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【ユーラシア】西洋vs.中洋vs.東洋

142 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 02:25:09.73 ID:QySHrL166
『全世界史』p.190〜191

「 8世紀から10世紀にかけての東西を繋ぐ(あるいは分断する)
大帝国キメク、
これを無視したことは、旧来の歴史教科書の最大に近い誤りである。

これなしに、8世紀以降のアジアとヨーロッパを繋ぐ歴史の流れは理解できない。

よって高校の教科書では
全く世界史の流れが理解できないのである。」

143 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 02:47:59.72 ID:QySHrL166
『全世界史』p.191〜191

■カザールとヨーロッパ、そしてユダヤ人の起源

「 イスラム帝国が猛威を振るい始めた7世紀以降、
東ローマ帝国はカザール帝国があったからこそ
国家と国家宗教キリスト教を守ることが出来た。

また、東ローマ帝国がかろうじてでも存続したからこそ、
イスラム軍はアフリカ経由でイベリア半島までしか行けなかった。

 イスラム帝国の軍が地中海ではなく
ウィーンを経て陸路を進んでいけたとしたら、
フランク王国は全く成立しえなかったろう。

コーカサス、黒海北、アナトリア半島北部を押さえた
カザール帝国の意味は限りなく大きいのである。」

144 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 03:07:19.82 ID:QySHrL166
『全世界史』p.194〜194

「 (略)漢民族の歴史家は、
五胡十六国時代(4世紀初頭から5世紀前半)や
五代十国時代(10世紀)を
混乱して実りのなかった時代としてしまうが大きな間違いである。

 この時代(特に五胡十六国時代)がなければ、
そして北方遊牧民の文化的民族的混入がなければ
中国は全く「発展」しなかった。

隋や唐も生まれていないだろう。

隋や唐がなければ、中国はどうなったかは言わずとも知れたことだ。」

145 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 03:21:08.32 ID:QySHrL166
『全世界史』p.195〜197

■満州、南シベリア、興安嶺のイェメク

「 この国の内部において後に韓国を作る韓族が朝鮮半島で活動し始めるが、
彼らは主張しているごとき
北満州のフーユ国の王族(または皇族)の系統ではなく、
コマ国における半島での非支配的民衆である。

 おそらくツングース系ではあるまい。ツングース系は支配層なのだ。」

146 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 03:47:07.54 ID:QySHrL166
『全世界史』p.197〜199
■フーユ、コマと日本のつながり
「 重要きわまる時期、すなわち4世紀前半、
フーユ(夫余)の皇族は、南に逃れて朝鮮半島西部にクダラ王国を作る。

 これもおそらくではあるが、彼らはツングースとチュルクの双方からの血縁的影響を受けた人びとだっただろう。

 ところで、クダラは絶対にクダラであってヒャクサイでもピャクチェでも百済でもない。

当時コマとかなりの程度に言葉が共通し、相互に通じてもいた日本の過去の歴史家が明瞭に音を特定し、言い伝えてきたものが正しい。

 ヒャクサイもピャクチェも百済という漢字から発しただけの音である。
どうしてもそれが正しいというなら、飛鳥はヒチョウと読むべきだということになる。

 このクダラが日本皇室と繋がっていたことはほぼ明らかである。
他方、聖徳太子が異常にコマとの関係を重視していたこと、
大和政権が朝鮮半島に同盟地を持っていたこと、
その同盟地・任那を失ってもなお
九州の小王国はしばしば半島と深い関係を持っていたこと、
クダラの王室に対して日本は国運をかける勢いで救援しようとしたこと、
蘇我氏の追放はそれにさして熱心でなかったことに対する攻撃だったらしいことなどを
あわせて考えて、フーユ、コマと日本は当時、大変深い関係があったことは間違いない。

 繰り返すが、このフーユとコマの存在がシァンピが東へ来る動きを妨げた。

 血流にたとえると、北満州・興安嶺から南(さらに東へ)というルートは
詰まってしまっていたのだ。それどころか、
シャンピはコマやフーユの力に押されて、自らの発祥の地から西へかつ南へと去っていったのだ。

147 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 04:11:06.44 ID:QySHrL166
『全世界史』p.200〜200

■清朝に至る満州の動き
「(前略)

 その満州人中心の清を、漢人中心主義をもって打倒したのが
孫文の辛亥革命(一九一一年)だった。

ただ、それが共産党主導の中国になっても
清国が作り上げた大帝国建設主義の路線は完全に受け継がれて今日に至っている。

残念なことに、その場合、満州人が最初から持っていた
その国際性、移動性が悪く利用された。


 遊牧民が本来持っていた
連合性の尊重が精神の中から全く失われて、
漢人による抑圧的中央集権の極致のごときものが見えるのがその後の動きである。

(後略)」

148 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 05:30:07.28 ID:QySHrL166
『全世界史』
はじめに-哲学と生命論なき「歴史」学は全て退場せよ

第1章世界の中の日本
独立はしていたが孤立していない最古の日本列島文化
日本は漢字文化圏にはいない
蘇我氏の登場と日本連合帝国の成立
「日本」の出現
小王国の連合-ヤマト帝国の成立

第2章文化と文明、王国と帝国、民族と人種
ローマは「王国」、ヤマトは「帝国」である
文明という病はどこから、いつ始まったのか
シュメール人が広めた病、それに罹患した諸民族
誇示すること、残すことへの執着という「病い」
シュメールの病いは古いのか新しいのか
ミシアとメシア-その発祥の地
騎馬民族分化の基軸
シュメール以後の諸王国
経済が誕生した本当の理由
南シベリアからの移動と衝突、融合と展開

第3章人類文化の起源地・ユーラシア
文化と文明の大道
本当は豊かだったシベリア
アレクサンドロスが憧れた草原
草原の大国が重視したチュー川流域の力
人類文化の出発地点、ミヌシンスク文明
「移動」と「金属」が根本特徴
7000年前からの病い

149 :世界@名無史さん:2015/07/09(木) 05:33:02.46 ID:QySHrL166
第4章世界帝国アスカ
世界史の表舞台に立つアスカ
アレクサンドロスの欠陥
アスカとミトラ教
アスカと日本の飛鳥、そしてゲルマン
発展した東西交易とユダヤ人-ローマやむを得ず西へ
ゲルマン人、表舞台へ
ヨーロッパ形成の基軸はなにか
本当は異質物のフランク族

第5章異端と正統の誕生-西ヨーロッパ社会の基礎
西ヨーロッパに響いたユーラシアの動き
ドナウ川、渡って行くのはみなゴート
ミトラ教の浸透
異端と正統の逆転-繰り返し産み出される二重性
ケルト人とフランク族の謎
フランク王国メロビング朝
フランク王国から10世紀のヨーロッパへ
チュルク族のカザールと西ヨーロッパ
南仏、スペインのキリスト教世界

第6章ヨーロッパの本格的成立
アジアと違うヨーロッパ都市の成立
十字軍のインパクトとヨーロッパの経済的成長
ルネサンスは「復興」にあらず
重商主義と絶対王政の展開
海外交易の進展、そして植民地経営
ヨーロッパはどうなるのか、日本はどう対応するのか

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