2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

☆★ 邪馬台国は【葛城】である【6】 ★★

468 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 05:05:13.69 .net
>>464
>葛城説を唱えた学者は誰でしょうか?

鳥越憲三郎さん。
ただし卑弥呼を物部の誰かと仮定したり、
その住処を大和郡山の矢田町としていたりしたようで
私の言う葛城説とは全然違う。

469 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 05:13:05.87 .net
>>464
あと在野の研究者では曲学の徒こと桂川さん。
卑弥呼墓を御所市の玉手山としておられ、
卑弥呼を孝安時代の宇那比姫とされておられる。

ただし玉手山に奴婢埋葬痕跡もなかれば、宇那比姫は女王と呼べる地位でもない。

470 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 07:21:30.26 .net
つまりかつらぎせつにろくな根拠はない。

471 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 11:59:53.72 .net
>>470
まず文献からも4世紀前半の崇神の数十年前にいたであろう臺與(台与、とよ)
そしてその臺與の3世代前にいるヒメ后。

https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0001359.png

この二人で決定。

考古学的根拠は国宝中平銘鉄刀。
卑弥呼の五尺刀の一口(金関 恕)がなぜ和邇氏の墳墓から出たのか。
これもその経路が上記の系図で分る。

後は卑弥呼の墓。
日本で大量の奴婢、または奴婢になったであろう集団が、
大量に埋葬されているという謂れを持つ場所がここしかない。
それが高天原(奈良県御所市高天)だ。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
https://9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111_2M.jpg

これをしつこく邪馬台国畿内説スレ立て人の奥山が「墳」ではないと言い張っているのだ。
ん?お前が奥山か?

卑弥呼が死んでから造ったのは【冢】。

奥山という負け犬がしつこくて困る。

ん?お前が奥山か?

472 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 12:42:44.01 .net
>>468
鳥越憲三郎の葛城王朝説は欠史九代の実在をいうもので
邪馬台国大和郡山説とは区別したほうがいいのでは
そもそも大和郡山市矢田町が葛城に含まれるのかという

473 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 13:10:53.43 .net
>>472
地図を見る限り、葛城には含まれないだろうね。

しかし矢田町とした根拠は何なんだろう。

474 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 18:49:36.81 .net
リンク弾かれるので省略
「女王卑弥呼は大和郡山にいたか」で検索してくれ。
(鳥越)氏によれば、1世紀頃に九州から葛城王朝の前身にあたる氏族が奈良盆地へ紀ノ川沿いに侵入して西南部に割拠した。金剛山・葛城山の麓に根拠地を置き、幾代にもわたった奈良盆地の平定事業が、神武天皇の事績としてまとめられたという。

 この頃、奈良盆地を支配していたのは物部氏であった。物部氏も北九州を拠点にしていたが、弥生時代の初期に全国へ進出、稲作文化を各地で普及させた。天の磐船に乗った饒速日命が、「虚空見つ日本の国」と叫んで天降りした伝承は、大和の最初の王が物部氏であったことを示す。饒速日命を祭神とする神社は大和には二社あり、大和郡山市の名~大社の矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社とその近くにある奈良市の式内社の登彌(とみ)神社だ。鳥越氏は、物部王朝と名づけて矢田坐久志玉比古神社が所在する地を王朝の本拠地だとする。ここも富雄川中流域にあたる。そしてこの王朝が邪馬台国であったと論じる。

475 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 18:55:06.17 .net
>氏によれば、1世紀頃に九州から葛城王朝の前身にあたる氏族が奈良盆地へ紀ノ川沿いに侵入して西南部に割拠した。金剛山・葛城山の麓に根拠地を置き、幾代にもわたった奈良盆地の平定事業が、神武天皇の事績としてまとめられたという。

「葛城王朝の前身にあたる氏族」とは事代主に代表される鴨族。
その根拠は「銅鐸」だ。
 
>この頃、奈良盆地を支配していたのは物部氏であった

いや違う、奈良盆地を支配していたのは出雲系鴨族、つまり崇神の時代までいた大物主。
物部は4世紀前半の崇神から6世代前、2世紀末から。
その場所が纏向遺跡だ。

476 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:08:00.75 .net
>>475
>「葛城王朝の前身にあたる氏族」とは事代主に代表される鴨族。

鴨族は、多分登美の長髄彦を輩出した氏族だろ。
長髄彦は饒速日を王として頂いていたのだから、鴨族はナンバー2なんだよ。

477 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:18:36.07 .net
鈴木真年翁は、「醜類ニ非ス」として、「大和国城上郡登美ノ人、長髄モ同所ノ邑名、飛鳥事代主神ノ子」と記される(『史略名称訓義』)。
丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には、物部の祖・饒速日命の子の麻斯麻尼足尼命(ウマシマチのこと)の右註に「母飛鳥大神之女登美夜毘売」と記される。
長髄彦は事代主神(飛鳥大神)の子で、磯城の三輪氏一族の族長だったということであり、早くに太田亮博士も、「磯城彦は即ち三輪氏に外ならず」と指摘した。

478 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:22:29.15 .net
で、彼らがどの遺跡や墓に比定されるか考えようね

479 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:44:34.42 .net
出雲の富家(事代主)と摂津の三島家(溝杭耳)から磯城の登美家が起こり、その頭領として饒速日の軍を預かったのが磯城の登美彦、またの名を長髄彦。
どう逆立ちしても鴨族はナンバー2。

480 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:52:24.50 .net
で?
葛城の鴨族と卑弥呼は何か関係するのか?
銅鏡は魏志倭人伝にもあるように中国皇帝から冊封された倭王の象徴であった。
それは卑弥呼が亡くなった3世紀中頃まで畿内にはほとんど流入していない。

481 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 19:58:26.44 .net
賀茂建角身命の息子である建玉依比古が賀茂県主の祖である。
賀茂建角身命の娘である活玉依姫(玉櫛媛、勢夜陀多良比売)が鴨川で拾った(山城国風土記逸文による)丹塗矢で懐妊して産んだ息子が賀茂別雷命、または天日方奇日方(櫛御方、鴨主)であり、娘が後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)である。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子、イスケヨリ姫の次男が綏靖天皇である。
このイスケヨリ姫こそ、このスレの主(ションベン爺)が卑弥呼と呼ぶ人物だが、そもそも丹塗矢伝承とは実質的に父親知らずのことなのである。
三輪山の神だとか事代主だとかは後付けの屁理屈であり、確実なのは母親が賀茂建角身命の娘だということである。

482 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:00:42.23 .net
で、誰あるいはどの氏族がどの遺跡なんだ

483 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:42:31.36 .net
>>476
>長髄彦は饒速日を王として頂いていたのだから、鴨族はナンバー2なんだよ。

王として頂いてないよ。まぁ主といったところ。
鴨の語源は神なのだし、日本書紀にもヒメ蹈鞴五十鈴媛を事代主神の娘と書いている。

崇神の時代の大物主までつづいたスサノオの直系こそが神であり、ニギハヤヒごときは図が高い。

484 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:43:47.46 .net
>>480
上の方に書いてるから読め、面倒くさい。

485 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:45:34.82 .net
>>482
とりあえず名柄遺跡だね。
鴨族の女性たちの宮、ヒメ后もトヨ津媛もここに居たのであろう。
庄内式土器や布留式土器も出ている様だ。

486 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:47:59.73 .net
>>481
>娘が後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)である。

間違っている妃でなくて后だ。
しかも神武には妃が一人もいない。
神武は王配(=女王の婿)だったからだ。

487 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:52:45.97 .net
>>480
3世紀後半の古墳から小札革綴冑という中国製の冑が十数点出土する。
1点を除いてすべて畿内の古墳から出土する。
なぜこの時期にこのような冑が日本にあるのか、
それはトヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。
つまり中国と通行していた主体は畿内でありトヨは畿内にいた。
という事は卑弥呼も畿内にいた。

九州説なんぞ成り立ちようがないのであきらめろ。

488 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 21:59:24.11 .net
>>487
日本の歴史上、外国製の鎧を日本人が用いた例はどれくらいあるのだ?

489 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:06:01.52 .net
>>487
なぜ「トヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。」のですか。

490 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:06:11.92 .net
とにかく、奴婢埋葬痕跡のある径百余歩の【冢】を提示すれば済む話。
俺は>>471に提示済み。

百の屁理屈より一つの提示で済む話。

九州には奴婢埋葬痕跡のある径百余歩の【冢】など全くないね。

491 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:06:46.01 .net
>>489
それ以外にいつ入手するのか。

492 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:07:42.91 .net
>>488
小札革綴冑が正にそれだが。

493 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:11:18.08 .net
>>491
そういう可能性もありうる以上の話ではないですね。

494 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:14:05.85 .net
>>493
ありうるではなくて、他にないのならそれは「ある」ということだ。
3世紀後半に中国と通行していた主体は畿内である。

はい終わりw

495 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:14:07.41 .net
>>492
それしかないのなら、それはちがうのではないのかな

496 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:18:21.93 .net
>>495
それしかないのならそうなんだよw

497 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:20:15.15 .net
そもそも、小札革綴冑は中国のものなのか?

498 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:21:08.54 .net
ちなみに小札革綴冑が九州で1点だけ見つかってる古墳は周防石塚山古墳な。

499 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:24:21.45 .net
>>497
そうだよ、当時の日本にそんな精巧なものは作れないし、大阪市文大阪市文化財協会の高橋工さんも中国製だと断言している。

500 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:25:14.10 .net
>>496
ダウト

後世にも様々な外国製の武具が伝えられる機会はあったが、
外国製の武具を身に着けた日本人武将というのは聞かない。

小札革綴冑がそもそも日本製なのか、
あるいは外国から小札革綴冑をつけた侵略者がやってきたか、だな。

501 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:25:43.70 .net
>>499
中国ではどこで出土している?

502 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:32:28.64 .net
☓当時の日本にそんな精巧なものは作れないし

〇当時の畿内にそんな精巧なものは作れないし、

503 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:33:57.88 .net
>>500
>外国製の武具を身に着けた日本人武将というのは聞かない。

聞かないって、きみが知らなかっただけで、
後に外国から来た馬にまたがり、鞍に座るだろ。
中国製の精巧な冑は首長の威信財。

5世紀初頭の上石津ミサンザイや誉田御廟山古墳の倍塚から
鮮卑族の豪華な鞍や鐙が出ている。
これらは日本の大王に奉げられた威信財だ。

504 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:35:46.42 .net
>>501
高橋さんが何か言ってたが忘れた。

>>502
九州ももちろん作れないんだよwww

505 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:39:51.91 .net
やはりな
根底からしてデマ
倭人の武具を根拠もなく中国製と早とちりして猿の盆踊り

506 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:40:40.55 .net
高橋さんは西晋と言ってたような記憶がある。

507 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:43:40.21 .net
その程度か

ダメだこりゃ

508 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:45:33.83 .net
>>505
>倭人の武具を根拠もなく中国製と早とちりして

当時の倭人には作れないと言ってるだろこのハゲ。
せいぜい木製短甲が関の山。
そういえばどこかの古墳に木製短甲と小札革綴冑が同時に出ていた。
このアンバランスさこそ小札革綴冑が中国製の証拠でもある。

509 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:51:30.58 .net
>>508
中国に多数出土していたものが、日本にそれなりに伝播した
→当時の倭人には作れない

中国に出土していないものが、日本や朝鮮半島に多数出土している
→倭人か半島人が作ったもの


論理的思考すらできない亜人であることがよくわかった。
いや、再確認できた、か。

510 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:54:30.60 .net
>>509
中国に多数出土していて、日本にはなかったものが、日本にそれなりに伝播した

つまり舶載品。

511 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 22:59:08.80 .net
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/2/2/2_2_139/_article/-char/ja/

検討の手法としては,東アジアで出土する多様な甲冑をその基本設計の違いから,小札綴・小札縅・地板綴の3つの系統に大別する。
そして,小札綴系統が漢民族と,小札縅系統が北燕や高句麗等の騎馬民族と,地板綴系統が朝鮮半島南部・日本の民族と,
それぞれ深い係わりを有していたことを述べる。
その後,甲冑の基本設計を規定する製作技術の検討から,各種甲冑の変遷,各系統間相互の影響と伝播を考える。
その結果,特に3〜5世紀代の甲冑の伝播において,騎馬民族国家が果たした役割が大きいことを指摘する。

512 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 23:09:01.79 .net
>>511
で、小札革綴冑は中国で出土しているのかね?

513 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 23:26:28.59 .net
してるに決まってるだろうが。

514 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 10:49:50.80 .net
>>474
要するに鳥越の説は
「邪馬台国大和郡山説」であって
「邪馬台国葛城説」ではないよ

515 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 12:24:43.40 .net
>>483
>鴨の語源は神なのだし、日本書紀にもヒメ蹈鞴五十鈴媛を事代主神の娘と書いている。

鴨は鴨だよw
他に翔、鷲などもいるから間違いない。

516 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 12:26:13.15 .net
>>486
>間違っている妃でなくて后だ。

弥生時代にそんな区別はない。
しかもイスケヨリヒメは神武と一緒に暮らしてはいなかった。
子供を連れて再開した時の神武の歌が残っている。

517 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 12:27:04.41 .net
>>494
>3世紀後半に中国と通行していた主体は畿内である。

根拠なく言い張るばかり。
無能

518 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 12:28:44.36 .net
>>511
>その結果,特に3〜5世紀代の甲冑の伝播において,騎馬民族国家が果たした役割が大きいことを指摘する。

卑弥呼より後のものであることが確定しますね。
卑弥呼の時代の邪馬台国に牛馬はいないことが明記されているので。

519 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 14:13:44.40 .net
>>518
>卑弥呼より後のものであることが確定しますね。

だから3世紀後半の話。
小札革綴冑はトヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。
それがほぼ畿内からしか出ない。
トヨの時代に日本の中心が畿内であった証拠。
したがって邪馬台国は畿内である。

520 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 14:16:13.92 .net
>>516
>弥生時代にそんな区別はない。

あるよ、7代孝霊以降は複数の妃を持つ。

>しかもイスケヨリヒメは神武と一緒に暮らしてはいなかった。

当り前じゃないか家制度なんてないし、通い婚の時代だ。

521 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 17:07:03.66 .net
冑なんて消耗品を朝貢で得た数だけで維持できると思うしかないくらい追いつめられた敗残説の末期脳に乾杯

522 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 18:06:55.72 .net
>>521
>冑なんて消耗品を朝貢で得た数だけで維持できると思うしかないくらい追いつめられた敗残説

消耗品ではない、古墳に副葬するのだから威信財。
かっこいいよね、これみたいな。

もう反論が思いつかなくて、自分でも何言ってるか分からないことを書き込んでるね。
君が敗残兵なんだよ。

523 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 18:17:44.03 .net
>>520
>当り前じゃないか家制度なんてないし、通い婚の時代だ。

つまり後宮もなければ入内の制度もない。
后だなんどという制度の土台がそもそもない。

524 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 18:23:43.17 .net
>>523

ヒメ(蹈鞴五十鈴)媛は女王だからね。

525 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 18:25:19.59 .net
この人もいい事言ってるんだけど
決めつけ方が酷くて話聞く気失せるんだよな

526 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 19:23:23.86 .net
そりゃ盲信者の集いだからあたりまえ

527 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 21:00:52.89 .net
>>525
決めつけというけど、俺が言ってることは簡単。
崇神天皇が4世紀前半であることはほぼ確定。
ならばその数十年前にいるトヨは誰?と聞いているのだ。
九州にいたならその人を答えてくれればいいだけ。

ただし最高位の女性じゃないとだめだよ。

528 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 22:20:43.52 .net
畿内とは無関係の九州邪馬台国のトヨだろ?
お前ら畿内説がいつも言ってるように、九州の田舎政権のことなんざ
記紀には書かれていないのさ

529 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 22:28:55.01 .net
>>528
書かれてなかったら「いた事」を証明できないじゃないか。

その程度でなんで邪馬台国九州説なんだよ。
自分が九州在住か出身が九州だからなのか、
そんなつまらない理由で九州説になったとしか思えない。

530 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 22:54:26.16 .net
豊って言うくらいだから豊前とか豊後の人じゃないの

531 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 22:54:31.25 .net
馬鹿?

記紀も文献
三国志も文献

三国志にトヨは書かれている

532 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 08:05:19.33 .net
>>529
>書かれてなかったら「いた事」を証明できないじゃないか。

中国の史書では倭国とは九州のことなのに、それを無視しているのは畿内説じゃないの?

533 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 17:01:21.10 .net
>中国の史書では倭国とは九州のことなのに

根拠なし

534 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 19:26:30.20 .net
後漢書において、倭の西北界は狗邪韓国(朝鮮半島南岸)、極南界は奴国(九州北岸)。

535 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 20:00:31.30 .net
中国の史書には倭国は狗邪韓国と接しているとしか書いてない

536 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 20:04:07.17 .net
極南海は瓊瓊杵尊のいた枕崎市方面じゃないかな

537 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 20:56:36.45 .net
>>534
なら倭国は対馬になる。
そんなアホな。

538 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 22:37:04.26 .net
>>537
対馬は倭国の一部に過ぎないだろ?
文盲か?

539 :日本@名無史さん:2021/12/10(金) 22:37:46.89 .net
>>536
枕崎が奴国ならそうかもしれないなw

540 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 06:01:10.66 .net
>>538
おまえの言い方では倭国の中心じゃないか

541 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 07:42:19.09 .net
九州説はよくわかったから、
葛城説の弥生遺跡比定を教えてほしいな。

・七八十年の男王 支配域・都はどの遺跡で、王墓候補はどの墓?
・卑弥呼 支配域・都はどの遺跡で、女王墓候補はどの墓?
・卑弥呼が主に使った港町 どの遺跡?

542 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 08:04:52.71 .net
葛城説じゃないけど

王墓候補 若草山ほか
港 難波津
じゃないの

根拠 万葉集 古今集

543 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 08:43:41.49 .net
>>541
>・七八十年の男王 

帥升ことスサノオ以降、事代主まで。
その後は娘のヒメ(踏鞴五十鈴)后やトヨを経て、最後は三輪山で殺される最後の大物主であるスサノオ8世孫・阿田賀田須まで。


>支配域・都はどの遺跡で、王墓候補はどの墓?
>・卑弥呼 支配域・都はどの遺跡で、女王墓候補はどの墓?

彼らの住まいは、神域、つまり今も神社として残る。
たとえば崇神の宮である磯城瑞籬宮が志貴御県坐神社として今も残っているように、
帥升ことスサノオ以降、事代主までの王族(=神々)の住処は、葛城の複数の式内名神大社として残っている。
その中でも最上座・高天原にある高天彦神社こそが彼らの住処であろう。

よく遺跡が出てるかどうかを言われるけど、遺跡は発掘許可が出なければ調査できない。
その発掘許可は、何か新しい建物ができるとか、道路ができるとき以外降りない。
また発掘許可が降りるのは謂れのない場所であるので、
上記、古代の王族が直接住んだ神域は発掘許可が降りないから遺跡にはならない。

王墓は何度も言うが高天原にある。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
日本で唯一、となりに大量の奴婢(土蜘蛛)埋葬痕跡がある150mの塚がある。
自然の丘に多少人間の手を加えた感じ。


>・卑弥呼が主に使った港町 どの遺跡?

奈良湖の唐古鍵あたりではなかろうか、魏志倭人伝にも出てくる楼閣があるし。

544 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 08:52:58.85 .net
大阪と奈良は標高差40mもあるから海抜の変動10m程度考慮しても、奈良に港は難しくない?
あと亀瀬岩の辺は筏を流したりは可能だろうけど大きい船は下りも無理じゃないのかな。

545 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 10:19:47.09 .net
https://stat.ameba.jp/user_images/20160519/10/akamamakai/6d/cd/j/o0400054613649859827.jpg?caw=800

こんな感じかなぁ。
亀瀬岩のあたりは一度船を降りて乗り継いだのかもね。

546 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 10:23:49.26 .net
枯野とかいうボートなら下れたんかね

547 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 10:28:05.76 .net
旧奈良湖の縮小に合わせて環状に縄文遺跡→弥生遺跡とエリアが縮小していっているそうだから
その一事を取ってみても縄文自体〜古墳時代の連続性を証明しちゃってるじゃんね。

548 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 12:11:44.15 .net
>>547
その通り。
鳥の山古墳だけが「湖」の中にあるけど、
たまたまあの辺りだけが湖ではなかったのだろう。

今でも金魚で有名な大和郡山の航空画像を見てると、
太古からの奈良湖の面影が残ってるような気がする。
https://goo.gl/maps/85bHQiaV1Z1Hm2EL7

549 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 12:19:49.92 .net
洪水マップで標高43メートルくらいに合わせると斑鳩とか池辺の辺が岸になって感じ出るよね

550 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 16:06:13.33 .net
【第5回 邪馬台国は阿波だった!?】
藤井 榮(ふじい さかえ)  NPO法人「阿波国古代研究所」
www.youtube.com/watch?v=nUY92z3p5Es

『畿内説、九州説は頭が悪いんですw』

551 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 18:25:20.07 .net
>>550
この藤井 榮って人、阿波さん?

552 :日本@名無史さん:2021/12/12(日) 08:17:26.31 .net
弥生遺跡は?に地形で答えて丸一日、議論も尽きたようだ、、

553 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 22:15:50.55 .net
弥生遺跡は中西遺跡や名柄遺跡など多数あるが

554 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 12:59:06.34 .net
https://i.imgur.com/w7gzSWw.png
https://i.imgur.com/4wkaQLJ.png
https://i.imgur.com/fCRvE9L.png

こんな断面図になるただの尾根を塚だと言い張るご仁のあたまがおかしいだけw

555 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 16:35:12.84 .net
しつこい奴だ。
自然丘を少し造成したのだろう。
何も問題はない。

556 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 21:57:04.38 .net


557 :日本@名無史さん:2022/04/29(金) 21:38:35.16 .net
ジャップ気づいてしまうw 「邪馬台国」「卑弥呼」は蔑称 [241672384]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1651223185/


山本ともひろ
@ty_polepole

午前、自民党文科部会を開催。
九州大学の川本芳昭名誉教授から「邪馬台国・卑弥呼の呼称と国号日本との関係」と題して講演して頂き、
邪(よこしま)、卑(いやしい)は、当時の中国が周辺国を文明が劣ったものとして蔑称の意味で
それらの文字を当てたことが良く分かりました。今後どうすべきか考えます!

https://mobile.twitter.com/ty_polepole/status/1519550955028910080
(deleted an unsolicited ad)

558 :日本@名無史さん:2022/08/04(木) 07:39:13.10 .net
アゲ

559 :日本@名無史さん:2022/08/05(金) 20:48:13.89 .net
織田信長の時代に宣教師のフロイスが地球儀をもってきた。

そしておおよそ江戸時代になって、この大地は丸い球であるという事実が日本人に定着。

それ以前は仏教にもみられる平面世界観であった。

この大地は円盤状の世界で、その中心に高山がそびえ、月や太陽はその周りをまわっているという考えである。

その高山を模したものがお寺の塔(ストゥーパ)であり、
その高山の頂上、神が住む絶対歓喜の世界である有頂天を表したものが各家庭にある仏壇(須弥壇)である。

記紀に登場する「高天原」も、この大地は丸い球であるという事実を知る以前の平面世界観での産物である。

だから蘇我馬子が推古天皇に高天原のある葛城の領有を願い出たた時、
私は今まで叔父の言う事は何でも聞いてきましたが、それだけはできませんと断られる。

この大地の、この世界の中心、日本の最も神聖な場所を蘇我に明け渡すわけにはいかなかったのである

江戸時代に登場する本居宣長に代表される高天原=天上説は、
この大地は丸い球であると知って以降の考え方であり、
それ以前の平面世界観での高天原を説明できるものではない。

このように平面世界観では、高天原は「どこか」に見立てられてきたのであり、
それは古来から高天山と言われた金剛山の麓、奈良県御所市高天しかない。

そしてここに魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓もある。

560 :日本@名無史さん:2022/08/06(土) 19:44:45.62 .net
邪馬台国は葛城、今の奈良県御所市である。
4世紀前半、崇神により、卑弥呼やトヨを輩出した王家は絶やされた。

そして、5世紀後半。

「一言主大神」

雄略に対して「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」

かなり違和感があるのは、普通、日本語では「あの人の良い事も悪い事も知っている」などと、善が先にくる。
しかしこの一言主は雄略に対して悪事が先に来ている。
善事も…と後に続くのは、大王・雄略に対して悪事のみ言うのは直接過ぎるため、
本来言いたかった悪事を和らげる目的があったのではないだろうか。


では雄略の悪事とは何か、これは分かる。
眉輪王の変での葛城 円(かつらぎ の つぶら)焼殺事件である。

雄略がまだ大泊瀬皇子であった時に眉輪王の変が起きる。
そして葛城の主である葛城円大臣(葛城 襲津彦の孫)が雄略に焼殺される。
土地も娘も差し出すから命だけは助けてくれと懇願する葛城円を雄略は容赦なく焼き殺した。
これらは史実であり、近年、極楽寺ヒビキ遺跡として発見される。

普通、火事では火を消そうとするから、柱に水が掛かって全焼といえども根元は残ったりするものだが、
この極楽寺ヒビキ遺跡は土まで焼けている。
火を消そうとした痕跡が全くない。
燃えるがままに見ていたという恐ろしい遺跡だ。

ここで葛城円が焼き殺された。

(続く)

561 :日本@名無史さん:2022/08/06(土) 19:45:23.50 .net
雄略が葛城で出会った一言主大神はこの事件をもちろん知っている。
したがって「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とは、
意訳すれば「おまえのとんでもない悪事を一言で言ってやろうか」という恫喝であろう。
これに対してはさすがの雄略も怯んだであろう。

しかしながら一言主が土佐に流されたという続日本紀の記述は、一言主を祭神とする土佐一宮が存在することからも事実であろう。
これは「今回は流刑だけで済ましたが、これ以上言い続けるとどうなるか分っているな」という雄略側からの逆恫喝かもしれない。

この事件の直後から、葛城出自を自称する一つの豪族が台頭してくる。
彼らはやがて隆盛を極め、権勢をふるい、ついには日本の歴史で唯一、天皇を暗殺する。

その豪族とは蘇我である。

562 :日本@名無史さん:2022/08/06(土) 19:49:44.04 .net
自分の父親を焼き殺した男の妃にならなければならなかった葛城円の娘・韓媛の心中はいかばかりだったろう。

ところで葛城円には男子の跡継ぎはいなかったのだろうか。
葛城氏系図ではどうやら韓媛しかいないようである。

普通に跡継ぎの男子はいたであろう。
ひょっとすればその人物が一言主かもしれない。

韓媛という名前に何か引っ掛かる。
韓で連想するのは、葛城出自を自称する蘇我、その蘇我稲目の祖父・蘇我韓子である。
蘇我韓子は雄略天皇9年までは生きていたようだ。つまり韓媛と同じ時代を生きていた。
韓媛・韓子(彦)
この二人はヒメヒコではなかったのか。

6世紀になり、なぜ蘇我が急激に台頭してきたのか、謎である。

もし蘇我の台頭に、葛城の主を焼き殺され、それをなじった一言主も流罪となった、
そのすさまじい怨念が背景にあるとしたら納得できる。

怨霊の存在を信じ、真剣に恐れていた時代、葛城の怨念を持つ蘇我に対して、
朝廷側は強い加害者意識、罪悪感、そこからくる過度の忖度、禅譲、はれ物に触るような態度、
つまり隙を見せた。
その隙が蘇我の台頭を許したのではないだろうか。

563 :日本@名無史さん:2022/08/11(木) 16:04:34.22 .net
アゲ

564 :日本@名無史さん:2022/08/11(木) 18:28:11.88 .net
>>554
>こんな断面図になるただの尾根を塚だと言い張るご仁のあたまがおかしいだけw

途中からもっこり急に盛り上がっている。
塚だよ。
君は墳と塚の区別がつかないみたいだね。

565 :日本@名無史さん:2022/08/13(土) 19:16:43.44 .net
神武がBC660年即位、127歳で死去なんて時代を大きくずらしているのは真の卑弥呼を隠すためである。

真の卑弥呼を隠した理由は帥升を隠すためである。

自分の生まれた育ったこの日本国の歴史が、AD107年、わざわざ渡海し中国皇帝に土下座してきたブザマな王から始まる。

こんなことは国史に書けない、未来永劫ごまかすしかない。

だから7世紀の朝廷は、そのブザマな倭国王帥升ことスサノオを、神代というカテゴリーに移動させた。



これは単純な話である。



今の文献史家も考古学者もこんな単純なことにさえ気づいていない。

そしてスサノオ実在などと言おうものなら「あなたは史料批判が足りない」などとの意味不明な言辞で逃げる。

自分がこの単純明快な原理を分かっていない分際で、〇〇大学名誉教授などとの安住の地にかしこみ、

わが人生に悔いなしなどと縁側でお茶をすすりニヤけているのである。



こいつらはアホである。

566 :日本@名無史さん:2023/03/05(日) 13:09:18.43 .net
ウリナラファンタジーそうさ夢だけは

567 :日本@名無史さん:2023/03/09(木) 06:08:56.34 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★

邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。

総レス数 567
361 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200