■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【斜陽の】スペイン帝国【太陽の没することなき】
- 1 :世界@名無史さん:2011/12/30(金) 04:04:18.48 0.net
- スペインとその植民地の文化、影響等広く語るスレです。
対象地域は、かつての植民地、領有していた地域、かつてスペイン人が
多く居留していた地域などです。
主な対象国・地域
スペイン、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、西サハラ、スペイン領
モロッコ、赤道ギニア、北アフリカの幾つかの都市、ヨーロッパ諸国
(北イタリアの一部、南イタリア、シシリー、現代のフランスとドイツの
一部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ)、ラテンアメリカ諸国などです。
*ラテンアメリカは一応対象ですが、突っ込んだ話はこちらで
ラテンアメリカ・中南米諸国の歴史〜その2〜
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1314909549/l50
- 105 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 11:39:24.66 0.net
- 皮肉でしょ、さすがに
- 106 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 14:10:37.63 0.net
- オチに切れがないな・・・・
- 107 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 14:35:23.88 0.net
- >>105
>>104だって皮肉だろ、流石に
- 108 :世界@名無史さん:2012/04/26(木) 20:59:46.90 0.net
- ガイアナってなんでやたらアメリカと人的結びつきあるの?
人口の半分がアメリカに住んでたりとか。
- 109 :世界@名無史さん:2012/04/28(土) 01:57:11.30 0.net
- そういや俺は、オーストラリア人は英語で喋るってのを大学3年になるまで知らんかったわw
オーストラリアのドラマ見てて「何でこいつら英語喋ってるのよ、オーストラリア語だろ、普通」って言って
友達に笑われた。
- 110 :世界@名無史さん:2012/05/01(火) 21:02:01.29 0.net
- なぜ南欧は近代に後進地域になったのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1319108978/l50
- 111 :世界@名無史さん:2012/05/03(木) 09:33:29.05 0.net
- 沖ノ鳥島を、最初に発見して島と報告してくれたのはスペイン人。
- 112 :世界@名無史さん:2012/05/03(木) 23:18:54.19 0.net
- 18世紀にアルゼンチンの中心部のパンパに入植したスペイン人たちは
先住民であるオーナ族やヤーガン族を大量虐殺し、この地を奪い取り開拓し、
羊の放牧を中心としたエスタンシアと呼ばれる大土地所有制度をうみだした。
その後も虐殺が続くが、有名なのは1870年頃の「国家近代化作戦」。
北部パラグアイ国境付近とや南部パタゴニアに追い詰められたインディアス
の皆殺し作戦であり、指揮官は後にその功績で大統領に就任するロッカ将軍。
その後も虐殺は続き、パタゴニアのセルクナム族、チョクニ族、ヤマナ族、
アラカルフ族などのインディアスはほぼ全滅した。
アルゼンチンで先住民もほとんど見かけないのはこの徹底した民族浄化による。
- 113 :世界@名無史さん:2012/05/05(土) 04:41:02.27 0.net
- 何この無知
馬鹿なの?死ぬの?
- 114 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 21:30:39.50 0.net
- 【マグリブ】アラビア語圏の歴史【マルタ語】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1336044467/l50
- 115 :世界@名無史さん:2012/05/17(木) 21:31:13.66 0.net
- スレチかもしれないがスペインと家康絡みネタ
http://www.youtube.com/watch?v=U9JC2YkRaoE&feature=youtube_gdata_player
- 116 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 09:10:08.80 0.net
- どうでもいいけど、ピッグス湾事件のピッグスってカタカナで書いているとあんまりピンとこないけど、
pigsで、豚のことなんだよな。
- 117 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 15:39:27.39 0.net
- 本当にどーでもいいですね^^
- 118 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 16:08:29.99 0.net
- いや意味があることだろ。
普通ならCochinosってそのままスペイン語の名前で呼ぶところを、
豚という印象を名前で与えて侮辱しているんだから。
- 119 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 17:05:07.75 0.net
- もしそれが本当なら、日本語訳する時も豚湾事件とするべきだったな
- 120 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 17:08:43.25 0.net
- キューバに住みたい
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/world/1147866766/l50
- 121 :世界@名無史さん:2012/05/23(水) 22:36:34.15 0.net
- 修道会の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1321629135/l50
- 122 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 23:50:00.77 0.net
- いよいよ、スペインに脚光が当たってきたな
- 123 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 23:53:03.22 0.net
- 352 名前:世界@名無史さん [sage]: 2012/06/01(金) 10:03:34.21 0
征服期のスペイン人にこんな人もいたんだな。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Gonzalo_Guerrero
1511年パナマから今のドミニカへの航海中難船してユカタン半島に漂着、
乗員の大部分はすぐさま生贄にされたが一部は脱走して別の部族に捕まり奴隷化、
うち二人ゴンサロとアギラルはコルテスの来航まで生き延びたが、
ゴンサロは内戦で頭角を現し武将となり首長の娘と結婚していた。
8年後コルテスは噂で二人の事を知って来て征服に加わるように手紙を寄越し、
アギラルは以後通訳としてコルテスに従ったがゴンサロは
「顔に刺青もあり耳に穴の開いた自分をみて同胞は何と言おうか」
ここの軍隊の長であり妻も子もあるので行かないと同行を断った。
20年近く後、ユカタン半島にスペイン人が征服に来た時
50艘の戦闘カヌーに乗ったマヤ人を引き連れてゴンサロが来援し、火縄銃で撃たれて死んだ。
- 124 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 11:09:33.57 0.net
- ある意味でメキシコの三浦按針だね。
- 125 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 04:54:39.04 0.net
- 典型的な白人酋長ものだなw
- 126 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 11:42:07.33 0.net
- スペイン北部のエル・カスティージョ洞窟の壁画が世界最古と判明したらしい。
- 127 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 12:38:31.69 O.net
- >>123
プロレスのゲレーロ一族の祖先かな?
- 128 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 15:37:36.86 0.net
- 欧米の書籍だと、スペイン没落の原因を戦争に求めている本が多いな
対フランス
対ネーデルラント
イタリア
対オスマン
これだけ妥協を一切することなく戦争続けていれば破産するわ
- 129 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 17:50:53.46 0.net
- スペイン没落の原因て手広くやり過ぎて
当時の統治技術的限界を超えてしまったから
統治の維持費用が高くなり過ぎての破産、没落じゃないの?
戦争はむしろ利益拡大に役立ってるような
- 130 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 19:47:21.26 0.net
- というより、高くなりすぎた維持費用をカスティーリャばかりが負担するという構造に無理があったんだろう
- 131 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 23:59:39.51 0.net
- 元々豊かな土地じゃないですしね。
外に出たいという欲求はあったんじゃなかろうか?
- 132 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 00:18:16.59 0.net
- 豊かじゃないとは到底思えないけど…
黄金世紀の間に農業振興足りなくて
さらに商業盛んで畑耕す農奴が足りなくて
結局、その商業にトドメ刺された瞬間に落ちていったと思うが
- 133 :世界@名無史さん:2012/06/23(土) 18:30:56.72 0.net
- イベリア半島はカスティーリャ・アラゴン・ポルトガルを合計してもフランス以下の人口だし、肥沃な土地も少ないから豊かとはいえないと思う
農業基盤の脆弱さは衰退の主な原因の一つだろうね
16世紀末から17世紀にかけて大規模な人口減少が起こったけどその原因は「北からのペストと南からの飢餓」らしいし
たしか、トウモロコシが普及した北部と比べて、南部は新大陸向けのブドウなんかは盛んに栽培されたけど食料となる作物は疎かにされていたとかいう話だったような
- 134 :世界@名無史さん:2012/06/26(火) 00:41:49.79 0.net
- 他スレで全盛期の本国収入がネーデルランドからの収入並みしか無かったとかあったが
人口減が起きる前で700万人とフランスの半分だからキツイやね。
- 135 :世界@名無史さん:2012/06/26(火) 10:45:53.07 0.net
- それはあの時代のネーデルラントがおかしいだけだ
- 136 :世界@名無史さん:2012/06/26(火) 23:00:39.86 0.net
- 16世紀半ばの各国の人口
スペイン 800万
ポルトガル 100万
ドイツ 1000万
フランス1600万
イタリア(ベネチア除く) 1100万
ベネチア(テッラフェルマ含む) 145万
イギリス 300万
トルコ(エジプト、北アフリカ除く)
- 137 :世界@名無史さん:2012/06/26(火) 23:01:17.08 0.net
- あ、トルコは1600万ね
- 138 :世界@名無史さん:2012/07/03(火) 18:56:29.80 0.net
- サッカーでスペイン代表が強すぎだけど、これはなんで?
スペイン人って怠惰なイメージがあるし、体格も欧州で最低レベル、
フランスのように黒人を大量に入れてるわけでもないのにダントツで強い。
この強さの秘密はなに?
- 139 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 08:26:59.15 0.net
- サッカーが上手なんでしょ。
- 140 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 11:04:22.11 0.net
- >>136
イギリスは
たった300万の人口を抱えきれずに
アメリカ大陸に移住させる必要があったの?
- 141 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 17:59:32.07 0.net
- イギリスといえば19世紀後半までは世界屈指の貧乏国家だし
庶民は奴隷以下の扱いで有名
- 142 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 22:35:28.65 0.net
- >イギリスといえば19世紀後半までは世界屈指の貧乏国家だし
それは初耳だなぁ。
19世紀前半、世界最下位クラスだったの?
- 143 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 23:29:18.27 0.net
- >>141
よくそんな環境からニュートン、ファラデー、マクスウェル、ダーウィン、ワットみたいな
天才が出現したもんだね。
- 144 :世界@名無史さん:2012/07/07(土) 01:53:05.08 0.net
- 現代絵画の巨匠のピカソ、ダリ、ミロが、みなスペイン出身なのはなぜ?
- 145 :世界@名無史さん:2012/07/10(火) 22:05:55.44 0.net
- 元々優秀な宮廷画家が多いし、1900年初頭はフランスは印象派が幅を利かせている時代
最有力の対抗馬ドイツはWW1敗戦の混乱とナチスが潰したおかげで
作品自体が無いケースもある。
多いのは確かだがカンディンスキーやキリコ等の他国の有名どころもちゃんといると思うが。
- 146 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 22:25:41.64 0.net
- 91 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/21(土) 02:11:18.46 0
コロンブスの悪行
「コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。
行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。
まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。
コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、
窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。
コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。
やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。
再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、
非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。
コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
スペイン軍は面白半分に彼らを殺す楽しみを決してやめなかった。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、
1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。
量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、
虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人」
- 147 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 23:19:25.59 0.net
- 118 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/21(土) 21:52:08.86 0
コロンブスがアメリカ大陸原住民殺戮に大きく関わっている
これは紛れもない事実
今なお原住民系アメリカ大陸人からの非難は向けられている
これもまた事実
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2.E3.83.B3.E3.81.8B.E3.82.89.E3.81.AE.E8.A9.95.E4.BE.A1
119 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/21(土) 22:01:06.53 0
ラッセル・ミーンズは「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」
AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」
ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている。
- 148 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 00:59:40.32 O.net
- スペイン人はアホだから征服地から来る利益はジェノバ人とバスク人に流れていったよ。
また16世紀の征服地から来る利益の多くはネーデルラント独立運動を鎮圧するために使われた。
それでも独立は阻止出来なかった。
- 149 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 01:45:59.44 0.net
- >>142
http://www.meijigakuin.ac.jp/~mashiyam/pdfdocs/develop.pdf
1700 年から 1820 年の期間では、
イギリスに産業革命が到来し、イギリスの1人当たり GDP は急上昇 を始め
オランダの所得が減少する。
イギリスの所得はヨーロッパ諸国平均の2倍の速度で成長を遂げ る。
イギリスの人口は 17 世紀の約 2 倍の成長率で拡大し、都市化率も上昇する。
1820 年から 1870 年の 期間と 1870 年から 1913 年の期間は、
パックス・ブリタニカの時代と言われたように、
イギリスの 1 人 当たり所得は歴史上最高水準、世界最高水準となる。
1913 年の所得水準は、1820 年の水準より約 2.9 倍となる。基本的理由は
1700 年代中期以降の産業革命に伴う技術進歩の継続的進捗、
資本ストックの 加速度的蓄積、
教育改善と労働者技能の上昇などによると言われている。
- 150 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 01:47:37.95 0.net
- テキトーぶっこきやがって
- 151 :世界@名無史さん:2012/07/29(日) 02:46:25.51 0.net
- >>149は>>142に何を言いたいのやら
- 152 :世界@名無史さん:2012/08/04(土) 23:34:37.28 0.net
- 697 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/08/04(土) 21:09:52.12 0
高橋均氏が言うには、現状ではカストロによる社会主義体制以外の
選択肢がキューバ国民には思いつかないらしい。
キューバはすでにその歴史の中で、独立初期の共和制やマチャド独裁、バティスタによる実権掌握時代、
一時的な民主化、バティスタ完全独裁などを通し、どの時代もアメリカ合衆国の影響がかなり強まってたからね。
キューバ革命後、そのようなアメリカ合衆国の影響をようやく排除することに成功した訳で、
そこが国民による支持の源であり、そのため国民も他の政治体制を選択する気が起きないのかも知れない。
だからソ連が崩壊した今でも続いてる。
ところで、キューバの歴史教科書を見ると意外なことにカストロに対する神格化があまり見られないんだよね。
もちろん今のキューバでフィデル・カストロは尊敬されてるし、教科書でも良き指導者として書かれてるけど、
そんなに大々的に書かれてる訳ではない。
後藤政子氏も言ってたけど、現在のキューバの歴史教育では
カストロよりもホセ・マルティの功績のほうが強調されてるんだよね。
698 名前:Ryuju ◆RlujhF6VrA 投稿日:2012/08/04(土) 23:11:02.98 0
キューバは存命中の指導者の神格化の類を法律で禁止してるんだそうな。
カストロが神格化されるにしても死後だろう。
699 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/08/04(土) 23:26:55.12 0
ホセ・マルティのほうはすでに亡くなってる人物だから神格化もOKということなのかな。
でも、その割にはすでに死んでるはずのチェ・ゲバラの功績もそこまで強調されてなかったような・・・。
まぁ、教科書でも当然良い革命家として描かれてはいたけど、そこまで神格化してる訳でもなかった。
現在のキューバの歴史教育では、キューバ革命の成果をフィデル・カストロや
チェ・ゲバラだけによるものだとはせず、ホセ・マルティやそれ以前から続くキューバ
独立運動の活動家たちによるキューバ革命への影響を重視してる。
キューバでは、キューバ革命は10年戦争以来続くキューバの
絶え間ない革命運動の集大成として捉えられてる訳だ。
- 153 :世界@名無史さん:2012/08/14(火) 21:45:14.70 0.net
- オリンピック陸上などでジャマイカ最強なのは
スペインが原住民皆殺しにして
アフリカから最も丈夫な民族を奴隷に連れてきたおかげだよね
- 154 :世界@名無史さん:2012/08/15(水) 15:37:25.21 0.net
- それだけだと、ドミニカがあんましな理由が説明できない。
- 155 :世界@名無史さん:2012/08/16(木) 04:21:14.37 0.net
- 貧乏人が手っ取り早くのし上がれるのがスポーツ・音楽ですので
農業人口が多いドミニカはそこまで血眼になってスポーツ等で身を立てる必要が薄いんでしょうなぁ。
ジャマイカは農業従事率が低く失業率が半端じゃありませんので。
- 156 :世界@名無史さん:2012/08/16(木) 10:48:50.64 0.net
- 何適当なこと言ってるんだよ。
ドミニカからどれだけ野球選手がアメリカに渡ってることか。
それにハイチはどうなんだ?
- 157 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 02:16:33.70 0.net
- 中世ヨーロッパを体験するイベントなんてやってたんだ。
http://woodruff.press.ne.jp/illusion/medieval_festa03.html
- 158 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:10:51.23 0.net
- 今回ポルトガルの道を歩いてみて、巨大砂糖がけクロワッサンのような
だだ甘いパンがカフェなどでの朝食の定番の一つである点はスペインも
ポルトガルも大差ないものの、二国の違いはナイフとフォークが出て
くるか否か(ポルトガルでは出てこない)ではないかという仮説を抱いたのですが、どうなんだろう?
- 159 :世界@名無史さん:2012/10/01(月) 09:59:11.30 0.net
- 未だにベネズエラやブラジルの先住民は殺害の危機に晒されている。
入植者の先住民への認識がコロンブスの頃と全く変わったわけではない。コロンブス上陸は開発の始まりでしかないと思う。
ある先住民はテレビ番組で服を着てないと撃たれるので着ていると言っていた。
- 160 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 21:22:48.79 0.net
- スペインの毛織物業の衰退の原因で、今有力な学説は何?
1981年出版の本では、食料品高騰に端を発すインフレにより
価格競争で負けたになっていたけど。
- 161 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 22:30:54.97 0.net
- 今有力な説かどうかは知らないけど
原料となる羊毛が国外に輸出されて、国内の毛織物業が振興されなかったとかいう話もよく聞く
- 162 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 10:10:37.78 0.net
- 292 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/10/26(金) 23:52:10.95
フィリピンがスペインの植民地になったのは1521年だが?
その後反乱も有って完全に占領されたのは1565年
本能寺の変が1582年、鉄砲伝来が1542年
鎖国開始が1639年
もしスペインが真っ先に日本を標的にしてたら、鉄砲の無い日本はヤバかった
高度な文化と2000万人の人口が居たと言われるインカ帝国は
皇帝が人質になって全国民が奴隷になった
インカ帝国消滅は1533年
- 163 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 10:52:05.05 0.net
- 1521年は単にスペイン人がフィリピンに到達しただけで支配はできてないだろ…
レガスピがマニラを征服し、ウルダネータがヌエバ・エスパーニャとの航路を開拓するまでまともに行き来することすらできなかったというのに
- 164 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 16:26:07.09 O.net
- 新大陸からの金はオランダ独立戦争の費用とジェノバのユダヤ人への借金金利返済に消えたんだっけ。
ちなみに日本が最初に植民地を獲得したのが1895年
スペインがキューバ、フィリピンを失ったのが1898年
(だからなんだ)
- 165 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 18:03:52.83 0.net
- インカ帝国は鉄砲が無いから滅亡したんじゃないのだが。
馬とか病原菌とかなんだけど。
- 166 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 18:08:22.12 0.net
- ていうかインカの国民は制度上奴隷にはならなかったし、滅亡したのも実質的には1533年じゃなくて1572年だけどな
- 167 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 19:01:23.87 0.net
- まあちなみに当時のスペイン王カール5世は
オスマン大帝スレイマンには皇帝と認められず、
臣下の礼を取った家来だがな。
オスマン>スペイン>>>日本なの? 日本低いなあ
- 168 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 21:00:07.52 0.net
- >>167
その話よく聞くけどソースはなに?
- 169 :世界@名無史さん:2012/10/27(土) 21:43:40.16 0.net
- >>161
毛織物ギルドが、国王に賄賂を送って、輸出を禁止すれば良いような。
- 170 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/27(土) 23:40:27.46 0.net
- >>165
まぁ、1533年と言っても問題はないと思うけどね。ビルカバンバに立てこもったのは一部であり、
インカ帝国の人間の多くは1533年以降にはスペイン人の支配を受けてるだろうからね。
>>168
おそらく、スレイマン1世がカルロス1世に送った親書のことを言ってるんだろうけど、
別にカルロス1世自身はそれに従って臣下の礼のとったという話は僕も聞いたことないなぁ。
- 171 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 00:22:21.32 0.net
- >>169
たしか毛織物業はカスティーリャでは新興産業で、技術革新やインフレに追いつけず衰退していったから
中世からカスティーリャの重要な産業だった原毛輸出を抑えられるほど力がなかったのではないかと
>>170
それに加えて、弟のフェルディナントがオスマン帝国に貢物をしてたのを取り違えてるのではないかと思うんだが…
- 172 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 00:45:23.81 0.net
- お前らそんなにイスパニアを崇めてどうするんだ。
バテレンを連れて来たイスパニアは、
インカやフィリピンを赤子の手をひねるように蹴散らした
当時世界最強のヨーロッパの無敵王だなどと本気で信じているか。
無敵艦隊は皮肉だしヨーロッパでも群雄割拠で世界王とかじゃ全然ないぞ。
日本史上で圧倒的な存在感があるだけで。
- 173 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 00:49:32.08 0.net
- 日本史上で、イスパニアに存在感なんてあるか?
ポルトガル、オランダに比べると、かなりマイナーだと思うが。
- 174 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 01:01:45.75 0.net
- 戦国オタならイスパニアは外せない
堺の市中とかイスパニアだらけだ
- 175 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 01:03:56.15 0.net
- ゲームの中ならともかく、現実の史実でそんなことあったっけ?
それとも堺だけ?
- 176 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 01:25:04.17 0.net
- 堺は自治都市国家だったから港に国内外含め様々な人種がいた。
そこから鉄砲を大量に買い付けた織田信長が天下にリーチをかけたのは言うまでもない。
でも一番影響が大きかったのは九州大名で
ほとんどイスパニアの同盟諸国状態だった。
ゲームは知らねえ。相手方に聞け。
- 177 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 01:31:08.13 0.net
- ポルトガル船に乗って来たスペイン人は結構いるだろうが、
スペイン船自体はあまり日本に来てないだろ。
トルデシリャス条約で、日本はポルトガル側に分割されていたわけだし。
あとフランシスコ会も、イエズス会に比べればずっと少ないし。
>でも一番影響が大きかったのは九州大名でほとんどイスパニアの同盟諸国状態だった。
具体的にどこのことだ?
- 178 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 02:03:07.44 0.net
- アホか。
じゃあフィリピンとかどーするんだよ。
スペイン王フェリペ2世の名を持つフィリピンは。
それに戦国後期にはポルトガルはスペイン併合です。
九州大名は全部キリシタン(島津除く)
イスパニアには使節団を送ってる。
イスパニアの東シナ海覇権は万全です。
サルやタヌキがキリシタンを禁止したのも無理はない。
- 179 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 03:22:27.74 0.net
- >じゃあフィリピンとかどーするんだよ。
当時は計測技術が未熟で、フィリピンはスペイン側、日本の大部分はポルトガル側
(東北の一部はスペイン側)とされていた。
そんなことも知らんのか。
>それに戦国後期にはポルトガルはスペイン併合です。
それは1580年だ。
戦国時代はほとんど終わってる時期。
>九州大名は全部キリシタン(島津除く) イスパニアには使節団を送ってる。
で、具体的にどういう関係が結べたって?
- 180 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 04:02:08.71 0.net
- 計測技術が未熟でどうやって東北の一部を判別してんだよ。
何が東北の一部だ。緯度線で分割する東北なんて精密な測量技術が無けりゃ誰もわからんわ。
お前いっぺん日本地図でちゃんと見てみろ。
連中が振り分けたいのは大陸部分。
1580年が戦国ほとんど終わり?
佳境に入ってる一番大事な時期なんだが。鉄砲もバテレンも
1500年代半ばの伝来なのにいきなり終わってどうするw
戦国時代は主無しなんだぜ?
大名は全員独立国家だよ。キリスト教国というのは最上位に教皇がいるわけ。
改宗は大キリスト教連邦の一員になること。
現にマニラあたりに多量に戦力供給を行っている。
ガスパール・コエリョとかアンボイナ事件とか知れ。ほらまた調べて来い。
- 181 :180:2012/10/28(日) 04:07:19.92 0.net
- 緯度線…×
経度線…○
- 182 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 06:52:07.26 0.net
- 厨房の頭の中では、1580年って佳境なんだ
- 183 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 07:11:01.95 0.net
- >戦国時代は主無しなんだぜ?
>大名は全員独立国家だよ。キリスト教国というのは最上位に教皇がいるわけ。
>改宗は大キリスト教連邦の一員になること。
>現にマニラあたりに多量に戦力供給を行っている。
>ガスパール・コエリョとかアンボイナ事件とか知れ。ほらまた調べて来い。
頭の中一度整理して出直して来いよ。
島津以外の九州の大名っていくつあるか知ってるのか?
で、それが残らず改宗したって?
イスパニアのどこの使節団が、いつどこに行ったのかも知らない癖に、
口から出任せばっかりよく出てくるものだ。
- 184 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 07:32:27.34 0.net
- どう考えても1580年は佳境だろ。
安土城完成から信長の一人勝ちが決まりかけていた頃。
イスパニアのどこの使節団ってなんだよ。
使節団といったら天正少年使節団千々石ミゲル・伊東マンショ・原マルチノ
あともう一人二人のこと、に決まってるだろうが。
ゴアを通ってマドリードからローマ法王にも謁見した誰でも知ってる使節団だ。
煽りしか出来ない馬鹿の話はつまらん。
- 185 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 08:48:06.54 0.net
- こいつ、基地外を装ってるのかな?
>イスパニアのどこの使節団ってなんだよ。
>使節団といったら天正少年使節団千々石ミゲル・伊東マンショ・原マルチノ
>あともう一人二人のこと、に決まってるだろうが。
こりゃ、日本の使節だろ。
- 186 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 09:12:32.52 0.net
- >>184は、基地外キャラであちこちのスレを荒らしているアホだから、
相手しなくていいよ。
- 187 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 09:19:11.92 0.net
- >>185-186
最初から日本の使節の話だよ。
話した当人が言ってるのに、
お前は自分が聞き手なのか話し手なのかがわからないのか?
自作自演のやり過ぎで人格が分裂してやがる。
- 188 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/28(日) 09:28:31.26 0.net
- >>171
なるほど。その可能性が高いね。スレイマン1世がカルロス1世に送った親書と、
フェルディナンド1世のオスマン帝国に対する対応の二つを取り違えてる訳か。
- 189 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 09:49:31.29 0.net
- 戦国オタクの南蛮びいきはわずらわしい。
イスパニアなんてフランソワにもプロテスタントにも負けっ放しだっての。
カールびいきも困ったもんだわ。
- 190 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 10:01:35.48 0.net
- こういう中途半端な知識の連中は、どこで情報集めてきているのかね?
ゲームでも漫画でもなさそうだし
- 191 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 10:13:41.63 0.net
- >>189
カールは治世末期にアンリ2世の参戦やザクセン公モーリッツの裏切りで立場を危うくしただけで
それまではフランスに対してもプロテスタントに対しても勝利を収めてきてるだろう
- 192 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 10:21:14.74 0.net
- プロテスタントはシュマルカルデン戦争からアウクスブルグの宗教和議で
>>191
カールの代で存在が生まれたんだぞ。
栄光ある皇帝だったとともにローマ世界を維持しきれなかった王として
失意のうちに引退したんだぞ。
なに言ってんだ本当。
- 193 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 10:25:08.39 0.net
- 戦国関係は元々世界史とは同レベルには扱えない。
客観視出来るものじゃないからな。
朝鮮にキリスト教伝来したのが小西行長だとか、
戦国終結の契機は上方ではなく関東上杉家の後継戦争だとか、
そんな事情に江戸開府時の大久保長安がキリシタンでクーデター意図があったなんて話が加われば、
もう歴史史実なんかで語れない。
鄭成功も宮本武蔵もほとんどおとぎ話の世界だぞ。でも現代思想にも深く影響している。
正論だけで語りたいなら日本史は混ぜない方がよい。
- 194 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 10:52:29.82 0.net
- >>192
俺はカールが「負けっ放し」だったという点に反論しただけで、最終的にプロテスタントの排除に失敗したかどうかは問題にしてないよ
彼が結局アウグスブルクの宗教和議という妥協に走らざるを得なかったのは確かだとしても、一度はミュールベルクの戦いでプロテスタント諸侯に大勝したのも確か
対フランスに関しても、アンリ2世からメッツを奪還できなかっただけで、フランソワ1世との戦いでは基本的に優勢だった
- 195 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 11:09:25.58 0.net
- >>194
負けっ放しだ、くらいに言わないと通じないことがある。
カールは滅び行くカトリック世界を繋ぎ止めた。それなら勝利だ。
だがそもそも風前の灯で宗教世界はほぼ食い荒らされてしまった。
プロテスタントとはローマカトリックを否定した別宗教で、
カールの前までは存在すらしていないんだよ。
最初から歴史勢力のひとつだと思い込んでる相手には、
当時のカトリック包囲網については言い切らなければ伝わらない。
- 196 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 11:42:00.68 0.net
- 自分はディティールにおいてカールが負けっ放しだったというのは事実に即していないと指摘しただけなんだが…
大筋でいえばカールはキリスト教世界の宗教的統一を保持するのに失敗した。あなたはそれを負けっ放しと言わなければ通じないと思っている
それはあなたの勝手だが、経緯でいえばカールはいつでも戦争で負け続けていたわけでない。それだけの話じゃないか
- 197 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 12:37:05.57 0.net
- 戦国の話が出て来たら印象論だからね。
日本から見て南蛮人は想像上の異次元人で、
いまでもそれに追い付くことが世界で一番だと思ってる。
では逆にインカは本当に2千万人死んだのか?
大航海時代は近代植民地戦争のように地球上を自由に切り取っていたのか、と。
サムライ最強論の日本人も西洋の黄金の国ジパングも全て印象論でしかない。
虚妄に事実で対抗しても話は合わない。
- 198 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 12:39:44.22 0.net
-
スペイン列車爆破事件は阿南陸軍大将記念か
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/9/107_1.html
スペイン列車爆破事件は、日本の阿南惟幾(あなみ これちか)陸軍大将を記念した、
テロ事件である可能性が高い。
この日は、旧暦で2月21日、日本政府とアナン国連事務総長の記念すべき日だった。
(仮説を含む)
- 199 :世界@名無史さん:2012/10/28(日) 12:40:59.68 0.net
- これは詩なのかな?
- 200 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 23:43:00.85 0.net
- 11から13世紀の大進展の時代、イスラム側が弱かった理由は何だろう?
- 201 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 00:17:07.49 0.net
- エンコミエンダ制って実際はどうだったんだろう。
共著 染田秀藤『もう一つのスペイン史』(1994)によると
もともとは、レコンキスタにおいてイスラム教徒から奪還した土地の再植民家のための制度。
キリスト教化の推進をローマから委託されていたが、インディオの人口減少により、スペインの
支配の認可取り消しをおそれ、その解決法として1503年に導入した勅令。
インディオの改宗を図ること。インディオの労働を貴金属の採掘や農作業に従事させること。
その労働に対して賃金を支払うこととしている。キリスト教に改宗させることを条件に、奴隷として
ではなく労働者として働かせることができる許可で、階級や身分、功績に応じて、割り当てが
決まっていた(この割り当てを受けた植民者はエンコミエンデロと呼ばれた。
すなわち人口減少−>エンコミエンダ制導入で、
国王 キリスト教化
植民者 労働成果
原住民 賃金(労働)
- 202 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 00:49:37.05 0.net
- 大進展ってモンゴルがか?
- 203 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 00:55:06.84 0.net
- 一方日本語ウィキペディアでは、
ローマ(教皇庁)との関係はなし、イベリア半島で導入していたものを1502年に同様に導入した。
導入理由は不明。賃金を払い、奴隷としてではなく労働者として働かせていることについては、
一切記述無い。国王が階級や身分、功績に応じて、奴隷にしていい人数を割り当ててもらい、
その奴隷を利用して効能物を受け取る。キリスト教に改宗させることが義務づけられているとしている。
しかもエンコミエンダ制導入により人口が減少したという。
国王 キリスト教化
植民者 労働成果
原住民 なし(奴隷)
出典は、染田秀藤・編『ラテン・アメリカ史 植民地時代の実像』(1989)らしい。
なぜこんなに違うんだろう?
1502と1503年で違うのは旧暦新暦の違いとかだろうから、違っていてもかまわないけど。
制度の建前と実態との混同が影響だろうか?
- 204 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/11/05(月) 14:28:20.05 0.net
- >>201>>203
エンコミエンダ制で強制労働させたりしてたから導入後も人口の減少には歯止め
がかからんと思うんだよな。人口の減少への対策じゃないからね。
>出典は、染田秀藤・編『ラテン・アメリカ史 植民地時代の実像』(1989)らしい。
この本は読んだけど>>201のインディオの改宗〜エンコミエンデロと呼ばれた、
のところの内容が書いてあったのは覚えてる。前半のローマが云々はすまんが覚えてない。
ただ制度上でも奴隷と先住民は違ってたことは書かれてるよ。
先住民は奴隷と違って賃金出たようだけど主人の意向で解放されたりするチャンスはなかったとか、
金で買った奴隷よりただで手に入る先住民がより酷使されていたこととかも書かれてるね。
そういや先住民の人数を割り当てたというより土地を割り当てたようだけど違ってたかな?
総レス数 338
99 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver.24052200