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鎌倉幕府の最期あたりって面白そうなのに語られない

1 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 04:22:22.10 .net
元寇終わってから建武の新政の間あたりって怒涛の展開なのに
明治維新に比べて影薄くないすか。もっとこの頃の逸話とかあったら
聞きたい。

2 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 04:53:28.90 .net
北条氏目線で鎌倉幕府滅亡とか描いた話あったら面白そうだけどな。

3 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 06:28:40.72 .net
あげ

4 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 09:59:18.26 .net
>>2
確かにそうだね
この時代を扱った作品が「太平記」だったので、後醍醐天皇(+楠木正成など)視線、
足利尊氏視線で描かれがちだったけど、北条氏・得宗被官視線もあっていい
分倍河原合戦から鎌倉合戦が最高に悲劇的なフィナーレとなる

5 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 10:19:38.20 .net
北条氏って独裁だけど。そんなに悪い政治はしてないんだよな。

6 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 13:04:52.60 .net
新選組ファンとかは北条に肩入れしてみれそうだよね。

7 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 13:06:43.22 .net
っていうか、ジャンプでやるんでしょ?中高生ファンが増えそう。

8 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 13:44:28.92 .net
>>7
ジャンプでやんの?

9 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 14:28:18.32 .net
ジャンプでやるのは滅亡後 つまり 南北朝時代だから
元寇から滅亡までじゃない ので スレタイとはちがうんじゃないかな
もっと言えば、楠木正成が歴史に出てくるよりも前のハナシだとおもう
正中の変とか後醍醐天皇が歴史に出てきてもまださほど脅威ではなかった

10 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:02:34.37 .net
>>1
要するに「国家規模の大難を斥けた後その体制がぐずぐずに崩れて行く過程」だよな。

近年の日本で云うなら
・冷戦終結、税制改革達成の竹下政権から分裂惨敗下野の宮沢政権まで
・諸制度の強引な改革を力づくで成し遂げた小泉政権からアベ福田麻生の止めどない崩壊失墜まで

冷笑しながら酒の肴にする分には面白えけど、素人受けはしそうにねえな。

11 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 15:03:52.16 .net
>>9
ジャンプで南北朝時代なんてできるんだ。後醍醐天皇とか
描くのは難しそうなのに。

12 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 18:12:21.24 .net
滅びの美学みたいのあるよね。

13 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 18:19:33.45 .net
>>11
後醍醐どころか「天皇」なんて扱ったら雑誌まるごと飛びかねねえ。
今はそういう時代。
集英社が本気で肚ァ括ったか、それとも半端にケツを割るか、とくと拝見。

14 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 20:14:02.39 .net
菊のタブーってそんなに強いかな?
以前に比べて弱まっていると思うけどな。

まして、明治以降ならともかく、鎌倉時代や南北朝時代なんて誰にとっても歴史上の人物でしかないわけで。史実から激しい逸脱でもしない限り、許容されるんじゃないだろうか。

15 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 20:21:17.53 .net
タブーとか、そんなものはない、
広めているのは創価(日蓮〜、そういう系統の宗派)か何かだろう?みたいな話ばかり。

金魚のフンと同じような意味、
どこかで「菊」(不明)一味に加わったりしたんだろう。

それでタブー?、そういうものを広めている。

16 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 20:26:49.16 .net
金魚のフン、フン・・・フン、
日本の菊〜何やらよりも上の家(人々)が、中国だという話だろう。

17 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 20:47:43.69 .net
>>14
社会全体の皇室禁忌はどんどん弱くなってる
…なんて思うのは甘い。甘過ぎる。
そう感じてるんなら既に調教されちまってるってことだ。

昔のように街宣車が走り回ったり野村秋介が懐に拳銃を抱いて乗り込んできたりってえようなハードな圧力は消えたが、
「普通の人々」ベースのソフトな同調圧力や魔女狩りはかつてないほど強まってる。
彼らにはその自覚が無い分だけ、そして圧力の主体が見えない分だけタチが悪い。

加えて、
営利企業(この場合は集英社)にとって大事なのはイメージだからな。
現実社会の実勢がどうあれネットで炎上しちまえば終わり。
ネット普及以来、そんな目に遭った企業は枚挙に暇がねえだろ?
それを無視して表現者としての筋を通す矜持があるか、
さもなきゃ逆手に取って炎上商売にするだけの商魂があるか、
楽しみにしてる。

まあそれ以前にジャンプなら連載十回で
「俺たちの戦いはこれからだ! −第一部完−」「〇〇先生の次回作に御期待下さい。」
の可能性の方が高えだろうけどな。

18 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 20:48:18.22 .net
〜ユダヤ同祖論というのもある「らしい」、
有力な説としては、中華(上位)コンプレックスから生まれたものだと。

19 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 21:02:24.03 .net
なぜ漫画やアニメなのかは知らないけど、
『北斗の拳 サウザー』その他のキャラ含む。

(エジプトの〜)コンプレックスという説もある。

20 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 00:55:26.30 .net
時宗死後の貞時〜高時時代って影薄いよな
基本的に得宗vs内管領で権力争いしてる内に滅んだ感じ

貞時も頑張って平禅門と北条宗方倒したけど結局長崎円喜出て来たりして諦めてアル中で死んだからなあ

21 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 08:48:15.37 .net
北条があっさり負けすぎだろ
義仲は京都で暴れて印象が悪い
ゴダイゴを悪役に見えないようにするのも難しいんじゃないか

尊氏はヒーローとして描きやすいけど
幕府の御家人でありながら裏切るし直義とけんかする
正成は忠義

22 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 16:37:34.49 .net
創価は抹香坊主連党やろ

23 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 02:41:11.96 .net
尊氏が裏切ってわずか24日で幕府が滅んだとはいえ
そのまえに正成が数年立て籠もって頑張って北条方を引きつけたり数を減らしたおかげだとおもう
でも、その24日のあいだの戦いにもう少しやりようはなかったのかとおもう
どこかに戦局図とか戦場図とか載ってないものか
最後の集団自決も、そうじゃなくて戦うなり逃げ出すなり降伏するなり無いものかとおもう
やっぱり無いのかもしれないけど

24 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 20:26:23.21 .net
新田義貞とかも主役になれるぐらいのキャラなのにな。

25 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 21:38:24.44 .net
史実について語ろうというのに「キャラ」とかいう軽薄な俗語が出てくるあたりが正ににイマドキのヷカモノ。

26 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 22:41:30.19 .net
そういう目で見ると>>23の「…とおもう  …とおもう」連発の頭悪そうな文体もなかなか味わい深い。

27 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 23:19:53.25 .net
北条時任の愛知に逃れたって話って本当なんかね

28 :日本@名無史さん:2021/02/03(水) 03:31:22.90 .net
川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は午前中に首を吊れよ


何度も!何度も!何度も!

繰り返し!繰り返し!繰り返し

「即死しろ!」と命令されているだろう?


むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか

誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?


なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??


いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、

日本語くらい読めるのだろう???


これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから


さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ


午前中に必ず実行しろ!

必ずだぞ!!!

29 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 18:13:40.68 .net
あげ

30 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 18:27:37.19 .net
海外絡みと親類同士のゴタゴタが燃え広がってそのまま消滅したって意味では江戸幕府の最期と似てるよね
江戸は親類トラブル→海外絡みで順序は逆だけど

31 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 19:11:28.35 .net
滅んでよかったじゃん

32 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 19:13:33.57 .net
要するに権力と言うものを極限まで曲解しつくして独裁敷いた時代やからな

戦争して獲得した領土を自分らの財産だのほざくバカしかいない時代やで

33 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 19:15:49.32 .net
全部放棄させりゃよいのよ

力があれば正義だのほざいてるなら滅ぼされたときがきてもやはり正義により亡ぼされたとなるわけよ🙁

34 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 21:43:27.02 .net
米原郊外の蓮華寺で仲時に殉じた400余名の過去帳を拝見した。
「名こそ惜しけれ」、死に様には鎌倉武士の誇りが残っていました。

35 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 22:06:07.48 .net
>>33
侍てえのはそれを百も承知の上でやっ
てんだよ。

討つ者も討たるる者も土器(かわらけ)よ くだけて後はもとの塊(つちくれ)

36 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 20:27:12.32 .net
新田義貞の鎌倉攻めって日本史のなかだと珍しい市街地戦じゃない?

城攻めともちょっと違うし。こういうの他にあったっけ?

37 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 20:45:09.16 .net
>>36
応仁の乱。
に、限らず源平争覇でも観応の擾乱でも京都が舞台の合戦は大概市街戦。
尊氏vs後醍醐も、三好松永の乱逆も。

他の都市でもある。
大坂夏の陣は城攻めではあるが市街戦。
戊辰の長岡戦争、箱館戦争も然り。

38 :日本@名無史さん:2021/02/05(金) 22:26:08.85 .net
>>1
語られないとか影が薄いとか、太平記も読んだことがないのか、と

39 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 14:56:04.72 .net
太平記が最近は語られないじゃん。

40 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:37:27.06 .net
太平記を編纂したん足利義満やけ

てより足利直義の部下にも文筆家みたいのいたがそれも太平記に取り入れられた記事らの大元を書いて記録残しとる

それがなにを意味するんかのお

41 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:39:49.70 .net
新田側として戦っていた里見一族の武将が残した里見録ってのもある

書いたのは榛名に滞在していたときと言われとる

新田関連でも三種類くらいの文献をそれぞれ残しとる

太平記には取り入れてもらえんかったがな

42 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:42:32.29 .net
そいから太平記ができたころはすでに南北朝講和が足利と北畠の間で成立しとる

ただ全国的にはまだまだ争いは続いた

北畠が残した神皇正統記も太平記に取り入れられ重要な証拠となった

43 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:47:55.34 .net
あれ?太平記は南朝側が書いたんじゃないの?

北朝側は梅松論じゃないの?

44 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:51:07.87 .net
新田の場合は越後にいた新田党はやがて守護の上杉氏に従うよ〜になり家臣化した

上野にいた義貞の一族の里見姓の者らはあちこち転戦して戦いながらその内の一部は室町将軍と鎌倉公方が戦い鎌倉公方が死んだろ
鎌倉公方の一族で生き残った後継者となったやつに仕え始めて鎌倉公方の家裁となったよ🙁

関東管領上杉氏は室町将軍側だから鎌倉公方の家宰ではなくなってたの

新田本家は岩松氏が継いだ

45 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:52:42.04 .net
鎌倉公方に対する取り次ぎは関東副師里見氏が行った

46 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:55:28.78 .net
これがあったから

関東将軍鎌倉足利氏、関東副将軍里見氏って主張しとるわけ🙁

戦国末期に北条が滅ぶまで鎌倉公方家の副師として軍勢を指揮した

47 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:57:36.89 .net
43
南朝側って?

だから南北朝講和成立していたんだって

北畠は最後は北朝側に寝返った

あとは南朝に残る天皇家を説得させるだけの段階にはいってたんだって

48 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 15:59:32.75 .net
それに南朝ってなら西に展開していて京都と戦争していたやがて四職の一つとなった山陰山名氏はそのころ南朝側だぞ

49 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:00:20.32 .net
細川あたりもどちらに転ぶかその段階ではまだ分からんしな

50 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:01:58.85 .net
南朝も北朝もどちらもニセモンじゃねえんだよ🙁

どちらも正当な天皇家なんだね😳

51 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:04:59.36 .net
太平記を書かせたんは足利義満だよ🙁

52 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:06:52.06 .net
それぞれの氏族らが残した文献的資料があるだろ

それを提出させてそれぞれの活躍を取り入れてまとめたものが太平記

取り入れられなかった資料というのも当然多くある

里見録なんてのもその一つ

53 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:10:31.65 .net
足利氏の一族らはほとんど室町将軍に従ったろ

新田氏の一族らはやがて関東公方家に従ったよ

54 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:16:32.41 .net
北畠氏なんかの場合は伊勢半国守護家となった

室町将軍とは言えども平気で口を挟めないからな北畠氏に対しては🙁

55 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:17:53.62 .net
北朝が勝ったからって南朝側の氏族で滅ぼされたのなんかほとんどいねえぞ🙁

56 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:18:40.26 .net
>>44
古河公方の家宰は簗田氏じゃなかったか。

57 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:22:05.01 .net
鎌倉公方だよ

奥州諸大名らの取り次ぎなんかもやってるもんよ

やがて房総半島に拠点を移してる

58 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:23:39.21 .net
鎌倉将軍に変わり東国諸大名らに指示する代行もやっとるしね🙁

59 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:24:19.05 .net
まあ里見でも簗田でも良いんだが、スレチな衒学垂れ流しは程々にしとけ。
>>40>>55は殆ど一人で書いてんだろ?
やりたきゃ別スレを立ててやれ。

60 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:25:43.17 .net
古賀公方ができてからは小弓公方と分裂したろ

小弓公方を迎えたのが里見氏だけど🙁

61 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:28:12.81 .net
北条が台頭してからは房総半島を主体として北条と戦ってるやろ🙁

公方軍は二万人近くいたらしいから北条でもなかなか勢力を広げられなかったろ

62 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:30:02.90 .net
甲斐の武田家からは武田信長を上総守護に迎えて戦力を補強しとるだろ

63 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:31:07.58 .net
公方の配下として源氏出身者らで固めて戦闘態勢取っていたわけさ

他氏族なら裏切るからな

64 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:31:38.34 .net
何だ、頭の残念なヲタか。
こんなのに取り憑かれたらこのスレも御仕舞だな。
せっかく面白そうなスレだったのに、>>1が不憫だ。

65 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:33:18.45 .net
さよか?

歴史的事実書いとるだけやで

66 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:35:03.44 .net
上杉と武田も戦っていたろがよ

敵と味方だからな

管領上杉氏が滅んでからは上杉の名跡を平景虎(上杉謙信)が継いだんやろ

67 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:37:32.48 .net
今川は室町将軍派だからな

北条の関東の合戦も室町将軍派として許可されてたの🙁

北条が独立したんは自分の主筋にあたる扇谷上杉氏を討ち取ったときからだよ

68 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:39:53.13 .net
北条が伊豆と相模西部を支配することに関しては扇谷上杉も室町将軍も認めていたの

まあやがては戦国に入りそれどころじゃなくなるわけだが

69 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:54:10.29 .net
まあ景虎が継いだのは山内上杉家やけどな🙁

上杉派はどんどん旗色悪くなるんで古賀公方家から養子を取り上杉家を継がせたこともあったんやで🙁

70 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:55:45.09 .net
佐竹から養子を取り上杉家を継がせよ〜したこともあった🙁

断られた😳

そんで越後に行き景虎に関東管領上杉氏の家督を譲ったわけ😳

71 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 16:58:30.66 .net
そのあと上杉謙信(平景虎)による関東遠征が始まる😳

小田原を囲んだときは実数5万6000人くらい

喧伝で11万人と呼ばれた

72 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 17:00:09.95 .net
関東古線録あまり取り上げられないがちゃんと空白なく資料も揃っとるだよ🙁

73 :日本@名無史さん:2021/02/06(土) 19:25:18.57 .net
公家の連中らで天皇を政争かなんかで殺したんはいるが武将らで天皇殺したんいないと思うぞ🙁

足利直義は北条の残党が蜂起したときに担がれるの嫌って護良親王殺してるがな🙁

74 :日本@名無史さん:2021/02/09(火) 12:29:50.96 .net
佐竹は名門てことになってるけど跡継ぎなくて上杉から養子入れてんだね
その時は嫁は佐竹の子だったの?
源氏の血が男系で切れても女系で繋がってるのかどうか気になる

75 :日本@名無史さん:2021/02/09(火) 14:46:40.07 .net
>>74
そう言う家系は一門衆で残してたりするんじゃない?

76 :未来最強:2021/02/10(水) 04:36:26.17 .net
遠い血縁関係があるんじゃないの?

77 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 08:19:40.40 .net
義盛の娘源姫に婿(義人)を取ったんだな
一応女系では源氏の血が繋がってるようだ
天皇家はこういう場合決して婿は取らず分家から男子を迎え入れたんだな

78 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 09:45:10.24 .net
バカかてめえら

79 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 15:38:55.07 .net
>>77
分家から即位する場合は直系女子に婿入りは天皇家の伝統だよ
・継体天皇…先代武烈天皇の姉、手白香皇女に婿入り
・光格天皇…先代後桃園天皇の一人娘、欣子内親王に婿入り

80 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 18:24:58.35 .net
バカはおまえだ

81 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 09:46:18.41 .net
元々は皇族同士でしか妃も取らなかったしな

82 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 12:48:40.96 .net
バーカ死ねよゴミ

83 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 17:20:56.57 .net
鎌倉末期から室町初期への政治体制、実態経済の変遷はこれから起こる中国の共産党政権
の行き詰りと将来を暗示しているように思う。多分、中国にも将来、足利尊氏のような気前の良い
人物が現れ、緩い中央統御での地方分権の時代になっていくのではないか。

84 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 20:34:06.96 .net
鎌倉が戦場になったんだろうけど鎌倉に住んでた人はどうなったの?
巻き添え?

85 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 22:26:25.45 .net
徳政令とか打ち壊しとか悪党とか
社会規範や倫理教育に悪影響大だからだろ

86 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:40:58.86 .net
鎌倉は火の海になったっていうから全滅だろ

中に住んでた北条一族はみな自害した

落ち延びたのもいたがやがて挙兵したわな

87 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:42:57.96 .net
あそこまで専横やってたら敗れた時点で終わりだもんよ

もはや北条一族のためな鎌倉幕府でしかなくなってたから誰も味方しなくなっていた

88 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:46:18.05 .net
建武の新政以降は南朝側だろ〜が武家側だろ〜がどちらも平氏出身者には政権の要職には一切付けさせなくなったいたからよ

下手したら平氏出身者ってだけで滅びる運命となる

関東にも平氏らおるがみな自ら動くことなく逼塞していたもんよ

89 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:48:05.58 .net
武士としての平氏ら一門は鎌倉幕府の終了と同時に終わった

そもそも鎌倉幕府で主導権を握ったのほとんど平氏らだからな

90 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:50:17.43 .net
後醍醐天皇による平家平氏恩赦が出て追討の綸旨が取り消されるまでは平家らの落人狩りは続いただ

91 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 21:53:29.09 .net
最後の北条一族の生き残り北条時行は後醍醐天皇に頭を下げて平氏一門に対する追討令を解いてもらうことに成功した

んで南朝側となり南朝武将として北畠軍に同行したが戦争に敗れて戦死し以降は不明だ

92 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:00:36.56 .net
平氏の追討令とか何の話だ

93 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:01:24.60 .net
その後からは平氏系の大名らも全国におったがもし彼らが主君に対して裏切るよ〜な感じでのし上がったらどの武将らだろーが彼らに対しては一族全滅させるくらいのやり方で滅ぼし始めたからな
二度も前例作っちまったからな😕

94 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:02:55.18 .net
だいたい一族ひとり残らず皆殺し

台頭することは許されなくなったわけ

95 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:08:38.87 .net
平家追討令が出たのが1180年、平家追討令が解かれたのが1337年ころってえから150年続いたわけな

その間にも平家生き残りを探し出して見つけたら滅ぼす!ってのは150年間続いていたの

96 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:09:50.20 .net
一回朝敵の汚名被ったら何百年だろ〜が続くんだよ😀

97 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:13:09.32 .net
だいたい南北朝時代に入ったころに終わってるからその後の騒乱の方にばかり注目が行きそのことはみな忘れた!ってことやな😕

98 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:16:10.27 .net
源平合戦てのはうわべだけで中身は平平合戦だったと歴史のえらい先生は言ってたよ

99 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:21:39.06 .net
92
知らんのか?
薩摩にも薩摩平氏がおったが守護となったものらも彼らと戦ってたんだぞ
平氏の生き残りを見つけだしたらすべて死に絶えるまで合戦が続いた

100 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:23:16.34 .net
平氏追討令が解かれてから公的に平氏を名乗っても問題なくなった

そしたら今度は平氏出身でないやつらまで平氏の子孫を自称するのが主に西日本中心に増え始めた

101 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:23:48.26 .net
平家と平氏を混同するな

平家は坂東平氏の庶流
坂東にいられなくなって伊勢に行ったからな
結局坂東平氏が頼朝担いで平家打倒
まさか北条にかっさらわれるとは思ってなかっただろうけどな

102 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:34:08.56 .net
室町時代に入ってからが本当の意味での源氏一族台頭の時代やからの

まさに彼らは日本全国で行われる戦いのために一族が散った

藤平もはや滅びたも同じ時代やったんやね

103 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:36:32.12 .net
この時に源氏一族が勢力を伸ばして伸長した領域と今の日本国土は等しい

これを持って日本固有の領土を主張する😀

まさに大統一の時代やからの

104 :日本@名無史さん:2021/02/13(土) 22:48:10.93 .net
鎌倉幕府は平氏連合政権

室町幕府は源氏連合政権

江戸幕府は分からん

105 :日本@名無史さん:2021/02/14(日) 00:15:43.36 .net
>>104
江戸は一応源氏名乗ってるけど地方の土豪の成り上がり
幕府の潰れ方は鎌倉と一緒で親類同士の足の引っ張り合い、足利尊氏が大久保利通

106 :日本@名無史さん:2021/02/14(日) 01:00:58.36 .net
ニセ源氏が征夷大将軍を詐称した暗黒時代
戦乱の世が続いてみんな嫌気がさしたので偽物でも仕方なく担いだ

107 :日本@名無史さん:2021/02/14(日) 17:33:01.59 .net
鈴木大拙の「日本的霊性」は何度も文庫本で復刻されているのに、歴史好きは読まないのかな。

この時代は日本の精神史上、最も重要な時代だった。貴族とかではなく、日本人一般が宗教性に目覚めたのだった。

具体的なことを言えば、法然が地方を行脚したときに、遊女や漁師が法然に近づいてきて悩みについて訴えた、それだけのことだ。しかし、

「法然と室の泊の遊君との会見は、日本霊性史上の上に記録すべき一事である。数百万の人間が生死する戦争も世界霊性上の事件であるが、質の上から見れば、遊君の宗教意識に触れたのもまた世界の大事実であらねばならぬ」

大拙は太平洋戦争真っ只中にこれを書いている。

108 :日本@名無史さん:2021/02/15(月) 00:30:33.33 .net
>>107
何を以て「宗教」とするか、だ。
縄文の昔から森羅万象山川草木の全てにカミを見てきたこの列島人は、
何者の教化を受けるまでもなく遍き「宗教」意識を有していたという見方もできる。

鈴木大拙師の論説にはそういう普遍的・汎時代的な議論よりも寧ろ、
正に大東亜戦争下であればこそ書かずにいられなかった−−しかし明示的に書けば発禁となる−−時事性の濃い何かを感じる。
法然、親鸞、日蓮、道元、
彼等鎌倉佛教の巨人たちと時の権力との関係性に注意されたい。

109 :日本@名無史さん:2021/02/15(月) 02:16:39.62 .net
「日本的霊性」はむかし読んで感銘受けた記憶はあるんだが、悲しいかな、何に感銘受けたのかさっぱり思い出せない😢

110 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 22:48:21.77 .net
皇族系武士団の二大系統が源平やからね

111 :日本@名無史さん:2021/02/19(金) 23:06:39.64 .net
当スレの対象とする動乱に係わる主要な武士で云うとこんなところか。
・源氏 足利、新田
・平氏 北條
・藤原氏 上杉、菊池
・橘氏 楠
すぐ思いついたものだけ。
抜け漏れは有り。

北畠は公家、武士に非ず。
源氏とは云っても村上源氏。

112 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 00:16:12.73 .net
北畠は源氏長者

113 :日本@名無史さん:2021/02/20(土) 03:01:38.72 .net
正に元祖「勤皇の志士」たる北畠顕家は源義経や沖田総司と共に(事実無根の)美少年幻想のネタにされているようだが、
その顕家が権力欲、物欲、性欲の塊で醜男で粗雑で乱暴なガハハ親爺の高師直に叩き殺されたという史実にハードボイルドを感じる。

114 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 09:10:48.92 .net
幕府軍対朝廷軍で一番大きな合戦はなんだったの?

115 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 18:45:15.22 .net
幕府と朝廷が直接対峙したのは承久の乱と元弘の乱

116 :日本@名無史さん:2021/02/21(日) 19:06:20.83 .net
>>115
正しい認識の人がいて安心した。
それにしても>>114の稀に見る愚問は文体からして頭の悪い中学生かな。

117 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 18:44:14.67 .net
後醍醐VS北条

は朝廷VS幕府ではないの?

118 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 19:55:25.49 .net
北条は最後、鎌倉の防御線が突破されたときに一族親族全て集めて自ら火を放ち一族もろとも焼け死んだだ😃

119 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 19:59:11.64 .net
執権高時の子の時行だけが諏訪に逃げ延びたらし〜んだな

そんで尊氏が南朝から離反してから時行が南朝の後醍醐の元に朝敵解除を頼みに行ったらし〜んだよ😁

そんで恩赦により赦免されたあとから旧北条残存勢力が生きていた地域の連中らが南朝についたわけ😗

120 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 20:01:40.85 .net
特に皇族系の氏族らによく見られた光景やが滅亡が決まったときには一族らすべて集めて集団自殺を謀っとるわけ

生き残りほとんど見つからん😁

121 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 20:02:34.97 .net
だからそんな具合いにより氏族として滅んだのがほとんど

122 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 20:10:23.15 .net
117
ん〜抑えてるってのが正解かの?

抑えきれなくなったら滅亡一直線に流れるのは分かるからの

北条一族っても脆弱すぎる存在でしかないからな

123 :日本@名無史さん:2021/02/22(月) 20:46:07.13 .net
>>117
たった二つ上の書込が読めねえのかよ。

124 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 05:57:54.74 .net
じゃあ新田義貞とか楠木正成は朝廷とは関係ないってこと?

125 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 06:28:47.77 .net
勾当内侍という人がいてだね

126 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 09:06:22.26 .net
まともに相手する必要ねえし

127 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:20:33.44 .net
新田義貞の愛妾、勾当内侍は太平記にしか出てこず
実在不明なんじゃなかったっけ

128 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:52:13.57 .net
太平記ってそれぞれ参照にされた文献てのが有ったからそちらの文献に記載でもあったんじゃねえの?

昔は武将らが自分らで書斎において記録書いて文献として残していたの

129 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:55:18.59 .net
文献などを書き揃える場合は各武将を呼び寄せるだろ

そんで武将らの書いた文献を提出させていたの

里見録ってのは榛名里見氏が残した記録みたいに言われとるわかでな

残念ながら太平記を書く記録には採用されなかった

当時の室町幕府に近い武将らの記録のみが採用されたからな

そんなん分かってる話なんだよ😊

130 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:57:01.44 .net
文献などを書き揃える場合は各武将を呼び寄せるだろ

そんで武将らの書いた文献を提出させていたの

里見録ってのは榛名里見氏が残した記録みたいに言われとるわかでな

残念ながら太平記を書く記録には採用されなかった

当時の室町幕府に近い武将らの記録のみが採用されたからな

そんなん分かってる話なんだよ😊

131 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:57:11.77 .net
文献などを書き揃える場合は各武将を呼び寄せるだろ

そんで武将らの書いた文献を提出させていたの

里見録ってのは榛名里見氏が残した記録みたいに言われとるわかでな

残念ながら太平記を書く記録には採用されなかった

当時の室町幕府に近い武将らの記録のみが採用されたからな

そんなん分かってる話なんだよ😊

132 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:58:03.81 .net
史実による正確性などが問われるがそこのとこの調査もちゃんとやってんの

133 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 13:59:35.12 .net
もともとそこの大将に近い人物らが残した記録だからこれはかなり価値あるわけ(╹◡╹)

文書の書き取りなんて部下みたいな連中らにはできねえからな

134 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 16:03:00.73 .net
>>128
軍記ものは創作多いぞ
一次史料との区別がつかない馬鹿がなぜ日本史板に湧くのか

135 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 16:26:43.97 .net
軍記物だの書かれたの日本じゃ〜明治からやろ

太平記読んだの?

136 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 16:28:53.24 .net
中国じゃ〜国が滅んでその次の国家が前王朝の記録まとめるらし〜やん😳

日本じゃ〜文字書けるくらいの能力がある武将らならみな自分らの活動書いて記録取っとくんだよ

137 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 16:30:05.71 .net
だから将軍らにしろ各地で活躍してきたよ〜ら連中らに記録の提出を求めるんだよ

それで精査してまとめたもんが文献としてまとめられるの(╹◡╹)

分かったか?

138 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 16:34:39.09 .net
その編纂作業なんかは足利義満が命じて僧侶らにやらせたらし〜けどな

だから太平記なんかにしろそれ以前の記録を取った文献てのも存在するの

足利直義も書いて残してるしな(╹◡╹)

139 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 17:28:05.24 .net
>>135
「軍記者」ってなんだかわかってなさそう

140 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 17:29:35.24 .net
平家物語くらいなら原文で読破したやつも多いだろ。そんな難しくないし長くもない。太平記はちょっと長すぎる

141 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 17:33:24.25 .net
>>137
吾妻鏡やその他の鏡物みたいな歴史書はそうだけど、軍記物語はフィクションだぞ

142 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 22:06:52.01 .net
>>141
そいつに触るなよ

143 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 13:14:01.25 .net
後醍醐天皇ってそろそろ再評価されてもいいんじゃないの?

「明治維新を500年早くやろうとした天皇」

みたいな感じで先駆者的な扱いをしたりできないもんかな?

144 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 13:52:21.21 .net
明治維新そんな評価とかされとないんでね

145 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 14:15:15.04 .net
あれは単なる薩長のクーデターだからな。
「明治維新」とか云う欺瞞的呼称からして殊更に肯定的な方向へ印象操作する意図が露骨過ぎる。

後醍醐にしたところで、
実証研究が進めば進むほどイカレたキ印オヤヂでしかなかったことが明らかになる一方だ。

146 :日本@名無史さん:2021/03/08(月) 13:17:43.92 .net
後醍醐天皇の前に最初呼応して集まった連中らはなんなのか?

それ理解しなきゃ何度でも瓦解するわ

源氏氏族の宗家が天皇家みたいなもんやろ

一族の末裔ら無視して単なる朝廷貴族ばかり持ち上げてれば同じことの繰り返しよ

別の王者立てた方がマシなん当たり前よな

147 :日本@名無史さん:2021/03/08(月) 13:19:05.85 .net
呼びかけのときだけ利用してる!ってことにしかならないの

148 :日本@名無史さん:2021/03/12(金) 18:59:55.47 .net
後醍醐より前の天皇は評判いいんだよな

149 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:51:31.06 .net
守護ってなあその国の軍事県と警察権と裁判権を握ってるだけだからね

150 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:52:04.65 .net
領主として君臨してるのはその部下ら

151 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:52:48.26 .net
ふさわしくなければ守護の交代なんか普通にある

152 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:57:22.53 .net
豪族(領主)から訴状があったらその評定にも当たらなければならない

警察長官みたいのも兼ねてるから賊みたいのがでたらその指揮もださねばならない

あとは合戦になったらその国の軍勢をまとめて大将を務めねばならない

153 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:58:22.17 .net
その官職をほぼ源氏一党が独占した

154 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 09:59:36.03 .net
他のやつらじゃまず言うこと聞くことねえからな

統制が効かなくなってきて戦国乱世

155 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 10:09:18.82 .net
普通、一人で何国も守護を兼ねることなんてできない

守護所にいなけりゃ誰も言うこと聞かないからな

国人から選ばれる場合もあるがもともの地縁がないなら源氏の中から守護と成る者が派遣された

とくに西日本においては源氏と所縁のある連中らが少ないから派遣された守護が多いわけ

156 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 16:04:12.57 .net
いや、一人で何国もの守護兼ねてるだろ
北条一門は守護国へ家臣をやるだけで
本人は鎌倉へとどまっていることがほとんど

157 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 18:39:50.38 .net
いんや一族を配するのが多いか守護代を置く

158 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 18:51:51.44 .net
だから守護代って守護の家臣じゃん

159 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 19:22:32.91 .net
北条って平氏やん

160 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 19:25:38.53 .net
源氏守護格家

斯波、山名、細川、一色、小笠原、仁木、今川、土岐、武田、佐竹、畠山

161 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 19:26:56.34 .net
あと京極あったな

北畠も源氏や

松浦、佐賀、南朝なら新田

162 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 10:28:51.46 .net
平氏らは本来、親王の下についてまとまるのを好むとこあるからの

鎌倉時代の親王将軍だのは平氏の連中らが望んだこと

自分らの祖先が親王出身やからの

163 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 10:30:50.10 .net
そんかしほたんど京都とのつながりないの

そんなんが平氏となったからな

源氏の場合は京都に身寄りが在籍してるみたいなんが多いから源氏しか京都はいれないんだな

164 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 22:17:54.24 .net
この関西弁衒学ヲタ、まだ粘着してんのかよ。
こういう手合いがスレを荒廃させるんだよな。

165 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 14:45:20.60 .net
半万年続くチョンコの伝統職

     〃⌒⌒ヽ、 お兄さん遊ばな〜い?
     ( ノハヾ   ゝ(同胞の9cmじゃ物足りないの)
      <`∀´*> ノ  安くしとくニダよ〜!
    m/^〜し~   (あとで謝罪と賠償を請求するニダ)
    (__/  /     ウェー、ハッハッハ
      ノ~ ̄\___
      | γ⌒) ノ
      | γY レ^つ
      |〃 .|、__/
      `|  | 
.       |  | 
       (__シ

166 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 11:20:17.31 .net
鎌倉幕府の滅亡は、建武政権、室町幕府の成立とセットで語られるから、後醍醐天皇、
足利尊氏が主役となってしまって、北条氏は悪役になってしまう
鎌倉幕府視点、北条氏視点で作品が描かれることは、あまりなかった

167 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 07:54:10.02 .net
北朝なんか、
ほっとけ

168 :竹石敏規:2021/03/25(木) 18:25:04.50 .net
 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
さらに不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
けんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】

 自分がバカにされないことに意識を集中する。
 これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
 部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
 だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。

 なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
 誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。

 演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。

 何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
 批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥

169 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 06:08:43.56 .net
てめえも人のこと言ってるじゃん

170 :日本@名無史さん:2021/04/01(木) 01:01:09.74 .net
                   ゚.ノヽ 
                 、-'   `;_' '
一生離れないニダ      (,(~ヽ'~  
       ∧∧      ...i`'}
      <,,`∀´> スリスリ  ,,ノ
      / _っっ-、/    i   
    〜と<,,.-==、   ,,-,/
     {~''~>`v-''`ー゙`'~ 
     レ_ノ
                             ゚.ノヽ
                            、-'   `;_''
                            (,(~ヽ'~
      ∧__∧              ─ = ≡,i`'}
     <#;`∀´>           ─ ≡ ≡ ' ,,ノ
      ノ _っ っ        ─ = ≡ 、_/    i
     と_)_)    ─ = ≡ <~_~_-~=、   ,,-,/'
            ── ≡ ≡ {~''~>`v-''`ー゙`'~
              ─ = ≡ レ_ノ 断固として離れる!

171 :日本@名無史さん:2021/04/01(木) 20:24:19.79 .net
北条「得宗家」というシステムはこの時期特有というかね、面白いシステムだったと思う

172 :日本@名無史さん:2021/05/11(火) 01:37:28.55 .net
大河「太平記」でやっただろ

173 :日本@名無史さん:2021/05/11(火) 02:18:49.05 .net
>>172
大河ドラマの「太平記」と云えば、
鎌倉壊滅のくだりは北條高時や赤橋守時の視点から描かれていてなかなか見応えがあった。
>>166氏が未見なら探して観てみるといい。

174 :日本@名無史さん:2021/05/29(土) 05:54:01.21 .net
大河太平記の鎌倉幕府最後で
北条9代とあるけど、
時政、義時、泰時、経時、時頼、時宗、貞時、高時
のほかに誰になるのかな?

175 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 14:35:52.19 .net
>>174
時政、義時、泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9人を指す
大河太平記独自の解釈ではなく原典の「太平記」で
高時を「平家九代」と言っている(北条は平氏を称していたため)
また「北条九代記」という古典もある

176 :日本@名無史さん:2021/06/02(水) 18:33:33.08 .net
ありがとう、時氏が入るんだね。

177 :日本@名無史さん:2021/06/03(木) 02:00:07.85 .net
最後の執権・北条(赤橋)守時はスルーか

178 :日本@名無史さん:2021/06/03(木) 02:06:16.39 .net
最後の将軍、守邦親王は逃亡
鎌倉(9代)・室町(16代15人)・江戸(15代)とラストジョネラルはしぶといな

179 :日本@名無史さん:2021/06/03(木) 02:25:52.42 .net
>>177
得宗の代数だからな。
赤橋守時や金沢顕時は得宗ではない。

180 :日本@名無史さん:2021/06/13(日) 11:06:17.30 .net
鎌倉幕府がもっと続いていれば、次の得宗は邦時だからな

181 :日本@名無史さん:2021/06/19(土) 10:18:00.05 .net
大河ドラマ「太平記」では、最後の得宗・北条高時は文化的素養はあるけど、病的・退廃的な
人物として描いていたな。
いかにも滅亡寸前の王朝の暗君というキャラクターだった。
実質的な実力者の内管領・長崎円喜は狡猾で冷酷だが、度胸の据わった人物として描かれ、
鎌倉合戦のラストは、円喜が自害する場面だった。
最後の執権・赤橋守時は誠実な人格者で、滅ぼしてしまうには惜しい人物として描かれていた。

182 :日本@名無史さん:2021/06/19(土) 14:39:19.49 .net
>>181
赤橋守時が最後の決戦に向かう前、北條高時に永訣の挨拶をする場面が忘れられない。
特に高時。頽廃と暗愚の仮面を捨てて真情を語るのが圧巻だった。

183 :日本@名無史さん:2021/07/24(土) 02:22:04.21 .net
なぜ鎌倉幕府は楠木という野武士、山賊みたいな悪党にあこまでムキになって大動員かけたの?
あれは滅亡のひとつ要因でしょう

184 :日本@名無史さん:2021/07/24(土) 03:06:58.31 .net
>>183
同じ「小さな火」でも
海浜の波打ち際で燃えているのと火薬庫の前で燃えているのでは意味が違う。
鎌倉はそれを理解していたのだろう。

185 :日本@名無史さん:2021/07/24(土) 06:44:23.58 .net
地理的に六波羅探題は楠木、赤松、比叡山のトライアングルに包囲されちゃったからな
正成も名将だけど円心も名将だわな
このトライアングルのプロデューサーは比叡山を調略し楠木と赤松を令旨により呼応させた護良親王だけど

186 :日本@名無史さん:2021/07/31(土) 10:54:08.96 .net
太平記

187 :日本@名無史さん:2021/08/03(火) 10:19:35.74 .net
楠木討伐は幕府にとって喫緊の課題だったが、その戦費や軍役は関東武士にとって過大だった。
その負担への怒りが新田義貞の挙兵につながり、幕府滅亡につながった。

188 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 11:50:32.78 .net
「逃げ上手の若君」で時行は高時の正室の子になってるけど、違うよね?

189 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 12:51:08.16 .net
歴史資料集の年表を見てましたら、平安時代は天皇欄、摂関欄、
鎌倉時代は天皇欄、院政欄、将軍欄、執権欄、室町時代〜江戸時代は
天皇欄、将軍欄、明治時代以降は天皇欄、内閣欄が左端にあり、
その時代時代の天皇や将軍、執権、内閣総理大臣などの名前が書かれています

ちなみに、鎌倉時代はいくら権力構造が複雑だとはいえ、4つも枠いりますか?

190 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 13:07:53.47 .net
>>189
得宗だけでいいよ

191 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 13:10:28.11 .net
>>189
歴史資料集には学術用途も想定されるだろう。
専門家の実証論考には各権力範疇の正確な年代対比が必要なんじゃないか。

192 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 15:59:24.04 .net
>>190
個人的に得宗よりも執権の方が重要だと考えていますが、あなたも含め人によって
得宗>執権と仰る方も多いですよね
しかし、鎌倉時代に4つも枠を割いているにも拘らず、得宗がないのはやはり
北条家内部の立場であって、日本全体とか幕府全体の公的立場ではないということなんでしょう
>>191
詳しいことはわかりませんが、鎌倉時代の執権欄みたいに室町時代に管領欄とか、
大正時代に元老欄とか、いかがでしょうか?

193 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 17:03:44.51 .net
>>192
大正のことはともかく、
関東戦国史に関心の深い者としては鎌倉(古河)公方と関東管領の欄も欲しい所だな。
実際、伊勢宗瑞(北條早雲)の伊豆乱入の真相解明が1990年代まで遅れた例なんざ、専門家さえそういう視座を欠いていたんじゃないかと疑う。
一極権力史観や中央一元史観じゃ見えるものも見えない。

冗談抜きで、戦後史篇には米国大統領と駐日米国大使の欄も拵えた方が良い。

194 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 21:31:55.29 .net
>>192
鎌倉幕府は次第に北条得宗家が「私物化」していき、本来幕府を統治すべき公的な役職が空洞化していった現れといえる

日蓮が立正安国論を書き上げたことは有名だが、宛先は天皇でも将軍でも執権でもなく、前執権で得宗の最明寺入道時頼だったことにも、国を動かしうる最高権力者が公的な役職を持った者にいなかったと日蓮がみていた現れといえる

195 :日本@名無史さん:2021/08/14(土) 13:12:40.64 .net
>>189
マルチすんな

196 :日本@名無史さん:2021/08/14(土) 13:47:55.57 .net
>>189
ヤマト王権以来、権力構造が一番複雑かもね

197 :日本@名無史さん:2021/08/14(土) 17:19:42.71 .net
そりゃ戦国時代の方が複雑じゃないか

198 :日本@名無史さん:2021/08/16(月) 04:15:40.16 .net
《鎌倉武士に対する歴史捏造問題》
http://resistance333.web.fc2.com/kamakurabushi/kamaukrabushi.htm

199 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 11:14:05.99 .net
鎌倉幕府における得宗は、摂関時代における藤氏長者に近いかな?
有力氏族の長という私的な立場で公的な権力を振るうことになりやすい

200 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 12:30:13.01 .net
でも藤氏長者は朝廷から補任される公的地位でもあっただろ?

201 :日本@名無史さん:2021/08/20(金) 13:41:57.72 .net
藤氏長者は途中から天皇に任命される公的な性格に変わった(藤原忠通から)

202 :日本@名無史さん:2021/08/21(土) 17:02:24.38 .net
>>192
鎌倉時代後期は内管領の欄も欲しいな

203 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 10:57:09.91 .net
鎌倉時代は、
京都:治天の君 天皇 摂関
鎌倉:鎌倉殿(将軍) 得宗 執権 内管領

でも、長崎高資が内管領になってからも円喜入道(長崎高綱)が実権を持っていたから、
実質的な権力者は「長崎氏の当主」ということか?

204 :日本@名無史さん:2021/09/02(木) 22:58:56.81 .net
私が得宗ですが何か?

205 :日本@名無史さん:2021/09/04(土) 18:10:31.64 .net
鎌倉時代の親王将軍、いつも忘れる。。
覚え方あるのかな、

206 :日本@名無史さん:2021/09/04(土) 20:45:11.19 .net
>>205
起きている時は10分に1回、
「鎌倉時代の親王将軍 宗尊、惟康、久明、守邦」というメモを欠かさず凝視せい
そうすれば3日で覚えられるはずじゃ

207 :日本@名無史さん:2021/09/05(日) 06:59:44.12 .net
久明は読み方、ひさあき?ひさあきら?

208 :日本@名無史さん:2021/09/05(日) 07:40:31.82 .net
得宗殿は貞時以降は実質鎌倉殿も兼務していたといっていいのでは
守邦親王が最後の最後まで敵からも味方からも全く相手にされず寂しく死んでいくの
見てるとそう思う

209 :日本@名無史さん:2021/09/05(日) 11:40:57.77 .net
幕末は幕府の幹部が北条一門と御内人で占められているから、彼らにとっては得宗=主君
という意識だったかも知れないな
でも、実務官僚(大江、中原、三善、二階堂など)や一般の御家人はどうだろう?
実務官僚が鎌倉合戦後、建武政権や室町幕府に再就職しているのを見ると、得宗に権力も
権威も集中した体制は、求心力がなかったように見える

210 :日本@名無史さん:2021/09/10(金) 13:17:35.15 .net
>>34
番場の蓮華寺は自分も行きました。
住職は他の寺の方が兼務しているそうで、檀家の係の方のお世話になりました。
有名な陸波羅南北過去帳や仲時肖像画の写しも拝見しました。
圧巻の五輪塔群ですが、整備されたのは南北朝時代よりもだいぶ後らしいですね。
自害したのは432名とされますが、過去帳はだいぶ少なく189名です。
当時の住職が生き残った者に遺骸1人1人を確認して名前のわかった者を
記したとのこと、リアルな感じが強くしました。

211 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 12:26:58.33 .net
先日、英雄たちの選択(NHK-BS)で北条時行が取り上げられました。
漫画になっているそうでタイムリーな企画だったのかもしれませんが、中身はスカスカでした。
ドラマ性はあるかもしれませんが、生涯のほとんどが何処にいたのかもわからぬ人で
史料もなく話をするのは無理があったと思います。残念でした。

212 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 22:45:46.40 .net
>>209
再就職を以て求心力の有無は論証が難しいのではないか

例えば昨今のアフガニスタン
ガニ大統領に全く求心力がなく、政府軍は最後は次々と逃亡して、
敵のタリバンが驚くほどの速さで政府は崩壊した
それでも政府軍の重鎮が新たに誕生するタリバン政権で重用されそうだとは聞かない

213 :日本@名無史さん:2021/09/19(日) 10:36:02.59 .net
>>209
室町幕府の場合は官僚(奉行人)は割とラストまで将軍に従っているよな
義昭が京都を追われて鞆の浦に幕府を移した後も多数の奉行人が従っている
大名や寺社の中にも義昭に従う者もまだいた

214 :日本@名無史さん:2021/09/22(水) 19:03:55.16 .net
>>213
北条高時と一緒に死んだ一族、御内人の数に比べたら
相当しょぼいぞw

215 :日本@名無史さん:2021/09/26(日) 11:51:22.03 .net
鎌倉幕府はある程度力を持った状態から一気に滅亡したからね
室町幕府は長い時間をかけて衰えた

216 :日本@名無史さん:2021/09/27(月) 18:28:56.70 .net
北条氏は一族・御内人の結束は固かったが、御家人は離反したし、実務官僚は傍観して
鎌倉滅亡後は建武政権や室町幕府に従った。
得宗の権威や恩恵は一族や家臣団には及んでいたが、御家人や実務官僚には及んでいなかった
ということ。得宗は北条氏の棟梁であっても、鎌倉殿ではなかった。

217 :日本@名無史さん:2021/09/28(火) 09:36:40.84 .net
幕府滅亡のとき、将軍(鎌倉殿)の守邦親王の存在感が全くない。
後醍醐天皇の綸旨も「平(北条)高時追討」だった。
だが、承久の乱のときも藤原頼経はまだ幼かったとは言え存在感はなく、後鳥羽院の
院宣も「平(北条)義時追討」だった。
違うのは北条政子と大江広元が存命だったこと。御家人が結束したこと。
滅亡のときには、北条政子に当たる人物も作戦を練って進言してくれる文官も
いなかった。

218 :日本@名無史さん:2021/10/14(木) 15:39:23.36 .net
徳川慶喜みたいなクズでも実は名君だった!!みたいな声があがってくるのに
高時兄さんはそういう声は時代を通して皆無だねw

219 :日本@名無史さん:2021/10/14(木) 22:09:56.85 .net
>>218
大河ドラマでは、頽廃に溺れてはいるが只の馬鹿ではないという描かれ方だった。
実証研究の論文等ではそもそも個人の善悪賢愚なんぞには決して言及しない。
結局、女子供ウケのするゲームだかアニメだかで無理矢理な持ち上げ方でもしない限りは軍記講談の拵え上げたイメージが書き替えられることは無い。

220 :日本@名無史さん:2021/10/15(金) 08:17:15.30 .net
今でいうとというか既に半分そんな感じwな気がするが所謂○会・○価政治みたいな風なんかね得宗政治って

221 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 17:17:42.12 .net
大河ドラマ「太平記」は当時としては画期的な描き方だったらしい。
北条高時もそうだが、足利尊氏も人間味豊かな魅力的な人物として描かれていた。
当時はまだ明治生まれの人も生存していて、北条高時や足利尊氏が魅力的な人物で
あるというのは、ものすごく違和感があったらしい。
「この人たちは極悪人ではなかったのか?」と本気で疑問を感じていたという。

222 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 17:30:11.08 .net
>>221
『風と雲と虹と』や『獅子の時代』に対する悪口雑言罵詈讒謗に比べたら可愛いもんだ。
関東者としては風当たりが強かったことの方にむしろ驚いたが。

223 :日本@名無史さん:2021/10/28(木) 09:40:23.78 .net
昭和40年代に刊行された子供向け歴史百科では、「足利尊氏は優しい面もあった」
「後醍醐天皇を追悼する気持ちもあった」など、「逆賊」のイメージを払拭する説明を
していた。逆に言えば、当時はそれだけ逆賊のイメージが強かったのだろう。
一方、北条高時は闘犬をして遊んでいて、どうしようもないバカ殿様としていて、よい
面を紹介してはいなかった。

224 :日本@名無史さん:2021/10/28(木) 10:06:11.73 .net
鎌倉幕府は日本国王府(=院政)の契丹人部隊政権。

225 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 13:47:32.48 .net
てすと。

226 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 14:33:43.72 .net
てs

227 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 22:12:58.17 .net
めった刺しにやられた政権担当の平家、豊臣は後世で人気者になるけど
同じくめった刺しにやれた北条は人気者のどころかほぼ無視だよな

228 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 00:31:31.20 .net
平家や豊臣秀頼と違って、北条氏は貴人ではない(得宗ですら受領に過ぎない)こと、
北条氏を滅ぼした新田義貞が南朝の功臣として顕彰されたことが大きい。
太平記はイデオロギー色が強いため、悪役は悪の面が強調して描かれてしまう。

229 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 01:12:27.14 .net
太平記がイデオロギー強いというか後世の人がそうしただけで
解釈変えれば北朝の足利尊氏をヒーローにでき逆のイデオロギーも引き出すことができる

230 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 01:40:55.32 .net
太平記って読み方によっては不徳の君後醍醐を批判してるよね
南朝正閏論のバイブル的な読み方は後世の牽強とも思える

231 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 01:50:27.27 .net
>>227
> 北条は人気者のどころかほぼ無視

現代に於ける歴史知識/認識の貧困化の一環だろう。
かつては教科書の教える「正史」(多分に捏造)の他に講談や読本というようなメディアが確かに在って、
最明寺入道時頼の常磐の松などの説話を通じて鎌倉当時の北條善政伝説が別チャンネルによって細々ながらも受け継がれていた。
鎌倉北條が無視されているとすれば、それは歴史知識に限らず昨今の「価値観の一元化=貧困化」の一現象だ。
あなたがそういう時代(1990年代以後)に生まれ育った世代なら、先行世代の者として同情も謝罪もしなければならない。

232 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 02:35:25.78 .net
>>230
我が意を得たり。
楠木正成が湊川の自殺的な一戦に赴くに至る一連の経緯など、後醍醐帝に対する痛烈な批判以外の何物でもない。
これに限らず『太平記』には逆説/反語/暗喩的な論述が多く認められる。
あれは一筋縄で行く作品ではない。

余談だが、
後世の著作であるが故により純化された形で南朝正閏論を打ち上げた『日本外史』でさえ実は帝の理不尽と足利尊氏の(一定の)正当性を認めている。
浅薄で一元的な『太平記』解釈は、明治帝國即ち薩長藩閥政権の政治意図による「為にする」ものでしかなかったのではないか。

233 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 03:18:32.51 .net
正成って佐幕、反幕、庶民、(北朝の)天皇あらゆる層に支持された近世、近代最高の英雄だからな
国民国家の尖兵にされるのは当然
むしろ満場一致近いヒーローがなれなかったら不自然で明らかに今の尺度で測った見方(別に悪いわけでない)

さすがに国民国家やるって言ってるのに尊氏が国民国家のロールモデルになれるわけがない 笑
おれは尊氏はまあ好きだがな

234 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 11:20:50.58 .net
後醍醐天皇もそうだが、新田義貞も厳しい人物評価が残っている
足利尊氏は同時代の評価は非常に高かったが、義貞は対照的に低い評価になっている
後世に人物像が脚色されてしまった面がある

235 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 17:22:55.71 .net
そもそも新田は足利と対等に戦えるような人物ではなかったのに勝手に対等のライバル扱いされ、
負けたから愚将みたいな評価になってるのがひどいよな。
家康に負けた三成もそんな感じの評価になってる。

236 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 18:24:02.61 .net
現代人にはわかりにくいカーストがいろいろあるんでしょ

237 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 10:06:43.55 .net
鎌倉時代から家格が高く多くの所領と一門を有していた足利と違って、新田は一豪族に過ぎなかった
挙兵して鎌倉幕府と戦ったのも成算があったわけではなく、やむなく立ったものだ
そんな義貞が左近衛中将まで昇り、尊氏の対抗馬に擬せられたこと自体が数奇な運命
だったように感じる

238 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 13:39:38.82 .net
義貞は相当な猛将だしな

239 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 20:29:35.66 .net
挙兵してから半月で幕府滅亡か。
高氏の寝返りが無ければ幕府は
もう少し持ちこたえていたのかな。

240 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 14:45:20.46 .net
高氏(尊氏)の寝返りがなければ、様子見をしていた関東武士が新田側につかなかった
可能性が高い。分倍河原合戦も鎌倉合戦もあれだけ激戦だったことを考えると、新田軍に
与力する武士が大幅に減れば、幕府軍が勝っていたのではないか?

241 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 18:27:49.73 .net
現代の執権北条氏こと公明党が政界から壊滅することはありますか?

242 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 18:38:36.09 .net
>>237
新田は清和源氏の嫡流で義貞の奥さんも勾当内侍だっけ
居住地を考えても関東平野の支配者の家系なんだろうな
足利氏は茨城県の常陸太田市の出でこちらも相当の旧家ではあるが

243 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 22:11:02.17 .net
鎌倉は要害と言われるが鎌倉合戦の
後は時行を始め容易に陥落してるな。
騎馬から歩兵主体に変わった影響か?

244 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 22:18:00.15 .net
>>242
新田氏は一応は兄の家系だけど嫡流は足利氏だよ
代々の官位も北条氏からの扱いも全然違う

245 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 23:16:19.59 .net
>>241
闘犬に明け暮れる北条孝時は公明党というよりむしろ自民党そのもの
糞なトップを支えるって意味では公明党は長崎だろ

246 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 10:52:32.42 .net
足利氏は源氏御門葉で平賀氏に次ぐ席次の名門だからな
家祖の源義康以来、五位の受領の官位を持ち、貴族の身分にあった
尊氏になって急に勃興したのではないんだよね

247 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 12:12:44.10 .net
新田荘が中世古代日本史のキーポイントだわな
関東の治水をコントロールする重要地点を押さえていたと言う事だからな
弘法大師も新田荘には有徳の人が多いと言っている点に注意

248 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 15:37:26.89 .net
>>246
有名な「吾妻鏡」文治5年7月19日条
頼朝が奥州征討に率いた軍勢の武将たちの名が出てくる
先に出てくるほど門葉内での地位が高い

平賀義信>安田義定>源範頼>加賀美遠光>大内惟義>
源広綱> 足利義兼>山名義範>安田義資

249 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 15:43:42.29 .net
>>242
新田義貞の奥さんというか正室は常陸小田城主・小田氏の娘
まだ鎌倉幕府の御家人だった頃に結婚している
「太平記」では後醍醐天皇から勾当内侍という絶世の美女を下げ渡され
溺愛したことになってるけど一次史料で確認できない

250 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 22:40:00.60 .net
小田治久が北畠親房を招いて必死に常陸で南朝のために奮闘したのは新田とのつながりも関係あるんだね。

251 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 23:50:15.34 .net
鎌倉幕府、大覚寺統、持明院統
この三すくみ結構好き

252 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 04:21:25.25 .net
幕府は皇位継承に深入り
すべきでは無かったな。

253 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 11:33:06.14 .net
>>252
承久の乱で鎌倉幕府はときの天皇を退位させて3上皇配流したからな
以降、朝廷は次の天皇を鎌倉幕府にお伺い立てることになった

254 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 14:21:12.33 .net
>>252
義時と泰時に言ってくれや

255 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 23:29:47.40 .net
どうでもいいが「では無かった」って変換するのやめてくれない?
「無い」は「〜がない」の時に使うんだよ。
「〜ではない」は「不」もしくは「非」だから。

256 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 01:44:30.54 .net
鎌倉時代は日本史上最も野蛮で無駄な時代だった

執権北条氏は、なぜ自ら将軍とならなかったのか。その謎を解き明かした興味深い本です。
鎌倉時代の武士の荒々しい実像を初めて知った思いがしました。鎌倉時代の武士たちは、自分たちを「勇士」と称していたが、要するに野蛮人だった。
京都の王朝貴族は東国武士を蔑んで「東夷」(あずまえびす。東に住む野蛮人)と呼んだが、そのとおりだった
紛争解決方法として相手を殺すことを即座に選ぶ武士たちが作った鎌倉幕府は、まさに蛮族の政権であり、王朝のような知識の蓄積はほとんどなかった。
鎌倉武士たちは支配機構を手探りで作っていった。鎌倉幕府の歴史は、東夷たちの悪戦苦闘の歴史であり、すなわちムダな流血の連続だった

257 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 01:46:16.96 .net
しょうもなw

258 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 01:55:19.98 .net
最近日本史板の多数のスレで目立つ関西プロパガンダ。
地盤沈下が禿げしいから危機感を隠せないんだろう。

259 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 07:45:32.83 .net
>>248
安田義定・義資、源範頼、源広綱は頼朝に粛清されているんだよな
平賀は北条時政失脚のときに粛清、大内は承久の乱に京方について没落
加賀美は霜月騒動で没落
門葉はあまり残らなかったんだな

260 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 15:24:39.66 .net
足利はさすがだな

261 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 18:40:02.04 .net
元寇の恩賞不足で衰退したと言うが
滅亡するまで半世紀かかっているな。

262 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 21:42:34.76 .net
>>261
一口に鎌倉に不満を持っているといっても、
鎌倉幕府という体制に不満を持っているか、幕府を牛耳る北条に不満を持つかで分かれていたと思う
後者は北条を倒せれば鎌倉幕府はそのままでという考えだ
でも北条が肥大化して幕府=北条となり、幕府を倒幕するしかなくなっていった

263 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 22:30:36.16 .net
恩賞が原因ではないからな

264 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 23:59:18.65 .net
内管領の横暴が気に入らなかっただけ

265 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 00:42:24.32 .net
既にこの頃から始まって戦国時代・江戸初期までを覆った地球寒冷化・飢饉常態化を視野に入れなければ社会構造論として「鎌倉幕府滅亡」を語ることはできない。
誰が何をしたから、元寇がどうしたから、などと云う議論はあまりにも皮相的で浅薄に過ぎる。

266 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 15:47:06.30 .net
どれも現象であり原因ではない
今から見ればやり方によってはどれも抑制できること

滅亡の原因は北条氏如きが支配してたから
多くとも天皇、公家、源氏には違和感があった
いつかボコろうと
北条氏の出自は今から見ても変えられることはできない原因

北条「あくまでも鎌倉殿を補佐してるだけですよ♪」

267 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 17:27:03.14 .net
北条の権力掌握の源泉は善政を敷くことだから
悪政をやると滅びるのは早いよ、権威がないからね

268 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 17:38:03.33 .net
>>266
軍記脳の典型だな。
皮相の人事しか視野に入っていない。

歴史を動かすものは先ず物理法則、
次にその具現化としての自然環境、
それからヒトなる生物の生理特性。

その他には何も無い。

269 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 18:15:26.25 .net
結局北条の治世にムリがあったってのは普通に力学の話だが 笑

270 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 20:23:25.45 .net
あげ

271 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 20:41:16.88 .net
つまらん

272 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 22:36:18.91 .net
不満を持っていても制度を積極的に壊すほど自分の能力に自信がない連中が日和って消極的な幕府側武将になってたんだよね。
いくら自民公明の政権に不満があっても野党を支持しない人と似てる気がする。

273 :日本@名無史さん:2021/11/16(火) 00:59:45.06 .net
形式は征夷大将軍が政権担当だったからな
制度として壊わす必要がなく建武政権が樹立しても武士は武士の世を望んだ
そして征夷大将軍が近代になるまで政権を担当
実態は征夷大将軍の執事をやってた北条の世ってだけ

自公の場合は形式も実態も自公政権の世
有権者も現状それを望んでるってだけ

274 :日本@名無史さん:2021/11/16(火) 03:07:09.58 .net
北条高時は暗君とされているが、これはかなりの潤色が入っているように思える。

275 :日本@名無史さん:2021/11/16(火) 18:32:52.28 .net
>>273
創価信者や朝鮮土建屋は自公政権じゃないとこまるもんな〜w

276 :日本@名無史さん:2021/11/21(日) 20:45:58.22 .net
>>274
でも自民、創価政権より酷いよね

277 :日本@名無史さん:2021/11/22(月) 03:48:26.16 .net
>>274
俺も。そんなボンクラなら、とっとと首をすげ替えられたように思う。

278 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 22:38:54.75 .net
北条家って最後は華々しいね
男系子孫は残ってないのかね?
(女系は足利家とか残ってるけど)

279 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 23:37:35.20 .net
早雲さんが、「北条」を名乗ったのって、かなり大胆なんだね

280 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 00:04:34.25 .net
>>279
先ず訂正しておく。
大胆も何もない。
伊勢宗瑞は生涯伊勢姓で通して、北條姓を用いたことは無い。
北條を名乗ったのは次代の氏綱。
それも宗瑞長逝後何年も経ってから。

その上でこの改姓について。
宗瑞の母親が北條庶流の横井氏の婦人だったから、
或いは伊豆に細々と生き残っていた北條所縁の家の婦人を宗瑞が後妻に迎えたから、
−−と云う所伝が昔からあった。
しかし近年の実証研究はこれを否定して純粋に氏綱の政治戦略であるとした。
これが現在の定説。

ところがごく最近になって、
小田原北條研究の第一人者たる黒田基樹氏が関連史料の不気味な符合を指摘するに及んで
俄かに古来の所伝が再び見直されつつある。
真相は今も未解明とするしかない。

因みに、そろそろ「早雲」という呼称は止めた方が良い。
既にそれは講談や小説などの虚構の中に封印された。

281 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 12:17:54.42 .net
>>274
父親の貞時と同様に、生活上の乱れがあったのかも知れないが、それだけが原因じゃないだろうな
「鎌倉幕府が捕捉できない武士が増大した」ことが、幕府が短期間で劇的に倒れた主因だと思う
得宗家が強大になるということは、得宗被官以外の武士(御家人、悪党など)が体制外の勢力に
なってくるということ
得宗家が強大になること=幕府の弱体化でもあった

282 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 18:14:17.14 .net
北条の権力掌握の源泉は善政を敷くことだから
悪政をやると滅びるのは早いよ、権威がないからね

その通り
公家や朝廷なんて善政を敷くという概念さえ無いだろうに

283 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 22:43:09.60 .net
>>282
元寇があったから、悪政(というか武士の困窮と不平不満)は仕方ないんじゃないか?

284 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 00:38:48.05 .net
護良親王をどうにかしてれば鎌倉幕府は続いたでしょうね

285 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 01:01:01.88 .net
>>283
与える恩賞の量が違うので難しいだろうけど、
かつて後三年の役で朝廷から恩賞が貰えなかった源 義家が
自分で独自に家臣たちに恩賞を与えたという故事を
参考にして北条家の所領からいくらか恩賞を出していれば
少しは不平不満を抑えられたかな。

286 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 03:11:46.77 .net
「鎌倉幕府が捕捉できない武士」は、一面に於いてそうならざるを得なかった存在であるわけだが
他方から眺めれば「そうなっても成り立ち得た」存在でもあるわけで、
当然ながらその背景には当時に於ける生産力/生産技術の向上などが想定される。
俺は浅学にしてその根拠を提示し得ないが、
当該時期について豊富な知見を有する諸賢の更に深い構造的考察を期待したい。

287 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 07:53:26.09 .net
親房は頭いいけど馬鹿だったな。補佐も大変だろう。

288 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 07:55:49.60 .net
あ、間違えたスマン。

289 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 11:10:03.85 .net
>>285
そもそも元寇で蒙古と戦った武士たちは専ら九州の武士だが、
別に九州は鎌倉幕府倒幕にほぼ何も手柄をあげてないだろう

鎌倉幕府倒幕の原動力は近畿地方の武士たちで元寇とは関係ない
関東の足利や新田も元寇と関係ない

290 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 14:40:01.79 .net
新田の挙兵は、楠木征伐の軍費を出すように幕府(御内人)から要求されたことへの不満を発端とする。
足利の挙兵は、楠木征伐への従軍を断ったにも関わらず強要されたことへの不満を発端とする。
その背景にはやはり得宗体制に対する御家人の不満・疎外感がある。
足利は北条氏とは親しかったとは言え、源氏御門葉でありながら幕政から疎外され続けた不遇、
幕府への一体感の喪失が大きかったのではないか?
源氏将軍が存続し、その御門葉としての地位・席次が継続していたなら、足利は離反しなかった
かも知れない。

291 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 14:47:58.48 .net
>>290
そういう上部構造の関係性だけで歴史が動くものでもなかろう。
並べてくれたのは全て「結果」であって、それを規定した根本的な「原因」即ち自然環境条件や産業状況が必ずある筈。

292 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 02:17:58.87 .net
北条氏の通字は「時」で、一門は時の字の人物が多いが、名前のネタ切れが来たらどうしていたんだろう?

293 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 02:36:36.55 .net
>>292
北条新時宗とか、高時U世とか…。

294 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 04:21:26.07 .net
>>292
後 とか付けるんじゃないの? 朝廷から叱られちゃう?

295 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 10:26:53.08 .net
>>292
だから同じ名前がいるよ
・北条宗時(時政の子、時頼の子、赤橋久時の子)
・北条時定(泰時の子、時房の子)
・北条時家(時政の祖父、名越公時の子)
など
あと大仏流などは割と早い時期に通字の時を捨てて
一門でも時がつかない人もいる
金沢は初期は時がつかないのに後から時が復活していたり

296 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 16:03:44.28 .net
北条時時

297 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 16:32:53.29 .net
北条時々

298 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 17:28:05.47 .net
>>291
どんな根本的な原因がありましたか?

299 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 17:31:45.72 .net
>>292
命名するとき、家系図を調べて、先祖や親族と名前がかぶらないようにしているの?
家系図はどのあたりまでさかのぼって調べるんだろうか?
時政より前の家系図は把握されていたんだろうか?

300 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 21:32:21.56 .net
新田は、義貞がまじめに頑張りすぎた。
根本条件で尊氏に勝つのはまず無理。
山名氏みたいに一度足利の傘下に入って
大大名としての地位を経験し、天下取りは
子孫に委ねれば良かった。
まあ、そう出来ないプライドの高さが
義貞や新田一族の魅力であり、頑張りの
根源なのだろうけども。

301 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 01:53:58.97 .net
>>281
これが正しいと思う

鎌倉幕府は荘園を保護するスタンスで一貫してるけど、この時代に
秩序を守らないといけない側になったら貧乏くじを自ら引きに行くのと同義

畿内の荘園なんて殆ど悪党が荘園を支配してて守護でも手がつけられないってか
守護が悪党とつるんでる状態で
なんとか頑張って代官を変えても、変えた代官がまた悪党になる繰り返しか
もしくは変えても居座って新任者を追い返して荘園を横領するかの選択でしかない訳で
頑張って追放しても襲ってくるし、それを討伐して功績上げた武士も功績に応じて代官職与えると悪党になるし
褒美上げないと悪党になるし、もうどうすりゃいいんだよこんなの…

302 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 02:20:52.17 .net
北条高時というお犬執権まで居やがるし
関東政権特有の獣姦癖は何なんだ?
ナチス関東=ナッ東でいいよもう

303 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 10:28:31.54 .net
>>302
>北条高時というお犬執権

これも言いがかりだと思うんだよ

304 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 21:34:28.15 .net
>>299
先祖や親族どころか、新田と足利の初代は従兄弟同士でどっちも義兼ですよ。

305 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 22:14:00.85 .net
>>304
兼ねてるんだな

306 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 11:23:11.45 .net
>>292
織田家も「信」を通字にしているが名前のストック切れだったようで
「信成」が何人も出ている。最近のフィギュアスケート選手だけでなく。

>>295
元祖・北条時定として、源行家を討ち取った時定もいる(北条時政の甥とも従兄弟とも)

307 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 21:14:58.79 .net
北条家ってかなり近親で結婚してるよな
同族結婚も多いし
ほとんど安達とかの特定の御家人から嫁もらってる
短命なのは毒殺ではなく近親婚が原因?

北条時頼は毒殺されたんかね

308 :日本@名無史さん:2021/12/15(水) 13:22:37.52 .net
泰時まではそこそこ長生きしているんだよね
その後から急激に短命になった
一方、政村のような傍流の人は長生きだった

309 :日本@名無史さん:2021/12/21(火) 15:11:07.77 .net
>>307
天皇家なんてずっと近親婚だったけどいうほど影響ないとも言われる

北条経時、時頼、檜皮姫の兄妹は両親が近親婚ではないのに短命
源頼朝と北条政子は血縁遠いはずなのに娘2人は短命
(息子2人も殺されたため4人の子全員政子より早死)

310 :日本@名無史さん:2021/12/21(火) 15:15:28.73 .net
>>304
苗字が違えばいいんじゃね

同時代を生きた足利尊氏と佐々木道誉だって最初の諱は同じ「高氏」だし
(「高」は北条高時からの偏諱)

311 :日本@名無史さん:2021/12/30(木) 09:17:46.62 .net
他家の人や遠い先祖の名前まで把握するのは難しかったんじゃない?
源義経だって同じ時代にふたりいたからね

312 :日本@名無史さん:2021/12/30(木) 11:01:54.65 .net
短命とは言っても今とは栄養状態も衛生環境も違うからなんとも言えない
ましてや乳幼児は死んでも記録に残らなかったりする可能性が高いので比率もわからんし

313 :日本@名無史さん:2022/01/01(土) 17:50:00.51 .net
吾妻鏡って、面白い?

314 :日本@名無史さん:2022/01/09(日) 11:47:14.97 .net
一門すべてが短命だったのではなく、執権・得宗として重責を担った人が短命になっている
過労が主な原因だったのではないか?

315 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 20:59:42.51 .net
執権北条氏褒めるやつは少ないが摂関藤原氏褒めるやつはもっと少ない
ってことで藤原氏よりまし

316 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:04:25.94 .net
>>315
> 執権北条氏褒めるやつは少ない

いや、鎌倉北條と云えば善政というのが古今変わらぬ定評なんだが…。

317 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 13:00:23.10 .net
素朴な疑問で申し訳ないが。
実際問題、鎌倉幕府末期って、そんなにダメダメだったの?

318 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 10:10:34.42 .net
得宗家の権力は大きくなったが、御家人の心が幕府から離れていた
悪党のような通常の武家社会から離れたアウトローも増大し、幕府のコントロールが
きかなくなっていた
だから、ひとつ流れが変わると一気にひっくり返る状態になっていた
足利尊氏・新田義貞の挙兵から北条氏滅亡まで1か月もないことが特徴だ

319 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:45:30.74 .net
足利尊氏は北条の身内として優遇されてたのになんで反乱起こしたんだろ?
親を殺されて僻地に流された頼朝が反乱起こすのは分かるけど

320 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 23:19:24.87 .net
>>318
なるほど……。ありがとう。
そりゃダメダメだ。

321 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 09:28:39.77 .net
>>319
尊氏は北条氏から莫大な経済的負担(臨時税)を要求されていたことに我慢ならなかったのでは?
新田義貞が挙兵に踏み切った理由も、得宗被官(得宗の家臣)から居丈高に臨時税の負担を要求され、
激昂して得宗被官を斬ってしまったことだった。
尊氏に対しても得宗被官が居丈高に取立てを行った可能性がある。
義貞が激昂したように、清和源氏の名門で源氏御門葉・五位の官位を持つ尊氏は、表向きは優遇されて
いても、現実の負担や得宗家の威光を笠に着た得宗被官の態度を許せず、ひいては得宗体制そのものを
打倒したいと考えたのではないだろうか?

322 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:53:01.22 .net
足利氏は「自分の家は他の御家人とは別格の家」という意識があったからな
実際に源頼朝からは平賀・加賀美などとともに別格の待遇を受けていたし
北条氏から優遇はされても本音では「これは違う」という意識はあったよね

323 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 09:33:37.60 .net
>>322
もともと北条家なんて家柄的には全然だけど、朝廷や寺社の旧勢力と地頭、御家人らとのバランサーとしてなんとか成り立ってたのに、
その身分の低い北条家の家来に過ぎない御内人が実権を握るようになって、「やってられるか、ボケ!」って気になったんやろな

324 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 22:59:11.44 .net
『北条ごときが』ってのかなりでかい
というか一番でかい

325 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 23:28:18.57 .net
>>323
鎌倉時代ってすごいよな
天皇の代わりに将軍が軍事政権やってて、その重臣として執権(北条家)が実権握ってたのに、さらにその家人の御内人が実力者になってた
どんだけ多重構造なんだよ?

326 :日本@名無史さん:2022/01/31(月) 02:04:22.61 .net
室町も似たようなもんじゃん
どっちも超権威主義かつ超実力主義の時代

327 :日本@名無史さん:2022/01/31(月) 09:20:28.50 .net
>>324
その北条氏の家臣に過ぎない御内人が実権を握って専横を振るい出したのが大きい
これでは御家人たちは嫌になってしまう

328 :日本@名無史さん:2022/02/01(火) 02:35:17.18 .net
御内人 っての知らなかったから、ちょっと調べて読んでみた。

……ひどいんだね。そりゃ北条の人ら、仮に能力あったとしても後世悪く書かれるわ。
なんだって許したの?

329 :日本@名無史さん:2022/02/01(火) 08:00:13.19 .net
>>328
そりゃ有能が続いたって全員ってわけにはいかん。
貞時は補佐する兄弟や後見人がおらず、息子に先立たれて以降は御内人に政務を任せて酒に溺れた

330 :日本@名無史さん:2022/02/01(火) 09:06:20.85 .net
執権(得宗)って激務だったみたいだね
貞時は前半生は真面目に政務に打ち込んでいたのに、後半生は人が変わったように酒を飲み始めた
ものすごく打ち込んだのにうまくいかなくて心が折れたらしい
死因はおそらく肝硬変で40歳くらいで亡くなった

331 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:38:18.82 .net
今の時代から信長の時代をみると何もかもが古いけど、信長の時代から鎌倉時代をみるとそこまで古くないのかな?
少しの進化くらいしか感じないかね?

332 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:15:45.15 .net
>>331
何故そう思うのか根拠を書け。

の、前に、
織豊期→鎌倉末期 と 現代→織豊期 では隔たりが倍近く違うんだが、算数はできるか?

333 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:25:20.43 .net
>>332
面倒くさい奴だな。
倍違うと何か問題あるのか?

334 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:33:25.29 .net
>>331
刀が短くなり槍が普及し、なにより鉄砲伝来によって鎧兜も戦術も築城技術もがらりと変わったで。

335 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 20:17:20.99 .net
>>333
織豊期→鎌倉末期 は約250年。
現代→織豊期 は約440年。

仮に現代に視座を固定するとして、
お前には250年前の江戸後期に対する懸隔と440年前の織豊期に対する懸隔とが同じように感じられるのか?
お前が挙げた両例はそれぐらい距離感が違うということだ。
それが解らないんなら、お前は己を少ぅし馬鹿なんだなと認識した方がいい。

336 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 20:27:09.65 .net
>>334
水車と金肥の普及が一番大きな違いなんじゃなかろうか。
生産に於ける革命が人口を増やして社会構造を激変させた。

337 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 20:46:41.38 .net
>>335
お前友達いないだろw

338 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 02:06:54.96 .net
鎌倉幕府滅亡時に北条氏一門はなぜ軒並み殲滅されたんだろうか?北条高時遺児の時行など僅かに生き残った者もいたけど。それだけ恨みを買っていたのか?

339 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 10:12:07.70 .net
>>331
平安時代から家系の続く名門武士が鎌倉末期には多数いたが、信長の時代には大半が没落した
武士社会の顔ぶれが相当に変わっていた
信長自身が平安時代から家系の続く武士(今川・武田・伊勢北畠・さらに足利将軍家)を
倒していくのだが、鎌倉末期ではそうはいかなかった
また、信長の時代ではふだんは烏帽子をかぶらなくなったのも風俗の大きな変化だ

340 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 10:53:39.94 .net
室町時代はまだ荘園公領制の世界だから、平安時代から続く武家はそれなりに残ってるよ
荘園公領制が崩壊したからこそ旧来の武家は姿を消していった

341 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 07:29:15.01 .net
応仁の乱でかなり没落したのでは?

342 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 08:02:07.52 .net
有力大名を京に常駐させたことによって守護代が力をつけ、下剋上の土壌を作ってしまったってのもある。
室町幕府は朝廷と同じ失敗を繰り返してしまった。やっぱ、自分の領地は自分で見ないと

343 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 16:11:25.69 .net
>>321
徳川が天下を取った時もそうだった
直参が江戸城内の廊下で大大名の伊達政宗とすれ違った時に体が当たったとか言って、
政宗の腰をひっぱたいたというだから

344 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 01:14:32.79 .net
大領の主よりも権力者の側近の方が権力あったりするよね

345 :日本@名無史さん:2022/02/07(月) 11:03:06.20 .net
鎌倉時代も御家人は鎌倉に屋敷を構えて常駐したらしいね
所領にも一門の者が常駐して経営に当たり、鎌倉常駐者と連絡を取り合っていた
だが、北条氏(+御内人)の専権が強まると、御家人たちは鎌倉の屋敷を引き払って
所領に帰って行った
このことが幕末に御家人が離反する原因になった

346 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 08:47:18.75 .net
六波羅勢終焉の地は、近江番場宿の蓮華寺です。
有名な陸波羅南北過去帳(重文)や仲時肖像画の写しも蓮華寺にあります。
圧巻の五輪塔群ですが、整備されたのは南北朝時代よりもだいぶ後らしいですね。
自害したのは432名とされますが、過去帳はだいぶ少なく189名です。
当時の住職が生き残った者に遺骸1人1人を確認して名前のわかった者を
記したという気概が素晴らしいです。

347 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 23:12:37.70 .net
おいっ!今年の大河ドラマ面白いじゃねーかよ

348 :日本@名無史さん:2022/02/24(木) 11:45:56.47 .net
>>338
御家人の粛正は一族郎党を殲滅する事を繰り返してきたから北条一族も例外ではなかったんだろう

349 :日本@名無史さん:2022/02/24(木) 23:10:10.19 .net
>>348
でも、北条は有力御家人に嫁を出していたから、女系ではいろいろ残ってる
足利家も代々正室が北条家出身だし、後北条家も女系で繋がってる

350 :日本@名無史さん:2022/02/25(金) 01:31:09.55 .net
>>338
末期の北条氏はあくまで鎌倉幕府とは不可分の存在だから
倒幕時に狙われたし、また運命を共にせざるをえなかった
他の有力御家人と違って、特定の地域に強い基盤を持っていないので、
幕府が滅びるとあっさりと消えていった

有力御家人を粛清して幕府中枢から排除したのはいいものの、
運営にあたっての人材・財源の枯渇から、まるで自腹を切るかのように
北条氏の分家や御内人を幕政に関与させていくことになり、
幕府機構と得宗家政機関が密結合していくようになり、
北条氏あっての幕府であると同時に、幕府あっての北条氏でもあった

351 :日本@名無史さん:2022/03/01(火) 09:18:27.32 .net
北条氏だけでなく、御内人も消えてしまったね
室町幕府の場合は足利一門のほか管領・四職の家も残った

352 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 00:27:48.53 .net
北条氏の族滅が古代の終焉だったのかも。

353 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 05:24:05.06 .net
>>351
鎌倉は族滅の時代だったけど、室町は同族での跡目争いがメインだからな
どっちが勝ってもとりあえず一族の名前は残る
将軍を暗殺した赤松すら再興したのはどうかと思うが

354 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 09:54:45.93 .net
族滅って言っても女系では残ってる

355 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 18:05:05.46 .net
「鎌倉幕府はなぜ滅びたのか」っていう本、買った?

356 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 23:18:24.27 .net
>>355
なんで滅びたの?

357 :日本@名無史さん:2022/03/02(水) 23:49:17.50 .net
その本を読め

358 :日本@名無史さん:2022/03/03(木) 06:22:22.66 .net
プーチンは鎌倉幕府並みに関西(ウクライナ)の護良親王、楠木正成、赤松円心狩りに躍起になっているな
しかも楠木狩りのために遠征した鎌倉武士のように士気が低い
まあロシア側に足利尊氏や新田義貞ほどの勢力が出てくるのは難しいと思うし
ゼレンスキーがどれくらい殴られ耐え続けるか

359 :日本@名無史さん:2022/03/08(火) 12:57:09.69 .net
ふと思ったんだけど、徳政令で泣いた金貸したちは当時日本に居着いていたユダヤ(の前身とか)だったとかない?
ねーよwってツッコミ待ちw
それか、サンカの一派の金がほとんどだったーとか、これもねーよwかぁ

360 :日本@名無史さん:2022/03/09(水) 22:14:36.03 .net
いや、ある意味ユダヤで間違ってないよ。
日本人は失われたイスラエルの十部族の末裔だという説がある。
青森県新郷村にはキリストの墓もあるし間違いないと思う。

361 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 09:06:24.10 .net
鎌倉に集結して闘ったのが、北条氏が全滅した原因だろうな
鎌倉を捨てて落ち延びていればもう少し持ったかもしれない

362 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 22:03:26.14 .net
北条時行っていうのがいてだな

363 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 09:19:17.93 .net
>>362
逃げ上手の若君だな?

364 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 21:19:45.69 .net
若君どころか幼君ですが

365 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 20:42:13.85 .net
横浜と言えば

カマ・クラ
鎌倉
カマ・蔵

どんだけ〜


東京で、
「カマ・苦ら、やけど」
「金持ちやん!、金持ち?」って言われるんだよwww

どんだけ〜

都内で
「ギンザ行ってた」
「Winズ?」www

「梅田行ってた」
「もしかして、Winズ?」

「基地・情事に行ってた」
「エンポリ?」

勝ち過ぎて、勝ち過ぎて、笑えるんだよ詐欺師

366 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 08:08:50.86 .net
今年の大河は滅亡まではやらないんだね

367 :日本@名無史さん:2022/03/24(木) 20:05:03.86 .net
>>366
平家滅亡
藤原氏滅亡
源氏将軍断絶
梶原氏族滅
比企氏族滅
和田氏族滅
畠山氏族滅

物足りない?

368 :日本@名無史さん:2022/03/24(木) 20:16:08.60 .net
北条さんもおまけしてくれませんかね

369 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 02:46:34.03 .net
>>367
三浦氏滅亡はやらないのかね?

370 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 19:27:31.21 .net
>>369
宝治合戦はもっと後の世代の話だからねぇ

371 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 12:23:33.92 .net
南北朝時代のドラマがほとんどないってのが残念だよね
今の皇室が北朝の血筋だからとか言われてるけど
天皇家なんて血筋よりも譲位譲位が全てなんだから血筋なんてどうでもいいのにな

372 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 13:52:54.31 .net
武田鉄矢の顔が何故か浮かんだ

373 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 16:09:58.80 .net
>>366
承久の乱が最後のクライマックスだから、乱後の処理や義時・政子・大江広元の逝去で終わりだろうな
ここまでが鎌倉幕府の第一ステージだから

374 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:24:58.28 .net
生徒「鎌倉幕府は何故亡んだの?」
教師「高時がお馬鹿さんだったから」

375 :日本@名無史さん:2022/04/02(土) 09:04:02.87 .net
>>371
大河ドラマ「太平記」があるけど、また太平記を扱ったドラマを作ってほしい
前回は足利尊氏が主人公だったが、次は誰を主人公にするか?
楠木正成は前半生がよくわからなくて、主人公としては描きにくそう

376 :日本@名無史さん:2022/04/02(土) 09:35:40.64 .net
>>375
よく分からない?
山本勘助とかやったくらいだから余裕だろう

377 :日本@名無史さん:2022/04/06(水) 20:17:05.35 .net
足利尊氏も前半生がよくわからないし
源義経、明智光秀、真田幸村なども前半生がよくわからないけど主人公になった

378 :日本@名無史さん:2022/04/07(木) 11:13:15.28 .net
大河ドラマとかはファンタジーだからいくらでも適当にやれそうなもんだけど某血筋に触れるのがまずいのかもね

379 :日本@名無史さん:2022/04/10(日) 02:25:29.21 .net
南朝方を主人公にした大河はイデオロギーの問題でかなり難しいだろう
特に楠木正成は

380 :日本@名無史さん:2022/04/13(水) 13:23:48.27 .net
源義経の前半生は伝説(文学作品)としては残っているから、作品化はできたでしょ
楠木正成は挙兵前後あたりから始めるしかないね

381 :日本@名無史さん:2022/04/13(水) 19:58:16.95 .net
まぁ井伊直虎で1年やれたんだから、なんだって有りやろ

382 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 01:16:14.58 .net
吉田松陰の妹で1年やったんだもんなw

383 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 02:56:53 .net
文学作品として最も多いのは南北朝時代の作品群だけどなw

日本の武将らが他ならぬ作家となって自分らの戦争の著書とか書いて残しているからよ

平安時代末期ころから武将らの間で文学作品を残すのが流行り出したんだわ

384 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 02:58:18 .net
まあ利権争いだの絡むから世の中に出てこないだけの話よ

385 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 02:59:23 .net
そおいうのを読んで影響を受けた様な作家らが後年にその武将らを題材に取り上げて作品集を発表したわけ

386 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 03:53:19.40 .net
それまでは文字を書いて記録を残すなんざ藤原くらいしかおらんでよ

武家の時代になって武将らの詳しい資料が出回り始めたのは他ならぬ本人(武将)らが自ら執筆した作品が出回り始めたからなわけ

戦争終わってそのあとヒマこいてたか?ってえとそんなことないわけでな

隠棲地におったにしろ文筆活動に励んでおった

387 :日本@名無史さん:2022/04/14(木) 15:57:02.65 .net
>>381
井伊直虎は父井伊直盛の史料が残ってるし
井伊家が仕えてきた今川義元、今川氏真、徳川家康の史料もある
でも楠木正成は父親時代の史料がないし
後醍醐天皇に味方して挙兵するまで有名人の腹心だったこともない

388 :日本@名無史さん:2022/04/21(木) 14:37:46.54 .net
>>378
ファンタジーにすぎない大河ドラマとか
もういらねえからつぶすべきだわ

389 :日本@名無史さん:2022/04/30(土) 20:10:13.90 .net
吉田松陰の妹を主人公にしちゃうくらいだからなんでもアリだろ
美和子って誰やねん

390 :日本@名無史さん:2022/05/02(月) 12:40:41.32 .net
>>389
美和子は毛利家の奥に入って毛利家世子の養育係を勤めたキャリアウーマンだよ
でも毛利家の奥勤めを全面的に出さずに
なぜか「吉田松陰の妹で毎日おにぎり握っている」という変な宣伝の仕方したせいで
おまえら誰も毛利家奥女中になるところまで見てないもんな

391 :日本@名無史さん:2022/05/02(月) 16:32:21.94 .net
別にキャリアウーマンを歴史物で見たいとも思わんから
良い悪いではなく好みの問題

392 :日本@名無史さん:2022/05/04(水) 08:17:56.17 .net
鶴岡八幡宮の隠れ銀杏

393 :日本@名無史さん:2022/05/07(土) 22:29:49.50 .net
挙兵時の鎌倉幕府倒幕の可能性
後鳥羽上皇80%くらい
後醍醐天皇5%くらい(ほぼ運)

394 :日本@名無史さん:2022/05/07(土) 22:39:43.64 .net
>>1
大河はもはや史実通りに制作されてない

女アゲアゲのプロパガンダドラマに成り下がってる

鎌倉の最期やっても似たり寄ったりだよ

しょーもねってなるだけ

395 :日本@名無史さん:2022/05/13(金) 09:46:58.99 .net
元寇によってギブアンドテイクの関係が崩れて幕府崩壊が始まったわけだが、完全に潰れるまで半世紀強も続いたよね。

396 :日本@名無史さん:2022/05/14(土) 16:23:06.10 .net
>>395
日本が崩壊して日本ではなくなったのは慶応四年。
爾来百五十有余年、「日本」と称するナニカがだらだらと存続している。

397 :日本@名無史さん:2022/05/16(月) 21:44:14.43 .net
出た明治維新否定論

398 :日本@名無史さん:2022/05/18(水) 17:46:41.64 .net
明治維新成立の雛形は建武革命
江戸幕府成立の雛形は鎌倉革命

399 :日本@名無史さん:2022/05/19(木) 00:41:22.52 .net
>>397
「明治維新」なる語を使うこと自体が既に特定の党派的偏向の表出である。
戊辰戦争の結果を肯定的に扱うのも否定的に扱うのも自由だが、
何れにせよ己の偏向は自覚しなければならない。

400 :日本@名無史さん:2022/05/19(木) 23:37:51.34 .net
名称で怒るおじさんいるよね~

401 :日本@名無史さん:2022/05/20(金) 00:20:11.06 .net
>>400
言葉というものに無神経過ぎる。

402 :日本@名無史さん:2022/05/20(金) 10:59:24.37 .net
終戦って呼び方はうますぎる

403 :日本@名無史さん:2022/05/30(月) 12:36:31.07 .net
もし子供がいなかったらずっと1192だと思ってたわ
いつの間に変わったんや

404 :日本@名無史さん:2022/07/27(水) 04:11:28 .net
興味持って、ぼちぼちと終焉あたりの新書を読んでるけど。
それぞれが、それぞれに理由あって面白いね。

ただ、共通して後醍醐天皇ムカつくw 

405 :日本@名無史さん:2023/01/09(月) 03:26:42.07 .net
嘉元の乱とか原因不明で面白い。

406 :日本@名無史さん:2023/08/22(火) 21:12:07.80 .net
>>1
賎酷よりはオモロー

407 :日本@名無史さん:2023/11/11(土) 11:39:52.12 .net
>>394
古いのも含めて、ちゃんと史実に忠実に作られた作品はないだろ、最近に限らんやん

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