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自然と認識 反オカルト会議室の方々へ

1 :偽パルメニデス ◆/Pbzx9FKd2 :2024/04/15(月) 04:54:02.93 ID:0.net
いろいろありましたね
初投稿当時は大部分の人からはまったく無視されました
馬鹿言っているんじゃないとシャーロック氏が噛みついてきました
無が存在したら無にならないと言ったら激怒されました
氏は死がいつからか解らないと言われましたが物理として死は存在しないと指摘しました
三澤氏がさすがに時間は存在するだろうと投稿していました

板倉氏は「科学と方法」の中で観たものがそのままの自然ではないことを地動説は示したと書いていました
今振り返りますとこの視点を徹底した形に現在わたしの理解はなっています
当時規定は否定とか、観測問題、不確定性原理、不完全性定理をどう理解したら良いのか悩んでいました
今では自分なりに解決しまして、投稿する気になりました

2 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 04:59:46.19 ID:0.net
近々ではフラットアース説批判から大きなヒントを得て最終的な答に辿り着きましたのでご報告させて頂きます

これでわたしのできることは終わりかなと思っています
大地震の予想もありますし
能登とかは可能性は低かったですがいつ起きても不思議ではないわけです
また最近体調が良くないこともあり投稿を決心しました次第です

なんかこれで終わるかなと思うと風景に対する感覚が違ってきています
母が救急車に運ばれていく前夜の就寝前の嬉しそうな笑顔は忘れられません
わたしもあんな笑顔をしたいなあと思ったりします
ちなみにわたしは幻覚体質で母が亡くなった数か月後にベッド傍に和服姿で立った母を見ました
こちらを見つめて消えていきました
わたしはまた来てねと呟きました
こういうのは人間だけでしょうか
萩尾望都の「アメリカン・パイ」の主人公のセリフはわたしには痛切です
ヒロインは死んだら思いは何処に行くのかと悩みます
わたしの結論が偽であれば幸せなんですが
新約聖書学、数学、共産主義・・・
学者の思いを裏切る結論だったことを見届けたものとしては物理学の結論は残酷になりそうかと
思いと現実が違うことを示してきたのが学問です

3 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:02:34.56 ID:0.net
それはともかくわたしは自分の理解が正当だと思えるのですから至福です
でも慙愧に耐えないことも確かです

後世の人たちはどう判断するかは解りませんがとりあえずです

そういや新約聖書学、数学はドイツ人の徹底さで成し遂げられました
共産主義は日本人が結論を出しました

自然科学の結論は日本人学者でという思いがあります
未来の学徒に期待します

新約聖書学、共産主義の学的結論は感情が絡み信者たちは承認しないでしょう
ネットでも伺えます

自然科学はヒルベルトがそうであったように渋々というか嫌々認めると予想します

確定したら阿鼻叫喚になりそうですが、わたしはその頃には居ないでしょうから

見届けられないのは幸か不幸かはわかりませんが
これも決定不能になるのかな?
わたしは「アメリカン・パイ」の主人公のように、あの世など無いのだと判りつつ、姉たちとあの世の肉親たちについて話したりします

人は幻想に生きますから無碍に否定したくないわけで
ずいぶん身勝手ですが
震災、戦争を潜り抜けた世代と較べたらと思います
震災は有るでしょうが、皆さんとともに無事に潜り抜けたいです

こんなことを思うのは死期が近いからでしょうか
ある先輩は十数年前に亡くなりましたがいろいろ上手くいかなくて、早くあっちに行きたいと言ってたそうです
わたしは行きたいような行きたくないような
でも死んだら楽になれるかなとも思います

4 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:06:07.86 ID:0.net
自然科学と数式

ライプニッツはニュートンの重力方程式に敬意を表したが遠隔作用するという重力概念は魔術的と拒否して、渦モデルを提唱したが完成しなかった
当時ニュートン力学はオカルト扱われたというのを読んだことがありますがライプニッツの拒否もその一つだったのかも知れません
1970年代にハイゼンベルクは現代科学は数式で矛盾を隠していると批判した
武谷三男氏は違う方向で現代科学の在り方を批判的にみていた
ホーキング博士は最終方程式まであと僅かと述べましたが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語った
少し前に現代科学は全てを表す神の方程式を求めているというドキュメンタリーをテレビで放映していました

数式と自然は何かとは、はどうも違うようですから神の方程式と自然科学の完成は関係が無いようです
数式は正しくともニュートン、ハイゼンベルク、ホーキング博士の例でその自然理解は必ずしも正しいとは限らない可能性が有ることを示唆しているのではないでしょうか

日本のある物理学者は人間が何処から来て何処に行くのかを知りたいと語りました
わたしは自然、学問、とりわけ自然科学、論理、認識とはを納得できる形で理解したいと考えてきました

5 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:07:49.49 ID:0.net
1995年に「ゼノン四つの逆理」を山川偉也氏が著しパルメニデスの自然観、多ではなく一であるという理解を擁護したのがこの逆説だと指摘されました
板倉聖宣氏は「新哲学入門」で論理は静的だと指摘しました
三浦つとむ氏は「弁証法はどういう科学か」で自己言及の認識論的構造を明らかにしました

現代科学は観測問題、不確定性原理をどう理解したら良いのかが未だに解っていません
また宇宙論の定説と言われるビッグバン仮説は確かな証拠がありません
宇宙背景放射は違う理解が可能だと指摘する天文学者がいて、スムート博士はその可能性を否定できないとコメントしました。
これは十九世紀に火星に「運河」を観測したと発表した米国の天文学者と同じ過ちの可能性があるということだと記事は締め括ります
赤方偏移は宇宙の膨張を示さないというアープの理解があり、またいわゆる大構造はこの仮説が想定する時間の数倍が必要であるという問題があります

二十世紀末にワインバークグループは宇宙の始まり解明まであと僅かに迫っているとしましたが現在に至るまで成し得ていません
科学者は死がいつからかを特定しようとしていますが同様に成しえていません
わたしは物理として生滅は無いと自然科学はエネルギー保存則で示したと理解しています

6 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:08:56.86 ID:0.net
ビッグバン仮説は対象に宇宙非宇宙と否定関係を想定しています
つまり対象に否定関係が存在しているという理解です
光速度一定の原理は絶対座標が存在しない、つまり時空に始まりは存在しないということを示します

ビッグバン仮説は確かな証拠は皆無ですし前提原理原則を否定していて疑問だらけの仮説です

二十世紀末にドイツの科学者は時間が存在しない可能性に触れています
今世紀に入り科学啓蒙番組で時間の存在を否定する科学者がその説を展開しました
同番組では別の回で重力理解に疑義を呈する科学者が登場しました
後年科学雑誌では時間は存在しないと主張する科学者たちを特集しました
日本では九十年代に現代科学の視点からあれは×これは、と裁断する民間団体が登場しましたが科学者らは現代科学は新しい視点を摸索中であると批判しました
今世紀に入り量子力学は新たな理論が求められているとテレビで著名な科学評論家が語り、それを受けて研究者らしき方がネットで最前線は一条の光も射さないと投稿しました

コペルニクスは古代に新たな自然理解を求め地動説に巡り合ったそうです
ある数学者は学問の最前線はしばしば古代にその範を求め新展開があることを科学、数学などで例を挙げていました

わたしは古代ギリシャの哲学者であるパルメニデスの自然観から自然、論理、認識、人間を考えることにします

7 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:10:59.41 ID:0.net
自然科学は自然の一部である人間の自己言及という性格があります
つまり自身も自然ですし、自然を認識する認識器官は自然が生成した物理状態なのです

板倉聖宣氏は地動説は観たものがそのままの自然ではないことを示したと記します
諸天体は地球の周りを運動しているように見えます
また物理は生滅して視えますが物理自体としては何も生まれませんし無くなりません
〈ここ〉からとわたしたちは認識しますが光速度一定の原理はその存在を否定します
真空、無と認識しますが量子力学では真空はエネルギーの基底状態であり無ではありません

以上のことで解りますが認識した自然はそのままの自然ではありません

自然が生成した生物の認識器官の態様は違いますから生成される自然像は違います
また人間より認識する範囲が狭かったり広かったりと様々です
これはいわば食材が様々な料理法で違う物理状態に生成されるのと同じでどれが正しいということではありません
あくまでも自然の物理状態の態様をその物理条件で生成した像であり正しいのはどれということではないのです
また認識器官にすべてを反映することはありません
有限というわけです

8 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:14:41.57 ID:0.net
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定します
これは〈ここ〉からが存在しないということです
ここ〈から〉はまたここ〈まで〉ですから両方ともに無いわけです
つまり無限です
対象には、〈ここ〉、座標原点が存在しないということは0、無、運動の否定である静止が存在しないということです
つまり対象には否定関係が存在せず、自然の存在形態は運動ということになり、無矛盾です
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡であり、その親和反撥でまた違う濃淡を生成していく過程です
光速度一定の原理はこの自然観を裏付けます

自然科学は人間もまた自然の一部であることを示します
つまり自然認識は自己言及でもあります

自己言及という認識を解明をしたのが言語学者である三浦つとむ氏です
地図を描く場合にわたしたちは頭の中で空中から町、日本、地球、銀河系などを眺めることができます
またこの能力では頭の中で古今東西に行き来可能ですし、映画や小説の登場人物にも成れます

9 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:14:42.22 ID:0.net
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定します
これは〈ここ〉からが存在しないということです
ここ〈から〉はまたここ〈まで〉ですから両方ともに無いわけです
つまり無限です
対象には、〈ここ〉、座標原点が存在しないということは0、無、運動の否定である静止が存在しないということです
つまり対象には否定関係が存在せず、自然の存在形態は運動ということになり、無矛盾です
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡であり、その親和反撥でまた違う濃淡を生成していく過程です
光速度一定の原理はこの自然観を裏付けます

自然科学は人間もまた自然の一部であることを示します
つまり自然認識は自己言及でもあります

自己言及という認識を解明をしたのが言語学者である三浦つとむ氏です
地図を描く場合にわたしたちは頭の中で空中から町、日本、地球、銀河系などを眺めることができます
またこの能力では頭の中で古今東西に行き来可能ですし、映画や小説の登場人物にも成れます

10 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:19:24.21 ID:0.net
〈わたし〉という表現は現実の自己を他者として観念の中で認識した言葉です
自然科学という認識の場合もそうですが物理という有を観念という無で認識します
運動は静止で規定します
物理状態は常に変化していますが、物理として生滅はありません

わたしという物理状態は静止することはありませんから同一であることはありませんが同一のわたしと規定します
ある物理状態は自然の濃淡の親和反撥の過程で生成され自身も違う物理状態に生成していく過程であり物理としての生滅はありません
違う物理状態から生成されまた違う物理状態に生成する過程を生死と規定するのであり物理としての生滅はありません

ウイルスは生物非生物と分類は困難ですが、物理状態として生物非生物は差異であり否定関係ではありません
物理状態の差異を生物非生物と否定関係で規定します

自然の濃淡の淡は認識できませんからここからここまでと認識されます
自然に形は存在しませんが形として認識するのは認識の在り方です

運動は静止で、物理状態の遷移は生死で規定しますが生死は物理としては存在しません
物理は状態が同一であることはありませんが同一として規定します
スピノザは規定は否定としました

アガサ・クリスティーはミス・マープルに「変れば変わるほど変わらない、変わらなければ変わらないほどますます変わる。両方真実だ。」と語らせます

11 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:19:24.83 ID:0.net
〈わたし〉という表現は現実の自己を他者として観念の中で認識した言葉です
自然科学という認識の場合もそうですが物理という有を観念という無で認識します
運動は静止で規定します
物理状態は常に変化していますが、物理として生滅はありません

わたしという物理状態は静止することはありませんから同一であることはありませんが同一のわたしと規定します
ある物理状態は自然の濃淡の親和反撥の過程で生成され自身も違う物理状態に生成していく過程であり物理としての生滅はありません
違う物理状態から生成されまた違う物理状態に生成する過程を生死と規定するのであり物理としての生滅はありません

ウイルスは生物非生物と分類は困難ですが、物理状態として生物非生物は差異であり否定関係ではありません
物理状態の差異を生物非生物と否定関係で規定します

自然の濃淡の淡は認識できませんからここからここまでと認識されます
自然に形は存在しませんが形として認識するのは認識の在り方です

運動は静止で、物理状態の遷移は生死で規定しますが生死は物理としては存在しません
物理は状態が同一であることはありませんが同一として規定します
スピノザは規定は否定としました

アガサ・クリスティーはミス・マープルに「変れば変わるほど変わらない、変わらなければ変わらないほどますます変わる。両方真実だ。」と語らせます

12 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:19:25.72 ID:0.net
〈わたし〉という表現は現実の自己を他者として観念の中で認識した言葉です
自然科学という認識の場合もそうですが物理という有を観念という無で認識します
運動は静止で規定します
物理状態は常に変化していますが、物理として生滅はありません

わたしという物理状態は静止することはありませんから同一であることはありませんが同一のわたしと規定します
ある物理状態は自然の濃淡の親和反撥の過程で生成され自身も違う物理状態に生成していく過程であり物理としての生滅はありません
違う物理状態から生成されまた違う物理状態に生成する過程を生死と規定するのであり物理としての生滅はありません

ウイルスは生物非生物と分類は困難ですが、物理状態として生物非生物は差異であり否定関係ではありません
物理状態の差異を生物非生物と否定関係で規定します

自然の濃淡の淡は認識できませんからここからここまでと認識されます
自然に形は存在しませんが形として認識するのは認識の在り方です

運動は静止で、物理状態の遷移は生死で規定しますが生死は物理としては存在しません
物理は状態が同一であることはありませんが同一として規定します
スピノザは規定は否定としました

アガサ・クリスティーはミス・マープルに「変れば変わるほど変わらない、変わらなければ変わらないほどますます変わる。両方真実だ。」と語らせます

13 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:35:02.12 ID:0.net
ヘーゲルはここ、今と指示するとここ、今は飛び去ると語り、運動は存在すると同時に存在しないことと定義します
ここ、今という規定は静止だからです
宇宙が存在すると規定する場合、存在は静止であり同一という規定だからです
運動は〈存在〉しますが存在という規定は静止だからこの規定になります

不確定性原理は運動を静止で規定するからです
数学で言う0に限りなく近いが0では無いという規定は有を無で規定するからです
自然をそのまま認識することはできません
測定値は近似値が必至なのです
認識の在り方の問題でありなんら対象である自然の問題ではありません

観測問題もまた対象の問題では無く認識の在り方の問題です
自然は運動する濃淡ですが、ある物理条件では波は渦の状態、つまり粒子として認識器官に像を生成するということです

次元は光速度一定の原理がその存在を否定します
仮に四次元が存在したら静止した三次元が無限に存在することになります
時間が存在したら過去も未来も存在することになりますが、自然に存在するのは現在、現に在るものだけです
上にも書きましたが、ヘーゲルは今、此処と指示すると今、此処は飛び去ると書いています
これは運動する自然を静止で規定するからです

自然は無矛盾であり一ですがそれを規定する場合はその否定、つまり多で規定しますから時間が必要になりますが存在しません
0に限りなく近いが0ではないという規定の所以であり一を多で規定するから次元が必要になります
この今を直接そのまま認識することはできませんから量、つまり時間で認識するわけです
時間で規定しますが時間は存在しません
静止で規定しますが静止は存在しません

14 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:37:03.56 ID:0.net
光速度一定の原理は運動を静止で規定しますが静止が存在しないことを示すことで自然が無矛盾であると証明します
つまり規定は自然には存在しないことをもって自然が無矛盾である事を証します
規定すること、理解すること自身が決定不能の原因です
対象は理解可能ですが理解することは理解が対象の否定で為されます
有は無で規定しなければなりません
対象は可知であるが故に不可知です

自然科学は認識の在り方の相対化の歴史でもあります
対象は絶対でありそれを相対で認識するということです

15 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:38:29.74 ID:0.net
疲れましたのでとりあえずです

16 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:41:35.29 ID:0.net
自然科学から導いたわたしの自然観

自然は運動するエネルギーの濃淡でありその親和反撥でまた違う濃淡を生成していく過程ということです
最小単位は存在しません
自然は運動するエネルギーの濃淡の海であり濃淡の差異が親和反撥してまた違う濃淡の差異を生成、認識器官に結ぶ像である〜に成るということです

17 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:42:45.88 ID:0.net
自然自体は濃淡の海で〈一〉であり〈多〉ではありません

重力は運動関係変更に要するエネルギー量です
他の諸力はその物理状態に生成するのに要するエネルギー量です
諸力は存在しません
時間も存在しません
意識は自然が生成したある物理状態の附随現象です
意識は生滅するからです

ライプニッツのニュートンの遠隔作用とする重力概念拒否は正しいのではと考えています
ポーは自然が無限ならば重力で潰れると無限宇宙を否定した
有限で認識するが有限は存在しません
有限で認識するその有効性は無限では範囲外です
光速度一定の原理の30万+30万=30万を想起してください
この原理は対象が有限であることを否定しています
また認識の在り方を相対化しています
有限で規定しますが有限は存在しません

18 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:44:23.13 ID:0.net
自然認識と哲学

まずゼノンの逆説を考えます

自然に最小単位が在るのならその半分が在ること、つまり最小単位が無いことを競技場の逆説は示します
数で自然は出来ていないのだということです

ピタゴラス学派は数には大きさが無いとします
ならば目的地に達することはなくアキレスは亀を追い抜けないと二分の一の逆説、アキレスと亀の逆説で示します

自然が大きさの無い点で出来ているのならば運動は不可能であることを飛ぶ矢の逆説で示します

数は存在せず自然は一であるということです
数で規定しますが数は存在しません

カントの二律背反は自然に終始が有るとともに無いことを示します
これは終始が無い自然を終始で規定するということです

スピノザは規定は否定と語ります
自然は一ですが多、数で規定し、無限ですが有限で規定するということです
ヘーゲルの運動規定は静止で規定するからです

これらは無矛盾である対象をその否定で規定するから決定不能になるということです

諸難問の原因はなんら対象の問題ではありません
それを対象の否定で規定するからです

クレタ人の逆説は対象をその否定で規定するからです
クレタ人は嘘つきなのにその否定、つまり嘘つきクレタ人が正直に規定するからです

19 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:46:07.53 ID:0.net
自然科学は自身で自然の無矛盾性を証明できない
しかし自身の否定により無矛盾であることを示す

光速度一定の原理は対象の否定である規定を否定して対象である自然が無矛盾であることを証明します
規定は対象の否定ですから規定は対象には存在しません
静止、生死、終始などは対象には存在しません
対象に自然非自然という否定関係は存在しません

対象は絶対であり、認識の在り方を相対化していく歴史が自然科学の一側面です

20 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:47:34.32 ID:0.net
わたしは高校時代に遭遇したゼノンの逆説で惑乱し「零の発見」で未だ数学の諸概念が確かなものではないことが解り、重力概念が理解できず理数系を諦めました
七十年代にハイゼンベルク、武谷三男諸氏が現代物理学の在り方に疑問を呈しました
九十年代初頭に「ビッグバンはなかった」の著者は科学革命の必要を主張しました
90年代にライプニッツがニュートンの重力方程式に敬意を表したがその概念は魔術的と受け容れなかったことを読み驚きました
九十年代はオカルトが跋扈しましたが、それは物理学の重力概念が遠因ではないかと思う様になりました
時間は存在しないとか、重力理解に異議を唱える科学者が出てきました

21 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:48:38.43 ID:0.net
ビッグバン仮説は未だに確かな証拠はありません
量子力学は新たな理論が求められていてます
新たな視点、科学革命が必要だと主張する科学者たちは1980年代末から洋の東西を問わず出てきています

要するに学問は科学でさえその基礎は暗中模索状態なのではないでしょうか

わたしは観測問題、不確定性原理、光速度一定の原理、決定不能、哲学の諸難問を納得できる形で解決、理解したかった

自然とは、自然科学とは、論理、認識とはを理解したかった

それを通して人間とはを最終的に理解したかった
正直七十年代に新約聖書学、マルクス主義、九十年代に数学の結論を知り驚いた
いずれも学者たちの思いを裏切る形となる

近年では知はボトムアップであり統制経済というか共産主義はトップダウンで成立しないと「進化は万能である」の著者は語る
板倉氏は「新哲学入門」で禁酒法、社会主義は対象である社会が答えを出したという理解を記しました
どんなに論理がもっともらしくとも対象がノーと否定していると板倉氏は語ります
七十年代から八十年代末に政治学者滝村隆一氏は国家は不滅で共産主義は成立しないとソ連圏崩壊を予言した

ここからわたしたちは多くを学べるのではないのでしょうか

いずれにしても学問も人間もこれからではないかと思えてなりません

わたしは基礎が解りたいし、確立したいのです

22 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:50:58.24 ID:0.net
地面を眺めているのが好きな子供でした
蟻、オケラなどの小さい虫を飽きずに見ていました
小さな野球場で友だちたちと遊んでいたら年上の少年が現れカエルの腹をナイフで割き糸と針で縫ったら池に戻っていったのを呆然と眺めていたことを良く覚えています
夕方になり蝙蝠が空を飛んでいたりと自然に恵まれていた気がします

ある時地面を見ていてふと天を仰ぎましたらその向こうには壁があるのだろうか、その向こうには何があるのだろうかと思ったら怖くなり家に走り帰ったことを鮮明に覚えています
それから七十年近く経ちますが、自分なりに納得できる理解が出来たと思っています

23 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:52:08.31 ID:0.net
三浦さん、板倉さんに学問を案内されたと個人的には思っています
どうしたら良いのか解らなかったわたしに教えてくれた彼らに感謝します

また私を支えてくれた両親、親族、友人には感謝しようがありません

自己満足ですがとりあえずです
八割方は出来たと思っています

これをヒントにした学者が出てきたらこのうえない幸せです

24 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:53:06.27 ID:0.net
付記
かつてオカルト否定派の上岡龍太郎氏は織田無道氏に対して理論を完成してから登場してくれと批判しました
わたし自身は上岡氏のオカルト否定に賛成しますが、わたしの論はその時々の様々な人たちの理解に触発されて展開してきました
完成とは程遠かったですし、この辺は反オカルト会議室の方々には多大な迷惑をかけたことをお詫びしなければなりません

さて、わたしも古希を越えました
馴染みの新刊書店はとうに閉店して古書店も続々と閉店しています
先日閉店する四十年以上馴染みの古書店の最期を看取りました
近くにはカバーと店員さんが感じが良かった新刊書店がありましたがとっくに閉店していました
半世紀ほどカバーをしたままの本が今でもあったりします
三十年ほど読んでいないんですが、新しいことを身につけるうえでとても影響されました
廃業した新刊書店の外装がけっこう長く残っていましたが今ではすっかり装いを変えていて面影はありません
隣の町に本店があった書店は撤退、本店自体も縮小していました
去年は六十年近く行った古本屋が閉店しました
わたしもそろそろ人生の閉店時期かななどと感慨にふけりました

会議室の方々とは喧嘩別れが多かったんですが、みなさん、お元気で幸せにお過ごしください
わたしはこの問題にかかわると廃人に成ると言われた問題にとりあえず自分なりの解決ができました
ある意味大失敗、ある意味大成功の人生だと思っています

会うこともありませんでしょうが最後はきちんとしたいと思います

本当にありがとうございした
心から厚く御礼申し上げます

25 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:54:29.48 ID:0.net
さてと
日本に生まれて良かったと思う様になりました
なによりも父母の想いを理解出来るようになった
それを産んだ戦前の文化、伝統の長所短所を体現化したような肉親でした
全部肯定は出来ませんが人間としてはわたしなどは足元にも及ばない気がします

日本社会をどう発展させていくのか、守っていくのか
知人の両親は敗戦前後生まれのエゴの塊のような夫婦です
子どもたちが可哀想でなりません

運もあるんですね
わたしはいろいろ幸せでした

26 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:58:47.08 ID:0.net
重力は運動関係変更に必要なエネルギー量です
その他の諸力はある物理状態に生成するのに必要なエネルギー量です
力として理解していますがエネルギー量に置き替えられます
次元は認識器官に生成する物理状態の像の抽象です
時間は物理状態の運動量にして理解するために必要なだけで物理として存在しません
力、次元で理解しますがこれらは存在しません

静止、終始、生死で規定しますが自然にこれらは存在しません

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥してまた違う物理状態に生成されていく過程としてあるだけです

認識規定するのに必要なだけで物理として存在はしません

27 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:58:48.40 ID:0.net
重力は運動関係変更に必要なエネルギー量です
その他の諸力はある物理状態に生成するのに必要なエネルギー量です
力として理解していますがエネルギー量に置き替えられます
次元は認識器官に生成する物理状態の像の抽象です
時間は物理状態の運動量にして理解するために必要なだけで物理として存在しません
力、次元で理解しますがこれらは存在しません

静止、終始、生死で規定しますが自然にこれらは存在しません

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥してまた違う物理状態に生成されていく過程としてあるだけです

認識規定するのに必要なだけで物理として存在はしません

28 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 05:58:48.99 ID:0.net
重力は運動関係変更に必要なエネルギー量です
その他の諸力はある物理状態に生成するのに必要なエネルギー量です
力として理解していますがエネルギー量に置き替えられます
次元は認識器官に生成する物理状態の像の抽象です
時間は物理状態の運動量にして理解するために必要なだけで物理として存在しません
力、次元で理解しますがこれらは存在しません

静止、終始、生死で規定しますが自然にこれらは存在しません

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反撥してまた違う物理状態に生成されていく過程としてあるだけです

認識規定するのに必要なだけで物理として存在はしません

29 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 09:30:19.93 0.net
空理空論

30 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 15:07:26.13 0.net
存在しないことばかりだな…

31 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 02:06:48.63 0.net
具体的に指摘しない方が空理空論

32 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 02:12:32.24 0.net
規定は否定
有を無で規定する
存在しないもので存在するものを規定する

極めて単純
極めて豊穣

33 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 02:14:31.39 0.net
具体的にどこがおかしいと指摘しないと答えようがない

34 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 04:33:53.59 ID:0.net
自然は一、無矛盾

35 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 04:46:04.23 ID:0.net
304 名無しさん 2023/06/30(金) 01:55:49 ID:WkkkBM3U [3/85]
しかし凄いな
本当凄い
こんな議論が上がること自体が異常

▼ 557 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 05:46:34
>>304
あるところで大谷がいるから頑張れるっていう人がいた
ライフワークがあって、挫けそうになると大谷観るとやるきに成れるとか

やることがあるって退職してあと何年もその時々のやりたくもないことやって過ごす身としては羨ましくてしょうがない

571 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 05:48:32 ID:WkkkBM3U
>>557
本当にそうだね
いつも挫けそうになるけど繊細な大谷が大胆に頑張ってる
それだけで頑張れる

36 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 04:47:59.08 ID:0.net
.▼ 829 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 06:34:21
>>571
バブルの時に年寄りの助言で浮かれず上手く対応した知人がいたなあ
嫉妬していないで、その人から学べば良いということか

良い結果をだしている人からは学ぶことが多いってことだな

・・・まあ目標が明確だから可能なんかな
バブルで浮かれて弾けたら悲惨な余生という人もけっこういるからなあ
そこからも学べるけど、うーん・・・
嫁が馬鹿でマジ浮かれ放題で弾けたら義両親の遺産狙い逃げられたという話がありワロタ

しかし生きるとは面倒だよな
一期の夢よただ狂えも正しいが
あっ、大谷もただ狂っているだけかもな

でも大谷みたいに目標が明確で道を突き進めるのは羨ましい
自身も振り返ることも無く嫉妬するのは醜いし、一番成りたくない人間の見本

37 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 04:50:49.21 ID:0.net
848 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 06:37:51 ID:WkkkBM3U
>>829
生きるのはしんどいよね
めちゃしんどい
一時期良い時があってもそれが続くとは限らんし
却って人間性糞になることもある
全ての人間にできることは宿命に対して一生懸命立ち向かうことなのかも
自分は逃げてばかりいたけど大谷観てると感じることがある
補欠でも頑張りたい

▼ 953 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 07:08:15
>>848

> 全ての人間にできることは宿命に対して一生懸命立ち向かうことなのかも
> 自分は逃げてばかりいたけど大谷観てると感じることがある
> 補欠でも頑張りたい


ですね
補欠にもならないかもしれないが、自分なりに頑張り大谷にすこしでも近付きたいと思う

今日は頑張れるかな

ありがとうございました
とりあえずやりたいことは少しありますので

ではまた

38 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 04:52:24.14 ID:0.net
966 名無しさん@実況は実況板で 2023/06/30(金) 07:11:10 ID:WkkkBM3U
>>953
同じ時代を生きた人間としてエールを送ります
お互い頑張りましょう
補欠にもなれなくても、自分もそうですが意地を見せたいですね!

39 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 05:01:14.82 ID:0.net
一年経ってないのか

わたしには自然は絶対なんです
認識された自然は認識器官に反映された自然
静止、終始、形、生滅、有限は存在しません
次元、諸力などで自然を理解するがこれらは存在しません 

40 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 05:17:38.45 ID:0.net
いろんな死がありますね
幼くしてとかはなんか・・・
ある方の小学生の友人は二十代半ばで窃盗団の一人として
追いかけられて事故死
小学校の時に交通事故に遭わされたのでその人は同情してない

またある夫婦は親戚はもちろん子供にも見放された
知人は騙されたことを知り皆見放す

天網恢恢疎にして漏らさずの見本

41 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 05:22:50.95 ID:0.net
小賢しいのは結局駄目ですね
いや自然科学も興味ありますが
どうやって生きていくのが賢明なのかが主題なんですかね

他人、歴史の教訓を活かすことを学びたい

42 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 08:01:58.83 0.net
嘘をついてはいけないという教育は人は嘘をつかないと思わせるからいけいない
武谷三男氏の言葉をうけて板倉聖宜氏が仮説実験授業を提唱した

いろいろ変わっていきますね
過程として捉えることが重要とはヘーゲルの言葉です

43 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 08:03:53.39 0.net
板倉聖宣さんですね、間違えました
訂正します

44 :考える名無しさん:2024/04/18(木) 19:46:23.44 0.net
観測問題は物理の普遍問題かな
ある物理状態が物理条件で否定関係に生成するのは特別ではありませんから

ただ物理条件が重ならないと
物理状態と物理条件との関係では同じですが
強引過ぎるかな

45 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 12:43:24.22 ID:0.net
無駄な文章・内容が多く肝心な主張は感覚的で説明不足で説得力に欠ける
かろうじて読み取れる内容はありきたりで目新しさがない
無矛盾な妄想は単に役に立たない妄想でしかない
誇大妄想なのか自己愛性格者なのかわからないが一度心療内科を受診して話を聴いてもらいなさい

46 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 17:58:16.53 0.net
>>45
自己言及ですか w

47 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 04:11:02.14 0.net
>>22
>ある時地面を見ていてふと天を仰ぎましたら…怖くなり家に走り帰った…
・ある時私は原因のよく分からない高熱にうなされて2、3日ほど寝込んでいた。そのときに何だかよく分からない夢を見た。宙に浮かび静止した虹色模様の輝きを放つ不思議な球状物体が、私に向かって何事か意味深に語りかけるように夢の中で私は感じた。当時の私は些細な不幸が幾つか重なり十分若いと年齢なのにいつ死んでもいいくらい投げやりに日々を生きていた。

>>21
>私は基礎が解りたいし、確立したいのです…

48 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 05:13:52.43 0.net
(途中で送信したので、>47 の続き)
その不思議な夢を見た翌日は、しとしと雨が降る日だった。私の寝ているベッド脇の南向きの小窓からは、軒下の雨樋の隙間から伝い漏れる雨水がポタポタと滴る雨音が、日中の静かな部屋に絶え間なく響いている。
未だ身体の熱を感じる私は目を閉じて雨音に耳を澄ます。
滴る雨音の向こうに雨樋の中を勢いよく流下する水流の影をつよく感じた。
その向こうには遥か空の雨雲で生成した雨粒が空気中を地面に向かい勢いよく落下して自分のいる家屋の屋根にぶつかり弾け散る様子をありありと感じた。
些細な事だが私にとっての世界がそこにあった。

ここで私の提案ですが、
3日ほど目を閉じて過ごしてみて下さい。
その後2日ほど耳を閉じて過ごしてみて下さい。
その後1日ほど目と耳を閉じて過ごしてみて下さい。
その間を過ごす環境の選定については、
部屋の中にナイフ等の鋭利な尖った物を置かないこと、ペット容器に入った飲料水や、スナック菓子や食パン等の簡単に扱える食事を適量用意する。
トイレは部屋の中に併設されるのが理想的ですが部屋を出て壁伝いに数歩以内にあれば良いでしょう。
もし身体の汚れが気になる場合は、風呂やシャワーは基本的に使用せず、水道水に浸したタオルで身体の汚れを拭き取ります。
そしてこの試みの最も重要なこと、この間はできる限り通常と同じように過ごすように努めて下さい。

私たちの身体に備わる感覚器が常日頃もたらす情報流入の一部を意図的に塞ぐ事で、私たちの心身面に与える最も単純な影響について、完全なコントロール下で、ありありと感じ取る事ができると思いますよ。

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