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【クラシックの迷宮】 片山杜秀 7 【パンドラの箱】

697 :名無しの笛の踊り:2020/05/27(水) 21:04:08 ID:4klV0ELU.net
>>694
>>668
>日本的なるものというのがクセもののように思います
>江戸時代まで日本は諸藩が分立していたわけですから
>岡倉天心がいうアジア的なものというのが実態空疎であったように日本的なものの実態も空疎なものかもしれないと思います

江戸時代において藩は国だが、その国というのは律令制で成立している国であることも理解していないようなのは教養ゼロの下層民。
(経済的下層という意味では無い。知的関心がゼロという意味)

「そのような下層民をクラシック音楽はそもそも相手にしていない。」

能のような中流以上の楽しみでなくても、寄席や歌舞伎を楽しみ、十返舎一九のような娯楽本を読める庶民は、
海の外に唐土、天竺、朝鮮、魯西亜があるが、我が日ノ本には都にミカドがいる事くらいは分かっている。

マルクスシンパなる「逆立ち人間」がアソシエーションを脳内夢想したところで大衆は全く付いてこず纏まるはずもなく、挙句にルンプロとして罵倒し、蔑むのがオチである。

オルテガは民主主義の時代のノブリス・オブリージュを強調した。ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
これが私の言う「逆立ち」の意味である。マルクスはヘーゲルが転倒しているというが、マルクスが逆立ちして見ているのである。
視点を変えて世界を見るくらいの意味はあり、そこには社会科学は成り立つが、「逆立ちの革命」は成り立たない。
大革命はいずれにしろバークが予言した通り、「火と血によって浄化されるべき転生を通り抜け」る羽目に陥るのである。

私の傾倒した高校の英語教師は、「君たちはおそらく社会のいわゆるエリートになる。しかしエリートにはノブリス・オブリージュが必要だ」という事を授業中に言った。

クラシック音楽というジャンルは、技術的に高度に組織化された音響になるものであり、また精神的に微細さのあらゆる階調を感じ取る心が必要なのである。
良き意味での市民に開かれる事はあっても、大衆には「鑑賞」する事が不可能なジャンルである。
クラシック音楽が、いわば音組織の貴族主義である事をやめたら、もはやそれはクラシック音楽ではない。

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