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☆★ 邪馬台国は【葛城】である【6】 ★★

1 :日本@名無史さん:2019/11/30(土) 19:39:51 .net
邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。

10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。

これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015年久住編年でもこれが最有力。

そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人としてヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。

わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。

?崇神(310年頃 318年没)
?開化
     ?孝元
          ?孝霊   
トヨ津        ?孝安 ?孝昭
トヨ津   (250年頃)?懿徳 
ヒメ踏鞴        ?安寧
ヒメ踏鞴        ?綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) ?神武 

神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったのである。

つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
※考古学的根拠「国宝」中平銘鉄刀・和邇氏の系図は>>2

194 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 17:54:04.77 .net
>>191
祇園山

みなす説が過去にあったというだけで(今も一部のバカがみなしてるが)、
奴婢埋葬伝承など皆無なので論外。
あとおまえは「そもそもそれっぽい大きさで周りに土坑墓がある墓なんて各地にあって」と言いながら福岡の例しか出してない。
大きさも全然違うし。
また祇園山は土坑墓ではなかったはず。

195 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 17:57:35.56 .net
>>しかし邪馬台国論争は卑弥呼が誰なのかの話ではないなんてヨタ話は初めて聞いた。

>というのなら俺が挙げた小林・佐原・柳田がそれぞれあげた
卑弥呼の比定って誰なのか答えろ

その3人が卑弥呼を誰なのか言ってないなら、
彼らにとって卑弥呼は誰なのか分からないというだけであって、
卑弥呼を見つけてる俺には何も関係ないし、何を言いたいのかな?

196 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 17:58:34.03 .net
>そう言えば三貴神のツクヨミが誰だったのかも聞いてないなw

今は考えてない。思いついたら書くだけ。

197 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 18:06:06.22 .net
>だからその奥山って誰なんだ?
とりあえずお前の知るそいつのプロフとか全部書いてみ?

邪馬台国畿内説スレ立て人のバカ。

>そう言えばお前ってかつてヤフーから追い出されたんじゃなかったっけ?w

それはzarakoku.

>ヤフーのトピがどうだったか知らんが2(5)ちゃんは
スレッドというものはスレ立てた人間の私物じゃないんだ
(だから削除権限も与えられてない)
弁えろゴミクズ

俺の私物だなんて一言も言ってない、ただ俺の立てたスレに変な絡み方をしている事実を言ってる。

>「箸墓が卑弥呼の墓」なんて言ったことは一度もないわ
絡み方が基地外そのものだわこいつ

で、おまえは卑弥呼の墓をどこだと思ってるのかな?
奥山ってやつはくだらない箸墓説を力説してるようだが、君は別人なら答えてみ。

198 ::2021/04/29(木) 18:55:40.15 .net
西落合1-18-18 更生施設けやき荘勤務の柳澤明美という中年女性は勤務中に男性職員に対して
「三万円払うから、肉棒を咥えさせて」と懇願して勤務中にもかかわらず嬉々として肉棒を咥えている
痴女。

199 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 19:07:19.37 .net
>>195
>卑弥呼を見つけてる俺には何も関係ないし、何を言いたいのかな?

ふむふむ要するに卑弥呼の比定が
邪馬台国論争の必須条件なんてのは
お前の単なるオレサマルールであって

むしろ卑弥呼の比定が必須カの如きこそが
与太話だったという落ちだな

オレサマルールを敷いた
オレサマのお城で
オレサマ謹製の与太話を
吠えたいだけのゴミクズ

200 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 19:16:38.10 .net
>>194
>また祇園山は土坑墓ではなかったはず。

ああこれについては訂正するわ
まあ石蓋された土壙墓もあるらしいが

現地看板?
https://kofunmeguriwalking.web.fc2.com/gazou/gionyama2.JPG

>そもそもそれっぽい大きさで
>周りに土坑墓がある墓なんて各地にあってそれぞれ
>「これこそが卑弥呼の墓だ」
>と叫んでる奴がいるわw

上記の「土坑墓」を「徇葬跡」に訂正する
これでいいかな?

201 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 19:22:00.68 .net
>>197
>で、おまえは卑弥呼の墓をどこだと思ってるのかな?
>奥山ってやつはくだらない箸墓説を力説してるようだが、君は別人なら答えてみ。

何処にも比定してない
上でも言ったようにそもそも倭人伝の卑弥呼の墓の記述を疑ってる

まあこれでなんだかんだ喚かれるだろうが
(自分のルール無視されてw)

昔から今に至るまで変わってないのだから
文句言われる筋合いはないwwww

202 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 19:55:37.21 .net
そもそも

「オレサマは卑弥呼の墓を見つけたぞー!」

と喧伝するのならばだ

先ずその墓とやらにそもそも墓としての実態があるのか?
及び年代(卑弥呼の墓というのなら相当タイト)

周りの徇葬跡とやらも伝承じゃなく
実際に人骨とか墓といえる根拠があり

かつ周りの墓と年代が同じであるということを
証明できなきゃ話にならんわ

これでやっとスタートに立てるか?

もっともそんな事立証できれば
リアルで一躍時の人
確実に学術誌に名前が残るだろうがwwwww

203 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:10:44.18 .net
>>199
頭がおかしいのか。

邪馬台国論争は卑弥呼が誰か、どこに住んだかで終わる話。

なにが俺様ルールだバカが。

204 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:15:00.77 .net
>>201
>何処にも比定してない
>上でも言ったようにそもそも倭人伝の卑弥呼の墓の記述,hを疑ってる


魏志の記述が信用できないのなら、そもそも卑弥呼の墓を永遠に比定できないだろ。
それこそ俺様ルールというのだバカ。

卑弥呼がいたのかどうかまで疑って日本史板から退場すればいい。

205 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:17:15.43 .net
>>200
殉葬痕なんてその看板のどこにも書いてないが。

206 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:21:00.50 .net
>>202
>周りの徇葬跡とやらも伝承じゃなく
実際に人骨とか墓といえる根拠があり

それはダメだ、神社の御神域は発掘できない。
なんでも掘ればいいなんて馬鹿の発想。
あと文献から卑弥呼もその墓も分かるので、それでいいだろう。
日本で唯一、奴婢大量埋葬痕跡があるのだから。

だいたい卑弥呼墓はここだという自分の説は一切ない癖に人の説に文句言わないでくれるかな。

207 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:38:29.79 .net
>>204
>魏志の記述が信用できないのなら、そもそも卑弥呼の墓を永遠に比定できないだろ。

うん永遠に分からないで構わない

それでも現実には畿内説ってのは成り立ってる
(お前の言うように高名な先生ですらそれを言ってない)
お前の「オレサマルール」と違う形でだwww

>あと文献から卑弥呼もその墓も分かるので、それでいいだろう。

都合よく考古学的なことを持ち出しておいて
肝心なことは考古学的裏付けなしか

>だいたい卑弥呼墓はここだという自分の説は一切ない癖に人の説に文句言わないでくれるかな。

質問者の資格云々を言うのは単なる逃げ

要するに爺が

「素人は黙っとけ!」

と癇癪起こしてるのと同じやんけwww

208 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:41:39.74 .net
>>207
>それでも現実には畿内説ってのは成り立ってる

これは、側から見ていても痛いw

209 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:46:07.84 .net
>>207
>うん永遠に分からないで構わない

ならばなんで日本史板に居ついてるのかな?

>質問者の資格云々を言うのは単なる逃げ

なにも逃げてないよ。
俺は卑弥呼が誰なのか、墓がどこなのかを日本書紀の記述から見つけ出してるからね。

見つけられない君の俺への嫉妬は充分分かるよwww

210 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:51:23.06 .net
>>207
年輪年代がどうやら年輪セルロース酸素同位体比と齟齬がないようなので、
2世紀末に全国的に土師器が拡散するその震源地である畿内に卑弥呼がいたのは動かしようがない。
だから畿内説が成り立つのは当たり前なんで、だからと言ってお前が偉そうに自慢する事ではない。

211 :きまん:2021/04/29(木) 21:58:39.99 .net
209
バカなんじゃねえのか?
おまえの言ってること正体が一切ないんだよ

212 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 22:10:59.43 .net
>>210
>見つけられない君の俺への嫉妬は充分分かるよwww

自惚れるな

流石に気持ち悪いわ

213 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 22:12:20.88 .net
>>209
>ならばなんで日本史板に居ついてるのかな?

この板、もしくは日本史がお前のオレサマルールじゃないからだよカスw

214 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 23:02:42.61 .net
>>210
>2世紀末に全国的に土師器が拡散する
>その震源地である畿内に卑弥呼がいたのは動かしようがない。

そう言えばこれってどんな理屈だ?

土師器と言えば特徴を聞かれれば

「特徴がないのが特徴(ローカル色減の消失=斉一性)」

と答えるようなもんだが

その斉一性は別にその中心に卑弥呼がいなくても
人や物、文化交流が盛んになることで説明がつくと思うが

土師器と卑弥呼を直結させるなんて初めて聞くし

考えてもその必然性が分からんわ

215 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 23:05:26.57 .net
>>214 続き
ひょっとして例によってつまみ食いで

よく九州説が

「鉄の豊富なその中心地に卑弥呼はいる!」

と言ってるようなレベル・ノリで逝ってないかと思うんだがwwwwwww

216 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 23:59:46.89 .net
鉄の豊富なその中心地に卑弥呼はいるだろ。

217 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 00:30:35.07 .net
鉄と絹と朱と鏃と鏡が豊富なところだろ。
95%以上の確率で福岡県だっけ?

218 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 06:25:07.35 .net
>>212
気持ち悪いのなら来るな、見るな。

な、消えろ。

219 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 06:33:11.12 .net
>>214
>土師器と言えば特徴を聞かれれば
「特徴がないのが特徴(ローカル色減の消失=斉一性)」
と答えるようなもんだが

土師器は吉備の内面削りの影響を受けた畿内土器。
「ローカル色減の消失」って、そりゃ全国に画一的に拡がったからだろうが、アホなのかこいつw

よく九州説が

>「鉄の豊富なその中心地に卑弥呼はいる!」
と言ってるようなレベル・ノリで逝ってないかと思うんだがwwwwwww

皇居や国会議事堂のある千代田区に最新武器はないし、軍事的に千代田区は日本最強の地域ではない。
鉄という素材が出て用が出てまいが王都とは関係がない。
九州は弥生時代から防人の土地。
だから武具に使われる鉄が豊富に出る。

220 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 07:04:47.08 .net
東京には首都にふさわしい設備が整っているが、畿内にはそれがない。

221 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 08:24:03.17 .net
で?
纒向でも葛城でもいいけど、王都に相応しい遺跡はあった?
邪馬台国七万戸の建物の遺構はどこ?

222 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 09:00:39.48 .net
>>219
>「ローカル色減の消失」って、そりゃ全国に画一的に拡がったからだろうが、アホなのかこいつw

リアルで同じことを土器を研究してる専門家に
言って欲しいわwwwwwwwwwww

所詮つまみ食いだな
土師器にしろ自分の与太に使えそうな所しか見ていない

「斉一性」こそが土師器の肝

(それについては上で挙げた京大の小林行雄
(と明大の名前忘れたがw)センセイが有名だが)

たたきとか削りとかの技法が近畿で取り入れられたとして
だからどうしてそこに卑弥呼の存在が必要なんだ?

そんなアホな説は聞いたことがないし
考えたこともないわw

広範な流通の活発化は所謂
「広範な地域に渡る緩やかな首長連合」
の準備が整ったって話

無論いても構わないがいなくても何の不都合もない

じゃあ仮にその様な土器の流れがあって
九州に卑弥呼がいて何処かに矛盾が生じるのか?

223 :きまん:2021/04/30(金) 09:10:11.81 .net
217
それ秦氏が居着いた跡地の痕跡じゃないの

卑弥呼の時代には秦氏おらんよ

224 :きまん:2021/04/30(金) 09:10:42.53 .net
絹がでるならほとんど間違いない

225 :きまん:2021/04/30(金) 09:19:52.14 .net
なんか調べると秦韓に関係ありそおやからな

新羅が台頭してきたことにより秦韓人らはいなくなりすべて日本に渡ったみたいな説もあるからよ

226 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 09:20:23.74 .net
>>221
>邪馬台国七万戸の建物の遺構はどこ?

さあ、無いんじゃないの?
日本中の何処にもwwwwwww

一戸が何人かは色々説のあるところだが
面倒なんで一戸=一人にして人口7万人でも
厳しいかと・・・

吉野ケ里のような大型拠点集落と
その周りの中小集落を合わせて
一つのクニとして想定されてる人口が
約5000人程度だったかな?

7万ですらとてもじゃないが届きそうもない

ましてや>>1物部厨の言う「葛城王朝」なんか
微塵もその姿が見えない

こいつの与太だと時間軸で繋がるなら
その場所の痕跡は無視していいのかもしれんがw

227 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 09:30:44.35 .net
>>226 続き
考えれば>>1物部厨の与太って
東遷説に近いものがある

  A → B

九州から大和であろうが
葛城から三輪であろうが
煎じ詰めればAからBの移動

ならば証明手順としては
A・B双方の実在を確認して
ある時代の移動の痕跡を探す
ところが
Bのゴール地点は大和・三輪と分かってるが
Aのスタート地点があやふや

東遷説 「九州の方から来ました」
物部厨 「葛城の方から来ました」

消化器の押し売り 「消防署の方から来ました」

じゃあ話にならんわwwwwww

228 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 09:46:21.01 .net
>>221
>邪馬台国七万戸の建物の遺構はどこ?

そうそう投馬国五万邪馬台国七万と
里数じゃなくて日数表示の大国の人口が
「 5 7 」と奇数になってるが

これは中国人が 奇数=陽数 を好むからだという説が
あるが自分もこれはありそうだなと思ってる
(要はとてもじゃないが実測に基づくもんじゃなくて
机上の修辞的なもの)

ちなみにだが今に伝わる節句とか
中国由来のものは奇数月日が多かったりする

五節句なら(1/7・3/3・5/5・7/7・9/9)とか

229 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 17:53:31.26 .net
>>221
>纒向でも葛城でもいいけど、王都に相応しい遺跡はあった?

逆に聞くけど何で「遺跡」になるのかな。
崇神天皇の宮跡は志貴御県坐神社という小さな神社だ。

卑弥呼やトヨは崇神の少し前だから、つまり崇神以前の宮跡=神社を探せばいい。
崇神以前の複数の式内・名神大社は葛城にしかない。

だから邪馬台国の王都は葛城だ。

掘って遺跡が出ないといけないなんてバカの発想。

230 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 17:55:55.37 .net
>>227
>Aのスタート地点があやふや

>>229に書いた。
崇神以前の式内名神大社が葛城にしかない。
王都の証だ。

231 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 18:00:48.16 .net
>>222
>たたきとか削りとかの技法が近畿で取り入れられたとして
だからどうしてそこに卑弥呼の存在が必要なんだ?

たたきとか削りとかの技法が近畿で取り入れられた後、
画一的に全国に広がると言ってるのだ。
池に石を投げればそこから波が広がるのと同じで、
その中心地域に女王がいたと考えるのは自然。
だから考古学者で九州説なんていなくなった。

232 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 18:04:13.63 .net
>>226
>ましてや>>1物部厨の言う「葛城王朝」なんか
微塵もその姿が見えない

全国最大級の水田跡がでた御所市の中西遺跡で王都の存在が説明できないのなら、
その他の地域で王都は全く説明できないことになる。

233 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 18:07:40.74 .net
>>220
福岡のような海の向こうに異民族がいる地域に王都はない。
子供が考えてもわかる。

234 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 21:29:28.90 .net
福岡は海の向こうも狗邪韓国と言って倭人の領域だった。
そして弥生文化は福岡から全国に波及した。

235 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 01:07:05.66 .net
>>231
>たたきとか削りとかの技法が近畿で取り入れられた後、
>画一的に全国に広がると言ってるのだ。
>池に石を投げればそこから波が広がるのと同じで、
>その中心地域に女王がいたと考えるのは自然。

幼稚あるいは牽強付会

上に書いたようにそこに権力者がいてもいいが
いなくともいい、いなくとも全く不都合がない

土器の拡散の中心に権力者がいるなんて
ロジックなら

じゃあ須恵器なら初期に九州や畿内・瀬戸内
に現れその後拡散するが5世紀頃だと
窯跡が特に東海に多く見られるから

九州→畿内→東海と東遷説を展開するか?

あと土師器に関しても畿内のものが
北部九州に行ってたりするが
東海の方へはあまり行っておらず
逆に東海の土器は畿内に多く流れ込んできてる
土器の西進・一方通行とでもいうか
(纏向の搬入土器における東海系の多さでよく知られる所)

まあこの辺はお前にとって物部与太のネタになるかもしれんが
この西への一方通行で権力に直結させるような人間もいない

236 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 01:24:54.32 .net
>>231
>その中心地域に女王がいたと考えるのは自然。
>だから考古学者で九州説なんていなくなった。

あー、、、、

悪い事言わんから恥をかきたくなかったら
今後もう言わないほうが良いぞwwwww

まあ傍証材料の一つぐらいには取り上げるだろうが
(上で「いてもいなくても良い」としてるのはその意味)

一番大きな契機はやはり年代観の変化
・・・と書くと九州説の連中は脊髄反射的に
「年輪年代」を持ち出してくるんだがw

今では考えられないだろうが
昔は近畿と九州で年代観が違ってた
それが是正されてリンクした・・・これが最大

 近畿「邪馬台国は弥生最後のクニ」
 九州「え?いや邪馬台国の時代なんてもう古墳時代だろ」
  ↓
 近畿・九州の年代観のすり合わせ

237 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 01:33:08.84 .net
>>236 続き
ちなみに

上で畿内説の代表的な学者として
京大の小林・佐原と同時に柳田の名前を上げてあるのは

特にその九州と近畿の年代観のすり合わせで重きをなしたからだ

まあこの辺説明すれば長くなるし
自分自身先生として他人に教えられるほどの知識もないが

少なくとも土師器の拡散で畿内説が成り立ってるとか
本当に産まれて初めて聞いたwwww

考古学における土師器の生みの親?と言っても良いかもしれない
小林からしてもそんな事言ってなかったと思うがw
(一番は椿井大塚山古墳からの三角縁神獣鏡の研究)

238 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 01:45:59.20 .net
>>232
>全国最大級の水田跡がでた御所市の中西遺跡で王都の存在が説明できないのなら、
>その他の地域で王都は全く説明できないことになる。

水田跡ねえ・・・

それで王都の説明になるのなら
盆地北部奈良市内から弥生前期の水田跡が出てるぞwww

 弥生前期とみられる水田跡 平城京前史探る資料
 https://mainichi.jp/articles/20160624/k00/00e/040/220000

ちなみに欠史八代最後開花の墓は奈良市内ということになってる
(ついでにいうと崇神の次垂仁も墓は盆地北部)

これもまた自分の与太にねじ込むかね?www

兎に角自説に都合の良さげな材料をつまみ食い
切り取りしての継ぎ接ぎ

下手すりゃ俺みたいな初心者素人から見ても
恥ずかしいできの悪いコラ・パッチワーク

239 :きまん:2021/05/01(土) 06:50:06.25 .net
ならねえのか?

240 :きまん:2021/05/01(土) 06:50:18.23 .net
ならねえのか?

241 :きまん:2021/05/01(土) 07:58:38.70 .net
水田跡が王都にならないのかな?

242 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 10:37:00.29 .net
>>235
>奥山

>上に書いたようにそこに権力者がいてもいいが
いなくともいい、いなくとも全く不都合がない

権力者がいてもいいがと言ってるわけで、
王がいることの反論になってない。

>じゃあ須恵器なら初期に九州や畿内・瀬戸内
に現れその後拡散するが5世紀頃だと
窯跡が特に東海に多く見られるから

須恵村は須恵器の最古から最終まであり続けているだろ。
地方に分散したとて中心は畿内であることに変わりない。

>あと土師器に関しても畿内のものが
北部九州に行ってたりするが
東海の方へはあまり行っておらず
逆に東海の土器は畿内に多く流れ込んできてる
土器の西進・一方通行とでもいうか
(纏向の搬入土器における東海系の多さでよく知られる所)


ウマシマジと天香久山が東海北陸を征している。
その後、東海北陸土器が増える。
何も問題なし。

243 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 10:38:48.52 .net
>>236
奥山

何を言ってるのか分からないし反論になってない。

244 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 10:44:35.07 .net
>>238
>水田跡ねえ・・・
それで王都の説明になるのなら
盆地北部奈良市内から弥生前期の水田跡が出てるぞwww

大きさの問題。
米は江戸・明治まで誰でも食べれたわけではない貴重な食糧。
葛城に全国最大級の水田跡があることは「王家の食卓」を意味する。
それは神武から孝安まで葛城に宮があったことと矛盾しない。
その神武以前の宮も葛城にある。
魏志に書かれた「其国の男王」がいたわけだ。

奥山が大好きな纏向遺跡には2世紀前半の「其国の男王」がいないねwww

245 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 10:51:22.44 .net
>ちなみに欠史八代最後開花の墓は奈良市内ということになってる
(ついでにいうと崇神の次垂仁も墓は盆地北部)
これもまた自分の与太にねじ込むかね?www

俺は葛城王朝の話をしている。
「天皇(もちろんそんな称号はないが」でいえば6代孝安までが葛城。
7代孝霊以降は、孝安と同時に存在したと思っている。
それは先代旧事本記で崇神時代のタケモロズミが5代孝昭時代に大臣を務めたとあることでもわかる。
記紀では時代を長くする意図があるため、全部父子継承ににしているが、
崇神から神武まで遡ること5世代ないし6世代であろう。

246 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 21:45:11.18 .net
>>242
>権力者がいてもいいがと言ってるわけで、
>王がいることの反論になってない。

お里というか知能が知れるな

「必要条件」「十分条件」の違いが分かってない
基になる集合論って小学校じゃなかったか?
遅くとも中学校の義務教育の中だったはず・・・

>2世紀末に全国的に土師器が拡散するその震源地である畿内に卑弥呼がいたのは動かしようがない。

↑と馬鹿が馬鹿が何処かで土師器の拡散を見て
我が意を得たりとつまみ食いして
欣喜雀躍して飛びついていい切っちゃったわけだwww

動かしようなんていくらでもある

じゃあその中心にいたのが優秀な職能集団だったらどうする?

百歩譲って権力と結びつけても
別に卑弥呼じゃなくても男王でもいいし
個人でなくとも集団でもいい

それをこの馬鹿は
卑弥呼がいたのは動かしようがない。」
「と言い切っちゃってる

精々が状況証拠の一つであっても
これで卑弥呼の存在なんて導き出せるもんじゃない

馬鹿にはそれが分からない

247 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:01:24.29 .net
>>246
>権力者がいてもいい

これはお前の発言だ。

>じゃあその中心にいたのが優秀な職能集団だったらどうする?

歴史上、そのような集団は王権が抱える。
例えば渡来系の秦氏、西文氏、東漢氏、今来才伎、
彼らが王権の場所を素通りし、勝手に住んだ歴史はない。

248 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:31:35.25 .net
>>244
>葛城に全国最大級の水田跡があることは「王家の食卓」を意味する。

意味しない

それで分かるのはその規模の水田を作り維持できた
人口があったことで

それを一々「王家」に直結させるのは馬鹿のやること

トータルの労働力が同じであれば

 A(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)(集団)

 B(             集  団 (中心に王)                 )

…どっちでもいいわけだ

学者であろうが俺みたいな素人であろうが
大規模な水田跡を王家に直結させたら
「馬鹿か?」と言われるのが落ち
だから新聞発表も欠史八代だの葛城王朝だの
飛ばさないw

これも王権構造の出現の条件にすぎないし

三輪と葛城の位置(空間)の違いを無視して時間でつないで
今度は葛城でくくって時間を無視して弥生前期と後期をごちゃまぜ

249 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:40:18.34 .net
>>247
>歴史上、そのような集団は王権が抱える。

じゃ銅剣やあ銅鐸その他の青銅品を制作した
人間は王権構造の中にあったということになる

土器や金属、なんなら木器や石器でも
技術革新が見られれば全て王権につながる

もう人類の文明の発生から王権だらけだ
馬鹿馬鹿しい

王(権)の存在があれば
そこに技術集団が寄っていくのは必然だろうが

技術と王権が必ずセットなんてことはない

250 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:47:36.69 .net
>>248
>意味しない
それで分かるのはその規模の水田を作り維持できた
人口があったことで
それを一々「王家」に直結させるのは馬鹿のやること


中西遺跡より小さな水田跡では全く王権を説明できないという事になるがそれでいいんだな?

>三輪と葛城の位置(空間)の違いを無視して時間でつないで
今度は葛城でくくって時間を無視して弥生前期と後期をごちゃまぜ

スサノオ=帥升が2世紀初頭。
それ以前からの歴史が葛城にはある。

お前の大好きな纏向遺跡にはそれがないwww

251 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:50:34.38 .net
>>249 追加
実例として「吉野ケ里」

青銅やガラスと言った優れた技術を有し
地域の一大工業センターと言われたりもするが

それでも「王権」には届かない

北墳丘墓に眠るのは上位クラスの集団であり
「個人」ではない

上下の社会構造を見ることはできても
そこから一段突出した「王」の存在を見ることはできず

弥生時代の九州でも
墳丘一つを個人がしめ
副葬品もそれなりのものが出てきてるとなると
玄界灘周辺地域(手っ取り早く言えば伊都国・奴国あたり)
に絞られる

悪筋だとは思うが文献との合わせ技なら
せめて年代は合わせよう

252 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:51:43.06 .net
>じゃ銅剣やあ銅鐸その他の青銅品を制作した
人間は王権構造の中にあったということになる


その通りだが?
銅鐸は主にBC3世紀ころ出雲から畿内に移動。
銅剣は九州瀬戸内に配置。
これは海の向こうで「秦」という超巨大帝国ができたゆえの防御であろう。
白村江の敗戦後の防衛体制と全く同じ。
銅鐸は勿論、銅剣も王権構造の中にあったということになる。

253 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 22:54:22.91 .net
>>250
>中西遺跡より小さな水田跡では全く王権を説明できないという事になるがそれでいいんだな?

で?基準は?

何ヘクタールでその臨界点になるんだ?
数値と根拠を言え

言っとくが別に無理難題をふっかけてるわけじゃないぞ

話は奈良盆地だけじゃ済まない

ある一定以上の水田耕作跡だと王権を探さなきゃならんからな

254 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 23:05:00.96 .net
>>250
>お前の大好きな纏向遺跡にはそれがないwww

それで鬼の首をとったつもりなのか?

馬 鹿 す ぎ る わ こ い つ 

「纏向にそれ(大きな水田跡)がない」も何も
纏向と言えば一次産業の痕跡が希薄なことが
その特徴なんだが?
(巷間言われる搬入土器の多さは何も纏向の専売特許でない)

そんなことすら知らず纏向がどうのこうの
ほざいてたのか?

こんな事は基本の基本の基本
本当に幼稚なだこの馬鹿

九州説によくいるような
「ボクの ○○は いっぱい もってるんだぞ だから えらい」
ってほざいてるガキと同じレベル

全ては自分の与太を中心につまみ食いしてるだけ
    
         キリトリ
         ↑  ↑
 キリトリ←(葛城王朝)→キリトリ
         ↓  ↓
         キリトリ

255 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 23:21:47.32 .net
>>252
>銅鐸は勿論、銅剣も王権構造の中にあったということになる。

ならんよ

そんな和辻哲郎の理論よろしく
列島に2つの同心円を描いてた時代じゃあるまいし

銅鐸も後期の巨大化した所謂「見る銅鐸」は
東海地域に多く見られるようになるが
じゃあ出雲が東海地域に進出?
何れにせよ青銅品を王権で括ろうなんてしたら
およそ香ばしいお話を作り上げていくしか無い
馬鹿馬鹿しい

256 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 00:34:46.95 .net
>>250
>スサノオ=帥升が2世紀初頭。

こういうのも「あてはめごっこ」の典型的パターン

こいつも案の定三貴神のツクヨミはほったらかしだったがw

このパターンは他にも多くて
アマテラス=卑弥呼、スサノオ=狗奴國の男王卑弥弓呼卑弥弓呼王
とか言う当てはめは人気だが
美味しそうな2柱はつまみ食いしてツクヨミはほったらかしってのは
実に多い腐るほど見てきたw

実在の帥升が神話としてスサノオになったというのなら
じゃあ高天原を追放された後
ギリシア神話で美姫アンドロメダを怪物から救うペルセウス
の如くヤマタノオロチを退治する英雄譚は如何なる史実の
反映か・・・などと聞くことはいっぱいあるんだがなwww

美味しそうなところだけつまみ食いした残りのことなんか
考えても無いだろうし聞いたところで意味もなし・・・

257 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 06:14:48.24 .net
>>253
>で?基準は?
何ヘクタールでその臨界点になるんだ?
数値と根拠を言え

俺は日本最大級の水田が出たことだけで王権が葛城にあったと言ってるわけではない、
これも一つの証拠だ。
まず記紀で孝安以前神武まで宮が葛城、それ以前にも遡ること。
国宝中平銘鉄刀の和邇氏系図から導き出される卑弥呼とトヨが葛城。

そして大神神社以前の複数の式内名神大社が葛城にのみ集中してる事。
平安・鎌倉の文献で高天原が葛城としか認識されていない事。
その葛城高天原に径百余歩で奴婢埋葬痕跡のある塚があること。

などなど負け犬の君が到底及ばない複数の根拠をもって葛城だと言っている。

ネチネチウダウダうっとおしいのでそろそろ消えてくれないか。

258 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 06:16:53.75 .net
>>255
>列島に2つの同心円を描いてた時代じゃあるまいし

いやその時代の話をしてるのだが。
後期に静岡に集中するのは狗奴国との絡みであろう。

259 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 06:20:52.32 .net
>こういうのも「あてはめごっこ」の典型的パターン

崇神の数十年前にトヨ津媛。
その3世代前にヒメ(蹈鞴五十鈴)后。
その5世代前にスサノオ(帥升)

当てはめごっこに大成功したわけで、お前に文句言われる筋合いはない。

しかもこの3人が住んだ葛城高天原に径百余歩で奴婢埋葬痕跡のある塚を見つけている。

箸墓古墳だなんて言ってたお前には到底到達できない世界だ、雑魚は失せろ。w

260 :きまん:2021/05/02(日) 08:11:52.58 .net
朝廷なんて言ってるやつらおらんからな

ヤマト王権の象徴が天皇って呼ばれたんだろ

渡来人らからは天王と呼ばれた帰来がある

そっから天皇となったんだろ

渡来人の坂上氏なんかは応神天王の御代に日本に来たと言っとるだろ

神に応じるだからそいつらに取り応じた神と呼ばれた天皇だったと言うことよ

261 :きまん:2021/05/02(日) 08:15:00.43 .net
そそ現代の基準で当てはめようってキチガイが多すぎた

262 :きまん:2021/05/02(日) 08:38:48.19 .net
平氏なんぞの場合は自分らの祖先を

平親王〇〇って呼んどる

源氏などの場合は源〇〇王の子孫て呼称しとる

263 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 07:36:20.74 .net
【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】

卑弥呼は年がすでに長大で夫はいなかったが、
卑弥呼の宮に出入りできる唯一人の男がいたらしい。

わしの知る限り、これについてまともに答えてる古代史研究者はいない。
アマテラス説、モモソヒメ説ではこの難問に答えられないであろう。

しかしヒメ(踏鞴五十鈴)后説では答えられるぞ。

それは神武の連れ子・タギシミミだ。

264 :きまん:2021/05/03(月) 09:22:38.08 .net
邪馬台国の話って日本から朝鮮半島にでも出兵する集団でもおったんかの?

265 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 10:33:37.35 .net
近年の歴史学では神武や初期8代など古代天皇をはじめ、ニギハヤヒ、大物主、スサノオ、ことごとくその実在が否定されている。
しかし本当にそれでいいのだろうか。

新井白石や本居宣長の時代には「考古学」という学問すらない。
それに比べ今は膨大な考古学資料がある。

例えていうなら今の学者の筒には3千本の矢が入っている。
3千本もあるのだから、いずれ的に当たるだろうと彼らは己惚れている。

しかし何本矢を放とうが的に当たらない。

とうとう矢を放つことさえやめたような学者もいる。
それは卑弥呼が誰なのか言えない学者である。

考古学資料から崇神天皇がおおよそ4世紀前半に決まりつつある。
ならばその数十年前のトヨを探せばいいのに誰も探そうともしない。

卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという固定観念があるからだろう。

一方、新井白石や本居宣長の時代には筒に矢が1本しかない。
しかし彼らはその1本の矢で見事に的を撃ちぬいた。

その矢とは「倭国王帥升(Shuai sheng )はスサノオではないのか」というたった一本の矢=仮説である。
そして彼らはスサノオの5世代100年後にいる卑弥呼を簡単に見抜いた。

しかしそれは自分の生まれ育ったこの日本の歴史が中国への土下座から始まるという耐えられない屈辱でもあった。。

だからこそ彼らは心にもない九州説を唱えることで「邪馬台国論争を創った」のである。

266 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 13:54:01.21 .net
>>264
魏志倭人伝からは、倭人が内乱に明け暮れている様子が読み取れる。

267 :きまん:2021/05/03(月) 16:32:32.72 .net
さよか

268 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 00:20:21.15 .net
>>258
>>列島に2つの同心円を描いてた時代じゃあるまいし
>いやその時代の話をしてるのだが。
>後期に静岡に集中するのは狗奴国との絡みであろう。

あはは皮肉で言ったつもりだったが通じてない?
悪い悪いwww「時代」ってのはだな・・・

教科書に列島に2つの同心円を描いたものを載せていた
昭和の時代じゃあるまいし・・・って意味だ
以下は今適当に拾ったが

要するに大昔の教科書が↓これで
 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/69/a1059349786e5065e93ea7f55d2c3a29.jpg
今の教科書が↓こんな感じ
 http://yasugawa-iseki.yayoiken.jp/images/tyuuki-symbol.jpg
(最新のものはもっと細分化されてるかな?)

今でも「文化圏」という概念は生きてると思うが
そのきれいな円形の中心に一々王権を見ようなんて
過去のものだな
(ただし銅鐸でその中心に初期ヤマト王権
を見ようとする試みもあるが考古資料はまだない)

九州説の連中で
「銅矛国が銅鐸国を滅ぼしたー」
とわけの分からんこと言ってるのと同じレベル

頭の中の情報イメージ更新しとかないと
万が一リアルで自説といたら中学生にも馬鹿にされるぞ

「(あの爺さん何言ってるんだ?)」とwwwwwwww

269 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 00:30:52.88 .net
>>268に追加

この物部厨の御高説だと
青銅制作にしてもその技術集団は
王の元にいた・・・ってお話だが

銅鐸なんかは個人所有と言うより
集落全体の所有と言う色合いが濃い

銅鐸は墓の中から出て来るのは稀で
一節に「境界祭祀」と言われるように
集落の周りを守るように埋納されてることが多い

要するにこいつにとって
どの時代でも王と呼べるような
オレサマ謹製の系図に合致するような
存在がいなきゃならないというご都合主義

上で吉野ケ里の事例を挙げたが
優れた技術を有する工人グループと
隔絶した権力を持つ王の存在は
必ずセットで出てくるようなものではない

270 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 07:48:47.23 .net
>>269
sageるなボケ。

>どの時代でも王と呼べるような
オレサマ謹製の系図に合致するような
存在がいなきゃならないというご都合主義

三内丸山の時代からすでに階級があり、地域の主=王と呼べる存在はいた。
当たり前だが。

271 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 08:00:09.23 .net
邪馬台国とは関係ないけどね。

272 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 08:11:39.40 .net
>>268
>九州説の連中で
「銅矛国が銅鐸国を滅ぼしたー」
とわけの分からんこと言ってるのと同じレベル
頭の中の情報イメージ更新しとかないと
万が一リアルで自説といたら中学生にも馬鹿にされるぞ<

という事は、お前はやはり畿内説で纏向に卑弥呼がいたとする哀れな奥山だな。
近年発見された淡路の松帆銅鐸が加茂岩倉の銅鐸と鋳型が同じ、時代はBC4〜BC2世紀。
松帆だけでなく、この時代に近畿一円、北陸、四国にまで加茂岩倉や荒神谷の銅鐸が波及していることは、出雲の神々の移住があったのだろう。
そのきっかけはBC3世紀の始皇帝による中華統一。
統一中華への防衛政策として九州瀬戸内に防人が配置された、だから九州瀬戸内に銅矛や銅剣などの武具が出る。
この時点で畿内から九州までの青銅器文明の大きな国の主がいた。

それはそのまま「大国主」ということで良いだろう。
住んでいたのは高天原(=御所市高天)だ。

273 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 08:17:45.72 .net
>>272
>出雲の神々の移住があったのだろう。

根拠なし

文化圏の広がりにそんなストーリーを付与するのは
妄想だな馬鹿馬鹿しい

274 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 08:27:04.88 .net
>>270
>三内丸山の時代からすでに階級があり、地域の主=王と呼べる存在はいた。
>当たり前だが。

根拠なし
何が当たり前だ

たしかに三内丸山で階級の分化が見られ
それまでの牧歌的な縄文観が覆ったのは事実だが

そもそも階級の分化と
そこから先権力を持つ王の出現は別の話

三内丸山に既に王権構造があったなんて
いままできいたこともないわw

要するにこいつとしては
オレサマ謹製王統譜を肉付けするためには
王の存在の認定を容易くしたいんだろうな

馬鹿馬鹿しい

275 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 10:33:58.91 .net
>>274

三内丸山遺跡(縄文時代) ⇒ お墓(大人の墓) ⇒ 環状配石墓
【環状配石墓(全景)】 周りを石で囲んだ、集落の有力者のものと考えられる墓が見つかった。直径が約4m程で土が盛られたものもある。これらの墓は、ならした土の上に粘土を貼り付けて作られた道路にそって並んでいる。写真はその道路跡と環状配石遺構の列である。(写真提供:青森県教育庁文化課)

http://material.miyazaki-c.ed.jp/ipa/sandaimaruyamaiseki/ohaka_otona/kanjyou_haka/k-jjc2.jpg

276 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 10:38:34.71 .net
奥山君はアホだから卑弥呼を見つけられないのだw

哀れな男だwww

神武どころかスサノオも実在したと仮定して、名前の似た帥升だと仮定してみ、
邪馬台国論争は一気に解けるから。

新井白石や本居宣長など江戸時代の国学者たちは分かっていた。
だから邪馬台国九州説を唱えたのだよ、おバカさんwwww

277 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 11:21:25.57 .net
>>273
>>出雲の神々の移住があったのだろう。

>根拠なし


https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSsUFJWP008jq-HVSkd0u5Djoxwh0iEu2QOhQ&usqp=CAU

出雲からの銅鐸の移動は人の移動を意味する。

278 :きまん:2021/05/05(水) 11:59:46.47 .net
早く死なねえかなあ

279 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 18:33:37.35 .net
>三内丸山遺跡(縄文時代) ⇒ お墓(大人の墓) ⇒ 環状配石墓

は?でどれが王墓だって?
これもいいところ上位クラスの墓群だな
馬鹿馬鹿しい

>神武どころかスサノオも実在したと仮定して、名前の似た帥升だと仮定してみ
バカ丸出し
一部ピースのはめ込みが出てきただけで

例えばじゃあスサノオの下界でのヤマタノオロチ退治のような英雄譚は
何に一挙するのか?
何故三貴神というセットで出てきたのか?
とか新たな矛盾問題が出るだけ

馬鹿丸出し

>出雲からの銅鐸の移動は人の移動を意味する。

そりゃ銅鐸が一人じゃ歩かないからなw
人の移動が伴うのは当たり前だろ

でそれが神様の移動だとか知らんが
何故それがそんな壮大な与太に繋がるんだ?

馬鹿馬鹿しい

280 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 18:37:14.48 .net
>奥山君はアホだから卑弥呼を見つけられないのだw

アホの一つ覚えと言うか

「ワシは卑弥呼を見つけたのじゃあ!」

と喧伝する爺なんか腐るほど見てきたわ

下らないやつ

281 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 21:32:51.34 .net
>>279
>例えばじゃあスサノオの下界でのヤマタノオロチ退治のような英雄譚は
何に一挙するのか?

官製神話。
そこのところが分からない君のセンスのなさ。

>人の移動が伴うのは当たり前だろ

だからそれでいい、人には序列があり階級がある。
王もいれば奴婢もいる。

282 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 21:43:25.93 .net
>「ワシは卑弥呼を見つけたのじゃあ!」
と喧伝する爺なんか腐るほど見てきたわ

そりゃたくさんいるけど、卑弥呼候補はまず3人だな。
神功皇后は時代が全く違うから論外。
モモソヒメは時代は卑弥呼に近いが一皇女でありとてもじゃないが女王ではない。
アマテラスも時代が違う。

というわけで応神元年390年からの平均在位でも、
崇神318年没で同年に垂仁即位と仮定しての平均在位でも、卑弥呼と神武は同時期。
卑弥呼とはヒメ(蹈鞴五十鈴)后しかおらず、3世代後にトヨ津媛、
そのトヨ津媛の1世代前にタケミナカタと大きな戦争をしたタケミカヅチがいる。
中平銘鉄刀の和邇氏への流れも説明でき、
そしてその住処である葛城に径百余歩の塚、そのとなりに大量の奴婢埋葬痕跡がある。

魏志倭人伝の記述通りである。

卑弥呼墓=箸墓説者の君はいいかげん負け犬であることを認めたまえ。

分かったか、負け犬。

283 :きまん:2021/05/05(水) 22:19:12.18 .net
渡来人らには組み込まれていないから卑弥呼の時代におった可能性はあるのよな

284 :きまん:2021/05/05(水) 22:19:58.31 .net
渡来人らとカテゴリに完全に組み込まれてる氏族はすべて

漢人らなんでな

285 :きまん:2021/05/05(水) 23:31:55.92 .net
日本における文書記録が残るのは西文氏成立時代なのよ

藤原氏なんかもこの西文氏出身なんじゃないか?みたいに言われとるし

286 :きまん:2021/05/05(水) 23:32:47.67 .net
つまりそれが西暦400年ころの話

287 :日本@名無史さん:2021/05/06(木) 07:22:51.23 .net
漢人ではなく百済人ではないか?

288 :日本@名無史さん:2021/05/06(木) 11:32:02.95 .net
>>287
一口に漢人と言っても広義すぎて意味が無い

畿内政権が発展出来たのは、大陸文化に詳しい渡来人を活用できたことが大きい
https://www.asahi.com/articles/ASLCX5JHQLCXPTFC01S.html
大壁建物が4世紀末〜5世紀初めに築かれ、渡来人の同町への移住時期が100年近くさかのぼる可能性が出てきた

289 :きまん:2021/05/06(木) 12:50:11.82 .net
287
百済人には船の航海技術ありまへん

290 :日本@名無史さん:2021/05/06(木) 13:53:11.97 .net
>>285
藤原は千年外戚といわれるほど長きにわたって一夫多妻の支配者層であったので、
弥生系O1b2のO-47zで間違いないであろう。
これは皇室のハプログループと言われる縄文系D1a2aと並び、
日本でもっとも繁殖したグループ。
ちなみに西文や東漢や秦氏などは漢民族に多いO2だと推定される。

291 :日本@名無史さん:2021/05/13(木) 19:14:43.71 .net
笠置山墳丘墓
笠置山墳丘墓は宮崎市大淀川北岸にある。
後円部径72.1m、前方部長72.4m、墳墓長145.5mの前方後円墳であり、
正に魏志倭人伝の記述「径百余歩」。
左側エリアには100を超える土壙墓があり、魏志倭人伝の記述
「徇葬者は奴婢百余人」に合致する。
専門家の出土品鑑定によれば2世紀後半から3世紀中頃の物ということで、
正に卑弥呼邪馬台国の時代に合致する。

292 :きまん:2021/05/13(木) 19:49:19.90 .net
O2自体がもともと巴蜀って呼ばれた地域に多く住んでいたみたいやからな

その連中らが漢の時代に中原呼ばれたところに進出したものと思われる

つまり内陸系の氏族

O1系は士族が多くO2系は商人らが多かったと言われる

初期はO1系に支配層が多いがそれにつれてO2系が進出して都市などを作ったと推測できる

このO2系が後の華僑商人らに繋がる

つまり初期は単なる商人

293 :きまん:2021/05/13(木) 19:51:43.67 .net
奴婢やからな

294 :日本@名無史さん:2021/05/13(木) 22:52:33.66 .net
>>291
>後円部径72.1m、前方部長72.4m、墳墓長145.5mの前方後円墳であり、
正に魏志倭人伝の記述「径百余歩」

それなら「長百余歩」になる。


>専門家の出土品鑑定によれば2世紀後半から3世紀中頃の物

何を鑑定したの?土器?

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