2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

弥生人は華南から来た

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/18(水) 08:44:19 ID:yEYEuBZ4.net
雲南省には、日本のルーツがある。

民俗学とか文化人類学では常識で、中国のほとんどは違うんだが、雲南に限っては照葉樹林帯で、日本とも共通した照葉樹林帯文化のまっただ中です。

お茶を仕入れに行った北條さんは、雲南省で「800年前の茶畑」の遺跡を発見したというんだが、今では、放置されたまま、茶樹が茂るジャングルみたいになっているそうだw 

日本にいつ、「お茶」がもたらされたのかというのは明らかになってない。
偉い坊さんが、というとモカコーヒーみたいだが、仏教とともに伝来したのは「製茶法」と「飲料としてのお茶の文化」であって、チャノキそのものは、それ以前から日本にある、という話もある。

雲南では、チャノキは飲料としてではなく、「野菜」としても使われる。新芽を発酵させて漬物にするというのは、東南アジアでは定番です。文化人類学は、なかなか面白い学問です。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/22(日) 15:42:37 ID:92WkwJOp.net
>>33
じゃあ、じゃねーよw
証拠は?とか甘ったれたガキみたいなこと言ってんじゃねーよ
お前は自分の都合のいい話だけ結び付けてるだけのバカ
そんなのいくらでもできるわ
もう一度オレのレス全て読めよ、読解力のない文盲

弥生人は春秋戦国時代に逃げてきた中国東部の周王朝や呉の太伯の末裔
渡来人は唐の時代にやってきた北朝系の技術者や僧侶など
だから近畿と九州では平均身長が違う

時代背景もろくに知らず安易に弥生人と渡来人をいっしょくたにしてる
馬鹿のお前に歴史を語る資格はない
もう一度小学校からやり直してこい読解力のないバカの文盲め

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/22(日) 15:57:37 ID:92WkwJOp.net
>>33
春秋戦国時代に九州に逃げてきた周王朝や呉の太伯の子孫が今の九州人

唐の時代に近畿にやってきた技術者や僧侶など渡来人の子孫が今の近畿人

九州は周王朝時代の都を意味する地名
太宰府も周王朝の政治の中枢機関の名前
士大夫という役職を名乗ったのも周王朝由来
山口の周防は周王朝由来
広島にはずばり呉が存在する
そのほか、呉服、呉音などいくらでも周王朝や呉の影響は垣間見える

倭国は九州北部と朝鮮半島南部にまたがる海峡国家でその源流は周王朝と呉の太伯
だからチビで倭と呼ばれてたんだよ
ちょうどお前のようになw

近畿はそのころ扶桑国とか呼ばれて倭国とは別種だった
大阪には孔舎衙今の日下と呼ばれる地名がありズバリ日の下からそこが日の本で日本であった
中国の書物には日本は元は小国であったが倭国を滅ぼしたとある

これは北朝系の唐と結託した近畿が、南朝系の後裔の九州を滅ぼして
統一国家としての日本になったのが真実なんだよ
覚えとけクソガキが

総レス数 932
648 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200