物」とされている
これが第二の疑問

>>690
「実在という概念を抽象化したものが、真理という概念だということです」、「実在という概念の中でも抽象度の高いものが真理という概念」とあるが「真理は実在を抽象化したもの」ともある
「実在」と「実在という概念」、「真理」と「真理という概念」は特に区別していないということでいいですよね
これが第一の質問

>>724
「客観の本質は「繰り返すこと」だと思っています」とあるが「実在は繰り返し確証されたもの」ともあるので客観=実在と考えていますか
これが第二の質問

729 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 12:15:15.53 0.net
>>728
読解するに、第一の疑問は確証するための主観的概念自体ってことじゃないかな、第二の疑問は確証されるものであって、まだ確証しているわけではないことのメタファーでしょうか。
「実在を抽象化」は、実在概念の抽象度を揚げる操作を繰り返すことで確証されて産物(真理)がやってくるという考えからきているのかな。
実在と実在概念を同じに扱ってるように、単純に言葉の意味と客観的な概念のラグを埋めるプロット不足のように見受けられます。

730 :美魔女:2022/03/21(月) 12:46:04.19 0.net
二つのサイコロを同時に投げるとき両方とも同じ目が出る確率は?

出た目の和が4以下になる確率は?

731 :時計 :2022/03/21(月) 14:15:49.62 0.net
>>728
>第一の疑問
現在完了形と現在形の違いはフィーリングです。すみません。:)
確証される以前は感覚です。クオリアと言ってもいいと思います。

>第二の疑問
ここでの実在は、実在概念のことです。
真理は実在概念より高級だということです。

>第一の質問
そうですね。フィーリングで省略しています。:)
同じものというか省略です。

>第二の質問
客観は実在を観ることのように考えています。

732 :時計 :2022/03/21(月) 14:20:36.73 0.net
>>729
真理という概念は、経験的には、実在という概念より
高級的で、後から生まれる、ということが言いたかったことです。

733 :時計 :2022/03/21(月) 14:22:42.73 0.net
>>730
1つ目の答えは1/6かな。
2つ目の答えは、
1 1
1 2
1 3
2 1
2 2
3 1
と6つあるから、1/6かな。

734 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 17:44:10.82 0.net
真理は実在論的概念だよ

735 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 17:47:05.40 0.net
物理学的概念のほうがふさわしいんじゃ

736 :考える名無しさん:2022/03/21(月) 20:48:04.46 0.net
>>725
じゃあ生物限定というのはどうだろうか?
一応DNAとタンパク質膜を持ったウイルスまでの限定で。
もしそれらが全くいない時代から、そして今後いなくなっても
現実世界はそのまま明確に存在するとしか考えられないだろう。

なぜなら現実世界があってそこからDNAやタンパク質が発生したのだから。
もっとも生物ではない宇宙意識などが現実世界にDNAやタンパク質を作ったと
いうのならまだわかるのだが。
まあ少なくとも生物が現実世界を作ったというのは
壮大な魔法みたいで滑稽に感じるなぁ。

737 :時計 :2022/03/22(火) 06:57:31.74 0.net
>>734
色という概念は、赤という概念より、後に来るが、基本的である。
真理と実在の概念に関しても、同じようなことは言えるかと思います。

738 :考える名無しさん:2022/03/22(火) 07:00:52.99 0.net
あたりまえですよ

739 :時計 :2022/03/22(火) 15:54:49.13 0.net
>>738
当たり前のことを考えてみることも時には必要では?

740 :考える名無しさん:2022/03/22(火) 17:13:42.53 0.net
『唯物論者の想定によれば、ひとが想起したり想像したりする対象が
必ずしも物質的ではないとしても、その想起や想像がそれ自体は
脳のなんらかの状態であり、したがって物質的である。
しかこれはとても奇妙な想定です。
たとえば、この想定によると、物質的なものであるはずの脳の状態が、
それでも想像という形で物質的でない対象に関わることがありうる
ことになります。
これをどう説明するのでしょうか。

唯物論者は、物質的な状態だけが存在する」という考えが想像でない
ことを、どこから知るのでしょうか。唯物論者は自らの思考対象
となっている物質的な状態がけっして想像でないこと、むしろ現実に
物質的であることを、どうすれば確かめられるのでしょうか。』

「なぜ世界は存在しないのか」の引用だけど
この奇妙な疑問を解くのが哲学者の仕事なんじゃないの?
開き直ってどうするのって笑ってしまった。
マルクスに存在しない世界にも文句は存在ガブリエルだね

741 :考える名無しさん:2022/03/22(火) 19:04:18.95 0.net
>>737
それは何故だ?

742 :時計 :2022/03/23(水) 07:15:54.93 0.net
>>741
私には、人間が、真理という概念を獲得するのは、
比較的後の方だと思われるからです。
非常に基本的な概念にも関わらずね。

743 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 07:55:32.23 0.net
>>736
それは、比よりも先に数が、つまり、数える単位としての1が先に
存在すると考えるのと同様の錯覚ですよ

744 :でこすけ:2022/03/23(水) 11:11:07.21 0.net
>>672
私は相対性からのがれることはできないと思うし、のがれる必要もない、
むしろその方が解りやすい気がしますけど、
どのような流れでそういうことになるのでしょうか、
裏を返すとどこかに絶対的なものがあるということですけど

私には「我思う故に我有り」でさえ絶対ではないように思えます。
この命題が正しいためにはじつは自分の判断力が正しいことが暗黙の前提になっていて、
そしてその保証は無い気がするのです
(あくまでも「考えている何か」が本当に存在しているのか否かは究極的には
 わからないということであって、
 そのようなものは本当は存在していないと言っているわけではありません)。

745 :でこすけ:2022/03/23(水) 11:43:13.53 0.net
>>681
キリスト教では「洗礼おめでとう」とか「コングラッチュレーション」とか
言ったりするのでしょうか、
祝辞というのは何だか違和感がある気もしますけど
遅ればせながら一般的なご挨拶です。
ちなみに次の動画は>>681を読んで思い出したものです。
https://m.youtube.com/watch?v=1huw5izCz7g
私個人はじつは複雑な思いがいたします。

ところで失礼に当たるかもしれませんが
個人的には「仏教と二足のわらじ」というのは意外な気がします。
そもそもバプテスマというのが意外でしたが、
一方で下世話かもしれませんけど時計さんが想定している仏教がどのようなものなのか、
なにしろ一口に仏教と言ってもいろいろありますし、
ただ一般に個人の信仰の詳細については失礼にあたる
ということもあるようなので差し支えがなければでいいのですが、
そのあたりをうかがってみたい気持ちがあります。
いかがでしょうか。
 

746 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 11:47:00.53 0.net
ブッダやキリストなんて昔だけど。割と大柄で。
若い師や弟子のほうがいいじゃん。丁度な。

747 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 11:48:11.33 0.net
女性にとってはという意味ね。

748 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 11:49:19.80 0.net
男性にとっては古けりゃ古いほどいいと思います。

749 :でこすけ:2022/03/23(水) 12:04:22.08 0.net
>>746
ブッダやキリストは本当はけっこうすばしっこかったんじゃないか
という気がしていましたけど、大柄だったとは思いませんでした。
大柄の割にすばしっこかったということでしょうか。
早口だった気もします。

750 :でこすけ:2022/03/23(水) 12:37:35.98 0.net
>>676
私の理解するところによれば、特殊相対性理論は光速度不変の原理という
1905年の時点では仮説(空想)に基づくものです。
光速度不変の原理は本によってはいわゆるMM実験で証明された
ということになっていますが、
光源と観測者とが同じ慣性系にあるこの実験では
アインシュタインも指摘しているように
光速度不変の原理の十分な証明にはなっていないはずです。
そもそもアインシュタインは光速度不変の原理については今後に証明
みたいなことを言っていたと思いましたが、
私個人の知る限りでは厳密な検証がされていない印象があります。
たとえばノーベル賞とか貰ってもよさそうなものですけど
とりあえず私がチェックしたリストにはそれ的なものは見つかりませんでした。

という話は以前にも投稿したことですけど
私が言いたいのは月並みながら常識を疑おうということです。
むしろ日本人は進化論などでもそうだったようですけど
舶来を無条件に受け入れすぎ、
ただ自分ではそういう思い込みというのはなかなか分からないものでもあります。
私自身にしても頓珍漢なことがないはずはないとも思っているつもりです。

751 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:50:49.60 0.net
ムハンマド イスラムの方が 小兵です 密教柔術みたいな。
それも結構昔ですよ。

752 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:51:11.21 0.net
ある程度は日焼けしてるんじゃないか。

753 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:52:06.76 0.net
のようなサンプルからいろいろ選べますよ。宗派人物。興した人は余力がない。

754 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:52:37.53 0.net
ユダヤ教っていうと昔になります。若い血統の女性は敬遠した方が。

755 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:53:59.84 0.net
ユダヤ教などは虐殺されるべきで。異分子はね。そこまで今回は見分けるといい。
年下女性生物を殺す宗派ともいえぬもの。

756 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 12:54:42.76 0.net
宗教教育の一環でとはない。邪宗は。

757 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 13:09:22.46 0.net
>>744
逆に、相対性から逃れる必要がないのは
比較することで唯心的、主観的、観念的に
受け入れやすい納得感、心理的な影響に
依存する前提があるからではないでしょうか。

我思う故に我有りが自己同一性の相対化
だとして、
自己同一性が絶対的根拠になっている
かはわかりませんが、少なくとも
自己同一性という絶対的な概念があるから
我思う故に我有りは、受け入れられやすい。

究極的にわからない存在はわかるまで
存在しませんので、
そこでわからないとあきらめ、
程々で納得するか、知的に考え得る
論理的結論がでるまで
理論的に考え抜くか。
哲学が相対論からの脱却を試みようとするは
後者だからということではないでしょうか。

758 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:15:55.49 0.net
悪霊に食われて死んだら哲学史にいない。誰かの心や体に宿るだけ。精神とでもいうのか。

759 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:16:20.05 0.net
それが次々と永遠の命じゃないのか。

760 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:16:37.79 0.net
だからデカルトは詰まらない。

761 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:17:28.56 0.net
悪魔憑きの魔女を火あぶりとか焼肉屋の方が哲学者。

762 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:18:07.79 0.net
特上魔女や魔獣カルビロースとかさ。

763 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:18:42.74 0.net
そういう意味でのカントの魔女とか魔女裁判。

764 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:19:04.38 0.net
まあ最強なら確実に功徳あるでしょう。

765 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:19:41.10 0.net
そういう意味で学歴のようなところも権謀術数策略恵まれてる。

766 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:20:30.03 0.net
例えば表彰台のメダルの首つり落とし穴とか。

767 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:21:12.63 0.net
それで哄笑とかって意味も分からんか?

768 :学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:21:56.16 0.net
バタイユやニーチェヘーゲル。その中でだれかとか。

769 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:22:55.92 0.net
頂点も価値無い策略に過ぎないさ。呵々。

770 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 13:43:22.19 0.net
>>676
私の常識では現実にはありそうにもないことを
あれこれ頭の中で想像した仮説が空想に基づく
空論です。
特殊相対性理論は高速度不変の原理を仮定して
1905年の時点でアインシュタインによって
理性的に考えられた理論(知識体系)です。

771 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 13:46:21.65 0.net
高速度×
光速度〇

772 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:46:35.44 0.net
アインシュタインよりかに味噌。

773 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 13:49:52.03 0.net
ついでにアンカも間違えてました770は750へのコメです

774 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:52:20.66 0.net
むしろリアリストの悪の魔王の方がカモれる。純哲な狂気の善の魔神からすれば。

775 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:53:36.26 0.net
後者の方が寡数じゃないか。寡占独占独裁。

776 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:54:23.15 0.net
レア数じゃろ?

777 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 13:55:26.87 0.net
魔王の暗黒炎でも魔神が光を冷却して集めるとどうかね。

778 :でこすけ:2022/03/23(水) 14:11:08.34 0.net
>>736
おそれいります。
まず「現実世界」のイメージが私とは違っている印象があります。
たとえば私たちにとって真っ黒いカラスは、
カラス同士だとカラフルに見えているという説があります。
この場合は人間とカラスとどちらが見ている姿がカラスの本当の姿なのか、
あるいは昆虫は視覚の構造的に人間が見ている世界とは違う世界を見ている
らしいという説があって、あるいは私一人でも眼鏡をかけているときと
かけていないときで見え方が違ってきますから、
ひとりひとり角膜だか水晶体だかが違えば云々ということも考えられます。
みんな違う世界を体験している、
そこで相変わらずの「正解はあるのか」というお話です。
あるいは人類よりも高等な生物には物質と精神との他に第三の実体を認識しているかもしれませんし、
さらには空間と時間との他に第三の宇宙軸(?)をもっている可能性も無いことはないかもしれません。
少なくとも「現実世界」はそれぞれにそれぞれの能力相応のものとして
現れます(あるいは想定し得る「現実世界」は個々の『主観』の総体です)。
そしてそのようにして現れるメカニズムは「現実世界」の実在の一択ではない
ように考えられます。
精神的実体が情報を交換(無意識レベルから)するだけでも
つまり精神的実体以外の実体が客観的に存在しなかったとしても
個々がそれらしき体験をすることはあり得るのではないかと考えます
(私も生物だけでは無理だと思います)。
とりあえず、現実世界的なものが客観的に存在するとするのであれば
それを論証する必要があるように思います
(そしてたいていの人はそこで詰まってしまうようです何を意味するのでしょうか)。

779 :でこすけ:2022/03/23(水) 14:31:10.65 0.net
>>757
私の主張を体系的に理解していただく必要はないのですが
私としては「我思我有」を正しいと仮定するところから始めよう
(絶対に正しいことではないのが前提です)、
となるとそれは解釈にすぎないということにもなるわけですが
しかしみんなで共通理解に至ればそれでいいじゃないか、ということです。

一方で私は「色即是空」私は存在しないということが真理であり得るとも考えます。
これは個人的体験に基づく考えです。
もちろんそれを真理とするのは私だけではありません。
私は存在する、と同時に存在しない、ということも「実際に」あったのです。
しかしここでそんなことを言ってもあまり意味はありません。
共通理解は得られないと考えるためです。
ただ、私は意識のハードプロブレムというのはようするに存在論だと考えますが、
最終的な世界像は「私は存在する」と「私は存在しない」とが両立し得るもの
でなくてはならないと考えます。

780 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 15:01:50.57 0.net
両方持ってたらどうする?裏金と勝負は積んどくもん。

781 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 15:02:23.19 0.net
詰んどく面と。

782 :でこすけ:2022/03/23(水) 15:02:41.45 0.net
>>770
私の理解では光速度不変の原理は普通の人にとっては
「現実にはありそうもないこと」だということ、
私は座標変換の導出は岩波文庫のアインシュタインのものも含めていくつか
みましたけど、どれにも飛躍(誤謬?)があるように感じたということ
(一方向の相対速度を全方向に適応できるというのは根拠が無い
 少なくとも観測をするべきだと思います)、
そもそも三次元という考え方に意味がなく l’=al t’=bt でいいのであって、
そしてl’とt’とを計測してからaとbとを割り出すのが順番だと思います。
理屈ではこうだ、ということではなく、観測事実をもとに変化率を割り出すべきだと考えるのです。
しかし噂によればスカイツリーの上と下とで時計に誤差が生じたというのが今のレベルであって
厳密な計測が行われている印象がありません。
加速器のはなしもGPSのはなしもイマイチ曖昧です。
私には特殊相対性理論が間違っているとは断言できませんが
メディアで見た限りでは鵜呑みにできない印象を持つ、
しかしところで一方では大衆は疑いもせずにワクチンを打ちます。
一般メディアでは報道されなかったようでしたけど
武田邦彦氏によると百名以上の医師が連名で反対したとのことです。
このようなことが相対性理論で済めばいいですが
権威を信じて無条件に受け入れるのは怖いことにつながり得ると思うのです。

783 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/23(水) 15:03:51.80 0.net
勝負師みたいのが戦列に復帰するって意味でも。

784 :でこすけ:2022/03/23(水) 15:18:10.50 0.net
>>740
「そのような疑問はそもそも存在しない、何故なら唯物論は間違っているから」
というふうに私には読めますが、いかがでしょうか。
ただし彼が正しいのかどうかはまた別です。

785 :でこすけ:2022/03/23(水) 15:34:23.08 0.net
私の同僚が悪玉コレステロールでこのままだったら死ぬとか医者に脅かされた
らしいけど
日本はこのまま行ったらヤバいと思います。誰も戦わない。そもそも疑わない。

786 :でこすけ:2022/03/23(水) 15:36:26.94 0.net
しかし私はそれが自然だとも思います。
滅びるべきものが滅びなければ次が生まれて来れないからです。

787 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 16:08:01.42 0.net
>>782
光速度不変の原理を知る必要がないなら
疑う必要もないのではないかと。
そもそも私は光速度不変の原理とか
物理学の特殊相対性理論について
考えたこともなかったりします。

788 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 16:11:46.49 0.net
>>784
どうなんでしょうね、本人はわからないそうです。
何度も「どうやって知るのだ!」と言っていましたので。

789 :時計 :2022/03/23(水) 16:48:09.14 0.net
>>745
その時は牧師と2人でしたが、おめでとうというより、よかったねというような感じでした。それはそうですよね。キリストを信じる者は永遠の生命を与えられるのですから。

信仰の道は1人の道だと考えています。2足のわらじを履いていても歩くのは私です。キリスト教と仏教(浄土真宗)の共通点は他力本願かなと思ったり。

ちなみに、私はプロテスタントですから、教皇はただの凄い人です。

790 :時計 :2022/03/23(水) 17:04:19.11 0.net
>>740
反語的な疑問文かなと思いました。

791 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 17:06:59.01 0.net
>>742
今はもう動かないその時計w

792 :時計 :2022/03/23(水) 17:08:48.19 0.net
特殊相対性理論に関して、エーテルが延びたり縮んだりしたら、光速度不変になりそうだけど、間違いなく穴のある考えだと思う。

793 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 17:09:33.14 0.net
>>785
医者の言うことは信じるのかw
あんなの現場は特にただの作業員だぞw

794 :時計 :2022/03/23(水) 17:10:54.00 0.net
>>792
素人だからね。

795 :時計 :2022/03/23(水) 17:11:47.68 0.net
>>791
まだまだ現役です……

796 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 17:13:28.70 0.net
>>795
じゃあそのコメントの真理を求めよw

797 :時計 :2022/03/23(水) 17:17:10.72 0.net
>>796
コメントの真理って何のこと?

798 :時計 :2022/03/23(水) 17:32:05.69 0.net
唐突だが、真理とは金太郎飴みたいなものかもと思う。どこを切っても同じ。

799 :時計 :2022/03/23(水) 17:36:05.98 0.net
>>792
地上の場合、地球がエーテルを引きずると光速度不変になるかなと思ったり。素人意見。

800 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 17:47:41.93 0.net
>>779
> 私の主張を体系的に理解していただく必要はないのですが

恐縮です。

> 私としては「我思我有」を正しいと仮定するところから始めよう
> (絶対に正しいことではないのが前提です)、
> となるとそれは解釈にすぎないということにもなるわけですが
> しかしみんなで共通理解に至ればそれでいいじゃないか、ということです。

仮想現実では、みんなで共通理解に至ればそれでいいじゃないかということになるんでしょうな
個々の「私」が各々色即是空で納得できる解釈をして、正しいと思えた認識だけあれば「みんなが仮定を共通理解」したことになるからね。

現実にみんなで共通理解に至るには、みんなに共通する理論、知識がなければ「みんなで正しく本当に共通理解」したことにはならないけどな。
哲学的には色即是空で解釈された、てんでバラバラな理解に基づく我思我有の真実じゃなく、みんなに共通する理論に基づいた我思我有でなければ真理とは到底言えないな、どこを切っても同じ金太郎飴じゃないと。
意識のハードプロブレムは「私は存在する」と「私は存在しない」とが両立し得る解釈ごときで太刀打ちできる存在じゃないのは言うまでもない、両立し得る「もの」即ち「理論」がものをいう。

801 :でこすけ:2022/03/23(水) 18:36:24.31 0.net
>>789
私はそのふたつの共通点としては「救済」という表現の方がイメージ的にはしっくりきます。
このときじつは「救済されること」ではなくて「救済すること」がポイントになります。
これは“みんな”とは言いませんけど“あるポジションの人たち”にとっては
その方がよろこびが大きいようだという印象がもとになっています。
もちろん一歩間違えると余計なお世話になりますけど、
そのメカニズムは存在論的にフォローしておきたい気持ちがあるところです。

802 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 18:54:47.19 0.net
>>794
素人だなw

803 :でこすけ:2022/03/23(水) 19:30:11.99 0.net
>>800
私は本当に正しい知識の共有は現実的には無理だと思っています。
たとえば量子論は、その中身を正しく理解している人の方が少数派だと思うし
私だってそういう意味ではあやしいところです。
ですから私は哲学を味方を増やすゲームだと考えています。
つまり私に勝ち目はありません。
しかし正しいことを主張すれば必ず勝てるというものではない
とも思っています。

なお意識のハードプロブレムの答えと色即是空の意味とでは
前者の方が理解しやすいものではあるだろうと考えます。
前者は一般的な論理で理解できるものだと思いますが
後者は普通とは異なる論理に基づくと考えられるためです。
ここでは論理というのも相対的なものに過ぎない
というのが基本になっています。

804 :時計 :2022/03/23(水) 19:53:03.69 0.net
>>801
一般的なキリスト教では、救済するのは神のみだと
考えられていると思いますが……
キリスト教には、(キリストの)弟子を増やせという教えがあって、
それがキリスト教が大きくなった理由の1つかなと思います。

>>802
まあね。

805 :でこすけ:2022/03/23(水) 20:29:42.79 0.net
>>799
私が光速度不変の原理に懐疑的なのは
「速度(距離÷時間)」という人間がつくった普遍的とは思えない概念が
時間と空間とを歪めてまで維持されるものだとは感じられないためです
(たとえ神がいたとすれば「速度」をどう考えるでしょうか、
 「速度」は創造主にとって重要な概念でしょうか)。
しかも何故か真空中が基本になっています。
それが観測者の状況によって時空が伸び縮みするという事実がまずあって
よく調べてみたら光の速度が云々という順番ならともかく、
物体の運動速度が光の速度を追い越すことはあり得ないという
根拠の無い子供の思いつきから始まったというところでますます怪しく感じます。
観測者が光を追い越してしまうと時計が逆回転してしまうからそれはおかしい
というじつは本質的な支障のないことです。
しかし問題は、子供の発想に大人が振り回されているように見える
ということです(本当に振り回されているのかどうかは不明)。
ただしこれは日本だけかもしれません。
海外では相対性理論は賛否両論あった印象があります。

806 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 20:35:36.60 0.net
>>803
確かになにをもって正しい知識なのか知っている人間がいないだろうし、量子論が何を意味する存在か当の学者もそんな知識持ち合わせていないだろうな

論理的に色即是空と相対する意識のハードプロブレムの答え、つまり相対的な言語ゲームの答えには正直興味ないな、まぁ言語ゲームの見方になんの価値があって欲しがっているのか、なんのつもりでそれを告白しているのかもまったく意味不明だから「そうなのか」としかいいようがない。

807 :でこすけ:2022/03/23(水) 20:44:40.46 0.net
>>804
時計さんが誰かを神に導いて
そしてその誰かが神によってでも救われることになれば
そのときは時計さんも悪い気はしないと思います。
たぶんその感覚が「組織」を支えてきたのではないかと空想します。
「組織」と言ったら何だか印象が悪いですけど
ようするにコミュニティが強化される的な意味です。
私は高卒ブルーカラーであちこちの職場を転々としたクチですが
どこへ行っても面倒見がいい人というのはいるものです。
そういう人が全体を支えているのだろうと考えるのですが、
そういう立場には相応のやりがいがあるのだろうとも思うのです。

808 :736:2022/03/23(水) 21:08:18.33 0.net
>>778
それなら「現実世界」のイメージや定義が自分とこすけさんとでは違うだろうな。
多分でこすけさんのは個人の意識が認識している世界のことだろうが、
自分のは人間や生物(の意識)が存在している「場」としての世界のことだからね。
そりゃ現実世界の定義が違えば、それの存在云々で
意見が分かれても無理もないわけだなぁ。

ただ、少なくとも人間や生物が存在する世界(あるいは「場」)は
不可知ではあっても何らかの形で存在するとしか考えられないかな。

>相変わらずの「正解はあるのか」
人間などにとっては現実世界の正体は「不可知」ではあるでしょうかね。

>精神的実体以外の実体が客観的に存在しなかったとしても
 個々がそれらしき体験をすることはあり得る
宇宙精神とか神的存在ならむしろそれらが現実世界を作るというのはあり得るだろう。
ただ、自分は人間レベルの精神が現実世界を作ったという考えが
滑稽だと言ったつもりかな。

809 :でこすけ:2022/03/23(水) 21:14:42.22 0.net
>>806
>相対的な言語ゲームの答えには正直興味ない
たとえば映画『マトリックス』の中で「今食っているステーキも仮想現実
と思えば味気ない」みたいなシーンがありましたけど、
私が思うに、たぶん真実を知ってしまったらすべてが空虚になります。
806さんのリアクションは真っ当だと思います。
であるにも関わらず私が「世界の構造」的なものにこだわるのは
たぶん幼少期の体験的なものにさかのぼる気がします。
私は死ぬまでに本当のことを知りたいという謎の願望をもってさえいますが
これは学生の頃からでした。
じつはその答えは当初のイメージとはまったく違うものになる見通しですが
まあ、ちょっと面白いからいいや、というかんじです。
いずれにしてもアホなことだという自覚はあるつもりです。

ただ、私が問題にしているのは世界の構造です。
それは意識、物質、生命、自然法則、形而上等々すべてが整合する
(ような気がする)世界観の構築です。
この流れの中ではもちろん私の意識もサンプルのひとつであり、
説明されるべき対象です。
じつは真実を知ったら味気なくなるその構造も視野に入れなければなりません。
いよいよアホです。

810 :でこすけ:2022/03/23(水) 21:32:53.46 0.net
>>808
>不可知ではあっても何らかの形で存在するとしか考えられない
私も以前はそう思っていました。
しかしどうもそれは錯覚のような気がしてきたのです。
何らかの「場」が機能しているのは間違いないとは思いますが
それが存在ではない可能性もある(大いに)と考えたのです。
とりあえず意識の外側に世界が存在している証拠が見当たりません。
そこでお気づきのことがありましたら是非意見を寄せていただきたいのです。
いかがでしょうか。

なお、私も一応私が体験していることのすべてが私の妄想的なものだとは考えていません。
地球が誕生する前から宇宙はあったとも認識しています。
ただ真相はイメージとは違うものの可能性が高い気がするのです。

811 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 22:33:26.77 0.net
>>806
だから論理のおかしいやつはとりあえず叩いていいぞw

812 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 23:26:37.72 0.net
>>809
まぁ、相対的な解釈で構築する、ちょっとした面白さで整合させた味気ない空虚な世界観こそ紛れもなく「世界の構造」ってことじゃないか、現実を構築するサンプルに過ぎないが真実には違いない。
そのサンプルの面白味に一層磨きをかけて理想的に整合する、楽しい世界の構造を作り上げることに拘り続ければいいんじゃないか。

813 :考える名無しさん:2022/03/23(水) 23:29:27.43 0.net
>>811
味方を増やしたいそうだ、叩いちゃだめだろ

814 :でこすけ:2022/03/24(木) 00:21:11.26 0.net
>>812
斜め上的な話で恐縮ですけど
たとえばサッカーはボールを蹴飛ばすだけのものかもしれないのに
何故面白かったり感動したりするのでしょう。
サッカーの醍醐味はボールではないところにある気がするのです。
哲学の醍醐味も知識とは違うところにあると私は考えています。

なお私は「世界の構造」とか言いましたけど、とにかくあくまでも解釈です。

>>813
私としてはむしろどんどん叩いていただきたいのです。
哲学は叩かれて鍛えられるものです。
淘汰されてしまったらそれまでのものだと思っています。
正しいかどうかを決めるのは私ではなく、かと言って誰かでもなく、
たぶん歴史とか時代とか、そういうものだと考えています。

815 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 02:17:03.41 0.net
>>814
人間は赤という概念の前に色という概念が来てるとは思わんかアホw

816 :でこすけ:2022/03/24(木) 06:58:37.54 0.net
>>815
人間は普通、先に「ママ」とか「パパ」とかを覚えてから「親」を覚えるはずです。
色付近で言うと「感覚」「色」「赤」「朱鷺色」のような階層がありますが、
どこから覚えるのかというとおそらく個人差がありつつも、
たぶん「赤」が多数派のような気がします。
ただし統計を取ったわけではありませんから実際がどうかはわかりません。

817 :時計 :2022/03/24(木) 07:18:32.57 0.net
>>815
ま、あり得るが。

>>816
私が言葉に発したのは、「あか」や「みどり」が先だったようです。
言葉に発した=概念化ではありませんが、傍証にはなるかもしれません。

818 :時計 :2022/03/24(木) 07:25:21.99 0.net
>>807
なるほど。間接的には、人は人を救うことはあり得ますね。
面倒見のいい人は巡り合わせかな。
私はあまり合わないかもしれません。

819 :でこすけ:2022/03/24(木) 07:42:27.49 0.net
>>817
親にしてみれば、たぶん「色」よりも先に「あか」とか「みどり」とかを教える
のが普通だと思うわけです。
子供は「あか」とか「みどり」とか「しろ」とか「くろ」とかを覚えていって
やがてそれ等が「色」だということを学ぶ(概念化する)気がします。

すると何故親は「色」よりも先に「あか」を教えるのか、

一方で抽象的な「赤」は多分無いというか、
みんなが「赤」と言って連想するのはたぶん日本国旗の赤だと思いますが
具体的に身の回りにあるのは「朱色」「紅色」「桃色」「桜色」などなどで
その背後に「赤」を見出すというプロセスも想定されます。
つまり何故親は「色」でも「桜色」でもなく「あか」を先に教えるのか、

この問題のずーっと先にはじつは世界が誕生するプロセスがあるのではないか
という気さえしてしまうところです。唯心論の私としては。

820 :でこすけ:2022/03/24(木) 08:02:35.75 0.net
>>818
面倒見のいい人というのは一歩間違えると面倒な奴になります。
極端な例がマウントを取ってくるおせっかいババアですが
それでいてこのタイプはどこにでもいます。
このタイプはじつはようするに寂しい女なので
要所を押さえさえすればある程度コントロール可能のように思えます。
人間はけっこうおせっかいをしたがっているものだと思います。
それはたぶん自分の居場所が欲しいということだと思います。

821 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 08:06:45.22 0.net
自然淘汰は自分の燃料(本能)で勝負できる動物を生かすんじゃなかったか?人間に進化して、知恵を身に付けた者は自分のゲームを楽しみ、解釈を身に付けた者は、擬似的に人生ゲームを楽しんだり、人のゲームを観戦して感動するものなんじゃないか。

822 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 09:12:03.57 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=wxqn2wpT8mw&t=34s
女子柔道【JUDO】

823 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 10:11:21.59 0.net
>>816
やっぱりお前はアホだなw
色の違いを見極めるのが先だw

824 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 10:20:14.18 0.net
お父ちゃんお母ちゃんの言うこととおまえの記憶と判断が正しいならこんなスレに来ないでお父ちゃんとお母ちゃんに唯心論のことでも聞けよw

825 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 10:53:28.85 0.net
赤ちゃんが、自分のことを赤子(あかご)として認識できるようになるのは、
もはや赤子ではなくなってからのことだろう。自分のことを「赤い」と
思っている赤ちゃんはいないと思う。

826 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 11:24:03.12 0.net
まぁ、今後人類がこのまま自然任せに解釈した認識に依存し続けるなら、益々恐ろしい勢いで理性が退行してくだろうな、蛮行に及んだプーチンとか、自分勝手に殺人を犯す人の姿形をした物言う動物の感性は着実に受け継がれ徐々に世界観が侵食されていく、哲学者が人間の理性を復活させ教育出来ず、人類に敷かれたレールをシフトし損ねれば、人間は最早制御不能に陥るということだ。

827 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 13:04:29.32 0.net
親がいない子供は世界が赤く見えるらしいなw

828 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 13:16:30.12 0.net
哲学者ならプーチンを諭す文言でも考えろよw

829 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 13:28:55.77 0.net
哲学者でそんな力を持っている者がいればとっくに決着してるから

830 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 14:30:04.89 0.net
相対性理論のほころびにはしつこく食い下がるくせにw

831 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 16:31:46.99 0.net
ねえみんな難しく考えてるけど、

私たち自身が主観的意識であり、

それは脳の一部の生理現象・生理状態として一対一対応する

と思わないか?

私たち主観的意識が、人間の何に帰属するかを考えてみて?
結局は脳で発生してるんじゃないか?

だから、クオリアは私たち自身であると。赤く見える現象が私たちである。

こう考えると哲学的ゾンビはあり得ませんね。意識現象を発生させうる構造にもかかわらず意識を持たないということはあり得ないはずですから。
どうでしょうか?こういう意見。みんな難しい話してるみたいですけど…

832 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 16:48:37.99 0.net
とにかく、私が思う以上、私という存在又は私という現象を起こす存在がある。

今までは我思うゆえに我あり、と、私という存在があるとだけしか考えていなかったけど、

私は現象であり、何か私現象を起こす存在があるとも考えられますよね。

そもそも
 意識は毎晩失う→私が物体なら消失するという事?それはおかしい。
 ⇒意識は物から生成する現象と捉えれば消失を説明出来る

科学的実在論で解釈すると、意識は脳の起こす現象という事。よく考えると結構、常識的な結論にはなるかなと思います。

833 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 16:57:03.71 0.net
過激に言えば、

死んだ人に電気流して一瞬でも脳内で意識現象を起こせれば、
死にながら意識が一瞬戻ると思います。

【死】の定義の問題だと思います。このパラドックスは。
脳が意識現象を起こさせないようになった状態を死んだ、というだけですから。

あと、人工的に意識現象を発生させる装置があればそれは心を持ったロボットのようなものかなと。

スワンプマンについては、同じの定義の問題。
全く同じ物理状態でも位置が違うし構成している元素は同じと言ってもオリジナルとは別に用意した点で違うということは出来るかな。
そんな感じです

834 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 16:58:29.13 0.net
>>833
意識を現象として捉えた上でスワンプマンについて考察してます。最後の奴は。

835 :時計 :2022/03/24(木) 17:58:17.14 0.net
>>819
赤にも色々とあるのはそうですね。話が複雑になってきました。

>>820
一長一短、ありますね。支配欲というやつでしょうか。

>>831
それでは、何故あの脳ではなくこの脳が私なのでしょうか。

836 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 19:23:29.38 0.net
光の話をしてるやつがわけのわからない理解力だしw

837 :808:2022/03/24(木) 20:20:14.82 0.net
>>810
>何らかの「場」が機能しているのは間違いないとは思いますが
 それが存在ではない可能性もある

そもそも「場」が機能している段階で、それを機能させる
何かが存在すると考えるのが自然かな。
何にも存在せずに何かが発生して機能するのは
明らかに不自然で滑稽だからなぁ。

>地球が誕生する前から宇宙はあった
 ただ真相はイメージとは違うものの可能性が高い

結局はそう考えるのが自然と落ち着くね。
生物意識以外の何かが存在してそれは不可知なものだと。

838 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 20:49:35.41 0.net
>>836
物理学者が物理学的仮定を原理に理論を展開するのは当然なのだが、なにやらごにょごにょ下種の勘繰りしてるだけでしょ

839 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 21:07:03.97 0.net
この世は仮想現実

840 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 21:12:55.25 0.net
>>835

なぜ私なのか、なんて意地悪な質問ですね…

たぶん、
意識であれば自分と他人を認識するから、
他人の脳と自意識があるのは当然のこと。

あの脳じゃなくてこの脳だ、なーんて言えるのは
誰でもですよ。ある意味普遍的?と言える気がしますね。

841 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 21:29:05.23 0.net
哲学的ゾンビ脳の安住の地は仮想現実にしかないんで

842 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 22:06:12.73 0.net
そもそも主体はただの物体だと思う?
毎晩消失するのに?

やっぱり私たちは生成・消滅自由な「現象」じゃないでしょうか?

違うというなら何なんです?意識がないとき、私は存在しないと思いますよ?目覚めた時に再び生成するだけで。

意識の「失うことがある」性質について皆さんはどうお考えなんですかね。

843 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 22:21:55.23 0.net
うんこ食べる?

844 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 22:28:17.61 0.net
現象現象というけど、ひょっとして二重性があり、粒子的な側面もあるのかな?
流石にこじつけ過ぎですかね。人間は現象であり物質でもあるみたいな。
ここら辺、物理学は苦手だから憶測はやめとこう…

845 :考える名無しさん:2022/03/24(木) 22:46:10.68 0.net
主観は自分の世界観だから自分がそう思うならそうでしかない、それだけの話

846 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 00:52:21.62 0.net
極端に主観が足りないやつが他のやつまで引きずり込もうとしてるものなw

847 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 01:00:01.79 0.net
何故そう思わないかを理解しないから話が前に進まないw
だから時計は動いていないw
ダジャレばかり書くよりマシだろw

848 :時計 :2022/03/25(金) 07:26:14.20 0.net
>>840
私はこの問題は物理学では解けないと思っています。

>>842
意識を失うのは、休憩みたいなものではないでしょうか。
脳科学的には、私にはよくわかりません。
一応、活動はしているはずですしね。

849 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 08:56:13.15 0.net
>>826見てトロッコ問題に乗ってくる人いないもんねえ、意識のハードプロブレムは無理でしょう

850 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 09:01:03.08 0.net
生命体が物質から生成したという見方は、結局のところ、要素還元主義
であり、その見方において求められているのは、何であれ恒常的に
それらから構築することができる「絶対的な基礎となる不変の要素」である。
しかし、そのような要素は、存在し得ない。物質をどのように組み合わせて
みたところで生命体は生成されない。なぜなら、物質とは命と対比されて
現れる事象の表現であり、その表現によって構築されたものには必然的に
命が欠けているからだ。

851 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 09:15:56.27 0.net
要素還元主義で現象を理解するということは
その要素がなんであるかを知る能力が存在するということですね
要素還元主義は還元できるだけで復元できるなどと言っていないし
物質をどのようにか組み合わせればいいなんてことも言っていない
そうやって要素還元主義をセクト主義的に排除して狭い主観で把握
できたと思ってしまうんだろうね

852 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 09:51:15.82 0.net
>そうやって要素還元主義をセクト主義的に排除して狭い主観で

「対比されて現れる事象の表現」と明記しているにもかかわらず、
「対比」を「排除」と取り違えてしまう。それこそがセクト主義の典型でしょうw

853 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 09:56:25.77 0.net
>>852
じゃそういうことで

854 :でこすけ:2022/03/25(金) 10:50:09.34 0.net
>>821
じつは私はこのレスが何のことを仰っているのか理解できていないのですが
一般的に言って私が関わっているようなので
とりあえずではありますが私の「自然淘汰」についての認識を述べさせていただきます。
821さんの理解と異なる印象があるためです。

まず、「自然淘汰」というのは基本的には何らかの誘導がある現象ではなく
いわば統計的なものだと認識しています。
たとえばアメリカの大統領選挙(を自然競争に見立てて)で言うと、
最終的に民主党から大統領が選出されたとしても
当然ながら選挙区によっては共和党が勝っているところもあるはずです。
生物Aと生物Bとのあいだに自然競争が生じたとき
最終的に淘汰されるのが生物Aだったとしても
局所的には生物Bが淘汰されてしまうエリアもあり得るということです。
つまり全体はそのレベルでの統計的な結果で決まるということになります。

このとき生き残るものが常に優秀なものだとは限らないのが特徴です。
現実の事象は偶発的な要素に影響を受け、その可能性は低くないようです。
たとえば今日の哺乳類の繁栄は6500万年前の隕石落下による大量絶滅と関わりがあるはずです。
隕石によってそのころ哺乳類よりも隆盛していた爬虫類が淘汰されてしまったわけです。
これについて噂によるとダーウィンは(私は『種の起源』も読んでないのです)
「生き残るのは強いものでもなく賢いものでもなく変化できるもの」
と表現したようです。
何を持って「強い」とか「賢い」とかするのかということもありますけど
言いたいことの気持ちはわかる気がするところです。
あるいは地球上にたまたま生物Bが淘汰されてしまったエリアしかなかったら
ようするに歴史は変わるだろうというおはなしです。

855 :でこすけ:2022/03/25(金) 10:56:34.07 0.net
>>854
さて、そこはでこすけさん、ここでいよいよ飛躍します。
私は本当に淘汰がまったくランダムなものなのか、とりあえず疑問をもつのです。
たとえば人間は誰かが生き残るために「口減らし」をすることがあります。
あるいは生態系のバランスを保つために似たようなことは起こり得るのではないかという空想です。

ここで問題になるのは、全体をコントロールできるシステムは可能なのか
ということです。
可能性があるとすれば、ざっくりボトムアップ型だとは思うのですが
(トップダウンはある気がしない、全体を俯瞰する視点がある気がしない)、
にしても問題は情報処理システムです。
「バランスをとる」というのはこの場合、情報処理と言い得るもののように思えますが、
それは人間のように「記号」を用いるものではないだろうという気がします。
何を持って「記号」とするのかということはあるかもしれませんが、
そのシステムが生命進化の当初から機能していたかもしれないと想定すれば
少なくとも映像的な情報ではないとしておくのが妥当だと考えます。
ここで「生命進化の当初」を想定するのは、最も原始的な多細胞生物とされる
カイメンが既に有性生殖を採用していることを考慮してのことです。
無性生殖よりも有性生殖の方が生き残るためには有利だということを
原始時代から生物は「知っていた」と言い得る、
とすればそれはどのようなことなのかという問題です。

印象として、あるいは当然ながら、自然界には未知のことがあるはずです。
生態系に恒常性があるとすれば何らかの「均衡を保つためのシステムがある」
と考えておくのが妥当のように感じますが、
あるいは「種の絶滅」も起こるべくして起こっている可能性は
「ないこともない」という気がしたりもするわけです。

856 :でこすけ:2022/03/25(金) 11:10:57.30 0.net
>>855
なお、私がこのレスでドサクサに紛れて言いたかったことは、
「未知の認識システムは想定され得る」
ということです。
私はこのシステムは私たちの体験にも関わるのではないかと考えます。
それは仮想現実を構築するシステムにつながりそうな気がします。
おそらく深層意識レベルの現象です。

857 :でこすけ:2022/03/25(金) 11:23:48.35 0.net
>>821
私は人類は絶滅危惧種だったと認識しています。
また、現在地球上で起こっている大量絶滅の原因だったとも認識しています。
しかし人類の出現が生態系の必然なのかどうか、
あるいは本当に高等生物と言い得るのかどうかには懐疑的です。
ただ、生態系から何らかの「調整」を受ける可能性はあり得る気がしています。

858 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 11:43:22.46 0.net
>>850
ちょっと待って。

しかし、そのような要素は、存在し得ない。物質をどのように組み合わせて
みたところで生命体は生成されない。なぜなら、物質とは命と対比されて
現れる事象の表現であり、その表現によって構築されたものには必然的に
命が欠けているからだ。

との事ですが、物質をどのように組み合わせても生命体は生成されないというのはおかしい。
作ろうと思えば人工意識を作れる可能性だってあるじゃないか。

後、「物質と命は対比されて現れる事象」と言いますが、

脳死と生物の死は違うでしょ。
私の考えでは死んだ人間に電流を流して一瞬でも意識現象が引き起こされるなら
死んでいながら意識が戻ることもありうると思います。

というか、主体が現象だとすれば命と心は別物ですよ?
先のように、死んでいながら心というか意識を戻すことは、脳の状態によっては不可能ではないと思います。

テセウスの船のように意識現象を起こす脳細胞を一つずつ新しいものに置き換えても現象として同じ現象といえるなら同じと思います。
まあこれは同じ の定義によるでしょうけどね。

859 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 11:48:43.92 0.net
>>858

死ぬの定義が曖昧でしたね。

脳細胞以外全部腐って、脳細胞も仮死というか生命活動してない様子でありながらも、外部から電気を流して一瞬、意識現象を発生させることは出来そうだってこと。

860 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 12:15:08.22 0.net
>>854
自然が競争していると解釈するとそういう話になるんでしょうね。
>>855
自然選択がシステムで、そのシステムによってコントロールされた結果、全体として存在してるわけじゃないですね、自然選択で実在した現物全体が、現実の構成要素ってことです。
原子時代に有性生殖のほうが生き残るのに有利だということを生物が知っていたと意図的に解釈できるだけでそんなことは言い切れない、意識のハードプロブレムの問題です。
>>856
「未知の認識システムは想定され得る」ということです。
だったら実際どんな想定でされ得るのか書き込みましょうよ「未知の認識システムは想定され得る可能性はあると思う」でしょう、ウソ偽りない認識をお願いしますね、意識できる事しか人間は言い得ませんので、どさくさに紛れることは許されませんよ、知を愛する哲学的に、なんてね。
>>857
まだ高等生物にはなってませんよ、全然。
絶滅の危機に瀕した歴史があったことは同意ですね、人類の出現が生態系から発生したことは必然なので、人類の出現を生態系の必然にするには、この先人間の自由意志で「生態系を生かす」高等生物に進化しなくてはならないってことです。

861 :でこすけ:2022/03/25(金) 13:13:52.14 0.net
>>860
私の感覚では「〜され得る」「〜し得る」はまさに可能性の指摘程度であって、
断言ではないのですが、
その表現は断言というのが一般的な共通理解なのでしょうか。
その点でご指摘のように訂正するのはまったく問題がありません。
ただし、その傾向の方が強いのではないか
というニュアンスは含ませているつもりではあります。

で、その「未知の認識システム(仮想現実を成立させるもの)」ですけど、
これを説明するためにはたくさん伏線を引かなければなりません。
そして私はそれをやってきたつもりです。
しかし多分みんな覚えていないだろうし(そういう感じがするし)、
もともと多分どうでもいいことだろうし、
私がこのスレッドに投稿し始めた当初は何がなんでもそこまで行きたい
と思っていましたが、
とにかくそれ以前にコロナ休暇も終って時間が取れなくなってしまいました。
最近はスタンスを変えて、カチャカチャした日常を離れ、気分転換で
みなさんと楽しく意見交換ができればいい(場合によっては虚構も混ぜる)
という体たらくです。
一応とりあえずは「物質」という概念の虚構性を暴く
という哲学的なテーマを中心に据えているつもりですが
(そのためには代替案を提起するのが望ましいけれども)、
いずれにしても言い訳です。

862 :でこすけ:2022/03/25(金) 13:18:39.74 0.net
>>861
物質が存在しないことを証明するのは
いわゆる「悪魔の証明」ですからそもそも無理です。
私としてはその可能性が高いことをほのめかすまでだと考えています。

863 :でこすけ:2022/03/25(金) 13:54:19.25 0.net
私が理解するところによると(最近の事情はよくわかりませんけど)
セントラルドグマは生物の進化を「偶然」としていたはずです。
遺伝子の突然変異によるというのはそういうことです。
しかし一方で人間のような生物が偶然生まれる確率は
蜜柑箱の中でたくさんの電子部品をぐるぐるかき混ぜて偶然に腕時計が組み立てられる確率とか、
竜巻に巻き上げられた工業部品が空中でガチャガチャやっているうちに偶然ジャンボジェットになる確率とか言ったりして、
印象として40億年では足りないかんじがあります
(この印象は個人差があるようです40億年で充分と感じる人もいるようです)。
とにかく私としては、生物としての成立さえ微妙な奇種ともいえるものが
化石生物の中にさえあまり見受けないらしいということ、
進化が「種」を単位として起こっていること、
偶然とは思えないほど複雑なシステムを持っていたりすることがある
といった事例などからやっぱり生命進化は偶然ではないのではないかと考えます。
するとそこでは一般的に言って、進化に必然性を与える未知のシステムが
想定されてもいいのではないかと思ったりします。
ただ、このような印象が多くの人の中でどのように受け取られるのか
私にはよくわからないのです。

864 :でこすけ:2022/03/25(金) 13:59:51.10 0.net
>>863
>生命進化は偶然ではない
「世代を重ねて生体に起こる変異は偶然ではない」
に訂正させていただきます

865 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 14:00:13.54 0.net
「いい得る」のご指摘を受け、ググッてみると、うまく言い当てて的確に表現していることを意味するそうです。
なんか微妙ですね「未知の認識は想定され得る」想定なので言い当てているか以前に、どういう想定か不明なので、言い当てていないですし、未知の認識も、あいまいなので想定され得るかすら未定ではないでしょうか、私の認識では。間違っていたらすみません、希望的観測に期待を込めているのは分からなくもないですが、表現がピンと来なかったもので。

866 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 14:28:28.43 0.net
>>863
人間の進化は分子生物学的な突然変異ではなく、恐らく脳の突然変異のほうが有力でしょうね。

867 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 14:30:45.92 0.net
>>856
おまえは未知が過ぎるだろw
知恵も知識も足りないw

868 :でこすけ:2022/03/25(金) 15:01:52.94 0.net
>>865
私は基本的には独学(というほどのものではありませんが)なので
漢字の読み方さえ曖昧なんですが、
それでも始めは私が日常で使ったことのない「クオリア」「形而上」などが
ここで通用するのか探り探りだった割に、最近は麻痺して開き直っています。
何しろ基本的な日本語もままならないかもしれないので
ご指摘のことはウレシハズカシーというのが率直なところです。
ひとりよがりからの脱却は私の課題ではあるつもりのつもりです。

「得る」について、「うまく言い当てて的確に表現していること」
というニュアンスは私でもある気がします。
ただ、「食べ得る」と言ったら食べるか食べないかはともかく
食べることもある、というニュアンスはある気がするのですがどうでしょう。
にしても何だかアホの言い分です。

「未知の認識は想定され得る」については
「生物には未知の認識能力が備わっている可能性がある」というニュアンスでしょうか、
そして私はその可能性はあると考えます。
ではその能力で何を認識しているのかというと

じつはこれから出勤なのでもうちょっと考えをまとめてから改めて
にさせていただきます。すいません。

869 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 18:21:04.12 0.net
そもそも意識のハードプロブレム問題の本質って何だと思う?みんな

870 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 18:27:33.67 0.net
私は、主観をどう科学的に説明できるか、又は科学は主観的な物を説明できてない、だと思ってます。

そして、私は、意識体験と一対一対応する脳の電気現象があれば、それこそが私たちの本当の姿だと思います。

ようは先日から言ってる 人間の意識は現象だという説です。

この説明悪くないと思うんだけどなー。どうなんだろ

871 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 21:06:26.56 0.net
まあ少なくとも生物の全体的な進化は
自然淘汰や自然選択だけで起こったとは言い難いかな。
種レベル以上の大進化が何回も起こるなら
何か未知の作用とかの概念がなければ
合理的には納得しづらいな。

872 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 21:12:06.29 0.net
>>869
意識やクオリアなどは科学的理論・観測方法や
言語・記号などでの記述では解明できる範疇を超えている

個人的にはこれに尽きるだろうと思ってますかね。
少なくとも現在の科学体系自体に限界があると思ったほうがいいでしょうね。

873 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 21:35:50.28 0.net
>>872
意識は脳で発生する現象であると仮定すれば上手く説明出来るよ。
直感的にも、脳で起こってる現象が意識だよっていう説明は納得出来るはず。

例えば赤のクオリアやら何やらの現象そのものが私たちである、と。

ちなみに前も言ったように構造が同じである以上哲学的ゾンビは存在し得ないです。
この仮説によればね。

今は仮設段階だけどいずれ脳科学の発展によって私が言ったことは立証あるいは反証され得ると思う。
だから私の主張はトンデモ理論じゃない気がしてます。

874 :考える名無しさん:2022/03/25(金) 22:44:59.25 0.net
>>868
「得る」は「ものにする」「手に入れる」の意味なので「食べ得る」というのは、やはり「食べるor食べない」のニュアンスを含んだ表現じゃないようです「食べ得る」を「食べることもある」に解釈可能だとすると「ものにできない」「手に入れられない」を含意することになるので。「食べ得る」を「食べられ得る」のようなニュアンスで記憶していた可能性はありそうな気がします、それだと「食べることもある」のニュアンス含んでる。
言葉の使い方は習慣的に身についてしまうから、いちいち細かいと思われていてもご尤もなんですが、ちょっとした差異が認識全体の蓋然性を危うくすることがあるなと経験的に思います。

875 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 07:47:30.25 0.net
うーん、クロストークになっちゃってる。まあいいんだけどさ。

でこすけさん達は869で言った「そもそも意識のハードプロブレム問題の本質は何か」
について何だと思って会話しているの?なんか話が本題である「意識のハードプロブレムの答え」から逸れてる気がするんだけど側から見てると。

876 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 08:35:07.14 0.net
基本的にはチャーマーズのいう意識のハードプロブレムに答えようというのが本質かな

877 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 09:04:20.76 0.net
奇跡のコースによると、脳および身体はただのロボットであり、心の指令がないと何もできないし、何もしないということです。

ロボットにすぎない脳からクオリアが発生すると考えている限り罠にはまっています。

心は時空の宇宙の外側にいて一つであり、その一つの心が分裂して個々の心になり、それぞれがその個の視点で物事を見ているということです。

その一つの心が原因であり、その心が投影したのがこの宇宙であり結果です。

例えると、心が映写機で宇宙がスクリーンです。

この宇宙は心によって投影されたものであるので、スクリーンでの出来事が実在してないのと同じで、この宇宙も実在してないです。


本当の実在は神がいる天国であり、不変で、完全なる抽象で、全体的で、無条件の愛であるということです。


詳細が知りたいなら、イエス・キリストの「奇跡のコース」に書いてあります。

878 :でこすけ:2022/03/26(土) 09:17:25.50 0.net
>>874
>ちょっとした差異が認識全体の蓋然性を危うくすることがある
丁寧な解説ありがとうございます。勉強になりました。
「食べ得る」はいわゆる「ら抜き言葉」みたいなものでしょうか、
「ら抜き言葉」は意味が変わることがあるかもしれませんから
今後は気をつけさせていただきたいと思います。
微妙な表現が大きいことにはまったく同意です。恐縮です。おそれいります。

879 :でこすけ:2022/03/26(土) 09:19:10.03 0.net
>>875
今朝は「未知の認識能力が認識するもの」についてをやるのがスジ、
あるいはできれば「赤の概念と色の概念と云々」とかもありましたが、
予定を変更して今このスレッドで何を論じているのか
確かにわかりづらいでしょうから解説させていただきましょう、
ただし私の認識に過ぎないものです。

その前に「意識のハードプロブレムの本質」についての私の認識ですが
私は「存在論」だと考えています。
あるいはチャーマーズも認めているようにある種の「心身問題」です。
で、そこにスレ主の問題提起があるんですが、スレ主によるその答えは
「脳が心を生むのではなく、脳として認識されているものは心的な作用による表現」
これはようするに現実世界とされているものは夢のようなもの
ということだと私は理解するのですが(そして私も同意するんですが)、
であれば意識のハードプロブレムは解明、というよりも解消だと思いますけど、
とにかくそういう流れになると思います。
私的に言い方を変えさせてもらうと
意識のハードプロブレムは心身二元論を前提にしたために起る擬似問題
ということになります。
そこで心身二元論なり唯物論なりを主張する人が現れてくれれば議論になるんですが、
そうはならなかったのがこの2年間です。
そこで目下、少なくとも私は自説の補足をほそぼそながらやっている感じです。
個人的な希望としてスレ主には「主観的意識による精緻な表現(>>2)」
のメカニズムを模索していただきたいのですが、
基本的に彼はマイペースな人のようです。気長にいこう、というかんじです。
私としてはいずれ875さんのお考えにも私の考えをのべさせていただきたい
と考えているつもりですが、追いついていません。申し訳ないです。
誠に勝手ながら、長い目で見てやっていただければと存じます。恐縮です。

880 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 09:20:20.47 0.net
投稿は宗教の板に…

881 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 09:22:57.39 0.net
>>876
物質であるはずの脳から物質でない意識が生まれるのはなぜか、でしょ?

意識は脳から発生した現象だから捉えどころがなく、一つの物質としてみえないだけじゃないのか?

マジでこれ答えなんじゃね?って本気で思うんだが。
一度この説が本当である可能性を考えて破綻がないか確かめてほしいよ。

882 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/26(土) 09:39:31.00 0.net
意識のハードプロブレムの答えを議論するのだ。
意識は流れであって動的である。
意識によって時間が形成されるのだとすれば、
人間だけでなく、時間を持つものすべてが「意識」を持つw
変化を「認識」するものだとすれば、
「認識」は時間を持つものすべてが行うものだと拡大解釈してしまおう。
非脳による「認識」。
それが「存在」である。

「局所的矛盾/局所的無矛盾」が「時間」「空間」「物体」あるいは「モノ」「コト」「トキ」を作る。

883 :時計 :2022/03/26(土) 09:55:50.92 0.net
「精緻な表現」に関してですが、
例えば、「ハサミを手に取る」ということは、
ハサミの反射する光が目に入り脳に入りハサミを認識し、
それを手に取るという行為を脳が決定し、
手が動き実際にハサミを手に取る、といった具合いです。
さらに細かいことを言えば、ハサミ、目、脳、手などは、
素粒子で構成されています。
私はそれを事物の客観化(客体化)と呼んでいます。

884 :時計 :2022/03/26(土) 09:56:47.47 0.net
>>883>>879のでこすけさん宛てです。

885 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 11:17:56.21 0.net
>>1
他人が主体の意識の外側にある、というのが素朴に感じられることなのですが。

時計さん、著しくみんなの直感に反する説を展開する理由は何ですか?

むしろ、そのような「直感に反する結論」が得られた事は、

前提条件に問題があるからじゃないでしょうか?背理法みたいなノリで言うと。

前提条件として他者の存在を公理のように認めて論を進めていくという方針でも良いのではないですか?時計さん。

私はあなたがいると思いますよ。無条件に。

やっぱり「独我論は間違いであること」こそ
数学や論理学の公理と同じくらい強い命題ではないでしょうか?

それとも、あなたは独我論的思想が素直に正しいと思っているのですか?



マジで?? 自分の直観や理性に尋ねてください。
本当に独我論でいいのだろうかと。
むしろ他人がいると考えた方が自然じゃないか、前提条件として採用してもいいレベルじゃないか、とは思わないんですか?心の底から。

886 :時計 :2022/03/26(土) 11:30:12.04 0.net
>>885
私は、我の本質は無であるという考えに共感しますから、
独我論という言葉は使いません。
私は、私の考えを主観主義と呼んでいます。

私は、他者の意識は存在しないということは直感しますよ。

887 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 11:30:30.02 0.net
>>885
独我論的発想は間違いであるというのは一種の公理です。
この公理系をあえて採用しないのはありですが、
他人が実在する可能性を捨てることになります。

それは仕方ないことではなく、あえて独我論を許すような公理系を設定したためですよね。
じゃあ単なる価値観の違いになってしまうのでしょうか。

でも、どうして多くの人が別に存在するように私の理性は考えるのでしょうか。私に限らず常識的に他人の実在は論理や数学の正しさと同じくらい信じられていると思います。

独我論的発想は、あまりにも常識からかけ離れている気がしてなりません…
なぜあえてそういう「独我論を許容するような系」で話を展開しているのですか?

888 :時計 :2022/03/26(土) 11:39:22.75 0.net
>>887
入れ違いになったようで。
私は他者は実在すると思いますよ。

889 :時計 :2022/03/26(土) 11:40:14.73 0.net
>>887
独我論に関しては、>>886に述べました。

890 :時計 :2022/03/26(土) 11:42:03.54 0.net
>>887
主観主義の公理系は考えたことはありませんが、
多分、最小かそれに近いと私は思います。

891 :時計 :2022/03/26(土) 11:42:47.74 0.net
>>890
「厳密に考えたことはありません」に訂正します……

892 :時計 :2022/03/26(土) 11:45:34.22 0.net
>>891
論理学的には、前提的であるのは、
「無」、「必然」、「連言」かなと思っていますが、
はっきりと主張するほど、考えは十分ではありません。

893 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 12:38:21.64 0.net
まあ独我論については、
人間の「私」が存在するなら、他者の意識も存在すると
いう公理を前提にするほうが自然でしょうかね。
そうしないと滑稽で不自然でややこしくなるだけだから。

どうしても他者の意識は存在しないなら、
自分も含めた人間の意識は非存在だという
意識非実在論を採用するぐらいしかないでしょうか。

894 :時計 :2022/03/26(土) 12:53:58.38 0.net
>>893
私には他者の意識は存在しないということは自然です。

895 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 12:55:26.35 0.net
>>879
「脳が心を生むのではなく、脳として認識されているものは心的な作用による表現」とすると「心的と呼んでいるなにかの作用が、脳として認識し表現させている意識とはなにか」問題が振り出しに戻ってしまいます。
脳として認識されている「心的な作用による表現の土俵」じゃなく「本質的な存在論の土俵」に「意識のハードプロブレムの本質」は乗っているでしょうか、疑義を質したくなります。
単刀直入に言わせて頂きますと、意識のハードプロブレムは、心理問題や表現を本質的な問題にしているのではないはずで、「心身問題を議論する=心身二元論の立場が原則」これを済し崩すなら、意識のハードプロブレムは容易に疑似問題へと葬り去れるでしょう、つまり原則が守られなければ議論は難しいのではないかというコトです。

896 :時計 :2022/03/26(土) 12:58:07.75 0.net
>>893
我は独りだという独我論であれば、真理でしょう。

897 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 13:05:40.90 0.net
我の本質は無 とはどういうことでしょうか?

具体的には、「どのような前提から我の本質が無である」という話が出てきたのですか?

出来れば、「我」と「無」の時計さん的定義も添えて 我の本質が無であることを示してほしいです。

あるいは我の本質が 無でない とした時の矛盾を教えて欲しいです。

そして、我の本質が無である事などから主観主義を導出していただけるとありがたいです

898 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 13:20:56.12 0.net
>>895
だとしたら私の考えでは疑似問題ですね。

意識や心は物理現象であるという立場ですから唯物論になり、意識のハードプロブレムは疑似問題と言うことになりますね。
だからこそ上手く説明できたように思えたのかな。
まぁ、科学現象として心は存在すると言う主張だから一元論だけど心の存在を否定してないですけどね。

でも、意識のハードプロブレムの真実を求める過程の中で、疑似問題だという主張も受け入れて議論すべきでは?って思いますよ

899 :時計 :2022/03/26(土) 13:25:36.64 0.net
>>897
いわゆる無我ですね。
対になる概念は我執だったりすると思います。
私は、基本的には、無我は大切だと思いますが、
研ぎ澄まされた我というものは、無に近いところにあるが、
本質的に有かもしれないなとは思います。
仏教的な概念ですし、私もまだまだな分野です。

我の定義は、行為の主体でしょうか。
ある意味では、行為は先行します。
思う故に我在り、とでもいうか。
無の定義は、無いですね。私には無いです。

我の本質が無であるというのは上記のように、
過程的なものかもしれません。
わかっていて我を説くならいいと思います。

上記のように主観主義者の立場から、無我は語れますが、
逆に無我から主観主義を導出することはないかなと思います。

900 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 13:45:12.50 0.net
>>899
うーん、自分は全体の一部分であり、個じゃないというか、他との相互関係でのみ成り立っていて、全体の一部であり、しかも移ろいゆく物だ 的な感じか。

で、主観主義とはどういう物なのかちょっといまいち理解できてなくてすいません。

客観もまた主観であるとか、人間は主観的にしか考えられないとか、客観は主観の集まりだという主張のいずれかっぽいかな?
 でも、数学的真実や論理的正しさのように、主観とは別に真実があるように私は思う。
というか、科学の成功が奇跡になるよね。色んな可能性があったのに体系的にまとまってる。
人間の主観とは別に、この宇宙にはルールがあると私は信じてる。価値観の違いかもしれないですけどね

901 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 13:54:48.18 0.net
>>898
> だとしたら私の考えでは疑似問題ですね。
そうなりますね、疑似問題は問いを立てる際の暗黙の仮定や前提が誤っていたり、検証できないものに依拠していたりするため答えがそもそも存在しない問い。つまりそれはそれだけの主張なのです。答えがそもそも存在しない問いといいつつ書き込まれる認識は、最早意識のハードプロブレとは直接関係ないのですが、個人的に意識のハードプロブレムについて考察するヒントになりそうな書き込みにレスしてます。

902 :時計 :2022/03/26(土) 14:12:17.07 0.net
>>900
私の主観主義は、客観はある種の主観であり、
他者の意識は存在しない、という考えが基本です。
主観主義=独我論という考えも……悪くないと思います。
私は、無我の問題から、独我論という表現を避けています。

無我に関しては、私はまだまだですから少し置いておきましょうか。
識者の現れることを期待しつつ。

数学のように、いつでもどこでも通用する知識も、
根源的には有限性を免れなく、主観的だと私は考えます。

科学は事物の表現の精緻さへの運動だと私は考えます。
この宇宙のルールという言葉は、
宗教的でも、科学的でもあり得ますし、面白い言葉ですね。

903 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 14:49:16.62 0.net
テレビが壊れたら叩いて直すタイプですw

904 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 15:22:15.85 0.net
主感主義と言いたいのだろうなw

905 :時計 :2022/03/26(土) 15:59:10.28 0.net
>>904
それはないが。

906 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 16:48:13.55 0.net
>>894
やはり世の中不可解な考え持つ人が多いもんですかね。
それだけ価値観とか違うということか

>>896
まあ「自分」という人格が一つだけとか
「自分」や独我論などの定義にもよるでしょう。
例えば「人a」「人b」・・・がいて、
人a、人bが持つ我はそれぞれ一つだけという意味であれば。

907 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:03:25.36 0.net
>>905
おまえの主観と客観の違いはなんだ?
他者の意識が存在しなければ己の意識も存在しないからなw
己だけ意識が存在するというのはどういう状態か見つめ直せアホw

908 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:18:06.65 0.net
>>905
単純に誰であっても”私の主観”にあなたの(他者の)主観なんか存在するわけない
仮に存在するとしたって”私の主観”で間主観的に存在させてるだけだろ
己だけ意識が存在するというのはこういう状態だよ頭使えアホw
ってことにならんか・・・

909 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:34:38.05 0.net
>>907
まぁもちつけ

910 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:38:41.10 0.net
チャーマーズのいう現象的意識は、その人間の主体そのものであり、機能的意識と同じ物である。

 私の本当の姿 が、 機能的意識として客観的に示される。

これが私なりの結論かな。
結局はチャーマーズの問題提起を疑似問題としているけれど、新たな洞察として
 人間の主体、この私は、生理現象であり脳の一部分ではない。肉体の方ではないという仮説が得られたよ。

あと、前も言ったけど哲学的ゾンビは存在し得ない 意識が消失しているとき私は存在していない・人の死はひょっとしたら毎晩ノンレム睡眠の時に経験している?可能性もある。

911 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:42:34.71 0.net
>>910
意識がない時、私は存在しないって、 肉体は存在しますよ誤解なきように。


意識がないとき、私という主体はなく肉体だけがある。
ある意味脳死と似てる。

永眠は本当に永眠という言葉が適切かもねってことです。

912 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:56:42.49 0.net
言われとるぞw

913 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:56:58.99 0.net
それ全部機能的意識というか感覚的機能に支配されてるけどね

914 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 17:58:35.34 0.net
そもそも存在について詰めてないからこんなことになるんだアホドモw

915 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 18:00:11.14 0.net
5ちゃんだから

916 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 18:04:46.42 0.net
5ちゃんだからは甘えだアホw

917 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 18:08:05.73 0.net
なら詰めた存在論とやらを思う存分書き込んでくれたまえ

918 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 18:26:01.52 0.net
>>914
そもそも甘い存在だから追い詰められちゃうんだよね、
ごめんごめん。

919 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 21:09:30.81 0.net
>>914
?どういう意味です?

920 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 21:21:35.54 0.net
この世は仮想

921 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 21:22:10.89 0.net
人間の理性劣化が半端ない!

922 :考える名無しさん:2022/03/26(土) 22:08:35.29 0.net
いやいや5ちゃんだって!

923 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/26(土) 23:54:49.67 0.net
「存在」とは、「自己同一性」を持つことである。
「対象」とした場合、その「対象」を「対象」としている側が「自己同一性」を与えている。
「対象」を自分自身と考える。
さらにこれを量子|0>+|1>であると考える。
彼自身が自分を観測すると0か1であるw
観測すると量子は壊れてしまうとされているが、とりあえずは、そうではないと考えている。
ともかく、量子は量子としての自己同一性を得ることはできない。
人間をどでかい量子と考えるw
彼も(完全なる)自己同一性は得られない。
他から承認としての自己同一性を与えられるしかないが、
他もまた自分自身では自己同一性を得られない。
(いまだ存在しない)一般不完全性定理は、「自己同一性」の問題であろう。
無矛盾であろうとする限り、不完全性からは逃れられない。
一歩引けば、その全貌を把握できるわけだが、その行為も不完全性そのものである。

924 :時計 :2022/03/27(日) 00:21:42.23 0.net
>>906
価値観というより理論の違いでしょう。

925 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/27(日) 00:32:54.04 0.net
なにかしら「大きさのようなもの」がある。
すべてのよけいな考えを捨てると、最後に残るのが「(存在)確率半径1」だ。
これは「量子」と同一視してよいだろう。
じゃあなんで「量子」があるのかというと、「量子」は「存在」しないw
あるのは「(存在)確率半径1」だけだ。
完全であろうとすれば矛盾し、無矛盾であろうとすれば不完全である。
「(存在)確率半径1」=「自然」=なにかしら「大きさのようなもの」
=場?
とりあえず、人工世界においては、「(存在)確率半径1」という「ルール」のみが存在する。
「存在」である以上、「(存在)確率半径1」は(自分自身で)「自己同一性」を持つw
これは「ゲーデル文」をさらに一般化したものだ!

926 :時計 :2022/03/27(日) 00:57:51.75 0.net
>>907
対偶を取れば、私の意識が存在すれば他者の意識は存在する、ですね。
私は、同意しません。

>>908
アホって付いているのん、同一人物かな。
私は、間主観性は錯誤だと思います。
まあ、有るという人には有るのでしょう。

>>910
意識は客体化可能だと私も思います。

>>911
眠りから死生観を語れるのは面白いですね。
私は、来世はあると思いますが。

927 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 02:04:45.28 0.net
「大きさのようなもの」は、「速度」だとどうでしょう
イメージとして、
空間だと「内、境界、外」(共同幻想的)
時間だと「過去、今、未来」(自己幻想的)

速度は 関係のとある状態?、定義困難な 対幻想でしょうか

928 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 02:07:43.35 0.net
ただ一時の 夢のたわむれw

929 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 02:16:05.17 0.net
病院のハシゴ ならぬ宗教のハシゴ
セカンドオピニオン的にいいかも
3つ以上だとリジット可能性あがるかも

930 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 02:20:10.44 0.net
>リジット
rigid リジッド か

931 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 07:19:49.97 0.net
>>926
錯誤ですか、主観主義は間主観的ではなくて間主観性が高いのでしょうか。

932 :でこすけ:2022/03/27(日) 08:17:52.75 0.net
>>883
私としては、まさに「客観」が問題だと思っています。
あるいは「秩序」です。
この世界には何故「客観(秩序)」があるのか、
これは時計さんや私のような、ざっくり唯心論の立場にとっては
大きな課題だと思います。
いかがでしょうか。

ちなみに私の哲学史の認識ですけど(テキトーなことを言いますが)、
カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン(前期)は
「主観」を問題にしてきたのに対し、
ウィトゲンシュタイン(後期)、マルクス・ガブリエル、メイヤスーは
「客観」を問題にしていると言える気がします。
じつはトレンドだったりする気もするのです。

933 :でこすけ:2022/03/27(日) 09:13:43.45 0.net
>>895
>問題が振り出しに戻ってしまいます
私は意識のハードプロブレムについては解消されている気がするのですが
そうでもないですか?
確かに新たな問題が生じますが、私のかんじでは振り出しに戻ったというよりも
問題の先送りをしたかんじです。
しかし、そこでハードなプロブレムが起こらなければ本質的な問題はない気がします。
もちろん新たな問題は検証する必要があることです。

私としてはむしろ「意識のハードプロブレム」は心身二元論の致命的な欠陥
のような気がしています。
あるいは「人間にはわからないことがある」では済まない問題だというかんじがあります。
仮に「人間にはわからないこと」だったとしても
何故わからないのかの理由は明確にしておきたいところです。


ところで私は他者の意識の存在は最終的に証明できないという意味で
仮説の域を出ないものだと考えます。
ただ、個人的には当たっている可能性がかなり高いと信じてはいます。
私としては、そこから始めて整合する世界像をつくることができれば
それだけで充分、というスタンスです。
ちなみに唯我論でもすべてを整合できる可能性はある気がしています。

934 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/27(日) 09:58:15.47 0.net
「意識」を量子論的なものと考えるなら、
他者の意識どころか、自己の意識も射影としてしか得ることができない。
われわれが「意識」と呼んでいるのは、realへの射影であり、imaginaryとしての
無意識部分は得られていない。
自己と他者の間にもつれがあればある程度は意識を伝えられる。(mana/kana状態)
それでも「証明」が可能かどうかはテクニック次第。(理論なら可能)
そもそも「証明」自体が、(いまだ存在しない)一般不完全性定理によって危機に晒されるw

935 :耳にたこができる:2022/03/27(日) 10:42:33.59 0.net
理性とは、感性によって捉えられた経験を慣れとして自らの身体に
組み込んで、所与の状況に対してつか(使)はれる感性の働きを
節約する働きのことである。理性が経験を介して感性の複合的な
働きを慣れとして身体に組み込むからこそ、新たな所与の状況に
対しても、それまでに慣れていることとは異なる変化した要因に
集中的に感性をつか(使)ふことができる。

936 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 10:53:54.31 0.net
無駄に神経をすり減らさない

937 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/27(日) 11:14:17.26 0.net
>>927
速度は位置の時間微分ですから、微分構造ですね。
なんらかの微分構造が「大きさのようなもの」だと考えられます。
微分トポロジーの分野での微分構造です。
おおざっぱにいえばなんらかの数学(的)構造ですw
x=x->xの「->」が大きさのようなものなので、「演算子」かもしれません。
これがなにものなのかは、ずっと考え中。
可逆演算のみを考えているので、この「演算子」は「回転」です。
でも、なんらかの大きさのようなものがないと回転できない。
まあ、「(存在)確率半径1」というのが「大きさのようなもの」であり、
そこに微分構造が自然にあらわれると。
とすれば、超球面は自然な微分構造を持っている...
あ?! 微分構造って方向だ。大きさのようなものだけでなく方向のようなものも持っている。

938 :時計 :2022/03/27(日) 11:27:04.14 0.net
>>931
間主観性が錯誤だというのは、
間主観性と、主観的な他者概念の獲得は同じだと考えられるからです。

>>832
客観というのは、ざっくりと言って精緻化への運動ですよね。
金属とは何かとか、水とは何かとか。
そして、それは人の考え自体にも及ぶ。感性、知性、理性など。
もちろん、私のように魂は存在すると考えるのもアリだと思います。

(前期)ウィトゲンシュタインは世界があることは
神秘だと言っていたと思います。
そういう意味では、客観論に片足を突っ込んでいますね。

私は、客観の特徴は、唯一性だと思います。
朝起きたら昨日の続きだったというような話ですね。
これが夢だとすると、かなり長い夢です。
そのような世界のあることは、日常が実証するのではないでしょうか。
要するに、死んだり、悟りを開いたりするまで解らないと。

939 :時計 :2022/03/27(日) 11:29:10.58 0.net
>>938
>要するに、死んだり、悟りを開いたりするまで解らないと。
世界の側から神秘を解明してみせたら、奇跡でしょうね。

940 :時計 :2022/03/27(日) 11:43:21.68 0.net
>>932
客観が無秩序であることは、複雑系など、あるのではないでしょうか。

941 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 11:54:40.41 0.net
>>933
> 私は意識のハードプロブレムについては解消されている気がするのですが
> そうでもないですか?

先送りした問題が意識のハードプロブレムなので、実はそうでもないんですよね。
意識のハードプロブレムの答えが何故わからないかの理由を、イージーコントロール可能なイメージで確信し、明確に認識可能なイージープロブレムへ落とし込む。これで無事仮想現実で解消できる疑似問題にしてしまうのが緩い唯心論者のディセプションでしょう。

無意識に、唯心論者ゆえに自らの意識が、意識のハードプロブレム自体を見えなくしてしまう構図、何故わからないのかの理由を明確にしておきたくても、現実には明確にできない事実からいったん現実逃避せざるを得ない、しかし「心身二元論の致命的な欠陥のような気がしている」」と回避不能な現実の意識のハードプロブレムが心を疑似問題に引き戻す。

意識のハードプロブレムを疑似問題に仕立て上げてしまう不作為犯は、でこすけさん系唯心論者のルーズな意識のプロブレムが生み出したある意味共犯者で、こっちが主犯格です。でこすけさんの意識のハードプロブレムの致命的欠陥はこの主犯によるものでしょう、分析哲学してみました。

942 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 12:00:18.19 0.net
>>938
主観主義の主観的な他者概念の獲得は、ある意味客観なことがあるんでしょうか。

943 :時計 :2022/03/27(日) 12:36:09.50 0.net
>>942
あると思います。
人の習慣などは、客観性を帯びると思います。

944 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 12:42:22.94 0.net
>>943
なるほどだから「客観が、ある種の」主観である必要があったんですね

945 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 13:18:58.36 0.net
>>941
意識のハードプロブレムが疑似問題である可能性自体を否定するのはおかしいですよ。

現に私は>>910>>911で意識のハードプロブレムが疑似問題であるという主張をしました。

私の唯物論的な疑似問題説も否定出来ますか?

そもそも、問題を解決する際に前提を疑う姿勢も悪くはないと思いますよ。

そこら辺はどうお考えですか?

946 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 13:27:57.28 0.net
否定してないので誤解でしょう
主張してはいけないと否定するコメントは出してませんし
問題を解決する際に前提を疑うなとも私は言っていません
あなたの唯物的な疑似問題は書き込み読んでないので知りません
各々解釈するのは自由です、しかし解釈するのは誰でしょうか
私じゃありませんよね、と考えますけど。

947 :非標準超球面論理Nexus/CDT(x=x->x) :2022/03/27(日) 14:15:31.57 0.net
微分というのは変化である。
微分構造は変化の構造だ。
これがなければ宇宙も意識も現れてこない。
時間も空間もないだろうし、モノもコトもトキも現れない。
ということは、「脳」も、複素空間での微分方程式を計算しているのだw

948 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 14:35:35.85 0.net
人としてフィットする"adequation"が人類とされる

949 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 14:40:20.27 0.net
ですね

950 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:03:43.19 0.net
人としてフィットする"adequation"が人類とされるのだから、
人と人類は、どのようにフィットするように相互調整が行われようと、
1と円周率πのようにいつでも、またいつまでも
互いに割り切れない関係にある。

951 :時計 :2022/03/27(日) 15:07:00.53 0.net
>>944
「客観はある種の主観である」という考えの方がより広いかな。

952 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:08:29.10 0.net
ケースバイケースですかね

953 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:12:22.89 0.net
多細胞生物の細胞の機能特化は、感性によって捉えられた経験を組み込む
理性の働きの身体化だろう。

954 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:32:47.97 0.net
>>946
早とちりしてしまったみたいですいませんね

955 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:45:22.68 0.net
>>954
分かって頂けたようでどうもです。

956 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 15:47:12.06 0.net
>>926
>私の意識が存在すれば他者の意識は存在する
そもそもそれを前提にしなければ自己中心主義的なのも同然ですけどね。
そういう独我論者にとってはこちらの意識も幻か、
そちらの意識現象の一部ということでしょうかね。

まあそう思うことも別に批判するつもりはありませんが。

957 :anonymouse :2022/03/27(日) 16:42:24.43 0.net
駅の広告で、ルービックキューブが回転している静止画のポスターが貼ってあったのだが、
ルービックキューブを揃えようとしているのか、崩そうとしているのかは、静止画だからわからなかった
なんか止まっているというか、時間の最小単位を切り取るというのか、Δtをゼロに近づけるというのは、
進む方向と戻る方向の両方のポテンシャルを持っているのかなと、
なんかそんなことをなんとなく思った

958 :時計 :2022/03/27(日) 18:14:00.93 0.net
>>956
私は自己中心的だと思いますよ。:)

959 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 18:54:40.86 0.net
>>958

他人や、他人の意識は自分とは無関係に確かに存在するはずだ、という公理を採用しないのですね?

でも、それなら「存在するかわからない」という態度を取るのが筋でしょう。
「存在しない」と独断するのは、「存在する」という独断となんら変わりません

ただ後者の方が常識的ですね。
とにかく!!!!!!
他人や他人の意識なんて主観に過ぎないかもしれないけど
それが真であると独断するのは
「常識的独断」となんら変わらない上、もっともらしさという観点から劣ってませんか?
せめて、「他人や他人の意識は独立して存在している、 という公理を採用しない」
という宣言に留めておくべきではないですか?
逆張りしてそれを独断するのはおかしいと思うよ?

960 :時計 :2022/03/27(日) 19:10:57.24 0.net
>>959
それに関しては、>>1で答えていると思います。
仮に他者の意識が存在すれば、それは主体の意識の内側にある。

961 :時計 :2022/03/27(日) 19:23:24.78 0.net
少し早いですが、次スレッドを立てました。
959さんは議論中に水を差すようですみません。

意識のハードプロブレムの答え17
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1648376296/

順序に混乱のないよう、スレッド16から使用して下さい。
よろしくお願いいたします。

962 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 20:44:54.61 0.net
>>960

自分に無関係に他人や他人の意識がある というのは、
自分の外側に他人を、暗に認めてるんですよ。

だから、自分の内側に他人を認めるのは実質的に公理に反していると思います。
自分と他人の関係があるということになるので。(あなたが死んだら私も居なくなることになるから)

963 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 23:10:19.93 0.net
>>947
生まれるガキも親に言われる前から光を目に入れてそんな計算をして色の概念を理解しているのになw
間抜けはそういうことすら理解できないw
>>957
おまえの立てるニューススレは独特だなw

964 :考える名無しさん:2022/03/27(日) 23:17:56.19 0.net
>>943
リアルタイムで生存確認をしないと他者の意識なんて存在してるかわからないぞw
むしろ生存確認ができてても他者の意識はないと言ってるのかw

965 :時計 :2022/03/28(月) 00:44:05.79 0.net
>>962
他者ではなくて他者の意識ですね。
仮に他者の意識が存在すれば、
主体の意識の内側にあるということです。
だから、公理には反していないかと。

>>964
リアルタイムな確認に習慣性があったりすると思います。

966 :時計 :2022/03/28(月) 00:49:05.01 0.net
>>965
あ、962さんは最近やってきた人ですね。
このことは強調しておきたいと思います。
私は、存在は主観的であると考えています。
何故なら客観はある種の主観だからです。

967 :時計 :2022/03/28(月) 00:49:52.66 0.net
>>966
それは962さん的に言えば、公理かもしれません。

968 :時計 :2022/03/28(月) 00:53:38.06 0.net
>>967
それを公理だとすると、その公理とは反しますね。

969 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 01:12:49.25 0.net
>>965
そこで改めて存在とは何だと問えば時計は動くかなw

970 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 07:48:01.87 0.net
客観は主観の一種というのは確かに言えるかな。


でも、周りのものを受動的に認知しているように思えるんだよね。
つまり、自分の外側に 客観的事実と、私と同じく意識を持つ他人の存在を認識し、
互いに意見交換しあって客観的事実を主観的に理解する(クオリアを利用して)のだと思います。


これも全部私の主観になるのかも知れないけど、上記の内容はみんなが当たり前に思ってることを言語化したようにしか思えないけどなぁ
時計さんの意見は根本から問題点を洗い出すのは難しいですね。代案として上記の 客観的事実があり、それを主観的にみんなが理解して客観的事実を認知する という説を置く事しか出来ないかな。

なんというか、代案の方が真実に近いから時計さんの意見に違和感を感じる気がしてますね…

971 :でこすけ:2022/03/28(月) 08:23:30.04 0.net
>>938
>精緻化への運動
私のイメージは「精密」です。「緻密」というか、
とにかく辻褄合い方が尋常でないかんじがあって
おっちょこちょいな私の妄想で済むわけはないと確信できるほど
世界は上手くできている印象です。
となるとこれはきっと私の外側の何かによる仕業だろうと考えるわけです。

このような秩序は普通は「物質」なるものに由来すると考えるのでしょうが、
また、私も以前はそういうことだと思っていたわけですが、
しかしそれは錯覚だった気がするのです。
少なくともその説明の方法には別の選択肢もあると思うのです。

972 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 08:39:02.19 0.net
>>971
まぁ、唯物論だけだとなんか生きてる意味とかが無意味に感じちゃう時もあるし、
この世は科学だけで説明がつく訳じゃないと、ほんの少し思っていた方がいいとは思う。

科学はもっと発展するはず。ある意味科学が、特に脳科学が発展途上だからこそ
ちょっとスピリチュアルな概念を否定できないというか、
ある意味、科学がまだ発展途上の段階で生まれてきてよかった気がしますね私たちは。

973 :時計 :2022/03/28(月) 08:53:52.77 0.net
>>970
例えば、こういう思考実験はどうでしょうか。
極めて優れたアンドロイドが複数いて、
私とともに、あれこれ客観世界について考えます。
私は、アンドロイドに意識はないと考えますから、主観的意識=私です。

974 :時計 :2022/03/28(月) 08:59:42.34 0.net
>>971
人間に至る階層もすごく精密的ですよね。
素粒子、原子、分子、有機物、細胞、動物、人間。
外=考えられないことであれば、私もあると思っています。
断言はできないですけどね。

>>972
私は1000年後くらいに生まれたかったかなあ。

975 :でこすけ:2022/03/28(月) 09:00:14.59 0.net
>>972
ときどき生きていることに意味を感じなくなるのは
ただのゲシュタルト崩壊だと思いますが、
しかしもともと人生に意味は無いとも思えます。
私は昔、真夜中に宇宙人から教わったんですが、
人生は楽しむためにあるとのことです。
私はそのように考えることにしています。

976 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 09:16:40.31 0.net
本当の物自体は見ることはできない。だから間接的な認識しか出来ない。
このせいで、客観もまた主観であるという説明は反論出来ないだけであって、やっぱり物自体はあると思う。

主観の原因は、真の世界の姿を間接的に認知すること。

そして、認知したものを皆で共有して、真の世界の姿を人間が認知したように記述する。
これが客観的事実であり、主観の集まりだから信頼性が高い。

みたいに思う。

【客観は主観の一種だとして、どのような主観なのか】

を考えると、今説明したように「真の世界を、人間が理解できて主観的にも納得する形で記述されたもの」

が、客観的概念じゃないでしょうか?うまく説明出来ないけど、こういうイメージで客観的なものの根拠が保障されてる気がします

977 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 09:25:21.66 0.net
>>973
これは価値観の違いかな。
私は、意識は脳の生理現象だから、忠実に現象を再現すればそこに意識が生まれると思います。

だから、哲学的ゾンビは(物理状態が同じなら同じ物理現象が起こるはずなので)存在しないし、
逆に現象さえ起こせれば  命を持たず心だけあるロボットは作れると思ってる。

バ カげた話ですが、この宇宙かそれ以外か、どこかしらの空間で誰かの意識現象が一瞬でも生じていたら面白いですね。確率的にほぼ無理だろうけど。

978 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 09:30:38.64 0.net
まあ文学自体は本質がスカスカになってると思う。哲学もそうかも。
たとえば〜史とかでもさ。

979 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 09:31:19.41 0.net
魂やら霊など予後も唯物論の方が悩みないな。

980 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 09:31:58.90 0.net
唯心論だと予後にエゴのようなほうがいい。

981 :あをみどろ:2022/03/28(月) 10:07:56.17 0.net
「みどり(緑/身どり)」とは、いのちを身(み)として具体化することである。

982 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 10:24:42.60 0.net
学術 ウクライナスレに書くな アホ

983 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 10:29:29.13 0.net
>>981
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fe/Henri_Rousseau_Femme_se_promenant.jpg

984 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 11:49:46.55 0.net
>>966
「客観はある種の主観」であると
「存在は主観的と考えられる」何故なか・・・

意識のハードプロブレム的には「何故ならば」
でなく「何故なのか」理論を要請されるでしょうね、
この考えを強調する根拠として。

> 私は、存在は主観的であると考えています。
> 何故なら客観はある種の主観だからです。

という意見は個人的に考えたスレタイの仮説と
矛盾しないです、真だと思います。

985 :時計 :2022/03/28(月) 12:15:21.54 0.net
>>976
私も、カントの物自体の考えはカウンターになり得ると思っています。
いつか著作を読むかもしれませんが、後回しになっています。

私は、多くの人々が参画し作り上げる真の世界はあると思いますが、
一方で、宗教的な行為など、1人で到達する真の世界もあると思います。

私は、客観的世界は唯一的であることは本質的だと思います。
だから、他者であれ、アンドロイドであれ、
客観的世界に関して私たちと有意義に語り得ると思います。

>>977
他者の意識どころか、ロボットの意識さえ可能だという立場ですか。
極めて強い主張だと思います。
私は、価値観の世界というより理論的な違いだと思います。

チャーマーズは哲学的ゾンビは論理学的に可能だが、
自然科学的に不可能だということはあり得ると言っていたと思いますから、
977さんの考えと矛盾しないです。寧ろ、近しい感じもします。

986 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 15:47:37.35 0.net
存在が主観なら絶対的に客観的な事実の積み重ねができないじゃねーかw

987 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 15:50:10.01 0.net
ロボに意識が宿るとかは誰かの夢で普通不自然だと思う。

988 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 16:13:08.12 0.net
意識は物体に上乗せされるものではない

989 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 16:14:09.86 0.net
哲学的ゾンビは言語表現的な定義づけが可能なだけで
当のチャーマーズにも論理的根拠を伴う理論立ては
不可能だ、そもそもクオリアがなんなのか
立証されていない。
その上でクオリアというものが全くないという前提自体
なんらクオリアを前提する十分条件足りえない
この状態でに自然科学的な仮説が立つ道理もない
したがってチャーマーズが自然科学的に
哲学的ゾンビを説明することなど不可能のは
言うまでもない。って感じでしょうね。

990 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 16:30:26.67 0.net
>>987

逆に、意識は人間やそれに近い高度な知能を持つ動物にしか宿らないと?

それ、「意識は特別な物で人工的に作れない」という主張になりますよね。

たしかにここは意見が分かれるけど、

徹底した無神論・唯物論的な立場から言わせてもらうと
「生物の機能の一部は人工的に作れない、科学では説明つかない」的な非科学的主張に聞こえます。

むしろ、全て科学的に説明ついちゃ夢がないよねっていう常識があるから
心あるロボットなんておかしいと思うのではないですか?

そもそも神も仏もご先祖様も意味がないなんて、真実だとしても知りたくないという人も多いでしょう?
だから、ロボットに意識が宿る事が常識に反しても、この常識は感情的であまり公理化出来ないと思うよ?

991 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:43:15.64 0.net
魂や意識の乗り物として機械より自然信仰がいいと思う。アンドロメダの併用か。

992 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:44:05.38 0.net
イヴ とか クリスマスね、イルミネーションの中の心は。

993 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:44:48.85 0.net
イヴ の インターフェロモンしてるし。

994 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:47:19.03 0.net
夜景で一服塩湖畔でなあ。まあ明石は万葉時代から、柿本ね、自宅に柿木値神武より昔より。あれはカラスじゃないか歌人。

995 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:47:48.65 0.net
文学官僚というのがあれば哲学官僚もあるんです。

996 :死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医国文師悪魔召喚居士:2022/03/28(月) 16:48:06.84 0.net
ね。

997 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 16:51:39.08 0.net
>>990
高度な知能はいらないだろう、別に感覚機能が仕事する条件が整いさえすればいい。
虫だって感覚器があるから、人間のような分析的な意識はなくてもなんらかを感覚する
意味の意識はあると言っていいだろう。
心あるロボットと一口にいっても、意識と心、それぞれの意味する条件も不明だし
それを共有する徹底的な物理的根拠を上げ、その上で「心あるロボット」なるものが
どうやったら成立するのか、徹底した唯物論者なら説明できないと話にならないのでは
という感想を持ちましたけど、いかがでしょう。

998 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 17:56:36.72 0.net
>>997
心の定義みたいなものがあればいいんですけどね。
生物と非生物の違いのように、人為的でウイルスは生物じゃないみたいなことが起きかねない。

とにかく脳科学とかの発展を待つしかないですね。

今の時代ではあくまで仮説でしかないけど、将来的にどう線引きするか議論できるレベルに達するのではないでしょうかね。人類は。

ここが私の理論のダメなところというか弱い所になると思います。

999 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 18:18:03.60 0.net
>>998
定義が言語の意味を逸脱することは、まずあり得ないだろう
ひとまず意味を定義に用いるべきだと思われる。


1 人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。
また、働きそのものをひっくるめていう。

ひっくるめてというあやふやさは間違いの元、却下しておこう。
「人間の理性・知識・感情・意志などのはたらきの もと になるもの」
ということであれば、それらのはたらきをもたらす感覚ということで
いいのではないだろうか。

ウイルスは物理的に遺伝子である核酸を中心にして、その周囲を
蛋白の殻で包んだ構造からできており、感覚をもたらす構造はみあたらない。
等々まずは理論立てることが哲学的な作業だと思うぞ。
さあ議論をはじめようといっているわけではないw
自分の理性・知識・感情・意志を働かせないで将来的にどう線引きするか
脳科学の発達を、などと言っていたら哲学などできやしないという話だ。

1000 :考える名無しさん:2022/03/28(月) 18:21:06.59 0.net
>>990
おまえのうんこも人工物だぞアホw

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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