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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16

1 :九州王:2020/09/30(水) 15:05:51.45 .net
前スレhttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1591674558/-100
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。

2 :九州王:2020/09/30(水) 15:06:58.38 .net
世有王

@ 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有搗ケ。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載) 魏の世には増減があったの意味

A 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。

B 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
現在、貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についている、つまりこれも魏の世には冠をつける役職についているの意味

C 三国志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十
>而公孫淵、仍父祖三世有遼東。
父祖三代に渡って遼東を領有した。(189〜238)

D 三国志蜀書黃李呂馬王張傳第十三
>當世有聲名
当時は名声が高かった。

C は三世(三代)の意味、Dは当世(当時)の意味で、世有の用例ではない。
@ は代々の意だが、魏代ではある。Bも代々の意だが、魏代ではある。Aは一般的な言葉を引用しているのでこの世の中の意、用例としては不適切

以上からは、世有王は、特別な使用でない限り魏の世の王が、と訳すのが妥当である。

3 :九州王:2020/09/30(水) 15:07:32.50 .net
2か所目は「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」の文である。
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた 。
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では、「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」の意味となる。

全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた。
皆とは倭の国々を指しているのであって、皆が絶対に伊都国を指さなければならない理由はない。
だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし、伊都国に付いては特に詳しく説明されているにも関わらずそれらし記述も一人の王名ない。

伊都国は郡使が滞在するところで、伊都国に付いては特に詳しく記されている
「官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚」と官、副官の名前は記されているのに、伊都国の王の名前は一人も記されていない
また倭人伝は張政が持ち帰った情報を最新として張政が帰国した時点で書かれていて
既に倭王が魏より任命されているのに、伊都国の首長を王と呼ぶこと事態がおかしい
伊都国の王は伊都国には居なかった、伊都国に居た王は伊都国の王ではなく、倭王の卑弥呼や壹與としか考えられない。

水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りであり、魏志倭人伝は全て矛盾なく解読することができます。

4 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:11:39.44 .net
【里程】
漢代に楽浪郡を支配していた公孫氏が独自に制定したの里(短里)で実測した
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆国、伊都国、奴国・・・
魏が公孫氏の楽浪郡を滅ぼして押収した資料に短里使用が使用されており
これが魏略や三国志魏書の参考資料となる。

【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録したもの
日本側の地名は魏代の地名(邪馬壹国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場
この出張日誌が三国志魏書の参考資料に更に加わる。

※公孫淵は自立を目指し燕王を自称し独自の年号を制定しており、度量衡も独自のものを制定したと考えられる
短里も公孫淵が制定したものであろう。

5 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:12:26.45 .net
郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、
在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」

伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”

伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”

一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

6 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:13:04.18 .net
そもそも細石神社に金印があったという情報は「古田史学の会」の四国会員である大政就平が古田に伝えたもので、現地調査した古田が地元民から「侍が持ち去った」という伝承を聞いたと『古田武彦が語る多元史観』に記載した

それでは細石神社(旧・佐々禮石社)について検証してみましょう

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡が築造
建武中元2年(57年) 漢光武帝が倭国王に金印を下賜
(三雲南小路遺跡の祭祀施設が後に佐々禮石社になった可能性があり、高祖神社との由縁も確認できる)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる
              (祀る神も奉る神主も確認できなかったため神領とは認められなかった=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 年貢逃れのために村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起が書かれる
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認
              (祭日に流鏑馬行事が実施されていた様子)
天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が自宅の土壁補修のために当地を掘り返したところ三雲南小路遺跡を発見
             (何の由縁も残らず藪と化していた証拠)
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社
              (現宮司はこの時に神社庁から派遣された)

古田が聞いたとする「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失の1586年前後と考えるのが妥当
425年も前の出来事を住人が記憶している可能性は皆無である

三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれており、信仰対象を失っているため曹洞宗に帰依していたと考えるべき
傍証として流鏑馬が神事ではなく祭日の行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領であると認識していなかったことなどが挙げられる
まして現宮司は大正時代に神社庁から派遣された神職であるため、古田が宮司から伝承を聞いたということ自体が虚言である

結論: 「細石神社の金印庇保管」はネタであり、歴史学としての価値はない

7 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:15:10.39 .net
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8 :九州王:2020/09/30(水) 15:16:41.96 .net
「南至邪馬壹国女王之所都」
この場合の「都」は「全て」の意味で、和訳すると
「南、邪馬壹国に至る、女王の全領土である。」となる
  都は名詞なら、みやこ。用例)都会、都市、京都
  動詞なら、取り纏める、統率する。用例)都統、都督
  副詞なら、すべて、みな。用例)都合、都度

「儉遂束馬縣車、以登丸都、屠句麗所都、斬獲首虜以數千」
この場合も高句麗を全て滅ぼしたとの意味。

9 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:18:59.06 .net
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10 :九州王:2020/09/30(水) 15:23:35.24 .net
魏使は帯方郡の海岸から出発しており
対岸に着くと至るや到と記している
対馬国や一大国では北岸に着くと至るである
そこから島を半周して、次の目的地へ行く
末盧国に着いた場所も末盧国の北端の呼子付近へ上陸している
更に伊都国へ到ったのは末盧国と伊都国境の伊都国GC付近のことで、この先が伊都国
奴国へ至るは、糸島峠付近のことで、この先が奴国
不弥国へ至るは、小笠木峠付近のことで、この先が不弥国

11 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:26:21.13 .net
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12 :九州王:2020/09/30(水) 15:27:43.63 .net
末盧国から伊都国までは500里(40km)で呼子付近から伊都国GC付近までと一致し
伊都国から奴国までは100里(8km)で伊都国GC付近から糸島峠付近までと一致
奴国から不弥国までは100里(8km)で糸島峠付近から小笠木峠付近までと一致する
魏志倭人伝は正しいのである。

13 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 15:32:08.68 .net
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14 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 17:04:31.61 .net
この板では重複は珍しくも何ともないんだよなあ。

15 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 17:05:57.30 .net
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16 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 23:03:41.59 .net
自治気取り4ね

17 :日本@名無史さん:2020/09/30(水) 23:28:17.69 .net
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18 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 14:29:48.07 .net
>>1
>>3
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に統属している「皆」は前節の「今使譯所通三十國」を指している。つまり倭の国々は全て女王国に統属しているの意味となる。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、その諸國を「伊都國」で一大率を使って治めているの意味となる。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
女王国以北に刺史の如き一大率を置き、伊都国で常諸国を治めていた以上、伊都国には女王卑弥呼が居たことに疑いの余地は皆無である。

19 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:26:47.96 .net
伊都国に女王卑弥呼が居たのだろうけど、
伊都国王もまた居たのだろう。
其國本亦以男子為王住七八十年→世有王→更立男王、の流れだ。

北部九州倭国=伊都国王や奴国王や〇〇国王の集合体
倭国王=各国の王を統属させる皇帝のようなもの
あるいは各国の王が戦国大名のようなもので、倭国王が征夷大将軍

20 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:37:07.67 .net
一時代前には豪族達が勝手に王を自称していたのだから、
まだまだ有力勢力が北部九州の主導権争いをしていたのだろう。

イザナギ→倭国王男系(其國本亦以男子為王住七八十年→世有王→更立男王)
イザナミ→豊国王女系(宗像三女→トヨ玉→卑弥呼→トヨ)
オオクニヌシ→奴国王男系(奴国王→失脚→狗奴国王)

21 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:49:14.76 .net
>>20

ただ1人の王として卑弥呼を叙任したという記事が魏志倭人伝
だから代々の王は伊都にいて、当代の王は伊都にいる卑弥呼

22 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:51:52.74 .net
>>20
卑弥呼の前に豊玉姫を置くなら、その時の男王は筑紫の日向三代の彦火々出見だが、まさに伊都の高祖神社の祭神

23 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:53:24.57 .net
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。

・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い

女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。

刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。

中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。

24 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:53:56.58 .net
官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:T帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)

大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。

率は帥と同義であり、倭(九州北部)における行政最高官のこと。
最初の帥の記録は「倭王」とされた帥升であるが、なぜか王のはずなのに自ら漢を訪問したことになってしまう。実は王ではなく帥だったのだろうと考えられる。
律令制においてはこの役職は太宰の帥と呼ばれた。
最後の帥は有栖川宮熾仁親王であり、明治2年に帥の役職は廃止された。

25 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 15:55:25.10 .net
>>21
卑弥呼は倭王であって、倭国王ではない。
親魏倭王=魏が信任する倭人の王

狗奴国王が熊本など南部を実効支配していたから、
倭国王=九州統一王という存在がいなかった。

伊都国王、邪馬台国女王、狗奴国王、などの同盟候補がいて、
伊都に鎮座する共立女王=伊都の大率で対馬海峡を支配している王
を、特に信任しただけのこと。
伊都国王は統属=卑弥呼共立に参加していた。
これは魏がそう言ってるだけで、実際は対等同盟とかだったかもしれん。

26 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:03:28.39 .net
三国志では◯国王の意味で◯王と書くよ。
しかも倭とは九州北部と対馬海峡のことだから、九州統一王である必要はない。

27 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:06:39.71 .net
魏志倭人伝
伊都国に世々王あり
名を曰く卑弥呼と

28 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:13:48.99 .net
そうか、
その昔、「漢委奴国王」というのがいた、倭国の極南界つまり倭国の一番端っこだな。
だが博多湾岸をちょこっと治めただけで国王の金印をもらったそうだ。三国志とはえらい違いだ。

29 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:18:27.47 .net
倭の西北界は狗邪韓国だから、博多湾だけではない。
倭は対馬海峡全体だ。
その定義は後漢書と魏志倭人伝では共通だということ。

30 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:21:02.95 .net
伊都の大率は女王国から北の諸国を検察し、諸国はこれを畏怖した。
対馬海峡を伊都にいた卑弥呼が実効支配し、そのための職が大率。

31 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 16:25:20.52 .net
どうぞどうぞ、
海峡国家とは、イカや、タコや、サバを捕り、干物にしては売り捌く漁師の国だよな。

32 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 17:17:09.88 .net
大日孁貴神
道主貴
大己貴命

33 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 17:23:52.98 .net
おまけに、良田なく(米を求めて)南北に市櫂する

気の毒なことに、メシにもこと欠いてのう、

34 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 17:48:44.84 .net
行橋市の下稗田遺跡からも紀元前2世紀(弥生時代中期前半)の硯3点だと。

その頃から倭人か倭種が瀬戸内海にも進出していたんだろうね。
豊国銅剣祭祀の勢力だろうか。
鉄器が豊富な高地性集落群や後の淡路島の鉄工房遺跡にも繋がってくる。

文字があったなら正確な暦も残していた可能性が出てきて、
吉武高木大王の初代即位年も残っていたカモ。

35 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 18:56:18.96 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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36 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:00:56.31 .net
>>19
伊都国に女王卑弥呼が居て
その女王卑弥呼が伊都国王であり倭王なんだよ。

>>21
世有王だから魏の世に伊都国に王が居たの意味

>>34
>文字があったなら正確な暦も残していた可能性が出てきて、
九州の記録は記紀編纂時の資料に使われた後に焚書されたんだ。

37 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:04:51.48 .net
>>36
>世有王だから魏の世に伊都国に王が居たの意味

そして魏が叙任した王は卑弥呼だけ。

38 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:08:59.91 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

39 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:10:48.51 .net
 .
 
古代史関連スレの三大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン
 
 
 
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/
 
 
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/
 
 
何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ
 
 
 
古代史関連スレの三大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居
 
 .

40 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:15:09.29 .net
>>36
自分も以前は卑弥呼が伊都国王と思ってたけど、
コピペ魔さんが書いてたように、皆は直前のものを指すだろうから、
やはり伊都国王は別にいて、卑弥呼に統属していた、と思う。
伊都三代の男王が70-80年間で、
倭国乱で出陣して伊都国王は伊都から出たのだろう。

41 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:25:19.06 .net
>>40
>皆は直前のものを指すだろうから

直前とは限らない、既に書いてるものを指す
魏略では「其国王皆属女王也」であり「其の国(倭国)王はみな女王に属していた」とあるから
魏志倭人伝でも「倭の国々はみな女王国に統属していた」の意味である。

42 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:25:31.69 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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43 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:26:22.06 .net
郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、
在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」

伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”

伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”

一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

44 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:26:51.92 .net
自分もそのほうが楽だと思っていたけど、
三国志の「皆」を調べてみて。
直前のものを指しているから。

45 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:27:35.19 .net
>>43
これだな

46 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:28:33.30 .net
前期伊都国王

七八十年男王=後期伊都国王=倭国王(師升を含む)
↓東征
香椎(または大宰府)

?(母系は下関周辺?)

筑紫野市(阿志岐山城神籠石の麓の荒船神社か)※3

旧三輪町(大倭の利権奪取)

博多住吉神社

旧三輪町〜久留米の手前のどこか

久留米市(高良)

※3

春日市(奴国の高級住宅地)

阿志岐山城神籠石を拠点にして、南の狗奴国と筑後平野を取り合っていた。
戦況の優劣に応じて、南下(進軍)と北上(転進)を繰り返している。

47 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:30:26.13 .net
また糸チョンの言葉遊びによるこじつけ妄想が始まったか・・・

48 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:45:09.92 .net
>>46
若〇だから、利権を喪失している。

『其八年太守王頎到官 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状』

狗奴国が攻勢をかけてきて、春日市まで北上転進したわけだ。

そして次は旧三輪町に南下進軍して復しているね。
大倭 大和 利権を再奪取。

『邪馬台国七万戸』=戸数調査がされていて、
『収租賦』租税や賦役が課されている。

いくら北部九州のみだからと言っても、
あのお方より先に勝手にやっちゃったらマズイんじゃないのというお話。

49 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:48:44.14 .net
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50 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:51:12.89 .net
最近になって糸チョンが急に頑張り出したのって何かきっかけがあったん? 最近は安曇も伊都国だとか言い出しとるやん。

51 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 19:51:31.95 .net
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52 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 20:50:47.90 .net
>>40
>倭国乱で出陣して伊都国王は伊都から出たのだろう。

日向三代の後、伊都国王族は高祖宮で相談して筑紫を出て、東へ向かったわけだ。

53 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 20:52:20.60 .net
>>46
>七八十年男王=後期伊都国王=倭国王(師升を含む)=日向三代
>↓東征
畿内大和

54 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 20:58:11.12 .net
>>46
>?(母系は下関周辺?)

志賀島から下関まで豊国王家でしょ。
伊都高祖神社に嫁いだ志賀島の綿津見神社の姫が木花咲耶姫、豊玉姫、玉依姫。
その初代である木花咲耶姫を祭るのが細石神社で、王と王妃の墓が三雲南小路。
記紀の記事とぴったり合うのだけれど。

55 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:10:35.69 .net
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.

56 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:27:27.81 .net
>>54
木花咲耶姫は大山津見だから瀬戸内利権。
旧祭祀型銅剣勢力。
ニニギ&ニギハヤヒ+大山津見=祭祀型銅戈勢力で大阪湾上陸を果たした。

ニギハヤヒ系統+大山津見系統が瀬戸内〜畿内経営して利潤が増えたのが、
大倭利権。

>志賀島から下関まで豊国王家
豊玉姫、玉依姫が綿津見。
城野遺跡が豊国本国の玉造施設で、
潤地頭給遺跡など。

要するに、倭国乱とは、
ニギハヤヒ系統+大山津見系統 VS ニニギ系統+綿津見。

ニギハヤヒが滋賀県に人件費の安い海外玉造施設を作ったことなどが遠因か。

57 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:37:16.81 .net
大山積が瀬戸内海に見えるのは、瀬戸内海を東進した三島溝杭耳が父親の大山積を祭ったからですよ。
大山積自身は綿津見と同時に生まれたいわば兄弟で、博多湾の志賀島の海人族です。
後の海幸山幸のように、兄弟で海と山を治めるのは、倭国の伝統だったようですね。

58 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:37:22.09 .net
>>46
倭国乱で倭国王家がドンパチやってる隙に狗奴国勃興。
九州物部を制圧して久留米・高良入りして一安心したところを襲われたのだろう。

59 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:39:57.56 .net
>>56
それでは、ニニギ王統の天孫族が筑紫を出て畿内のニギハヤヒを頼って東征した理由がわからなくなり矛盾します。

60 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:41:03.13 .net
>>58

そもそも筑後はむしろ有明海沿岸の火の国の一部であったはず。

61 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:48:30.99 .net
大山積神社

大山積(和多志=ワタシの大神)を祭る。
瀬戸内海の大三島にあり、瀬戸内海海運の要所であったと考えられる。
すなわち大山積はれっきとした海人族。
三島の名は、息子である三島溝杭耳に由来する。
三島溝杭耳は京都の上賀茂下鴨神社に祭られる畿内の開拓者。

62 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:53:40.08 .net
伊都国王家の天孫族が倭国乱で東征して筑紫を去った。その理由は不明。
そこへ肥国女王卑弥呼が倭国女王に共立されたが、肥後狗奴国が従わなかった。
卑弥呼は伊都に入り倭国女王となったが、志賀島の豊国王家も東進し、遠賀川流域に移動した。
だから邪馬台国の領域は福岡県西部と佐賀県、長崎県。

63 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 21:59:10.20 .net
だから畿内ではなく九州の大倭。

瀬戸内の大山積を平らげ、畿内まで手を出そうとしたらニギハヤヒ勢に押し返された。
だから九州まで戻って本国決戦=倭国乱。

64 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:05:33.64 .net
大山積は平らげられてないですよ。
平らげられたら伊予国一宮になんてなってません。
息子の三島溝杭耳は神武東征を助けた立役者として知られ、その孫娘は神武の妃にまでなっています。

65 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:10:13.83 .net
>>64
イスケヨリヒメは孫娘ではなく曽孫でした。

66 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:12:58.78 .net
>>59
頼ってません。
美味しく育った瀬戸内畿内利権=大倭利権をよこせと迫り、強奪しただけです。

>>64
それは平らげられた後に従った。
ニギハヤヒに押し返されて困っていたのを助けることで恩を売ったわけでしょう。

ヤマツミとワダツミの外戚争い。
ヤマツミ側の山幸彦が、ワダツミ側に懐柔されたのと同じように、
ワダツミ側の神武にも、ヤマツミは妃を送りこみ、その王子が首尾よく家督を継いだ。

67 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:13:40.03 .net
賀茂一族

畿内を開拓した古代氏族。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
新撰姓氏録には山城国の神別、天神とある。

天神玉命(天活玉命、伊久魂命)ー天櫛玉命(神櫛玉命、天押立命)ー加茂建角身命(八咫烏、陶津耳命)ー鴨建玉依彦命(玉依彦命)ー五十手美命(生玉兄日子命)
ただし先代旧事本紀には、筑紫から大和に天降った饒速日に随伴した天櫛玉命が鴨県主の祖、天神魂命が葛野鴨県主の祖とあり、それぞれが別の鴨族とされている。

賀茂建角身命はまたの名を八咫烏、八咫烏鴨武角身命、三嶋湟咋、三島溝咋、三島溝橛耳神、陶津耳命、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇という。
賀茂建角身命と大山祇を祭るのは伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島鴨神社、京都の上賀茂神社と下鴨神社、奈良の天理三島神社などである。
神武を助けた八咫烏の正体が賀茂建角身命とされている。
賀茂建角身命は大和の葛木山から山代の岡田の賀茂(岡田鴨神社がある)に至り、葛野河(高野川)と賀茂河(鴨川)が合流する地点(下鴨神社がある)に鎮まったとされる。

賀茂建角身命の息子である建玉依比古が賀茂県主の祖である。
賀茂建角身命の娘である活玉依姫(玉櫛媛、勢夜陀多良比売)が鴨川で拾った(山城国風土記逸文による)丹塗矢で懐妊して産んだ息子が賀茂別雷命、または天日方奇日方(櫛御方、鴨主)であり、娘が後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)である。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子、イスケヨリ姫の次男が綏靖天皇である。

68 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:17:32.79 .net
>>67
そうそう。勝てば官軍。
平安京を誘致した勝者なのだから、その先祖は当然一宮となりました。
伊予や土佐ですね。

ちなみに土佐も豊国ワダツミ=広形銅矛が攻撃しています。

69 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:17:38.40 .net
>>66
根拠のない妄想ばかりですね。
キナイコシの撹乱かな?

70 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:18:43.98 .net
むしろ瀬戸内海と畿内を平らげたのが三島の賀茂族

71 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:23:15.09 .net
>>70
そう。そしてその利権を狙われた。

72 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:41:38.49 .net
むしろ天皇家はその後は8代にわたり大和盆地でくすぶったまま。
瀬戸内海の利権を奪えてはいません。

73 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:44:26.07 .net
奪われていたら葵祭(賀茂神社の祭り)なんてやってないっての。

74 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:52:31.56 .net
2代目をヤマツミ系にすることに成功したのだから、
滅びたわけではないし、むしろ逆転した。

75 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:53:44.55 .net
倭国乱で九州物部と大倭利権を奪い合いして、やっと久留米占領できたと思ったら、
今度は狗奴国が勃興しましたからね。
戦乱で瀬戸内経済がガタガタになったままだったのでしょう。
そう考えると、狗奴国と九州物部は手を結んだのでしょうね。

狗奴国と相対するのに倭国内で戦っている場合ではないから
結束する必要があるが、
伊都国王がヤマツミ系になったから、
ワダツミとしては素直に従い難い。

それで卑弥呼共立したとしたら、やはり豊国女王を担ぎ出したのでしょうかね。

76 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 22:58:32.22 .net
ニギハヤヒ系は銅戈ですから、
青谷上寺地遺跡は日本海側にポツンと孤立したニギハヤヒ系集落で、
倭国乱で真っ先に襲われたわけですね。

越後にも信州へ攻め込んだニギハヤヒ系軍隊が駐留していて孤立した。

親邪馬台国の拘奴國=女王国から東に渡海した四隅突出墳丘墓国家と
能登半島を境に戦って、最後は土製銅戈で出陣式をして特攻しています。

77 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 23:19:14.97 .net
ニギハヤヒ系軍隊が越後で粘っていたので、
翡翠の供給が途絶え、
邪馬台国女王の平原遺跡1号墓にも
拘奴国女王の赤坂今井墳墓第1埋葬にも
翡翠が無い。

その代わりにガラス装飾品を身に着けていたわけですね。

78 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 01:38:56.10 .net
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79 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 08:33:47.66 .net
>>77
そもそも北部九州地域では翡翠の装飾品は出ていない
翡翠だと考えられていた物は九州産の青雲母の装飾品だった。

80 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 09:15:49.30 .net
そいつは妄想を振りまいているばかりだから相手にしたくない。

81 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 13:32:09.05 .net
.


日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

.

82 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 15:55:36.10 .net
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83 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 20:23:10.78 .net
伊都

伊邪那岐族の首都。
高祖山=高千穂を中心として、
西の糸島平野(筑紫の日向)と東の早良平野(高天が原)から成る。

王家が連綿と続いており、
紀元前は東の早良平野に吉武高木遺跡。
紀元前2世紀の3号木棺墓は日本最古の三種の神器が副葬された王墓である。
紀元後は西の糸島平野に三雲井原遺跡。
三雲南小路王墓は1号甕棺大王と2号甕棺妃が共に葬られており、
細石神社に木花開耶姫が祀られていることから、
1号大王を瓊瓊杵尊に比定する向きもある。

吉武高木遺跡には、大型建物が建て替えられながら維持されていた。
これこそが伊都の王宮であり、
高木神、つまり殿上人が政治を行っていた場所と考えられる。

大量の鉄器、銅鏡など青銅器
楽浪土器
硯、室見川銘板「高暘左 王作永宮齊鬲 延光四年五(125年)」
潤地頭給遺跡の準構造船
など、弥生時代一級の出土物を誇っており、同時代の日本列島他地域の追随を許さない、
北部九州倭国=邪馬台(やまと)国の首都である。

84 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 21:27:55.52 .net
惜しい。

高天原
高 高貴な、祖先の
天 海(アマ)の
原 国邑、城

高天原は海上の聖地、沖ノ島だろう。

85 :日本@名無史さん:2020/10/12(月) 21:34:34.34 .net
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86 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 08:24:25.21 .net
どう見てもこっちが本スレだろ。
荒らすなよ、キナイコシ

87 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 08:25:13.02 .net
吉武高木の高木は高木の神と関係あるのか?

88 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 09:40:14.35 .net
高木、高来は、高句麗・高麗から来た種族の意味

89 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 13:41:16.71 .net
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90 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 17:26:58.53 .net
それだと天皇家の始祖が高句麗由来になってしまう。
ただ、年代的に高句麗はもう少し後だろう?

91 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 18:49:46.03 .net
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92 :日本@名無史さん:2020/10/13(火) 21:19:21.20 .net
.



日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.

93 :日本@名無史さん:2020/10/14(水) 02:35:29.57 .net
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94 :日本@名無史さん:2020/10/14(水) 12:53:59.70 .net
こっちが本スレですよ〜

95 :日本@名無史さん:2020/10/14(水) 13:33:30.16 .net
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.

96 :日本@名無史さん:2020/10/14(水) 15:49:09.39 .net
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97 :日本@名無史さん:2020/10/15(木) 20:45:37.90 .net
>>76
>青谷上寺地遺跡は日本海側にポツンと孤立したニギハヤヒ系集落で、

在地系と渡来系の人々が混住していたのも文献と整合性が取れますね。
葦原那珂津国(奴国)に、ニギハヤヒ系の上司(府知事:兕馬觚)と、
奴族の部下ナカスネヒコ(区長:卑狗)がいたのと同じ構図でしょう。

98 :日本@名無史さん:2020/10/15(木) 20:46:18.69 .net
奴国中心の中広形銅矛 奴国王 オオクニヌシ(制度上はアマテラス配下の将軍スサノオ)

奴国王失脚して伊都が奴国制圧後
伊都奴国双方から祭祀型銅戈 ニギハヤヒ(制度上はニニギ配下の伊都国直轄軍)

次が広形銅矛ですが、瀬戸内海東征はしていませんね。
ということは、広形銅矛は海幸彦か山幸彦かウガヤフキアエズでしょう。

広形銅矛は豊国ワダツミ領から大量に出陣していますから、
一度失脚した山幸彦が豊国豊玉姫と婚姻して捲土重来し、
海幸彦と対峙した際のもの、ということになりますね。

ニニギはオオヤマツミ側
山幸彦も海幸彦もオオヤマツミ側だったのが、
山幸彦はワダツミ側に取り込まれて、復活した。

99 :日本@名無史さん:2020/10/15(木) 20:49:33.60 .net
ということは、
山幸彦+豊国ワダツミ(広形銅矛) vs 海幸彦+ヤマツミ ということですね。

広形銅矛は、日本列島では主に土佐を攻撃している。
朝鮮半島にも出兵していますが、これは鉄を求めてでしょう。
魏志韓伝の『韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接』『國出鐵韓濊倭皆従取之』の前哨ですね。

広形銅矛が土佐を攻撃していて、瀬戸内海や琵琶湖沿岸を攻撃していないということは、
元は豊国が本貫のカモも、この時代に既に一枚岩でなく、
畿内、瀬戸内、土佐、などの各分派が独立しつつあったわけですね。

ということは、広形銅矛の攻略先から、
山幸彦+豊国ワダツミ(広形銅矛) vs 海幸彦+土佐アジスキタカヒコネ
だったことになり、
海幸彦のバックにいて妃を送りこんでいたのはアジスキタカヒコネだったことになります。

また満ち潮と引き潮、土佐を攻略、ということからは、
海幸彦+土佐アジスキタカヒコネが主導権を握っていたところに、
南海トラフのあれがあって、土佐が弱ったところを、
山幸彦+豊国ワダツミが攻撃して逆転した、ということだったのかも知れません。
地質学での年代測定などできたら比較可能でしょうか。

100 :日本@名無史さん:2020/10/15(木) 20:54:25.39 .net
広形銅矛が朝鮮半島をも攻略して、鉄資源入手ルートを確保したことで、
鉄器の大量生産が可能となった。

青銅器は錫入手量がボトルネックになりますから、生産量に限度があり、
青銅器武器の数=兵力<英雄時代>ですね。
甕棺墓戦士が特権階級です。江戸時代の武士ですね。

鉄器を一括大量生産できるようになると、
人数=兵力<軍隊時代>となり、
明治維新の政府軍のように、身分変革が起きたわけです。

甕棺墓の消失ですね。
落ちぶれて辺境に追いやられたのではなく、
社会変革、軍事構造変革によって、自発的、政策的、合理的に消えたわけです。
明治維新で武士が廃刀断髪したのと同じことですね。

101 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 00:45:42.04 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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102 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 08:23:14.25 .net
>>100
>甕棺墓の消失ですね。
>落ちぶれて辺境に追いやられたのではなく、

大和国という、当時としては辺境の地に追いやられたんだよ。

103 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 12:33:57.96 .net
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104 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 13:29:23.98 .net
>>88
高木は、大陸の徐福の母親のタクハチヂヒメから来てる。

朝鮮半島は全く関係がない

105 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 13:32:39.25 .net
>>70
事代主系ですね

106 :日本@名無史さん:2020/10/16(金) 16:05:31.98 .net
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107 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 15:34:07.43 .net
>>99
伊都説だと三雲南小路王がニニギで、
70-80年間の男王が日向三代になりますから、
倭国乱は広形銅矛のしばらく後、ということになりますね。

海幸彦が実権を握り、山幸彦が豊国ワダツミの元に身を寄せた状態から、
山幸彦が捲土重来を期して豊国兵と共に挙兵した、ということになると、
その時点で倭国大乱になってしまいます。
ですから、山幸彦と海幸彦は直接対決はしていない、ということになります。

ということは、
山幸彦が豊国に身を寄せる
→海幸彦+アジスキタカヒコネ一族が倭国の実権を握る
→海幸彦が病や事故で失脚する
→山幸彦が伊都に返り咲く
→山幸彦+豊国ワダツミ、に不服なアジスキタカヒコネ一族が衝突
という順番になります。

108 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 15:38:26.13 .net
もちろんアジスキタカヒコネは土佐に住んでいたわけではなく、
ヒコ(卑狗)がつくので、北部九州倭国内の支配官について北部九州に住んでいたわけですね。
カモ系のタギリヒメの荘園が土佐や岐阜にあった、ということでしょう。

オオクニヌシ、つまり奴国王が失脚した際に、
コトシロヌシ(八尋ワニ)は、母方の豊国ワダツミに保護された。

一方のアジスキタカヒコネは、勝者であるカモ側の、しかも女王タギリヒメの一族ですから、
失脚するどころか、むしろ政治の中央に躍り出たのでしょう。

海幸彦に妃を送りこんだということは、
アジスキタカヒコネ一族はカモ系の中でそれなりの実権を持っていたことになり、
つまりは大倭の職も得ていた可能性が高いですね。

タギリヒメ豊国女王の血筋としてヤマツミなどカモ族を取りまとめ、
瀬戸内利権と土佐太平洋利権を取り仕切っていたのでしょう。

109 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 15:39:53.03 .net
海幸彦の遭難にて山幸彦が伊都高祖宮に返り咲き、
国軍としての広形銅矛軍を一定期間発動させた。

つまりアジスキタカヒコネ一族は強敵だったわけです。

記紀においてアジスキタカヒコネは、
アマテラスと並んでオオミカミの称号がついているそうですから、
アジスキタカヒコネはおそらく瀬戸内海朱儒國と四国(太平洋側も含む)裸國を領有する
「王」を称していた可能性がありますね。
各地で王を自称していたとする中国側の文献とも矛盾しません。

最後は土佐の拠点である田村遺跡に逃げ込んで攻め滅ぼされたのでしょう。
考古学とも一致します。

110 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 15:42:25.84 .net
以上をもって、アジスキタカヒコネを解析してみると、
アジはウマシの意味で、おそらく大倭に就任していたことを指すのでしょう。

山幸彦に敗れたことで、アジスキタカヒコネは大倭職を失い、
ニギハヤヒ系のウマシマジへと大倭職が移った。
ウマシマジなら、ニギハヤヒ銅戈軍によって大阪湾に上陸した天孫族ですから、
瀬戸内利権を担当させるのに適任ですね。

>>46のように考えれば、
ウマシマジ以降の九州物部が皇城守護をしていた時期もあるわけですね。

シキを磯城と考えるならば、九州説だと阿志岐山城神籠石のことで、
アジスキタカヒコネは奴国オオクニヌシ系なので、
筑紫野市の辺りに、天神族系の鬼國と、
アジスキタカヒコネ系の鬼奴國があったことになります。

111 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 16:21:48.80 .net
妄想が激しい。

112 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 16:32:22.83 .net
>>109
田村遺跡からは九州豊国の鐘崎系土器が出土していますね。

古代においては地名の配置が現在と異なり、
宗像市〜遠賀川が古代出雲、
遠賀川〜北九州市が古代伯耆、
山鹿貝塚周囲の砂丘が比婆山、
鐘崎が稲場、
と考えられますから、
まさにカモ系の古代出雲の港町から移住してきた人々なわけですね。

稲場の白ウサギ(神官)による、沖ノ島祭祀や、
岡垣町に世界最大の祭祀型銅剣を埋納した一族の流れを汲んでいるわけです。

113 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 16:34:12.23 .net
瀬戸内四国については、
遠賀式土器以来、複数回にわたって移住の波があるわけですが、
時代区分としては、祭祀型青銅器が一つの目印になりますね。

時期をざっくり分けると、
@前期:環濠集落+銅鐸(Jアラート)で入植開始

A八上姫期:祭祀型銅剣
 瀬戸内開発が進んで高地性集落からの木材販売収益が向上したことで、富を蓄え、
 祭祀型銅剣を発注するようになる。
 各地で水銀鉱床を見つけ、露天掘り。
 清水ケ迫遺跡(大分市大字丹生字岡)(魏志倭人伝『其山有丹』)
 前1世紀〜0年前後

B奴国王期:中広形銅矛
 銅剣銅矛戦争に敗れ、荒神谷遺跡(タケミナカタ旧領)で降伏調印式。
 瀬戸内朱儒国として奴国王支配下に。
 高地性集落の整備。
 淡路島五斗長垣内遺跡の鉄工房稼働開始。
 若杉山遺跡で水銀朱を『人長三四尺』=高さ70-90センチの坑道掘り
 『又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里』
 金印後漢使の来日前に、楽浪郡使が侏儒國視察。五斗長垣内遺跡に宿泊
 『魏志倭人伝に伝わる里程測定』
 1世紀

C饒速日期:祭祀型銅戈
 ニギハヤヒ+ヤマツミによる大阪湾上陸作戦
 銅戈の出土分布から、出兵は九州からのみで、瀬戸内は兵站支援のみ
 60〜100年頃

➄山幸彦期:広形銅矛
 100年頃〜145年

114 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 16:46:35.90 .net
田村遺跡は鐘崎式土器の出土が示すように、
古くから古代出雲より入植してきた環濠集落。

伊予や田村遺跡など祭祀型銅剣が出土しない地域というのは、
八上姫時代には既に安定期に入っていた。
また、八上姫時代に出兵もしていない。

最終的には広形銅矛に攻め滅ぼされたのは考古学が示す通り。
もちろん住人は一旦山奥などへ逃げ込んだのでしょう。

115 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 17:26:47.93 .net
C饒速日期:祭祀型銅戈
 ニギハヤヒ+ヤマツミによる大阪湾上陸作戦
 銅戈の出土分布から、出兵は九州からのみで、瀬戸内は兵站支援のみ
 淡路島舟木遺跡の鉄工房稼働開始
 60〜100年頃

➄-1山幸彦前期:
 アジスキタカヒコネによる瀬戸内四国運営期
 銅戈軍の活動終了し、五斗長垣内遺跡稼働停止

➄-2山幸彦後期:広形銅矛
 田村遺跡の滅亡、その後半島出兵
 100年頃〜145年

116 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 18:58:54.64 .net
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ農業を広める

弥生中期
九州 大山祇らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作が拡大、出雲に大山祇の曽孫の大国主が日本海を支配

弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 大国主は失脚、三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権

弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州を脱出、収拾のため伊都で共立された卑弥呼が、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる

古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ

古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で筑紫倭王であった応神による統一王朝へ

117 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 19:54:10.50 .net
【かな文字】 漢字より、へブル文字に似てると話題
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1590450750/l50

118 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 20:04:21.26 .net
【八咫鏡】
天皇位の象徴である三種の神器の一つ。
径1尺の円の円周が4咫であり、八咫の鏡は直径2尺(46cm)、円周が8咫の銅鏡と考えられる。
延喜式伊勢大神宮式や皇大神宮儀式帳では八咫鏡を入れる桶代は径49cmである。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/330-02_2.gif
平原遺跡から出土した史上最大の銅鏡である超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、これらに一致する。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。

内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
伊都にある王墓の代表である三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は内行花文鏡を王権の象徴として漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことになる。
八咫鏡は天孫ニニギら日向王家の象徴であり、伊都が記紀に伝えられる倭国の旧都、筑紫の日向であったことがわかる。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口、日前は西の出口にあり、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
筑前国風土記逸文では、宗像大社邊津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊都に5枚、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、宗像邊津宮と、最低でも10枚は存在していたことになる。
この他に日本書紀では筑紫の帥である神夏磯姫が所有していたことが記録されているが、消息は記録されていない(上記のいずれかと重複しているか?)。

119 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 21:04:01.08 .net
.



(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


.

120 :日本@名無史さん:2020/10/18(日) 21:05:33.99 .net
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.

121 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 03:36:04.02 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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122 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 08:19:10.81 .net
そっちは偽スレ

123 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 09:24:16.92 .net
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124 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 11:05:42.96 .net
そっちはキナイコシが荒らすからダメだな。
そもそもスレタイもテンプレもおかしい。

125 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 13:03:05.45 .net
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.

126 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 19:14:58.17 .net
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127 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 19:23:03.64 .net
それ、偽スレだろ(笑)
(笑)とついているもんな(笑)

128 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 19:23:27.53 .net
あきらめろよ、キナイコシ
お前は負け犬だw

129 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 19:23:30.15 .net
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130 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:19:50.25 .net
伊都国は倭国最大の工業地帯だった。
だが工業地帯は単体で成立できない。
労働者の住居や、食糧生産の地域が付随する必要がある。
すなわち、単体の環濠集落で完結する国邑ではなく、複数の国邑が機能を分化させて担っていたのである。
これが連合国家または領域国家としての邪馬台国である。
そしてその中で最大の権威として周辺諸国から畏れられていたのが伊都国であった。
魏志倭人伝は、その支配機構を大率と記録している。
率は帥と同音同意であり、後世の大宰の帥と同じく、女王国の代理人である。
郡使は常に伊都に滞在し、女王に謁見していた。

131 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:23:27.40 .net
本筋はいいですが、
伊都は首都ですよ。

首都に工業地帯は作りません。
環境汚染されますからね。

工業地帯は、奴国や、
はるかかなたの工房群でしょう。

132 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:23:52.32 .net
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133 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:32:07.30 .net
>>131
ところが青銅器製作とかもやってしまっていたようです。
平原遺跡の八咫の鏡ももちろん伊都国で製作したのでしょう。
環境汚染は首都機能の寿命を縮めてしまったしまったかもしれません。

134 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:39:30.36 .net
糸島は、博多奴国の工人部落、漁民部落、水夫部落

135 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:48:00.36 .net
>>133
付加価値の高い超高級品は伊都でも作っていたでしょうね。

雑多な工房は奴国。
粗悪な日常品は九州外。

136 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:52:50.81 .net
伊都国 ワシントンD.C.
奴国 ニューヨーク

137 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 21:54:49.05 .net
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138 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:04:45.58 .net
伊都国の工業といえばちょっと面白い話を見つけた

http://www.yoshinogari.jp/contents4/files/1412321758_5.pdf
> 玉つくり工房群の発見
> 平成 16 年度に行われた潤地頭給遺跡の発掘調査では、これまでの想定を覆す大発見があった。玉つくり工房群である。
> 調査した弥生時代終末〜古墳時代前期の 30 棟近くの竪穴住居から、碧玉、水晶などの原石、製作途中の勾玉、管玉、丸玉や剥片、叩き石や工作台、
> 玉の整形に用いた砥石、穿孔用錐など、玉つくりの工具が出土した。
> 石材の主流を占めるのは碧玉で、科学分析によってその原材が出雲の花仙山産であることが明らかとなった。
> 集落から出土した土器の中に出雲特有の土器が多く含まれていることから、この工房の運営には出雲の玉つくりの工人たちが関与していたとみられる。
> 弥生時代終末〜古墳時代前期において、これほど大規模な玉つくり工房は国内では知られておらず、当時、わが国最大規模の工房だったとされる。
>
> ところが、当時伊都国をはじめとする北部九州における装身具への嗜好は、平原王墓に代表されるようにガラスであった。
> ガラス製勾玉や大量のガラス小玉を用いた首飾りが当時の権力者たちのステイタスであり、逆に玉製装身具は伊都国での需要度は極めて低かった。
> 「倭人伝」には、当時の倭地の産物のひとつに「真珠」や「青玉」があげられている。
> 「青玉」は碧玉製の玉だったと考えられ、輸出品の一つが碧玉の玉だったことがわかる。輸出用の「青玉」つくりの最前線であった可能性は極めて高い。
> このことから、潤地頭給遺跡の玉製装身具の供給先は海を越えた大陸側にあったと考えることができる。
> 問題はこの工房群を運営した主体をどのように考えるかである。伊都国が管理していたのか、邪馬台国であったのか。
> 当時のわが国の政治情勢を探るうえで極めて重要な課題である。

139 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:13:20.72 .net
>>138
>> 問題はこの工房群を運営した主体をどのように考えるかである。伊都国が管理していたのか、邪馬台国であったのか。

伊都国が邪馬台国の王都なら問題ないのだよ。

140 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:15:10.52 .net
過去スレでも出てたでしょ。
伊都国は女王の都だから装飾品を作ってた。
公害も少ない。

重金属を扱うような危険な工業は伊都国外、なるべくなら九州外。

141 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:22:55.75 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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142 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:26:06.52 .net
でも実際に作っていたわけで、考古学的証拠は無視できない。
ただし海側に工業地帯で、山に近いところ、特に山上は清浄で王のいるところだっただろう。
つまり高祖山だ。

143 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:28:26.45 .net
ああ、規模の問題ね。
奴国みたく工業地帯レベルじゃないっていいたいだけ。

144 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:32:57.13 .net
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.

145 :日本@名無史さん:2020/10/19(月) 22:44:10.24 .net
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146 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 08:19:11.59 .net
>>143
そりゃ奴国にはかなわないが、奴国を除けば国内屈指の先端技術があったわけだからね。
しかも奴国には王がいなかったから、実質的には奴国は伊都国の支配下だったはず。

147 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 09:01:23.20 .net
糸島は、博多奴国王(旧委奴国王)の下請け工房部落。

真の伊都国は佐賀平野にあった。

148 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 09:50:37.64 .net
糸島に王がいたのなら、その時期には奴国(那国)の王宮が糸島にあったのさ。
それだけの事よ。

149 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 10:07:52.35 .net
それは魏志倭人伝に従うなら伊都国と呼ぶべきだよ。
王家としては後漢書の倭奴国の末裔だとしても。

150 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 10:45:35.01 .net
朝日新聞編集委員 中村俊介
>とはいえ、伊都国は手強い。謎も多い。
>倭人伝に「代々王あり」とある。ならば少なくとも前1世紀ごろの三雲南小路遺跡以降、それに続く「王墓」があるはずだ。
>実は、黒田藩の学者、青柳種信は三雲南小路とともに井原鑓溝王墓の発見経緯や出土品の記録を「柳園古器略考」に
>残してくれている。ところが糸島市教委の探索にもかかわらず、いまだに見つからない。なぜだろう。

ま、散逸したというよりは、(博多黒田藩の祖が)中華王朝の臣下であったことを憚って、しかるべく措置したのではないか。
その結果、金印は離島から出土し、大小の鏡は破損した状態で西方の片田舎から見つかったということであろう。

151 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 11:03:13.21 .net
学校法人旭学園 高島忠平
>「魏志倭人伝」中の伊都国は、女王国約三十国の中で、政治的に重要な位置にあったことが分かる。
>(糸島の)伊都国は、支石墓・人骨の形質等から海人集団が主体と考えられる。こうしたことから、
>当時の倭人社会の政治・経済上、中国や朝鮮半島との対外関係は最も重要な戦略であり、
>その要衝の地に、交易・交流を担う海洋国として、女王国三十国の中で中枢的な立場にあったと考えられる。

糸島が、かくのごとき要衝の地であり、交易・交流を担う海洋国として、女王三十国の中枢的な立場にあったのであれば、
帯方郡の使いがなぜ糸島港を避けて、官もおらず前を行く人も見えない草ぼうぼうの辺鄙な末盧国に上陸したのか、まことに理解しがたい。
明らかに、糸島、今宿、博多を避けたとしか思えぬ。
しかも倭人伝には、末盧国東南陸行五百里にして伊都国に到ると書かれている。
そこは、地元民なら誰が見ても佐賀平野である。

152 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 13:40:53.84 .net
.


日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

.

153 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 13:48:57.48 .net
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154 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 14:39:20.57 .net
>>151
里程が佐賀平野までは届かないであろう。

155 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 15:38:44.28 .net
>>154
末盧国から北東の糸島・大宰府回りにすると、そりゃ届かないわな。

だから末盧国から松浦川を上流へ行き、小さな峠を越え、300里で佐賀平野の入り口の多久市へ出る。
そこで東に転じて200里進めば現・佐賀市大和町へ到る。合計してちょうど500里。
この古街道は地元のものにはおなじみの道だ。
そしてこの大和町の川上地区は記紀に云うヤマトタケル(カワカミノタケル)の砦があった伝説の地でもある。未発掘の巨大遺跡が眠る・・。

156 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 16:25:30.86 .net
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157 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 16:47:40.43 .net
    ,、‐'''''''''ヽ、
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     l::::::l  _,,、-‐"iiiiiilllllllllllliiiiiiiー-、__ゞ:::::::::::`ヽ,
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    ヽ   ヽ/        ノ    : : :ヽ/   <  すぐにくびをつってしんでね!
     \  \,,_    _,,,/     : /\       \しまじろうとお約束だよ!!!
       `''‐、、__  ̄ ̄   __,,,、-‐"            ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.     //:::::/ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ノ::::/\
.   / /:::::/  ` ̄ ̄ ̄/:::::/.  \

158 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 16:51:15.25 .net
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159 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 17:47:31.62 .net
>>158
そっちの方が荒らしで立てた重複スレだよね。

160 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 17:48:05.48 .net
>>155
一理が何メートルなんだよ。
おかしくないか?

161 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 17:49:31.73 .net
>>155
あと、クマソタケルの砦ではなく屋敷(宮)だろうね。
弥生時代だから高床建物で、ちょうど後世の神社みたいな建物だったろう。

162 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 17:53:06.19 .net
>>155
自分で狗奴国領だったと宣言している我田引水君

163 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 18:22:14.55 .net
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164 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 21:13:14.75 .net
.


日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

.

165 :日本@名無史さん:2020/10/20(火) 21:15:30.15 .net
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166 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 00:10:45.00 .net
>>148
奴国の王都である春日丘陵には弥生期の海人族の痕跡が見られない
奴国は工業と稲作の国であり海人の国ではない
海人族の国である伊都国とは文化が異なるのであり得ない


319 :日本@名無史さん :2020/10/03(土) 12:14:33.96
奴国は農耕、工業が盛んな国であり海人の国ではない

https://www.city.kasuga.fukuoka.jp/miryoku/history/1002187.html
弥生時代(紀元前5世紀〜紀元後3世紀中頃)
急激な人口増加は現在の春日市が最初というわけではなさそうです。
弥生時代の人口の拡大も爆発的なものがあったようで、『後漢書』でいう「「奴国」の王」の墓が所在する春日丘陵一帯は、遺跡が高密度に分布しています。
後にここが弥生銀座と呼ばれることになったのもうなずけます。
またこの頃になると、わが国最古級の水田稲作遺構として有名な板付遺跡を身近に持ち、農耕の先進地として高水準の文化が存在していたと思われます。
しかしその一方で、青銅器やガラス製品、あるいはそれらの鋳型が集中的に出土しており、この時代の春日が農耕のみならず工業面でも優れていたことを物語っています。

167 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 00:16:48.72 .net
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168 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 07:23:19.18 .net
>>166
>しかしその一方で、青銅器やガラス製品、あるいはそれらの鋳型が集中的に出土しており、この時代の春日が農耕のみならず工業面でも優れていたことを物語っています。

ガラスや青銅などの材料は輸入に頼っており、海人族が得意とする海洋貿易の成果と言える。
そしてそれを統括していたのが伊都の大率であり、(奴国を含む)周辺の諸国から畏れ憚られていたと魏志倭人伝には書かれている。
このような支配構造は、考古学的遺跡だけではなく、魏志倭人伝などの文献もあわせて検討しなければ解き明かすことはできない。

169 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 07:36:12.48 .net
奴国は葦原那珂津国、オオクニヌシの国だから工人商人の国だよ。
海人族とは全然別。

170 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 07:38:11.14 .net
考古学的遺跡でもしょうでしょ。
伊都は首都ワシントンだから正式な楽浪外交官やお偉いさんだけ。
奴国は経済都市ニューヨークだから多数の雑多な渡来系技術者を抱えていた。

171 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 08:50:04.06 .net
>>169
その大国主を倒して豊葦原中国の王になったのが筑紫の日向の伊都の天孫族だと記紀に書いてある。
奴国は伊都国の海人族(アマツカミ)が支配する工業地域だよ。

172 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 08:56:30.85 .net
どうやら気が振れて・・・、

173 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 12:08:20.27 .net
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174 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 12:46:28.35 .net
反論できないからと言って荒らすなよ、キナイコシ

175 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 13:10:33.73 .net
.



日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.

176 :日本@名無史さん:2020/10/21(水) 14:06:36.97 .net
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177 :日本@名無史さん:2020/10/28(水) 23:20:47.95 .net
>>88
>高木、高来は、高句麗・高麗から来た種族の意味

そのとおり、目の付け所がありますな。

178 :日本@名無史さん:2020/10/28(水) 23:23:04.06 .net
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179 :日本@名無史さん:2020/10/29(木) 13:33:37.15 .net
.



日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.

180 :日本@名無史さん:2020/10/29(木) 15:20:32.02 .net
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181 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 13:04:58.34 .net
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.

182 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 13:32:03.49 .net
>>180
荒らしているくせに盗人猛々しい。

183 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 14:06:02.96 .net
うむ

184 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 14:40:58.75 .net
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185 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 14:44:14.58 .net
>>181
朝鮮ヒトモドキどもは玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡はさらに古いなどと言い出したが
同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された。

そして1999年にイ・サンギル氏、イ・ヒョンソク氏、ガク・ジョンチョル氏らによる
学術論文「ウルサンムゴドンオクヒョン遺跡」が発表されて以来20年以上も研究対象に
なっていないゴミ遺跡である。

同論文によれば、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され
既に文殊中学校になっているとの事。

またはウルサン市の公式サイトによれば、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は
大韓住宅公社運営のオクヒョン第二住公アパートになっているとの事。

いずれにしても本国ですら正確な位置を把握していない程のクソ遺跡であることは明白。

その無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑は
この地球上に存在すらしていない。

よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より
古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として
すでに韓国歴史学の恥部となっている。

※玉蟾岩土器とは
1998年に青森県の大平山元遺跡から出土した土器が2008年の炭素年代測定で
約1万6,500年前の世界最古と公表された翌年に中国湖南省の玉蟾岩洞穴から突如として
発掘され、炭素年代測定で約1万8,000年前の物だと主張。
しかし、ロシア国立博物館から再調査の依頼があった途端に盗難に遭い
忽然と姿を消してしまった土器のこと。

出典元:
学術論文「蔚山ムゴドンオクヒョン遺跡」
https://library.knou.ac.kr/user/login?returnUrl=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061&__referer=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061

ウルサン市公式サイト「ムゴドンオクヒョン遺跡」
http://ulsan.grandculture.net/Contents/Index?local=ulsan

186 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 15:03:59.97 .net
>>185



おまえの正体





五毛党(ごもうとう、英語: 50 Cent Party、拼音: wǔmáo dǎng)とは、
中華人民共和国における中国共産党配下のインターネット世論誘導集団を指す
ネットスラングである。正式名は網絡評論員(インターネットコメンテーター)
であり[1]、2005年ごろまでは書き込み1件当たり5毛(5角(=0.5元)を口語で
こう呼ぶ)が支払われていたことからこの蔑称が名づけられた。網軍[2][3]と
呼ばれることもある。

通常は一般人を装い、インターネット上のコメント欄や電子掲示板などに、
中国共産党政権に有利な書き込みをする。または共産党「それに関連する事」を
批判する人に対する集団攻撃をする。ネットを通じ、世論誘導をする役割を
担っている。2015年時点で、約1050万人程度いると見られている[4][5]。
中国政府が世論操作のためにSNSに投稿させている「やらせ書き込み」は、
年間で4億8800万件に上るという[6]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%AF%9B%E5%85%9A#:






.

187 :日本@名無史さん:2020/10/30(金) 15:12:23.50 .net
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188 :日本@名無史さん:2020/12/17(木) 20:27:35.50 .net
アゲアゲ

189 :日本@名無史さん:2020/12/18(金) 00:34:12.67 .net
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190 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 18:47:00.62 .net
ココが本物のスレです

191 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 19:16:33.91 .net
邪馬壱国は北部九州微あった説も偽ユダヤシオニズムだ、
倭人伝を手前勝手に読み替え、糸島に「シオンの丘」ならぬ「卑弥呼もどきの墳丘」をでっちあげて陣取りをしてる、、。

192 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 02:01:54.53 .net
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193 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 12:47:30.31 .net
.






◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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194 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 13:01:41.30 .net
>>193
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
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  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

195 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 13:01:51.83 .net
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196 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 14:21:23.94 .net
.






日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約5500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





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197 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 19:06:02.62 .net
葦原中国=葦原那珂津国=奴国(那の津)

大己貴命=大奴貴命
→八千矛神=中広形銅矛の将軍
→大国主神=奴国王

漢委奴国王 漢は奴国王に倭地を委ねる
倭奴国奉貢朝賀 倭地の奴国が朝貢してきた

198 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 20:19:22.98 .net
豊葦原中国を治める倭王となるためには、漢の皇帝による冊封が条件であり、そのためには博多湾沿岸にいなければいけなかった。
王統は度々入れ替わったが、博多湾沿岸にいた権力者が倭王だったのだ。

199 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 20:51:44.94 .net
で、あれば、倭王が代替わりするたびに朝貢してくるはず
あるいは、魏の初代皇帝にも朝貢してきたはず

冊封は倭王になる条件では無かった

翡翠勾玉 =日本海沿岸を統一した証
銅鏡   =対馬海峡を制圧して海外交易を掌握した証
鉄剣   =鉄器武力を掌握した証

これが倭王の条件であったが、
たまにそれを満たせない王が現れ、
足りない権力を補完するために大陸からの金印冊封を求めた、
ということ

200 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 20:59:39.21 .net
明帝の時になって遣使がやってきてようやく承認されたものだから
明帝は喜んではんこの大盤振る舞いした

201 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 21:01:58.80 .net
王が自然に湧いてくるように思っているところがまぬけ

202 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 21:04:06.24 .net
吉武高木王墓群  <硯・王紀>
→奴国王一代   <金印冊封>
→三雲井原王墓群 <三代>
→平原遺跡    <女王墓>

203 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 21:05:54.12 .net
>筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。


違う! 「筑紫」の日向などない。

古事記のイザナギの禊の場面では「竺紫(とくし)の日向の橘の小門の阿波岐原」とあり、「竺紫」である。

また、ニニギ降臨時の場面でも「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」と「竺紫君石井」が見られる。   @阿波

204 :日本@名無史さん:2020/12/28(月) 10:44:31.21 .net
>>203
徳島朝鮮人のクセに
九州に憧れすぎ(笑)www
         ____
       /_ノ  ヽ、_\ ぎゃはははは
     o゚((●)) ((●))゚o   ,. -- 、
    /::::::⌒(__人__)⌒:::::: /    __,>─ 、
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 _ _(_)     | |  |    }  \       ,丿 ヽ
l_j_j_j^⊃    | |  |   /   、 `┬----‐1    }
 ヽ  |     | |  |  /   `¬|      l   ノヽ
  ヽ \      `ー'ォ /     、 !_/l    l   /  }
             {       \      l  /  ,'
             \      ´`ヽ.__,ノ  /   ノ
               \     ヽ、\ __,ノ /
                 ̄ ヽ、_  〉 ,!、__/
                      ̄

205 :日本@名無史さん:2020/12/28(月) 10:44:42.33 .net
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206 :日本@名無史さん:2020/12/28(月) 10:52:36.36 .net
>>199
>で、あれば、倭王が代替わりするたびに朝貢してくるはず
>たまにそれを満たせない王が現れ、

倭国大乱で国交がしばらく絶えていた。
その間の王は、魏志倭人伝でも単に王とだけ呼んでおり、倭王とは書いてない。

207 :日本@名無史さん:2020/12/28(月) 10:55:45.65 .net
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208 :日本@名無史さん:2020/12/28(月) 14:49:36.07 .net
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◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


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209 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 03:19:43.23 .net
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210 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 09:30:14.81 .net
>>208
土器はその土地の土を使うから、そのままのものが使えないのでは?

211 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 10:33:22.57 .net
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212 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 15:12:37.76 .net
>>199
公孫氏が遼東から朝鮮半島を支配していたので道を塞がれ魏へは入朝出来なかった
公孫氏の滅亡で魏への道が開かれた
また漢が滅亡し漢委奴国王印が効力を失っていたので新たな印を求めた
漢委奴国王や親魏倭王印を持つ事が日本の正当な支配者の証だった。

213 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 15:15:01.86 .net
>>201
>>206
王とは中国の皇帝が任命した者か王を自ら騙っている者

214 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 15:16:00.06 .net
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(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html



.

215 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 15:23:10.43 .net
.




7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html



.

216 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 18:15:16.93 .net
王を自ら騙っている者であってもその由緒を否定できない場合には既存のものとして受け入れざるを得ない
ルーツが周代とかで周知のグループが王を自称したケースとか

辺境の大酋長を王に叙任して帝政下に取り込む政策は漢武帝あたりから活発化

217 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 01:33:30.30 .net
>>214-215
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

218 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 01:33:41.05 .net
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219 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 10:25:46.41 .net
伊都国の王が卑弥呼であり
伊都国が邪馬壹国の王都
他に王を自称している狗奴国の卑弥弓呼がいた
倭に王はこの2人だけ。

220 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 10:32:04.57 .net
>>219
妄想を垂れる前に、その妄想に見合う「集落遺跡」を示せ! アンポンタン。

碌な弥生集落遺跡や資源の無い九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波 

221 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 10:34:40.82 .net
>>219
               ∩_
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  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

222 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 10:34:57.35 .net
>>220
徳島朝鮮人はクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!
     / ̄\
    |/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ギャハハハハハ
  (ヽノ// //V\\|/)
  (((i)// (゜)  (゜)||(i)))
 /∠彡\| (_●_)||_ゝ\  
(___、   |∪|    ,__)
    |    ヽノ  /´
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223 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 10:35:11.12 .net
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224 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 13:49:14.17 .net
.






中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!





.

225 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 14:20:53.59 .net
>>224
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

226 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 14:21:03.60 .net
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227 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 07:56:44.19 .net
明けましておめでとうございます。

228 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 07:57:55.32 .net
>>225








おまえの正体





孔子学院(こうしがくいん)とは、中華人民共和国が諸外国の大学などの教育機関と提携し、
中国語や中国文化の教育及び宣伝(プロパガンダ)、中華人民共和国との友好関係醸成を
目的に設立した中国政府の機関である。中国共産党中央統一戦線工作部の強い影響下に
置かれている。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90%E5%AD%A6%E9%99%A2









.

229 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 14:26:06.93 .net
いつまでもバカなミンジョク願望や被害妄想を滾らせてないで
オモニのおっぱいに吸い付いときなさいニダ

              / ⌒ ⌒ \
             /   ノ ノ ノヽ ヽ
           |  ノ     |  |
           | / ⌒   /⌒ヽ |
           ( V -・-ノ   -・- V )
            (   (       )
            |  ノ  ̄ ヽ   |
            | `<二>′ |
          __\_____/_
        /:::::::::::\\`ー─ '/7::::::ヽ
        /:::::::::::::::::::::\\  //::::::::::::::i
        |:::::::::::|:::::::::::::::\\//:::::::::/:::::|
        |:::::::::::|:::::::::::::::::/ i | i:::::::::::|:::::::|
        |:::::::::::| ̄ ̄ ̄ r | |/ ̄ ̄ヽ::::::l
        |:::::::::::|、 @ ノ__l ||  ◎.ノ::::::|
        l:::::::::::{>─-  ─L!|.` ー┤:::::::|
        ヾ::::::::`ヽ_______,}::::::::l
        ./\::::::::::\  i |  l! ./:::::::|ヽ
       /  \:::::::::::> .| l   /:::::::/  \
       /    \/ \   / ̄ ̄l    \
      ./      ヽ_!_!_j_}  └|_!_!_!j      \

230 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 14:26:19.59 .net
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231 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 12:12:18.29 .net
>倭国=日本

倭国(阿波)=奈良遷都  の構図。   @阿波

232 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 14:45:12.18 .net
.






◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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233 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 15:29:53.81 .net
>>231
徳島朝鮮人はクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!
     / ̄\
    |/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ギャハハハハハ
  (ヽノ// //V\\|/)
  (((i)// (゜)  (゜)||(i)))
 /∠彡\| (_●_)||_ゝ\  
(___、   |∪|    ,__)
    |    ヽノ  /´
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234 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 15:30:14.56 .net
>>232
               ∩_
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      ____   〈⊃  }
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  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

235 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 15:30:22.99 .net
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236 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 15:45:11.28 .net
>>235
こっちのスレの方が古いかもしくは活発なんだから(スレ数の通し番号からの類推)、そっちのスレの方が重複で削除対象ではないかな

237 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 16:53:23.44 .net
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238 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 16:53:40.25 .net
そいつは荒らしだから相手にしなくていいですよ。

239 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 16:54:11.10 .net
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240 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 07:47:35.84 .net
1人で何回投稿しているんだよ。
お前が荒らしで確定だろ。

241 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 09:45:14.80 .net
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242 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 14:00:39.98 .net
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(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html



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243 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 15:33:30.06 .net
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244 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 20:04:13.92 .net
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7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html



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245 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 02:15:43.88 .net
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246 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:36:28.02 .net
魏志倭人伝に出てくる個人名についてですが、
まずは『乃共立一女子為王 名日卑弥呼』。

倭人が、卑弥呼から始まって、難升米、都市牛利、伊聲耆掖邪拘、(卑弥弓呼素)、載斯烏越、壹與
魏人が、劉夏、弓遵、梯儁、王頎、張政
ですね。

基本的に、初出時はフルネーム。2回目以降は名前だけとなります。
これは三国志全体でもそうですね。

都市牛利→牛利→牛利(ゴリさん?笑)
張政→政→政

伊聲耆掖邪拘はよく、伊聲耆と掖邪拘、と訳されますが、
正確には、姓が伊聲耆で名が掖邪拘の、「伊聲耆掖邪拘さん」ですね。

伊聲耆掖邪拘等八人→掖邪狗等→掖邪拘等という表記になっています。

伊聲耆さんと掖邪拘さんという解釈にすると、
伊聲耆掖邪拘等八人が遣わされたのに、
掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬ですから、掖邪狗は銀印をもらえたのに、
主となる伊聲耆さんだけ何ももらえなかったことになってしまいます。

247 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:37:25.24 .net
掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬、についてですが、
これもよく掖邪狗たち「8人全員」が率善中郎將になって銀印を授かったと誤解されますが、
「伊聲耆掖邪拘一人」が、率善中郎將となって、「その場で」銀印を授かった、が正解ですね。

卑弥呼や難升米と比較するとよくわかりますが、
卑弥呼への親魏倭王金印:景初二年に仮綬→正始元年に梯儁が持ってきて実物を授与
難升米や都市牛利への銀印:同上
難升米への黄幢:正始六年に仮授→正始八年に張政が持ってきて実物を授与
いずれも、与えることを約束しておいて(仮授)、それから作成あるいは発送して、
後日本人へ授与となっています。

これに対して、
掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬、の壱拝とは、
伊聲耆掖邪拘は、洛陽に行ったその場で銀印を直接貰えた、ということですね。

248 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:38:14.41 .net
時系列としては、
景初二年十二月:難升米が率善中郎將、都市牛利が率善校尉になって、銀印を仮授
正始元年:梯儁等が来倭して銀印を授与

正始四年:伊聲耆掖邪拘が率善中郎將になって、銀印をその場でゲット

正始六年:倭の難升米(肩書なし)に、黄幢を仮授
正始八年:
載斯烏越が遣わされて卑弥弓呼素と戦争中であると報告し、
張政がやって来て、難升米(肩書なし)に黄幢を授けた。
〜〜
率善中郎將の掖邪拘が、張政を送って、洛陽へ朝貢した。


こう考えると、魏から見た場合の、倭人への最高軍位である、率善中郎將は、
景初二年十二月に難升米が任ぜられたものの、
正始四年には伊聲耆掖邪拘に引き継がれていることになります。

それ以降も難升米は登場しますが、率善中郎將の肩書は無く、
一方で伊聲耆掖邪拘は張政を見送る時に再登場していますが、率善中郎將がついています。

249 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:38:54.88 .net
倭には大率がありますね。

大率、率善、大宰帥、といった言葉が、
北部九州倭国の軍事権を象徴する言葉だったのでしょう。

250 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:39:59.60 .net
難升米→伊聲耆掖邪拘が率善中郎將
都市牛利が率善校尉

伊聲耆掖邪拘が率善中郎將になったからといって、
難升米は失脚したわけでなく、邪馬台国軍の最高指揮官として黄幢、檄告喩を受けています。

難升米が率善中郎將を自ら辞退して伊聲耆掖邪拘に引き継いだとすると、
その理由として考えられるのは、率善中郎將のままだと不都合な立場になった、
ということですね。

ということは、卑弥呼の次の男王になった可能性があります。
正始四年頃から卑弥呼の体調が崩れ、難升米が次期政権への準備を始めた。
親魏倭王金印を引き継ぐ準備ですね。

そのために伊聲耆掖邪拘を派遣して率善中郎將銀印を引き継がせ、
難升米自らは魏武官の肩書を外して、倭王となる資格を整えた。

難升米と女王壹與は同じく檄告喩を受けていることから、
難升米が邪馬台国内で女王と同じくらい高い立場、つまり男王であった、と考えることが出来ます。

251 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 13:45:35.83 .net
>>246
>基本的に、初出時はフルネーム。2回目以降は名前だけとなります。
>これは三国志全体でもそうですね。

と、いうことは、ですね。
都市牛利→牛利→牛利は、姓が都市、名が牛利です。
伊聲耆掖邪拘→掖邪狗→掖邪拘は、姓が伊聲耆、名が掖邪狗です。

一度だけしか名前が出てこない、載斯烏越は、
載斯家の烏越さんかもしれないし、姓のない、ただの載斯烏越さんかもしれない。

そして明らかなのは、複数回名前が出ているけれども、毎回フルネームの、
難升米、卑弥呼、壹與は、姓が無くて、ただその名だけ、
ということです。

252 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 14:07:04.59 .net
投馬國の官の彌彌を、ミミと考えるならば、です。

魏志倭人伝において、
彌の読みは「ミ」ということになりますから、

不彌國 フミ國
彌彌 ミミ
彌彌那利 ミミナリ
彌馬升 ミマショウ
彌馬獲支 ミマカチ
彌奴國 ミナ國
となりますね。

奴國 ナ國
卑奴母離 ヒナモリ
も、日本語側の残存語から「ナ」で確定でしょうから、
魏志倭人伝における倭語への表音当て字で使われている「奴」については、
全て「ナ」と読むのが正しいですね。

時々、奴國はナ國なのに、〇奴国は〇「ド」國と読む解釈がありますが、
これは恣意的解釈が入ってしまっているわけです。

253 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 16:32:25.74 .net
>>247
掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬、を
さらに補足すると、

「等」がついているのは、
難升米に同行した都市牛利が、率善校尉とその銀印を授与されたのと同様に、
伊聲耆掖邪拘に同行した副官以下も、校尉などを与えられてその場で銀印あるいは銅印を授与されましたよ、
ということですね。

初回の難升米の時は、
親魏倭王金印が絡む最重要イベントだったので、
魏帝の詔書全文が記録され、
都市牛利は名前と役職などが残りましたが、

伊聲耆掖邪拘の時は、割愛されたわけですね。

254 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 17:00:43.00 .net
もう一文字、大事な文字が「支」ですね。

爾支 ニギ(キ)
伊支馬 イキマ (弥生時代の最重要ルートの対馬海峡:壱岐対馬)

一大國が一支國=壱支國=壱岐國、であり、支→大の転写間違いという説を採るなら、
イキ國

そうなると、魏志倭人伝における倭語への表音当て字で使われている「支」については、
全て「キ」と読むことになり、

弥馬獲支 ミマカキ

になりますね。

255 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 17:02:56.66 .net
>>253
いや、「壱」拝だから、
掖邪狗等は8人で朝貢したけれども、
8人行ったものの、掖邪狗ただ一人が率善中郎將印綬をもらった(その場で)、
でいい。

256 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 17:27:07.07 .net
21世紀の我々は、残された全ての文献と、
近現代に科学的に発掘された全ての考古学遺物の情報を手にしていますから、
全てが繋がります。

硯が出土し、平塚川添遺跡などの重要遺跡が密集。
阿志岐山城神籠石と、その麓の甕棺墓集落群。
筑前と筑後を繋ぐ要衝に、後の羅城に組み込まれる城壁。

つまり、
磯城=阿志岐山城神籠石
彌馬=三輪=旧三輪町
彌馬獲支=朝倉市三奈木
彌馬の城=平塚川添遺跡?

二世紀三世紀九州倭国における軍事経済の要衝ですね。

257 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 18:46:56.55 .net
獲支 獲居 掖 wa-qi は傍系を示す

258 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 18:49:32.00 .net
wa-qi は wa-qe に化ける

259 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 18:59:35.74 .net
魏志倭人伝に記載された北部九州邪馬台国の官制は、考古学的状況ととても一致していますね。

副ではなく、次で羅列してあるので、横並びです。
伊支馬:壱岐対馬=大率=対馬海峡権益
彌馬升・彌馬獲支:三輪=大倭=瀬戸内畿内権益
奴佳鞮:奴国権益


現代日本の状況とも酷似しています。

伊支馬は日米関係ですね。
戦後でいえば旧来の軍事・外交の根幹です。
卑弥呼はこの勢力でしょう。

大倭は日中関係ですね。
安価な労働力と海外工場により、質より量で経済を支配していきます。
男王はこの勢力でしょう。

奴国は日本国内の商工圏だから経団連ですね。

現代日本と同じく、それぞれが利権を伴いながら、
協力しつつも、覇を競っていた、と考えれば理解しやすいです。

260 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:05:44.75 .net
  伊支
  爾支
彌馬支

支は ~ ですね

261 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:10:29.18 .net
獲をwakのように発音するのは越系方言に残る

262 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:12:29.10 .net
地方行政に目を向けると、

壱岐対馬には、卑狗・卑奴母離という共通した官しかいません。
要衝の対馬海峡は中央政府の支配下に組み込まれて久しく、
爾支、
そして邪馬台国時代は大率、が目を光らせていた、ということでしょう。

末盧國に官がいないのも、井原鑓溝遺跡と同期する桜馬場遺跡を最後に、
末盧王家が滅亡した状況と一致しています。
伊都の政治中枢が、平原遺跡卑弥呼のいる糸島市にあるので、
糸島市から直接末盧をカバーできたわけです。

伊都國は首都なので、卑奴母離がいません。
爾支が知事で、副知事が泄謨觚と柄渠觚なわけですから、〇〇觚は天神天孫族系ということになります。

奴国=葦原那珂津国は、兕馬觚が知事ですから、奴国王=大国主が失脚して、
天神天孫族による支配下にある、ということで説明がつきます。

不彌國の多模は、あまりはっきりとはわかりません。
フミ→海、海神=ワダツミの国=豊国で、タモ=玉=城野遺跡、と考えたいところですが、
千余家しかないので、宇美町がその名残りですかね。
考古学的には、雀居遺跡を含むことは間違いないでしょうが。

263 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:16:49.37 .net
不彌は淡海からあたまのa音が欠落したものである
a音は安曇の[あ]

264 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:21:31.77 .net
不彌は戸数ではなく一大國と同じで家数で課税対象をカウントしている
うみからの連想もあって流動性の高い砂上の民との理解が定着化してきているようだ

265 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 19:23:54.40 .net
いずれにしても伊都國から不彌國の道のりは8km程度にすぎない

266 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 20:10:30.74 .net
陸行一日でピッタリですね。
陸行一月かかる内陸は日本にはありませんから。

267 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 21:03:17.62 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

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268 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 21:36:17.03 .net
>>266
>陸行一月かかる内陸は日本にはありませんから。

ある!  と何度言えばw   @阿波

269 :日本@名無史さん:2021/01/17(日) 00:11:03.05 .net
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270 :日本@名無史さん:2021/01/17(日) 12:48:35.83 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!




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271 :日本@名無史さん:2021/01/17(日) 16:01:29.25 .net
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272 :日本@名無史さん:2021/01/17(日) 21:26:31.78 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!




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273 :日本@名無史さん:2021/01/17(日) 22:49:25.20 .net
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274 :日本@名無史さん:2021/01/18(月) 13:22:29.42 .net
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今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

遺跡のメイン部分が今も空き地である事などグーグル地図の航空写真で確認すれば
容易に分かる事であるし、それ以前にこれは国の研究機関の公表であるので悪しからず





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275 :日本@名無史さん:2021/01/18(月) 13:23:03.91 .net
>>274
在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。

1999年に学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。
※学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」
https://library.knou.ac.kr/user/login?returnUrl=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061&__referer=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061

加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。
※ウルサン市公式サイト「ムゴドン オクヒョン遺跡」
http://ulsan.grandculture.net/Contents/Index?local=ulsan

本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。

玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館副館長の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。
よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。

にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない
賤しくも憐れな無能生物なのです。

276 :日本@名無史さん:2021/01/19(火) 14:20:20.01 .net
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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277 :日本@名無史さん:2021/01/19(火) 14:48:40.39 .net
>>276
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

278 :日本@名無史さん:2021/01/20(水) 14:04:31.56 .net
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日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約5500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





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279 :日本@名無史さん:2021/01/21(木) 02:10:22.38 .net
>>278
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

280 :日本@名無史さん:2021/01/21(木) 13:05:39.23 .net
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◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


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281 :日本@名無史さん:2021/01/21(木) 23:50:43.29 .net
>>280
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

282 :日本@名無史さん:2021/01/22(金) 12:44:28.05 .net
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(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html



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283 :日本@名無史さん:2021/01/22(金) 12:50:02.32 .net
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7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html



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284 :日本@名無史さん:2021/01/22(金) 13:07:20.38 .net
>>282-283
               ∩_
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

285 :日本@名無史さん:2021/01/23(土) 06:18:54.12 .net
この延々とコピペしてる人達はどういう脳味噌してるんだろうか?

286 :日本@名無史さん:2021/01/23(土) 12:32:15.82 .net
在日ヒトモドキの脳味噌なんか俺たち日本人に理解できるわけないだろ

287 :日本@名無史さん:2021/01/23(土) 12:38:56.38 .net
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中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!





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288 :日本@名無史さん:2021/01/23(土) 12:48:12.96 .net
>>287
               ∩_
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

289 :日本@名無史さん:2021/01/24(日) 12:41:45.59 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

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290 :日本@名無史さん:2021/01/24(日) 15:40:19.46 .net
>>289
               ∩_
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  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
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291 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:30:39.16 .net
>>112
>>113
木俣というのは、弥生時代の前1世紀〜0年前後における、
瀬戸内海あるいは瀬戸内沿岸のことだったわけですね。

平形銅剣女王が、瀬戸内沿岸に高地性集落を建設して、
弥生時代の石油である木材=資材であり燃料でもある、
を大量生産して、
それを鐘崎に荷揚げして、
奴国や伊都国と取引していた。

当時の瀬戸内海は、
両岸の山々に並ぶ高地性集落から炭焼きの煙がたなびき、
切り出された丸太を組んだ筏が西の九州へと続々送られていく、
まさに「木俣」だったわけですね。

292 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:32:39.48 .net
一大工業地帯であった奴国。
奴国の高級住宅地だった須玖遺跡の御曹司たちが、
木俣=瀬戸内高地性集落群の経営に成功した平形銅剣女王と政略結婚するために、
その拠点である鐘崎へと行った。

沖ノ島祭祀
祭祀型銅剣埋納=地鎮祭
これらは遠賀式土器の発祥地における祭祀=稲作日本人の原始神道

一方で、環濠集落+銅鐸(Jアラート)は祭祀ではなく、
鐘崎式土器など第2波第3波の移住者が、先行居住者からの襲撃に備えた防御機構。


奴族の御曹司兄弟たちの求婚に対して、
平形銅剣女王は選ぶ立場にあり、末弟を夫に選んだ。

これは人柄そのものを気に入ったのと、
女王(政治家)としては、年下の男を夫として奴国王にすれば、
奴国をもコントロールできるとの算段もあったのでしょう。

293 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:34:02.08 .net
奴族の御曹司たちは、末弟に奴国支配権を握られるわけにはいかないので、
末弟の命を狙うわけですね。

よって、平形銅剣女王は、木俣=瀬戸内高地性集落群を抜けた先にある、
木国(紀伊国)の太田黒田遺跡に奴族末弟を匿ったわけです。
鐘崎式土器も出土していますね。

しかし、奴族の兄達はそれを探知して、木国まで押しかけてきた。
弥生時代の金属器の入手量は、対馬海峡に近い順に、
伊都国(大王・士)>奴国(工商)>倭種(農)ですから、
青銅製武器で武装した奴族の兄達が押しかけると、
平形銅剣女王といえども末弟を守りきれない。

よって、
木国(紀伊国)の太田黒田遺跡から、
木俣=瀬戸内高地性集落群を再度抜けて、
古代出雲=宗像の、伊都国王族東征将軍の元へと奴族末弟を預けたわけですね。

294 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:40:09.96 .net
ところが末弟は、伊都国王族東征将軍の娘とデキてしまった。

末弟は伊都国王族東征将軍の兵権を譲り受けて、奴族の兄達を滅ぼし、
中広形銅矛将軍、そして奴国王となります。

平形銅剣女王は、末弟との間に産まれた子供を、
木俣=瀬戸内高地性集落群に引っかけて去ります。

中広形銅矛将軍は平形銅剣女王と夫婦喧嘩をして、平形銅剣女王の領地をも奪い取った。

木俣神は中広形銅矛将軍の息子なので、瀬戸内地方の地方領主として残された。
この場合、木俣神は大山祇の関係者となるでしょうか。

平形銅剣女王の頃は木俣と呼ばれていた瀬戸内海は、
中広形銅矛将軍によって征服され、
日本海沿岸に300年ほど遅れて、
北部九州倭人の支配地域に組み込まれたわけですね。

阿波の若杉山遺跡で坑道堀りの採掘を開始して、
中広形銅矛将軍によって、木俣→侏儒國と名付けられたわけですね。

295 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 16:01:42.74 .net
>>113
中広形銅矛将軍は、
木俣=侏儒國=瀬戸内海の東端の淡路島に、五斗長垣内遺跡を建設します。

中広形銅矛は壱岐対馬からは出土する、つまり半島出兵もしているのに、
伊都国には入りこんでいない。

奴族である中広形銅矛将軍は、伊都国王配下の東征将軍の肩書止まりで、
伊都国王にはなれなかったわけですね。


中広形銅矛将軍の実家である須玖遺跡ですが、
伊都国王の治める世界の中で、工人商人として暮らしている分には高級住宅地でいいのですが、
奴国王として伊都国王に対抗する勢力となった場合は、
さらに上流の阿志岐山城神籠石からいつでも攻め滅ぼされる危険地帯となります。

よって、奴国王としては、奴国と御笠川を越えた東隣りで、古代出雲に近い、
雀居遺跡に居を構えたわけですね。

296 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 16:03:34.18 .net
>>294
「忌部一族」の事績を、面白おかしく語りやがって、「忌部一族」に感謝しろ!   @阿波

297 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 16:04:06.71 .net
>>295
「忌部一族」の事績を、面白おかしく語りやがって、「忌部一族」に感謝しろ!   @阿波

298 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 16:06:24.68 .net
中広形銅矛将軍は、伊都国王配下の東征将軍止まりで、
日本列島での最高権威である伊都国王にはなれない。

だから、後漢帝国の権威をあてにして、
漢委奴国王金印を貰った。

魏志倭人伝に、3世紀の時点でも倭人は里を用いないとあります。
また、魏は短命国家で、東夷世界では軍事行動の連続で、倭だけでなく、
東夷各国の里程を測定する余裕などなかった。

よって、侏儒國までの里程を測定できたのは、
倭国乱よりも前の平時。
その第一候補が、実際に金印漢使が来倭したことが確実な、
漢委奴国王金印授与時期だ、ということになります。

299 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 17:53:38.18 .net
年代がむちゃくちゃ
倭奴国と伊都国は年代が違う

300 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 21:05:12.69 .net
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中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!





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301 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 13:42:35.10 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

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302 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 14:26:52.41 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

303 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 21:08:28.32 .net
倭奴国が遷都して伊都国になった。

304 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 01:32:05.42 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

305 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 13:40:22.85 .net
そもそも金印が与えられた時は実は伊都国の時代だろ。

306 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 13:51:26.67 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

307 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 13:55:07.75 .net
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日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!




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308 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 03:23:50.18 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

309 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 14:07:22.55 .net
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今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

遺跡のメイン部分が今も空き地である事などグーグル地図の航空写真で確認すれば
容易に分かる事であるし、それ以前にこれは国の研究機関の公表であるので悪しからず





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310 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 22:38:09.23 .net
>>259
>彌馬升・彌馬獲支:三輪=大倭=瀬戸内畿内権益

>大倭は日中関係ですね。
>安価な労働力と海外工場により、質より量で経済を支配していきます。
>男王はこの勢力でしょう。

全て繋がってきましたね。

赤烏が刻まれた銅鏡によって、
呉の平縁神獣鏡の鏡師の陳氏(仮名)が来日したのは確かですね。
だとすれば、陳氏は難升米によって連れてこられた可能性が高いです。

311 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 22:38:44.05 .net
呉の平縁神獣鏡の鏡師の陳氏(仮名)
→呉の同盟国である公孫氏の楽浪郡へ移住、平縁神獣鏡を製作していた
→238年(景初二年=赤烏元年)公孫氏滅亡
→魏軍に囚われたところを、難升米らに譲られる
→難升米の部下によって倭国へ移送
→「大倭」管轄
→大倭畿内支部へ移送

赤烏元年・平縁神獣鏡(238) 陳氏の人生の転機となった来日記念日
景初三年・平縁神獣鏡(239) 倭国と魏が同盟となったので、景初を使った
景初三年・三角縁神獣鏡(239) 新天地で新作発表
景初四年・斜縁盤龍鏡(240) 新天地で新作発表
正始元年・三角縁神獣鏡(240) 難升米に景初四年を叱られました
赤烏七年・平縁神獣鏡(244) 卑弥呼が病に伏せ、パトロンの難升米が実権を握りました

312 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 22:47:58.93 .net
楽浪郡で難升米の配下になった陳氏は、
一足先に来日していたので、景初を進めていったのですね。

難升米らは景初二年十二月に洛陽に到着したものの、
明帝の崩御に見舞われて足止めされ、
正始元年にようやく帰国します。

正始元年に帰国した難升米に、景初四年・斜縁盤龍鏡を献上したら、
叱られたわけです。
そして慌てて正始元年・三角縁神獣鏡を製作した。

313 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 23:20:08.79 .net
難升米 大倭

大倭畿内支部の陳氏工房には、
旧銅鐸職人が配属されます。

同范銅鐸の技法が、同范鏡に生かされたわけですね。
国際文化交流です。

314 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 02:53:12.39 .net
>>309の在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。

1999年に学術論文「ウルサンムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。

加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。

本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。

そもそも玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。

よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。

にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない卑しくも憐れな無能生物なのです。

グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 き 、
中 国 共 産 党 へ の 被 害 妄 想 に
嵌 まり 込 む と い う 醜 態 を
繰 り 返 す し か 能 の な い
卑 し く も 憐 れ な 無 能 生 物な の で す。

グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 く こ と で 精 神 勝 利 を 画 策 す る
惨 め な 無 能 生 物 が >>309 で す。

315 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 12:23:40.13 .net
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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316 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 21:50:38.26 .net
>>315
               ∩_
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  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
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317 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 13:28:59.48 .net
.






日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約5500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





.

318 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 15:15:06.62 .net
>>317
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
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  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

319 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 18:03:19.22 .net
>>964
>後1300里、100里でも記してあり、

對海國と一大國は海岸沿いの二辺の陸行であり、
奴國は伊都國からの側副傍線行程記載。
証拠は、「參問倭地,絕在海中洲島之上,或絕或連,周旋可五千餘里」の「五千余里」の計算で、
400余×2+300×2+500+100+(4000余ー1000余)=5000余(里)
という計算がなされている事。

>なおさら、水行20日だしね。

不彌國から南方の「水行二十日」に位置にある投馬國への所要日数説明記載。

>萬二千余里がほぼ終わっていないよ。

不彌國でほぼ終わっている。

又、大和は、九州倭国の東征毛人五十五國の「地方の市を監督する大倭職」の、
旧小国の附庸國だからなんら影響なし 

320 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 01:28:01.79 .net
>>319
スレチだマヌケ

321 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:40:31.66 .net
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.

322 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 23:22:57.79 .net
>>321
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
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323 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:24:52.73 .net
>>112
過去スレで検討しましたが、
考古学的な出土分布から、古代の主要地名をプロットし直すと、
古代の高志=越とは、北部九州から見て、海を越えた本州。
山口県を中心とする、主に日本海沿岸地域、ということになります。

沼河ヒメの物語についてです。

文献からは、沼河ヒメを口説きに行ったのは、
大己貴命(奴国の坊ちゃん)→八千矛神(中広形銅矛)→大国主(奴国王)のうちの、
八千矛神(中広形銅矛)の時期です。

また、考古学的には、山口県からは、中広形銅矛がわずかに出土しています。
大量に出土していれば、銅剣銅矛戦争に深く関わった、出陣した、あるいは征服された、ことになります。
わずかに、ということは、銅剣銅矛戦争の終了間際に、勝者である銅矛側にちょっとだけ参戦した、ということですね。

324 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:25:20.83 .net
これも過去スレで検討しましたが、
沼河ヒメの沼河とは、土井ヶ浜遺跡の辺りですね。
集落遺跡はまだ見つかっていないのですが、
大規模な弥生墓地が見つかっているのですから、
その関連集落が近くにあったと想定しても問題はないでしょう。

土井ヶ浜遺跡には、女性指導者=古代シャーマンがいた。
縄文末〜弥生早期の日本海沿岸覇者の八岐大蛇の首魁ですね。

対馬海峡を統一して、北部九州の玄界灘沿岸を統一した、
吉武高木大王の、王族東征将軍=宗像田熊石畑遺跡将軍、が、
八岐大蛇を倒して、支配下に置いた。

325 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:26:23.15 .net
沼河ヒメは、女系は八岐大蛇の女王筋、
つまりは土井ヶ浜遺跡の女性シャーマンの血統ですね。

男系は、素直に考えれば、田熊石畑遺跡将軍。

しかし、「奴」奈川姫、との記載もあることから、
ひょっとしたら、たまたま男系が奴族系統だった可能性があります。
あるいは、奴族の八千矛神と夫婦になったので、奴を入れた名前が残った可能性もあります。
DNA解析をすれば分かることですが。

326 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:26:53.88 .net
沼河ヒメの物語が目立つのですが、
考古学的には、山口県からは中広形銅矛はわずかしか出ていない。
つまり、銅剣銅矛戦争において、沼河ヒメの勢力はさほど活躍したわけではないんですね。

なのにわざわざ沼河ヒメの物語が記載されている。
ご丁寧に口説き文句まで残されて。

これはつまり、逆で、沼河ヒメの産んだ息子、
タケミナカタならびにその子孫が、歴史上、重要な役を果たした、
からですね。

327 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:27:56.81 .net
【建沼河男命】
・頑固な長男、超真面目
・母親の集落を引き継ぎ、貝輪工房を真面目に運営し続けた人生
・国譲りの際に、とばっちりを受けて拷問・・・土井ヶ浜遺跡の英雄

【建御名方神】
・放蕩な次男、女好き
・奴国王の水軍を任せられ、瀬戸内海を東へ西へ、津々浦々に女が
・国譲りの際にも大暴れ

アリとキリギリスですね。
ただ、この兄弟は、アリがとばっちりを受けて、
キリギリスの子孫はそれなりに活躍したわけです。

328 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:29:18.52 .net
タケミナカタについて考察すると、
沼河ヒメと八千矛神の息子として生まれます。

放蕩で女好きのタケミナカタは、
八千矛神→大国主と気が合い、
大勢いる息子たちの中でも最も可愛がられます。

水軍を率いて、雀居遺跡⇔下関⇔瀬戸内海⇔淡路島五斗長垣内遺跡を、
颯爽と巡視して回ります。
下関の〇吉神社に残っているのはその頃の名残りですね。

奴国王が後漢と交渉した際は、
金印授与前に倭国視察に来た楽浪郡使を、
不彌國(不雀居遺跡)から侏儒國(五斗長垣内遺跡)まで案内します。
その時の里程が、陳寿の元にも伝わって、魏志倭人伝に記録されたわけですね。

後漢使が、伊國の伊都=当時は早良平野で、吉武高木遺跡宮殿が中心、にやって来た時には、
漢委奴国王金印の授与式に上席で立ち合いました。
そして不彌國の不雀居遺跡に滞在した後漢使と、連夜の宴会。

後漢使が帰国して、しばらくしたある夜、
奴国王に呼び出されて、不雀居遺跡の館で二人対座します。
桐の箱を差し出されて、こう言われます。

「水軍の主たるお前が、これを。
 他言無用だぞ。」

329 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 23:30:38.13 .net
奴国王失脚の際については過去スレで検討しましたね。

タケミナカタ本人は東へ、
その息子の一人が金印を持って西へ。
その名残りが諏訪神社の配置に残っています。

奴族のこの手法は200年後にも使われていますね。
クマソタケルがヤマトタケルに敗戦した際。
クマソタケル本人は西へ。
その手の者は鉄鏡を持って東へ。

鉄鏡は日田に持ち込まれましたが、
さらに念を入れて、
重臣数人が空の箱を大事そうに抱えて、さらなる東へと逃走したわけです。
デコイ、囮ですね。日田を目立たなくするために

要所要所で、「この鏡だけは」とか、「クマソタケルさまの」とか、
餌をばらまきながら、東に逃げていった。

で、鉄鏡回収作戦を台無しにされた大王は激怒して、
若気の至りでクマソタケルを殺してしまった王子を、
東へ捜索に向かわせた、ということでしょう。

330 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 08:20:40.84 .net
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

331 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 19:24:04.77 .net
>>330
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

332 :日本@名無史さん:2021/02/14(日) 01:02:49.84 .net
>>331
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

333 :日本@名無史さん:2021/02/15(月) 00:58:44.36 .net
>>332

何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

334 :日本@名無史さん:2021/02/15(月) 03:13:21.05 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

335 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 00:22:10.92 .net
>>334

何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

336 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 01:16:38.30 .net
>>323
沼河ヒメと八千矛神が結ばれた一節を受けた、
その次の何気ない一節も、非常に多くの情報を含んでいますね。

須勢理ヒメが嫉妬します。
大国主は、「出雲から倭國に上ろう」として、
片手は馬の鞍に、片足は鐙に踏み入れながら、
須勢理ヒメのご機嫌を取る歌を詠みます。
須勢理ヒメを若草に例えていますね。

須勢理ヒメの返歌も、
自らを若草に例え、淡雪の若い胸を、など例の艶めかしい表現を使っています。
また、前節の沼河ヒメの歌にも対抗しており、
「八千矛神じゃなくて、大国主ですよ」と言っています。


多くのことがわかるわけですが、
一つには、大国主は、家庭でも、倭語(日本語)を使っていた、ということですね。

337 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 01:57:26.71 .net
全て、伊都説ならば、の仮定の話ですが、
一つには、出雲から倭国へ行くのに、馬で移動しています。

魏志によると倭国に馬はいませんが、
海を隔てた朝鮮半島には馬がいる、と書かれているわけですから、
倭国に馬は常在していない、ということであって、
交易などで不定期に馬を入手してはいたわけですね。
奈良時代の貴族が庭で孔雀を飼っていたのよりは楽に入手できた筈です。

鐙は、
移動時の両鐙だと世界史的にもまだ登場したかどうか微妙ですが、
馬に乗りこむ時の片鐙なら存在しうるかと思われます。

サルマトイですね。
奴族とはまた別で、オルドス式銅剣を持ちこんだ集団です。

おそらく沿海州に、ユーラシア大陸の諸民族の吹き溜まりがあって、
その一部が、遥か日本列島にもやって来ていた、ということでしょう。

オルドス式銅剣は柏崎遺跡からも出土しています。
過去スレで検討しましたが、
吉武遺跡から三雲井原遺跡へ遷都する際に、
柏崎遺跡から出迎えに来たサルさんが、夕日をバックに立つと、
夕日の光が、早良平野と、福岡平野を、照らした、というあれですね。

338 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 01:58:44.42 .net
一つに、
古代出雲は、倭国とは別国家だった、ということもわかります。
邪馬台国九州説者にあっても多くが、宗像周辺が邪馬台国ではないのでは、と指摘していますし、
考古学的にも、石器など、流通する物品に、独自のものが見られます。

文献では、過去スレで触れましたが、
後の豊玉ヒメも、山幸彦を見て、「自分たちの王」よりも尊いと言っており、
少なくともその時代まで、
倭国と、いわゆる豊国は、別国家だった。
しかしながら、東征将軍スサノオの基地を受け入れた豊国は、
倭国に従属する立場だった、
ということですね。

339 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 01:59:39.49 .net
一つに、
弥生時代に、
古代出雲=宗像周辺から、倭国=伊都を首都とする北部九州国家へ、
馬で移動する、
というのは距離としても妥当ですね。

同じ陸路を、イザナギも辿っていますね。
>>112
古代出雲の東端から、奴国の板付遺跡まで、ということになります。
手漕ぎ船が時速5〜9km
走れば時速10km以上
ですから、走って逃げたわけです。

同じ道かはわかりませんが、
大己貴命と兄達のルートは海沿いで、
気多の浜(神湊):沖ノ島の対岸で、神官(巫女)と邂逅

水門(釣川の河口):蒲黄で治療、蒲生(カモ)?

稲羽(鐘崎):八上ヒメ
となります。

また上流に多重環濠の将軍基地である田熊石畑遺跡があることから、
古代出雲国の肥河=宗像の釣川
となって、全てが繋がってきます。

340 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 02:00:10.39 .net
一つに、
大国主が須勢理ヒメを若草に例え、
女性の須勢理ヒメ自身も自分を若草そして淡雪の若い胸と表現していることから、
須勢理ヒメはまだ若い。
弥生時代であれば、20代前半はまず超えないであろう、ということになります。

341 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 02:03:01.36 .net
奴国の御曹司の末弟が、
保護された先の、宗像の伊都国王族東征将軍の娘と懇ろになって、
伊都国王族東征将軍の軍を使って、奴国を制圧した。
奴国を制圧したので、中広形銅矛を生産できるようになり、
中広形銅矛将軍として、銅剣銅矛戦争を戦った。
その末期に、土井ヶ浜遺跡の女性指導者を口説いた。
戦争が集結して、荒神谷遺跡で降伏調印式をして、奴国王になった。
その頃に、伊都国王族東征将軍の娘が、まだ20代前半かそれより若い。

伊都国王族東征将軍の娘が10代後半よりは年上の時期に出会って、
銅剣銅矛戦争が終了した時に、まだ20代前半かそれより若い。

ということは、
奴国より東側の中広形銅矛、つまりは旧銅剣女王国の領域を征服した中広形銅矛とは、
10年未満の期間に収まる、ということになりますね。
貴重な考古学遺物です。

342 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 06:54:45.01 .net
☓サルマトイ
〇サルマタイ

343 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:05:52.60 .net
>>335
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

344 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:06:32.36 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

345 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:06:54.65 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

346 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:07:08.80 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

347 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:07:21.41 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

348 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:07:32.67 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

349 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:07:47.65 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました

https://i.imgur.com/puurb8v

350 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:08:11.62 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

351 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:08:28.60 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>◯のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>◯のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

352 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:08:42.01 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

353 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:08:51.51 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

354 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 01:09:06.65 .net
結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

355 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 22:58:15.52 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★


邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

百里

奴国(福岡県博多湾付近)

百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

水行二十日

投馬国(不明)

水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図が無かった古代では方角や距離を間違える可能性は十分あり得るが、日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ

356 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 03:27:57.06 .net
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357 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:11:33.55 .net
>>327
建御名方神は旧八岐大蛇系の本州水軍、
建御雷神は旧八雷系の豊国水軍、
となりますが、
では建沼河男命はなぜ「建」がついているのでしょうか。

八千矛神が沼河ヒメを口説いたのは銅矛銅剣戦争末期であり、
建沼河男命は荒神谷遺跡とほぼ同時期に産まれたばかりです。
成人する頃には銅剣銅矛戦争はとっくに終わっていますね。

358 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:12:22.24 .net
これはつまり、対馬からの半島出兵に従軍した、ということですね。

秀吉と同じに考えたらわかりやすいですね。
国内の戦争が落ち着いてから、約10年後に半島出兵しましたね。

中広形銅矛は対馬にも集結しており、
伊都国を挟んで二方向作戦を行うのは無理がありますから、
兵站の構築・維持を考えると、
銅剣銅矛戦争が終了して戦後処理が終わってから、半島出兵したわけです。

目的はもちろん、鉄資源入手ルートの確保でしょう。

鉄資源:半島→対馬海峡→瀬戸内海→五斗長垣内遺跡
木材・炭:北部九州←瀬戸内高地性集落群→五斗長垣内遺跡
鉄器:北部九州←五斗長垣内遺跡

というシステムを構築したことで、
金印に値する強国となったわけですね。

359 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:13:08.45 .net
土井ヶ浜遺跡の副葬品からはとても将軍がいたとは思えず、
むしろ貝輪以外は至って質素ですから、
建沼河男命という人はたいした軍功をあげられずに帰国し、
あとは故郷で貝輪だけ作っていた、ということになります。

一方の建御名方神は、
カモ系の阿遅鉏高日子根を差し置いて下関に名を残し、
国譲りの時はワニ系の事代主と並ぶリーダーですから、
ここまでの水軍を任せられるということは、
半島出兵でもかなりの戦果をあげた、ということになりますね。

元々が山口県の周防(すわ)の神で、
半島出兵で名をはせて建御名方神となり、
国譲りの時に、本人は東へ行って長野県の諏訪大社に、
息子の一人は金印を秘匿して西へ行って長崎の諏訪神社になった、ということでしょう。

360 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:13:49.53 .net
15歳で元服として、
兄弟のいずれもが戦役に参加しているわけですから、

時系列としては、
>>341
>奴国より東側の中広形銅矛、つまりは旧銅剣女王国の領域を征服した中広形銅矛とは、
>10年未満の期間に収まる、

荒神谷遺跡から10年後くらいに、対馬からの半島出兵が始まり、
荒神谷遺跡から15年後から数年間は確実に戦争していた、
ということになります。

対馬以北の中広形銅矛ですね。

361 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:14:36.66 .net
55-56年に後漢の楽浪郡使が倭地の里程測定。(北部九州〜下関〜淡路島)

57年に倭の奴国が朝貢。印綬。
『建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬』

58年に金印後漢使が来倭。
『漢委奴國王』
漢は奴国王に(倭地を?東夷を?)委ねる。
(後の難升米は皇帝崩御に巻き込まれて洛陽に1年余計に足止め)

59年頃から国譲りイベント開始。使者で+11年。
70年に奴国王失脚。

362 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:15:06.20 .net
考古学的に、奴国で洪水があったことが確認されており、
金印授与という国際イベントのために奴国の木材を臨時大量伐採したことで、
大洪水を引き起こしてしまった、と考えられるわけですが、

いきなり大洪水+疫病だと、その時点で奴国王は古代出雲へ避難するでしょうし、
天菩比や天若日子も被災地の奴国に留まろうとはしなかったはずです。

ということは、順番としては、まず疫病発生→11年後に大洪水、だったわけですね。

363 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:16:02.30 .net
疫病は金印後漢使が洛陽から直輸入で持ち込んだわけです。

麻疹、天然痘、インフルエンザなどが考えられます。
抗体保有率ゼロパーセントの島国で、しかも弥生時代なので医療設備がありませんから、
麻疹が流行すると致死率が40%を超えてきます。

これは後の『親魏倭王』金印の時も同じことが起きたと考えられます。
魏の四万の大軍が遼東半島まで押し寄せ、帯方郡と倭国は緊密に連絡し合い、
倭使が何度か洛陽と往復しています。

三国志によると、
青龍二年に魏で、
青龍三年には魏の洛陽で、
疫病が流行したと記録されています。

これに対応して、記紀では、3世紀後半に実在したと言われる
崇神の御世に、疫病が大流行したと記録されており、
コロナ禍の昨今にあって、大陸から日本列島へ伝播した疫病の、最古の文献記録と言えるのではないでしょうか。

364 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:16:42.68 .net
>>361
58年に金印後漢使が来倭して、59年頃から疫病が発生します。

奴国の混乱に乗じて、
伊都国王家は奴国征服のために軍を発動します。
天忍穂耳は天浮橋(海の中道)から、那珂川河口を遠望したところ、
奴国二万戸ですから、数万人の死体が河口に漂い、大量の病人が倒れてのたうち回っている。
疫病をうつされてはたまりませんから、引き返したわけですね。

軍で入るわけにはいかないので、弱体化した奴国に降伏するよう使者を送ったが、
うまくいかなかった。

並行して、荒れた山による洪水が毎年のように頻発していて、
70年頃についに台風直撃などによる豪雨があって、土石流で奴国が壊滅したわけですね。

365 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:17:28.25 .net
奴国も不彌國(雀居遺跡)の館も洪水で流され、
奴国王は古代出雲(宗像)に避難します。

伊都国王から奴国王を討つよう依頼された伊都之尾羽張は、
天安川(伊都説だと室見川)の川上にいたとのことですね。

川を塞き止めていたとのことで、
豪雨によって、室見川水系も土石流や流木で天然ダムとなっていた可能性もありますが、

能動的に塞き止めていたのであれば、
洪水で住居を流された奴国被災民が、周辺地域にどっと溢れ出したので、
室見川上流の伊都之尾羽張は、現在で言うと263号線と室見川の交点の辺りで交通を遮断して、
被災民の流入を防いでいたということでしょう。

伊都之尾羽張は女系はカモ系で、息子が建御雷神=豊国八山津見軍の大将に就任して、
出陣した、ということですね。
九州説、伊都説ならば、の仮定の話ですが。

366 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 16:19:42.50 .net
>>339
古代出雲に避難した大国主が討たれたのは、
気多の前(神湊)でも、肥河(宗像の釣川)でも、稲羽(鐘崎)でもなく、
伊那佐の小浜、ですね。

おそらくですが、これは芦屋町山鹿の旧狩尾神社ではないかと思われます。
今は廃社となってしまっていますが。
海に出た鳥居。
千畳敷があるので、剣を刺してその前に座れますね。

厳密には古代伯耆国ですが、
「出雲に避難した大国主」を討ちに行った軍が、
川向いの(伯耆国だけど出雲に接する)伊那佐の小浜で任務完了した、
というのが略されたと解釈できます。

367 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 17:21:24.58 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

368 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 17:21:36.36 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

369 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 17:22:33.41 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

370 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 17:24:14.10 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 すでに破綻した妄想のコピペと連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、すでに破綻した妄想の長文コピペと連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

371 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 21:43:42.83 .net
>>358
紀元前2、3世紀の扇谷遺跡も、
1世紀の五斗長垣内遺跡も、
支配地域の最も遠方に鉄工房を作っていますね。

それぞれ、日本海沿岸、そして瀬戸内「木俣」の木材を燃料として大量消費して、
北部九州の森林を保全するためでしょう。

扇谷遺跡から、五斗長垣内遺跡までは100〜200年の間が空いているのですが、
現代の我々が、100年だけ自動車の無い生活を送ることが出来ないのと同じことで、
弥生人も、100〜200年だけ鉄器無しの生活は送れませんから、
どこかにまだ未発見の鉄工房遺跡が眠っていることになります。

紀元前1-2世紀における、伊都国王の支配地域=日本海沿岸の、
支配地域の最も遠方にあるはず、だとすれば、
能登半島(万行遺跡周辺)や、佐渡島、が候補地になりますね。

372 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 21:44:59.49 .net
>>366
芦屋町山鹿といえば、山鹿貝塚があります。

山鹿貝塚は、イザナミなどワニ族女性指導者の墓地だったと考えられますから、
同じワニ族と思われる須勢理ヒメも、女王では無いにしても、
この辺りの砂丘墓地に埋葬されていた可能性が高いですね。

奴国が崩壊して、築き上げた栄誉が一夜の夢と消え去り、
もはや逃れられぬ身と覚悟した年老いた大国主。

数多くの女性と交わった人生でしたが、
最期の時になって思い出したのは、二人若かりし頃の須勢理ヒメが甘えてくる姿。
山鹿の砂丘にある須勢理ヒメの墓前で涙していたのでしょう。

373 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:24:20.86 .net
ナギラってたぶん柳なんだよ
イザナギもイザの柳
鹿児島か宮崎あたりがクサイなあ

374 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 20:13:05.64 .net
ナギとナミは海神族にとってもっとも関心のある海の様子を表したもの。

375 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:55:55.86 .net
>>343

何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

376 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:56:51.27 .net
>>347

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

377 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:58:22.76 .net
>>345
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

378 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:00:12.53 .net
>>348
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

379 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:00:51.78 .net
>>349

http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

380 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:01:18.50 .net
>>350

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

381 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:02:13.66 .net
>>351
キナイコシの得意技・猿真似乙
オリジナルはこれ

4 :日本@名無史さん :2020/12/02(水) 02:16:27.08
キナイコシ君の得意技・声闘(ソント)とは


821 :日本@名無史さん :2020/11/18(水) 04:59:39.47
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/84c2c259b1f71ebaff516783041f0fdc
>  朝鮮半島には、声闘(ソント)とという朝鮮人の古くからの伝統があり、現在でも彼らのお家芸である
>
> 声闘を平たく説明するなら。声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という思考形態であり、そこには道理も真実もない。。
> 古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である
>
> 相手が論理的に反論しても、聞こえないか 聞こえないふりをして大きな声で意味不明な反論を威圧的に繰り返す。
> そして相手を加害者に仕立て上げ自分を被害者にする。自分に非があっても決して認めず、大声で反論を繰り返して相手が、疲れ呆れて黙り込んだら勝利宣言をする。

ビックリするくらいキナイコシ君の行動パターンそのままで笑う
キナイコシ君はチョンチョンうるさいけど彼自身の行動が一番朝鮮人的なんだなw
彼が朝鮮人を嫌うのは同族嫌悪でしかないわけだ

382 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:05:22.46 .net
>>355
周回遅れおつw

2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない

【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける

【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし

383 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:07:13.90 .net
結局、今日もこの事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

384 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:50:55.36 .net
>>375
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

385 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:51:17.82 .net
>>376
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

386 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:51:32.01 .net
>>377
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

387 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:51:46.26 .net
>>378
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

388 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:51:57.53 .net
>>379
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました

https://i.imgur.com/puurb8v

389 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:52:09.40 .net
>>380
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

390 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:52:21.52 .net
>>381
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>◯のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>◯のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

391 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:52:40.61 .net
>>383
結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

392 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:53:04.57 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

393 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:53:18.80 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

394 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:54:10.23 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

395 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:55:27.96 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>375-383のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>375-383のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

396 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:55:40.93 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

397 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:56:00.45 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

398 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:03:31.88 .net
>>361
ということは、
70から、土井ヶ浜遺跡の英雄の骨年齢、を引き算すると、
荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の年代になるわけですね。

例えば享年50歳とすれば、西暦20年、となります。

399 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:05:44.05 .net
里程や日程については過去スレで検討した通りです。
50年代に奴国王へ金印授与時の里程だったとすれば、
『自郡至女王国 万二千余里』についてもスッキリします。

『自郡至奴国 万二千余里』
55年に報告書が上がった時は、もちろん女王卑弥呼はいませんね。
奴国王に金印を授与するのですから、奴国が最終目的地であり、
万二千余里でピッタリ奴国に「至」ります。
(7000+1000+400×2方可+1000+300×2方可+1000+500+100)

途上の伊都国で「到」るのは、55年ですから三雲ではなく吉武高木宮殿ですね。


『自郡至女国 万二千余里』
それを楽浪郡の書庫係が長年転写しているうちに誤写されて、奴国→女国になります。
これが後世の史家にとっての原本になったわけですね。

『自帯方至女国 万二千余里』
帯方郡に難升米がやって来たことを受けて、
自郡至女国 万二千余里 を手にした魚豢はこう書きます。

『自郡至女王国 万二千余里』
陳寿も首をひねりながらこう記します。卑弥呼は奴国にいたということか?

ただ、陳寿の手元には、張政の報告書もありますから、
どう考えても張政は伊都国に滞在していたとしか思えない。
しかも女王国=邪馬台国に「至」るのなら、7000+1000で対海国に上陸した時点で至っているから、
八千里のはず。
うーむおかしいが、原本も魚豢も万二千余里にしている。

だから日程では、伊都国と明記できずに、女王之所都と曖昧な表現で記したのですね。

400 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:06:19.31 .net
『倭国之極南界也 光武賜以印綬』
中広形銅矛将軍が奴国王になった。

西隣の伊都国(大日孁貴)と、東隣りの豊国(道主貴)に挟まれた奴国は、
中広形銅矛の分布そのままに、
南へと膨らんでいったわけです。

@奴国が九州倭国の南端を極めたから、光武は印綬を賜った。

中広形銅矛はいちおう鹿児島県まで到達していますから、
九州南端まで極めた奴国王に対して、金印を与えた。

A奴国は倭国の一番南である。

中広形銅矛が密に出土する範囲は、縦長ですね。
一般的ないわゆる奴国=弥生銀座から、南は八女市まで数多く出土しています。
この縦長の範囲が、奴国王の治めていた奴国、だとすれば、
奴国は倭国の南端を極めている国である、ということになります。

中広形銅矛の分布からは、どちらでも意味が通じますね。

401 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:07:34.96 .net
通常の奴国=弥生銀座=狭義の奴国、から南へと広がる、
中広形銅矛の分布範囲が
奴国王全盛期の奴国=広義の奴国、ですね。

狭義の奴国から、筑後平野へと入り、
東は三輪(筑前町)
西は久留米や吉野ヶ里
南はうきは市、八女市、熊本にも入りこんでいます。

この地域が奴国王の直接支配地域だったわけですね。
ただし、その支配とは、倭国内では、
伊都国王配下の東征将軍の幕府、という形ではありますが。

魏志倭人伝に記載された、〇奴国というのは、
奴国王が失脚後に、
伊都国によって分割統治された政治区分、ということでしょうね。
大部分が中広形銅矛の密な分布範囲にある国だ、ということで比定時の参考になります。

402 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:18:10.73 .net
倭奴国王すなわち倭王だろう。
それが伊都国に移動しただけ。
そして帯方郡からの使いに対しては、倭奴国は伊都国のことですよと説明したのだろう。
そうでないと倭王の正統とみなされなくなるからね。
そして王宮の本体は奴国と伊都国の間の高祖山のクジフル峰の高千穂宮にあったのだろう。
ここならそれ以前の王宮であった吉武高木からもそう遠くなく、必ずしも嘘とも言えない。

403 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:21:46.32 .net
あえて奴国の王家と伊都国の王家を分けるなら、天孫降臨の時に天孫を出迎えた大山積が奴国王、天孫族が伊都国王だろう。
奴国王と志賀島の海神はほぼ実体が同じであり、伊都国の天孫族は代々、志賀島の豊国王家から姫を娶ったのである。
それが魏志倭人伝の男王70〜80年であり、記紀では日向三代となる。

404 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:23:58.28 .net
考古学は九州北岸のうち、宗像や遠賀川流域には甕棺墓がなく、筑紫の王権とは別の文化的勢力を想定する必要があることを示唆している。
博多湾沿岸から遠賀川流域の勢力を豊国と呼ぶことができる。
この二つの国は、姻戚関係を通じて早くから倭国の権力の中枢として栄えた。
豊玉姫は大綿津見神(海神)の娘であり海を塞き止める力を持っていたが、大綿津見神の竜宮城のモデルは名島神社や志賀海神社であり、倭国は伊都の天孫族王家と博多の海神族であった豊国王家の連合王国であった考えられる。
伊都の天神族が魏志倭人伝のとおりに北方の朝鮮半島に向かう対馬海峡に航路を持っていたのに対して、豊国は関門海峡を中心に日本海側に航路を持っていて、
その支配域は邇藝速日命や天香山命など船に乗って日本海を攻略したアマテラス系ではない倭人の到達域とほぼ一致する。
豊国は遠賀川流域文化の担い手であり、遠賀式土器は日本海沿岸を中心に広範囲に分布している。
彼らはアマテラスと同様に筑紫の日向の小戸におけるイザナギの禊から生まれており、後に筑紫に戻って来た天孫族に追われて東に移動した様子が伺われる。

405 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 21:37:39.37 .net
>>404
イザナミの所属する八雷神は元から存在していますよ。

406 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:34:30.52 .net
>>366
大国主失脚時の状況をトレースしてみましょう。

老いた大国主。
政務はワニ族の事代主。
軍事は八岐大蛇族のタケミナカタ。
に任せていますね。

407 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:35:01.18 .net
そもそもは各勢力内の争いが関わっています。

伊都国王家としては、
吉武高木の伊都国王と、宗像の伊都国王族東征将軍との確執。

>>112
豊国では、
古代出雲のワニと、古代伯耆のカモとの確執。

奴国では、兄弟の争いに、カモの八上ヒメが介入して、
末弟vs兄達

これらの争いがどっと絡んだわけですね。

408 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:36:50.01 .net
大国主視点で考えると、
最初は、義父スサノオの野心だったわけです。

義父スサノオの軍を借りて、奴国を制圧した。
義父スサノオがアマテラスの元へ押しかけた。

義父スサノオの軍を借りて、瀬戸内銅剣女王国(カモ)を征服した。
八雷神のイザナミ時代以来の、豊国独自の共立女王(骨取り神事で決める)の
最期の女王が、八上ヒメとなったわけですね。

以後の豊国女王は古代出雲(宗像)進駐軍のスサノオによる傀儡女王で、
田心姫神(カモ)→湍津姫神(ワニ)ですね。
義父スサノオの娘です。須勢理ヒメの(異母)姉妹ですね。
この二人は、義父が亡くなるかどうかして、
首尾よくスサノオを継いだ大国主が娶ったわけです。

市杵島姫神は大国主に嫁いでおらず、世代も違うことから、
スサノオとなった大国主の娘、
大国主=スサノオ、の娘、と考えれば辻褄が合います。

以上の流れからは、
大国主の最大のバックは、古代出雲=宗像のワニ族であり、
逆に八上ヒメのカモは戦って服従させた相手。

本州側の八岐大蛇はスサノオに従属する存在ですから、
大国主がスサノオとなればそのまま従った、
という状態ですね。

大国主からは、
味方:ワニ、八岐大蛇
敵対:アマテラス、カモ
となります。

409 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:37:11.91 .net
>>371
70年に、
天鳥船神(経津主神)=伊都国正規軍と建御雷神=豊国軍、が
大国主の元へと攻めてきます。

奴国が洪水で崩壊して意気消沈した大国主と事代主はすぐ投降しますね。

そこに本州を地盤とするタケミナカタがやって来て戦いを挑みますが、
敗戦して逃げていきます。

410 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:37:33.95 .net
この時点での各人の思考を考察してみます。

「天鳥船神(経津主神)と建御雷神」
大国主が自主的に投稿して領土を献上してくれるのが上策
後の反乱を予防するため、金印は奪取したい
反抗するなら一戦やむなし

「大国主」
奴国崩壊したから、形成挽回はほぼ無理
タケミナカタが勝つ可能性はゼロではない
金印はタケミナカタに渡したが、誰にも言っていない

「事代主」
逆転は無理
ワニ族の滅亡は回避したい

411 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:38:24.10 .net
大国主と事代主がおとなしく投降する雰囲気だったので、
天鳥船神(経津主神)と建御雷神はまずは大らかな対応をしたわけですね。
書紀の一説では、饗応したともあります。

大国主としては、水軍大将のタケミナカタに一縷の望みをかけて、
金印は自分がどこかに隠している風を装って、
「タケミナカタが降伏すると言うなら、私も降伏しよう」と言ったわけです。

一方のタケミナカタは、
奴国崩壊して、伊都国正規軍と豊国軍とが攻めてきた時点で、
まず勝ち目はないことを悟ります。
なぜかというと、紀元前3世紀に敗北して征服された八岐大蛇族の血を引いていますから。

なので、周防(すわ)もしくは出雲(島根)にいた、妃と息子達を連れて
すぐに東へ落ちのびます。

ちなみに妃の八坂刀売神は安曇でワニ系ですね。

412 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:39:19.81 .net
北海道の有珠モシリ遺跡から、イモガイ製貝輪をつけた遺体が見つかっています。

イモガイ製貝輪というのは、
幼少時から腕に装着して、成長と共に腕にフィットして抜けなくなるもので、
交易で購入して腕につける、といったものではありません。
専門の調律師が必要です。

また、継続的に貝輪が出土しているのではないので、
たとえ交易だとしても、継続的に交流していたのではなく、
ごく単発の交易となります。

さらに遺体には抜歯がされており、
明らかに土着ではなく外来系の人物です。

413 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:40:01.89 .net
>>357-359
半島出兵で異民族戦を経験していたタケミナカタは、
一族滅殺の危機を素早く察知して、一族をまとめて逃走した。

息子の一人に金印を持たせて、西の長崎の多島海へ潜伏させた。

息子の一人は北海道へ逃して、血が途絶えないようにした。

自らは軍を率いて糸魚川から内陸へと入り、
諏訪湖周辺を素早く占領した。

半島出兵で活躍したタケミナカタは、異世界侵攻戦のプロフェッショナルですから、
軍略と調略謀略を駆使して、
あっという間に諏訪を制圧したわけですね。

414 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:41:50.82 .net
天鳥船神(経津主神)=伊都国正規軍=金属製武器フル装備

建御雷神=豊国軍=石鏃、青銅剣
は、
大国主から金印のありかを聞き出そうと思っています。
聞き出したら処刑ですが。
が、大国主はなかなか話そうとはしません。

大国主はタケミナカタに最後の期待をかけているのだな、
と考え、
建御雷神だけが追撃に出ます。
一度勝っていますし。

が。

いざ建御雷神が諏訪に行ってみると、
タケミナカタがしっかりと防備を固めていて容易に落とせない。
それで仕方なく、休戦協定だけ結んで、
糸魚川に乗り付けたタケミナカタ船団の舟を焼き払って、
帰ってきた。

415 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:42:41.66 .net
建御雷神が帰って来て、
「タケミナカタも降参しましたよ。
 そろそろ金印のありかを吐いてもらいましょうか」
となって、
「吐かないなら、まずは目の前で事代主がどうなるか、見てみますかね」
となって、
ようやく、
大国主が、「金印は〇年前にタケミナカタに譲ったのだ」と言って、

してやられた建御雷神がブチ切れた。

ということですね。

416 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 22:54:38.13 .net
大山積とその兄弟の綿津見が奴国と志賀島の倭王(どちらも王の称号であるミで終わる)です。
伊都の倭王が天孫族であるならば、奴国は崩壊したのではなく、豊国として存続し、女系相続で倭国の王統として栄え続けたことになります。
豊国王家がワニの正体です。
後世の記紀は男系社会の時代にまとめられたので、男系の天孫族を主軸に筑紫王家を描いていますが、弥生時代においては筑紫王家と豊国王家は対等だったのでしょう。
それが崩れるのは、神武が筑紫を出て大和に入り、イスケヨリヒメを娶ってからです。
しかし、イスケヨリヒメの祖先が出雲から来た事代主で、それは奴国の豊国王家を意味しているのなら、大和でも筑紫王家と肥国王家の婚姻が続いていたことになるのです!

417 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 23:18:27.08 .net
壱岐対馬の古代王=イザナギ

伊都国王=アマテラス

(似:天皇が任命する征夷大将軍)
伊都国王族東征将軍=スサノオ
倭国王=伊都国王が任命する幕府王(スサノオに幕府を開かせるような)

〜〜〜
奴国王=オオクニヌシ(一代)

奴国王系の王:鴨王、拘奴国女王、狗奴国王
〜〜〜

豊国女王=
イザナミ→八上姫
→三女伸(奴国王時代)
→豊玉姫(大綿津見:ワニ)
→卑弥呼→台与
→神功皇后


豊国女王系の王:大山祇(カモ)、鴨王(カモ)、拘奴国女王

418 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 23:37:02.95 .net
肥後狗奴国王家は肥国王家すなわち熊襲でしょ。
奴国にとっては宿敵ですよ。
でもそこから女王卑弥呼を迎えることになったから、奴国の末裔である天皇家は卑弥呼を記紀から消し去ったのです。

419 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 23:41:28.52 .net
【狗奴国】

狗奴国王の名前は卑弥弓呼といい、卑弥呼と瓜二つである。
卑弥呼とはもとより不和であるとある。
倭国大乱は倭国の王位をめぐる争いのことである。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。

このことから、狗奴国と邪馬台国は近縁関係であると推察される。
卑弥呼亡き後の争いは、狗奴国が筑紫に攻め上ったものであると考えられるが、壹與の共立によりこれが収まったということは、狗奴国も納得のいく人事であったということだ。
狗奴国熊襲は邪馬台国の南、熊本の勢力であるが、実質的には肥国の王家であり、肥前河上のヨド姫であれば熊襲の姫でもあるので狗奴国の納得のいく人事であった。
また、卑弥呼が筑後山門の出身であるならば、筑後も本来は肥国の一部に筑紫が膨張して張り出した部分であるので、卑弥呼とヨド姫も同属である。
壹與を邇邇芸の妃であり志賀島の海神の娘である豊玉姫に比定しないわけは、豊玉姫では狗奴国との争いを収める立場になれないからである。
後世には肥前のヨド姫は豊玉姫に習合されてしまうが、本来は別人である。

邇邇芸と神功皇后は天津神である筑紫王家、卑弥呼と卑弥弓呼と壹與は肥国王家、綿津見神と豊玉姫は豊国王家に属している。
いずれも連合国家である倭国を構成する中心的な王国である。

420 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:05:35.43 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

421 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:05:52.73 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

422 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:06:04.59 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

423 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:06:19.85 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

424 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:06:33.60 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

425 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:06:47.37 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

426 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:07:07.94 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

427 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:07:26.99 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v

428 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:07:38.90 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

429 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:08:14.40 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレのような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

430 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 00:08:27.63 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

431 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 12:17:33.39 .net
.


日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

.

432 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 12:49:02.73 .net
>>431
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

433 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:01:57.28 .net
>>384
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

434 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:02:24.81 .net
>>385

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

435 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:02:50.77 .net
>>386
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

436 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:03:37.17 .net
>>387
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

437 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:04:01.27 .net
>>388
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

438 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:04:25.24 .net
>>389

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

439 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:04:49.82 .net
>>390
キナイコシの得意技・猿真似乙
オリジナルはこれ

4 :日本@名無史さん :2020/12/02(水) 02:16:27.08
キナイコシ君の得意技・声闘(ソント)とは


821 :日本@名無史さん :2020/11/18(水) 04:59:39.47
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/84c2c259b1f71ebaff516783041f0fdc
>  朝鮮半島には、声闘(ソント)とという朝鮮人の古くからの伝統があり、現在でも彼らのお家芸である
>
> 声闘を平たく説明するなら。声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という思考形態であり、そこには道理も真実もない。。
> 古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である
>
> 相手が論理的に反論しても、聞こえないか 聞こえないふりをして大きな声で意味不明な反論を威圧的に繰り返す。
> そして相手を加害者に仕立て上げ自分を被害者にする。自分に非があっても決して認めず、大声で反論を繰り返して相手が、疲れ呆れて黙り込んだら勝利宣言をする。

ビックリするくらいキナイコシ君の行動パターンそのままで笑う
キナイコシ君はチョンチョンうるさいけど彼自身の行動が一番朝鮮人的なんだなw
彼が朝鮮人を嫌うのは同族嫌悪でしかないわけだ

440 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:05:11.22 .net
結局、今日もこの事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

441 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:53:22.34 .net
>>433
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

442 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:53:33.26 .net
>>434
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

443 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:53:43.17 .net
>>435
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

444 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:55:12.99 .net
>>436
糸島朝鮮人が悔しさ紛れにウソを並べても。トンスル妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

445 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:55:25.95 .net
>>437
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました

https://i.imgur.com/puurb8v

446 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:55:38.85 .net
>>438
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

447 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:56:35.41 .net
>>439
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>433-440のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>433-440のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

448 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:56:58.64 .net
>>440
結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

449 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:57:24.71 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

450 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:57:55.69 .net
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

451 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:58:38.90 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

452 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:58:53.36 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

453 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:08:08.24 .net
>>441
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

454 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:08:27.71 .net
>>442

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

455 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:08:41.43 .net
>>443
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

456 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:08:58.37 .net
>>444

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

457 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:09:10.96 .net
>>445
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

458 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:09:23.87 .net
>>446

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

459 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:10:00.76 .net
>>447
キナイコシの得意技・猿真似乙
オリジナルはこれ

4 :日本@名無史さん :2020/12/02(水) 02:16:27.08
キナイコシ君の得意技・声闘(ソント)とは


821 :日本@名無史さん :2020/11/18(水) 04:59:39.47
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/84c2c259b1f71ebaff516783041f0fdc
>  朝鮮半島には、声闘(ソント)とという朝鮮人の古くからの伝統があり、現在でも彼らのお家芸である
>
> 声闘を平たく説明するなら。声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という思考形態であり、そこには道理も真実もない。。
> 古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である
>
> 相手が論理的に反論しても、聞こえないか 聞こえないふりをして大きな声で意味不明な反論を威圧的に繰り返す。
> そして相手を加害者に仕立て上げ自分を被害者にする。自分に非があっても決して認めず、大声で反論を繰り返して相手が、疲れ呆れて黙り込んだら勝利宣言をする。

ビックリするくらいキナイコシ君の行動パターンそのままで笑う
キナイコシ君はチョンチョンうるさいけど彼自身の行動が一番朝鮮人的なんだなw
彼が朝鮮人を嫌うのは同族嫌悪でしかないわけだ

460 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:10:18.41 .net
結局、今日もこの事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

461 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:35:51.85 .net
>>453
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

462 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:36:07.39 .net
>>454
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

463 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:36:20.76 .net
>>455
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

464 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:36:39.53 .net
>>456
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

465 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:36:58.45 .net
>>457
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

466 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:37:12.11 .net
>>458
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v

467 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:37:25.12 .net
>>459
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

468 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:37:39.07 .net
>>460
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

469 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:38:02.40 .net
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

470 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:38:48.76 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>453-460のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>453-460のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

471 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:39:01.42 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

472 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:39:18.39 .net
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

473 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:23:21.70 .net
>>461
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

474 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:23:53.71 .net
>>464

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

475 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:24:30.60 .net
>>462
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

476 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:25:57.61 .net
>>465

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

477 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:26:15.58 .net
>>466
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

478 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:26:49.74 .net
>>467
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

479 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:27:26.71 .net
>>468

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

480 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:27:59.26 .net
結局、今日もこの事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

481 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:43:57.50 .net
>>473
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re.jpeg
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

482 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:44:52.67 .net
>>474
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/Rqu3x4b.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

483 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:46:33.28 .net
>>475
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/iLhNoBO.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

484 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:46:51.10 .net
>>476糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

485 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:47:23.58 .net
>>477
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/iLhNoBO.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

486 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:47:48.05 .net
>>478
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

487 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:48:09.72 .net
>>479
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

488 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 13:48:23.71 .net
>>480
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

489 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:29:04.53 .net
>>482

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

490 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:29:16.74 .net
>>483
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

491 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:29:30.44 .net
>>484

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

492 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:29:43.47 .net
>>485
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

493 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:29:56.62 .net
>>486
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

494 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:30:10.09 .net
>>487

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

495 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:30:46.20 .net
結局、今日もこの圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

496 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:58:25.37 .net
>>489
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

497 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:58:41.99 .net
>>490
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

498 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:58:55.62 .net
>>491
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

499 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:59:20.69 .net
>>492
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

500 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:59:57.57 .net
>>493糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

501 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:00:20.98 .net
>>494
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

502 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:00:41.61 .net
>>495
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

503 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:01:04.02 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

504 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:01:30.38 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

505 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:02:24.76 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>489-495のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>489-495のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

506 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:02:37.04 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

507 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 01:02:51.98 .net
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

508 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 08:29:54.07 .net
邪馬台国は、元々は北九州にあって、鉄加工で大量の木材使用のため徐々に東に移動して畿内に至って、結果的に大和王朝をつくってしまった。

509 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 18:17:13.23 .net
大和は夜逃げした落武者磐余彦の逃げ延びた先だよ。

510 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 20:07:46.86 .net
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.

511 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:47:08.48 .net
>>497
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

512 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:48:52.64 .net
>>499

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

513 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:49:35.93 .net
>>500
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

514 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:50:00.52 .net
>>501
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

515 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:50:33.49 .net
>>502
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

516 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:50:52.78 .net
>>503
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

517 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:51:37.97 .net
結局、今日もこの圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

295 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:18:20.03
さて、キナイコシ君を論破したところで、これまでの話を纏めてみた
ソースが多すぎて文字だらけになってしまったなw
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

518 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 22:14:27.20 .net
>>502
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

519 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 23:55:55.51 .net
阿比留文字の謎を解かないと真の邪馬台国に辿り着かない

520 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:24:14.19 .net
>>511
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

521 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:24:23.81 .net
>>512
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

522 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:24:41.66 .net
>>513糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

523 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:24:52.17 .net
>>514
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

524 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:25:03.77 .net
>>515
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

525 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:25:15.14 .net
>>516
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

526 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:25:24.73 .net
>>517
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

527 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 06:33:45.99 .net
日本古来の阿比留文字の凄さを知って欲しい

528 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 09:26:46.71 .net
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

529 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 15:41:31.29 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

530 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 22:37:07.83 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

531 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 02:58:43.65 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

532 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 02:21:18.05 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/e7fbldM.png

533 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:15:19.93 .net
>>520
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

534 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:15:37.42 .net
>>521

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

535 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:15:53.67 .net
>>522
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

536 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:16:10.29 .net
>>523
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

537 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:16:27.40 .net
>>524
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

538 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:16:41.81 .net
>>525
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

539 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:17:50.73 .net
結局、今日も>>517の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

540 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 08:20:04.14 .net
お前の所業はキナイコシと同レベル
それともキナイコシの自作自演?

541 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:53:10.86 .net
>>533
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

542 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:53:22.47 .net
>>534
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

543 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:53:48.56 .net
>>535
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

544 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:54:00.06 .net
>>536
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

545 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:54:12.75 .net
>>537
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

546 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:54:25.45 .net
>>538
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

547 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:54:42.63 .net
>>539
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

548 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:56:08.42 .net
>>540
同族嫌悪の糸島朝鮮人やキナイコシに対話を試みるだけ無駄
黙々と罵り続けるのが吉

549 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:56:30.89 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/aLfGtZl.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

550 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 09:56:54.83 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

551 :日本@名無史さん:2021/03/27(土) 23:50:01.79 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

552 :日本@名無史さん:2021/03/27(土) 23:50:14.41 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

553 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:51:52.78 .net
>>541
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

554 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:52:08.20 .net
>>542

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

555 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:52:56.81 .net
>>543
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

556 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:53:20.87 .net
>>544
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

557 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:53:34.30 .net
>>545
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

558 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:53:50.50 .net
>>546
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

559 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:54:12.94 .net
結局、今日も>>517の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

560 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:55:29.74 .net
>>540
論破済みの嘘を撒き散らすだけのキナイコシくんと真実を述べているだけの俺が同レベルなわけがない
糞味噌一緒にしちゃだめだよ

561 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:15:26.63 .net
>>553
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

562 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:15:58.24 .net
>>554
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

563 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:17:18.25 .net
>>555糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

564 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:17:37.90 .net
>>556
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

565 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:17:57.59 .net
>>557
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

566 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:18:38.18 .net
>>558
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

567 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:18:51.13 .net
>>559
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

568 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:19:25.61 .net
>>560
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

569 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:20:21.60 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

570 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:20:30.17 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

571 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 01:57:14.84 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

572 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 01:58:49.13 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

573 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 11:23:18.28 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>553-560のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>553-560のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/C4BUClz.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

574 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 11:23:37.49 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

575 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 03:46:50.35 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

576 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 03:47:01.72 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

577 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 13:04:03.12 .net
【倭国】

弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王が冊封された。後漢書では、倭は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

連合国家である倭の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部には豊国、肥国があった。本州の出雲、越などは倭の別種と書かれている。
博多湾岸を中心として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は博多湾沿岸勢力が独占していて、その支配機構が大率(大宰の帥)であった。

卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
この地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の倭の範囲を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の倭地が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ湿地帯であり、畿内の交通の大動脈は肥国女王の與止日女命の名を受けた淀川であった。
奈良は交易路からはずれた辺境の沼地。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された八咫の鏡などの三種の神器は、筑紫伊都が倭国の王都であったことを示している。

578 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 16:08:28.50 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

579 :日本@名無史さん:2021/04/02(金) 10:40:08.31 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。


少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。


何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。


常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

580 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 01:23:08.43 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

581 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:47:36.72 .net
>>561
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

582 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:47:58.62 .net
>>562

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

583 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:48:29.93 .net
>>563

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

584 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:48:46.80 .net
>>564
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

585 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:49:04.85 .net
>>565
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

586 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:49:21.93 .net
>>566
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

587 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:49:46.04 .net
結局、今日も>>517の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

588 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:29:33.74 .net
>>581
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。

少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。

何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

何 の 理 由 も な く 伊 都 国 だ っ た 地 域 が 松 浦 郡 (末 廬 国) に 取 り 込 ま れ た り、

志 摩 半 島 だ け 独 立 し た 郡 に 切 り 分 け ら れ た り す る は ず も な く、

稜 線 で 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 早 良 郡、

沖 と い う 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 志 賀 島 が 伊 都 国 だ っ た な ど 世 迷 い 言 で し か な い。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

589 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:29:48.90 .net
>>582
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

590 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:30:14.49 .net
>>583糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

591 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:30:33.19 .net
>>584
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

592 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:30:51.33 .net
>>585
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

593 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:31:05.91 .net
>>586
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

594 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:31:18.06 .net
>>587
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

595 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:31:49.29 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

596 :日本@名無史さん:2021/04/06(火) 00:46:37.98 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/e7fbldM.png

597 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 00:16:59.11 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★


邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では方角や距離を正しく測れなかった可能性が高いが、
日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ

598 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 01:18:05.52 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

599 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 08:31:10.86 .net
十日だの二十日だの書いておいて、三十日だけ一月と書くと言うことは、駢儷文の観点から言って100%無い。

また、三世紀などという時代には川にはロクに橋が架かっておらず、陸行一月できる場所は事実上物理的に存在しない。そのような長距離は必ず水行するのであり、これは本居宣長が畿内説を否定した根拠でもある。
つまり、陸行一月は誤り。

梁書の倭人条は魏志倭人伝をほぼパクって作ったものだが、これには陸行一月日とある。
つまりこの当時すでに陸行一月の資料と陸行一日の資料とが両方あったのだろう。

陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い

600 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 10:42:59.20 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

601 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 04:05:47.13 .net
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

602 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:53:37.64 .net
>>588
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

603 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:53:53.57 .net
>>589

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

604 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:54:09.88 .net
>>590

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

605 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:54:30.70 .net
>>591
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

606 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:54:46.05 .net
>>592
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

607 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:55:04.54 .net
>>593
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

608 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:55:39.42 .net
結局、今日も>>517の圧倒的事実には何一つ反論ができず、ただ逃げ惑うだけのみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

609 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:35:15.77 .net
>>602
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。

少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。

何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

何 の 理 由 も な く 伊 都 国 だ っ た 地 域 が 松 浦 郡 (末 廬 国) に 取 り 込 ま れ た り、

志 摩 半 島 だ け 独 立 し た 郡 に 切 り 分 け ら れ た り す る は ず も な く、

稜 線 で 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 早 良 郡、

沖 と い う 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 志 賀 島 が 伊 都 国 だ っ た な ど 世 迷 い 言 で し か な い。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

610 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:35:29.62 .net
>>603
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

611 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:36:00.72 .net
>>604糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

612 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:36:13.28 .net
>>605
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

613 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:36:26.23 .net
>>606
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

614 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:36:37.74 .net
>>607
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

615 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:37:06.33 .net
>>608
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww


https://i.imgur.com/kGj8wGD.jpg

616 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:38:30.41 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>602-608のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>602-608のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/NKAa56z.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

617 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:47:13.05 .net
重複スレにつき、運営に通報しました。

移動先はこちら


女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

618 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:20:37.90 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

619 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:44:43.21 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/sqWR6yh.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

620 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:45:57.07 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。

少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。

何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

何 の 理 由 も な く 伊 都 国 だ っ た 地 域 が 松 浦 郡 (末 廬 国) に 取 り 込 ま れ た り、

志 摩 半 島 だ け 独 立 し た 郡 に 切 り 分 け ら れ た り す る は ず も な く、

稜 線 で 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 早 良 郡、

沖 と い う 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 志 賀 島 が 伊 都 国 だ っ た な ど 世 迷 い 言 で し か な い。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/k5O9gHp.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

621 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:46:13.44 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/AyDRUbp.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

622 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:46:34.67 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/5HQ0c5o.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

623 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:46:50.49 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/XeUBgVF.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

624 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:42:28.04 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/e7fbldM.png

625 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:42:49.70 .net
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/

626 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:43:26.71 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である

https://i.imgur.com/DGqAyyB.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

627 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:43:36.11 .net
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628 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:43:50.54 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

https://i.imgur.com/5HQ0c5o.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

629 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:44:00.25 .net
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630 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 02:33:21.18 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒
https://i.imgur.com/AyDRUbp.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

631 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 02:33:30.54 .net
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632 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 08:55:26.09 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>602-608のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>602-608のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/DGqAyyB.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

633 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 01:56:08.98 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/NZ8OTCF.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

634 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:16:24.98 .net
>>609
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

635 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:16:49.53 .net
>>610

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

636 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:17:09.36 .net
>>611

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

637 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:17:31.58 .net
>>612
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

638 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:17:59.27 .net
>>613
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

639 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:18:22.60 .net
>>614
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

640 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:19:31.98 .net
>>618
何一つ論理的な反論ができない負け犬キナイコシおつw

641 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:19:55.35 .net
>>620

いや、それだと魏志倭人伝の記述と合わない
伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、奴国の都である春日丘陵からの距離を考えると
西新町遺跡あたりまでは伊都国でなければならない
春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね
間に山があるから実際にはもっと遠い
須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない

当然早良も伊都国ということになる

642 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 23:20:22.78 .net
結局、今日も>>517の圧倒的事実には何一つ反論ができず、ただ逃げ惑うだけのみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

643 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 21:54:40.85 .net
>>641
呼子付近に上陸し東南へ500里(40km)で伊都GC付近
伊都GC付近までが末盧国で先が伊都国
更に100里(8km)で日向峠や糸島峠
日向峠や糸島峠までが伊都国で先が奴国。

644 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 03:50:57.86 .net
>>643
それは考古学的にも文献的にもあり得ない

12 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:27:27.31
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

645 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 03:53:14.21 .net
>>644続き
570 :日本@名無史さん :2020/11/28(土) 01:54:13.64
>>550
そう考えたい気持ちも分からないではないけど、それだと魏志倭人伝を無視しすぎになってしまうと思う
伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、
内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう

では切れ目はどこに?と思うだろう
これを見てほしい
http://inoues.net/iron_nakoku.gif

博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、
樋井川を境に分布がぷっつりと切れている
そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する
樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区〜南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう
ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる
また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう

春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう
伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる
鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる
海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな
青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる

奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ
これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう

646 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 10:08:49.43 .net
>>643
東松浦半島から糸島市二丈付近が「末盧国」
糸島市南東部が「伊都国」
福岡市周辺が「奴国」
那珂川市付近が「不弥国」
伊都国が女王の王都で魏使の目的地。
>>644>>645とも矛盾しない。

647 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 14:11:43.92 .net
>>646
末廬国から伊都国まで500里だから合わないよ
奴国が福岡市もあり得ない、奴国の都は春日市の春日丘陵一帯だからね
その春日丘陵と福岡市西部は>>644のとおり文化が違う別の国

648 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 17:37:24.52 .net
>>647
考えが根本的に誤っているよ
魏志倭人伝の記述の方法だと末廬国への上陸地点は東松浦半島の北端、呼子付近と考えられる
1里80mとして呼子付近からだと500里(40km)で伊都GC付近が末盧国と伊都国の国境となる
更に東へ100里(8km)で日向峠や糸島峠があり伊都GC付近と日向峠や糸島峠間が伊都国となる

649 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 19:55:50.50 .net
旧松浦郡だとやはり唐津が中心地
ここから緩やかな標高100メートルほどの
厳木を通過して、多久、小城が距離も
方向も妥当なところ。

特に小城は西九州の要衝で
北は唐津、南は長崎
西は佐世保、東は佐賀になる地点。

一大率が周囲ににらみを効かせるのに
都合が良い場所。

糸島は福岡方向以外は海か山で
あまり地域と繋がりがない。

650 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 21:35:40.65 .net
糸島は福岡方向以外は海か山で
天然の要害と言えよう
王都を建設するのにふさわしい場所だ

651 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 00:31:20.58 .net
魏使が上陸し場所は末盧国の何処か?
魏志倭人伝を読むと魏使は帯方郡の郡治からではなくいきなり帯方郡の南端の海岸から出発している
狗邪韓国では上陸する事もなく対馬国へ海を渡り、更に対馬国を半周して一大国へ海を渡る
一大国をまた半周してから末盧国へ海を渡る
郡や国の中心ではなく国の端から端へと進んでいる
この書き方から次の末盧国へも国北端に上陸したものと考えられるので
末盧国の北端、東松浦半島の北に在る呼子付近が上陸地点である
末盧国の「濱山海居」「山と海の間の浜に住んでいる」との風景描写に呼子付近の景色は極めてよく一致する。

652 :九州王:2021/05/01(土) 00:45:52.70 .net
「濱山海居」「山と海の間の浜に住んでいる」呼子付近の風景
「草木茂盛行不見前人」「草木が盛んに茂り、行く時に前の人が見えない。」東松浦半島内を南へ進んでいる時の風景
「好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之」「魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅にかかわらず、みな、水に潜ってこれを取っている。」二丈の海岸付近の風景
末盧国で見た風景を順番に書いている。

653 :九州王:2021/05/01(土) 09:36:09.24 .net
呼子付近〜東松浦半島〜二丈の海岸〜伊都国GC付近の500里(40km)が末盧国の範囲

654 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 09:47:19.05 .net
国の範囲って境界とかないのに。中心部の集落が国なだけ。

付随する大小の集落やら山や川がどこに属してるか
ってのもあるだろうけど。

655 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 10:52:48.93 .net
何言ってるんだ?
国の範囲に境界はあるだろ。

656 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 13:02:46.00 .net
>>648
根本的に間違ってるのは君の方
東夷伝の各国間の距離は基本的に「国境線から首都までの距離」が書いてある
末廬国〜伊都国だけは道に迷わないよう上陸地点から書いてあるようだがね

例えば高句麗伝
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kokuri/gisi_kokuri.htm
「高句麗在遼東之東千里 南與朝鮮濊貃東與沃沮北與夫餘接 都於丸都之下 方可二千里」
高句麗の位置が遼東の東1000里と記されているが、この距離は遼東と高句麗の国境から高句麗首都の丸都までの距離が短里で記されている
遼東の都襄平から丸都までだと230kmほどなので短里でも長里でも一致しないし、方可二千里は短里でなければ遼東をも飲み込んでしまうのでそもそも長里ではあり得ない
襄平起点だと東に短里1000里の地点は丸都から短里2000里近く離れているので高句麗領方可二千里が成立しなくなるから「首都から国境までの距離」というのも違う
高句麗伝の記載と一致するのは「遼東と高句麗の国境線から高句麗首都・丸都までの距離」一択

上記を当てはめると奴国への東行百里は「伊都国と奴国の国境から奴国首都の春日丘陵までの距離」ということになる
>>641の通りってことだ

657 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 13:06:23.99 .net
方可二千里が短里でなければあり得ない理由はこちら

505 :不要不急の名無しさん :2020/08/31(月) 23:11:52.51 ID:V7dsXfha0
>>102
夫余や高句麗の方可二千里、東沃沮の可千里は短里じゃないとその場所に収まらないよ
長里だと夫余や高句麗は約900km四方になって朝鮮半島の数倍、黒龍江省と吉林省がまるごと入るくらいの巨大国家になってしまう

朝鮮半島の付け根にそんな巨大国家を設定すると遼東まで飲み込まれて公孫淵は一体どこを支配していたのかということになる
https://i.imgur.com/BuYaHJT.jpg

522 :不要不急の名無しさん :2020/08/31(月) 23:39:48.29 ID:V7dsXfha0
>>505のついでに言うと900kmって魏の都・洛陽から蜀の都・成都までの距離に等しい
魏の都・洛陽から呉の都・建業(今の南京)までは650kmに過ぎない
夫余や高句麗の方可二千里が長里ではあり得ないことが理解できるだろう

658 :九州王:2021/05/01(土) 13:43:07.56 .net
>>654
国が生まれれば自ずと国境は生まれる
中心部の集落が国なだけなんて事はない
周辺部の農地、その周りの山
隣の国の勢力との境までが国の範囲。

>>656
魏志倭人伝の場合は順路を書いてある
帯方郡の南端の海岸から出発して狗邪韓国の海岸へ7000里
狗邪韓国の海岸から対馬国の北岸へ1000里
対馬国の北岸から対馬国の南岸へ800里
対馬国の南岸から一大国の北岸へ1000里
一大国の北岸から一大国の南岸へ600里
一大国の南岸から末盧国の北岸へ1000里
末盧国の北岸から末盧国と伊都国の境へ500里
末盧国と伊都国の境から伊都国と奴国の境へ100里

国の中心ではなく国の端を基準として書かれている
海上移動が主で島国が多く国境線が明確だったのでこんな書き方が出来たんだ。

659 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 14:23:36.72 .net
>>658
海上移動はともかく、上陸後の記載が東夷伝の他の記述と異なるということはあり得ない
>>656の通り

660 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 14:44:47.76 .net
>>656
おおむね合ってるけど、おかしい部分もある。

遼東の東国境線を鴨緑江と考えるなら、
そこから短里1000里で80km前後で高句麗の西国境線として、
高句麗が方可2000里=160km四方で十分に成り立つ。

遼東と高句麗の間の1000里は紛争地域ね。

661 :九州王:2021/05/01(土) 15:51:20.06 .net
>>659
途中から記述方法を変える事はしないよ
書き始めたら最後まで同じ法則で説明を続けるよ。

662 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 16:05:05.63 .net
至と到と明確に記述方法を変えてあるのは、無視かな?

663 :九州王:2021/05/01(土) 16:27:44.18 .net
到は投馬国の中心地である狗邪韓国と邪馬台国の首都である伊都国にだけ使われているね。

664 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 17:24:46.20 .net
投馬国は邪馬台国よりずっと南。
狗邪韓国は邪馬台国より北。
伊都が首都なのはそのとおりだが。

665 :九州王:2021/05/01(土) 17:53:31.50 .net
投馬国は狗邪韓国を含む朝鮮半島南部地域
邪馬台国は伊都国を首都とした北部九州地域
投馬国は邪馬台国の北側に在った。
到は投馬国の中心地が狗邪韓国で
邪馬台国の首都が伊都国である事を示している。

666 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 08:11:12.69 .net
帯方郡から狗邪韓国までは七千里、つまり水行7日しかない。
投馬国は水行20日なので、全く別の国だ。

667 :日本@名無史さん:2021/05/10(月) 08:36:33.64 .net
>>660
>遼東の東国境線を鴨緑江と考えるなら、
丸都は鴨緑江の北岸だからその解釈は不可能
丸都城は城址が見つかっているからそういう位置のごまかしはできないよ
現在の吉林省集安市なのは明白
ユネスコにも登録されてる

http://whc.unesco.org/ja/list/1135
> 中国東北部から朝鮮半島北半部にかけて、紀元前1世紀後半から紀元後668年まで栄えた高句麗王国時代の遺跡群。3都市に40の古墳群があり、
> 五女山城・国内城・丸都山城のほか、14の王陵と26の貴族墓からなる。
> 近代都市・集安に位置する国内城は、高句麗の首都が平壌に移った後も、重要な都市としてあり続けた。
> また、高句麗王国の首都の一つだった丸都山城の内外には、広大な宮殿や37の墳墓などさまざまな遺跡が残る。

668 :日本@名無史さん:2021/05/10(月) 08:37:25.30 .net
>>661
そのとおり
ゆえに東夷伝の他の例と同じ書き方だ
>>656の通りだな

669 :日本@名無史さん:2021/05/11(火) 00:50:14.54 .net
>>655
太古の国は領域国家じゃなく都市国家だぞ

どの年、どの集落がどこに所属するというのは重要だが、国境線は明瞭ではない
むしろ、飛び地的に遠方の国に所属する国とか集落とかあって、国境線を想定しにくいのが普通

境界があるのはたしかだけど、それは境界線ではない

670 :日本@名無史さん:2021/05/17(月) 06:27:11.60 .net
人的にははっきりしている

671 :日本@名無史さん:2021/06/15(火) 22:10:46.87 .net
翰苑
『邪届伊都傍連斯馬』
『廣志曰 倭(誤字)國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載次斯馬國次巴百支國次伊邪國安倭(誤字)西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』

>邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる
邪が邪馬台国の略なのか、
前に文字があって「〇〇邪」という固有名詞だったのが途切れているのか、
がわからない。

地理説明と思われるので、邪は邪馬台国の略と考えると、
邪馬台国の勢力範囲は
(北部九州倭国中枢の)伊都に届き(伊都国を含み)、
伊都の傍らの斯馬國にも連なるものである、
と読める。

672 :日本@名無史さん:2021/06/15(火) 22:11:07.67 .net
広志逸文については、誤字疑いが7か所はあるので、
解釈には慎重を要する。

『倭國東南陸行五百里到伊都國』
これを素直に読めば、
「倭国から、東南に陸行五百里で、伊都国に到達する。」
となる。

我々は、魏志倭人伝あるいは魏略によって、前後の情報を保管することが出来るから、
この部分は、里程のごく一部を抜粋していることが明らかだと分かり、
「倭国においては、(末蘆国に上陸後に)東南に陸行五百里で、伊都国に到達する。」
と正しい理解ができる。


『又南至邪馬嘉國』
これも同じで、この文章だけだと、
「伊都国から南に行くと「邪馬嘉國」に至る。」
という意味になる。
(伊都国の南でなぜ大宰府になるのか?吉野ヶ里など佐賀では?)

我々は、魏志倭人伝を知っているから、「邪馬嘉國」は邪馬台(一)国の間違いでは?と思うし、

もし「邪馬嘉國」が邪馬台国のことを意味しているのだとしたら、
上の伊都国の里程抜粋表記と連なっているのだから、
今度は日程における無責任な抜粋であることが明らかであり、
投馬国から南に至ると、の部分が欠けていることになる。

魏志倭人伝の記載を覆すものではない。

673 :日本@名無史さん:2021/06/16(水) 00:04:59.85 .net
>>672
>「伊都国から南に行くと「邪馬嘉國」に至る。」
そこは陸行だとは書いてないだろ
つまりこの配置で魏志倭人伝の記述も廣志逸文の記述も成立する

5 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:55.57
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな

309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg


当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

674 :日本@名無史さん:2021/06/16(水) 00:50:24.84 .net
>>673
隙がないな

675 :日本@名無史さん:2021/06/16(水) 07:45:28.76 .net
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg

676 :日本@名無史さん:2021/06/16(水) 10:23:31.91 .net
>>674
廣志逸文で本当に注目するべきは
西南海行一日有伊邪分國、の部分

魏志も魏略も邪馬台国へのルート記述は帯方郡からひたすら東南方向で西という方位は一度も出てこない
つまり廣志は魏志や魏略の単なる引き写しではなく、別の情報源を持っていたということ
そしてそれによれば邪馬台国の西南方向には海があり、一日で渡れる程度の距離に伊邪分國がある
これは邪馬台国の位置を特定するのに大きなヒントになる

>>673の配置であれば、邪馬台国の西南には有明海が広がり、南西に一日程度で諫早に着く
ここが伊邪分國だろう

677 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:07:31.99 .net
司馬懿(司馬仲達)179-251

曹操の代から魏に仕えた将軍で、
魏の次の晋(西晋265-316)を建国した人物ですね。

魏の軍事面におけるエースであり、
蜀の諸葛孔明や、呉の孫権と、幾度も戦い抜きます。
青龍二年(234)に諸葛孔明が陣中で死去した時の、
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
の仲達さんですね。

678 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:08:03.77 .net
諸葛孔明が亡くなったものの、
魏にとっては厳しい局面が続きます。

南方に呉と蜀。

背後に当たる東方の遼東にて、
公孫氏の公孫淵が、呉と魏を天秤にかける独自路線を進み始めます。
景初元年(237)に、魏は現地の毌丘倹に命じて、反抗的な公孫淵を討たせようとしますが、
遼隧で阻まれ、毌丘倹は撤収を余儀なくされます。
勝利した公孫氏は燕王を称して独立しますね。

一地方の反乱をも抑えられず、魏の面目は丸つぶれで、
公孫氏と呉は連携する構えも見せますから、
このままだと魏内部での反乱が多発する危険や、
蜀呉公孫氏から集中攻撃を受ける危険などがあったわけですね。

魏にとっては、存亡の危機にあり、
この難局を打開するために、エースの司馬懿に四万の大軍を与えて
公孫氏の討伐に向かわせます。

679 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:08:29.33 .net
明帝(曹叡 226-239年1月22日)の詔勅にて、
司馬懿の出陣は、景初二年(238)正月。
先の毌丘倹なども配下にした四万の大軍を率いての長距離遠征です。

明帝に軍事日程を聞かれた司馬懿は、
「往きに百日、戦闘に百日、復路に百日、休息に六十日。
 こうすれば、1年で充分です。」
と答えています。
遠征に、1年分の兵糧を持っていったわけですね。

しかし魏軍は長雨で足止めを喰らいます。

『及宣王至遼東、霖雨不得時攻、羣臣或以爲淵未可卒破、宜詔宣王還
 帝曰「司馬懿臨危制變、擒淵可計日待也」卒皆如所策』
群臣の中には、またもや時間切れで公孫氏を撃破できないのではと考え、
司馬懿を呼び戻すべきでは、と進言する者もいた。
しかし、聡明な明帝は、「司馬懿は臨機応変に対応できる人物なので、待っていれば公孫淵を捕らえてくれる。」
と答え、
明帝の言った通り、司馬懿は最終的には公孫淵を捕らえて、8月23日に処刑します。

680 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:09:10.91 .net
襄平に籠城する公孫淵を包囲した司馬懿ですが、さらに三十日ほど長雨を喰らいます。
ここで晋書の記述にて、妙な発言をしています。
『孟達衆少而食支一年,吾將士四倍于達而糧不淹月,以一月圖一年,安可不速?以四擊一,正令半解,猶當為之。
 是以不計死傷,與糧競也。
 今賊衆我寡,賊飢我飽,水雨乃爾,功力不設,雖當促之,亦何所為。
 自發京師,不憂賊攻,但恐賊走。今賊糧垂盡,而圍落未合,掠其牛馬,抄其樵采,此故驅之走也。
 夫兵者詭道,善因事變。賊憑衆恃雨,故雖飢困,未肯束手,當示無能以安之。取小利以驚之。非計也。』

むかし孟達と戦った時は、孟達は兵数が少ない割に兵糧が多く、
司馬懿は兵数は四倍だったが兵糧が少なかったので、速戦した。
今回の公孫淵は兵は多いが兵糧は少なく、司馬懿の側は兵は少ないが兵糧は多い。
だから急いで戦う必要はなく、むしろ公孫淵が逃げてしまわないかが心配だ
ということですね。

『賊飢我飽』
明帝たちが兵糧の心配をしていたのに、
包囲籠城戦をしながら、兵糧が満ち足りているというのは妙ですよね。

681 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:09:31.95 .net
司馬懿による公孫氏攻略で妙な点はもう一つあります。

邪馬台国女王卑弥呼への金印授与、ですね。

金印授与は、単に魏と邪馬台国との二国間外交だけの問題ではなく、
東アジア全体での国家間のバランスも関わってきますね。

魏は自国の存亡をかけて公孫氏を攻撃している。
景初年間とは、魏による東夷制圧の時代でもあります。
『景初中、大興師旅、誅淵。又潛軍浮海、收樂浪帶方之郡、而後海表謐然、東夷屈服』
景初年間に、大軍を派遣して、公孫淵を誅殺した。
同時に秘かに水軍を渡海させて、楽浪郡帯方郡を接収した。
これらの作戦の後に、海のかなたの騒ぎは収まり、東夷世界は魏に服従した。

ちなみに、公孫淵を誅殺してから、楽浪郡帯方郡を接収する、だと、
秘かに軍を動かす必要がありませんし(堂々と進軍すればよい)、
陸上を進軍してきた軍はそのまま陸上を進軍すればよい(水軍はいらない)、
ですから、
公孫淵の攻略と、
楽浪郡帯方郡の接収とは、
同時進行の作戦だった、ことが明らかですね。

682 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:10:34.24 .net
三国志東夷伝の高句麗の条に、こうあります。
『景初二年太尉司馬王率衆討公孫淵。
 宮遣主簿大加將數千人、助軍。』
景初二年に、大尉=魏の最高位の将軍である、司馬(宣)王が、大軍を率いて公孫淵を討伐した際に、
高句麗王である宮は、主簿や大加など数千人の援軍を送ってこれを助けた。

司馬懿四万vs公孫淵一万余の戦いにおいて、数千の援軍というのはかなり大きいですよね。
鮮卑なども毌丘倹に援軍したりしています。

対する邪馬台国の卑弥呼が贈ったのは、
『男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈』
生口十人・・・。

どう見ても、卑弥呼に金印を送るのは、多国間の外交バランス上おかしいですよね。

683 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:11:48.24 .net
長くなりましたが、要約するとこうなります。

・司馬懿による公孫氏討伐は、魏の命運がかかっていた。
・司馬懿の軍は長雨にたたられて、兵糧不足に陥っていた。
・魏本国の明帝は「司馬懿の現地判断」に任せた。つまり撤収も兵糧部隊増援もなし。
・結果的に成功し、明帝の的確な判断を褒める記録が残されている。

・景初二年六月に難升米らが帯方郡に到着した。
・景初二年八月に襄平を包囲する司馬懿が、兵糧は満ち足りていると安心している。
・数千の援軍を派遣した高句麗を差し置いて、生口十人の邪馬台国が金印銀印を受領した。

明らかですね。
邪馬台国の難升米らは、兵糧を贈り届けたわけです。

684 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:12:10.94 .net
長雨で予定が狂って、兵糧切れで時間切れ撤退の危機にあった
司馬懿の大軍を、
邪馬台国から派遣された難升米らのもたらした兵糧が救ったわけですね。

公孫淵が襄平に逃げ込んだのも、司馬懿の兵糧切れを計算に入れてのことだったのでしょうが、
目論見は崩れて、公孫氏は滅亡したわけです。

魏は、呉・蜀・公孫氏、などからの包囲集中攻撃で滅亡していたかもしれない運命から、
邪馬台国からの兵糧によって、
一転して、公孫氏を滅ぼして東方の安全を確保することができわたけです。
これならば、金印に値する援護ですね。

685 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:21:41.66 .net
高句麗は、方可二千里で三万戸。

『多大山深谷、無原澤。隨山谷以爲居、食澗水。無良田。雖力佃作、不足以實口腹。』
大きい山や深い谷が多く、平原湿原は無い。
良田は無く、畑作を頑張ってはいるが、口腹を満たすには足りない。

兵は強いものの、食料生産量は乏しかったわけですね。

一方の邪馬台国は、
『收租賦、有邸閣。國國有市、交易有無、使大倭監之。』
年貢があって、邸閣=食料倉庫、がある。
大倭が取り仕切る、稲荷の流通ですね。

温暖な北部九州倭国(卑弥呼邪馬台国)の、米が、アジア史に一役買ったわけです。

686 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:50:27.68 .net
>>671
>>672
広志逸文に記録された、
『次伊邪國安倭(誤字)西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』
伊邪國、伊邪分國、伊耶國。

西南海行一日ですから、長崎県諫早市(旧伊佐国)ですね。

難升米の故郷、ということになります。

687 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:50:57.56 .net
大量の兵糧を補給してくれた難升米らを、
司馬懿は大喜びで迎え入れた。

魏の四万の大軍。
難升米はその将軍の壮麗な陣に招かれ、上機嫌の司馬懿と語り合ったわけですね。

司馬懿が日誌に残したから、難升米の出身地が記録に残った。

688 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:52:34.61 .net
>>413
全てが繋がっていきます。

>息子の一人に金印を持たせて、西の長崎の多島海へ潜伏させた。

タケミナカタの息子の一人、おそらく長男が、金印を持って長崎に潜伏します。

吉野ヶ里遺跡は長崎タケミナカタ捕獲用の城で、
土壁を登って乗り越えてきたタケミナカタ兵を、戈で手前の溝に引き落として、
捕獲する。

倭国軍本軍(当初は祭祀型銅戈軍=ニギハヤヒ軍)は、
諏訪に逃げ込んだタケミナカタ本人一行の攻略に注力して、追いかけていきます。

貝輪が関東まで逃走し、
銅戈→現地製作の石戈土戈がそれを追っていますね。

そのまま経過すれば、いずれ銅戈軍が巳百支國(伊万里から銅戈出土)に集結して
長崎県制圧に乗り出したでしょうが、
倭国内でも政変が続き、広形銅矛による土佐田村遺跡攻略を経て、倭国乱へ突入していきます。

689 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:54:55.52 .net
倭国乱の間に、
当時の筑後大物主(おそらく奴族オオクニヌシ系)と、
長崎タケミナカタの首領とが通じて、
漢委奴國王金印(小さな蛇)を根拠に、
狗奴国を立ち上げて、久留米〜吉野ヶ里を急襲制圧したのでしょう。

狗奴国軍は陸路で小城市→末蘆國(唐津)へ進軍。
考古学の通り、桜馬場遺跡までで末蘆王家は滅亡。

長崎タケミナカタ水軍が海路迂回してきて、
狗奴国軍と末蘆國で合流して、対馬海峡を制圧。

金印で封泥された外交文書を、後漢の実力者、曹操へ送り、
例の鉄鏡を入手した。
その時の使者が狗古智卑狗(免田式土器)。

690 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 18:55:39.60 .net
狗奴国が一時は北部九州を制圧する勢いとなったが、
狗奴国王と、長崎タケミナカタとは、何らかの仲違いをした。

長崎タケミナカタは伊都に擁立された女王卑弥呼の側へ寝返った。
仲間になる条件が、金印の献上。

同じく諏訪のタケミナカタ勢も卑弥呼側となり、
だから平原女王墓には諏訪式の御柱が立っている。

691 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:53:51.67 .net
『無布帛以革爲衣』
同じ北部九州にありながら、
長崎タケミナカタとして吉野ヶ里などと戦っていた。
倭国水軍が巳百支國経由で攻め込んで来たら、島から島へと逃げ回らないといけない。

だから絹などの布が手に入らず、革の衣服をまとっていたわけですね。

難升米について考えると、
タケミナカタの子孫。
諫早で生まれ育つ。

青少年期に倭国乱が勃発し、
父が筑後の大物主と通じて、金印(小さな蛇)を用いて狗奴国勃興に助力。

父もしくは家督相続後の難升米が、狗奴国王と喧嘩して、
金印を手土産に卑弥呼の配下となる。

長崎タケミナカタ水軍を率いる難升米は、
大率に着任。

692 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:54:49.54 .net
景初二年(238)春、大率の諜報網から、
魏の大軍が公孫氏攻略に取りかかっており、
帯方郡と楽浪郡には既に魏から派遣された太守が着任していることを知る。

取り急ぎ大率長官である難升米本人が帯方郡へ向かい、
景初二年六月に到着。太守劉夏と国家間外交交渉。

遼東は長雨で、魏の大軍が足止めを喰らっている。
邪馬台国から兵糧を送ってもらえないか、との打診を受け快諾。

粘り強く交渉し、漢委奴國王金印の存在も持ち出し、
兵糧を送る代わりに、卑弥呼に金印を授与する、という外交交渉を成立させる。

693 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:56:04.75 .net
大率の輸送船部隊に、邪馬台国から大量の兵糧を送るよう命じ、
難升米本人は、司馬懿に招かれ襄平包囲軍の本陣へ。

見たことも無い大規模な攻城戦。
四万の大軍を見て仰天する。

邪馬台国から兵糧が続々と到着し、司馬懿らは大喜びして難升米に感謝感激しまくる日々。
包囲中はヒマなので、
上機嫌の司馬懿に毎夜接待され、プライベートなことまで語り合う。
『次伊邪國安倭(誤字)西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』

景初二年8月23日、襄平を脱出しようとした公孫淵が捕らえられ処刑。
これにて約定が守られたことから、金印授与が確定し、
魏軍に護衛されて、難升米は洛陽へ出発。

大軍で100日の距離なので、少人数の難升米らはもう少し速く、
景初二年十月末頃には洛陽到着して、
明帝に謁見。
金印授与の「話」が確約する

694 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:56:57.90 .net
景初二年十二月、金印授与の詔書が発効される。

景初二年12月8日明帝が病に倒れる。

景初三年1月1日
明帝が危篤となり、河内から早馬で駆け付けて最後に面会する。
明帝崩御。

その日のうちに、まだ8歳の曹芳が第三代魏皇帝となる。

皇帝が代替わりし、明帝の詔書が無効になる危険性もあったが、
司馬懿が続けて重鎮に収まったのと、
難升米が魏群臣との謁見会場で熱弁をふるい、
予定通りの金印その他の報酬を得ることに成功する。

695 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:57:18.41 .net
『魏酬倭国止于銅鏡鉗文』
魏は倭国への報酬として、倉庫で銅鏡をはさんでいる除湿用の紙を取り外して、
出荷した。

伊都説であれば、
その大部分は方格規矩鏡で、一部は青龍三年銘。
貴重な青銅原料として、倭国で大部分は溶かされて、
超大型内行花文鏡になったわけですね。

696 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:58:23.01 .net
当然のことながら、
金印外交を成功させた、大率長官の難升米は、率善中郎将・銀印まで拝領して大出世。

卑弥呼に重用され、
邪馬台国軍の将軍となったわけですね。

「吾輩は魏の大将軍・司馬懿殿と親交を温めたのだ。
 いざとなれば魏の四万の大軍が来てくれるのだ。
 ワハハハハ。」
といった感じでしょうか。

しかし現実は厳しく、高齢の卑弥呼が体調を崩し、
邪馬台国政権の動揺につけこんだ狗奴国軍が、
正始八年(247)に軍事行動を活発化。

難升米は帯方郡経由で司馬懿に援軍を要請しますが、
魏にはるか倭国まで軍を送る余裕などありませんね。
陸軍国ですし。

張政ら数人の魏将校と、黄幢とだけが来倭して、
難升米はガッカリします。

697 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 19:59:29.15 .net
同年に卑弥呼が死去。

張政らは平原遺跡での葬儀に参列します。
難升米の一族が御柱を立てたわけですね。

ここぞとばかりに攻めてくる狗奴国軍に対して、
難升米が出陣します。
この頃は狗奴国は熊本に押し込められていますから、戦場は福岡と熊本の県境ですね。

そもそも難升米の自軍は長崎タケミナカタや大率など水軍が主体。
頼みの魏援軍も来ず。
狗奴国軍との決戦で、難升米は討ち死にしたわけですね。

しかし、難升米が亡くなったからこそ、
残されたタケミナカタ勢は、元々長崎や諏訪の地方勢力ですから、
卑弥呼後の勢力争いとは全く無縁で、
勝った方=つまり伊都国王男王、に淡々と従い、
ある意味勝ち馬に乗れたわけですね。

698 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 20:03:01.52 .net
△は、難升米が連れてきた鏡職人によるものですね。
遼東に大勢いた戦争避難民の一部でしょう。
司馬懿が技能者を選んで難升米に贈ってくれたわけですね。

タケミナカタ旧領から発祥しています。
年次は難升米の出世年でしょう。

699 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 20:17:16.22 .net
>>76
拘奴國は鉄器、ガラス製品、青龍三年方格規矩鏡などを共有する、
卑弥呼の親族ですね。

伊都国王男王は、後漢書に記録された拘奴國を滅ぼしますね。
三国志では記載されません。

拘奴國との内戦だけでも邪馬台国は相当動揺したので、
難升米を失ってただただ恭順するだけの地方タケミナカタ勢は、
そのまま伊都国王男王の配下に収まったわけですね。

そして卑弥呼の親族であり、
また伊都国王男王の娘である、壹與=與止日女が女王になります。

さすがに魏を敵に回すのは得策ではないので、
張政さん達は丁重に送り返されました。
おかげで、北部九州邪馬台国の貴重かつ詳細な見聞録が伝えられました。

ここまでが正始八年(247)の出来事ですね。

700 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 20:24:38.84 .net
難升米 奴の升米

奴国

大己貴神 奴族

701 :日本@名無史さん:2021/07/15(木) 23:13:47.06 .net
>>689
>例の鉄鏡を入手した。

曹操の側の状況を考えると、曹操が後漢の献帝を保護して、
建安十三年(208)六月に、曹操が丞相になって以降であることは確実でしょうね。
ただ、同年の赤壁の戦いを始めとして、この頃はすさまじい負け戦続きですね。

建安二十一年(216)五月に、曹操は魏王になります。
この年に、烏丸族の単于や、匈奴の単于が朝貢してきて曹操が応対していますから、
この時期ならば、外国からの朝貢に対応する余裕があったことは確実ですね。

翌建安二十二年(217)は正月から出陣して、あともずっと戦陣にあり、
建安二十五年(210)1月に洛陽に帰還してすぐ、1月23日崩御ですから、
まあ人生ずっと戦い続けた武人だったわけですね曹操は。

ですから、狗奴国王が例の鉄鏡を入手したのは、208〜220年の間であって、
高確率で『216年5〜12月』ですね。

漢委奴國王金印が根拠となっての授与ですから、
同じく金印を貰っている匈奴単于も確実に鉄鏡を貰っていることになり、どこぞの王墓にまだ眠っている可能性はあります。

となると、狗奴国が対馬海峡を制圧したのは210年代前半。
桜馬場遺跡は、107〜210年の、後ろ半分の時期だから、2世紀後半くらいということになります。
それと同期する井原鑓溝遺跡もその近辺の年代ですね。

702 :日本@名無史さん:2021/07/15(木) 23:15:06.72 .net
難升米が自らの故郷に、絹布が無い、と言っていることから、
長崎タケミナカタが卑弥呼に帰順したのは、
238年からさほど遡らない時期ということになりますね。

卑弥呼側に早い時期に帰順していれば、
それだけ流通が早期回復して、絹などは流通もしくは自領で生産しているはずですから。

銀印を貰っていますし、大率について北方担当と詳述されていますし、
難升米が大率長官であったことは確実ですね。

金印を献上したからといって、
邪馬台国の中枢に絡む大率をよそ者に任せるわけはありませんから、

状況としては、
邪馬台国が伊都を最前線に以東に押し込められていて、
狗奴国が筑後肥後〜佐賀平野〜末蘆國〜対馬海峡、を占拠している状態において、

狗奴国王と、長崎タケミナカタが、仲違いをして、
長崎タケミナカタが長崎〜対馬海峡を自領として、卑弥呼側に寝返った、
ということになります。

現在の長崎県そのままですね。

703 :日本@名無史さん:2021/07/15(木) 23:16:53.51 .net
長崎タケミナカタが狗奴国王と袂を分かったのは、
216年以降で、238年からさほど離れていない時期ということになります。
伊都から出土した免田式土器は、長崎タケミナカタが狗奴国側にいた期間なので、
210年代前半〜238年に収まることになります。

卑弥呼が共立された年代は判明していません。

狗奴国の脅威に対して、卑弥呼が共立されたのであれば、
卑弥呼邪馬台国が先に成立していて、
後から対馬海峡と金印を手土産に長崎タケミナカタが合流したことになりますし、

長崎タケミナカタが伊都国(倭国=三国志時代邪馬台国)側に寝返る条件の一つが卑弥呼擁立ならば、
長崎タケミナカタや拘奴國が参加するために、
卑弥呼を共立して、伊都国王、拘奴國女王、難升米、らが手を組んだ、ということになります。

704 :九州王:2021/07/24(土) 08:48:29.44 .net
>>675
女王国とは伊都国、奴国のことで倭国の首都圏のこと
邪馬台国とは北部九州地域全体のことで倭国と同じ意味。

705 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:00:03.61 .net
>>361
70年頃に奴国王が失脚して、
タケミナカタが諏訪に逃げ込んだわけです。

北部九州の地名が、そのまま奈良盆地に移植されたのと同じことで、
70年タケミナカタが、諏訪地方に地名を持ち込んだわけですね。

周防(山口県)→諏訪(長野県)
古代出雲國(香椎〜宗像)→安曇野
筑紫→筑摩
伊耶國(長崎県諫早市>>676)→伊那
三輪(福岡県旧三輪町)→箕輪

周防(諏訪)から見ると、
北西に安曇野や筑摩
西南に伊那や箕輪(>>671
が配置されていますね。
タケミナカタの故郷と相同性があります。

706 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:01:04.23 .net
古代周防の比定地については、現在の場所かもしれませんが、

古代出雲が考古学的には、
山鹿貝塚、遠賀式土器、平形銅剣、鐘崎式土器、宗像三女神、などなどから、
宗像地域に比定される場合、
現代出雲は出雲ではなかったことになりますから、

そうなると、現代出雲が古代周防であった可能性が浮上します。
考古学的にも、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡、その他重要弥生遺跡が集中しつつ、
中広形銅矛も現代出雲に密接に絡んでいますからね。

もともと加茂、あるいは岩倉、という地名でカモの拠点だったのが、
銅矛銅剣戦争で八千矛神が勝利して、進駐してきて、
荒神谷で勝利式典を行って、タケミナカタの所領にされて、周防という地名に一時期上書きされた、
のではないでしょうか。

古代出雲で敗北したタケミナカタは、妻子を伴って落ちのびますから、
主要領地の一つは日本海側にあるほうが説明がつきやすい、という面もあります。

707 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:02:22.55 .net
タケミナカタの奥さんは八坂刀売神で安曇の女性と伝わっていますね。

安曇ですから、女系は古代出雲國の八雷神系有力部族のワニ族ですね。
須勢理ヒメ、神屋楯ヒメ、事代主、などの家族になります。

男系は、八坂ですから、スサノオ。
素直に考えれば、大国主の義父のスサノオの娘あるいは近しい親族で、天神族の娘。
しかし、大国主がスサノオ就任後であれば、スサノオ大国主と神屋楯ヒメの娘。

安曇族の男系がどちらであるのかとも直結してきます。
解の一つは城野遺跡にありますが。

安曇野、の地名がついているということは、
ワニ族の地盤である、香椎〜宗像(古代出雲國)の全体もしくは一部が、
70年当時既にその名前で呼ばれていた、ということを意味しています。

708 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:03:03.28 .net
タケミナカタの長男は、建御名方彦神別命、と伝わっています。

ヒコ(魏志倭人伝だと卑狗)がついているので、70年以前に既に成人していて、
北部九州倭国にて官職を得ていたわけですね。

母がワニ族で、
父が建御名方。

建は、将軍として出陣した、の意味ですから、
父と同じ部隊を率いて、出陣したことのある、北部九州に所領を持っていた、人物、
ということになります。

母の出自を考えると、一部で言われている、タケミナカタ=建+ムナカタ
なのかもしれません。

東方(大阪湾)か、北方(半島)かはわかりませんが、
少なくとも初陣を飾って、人生これから、というところで、70年を迎えてしまったのでしょう。

709 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:04:03.33 .net
タケミナカタの次男は、出早雄命(いずはやお)、と伝わっています。

別名は、伊豆早雄命、あるいは、イスハイ。(諫早と似ていますね)
また兄妹の出早ヒメは、伊都速比売命とも書くそうです。

タケミナカタの母親、沼河ヒメは貝輪一族で、
その重要拠点が、貝輪が多数出土して、木棺墓女性指導者を擁する、
沼河=土井ヶ浜遺跡や、長崎県、ですね。

出、伊豆、伊耶、伊那、と考えれば、
出早雄命は本来は長崎県を領有していくはずだった若者。
70年にタケミナカタと共に諏訪に逃れた。
銅戈ニギハヤヒ軍に侵攻されて、追われて追われて伊豆で降伏した。

出、伊豆、伊都、を重視するなら、
出早雄命は対馬海峡航路を取り仕切っていく予定だった若者。
あとは同上。

710 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:05:02.36 .net
以上の二人のどちらかが、金印を秘匿して長崎に残って、
その嫡流が難升米ということになりますね。

本来なら、日本統一につれて滅ぼされる運命だったのですが、数奇な流れで踏みとどまります。

・諏訪タケミナカタが降伏した頃に、北部九州でカモが失脚した。>>99
・倭国乱が発生した
・倭国乱に乗じて、狗奴国勃興した。>>689

・狗奴国王が、曹操から例の鉄鏡を貰った
・後漢が滅亡した(220)ので、漢委奴國王金印が失効し、鉄鏡を持つ狗奴国王が難升米父&金印を軽視し始めた
・難升米は狗奴国王と袂を分かち、卑弥呼側に寝返った。>>702
・難升米が活躍して、親魏倭王金印や銀印を得た

・卑弥呼死去→狗奴国が攻めてきて難升米討ち死に
・次の男王は親卑弥呼の拘奴國を攻め滅ぼしたが国内動揺
・地方勢力のタケミナカタ勢はそのまますんなりと邪馬台国版図に収まった

ちなみに、例の鉄鏡も、曹操魏が265年に滅亡したら失効するので、
景行の九州制圧や、ヤマトタケルの東方捜索旅も、理論的には、265年までの出来事になります。

711 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:16:01.28 .net
なんで諏訪にタケミナカタの母なる沼河の名前が無いかというと、
タケミナカタと、その兄の建沼河男命が、超仲悪かったからですね。

おそらくタケミナカタは、敗走途中に建沼河男命も一緒に逃げるか、
せめてどこか山中に身を隠すよう説得したでしょうが、
頑固な建沼河男命は
「やかましい!金印なんぞ知らん!
 私にやましい事なんぞないのん、なんで逃げないといかんのだ!」
と逆に烈火の如く怒鳴って追い出したことでしょう。

奴国王と、沼河ヒメの子で、田舎お坊ちゃん育ちの建沼河男命はおそらく、
現代の我々と似たような感覚の持ち主で、
>>358
半島出兵の際も、
「人様の土地に来て、人を殺すなんでとんでもない!」とのことで何もせず、
軍議の際はわけのわからない平和理想主義を唱えて、
大国主が鼻白んだのでしょうし、

当時は東で捕獲した毛人などは生口として奴隷扱いが当然の世界(これは世界基準でそうですね)
だったわけですが、
何かで送られてきた生口も、
「人間に上下などない!」と断言して、平等に扱い、
生口が亡くなった際は、
おそらく自分の息子か兄弟あたりの親族と一緒の墓に葬ったのではないでしょうか。

土井ヶ浜遺跡の出土状況からすると、そのように思われますね。

712 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:19:35.88 .net
大己貴命(大奴貴命)が、
八千矛神=中広形銅矛将軍=アマテラス配下の東征将軍スサノオ、として、
カモ族八上ヒメの整備した木俣=瀬戸内高地性集落群、を制圧した時代が、
荒魂ですね。

天神族ではないので、最高位の大王アマテラスにはなれず、
足利義満よろしく、後漢皇帝から金印を貰って、領土を安堵してもらったのが、
和魂ということになります。

海のかなたから、光り輝く金印がやってきて、
それを根拠にして、対馬海峡〜北部九州〜瀬戸内四国〜五斗長垣内遺跡、を治める。
そのための交易管理省庁が、大倭ですね。
長官が、大物主。

元々はアマテラスが日本海沿岸を支配していたわけで、
大倭・大物主の瀬戸内四国は新興開発地域に過ぎなかったわけですが、
次の銅戈ニギハヤヒ軍が畿内征服して、一大交易圏に化けて、
後の日本列島の産業中枢になっていきますから、
大倭支配権の争奪戦=倭国乱が勃発していくわけですね。

713 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:19:50.46 .net
初代大物主は、当然奴族として、
そもそも瀬戸内開発した八上ヒメの残した、木俣神(カモ
同じくカモ族の筆頭である、アジスキタカヒコネ
水軍大将で、海上を巡視して回っていたタケミナカタ
奴国王の最大のバックであったワニのコトシロヌシ

、と、どなたでもありえますね。

714 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:21:11.91 .net
以上が、70年タケミナカタが諏訪に持ち込んだであろう地名から考察できることですが、
また、ピンポイントでは、諏訪には大和や高木もあります。
後世にわざわざ別の読みだと断っていますが。

これらは地名ではなく、重要な役所名ですね。

大倭(おおやまと):交易専門の役所:後のS字甕の交易圏
高木(たかぎ):金印授与式の思い出の吉武高木宮殿

この辺りは、タケミナカタが、北部九州の制度を持ち込んだのでしょうね。
諏訪の大和あたりを本気で発掘したら、筑前町と同じく硯などが見つかるかもしれませんし、
高木あたりを発掘したら、大型建物があるかもしれませんね。

715 :日本@名無史さん:2021/08/08(日) 21:35:36.10 .net
諏訪神氏には大祝という制度がありますね。

嫡子家督相続ではなく、
ダライ・ラマのように、神事にて後継者を決める方式。

女系で言うならば、山鹿貝塚・イザナミ神事の、骨取り神事による共立女王選択。
また、八坂刀売神の出身であるワニ族の城野遺跡には、
北部九州最大の方形周溝墓に男児が埋葬されており、
大祝との関連が示唆されます。

後の皇族にても、例の神託事件がありましたね。

716 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 10:03:47.06 .net
十月は神無月で、出雲だけ神有月ですね。
全国の神様が出雲に集まって、政策や縁組を話し合います。

弥生時代であれば、神様、つまり各地の豪族など支配層の集まりですね。
旧暦だと現在の11月の時期になりますから、
秋の収穫が終わって、米俵を作って、各地から持ち寄ってきた、ということになります。

古代出雲であれば、香椎〜宗像のエリアに集まったわけですね。

717 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 10:03:57.97 .net
現代まで神無月神有月が残っているということは、
暦に風習として残るだけの、長期間に渡ってその制度が続いていたわけですね。

ということは、70年までの数十年に過ぎなかった奴国王時代だけではなく、
その後の時代にも、数百年くらいは、古代出雲=宗像が有力だった時代があった、
ということになりますね。

古代豊国=古代出雲+古代伯耆は、カモ系女王が東へ追い出されて、
豊玉姫以降はずっとワニ系女王の国、となりますから、
要するにワニ系の安曇族が仕切っていた、ということになります。

沖ノ島の出土品が豪華な時代、というのがその時代に相当するのではないでしょうか。

718 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 10:04:37.19 .net
タケミナカタは集まることを免除されていますね。
これも、奴国王時代であれば、タケミナカタは古代出雲の現地にいたわけですが、
70年以降は、諏訪にいて、
当時の交通網では、あまりにも遠すぎて、往復だけで1年くらいかかったわけですね。

諏訪タケミナカタは銅戈軍に一度降伏していますし、
卑弥呼の次の男王以降は一地方豪族として倭国支配に組み込まれますから、
タケミナカタが、諏訪より奥の東国の支配を傀儡政権としてある程度任されて、
年貢をまとめ、万行遺跡に運び込む、
その代わり、北部九州までわざわざ来なくてもいい、
という時代があったのでしょう。

719 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 12:19:15.65 .net
>>718
古代出雲、豊国の安曇が支配していて、
諏訪タケミナカタがその配下に収まって東国経営していたのなら、
安曇野の地名に関しては、安曇の支配下に収まる時の命名かもしれませんね。
卑弥呼の次の男王が東国派兵した時でしょうか。

720 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 13:01:25.48 .net
過去スレで検討したとおり、銅鐸はごく最後の巨大なものを除いて、祭祀用ではなく、
環濠集落+銅鐸(Jアラート)の実用品ですね。
主にカモ族が東進するにあたって、
先住の人々と衝突するフロンティアに配備したわけです。

銅矛銅剣戦争で八上ヒメが降伏した時点(荒神谷遺跡)では、
大阪府と兵庫県を取り囲むように銅鐸が分布しており、
これらが被征服側の毛人に残された領域だったことになります。

中広形銅矛も淡路島五斗長垣内遺跡まで。
次の銅戈時代に畿内毛人は征服されますね。

721 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 13:02:31.29 .net
ちなみに、八上ヒメ時代のカモ銅鐸は、東は岐阜にも出土しています。

紀元前に琵琶湖沿岸の下之郷遺跡で戦って琵琶湖沿岸を制圧したカモ族が、
八上ヒメの時代(前1世紀〜0年前後)には、琵琶湖を足がかりに東は岐阜まで進出していた、
ということですね。

国譲りの際に、天若日子が亡くなった際。
天若日子の父の天津国玉と、天若日子の妻子は登場しますが、
天若日子の母は登場しませんね。

葬儀にやって来たアジスキタカヒコネは、天若日子の遺族から、天若日子本人に間違われます。
アジスキタカヒコネは怒って喪屋を斬り飛ばし、喪屋はまさに美濃国=岐阜へ飛んでいきますね。

アジスキタカヒコネは、カモであり、母の多紀理ヒメがカモ系の豊国女王。
天若日子の母もまた、多紀理ヒメだったのではないでしょうかね。

722 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 13:04:26.40 .net
伊都説だと、柏崎遺跡が笠沙の岬に比定されますから、
次代のコノハナサクヤヒメは末蘆王家の王女ですね。

オルドス式短剣が柏崎遺跡と琵琶湖の高島市から出土しています。
サルマタイ系のお抱え渡来工人がいて、
その頭領が高島市の熊野本遺跡に鉄工房を与えられていたわけですね。

要するに、天津国玉は末蘆王家の天神族であり、
カモ女王の多紀理ヒメを娶って、天若日子が産まれていた。
その多紀理ヒメを大国主が無理矢理奪い取った。

ニニギがコノハナサクヤにあのような嫌疑をかけたのは、
そのような時代背景があったから、ではないでしょうか。

723 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 13:05:48.79 .net
八上ヒメ時代の銅鐸分布から考えると、
銅矛銅剣戦争終結時に、カモの東方領土は、
琵琶湖を中心とする大山咋領域と、
瀬戸内四国の大山祇領域と、の二大領域があったわけですね。

中広形銅矛将軍は、カモの瀬戸内高地性集落群=木俣、を制圧して、
淡路島に五斗長垣内遺跡を建設した。

天神族系の末蘆王家は、カモと婚姻して琵琶湖方面の領地を保有していた、
その東端が美濃国だったし、
銅鐸が既に京都市にも入りこんでいた、ということになりますね。

724 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:13:42.29 .net
三遠式銅鐸は、諏訪に逃げ込んだタケミナカタ勢が配備した銅鐸ですね。

諏訪タケミナカタにとっては、愛知県と越後とを防備すれば、東国は守れます。

越後から攻め込まれる分には、侵攻できる山道が限られますので、
山城でしっかり防備して、いくつかの抜け道にだけ銅鐸を配備しておいた、ということでしょう。
越後からはあまり攻め込まれず、最後に銅戈軍の精鋭部隊が攻め込んできて制圧され、
長野に配備されていた三遠式銅鐸はまとめて柳沢遺跡に埋納されますね。

一方の愛知県では、三遠式銅鐸は、銅戈勢力側の近畿式銅鐸と対峙しています。

ちなみに、銅戈軍はニギハヤヒ(+カモ族)ですね。
金属製武器フル装備で、朱塗り盾に巴型銅器。
近畿式銅鐸はカモ銅鐸の最終進化形ということになります。

銅戈東征の当初は、まだ畿内に勇猛な毛人がいてがんばってくれてましたから、
銅戈軍はそちらに手一杯で、
愛知ではお互いに銅鐸を配備して一進一退でしたが、
毛人が次々に制圧されて、朝日遺跡に銅戈軍が進駐してくるころになると、
旗色が悪くなって、三遠式銅鐸側はだんだん捕縛されていきますね。

725 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:13:50.34 .net
三遠式銅鐸が東国にとっての防衛境界に綺麗に出現している。
ということは、
東国は既にある程度統一されていたことになります。

タケミナカタより先に、諏訪を支配していたと言われる、守矢氏などが、
東国をある程度まとめていた可能性が高くなります。
ただし、前方後方墳の建設などはもっと後の話ですし、
王権を示唆する遺物遺跡はありませんから、
王というよりは、各地の首長をまとめる長くらいの立場だったのでしょう。

琵琶湖からカモ族が領土拡張してきたことで、
畿内毛人と東国蝦夷は分断され、
いずれ滅亡する危険を感じて、社会的緊張が生まれ、
その緊張をもとに、本来はバラバラだった毛人や蝦夷が、それぞれまとまって集団防衛するようになったのでしょう。

726 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:14:02.05 .net
>>413
70年にタケミナカタが諏訪に逃げ込むわけですが、
その時のタケミナカタ軍は五斗長垣内遺跡を擁して、金属製武器フル装備ですから、
70年の時に守矢氏に勝利すること自体は可能でしょう。

しかし、すぐに追ってきたタケミカヅチ軍と対峙する必要があります。

追ってきたタケミカヅチに、逃げ込んだばかりのタケミナカタがすぐに負けた場合、
捕縛処刑されて、諏訪にタケミナカタの痕跡は残りませんね。
また、後に銅戈が攻め込んでいるということからも、
タケミナカタが降参したのは70年当時ではなく、ニギハヤヒ軍が整備されて、銅戈を使い始めてから、
ということになります。

よって、70年に逃げ込んだタケミナカタは一旦はタケミカヅチ軍を押し返したことになります。
諏訪での支配体制をある程度確立してから、後に銅戈軍に降伏した、ことになりますね。

と、いうことは、
タケミナカタ軍は、70年より前に、既に諏訪攻略に取りかかっていた、可能性が高いですね。
異伝では、大国主が諏訪を攻略するよう命じていた、とも言われています。

727 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:14:50.44 .net
>>362
59年頃から疫病があったけれども、なんとか持ち直した。
タケミナカタ軍が諏訪攻略に取りかかった。
諏訪攻略中に、70年奴国大洪水が起きた。
タケミナカタ不在の好機を逃さず、天神族が軍を出して奴国王が捕縛された。
大慌てで引き返してきたタケミナカタ水軍だったが、決戦に敗れた。
諏訪はある程度攻略済みだったので、諏訪に逃げ込んで防備を固めた。

これなら無理が無くなりますね。

728 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:56:49.39 .net
西からやって来た異人であるにも関わらず、
なぜにタケミナカタが東国蝦夷に支配者として支持され続けたかというと、
銅戈軍に征服された畿内毛人の運命が原因でしょうね。

銅戈軍に征服されると、畿内毛人のように生口にされる。

だからこそ、軍事経験豊かで、北部九州の進んだ制度をもたらしてくれる(>>714)、
タケミナカタを中心にして防衛したのでしょうね。

729 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:57:23.01 .net
70年代に銅戈軍が発足したとして、
107年には160人もの生口を送っています。

庄内式土器は銅戈勢力の考案した海上輸送用の土器ですね。
積載重量を軽減するため薄手で、
揺れる舟にて、木組みに嵌めて固定するために尖り底になっています。

対照的に、諏訪箕輪(諏訪大倭三輪)は陸上輸送ですから、S字甕は平底ですね。
輸送途中で休みたい時に地面に置けますからね。

730 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:57:59.85 .net
銅戈軍が諏訪を占領したのは、短期決戦ですね。

なぜかというと、柳沢遺跡で銅戈で勝利式典を行っているのに、
関東には石製祭祀型銅戈で貝輪を追いかけているからです。

長野での勝負があっさり決まったが、
タケミナカタ勢の大将(伊豆早雄命?)が関東へ逃げた。

銅戈軍の隊長は、
北部九州から追加の銅戈が到着するのを待ったり、
あるいは現地で青銅器を溶かして銅戈を作ったりする、
その時間も惜しんで、
すぐ長野から出陣して、関東で追いついて捕縛した。

事後に現地で石製祭祀型銅戈を作って勝利式典としたわけです。

731 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 14:59:22.53 .net
経験豊富な軍神タケミナカタ本人が存命の間は、
銅戈軍が越後から攻め込もうとしても散々に打ち破られた。
だから銅戈軍は、まずは大阪湾上陸作戦に集中したわけですね。

しかし、
タケミナカタもいずれ亡くなり、
山育ちの息子たちだけになりますね。

さらに、青銅器鉄器の供給が断たれていますから、
金属製武器が枯渇していきます。
S字甕の分布と一致して出土する、多孔銅鏃というのは、
要するに、青銅器の原料が枯渇してきて、少しでも銅を節約するために、
孔あきの銅鏃を開発した、ということですね。

タケミナカタが亡くなった後に、
畿内毛人と戦って百戦錬磨となった銅戈部隊が、
金属製武器フル装備で諏訪に攻め込んできたら、
一たまりもなく占領されてしまった、ということでしょう。

732 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 15:01:36.27 .net
時系列としては、
・70年にタケミナカタが諏訪に逃げ込む
・しばらくはタケミナカタ軍は強いので、銅戈軍は大阪湾上陸に専念する
・銅戈軍が畿内を制圧していく

・タケミナカタ死去、諏訪東国の金属器枯渇
・銅戈軍精鋭部隊が諏訪占領、諏訪大将を関東まで追いかけて捕縛
・東国は諏訪傀儡政権の下、銅戈軍の支配下に入る

・反乱予防、忠誠心の証、として、諏訪東国各地で前方後方墳を建設
・生口として北部九州へ大量連行され人口の減った畿内へ、東国から人員補充(庄内式土器の流れ)

蛇鈕金印だから蛇神と自称。
だから苦労して攻め込んだのに、
金印が諏訪に無い、と知った時の銅戈軍隊長の落胆は想像するに余りありますね。

733 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 18:25:54.79 .net
長すぎるのと、想像で繋いでいる部分が多すぎて事実と区別されていない。
当たっている部分もあるかもしれないが、読む気が起きない。
もっと短くわかりやすい表現を心がけて欲しい。

734 :日本@名無史さん:2021/08/09(月) 19:18:22.22 .net
中広形銅矛が大国主=奴国王で、57年金印を貰いました

奴国王は70年に失脚しましたが、金印はタケミナカタが持って逃げました

タケミナカタは諏訪に逃げ込んで、三遠式銅鐸を前線配備して徹底抗戦しました

銅戈ニギハヤヒ軍は、まず畿内を占領してから、次いで諏訪を占領しました

諏訪に金印は無く、実はタケミナカタの息子が持たされて長崎に隠れていました

難升米は長崎金印タケミナカタの子孫で、その父が狗奴国立ち上げに協力したのですが、
難升米は卑弥呼側へ寝返りました

735 :日本@名無史さん:2021/08/10(火) 00:40:06.37 .net
魏志倭人伝に書かれた里程は、57年金印の時に測定されたものでした

だから当時の伊都で到着するのは吉武高木遺跡の宮殿でした

魏志倭人伝に書かれた日程は、238年金印の時のものです

当時の伊都で女王之所都は平原女王墓周辺に遷都していました

736 :日本@名無史さん:2021/08/11(水) 04:26:28.55 .net
なんで金印が志賀島から出土したかというと、
>>707
一族の女系の祖は八坂刀売神でもあるからでしょうね。

そもそも金印などを持っていたから、八岐大蛇系のタケミナカタ一族は
200年も東西の辺境で耐え忍ぶこととなった。
一方のカモ系アジスキタカヒコネやワニ系コトシロヌシは一度は降伏しましたが、
それぞれ早期に中央政界に返り咲いています。
栄枯盛衰を悟った難升米あるいはその一族の方から進んで、
母方の縁がある豊国有力者アズミ族へ金印を献上して、身分保障してもらったのでしょう。

>>698
紀年銘鏡からすると、難升米としては、
238年朝貢、獲得した銅鏡職人が来倭
239年洛陽にて金印銀印授与が決定
240年魏使が来倭して授与式

(243年銀印・率善中郎将を伊聲耆掖邪拘へ譲渡=難升米の邪馬台国将軍就任が内定)
244年邪馬台国軍の将軍に着任
(245年難升米の将軍昇格を祝って黄幢授与)
(247年出陣>>696-697

737 :日本@名無史さん:2021/08/12(木) 23:35:14.54 .net
1世紀初頭
・中広形銅矛将軍=奴国王と平形銅剣女王が夫婦喧嘩で全面戦争
・銅矛銅剣戦争の末期に奴国王が土井ヶ浜遺跡女首長を口説き落とす >>323>>341
・荒神谷遺跡で降伏調印式 >>398
・その頃に出生

1世紀前半
・半島出兵で活躍 >>358-359
・水軍大将に任ぜられ、対馬海峡〜雀居遺跡〜下関〜五斗長垣内遺跡を巡視して回る

55-56年:楽浪郡使を侏儒国(五斗長垣内遺跡・若杉山遺跡)へ案内
57年:倭の奴国王の使者として水軍を率いて奉貢朝賀(後漢書『使人自稱大夫』)

59年:疫病が大流行する
70年:奴国大洪水にて奴国王失脚、旧狩尾神社にて捕縛
70年:諏訪へ逃げ込む >>413

1世紀後半:三遠式銅鐸を前線配備して東国防衛

100年頃:死去
100年代:諏訪降伏 >>731

738 :日本@名無史さん:2021/08/12(木) 23:36:10.53 .net
奴国王の息子には他の有力部族の縁者も多い中で、水軍大将に抜擢されるには、
半島出兵で相当の戦果をあげた、ということですね。
そうなると、当然そこに相応の領地を得ていたことでしょう。

筑摩はもともと「ちくま」ではなく、「つかま(豆加萬)」であった、とのことですし、
諏訪(周防)から見て、北西にある、
ということから、
半島南部の、つ(か)ま國=投馬國であった、可能性がありますね。

投馬國は、それぞれの時代にそこを所有していた一族にとっては、当然重要な領地であり、
諏訪に移動した一族は、投馬國→筑摩つかま、という地名をつけたし、
宮崎に移動した一族は、投馬國→都萬、という地名をつけたし、
ということでしょうね。

739 :日本@名無史さん:2021/08/12(木) 23:38:09.08 .net
また、役所を設置しただけでなく、>>714
わざわざ箕輪という地名まで残していること。

銅矛銅剣戦争で言うならば、銅剣勢力は当時敗者であったこと、
下関に名を残していること、
などから、
勝者として瀬戸内を巡視していた、のでしょうから、

そうなると、瀬戸内経済圏を担当する大倭、の海運を管理していたことにもなり、
また金印を保持していた=管理していた、ことからも、

彼が、初代の大倭長官=大物主であった、可能性が高いですね。

740 :日本@名無史さん:2021/08/18(水) 16:04:25.46 .net
.






◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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741 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 15:02:10.15 .net
.






日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに木骨泥墻が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出して
土壁の住居の時代に入っていた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では7000年前に高床式住居も登場するが、先行した木骨泥墻に
吸収されて5000年前までに消滅し、4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





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742 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 04:22:03.26 .net
>>693
倭国の現地人である難升米が、司馬懿との対話において、
「伊邪國ではなくて、伊耶國ですよ。」と語ったわけですね。

ということは、
倭地の倭人たちは、や=邪ではなく、や=耶、と表記していたことを示しており、
魏志倭人伝に一か所しか記載されていない邪馬壹國の壹は臺の転写間違いとしたら、
倭人自身は、表音訓読では「耶馬臺國」と表記していたことになります。

それと、廣志に記された、>>671の部分は、
景初二年八月の時点で、難升米と司馬懿の共通知識だったことになり、
つまりは、「魏人が来倭する以前から存在する文字情報」だった。

>>735
>魏志倭人伝に書かれた里程は、57年金印の時に測定されたものでした
>だから当時の伊都で到着するのは吉武高木遺跡の宮殿でした
だった可能性が高い、
ということになります。
また明帝の詔書には、倭王と書かれて、邪馬壹國が出てきませんから、
倭国 わ 音読み
耶馬臺國 やまと 訓読み
ですね。

743 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 15:47:09.84 .net
>>673
やはり北部九州で決まりだな
畿内など最初からあり得なかった

744 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:50:15.30 .net
>当時はまだ
なるほど。
考古学の成果が上がっているのだから、それを取り入れなければですね。

斯馬國の御床松原遺跡など、北部九州では紀元前の硯がどんどん見つかっています。
そして57年金印を貰った=外交文書で外交した。
木簡で長文を書いた痕跡である、細かいキズだらけの案も出土。
木簡での書き損じを削るための、弥生時代の消しゴム=金属製刀子も出土。

遅くとも後一世紀。
早ければ前二世紀くらいには、北部九州の知識層は文字を使用していた。
ということですね。

745 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:50:46.11 .net
魏志倭人伝が初出で、魏略にすら記載されていない「邪馬壹國」というのは、
魏人の張政が充てた当て字でしょうから、ちょっと横に置いておきましょう。

漢魏人にとっては、倭国=わ国、であって、
倭人本人から、やまと国と聞いた漢魏人が、それに対して充てた当て字ですね。

倭面土國 107年 倭国王師升の謁見場にいた後漢の記録係
邪馬臺國 247年 来倭した魏の張政
が、それぞれ倭人から「やまと」という音を聞いて、それを表音で記したわけですね。

倭國 わ 音読み
倭面土國・邪馬臺國 やまと 訓読み

746 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:51:03.94 .net
考古学出土物から、
北部九州倭人は紀元前から文字(漢字)を使用していた可能性が高いわけです。

伊都説であれば、
三雲南小路1号2号がニニギとコノハナサクヤであり、
糸島平野が筑紫の日向。

そこから逆算すると、
吉武高木大王がアマテラスで、早良平野が高天ヶ原。

神代=北部九州倭国の時代ということになり、
伊邪那岐・伊邪那美は、紀元前から漢字で記録されていたことになります。

747 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:52:09.41 .net
伊邪那岐 伊耶那岐 イザナギ
伊邪那美 伊耶那美 イザナミ

前漢の武帝が楽浪郡を設置したのが前108年で、
楽浪土器の出土からして、楽浪郡使が伊都など北部九州倭国に常駐し始めたのは
ようやく0年前後からでしょうから、
紀元前に伊邪那岐・伊邪那美を木簡竹簡に記した倭人は、
漢字は知っていたかもしれませんが、
目の前に大陸の漢人はまずおらず、楽浪人が不定期にいたかどうか、という状況だったわけです。

つまり、一昔前の日本人の英語と同じで、
読み書きは非常に優秀だったが、
会話はダメダメだったわけです。

主要な漢字の音読み(漢読み)は知っていても、
本場での発音があやふやな漢字も沢山あったのですね。

ですから、>>742
邪=耶=や、ではなく、
邪=耶=ざ、として使用していたわけですね。

後の我々などは、漢字に「訓読み」などを充てて、
全く異なる読みで使用しているわけですから、
それに比べればかわいいものです。

748 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:52:20.83 .net
そう考えると、
伊邪國=伊耶國=いざ國、ということになります。

伊耶=伊邪 いざ

伊佐 いさ

諫早

見事に繋がりますね。

749 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:53:56.18 .net
佐賀県の県の木も県の花も楠(クスノキ)ですね。

防虫効果のあるクスノキは、古代から重宝された木で、
舟の材料にもなりましたし、
樟脳の材料として、絹布の保存にも用いられてきました。

クスノキがある→絹布を維持できる→絹布で銅鏡など青銅器を綺麗に磨いて品質管理できる
ということで、
北部九州倭国では、クスノキによって、絹布→銅鏡をピカピカに維持できたのですが、
本州など東方に銅鏡を持っていっても、クスノキも絹布も無くて、すぐ錆びたり緑青がついたりしてただの緑の塊になったわけです。

過去スレで検討しましたが、
東方の開拓最前線における、収穫期のJアラート<銅鐸>などは、
クスノキ&絹布が無いので、
来襲時期が終わると、山の斜面の乾土に埋めて、なんとか温存していたのですね。

それでも錆びたら、酢をかけると錆を取れますが、
当然少しずつ溶けていってすり減ってしまいます。

750 :sage:2021/08/25(水) 21:54:36.33 .net
肥前国風土記によると、
ヤマトタケルが今の佐賀市の辺りを巡幸した際に、
クスノキの大木が生い茂っているのを見て、
「この国は『栄(さか)の国』と呼ぶがよい。」
と言ったことから、栄の国となり、
後に転じて、佐嘉の国となった、とあります。

明治維新で、佐賀県、佐賀市、に統一されましたが、
佐嘉川→嘉瀬川 川上に與止日女神社(壹與)
佐嘉神社
など、佐嘉の字もある程度残っていますね。

栄 さか

佐嘉 さか・さが

佐賀 さが

となります。

751 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:56:49.99 .net
そうなると、
>>671
『倭國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國』
の輪郭が浮かび上がってきますね。

>>742のように、
廣志に記された、『倭國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國』の部分は、
景初二年八月の時点で、難升米と司馬懿の共通知識だったことになり、
つまりは、「魏人が来倭する以前から存在する文字情報」だった。

>>735
>魏志倭人伝に書かれた里程は、57年金印の時に測定されたものでした
だった可能性が高い。
楽浪郡史が短里=東夷伝里で測定して、楽浪郡にも記録木簡が残されたし、
倭国側の責任者である奴国王の元にも記録木簡が残されていたわけです。
東夷世界での共通知識、共通認識だったわけですね。

と、いうことは、
「邪馬嘉國」とは、57年以前から、倭人が倭人独自に使っていた当て字の漢字表記であり、

>>748
>伊邪國=伊耶國=いざ國
なのだから、
邪馬嘉國の読みは、
「ざまか」あるいは「さまか」であったことになります。

752 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:57:54.87 .net
現・嘉瀬川=旧・佐嘉川の川上にある、大和町の七ヶ瀬遺跡と、
吉野ヶ里遺跡の北にある、二塚山遺跡とを比較した場合、

後者は、東側、つまり奴国王時代の広義の奴国領域に近く、
副葬された銅鏡は内行花文鏡のみであり、
小型仿製鏡や、免田式土器など、奴国や狗奴国と繋がる性質がある。

前者は、西側で、末蘆國から佐賀平野へ進出する地点に近く、
副葬された銅鏡には方格規矩鏡が含まれており、
末蘆國の桜馬場遺跡の時代、つまりは伊都の井原鑓溝遺跡=107年師升の時代まで栄えており、
伊都天神族系の形質がある。

ことから、
魏志倭人伝の餘旁國を几帳面な陳寿が地理的順番に並べてくれていれば、

七ヶ瀬遺跡が伊都天神族系の都支國で、
二塚山遺跡は奴国奴族系の好古都國だった、
可能性が高いことになります。

753 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 21:58:26.95 .net
現在の佐賀市を中心とする、佐賀県南部に、
末蘆國から峠を越えた、「邪馬嘉國」ざまか、さまか、国があった。
その首都は、現・嘉瀬川=旧・佐嘉川の川上にある、
大和町の、都支國であった。

>>689
>狗奴国を立ち上げて、久留米〜吉野ヶ里を急襲制圧したのでしょう。
>狗奴国軍は陸路で小城市→末蘆國(唐津)へ進軍。
倭国乱に乗じて、狗奴国が勃興し、
佐賀の邪馬嘉國王家と、
唐津の末蘆國王家を、
急襲して滅ぼした。

>>702
鉄鏡を手に入れた狗奴国王は、
220年に後漢が滅亡して漢委奴國王金印が失効すると、長崎タケミナカタを軽視し始め、
(あるいは難升米父と狗奴国内主導権争いをして殺〇して)
難升米は狗奴国王から離反して、倭国(邪馬台国)卑弥呼側へ寝返った。

難升米は大率長官として外交で成果を上げ、親魏倭王金印を入手した。
卑弥呼の死去にて攻勢に転じた狗奴国との合戦で討ち死にした。

実力者の難升米を亡くしたタケミナカタ一族は、喪に服している間に、
卑弥呼の後継者争いが決着して、
勝者である伊都国系男王の元に恭順して辺境豪族としてそのまま召し抱えられた。

前方後方墳は、タケミナカタ一族が服従を示す墓制であり、
北部九州にある前方後方墳の初期のもの、
例えば吉野ヶ里の前方後方墳などは、難升米のものである可能性が高い。

754 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 22:00:27.95 .net
狗奴国の息の根を止めるべく、
第12代が鉄鏡回収作戦を発動した。

大分→宮崎→熊本→筑後と、
狗奴国王の退路を断ちながら、
時計回りに侵攻して、北へと追い立てる。

挟撃して鉄鏡ごと捕獲回収する作戦であり、
神夏磯媛(與止日女=壹與か、その次代)並びにヤマトタケルには、
牽制のみしておくよう指示しておいたが、
若いヤマトタケルが血気にはやって、
西の肥前川上(旧邪馬嘉國の首都=都支國)に逃げ込んだ
狗奴国王クマソタケル(川上タケル)を討ち取ってしまう。

>>329
クマソタケルは息子の一人に鉄鏡を持たせて、日田に潜伏させ、
さらにデコイの諜報部員を数人、東国へと放つ。

完璧だったはずの作戦を台無しにされて、
鉄鏡を逃した=金印を逃して狗奴国勃興を許した失敗を繰り返した
第12代は激怒し、
ヤマトタケルに東方捜索を命じて、旅立たせた。
もちろん見つからず。

数百年後の筑紫の磐井が滅亡し、そもそもの北部九州倭国も滅亡したことで、
鉄鏡はその存在意義を終えて、
手の者によって、ダンワラ古墳へ秘匿副葬された。

ヤマトタケルが捜した鉄鏡が発見されたのは二十世紀になってからであり、
二十一世紀に、曹操墓から鉄鏡が見つかったことで、
その意味が理解されることとなった。

755 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 22:01:12.70 .net
伊耶=伊邪 いざ

伊佐 いさ

諫早

邪馬嘉國 ざまか(さまか) 天神族系

狗奴国によって一旦滅亡(魏志倭人伝の時期)

天神族系ヤマトタケルによって栄国=佐嘉 さか さが として復活

佐賀 さが

756 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 22:04:21.75 .net
57年の記録の一部抜粋なわけですね。
『廣志曰 倭(誤字)國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載次斯馬國次巴百支國次伊邪國安倭(誤字)西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』
『倭國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國 百女國以北其戸數道里可得略載次斯馬國次巴百支國次伊邪國 安倭西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』
『倭國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國 自奴國以北其戸數道里可得略載次斯馬國次巴百支國次伊邪國 案倭西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也』

後漢から倭国に到着して、夏至の太陽を基準にした方角で、
末蘆國から東南に短里=東夷伝里で五百里で、伊都国の吉武高木宮殿へ到着する。
また、
末蘆國から南に行くと、邪馬嘉國(さまが国=現・佐賀市など)へ至る。

57年当時に倭国の南界を極めていた、奴国王全盛期の広義の奴国(中広形銅矛分布域)
広義の奴国よりも北の部分、つまり北部九州倭国の各地については、
戸数や里程を略載できる。

伊都の次には御床松原遺跡を中心とする斯馬國があり、
その次には現伊万里を中心とする巴百支國(みもきorみまき)があり、
その次に、現諫早を中心とする伊邪國(いざorいさ)がある。

>>693
>包囲中はヒマなので、
>上機嫌の司馬懿に毎夜接待され、プライベートなことまで語り合う。
司馬懿が、救世主の難升米どのの故郷について聞いたことから勘案するに、

後漢から倭国に到着して、
末蘆國から西南に海行一日すると、
倭国の中の分国としての(日本国の中の大和国や肥前国など、現在の県の意味合い)
伊邪分國(伊邪市・県)がある。

長らく伊族と敵対していたから、絹布は無く、革衣を身にまとっている。

正確には本来は、卑字の伊邪國ではなく、伊耶國である。

757 :日本@名無史さん:2021/08/26(木) 18:34:49.18 .net
>>746
>そこから逆算すると、
>吉武高木大王がアマテラスで、早良平野が高天ヶ原。

吉武高木はもっと古いよ。
イザナギやその祖先の世代。

>神代=北部九州倭国の時代ということになり、

まあ、これは概ねその通りだと思う。
神代の王都である筑紫の日向は福岡県。

758 :日本@名無史さん:2021/08/26(木) 20:34:03.66 .net
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い

「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレビコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレビコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

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