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マウリヤ朝

1 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 06:56:45.19 0.net
インド亜大陸のほぼ全域を統一した最初の帝国

2 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 10:16:54.96 0.net
マウリヤ朝(マウリヤちょう、梵: Maurya-sāmrājya、紀元前317年頃 - 紀元前180年頃)は、古代インドで栄えたマガダ国に興った王朝である。

紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。
アショーカ王の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。

しかしアショーカ王の死後国家は分裂し、紀元前2世紀初頭、シュンガ朝の勃興により滅亡した。

3 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 20:06:15.10 0.net
詳しいことは分からないのが古代インドの歴史だが、マウリヤあさ

4 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 20:07:11.32 0.net
詳しいことは分からないのが古代インドの歴史だが、マウリヤ朝の初代皇帝チャンドラグプタは例外的に知られている

5 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 20:08:00.63 0.net
アレクサンドロス帝国の後継将軍たちと戦ったおかげで、ギリシャ側の記録に残った

6 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 21:25:30.92 0.net
>シュンガ朝の勃興により滅亡した
これちがうだろ。シュンガ朝は将軍のクーデターだから簒奪

7 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 07:37:59.33 0.net
名高い軍師 カウティリヤ

https://www.brilliantread.com/wp-content/uploads/2017/04/chanakya-2-150x150.jpg

8 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 07:39:40.84 0.net
カウティリヤは紀元前324年頃のインド北西部におけるチャンドラグプタの挙兵に大きく関わったとされており、
彼の補佐のもとチャンドラグプタはガンジス川中流域へと侵攻してナンダ朝の首都パータリプトラを占領し、
国王ダナナンダを殺害してナンダ朝を滅ぼし、マウリヤ朝を建国した。

カウティリヤは建国されたマウリヤ朝において引き続き政治顧問の役割を果たし、事実上の宰相となっていた。
また、タキシラにあった大学の教官でもあった。
チャンドラグプタの死後も、彼の息子であるビンドゥサーラ王のもとで引き続き補佐を行っていたとされる。

カウティリヤの残したとされる「実利論」はサンスクリット語で書かれた冷徹な政治論であり、しばしばマキアヴェッリの『君主論』と比較される。
この「実利論」は同時に、当時のマウリヤ朝やインド社会を知るための貴重な資料ともなっている。

9 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 07:41:05.27 0.net
カウティリヤの「実利論」は、かなり有名な個展

日本での知名度はゼロに近いが

10 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 15:06:00.35 0.net
カウティリヤといえば必殺毒殺人。
マキアヴェッリとよく比較されるカウティリヤだが
そういやマキアヴェッリのころのイタリアも毒による暗殺が盛んだったね。

11 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 04:31:55.11 0.net
>>4
チャンドラグプタよりアショカのほうが知られてるよ

12 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 02:03:53.85 0.net
>>2
>南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。
つまり統一できなかった

13 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 05:53:32.93 0.net
インド南端はそんなに魔境なのか

14 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 21:11:41.13 0.net
>>13
昼でも暗い濃密なジャングル

支配できるようなところではない

15 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 21:21:54.33 0.net
とくに騎馬軍団には不向き

16 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 21:33:22.24 0.net
でも交易で豊かではあったんでしょ
至極攻めにくそう

17 :世界@名無史さん:2018/08/08(水) 07:07:42.99 0.net
古代から栄えていた

18 :世界@名無史さん:2018/08/08(水) 07:08:46.87 0.net
インドとアラビア半島は、地図で見ると意外なほど近い

古代から交易が盛んだったのは当然

19 :世界@名無史さん:2018/08/11(土) 14:03:10.77 0.net
アショーカ王 獅子柱頭

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/postagestamp/20170326/20170326161816.jpg

20 :世界@名無史さん:2018/08/14(火) 01:14:34.27 0.net
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)

21 :世界@名無史さん:2018/08/14(火) 19:24:57.65 0.net
>>15
古代インドに騎兵なんていたの?当時は戦車だったんじゃないの

22 :世界@名無史さん:2018/08/14(火) 20:29:40.46 0.net
>>21
象に騎乗してたろ

23 :世界@名無史さん:2018/08/14(火) 21:50:50.38 0.net
>>22
>>15に、「騎馬軍団には」と書いてあるけど

あと辞書には、騎乗も騎も馬に乗ること、と出ているが・・・

24 :世界@名無史さん:2018/08/14(火) 22:31:54.51 0.net
>>21>>23
ポロス

25 :世界@名無史さん:2018/08/15(水) 01:37:42.31 0.net
>>24
ポロス王は南インドの王じゃないよ
>>15>>13->>14を受けた、南インドの話
まあ、ヒンドゥスターンの話としても、ポロスはインダス流域の王だからねえ

26 :世界@名無史さん:2018/08/15(水) 02:26:55.93 0.net
南インドにはチェーラ・チョーラ・パーンディヤの三王国があった訳だが。

27 :山野野衾 :2018/08/15(水) 05:42:36.60 0.net
>>21
仏典にはよく四兵(象・馬・車・歩の四軍団)が登場しており、これは阿含経からすでに見られます。
また、王の七宝と言えば車・象・馬・玉・美女・宰相・将軍の七種のこと。
『実理論』にも四種の軍団のことは見えており、チャトランガの駒にもなっていますね。

28 :世界@名無史さん:2018/08/15(水) 19:34:56.49 0.net
>>26
プリニウス博物誌で言及されているパーンディヤ朝の軍隊は歩兵と象だけとなっている
古代の南インドに騎兵がいたかどうかは実証に乏しいような

レリーフとか遺物とか発掘されてないのだろうか

29 :世界@名無史さん:2018/08/17(金) 22:55:05.36 0.net
どうも極論が多いな

「濃密なジャングルに覆われた熱帯の低地は、移動しにくい地形なので、征服するのが難しい」と言ってるだけで、不可能とまでは言ってない

もっとも、たとえ征服したとしても、長く支配し続けるのは不可能に近い

30 :世界@名無史さん:2018/08/17(金) 23:10:53.97 0.net
征服しようとするとベトナム戦争みたいになるわけか

31 :世界@名無史さん:2018/08/18(土) 12:20:02.20 0.net
>>29
インド南端全体が熱帯ジャングルというのも極端だろ
熱帯モンスーン、ステップ、サバンナ気候帯にわかれている

32 :世界@名無史さん:2018/08/24(金) 12:28:30.03 0.net
チャンドラグプタは、マケドニア系のセレウコス朝と戦いガンダーラを支配する

33 :世界@名無史さん:2018/08/25(土) 19:05:27.92 0.net
マウリヤ朝が弱体化すると、支配下にあったカリンガ国でチェーティ朝が成立し再び独立勢力となった

34 :世界@名無史さん:2018/08/27(月) 16:36:00.06 0.net
インドの馬ってアーリア人が連れてきたの?
インド原産?

35 :世界@名無史さん:2018/11/03(土) 03:00:10.75 0.net
紀元前3世紀にアショーカ王がインド半島の大部分を統一した。
アショーカ王は仏教をあつく信じ、
仏教の経典を編集させて、仏教をセイロン島(現在のスリランカ)まで広めたが、財政困難などの原因によって衰退
していった。
セイロン島に伝わった仏教は上座部(小乗)仏教といい、後に東南アジアまで広まっていった。


http://www.hello-school.net/haroreki023.html

36 :世界@名無史さん:2019/02/19(火) 21:42:20.27 0.net
4大官のひとつ婦人管理官 (ストリャディヤクシャ・マハーマートラ )
おいしい役得がありそうなポジションだ・・・

37 :世界@名無史さん:2019/02/19(火) 22:06:05.53 0.net
それって宦官やるのでは?

38 :世界@名無史さん:2019/04/27(土) 08:28:02.64 0.net
マウリヤ朝の都パータリプトラはアショカ王の時代に
世界最大の人口を擁する都市だったとか。

39 :世界@名無史さん:2019/04/29(月) 04:38:35.57 0.net
その時代なら中華は戦国末期
ローマはポエニ戦争前でやだとイタリア統一した程度
ライバル都市としてはアレクサンドリアくらいか

40 :世界@名無史さん:2019/04/29(月) 16:23:14.24 0.net
>>32
インド人は、歴史に無関心で記録しない国

マウリヤ朝のチャンドラグプタは、アレクサンドロス大王と戦ったおかげでギリシャ側の記録に残った
マウリヤ朝が有名なのは、「インド最初の統一王朝」というのもさることながら、それが大きい

41 :世界@名無史さん:2019/04/29(月) 18:34:00.80 0.net
ペルシャ帝国よりは遅いが、秦漢帝国よりは早かった大統一

42 :世界@名無史さん:2019/04/29(月) 19:54:43.39 0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%
83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D#/media/File:Maurya_MAP.png

最南端の部分に色が塗られてないけど
ここの部分にはどんな勢力がいたの?

43 :世界@名無史さん:2019/04/29(月) 20:50:57.13 0.net
>>42
アショーカ王の時代の南インドにはパーンディア朝があったらしい。
「パーンディヤ朝に関する最古の記録のひとつに紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王による
紀元前273年から同232年の間に刻まれた 磨崖詔勅の銘文が挙げられる。」

44 :世界@名無史さん:2019/04/30(火) 02:09:00.33 0.net
マウリヤ朝にチャンドラグプタ
グプタ朝にチャンドラグプタ1世
グプタ朝にチャンドラグプタ2世

紛らわしい

45 :世界@名無史さん:2019/04/30(火) 03:47:42.99 0.net
>>44
チャンドラグプタ1世とチャンドラグプタ2世の間に、サムドラグプタがいる

46 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 02:27:52.72 0.net
インド史の君主ベスト10に名前が挙がるような名君が三代続いた稀有な時代

47 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 14:32:22.68 0.net
日本史の名君ベスト10が三代続いた明治昭和平成
大正時代は昭和帝が摂政やってたから実質昭和

48 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 15:43:50.42 0.net
昭和帝の事をあれこれ言う人がいるが、かりに昭和の時代に現在の上皇、あるいは今上帝が天皇であれば

「あれだけでは済まなかった」可能性の方が大きい

49 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 20:45:46.55 0.net
スレタイには反するけど、やっぱり、イスラーム化する以前のインド古典文化の華といえるのは、グプタ朝なんだよな

50 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:04:00.33 0.net
まぁ、グプタ朝はいまに繋がるヒンドゥー文化が花開いた時代だからね
マウリヤ朝はアショーカがインドのある種のシンボルとみなされているものの・・・

51 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:05:04.42 0.net
マウリヤ朝が有名なのは、建国者のチャンドラグプタが、アレクサンドロス大王の東征軍と戦ったおかげ

歴史を記録することに興味がなかったインド人だが、チャンドラグプタはギリシャ側の記録に残って有名になった

52 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:06:51.39 0.net
それから、アショーカ王は仏教の歴史で有名な人物なので、そこでおおいに名を残した

インド人は、歴史には興味ないけど、宗教や哲学には異常なほど興味あるから

53 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:08:23.51 0.net
あと、日本ではあんまり知られてないけど、チャンドラグプタ大王の軍師・カウティーリヤが、西洋にも名を知られる有名人ってのもある

54 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:21:40.03 0.net
現代インド人にとっては、アショーカは国旗・国章のモチーフになった獅子柱頭を作った帝王にして、
はじめてインド統一を成し遂げた人物だと誰でも習うのでかなり特別な存在になってる

55 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:28:54.91 0.net
>>54
インド人も、愛国心を植え付けるための歴史教育をやっているのだな

もともと、歴史教育なんてものは、そのためにあるようなものだが
なんだか、インドも中国みたいになってきた

56 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:39:30.13 0.net
>>40
>>51
チャンドラグプタが戦った相手はアレクサンダー死後のマケドニア軍

57 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:46:15.80 0.net
>>56
そうだな

「アレクサンドロス大王の東征軍」じゃなくて、「セレウコス1世のインド遠征軍」に訂正

58 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 21:56:29.48 0.net
チャンドラグプタはジャイナ教徒で、最後は絶食して死んだらしい

59 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 22:00:35.75 0.net
>>58
そんなアフォが建てた帝国が、よくその後も存続したな?

60 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 22:12:02.12 0.net
つまり「アフォ」なる概念がその理解に使用されるべきではない英邁な君主だったのだろうね

61 :世界@名無史さん:2019/05/05(日) 23:06:39.84 0.net
マウリヤ朝は、初代から三代目までそれぞれ異なる新興宗派に入信したことで知られる
・初代 チャンドラグプタ: ジャイナ教
・二代 ビンドゥサーラ: アージーヴィカ教(運命決定論による諦観主義)
・三代 アショーカ : 仏教
仏教経典で六師外道とdisられるジャイナ教とアージーヴィカ教だが、この時期拮抗していたことが伺える
またマウリヤ朝が、バラモン教以外の新思想を柔軟に取り込む基本姿勢を有していたことを示唆している

62 :世界@名無史さん:2019/05/06(月) 06:14:41.56 0.net
>>59
大韓帝国を建てたチョン王や、中華帝国を建てた袁世凱ほどのアホではなかったってことか

63 :世界@名無史さん:2019/05/11(土) 22:50:34.80 0.net
チャンドラグプタバラモンやクシャトリアの出身じゃないみたいね

64 :世界@名無史さん:2019/05/14(火) 05:12:19.88 0.net
>>61
新宗教でバラモン教に対抗するという点では一貫しているようにも見えますな。

65 :世界@名無史さん:2019/08/16(金) 17:06:17.62 0.net
信長がキリスト教に好意的だったようなもの。
宗教の最大勢力を抑え込むのに目新しい宗教を使う。

66 :世界@名無史さん:2019/08/16(金) 17:38:59.31 0.net
>>59

苦行によって生じるタパスこそ宇宙を支配する永遠の力なのだが

67 :世界@名無史さん:2019/08/25(日) 21:06:28.35 0.net
史上最高の軍師はカウティーリヤ

68 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 12:47:46.20 0.net
カウティリヤってインド版マキァヴェリみたいに言われること多いけど、彼の補佐を受けたチャンドラグプタの統治も実際そんな感じだったのだろうか?

69 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 13:26:39.36 0.net
マキャベリは欧州版カウティリヤとは呼ばれへんな

70 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 18:18:55.50 0.net
「カウティリヤは、ヴェストファーレン平和条約よりもはるか昔に、
ヨーロッパの構造に匹敵するものをインドで築いた」。
「マキアヴェリとおなじように、自分が目にした世界を分析し、
行動の指針として規範ではなく実利を提案した」。
「『実理論』では、他の国をすべて征服し、
勝利に向かう道に存在するそういう釣り合いを克服することが、戦略の目的である。
その点からすると、カウティリヤはマキアヴェリではなく、
ナポレオンや秦の始皇帝になぞらえられるべきだろう」。
「カウティリヤはマキアヴェリとはちがい、よりよい時代の美徳への感傷を示さなかった。
カウティリヤが認める美徳の基準はただひとつ、
勝利への道についての自分の分析が正確かどうかということだけだった」。
 「いわばマキアヴェリとクラウセヴィッツを組み合わせたような理論だった」。
「『実利論』は国際秩序を打ち立てるための手引ではなく、征服のための手引だった」。

国際政治学者であり、ニクソンとフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領
補佐官であり、国務長官だったヘンリー・キッシンジャーは驚くほど高評価を下している。

さらに、マックス・ウェーバーも
「これに比べればマキャヴェリ『君主論』などたわいもないものだ」
と述べている。

71 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 21:06:02.64 0.net
カウティリヤの「実利論」って「周礼」や「君主論」と一緒でぼくがかんがえたさいきょうのせいさくろんで
現実に施行されたわけでも何でもないでしょ
同時代のアレクサンドロスの東征軍の将校らが残した見聞録とは大きくかけ離れるし

72 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 21:09:22.19 0.net
毒殺するやつは毒殺されることに恐怖し続けることになる

73 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 23:36:00.23 0.net
>>71
やっぱりそんなものなんやな
チャンドラグプタ時代のマウリヤ朝の統治制度っていまいち良く分からないんだよな
単純に資料が少ないんかね?

74 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 00:18:20.67 0.net
アショカは、カウティリヤの政策を継承しなかったの?

75 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 08:49:39.94 0.net
>>74
アショーカの統治って仏教的なダルマの統治がメインだったんじゃないの?

76 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 15:41:20.87 0.net
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ

77 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 16:01:31.04 0.net
>>76
そのだるまも語源同じやで
達磨人形のダルマってインドの言葉由来や

78 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 16:13:49.88 0.net
dharna samgha ko runda

ダルマ(法)、サンガ(僧伽)を誰が傷つけたのか?

79 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 16:14:12.29 0.net
ほう

80 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 23:40:19.50 0.net
アショーカが人殺し大好きだったのはショック

81 :世界@名無史さん:2019/08/27(火) 23:59:38.35 0.net
>>80
まあ後に仏教に目覚めて改心するから……

82 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 07:06:18.34 0.net
カウティリヤの実利論は、諜報活動の話が多い

古代インド人はスパイを送り込むのが大好きで、お互いに諜報合戦を繰り広げていた

83 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 15:21:26.11 0.net
暴君アショーカ

84 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 18:19:15.80 0.net
そりゃ、史上最大の帝国を築いた征服者なんだから、秦の始皇帝より強烈だろ

85 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 18:36:59.81 0.net
始皇帝やネロは暴君の代表みたいな扱いされてるけど
これは弾圧された儒者やキリスト教徒が誇大に暴君宣伝してるからで
実際にはそこまで暴君ではなかったと言われてる

アショーカは特にネガキャンされてるとは思えんから
ほんまに暴君やったんやろな

86 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 19:27:23.85 0.net
99人兄弟殺し、500人大臣殺し、8万4千の塔に分納


話盛りすぎだろ

87 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 19:45:12.11 0.net
盛ってるとしたら誰が盛ったんや?
始皇帝やネロと違うて特に恨みのある勢力は無いと思うけど

88 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 20:14:37.51 0.net
仏法の帰依者ですね

89 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 20:40:17.07 0.net
>>87
まあ、仏典は「極悪人が解脱して聖者になった」とか、「ボーッとしたバカが覚醒して知恵者になった」とか、そういう転回話が好きだけどな

でも、火の無いところに煙は立たない
伝説の暴君になったからには、相当に苛烈だったはず

90 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 00:07:15.75 0.net
仏法へのコンバージョン後はほんとうに善政を敷いたのだろうか…?
苛政で溜まった恨みと怒りが一気に爆発しそうなもんだが

91 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 00:43:09.42 0.net
偉大な征服者は何をしても恨みを買わない

92 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 06:45:40.64 0.net
生き残りがいるから恨まれる

全滅させれば恨まれない

93 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 12:04:31.63 0.net
>>87
恨みがあるから盛ったんじゃなくて、「かつては苛烈な暴君が仏教で改心した」ってなると仏教の良い宣伝エピソードになるから仏教サイドが盛った可能性はあるんやない?

94 :世界@名無史さん:2019/08/30(金) 07:11:39.30 0.net
いまでいうパキスタンやアフガニスタンあたりまで版図におさめているからな

シナにたとえれば、中華皇帝がモンゴルまで征服するようなものだ

95 :世界@名無史さん:2019/08/30(金) 07:13:51.77 0.net
>>94
アフガニスタンはともかく、パキスタンは歴史的にインド亜大陸の一部なんだし、
中国にとってのモンゴルとは全然違うやろ

96 :世界@名無史さん:2019/08/31(土) 08:07:13.70 0.net
インドへの侵略者は、常にアフガニスタンからパキスタンを通ってやってくる

97 :世界@名無史さん:2019/08/31(土) 08:22:52.05 0.net
マウリヤ朝時代にもアレクサンドロスやその部下たちが、アフガニスタン方面からインドに侵入しようとしてたな
一説によると、チャンドラグプタがセレウコスと戦った可能性もあるんだとか

98 :世界@名無史さん:2019/08/31(土) 10:15:25.28 0.net
中国への侵略者もたいてい雁門関を通ってやってくるが、中国の場合は他にも侵入口がいくつかある

その点、インドはカイバル峠しか侵入口がない

99 :世界@名無史さん:2019/08/31(土) 23:31:24.24 0.net
海沿いは砂漠や湿地帯のようだからムリだったのかな?

100 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 00:14:01.33 0.net
>>99
大航海時代以降のヨーロッパ人は海沿いからインドに侵入してるな
イギリスのインド植民地化だって基本的には海沿いからスタートしてる

101 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 01:35:56.77 0.net
アレクサンドロス大王はソグディアナからヒンドゥークシュ越えでしょ

102 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 19:41:18.47 0.net
>>98
そこしかないなら守りやすいように思えるが・・・それこそ長城つくって
インド人にはそういう発想はなかったのだろうか

103 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 20:32:57.73 0.net
地図を見る限り、例えばラージャスターンは、
だだっ広い乾燥した平原、しかも酷暑が続く土地のようだ
長城を築くのは無理だったのではなかろうか

104 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 20:41:59.94 0.net
飲み水が確保できないとか?

105 :世界@名無史さん:2019/09/01(日) 21:16:49.53 0.net
>>103
カイバル峠

106 :世界@名無史さん:2019/09/05(木) 08:14:06.81 0.net
数千年のインドの歴史を見ると、西北方面からの侵略を何度も受けてるので、攻めやすいのかと思ってしまうが

実際には、ヒンドゥークシュ山脈は峻険な「世界の屋根」
なんとか山を越えても、その先には支流が多い暴れ川のインダス越え、広大なラージャスターンの砂漠越えが待っている地獄の行軍

107 :世界@名無史さん:2019/09/05(木) 19:34:10.41 0.net
それでも攻め込みたくなるほど、インドの豊かさは魅力

108 :世界@名無史さん:2019/09/05(木) 20:40:44.78 0.net
呉子が言ってるように
防衛は土地の峻嶮かどうかよりも人にかかってる

109 :世界@名無史さん:2019/09/05(木) 20:45:36.37 0.net
アフガンからのインド侵略ならバーブル・ナーマ読むと分かりやすい

110 :世界@名無史さん:2019/09/08(日) 20:48:54.74 0.net
>>107
暑いやん

111 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 08:51:01.20 0.net
バーブルは、インドで皇帝になってからも、故郷の中央アジアに帰りたがっていた

高温多湿もさることながら、「美味しい果物がない」というのが最大の不満だったらしい

112 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 08:52:31.39 0.net
イチローも、アメリカに渡ってから、「こっちには旨いものがない」と語っていた
「アメリカ人の食事は、腹を満たすだけ」とも

113 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 08:56:25.65 0.net
バーブルの死後、フマーユーンが亡命先のペルシャから多数の料理人を連れ帰ってきたため、インド料理は劇的に進化することになる

その次のアクバルで、インド的なものとペルシャ的なものを併せ持つ、満漢全席みたいなムガール宮廷料理が完成した

114 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 17:34:34.39 0.net
インドの文化は、ムガール帝国の時代に飛躍的に進化した

それ以前のインド文化は、土人っぽかった

115 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 17:36:13.73 0.net
古代インドでは、女性も上半身裸だった

その頃は、おっぱいが珍しくなかったため、見ても興奮しなかったらしい

116 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 18:25:40.66 0.net
>>13
south indian forest

https://www.youtube.com/watch?v=pGGqrRBU2xk
攻めにくそう

117 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 19:48:57.76 0.net
そもそも、インドはヨーロッパ大陸くらい広い

ヨーロッパも統一された試しがないのに、インドを統一できないのは当たり前

118 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 19:51:24.98 0.net
もっとも、ヨーロッパは地形が複雑だ

イギリスは島だし、スペインとイタリアは半島で、半島の付け根を峻険な山脈で区切られている

ドイツとフランスを除けば、自然国境の壁が厚い

119 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 20:41:21.55 0.net
インドは、大きく分けて北のヒンドゥスタン平原と、南のデカン高原に分かれる

南北の境界線となっているのは、ヴィンディヤ山脈とサトプラ山脈で、その間の細長い谷間をナルマダー川が流れている

120 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 17:23:22.51 0.net
>>118
日本も地形複雑で多数の島に別れてて山脈多い平地少ない悪条件なのに
1500年前から統一されてる

121 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 17:33:47.78 0.net
>>120
ろくな表音文字がないからね
言語も統一できないままに暴力で支配した

122 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 18:00:24.73 0.net
>>120
統一なんかされてないだろ
明治になってやっと統一された

123 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 18:07:24.79 0.net
封建制やと統一されてないことになるんか?

124 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 18:25:13.26 0.net
>>120
日本は〇〇道を抑えるために、線をたどる。
ヨーロッパ大陸は平野部が大きいので、面を抑えなければならない。

125 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 00:42:24.13 0.net
>>124
華北平原から長江まで
済南近辺にちょこっと山ある以外はまったく山なんか無いだだっぴろい平原
2200年前に始皇帝に統一されてる

126 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:13:32.43 0.net
>>123
江戸時代なら緩やかな統一国家体制と言えるだろうが、室町時代なんか、どう見ても統一国家とは言えない

天皇と将軍がいるから統一国家だというのなら、ヨーロッパも教皇と皇帝がいるから統一国家

127 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:17:58.11 0.net
インドも、北部のヒンドゥスタン平原はだだっ広い低地
暑い国だが、熱帯雨林に覆われているわけではないので統一しやすい地形

でも、南部のデカン高原を長期にわたって支配するのは至難
ましてや、南端の密林に覆われた山岳地帯など

128 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:24:51.35 0.net
>>120
イタリアもそれと似ている
細長い国土なのに、東海岸から西海岸への移動は「海をグルっと回ったほうが早い」と言われるほど山が険しい

イギリス・フランスに比べて、統一および国民国家形成が何百年も遅れたのは当たり前

129 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:29:57.68 0.net
デカン高原の美しい風景

オムカレシュワルの魅力はその風景にある。はじめて見たすべての人が、その景観に釘付けになってしまう。
青々とした川の流れと雄大な空のコントラスト、川を行き来する幾つものボート、小さなガート、そしてガートから急な階段を上った辺りにある寺院、遠くに見える火葬の煙。そのすべてが美しい。
夕暮れの風景も忘れがたい。赤く染まった川の流れを眺めていると、シタールの音色がふと聞こえてくるようでさえある。

http://chaichai.campur.com/image/tabinozatugakuimage/omkareshwar01.jpg

130 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:38:03.38 0.net
日本の戦国時代だと、中央の秀吉軍が
地方で勢力を伸ばした長宗我部、島津を大軍で一捻り。
伊達、上杉などを戦わずして服属させる。
最後には物見遊山で北条氏を攻略。
ゲームで言うと終盤は楽勝モード。

それに比べるとインドの大国化した王朝は最後の詰めが甘いように感ずる。

131 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 04:56:36.76 0.net
>>128
アペニン山脈ってそんなに険しい?
脊梁山脈を持つ形状が似てるっちゃ似てるとはいえ、少なくとも日本の本州よりイタリア半島は緩そうだけど

132 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 08:15:11.59 0.net
マウリヤ朝の話とあまりにも関係ない
スレ違いの極致

133 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 09:25:41.33 0.net
ビリヤニ美味いな
あれは日本人ならほぼ100パーセントが好きたという味

134 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 13:30:50.68 0.net
>>132
いや、そんなことない

「インドを統一するのが、どれほど難しいか」は、日本人には実感しにくいテーマなので重要

135 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 13:35:07.27 0.net
富山から名古屋まで山岳地帯を越えていくのと、南ドイツから北イタリアまでアルプスを越えていくのは、地形も距離もよく似ている

こんな日本を統一できたのは奇跡

136 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 13:38:05.89 0.net
カリンガ国はインド亜大陸の東岸で勢力を振るった大国であり、この時代にもマウリヤ朝の支配には服していなかった。
遠征の理由は不明瞭であるが、マウリヤ朝の軍が時に敗走するなどの激戦の末カリンガ国を征服した。
この時15万人もの捕虜を得たが、このうち10万人が殺され、戦禍によってその数倍の人々が死に、多くの素晴らしきバラモン、シャモンが殺され、多くの人が住処を失ったという。
アショーカ王はこれを深く後悔し、この地方の住民に対し特別の温情を持って統治に当たるよう勅令を発した。以後対外遠征には消極的になり「法(ダルマ)の政治」の実現を目指すようになったという。

137 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 13:40:01.41 0.net
マウリヤ朝の王ってチャンドラグプタとアショカは有名だけど、その間のビンドゥサーラはあまり知られてないよな
やっぱり資料に乏しいからなんだろうか

138 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 13:42:33.00 0.net
265年、アショーカ王の頃の版図

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Maurya_Dynasty_in_265_BCE.jpg/250px-Maurya_Dynasty_in_265_BCE.jpg

139 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 14:05:32.52 0.net
古代世界でこういう領土塗りは意味ないよな
人口スッカスカなんだから

140 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 15:49:35.48 0.net
マウリヤ朝がどの程度までしっかりと領域支配できていたかは確かに謎だな
一応、インドをほぼ統一した王朝とは言われてるけど、どの程度まで集権的な支配が敷かれていたのかはいまだに良く分かってない

141 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 17:07:41.30 0.net
内地の帝国なのに、パキスタン・アフガニスタンまで征服したというのが凄い

中国でいえば、漢や明がモンゴルまで征服するのに相当する
武帝や永楽帝が生涯をかけた戦い

142 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 17:10:29.76 0.net
いや、パキスタンはインダス川流域だから、古代としては純然たるインドの地

アフガニスタンが、古代のペルシャ帝国やアレクサンドロス大王から、近現代のイギリス・ロシア・アメリカに至るまで苦戦つづきの難物だが、よく征服できたな?

143 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 19:00:47.44 0.net
>>142
マウリヤ朝によるアフガニスタン方面の征服は同時期にこの辺りを支配していたセレウコス朝との関係が手がかりになりそう
実際、マウリヤ朝初代王のチャンドラグプタはセレウコスと戦ったかも知れないと言われている(真偽はいまだに不明だが)

144 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 19:49:26.98 0.net
Wikipedia 「セレウコス朝」より

セレウコス1世は東部領土に目を向けた。当時マケドニアの東部領土ではバクトリア地方で入植ギリシア人の反乱が発生していた他、イラン高原の総督(サトラップ)達は親アンティゴノス派によって占められていた。
紀元前305年から2年間にわたるセレウコス1世の東方遠征は成功のうちに終わった。

一方この領土拡大の結果、当時インドで勢力を拡大していたマウリヤ朝の王チャンドラグプタの勢力範囲とセレウコス朝の勢力が接触した。
この時の軍事衝突の有無は不明であるが、セレウコス朝はマウリヤ朝の優位を認め、ガンダーラ、ドランギアナなど国境地帯のかなりの領域についてマウリヤ朝の支配権を容認し、見返りとして500頭もの戦象を得た。

145 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 19:59:02.05 0.net
古代には、アフガニスタン・タジキスタン・ウズベキスタンの国境あたりの盆地にバクトリアがあった

バクトリア王国はセレウコス朝にもマウリヤ朝にも従わず、イラン方面に勢力を広げ、アショカ王の死後はインドを侵略した

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/BactriaMap.jpg/350px-BactriaMap.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Afghan_topo_en.jpg/1280px-Afghan_topo_en.jpg

146 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 05:55:40.95 0.net
>>145
インド・グリーク朝だな
インドへのギリシャ人の侵入はマウリヤ朝時代以降も続いたわけだ
セレウコス朝から領土を奪ったマウリヤ朝は、インドへのギリシャ人への侵入を遅らせた存在と見ることもできる

147 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 08:59:45.59 0.net
ギリシャ人が世界を席巻していた時代だけに、関連は深い

148 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 09:56:04.63 0.net
インドにまでギリシャ人の影響があったというのはヘレニズムの広がりの凄まじさを実感するエピソードだな
ギリシャとインドなんて遠すぎるのに、良くこんな古代に接点があったもんだ

149 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 11:25:25.33 0.net
いや、意外に遠くないんや
イオニアからガンダーラまでおよそ3000km
日本の端から端までとだいたい同じ

150 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 11:29:28.63 0.net
ペルシャ人が交通網整備してあったからな

151 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 12:27:03.67 0.net
>>139
アショカ王碑文が発見された場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/ff/EdictsOfAshoka.jpg

152 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:34:26.48 0.net
乾燥地帯の移動は、「砂漠の船」ラクダがいればスムーズ

海上移動と同じで速い

153 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:46:36.48 0.net
マウリヤ朝にもアラム人商人のネットワークはあったんだろうか

154 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 20:27:59.87 0.net
インドというのはつねに西北からの侵略者に屈してきた
だがモンゴルだけは追い返した

155 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 20:44:47.36 0.net
バーブルはモンゴルじゃないのか

156 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 21:52:42.37 0.net
>>155
バーブルはモンゴルっていうよりもトルコ系だろう
ティムールの系譜だし

157 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 22:51:03.18 0.net
カイバー峠が無理なら、高度の低いところに長城を築けばよかったような。

158 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 23:21:11.18 0.net
>>150
フン族がヨーロッパで荒れまくったのもローマが交通路を用意してたからみたいな?

159 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 07:39:03.86 0.net
モンゴルを追い返したハルジーもトルコ

160 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 09:40:32.87 0.net
>>156
実質的にはチュルク化していても
ティムールと同様に家系の権威付けにはモンゴルを頻用する
そもそもムガールってモンゴルだし
母方の祖父であるモグーリスタン・ハン国の君主ユーヌスはチンギス・カンの次男チャガタイの後裔
モグーリスタンっていうのももろモンゴル

161 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 12:02:30.16 0.net
>>154
プラティハーラ朝が、初期のイスラム帝国による侵入を防ぎきったことを忘れてはならない

あれがなかったら、いまごろインドではイスラム教徒がもっと多かっただろう

162 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:04:32.75 0.net
チムールの出身部族のバルラス部は元朝秘史にも出てくるモンゴル族

163 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 06:40:53.41 0.net
>>160
ムガールって呼称はあくまでも他称なので、当人たちはそこまでモンゴルの権威を利用してないぞ

164 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 10:44:41.97 0.net
そもそもモンゴル人やないし
ペルシア人やん

165 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 10:55:26.14 0.net
しゃべってたのはチュルク語だろ?

166 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 12:11:38.32 0.net
ムガール帝国はトルコ人だ

ペルシャ文化に傾倒し、ペルシャ語を公用語としていたが

167 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 14:01:28.64 0.net
アフガニスタンとパキスタンの間にはカイバル峠があり、自然国境が明確だ。

それに比べて、パキスタンと北インドはどちらも広大なヒンドゥスタン平原の一部であり、明確な自然国境があるわけではない。
インドを独立するに当たって、イスラム教徒が多い地域とヒンドゥー教徒が多い地域を分離することになり、イギリスが適当に線引きして国境を決めた。
そして、イスラム地域からヒンドゥー教徒を、ヒンドゥー地域からはイスラム教徒をそれぞれ強制移住させた。

つまり、パキスタンと北インドは、もともと宗教的な地域差はあったものの、それが今ほど明確になったのは20世紀のことだ。

168 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 14:04:35.36 0.net
北インドの王朝も、パキスタンまでは征服できる。
そこからカイバル峠を越えてアフガニスタンにまで勢力を伸長できたのは、マウリヤ朝くらいのものだ。

169 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 01:36:55.90 0.net
一時的に占領することはできても
長期間安定支配は無理やろ

170 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 16:31:56.40 0.net
インダス川の東側は広大なタール砂漠で、これを越えるのは大変
これがインドとパキスタンを分けた

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bd/Thar_Desert_satellite.jpg/200px-Thar_Desert_satellite.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/02/Map_of_Vedic_India.png

171 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 18:00:51.14 0.net
パキスタンの中核地域、シンド州の歴史

紀元前3千年頃インダス文明が始まり、シンドにも有名な遺跡モヘンジョダロがある。
紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャに征服され「ヒンドゥシュ州」に組み込まれた。紀元前4世紀にはアレクサンドロス3世(大王)の遠征に続き
ギリシャ系セレウコス朝に短期間支配された後、マウリヤ朝に征服され、アショーカ王治下では仏教が盛んになった。

その後、ウマイヤ朝に征服されてイスラーム化が進み、シンドと呼ばれた。
アラブの支配は約3世紀続き、現在につながる文化が生まれた。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Sindh_in_Pakistan_%28claims_hatched%29.svg/500px-Sindh_in_Pakistan_%28claims_hatched%29.svg.png

172 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 18:12:00.80 0.net
ガンジス川流域の支配を確立したチャンドラグプタはインダス川方面の制圧に乗り出した。
インダス川流域はマウリヤ朝の成立より前にマケドニアのアレクサンドロス大王によって制圧されていたが、
アレクサンドロスが紀元前323年に死去すると彼の任命した総督(サトラップ)達の支配するところとなっていた。

ディアドコイ戦争中の紀元前305年、アレクサンドロスの東方領土制圧を目指したセレウコス1世がインダス川流域にまで勢力を伸ばした。
チャンドラグプタはその兵力を持ってセレウコス1世を圧倒して彼の侵入を排し(セレウコス・マウリヤ戦争)、セレウコス朝に4州の支配権を認めさせてインダス川流域からバクトリア南部にいたる地域に勢力を拡大した。
これが直接的な戦闘の結果であるのかセレウコス1世が戦わずしてマウリヤ朝の領域を認めたのかについては諸説あり判然としない。

173 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 18:34:17.20 0.net
シンドの長城
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/83/Rani_Kot2.jpg

174 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 21:51:38.37 0.net
>>173
「いつ、誰が造ったのか」が分からないというところが、インドらしい

175 :世界@名無史さん:2019/09/16(月) 22:05:25.93 0.net
アレクサンドロス大王は、カイバル峠を越えてインダス川、いまでいうパキスタンまで進軍した。
兵士たちは、インダス川を越えてインドまで攻め込むことに難色を示したため、だった。大東征はそこで終わった

インダス川を越えると、そこには広大なタール砂漠が広がり、厳しい行軍となる。
アフガニスタンのカブールを拠点としていたバーブルの軍でさえ、ここで進軍拒否する兵士が続出したため、兵士の数がかなり減った

176 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 09:58:49.59 0.net
インダス川

砂漠の中を流れている。インダス川とその両岸だけが緑豊かな肥沃の地であり、他は不毛の荒野で人の住むところではない。
エジプトにとってのナイル川、イラクにとってのチグリス・ユーフラテス川と似た存在だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/Indus.A2002274.0610.1km.jpg/300px-Indus.A2002274.0610.1km.jpg

177 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 10:02:11.49 0.net
エジプト・イラク・パキスタン

古代文明の地は、みんなこういう気候条件だ。
しかも、3つともイスラム教徒の地。
イスラム教は、こういう風土と相性が良いのだろう。

178 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 10:18:48.02 0.net
カイバル峠は高校生でも世界史選択者なら誰でも知ってるほど有名だけど、正確な位置を知ってる人はめったにいない

アレクサンドロス大王もティムールも、まず、めちゃくちゃ険しいアフガニスタンの「ヒンドゥークシュ山脈」を越えた。
ここにも古来から知られる峠が3つほどあり、その3つしか通るところがない。
しばらく行くと、今度はまたまたかなり険しい「スレイマン山脈」にぶつかる。有名なカイバル峠があるのは、このスレイマン山脈で、この峠しか通るところがない。

http://feynmanino.watson.jp/5076_Karakorum3.jpg

https://blog-imgs-80-origin.fc2.com/j/h/f/jhfk1413/201508031705418ad.png

179 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 13:04:25.36 0.net
アショカ王がギリシアに仏教の宣教団を派遣したという話は
歴史学的にはどの程度認められているのだろうか。

180 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 13:36:36.99 0.net
日本には派遣せんかったんか

181 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 14:33:02.06 0.net
セイロン島には弟を派遣した

182 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 21:07:44.95 0.net
当時はギリシャ人の国=ギリシャじゃないからね。
極端な話、当時インドは「ギリシャ人の国」と国境を接していた。

183 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 21:57:52.73 0.net
別に極端な話でもないんじゃないか?
バクトリアはギリシャ移民の国。

アフガニスタン・パキスタンの各地に分布するアショカ王の碑文のギリシャ語は、ネイティブじゃなきゃ書けないほど正確な名文なので、間違いないらしい

184 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 22:00:41.04 0.net
ミリンダ王ことメナンドロス一世とかアショカ王の100年くらい後の人だけどインド北西部にインド・グリーク朝というギリシャ系の国があったくらいだしなぁ。

185 :世界@名無史さん:2019/09/17(火) 22:12:36.25 0.net
そもそも、有史以来バラバラで統一された試しのないインドで、急にマウリヤ朝みたいな大帝国が出現したこと自体、アレクサンドロス大王やセレウコス朝の脅威を抜きにしては語れないとも言われる

186 :世界@名無史さん:2019/09/18(水) 00:14:42.06 0.net
インドグリーク朝の末裔が故郷に帰ろうとしたのがジプシーなんだろうと思う。
先祖は西のかなたの楽園からきたと氏族の伝承があったのだろう。

187 :世界@名無史さん:2019/09/18(水) 11:15:08.20 0.net
マウリヤ朝の後はクシャン朝の時代だが、ガンジス川流域を拠点として拡がったマウリヤ朝とは異なり、クシャン朝は最初からパキスタン・アフガニスタンを中心とする勢力

188 :世界@名無史さん:2019/09/18(水) 11:16:20.08 0.net
当然、クシャン朝にはギリシャ文化の影響が濃い

189 :世界@名無史さん:2019/09/18(水) 19:18:00.53 0.net
>>179
ほぼ事実とされてるんじゃないの?
五人の西方の王の名と在位が合致するらしい

190 :世界@名無史さん:2019/09/19(木) 09:11:09.46 0.net
クシャーナ朝(クシャーナちょう、英: Kushan、中: 貴霜)は、中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝である。

紀元前2世紀、匈奴に圧迫されて移動を開始した遊牧民の月氏は、中央アジアのバクトリアに定着した。これを大月氏と呼ぶ。
『漢書』西域伝によれば、大月氏は休密翕侯,貴霜翕侯,雙靡翕侯,肸頓翕侯,高附翕侯の五翕侯を置いて分割統治したという。
それから100余年後、五翕侯のうちの貴霜翕侯(クシャンきゅうこう)が強盛となり、他の四翕侯を滅ぼして貴霜王と称すようになった。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Kushanmap.jpg/250px-Kushanmap.jpg

191 :世界@名無史さん:2019/09/19(木) 09:13:53.58 0.net
クシャーナ人の使用した言語は、中期イラン語で東イラン語に属すと考えられるバクトリア語である。
アラム系文字で筆記される場合が多いイラン語としては唯一ギリシア文字系で筆記された。

192 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 14:24:33.89 0.net
自分の言葉じゃなくただウィキペディア貼りつけ続けるバカって一体何なんだ?
他の人はウィキペディアの存在すら知らないと勘違いしてる知障だろうか

193 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 18:59:23.15 0.net
wikipediaコピペでベストセラー歴史書作る人もおるんやで

194 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 19:14:44.74 0.net
>>192
自分で書いたら時間がかかるから、時間短縮のためにコピペしている

単なるコピペではなく、抜粋して要約してある

195 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 19:19:53.88 0.net
>>192
このスレでそんなにWikipediaを引用したかな? と思ってザックリと見直したが、2,3回しかやってないぞ(笑)

しかも、加工して要約したものばかりだ

196 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 19:51:57.39 0.net
早い話が、Wikipediaからいくつかの文を抜粋して、それをつなぎ合わせて1つの文みたいにしてある

つまり単なるコピペではなく、「要約」と言ってほしい(笑)

197 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 20:03:09.13 0.net
それはともかく、日本語サイトで集められる情報といったら、これくらいが限界だ

198 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 20:16:23.12 0.net
Mauryan Empire
https://en.wikipedia.org/wiki/Maurya_Empire

Territorial evolution of the Mauryan Empire
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Magadha_Expansion_1.gif

199 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 20:22:24.49 0.net
Maurya-Reich
https://de.wikipedia.org/wiki/Maurya-Reich

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/07/Seleukidenreich.png
北西では、マウリヤ帝国はギリシャが支配するセレウコス帝国に接していました。
サトラピーの所属は、それぞれキリスト教以前の時代に指定されていました。

200 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 21:24:28.55 0.net
わざわざこのスレにまでやってくるような人間はマウリヤ朝やクシャーナ朝のwikiなんて基本すぎてとっくの昔に見てるから、いまさらそんなものいちいち貼らなくていい

201 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 21:35:00.50 0.net
マウリヤ・ライヒてなんかかっこええな

202 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 21:35:54.78 0.net
>>200
いやいや、そんなことないよ

自分が知ってるからといって、他人も知ってて当然と思うのは、世の中に対する初歩的な誤解

203 :世界@名無史さん:2019/09/24(火) 22:22:48.56 0.net
じゃぁ俺からも止めろと言っておこう。

204 :世界@名無史さん:2019/09/26(木) 00:56:27.36 0.net
>>191
それはつまり、非セム系言語でありセム文字に向いていないにもかかわらず
ずっと母音文字に恵まれなかったイラン系言語が、
ほとんど例外的に母音を完全に表記する文字を得たっていうことなんだよな

他の例外としてはアケメネス朝期に作られた楔形文字風の古代ペルシア文字と
ササン朝期に聖典アヴェスタの発音を精密に記録したアヴェスタ文字があるが
どちらもほとんど日常的にペルシア語を表記するのに使われなかった

ペルシア人はアケメネス朝ではもっぱらアラム語とアラム文字を使い、
ササン朝期にはアラム語を訓読してアラム文字でペルシア語の送り仮名を振るというパフレヴィー語で読み書きし
イスラム教化した後にはアラビア文字で不完全に母音を表記する新ペルシア文字の体系を作った
早くからギリシャ文字にも接していたのになぜ多くのイラン系民族は母音を書く便利さを選ばなかったのかは不思議だ

205 :世界@名無史さん:2019/09/26(木) 15:25:26.89 0.net
ブラーフミー文字はインダス文字の末裔という説がある

206 :世界@名無史さん:2019/09/26(木) 23:00:33.93 0.net
>>204
人によって母音がまちまちな場合は母音の無い文字の方が便利なんだよ

207 :世界@名無史さん:2019/09/28(土) 13:42:31.52 0.net
もし日本の文字に母音が欠落してたら東北人や出雲人は、
胸を張ってスシをススと発音できるな

208 :世界@名無史さん:2019/09/28(土) 16:24:13.89 0.net
インドの側からペルシャに攻め入った例が全くない

209 :世界@名無史さん:2019/09/28(土) 23:32:52.44 0.net
古来インドは豊かで快適で食と資源に恵まれているから他国に攻め入る必要なんかないんだよ!
古来からの貧困と乾燥に喘ぎ続け生存が困難なペルシャは侵略するしか生きる道がなかったんだよ!
と言ってみるテスト

210 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 00:54:04.39 0.net
>>207
実際訛りきつい人はそう発音してるしな

211 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 01:03:03.15 0.net
象は峠を越えられなかったのか?

212 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 01:16:37.35 0.net
普通にインドの戦象はディアドコイ戦争に駆り出されてる

213 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 08:16:45.15 0.net
>>211
ハンニバルなんか、象兵でアルプス山脈を越えたくらいだ

イタリアに入ったときは、出発時より象の頭数がだいぶ減ってたようだが

214 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 15:06:17.57 0.net
>>212
大王の遠征はガンジス川で止まったのに、ディアドコイ戦争でインドの象が出てきたって本当なのか?
インドは無関係じゃなかったのか

215 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 17:39:41.58 0.net
>>214
セレウコスがマウリア朝とアフガンの覇権を争って、覇権を認める代わりに戦象部隊を提供させた。

216 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 18:34:38.45 0.net
カシュガルとかにもゾウが連れてこられてたので
ヒンドゥークシュやパミールを越えることさえ可能だ

217 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 19:02:16.11 0.net
>>215
その戦象部隊って他の有力武将との前線に投入できたのか? そんな東の果ての地から

218 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 20:19:21.87 0.net
象が越えられない難所なんて特になさそうだが

219 :世界@名無史さん:2019/09/29(日) 20:32:00.80 0.net
戦象部隊の運用のじっさいがどうだったのか知らないのだが
山越えはそもそもアジアゾウは現在も山間部にも生息して木材切り出しに使役されているのだから問題ないとして
(マルミミゾウは知らん)
大量の糧食と飲用水を一体どうやって運搬したんだろうか
現在のインド共和国内部なら現地調達も昔は北部の砂漠化が進んでなかったからなんとかなったろうが
ペルシャ高原は昔から乾燥地帯だろ?一体どうやってインドからシリアまで戦象部隊は移動できたんだろ?

220 :世界@名無史さん:2019/09/30(月) 08:11:55.77 0.net
沈黙の>>212

221 :世界@名無史さん:2019/10/05(土) 06:16:13.18 0.net
>>219
海岸沿いに移動すれば、インドから中東方面へ象を送ることは可能。
下図を見れば分かるように、そのルートはもともとアジア象の生息範囲だった。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/75/Elephant_spread.png
これならディアドコイ戦争でインド象が多用されたのも理解できる。

222 :世界@名無史さん:2019/10/05(土) 11:38:18.02 0.net
>>209
>古来からの貧困と乾燥に喘ぎ続け生存が困難なペルシャは侵略するしか生きる道がなかったんだよ!

ペルシャが貧困ねぇ・・・
古代ではメソポタミアや大シリア、アナトリア、エジプトと並んで世界有数の穀倉地帯だったとこだけど

223 :世界@名無史さん:2019/10/05(土) 21:52:10.04 0.net
ゾウって馬10〜20頭分だろ?
水や食料もそれくらいと考えれば普通に携行可能

224 :世界@名無史さん:2019/10/05(土) 21:56:29.96 0.net
>>223
そうだ。そして、馬とは頭数がケタ違いに少ない

馬を何千頭も連れていくのと比べたら、象を数十頭など、たいしたことはない。
むしろ、近代になってもイギリス軍などは、象を兵糧の運搬に使ってたくらいだ

225 :世界@名無史さん:2019/10/07(月) 08:10:04.88 0.net
>>209
貧困てww
アケメネス朝ペルシアの超大国っぷりに比べれば
今日のアメリカも影が薄くなるほどなのだが

226 :世界@名無史さん:2019/10/07(月) 12:53:42.77 0.net
マウリヤ朝でインドをほぼ統一しましたが

227 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 11:29:22.41 0.net
>>225
同時代の日本人もアケメネス朝ペルシアを凄い超大国と認識してたか?
当時の日本人は「ペルシア?なにそれ?」やろ
そんなのとても超大国とは呼べないぞ

228 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 12:07:37.90 0.net
その珍説に従えばローマもそうだな

229 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 13:55:00.56 0.net
その通りや

230 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 14:41:52.54 0.net
>>225
アメリカは、アケメネス朝の領土だった地域を軍事侵攻して、戦果をあげたことがあるが、

アケメネス朝は、アメリカの領土となる地域を軍事侵攻して、戦果をあげたことがない

231 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 14:50:00.46 0.net
>>228
ローマ帝国のことなら、当時の日本人も、後漢から情報を得て知ってただろう

232 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 15:09:15.76 0.net
古代ペルシャが貧困とかはじめて知りましたそれに関して良い書籍や論文を紹介して下さい

233 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 16:28:59.80 0.net
>>231
それお前の単なる想像?

234 :世界@名無史さん:2019/10/08(火) 18:21:00.84 0.net
弥生時代だもんな
倭の国王とやらが単発的に後漢に使者を送ることがあった程度の交流

235 :世界@名無史さん:2019/10/09(水) 09:27:09.24 0.net
>>225
マウリヤ朝の時代にアケメネス朝は存在してない

236 :世界@名無史さん:2019/10/09(水) 13:37:49.79 0.net
>>235
アメリカ合衆国も存在してませんよね

237 :世界@名無史さん:2019/10/09(水) 15:00:28.52 0.net
うんうん

238 :世界@名無史さん:2019/10/09(水) 21:32:17.71 0.net
うんこうんこ

239 :世界@名無史さん:2019/10/27(日) 01:27:03.68 0.net
アフリカまで使者を派遣したのはすごい

240 :世界@名無史さん:2019/10/27(日) 19:50:53.27 0.net
うんこっこ

241 :世界@名無史さん:2019/10/28(月) 01:34:02.65 0.net
セイロン島に仏教を布教したのはアショーカ王ではなく息子のマヒンダ

242 :世界@名無史さん:2020/03/06(金) 13:51:09 ID:0.net
>>41
ペルシャがマケドニアに滅ぼされたので、
危機感を強めたインダス地帯とガンジス地帯が統一しマウリヤ朝が拡大していった

243 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 19:44:37 ID:0.net
>>242
すごいな

そんな大昔なのに、グローバルな視野を持ってたとは

244 :世界@名無史さん:2020/03/14(土) 14:29:57 ID:0.net
チャンドラグプタは素浪人みたいなヤツだぞ

245 :世界@名無史さん:2020/03/14(土) 15:03:14 ID:0.net
軍師のカウティーリヤが優れていた

246 :世界@名無史さん:2020/03/14(土) 15:37:55 ID:0.net
>>245
カウティリヤね
ティの部分の母音も明確に短母音

247 :世界@名無史さん:2020/05/08(金) 23:26:11 ID:0.net
>>243
グローバルな視野というより、脅威が間近になったことへの危機感だろう

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