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カントさえ読まない馬鹿が哲板にいるらしい 3

125 :考える名無しさん:2024/01/19(金) 19:22:13.89 ID:0.net
このような感じで、カントにおける理性的主体の自由は、自然的な因果律や
外界の恣意性に拘束されるのでなく、定言命法(categorical imperative)や
格率(maxim)へ自律的に仕えて、因果律や外界の事情に左右されずに行為できる
存在者と、それが有する自由のことを指している。

動物には、こうした格率や定言命法的な指示、あるいは理念のようなものを
根源的に欠いているので、本能とその場の環境という関数で、その行為や振る舞いが
自動的に、つまり、決定論的に決定されるものとなる。人間でも、こうした格率、
あるいは、理性や理念、モラルを欠いた者は、動物以下の振る舞いをして、周囲や
社会に大きな迷惑をかけたりしてしまう。そうした不埒な者は、カント哲学の文脈では、
自然な本能的悪の衝動と環境変数に強制されるだけの自由のない存在者(=馬鹿)と
表現されてもよいであろう。

カント哲学を学ぶことは、単なる抽象的な認識論への理解に留まらず、人間の理性や
崇高さの本質などを考えてみる契機にもなるかもしれない。

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