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続【秦漢帝国】

1 :世界@名無史さん:2019/06/16(日) 21:01:57.11 0.net
秦漢帝国について語ろう

前スレ秦漢帝国
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1522576369/

2 :世界@名無史さん:2019/06/17(月) 15:21:07.36 0.net
チョン起源

3 :世界@名無史さん:2019/06/17(月) 20:25:37.54 0.net
>>2


秦韓のことだな

4 :世界@名無史さん:2019/06/18(火) 07:33:31.89 0.net
匈奴帝国万歳!

5 :世界@名無史さん:2019/06/18(火) 08:14:25.58 0.net
秦の建国者女防についてどのぐらい判明してるの?
伝説上とはいえ女性が開祖って中国史上でも相当珍しいのでは?

6 :世界@名無史さん:2019/06/18(火) 10:39:17.29 0.net
>>5
女防って女なのか?

7 :世界@名無史さん:2019/06/18(火) 10:40:24.32 0.net
>>4
匈奴は帝国じゃなくて、単于国だな。

8 :世界@名無史さん:2019/06/19(水) 10:16:09.64 0.net
漢の滅び方は中央集権を進めて外を潰したらその中央から腐っていくという黄金パターンだな

9 :世界@名無史さん:2019/06/20(木) 11:49:12.34 0.net
>>6
女防と言うんだから女に決まってる
男なら男防のはずだ

10 :世界@名無史さん:2019/06/21(金) 06:05:31.00 0.net
>>9
商周代に人名の「女」があるからって女とは限らん言う話

「姫」とか「姜」等の姓が女偏多いことからもわかるように
婚姻で王との関係性を構築していたことからもしょっちゅう女というものが
男の人名のどっかに介在してる

11 :世界@名無史さん:2019/06/21(金) 06:28:02.46 0.net
史記秦本紀第五を確認した。
始まりは女修だろ。
「秦之先帝之苗裔孫曰女修」
こちらは女っぽい。
「女修織玄鳥隕卵女修之生子大業」
女修が機織(はたおり)をしていると、
玄鳥が卵を落とし、
女修はこれを呑み、
子の大業を生んだ。

12 :世界@名無史さん:2019/06/21(金) 07:08:47.74 0.net
小野妹子は女だと思い込む人もいる。

13 :世界@名無史さん:2019/06/22(土) 14:00:29.76 0.net
逆に女なのに男と思われてた「婦好」とか

14 :世界@名無史さん:2019/06/22(土) 15:38:30.42 0.net
もしかして女媧も男やったんか?

15 :世界@名無史さん:2019/06/22(土) 18:11:05.20 0.net
遊牧民=C2というイメージがあるが実際はO2(O3)の方が多いからな

カザフ族
https://i.imgur.com/yQfJ1ub.jpg
蒙古族
https://i.imgur.com/HYJgvCG.jpg
満州族
https://i.imgur.com/FHTSkOC.jpg

16 :世界@名無史さん:2019/06/22(土) 23:00:04.67 0.net
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/05/102542.html

漢帝国―400年の興亡 渡邉義浩 著

漢字、漢民族という表現が示すように、漢は中国を象徴する「古典」である。
秦を滅亡させ、項羽を破った劉邦が紀元前202年に中国を統一(前漢)。
武帝の時代に最盛期を迎える。王莽による簒奪を経て、紀元後25年に光武帝が再統一(後漢)。
220年に魏に滅ぼされるまで計400年余り続いた。
中国史上最長の統一帝国にして、中国を規定し続けた「儒教国家」はいかに形成されたのか。
その興亡の歴史をたどる。

17 :世界@名無史さん:2019/06/23(日) 02:19:55.87 0.net
もし項羽が勝ってたら今われわれは漢字ではなく楚字を使ってたはず

18 :世界@名無史さん:2019/06/23(日) 08:33:39.35 0.net
ifだからなんとも言えんけどあの激情家で俺様な項羽の後楚(仮)がうまく行くと思えないところはあるw

19 :世界@名無史さん:2019/06/23(日) 13:52:46.63 0.net
史記を参考にしてやたらとチートな戦闘力を持つ戦国時代の武将を登場させているキングダムだか
最終的にはその史記でまさにチートそのものの戦闘力と暴君っぷりが描かれている項羽の大暴れで終結させるのかと思うと、あの作者が項羽をどんな人外兵器として描くか楽しみだな

20 :世界@名無史さん:2019/06/23(日) 14:12:32.97 0.net
>>19
「最終回は、秦の中華統一で終わる」と作者自身が明らかにしている

21 :世界@名無史さん:2019/06/23(日) 14:16:50.75 0.net
しかも、「武力統一を肯定したくない」とも発言しているので、武闘派キャラの戦闘力を礼賛するような終わり方はまずないと予想される

22 :ウムウル :2019/06/25(火) 01:32:43.95 0.net
>>18
項梁のおいちゃんが長生きしてたら
なにか変わりましたかねぇ

でも項羽さんのとこ、
国家のプランナーはあんまり居ない感じがします

23 :世界@名無史さん:2019/06/25(火) 10:21:22.67 0.net
プランナーがいないというか自ら排除したというか
范増の言うことも聞かないんならお話にならないでしょう

もし後楚が成立していたとしても項羽の圧倒的カリスマと恐怖政治で一代が限界じゃないかな?

24 :ウムウル :2019/06/25(火) 19:22:33.43 0.net
>>23
まずもって范増さんの中の人が第一にあがる時点で
めっちゃ人材不足を感じますね

おいらのプランナーとしての范増さんの評価は
劉邦陣営でいったら?食其さんと同じクラスですww

25 :世界@名無史さん:2019/06/26(水) 18:21:41.09 0.net
>>22
記録すらロクに残らん敗者に「人材が」とか「プランナーとして」とか
無茶を言うでないよ

范増って細かい記述から何か地元の名士っぽい感じとか色々あるのに
丸っとオミットされててどんな人物かもよくわからんかったりとか
史料が兎に角なさすぎる

26 :世界@名無史さん:2019/06/27(木) 13:49:45.05 0.net
>>19
呂不韋実父説は採ってないようだな。

27 :ウムウル :2019/06/27(木) 18:20:31.02 0.net
>>25

范増さんの中の人のは
史記に載ってるぶんだとダメなんですかね?

まぁ、おいらはウィキペディア先生に教えていただいておりますがw

28 :世界@名無史さん:2019/06/27(木) 19:54:54.30 0.net
>>26
呂不偉の息子呂伯が亡命先でイケメンだけど酒呑みでろくに定職にも付かない劉さんちの三男坊に自分の娘を嫁がせるシーンとかキングダムでは描かれないのかな?
項羽と違ってこちらはもう生まれてるはずだが魏の信陵君の食客だった張耳にたかりにきてる美少年として敵として出てこないのかな?

29 :世界@名無史さん:2019/06/27(木) 22:53:19.43 0.net
史記での項羽さん

4万で56万の軍勢を圧倒的にぶち破る(軍勢が間延びしてたのとモチベーションが低かったのもあるが)

漢の8人の猛将を同時に相手取り二人殺す(そこには項羽に次ぐ猛将で劉邦陣営に降った英布もいた)

追い詰められ最後の一人になって数百人ぶち殺して最後は自殺

30 :世界@名無史さん:2019/06/28(金) 21:37:52.93 0.net
カタパルト

31 :世界@名無史さん:2019/06/29(土) 20:30:02.24 0.net
キングダム読んでみるかなぁ

32 :世界@名無史さん:2019/06/29(土) 22:17:38.39 0.net
>>31
ようつべでたまに読んで(観て)みても、どれも同じ場面に見える。

33 :世界@名無史さん:2019/06/30(日) 23:39:46.33 0.net
言い得て妙だなと
それに御大層に戦術描いてる様でいて、前線で大将クラスの猛者が得物ふるっての
化け物じみた暴れっぷりで殆ど勝敗決まってく感じだもんな

34 :世界@名無史さん:2019/07/01(月) 02:16:53.13 0.net
>>33
読んじゃいないから怒られるけど、ワンピースも進撃もそんな感じだろうと思い、今更読む気が起きない。

35 :世界@名無史さん:2019/07/01(月) 23:24:53.25 0.net
始皇帝のアクションって、暗殺シーンしか思い浮かばない、、、
失敗して目潰しされて、さらに太鼓投げたんだっけか

36 :世界@名無史さん:2019/07/08(月) 20:55:20.98 0.net
キングダムは1巻読んで突拍子無さ過ぎて投げたわ、ゴミ

37 :世界@名無史さん:2019/07/10(水) 03:43:19.85 0.net
キングダムは歴史マンガというより、格闘マンガだからな

北斗の拳を、仮想・古代中国の舞台でやってるようなものだ

38 :世界@名無史さん:2019/07/10(水) 19:45:19.34 0.net
そのキングダムの並みいる強者を全てボコれる強さを持っているのが史記の項羽という
秦の統一で完結します!
始皇帝が恐怖政治始めたり、
せっかく統一した秦は項羽って脳筋チートになにもかもぶっ壊されたり
弱小国だった韓だけ上手いこと子孫が残ったりしません!
これがきんぐだむが何十巻とかけてつけたい結末なのか

39 :ウムウル :2019/07/16(火) 21:16:17.39 0.net
>>37
これはむしろおもしろそうですねww

サウザーさんの中の人は
誰になるんだろうか

40 :世界@名無史さん:2019/07/16(火) 22:14:08.91 0.net
>>38
いや、それはない

現実離れしたファンタジー歴史マンガだけど、「誰がいつ生まれて、いつ死んだか」という点に関しては妙に忠実なのが「キングダム」の特徴

41 :世界@名無史さん:2019/07/16(火) 22:17:52.90 0.net
どうせ史実とカケ離れた人物像なんだから、勝手に長生きさせても作者を責める人はいない気がするんだが

なぜか、史書で「この戦闘で死んだ」となっていると、どんな無敵キャラでも必ず死ぬ

42 :世界@名無史さん:2019/07/16(火) 22:26:10.70 0.net
でも考えてみたら、キングダムに限らず、歴史モノは大抵そうかも知れんな。
以前やってた中国の武侠ドラマでも、無双の邪道拳法を極めたはずのスーパー悪宦官・魏忠賢が、なぜか崇偵帝の使者にアッサリと拘束され失脚していた。
カンジンなところは史実に忠実じゃないといけないのかも

43 :世界@名無史さん:2019/07/16(火) 22:34:55.06 0.net
38
その項羽らが始皇帝稜の武器を盗んで蜂起したんだってさ

犯人、項羽←

44 :世界@名無史さん:2019/07/16(火) 23:14:10.21 0.net
そりゃあ不明な部分を想像で補ってるわけだから
不明じゃない部分の改変はしないだろ

45 :世界@名無史さん:2019/07/17(水) 05:32:22.18 0.net
>>44
いやいや、とても「不明なところを想像で補う」なんてものではない

生きてる間の人物像は、まったくのファンタジー

46 :世界@名無史さん:2019/07/17(水) 11:28:24.63 0.net
東周英雄伝の人が早死にしてなけるばなあ。

47 :世界@名無史さん:2019/07/17(水) 22:43:52.53 0.net
中公新書「漢帝国―400年の興亡」
渡邉義浩 著
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/05/102542.html

両漢帝国の盛衰の本なんだが、なんで儒教の話ばっかりなんだ?

48 :世界@名無史さん:2019/07/17(水) 23:30:01.84 0.net
>>45
言ってる意味が通じてないみたいだけど
例えば壁なんかは「将壁死」しか記述がないから
死ぬ時と場所以外の全部が全部想像という事
人物像がファンタジーなのは当たり前

49 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:32:18.40 0.net
秦漢帝国のときに始まったんじゃないってこったよ

文献の記録取り始めが始まったんが殷周時代

これ漢あたりで区切るとそれ以前が消える

50 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:33:45.20 0.net
倭人なんて記録じゃ句呉からだぜ

51 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:34:35.67 0.net
祭儀一切を表すのはその時代の話

52 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:36:48.68 0.net
匈奴ってのもこれ立派な

中国人←

53 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:37:53.33 0.net
その北に鮮卑(モンゴル人)らがいたわけ

54 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 00:40:09.59 0.net
トルコ系じゃないか言われてんのは

突厥←紀元前にモンゴル高原を支配した!と言われた連中

ある時期にみな西に移動して消えた(°▽°)

55 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 06:48:35.44 0.net
>>48
王騎や李信なんか明らかに、あれほどの将軍ではなかったぞ?

56 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 13:34:21.96 0.net
>>55
秦王政が対楚戦にどれだけの兵力を要するかを尋ねると、
李信は20万人、王翦は60万と答えた。
政は王翦が耄碌したと考え、李信を採用。
初戦は李信の圧勝だったが、途上で大敗してしまう。
そこで王翦に交代し、楚を滅ぼした。
李信は敗戦の責任を問われるべきだが、
その後も政の信任を得て、重用されている。

この史書の記述から推定できることは、
李信は
・戦闘能力自体は高い。
・若気の至りの軽率さがある。
・秦王政とは信頼関係がある。
などだ。
これを元にキングダムの信のキャラクターを作り上げてるわけだから、
キングダムの作者は、かなりの知恵者だと思う。

57 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 13:44:47.27 0.net
なにほざいてんの?

58 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 17:03:31.19 0.net
煽るなよ

59 :ウムウル :2019/07/18(木) 18:15:32.59 0.net
>>56
その調子でサウザーさんの中の人と
トキの中の人を決定してくださいw

個人的には田んぼ欲しがるエピソードが好きです

60 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 18:19:09.88 0.net
【海外では毒物】 日本に行っても野菜は食べないで
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/yasai/1563441338/l50

61 :世界@名無史さん:2019/07/18(木) 19:58:10.73 0.net
>>54
略々常に西の民族が東の民族に追われて西へ移動する歴史だしね
             ←柔然←突厥←回鶻←蒙古←満洲
←塞←月氏←匈奴←鮮卑
               ↓
              西晋
               ↓

62 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 06:35:50.69 0.net
>>56
イラク戦争と似たエピソードだな

「イラク全土を制圧するには、とても兵力が足りない。この3倍は投入しないと」
と軍事専門家は主張していて、事実その通りだった

63 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 10:34:43.30 0.net
李信を描くなら、洛陽から函谷関を抜けて西(秦や西域のある場所)に旅立った老子(楚出身)の子孫だってところをなぜ描かないんだろ
だから儒者と相容れないとかネタになるだろうに

64 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 12:30:46.42 0.net
>>63
「身分制社会でのしあがる、無名の貧民の少年」というキャラ設定だからだな

それだと、なんだか由緒正しい血筋みたいな印象になってしまう

65 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 13:48:12.59 0.net
だって李耳(老子)から続き、唐王室に続き、下手したら李氏朝鮮にまで続くまさに家柄のよさが売りなのが李信じゃないの?

66 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 15:10:58.58 0.net
ないない
李なんて北の異民族の姓だよ

67 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 15:41:05.51 0.net
王騎将軍ってオカマみたいなのは本当なのか

68 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 18:17:35.04 0.net
>>65
敵役の李牧は、子孫が繁栄して千年つづく名家になった

「趙郡李氏」は、唐朝でも四大貴族の家柄で、何人もの宰相を輩出

69 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 18:31:39.23 0.net
>>67
オネエ言葉はまったくの創作だが、「しばらく表舞台から姿を消したあとで再登場した」とかは史書に基づいているようだ

70 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 18:34:33.86 0.net
白起が長生きしていたら当然、白起が旧世代の超大物として描かれただろうが、早死にしたからな

先帝の世代で生き残っていたのが王騎だったから、白起の代わりに無敵キャラとなった

71 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 18:37:16.89 0.net
どうせ創作なんだから、「あの無敵の大将軍・白起はじつは生きていた」でもいいんじゃないかと思うんだが、そこはダメなんだな

白起が死んだという史実は動かせず、代わりに王騎が超大物になった

72 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 18:37:16.93 0.net
どうせ創作なんだから、「あの無敵の大将軍・白起はじつは生きていた」でもいいんじゃないかと思うんだが、そこはダメなんだな

白起が死んだという史実は動かせず、代わりに王騎が超大物になった

73 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 21:55:01.87 0.net
コピペやめろ

74 :世界@名無史さん:2019/07/19(金) 22:19:01.22 0.net
白起も李牧も宦官の流言飛語で死んだんだろう・・・
オカマちゃん最強やんw

75 :ウムウル :2019/07/20(土) 08:02:10.15 0.net
>>47
漢帝国の興亡を儒教で書くのは無理っすよねぇ

ローマのキリスト教みたいなもんですから

76 :世界@名無史さん:2019/07/20(土) 23:37:04.92 0.net
>>74
趙高は趙の王子が無理矢理宦官にさせられた復讐の機会を虎視眈々と狙ってるとかそういうのは書けないのかな
ところが韓から似たような吃音の王子がやって来て邪魔をしてくるとかさ

77 :世界@名無史さん:2019/07/21(日) 09:34:01.10 0.net
>>74
最前線で戦っている武人が、都の官僚や宦官に陥れられるのは中国史によくある出来事

広すぎるせいか、軍を率いている者に対する不信感が強烈

78 :ウムウル :2019/07/21(日) 10:21:29.02 0.net
>>39
キングダム読んできましたが
けっこうおもしろかったです


ただ秦王の謁見の間で
雑魚っぽい官僚が短刀抜いてました
これだとリアルさあんまりないっすよね、、、

79 :世界@名無史さん:2019/07/21(日) 14:32:51.44 0.net
美少女剣士の羌、
及び長澤まさみが演じた楊端和は
実際は普通に男の武将。
名前だけ史書から取った創作キャラ。

80 :世界@名無史さん:2019/07/21(日) 19:29:24.60 0.net
>>79
楊端和の太ももが一番の見所なので、その意見は却下

81 :世界@名無史さん:2019/07/21(日) 21:20:05.87 0.net
>>21
武力統一を肯定したくないなら、追い詰めに追い詰めた結果刺客を送らざるをえなくなった燕や、秦の天下統一以降も徹底して対抗勢力を続けていた斉の3兄弟達をどう扱うのかと
名君始皇帝の慈悲も理解できない暴力的な連中をどうにかして倒すしかなかったとかするの?

82 :ウムウル :2019/07/29(月) 22:01:32.47 0.net
>>76

そういえば趙高さんの中の人は
本編でもうでてきたんですかね?

この人、始皇帝に用いられた理由が
おいら全くわからんのですが

83 :世界@名無史さん:2019/07/30(火) 19:49:18.67 0.net
>>82
ロウアイの乱のときは暗躍していたが、今は消えている

http://livedoor.sp.blogimg.jp/hobiii-kingdam/imgs/b/3/b3dc301d.jpg

84 :世界@名無史さん:2019/08/01(木) 11:55:58.18 0.net
趙高とかいうオカマもロクでもないな〜

85 :ウムウル :2019/08/05(月) 03:02:58.98 0.net
>>83
完全に変態さんですね、、、

86 :世界@名無史さん:2019/08/07(水) 14:33:38.65 0.net
宮城谷昌光が今年刊行のエッセー本で
「奇貨居くべし」の主張とは正反対の
始皇帝は悪くない、2世皇帝が暴君で有能な兄を殺してむちゃくちゃな政治をして秦の統一を台無しにしたから反乱が起こった
って言ってたのはキングダム人気にあやかるつもりかとちょっと残念だった
最近戦国末期を相当歪めた上で始皇帝を美化し、秦を弱小国から逆転勝利させようとしている人気漫画があるようだが、始皇帝が既に勝利確定済みの段階から他国を滅ぼし圧政を行った暴君であることは疑いないし、
どのみちその始皇帝の改革は項羽という件の漫画の読者が好みそうな中国史上稀に見る肉体的強さを持った暴君によって全て潰される

ぐらい言って欲しかった

87 :世界@名無史さん:2019/08/07(水) 19:55:35.08 0.net
>>86
「既に勝利確定済みの段階」は言い過ぎだろ

5ヶ国連合軍に函谷関まで攻め込まれたりして、危ない場面はあった。
そもそも、始皇帝が即位するときも、兄弟との内乱で崩壊しかねなかったし

88 :世界@名無史さん:2019/08/07(水) 20:32:31.72 0.net
宮城谷の小説糞詰まらんゴミ
実際、始皇帝期に暴政が行われた形跡わ今の処ろ見つかって無い
史記の書かれてる暴君エピソードわ全部胡亥&趙高に成ってからの物

89 :ウムウル :2019/08/07(水) 22:39:32.34 0.net
遺跡のレベルと
工事の規模と時期を考える限り
むっちゃ暴政だと思えますね

暴君だったかはともかくとして

90 :ウムウル :2019/08/07(水) 22:53:53.44 0.net
むしろ実際のとこ
二世皇帝がほんとにアホだったのか
そのほうが気になりますね

証拠はどの程度残ってるのかなぁ

91 :世界@名無史さん:2019/08/07(水) 23:11:14.23 0.net
阿房宮の労役を大掛かりにしたのって二世皇帝期なんだよね
勘違いしてる奴も多いけど

92 :世界@名無史さん:2019/08/08(木) 20:51:11.48 0.net
むしろあれだけぶっ飛んだ乱世の英雄大好きらしいキングダムの作者がどうして項羽っていう直後に出てくる中国史上最強の暴れん坊が出てくる前で絶対に完結させてやるなんて公言したのか理由がまるでわからん

93 :世界@名無史さん:2019/08/09(金) 19:32:59.26 0.net
>>88
隕石が落ちた村の人間皆殺しにしたのは?
何より何故有能な長男を自殺させ、やらんでもいい燕を追い詰め、結果的に田斉の反乱の火種作ったの?

94 :世界@名無史さん:2019/08/10(土) 22:32:32.44 0.net
それ趙高の犯行だしな

95 :世界@名無史さん:2019/08/14(水) 20:40:30.42 0.net
>>92
最後は、「武力による覇業は虚しい」というところに持っていきたいらしい

統一したところで終わる必要がある

96 :世界@名無史さん:2019/08/14(水) 20:44:54.81 0.net
勝者を極端に美化して、敗者を極端な悪者にするのは中国史の伝統

隋の煬帝と唐の太宗は、両方とも兄を殺して父を退位させて皇帝になり、大運河を建設し、高句麗遠征に失敗して大損害をこうむった

やってることはほとんど同じなのに、前者は史上最悪の暴君で、後者は史上最高の名君とされている

97 :世界@名無史さん:2019/08/14(水) 20:51:21.85 0.net
金日成の死後、90年代の北朝鮮では大勢の餓死者を出す最悪の飢饉におちいった。
他国から見れば、「そもそもの原因は金日成がつくった体制だろ?」と思えるのだが、
北朝鮮人にとっては、「金日成主席は偉大だった。悪いのは二世」ということになってるらしい

秦の二世皇帝も、そんなところだろう。
傑物の息子が凡人で、偉大な父を越えられないことは多いが、遺伝的にもたいていバカではない

98 :世界@名無史さん:2019/08/14(水) 20:59:02.28 0.net
日本でも、祖父の岸信介は東大法学部で我妻栄と首席を争うほどの秀才だったが、孫の安倍晋三は「内部進学で三流私大に入った、漢字も読めないバカ」とされている

しかし、身近に接する人々によると、好不調の波はあるものの、絶好調なときの頭脳明晰ぶりはやはり「さすがは岸信介の孫」と思えるものだそうだ。
とくに、下痢止めの薬を飲んだときは冴えているらしい

99 :世界@名無史さん:2019/08/14(水) 21:16:52.69 0.net
>>96
日本でもこれを真似たらしく、武烈天皇は絵に描いたように狂暴な異常者とされている

おかげで次の継体天皇は、「天皇の遠い親戚というのはウソで、じつはアカの他人による易姓革命だったのではないか?」と、逆に正統性を疑われる始末

100 :世界@名無史さん:2019/08/15(木) 01:35:21.46 0.net
>>96
よくその手の無能な奇を衒う日本人学者多いよな
煬帝わ暴君故に反乱が相次ぎ国を滅ぼした

小学校寄付金入学以降ずっとエスカレーターで裏口卒業、ギリ健の低知能

101 :世界@名無史さん:2019/08/15(木) 11:49:46.04 0.net
博物館で見ると、漢の文化遺産は、弥生時代の倭国のと似ているな

102 :世界@名無史さん:2019/08/15(木) 18:18:46.96 0.net
あんな原始人みたいな土器と青銅器をつくってた漢が、よく広大な帝国を運営できたな?

103 :世界@名無史さん:2019/08/15(木) 18:33:28.32 0.net
これ見ると唐代や江戸時代より発展しているように見える
https://en.wikipedia.org/wiki/Han_dynasty#Western_Han

アーチ構造の発見も漢代だけど日本だと幕末になるまで自前では創れなかったからなぁ

104 :世界@名無史さん:2019/08/25(日) 21:10:57.95 0.net
ローマ帝国には見劣りする

105 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 12:42:46.60 0.net
唐あたりで、ペルシャやアラビアから先進文化を取り入れて、西方にだいぶ追い付いた

宋あたりからは、多くの点で逆転し、中国が世界の最先端となる

106 :世界@名無史さん:2019/08/26(月) 22:40:25.19 0.net
漢帝国とローマ帝国じゃ技術、行政、思想、科学、生産力どの分野でも漢の方が大きく上回ってるよ

107 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 16:01:17.03 0.net
>>105
唐代は西方のほうが文明レベル高かった
だからこそ西方文化が流入したんや

宋代は宋が文明レベル圧倒的に世界一やったから西方からの文化流入が無くなったんや

文化というものは高いとこから低いとこに流れて行くもんや

108 :世界@名無史さん:2019/08/28(水) 19:56:40.05 0.net
文化、文物、商品どれも唐の圧倒的輸出超過な

109 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 07:00:12.54 0.net
音楽・美術・哲学・宗教

どれも西方から唐への一方通行

110 :世界@名無史さん:2019/08/29(木) 12:23:37.95 0.net
唐代の西方からの文物流入は、ササン朝が滅亡して遺民が唐に流入したことと、
もともと中央アジアはペルシア文化圏で、その中央アジアを唐が一定期間占領したことが大きい
唐に流入した景教はペルシャの文字を使っていて、ササン朝と中央アジアのもの

一方、宋代の西方への文物輸出は、カラキタイの西遷やモンゴル帝国の影響が大きい
陶磁器なんかはファーティマ朝の陶器を通じて西洋世界の陶器の質を劇的に変えた

111 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 09:56:04.85 0.net
>>60
長生きしたくないからどうでもいい

112 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 13:09:35.85 0.net
唐は、中国というより、ユーラシアにまたがる草原と砂漠の帝国

113 :世界@名無史さん:2019/09/09(月) 17:31:30.66 0.net
仏教はインドの思想、彫刻はギリシャの美術、仏像彫刻はガンダーラの文化

雅楽はペルシャの楽器

114 :世界@名無史さん:2019/09/10(火) 21:25:22.02 0.net
道先仏後儒教は三の下
彫刻は主に陶俑
仏像は勿体無いから金属禁止
雅楽とわ古い六芸なんかの周代音楽

無知わ罪だなw

115 :世界@名無史さん:2019/09/11(水) 02:48:21.35 0.net
隋も唐も騎馬民族

長安はヤシの木と、ラクダに乗った隊商の世界

116 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 09:05:43.21 0.net
前漢と後漢のどちらの方がより大きい支配領域を有していたと考えられることになるのでしょうか?

劉邦によって建国された前半期の漢帝国、すなわち、前漢は、第7代皇帝である武帝による治世の時代において最大版図が築かれ、
黄河の北端にあたるオルドス地方から、中央アジアにまで至る西域諸国、さらには、ベトナム北部や、朝鮮半島の北半といった広大な領域が前漢の支配領域のうちに組み込まれていくことになるのですが、
こうした前漢の時代に築かれた広大な版図の大部分は、前漢最後の皇太子であった劉嬰(りゅうえい)から禅譲を受けることによって新を建国した王莽の失政が招いた政治的・外交的混乱によって大きく損なわれ、
赤眉の乱を中心とする大規模な農民反乱の混乱の最中、王莽が敗死して新が滅亡していくなかで、帝国内の多くの地域が離反していってしまうことになります。

https://information-station.xyz/wp-content/uploads/2018/04/c019453b94b45ca99c0390f6859677b5-1024x338.png

117 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 09:07:23.50 0.net
こうした帝国の混乱期を終息へと導き、農民反乱などの国内の反乱勢力をすべて平定して、それまでの長安から、新たに洛陽を都として位置づけることによって漢王朝を復興させたのが後漢の初代皇帝となる光武帝であり、
光武帝は、前漢において機能していた現実的な官僚制度と儒教的な秩序の両立をはかっていくことによって、帝国に再び中央集権的な政治体制に基づく安定した統治をもたらし、後漢王朝における政治的な基盤を築いていくことになります。

そして、その後、
後漢の第4代皇帝である和帝(わてい)の時代になると、後漢における優れた武将であった班超(はんちょう)の指揮のもと、
積極的な対外政策と、北西方面へと向けた大規模な支配領域の拡大が進められていくことになり、
敦煌より西の西域においては、一時は、前漢時代の最大版図を超えるほどの数多くのオアシス都市がその支配下へと組み入れられていくことになり、
こうした後漢の時代においては、前漢の時代と比べてもさらにユーラシア大陸全体における東西交流が盛んとなり、
後漢の時代の漢帝国は、現在のイランに位置する西方の大国であるパルティアなどとも貿易を営むと共に、さらにその西方に位置するローマ帝国とも海路を通じて一定の交流を結んでいくことになるのです。

118 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 09:08:17.24 0.net
前漢の末期において帝国の支配から脱した朝鮮半島の諸地域が再び漢帝国の支配下へと組み込まれていくことはなく、
南西部の山岳地帯を中心とする異民族の勢力の拡大などによって、長江の上流域である南西部の諸地域においても漢帝国の支配領域が縮小していくなど、そうした帝国の支配力の強さや勢いには、前漢の全盛期と比べると若干のかげりが見られるようにもなっていくこととなり、
全体として、後漢の時代における漢帝国の最大版図は、前漢の時代における最大版図よりも、約10%ほど小さい領域にとどまるような形となっていたと考えられることになるのです。

https://information-station.xyz/wp-content/uploads/2018/04/3333e0e7e483b86e50d077e6676d5803-1024x675.png

119 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 12:24:41.53 0.net
後漢の領域は、朝鮮半島と海南島を失ったくらいで、前漢とほとんど変わらない

120 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 15:20:46.32 0.net
後漢王朝の発展は幼君が続き無政府状態となることで、遂に限界を迎える。しかしそれでも後漢は倒れなかった。後漢王朝は事実上百年以上の無政府状態にも耐え続けて、『三国志』の英雄たちの時代にやっと滅びるのである。

『資治通鑑』を編纂した歴史家司馬光は、もしも一人でもまともな皇帝が即位できれば、後漢は持ち直し「永遠の王朝」となったはずだと分析している。すなわち漢の劉家が日本の天皇家のようになっただろうということだ。

121 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 15:29:48.61 0.net
>>119
前漢の崩壊により放棄されていた西域を、数十年ぶりに奪回したのは班超

122 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 15:34:54.81 0.net
後漢王朝の皇帝は極めて短命である。幾人も30代で崩御しており、若くして崩御することから後嗣(跡継ぎ)を残さずに亡くなる皇帝も少なくなかった。
このため幼少の皇帝が続出し、即位時に20歳を越えていた皇帝は初代光武帝と第2代明帝の2人だけであり、15歳を越えていた者も第3代章帝(19歳で即位)と少帝弁(17歳で即位、董卓により廃位)の2人だけであった。
第4代和帝以降からは幼帝ばかりが続き、、外戚が権勢を振るうことになった。

123 :世界@名無史さん:2019/09/12(木) 15:42:01.50 0.net
「なぜか幼帝が続き、外戚や宦官に権力を握られた」というのが、王朝としての後漢の特徴。
即位時の年齢は、初代・2代目・3代目がそのまま歴代トップスリーで、2代目までは20歳を越えていたが、3代目からは十代もしくはそれ以下となる。中には、生後100日で即位した皇帝もいた。
しかも、早死にする短命な皇帝ばかりで、長生きしたのは初代の光武帝だけ(63歳)。

もしも、まともな大人の皇帝たちがいたら、漢の皇帝が千年以上続いたかもしれない。
どっちにしても、モンゴル帝国によって皇統が断絶しただろうが・・・。

124 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:17:49.18 0.net
漢から後漢にかけて農民層の分解によって生まれた富農層が成長して豪族となった。後漢は豪族の連合体政権としての性格が強い。

125 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:19:04.65 0.net
豪族とは、世界史上では単なる有力者といった普通名詞ではなく、限定的な意味を持つ歴史用語なので注意しよう。
特に中国史では漢代に現れ、後漢時代から魏晋南北朝時代に成長した、農村を基盤とした富裕者層をいう。
彼らは皇帝権力を支えていたが、身分的な地位を世襲したわけではなく、「貴族」の概念との違いに注意する。
豪族は主として地域の郷村共同体を基盤として在地に力を持つ有力農民であるが、貴族は国家機構の中で上級支配者層としての地位を世襲する門閥貴族のことである。
中国史では後漢時代の豪族社会から、魏晋南北朝を経て隋唐時代に貴族政社会に移行するという見解が有力であるが、それについてもさまざまな学説があり、その説明も一定では無い。
ここでは一つの見解として、川勝義雄氏の豪族論を見ておこう。

126 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:20:48.12 0.net
豪族の形成 

漢代の郷村共同体はあまり格差の無い自家経営農民たちが、その中の経験豊かな年長者たる「父老」を中心に集住していた。
漢の統一帝国の長い治世のもとに農耕技術が進歩し、潅漑施設も整えられるなど郷村社会における農業生産力が高まってゆくにつれて、貧農と富農の分化がおこった。
上昇した生産力によって得られた富はますます富農に吸収されていった。こうして出てくる富農の強大化したものが「豪族」にほかならない。

豪族の形態 

豪族は多くの分家を有し、その中の最も豊かな家を中心に結束し、貧農に高利貸しを行ってその土地を質地としてとりあげたり、未開地を開墾したりしながら大土地所有を拡大し、流れ者や土地をなくした者を小作人として耕作させた。
またその支配力を強めるため「客」と称して腕っぷしの強い者を輩下に置いた。豪族とは、このように同族の相互結合を中心とし、とりまく「客」の力を糾合した集団である。

127 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:21:44.91 0.net
郷村共同体の崩壊 

豪族の伸張は漢代の郷村共同体秩序と矛盾するものであり、豪族の郷村支配が進むことは郷村共同体を解体させることになった。
郷村のヨコの関係よりも、力をつうじてのタテの関係が優先されるようになった。
郷村の自治、自衛体制も村民の共同ではなく、邸内に「高楼」をつくった豪族の手に委ねられていった。

豪族の領主化と共同体の抵抗 

このように郷村内で成長した豪族は、農民層に対する支配力を強め、「豪族の領主化」の傾向が強まった。
しかし、一部に豪族が武人として領主化した例もあるが、その傾向は華北全体には広がらなかった。
豪族がそのまま領主化しなかった理由は、農業生産力の向上そのものが郷村共同体を構成していた自営農民の生活基盤をも強める作用もあったからだと考えられる。
後漢中期以降、強い自立性を持った自営農も成長しており、かれらは郷村共同体秩序のイデオロギーとして儒学を信奉する知識人でもあった。
彼ら共同体理念を自覚する農民層が、豪族の領主化に抵抗するという状況が生まれた。

128 :世界@名無史さん:2019/09/13(金) 10:22:25.51 0.net
後漢政権と豪族

(引用)後漢の政権は、以上に述べたような漢代社会の基本的な二つの相反する傾向が、かなり進行してきた状況の中から生み出され、
その間の矛盾に苦しみながら、ついに最終的解決を見いだせないままに崩壊してゆかざるをえなかった。
そしてその過程の中から、いわゆる「貴族政社会」なるものがうみだされていく。

<川勝義雄『魏晋南北朝時代』2003 講談社学術文庫 p.96-103>

129 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:10:49.88 0.net
南朝梁・元帝の『金楼子』は、諸葛亮の見解として
「光武帝の部将は韓信・周勃に引けを取らず、謀臣は張良・陳平に劣らないが、光武帝が神の如き知謀を持ちみずから深謀遠慮を有していたため臣下は難事を未然に防ぐという賞賛されにくい功を挙げることとなった。
いっぽう高祖は粗略であったために張良・陳平・韓信・周勃が(奇策や攻略といった)賞賛されやすい功を挙げることとなった」
と記す。

130 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:12:09.95 0.net
雲台二十八将

『後漢書』列伝12に「中興の二十八将、前代には天界の二十八宿に対応したという考えもあるが、はっきりとは分からない」とある。
元々は明帝が永平年間に、前代の名臣列将に感じて、洛陽にある南宮の雲台に二十八将の絵を描かせたのが由来である。
故に雲台二十八将と呼ばれる(雲台には、その後4人が加えられて三十二将となる)。

これは光武帝の即位時に、主君を盛り立てた建国の将臣中から二十八人を、親族外戚を除いて選んだものである。
また、耿弇、耿純、劉植と親・兄弟・従兄弟で功臣を輩出しても代表一将で、一族が重ならないように選ばれている。

131 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:15:02.95 0.net
雲台二十八将を序列順に挙げると

ケ禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植
の28人である。

132 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:17:46.43 0.net
後漢は不幸な時代

133 :世界@名無史さん:2019/09/14(土) 21:27:11.13 0.net
雲台二十八将筆頭・人を見る目なら誰にも負けなかったケ禹

雲台二十八将の筆頭将軍に挙げられているのはケ禹(とうう)と呼ばれる人物です。

彼は長安で学問を学んでおりましたが、この時に劉秀と仲良くなったことで彼と友達になり、
切磋琢磨しながら学問を学んでいきます。
その後劉秀が河北平定に派遣されることを知ると急いで故郷から出てきて彼の後を追い、
劉秀と合流して家臣となります。

彼の優れている点は人物の能力を見抜く力で、
彼が劉秀に推挙した人物は賈復(かふく)・呉漢(ごかん)・銚期(ちょうき)・
寇恂(こうじゅん)の四人を推挙しますが、いずれも優れた人材でこの四人は雲台二十八将にランクインされております。
また彼は劉秀から張良に匹敵するほどの謀略と智謀の持ち主であると褒められていました。

134 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 07:53:32.29 0.net
雲台二十八将の二番手は劉秀軍で一番勇猛であった呉漢です。
彼は劉秀が河北を平定している時に家臣となった人物で、
ケ禹によって能力を見出され将軍として活躍していきます。
彼は河北統一戦や河南、蜀など多くの戦線で活躍し、劉秀から戦について信頼を得ていました。

雲台二十八将は誰ひとりとして、虐殺や略奪を行っていませんでしたが、
彼だけは略奪・虐殺を行っていました。
しかし私欲を肥やしたくて行った略奪ではなかったので、
劉秀も彼を罰することができなかったそうです。

135 :世界@名無史さん:2019/09/15(日) 07:54:33.89 0.net
第三位は劉秀の家臣団から「あいつは顔がよかったから家臣に選ばれたのだ」と陰口を叩かれていた賈復です。
確かに家臣の言うとおりで、非常に美青年でした。
しかし一度戦に身を投じると、各地に賊徒や豪族達の平定戦で大いに活躍します。
また彼は剛勇一辺倒の武将ではなくしっかりと学問を修めており、
知勇兼備の名将と言われるほどの名将軍でした。

136 :世界@名無史さん:2019/10/02(水) 21:17:33.41 0.net
つづきはよ

昔、やる夫の光武帝伝読んだの思い出す

137 :世界@名無史さん:2019/11/24(日) 17:04:13.53 0.net
歴代皇帝の中で一番紳士的な人は劉秀でOK?

138 :世界@名無史さん:2019/11/25(月) 16:32:12 ID:0.net
>>137
出来杉君だと思う。
陰麗華は源静香だな。

139 :ウムウル ◆JrW8rz0SEor0 :2019/12/21(土) 03:54:48 ID:0.net
別スレで
秦とアッシリアが古今東西されておりましたが
どのあたりに共通点があるのでしょうか?

140 :世界@名無史さん:2019/12/21(土) 08:23:03.58 0.net
>>139
別スレでの趣旨はわからないが
似ている点なら
 始祖、始まりは古い。
 諸国を征服して大帝国になった。
 軍事国家で圧政的なイメージ。
 大帝国成立後は短命。
 支配下の諸国、諸民族の反発で瓦解。
かもね。

141 :世界@名無史さん:2019/12/21(土) 09:55:54.82 0.net
結局、漢は秦と変わらない

142 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2019/12/21(土) 23:57:42 ID:0.net
>>140
ふむぅ、ありがとうございます
国の興亡あたりの話ですか

143 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2019/12/22(日) 00:18:32 ID:0.net
>>129

二十八将の中で陳平さんに該当する人物は誰でしょうかね?
>>131

他の対比も気になります
英布さんや彭越さんのような方もいらっしゃったのかしら

144 :世界@名無史さん:2019/12/22(日) 13:28:18 ID:0.net
>>139
アッシリアは最初の世界帝国と言われています
帝国支配の前例がなかったから秦と同じように抑圧してすぐに滅びました

もっともアッシリアと近い言語のアッカドを最初の世界帝国とする説もあります
サルゴンはシャル・キン(王・真の)やシャル・キッシャッティ(世界の王)を名乗り
孫のナラム・シンはアッカドの王、四方世界の王を名乗り
自らを神(といっても都市神に従属する将軍の神)として
その息子は神を自分では名乗らず四方世界の王とも名乗らなかったけど
全ての王と呼ばれている

皇帝という言葉はそれ以前の書物にもあったらしい
皇は輝かしい、または最初の王
帝は神、全てを束ねる者
朕も昔からあった自称だし
始皇帝は皇帝専用に制限した言葉はあるが新しく作ってはいない

145 :世界@名無史さん:2019/12/22(日) 13:31:09 ID:0.net
>>137
美化されているだけだと思います
劉秀は優秀で人格面も素晴らしいとされていますが
舜が堯を幽閉して位を奪い殺したように美化されただけでしょう
兄を殺した相手に頭を下げたのも兄が死んでも平気だったからかもしれない

少なくとも後漢は地獄のような時代でした
もしかしたら新の方がマシだったかもしれません

146 :世界@名無史さん:2019/12/22(日) 13:33:45 ID:0.net
>>96
煬帝の大運河は叩かれているけど
この先1000年以上輸送のために役立っている

西門慶の灌漑工事と同じで
当時の人達には理解されなかったけど

それに日の出づる国云々も無礼とは思いながら許している
多分兄を陥れたのと継母を犯したことで悪く思われていたのかと

147 :世界@名無史さん:2019/12/24(火) 21:27:41 ID:0.net
秦までは公子を名乗っていたのに漢以降は名乗らなくなった

148 :世界@名無史さん:2019/12/24(火) 21:55:42 ID:0.net
インドのマヌ法典にクシャトリヤに相当する部族してシナ人が挙げられていて驚いたわ
この時代にインドに渡った勢力があったのだろうな

149 :世界@名無史さん:2019/12/24(火) 22:27:43.59 0.net
>>148
そりゃ漢代には仏教が伝来してるし相互交流してなきゃおかしいだろ

150 :世界@名無史さん:2019/12/25(水) 07:34:51.98 0.net
国人とか士っての以外は人間扱いされてないし兵士は全部士だからな

151 :世界@名無史さん:2019/12/31(火) 15:49:07 ID:0.net
漢は平気で労役を課している
結局法三章どころじゃない

152 :ウムウル :2020/01/11(土) 13:43:13.43 0.net
>>140

センナケリブが始皇帝あたりかと思ってましたが
実はエサルハドンが最強皇帝で
有名皇帝のアッシュールバニパルのときはエジプトなかったですね

これだと3代は続いたとしても
そんなに問題ないのでは

逆に官僚制による直接統治は秦っぽいですね
これは短期間に大帝国になろうと思ったらけっこう必要な気がしますね
普通だとディアドコイしちゃいます

153 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 10:17:17.86 0.net
秦はアケメネス朝だって説を見たけど
サトラップとか王の目や耳とか似ているらしい

154 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 13:33:11.35 0.net
情報が伝わったのは間違いないね

155 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 15:26:48.20 0.net
情報が伝わると目や耳の形が変わるしなw

156 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 17:52:43.38 0.net
どうでもいいけど碑文とかを見ると丞相斯とか高とかで姓は書かないんだよね

157 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 17:58:50.07 0.net
臣茂、みたいな用法なのかな?
因果関係は逆だが。

158 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 18:14:12.35 0.net
監察官が「王の目」「王の耳」なら、小姓は「王のアヌス」と呼ぶべき

159 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 18:36:34.67 0.net
>>155
どういう理屈だよ

160 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 18:42:45.80 0.net
>>157
三国志の魏とかだと臣何だけど
始皇帝の碑文では臣もなく丞相斯とか
それ以前の記録でも姓というか氏というかはなくて名だけ
ただ、なぜか呂不韋はフルネームだったから
怪しいユダヤ人説とかまさかねと思う

161 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 18:52:08.23 0.net
徴税も軍事も行政も立法もぜ〜んぶ世襲の属州総督に丸投げのアケメネス朝と
中央集権で一県の役人いたるまで全て中央から派遣された官吏で地方自治全否定の秦のどこが似てるの

162 :趙正書にある名前:2020/01/12(日) 18:59:00 ID:0.net
秦王趙正
趙正
夫胥
子嬰
胡亥
秦王胡亥
丞相斯
丞相臣斯

御史臣去疾
中尉恬
隷臣高

趙王鉅
良将李微
顔聚
燕王喜
荊軻
斉王建
后勝
将軍張邯

163 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:00:15 ID:0.net
>>161
全国を36郡に分けて太守を置いたことかな

164 :コピペですし反論はあるでしょうけど:2020/01/12(日) 19:03:36 ID:0.net
>>161
秦王家の人々は漢民族ではなかった。異民族である西戎、とりわけ羌族に近い民族であった。
非漢民族でありながら諸侯と肩を並べ、春秋時代を通して頭角を現し、
戦国時代を経てついに中国全土を統一した秦には、もうひとつミステリアスな顔がある。
それが最も顕著に現れたのが秦始皇帝の時代である。

なぜ秦始皇帝は中国全土を統一することができたのか。
その理由については、多くの歴史家が『史記』をもとに分析してきた。
諸子百家が唱えた思想と、それを実践した戦術家、ならびに政治家の手腕に関する論考はあまたある。

 だが、そのなかで見過ごされがちなのが、秦始皇帝が行った行政改革、なかでもグローバルスタンダードの起源である。
広大な領土と人民を支配するにあたって、秦始皇帝は郡県制や度量衡、貨幣、言語、文字の統一を行った。
秦帝国以後の中国王朝は、これを踏襲することによって君臨したにすぎない。
オリジナルという意味では、その評価は秦始皇帝に帰するべきものである。

165 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:04:58 ID:0.net
だが、問題はここ。
いったい秦始皇帝はどこからこうしたアイディアを思いついたのであろうか。
もちろん、政策を提言し、実行したのは臣下の者たちであったであろうが、
それを指揮したのはまざれもなく秦始皇帝である。
発想の原点を探ろうとしても、肝心の『史記』には何も記されていない。
極端な話、中国全土を統一した秦始皇帝が、あるときふと思いついた政策であるかのような有様なのである。

しかし、だ。視野を少し広げると、意外な事実が浮かびあがってくる。
先述したように、秦国は中国において最も西に位置した。
西域に接し、その先にはインドやオリエントが広がっていた。
実は、そこに秦帝国とそっくり同じ支配体制をもった帝国がかつてあった。
「アケメネス朝ぺルシア」である。

166 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:06:34 ID:0.net
紀元前558年、メディアから独立したアケメネス朝ペルシアはまたたくまにメソポタミア地方を席巻。
紀元前525年にはエジプトを征服して、オリエントの統一を果たし、最終的にその影響力は北インドにまで及んだ。

ダリウス1世は帝国全土を127の州、すなわち「サトラップ」に分け、そこに太守、軍司令官、監視官を置いた。

驚くことに、それはまさに秦始皇帝が行った統治形態とそっくりである。
帝国を分割して統治する郡県制は、サトラップ制そのものであるといっても過言ではない。両者の類似性は、はたして偶然なのだろうか。

167 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:07:57 ID:0.net
秦の歴史でもっとも不思議なのは、中国史上初めての天下統一にさいして行われた多くのことがらが、前後の時代と殆ど関係なく、実にユニークだという点であろう。
とくに興味をひくのは、都を中心として国内すみずみにまで通ずる馳道(皇帝道路)を建設したことや、始皇帝の全国巡遊に当り、要所に詔勅文を刻した摩崖碑を作り、みずからの功業を誇示したことである。
これらは戦国以前はもちろん、漢代にも全くなく、秦代独特のものであった。もしそうだとすれば、その起源を西方世界に求めた方がよいのかも知れない。
前6〜5世紀、アケメネス朝のダリウス大王は古代ペルシア帝国の統一者で、王の道の道路や、領土内の要地に詔勅文を刻した摩崖碑を作ったことは有名だ

実際、アケメネス朝ぺルシアと秦帝国の政治形態が酷似することは、かねてから歴史学者によって指摘されてきた。

168 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:09:57 ID:0.net
斉の瓦のモティーフにある生命の木のアイディアというものがペルシアから中国に入ったものだとすれば、
紀元前四世紀くらいに西から来たものでしょう。あの頃は非常に東西交流が盛んだった頃ですからね。

紀元前三世紀後期の秦の始皇帝の支配方式というものは、ペルシアのアケメネス王朝の支配のやり方と実によく似ておりますね。
しかし、支配方法の影響関係を証明する史料はないのです。しかしアケメネス・ペルシアの王ダレイオスがやったと同じようなことを、
秦が全体を統一した時に、やっている。

戦国時代に宝石なんかも、中央アジアや西アジアのものがたくさん中国から出ておるし、
それから、ガラスの作り方も、西アジアから、戦国時代の中国に入っておりますし、
何か紀元前四、五世紀は、そういう形での交流は盛んだったのじゃないでしょうか

169 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:11:21 ID:0.net
郡県制のみならず、秦始皇帝が建設した阿房宮もまた、そのモデルがアケメネス朝ペルシアにあったと指摘する。
ダリウス1世が建設したパラディスである。パラディスとは、周りを土塀で囲んだ領域に植林し、そこへ放した獲物を遊戯ハンティングする場で、
いわば貴族たちのリゾートとでもいうべき施設であった。贅の限りをつくした宮殿は、まさに秦始皇帝の阿房宮に相当すると主張する。

いずれにせよ、秦始皇帝の統治形態がそれまでの東アジアに類例がなく、
近接する西域において過去に同様の統治形態をとっていた国、アケメネス朝ペルシアが存在したという事実から導きだされる仮説は、ひとつ。文化の伝播である。

170 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:12:18 ID:0.net
アケメネス朝ペルシアの情報が秦帝国に持ち込まれた。
古代にあっては情報は人が運ぶものであるから、アケメネス朝ぺルシアの住民の子孫がシルクロードを経て中国までやってきた。
中国でも最も西に位置していた秦の人々は、ペルシア人とも交流するうちにアケメネス朝ペルシアの情報を手にした。
もっといえば、中国全土を統一したとき、秦始皇帝の配下にはぺルシア人がいたのではないだろうか。

これまで、地理的に中間の資料がないことと、時代的にアケメネス朝ペルシアが滅んだのが紀元前4世紀と、
秦帝国とは200年ほど差があることなどから、本格的な検証は行われてこなかったが、
実は最近になって、秦始皇帝の兵馬俑遺跡で注目すべき発見があったのだ。

171 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:16:48.80 0.net
アケメネス朝の州は自然発生的なもんで秦みたいに人口的に区分けされたもんじゃないぞ
例えばカリア州なんてカリア人が勝手にアナトリア南西部に住み着いて町まで作っていたので
それをそのまんま属州として認めたもの
サトラップも現地の有力者が世襲していて誰がどこのサトラップやってるのか完全に把握していなかったぐらいだからな

172 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 19:38:01.47 0.net
アケメネス朝は首都が4つあってその間を妃、家臣、家畜を引き連れてぐるぐる回って生活していたのだがこれ遊牧民時代の名残り
またガウガメラの戦いでは帝妃と公主である両スタテイラを筆頭に多数の貴族の娘たちが従軍しているのだが
これも遊牧民の伝統だったりする
ここらへん中国の歴代王朝で当てはまるのと言えば遼ぐらい

173 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 20:23:55.55 0.net
>>171
貴方の言うことが正しいのなら
アケメネス朝ペルシア帝国で自然発生的にできたものを
秦が真似したと考えれば矛盾はないんじゃない
アケメネスが世襲で秦が役人ってのも
アレンジしたと考えれば

174 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 20:31:17.54 0.net
アケメネス朝は各民族の文化や習慣、言語、宗教を尊重してる。
秦の統一強化とは異質じゃないか?

175 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 20:47:18 ID:0.net
日本だって中国から、かなり学んだけど
何から何まで受け入れたわけじゃないだろう?
それと同じじゃないの?

176 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 21:13:27 ID:0.net
>>174
秦も旧六国とは言葉が違うし
貨幣の統一も考古学的には旧秦でしか発掘できていないらしいし
何よりそれをやったというのが始皇帝の最後の年だから

177 :ウムウル :2020/01/12(日) 21:59:08.76 0.net
>>167
ほっほぅ、
始皇帝も各地に摩崖碑を彫ったのかぁ
両文併記だったのかしら

配った鋳造物の金文は秦文字だと思ってましたが
これも各地でちがうんかな

178 :世界@名無史さん:2020/01/12(日) 22:49:09 ID:0.net
秦=アッシリアならば
趙=ウラルトゥ
漢=カルデア
匈奴=メディア→ペルシャ

179 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 01:15:03.02 0.net
>>163
太守じゃ無く郡守郡尉郡監な
デマ垂れ流さぬように。
而も県郡制わ秦王国時代から数代に渡って施行されてる

180 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 01:24:49.44 0.net
>>164
嬴氏わ中原の出な
デマ垂れ流さぬように

県郡制を全土に適用し郡県制へ変更したのわ李斯な
デマ垂れ流さぬように

言語と度量衡は秦代にわ統一されず
度量衡が統一されたのわ漢代
言語わ漢代に入っても方言差が大きく方言が書かれた

181 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 01:29:54.01 0.net
>>167
直道は戦国期に列強各国が敷設して居る
デマ垂れ流さぬように

公卿や官吏が墓に自らの携わった法令を刻んだ例が幾つか発見されて居る
デマ垂れ流さぬように

182 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 01:40:48.91 0.net
>>168>>169
ガラスは元々シリア系統のガラスと別に鉛硝子が周代から中国独自に製造されて居た
シリアガラスの製造は後漢に成ってから始まる
デマ垂れ流さぬように

阿房宮の造営わ多くが二世皇帝時代に行われた、というか未完成
而も城壁で囲ったりして無い
デマ垂れ流さぬように

183 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 01:41:59.13 0.net
>>180
あと銭貨も

184 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/13(月) 03:52:51 ID:0.net
>>181
まじですかww

みんなして、なんでそんなに北に行きたがったんでしょうか?

そんで竹とかじゃなくて墓に刻んだのか、、、お金かかってますな

185 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 06:30:04.80 0.net
>>176
アケメネス朝の場合は王が全土に発令した文書をそれぞれの州の言語と文字にして送ってる。
秦も地方別に翻訳した竹簡を発給してたんか?

186 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 06:50:52.45 0.net
アッシリアは征服した民族を丸ごと別の地域に強制移住させる事例が複数ある。
秦は虜囚という名目で強制移住を実施する。里耶秦簡からも他地域から送り込まれた囚人が多数住民となってることがわかる。
スターリン時代のシベリア流刑みたいなもんじゃないか?

アケメネス朝では民族丸ごと強制移住の事例があるのか?

187 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 08:21:32.18 0.net
遺伝子を調べると殷は西で周は東らしい
秦も遺伝的には東で最近秦が東夷だって資料も発掘されたらしい
項羽の話で叔父から秦の字ではこうで楚の字ではこうとやられたのが
勉強をするのを嫌がった理由らしい

188 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 08:27:31.12 0.net
>>185
貨幣の統一ができていないことからの類推で
文字の統一もまだできていなかったんでしょ
何せ文字を作ったのが李斯で後の漢では下級役人向けの書体を正式採用した
もし文字が完全に統一されていたならわざわざ記録に残らない
書かれていないけど地方への命令はその地方の文字でないと伝わらないでしょ

例えばアメリカ企業が日本企業を支配下に置いて完全に上位の存在だとしても
英語が分からない奴ばかりだったら
日本語で文書を作るしかないでしょ
清も満州語でなく漢語で統治するしかなかったし

少なくとも地方の官へ文書を送ったとしても
そこでの行政には翻訳しないと無理じゃないかな

189 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 08:34:14 ID:0.net
>>188
秦に征服された地域で出土してる竹簡は隷書じゃないの?

190 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 08:52:32 ID:0.net
>>188
清朝の言語政策は柔軟だよなぁ。
ネルチンスク条約はラテン語が正文。キャフタ条約は満洲語、ロシア語、ラテン語で記述。漢語は使わなかった。

191 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 10:28:47 ID:0.net
しばらく前に戦国時代の竹簡が発掘されてたけど文字が統一されて無いどうこうとは言われてなかったような

192 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 10:56:31 ID:0.net
>>186
バクトリアのギリシャ人はアケメネス朝が移住させたギリシャ人
バクトリアの都バルフの名はキレナイカのギリシャ植民市バルカに由来する

193 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 13:04:58 ID:0.net
>>188
文字に関しちゃ一応統一されてた筈
公文書の文字統一はやり易いし楚文字とかも使われ無く成る

194 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 13:30:44 ID:0.net
>>192
アレクサンドロスの遠征がきっかけで移住したんじゃないの?
クセノフォンみたいにアケメネス朝に雇われたギリシア人はいたけど
アケメネス朝にギリシア民族が征服されたのか?

195 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 14:59:08 ID:0.net
>>191
戦国時代では普通に国ごとに文字が違っていたとされていて
それを否定する説もないからじゃないかな

196 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 15:00:47 ID:0.net
>>190
後には満州語が離せなくなっていたしね
魏晋南北朝時代もそうだし
言葉の変更をよくやれるものだ
恐らく日本も征服されたけど支配階級が少なすぎたから言葉を変えたんだろうね

197 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 15:30:37 ID:0.net
「シナ」は偉大なる大秦帝国に由来する由緒正しき名称。

198 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 17:28:02 ID:0.net
>>195
未知の字が出て来なかったぽいので戦国時代には既に既知の漢字で統一されてたのでは

199 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 18:36:23.27 0.net
>>185
>アケメネス朝の場合は王が全土に発令した文書をそれぞれの州の言語と文字にして送ってる
その法令がどこまで実行力を持っていたかは疑問なんだよな
例えばユダヤ属州総督となったネヘミヤは神殿復興の詔書をもってエルサレムに帰還するのだけど
隣州の総督であるサンバラテは協力するどころかそれをよく思わず戦闘にまで及んでいる
にも拘わらずこのサンバラテは何ら罰せられた形跡がない
クセノフォンの「アナバシス」を見てもアケメネス朝は諸民族が相争う無法地帯で到底法治主義だったとは思えない

>>194
アッリアノス「アレクサンドロス大王東征記」にはすでにあのあたりにギリシャ系住民がいた記録がある
そもそもアケメネス朝は建国当初から多数のギリシャ人の植民市を抱えておりアケメネス朝の歩兵部隊もギリシャ人部隊が中核を担っていた

200 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 19:23:49.56 0.net
>>199
うろ覚えだが、アナバシスに出てくるペルシア王に従わない部族が首都近辺に住んでたような。
近代国家の領域版図イメージとはかなり違うね。
ユダヤ属州総督にユダヤ人を任命してるということは、
他の属州も現地人なんかな?
中央から派遣というより、
既存の首長、有力者を追認してるだけかも。
秦の郡県制はもっと官僚組織っぽい気がする。

201 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 19:28:50.17 0.net
>>191
漢字統一以前の字体自体は残ってるぞ
なんてったか名前忘れたけどすげー変な形してる奴

202 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 19:29:17.10 0.net
>>199
なるほど。
ペルシア領内奥深くにまでギリシア人ネットワークがあったからこそ
アレクサンドロスの遠征が可能なのか。

203 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 20:03:59.34 0.net
>>198
統一されていたのなら始皇帝の文字の統一も変な話になる

204 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 21:24:56 ID:0.net
>>199
担って無えよ
サラッとデマを流すな

205 :世界@名無史さん:2020/01/13(月) 21:26:33 ID:0.net
>>203
簡体字と繁体字どっちにするかとかそういう話

206 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 07:35:25.74 0.net
>>204
建国当初からギリシア人植民市を抱えてたというのは、
あり得るのかね?

207 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 08:57:03.66 0.net
>>161
アケメネス朝と秦、発展形態が違う。
アケメネス朝が飛躍したのは
キュロス大王のときだが、
それまで巨大なメディア王国に臣従する小国。
メディア王国内部で反乱が起きた際にキュロスが反乱軍に参加。
メディア人反乱軍リーダーたち:
「ペルシアさんのおかげで王様打倒できちゃいました。
この際、メディアの主宰もお願いしますわ。
キュロスさんのお母ちゃんメディア人じゃから
メディア人の誰も異議なしじゃよ」
キュロス:
「統治するの面倒くさいなぁ。
ボク戦うことしか興味ないんだ。」
メディア人たち:
「ええよ。なら世界中で暴れたらええ。
メディア人一同協力しまっせ。」
かくしてメディア王国の組織はそのまま残り、
ペルシア王国に合体していった。

208 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 10:35:27 ID:0.net
>>180
秦王家は?姓であって?氏ではないのだが

さすがに上古について語るならそこは理解しておこうよ…

209 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 14:56:51 ID:0.net
>>206
アケメネス朝は小アジアのエーゲ海沿岸イオニアを征服したので
イラン人はギリシャをイオニアに由来してヤウーナと呼ぶ

210 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 15:04:09 ID:0.net
>>204
アケメネス朝は領内の諸民族がそれぞれ得意な戦術装備を
維持したままでペルシャ式に統一されていなかった
ギリシャ人はギリシャ式のままだったという事だよね

211 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 15:46:41 ID:0.net
>>209
イオニア征服後のことで
建国当初の話じゃないじゃん。

212 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 15:48:54 ID:0.net
>>210
ギリシア人傭兵の強さは秀でていて、
ペルシア以外からも引っ張りだこ。
なので戦場でギリシア人同士で激突することもあったそうな。

213 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 15:57:45 ID:0.net
>>199
サンバラテがネヘミヤに敵対できたのは、
マギ神官ガウマタなんかが跳梁して
ペルシア王室が大混乱に陥った時期でしょう。
各地で反乱も相次ぎ、帝国は分裂崩壊状態だった。
ダレイオスが権力を確立して帝国を再編した後に
キュロスの勅令を再確認してからは、
サンバラテも反対できなくなったはず。

214 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 19:11:53.85 0.net
ネヘミヤが総督になったのははアルタクセルクセス1世20年目のことでスメルディスとは時代が100年近くも違う
そもそもペルシャはダレイオス1世からダレイオス3世までずぅーっと内乱と暗殺続きでろくに治まってた時代がない

215 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 22:10:27.92 0.net
>>214
治安の悪さと危険は大陸の特徴。
隊列を組んだ軍の護衛がないと旅行はままならず、
城壁で囲まれてない都市じゃ夜も怖くて寝られない。
太平な島国育ちじゃ理解できない物騒な環境なんだろうなぁ。

216 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 22:28:41.23 0.net
刑罰を厳しくするから盗賊になるしかなくなる
アメリカもそうだけど犯罪を増やしたいとしか思えない

217 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 23:46:44 ID:0.net
>>210
歩兵であっても主力はペルシャ人の歩兵部隊、数違うし

218 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 23:47:09 ID:0.net
>>208
嬴氏だよ、落下傘

219 :世界@名無史さん:2020/01/14(火) 23:49:24 ID:0.net
>>215
全然違う
ペルシャ帝国の支配ってかなりスカスカした都市国家の統合体だから
人口密度の高い中国やインドわまた違う

220 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 00:38:41.79 0.net
>>217
帝国本土のペルシャとメディアは免税の代わりに国民皆兵だったよね
重装歩兵は高価なので歩兵の主力は本国出身者の軽装歩兵だった
ペルシャ歩兵は身軽さと数が武器でケルト人やゲルマン人の戦術に似ていた
バクトリアやソグドとかイラン東部属州は高価な重装騎兵カタフラクトが主力

221 :ウムウル :2020/01/15(水) 00:47:34.82 0.net
>>216
秦の刑罰が厳しいのはなんなんすかね

ただ、おいらむしろ気になるのは禁止事項みたいなの多すぎて
普通の人が生活したら違法になりそうな気がします
そしてアウトロー

222 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 00:51:20.14 0.net
>>218
史記
太史公曰秦之先為嬴姓。
其後分封,以國為姓,有徐氏、郯氏、莒氏、終黎氏、運奄氏、菟裘氏、將梁氏、黃氏、江氏、修魚氏、白冥氏、蜚廉氏、秦氏。
然秦以其先造父封趙城,為趙氏。

新唐書
趙氏出自嬴姓。顓頊裔孫伯益,帝舜賜以嬴姓。十三世孫造父,周穆王封於趙城,因以為氏。

秦王家は嬴姓趙氏

223 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 00:59:06.16 0.net
中華帝国とペルシャ帝国は統一と分裂を繰り返し時には外部の民族の支配を受けながら王朝交代をするという点が共通しているが
なぜヨーロッパやインドなど他の文明圏ではそのようなサイクルは生まれなかったのだろう?

224 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 01:15:36.61 0.net
>>223
統一をインド亜大陸丸ごとと言う単位で見ないでヒンドゥスタンとデカンで見ると結構サイクルになってるよ

欧州は統一までのハードルが高すぎてな
古代ローマ、カール大帝くらいかな?
カール5世は宗教改革とフランス・オスマン連合によって欧州統一失敗してるし
ナポレオンは後一歩だったね

欧州は大航海時代くらいまでは貧乏で攻めるプライオリティが低すぎたし
それ以降だと各国が強くなり過ぎて統一不能だし、サイクルが生まれなかったね

225 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 06:53:36.29 0.net
>>219
中国の県城だって城壁に囲まれてるじゃん。
城が都市の意味で使われてるんだから。
費用と手間暇かけて城壁で囲んでおかないと
安心できなかったんだよ。

226 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 12:51:55.84 0.net
キングダムは嘘を広めた罪も深いんだよなぁ

始皇帝を嬴政って書いてみて世間が影響されまくるという…
ちなみに始皇帝は「趙政」もしくは「趙正」

227 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 14:36:04.24 0.net
>>226
キングダムのせいじゃないだろ。
百度百科では、本名が?政、別称が趙政、趙正、祖龍とかになってる。
現代中国でも?政の方が通じるからだ。

228 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 16:35:25 ID:0.net
現代中国でエイ政とか言い始めたの明らかに日本の後追いなんだよなぁ…

229 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 17:34:40 ID:0.net
>>228
百度知道でなぜ多くの課文(テキスト)で始皇帝本名がエイ政になったのかのQAがあった。
周代の習慣制度からするとエイ政と呼ぶのは誤りだが、
唐代以降にエイ政で通用するようになってしまったそうな。
同様の誤用がそのまま通用してしまった名称としては
姫昌、姜子牙の例があるとのこと。
古典の錯誤であるが、現代のテストでエイ政と書かないとバツになるんじゃないかというのが回答者の推測だった。

この回答が正しければ、日本の影響ではなさそう。

230 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 18:54:31 ID:0.net
>>221
今でも馬鹿な官僚が法律を作ればみんな従うと思ってんじゃん
秦の法律はこの場合はこうしろと細かく決められているらしい

商君の法でも男子二人いて分家しなければ課税を倍とするだしね
鶏が泣いたら関所を開けなければならないで孟嘗君は助かったし
秦王暗殺の時に周りにいる兵士達は段の上に上がれない
上がるには王命が必要だけど王は逃げ回っているとか

231 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 18:56:17 ID:0.net
男は氏と字
女は字と姓の順で呼ぶとか

232 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 19:13:43.88 0.net
>>229
あら、本当だ

最近やたらエイ政ばっかり言ってる人がいるからおかしいなと思ってたけど
俺が唐以降の文学一切知らないだけだったんだな
頭上古でした

233 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 21:13:53.56 0.net
基本名前だけで呼ぶんじゃないかね
晋のしんせいもちょうじもいごも
斉のしょうはくもきゅうも
秦王政とか斉王建とか

234 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 21:17:10.17 0.net
>>222
https://www.baidu.com/sf_bk/item/%E5%AC%B4%E6%B0%8F/3557225?ms=1&rid=9404249939521760693
はい論破

235 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 21:23:31 ID:0.net
>>225
春秋戦国時代の列強は数百の城を抱えてたが
秦の統一で大量に破却された

236 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 21:26:23 ID:0.net
>>226
別にキングダム関係無い、キングダム詰まらんけどそれも関係無い
https://www.baidu.com/sf_bk/item/%E7%A7%A6%E5%A7%8B%E7%9A%87/6164?ms=1&rid=7462316799012721731

237 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/15(水) 21:41:48 ID:0.net
>>230

細則が多いのは
まあ運用があれなのは別としてわからんでもないですが
遅刻すると死刑みたいな量刑で
案の定というべきか大反乱みたいなのは
なんでなんなんかなぁと

238 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:07:30 ID:0.net
蒙恬が筆を発明する前は何で書いてたの?

239 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:43:08 ID:0.net
>>237
韓非子自体が言ったことより結果が良くても罰しろだからね
そうなるとできそうな小さいことしかやらなくなるよ
どうせ成果を出しても大した褒美はない
どのような罰も恐れずはないけど
どんな褒美も喜ばないはあるよ
功績を出しても金や領土が与えられて何がいいんだか
一万戸と一万二千戸で食べるものに違いがあるか

240 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:44:27 ID:0.net
五人組で伍長が戦死したら敵を殺さないと死刑って法律だしね
冤罪も多いし連座制だから結局何もしなくても罰せられる

241 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:46:55 ID:0.net
人を推薦した時に推薦された者が罪を犯したら同罪
二世皇帝の時には反乱という言葉を使ったら殺された
明では道という文字を使ったら盗と音が似ているから皇帝を盗人だと言っている
光とか生とか僧とか禿と似た音でも駄目で一族皆殺し

242 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:48:28 ID:0.net
漢の武帝の時でさえ
賊を摘発しない時あるいは摘発しても捕縛した数が規定に達しない場合
太守から小役人まで責任者は全員死刑

243 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:50:26 ID:0.net
韓非子でも官を兼ねるは駄目だから策を進言したら処罰とかだしね
頭を集めて話をする者があれば一族皆殺し
立ち話をしたら打ち首

244 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:52:40 ID:0.net
夏侯嬰の話とか傷害事件の被害者なのに
犯人をかばったとされて一年だか投獄されて拷問を受けた
被害者にやることかよと

日本の江戸も駄目
被害者が訴え出た場合に判決まで入牢
今同じことやったら泣き寝入り増えるだろ

245 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:54:46.16 0.net
>>237
馬鹿な日本人が本で秦の兵役や労役はそんなに重くなかった
生涯で四年程度だから大したことないと書いたりね
かなり離れた場所まで移動させて負担は重いのにね
役人も机上の空論でそこまで重いと考えてなかったのかもね

246 :世界@名無史さん:2020/01/15(水) 22:55:45.11 0.net
漢って前も後もろくな時代じゃなかったよ
皇帝は名君扱いされているのでさえクズだし

247 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 02:02:43 ID:0.net
明治時代に新聞記者が江戸の話を古老に聞いて集めた本では、大概の人は懐かしんでるけど、冤罪で入牢、拷問された人だけは罵ってたな。当たり前か。

248 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 03:17:59.65 0.net
>>237>>245
そんな細則無いからな
期日遅延は1ヵ月以内なら剃髪の刑、それを越えても労役延長や棒叩き

249 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 03:21:20.73 0.net
>>244
皮肉が遠回り過ぎるだろ
はっきり事実上の一党独裁国家 ジミン党総裁の家領は
司法が中世の水準と書かないと

250 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 03:50:50.78 0.net
>>234
論破になってませんが

氏とする出典どこですか?

251 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 03:56:48.21 0.net
既に魏晋南北朝の人々が間違えてるくらいだから現代人が間違えてもしゃーないな

252 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 06:18:10.22 0.net
>>248
それのために歴史上初めての農民反乱が起きたのに
流石にそんな法はなかったはおかしい

253 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 06:23:21.04 0.net
>>247
犯人に間違いない奴だけを拷問したとか言っている奴がいるけど
現在でも何の証拠もないのに犯人に間違いないって言ってやがるし
足立区の芸能人冤罪も出身と犯人と同年代ってだけで仲間扱い
これは元刑事が犯人の仲間が芸能人をやっていると本に書いたからだけど
さすが人間のクズの警察官だから少しも被害者に悪いと思わず自己正当化
拷問は罪を認めない奴にやるんだし
犯人扱いしている理由はどうせ証言だから犯人と断定なんかできない
実際に実験で撮影すると証言が服装とか色々間違いだらけ
秋葉原通り魔事件の初期の証言なんかめちゃくちゃ

254 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 06:47:33.16 0.net
>>245
出土した竹簡の解析が進んで、
意外とマトモな行政じゃないか、
むしろ民を慈しんでるぞ
苛政のイメージは漢が前王朝を貶めるために創られたに違いない、
と、言い出したのは中国人学者たちだよ。
やがて始皇帝を再評価する流れがあって、
映画やドラマが作られ、
その流れが日本に伝わり、
キングダムが誕生した。

255 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 08:32:56.71 0.net
>>246
漢王朝の最大の悪行は儒教を官学にしたこと。
これから中国史が退屈極まりないものになったんじゃないか?
少なくとも俺は漢王朝の歴史本を読み通すことが苦痛。
某書の本文に「少し退屈で面倒な記述におつきあいいただきたい」とあるぐらい。
国家理念に関わることで重要なんだろうが、やっぱり苦手。

256 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 08:42:23.98 0.net
>>251
うん。
全てを当時に忠実に再現すべきとなったら
映画、ドラマ、アニメの人物名を全て変更せねばならず
そうなると見る人が混乱し
誰の話かわからなくなるぞ。

257 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 09:58:48.22 0.net
日本アカデミー賞優秀作品賞5作品にキングダムが入った。
優秀監督賞5人に佐藤信介(『キングダム』)が、
優秀助演男優賞6人に吉沢亮(『キングダム』)が、
優秀助演女優賞5人に長澤まさみ(『キングダム』)が入ってる。

個人的には翔んで埼玉の馬鹿らしさインパクトが
エイ政王道を凌駕してる。

258 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 10:32:11.73 0.net
>>256
でも子供の頃の秀吉が秀吉と呼ばれてたらクレーム入るからねえ

259 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 10:49:29.23 0.net
中華ドラマ「康煕王朝」で
敵方が憎々しげに、皇帝のことを「康煕 kangxi」と呼んでた。
確かに kangxi って言ってたよなぁ!?
いいのか?

260 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 11:03:29 ID:0.net
>>255
西洋史だってキリスト教神学の各学派間の論争は退屈。

261 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 11:08:32.09 0.net
>>256
全てを忠実に再現する必要はないが何故か姓+名で表記される誤用を乱打するのもそれはそれで良くないやろ

まあとは言え漢代の司馬遷ですら氏と姓の混乱が史記の中に散見されてて
春秋時代のシステムで戦国期に相当失われて漢代だと最早骨董品だったんだろうなぁってのがわかる

262 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 11:20:04.41 0.net
「キングダム」作者の原泰久へのインタビュー)
……
「史記」は残っている文献がもう本当に少なくて、
年表の1行とかしかないから、すごく貴重なアイテムなんです。
記載があるものをねじ曲げることはしないように、できるだけ気を付けてます。
ただ史実に記載がないものは、「そうだったかもしれないよね」という感じで自由に描いていて。
……
(キャラクターの服装や建築物など、文化・風俗のあたりは)
最初の頃は遵守しようとしてたんですよ、
文官の頭の冠の形とか、いろいろ調べたんですけど……
僕は歴史家じゃないし。
専門家も人によって言うことがバラバラで「〜と言われている」という感じで、
曖昧なんですね。
なのでもう、そこにこだわる必要もないのかな、と。
……
(町並みや服装なんかは)、そうですね、
一応中国に取材旅行に行かせてもらって、
当時のお城の復元を撮影させてもらったのをベースにしたりはしてるんですけど。
でも中国映画の「三国志」とか
「レッドクリフ」とか見ても割とあり得ない格好してるんで、
「こんくらいやっていいのか」って思いました(笑)。

263 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 12:11:11 ID:0.net
すげぇな

史記で秦王趙政ってモロに書いてあるのに
本当に気を使ってんのか?

264 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 12:32:16.51 0.net
>>259
大河ドラマの「のぶながさまぁ!」みたいなもんやろな

265 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 13:15:50.31 0.net
>>263
骨子を外さないということだろ。
趙政でもエイ政でもどうでも良い。
より一般で通用している方を採用するのは当然。
何しろ中国教科書で通常はエイ政になってるんだから。

266 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 13:29:26.09 0.net
?政と記述した最古のものは曹植の文帝誄らしい。
後漢滅亡直後にエイ政になってた。

267 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 14:58:43.51 0.net
そこまで伝統ある「誤用」ならもうどっちでもいいってことじゃん。「相国は間違いだから相邦に直せ!」って平家物語に文句つけるようなもん。

268 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 18:16:12 ID:0.net
>>260
「イエス・キリストは神である」
「イエス・キリストは人である」
「イエス・キリストは神であり人でもある」

この3学派が対立して、血で血を洗う抗争

269 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 18:22:29 ID:0.net
>>268
その一番上のやつが天下とったら今度は「父と子はわかるけど聖霊ってなんだよどっから来たんだよ」で大喧嘩

おまけに「神様を絵に描くなつってんだろ」「いや、これは絵だけど絵じゃないから」でさらに内輪もめ

270 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:22:06.63 0.net
>>254
税金を搾り取る役人が良い役人
人を殺す役人が忠臣

近現代の共産主義でもあったけど村に死刑のノルマが割り当てられたら
決められた人数を死刑にしないと任務を怠けているとされる
誰も犯罪を犯さないんですは通じない

日本でも手柄を立てると出世できるから
警察官や検察官が容疑者を拷問や脅迫で自白させている
裁判官は自白は任意だと認定するからやり放題
長期の取り調べでの自白は証拠採用できないとあっても
カルロス・ゴーンの130日程度じゃ自白しても長期じゃないと認定

271 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:24:33.23 0.net
漢の武帝の法律も今風に言えば

犯罪が発生した場合に犯人を逮捕しない場合
または犯罪を摘発しても全員を逮捕できなかった場合
警察署長から巡査まで担当者はすべて死刑とする

272 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:26:10.15 0.net
ハンムラビ法典

殺人容疑で告訴した場合に
被告人が有罪とならなかった場合
遺族は死刑とする

273 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:28:18.16 0.net
陳勝は災害でもう期日までに魚陽だっけに着けないから
遅刻の罪で死刑にされるし
万が一死刑を免れても現地では地獄の苦しみで生きて帰った者はほとんどいない
どうせ死ぬんだから反乱を起こそうだったはず
始皇帝の死後半年のこと

274 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:30:02.79 0.net
時間に遅れた場合死刑
取り調べに眉をひそめた場合死刑
反抗した場合死刑
数を間違えた場合死刑
仮病を使った場合死刑
三人以上で食事をしたら死刑

275 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 19:58:22.71 0.net
>>252
少なくとも発見された法律の文面から始皇帝の治世にわ無かった
胡害、趙高の支配期に創られた可能性なら有るけど証拠無い

276 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:12:34.86 0.net
まあ、人口密度が低かった古代中国で、人間は貴重な労働力だ

言うほど殺さなかっただろう、どこの国でも

277 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:13:49.45 0.net
秦の法律は非常に非情で天候のせいだろうが何だろうが厳格に適用される。 すなわち、間に合わなければ死刑だ。

278 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:15:40.42 0.net
>>262
レッドクリフは服装もさることながら、曹操が飲む酒が、明の五彩の杯なのが気になった

279 :こいつ地獄に落ちろと思う:2020/01/16(木) 20:16:14.21 0.net
では、秦王朝の百姓が負担する兵役や賦役はどれほどのものだったのだろうか?
後漢時代に班固が編纂した『漢書』によれば、
秦王朝では成人男性は一生のうち1年間の兵役に就き、予備兵役又は開墾事業に1年間、
その後は毎年夜間の見張りに1カ月従事していたと記されている。
例えば20歳男性の場合、
50歳になるまでに兵役や賦役に従事すべき期間はおよそ4年半にすぎなかったという。
この数位は現代の一部の国家と比べても大差ないものとなっている。
二千年以上もの昔であったことも計算に入れると、
とても「圧政」とは言えないのではないだろうか。

280 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:18:52.16 0.net
現代と古代じゃ生産力が違うからな

これだけピンハネしても生存線を下回らない、という比率が古代ではそうとう低い、と見ないと。

281 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:21:56.99 0.net
政治を誹謗すれば三族皆殺し
集まって会合を開いただけで市場で処刑される

282 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:23:05.65 0.net
秦は功労者に払う対価が多くなりすぎると法にかこつけて誅殺する

283 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:24:30.88 0.net
植物の成長期な春には山林から木材を切り出してはいけない

284 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:27:43.11 0.net
市場で斬刑に処される者が毎日のように出て、それを見る通行人の半数も、なんらかの刑罰を受けたことがある者

285 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:29:38 ID:0.net
秦と漢の法律が実はあんまり変わりが無い

286 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:29:38 ID:0.net
秦と漢の法律が実はあんまり変わりが無い

287 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:32:14 ID:0.net
春秋時代は足きりの刑が多かったせいか、市場で義足とか売っている

288 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:40:45 ID:0.net
>>274
ポル・ポトとどっちがきついの?

289 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:42:25.10 0.net
>>274>>277
発見された秦律にそんな条文は無い
以っと遥かに穏当な物

290 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 20:56:14 ID:0.net
ポルポトは死刑だからいいよ
むしろ死刑廃止して残酷な刑罰をやっている今の方が嫌

291 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/16(木) 21:06:14 ID:0.net
>>248
これはww

いったん遅刻フラグを立てたら
永久に遅刻し続けることで
どっかの元管理人みたいに無敵モードに入れるのではなかろうか

292 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:10:39.91 0.net
>>277
睡虎地秦簡の発見によって秦における労役の実態が判明しているが
期日に遅れただけで死刑というのは史記にのみ見られる記述で実際に行われた形跡がない
それどころか逃亡したものですら労役の加上で済まされている

また特筆すべき点に敵前逃亡ですら奪爵1級分というかなり穏便な措置が取られていることが挙げられる
多くの軍隊ではつい最近まで例えば旧日本軍も第二次大戦中に多くの兵士が敵前逃亡で処刑されているとことを考えると
当時としては極めて進歩的であると言える

293 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:14:04.26 0.net
伍長が戦死したら敵兵を殺さないと五人組は全員死刑ってのは?

294 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:14:04.28 0.net
伍長が戦死したら敵兵を殺さないと五人組は全員死刑ってのは?

295 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:16:31.90 0.net
何か資料だけ見たら江戸時代も北朝鮮も素晴らしいになるし
もしそれが事実ならあれだけ多くの反乱は起きない
江戸時代の農民は米を主食西ていたと言い張る奴等がいるけど
明治どころか昭和でも兵隊になると米が食えるぞと宣伝してるんだよな

296 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:18:03.91 0.net
資料なんか信じたら日本は民主主義で人道的な素晴らしい国で
平和で治安が良く豊かで暮らしやすい社会になってしまう

297 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:19:42.45 0.net
資料を信じたら日本の自殺者は年間二万人だけということになる
日本人は優しいとか日本人女性は素晴らしいことになってしまう
努力すれば報われる社会だということになってしまう

298 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:25:07.26 0.net
>>293
それって尉繚子の束伍之令の記述でしょ
もし秦帝国が日帝や北朝鮮並みの監視社会なら秦末に雨後の筍のように反乱軍が現れることもなかっただろう
反乱が多発するということ自体締め付けが甘いという証なのよ

299 :ウムウル :2020/01/16(木) 21:48:07.79 0.net
>>238
おいらも昔に気になって調べたことがあるのですが
たしか筆でした

300 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 21:57:57.91 0.net
>>298
大陸全土を管理しきれなかったってことでしょ
締め付けが厳しいからやけになったんでしょ
日本で通り魔が多発しているように
敗者をやってないからだと言う人間さえいなければ通り魔になろうと思わなかったのに

301 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 22:01:44.30 0.net
>>295
史料だけ見ても幕末の一世紀で最低でも延べ300万人も餓死してるから
それと雑穀の混じった米飯と米だけの飯の違い

302 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 22:07:02 ID:0.net
全体主義国家ならそもそも通り魔なんて起きないよ
個人の権利を尊重するから犯罪が起きるんだよ
戦前の人口当たり犯罪率何てめっちゃ低いからな
逆に一番高かったのがアメリカ式に倣った戦後の自治体警察時代

303 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 22:24:03.70 0.net
全体主義国家で犯罪は多い気がする
日本は警察が被害者を追い返したってのをしょっちゅう聞くし
戦前も戦後も犯罪率なんか嘘だよ

304 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 23:07:28.54 0.net
全体主義国家なんてものはコミュニケーションやマスメディアノ発達した現代国家にしか起こり得ない
古代国家に全体主義のイメージを投影するのはナンセンス

305 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 23:07:51.25 0.net
少年犯罪データーベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html

GHQ統治下が如何に犯罪が多かったかよくわかるな
ちなみに戦前の検挙率は100%だった(犯人が見つからない場合は適当な奴を仕立て上げて逮捕したため)
GHQの諮問において当時の司法省はホウキの掃き方ひとつで適当な罪状を下手あげて逮捕できると誇らしげに答えているwwww

306 :世界@名無史さん:2020/01/16(木) 23:21:14 ID:0.net
アメリカ何て個人の権利を尊重した結果レイプ合法とかあり得ない地域が存在するwww
それを諷刺した映画ウインド・リバーというのがあるのだが監督が元連続強姦魔(未逮捕)wwwwww
新井浩文が風俗まがいのマッサージ嬢に本番強要したぐらいで強姦罪適用して社会的に抹殺したジャップってマジ遅れてるよなwwww

307 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 04:36:11 ID:0.net
>>305
今でも公安が誰でも逮捕できると笑いながら言っているし
苦しめて脅して自白させて自白は任意だ直接証拠だとやっているから
犯人かどうかも分からないのを有罪にしている

308 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 06:59:20.78 0.net
>>279
里耶秦簡の解析でも地方行政の実態がわかるようになり
暴政だったというイメージとずいぶん違うじゃないか、
という感想はあり得る。
史書は勝利者が書き記し、改ざんするものという当たり前のことを再認識すべきだね。

309 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 08:29:16 ID:0.net
広大な領土で、土地はありあまっている

労働力はいくらでも欲しい

310 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 09:01:11.02 0.net
大虐殺なんか、してる余裕ないぞ

311 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 10:54:18 ID:0.net
何が合理的かは立場や価値間で異なるし、誰もがツネに合理的に振る舞うわけでもない

312 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 12:01:10 ID:0.net
古代人の野蛮さは、現代人の想像を絶する

暴力沙汰は日常茶飯事そのもの

313 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 13:41:53 ID:0.net
>>308
あの時代の軍隊に1年もいたら何をされるかわからんよ。
旧日本軍のいじめどころじゃないだろう?

314 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 14:04:19 ID:0.net
>>313
信頼度は
 竹簡>史書>>>想像
だな。
竹簡は現場資料そのもの。
史書は書き手や権力の都合でバイアスがかかる。
想像は思い込みばかりで何の根拠なし。

315 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 15:41:39.58 0.net
>>314
一次史料もまた書き手のバイアスは不可避だけどね。いちおう。

316 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 16:03:20.96 0.net
>>249
公明党と連立してるのに、どこが一党独裁だ?

317 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 16:43:14.02 0.net
>>315
確かに地方役人がサボっているのに
真面目にやってますとゴマカシ報告書を残すことはあり得るな。

318 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 16:58:53 ID:0.net
>>317
さらに
「うちの県の収穫量は過去最大で、
 人民はたらふく食えてます。
 外地からの入植も大成功!!
 みんな幸せ。」
とかの報告が全国から集まり、
誇大な成果を誇る。
って、どこの国のGDP?!

319 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 17:35:03 ID:0.net
とりあえず現代日本の話はここではやめねえ?たまには脱線もいいけどそればっかじゃスレが機能しなくなる。

下痢三批判したきゃ嫌儲来いよ
嫌儲は誰ウェル

320 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 17:59:20 ID:0.net
里耶秦簡で
「得虎、當復者六人」
虎狩りの功績があるとして復除(徭役免除)になった6人ということ。
地域に貢献した者は徭役免除になるということらしい。
虎がいたんだ。怖いよな。

321 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 18:09:49 ID:0.net
>>313
同じく里耶秦簡。
「六百廿六人而死?一人」
県が集めた兵士総数が626人で死者1人らしい。
兵士といっても、戦場に派遣されるだけでなく、
地元の盗賊退治に参加する者も含むのだろうが。

322 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 18:15:01 ID:0.net
>>320
秦代には江南のほぼ全域で野生の象が出たとか
https://i.imgur.com/ovSWcGP.png

323 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 19:24:32.05 0.net
>>320
割に合わないな
それにどうせ労役免除は一生じゃなくて一時期
役人の資料を読んだら日本でも容疑者が任意に自白して
裁判になると急に自白を強要されたと嘘を言ったことになってしまう
公務員は人間のクズなんだから
知ってるか公務員の給料を上げる決議で過去にさかのぼって上がるんだぜ

324 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 19:25:45 ID:0.net
>>321
近代でも軍の半分は輸送隊

325 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 19:57:52 ID:0.net
>>305
美しい国の伝統芸

326 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 20:05:09 ID:0.net
>>305
今も変わらんよな
裁判官も、警察の証拠の捏造が判明しても再審を却下する人間のクズ

327 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 21:10:08.10 0.net
NHKスペシャルのアイアンロードで
匈奴軍は鉄の矢じり、漢軍は青銅の矢じり、
かくして冒頓単于軍が劉邦軍を圧倒。
製鉄技術自体は匈奴より漢に早く伝わるも、
強い鉄が作れず。
炒鋼炉が誕生し、やっと炭素分を減らした強い鉄ができた。
武帝の軍隊は強い鉄の武器を装備し、
匈奴を徐々に追い詰めていく。
だそうな。

328 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 21:24:22 ID:0.net
そもそも中国の徭役や兵役って脱走したりすること前提で組み立てられてるからな
若者なのに老人だとか男なのに女だとか偽装申告してる奴もいるし

329 :世界@名無史さん:2020/01/17(金) 21:55:53.57 0.net
はいはい妄想症のお薬をちゃんと飲みましょうね

330 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/17(金) 23:30:33 ID:0.net
>>318
だいぶ盛っちゃったらしいですねww
おかげで人口推計もがばがばに


>>327
ふむぅ、続きはそんなはなじだったのか
しょっぱい話もあったのかな

331 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:19:48 ID:0.net
秦簡、漢簡、楚簡、呉簡のどれでも目立つのは卜占関連。
占いや祈祷で行政組織の隅々までが動いてたんか。

332 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:34:53 ID:0.net
>>314
いや、信頼度は
 俺の想像>>>竹簡>史書>>>他人の想像
だな。

あ、薬を飲む時間だ。

333 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:41:34 ID:0.net
同時代記録でも正しいとは限らないからな

334 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:49:26 ID:0.net
>>331
古代社会はそんなもんだろう

335 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:50:15 ID:0.net
>>324
兵站が勝敗の鍵だからな。
兵站の達人の蕭何が建国功臣第一位。

336 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 07:52:33 ID:0.net
秦漢はもとより、隋唐だって、加持祈祷が大流行する呪術的な社会

人々の思考が合理的になってきたのは、明清くらいの話

337 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 09:06:12 ID:0.net
>>318
その他の項目で数十兆円も捏造して
今や中国政府統計より信用を失墜させたジミン朝領を実効支配する権力体批判か

338 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 09:08:58 ID:0.net
明代じゃ無く宋代
宋代から宗教家の税優遇が無く成り、金属製の偶像が禁止される

339 :ウムウル :2020/01/18(土) 10:07:04.05 0.net
>>335
韓信さんは兵站でまじめに働いたのか
それとも口先だけで取り入ったのか

340 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 13:04:27 ID:0.net
股をくぐって取り入ったらしい

341 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 14:58:03 ID:0.net
>>336
実際に呪術や魔法に実効があったんじゃないかと思ってる。
本当に超自然的現象を起こせたからこそ
祭儀の影響力が大きかったんじゃないか?
証明のしようはないし、オカルト趣味も持ってないので、心の中での想像でしかないけど。

342 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 15:28:47.28 0.net
>>340
赤穂浪士 神崎与五郎の股くぐりは韓信の真似あるいは剽窃。

343 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 15:55:08.44 0.net
>>341
そうかもしれん
「思いは現実化する」ってのは、現代でも言われてることだからな

大勢の人々が強く信じていれば、現実化することもあったのでは

344 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 16:05:27.24 0.net
じゃあ
呪おう
ゆうメンタルクリニック新宿院の奴等に地獄の苦しみを与えて下さい

345 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 16:32:20.27 0.net
>>344
巫蠱の禍になるぜよ。
ホームセンターで五寸釘買ってこい。

346 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 17:05:48 ID:0.net
日本を呪う

347 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 17:26:45 ID:0.net
庭に呪いの人形が埋めてあって摘発された人たちが無実であるとどう証明できるだろうか?

348 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 18:10:29 ID:0.net
手足縛って水に投げ込めばいい。

沈んだら無罪、浮かんできたら有罪。

349 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 20:33:41 ID:0.net
冗談の積もりだろうけど、それをガチでやってたのが日本の天皇家と武家

350 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 22:27:43.04 0.net
マ?

ハンムラビ法典だと逆に川に投げて生還したら無罪やったが?

351 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 22:51:55.87 0.net
>>331
里耶秦簡とか卜占関係はまったくないのだけど
一体どれのことを言ってるの?

352 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/18(土) 23:44:09 ID:0.net
>>340

ふむぅ、蕭何さんはちょっとくぐっただけで
追いかけるほど好きになっちゃう
股のゆるいオトコだったんですか、、、そんなの幻滅です

353 :世界@名無史さん:2020/01/18(土) 23:56:44.98 0.net
油に手を入れて火傷しないなら無罪とか言ってる奴らは全員煮えたぎった油に入るべき

354 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/19(日) 00:40:38 ID:0.net
>>350
ジョですかね

むしろ沈んで生還した場合は
間違いなさそうな気がしますがww

355 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 02:35:47.11 0.net
>>340
股をくぐられて嬉しいか?
股をしゃぶられた方が嬉しいだろ

「風の股しゃぶろう」っていうしさ

356 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 10:33:54.66 0.net
>>353
半身浴の刑で善いよな

357 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/19(日) 12:06:01 ID:0.net
>>181

うーむ、調べたとこはっきりはわからんかったけど
馳道はともかく
直道は秦で
たぶん始皇帝の時代に造ってると思うけどなぁ


馳道はそもそも目的も違うし
こっちは始皇帝で間違いないと思いますね

358 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 12:46:06.06 0.net
直道は六国も敷いてた

359 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/19(日) 12:57:35 ID:0.net
ふーむ、そうすると六国の直道が馳道になって
秦の直道が新たに建設されたりしとるのかな

360 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/19(日) 13:15:06 ID:0.net
秦の直道は
始皇帝35年(前212年)に始まり、二世皇帝の3年目(前207年)に終了
第一段階は37年目まで2年以上でいったん開通
その後にさらに整備が行われ完成

>>90
>>97

二世皇帝もがんばってました

361 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 13:29:45 ID:0.net
六国の馬車の軌道が違っていたのが大きな問題で、馬車の通ったあとの轍は、昔の人にとっては鉄道のレールみたいなもんだから、それを統一する必要があった

362 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/19(日) 13:48:21 ID:0.net
>>359
とりあえずのとこ、
六国の車道が直道とよばれた記述は
おいらは見つけられませんでしたよっと

>>332
とってもいいお薬なんですかね?

>>333
同時代人による歴史的記述はたいてい誤ってるは、歴史あるあるっぽいですww
習俗や文化とか日記ならけっこう信用できるんですが

363 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 15:18:57 ID:0.net
いま、甘粛省の秦直道を、観光の目玉にしようというプロジェクトが進んでいる。

・・・秦直道は、秦の始皇帝時代に2年半の歳月をかけ作られた軍用道路で、歴史家からは「中国初の高速道路」と称されている。平原や山地、草原、砂漠を通り国家重点文物保護単位に選定されている。

「現在、約1億8000万元(約30億円)の予算規模の前期プロジェクトを計画している。観光客に中国の歴史文化の深さを味わってもらい、世界の高速道路の『発祥地』を見てほしい」と胡副館長は語った。

364 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 16:46:42 ID:0.net
観光の目玉にしようとして作った物は全て失敗している

365 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 17:10:24.36 0.net
>>351
鋭い指摘。
里耶秦簡以外の秦簡、漢簡、楚簡、呉簡のどれでも目立つのは卜占関連。
と訂正。
里耶秦簡以外の〇〇〇〇簡にゃ
日書とかの占いが大抵含まれてるんじゃないか?

366 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 19:26:03.61 0.net
キチガイに刃物な鋭さ、楚簡にもそんなない
約5%

367 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 20:33:38 ID:0.net
>>366
九店楚簡には日書が
包山楚簡には卜筮祭祷文、
上海博物館蔵戦国楚竹書には周易や陰陽関連が、
秦家嘴楚簡には卜筮祭祷文が
新蔡葛陵楚簡にも卜筮祭祷文。。。。。

368 :世界@名無史さん:2020/01/19(日) 21:34:32.43 0.net
だからそれ等わ発見された文書の5%ちょっと

369 :世界@名無史さん:2020/01/20(月) 19:38:59 ID:0.net
>>360
今のところ二世皇帝さんの時代は睡虎地や里耶に匹敵するような新資料がないからなぁ
二年間くらいで崩御されたので今後も詳細不明のままになる可能性が高そう

とある時期のとある地方の行政や律の一端が明らかになった先代にしても
それで人となりがわかる訳じゃないし…(律に関しては始皇帝以前の王や宰相の性格の方が反映されてそう)

370 :世界@名無史さん:2020/01/20(月) 22:43:20 ID:0.net
紂王みたいに減税や生贄の廃止とか普通に善政してる史料が見つかったらおもしろいのにな

371 :世界@名無史さん:2020/01/20(月) 23:50:11 ID:0.net
生贄わ廃止したけど減税して無いでしょ

372 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/21(火) 00:31:35 ID:0.net
>>369
長生きできたら武帝さんみたいに
ずんどこやって名君扱いしてもらえたりしましたかね?

373 :世界@名無史さん:2020/01/21(火) 08:16:24 ID:0.net
>>372
武帝並みに長生きするのか…昭襄王の遺伝子かな?

普通の二世皇帝ですらよくわからない俺に、活動期間が延びた二世皇帝の扱いとかわかるはずもないぞ

374 :世界@名無史さん:2020/01/21(火) 11:52:39 ID:0.net
>>372
武帝は、名君とはあんまり言われないんじゃ?

375 :世界@名無史さん:2020/01/21(火) 18:58:51 ID:0.net
どうでもいいけど皇帝の名前の文字は使っていいのか?
政治って言葉は禁止か?

376 :世界@名無史さん:2020/01/22(水) 08:17:37.00 0.net
使わない使わせない努力はしてたっぽいよ
「正月」とか、「楚」とか、「邦」とか

377 :世界@名無史さん:2020/01/22(水) 19:03:56 ID:0.net
宋の君主が司空だったから官職名が司城に変わったらしいけど
いつから一文字も使えなくなったんだろう?

378 :世界@名無史さん:2020/01/23(木) 00:07:58.22 0.net
それは二文字の諱を持つすべての君主の避諱事情が明らかになる日までわからないかと

379 :世界@名無史さん:2020/01/23(木) 18:51:43 ID:0.net
李世民はわざわざ使っていいと詔勅を出したらしいね

380 :ウムウル :2020/01/23(木) 19:18:22.89 0.net
>>374
そうでしたか
それじゃあ武帝さんクラスの
すっごいクズに並べるかもしれないわけですね


>>373
おいらも良くわかりませんが
趙高さんの言いなりで、始皇帝の事業は継続のイメージですが
実際のとこどうなんでしょうか?

381 :世界@名無史さん:2020/01/23(木) 20:33:21 ID:0.net
趙高(と胡亥)の悪評ってどこまで信じていいんだろう
趙高が趙の元王子だって伝承も

382 :世界@名無史さん:2020/01/23(木) 20:48:25 ID:0.net
全面的に信用出来るは
趙高が権力握った途端に帝国崩壊だからな

383 :世界@名無史さん:2020/01/23(木) 23:52:44 ID:0.net
>>380
実際のとこは知らない
先代の事業継続と擁立してくれた功臣の重用は自然な流れだと思う

384 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/24(金) 00:10:29 ID:0.net
>>381

おいらが思いますに
??車(おんりょうしゃ)に潜んでいたタイムスクープハンターが
逐一報告した資料が書庫に残されていたはずですね

少なくとも遺書の内容が見れた人が居たのではないでしょうかww

385 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/24(金) 21:18:20 ID:0.net
>>273
>>248


けっきょくのとこ陳さんたちは
ちょっと遅刻しそうになったところ
ハゲにされるのが嫌で大暴れしっちゃったという
そんな理解でよろしいのでしょうかね?

386 :世界@名無史さん:2020/01/24(金) 21:20:40 ID:0.net
日本もそうだろ
裁判で何を言っても有罪
被害者が嘘でしたと言ったら仕方なく無罪
警察の証拠のでっち上げが判明しても再審却下

387 :世界@名無史さん:2020/01/24(金) 22:34:51.78 0.net
史記の人物評ってあんまり当てにならないからな
呂后とか人民を慈しんだという割には男女問わず労役を課すとか滅茶苦茶なことやってるしな

388 :世界@名無史さん:2020/01/24(金) 23:58:51 ID:0.net
>>375-376
大衆は皇帝の諱などわからんだろうから誤って諱の文字を
使ったら厳罰という、ある意味地雷原を歩かされてるような
感じやな(汗)

皇帝の諱の文字そのものはめったに使われん物でもこれと
同発音・同声調でしょっちゅう使われる文字があると厄介だし。

389 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 00:02:32 ID:0.net
表向き禅譲という形で王朝が変わった場合,前王朝の歴代皇帝の諱も
NGだったんかな

390 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 01:30:18 ID:0.net
>>387
人口を増やすために30歳以上の未婚の女性を持つ家に罰金を払わせる法を定めたってのが色々と意外すぎる
これが20歳ならまあ昔の女性蔑視な決まりごとと思うけど、
むしろ30歳で未婚で家にいる女性が見逃せない数がいた事
その女性を嫁がせる救済策?を国が行ったこと
その当時の30歳前後の未婚女性が多産する環境があった事
どれも意外すぎる。それを呂后という女性権力者が命令したことも

391 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 07:53:26 ID:0.net
>>387
史記は、歴史というより文学だからな

392 :ウムウル :2020/01/25(土) 11:16:56.41 0.net
>>390
ほほぅ、国家補助もあったのか
どんな政策だったんだろう

393 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 14:08:49.76 0.net
>>387
アラーも慈悲深いと言いながら窃盗は両手を切断しろとか
宗教をやめたら死刑とか言っているし
他にも残酷な刑罰ばかりでまことに慈悲深いお方

堯や舜でさえ任務に失敗した奴を処刑している
悪事で処刑ならまだしも

394 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 14:09:41.51 0.net
>>388
道という文字を使ったら、工程を盗人だと言っている
光と使ったら、工程をハゲだとののしったことになるんだから

395 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 14:13:29.98 0.net
>>390
春秋時代の晋でさえ
君主は10歳ぐらいで結婚させるけど、貴族は30ぐらいになったりする
源氏物語でも源氏の親友頭の中将の長男柏木が30ぐらいでも位が低いから皇女三宮
と釣り合わないとされたり
呉起が失脚したのも公女、君主の姉、離婚者らしいがとの結婚を拒否したからだし
三国志の孔明も27ぐらいなのに若造扱いだし

30ぐらいだとまだ若者って感覚なのかもね
特に呂后と関わるような上流の娘は

396 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 14:14:25.71 0.net
>>390
それまでの戦乱で若い男が大量に死んで結婚する奴が減ったんじゃないかね

397 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 18:58:43 ID:0.net
イスラム教で一夫多妻を認めたのは、戦争未亡人が多かったからだな

398 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 19:56:24 ID:0.net
戦乱で子供も若者も死んだんだろうな

399 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 22:30:04 ID:0.net
アラブは遊牧民多いから一夫多妻制認めなきゃどうにも成らんでしょ

400 :世界@名無史さん:2020/01/25(土) 22:38:44 ID:0.net
未亡人なんかと結婚したくないけどな

401 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 00:48:53 ID:0.net
>>395
というか礼記にもある事だけど、貴族の男子は二十歳で成人、三十歳で結婚し、
四十歳で仕官ともいわれている
仕官が遅い気もするが、引退(致仕)が七十歳なんで現役は三十年ある事にはなる
30歳が若者っていう感覚は間違いではないんだろう

402 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 10:58:55 ID:0.net
>>401
でもそれは男の話でしょ
西洋のアリストテレスも
男の結婚適齢期はアラフォーだけど女の結婚適齢期は17歳とか書いてるし
出産特に高齢出産なら母子ともに生命の危険が高かった時代に30代の女に結婚して子供産みまくれって法律作って効果あったのか
現代日本もそうだけど1人の女が最低2人以上産んで子供が成長してくれないと人口は増えないのに

403 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 13:39:11.97 0.net
人類って原始時代から結構長生きの個体多かったからな
というか怪我や病気や餓死に遭わなければ↑50代が平均だし
10代と30代じゃ衛生環境悪いなら10代の方が危ないから

404 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 14:15:48 ID:0.net
>>395
そうかと思えば出会った時35歳で劉備より一回り年下なのに老人扱いの水鏡先生

405 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 14:49:33.80 0.net
>>401
政治をやる貴族は少ないし、年老いるまで引退しないから
同じ氏で複数重臣にならないからかね

406 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/26(日) 20:26:20 ID:0.net
ニポン国がザコ過ぎました、、、
しかもこの道は東京-北海道みたいなもんじゃろ


>>360
大秦直道 南北総長約750kmと推定 建設期間3年未満

>>89

旧東名高速346.8 km 建設7年間
1962年(昭和37年)5/31:着手〜
1969年(昭和44年)5/26 : 大井松田IC - 御殿場IC間 開通により、全線開通。


新東名高速253.2km 未完成30年ぐらい

1993年(平成5年)
11月9日 : 長泉沼津 - 東海間に施工命令が出る[265]。
12月4日 : 長泉沼津IC - 豊田東JCT間の工事に着手する

開通予定年度[編集]
2020年(令和2年)3月までに : 伊勢原JCT - 伊勢原大山IC[37]
2020年度(令和2年度) : 御殿場IC - 御殿場JCT[25]、御殿場JCT - 浜松いなさJCT 6車線化[296]
2021年度(令和3年度) : 伊勢原大山IC - 秦野IC[25]
2023年度(令和5年度) : 秦野IC - 御殿場IC[25]

407 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 21:00:17 ID:0.net
結局結婚したい女は十代後半までなんだよな

408 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 21:19:32.53 0.net
>>401
礼記が書かれた頃の貴族男子の平均寿命ってどのくらいだったんだろ

409 :世界@名無史さん:2020/01/26(日) 22:56:40 ID:0.net
激動の時代を生き抜いた張良&薄夫人

410 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/01/26(日) 23:38:57 ID:0.net
>>407
やはり姉さんにょうぼをゲットすると
おまけがついてくるみたいな
特典>>392があったんでしょうかね?

411 :世界@名無史さん:2020/01/27(月) 19:32:01.22 0.net
>>397
イスラム以前からアラブ社会一夫多妻制だからそれを踏襲しただけ
ムハンマドが立派なのは婚資は結婚する相手の女に渡せ父親には渡す必要ないとそれまでの売買婚を改めたこと

412 :世界@名無史さん:2020/01/27(月) 19:52:51 ID:0.net
>>411
イスラム以前から、アラブ社会の男は部族抗争で戦死者が多かった

413 :世界@名無史さん:2020/01/27(月) 22:51:33 ID:0.net
部族間抗争が多い原始民族のほうが男の寿命は長いんだよな
ヤノマミ族とか男のほうが寿命が長い
日本も太平洋戦争末期のほうが男女の寿命差は今より小さかった

414 :世界@名無史さん:2020/01/28(火) 18:55:05.51 0.net
妻は4人までと言いながらムハンマドには別の規定が適用
それでもただの人間だと主張

415 :世界@名無史さん:2020/01/28(火) 20:19:58.13 0.net
>>414
経済力が十分にあるのなら、何人でもいい

これは未亡人の救済策だから

416 :世界@名無史さん:2020/01/28(火) 20:21:41.19 0.net
中国だって、一夫多妻はある程度の地位のある男なら当たり前だった

清末の革命思想家・康有為だって、当たり前のように何人も妻がいたし

417 :世界@名無史さん:2020/01/30(木) 19:47:24 ID:0.net
厳密にいうと一妻多妾制だけどな
アメリカに解放される前の日本もな
あくまで妻は一人
妾はオナペットのなのでその腹から生まれた子は嫡子にはなれない
現代でも嫡子と非嫡子の間では法定相続分に差がある

418 :世界@名無史さん:2020/01/30(木) 20:06:03 ID:0.net
昔はハンムラビ法典でも平等だと批判していたなあ
ハンムラビでも現代日本でも証言なんかを重視するから冤罪ばかり

419 :世界@名無史さん:2020/01/30(木) 20:13:10 ID:0.net
日本史だと、女性の社会的地位が下がるに伴って嫡子庶子の格差は薄れていく感じ。
平安時代なら母親の出自が低ければ家督相続はノーチャンスだったけど、戦国〜江戸時代なら割とチャンスがある。

鎌倉時代末期の御深草院二条の時点で「腹は借り腹、高貴な人も卑しい女から産まれることもある」とか言ってるしな。

420 :世界@名無史さん:2020/01/31(金) 19:31:05.54 0.net
>>415
当のムハンマド自身がそんなこと言ってない
該当部分のコーランを読むと妻は4人程度で我慢すべきだという旨のことが書かれているなので
富裕層が女を独占することにある程度の規制をかける意図だったということがわかる

421 :世界@名無史さん:2020/01/31(金) 21:38:41.32 0.net
>>420
有力者、金持ちそれぞれがハーレムを作って何十人と囲い込むと反乱が起きるからだろうな

422 :ウムウル :2020/02/01(土) 07:21:35.76 0.net
>>363
こういう文章をみると
やっぱ中国にとっての世界は狭いことがわかりますね

>>383
李斯さんをやっちゃっわなかったら
なんか変わりましたかね?

423 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/01(土) 12:03:05 ID:0.net
>>339
しっかり働いたけど
まじめではなかったそうな

范増さんと張良さんにも一目置かれてて
鐘離昧とはお友達

うーん、やっぱよくわからん

424 :世界@名無史さん:2020/02/03(月) 17:29:30.46 0.net
まあ、もともと人口も少ない上に、原始人みたいな人が多い時代だから、優秀な人はよほど目立ったんでしょうな

425 :世界@名無史さん:2020/02/03(月) 18:51:08 ID:0.net
>>339
>>423
楚の官職は郎中で季布も郎中で同じ郎中でも偉さが違うとやる夫楚漢作者は言っていたけど
意外に韓信の官職は低くないのかもね
最高幹部ではないけど
項羽が勝利米とかを良く扱っているなら身分は低くなさそうだそ

426 :ウムウル :2020/02/03(月) 23:24:17.18 0.net
>>424
>>425


張良さんは上奏文の文章で
蕭何さんには理論と実務
鐘離昧さんとは付き合いで

これで優秀さを示したということなら
韓信さんは理論派っぽいのだけど
戦争のときは詭道が多い気がしますが
これは記録に残ってるのが派手なのだけで
こつこつ地道にやったのでしょうかね

あと妙に他の人に股潜りの知名度が高いのも気になりますが
実は先々のために自分で吹聴してたりするのかにょあ

427 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 11:11:30 ID:0.net
>>426
確かに、歴史モノでは、敵の武将から「この股潜りめが!」と罵られる場面が多いが、片田舎のチンピラとのエピソードが全土に知られているのが昔から疑問だった

428 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 21:09:47 ID:0.net
貧しい家だと学問もできない
本も貴重だし
字が読めるだけでもおかしい
思うのはもう一人の韓信も長身だし同一人物じゃないのかね

429 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/04(火) 21:13:38 ID:0.net
>>428

人物設定の一貫性のなさも気になりますから
影武者とか多重人格
同じ名前の人が紛れ込んでるとか
そんな説はないもんじゃろか、、、

430 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/04(火) 21:19:04 ID:0.net
>>424

英雄は英雄を知る
という言葉がありますが

>>423>>427

稀代の英雄ふたり項羽さんと劉邦さんには
「股を潜った中の人」としてのみ知られているわけです

431 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 21:21:10 ID:0.net
項羽は礼儀正しいとか
部下が病気になると自分の食事を分け与えるとか
剣は一人を相手にするだけだからやらないとか

女性説ないかな
実は弱かったとかも

432 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/04(火) 21:30:20 ID:0.net
>>431
剣は好きだったけど
誑かされて書物読むようになったんじゃ
なかったんでしたっけか

おいらとしては
女性説はないかと思いますが
童貞説はかなり怪しいかと思いますね

433 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 21:36:40 ID:0.net
ていうか、やっぱり、「貧しい家の出身」というのは後世の伝説で、本当は普通に豪族だったんじゃないの?

434 :世界@名無史さん:2020/02/04(火) 23:22:13 ID:0.net
その淮陰の生まれなんだよな

435 :世界@名無史さん:2020/02/05(水) 19:39:34 ID:0.net
ふその母親が楚って説はどうかな

436 :世界@名無史さん:2020/02/05(水) 21:52:04.51 0.net
扶蘇と項燕が結び付けられた件か?昌平君2号

仮に扶蘇さんの母君が楚人かつ王后なら
華陽太后や昌平君との繋がりを想像したくなるわね

437 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/07(金) 01:30:08 ID:0.net
>>308
劉邦さんは
めっちゃ生き生き書かれてた気がしますが
実際はそれを上回る本格的なクズだった
ということになりますでしょうかね?

438 :世界@名無史さん:2020/02/07(金) 09:45:06 ID:0.net
日本は人口対策で、高祖・劉邦のやり方を模倣しようとしている?
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20180727005/

たぶん
 漢書巻二恵帝紀六年冬十月。
 女子十五以上三十不嫁。五算。
の話だね。
独身の娘がいる者に人頭税五倍の罰金を課す。
これで人口増加したんかしらん?

439 :世界@名無史さん:2020/02/07(金) 10:10:15 ID:0.net
王朝成立時は人口が少なく、税を安くして民を休ませ、結果、人口増加が始まる。

王朝繁栄期に人口増加で増えた税収で積極政策になり、華やかになるものの、
一人当たりの耕地面積が減少して、生活環境が悪化し始める。

建国後おおむね十世代ほどで一人あたりの食糧供給量が飢餓線のラインに近づき、
社会不安が広まり、農民反乱が頻発し、
王朝滅亡期となり、人口が激減して、
新しい王朝に交代して、同じサイクルを繰り返す。

440 :世界@名無史さん:2020/02/07(金) 21:54:35.63 0.net
>>279
>>308
資料を信じたら日本の警察官や検察官や裁判官もまともな人間になってしまう
実際には拷問で自白させて自白は任意であるとやっている人権侵害集団なのに

441 :世界@名無史さん:2020/02/07(金) 22:26:11 ID:0.net
>>440
そういうことをも史料批判から導いていくのが歴史学でしょう。
例えば、世界中がスターリンの見世物裁判を事実だと思いこんでいたときに、哲学者のジョン・デューイはモスクワが発表した裁判資料を精査して、
ブハーリンが西側のスパイと会見したとされるデンマークのホテルが当時すでに廃業していたことを付き止めた。そこから、検事の告発は真実性に欠けるという結論を導いた。
こういうのを史料批判と言うんだよ。

442 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/08(土) 12:57:41 ID:0.net
>>438
子供産む女性の免税もあった気がしますが
そういえば後年のどっかで
女性の免税特権が剥奪されて大変になった
というのを見かけたような

443 :世界@名無史さん:2020/02/08(土) 15:41:52 ID:0.net
免税とか言ってもトラ胎児の褒美で労役を免除恐らくその回だけとか短期間だしなあ
今の日本で宗教法人の非課税を廃止すれば騒ぐだろうね

444 :世界@名無史さん:2020/02/08(土) 22:52:48.99 0.net
妊婦と出産後何年か個人分の免税と労役免除ね

445 :世界@名無史さん:2020/02/08(土) 22:59:34.17 0.net
貴族最高位の列侯でも免税特権なんてないのに一般庶民の女が産んだぐらいで免税特権なんてあるわけないんだが
前漢どころか後漢末に入っても女にもきっちり人頭税は払わせるし労役も課したからな

446 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/09(日) 01:33:44 ID:0.net
妊婦が工事現場まで出かけていって
肉体労働する光景はだいぶシュールですねぇ

まぁ貴族最高位がドカタ仕事してるのもかなりシュールですがww

447 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 02:18:07 ID:0.net
>>445
オマエの想い込みと史実は関連性0だからな

448 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 02:44:47 ID:0.net
土木技術では漢の中国よりも同時代のローマの方が優れていたな
コロッセオとかローマ水道とかカラカラ帝の浴場みたいなのは漢には無理

449 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 06:45:02 ID:0.net
残存戦力が違いすぎて比較にならんでしょ

450 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 09:43:01 ID:0.net
>>445
徹侯は税を中央に収めるかもしれないが
本人はその税を中抜きしているわけで自身としては税を支払っていない
また庶人には労役義務があっても徹侯は労役には行かない
労役のための事務手続きとかはするかもしれないが

451 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 15:45:39.39 0.net
>>448
水道は上下水道共春秋後期に既に有るし
イラク南部なら3000年以上前から有る

452 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 18:31:06 ID:0.net
>>446
>>445は妊婦まで労役が課されたとまでは書いてないけど
まぁ分かってて書いてるんだろうけどな

民十五から五十六を対象にした徭役について男子のみとする説と男女問わず徴発したとする二説があったが
実際に丁女を徴発した記録が見つかったことから後者説でほぼ確定
https://ci.nii.ac.jp/naid/40015515600

453 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 18:48:29 ID:0.net
>>451
中国のはこういう一大建造物にはなってないでしょ
https://i.imgur.com/jpEM24r.jpg
https://i.imgur.com/G2tJiiR.jpg
https://i.imgur.com/m8LP3iu.jpg
https://i.imgur.com/qx1Wg00.jpg

454 :世界@名無史さん:2020/02/09(日) 19:58:45 ID:0.net
戦乱で男がかなり心出し、女の兵士が警備についていたりもするんだから
少なくとも漢字初期では女も労役会ったろうな

455 :世界@名無史さん:2020/02/10(月) 01:07:10 ID:0.net
http://www.toua-u.ac.jp/download/project/kakenseika.pdf
漢代の建造物が写真入り紹介されてる資料だがローマのような精巧な建築物はないな

456 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 10:13:24 ID:0.net
>>445
何で税を払っていると思ったわけ?
万戸侯でも中央に税の一部を収めるかもしれないけどさ
侯は税を払っていないよ

ただ、江戸時代の町人からすら原則税は取っていなかった
たまに商人から上げ米の制とかで取っているぐらい

457 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 10:59:59 ID:0.net
>>453
こういう建築物は略々全て近世以降に建造された物
明代万里の長城みたいな物

458 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 11:01:55 ID:0.net
>>454
無知無知くんは相変わらず恐ろしい程無知だな
女性わ兵役を負わ無い、労役も負わ無い、納税義務は負った

459 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 11:03:07 ID:0.net
>>455
ローマ帝国の建築物は残って無いからな

460 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 11:09:13 ID:0.net
コロッセオ

461 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 13:08:20 ID:0.net
>>457
無知はお前だよ(笑)

>>453はポンデュガール(フランス)とセゴビア(スペイン)の水道橋。
両方とも紀元前1世紀だ

462 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 13:12:00 ID:0.net
むしろ、中世ヨーロッパでは土木建築技術が衰退して、こういうものは造れなくなった

463 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 19:12:06 ID:0.net
中国のナンチャッテ歴史とは異なり、ローマ帝国には本物の歴史があった

464 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 19:18:02.88 0.net
西安に古代遺跡が無さすぎるのを問題視した習近平政権は、国家の威信をかけて観光名所づくりに乗り出している

もう、やってることが、ほとんど朝鮮人と化している

465 :世界@名無史さん:2020/02/11(火) 19:21:12.58 0.net
セゴビアの水道橋はイサベル1世という女王によって補修されています。

イサベルはスペイン統一を果たし、またイベリア半島のイスラム勢力を完全に追い払ってヨーロッパからイスラム王朝を一掃することに成功し、
またコロンブスのパトロンとしても知られる有名な人物でドラマにもなりました。

https://youtu.be/bwSNdtjpXK0

466 :世界@名無史さん:2020/02/12(水) 21:20:52.61 0.net
後漢書の甘英伝より

「ローマの版図は何千里にも渡る領域に及び(「里」は中国での里であり、およそ500メートルほどである)、
城壁で囲まれた 400 を越える都市を含む。数十の小国が臣従している。
都市の外壁は石造りである。駅舎制度が確立されている。……松とイトスギが生えている。」

「王については、世襲で決まっているのではなく、もっとも資質に適う者が選ばれている。
……この国の人々は長身で、釣り合いの取れた容貌を持っている。
人々は中国人に似ており、これが、この国が大秦(大いなる秦)と呼ばれている理由でもある。
土地からは、多くの金や銀、また、夜光の玉を含む様々な珍しい宝石が産出する。
……人々は、多彩な色を持つタペストリーやダマスクを造るため、金糸を使って刺繍した布繊維を縫う。
金塗装した布や、「火浣布(炎で洗った布)」(アスベスト)を造る。」

「様々な、驚嘆すべきまた類稀な外国の物品はすべて、この国から齎されるのである。」

467 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/12(水) 21:33:35 ID:0.net
かつての宝物が
今では危険物として取り扱われてるのは
ちょっと感慨深いものがありますね

暗闇で青白く光る石とかも
実はヤバかったのではww

468 :世界@名無史さん:2020/02/12(水) 22:28:16.70 0.net
グルグルグルグル ウラニウム

469 :世界@名無史さん:2020/02/12(水) 22:31:24.07 0.net
>>466
漢はもちろん、唐あたりでも、西方からもたらされる文化の香り高い舶来品は、中国人にとってアリガタイの一言

宋あたりからは逆転する

470 :世界@名無史さん:2020/02/12(水) 23:01:41.69 0.net
現実は全く逆
東西交易わ唐代でも圧倒的な中国側の輸出超過で輸入品は金銀貨や宝石や香料なんかの希少資源。製品は一部ガラス細工や葡萄酒くらい

471 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/13(木) 01:22:50 ID:0.net
漢代の政府はお金不足してめっちゃ苦労した話があって
その原因を中国側の決済用通貨の流出に求める説ありましたが
金銀貨をゲットしてたら、そんなこと起こるもんじゃろか


でもわの人はたいてい事実誤認か文章間違ってるか
その両方をいっぺんにやってるかのうえ
検証可能なリンク先もでてこないだろうから
あんまり気にしてもしょうがない気はしますね、、、


あとローマ側もお金不足した感じだけど、
こっちはいろいろあるから
どんぐらいが貿易に原因あるんじゃろう

472 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 09:05:22 ID:0.net
漢とローマは共通する部分があって、なにかと比較されやすいね。

漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した“偶然ではない”理由
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7203

ローマ帝国と漢帝国はどちらの方が大きかったのか?
https://information-station.xyz/9386.html

2つの古代帝国の覇権を確立した出来事が
同じ年(BC202年)に
ザマの戦いと垓下の戦いとして生じた点で
始まりの時点からの一致点もあったりする。
どちらも古典的というべき標準の文物ないし思想を後世に与え続けてきた。

まぁ、漢は大陸国家、ローマは地中海海洋帝国という違いはあるか。

473 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 09:32:58 ID:0.net
貨幣の鋳造量については「食貨志」
に武帝元狩5年から平帝元始年中まで
280億銭余が鋳造されたと記載。

物価についてだが、
史書に記載されているのは異常時の異常物価で
正常時の物価は記載が少ない問題があるが、
一応の目安の穀価(最低値=正常時?)↓
秦  始皇帝 米 30銭/石(『睡虎地秦簡』司空律)
前漢 文帝 粟 10余〜数10銭/石(『史記』律書,『太平御覧』)
前漢 武帝 粟 30〜80銭/石(『史記』貨殖列伝)
前漢 宣帝 本始末 穀 8銭/石(『漢書』趙充国伝)
前漢 宣帝 神爵元 (61BC) 粟 100余銭/石(『漢書』趙充国伝)
前漢 元帝 初元2(47BC) 穀 300銭/石(『漢書』食貨志)
後漢 明帝 永平5(AD62) 粟 20銭/斛(『晋書』食貨志)
後漢 明帝 永平5(AD62) 粟 20銭/斛(『晋書』食貨志)
後漢 安帝 元初4(AD117) 穀 30銭/石 (『金石萃篇』6祀三公山)
後漢 順帝  永和4(AD139) 穀 100銭/石( 『後漢紀』19)
後漢 霊帝 建寧4(AD171) 栗麦 50銭/石(『金石萃篇』14漢10)
後漢 霊帝 光和6(AD183) 栗 50銭/石(『金石萃篇』17漢13)
後漢 献帝 初平元 (AD190) 穀  30銭/石(『後漢書』劉虞伝)

474 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 10:21:42.41 0.net
前漢末期の平帝での財政収入推計
 田租     :83億銭
 蒭藁税    :12.8億銭
 算賦      :41.4億銭
 塩鉄専売利益:38億銭

塩鉄論なんて現代経済学の論争に似てる気がする。
国家が民間経済に関わるべきか否か。
ケインズ経済学-政府の積極的介入が必要
新古典派経済学-市場経済は放っておけば安定する

475 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 10:32:37.60 0.net
>>472
まあ、「ローマの覇権」もそうかもしれんが、もっとダイレクトに時期が重なってるのはパルティアだな

漢と見事なまでに時期が同じだ

476 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 10:35:46.20 0.net
>>474
漢代の農民は、全員が同じ鉄製の農具を使ってた。
まさに社会主義国の公営農場そのもの

477 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 11:06:49 ID:0.net
秦以降の中国の歴代帝国って最後は農民の反乱で滅びていくのがお約束なんだけど、その反乱の中でも後漢の黄巾の乱の知名度は高いよな。

478 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 13:00:34 ID:0.net
>>477
それは三国志のおかげ

479 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 13:52:42.87 0.net
後漢って黄巾の乱で弱体化はしたけど滅びてはいないよな

480 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 14:27:41.05 0.net
2018年にフランスで起こった燃料税引上げ反対デモのイエローベスト運動をなんJの人達は黄巾の乱と言ってた
https://i.imgur.com/fOceLbm.jpg

481 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 14:41:34.10 0.net
>>479
正確には、大反乱で王朝が崩壊するというより、「大反乱で弱体化したところに、有力な武人が決起して王朝を滅ぼす」というのが中国史のパターンだからな

反乱の首謀者が本当に王朝そのものを滅ぼしたのなんて、明末の李自成くらいのものじゃないか

482 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 14:44:38.40 0.net
元末の朱元璋も、紅巾の乱の有力な武将ではあった。
ただし、首謀者クラスではないし、乱が終息してから普通に地方軍閥になった

483 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 14:47:27.19 0.net
日本では三国志のおかげで黄巾の乱が飛び抜けて有名だけど、
中国人にとっては李自成の乱や、太平天国の乱のほうがリアルな歴史的記憶なのではないかな?

484 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 14:51:19.01 0.net
赤龍王で陳勝・呉広の乱は有名になった

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
もちゃんと描写されてたと思った

485 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 15:24:04 ID:0.net
>>484
陳勝は、「燕雀いずくんぞ」といいながら刀を振り上げ、「鴻鵠の志を知らんや〜!」と叫びながら、役人を真っ二つに叩き斬った

・・・というシーンだったような覚えがある

486 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 15:29:25 ID:0.net
ていうか、それ以前に、司馬遼太郎の小説のおかげで「項羽と劉邦」の時代は認知度が上がった

日本で人気のある中国史は、圧倒的に三国時代が1位で、大きく離れて2位が秦末漢初。
3位はさらに大きく離れて殷周革命。
4位は該当する時代が見当たらない。

487 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 15:30:18 ID:0.net
中国の銭貨って最初から政府の信用に依存した法定通貨だったのか?
それとも最初は地金としての銅の価値に近かったのだろうか?

488 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 15:31:56 ID:0.net
>>486
唐宋も伝統的に人気あるんじゃね?

489 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 16:24:19 ID:0.net
>>488
言われてみれば、そうかな?

490 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/13(木) 19:28:36 ID:0.net
>>473
昔の人はお金の軽重が不思議だったらしいですね

あと輸送がどうしようもなかったから
どうにも市場の価格形成が歪んじゃいます

491 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/13(木) 19:35:26 ID:0.net
>>486
>>488
物語対決みたいな感がありますね

唐はなんかあったっけか
と思ったらモンキーまじか

492 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 20:19:39 ID:0.net
でも黄巣の乱って黄巾の乱と比べると全然マイナーだなあ
安禄山の乱の方が唐滅亡の決定打となった黄巣の乱よりも有名か!?

493 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 21:39:15.37 0.net
>>471
政府は交易して無い上に漢帝国の経済力、財政規模がローマ帝国の倍以上だからね

494 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 22:21:50 ID:0.net
>>492
黄巣の乱の後の五代十国時代は、三國志をしのぐ乱世だけど、あまり人気のある人物がいなくてネタにならない

ただ、唐の後期ともなると海洋貿易が盛んなので、広東省に大きなアラビア商人の街ができていた。


黄巣の乱では、そのアラビア人が大虐殺されて壊滅する事件が起きた。
これが、最近の中国の国際化に伴い、悪しき前例として引き合いに出されることが多くなってきている

495 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 23:23:58.36 0.net
アラブ人は憎まれていたんだな
豚肉食べるなとか言ったのかな

496 :世界@名無史さん:2020/02/13(木) 23:51:11 ID:0.net
豚肉禁止の宗教で、豚肉を主食とする広東省にいるのは大変だっただろうな

497 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/13(木) 23:51:38 ID:0.net
>>493

ふむぅ、「政府は交易しないので無敵」仮説ですか、、、

漢帝国の経済力、財政規模より大きいアメリカさんも
我慢できなかったけど政府が交易してたせいなのかなぁ

498 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/13(木) 23:59:29 ID:0.net
>>487
戦国時代はたしか重量ベースで相互変換だったようですが
そんな理由でよろしいでしょうか?

499 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 00:09:24 ID:0.net
>>493
中国の人口と農地が多かっただけ

500 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/14(金) 00:31:03 ID:0.net
>>496>>495

お金持ちだったから襲われたきもしますが
豚も食べねぇいけすかねえ輩と思われていたか
豚なんか食べてる低俗な輩と思っていたか

>>473
そういえば「食貨志」には
民間で大儲けした人なんかも出てくるんですかね?
たいがい御用商人が多い気が

范蠡さんの中の人は引退後にウハウハしてたから
最後は人民の中でがっぽがっぽしたのかしら

501 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 00:41:34 ID:0.net
スペインのフェルナンドとイサベル両王は異端審問と称して、カトリックに改修したユダヤ人の大富豪に本当に改修したのか拷問しては虐殺して財産を没収して、国富を富ませていたな。

502 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/14(金) 00:50:34 ID:0.net
>>473

武帝元狩5年→前118年
平帝元始年中→後1桁年

100年以上で280億銭余の通貨発行

>>474
財政規模をいちおう合計として175.2億


これはww
以下、できごともコピペしておきまする

元狩4年→塩・鉄の官による専売開始
元狩5年→:半両銭を廃止し五銖銭の使用開始

503 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 01:39:02.59 0.net
>>488-489
シルクロードブーム、西遊記、陳舜臣

唐宋(中世以降の中国)は三国志と項羽と劉邦のワンツーが定番化する前は人気者だったと思うが
もはや過去のモノになりつつあるな…
生の中国である中共を含むチャイナ全体に憧憬があった昭和の影響が残ってるからまだしばらくは大丈夫だけど

504 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 06:48:12 ID:0.net
中国共産党が支配体制を維持できればいいが、もしも体制が動揺して混乱状態になった場合、大陸にいる外国人は危険なので救出しなければならない

・・・という話になるとき、よく引き合いに出される歴史上の事件が、唐末の黄巣の乱におけるアラビア商人居留区の大虐殺。
いくら歴史が長い国といったって、さすがに唐は遥かな大昔なので、それほど参考にもならないと思うのだが、どうなんだろう?

505 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 08:34:56 ID:0.net
>>501の異端審問も20世期ではホロコーストという同じような悲劇が繰り返された。
ユダヤ人は商売上手で富豪が多かったのでスペインでもドイツでも貧民からは富を搾取していると恨まれ政治家からは富を没収して資金源にされた。
歴史は繰り返す、でも悲劇は繰り返してはいけないことを学ばないといけない。

506 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 08:43:40.77 0.net
>>504
大昔すぎるよね
秀吉の朝鮮出兵がどうのこうのと言ってる某国と変わらない

507 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 08:46:45.08 0.net
>>496
羊肉も食べ慣れると美味しいよ。
回族料理店の店頭に羊が丸ごと幾つもぶら下がっていて壮観。

508 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 10:54:58 ID:0.net
玄壇真君というイスラムの仙人がいて豚肉は食べない

そもそもイスラムの仙人ってなんだ?

509 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 16:06:16 ID:0.net
>>508
趙公明は、ライバルの姜子牙と同様、西のハテにある山岳から降りてきた仙人

清代には、西方はウイグル人の地というイメージが強くなったから、イスラムと結びつけられたんじゃないか

510 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 16:24:45.25 0.net
米政権、アルメニア人「ジェノサイド」認めず トルコの鎮静化図る
2019年12月18日 12:54
https://www.afpbb.com/articles/-/3260038?cx_amp=all&act=all

この二国は未だに遺恨を引きずっているな

仲裁役?のアメリカも下院はジェノサイドであることを認めたがトランプは「20世紀における最悪かつ大規模な残虐行為の一つジェノサイドとは見做さない」という立場
(残虐行為まで用いたのならジェノサイドと言ってるも同様な気もするが、ジェノサイドを用いるのは一線を超えるようだな)

ちなみにアルメニアはトゥルク系とは違い欧印系の人種らしい
美人が多いことで有名

511 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 16:25:32.10 0.net
>>510
トランプは「20世紀における最悪かつ大規模な残虐行為の一つだがジェノサイドとは見做さない」という立場

だった失礼

512 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 16:38:11 ID:0.net
>>504
そういう出来事なら日本人にとっちゃ通州事件のが身近でしょや

513 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 17:09:32 ID:0.net
>>510
アルメニア人は、いつも反トルコ宣伝活動を必死でやっている。
「西の朝鮮人」と言われる厄介者

514 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 17:11:46 ID:0.net
>>510
ほとんど変わらなくてもその言葉のものではないと言い張るんだよな
そして言い張るのが意外に効果的なんだよ

515 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 17:14:19 ID:0.net
70年にわたってソビエト・ロシアに支配されたにもかかわらず、なぜかロシアには文句を言わない。
いつまでたっても、100年前のオスマン・トルコを相手に独立運動(?)をやっている。
そういうところが、朝鮮人にクリソツ。

ただし、美人の産地としても、商才にたけていることでも知られる。
「世界一の商人はアルメニア商人、2番目はユダヤ商人」と言われている。

516 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 17:16:48 ID:0.net
>>507
西安あたりは、そんなのばっかりだ。

秦漢帝国の首都は、今でいう「中国」とは別の文化圏。

517 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 17:56:39 ID:0.net
>>515
同じ正教のロシア人にはイスラムのアゼルバイジャンやトルコより親近感あるのは不思議じゃないっしょ
>>513
トルコって今の政権に限らず割と覇権主義的だから、周りの小国が必死になるのも無理ない気がするが

518 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 18:45:43 ID:0.net
>>517
朝鮮人も、同じ儒教国の中国には文句を言わない。
それが宗教対立ってもんですな

519 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 19:36:54 ID:0.net
ロシアはアルメニアの領土取ったままじゃないからなあ
逆にトルコはアルメニア(とクルド)固有の領土全部返したら東側がなくなる

520 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 20:48:49 ID:0.net
>>497>>499
屁理屈捏ねてないで本なり論文なり読めば
現実は経済産業の発展していた中国側の大幅輸出超過だと知れるのに何故知識を得ようとせず史実を否定するのかね無知無知くんは

521 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 20:52:37 ID:0.net
>>501
スペインの異端審問は宗教的禁忌に絡んだ一般的な犯罪や非行を裁いただけだからな
ユダヤ人大富豪を虐殺して財産没収という歴史的事実自体が無い

522 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 20:55:23 ID:0.net
>>516
春秋期にわあんま牛食って無いからな、メインは羊

523 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 22:33:47 ID:0.net
>>521
●スペイン異端審問の開始

フェルナンド2世にとって国内の一致のためにも、表面上はキリスト教に改宗しながら実際には自分たちの信仰を守っていたモリスコ、コンベルソの存在が邪魔なものになっていた。
フェルナンド2世は異端審問のシステムを用いれば、これらの人々を排斥し、政敵を打ち倒すことができると考えた。
さらにフェルナンドはユダヤ人金融業者から多額の債務を負っていたため、もし金融業者たちを異端審問によって社会的に抹殺できれば債務が帳消しになるという思惑もあった。

●スペイン異端審問の変遷



異端審問は告発者が秘密であることが特色であったため、しばしば異端と関係ない無実の人々が恨みなどから、あるいは王室から与えられる報奨金目当てに訴えられることも多かった。
裕福なフダイサンテ(スペイン語版)(隠れユダヤ教徒)の告発は王室自身が行っていたであろうことは裁判後に資産が王室に没収されたことからうかがえる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

524 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 22:42:34 ID:0.net
>>458
>女性わ兵役を負わ無い、労役も負わ無い、納税義務は負った

労役は天長木牘から男女問わず徴発されたのは確定済み
兵役については辺塞文書の名簿に女の名が見らることから男女問わず戌兵役が課せられたという説と 兵士の妻であるという説があるが妻だけで伴って子どもは置いて来たとは考えにくいことから前者説のほうが可能性としては高い

525 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 22:44:29 ID:0.net
最盛期のローマ帝国と漢王朝は、民衆の生活水準はどちらが高かったのでしょうか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10130702175

526 :世界@名無史さん:2020/02/14(金) 23:04:34 ID:0.net
そもそも漢とか庶民層の姿が全然見えてこない
どんな文化や生活をしていたのかはっきりしない
ここらへんポンペイの娼婦ですら文字を残していたローマとは対照的

527 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/15(土) 00:40:42 ID:0.net
そしたら、という設定で進めてみようかと思います


>>520
漢の経済産業の発展していた中国側の大幅輸出超過
漢の政府は交易して無いからお金いっぱい

>>470
漢の輸入品は金銀貨や宝石や香料

528 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 06:51:58 ID:0.net
>>524
労役わ丁に課される物で、女子で該当するのわ布帛納で税
犬兵わ志願兵制でその負担分は丁以外も課税対象

無知無知くんの知ったかぶりわ恥ずかしい

529 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 06:54:11 ID:0.net
>>523
全然虐殺して無くて草生える

530 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 08:55:16 ID:0.net
スペイン異端審問の正確な被害者数を知ることは難しいが、ある研究者はトマス・デ・トルケマダの15年の在職期間中に2000人ほどのユダヤ人が火刑になったと考えている。
イスラム教徒やイスラムからの改宗者の犠牲者はそれよりずっと少なかったと考えられている。
最新の研究によれば、スペイン異端審問において12万5千人近くが裁判を受けたが、実際に死刑を宣告されたのはそのうち1200人〜2000人程度で、ほとんどの被告は警告を受けるか、無罪が証明されて釈放されたとされている。
どうやらスペイン異端審問には(スペインを批判するために用いられた)「黒い伝説」の一部として、誇張され過大に語られてきた部分もあると見られる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

531 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 10:07:49 ID:0.net
>>526
漢代は、竪穴式住居が庶民の多数派で、農耕は発達していたが狩猟採集民もまだ多い

基本的には、日本の弥生時代と同じレベルで原始人の世界

532 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 10:42:22 ID:0.net
お、無知なキチガイが本性表したなw
竪穴式住居が何か知らなそう

533 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 12:21:23 ID:0.net
>>532
大昔の人にとっては、柱を立てて壁を作るのは大変だった。
だから、地面に穴を掘って、土を壁にして、その上に屋根を張った。

・・・というのが、竪穴式住居

534 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 12:29:02 ID:0.net
アカデミー賞を受賞した映画パラサイトの半地下は現代の竪穴式住居

535 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 12:54:14.72 0.net
陝西省の黄土高原は、土が乾燥するとカチコチに固まるので、それを掘って地下に住居を作っている。
土といっても本当に硬いので、これを加工するには職人の技術が要る。
内装もしっかりとなされており、原始人の竪穴式住居とは意味合いが異なる。
現代でもそんな住居で暮らしている人はおり、毛沢東も若い頃は潜伏していたとされる。
現代人も住めるくらいだから、秦漢時代でもべつにおかしくない。

536 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 12:54:23.45 0.net
日本だと雨が溜まり湿気が酷いと思うんだけど
乾燥した大陸では大した問題にならないか

537 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 13:28:49 ID:0.net
>>536
大陸といっても、秦漢帝国の本拠地である陝西省は内陸部の奥のほうなので、とくに乾燥している。
黄土は建材としても通用するほど硬いけど、唯一の欠点は雨に弱いこと。
雨に濡れると、強度が極端に落ちて弱くなる。

最近は温暖化のおかげで、中国の内陸部にも大雨が降るようになり、「この調子だと緑化が進むんじゃないか」という希望的観測も出るくらいなので、これからはどうかなあ?

538 :世界@名無史さん:2020/02/15(土) 14:13:59 ID:0.net
黄土高原の竈洞(ヤオトン)は、竪穴式住居といえばそうなのだが、見た目はもっと立派で、「地下に建てたレンガ造りの家」という感じ

若き日の活動家・毛沢東も、こういうところに住んでたらしい

https://www.daiwahouse.com/sustainable/eco/column/world/images/china/photo1.jpg

https://www.daiwahouse.com/sustainable/eco/column/world/images/china/photo2.jpg

https://www.daiwahouse.com/sustainable/eco/column/world/images/china/photo3.jpg

539 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 13:15:18 ID:0.net
後漢末は太平道とか五斗米道とかの妖術系道教が流行ってたみたいだけど、その後五胡十六国以降に本格化した仏教の中でも呪術的な密教と妖術の道教でどちらが神通力を起こせるかとか、中国で対決してた歴史はないのかな?

540 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 16:25:59 ID:0.net
>>533
まあ後漢くらいになると少し状況は変わりそうだけど
たしかに紀元前の中国は柱で壁を作り建物の重さを支える技術がまだちょいと不足してた可能性あるな

>>535-538
531氏は漢代の話をしているのだから、近代の黄土高原とはまた状況が異なるでしょう
近世中国風の「レンガ造りの家」からわかるように、竈洞は漢代ではなく、近世中国の建築
また漢代の気候は近代と同じではないし、土の城や住居は西北地域の専売特許でもない

541 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 21:41:03.35 0.net
基本的に古代中国は古代ヨーロッパと同様な都市国家圏であり日本とは違いほとんどの住民は塢や里と呼ばれる城郭都市でくらしていた
宇都宮清吉の推計だと前漢代でも人口の7割は都市住民であった

このサイトに漢代の墓から見つかった当時の塢を描写した壁画が見られるが都市全体が一つの家のように回廊で連結されている
http://www.aaart.com.cn/cn/theory/show.asp?news_id=10304

こうした建築様式は現代でも客家に見られ漢代に遡る様式として注目されている
http://www.naic.org.cn/html/2018/gjjg_0419/42156.html

542 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 21:45:22.18 0.net
>>540
いや、無いよ
その手の建築物は幾らでも発見されてるから
残念でしたw

543 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 21:57:27.94 0.net
農村文化の日本と違って本質的には中国は中東やヨーロッパと同様な都市文化ということね
日本だと町に住むのは特権階級の武士と商工だけで9割を占めた農民は村に暮らしていたが中国だと百姓も都市で暮らしていた市民であった

544 :世界@名無史さん:2020/02/16(日) 22:14:21 ID:0.net
10月革命で首都ペテルブルクでソビエトが成立したときボルビェシキは都市労働者に基盤を
おく勢力だったが、もう一つの極左勢力はまずしい農村に基盤を置くもので
ソビエト集団農場に反発した。デカイ国だからせめて農民に広い土地を所有させろと

しかし争いの場所は大都市レニングラード、数の多いボルビェシキにつかまり投獄された
刑務所で生かされたが独ソ戦がはじめるとスターリンはことごとく処刑(大掃除と称した)

あの広大なロシアでさえ城塞都市モスクワとかペテルブルグなど都市群が国家基盤で
都市生活民のほうが強い、ということで

545 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 00:37:44.30 0.net
>>544
ロシアはあれだけデカい国なのに、驚くほどモスクワに一極集中している。
日本における東京より、モスクワの存在感が大きいんじゃなかろうか。

546 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 00:45:49.79 0.net
前から言ってることだけど、長安帝国の漢・唐と、北京帝国の明・清を、同じ「中国」という枠で括るのはおかしいんだよなあ。
長安も北京も、本質的に都市国家で、別の国だ。
それが、広大な領域を点と線で支配していただけ。

中東史だったら、古代のペルシャ帝国、中世のサラセン帝国、近世のオスマン帝国は、まったくの別モノとして扱われている。
それどころか、同じペルシャ地域の帝国でも、「パルティアはペルシャ人ではないから」という理由で、ペルシャ帝国とパルティアは区別されている。

中東に限らず、欧州もインドも中央アジアも東南アジアも、民族興亡の歴史として語られている。
なんでもかんでも「中国」にしてしまうのは、中国だけ。

547 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 00:53:09.36 0.net
まあ、これについては、言っても仕方ない。

もしも、中国共産党の支配体制が崩壊して、中国がいくつもの国に分かれてバラバラになったら、河北省と陝西省は、別の国に見えてくるだろう。
そしたら、「中国の歴史」も、まったく違って見えてくるはずだ。

もっとも、これは日本についても言えることだが。
もしも、東日本と西日本が、ドイツとフランスみたいに別の国になっていたら、日本の歴史はまったく違って見えてくるだろう。

548 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 01:00:20.41 0.net
まあ、そういう言っても仕方ないことはさておいて、漢の話に戻すと、漢では儒教が国教になった。

549 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 01:02:17.98 0.net
儒教はいつから、漢の国教になったか?

(引用)古来の説では、武帝のときから儒教が国教になったといわれています。国教という言い方はもちろん、ローマ帝国がキリスト教を国教化したという事実にならったものです。
しかし漢代の儒教の場合、そのようにみてようかどうか疑問もあります。
確かに儒学の経典の五経博士をおいたとか、孝廉の試験を始めたとかいう記事が、武帝時代の記録にみえるのですが、
博士という学問の担当者が政府内におかれたのはそれ以前からで、そのなかには儒学の担当者もいたとか、一方五経の官がそろうのはもっと後であろうという説もあります。
孝とか廉とかいう徳目によって人を採ることも、文帝のころからおこなわれたといわれます。

なによりも儒教の教えが知識人・支配層の間に普及したかどうか、儒学にもとづいた政治がおこなわれたかどうかというと、武帝の時代には法家的な政治がおこなわれて、法家を信奉する官吏も多かったと思われます。
儒教一尊というわけにはいかなかったことはまちがいありません。

いわゆる儒教の国教化は、董仲舒の上奏によっておこなわれたともいわれています。たしかに董仲舒は武帝時代の大学者です。かれが上奏をおこなったというのも事実でしょう。
ところが今残っている董仲舒の上奏なるものは、いろいろな年次を異にする内容がいっしょくたになっていて、そのまま信用するわけにはいきません。
董仲舒が大学者であったために、後からかれの功績を偉大なものにしようとして、この上奏文がまとめられたのでしょう。

董仲舒の学問の特徴は、儒学と災異説とを結びつけた点です。
災異というのは天災地異、天変地異のことで、こういう現象が単なる自然現象にとどまらず、人間世界の出来事を予言するというような考えは、原始社会以来、古い社会にはよくあることです。
こういう原始の心性は、漢代まで続いていたのです。

<堀敏一『中国通史』2000 講談社学術文庫 p.116>

550 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 05:09:16 ID:0.net
>>542
その手の建築物とはなにを指してるんだ?
レンガ造り?のことならその手の庶民ハウスがいくらでも発見されたとは聞かん気がするけど

また上に書いたように後漢くらいになると状況が変わる→高層建築が増えるけど
それでも広大な高層建築は今のところあまり見られない(541氏紹介サイトにも書いてますね)、紀元前の例はもっと少ない
自重を支えるのは難しい、技術がまだ成熟してなかった可能性は普通にあるかと、紀元前の一般庶民層なら尚更

551 :550:2020/02/17(月) 05:16:07 ID:0.net
×高層建築
○多層建築

552 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 09:10:35 ID:0.net
>>541
四角楼というのもあるのか。
円形土楼ならアモイに行ったときについでに見てきた。
城のような円形マンションで面白い。

553 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 17:32:57 ID:0.net
西域(東トルキスタン)のイスラムのミサレッドの方が高度な建築
https://i.imgur.com/k1s5zXo.jpg

554 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:06:42 ID:0.net
>>546
五胡十六国とか遼、金、元、清などの異民族の王朝は中国史扱いしなくても良いと思うわ。

555 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:24:26 ID:0.net
「中国四千年の歴史」というが、四千年の歴史があるのは、陝西省などの砂漠に埋もれた内陸部だ。
北京・上海・広東省といった沿海部の大都市にそんな歴史はないし、ざっくり言って、歴史の長さは日本・韓国・ベトナムといった他の東アジア諸国と同程度。

556 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:29:36 ID:0.net
>>543
それ都市じゃ無く城郭ね、西欧の近世以前の所謂都市も近代的な意味の都市じゃ無く城郭

経済を基盤に成立したのが都市

557 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:31:22 ID:0.net
>>546
中国は漢代以降領域国家な
城の破却も全土で大規模に行われた

558 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:33:21 ID:0.net
北京・上海・広東省は、ヨーロッパでいえばイギリス・フランス・ドイツに相当する。
陝西省や河南省は、ヨーロッパでいえばイタリアやギリシャに相当する。

欧州史なら、四千年の歴史があるのはイタリアやギリシャであり、イギリス・フランス・ドイツは近世に台頭してきた国々であることを、誰もが知っている。
中国も同じだ。現代の中国の圧倒的な中心である北京・上海・広東省に、四千年の歴史なんか無い。
地理的なスケール感から言っても、上海を東京とするなら、北京はちょうど北海道、広東省は鹿児島あたりの位置にある。
歴史の長さも、地理の広さと、じつは日本列島と大差ないっていうか、はっきり言って同程度。

中国人は、それを錯覚でごまかす名人だ。
まあ、ここで文句を言っても仕方ないし、秦漢スレで言うことじゃないが(笑)

559 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:34:22 ID:0.net
>>550
個人サイトじゃ無く
建築史を纏めた書籍にわ幾つも高層建築の宮殿が記載されてる
というか周王朝の宮殿だって結構な部分二階建てだしな

560 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:40:21 ID:0.net
>>555
抑々陝西省は砂漠に埋もれて無いw
最も歴史が古いのわ西部じゃ無く長江中下流域、中原、遼河流域
4000年より更に遡る

561 :世界@名無史さん:2020/02/17(月) 21:44:51 ID:0.net
>>558
イタリアもギリシャも4000年も歴史が無いからな
どちらも3000年に満た無い
太湖周辺は明確に文明と呼べる物以降でも7000年経ってる

562 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 15:24:21 ID:0.net
世界最古の文明は縄文文明

563 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 17:37:23 ID:0.net
>>561
それを言ったら、日本にも5500年前の遺跡がある。
世界最古の土器は日本から出土した

564 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 17:39:24 ID:0.net
ギリシャのミノア文明(クレタ島)は四千年前だ

565 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 21:28:42 ID:0.net
>>558
やはり、秦はイギリスだと思う
そうなるとアイルランドは巴や蜀か、どちらかスコットランドかウェールズか
晋はフランク
ドイツが趙でフランスが魏でイタリアが韓国か
ベルギーは鄭なのかな
楚はロシアだろうか
西は斉なのかな、ポルトガルは燕か

566 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 22:39:31 ID:0.net
>>564
ミノア文明わギリシャ文化と完全に無関係だから

567 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 22:46:41 ID:0.net
>>566
長江文明と秦漢帝国だって無関係だろ

568 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 22:55:02 ID:0.net
>>565
近代ヨーロッパの情勢に例えるのなら、秦は「野蛮で軍国主義だが、他の列強が大同盟を組んで対抗するほどケタ違いの国力を持つ」という点で、ドイツかロシアに例えるべきだろう。

自他共に認める文化の中心であり、国力もそこそこ強い魏がフランスに相当し、ある意味で最古の文化伝統を持つが国力は弱小な韓はイタリアに相当する。

「中華ではない」と自他共に認めつつも、圧倒的に巨大な楚は、西欧列強とは異質なロシアかオスマン・トルコ。南の国がロシアというのは違和感があるので、やっぱりオスマン・トルコ。

569 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 23:00:16 ID:0.net
まとめると、

秦 ロシア
韓 イタリア
魏 フランス
趙 イギリス
斉 ドイツ
楚 オスマントルコ
燕 スウェーデン

570 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 23:34:00 ID:0.net
長安は、秦から前漢にかけて200年以上も都だったが、地理的には辺境に位置してることに変わりはない。
唐代には、食糧の輸送がうまくいかず飢饉になることもあったほど不便な地。

571 :世界@名無史さん:2020/02/18(火) 23:53:35.12 0.net
例えてみれば、九州が日本を統一して、福岡が日本の首都になるのに相当する

572 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 00:07:55.40 0.net
後漢の光武帝は、洛陽で皇帝に即位した。この時点では、まだ長安を掌握していなかった。
長安を制圧してからも、首都は洛陽であり続けた。
日本に例えれば、福岡から京都に遷都したのに相当する。
交通の便は格段に良くなった。

光武帝は、即位してからも、高祖劉邦を始めとする先君たちの宗廟を目指して、何度も旧畿・長安周辺に巡行した。
2代目からは、旧畿巡行は在位中、1度だけになった。

573 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/19(水) 02:55:25 ID:0.net
>>558
>>568-568

ふーむ、なかなかおもしろい視点がありますね

574 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 06:33:28 ID:0.net
>>567
同時期に龍山文化が有るからな

575 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 07:32:18 ID:0.net
568
フランク王国から分裂した最大勢力だからドイツは趙かな
優秀なのに馬鹿やって滅びるし

576 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 10:49:26 ID:0.net
>>575
たしかに、三晋の分裂には、フランク王国を思わせるものがある。
とすると、趙がドイツで、魏がフランスで、韓がイタリアってとこか。

577 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 11:43:08 ID:0.net
韓室は晋の公族
ほかは別の家だから六貴族が三分割に収束した

フランクは兄弟分割の結果だし、たまたま3兄弟で
末弟キルペルクがパリを取り・・・結果があれ

578 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 13:32:04 ID:0.net
現代北太平洋周辺って例えばこんな感じかなと思ったり

斉  アメリカ 東方の軍事・経済・学術大勢力
燕  ロシア  北方の古典文化大勢力
趙  韓国   旧国家分割後の北部にして軍事的中堅勢力
魏  日本   旧国家分割後の中部にして経済的中堅勢力
韓  台湾   旧国家分割後の南部にして古典文化護持中堅勢力
秦  中国   西方の新興軍事・経済大勢力
楚  アセアン 南方の広域連合体にして新興勢力

579 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 14:01:50 ID:0.net
>>578
現在の情勢に例えるなら、斉の桓公や晋の文公が諸国を会盟して、共同で楚の脅威に対抗してた状況

盟主がアメリカで、楚が中国のポジション

580 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 17:45:03.08 0.net
秦も漢も、北の黄河文明が、南の長江文明を征服して併合した帝国

後には中国経済の中心となる長江下流は、古代から大陸最良の地だったわけではなかった。
当時はまだ広大な湿原で、人の住むところではなかった。
三国志の呉あたりから開拓が進む。
秦漢までは、完全な北高南低。

581 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 20:00:58 ID:0.net
>>570
だが防衛しやすい

582 :世界@名無史さん:2020/02/19(水) 20:01:44 ID:0.net
>>577
公女が嫁いだりしているから全員晋侯の子孫

583 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 01:37:33 ID:0.net
>>581
洛陽を都にしようとしていた高祖に対し、劉敬(婁敬)が長安を都とするよう進言した際には、
張良も洛陽の短所(周囲が開けているため、攻められやすく守り難い)と長安の利点(天険に囲まれ防衛が容易)を述べて劉敬に賛成し、長安に決定させた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF

でも鴻門の会の時は函谷関で漢軍10万で楚軍40万を食い止めることができなかったりもしたけどね

584 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 09:26:38 ID:0.net
洛陽を焼き、洛陽民を連行して、長安に遷都した董卓さん。
長安で呂布にやられちゃった。

585 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 09:56:27 ID:0.net
>>584
董卓の時代には、すでに洛陽は千年の古都。
京都やパリのような歴史の重みがある。
それを滅ぼして廃墟してしまうのだから、董卓には中華への愛が無い。
異民族だったかどうかは知らないが、気持ちの上で愛国心はまったく無い印象。

586 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 11:17:22 ID:0.net
>>585
自分の身が危険なんだから当たり前

587 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 11:19:21 ID:0.net
せんとしなければ危険なら生まれ育った地でも捨てるし
反乱軍に物資を与えないためにモスクワですら焦土作戦をやった
こっちはナポレオン対策だけと

588 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 11:51:00 ID:0.net
東京も捨てろ

589 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 11:55:34 ID:0.net
かんはしんとおなち

590 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 11:55:59 ID:0.net
皇帝

591 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 17:23:50 ID:0.net
仮に項羽が劉邦その他を破って中国の覇者になったとしても冒頓単于には負けただろう。
項羽も冒頓もその用兵は同じ激流型だが、その激流とは非情さから生まれ、冒頓と項羽では非情さが違う。
冒頓は愛馬、愛妾、そして実の父母をも、その非情な手にかけたのだ。
項羽は甘いところが多分にありそこまではできない、その甘さがある限りは項羽では冒頓には勝てん。

592 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 18:02:11 ID:0.net
>>587
いまは、武漢で焦土作戦をやってるようだ

あくまでもウワサだが、煙がもくもく出ている

593 :世界@名無史さん:2020/02/20(木) 19:44:38 ID:0.net
>>591
母も本妻も殺して無いっていう
母系社会だから当たり前だけど

594 :ウムウル :2020/02/20(木) 22:50:10.75 0.net
>>591
劉邦さんたしか嫁に取り成してもらって
逃げ出したんじゃなかったんでしたっけかww

>>583
気合でガッツだせばコウモンでやられそうになるる前に守りきれましたかね?

595 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 04:18:47 ID:0.net
劉邦の廟号は太祖なのに、なんで一般では高祖と呼ばれているの?不思議だ。

596 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 11:53:48 ID:0.net
>>595
もともとは「太祖」だったはずだけど、司馬遷が史記に「高祖」と書いたのが普及して定着した。

「あえてそうした」とも「勘違いだった」とも言われるが、とにかく影響力が絶大だった。

597 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 12:42:08 ID:0.net
故宮澤喜一が好きだった言葉が
高祖書を読まず
だったんだけど劉邦は本当に何も読まなかったの?

598 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 13:27:03.29 0.net
書を読まなかったかどうかは定かでないが、若い頃は遊侠の徒であり、学がなかったのは事実ではないか

599 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 18:58:33.41 0.net
太祖はたくさんいるから当時はともかく今太祖だと誰だか分からない

600 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 21:50:46.74 0.net
項羽が朴訥に負けてもおなじようになっただけだろうあn

601 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 22:08:34.94 0.net
黄河文明が圧倒的だった時代だ

「北が南を征服する」という形でなければ、おさまるはずもない
項羽もそれが分かっていたから、あえて天下を取ろうとせず「西楚の覇王」になったんだろう

602 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 22:09:27.35 0.net
項羽が虞美人を殺せるなら、項羽は冒頓単于に勝てる。

603 :世界@名無史さん:2020/02/21(金) 23:08:18.44 0.net
南人が米が取れない地域を支配する意味がないからな

604 :ウムウル :2020/02/22(土) 00:15:33.20 0.net
>>602
悲しみを背負ってしまいましたか、、、

たしかに無双できそうですww

605 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 10:36:15 ID:0.net
後漢の班超ってクシャーナ朝まで属国にしたりしてカスピ海以東の50余国を漢に帰属させたていうから後漢は最盛期は前漢の時よりも勢力圏は大きかったんじゃない?

606 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 11:12:55 ID:0.net
>>605
そりゃそうだろう
後漢の時代にはシルクロードを通じた東西交易が大幅に活性化したので、この地域に対する本気度が違う

武帝が張騫を送るまでは、西域はナゾに包まれた未知の世界みたいなところがあった

607 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 12:54:08 ID:0.net
西暦25年、新の王莽を倒した光武帝によって再び漢王朝(後漢)が建てられた。
1世紀末、後漢は外征に力を入れ、西域都護として、班超を派遣して匈奴を討伐し、西域支配にあたらせた。

シルクロードは前漢の武帝の西域進出、後漢の西域支配などを通じて次第に整備され、東から絹や工芸品、西からは宝石やガラス器、貴金属などが運ばれる東西文明の交流における幹線となった。
仏教、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教もこのルートを通じて伝播している。

西域支配にあたった班超は西域の50余国を服属させ、シルクロードの大部分を制すると共に、部下の甘英を大秦国(ローマ帝国)に送った。
甘英本人はローマには至らなかったものの、西アジアの事情が中国に伝わる事になった。

608 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 13:22:04 ID:0.net
後漢では、シルクロードを通じた東西交易が盛んになった

前漢の頃とくらべて沿道の諸都市が発展しているし、地図上の版図は同じようでも、実質的には大いに違うと見るべきではないか

609 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 13:44:32 ID:0.net
[敦煌]
冒頓の時代には匈奴に押され気味であった前漢だったが、武帝の代になって西域に対して積極的に遠征を行い、敦煌郡を設置した。
この頃の人口が3万8千ほどと言う記録があり、現在の3分の1ほどだが、中国の全人口が6千万ほどであるからこの頃の敦煌がいかに栄えていたかがわかる。

[ホータン]
紀元前2世紀の前漢代に中国が初めて于闐王国と接触した時、既に于闐は東西交易の中継地として繁栄していた。
73年に于闐は将軍・班超の攻撃を受けて後漢に従属したが、後漢の西域経営が行き詰ると于闐は自立する。

610 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 13:49:03.40 0.net
前漢の時代に、シルクロードの東西貿易は大いに発展した。
26ないし36国といわれた西域諸国は、前漢末には55国に増加している。
これは既存の王国が細分化したのではなく、交易の活況に伴って新たなオアシス都市国家が形成されたものであると言われている。
都市国家が増えたことにより、前漢の傘下にある国の数も倍くらいに増えた。

611 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 16:19:54 ID:0.net
漢代の城壁は長安城壁とかはそんなんでもないけど、万里の長城の西域の方はよく写真で見るのは砂漠の中に煉瓦造りで結構な高さもあってなかなかの作りだよ。
あれならローマのハドリアヌスの長城にも勝るし騎兵を食い止めるにも充分だろう。

敦煌付近の長城だな
https://i.imgur.com/PhRirHa.jpg
https://i.imgur.com/IsIXNY5.jpg
https://i.imgur.com/R03K1fo.jpg

612 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 18:03:13 ID:0.net
明の長城より、漢の長城のほうが砂漠の中にあって雰囲気でてる

613 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 23:13:31 ID:0.net
>>611
その写真は日干し煉瓦ではくて版築だと思うぞ
強度は総日干し煉瓦並みだが

後世の焼き煉瓦の長城の場合、中身は土やがれきで外側だけ頑丈な焼き煉瓦だから
版築の方が頑丈かもしれん

気候が変動して雨が多くなると弱いが砂漠では強い

614 :世界@名無史さん:2020/02/22(土) 23:51:32 ID:0.net
砂漠地帯わ日干し煉瓦の箇所多いよ

615 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 01:29:28 ID:0.net
日本では明治維新後割と早くに銀座がレンガ街になったし、浅草にはレンガ造りの12階建てのタワーが作られたけど、関東大震災でレンガ街は壊滅、浅草のタワーも折れてしまった。
地震が多い日本にはレンガ造りの建造物ははっきりと向いていない。

616 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 07:03:46 ID:0.net
レンガ造りは、タテ方向の力には強いが、ヨコ方向の力がかかると脆い

日本は論外だが、北京あたりも意外と地震が多くて、70年代の唐山地震では大被害が出てるから無理だろう

617 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 12:15:56.85 0.net
Y染色体ハプログループでは殷は西で周や秦は東らしい

618 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 13:42:08 ID:0.net
西域にいたアーリア系のソグド人はアイヌみたいに他民族と同化、吸収されて純血は途絶えてしまったのかな?

619 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 13:59:55.67 0.net
ソグドって西域より以っと西でしょ

620 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 14:28:20 ID:0.net
タリム盆地のオアシス都市に最初いたのがソグド人でやがて匈奴の支配を受けるようになり、漢の武帝が張騫を派遣してからはタリム盆地は西域と呼ばれるようになったみたい。

https://www.y-history.net/appendix/wh0401-029.html

621 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 16:15:56 ID:0.net
>>618
10世紀のカラハン朝からトルキスタン化が進んでイラン系は押されていった

でも、いまでもタジキスタンはイラン系

622 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 17:51:19 ID:0.net
>>620
いや、全然違う
ソグド人はパミール高原の西に居住

623 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 20:27:57 ID:0.net
ウィキペディアの「ソグディアナ」によると

>ソグディアナ(Sogdiana)は、中央アジアのアムダリヤ川とシルダリヤ川の中間に位置し、サマルカンドを中心的な都市とするザラフシャン川流域地方の古名。
バクトリアの北、ホラズムの東、康居の南東に位置する地方。現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に相当する。
イラン系の言語を話すソグド人と呼ばれる民族が居住したことからつけられたギリシャ語・ラテン語の名称で、
西からみてオクサス川(アムダリヤ川)の向こう側にあることから、トランスオクシアナとも呼ばれる。中国の歴史書では粟特と記されている。

・・・という話なので、これが本当なら、タリム盆地 (中国・新疆ウイグル自治区)よりずっと西ですな

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Sogdiana-300BCE.png/250px-Sogdiana-300BCE.png

624 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 20:30:03 ID:0.net
>>623
>これが本当なら、タリム盆地 (中国・新疆ウイグル自治区)よりずっと西ですな

訂正

「ずっと西」じゃなかった
すぐ西隣だ

625 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 20:31:02 ID:0.net
ソグド人は商業民族なんだから広範囲にいたんだろ
ソグディアナが本拠地な事とタリム盆地にもいた事は矛盾しないからな

626 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 20:37:25 ID:0.net
>>622
>ソグド人はパミール高原の西に居住

そうだな

峻険な「世界の屋根」ことパミール高原は、人が住むようなところではない。

パミール高原を境に、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)と西トルキスタン(旧ソ連の中央アジア諸国)に分かれる。
ソグド人の地は、西側の方

627 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 20:37:52 ID:0.net
>>625
それもそうだな

628 :世界@名無史さん:2020/02/23(日) 21:58:05.04 0.net
>>625
他民族の都市国家に少数のコミュニティを形成しただけじゃ
>>620と矛盾してるからな

629 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 14:48:00.59 0.net
同じ白人でもアーリア系よりもトルコ系の美男美女の方が日本人には馴染みやすそう

630 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 16:56:30 ID:0.net
>>629
チュルク系の原種はモンゴロイドじゃないの?
征服地にいた先住のコーカソイドと混ざって白人化してるだけで。
匈奴はチュルクとモンゴル諸民族の先駆者だろうな。

631 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 17:33:48.56 0.net
モンゴル人とトルコ人は、もともと同じ人種だろ

仏教を信仰するのがモンゴル人
イスラム教に信仰したのがトルコ人
という程度の違い

632 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 18:33:01.10 0.net
>>628
ならそうじゃないって事でしょ

633 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 18:34:20.44 0.net
モンゴルとトルコが同じ人種だったのは3万年くらい前の話だよ

634 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 18:35:58.43 0.net
民族は違うし言語も違う
モンゴル族は元々モンゴル東部〜満洲北部に居た連中
トルコ族はモンゴル高原〜南シベリア〜アルタイ山脈周辺に居た人々

635 :世界@名無史さん:2020/02/24(月) 23:43:36 ID:0.net
こういう現在の新疆ウイグル自治区にいる白人(ウイグル人)の祖先って漢の時代には欧印系の言語を使っていたのが、
鮮卑や突厥の支配によってトゥルク系の言語を使うようになった、ということで合ってる?
(混血などはあまり考えないものとする)
https://i.imgur.com/0jqSU1o.jpg
https://i.imgur.com/wcajfK4.jpg

漢の時代も現在も言語は違っても同じ人種でOK?

636 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 00:04:07 ID:0.net
匈奴フンヌはわりと戦国末期に突然でてきたので
それまでは狄(テュルク)
オルドスに白狄、北に赤狄というれんちゅうがいた
4000年ぐらいの歴史がある

オルドスに匈奴がでてきたのは狄(テュルク)の名前が変わったのか
それともシベリアから侵略してきた野蛮人なのか幾つか伝承がありよくわからない
シベリアの突厥は匈奴を先祖を同じくする部族としてる

匈奴は混血で緑の目と彫りの深い顔をしていたという
アフガニスタンの緑の目の民族と言われるパシュトーン人は遺伝子たどると
シベリアのエニセイ川の部族に行きつくというから、そのへんが匈奴の原産地かも

突厥の族長は大きな顔と青い目をしていたというのでどうもトルコ系と匈奴は
別人種の気がする

637 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 03:05:55 ID:0.net
>>635
この人たちの祖先が使っていたのはインドヨーロッパ語系統のトカラ語など

638 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 08:26:18 ID:0.net
>>635
鮮卑がモンゴル語の類いでウイグル人は突厥と同じ民族
写真だけ見せられてもな、元の西域土着民はウイグル王国の被支配民族
>>636
それ匈奴じゃ無くキルギスな

639 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 08:29:49 ID:0.net
>>636
パシュトゥーン人はサカ,スキタイの末裔でしょ

640 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 22:16:26 ID:0.net
現在残っている人種でスキタイ人に一番近い遺伝子を持っているのは西部ロシア人とポーランド人
発掘されたミイラからもスキタイ人は金髪であったことが確認されているので西スラブ人とそんなに変わらない見た目だったと思われる

641 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 23:09:44 ID:0.net
ギボンによればサルマタイ人は金髪の匈奴というべきで
生活はまったくフンや蒙古と変わらないと断言してる
スラブ人でも西のポーランドはサルマタイ人に憧れ
俺たちこそサルマタイの子孫だと公称していた
ポーランド貴族は野武士っぽい趣味スタイルが好きだった

ただし金髪の匈奴がすんでたあたりの土地、ロシアは
自分たちはスラブ人種ではない北欧白人だと言う

まぁどどみち西欧白人はハブログループR1bで
イラン人や東欧スラブ人はR1aでして遺伝子は嘘をつかず
ポーランドがだいたい正しい

642 :世界@名無史さん:2020/02/25(火) 23:15:54 ID:0.net
匈奴の墓クルガンから見つかった遺骨は、イランや東欧人に多いR1aと
バブロCのふたつ、このCは中央アジアに多い遺伝子でモンゴルにも多い
モンゴル東胡がCで、ソグド人の月氏がR1aと分析すれば

冒頓単于のでるまえの勢力は匈奴1万、月氏20万、東胡10万と言われたのだから
独裁者がまとめ上げた帝国の民はそのかなりが月氏・東胡となる
ちなみに冒頓単于はどっちかといえば
匈奴の族長は月氏の嫁をもらっていたから容貌的にはロシア人に近いはず

643 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 08:17:49 ID:0.net
ハプロタイプなwww
baburoって入浴剤かよ

644 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 08:26:23 ID:0.net
フンの容貌はモンゴロイドその物
遺骨のDNA型も7/8が北東アジアに典型的な物

645 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 08:27:05 ID:0.net
冒頓単于は金髪碧眼だった可能性もあるのか

646 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 10:15:55 ID:0.net
金髪碧眼の嫁をもらったところで
子供がそうはならないよ
劣勢だからね

647 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 10:24:48 ID:0.net
沢田氏の著書「匈奴」には匈奴の墳墓をソ連学者が発掘したけっか
アーリア系だと言ってるのに「たぶんンゴロイド」
「日本の学者が匈奴は辮髪だから蒙古系とする説がある」などと
何回も言って蒙古系だと断定してる

日本の学者は匈奴が中国人だと言って中国共産党の機嫌を取ろう
としたり(協力の関係から)するからなんでも中央アジアのものは
中国起源としたがるので注意が必要だ

トルコは匈奴はトルコ系だと断定したり(ドイツなどの学者は多くは
トルコと発掘協力してる)ソ連は匈奴はロシア人としてるのも同様の事情がある

648 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 10:37:17 ID:0.net
クラシック音楽の大権威、ドイツの大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラー
は、ベルリンの考古学者の家でうまれとうじの子女によくあるように家庭教師
に教育を受けた。 
ベルリン・フィルの指揮者になり国民人気を博しヒットラーのお気に入りになる

息子であるアンドレアス・フルトヴェングラー博士は先祖代々の家業として
考古学者になり、げんざいトルコで発掘作業してる

649 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 11:03:25.26 0.net
>>645
無いよ
そうなら特徴的なので史書に必ず書かれる

650 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 11:12:26 ID:0.net
匈奴の王族はグリーンの目で彫りが深い顔と書かれてるのに
モンゴロイドだと必死に捏造してるのはちうごく人?

五胡十六国時代に匈奴王族に支配されたミンジョクのプライドが傷つくとか

651 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 12:27:32 ID:0.net
また無知無知くんが妄想に基づいて捏造してるのか

652 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 14:18:46 ID:0.net
じゃ資料を出してみな
反論できずに怒りに震えてるのは分かるけど個人攻撃になると
このスレの自称学者もずいぶんレベルが下がったもんだ

653 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 17:53:27 ID:0.net
史料出すのわオマエな無知無知くん
前にも言ったけど個人サイトわ資料に成り得無いからな
というよりそんな史料存在して無いが

654 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 21:38:30.60 0.net
20世紀に色々な資料が発掘されたが
果たしてそれを信用していいものだろうか

655 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 21:46:22.05 0.net
オマエの妄想と違って根拠に成るよ
反論の証拠にも成り得る

656 :世界@名無史さん:2020/02/26(水) 21:52:18.11 0.net
わガイジVSパンパンくんのポケモンバトルか?

657 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 09:17:06 ID:0.net
>>502
五銖銭って日本の弥生時代遺跡からも出土してるね。
漢武帝から唐初までの長きに渡り、標準貨幣だったのが凄い。

658 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 09:24:50.33 0.net
均輸・平準法って、本当にうまく運用してたのかなぁ?
均輸官や平準官のような役人に流通商業を回せるんだろうか?

659 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 10:33:38.61 0.net
未だ中世レベルの商業だし役人でも処置可能でしょ
今と違ってそんなに専門性高く無い

660 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 15:43:05 ID:0.net
五胡十六国時代の北朝にとっては、大漢帝国は憧れの失われた古代文明、
中世ヨーロッパのフランク人が、古代ローマ帝国に憧れるのと同じだ

漢の貨幣を使い続けるくらいは当たり前

661 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 15:45:12 ID:0.net
宋銭だって、モンゴル帝国になっても、明になっても東アジア各地で使われ続けた

宋銭は銅の含有量が多くて高品位な良貨だったから、溶かして金属として使われた

662 :ウムウル :2020/02/27(木) 21:37:54.06 0.net
>>657
五銖銭なら時間軸的にあってもおかしくない気はしますが
めっちゃ短かった王莽さんの貨幣が弥生遺跡から見つかってるんですよね

http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/030/070/3990.html

実はけっこう流通してたのでしょうか、、、

663 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/27(木) 22:10:36 ID:0.net
>>658
上手く運用したのか旨く運用したのかわかりませんが
その時代に物価を均すことで儲けをだすのは
かなり簡単なので悪くはないと思いますね


収穫前まで売って収穫後(と銭納前)に買えば
がっぽり儲かったのではないでしょうか

664 :世界@名無史さん:2020/02/27(木) 22:54:38.01 0.net
王莽政権の硬貨わ外地でガンガン積極的に使われたんだろう
軍票や朝鮮銀行券みたいに

665 :ウムウル :2020/02/27(木) 23:14:04.76 0.net
>>664
ほほぅ、それは結構おもしろい視点ですね

そうすると董卓小銭もニポン国の遺跡で見つかってるんだろうか

666 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 00:28:48 ID:0.net
王莽政権は、悪貨を大量に鋳造して乱発し、インフレを招いた

それが、新が短命王朝に終わった大きな原因・・・というのは、けっこう有名な話じゃなかろうか?

667 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/28(金) 06:03:11 ID:0.net
>>666
王莽さんは社会実験に失敗したのであって
質の悪い貨幣を大量に鋳造したというのとは
またちょっと異なる気がしますね

668 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:05:32 ID:0.net
↓このコピペを見る限りでは、貨幣制度を改革しようと、いろいろやりすぎて失敗したみたい

>西暦7年、西漢(前漢)の実権を握った「王莽」により様々な新貨幣が発行されます。
「王莽」は、従来の貨幣制度である「額面価値=実際の重さ」ではなく、額面と一致しない
貨幣(名目貨幣)を発行すると同時に、全ての金を国有化し、民間、諸侯が保有していた金を
没収する貨幣政策を実施し、財政再建を行いました。
西暦9年、ついに「王莽」が自ら皇帝となり「新」を建国、西漢(前漢)は滅びます。
「新」はわずか14年間で滅び「東漢(後漢)」となりますが、そのわずかの期間に多種多様の
貨幣(王莽銭)を発行しました。王莽銭は、重量が額面に満たない名目貨幣であった為、莫大な
鋳工利益が得られましたが、私鋳、盗鋳が盛んに行われる結果となります。
正式に「新」が成立した西暦9年、それまでの五銖銭(三官五銖銭)を廃止し、五銖銭1枚と
同額面とする貨幣(小泉直一)を鋳工します。小泉直一銭は貨泉銭と改鋳されていきます。
この時代は、短期間で多種多様の貨幣を発行して複雑な貨幣制度とした事、額面に伴わない
名目貨幣であった為、私鋳、盗鋳が盛んに行われた事など、様々な理由で一部の貨幣以外は
ほとんど流通しなかった様です。

669 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:18:54 ID:0.net
漢の五銖銭 (ごしゅせん)

スッキリした方孔円銭
千年ちかくも流通し続けたスタンダードなコイン

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/b/b2/Goshu-sen.jpg/160px-Goshu-sen.jpg

670 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:21:32 ID:0.net
王莽銭

短期間に多種多様なコインが鋳造された

復古主義者なので、春秋戦国時代のような刀貨も作った

https://i1.kknews.cc/SIG=1dsj4qq/ctp-vzntr/o6r5r8psqq094o1pn8r4q718o870spn2.jpg

671 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:23:45 ID:0.net
ソウルは華やかな都会

672 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:24:08 ID:0.net
ファッショントレンドの発信地はカンナム

673 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 08:29:03 ID:0.net
福岡で発見された王莽銭

独特な形なので、王莽さんだとすぐ分かる

もっとも、「当時の日本では貨幣は使われてなかった。ペンダントにしてたんじゃないか」なんて言われているが

http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/030/070/kafu.jpg

674 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 09:30:21 ID:0.net
秦の始皇帝が半両銭を発行して、貨幣制度を統一。
その後、漢の武帝が五銖銭を発行する。

その五銖銭は、唐初まで、なんと700年も使われた。
唐の建国を記念して開元通宝を発行したのは、李淵・李世民。
この開元通宝も、宋銭が登場するまで300年使われた。

・・・こうしてみると、宋以前に貨幣を作った人は、秦の始皇帝・漢の武帝・唐の高祖の3人。
やはり、強固な貨幣制度を確立するには、よほど強力な統一政権が必要なのだろう。

https://www.y-history.net/gazo/0302/kaigen_tsuho.gif

675 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 09:36:39 ID:0.net
700年におよぶ五銖銭の歴史を思うと、悪貨を乱発してハイパーインフレを起こした董卓のすごさがよく分かる

676 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 09:38:46 ID:0.net
新疆馬銭
http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/g2kfol/iz2k01.html
紀元後2世紀後半、タリム盆地コータン地方
コインの表がカローシュティー文字で「maharaja」は「大王」、
裏が漢字で「六銖銭」。

中央アジアじゃ、西から来るギリシャ文字貨幣、
東から来る漢字貨幣の影響を受けて、二言語貨幣が使われたらしい。
ソグド人鋳造の貨幣にも表がソグド語、裏が漢字のものがあったりする。

677 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 09:44:27 ID:0.net
日本の百円硬貨は、できて50年ちょっと

前回の東京オリンピックの頃は、百円はまだ銀貨だった
それを思うと、貨幣価値の下落ぶりにビックリ

678 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 10:06:04 ID:0.net
日本銀行研究所『中国貨幣の歴史』
検索するといろいろ日本銀行研究所の資料が見れるよ。
https://cse.google.com/cse?q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%B2%A8%E5%B9%A3&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&cx=002768466295832590583%3Awd3jnvksbcm

例えば
秦の貨幣統一?
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china6.pdf
秦の貨幣統一?
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china7.pdf
前漢初期の貨幣
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china8.pdf
前漢中期以降 五銖銭の誕生
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china9.pdf
新・王莽時代の貨幣
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china10.pdf
五銖銭の不足と悪銭化 後漢時代
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china11.pdf
三国時代の貨幣
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china12.pdf



元代の貨幣?
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/gra_china31.pdf

679 :ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP :2020/02/28(金) 10:06:28 ID:0.net
>>673
王莽さんのお金は関所に使われた関係で
あの世にいくときに一緒に埋められる説は
聞いたことあります

三途の渡し賃としては人気あったのではw

680 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 10:07:30 ID:0.net
>>678
ここがまとめかな?
https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/

681 :世界@名無史さん:2020/02/28(金) 10:18:46 ID:0.net
>>674
長期に渡って通用するというのは
人々を安心させる。
安定した経済発展の基本だな。

682 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 11:39:29.77 0.net
子は王となり、母は虜となり、
終日薄暮にうすづき、常に死と伍ならん。
相い離れること三千里、当に誰をして女に告げしめん。

子は王となり、その母は虜となる
終日薄暗い場所で臼を搗き 常に死と隣り合わせとなっている
王である子と離ること遙か三千里 誰にこの窮状を伝えさせることができようか

この歌を詠んだのは漢の高祖劉邦の側室の戚夫人ですが、この歌で懸念した通り戚夫人は殺されてしまいました。
戚夫人を虜にし最後殺したのは高祖の正妻の呂雉と伝えられています。
四肢を切断し目をくり抜き耳と喉を潰して厠に落として殺したと伝えられていますが、これは誇張でしょう。
足を切断された時点で普通なら死んでいます。

683 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 12:29:07.03 0.net
途中で死んだけど気にせずやりきったのかもしれないよ

684 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 13:06:58 ID:0.net
儒教では、死んでからも魂魄が戻るよりしろとして死体が重要

死体を切り刻んで使いものにならなくするってのも、儒教社会ではアリガチなことですな

685 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 15:02:21 ID:0.net
始皇帝時代の秦の宰相の李斯は宰相になる前にライバルの韓非子を讒言で殺した、
その因果応報か分からんが始皇帝死後に台頭してきた趙高の讒言で処刑されるんだけど、
その処刑法がなんと李斯が考案した五刑(これも応報か?)で鼻そぎ、腕切断、足切断、去勢の上、最後に腰を斧で両断されて殺されたという。
でも斧で腰を両断される前に死んでただろうなあ。。

686 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 19:21:01 ID:0.net
近世ヨーロッパの四つ裂き刑とか中国の凌遅刑などの執行記録によると、人間はそんなに簡単には死なないみたいだ。適切な止血で死亡を先延ばしするなど、死刑執行人の技術にも左右されたかも。

687 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 19:22:35 ID:0.net
>>684
儒教にそんな信仰あったっけ・・・

688 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 21:08:09 ID:0.net
炸裂弾で撃たれて致命傷負っても1,2分生きてるみたいだしね

689 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 22:07:45 ID:0.net
グロい話苦手。

690 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 22:11:19 ID:0.net
手足切断は動脈が切断されての大量出血によるショック死の前に痛みでショック死する場合が多いみたいね
特に足の時

691 :世界@名無史さん:2020/02/29(土) 22:19:41 ID:0.net
なるべく長く苦しませることがこういう残虐刑の目的であることを考えると、そんなに早くは絶命させない技術が死刑執行人にも求められたろうしなあ。
逆に一種の恩赦として、最初に首の骨を折るなどして絶命させたあとに長々と死体損壊する、という執行様式もあった。

ヨーロッパでは死刑執行は老若男女貴賎問わず大人気の見世物だったから、そういう意味でもあっけなく絶命されちゃ困る、という事情もあったろう。

692 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 10:39:04 ID:0.net
スキタイは最初に倒した敵の血を飲む。、また、戦闘で殺した敵兵の首はことごとく王のもとへ持っていき、[32]その数に応じて褒美がもらえる。
首は頭蓋骨から皮をきれいに剥ぎ取って手巾とし、馬勒にかけて勲章とする。
またある者は敵兵の皮をつなぎ合わせて衣服にしたり、矢筒にしたりする。
頭蓋骨は最も憎い敵に限り、髑髏杯として用いる。年に一度、戦争で手柄のあった者はその地区の長官から一杯から二杯の酒がもらえる。
逆に手柄のないものは酒がもらえず、恥辱をしのんで離れた席に座る。 [33]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

やっぱアーリア人の方が残酷だわ
モンゴルでも倒した相手の血を飲んだり頭蓋骨や皮を雑貨に変えたりはしてないだろう

693 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 14:35:07 ID:0.net
日本人なら信長が居るし(もう1人有名人が居たけど忘れた)
トルコやモンゴルなら髑髏杯わポツポツ記録に在るし

694 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 15:36:25.48 0.net
武田信玄の親父とか豊臣秀次とかは生まれる前の赤子(胎児)を見てみたいからと妊婦の腹を裂いて胎児を取り出しては妊婦もろとも殺していたので人心を失ったという話だな

695 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 17:01:24 ID:0.net
紂王かよ

696 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 19:04:55.36 0.net
長野県須坂市上町の「寿泉院<ジュセンイン>」には福島正則公遺蹟碑が建っています。

福島正則は戦国時代に全国で活躍した武将です。
幼少の頃より豊臣秀吉に仕え、秀吉の下色々な戦いにおいて華々しい活躍を見せました。
秀吉の死後、石田光成と犬猿の仲であった為に関ヶ原の戦いでは東軍(徳川側)として戦ったのです。

関ヶ原の戦いで活躍し、戦功に備後・安芸50万石、安芸広島城主となるのですが、元々豊臣側の武将だったせいか幕府に良く思われず、城の無断修理を理由に元和5年(1619)信州へ減封されてしまうのです。

その頃須坂藩は初代藩主、堀直重が元和2年(1616)に死去し、二代目藩主直升が幼かった為に須坂に住まず、寛永2年(1625)までの間は家臣により切り盛りされていました。

その間の元和5年(1619)から7年(1621)の間、福島正則は須坂に仮屋敷を設け生活していたのです。

福島正則は治水に力を入れ、高井地方の土地を検地し、小布施の栗林を拡張し、松川の水害を減らそうと堤防を作るなど住民のために働いたのだといわれています。

が、伝説では正則の性質は残忍で、ある時は妊婦のお腹を自ら切り喜んだのだとか・・・。
そのために高井地方の妊婦は正則の目に触れることを恐れ、着物の上からもう一枚着物を着たのだそうです。
それが今日の半纏<ハンテン>の始まりだという伝説も残されています。

697 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 19:13:55.59 0.net
昔から、戦争に負けて滅びた人は、なぜか「妊婦の腹を割いていた」という話になることがよくある

698 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 20:15:55.95 0.net
信長もやってるしな妊婦の腹裂き

699 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 20:44:42.75 0.net
まあ殷は実際にやってたけどな

700 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 20:59:05.45 0.net
人柱とか人身御供やってたしな商
奴隷制の時代

701 :世界@名無史さん:2020/03/01(日) 22:00:32.11 0.net
福岡市博物館で漢委奴国王の金印を見たことがある。
暗い部屋に物々しい雰囲気で小さな金印がガラスケース内に鎮座してた。
あれって本当に光武帝から賜ったホンマモンなんだろうか?

702 :世界@名無史さん:2020/03/02(月) 09:18:38 ID:0.net
>>701
検索してみたら、NHKのサイカルジャーナルに論争が出てた。
「金印は本物? 真偽めぐる論争過熱」
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2018/01/story/special_180131/
両論併記で結論はないのかな。

703 :世界@名無史さん:2020/03/02(月) 09:36:57 ID:0.net
本物と結論が出た後にゴネるゴネる、ごちゃごちゃゴネて時間稼ぐのわ日本人に多く見られる特徴の一つ
テン王之印 広陵王璽 漢匈奴破虜長と様式も類似してるしこれ等が発見されたのわ最近

704 :世界@名無史さん:2020/03/02(月) 11:01:27 ID:0.net
漢や魏の頃には倭の国王で満足していたのに
聖徳太子からは同じ天子で互角だとなり
足利義満は日明貿易を望んだ際には自分は天皇ではなく将軍だから謙ることができると名よりも実をとって「日本国王源道義」(源は足利の本姓、道義は義満(号)の名前)と名乗り
秀吉は唐入り後に明から日本国王に任命されて激怒したという話

705 :世界@名無史さん:2020/03/02(月) 12:35:16.40 0.net
>>704
それはやはり、倭王の権力が拡大して、蝦夷や熊襲、新羅や百済からも朝貢を受ける立場になったからだな

もはや単なる倭王では足りず、より大きな権威を持たなければならなくなってしまった

706 :世界@名無史さん:2020/03/02(月) 13:18:46.01 0.net
倭人(和人)は真っ当な感性だけど、日本人(東日本人)は傲慢虚栄詐弁に満ちてるから

707 :世界@名無史さん:2020/03/03(火) 02:22:39 ID:0.net
秦には名将が多いな

白起
王翦
蒙恬
章邯



708 :世界@名無史さん:2020/03/03(火) 22:58:10.18 0.net
長袖は善く舞う 多銭は善く賈う 多勢わ傷付かず

709 :世界@名無史さん:2020/03/06(金) 21:38:15 ID:0.net
武士団においては、その領袖も郎党達もその地位・役割に応じて軍事に熟達する
誘因が自ずから備わっているけれど、中央集権制下の兵士に対しては他律的に
かかる誘因を注入しなければならず、そのためには中央政府が、兵士候補者の
募集/徴兵機構と候補者を兵士に仕立て上げる教育訓練機構を整備する必要がある。
また、当然ながら、彼らに使わせる武器を製造/調達する機構も整備する必要がある。

それには優秀な軍事官僚群が必要なわけだが、彼らは、仕立て上がった兵士達を
実戦で率いる将軍/将校としての役割を担うためにも必要だった。ところが支那では、
どの王朝でも募集/徴兵機構はお粗末だったし、教育訓練機構は無きに等しかった。
また、軍事官僚は非軍事官僚よりも低い地位と権限しか与えられなかったため、
優秀な軍事官僚を確保することができなかった。

こういうことに成ってしまった責任は、第一に、秦の始皇帝の軍事政策にある。
そして第二には、秦滅亡後に、この始皇帝の軍事政策を含む諸政策を規範化して
しまった前漢にある。

その結果、生業に従事することが即軍事の熟達に繋がった遊牧民達の集団の
襲撃を受けた時に、爾後の漢人諸王朝は十全な軍事的対応を行えず、やがて、
遊牧民集団の中には襲撃先に留まり、領域的支配を始めるものが出てきて、
どんどんその支配領域が広がって王朝側が完全に征服されることまで生じた。

しかし、この過程で、遊牧民集団は漢人文明継受を始め、それに伴って上述の
規範も当然視するようになり、その結果、その集団の戦闘性がどんどん毀損して
行くのが通例であり、既存王朝を征服してしばらく経つと、その戦闘性の毀損度は
既存王朝のレベルに達してしまう。更にその結果、この漢人文明継受を果たした
新王朝(新漢人王朝)もまた、新たな遊牧民集団の襲撃を受け・・

ということに成り、この、云わば無限ループが繰り返されたのが支那の歴史である、
と言って良い。

710 :世界@名無史さん:2020/03/06(金) 22:22:53.52 0.net
白村江の戦
はい論破

711 :世界@名無史さん:2020/03/09(月) 02:33:27 ID:0.net
https://i.imgur.com/ZfFLDds.jpg
https://i.imgur.com/7jpnkY5.jpg

西太后が麗妃の手足を切断して瓶に詰めたというのは子供の頃に映画で見て怖かったけど、流石にこれはフィクションらしい。

ただ、息子光緒帝の妻の珍妃は聡明で明るく主人を励まし、光緒帝の西太后を排除した新政を支持して影で支えたことで西太后に憎まれ、
義和団の乱で北京から逃れる時のどさくさで西太后が部下に命じて井戸に投げられて殺された。

珍妃
https://i.imgur.com/LAbmSlY.jpg

投げ捨てられた井戸(一年後に珍妃の遺体が引き上げられたあとに改装されている)
https://i.imgur.com/vj5PC87.jpg

712 :世界@名無史さん:2020/03/10(火) 23:48:32 ID:0.net
>>710
唐初期で、まだ遊牧民の戦闘性が残っていた。
日本も武士団の成立以前。

少しは考えてから書き込もうよ。

713 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 18:42:49.42 0.net
>>711
新政派が
呂后、武則天の悪女伝を当てはめて
西太后の評判をより貶めようとしたんだろ。
失政は数々あれど、そこまで悪女ではない。

714 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 19:10:21 ID:0.net
>>712
いや、唐初だろうと唐末だろうと遊牧民要素なんかほとんどないだろ

「唐は鮮卑国家」とか信じちゃってるのか?

715 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 19:52:27 ID:0.net
>>713
悪政三昧の上に息子の嫁惨殺とか悪女以外の何者でも無いから

716 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 19:54:30 ID:0.net
>>712
歩騎の比率が完全に農耕国家

717 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 20:07:40 ID:0.net
>>714
唐の李家は鮮卑族

718 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 20:17:47 ID:0.net
>>714
ていうか、鮮卑は遊牧民じゃないだろ

719 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 20:19:38 ID:0.net
>>716
西魏・北周が現地で集めた兵による「府兵制」を受け継いだんだから、当たり前じゃないか

720 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 20:33:05 ID:0.net
>>719
詰まり漢人帝国

721 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:02:05.43 0.net
>>717
先祖は鮮卑系、というだけだろ。鮮卑族の入関から何百年経ってると思ってるんだ?

現代のイギリス貴族には、ノルマン・コンクエスト後にフランスから入って来た「ド・○○」って家系が残ってるけど、彼らが今もフランス語を話してフランスの生活習慣を維持してると思うか?

722 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:23:06 ID:0.net
>>713
>失政は数々あれど、そこまで悪女ではない。

丁汝昌が自らの命と生き代えに救った将兵に敗戦の責任を押し付けて処刑した西太后は暴君だと言われて仕方がない
元はといえば自身が新艦建造費を頤和園に流用したのが負け戦の原因だというのに

光緒新政とやらも西太后が散々弾圧した新政派の改革案の丸パクリであり見るべきところは何もない

723 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:53:55 ID:0.net
司馬昭の死後、司馬昭は大将軍となる。

724 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:54:11 ID:0.net
>>721
11世紀のノルマン・コンクエストでイングランド王国の王や貴族になった連中は、ずっとフランス語を話し続けた。

いつから英語を話すようになったかというと、その数百年後、百年戦争のさなかの15世紀のヘンリー5世からと言われており、シェークスピアの戯曲「ヘンリー5世」にも取り上げられている。

それ以前の「リチャード獅子心王」ことリシャール・ド・プランタジュネなんかは全くのフランス人で、在位期間の大半を大陸ですごした。

こういうのは、意外なほど根が深い。

725 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:55:36 ID:0.net
賈充はトップとして、責任を取りたくないタイプだ。保身の人である。

726 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 21:58:47 ID:0.net
>>721
鮮卑人と比べて多数派である漢人でさえ、生活習慣の維持とかできないんやからお察しだわね

727 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 22:02:53 ID:0.net
エジプトの女王クレオパトラだって、アレクサンドロス大王の東征のあとにできたギリシャ系ヘレニズム王朝のプトレマイオス朝で、初代から何百年も経ってたけどギリシャ語だ

「語学の天才で、アラビア語もできた」という話だが

728 :世界@名無史さん:2020/03/11(水) 22:13:40 ID:0.net
曹髦のことを
曹操の生まれ変わりだと絶賛している。

729 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 03:59:02 ID:0.net
>>724
鮮卑の本格的入関が始まったのが2c、唐の建国が7cで、500年経ってる。ノルマン・コンクエストから500年って、サクソン語とノルマン・フレンチ語が融合して、文法的にも発音的にも現代英語に近い初期近代英語が成立する頃だよ。
1362年の法律でイングランド王国の法定弁論はすべて英語でなされるべく定められてるし、そのおよそ半世紀後には大法官裁判所の公文書が英語に切り替わっている。
だいたいこの頃までには貴族階級でも英語が母語になっていたんではないか?

リチャード1世はそもそもノルマン・コンクエストから100年しかたってないし、産まれも育ちもアキテーヌなんだからフランス語が母語で当たり前。

730 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 10:34:23 ID:0.net
>>722
麗妃の手足を切断するほどの悪女ではないよ。
根拠のない流説で必要以上に貶められてる。

・東太后をないがしろにし、殺した。
・実の息子である同治帝も殺した可能性がある。
・ライバルの麗妃の手足を切断した上で殺した。
・光緒帝の寵愛を受けた珍妃を幽閉し、殺した。
・自分の死とほぼ同時に、光緒帝を殺すよう命じた。
現代に伝わる様々なマイナスのエピソードは、
いずれも明確に間違いか、根拠のなかったり、異説がある。
(珍妃の件については、
 そもそも現存する投げ込まれた井戸が
 人が入る大きさでは無く、
 仮に入ったとしても井戸を破壊せずに
 遺体を引き揚げれるものではないという説あり)

長期に渡って権力の座についていたことに対する反感や、
日清戦争での敗北の責を問う感情論から、
このような極悪非道の悪女としてのつくり話が語られるようになったかもしれない。

共産党史観で絶対悪評価だったものの、
近年、柔軟になってきて、
再評価する人も増えてる。

浅田次郎も『蒼穹の昴』で西太后の再評価を試みてる。
ドラマで田中裕子が魅力的に演じたじゃないか。

731 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 11:19:54 ID:0.net
>>729
>鮮卑の本格的入関が始まったのが2c、唐の建国が7cで、500年経ってる。ノルマン・コンクエストから500年って

なんで「鮮卑の移住が始まった頃」から数えるんだよ(笑)
ノルマン・コンクエストと比較するのなら、北魏から考えるべきだろ。
北魏が華北を征服してから、唐までは200年しか経ってない。
しかも、唐の李家は、北方との国境に近い辺境にいた。

732 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 13:25:10.67 0.net
>>731
せやな
前燕からカウントすべきやな

733 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 19:37:33.89 0.net
>>730
>共産党史観で絶対悪評価だったものの、
同時代の清を訪れたオーガスタス・リンドレーの記録にはハッキリと西太后によって圧政が行われているという認識があるので
共産党の陰謀というのは無理のある話

>・自分の死とほぼ同時に、光緒帝を殺すよう命じた。
それと光緒帝の遺髪や衣服から基準値をはるかに上回るヒ素が検出されているので
毒殺は噂でもなんでもなく真実

>珍妃の件については、

>遺体を引き揚げれるものではないという説あり)
じゃあ妃園寝に埋葬された遺体は一体誰の何なんですか?地面から湧いてきたのですか?

>浅田次郎も『蒼穹の昴』で西太后の再評価を試みてる。
>ドラマで田中裕子が魅力的に演じたじゃないか。
ソースがドラマとか

それと教えておいてやるが日清戦争当時の日本の年間鉄生産量は約2万トンに対して清は江西省一省だけでも約15万トンと工業力で大差をつけており
本来なら勝負にすらならない絶対に清が負けるはずのない戦いだったのだよ
どれだけ西太后が滅茶苦茶やってたかよくわかるな

734 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 20:33:33 ID:0.net
>>733が全面的に正しい
知的不誠実なジャップ史学者の連中は史実を無視し過ぎ

735 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 23:54:11 ID:0.net
君才十倍曹丕、必能安国、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取

736 :世界@名無史さん:2020/03/12(木) 23:55:31 ID:0.net
君才十倍曹丕必能安国終定大事若嗣子可輔輔之如其不才君可自取
亮涕泣曰臣敢竭股肱之力効忠貞之節継之以死

737 :世界@名無史さん:2020/03/13(金) 00:14:59 ID:0.net
>>733
日清戦争で清が負けたのは、シナ人がバカだったからじゃないアル

悪いのは西太后の悪政だったアルよ・・・というわけか(笑)

738 :世界@名無史さん:2020/03/13(金) 07:14:04 ID:0.net
日本人全般の傾向として現実無視して奇を衒う悪癖が酷いね

739 :世界@名無史さん:2020/03/13(金) 09:37:15 ID:0.net
世界遺産ミステリー 西太后の真実
https://youtu.be/TcoYPMv7-bA

NHK 中国王朝 悪女たちの真実 西太后
https://youtu.be/C4v_qXe3KPI

国民党、共産党双方の公式史観に凝り固まってる中でも、
中国人の中に若干、再評価の動きが出ている。
そうした影響からかドラマ『走向共和』が作られた。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLiMykBkUxEuvZ-dL9SjyrVUzhDKnCmwEW

だが西太后に対する描写が中国共産党の歴史観と合わないために放映中止、ないし一部削除が行われたらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B0%E5%90%91%E5%85%B1%E5%92%8C


書籍で言えば
ユン・チアン『西太后秘録 近代中国の創始者』
加藤 徹『西太后―大清帝国最後の光芒』 (中公新書)


西太后ばかりじゃ、スレ違いなんで、秦漢つながりで↓
NHK「中国王朝 悪女たちの真実 始皇帝の母 趙姫」
https://youtu.be/Dt-MXULLyQs
悪女にされた趙姫、カワイソす。

740 :世界@名無史さん:2020/03/13(金) 21:53:10.05 0.net
清史稿
はい論破

741 :世界@名無史さん:2020/03/15(日) 18:52:17 ID:0.net
日本人って本当に逆張り好きだよな

日本史とか織田信長の人物像が数年おきに研究者間でひっくり返っていて分けわかんことになってる

742 :世界@名無史さん:2020/03/15(日) 19:08:05 ID:0.net
本それ
史料無くて解って無いからって好き放題に人物像創造してるし

743 :世界@名無史さん:2020/03/20(金) 13:12:02 ID:0.net
?美化ばかり
聖天子はいない

744 :世界@名無史さん:2020/03/20(金) 21:40:43 ID:0.net
結局漢も地獄だった

745 :世界@名無史さん:2020/03/20(金) 23:30:19 ID:0.net
子嬰の父親は公子高だと感じた

746 :世界@名無史さん:2020/03/22(日) 14:52:48 ID:0.net
殷王は衣王と呼ばれ
周王は天王と呼ばれた

747 :世界@名無史さん:2020/03/25(水) 19:56:48 ID:0.net
日本はおかしい

748 :世界@名無史さん:2020/03/26(木) 23:25:16.30 0.net
おかしいのわ美しい国の伝統

749 :世界@名無史さん:2020/03/27(金) 21:19:24 ID:0.net
漢は秦を否定していたがその実態は秦でしかなかった
秦とほとんど変わらない法で秦よりはマシだと宣伝した

750 :世界@名無史さん:2020/03/27(金) 21:20:41 ID:0.net
王はただの称号でしかなかった
古代の伯爵や子爵と変わらん
何とか将軍とかの地位を皇族が望む程度だった

751 :世界@名無史さん:2020/04/15(水) 02:45:21 ID:0.net
大久保利通は江藤新平を評して「日本の商鞅」と

752 :世界@名無史さん:2020/04/15(水) 14:43:13 ID:0.net
>>749
王朝が交代しても「ローマ帝国」、「フランク王国」、「神聖ローマ帝国」
が続く西洋史と違って、名分にこだわる中国史では、「秦と漢は別物」、
「隋と唐は別物」ということになっている。

でも、客観的に見れば同じ帝国で、トップが交代しただけ。
だから、スレタイは「秦漢帝国」になっている。

753 :世界@名無史さん:2020/04/15(水) 16:40:02 ID:0.net
隋唐は禅譲によって国家機構、統治システムをそのまま吸収してるけど、秦漢はそうじゃないからなあ。文化的制度的連続性はあっても、政治的には別物じゃないかな。

754 :世界@名無史さん:2020/04/16(木) 20:10:01.82 ID:qP65vHmv1
日本に秦という姓はそこそこいるが漢や魏といった姓が帰化人以外ないのは
どういった理由ですかね?やはり秦代に倭国に来た秦の者達がいる事を
表していますか?
秦の関係者は山東半島から当時倭人の勢力圏だったみられる朝鮮半島に移動し
そこから九州に来たのですかね?彼等の足跡を辿るのはどうにも困難です

755 :世界@名無史さん:2020/04/17(金) 19:38:16 ID:0.net
新と後漢のあいだは、中央政府と地方軍閥政府は別物だけど、それ以外の地方政府はほとんど
そのまま継続しているんじゃないかと

このあたりの新ー後漢の地方役人のプロソポグラフィ研究ってないんだろか

756 :世界@名無史さん:2020/04/17(金) 23:33:11 ID:0.net
というか中華、漢人、中国に当たるのがローマ、フランク、ドイチュ
恣意的にブツブツ切ってるのわ明治、昭和の連中の咎

757 :世界@名無史さん:2020/04/18(土) 14:58:25 ID:0.net
前の人は処女ですか

758 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 02:11:47.87 0.net
持節とかの節って何?
しるしばた(印旗?)という訳を見たことがあるんだが、
中国のサイトだと割符とする見方が有力らしい

759 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 03:06:25.16 0.net
具体的な形状を知りたいってこと?

760 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 03:18:29.54 0.net
いや、旗なのか割り符なのかだけでも知りたい

761 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 11:56:28 ID:0.net
旗じゃなくて端だろ

762 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 17:01:49 ID:0.net
割符の片方が端なわけか

763 :世界@名無史さん:2020/04/20(月) 23:22:03.09 0.net
いや杖だけど、何言ってんの?

764 :世界@名無史さん:2020/04/21(火) 01:00:29 ID:0.net
ソースは何ですか?

765 :世界@名無史さん:2020/04/21(火) 19:36:57.40 0.net
呂布、趙雲、黄忠、夏侯淵、太史慈
のような弓の名手が弓隊を率いても
諸葛亮の連弩によって蜂の巣にされるのかな?

766 :世界@名無史さん:2020/04/21(火) 19:44:01.65 0.net
>>764
日本語訳の漢書読んでたら印旗と訳されてたわ
全然竹杖じゃ無かった

767 :世界@名無史さん:2020/04/22(水) 14:01:10 ID:0.net
後漢書光武帝紀注に
節,所以為信也,以竹為之,柄長八尺,以旄牛尾為其眊三重。
馮衍與田邑書曰:「今以一節之任,建三軍之威,豈特寵其八尺之竹,犛牛之尾哉!」
とあるのがソースみたいだ
信というのは割符の意味もあるみたいだけど、長さが八尺もあったらやはり
旗竿的なものなのだろう

768 :世界@名無史さん:2020/04/28(火) 21:42:40 ID:0.net
ずっと遊牧民に悩まされてきたというのに、遊牧民に対抗する専門家集団
である騎士階級が、遂に現れなかったのは異常な事だ。
遊牧民の戦法を取り入れた騎馬部隊すら、短期間の試みで終わった。

海を隔てた日本ですら、武士階級が生まれたというのに。(武士も騎士)

769 :世界@名無史さん:2020/04/28(火) 21:49:10 ID:0.net
行政が未発達な身分制封建土人の落とし子が中国文明に産まれる筈も無し

770 :世界@名無史さん:2020/04/28(火) 23:25:01 ID:0.net
確かに胡服騎射という熟語がある位なのに不思議
さらに不思議なのはそれなのに騎馬民族と戦って連戦連勝の将軍がたまに出てくる事だけど

771 :世界@名無史さん:2020/04/28(火) 23:28:51 ID:0.net
>>768
騎兵部隊なんて秦漢の兵馬俑見ればちゃんと整備されてるのがわかろうもんに

772 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 02:57:00 ID:0.net
>>771
全く話を読んでなくてワラタ

773 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 08:48:32 ID:0.net
騎兵部隊はずっとあるっての
階級としての騎士がないだけ

774 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 10:05:56 ID:0.net
「中国には武士道がない!」と中国知識階級が大いに嘆いた時代があったとか

>>773
紀元後で騎兵隊が存在しない大陸の大国はそれこそ新大陸くらいにしかないだろうからな

775 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 13:02:09 ID:0.net
武士道は要するに略奪と虐殺だからな、自国民に対する
>>772
>>768わ明確に誤ってるからな
騎兵部隊わ漢帝国以降ずっと大規模に有った

軍事のみの貴族身分は北朝の前期にしか無かった

776 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 20:41:26 ID:0.net
朝鮮でも武班という軍人階級があるけど科挙の本場の中国は世襲身分というのを嫌ったのだろうか
皇帝は思いっきり世襲だけど

777 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 21:17:30 ID:0.net
軍事貴族もさっさと政治や経済の方に軸足置いちゃうからじゃね
日本列島は軍事力さえ在ればそれ以外全くの無能でも殺人と略奪を担保する徴税検断権や開発利権が付いて来るから

778 :世界@名無史さん:2020/04/29(水) 22:57:34.56 0.net
相対的にあんまり褒めてくれないから戦士たることに拘る理由がね…
「軍隊カッケー!」みたいな価値観が社会に普及してんの中共くらいかもしれん

>>776
中国史も世襲の軍人身分はあることはあるんだけど限定的やな

779 :世界@名無史さん:2020/04/30(木) 01:53:55.16 0.net
>>770
それ育ちがあっちの人が
多いんじゃなかったっけか

780 :世界@名無史さん:2020/04/30(木) 02:38:34.67 0.net
>>768
隋唐では鮮卑貴族、モンゴル帝国ではモンゴル貴族、清朝では満州貴族が騎士階級

781 :世界@名無史さん:2020/04/30(木) 22:49:01 ID:0.net
元朝のモンゴル貴族は武士階級だな
満旗と鮮卑系貴族はそれぞれの理由で違う

782 :世界@名無史さん:2020/05/02(土) 17:04:19 ID:0.net
〉〉767
北方の遊牧民があまりにも精強なのと残虐だから
武士道とか美学を貫くよりも生き抜く方が大事だったんでしょ

783 :世界@名無史さん:2020/05/02(土) 20:52:10.31 0.net
武士の生業わ略奪と殺戮な
百姓支配も略奪、殺戮

784 :世界@名無史さん:2020/05/02(土) 21:06:38.69 0.net
〉〉782
北方騎馬民族の精強さは異常すぎ
武士と北方騎馬民族を同等に考えるのはおかしいと感じる

785 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 00:58:41.64 0.net
ていうか、秦漢以後で、中国の北部が北方民族に支配されてなかった時期なんて、北宋と明くらいのもんだろ

それ以外はずっと、北方民族が武士階級みたいなものだ

786 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 06:48:45 ID:0.net
北宋はがっつり占領されてるがw
西晋、隋唐、中共どれも占領されて無い

787 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 08:52:03 ID:0.net
そうだ、西晋を忘れてた

隋唐は鮮卑人の国

788 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 10:31:39 ID:0.net
随も唐も漢人王朝な、元や清と違う

789 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 13:46:55.63 0.net
隋と唐はネットでは異民族王朝としてる空気感じるけど
異民族が年月をかけて漢化したと考えていいと思う
(漢人も異民族によって風習が変わったが)
元と清のような征服王朝とは違う

790 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 18:33:06 ID:0.net
>>789
>異民族が年月をかけて漢化したと考えていいと思う

それは、「そうであってほしい」という願望

791 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 19:04:01.35 0.net
当時は中国に限らず、地球全体が寒冷化した。

ラテン人は南欧へと撤退し、アルプス以北にはゲルマン人が民族大移動した。
中国でも、漢人は全体的に南へとシフトし、北には五胡が移動してきた。

「鮮卑が漢化した」というのはつまり、「旧漢人に代わって、鮮卑が新しい漢人になった」ということを意味する。

792 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 19:04:01.51 0.net
当時は中国に限らず、地球全体が寒冷化した。

ラテン人は南欧へと撤退し、アルプス以北にはゲルマン人が民族大移動した。
中国でも、漢人は全体的に南へとシフトし、北には五胡が移動してきた。

「鮮卑が漢化した」というのはつまり、「旧漢人に代わって、鮮卑が新しい漢人になった」ということを意味する。

793 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 19:06:40.24 0.net
フランク人は、古代ローマ帝国の文明に憧れ、ラテン語を勉強した。

中国に移住した北族も、古代秦漢帝国の文明に憧れて漢文を勉強した。

794 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 19:13:45 ID:0.net
>>790
隋唐が異民族王朝であるかのようなネットの雰囲気こそ願望じゃないの?逆張りというか。
そういう主張する少数の学者はいても、学界の大勢にはなってないだろ

795 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 20:09:34.67 0.net
>>794
異民族っていうより、秦漢帝国の滅亡後、数百年つづいた民族大移動を経て形成された新しい漢人、「新漢人」の王朝でしょうな

796 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 20:11:25.75 0.net
しかし、李淵・李世民父子に、鮮卑としての民族意識が無くなっていたとは考えにくい

民族意識は残っていたと思われる

797 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 20:14:26.24 0.net
そもそも、北族ってのは、漢人にコンプレックスなどまったく持っていない。
むしろ逆で、優越感を持っている。

まったくの後進国と化した現代のモンゴル人でさえ、中国内地の農民や職人を、どこか見下しているところがあるくらいだ。

798 :世界@名無史さん:2020/05/03(日) 22:26:47 ID:0.net
また無知無知くんの妄想症が悪化

799 :世界@名無史さん:2020/05/06(水) 23:00:58 ID:0.net
秦の将軍の王センと李信の子孫って漢に重用されてんだね
六国を滅ぼした者として殺されたりしなかったのが不思議

800 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 00:33:27 ID:0.net
漢は秦の後継なんだから不思議でもなんでもない

801 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 01:49:35 ID:0.net
そうだね不思議じゃないね

802 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 04:12:43 ID:0.net
>>799
趙の李牧の子孫は、その後も脈々と続いて、「趙郡李氏」と呼ばれる名門貴族となり、唐では何人も宰相を輩出する四大貴族の一角を占めた

803 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 11:17:40.57 0.net
趙の趙奢の子孫は馬騰・馬超の系譜だったりしたはず

804 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 19:09:30.41 0.net
>>803
>趙の趙奢

キングダムでは、廉頗・藺少女と並ぶ三大超人の位置付けだな

805 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 19:50:46 ID:0.net
>>768
>である騎士階級が、遂に現れなかったのは異常な事だ。

董卓の出身母体である六郡良家子なんてまさに騎兵を輩出する家系なんですけど
そもそも農耕民族がつけ焼きや刃でポニーサイズの馬のってるだけの日本の武士と違ってあちらはガチの遊牧民の本拠地と隣り合わせ何だから
騎兵の運用も対策も日本とは比べ物にならないぐらい進んでるよ

806 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 20:05:30 ID:0.net
日本は騎兵はいても騎馬隊は存在しない
その騎兵にしても馬から降りて戦うことが多かった

戦国時代に「騎馬隊」はいなかった?!
http://kaze.shinshomap.info/series/kansuke/03.html

明治期清国を訪れた日本使節団が清国の人々がいともたやすく馬を並走させてることに驚いているけど
馬を並べて走らせるというのはかなり技量がいること
明治陸軍は騎兵の育成に苦労したのだが庶民に騎乗の風習がなかったことも去ることながら馬を集団で走らせるのに必要な調教法や馬術知識をもった人がほとんどいなかったから

807 :世界@名無史さん:2020/05/07(木) 20:52:45 ID:0.net
>>805
騎兵部隊わ勿論有ったけど
それだけで特権を享受する強盗団階級が無かったって話じゃ?

808 :世界@名無史さん:2020/05/12(火) 10:14:26 ID:0.net
>>806
日露戦争のときは、ロシア人と比べて、あまりに馬の扱いにスキルの差がありすぎることが問題になり、
「日本人に馬の調教技術があれば、もっと楽に勝てた」という話になった。

このため、明治政府は競馬を奨励し始めた。
いまや、日本の競馬業界は、世界で売上ナンバーワンの巨大産業

809 :世界@名無史さん:2020/05/12(火) 10:16:42 ID:0.net
でも、漢は農耕民族の国で、歩兵が主力の軍隊だ

810 :世界@名無史さん:2020/05/14(木) 15:19:38 ID:0.net
>>808
あればってのはそれがある場合には別のものを失うことになる

811 :世界@名無史さん:2020/05/14(木) 15:28:16 ID:0.net
まあ、もう必要ないけどな

日本の陸軍が大陸で戦闘する機会は、もう無いのでは

812 :世界@名無史さん:2020/05/14(木) 15:34:03 ID:0.net
ていうか、この「日露戦争」の話を持ち出したのは、日本がどうのこうのというのとが言いたかったわけではなくて、
「20世紀になっても、まだ馬の機動力はそれくらい重要だった」ということ

ましてや春秋戦国時代においては、ハイテクだ。先端技術だ。

813 :世界@名無史さん:2020/05/14(木) 15:39:48 ID:0.net
第一次世界大戦になると、ドイツやフランスは鉄道で兵隊を前線に送りこみ、格段にスピード感のある総力戦が始まった。
戦車も、第一次世界大戦で初登場した。

それからでしょうな、馬の重要性が落ちてきたのは。
モンゴル騎馬軍団の登場から700年。
ようやく、軍馬の時代が終わった。

814 :世界@名無史さん:2020/05/14(木) 19:45:44 ID:0.net
次の世界大戦は絶滅戦争になると思う
平気で核兵器を使う奴が手に入れた時が終わりだ

報復攻撃を恐れるどころか
自国民が死んでも苦しんでも喜ぶだけだ

815 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 08:47:49 ID:0.net
>>794
そもそも「異民族王朝」って言葉自体がおかしい
そんな分類は学術的にされてない
ウィットフォーゲルの征服王朝や浸透王朝等の分類が変な風に解釈されてるんだと思うがね

そもそも隋唐が鮮卑の王朝である事は宮崎市定が戦前から提唱してた説だし
今日でもそれが覆されたとかではないので普通に学会の大勢ざんす

816 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 12:12:47 ID:0.net
宗室が異民族の血統ってだけで
王朝そのものには異民族感ないしな

817 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 13:36:43 ID:0.net
>>816
西洋史に例えれば、隋唐は「フランク王国」に相当する

数百年の民族移動を経て、先住民との混淆や、文化の融合が進んだ。
その結果として形成された、「新しい中国人」による文明。

818 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 19:28:19 ID:0.net
>>815
学会というのは日本の学界ですよね?
中国の学界はまた見解が違うんじゃ

819 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 20:37:17.75 0.net
異民族による征服王朝って事でしょ
分かりやすい表現だと思うけどね

820 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 21:09:27 ID:0.net
>>815
宮崎一定に限らず戦前戦後現代の日本人史学者わ史実に対して不誠実だからな、宮崎一定わまともな方だけど
隋唐は漢族の王朝
>>817
相当しない
ローマとフランクの歴史わ断絶してる

821 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 21:15:13 ID:0.net
>>818
中国の学会も、隋唐が鮮卑であることは否定していない

822 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 21:18:03 ID:0.net
>>820
秦漢と隋唐の歴史も断絶している

823 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 22:49:23.44 0.net
>>818
ではどのように違うか示してみなされ

反証は自分で行いなさい

824 :世界@名無史さん:2020/05/18(月) 23:42:03 ID:0.net
まあ、めちゃくちゃ雑だけど
あえて例えるなら北朝隋唐はフランク、南朝がビザンツやな

825 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 00:28:06 ID:0.net
>>824
そもそも漢がフランク的に秦の崩壊の中から立ち上がった国では
そしてビザンツは存在せず

秦人の支配に対して楚人が反乱して体制崩壊させた形なんだし

826 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 00:32:02 ID:0.net
秦は中華文明からみて後発の新参者だから違うだろう
劉邦は沛だから寧ろ古典的地域の出身

827 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 00:49:34.78 0.net
>>826
じゃあ秦がそもそもフランクだったってこったな

828 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 01:50:37 ID:0.net
フランク要素ないぞ

829 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 02:06:43 ID:0.net
ギリシア諸都市国家に対するマケドニアの方がまだ似ている

830 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 06:15:57 ID:0.net
>>825
楚を含む東方(山東、淮南、長江下流域)支配が10年ちょいで終わった秦だけじゃローマ帝国の時間と釣り合わないからねぇ
秦に漢を足さないと

831 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 08:43:57 ID:0.net
>>825
ローマ帝国だって、崩壊と再統一を何度も繰り返し、王朝が交代しているからな

秦漢帝国は、歴史的にはまとめて語るべきだろう

832 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 09:03:38 ID:0.net
ローマ帝国や神聖ローマ帝国、ビザンチン帝国は、何度も王朝交代している。
フランク王国だって、メロヴィング朝からカロリング朝に交代している。

秦漢帝国や隋唐帝国はもちろん、元明清も、同じ帝国の中の王朝交代と見るべきだろう。
中国史は、西洋史と違って、「中華だ、夷狄だ、漢化した」云々の変なナショナリズムが入りすぎてて不合理

833 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 09:13:26 ID:0.net
真の意味で「漢人王朝」と呼べるのは、漢だけ

834 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 10:52:18 ID:0.net
>>832
中華帝国の入れ替わりは確実に同じ帝国の中ではない
単に「同じ地域にあっただけの別の国」

ローマは元老院とか有名無実化しながらも存続して一応の継続性を保ってたけど
秦と漢ですらその継続性は存在してない

835 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 11:57:39 ID:0.net
>>834
前漢→新とか、後漢→曹魏→東晋とか禅譲で王朝交代した例は、宮廷や官僚機構や地方統治システムは全部引き継ぎでトップが変わっただけなんだから、継続性のほうが大きいだろ?

836 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 11:59:16 ID:0.net
>>815
唐李氏のルーツが鮮卑にあるということと、唐が鮮卑国家であるということとは全然違うんじゃないかな。

837 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 12:42:39 ID:0.net
>>835
そっちはおっしゃる通りやね

俺が言ってるのは秦漢とかの引き継ぎ無き国家の話

838 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 15:26:49 ID:0.net
>>836
唐李氏は、「ルーツ」じゃなくて、本人たちが鮮卑

839 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 15:28:08 ID:0.net
>>837
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ビザンチン帝国なども、必ずしも引き継ぎはなされていない

帝国が崩壊して再統一されたことが何度もあった

840 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 15:35:16 ID:0.net
東洋史は「名分」にこだわる傾向が強く、西洋史は「実質」にこだわる傾向が強い

841 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 16:02:50 ID:0.net
秦漢と隋唐では、中国北部人は大きく変質している

漢の崩壊による人口激減の後、数百年にわたって民族大移動が起き、時間をかけて人種の混淆や、言語・文化の融合が進んだ

その結果として形成された「新しい中国人」が隋唐

842 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 16:19:38 ID:0.net
>>837
逆に前漢→後漢とか遼→西遼みたいに、君主の血統がちょっとつながってる以外には連続性がなくても、同じ扱いという例も。名分論やね。

843 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 18:28:07.73 0.net
>>839
元老院は引き継ぎしとるで

844 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 18:28:25.67 0.net
>>834
大和朝廷と鎌倉幕府と江戸幕府に連続性がないみたいなもんか

845 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 18:38:25 ID:0.net
>>843
帝国として連続したのは元老院だな

846 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 18:39:30 ID:0.net
>>844
鎌倉幕府も江戸幕府も、崩壊したら直ちに政治の中心が京都に戻った

847 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 19:05:23 ID:0.net
>>844
鎌倉幕府も江戸幕府も大和朝廷が任命した軍司令官による軍政府だぞ

まあ流石に江戸幕府となると建前と実質がかなり乖離してるけど、鎌倉幕府は王朝国家の軍事部門という見方もできるし。

848 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 19:34:40 ID:0.net
古代の倭と、飛鳥・奈良朝の日本との連続性は証明されているか?

849 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 19:43:49 ID:0.net
>>821
当然違う物を敢えて否定する馬鹿わ居ないからな
>>822
そりゃ南北朝期が数世紀間に挟まってるからなw
西ローマ帝国が滅亡して直ぐフランク族の王朝が成立した西欧と違って

850 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 19:46:30 ID:0.net
>>843
単に貴族の集まりというだけ
王朝と朝廷が存在したのだから全ての中国王朝は継続してた
オマエの妄想的暴論に依ればな

851 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 19:48:17 ID:0.net
>>848
大倭大王国を滅ぼして日本天皇国が建国されてる以上
継続性わ存在しない

852 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 21:45:20 ID:0.net
織豊政権も江戸幕府も明治政府も
大和朝廷がつくったヤマト民族だの日本国だのといった枠だけは受け着いたが
中身は全く違う

それと同じように、漢から中華人民共和国までの国家は
夏から秦までの王朝がつくった枠だけを受け継いでいる

853 :世界@名無史さん:2020/05/19(火) 22:39:13 ID:0.net
>>852
枠も違うんですが

特段に言うと元は中華帝国扱いされてるけど
あれはモンゴル帝国が中原を植民地扱いしてただけだったしなぁ

854 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 10:09:03 ID:0.net
>>821
中国では
「唐の李氏は漢人の出自だが鮮卑として生活してた時期もある」
という説も有力視されている

855 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 12:09:25 ID:0.net
>>853
中国に移り住んで中国式の生活してたんじゃないの

856 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 12:30:25 ID:0.net
>>855
ぜんっぜん違う

冬の避寒地として設定された大都の後世見ればわかるが
区画だけ割って建物作らずゲル設営スペースを設定してあったりして
モンゴル人は草原の暮らしをそのまま出来るようにしてる
そんでそこで植民地から税金搾取していただけ
本来の首都である上都でもやっぱりゲルで草原暮らししてるしな

857 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 12:47:35 ID:0.net
>>854
漢化神話を信じたいのなら、そうすればいい

どうせ、大昔のことだ
真相が証明されることはない

858 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 12:49:32 ID:0.net
唐は、言ってみれば「アメリカ合衆国」のような国だ

何百年もかけて移住してきた人種や民族のルツボ

859 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 14:58:25 ID:0.net

扶蘇→蒙恬に止められたのに父親の命令は絶対だと勝手に自殺
胡亥→兄弟姉妹皆殺しにした挙げ句秦の危機を知らないまま利用されるだけ利用されて趙高に刺し殺された馬鹿皇帝
子嬰→趙高を刺し殺し劉邦は命助けたけど結局は暴君項羽によって一族もろとも皆殺しにされる

趙歇→陳余と張耳に振り回されるだけ振り回された後張耳に逃げられ陳余の宋襄の仁のせいで負け韓信に殺される

魏咎→陳平の策を受け入れず救援に来た斉王田?が戦死した後逃亡せずに焼身自殺する
魏豹→劉邦から項羽に寝返り韓信に負けて庶民に落とされ嫁まで劉邦に奪われたのにまた劉邦に仕え、榮陽からの逃亡時に裏切りそうだと味方の周苛に降伏前に殺される
魏無知→劉邦が尊敬する信良君の息子なのに世話した陳平に言われるまで報奨を忘れられる。↑の魏豹は列伝があるのに何故か世家も列伝もなく没年も不明

義帝→打倒秦の大義名分として祭り上げられたのに忠義の全く無い項羽に邪魔者扱いされ殺される

韓王成→打倒秦の大義名分として祭り上げられたのに敬意の全く無い項羽に邪魔者扱いされ殺される
韓王信→劉邦と冒屯単于に振り回され劉邦が降伏を勧めたのに拒否して殺される。子孫は代々漢の高官として活躍する(が、定期的に粛清される)

田市→一族の田栄に殺される
田安→一族の田栄に殺される
田都→一族の田栄に追放される(殺される?)
田栄→一族の田市に殺される
田仮→一族の田横に殺される
田横→劉邦に降伏した後、勝手に自殺する。頼りになる食客達も一緒に自殺する
田広→韓信に捕らわれる(殺される?)
田都・田広が仮に生きていたとしても改姓させられた第一氏から第八氏で後々存続したのは第五氏と第八氏のみでおそらく田斉の傍流も傍流

劉邦が手を汚す前に七雄の旧王族達は勝手に死んでいってくれたんですね

860 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 16:48:03 ID:0.net
>>859
古代人は、現代人とは死生観が異なる

かなり気楽に死ぬし、気楽に殺す

861 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 16:49:39 ID:0.net
徳川家康じゃないけど、生き残った者が勝ちだ

862 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 17:16:08 ID:0.net
>>859
古代中国(春秋戦国)を滅ぼした秦、ついでに自分も大粛清、高祖の為に道を拓くファインプレー

この革命的姿勢には毛主席も称賛を惜しまない

863 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 17:51:02 ID:0.net
>>862
大秦帝国の崩壊後に復活した七国の話でしょ

864 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 17:53:15 ID:0.net
秦による短期間の統一はあっという間に破綻し、魏・楚・斉などの旧6国がたちまち復活した

漢はそれを再征服して回らなきゃいけなかったはずなのだが、予想外に楽勝だった

865 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 19:01:40.09 0.net
燕だけは復活してないんだよな
中原から離れてる分ある程度自由に動けそうなもんなのに

866 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 19:03:10.89 0.net
王族皆殺しにあったのでは

867 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 19:26:56 ID:0.net
臧荼がもし燕の王族公族に繋がりのある武将だったとしたらはっきり劉邦が殺した事になるか
で息子が匈奴に逃げたので対匈奴のためにやっと韓に戻ってきた韓王信を最前線に送り出して休戦協定結ぼうとしたら裏切りとみなして結果寝返らせることになると

868 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 19:28:32 ID:0.net
僕とつぜんうンコ出てきたせいなんじゃ

869 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 19:58:42.32 0.net
日本でも西南戦争や萩の乱とか起きたな
薩摩藩や長州藩復活を狙ったか

870 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 20:39:19 ID:0.net
秦が崩壊した後、紀元前209年、趙から来た韓広が、現地の燕人らに推戴されて燕王となって自立した。

紀元前206年、項羽の封建により臧荼(ぞうと)が燕王に立てられ、もともとの燕王だった韓広は遼東王に遷された。
その年の内に臧荼は韓広を攻め遼東を併合して燕全体の王となった。

燕王臧荼は紀元前204年に韓信に帰順、紀元前202年には群雄諸王らとともに劉邦に皇帝の尊号を奉った。
が、その年のうちに反乱を起こし臧荼は処刑、臧荼に代わって盧綰が燕王に封建された。
紀元前195年、盧綰は匈奴に亡命し、燕国は廃され郡県となった。

871 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 20:47:57 ID:0.net
匈奴に亡命してから盧綰が厚遇されたのにたいして
同じく亡命した韓王信は都合のいい駒として最前線で戦わされ続けた違いは一体

872 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 20:59:14.68 0.net
張良 張耳 王離 李左車 何より項伯初めとした項氏の多くと旧七国の文官武官は結構家を存続させてるのは対照的
劉邦立ち上げの頃からの一派も含めて大半が武帝時代に一時的に平民に落とされ昭帝宣帝時代に子孫が復権許される流れという

873 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 21:13:48 ID:0.net
>>853
ゲンダイ日本国は米軍の植民地だからな、米国領

874 :世界@名無史さん:2020/05/20(水) 23:47:27 ID:0.net
>>853
>特段に言うと元は中華帝国扱いされてるけど
>あれはモンゴル帝国が中原を植民地扱いしてただけだったしなぁ

全然違う
元朝の地方区分では中書省(首都圏)は現在の河北省で内モンゴル外モンゴルは一括して嶺北行省と呼ばれる中書省の出先機関が管轄した
こうなったのもフビライの中華趣味によるものでそれに反発したモンゴル人たちがアリクブケを担ぎ上げて起きたのが帝位継承戦争

>>856
元末には中原に移住したモンゴル人は漢族との通婚や都市生活によってほとんど定住生活をしており
北走の際には大半が置き去りにされた
その後彼らは軍戸に組み込まれ明軍の中核を担うこととなったことは岡田英弘の指摘する通り

875 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 11:43:53 ID:0.net
項羽は秦の王族を三秦の王にしてれば、
劉邦が中国を征服するのを防げたんじゃないの?

876 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 13:13:34 ID:0.net
>>860
当時は道教もないし死ねばおしまいって考えじゃ?

877 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 13:45:14 ID:0.net
>>875
楚の人間は、秦を恨んでいたからな

反日朝鮮人集団が、日本を占領するようなものだ。
大暴れするのは止められない。

878 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 13:46:12 ID:0.net
いや、朝鮮人という例えは良くないな

「フランスに勝ったときのドイツ」にしておこう

879 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 14:13:14 ID:0.net
いまやフランスとドイツは融和してるのかね

880 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 14:29:11 ID:0.net
>>879
未だに仲が悪いと考える人がいるけど
現実はかなり協調関係と考えていい
お互いに教科書を作成するなど日中ではありえない関係
フランスドイツが争うと第三国が得するのは両国の知識人にかなり知れ渡ってる

881 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 14:30:28 ID:0.net
>>876
春秋戦国時代に罪人になってしまった母に王が会うためにわざわざ黄泉の国を模して作った場所で会う(黄泉の国ならば王と罪人が会っても構わない)っていうエピソードがあったような

882 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 19:39:57 ID:0.net
>>876
当時は儒教シャーマニズムの時代

儒教は、後になるほど次第に学問になっていったが、古代においては、巫者が屋根に登って先祖の霊を招魂するというシャーマニズム宗教

883 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 20:06:00.56 0.net
儒教が主流に成るのわ武帝時代でそれ以前は黄老思想のが普遍的

884 :世界@名無史さん:2020/05/21(木) 20:31:02 ID:0.net
ののわさん

885 :世界@名無史さん:2020/05/22(金) 00:34:39 ID:0.net
>>883
それは後世の話

ここで言ってるのは、儒教シャーマニズム

886 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 00:25:52 ID:0.net
意味不明に過ぎる
>>885は儒教に就きて全く無知、五教すら読んで無い

887 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 02:47:48 ID:0.net
中国的宗教観というのは古い時代からあるんだけど儒教道教のちゃんとした成立となると思ったより後なんだよね

888 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 12:12:26 ID:0.net
土地と食べ物を神格化する所謂社稷を祭る信仰じゃないの?

889 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 15:43:36 ID:0.net
儒教じゃ無いよ

890 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 16:49:24 ID:0.net
>>886
お前が知ってる儒教より前の話をしてるんだが

891 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 16:53:56 ID:0.net
儒教発生より前の宗教は儒教じゃ無い
日本語不自由か?w

892 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 18:26:06.10 0.net
>>891
だから、「儒教シャーマニズム」と言ってるだろ

お前のいう儒教が成立する以前の話だ

893 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 19:36:40.77 0.net
それただのシャーマニズムと何が違うの?
シャーマニズムでいいじゃん

894 :世界@名無史さん:2020/05/23(土) 22:34:00 ID:0.net
唯のシャマニズムを儒教シャーマニズムと造語しちゃう知性の欠けるネトウヨにありがちな症状

895 :世界@名無史さん:2020/05/24(日) 04:48:36 ID:0.net
ローマ帝国もキリスト教普及以前はシャマニズムだしな

896 :世界@名無史さん:2020/05/24(日) 14:15:18 ID:0.net
ローマ、ペルシア、インドも似たようなもの

897 :世界@名無史さん:2020/05/24(日) 23:36:12 ID:0.net
アジアは精霊

898 :世界@名無史さん:2020/05/25(月) 06:50:52 ID:0.net
欧州は現人神

899 :世界@名無史さん:2020/05/27(水) 21:15:04.18 0.net
陳余と張耳を刎頚の交わり(笑)
とする事が多いけど
張耳にとって陳余も劉邦も同じように面倒みてた子分と考えたら口うるさい陳余より劉邦の方が最初から可愛かったのではと思ってしまう

900 :世界@名無史さん:2020/05/28(木) 20:05:01 ID:0.net
武帝がはるばる連れてきた汗血馬って中国で繁殖成功したの?
軍馬とかに使用したんだろうか?

901 :世界@名無史さん:2020/05/29(金) 22:13:08 ID:0.net
>>893
儒教へとダイレクトにつながってるからだ

これを知らないと、儒教の本質は理解できんぞ

902 :世界@名無史さん:2020/05/29(金) 23:46:36 ID:0.net
儒教の本質って何?
解説おねがいします

儒教要素あるならそれは儒教であってシャーマニズムじゃないし
ないならただシャーマニズムじゃん

903 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 01:52:56 ID:0.net
どうせ無意味に儒教敵視してるだけのネトウヨだから
質問してもまともな答えは帰ってこないよ

904 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 07:47:17 ID:0.net
映画「キングダム」続編制作決定の記念カキコ

905 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 12:34:16 ID:0.net
>>903
お前とは儒教の話をするの無理なようだ

906 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 12:34:57 ID:0.net
>>904
あれは傑作だったな

907 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 12:43:33 ID:0.net
>>900
もちろん、大量に繁殖された

それ以前の漢の馬は、重装した騎士を乗せて走るなど無理だった。
漫画ではバケモノみたいな大男が馬に乗って暴れまくってるが、あれは無理

908 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 16:46:58 ID:0.net
じゃあ、今の中国馬は汗血馬の子孫が結構いたりするの?
汗血馬>烏孫の馬>中国の馬だから相当優秀だったと
思うんだけど
モンゴル軍の馬は小さい蒙古馬なんだよね

909 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 17:10:50 ID:0.net
>>908
汗血馬だって、18世紀以降の品種改良で大型化した、現代のサラブレッドみたいなのをイメージしてはいけない

おそらく、蒙古馬よりは一回り大きかったんじゃないかとは思うけど、しょせんは大昔の馬なんだし

910 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 17:12:21 ID:0.net
トルクメニスタンの「アハルテケ」って馬が、汗血馬の子孫じゃないかと言われてるみたい

言われてるだけで、根拠はないけど

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Buddy_%26_Pagoda.jpg/220px-Buddy_%26_Pagoda.jpg

911 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 17:39:24 ID:0.net
出土した骨とDNAを調べれば馬の体格や血統も分かったりしないの?

912 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 18:07:50.16 0.net
秦の馬については、遺骨を調査した論文があった。
ポニーくらいのサイズの蒙古馬だったようだ

25770289 研究成果報告書 - KAKEN
中国殷周王朝における馬匹生産体制の動物考古学的研究

913 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 18:15:43.26 0.net
でも、漢の馬じゃ貧弱すぎて、これじゃ匈奴とは戦えないって話になったのが、武帝の時代なんだよな

てことは、秦の馬もかなり貧弱だったことになる

914 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 19:46:42.11 0.net
まあ匈奴も蒙古馬だし

915 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 21:26:01 ID:0.net
デフォルメされてる兵馬俑とリアルの秦馬は違うだろうけど
始皇帝の兵馬俑見ると、まあ確かにポニー感はある

916 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 21:36:50 ID:0.net
兵馬俑はリアルの秦馬な
兵馬俑すら見た事無いのか無知無知くんは

917 :世界@名無史さん:2020/05/30(土) 22:05:07.64 0.net
秦を見習って、漢や唐も地下にリアルな模型を残してほしかったな

918 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 09:53:00 ID:0.net
俑がリアルの兵馬って、さすが煽り荒らしのわ君と言うべきか…いい加減だ
おそらく生産性や技術的な都合で秦俑もいろいろ簡略化されてるのは兵馬俑見たことあるなら分かりそうなもんだが?

919 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 11:26:00.39 0.net
無知無知くん兵馬俑すら知らず

920 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 15:10:33.97 0.net
兵馬俑って一体一体顔が違っていて当時の兵士たちの姿を忠実に模写したものと言われているけど
当初は全身が彩色されていて本物の武器が飾られていた
武器の方は朽ちてしまったから現在残る兵馬俑は丸腰なわけ

921 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 15:16:29.67 0.net
兵馬俑は髪の結い方まで正確に描写されていてな
それをもとに当時の秦兵の髪形を忠実に再現した人がいるぐらい
https://www.cyber-u.ac.jp/about/pdf/bulletin/0003/0003_05.pdf

922 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 15:31:33.59 0.net
殷の時代には、本物の人間を生き埋めにしてたんだよな

秦になると、人間の代わりに兵馬俑を埋めるようになった

923 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 16:52:46 ID:0.net
郡の中心は郡治だけど、県の中心って何て言うんだっけ?

924 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 22:26:31.26 0.net
兵馬俑って2mを大きく超えた兵士とか居て
やっぱりなんだかんだでデフォルメやら何やらされてるよね

925 :世界@名無史さん:2020/06/01(月) 00:29:42 ID:0.net
兵馬俑のモデルはエリート兵士で平均身長高い

926 :世界@名無史さん:2020/06/01(月) 16:30:31 ID:0.net
兵馬俑の顔は黄色人なのは間違いない
実物に近い作り物だと思う
日本の埴輪のようなホンワカした感じの作りじゃないね
って日本は昔からゆるキャラの作り方してるけどw

927 :世界@名無史さん:2020/06/02(火) 00:51:47.83 0.net
ゆるキャラ(遮光土偶)

928 :世界@名無史さん:2020/06/16(火) 22:07:35 ID:0.net
山の民はボウガン撃つべきだったのでは

929 :世界@名無史さん:2020/06/26(金) 18:43:23.40 0.net
>>924
一体二体の話ではなく下級兵卒タイプから将校タイプまで五千体以上いるのに平均が180超えらしいね
体格が戦国期の人骨はもとより現代の華北中国人男性より一回り二回りデカいのは明らかに不自然

そもそも木や青銅の武器がある一方で鎧は石製や土製
(たぶん重心が高いと倒れるから)下半身デフォルメの傾向がある以上
兵馬俑は実物同然ってのは非現実的ですし

930 :世界@名無史さん:2020/06/27(土) 20:25:14 ID:0.net
また無知で愚昧な無知無知くんが妄想垂れ流し

931 :世界@名無史さん:2020/06/28(日) 05:47:07 ID:0.net
わの人って先秦は不得手なのか
すぐに定型句荒らしになっちゃうな(まあ他時代のスレでも似たようなもんだが…)

932 :世界@名無史さん:2020/06/28(日) 10:36:04 ID:0.net
無知無知くんが兵馬俑すら知ら無い不勉強で無知な頭アベと確定したから
具体例で反論しない限り妄想垂れ流しでしかない現実は否定出来無い

933 :世界@名無史さん:2020/06/29(月) 05:40:47.72 0.net
未完成坑含めれば一万体近い規模になるであろう兵馬俑
その将兵の平均的サイズは180p前後に達する、これはリアル秦人にしては大きすぎね?

これ、兵馬俑とリアルの兵馬には違いがないと主張するばかりの「わ君」よりは具体性があると思うよ

934 :世界@名無史さん:2020/06/29(月) 21:04:02 ID:0.net
いや無いよ
怠惰で不勉強故に歴史知識に極めて乏しく兵馬俑すら内実を知ら無い無知無知くんの妄想垂れ流しでしかない
兵馬俑のモデルは選抜兵

935 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 00:07:39 ID:0.net
>>934
それはどのような証拠や論文に基いたお話ですか?

936 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 07:11:50.44 0.net
兵馬俑の発掘報告でも善いし概要書でも善いし何ならエンタメ向け書籍でも善い
兵馬俑に関する本なら書かれてる常識

937 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 12:54:13 ID:0.net
>>935
わ人は頭おかしいので聞くだけムダです
おもしろい話が返ってきた試しがない

938 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 13:08:03 ID:0.net
>>931
いつも同じだ

「史書に書いてあることは真実だ、書かれていないことは妄想だ」
と、ひたすら繰り返すだけ

939 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 17:09:33.82 0.net
項羽と劉邦 ドラマ見てるが途中まではダルかったな
韓信が活躍しだして面白くなったが

940 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 19:14:02.70 0.net
>>939
途中までダルいのは、中国の時代劇にはよくある

演出や構成上、あんまり細かい計算はしていない

941 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 21:57:54 ID:0.net
中国の歴史ドラマは長い

942 :世界@名無史さん:2020/06/30(火) 22:53:18 ID:0.net
>>938
妄想を裏付ける物が何も無いからな無知且つ蒙昧な無知無知くんの妄言は

943 :世界@名無史さん:2020/07/01(水) 02:10:41.91 0.net
>>940
>>941
まぁ長いよね
ただ三国志はあっという間に見た

944 :世界@名無史さん:2020/07/01(水) 02:14:12.73 0.net
三国志のドラマは最初からシナリオどおりやってるけど
項羽と劉邦なんかは最初の話はオリジナルストーリー入れてるから
歴史を知ってる人から見ると違和感あって駄目になるんじゃないかな

945 :世界@名無史さん:2020/07/01(水) 05:58:33 ID:0.net
>>913
時代は変わるが赤兎馬はモンゴルの馬なん?
呂布はモンゴルの血入ってたんだよね

946 :世界@名無史さん:2020/07/01(水) 06:00:37 ID:0.net
昔の名馬は今で言えばポルシェやフェラーリみたいなもんか

947 :世界@名無史さん:2020/07/01(水) 21:01:11.90 0.net
>>929
>一体二体の話ではなく下級兵卒タイプから将校タイプまで五千体以上いるのに平均が180超えらしいね
>体格が戦国期の人骨はもとより現代の華北中国人男性より一回り二回りデカいのは明らかに不自然

中国の平均身長の分布を見ると東北三省と山東省が平均176〜178pで内モンゴルや河南や山西省が174〜176pなので一回りってほどではないね
https://naglly.com/archives/2018/12/average-height-of-asian-males.php

長平の戦いの戦死者を埋葬したものである永禄骨坑の発掘調査資料によると発掘調査から得られた統計では身長は最低161.2p、最高184p、平均170.6p
http://www.shanximuseum.com/Uploads/Picture/2019/03/12/u5c8763f93b377.pdf

意外なことに日本人と違って劇的な体格の変化は見られず数p身長が伸びただけで華北の中国人男性の身長は戦国時代からあまり変わってないってことになる

948 :世界@名無史さん:2020/07/02(木) 00:26:05 ID:0.net
そりゃそうだろ、鎌倉時代まで奴隷と貴族しか在らず、室町時代に漸く春秋期中国レベルの生活水準に成ったんだから

949 :世界@名無史さん:2020/07/02(木) 01:13:47 ID:0.net
>>946
最強戦車、最強戦闘機

950 :世界@名無史さん:2020/07/03(金) 06:31:44 ID:0.net
中国史 というか世界史でも韓信がすごく好きなんだが
中国でも人気あるんか?ドラマチックな人生だよな
あのへんは記録が曖昧なことも多いからどこまで本当かわからんが

951 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 00:44:33 ID:0.net
>>948
てか維新以降の最近
150年ぐらいの体格の
向上が目覚ましいんだよな。
江戸時代とかは
平安とか鎌倉より小さくなってる。

952 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 01:45:33 ID:0.net
日本人だけでないみたい
オーストラリアに殖民を始めたころのイギリス人の家、ドアの高さが小人なみ
世界的に食糧事情がよくなった

953 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 05:36:50 ID:0.net
>>948
んなわけあるかいな

日本ほど、米と魚がふんだんにとれる魚米の郷で、生活水準が大陸より低いわけないだろ

954 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 06:01:22.52 0.net
江戸時代に身長が減ったのは米偏重で無理矢理人口増やしてほとんどの人が米ばっか食ってたからじゃない?

955 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 06:46:34.47 0.net
庶民が墓に入れるようになったからだよ

956 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 07:23:32 ID:0.net
>>955
墓にこだわるのは儒教社会の特徴

957 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 07:58:43 ID:0.net
古代ローマ人は墓にこだわったらしいが…

958 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 08:11:32 ID:0.net
>>957
古代ギリシャ・ローマ人の信仰に従えば、霊魂は現世と異なった世界へ行って死後の生活を営むのでなく、地下において生活を続ける。
そこで埋葬は大変に重要な儀式であった。埋葬の儀式は遺体を墓所に葬ると同時に、魂も同じように葬ることと信じられていた。
そのため、葬儀の終わりには、故人の俗名を3度呼び、そして「おすこやかに」と3度繰り返した。墓石にも、「誰々がここに憇う」と書かれた。また、故人のために衣類や武器などを一緒に埋葬した。
そして、死者のためには食物が供えられた。墓をもたない霊魂には安住の地がなく、ついには怨霊となってしまうという信仰があった。

959 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 08:16:57 ID:0.net
次スレ

秦漢帝国 三

http://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/whis/1593904535

960 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 08:22:59 ID:0.net
>>953
支配者が無能且つ貪乱だからな

961 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 12:21:49.56 0.net
>>959
なにこれ?

962 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 15:11:25.19 0.net
一般庶民は、竪穴式住居に住んでいた

963 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 15:12:04.85 0.net
道具は、土器や青銅器が中心だった

964 :世界@名無史さん:2020/07/05(日) 20:41:34.42 0.net
>>952
13植民地時代のアメリカ白人の平均身長が174p程度だっけ
現代の白人からしたら「小人」だけど日本人から見るとそれでも十分にデカい
飽食の日本の現代人が食糧事情がはるかに劣る中国人に身長負けてるぐらいだしいくら生活環境が良くともチビの遺伝子には勝てない

965 :世界@名無史さん:2020/07/06(月) 21:46:43.28 0.net
始皇帝陵の中心部はいつ発掘するんだよ
まさか罠を警戒してる訳じゃないよね?

966 :世界@名無史さん:2020/07/07(火) 19:20:55 ID:0.net
秦国の本拠地周辺で埋葬されている遺体から、
西洋人のDNAを持った人が発見されている。
また当時、ローマ帝国は大秦と呼ばれていた。
秦の始皇帝の一族はローマからの移民ではないか。

967 :世界@名無史さん:2020/07/07(火) 19:28:57 ID:0.net
ローマより漢の方が豊かと言われてるけど
庶民の生活もローマより上なんですよね?

968 :世界@名無史さん:2020/07/08(水) 20:46:50.50 0.net
当然

969 :世界@名無史さん:2020/07/11(土) 20:57:43 ID:0.net
>>966
秦の兵馬俑とかみんなコテコテのモンゴロイドなんですけど
>>967
どのあたりまでを「庶民」と呼ぶかだけど秦には古代ローマのような劇場や闘技場、浴場やストア、体育館といった公共の娯楽施設は何一つなかったので
豊と言えば豊かだけど庶民の生活自体は何の娯楽もない退屈なもんだったと思う

970 :世界@名無史さん:2020/07/12(日) 20:21:07.88 0.net
劇場は漢代の流行だから郷村の広場くらいかな

971 :世界@名無史さん:2020/07/12(日) 20:28:21.03 0.net
権力者のモニュメントはあっても市民の公共施設は近代に入るまでからっきし無いのが中国含めて東アジア圏の伝統だから
アンフィテアトルム、ギュムナシオン、ストア・ポイキレとかローマのどんな田舎町でも発掘されてるけど
中国だと咸陽、長安にすらそんなもの見つかってないでしょ

972 :世界@名無史さん:2020/07/12(日) 20:55:35.84 0.net
酒場とかがあるんでしょ

973 :世界@名無史さん:2020/07/12(日) 22:58:00 ID:0.net
>>971
発掘されてるよ、当たり前だけど。後ろ2つは設備不要だし
苑は貴族の所有だけどね
碑文は早くに減少したけど始皇帝も各地に彫らせてる、陶俑も一般的な芸術品

974 :世界@名無史さん:2020/07/13(月) 20:09:47 ID:0.net
戦国春秋から秦代までは庶民の姿は本当に見えんな
前漢代の塩鉄論に入ってようやくちょびっと見えてる程度
オリエントや古代ギリシャローマと違って庶民の残した一次史料もなければ
史記や漢書といった年代記でも等閑視されているので当時の庶民生活は本当に復元不可能

975 :世界@名無史さん:2020/07/13(月) 23:11:33 ID:0.net
陶俑も一般的な芸術品

976 :世界@名無史さん:2020/07/15(水) 22:19:25 ID:0.net
漢長安城の配置図
https://xuetui.files.wordpress.com/2012/07/e6bca2e995b7e5ae89e59f8e.jpg
最近の発掘結果だと武庫の南は丞相府で明光宮の北は高帝廟だったことが分かってる
つまり長安城のほぼすべては宮殿群で占められていて庶民の生活空間はない
では二十数万に及ぶ長安城民はどこに暮らしていたかというとどうも城外それも城の北側にある渭河南岸に住んでいたらしい

977 :世界@名無史さん:2020/07/15(水) 22:40:58 ID:0.net
最近の(8年前)

978 :世界@名無史さん:2020/07/19(日) 07:37:29.22 0.net
ドイツあたりでは米食が極東アジア人のからだが大きくならない理由で
たしかに米食の多い中国南部は北部より小さいし
ベトナムや日本は小さい
WHOも日本の米偏食を改めてを粉食に訂正するようにしたほうが胃がんも
減るしバランスもいいと毎年勧告してるが日本政府は完全に無視しニュースにもならない


江戸時代の千葉の漁師の子供がムキムキ筋肉で農民は貧弱だったように
たんぱく質の取る比率は欧米とくらべものにならず
さいきんは氷河期の子供が増えてきたせいか極端に小さいものも見受けられるが
米食のわりに日本人の身長は健闘してる方とはいわれる
中東インドよりすこし大きい
これはインド中東が極端に運動やらスポーツを嫌うこともある

979 :世界@名無史さん:2020/07/19(日) 08:17:06.64 0.net
単純に暑熱で湿気た地方は平均身長低く寒冷地わ逆

980 :世界@名無史さん:2020/07/19(日) 09:13:44 ID:0.net
んな馬鹿な

モンゴロイドって極寒の北ユーラシアで寒冷地適応した人種だぞ

981 :世界@名無史さん:2020/07/19(日) 09:47:25 ID:0.net
米偏食は消化が悪いので胃にながくのこり胃がんの原因だとする
また確かに成長に悪影響もあるかもしれない

パンのように炭水化物の消化がはやければそれだけ血糖が上がりインシュリンが
ドバドバ出るから。インスリンは成長に大きい要素でもある

982 :世界@名無史さん:2020/07/19(日) 10:22:13 ID:0.net
>>980
モンゴルや南シベリア人は平均身長高めだぞゴミ

983 :世界@名無史さん:2020/07/27(月) 08:25:11.19 0.net
>>965
米中関係が劇的に悪化していったら、目眩ましに発掘するかもね。
中国は自分に都合が悪いときに発掘許可出してる感じ。

984 :世界@名無史さん:2020/07/30(木) 16:47:45 ID:0.net
始皇帝の遺骨ってまだ見つかってないのか
ここまで遅いと盗掘されてるのでは?

985 :世界@名無史さん:2020/08/17(月) 22:50:39 ID:0.net
>>978
日本マクドナルド創業者の藤田田は、「肉食・麦食していれば、いつかは日本人も金髪碧眼の白人になる」と唱えた

986 :世界@名無史さん:2020/08/17(月) 23:04:44.19 0.net
ドナルドみたいには成りたくない

987 :世界@名無史さん:2020/08/17(月) 23:11:27 ID:0.net
>>985
完全に地理的条件
食生活は関係ない
https://i.imgur.com/jKgSBJ0.jpg

988 :世界@名無史さん:2020/08/19(水) 22:16:38 ID:0.net
>>978
パキスタン人やイラン人がノッポなのを知らないとはカッペ丸出しだな

989 :世界@名無史さん:2020/08/20(木) 16:41:41 ID:0.net
アフリカ・ケニアのマサイ族も長身

990 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:28:49.43 0.net
科挙の試験の目的は、これまでに何度も説明してきたように、公用通信文や公文書に用いられる漢文を、古典に基づいて正確に筆記できるか―科挙が求めているのは、ひたすら文章作成能力であった。そして、その文章作成において、模範文例集として採用されたのが儒教の経典(いわゆる四書五経)とその伝統的な注釈であった。そんなわけだから科挙に儒教の経典が採用されたからといって、受験生も試験管も儒教の教えを信じているわけではない。あくまでも、四書五経は彼らにとって漢文作成のためのツールなのである。

991 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:29:12.13 0.net
しかし、何事においても建前と本音がある。本音では四書五経はツールであっても、建前としての科挙の受験者は儒教徒になることが求められた。科挙の試験を受ける者はみな孔子廟に行く習わしがあり、形式的ではあるが、そこで孔子様に弟子入りするという手続きを取ることになっていた。儒教は信仰の対象としてではなく、科挙の試験の出題範囲としてのみ生き残ったわけである。

992 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:29:29.60 0.net
ここで重要なのは、漢人・漢族と言っても彼らの言語は多様で方言というよりも別の言語と言ったほうがいいほど離れている場合もある。

993 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:30:29.51 0.net
ここで重要なのは、漢人・漢族と言っても彼らの言語は多様で方言というよりも別の言語と言ったほうがいいほど離れている場合もある。

994 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:30:46.79 0.net
これらの人々は実は話し言葉ではなく漢字で繋がっている。春秋戦国時代までは同じ意味の漢字でも様々な形の物があったが、秦の始皇帝が焚書をして漢字を統一したおかげで、この漢字によって大陸の人々は意思疎通できるようになった。

995 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:31:05.18 0.net
しかし昔は文法というものが無いのでどうしたかというと、四書五経に頼った。つまり儒家に頼った。

996 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:31:29.95 0.net
上で書いたように、儒家は『詩経』『書経』を大事にして暗記するほど読み込んでいた。隋の時代には他にも宗教があったが、漢字・漢文に秀でていることに関しては儒家が他を圧倒していた。そしてテキストも普及していて、且つ、整理もされている。こうして科挙のテキストとして採用されることになった。

997 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:31:59.23 0.net
さて、時代は下って宋の朱子学(性理の学)について。

998 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:32:13.75 0.net
この「新儒教」を確立したのが、朱子学の大成者・朱熹であった。宋代に誕生した朱子学は儒学の一派であると言われているが、それは事実ではない。その証拠に、朱子学では孔子が一度も語ったことのない宇宙論、陰陽論が扱われている。これはもともと道教の思想である。

999 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:32:59.52 0.net
しかし、朱熹はなにもイカサマをやろうとしたわけではない。当時においては、儒・道・仏の三教を厳密に区別する習慣はなかった。むしろ、この三教を同時に取り扱うのが当たり前だったのであり、儒教を歪めたという意識は彼らにはなかったことであろう。

1000 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:33:21.88 0.net
現代に至り、純粋化されたと考えられている儒教にしても、道教的な要素がひじょうに大きく残っている。例えば儒教の気の哲学には、理と気の二つの原理があるとされているが、これも道教が基本になっている。また、陰と陽が混じり合っていることを示す太極図も道教からきたものである。

1001 :世界@名無史さん:2020/10/09(金) 07:33:35.59 0.net
このように、儒教の基本的な体系と信じられていることの多くが、実は道教を起源としているのである。

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