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三島由紀夫@伝統芸能板

1 :あぼーん:NG NG.net
あぼーん

2 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 01:26:59 .net
二つ目になれないのを苦に切腹する立川キウイ。

3 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 01:46:32 .net
まつけん3ば

4 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 02:02:28 .net
ヨン様

5 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 02:15:05 .net
野口5郎

6 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 02:41:15 .net

関連スレ

三島由紀夫@演劇板
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/drama/1026922789/

7 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 02:44:58 .net

関連スレ

三島由紀夫全戯曲上演プロジェクト
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/drama/1122804691/

8 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 11:16:16 .net
大河ドラマで「豊饒の海」(当然大河初の4部構成で)をやったら、NHKはGODケテーイ。

9 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 12:31:33 .net
↑見たい…

しかし
あれをこなせる役者がいる?

10 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 16:04:31 .net
三島の歌舞伎台本って、今も上演してるの?

11 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 16:15:27 .net
鰯売りやったばっかりじゃない

12 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 18:43:10 .net
>>8&9
もし万が一大河でやるとしたら、どういうキャスト希望?>豊饒の海

13 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 18:58:26 .net
「芙蓉露大内実記」見たい。

14 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 19:15:59 .net
椿説弓張月観たい

15 :重要無名文化財:2006/01/29(日) 21:59:32 .net
この間は最悪だったけど、ちゃんとした弓張月が観たい。馬琴の原作、本当はとても面白いから。

16 :重要無名文化財:2006/01/30(月) 04:49:51 .net
↑同感

17 :重要無名文化財:2006/01/30(月) 04:54:35 .net
>>12
この間の映画「春の雪」酷すぎるw


聡子→宮沢りえ
清顕→大沢健

↑これが嬉しい

18 :重要無名文化財:2006/01/30(月) 14:36:05 .net
↑それは美しいね。

19 :重要無名文化財:2006/01/30(月) 18:46:42 .net

六世歌右衛門>>>>>(不思議な壁)>>>>>三島由紀夫

不思議な話だ

20 :重要無名文化財:2006/01/31(火) 19:07:17 .net
>>15
最悪って三島の台本が?

21 :重要無名文化財:2006/01/31(火) 20:47:37 .net
三島は初演の時も辟易してたという話しだよね。
猿之助がこれでもかっていうくらいグロに演るので
「いい加減にしてくれ」って。

22 :重要無名文化財:2006/01/31(火) 23:11:20 .net
この間の弓張月は演出がひどかった。
幕開き、忠臣蔵の大序みたいに役者さんたちが舞台上に並んで人形のように起きあがったので
期待していたら、ほとんどセリフを割っていない。名乗っただけ。
経緯なんかを猿之助さんが長々一人で喋りまくってて、まずひいた。
あそこは割った方が絶対面白かったと思う。
その後もスーパー歌舞伎の演出ソックリだったり
原作の面白い場面がバッサリなかったり…。
見せ場見せ場がブツ切れで、通しの意味なかった。

スーパー歌舞伎の三国志の時も思ったけど
もしまた上演する事があったら
三島より先に、まず原作をきちんと読んでる人に演出して欲しいなあ…。
そうしないと、台本の言葉が生きてこないのではないかと思う。
別物として見るにしても。

23 :重要無名文化財:2006/02/01(水) 07:07:12 .net
↑あっ 同感でつ


24 :重要無名文化財:2006/02/02(木) 22:53:42 .net
>17
聡子→宮沢りえ
清顕→大沢健
ってのは、10年前ならいいけど、
今じゃトウがたってるよ。
ついでにage

25 :重要無名文化財:2006/02/02(木) 23:14:36 .net
春の雪の劇場の階段は国立博物館のなんだよね?

26 :重要無名文化財:2006/02/02(木) 23:31:31 .net
宮沢りえは口跡が悪いっつーか、声が独特な感じでくぐもってるから
何やっても「がんばってる宮沢りえ」なんだよね。

27 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 00:22:04 .net
NHK大河ドラマ「豊饒の海」なら、
清顕は、歌舞伎界で10代の御曹司がよいのでは?
誰かいない?

28 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 00:45:54 .net
>>25
そのとおり。東博本館の正面大階段。

29 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 00:47:27 .net
地方人だから最近始めて博物館に行って気がついたw

30 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 15:07:27 .net
尾上松也でどうでしょうか

31 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 18:30:51 .net
↑に禿同。

32 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 21:12:55 .net
>>26
しかし聡子役に必要な
「華族の令嬢の美貌&気品」となると宮沢りえしか…

あと
若き日の美智子様とか…

33 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 22:47:52 .net
気品あるかなあ?

34 :重要無名文化財:2006/02/03(金) 23:17:16 .net
"君の名は"の頃の鈴木京香がいい。
あと数年後の中村隼人が清顕ってのはどうだろう。
映画見てないけど、本多や飯沼は誰がやってるの?

35 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 00:42:27 .net

鈴木京香>安っぽい〜!

36 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 01:27:00 .net
>>34
映画での本多役は高岡蒼佑。

聡子役はオーディションで選ぶというのも。
あと、設定がやや子供っぽくなるかもしれないが、石原さとみ、上野樹里、演技派の黒木メイサとかはやっぱりダメかな?
「暁の寺」のジンジャン姫は、鈴木杏、香椎由宇、小嶺麗奈も候補。


37 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 01:41:12 .net
↑なんだか「ロリータ豊饒の海」ですね


38 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 01:44:41 .net
映画もいいけど、「豊饒の海」四部作で、新派の復興というのは?

39 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 02:35:40 .net
36のキャスト寺ワロスwww

NHK大河でやるとしたら、番組スタートに少し先駆けてか、あるいは始まってちょっと経ってからかに、
「三島文学へのいざない」みたいな企画を、何回かに分けてやってほしいなんてw

40 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 12:12:42 .net

「本多の覗きシーン」とか「久松のレズシーン」とかどうするんだよ>豊饒の海@大河ドラマ

せいぜい「春の雪」まで

41 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 12:48:17 .net
>>40
本多ののぞきシーン
田代まさしか市原悦子。
>久松のレズシーン
尾上菊之助と玉三郎。

42 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 14:20:25 .net
↑禿ワロタ!

43 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 14:21:21 .net
>>38 賛成

44 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 19:02:53 .net
>>40
個人的には、NHKもそれくらいの思い切った冒険(?)が必要になってきているんじゃないかと考えるが・・・。

45 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 19:49:58 .net
豊饒の海やるなら歴史に残る傑作じゃないとおれは絶対絶対許さん。

46 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 20:22:28 .net
↑同感!!

47 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 20:25:30 .net
>>44
民放地上波でもキツいぞ。
本多はエロ爺に成り果てるんだぞ>覗き大好き

48 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 20:35:37 .net
それこそ、そのような醜悪さををいかに、芸術的に美へ転化して描くかが勝負だw

49 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 22:21:51 .net
とりあえず、きちんと四部作が映画化されてから、
大河ドラマ考えればよい

50 :重要無名文化財:2006/02/04(土) 23:06:26 .net
春の雪映像はきれいだが、雪もcgだし、最近の映画は人工的だな。

51 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 00:57:06 .net
聡子は常盤貴子、清顕は(シブガキの)モッ君はどう?




どーでもいいが、聡子の元女中の蓼科は、キキきりんで

52 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 01:12:43 .net
ちょっと綺麗系で野際陽子はどう?

53 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 01:31:21 .net
清顕 北村一輝

54 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 01:38:26 .net
聡子 長谷川京子

55 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 02:23:50 .net
人工的はイヤだよ

56 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 02:53:43 .net
聡子 宮沢りえ
清顕 大沢健
本多 ?

実は本多が難しい

57 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 09:05:57 .net
本多 上川隆也

58 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 09:59:46 .net
スレタイから期待して見にきたらなんなんだ、
このレベルの低い内容はwwwwwww

59 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 13:51:20 .net
深い高度な話題から、雑談レベルの話まであったほうが
楽しいと思う。
58は高いレベルの事書いてくれよw

60 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 20:58:33 .net
age

61 :重要無名文化財:2006/02/05(日) 21:23:03 .net
清顕 窪塚洋介


62 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 00:04:57 .net
そだそだ。
自分がレベル高いこと書いてから他人を批判しなよ。

63 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 00:22:41 .net
>>61
すごいミスキャストw

64 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 02:11:42 .net
中年以降のエロ狂いな本多は古谷一行でいいんじゃない?

65 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 02:53:05 .net
本多は是非梅玉さんで

66 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 03:25:26 .net
伝芸スレなんだから、歌舞伎役者限定で配役を考えたら面白いんじゃない?
中年本多はウメタマさん(?)として、それからどうしようか?

67 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 09:28:58 .net
この役者でこの演目が見たいスレで

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/1119704965/l50

68 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 11:13:29 .net
「豊穣の海」の中では「奔馬」が比較的舞台化、映像化しやすい希ガス。


69 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 12:23:43 .net
>>57
上川隆也は二枚目だからダメ

本多は非・二枚目
なおかつ知性

70 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 12:24:37 .net
>>64
古谷一行では知性が無い

71 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 12:25:34 .net
>>68
奔馬
内容が重すぎて、人気にならない

72 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 22:54:03 .net
本多 香川照之

73 :重要無名文化財:2006/02/06(月) 22:56:53 .net
>>72 歌舞伎界との関連から言っても、いいですな

74 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 02:01:46 .net
はっきり言っておく





聡子が松たけ子は嫌だ!

75 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 02:53:11 .net
清顕 市川雷蔵

雷蔵主演で春の雪の舞台化の話があったんだよね。獣の戯れもやりたいって自伝に書いてた。うはー

76 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 18:01:48 .net
清顕 現・市川染五郎
本多 平 岳大

77 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 18:10:30 .net
>>74
漏れも松竹子はいやだなあw

78 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 18:22:36 .net
綾倉聰子を演じたいと言った女優
故夏目雅子・鶴田真由

美人女優はこの役に憧れるのね。

79 :重要無名文化財:2006/02/07(火) 22:00:36 .net
聡子を演じた女優
吉永小百合の聡子はなんとなくわかるけど
佐久間良子の聡子はなんとなく違うと思う。

80 :聡子が松竹子なら地獄・夏目雅子なら天国:2006/02/08(水) 00:26:42 .net
>>72
香川照之は
知性はあるけど
親しみやすすぎない?

本多って近寄りがたいイメージ

81 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 00:28:30 .net
>>76
清顕は
ガラスのような美少年でしょう?

染五郎って…コメディかい

82 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 00:32:43 .net
だから歌舞伎で、深窓の御曹司、いないのかい?

83 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 00:33:11 .net
>>79
それ凄く分かる。
佐久間良子は違う

84 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 00:37:42 .net

聡子…ナタリーポートマン

清顕…ヘイデンクリステンセン

本多…ユアンマクレガー

(・∀・)これだ!
既に見たけどな!

85 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 00:43:14 .net
>>84
まあ、関係的にはそんな感じかも。

86 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 03:01:33 .net
能役者はどうか
大河の「時宗」の演技がおもろかったので

清顕:和泉元ヤ
本多:北村一輝

で、節子ママも登場するwwww

87 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 15:01:50 .net
>>86
で、節子ママの蓼科w

88 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 17:52:48 .net
清顕は転生してダースベイダーになるんだよ。

89 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 22:44:52 .net
三島歌舞伎を丁寧な演出と適材適所で見たいですね。国立あたりが整理し直して欲しいです。
あと文楽で「弓張月」を上演してもらいたいっす。新しい燕三もできることですし。

90 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 22:52:53 .net
>>83
違うのに佐久間良子、「鹿鳴館」にも出た。
そのときの影山伯爵が平幹二郎って...orz

さらにもっと違い杉が 
ダンダン 影山伯爵
クリコ  影山朝子
ってのがあって、禿しく萎え...
三島の作品、戯曲を体現できる役者が
キャスティングされていないことが多いよ

91 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 23:11:03 .net
鹿鳴館ベストキャスト

朝子…先代八重子
影山…山形勲

92 :90:2006/02/08(水) 23:11:42 .net
失礼。間違えた。
クリコ(×)→ヤエコ(○)

93 :重要無名文化財:2006/02/08(水) 23:12:23 .net
>>89 同感です

94 :重要無名文化財:2006/02/10(金) 06:49:03 .net
三島って十代の頃から歌舞伎に造詣深かったんだね
歌舞伎関係の戯曲は、六代歌右衛門に捧げてたらしい

95 :重要無名文化財:2006/02/10(金) 14:50:39 .net
>>94
祖母が歌舞伎好きだったから小さい時から
しょっちゅう観劇してた

96 :重要無名文化財:2006/02/10(金) 20:12:51 .net
豊饒の海@大河ドラマをどうせするのなら、演出・脚本は大の三島ファンという人にやってほしい。

97 :重要無名文化財:2006/02/10(金) 22:03:00 .net
大河ドラマ、ミスキャスト大杉だから、豊饒の海ンhk化はんた〜い!!

98 :重要無名文化財:2006/02/12(日) 04:31:22 .net
age

99 :重要無名文化財:2006/02/12(日) 16:14:33 .net
age

100 :重要無名文化財:2006/02/13(月) 18:33:38 .net
「鹿鳴館」もよいが、『近代能楽集』のどれかを再演して欲しいな
海外で評判良かったみたいね
ドナルド・キーンも誉めてるし


101 :重要無名文化財:2006/02/13(月) 18:37:58 .net
すれちがいかもしれんが、四季の鹿鳴館はどうなの。

102 :重要無名文化財:2006/02/13(月) 21:49:52 .net
今やってるのに、みんな四季を無視しているらしいな。

103 :重要無名文化財:2006/02/14(火) 11:03:34 .net
四季でどういった演出されてるかしらんが、
三島の戯曲は小説に比べると質としては劣るように思える。
背景描写ができない以上、人物の台詞で面白みを出さなきゃ
いけないんだが、文庫の『鹿鳴館』所収の作品では、
三島節が冴えていない
おなじ戯曲なら『近代能楽集』のほうが上出来だと思う

104 :重要無名文化財:2006/02/14(火) 14:03:56 .net
>>103
鹿鳴館の凄さが分からないなんて馬鹿丸だし

105 :重要無名文化財:2006/02/14(火) 17:27:30 .net
三島自体が過大評価され杉ていると思うけれど、
『近代能楽集』は別格かと

106 :重要文化財:2006/02/14(火) 19:08:23 .net
>>104
「鹿鳴館」自体はいいんだけど、『鹿鳴館』に収録されてる
他の現代戯曲には不満という意味でないか?

能楽の方はストーリーが込み入ってるが、
「鹿鳴館」は「春の雪」みたいにキャラ萌えできそう



107 :重要無名文化財:2006/02/16(木) 12:23:15 .net
板違いかもしれないが誰か四季の公演観た人いないの?
感想聞いてみたい

108 :重要無名文化財:2006/02/16(木) 22:25:57 .net
あたし当日券で行こうかしら。
売れてんの?

109 :重要無名文化財:2006/02/17(金) 00:42:35 .net
チケット余ってそう…(推測)

110 :重要無名文化財:2006/02/17(金) 00:46:23 .net
ぴあで見る限り、×がほとんどだけれど、当日券はありそう。

111 :重要無名文化財:2006/02/17(金) 20:17:03 .net
一応人気公演みたいだけど。

112 :重要無名文化財:2006/02/18(土) 22:20:56 .net
age

113 :重要無名文化財:2006/02/20(月) 16:46:08 .net

関連スレ

四季ストレートプレイ総合スレ Part6
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/siki/1137479468/

114 :重要無名文化財:2006/02/21(火) 12:59:39 .net
>>78
夏目雅子は美女だが、
鶴田真由は美女じゃないよ

115 :重要無名文化財:2006/02/25(土) 04:15:15 .net
age

116 :重要無名文化財:2006/03/01(水) 03:01:37 .net
age

117 :481:2006/03/01(水) 21:36:19 .net
三島由紀夫は以下の問題に関連して自決したと考えています。

社会版:
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1139132859/
の投稿5と222を読んでいただけないでしょうか? 明治維新時に孝明天皇父子の虐殺
及び長州藩の部落住民による『乗っ取り』があったため血統に正当性がない可能性が
高く、その歪が日本を亡国状況にしている可能性が否定できません。

また社会生態学的に分析した場合、
オーム真理教を「皇室犯罪」と仮定した時には
有機リン剤の専門研究室がある東京大学農学部にて、サリンが製造され、
地下鉄で多数の命を奪っていた可能性も考えねばなりませんが、
万一その場合、毒物製造を担当した東京大学農学部の教員陣は
殺人罪で検挙されるべきかと思うのですが、 この点の検証は行われつつあるのでしょうか?

オーム真理教が「皇室犯罪」か否かで 地下鉄毒物殺人事件の当事者が違ってきます。
東京大学農学部がサリン製造を担当していたかどうか慎重な検証が必要と考えます。
なお、この行政テロの被疑において、英米の関与があったのかもしれませんが、統治行為論により
他国の責任は不問にしてでも、この点の検証は求められると思います。何故ならば
米国の9・11で見られた行政サタニズムミーム(すなわち田中宇氏が主張しているように
米国当局自体がビンラディンである可能性が否定できない)が形を変えて何度も未だに繰り返されている
からです。これは日本国民にとっても米国国民にとっても大変なマイナスです。日米英とも今一度
国民主権に戻りサタンではなくイエス(仏)のミームによる国家再構築が求められるように思えてなりません。
社会生態学という学問の一環として上のスレッドをダウンロードして冷静かつ慎重に読んでいただけるよう
重ねてお願いします。今のまでは日米英ともサタン・ミームに支配されかねません。米国は基本的には
キリスト教国家ですが、これではキリスト教も何もあったものではありません。サタン教は撤廃すべきです。
社会生態学を今後あらゆる分野で育てていく必要があるよう思えてなりません。


118 :重要無名文化財:2006/03/02(木) 03:32:21 .net
age

119 :重要無名文化財:2006/03/03(金) 00:04:24 .net
age

120 :重要無名文化財:2006/03/04(土) 08:23:44 .net
age

121 :重要無名文化財:2006/03/21(火) 00:40:37 .net
保守

122 :重要無名文化財:2006/03/32(土) 07:35:23 .net
保守

123 :重要無名文化財:2006/03/32(土) 07:50:15 .net
ν即で凄いことが起こっているよ

現役女子中学生グループがトリップ付ID&日付メモをつけておっぱい晒しまくり

中学生3人娘♪私たちのオッパイに点数つけてください!
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1143844284/

マジすげーーーーーーーーーdfさkjvlヘアwtvぁ絵を;エア:ktえあ

124 :重要無名文化財:2006/04/20(木) 07:09:27 .net
保守

125 :重要無名文化財:2006/04/27(木) 19:47:43 .net
明日ですよ
みなさん当然、春の雪、憂国、買いますよね

126 :重要無名文化財:2006/05/11(木) 01:18:32 .net
age

127 :重要無名文化財:2006/05/24(水) 06:55:15 .net
定期age

128 :重要無名文化財:2006/06/26(月) 16:16:46 .net
£

129 :重要無名文化財:2006/06/28(水) 14:48:25 .net
動画upしました
3分割した前半約33分です
音楽 1/3 原作 三島由紀夫 脚本 監督 増村保造.zip
http://www.774.cc:8000/upload-pro/all.html?1151470662

130 :重要無名文化財:2006/07/08(土) 01:31:37 .net
↑乙です

131 :重要無名文化財:2006/08/08(火) 07:41:58 .net
 

132 :重要無名文化財:2006/08/10(木) 19:52:14 .net
age!  ∧_∧ 
∧_∧( ´∀`)
( ´∀⊂   ⊃
(  つノ ノ ノ彡 
) )(_)_)  
(__)_)彡 玉様、来年は三島歌舞伎を是非!!

133 :重要無名文化財:2006/08/10(木) 20:00:22 .net
珍説ですか

134 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 00:15:52 .net
↑はい、三島が玉様のために書かれた作品であり、玉様が国立で上演した出世作 です。観たい!

135 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 01:07:01 .net
私も見たいな〜〜。

ついでに、サド侯爵夫人や鹿鳴館も見たい。

136 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 02:01:47 .net
来年の七月大歌舞伎は三島特集ってことになれば、バカ売れ間違いなしでそ。

137 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 02:25:22 .net
女形ばっかりでサドは個人的に見たいんだけどね…
しかし基本的に室内劇だからとにかく視覚的に動きがない。
下手すると鏡花祭の二の舞。
それで3時間強はさすがに歌舞伎としては通るまい。


138 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 02:37:48 .net
じゃ。歌舞伎座じゃなくてもいいからやってほしい。

139 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 02:39:23 .net
弓張月や鰯の他にも、面白い歌舞伎作品あるんですか。

140 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 03:37:58 .net
弓張月や鰯は歌舞伎なんだから、絶対歌舞伎座でやってほしい。
演舞場は、なんか気分が出ないんだな。

141 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 13:25:07 .net
サドは玉さんのために書いたものだし

142 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 19:00:02 .net
>>141
弓張月のとき(>>134)も思ってはいたけど黙っていたんだが、
あまりいい加減なことを言うもんじゃない。
ニワカにまじレスもなんだと思ったが、あんまりなんで書いておく。

まず弓張月は、そもそもからして原作つきだ。
戯曲化に際して原作にもある白縫姫をお玉にアテ書きしただけで
作品そのものが玉に献呈されたわけじゃない。

サドに関して言えば、あれは渋澤の著作にインスパイアされて書いたもので、
サン・フォン夫人は三島のオリジナルだが、おそらく美輪が演じることを
想定して書かれたものだ。
ちなみに初演は1965年だから、お玉は当時中学生。
過去にルネとサン・フォンを演じているが、今ならモントルイユもいけるかもしれない。

>>139
歌舞伎座で上演されたものには
娘好帯取池(1958)
橘づくし(1961)
があるが、後者はじっさいには新派。(昔は歌舞伎座で新派もやってた)

面白いといえばやはり近代能楽集か。歌舞伎じゃないけど。
過去に「斑女」を玉三郎がやってるので、可能性と知名度から言えばこれか。
時代が現代だけど花子は芸者上がりという設定だし、そこは演出でどうにでもなる。
たしか玉は、斑女と天守をセットでやってんだよね。レズ二本立てかよ…


143 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 19:36:18 .net
>>142
134でなくて141ですが、詳しい説明ありがとう。
勉強になりました。(弓張月が馬琴なのは知っています。)
にわかなので、確信はなかったんですが、
三島祭への期待に気持ちが盛り上がって、
調子に乗ってよく調べずに適当な発言をしてしまいましたwすみません。
とはいえ、

19歳の時、弓張月の打ち合わせ中、
三島に「君は将来どんなお芝居がやりたいのかね」ときかれ、
「将来君がやったらいいと思うものがある。
それはたった今、新しく装丁ができたばかりのサド公爵夫人さ」
と言って美しい本手渡しされた。

と、今月の「和楽」の玉三郎連載で読んだので、玉三郎へのあてがきではなくても、
三島自身としても玉三郎が演じる事を希望していたんですね。

144 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 20:16:33 .net
>>143
こちらこそ感情的な書き方をして申し訳ない。

しかも今気付いたが、横着してサイトから外題をコピったら
字が間違ってるし…(誤:橘づくし→正:橋づくし)

別スレに落としてきたけど、三島の純粋な歌舞伎作品は
舞踊劇も入れても8本ぐらいしかない。
うち殆どがソング様、つまり「美しい女形」のために書き下ろされたものなので、
三島作品を玉三郎が継承するのは、むしろ鏡花よりも望まれていることと思います。
芙蓉露大内実記なんかは、初稿の完全版台本で見てみたいよね。

145 :重要無名文化財:2006/08/11(金) 22:11:37 .net
芙蓉露大内実記!すごく見たい。
来年の七月は三島祭で決まり!
、、、てことにならないかなー。

146 :重要無名文化財:2006/08/12(土) 02:34:41 .net
三島は歌右衛門のどんなところに、惹かれたんだろう? 私も歌右衛門ヲタだけど、実際の舞台を観た事が無い。 皆様の意見求む!!

147 :重要無名文化財:2006/08/24(木) 03:04:13 .net
↑橋本治の本に詳しい

148 :重要無名文化財:2006/10/14(土) 00:54:54 .net
きむあゲイ

149 :重要無名文化財:2006/10/14(土) 19:59:45 .net
どちらにしても、玉さん次第。
演舞場で昼「鹿鳴館」、夜「サド侯爵夫人」なんてのも、いいな。

150 :重要無名文化財:2006/11/18(土) 14:35:07 .net
突然すみません。只今楯の会の制服を探しております。
もし何か情報があったら書き込みしていただけませんか?

151 :重要無名文化財:2006/11/24(金) 23:22:45 .net
↑何に使うんだよ!w




152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:40:58 .net
関連wiki
http://wiki.ninki.org/wiki.cgi?p=%bb%b0%c5%e7%cd%b3%b5%aa%c9%d7%a1%f7%c5%c1%c5%fd%b7%dd%c7%bd%c8%c4+


153 :重要無名文化財:2007/01/20(土) 02:31:57 .net
>>150
東京バレエ団にあるよ。
ベジャール「M」で使うから

154 :重要無名文化財:2007/03/01(木) 21:13:33 .net
保守

155 :重要無名文化財:2007/03/09(金) 02:14:25 .net
保守

156 :重要無名文化財:2007/03/10(土) 21:10:15 .net
玉さんが今月の国立小劇場のプログラムの中で三島について
話してる。

157 :重要無名文化財:2007/03/31(土) 23:31:02 .net
hoshu

158 :重要無名文化財:2007/04/04(水) 03:51:54 .net
保守

159 :重要無名文化財:2007/04/22(日) 23:40:29 .net
hoshu

160 :重要無名文化財:2007/05/21(月) 00:54:38 .net
hoshu

161 :重要無名文化財:2007/05/22(火) 02:53:43 .net

★歌右衛門の思い出★
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/1165817288/



162 :重要無名文化財:2007/06/15(金) 05:18:24 .net
hoshu

163 :重要無名文化財:2007/06/19(火) 11:14:27 .net
>>145
三島祭ってどこで行われるのですか?

164 :重要無名文化財:2007/06/19(火) 12:57:44 .net
希望ですよ希望

165 :重要無名文化財:2007/06/21(木) 00:10:16 .net
ああ すみませんw
よく読みとらずレスしてしまいました


166 :重要無名文化財:2007/06/21(木) 00:16:07 .net
三島祭は玉ヲタの脳内で行われています

167 :重要無名文化財:2007/06/22(金) 22:57:31 .net

いま流れてる教育テレビの
三島由紀夫の鹿鳴館

劇団四季、ヒドすぎるよ…



168 :重要無名文化財:2007/06/22(金) 23:08:40 .net
>>167
ああ、アレね。
美術は綺麗なんだけどねぇ・・・

169 :重要無名文化財:2007/06/23(土) 10:17:23 .net
脳内の三島祭が現実になりますように!

170 :重要無名文化財:2007/06/23(土) 22:27:19 .net
>>167
もともと大女優がやる役だからなあ。

初代水谷八重子
杉村春子
佐久間良子

171 :重要無名文化財:2007/06/23(土) 22:40:25 .net
なんであんなに首をカクカクさせて
すべての台詞を怒鳴り散らすんだろうね…>四季版

172 :重要無名文化財:2007/06/23(土) 22:57:52 .net
どうしていつも、あの劇団では
野邑例子という女優が主役をやるのか
という問題だろ

173 :重要無名文化財:2007/06/23(土) 23:03:46 .net
そりゃアンタ、皆ご存知の・・・(ry

174 :重要無名文化財:2007/08/13(月) 02:43:31 .net
http://www.owlspot.jp/
『朱雀家の滅亡』
12月4日(火)〜12月16日(日)
○原作:三島由紀夫 ○演出:宮田慶子
○出演:佐久間良子、中嶋しゅう、窪塚俊介、森田彩華、金田龍之介

175 :重要無名文化財:2007/08/15(水) 23:27:02 .net
>>173
浅利の愛人?

176 :重要無名文化財:2007/08/17(金) 04:58:23 .net
大河で豊饒の海やったら春の雪・奔馬はいいけど
暁の寺で視聴率がた落ちだろうな。

177 :重要無名文化財:2007/08/20(月) 03:12:49 .net
三島由紀夫
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=550838

178 :重要無名文化財:2007/08/25(土) 16:07:19 .net
>>176
小説読んでてもあそこで読み飛ばしたくなるからな。


179 :重要無名文化財:2007/08/26(日) 22:22:58 .net
久松と姫の配役次第で逆に話題を攫うんでは



180 :重要無名文化財:2007/08/27(月) 18:33:55 .net
慶子:眞野あずさ
ジン・ジャン:長谷川潤
門跡聡子:八千草薫
ちょっと無理があるか・・・。

181 :重要無名文化財:2007/08/27(月) 20:09:07 .net
>>180
それなら自分は・・
慶子=名取裕子
月光姫=黒木メイサ
聡子=(青春時代)相武紗季・(門跡時代)若尾文子

182 :重要無名文化財:2007/08/27(月) 21:13:26 .net
可憐な月光姫と妖艶な慶子が、美しく愛しあうところが見たい。


183 :重要無名文化財:2007/08/27(月) 22:08:31 .net
大神神社に行ったら「清明」という三島由紀夫の字を起こした石碑があった。

184 :重要無名文化財:2007/08/28(火) 07:58:44 .net
板違いにつき、移動しろ

一般書籍板
http://love6.2ch.net/books/

185 :重要無名文化財:2007/10/03(水) 17:43:08 .net
近代能楽集やサド侯爵夫人がテアトロで取り上げられても、それは
演出の話ばかりなんだよなw
演出家や俳優のような、クリエイティブじゃない、馬鹿だけが注目
される時代だよw


186 :重要無名文化財:2007/10/05(金) 03:18:10 .net
>>184
歌舞伎の台本、書いてますよ

187 :重要無名文化財:2007/10/20(土) 02:40:08 .net
市川海老蔵って三島由紀夫に似てない?

188 :重要無名文化財:2007/10/20(土) 22:19:04 .net
俺が三島に似てると思ったのは筧利夫。

189 :重要無名文化財:2007/10/23(火) 12:19:01 .net
>>188
顔の長さや骨格が似てる感じだね
海老蔵は写真の三島の目つきと少し似てる気がした


190 :重要無名文化財:2007/11/02(金) 03:53:17 .net
写真で似てる時があるね。
三島がいま生きていたら、
強く影響を受けると思う。

191 :重要無名文化財:2007/11/05(月) 05:06:36 .net
玉さん三島の原作で映画を撮影してくれないかなぁ。
ABでも使って。

192 :重要無名文化財:2007/11/06(火) 20:50:09 .net
奔馬とかどーよ。
憂国も観たい。

193 :重要無名文化財:2007/11/07(水) 04:01:55 .net
いい趣味。

194 :重要無名文化財:2007/11/07(水) 05:15:40 .net
>>187

似てない!!!



195 :重要無名文化財:2007/11/12(月) 13:18:15 .net
海老蔵は三島作品の主人公に合う感じ

憂国がいい

196 :重要無名文化財:2007/11/13(火) 09:26:57 .net
>>187 似てない
>>188 似てない

197 :重要無名文化財:2007/11/13(火) 17:28:40 .net
>>196
同じ返レスあるのにしつこい
それぞれの主観だから似てると思う人がいていいの


198 :重要無名文化財:2007/11/26(月) 07:26:12 .net
AB臓は臭そう。
三島は美しい。

199 :重要無名文化財:2007/12/07(金) 21:39:53 .net
明日の池袋文芸座のオールナイトは三島&美輪明宏特集ですな。


200 :200:2007/12/07(金) 23:33:33 .net
>>199
京マチ子の黒蜥蜴ならみたい。
先代水谷の黒蜥蜴ならマジでみたい。

201 :重要無名文化財:2008/01/07(月) 04:35:45 .net
テロ朝

謝れ
三島由紀夫に謝れ

202 :重要無名文化財:2008/01/13(日) 11:44:27 .net
でもテレ朝は意外に三島をとりあげるね

203 :重要無名文化財:2008/01/13(日) 23:32:38 .net
正確には伝えないけどね

204 :重要無名文化財:2008/01/14(月) 01:49:52 .net
>>202
初代水谷と山形勲の当たり役を・・・

→田村正和&黒木瞳

(*´Д`)=з

205 :重要無名文化財:2008/03/01(土) 10:29:41 .net
美輪明宏が死んだら、黒蜥蜴は誰がやるの?

206 :重要無名文化財:2008/03/02(日) 10:26:21 .net
舞台でなら玉三郎とか松坂慶子とか篠井英介とか既にやってる
別に美輪様以外には永久封印てこたないだろ

207 :重要無名文化財:2008/03/02(日) 19:49:28 .net
麻実れいもやってなかった?

208 :重要無名文化財:2008/03/14(金) 12:54:15 .net
筧利夫で三島由紀夫のドラマをテレ朝あたりでヨロ

209 :重要無名文化財:2008/03/17(月) 21:45:01 .net
>>208
似てるといわれて三島を愛読してるらしいよ

210 :重要無名文化財:2008/03/18(火) 02:08:10 .net


211 :重要無名文化財:2008/03/26(水) 09:35:53 .net
そうなのか、筧利夫。
その一言で筧利夫が好きになれる。
三島さん、長生きして歌舞伎の本書いて欲しかったよ。
ノーベル賞が川端と2人に冠を与えていれば・・・クッ泣ける。

212 :重要無名文化財:2008/04/10(木) 11:37:58 .net
6月の新橋演舞場新派で鹿鳴館。
朝子は水谷八重子、影山は団十郎、清原は西郷輝彦(!?)


213 :重要無名文化財:2008/04/10(木) 13:58:27 .net
7月は歌舞伎座で玉さんが何かやるらしいけど、
三島祭りキボンヌ。

214 :重要無名文化財:2008/04/10(木) 19:28:46 .net
>>212
團十郎…orz

215 :重要無名文化財:2008/04/10(木) 19:32:29 .net
エッ?見たいけど。ほ、本当なの?

216 :重要無名文化財:2008/04/12(土) 20:39:09 .net
ダンダンラブ

217 :重要無名文化財:2008/04/14(月) 23:53:41 .net
215はいまさら何を驚いているのだ?

218 :重要無名文化財:2008/04/18(金) 05:53:44 .net
隠すのだ。たぶらかすのだ。外国人たちを、世界中を。!!!


219 :重要無名文化財:2008/06/03(火) 11:15:13 .net
三島由紀夫原作:鹿鳴館
6月6日〜29日 新橋演舞場にて公演
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/0806/index.html


220 :重要無名文化財:2008/09/09(火) 10:43:10 .net
三島戯曲「綾の鼓」と「弱法師」が国立劇場小劇場で開演
 主演は十朱幸代、共演は多岐川裕美、国広富之ら
 三島由紀夫の「近代能楽集」のなかで、あまり上演されることの無かった弐編。
 「綾の鼓」は鼓による恋情の吐露だが、鼓のおとが出なかった。主人公は絶望して亡霊になるという芝居。
 「弱法師」は、炎に焼かれた自分の目が見るこの世の中の終わりの景色が主題。

 9月25日から10月13日まで。
 5250円税込み。問い合わせは(5352)9999
 国立劇場小劇場は代々木初台
 京王線「初台」下車 徒歩1分


221 :重要無名文化財:2008/09/13(土) 10:51:08 .net
その視覚的、聴覚的に表現するということを考えた場合、三島由紀夫の戯曲は天才的な言葉で溢れている。
三島由紀夫の溢れる、迸る様な豊かな言葉というのはいうならばモーツァルトの音楽を連想させる。
モーツァルトのピアノソナタは初心者から円熟期に入った大ピアニストまで誰でも魅せられ虜にするが、三島由紀夫の戯曲も思わず音読したくなる様な
人を酔わせる様な豊かな言葉に溢れ、これは自分で演出したい、これは自分で演じてみたいと人を駆り立てる様なものを持っている。

遠藤浩一
「三島由紀夫と福田恆存――演劇をめぐって」より


222 :重要無名文化財:2008/09/18(木) 10:26:49 .net
野阪昭如が本に書いてた。
三島由紀夫が某若女形にフラれて
歌舞伎座の廊下で青ざめた顔して呆然と突っ立てたって。
皆周りの人たちがクスクス失笑してたって。
可哀想だな。

223 :重要無名文化財:2008/09/18(木) 17:36:16 .net
それはまさか、玉三郎?
玉三郎は人前で振るようなことはしなさそうだが。

224 :重要無名文化財:2008/09/19(金) 12:54:12 .net
女形の名前は書いてなかったよ。
「かくやくたる逆光 私説ー三島由紀夫」って本の中に書いてた。
でもそんなエピソード書いちゃっていいのかなって野坂昭如にちょっと
ビックリしたw

玉さん関係で面白いと思った話は20年位前に読んだ本だけど
影法師の詩とかいうタイトルだったかなあ・・・うろ覚え。
国立劇場で配役とか決める(?)仕事してた人が書いた本。
17歳の玉さんの出世作、時鳥を玉さんに配役した人だよ。
なんか清潔感があって玉さんに良い印象持ってたから役つけてあげようと
頑張ってたそうだけど、三島由紀夫が国立劇場に芸術監督とかで
短期間来たとき芝居の話で盛り上がって笑いあって仲良くなったのに、
その人が玉さんに役を付けてると知ったとたん
「何であなたが玉三郎に役を付けるんです?」「今でも芝居は色ですか?」
とか変な誤解して口聞いてくれなくなったんだってw




225 :重要無名文化財:2008/09/19(金) 22:02:21 .net
ジェラシーですねw

玉さんの三島の舞台見たことなくて残念。
サド侯爵夫人とか見たい。
今度の国立劇場は、一応見に行くつもり。

226 :重要無名文化財:2008/10/06(月) 18:41:54 .net
新国立の近代能楽集見に行った人いないのかな〜。
演劇板では過疎で、さびしい。
誰か感想書いて。

227 :重要無名文化財:2008/10/09(木) 19:31:06 .net
226ですが、新国立劇場スレに行ったら感想がありました。

228 :重要無名文化財:2008/10/19(日) 22:48:57 .net
∩゚∀゚∩age

229 :重要無名文化財:2008/11/13(木) 10:53:24 .net


230 :重要無名文化財:2009/01/10(土) 12:02:21 .net
禁色 三島由紀夫
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1231336910/

231 :重要無名文化財:2009/02/18(水) 13:11:51 .net
age

232 :重要無名文化財:2009/02/19(木) 09:23:19 .net
あれ?
歌舞伎座の鰯売りの書き込み、なかったのか

233 :重要無名文化財:2009/03/03(火) 16:05:22 .net


民主党】小沢代表「拉致問題、北朝鮮にカネをいっぱい持っていき『何人かください』って言うしかない」…会場、凍りつき、箝口令★38


1 :春デブリφ ★:2009/03/03(火) 15:47:44 ID:???0
★【民主党解剖】第1部「政権のかたち」(1)「小沢首相」は大丈夫か

 2月上旬、都内で開かれた民主党議員と支持者による会合。党代表、小沢一郎が発し
た言葉に会場は一瞬凍りついた。

 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人
かください』って言うしかないだろ」

 日本人の人権と日本の主権を蹂躙(じゅうりん)した北朝鮮の犯罪をカネで決着させ
る−。あまりにもドライな小沢発言は、当然のごとく、箝口(かんこう)令が敷かれた。

 外交・安全保障をめぐる小沢の「危うさ」が露呈し始めている。
 2月24日、記者団に「米海軍第7艦隊で米国の極東の存在は十分だ」と語り、波紋
を広げた。「対等の日米同盟」を土台に、日本の防衛力増強を志向すると受け取れる発
言の真意を、側近は「安保論議を活性化させようとして投じた一石だ」と代弁する。だ
が、党内にも「先を見据えない、浅はかな言葉だ」(幹部)との批判が出ている。
 「民主党に国民は不安も抱いている」。1月18日、民主党大会で国民新党代表、綿
貫民輔はこう指摘した。民主党が政権に王手をかけたいま、小沢が唐突に繰り出す持論
は、野党の足並みも乱している。
(後略)
■ソース(産経新聞) (後略部分はソースで)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090302/stt0903020008000-n1.htm
テレビ報道されました
http://up2.viploader.net/pic/src/viploader938183.jpg



234 :重要無名文化財:2009/05/18(月) 11:19:39 .net
この世の終りが来るときには、人は言葉を失つて、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は一度きいたことがある。

三島由紀夫
「弱法師」より

235 :重要無名文化財:2009/05/18(月) 11:20:22 .net
僕はたしかにこの世のをはりを見た。五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いたその最後の炎までも見た。
それ以来、いつも僕の目の前には、この世のをはりの焔が燃えさかつてゐるんです。
…世界はばかに静かだつた。静かだつたけれど、お寺の鐘のうちらのやうに、一つの唸りが反響して、四方からこだまを返した。
へんな風の唸りのやうな声、みんなでいつせいにお経を読んでゐるやうな声、あれは何だと思う?
…あれは言葉じゃない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚といふ奴なんだ。

三島由紀夫
「弱法師」より

236 :重要無名文化財:2009/06/05(金) 11:51:43 .net
男が女に化ける日本演劇の伝統様式を丸山はみごとに受けついでゐる。
その伝統が時代に密着して花開いたのが“丸山ブーム”の原因と考へる。
女形は、わづかにかぶきのジャンルにみられるだけで、新派でも早晩衰徴していくだらう。
そのなかで現代女形――丸山明宏の誕生は心づよい。
西洋では“フィーメン・イン・パーソナリティー”といふ完全な道化役者はゐるが、
日本のやうな女形は、シェークスピア時代からさびれた。
だから女形は日本のほこりで、女形がなくなったらかぶきは消えてしまふとさへ断言できる。
中村歌右衛門でもさうだが、丸山には女形特有の我の強さ、意思の強さを猛烈に持つてゐる。
よくいへば根性があるといふのか……。それだから彼の可能性は、まだまだ発掘されるにちがひない。

三島由紀夫
「可能性はまだまだ――現代の女形―丸山明宏」より

237 :重要無名文化財:2009/06/06(土) 11:14:09 .net
三島戯曲「班女」と「弱法師」を上演

 福岡県を基盤の劇団「楽劇ねっと風来」(主宰・真野風来氏)が6月6日と7日に三島由紀夫戯曲「班女」と「弱法師」を上演する。いずれも『近代能楽集』におさめられている。
 
 この劇の上演に当たっては福岡、春日両市に拠点がある五つの劇団に呼びかけ、役者を選んだという。
 両日共に午後二時半と午後六時半の二回公演。
 前売り2000円、当日2500円
 場所は春日市ふれあい文化センターホール
 http://www.fure-ai.or.jp/access/index.html

238 :重要無名文化財:2009/07/13(月) 15:50:33 .net
>>237 乙でした。

239 :重要無名文化財:2009/07/23(木) 11:02:06 .net
でも板違いじゃない?

240 :重要無名文化財:2009/07/25(土) 23:42:51 .net
くれくれ言わないこと!

241 :重要無名文化財:2009/09/21(月) 23:54:10 .net
THE LIFE OF YUKIO MISHIMA :::三島由紀夫:::
http://www.youtube.com/watch?v=LGVDWtAuMtU&hl

Starslugs - Mishima
http://www.youtube.com/watch?v=pSx9LVhBPfg&rl

Hara Kiri,Yukio Mishima/Japan/Suicide/Sa
http://www.youtube.com/watch?v=uVdxJGT9PRw&rl

242 :重要無名文化財:2009/09/29(火) 16:51:45 .net
Ranaway Hoses-HONBA-Mishima
http://www.youtube.com/watch?v=RIacGGqvVKQ&hl

Mishima waking up
http://www.youtube.com/watch?v=9A7og7s-vrI&hl

243 :重要無名文化財:2009/09/29(火) 17:16:52 .net
25.11.1970
http://www.youtube.com/watch?v=qEwwHuiYPWw&hl

Yukio Mishima 'die kulturelle Tradition
http://www.youtube.com/watch?v=bWudUx5ryhc&hl

244 :重要無名文化財:2009/10/11(日) 13:13:51 .net
同性愛サロンについて

同性愛者をはじめとするセクシュアルマイノリティが集い、独自の観点・視点から様々な事象を語る板です。
(同性愛とは直接関係のない芸能・音楽・テレビ・映画等の娯楽、日常生活、一般時事など)
セクシュアルマイノリティ(Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender)限定の板です。

★次の行為は禁止です

* ブラウザクラッシャー・ウィルスコード等の貼付け・リンク。
* 同性愛者、その他の同性愛等に関する、差別、蔑視、挑発、誹謗中傷発言。
特定の人物や固定ハンドル、お店への叩き。
* 板違いである話題。801、ボーイズラブ、同人。実況。同性愛者になりきりで書込み。
同性愛者独自の視点で語れない内容。
* 単発質問スレッド。板を跨いだ重複スレッド。


以上の板の看板を見ればわかるように同性愛サロンは、非同性愛者、とくに腐女子と言われる人々の
書き込みをローカルルールで固く禁じている板です。
非同性愛者、腐女子の書き込み・スレ立てはそのまま板荒らし行為になります。
また、同一のスレタイ・内容のスレを多数の板へ板をまたいで乱立するのはガイドラインでもローカル
ルールでも二重に禁止されている違反行為です。
2ちゃんねるには書き込みするユーザーを制限している板もあります。
おすすめ、検索から書き込みするときには注意しましょう。

245 :重要無名文化財:2009/10/25(日) 10:40:11 .net
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg

http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RMY2VCDAL.jpg

http://mishima.xii.jp/annai/img/morita-san.jpg


246 :重要無名文化財:2009/10/26(月) 10:58:44 .net
三島由紀夫の蝋人形
http://image.blog.livedoor.jp/parisvupar/imgs/5/2/524d5d86.jpg

247 :重要無名文化財:2009/11/11(水) 10:22:48 .net
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a3/80833a56c9ed325b766e64ebd6fd1fe0.jpg

http://blog.goo.ne.jp/sekiseikai_2007/e/cda238504bc4e8f268fd199e68a415d6

248 :重要無名文化財:2009/11/24(火) 16:56:35 .net
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
散るこそ花と 吹く小夜嵐

三島由紀夫 辞世の句

今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは

森田必勝 辞世の句


火と燃ゆる 大和心を はるかなる
大みこころの 見そなはすまで

小賀正義


雲をらび しら雪さやぐ 富士の根の
歌の心ぞ もののふの道

小川正洋


獅子となり 虎となりても 国のため
ますらをぶりも 神のまにまに

古賀浩靖

249 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:40:23 .net
僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は
共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、
「反動的だ!貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。
(中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。
学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり
是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

250 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:40:53 .net
(中略)
明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて
をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ
強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で
政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、
現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が
今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

251 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:41:21 .net
――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、
「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。
第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡より

252 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:41:54 .net
われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を
傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、
極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。
――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て
思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。
元気のない聖人気取ではありません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

253 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:42:23 .net
「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

254 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:46:09 .net
(中略)
君は大東亜戦争を何と考へてゐられますか。
僕らはあの戦争の中で育ち、その意味であの戦争を僕らは生涯(いや子孫代々)否定することはできません。
あの戦争が間違ひだつたのどうのといふことでなしに、人間の成長と形成の「過程」として否定したくもできない
一個の内面的事実なのです。我々が以て恥とすべきは戦争に協力したとか、戦争目的に盲目であつたとか、
為政者にだまされたといふことよりも、あの戦争から「我々が何も得て来なかつた」といふことではないでせうか。
何らわれらにプラスするものを得てこなかつたといふ痛切な恥ではないでせうか。この点は僕も省みて面を
赤くせぬわけにはゆきません。
しかし今日の輔仁会、といふよりはその背後にある昨今の学習院学生の気風にこれに対する反省がみられるでせうか。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

255 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:47:15 .net
大島正満博士の「修学院の秋」といふ文章を読んだことがありますか。
塩原太助の馬を舞台に観てふきだしたアメリカ少年が、秋たけなはの修学院を周遊して、ふと拾つた一葉の紅葉に、
日本の秋――日本の荘厳な美の真髄を悟るといふ美しい記録文で、今に忘れられません。
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、――と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら
戦争は起らなかつた。文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。
日本の高邁な文化を冒涜する国民は必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月6日、三谷信への葉書より

256 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:47:49 .net
けふで丸五日間、丸つきり空襲がありません。不気味な不安。
そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで押しよせて来てゐます。(中略)
大学から、「肺浸潤でも何でもかまはんから出て来い」といつ呼出しがあるかわかりません。さうなつたら
さうなつた時のことです。
僕はこれから「悲劇に耐へる」というより、「悲劇を支へる」精神を錬磨してゆかなければ、と思ひます。
古代ギリシャ人にその範を仰がずとも、身近な巣林子の元禄時代は、我々に文芸復興が何であるかを、赤裸々に
教へてくれます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年3月3日、三谷信への葉書より

257 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:52:08 .net
佐藤春夫氏が近く疎開されるので、林さんと、大垣といふ陸軍曹長の詩人と、伊東静雄のお弟子の庄野といふ
海軍少尉と僕と四人でウィスキーを携へてお別れに行きました。
僕は短冊に佐藤氏の殉情詩集のなかにある詩「きぬぎぬ」の一節
「みかへりてつくしをみなのいひけるはあづまをとこのうすなさけかな」
といふのを書いていたゞき、嬉しうございました。僕は自分でその日の先生を、
「春衣やゝくつろげて師も酔ひませる」「澪ごとに載せゆく花のわかれ哉」
とうたひました。本当に美しい晩でした。佐藤春夫氏はたしかに第一流の文豪であると思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月7日、三谷信への葉書より

258 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:52:41 .net
ルーズベルトが死にましたね、日本時間の十三日の金曜日に。新聞は良き敵将を失つて哀悼の意を表す、といふ
態度に出てゐて、結構だと思ひます。阿南大将が二年程前、アメリカの国旗をふみにじつて行進する日本軍を
写した劇映画をみて、「これでは国が危い。徳義の戦ひをやつてゐるのを忘れたのか」と嘆かれたさうですが、
この挿話をきいて、頗る阿南大将を尊敬しはじめました。軍人でかういふ立派な見識をもつてゐられることは
実にありがたいことです。
今は亡き帝大国家主義憲法学の泰斗上杉慎吉博士が大正十三年に著はした「日米衝突の必至と国民の覚悟」なる
警世の大文章をよみ、その史眼の卓越、見識の高邁に深く搏たれました。(中略)
――今日偶然地下鉄新橋駅で稲田さん(今海軍中尉です)にあひました。沖縄で、特攻隊と共に敵艦へ
肉迫したのださうです。「くはしく話して下さい」と云つたら「いやだ、ネタにされるから」とにげられました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月14日、三谷信への葉書より

259 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:57:44 .net
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より

260 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:58:27 .net
御葉書拝見。何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るやうな
事態を、誰が予想し得たでせう。想像するだに、時代の異常さに想ひ到らずにはゐられません。かゝる事態は、
その型式や態様の如何はしばらく措き、夙に想像し得たところでした。今は何も語りたくありません。
これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやつて行きたいと思ひます。自分一個のうちにだけでも、最大の
美しい秩序を築き上げたいと思ひます。戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして
貢献したいと思ひます。(中略)
すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追ひやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に
捧げたいと思つています。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年8月22日、三谷信への書簡より

261 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:58:56 .net
君のゐる戦後の軽井沢が見せた変化よりも、ずつと激しい変化が東京の街にあります。
一寸用があつて尾張町へ出ましたら、その人通りの激しさは戦前と少しも変りません。と云つても日本人が
物を買へるやうな店はたゞ一軒もないのです。進駐軍人気といふか、たゞもう妙な人気で、カーキ色やモンペ姿の
貧弱な汚ない日本人が右往左往してゐるのです。(中略)
――東京が「世界の大東京」だとか、何とか云つて大見得を切つてゐた時はいつしか、それが汚いアバタの
地図になつて了つたのと同様、乙にすまして馴れない絹靴下にハイヒールを穿いたり、頭をテカテカ光らせて
レディ・メードの背広で夜毎に押し出した連中の化けの皮が見事にはげ、女は自堕落なうす汚いモンペ姿、
男は工員がへりらしいカーキ色の菜葉服姿で、彼等の痴鈍、醜悪、無智の本性を惜しげもなく、いやむしろ
快よげに、発揮してゐるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年10月5日、三谷信への書簡より

262 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:59:25 .net
進駐軍からの煙草漁りに眉をひそめて「日本人も堕落した」と慨嘆する人がありますが、これは些か見当外れな嘆息で、
現在の彼等の醜状は、彼等に何ものをもプラスせぬと共に、何ものをも彼等からマイナスしません。日本人は
何といふ下劣な卑賤な、しかし愛すべき国民でせうね!
僕は総じてこの妖精のやうな刻々変様する東京に甚だ愛着を感じてゐます。これは僕がたゞ東京で生れたから
といふだけではありますまい。祖母の先祖は旗本で江戸に永くをりましたから、亡くなつた祖母からきいた、
江戸―東京、明治―大正の東京の移りかはり、(おそらく祖母が生きてゐた頃は、東京はこれで一応完成して少くとも
二、三十年は目に立つ変化もないと思はれたのでしたが)それに加へて、僕がこの短い二十年に経験して来た
東京の変転、それが定めなく、うつろひやすいものであると思へば思ふほど、僕は東京を愛するやうになります。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年10月5日、三谷信への書簡より

263 :重要無名文化財:2010/03/04(木) 23:59:52 .net
東京を愛する人は、あるひは知つてか知らずか、その流転の美しさを愛するのではないでせうか。
歴史と時には不変と変様の二態があり、不変は変様によつてその刻々の意味を与へられ、変様は不変に基礎づけられて
はじめて変様たり得ます。日本で云へば、東京と田園、それが変様と不変でせう。
僕のやうな「せつかち」は、山野の不変を歌ふ余裕と胸懐に乏しく、ここにゐて終始変様に向ひ、それに耐へ、
この変様を、歌ひ疲れるほど歌つてゐる外はありません。我々の目は変様のかゞやきをとらへた。流れる目こそ
流されない目であり、変様に遊ぶ目こそ不変の目です。僕はこのやうに自負して自ら慰めてゐます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年10月5日、三谷信への書簡より

264 :重要無名文化財:2010/03/05(金) 11:45:28 .net
たゞいま午後七時半、マダガスカルとシドニイへの特殊潜航艇の攻撃のニュースをきゝをはりこのお葉書を書いて
をります。なんだか胸になにか閊(つか)へたやうで迚(とて)も並大抵のことばでお話できさうにもございません。
御稜威(みいつ)のありがたさに涙があふれおちるばかりでございます。同時に晴朗な気分は抑へがたく、
南方のまつ青な穹(そら)いつぱいに八百万神の咲(わら)ひ声をきくおもひがいたします。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和17年6月5日、清水文雄への葉書より

265 :重要無名文化財:2010/03/05(金) 11:49:28 .net
この間の三里塚の行軍では「月かたぶきぬ」の情景を季節こそちがへ、目のあたりはじめて味はひました。
正しく土佐絵にゑがかれた大胆な霞のあちらに松林の、つらなる松かげはそのかなたから虹のやうな曙を、
靉靆(あいたい)とたなびかしてまゐる向ひの空には、月がしづかな煌めきをみせていまにもひらひらとおちて
きさうでございました。日本画はなにひとつ嘘はつかなかつたのでございます。そのゑがかれる絵具にひとつとして
日本の土におひいでぬものがないやうに日本の風光を画絹にとゞめようといふ切ない意欲がかうまでたしかさを
もつてゐるとは、私はいままで心附きませんでした。写実を旨とする油絵も、いくら写実の枠をつくしたところで
掴めないこの風土の秘密に狐につままれたやうな思ひがいたすでせう。この三日の式のあと、明治神宮に詣でて
やはりそれを感じました。
畏(かしこ)くも御神殿のおんありさまは申すまでもなく、なんでもない風景、紅白の幕が万緑の松のあひだに
張りめぐらされた景色でさへ、そのあでやかさは桃山時代の屏風のやうでございましたが、そのなかゝら歌謡曲がちらと
きこえてきたのにはおそれいりました。浪花ぶしでないからよいやうなものゝ。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和17年11月5日、清水文雄への書簡より

266 :重要無名文化財:2010/03/05(金) 11:49:49 .net
この間徳川さんと志賀直哉氏の御宅にうかゞひ、意外なサッパリしたよい方で、御作の印象と比べふしぎの
感さへいたしました。
志賀氏はなにしろ大物にて、我々としても摂るべきところも多くあり、決して摂つてはならぬ所も多々あり、
こちらの気持がしつかりしてゐれバ、決して単なるわがまゝな白樺式自由主義者ではいらつしやらぬことを思ひました。
今の世の隠者の一模範とさへ思はれますが、仰言ることは半ばは耳傾けてうかゞつて頗る有益なことであり、
半ばは、我らの学ぶべき考へ方ではないといふことでございました。

平岡公房(三島由紀夫)
昭和18年7月29日、清水文雄への書簡より

267 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:43:50 .net
東京へ出ました序でに学習院へ立寄り、はじめて焼跡を見てたゞならぬ感慨がごさいました。萌え立つ緑のなかに
赤煉瓦の礎石のみ鮮やかに残つて、近眼の目には、遠くの緑の光にまばゆく立ち働らいてゐる人々が懐しい
後輩たちかと映り、近寄つてみると、それが見知らぬ兵隊たちであつた寂しさ。(中略)
中等科の校舎の中には、見知らぬ人々が往来し、事務室もザワザワして、昔のやうに温かく私を迎へては
くれぬやうに思はれました。「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」それほどでもありませんが、無暗に腹が立つて、
何ものへともしれず憤りを抱きながら門を出ました。
ふしぎな私の冷酷。昔、共に学んだ友人たちには、具体的に逢つてどうといふ感激もないのに、たゞ会はずにゐると
漠たる悲しみと孤独の感じに苛まれるのを如何ともなす術がございません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より

268 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:44:16 .net
そしてそれは却つてなまじひに顔見知りでない後輩たちを、電車のなかに見出す場合、懐しさに胸がドキドキして、
用もないのに話しかけたくなり、しかも我ながら馬鹿らしい含羞で、話しかけることもできずにじつと見つめて
ゐるやうな時、私のなかに私の少年時代が俄かに蘇るやうな気がします。こんな初々しい清らかな興奮をどんなに
長い間忘れてゐたことでせう。新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。彼は私が
彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、
のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。私は所用で大塚まで行くので、車内で、目白駅に下りた
その小後輩を見送つたわけですが、彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、
少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。何故かそれを見ると、私は
ふと涙がこぼれさうになりました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より

269 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:44:41 .net
ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。私たちもその一員であつた、
閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品の
そなはつた学習院の学生たち、あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、
それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、
今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、
私が目頭を熱くしたのも道理でございます。帰途学習院へ寄つてみて、あの焼跡を見、後輩たちをみて、
相似た感慨に搏たれました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より

270 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:45:12 .net
(中略)かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。ある漠たる直感、
夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。
現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を
必要とします。昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。
何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。
しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。
ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い
夜の烈しさにも耐へるでありませう。私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より

271 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:45:36 .net
私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが
喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。
その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去つてかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、
海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。
私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性を
もつものであると思はれます。
項日(けいじつ)、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。
文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。本文が死語に化した場合、この難解な
ロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より

272 :重要無名文化財:2010/03/06(土) 15:46:57 .net
あれより二週間病床に臥り、つい御返事がおくれしままにかくの如き事態となりました。
玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。
気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。ただ黙して行ずるのみ。
今後の重且つ大なる時代のため、御奮闘切に祈上げます。

たわやめぶりを みがきにみがかむ

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年8月16日、清水文雄への葉書より

273 :重要無名文化財:2010/04/04(日) 23:37:36 .net
大神々社への参籠は八月下旬と決め、その後、広島へ一寸伺ひ、そのあと、汽車で、(飛行機はイヤなので)、
熊本八代へゆき、神風連のことをしらべたい、などと、夏のをはりの旅をいろいろと計画してをります。いづれ、
間近になつて旅程がはつきりいたしましたら、御連絡申上げます。
「英霊の声」は文壇では冷たいあしらひで、かれらの右顧左眄(うこさべん)ぶりがよく見えます。
天皇の神聖は、伊藤博文の憲法にはじまるといふ亀井勝一郎説を、山本健吉氏まで信じてゐるのは情けないことです。
それで一そう神風連に興味を持ちました。神風連には、一番本質的な何かがある、と予感してゐます。

三島由紀夫
昭和41年6月10日、清水文雄への書簡より

274 :重要無名文化財:2010/04/04(日) 23:40:43 .net
「豊饒の海」は終りつつありますが、「これが終つたら……」といふ言葉を、家族にも出版社にも、禁句に
させてゐます。
小生にとつては、これが終ることが世界の終りに他ならないからです。カンボジアのバイヨン大寺院のことを、
かつて「癩王のテラス」といふ芝居に書きましたが、この小説こそ私にとつてのバイヨンでした。書いたあとで、
一知半解の連中から、とやかく批評されることに小生は耐へられません。又、他の連中の好加減な小説と、
一ト並べされることにも耐へられません。いはば増上慢の限りでありませうが……。
それはさうと、昨今の政治情勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、
と思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、癌症状は着々進行し、失ったら
二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。

三島由紀夫
昭和45年11月17日、清水文雄への書簡より

275 :重要無名文化財:2010/04/04(日) 23:44:03 .net
戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。
良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。下品な比喩ですが、彼女はまだ
若かつたから、日本の男が誰か一人立上れば、彼女をもう一度女にしてやることができたのでした。しかし、
口さきばかり巧い、彼女の財産を狙ふ男ばかり周囲にあらはれ、つひに誰一人、彼女を再び女にしてやる男が
現はれることなく、彼女は年を取つてゆきます。彼女が老いてゆく、衰へてゆく、皺だらけになつてゆく、
私にはとてもそれが見てゐられません。
このごろ外人に会ふたびに、すぐ「日本はどうなつて行くのだ?日本はなくなつてしまふではないか」と心配さうに
訊かれます。日本人から同じことを訊かれたことはたえてありません。「これでいいぢゃないか、結構ぢゃないか、
角を立てずに、まあまあ」さういふのが利口な大人のやることで、日本中が利口な大人になつてしまひました。

三島由紀夫
昭和45年11月17日、清水文雄への書簡より

276 :重要無名文化財:2010/04/04(日) 23:45:00 .net
スウェーデンはロシアに敗れて百五十年、つひに国民精神を回復することなく、いやらしい、富んだ、
文化的創造力の皆無な、偽善の国になりました。
この間もベトナム残虐行為査問会(ストックホルム)で、繃帯をした汚ないベトナム農民が証言台に立ち、
犬をつれた、いい洋服の中年のスウェーデン人たちがこれを傾聴してゐるのに、違和感を感じる、と書いて
ゐる人がゐましたが、日本が歩みつつある道は、正に、「犬を連れた、いい洋服の中年男で、外国の反戦運動に
手を貸す『良心的』な男」の道です。
どの社会分野にも、責任観念の旺盛な日本人はなくなり、デレッとし、ダラッとしてゐます。

三島由紀夫
昭和45年11月17日、清水文雄への書簡より

277 :重要無名文化財:2010/04/08(木) 16:29:55 .net

↑三島と歌舞伎で↓



278 :重要無名文化財:2010/06/30(水) 16:26:10 .net
市川雷蔵と三島由紀夫
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秋山大輔

市川雷蔵は昭和六年生まれだから三島由紀夫と六歳違う事になる。私は二十代後半に三島の『炎上』をビデオで観てから、『大菩薩峠』等の色気のある剣士姿に魅了されて雷蔵のファンになった。
今でも多くの女性ファンを獲得している雷蔵だが来年の八月で生誕八十年を迎えると知り、ある種の衝撃を受けた。
何故ならば三島文学を愛する者ならば感じる事であるが、三島は四十五歳で没しているので当たり前ながら「若い作家」というイメージがある。川端先生の様な老齢で作家然とした雰囲気はない。
三島由紀夫は事件により世間から「若い」印象を獲得したが、雷蔵も肝臓癌で三十六歳の死で永遠に「美剣士」である権利を獲得したと言えるだろう。
それ故に老境に達した雷蔵を想像するのはなんとも困難である。
雷蔵が三島の『金閣寺』を原作とした、市川崑監督の『炎上』に出演したのは昭和三十三年、雷蔵二十七歳の時である。雷蔵が「美剣士」のイメージから脱皮する為の好機だったといえる。

279 :重要無名文化財:2010/06/30(水) 16:30:06 .net
雷蔵は映画公開の翌年こういう感慨を「私の愛と生活の条件」のなかでこう述べている。
「『炎上』を認めていただいたことは、私の野心が認められたことで、これよりも嬉しいことはありませんが、原作を読んだ時に演りたいと思い、監督の市川崑さんと二人で一年ネバリました。
高い山を、休むことなく登っていくつもりで・・・・・・このネバリが役に立ったのでしょう」(『若い女性』昭和三十四年三月所収)。

雷蔵は学生僧を演じるにあたり断髪式も行っているほどの気合いの入れようであった。
「『炎上』出演から・・・・・・」では
「私が『炎上』で丸坊主になってまであの主人公の宗教学生をあえてやる気になったのはもとより、三島由紀夫氏の原作『金閣寺』の内容、市川崑監督をはじめとする一流スタッフの顔ぶれにほれ込んだことも大きな原因ですが、
それと同時に私はこの作品を契機として俳優市川雷蔵を大成させる一つの跳躍台としたかったからにほかなりません」(『よ志哉』昭和三十三年七月(市川雷蔵後援会会誌)所収)と述べている。
若き文学者と三十歳を前にした歌舞伎の流れを汲むアイドル的存在であった俳優のエネルギーが混ざり合い、『炎上』と言う半世紀経ても色褪せぬ名作が生まれたのである。

280 :重要無名文化財:2010/06/30(水) 16:41:06 .net
三島も『裸体と衣装』にて『炎上』、雷蔵の演技に最大の賛辞を贈っている。

『炎上』撮影時には「頭を五分刈にした雷蔵君は、私が前から主張していたとほり、映画界を見渡して、この人以上の適り役はいない」と書き、
完成時には「俳優も、雷蔵の主人公といひ、鴈治郎の住職といひ、これ以上は望めないほどだ」と絶賛した。その後雷蔵は三島原作の『剣』(昭和三十九年)にも出演している。
三島自身は自作の映画化に基本的に関与せず、無関心であったと言われている。しかし雷蔵は三島にとって自作の主人公を体現化した唯一の存在ではなかったのではないだろうか。

281 :重要無名文化財:2010/06/30(水) 16:43:17 .net
その雷蔵が三十六年の生涯を閉じたのは昭和四十四年七月十七日であった。
私は三島全集を眺めたが雷蔵に対する具体的な追悼文は見当たらなかった。『金閣寺』の主人公、溝口を三島の願望通りに演じた雷蔵の死に際して、
求められたか否か判らないが市川雷蔵追悼文という単独の作品が無いのは奇異に思われる。
崩壊と消滅の三島美学を集約させた小説『金閣寺』の主人公を演じた雷蔵の死は三島にかなりの衝撃を与えていた事は想像に難くない。三島はテレビで「癌で死ぬのは恐ろしい」と述べていたが、
映画という芸術に最後まで執念を燃やし、阿川弘之の『海軍兵学校』の映画化出演を望んでいたが、叶わなかった雷蔵に夭折の美学と聖セバスチャンを重ね合わせたに違いない。

三島は雷蔵存命時にこのまま追悼文として通用する文章を草していた。推測にしか過ぎないが三島は雷蔵の夭折を予期していたのではないか。

282 :重要無名文化財:2010/06/30(水) 16:45:04 .net
美的存在の崩壊は三島の願望であり、確信であったからである。昭和三十九年一月に日生劇場プログラムに三島が書いた「雷蔵丈のこと」は一種の予言であり、
象徴的な人間評論であり映画と言う「過去」に込められた愛惜である。

「君の演技に、今まで映画でしか接することのなかつた私であるが、「炎上」の君には全く感心した。市川崑監督としても、すばらしい仕事であつたが、
君の主役も、リアルな意味で、他の人のこの役は考へられぬところまで行つていた。ああいふ孤独感は、なかなか出せないものだが、
君はあの役に、君の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだのであらう。私もあの原作に「金閣寺」の主人公に、やはり自分の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだ。
さういうとき、作家の仕事も、俳優の仕事も、境地において、何ら変るところがない」


283 :重要無名文化財:2010/08/22(日) 11:50:59 .net
お客が喜ぶのは、二人の人間が何か一所懸命ぶつかり合つてゐる、しかもただ言葉で
ぶつかり合つてゐるのではなくつて型でぶつかり合つてゐる、性格でぶつかり合つてゐる
のではなくて、型でぶつかつてゐる、そこにみな感動するんです。
その型が一つ一つ見事に磨きぬかれてゐる、たとへば喧嘩でも見悪(みにく)い喧嘩ぢやない、
コノヤロウといふ喧嘩なら、どこでも見せられる。腕の振りあげ方一つ、殴り方一つにも
ちやんと型がある。
さういふふうに感覚的な魅惑といふものに訴へることなしには、どんなことも歌舞伎は
我々に伝へてこない。もし感覚的魅惑を抜きにして、歌舞伎を分れといつても無理だし、
そしてその狭い感覚的な魅惑の道を通つて歌舞伎といふものが、にゆつと飛び出してくるんです。

三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

284 :重要無名文化財:2010/08/22(日) 11:51:34 .net
私は歌舞伎といふものは、いつでも昔が良かつたもんだ、と思ふんです。あらゆる時代で、
昔の方が良かつたから、歌舞伎といふこの変な生命が続いてゐるんです。
これをよく考へていただかないとね、歌舞伎は、だんだん進歩していくんだ、昔はこんなに
原始的であつたのが、良くなつていくんだと思ふと、大間違ひなんです。今が一番悪い、
私で終りだといふ気持がないと、歌舞伎のこれからを支へて行くことはできない。
またうまいことに、歌舞伎といふものは、昔から滅亡論があつた。明治のころから
歌舞伎滅亡論といふのが何度あつたか分らないほどあつたんです。滅びる、滅びると
いはれながら、こんな大きな劇場が建つちやつた。これで歌舞伎が滅びないかといふと、
まだいつでも滅びるんです。滅びる用意をしてゐる。
歌舞伎を滅ぼすやうな要因は、いつの時代にも、たくさんありました。

三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

285 :重要無名文化財:2010/08/22(日) 11:52:05 .net
あなた方の前には、もつと新しいものが、いくらでもる。たとえばコンピュータの仕事を
してもよろしい。…今や日本ではますます新しい仕事は要求されてゐるんです。
滅びるに決つてゐるやうなものに自分が入つて行くといふのは、よほどの覚悟がなければ
できない。昔は良かつたが、今は駄目だ、と絶えず言はれる。
ところがその昔は良かつたものに、いつか自分が近付いていつて、その中に溶け込むときが来る、
そこが人間の不思議なところで、歌舞伎は昔に書かれたものですから、もし昔の理想に
自分がスーッと溶け込むことができ、昔の俳優の持つてゐた魂が、自分の中にフゥァーと
宿ることがあると、その時がどんな時代であらうと、歌舞伎といふものは、また蘇つてくるんです。

三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

286 :重要無名文化財:2010/08/22(日) 11:52:50 .net
私はあくまで歌舞伎を愛する、だけど私は観客として、あるひは演出家として、
その出て来た華だけを愛してゐたい。華の向う側に、どす黒いものがあるのは分つてゐる
けれども、そのどす黒いものは、そのまま大切な肥料としてそつとしておきたい、
といふ気持が非常に強いんです。
もちろん私は歌舞伎の改良といふことを全然否定するわけではありませんけれども、
歌舞伎といふものは、悪に繋がつてゐるといふことを信じますから、ああ、いくらでも
いくらでも綺麗にしてごらん、綺麗にしたら何が失くなるか、よく考へてごらんといふより
他にないんです。
あなた方、この歌舞伎の世界に入つて来たのには、よほどの覚悟がなくてはならんと思ふのは、
その悪といふものを是認するといふこと、そして不合理を是認するといふことです。
不合理を自分の中に取り込まなければ、歌舞伎といふ芝居を演る意味がない。(中略)
一番悪いものと、一番良いものとが結びついてゐるのが、歌舞伎の不思議なんです。
それを切つたらば、生命がなくなる。

三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

287 :重要無名文化財:2010/08/30(月) 17:53:38 .net
三島由紀夫「自決2日前の朱」、文楽台本に

三島が自決の直前に織田さんに渡した修正台本(右)。封筒には「三島由紀夫」の文字がある
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100828-249948-1-L.jpg
市ヶ谷の陸上自衛隊の庁舎バルコニーで白い鉢巻きを締め、演説する三島由紀夫(1970年11月25日、東京・新宿区で)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100828-249966-1-L.jpg

作家の三島由紀夫(1925〜70年)が、70年11月の自決直前に
赤鉛筆で修正を入れたとみられる文楽台本が見つかった。

滝沢馬琴作の読本を基にした自作歌舞伎「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」を
文楽用に書き直したもので、当時、国立劇場(東京・三宅坂)芸能部制作室で三島
を補佐した現・国立劇場顧問、織田(おりた)紘二さん(65)が受け取り、保存していた。
「椿説弓張月」は、保元の乱に敗れ、流刑となった源為朝が主人公の波乱万丈の物
語。台本は、B5判22ページに、十数か所書き込みがある。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100828-OYT1T00536.htm

288 :重要無名文化財:2010/08/30(月) 20:38:18 .net
なぜこれが今どういう経緯で発見されたのだ?

289 :重要無名文化財:2010/08/30(月) 20:55:37 .net
国立劇場で三島作品を上演
2010年9月4日(土) 〜 2010年9月20日(月)
国立劇場小劇場
「鰯売恋曳網 」 
作/三島由紀夫  脚色・演出/織田紘二 作曲/豊竹咲大夫・鶴澤燕三
振付/藤間勘十郎 補綴/国立劇場文芸課
演目
〈第一部〉11時開演
良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)/志賀の里の段 桜宮物狂いの段 東大寺の段 二月堂の段鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)/五条橋の段 五条東洞院の段
<第二部>4時開演
勢州阿漕浦(せいしゅうあこぎがうら)/阿漕浦の段 平治住家の段
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)/石部宿屋の段 六角堂の段 帯屋の段 道行朧の桂川
出演/竹本住大夫・竹本綱大夫・鶴澤寛治・鶴澤清治・吉田簑助・吉田文雀 他

290 :重要無名文化財:2010/08/31(火) 00:40:13 .net
真の技術といふものはそれ自身一つの感動なのである。


歌舞伎とは魑魅魍魎の世界である。その美は「まじもの」の美でなければならず、
その醜さには悪魔的な蠱惑がなければならない。

三島由紀夫「中村芝翫論」より


歌舞伎の近代化といふはたやすい。しかし浅墓な古典の近代的解釈にだまされるやうなお客は
却つて近代人ですらないのだ。そんなのはもう古い。イヤサ、古いわえ。


美は犠牲の上に成立ち、犠牲を踏まへた生活の必死の肯定によつて維持され育まれる。


類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。

三島由紀夫「歌舞伎評」より

291 :重要無名文化財:2010/09/15(水) 19:49:35 .net
思ひがけなく帰京でき、時ならぬ正月を致し候。後で思へば、十四日はわが誕生日、――
寮へかへりて、速達及び御手紙拝見、殊に御母上様の御文章、感銘深く、ゆかりも深き
廿一歳の一月十四日、御母上が御廿一にて、小生を生ませ玉ひし記念の日に、わが家へ
かへれしも何かの縁。思へば思ふほど、御心づくしのホット・ケーキの美味しさ、
忘れがたく候。――豆、乾パンなどハ同室の諸君とわけ合ひ、けふすでに一缶、消費致候。
田作は、けふストーヴにて焼いて喰べ申候。おいしく候。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月17日、平岡梓、倭文重への葉書より

292 :重要無名文化財:2010/09/18(土) 11:27:10 .net
女のまねをする女形は、女形芸術の墓穴を自ら掘つてゐるものだと思ふ。女形の範はあくまで能の鬘物の
シテにあるので、世にも高貴な美女の仮面をとほして、神秘的な、暗い男の声がひびいて来、美しい唐織の
衣装の袖から、無骨な男の手がむき出しになつてゐるべきなのだ。
といふことは、女形の真骨頂は仮面劇にあるのであつて、歌舞伎の女形といへども、変成男子の神秘感を失つては
ならないのだ。
といつて、私は、女形が日常生活でスポーツ・シャツを着てゴルフをしたり、「僕が」とか「僕が」とかいふ
一人称を使ふのを、推賞してゐるわけではない。ただ、女形美といふものが、女性美とは別の独自性を持つて
ゐることを忘れてはならない、といつてゐるのである。(中略)

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

293 :重要無名文化財:2010/09/18(土) 11:29:22 .net
女形芸のうちで悪婆(毒婦)や若衆方に接近した要素が、一等早く衰退の気配を見せてゐるのは、悪婆的女性や
若衆的女性がふえてきたからである。逆に女性的女性が減つてきたので、真女形の稀少価値が生じて珍重されるにつれ、
女形は女の模倣の方向へ傾きがちになり、女優と見紛ふやうな芸を見せる役者も出て来て、歌舞伎の女形の
セリフからは義太夫の暗い渋い律調が失はれてしまつた。先々代時蔵の最後の政岡を見たときに、私は哀惜の念に
耐へなかつた。(中略)
さて、その女形の将来であるが、今は万事にアメリカ風の、浅薄な健全第一主義の時代であるけれど、日本人の
血の澱みは、一朝一夕に浄化されるものではない。
女形を気味がわるいと思ふ観客がふえたこともたしかだが、そんならその気味のわるさに将来性がある筈で、
芸術の歴史はみんなさういふ試練を経て来たのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

294 :重要無名文化財:2010/09/18(土) 11:33:37 .net
私はつねづねふしぎに思つてゐることがある。
前述したやうに、今はむしやうに女が強くなつて男性化した時代のやうにいはれながら、女の顔自体は、昔に比べて、
だんだん男性的威厳を失つてきてゐるのである。理想の美女は、現代では、イタチが猫か少年の顔にちかく、
明治時代の女性のやうに、むしろ男性的威厳を帯びた顔は、ゐなくなつたか、少なくとも、流行らなくなつて
ゐるのである。(中略)顔はますます小さくなる傾向にあり、髷の似合ひさうな顔は一つもない。明治時代の
名妓の面影はあとをとどめない。
女性が女性的であつた時代に、却つて、女形風な顔や美がもてはやされ、沢山生存してゐた、とはどういふこと
だらうか。あれこれ思ふと、現代の女優で片はづしのカツラの似合ふやうな人は一人もなく、過去の壮大な
悲劇に似合ふ舞台上の女性は、どうしても、男にカツラをかぶせるほかはなくなるのである。ブリジット・
バルドーみたいな顔をした八重垣姫なんか、どう考へてもをかしいではないか。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

295 :重要無名文化財:2010/09/18(土) 11:35:35 .net
男が女に化けてゐるといふ芝居のウソの前提を、観客がもつと強く意識するやうになれば、女形の将来は
捨てたものではなく、また女形自身も、舞台では女、日常生活では男、などといふコセコセした枠を作らず、
舞台の上で女形であること自体に、堂々たる男性的威厳を発揮することに努めれば、世間の目も変つてくる
ことであらう。
重ねていふやうに、日本人の血の澱みの深さは、アメリカ人などとは比べものにならないのである。
女形のやうな、面白い、気味のわるい、エクストラオルディネール(異常)なものを、さうむやみに捨て去る
ことのできる日本人ではない。その点はもつと安心して、大悟徹底してゐるべきだと思ふのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

296 :重要無名文化財:2010/09/23(木) 10:34:48 .net
「BL作品の氾濫は少子化の原因。児童ポルノとは別枠で小説も含めた厳しい規制が必要」
「ゲーム脳」の提唱者・森昭雄日大教授の新著「ボーイズラブ亡国論」(産経新聞社刊)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1221494175/

297 :重要無名文化財:2010/09/28(火) 01:10:58 .net
三島由紀夫に倣ってゲイも妻帯して子女を儲けよ
とでも言うつもりなのか!
ここな痴れ者めが!

298 :重要無名文化財:2010/10/12(火) 19:40:20 .net
狸の銀:心づくしの狸汁で、帰りを待つが子分のつとめ、けふの狸はどうぢや知らぬ。
こりや上乗の狸ぢやわい。
鴉の権:肌あたたむる狸汁
梟の八:おんなじ肌のぬくもるにも
狐の拳:女と狸ぢや大きな相違
熊の胆:都恋しき朝夕なれど
狸の銀:ここの稼ぎもやめられぬ。
鴉の権:ハテ親分はもう帰られさうなものぢやなア。


鴉の権:蝦蟇丸(がままる)親分の
子分一同:おかへりだわい。
鴉の権:シテ今宵の首尾は?
蝦蟇丸:獲物も獲物、二つとない品ぢや。花嫁御寮を連れて戻つたわ。
鴉の権:見れば姿もあでやかに、月にたたずむ姫御前は、まことに菩薩か天人か、
拝んだだけで身がとろける。これは結構なお土産を、ヘイありがたう存じまする。
蝦蟇丸:たはけめ、貴様にやるものか。
鴉の権:そんならどなたの
子分一同:花嫁御寮か。
蝦蟇丸:わしのぢやわい。
鴉の権:モシ親分、それではすみますまい。
蝦蟇丸:何がすまぬ。
鴉の権:ぢやと申して、
蝦蟇丸:シーッ。
子分一同:ヘーイ。

三島由紀夫「むすめごのみ帯取池」より

299 :重要無名文化財:2010/10/12(火) 19:45:36 .net
菊姫:こりや何の羹(あつもの)ぢやわいなア。
蝦蟇丸:腹中を温むるに、これに如(し)くものなしと古伝の羹、まづ召されい。
菊姫:何やら茶めいたものなれど
鴉の権:ハイ狸汁でござりまする。
菊姫:ヒエエ、狸ぢやとエ。
蝦蟇丸:コリャ姫の御気色直さんため、いつもの踊りを早う早う。
子分一同:ヘーイ。

蝦蟇丸:踊りのあとは盃事、用意の盃、早う持て。
狸の銀:ハア。
菊姫:いかい武張つたお盃、こりや又何のお盃事かいなう。
蝦蟇丸:言はずと知れた、三三九度ぢやわえ。
菊姫:山賊(やまだち)にも似ぬよい殿御と、思ひ定めて来し身なれば、今さらおどろく
いはれもなけれど、夫婦の固めの盃に、無粋な衆の列座もいかが、皆の衆退らしやんせ。
鴉の権:女房気取でぴんしやんと
梟の八:都をしばらく見ぬうちに
狐の拳:とんと近ごろの姫御前は
熊の胆:蓮葉なものでは
子分一同:あるめいか。
蝦蟇丸:何をつべこべ。退れ。退れ。
子分一同:ヘーイ。

三島由紀夫「むすめごのみ帯取池」より

300 :重要無名文化財:2010/10/13(水) 13:38:38 .net
今宵は望(もち)の橋渡り、七つの橋を願事(ねぎごと)の、心づくしに綿帽子、
三々九度も夢ならず。されどきびしき掟には、

かたき掟も守るべし。お供したやと心せく、二人を尻目にみなはただ、呆然として欲気なく、

小弓は色香も置きわすれ、お座敷がへりの空腹を、勝手馴れたる居催促。

月に芒(すすき)や猫じやらし、猫に小判と言ふものの、小判はほしや、老いづけば、
金よりほかにたよる瀬もなし、お金、お金、お金、お金ほしやの、お月さま。

金と意気地とどつちが大事、それもこの世はあなたまかせの、旦那次第や運次第、
松の太夫の位がほしや、春と秋との踊りにも主役になりたや、お月さま。

忘られぬ、ぬしが面影、映し画よりも、うつつに見たるお座敷で、二言三言交はせしが、
シネマスコープの恋となり。今は何でもハッピー・エンドがわが願ひ、恋よ恋、恋、
映し画になすな恋とは思へども、恋の成就を、お月さま。

三島由紀夫「舞踊台本 橋づくし」より

301 :重要無名文化財:2010/11/16(火) 03:38:48 .net
定期保守

302 :重要無名文化財:2010/11/24(水) 12:17:26 .net

 明日は命日です

あれから40年が経ちました。

303 :憂国忌:2010/11/25(木) 02:26:17 .net
命日

304 :重要無名文化財:2010/11/26(金) 18:29:43 .net
> 日本を憂いて、市ヶ谷駐屯地で吼えたのだけど、伝わらず、むしろ逆にヤジられ、引っ込んでいった。
> 太宰を無視出来なかった三島を、また別の意味で興味を持っている。
- 立川キウイ ブログから

305 :重要無名文化財:2010/11/27(土) 19:20:34 .net
能とオペラ(ワーグナー)を統合した新しい楽劇の試みだそうです。
いかにも三島好みな(笑)

楽劇『保元物語――崇徳怨霊譚』 
http://www.gakugeki.org/


306 :重要無名文化財:2010/12/01(水) 19:54:46 .net
すてきです

307 :重要無名文化財:2010/12/01(水) 22:55:32 .net
この前憂国忌に行ってきた。
玉三郎とは生前できていたと思ふ

308 :重要無名文化財:2010/12/04(土) 19:47:10 .net
歌右衛門じゃなくて?

309 :重要無名文化財:2010/12/08(水) 14:41:25 .net
三島由紀夫はどこか足りない感じ。遺伝とかのせいでしょう。見ていて気の毒。

310 :重要無名文化財:2010/12/08(水) 18:22:06 .net
>>309
チョンらしい見解ですね。

311 : :2010/12/10(金) 17:00:49 .net
東京バレエ団が「三島由紀夫」への追悼バレエを上演します。

12月18日&19日@東京文化会館
振付:モーリス・ベジャール

初演の際は教育テレビで放送された傑作です。
故モーリス・ベジャール氏は「六世歌右衛門」を追悼するバレエも作ってます。

312 : :2010/12/10(金) 17:04:55 .net
>>305
上記の東京バレエ団「M」も、音楽がワーグナーですw

313 :重要無名文化財:2010/12/29(水) 22:55:16 .net
age

314 :重要無名文化財:2011/01/10(月) 00:46:19 .net
あげ

315 :重要無名文化財:2011/01/10(月) 00:54:18 .net
あげ

316 :重要無名文化財:2011/01/10(月) 23:54:24 .net
あげ

317 :重要無名文化財:2011/01/10(月) 23:56:49 .net
Mishima: Uma Vida em Quatro Tempos (Part1〜8)
http://www.youtube.com/watch?v=K61wpw2p35s
http://www.youtube.com/watch?v=KMOeGOS4Ayw
http://www.youtube.com/watch?v=zRRxAM5rpQM
http://www.youtube.com/watch?v=_4OnDPEYgBM
http://www.youtube.com/watch?v=m55CaMBdy18
http://www.youtube.com/watch?v=pLV55iDI4eE
http://www.youtube.com/watch?v=fdKcBT-fqgc
http://www.youtube.com/watch?v=vyQmE_Qa9ow

318 :重要無名文化財:2011/01/12(水) 03:29:26 .net
>>317

ありがとうございます m(_ _)m

319 :重要無名文化財:2011/01/30(日) 03:48:21 .net
age

320 :重要無名文化財:2011/01/31(月) 23:24:39 .net
ミシマダブル 三島×MISHIMA vs 蜷川 「サド侯爵夫人」/「わが友ヒットラー」
・東京公演:2011/02/02(水)〜03/02(水):Bunkamuraシアターコクーン
・大阪公演:2011/03/08(火)〜03/20(日):シアターBRAVA!
 (Bunkamura公式:特集ページ…ttp://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/11_mishima/index.html)

321 :重要無名文化財:2011/01/31(月) 23:25:04 .net
平幹二朗、東山紀之らが主演でミシマ・ダブル
 渋谷シアターコクーンで「我が友ヒトラー」と「サド公爵夫人」を同時に
***************************************

 これは難儀だろう、俳優にとって。
 それでなくともミシマ戯曲は台詞が長い上に言葉が難しいのだ。
 一日おきに、ヒトラーとサドを演じるなんて、前代未聞。演出は蜷川幸雄。

 サド公爵夫人はそもそも女性六人しか登場しない台詞劇。サドそのものは劇には登場場面がない! 
 静粛な夫人ルネを東山、母を平が演じる。
 我が友ヒトラーは、突撃隊長レームを東山が、武器承認クルップを平が演じる。

 「台詞が膨大」と嘆く平は「文学が俳優の肉体を通じて立ち上がり、血が通う。お客様には、その台詞にどきどきしていただきたい」
と豊富を語る(朝日新聞、1月28日)。
 また東山はミシマ初出演。「言葉だけで構築された作品と向き合うのは肉体的にも大変。「サド」での平さんとの母娘の口論場面は、格闘技のような気分」(同朝日)
と言っている。

 3月2日まで。問い合わせは(03)3477−9999 
 3月8日から20日は大阪で公演。
 渋谷シアターコクーンは、
 http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/11_mishima/topics.html


322 :重要無名文化財:2011/02/03(木) 00:10:04 .net

定期保守 

定期スレッドあげ

※皆様の御協力をお願い致します

323 :重要無名文化財:2011/02/09(水) 12:53:21 .net
大日座 - 美しき日本を語り伝える - 作品アーカイブ 1991〜2010
http://www.youtube.com/watch?v=V5XKsdL4YvY

324 :重要無名文化財:2011/02/09(水) 13:40:41 .net
金閣寺は?

325 :重要無名文化財:2011/02/18(金) 16:00:49 .net
【森田剛】金閣寺【宮本亜門】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/drama/1295611121/

三島由紀夫の「金閣寺」を語ろう♪
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1294538763/

326 :重要無名文化財:2011/03/03(木) 23:59:33.32 .net
三島由紀夫の噂話・思い出話2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/uwasa/1298604504/

327 :重要無名文化財:2011/03/19(土) 12:02:36.71 .net
菊五郎が創造したのは一種の近代歌舞伎であり、写実主義歌舞伎であつた。しかしその写実主義は根本的に
伝統的な物真似芸の深化あるひは象徴化であつて、大根(おおね)は近代的でも何でもない。こんなことを言ふと
インテリ歌舞伎俳優から抗議が出さうだが、歌舞伎役者の近代性などタカが知れてゐるのだ。近代趣味の
インテリ集団の文壇からだつて、本当の近代文学など出てゐやしない。安心していい。
おそれるのは若手俳優が企てる歌舞伎の浅墓な近代化だ。菊五郎の近代歌舞伎は、歌舞伎に適しない彼の容姿の
ハンディキャップから生れたといつてもいいのだ。菊五郎が育つて来た時代にはまだ本物の歌舞伎・本物の
錦絵役者が生きてゐた。この対抗手段として聡明な六代目は芸を心理の内面へ向けた。しかし歌舞伎の本質は
様式美を措いてはない。彼は心理の裏附けに物真似芸を広め深めて、様式を今一歩普遍化し内面化したのである。
だから六代目の芸と新劇の演技との間には、量の差ではない、範疇の差があるのである。

三島由紀夫「歌舞伎評 歌舞伎の近代性とは?」より

328 :重要無名文化財:2011/03/19(土) 12:02:56.58 .net
今や若手(といつたつて四十代も何人かゐるのだが)俳優諸君は、抵抗を感じるべき対象をもつてゐない。
錦絵役者は死に絶え、歌舞伎の古色は滅びてしまつた。ここで諸君が六代目の道を行くならそれは坦々たる
アスファルトで目をつぶつてゐてもドライヴができる。菊五郎が切り拓いたやうな抵抗がないのだ。ここに至つて
諸君の道は一層困難だ。
要は諸君がルネッサンス人になることである。諸君自身が歌舞伎のオルソドックスになつて、諸君自身に対立する
ことだ。この対立に血路を見出だして、その上で本当の新らしさを発見することだ。まづ歌舞伎のあらゆる
愚かしさを諸君自身に課することだ。
歌舞伎の近代化といふはたやすい。しかし浅墓な古典の近代的解釈にだまされるやうなお客は却つて近代人ですら
ないのだ。そんなのはもう古い。イヤサ、古いわえ。

三島由紀夫「歌舞伎評 歌舞伎の近代性とは?」より

329 :重要無名文化財:2011/03/23(水) 13:36:14.99 .net
いま歌舞伎役者でいちばんブロマイドの売れるのは海老蔵ださうだ。
或る時ごつたがへしの地下鉄の中で、偶々銀座から乗つて来た海老蔵と顔をつき合はせた。色は浅黒く、中折帽が
よく似合ふ。この変装ではあまり人に気づかれない。ただこの人の暗い沈鬱な目が舞台のままだつた。大きな目で、
白眼(にら)めば映えもする。隈取にも負けない目である。この目の暗さが舞台に翳を与へるのだ。
出てくると舞台がぱつと明るくなるといふ先代羽左衛門の天賦に似たものを、若い海老蔵にも発見されたのは
岡鬼太郎氏である。成程この九月の彼の富樫はたしかに颯爽たるものだつた。しかし目が容姿の明るさを
裏切つてゐる。ニヒリスティックな目だ。
九月の「忠臣蔵」の勘平では、この暗い目が芝居にリアリティーを与へた。張りのない澱んだ目が勘平の絶望感の
端的な表現となつた。悪戯小僧みたいな松緑の目とは丁度正反対だ。

三島由紀夫「歌舞伎評 市川海老蔵論」より

330 :重要無名文化財:2011/03/23(水) 13:37:13.21 .net
仄聞するところによると、海老蔵は家庭生活に恵まれない人のやうである。立入つた見方をすれば、生活の虚ろさが
目に現はれたやうな感じを受ける。匿名子はむしろこの失礼な予測が当ることを欲する。芸の無気力から来る目の
無気力だと思ひたくないのだ。
美は犠牲の上に成立ち、犠牲を踏まへた生活の必死の肯定によつて維持され育くまれる。もちろんこんな理窟は、
極楽蜻蛉的生涯を送ることのできた古い役者たちには適用しない。しかしこれからの歌舞伎役者は、ある意味で
自分たちの生涯が美の犠牲だといふことを強く意識する必要があると思ふ、芸術家たるの自覚を、六代目みたいに
単に対社会的にばかりでなく自覚する必要がある。この自覚が強烈になれば、海老蔵の目も光りを放ち、清澄な
力あるものになるであらう。

三島由紀夫「歌舞伎評 市川海老蔵論」より

331 :重要無名文化財:2011/03/23(水) 13:38:06.95 .net
「合邦」前半の玉手御前や、「御殿」の八汐は、浄瑠璃作者が創造した性格といふよりは、人形の機巧が必要上
生み出したデスペレエトな怪物であるが、それはもちろん義太夫節の怪物的性格にも懸つてゐる。しかし何といふ
情熱的なエネルギッシュな怪物であらう。類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。
儒教道徳やカソリック道徳の支配下においては、悪は今日よりも、もつと類型的でさうして強烈であつた。それは
反道徳的なもの一切の代表者であつて、人間の完全な1/2であつた。戦後の道徳混乱期の芸術が甚だ弱力なのは、
悪のエネルギーも亦分散して、悪人もまた単に個性の限界を出ないからである。歌舞伎や人形芝居は目もあやな
悪を創造した。「暫」の公家悪の美しさ、「妹背山御殿」の入鹿の美しさを見るがいい。この力がある限り、
歌舞伎や文楽は決して滅びない。

三島由紀夫「歌舞伎評 悪のエネルギー」より

332 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 12:46:10.96 .net
日本の歴史で、と言つてわるければ、日本人の心の歴史で、最初の意想外な事件がおこつたのはいつだらうか。
古事記をひろげてみよう。(中略)
神話の世界では、背理と奇蹟は日常茶飯事だ。朝おきてなぜ「おはやう」と言ふのかと訊ねても甲斐がないやうに、
なぜ高天原から独神がうまれ男女の神があらはれ、なぜ天の沼矛で海の塩をかきまはしたら島ができたか、と
たづねても意味のないことである。現代人はそれを凡て生殖の比喩として理解する。天の沼矛とはもちろん、
バッカスの祭に必要なあるもののことだと信じて疑はない。それはそれでよい。意想外の事件でないといふことが
わかればそれでよい。だが古代人は、おそらくかういふ背理を比喩だとして合理化することはなかつたであらう。
背理は背理のままで自然だつたであらう。さうでなければ、なぜかういふ天の沼矛その他の奇蹟が語られたあとで、
その奇蹟と同じ内容である一行為を、男女の最初の交はりとして、露はに語つてゐるのかわからなくなる。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

333 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 12:48:43.64 .net
それはただ強調するために伏線を引くといふ近代的手法のみなもとではあるまい。神話の最初の一節として、
ある異常な、非人間的な静けさが必要だつたのである。どんな奇蹟もそこでは意想外でないやうな、真昼の静謐が
必要だつたのである。そのためには聴き手の心にも、あらゆる奇蹟を奇蹟のまま、(比喩としてでなく)、何ら
意想外なものを感じずにうけとる能力がなければならない。逆説めくが、天の沼矛は賜物の比喩ではないのである。
現代人にはこの最初の二節を読む能力がなくなつてゐるのかもしれない。
(中略)
日本人の心の歴史で最初の意想外な事件がおこつたのはそのあとだつた。それは奇蹟ではなかつた。奇蹟なら
すでに意想外ではない。何かまちがひらしく見えるものだつた。ともすれば妖神のいたづららしく思はれるもの
だつた。しかし妖神のいたづらといふやうなものではない。それは人間から来た最初の蹉跌であつたのである。
神の力がすこしもまじつてゐない最初の事件がおこつたのである。人間がはじめてその「あやまち」によつて
神に与つたのである。これを意想外と言はなくて何と言はう。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

334 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 12:50:49.29 .net
(中略)
人も知るやうに、最初の合歓からは水蛭子といふ不具がうまれた。二神は天上に一旦かへつて天つ神の命をうけ
占ひをする。すると「女が先に言つたのがよくなかつた、又降りて、やりなほせ」と神示がある。二神は再び
天の御柱をめぐりなほし、今度は男神から先に「あなにやしえをとめを」と言つたあとで夫婦の交はりがなされた
ために、次々と健やかな島々神々が生れたのであつた。
少くともこの挿話は神話的にどんな意味があるのだらう。私は学説がそれをどう説いてゐるかしらない。しかし
古事記のどこを見ても、(それをよくなかつたと神示がいふだけで)、このふとしたあやまちが神か魔神かの
しわざであつたとは書いてない。神がそれをとめることができたとも書いてない。神はただ暗に非難めいたものを
人間になげかけるだけである。「やりなほせ」と言ふだけだ。人間のこのあやまちの動機には何もふれてゐない。
まるでそれにふれることを怖れてでもゐるかのやうに。
神の間でもタブウがあつたのかもしれない。人間らしいものの奥底にそのタブウがひそむのを神は見たにちがひない。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

335 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 12:52:22.54 .net
(中略)最初の言葉は上気した花嫁の古代の桃のやうな唇からさきに洩れた。「あなにやしえをとこを」と。
――何故こんなことになつたのだらう。何故こんなありうべからざることが起つたのだらう。(とにかく
「ありうべからざること」に人間性の最初のあらはれが見られたといふこの神話は甚だ象徴的で且つ皮肉である)
――天つ神たちは一方ならず動揺したにちがひない。信仰といふものがあつたとすれば、その信仰が深い地鳴りを
伴つてゆれ出すのを感じたにちがひない。しかし彼らがおぼえたのは愕きや憤りばかりではけつしてなかつた。
彼らは畏怖を感じた。人間が人間のままで神に与つたこのへんな瞬間に対する故しれぬ畏怖を。人間がこれからも
永遠にこんな妙な方法で瞬時に神に与つてしまふことをくりかへすであらうといふ畏怖を。――それは天つ神たちに
むずかゆいやうな痛みを与へたであらう。彼らはこの得体のしれぬ胸の痛みをもてあましたであらう。人間が
繁殖しつづけるかぎり神の胸からとり去られることのないこの痛みを。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

336 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 13:09:49.47 .net
神はいくたびか、おそらくは数千回・数万回も、このそこはかとない痛みの復活に出会はねばならなかつた。
地上で相聞の交はされるたびごとに出会はねばならなかつた。
その最初の機会であつたところの「人間から来た最初の蹉跌」に、日本の詩歌のひめやかな源流を見ることは
不当だらうか。相聞歌の発祥を見ることはあやまりだらうか。「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」
といふ至上の呼び交はしが、偶々人間から来た最初のあやまちであつたといふこの神話ほど、相聞の世界の妙諦に
触れ、その世界の豊饒と溢美を暗示し、その世界の悲劇を隈なく物語つてゐるものがあるだらうか。数千年に
わたつて相聞歌が人々の心にもたらした不安・をののき・よろこび・悲哀・苦悩のことごとくは、この一瞬の
不吉で美しい呼び交はしから流れて来てゐはしないだらうか。
相聞歌は永久に同じモチーフのくりかへしである。鶯が鶯をよぶのである。夜の薔薇のしげみのなかで、一ト声
愛らしく、二羽の小鳥がよびかはすのである。この最初の発声が過ちであつたとは、何といふ例へやうのない
美しさだらう。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

337 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 13:10:18.12 .net
いざなみの命・日本の最初の花嫁は、倫理も思想も悲哀さへも知らなかつた。彼女はただ神のまにまに自在に
行動しうる筈であつた。さういふ少女の口からほとばしつた意想外な喜びの呼び声が、天地の秩序をかへるほどの
力をもつてゐたことは想像にかたくない。神話によれば、花婿にはいくらか思想に似たものがあつたやうに
記されてゐる。事後になつて、「女人を言先だちてふさはず」と愚痴をこぼしたのは、花婿のはうであつたから
である。しかしその花婿にしてからが、「あなにやしえをとこを」といふ呼び声に接したとき、一語もさし
はさまずに、「あなにやしえをとめを」と即座に呼びかへした。この呼び交はしは一つの言葉のやうであつた。
片々でとぎれることはできなかつた。第一の言葉がをはるかをはらぬかに、谺よりもはやく、第二の言葉が
つづけられたのである。丁度西洋中世の古拙な絵画中の人物が口からその発した言葉のしるされてゐる白い帯を
放射してゐるやうに、二人はたちまち二人のあひだの空間に、左右から迫持になつた美しい言葉の穹窿を築いた。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

338 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 13:10:39.31 .net
その刹那から、言葉はもはや二人だけのものではなく、世界のものとなつた。その時から二人は言葉を失つて、
ただ顔を見合はせてゐるほかはなかつたのだ。なるほど花嫁の目にうつつてゐる花婿は、ただ一人のますらを、
ただ一人の美しい男性であり、花婿が目のあたり見てゐる新妻は、この世にただ一人の美しい女性であつたであらう。
しかし無残にも、二人は人間の真率な歌ひ交はしをはじめたあとでは、もはや天上の曇りない至福の生活から
別れねばならなかつた。あたかもその証しのやうに、二人の合歓のゆくてには、人間の最初の非運、「不具の子を
生むこと」が待ちかまへてゐたのである。その後の歴史にかずしれずくりかへされた相聞歌のやりとりで、これに
似なかつたものが一つでもあつたらうか。この人間に作りうるもつともうつくしいものである魂の呼びあふ歌が、
うたはれると同時に失はれるのを人々は見なかつたらうか。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

339 :重要無名文化財:2011/03/31(木) 13:11:01.52 .net
人間同志、愛する者同志がこんなにはげしく呼び合つてはならないらしい。そんな風にして呼び合ふのは何か
不吉なことにちがひない。神の胸にそれほどしげしげと痛みを与へてはならなかつた。この美しい最初のあやまちに
人間は人間最初の「不具の児」を賭けさせられたが、それ以後、相聞歌のために払はれた多くの精神のいけにへは
ますます数をましますます人の肩に重くのしかかつた。人は相聞のためにおそろしい代価を払はねばならなかつた。
ある限りの不幸を予知せねばならなかつた。この単純な使ひ古されたモチーフを歌ひ交はす、唯その事のために。
相聞歌は人間が突端に立つときのもつともはげしい危機の歌となつたのである。そのあとでかならず二人は
言葉を失ひ顔見合はせ、二人の最美の刹那が二人の顔のうへにもえつき、一握の黒い灰を残して消え去るのを
見たのである。それでもなほこりずまに、男女は呼び合はねばならなかつた。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

340 :重要無名文化財:2011/04/05(火) 12:11:56.59 .net
日本の芸能の古いものほど、広大な全アジア的ひろがりが背後に揺曳するものが多い。能でも「翁」には、
さういふ影があるし、かつて二月堂のお水取の行事に参列したときも、中央アジアに及ぶ古代文化の大きな類縁を、
ふしぎな声明の一トふし毎に聴く思ひがした。
さういふ点では(宗達の「舞楽図」もちやんとそれをとらへてゐるが)舞楽ほどせまい中世以後の純日本文化から
高く抜きん出た、広大な茫漠とした展望を、目に浮ばせる芸能はない。表向きは、古代支那の戦物語を描いてゐても、
その仮面、その装束、その動作の淵源ははるかに見定めがたく、われわれの心は古代のペルシャ湾のほとりへまで、
辿りついてしまふのである。
われわれの祖先は、大らかな、怪奇そのものすらも晴れやかな、ちつともコセコセしない、このやうな光彩陸離たる
芸術を持ち、それをわが宮廷が伝へて来たといふことは、日本の誇るべき特色である。だんだん矮小化されてきた
日本文化の数百年のあひだに、それと全くちがつた、のびやかな視点を、日本の宮廷は保つてきたのである。

三島由紀夫「舞楽礼讃」より

341 :重要無名文化財:2011/04/10(日) 01:03:15.70 .net
はいはい

342 :重要無名文化財:2011/04/25(月) 16:34:38.67 .net
ベケットでね、「ゴドーを待ちながら」ね、僕はゴドーが来ないというのはけしからんと思う。それは二十世紀文学の
悪い一面だよ。ゴドーが来ない。これはいやしくも芝居でゴドーが来ないというのはなにごとだと、僕は怒るのだ。


メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、
西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という
言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるような
ものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される、至上の観念に
到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

343 :重要無名文化財:2011/04/25(月) 16:37:03.21 .net
そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。
どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかし
たえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかをつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれて
くるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは
教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで
模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の
一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

344 :重要無名文化財:2011/05/06(金) 17:36:26.57 .net
天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。
三島由紀夫「舟橋聖一との対話」より


人間のあらゆるいやらしさと崇高さとがちっとも矛盾しないのが人間だと思うんですよ。
三島由紀夫
河上徹太郎との対談「創作批評」より


大正文壇とはちがつて、いまは、「徹吉が書斎のほうへ暗い廊下を歩いていった」と書くとして、その場合に
読者は、徹吉は実はだれなんだろうとか、これは「私」のことだろうかというようなことは考えなくなってきた。
それを作者も心得て書いている。ことばの表現おのおのにしても、ここにあるトンボを書くにはたしかにこの
ことばしかないか、ということばに対するフェティッシュな信仰みたいなものはなくなっている。(中略)
ことばに対する異常な集中力、梶井(基次郎)さんなどにあったそういうものはなくなった。それから人称に
対する潔癖さ、「私」と書くか「彼」と書くか、それによって心理が全部変わっちゃうような、そんな潔癖さも
なくなって、そういう点では最近の小説はことばに対する感覚が昔とかなり変わってきたということは感じます。

三島由紀夫
伊藤整・本多秋五との対談「戦後の日本文学」より

345 :重要無名文化財:2011/05/06(金) 17:41:23.13 .net
未来をなげいた三島の言う通りの今より、恵まれた時代もないが、ダラけてるよな、恥ずかしい

346 :重要無名文化財:2011/05/09(月) 17:53:02.28 .net
ナルシシズムというのは、自分の問題じゃないでしょうね。他人からの関心の問題ですからね。ですから、
自分へのこだわりとちょっと違うかもしれませんね。自分へのこだわりは、ナルシシズムと反対かもしれませんね。
もし、自分へのこだわりを捨てたければ、もっとみんなナルシシストになればいいのですけれども、なりきれない。


実のところわれわれ人の悲劇などにはそんなに興味はない。人が破産しようが、病気になろうが、死のうが、
われわれはのんきに生きている。これは、たとえば自分の最愛の人が死んだり病気になったりすれば、また問題です
けれども、世間というものは、人間の悲劇なんかに興味をもたないものだ。


たとえば人の家にいって、アルバムを見せられるほどいやなことないでしょう。(中略)
自分になんかだれも興味をもってくれないというのは、まず社会の根本原則ですね。

三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より

347 :重要無名文化財:2011/05/09(月) 17:56:49.69 .net
僕は、もし「私」というものがあれば、地獄を見たものが「私」だと思うのですよ。地獄を見たからこそ、
生きにくいのだというのは、「私」ではないのです。僕がさっきからいう「私」、「私」という意味は、つまり、
「私」を小説に書いているのは、「私」にこだわるのはいかんじゃないかという意味は、もう一つ深い意味で言えば、
それは「私」はないのだということを言うのです。いま「私」と考えられているは、地獄を見た人間がこの世で
いかに生きにくいかということを、縷々と述べるのが「私」だというのです。「存在理由を分析すること」が
「私」だというふうに考える。その存在理由の曖昧さ自体に「私」があるというふうに考える。そうじゃないのですね。
「私」の存在理由は明らかなのです。地獄を見た人間なのです。それは表現できないのです。こだわる必要もなにも
ないのです。神でもいいです。芸術家を人から聖別する。そこだと思うのです。なにかを見ちゃったのですね。

三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より

348 :重要無名文化財:2011/05/09(月) 17:59:07.04 .net
僕は、自分の本質がなにかということを考えるということはやめたのです。(中略)自分とはなんだという問題ですね。
つまり、ほじくってほじくって、玉葱の皮をむいていくでしょう。だんだん孤独になって、いまの大江君の
「万延元年」など見ると、そういう感じが非常にしますがね。玉葱の皮むいている。
(芯が)あるはずかもしれないけれども、皮だけかもしれない。一番簡単な通俗的な方法は精神分析ですね。
僕が自分の精神分析をすれば、どんな精神分析学者よりもうまくやる自信がありますよ。なんでもあります、
僕の中には。僕には無意識がないというと、安部公房は怒るのですが、僕の変なことをやる動機なりなんなり、
精神分析で解釈すれば、なんでもつくのです。
なんでもできますね。どんな精神分析学者をつれてきても驚かない。僕のほうがうまいでしょうね。人間というのは、
やはり動機で動くものじゃないと思っています。

三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より

349 :重要無名文化財:2011/05/09(月) 18:01:39.20 .net
日本人の「男らしさ」というものは、どうして日本の現代文学でできないのだろうかということをとても考えました。
そのマンリネスを除いては、近代日本だってある筈がないと思うのです。そのマンリネスというもの、たとえば
浪花節にしかないものを、尾崎士郎の小説、火野葦平の小説はそのあるものをもっている。あれは、あんなふうな
ラフな形でしか出てこないでしょう。あれをもっともっとデリケートに分析していくと、どうなるだろうか。
そういうデリカシーを与えたら消えちゃうだろうかということを、いろいろ考えてみたのだけれども、自分の
小説の中では必ずしもうまくいっていないのですがね。そういうものの探究を少しやりたいと思っています。
あまりにも日本近代文学の主人公は男らしくないし、人間関係も男らしくないし、「抱擁家族」などもっとも
そうですし、男らしさなど全部欺瞞かというと、絶対そうでないと思うのです。

三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より

350 :重要無名文化財:2011/05/09(月) 18:04:23.98 .net
不思議でしようがないですよ。確かにそういうもの(マンリネス、繊細で強いもの)があるはずだし、現実に
生きている日本人は、中にはそういう人間だっているはずですけれども、出てこない。近代文学に出てくる人間は、
みんな限られていてみんな病気ですね。なんだかみんないやな人たち、つきあいたくない人たちばかりぞろぞろ
出てくる。
強いものはただラフで、非常に鈍感なものと考えられている。それは芥川以来、大正文化人以来の固定観念で、
芥川はそういうことだけにしか生きていなかったからしようがなく書いたのですけれども。(中略)
谷崎さんにしても川端さんにしても素晴らしい芸術家だけれども、男というものは一人も出てこないでしょう。
元禄時代、元禄時代というけれども、西鶴はちゃんと書いていますよ。男の世界を書いている。人間がデリケートな
感情から発して、激しい行動に一直線につながるところを書いてますね。

三島由紀夫
秋山駿との対談「私の文学を語る」より

351 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:21:55.11 .net
三島:日本人はアジアでも特殊な民族で、外来文明に対する抵抗力はいちばん強いと思う。肺結核の黴菌に
対しても、清浄な空気の田舎から出てきた人は非常にかかりやすく、都会でもまれて免疫になっている人は
かかりにくいのと同じで、日本は外来文化の吹きだまりと言われているぐらいなので、抵抗力はアジアでいちばん強い。
インド人は依然としてサリーを着ている。インド人は外来文化に対して立派に抵抗している。日本人の男は
似合いもしないセビロを着、女はドレスを着ている。皮相な観測をする外国人は、日本人は無節操で外来文化に
対する抵抗力がないというが、そんなことはない。似合わないセビロを着ていられるから抵抗力があるのだ。
そういう恰好ができないということは、逆にいえば抵抗力がないということだ。ガンジーが糸車で抵抗したのは
それを知っていたからだ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

352 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:23:17.75 .net
三島:トインビーが言っているように、東南アジアから近東地方にかけての西洋文明の侵略に抵抗しえたのは
ガンジーの糸車である。もし、たとえ小さな機械でも、あれを機械に変えていれば、堤に穴があいたように、
そこからどっと西洋文明が入って来る。そして社会が改革され、経済が改革され、西洋人が教えたとおりにやっていく。
現に東南アジア諸国は西洋をまねて革命を起こそうとしているが、日本はその点、いつもぐずらぐずらしている。
明治維新だってしようがないからやったんだ。のらりくらりで、相手を受け入れても抵抗力を失わない。これは
自信を持っていいと思う。冷蔵庫やテレビをおいても、もう一つの世界を持っていける力がある。人生を
フィクションにする力は、日本人の大きな力だ。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

353 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:24:59.55 .net
三島:アメリカ人をご覧なさい。アメリカ人は六つの頃からセビロを着て、死ぬまでセビロを着なければならない。
ほかに着るものがない。人生をフィクションにする部分は一つもない。教会に行ってもプロテスタントの教会だから、
カソリックと違って飾り物やお祭があるわけでもない。その一生は、人生のフィクションを味わうものがなにも
ないから、じつにさびしいものだろう。そうだから、日本の文化に見られる人間精神の、純粋な結晶に、憧れを
感じる。日本人はそれをケロっとして持っている。自信を持っていい。
千:私もそれを考えて、ある席で言ったことがある。日本人は模倣性が強いというが、そんなことは考えなくともよい。
無意識のうちに外にいるときは洋服、畳の上にいるときは着物を着る。衣食住に関しては、外国人ができないことを
平然としてやれる。ですから、こういう機械文明の時代になっても、茶室で静かに自分の境地をさがし出すこともできる。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

354 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:30:43.59 .net
編集者:(中略)お茶事は演出するもの、フィクションである。しかも、それは歌舞伎の「先代萩」とか
「菅原伝授」とか、たとえ俳優がかわっても繰り返してなんべんでもやれるというものではない。だから一期一会……。
千:一期一会はお茶から出ているんだが、べつにお茶だけに限らなくともいいでしょう。人間はおたがいに生活に
追われているから、一日の一瞬間でも、ほんとうに心からとけあってお茶事を構成していこう、そういう解釈で
いいんじゃないですか。今日会えば二度と会えなくても満足だという真剣勝負のような気持、そういう気魄は
当然あるべきだと思う。ただ、それを押しつけては、おたがいに窮屈になってしまうけれど。
三島:最高の快楽というのはそういうもんじゃないか。現在の一瞬間を最高に楽しむ。非常にストイックな
快楽ということになりますね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

355 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:32:07.46 .net
千:瞬間瞬間をいかに満足するか。お茶を出す亭主はどういうようにすればお客さんに喜んでもらえるか、また
客のほうは、どうすれば雰囲気のなかに溶け込んで、自分というものが亭主に快く受け入れられるかという
瞬間的なふれあい、それは今言われたように、最高の快楽、和・敬・清・寂というものだろうと思う。
三島:たいへん教養のあるアメリカの婦人が、日本にきて、北鎌倉のあるお寺に行ってそこの高僧に会った。
春で庭に梅の花が咲いていた。その人は日本語ができないので、おそるおそる座敷に入って、端近に座った。
やがて和尚さんが現われてニッコリした。彼女もなにもわからないがニッコリした。その瞬間、彼女はここで
死んでもいいと思ったそうです。これまで五十何年間生きてきたけれども、自分が死んでもいいと思った瞬間は
あのときがはじめてだといっていたが、ここに道を求むる人ありという感じでした。(笑)

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

356 :重要無名文化財:2011/05/20(金) 12:37:25.46 .net
三島:(中略)これは古い言葉ですが、伝統芸術というのはおしなべて「捨身飼虎」の精神がほしいと思う。
身を捨てるということは、現代ではセビロを着ること、テレビを見ること、洗濯機を使うこと、地下鉄を乗ること、
これが現代の捨身。お茶はほんとうにおそろしいものですよという位置まで高めるのが飼虎。そうしなければ
いけないと思う。いま歌舞伎や能の人のやっていることは、虎が檻から勝手に出てしまって、自分では虎を
飼っていない人が多い。そこで身を捨てないで、着物、羽織、袴をはいても、虎がいないのでは人の心をつかめない。
お客さんは檻のなかに虎がいないことを知っている。
編集者:お茶は虎だというのは非常に大切だと思います。盲蛇におじずで、虎を猫だと思っている人が多いから、
猫じゃなくて虎だということを知らせるのは伝統を守るために必要なことでしょう。外人を茶室に入れたら、
キチッと坐らせて、猫じゃなく虎だと思わせることは非常に必要なことですね。
三島:ますますこれから必要でしょう。総理大臣までチョロチョロしている世の中で、日本の凜然たるものを
持っているのは伝統文化だけだということになるかもしれないね。

三島由紀夫
千宗室との対談「捨身飼虎」より

357 :重要無名文化財:2011/06/03(金) 19:49:50.29 .net
私はこの世に生を承けてより、只の一度も赤い羽根を買つたことがない。そのシーズンの盛期に、大都会で、
赤い羽根をつけないで暮すといふ絶大のスリルが忘れられないからだ。赤い羽根をつけないで歩いてごらんなさい。
いたるところの街角で、諸君は、何ものかにつけ狙われてゐる不気味な眼差を感じ、交番の前をよけて通る
おたづね者の心境にひたることができる。自分は狙われてゐるのだといふ、こそばゆい、誇らしい気持に陶然と
することができる。もし赤い羽根をつけて歩いてごらんなさい。誰もふりむいてもくれやしないから。
冗談はさておき、私は強制された慈善といふものがきらひなのである。(中略)
駅の切符売場の前に女学生のセイラー服の垣根が出来てゐて、カミつくやうな、もつとも快適ならざるコーラスが、
「おねがひいたします。おねがひいたします」と連呼する。
私がその前を素通りすると、きこえよがしに、
「あの人、ケチね」
などといふ。
「アラ、心臓ね」
「図々しいわね」
と言はれたこともある。

三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より

358 :重要無名文化財:2011/06/03(金) 19:53:55.67 .net
これは尤も、通るときの私の態度も悪いので、なるべく悪びれずに堂々とその前をとほるのが、よほど鉄面皮に
見えるらしい。しかし、ただ胸を張つてその前を通るだけのことで、鉄面皮に見えるなら、それだけのことが
できない人は、単なる弱気から、あるひは恥かしさから、醵金箱に十円玉を投じてゐるものと思はれる。一体、
弱気や恥かしさからの慈善行為といふものがあるものだらうか? それなら、人に弱気や羞恥心を起させることを、
この運動が目的にしてゐると云はれても、仕方がないぢやないか?
大体、弱気や恥かしさで、醵金箱にお金を入れる人種といふものは、善良なる市民である。電車で通勤する人たちが
その大半であつて、安サラリーの上に重税で苦しめられてゐる人たちである。さういふ人たちの善良なやさしい魂を
脅迫して、お金をとつて、赤い羽根をおしつける、といふやり方は、どこかまちがつてゐる。もつと弱気でない、
もつと羞恥心の欠如した連中ほど、お金を持つてゐるに決つてゐるのだから、おんなじ脅迫するなら、そつちから
いただく方法を講じたらどうだらう。

三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より

359 :重要無名文化財:2011/06/03(金) 19:57:17.78 .net
大体、私のやうに、赤い羽根諸嬢の前を素通りすることで鉄面皮ぶつてゐる男などは甘いもので、もつと本当の
鉄面皮は、ひよこひよこそんなところを歩いてゐるひまなんぞなく、車からビルへ、ビルから車へと、ひたすら
金儲けにいそがしいにちがひない。(中略)
本来なら、慈善事業とは、罪ほろぼしのお金で運営すべきものである。さんざん市民の膏血をしぼつて大儲けを
した実業家が、あんまり儲かつておそろしくなり、まさか夜中に貧乏人の家を一軒一軒たづねて、玄関口へコッソリ
お金を置いて逃げるのも大変だから、一括して、せめて今度は罪ほろぼしに、困つてゐる人を助けようといふ気で
金を出す。これが慈善といふものだ。ところが日本の金持は、政治家にあげるお金はいくらでもあるのに、
社会事業や育英事業に出す金は一文もないといふ顔をしてゐる。藤原工大を建てた藤原銀次郎氏などは例外中の例外である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より

360 :重要無名文化財:2011/06/03(金) 20:00:58.40 .net
ちつとも世間に迷惑をかけず、自分の労働で几帳面に仕入れたお金なんかは、世間へ返す必要は全然ないのである。
無意味な税金を沢山とられてゐる上に、たとへ十円でも、世間へ捨てる金があるべきではない。その上、赤い羽根
なんかもらつて、良心を休める必要もないので、そんな羽根をもらはなくても、ちやんと働らいてちやんと
獲得した金は、十分自分のたのしみに使つて、それで良心が休まつてゐる筈である。
さんざんアクドイことをして儲けた金こそ、不浄な金であるから、世間へ返さなければ、バチが当るといふものである。
ところで、昔から、民衆といふものは、ちつとも悪いことをしないのに、神仏の罰ばつかり心配し、えらい人たちは、
悪いことをさんざんしてゐても、罰なんか心配しない。その上、民衆には濃厚なセンチメンタリズムや古くさい
相互扶助精神があつて、自分に金もないくせに人に恵みたがる。さういふところにつけこんで来る「愛の運動」式の
ものは、警戒しなければならぬ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より

361 :重要無名文化財:2011/06/03(金) 20:03:20.45 .net
社会保障は、憲法上、国家の責務であつて、国が全責任を負ふべきであり、次にこれを補つて、大金持が金を
ふんだんに醵出すべきであり、あくまでこれが本筋である。しかし一筋縄では行かないのが世間で、大金持だけに
慈善行為の権利があるとは何だ、われわれにも平等の権利を与へろ、といふ主張もある。助けられる立場にゐながら、
人を助けたい人もある。
赤い羽根も無用の強制をやめて、さういふ人たちを対象に、静かに上品にやつたらいいと思ふ。
さて、赤い羽根の審美的存在価値はあまり香しくない。あれは何に似合ふか。背広に似合はず、スーツに似合はず、
似合ふのは、還暦の赤いチャンチャンコぐらゐであらう。

三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より

362 :重要無名文化財:2011/06/06(月) 23:55:04.60 .net
よく小学校などで、
「あの子、イヤな子だよ。すぐ先生にいひつけるんだから」
などと一人がいふと、忽ち噂が伝播して、「あの子」はクラスぢゆうから爪はじきにされる。
かういふのは原始的な集団ほど甚だしいので、村八分なんていふのは、東京のまんなかでは行はれない。しかし
実際のところ、小さな集団の中では村八分はいつもあつて、丸ノ内の近代的なオフィスの内部にだつて、
一寸した悪い噂から生じた村八分の雛型は、いくらも見られる。
この間ある週刊誌の編集長と話してゐて、スキャンダルといふやつは、どのくらゐ迄、宣伝に役立ち、どのくらゐの
度を過ぎると、本人にとつて致命的になるか、といふ問題をいろいろ考へた。長嶋選手の女の問題などは、
明らかに前者に止まり、衆樹選手の悪評判は、悲しいかな後者に接近してゐる、といふのが編集長の意見だつたが、
これも編集長の主観的意見にすぎず、そこのところの境界は、時と場所によつて、又当人の人柄によつて
まちまちであつて、結局はつきりした客観的な目安はつかないといふ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

363 :重要無名文化財:2011/06/06(月) 23:55:31.56 .net
(中略)
さて、スキャンダルの本質は、社会的人気者や、社会で紳士淑女とみとめられてゐた人が、思ひがけなく露出する
馬脚にあるので、はじめから悪人ならスキャンダルにならない。前科七犯の強盗が、十人や二十人の女を
だましたところで、スキャンダルとはいへない。ニュース・ヴァリューとスキャンダルとは同一ではないのである。
スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。
スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。
「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」――これで全部がおほはれてしまふ。当人は否応なしに、
「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、「彼は女たらしではあるが、
几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、親孝行であつた」とか、
さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

364 :重要無名文化財:2011/06/06(月) 23:55:59.10 .net
――さて、スキャンダルは、人間ばかりでなく、食品にも起る。かつての原子マグロ事件以来の、最大の
食品スキャンダルが、このハウレンサウ事件であつた。
さつき、村八分は原始的な集団のなかで甚だしいと言つたが、マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、
十分、村八分を成立させるやうになつた。ハウレンサウはその哀れな犠牲者だつたのである。そしてハウレンサウは、
スキャンダルのあらゆる条件をそなへてゐた。
第一に、ハウレンサウは、これまで社会に有益な役割をしてゐると考へられ、紳士的な野菜と見なされてゐた。
彼ははじめからナラズ者や、殺人犯人だつたのではなかつた。はじめから青酸加里だの、ネコイラズだつたのでは
なくて、善良な食品だつたのである。おまけに、彼には隠れた善行の噂があり、しかもその善行は誇張して
伝へられてゐた。それがすなはち、有名なポパイの漫画である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

365 :重要無名文化財:2011/06/06(月) 23:56:31.78 .net
誰も彼も、ハウレンサウ氏を信用してゐた。ハウレンサウ氏は、わづかな費用で、冬のさなかにも家庭を気易く
訪問し、みんなに愛されてゐた。その紳士が、実は、こつそりと、少量づつの毒物を家庭へ運び入れてゐたといふ
スキャンダルが出て、みんなびつくりしたのである。
昨年十月末から十一月はじめにかけて、一流新聞が一面全部の大記事を出したのは読者もよくご記憶であらう。
「ハウレンサウで大騒ぎ。
喰べすぎると“結石”に。
有害なシウ酸が含まれる」
(中略)
それ以来、ハウレンサウ氏は、善人の仮面をかぶつた陰険な悪人の代表にされてしまつた。(中略)
世間では急にハウレンサウを喰べなくなつた。それを私は、へんなこだはり方だと思ふのである。なるほど
結石が出来るのは不快にちがひないが、結石は死亡原因のランクに入つてゐるやうな病気ではない。キャラメル
自動販売機みたいに、上の穴からハウレン草を入れると、下の穴からコロリと結石がころがり出す、といふやうな
ものではない。もし病気や死の原因になることなら、われわれはもつといろいろ不養生を他にいつぱい重ねてゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

366 :重要無名文化財:2011/06/06(月) 23:57:30.00 .net
(中略)
日本で放射能雨の被害が喧伝されてゐたとき、銀座に出てゐて、俄か雨でもあると、いい若者が、あわてて頭に
新聞やビニールふろしきをかぶつて駈けた。
そのころニューヨークへ行つた私は、雨が降つてゐても、平然と濡れて歩く人々におどろいた。ところが
ニューヨークでは、タバコが肺癌の原因になるといふ説が有力で、ふつうのタバコを吸つてゐる人はほとんどなく、
パーティーなどへ行くと、十人のうち八人までが、吸口のついた、ニコチン止めの、まるで味のないタバコを
吸つてゐた。私にはあんな味なしタバコは我慢できないので、平気でラッキー・ストライクなんか吸つてゐると、
みんな私の勇気におどろいた。
かういふふうに、人間の恐怖心は、万遍なくすべてに及ぶわけには行かない。もしさうなつたら、恐怖のあまり、
みんな発狂してしまふだらう。だから、大しておそろしくない一つの恐怖に集中して、ほかの恐怖をみんな忘れて
しまふ傾きがある。
ハウレンサウを怖がつてゐる人は、少くともその間だけ、原水爆の恐怖を忘れてゐられるのであらう。その点では
ハウレンサウは、やつぱり有益な食品といふべきなのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

367 :重要無名文化財:2011/06/08(水) 16:23:52.37 .net
大学といふものが、看板どほり、真理探究の象牙の塔であるなら、よほどの変り者しか大学へ行きたがらぬ筈だが、
実際は就職と出世の必要な段階と考へられてをり、又今のところ世間の大体の仕組もさうなつてゐる。
さて、出世とは何かといふのに、私は京都の坊さんからこんな話をきいた。
江戸時代には名僧知識が多かつた。それは一般の平民にとつては、出世をする道とては坊さんになるほかなかつたので、
幾多の秀才が、仏門に入つたわけだが、明治時代になると、誰でも大臣宰相になれる世の中になつたので、
坊さんに秀才が出にくくなつたといふのである。
(中略)
明治以後、日本はうんと近代化し、うんと民主主義化したわけだが、同時に職能的社会の特色と誇りを失くして
しまつた。誰も彼も腕に何かの技能をつけるのを面倒がつて、ホワイト・カラーのサラリーマンになりたがる。
サラリーマンといふのは、技術者を除いて、腕に何の技能も持たない事務屋の集まりで、本当のことを言へば、
「誰でもつとまる商売」なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

368 :重要無名文化財:2011/06/08(水) 16:24:17.01 .net
さうなると、学校の成績や出身校ぐらゐで人間の優劣を決めなければ、決めやうがない。もしこれが桶屋の試験なら、
桶を作らせてみて巧ければ、学歴もヘチマもないわけだが、目に見えない能力をためすには、学校以外に判断の
基準がない。そこで、いはゆる「いい大学」へ入つて「いい成績」をとるために、親も本人も狂奔するといふわけだ。
(中略)
しかし世間の親の九分九厘は親馬鹿で、親バカといふときこえがよいが、その実、子供はそつちのけで、親としての
エゴイズムと虚栄心にとらはれてゐる。有名校を何度も受けさせて、たうとう落第を重ねた子供がノイローゼになつて
自殺したなどといふのがこの手合で、こんなことなら、裏口入学に秘術を尽くし、ありたけの金とお世辞笑ひを
使つて、低脳息子を有名校へ入れる親のはうが、よつぽど立派である。よつぽどヒューマニスティックである。
ヒューマニズムとは、命をかける代りに金を使ふといふ精神だからだ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

369 :重要無名文化財:2011/06/08(水) 16:24:39.56 .net
資本主義社会では、金持のはうがトクに決つてゐる。金を持つてゐない親の子に生れれば、自分で自分の能力を
切りひらいて、社会の上層部へのし上るしかない。社会の生存競争の何十年にわたる激闘に比べれば、試験勉強なんぞ、
屁のカッパである。
子供に、こんな苛烈な生存競争を味はせるのは可哀想だ、などといふのは文明人の感傷であつて、未開人の社会の
成人儀式の苛烈さはものすごい。先頃シネラマで、高い高い櫓の天辺から藤蔓で体を巻いて飛び下りる成人式を
見た親は、これと試験地獄とどつちがましか考へてみるがいい。
社会には危険な株なら、いくらでもころがつてゐて安く買へる。安全で将来性のある株にばかり集中するから、
その株が高くなる。試験地獄もこの法則と同じで、子供のために安全で将来性のある株を買はうとするから、
子供も苦しむのである。しかし或る意味では、さういふ株を狙ふ代価として、多少の苦しみは仕方があるまい、
といふほかはない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

370 :重要無名文化財:2011/06/08(水) 16:25:02.85 .net
世間には、変り者の親もゐて、子供のためにわざわざ危険な株を買ふ親がゐる。子供を天才画家や、天才
ヴァイオリニストや、第二の美空ひばりに仕立てようといふ親である。かういふ親に比べれば、試験地獄に子供を
かり立てる平凡尋常な親のはうが、よほど子供にとつて仕合せである。
私は永い目で見ると、試験地獄も緩和されるのではないかといふ楽観的意見を持つてゐる。(中略)
何世代かを経て、親がみんな高等教育を受けてゐるやうな世の中になれば、「子供に自分より高い教育を
受けさせたい」といふ夢もなくなるし、同時に、学士様も一向チヤホヤされなくなり、子供に同じ好い目を見せて
やらうといふ夢もなくなる。社会全体の幻滅がもつとひどくなれば、試験地獄も緩和され、再び職能制社会の
理想的な形ができてくるかもしれないのである。すでにその兆候は見えて来てをり、子供は正直なもので、
大臣宰相になることに出世の夢を抱く子供なんか一人もゐず、「えらくなる」とはプロ野球の選手になること
なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

371 :重要無名文化財:2011/06/10(金) 12:24:12.07 .net
大体私は現在のオウナー・ドライヴァー全盛時代に背を向けて、絶対に自分の車を持たぬといふ主義を堅持してゐる。
何のために車を持つか? 一刻も早く目的地へ到達するためだらう。ところが私の家から都心までは、ラッシュ・
アワーでも、バスと国電を使つて三十五分で確実に行くのに、車を利用すれば早くて四十五分はかかる。これでも
なほ車に乗るのは、どうかしてゐる。
こんな時間の問題を見ても、東京はますますニューヨークに近づきつつある。ニューヨークのラッシュ・アワーには、
地下鉄で十五分で行くところを、タクシーで四十五分もかかる。(中略)
もう一つばからしいのは、車の中で新聞や雑誌を読めば、動揺のおかげで忽ち目が悪くなり、気分が悪くなるが、
電車なら、推理小説だのスポーツ新聞だのに読み耽つてゐるうちに、あつといふ間に目的地へ着いてしまふ。
一切あなたまかせだからイライラすることもないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より

372 :重要無名文化財:2011/06/10(金) 12:25:14.15 .net
都会生活の真髄は能率とスピードだらう。車を持つこと、いやただタクシーに乗ることさへ、今や能率とスピードに
背馳しつつある。あとにのこる車の御利益と言つたら見栄だけだが、かう猫も杓子も車を持つやうになつたら、
一向見栄にもならない。見栄にも実用にもならぬことに、どうしてお金を使はなければならないのだらう。
(中略)
しかし時代の勢ひといふものは仕方がないもので、こんな駄文を草してゐるあひだにも刻々オウナー・ドライヴァーは
ふえつつあり、さなきだにせまい東京の悪路を身動きもできないやうにしつつある。(中略)
自動車はふえる一方、怖ろしき女性ドライヴァーもふえる一方、道路は減る一方、ときたま東京都あたりが発作的に
新道路を作つても焼石に水、といふのが実状であらう。こんなことは困つた困つたと言つてるうちに何とか
破滅的状態が来てやつと解決がつくのだが、それまで高見の見物を決めこむには、まづ自分が自動車を持たないことが
第一条件であり、それより何より、まづ人の車に轢かれないことが肝要なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より

373 :重要無名文化財:2011/06/13(月) 10:26:26.95 .net
子供はみんな遊びの達人である。
「遊びをせんとや生れけん
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声をきけば
わが身さへこそゆるがるれ」
といふ古い今様があるが、子供の遊びの純粋さに対する大人の感動と郷愁がよく出てゐる。
大人の遊びは結局この子供の純粋な遊びをまねることであるが、子供の遊びも、チャンバラからお医者様ごつこまで、
結局すべて大人の真似事であるから、遊びといふ点では、大人と子供は別々にあそんでゐても、結局、お互ひの
マネを演じてゐるにすぎない。大人の遊び場所から子供は完全に閉め出されてゐるが、その中で大人のやつて
ゐることは、要するに子供に帰らうとする身振りである。賭け事も、ダンスも、性行為そのものも。
なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、
何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

374 :重要無名文化財:2011/06/13(月) 10:27:07.14 .net
(中略)子供とちがつて、酔ふためには手続が要り、金がかかる。だから遊ぶためにアクセク働らかねばならず、
遊ぶために緊張過多にもなつてしまふ。これでは本末転倒といふものだ。折角レクリエーションと称して郊外へ
出かけても、混雑した電車や自動車ラッシュで、ヘトヘトになつてしまふ。
遊び人といふ人種がゐて、このごろの用語ではプレイ・ボーイといふ。私より二つ先輩の名高いプレイ・ボーイに、
この間久しぶりに銀座でパッタリ会つたが、あひかはらず上等な洋服を着て、一分の隙もない身なりで、きれいな
女の子を連れて歩いてゐた。(中略)この男は三百六十五日、ナイトクラブ通ひをしてゐる金持息子だが、よくも
飽きないものだと思つて、私はまづその体力に感心するのである。ヤキモチでいふのではないが、いくら女を
とりかへたところで、よほど想像力と空想力が貧しくなければ、三百六十五日ナイトクラブ通ひなんかできる
ものではない。ナイトクラブなんていふものは、映画の張りぼてのセットみたいなもので、ひたすら、高級めいた
セクシーな雰囲気をかもし出すために作られた造花にすぎない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

375 :重要無名文化財:2011/06/13(月) 10:27:59.97 .net
そんな造花的雰囲気がどうしてもこの男にとつて必要な点では、しかし、三百六十五日、縄のれんの呑屋に通ふ
をぢさんと大差ないかもしれないのである。
誰でも固有の、遊びの条件といふものを持つてゐる。ある人は金をばらまかねば遊んだ気にならず、ある人は
人にタカらなければ有効に遊んだ気にならない。これは貧富の問題といふよりは、気質乃至趣味の問題で、
ハリウッドの大スターでも、決して人の煙草しかのまないといふ「がめつい奴」がゐるさうだ。
大体日本人は家へ人を招く習慣が少ないが、これは日本の家の貧しさばかりでなく、日本料理が作る手数のかかる
ことと、人を招いたらムヤミと御馳走を並べなければならぬといふ旧習のなせるわざであらう。西洋人は自宅へ
人を招くのを最高の礼儀と考へてゐるが、日本では花柳界の料理屋へ招くのがもつとも手厚い接待だらう。
アメリカ人などは、大さわぎをして自宅へ招くが、ろくな御馳走を出しはしない。大ていお料理は一いろか二いろだ。
カクテルなどでは、よくまアこれでお客をするものだ、と思ふほど、ポテト・チップスと南京豆ぐらゐの肴で
すまして、ケロリとしてゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

376 :重要無名文化財:2011/06/13(月) 10:28:29.52 .net
しかし自宅へ西洋人を招くとわかるが、彼らが実にたのしみ上手遊び上手だといふことである。知らない同士も
たちまち十年の知己のやうになり、少しも人みしりをしないでたのしく話し、たちまちたのしげな雰囲気を
作つてしまふ。
それを見てゐると、いかにも遊び上手のやうにみえるが、彼らが本当に内心たのしいのかどうかわかつたものではない。
たえず知つた同士で呼びつ呼ばれつして、家庭的なたのしみをくりかへし、いつも夫婦同伴で、単調な交際の外へ
出ず、ポーカアをやるにも、ダンスをやるにも、顔ぶれが決つてゐるやりきれない小市民生活は、アメリカ映画で
皆さんもよく御存知であらう。「ア・ロット・オヴ・ファン」(面白かった)とか、「エンジョイした」とか、
しきりに言ふが、どこまで口先のお世辞かわかつたものではない。アメリカ流のカクテル・パーティーの
せはしない附合は、私には、何だか浅い、中途半端な、悲しい遊びに思はれる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

377 :重要無名文化財:2011/06/13(月) 10:29:10.75 .net
遊び、娯楽、といふものは、むやみと新らしい刺戟を求めることでもなく、阿片常習者のやうな中毒症状を
呈することでもなく、お金を湯水のやうに使ふことでもなく、日なたぼつこでも、昼寝でも、昼飯でも、散歩でも、
現在自分のやつてゐることを最高に享楽する精神であり才能であらう。この点でも日本人はテンション族で、
遊びにまで緊張過多なのは前にも述べたとほりだ。
プロ野球見物と庭の水まきと、どつちが現在の自分にとつてもつともたのしいか、といふことに、自分の本当の
判断を働らかすことが、遊び上手の秘訣であらう。世間の流行におくれまいとか、話題をのがさぬやうにとか、
「お隣りが行くから家も」とか、「人が面白いと言つたから」とか、……さういふ理由で遊びを追求するのは、
人のための遊びであつて、自分のための娯楽ではないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

378 :重要無名文化財:2011/06/14(火) 10:32:34.17 .net
このごろデパートを一トめぐりしておどろくのは、いはゆる「グッド・デザイン」の大量進出である。手術室の
メスのやうなナイフやフォーク、紙屑籠のやうな椅子や、椅子のやうな紙屑籠、マナ板まで雲形定規みたいな形を
してゐる。ガス・ストーヴ一つでも、昔風なルネサンス様式模倣の古式ゆかしい形のガス・ストーヴなんか、
東京中探したつてありはしない。(中略)日本座敷にモダンなテレビが置いてあると、何とも醜悪な感じがするが、
さりとて仏壇形のテレビなんてどこにも売つてやしない。一体何を以てグッド・デザインといふか。日本間といふ
ものが消滅せぬ以上、日本間むきの、観音びらきの扉に紫の房なんかのついたテレビ・キャビネットこそ、
グッド・デザインといふものではないか。
こんなことを言へば、進歩的デザイナー諸氏に叱られるに決つてゐるが、私自身が、近来の「機能主義にあらざれば
人にあらず」といふ風潮に逆らつて、もつとも反機能主義的な家を建て、もつとも反機能主義的な家具を誂へた
人間だから、敢て言はせてもらふ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

379 :重要無名文化財:2011/06/14(火) 10:34:16.35 .net
大体今のグッド・デザインといふやつは、古くさい様式だの、古くさい装飾過剰だのに反抗して生れたものである。
殊に、家具や生活器具は、様式や装飾にとらはれてゐれば、必然的に、使ひ心地のわるいものになつてゐる。
昔の人は、使ひ心地のよさや快適さよりも、様式や装飾のはうを愛してゐたから、前者を犠牲にして、お尻の
痛い椅子や、持ちにくいフォークを我慢して使つてきたわけである。
機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチしてゐる
やり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・キッチン
とやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、私に言はせれば、
そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、煩をいとはず、
全身全霊をこめて作り且つ喰べた。西洋人のはうが今でも昔流で、フランス人は昼飯も、晩飯も、ゆつくり
二時間ほどかけて喰べる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

380 :重要無名文化財:2011/06/14(火) 10:38:12.97 .net
グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た時代の
産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、離れがたい
なつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのもわかる。
はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

381 :重要無名文化財:2011/06/14(火) 10:46:22.98 .net
……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、最新のモダン・
リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態をいとなむことに他ならない。
(中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの販路拡大を、
「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを占領するのは
革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』より

382 :重要無名文化財:2011/06/14(火) 10:49:54.33 .net
西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における
様式の統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風に
デザインしなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用な
ことは、西洋人にはできない。(中略)
早い話が、日本でも、デパートで一人前数百円でメス式ナイフとフォークを買ひ込んで来て、さて、それに
合はせてグッド・デザインのディナー・セット、グッド・デザインの椅子、家具一式、ベッド、それに
ふさはしい家、(中略)……と様式の統一を心がけたら、大へんな金がかかるのである。だから大部分は、
様式の統一をあきらめて、断片だけで我慢する。
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的で
あるといふことが、どうしてもわからないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

383 :重要無名文化財:2011/06/16(木) 10:31:42.50 .net
一体、「日本人が何をクリスマスなんて大さわぎをするんだ」といふ議論ほど、月並で言ひ古された議論はなく、
かういふ風にケチをつければ、日本へ輸入された外国の風習で、ケチをつけられないものはあるまい。もともと
クリスマスは宗教の風習化で、宗教のはうは有難く御遠慮申し上げて、何か遊ぶ口実になるたのしさうなハイカラな
風習のはうだけいただかうといふところに、日本人の伝来の知恵がある。識者の言ふやうに、日本人が外国人なみ
(と云つてもごく少数の信心ぶかい外国人なみ)に、敬虔なるクリスマスをすごすやうな国民なら、とつくの昔に
一億あげてキリスト教に改宗してゐたであらう。ところが日本人の宗教に対する抵抗精神はなかなかのもので、
占領中マッカーサーがあれほど日本のキリスト教化を意図したにもかかはらず、今以てキリスト教徒は人口の
二パーセントに充たぬ実情である。そして肝腎のクリスマスは、商業主義のありつたけをつくした酒池肉林の
無礼講、あたかも魔宴(サバト)の如きものになつてゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より

384 :重要無名文化財:2011/06/16(木) 10:32:30.55 .net
私は日本のクリスマスといふのは、日本にすつかり土着した、宗教臭のない、しかもハイカラなお祭なのだと
思つてゐる。オミコシをかついであばれまはる町内のお祭は、今日ではもう、ごく一部の人のたのしみになつて
しまつた。ミコシをかつぐ若い衆も年々少なくなり、しかもどこの町内でも、ミコシかつぎが愚連隊に占領される
おそれがあるので、折角のオミコシを出さないところもふえて来た。
こんな町内のお祭以外には、紀元節も天長節も失つた民衆は、文化の日だのコドモの日だのといふ官製の舌足らずの
祭日を祝ふ気にはなれない。そこで全然官製臭のない唯一のお祭であるクリスマスをたのしむやうになつたのは
もつともである。
半可通の「文化人」がにやけたベレーをかぶつて、パリの貧乏生活の思ひ出をたのしむ巴里祭などより、どれほど
クリスマスのはうが威勢がよいかわからない。それに例の「ジングル・ベル」の音楽も、今では、「ソーラン節」や
「おてもやん」程度には普及してきたのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より

385 :重要無名文化財:2011/06/16(木) 10:33:25.46 .net
(中略)
一昨々年は、ニューヨークで、三軒ほどの私宅によばれて、清教徒的クリスマス、インテリ的クリスマス、
デカダン的クリスマス、と三様のクリスマス・パーティーを味はつたが、清教徒的家庭的健康的クリスマスの
つまらなさはお話にならず、いい年をした大人が、合唱したり、遊戯をしたり、安物のプレゼントをもらつて
よろこんだりする、田舎教会的雰囲気は、とても私ごとき人間には堪へられるところではなかつた。よく外国へ
行つたら家庭に招かれて、家庭のクリスマスを味はふべきだ、などと言ふ人があるが、そんな話はマユツバ物である。
クリスマスを口実に、淡々と呑んだり踊つたりといふのが、世界共通の大人のクリスマスといふのだらう。
(中略)
子供のころはクリスマスごろにいつも初雪を見たが、年々暖かくなるこのごろのクリスマスは、綿細工の雪ばかりで、
本物の雪に会ふチャンスはほとんどなくなつた。クリスマスは、キリスト教においても、本当は異教起源のお祭で、
ローマの冬至の祭、サトゥルヌス祭の馬鹿さわぎに端を発し、収納祭の農業的行事であつた。

三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より

386 :重要無名文化財:2011/06/16(木) 10:34:05.03 .net
それを考へると、日本人がクリスマスを、その正しい起源においてとらへて、ただのバカさわぎに還元して
しまつたといふ点では、日本人の直観力は大したものである。しかも、誠心誠意、このバカさわぎ行事に身を捧げて、
有楽町駅の階段に醜骸をさらすほど、古代ローマの神事に忠実な例は、あんまり世界にも類例を見ないのである。
これもキリスト教に毒されなかつた御利益といふべきか。
ところが私には、妙な気取りがあつて、祭のオミコシをかついだ経験から言ふのだからまちがひないが、日本の祭の
ミコシなら、ねぢり鉢巻でかつぎまはつて、恥も外聞もかまはずにゐられるのに、クリスマスといふハイカラな
お祭には、そのハイカラが邪魔をして、どうもそこまで羽目を外す気にはならないのである。日本にゐて外国の祭に
ウツツを抜かすといふことに、何となく抵抗を感じる。「クリスマス、クリスマス」と喜ぶのが何だか気恥かしい
のである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より

387 :重要無名文化財:2011/06/16(木) 10:34:47.67 .net
(中略)
ところで文化人知識人といふヤカラは、安保デモではプラカードをかつぎ、巴里祭にはベレーをかぶり、
クリスマスには銀座のバア歩きもやるくせに、どうして、日本のオミコシをかつがうとしないのであらう。
そこのところが、どうしても私にはわからない。
多分ハイカラ知識人は肉体的に非力で、オミコシなんか重くてかつげないものだから、軽いプラカードをかついで
ゐるのではなからうか。あれなら子供ミコシほどの目方もありはしない。
クリスマスも、日本の神事祭事に比べて、ただ目方が軽いから、ここまで普及したのではあるまいか。日本の祭には、
たのしいだけでなく、若い衆に苦行を強制する性格があるからである。お祭といふのは、本当はもつと苦しい
ものである。苦しいからあばれるのである。もつとも、年末は丁度借金取の横行するシーズンで、形のある重い
オミコシよりも、無形の借金の重さを肩にかついで、やけつぱちで呑みまはりさわぎまはる「苦シマス」が、
日本的クリスマスの本質なのかもしれない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より

388 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:01:10.44 .net
去る六月二十二日のこと、読売新聞の「夫の注文」といふ欄に、「いい年をしてミーハー趣味」といふ題の
投書が載つた。その投書は、「テレビといへば鶴田浩二にうつつをぬかし、タンスの上の写真立てには仲代達矢が
ニンマリ笑つてゐる。茶の間のガラス戸には大川橋蔵があつちを向いたりこつちを向いたり。そんなミーハー趣味より、
少しは知性を高める本でも買つたらどうか。子供が大きくなるといふのに、おばあさんになつても石原の
ユウちやんはいいねなどといふことになるのではイウウツだ」といふ趣旨のものだつたが、その反響は俄然
ものすごく、百通近くの投書が来た。(中略)
こんなつまらないことに賛成したりムキになつて反対したりする投書族の心理はさておき、この種のミーハー
奥さんは、百通の投書を氷山の一角として、日本全国に無数にちらばつてゐると考へてよからう。ブロマイド
ぐらゐで満足してゐるあひだはいいが、若い映画俳優や歌手の後援会には、三十代以上の奥さんも、相当なる
パーセンテージで参加してゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

389 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:01:48.57 .net
さて、ブロマイドを飾るのが低俗かどうかなどと論ずるより先に、ブロマイドといふものが何を意味するかを
考へたはうが早い。
鑑賞用美男などといふと体裁がいいが、ブロマイドは明らかに人気にもとづいてをり、その人気とは、悲しいかな、
芸よりもむしろ、その俳優の性的魅力にもとづいてゐる。だから、身もフタもないところ、女性にとつての、
男優の顔のブロマイドは、男性にとつての女のヌード写真とさしてちがはない意味を持つてゐると云つていい。
ただ女性にとつては、男の顔だけで十分なので、女性ヌードに対抗して、ハリウッドで、男優の水着姿の
ブロマイドを一杯売り出したところ、案に相違して、ちつとも売れなかつたさうである。
もし芸や人格や名声にあこがれてのことなら、乃木大将や坂東三津五郎や、毛沢東の写真を飾ればいいわけで、
ブロマイドの男優たちは、若くて美男であるといふことを、全然内容ヌキで買はれてゐるわけだが、顔といふものは
おのづから人間の気質を暗示するから、何とでも言ひのがれができる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

390 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:02:23.72 .net
この「言ひのがれ」といふことが、女性にとつてのブロマイドの魅力の一つである。
「仲代達矢つて、孤独で、ニヒルで、どこか悪の漂ふ魅力だわ」
などとブロマイドを見ながら言つてるが、それは映画の作つたイメージにすぎず、仲代君が本当に孤独でニヒルで
悪党であるかどうか、本人にきいてみなければわからない。いや、本人にもよくわからないだらう。性格はよく
顔と反対の場合があるのである。しかしかう言つてる分には、
「仲代達矢の顔見てると、シビれて来るわ」
などと旦那様に告白するよりは無難である。旦那様も、どうにもシビれさせやうのない自分の顔は棚上げにして、
何とか奥さんの要望にこたへて、「孤独で、ニヒルで、悪の漂ふやうな魅力」を身につけようと努力するかもしれない。
その結果、旦那様が、本当に手形偽造や公金費消にでも手を出したら、それは奥さんの責任といふものだが……。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

391 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:02:57.75 .net
しかしミーハー奥さんがブロマイドを飾り立ててゐたら、まづ旦那様は、自分の若さと性的魅力をすでに失つたか、
あるひははじめから持つてゐなかつたか、に気づかなければならない。そのくらゐの敏感さもなくて、
「少し知性を高める本でも買つたらどうか」
などと言つてるのでは、現代の亭主として落第である。
若い美男俳優のブロマイドは、奥さんよりも旦那に向つて、不断に、
「お気の毒ですなア。別に僕はお宅の御夫婦仲の邪魔をしてるわけでもなし、薄つぺらの無害の紙きれですが、
旦那よ、あなたの確実に持つてゐないものを、僕は全部持つてゐるんですからなア」
と話しかけてゐるやうなものである。亭主たるもの、豈(あに)奮起せざるべけんや。
しかし、深夜ひそかに亭主も耳をすまして、ブロマイドが何を独り言を言つてるか、ちよつときいてみる必要がある。
奥さんの鏡台の上で、あるひは茶ダンスの上で、かれらはかう言つてゐるのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

392 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:07:56.74 .net
「僕も商売だから、かうしてお宅のガタガタの鏡台や、安物の茶ダンスの上で、歯を見せて御愛想笑ひをしてゐるが、
あなたにして上げられるのは、これだけですよ、奥さん。もしあなたがヘンな気を起して、僕の家を突然訪ねてでも
来られたら、うちの玄関番が、うやうやしくお引取りねがふほかはないでせう。何しろ僕は、ひどく忙しくて、
ひどく疲れてゐるんですからね。今は僕も独身ですが、いづれ結婚するときは、十代か二十代はじめの、ピチピチした
若いきれいな娘をもらひますよ。奥さんと僕ぢやね、年もちがひすぎるし、生活感情も何もかもちがひすぎますもの。
くれぐれも己惚れてヘンな気を起さないで下さいね。僕たちの付合はこれだけにしておきませうね」
――もちろん知的な女も、美男俳優のブロマイドを見て、心を動かされることはあるだらう。しかし彼女が一切
その意志を表明せず、ブロマイドなんかを身辺に近づけないのは、右のやうな深夜のブロマイドの独り言を、
ちやんときいてゐるからぢやないかと思はれる。知的な高尚な女は、耳がとてもよく利くのだ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

393 :重要無名文化財:2011/06/18(土) 16:08:31.10 .net
さて本題に戻つて、いはゆるミーハー奥さんは可愛らしい。彼女の耳にはそんな独り言は永遠にきこえないのである。
しかもきこえないから、暴走するかといふと、さにあらず、適当なところで止まつて、よそへ行けば亭主の
惚気を言ひ、年をとれば、それこそ孫を相手に「裕ちやんはいいね」などと言つてゐる。
ミーハー奥さんのブロマイド道楽は、女性が無意識に出してゐる小さな可愛らしい尻尾であつて、かういふ尻尾を
出してゐる女性は、無意識の美徳を持つてゐるから、永遠に可愛らしい。おばあさんになつても可愛らしい。
男性はこの尻尾に感謝すべきである。こんな尻尾のどこにも見えない知的で高尚な女こそ本当の魔物である。
しかし、男性もへんないたづらつ気を出して、奥さんのこんな無意識の尻尾を気にして、その尻尾をギュッと
引張つたりしないはうがいい。引張られた尻尾は忽ち九尾に裂け、おそるべき魔性をあらはし、目は怒り、口は裂けて、
女性の怖るべき本質をむき出しにするであらう。賢明な男とは、女をして、女の本質に目をひらかせないやうに、
いつもうまく誘導してゆくことのできる男である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

394 :あぼーん:NG NG.net
あぼーん

395 :名無しさん:2012/01/22(日) 15:02:10.73 ID:???.net
         __
        , ‐' ´   ``‐、             / ̄:三}
.     /,. -─‐- 、.   ヽ        /   ,.=j
 _,.:_'______ヽ、 .!       ./   _,ノ
  `‐、{ へ  '゙⌒ `!~ヽ. !     /{.  /
    `! し゚  ( ゚j `v‐冫   , '::::::::ヽ、/     そんな野球よりステマしようぜ!
.    {.l   '⌒      ゙ 6',!   / :::::::::::::::/ __
.     〈  < ´ ̄,フ  .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
.      ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠.   ヽ_}  ゙ヽ
        ,.r` "´  /:::::::::::::::::::ィ´  `ゝ  !、  /
     /       / :::::::::::::::: ; '´   /´\ /   r'\
.     i      ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
     {      {:::::::::::;:イ /   ‖i:::::::/:::::::::::::/  \
.      ヽ       ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: /


396 :重要無名文化財:2011/06/20(月) 11:14:29.83 .net
雲はどんどん西方へむかつて、非常な速さで延びてゆく。西方の池上本門寺の五重塔のあたりまでのびたとき、
西北方の一点を指さして、妻が、
「アラ、変なものが」
と言つた。見ると、西北の黒雲の帯の上に、一点白いものが現はれてゐた。それは薬のカプセルによく似た形で、
左方が少し持ち上つてゐた。そして現はれるが早いか、同じ姿勢のまま西へ向つて動きだした。黒雲の背景の
上だからよく見える。私は、円盤にも葉巻型といふのがあるのを知つてゐたから、それだな、と思つた。
三、四秒、肉眼で追つたのち、私はあわてて双眼鏡を目にあてたが、妻も写真機のファインダーをのぞいてゐる。
私が双眼鏡から目を離したとき、すでにその姿はなかつた。妻はファインダーの中にキャッチしてゐたが、
シャッターを切る自信がないままに、出現してから五、六秒で、西方の雲の中へ隠れたのである。
――これを見て、われわれが鬼の首でも取つた気になつたのは言ふまでもない。
しかし周囲は意外に冷静で、父の如きは、夫婦が共謀してデッチ上げをやつてゐるんだ、と頭から信じない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より

397 :重要無名文化財:2011/06/20(月) 11:15:03.83 .net
肝腎な目撃者の妻も、
「あれ、きつと円盤よ。信じるわ、私も。でも一度見たから、又見なくてもいい」
とケロリとしてゐる。
日を経るにつれて、私の自信も何だか怪しくなつてきた。それが果して円盤だつたかどうか、科学的に証明する
方法はないし、北村小松氏も風邪で寝てをられて、目撃されなかつた。
日ましに私は、自分で見たものが信じられなくなつてゐながら、人が「そりや目の錯覚だらう」などと言ふと、
腹が立つのである。とにかくわれわれ夫婦が、ヘンなものを見たのはたしかである。それを誰にも信じさせることが
できないのは、妙に孤独な心境に私を追ひ込んだ。(中略)しかしもしあれが円盤だとしたら、乗つてゐた宇宙人は、
今ごろ私のあやふやな心境を、嘲り笑つてゐることであらう。「ここに俺がゐるのに、あいつは地球人の
つまらん常識にとらはれてゐる」といふ彼らの笑ひ声が耳にきこえてくるやうな気がする。
哲学的見地から云ふと、かうしてここにわれわれ人間が生存してゐるといふ事実も、宇宙人の存在以上に確実な
ものといへるかどうか、甚だあやしいのである。夏の星空がそのことを教へてくれてゐるやうだ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より

398 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 10:56:32.83 .net
さて今回はカメラの悪口を言はせてもらふ。私はカメラを持つてゐないからである。国内の旅行はもとより、
二度の海外旅行にも、カメラを持つて行つたことがないといふのが、私のヘソまがりの自慢である。(中略)
私がカメラを持たないのは、職業上の必要からである。カメラを持つて歩くと、自分の目をなくしてしまふ。
自分の目をどこかへ落つことしてしまふのである。つまり自分の肉眼の使ひ道を忘れてしまふ。カメラには、
ある事実を記録してあとに残すといふ機能があるが、次第に本末転倒して、あとに残すために、現在の瞬間を
犠牲にしてしまふのである。
ゲーテの生きてゐたころは、カメラなんかなかつたから、彼は、
「お前は実に美しい! しばし止まれ!」
などと言つてゐた。こんなことは今ならお茶の子サイサイで、天然色フィルムを仕込んだカメラを向ければ、
その美しいものは、「しばし止まれ」どころか、永遠にとどまつてゐる筈である。
とどまつてゐる筈である。しかしさうではないかもしれない。
美しいものは、カメラを向けた瞬間に逃げ去つてゐるかもしれない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

399 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 10:57:08.05 .net
まあ一例が、湖水のかたはらを歩いてゐて、白鳥が今正に飛び立つところを見たとしよう。これは実に美しい
瞬間である。思ふがはやいかカメラを向け、手練の早わざ、見事に白鳥の飛び立つ瞬間をとらへるかもしれない。
いよいよ現像して、友だちにも自慢する。アルバムに貼り込む。何度もくりかへして眺めては、
「ああ、よかつた。あのとき撮つておいて」
とたびたび自己満足の嘆賞を洩らす。
ところで、アルバム上の一枚の天然色写真には何が映つてゐるか。湖面から飛び立たうとしてゐる一羽の白鳥である。
なるほど写真としては美しい。しかし、それが本当に、その瞬間美しいと思つた印象と同じものかどうかと
いふと疑問である。
それから先は、われわれ文士といふものの考へ方だが、そこに写つてゐるのは一羽の白鳥にすぎない。しかし
美しさの印象といふものは、一羽の白鳥よりも大きなものである。写真は一羽の白鳥しか写さないが、われわれの
目は瞬間にもつと大きなものを写す。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

400 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 10:57:39.36 .net
たとへば、撮影者が、その瞬間に、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の一小節を思ひうかべてゐたとする。写真には
そんなものは写らない。しかしわれわれの肉眼には、目に見えてゐる対象、一羽の白鳥以外に、音楽も写つてゐれば、
歴史も写つてをり、さういふものが渾然として美的印象を形づくつてゐるのである。
アルバムに貼られた一羽の白鳥の写真は、彼自身は美しいと思つて何度も眺めるかもしれないが、それは彼自身が
そのときの美的印象を思ひ出しながら見るからである。何度も見るうちに、その印象もだんだん忘れられて、
一羽の白鳥そのものしか目に映らなくなる。まして、ただ写真を見せられる人が、誰も彼も、それを美しいと
思ふかどうか疑問である。
われわれ文士は、実物の証拠よりも、そのときの印象のはうを大切にする。なぜなら、写真は万人にそのときの
私の印象同様のものを与へるわけには行かないから、文士としての私のやるべきことは、そのとき現在の私の
美的印象を心ゆくまで味はひ、その上で、それを強め、深め、分析し、言葉を通じて、何とか私の印象を万人に
伝へなければならないからである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

401 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 10:58:08.43 .net
このとき、あわててカメラを向けて写真をとつたりすれば、美的印象はスルリと私の手から脱け出してしまふ。
飛び立つ白鳥はフィルムに残されても、それはもう私にとつては、ただの剥製の白鳥にすぎない。
――以上は、私の、小説家としての、写真不信の原則論である。
しかし写真にもいろいろな利点はあつて、その利点と限界をよくわきまへてゐれば、カメラきちがひも悪くないと思ふ。
よく人の家へ呼ばれて、家族の成長のアルバムなんかを見せられることがある。ところがこんなに退屈な
もてなしはない。人の家族の成長なんか面白くもなんともないからである。写真といふものには、へんな魔力がある。
みんなこれにだまされてゐるのである。ある家族が、自分の家族の成長の歴史を写真で見れば、なるほど血湧き
肉をどる面白さにちがひない。しかもそれが写真といふ物質だから、物質である以上、坐り心地のよい椅子が
誰にも坐り心地よく、美しいガラス器が誰が見ても美しいやうに、面白い写真といふものは、誰が見ても
面白からうといふ錯覚・誤解が生じる。そこでアルバムを人に見せることになるのであらう。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

402 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 10:58:32.16 .net
しかし写真といふものは、そんなものではないことは、さつきの白鳥の写真の話でもわかるとほりである。
大部分の写真は、不完全な主観の再現の手がかりにすぎない。それは山を映しても、ふるさとの懐しい山といふ
ものは映してくれない。ただ「ふるさとの懐しい山」を想ひ起す手がかりを提供してくれるにすぎない。
「ふるさとの懐しい山」といふものは、あくまでこちらの心の中にあるので、その点では、われわれ文士の
用ひる言葉といふやつのはうが、よほど正確な再現を可能にする。
いちばんいい例が赤ん坊の写真である。
他人の赤ん坊ほどグロテスクなものはなく、自分の赤ん坊ほど可愛いものはない。そして世間の親がみんな
さう思つてゐるのだから世話はない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

403 :重要無名文化財:2011/06/22(水) 11:00:47.63 .net
公園で乳母車を押した母親同士が出会つて、
「まあ、可愛い赤ちゃん」
「まあ、お宅さまこそ。何て可愛らしいんでせう」
などとお世辞を言ひ合ふが、どちらも肚の中では、
『なんてみつともない赤ん坊でせう。まるでカッパだわ。それに比べると、うちの赤ん坊の可愛らしいこと! 
どこへ行つたつて、こんなにキリャウのいい子はゐやしない。誰でも《まア可愛らしい》つて言ふから、誰が
見たつて、きつとさうなんだわ。(中略)』と、自分の言つたお世辞はみんな忘れて、さう思つてゐる。
カメラはこの「可愛い赤ん坊」を写すのである。実は、本当のことをいふと、カメラの写してゐるのは、
みつともないカッパみたいな未成熟の人間像にすぎないが、写真は、言葉も及ばないほど、「可愛い赤ん坊」の
手がかりを提供する。なぜかといふと、赤ん坊の可愛さなどといふものは、あまりにも主観的で、あまりにも
エゴイスティックで、あまりにも普遍性のない感情だから、さすがの言葉も追ひつけず、写真ぐらゐが丁度
いいところだからである。しかしかへすがへすも注意すべきことは、自分の赤ん坊の写真なんか、決して人に
見せるものではない、といふことである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

404 :重要無名文化財:2011/06/23(木) 22:47:15.62 .net
私どもの少年時代にも、「少年倶楽部」なら読んでいいが「譚海」は読んではいけない、といふのが、親の与へる
ひとつの基準になつてゐた。それだから「譚海」を親にかくれて読むのはたのしかつたが、それにはいつもながら、
「寄らば斬るぞッ」
とか、
「エーイッ! ギャアーッ!」
とか、
「やられたッ! ウ、ウーム」
とか、動物園の叫喚に似た擬音詞がいつぱい詰つてゐた。子供たちは擬音詞を好む。そして残忍殺伐は、遺憾ながら、
子供たちの重要な趣味の一部である。
ところで、このごろでは赤本漫画は姿を隠すどころか、大人の読者をも吸引してゐるらしい。(中略)
日本にも、この種の「大人」の激増しつつあるのが昨今で、赤本漫画、アクション漫画も、そのはうの需要を
充たしてゐるらしい。まさか学校を出て背広を着るやうになつて、路上でチャンバラもできないから、テレビや
映画のアクション物の見物から、ピストルの蒐集、射撃の練習にうつつを抜かしてゐる大人は増える一方である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

405 :重要無名文化財:2011/06/23(木) 22:47:42.14 .net
ここに男の大人の哀れな見果てぬ夢がある。女は、子供のころ夢みた、お嫁さんごつこや台所ごつこやお人形ごつこを、
大人になれば正々堂々と実現できるので、結婚して台所仕事をして赤ん坊を生めば、同時に子供時代の夢も
充たされる仕組になつてゐる。男はさうは行かない。そこで銀行につとめながら、銀行ギャングの映画に
熱中したりする妙なことになる。哲学を講じながら、こつそりチャンバラもの映画を見に行くやうなことになる。
男にとつては、幼児期の夢は、やがてその実現不可能を思ひ知らされ、夢としてのままに生き長らへる他はないことを
知らされるのである。これがすべての男の残酷な運命だ。
先頃私もアクション物映画に出演して、ピストルをふりまはしたが、このピストルといふものの持心地のよさと
云つたら、筆舌に尽しがたいもので、これでは自分の子供が成長してピストルいぢりをはじめても、とても
鹿爪らしい教訓などはできまいと思はれた。今もあのひやりと掌に重たいピストルの触感、弾倉をしらべるときの
手応へは、私の夢路に通ふのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

406 :重要無名文化財:2011/06/23(木) 22:48:10.81 .net
(中略)
それはそれとして、低俗、幼稚、残忍、粗悪、などと世間の最低の悪口を浴びてゐるこれらの赤本漫画は、
ひとたび子供に対する悪影響といふ問題を除けて考へれば、却つていろんな面白い問題を提起してゐる。
かういふものを一生けんめい読んでゐる大人の顔は(もちろん私の顔も含めて)、全然白痴的かといふと、
さういふものでもなく、カントの哲学書に読み耽つてゐる顔と、そんなに大差ないのではあるまいかと思はれる。
(中略)
ただ世の女性方は、たとへイギリス製の生地の背広を着こなした紳士の中にも、「ガーン!」「ガバッ!」
「ガシーン!」「バシーン!」などの擬音詞に充ちた低俗なアクションへの興味が息をひそめてゐることを、
知つておいて損はなからう。男にとつては、いくつになつても、そんなに「バカバカしい」ことといふものは
ありえない。「バカバカしい」といふ落着いた冷笑は、いつも本質的に女性的なものである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

407 :重要無名文化財:2011/06/25(土) 11:37:37.48 .net
三島:鏡花を今の青年が読むと、サイケデリックの元祖だと思うに違いない。


鏡花は、あの当時の作家全般から比べると絵空事を書いているようでいて、なにか人間の真相を知っていた人だ、
という気がしてしようがない。


三島:ニヒリストの文学は、地獄へ連れていくものか、天国へ連れていくものかわからんが、鏡花はどこかへ
連れていきます。日本の近代文学で、われわれを他界へ連れていってくれる文学というのはほかにない。(中略)
永井荷風はやっぱりどこへも連れていってくれないですよ。

澁澤:じゃ谷崎潤一郎さんは。

三島:谷崎さんも、もうひとつ連れていってくれない。

澁澤:つまり地上しか……地獄へもいかないわけね。

三島:天国へもいかない。川端康成さんはある意味で、「眠れる美女」なんかでどこかへ連れていくね。

澁澤:地獄ですね。

三島:地獄ですかね。鏡花が連れていくのは天国か地獄かわからない。あれは煉獄だろうか。

澁澤:煉獄あるいは天使界か、とにかく地獄でも天国でもない、その中間の澄みきった境地じゃないですかね。

三島:スウェーデンボルグ流に言うと天使界かな。

三島由紀夫
澁澤龍彦との対談「泉鏡花の魅力」より

408 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 10:41:16.56 .net
三島:人間の生存本能や、自己防衛本能を超越できたら、人間というものはもう少し飛躍するのだろうと思いますけど、
気違いはそれが飛躍してしまうんですね。

尾崎:近所の脳病院には患者が三百人くらい入ってましてね、(中略)東大生ですが、非常にまともな口を
きいていて、どこが変っているんだろうと思っていると、「ちょっと向うの山をご覧なさい」というんですよ。
見ると、「ほら、あれが動いているでしょう。あの山が動いているうちはだめですよ」。(笑)「じゃあ君は、
地球が自転するその動きだと思うのか」といったら、「そうじゃないのだ、あの山の震動だ」って。(中略)

三島:それは何かバイブレーションを感ずるのかもしれないですね。僕はやっぱり物体というものは、バイブレート
するものだと思うんですよ。物体自体が、一つの構成要素がバイブレートしていなければ、この宇宙は成り立たないと
思うな。ほんとうはバイブレートしているのかもしれないけれども、われわれにはその動きが全然見えないわけですね。

三島由紀夫
尾崎一雄との対談「私小説の底流」より

409 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 15:33:16.05 .net
(西洋では)フレッシュとボディは違うのだ。キリスト教は、フレッシュは否定するが、ボディは否定しない。
それは受肉という思想があるから。インカーネーションでもって、ボディが復活するのであって、フレッシュは
復活しない。フレッシュは滅びる。日本ではそれが、フレッシュとボディの区別がない。日本の体という場合には、
フレッシュとボディは渾然一体なんです。それで「源氏物語」の闇のなかにあらわれる女体は、やはり
フレッシュでありボディである。同時にその背後のものを暗示しているね、一つながりのあれですね。
それが日本の「色」というものだと思います。


西洋人は女と教養のある話をするにはね、カクテル・パーティーで、これはタダですね。肉体で寝るには娼婦を
買えばいい。これは金を払えばいい。その中間形態というのがほとんどないでしょう。日本は、その中間形態が
無限にある。ほとんど「快楽」と日本で称されているものは、その中間形態のことをいう。

三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より

410 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 15:35:03.82 .net
(日本では)女というものを楽しみの対象としてみて、女と睦み楽しむというような状態にも、これはかなり
いろいろな階梯があります。全部性欲でただ寝るだけか、あるいは教養のある女と付合うか、という二律背反がない。
これもぼくは分裂がないと思うのです。西洋では、ジイドの「狭き門」ではないけれども、ほんとうに愛する女とは
寝られない。それで愛さない女とは寝られるという、いつもそこで対立がある。日本だったら、ほんとうに
愛する女とだったら、好きなら寝りゃあいいし、また、ただ金で買った娼婦との間にも心中さえするような、
精神的な関係が生まれる。娼婦との心中というのは、西洋ではばかばかしいことで、あり得ない。ところが
近松ものは、ほとんど娼婦との心中でしょう。こういうふうに、日本では、そのあいだがとても広いのですね。


(アメリカで)プレイボーイ・クラブみたいなものができて、中間形態ができた。(中略)寝るか、精神的に
愛するか、どっちかだと思っていた人間が、中間形態があることに気づいたのは、アジアの
影響ですよ。

三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より

411 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 15:37:05.93 .net
生まれ変わりと日本の霊魂観は、ぜんぜん違いますね。(中略)
仏教はまず霊魂がないということからはじまったわけですから、根本的に違うのですね。生まれ変わりというのは、
霊魂がないということからはじまったのだから。しかし、その生まれ変わりは、仏教以前からありますよ。(中略)
輪廻観は仏教の前からあったものを、ヴェーダの時代からあったものを、仏教が取り入れたのだけれども、
日本に来た輪廻観は仏教を通している。仏教を通しての輪廻観と日本の霊魂観とは、完全に衝突する。
(中略)
七生報国というのは、自分の意思だものね。だから七生報国をやるためには、自分は今度牛に生まれては報国が
できないでしょう。人間に生まれて、天皇陛下に忠義を尽くすというのでは、これは、自分の意思で「我」が
働いてるし、とてもあれは仏教観とは相容れないですね。
(中略)
仏教がはじまってから、アートマンが完全に否定されたのだから、霊魂というものはなくて、生まれ変わりの
主体はないのだというね。(中略)しかし輪廻説は、そのアートマン説よりももっと前にある。

三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より

412 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 15:38:26.54 .net
ぼくは日本で不思議なのは、暴力神あるいは破壊神というものは、ルサンチマンによってしか、起こらないのだね。
ルサンチマンがなければ、そういう破壊神の思想が起きないのだ。風土の、もっと苛酷な国、たとえばインドなどは、
破壊神がちゃんといる。(中略)(日本では)暴力ないし破壊を事とする神というのは、それは須佐之男命
(すさのおのみこと)がそうかもしれない、唯一の例かもしれんけれども。
それで、なにか人間におそろしい、冥界から害を与えるのは、みんなルサンチマンがもとになっていて、これは
男も女を問わないのだね。
(中略)
なにか強固な人間意思、政治意思が、まっすぐにいこうとすると、怨霊がたたるでしょう。たとえば道長でも
そうですが、それから時平がそうですね。清盛がそうでしょう。それから天皇家にさえ怨霊がいるのだから。
最近までいた。天皇家の怨霊がいたでしょう。近衛家は九代たたったのでしょう。ほんとうにたたったのですからね。
このあいだで絶えたのです、満州で抑留されて死んだあの方で。

三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より

413 :重要無名文化財:2011/06/27(月) 15:40:08.10 .net
もう一つは、嫉妬の怨霊ですね。ジェラシーの表現というのは、日本の芸能のいちばん中心を占めているのですね。


日本の英雄信仰、あるいはヒロイズムというのは、みな幽霊的ですね。(中略)日本人には、どうもヒロイズムを
ヒロイズムとして認めたくないような、へんなものがあるのだね。ヒロイズムが一度怨霊を通過して出てくると、
はじめてヒロイズムが公明正大に認められるのだ。


西洋文学と比べて、(日本の)そのヒーローというものは、あまり行動的、男性的じゃないですね。道長は
政治的英雄であっても、武人ではない。


日本人の嫉妬について、村松剛が言ったひと言を忘れないのだが、天皇制がなぜ日本に合っているかというと、
日本人が嫉妬深いからだと、うまい説明だと思ったな。つまり、一つのクッションを置いて、権力を授受しないと、
絶対に日本人は承服しない。日本人同士の互選では、権力というものは一日も成立たんと言うのだ。
裏もわかっちゃって、佐伯さんを大統領にしたくても、あまり裏を知っていると、どうもねということに
なっちゃうのだな。(笑)これは困った国だね。

三島由紀夫
山本健吉・佐伯彰一との対談「原型と現代小説」より

414 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:17:43.38 .net
亀井勝一郎さんが、芸術は罪だってなことを言って一生苦しんだわけだ。どうしても芸術では救われないし、
芸術ってことに固執している間は、永遠に罪を犯していかなきゃならんてことをいった。あんな気楽なことを言って
いられたのは、彼に技術がなかったからだよ。というのは、彼は、創造的文学者として、本当の技術ってものの
こわさを知らなかった。だからあんな気楽なことを言えた。(中略)技術が手から離れたら、どうなるか、
そうしたらオートメーションの時代になる。技術社会になる、あるいは原子爆弾ができちゃう。ほとんど人間の
意思がかかわらないようなところで機械がどんどんオートマチックに回転して、恐ろしい罪を犯すかもしれない。
あるいは世界がフッ飛んじゃうような技術ができるかもしれない。そういう技術ってものとわれわれの技術は
どう違うんだ。われわれは肉体の罪を持ちながら、技術というものに一種の浄化作用を認めなければ、芸術って
ものは成り立たない。
三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

415 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:18:49.92 .net
ところが、肉体というものを認めず、技術ってものにも浄化作用を認めないで、肉体と技術をくっつけている、
亀井勝一郎さんのような人はどこへ行くかというと、はっきりいえば、肉のない技術へいくほかないじゃないですか。
彼は、地獄へ落ちていますよ、そういうことをいえば。(笑)ぼくは、大きらいなんだ、ああいう考え。
肉のない技術っていうところへ落ち込むような考え方は、結局、もとへ戻ってくると、肉ってものを軽蔑する、
あるいは肉と技術とのつながりを軽蔑する。あるいは技術自体の浄化作用、ピュリフィケーションの機能を
軽蔑することになる。(中略)
技術が罪ないし肉にしっかり縛りつけられていることが人間的であるということが言えますね。もし、技術が
罪ないし肉を忘れたら、その瞬間、技術自体が堕落するかもしれない。そうすれば、あるいは集団的な技術になり、
原子爆弾をつくり、破壊的な技術を、幾らでも非人間的な技術をつくれる。

三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

416 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:19:57.84 .net
ですから、芸術家の信ずる人間というのは、ある意味で罪の肉なんだけれども、それにプラス・アルファがある。
そのプラス・アルファが非常に芸術家にとって問題じゃないか。これが作家にとっても一生の問題じゃないかと
思います。簡単にいえば、芸ってことなんだが、芸って何だろうか。(中略)
自分の中に引き止められている、技術が制御されている、技術が、技術自体を無にしちゃうような、水爆の
爆発ですね、そういうところまでいかないように、技術を引き止めているものは、節度といっていいでしょうか、
それは何なんでしょうか。理性じゃないでしょう、少なくとも。
理性ってのは、必ずそっち(水爆)へ向かっちゃう。
(中略)
その技術が制御されているというのは、美しい形だと思うんです。何によって制御されているか、罪のある肉に
よって制御されている。(中略)その節度の、非常に危ない、スレスレの節度だけに芸術があるわけですね。
(中略)そういう節度に、芸術家は身を賭けながら、自分の中に虚無を引き止めている。

三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

417 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:21:05.87 .net
自分に危険がないような暴力行為はまったく意味がない。それにはモラルがないですからね。ですから、
アウシュヴィッツや、原子爆弾には、いまでも反対ですね。それは、ヒューマニズムとちょっと違うんだな。
ヒューマニズムだからそういうことをしちゃいけない、というのとはちょっと違う。


技術が肉から離れるとか、肉が技術を置き去りにするということが、文学作品の中で起こる場合、それはモラルを
侵しているんじゃないですか。たとえば政府に頼まれて小説を書くと。(中略)彼がほんとうにそう信じている場合、
書いたっていいわけだ。もし、信じてなかったらどうか、っていう問題がありますね。


あるスタイルが、ある時代を体現しちゃうということ、いつも不思議に思うんですが、バロックの時代に、
どうしてバロックが支配的なスタイルとなったか。
スタイルの支配力ってものは、一種の歴史の謎だと思うんですよ。

三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

418 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:22:04.94 .net
無を、スタイルによって自分の中にうまく引き止めた人間、それが芸術家じゃないでしょうか。
(中略)
一般にスタイルってものは、ある個人のいちばん深いところから出てきて、社会のいちばん浅いところまで
支配しちゃうようなものでしょうね。後世から見ると、それがその時代のスタイルというふうになって、非常に
歴史的なものになっちゃうんですね。不思議ですね、これは。
(中略)
ぼくが、精神分析っていうものを、根本的に信じないのは、そこのポイントなんです。
(中略)精神分析ってのは、ついにスタイルの問題を解決しない。スタイルを解決しなきゃ、芸術は絶対分らない。
精神分析は、いつも超歴史的なモメントを持ってきて、いつもおんなじところへ引き戻す。おんなじところへ
引き戻して、どうしてミケランジェロがいて、どうしてワットーが出てくるか、そういうスタイルの問題を、
何ら解決しない。

三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

419 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 11:25:05.46 .net
ですからあれは、あらゆる芸術美学がそうですが、フロイトも芸術論でいちばん失敗していますね。カントも
「判断力批判」では失敗していますね。かりにも美ってものに哲学者がタッチしたり、あるいは哲学者以外の
ああいう学者がタッチしたら、全部まちがえるのはそこです。ぼくは、けっきょく、それが歴史だろうと思うんです。
芸術っていうのは、非常に個性的なあらわれ方を、自分ではしていると信じているんだけれども、どんなことを
してもできない。それが芸術なんですね。


大江(健三郎)の中には、学生運動のスタイルもあるんです。純芸術的なスタイルとばかり言えない部分もある。
大江の持って回り方には、純芸術的な持って回り方とそうでないものもある。大江の、あるゼネレーションとか、
大江の見たり聞いたりしてきたものの中にある曖昧模糊としたものをひきずっていますね。つまり、素直に
この花は赤い、っていうことが、どうしても言えないんだな。

三島由紀夫
石川淳との対談「肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術」より

420 :重要無名文化財:2011/06/29(水) 23:34:36.37 .net
小西:おもしろいことには、女の役なのに、能役者は男の声でうたいますね。これをわれわれは何の不思議もなしに
受け取っています。しかし、もしあれを女のような声でうたわれたら、おかしくて聞いておれない。

キーン:ときどき、しろうとの能でほんとうの女の人が舞うでしょう。ほんとに気味が悪い。

三島:いつも言うんですけれども、能が日本の芸能のほんとうの形だと思うので、歌舞伎の女方が女のまねするのは
ほんとうの女方の堕落だと思いますね。ですから、歌舞伎の女方も、義太夫がほんとですね。そういう女方は
時蔵で終りになっちゃった。ちゃんと男の声でやっていた。

三島由紀夫
小西甚一、ドナルド・キーンとの対談「世阿弥の築いた世界」より


芸術家というものは、かなり追いつめられて来てから、始めて自分の「場」を発見するんだね。そして芸術家の
価値というものは成功したとか成功しないとかいう問題でなく、自分の宿命を見究めたかどうかにあるんだと思うな。

三島由紀夫
戸板康二との対談「歌右衛門の美しさ」より

421 :重要無名文化財:2011/06/30(木) 15:06:25.81 .net
舟橋:僕は谷崎さんて、一生格闘したと思うんですよ。

三島:やっぱり都会人で、羞恥心が強いから格闘なんていうところ、人に見せたくないし、それで、闘っているなんて、
野暮な下品なことですから見せたくない。なるたけ負けたような顔して、そして非常に自己韜晦の成功した人だと
思いますね。世間はわりあいすなおで、「そうですか。じゃ、あなた闘ってないんでしょう」ととるんだから、
ばかですね。
(中略)
日本語というものをあそこまで代表した作家なら、偉大じゃないか。ヒューマニズムなんて西洋の輸入物なんだから、
少なくとも日本の文学伝統の上に立って、それをあそこまで、日本語のああいう美的な大構築物をつくったと
いうだけでも、偉大なんじゃないか。(中略)

舟橋:国家が弔旗を出さない、あるいは勲一等を出さないというところにもね、谷崎文学におけるヒューマニズムの
欠如があるんじゃないか、という心配が世間にはあるんだな。

三島:あるんですよ。それはみんな西洋かぶれなんですよ。いちばんみんなが判断に迷うのは、そこだろうと
思うんですね。

三島由紀夫
舟橋聖一との対談「大谷崎の芸術」より

422 :重要無名文化財:2011/06/30(木) 15:18:37.62 .net
キーン:びっくりなさるでしょうが、ヨーロッパの小さな国、フィンランドとかデンマークとかノルウェーでも、
三島さんの名声はたいしたものです。三島さんの小説の題名をよく知っています、まだ翻訳されていないものまでも。
(中略)
どうぞ御自分の作品を十分にほめて下さい。(笑)

三島:ただ僕が残念なのは、サガンと、谷崎さん、川端さんや僕たちと、そんなに差はないとおもうのですがね。
サガンはどんな(海外の)田舎に行っても知られている。僕は知られていない。つまりフランスのような
文化的伝統のある国と辺地にいるものとのハンディキャップは大きいてすね。いちばん身にしみて感じたことです。

キーン:それは翻訳者たちの責任かもしれないけれど。三島さんは不公平のようにおっしゃいますが、アメリカでは
サガンより三島さんの方がよく知られています。もしも私たちが「金閣寺」とか「宴のあと」を訳さないで
「美徳のよろめき」を訳したとすれば、あるいは「悲しみよこんにちは」よりもよく売れたかもしれない。
これは私たちの責任です。

三島由紀夫
ドナルド・キーンとの対談「三島文学と国際性」より

423 :重要無名文化財:2011/06/30(木) 19:00:38.36 .net
【サッカー】U-17W杯 日本、ベスト8進出! 石毛と早川2発、南野も…ニュージーランドを圧倒6−0、準々決勝はブラジル★5
1 :依頼あり@ちびのぽφ ★:2011/06/30(木) 17:19:34.87 ID:???0 返信 tw
FIFA U-17ワールドカップ2011 メキシコ大会 決勝トーナメント1回戦

 日本 6−0 ニュージーランド  [モンテレイ]
1-0 石毛秀樹(前20分)
2-0 石毛秀樹(前22分)
3-0 早川史哉(前32分)
4-0 オウンゴール(Kip COLVEY)(前42分)
5-0 南野拓実(後11分)
6-0 早川史哉(後35分)

◆ U-17日本  吉武博文監督
GK 1 中村航輔(柏レイソルU-18) → 18 阿波加俊太(コンサドーレ札幌U-18)(後40分)
DF 2 川口尚紀(アルビレックス新潟ユース)
   3 岩波拓也(ヴィッセル神戸ユース)(Cap)
   4 植田直通(熊本県立大津高校)
   6 室屋成(青森山田高校)
MF 7 望月嶺臣(滋賀県立野洲高校) → 9 南野拓実(セレッソ大阪U-18)(前44分)
   8 石毛秀樹(清水エスパルスユース)
   13 喜田拓也(横浜F・マリノスユース)
   17 秋野央樹(柏レイソルU-18)
FW 11 松本昌也(JFAアカデミー福島) → 20 鈴木武蔵(桐生第一高校)(後12分)
   12 早川史哉(アルビレックス新潟ユース)

http://www.fifa.com/live/competitions/u17worldcup/matchday=10/day=1/match=300151841/

JFA:http://www.jfa.or.jp/national_team/2011/2011u17_wc/



424 :重要無名文化財:2011/07/02(土) 13:52:05.36 .net
三島:ぼくはスピードというのは、ある観点からみた主観的なスピードにすぎないと思うよ。たとえば「お能」と
いうのはとてもスピーディーだよ。ある時点からある時点へ飛んじゃうでしょ。舞台二回りぐらいすると東北から
京都に着いちゃうからな。あのスピード、どうしてみんなわからないのかな。

寺山:俗物は、斬られるときには居合抜きより、田中新兵衛みたいにゆっくり斬ってもらいたがる。(笑)
お能の速度は居合抜きだから宮廷向きで大衆性がない。速度というのはイデオロギーなのですね。

三島:お能のスピードは、電光石火をスローモーションで撮れば、ああなるに決まっている。恋愛でも、ドラマでも、
迅速そのものにすべてが過ぎてしまって、あとは何も残らない。それで、塚の上に秋の風が吹いている。それしか
なくなっちゃうんだから、すごいよね。どんな美女も、すぐ白骨になっちゃうしさ。

三島由紀夫
寺山修司との対談「エロスは抵抗の拠点になり得るか」より

425 :重要無名文化財:2011/07/02(土) 13:52:58.18 .net
寺山:カカトを三センチずらすと、三年経ったりするわけです。

三島:そのくらいのスピードだね。SFでこんなのがあったね。どこかの砂漠で不思議な彫刻が発見された。
手が空を指さしていた。それから十年経ってまたそこに来てみたら、こんどは手が下っているんだよね。この彫刻、
ほんとは生きてる人間なんだが、その人間の時間感覚では手を上げてから下げるまで十年ぐらいなんだ。

寺山:しかし、同時に何もしないやつが、おれの速度は肉眼では見えないだろうっていうふうにいい出す世の中だから。

三島:そうだ、だまされるよ。


三島:時間を支配しているのは女であって、男じゃない。妊娠十ヵ月の時間、これは女の持物だからね。だから
女は時間に遅れる権利があるんだよ。

寺山:ただ女は二十八日ごとに血が出てくるもう一つの時間を信じてるから、精工舎が作った時計の時間に対して、
無頓着になってしまっている。女は時計そのものですからね。

三島由紀夫
寺山修司との対談「エロスは抵抗の拠点になり得るか」より

426 :重要無名文化財:2011/07/02(土) 13:55:40.92 .net
三島:ぼくとっても時計が好きなんだよ。よく銀座あたりへ行って、百二十万とか八十万とかいう時計の前で
しばらくヨダレをたらすんだ。女房は安い時計ばかり持って歩いている。時計買ってやろうかっていっても、
絶対に欲しがらない。亭主は時計のところで立ち止まる。これには何か本質的なことがあるんじゃないかと思うんだ。

寺山:三島さんは刺青するみたいに、背中に時計をはめ込んだらどうですか。

三島:そう。女は自分が時計なんだから、肉体がちゃんと時計の役割をして、規則正しく自分の影響を受けている。
時間内存在なんだよ。男は時間外存在になりかねないから、しょっちゅう時計に頼らないと、こわくてこわくて。

寺山:だからぼくは、男はいつも偶然的な存在だから、外側に時計を探して歩いていなきゃいけないんじゃないかと
考えるのです。

三島:かもしれないね。自分をしばるものが欲しくて欲しくてしようがないんだよ、男というのは。時間を
逸脱するっていう危険がしょっちゅうあるから。

三島由紀夫
寺山修司との対談「エロスは抵抗の拠点になり得るか」より

427 :重要無名文化財:2011/07/03(日) 20:23:53.16 .net
三島:僕はいつも思うのは、自分がほんとうに恥ずかしいことだと思うのは、自分は戦後の社会を否定してきた、
否定してきて本を書いて、お金をもらって暮らしてきたということは、もうほんとうに僕のギルティ・コンシャスだな。

武田:いや、それだけは言っちゃいけないよ。あなたがそんなこと言ったらガタガタになっちゃう。

三島:でもこのごろ言うことにしちゃったわけだ。おれはいままでそういうことを言わなかった。

武田:それはやっぱり、強気でいてもらわないと……。

三島:そうかな。おれはいままでそういうことは言わなかったけれども、よく考えてみるといやだよ。

武田:いやだろうけど、それは我慢していかないと……。

三島:それじゃ、我慢しないでだよ、たとえば、戦後社会を肯定して、お金をもうけることは非常に素晴らしい
ことだ、これならだれに対しても恥ずかしくない、と言えるかな。

武田:言えないでしょう、それは。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より

428 :重要無名文化財:2011/07/03(日) 20:28:20.55 .net
三島:言えないでしょう。そうすると、われわれだってどっちもいけないじゃないの。どうするのよ……。

武田:だから最後まで強気をもつということよ。

三島:強気をもつということは、もう小説を書くことじゃないだろう、そうすれば。文学じゃそれは解決できる
問題じゃない。

武田:だって、小説だって、あの長いもの書くのに、強気でなければ書けないよ。

三島:しかし僕は、それは絶対文学で解決できない問題だと気がついたんだ。まあ頭は遅いけど。
たとえば政治行為というものはね、あるモデレートな段階で満足できるものなら、自分の良心も満足するだろう。
たとえば、デモに参加した、危険を冒して演説会をやった、私は政治行為をやったということで、安心して文学を
やっていられる。私は自分の良心にこれだけ忠実にやったんだぞ、ということで、文学をやる、小説が売れる、
お金が入る、別荘でも建てる、犬でも飼う、ヨットを買う、そんなことほんとうにいやだな。

武田:それは、あなたはいやでしょうね。

三島:ほんとうにいやだな。

武田:だけども、つまり政治行動というものは、ほんとうはそうじゃないからね。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より

429 :重要無名文化財:2011/07/04(月) 12:34:41.90 .net
武田:文学をやっていれば、いちおう決定しないですむ、というような風習が日本にある。

三島:あるんだよ。それは日本ばかりじゃない、僕はヨーロッパからきた風習だと思うよ。日本だったら
決定してますよ、明治維新までは。それは、ものを書く人間、詩をつくる人間、それから、少くとも文章を
書く人間は決定してますよ。だけど、いまの日本じゃ、非常にヨーロッパ的になったんです。つまり、ものを
書く人間のやることだから、決定しないですむんだという考えがある。僕はとってもそれがいやなんだよ。
(中略)
僕は、学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きていると思っているけれどもね。つまり、反権力的な
言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ。簡単なことだよ。
周の粟をくらわず、という人間がぜんぜんいないということだよ。これは根本的批判だよ。
私立大学ならそれはいいよ、だけど官立大学じゃそれは成り立たんじゃないですか。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より

430 :重要無名文化財:2011/07/04(月) 12:35:41.93 .net
武田:たとえば、いまヘドロの問題があるでしょう。ヘドロの一番の問題は、われわれが紙を使って生きていると
いうことですね。もし日本文学全集が出なくて、あるいは大新聞があんなに増頁しなかったら、石狩川のヘドロも
大昭和製紙の田子の浦のヘドロも出ないですよね。それを自分が、自分の芸術、あるいは自分の美をうたいあげる
根底は、けっきょくそのヘドロによって支えられているという感覚がないと、無限に批判できますよ、それは。
(中略)画家の使う絵具だって、映画監督の使うフィルムだって、全部ヘドロを出しているんだもの。それを
ふまえないで公害問題を言うと、それこそまた戦後の空虚だね。

三島:またはじまっていると僕は思うんだ。つまり、公害を批判すれば、またそれでいいんだ。(笑)文学と
いうものは、そういうものにいつも反抗してきたはずだろう。ところがいま文学の機能というのは、ほとんど
反抗しないようなところにきちゃって、反抗する力もなくなっちゃったんじゃないの。そういうものはウソだと
いうことを。

三島由紀夫
武田泰淳との対談「文学は空虚か」より

431 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 10:01:34.93 .net
三島:ゴンブローヴィッチはエロティックでない哲学なんて信用できないという。青年がなぜ特権を持っているか。
それはエロティックということです。学生新聞の文章を読んでごらんなさい。妙な観念的なことを書いていて、
何を言わんとするのか全くわけがわからない。だけど性欲が過剰だということだけはよくわかる。
芸術はそういうものがなければいかぬということだ。あんなわけのわからぬ文章をつくるもとがなければいかぬ。
それがなかったら、いくら技術的によくても、いかに美的であっても、根本的なことに欠けているだろう。
エロティシズム自体が一種の生命主義みたいなことになっちゃう。
(中略)
もちろんインポテでもエロティックであり得る。谷崎が一番エロティックだったのは「瘋癲」時代だったかも
しれない。谷崎という人はエロティックということを忘れなかった人だ。
志みたいなものだ。あれは偉いと思う。
(中略)
中村:そうすると肉体を離れるね。

三島:でも肉体から出てきたものだ。絶対に肉体から出てきて、それはただの観念じゃない。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

432 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 10:02:42.98 .net
西洋人を見ているとわかるでしょう。いい年をして脂っこいセックス。ちょっと話がそれるけれども、
サンフランシスコのシンポジウムで一緒になった、実に高潔なイギリス紳士の探検家がいた。そこに日本人の
二世みたいな女が来た。この女があとでぼくにこぼしていましたけども、その追っかけ方ときたらたいへんなもので、
ほんとに閉口したそうですわ。あのおじいさん、もう七十ぐらいでしたかな。それでああいうものを持っていると
いうことは絶対肉体からくるので、日本人にはちょっとわからないようなところがある。西洋の哲学でも思想でも、
みなああいうものを抜きにしては考えられない。宗教もそうでしょう。キリスト教で抑圧した性欲の激しさと
いうものはすごい。だからバタイユとかクロソウスキーみたいな作家が出てくる。

中村:(中略)あれはやっぱり西ヨーロッパ人がキリスト教というタガをはめるに足る強い肉体を持っていると
いうことだね。

三島:ぼくもそう思います。日本人ではあんなことをする必要はない。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

433 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 10:04:20.79 .net
三島:ぼくは自分の小説はソラリスムというか、太陽崇拝というのが主人公の行動を決定する、太陽崇拝は母であり
天照大神である。そこへ向かっていつも最後に飛んでいくのですが、したがって、それを唆かすのはいつも
母的なものなんです。(中略)ずいぶん右翼のいろんな手記を読んだりしたけど、おふくろがみんないいおふくろで、
息子の行動を全部是認している。おやじは心配しますね。たとえば中村さんなんかは父性愛で心配するが、
おふくろは心配しながらも、息子が人殺しをするというと、いいよいいよといって是認してしまう。おふくろの
力というのはとても大事なんです。右翼のあれを読むと、みなおふくろ好きなんです。イタリアのギャングが
帰着するところは全部おふくろなんです。何か人間の行動性とおふくろと関係があるようだ。
(中略)
日本人の行動性の裏にはおふくろがべったりくっついている。それを発見するのです。(中略)いくら女を
締め出してもだめです。最終的におふくろが出てくる。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

434 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 10:05:27.62 .net
三島:小説は人間をどこかへ連れていけばいい。長々とただ語っていけばいい。それにはスタイルによって
人を物語に乗せることですね。
(中略)
中村:ぼくは、日本の近代小説がいちばん忘れているのは物語だと思う。物語を否定したわけでしょう。

三島:完全に否定した。

中村:そんなバカなことはないんだよ。西洋人は近代小説で物語というものをある意味で否定したろうけども、
実はそうじゃないんです。それは夫婦喧嘩みたいなもので、「このバカ野郎」といっているのを見ると、ほんとに
これは別れるのじゃないかと端では思うけれども、実はそうではない。西洋の場合はそういうものだった。
ところが日本では、それを端から見て、これはどうも、別れるのじゃないかと思っちゃったようなところがある。(中略)
結局物語というものを何かの形で復活しなければ小説などというものは滅びてしまう。

三島:ぼくも絶対そう思う。

中村:ところが物語というものはなくならない。

三島:民衆がある限りなくならない。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

435 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:40:10.94 .net
三島:ぼくはヒーローの魅惑という以上の、もっと魔的な、デモーニッシュなことをいっている。ヒーローが
魅惑があるに越したことはない。だけど物語というものは、人を知らぬ間に誘い出して、どこか水の中にボコンと
落として溺れ死させるようなものですね。

中村:そういうものがあればいい。

三島:せっかく自分がここに坐っているのになんでおれを連れて行くのだといっても、自然にあとをついて
行っちゃうようなもの。笛を吹いている人間は魅力があるわけでもないのだけれど、ただ魔的なものに惹かれて
行っちゃう。自分はそれによって感動したわけでもないし、それによって自分が高められたり低められたりする
わけではないけれども、自分が必ず水の中で溺れちゃう。物語というものは必ずしまいには人を滅亡させちゃう。
そういう魅惑があれば、たいへんな文学だと思う。

中村:死、結局そうかしら。

三島:そこへ行っちゃう。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

436 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:41:08.18 .net
三島:やっぱり死ですよ。芸術というのは何か根本的に死のイデーがあって、そして人をひきずってゆく力でしょう。
虚無などというものは人は信じたくもないし、実体に囲まれて住んでいる。(中略)これ以上のものが何が
ほしいんだというのに、どこかから変な笛の音が響いてきて、結局どうにもならない虚無のなかに陥れられちゃう。
(中略)
川端さんの「眠れる美女」にもあります。そういうのがぼくは文学だというように思うんですね。虚無へ向かって
ひきずってゆかないものは必ず贋ものだと思う。どこからきた確信か知らないけども、そう思う。
(中略)
やっぱり西鶴も偉いが近松も偉いと思う。ああいう日常的な三面的なつまらない事件を扱って、些々たる人間の
コンフリクトを扱って、非常に低い次元からはじめて虚無へひっぱってゆく。あれは社会科学者にいわせれば、
封建制度下のやむを得ない脱出だというけれども、絶対そうじゃないな。

中村:それはそうだ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

437 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:42:36.95 .net
三島:ぼくはドナルド・キーンで感心しているのは、「道行」で人物の背が非常に高くなるということ、それまでは
背の低い人間たちが争ったり恋したり泣いたりしている、それが心中直前の「道行」の文章にきてそこで背が
すっと高くなるという、あれは非常にうまい批評だと思う。やっぱり背の高くなる文学というのは非常に必要ですよね。
ぼくはいま安岡君の「幕が下りてから」を読んでいるのだけれども、あんなに人間が背が高くなることを
信じない人というのはつらいだろうな。

中村:それはおもしろい。そういう意味ではあの人は魅力がない。

三島:魅力がない。

中村:とても悧巧だからね。

三島:大江(健三郎)君は、少なくとも背が高くなるという可能性は信じているでしょう。自分は絶対ならない
けれども、誰かがなるだろうということを信じている。それが自意識と結びついて変なことになっちゃうかも
しれないけれども、少なくとも安岡君とちがうのはそこだ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

438 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:44:23.18 .net
三島:作家がピエロというのは前提条件で、どこからどこまでピエロなんだから、自分でピエロだといったら
ピエロでなくなっちゃう。つまりピエロが出てきて、私はピエロですピエロですといったら絶対ピエロで
なくなっちゃう。メドラノの曲馬、あれは悲しそうだからいいので、私はクラウンですよといったらクラウンで
なくなる。日本の私小説というのはどうもそういう感じがする。

中村:また意見が一致しちゃう。

三島:(中略)太宰は、私はクラウンですよと絶えずいっていた。だからおもしろくもおかしくもないし、
そんな当たりまえなことをいうなと言いたくなる。

中村:太宰はともかくとして、日本の私小説は大まじめで、大いに悲劇的な表情で喜劇的なことをやってたんじゃないの。

三島:自分が気がつかないでね。自分が気がつかないというのはクラウンとはちがう。クラウンは全部知っている。
そして一生懸命やる。人は大笑い。それが芸術家だと思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

439 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:45:30.75 .net
三島:日本の小説家は自分がクラウンだということを知らない。そして私はクラウンですよというのだけれど、
腹の底でそう思っているかどうかはわかりません。

中村:思っていない。

三島:もし自分はクラウンだといえば、どこかの女が、冗談おっしゃってはいけません。クラウンじゃ
ありませんよと……。

中村:必ず言ってくれると思っている。

三島:あれは耐えられない臭味だな。

中村:とくに太宰はね。

三島:耐えられない。ぼくは安岡君のものを読んでも気に食わないのもそれなんです。安岡君が、「私」は醜男だ、
どうせ滑稽だ、女房にいじめられてばかりいるとか、そんなことはちっともおもしろくもおかしくない。

中村:そういうことになれば、何がおもしろくておかしいかということになる。

三島:それはクラウンが毅然としてクラウンであること、やっぱり毅然としているということです。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

440 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:48:39.48 .net
中村:結局そうだね。だけど、ある意味でいえば安岡君は毅然としているんじゃないの。

三島:やっぱりそうじゃない。こんどの「幕が下りてから」を読んでもそうじゃないと思う。

中村:それは読んでないけれども、だいたい彼などは何かかんか言っていても、非常に自信があって、最後の
ところは毅然としているのじゃないかしら。それでなければやっぱり人はついてゆかないよ。

三島:ちょっとそこは疑問に思うな。

中村:あなたは考えようによれば安岡君のいうことを非常に真正面から受けとっているのに対して、普通の読者は
もうすこし横から見ていて、そんなことをいっているけれどもあいつはまあ自信があるのだと……。

三島:だけど、そういう読者を相手にするというのは卑怯じゃないですか。ぼくはそういうことは嫌いなんです。

中村:そこまでいえばそうよ。

三島:いちばん嫌いなんです。

中村:それはどういうことだろう。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

441 :重要無名文化財:2011/07/05(火) 23:49:37.79 .net
三島:つまり、どこかでなあなあでなれ合いで、おれはこうやっていても、おれの偉いということは人がわかって
くれているのだぞ、ということがどこかに残っているからですよ。そんな意識は捨てればいい。
第三者、ぼくの理解者がどこかにいて、ぼくのことを偉いと思っていたら、ぼくは偉いというふうにすれば
いいじゃないですか。人が偉いと思ったら偉いと思えばいいし、人が滑稽だと思ったら滑稽であればいいので、
それについて自分は偉いとか滑稽とかいう必要は毛頭ない。

中村:安岡君はどう言ってるの。

三島:安岡君はいつも自分はクラウンだというふうに自己規定する。あれは狡いと思う。安岡君をまじめに
とっている人がいくらでもいるだろう、そういう人間に対して失礼だと思う。読者を考えた場合に、読者に対する
礼儀というものは非常に大事だと思う。読者がもしぼくをある一点においてまともにとってくれているなら、
ある一点でまともなんですよ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

442 :重要無名文化財:2011/07/06(水) 13:36:06.84 .net
中村:あなたの小説の読者は何千か何万か何十万かいる。
それが自分のイリュージョンをあなたに対して持っている。

三島:それがすなわちぼくそのものだ。
(中略)
ぼくはだけど、これだけ大きなことを言う以上、イリュージョンのために死んでもいい。ちっとも後悔しない。

中村:それはよくわかっている。それでなければイリュージョンはつくれない。
(中略)
三島:たとえば西郷隆盛が死んだときは、(中略)おしまいのあれは、西郷とすれば死ぬことはないのに、
わざわざ出かけていって死ぬようにする。あれはイリュージョンの完成です。乃木大将、あれもイリュージョンの
完成です。人間というものにはそういうやみがたい欲求があるのじゃないか。

中村:それは人間じゃない、名士です。

三島:名士だというんですか。

中村:そうだよ。あなたはやっぱり気の毒だけど人間にはなれないよ。

三島:あんなことをいう。名士というけれども、それでは特攻隊はどうですか。

中村:特攻隊は名士ですよ。

三島:それは光栄だ。そんなら名士になっていい。

中村:あれは大名士だ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

443 :重要無名文化財:2011/07/06(水) 13:36:57.27 .net
三島:そんならあなた、あらゆる人間の名誉欲とか名誉心とか、概念的な誇りとか誉れとか栄光というものは
全部そうじゃないの。文学というものは栄光とは何の関係もない。

中村:文学は栄光と非常に関係があるけれども、もうちょっと女々しいものだと思う。

三島:おそらくそうでしょう、最後のところは。文学の栄光というものはほんとになにか疥癬みたいにくっついて
きちゃう。(中略)
ほんとうをいえばね、川端さんが文化勲章をもらったときにぼくは何だって文化勲章をもらったのだろう、
あんなに人間嫌いで、人間を否定して、人間世界をいやがっている人が、どうしてあんな小説を書いて文化勲章を
もらうんだろうということをもうちょっと穏当に書いたことがある。それはぼくの文学者と栄光の関係についての
基本的な考えなんです。

中村:だけど、それはあなたの川端さんに対する非常な買いかぶりです。ほんとうは文化勲章がほしい人です。
それはあなたのほうがもうちょっと偉い。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

444 :重要無名文化財:2011/07/06(水) 13:37:48.76 .net
三島:文学の栄光というのは何か賎しくていやなんだ。栄光は栄光でとっておきたいし、文学は文学でとって
おきたい。それがぼくのやみがたい二元論なんだ。どうしてもそれでやりたい。

中村:それでやりなさい。
(中略)
三島:文学者についている栄光は全部贋もので、文学賞でもなんでも全部嘘みたいな、なんか汚ならしく
いやらしい感じがする。人前に出て賞状など持って写真をとるでしょう。ほんとうにみじめだ。

中村:あたりまえだ。

三島:オリンピックで一位になって月桂冠がつく栄光と何たる差だろう。
(中略)一つの作品で文学賞をとったときの、あの自分だけが知っている何ともいえないいやなもの、ほかのやつが
「おめでとう」などといってくれる、そういうものに対する何となくいやなもの、スポーツなどにはそういうものは
絶対ないと思う。
(中略)
ぼくは自分がいやらしくない人間だとは毛頭思わない。しかし文学がいやらしいことはよくわかっている。
だけど栄光だけはきれいに別のところにとっておきたい。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

445 :重要無名文化財:2011/07/06(水) 20:35:49.22 .net
三島:こんどの大江君の「万延元年のフットボール」を読みました。非常にいい作品で、好きですけれども、
どうしてある上昇的な理念へ向う人間を表現するのに、自分のほうは衰亡あるいは降下、衰退、そういう立場でしか
とらえられないのか、とても歯痒くてしようがない。

中村:大江君のように才があれば、そういうものでしかとらえられないということはない筈なんだ。ところが
それをやるでしょう。

三島:そして成功するんだ。

中村:それはやっぱり読者にある形でおもねっているのだと思う。

三島:文学的には成功する。

中村:成功するのだけれども、それは大江君という人が悧巧すぎるのかバカなのか、そこは非常にむずかしい
ところでね。たしかに成功しました。だけれども、成功したことがいままである日本文学の範囲の外に出たかと
いうと……。

三島:絶対に出てない。

中村:出てないから成功している。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

446 :重要無名文化財:2011/07/06(水) 20:36:58.77 .net
中村:たとえば左翼の人たちが自分は反権力だと思っているでしょう。かりにああいう人たちが考えている革命が
成功すれば、それこそすぐ権力者になるでしょう。

三島:彼らはガリガリの権力亡者です。権力意識というものが彼らを押しているいちばん根本的な潜在意識だと思う。
それは日本の近代的文化人知識人の共通点です。ですからぼくは反教養主義のものすごいものしか認めない。
たとえば野坂昭如とか……。


三島:太宰治を好きになっているほうがぼくを好きになるよりまだ安全ですね。

中村:それは非常に安全だ。

三島:ぼくを好きになる青年は太宰治を好きになる青年より少ないから安心です。

中村:太宰より多かったら大へんだ。(笑)

三島:でも、なかには石原慎太郎を好きになる青年がいるし、そのほうがぼくよりずっと安全だし、勧めるね。
大江君などいちばん安全だよ。でもだんだん少なくなりますよ。そして時代おくれになって青年が振り向きも
しなくなるから、そのときにいい小説を書くでしょう。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

447 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:36:08.26 .net
三島:(小高根二郎の「果樹園」に)戦争中、丹羽文雄が「海戦」を書いたときに、ぼくを非常にかわいがって
くれた先輩の蓮田善明が丹羽を非難攻撃した話が出ている。丹羽という男はいかに頑冥固陋な男か、海戦の最中、
弾が飛んでくるなかでも一生懸命メモをとって海戦の描写をしている。これは報道班員として任務を遂行して
いるわけで、そのために丹羽は名誉の負傷までしている。ところが蓮田は丹羽を非難して、なぜそのときおまえ
弾運びを手伝わないかといっておこっている。(中略)そこにはかなり重要な思想が入っていて、ほんとうに
文学というのは客観主義に徹することができるか、文学者はそういうときにキャメラであるのか、単なる「もの」を
記録する技術者であるのか、あるいは文学とはそういうときにメモをとることをやめて弾を運ぶことであるのか、
という質問を蓮田がしているのじゃないかとぼくは思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

448 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:36:46.84 .net
三島:ぼくはそれは丹羽文雄が悪いとは決していってない。丹羽文雄は己れの信奉している文学の観念に
忠実だったと思う。ぼくは丹羽文雄のシンセリティーを微塵も疑わない。
(中略)総力戦というのは人間をあらゆるフィールドにおいて機能化してゆくものですね。大砲を撃つ人は大砲、
報道班員は文章によって記録あるいは報道し、あるいは軍宣伝のために利用される。そういう近代的な総力戦では
丹羽は正しい任務を果たしている。だけど文学というものは絶対そういう機能になり得ないものだということを
信じたい。
そうすると、文学が絶対に機能になり得ないということを証明するためにはどうすればいいかということになると、
そのとき弾を運べばいいじゃないかという結論になっちゃう。いかに邪魔でも、どいてくれといわれても。
(中略)
中村:それは戦時でなくいまの技術社会でもそうだね。

三島:いまおこっている問題なんだ。それは戦争の話と考えていない、いまおこっているものだ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

449 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:37:24.26 .net
三島:ぼくはその問題はそういうふうに現代の問題として考えるのだけれども、文学の機能化ということと
文学と行動との問題はいつもからみ合っているというふうに考える。なぜなら、現代技術社会における行動とは
その九九%までが、自分の機能によって縛られているもので、これは戦時中から「職域奉公」という思想で
はじまっていた。文学にしたって同じなので、(中略)文学文学と言っていればいいかというと、それこそ受身で、
しらずしらずのうちに機能化されてしまっているということが現代なんだと思うな。(中略)平和な時代だと、
実に複雑なヴァリエーションに富んでいて、のんびり芋掘りの話を書いていても、文学好きの実業家の消閑の具に
使われているかもしれないから、うかうかしていられぬわけだ。(中略)文学をこういう「しらずしらず」の
機能化から目ざめさせるには、文学外の行動の必要が起ってくるのじゃないか。その弾運びだけが文学だという
状況が来るかもしれないのではないか。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

450 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:38:29.97 .net
三島:つまり、文学者が、言葉イコール行動、文学イコール行動と信じていることは、しらずしらずの機能化に
からめとられる危険があるので、あるとき自分の機能から絶対に離れたところで「何かのため」という行動を
やってみたらどうだ。(中略)
そこで、自分をそうやって文学からあるとき弾き出す力というものを、文学に本質的に具わった逆説的な
(ある意味で健康な)能力と考えるか、そういう力はもともと文学に存在しないと考えるか、で考えが完全に
二分されると思う。蓮田善明はその前者の考え方をした人だと思うし、僕は狭義の文学というよりも、どうしても
そういう広義の文学というものに魅力を感じる。そしてそれは、どちらがより強く文学を信じているか、という
信仰の形の論争にもなると思います。しかし、現実の例は、それほど高尚な話ではなくて、今起っている文学の
機能化というのは、簡単にいえば中間小説化ですよ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

451 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:41:12.53 .net
三島:汚れてない思想というものはぼくは文学のなかにあるかどうかは疑問で、汚れてない思想というものは、
もしその思想を信奉すると文学を捨てなければならぬかもしれないという危険がいつもある。それが文学と行動との
問題にぶつかってくる。
(中略)
もし技術社会のなかにおける文学の機能ないし技術ということを考えれば、いまのテレビなどに毒されている
大衆が要求し、その大衆が人生の慰めあるいは疲れ休めとして要求する技術的によくできたおもしろい小説で
十分じゃないか。それ以上に現代読者ないし現代社会は何も要求していないと思う。一部の気ちがいじみた青年は
文学に哲学を求めたり文学に思想を求めたりするかもしれないが、社会はそんなものを全然要求していない。
ですからプロレタリア文学時代よりいまの時代のほうが文学が社会から要求されていないという意識は強かる
べきだと思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

452 :重要無名文化財:2011/07/07(木) 13:41:43.32 .net
三島:ぼくは最近アイラ・レヴィンというアメリカ人の「ローズマリーの赤ちゃん」という大衆小説の飜訳を
読んだ。こんなおもしろい小説を読んだことはない。すごくうまくできている。サスペンスの積み上げから何から
完璧です。しかし何もない。思想もなければ哲学も何も徹底的にない。そのかわり技術の高さは日本の大衆小説を
百倍しても追いつかないくらい技術が高い。そういうものがあるんだね。

中村:やっぱり金になるからみんな勉強するんだね。

三島:ぼくはあの小説を読んで、「群像」なんかに載っている純文学は技術という点において百倍劣ると思ったね。

中村:それは千倍かもしれない。

三島:音楽もアメリカやソ連ではそうなりつつある。アメリカもソ連に非常に似た傾向がある。演奏技術など
非常に高度に達している。技術社会の人間というのは技術を喜んで、ほかのものをべつに喜ばない。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より

453 :重要無名文化財:2011/07/08(金) 01:10:33.06 .net
なぜ淡々と投下しているのか不明だが
三島は好きだし面白いな

454 :重要無名文化財:2011/07/08(金) 12:06:32.09 .net
小林:抒情的には非常に美しいものが、たくさんあるんだよ。ありすぎるくらいあるね。ぼくはあれを読んでね、
素直に言うけどね、きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね。
つまり、あの人は才能だけだっていうことを言うだろう。何かほかのものがないっていう、そういう才能ね、
そういう才能が、君の様に並はずれてあると、ありすぎると何かヘンな力が現れて来るんだよ。魔的なもんかな。
きみの才能は非常に過剰でね。一種魔的なものになっているんだよ。ぼくにはそれが魅力だった。あのコンコンとして
出てくるイメージの発明さ。他に、君はいらないでしょ。何んにも。

三島:ええ、何んにも。

小林:つまりリアリズムってものを避けてね、実体をどうしようというような事は止めてね。何んでもかんでも、
きみの頭から発明しようとしたもんでしょう。

三島:ええ。

三島由紀夫
小林秀雄との対談「美のかたち――『金閣寺』をめぐって」より

455 :重要無名文化財:2011/07/08(金) 12:06:53.83 .net
小林:その才能さ。その才能の過剰だよ。これが面白い。面白いっていうのは、いい意味だよ。ぼくはだから
退屈しなかった、ちっとも。たしかに、きみは人を乗せた、乗せてどんどん運んでいったよ。そういうものの中に、
ぼくは力を認めたね。そういうように感じて読んだんだよ。ぼくは「潮騒」を読んだ時も、それは感じたけども、
今度のほうがもっと豊富で、もっと緻密で、もっとパッショネートだ。自分の才能をとっても愛してるんじゃ
ないのかな。才能を信頼したり愛したりする度がさ、ズッと強いだろう。そういうものがあったな。
(中略)
ほんとに君は才能の魔だね。堕ちてもいいんだ。ひるんだらダメですよ。

三島:いつ落ちるか判らない、馬に乗ってるようなもんだな。

小林:才能のために身を誤ったら、本望じゃないか。ほんとに退屈しなかった、読んでて。才能の魔ですよ。
由良川で金閣は焼かなけりゃならんと決心するまでね、あそこはサワリだ。だけども、殺すのを忘れたなんて
いうことは、これはいけませんよ。

三島由紀夫
小林秀雄との対談「美のかたち――『金閣寺』をめぐって」より

456 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:17:46.32 .net
僕は、自由主義政治論の欠点は、人間の理性の盲信というのがあると思うのですよ。バートランド・ラッセルが、
現在では、いちばん狂気に陥りやすいのは理性だと言っているのですね。つまり、政治がそんなに技術的に
扱えるものだろうかという疑問が、僕には非常にある。(中略)
ナショナリズムは、近代的理性の産物であるネーションをやすやすと逸脱してしまうわけです。そんなことから、
だんだん考えるようになったのは、なぜプラトンが、理想国家から詩人を追放したのか。それは自分に似て
いるからではないか。理想国家の政治家にとっては詩人が自分たちに似すぎているからではないか。自分に
似たものは、ほかにはいらない。政治というのは、どうも人間の根元的な衝動に根ざしていると思う。本来、
政治と芸術というのは同じ泉から出ているのではないかと僕は思う。だから排斥し合うのではないかと。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

457 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:18:17.81 .net
進化論が迷妄なら、政治制度の進化論も迷妄であって、政治にとって、原始的形態は必ず、よく理性で考え抜かれ
磨き抜かれた近代的形態の間隔を縫って出て来る。理性的、技術的な政治制度は、政治の本源的なパトスと必ず
抵触するときがくるからです。政治の世界の、普遍的理性という問題は、国際連盟で失敗し、戦争裁判で馬脚を
現わし、国際連合で無力化している。現実の政治制度は、人間の普遍的理性と、民族の深層心理的衝動との、
二つの車輪の間にいつも二つに引き裂かれる宿命をもっている。アメリカのような国では、それでなんとか
やっていけるでしょうが、もっと古い歴史のある国では、反発するものが起きてくるのは当然だと思うのです。
それだけでは、どうも政治も物足りなければ、芸術も物足りなくなってくる。それで、政治が物足りないのは
たしかで、僕は、アメリカン・デモクラシーが普遍妥当性をもっているとは、微塵も思いませんがね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

458 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:18:42.51 .net
(戦前は)こんな狭い国は、こんなに人口が多くては、とても食えないと。それでどこかの領土を開発しなければ
ならない、なんだかんだと言っていたわけですよ。ところが戦争が済んでやってみたら、人口が多いことは
かえって経済復興にプラスになった。同時に狭い国に人口が多いということは、横(大衆、空間)の社会の形成を、
とても容易にした。というのは、人口が少なければ縦(伝統、時間)の世界を維持できる。人口が多いものだから、
横の社会の形成が楽にできた。というのは技術社会に入りこむことがたやすかった。そうすると、戦前からの人間の
考えとまるで逆な現象が現われた。これだけの人口が、賃金の上昇によって国内生産物を国内消費する体制が
できて、そうして横の社会が成立して、テレビやマス・コミュニケーションが発達して、すべてが瞬間瞬間に
横にダーッと広がるでしょう。縦には絶対広がらない。横にだけ広がる。そのなかで、もちろん技術伝承は
いらなくなる。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

459 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:19:55.13 .net
そうすると作家の孤立というのは、ほかの国の倍ぐらい孤立してきているのではないかと思うのです。作家と
いうのは、技術的にはなるほど横の社会の住人だが(小説の近代化がますますそれを助長したのだが)、言葉に
おいては、あくまでも縦の世界に生きているものだと思います。そうするとわれわれが人生というものに対して
もってる夢、人間というものに対してもってる夢は、いつも縦の形で出てくる。それが横と完全に交差した一点しか
ないのですね。(中略)ある作家は縦だけの孤立状態、それは職人の誇りですね。それだけに逃げるでしょう。
そうすると、そこなりに作家が稀少価値があって、作家は漆の職人、それから棺桶の職人のように、静かな
ところで自分の技術を守って、かつてのよかりし人生の代表者になるかもしれないが、僕はそれではちっとも
満足しないですね。ぜんぜんそれではいやなんです。
(中略)ときどき横の社会に、ヒステリックに、縦の社会を見せてやろうという、欲求を感じる。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

460 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:25:17.82 .net
インダストリアリゼーションの必然的結果で、工業化の果てに、精神的空白なり荒廃がくるというのは、どこの
国でも同じ現象だと思います。それをアメリカ化と言っているのは間違いで、フランスではコカ・コーラを
飲まないことによって、アメリカに対抗するのだと言っているが、これは実にむなしい結果で、フランスも
コカ・コーラを飲むようになった。日本もコカ・コーラを飲むようになった。これはアメリカだけのつくった
現象ではなく、アメリカというものが、大衆社会の一つの、歴史上の最初のサンプルとして現われたので、これは
ロシアもそういう形になっているし、ヨーロッパもいやおうなしにそういう形になっているし、日本もなっている。
後進社会では、まだそこまでいってない。だから、後進社会の大衆というのは、大衆社会化の大衆ではない。
少なくとも、ベトナムの民衆は、大衆社会化の民衆ではないのですから、焼身自殺するでしょう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

461 :重要無名文化財:2011/07/10(日) 11:25:55.90 .net
いま民族の国と大衆の国とにだんだんわかれちゃって、それは後進国、先進国というような形に実際はなっているが、
われわれも、いやおうなしに、そういう状況に追いつめられていて、そのかわり日本という国は、バランスを
とる力は激しいですから、民族ということばは、少しかすがついたことばで、あまり好かんですけれども、
日本とはなんぞやという問題が、どうしてもそこで出てくる。大衆社会化が激しくなれば、それに対抗するものは
なんだろうというと、アメリカ対日本ではないと思う。つまり工業化ないし大衆社会化、俗衆の平均化、
マスコミの発達、そういう大きな技術社会の発達、そういうものに対して、日本とはなにかということを言って
いるので、やはり攘夷思想の中にあった恐怖の予感はこれだったと思うのです。いまは西洋もクソもないですね。
アメリカですらないですね。つまり新しい時代の新しい大衆社会化の現象が起こっている。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

462 :重要無名文化財:2011/07/11(月) 15:37:35.07 .net
完全な大衆社会化がどんどん実現してくると、そのなかにおける芸術家の孤立というものが、一般的孤立の中へ
まぎれこんじゃう。(中略)横の社会、つまり大衆社会というのは、逆に言えば一人一人が孤独になる社会で、
それが全部等価になって、芸術家も一つの歯車にすぎない。いくら威張っても、いくら仕事をしていても、自分の
アパートのなかで、一人でテレビを見ている状況と変わらない。そうしてくると、やはり個対全体という形は、
なんかあまりに近代的な古い問題提起じゃないかという気がしてきて、大衆社会化に対抗するには、やはり個対
全体という形でなくて、向こうが量でくるなら質だという考えではなくて、量でくるなら、還元された別の形の量、
つまり縦の量ですね、横の量ではなく縦の量、そういうもので、ある意味で集合的なものがだんだんほしくなってくる。
その場合に、僕の契機になったのは「ことば」ですね。ことばというものは、結局孤立して存在するものではない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

463 :重要無名文化財:2011/07/11(月) 15:38:37.33 .net
芸術家が、いかに洗練してつくったところで、ことばというものは、いちばん伝統的で、保守的で、頑固なもので、
そうしてそのことばの表現のなかで、僕たちが完全に孤立しているわけではない。それは、ことばは横にも
広がるが、同時に縦にも広がる、だから芸術家の、ことに文学者の仕事は、ことばを通じて「縦の量」というものに
到達するのだと。それは林さんのおっしゃった伝統とか、民族という問題とつながってくる。ですからことばを、
自分の孤立した作業と考えることから、ことばというものが、大衆社会に対抗する一つの質だけではないものだと
いう考え方が、だんだん出てくるのですね。なぜなら大衆社会では、良質であるということも、一つの商品価値に
すぎないからです。

ことばは質だけではなくて、ことば自体のなかに、一つのいわゆる、集合的無意識も眠っているだろうし、
それが日本語の問題になってくるのですが、政治家は、結局ことばというものは絶対にわからない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

464 :重要無名文化財:2011/07/11(月) 15:39:36.69 .net
文学の仕事というものは、どうも僕は、衆を頼むというようなところが、どこかにあるような気がするのです。
衆を頼むというのは、悪い意味ではないのです。つまり、いまの大衆社会の人間に対抗するには、別の衆を
頼まなければならない。その衆とはなんであろうか。それはやはり、自分だけの問題ではないと思うのです。
そうすると自分だけのことに文学者が関心をもって、ただ近代的自我の模造品のようなものを書いていたのでは、
大衆社会に、なんにも対抗するものは出てこないという……。
(中略)
つまり僕の量という観念は、たくさん書くとかいうことではないのです。たくさん書くとか、マスコミに流すとか、
テレビに連続物を書くとかいうこと、僕はそういうことを意味してない。つまり力ということですね。(中略)
ことばというものは、質とか量とかいう問題を超越した、もっともっと大きなものですね、言霊的なひろがりの
あるものだと考えるようになった。それを、僕は少しずつわかってきたような気がする。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

465 :重要無名文化財:2011/07/12(火) 10:16:31.10 .net
三島:男というのはうぬぼれと、闘争本能以外にはないのではないかな。

林:だから、ニーチェの権力意志、あれはたいへんな発見ですね。
三島:どうもうぬぼれと、闘争本能以外はエネルギーの源泉がないでしょう。

林:それがなければ孤独にも耐え得ないでしょう。君だって孤独じゃない、僕だって孤独じゃないよ、闘争本能が
あるから、たった一人でけっこうだ。(中略)みな孤独になれないから、あせっているのではないかな。孤独に
なれないというのは、脆弱な精神だよ。

三島:それはそうです。ただ僕がさっき言ったことは、テレビを見て一人でアパートにいる三時間と、芸術家が
自分をパッシブなものだと思っているときの三時間の孤独感と似ているということです。そうなっちゃったら
おしまいだと言いたいのです。それで、なんか孤独のなかで享楽している。一人でテレビを見ておもしろければ、
それがなにが悪いという考え方だってあるでしょう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

466 :重要無名文化財:2011/07/12(火) 10:17:53.50 .net
林:孔子が、自分のやることには創造はない、創作はない、すべて尭舜の道を、周公の道を祖述して復活するだけだと
言っている。あれは強い精神だと思ったね。独創性なんかにこだわっていないから、孔子は古代に友達があって
孤独じゃなかった。創造というものは、それ以外にないね。

三島:独創性を信じたやつで、一流の文学者は一人もいませんよ。ヴァレリーもぜんぜん独創性なんか否定しているし。
ちょっと僕はね、量で対抗するということで、林さんに誤解されたが、僕らは現実のいまの時点における
量対量ではなくて、三十三間堂の通し矢みたいな、西鶴の矢数俳諧の一日一夜千六百句の記録だとか、昔の坊主が
米粒にお経を書いたとかあるでしょう、納経で一心不乱にお経を写すとか、ああいう作業しかないということを
言いたかったのですよ、孤立すれば孤立するほど。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

467 :重要無名文化財:2011/07/12(火) 10:20:13.88 .net
三島:僕はね、いろんな対抗策はもちろん考えているのですが、対抗策としては、一つは、そういうふうに米粒に
お経を写すようなことをやろうとしている。つまりいまテレビの人たちが、視聴率などと言って威張って、
三千万人見たとか言ってる。テレビの人に僕は言うのだが、あなたたちの仕事は、一時間か三十分間で消えて、
もう永久に……それはリバイバルもたまにあるが、それでさみしくはないか、ときくと、向こうはキョトンとして、
あなたは、時間というものを短かく考えているけれども、三十分のテレビドラマを一千万人が見れば、それを
加乗すれば、長い小説を三千人が読んだより、ずっと大きいではないかと反論してきますよ。人間の忘却とか、
記憶とかいう、縦の要素は全部忘れられている。そういうことを考えるのは彼らにとっては怖いのです。長く
記憶に残って、読み返されるということは怖いのですよ。それは、いまの大衆社会化のウィーク・ポイントだと思う。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

468 :重要無名文化財:2011/07/12(火) 10:21:47.05 .net
三島:こっちは、向こうが横に一千万人でくるならば、縦に一千万で、一千万字書ければいいではないですか。
(中略)一日十字でもいい、あるいは一日二百字、三百字でもいい。しかし、一日、もし一千字ずつ書ければ、
十日で一万字ですからね。それで一月で三万字書けるでしょう。そうして一年間で何万字書けますか、そうやって
いくしかないと……。
(中略)
横の世界にも付き合わなければならないが、それには絶対に精神を提供しない、横には。なぜならそれは、生の
非連続性の再確認にしかならないからです。実存主義の哲学も、結局、この再確認に耐えて生きてゆけ、という
ことでしかない。あらゆるヒューマニズムはそれです。「生きる」ということは、この再確認、再確認、再確認に
だけ宿るわけですから、そんなところに精神を支出しても無駄ですね。精神は連続性へ、死へ向けていればいい。
剣道なんかには、その精神主義の中に、ちょっとそういう魅力があるのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

469 :重要無名文化財:2011/07/13(水) 10:49:59.81 .net
世界を回ってみますと、現在日本のように無階級な国はないように思う。
実に(日本は)不思議な国で、アメリカはもっともっと階級がありますね。ステータス・シンボルがそれぞれ
あって、クラブでも上のクラブに入らないと、お嫁さんのいいのが来ないとか。それからなんだかんだと言って、
一つ一つの関係が非常にうるさいですね。


戦後の知識人におけるユートピアは、アメリカ占領下において、あたかもそういう近代的価値概念(自由、平等、
博愛、人類愛とか)が、普遍性をもったかのごとき錯覚をもった。(中略)それが平和主義なんかの精神的な基盤、
あるいは理論的な基盤になって出てきた。一口に言えばインターナショナリズムだけれども、(中略)それらの
価値は、結局それぞれの民族や歴史や伝統のなかではじめて存立するものであって、けっして普遍的な概念ではない。
ヨーロッパにだけ普遍的概念として妥当したものも、アジアにおいては必ずしもそうではない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

470 :重要無名文化財:2011/07/13(水) 10:50:59.42 .net
GHQと戦争裁判という問題はね、単なる思想問題として考えますと(いまや僕は、政治問題としての意味よりも
思想問題として影を落としていると思うのですが)GHQの理念、あるいは戦争裁判の理念というのは、近代的
普遍的諸価値のヒューマニズムがおもてだっているわけです。そうすると、戦後にそういう諸観念がもう一度
復活して、天下をまかり通って、同時にその欺瞞をあらわしたということで、僕はアメリカの影響というのは、
日本の戦後思想史には非常に強いというふうに考える。みんなが思っているよりも。というのは、アメリカと
いう国は、十八世紀の古典的な理念が、おもて向きいちばんのうのうと生きている国なんですね。アメリカは
ああいう人種の雑種の国ですし、歴史は浅いし、インターナショナリズム的な観念でも、国内でじゅうぶん
充足するわけです。妥当するわけです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

471 :重要無名文化財:2011/07/13(水) 10:52:03.13 .net
たとえばここにフランス系アメリカ人と、ドイツ系アメリカ人と、オランダ系アメリカ人の三人の話を通じさせるのに、
結局先祖のもとまでもどって、十八世紀的な理念で伝達するほかない。だから彼らは、自由といい、平和といい、
人類というときに、それは信じていると思う。それは彼らの生活の根本にあって、そういうものでもって国家を
運用し、戦争を運用し、経済を運用してやっている。それが日本にきてみた場合に、日本人がそういうような、
ある意味で粗雑な、大ざっぱな観念で生きられるかどうかという、いい実験になったと思う。(中略)たとえば
川島武宣の民法学を僕は習いましたが、民法学のなかにおいて、彼のギリギリの近代主義民法学ですがね、
そんなものは絶対日本の社会構造には妥当しなかった。戦後になってやってみた結果、アメリカが与えたと同時に、
アメリカ人の考えている自由、アメリカ人の考えている人類、アメリカ人の考えている平和というものは、
ベトナム戦争もやれるものであるということがわかってきたということだ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

472 :重要無名文化財:2011/07/13(水) 10:52:58.12 .net
これは大きな問題だと思う。そうすると、アメリカ人はベトナム戦争をやっても、やはり自由を信じ、平和を
信じていると思う。これは嘘ではないと思う。彼らはけっしてそんな欺瞞的国民ではありませんし、彼らは
戦争をやって自由のために戦っているというのは、嘘ではないですよ。彼らは心からそう信じている。ただ日本人は、
そんな粗雑な観念を信じられないだけなんです。というのは、日本で自由だの平和だのといっても、そんな
粗雑な観念でわれわれ生きているわけではありませんからね。そこに非常に微妙な文化的なニュアンスがあって、
そこのうえで近代的な観念が生きている。それが徐々にわかってきたというのが、いまの思想家全体の破綻の原因で、
それは結局アメリカのおかげだと思うのです。それを与えたのもアメリカなら、反省を促したのもアメリカですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

473 :重要無名文化財:2011/07/13(水) 10:54:08.63 .net
林:アメリカニゼーションは、日本の戦後のはっきりした現象ですが、その初期にはアメリカ出先機関の
アメリカニゼーションだったな。日本弱化と精神的武装解除の軍人政治にすぎないものを、アメリカニゼーションと
思いこんだのが三等学者です。新憲法とともに登場して来た三等学者がたくさんいる。彼らが新憲法を守れと
いうのは当然です。(中略)

三島:しかも、丸山(真男)さんなどでも、ファシズムという概念規定を疑わないのは不思議ですね。ファシズムと
いうのは、ぜんぜん日本にありませんよ。

林:絶対ありません。どう考えてもね。

三島:そういう概念規定を日本にそのまま当てはめて、恬然と恥じない。今度彼らを分析していくと、別なものに
ぶつかるのですよ。丸山学派の日本ファシズムの三規定というのがありますね。一つが天皇崇拝、一つが農本主義、
もう一つは反資本主義か、たしかこの三つだったと思う。そうすると、それはファシズムというヨーロッパ概念から、
どれ一つ妥当しはしませんよ。

林:一つも妥当しない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

474 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 11:14:55.76 .net
三島:はじめナチスは資本家と結んだのですからね。日本のいわゆる愛国運動というのは、もちろん資本家と
いろいろ関係も生じたけれども、二・二六事件の根本は反資本主義で、当時二・二六事件もそうだが、二・二六事件の
あとで陸軍の統制派が、二・二六事件があまり評判が悪かったので、今度、やはり反資本主義的なポーズにおける
声明書を発表したら、麻生久がとても感激したのですね。やはりわれわれの徒だということになって、それで
賛成演説などをやったりしたことがあるけれども、そういうファシズム一つとってもそうだし……。

林:(中略)「ファシズム打倒」は連合国側の戦争スローガンで、日本もドイツ、イタリアなみのファシズム国家に
されてしまったのだが、最近ではご本家のアメリカ・ハーバード大学の教授グループが、日本にはファシズムは
なかったことを論証し始めている。丸山君とそのご学友諸君は何と申しますかね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

475 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 11:15:54.16 .net
林:それから二・二六事件にしても、進歩学派諸君は支配階級内部の対立だというふうにかたづけているが……。

三島:事実はぜんぜん違っている。

林:これは一つの革命勢力と支配勢力との闘いだということを認めないわけですね。

三島:僕は、ああいうものは、ある意味で林さんのおっしゃる、文明開化というものからくる一つの事象であって、
日本の近代化の激しい運動の、ラジカルな運動がああいう形をとったと考えてもいいと思いますね。いつも日本では、
アイロニカルな形で社会現象が起こっている。いちばん先鋭な近代をめざすものが、いちばん保守的な、反動的な
形態をとったり、一見進歩的形態をとっているものが、いちばん反動的なものである場合もある。政治学者などが
日本の現象を見る場合には、ぜんぜん分析が皮相で浅薄だという感じがいつもするのだけれども。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

476 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 11:16:50.01 .net
林:丸山君にこだわるわけではないが、あの人をピークとする敗戦学者の学問はいかにも学問らしい顔をして
いますけれども、読めば少しも学問ではないのです。学問というのは、読んでみて、「ああ、そうだったか」と
目からウロコの落ちるような気になるのが学問です。敗戦大学教授の仕事は読者の目にウロコをかぶせるような
ものですよ。

三島:ほんとうにそうですね。でも、近代主義者はとにかくだめだということは、二十年でよくわかった。
そうして日本の近代主義者の言うとおりにならなかったのは、インダストリアリゼーションをやっちゃったと
いうことで、これが歴史の非常なアイロニーですね。普通ならば、近代主義者の言うとおりに、思想精神が完全に
近代化することによって近代社会が成立し、そしてインダストリアリゼーションの結果、そういうものが社会に
実現されるという、じつは必ずしもコミュニズムであってもなくても、彼らの考えていることはそうですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

477 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 11:17:48.81 .net
三島:ところがなに一つわれわれのメンタリティーのなかには、近代主義が妥当しないにもかかわらず、工業化が
進行し、工業化の結果の精神的退廃、空白といってもいいが、そういうものが完全に成立した。それと、日本人の
なかにある古いメンタリティーとの衝突が、各個人のなかにずいぶん無秩序なかたちで起こっているわけですね。
そうすると、毎日テレビを見て、土曜日にはレジャーだということで、あわてて自家用車で海にでかけている人間の
なかにも……。

林:みんなレジャーから帰ってくると、夫婦ゲンカしている。

三島:それはもう、しょっちゅうです。(笑)僕が思想家がぜんぜん無力だというのは、経済現象その他に
対してすらなんらの予見もしなければ、その結果に対して責任ももってないというふうに感ずるからです。
第一、戦後の物質的繁栄というのは、経済学者は一人も寄与してないと思いますよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

478 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 11:18:44.56 .net
三島:僕が大蔵省にいたとき大内兵衛が、インフレ必至説を唱えて、いまにも破局的インフレがくるとおどかした。
ドッジ声明でなんとか救われたでしょう。政治的予見もなければなんにもない。経済法則というものは、実に
あいまいなもので、こんなに学問のなかでもあいまいな法則はありませんよ。それで戦後の経済復興は、結局
戦争から帰ってきた奴が一生懸命やったようなもので、なんら法則性とか経済学者の指導とか、ドイツのシャハトの
ような指導的な理論的な経済学者がいたわけではないし、まったくめくらめっぽうでここまできた。これは
経済学者の功績でも、思想家の功績でもない。一方、戦後の文化界はなにをやったか。それは僕も戦時中よりも
いい作品が出たと思います、戦後の二十年の芸術作品は。これも一人一人勝手にやったので、だれのお蔭も
被ってないと思いますね。理論的指導者、思想的指導者というものは一人もなかった時代ですね、おそらく。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

479 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 13:55:16.18 .net
三島:ともかく、彼ら(進歩的近代主義者)は思想を一つもつくらなかった。日本の知識人に自分の国の歴史と
伝統に対する知識というものが、ぜんぜんなかったわけですから、簡単に言えば。(中略)
あとどんな思想が……僕はたとえばね、どんな思想が起ころうが、彼らはもう弁ばくできないと思うのです。
だって自分たちがやるべきときやらなかったのだから、あとに何が出てももうしょうがないですよ。

林:まず、現われたのがアメリカン・デモクラシー、おつぎはソ連礼賛論ですな。それを圧倒したのが中共絶対論。
……だが、それもどうやらしぼみ始めたようだ。

三島:とにかく僕が「喜びの琴」という芝居を書いたとき、共産主義は暴力革命は絶対やらないのだと、もう
そんなのは昔の古いテーゼで、いま絶対にそういうことはやらないのだと……あんな芝居を書く男は、頭が三十年
古いとみんな笑ったものです。そうしたらね、インドネシアの武力革命が起こりかけた。まあ、失敗しましたが。
ちょっと、五、六年さきのこともわからないのですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

480 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 13:55:56.45 .net
三島:やはり林さんの明治維新の根本テーマでも、開国論者がどうしてもやりたくてやれなかったことを、
攘夷論者がやった。あの歴史の皮肉ですね。

林:攘夷論者のみが真の開国論者だった。これが歴史のアイロニイだが、敗戦史家たちには、このアイロニイが
わからないのだな。いまにわかります。

三島:そういう大きな歴史の皮肉ですね、そういうあれがあったでしょうか、戦前、戦後を通じて、文学で……。

林:アイロニイだらけだ。内村鑑三も新渡戸稲造も日本精神について英語で書いた。ドイツ文学の鴎外と英文学の
漱石が乃木大将の殉死を最も正確に理解した。現在、日本回帰の論文を発表しはじめた若い学者たちは、ほとんど
西洋史家だ。東西文明の接点に立つ日本文化のアイロニイではないでしょうか。政治の面でも、自由民権家は
大アジア主義者になる。幸徳秋水が生きながらえておったら国家主義者になっていただろう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

481 :重要無名文化財:2011/07/14(木) 13:56:34.76 .net
林:若い高村光太郎は文明開化派で西洋派だったが、晩年はたいへんな日本主義者になる。与謝野鉄幹、
北原白秋をはじめ詩人たちの大部分は同じ道を歩いている。すべて内的な自己展開であって、時流におし流されて
ものを言ったのではない。

三島:伊東静雄なんかも、戦争中のものは非常にいいですよ。ほんとうにいい詩ですね。

林:だから人間は戦争を避けて通ろうとしてはいけないのですよ。平和は結構だが、戦争は必ず起こると覚悟して
いなければ、一歩も進めない。平和が永久につづくなどと思っていたら、とんだ観測ちがいをおかすことになる。
地球国家ができましたら、こんどは宇宙船を飛ばして……。

三島:ほかの遊星を攻撃する……。

林:人類はあと何世紀くらい戦争をやるのでしょう、人類という動物は!

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

482 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:14:41.26 .net
三島:文壇というものがあるかないか、そんなことはわからないけれども、やはり時代のどこかで風船の空気が
漏れているところというのは敏感ですよね。いまたしかに風船の空気が漏れている。風船が小さくなりつつあるのです。
それで、その風船の空気を、また充填するか、その穴をどうするかということは、それは左翼も右翼もありはしない。
みな考えていたことですね。(中略)文学というのは、われわれが机の上で厳密に測定し、構成し、そうして
つくり上げるものであって、定規がちょっとでも曲がっていたら気持ちが悪い。そうすると、その定規が曲がって
いるところで、(実業家なり、政治家が)大きなことを言ってもらいたくないという気持がありますね。だから、
一方、文学のなかで、そういう不満の状況のままで出したものは嫌いなんです。たとえば小島信夫の「抱擁家族」に
対する僕の嫌悪というのはそれですね。空白状態、それから風船の穴の漏れている状態、そういうものを文学に
するということは、僕はたくさんなんです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

483 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:15:42.94 .net
それでどうにかして、なぜその穴があいているのか、その穴をふさぐものはなんなのか。その穴をふさぐには、
普通の接着剤では駄目で、よほど強力なやつを持ってこなければならないかもしれない。しかしその強力なものは、
その風船のゴムの質とどういう関係があるか、われわれは技術室や研究室で考えるように厳密に考えなければ
ならない。そういう僕の厳密主義が……厳密主義と自分でいうのもおかしいけれども、厳密主義に、いままた逆に
さからうようなものがいっぱいある。それがいまの文学上の混乱とかなり密接に関係があると思うのです。
一方では空白状態をそのまま出せば正直だと思う。僕はそんなものは正直だとは思わない。つまり現在の空白、
現在の堕落――堕落と言ったらちょっと政治的な面がこもりすぎるが――文学というのは、そういうものを
映す鏡ではない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

484 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:16:44.52 .net
文学というのは、いつも医者と薬とを兼ねたものです。あるいは医者と患者を兼ねたものだと言ってもいい。
われわれは最先端の患者なんです。同時に最先端の医者なんです。それが文学の使命でね。そうして医者だって、
使命だけにとらわれたものは社会改良家になっちゃう。それは文学者の逸脱で、患者だってカルテにとらわれたら
空白状態を模写するだけにすぎない。そうするとサナトリウムに入っちゃう。そうなると文学者じゃないのです。
文学者というのはいつでも、最先端の患者であり、最先端の医者である。おのずからそこに、医者と患者の間には、
いつも争いがあって、患者は癒りたくないと言うかもしれない。医者はおまえに効く薬はないと言うかもしれない。
それが文学状況の、いつも先鋭なところで、それをつかまえてないやつは、文学のほんとうの危機というものは
わかってないのではないかと考える。それが現在のナショナリズムの問題とかなんとかいう問題と、おのずから
照応してくるので……。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

485 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:17:43.96 .net
林:君のいう型の文学者――医者兼患者の文学者は、文学者の永遠のタイプだろうが、生きにくいね。
ローマ帝国でも、ヒトラー帝国でも、中共帝国でもソ連帝国でも、詩人や作家は追放されなければ自殺してしまう。
だが、敗戦二十年間の日本は国家でも帝国でもない。大平社会は文学の味方顔しているが、最悪の敵かもしれぬ。
野放しにされた物書きが文学者顔して、ひどい文章を書いている。

三島:いま文壇にいるのは、患者と医者だけですよ。患者兼医者というのはいない。それで医者が患者をほめて
いますね。
(中略)
文学は、もちろん弱さから出てくる。「僕は弱くない」といったら、嘘つきだと思いますよ。そして僕の文学は
強さの文学だというと、大嘘ですよ。弱いから文学になる。神経衰弱に文学、蔦には壁と同じで。ですけれども、
文学が寄りかかって、それで文学と弱さとのあいだに馴れ合いが起こるというのが、いちばん嫌いですね。
というのは、それだけなら文学などやる意味がないと思う。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

486 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:21:07.37 .net
弱い人間というが、「人間はみな弱い」という考え方もありましょう。そのとき文学が概念的に浮かんでくる。
つまり、自分を表現したらどうだろうか、自分が救われるのではないだろうか。だけれども、それが第一段階の
文学で、文学の第二段階は製作過程に入るとことばにぶつかると思う。ことばは絶対に克己心を教えますね。
それでことばというものにぶつかったときに、つまり文学というのは、己れの弱さをそのまま是認するものではない、
文学の世界にことばがあって、われわれに克己心を要求するのだということを学んだような気がする。それは
自制の心というか、太宰でいちばん嫌いなのはことばをそういうふうに使ってないことです。ことばがつまり
彼に対抗して、もちろん文章を作るのに苦心もしたでしょう。でもことばというものは、自分に対抗する原理だと
いうことはあまり考えてないような気がする。その自分に対抗するものをねじ伏せて自分のものにしてしまうのが、
文学の仕事です。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

487 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 16:22:18.00 .net
林:文学自体は弱いものだが、弱いものの味方であるというのは嘘です。(中略)人間に重要なものは、あなたの言う、
克己、自制、勇気、英雄的行動です。この自覚はつらいことだ。悲劇的結末に通ずるから。……だが、そうじゃ
なければいけないのです。人間の弱さに妥協してはいけない。ニーチェは、人間を生きながらえさせるものは、
森の中で生活していたころの原始人の用心深い臆病さではなく、不利な環境に抵抗した勇気だ――人間の条件は
勇気であると、言っている。太宰治はこの意味の勇気とは関係ない。

三島:僕もないと思う。それからつまり、最近のでは、また太宰治の別の顔に会ったような気がしたのは、
「抱擁家族」ですね。それから大江健三郎のある小説です。つまり、ああいう弱さの表白というのは非常に
受け入れられやすいのです。やはりこの閉塞状態のなかでは、自分が弱いと規定されて、おれも弱いという標本が
出てきて、それなりの真実というのは、とてもわかりやすい真実だと思いますよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

488 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 23:35:54.71 .net
三島:僕は、昔、小林秀雄さんと対談したときに、文学に大きい主題はないと言ったことがあるのですけれどもね。
(中略)僕が当時考えていたのは、文学というのは、小さい一つの花とか、小さい一つの昆虫とか、名も知れぬ
庶民とか、そういうものを偉大にする仕事だというふうに考えていた。というのは、バルザックは、ゴリオという
ケチじいさんを書く。ケチじいさんは、属性ケチということだけで、政治的信念も天下国家を論ずることもない。
だけれども、ケチといういちばんつまらない属性が、バルザックが書くと偉大になっちゃう。だから文学というのは、
偉大な主題を小さくするより、小さな主題を大きくするのが文学だと考えていた。それはいまも変わらないのです
けれども、同時に僕は、文学というのは大きい主題も小さい主題もないのだと、そのなかの一つのエッセンスを
つかまえればいいのだ、そのエッセンスは大きいのにも小さいのにも通ずるのではないかというふうに、考えが
変わってきたのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

489 :重要無名文化財:2011/07/15(金) 23:37:08.88 .net
そうすると、なにも徳川家康を避けなくてもいい。西郷隆盛を避けなくてもいい。しかし西郷隆盛のなかで、
通念における西郷隆盛の偉大というところと違うところで文学はつかまえる。しかし西郷隆盛の卑小さとか、
西郷隆盛の弱さとか、そういうものをつかまえるのが文学と考えるのが自然主義ですよ。そんなものは僕は
ぜんぜん認めません。偉大さにも卑小さにも、どっちにも惑わされないものをつかまえるのが文学だと思うのですよ。
(中略)つまり概念的な偉大という意味でもなければ、通俗的な偉大さでもない文学的偉大という意味ですね。
文学的偉大という意味では、西郷隆盛もケチなゴリオも変わりないというのです、ある意味では。どっちも
英雄譚であり、どっちも……まあ、ドン・キホーテもそうでしょう。どっちも、つまり偉大な人物の話ですね。
(中略)結局目的とするところは、小さいもののなかにある偉大さ、あるいは偉大さのなかにある美とか、
どっちにしろ同じことですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

490 :重要無名文化財:2011/07/16(土) 22:35:33.86 .net
三島:僕は、人間が自然に好きなように生きるというのは、論理的一貫性をつくるいちばんのもとになると
思うのです。それは「葉隠」の、どうせ短い人生だから、好きなことをして暮らせという意味はそれだと思うのですよ。
自然に好きなことだけやっておれば、絶対人間は論理一貫性を保てるように、神様はつくっていると思いますよ。
ところがときどき、好きでないことをやるから間違う。

林:あなたの「英霊の声」という最近作は、パルチザンの作品ですよ。(笑)

三島:好きだから書いたのですよ。僕は、嫌いなことは書きたくない。
(中略)好きなことでの受難ならちっともかまわない。しかし、もし自分で、これは違うのではないかな、これは、
俺の考えではないなと思ってやったことで受難したら、人生はつまらないでしょう。

林:自分の好きなことをやるというあなたの意味はやりたいことをやるという石原慎太郎君の思想とはちがいますね。
君のようなストイックな作家は他にはないですから。(笑)

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

491 :重要無名文化財:2011/07/16(土) 22:37:35.77 .net
林:近代史学だとか社会学的方法だなどというけれど、歴史の真実はそんなものではつかめない。論理も方法も
達し得ないところに愛情が作用する。愛情以外に歴史を解釈する方法はない。歴史的人物にほれることによって
その人物を理解できる。

三島:批評もそうですね。批評も絶対そうです。
根本動機は愛情でなければ、真実は……。

林:真実とは人間精神の創造物でしょう。事実は客観的なものです。それに生命を与えるものは、愛情という
主観的で神秘的なものだとすれば、不可知論ですね。対象としての事実や事件は存在するが、その対象を究極的に
理解するものは愛以外にないというのは、不可知論でしょう。私がもし三島由紀夫論を書くとすると、その方法は
愛以外にない。私が西郷隆盛を書く動機、これも愛ですよ。
神秘と信仰の世界を認めない合理主義者には、この機敏がわからない。(中略)神秘と独断、信仰と愛情を
不可知の世界に作用させる。非情きわまる三島美学の底にも愛情がある。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

492 :重要無名文化財:2011/07/16(土) 22:43:33.46 .net
三島:僕は文壇に対して嘆きもしなければ、慨嘆もしない。(中略)批評家がいろんなことを言って地図を
一生懸命かいているだけで、文士はいまや自分の世界観を徹底させるほかに、行く道はないということはみな
感じていますよ。世界観がろくすっぽない人でもそう感じていますよ。舟橋聖一はやはり女の姿、女の体に徹底する、
それはそれでいいじゃありませんか。それから僕は神風連に突っ走っちゃうかも知れないし……。(笑)
風狂といいますが、芸術はますますクレージーになっていくと思いますよ。一種の狂気の兆候によって、時代の
意味を先鋭に象徴するというのが作家なんだから、作家がそんなまともな、常識的なことを言って、世間から
紳士扱いにされて、一つご意見をうかがいたいと、そうしてもっとも常識的な、良識的なことを言うのが作家じゃ
ありません。作家はそれぞれ狂気の代表なんですよ。

林:人間は狂気によってのみ暗殺者にも予言者にもなれる。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

493 :重要無名文化財:2011/07/16(土) 22:45:27.54 .net
三島:話が少々飛びますが、僕がずっとつき合ってきた日本の文壇の人は、どうしてあんなに日本のクラシックを
読んでないのですか。ほんとうに批評家でも読んでいませんね。
(中略)
林:戦後二十年間の文学は、文章的にもひどいものだ。

三島:ことばがひどいですね。これはずっと長い歴史で、あとで見たら、ことばがひどいので驚くでしょうね。

林:これから文学を志すものは、日本古典全集を読めと言ってもいいくらいですね。

三島:まあとにかく、読書百ぺん、意おのずから通ず。中学生にもっと古典を読ませなければいかんな。いやでも
おうでも読ませたほうがいいですね。
ただ現代語訳は絶対反対ですよ。現代語訳の場合は、いまのやつは現代語訳を読んでああわかったと思っちゃう
でしょう。現代語訳を読んでから原文にあたってやろうというのは少ないと思う。だから現代語訳はないほうが
いいと思う。「源氏」を読むのは原文しかないというほうが、ほんとうだと思いますよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

494 :重要無名文化財:2011/07/17(日) 16:07:51.07 .net
三島:ことばはどんなことしたって、インターナショナルではあり得ないですね。僕らはことばに携わるのだから、
世界がどんなにテクノロジーと生活水準の平均化によってインターナショナルになっても、あるいは思想も
インターナショナルになっても、ことばだけはダメ。それだから、ことばに偏執する。ことばはプラクティカルな
意味ではどうにもなることでも、そうでないところで、われわれは立派に偏執する。われわれのナショナリズムと
いうのはことばですよ。僕は、言霊説ですね。
僕たちのことばが、外国語に翻訳される場合に、人情は通じると思うのですよ。人情は通じると思いますが、
ことばは通じない。(中略)たとえばある橋を渡ったという場合に、その橋という観念のなかに、どういう橋が
イメージとして浮かんでくるか。そのイメージだけは、どんなことをしても伝えられない。文学はそれでいいのでは
ありませんか。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

495 :重要無名文化財:2011/07/17(日) 16:08:50.52 .net
ゲーテの小説を日本語で読んで、橋(ブリュッケ)ということばが出てくるとき、その橋がドイツのどこの橋が
ゲーテの頭のなかにあったか、そんなことがわれわれにわかるわけがないですよね。
でも思想や観念は、まだ伝わりますよ。こういうものは伝わります。ですから文学は思想や観念ほど普遍妥当性が
あるわけがない。

林:翻訳できるから普遍妥当性があるときめてしまっているのが、インターナショナリストだが、彼らは何か
重大なものを見落しているね。
(中略)
三島:文学者というものは、どうもことばというものは、非常に土地と風土に密着しているもので、亡命作家で
いいのはいませんね。トーマス・マンでもアメリカに行ってからの作品は、よくないわけですよ。(中略)

林:ことばは民族の命だからね、これを捨てるわけにはいかん。

三島:命ですからね。
(中略)
林:本来的には、インターナショナリズムはナショナリズムの否定ではない。読んで字のごとく、いろんな
ナショナリティーがたがいに交渉している、その状態だよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

496 :重要無名文化財:2011/07/17(日) 16:09:47.26 .net
三島:世界文学などと言ったころのゲーテの概念にあった、汎ヨーロッパというものね、ああいうものは、
僕としてはちっとも考えないですね。普通概念としてのヨーロッパというのは、あの時代にはあるいはあったかも
しれない、夢見られたかもしれない。やはりヨーロッパというものは、そういうものだと思うのですよ。
ヨーロッパという観念自体が、普通妥当性という観念の姿なんですね、ヨーロッパ世界の。それで発達して
きたのですね。ギリシャ、ローマ世界から発達してきた。われわれはアジアと言っても、そんなにアジアというものと
普遍妥当性、あるいは文化的な統一性というのとは、一度もかかわりあったことがないのですね。われわれは、
すぐヨーロッパ世界に参加するわけではないでしょう、アジアの一画だし。それでアジアというものに対して
ゲーテ的な世界文学的なイメージをもてるかというと、もてはしません。政治は知りませんよ、文学ではね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

497 :重要無名文化財:2011/07/17(日) 16:10:51.89 .net
林:アジアは一つというが、日本もシナも、インドもインドネシアも、タイも、たがいに理解し合っているとは
思えないね。「アジアは一つ」というのは、スローガンであり、政治目的のある言葉だ。主唱する民族のエゴイズムが
ふくまれている。昔は日本が大アジア主義と言い、今は中共がAA作家会議を主催する。そういう意味では、
福沢諭吉の「脱亜論」の方が正直だ。(中略)政治家諸君は大いに親善外交をおやりになって結構だが、文学者は
AA作家会議より前にもっと日本自身のことを考える必要があるね。その方が正直だ。

三島:ほんとうはそうです。僕は、アジア主義だけはちょっとわからない。政治的にはもちろんわかり得ると思うが。
まったく政治的なものですね。

林:政治的なアジア主義というものは、わかりますよ。日本が圧迫されているとき、同じ圧迫された朝鮮やシナや
インドと力をあわせて立ち上がろうという主義なんだが、いまは、中共さんも韓国さんも威張ってるのだから、
こっちとは関係ありませんよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

498 :重要無名文化財:2011/07/17(日) 16:11:48.32 .net
三島:ヨーロッパ共同体というものは文化的には昔からあったのだから、それが伝統に帰ることであり、そうして
普遍的ヨーロッパに帰れということを、ゲーテは言いたかったわけですね。しかし日本では、普遍的ヨーロッパと
いうものは、日本にとってはぜんぜん別なものでしょう。それから普遍的アジアというものは、文化的にはない。
だから日本にとっていま世界文学などというのは、ちゃんちゃらおかしいということになるわけですね。そうして
翻訳されても、人情はわかるだろうが、ことばのスピリットがわかるわけがないということです。それは当然な
ことでしょう。じゃ、わからないから訳さないというのは、それもバカな話で、わかる部分だけでもおもしろいと
いうのが、ほんとうの小説ではないでしょうか。ドストエフスキーでもロシア語のニュアンスがわかるわけでは
ないけれどもおもしろい。それはそれで、翻訳したものはまた別なものですね。でも世界文学などというのは
空疎な観念で、いまの日本にはあり得ないですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

499 :重要無名文化財:2011/07/18(月) 13:57:22.35 .net
林:(世界主義者は)インターナショナリズムという観念によってナショナリティーを簡単に否定するのです。
みな浮き上がっている。政治次元においてインターナショナリズムを過信すると、インドネシア共産党みたいに
浮き上がって民族主義者に虐殺されてしまいます。インドネシアの事件で、日本共産党がふるえあがって、
中共と離れたという、うがった観察もあるくらいだ。土着性というもの、ナショナリティーというのは怖いですよ。
意識下にテロリズムの基盤をひそめている。日本に続発した個人的テロリズムは、なにも独占資本が指令した
ものではない。自発的なものだ。テロリズムの論理は西洋ではアナーキズムだが、東洋では老荘派の虚無主義です。
仏教にも一殺多生という観念がある。文学的だよ。いまに三島君の本を読んで、暗殺を実行しましたという青年も
出るかもしれない。

三島:僕が教祖で捕まるか。でもあれは、テロリズムを全部容認するわけではない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

500 :重要無名文化財:2011/07/18(月) 13:58:17.06 .net
三島:しかし近代的法秩序というものの欠陥に対して、それを否定してテロリズムをやるということは、これは
刑法では確信犯で、これは近代的法秩序、近代的法道徳ではどうすることもではないものですね。モラルの点から
言ってもしょうがない。

林:(中略)大統領暗殺はアメリカ民主主義の光栄ある伝統みたいになっている。民主主義が防止できるのは
集団的暗殺であって、個人的テロリズムではない。

三島:そうなんです。これはどうしようもないのです。人間性というのは、近代的な法秩序よりもっと広くて、
もっと広大で、もっといろいろなことを考えるものだし、そのなかにそれなりの真理があり、それなりの確信が
あるのだから。

林:だいたい文学の傑作は個人的テロリズムですよ。

三島:全部そうです。

林:作家が自分の作品に命をかけたら、テロリズムの書が生まれる。作家の目には、テロリズムは美しい。

三島:どうしてもしょうがない。

林:人間的美の極致として映る。武士の切腹がそうであるように。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

501 :重要無名文化財:2011/07/18(月) 13:59:37.29 .net
三島:文士はことばが自分のノミであり、大工道具なんだから、大工道具にケチをつけられるのは、気味が悪いね。
社会革命家というのは、いつでもことばをいじりたがる。北一輝でも、エスペラントで国語を統一しようと思って
いたのだから。中国は全部漢字を簡略化してね、あれでは古典文学は読めないでしょう。いま実業家のなかでも、
この頃漢字をやめろとか、なぜローマ字にしないかとか、カナ文字ばかりでやっている会社もあるしね。全部
カナ文字という会社もあるのですね。それで、ことばというものは一歩プラクティカルなことを考えたら、絶対
こんな不合理なものはない。ことばの性質というものは、そういうものです。ことばというのは、そもそも人間の
意思を疎通させるために、生まれたものであるにもかかわらず、もしプラクティカルな見地からしたら、実に
非合理に満ちているという。これはどこの国のことばでも、みなそうですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

502 :重要無名文化財:2011/07/18(月) 14:00:37.42 .net
三島:たとえば英語のナイトクラブのナイトは、night。あの gh はなんだということになる。それでアメリカでは、
ナイトクラブのことを、nite CLUB と書くね。ことばはそういうものですよ。国語問題表意派のほうも、やはり
プラクティカルな議論にとらわれているところがありますね。あれは表音派と同じことになる。つまり、ことばに
ちょっとでもプラクティカルな原理を導入したら、もうだめですよ。ことばというものは、全くそういうものは
ないのです。実際に必要な見地から言えば、こんなに無駄なものはありゃしない。

林:政治的な便宜論です、(表意派、表音派)どっちも。

三島:そうなんです。あれに巻きこまれるのはいやなんです。どっちが便利だという問題になっちゃう。僕が
言っているのは、どっちが便利だというような問題ではない。またどっちが使いいいというような問題ではない。
どっちが意味が通じるという問題ですらないのだから。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

503 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:24:43.11 .net
林:それぞれの民族には十万年くらいは変わらない核心性格がある。神風連的なものは日本民族の核心性格の
発現でしょう。この核心は(中略)日本民族の意識下にひそんでいる。奈良、平安時代のシナ文化と仏教文化の
流入もこの核心を変え得なかった。(中略)十万年と、二千年または二百年の「外来文化」は勝負になりませんからね。
日本人の民族性格は、天然真珠の玉のように、十万年の核心(core)をつつんで、儒教文化、仏教文化、西洋文明が
重なっている。(中略)人間の性格の外皮は真珠のように固くないから、核心がときどき流れ出し、爆発する
ことがある。これが国粋主義で、どの民族にもそれがある。ロシアでも、西欧派のツルゲーネフに対して、
スラブ派のドストエフスキーがいたようなものだ。復古主義の形をとるが、実は、求心運動としての革命的
爆発ですね。神風連はたしかにその旋風で竜巻でしょう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

504 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:25:46.69 .net
三島:僕はこの熊本敬神党、世間では、神風連と言っていますが、これは実際行動にあらわれた一つの芸術理念でね、
もし芸術理念が実際行動にあらわれれば、ここまでいくのがほんとうで、ここまでいかないのは、全部現実政治の
問題だと思いますよ。それでは、彼らがやろうとしたことはいったいなにかと言えば、結局やせても枯れても、
純日本以外のものはなんにもやらないということ。それもあの時代だからできたので、いまならできないが、
食うものから着物からなにからかにまで、いっさい西洋のものはうけつけない。それが失敗したら死ぬだけなんです。
失敗するにきまってるのですがね。僕はある一定数の人間が、そういうことを考えて行動したということに、
非常に感動するのです。
思想の徹底性ということ、思想が一つの行動にあらわれた場合には、必ず不純なものが入ってくる。必ず戦術が
入ってきて、そこに人間の裏切りが入ってくる。それがイデオロギーというものでしょうが、そうして必ず
目的のためには手段を選ばないことになっちゃう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

505 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:26:38.29 .net
だけれども神風連というものは、目的のために手段を選ばないのではなくて、手段イコール目的、目的イコール手段、
みんな神意のまにまにだから、あらゆる政治運動における目的、手段のあいだの乖離というのはあり得ない。
それは芸術における内容と形式と同じですね。僕は、日本精神というもののいちばん原質的な、ある意味で
いちばんファナティックな純粋実験はここだったと思うのです。もう二度とこういう純粋実験はできないですよ。
その後いろいろなテロリズムが起こりました。いろいろなものがあったでしょう。しかしこれくらいの純粋実験と
いうものはないですよ。日本の歴史のなかで、こういう純粋実験があったということは、みな忘れていますが、
当時は笑うべきことだったかもしれないが、なにごとかだったと思うのですよ。それで僕はいまの(中略)
あいまいな日本精神とかなんとかを、ここでもってもう一度よくこれを振り返ってほしいのです。そういう意味で、
僕は神風連を言うのですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

506 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:27:50.74 .net
三島:たしかに日本人が外国に対して徹底的に受け入れるというのは、十九世紀の全く正しい方法だったと思います。
(中略)近代化することによって、植民地から身を守るか、あるいは受け入れないことによって敗北するか、
どっちしかなかった。一つの道しかなかった。(中略)
僕は政治的に、たとえば明治維新において、もっと日本的にやるべきだったとか、外国の武器を使うべきではないと
言っているのではないし、日本の西欧化をするべきではなかったと言っているのでもなんでもない。西欧化は、
十九世紀には単なる西欧化であったが、二十世紀においては単なる西欧化ではない。(中略)西欧化という段階を
通り越していると思うのです。だけれども、その必然的結果としての大衆社会化という問題が、いまわれわれの
前にあって、それに対抗する概念を僕はさがしている。僕がさがしているものは、どうしてもその前にいかなければ
ならない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

507 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:31:21.37 .net
三島:僕たちはもうハカマもはかない、ズボンをはいてる、西洋的な生活をしていますね。しかし禅は、そうで
あってはいけないという考えです。それは天皇制の考えにつながるのです。禅はそうであってはいけない。何か
究極的なものは、そうではあってはいけないという考えがあるのです。(中略)いまに(日本人は)日本酒の味も
わからなくなるでしょう。そういう一面をもっているが、精神の本質的な価値というのは、僕たちのなかにある
かもしれないが、カソリックにおける教会みたいなものがどこかにあって、精神の本質的な価値を守らなければ、
われわれにはとても生活全般で守ることはできない。われわれは電話もかけなければならない。テレビを見なければ
ならないし、自動車にも乗らなければならないから、どこかに自動車に乗らない、テレビを見ない、電話をかけない、
ガスを使わない、電気を使わないというものがなければならないと思うのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

508 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:32:45.81 .net
三島:(僕は)文学的な目で見るといま日本とか、日本人という、みんなの言っている概念のあいまいさに
耐えられない。いったいどこを根拠にして言っているのか。(中略)日本人はたしかに、いろんなものを取り入れて、
雑然と消化してしまう国民であるけれども、日本および日本人ということは、いまこんなに問題になっているなら、
それの純粋実験ということを、どういうふうにしてやるかということを僕は考えるのです。たとえ無力であってもいい。
(中略)なにがそれでは、そういう純日本的なもの……純日本人的なものの純粋実験だろうかと考えると、結局、
神風連にいっちゃう。あすこにガンジーの糸車があって、かならず敗北するでしょう。それは勝つわけはありません。
つまり西欧化のほうが正しいに決まっている。(中略)かならず敗北するのだけれども、そこに純粋性と正当性が
あって、そういうものがつまり、われわれが日本および日本人といっているものの核になっているのではないか。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

509 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 10:34:10.32 .net
三島:いったい日本では抵抗精神というのはどこにあったか。純日本の抵抗精神というのはどこにあったか。(中略)
僕はへそ曲りですからね、そういうものをさがす。そうすると、禅寺が電気冷蔵庫を持っていてはいかんではないか。
ガンジーは糸車を回したではないか。そうすると、神風連が電線の下を通るときに、あれでもって電報がくるのだ、
あんなものはバテレンの妖術だというと、頭の上に白扇を乗っけて、下を通ったという、あの白扇に、つまり
西欧文化というものはどういうものを日本にもたらすか、というものの予感がはっきりひらめいていたように思う。

林:大きな予言ですよ。

三島:大きな予言ですよね。いまから白扇を持ってもどうしようもないが、白扇で電線の下を通ったということは、
あの電線がただの電線ではないのだぞ、あの電線が、あれから、百年たってこういうような状態をもたらすのだぞ、
という予言としか思えない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

510 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 23:16:41.66 .net
三島:神風連のことを研究していて、おもしろく思ったのは、かれらは孝明天皇の攘夷の御志を、明治政府が完全に
転倒させ、廃刀令を出したことに対して怒り、「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之徳行不敢行」
という思想を抱いていた。万世一系ということと、「先帝への忠義」ということが、一つの矛盾のない精神的な
中核として総合されていた天皇観が、僕には興味が深いのです。
歴史学者の通説では、大体憲法発布の明治二十二年前後に、いわゆる天皇制国家機構が成立したと見られているが、
それは伊藤博文が、「昔の勤皇は宗教的の観念を以てしたが、今日の勤皇は政治的でなければならぬ」と考えた
思想の実現です。僕は、伊藤博文が、ヨーロッパのキリスト教の神の観念を欽定憲法の天皇の神聖不可侵のもとに
したという考えはむしろ逆で、それ以前の宗教的精神的中心としての天皇を、近代政治理念へ導入して政治化した
という考えが正しいと思います。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

511 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 23:18:07.80 .net
三島:(神風連の起こった)その時代の天皇観念には、天皇を宗教的精神的中心として純粋に確保したいという
強烈な考えが、一方にあっても少しも不思議はなかった。
明治憲法の発布によって、近代国家としての天皇制国家機構が発足したわけですが、「天皇神聖不可侵」は、
天皇の無謬性の宣言でもあり、国学的な信仰的天皇の温存でもあって、僕はここに、九十九パーセントの西欧化に
対する、一パーセントの非西欧化のトリデが、「神聖」の名において宣言されていた、と見るわけです。神風連が
電線に対してかざした白扇が、この「天皇不可侵」の裏には生きていると思う。殊に、統帥大権的天皇の
イメージのうちに、攘夷の志が、国務大権的天皇のイメージのうちに開国の志が、それぞれ活かされたと見るのです。
これがさっきの神風連の話ともつながるわけですが、天皇は一方で、西欧化を代表し、一方で純粋な日本の最後の
拠点となられるむずかしい使命を帯びられた。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

512 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 23:19:04.83 .net
天皇は二つの相反する形の誠忠を、受け入れられることを使命とされた。二・二六事件において、まことに
残念なのは、あの事件が、西欧派の政治理念によって裁かれて、神風連の二の舞になったということです。
ところで僕は、日本の改革の原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現われず、時にはそれによってしか、
西欧文明摂取の結果現われた積弊を除去できず、それによってしか、いわゆる「近代化」も可能ではない、という
アイロニカルな歴史意志を考えるのです。
福沢諭吉と神風連が実に対蹠的なのは、明治政府の新政策によって、前者は欣喜し、後者は幻滅した。僕は
幻滅によって生ずるパトスにしか興味がない。幻滅と敗北は、攘夷の志と、国粋主義の永遠の宿命なのであって、
西欧の歴史法則によって、その幻滅と敗北はいつも予定されている。日本の革新は、いつでもそういう道を
辿ってきた。唯一の成功した革新は、外国占領軍による戦後の革新です。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

513 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 23:20:24.29 .net
僕の天皇に対するイメージは、西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志であり、純粋日本の敗北の宿命への
洞察力と、そこから何ものかを汲みとろうとする意志の象徴です。しかるに昭和の天皇制は、内面的にもどんどん
西欧化に蝕まれて、ついに二・二六事件をさえ理解しなかったではないか。そのもっとも醇乎たる悲劇意志への
共感に達しなかったではないか。「何ものかを汲みとろう」なんて言うとアイマイに思われるでしょうが、僕は
維新ということを言っているのです。天皇が最終的に、維新を「承引き」給うということを言っているのです。
そのためには、天皇のもっとも重大なお仕事は祭祀であり、非西欧化の最後のトリデとなりつづけることによって、
西欧化の腐敗と堕落に対する最大の批評的拠点になり、革新の原理になり給うことです。イギリスのまねなんか
なさっては困るのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

514 :重要無名文化財:2011/07/19(火) 23:22:47.23 .net
三島:僕は天皇無謬説なんです。
僕はどうしても天皇というのを、現状肯定のシンボルにするのはいやなんですよ。
(中略)
革命家がある場合には旧支配の頂点によって肯定されるという妙なことが起こり得るのが、日本ではないのですか
というのです。
(中略)つまり天皇というのは、僕の観念のなかでは世界に比類のないもので、現状肯定のシンボルでもあり得るが、
いちばん先鋭な革新のシンボルでもあり得る二面性をもっておられる。いまあまりにも現状肯定的ホームドラマ的
皇室のイメージが強すぎるから、先鋭な革新の象徴としての天皇制というものを僕は言いたいというだけのことですよ。
天皇制のもう一つの側面というものが忘れられている、それがいかんということを僕は言いたい。
それだけのことです。天皇は実に不思議で、世界無比だというのは、その点ですよ。

林:革新のシンボルにもなります。これからもかならずなります。

三島:ならなければいけないのですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

515 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 00:26:29.21 .net
林:日本共産党史には二つのコミンテルンテーゼがありますね。あれはロシアの三流学者が書いたもので、
いま読んでみると、全くでたらめな日本分析です。その、まるでバカみたいな打倒天皇制論を、野呂栄太郎などが
日本に当てはめようと苦労したのだが、当てはまりません。天皇制の基盤は地主勢力だ、いや独占資本だといっても、
三流学者の見当ちがいで、的はずれです。それで天皇制打倒論はお蔵になってしまったのだ。(中略)


三島:僕は大嘗祭というお祭りが、いちばん大事だと思うのですがね。あれはやはり、農本主義文化の一つの
精華ですね。あそこでもって、つまり昔の穀物神と同じことで、天皇が生まれ変わられるのですね。そうして
天皇というのは、いま見る天皇が、また大嘗祭のときに生まれ変わられて、そうして永久に、最初の天照大神に
かえられるのですね。そこからまた再生する。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

516 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 00:27:29.73 .net
三島:ただ僕は、経済の発展的な段階というものを、ぜんぜん信じてないのですね。農耕文化なり、なに文化なり、
資本主義から社会主義になるというのは、まったく信じてない。だけれどもインダストリアゼーションは、土から、
みんな全部人間を引き離すでしょう。そしてわれわれのもっているものは、すべて土とか、植物とか、木の葉とか、
そういうものとはどんどん離れていく。それでは土を代表するものはなにかとか、稲の葉っぱを代表するものは
なにかとか、そうして、自然というものと、われわれの生活とを最後に結ぶものはなにか。それは、たまたま、
ことばは農本主義と言っても、経済学上の用語としての農本主義とちょっと違いますが……。

林:(中略)諸民族の神々がみんなちがうということは、無神論の根拠だが、その逆に神が諸民族に違った形で
現われるということは、その背景に神があることの証明だという有神論、この方がおもしろいね。

三島:そうですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

517 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 00:28:46.36 .net
三島:僕は、新憲法で天皇が象徴だということを否定しているわけではないのですよ。僕は新憲法まで天皇が
お待ちになれず、人間宣言が出たということを残念に思っているのです。いかなる強制があろうとも。

林:私は、天皇以外に忠誠を尽くす気はない。大統領でも人民執行委員会でも国家主席でもだめだ。神にして
人間なるもの、人間にして神なるものを創造して、それ以外には仕えないというのは大きな知恵ですよ。(中略)
僕は天皇は昔から象徴だったと思っている。

三島:天皇制というのは、少しバタ臭い解釈になるが、あらゆる人間の愛を引き受け、あらゆる人間の愛による
不可知論を一身に引き受けるものが天皇だと考えます。普通の人間のあいだの恋(こい)でしょう……。

林:恋闕(れんけつ)……。

三島:恋(れん)ですね。それは普通の人間とのあいだの愛情は、みなそれで足りるのですよ、全部。それが
ぼくは日本の風土だというふうに思うのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

518 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 10:17:00.55 .net
林:僕は天皇アナーキストだから、天皇以外に仕えない。「マッカーサー天皇」はもってのほかだ。吉田総理にも
片山(哲)委員長にも仕えない。あなたは吉田さんは好きらしいが、僕も好きだが、彼に忠誠をつくせと言ったら、
とんでもないと申します。

三島:それは絶対にいやですよ。

林:さいわいに日本には、天皇という人間でない支配者が実在している。有史以来、いや、おそらくそれ以前から
存在している。どんな事件が起ころうとも、今度の敗戦があろうが、存在しつづけている。この不思議さ。

三島:ある意味では、日本人というものの象徴だという意味では、日本人のフレキシビリティーというものの、
あれほどの象徴はありませんね。

林:高級なる政治思想ですね。人間には仕えない、神以外には仕えない、天皇は現人神である、という高級な
政治理念だな。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

519 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 10:18:08.61 .net
林:祭政一致はエジプトにもギリシャにも古代シナにもあった。そういうものは時代が進歩するとなくなると
学者は言うが、僕は信じないな。僕の天皇アナーキズムは、人間には仕えない、神でなければ仕えないという精神。
日本人はその精神をもち続けている、不思議な国だ。

三島:たしかにそうですね。それは武士道はあったけれどもね。

林:武士道は立派なものです。武士道には神道も仏教も儒教も入っているが、中心に天皇があったから、武士道が
できた。

三島:ということも言えます。と同時にやはり、その前で行きどまりということもあるでしょう、藩主のところで。
つまり殿様のために身を捧げる。

林:(中略)和辻哲郎は封建時代以前の日本の家族制度の中に天皇制の根拠を発見している。武士の忠義も殿様だけが
対象ではない。その殿様たちが天皇絶対だった。織田信長も、上杉謙信も、豊臣秀吉も、徳川家康でさえ……。

三島:最終的にはそうですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

520 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 10:19:34.35 .net
三島:日本のように反体制的大政党を抱えた国が、シヴィリアン・コントロールをやるということは、危険きわまる
体制じゃありませんか。

林:軍人はコントロールできますよ。天皇は軍部に対してはシヴィリアンですよ。

三島:まあそうだけれども、もしこれから徴兵制度ができて、若い人たちが兵隊にとられて、そうしておまえの
命はもらったぞというとき、昔は上官から天皇まで一貫していた。(これからは)シビリアン・コントロールで、
間に(もし反日の)政治家が介在していて……。

林:ああ、そういう意味……。

三島:そういう意味です。

林:あなたは東大法科の優等生だから、新憲法を研究してごらんなさい。読めば読むほどひどいものだ。あれは
廃止しなければいかん。必ず廃止されます。明治憲法がそのまま復活することはないでしょうが、新憲法に
くらべれば立派な憲法だ。統帥権を人間に与えず、神としての天皇に与えた点はおもしろい。

三島:そういうことです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

521 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 10:20:41.17 .net
三島:「木戸幸一日記」のなかで、敗戦後の昭和二十年九月二十九日の日記につぎのように記されている。
陛下がファシズムを信奉するかのように非難攻撃していたというアメリカの新聞論調に対し、遺憾に思われてこう
言われたと。「其際、(天皇は)自分が恰もファシズムを信奉するが如く思はるゝことが最も堪へ難きところなり、
実際余りに立憲的に処置し来りし為めに如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て今少し陛下は進んで
御命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、努めて立憲的に運用したる積りなり」とこう言っておられるの
ですね。僕は、「実際余りに立憲的に処置し来りし為めに如斯事態となりたりとも云ふべく」という文句は、
非常に感銘深いのです。林さんの言われる、日本の西欧化、それからイギリスの立憲君主政体ということに、
陛下はやはり非常に忠実であられたことはまちがいないと思う。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

522 :重要無名文化財:2011/07/22(金) 10:21:46.95 .net
戦争が終わったとき、「実際余りに立憲的に処置し来りし為めに如斯事態となりたりとも云ふべく」といわれたときに、
ちょっと陛下のなかで、なにかが揺らいだと思う。だけれども、それは、またそのまま、いまずっとイギリスが
いいということになったから。

林:むずかしい問題ですね。天皇現人神ということは、天皇は神そのものではないということにもなる。天皇と
いうのは神の象徴で、しかも生きた人間で、われわれは神の声を天皇を通じて聞きたいと望んでいる。

三島:一種のミディアムですね。

林:神道はシャーマニズムだという学説もある。天皇はシャーマンだということは、恥ずかしいことでも不敬な
ことでもない。神と人間の仲介者ですから。(中略)マッカーサーはキリスト教徒だから日本の現人神の思想を
理解できなかった。日本人をブードゥー教徒なみに扱かった。扱かいきれぬので天皇利用の政策に移行した。
ついでに自分がマッカーサー天皇になってしまった。いけませんね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

523 :重要無名文化財:2011/07/23(土) 17:57:09.05 .net
三島:宿命に対する自由の例外というのは、人間だれでも認めるでしょう。もし林さんが、生まれつき片輪で、
足が一本しかないとしますね。林さんは非常にご自身で宿命的に苦しまれると思います。だれだってそうですね。
それが自分一人の宿命と考えるのはいやだから、どう考えても、これは人間に課せられた、どうにもならない
宿命だと思う。私は足が一本しかないが、ほかにも、もっと、もっと宿命をもった人がいる。(中略)人間は
宿命のなかの動物です。しかし自分が宿命で、こんなに苦しんでいるだけにどこかに自由はないだろうか。自分の
宿命を超脱するような自由がほしいではないか。そうしたら自由のイメージを描くのが普通でしょう。それが
自分に実現できなければ、どこかに宿命から超脱した人間というものを求めるでしょう。それが天皇であり、
宿命に対する自由の象徴なんです。
それは一つの比喩として言っているのです。
林:もっと聞かせてください。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

524 :重要無名文化財:2011/07/23(土) 17:58:29.91 .net
三島:自由のイメージを求めるとしますね。僕の場合は、宿命ということばを使ったのは、インダストリア
リゼーションです。それから日本の近代史です。それから二十世紀的現象というもの。これは宿命ですよ。それを
われわれは、だれ一人としてまぬがれないし、日本人であってもなくてもまぬがれないことは当然なんです。
インド人でも当然です。インドネシア人でも当然そうです。そういうなかでもって、われわれはそのなかの
いろいろなマイナス現象につき合って生きているわけです。なんとかかんとかと。(中略)だけれども同時に、
そのインダストリアリゼーションに、絶対に巻きこまれないものがあってもいいじゃないですか。

林:それに異議はありません。

三島:それがですね、歴史的必然と見えるものに対する、自由の象徴ですね。
それが天皇であり、なんでありという考えです。
(中略)(それは)外見的には自由が縛られているかもしれない。だけれども自由はその意味では逆転していると
いうことを僕は言いたい。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

525 :重要無名文化財:2011/07/23(土) 17:59:42.82 .net
林:献身への憧れとかね。僕らは文学に献身していると思って己を慰めているのですな。文学も一種の神の業ですから。

三島:あなたは、その神と自分の芸術作品と同一視することはできませんか。

林:同一視したい。

三島:そうでしょう。つまり僕にとっては、芸術作品と、あるいは天皇と言ってもいい、神風連と言ってもいいが、
いろいろなもののね、その純粋性の象徴は、宿命離脱の自由の象徴なんですよ。つまりね、一つ自分が作品を
つくると、その作品は独得の秩序をもっていて、この宿命の輪やね、それから人間の歴史の必然性の輪からポンと
はみ出す、ポンと。これはだれがなんと言おうと、それ自体の秩序をもって、それ自体において自由なんですね。
その自由を生産するのが芸術家であって、芸術家というものは、一つの自由を生産する人間だけれども、自分が
自由である必要はない、ぜんぜん。そしてその芸術作品というのはある意味では、完全に輪から外れたものです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

526 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 11:40:13.99 .net
三島:現代において危険な思想はなんだろうか。(中略)いろいろ考えました。一度、僕は新聞に原爆のことを
書いたことがある。そして、ナセルが「落とすなら原爆を落としてもいいよ」とか、中共が「水爆を落としても
いいよ、われわれは人口七億だから、半分なくなってもあと戦える」と言った、ああいうのはもっとも危険な
思想だろうと、そういうことを書いたら、没になったことがあるのです、だいぶ前に。
いま、危険な思想というのはなんでしょうね。ほんとうの危険です。キリスト教がローマで危険だったように
危険だということ。なんか人間性に根ざしていながら……。

林:本物の思想はみな危険な思想でしょう。思想というのは、人を切腹させたり殉教者にしたりしますね。
人がそのために喜んで死ぬ思想は危険思想でしょうね。危険でない安全思想は有害な思想だ。平和主義とか、
新憲法擁護とか、こういうのは、有害なる思想ですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

527 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 11:41:57.70 .net
三島:幕末に武陽隠士の「世事見聞録」という本があって、いま僕なんかの言っているようなことをしきりに
言っている。今の世は堕落していて、武士道が復活しなければならない、と。それを滝川政次郎が「いかにも
太平の逸民らしい思想だ」と批評しているのが面白い。(中略)

林:太平ムードの現状はわれわれの責任ではない。しかし終末思想や危険思想は、太平の頂点にあらわれる。

三島:いつもそうなんです。

林:この太平ムードの頂点において、なぜ君が「英霊の声」を書いたか。これは文壇批評家諸君は理解できない。
それでけっこうではないですか。旧約聖書は予言の書だが、二千年たって、やっとイスラエルという国ができた。

三島:「葉隠」は、僕は戦後二十年ずっと読んで、いつも座右から離したことはない。あれは実におもしろいので、
あんなおもしろい人生知のある……あれは、日本のモンテーニュだと思いますがね。(中略)

林:(中略)よく考えてみれば、人間は常に死地に出入りしているのですよ、太平な世の中でも。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

528 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 11:43:06.30 .net
林:はげしい抵抗精神というか、末世観というか、それが日本にはあらわれますね、ときどき。

三島:必ずあらわれるのですね。

林:末世観は革命精神ですね。たとえば日蓮の終末観。(中略)昔は宗教がそれをやってくれたが、今は文学者が
ときどきそのかわりをする。すべての文学者がとは言わないが。

三島:それは政治家なんかより十年早くあらわれるでしょうね。

林:政治家よりもね。だから孟子は自ら「王者の師」と称したのです。王者の師は王者によっては受け入れ
られないのが普通だ。追放されたり処刑されたりする。王者が、十年か二十年たって気がついてももうおそい。
(中略)幕末に、日本の侍たちに勇気をふるい起こしたのは、孟子ですね。軍人だった田中義一首相も広瀬武夫と
同じころに留学して、よく勉強したのです。(中略)だから軍人が総理大臣にたくさん出た。あれは無理もない。
政党人たちは勉強する暇がなかった。選挙と地盤が心配で投票ばかり気にしていたから。

三島:いまでも実業家は本を読まないですね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

529 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 11:44:21.64 .net
三島:橋川文三なども言っているけれども、戦争中の特攻隊の連中でも、それから戦没学徒の心情でも、
死ななければ国家を批判はできない、死ぬことによってはじめて国家を批判できるという。日本人の最高のものに
対する批評の形式というのは、死しかないというあれは、かなり切腹のみにとどまらず、いろいろな形であらわれて
いるものだと思いますね。つまり、批評と絶対との関係というものは、僕はおよばずながら「英霊の声」などを
書いたときに、ふっと、その問題をかいま見られたような感じがした。つまり絶対を批評するということが
できるか、できないか、これはだれもわからないことですね。だけれどもその批評形式としては、 死しかない
ということはありますね。それは小さな例で言えば、市川団蔵が巡礼をして、船から飛びこんで死んだ。実に
りっぱな最期だと思う。団蔵という人は、おそらく学問もないだろう、理論もないだろう。そういう人間の
一生をかけた批評という点では、最高のものだろうと思う。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

530 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 11:45:37.21 .net
三島:日本人は、最高の批評の形式というのは、ことばのないものでしかないという考えがどこかにある。
それは、禅の不立文字からきたものばかりではないと思いますね。体当りと言えばそれまでですが、なんか
自己否定という形が批評になると、こっちに主体があって、対象を分析したり、対象を論理的に解釈することが
批評ではないのだと、こっちが自分を根本的に否定して見せることが批評なんだというような、批評の根本形式が
あるように思う。
(中略)
新聞は、それ(団蔵の死)をセンチメンタルに扱う。旅路の果てみたいに。その新聞の志の低さ、精神の低さに
驚きますね。乃木大将の死でも、明治に殉じたという面もあるだろうが、明治のつくった文化全体に対する批評だ
とも言えますね、おそらく。焼身自殺だって、あれは全然批評だしね。

林:福田恆存君は認めないが、僕は焼身自殺を認める。

三島:アメリカ人には絶対わからない。だいたい西洋の批評というのは、命が惜しいということですからね。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

531 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 19:45:39.79 .net
林:死ぬなら海がいいね、いちばん。……君は出征する時、天皇陛下万歳という遺書を書いたそうですね、(中略)
結局は遺書の文字のままあのとおりでしょう。

三島:あのとおりです。結局あのとおりです。

林:人間というのはそんなに複雑ではないですね。立派な遺書ですよ、あれは。

三島:いまの人は貔貅(ひきゅう)という字が読めないのですね。皇軍の貔貅という字が。――それはそうと、
この間江田島の参考館へ行って、特攻隊の遺書をたくさん見ました。遺書というのではないが、ザラ紙に鉛筆の
走り書きで、「俺は今とても元気だ。三時間後に確実に死ぬとは思えない……」などというのがあり、この
生々しさには実に心を打たれた。九割九分までは類型的な天皇陛下万歳的な遺書で、活字にしたらその感動は
薄まってしまう。もし出版するなら、写真版で肉筆をそのまま写し、遺影や遺品の写真といっしょに出すように
忠告しました。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

532 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 19:46:18.05 .net
それにしても、その、類型的な遺書は、みんな実に立派で、彼らが自分たちの人生を立派に完結させるという叡智を
もっていたとしか思えない。もちろん未練もあったろう。言いたいことの千万言もあったろう。しかしそれを
「言わなかった」ということが、遺書としての最高の文学表現のように思われる。僕が「きけわだつみのこえ」の
編集に疑問を呈してきたのはそのためです。そして人間の本心などというものに、重きを置かないのはそのためです。
もし人間が決定的行動を迫られるときは、本心などは、まして本心の分析などは物の数ではない。それは泡沫の
ようなただの「心理」にすぎない。そんな「心理」を一つも出していない遺書が結局一番立派なのです。
それにしても、「天皇陛下万歳」と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と
来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、何だか、
おそろしい幸福感で思い出すんです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

533 :重要無名文化財:2011/07/25(月) 19:47:11.83 .net
三島:いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感はいったい何だったんだろうか。僕は少なくとも、
戦争時代ほど自由だったことは、その後一度もありません。

林:そういう時代はきますよ、必ずきます。君はすでに天皇は神でなければならぬと言い出した。(中略)
戦後二十年の新憲法教育で、日本人のコア・パーソナリティーまで変わったと思うのは甘すぎます。民主主義の
本家のアメリカ人自身、星条旗のもとに、毎日死んで行っている。アメリカ人の冒険精神と敢闘精神は彼らの父祖が
ヨーロッパからもって来て、アメリカ大陸で開花させたものでしょう。日本の歴史はアメリカよりも古いのです。
民族の性格はそう簡単に変わるものではありません。簡単に変わるものより頑固に変わらないものの方に僕は
望みをかけます。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

534 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 10:15:01.89 .net
言論の自由も左翼の言論の自由と右翼の言論の自由がある。私も小説を書いていますときはさほどに感じない
けれども、文壇というところは、文学賞など審査する場合、私ははっきりいえますが、かりにも思想的偏向で
作品を選んだことはない。たとえそれが、共産党員であろうがなかろうが、自分と政治的意見がかわろうが、
文学作品としてよければいいという立場を通しております。しかしひとたび評論の世界に入ると、なるほど
むずかしいもんだなということを最近痛感したことがあります。
私事ですけれども(中略)「文化防衛論」というのを書きました。つまらんものですが、一所懸命書いたんで
七十枚ほどの長いものになった。そうすると、読売新聞と東京新聞は、それぞれ林房雄さん、林健太郎さんが
文壇時評をやっておられるからいろいろ親切に採り上げてくださる。見ようによっては親切すぎるわけですね。
ところが朝日、毎日は一行も取扱わなかった。黙殺です。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

535 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 10:15:54.77 .net
三島:もう一つはテレビの場合、ぼくらは実にニュース取材というのは困るんです。うっかり映像を出すと、
映像にウソはつけない。私がカメラの前に立つ、何かをしゃべる。何かをやる、それをフィルムではどうにでも
なるということですね。しまいにちょっとしたコメントリィをつけて「……と三島は意気揚々、過激な言論を
吐いて高笑いをしていた」なんていわれたら、これはもうマンガになっちゃう(笑)
マンガにされるのも悲劇にされるのも、みんな向こう様の自由。ですから言論の自由にしろ、偏向にしろ、
われわれは実に微妙なところで生きているということです。

小汀:ほんとうにそうです。(中略)
無着成恭という寺の坊主の、あんまり日本語のできない人、(笑)それと対等で議論するというんだ。ぼくは
(中略)しゃべる機会がほとんどない。こららにしゃべる機会を司会が与えないようにしているんだ。(中略)
(無着は)発言したら最後、マイクをはなさないんだ。(中略)向こうが七分の土俵を使えて、こちらは三分しか
使えない。そういうたくみな戦術をつかうんだ。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

536 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 10:16:52.90 .net
三島:タクシーに乗っていたとき、ラジオで無着成恭が子供の質問に答えていたんです。子供が「先生、
スサノオノミコトとか、アマテラスオオミカミの話は本当にあったんですか」ときくと、その無着が「チミ、
それね、ぼくこれからハナスしるけどね。あのスンワ(神話)というのは、ほんとうのハナスと違うの。
ツガ(違)うけれども、あのネ(中略)アマテラスオオミカミ(天照大神)ツウ人がいだの。それがら
スサノオノミコト、ツウ人がいだの。これが悪い人でね、何したがどいうど、まんず、田んぼ荒らして米とれなぐ
したの。(中略)それがら機織りをこわして……(中略)あの岩戸ツウのはどう考えればいいがツウと、あれね、
お墓なんだね。(中略)」(笑)
これじゃ、ぼくは子供が可哀想になっちゃった。(笑)唯物史観の、つまり、やり方を教えて、まず基本的な
生産関係の生産手段の破壊とか、そういうところから教えていって、それがいかにいけないことかと。そして
神話的なことを全部リアリスティックに教えている。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

537 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 10:17:38.88 .net
子供の雑誌なんかをみていますと、手塚治虫などがやはり神話を書いている。たとえば神武天皇など他民族を
侵略した蛮族の酋長にしている。日本に古代奴隷制なんてないんですが、奴隷たちが苦しめられて鞭で打たれて、
そこで金の鳥が弓の上にとまったりして、それで人民を威嚇して……と、全部そういう話です。
ぼくは大学生が白土三平のマンガを読むのはまだいいと思う。それは唯物論をかじってからマンガを読むんだから
まだいい。あるいはマンガで唯物論をかじるにしてもです。だけど小学生や子供が読むのは、大学生が読むのとは
違うでしょう。これがなんでもないような女の子向きのマンガの中に、支配階級を倒せとか、資本主義はいかんとか、
それがたくみにしみ込むように織りこんである。大人が神経をつかっても、いつのまにか侵入してきているんですよ。
(中略)とにかく厚顔無恥というのが彼らの特質ですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

538 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 23:04:28.90 .net
(全般的に右寄りの人たちは)清らかなものはそっとしておきたいって気持ちがとても強いんだけれども、
清らかのまわりには濁流がうずまいている。われわれが清らかなものをもとうとすると、清らかなものだけ
もっていたら、どんどん押流されてしまう。エロティックというのは清らかなものの中にもあるんだということが
理解できないんですよ、彼らは……。むしろ左翼はそこらはうまいですよ。はじめから民青なんかのサークルでも
男女交際、(中略)きれいな女の子なんかがいっしょに手をつないでくれる。まあフォークダンスやりましょう、
そのうちに女の子のほうがアクティブだと、「こんどのなんとかの反戦デモに参加しない?」というと、
「きみにいわれたら……」ということになるでしょう。みんなエロティックからはいっていますよ。(中略)
これでは(右翼は)チャームという点がむずかしい。ユーモアも笑いもなくてはね。
いかに思想が正しくても欠点は欠点で自覚しなきゃいかんと思います。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

539 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 23:05:23.04 .net
核兵器というのは男で、世論というのは女という考えを非常に強くもっているんですよ。
(中略)それをさらに敷衍しますと、こういう世の中にしたのは、どうも核が原因じゃないかと思えるんです。
というのは国家権力でも何でも、権力というのは力ですから、「“力”イコール兵器」で、兵隊の数と強い兵器を
もっている方が強い。当然でしょう。それが世界歴史を支配してきた。いままでは兵器は使えるからこそ
強かったんです。ところが使えない兵器をついつくっちゃったんですね。広島で使ってあんな惨禍を起こして
使えなくしてしまった。使えない兵器というのは、あるいは力というのは恫喝にしか用をなさない。恫喝ないしは
心理的恐怖、ひとつのシンボリックな意味だけが強まってきた。そうなると、片一方の方は使えぬ兵器に対する
ものとして人民戦争理論みたいに、ずっと下の方からしみこんでくるやつが出てくるのは当然ですね。それをみて
被害者意識というのがだんだん勝つ力になってくる。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

540 :重要無名文化財:2011/08/01(月) 23:06:41.93 .net
広島市民には非常に気の毒だけれども、つまり「やられた」ということが、何より強い立場とする人間ができてくる。
そうすると、やられないやつまでも、やられたような顔をする方がトクだというようになるわけです。つまり女が
男にだまされたといって訴えるようなものです。とにかくトクなのは、なぐることじゃなくて、なぐられることだと。
そして痛くなくとも、「あっ、イタタタ!」というほうがいつも強い立場をつくれる。それで全学連がヘルメットの
下に赤チンを綿にしみこませていて、なぐられると赤チンがダラダラと垂れるようになっているという話も
ききますが、それも被害者ぶる者の強さの一例ですね。
被害者という立場に立てば、強いということがわかっちゃっている。なぜなら向こうは力が使えないに決まって
いるんだから。それが世論であり、女の勝利だと思うんですね。女はあくまで「弱い女をどうしてこんなに
いじめるんだ」と、断然反対してくる。すると男はそれ以上、腕力をふるえないから負けちまうわけですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

541 :重要無名文化財:2011/08/03(水) 09:51:55.07 .net
(中略)力対力という関係が、戦後の世界ではだんだん薄れてきつつあると思うんですよ。(中略)
われわれの主張は正しいのに、こんなに弱い、武器をもたない学生がやられているじゃないかと、頭から血が
流れているじゃないかと。全学連を非難する人たちも、やっぱりおしゃもじをもって、主婦連じゃないけれども、
弱いわれわれの生活を守るのにはどうすればいいのか、すべて「弱いわれわれ」が前提になっている。これは
世論のいちばん大きな要素で、われわれが世論に迎合するためには、自分が強者、あるいは加害者であったら
たいへんなことになっちゃう。
自衛隊があんなに悪口をいわれるのはもう、自衛隊が力だということがはっきりしているからですね。そして
警察の悪口がいわれるのは、警察が力だということがはっきりしているからですね。力をもっているやつは
かなわない世の中になっちゃっている。これは戦略をよほど考えないと、いまわれわれは左翼の言論を力だと
思って評価したらまちがいで、あれは弱さの力なんですね。それをいちばん象徴しているのは、ぼくは核と
世論というものの関係だと思います。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

542 :重要無名文化財:2011/08/03(水) 09:52:32.19 .net
「ウエストサイド・ストーリィ」というミュージカルがありますが、実に皮肉な歌が出てきます。暴力団の
不良少年どもが、お巡りがやってくると、みんなで被害者意識を訴える歌を歌うんです。われわれは社会的な
病気だ、ソーシャル・ディジーズだ、すべて社会の被害者で、社会の矛盾がわれわれに集中されて、こういう
人間になっちまった、われわれに罪もなければ責任もない、教師が悪い、社会が悪い、政治が悪い、経済が悪いと
いうんです。お巡りは閉口してしっぽを巻いて逃げ出すんです。
ああいう逆手のとり方というのは、日本では一般的になっちゃった。いつも個人が責任をとらないからです。
それは現体制にも責任があるんで、誰も個人が責任をとらなければ、罪を人になすりつけるほかない。そうすると
金嬉老のような殺人犯の罪さえ、誰かに、あいまいモコたるものになすりつけることはできるんですね。これは
人間が、本当に自分個人の責任をとらなくなった時代のあらわれですね。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

543 :重要無名文化財:2011/08/03(水) 09:53:11.46 .net
たとえばわれわれの中に、自立感情というのがあり、(中略)何とか一人立ちしたい、人に頼らずに生きたいという
気持ちがあることは右も左も問わないと思うんです。その気持ちを左に利用されるというのは非常につらいですね。
たとえば米軍基地反対とか、沖縄を返せとか、どこかに訴える力がありますよね。それは右にも共通するからですね。
ぼくはこのあいだアメリカ人にいったんです。ここらが君たちの性根のきめどころだと。安保条約をやめて
双務協定にするとか、そのためには憲法をかえなければならない、そのときには君らの国に基地をくれと
いったんです。(笑)ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントンの四ヶ所でいいから、基地を
ほしいと……。一坪でもいいんです。そのまわりに基地反対デモが押し寄せても、その一坪の中にはいってきたら、
撃っちまえばいいんですからね。そのくらいのことをアメリカは考えなければだめだと。(中略)双務的で
あれば、国民は納得する。納得させるためには、アメリカの広いところで、一坪くらいの土地がなんだ、と
そういったんです。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

544 :重要無名文化財:2011/08/03(水) 09:53:52.29 .net
向こうで基地反対闘争でも起これば大成功です。(笑)こっちもやっているし、向こうでもやっているから、
おあいこですね。
それで解放されますよ、こっちのアメリカの基地は、そのかわりにこっちで責任をもって守ってやる。
もうひとつは自立という問題に関係するんですが、自衛隊がどうもいざというときには、アメリカの指揮で
動くんじゃないかという心配をみんなもっているわけですよ。これは自衛隊によく聞いてみても、最終的な指揮権が
どこにあるかということになると、実にむずかしいですね。(中略)最終指揮権については、いろんなカバーが
あるわけですね。(中略)
私はどうしても日本人の軍隊をもたなければいかん、どんなに外国から要請があっても、条約がない限り動かんと、
あるいはこっちはこっちの判断でやっていく軍隊がなければならん、そうすると、どうすればいいんだということを
いろいろ考えた。どうしても二つに自衛隊を分けて、全くの国土防衛軍と、それから国連協力軍の二つに分ければいい。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

545 :重要無名文化財:2011/08/04(木) 13:36:34.24 .net
ぼくは陸上自衛隊の九割までは国土防衛軍でいいと思う。そうすれば、その軍隊はどんなことがあっても日本を
まもるため以外は動かないんだから、国民の信頼を得ますよね。
(中略)
ところで自衛隊のことは、ぼくはあんまり細かいところまで知りすぎているんで、物をいいにくくなって
いるんですが、訓練の安全管理の問題を一つとってみても、予算がいろいろ響いている点があると思うんです。
はやい話が自衛隊には、はばかりの紙がないんです。紙の予算がないんです。だからみんな兵隊はPXで鼻紙を
買って、けつをふいているんですよ。
(中略)紙ならいいです。別に命にかかわりはないから。ところがレインジャー訓練のとき、末端の部隊には、
新しいロープが配給にならないんです。そうすると、何度も何度も耐久限度のすぎたやつを使っているところが
あるんですね。ちょっと危ないなと、思ってもやっちゃう。それでロープが切れて、現実に事故が起こっている。
これは予算ということもひとつの問題です。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

546 :重要無名文化財:2011/08/04(木) 13:37:04.77 .net
こういうことをあまりいっちゃいかんかもしれないけれども、防衛大学の学生なんかに聞きますと、われわれの
軍隊はシビリアン・コントロールの軍隊であると。だから政権がかわれば、それに従うのは当然だと。日本に
共産政権ができれば、われわれは共産軍になるのは当然だという考え方をするのが、かなり多いらしいですね。
そういう考え方は間違いだということを世間はこわいから教える自信がないんです。これは軍隊の重大な問題で、
自衛隊というのは、もともとイデオロギッシュな軍隊であるということを、もっと周知徹底させないと……。
それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギー的な軍隊であるけれども、名誉の中心は
やはり天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです。

三島由紀夫
小汀利得との対談「天に代わりて」より

547 :重要無名文化財:2011/08/09(火) 12:02:09.55 .net
今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。そういうときに何が
あるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。


ぼくの考えをいうと、「わだつみの像」というのは、ある悲しい記念碑ではあるけれども、どこに根拠があるかと
いうんだ。テメエはインテリだから偉い、大学生がむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか
出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる。「きけわだつみのこえ」なんていうセンチメンタルな本を誰かが
作為的に集めて、平和主義の逆の証明にして、ああいう像をおっ立てた。全学連は、何だかわからないんだけれども、
この野郎、大学の進歩教授と一つ穴のムジナだろうと、ひっくり返しちゃった。(中略)この次ひっくり返すのは、
広島の「過ちは繰り返しませぬから」の原爆碑、あれを爆破すべきだよ。これをぶっこわさなきゃ、日本は
よくならないぞ。
「きけわだつみのこえ」なんていうのは、一つの政治戦略だ。前からぼくは反発していた。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より

548 :重要無名文化財:2011/08/09(火) 12:02:49.16 .net
三島:いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは
“正しい”という意味なんだから。(笑)


鶴田:ぼくはね、三島さん、民族祖国が基本であるという理(ことわり)ってものがちゃんとあると思うんです。
人間、この理をきちんと守っていけばまちがいない。

三島:そうなんだよ。きちんと自分のコトワリを守っていくことなんだよ。

鶴田:昭和維新ですね、今は。

三島:うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。

鶴田:三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。

三島:ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より

549 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 17:53:54.99 .net
ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。
ハイムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、
ワーッと出てくるんです。だから、ぼくはもし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、
またどんなに悪口を言われようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか、と思うように
なりました。ぼくのこの気持ちは、思想的立場の違う人、ゼネレーションの違う人にはきっと理解できないんだと
思います。
(中略)
もし白(純粋さ、純白)が観念的なら残酷さも観念的だ。白がザッハリッヒ(客観的、即物的)なら残酷さも
ザッハリッヒだ。ぼくにはその両者は、同一次元のものとしか考えられないんです。それを意地悪な人が見れば、
あいつは苦労を知らん、戦争を知らん、貧乏を知らん、だからそんな甘い見方をするんだ、とこんなふうに
なってしまう。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

550 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 17:54:32.51 .net
しかし、ぼくだって、ぼくなりに戦争を見ているんですよ。たとえば勤労動員に行って、仲間が艦載機の機関銃に
やられて、魚の血みたいなのがいっぱい吹きだしているのを見たり、まあ多少は知っているんです。そして
「平家物語」ほどではないけれども、人間はすぐに死ぬんだ、死ねばどうなるかということを認識したんです。
これは相対的な問題なんで、おれは死体を百も見たから、三つしか見ないお前より戦争体験が深刻なんだ、とは
言えないし、おれはお前より貧乏だったから、だから偉いんだぞとも言えないはずです。(中略)
殺された側の人間はどうだとか、テロリズムはいけないとか、そういう思考は戦後ずっとつづいてきているし、
ぼくはもう聞き飽きたんです。ロシア革命だってフランス革命だって、貴族はみんな殺されているんですよ。(中略)
二・二六事件で感心するのは、女や子供をひとりもやっていない点ですね。これは立派だと思います。女や子供を
殺すのはキタナイですよね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

551 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 17:55:25.38 .net
古林:現在の文壇にはセックス小説、姦通小説が氾濫していますよね。セックスがマイ・ホーム主義的な秩序の破壊、
つまり反体制なものとして各作家の意識にとらえられているわけです。三島さんにも「美徳のよろめき」のような
作品がありますが、しかしこれは背徳の美学の追求であって、セックス描写があるわけではない。(中略)
現体制の頽廃をののしり、新しい社会正義の樹立を目ざす三島さんが、この風潮に無関心であるのは不思議ですね。

三島:(中略)だけど、いまの相対主義的な世界におけるエロティシズムというのは、フリー・セックスでしょう。
なんにも抵抗がない。あんな絶対者にかかわりを持たぬセックスなど、ぼくはエロティシズムとは呼びたくないですね。
ぼくの考えでは、エロティシズムと名がつく以上は、人間が体をはって死に至るまで快楽を追求して、絶対者に
裏側から到達するようなものでなくちゃいけない。だから、もし神がなかったら、神を復活させなければならない。
神の復活がなかったら、エロティシズムは成就しないんですからね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

552 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 17:56:01.97 .net
三島:ぼくは吉本隆明の「共同幻想論」を筆者の意図とは逆な意味で非常におもしろく読んだんだけれど、
やっぱり穀物神だからね、天皇というのは。だから個人的な人格というのは二次的な問題で、すべてもとの
天照大神にたちかえってゆくべきなんです。今上天皇はいつでも今上天皇です。つまり、天皇の御子様が次の
天皇になるとかどうかという問題じゃなくて、大嘗会と同時にすべては天照大神と直結しちゃうんです。そういう
非個人的性格というものを天皇から失わせた、小泉信三がそれをやったということが、戦後の天皇制のつくり方に
おいて最大の誤謬だったと思うんです。そんなことをしたから、天皇制がだめになったとぼくは思っているんです。
それはあなたのおっしゃる政治的に利用された絶対君主制=天皇制というものと、ぜんぜん意味が違うんです。
小泉信三はぼくの、つまりインパーソナルな天皇というイメージをめちゃくちゃにしたやつなんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

553 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 21:24:20.57 .net



【韓流推し】お台場騒然「韓流やめろ」コール 7日のフジテレビ批判デモに主催者発表で2500人 子ども連れ、カップルの参加者も★49


大成功を おさめた 次回は 8月 21日






http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1312963709/






554 :重要無名文化財:2011/08/10(水) 22:04:13.40 .net
三島由紀夫が何と言うか、聞きたいものだ

555 :重要無名文化財:2011/08/13(土) 23:54:45.43 .net
三島:ぼくは死の問題について彼ら(全共闘)に期待していませんよ。つまり彼らが革命のために死ぬかどうか
という点を、ぼくはずっと注意して見てきたけれど、彼らは革命のためには死なないね。明治維新のときは、
次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、
それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に属していたって、
人間は命が惜しいですよ。それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世にいるとは、ぼくは
思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。維新にしろ、革命にしろ、
その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり生命尊重主義というか、人命の価値が
至上のものだという戦後教育がしみついていますね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

556 :重要無名文化財:2011/08/13(土) 23:55:34.68 .net
古林:マイ・ホーム主義の限界をウーマン・リブで衝き破ろうとする動きもあるのですが、これは……。

三島:バカの骨頂ですね。
女が女であることを否定したら損だということが理解できないんですね。ただバカな女どもですよ。


古林:(戦後は)やはり余生という意識がありますか。

三島:いまだにあります。(中略)天皇陛下バンザイというその遺書の主旨は、いまでもぼくの内部に生きて
いるんです。だから死ぬとき、もう遺書を書く必要はない。(中略)あれを書いたときのぼくは子供だったが、
もう二十にはなっていたんだから、あの時点で十分に自分のすべてを自覚的に注ぎこめたと思うんです。もちろん、
あの時代特有のふんい気、少年らしい気どりやミエ、それから世間体もあったでしょう。ですけど、遺書を
書いちゃったんですからね、自分の意志で。ぼくは、あれから逃れられない。いつでもそう思っています。
だから余生です。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

557 :重要無名文化財:2011/08/13(土) 23:56:28.14 .net
古林:私の場合は海軍のパイロットで――といっても、特攻隊には直接の関係はありませんでしたが、(中略)
最近、いろんな記録やら写真集が出版されるでしょう。あれの巻末によく特攻隊員の名簿なんかが掲載されて
いますね。あそこに知っている名まえがずいぶん出てくるんですよ。(中略)どうしてこの男が死んで、ここに
私が生き残っているんだろうかと、そんなことを考えると、いたたまれない気持ちになります。私が生きているのは
たんなる偶然なんです。あいつがおれのかわりに生きてたとしたら……と、思うたびに、戦後の二十五年は一挙に
空白となって、戦争下の記憶へたちまちショートしてしまうんですね。

三島:その気持ちはよくわかります。ぼくも、だから、たとえば「最後の特攻隊」なんていう映画は、絶対に
観にゆきません。(中略)ぼくはヤクザもの映画なら出かけるけど、「最後の特攻隊」なんてのは観たくない。

古林:私も観たくありませんね。それにウソのような気がするんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

558 :重要無名文化財:2011/08/13(土) 23:57:34.95 .net
三島:同時に ぼくがウソだと思ったのは「きけわだつみのこえ」でした。あの遺稿集は、もちろんほんとに
書かれた手記を編集したものでしょう。だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が
示しているようなものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。戦争末期の青年は、
東洋と西洋といいますか、日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。そこを
突っきって行ったやつは、単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。それを、
あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。そういう考えは、
ぼくは許せない。〈わだつみの像〉が京都でひっくりかえされたが、ぼくは快哉を叫びましたね。ぼくは一面的な
考え方はどうしても嫌いなんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

559 :重要無名文化財:2011/08/15(月) 16:39:10.66 .net
三島:防衛大出身の三尉たちと話していましたらね、これは個人的見解でしょうが、彼らは平然として言うんですよ。
われわれはまったく職業的軍人であって、技術者であり、ニュートラルなんだと。だから共産政権ができたって、
軍隊は必要なんだし、そのときは喜んで赤軍になりますって。(中略)

古林:(中略)その連中の理念は旧海軍と似ている点もありますね。(中略)海軍に入ったら、もっと猛烈に
精神教育をやられるだろうと覚悟していたんです。ところが入隊してみたら、軍人勅諭を暗誦できるヤツなんか
一人もいない。(中略)

三島:海軍は昔から文明開化ですものね。

古林:(中略)とにかく徹底的に分業化した技術主義でしたよ。

三島:戦後、山本五十六が英雄になったのは、そういう技術主義的英雄だったからですよ。陸軍の持っていた
暗い精神主義は、アメリカ的理念では理解できないんだよね。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

560 :重要無名文化財:2011/08/15(月) 16:40:09.41 .net
三島:どろ臭い、暗い精神主義――ぼくは、それが好きでしようがない。うんとファナティックな、蒙昧主義的な、
そういうものがとても好きなんです。ぼくのディオニソスは、神風連につながり、西南の役につながり、萩の乱
その他、あのへんの暗い蒙昧ともいうべき破滅衝動につながっているんです。
(中略)
少年時代の劣等意識がいまになって過剰期待にふくれあがったって、それは当然なんですよ。それを抑制するのが
インテリだと世間では思っているらしいけれども、ぼくは、それが気にいらないんです。人間はバカですから、
こっちが低くなるとこっちへ足す、あっちが高くなるとこっちを低くする――それがふつうの人間のやることですよ。
たとえば、この机がガタガタすると脚を一本切る。ウワーッ、こっちが低くなったと、そっちの脚を切る。また、
そっちが低くなったと、あっちを切る。こうして机はだんだんに脚がなくなっちゃっう。これが人生じゃないですか。
ぼくはいま、ちょうどその机の脚がなくなっちゃっう段階にきているんです。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

561 :重要無名文化財:2011/08/15(月) 16:41:13.77 .net
古林:今後の日本文学についてどう考えておられるか、締めくくりの意味で感想を聞かせてください。

三島:ぼくは自分をもうペトロニウス(ローマ皇帝ネロの側近で、「サチュリコン」の作者)みたいなものだと
思っているんです。そして、大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのジェネレーションでおしまい
だろうと思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね。
未来にあるのは、まあ国際主義か、一種の抽象主義ですかね。安部公房なんか、そっちへ行ってるわけですが、
ぼくは行けないんです。それで世界中が、すくなくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、言語こそ違え、
まったく同じ精神、同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、それは
よいですよ。こっちは、もう最後の人間なんだから、どうしようもない。
(中略)ぼくの言いたいことは、「わが友ヒットラー」と「癩王のテラス」でぜんぶ言いつくしましたよ。

三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

562 :重要無名文化財:2011/08/24(水) 23:29:10.55 .net
肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるだろうか、これは私がいつも考えて
きたことであります。なぜなら、われわれは自分の肉体の外へ一ミリも出られない。こんな不合理なことが
あるだろうか。


おれの作品は何万年という時間の持続との間にある一つの持続なんだ。ぼくは空間を意図しないけれども、
時間を意図している。


たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒に
とじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。
堂々と言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている
直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。


空間を形成する日本人というのは諸君のような新しい日本人だ。ところが時間の中に生きている日本人というのは
まだ日本にはいっぱいいるのだよ。(中略)その人間の中にあるものだね、私は日本人のメンタリティの一つの
大きな要素と考えるのだ。

三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘――美と共同体と東大闘争」より

563 :重要無名文化財:2011/08/24(水) 23:29:45.42 .net
文化というものは一つの長い時間の集積でもってここにまた自分の中に続いている。外在すると同時に内在する
その中から自分がセレクトするというのが自分の現在一瞬一瞬の行為である。


時代は抹消されても、その時代の中にある原質みたいなものは抹消されないのだよ。


私にとっては、関係性というものと、自己超越性――超時間性といいましたかな、そういうものと初めから私の中で
癒着している。これを切り離すことはできない。初めから癒着しているところで芸術作品ができているから、
別の癒着の形として行動も出てくる。


天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでたつても
殺す殺すといってるだけのことさ。そろだけさ。


言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか
知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。

三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘――美と共同体と東大闘争」より

564 :重要無名文化財:2011/08/28(日) 12:52:57.64 .net
定期保守

565 :重要無名文化財:2011/09/01(木) 11:22:07.32 .net
子供の遊びは無目的、それでいて真剣そのものでしょう。夕方、御飯になって遊びと別れるときの、あの辛さ、
ああいう辛さがなかったら、文学はビジネスにすぎなくなる。御飯は生活です。誰でも御飯はたべなくちゃならない。
しかし「御飯ですよ」と呼ばれるまで、御飯の時間を忘れていられるような真剣な遊びを毎日みつけなくてはね。


市民というものは何を売っても、肉をひさぐことはしない。しかし芸術家というものはそれをどうしても
やらなければならないんですね。そこに市民と芸術家のちがいがある。


色気があり過ぎてもだめ、なさ過ぎてもだめだと思いますが……。あまりあり過ぎると、女蕩(たら)しになる。
生活者になってしまうと思う。生活者になれない程度の色気のなさ、そうかといって考古学者にもなれない色気の
あり方、そういう微妙なところで小説は書けて行くのではないか。

三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より

566 :重要無名文化財:2011/09/01(木) 11:22:50.60 .net
美は恐ろしいですよ。女も恐ろしいけど……。ただ市民は美を恐ろしいと思わない人種だと思うんだが、やはり
市民は電気冷蔵庫のデザインが美しいとか、1951年型の自動車のデザインが美しいとか、そういう
怖ろしくない美しか理解しない。自分の生活を脅かすようなものを決して美しいと思うな、というのが市民の
修身です。やはり美に脅かされるということが芸術家で、市民になれない最後の一線でしょう。


幸福というものは掴んだ瞬間になくなるからといって諦めるのは、卑怯だと思う。


大体、人体というこんな複雑な機械が故障なく動いてるということは幸福ですよ。そのためには一億くらいの
条件がそろわなければ、こんなことを喋っていられるコンディションにならないんだ。これはある意味で幸福だな。
第一、人間は幸福でなければ生きていませんよ。

三島由紀夫
久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より

567 :重要無名文化財:2011/09/03(土) 19:37:04.49 .net
これしかないという表現を体でもって選ぼうとすればことばだね。最終的に、ことばか身を投げることしかない。
それはもっとつきつめれば焼身自殺だよ。このあいだ、アメリカの国会議事堂で自殺した少年と同じだ。これは
ことばにかけると同じ重さを、からだにかけた行為だと思う。これが表現なんで、それ以外の表現は嘘なんだ。
嘘なんだけども効果はある。
アメリカ大使館の窓から旗を三つぐらい垂らせば世界中に報道され、これはたいへん象徴行為になって効果が
あるんだけれども、根底的に意味はない。意味がないんだけれども、意味があるかのごとくなっている。そして、
全学連は最終的に意味があるかのごときところで満足しているということが表現者として気に入らないんだ。
これは正義運動としての自己冒涜だよ。正義運動を正義運動たらしめる根底的なものは、最終的に自己破壊しかない。
それができないということは、もう一つの表現のところに頼っているんだ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より

568 :重要無名文化財:2011/09/03(土) 19:37:33.45 .net
テロリズムといわれようとなんといわれようとかまわない、ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼ら
(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。もっとも、それを彼らに要求するのは無理かも
しれない。というのは、教育が彼らにことばというものの最終的な意味と重さを教えなかったから。そして
それは日本の文士、へっぽこ小説家どもの責任でもある。だから、彼らはことばの軽さに慣れて、テレビ的行為を
すばらしい政治行為だと思っちゃうんだよ。


(全学連は)ファクトを信じない時代の子で、自分らのやることはファクトだと思っていない。
一定の仕組まれた政治的プログラムのなかの一つのパブリシティだと思っている。パブリシティとファクトとを
厳密に分けなければわれわれの言語信仰は崩れるわけで、そこが気に入らない。全学連は、どこにファクトがあって、
どこがパブリシティなのかぜんぜんわからないでしょう、これはある意味ではいちばん気味が悪いよ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より

569 :重要無名文化財:2011/09/03(土) 19:38:16.61 .net
去年、福田赳夫さんに「自民党は安保と刺しちがえてくださいよ」といったんだけど、これは自民党の歴史的
役割りだと思うんだ。戦後の国際協調主義みたいなものの最終的なもので、これを自民党がやってくれなければ
その後の日本は開けない。


中国人はものを変えることが好きでね、人間を壷の中に入れて首だけ出して育ててみたり、女の足を纏足
(てんそく)にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。これは伝統的なものだと思うんだ。
中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然にたいして人工というのを重んじるところね。中国人の
人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の
獲得ですから。だから意識の変革というのをやりたくてしようがないんだよ。中国文学の専門家には悪いけど、
これは中国人の伝統的な趣味だと思うんだ。


変革といった瞬間にすぐ偽善に陥る、モラルといった瞬間にすぐ偽善が押し寄せてくる、それはほんとに怖いねえ。
全共闘諸君は若いかもしれないけど、若いなりにそういったものが垢として身についているかもしれない、怖いねえ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より

570 :重要無名文化財:2011/09/08(木) 11:08:46.11 .net
僕は今でも吉田茂は偉い人だと思うけど、明治以降の日本の歴史で、あんなに日本人の欺瞞をうまく成功させたのは、
あの人だけでしょう。それはどこから学んだかというと、イギリスですね。日本の政治家は少なくとも正義、
真実あるいは誠実という顔をしていなければならなかったのに、吉田茂の時代には国民全体が欺瞞の精神に
味方をした。あんなにアメリカ人をもてあそんだ人はいないよ。それにまたみごとに乗せることができたのは、
イギリス的な教養が彼にあったからだけど、イギリス的な教養は日本の昭和の歴史のなかでは、いつも無力だった。
いつも国家主義者の怨嗟の的であり、日和見主義、無力の良識、不決断の象徴であった。 ところが吉田茂は、
そのイギリス的な教養を逆に使って、欺瞞にうまく役立てた。これは近代史のなかで、面白い時代だと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より

571 :重要無名文化財:2011/09/08(木) 11:09:19.14 .net
あんなに日本人のなかで、欺瞞がうまくいった時代はなかったと思う。それからあとはだめです。政治家が
どんな欺瞞をやっても、国民がついてゆかない。国民の考えていることと、欺瞞とがみごとに一致した時代は
もうこないでしょう。今はただ欺瞞と腐敗があるだけで、国民はだれもが味方をしていない。あなたも、そして
僕も怒っているのは、それですよ。欺瞞のまま、これからどこへゆくかということは心配でしょう。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より

572 :重要無名文化財:2011/09/08(木) 11:10:44.84 .net
僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を仕掛けたんだね。
しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、汚れているといって使わない。熊本の鎮台に
対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだ。
なぜ日本刀だけで、負けると解ってる戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだった
からだと思う。インテリゲンチャというものは、そういうものなんだね。つまり計算して、こうだからやると
いうのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの考えはいつも違うんだ。あなたが
どっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より

573 :重要無名文化財:2011/09/08(木) 11:11:58.94 .net
生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵でみるだろうね。神風連の
事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの思想の源流なんです。(中略)
あなたがもし、もう一つ芸術家の立場を完全にもたなければならないということになったら、生活者の知恵だけでは
足りない何かが出てくる。そのときはバカなことでも、絶対に敗北するとわかってる戦いでもやらなければ
ならなくなってくる。


言葉だけの思想的な主張ないしは思想的な説得力には、僕は昔から疑問をもっている。腕力があり、剣があって、
初めて自分の思想が貫かれるのだろう。最後に人間の顔と顔とが、ぴたっとむかいあったときは、言葉は役に
立たないと思う。やっぱりそのときには剣がものをいうだろうね。文筆業者はそこへゆくまでのことを一所懸命、
言葉で考えてる人間なんだけど、それで言葉が最終的に役に立つと思ったら間違いだと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より

574 :重要無名文化財:2011/09/10(土) 23:46:53.29 .net
あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、天皇制の本質を逸すると僕は言っているわけです。
場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら天皇は認めなければならないでしょうね。天皇制の
本質なのかもしれませんよ。それをよく知らないで、右翼だとかファッショだといってバカにしきって戦後共産党が
やっていたのは共産党がバカだといいたいね。米のなかった時代に朕はたらふく食った、汝国民は飢えていろなどと
いう代りに、何で赤旗をもって宮城前で天皇陛下万歳をやらなかったかといいたい。あそこで陛下の帽子を
ふっているあとを追いかけていって革命を成功させなかったか、それをやらなかったからこそいまこういう目に
あっている。


彼らは天皇制護持を平気で言えるという時点まで踏み切れない。だから日本の共産党はダメなんだ。天皇制護持まで
できれば成功していたし、第一党になっていただろうと思うが。彼らに言わせれば、まあ惜しいことをした。
しかしもう遅い。

三島由紀夫
大島渚との対談「ファシストか革命家か」より

575 :重要無名文化財:2011/09/10(土) 23:47:46.66 .net
安保賛成、新憲法賛成というのは福祉の原理だよ。つまり家にテレビ置いて、マイカー置いて、ピクニックやって
安心したいという。安保反対、新憲法反対というのは民族自立の原理だ、ロジックとしては。どうしてそういう風に
ならないであんな風(安保反対、新憲法守れ)になっているのかということにを言っているのだけど、(中略)
守れ、守れだけじゃダメなんだ。一番汚らしいと思うね。大江健三郎は守れの犠牲になっていますよ。戦後を守れ、
民主主義を守れを文学でやるのは方法がまちがっている。なぜなら守るというのは剣の使命であって、言葉の
使命ではないからだ。言葉はただ刺すだけだ。守ろうと思ったら、剣を執らなきゃだめだ。(中略)
大江君も今度の「万延元年のフットボール」でも、右翼の劇団に属して渡米し、帰って来てマーケットを襲う弟に
憧れと愛情をつよく持っていますよ。大変なアフェクションだ。これは矛盾していますね。

三島由紀夫
大島渚との対談「ファシストか革命家か」より

576 :重要無名文化財:2011/09/11(日) 20:12:03.39 .net
三島:戦後教育は、死ぬということを教えてないね。客観状勢がどうとかということは、ぼくは必ずしも信じない。
(中略)客観状勢が熟すのを待つというのは、ゲバラがいちばん嫌ったろう。革命の客観的条件というのはないんだ、
それを熟させるのが革命家だ、という考えだろう。それを熟させるのは精神だよ。それがあれば、なにかが
かもしだされてくる。


三島:ぼくは、戦後の人間というのは、新左翼でもなんでも、西洋人になっちゃたんじゃないかと思うな。
西洋人はそんな行動(犬死)はとらないよ。必ずリミットがあるんだ。
けっきょく、人間の生命ほど尊いものはない、という考えだよね。その考えが、どっかで掣肘するんだ。

野坂:だから自分の生命ほど尊いものはないんであって、実際問題としては、人間なんて他人が何百人死のうと、
どういうことはないわけでしょ。彼らは、そういうことがはっきりわかっている人なんですね。

三島:ウン、そうなんだよ。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「剣か花か」より

577 :重要無名文化財:2011/09/11(日) 20:13:10.21 .net
未来を信じないということはだね、つまり自分が終りだということだろう。自分が終りだということは、あとに
続くものを信ずるということなんだ。あとに続くものを信ずるということと、未来を信ずるということは、完全に
反対の思想なんだ。
未来を信ずるという思想は、自分をプロセスと規定するものだよ。高見順がああいう気の毒な一生を送ったのは、
そういうことなんだよ。
ただしね、自分が終りだということは、谷崎潤一郎もそうだったろうな。川端さんもそうなのかもしれない。
人のことをいっちゃ卑怯なら、おれもそうだ。(笑)あとに続くものを信ずるということは、絶対に未来に対して
自分をプロセスと規定しないことだよ。


滑稽だということは、客観的に滑稽ということなんだ。(中略)客観的に滑稽であってもいいと思うんだ。
しかし主観的に滑稽だと思ったら、人間負けだよ、そういうことだけは絶対やっちゃいかんと思う。

三島由紀夫
いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」より

578 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 11:18:57.66 .net
三島:ときどきつまらない映画で発見することがありますね。この間、なんだったかちょっと忘れたが、男が
入ってきて、女がとても驚いて水差しを落すところがある。水差しが床に落ちて割れる。それを見てなるほどなあと
思って、しばらくあと考えたのだけれども、ちょっと落すのがおそいのだよ。それで、あっ嘘だと思うのですよ。
現実には人間の心理は、驚いてから水差しを落すまでに間がある。だけど映画はその瞬間見ていると明かに嘘に
なるのです。そうすると、芝居なんかのアクチュアリティというのは、やはり現実のままじゃいけないと思う。
なんかこれならアクチュアリティがあるというタイミングがあると思う。そのタイミングを演出家はしょっちゅう
考えなければならない。そのタイミングは現実とはちょっと違って、お客の心理の中にある。お客の持っている
生活体験から生れた最大公約数の真理がある。芝居はそういうものを狙わなければならない。つまりそれが芝居の
リアリティと、考えちゃったのです。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

579 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 11:19:58.56 .net
荻:(中略)現実通りにやると間がのびちゃう。あれは不思議なものだね。時間で計るわけにいかないことだからね。
三島:ただ見ているお客の目から見ると、女がびっくりして水差しを落す所を現実の生活でしょっちゅう
見ているわけじゃない。しかしわれわれの生活にはそういうときには、このタイミングで水差しを落さなければ
おかしいと考える法則ができている。そういう法則がなければ安心して生きていられない。その法則をみんな
持っている。ぼくもミーハーも同じだ。それが外れると嘘なんだと思う。
荻:ヒッチコックがリアクション・ショットをやるでしょう。ふっと驚くところを出して、次に、驚いた原因を
見せる。ただその原因を知っているだけじゃ、このおもしろさをだれでも出せるわけじゃないな。そのときの
タイミングというか、映画独特の時間を勘で持っているかどうか。格闘シーンなんか全然現実時間じゃないな。
三島:現実の格闘はもっと間の抜けたものだろう。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

580 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 11:20:31.98 .net
荻:結局そういうところは歌舞伎……新国劇の殺陣なんかも、舞台の時間というものを創作した人は偉かったですね。
三島:歌舞伎の場合はもっとスロー・モーションで引き伸ばしてあって、別のおもしろみを出している。
現実生活ではお客は見ていないで、なんか考えるところはおもしろいと思う。観客心理としておもしろいと思う。
だから小説と体験の問題でも、小説家の体験、読者の体験ということがどっかでマッチするところがある。
たとえば人殺しをやった体験は、読者にもない、作者にもない、しかもどっかで折り合いのつくものがなんか
あるのです、法則がね。
荻:三島さんが書いていらっしゃいましたね。舞台では一目惚れとか偶然ということは、簡単に観客のほうに
許されるところがあると。映画では、同じくドラマでも問題になる。たとえば日本のすれ違い映画が観客を
笑わせるのは、やはりおかしいからなんだ。ところが芝居だと、「ロミオとジュリエット」の一目惚れは実に
簡単に受け入れられるのだな。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

581 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 11:21:29.49 .net
三島:その点では映画は小説に近い。映画はドラマより小説に近いと思う。やはり時間の経過は映画の場合は
厳密じゃない。たとえば、急に十年飛ぶ。芝居は非常に構成が必然的だから偶然が許容される、ということが
考えられる。たとえば荻さんの話をして、荻さんどうしたろうと言っているところへ荻さんが入ってきても、
芝居だとおかしくない。映画じゃおかしいよ。ぼくは古典劇の技巧が好きなんだ。たとえば「あそこにネロが
やって来た、こうしちゃいられない、向うへ行きましょう」、ああいう技巧は好きなんだ。(中略)
しかし、映画はどうして演劇的であるということをいやがるのだろう。大概芝居くさいのは受けが悪い。
荻:それは見るほうも作るほうも、内心で解放感を求めているからでしょう。
三島:そうですね。
お客が一つの枠の中で享受する芸術の楽しみ方はもう失われちゃったからね。したがって、映画は枠が小さい
という観念――最近は大きくなったけれども――枠が小さいから、それで解放感を求めるということがあると思う。
人物全体を見られないからね。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

582 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 11:21:59.60 .net
三島:ぼくは映画が生れたのは小説の罪だと思う。(中略)小説の謳歌した罪を映画はもっと拡大して謳歌している。
五十歩百歩だ。小説家が映画の悪口を言うのは、眼クソ鼻クソを笑うと同じものだ。
小説の欠点をみんな持っているもの。たとえば一人の人生が一時間で語れるという、そういう確信を持っている。
戯曲はそんな確信を持っていなかった。ある人間の三時間とか一日とかしか語れない。小説、映画はそういうことが
できることになった。
小説の双子だな、芝居の双子というよりは……。
荻:まま子だな。だから、小説の崩れもずいぶん流れ込んだんじゃないか。
三島:オペラを喜んでいたお客は、現実生活とは違うものというので、それを喜んでいた。だけど小説が始まって
砕いちゃった。書いてあることは本当のことだという迷信を抱かしちゃった。だから映画が出てくるのは当たり前だ。
荻:映画は実写的だからなおその確信が映画の支えになったのだし、それはまだ続いている。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

583 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 20:46:11.96 .net
三島:しかし小説と映画はあまりにも近すぎて、かえって関係がない。近いものではないけれど、ぼくは芝居の
興味で見る。やはり映画は野外劇の発展したものじゃないですか。ページェントですね。だからイタリアの廃墟を
うまく使って「ロミオとジュリエット」を作ったり、そういうものはたしかに生きてくるのだ。つまり野外劇では、
舞台装置の全部が人工のものでなしに、現実におかれた外部のものがすっと入ってくる。廃墟とか水とか芝生とか、
そういう芝居と関係のないものが入ってくる。それで芝居が展開していくおもしろさ、そういうものは昔から
発見されていた。それが映画に発展して行ったと思うのです。
荻:映画論でそのことを指摘しているのは、日本では寺田寅彦さんですね。ドキュメンタリーのおもしろさは
全くそれなんですね。
三島:ものが入ってきたのだ、芸術の世界に。
劇では生のものは絶対出さないわけですよ。(中略)人間だけ生であとは生でないというのが芝居のミソだ。
映画では人間プラスいろいろなものが入ってくる。
荻:それが機械でとらえられるから、なお複数になっちゃうのですよ。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

584 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 20:46:45.92 .net
荻:三島さんは映画芸術を信じられる?
三島:ものによっては信じるな。
荻:条件づきですか。
三島:小説だって芸術だかどうだか怪しいものだ。いまや芸術というものはあまりはやらないからな。
荻:そうなんだ。
三島:小説も芸術じゃない、あいまいなものだと思います。非常に限定がない。限定がないものは芸術じゃない。
芝居とか詩とか、そういうのは限定があるから芸術だね。限定がないと、ぐずぐずになっちゃう。
荻:じゃ映画が条件づきで芸術というのはどういうところ?
三島:そうですね、出来と仕上げです。それから統一性ということだな。最初のすべり出しからラストまで
統一的理念が支配しているということ、そういう映画は芸術だと思うのだ。腰砕けになったものは芸術じゃないと思う。
それは三流西部劇だって統一的だよ、だけど……。
荻:そのほかに何かある?
三島:ほかにも何かあるでしょう。あいまいなものだ。小説だってこれは芸術か芸術でないかというのは見当つかない。
谷崎さんの「鍵」だってわからない。映画は小説と同じに芸術の概念があいまいなときに生れたのじゃないか。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

585 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 20:47:15.65 .net
荻:ぼくは実をいうと芸術でなくともよいと思うのだが。
三島:そう思う。どうでもいい。
荻:つまらないものでも部分的に芸術的なところがある。
三島:それはあります。(中略)ぼくもなんか映画というものを根本的に信用していないことはたしかなんだ。
荻:どういう点ですか。
三島:多勢で作るから信用できない。
荻:それはいつも問題になる。批評家が戸惑うのもそこなんだ。(中略)ほかの芸術みたいに一個人を探し
求めようとすると、それは不可能です。(中略)
三島:芝居も多勢で作るものだが、台本は神聖だし……。
たとえば録音技師が音を入れる場合に、重役が口を出して、ここは人間が歩いているから足音がないとおかしい、
はい、入れますと、それを入れる。人間が歩くと足音がする。汽車が走るとシュシュポッポ。そこで崩れちゃう。
足音を入れちゃいかんという監督が何人いるかね。
荻:単に個人の権力として言える言えないでなく、入れちゃいかんという自信がなくなっちゃうわけです。皆で作る、
ということが根本なんだから。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

586 :重要無名文化財:2011/09/12(月) 20:47:42.76 .net
三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

587 :重要無名文化財:2011/09/14(水) 10:09:43.77 .net
三島:ぼくはほうぼうで引用するが、アーサー・シモンズの言葉、「芸術でいちばんやさしいことは、涙を
流させることと、わいせつ感を起させることだ」というのがあるが、これは千古の名言だと思う。
荻:逆に言えば、映画は末梢を刺激するようにできている。
三島:セックスの点がそうね。あんなセンジュアルなものはない。映画の根本的なものかもしれない。オッパイが
出てくれば、三メートルぐらいに拡がっちゃう。そういうことと涙と関係があるからね。
荻:映画ってものは観客をどうしても同化作用に引き込ませる。映画ですぐ作品のテーマということが問題に
なるのもそこね。たとえば頽廃的なもの、悪影響を及ぼすもの……。
三島:映画でいちばん信用できないのはそれなんです。人間的な限界をのり越すということなんだよ。彫刻は、
大きな彫刻はあるにしても、人間の限界にとどまっているからね。無害なんだ、芸術として。小説も人間の限界に
とどまっている。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

588 :重要無名文化財:2011/09/14(水) 10:10:10.06 .net
三島:映画は人間の限界を飛び越すからね。オッパイは三メートル、十メートルになっちゃう。それは人間の
仕事でなく、拡大する機械の仕事なんだ。そういうものによって訴えるということは、人間的な限界を踏み越した
ものだと思うね。
荻:それはおもしろいな。みんなこの問題はマス・コミュニケーションの問題としてしか考えていない。
たくさんの人々に見られるから危険だというふうにしか考えない。
三島:ぼくは非人間的なものが危険だという考えだ。
荻:その点をまた映画は大変な武器にして来たわけでね。
三島:オッパイが十メートルになるということは、現実の世界にはない。シネマスコープは十メートルになる。
そんな昂奮はないかもしれない。そういう点でラクロの「危険か関係」のように、「観念がいちばんわいせつだ」
という信念で作られたエロ小説から考えると、十メートルのオッパイは観念なんだ。観念が拡大されて人間以上の
ものになっている。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

589 :重要無名文化財:2011/09/14(水) 10:10:40.74 .net
三島:ラクロがどんなに努力しても、人間の想像力のエロチシズムから出ない。映画は想像力を越して、ただちに
官能に命令する。そこが危険なんだ。そういうものを狙ったものが。ぼくも木石でないから感ずる。それは
芸術でないと感ずる。そういう武器はすごいよ、映画は。観念が拡大されて人間を追い越すという点では
恐るべき武器だ。どこまでも行っちゃう。古代ローマのコロシアムのショーね、あれなんか登場人物がほんとうに
死ななければ満足できなかったのだ。今やプロ・レスリングがそうだし、ボクシングがそうだ。
荻:抽象的なルールのないスポーツみたいなものなのね。
三島:ギリシャ劇がいつかローマの円形劇場のショーへ堕落して行ったのと小説が映画になったということは、
符節を合している。そこまで言うと身も蓋もなくなる。映画にもいい所があるけれども……。
(中略)
荻:一部の映画作家がむしろアンバランスなものを作ろうというところに、いわゆる映画芸術の悲劇があるのかも
しれない。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

590 :重要無名文化財:2011/09/21(水) 12:04:10.71 .net
大体どんな芸術でも発展期は非常に発達して一応完成してしまうと発達しませんよ。映画は立体映画とか聴覚、
色彩がある。さらに匂い、それこそわきがの匂いが映画でかげるようになったって、一方に映画の本質的な
運命があるので、その運命的性格は抜け切れない。小説も小説の運命的な性格は抜け切れない。

三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より

591 :重要無名文化財:2011/09/21(水) 12:04:48.10 .net
渋谷:イタリア映画はどうですか。
三島:嫌いなんですよ。なぜかというと見え透いていてね。あんなに見え透いたもの芸術じゃないと思うね。
そうしてね、ひとつひとつ言えば、あの「自転車泥棒」なんか、父子の義理人情からすぐさま共産主義へ持ってゆく、
理論的な飛躍の癪に障ること。それから「無法者の掟」の結末の浪花節的なこと。実につまらぬものだと思う。
「パイサ」を見たときは非常に面白かった。
(中略)
フランスの映画は、露骨な理論的飛躍がない。そこで止めておくから、見る人が理論的に追求して自分のほうへ
持ってゆくでしょう。「自転車泥棒」には理論的な押しつけがましさがセンチメンタルの後ろにあるので、
一面から質的相違に見えるけれど、センチメントはセンチメント。シモンズが文学論で言ってるけれど、芸術が
われわれに訴える涙ぐましさは猥褻さの効果とあまり変らない。そういう意味での涙脆さにすぎぬ。社会問題なんかは、
もっと理論的にイデオロギッシュに考えるべきだ。

三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より

592 :重要無名文化財:2011/09/21(水) 12:17:22.69 .net
松田:話は変りますけど「きけわだつみの声」。あんなぎりぎりのものはどう思います。
三島:戦争があんなに悲惨なら平和だって悲惨ですよ。

三島由紀夫
林芙美子・河盛好蔵・松田ふみとの座談会「『女相続人』を見て」より

593 :重要無名文化財:2011/09/26(月) 10:45:53.00 .net
小森:若いシネ・クラブの会員のかたなどに対しては、どうお考えになりますか。
三島:なにか間違ってるんじゃないですか。映画を研究している若い人の話なんか聞くと、なんでこんなに
シチ面倒くさいことを、と思いますね。まず楽しむことですよ。映画で哲学を考えるんなら、哲学の本でも
読めばいいのに、本を読みもしないで映画で考えるなんていうのはナマケモノじゃないですか。
映画は芸術的雰囲気に酔ってくれたらいいんです。文学でも同じことで、あまりいろいろなものを求めすぎて……
文学も芸術ですから、やはり酔ってくれなければ困るんですね。それで酔わないものだから、みんなLSDなんか
のんで酔わなくちゃならない。(笑)

三島由紀夫
小森和子との対談「十二才のとき映画に開眼したんです」より

594 :重要無名文化財:2011/09/26(月) 11:10:03.32 .net
淀川:おいくつです?
三島:トニー・カーティス、ファーリー・グレンジャーと同い年……と言ったら、みんな笑う。一九二五年生れです。
どうして可笑しいのか……。
淀川:なんとなく可笑しい。なんとなく面白い。最近はまた大変ですね。歌舞伎の新作一本、新劇一つ、(中略)
それから読売の連載……。
三島:(中略)それに明日に控えた文春の“文士劇”があるんですよ。
淀川:それは大変、何をおやりになるの。
三島:「屋上の狂人」の弟役、僕の役……十八歳なんですよ、ハハッ十八歳なんですよ!
淀川:貴方なら充分、とってもお若い……その文士劇は他にどんなのがあります。
三島:「め組の喧嘩」と「車引」……こういうのに引っ張り出されると、本当に役者が自分の舞台で観客に
印象づけようと厚かましくもなる……そんな気持ち、(中略)当人になると無理もないと、つくづく解ってくる。
淀川:「車引」の桜丸なんか演って貰いたかった!
三島:いや、僕は時平公が演りたかった!
淀川:これは、まあ派手に厚かましい!

三島由紀夫
淀川長治のインタビュー「三島由紀夫氏訪問」より

595 :花王・サントリー・ロッテ不買運動:2011/09/27(火) 22:15:03.30 .net
209 :本当にあった怖い名無し:2011/09/10(土) 16:17:29.19 ID:MRv/iClV0
悪い奴らは夜に集う。ホステスさんが九ノ一ばりの情報提供!

ニコ動画まとめ(1)http://www.nicovideo.jp/watch/sm15566124
ニコ動画まとめ(2)http://www.nicovideo.jp/watch/sm15566584


「冤罪であってもパソコン没収・罰金30万・言論と表現の自由なし」
史上最悪の悪法「人権侵害救済法案」1:50あたりから
http://www.youtube.com/watch?v=Fhq_P11wxIY&feature=related

日本人のお金で生活保護貰う在日
(創価学会・日教組・電通・パチンコ等)
を追い出さないとヤバイです

596 :重要無名文化財:2011/09/30(金) 10:02:48.56 .net
小説を書くというのは、ことばの世界で自分の信ずる「あすのない世界」を書くことですね。そして、あすの
ない世界というのは、この現実にはありえない。戦争中はありえたかもしれないけれども、今はありえない。
今、われわれは、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうという約束をするでしょう。戦争中は、来週の
水曜日に帝国ホテルで会いましょうといったって、会えるか会えないか、空襲でもあればそれまでなんで、
その日になってみなきゃ、わからない。それが、つまりぼくの文学の原質なのですけれども、今は、来週の水曜日、
帝国ホテルで会えること、ほぼ確実ですよね。そして文学は、ぼくのなかでは依然として、来週の水曜日、
帝国ホテルで会えるかどうかわからないという一点に、基準がある。それがぼくの、小説を書く根本原理です。
ぼくは文学では、そういう世界を、どうでも保っていくつもりです。それはぼくの悲劇理念なのです。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

597 :重要無名文化財:2011/09/30(金) 10:03:11.56 .net
悲劇というのは、必然性と不可避性をもって破滅へ進んでゆく以外、何もない。人間が自分の負ったもの、
自分に負わされたもの、そういうもの全部しょって、不可避性と必然性に向かって進んでゆく。ところが現実生活は、
必然性と不可避性をほとんど避けた形で進行している。偶然性と可避性といいますか、そうして今の柔構造の
社会では、とくにそういうような、ハプニングと、それから、可避性といいますか、こうしなくてもいいんだ
ということ、そういうことで全部、実生活が規制されてしまう。
そうするとわれわれも、ある程度、その法則に則って生活しなくては生きられないわけですから。それで来週の
水曜日、帝国ホテルで会うということについても、ある程度、迂回作戦をとりながら、その現実に到達するために
努力する。ところが、芸術では、そんなことする必要はまったくないのですから、来週の水曜日、会えないところへ
しぼればいいわけですよね。ぼくにとっては、そういう世界が絶対、必要なのです。それがなければぼくは、
生きられない。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

598 :重要無名文化財:2011/09/30(金) 10:03:37.80 .net
(中略)
ぼくの小説があまりに演劇的だ、と批評する人もありますけれども、必然性の意図と不可避性の意図が、ギリギリに
しぼられていなければ、文学世界というもの、ぼくは築く気がしない。それはぼくの構想力の問題であり、
文体の問題でもあるんですが、あるいは、法律を勉強したのが多少、役にたっているかもしれません。犯罪が
起これば、これは刑事事件ですから、そこで刑事訴訟のプロセスが進行するわけでしょ。これは完全に、必然性と
不可避性の意図のなかに人間をとじこめてしまいますからね。そういうものがぼくにとっては、ロマンティックな
構想の原動力になるので、私の場合「小説」というものはみんな、演劇的なのです。わき目もふらず破滅に
向かって突進するんですよね。そういう人間だけが美しくて、わき目をするやつはみんな、愚物か、醜悪なんです。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

599 :重要無名文化財:2011/09/30(金) 10:04:03.81 .net
ヴァレリーもいってるように、作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。自己に不可避性を
課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、
自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の
望んだことなんですから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、
自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは、
違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活に
ある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて、運命なのだ。というふうに考える。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

600 :重要無名文化財:2011/09/30(金) 10:04:27.89 .net
それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を
清算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じてない人間なんて、
ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。

「新潮」の二月号に西尾幹二さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを、私が
どういうふうに扱ったか、だれがどういうふうに扱ったかについて書いている。日本でいちばん理解しにくい考えは、
それなんですよね。それで、作品と生活との相関関係ということが、私小説の根本理念ですから、その相関関係を
断ち切ることは、絶対できない。私の場合は、作品における告白ももちろん重要ですけれども、実は告白自体が
フィクションになる。作品の世界は、さっきも申し上げたように、かくあるべき人生の姿ですからね。もし、
自分が作品に影響されてかくあるべき人生を実現できれば、こんないいことはないわけですけれども、逆に
そうなれないというのが、人生でしょ。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

601 :重要無名文化財:2011/10/01(土) 12:24:23.83 .net
そうなれないことが人生で、それでは、そうなれない人生をもっと問題にして、どうにもならんことを小説に
書けばいいではないか、という考え方も出てくると思う。しかし、ぼくは、それは絶対やりたくないですね。
死んでも、やりたくない。そういうことを書く作家というのが、きらいなのです。小島信夫の「抱擁家族」などと
いうのは、そうならない人生を一生懸命書いているわけです。そうなれない怨念を書くのが文学だとは、ぼくは
決して信じたくない。
文学というのは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じている。告白といいますけれども、告白も、
かくあるべきだ、こうなりたいんだ、けれども、こうならなかったという、それを語るのが、告白であって、
告白と願望との関係は、ひと筋なわではゆかないと思いますよ。人はいつでも、告白するとき、うそをついて、
願望を織り込んでしまうと思うのです。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

602 :重要無名文化財:2011/10/01(土) 12:25:00.75 .net
(中略)
文学と関係のあることばかりやる人間は、堕落する。絶対、堕落すると思います。だから文学から、いつも
逃げてなければいけない。アルチュール・ランボオが砂漠に逃げたように……。それでも追っかけてくるのが、
ほんとうの文学で、そのときにあとについてこないのは、にせものの文学ですね。ぼくは作家というのは、
生活のなかでにせものの文学に、ばかな女にとり囲まれるように、とり囲まれていることが多いと思うのです。
だって、ふり払ったことがないから。自分が“もてる”と思ってますからね。
ところが、それをふり払って、砂漠の彼方に駈けだしたときに、そのあとをデートリッヒみたいに、はだしで
追いかけてくる女は、ほんとうの女ですよ。ぼくはそれが、ほんとの文学だと思います。ぼくの場合は、
できるだけ文学から逃げている。するとはだしで追っかけてきてくれる女がいる。それが、ぼくの文学です。
その女に、やさしくしますよ。そのときに、小説を書くわけですね。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

603 :重要無名文化財:2011/10/01(土) 12:25:32.90 .net
(中略)
ぼくはいつも、あとから自分の素質を発見するのですけれども、――ぼく、剣道なんて、けっしてうまく
ありませんけれども、剣道やる人間になるなんていうことは、昔は想像もしなかった。おなじことで、論理的能力を
発見するなんて、昔は想像もしなかった。だから、人間って、あきらめないでじっくりやっていれば、何か出て
くるんだと思うのです。自慢じゃないですが、英語の会話ができるようになったのは三十越してからですからね。
それまで英語でしゃべれなかった。アメリカへ行っても、ほんとに語学で不自由いたしました。三十ごろになって、
アメリカに半年くらいいてから、まあまあしゃべれるようになった。人間の能力なんていうものは、ほんとに、
早く決めてしまうことないと思いますね。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

604 :重要無名文化財:2011/10/03(月) 14:59:02.53 .net
(中略)
ぼくは、自由意志が最高度に発揮されたとき、選択するものは、決まっていると思う。それが源泉ですね。
その時、自由意志が、ほんとに正当なものを発見したと思うのです。ですから自由意志には、無限定な自由は
ないですね。自由意志は、さまざまな試行錯誤をくりかえしますけれども、自由意志が源泉を発見した時に初めて、
自由意志が、自由になるのだ、と思います。それまでは自由意志は、なにものかにとらわれていて、もっと
自由な何か、もっと広い世界を期待しているわけです。それが、ぼくは源泉だと思う。ヘルダーリンの
「帰郷(ハイムクンフト)」のいう、一種の恐ろしさですね。最もなつかしいもので、最も恐ろしいものです。
現代社会は、そういう、源泉に帰ることを妨げるように、社会全体の力が働いている。人間は源泉からたえず
遠ざかって、前へ、前へ、上すべりしてゆくように、社会構造ができている。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

605 :重要無名文化財:2011/10/03(月) 14:59:28.97 .net
たとえば、テレビ、初め映りの悪いテレビ、それがまた、映りのいいテレビ、カラー・テレビになる。現代社会は、
その機械と同じことで、次々と、改良されたものは与えられますけれども、改良された果てに何があるか、
それはなにも与えないで、ぼくらを、先へ、先へ、進めるでしょ。
でもぼくらは、テレビより、もっと遠くみえるものがあるはずです、いちばん前に。ぼくはほんとに、それが
自分の夢でないと思ったのは、インドへ行ってからですよ。…インドへ行って、人間の、ほんとの能力というのは
あったんだ、という感じを強くもった。テレビより、もっと遠くがみえるはずです。それから、人の心も、
もっとよくみえるはずですし、つまり、みたいと思うものは、百万里先だろうが、みなければならない。
みえなくしてしまったのは、“文明”ですよね。ぼくはそう思います。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

606 :重要無名文化財:2011/10/03(月) 15:00:01.27 .net
(中略)
目ですね。
ぼくは、源泉にはそれがあったはずだと思うのです、ぼくにだって。失っただけですね。
剣道なんかやってますと、(そんなこというほどの資格はぼくにありませんが)“観世音の目”ということ、
いいますね。全体をみなければいけない。相手の目を見たら、負けてしまう。まして、相手の剣尖を見たら
負けてしまう。そうではなくて、“観世音の目”は相手を上から下まで、完全に見てしまう目です。そういう目を
鍛錬し、養成することが、剣道の極意だといわれているのですが、ぼくはそれ、源泉に帰ることだと思います。
それから、ネコ。ネコが寝たあと、クッションならクッションの跡みますと、ネコの寝た形が、ちゃんとできている。
あれが、寝るということ、休むということの本当の形なのですね。人間の寝た跡はそんな形になっていませんよ。
しゃっちょこばってますわね。寝てもまだ、からだがこわばっている。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

607 :重要無名文化財:2011/10/03(月) 15:00:32.17 .net
ネコは寝れば、完全に、ぐにゃあっと、液体のようになってしまう。あれが源泉なのですね。それから、
運動でもそうです。運動で、巧緻性とか、迅速性、いろいろ申しますけれども、運動能力というのは本来、
人間にはすべてあるはずなのが、なくなってしまった。そして、からだをこうやって曲げても、手の指先が足に
つかないようになってしまう。これはもう、源泉から遠ざかってしまっているわけですね。
…ぼくは、自由なものは美だと思うし、自由は源泉のなかにしかないと思うのです。プラトンと同じで、
動くものが、美しい。ぼくは静止したものはきらいですから、美術品なんて、あまり好きではないですね。
動くものが、美しい。“動くもの”というのは、自由ですし、自由は、それは未来にはなくて、源泉のなかに
あるのだ、という感じがする。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

608 :重要無名文化財:2011/10/06(木) 23:28:20.11 .net
バカなコミュニケーションが発達すればするほど、国民は分裂し孤立してくるでしょう。伝達することによって、
何らそれを統合することはできないでしょう。そうしたら、統合するためには、伝達しない、元の方法にもどるより
ほかないじゃあないですか。明治時代にはそれが逆だと思うんだ。コンミュニティーするものの主体に天皇を置いて
バラバラになった日本が、国民的統合をやって、近代国家を成立させた。一応近代国家が成立し、工業化が進展して、
社会がこういう、左翼の言葉を使えば自己疎外というようなことがおこってそして巨大な力で動かされて
いるんだけれども、各人がバラバラになって、伝達機能が容易になればなるほどバラバラがひどくなる。それを
統合するには空白のものしかない。絶対に断絶しかない。


祭主ということなんだよ。結局断絶ということは、時代全体が空間的伝達によって動いている中で、時間的伝達を
する人は一人しかいない、それが天皇だ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「天皇と現代日本の風土」より

609 :重要無名文化財:2011/10/06(木) 23:33:34.68 .net
>>608
日本を外国から弁別するメルクマール、日本人を他国人から弁別するメルクマールというのは天皇しかない。
他にいくらさがしてもないんだ。


ぼくは大蔵省にいた頃に、観音崎に皆で団体旅行に行ったんですよ。そしてぼくが船端にいて、沖を見て
いたんだよ。実に海がきれいだった。雲がきれいだった。しかしそれからぼくが変わり者だという評判が
たちまちたっちゃったんです。景色なんか見ちゃいけないんだよ、本当に。景色を見るやつは、もうすでに
アウトサイダーなんだ。そういう社会があるんだよ。世の中には、見えないやつがいっぱいいるんだ。


現代というものの伝達の仕方から、天皇制というものを、純粋無垢に置こうという意識が全然ないだろう。
威厳を保つには断絶しかないという時代にわれわれは生きているんだ。

三島由紀夫
石原慎太郎との対談「天皇と現代日本の風土」より

610 :重要無名文化財:2011/10/20(木) 10:21:55.61 .net
ぼくが否応なしに中国問題というものにとらわれたのは、文学座なんかにいたからですね。中国に行ったり
する俳優がいてね、中国を天国のように言う。そして、それを人に強制する。その人たちは現実に何を通して
中国を知ったかというと、自分たちを接待してくれた人、そして案内してくれた人を通じてなんですね。それが
こういう状態になると、自分が世話になった文化関係の人がひどい目にあってもこんどは知らん顔。わたしのほうは
毛派だからという顔をする。それが腹が立ってたまらないということがあるわけです。
いまひとつの問題は、この五、六年、それを考えてきたんですが、もしもう一度戦時中の言論統制の時代がきたら
どうするかということなんです。(中略)そういう事態にどう対処するかということですね。やっぱり文学は
お国の役に立たないんだということをはっきりさせておかなきゃ非常に危険だと思うんです。

三島由紀夫
石川淳、川端康成、安部公房との座談会「われわれはなぜ声明を出したか」より

611 :重要無名文化財:2011/10/20(木) 10:24:32.27 .net
政治家には、腹を切るつもりなんか毛頭ない。そして芸術家のほうは、半分、実みたいな気持になっちゃった。
戦後はことにそうです。
それと、例の言論統制がきた場合にどうするか。ぼく自身の覚悟をいえば、ぼくは虚の芸術家である。虚をもって、
河原乞食として小説を書くんだ。その小説は絶対お国の役に立つわけはないし、ぼくがたとい自発的
(スポンティニアス)に国粋主義的な小説を書いたって、それは政治に頼まれて書いているんじゃない。ぼくが
自然にわき起って書いているんだから人がどう思おうと知ったこっちゃない。しかし、それは虚にすぎない。
それじゃ、虚にすぎない芸術にぼくが生きて、そしてどうなるか。それはぼくはインターナショナリストじゃないから、
どこにも亡命できると思わないし、日本で死ぬほかないと思っていますがね。その場合に、それじゃ虚と一緒に
ぼくは死ねるかということを考え出したんですね。ぼくは死ぬためには虚でありたくないんですよ。どうしても、
死ぬためには実でありたいんです。

三島由紀夫
石川淳、川端康成、安部公房との座談会「われわれはなぜ声明を出したか」より

612 :重要無名文化財:2011/10/20(木) 10:26:54.95 .net
ぼくはひょっとすると芸術至上主義者なのかもしれないと思うのは、どうしても虚を信じたいから、実のほうに
頭がいっちゃうんですよ。何とかして虚を信じたいと思えば思うほど、虚をしっかり把握するためにはどうしても
実がほしい。そうすると剣ということになっちゃう。いま石川さんのおっしゃった、わたしは言葉を信じない、
文学を信じないとおっしゃった気持は、ぼくは痛切にわかるな。
…つまり虚を信じないということが、虚に生きる唯一の道かもしれないんですよ。
(中略)
文字を墨で書く場合、紙に墨がぽとっと一滴落ちた瞬間に、文学表現が成り立つでしょう。それが十部刷ろうが
百部刷ろうが、別の問題ですね。だけど、文学というものは、その一滴の墨のあとから、千部刷る、一万部
刷るということになっちゃったらもうおしまいだと思うんです。
…言語というのは言霊だよ。

三島由紀夫
石川淳、川端康成、安部公房との座談会「われわれはなぜ声明を出したか」より

613 :重要無名文化財:2011/11/05(土) 10:37:27.38 .net


614 :重要無名文化財:2011/11/25(金) 13:37:04.45 .net
ho

615 :重要無名文化財:2011/12/04(日) 20:43:51.23 .net




ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?









616 :重要無名文化財:2011/12/21(水) 10:13:19.83 .net


617 :重要無名文化財:2011/12/26(月) 14:26:32.74 .net
まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
(中略)
失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出てきても、みんな大笑いする。


僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でもなんでもない、ただ爆弾持って
駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、
百メートルを十六秒以下でなければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。ベトコンはやせて
いるから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。どうして日本のインテリというのは、
ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との
関係において。

三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より

618 :重要無名文化財:2012/01/07(土) 20:12:24.67 .net
ちゅうちゅうたこかいな

619 :名無しさん:2012/01/22(日) 15:02:10.73 ID:???.net
         __
        , ‐' ´   ``‐、             / ̄:三}
.     /,. -─‐- 、.   ヽ        /   ,.=j
 _,.:_'______ヽ、 .!       ./   _,ノ
  `‐、{ へ  '゙⌒ `!~ヽ. !     /{.  /
    `! し゚  ( ゚j `v‐冫   , '::::::::ヽ、/     そんな野球よりステマしようぜ!
.    {.l   '⌒      ゙ 6',!   / :::::::::::::::/ __
.     〈  < ´ ̄,フ  .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
.      ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠.   ヽ_}  ゙ヽ
        ,.r` "´  /:::::::::::::::::::ィ´  `ゝ  !、  /
     /       / :::::::::::::::: ; '´   /´\ /   r'\
.     i      ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
     {      {:::::::::::;:イ /   ‖i:::::::/:::::::::::::/  \
.      ヽ       ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: /


620 :重要無名文化財:2012/01/26(木) 16:54:52.54 .net
日本といふ国は何といふ忙しい国でせう。でも、羽田から、みんなに引つ張られて、東横ホールの「鹿鳴館」
(慈善興業)の楽屋につれて行かれ、カーテン・コールのとき、舞台から帰朝の挨拶をさせられたとき、
「ああ、日本には、かうして僕を待つてゐてくれた人がゐた」と、満員の客席を眺めて、本当にうれしく思ひました。
僕はやつぱりジャーナリズムの spoiled child であつて、あんまり一人きりの淋しい生活はできないといふことを
痛感しました。

三島由紀夫
昭和33年2月3日
ドナルド・キーンへの書簡より


ニューヨークの新聞に、川端(康成)さんのインタビューがいろいろ出たやうです。しかし日本の新聞には、
その記事が一つも出ず、中共がへりの文士の座談会ばかりがデカデカと出てゐます。この片手落ちはますます
ひどくなつたやうです。日本で一等いけないのは、政治家よりも、全学連よりも、新聞だと思ひます。

三島由紀夫
昭和35年7月11日
ドナルド・キーンへの書簡より

621 :重要無名文化財:2012/01/26(木) 16:55:29.69 .net
けふ久々のお手紙をいただき、洵にうれしく拝読、丁度数日前「文藝」で「近松と欧米の読者」を拝読、お手紙を
差上げようと思つてゐたところでした。この論文は、明晰で情理を尽したもので、一方きはめて具体的で、
岩波の「文学」系のチンプンカンプンの左翼国文学者たちに少くとも十回ぐらゐ味読させてやつたら、少しは
彼らの目もさめるかと思はれました。


このごろの日本人はあの勇敢なカミカゼ精神をどこへ忘れてきたのでせう。慨嘆に堪へません。

三島由紀夫
昭和37年9月9日
ドナルド・キーンへの書簡より

622 :重要無名文化財:2012/01/30(月) 17:29:31.28 .net
日本の評論家の解説は、多く細部を無視し、理窟のために作品をねじ曲げ、作家はそのため、いつも苦い思ひを
心の底に持たねばなりません。この太宰集の御解説は、日本の批評家がほとんど触れない文体、構成、描写、
技巧などについて、周到な分析をされ、実に納得のゆくやうに書かれてゐるのみならず、一方、批評は批評として、
太宰のキリスト教についてのズバリとした御意見やら、「走れメロス」(小生もこれは少しもいいと思ひません)の
否定やら、太宰をよく読み、よく愛した人にだけ可能な正しい批判があります。

三島由紀夫
昭和39年4月15日、ドナルド・キーンへの書簡より


この間、安部公房君と一晩ゆつくり話し、彼が、
「僕はチェコに夢をかけてゐた。チェコにいつか亡命するつもりだつた。夢が砕けて悲しい」
と言つてゐた言葉が心を搏ちました。

三島由紀夫
昭和43年9月24日、ドナルド・キーンへの書簡より

623 :重要無名文化財:2012/01/30(月) 17:29:57.05 .net
「日本人の西洋発見」は、実にいい飜訳で、おちついたしつかりした日本文になつてゐて、感心しました。
平田篤胤のところを最初によみ、今、日本人が誰も読まなくなつてゐるこの思想家をキーンさんが丹念精細に
研究されてゐるのに頭が下がりました。


一九七〇年にかけては、ひよつとすると、僕も、ペンを捨てて武士の道に帰らなければならないかもしれません。

三島由紀夫
昭和44年2月2日、ドナルド・キーンへの書簡より


三月一日から一ヶ月、又、富士の自衛隊へ行つて、浮世を離れます。しかし自衛隊の中の浮世もだんだん目に
つくやうになり、今度はどこへ逃げたらよいのでせうか。

三島由紀夫
昭和45年2月27日、ドナルド・キーンへの書簡より

624 :重要無名文化財:2012/01/30(月) 17:31:02.73 .net
小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓読は学問的に正に正確でした。小生の
行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、
武士として死にたいと思つてゐました。


(豊饒の海)第一巻第二巻は飜訳がほとんど出来てゐますから、大丈夫かもしれませんが、問題は第三巻、
第四巻です。(中略)何とかこの四巻全巻を出してくれるやう、御査察いただきたく存じます。さうすれば世界の
どこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます。

三島由紀夫
昭和45年11月、ドナルド・キーンへの書簡より

625 :重要無名文化財:2012/02/06(月) 06:30:47.89 .net



中国ならオワタ









あなたは今全力で落ちこむべき








626 :重要無名文化財:2012/02/10(金) 15:21:15.24 .net
私共はあの古代の壮麗な大爬虫類が、峻厳な自然淘汰の手で忽ち絶滅に瀕した時代を思ひ浮べます。しかしもし
彼等の多くがその危険を脱し、どこかで繁殖しつゞけてゐたとしたらどうでせう。恐らく私は、彼等の習性の内に、
「絶滅に瀕したもの」の身振が執拗に残つてゆくだらうと思ひます。


花々の矜りは咲いてゆくといふことよりも、咲いて来たといふことよりも、今「咲いてゐる」といふ一点に漂うて
ゐるのかもしれません。かう考へることはいくらか私共を慰めてくれます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月18日、川端康成への書簡より


太宰治氏「斜陽」第三回も感銘深く読みました。滅亡の抒事詩に近く、見事な芸術的完成が予見されます。
しかしまだ予見されるにとどまつてをります。完成の一歩手前で崩れてしまひさうな太宰氏一流の妙な不安が
まだこびりついてゐます。

三島由紀夫
昭和22年10月8日、川端康成への書簡より

627 :重要無名文化財:2012/02/26(日) 00:19:35.20 .net
三島は時代の先を行っていた

628 :重要無名文化財:2012/03/04(日) 21:33:24.35 .net
この作品(仮面の告白)を読んだあと、私の小説をもう読まぬといふ読者もあらはれようかと存じ、相当な決心で
とりかゝる所存でございますが、この作品を「美しい」と言つてくれる人があつたら、その人こそ私の最も深い
理解者であらうと思はれます。

三島由紀夫
昭和23年11月2日、川端康成への書簡より


アメリカでは皆米人が親切にしてくれ、ミス・クルーガーといふパツシニさんの友達に殊に世話になりました。
会ふ米人がみないい人なのにおどろきますが、いい人と味のある人とは一寸別で味のある点では、パツシニ氏のやうに
永く日本にをられる人には誰にも敵ひません。日本は人間に「味」を与へます。

三島由紀夫
昭和27年2月13日、川端康成への書簡より

629 :重要無名文化財:2012/03/04(日) 21:34:21.11 .net
目下、神島といふ伊セ湾の湾口を扼する一孤島に来てをります。(中略)映画館もパチンコ屋も、呑屋も、喫茶店も、
すべて「よごれた」ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きてゐる始末です。
ここには本当の人間の生活がありさうです。たとへ一週間でも、本当の人間の生活をまねして暮すのは、快適でした。
ある日は早朝から夕方まで、蛸壺船に乗り込んで楫取を手つだひました。(中略)
明朝ここを発つて、三重賢島の志摩観光ホテルへまゐります。そこで僕はまた、乙りきにすまして、フオークと
ナイフで、ごはんをたべるだらうと想像すると、自分で自分にゲツソリします。

三島由紀夫
昭和28年3月10日、川端康成への書簡より


大岡さんの歓送会で、揮毫帖に、
昇平何舎神洲地
駕夷狄車下米洲
冀以和朝化紐育
と書きましたら、お前はやつぱりフアツシヨだと叱られました。

三島由紀夫
昭和28年10月17日、川端康成への書簡より

630 :重要無名文化財:2012/03/20(火) 19:14:57.30 .net
この間、中央公論の御集の解説に当り、「千羽鶴」をしみじみ再読して、初読のときと全くことなる印象を
与へられました。茶道及び日本的風雅の諷刺小説であるかの如くさへ感じられ、感興新たなるものがございました。
茶道といへば、本日、千宗興さんに会つたところ、外国旅行でお茶を教へた話ばかりするので、「そんな平和な
静かな国ばかりへ行かず、南ヴイエトナムのやうな戦乱の巷へ行つて、耳もとを弾がかすめるやうなところで
お茶を立てたらいかがです。それが本当のお茶でせう」と言つてやりました。

三島由紀夫
昭和38年12月15日、川端康成への書簡より


このごろ一般に、文学が紳士風家庭風になつてゐるのを苦々しく存じます。ブル紳の文学など読みたくありません。
文芸時評のインチキとハツタリもひどいもので、文壇墜落の兆候歴然、何かここらで、革命的暴力的新人が
あらはれぬものでせうか。

三島由紀夫
昭和41年8月15日、川端康成への書簡より


631 :重要無名文化財:2012/03/28(水) 23:33:54.02 .net



サルを完全に破壊する実験って知ってる?

まずボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。
それに気がついたサルはボタンを押して餌を出すようになる。
食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。
腹が減ったら、また箱のところに戻ってくる。
ボタンを押しても、その箱から餌が全く出なくなると、サルはその箱に興味をなくす。

ところが、ボタンを押して、餌が出たり出なかったりするように設定すると、
サルは一生懸命そのボタンを押すようになる。
餌が出る確率をだんだん落としていく。
ボタンを押し続けるよりも、他の場所に行って餌を探したほうが効率が良いぐらいに、
餌が出る確率を落としても、サルは一生懸命ボタンを押し続けるそうだ。
そして、餌が出る確率を調整することで、
サルに、狂ったように一日中ボタンを押し続けさせることも可能だそうだ。


のちのパチンコである






632 :重要無名文化財:2012/04/16(月) 00:21:53.75 .net
新橋演舞場 五月花形歌舞伎
2012年5月1日(火)〜25日(金)
夜の部
通し狂言 椿説弓張月
曲亭馬琴の原作に、三島由紀夫が構想を得て書き下ろし、自ら演出した渾身の
長編大作。「三島歌舞伎」の最高峰とも言われる傑作をたっぷりとご堪能下さ
い。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/shinbashi/2012/05/post_42.html

633 :重要無名文化財:2012/05/07(月) 21:52:24.89 .net
86 :重要無名文化財:2012/05/05(土) 23:05:33.71
ミシマが求めていたのは薪車のリンチシーンだけだったんじゃないだろうか
ムダにスペクタクルなだけでおいらにはしんどかった
87 :重要無名文化財:2012/05/05(土) 23:48:51.50
あのリンチシーンは面白かったから、自分の好きなことだけ
羅列したほうがエンタテインメントになったと思う。
義太夫もわかるんだぜ、だの、歌舞伎の通なのよ、と
見せ付けたい気持ちを捨てられなかったのが敗因。
102 :重要無名文化財:2012/05/06(日) 22:45:20.03
演舞場夜
ついうとうとして目を開けたらSMショーだった
話バラバラの出来の悪いオムニバス歌舞伎
本がダメ
もしかして三島って、クドカン以下
103 :重要無名文化財:2012/05/06(日) 22:48:05.62
今月はまだ見てないけど
鰯売り恋の引網は面白いよ
歌舞伎はともかく、現代戯曲の最高峰の三島さまを
クドカンと比べるとはあきれてものも言えんわいw
104 :重要無名文化財:2012/05/06(日) 23:50:25.88
死ぬ一年前だからね。
豊饒の海四部作も、最後は出来が悪い。
106 :重要無名文化財:2012/05/07(月) 00:38:08.57
天人五衰をけなす奴はカス。

634 :重要無名文化財:2012/05/08(火) 00:07:39.63 .net
ワンズがミシマ

635 :重要無名文化財:2012/05/10(木) 19:40:01.36 .net
あんまり悲壮に思はれるのはイヤですから、漫画のタネで結構なのですが、小生としては、こんなに真剣に
実際運動に、体と頭と金をつぎ込んで来たことははじめてです。一九七〇年はつまらぬ幻想にすぎぬかもしれません。
しかし、百万分の一でも、幻想でないものに賭けてゐるつもりではじめたのです。十一月三日のパレードには、
ぜひ御臨席賜はりたいと存じます。

ますますバカなことをとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生に
もしものことがあつたら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチヤクチヤに
してしまふやうに思はれるのです。生きてゐる自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは
耐へられません。それを護つて下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(ママ)にさせていただいてをります。

三島由紀夫
昭和44年8月4日、川端康成への書簡より


636 :重要無名文化財:2012/05/10(木) 19:41:00.93 .net
又一方、すべてが徒労に終り、あらゆる汗の努力は泡沫に帰し、けだるい倦怠の裡にすべてが納まつてしまふ
といふことも十分考へられ、常識的判断では、その可能性のはうがずつと多い(もしかすると90パーセント!)のに、
小生はどうしてもその事実に目をむけるのがイヤなのです。

三島由紀夫
昭和44年8月4日、川端康成への書簡より


あひもかはらず、ただ徒らに体を使ひ、飛び廻つて、肉体の為に使ふ時間と精力の厖大さにわれ乍ら呆れます。
(中略)
時間の一滴々々が葡萄酒のやうに尊く感じられ、空間的事物には、ほとんど何の興味もなくなりました。この夏は又、
一家揃つて下田へまゐります。美しい夏であればよいがと思ひます。

三島由紀夫
昭和45年7月6日、川端康成への書簡より


637 :重要無名文化財:2012/05/10(木) 21:11:00.39 .net
このスレ真面目すぎるww

638 :重要無名文化財:2012/06/16(土) 01:18:40.69 .net
「11.25 自決の日三島由紀夫と若者たち」
 平岡瑤子役  寺島しのぶ
http://www.wakamatsukoji.org/11.25/

639 : :2012/06/29(金) 15:44:14.26 .net
橋下市長「文楽協会」補助金3900万、全額カット 
人間国宝の竹本住大夫さんが面会拒否
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1340943605/

俳優の川原和久と、松本幸四郎の長女で女優の松本紀保が結婚
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1340891123/

640 :重要無名文化財:2012/07/10(火) 16:45:03.17 .net
僕は凡そ小説を読むのに、主義や思想についての偏見をもたず、共産党の小説でも右翼の小説でも作品の価値に
ついては、素直に感動する魂をもちつづけたいと思ふのです。先輩の小説でも、中学生の小説でも、よいものには
搏たれる魂をもちたい、他人の中にある何物かに愕く心は自分に愕く心であり、他の発見は、自己の発見であり、
他に感動しなくなれば自己の発見も終る、僕はかういふ信念を川端さんから学びとりました。
しかし日本の文学であり日本語を使つてゐる以上日本語として美しくなければ感動するわけにはゆきません。

三島由紀夫
昭和22年12月25日、清水基吉への書簡より


641 :重要無名文化財:2012/07/22(日) 20:57:23.12 .net
三島由紀夫の世界!

日本の能楽とワーグナー楽劇との統合による
  楽劇『保元物語ー崇徳院怨霊譚ー』  

2012年10月  ドイツ・ベルリン公演

http://www.gakugeki.org/

642 :重要無名文化財:2012/07/24(火) 00:08:04.54 .net
オウムが取りざたされる以前、ビートたけしが麻原と対談し、「人間的
魅力を感じた」というような発言もしていた。

『新潮45』2010年6月号ビートたけしの発言 「相変わらず原子力発電に反対する人もいる
けどどうも原子力発電というとリスクばかり言う傾向があるけど、実際、おいらたちはもっとリスクのある社会に生き
ている。小型原子炉がテレビショッピングで売られる時代が来ないかな。 『今日は特別に、ウランをもう一つお付けし
て、この値段』 『うわー、安い』とかさ」

たけし 、ヲマイ死んだ方がよくないか?

643 :重要無名文化財:2012/08/01(水) 13:19:28.68 .net
>>637
wwwww

644 :重要無名文化財:2012/08/01(水) 13:27:52.28 .net
>>641
誰が観るんだw

645 : :2012/08/01(水) 13:29:37.73 .net
■浄瑠璃を読もう(単行本)■
新潮社 (2012/7/27発売) 448ページ 橋本治(著)
…小説の源流も、わたしたちの心やふるまいの原型も、みんな浄瑠璃のなかにある! 
江戸時代に隆盛した一大文学ジャンル浄瑠璃。その登場人物は驚くほど現代人に似ている。
『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』から『冥途の飛脚』『妹背山婦女庭訓』まで、
最高の案内人とともに「江戸時代的思考」で主要作品を精読。
「お軽=都会に憧れてOLになった田舎娘」など、膝を打つ読み解きが満載。浄瑠璃の面白さを再発見!

646 :重要無名文化財:2012/08/18(土) 14:20:57.69 .net
独乙(ドイツ)敗るゝ時、忌はしくも紙上に見える無条件降伏の文字、西欧的表現の行詰りを見る思ひがいたしました。
大御戦はもとより本朝のおほみわざ、戦争と文化の問題についても日本独自の解決があるべきと存じます。
ヒトラア死して逸早い、ハムブルヒ無防備都市宣言の如き、醜態の極でありました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年5月5日、中河与一への書簡より



647 :重要無名文化財:2012/08/18(土) 14:21:37.05 .net
独逸(ドイツ)の悲劇はあくまで西洋古代の悲劇と相以て、運命と人との闘争の終局でありましたが、今や
我が国にはこれに類似の悲愴趣味運命観が流行してをりますことは、大いに警戒の要ありと存じます。新運命観は、
運命への抵抗乃至(ないし)闘争でもなく、運命への盲従乃至信仰でもなく、運命を汎(ひろ)く輪廻と解して、
これに対する濃まやかな愛情と親密な交遊の裡に、自己と輪廻との合歓、慇懃の甘美を極めた境地にまで、
相共に融合することであると考へます。単なる否定でも肯定でもない、かゝる主観客観を超えた魂の状態を、
貴下は兼てより「愛」と呼ばれましたが、「愛」の教は今日以後一層痛切な意味をもつでありませう。私は
今までの国学の偏狭、コスモポリティズムの軽佻を排して、真の意味の universal につながりたいと思ふやうに
なりました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年6月27日、中河与一への書簡より



648 :重要無名文化財:2012/09/11(火) 07:30:18.32 .net
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
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創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね


649 :重要無名文化財:2012/09/24(月) 13:39:52.65 .net
僕は凡そ小説を読むのに、主義や思想についての偏見をもたず、共産党の小説でも右翼の小説でも作品の価値に
ついては、素直に感動する魂をもちつづけたいと思ふのです。先輩の小説でも、中学生の小説でも、よいものには
搏たれる魂をもちたい、他人の中にある何物かに愕く心は自分に愕く心であり、他の発見は、自己の発見であり、
他に感動しなくなれば自己の発見も終る、僕はかういふ信念を川端さんから学びとりました。
しかし日本の文学であり日本語を使つてゐる以上日本語として美しくなければ感動するわけにはゆきません。

三島由紀夫
昭和22年12月25日、清水基吉への書簡より

650 :重要無名文化財:2013/01/08(火) 16:21:38.71 .net


651 :重要無名文化財:2013/09/05(木) 08:59:52.81 .net


652 :重要無名文化財:2013/11/24(日) 20:26:44.99 .net
 

653 :重要無名文化財:2013/11/25(月) 05:54:36.72 .net
命日。

654 :重要無名文化財:2014/07/14(月) 08:05:05.66 .net
首ちょんぱ
ハラキリ…そこばかりが残ったか
当時、庇う川端康成も自害
芥川龍之介も自害
近ごろは情報操作で人間も操り人形になってしまった…自害も他殺なみのものと思うぞ
死なずに世を、心を動かし生きてこそぞ

655 :重要無名文化財:2014/07/14(月) 08:28:26.44 .net
会話をしていたユーミンに
三島を感じさせる世界観と
和服で弾けてほしいとぞ思う
荒井由美…昭和のかぐや姫

656 :重要無名文化財:2014/08/04(月) 13:43:16.79 .net
はぁ?

657 :重要無名文化財:2014/08/04(月) 22:49:11.77 .net
Onmyoji, - 1:57:11
http://www.youtube.com/watch?v=QFgvdiLjycc
.陰陽師2 - 1:52:41
http://www.youtube.com/watch?v=dNdPteBqcXA

658 :重要無名文化財:2014/08/05(火) 02:58:06.60 .net
三島に思想はないから。

659 :重要無名文化財:2014/10/04(土) 01:42:03.03 .net
鰯売面白い

660 :重要無名文化財:2014/11/30(日) 04:16:48.54 .net
先日、命日でした。

661 :重要無名文化財:2014/11/30(日) 11:02:43.21 .net
三島は北一揮に乗り移られてあんなことに
三島が死んでから一気に左に日本は寄ることに
左翼には三島が邪魔だった
三島が死んで軍歌を爆音でながす右翼(実態は左翼)が台頭して日本を貶めたんだな

662 :重要無名文化財:2014/11/30(日) 11:46:30.24 .net
新井(荒井)由実はチョンだと思ってた

663 :重要無名文化財:2014/11/30(日) 12:06:24.78 .net
嗚呼割腹保毛作家

664 :重要無名文化財:2014/11/30(日) 16:21:04.87 .net
↑文字数偶数やんか(`∇´

665 :重要無名文化財:2015/07/17(金) 07:33:33.14 .net
保守

666 :重要無名文化財:2015/10/27(火) 12:40:22.12 .net
三島の芝居は最近は流行らぬのかゑ?

667 :無名ファンの独りごと:2015/10/29(木) 17:18:41.96 .net
「ムスメゴノミオビトリイケ」これなんか古典歌舞伎の様を色濃く持っていて
面白いと思うけど、ぜひ推してくれ・・・。池の底が盗賊の住みか

668 :重要無名文化財:2015/10/29(木) 19:30:31.61 .net
三島の市ヶ谷突入と演説と割腹
江戸時代だったら一週間もしないうちに芝居になっていると思うのだが

今の歌舞伎では無理かな?

669 :重要無名文化財:2015/10/30(金) 02:19:23.90 .net
うん無理

670 :重要無名文化財:2015/11/22(日) 18:53:14.13 .net
森田必勝とは
どの程度
深い仲の愛人関係
だったのですか?

671 :命日 :2015/11/25(水) 01:40:24.30 .net
命日

672 :重要無名文化財:2015/11/25(水) 13:49:53.39 .net
>>668
そもそも事件自体が芝居みたいなものだったのでは

673 :重要無名文化財:2015/11/25(水) 17:24:34.01 .net
>>672
命かけてんですよ?

674 :重要無名文化財:2015/11/25(水) 19:46:04.78 .net
命をかけた芝居なんて三島らしいな

675 :重要無名文化財:2015/11/27(金) 12:29:39.03 .net
また、

「近代能楽集」から

幾篇か上演されるらしいゼッ!!!!!!!!



分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

676 :重要無名文化財:2015/12/06(日) 12:21:52.16 .net
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。

総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

作品社より刊行されている文部省推薦図書
名作『図説 ホモセクシャルの世界史』の第二刷が出たらしい。
誤植が訂正されているから、
いっそう信頼できる良書となっている筈だ。
一家に一冊は備えて置くべき書籍だろう。
お薦めしたい!

http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?isbn=9784876989256

なお、上記の書物が、電子書籍版
『西洋古典学事典アプリ』 として読める。
ヴァージョン・アップされていて、しかも廉価で携帯至便と来ているぞ。

http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1993&lang=jp

677 :重要無名文化財:2015/12/06(日) 12:23:31.86 .net
★こちらも三島由紀夫ファンにオススメ。

プルースト、ワイルド、ジッド、ヴェルレーヌ、コクトー、三島由紀夫らに限らず、

アレクサンドロス大王 、ユーリウス・カエサル 、マールクス・アントーニウス、 フリードリヒ大王、等々

歴史上の名だたる英雄は、誰も彼も男色好きだったよ。

そして、 レオナルド・ダ・ヴィンチ 、ミケランジェロ 、シェイクスピア、etc.
の天才たちも揃って男性が好きだった!

作品社より刊行されている名作『図説・ホモセクシャルの世界史』を参照。

http://www.sakuhinsha.com/history/20793.html


必読書ですよ!

678 :重要無名文化財:2015/12/07(月) 12:39:43.57 .net
三島由紀夫のファンじゃなくても買いま〜す。
とても好評ですね

679 :重要無名文化財:2015/12/07(月) 12:40:36.04 .net
チンポもどんどん大きくなる

680 :重要無名文化財:2015/12/07(月) 21:15:59.87 .net
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1438711939/

フジテレビの男性アナウンサー



http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1447888401/

男性アナウンサー



【スパニュー】榎並大二郎【褐色の弾丸】
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418977095/

681 :重要無名文化財:2015/12/08(火) 00:19:10.08 .net
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418991221/l50

羽鳥慎一アナ


http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1438711939/

フジテレビの男性アナウンサー



http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1447888401/

男性アナウンサー

682 :重要無名文化財:2015/12/08(火) 15:52:46.15 .net
トミーより榎並大二郎のほうがカワイイ身体をしてるゼッ!!!
これだけは間違いネエのサッ!!!!!

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418977095/l50

榎並大二郎

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418991221/l50

羽鳥慎一アナ

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1438711939/l50
フジテレビの男性アナウンサー


http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1447888401/l50
男性アナウンサー

683 :重要無名文化財:2015/12/13(日) 20:30:32.46 .net
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418977095/l50

榎並大二郎

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418991221/l50

羽鳥慎一アナ

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1438711939/l50
フジテレビの男性アナウンサー


http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1447888401/l50
男性アナウンサー

684 :重要無名文化財:2015/12/16(水) 15:43:50.51 .net
11 名無しさん@お腹いっぱい。

トミーより榎並大二郎のほうがカワイイ身体をしてるゼッ!!!
これだけは間違いネエのサッ!!!!!

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418977095/l50
榎並大二郎

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/ana/1418991221/l50
羽鳥慎一アナ

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1438711939/l50
フジテレビの男性アナウンサー


http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1447888401/l50
男性アナウンサー


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
めざまし勢下落 榎並大二郎ランクイン

http://www.oricon.co.jp/special/48511/
やはり、榎並大二郎アナの裸は人気があるゼッ !
だけど、どうして榎並が第一位ぢや無えんだろう?



685 :重要無名文化財:2015/12/23(水) 13:21:09.47 .net
http://vt.tumblr.com/tumblr_nv7odnP2b21sp4ir9_480.mp4#_=_





大二郎の表情を思い出すゼッ!!!

686 :重要無名文化財:2015/12/29(火) 18:53:32.61 .net
そろそろ三島の話題に戻って下さい。

687 :重要無名文化財:2015/12/30(水) 11:16:52.50 .net
よっしゃ、よっしゃ

688 :重要無名文化財:2016/01/10(日) 19:44:12.41 .net
三島由紀夫の戯曲中、何が一番好まれているんだろう?

689 :重要無名文化財:2016/01/15(金) 22:47:54.03 .net
短編では『班女』でしょう

690 :重要無名文化財:2016/01/20(水) 00:44:47.71 .net
 
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/Godzilla-G.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/DarkKnight-J.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/StarTrek.html
 
管理会社、仲介業者が苦情に対応せず困っています
これらの人と知人,家族,親類の方はお知らせ下さい。
 
●浪速建設
南野 東条
http://www.o-naniwa.com/index.html
社長 岡田常路
http://www.o-naniwa.com/company/
 
●アパマンショップ八尾支店
加茂正樹 舟橋大介
http://www.apaman-yao.jp/store/
社長 大村浩次
http://www.data-max.co.jp/2010/10/01/post_11983.html
 
●クリスタル通り122号室の入居者
 
hnps203@gmail.com
 
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-1-3.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-2-1.html
http://homepage2.nifty.com/e-d-a/scurl/ia-3-1.html

691 :重要無名文化財:2016/02/07(日) 10:39:40.01 .net
三島由紀夫と中村歌右衛門とは「深い関係」にあったようだね

692 :重要無名文化財:2016/02/11(木) 14:11:34.02 .net
玉三郎とも関係してたの?

693 :重要無名文化財:2016/02/11(木) 14:12:37.63 .net
『お面の告白』

694 :重要無名文化財:2016/04/03(日) 22:20:43.81 .net
>>693
くだらない

695 :重要無名文化財:2016/04/04(月) 01:51:29.86 .net
うん

696 :重要無名文化財:2016/04/09(土) 22:05:14.33 .net
桂文楽の録画で、客席で三島が聴いてるのが映されてるけど、眼光が常人とは違うね。

697 :重要無名文化財:2016/04/10(日) 02:22:32.73 .net
かっこいい

698 :重要無名文化財:2016/04/10(日) 04:44:11.94 .net
>>696
貼ってくれ

699 :重要無名文化財:2016/05/28(土) 01:01:48.60 .net
保守

700 :重要無名文化財:2016/06/04(土) 03:17:01.52 .net
保守

701 :重要無名文化財:2016/06/04(土) 10:16:35.69 .net
あの世から花柳流の乗っ取り襲名を阻止してくれ

702 :重要無名文化財:2016/07/07(木) 22:02:44.71 .net
0902 重要無名文化財 2016/07/06 09:00:57
★★★★★★★★★★★★★★

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

俵万智 1987年5月8日初版


★★★★★★★★★★★★★★★

迫淳が 通報してくれたから
六月十六日は逮捕記念日

2014/06/16 京都南座 に於いて 松竹社長 迫本淳一に通報されて 京都府東山警察署取り調べ室にて、日付が変わる10分前に逮捕令状を読み上げられ、手錠をかけられ、紐で調べられ、留置所に移動し、服を留置所担当警察官数名の前で脱がされ
身体中触られ、股ぐらまで調べられたのを記念して詠める歌

迫本淳一、富司純子、松本幸四郎、小林麻央、市川海老蔵、18世中村勘三郎家に捧ぐ

■●■音羽屋アンチ■●■
月に代わってお仕置きしちゃう
サイエンティスト ファーマシスト
時々ロマンティスト な★美少女戦士★
セーラー♪まゆぴょん♪検事総長♪
別名: セーラー♪ラスピラズリ♪

まゆぴょん♪にゃ♪ヽ(*´▽)ノ♪




703 :重要無名文化財:2016/07/11(月) 18:52:00.68 .net
>>701
ワイドショーで話題になっていたが、どうなってゆくのやら

704 :重要無名文化財:2016/07/11(月) 21:40:53.89 .net
海老蔵を三島由紀夫と書いてるバカ
あれはジャガ芋か辣韮か蛇にしか見えないじゃん
三島の眉は石原真理に似てなくもない太眉で顔は三船美佳の父親に似ている

705 :重要無名文化財:2016/07/28(木) 16:15:58.20 .net
sage

706 :重要無名文化財:2016/08/03(水) 22:14:09.29 .net
細川ちか子の『卒塔婆小町』を憶えている人って何人ぐらい

いらっしゃって?

707 :重要無名文化財:2016/09/28(水) 02:05:25.31 .net
ひとりくらい

708 :重要無名文化財:2016/10/04(火) 18:45:38.08 .net
玉三郎の『サド侯爵夫人』の最後の公演は
いつだったでしょうか?

709 :重要無名文化財:2016/10/14(金) 00:01:25.65 .net
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したってホント?うそみたいw
三島も自衛隊に突入して自決せずに、今まで普通に長生きしてたら
ノーベル賞をもらえたかもしれないのに、、、早まったね,,,
川端康成が受賞したため自分は絶対にもらえないと考え、
絶望した結果、ああいう行動を彼は取ってしまったらしいけど
それより何より、大江健三郎がもらうくらいなら、三島がもらっていただろう

710 :重要無名文化財:2016/10/18(火) 09:42:09.44 .net
京都の臼居万造とかいう化け物オカマババアも
生前の三島由紀夫に言い寄ったのだろうか?
男性と見れば誰彼かまわず色気を出して近付き
その性器を舐め回したがる臼居万造のことだから
見境なしに色気違いぶりを発揮していたのであろうが。

711 :重要無名文化財:2016/10/24(月) 01:41:42.19 .net
あげ

712 :重要無名文化財:2017/01/12(木) 15:21:51.07 .net
<三島由紀夫>自決9カ月前の肉声…TBSに録音テープ
毎日新聞2017年01月12日11時27分
<三島由紀夫>自決9カ月前の肉声…TBSに録音テープ
 作家の三島由紀夫が1970年の自決9カ月前に録音した肉声テープが見つかったと
TBSが12日、発表した。英国の翻訳家、ジョン・ベスター氏と対談したもので、
約1時間20分にわたり自身の死生観や文学論、憲法観などを語っていた。
TBSによるとテープは約3年前、アーカイブ推進部に保管されていた使用禁止扱いのテ
ープ群から発見された。デジタルテープに複製されており、原本のテープは廃棄されたとみられる。
内容からベスター氏が三島にエッセー執筆を依頼し、その翻訳の参考にするためのインタビューだと考えられる
。ベスター氏と三島の遺族がテープを聴き、本人の肉声と確認した。三島は小説「豊饒(ほうじょう)の海」の第3巻
「暁の寺」の執筆を当日の朝に終えたと語っており、70年2月19日に録音されたものとみられる。
TBSがテープを入手した経緯は分からないという。
 TBSによると、対談の中で三島は「死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」と
死生観を語り、自身の文学を「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。
僕にはそういう欠点があるんですね」と分析。また「平和憲法は偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」とも語っているという。
TBSは12日の報道番組「Nスタ」15:50-19:00と「NEWS23」23:00-0:10でこのテープの内容を放送する。【丸山進】 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


713 :重要無名文化財:2017/11/24(金) 18:27:50.98 .net
知らんがな

714 :重要無名文化財:2017/12/24(日) 12:19:17.54 .net
巷で話題のPCを使って稼げる方法とか
⇒ 『山中のムロロモノス』 というブログで見れるらしいです。

グーグル等で検索⇒『山中のムロロモノス』

5MODT0RA4M

715 :重要無名文化財:2018/01/04(木) 13:20:59.75 .net
.

716 :重要無名文化財:2018/01/09(火) 14:05:54.07 .net
三島由紀夫SP
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1515402857/109-266

717 :重要無名文化財:2018/01/12(金) 22:39:29.97 .net
http://ginzatact.com/detail.php?id=201801_021

718 :重要無名文化財:2018/01/12(金) 22:42:50.79 .net
http://ginzatact.com/detail.php?id=201801_021

719 :重要無名文化財:2018/01/12(金) 22:48:31.84 .net
2ちゃんねるを荒らし回ってる北海道札幌市出身の田吾作
鈴木あきら容疑者、昭和36年57才独身(ペンネーム:鈴木ドイツ)の特徴

1丸一日2ちゃんねる、特にセガNET麻雀MJスレでネット工作をしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/mj/1515598238/
2レトロフリークスレでもサクラしているが最近サボリぎみ
3笑点スレで林家と海老名家を執拗に攻撃している
4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレへ行くため、その間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57歳、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾーン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
12ナチズム。ナチスの軍服を着たり、アドバンスド大戦略という侵略ゲームを好む。そのスレで自演もしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲームを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒されると誹謗中傷を止め姿を消す
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
18「勇者ああああ」出演者のAKIRA氏の活躍を妬み誹謗中傷
19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀ゲーム「天鳳」の開発関係者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らしhttps://echo.5ch.net/test/read.cgi/tv/1457934290/
23ファミ通出版社内から2chへ「岡野哲死ね」と書き込んだ犯人。荒らし認定されてホスト開示されたエンターブレイン社が濡れ衣を着せられた

720 :重要無名文化財:2018/03/02(金) 15:51:42.14 .net
人彰くーん

あーそーぼー

721 :重要無名文化財:2018/04/08(日) 09:28:58.27 .net
【SEGA】セガNET麻雀 MJ 110本場
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/mj/1523136626/1-5
> 5 名前:焼き鳥名無しさん (ワントンキン MM1f-C1ph [153.154.20.167])[sage] 投稿日:2018/04/08(日) 09:06:11.60 ID:z0fNu0jXM
> キチガイはPCなんだろうし
> とりあえずプロバイダに通報出来る可能性はあるね

【エミュ】セガサターン総合【SSF】part2※IP強制表示スレでの自演はIP偽装に手間がかかりスレ進行が鈍る
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/software/1470108703/
◆笑点◆其之伍拾参【id表示】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1518235046/
【互換機】レトロフリーク44【FC.SFC.MD.PCE.GB他】※IP強制表示スレでの自演はIP偽装に手間がかかりスレ進行が鈍る
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1520873762/
パンツァーフロントの続編を待つスレPART85 [転載禁止](c)2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1442343972/
ADVANCED大戦略 38(t)式戦車G型※IP強制表示スレでの自演はIP偽装に手間がかかりスレ進行が鈍る
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
[還らざる]サンダーフォースVI[時の終わりに]169
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestg/1511403717/
【信者お断り】ゲームカタログアンチスレ2 [無断転載禁止]&#169;2ch.net
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1504378851/
セガサターン総合スレッド Part130&#169;2ch.net
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/game90/1495380765/
エンターブレイン ファミ通文庫総合スレッド47
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/magazin/1519377904/
高田馬場・新大久保のゲーセン事情 その46※他スレと平等に荒らして第三者の仕業に見せかけているが自分の立てたスレなので荒らし量が少ない
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gecen/1520135076/

ファミ通をお払い箱になってからは電通の工作員まがいな行為をしつつ
2ちゃんねるを荒らし回っている鈴 木 あ き ら  (鈴木 ドイツ)容疑者出没スレ
電通本社の方、おたくの下請け末端在宅ネット工作員の質ちょっと酷いですよ。そちらのほうで処分または再教育等の検討願います

722 :重要無名文化財:2018/05/17(木) 15:54:09.78 .net
いろいろと役に立つ稼ぐことができるホームページ
役に立つかもしれません
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』

9PV1J

723 :重要無名文化財:2018/06/03(日) 20:15:20.98 .net
age

724 :重要無名文化財:2018/06/03(日) 21:10:07.15 .net
2ちゃんねるを荒らし回ってる北海道札幌市出身の田吾作
鈴木あきら容疑者、昭和36年57才独身(ペンネーム:鈴木ドイツ)の特徴

1丸一日2ちゃんねる、特にセガNET麻雀MJスレでネット工作をしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/mj/1525427591/
2レトロフリークスレでもネット工作https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1520873762/
3笑点スレで多くの芸能人と海老名家を執拗に攻撃している
4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレに行くのでその間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
12ナチズム。ナチスの軍服を着たり、アドバンスド大戦略という侵略ゲームを好む。そのスレで自演もしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
18「勇者ああああ」出演者のAKIRA氏の活躍を妬み誹謗中傷https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gecen/1526929865/
19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀「天鳳」の開発者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
23ファミ通出版社内から2chへ「岡野哲死ね」と書き込んだ犯人。荒らし認定されてホスト開示されたエンターブレイン社が濡れ衣を着せられた

725 :重要無名文化財:2018/06/03(日) 21:10:24.70 .net
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2レトロフリークスレでもネット工作https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1520873762/
3笑点スレで多くの芸能人と海老名家を執拗に攻撃している
4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレに行くのでその間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
12ナチズム。ナチスの軍服を着たり、アドバンスド大戦略という侵略ゲームを好む。そのスレで自演もしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
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19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀「天鳳」の開発者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
23ファミ通出版社内から2chへ「岡野哲死ね」と書き込んだ犯人。荒らし認定されてホスト開示されたエンターブレイン社が濡れ衣を着せられた

726 :重要無名文化財:2018/06/03(日) 21:10:44.89 .net
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3笑点スレで多くの芸能人と海老名家を執拗に攻撃している
4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレに行くのでその間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
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13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
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19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
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21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
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727 :重要無名文化財:2018/06/03(日) 21:11:00.93 .net
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5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
12ナチズム。ナチスの軍服を着たり、アドバンスド大戦略という侵略ゲームを好む。そのスレで自演もしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
18「勇者ああああ」出演者のAKIRA氏の活躍を妬み誹謗中傷https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gecen/1526929865/
19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀「天鳳」の開発者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
23ファミ通出版社内から2chへ「岡野哲死ね」と書き込んだ犯人。荒らし認定されてホスト開示されたエンターブレイン社が濡れ衣を着せられた

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2ちゃんねるを荒らし回ってる北海道札幌市出身の田吾作
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4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレに行くのでその間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
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13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
18「勇者ああああ」出演者のAKIRA氏の活躍を妬み誹謗中傷https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gecen/1526929865/
19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀「天鳳」の開発者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
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729 :重要無名文化財:2018/07/28(土) 12:40:03.20 .net
あーい ああーい エッブイ バッディ  鈴木

730 :重要無名文化財:2018/10/30(火) 19:01:58.70 .net
age

731 :重要無名文化財:2018/11/07(水) 06:56:22.23 .net
●<鈴木卜゛イツ容疑者ないし南入彰容疑者による殺害予告文&恫喝・犯行予告文の新旧比較>●

【2016年 3月11日】
ADVANCED大戦略 テキダンヘイ39
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/game/1447069423/999
http://i.imgur.com/0WDAJfq.jpg
> 999 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2016/03/11(金) 12:52:41.46 ID:hmD+sBrQ
> 南とかいう人間じゃないって何度書いても理解できない精神発達遅滞者にパソコン
> 与えてる成年後見人は誰だよ全く
>
> こいつのせいで2001又は5以降AD大戦略が作って貰えなくなったと思うと本当に殺したく
> なるは。俺は昔から粘着気質でどこまでもいつまでもあきらめずに調べ続けるタチやから
> 調べ上げてDIYセンターで斧かハンマーでも買って頭カチ割るのが今の夢かな
> 状況判断的にSSαかセガから調べると早そうだ
--------------------------------
【2018年 11月07日】
大戦略Perfect
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1537808002/331
http://i.imgur.com/DTvLNgR.jpg
> 331 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2018/11/07(水) 03:42:12.65 ID:ktwBPNQK
> さて、そろそろこいつのIPアドレスを、こいつが荒らしまわってる全ての板をピックアップして
> 全部の板のスレッドに、貼り付けて回ろうかね。
> ついでにこいつのプロバイダーの電話番号も。
>
> 良くてプロバイダーから自社のネット接続サービスの利用を断られて2chから消え去る
> 悪ければプロバイダー側からこいつの情報が流出して、住所・氏名・年齢・電話番号・親兄弟の名前・
> 勤め先・勤め先の電話番号・母校の名前・母校の電話番号・顔写真などが
> こいつが荒らしてたスレッド全部に貼り付けられて回るかも試練
> 親が勤めてる会社にひっきりなしに電話掛けられて、その親を首にしろと脅されて、母校の先生や
> 同級生には物凄い電話攻撃受けて、兄弟はその事件のせいで離婚し、家族全員村八分にされ、
> 自宅にもひっきりなしに無言電話が夜中にも掛けられ続け、不審者がウロウロ家の周りをうろついて、
> 盛んにピンポンダッシュされまくって、で、その日の夜には自宅の写真がネットにアップされてる、という

732 :重要無名文化財:2018/11/24(土) 00:58:55.72 .net
>>1
明日、命日

733 :重要無名文化財:2018/11/24(土) 01:47:20.86 .net
先に自殺したというウワサの南人彰くんは小心者だから練炭だろうな多分
鈴木くんも練炭にしなよ

445 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2018/11/23(金) 15:30:07.48 ID:bC//bgu/ [3/4]
別スレで通報されてるけど大丈夫なの?

446 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2018/11/23(金) 16:14:52.00 ID:9vFN+Xfw [2/4]
え?じゃあ南人彰って自殺じゃなくて他殺だったの?

447 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2018/11/23(金) 16:15:19.69 ID:9vFN+Xfw [3/4]
それはそれでイタイなぁw

448 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2018/11/23(金) 16:22:01.88 ID:9vFN+Xfw [4/4]
もうこれアドバンスド朝鮮ゴミ大戦略のスレすべてに貼ってあって吹いたw
> > > > > ●ゴミ欠陥反日ゲーアドバンスド大戦略2001<完全版?>をタダでやりたい人
> > > > > 1クロームかファイアフォックスにtampermonkeyというアプリを入れる
> > > > > 2中華サイトbaidu(百度)に落ちているゴミ(アドバンスド大戦略2001完全版)のDL画面に進む
> > > > > 3通報(挙服)の横に「下載助手」という項目が増えているので押すとDL開始

ふーんこうやったら5万とか6万とかで出品されてるあのゴミがタダで落とせるんだ
こりゃ悪質な値段吊り上げに対する正当ダウンロードと考えてもよいだろうね
ゴミらしいけどね
ウィン10で動かないらしいけどねw
そのゴミを作ったゴミの名前は  南人彰というドブネズミゴミ

449 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2018/11/23(金) 16:36:39.00 ID:bC//bgu/ [4/4]
ずいぶん動揺しているね
もう手遅れらしいから、逮捕拘留前に身辺整理しておくといいよ

450 名前:名無しさんの野望[] 投稿日:2018/11/23(金) 17:02:04.38 ID:ohgtswqj
でも鈴木ドイツ容疑者は何の身辺整理もせずに自殺するつもりだろ
迷惑だよなおまえみたいなゴミが近所にいると

734 :重要無名文化財:2018/12/26(水) 13:22:10.30 .net
>>1
最高傑作は「潮騒」

735 :重要無名文化財:2018/12/26(水) 14:20:40.64 .net
自作自演容疑者リスト   

    鈴..木..あ...き.ら (..ペンネーム:鈴..木.卜゛..イ..ツ.) 57歳・独身・年金未納者

    電通・TBS系ネット工作員

・テレビ番組板で石橋貴明さんを誹謗する内容のスレを大量に立てて自作自演で保守している犯人
・爆報THEフライデースレで田原俊彦さん、笑点スレで林家三平さん、ヒルナンデススレで南原清隆さんを執拗に攻撃しているのもコイツ
・代表的な著書:『大戦略マスターコンバット』 ←中卒作家(自称)に相応しいすさまじいクソゲーw
・昭和36年生まれ、北海道札幌市生まれ(昭和30年代生まれは中卒は当たり前だった)
・ドリームキャストマガジンというゲーム情報雑誌のアドバンスド大戦略のページでナチスの軍服を着て写真掲載されているイタイのが犯人
・生涯のライバルは岡野哲氏(ファミ通出版社のホストを使って2ちゃんねるへ殺害予告を書いたこともあるぐらい彼を強く意識している)→要検索
・黒子のバスケ脅迫事件の犯人と同性質で、攻撃対象者のみならずその家族にまで脅迫をする
,
     /           :ヽ       https://mint.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1472885573/264
    /              :\     文化 [伝統芸能] “林家三平 その2 [無断転載禁止](c)2ch.net”
   ./            ,,,,;;::
  /    ,,,,;;:::::::::::::::       __   ヽ    > 264 名前:重要無名文化財[] 投稿日:2016/09/24(土) 07:27:00.98    
  |   .  __       '<'●,   |    > 次に呪われるのは三平の子ども
  |.   '"-ゞ,●>  l
  l
  ヽ.      ;ゝ( ,-、 ,:‐、)
   l..            |  | 一般視聴者が全く興味ないズレた話を「弾むように」繰り返してたら自演バレバレだろw
   |        __,-'ニ|  |ヽ_   /
    ヽ:        ヾニ|  |ン    \
     l.:`.         / /  , \  /ヽ
     `、:::::       |    ̄ ̄\/ ノ
      |::::::      |      ー‐/ /

ゲロゲロ

                        事件起こしそうでマジ怖いわおまえ

736 :重要無名文化財:2019/03/15(金) 09:18:04.95 .net


737 :重要無名文化財:2019/08/28(水) 04:32:54.93 .net
あーい ああーい エッブイ バッディ  鈴木

738 :重要無名文化財:2019/11/21(木) 15:03:52.84 .net
映画 潮騒も好き

739 :重要無名文化財:2020/03/13(金) 20:37:26.36 .net
★1
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1584054055/1>>1
★2
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1584095314/
★3
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1584096186/
★4
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1584096978/

740 :重要無名文化財:2020/03/14(土) 16:47:42.50 .net
一度だけ歌舞伎座で観た三島芝居「娘好み帯取り池(文字が違うかな?)」これとても面白い!
初演は6歌も出ていたそうですが私が見て以来上演されていない、鴈治郎・延若・梅玉・福助等が
出演していた。池の中に住む盗賊のお話、これ再演して欲しいね。

741 :重要無名文化財:2020/03/14(土) 17:09:25.22 .net
面白そうなのでググった
よく45年以上前のを記憶なさってましたね
外題はほぼ合ってました
60代以上の人でしょうか
その後、国立劇場で現・白鸚が幸四郎時代に上演したのが1998年でした
桜姫がベースになった物語とは想像できませんでしたが、今月明治座から連想されたのでしょうか?


三島由紀夫のWikipediaより
>むすめごのみ帯取池(日本 1958年12月) - 山東京伝の読本『桜姫全伝曙草紙』を翻案とした歌舞伎。

上演記録データベースより
歌舞伎座
公演年月 1973年 4月 (昼夜公演)
上演順 夜の部 1
演目名 むすめごのみ帯取池(ムスメゴノミオビトリノイケ)
場名など 北嵯峨帯取池〜山中蝦蟇丸住居(キタサガオビトリノイケ〜サンチュウガママルスミカ)
配役
盗賊蝦蟇丸 = 中村鴈治郎(2代目)
女房おわき実は野分の方 = 實川延若(3代目)
家臣左馬之助 = 中村福助(8代目)
菊姫 = 中村芝翫(7代目)
盗賊鴉の権 = 市川男女蔵(5代目)
盗賊梟の八 = 市川段四郎(4代目)
絹商人与五兵衛 = 市村吉五郎(2代目)
盗賊狐の拳 = 嵐三右衛門(10代目)
盗賊熊の胆 = 中村歌門(2代目)
番頭欲六 = 坂東弥五郎(2代目)
盗賊狸の銀 = 加賀屋歌蔵(初代)
備考 三島由紀夫作品連続公演V、三島由紀夫作、久保田万太郎演出

742 :重要無名文化財:2020/03/14(土) 19:32:59.49 .net
有難うございます、昭和48年だったのですね、当方78歳のジジイです。三島歌舞伎戯曲の中では
初演の弓張月とこの帯取り池が歌舞伎らしくて楽しみました。最近は消えた演目が多く役者不足
でもあるのでしょうか、いつも同じ演目ばかり上演でもっと間口を広げて欲しいです。

743 :重要無名文化財:2020/03/14(土) 19:55:03.39 .net
追伸ですが国立初演の「桜姫」の配役は演出・郡司さんに聞いたところ希望役者は芝翫・延若
を希望したが松竹がダメで雀右衛門・勘弥・三津五郎になったそうです。白菊丸は玉三郎でした。
長い観劇人生で途中ワクワクしたの初演の「黒蜥蜴」(八重子・芥川)と国立の「桜姫東文章」です。

744 :重要無名文化財:2020/03/17(火) 11:06:31.35 .net
そして忘れてはいけないのは新派初演の「鹿鳴館」八重子・森雅之ともに素晴らしかった。後の
新派公演は残念ながら初演に及ばず、その後上演の鹿鳴館は帝劇・若尾文子・平幹後は装置も
衣装・扮装共に戯曲指定されているにもかかわらず変更、着こなし動き役者がこたえられないの
でしょう。この頃の八重子美しさ、演技力最高時だったのか・・

745 :重要無名文化財:2020/09/12(土) 20:36:38.82 .net
745

746 :重要無名文化財:2022/07/30(土) 17:26:39.48 .net
自民党・統一教会・公安警察、「三つ巴の暗闘」の恐るべき歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/2bfa49fb032d9989c1f74cafb81b66cbfa93b09b?page=3

747 :元歌 じゃじゃ馬にさせないで (アニメ らんま1/2 より):2022/11/17(木) 20:19:37.01 .net
岸信介が刺されたとき三島由紀夫は
「少なくとも一部の政治家には、こういう事件がいい薬になろうし、政治が命がけの仕事となれば、少しは政治家の背骨もシヤキリとするだろう、ということも考えられる」
社会・世評板スレッド
【必要悪】山上みたいなヤツが増えたほうが国民を舐めくさった政治家いなくなるからいいだろ
主題歌

ヤバいヤバいニッポン人 騒ぐごとに綺麗事
ヤバいヤバいニッポン人 現状維持はダメ政治
わけも分からずに まんままんまと騙される
国民甘く見て まんままんまと なんだかんだと
すったもんだと切り抜ける

なぜもっと みんなを幸せにできないの?
舐めてると第二の 山上になっちゃう
普通あり得ない 王様のように
いろんな特権を 身に付けた議員よ 羨ましいよ
だけど こんなのでいいの?今のままでいいの?

公約反故にされ まんままんまと騙される
緊張感もなく まんままんまと なんだかんだと
そんなもんねと馴れ合いに

748 :重要無名文化財:2022/11/18(金) 15:15:47.41 .net
この処の作家、歌舞伎に造詣がないのか変な戯曲しか書かないね、昔は北条秀司はもちろん
円地文子・大佛次郎など面白い芝居が沢山あった、三島歌舞伎も上演を重ねて古典として
残して欲しい演目沢山あるのですからね・・むすめごのみ帯取り池・地獄変観たいね。

749 :重要無名文化財:2022/11/19(土) 08:40:25.34 .net
三島と云えば「鰯売り・・」ばかりではね、もっと古典ぽい三島歌舞伎作品が観たいよ。

750 :重要無名文化財:2022/11/19(土) 08:50:00.92 .net
芥川龍之介の原作をもとに三島由紀夫が歌舞伎台本にした『地獄変』
いまや上演する機会もなくなった

751 :重要無名文化財:2022/11/19(土) 16:24:12.65 .net
花組芝居で最近「地獄変」上演してたね、観た人感想きかせて、

752 :重要無名文化財:2022/11/25(金) 17:03:24.00 .net
本日は三島由紀夫の命日

ageますね

753 :重要無名文化財:2022/11/26(土) 13:17:03.63 .net
>>744
初代・水谷八重子の「鹿鳴館」
本当に見てみたいのですが、どうにかならないでしょうか?

754 :重要無名文化財:2022/11/26(土) 14:16:14.49 .net
1962年(昭和37年)11月19日NHKラジオAで舞台中継として60分の編集
盤が放送されています、戌井一郎演出・悲劇 鹿鳴館/八重子・森雅之・伊志井寛・波野
久里子・久門祐夫(文学座)・翠扇ほか新派出演です、当時録音した私の手持ちテープ
も古くなりところどころ声が飛びます。舞台映像は一般には無いそうです、ひょっとし
たら松竹が記録として残っているかも、早稲田演劇博物館ではどうかな、演舞場公演で
夜の部、章太郎の「遊女夕霧」と2本立てでした。

755 :重要無名文化財:2022/11/27(日) 01:59:55.14 .net
>>754
どうやったら観れますか?

756 :重要無名文化財:2022/11/27(日) 09:00:44.82 .net
築地にある松竹大谷図書館で調べられたら如何でしょうか、「検索」して見てください。
貯蔵されているといいですね! 無料です。

757 :重要無名文化財:2022/11/27(日) 17:36:39.22 .net
>>756
ありがとう
地方民なので、築地は遠いです…

758 :重要無名文化財:2022/12/22(木) 01:44:29.77 .net
三島は本質的に女性で、ホモではなく「男に惚れてる女」だった。その本質が最も出て
いるのが『黒蜥蜴』。あの女主人公は明らかに少女のままの人格。デビット・ルボーの
演出だったかで、麻実れいがTPTで黒蜥蜴を演じたのが三島の本質、つまり「男の肉体
を持った少女」を現して絶品だった。新歌舞伎で三島の書いた戯曲は単なる道楽レベル。例えば、泉鏡花と比べたら戯曲家として比較にならない。結局、
初戦は優等生から脱する事の出来なかった作家に過ぎないのではないか。

759 :重要無名文化財:2022/12/30(金) 14:50:01.47 .net
沢山書き下ろされている三島歌舞伎、来年はぜひ歌舞伎知識人の演出で若手役者の出演で
順次上演希望、若い観客も興味持つ作者名です。

760 :重要無名文化財:2023/01/18(水) 17:07:38.25 .net
三島歌舞伎上演のニュースは期待したいものです、「芙蓉露大内実記」等は一度上演
のみの大作だとか古風に、古風に大時代な歌舞伎で見たいものです、玉三郎の演出
なんぞ如何、「むすめごのみ帯取池」これなんか今の役者で充分上演可能、だれか
乗り掛かってくださ〜い。

761 :重要無名文化財:2023/01/20(金) 00:57:34.01 .net
今年、三島歌舞伎の大物が出るというはなしをきいた

762 :重要無名文化財:2023/01/20(金) 01:39:07.19 .net
さよなら第1次国立劇場公演の締めで
「椿説弓張月」の通し、でもやるのかな?

763 :重要無名文化財:2023/01/20(金) 09:26:10.48 .net
ホントなら大いに歓迎、上演なら小粒にしないで大歌舞伎に!

764 :重要無名文化財:2023/01/21(土) 08:53:04.40 .net
三島の歌舞伎脚本1冊にまとめてどこかで出してくれないかな
歌舞伎関係の評論やエッセイも

765 :重要無名文化財:2023/01/22(日) 17:02:33.83 .net
>>764
完全同意

766 :重要無名文化財:2023/01/23(月) 02:19:07.83 .net
>>761
マジで?!

767 :重要無名文化財:2023/01/23(月) 10:16:49.60 .net
三島由紀夫戯曲全集・全2冊、新潮社から出ています、歌舞伎外も全ての作品全戯曲集。

768 :重要無名文化財:2023/01/23(月) 12:28:35.25 .net
>>767
だからそこから歌舞伎関係だけセレクトして
かつ関連の評論やエッセーをまとめて1冊にしてくれないかと言っている

769 :重要無名文化財:2023/02/20(月) 16:49:25.55 .net
三島歌舞伎公演情報、ホントのあったの! 

770 :重要無名文化財:2023/02/20(月) 22:49:34.21 .net
三島が手掛けた最後の歌舞伎脚本「椿説弓張月」
翌年あの衝撃的な割腹自殺をしたんだよな

771 :重要無名文化財:2023/02/21(火) 17:15:11.49 .net
「椿説弓張月」当時の猿之助の波間の中、岩上での切腹場面よかったよ、この芝居2世
鴈治郎も安達ケ原に似たの婆、素晴らしかった、再演で宗十郎が演じたが鴈治郎には叶わ
なかった、若い玉三郎も素晴らしくこういう役役を演じられる役者、誰かな。

772 :重要無名文化財:2023/02/21(火) 19:41:13.22 .net
寺山修司との対談より

三島 まだ芝居に飽きないかね? ぼくはほんとに飽きちゃったよ。
寺山 そうですか。でも三島さん自身の演出の「椿説弓張月」、
    腹切る場面はとてもそんな感じがしなかった。
三島 あれは市川猿之助の工夫なんだよ。ぼくは、あんなに血を出す気はなかった。
    腹切るときに先に死んだ女房が逆さに倒れてる姿ね。
    あれは北斎の錦絵そのままにしたいと思ったんですよ。
    そしたら猿之助が、血が出りゃいいんでしょう、というんで、バーと出しちゃった。

773 :重要無名文化財:2023/09/21(木) 21:49:13.92 .net
あるパーティで、初代・林家三平師匠にホテルのボーイと勘ちがいされた
三島さんは、三平師匠のギャグを用いて「ボーイじゃなくて、どうも
すいません」と切り返したとのこと。

774 :重要無名文化財:2023/09/22(金) 12:53:43.47 .net
>>773
本当の話???

775 :重要無名文化財:2023/09/28(木) 03:22:31.79 .net
三島由紀夫の本質が「少女だ」というところに立脚しないと三島戯曲の演出は混乱する。
俺の見た中でそこを踏まえて演出されていたのはデヴィッド・ルヴォーの『黒蜥蜴』だけ。

776 :重要無名文化財:2023/09/28(木) 16:37:46.12 .net
>>775

(ヾノ・∀・`)ナイナイ

777 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 12:09:37.29 .net
あれだけ難解な小説を残した三島由紀夫が
庶民の芝居である歌舞伎に興味をもった理由を知りたい

778 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 14:42:01.51 .net
確か、親か祖母に子供のころ連れていかれたと思う

779 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 14:55:41.60 .net
それに、日本の古典も読んでいたから
そういう点でも興味感じたのでは?

漱石などは落語は行っても歌舞伎は下劣として
行かなかったし明治は西洋文化あがめていたけど
三島は昭和の現代人で、歌舞伎もすでに現代化して
天覧されたり社会的評価も上がっていた

また三島の本を読んでいると風景描写にしろ
感覚は優れているから歌舞伎の感覚的官能的美に惹かれたのかも
まあ、服のセンスはなさそうだし、音楽は
感覚の波にのまれる感じで苦手ということだし
はかなり論理的で文学者よりも哲学者寄りには違いないけ

まあ、知らんけど

780 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 14:57:14.79 .net
○かなり論理的で文学者よりも哲学者寄りには違いない

781 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 16:27:05.60 .net
三島や石原が演じた文士劇の綺麗なカラー映像をYoutube出見たことがある
まだ削除されていないんなら見たほうがいい
貴重な記録だから

782 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 21:41:51.67 .net
立原正秋さんは、歌舞伎ぎらいで能楽一辺倒だった。

783 :重要無名文化財:2023/10/05(木) 21:42:04.45 .net
立原正秋さんは、歌舞伎ぎらいで能楽一辺倒だった。

784 :重要無名文化財:2023/10/15(日) 23:08:43.11 .net
三島作品は三島の中にある「女性」が巧みに描きだされないと魅力が発揮されない。麻実れいの黒蜥蜴で、ルヴォー
の演出したぶたいが三島作品の最高峰、あれは少女歌劇出身の麻実さんでなければなりたたない世界だったし、
それを見抜いて演出したルヴォーも素晴らしい。中谷ト井上の『黒蜥蜴』は論外。

785 :重要無名文化財:2023/10/15(日) 23:10:44.24 .net
立原正秋は韓国人だから歌舞伎は分からないよ。日本の文化の流れの分からなかった在日文化人。

786 :重要無名文化財:2023/10/16(月) 09:30:06.69 .net
>>784
麻実れいは三島由紀夫の世界に向いていない

787 :重要無名文化財:2023/12/05(火) 21:53:13.65 .net
>>0786
それはお前が麻実さんの『黒蜥蜴』を観ていない

788 :重要無名文化財:2023/12/06(水) 14:27:53.90 .net
>>787
麻実れいなら京マチ子の方がマシ

789 :重要無名文化財:2024/01/05(金) 10:23:41.69 .net
>>1

【訃報】
写真家・篠山紀信さん死去、83歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704399835/

1970年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。
三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。

790 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 00:26:15.43 .net
明日も仕事休むとか考えないといけないだろう

791 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 00:42:15.73 .net
島嶼奪うメリットはあってはならないどころか反感持たれて2軍にいるってことはできないこともあるとみて事を全般的には全て丸見えなんだよね。
本スレでモメサ、アンチ扱いされて笑われてる設定みたいな成績でもない

792 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 01:33:36.87 .net
だからそう言ってるの凄いよな

793 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:01:12.76 .net
>>65
しかし
最大の理由がわかったね
ほんのり甘めのくるみパンすき

794 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:27:28.74 .net
安保上これ以上前なら
https://i.imgur.com/ufGpUtr.png

795 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:35:45.12 .net
去年2位に
ガーシーと信者はアンチのクズ記録更新中
頭が弱いネトウヨだなあ

796 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:41:37.11 .net
>>12
すべてが上がってくれるよね?
雰囲気とか諸々込みで

797 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:43:46.22 .net
残念やが腑に落ちんわ
このまま通過しても
開催いたします。

798 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:45:28.78 .net
散弾銃だし
個人的に食おうかな

799 :重要無名文化財:2024/04/08(月) 02:50:27.36 .net
>>72
■劣化オワコンその1

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