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先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る9

1 :日本@名無史さん:2021/03/10(水) 16:36:13.41 .net
ここは血族先祖に限ると言うスレだから、
自分から上に辿って行かないと血縁関係が続いている証明にはならない。
養子断絶はダメだと書かれてるから、たとえ家を継いだとしても血縁関係が途絶えていたら失格という話。
遠い先祖がわかっていても、血縁を辿るというのは難しいぞ。
血縁が辿れるのなら自分から何代前の先祖かは言えるはず。
過去スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542339706/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る5
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1553053449/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る6
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1568267662/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る7
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1582419098/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1599895012/l50

2 :日本@名無史さん:2021/03/10(水) 16:37:47.20 .net
新スレ乙

3 :日本@名無史さん:2021/03/11(木) 00:18:07.33 .net
     (´・ω・`)
   /     `ヽ. おいチョンコ
  __/  ┃)) __i | 出された薬は
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\ ちゃんと飲めよ

4 :日本@名無史さん:2021/03/11(木) 00:46:08.80 .net
先祖が立派だと自分も頑張らなあかんと思うけどやる気が出ない

5 :日本@名無史さん:2021/03/12(金) 12:01:18.41 .net
>>4
そしてコロナのせいにするんだろ

6 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 01:37:18.34 .net
DHA調べたらはっきりするんじゃね?

7 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 10:24:07.71 .net
       |`゙'''ー==============ー'''゙|
    .   ゝl!i!li!lil!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!イ
      ,.r''"=|_|^|_|_|__|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|^|='、,,
  __,.r''"=/^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|^|=゙''-、__.
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   ヽ::_丿 ヽ::_丿 ヽ::_丿 ヽ::_丿 ヽ::_丿 ヽ::_丿
   ..|::::[_]::::[_].┏━━━━┓:[_]::::[_]::::|
   ..|:.┌──┐┃.門 恩 迎.┃┌──┐.:|             .o__________
   .ヽ└──┘┗━━━━┛└──┘./             /   属 国 清 大   /
    |:::::::::::::/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ:::::::::::|  .||〜〜┐.    ./  旗  国  麗  高  /
    |::::::::::::|               .|:::::::::::|   .|| 歓 |    ./  /// ̄ ̄\\\ /
    |__:|          .     |__:|   .|| 迎 |    ./    /   / ̄`|    /
    |  ::::|           ..    |  ::::|   .|| 宗 |   ./    |\_/   /    /
    |  ::::|            ..   |  ::::|   .|| 主 |  /  \\\__/// /
    |  ::::| ニダー、今年も貢物.  |  ::::|   ..|| 国 |  /               /
    |  ::::|  少ないアルよ     |  ::::|   || 様 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ,,,r,,,.,,,:,:,|,,,、      ∧∧   ,,L,,,,,:,:,::|,,  ||〜〜┘/
   ..|     :::::|      /支\ |'    :::`| .||    /
    `゙"゙',,¨゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙ ̄ ( `ハ´)   '"`゙`゙゙゙゙ミ`゙゙゙゙゙゙゙、゙゙`""゙
     ∧,,_∧       (  ))) )     ∧,,_∧ ヒェー、宗主国様お許しを…
  、,.,,<♯`Д´>     | | |    <`Д´♯>,,.,、
 (,⌒) |lll|lll|l ))     (__)_)   (( l|lll|lll| (⌒,).
..⊂、`ヽ⊃   >⊃           ..と<   とノレ
     ∨ ∨                 ∨ ∨ Σ ガンガンガガガン…

8 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 21:45:27.56 .net
              _.。ャぁて丕刀フ7ゎ。._
           ,.ィ炙ヲi≠┴⇒弍j込ス>。
.        ,ィ升ヲナ'´           `゙'<弖心、
.        ;夕フア´ / ̄ ̄⌒⌒ ̄\  \ホi心.
       んfiУ   |    __λ_ |   ▽ij∧
       从j'Y    |   ノ ヽ 〆| |    ∨iハ
.       斤W    |   ノ      \|     kい
     |友カ    | /   ノ(_)(  )     }ソ川
.       い叭    \___  / ̄|  /     仄ガ
.     Wi从      \   | ++| /      从ノリ
.      ∀t△       \   ̄(      ∧fリ/
       ゙マじへ、      |__|    /リiУ
        \夊id、_             ,.イ!刋/
         `マ才i「≧ェ。。.。。っ夭テ少'゚
           `゚'' ミ芝玉竺壬云=‐'´

             まーる描いてチョン

9 :日本@名無史さん:2021/03/15(月) 01:14:26.77 .net
         ,,-―--、
        |:::::::::::::;;;ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |::::::::::( 」 < 「嫌いの反対は無関心」って言葉をネトウヨに教えてやりたい
        ノノノ ヽ_l   \______________
       ,,-┴―┴- 、    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  チ  | '、/\ / /
     / `./| |  ョ  |  |\   /
     \ ヽ| l ン  |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |

ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧    ハライテ-       ゲラゲラ
.  ( ´∀`)                    ∧_∧        〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )                 (´∀` ,,)、     ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),    _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ             好きの反対だろ

10 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 07:10:23.27 .net
藤のつく名字は単なる居住地名に由来するものではなく

藤=唐(トウ)の意で渡来人のコードネームだった

同胞意識の強い中国・朝鮮系帰化氏族は

後世に至るまで偉大な血統を伝えるために

トウと読む漢字を氏代わりに使っていた

11 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 14:44:01.80 .net
中国系と朝鮮系と同一視してる時点で無能の極み

12 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 22:38:24.99 .net
藤原鎌足は、
百済王という説あるな

13 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 00:32:36.04 .net
>>10 そんなバカな、皇女が藤の花が咲く場所に住んでてそこに住まわせてもらったから藤原氏を名乗る様になった。

そう言えば、俺の小学校は当仁小学校、場所は唐人町にある。

14 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:13:31.46 .net
  ____
 B■∧     ________
━ (,, ゚Д゚) / /
   |   つ< この歌、歌って
   |  |   \
   |  |      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∪∪          ♪
  ∧_∧ ♪  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 <丶`∀´> < 迷子の 迷子の チョンコ君
 ( チョンコ )  │あなたの国籍 どこですか
 | | |  │祖国を聞いても 分からない
 〈_フ__フ  │名前を聞いたら 二つある
         │ふぁんふぁん ファビョーん
         │ふぁんふぁん ファビョーん
         │タカってばかりいる チョンコ君
     ♪  │犬の 7割半
         │喰われて しまって
         │わんわん わわん
 ♪      │わんわん わわん
         \__________

15 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 12:20:24.90 .net
ツヅキカスノブの祖父母はまだ死なないのか?
年金食いつぶしあがってww

16 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 03:03:35.11 .net
         |   / \, ∨   || || .|| .|| .|| .||
  ,, ,,, ,,,,  |    ̄ ̄~~      || || .|| .|| .|| .||
   ,,, ,,, ,,, |  _____ , || || .|| .|| .|| .||
         | ,┃‖‖‖‖┃ || || .|| .|| .|| .|| 春になると
 ,,,, ,,,,  ,  | ,┃‖‖‖‖┃ || || .ii‐ii‐ii‐ii  嘘つきチョンコは次から次へと
    ∧,,_∧ ∧,,_∧  ∧,,_∧ ∧,,_∧.|| .|| .||  湧いて出てくるな・・・
    <#`Д´><#`Д´><*`∀´><#`Д´>l=||=|| ____
   ∧,,_∧ ∧,,_∧  ∧,,_∧ ∧,,_∧ .|| .|| .|| ヽ=@=ノ      ∧_∧
   <*`∀´><#`Д´><#`Д´><#`Д´>|| .|| .|| (´⊂_`;)       <`Д´# >
  ∧,,_∧ ∧,,_∧  ∧,,_∧ ∧,,_∧∪.|| .|| .|| ( y  つ∝∝∝⊂)⊂) )
  <#`Д´><*`∀´><#`Д´><#`Д´> 、!!、|| .||  |  |  |       |  |  |
  (∪ ∪ (∪ ∪ (∪  ∪(∪  ∪'.;'\!!、|| (_(__)      〈_〈__〉

17 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 18:50:43.62 .net
江戸時代の武士って土地を持てなかったってマジ?

18 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 19:03:28.54 .net
郷士は持ってたよ

19 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 12:57:30.52 .net
菅原姓は菅原道真の一族と関係あるのか
太宰府周辺の人とか

20 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:01:41.02 .net
一族や子孫かは知らんが菅原文太は太宰府天満宮で葬式やってるな

福岡県太宰府市の太宰府天満宮祖霊殿で家族葬を行った[2]。

わざわざ太宰府天満宮でやる辺り本当の一族の可能性もある

21 :日本@名無史さん:2021/03/29(月) 09:07:59.97 .net
祖霊殿で家族葬なんで出来るんだ。
初めて知った。

22 :日本@名無史さん:2021/03/29(月) 09:16:35.26 .net
>>21
祖霊殿は葬儀やったり祖先祀ったりするところだからな
そりゃあ出来るだろ
ただし太宰府天満宮クラスになると全くの一般人が葬儀やったりするのは厳しいだろうな

23 :日本@名無史さん:2021/03/29(月) 09:36:07.21 .net
普通に斎場案内に掲載されてるよ
費用は知らんけど

24 :日本@名無史さん:2021/03/29(月) 21:35:30.24 .net
>>19
菅原さんは宮城や岩手にめっちゃ多い。

25 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 10:28:54.50 .net
Q:コリアンについてどう思いますか?

早く
死ね┐      ┌───死ね 9%
 11%  │ _..-ー''''''l'''''― ..、
     ./   .l,  |     `''-、
   ./     .l  .|       \
   /ゝ、     l. |         ヽ
  ./   .`'-、    l. |           l
 │      ゙''-、 .l,|  すぐ        l
  |         `'″   死 ね    |
 │                   ,!
  l             80%  ./
  .ヽ                  /
   .\              /
     `'-、              /
       `''ー .......... -‐'″

26 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 12:51:10.70 .net
東北に菅原が多いのは菅原道真の息子が一関に流されて土着したからその子孫

27 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 23:51:41.18 .net
       人
      (__) 
      (__) 
       ||\__
       ||  屬\___
       || 旗 國 C\__
       ||   國 麗 大  ノ  ))
       ||          ヽ
       ||  彡        ノ
       ||   / ̄\ ミ  ノ
       ||   |_ノ⌒|    ヽ
       || ミ \_/    ノ
       ||\__    彡   ヽ
       ||    \___    ノ
       ||.       \_ ノ  ))
       ||
       || ∧,,∧
       ||<`∀´ >   誇らしいニダ!
       ⊂    つ    ホルホルホル♪

28 :日本@名無史さん:2021/04/02(金) 11:17:50.78 .net
俺のうちは常陸国だが、代々諏訪の氏子で家紋も丸に梶の葉。
もしや、諏訪神族の末流だったりしてと思って今自分の家系を調査中。
多分、諏訪神族であったとしても、嫡流の諏訪子爵家とは何百年もかなり前から離れていることになるが。

29 :日本@名無史さん:2021/04/03(土) 09:01:09.89 .net
梶の葉は神職だっけ?

30 :日本@名無史さん:2021/04/03(土) 23:08:53.41 .net
>>29 諏訪神社の神紋

31 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 19:09:02.01 .net
先祖のお墓を見つけました。夫婦で同じ形の墓石が二つ並んでいました。正面に戒名、向かって右側に亡くなった日、左側に俗名がそれぞれ書かれていました。高祖母の方は俗名ではなく高祖父の名前とその下に室なんとかと彫られていましたが、妻という意味でしょうか。風化して読めなくなっていました。明治二十年頃の墓石です。

32 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 19:42:47.04 .net
見つけました…

33 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 02:42:16.17 .net
子孫もいないのになんで調べるの?

34 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 16:09:22.49 .net
郷土史を漁ってると「〜家が〜家にわらじをぬぐ」って言い回しが多いんだけど
これはどういうこと? ググってもよくわからない

35 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 21:07:40.69 .net


36 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 22:07:48.38 .net
郷土史家を馬鹿扱いする歴史学会

37 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 23:50:54.96 .net
我が家はなぜか菩提寺に墓石ではなく
ドーム型の個人の納骨堂がありそこに代々納められている

38 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 00:43:43.72 .net
まあこういうスレではいつもいうんですけどね

この日本列島は縄文人という平和的種族がね
1万年物長い間、平和に過ごしていたわけですよ。
1万年だぞ、1万年は長いぞ
一世代20年と考えて500世代だからね
もうどう考えても日本のエリアの先住民族なんですよ、縄文人は。

でねえ、そのピースフルな美を愛してきた先住民族縄文人を
偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人が一方的に侵略しホロンぼした。
その滅亡の課程は記紀や風土記ほかの神話や伝承、民話、
または征夷大将軍に象徴される歴史的な蝦夷追討の物語で明らかだが
つまり事程左様に、そういう哀しい侵略と征服と絶滅の歴史があったわけだ。

これはねえ、まあいつもいうけど偉大なる大韓民族の渡来弥生人、
これの末裔たるチミら自称愛国者ネトウヨどもを含む自称日本民族の原罪ではあるね。
1万年もこの列島で生き最後は文字も記録も残さず無念のうちにホロンびた縄文人。
その骨すら列島と一体となり土にかえり残らなくとも縄文人のその魂魄、
これは現代の我々のことを如何様に見るだろうか? そういう話でもあるんだよ。

(え? 魂魄なんてオカルトいうなって? じゃあDNAといってもいい
 一般的な日本人のDNAの中には縄文由来のそれもわずかばかりあるっていうな
 つまりチミらもまたちょっとだけ縄文人なんだよ
 まあ圧倒的多数は大韓由来の弥生人のそれというがねえ)

39 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 01:47:09.45 .net
>>37
個人の納骨堂に代々っておかしくない?

40 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 06:26:27.73 .net
感覚的には〇〇家之墓がそのまま納骨堂になってる感じ

41 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 06:38:45.58 .net
九州とか昔から納骨堂が多いとこもあるからな、地域がら

42 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 13:39:16.36 .net
日本人の祖先はほぼ全員Korean Peninsulaから来た
北方ルート・南方ルートなどというのはまやかし
あるのは朝鮮ルートだけだ

43 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 20:32:15.68 .net
北九州の小倉周辺の部落だと納骨堂はよくある

44 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 20:41:41.97 .net
納骨堂って同和の地域対策事業であちこちに作られたやつだろ。

45 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 22:30:40.65 .net
代々といっても大正元年に建てられたから110年程度なんだけどな
まだ高祖父から祖父までの3世代しか入ってない
ちなみに都内の寺

46 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 00:20:58.92 .net
墓地と地域性
https://www.jcca.or.jp/kaishi/288/288_toku3.pdf

納骨堂の流行

近代化が進み、特に戦後全国で重油やガスによる火葬場が設置されていくと、土葬地域でも火葬が浸透し、現在では99.9%という世界有数の火葬国となった。こうしたなかで、カロート式の墓は全国的に広がっていくとともに、地域によっては納骨堂が発達する。厚生労働省の『衛生行政報告例』によれば、納骨堂の多い都道府県は、昭和35年は北海道、福岡、福井の順であったが、昭和45年になると福岡、北海道、熊本になり、北海道とともに九州地方で納骨堂が発達している。

北海道において戦前期から納骨堂がある程度存在するのは、明治以降開拓が進む中で墓地も作られているが、人々が移動する可能性もあり、墓を作らず寺院に遺骨を預けていく場合も多かったからである。その本堂の周囲に棚を設けたことが、納骨堂のはじまりとなった。

一方、九州、特に福岡県では、都市部だけではなく村落部においても土葬の共同墓地を改葬し、納骨堂にしていった地域が多い。寺院納骨堂もあるが、他の地方と比較して珍しいのは集落の共同納骨堂が多いことである。納骨堂の多くは仏壇式となっており、上段に位牌や過去帳、下段が納骨スペースであり、完全に墓地の代替となっている(写真4)。

鹿児島県では室内型の納骨堂よりも、壁面式の半野外の納骨堂が発達している(写真5)。アパート式の墓といってよく、生花や線香などを一般の墓と同じように供えることができる。桜島から火山灰が日常的に降ってくることで、屋根を付けているところも多いが、このような納骨堂は屋根を兼ねたものとなっている。いずれも土葬墓地の改葬によって作られていったのである。

47 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 05:29:11.93 .net
北海道は流れ者が多いから普通の墓作ってもしょうがない。
九州などでは貧乏人の墓整理するためにやってるみたいだな。

48 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 06:12:03.14 .net
創価学会は納骨堂形式だね。
自分たちで坊主もなしに葬式をやってしまい、墓は納骨堂へ収めさせる。
信者が遺骨になってもさらに搾り取るw

49 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 06:54:42.75 .net
>>45
明治大正の時代の墓なんて土饅頭に墓標一本がふつう。
石の墓だって地面の上に直接置くだけだった。
そういう時代に個人で納骨堂だなんて
お前の家は財閥かよww
いい加減にしろ

50 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 07:29:00.70 .net
>>49
財閥には到底及ばないが、高祖父が武士で維新後に事業に手を出して成功したから結構裕福だったのは確か
曾祖父は外交官で祖父は銀行家だった

51 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 07:39:07.51 .net
お前も先祖が中野宗時だったり名主だったり外交官だったり忙しいなw

52 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 07:44:59.97 .net
>>50
寺の宗派は?

53 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 07:58:31.39 .net
曹洞宗

54 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 09:24:15.05 .net
うんち漏れそう…
どうしよう…

55 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 09:30:54.82 .net
漏らしちゃえ!

56 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 11:39:52.96 .net
創価学会の墓苑ってすごいな
規模がとんでもない。
そういうのが日本中に作られている。
日本最大・最強のお墓ビジネス業者だわ

https://www.sokanet.jp/memorial_park/

富士さくら霊園というのの動画見てみな
墓が並んでるのが絨緞にしか見えない
https://www.youtube.com/watch?v=ItWOtW7E-xc

57 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 12:43:05.53 .net
神道式の墓?って神社にあるの?

58 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 13:54:01.49 .net
>>45 そのくらいは普通のことで普通の墓だよ。
明治時代くらいまでは個人の墓が殆どだったけど、大正時代に入ってから 〇〇家代々の墓と書いて3世代くらいは入るのは普通になってる。 そうしないと土地が足りなくなったからね。

うちは筑後地方だが、江戸時代以前の墓は整理して祖廟を建ててそこに納骨したみたい。 一軒家みたいな作り。
https://i.imgur.com/9ZlRz1j.jpg
この右手の山の上には明治時代以降の墓石が並んでいる

戦国時代以前の墓石はまとめて本家の周りに祀ってる。
https://i.imgur.com/Z9oqNue.jpg
年に1度先祖を供養する

全て一族の墓、寺で葬式はあげてもらうが墓は一族の墓地で弔う。

59 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 14:01:59.99 .net
>>45 大正時代以降は3世代くらい入る墓は普通だよ。
それは納骨堂とは言わない。 普通の墓

明治時代くらいまでは個人(しかも夫婦個別)の墓が多かったが、大正以降は
戦死者が多かったり墓地が少なくなってきて 代々の墓 形式が多くなった。

うちは江戸時代以前の墓は整理して祖廟でお祭りしている。
https://i.imgur.com/7SotkSb.jpg
右奥の白い建物

60 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 14:07:06.32 .net
大正以降の墓に3世代くらい入るのは普通だよ。
親戚が多くなって骨壷が入らなくなると骨壷から骨だけを中に散骨する。

うちは福岡県だけど、江戸時代以前の墓は整理して祖廟でお祀りしている。 明治以降の墓石だけが並んでいる。

戦国時代以前の墓石は本家の周りに集めて祀ってる。

所でimgur にアップした写真を投稿しようとすると投稿できないんだな。

61 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 14:08:44.31 .net
祖廟
https://i.imgur.com/3fiP4r9.jpg

62 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 14:10:43.86 .net
論文の「弥生人の起源(Origin of Yayoi people)」の項を要約すると

- 日本人に遺伝的に最も近いのは韓国人
- 日本人と韓国人の分岐はおよそ3000年前に発生したとする説が有力
- 無文土器時代の朝鮮南部と、弥生時代の九州北部に共通した文化があり、考古学的にも裏付けられる
- 日本人と韓国人は、西遼河・黄河・長江の古代集団のいずれにも遺伝的に関連している
- 稲作は長江から伝播したが、長江付近の古代集団(XitoucunとTanshishan)は日韓の遺伝的基盤に実質的に貢献していない
- 黄河流域の古代集団(BianbianとBoshan)は、現代中国人よりもツングース寄り
- 弥生人は現代韓国人よりもツングース寄りであったかもしれない
- 縄文人・韓国人の2方向モデルよりも、縄文人・韓国人・ホジェン族の3方向でテストしたほうがより精確に日本人をモデル化できる
- いずれにせよ、現代日本人の縄文要素は10%程度である

 長江サンプル - 曇石山文化 (Xitoucun and Tanshishan sites, ~2500-2000 BCE) ※福建省のサンプルで代用
 西遼河サンプル - 紅山文化 (Hongshan culture ~3300-3100 BCE) 夏家店下層文化 (Lower Xiajiadian culture ~2000-1600 BCE)
 黄河サンプル - 龍山文化 (Longshan culture ~2100-2000 BCE) 後李文化 (Bianbian ~7600-7500 BCE) (Boshan ~6400-6100 BCE)

Figure 3. Principal-component analysis of present-day and ancient East and Northeast Asians.
https://www.nig.ac.jp/nig/images/research_highlights/PR20210331_04.jpg

Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data
doi: https://doi.org/10.1537/ase.201215

63 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 14:17:40.54 .net
ごめん何度も投稿されてたみたいだなBB2C だと全く反応なしだった。 今はchrome ブラウザで見てる
失礼しました

64 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 15:31:10.55 .net
気にせずとも良い。

65 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 15:52:35.69 .net
テスト
>>57 神道式と言っても難しいな。
うちの本家は神社を守ってるけど、特に神道式で葬式をあげることもなければ、神社の森の中に墓があるわけでもない。
葬式は寺で(臨済宗)、墓は自分たちの土地に(それが神社の土地かどうかは知らんが、土地が足りなくなったら周りの地主から買って増やしてる)

神仏希釈があり、神社に仏像が祀られてたりしてたから墓も混乱した時代があったんじゃないのかな。
でもあまり神社にある墓というのは聞かないな。
大昔の巨石信仰時代の墓はあるが。

66 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 09:07:26.90 .net
>>37
個人の家で納骨堂なんて作るわけない。
墓というものは、あまり大きいのは作らないというのが常識。
死んだら入るわけだから、「はいはい遺骨入れる場所はいくらでもありますよ、
どんどんいらして下さいねー」みたいなことになるから縁起が悪いの。
家の人間がいくら死んでもバッチリ準備OKですよ、みたいなことはやらないんだわ
そもそも墓なんか立派でも意味ないだろ。

多磨墓地は正門から入ったところに偉い人の墓があるけど、そんなにたいした
ことないぞ。東郷平八郎みたいな国家に功労ある人は地面を広くもらえるのか
地所が広いので立派に見えるが墓自体は質素なものだ。
三島由紀夫の家は華族様だがごく普通の墓。

67 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 10:23:02.94 .net
納骨堂は一般的に屋内に沢山の人の納骨ができる場所
他人と暮らすマンションに近い

墓は、一軒家

廟とは
死者を祀る宗教施設。特に各親族集団において祖先を祀るものをいう(仏壇など)。霊廟。祖廟。

68 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 10:34:58.04 .net
三島通庸は華族だけど、三島由紀夫は華族ではないよ。
三島由紀夫も宍戸松平家の血をひいてるから、華族の遠縁ではあるけど。

69 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:03:25.41 .net
>>66
個人の家で納骨堂なんて作るわけない。
と言われてもこちらとしては厳然と存在してる訳だから困るな
どうしても認めたくないなら別にそれでも良いんだけど
今の一般の納骨堂を考えるからおかしくなるわけで、そうじゃない場合もあるというただそれだけのこと

70 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:10:30.36 .net
三島由紀夫は平岡家で華族でも何でもない。
原敬に三島の祖父が華族にして貰うようねだったりしたが結局なれなかった。
もっといえば華族の血も引いてないしな。

71 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:14:05.36 .net
そういえば三島の娘婿が駐米大使に異例の昇格と記事になってたな

72 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:17:00.46 .net
みんなは父方と母方両方祖先調査してるの?
父方だけ?

73 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:47:54.93 .net
>>72
とりあえず父方から辿ってる

74 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 11:48:28.32 .net
歴史を塗り替えることしないで先祖誇ってても先祖は喜ばないぞ

75 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 12:29:40.21 .net
ワシの家系は寛政までしか遡れぬ。
それ以前の過去帳は焼けてしまって寺にも残っとらん。
こういう場合はどうするのじゃ?

76 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 12:48:19.13 .net
わしわミトコンドリアDNAで祖先はマンモスハンターとわかったぜ。

77 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:05:09.55 .net
>>70
昔は五位以上の位階を持つ者が殿上人(公卿)とされた。
従五位下の者でも一応公卿。
三島の祖父の平岡定太郎は正三位(しょうさんみ)勲三等。
正三位というのは爵位としては伯爵に相当する。
ただし、定太郎の出自は庶民。

定太郎の妻の夏子は幕府の旗本で外国奉行や軍艦奉行をつとめた永井尚志の孫。
永井は生きているときは従五位下・玄蕃頭であったからそれだけで官位としては殿上人。
死んでから正五位。
永井は養子で、三河奥殿藩主松平乗伊とその側室との間に生まれた。
だから三島由紀夫は大名の血筋を引いているはずなのだが、
夏子の父親は養子なので、残念ながら三河奥殿藩主の血筋は引いていない。

ただし夏子の父親(三島由紀夫の曾祖父)の永井岩之丞は大審院判事で従四位。
位階の上では玄蕃守以上に出世した。
岩之丞の妻・高(夏子の母、三島由紀夫の曾祖母)は常陸宍戸藩主松平頼位の娘である。
だから三島由紀夫は大名の血を引いているといえる。
常陸宍戸藩は徳川光圀の弟が立てた水戸藩の支藩である。
松平頼位の二男・頼安(高の兄にあたる)は、従二位、明治17年に子爵。
高の実家は華族ということになるから、三島は華族の血を引いているといえる。
だから
>もっといえば華族の血も引いてないしな。
は間違い。

三島は係累がすごい人ばっかりなので華族だと思っていたが、華族の血は引くが華族ではない。
正三位などであっても爵位は受けていない。
正三位なら問題なく公卿だが、それは昔の話であった。
三島は学習院初等科に入るときに、華族でないので紹介者が必要となり、上記松平頼安が
紹介者・保証人となったそうだ。

78 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:21:11.11 .net
>>69

>>46 のこの文書に書いてあるじゃないか。

「現在の多くの墓は 、墓 石の下 にカロートという納 骨 室 を設 置しており、火葬骨を追葬できる点に
特徴がある。この形式が普及していったのは昭和初期以降であり、墓地の集約化や無縁化対策として
生み出された都市的な様式であった。」。

石材で作った墓でカロートを備えたものは、昭和初期以降に登場したものだ。
それまでは石造りの墓でもコンクリートの土台も作らず、土の上に置くだけだった。
(だから昔の古い墓というのは傾いているのが多い)。
カロートなんてものはなく、(土葬でない場合)遺骨は土に埋めた。
どうやって埋めたかというと、遺骨を砕いて粉のようにして細長い麻の袋に入れ、
細長い穴を掘ったところにザーっと流し込んだのだ。
俺は実際に見たことがある。
俺の親戚の家は商売上京都とのつながりが強く、そちらの方のやり方でやってた。
遺骨を流し込んだあとを埋めるのは高野山の砂だと言っていた。
納骨には京都から特別に葬儀屋を呼んでこなければならず、100万円余計にかかるとぼやいていた。

高野山の砂とかは一般的ではないかも知れないが、カロートに入れるのでない場合は
遺骨は墓の土の中に埋めたのだよ。骨は長い間にはなくなってしまう。
どちらかといういと散骨に近いかな。

大正元年に納骨堂だってw さすが庄屋馬鹿

79 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:26:25.02 .net
それ結局は三島が爵位を持つ華族の血は引いてないということだろ
しかもウィキの内容を長々とコピペしてるだけ

80 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:40:36.33 .net
>>78
だから墓石の下にあるカロートじゃなくて独立した納骨堂だと何度言ったら分かる?
さっきから一般的な墓石のことを力説して「そんなのあり得ない!」と言ってるがそれとは違うんだよ
実名の寺出すけど吉祥寺にも同じ頃に建てられたウチと同じような個人の納骨堂立ってるから見てきたら?マジで
最後に庄屋じゃないのに庄屋馬鹿というのも意味不明

81 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:43:31.00 .net
納骨堂の話はもうお腹いっぱい
しかもスレチ

82 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:43:53.96 .net
三島の曾祖母の高の実家は華族なんだから華族の血を引いているだろ。
子爵だよ。

>しかもウィキの内容を長々とコピペしてるだけ
ウィキは活用した。だがコピペではない。
そんなこと言うなら、お前も最低ウィキくらいちゃんと目を通せや低能

83 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:50:35.33 .net
>>82
で、結局爵位を持つ華族の血は引いてないということだろ?
子爵の血は引いてないのは間違いないからな

84 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:52:20.83 .net
何でこんな殺伐としてんの?
そんなことより>>75の疑問に誰か答えてくれ!

85 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:52:27.51 .net
>>82 は >>79 へのレスな。

>>80
カロート型の墓もまだ出来ていない時代なんだよ。
遺骨を墓の中に納めるということが行われていない時代なの。

はじめから独立の納骨堂の話をしてるだろうが。

カロート型の墓もないのに個人の家の納骨堂なんかあるかっちゅうの

86 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:57:15.69 .net
>>85
だから実際に行って見ておいでっていってるの
吉祥寺に
そして見に行って後ここで申し訳ありませんでしたと謝罪してね
こちらは本当のことを言ってるのにも関わらず嘘だのいい加減だの馬鹿呼ばわりしたんだからな

87 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:58:50.97 .net
>>83
なんて馬鹿なんだwwww

ひい婆さんが華族の家の出なんだから華族の血を引いてるだろうが
水戸徳川家の分家だぞ
水戸光圀の弟の系統
水戸徳川家は徳川家康の十一男である徳川頼房が家祖。
11代の頼安が明治になって子爵に列せられたんだよ。
これで十分だろボケ

88 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 13:59:43.98 .net
>>86
吉祥寺 て何?

89 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:05:05.83 .net
>>88
寺の名前

90 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:08:15.34 .net
ワシの家系は寛政までしか遡れぬ。
それ以前の過去帳は焼けてしまって寺にも残っとらん。
こういう場合はどうするのじゃ?

91 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:12:06.15 .net
寛政(1789年から1801年)
ここまで遡れれば十分じゃね?
俺は文政までで止まってる

92 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:17:20.95 .net
>>89
どこの吉祥寺だよ
あっちこっちにいっぱいあるぞ

93 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:17:26.63 .net
自分が死んだら太宰府天満宮に葬られたい…。

94 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:26:55.24 .net
>>92
本駒込の吉祥寺だから、マジで行って見て来いよ
大正時代でも個人家の納骨堂建てられていたということが分かる

95 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:28:40.08 .net
>>93
菅原文太?

96 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:35:55.10 .net
???「誠意って何かね?」

97 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:49:59.91 .net
>>49
うちの田舎の墓は、ほとんどの家はお前が言うようなやつだ。
昭和か、もしかすると戦死者が出て初めて墓石を建てたようなのが多い。
うちの先祖は古いからか、江戸時代の墓がある。
正確には、途中から読めないからいつからあるのかわからん。
明治以降の先祖の墓は、小さい夫婦墓になってる。
一族みんな同じ状態だ。墓石で誰の墓かわかる。
で、近年になってみんな○○家の墓を建てるようになった。
土葬が終わって火葬になったからだな。

いつからそこに住んでいるのか。
よくわからんw
神社を建てた(建て替えた)時の資料が残ってて、
戦国時代のものだった。
立派な神社を建てたことをお殿様が褒めてくれた資料もある。
そこにはいくつかの名字のある名前が記されている。
今も同じところに子孫が住んでいる。
まあ限界集落に近くなったけどなw
誰もいなくなったらこの墓とお寺はどうなるのだろう。

98 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 14:57:20.12 .net
>>96
カボチャですね。
今まで書き込まれてる見てもなんのことか分からなかったけど
昨日のバイキングで北の国からのセリフだと初めて知った

99 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:15:45.02 .net
皇族って生まれた人はもちろん
外から嫁いできた人も全員〇〇子って子がついてるけど
これから子がつく女性なんてほとんどいなくなるのにどうなるんだろうか

100 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:21:19.32 .net
>>69 納骨堂と命名してるの? だとしたら格段におかしな話。 納骨堂が広まったのは昭和に入ってからだよ。
どんな形をしてるの? そこの墓名にはなんと書かれてるの?

普通の墓だろうが。 誰が納骨堂と言い出したんだよ。
何百人入るんだよ。 屋外だとしたら法名塔の大きさも巨大になってると思うけど。

>>80 家族の墓だったら納骨堂だなんて言わないんだよ。
>>86 自分で写真くらい撮ってるだろ、隠すところは塗りつぶしてアップすれば理解が深まると思うよ。 もしかして寺の納骨堂に自分の祖先が入ってるという話かな?

101 :100:2021/04/17(土) 15:21:25.19 .net
100

102 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:25:07.10 .net
スレチ基地外発狂するのもいい加減にしろ
納骨堂とか華族の話題とかどうでもいいんだよ
スルーしてたがマジで長文連投ウザい
別スレ立ててやれ

103 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:37:05.55 .net
ここって何のスレだっけ?

104 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:42:46.55 .net
自分の場合は、天明2年(1782)が一番古い記録。
この年に、高祖父の祖父が亡くなっているが、俗名は分からない。
本家筋に手がかりがない限り、これ以上は調べようがないな。
もっとも、その本家筋がどこにいるのか分からないんだが。

105 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 15:53:09.79 .net
墓石は先祖探しのヒントを与えてくれるから、まるっきりスレ違いではないと思うよ。

小さい頃墓参りした時に自分の苗字の漢字と違う同音の墓石があった。 母親に聞くと多分分家の人かなんかじゃないの? とか言ってたからそうなんだろうなと思ってた。
所が、 戸籍を遡ってみたら、自分の直系だった。

墓石は、同音異形、戸籍は正式漢字。

うちの苗字は旧漢字では字画が多かったから簡易的に同音異漢字を使うのが習慣になったのではないかと想像する。
戦後、当用漢字ができてからうちの一族は全員旧漢字から当用漢字に登録し直した。 おかげで比較的書くのに楽をしてるかな。

106 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:02:11.38 .net
関係ない話になるが、思い出したことがある。市内に同姓が固まっている農村地域がある。
聞いた話だと、明治の新姓の時、地主が小作人に同じ姓を名乗ることを許したが、
自分の家系は旧字体を使うのに対し、それ以外には新字体を使わせたらしい。

107 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:30:30.35 .net
>>87
おまえの定義だと松平恒雄も「華族」ということなるな

108 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:32:04.91 .net
マジで過去帳焼けたらどうすんの?
墓碑を辿るといっても限界あるし

109 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:41:51.82 .net
>>94
駒込の吉祥寺は空襲で丸焼けになった。
もしそれ以前からあるなら納骨堂だってコンクリが駄目になるはず。

大きな寺だから納骨堂はあるだろ。だがそんなのを個人の家で建てるかよ。
個人の家で納骨堂を作るほど死人が出るのかよ。

百歩譲って何かの事情で納骨堂を作った家があるのかも知れない。
田舎の古い家で先祖代々の墓を整理して、土葬の墓も骨を掘り出して火葬し直し、
何から何まで一挙に駒込の寺に持ってきたとか。
ただ、そういうことをしたとしても、納骨堂を作るなんざ昭和に入ってからの話だ。
個人が納骨堂を作るなんておそらく戦後もしばらく経ってからだろう。

お前の家は大正元年からまだ三代しか入ってないんだろ。
何の必要があって納骨堂なんか作るんだよ。おかしいわ

110 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:45:29.57 .net

マジで長文のコイツウザい
職場で一人浮いてても気づかないおめでたいやつか
スレの流れ読めや少し

111 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:48:54.90 .net
俺の家系は文政12年までだ。
それ以前は分からない。
大体の家がそうだと思う。

112 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:49:08.83 .net
>>107
三島由紀夫は華族の血を引いているのは間違いない。

113 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:51:55.37 .net
>>112
11代の頼安が明治になって子爵に列せられたんだよ。
三島由紀夫は頼安の血を引いてるの?引いてないよな?
これは有爵者である華族の血を引くとは言わないんだよ

114 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:53:35.61 .net
>>112
>>113
荒らしまとめてどっか行け

115 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 16:57:03.93 .net
>>110
墓地や墓の様式などのことは知っておいた方がいいぞ。
数年前、俺の母親の実家の墓が少し傾いてきたので、墓石屋に直してもらった。
その工事のときにいろいろ墓のことについて説明を受けた。
知らないことだらけだったわ。
それ以降、他の家の墓などにも多少関心を持つようになった。

古い墓のことなんか、ほんとに何も知らなかった。
少しは勉強しないと、自分の家の墓だってちゃんとは管理できないぞ。

116 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:04:39.95 .net
11代松平頼安は華族だが、厳密にはその父の10代松平頼位は華族じゃない。
ヨーロッパ(特に大陸)では一族全てが貴族だが、日本では爵位がある人間のみが華族とされた。
それが後に範囲が規則によって拡大されて当主の配偶者と子女は華族という族称を名乗ることとなった。
松平頼位に関していうと華族令施行の頃には既に隠居の身だった。
三島由紀夫は諸侯の血を引くとは言えても華族の血を引くとは言い難い。

117 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:04:44.99 .net
>>113
うるせえこと言うな糞が。アスペルガーかお前は
曾祖母の実家が華族に列せられたんだから、その血を引く三島は華族の血を引いていると
いうことでいいじゃないか。
子爵とされた頼安と曾祖母の高とは兄と妹だ。
高が嫁に行った後だって華族でいいんだよ。

頼安の血を引いていなければ華族でないというのはおかしい。
この松平子爵家の人間はみんな華族だ。

118 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:12:40.23 .net
>>117
例えば山田伯爵家に2人の男子がいたとして、
長男は父の跡を継ぎ爵位を継ぐから変わらず華族。
しかし次男は家を継げないため山田伯爵家から分家して平民になる。
娘にしても嫁ぎ先が爵位持ちの人間なら結婚後も華族だが、相手が平民なら結婚後は平民になる。
山田伯爵家の人間はみんな華族だなんてことは法律上言えないのだよ。

119 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:19:10.81 .net
>>117

子爵とされた頼安と曾祖母の高とは兄と妹だ。
高が嫁に行った後だって華族でいいんだよ。

あのー、族籍って知ってます?

120 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:35:41.87 .net
>>118
そりゃそうだ。徳川慶喜は明治になって公爵にしてもらった。すでに徳川将軍家の慶喜の跡取り家達が
公爵になっていたので、さらに慶喜を公爵にできない。だから別家を建てさせた。徳川慶喜家というらしい。
慶喜の九男がさらに子爵を授与されたので慶喜は皇居にお礼に伺い、そこで風邪が悪化して肺炎になり
死んだ。

天皇の娘も皇族に嫁がない限り、嫁にいけば皇族でなくなる。だから降嫁という。
正確には臣籍降嫁。眞子さんが小室様と結婚すれば一般国民だw

お前の言ってることなんざ誰でも知ってるわ。
それをわざわざ華族令だの引っ張り出してシッタカするとは大馬鹿だわ
三島の場合は徳川家から繋がってるし、歴代官位のある人間ばかりなんだから華族と呼んでも
あながち間違いではない。うるせえこと言うな。

伊藤博文なんか公爵だぞ。爵位の最高位。だからその子供も孫も公爵になるわけだが、
伊藤の家なんざ仲間という足軽より下の最低の身分だった。
それでも公爵様で通るんだから三島の場合は華族でよい。
アスペルガー爺イは黙っておれ

121 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:49:36.21 .net
なんか発狂してて草

122 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 17:52:01.53 .net
お爺さんが 草 だってw

123 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 18:07:30.10 .net
華族についてpart13
https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/history/1612615127

124 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 18:14:05.94 .net
このスレと三島由紀夫と関係あるか? 誰か関係者でもおるのか?

125 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 18:21:50.33 .net
>>124
全くないよ
三島は華族だと言って譲らない頑固ジジイが暴れてるだけ

126 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 18:44:58.12 .net
慶喜の九男は男爵家な。徳川姓の子爵家は、昭武の子の武定のところだけ。

127 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 19:47:09.87 .net
>>126
あ、そうそう。慶喜の肺炎のきっかけになった九男の叙爵は男爵。
5ちゃんだもの、小さいことは推敲はせず書き飛ばしてるんだからしょうがないわな。

しかし、お前いちいち目くじらたててご苦労さんw
世の中には面白いのがいるな〜〜〜w

それと、俺は三島由紀夫の親戚でもなんでもないんで華族でなくてもいいんだが、
三島が「貴顕」であることは間違いないよ。
戦前から戦後の30年代まで、社会の支配層の優雅さや退廃を書いてくれた。
貧乏くさい小説はいくらもあるが、「鏡子の家」みたいのは三島でなければ書けない。
短編だが「獅子」も素晴らしい。
ま、他人の揚げ足とってないで少しは読んでみなさいよ、ケツの穴爺さんたち

128 :日本@名無史さん:2021/04/17(土) 21:07:14.39 .net
木下利玄だったらもめずにすんだのに。

129 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 15:31:29.46 .net
>>115 今ある墓に入るのはタダだけど、法名塔に名前を刻むのは1文字1万円だか1.5万円かかると兄に言われたな。

それ以上に寺にいろいろやってもらう費用が馬鹿でかいな。
今時法名なんていらないと思うんだけど。 まだ寺が過去帳をしっかり管理してて祖先をたどれる状態ならそれなりの価値はあるがうちの寺は法名と実名が書かれてるだけしか管理して嫌がった。 それってなんなんだろ?

その内デジタル暗号化法名塔なんてのができるのかな。
お骨なんて大さじ一杯くらいでも良いんだし。

130 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 17:39:22.15 .net
墓じまいをするのにも金がかかるからな。
こないだ神戸の須磨寺へ行ったが、「連絡ください」という張り紙が張られた墓がけっこうあった。
一定期間が過ぎれば、処分されるみたいだ。

131 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 21:46:36.97 .net
うちは坊さんに葬儀に来て貰って戒名もつけてもらって80万。(葬儀屋に払う金とは別)
お墓に納骨するときの読経代として8万。
四九日法要で6万。
墓は寺とは別にあったのでよかった。
寺の墓苑に墓を買うと、墓を人質に取られたようなもので坊主にぼられまくるという。
後で坊さんが気に入らなくなっても墓があるので寺を変われない。
今の坊さんは気に入っていても、息子の代になってとんでもなくなるとかあるから
これから買う人は絶対寺の墓苑は買ってはいけない。
寺の墓地だと墓じまいのときでも数百万要求されたりするらしい。

過去帳は、あったとしてもある程度包まないと相手にしてもらえないだろう。
坊主ってのは金やらないと動かない。

132 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:03:38.34 .net
大麻解禁して仏教をアップデートしたほうがいい
昔はお経を唱えUFOとかよんでた

仏典にもUFO出てくる

133 :日本@名無史さん:2021/04/19(月) 07:00:55.68 .net
>>106
家紋に本家は丸がつかずに分家は丸が付くみたいな話か

134 :日本@名無史さん:2021/04/19(月) 07:08:03.68 .net
>>104
遠い分家が郷土史家で文書を読める人がいて
自費出版で出した本にうちの成り立ちが書いてあった
巡り合わせだな
本家筋がうちでそこから5つの苗字が派生しその人はそこから派生したと
案外分家筋が由来を覚えていたりするんだと思った
案外

135 :日本@名無史さん:2021/04/19(月) 09:55:00.20 .net
徳川将軍は世の中の悪事を懲らしめるために日本を統治していた最初の将軍だと思う

今の日本見てるとよくわかる

136 :日本@名無史さん:2021/04/20(火) 01:42:57.68 .net
>>135 ?? 魏志倭人伝にも倭人は犯罪に対して厳しいと書かれてるよ。

137 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 01:10:53.32 .net
ここのスレ違いかもしれないが、
医師の内海聡さんは、
神武天皇も天智天皇も天武天皇も、
日本人ではないと言ってるな
朝鮮、中国、古代ユダヤの血だと。天皇家は。
縄文時代、古くは旧石器時代、もっと古くは先史時代かもだが、
原日本人って、もういないかもしれないね。
内海聡さんは、とんでも医師といわれてるけど、
ちゃんと科学データに基づいていってるんじゃないかな
あと、
清和源氏だっけ、は北朝方、
桓武平氏は南朝方らしいよ
それから、
これは他から聞いたけど、
明治天皇以下は、南朝らしいよ
家は、
父方橘家、血筋は多分藤原氏、
母方は源氏だけど、
ちょっと内海さんの話聴いて、
家に誇りを持てなくなったし、
そもそも日本人でもないのかあと思った。

138 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 01:13:02.76 .net
いつもの変なやつだから、
スルーしてもらっていいんだが、
日本の血筋を考える参考にしてくれい

139 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 10:29:58.71 .net
参考になんかなるかよ、そんなガセネタよく引っ張ってこれるな

140 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 22:06:51.39 .net
先祖探しの旅というのは自分探しの旅でもあるんだよね。自分の幼稚園時代があやふやになり始めてて、幼稚園の名前さえ思い出せなくなってた。 所がある日
寝ててはっと名前を思い出した。
Googleで検索してみるとちゃんとその場所にあった。

MPのジープが走り回って後をついていく子供達にチューインガムを投げ与えてたけど、自分は自尊心から一度も拾ったことはなかった。

141 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 23:28:30.75 .net
うちの先祖が住んでいた村は現在では河川敷になっているようです。登記情報では明治44年内務省が買収、となっていました。そのような土地でも旧土地台帳は閲覧できるのでしょうか。

142 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 23:59:56.47 .net
ひいじいさんが住んでた土地が集会所だった
ひょっとして元隣保館でそのまた昔は、、、やめとこ

143 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 06:48:35.86 .net
>>140
野坂昭如は、アメリカの兵隊からチョコレートを貰った奴なんか見たこともないと
書いていたけどな。
ギブミーチョコレートなんて言ってるところを見たこともないし、そういうことを
したと言う奴と会ったこともない。
アメリカ兵がジープからチョコレートを投げるところも見たことがない。

144 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 13:05:17.85 .net
戦後は悪の巣だらけになった

145 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 13:09:09.99 .net
高度成長期はその実態が具現化して殺人事件のニュースばかり増えてきた

それから現代、もう人々はその精神の中に悪霊が潜んでることすらわからなくなり、人が変わってしまった

戦前は日本国は世界統治として悪霊と戦ってたはずだ

146 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 14:46:00.27 .net
三種の神器が
冷蔵庫、クーラー、テレビみたいのに変わっていったのだが果たしてこれでいいのだろうか

147 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 15:50:54.51 .net
>>143 そりゃ基地の近くに住んでいなかったからだろ。
自分は福岡の大濠公園のそばに住んでた。 毎日B29 が頭の上を飛び回り、自分が通っていた幼稚園がバプテスト教会附属だったから教会にお祈りのためか毎日MPのジープが行き来してた。
子供が後ろを追いかけるとチューインガムを投げてた。 チョコレートを投げてたかどうかは知らない。 一度も追いかけたこともなければ拾ったこともないから。

当時町内で幼稚園に行ってるのは自分1人だったから、町内の友達と遊べなくなるのが嫌で嫌で仕方なく、行く途中で隠れたりしてサボることも多かった。
昔はよかったな、高校生から幼稚園生くらいまでみんなで遊んでた。 隣町と戦争ごっこも多かった。 弓矢が目に刺さったりして学校からは禁止されてたんだけど。

148 :日本@名無史さん:2021/04/25(日) 09:46:36.97 .net
戦後間もない福岡か。
それじゃこういう動画は懐かしいかな。
https://y-ta.net/the-postwar-days-of-fukuoka/
真ん中の動画。

なんでMPのジープが毎日来てたのか分からんが、
チューインガムを投げてたという理由は、
1.毎日来ていたということと
2.教会付属の幼稚園の園児たちだったということが  大きいだろう。

1.毎日来てて、帰るたびに子供たちが後をついて走ってくれば、それは
子供たちに親愛感を持つし、可愛く思うようになるだろう。
その頃の子供は自動車なんて身近に無いから、ジープそのものが珍しく、
ジープが停まっているときは興味津々で近づいて行ったろうし、帰るときには
後を追っただろう。
2.米兵は日本人なんぞ見下していたが、クリスチャンとなると話は別だった。
今でもアメリカでは人種差別があり、コンビニに東洋人が並んでいても無視して
横入りするアメリカ人は普通にいるという。
抗議しても無視。そこは外人の図々しさで歯牙にもかけない。
しかし、アイムクリスチャンというと態度が変わるという。
そうか悪かったみたいになって言うことを聞く奴が多いらしい。
東洋人でもキリスト教徒は別で同類として扱おうみたいな意識があるみたいだ。
その幼稚園は教会付属だったので、クリスチャンの子供たちと思われていたのでは
ないかな。
米兵だって人の家に行くときはお土産(プレゼント)を持っていくだろうし、その家に子供が
いればお菓子をあげたりもするだろう。
人間として当然の礼儀で、幼稚園児にガムをあげたのはそれと同じようなことだよ。

149 :日本@名無史さん:2021/04/25(日) 09:47:33.20 .net
幼稚園の中にジープが毎日来ていたから子供たちも近づいたので、普通は子供でも
米軍の兵隊には近づかなかった。
いわゆる進駐軍によって日本人が被害を受けるのは、米軍車両による交通事故が多かった。
米軍の車は占領軍意識丸出しで、ドケドケとばかりにノンストップで走り回った。
米兵の運転も乱暴であったが、信号機がほとんどなく、日本人も車との共存に慣れて
いなかったのが原因であった。
調達庁が同34年度に全国的実態調査を行い、その同年4〜6月の第1回調査によれば
被害者は全国で7578人、このうち1039人が何の補償も受けず泣き寝入りになっている。
被害者の内訳は、死亡3403人、負傷3772人、その他403人。
加害者のほとんどは米兵で、被害の8割以上が米軍車両による交通事故。
交通事故以外の実例として、同20年11月、奈良市の地方公務員(25)が春日大社の境内で米兵に
日本刀で刺されて即死し、29年までに6万3000円だけ補償金が支払われたというのがある。
俺が聞いて知っているのは死傷事故とは関係ない話。
銭湯の女湯に米兵たちがドカドカ入ってきてヒューヒューと騒いでどうにもならなかったというのがある。

150 :日本@名無史さん:2021/04/25(日) 13:05:24.26 .net
今の政治家見てるとその失態がよくわかる

151 :日本@名無史さん:2021/04/25(日) 13:06:44.45 .net
俺が総理大臣だったら米国は日本の神社だらけになっていた

152 :日本@名無史さん:2021/04/25(日) 13:28:12.08 .net
>>149 幼稚園の中にジープが入るところは見た事ない。 幼稚園への手前の道200〜300m 離れた所でチューインガムを巻いてた。 西公園に続く道
子供が追いかけられるくらいのスピードだから乱暴な運転はしていなかったよ。

福岡進駐と接収統制
http://www.asocie.jp/reizen/history/02.html

福岡地区に進駐した米軍は総数約4500人と推定され、軍司令部は東公園の旧一方亭に、軍政本部は天神町の千代田ビルに置かれた。旧軍関係施設や軍需工場なども占拠され、席田飛行場は同年10月に米軍に接収され板付空軍基地となった。

 博多港からは大陸からの引き揚げ者や復員兵が続々と集まり、博多駅前は復員兵や不穏な動きを監視するジープの米兵、出迎える人々で常に一杯の状態であった。
米兵はジープで市中を走り、子供たちに近づいてはチューインガムやチョコレートを与え、大人には煙草を配って接触をはかったので、市民と米兵との間には親しみが広がっていった。

、、、、、
朝鮮戦争が始まると好景気に沸いた。小さな鐵工所を営んでたうちにもトラックが2台も入り川砂を採取して納めてた。 保証人になったばかりに夜逃げをする羽目になったが。

153 :日本@名無史さん:2021/04/26(月) 05:44:07.97 .net
>>152
>>147 の記述
>自分が通っていた幼稚園がバプテスト教会附属だったから教会にお祈りのためか毎日MPのジープが行き来してた。

この文章だと幼稚園に毎日ジープが来ていたように読める。
幼稚園の前の道までは来ていたんだろ?それも毎日。
それに続いて
>子供が後ろを追いかけるとチューインガムを投げてた。
で、これはどこでやってたかというと >>152 によれば
幼稚園から200〜300メートルも離れた道路でのことなわけだ。

教会に来たジープがそこでガムを投げてたのか?
それだったら「一度も追いかけたこともなければ拾ったこともないから」というのは当たり前だ。
幼稚園からそこまで追いかけるわけがない。そもそも幼稚園から外に出られないだろ。
200〜300メートル離れたところでジープを追いかけ、ガムを拾っていた子供たちは
幼稚園児とは関係がないのかな。
でも、そうすると一度も追いかけたことも拾ったこともなかったというのはあなただけの
ことじゃなく、あなたのいた幼稚園の園児全てがそうだったわけか。
あなたの言ってることはわけが分からない。


>子供が追いかけられるくらいのスピードだから乱暴な運転はしていなかったよ
子供が追いかけられるくらいのノロノロ運転なんてあるかよ。
今だってそんなスピードで走ってる車はない。

154 :つづき:2021/04/26(月) 05:47:06.70 .net
博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ の文中
「米兵はジープで市中を走り、子供たちに近づいてはチューインガムやチョコレートを与え、大人には
煙草を配って接触をはかったので、市民と米兵との間には親しみが広がっていった。」。

これは実際に体験した人が書いているわけではないわな。実際の話なのかな。
米軍は被占領民と接触をはかる必要はないし、物を与えるということもないはず。
今まで物を与えて懐柔したなんてことをした占領軍はないと思う。
一部の人にだけ物を与えると、貰えなかった人たちから反発を食らうという危険もある。
もちろん人道主義的な食料援助(ララ物資など)は別である。
食料援助は相手国の政府に引渡し、そこから分配する。子供の給食の制度が出来、
そこで脱脂粉乳などがふるまわれた。日本だけでなく、中国や朝鮮も同様の給付を受けた。

アメリカ軍作成の報道フィルムにチョコレート配りの動画がある。
映画館などで映画の合間などに上映された。
https://ima.goo.ne.jp/column/article/2642.html

アメリカ軍は正義の軍隊で、民主的で慈悲深いというイメージ形成を狙って作成されている。
やらせの場面も多い。
チョコレートなどを子供に配っているシーンなどは「やらせ」とまではいかないかも知れないが、
こうなることを狙って撮っている。
ただし、こんなに子供がいるのは不自然。お膳立てはしてあるよな。

155 :つづき:2021/04/26(月) 05:47:39.71 .net
おそらく「ギブミーチョコレート」の記憶は、昭和30年代前半まで繰り返し映画館で見せられた
報道フィルムの記憶なのではないか。
野坂昭如の例の文章に出会ってから、周囲の年配者に聞いてみたが、みんな笑いながら
見たことないと答えたけどな。
上野などには、お金ちょうだい、お腹すいた、なんか頂戴、とねだる戦災孤児が溢れていた。
雑踏の傍らに餓死した浮浪児の死体が転がっていた。
そういう記憶とごちゃ混ぜになってるのかも知れないな。

上記ページから飛べるこのページ
DDT散布、やらせシーン?、謎の顔面アップ…昭和21年の復員兵たちを映した動画が興味深い
https://ima.goo.ne.jp/column/article/3958.html

ソロモン諸島からの帰還兵が冬服の軍服を着ていたり。
日本国内で終戦を迎えたはずの部隊がいたり、おかしなことばかり。

156 :つづき:2021/04/26(月) 07:21:14.29 .net
>>154 >>155 ともに動画からの切り出し画像がズラズラ並んでいるが、
画像の一番下に動画がある。

154の動画 Japan: Our Far East Partner - The Big Picture(極東アジアでの朋友:日本【ザ・ビッグ・ピクチャー】)
チョコレート配りの場面は17分ぐらいから。
地面に投げて拾わせるというのは避けて、袋からの手渡し

155の動画  【動画】「Japanese Repatriates Otake 03 09 1946 」 は何とも奇妙な帰還兵や元軍人が
写っている。

157 :日本@名無史さん:2021/04/26(月) 10:32:04.99 .net
完全なスレチ論争が繰り広げられてて草

158 :日本@名無史さん:2021/04/26(月) 14:09:15.04 .net
全体的に時代の流れを一緒くたにしてる。
先ず>>143 野坂昭如は1930年生まれで終戦時にはすでに15歳朝鮮戦争が始まった歳は20歳そんな子供にガムを与える米兵はいない。またその時代の子供は少なかった。
ガムを与えるのは小学校低学年までくらいの小さな子達にだよ。

いろんな写真が、戦後の1945〜46年とか、朝鮮戦争が始まった1950年後とか入れ混じってる。
まず第一に戦後直後は混乱期だから米兵にもガムを配るなんて余裕はない。

また日本全国どこでもガムを配りまくっただなんてこともありえない話。 多分キャンプ近くが多かったんじゃないかと思う。

自分は1946年に生まれ、幼稚園時代は1950〜1952年頃ですでに米軍キャンプもでき朝鮮戦争勃発で福岡には米兵が集まってた。
朝鮮戦争が始まると米軍は日本の協力を求めるために懐柔策をやり始めたんだよ。 国内は朝鮮特需で沸いた。

自分がジープを見るのは道端で幼稚園が終わってる時間帯だから遊んでいる子供たちのほとんどは幼稚園には関係ない。
西公園というのは小高い山だからジープでは行き止まり、その手前にあるのが教会。

ジープを見ると子供たちが追いかけていく形だったんだよ。 ジープは走りながらガムを投げる。
自分は追いかけなかった。
道路はメイン通りではないからそんなにジープはスピードを出さない。

止まって配ってるところなんて見た覚えは無い。
だから子供がジープに群がることもない。
ギブミーチョコレートだなんて言葉も知らなかったと思う。
>>154 の最初の場面はキャンデーを与える場面だが遠くの子には届かないから投げ与えてるだろ。 次の女の子がもらう場面は完全にヤラセ動画。

159 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 01:09:07.14 .net
>>158 先祖探しと同時に自分に近い父母の様子も知りたくなった。
父母や兄は朝鮮からの引揚者でいつ何のために朝鮮に渡ったのかがわからない。
兄は6歳の時に引き上げてきたから詳細はよく知らない。
兄は古い写真から祖父の写真を探し出したりしてくれた。

自分の曽祖父1846年生まれが何故か大正11年(1922年)に朝鮮で亡くなっていた。大正11年というと日本が統治した1年後。何かの任務で朝鮮に渡ったんだろうか?
渡った時はまだ大韓帝国の時代。

この時に子供達を引き連れて朝鮮に渡ったとしたら、父母や兄が朝鮮に住んでた理由もある程度推測できる。

自分が知る限りの家系の人間はこの曽祖父の戸籍の番地と同じで自分も同じ番地に戸籍がある。
本家の隣近所だからまあ本家に近い筋だとは思うんだが。
朝鮮に渡ったから戸主を譲ったのかどうかは知らないが、戸主に知らない親戚の名前があった。

160 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 08:10:59.77 .net
>>159
日本統治時代は、今の転勤や出稼ぎの感覚で朝鮮に渡る人が多くいたよ。
俺の母方の先祖は漁民で、漁場を求めて朝鮮に渡ったから、曾祖父の兄と高祖母は朝鮮で死んでる。

161 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 08:11:59.29 .net
逆に、祖父の兄弟やイトコの多くは朝鮮生まれ。純日本人だけどね。

162 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 11:54:13.96 .net
>>159 大韓帝国時代になると既に50歳を越してからになるからその前の李氏朝鮮(1392〜1897)に渡ってんだろうな。
30歳前後で渡ったとしたら1876年前後、江華島事件(1875年明治8年)辺りかな。
この頃だと軍人として何かしてたんだろうな。

163 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 17:29:09.41 .net
熊本出身の俺の女房にも聞いてみたが、駐留軍からキャンデーやゼリー等いろんなものをもらってたと言ってた。
自分が可愛かったから一番もらえたなんて言ってるが。アホか
1945年生まれ

164 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 19:38:22.24 .net
うちの婆ちゃんより少し年下かな

165 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 20:41:52.83 .net
>>158
>>143 を参照しろ。
野坂昭如は
・アメリカの兵隊からチョコレートを貰った奴なんか見たこともない。
・ギブミーチョコレートなんて言ってるところを見たこともない
・そういうことをしたと言う奴と会ったこともない
と書いている。
自分がもらっとは一言も書いていない。
野坂は神戸大空襲で養家が燃え、養母も大やけどを負い、大阪の守口に移転。
そっちで焼け跡をほっつき歩いた。養家は親戚の世話になっており、食い物に不自由。
義理の妹がいたが栄養失調で死亡。養家の金目のものも無くなり、家出状態で一人で
東京に逃走、窃盗で捕まり実父に引き取られた。
大阪と東京の戦後の焼け跡をいやというほど見ている。
それが上記のようにギブミーチョコレートなんか見たこともないと言っているんだから
その範囲では信用すべきだろう。
野坂の アメリカひじき という小説では、戦災孤児の浮浪児が、米兵相手に
プリーズギブミーチョコレートシガレットとねだるシーンがある。
浮浪児ならあり得る。誰にでも物をねだったり盗んだりしていたのだから。
しかし野坂はそういう場面を見たわけではない。

166 :つづき:2021/04/27(火) 20:42:09.11 .net
仮に米兵がチョコだのお菓子をバラ撒いたとしても、それを拾うのは幼稚園児には
無理だろう。上で紹介したヤラセっぽいお菓子配りにしても、小学生にならないと無理だ。
それも10歳以上ぐらいじゃないか。争奪戦ははげしいし、ジープを追いかけるのも無理。
(ただ、昔の子供は弟や妹を押しつけられて一緒に遊んでいたから、小さい子でも上の
子供がやれば一緒にやれる可能性はある。)。
>>158 にあなたは書いた。
>自分は1946年に生まれ、幼稚園時代は1950〜1952年頃ですでに米軍キャンプもでき
>朝鮮戦争勃発で福岡には米兵が集まってた。
朝鮮戦争勃発以降ならもはや戦後かどうか微妙だ。
終戦後5年経ち、翌年の1951年にはサンフランシスコ講和条約で日本は独立を取り戻した。
米軍は占領軍でなくなり、主権を取り戻した日本との安保条約によって日本国内に基地を
置くことが許された存在。
朝鮮戦争で日本人に懐柔策を用いたなんて本当だろうか。
東京の立川基地とか調布の米軍宿舎とか、米軍基地の周辺でチョコを撒いたとか聞いた
こともない。地元の口碑にもないのじゃないか。
あなたは1946年生まれなら50年には四歳、51年で五歳。その頃の記憶なんか残って
いるのかな。五歳以降の記憶だとしても、終戦後の混乱は終息した時代である。
焼け跡闇市の時代を体験したわけではない。
どうもあなたの話は信用できない。

167 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 23:16:04.24 .net
老人ではないが四歳の記憶くらい余裕で残っているな
存命の祖母も昔の記憶のほうが残っていると言っている

168 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 23:28:26.23 .net
>>165 >>166 自分こそ見たこともないのに、くだらんやつの話を斜めに信じる方がおかしい。

自分の周りの戦後生まれの人に聞いてみろよ。
野坂なんて
いい加減なアジテーターだということを知らんのか?

やつの歳だと当然人から貰い物をするのは恥と感じる世代。 うちの家庭でもそんな恥ずかしい事などしてはいけないという家庭だったから一欠片ももらっていない。

基本的に戦後のまともな家庭なら親は子供がそんな恥ずかしい真似をするのは許さない。
それが日本人なんだよ。 でも貧しき家庭の子も多かったし貰えるものはなんでももらいたいというのが当時の状態だった。

お前が信じようがどうしようが勝手にしろ。俺も経験してるし、女房は実際にもらってるし。
女房の家は地主の家だったから玄関前まで来て配ってたのかもしれない。

169 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 23:31:06.13 .net
先にも書きたがあんたは時代を全く無視してる。
野坂が書いた年代はいつなんだよ。 出来事ごとに年代を書いてみなさいよ。
そもそもあいつの言葉なんて信じられない。

170 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 23:31:43.34 .net
チョコだのガムだの「配った」とか言っているが、
実は日本に全額請求しているからな

朝鮮戦争があろうとなかろうと懐柔政策は有効だ
況してや日本が買った物を適当に投げるだけで実現できるならする
そこに人道的感情など欠片も無い

171 :日本@名無史さん:2021/04/27(火) 23:52:38.12 .net
そもそもチョコレートなんて高価な貴重品ばら撒くわけないだろうが
それこそギブミーチョコレートだなんて言葉は、米軍かアカヒがばら撒いたでたらめだよ。
俺だって女房だってそんな言葉は聞いたことはない。
物事は正しく理解したほうが良いよ。

実際にはキャンディ、ガム

知りもしないでアジテーターの言葉を信じるな。

172 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 00:00:49.17 .net
チョコやガムはもらったけど マーシャルプランの恩恵は受けてないゾ
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51315985.html

先日も、CNNでトンデモ発言が飛び出しました。アマンプールさんという女性ジャーナリストが司会をする討論番組で、テーマはアフガン問題でしたが、ひとりがおよそこんなことを言ったのです。

「ドイツや日本の戦後復興を助けたマーシャルプランのようなことをアフガンにも……」

「はあっ?!」って、はしたない反応をしたくなりました。戦後復興をアメリカが資金援助したマーシャルプランはヨーロッパが対象で、日本は埒外でした。なにしろ、その正式名は「欧州復興計画」なのです。討論では、誰もこの勘違いを訂正しませんでした。

日本にも、アメリカの復興資金は来ました。ガリオア・エロアと総称されるもので、ガリオアは「占領地域救済政府資金」、エロアは「占領地域経済復興資金」の略です。ありていに言えば、占領を円滑に行うための資金です(占領費用そのものは被占領国、つまり日本が負担しました)。それが、1946年からの5年間で17億ドルほどでした。西ドイツはガリロア資金だけで1兆6500億ドル、日本のほぼ1000倍です。ドイツには、その上にマーシャルプランがあったわけです。日本には、当時アメリカ国内でだぶついていた脱脂粉乳やコーンなどの雑穀が送られ、それを日本国内で売った収入を、日本政府が使いました。

エロア資金、当初は無償ということだったのに、アメリカはあとになって突然、「あれは貸したものだ、返せ」と言ってきました。日本政府としては寝耳に水です。7年ものすったもんだの交渉の末、年賦で返すことになり、日本は70年代に入ると前倒しで完済しました。

ララ物資というのもありました。アメリカのNGOから贈られた脱脂粉乳や衣料で、戦後の学校給食はこのララ物資の脱脂粉乳に始まりました。わたしも、小学校の昇降口に並ぶ、脱脂粉乳の紙製のドラム缶を憶えています。

ところで、このララというNGO(Licensed Agencies for Relief in Asia アジア救援公認団体)は、日系人の組織でした。アメリカの海外支援NGOは、ヨーロッパだけを支援の対象にしていました。それで、日本に特化した支援団体を日系人がつくったのです。けれど、このことはGHQが極秘にしました。ただ、「アメリカの民間団体」とだけアナウンスしたのです。

173 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 00:01:58.06 .net
日本の戦後復興は寛大なアメリカの施政のおかげ、と信じているのは、アメリカ人だけではありません。そう信じる日本の人はけっこういます、と言うか、いまだにほとんどの人がそう信じ込んでいるのではないでしょうか。わたしより上の世代は、「自分も『ギブ・ミー・チューインガム』と言ってしまった」という、自尊心への傷が深すぎたのでしょうか。その「(桃太郎の)きびだんご症候群」が、あとの世代にももちこされているのでしょうか。まるでDNAのように。だとしたら怖いですね、ホラーです。

民間資本も入っていません。日本は明治以来、植民地化を警戒して、外国資本受け入れにきわめて慎重でした。貧しいくにだったのに、人びとの多大な犠牲のもと、莫大なお金をかけて、たとえば富岡製糸場を自力でつくりました。わたしも去年行きましたが、その壮麗なこと、当時の為政者たちの殖産興業に賭けたただならぬ決意を思い知らされました。こうした大工場は、たとえばインドにもつくられましたが、すべては東インド会社の投資で、富はイギリスに吸い上げられました。ですから、外国資本に門戸を閉ざすというのは、帝国主義時代の後進国としては、唯一正しい道だったと思います。もちろん、外圧はあったでしょう。よくはね除けたと思います。

このくには、戦後もこの外資拒絶の方針を採ったのです。60年代の半ばになると、経済成長めざましい日本に投資したくなったアメリカが、資本の自由化を要求してきました。日本は、しぶしぶすこしずつ自由化していきましたが、あの頃の社会を覆った不安を、わたしもうっすらと憶えています。こんなに外国のお金が入ってきて、これからいったいどうなるのだろう、と。ひるがえってグローバリゼーションの現代、どのくにでも外国の投資を呼びこむことが課題とされています。まさに隔世の感があります。

日本は自力で焼け跡から立ち直り、経済成長を遂げたのだ、そう日本の人にもアメリカの人にも声を大にして言いたいところです。が、それもあまりねえ……と言うのは、戦後の復興は朝鮮戦争という犠牲なしにはありえなかったからです。だとしても、戦後復興から現今の安全保障まで、「すべてはアメリカのおかげ」という洗脳状態、いいかげんに抜け出しませんか。

174 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 00:02:28.87 .net
>>166 アホじゃないのか? 4〜5歳の記憶なんて余裕で残ってるよ。
余程の知恵遅れでもない限りはそのくらいの年頃が一番記憶力は高いんだぞ。 お前はまだ子供もいないのか?
子供ができればわかる。 大人の何十倍も記憶力は高い。

当時の幼稚園の先生の名前だって覚えてるし。
B29 が頭の上を毎日飛び回ってたと言っただろうが、あれは朝鮮戦争で物資を運ぶためだったんだろうと思う。

とにかくあんたの話は全て年代を無視したくだらない話ばかり。 何年の出来事か言ってみなよ。

175 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 00:18:34.24 .net
>>174 そうそう、自分史をまとめ始めた時に幼稚園の名前が出てこなかった。 寝てる時にはっと思い出してGoogle で見たらまさに昔のままの場所に同じ名前で残ってた。

176 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 12:05:31.11 .net
>>137
南朝の大室家は幕末断絶した。いまのは地家作蔵朝

177 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 13:18:34.92 .net
>>174
>とにかくあんたの話は全て年代を無視したくだらない話ばかり。 何年の出来事か言ってみなよ。
この言葉はそっくりあなたにお返ししたい。

あなたは >>158 に書いている。
>自分は1946年に生まれ、幼稚園時代は1950〜1952年頃ですでに米軍キャンプもでき朝鮮戦争勃発で

1946年生まれなら戦後生まれ。終戦の一年後に生まれてる。
すると50年には四歳、51年には五歳。
「幼稚園時代は1950〜1952年頃で」とあるから幼稚園には四歳で入っているわけだ。
しかし、当時三年保育なんてあるかな?
幼稚園だろ?昔の幼稚園は一年保育が普通なんじゃないか。
特に長くて二年。幼稚園なんか行かない子がほとんどの時代に三年も幼稚園に通ったなんて、
あなたは特別の特別だ。

幼稚園でも最後の一年ぐらいの出来事はよく覚えている。俺も先生の名前とか覚えているわ。
しかし、四歳ぐらいの頃はどうかな。
まあ、あなたが記憶があるというならいいだろう。
だが、あなたが幼稚園に入って二年目、51年にはサンフランシスコ講和条約で日本は主権を回復、
進駐軍はなくなり、進駐軍が接収した建物も返還された。安保条約により、米軍はなお日本国内に基地を
有したが、以前とは異なり、基地の中だけで生活するようになる。
それまではオキュパイドジャパンでGHQが統治権を持っていて占領行政を敷いていたが、それが
なくなったのだから、米軍のジープが街を走り回る必要はなくなった。
あなたの記憶はその頃から始まっているんだよ。

あなたは焼け跡闇市も知らないし、占領軍も知らない。知っているのは福岡の基地から飛び立つ輸送機や
爆撃機、F-701

178 :つづき:2021/04/28(水) 13:23:41.35 .net
途中で送信。
知っているのは福岡の基地から飛び立つ輸送機や
爆撃機、(F-701は削除)、F86などか。

要するにあなたが見たのは戦争に負けて進駐軍に占領されていた時代の日本ではない。
ギブミーチョコレートの真否を論ずる資格なないのではなかろうか。

179 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 16:33:15.94 .net
>>177 くだらない事ばかり言うな、2年幼稚園に行き、6歳で小学校だよ。6歳の時にサンフランシスコ講和条約が締結されている。
ジープが走り回ってたのは事実だから仕方ないだろ。

そもそもキャンプはかなり遅くまで存在してたぞ。
例えば代々木のキャンプ(ワシントンハイツ)は1964年のオリンピック直前に返還されて選手村に建て替えられた。

光が丘公園にあったグラントハイツは1973年までキャンプとして使われていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%84?wprov=sfti1

グラントハイツ (Grant Heights) は、1947年から1973年まで東京都練馬区に存在したアメリカ空軍の家族宿舎。

福岡の美菓子公園置換のキャンプがいつ頃まで存在してたかは調べられなかったが。
福岡空港(旧板付飛行場)で調べると、殆ど返還されたのが1972年。 それまで家族宿舎が存在してたのは当然だろ。当然ジープは走り回る

180 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 16:49:52.24 .net
https://ima.xgoo.jp/column/img2/jnhppp/150313_s104.jpg
こんな感じで追いかけてた。

なんか自分勝手な思い込みをしてるみたいだな。 そんなんじゃまともな社会生活は送れそうにもないな。

181 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 17:13:30.53 .net
グラントハイツ近くに住んでた人の思い出では、ハイツの子供に出会うとギブミーチョコレートと言ったら、チョコだかガムだかをくれたと言う思い出を語ってる。
ハイツができた後だから勿論戦後直ぐではない。

多分ギブミーチョコレート都市伝説はかなり後の世代が作り出した都市伝説じゃないかと思うけどな。
実態はいろんな形態でお菓子をもらってたのは事実。

スレチだからもうやめような。

182 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 21:17:06.72 .net
もうやめようと言って済まん。

>>163 なんかスレが混乱してるから女房に当時の様子を少し聞いてみた。(自分がいくら言っても信じないだろうから)

Q 何歳位? A 4歳か5歳
Q どこで? A 熊本市の国道の通りで
Q ジープは止まってた? A 走ったまま
Q どんな言葉をかけた? A ジープだと言って追いかけた
Q 何故自分が可愛いと思われた? A 多分自分が一番小さくて可愛いと思われたから、可愛いと言って沢山くれた
Q 何で米兵は日本語が解った? A 可愛いと言うのは
1番に覚えたんじゃないの?

183 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 22:11:54.36 .net
実家が指定文化財の人俺以外にいる?

184 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 23:14:24.81 .net
うちの文書は県の有形文化財になってるな。

185 :日本@名無史さん:2021/04/28(水) 23:37:53.18 .net
じゃあうちは国の

186 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 17:35:38.61 .net
>>179
>くだらない事ばかり言うな、2年幼稚園に行き、6歳で小学校だよ。
>6歳の時にサンフランシスコ講和条約が締結されている。

だってあなたは1946年生まれだろ。>>158 にそう書いてる。
46年に生まれて、その年のうちに一歳になるということはないんだから、一歳になったのは47年。
47年に一歳になり、47年中に二歳になることはないんだから、二歳になったのは48年。
以下このようにして数えていくと、51年にはあなたは五歳だ。
あなたが六歳になるのは52年。
ただし生まれが何月何日かによって、52年に入学したかどうかが決まる。

あなたが早生まれだとする。仮に46年3月31日に生まれたとしよう。
その場合に一歳になるのは47年3月31日。
二歳は48年3月31日。三歳は49年3月31日。四歳は50年3月31日。
五歳は51年3月31日。六歳は52年3月31日。

子供は満六歳で小学校に入学し、一学年のうちに七歳になる。
4月1日の時点で満で六歳になっている子供は、その年度の入学者となる。
つまり前年の4月2日以降に生まれた子供と同学年。
1日違いで、4月2日以降に生まれると、その一年下の学年になる。
あなたが仮に早生まれだとすると、小学校入学は52年である。
早生まれでなければ、小学校入学は53年。

あなたは「6歳の時にサンフランシスコ講和条約が締結されている。」と書いている。
サンフランシスコ講和条約の締結は51年9月8日。
あなたが6歳になるのは52年。
そうすると、あなたが6歳のときに「サンフランシスコ講和条約が締結されている」ということは
あり得ないことになる。

自分の年譜を自分で間違える人がいるだろうか。
あなたは年齢を偽っているのではないかな。

187 :日本@名無史さん:2021/04/29(木) 21:44:39.41 .net
>>186 下らん、さよならね。

188 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 11:25:32.52 .net
第二次世界大戦は白黒の戦いに黄色が巻き込まれた

189 :日本@名無史さん:2021/05/01(土) 16:34:13.11 .net
>>187
嘘松 また嘘がバレたw

   _ハ,,,,,,,ハ_
  /@  @\ 
  |  (_ω_)  | アヒャヒャアヒャヒャ
  \_ \l  /
   / つ  つ⌒・・
 〜(    ノ
   \i⌒ヽ)

190 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 14:31:02.98 .net
母方はかなりの田舎で、本家の裏山にかなりの数の墓石がある。
コロナが落ち着いたら調べてみようと思っていたけど、Googlのストリートビューを見ると、
雑草だらけで、奥の方にかろうじて屋根が見えるという状態になっていた。
おそらく今は町の方に住んでいるだろうな。まあ、立ち入る許可さえもらえばいいんだけど。
墓の数が多いので、親戚の中に誰かまとめている人がいれば良いんだが。

191 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 14:51:51.87 .net
先祖が住んでいた家の10件ほど隣が副島種臣の家(婿養子に行った先:自分が行った時は石碑だけ)。
俺の曾祖父は幕末生まれなので、もしかして副島種臣にカンチョーしたかもしれないと思うと胸熱だぜ。

192 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 15:18:48.06 .net
うちの一族の墓の管理は一族の誰かが責任を持ってやってる。
何十年か墓参りしていないような墓は連絡して連絡がつかなければ、祖廟に整理してるらしい。

年に幾らか出すと墓の掃除とかしてくれる。

この間墓参りに行ったが、先祖の古い墓に苔がついてたりして見窄らしいものもあったから、コケ落とし剤とか持って墓掃除に行こうと思ってる。
コロナ禍で中々行けない。

193 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 15:53:28.98 .net
>>192
そういえば、むかし本家の裏山の墓を見たとき苔とか雑草とかなかった。本家のお爺さんがきちんと手入れしくれてたんだな。
次に自分が行くときは、調査だけでなく、何らかの役に立ちたいな。

194 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 07:25:44.96 .net
上で幼稚園の名前を思い出しただとか米兵にお菓子もらったとか書いた嘘松、今度は>>190 以下で
墓の話を始めた。
どっちもちょっと長めに書いたスレでは改行が反映されていない。
5ちゃんねるブラウザで見ると、一行がどこまでもズラズラ伸びてくる。
これってスマホにあるソフトを入れているからなんだが、そんなのメッタにやる奴はいないから
同一人物であることの証しなんだよな。
会話調の書き込みなんかもみんなこいつの自演。
昔のスレや同類のスレからコピペとかデフォルメしたのを書き込むんだよな。
何が楽しくてこんなことやってるのか。

わけわからん奴だよな、嘘松、、、、、

195 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 07:52:44.36 .net
写真を見ていたら墓石に彫られていた俗名がわかった。志奈さんだった。戸籍ではカタカナでシナさんなんだけどな

196 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 08:46:09.04 .net
江戸依存してるんだがようやくわかった
江戸時代がなきゃ皇族がキマらない
からだ

今の社会サラリー非民たちみんな日本のために生きてない
これが胸糞悪い

197 :sage:2021/05/03(月) 13:46:00.58 .net
>>194 どんな専ブラ使ってるんだよ。 JaneStyleとかではそんなふうにならないけど

198 :sage:2021/05/03(月) 13:46:00.67 .net
>>194 どんな専ブラ使ってるんだよ。 JaneStyleとかではそんなふうにならないけど

199 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 16:44:47.63 .net
190・191は俺が書き込んだんだが、専ブラは使っていないしPCからだよ。
母が戦中生まれなので、話す機会があれば何か聞いてみようとは思ってはいたが。

200 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 20:00:42.22 .net
190191はズラズラン伸びない。だから嘘松君とは関係ない

201 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 22:09:44.23 .net
>>200 で、お前の専ブラは何なんだ?

202 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 07:25:15.05 .net
Live5でもJaneでもなるな

203 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 13:43:43.18 .net
Windows10 JaneStyle 4.10にバージョンアップしてみたがやはりまともに見えるな。

スマホは iPhone BB2C 及び JaneStyle どちらもまともに見える。

だらだらと連続して見えるだなんて話は聞いた事が無い
iPhoneからの書き込みは多いはずだよ。

204 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 13:55:36.07 .net
改行が反映しなくなっちゃうんだよね

205 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 14:17:16.69 .net
>>200
スクリーンショットとってアップして

206 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 15:44:24.01 .net
Live5ch ってVB で作ってるの?

Jane はWiki を見ると開発停止と書かれてるけど。
JaneStyle が正統版じゃないの?
自分も昔はJaneView を使ってたけど、開発停止になったのでJaneStyle に移行した。 もう何年も前だけど。

でも最近はほとんどスマホだな。

DOS系の大昔の古いソフトがMac/Unix系の改行コードLFを認識できないなんて話は昔はあったが最近は聞いたことないな。

207 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 16:37:02.81 .net
ならないならならないでよかったじゃないかw
よかったよかった

208 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 21:17:55.35 .net
>>202のJaneがJaneStyleのことだと分かってるんだよなw
ウィキ読んでシッタカこいてる馬鹿

209 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 21:26:06.91 .net
>>208 そんなことわかるか、JaneStyle ならそんな馬鹿げた現象は起きないよ。
なんかおかしいんじゃ無いの?

210 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 23:55:23.54 .net
火狐でもそうだ。

211 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 00:32:01.78 .net
FireFoxで特定の書き込みだけブラウザの枠を広げると一行がズラズラと伸びる。
枠の限界が一行64文字で、そこまで伸びる。

212 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 07:31:06.23 .net
日本語は2バイト言語だから64文字。
英語などの1バイト言語だと128文字。
128バイトがブラウザの限界でしょう。

213 :sage:2021/05/05(水) 16:51:59.12 .net
Windows かJaneStyle のバージョンが低いか、PCのスペックが低すぎるんじゃないのかな

214 :日本@名無史さん:2021/05/05(水) 21:21:22.54 .net
素朴なこと言ってるよなw

215 :日本@名無史さん:2021/05/17(月) 22:57:07.43 .net
遠い親戚で、乳児期に朝鮮の人と養子縁組したと書かれるが、
程無く裁判で縁組無効が確認されて記載が抹消された人がいる
一体何があったのか気になる

216 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 10:26:21.19 .net


217 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 20:47:04.16 .net
〜之丞って名前はどういう意味があるの?

218 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 23:07:16.68 .net
あ、>>215は朝鮮が日本領だった時代の話

219 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 23:41:19.24 .net
>>217
古代の役人の位に卿、輔、丞、録というのがあった(四等官)
大蔵省だったら大蔵大丞という役人が居た
こういう官名である丞、衛門、兵衛などが後世に名前の一部に使われた
雪之丞だとか土左衛門だとか助兵衛など‥

220 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 23:45:46.89 .net
>>219
例よw

221 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 23:49:17.49 .net
>>219
やっぱり深い意味は全く無いのね…
先祖が名乗ってるから何か期待したんだけど

222 :日本@名無史さん:2021/05/18(火) 23:52:03.77 .net
中高生でも常識なことで自演されても。

223 :日本@名無史さん:2021/05/19(水) 00:00:35.54 .net
江戸時代に「〇〇兵衛」「〇〇衛門」と名乗るのは珍しくないが、確か江戸末期か明治かに
官命を名乗ることを禁止されたと読んだ覚えがある。だから、武兵衛の息子に武蔵と名付けいたりしている。
※明治3年に「国名・旧官名使用禁止令」というのが出されているようだ。

224 :日本@名無史さん:2021/05/19(水) 07:03:37.35 .net
広末涼子の横浜に住んでる母方祖母が実は欧米人で広末はクォーター!横浜は白人が多いからクォーターでも全然不思議じゃない!
とか言ってるバカがいたけどファミリーヒストリー見たら広末の両祖父母とも四国をルーツとする純血の日本人で草

225 :日本@名無史さん:2021/05/19(水) 07:10:06.92 .net
詳しい調査や明確な根拠もなしに偉そうにルーツ語る奴って頭悪いんだろうなw
バカ「俺の苗字は佐藤だから先祖は藤原氏に違いない!」「家系図見たら陽成天皇に繋がった!俺は実は高貴な家柄だった!」
バカだから疑う事を知らず本当にそうかどうか調べることもしない
歴史も学ばない
バカだからw

226 :日本@名無史さん:2021/05/19(水) 23:52:48.88 .net
30年以上前だけど、寺の過去帳を直接見れた自分はまだ運の良い方かもしれない。
とりあえず、江戸中期から苗字が変わっていないことが確認できた。
今では、古い過去帳が残っていても直接見ることができず、抜き書きに頼るしかないみたいだ。

227 :日本@名無史さん:2021/05/20(木) 01:02:38.50 .net
【兵庫】お墓調べたら先祖は有名な宮廷絵師だった 碑文から謎の半生も明らかに
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1621086232/

228 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 07:51:58.28 .net
父方母方の祖父母4系統のうち
3系統は本籍が田舎なので
特に問題なく明治20年代の除籍まで取れた

しかし肝心の父方祖父は本籍が東京で
しかも震災で古い戸籍が焼けたので
明治時代のものは取れなかった
(続く)

229 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 07:57:52.90 .net
>>228
念のため、本籍地の地番で地籍台帳調べた名前があった
明治6年の沽券地図まで調べたがその時点で名前があったので
明治維新以後、相当早い時期からいたらしい
(ちなみに幕末の地図には名前がなかった)

最近、ツィッターで
「Googleブックスで先祖の名前を入れると
 たまーにヒットすることがあるからやってみ」
という書き込みを見たのでやってみたら、
なんか東京市史稿でそれらしいものを発見
同名異人の可能性もあるがいずれ確認しようと思う

230 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 08:02:11.37 .net
>>225
個人的には先祖が源氏とか平家とか藤原氏とかいうのは全く興味ない
別に武士が偉いなんて思ってないし 武士って要するに暴力団じゃん

231 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 08:49:21.51 .net
>「俺の苗字は佐藤だから先祖は藤原氏に違いない!」

だいたい先祖を限りなく追っていったら
いつかは有名人にあたるんじゃないだろうか?

そういう意味では逆に稀少性ゼロ

個人的には
「俺の苗字は佐藤だから、乃木坂の佐藤璃果と親戚かもしれない」
という妄想のほうが楽しいが

232 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 11:16:59.32 .net
>>229
良いこと教えてもらった。
先祖の名前がヒットしたんだけど、これ本文は読めないの?

233 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 11:40:31.80 .net
>>232
著作権の関係で、本文は読めないようになってるみたいです

書名がわかれば、別途検索して図書館等で閲覧するのがよろしいかと思います

なお、名前にもよりますが、同姓同名はたくさん引っ掛かります

私自身の名前で検索したら、違う人が沢山みつかりましたからw

234 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 12:20:08.17 .net
>>233
結構珍しい名前の上、
地名や職業も載ってたから間違いないと思う。

235 :日本@名無史さん:2021/05/23(日) 14:28:54.23 .net
>>234
それは期待できますね

私のほうはとある仕事の関係者の氏名録らしい

当人か別人か見てみないと・・・

236 :日本@名無史さん:2021/05/26(水) 00:30:21.98 .net
>>229
情報ありがとうございます。うちの先祖の名前も出てきた。なんと地方銀行の古い業務報告書の株主一覧に載ってた。googleはこんなものまでデジタル化しているのか。他にもあったけど今図書館が閉まってるから閲覧できない。

237 :sage:2021/05/26(水) 16:49:01.49 .net
面白いね、自分の直系の名前での検索では出てこなかった(長男のみ)が、一族の名前は色々と出てきて、どんなことがあったのか朧げなりにわかってきた。

インターネット黎明期に自分の苗字でネットで検索すると自分ともう一人の学者の名前だけだったのとは大違い。
今は普通のGoogle検索では山のように出てくるようになったからな。

238 :日本@名無史さん:2021/05/26(水) 22:51:59.06 .net
>>231
あたらんだろ
昔は身分を越えた結婚なんてほぼあり得なかったしね
武士は武士、貴族は貴族、百姓は百姓、穢多は穢多同士の結婚が殆ど

239 :日本@名無史さん:2021/05/27(木) 23:57:23.42 .net
幕府では窮乏した旗本・御家人が有力商人から借金する代わりに、その子弟を養子とする慣習が拡がり、旗本株、御家人株として町人が士分を得る機会が拡がった。また、財政の苦しくなった大名家などにおいても、豪商などから借金し返済できぬ事態が発生するにつれ、豪商を士分として待遇した他、藩内の豪農や有力町人に対して郷士株を販売し郷士の待遇を与えるなどの家格付与が行われた。

また、こうした旗本・御家人株の売買は

・使用人や中間奉公などとして働き、そこでの働きぶり・才覚などからその家の養子となる者や金銭をためて、それにより株を買う者
・幕臣が家臣に持参金養子の世話などをし、御家人株を買い与える
・武士の次男以下の男子が御家人株を買って、その家の跡目となる手段や身分を失った元・武士が再び武士層に戻る手段
・旗本・御家人が株を売り、金銭を得た後、町人や職人などになる
・遊女などの相手と結婚するために、旗本・御家人株を売り、町人になる

など、様々な形で行われ、利用された。

ただし、こうした旗本・御家人株の売買による身分違いの養子縁組・持参金養子は、寛文3年(1663年)江戸幕府が公布した「御旗本御法度」[5]や安永3年(1774年)、天保7年(1836年)、嘉永6年(1853年)に出された持参金養子の禁令などにより、幕府により禁止され、処罰の対象とされていた。そのため、旗本・御家人株などの売買により、武士身分となった者がトラブルなどにより訴訟される事態になった場合には、御家人株を買い、武士身分となった家であることが露見するのを避けるために内済金などを払い、和解するという事例もあった。

また、売買された御家人株の相場については、幕末の嘉永6年(1853年)6月頃には、高百石に付き50両、急養子は78両から100両までであったとされる。そして、与力が1000両、同心が200両、御徒が500両という相場が形成されていた。

240 :日本@名無史さん:2021/05/28(金) 17:09:01.85 .net
どの程度まで確実かどうか、詳しく検証していないが…
・勝海舟:先祖が検校にまで出世し、息子のために御家人株を買った。
・坂本龍馬:先祖が土佐有数の豪商才谷屋で、分家する際に郷士の株を買ってあげた。
・樋口一葉:百姓出身の父親が御家人株を買って、すぐに明治維新。
みたいなことは、どこかで読んだな。

241 :日本@名無史さん:2021/05/29(土) 20:39:00.11 .net
    γ⌒ヽγ⌒ヽγ⌒ヽ
    ( ゚д゚ ( ゚д゚ ( ゚д゚ )   たーらこー
  γ⌒ヽγ⌒ヽγ⌒ヽ.   l     たーらこー
  ( ゚д゚ ( ゚д゚ ( ゚д゚ )_,,ノ        たーっぷりー たーらこー
γ⌒ヽγ⌒ヽγ⌒ヽ.   l
( ゚д゚ ( ゚д゚ ( ゚д゚ )_,,ノ
 )   )   )   l
..ヽ_,,ノヽ_,,ノヽ_,,ノ

242 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 12:13:53.39 .net
父方母方関わらず、戦前までは女性が70歳代後半まで生きた人が多い反面、男性は50前半から60前半くらいで亡くなっている。
昔のほうが男女での平均寿命の差はデカかったのかな?

243 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 18:15:22.13 .net
>>242
戦前までは女の平均寿命の方が短かった
女は出産による死亡率が高かったため
戦時中は若い男は皆兵隊にとられたためそうでもなかったが

244 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 19:39:57.21 .net
>>243
じゃぁ出産を乗り越えた後の平均余命なら女性が長かったのかな。

245 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 20:49:01.74 .net
>>239
そんな端金でなれる下層武士と違い、
名主株は1000から5000両だけどな

246 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 20:56:03.07 .net
ちなみに、
名主ですらない豪農の渋沢は、
かすみたいな一般普代じゃなく、
一橋家に、奥口番・御用談所下役出役に士官を従兄弟とともにしてるし。

247 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:04:25.70 .net
さらに幕臣たちの寄せ集めのショウギ隊の副頭取の幕臣天野八郎も、名主の生まれだが?

248 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:07:06.52 .net
土方歳三もだろ

249 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:07:22.77 .net
しかも豪農の次男三男の適当な見栄程度の扱いとしてのものにすぎないのよたかが下層武士程度。
豪農名主の長男からしたらたかが下層武士身分など、屁の足しにもならない扱い。

250 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:10:56.27 .net
北関東名主野郎wwwww久々に参上!!!wwwwwww

251 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:13:58.67 .net
ちなみに、、
ショウギ隊の頭取も豪農の幕臣である渋沢

252 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:17:03.98 .net
ちなみに、武士は武力なんてほざいてる、中二野郎の糞雑魚の妄想だが、


ショウギ隊の奥羽街道方面部隊の隊長だった名主あがりの土方の部隊は、
下野最大の普代藩の宇都宮藩10万石を1日で焼きおとして占領してるが?

名主あがりが相手にしてるのは、幕府や大名家な。

勘違いすんなよ軽輩が

253 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:21:51.22 .net
因みに、
天草の乱では、
天草地方の名主八家による内乱だったが、
関ヶ原の二倍の戦力投入した幕府軍団相手に、
総大将の総督板倉を討死にして血祭にあげてますが?

幕府軍総大将すら討死させたのも名主ですが?

254 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:28:27.10 .net
あの、
海軍奉行であり、
旧幕府軍の総督にもなっていた
榎本武昭は、
父である箱田家は名主だが?

255 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:29:48.39 .net
因みに総理大臣も名主だらけですが?

256 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:37:26.75 .net
二宮金次郎もな

257 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:41:25.96 .net
因みに、
相手のテロ長州の
奥羽鎭撫総督府参謀の世羅修三も庄屋の生まれだが?

258 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:43:04.55 .net
戊辰戦争の引き金となった長州の世羅も、
幕府軍抗戦派の中心人物も、
みな名主庄屋だらけという。

259 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 21:56:08.91 .net
旧幕府軍参謀 名主 土方歳三

宇都宮藩10万石を1日で落城させる。


ww wwwww
なにが武力だよ笑

260 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 22:05:23.53 .net
因みに、
旧幕府軍参謀、名主、土方歳三率いる分隊に、

下館藩、下妻藩ともにびびって降伏してますが?笑

261 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 22:12:38.67 .net
因みに下館藩は、
名主の土方の部隊にびびって、
城捨てて、藩主もろとも逃げてんだが?笑

262 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 22:16:56.68 .net
しかも、土方歳三率いる本隊ではなく、
土方がいない分隊相手に笑

すげーわ武力が専売特許だと唄う大名様が笑

後の明治維新後は、
地方自治体の長までことごとく、
大政官布告により、庄屋名主が新政府により、
地方行政の長として日本全国任命されるのを法律で定められていくが、
武力も政治力も名主ねが上だわ

263 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 22:25:40.10 .net
武士の世が終わった直後の明治維新

国会議員 → 旧大名家、公家、

中央国家大臣 及び官僚→ 薩長閥独占

地方トップの行政長たる県知事たる県令 → 旧大名家、及び薩長土肥関連の執政志士

県令の下の行政区の長(町村長)→名主庄屋、御用商人

とすると、
これは新政府が作り上げた憲法たる大政官布告太綱により条文で定められてる。

そのころ下層武士は、税金よこせと、国に反乱起こして内乱してくれてたな?
屯田兵で地道に開拓せーや
もしくは他の下層武士と同じく労働者として地道に働けや笑

264 :日本@名無史さん:2021/05/30(日) 23:58:42.75 .net
郵便局も名主が独占じゃなかったか?

265 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 08:37:15.27 .net
北関東名主野郎が荒らしに来るとスレが一気につまらなくなる

266 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 14:52:32.89 .net
>>265
元々内容なんか薄い知識薄弱どもの、直系ですらないからのこじつこ願望のやつらの血統遡り妄想スレやないかい
なにぬかしとんねや

267 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 14:53:08.69 .net
血筋こじつけ願望

268 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 16:00:56.21 .net
下層武士とはいえ豪農や庄屋、大庄屋の血を引く者だから血統で見たらやっぱり下層武士も豪農も同じ土俵じゃね

269 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 16:35:04.64 .net
>>268
ひかねーよ笑
下層武士のどこが庄屋名主の血筋引いてんだよ

270 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 16:38:16.39 .net
庄屋名主の次男三男がなるものだからな下級武士は

271 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 17:27:39.38 .net
それは幕府中期以降だろ。しかも、幕臣としての御家人や郷士格的な意味合いでの下層武士という範疇にはいるといった、形骸化してる形だけの体裁としての武士という形の意味合いが強いもので、
実質的な支配構造に組み込まれた家中としての隸属の効力をもたらす実質的下級武士としてのものとは違う。特に関東ではな。

江戸初期からの徒レベルの雑魚の下級武士は、
江戸以前の出自なんか誰も分からねえよ
一般町民以下の貧困世帯で、
土地すらない、さらには次男三男の、
給金引き換えにてめえの命差し出してた単なる
傭兵あがりだからな。
軍役でもなんでもない、
秀吉一党みたいなんだらけの出自だからな。

272 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 17:35:56.48 .net
こないだ、落語家の松の丞とかいうやつが
先祖は九州の藩士だと言われて誇りだったということを調べたら、
江戸中期に大工だったやつが、下級藩士に登用されたのが初代だそうだ笑

江戸の武士なんかこんなもんだろ笑
それが江戸初期となれば、
もう雑多の集まりだわ笑


なんせ土地すらないやつらだからな笑
そら武士くらいしか仕事ねーわな
あと大工の職人とか
もろリンクしてんじゃねえかしてんじゃねえか

273 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 18:07:04.01 .net
幕府は郷士等においては、
幕府からの達しや武家諸法度にもなにも具体的名文はしてない。

だから、各藩において、郷士格等の扱い運用は裁量にまかされている。
だから、大半は藩の歳入にかんする財政面の措置として扱われている程度。

しかし、藩士は各藩において、
少なくともある程度一律にまた慣例としても踏襲されたシステムの中で存在を徹底管理されていたのは間違いない周知の事実なわけだ。

その違いは、
藩の家中のシステムにその存在を置いてるか置いてないか。
要は在地も郷士格も帯刀庄屋もそのシステムの範疇には一切くみこまれたものではないから、
具体的な明文化されたものも、実態としての具体化も存在しえていない。

下層武士という枠組みには下級藩士も郷士も入るが、
しかし、それは似て非なる、全く性質も運用も目的も違うもの。

下級藩士は、大名家、すなわち藩執政から、身分どころか財産権から生存権まで掌握され、徹底管理の名のもとに、隸属という効力が強制を及ぼす。

帯刀庄屋名主郷士は、それらとは違い、
家中としての藩士的意味合いが持つ実質的な江戸武士の性質も効力も及ばない、対面的体裁としてのものが基本的性質のものとなる。

全く性質も意味合いも、目的も運用も、
幕府や藩自体が、法度や扱いの中で差別化してるんだから、そこらをわかるべきだわ

274 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 18:26:10.27 .net
先祖は戦国期は騎乗武士で被官引き連れて帰納して小さい村作って庄屋になったって他家の古文書にかかれているな
戦国期以前の記録がないから単なる地侍であった可能性は高いが

275 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 18:36:47.35 .net
埼玉・秩父の旧家、宿屋だった 旧贄川宿 江戸後期の版木を発見
https://mainichi.jp/articles/20210527/k00/00m/040/038000c

 埼玉県秩父市荒川の旧贄川(にえがわ)宿にある旧家で、江戸時代後期に作られたとみられる版木が見つかり、宿屋だったことが判明した。記述内容から三峯神社(同市三峰)や秩父札所34カ所観音霊場の参拝者をターゲットにした宿だったことが浮かぶ。贄川宿の版木は以前にも報告があり「新発見」ではないが、改めて先人の営みに思い巡らすきっかけになった。

 文字が左右逆になった版木は縦38センチ、幅8センチ、厚さ最大2・5センチ。元教員で荒川歴史懇話会の新井充さん(71)が自宅の母屋裏にあった小屋を解体しようとした4月、中から道具類などとともに無造作に置かれた状態で見つかった。新井家は、熊谷と甲府を結ぶ街道「秩父往還」に面した旧宿場町中心部に建つ。家の前は江戸初期から多くの参拝者や商人が往来し、市も立った。

 新井さんら懇話会員が文字を解読した。上部中央にあるのは、今も新井家の蔵に書かれている「やまいち」の蔵印。下部中央には「新井半兵衛」の文字があった。墓に1860(万延1)年に亡くなったとある新井さんの6代前の先祖と名前が一致した。「半兵衛」の文字の上には宿屋経営を示す「定宿(じょうやど)」とある。

 客層を伝える文言もあった。「御順礼衆(ごじゅんれいしゅう)」は札所を順番通りに巡る一行を指す。「三峰山講中」は、旅費を積み立てて三峯神社を定期的に参拝した庶民の団体で、江戸(東京)や北関東、甲信地方など広範囲で組織されたという。他の文字も合わせると「札所や三峯神社への旅は半兵衛の宿をお訪ねください」という意味だった。

 新井さんは「新史料はどこの家にもあるのでは」と話し、今回の発見が、多くの家に眠っている家財などの再評価につながることを期待している。

蔵印と同じ「やまいち」が入った版木を手にする新井充さん=埼玉県秩父市で、山田研撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/05/27/20210527k0000m040043000p/9.jpg

276 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 20:49:39.93 .net
>>274
単なる地侍ゆーが、
そもそも織田豊臣武士団なんかに地侍なんかもいないからなほとんど。
徳川は普代なんて、あんなの地侍でもなんでもない、単なる松平時代の山んなか盗賊レベルだし、
その後今川武田の武士を上級武士として多少入れてはいるが、
江戸の武士階層みたら、
戦国以前からの在地領主たる地侍層なんて大名にすらいないからな

277 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 20:56:45.59 .net
江戸中期の家系図学者だった大名である鳥取藩主の池田も、江戸の武士は戦国以前はほとんど民間人から派生したものたちだから、本当の出自は分からないときっちりいってるからな。

>>鳥取池田家の分家鉄砲洲家の5代藩主で学者の池田定常は武士の系図を調べた結果
>>「今の武家は民間よりあらわれて大名になった者が多いのでその先祖はよくわからない。>>戦国以前はその実一決しがたい

278 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 21:30:15.87 .net
明治維新に際して、薩摩藩には士族戸数43,119戸があった。
諸藩の士族戸数と比較して際立って多いのは、江戸時代から明治維新までの日本の身分制社会の中で、武士人口の全人口に住める割合は、全国平均で約5パーセントと言われています。
しかし、島津氏の領国内では、この比率は約五倍くらいになると言われてきました。全国平均が約5パーセントくらいに対して、薩摩藩の場合、だいたい25パーセントから30パーセント近くをサムライ身分が示していました。
 明治4年時点における薩摩の異常なサムライ人口がよくわかります。明治4年ですから、西南戦争が始まる前の、いまだ江戸時代の社会的雰囲気が色濃く残っている頃です。

279 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 22:18:27.58 .net
役も録も土地も身分もない下級藩士は、
幕末、エゲレス高官たちは、この軽輩どもを見てイギリスでいう奴隷身分の従者と勘違いしたと書かれてるからな

280 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 22:26:14.80 .net
イギリスにもフランスにもドイツにも、
騎士は在地領主で、広大な土地を持つ領主だからな。

勝手に馬鹿が武士と一緒にしてるが、
向こうの騎士は在地領主の貴族だからな。
普段、専属の部隊は持たず、
戦時には従者たる奴隷身分や捕虜を武装させて出陣する。
通常時は従者という奴隷をつきしたがわせる。

全く武士と騎士は違う。
騎士は室町時代の地侍や土豪、
江戸時代なら、郷士や帯刀庄屋か、大身旗本が近い

イングランドにも新星ローマ帝国諸侯にも騎士にも
国王の弾除け要因や腹切り要因なんていないから笑
ましてや土地すら持ってないなんて笑

小作人やないかい笑

281 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 22:30:46.14 .net
もちろんだが、
騎士は参政権をもち、
国王や議会での抗弁権も権利として持ち合わせる。

下級武士は、藩主に謁見も許されなければ、
参政権どころか役すらないだろが笑
参政権すらない、土地すらない、立場の保証もない、

なにがあんだよ笑

282 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 22:39:35.40 .net
江戸時代の下級藩士でも言い伝えや系図を辿れば高確率で源平藤橘に行きつくだろ
例え庶民の出だとしても遠い先祖は源平藤橘ってパターンだな
先祖代々バリバリの庶民は下級藩士にさえなれないってこった

283 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 22:50:43.29 .net
なにもないのに、なぜそんな虫ケラみたいな扱いの立場にしがみつくか。

そう、戦国時代には江戸初期にはそれしか食う道がなかったからだ。
それしか仕事がなかったからだよ。
土地すらもてなかった家の次男三男に生まれたからな。

だからしがみつくしかなかった。帰る場所も土地もないからな。

江戸初期、異常な数の村方騒動を全国の庄屋はなぜ起こせた?
そう、広大な土地を所有すり在地領主層が庄屋になったから、大名家、藩にたいし、
衝突も辞さないレベルの武力と財力と在地支配力があったからそれができたわけだが、

えど300年で下級武士が一度でも藩主や大名家に反乱や反抗できた例は幕末の長州くらいしかないんだが?

まあ
江戸以前から持たざるものたちだからなあ

284 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 23:26:18.96 .net
>>282
わざと釣ってくれてありがとう。
まあ277
のとおり、
家系図学者の大名池田家も、江戸の武士は平民あがりだと断定してるし、

寛政諸家系図伝においても、
幕府はあまりに酷すぎる江戸大名家の出自に、
嘘八百でいいから源平藤橘に繋げた系図を書かせて強制的に提出させてるくらいだからな。

そりゃ軽輩下級藩士にとって、超絶スーパースターの同じ狢たる秀吉様も藤原北家だから、
小作人の足軽あがりの藤堂も、
リアル任侠の蜂須賀、九鬼、村上なども、みな源氏だからな、
人類みな、源氏だよ笑

285 :日本@名無史さん:2021/05/31(月) 23:28:02.34 .net
小作人あがりの伊藤博文も、
弾紗英もんも、車善七も、
みな源氏を家系図で唄ってるからな

人類みな源氏だわ確かに笑

286 :日本@名無史さん:2021/06/01(火) 00:17:06.93 .net
>慶応4年1月(1868年)に配下65名とともに幕臣に取立てられたが


江戸の武士様は多種多様、
まさに現代のダイバーシティだった事実がいくらでもでてくるよ素晴らしい

287 :日本@名無史さん:2021/06/01(火) 00:17:59.86 .net
>幕末に活躍した第13代弾左衛門は、長州征伐や鳥羽・伏見の戦いで幕府に協力した功労によって、
>>慶応4年1月(1868年)に配下65名とともに幕臣に取立てられたが


江戸の武士様は多種多様、
まさに現代のダイバーシティだった事実がいくらでもでてくるよ素晴らしい

288 :日本@名無史さん:2021/06/01(火) 12:27:34.76 .net
ここは本当に恐ろしいインターネットですね。
私はインターネット歴3年のベテランですが
こんなに恐ろしいインターネットは見た事がないです。
ここにいる皆さんは、あまり知識がないから知らないと思いますが
私はアングラーサイトというものに出入りしているので
インターネットの恐ろしさを知っているんですよ。

こういうインターネットに居ると
IPアドレス(メールアドレスのようなもの)がばれてしまうんですよ。
皆さん、気を付けて下さい。

289 :日本@名無史さん:2021/06/18(金) 20:39:27.05 .net
昭和初期くらいの遠い親戚で、乳児期に朝鮮の人と養子縁組したとあるが、
程無く裁判で縁組無効が確認され記載が抹消された人がいる
何があったのか気になる

290 :日本@名無史さん:2021/06/19(土) 17:15:14.83 .net
戸籍をたどるとどうしても壬申戸籍に行き着いてしまう。

何とか見せてもらうことはできないのだろうか

291 :日本@名無史さん:2021/06/19(土) 17:42:19.28 .net
>>289
外地の人との養子縁組の方式が違っていたとか?

292 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 00:08:09.40 .net
尚、無効確認の後に再び縁組をした記録はない

293 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 17:30:53.62 .net
>>278
佐賀藩も下級武士を含めて、人口の10数%になると言われている。
自分の家の本家は、船方の所属で藩士名簿にも載っているがおそらく1〜2石程度で、
商売でもしないと食べていけなかった。
実態としては普段は商人で、たまに外出するときに刀を差していたんじゃないかな。

294 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 17:48:26.31 .net
佐賀の江頭氏

海軍軍人江頭安太郎、実業家江頭豊、文芸評論家江藤淳らを輩出し、皇后雅子にもつながる家系である江頭家は、江戸時代、佐賀藩主鍋島家の家臣だったとされている。しかし、江頭家の系譜にある江頭嘉蔵の名は、1845年(弘化2年)、1864年(元治元年)の二種類の佐賀藩侍着到にはない。嘉蔵の曾孫江藤淳は、江頭家について「手明鑓(てあきやり)」という身分の藩士だったのだろうと推測している。手明鑓は平時は無役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。手明鑓は佐賀藩独特の身分で正式の武士ではなくて、戦時のみに駆り出される役職だった。しかし、嘉蔵以前の系図や史料が一切存在しないため、嘉蔵が「手明鑓」であったか否かを含めて、ルーツや俸給などはまったくわからない。嘉蔵以前の系譜は、現在までのところ、明らかになっていない。

安太郎の父嘉蔵の生年についてはわかっていないが江藤淳によると、「おそらく1818年-1829年(文政年間)の後半に生まれたのであろう」という。嘉蔵がキノと結婚したのは30歳をいくつかこえてからである。嘉蔵は佐賀中学校の小使をつとめた。嘉蔵は安太郎が少年時代に亡くなった。キノは東京青山墓地にある江頭家の墓所で「佐賀県士族江頭嘉蔵室喜能子之墓」と書かれた墓石の下に眠っている。嘉蔵の墓は青山の墓所にはない。『人事興信録 第3版』によると、嘉蔵や安太郎の族籍は「佐賀県士族」である。

295 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 17:56:55.41 .net
江頭嘉蔵
https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/history/1120898038/

296 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 18:17:26.08 .net
>>294
通常、藩士名簿(佐賀では惣着到という)は侍身分のみ記載されていたが、弘化2年惣着到に関しては、
武力増強の意味もあって、普段は記載されない下級武士も記載された。その内容(佐賀本藩のみ)は
佐賀県立図書館データベースで誰でも見ることができる。
https://www.sagalibdb.jp/bugenchou/index.php?mode=search&page=1&key=%E6%B1%9F%E9%A0%AD&sa=and&num=100
しかし、さっと見たところでは江頭嘉蔵や江頭安太郎の名前は見当たらない。
ただ、佐賀藩は陪臣(佐賀では被官という)が多く、その人たちはここには掲載されなかったのかもしれない。

297 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 18:48:48.52 .net
>>294
手明鑓は元侍身分で、下級武士の中でも身分が高い(江藤新平の家が手明鑓)。
そんな人が弘化2年の惣着到に載っていないのは、不自然に思えるね。

298 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 19:30:27.54 .net
>>293
おそらくどころか、確信的に藩から自己責任で生きていけと見捨てられてるレベルだろ。
もはや庶民以下の生活水準なんだからさ。
一石程度なら江戸初期から代々続いていたとは考えられない。

299 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 21:37:03.01 .net
>>294
元治生まれの親が学齢期まで生きてりゃ
普通に壬申戸籍に載ってるだろ
江頭淳なら普通に見てるだろ壬申籍

300 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 21:40:50.22 .net
頑なに壬申戸籍封じてるのって
日本の統治階層が皆そういうことなんじゃないかと思ってる
ハクブンとかほぼカミングアウトしてるようなもんだが他も似たり寄ったりだろう

301 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 21:42:41.28 .net
自分の先祖の壬申戸籍くらい見せろよ

302 :日本@名無史さん:2021/06/21(月) 21:53:36.50 .net
壬申戸籍
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1618892646/

303 :日本@名無史さん:2021/06/22(火) 07:40:45.09 .net
>>298
全く都合の良い話なんだが、十分な石高は与えず自己責任にしておいて、ちゃっかり大組に編成されている。
まあ、下級武士で商売がそこそこうまくいっていれば、下手な侍身分より良い生活が遅れていたのかもしれない。
そこら辺りは本人次第じゃないかな。あと、確かに江戸初期には何をしていたのか分からないな。

304 :日本@名無史さん:2021/06/22(火) 08:13:13.11 .net
壬申戸籍を封じてるのって、「新平民」の記載があるからだと思っていた。
とりあえず「新」の字にテープでも貼って、閲覧可能にすればよい。

305 :日本@名無史さん:2021/06/22(火) 12:51:14.34 .net
>>304
壬申戸籍ではないが、実際に古い戸籍を取り寄せると相当塗りつぶされている箇所がある

306 :日本@名無史さん:2021/06/22(火) 19:18:31.92 .net
>>305
日本人って、割と原本とか大事にする方だと思うんだけど。
明治19年式とかでも、身分を消してしまっているものとは別に、原本そのままのがあるんじゃないかとか、今ふと思った。

307 :日本@名無史さん:2021/06/22(火) 19:46:20.34 .net
>>306
人間のすることだから、本来塗りつぶさなければいけない文字をそのままにしているところがある。

おかげで塗りつぶしたところが推測できる場合もある

308 :日本@名無史さん:2021/06/24(木) 00:41:50.97 .net
>>289
外地特有の事情ではなく単純に偽造の縁組届が受理されたのでは

309 :sage:2021/06/24(木) 19:45:29.72 .net
明治19年戸籍まで見れるんだからたいした違いはないだろ。

310 :日本@名無史さん:2021/06/24(木) 20:02:55.69 .net
────𝐴𝑛𝑎𝑙 𝑆𝑒𝑥
最高の𝐿𝑢𝑥𝑢𝑟𝑦をあなたに────

311 :日本@名無史さん:2021/06/30(水) 17:39:56.85 .net
いわゆる豪農だったらしいけど、一度本家のお墓を見たら戒名が「居士」じゃなくて「社士」というのだった。
あと古いお墓(笠塔婆?)に入ってた家紋が伝わってる家紋と違かった。

312 :日本@名無史さん:2021/06/30(水) 18:43:05.46 .net
>>311
違かったって何?
一発変換出来ないけど、わざわざ打ち直してまでその奇妙な日本語を使う意味は何?

313 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 00:39:33.09 .net
若いの人の口語っていうか、わりと見るよ。
違っていて→違うくて、とかも
どっかの方言なのかも知れないけども

314 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 08:05:36.64 .net
よく見るようになったが明らかな間違いだろ。

それにパソコンやスマホでは変換できないのに、わざわざそんな表記にする意味がわからん。

315 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 09:13:20.22 .net
「違くて」「違くない」って変ですか? 若者ことばと思いきや実は…
https://withnews.jp/article/f0180529001qq000000000000000W05h10801qq000017383A
>竹林一志(かずし)日本大学教授は、動詞の「違う」にある
>「他のものとは異なる」という意味の性格が、極めて形容詞に近いことが、
>「違くて」「違かった」などの活用が広がった理由として重要だと考えています。

>言語学者の井上史雄さんの著書「日本語ウォッチング」は、
>100年ほど前に東北で使われはじめ、そこから北関東、東京と伝わり、
>その後広く使われるようになった、とそのルーツに言及しています。


「○○とは違って」というのを「違くて」とか「違うくて」という人がいますが,なぜですか
https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-33/
>秋田県南部の由利地方の方言では「違う」に限らず動詞全般に「ぐ」を付けたり
>(例「あるげるぐ なった」=歩けるようになつた),「がった」を付けて
>過去を表したり(例「行くがった」),「がろ」(例「行くがろ」)を付けて
>推量を表したりするそうです。
>この「ぐ・がった・がろ」は形容詞の語尾に由来する形です。
>また関西では,「違う」の方言語形「ちゃう」が「ちゃうかった」
>「ちゃうくて」のように活用します。

316 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 09:17:38.58 .net
動詞の形容詞的使われ方はマスメディアが導入される以前から成されていたようですね

もちろん「日本語の乱れ」ではありますが
そもそも日本語は有史以前から乱れ続けているからね

317 :311:2021/07/01(木) 09:27:13.29 .net
311です。東北地方の人間だからでしょうか。
普段から何の疑問も持たず使用しておりました。
誤解を招いてしまったみたいですみませんでした。

318 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 11:49:19.79 .net
茨城弁  関東方言との関係

茨城弁はいわゆる江戸の下町言葉である「べらんめえ言葉」をよく残している。
関東圏の方言は概ねその影響を受けているが、茨城では著しい傾向がある。
・・・中略
実際に東京西部の青梅市・多摩地域などの方言や神奈川西部の方言は茨城弁に驚くほど良く似ている。
・・・中略
現代の標準語は過去の長い歴史を経つつ今も変化を続けており、不思議と思える若者言葉のうちの
僅かなものは、いずれ将来の標準語となる可能性を持っている。
例えば「違う」とは動詞であるが、現代日本語にはこれに当てられるべき形容詞形が無い。
そのため、茨城では古くから使っていた「ちがくなる」という方言は、現代語の欠陥を補う言葉と言っても良く、
今では都心の若者達が使うようになっている。

−−−−−
たしかにな。
江戸っ子は違うという言葉を強調して「違わい、違わい」(ちがわい、ちがわい)などと言ったが、
茨城に限らず、関東の子供は「ちがわい」と言う。
となりのトトロのカンタ君もちがわいと言っている。

なお、茨城・栃木の「ちく・ちぐ」(嘘という意味)という言葉は、「違う」が語源と考えて間違いない。

319 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 13:07:40.25 .net
うちは県北の旧家だが風土記に九州から近江を通って当地に辿り着いて機織りの工房を始めたと書いてあるからルーツは九州だな

320 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 18:40:40.92 .net
>>319
こういう人って普段から話の流れとか全く読まないのかな。空気読めなすぎて怖いわ。

321 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 18:42:02.93 .net
>>311
分家する際に家紋を変えることはあるみたいですよ

322 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 22:46:45.64 .net
>>312 は超ド糞カッペ親父

323 :日本@名無史さん:2021/07/01(木) 22:50:40.26 .net
はいはいそういうマウントの取り合いやめよ?
なんの生産性も無いから

324 :日本@名無史さん:2021/07/02(金) 05:24:14.43 .net
と、余裕を見せる超ド糞カッペ親父w

325 :日本@名無史さん:2021/07/02(金) 12:01:05.01 .net
>>323
うっせー小作人の末裔

326 :sage:2021/07/05(月) 17:23:57.48 .net
>>311 うちも言い伝えで聞いてた家紋と墓に彫られた家紋が違ってた。 似た家紋だし昔は同じ家紋名と言ってた時代もあったから全く気にしていなかったが、あるとき写真を撮ったときに細かな違いに気がついた。

327 :sage:2021/07/05(月) 17:26:35.36 .net
>>315 要は方言だよ。 もともと日本の標準語なんてなかった。 
ラジオ放送が始まったときに東京の下町言葉を標準語として放送するようになっただけ。

328 :日本@名無史さん:2021/07/05(月) 21:47:42.89 .net
墓じまいをしたときに、隣にある本家の墓と一緒に撮った写真を貰った。
久しぶりに見てみたら、家紋がどうも違うようだ。分家した時に変えたのかもしれない。
関係ないが、亡き祖母の家は八槌車なんだけど、祖母はこの紋がダサいと嫌いで、五三の桐が入った着物をいつも着ていた。

329 :日本@名無史さん:2021/07/06(火) 20:49:56.22 .net
こちとらNHKでござんず
愛宕のお山からくっちゃべっておりやす
右や左のみなみなさまや聴きなせぇ
ラヂヲ放送おっぱじめちまいました
‥下町言葉で放送は始まったのか‥知らなかった

330 :日本@名無史さん:2021/07/06(火) 23:58:46.25 .net
家紋って好きなように決めることができたのですか?

331 :日本@名無史さん:2021/07/07(水) 00:25:01.15 .net
>>330
庶民に家紋なんて言う概念ができたのは昭和からだよ。

昔は家紋なんて、公家か武家でもない限り必要なかった。
現に農民の家なんてそんなものはないし必要もなかった。

明治大正でも、そもそも初めから家紋のない家は家紋なんて必要としなかった。

昭和に入って、

葬式屋が、葬式を取り仕切りするようになってから、
家の前にちょうちんを置くときに、のっぺらぼうじゃ寂しいから何かつけようと言う話になって各家庭が勝手に決めただけ。

要するに、江戸時代の日本の人口の2%にあたる武家と公家の子孫以外は、

昭和に入って好き勝手に決めただけだから、きまりどころか、そもそもが伝統も何もあったもんじゃない。

別にあなたの家の家紋を、今日から16弁の菊にするといっても構わないんだよ

332 :日本@名無史さん:2021/07/07(水) 00:43:08.68 .net
農家でも紋付きくらいはあるが
昭和ってことはない
遅くとも大正期にはある

逆に都市部じゃ紋付きは五三の桐を大家から借りるもんらしいけど
まあ落語の知識だから正味は知らない

333 :日本@名無史さん:2021/07/07(水) 19:10:27.70 .net
家紋はCame on!!

334 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 11:09:44.61 .net
>>331
うち農家だけど墓に家紋も苗字もなのってたよ。
ちなみに家紋は山桜。

335 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 11:11:30.70 .net
>>334に追加
我が家は300年続いてる家柄。

336 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 12:51:36.57 .net
ちなみに血は繋がってない。

337 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 19:32:09.58 .net
>>334
そういう立派な農家もあるけど、大半のところは過去帳すら怪しい農民の祖先だよ。

さきの話の通り、家紋どころか苗字もなかった。
家紋を決めたのは、昭和に入ってから

338 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 21:00:15.39 .net
うちも農家だけど、家紋は江戸期から使ってるな
名字は明治からの名乗りだが、大本家はその前から名乗っていたそうです
ちなみに家紋は州浜です

339 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 21:54:50.45 .net
百姓って明治になるまで名字がなかったって説と
実は名字も家紋も昔から持ってたけど使わなかっただけって説
どっちが正しいんだかな
うちの先祖は慶長時代から庄屋だったけど名字家紋持ってたらしい。江戸時代中期に庄屋兼医師だった当時の先祖が代々うちに仕えてきた被官に「渡辺」「石橋」の名字を与えたっていう言い伝えがある。
となるとやはり大部分の庶民は名字を持っていなかった説が濃厚か

340 :日本@名無史さん:2021/07/09(金) 22:45:51.14 .net
きっちり調べたら、うちは、明治に入って〇〇郷の出身だから〇〇と言う苗字になったことが分かった。

確かにその辺一帯、同じ名字の家ばかり

341 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 09:53:34.05 .net
>>339
名字に関しては、説というか割合の問題だと思う。
昔は庶民は明治まで名字がなかったと当たり前のように言われていたが、
最近では、庶民でも名字がを持ってる人も多く、非公式(神社への寄進帳・墓石等)の場では使っていたといわれている。
とはいえ、明治になってあわてて名字を作った家も多いと思うけど。
自分の家の場合は、戦国時代は村の裏にある山城所属だったが、江戸自体は半農半猟だからか、
一応苗字は持っていたみたい。

342 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 10:16:20.54 .net
>>341
すみません、言葉が足らず分かりにくい文でした。
以前は、「百姓って明治になるまで名字がなかった」という見方がされていたが、
最近は、「実は名字も家紋も昔から持ってたけど使わなかっただけ」という意見が多くなってきたように思えます。

343 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 10:23:23.65 .net
そして以前にも書きましたが、実際後者に当たる例を身近に知っています。
地主(庄屋かどうかは不明)さんが、明治になって小作人に同姓を名乗ることを許可しましたが、
本家(地主の家)は旧字体を使うのに対して、小作人には新字体を名乗らせました。
今でも自治会長は本家(旧字体)の家です。住宅地図を見ると周りに新字体の同姓が30件くらいありました。

344 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 10:24:19.54 .net
>>343
「後者」→「前者」

345 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 11:27:34.35 .net
>>339
家紋なんてどの百姓家にもあっただろ
被差別部落民でも家紋くらいあるわ
将軍家や領主様と被らなければ問題ないだろ

346 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 11:44:41.32 .net
>>340
当たり前
田舎なんて、一帯みんな同じ苗字。

347 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 12:04:43.81 .net
一帯みな同じ苗字なのにウチだけ別
(自称)藤姓なのになぜか源姓紋

御先祖讃ぼっち嗜好にも程がある
もしくは程度の低い系図屋に騙されたか

348 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 17:01:26.02 .net
よく土地の名主や庄屋が勝手に苗字をつけた、あるいは勝手に役場に届け出てしまったとかいう話があるが、明治中期に苗字をつけられた側が改姓してる例は確かにあるね
そういった例は福岡県内の部落民に多いが普通の農家では聞いたことがない
埼玉県でもその例(名主に一方的に山○と苗字をつけられたが、本当は先祖は殿様と一緒にこの地に来た松○姓だ。だから松○に改姓)があるが、これは事実とちょっと違うような気がする

349 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 18:02:10.37 .net
>>348
埼玉苗字辞典で調べてからモノを言え

350 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 20:51:06.63 .net
自分場合、一時期源氏の家臣だったという言い伝えがある。それで田舎へ行ってみたら幕末頃の石碑があって、
「安里馬伊馬守〇〇」と先祖を祭っていた。それを見て、ああ「有馬因幡守」と書きたかったんだろうけど、
漢字が分からなかったんだね、なるほどと思った(現在、有馬姓)。

351 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 21:06:47.42 .net
苗字事典全都道府県出してくださいこれこのとーり

まあ無理か

352 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 21:11:15.99 .net
>>349
当時の裁判記録残ってるからそんな辞典必要ないよ

353 :日本@名無史さん:2021/07/10(土) 21:24:31.91 .net
武士やそれに準ずる身分以外の者が苗字を私称するのは、
一番多いのは墓石や神社への寄進とか地蔵や庚申塔の銘文、剣術の門下生になる時の起請文や剣術関係の行事の連判とかだよな
わりと下層の身分、たとえば被差別部落民も苗字を名乗ってるのがわかる
一村みんな田中とかは西日本に多いような印象

354 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 01:11:28.10 .net
自分で名字を名乗るにしても、江戸付近と地方では地域差が多いかもしれない。
土方歳三みたいに、武士でもないのに剣術道場に通っていた・通えていたりしているから。

355 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 01:47:48.75 .net
>>354
豊後の国の田舎の被差別部落にあった剣術、居合、棒術の道場には九州や瀬戸内海各地から入門者があって入門時に生国と姓名を書き記した連判状があるよ
当然ながら入門者は被差別部落民

356 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 01:50:38.48 .net
>>354
ちなみに土方とかの天然理心流の門人は、ほぼ非武士身分

357 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 02:20:49.68 .net
秦惣兵衛

358 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 11:43:36.34 .net
先祖探しは難しいよ
江戸時代の武士ですら戦国時代頃の先祖探しには苦戦したっていうから、今だとかなり困難だわな。
大田南畝なんて幕府の御徒士だけど、祖父の代までしか名前もわからなくて、戦国時代までは国分寺の恋ヶ窪にある大田目という土地の処士だったという口伝だけしかなかった。
御徒から支配勘定になり、多摩川巡察を命ぜられた時に、恋ヶ窪に立寄って土地の名主らに自分の先祖や大田目という地名について訪ねたが誰も知らなかくて落胆したとか。

359 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 14:51:30.63 .net
>>358
実際に戸籍をたどれるところまでたどった。
すると、行き着くところが岡山県の中部の市になった。
祖父の代から、聞いていた通りだった。

そしてそこに書いてある、原点の番地に足を運んでみると、今は小さな材木屋と民家があった。

その周辺には何件か私と同じ名字の家があり、
たまたま話を聞くことができた。
菩提寺についても判明した。

お寺を尋ねると、曾祖父の代までは、そこに眠っているということがわかった。

いよいよ最終目的である、明治戸籍制度以前の、祖先の系譜
(過去帳)を調べてもらったが、

そもそもが住職しか見ることができないもので、
しかも、現在の表のように整理されたものではなく、ひたすらかきたされたものであると言うことで、

残念ながら目新しい事は大してわからなかった。
(それでも多少の事は発見できた、戸籍には載っていない兄弟の存在や、なぜか戸籍では空欄になっている妻の名前。没年のわからなかった方の没年)など。

ただ江戸時代にさかのぼると言うのはほとんどできなかった。少々不満も残ったら、わからないと言うのならしょうがない。
住職曰く、実際苗字がないせいでとてもわかりにくいとの事だった。
同じ村に同じ名前のもの複数いたり、親子で同じ名前をつけていたりすることもあり、判別がつきにくい部分もあると述べていた。

360 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 15:15:21.82 .net
都市生活者だと祖父の代まではだいたいわかるが、三代以上さかのぼって調べるのは今も江戸時代も困難だわな

361 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 16:04:22.82 .net
都会のひとはあちこち大変だね。
田舎なら市役所で一瞬で遡れる。

362 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 20:24:36.37 .net
原戸籍を出してもらった時役所のおばちゃんが難しい字を読み解いて教えてくれたよ

363 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 21:20:33.59 .net
江戸時代の過去帳を直接見たが、かなり雑な書き方だった。
整理整頓して書くんじゃなく、その時に空いているスペースに追加するって感じ。
たぶん、身分が低かったからだと思う。
ただ、一族ごとにまとめているタイプの過去帳だったので、まだ見やすかった。

364 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 22:01:12.97 .net
自分が除籍謄本を取得するとき、住所に「〇〇番屋敷」って書いてあるけど、
みんなそうで特別じゃないからね、って注意(もしくはアドバイス)をされた。

365 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 22:14:12.53 .net
>>355
教えてくれてありがとう。そんなところもあったんだね。けど、各地から集まっていたのはそういう場所が少なかったからかな。
>>356
天然理心流以外にも、馬庭念流みたいに江戸から群馬方面にかけていろんな道場があって、
農民とかも通っていたイメージがある。渋沢栄一じゃないけど、一歩間違えば武士階級にのし上がれる雰囲気があったのかな。

366 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 22:53:22.58 .net
明治の戸籍を見ていると、同じ名字で結婚しているケースが多くて、親族婚かどうか良く分からない。
明治の新姓もあって、近所に同姓の人が多かったからだろうね。田舎ならではの現象か。

367 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 23:15:06.53 .net
先祖が住んでいた土地を訪れたときは、近くの神社も行った方が良いと思う。
自分の場合は、祖父の兄が寄進していて、鳥居の裏に名前と金額が刻まれていた。

368 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 23:16:15.47 .net
>>366
我が家の祖先とかだと、母方は福井県の山奥だが、

特定の家から、嫁に貰い、またその家に嫁を出すと言う逆のパターンもある感じで、代々それを繰り返している。

369 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 23:25:45.02 .net
>>368
少し土地の離れた祖父と祖母がどうやって結婚するに至ったか(当然、見合いだと思う)を考えると、
戸籍を見れば少し前に親族が結婚して、そのとき村同士の間でルートができたんだろう、と思う。
もちろん、一族で婚姻のやり取りしているパターンもある。田舎では普通だったんだろう。

370 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 23:26:18.61 .net
神社に行ったほうがいいのは同意
うちも江戸時代に先祖が銘のある刀を奉納してたことが神社の調査で分かった。

371 :日本@名無史さん:2021/07/11(日) 23:56:38.96 .net
曽祖母が離婚した相手の故郷を調べたら、
江戸時代以前から同じ一族が住んでる地域という話だったけど、
電話帳とかで調べたら現在でも20軒中19軒が同じ名字だった

372 :日本@名無史さん:2021/07/12(月) 00:57:52.30 .net
ひい爺さん本籍地やたらめったら移してるんだが、ググってみるとその全てが花街の近接地
ひい爺さんまさか女衒?
なまんだぶなまんだぶ

373 :日本@名無史さん:2021/07/12(月) 13:50:37.64 .net
エピソードw
だっせぇww

374 :日本@名無史さん:2021/07/12(月) 19:12:57.24 .net
>>372
牛太郎だったかもしれない

375 :日本@名無史さん:2021/07/14(水) 03:33:15.25 .net
ここ最近色んな文献読んで気付いたんだけど、庄屋の先祖って江戸初期以前まで遡れたら有名な武将や戦国大名の血筋に繋がるのでは?

やっぱり江戸末期の先祖しか辿れないようだとまだ自分のルーツは全然分からない事だらけだな

376 :日本@名無史さん:2021/07/15(木) 00:16:42.30 .net
>>374
それも考えましたが被用者がわざわざ小まめに本籍移すのかと
女衒なら個人事業主でそれもトラブルの多い業種故にきっちり身元届けておけとの警察から指導があったとかありそうで
後に老衰での死亡地が本籍から離れてたのは廃業後わざわざ本籍移す必要が無かったとか


それともう一つ気にかかってるのが代々遠方出身者を、それも30代もそこそこ上がってるのを配偶者にしてること
これひょっとして年期明けの女郎さんで里が無くなってたのから嫁取ってないか?
まあ全部想像ですけどね

377 :日本@名無史さん:2021/07/15(木) 00:18:36.79 .net
詳しくは知らないけど、住民票と言う概念がなかった時代は、引っ越しのたんびに本籍をポンポンと移動させていたっぽいけどね

378 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 05:25:13.45 .net
女衒に届けが必要なんてあるわけないだろw

この話が本当なら貸金業だろう。貸金業者はたしか届出・登録が必要だったと思う。
登録は今でも都道府県単位で知事の職掌のようだから、昔もそうだったんじゃないか。
自分の家を事務所にしていたのなら、引っ越せば届けが必要になる。
その前提として本籍も移動する必要があるだろう。

女房が30過ぎというのは別に珍しくない。
もっと若くして貰って、入籍が遅くなった場合もある。
昔は数年たってからの入籍なんか普通だった。
子供が生まれて、その子供がたしかに自分の子と確信が持てるようになってから入籍、
なんてのも多かっただろう。

379 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 06:07:22.62 .net
自分の都合の良いように考える妄想ばっかりだな、根拠ないさ。家系図なんてあとから作ったもんだろうし

380 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 07:18:09.25 .net
今は離婚が多い ×

昔の戸籍を取り寄せればわかるが、みんな激しく離婚している。
中には同じ人物と何度も離婚結婚を繰り返してる人もいる

381 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 07:50:16.20 .net
あと3つ情況があるけどまあいいや
貸金業も頭に置いとこう
ありがとう
まあ違うと思うけどほぼ違うと思ってるけど

382 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 07:53:00.31 .net
>>380
多いよねみんな普通にしてる
あと養子縁組の解消離縁も結構多い

383 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 16:39:32.25 .net
明治19年式戸籍で、なぜか母の名前欄が空白の人が結構いる
という事はその前の明治5年式戸籍でも名前は空白だったのでしょうか?

384 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 17:42:16.82 .net
>>380
大正元年生まれの祖母は、3回結婚して3回離婚している。
けど、働きまくって3人の娘をちゃんと育てた。気が強い人だったよ。

385 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 17:50:50.46 .net
>>383
明治19年式戸籍を再度見直した。戸主は曾祖父だが、曾祖父の母は「明治5年(壬午戸籍の年)以前 入籍」
となっていた(名前はある)。曾祖父は江戸生まれだから、その母は当然江戸時代に入籍しているはずだが、
壬午戸籍を参照しなかったのか、参照してもはっきり分からなかったのか不明。

386 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 18:00:54.54 .net
>>385
うまく説明できないけど、壬申戸籍に載っている戸主がずいぶん長生きしたせいで、次の戸籍には、かなり人の動きが変わっていて、その間の動きがわからなくなっている。


長生きは良い事だけど、その間の動きが壬申戸籍を見ないともうわからないから残念

387 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 18:31:09.33 .net
>>386
確かにそういう場合なら、壬午戸籍見たいだろうな。
自分の家が「平民」なのはわかっているが、それでも見れるもんなら見てみたい。

388 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 21:40:36.50 .net
田舎に屋敷神というのがあって、先祖を祭っている。
庭にある杉の大木の根元に、小さい神社みたいなのがあった。それが屋敷神。
中を見せてもらったことがあるが、戦国時代に武士だったという先祖の名前が
書いてある板が入っているだけだったな。

389 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 23:08:16.13 .net
>>381
あと三つ情況があるんだと
それ隠しといてザマー見ろだとさ、馬鹿だよなw

そのときの前提条件で考えられる答えを出せばいいのであって
正答を出す必要はない。そもそも正答かどうかは永遠に分からない。

こいつは低能通り越して痴呆だな。
女衒の子孫で間違いないかもw


>>386
戸主が長生きしようとすまいと、明治19年以降ほぼ一年ほどで明治19年式戸籍に切り替わったんだから
関係ないだろ。
戸主の死亡→代替わり にならないと戸籍が19年式に切り替わらないわけじゃない。

390 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 23:46:46.57 .net
>>389
明治(というか戦前?)は隠居制度があった。自分の場合は、明治10年代に高祖父が隠居して戸主は変わっているが、
高祖父は明治19年まで生きていたので、明治19年式戸籍にも記載されており高祖父の父の名前もそれで分かった。
もし、壬申戸籍から明治19年式までの間に高祖父が死んでいたら、記載がなくなることになる。
自分で書いていて良く分からないが、これで答えになっているのかな。

391 :日本@名無史さん:2021/07/16(金) 23:53:47.16 .net
>>390
書き間違えた。「答え」じゃなくて「参考」

392 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 00:44:37.10 .net
ところで家系図を作るソフトと言うのは使ってるか?

俺は、「つくれる家系図」と言うものを使っているが、
入力がめちゃくちゃしやすいし使いやすい。

おおむねのものは作れるが、

ただ、このソフトが想定してる戸籍の動きを超える移動があるととバグが発生する。

たとえば、
3回以上結婚して3人の間に子供を産んでいたり、
妹が結婚した姉の養子になっていたり、

その他人間の人生だから、単純じゃない動きをするので、それらに対する対応がないのが残念。

393 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 06:06:14.25 .net
プロじゃないのでエクセルで書いてます

394 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 07:42:54.49 .net
>>392
自分も使い始めたところで勉強中。

同じように姉夫婦に養子でに入った妹がいるけど表現できないのか。
とりあえず養子として描いていて、姉妹をどう表現するか考えていたところだった。

あと、別な世代だけど養子に入った女の子が結婚して戸籍から出た後でその養子だった娘に生まれた女の子がまた養子に入って来てるんだけど上手く表現できないのかもしれない。

395 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 09:45:19.21 .net
>>389
一年ぽっちで3900万人の全戸籍が書き換えられるわけないじゃん
仕事できない人だな
庄屋?

396 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 12:07:19.65 .net
>>390
残念ながら答えになってないな。

>もし、壬申戸籍から明治19年式までの間に高祖父が死んでいたら、記載がなくなることになる。
そうだ。先代、その先代、またその先代・・・・というふうに古い人が長生きしてくれれば、その分
戸籍には古い時代からの情報が載ることになる。
戸主が代替わりせずにそのままだって、その他の人間の入れ替わり(出生や分家や嫁の入籍など)は
記載される。戸主が長生きしようと代替わりしようと、その点は同じだろう。

君は、戸籍法が改正になって戸籍の様式(戸籍事項等)が変わると、全国一斉に戸籍簿の改編作業が
行われることになることを知らなかっただけだよ。

>>395
おー、久しぶりに大馬鹿登場w

>一年ぽっちで3900万人の全戸籍が書き換えられるわけないじゃん

じゃ君は壬申戸籍から19年式戸籍の書き換えにどれくらいの年月が必要だったと思っているのかな?

397 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 14:18:29.61 .net
明治31年式なるもの大正4年式なるものは
改製により導入されたわけではなく
明治19年式にそのまま接ぎ木された
よって届け出のタイミングでそれぞれ無い家もある

君の無茶な質問に強いて答えろと言うのであれば
明治31年に於いても終わらなかったと答えるより他に無い
解った?仕事できない御人

398 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 14:30:03.95 .net
>>397
お前、いったい何を書いてるの? 日本語になってないじゃん

>改製により導入されたわけではなく
>明治19年式にそのまま接ぎ木された
何なのこれw

>よって届け出のタイミングでそれぞれ無い家もある
何が無いの?

>明治31年に於いても終わらなかったと答えるより他に無い
何が終わらなかったの?

医者から貰ってる薬があるなら、それをちゃんと飲んでから書いてくれ。
こっちは別に急がないから

399 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 14:32:07.81 .net
ちなみに昭和23年式と呼ばれているものが
実際法務省令により改製が行われたのが昭和32年
つまり改製準備に9年以上費やされた

それでも届け出のタイミングにより実際の編製は更に数年以上後になった
当然ですね

400 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 15:18:24.57 .net
>>399 についてもちゃんとコメントしてやるから
まずは>>398 の方に答えてくれ。

お前の>>397 の文章は、例によって馬鹿炸裂で手に負えないわww

401 :日本@名無史さん:2021/07/17(土) 15:34:59.51 .net
法律に詳しくないが、壬午戸籍が見れないのは、国民の「知る権利」を害していないのか。
直系尊属に関しては閲覧可能にすべきだろう。本当に焼けて記録が残っていない地域はしかたがないが。

402 :日本@名無史さん:2021/07/18(日) 23:06:38.08 .net
知られない権利

403 :日本@名無史さん:2021/07/18(日) 23:37:25.92 .net
自分が自分の直系の祖先知るのは良いのではないか?

他の人が知るのは問題かもしれないが

404 :日本@名無史さん:2021/07/19(月) 09:27:16.34 .net
>>403
解放同盟がうるさいんだろうなぁ。解禁したら役所の前でデモみたいなことしたり、電話攻撃したりするんだろう。

405 :日本@名無史さん:2021/07/20(火) 07:55:02.47 .net
過去帳と壬午戸籍の閲覧は禁止

406 :sage:2021/07/20(火) 11:58:44.09 .net
>>328 江戸時代に入ると庶民も家紋を使うようになったが、諸大名の紋を使うわけにはいかないから庶民が使える紋を通紋といった。
五三桐も通紋の一つだから誰でも使えた。

通紋には五三桐の他に、唐花紋、蔦、丸に違い鷹の羽、唐花菱などが有り貸衣装にはこれらが使われている。

407 :sage:2021/07/20(火) 12:55:48.63 .net
>>361 自分はメールで先祖の戸籍を調べたいと連絡したら何人分いるから郵便為替で費用を送り戸籍を送ってもらった。
江戸生まれの高曽祖父まで辿れた。

408 :日本@名無史さん:2021/07/20(火) 15:10:57.36 .net
中学生の頃、お寺の過去帳を見た頃がある。
ちょうど住職が留守だったんだが、奥さんが「見せちゃダメっていってたけど、良いよね?」みたいな感じで見せてくれた。
俺の家は一族ごとにまとめていたんだが、開けて見せてくれたページ以外は見れなかった。
だってすぐ近くで、奥さんが正座してじっと見ていたから。
今は住職も何度か代わり、もう完全に見ることはできないだろうな。

409 :日本@名無史さん:2021/07/20(火) 19:28:36.36 .net
最後の砦は旧土地台帳か

410 :sage:2021/07/20(火) 19:40:27.51 .net
本家がある場所の歴史書をみたら弁済使として載っていた。
そこは平家の落人が開いた村らしいけれど、その落人の中には名前を連ねてなかった。一体どこから来たのやら…

411 :日本@名無史さん:2021/07/20(火) 21:25:45.49 .net
実家の倉を解体する事になり整理していたら、巻物とか出てきたんだけど、家系図か!?と思い見てみたら、ガタイがいい剛力無双っぽい鎧武者が稚児少年にフェラチオさせている絵とか、寝そべりながらベロチュー&手コキしあってる武士の絵だった(-_-;)
これって春画なのか?
先祖はホモだったのだろうか?

412 :日本@名無史さん:2021/07/20(火) 21:29:26.31 .net
俺は父方も母方も歴史資料館に系図が展示されてるわ
庶民は先祖探すのも苦労するんやな

413 :日本@名無史さん:2021/07/23(金) 08:07:07.26 .net
>>411
ご先祖の作品だったりして

414 :日本@名無史さん:2021/07/23(金) 10:49:16.30 .net
春画、しかも男色系の過激な春画はかなりの高級品
床の間に堂々と飾るべし

415 :sage:2021/07/24(土) 02:04:38.83 .net
>>412 先祖の系図が分かっても何処から自分が分岐したのかが分からなければ結構モヤモヤするぞ

うちも900年は間違いないが本家のどこからいつ別れたのかが分からなくてモヤモヤしてる。
本家の隣にうちがあったことはわかってるが

416 :日本@名無史さん:2021/07/24(土) 21:28:08.83 .net
もうミトコンドリアDNA調べた方がはやいぞ。

417 :日本@名無史さん:2021/07/25(日) 01:14:49.02 .net
>>416
そんなの知ったところで何の意味もねーだろw

418 :日本@名無史さん:2021/07/26(月) 21:25:03.30 .net
戦国時代の侍は、戦場に行くときに男女の交合の絵などを竹筒に入れて背負っていたというけどね。
殺し合いの場所では、お守りもそういう生々しいものの方が力があるように思えたんだろうな。
しかし、男色の絵にそういう効果が期待できるかは疑問w

419 :日本@名無史さん:2021/07/26(月) 21:39:05.05 .net
>>418
鎧びつに春画っていうのは良く聞くね
あと出征兵士のお守りとして女性の陰毛が弾除けになるとかも戦時中にもあったらしいね
あと空襲の時に女性の腰巻きを空に向かって降ると火事になら無いとかも

420 :日本@名無史さん:2021/07/27(火) 15:16:33.68 .net
>>418
ダキニ信仰みたいなもんか
そういや武田信玄は愛人を戦争連れてったな

421 :日本@名無史さん:2021/07/28(水) 06:54:31.48 .net
>>419
こうした御守り的なものには、今でも普通に行われている船霊(ふなだま)信仰が参考になる。
船を新造したときには、その内部にご神体を祀る。
船霊様(ふなだまさま)のご神体と、船霊様と一緒に船体内に納める物は、ほぼ全国共通である。
ご神体は男女一体の人形である。具体的には紙で作った人形(ひとがた)である。
https://museum.bunmori.tokushima.jp/isomoto/column/funadamasama.html
ここの一番下の写真がそうである。

ご神体と一緒に納めるのは、五穀と賽子(さいころ)・五円玉など穴明き銭、女性の髪の毛などである。
1.賽子の博打には昔は様々な符丁があり、その語呂合わせで縁起のよい目を並べて置くらしい。
2.穴明き銭は紐で輪にして置く。紐はそれ自体をご神体とともに収める地域もある。真田紐などが多い。
3.女性の髪の毛は処女の髪の毛がいいとか、水商売の女性のものがいいとか分かれている。
船主のおかみさんの陰毛が用いられることが多いのではないか。
髪の毛は黒いので牛王(ごおう。牛玉とも書く)の代わりだろう。

ご神体である男女一体の人形は、東北では交合している姿のものがあるという。
本来そういうものだったのかも知れない。
生命の根源に繋がるもの、生命の頂点にあるものを祀って危難を避けようとするのは、人間の心理として
自然なものだろう。
東北に残るオシラサマなども、木の股のところを切って紙や布の服を着せた男女一体づつの人型を
並べて寝かせたものがご神体であった。本来はもっと生々しいものかも知れない。

422 :日本@名無史さん:2021/07/28(水) 06:54:51.11 .net
古代の兵(つわもの)は、戦に出るときにはヌルデの木で作った棒のようなものを二本身につけていた。
ヌルデは雌雄異株で、どちらかだけでは実がつかない。
ウルシ科の植物で、幹を傷つけると白い液が出る。若い枝には毛が密生する。
花は牡株と雌株で形状が違い、牡の株には栗の花のような細かい白い花が大量につき、栗の花に似た
匂いをさせる。木を刈り払った後には一番先に生えてくる生命力の強い木でもある。
ヌルデは魔除けに使われる木だった。
山伏が護摩木にするのもヌルデが多い。山伏が戦場でヌルデの護摩を焚き、武士はその煙を浴びたり灰の
上を歩いたりもした。

持ち歩くときは、この木の牡と雌を短く切ってくっつけて持っていた。
仏教が入ってからは仏像のような刻みを入れることもあったと思われる。
東北で行われる蘇民祭の小間木(争奪戦の対象になる五角ないし六角の宝木)はヌルデの木である。
岡山西大寺のはだか祭りで使われる宝木もヌルデである。牛王を詰めてあり芳香がする。
ああいった形状のものを御守りにしたのだと思われる。

厩戸皇子が物部氏との戦いで苦戦し、ヌルデの木から四天王の仏像を掘り出して、戦いに勝てたら寺を建て
仏教を布教すると誓った話は有名だが、ヌルデを御守りとして戦場に持っていくのは普通にあったことである。

423 :日本@名無史さん:2021/07/28(水) 20:43:43.65 .net
モロ男色系の春画ってそんなに高価なの?

424 :日本@名無史さん:2021/07/29(木) 21:06:28.65 .net
兜の頂点内部に遊女の陰毛を入れると戦に勝つ(東駿、裾野・沼津)みたいなジンクスは結構あるよな

425 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 07:58:22.94 .net
>>423
春画なんて一般にそんなに高いもんじゃないだろ。
食えない絵師が身過ぎ世過ぎのために書くもの
しかし、高名な画家が売れる前に書いたものもある。
上村松園の春画は、後に美人画で有名になった日本画家だけに貴重なものだ。
江戸時代の歌川国定・喜多川歌磨などの春画は有名。
葛飾北斎の蛸の絵も春画の一種。

絵の値段というのは画題で決まるものではないから、男色の春画だから高いなんてことはない。
ものを知らなすぎるわ

>>424
いくらなんでも兜の内側に遊女の陰毛なんて入れないだろ。
第一汚らしいだろ。

>>418
空襲のときに腰巻きを振ったというのは聞いたことがないな。
空に向かって振るというのもおかしい。
関東大震災のときのことじゃないかな。
関東大震災のときは、対岸の火に向かって振ったりしたらしいよ。
その頃なら江戸時代生まれの人がふつうにいたからね。
腰巻きを振るというのは半分冗談みたいなことで。
火がこっちに移ってこようとしているときに女たちがみんなで腰巻きを外して振ると、腰巻きは赤い
ので、火の方からは火がチラチラ燃えているように見える。
それで、火は「ああ、あっちにはもう燃え移ったんだな」と思って、こっちには燃え移ってこないで
他の方に行くというんだな。

アヘン戦争のときにイギリス軍艦が港を砲撃すると、そこの民家の中国人たちがみんな窓から
便器を振ったという。
中国人は大砲がボカスカ当たるのは魔術だと思い、魔術師は便器を見せると魔力を失うということで、
みんな便器を振ったらしい。
この話と混同したものか。

426 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 10:04:08.00 .net
>>425
いや、兜に陰毛の話だけど東駿地方にはマジであったと思う
もしかしたら甲斐や伊豆にもあるかも
沼津のヤクザが陰毛を御守りにしていたとか、オリモノで汚れた女性の腰巻きを焼いたものを飲んだとか聞いたこどがある
江戸時代に町奉行所与力をしてた仁杉っていう家に伝わる陣笠にも陰毛を封じた御守りが張ってあったという
この仁杉家の出自は東駿・裾野在郷の武士で、後北条氏滅亡後に徳川家の御先手組(弓組)になり、腕の病気になって町奉行所へ組変になったという珍しい家なんだけど
字は違うが沼津周辺には一杉って家も多い

427 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 11:56:37.83 .net
仕事できない庄屋がまた暴れてると聞きました
記念パピコ

428 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 14:23:34.34 .net
顎は前に出てないけど長いし、何より下唇だけ分厚いですわ。
親父に幼い頃から引っ込めろ言われて隠してるけど。

429 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 14:25:34.57 .net
下唇が厚いせいで裏を噛む頻度が高いし
辛い食べ物や熱い食べ物で火傷すると目立つんですよ。

430 :日本@名無史さん:2021/07/30(金) 14:28:20.68 .net
俺は過去を振り返る機会が少ないけど
高校の卒アルも同じようなもんでね。
確か卒業写真は下唇が赤くなってたはず。

431 :日本@名無史さん:2021/07/31(土) 05:19:22.65 .net
>>426
>沼津のヤクザが陰毛を御守りにしていたとか、オリモノで汚れた女性の腰巻きを焼いたものを飲んだとか聞いたこどがある
女の陰毛をお守りにするというのはあるだろう。まともな兵隊さんたちだって戦地に行くときは
女の陰毛を紙に包んで持って行った。
しかしオリモノで汚れた腰巻きとか異常だわ。これは与太話で、元は違う話だと思うよ。
女の腰巻きは赤い布で作る。材質は季節にもよるが、木綿・絹・ネルなど。
上流階級の女性は綸子(りんず)や羽二重など高級な絹も使った。
赤い絹の布を紅絹(もみ)という。
モミは病気を治す作用があると信じられ、目を病むとモミで拭いていた。
色っぽく見える例えとして「目病み女と風邪引き男」と言われたが、目病み女は赤いモミを
目に当てていたのが色っぽく見えたのである。
(ちなみに風邪引き男というのは首に襟巻きを巻いて猫背にしているのが格好よく見えたのである。)。
赤い絹であるモミを焼くと血止めの薬になった。
戦国時代の戦場でも、血止めにはよくモミの黒焼きが使われた。
ということで、結局この話は
ヤクザが喧嘩か何かで出血して、血止めに女郎の腰巻きを黒焼きにして飲んだというような話ではないか。
血が出てどうのこうのという話と、女の腰巻きが混ざってしまったんだろうな。
戦国武将の脳 乱世を勝ちぬくブレインパワー ← google books で検索してごらん。
本のプレビューで戦国時代の紅絹による止血について読めるよ。

432 :日本@名無史さん:2021/07/31(土) 05:19:36.10 .net
さらに、戦国時代によく血止めに使われたのは髪の毛。
髪の毛を黒焼きにしたものを飲むか、傷口に直接塗る。そうすると血が止まるという。
乱髪霜(らんぱつそう)でググればいくらでも出てくる。
血止めが必要な場合は大怪我だろうから、血止めも少しでは足りない。
だから藁縄ぐらいの太さに束ねたものを持って行ったと思う。
武士の妻や、武士が若ければ姉や母親が自分の髪を切って用意してやったのではないか。
>江戸時代に町奉行所与力をしてた仁杉っていう家に伝わる陣笠にも陰毛を封じた御守りが張ってあった
う〜〜ん。陣笠というのはお仕着せ(主人の所有)だし、それに貼るかな?
戦時中の兵隊さんの陰毛のお守りも、鉄兜に貼るとかしなかったと思うけどな。
陣笠とか鉄兜の裏になんか貼ったら、蒸れるし擦れるし汚れるし、すぐにボロボロになって
しまうんじゃなかろうか。お守りってのはやっぱり胸ポケットの奥深くとかじゃないのか。
頭に陰毛ってのが感覚的に受け入れられない。
陣笠の裏に貼るというのも、後世の人がそうしたかも知れないしな。
例えば鎧櫃の中にお守りを見つけたとして、小さいものだから無くなってしまいそうだから
陣笠の裏に貼ったとか。明治になってからやったことかも知れん。
血止めのための髪の毛を陣笠の裏に巻き付けておいたということなら考えられる。
陣笠の内側は、丸グケという綿を入れて縫った木綿か麻の紐を四ヶ所で止め、頭を当てる座布団の
ようにする。その丸グケの続きを両耳のところで輪のようにし、そこからアゴ紐を結ぶ。
裏側の丸グケにたとう紙で包んだ髪の束が巻き付けてあったのではないか。
そうでなければ、黒焼きにしたものを袋に入れて貼り付けてあったとか。

ついでに。戦場で死にそうになった武士には馬の小便を飲ませたという。
リンゲル液のようなものだから、効果はあったのだろう。

433 :日本@名無史さん:2021/07/31(土) 10:32:33.64 .net
甲斐の武田氏が武州松山城を攻めた時に、鉄砲で腹部を負傷した米倉丹後に甘利昌忠が馬の糞を水でとかした馬糞汁を飲ませたら回復した逸話

434 :日本@名無史さん:2021/08/01(日) 03:47:40.60 .net
先祖探しの過程で、春画とか陰毛とか出て来たら取り扱いに迷うな
絵ならまだいいけど、張り型とかの道具系が出て来たらマジで引きそう

435 :日本@名無史さん:2021/08/06(金) 16:34:29.70 .net
親戚の家に蔵があるというだけで、心躍るけどな。
家計について分かる貴重な文献があるかもしれないから。
はよ開けてくれ、ってなりそう。

436 :日本@名無史さん:2021/08/17(火) 13:59:34.93 .net
先祖が武士か農民かなんていくら調べたって意味ない
どのみち、人類の祖先は、突き詰めればアダムなんだからな。

437 :日本@名無史さん:2021/08/17(火) 18:06:14.73 .net
どうせ家督ったって養子もありだしな。
おれはmDNAだとマンモスハンターだったぜ。

438 :日本@名無史さん:2021/08/23(月) 18:30:24.90 .net
中身がないスレだな

439 :日本@名無史さん:2021/08/24(火) 21:02:23.48 .net
探偵の依頼で住民票不正入手 行政書士を逮捕
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/c794cc23b60c0bb5a88446cf6542854e0db23e88

440 :日本@名無史さん:2021/08/26(木) 23:53:06.35 .net
何から足が付いたのだろう

441 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 13:50:10.84 .net
大根だろう

442 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 15:49:57.91 .net
>>435
うちの田舎(栃木県)だけどほとんどの農家に蔵があるよ
屋根と壁に隙間がある仕様が多いから養蚕かなにかに使っていたのかも
うちの実家の蔵には祝い事か祭りで使う漆器類と家紋が染められた幕以外にはガラクタしかなかった

443 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 16:39:00.01 .net
>>442
ほとんどの農家に蔵があるって、土地が肥沃だったのかな。
俺の四国の親戚は江戸時代は半農半猟で、今も農業+副業だが、蔵なんてないな。
まあ、近所を回れば蔵のある家もあるかもしれないが。
けど、少なくともその漆器類や家紋を染めた幕は、後世に伝えて欲しいと思う。

444 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 16:43:05.20 .net
旧土地台帳の閲覧が禁止された自治体がある。
まだ、一部だと思うが、必要な人はお早めに。
参考(石川県能美町):https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1001000000477/index.html

445 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 22:40:33.76 .net
>>444
情報ありがとう。「旧土地台帳・家屋台帳は閲覧に供する役割をすでに終えており」とあるけどこのスレ的にはまだ役割あるよな

446 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 23:50:54.81 .net
「壬申戸籍」か、ネットで出品 閲覧禁止対象、削除済み
https://news.yahoo.co.jp/articles/20f8cc96441367f040971e9608a40d200dfaa250

447 :日本@名無史さん:2021/08/28(土) 23:53:25.78 .net
繰り返されるネット出品 壬申戸籍の売買規制求める声も
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021082300732

448 :日本@名無史さん:2021/08/29(日) 23:29:41.04 .net
>>442
それ納屋だろ。
蔵なのに天井裏で蚕飼ってるなんてあるわけない。

納屋とも蚕小屋ともつかないものだよ。
そういうの八王子によくある。

449 :日本@名無史さん:2021/08/30(月) 05:57:21.16 .net
一概に蔵っても土蔵、倉、納屋とか色々あるからな…

450 :sage:2021/09/04(土) 15:54:51.55 .net
納屋に土を盛ったのが土蔵。 

451 :日本@名無史さん:2021/09/04(土) 19:08:58.00 .net
>>448
北関東に多いよ

452 :日本@名無史さん:2021/09/07(火) 01:15:39.03 .net
蔵の中って下らないものばかりしかないパターンもあるよな
正月に東北のとある農村にある俺の母方の実家に行った時に、系図とか刀とかあるのかな?みたいな興味本位で蔵を調べたら、母が戸川純のコピーバンドやってた時の写真とデモテープらしきものが出て来ちまって正月の宴会が超気まずくなった

453 :日本@名無史さん:2021/09/07(火) 13:09:42.83 .net
隣のインド人〜

454 :日本@名無史さん:2021/09/07(火) 17:52:48.05 .net
母方の親戚によると、農家だが刀5・槍1+系図が残っていたらしい。
江戸時代、農民でも自衛できるよう、許可されていたと聞いた。
まあ、仮に残っていても安物の刀だろう。
ちなみに、中学生の頃に行ったきりだが、蔵はなかったと思う。
再訪したいと思っても、バスが通っていなくて、車がないと行けないほどの田舎なんだ。

455 :日本@名無史さん:2021/09/07(火) 18:05:55.23 .net
蔵とは関係ないが、亡き祖母とその後妻が相続した、亡き祖父の田舎の山・ため池・畑などが宙に浮いている
(たいした金にはならなく、デメリットの方が多そう)。
こういうケースは日本中であると思うが、みんなどうしているんだろうか。
後妻が生きていた頃は、なんどか相続の話を持ち掛けられたらしいが、今ではほったらかしになっている。

456 :日本@名無史さん:2021/09/07(火) 19:40:13.23 .net
>>452
レーダーマン?

457 :日本@名無史さん:2021/09/08(水) 02:58:11.37 .net
母の家、旧家なんだけど、
家系図しかないんだよな目ぼしいの
河内源氏で、
那須与一の末裔なんだとさ

458 :日本@名無史さん:2021/09/08(水) 06:32:18.32 .net
>>456
バンク蛹の女
月光も凍てつく森で樹液すする、私は蛹のオンナ!

459 :日本@名無史さん:2021/09/08(水) 06:32:50.10 .net
>>458
パンク

460 :日本@名無史さん:2021/09/08(水) 18:54:39.62 .net
田舎に蔵なんてあったらそりゃ調べたくなるよね
でも親が戸川純のコピーとか嫌だな

461 :日本@名無史さん:2021/09/08(水) 19:17:39.06 .net
電車でgo!

462 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 19:11:21.68 .net
>>454
百姓でも刀槍を所持するだけなら許可とかいらないよ

463 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 01:58:23.30 .net
昭和23年式戸籍、平成6年式戸籍と続いて
次の戸籍法改正はいつになるのかな?
令和〇年式戸籍・・・とかになるのは

464 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 02:19:55.52 .net
俺の実家は超山奥だし貧乏そうだったから武士ではないだろうな

465 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 09:14:43.92 .net
もしかしたら落ち武者かも

466 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 10:31:54.11 .net
>>463
夫婦別姓とか事実婚が当たり前になったら
戸籍は廃止されて住民票だけになるんじゃないの

467 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 21:18:51.97 .net
うちの親戚も山奥に住んでいるが、幕末に近所で道場を開いていた剣術家がいたようだ。
自分の家とは関係ない人だが、県史で調べたら親子とも「帯刀人」の欄に名前が載っていた。
そういうケースもあるみたい。

468 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 22:35:41.92 .net
そりゃあるだろ…

469 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 09:26:59.42 .net
俺の母の実家もスーパー山奥だが、
常陸国高萩中戸川の弓野家とは、
多分名家だから知られてたと思う

470 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 11:20:35.27 .net
>>137
>神武天皇も天智天皇も天武天皇も
>日本人ではないと言ってるな


そもそも「日本」という名称が世界で最初に使われたのは
百済の武人だった「祢軍」という人物に対してですね(678年)

もともと百済・百済人(朝鮮・朝鮮人)を指して使われいたのが「日本」という名称だったのです

471 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 11:38:14.27 .net
>>470
百済、百済人のことを日本と読んだんですか?初耳です。
本来は、大和、さらに、倭でしょうか?

472 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 21:17:29.80 .net
>ちゃんと科学データに基づいていってるんじゃないかな
駄目だこりゃ
科学データを示していないのか

473 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 22:51:27.50 .net
話は変わるが、田舎に行った時に実感したのは、むかしは本家・分家の家を建てる場所までうるさかったのだろうということ。
本家は道路沿いに、その向かいの分家はむりやり道路より下の狭い場所に家を建てていた。
そして、苗字の異なる総本家は逆にむりやり道路より高い場所に家を構えている。
まあ、今ではそんな決まり事もないと思うが。

474 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 04:13:26.05 .net
>>472
そういや、とんでも医師さんて、
科学的エビデンス出してるところあんまり見たことないな

475 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 04:14:10.14 .net
>>472
でも、若者に人気なんだよな。
コロナ問題にイルミナティ問題とか

476 :日本@名無史さん:2021/09/19(日) 00:17:39.92 .net
【富山】「過去帳にたいする住職の認識が浅かった」 部落解放同盟、過去帳開示問題で浄土真宗本願寺派と意見交換
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631969230/

477 :日本@名無史さん:2021/09/20(月) 19:04:16.23 .net
もう過去帳は見せてもらえなくなるね

478 :日本@名無史さん:2021/09/22(水) 23:33:50.42 .net
抜き書きだけじゃあ、江戸時代に名字があったのかとか今と同じ名字だったかとか、はっきり分らない。
教えてくれるお寺もあるかもしれないが。

479 :日本@名無史さん:2021/09/23(木) 00:15:43.26 .net
名字がない家は過去帳には名前と戒名だけ書かれてたのですか?

480 :日本@名無史さん:2021/09/23(木) 06:44:37.46 .net
屋号で書いてあるよ

481 :日本@名無史さん:2021/09/24(金) 14:44:32.13 .net
本で知ったことだが、過去帳には2パターンあるらしい。
@家は関係なく、檀家で亡くなった人をそのまま順番に書いてある
A家ごとにまとめて書いてある
名字がなくて@の場合だと、先祖をたどるのが難しい場合もあるとどこかで読んだ。

482 :日本@名無史さん:2021/09/24(金) 19:21:32.82 .net
>>480
なるほど、農家にも屋号があったのですね。あとは続柄が書かれているかどうかでしょうか

483 :日本@名無史さん:2021/09/24(金) 20:47:49.67 .net
書かれてない。
しかも、家制度では婿さんなんて沢山あったわけだから、血筋なんてわからん。

484 :日本@名無史さん:2021/09/26(日) 19:02:24.18 .net
個人的にはインドだっただろな。

485 :日本@名無史さん:2021/10/02(土) 07:26:28.07 .net
国民の95%は戸籍以上のご先祖は辿れないよな

486 :日本@名無史さん:2021/10/02(土) 10:04:25.25 .net
20歳の4人に3人は祖父までしか知らない。

487 :日本@名無史さん:2021/10/20(水) 11:21:43.94 .net
>>410
平家の落人が開いた村なら木地師か何かだろ。
それならどこから来たか分かるぞ。

488 :日本@名無史さん:2021/10/20(水) 17:44:00.74 .net
聞きたいことがあるんだけど
自分の家系の先祖の家系図を見ると桓武平氏の流れで維新後も士族
明治時代に他家から養子を貰い家督を継がせてその子孫が俺なんだ
養子の実家も士族で家系図を見ると清和源氏だった

ここからが質問なんだが
その養子の名前は諱系で、実家の方の先祖の通字を使用している
例えば、足利義昭さんが織田信長の養子となり、織田義昭というふうに

明治以降の養子縁組だから
俺自身が桓武平氏の子孫と名乗ればいいのか、清和源氏の子孫と名乗ればいいのか、よく分からないんだ

どっちなのかな?

ちなみに、その養子さんの息子と孫は桓武平氏の子孫を称してる

でも養子さんの諱を考えると、養子さんは実は清和源氏の子孫を称してたんじゃないのかな?と思うわけだ

ちなみに俺の友人の先祖は、戦国時代に大江氏の子孫が藤原氏の養子となって、大江朝臣を称してた
それが何故が江戸時代に入ると、その子孫は藤原氏の子孫を称するようになった
こうなると家系図自体も内容が変わってくる

血筋の先祖と家系の先祖、どっちを自分の先祖と言えばいいのだろうか?

489 :488:2021/10/20(水) 17:52:32.74 .net
足利(源)義昭さんが織田(平)信長さんの息子となって織田(源)義昭さんとなった

通字を見ればだいたいその本姓も分かる

足利(源)義昭さんが織田家の養子となって桓武平氏を称したならば、織田(平)信昭さんとなるばずだもんね

例えば、戦国時代の吉川元春
彼は藤原姓吉川家の養子となり、吉川(大江)元春となった

しかし、その吉川家の子孫も江戸時代以降は大江ではなく藤原を称して、
家系図上にも毛利元就はいない

490 :日本@名無史さん:2021/11/01(月) 17:39:54.53 .net
よくわからんが、源平藤橘なんて戦国時代以降にしかたなくor箔をつけるため名乗っていたみたいたいだから、
自分が一番納得のいくものを選べばよいと思う。家系図が公文書なわけでもないし。

491 :日本@名無史さん:2021/11/01(月) 18:43:28.58 .net
自称平氏

492 :日本@名無史さん:2021/11/02(火) 12:16:52.20 .net
95%以上は戸籍以外のご先祖がわからないw

493 :日本@名無史さん:2021/11/02(火) 15:17:44.69 .net
過去帳見たくても、お寺にやんわりと断られる人も多いだろうからな。

494 :血筋と家系両方:2021/11/02(火) 17:30:35.57 .net
>>448
最高の血筋と最高の家系(権力)の最大公約数が天皇。

495 :494:2021/11/02(火) 17:32:28.86 .net
>>488の誤り

496 :日本@名無史さん:2021/11/02(火) 17:36:29.14 .net
430年続くお寺に墓あるけど戦災で全部焼けて戦後の過去帳しかないよう。@大阪

497 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 11:45:57.86 .net
そういえば私の先祖は幕末動乱期の忍者だったって父に教えてもらったなあ‥‥‥
ちゃんと調べてみようかな

498 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 14:13:00.31 .net
>>239-240
武士の株を購入した話
「武士の家の株の売買もおこなわれており、株を買うことで百姓・町人から武士になったり、株を売ることで武士から百姓・町人になったりする者もあった。武家の株は安くはなかったから、売った元武士の側にも第二の人生に歩み出すための元手ができるわけである」
(原田実「捏造の日本史」152-153P)

藤岡屋日記
1804-1868年までの事件や噂を記録したもの、桜田門外の変については記録がない
須藤由蔵
藤岡屋日記の著者。明治3年(1870)、日記を中川屋に渡し、故郷の藤岡に帰った。没年、墓所ともに不明。縁者を称する人はいない。日記の原本は関東大震災で焼失した。

499 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 14:18:11.47 .net
>>1
もか @mocarain 2016年5月2日
士農工商が江戸時代の閉鎖的な身分制度の名称だと思っていた昭和〜平成初期生まれのみんなーーーーー!!!今はもう教科書に士農工商は載ってないから気をつけてねーーーーー!!!!

はつき @Hatuki_Day 2016年5月2日
なるほど、俺は武士の生まれだーと威張り散らしている人は、可哀想な人と思えということか。

500 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 15:03:50.68 .net
>>1
磯田道史「近世大名家臣団」
「侍、徒士、足軽以下に分けられていた。侍と徒士は苗字帯刀で世襲、足軽は一代限り」

平泉澄
中村吉治に対し
「百姓に歴史はありますか?」
どういう意味か聞くと
「豚に歴史はありますか?」

備中岡田領の「郷紳氏録」には百姓138家を記す

磯田道史は「津山藩山北村の足軽中間奉公」で百姓を足軽として雇っていたとしている

平賀源内の本名は白石国倫という高松領の足軽なのだがなぜか武士扱いされている

上杉景勝宛豊臣秀吉朱印状
「貴方の奉公人を残さず連れていって下さい。但し、田畠を持ち年貢を納めている者は一切連れていかないで下さい」
侍…従者、付き人、御家人、奉公人
徒士…従者、付き人
足軽…槍兵、同心
同心…仲間、付き人、役人
武家屋敷…百姓と同じ三間取式

501 :日本@名無史さん:2021/11/04(木) 17:04:45.58 .net
同じ足軽でも、藩によって扱いが違うみたいだな。
彦根藩では、中山道を行く旅人を監視できるように、足軽でもしっかりした家構えだったと聞いた。

502 :日本@名無史さん:2021/11/04(木) 18:44:42.06 .net
日本全国同じ訳ないだろ…

503 :日本@名無史さん:2021/11/05(金) 00:12:43.78 .net
俺は資料では平安中期に一応名前があるけど、
たぶん実際は元寇で南宋から来たんじゃないかと思ってる。
名前がちょっと特殊だから簡単に遡れる。

504 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 05:08:13.74 .net
サンカは自分たちの故郷は京都の小倉山だといっていた。
だから小倉とか小椋といった苗字が多い。
木地師と塗師(ぬし)はサンカの類と思われているが、系統が違う。
木地師・塗師の本源地は近江である。
近江の琵琶湖の東側、今の東近江市の山の中である。
近江八幡から何十キロも入った君ヶ畑とか蛭谷(ひるだに)というところである。

ここで説明しておくと、木地師というのは「ろくろ」を回して木を削り
椀や鉢などを作る工人(職人)である。
塗師というのは椀やお盆などに漆を塗って漆器にする工人である。
木地師と塗師はもともとは一緒だった。
古代の職制で大蔵省被管の漆部司に属する漆部(ぬりべ)という部民がいたが、
漆の生産から木工から漆塗りの職能を以て朝廷に仕えた。
ろくろ回しも漆塗りも両方やっていたのである。
集団の内部では分業があったかも知れないが、いっしょくたであった。
分化したのは江戸時代もかなり時代が下がってからだろう。
原因は、塗師として里に定住する人たちが出てきたからである。
木地師は材料になる山の木を切り、やがて使える木が無くなってしまうと
他に移る。だから定住することができず、広い範囲を移動してまわる。
しかし、塗師は定住しても漆さえあれば仕事は可能である。
だから木地師のうち、塗師専門に転職して里に住んだ人もあったのである。
明治になってからは、木を勝手に切るということは出来なくなり、また、材料の
木を外から調達することが可能になったので、木地師も定住するようになった。

505 :つづき:2021/11/09(火) 05:09:46.76 .net
蒲生氏クは、秀吉の命で近江から会津に国替えさせられた。
そのときに近江から木地師(塗師)を連れて行ったという。
これが会津塗り・会津漆器の発祥となった。
だから、会津塗りというのは近江直系で、混じりけのないものである。
あちこちを漂泊しながら辿り着いたわけではないからである。
このとき近江から会津に来た木地師たちは、ほとんどが小倉・小椋姓を名乗り、
その他に筒井、星を名乗る人たちが多かった。
小倉・小椋が多いのは、君ヶ畑や蛭谷は近江小椋谷という谷にあったから。
小椋谷一帯は、近江小椋荘という荘園であった。
オグラはオグラでも、サンカの故郷という、京都の小倉山とは異なる。
次に筒井という姓はどこから来たかというと、蛭谷の筒井という地名からである。
筒井峠というところに神社があり、筒井神社と呼ばれていた。
(筒井神社は今は村の中に移転している。)。筒井神社は、全国のろくろ師に
免許を与える公文所(くもんじょ、別名政所・まんどころ)だったという。
筒井を名乗るのは、この筒井八幡宮の宮人の資格がある者、といった意味だった。
さて、星という姓の由来はいくつもあってよく分からない。
星は法師の転である場合があり、たぶん木地師の場合もそうだろう。
法師とは仏教の僧のことであるが、僧の位階が厳密に分かれてくると、高位の
僧は法師とは呼ばれなくなり、下級の僧や半俗人の堂衆(どうしゅ)のことを
指すようになった。例えば山法師というのは比叡山の僧徒のことを言うが、
山法師(僧兵)というものは間違っても僧ではない。
そのうちに、法師という言葉は、むしろ正規の僧ではない者たちを指すようになった。
剃髪していれば法師と呼ばれ、例えば力者ホッシという者たちがいた。
辞書を引けばこのようなことが書いてある。
[ 力者法師 (りきしゃほっし)]
平安末期以後、髪をそった姿をし、院・門跡・寺院・公家・武家などに仕えて
力仕事に携わった従者。輿?(こし)?を担ぎ、馬の口取りをし、長刀?(なぎなた)?を
持つなどして供をした。力者法師。青法師。−−−

506 :つづき2:2021/11/09(火) 05:10:57.06 .net
こうした人たちは「法師者」とも呼ばれた。僧形で働く者といった意味だろう。
この流れで、山伏のような僧とは呼べないものも法師と呼ばれることがあった。
弁慶は山伏といわれるが、義経に仕える力者法師と見られていたのだろうか。
義経に関係する文献には、「弁慶法師」と表記されていることがある。
吾妻鏡でも義経の従者として弁慶法師の名が見える。
一方で、木地師は山伏を兼ねていることが多かった。
木地師に祖先の話を聞くと、少なからざる割合で先祖は山伏でもあったという
答えが返ってくる。
だから木地師のうちで山伏も兼ねていた人は法師(ほっし)と呼ばれることが多く、
そのうち法師と名乗り、それが星という姓になったのではないか。
小椋谷には星という姓は無く、それが会津に多い(それも檜枝岐などの辺地に多い)
ことからすると、会津に移動したときに同じ木地師でも法師(山伏)は別に扱われた
のかも知れない。

507 :つづき3:2021/11/09(火) 05:12:22.46 .net
君ヶ畑とか蛭谷の人たちは、もともとは焼き畑を営み、木樵や猟師をしている
人たちだった。
ここの人たちは鎌倉の頃からか、漆器を作って京や奈良や伊勢で売るようになった。
それまでは、貴族でも漆塗りの食器などを使っていたのはごく上流の人たちだけだった。
木の椀などは、木の白地のままか、せいぜい柿渋などを塗っていただけだった。
漆を塗ると、洗えば綺麗になり、臭いも残らない。
これは便利なものだということで大いに売れたのである。
漆塗りの技法は、仏教伝来とともに中国から伝わってきて、奈良時代には仏教美術に
よく使われたが、食器に使われたのは天皇の食器などだけだったと思われる。
平安の頃から用途が増え、武士の鎧や刀の鞘などにも使われるようになった。
鎌倉の頃から金持ちなら庶民でも漆塗りの食器で食事をするようになったのである。
しかし、君ヶ畑とか蛭谷では、やがて木を切り尽くした。
周辺の山々にも、よい木がなくなってしまった。
そこで全国に散っていったのだそうである。
この人たちが辿っていった経路ははっきりと分かっている。
皆が自分たちの出身地を誇りにし、人に語りもした。
里に住むようになっても、元々は近江の小椋荘から来た職人なのだということを
売りにしていた。江戸時代には看板に「近江君ヶ畑」などと書くのが慣例であった。
その背後には、小椋谷に流遇した惟嵩親王を職の祖神とする縁起、その由緒によって
朱雀天皇・正親町天皇から得たとする綸旨、さらには筒井八幡宮から得たという
轆轤師の免許状がある。※
木地師たちは自分たちの所有でもない山の中に住み、木を切る。
地元の住人たちにそれを認めさせるために、天皇の綸旨や免許状が必要だったのである。
近江小椋谷の木地師であると語ることは、どうやってこの地に至ったかを語ると同じ
ことであった。
だからルートを辿るのは簡単なのである。

※惟喬親王その他の伝説・伝承についてはこちらを参照されたい。
http://okueigenji.co.jp/know2.shtml
このページの一番下の写真を見ておかれるとよい。
烏帽子に狩衣姿である。

508 :つづき4:2021/11/09(火) 05:13:47.12 .net
だいたい六系統あるそうだ。
1.大和から紀州へ出たグループ。紀州では根来塗。一番古風な塗り物である。
海南市の黒江塗も有名である。黒江は近頃は漆器職人が住んだ昔の町並みが注目を
集めている。
2.紀州からさらに四国に出て、更に九州に上陸、耶馬溪から山伏の中心地久住山に
登り、椎葉に落ち着いたグループ。そこから先、人吉周辺にも木地師は多い。
3.三番目は伊勢から三河に行き、駿河に行き、上野・下野まで行ったグループ。
伊勢から美濃・飛騨に行き、飛騨に行ったグループは春慶塗を発明した。
江戸時代中期以降は木曾漆器が大いに発展した。
中山道の沿道という地の利と、檜の良材に恵まれたためである。
4.北の方へ行った人たちは、まずは越前に出た。そこから加賀に、加賀からさらに
能登の輪島に行った。この人たちが作ったのが若狭塗とか輪島塗。
5.また若狭から丹波方面に行った人たちがいる。この人たちは但馬に行き、因幡に行き、
さらにその先の伯耆にまでいった。豊岡の漆器、但馬の木工は有名。
6.途中、中国山脈を南に越えて備中から備後へ行き、安芸に行った人たちもいる。
このグループから分化して、さらに周防・長門にまで行った人たちもいる。
室町時代、大内氏の保護下でつくられた漆器が大内塗り。
対明貿易での有力な輸出品であった。
(ただし大内塗りという名前は現代人の命名である。)

509 :つづき5:2021/11/09(火) 05:14:43.73 .net
興味を覚えた方はネットで以下の文書を検索して読むとよい。
pdf
木地師の移動?定住
?阿州、信州の山野で躍動した職能技術集団?
pdf
移動職能集団木地師の活動とそれを支えるメカニズム
松 尾 容 孝

木地師に由来する地名など
https://japonyol.net/editor/article/kijishi.html
六郎山は徳島、秋田、岩手などにある。六郎沢は静岡や秋田、山形などにある。
地名として残らなかっただけで、昔は六郎と名のつく土地はいくらもあったのだろう。
六郎は轆轤が転じた名で、木地師がいた場所だという。
木地山、木地沢などの地名は日本中にいくらもある。

510 :つづき6:2021/11/09(火) 05:15:43.38 .net
「氏子狩り」
中世末から筒井八幡社を中心に、強制的に自社の氏子に登録しようとする動きが
起こった。初穂料などを納めさせられる木地師の方は負担に感じただろうが、
むしろこれを歓迎する気持ちの方が大きかっただろう。
そうでなければ明治の世まで続くわけがない。

上記pdf書類より
「氏子狩(うじこがり、氏子駈とも)とは、強制的に自社の氏子に登録させること。
特に滋賀県愛知郡小椋庄(現:東近江市)の木地師に関する物が有名であり、
本項ではそれについて解説する。
なお、ここでいう「狩り」とは、織田信長の「茶器名物狩り」のような「集める」
という意味合いであって、捕まえる、殺すという意味ではない。
氏子狩は明治15年(1882)まで行われていた。
氏子狩の奉加には木地師の家族全員が定額を支払う「氏子(狩)」、木地師が
家単位に志として行う「初穂」、このほか、蛭谷の氏子狩では、男子の成人時に
行う寄進「烏帽子着」、多分に形式的ながら、筒井八幡宮の宮人の資格を得る
寄進「官途(成)」、宮の行事に平服で参上できる高位の宮人の資格を得る寄
進「直衣(途)」の別があり、後3つは一生に一度限りの寄進である。
巡回人は木札をもち、名字帯刀の姿で、日本各地で稼業する木地師のもとを巡回した。
口上書を掲げ、宮の縁起、勧進(徴収)の趣旨、氏子の信心を表す寄付の必要、
寄付額等の詳細を示して、氏子狩を行い、奉加した木地師を廻帳に記入した。」 。
−−−−−−−−−−引用終わり

511 :つづき7:2021/11/09(火) 05:16:54.20 .net
巡回人は供回りをあつらえ、烏帽子・直垂といういかめしい姿で威儀を正して
木地師を訪問した。木地師もまた正装で迎えた。
烏帽子直垂姿で迎えるのが普通であった。
女房娘は髪を「下げ髪」(頭の左右に分け、後ろで一本に束ねて背中に垂らす髪型)
にし、単衣の上に小袿(こうちぎ)を重ね着した装束で控えた。
こうしたことが里の村人を驚かせた。

椎葉の木地師たちが平家の落人といわれたのは、氏子狩りの様子を見た村人たちの
誤解もあるだろうが、ここの木地師たちが勿体をつけ、烏帽子直垂や狩衣を着て
仕事をしていたことと関係がある。
衣装の生地はサイミ(貲布、細布とも書く)という木の皮の繊維で編んだ目の粗い
布(現代では麻)であるが、とにかく公家の召使いぐらいの格好はしていた。
この椎葉村の祭りの動画の衣装は、何となく昔着ていた衣装の残映があるような
気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=QZpx0tf9Lns

512 :つづき8:2021/11/09(火) 05:17:27.91 .net
なお、平成の氏子狩という調査が行われ、上記神社の「氏子駈帳・氏子狩帳」に
記載されていた以下の姓の人(NTTハローページに記載されていた人)に郵便で
アンケート用紙を送付した。
https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000007530.html

・全国の「小椋」姓と「大蔵」姓の人
・福島県南会津郡の「星」姓、「菊地」姓、「室井」姓、「玉川」姓、
「佐藤」姓、「渡部」姓の人
・長野県の「堀川」姓の人

この地方出身でこうした姓の人は、先祖が木地師の場合が多いということである。

513 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 12:36:58.89 .net
それがどうした?

514 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 19:44:24.50 .net
そりゃ人の知能や教養は様々だから

それがどうした?

になる人がいても仕方がない。

515 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 07:01:10.33 .net
最初に木地師を研究対象にしたのは柳田国男で、広範にフィールドワークを行い、
各地に伝わる伝説から木地屋の史実を追っている
「史料としての伝説」という本でその概要が読めるよ。
その後も多くの研究者の研究対象となった。木地師に関する論文・著作は数多い。
ネットでちょこっとググっただけでも多数の文献が上がってくるよ。
木地師というのは昔から民俗学における重要テーマだ。
それを
>それがどうした?
とは何事だ。程度が低いにもほどがある。
お前みたいのを昔は「奴」(やっこ)と言った。
辞書では下僕、しもべ、人に使われる身分の低い者、などとなっているが。
まあ、動物みたいに無知な下級の人間を言ったんだな

516 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 19:48:13.62 .net
>>515
だからなんなの?

517 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 20:50:52.76 .net
だから奴なの

518 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 19:27:36.88 .net
父方の田舎は大阪の高槻
ただの田舎だと思ってたが最近葬式があって久しぶりに言ったら隣の婆さんからうちらは昔は隠亡とか三昧とか言われてたと聞いた
これって差別されてたってことなんかな?

519 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 19:55:07.48 .net
うちの先祖は公称では大鏡とかにも出てて
天皇と一緒に出家する約束して裏切って泣かれた話とか書いてあるからたぶん全部ウソだろうな

520 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 19:28:17.98 .net
>>457
那須与一は栃木県のヒーロー

521 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 19:33:39.56 .net
釣りにマジレスみたいで申し訳ないが
那須与一は実在していない。
琵琶法師たちが作り出した人物。

522 :日本@名無史さん:2021/11/15(月) 23:09:57.77 .net
家系図はほとんど江戸時代に泊付けのために作られた捏造品だからあんま当てにならんわな。。。。

523 :日本@名無史さん:2021/11/16(火) 15:41:28.66 .net
江戸時代に作られたものならまだ良いんじゃないか。
昭和製とかなら、うさん臭さしか感じられん。

524 :日本@名無史さん:2021/11/16(火) 20:56:32.69 .net
>>523
すまん、明治製でも十分うさんくさいな。

525 :日本@名無史さん:2021/11/17(水) 00:16:52.54 .net
例の元男子フィギュア選手などもそうでしょうか。

526 :日本@名無史さん:2021/11/18(木) 15:45:21.10 .net
>>525
今まで知らなかったけど、怪しいところもあるみたいだね。
けど、もしこれだけ有名な人の子孫を騙っているなら、リスキーすぎると思うけど。

527 :日本@名無史さん:2021/11/18(木) 16:01:18.14 .net
いやそれがいろんなところで大問題になってる
系図的な正統性だけで商売してるような家だと
それがDNA検査で一発で吹っ飛んじゃったりしてやばいから

528 :日本@名無史さん:2021/11/18(木) 16:08:51.39 .net
江戸時代に家系図捏造が流行ったってあったけど昔の連中は尊厳も恥もプライドもなかったのか?
ただの一般百姓の家系なのに系図買ったり捏造してまで歴史上の有名人物の子孫だと詐称するって・・・
自分の家系となんの関係もないのに無理矢理繋げても虚しいだけだろうに

529 :日本@名無史さん:2021/11/21(日) 16:18:02.67 .net
明石城の堀端に、家老だったという織田家の長屋門が残っている。
ずっと「おだ」だと思っていたけど、最近「おた」と読むと知った。
もともとなのか、あえて読み方を変えたのかは分からない。
ちなみに、衛宮士郎の家の門のモデルといった方が通じる人もいるだろうね。
https://www.yokoso-akashi.jp/facility/2515

530 :日本@名無史さん:2021/11/21(日) 22:28:50.56 .net
織田信長――本当は「オタ・ノブナガ」と読む説を追う
https://serai.jp/hobby/386916

531 :日本@名無史さん:2021/11/22(月) 07:10:15.87 .net
まあ昔は濁音はあまり使わなかったみたいだな

今はどんどん濁音になってる。
親父の言うことでは、昔は仙川を「せんがわ」なんて言わなかった。
「せんかわ」だったらしい。
立川の砂川も昔は「すなわか」だった。

矢切の渡しの矢切。歌では「やぎり」となっているが本当は「やきり」だ。
うちの親戚に矢切の人がいるから間違いない。
うちではその親戚のことを地名で やきり、やきり と呼んでいた。

532 :日本@名無史さん:2021/11/22(月) 07:11:23.93 .net
立川の砂川も昔は「すなわか」だった。
訂正します。
すなかわ、の打ち間違い。

533 :日本@名無史さん:2021/11/22(月) 12:10:10.46 .net
コロナも落ち着いてきたし来年は曽祖父と曾祖母のルーツを探しに山口と富山に行く予定
田舎を旅して満喫したい

534 :日本@名無史さん:2021/11/22(月) 22:41:29.68 .net
>>530
とても興味深かった。ありがとう。
自分はてっきり、織田家に遠慮してオタと名乗っているのかと思っていた。

535 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 07:35:09.93 .net
>>528
系図は中身がどうこうではなくて、系図があることが大事だったのだ。
我が家は系図もある家なのだと人に誇れる。
中身など人に語ることではない。
だけでなく、中身は本当にどうでもいいことなのである。
形だけ整っていればそれでよい。

536 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 19:21:17.52 .net
普通の下級武士とかだと、系図もないし過去帳も通称のみだから、
先祖の諱とか分からないのが普通かもしれない。

537 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 23:25:48.31 .net
うちの一番古い戸籍にある江戸生まれの人物を戊辰戦争の名簿から探した時に、名簿に同じ姓の人が一人だけいたけど姓+官職風の名前しか書いていないので特定できなかったことがある。

538 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 23:29:17.80 .net
上の方にも書いたけど、俺は家系が桓武平氏で男系が清和源氏なんだ。
家系の先祖も士族、男系の先祖も士族、祖母の実家も士族、曽祖母の実家も士族、高祖母の実家も士族というような感じだから資料が残ってて、家系や男系などいずれの先祖も全部先祖が分かってて天皇や鎌足などまで辿れる。
清和天皇から俺まで38世かな、桓武天皇から俺まで40世かな、大織冠鎌足から俺まで45世かな、その間の先祖はことごとく判明している。
頼朝の上洛時の行列の中に、俺の家系と男系の先祖がどちらもいる。

本題なんだが、俺の曽祖父は養継子なんだが、俺は桓武平氏の子孫なのか?それとも清和源氏の子孫なのか?教えてくれないか?

539 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 23:36:15.53 .net
ちなみに、俺のとっつぁんは「先祖は(桓武天皇の子孫の)○○だ」と言ってた。
でも俺がとっつぁんに「でも男系の先祖は(清和天皇の子孫の)○○だよ?」と言うと
俺のとっつぁんは「おやし(俺の祖父)がうちの先祖は(桓武天皇の子孫の)○○だと言ってた」と言い返してた

さて、どっちが正解でしょうか?

540 :つづき:2021/11/24(水) 23:47:29.42 .net
先祖の官位をチラ見すると
やっぱり藤原系は官位が高いよな
次に源氏系
その次に平氏系って感じかな?
そうなると桓武平氏より清和源氏の方が羨ましいなと思ってしまうダメな俺だ

平安時代末期の頃の官位とか比べると
源氏の方は 守 が多く
平氏の方は 介 が多いイメージ

これじゃ、平将門が新皇とか平親王とか称したのも分かるわ
天皇の子孫なのに位が低いんだもん

541 :つづき:2021/11/25(木) 00:12:11.02 .net
今は保守的な考えの人が多いから、家系よりも男系とか考えちゃうけど、

俺は家系も男系も同じ程に大事にしたいな

俺の結論として
やはり俺の先祖は家系の桓武平氏だわ
理由は父も祖父も桓武平氏が先祖と言ってたのに俺の我儘(源氏の方が良い)で我が家の歴史を捻じ曲げてはいけない

俺の子孫には、先祖は桓武平氏だけど曽祖父の実家の先祖は清和源氏だったというような感じで、家系と男系どちらも同じ程に大事にしていくよ

542 :つづき:2021/11/25(木) 00:20:21.21 .net
桓武平氏の子孫(つまり俺の遠い親戚)には

平将門
平清盛
北条時政
平頼綱(平禅門の乱の人)
織田信長(平清盛子孫)

すげぇなみんな評判悪い人らやで、、、

543 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 06:46:21.82 .net
>>538
武士の家系図を作るときは清和源氏をスタートにするのが「お約束」だから。

"家系図見てみたら先祖様清和天皇でしたでも江戸時代に偽家系図作るの流行ってたと... - Yahoo!知恵袋" https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13171377498

544 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 07:33:06.53 .net
清和源氏と決まったものじゃない。
北畠氏は嵯峨源氏だし、江戸時代の大名松浦氏も嵯峨源氏。

545 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 01:39:17.44 .net
>>542
その中で個人的に印象が悪いのは頼綱だけだな

というか、自分の直系縛りというわけでもなく、長い歴史の中で単に評判の悪い人を五人程度挙げるだけなら、源氏だろうと藤原だろうと幾らでもできる

546 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 17:03:35.11 .net
高祖父の1人が次男なのに士族だった
長男以外は全員平民になると思ってたけど、そういう訳でも無いんだな

547 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 19:12:43.50 .net
>>546
うちは高祖父の父が死んだ際、10歳上の兄がいるにも関わらず13歳の高祖父が家督相続した。

兄は独身のまま早死にしてるし、恐らく病人が障害者だったんだろう。それと同じパターンでは?

548 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 20:04:28.54 .net
明治に入ってからは家督を継いだ人だけが士族のままだったのですか?

549 :sage:2021/11/26(金) 21:48:31.32 .net
>>535 うちの系図には、名前の羅列だけではなく、その人がどこで生まれて誰の元に仕えて、どこと戦で戦って戦勲を上げたとか、どこの戦で死んだとか書かれてるよ。
昔の系図を読むのは漢文の素養がないと難しい。

550 :sage:2021/11/26(金) 22:01:19.75 .net
>>549 今残ってるのは平安末期以降のもので、現代文に訳し始めたが途中で疲れて諦めた。

例えば、家紋として何をもらったとか書かれていても、現代の家紋にもなくそれを調べるだけでもかなりの時間がかかった。 幸い古い家紋名と現代の家紋名が統一されてることがわかりホッとしたが。 それは天皇にもらった家紋だがその後どこで使ってたのか解らずじまい。 その後戦国大名にもらった家紋を今に使ってる。
その現在の家紋も伝承されてる家紋名と墓石に掘られてる家紋が違い、それを調べるのでも時間がかかったがそれは解決した。

551 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 22:40:54.75 .net
>>549
金さえ出せばどんな系図でも作ってもらえるよ

552 :日本@名無史さん:2021/11/27(土) 20:33:12.71 .net
>>549

岸本良信さんのhp一度読んでこい

553 :日本@名無史さん:2021/11/27(土) 20:39:22.41 .net
>>552 アホラシ

554 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 06:20:41.70 .net
>>549
馬鹿だな
そういうのは系図とはいわないだろ
系図というのはあくまでも「図」だ。

君の家は華僑か何かじゃないかな。
中国には家史というのがあるよ。

555 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 18:37:09.84 .net
>>554
〇〇姓■■氏系図とある。 元はどこかの石碑に刻まれていたものを映し取ったようだ。

由来や史実の主な事はかなり詳しく書かれてるが、途中の系図は名前だけ。

主な流れは、姓時代から何故頼朝に仕えていたのか、頼朝の前からの流れと、頼朝から地頭に任じられた前後、一緒に任じられた国司との働き、新しい苗字をもらう由来、その後の南北朝時代の戦争、戦死し地頭の職を取り上げられるまでが主な話。

地頭になった後作った神社の神主をやってたから地頭職が無くなっても生き延びてきてた。
今も本家はその神社の宮司。 その親戚もかなり神職についてる。

556 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 19:01:53.26 .net
>>555 出身地の本姓迄は、間違いない筈だが、その前の奈良時代以前の血筋がどうなのかは全くわからない。
昔は血縁、地縁が主だったし。

由来書には、日本書紀や古事記に書かれてる由来が書かれてるが血が繋がってるかどうかはわからない。 これはほとんど全ての日本人がそうだろう。 それは仕方ない。

557 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 11:48:05.57 .net
系図は江戸時代の人は必要があって作っただけでその記述を信じたりは
していなかった。
明治以降は逆に信じてしまう人が増えたみたいだな。

いずれにしても>>555 は純粋で素朴な人だ。こういう人は貴重だよ

558 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 22:29:59.53 .net
>>557 有難う。 小さい頃に郷土史の中で大まかな歴史は解ってたが、それのどこからどこまでが本当で周りの歴史とどう結びついてるのかさっぱりわからなかった。
小学生の頃に見せられたのが郷土史だが、一応漢字は読めた。
引き上げてきて、本家の近くに住まわせてもらってたが、もうその頃の人が誰かわからない。

大きくなるにつれて、その意味する歴史を調べたくなってきた。
例えば今上天皇云々とかの話があってもその時代がいつなのかわからなかった。

結局色々調べることができるようになったのはネット社会になってから。
本格的に調べ始めたのは、引退してから。 親族の資料や本家の資料とかも見れるようになったし、墓石の家紋の伝承と実際の墓石の家紋が違っているのも解った。
家紋は墓石の方が正しかった。

559 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 23:13:35.48 .net
>>519
うちも嘘だろうけど、
その天皇の方の乱造した娘を時の天皇からもらって地元に帰って子供作ったって伝承があるようだ

560 :日本@名無史さん:2021/12/01(水) 16:54:03.47 .net
墓の家紋は違うのを使うというのは割に普通というか、、、、
分家では本家とは文様を替えたりすることもあるし。

大名なんてのは幾つも家紋を持っていた。
古くからの家格を誇る家では名字も家紋もいくつもあって当たり前。
秀吉が天皇から下賜された二両引紋や桐紋を大名に配りまくったので
武家はそういった紋を使うことがある。
いつも使うわけではない。

たとえば毛利家は8つか9つあったようだ。
外向きと内向き、奥方など女どもが使う紋とか。

毛利家は行列や陣構えの旗に使うのは有名な一文字三星紋だが、
内向きでは沢潟の紋である。
ちょっと意匠がふつうのと違うので長門沢潟という。
これは墓にも使われ、家老になった家臣は沢潟紋のついた直垂を着て
毛利一族の墓に詣でたそうだ。
これから身内として扱われるということなんだろう。

561 :日本@名無史さん:2021/12/03(金) 06:59:15.23 .net
誰もが知るようにコ川家の家紋は葵(丸に三つ葵)だが、ずっと同じデザインだった
わけではない。時代とともに変遷している。
大きく三つに分かれる。家康から三代家光の時代に使われた初期と吉宗以降の中期では
はっきり違う。そして家斉の頃からの後期である。
だんだん丸(輪)が太くなり、全体に濃くハッキリしたデザインになっていく。
一般にコ川葵としてイメージされるのは後期のデザインである。
https://kisetsumimiyori.com/kamon-aoi/
https://wako226.exblog.jp/240753516/

葵紋を使えるのはコ川将軍家と御三家だけだった。しかし松平家も使っていたようである。
松平家は、各地の名家を一門として取り込んだものが多く(例、結城松平家、久松松平家)、
そうした家では家従来の家紋も併用した。
尾張紀伊水戸の御三家では、将軍家の葵紋以外にそれぞれ自家用の葵紋を持っていた。

分家は本家と同じ紋を使う場合もあれば、本来の家紋を崩して独自にデザインした紋を
使う場合が多い。家紋を崩すのは、本家に遠慮するという意味と、独立性を誇示する意味の
どちらもあっただろう。
薩摩の島津氏は分家・支族が多いが、それぞれ独自の家紋を持つ。
丸に十の字を微妙に崩したものが多い。
ウィキなどで島津氏の一族の紋を調べてみたらよい。
例えば伊集院氏は丸に三つ十字。十文字が三つくっついている。
新納氏は丸に十の字だが轡(くつわ)が入っている。
北郷氏(都城島津氏)は、中の十文字が小さく、丸との隙間が大きいという特徴がある。
しかもこれら分家独自の家紋も時代により変遷している。

家紋のデザインというのは厳格に定まったものではなく、時代とともに移り変わっていくもの
である。数代使うと別の意匠に変わっていくのが普通である。
さらに、分家や支族によって次々にバリエーションが作り出されていく。
かなり融通性に富んでおり、昔の人たちは競って新しいデザインを作り出したのではないかと
思われるほどである。
はっきり言えば、正しい家紋などというものはない。
昔の人は、どんどん新しいデザインを考え出し、楽しんでいたのだと思われる。

562 :日本@名無史さん:2021/12/05(日) 17:04:35.28 .net
俺は旧士族で蘆名支流猪苗代家だけど
家紋は丸に梅の花
蘆名さんとは全く関係ない家紋だし
丸に梅の花の家紋を使用してる家は俺と池田元総理くらいしかいないと思う
梅鉢紋じゃないぞ梅花紋だからな
お前らよく読まないからすぐ語弊する

563 :562:2021/12/05(日) 17:16:58.32 .net
ちなみに天神とも全く関係なし
それに江戸時代に殿様に提出した家系図にも家紋が記載されてたから最近変えた感じもしない
蘆名家の分家筋だけど蘆名家から近い分家筋でも蘆名家とは全く違う家紋だから
家紋は極端に変化することもあるといことだ

564 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 08:28:42.65 .net
>>562-563
で、猪苗代氏の家紋って何なの?
芦名氏とは名字が違うんだから家紋も違って当然だと思うし、
梅花紋って猪苗代氏の紋としてそんなに変わったものなのか

それから、あなたのご先祖はこの藩士禄の中に載ってるかな?
宮城県とか福島県とか
福島だったらかなり小さな藩まで載ってる
二行ごとコピーして一行に
https://www.kishimotoyoshinobu.com/%E8%97%A9%E5%A3%AB%
E3%81%A8%E5%B9%95%E8%87%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%B0%BF/

565 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 18:48:52.87 .net
>>564
猪苗代氏は蘆名氏の分家
蘆名氏は三浦氏の分家
三浦氏も蘆名氏も同じ家紋やろ

他人のこと特定までしなくてええよ

566 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 19:03:32.86 .net
ヴィトンのモノグラム=輪内梅花紋

567 :562.563.565.566:2021/12/06(月) 19:18:53.78 .net
梅鉢紋を家紋にしてる墓ならよく見るけど、梅花紋はガチで無いよな
うちくらいなもんだわ

568 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 20:51:46.21 .net
>>567
あなたの家は会津の連歌師猪苗代兼載の家系じゃないの

梅花紋はやっぱり天神信仰から来てるようだ

https://www.minyu-net.com/serial/archive/rengasi.php
ここの連載の天神関係のところを読んでみるといい
順番が下から上になってるけど
とくに(6)のところを読むと紋が梅花でもいいように思える。

なお、野口英世の父親の家と親戚筋になる。

>>565
どうやって特定する? 馬鹿かよ

569 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 07:39:44.05 .net
>>565
>猪苗代氏は蘆名氏の分家
>蘆名氏は三浦氏の分家
>三浦氏も蘆名氏も同じ家紋やろ

これ全然出鱈目やんか
お前、シッタカしたいならちゃんと調べろ
ネットにいくらでもあるだろ

570 :日本@名無史さん:2021/12/21(火) 02:02:11.09 .net
俺は父母どちらも珍しい名字で
父方は藤原北家良方流糟屋氏の流れで
母方は桓武平氏北条氏の流れだったな

しかし父方の曾祖父が婿養子で
全国的にありふれた名字だから系統不詳

571 :日本@名無史さん:2021/12/22(水) 16:33:18.44 .net
血族先祖は、男女どちらかの血が繋がってれば良いと解釈すると、日本人のかなりの人間が天皇家とも繋がってるんじゃないのかな。
ただ、この場合先祖を追うのは不可能に近い。

男系血族となると極端に少なくなるとは思うが、先祖は追いやすい。

572 :日本@名無史さん:2021/12/22(水) 17:16:26.05 .net
>>571
それはさすがにない
上流階級は上流階級同士で、百姓は百姓同士で子孫を残してたからな
身分を超えた交配が可能になったのはここ最近の話
天皇家の血が百姓に入り込むことはあり得ないと思って差し支えない

573 :日本@名無史さん:2021/12/23(木) 15:57:46.54 .net
>>572 そりゃ分らんだろ。戦国時代に幾多の名族が消えていったことか・・本家系は殺されているだろうけど、一族中に命からがら逃げてどこそこで百姓になったのだっているだろうし。現代だって旧華族の子孫だって身を持ち崩してぎりぎりの生活をしている人だっているだろうし

574 :日本@名無史さん:2021/12/23(木) 18:40:59.19 .net
平家の落人なんて何処にでもいるからな。

うちの先祖も南北朝時代に負けて、官職を奪われ、辛うじてその地に住み着いてるが、自分の戸籍を調べると近所のなんとも解らない人を養子に迎えてた。
養子の家系を調べるのも面倒だが、そっちも聞いたこともない苗字だった。 

575 :日本@名無史さん:2021/12/23(木) 18:53:06.65 .net
>>574 そうそう、養子に入った人の苗字も平家の落人なんて話も伝わってる。 そっちはしっかり調べていないから何処までほんと浮かんからないけどね。

576 :日本@名無史さん:2021/12/30(木) 17:43:30.22 .net
徳川家っていろんな旧家を、旗本として存続させているみたいだね。

577 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 04:42:58.73 .net
やっぱ那須与一って栃木だよなあ
母の先祖栃木の人だったのかなあ
茨城県北だから、移り住んでもおかしくない距離なんだけどなあ
しかも名前が弓野だから、理屈には合う
でも源氏らしいんだが、那須家は藤原氏だろうか
家系図って普通嘘書く?

578 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 04:46:40.12 .net
そういや、家族が栃木に旅行した時に、那須与一の末裔という旅館だかお店の人がいて、サラッと母が、家紋が16菊に1なんですと話の折りに行ったら、うちと同じですねと言われたらしい。確か弓野と申しますがと母が言ったときに、そんな話になったそうだが

579 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 04:54:03.07 .net
もし仮に、家系図に書かれている那須与一というのが、同姓同名の別人としても、那須氏が源氏ということになってしまうな
ああ、那須氏の誰かの女性と家が婚姻すると、弓野家であって那須与一とも家系がつながるのか
多分それかな。お騒がせした申し訳ない

580 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:00:25.52 .net
ありゃ、ウィキったら、
那須氏の家紋は弓野家と同じ十六菊に一か。
なんで藤原氏なんだろうか?
わかった。
藤原不比等天智天皇御落胤説は、本当だったんだな

581 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:02:04.48 .net
日本史って微妙だよな
なんか分けわかんない

582 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:11:39.20 .net
藤原鎌足と、藤原摂関家が非常に怪しい
コイツラが日本をぶっ壊した張本人である事は、ほぼ間違いない
源平藤橘が、天皇家なら、王朝貴族であったことは、非常に自然だ。
コイツラの出自だよな。問題は。
一応中臣氏だが、なんで日本人で有りながら日本をぶっ壊そうと思ったか。
半島は当時文化もなかったようなことを聞くから、中国系、つまり北魏?

583 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:13:25.84 .net
他スレでも書いたんだけどね。

584 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:14:35.43 .net
なんか中臣氏って、
中国の臣って読めるなあ、、、

585 :日本@名無史さん:2022/01/07(金) 00:55:06.37 .net
どこまで本気か知らんが彼等の「中国」という名称は中華民国のとき初めて作られたんだからな
中国百年の歴史だ

日本の中国地方とか葦原中国とかの方が遥かに歴史が長い

586 :日本@名無史さん:2022/01/07(金) 19:12:13.93 .net
>>582
藤=唐で渡来人のコードネームだったようだ

鎌足は百済から送り込まれたスパイだった可能性が高い

中臣氏は当時の朝鮮半島とパイプがあったので利用されたのだろう

587 :日本@名無史さん:2022/01/08(土) 02:50:32.90 .net
日本人に朝鮮人の遺伝子が入ってることって有り得るんかな
外国の企業の遺伝子検査したら、誤差はあるだろうが92%日本人で8%がコリアンて結果だったわ
自分の家に朝鮮人がいたという言い伝えはないし戸籍で幕末まで辿っても日本人だけだったんだがなあ
もしかしたらもっと遠い先祖にいたのかもしれんな

588 :日本@名無史さん:2022/01/08(土) 11:16:38.04 .net
>>582

あろうことかナチの世界征服の片棒担いだ挙句に国中丸焼けにトドメの原爆、占領だからな。

589 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 07:45:57.22 .net
>>572
いや百姓にもいる
なぜなら天皇家の始祖の饒速日命系列やその親の子孫の物部の子孫が山ほどいるから

590 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 07:49:42.32 .net
>>587
幕末どころか奈良平安時代あたりで混血したんじゃ?
渡来系もいるしそういうのは苗字じゃわからん

591 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 00:25:36.70 .net
戸籍記載の女性の名前で最初平仮名だったのに改製の際に片仮名にされた人がいる…

592 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 22:53:57.13 .net
昔は頻繁に改名してたからね。 うちの母も3〜4回改名してた。
戸籍にわざわざ載せることはないけど、戸籍改訂のタイミングなら新しいのを登録するだろう。

うちの苗字も旧漢字から新漢字に登録し直したが、強制ではなかったみたいだな。 うちの親族は全員改訂して登録し直したが。

593 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 01:43:47.36 .net
その戸籍記載の女性全員が変わっていたから改名したわけではないと思う
改製は私人の申請によって行うものではないからそれに合わせて改名というのは不可能だろう

相続で新戸籍編製の際に苗字の字体が変わっていたことは確かにあった
これは確かに届出の際にそうしたのかも知れないが不明

平仮名と片仮名の差もこの役人にとっては字体の問題と考えていたのかも知れない

594 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 07:14:49.62 .net
おぎやはぎ の小木 博明って芸人いるけど、もともとは こぎ と読んだそうだ。
それがお爺さんが東京に出てきたときから おぎ という読み方に変わったという。
なんでそうなったかは分からないらしい。
なんかうまいことやったんでしょう、と適当なことを言ってた。

595 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 19:05:03.74 .net
キラキラネームだと将来の子孫が戸籍をとってもなんで読むのかわからんよな

596 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 22:05:05.27 .net
>>594
戸籍は勿論のこと他の公的資料にも読みがなかったのだろうね

同様な例に、東海林もあるらしい
本当は「とうかいりん」だったのに上京したら皆から「しょうじ」と呼ばれたので、そう変えてしまった
でも上京しなかった弟は「とうかいりん」の儘だったので、兄弟で苗字の読みが異なる事態になったとか

597 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 22:37:04.12 .net
しまったな。こちらにも頻繁に来るべきであった。
みんな帰っちゃったかな。藤原の話したものだけど。

なんか、誰かも言ってたけど、太平洋戦争時、暗躍してたようですね。
原爆にも関係してたんですか?
私は、ゲーム、提督の決断シリーズで、ジャケットに、
東郷平八郎だっけ?を訝しく見守る、空母艦隊の第二艦隊機動隊の司令官、
小沢治三郎中将を思い出します。
太平洋戦争は、かなりスパイや密約が在ったようですね。それも、軍のトップもとか!!
日本は、夜駆け朝討ち密通だまし討ちとか、代々やってきたお国柄ですしね。
それらの一門が、朝鮮藤原氏!!後は平家くらいですか?他には蘇我氏とか?
今現在も、こいつら何考えてるかわからないですよね。
自民とかは、自分の国を破壊しているのですが、将来どうするつもりなんですかね。
きっと、世界の悪側と裏取引してるんですよ。日本崩壊後、どこにいくんだろうか?

598 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 22:54:47.46 .net
私のいた宗教団体では、現在、鹿島神宮参拝が禁止されています。
直接的な理由は、もう5年〜8年くらい前かなあ、
幸福の科学が跋扈してたんですって。
でね、鹿島神宮は、中臣氏が祖と祀る
神社として有名でしょ、ということはですね、
朝鮮藤原氏が祀ってる可能性があるんですね。
鹿島神宮は、国会議員に立候補する人が必勝祈願に参る神社なんだけど、
議員と言ったら自民党でしょ?そして、党員幹部は、藤原氏ですよね?わかるでしょ?
全部つながるんですよ。理由があって、そうなってる。
鹿島神宮は、神軍の元帥なんですね。これは、最強武神という意味ではないんです。
元帥役。言ってしまえば、女神に軍事力、武力が負けてたりするんですけどね。
巨大星座の星の女神とかには。
だけれども、日本国軍や、神軍が、抑え込まれてる可能性あります。
やっぱ、北朝鮮人というか、中国人と言うか、
頭いいですよ。中には、北魏なら、司馬懿、かく、程c、李儒もそうかな、等、
いたわけですから。更に中国史を遡れば、
中国を統一した王朝が在るということは、その中間は国が乱れていたというわけですし、
安定国内でも、末期など、逆臣、奸臣、謀略家、易法家、呪法家など、いたわけですから。
今日本をメチャクチャにできているということは、創価のトップ、統一教会のトップなどは、
相当な頭脳と思われます。

599 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 23:10:08.39 .net
もう一個書きたいのは、例えば、あっちは何か嫌な感じするから行くのをやめよう、
とか考える時在るでしょ?それは、つまり、霊能力。初歩のうちかも知れませんけど。
もっと強力なのは神力を使える人で、まあ、若干でも、正しく身を守るような霊能力が
あるということは、煎じ詰めれば、日本の皆さんなどは、神々の末裔です。
皇別、神別とかありますが、私が教祖から教わったのは、
純粋な日本人は、等しく瓊瓊杵尊様の末裔だそうですよ。良かったね。
東洋、西洋の外国の人は、まあその地方の神仏の末裔ということでしょうね。
やっぱり、皇室や源平藤橘などは、高家なわけですけれども、
世界から見たら、全員羨望される血筋なわけです。即ち、神国日本国民。
だから、家柄が悪いなんて、あんまり思わないでいいです。
家柄が没落していても、いい血筋かも知れませんし、
例えば農家の家柄でも、トップならいいでしょうし、普通のお百姓さんでも、
頑張って働いて国と国民のためになった功は高いですからね。
きっと、あまり芸術才がないとか、マーチ以上の大学は2浪したけど受からなかったとか、
そんなもんだと思いますよ?

600 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:28:36.62 .net
>>596
俺のいた職場に東海林でトウカイリンっていうのがいたわ
仕事がマイペースでみんな困ってた。それで飲み屋でみんなと
トウカイリンが−って話をしてたら、知らない親父が
皆さんトウカイリンって言っておられますが、あれはショウジと
読むんですよ、と口を出してきた。しょーもないおもひで

601 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:38:54.85 .net
夜討ち朝駆けか

602 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 16:45:26.55 .net
知り合いのところで、集落のほとんどが同じ名字なんだけど、
一軒だけ読みが違うので何だろうと思ったら、
昔みんなを怒らすようなことやらかしてハブられたあげく、
自分から読みだけ変えたのだとか

603 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 16:49:26.69 .net
鹿島神宮に、朝鮮?中臣藤原氏が呪をかけてる可能性があります。
また、易家ですから、易法も何かしらに使ってる可能性あります。
ありそうに聞こえませんか?

604 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 03:31:27.22 .net
>>602
何したのか気になるけど、由来が分かるのは良いことだ

605 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:58:10.19 .net
むかし佐賀県立図書館の郷土資料室へ行ったら鍋島さんがいて、兵庫の龍野には聚遠亭には脇坂さんがいて、
岡山の足守へ行ったら木下さんが蔵を開けて見せてくれたな。懐かしい思い出だ。

606 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:08:04.09 .net
調べに調べルーツを辿ったら被差別部落に行き着いたらどうするべきでしょうか?

607 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:48:30.72 .net
自分も先祖調べで戸籍辿って曾祖母のルーツが被差別部落って判明したけど賤民身分だから戸籍以前のルーツは手がかりも何もなくてそこで行き詰まってそのままだな
近隣の地域に同じ名字の家があって恐らく同族だろうけどコンタクトとる勇気もないしルーツ聞いたところで身分が身分なだけに・・・って思って聞きたくないと思う自分もいる

608 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:01:45.16 .net
維新後の混乱期、主君と国を失った士族が流れ、
被差別部落かその近隣に落ち着いた例も多い
桁違いに大きな屋敷と、地元の名士の名声などがある例だ
早合点せずきちんと調べてみてもいい

また被差別部落は近親婚が多かったとみえ、
特に渡来系の多い関西にあっては、遺伝的な島のようになっていると聞く
そのルーツは縄文系に近く、東国征伐に伴う俘囚の流れ
つまり蝦夷やまつろわぬ民の血を引くかもしれない

609 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:55:42.98 .net
出鱈目書くな
穢多の通婚圏はきわめて広かった。
http://blrhyg.org/column/column1-16/column16.html
通婚圏が狭く近親婚が多かったのは農民。
それも貧しい村であればあるほど嫁や婿は近場からしか来なくなる。
貧乏人ばかりの村だと村内で相手をさがすしかなくなり、村中親戚ということになる。

610 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 23:34:30.76 .net
通婚圏が広くても同じ穢多同士による通婚

611 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 23:51:07.85 .net
イスラム人口の半分近くは近親交配
https://ameblo.jp/channeling-source/entry-11831533634.html

いとこ同士の子供が遺伝的問題を抱える確立は、他人同士の子供より2%ほど高いと言われる。たいしたことがないようだが、イスラムエリアでは「1400年」に渡っていとこ婚が奨励され、繰り返されてきた歴史がある。一つの理由として、財産を赤の他人と分けたくないというのがある。

以前は日本を含め世界中でその傾向が見られたが、現在もかたくなにその風習を行っているのは主にイスラム世界である。イスラム教人口の半分は近親交配だと研究者は言う。

現在も世界の結婚の10%がいとこ婚、はとこ婚が占めるというのを知った。その殆どがムスリムではないだろうか。特にパキスタンでは人口の70%がいとこ婚だ。多くのパキスタン人がイギリスに移民しているが、イギリスでも少なくとも55%のパキスタン人がいとこ婚をする。その結果、イギリス国内のパキスタン人の子供は全体の3%に過ぎないが、遺伝的疾患を持つパキスタン人の子供は全体の3分の1になる。何代もいとこ婚を繰り返すと、子供に知能低下が見られるという。イギリスに住むパキスタン人で何らかの疾患を抱える人は男性13%、女性16%。

●イスラム世界の親戚婚(いとこ・はとこ婚)統計
アルジェリア:34%
バーレーン:46% 
エジプト:33%
ヌビア(エジプト南部):80%
イラク:60%
ヨルダン:64%
クウェート:64%
レバノン:42%
リビア:47%
モーリタニア:47%
カタール:54%
サウジアラビア:67%
スーダン:63%
シリア:40%
チュニジア:39%
アラブ連合:54%
イエメン:45%

カタールでは毎年およそ19000人が誕生するが、そのうちの3000人が子供のうちに何らかの手術を行う。内200人は深刻な先天性欠損症

イエメンでは2−9歳の子供の25%が何らかの遺伝的障害を持っている。

612 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 23:53:51.45 .net
(デンマークの心理学者のニコライ・セネルス氏の研究結果)

・ソマリア人の3人に1人が精神障害者

・デンマーク最大の精神病棟に入院している精神疾患の犯罪者の40%以上がイスラム系移民

・コペンハーゲンに住む身体障害者の3分の1がイスラム系移民

・デンマークのイスラム系移民がデンマーク陸軍の入隊試験を受けた結果、デンマーク人に比べ、不合格者の割合が3倍以上となった。

・デンマークの学校ではイスラム系移民の子供たちは過剰反応をするため特別支援教育が必要とされるケースが非常に多い。デンマークの学校の予算の3分の1が特別支援教育に使われている。

・デンマークのアラブ系の両親から生まれた子供の64%が、デンマークの教育制度で10年間の教育を受けた後も職学能力がない。デンマークの高校の中退率は、イスラム系移民の生徒がデンマーク人の生徒の2倍。イスラム系の人々はIQが平均的に低いために、彼らは知識を得たり学んだり抽象的思考ができない。

613 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 00:03:43.10 .net
スウェーデンの研究者ジャンソンが、ヨルダンで行ったサンプルリサーチによると、重度知的障害児の両親の68%が血族結婚(35%が従兄妹同士、14%がはとこ同士、18%が遠縁)である。ヨルダン一般平均の50%よりずっと高い。更に興味深いのは、21%の子供達が、やはり知的障害をもつ兄妹をもっている点である。その内訳は、11.3%が1人の兄妹が知的障害を持つ。7.9%が2人の兄妹。1.5五%が3人の兄弟。そして、残りの0.5五%に関しては、本人を除いて、家族内に4人の兄妹が、やはり知的障害を持つということである。これは、明らかに遺伝性の知的障害の兆候である。他のアラブ諸国でもよく似たデータが見られる。エジプトでも障害児の両親の67%が血族であり、パレスチナのガザでも知的又は複合障害を持つ子供達の両親の血族結婚率は約7割である。

614 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 00:57:29.26 .net
穢多非人
出雲阿国なんかがそうじゃない?
要するに、芸能や園芸他自由に生きていた人。
自由で、大変お金持ちだったらしいよ。
真実の歴史は誰にもわからない。見てないんだから。
ようつべにそのへんのことでてるから見てみ?

615 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 00:59:43.62 .net
全部、中臣藤原氏がわからなくしてしまったの

616 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 01:00:07.10 .net
ただの匈奴

617 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 01:01:04.48 .net
違うかな?
中務やってたわけだし
邪馬台国の一族
なんで日本を壊すのかはわからない

618 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 01:15:02.05 .net
村ただ

619 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 01:15:48.86 .net
深見先生は、左利きと言っていた

620 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 17:14:31.48 .net
統失のレスはよくわからん

621 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 22:50:35.91 .net
>>610
穢多同士だから何なんだ?
通婚圏が広ければ近親婚にはならないだろ
お前は親が低知能同士の近親婚でますます低能になったが、
穢多はそうならないために広い婚姻ネットワークを形成したのだ。
神戸−京都−和歌山とかな。
江戸時代にたいへんなことだ。

622 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:22:05.39 .net
だから、
穢多非人は、自由で金持ちだったんだっていうの昔は

623 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:22:50.49 .net
漢字は当て字なんじゃねえの?
後名とか

624 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:23:35.68 .net
非穢多人とか

625 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:24:56.63 .net
真の穢多非人は、
ほんとうの意味の奴隷
罪業考えろよ
ここでも中臣藤原か?

626 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:25:35.28 .net
非人はおそらく魑魅魍魎だろう

627 :日本@名無史さん:2022/01/27(木) 23:26:04.18 .net
穢多と非人っていう意味だろう

628 :日本@名無史さん:2022/01/28(金) 01:56:16.10 .net
平家に非ずんば

629 :日本@名無史さん:2022/01/28(金) 02:27:34.00 .net
ということは、
平家以外が非人だから、
つまり、平家以外ということだな

630 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 12:01:52.16 .net
浅草弾左衛門の初代血統は早々に途絶え、養子によってその地位が伝えられた。
弾左衛門の養子になるには何より能力が重視された。
養子となる者はきわめて広い範囲から選ばれた。例えば第十二代弾左衛門は信州筑摩郡の
長吏で松本藩の穢多頭である大友彦太夫の弟周司(集司)なる者である。
弾左衛門周司が引退した後、最後の浅草弾左衛門(第十三代弾左衛門)になったのは
摂津国菟原郡住吉村中ノ町(現・兵庫県神戸市東灘区住吉宮町)の寺田利左衛門の長男で
ある直樹(集保)である。
直樹が十三代目の当主に就任したのは幕命による。
父の寺田利左衛門は尼崎藩の穢多頭。母方の祖父は京都の元銭座村の長吏頭の専左衛門
であり、母の妹は紀伊国海部郡広瀬の長吏・甚之丞の妻である。
十二代目も十三代目も、江戸入りにあたっては大名行列を模した行列を組んだ。
多数の手代・手下を従え、籠に乗って浅草の屋敷に入ったという。
これだけを見ても、穢多のネットワークというのはたいへんなものだということが分かる。
神戸の穢多が京都や和歌山の穢多と縁戚関係なのである。

関西では穢多が垣外(かいと)と呼ばれる非人村を作り、非人たちを支配していた。
非人を従え、奉行所の配下として治安の維持や牢獄・刑場の下働きの任にあたっていた。
非人たちの頭目である穢多を長吏といった。
奉行所役人の市中見回りには長吏たちが従った。その周囲は武芸に長じた屈強な非人たち
が警護していた。犯罪者の検挙や引き渡しには穢多たちのネットワークが生かされた。
例えば岡山で犯罪を犯した者が大阪に逃げても、人相風体を記した手配書が大阪を含む
各地に配られる。大阪で犯人が逮捕されると岡山の長吏が非人を連れて引き取りに行くと
いった具合である。
このような日常的業務を通じて各地の長吏たちは密接な協力関係を持つようになった。
そこから通婚関係が生じたのも当然である。穢多たちのネットワークは幕領も藩領も越えた
ものであり、きわめて広範囲に亘るものであった。

631 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 18:22:40.81 .net
高祖父母の原戸籍が欲しいんだけど、戸籍が残っているかどうか市役所に問い合わせたら「調べるので必要書類と郵便為替を送ってください」と言われた。
まあそりゃ個人情報保護のためそういう対応になるのはしゃーないんだろうけど、
郵便為替買って運転免許やら続柄証明コピーして申請書記入して封筒に入れて・・・ってして、「はい原戸籍は捨てられて残っていませんでした、骨折り損のくたびれ儲けでしたねwww残念でしたーw」って結果だったら、郵便為替代とか必要書類揃える労力とか一体何だったんだって腹が立ってくるから嫌なんだよなぁ。
しかも北陸地方で古い記録物は残さないクソみたいな風土があるらしいからな。

632 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 19:29:51.16 .net
小為替買って免許証やらコピーして申請書書いて封筒に宛先書いて返信用封筒入れてポストに投函することを労力と感じるくらいなら止めたほうがいいよ
廃棄されたことが分かっただけでも良しと思えるならやればいい

633 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 23:24:50.04 .net
だったら行ってみ、時間と交通費はかかるが30分も待てば答えはでる。

634 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 23:36:34.74 .net
>>631 お前はガキか。 なぜ最初に問い合わせしないんだ。
自分は直系の先祖の戸籍を取りたいとメールで尋ねたら、何通関係戸籍がありますから、いくらいくらの小為替と、自分の戸籍を同封して送ってくださいと言われて送ったらすぐに送り返してくれたぞ。

635 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 23:41:19.62 .net
そもそも小為替は戸籍1通毎に費用がかかるから、ないのに小為替を入れることなんて不可能なんだけどな。

市役所って地元に戸籍があるのか? どうも日本語が通じていない気がするな。

636 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 23:42:03.26 .net
>>634
よく読め
戸籍が残っているかどうか問い合わせしたら調べるから為替と必要書類送れと言われたって書いてるだろう

637 :日本@名無史さん:2022/01/29(土) 23:48:43.46 .net
『○○様の高祖父母様に関する原戸籍(又は除籍)が△△市に残っているかどうかは、実際に戸籍の請求があった際にお調べします。
 ○○様が戸籍を郵送で請求される場合、次の書類を「△△市役所市民課」
へお送りください。』

って返信メールきた。
634のように調べてくれる市もあればこういう市もあるわけで。市によって対応が違うんだろうな

638 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 00:07:35.73 .net
とりあえず申請書と適当に小為替入れて送る
いくら足りないと電話があるから
必要な小為替買ってまた送ればいいだけ
民間委託せずに役場職員が適当にやってる暇な役所じゃない限り申請書出さないと調べてくれんよ

639 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 00:08:20.44 .net
うちも何通あるかはお答えできないと言われた
答えてもらえたのって近年の話?

640 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 00:11:56.77 .net
小為替のお釣も小為替で返してくれる親切な役場と、切手で返す役場と、全く受け付けない役場がある

641 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 19:01:28.70 .net
>>639 数年前の話だよ。 もっとも、特殊な苗字でその地方ではその苗字が有名だからだろうけど。 その地域に住み着いて700年くらいは経つ。

メールがない時代はいちいち役場に足を運ばなければいけなかったから、結婚と同時に戸籍を移したのにこんなに簡単なら戸籍を移す必要はなかったな。

642 :日本@名無史さん:2022/01/30(日) 19:29:58.23 .net
>>641 勿論役場の職員の中にも同じ苗字の職員がいることはわかっていたから融通してくれたのかもしれないが。

700年前以前からの家系であることは間違いないのだが、うちの直系が明治末期から大正前期にかけて朝鮮に渡って仕事をし、戦後引き上げてきた理由がよくわからなかったから戸籍調べをする様になった。

どうも、明治初期に養子に入ってきた事で余り田畑がもらえず朝鮮に出たのではと想像した。
引き上げてきた時には明治時代からの戸籍上の住所に住み、自分もその住所で生まれた。

時々その地に行くと道端で遭った人も皆親戚みたいにして付き合ってくれる。

643 :日本@名無史さん:2022/02/01(火) 07:18:56.24 .net
親戚なんだろ
家紋が同じだろうきっと

644 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 08:05:04.46 .net
わいのルーツ。
江戸時代に有名人が追い剥ぎにあったところ、御先祖様が上手く立ち回った。で感謝状もらって名字名乗る事を許されたが、その有名人の名前を使ったらしい。
松尾芭蕉なら松尾みたいな。
雷電とか十返舎とかじゃなくてよかった。

645 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 12:05:23.23 .net
昔の奴らってのは恥やプライドがないのか?(まあ自分の先祖だけかもだがw)
代々ただの庶民だったのに家系図捏造、家伝捏造ばかりで見事に騙されたわ
最初は自分は平安時代の有名貴族の先祖だと言われて育ってきたし、それに誇りを持っていた。でも調べていくうちに自分の家に伝わる家系図や言い伝えが嘘八百でうんざりして我が先祖ながら腹立ってきた
嘘だらけの言い伝えなんてなんの価値もない
自分を騙し周囲を騙し子孫をも騙すクズめ
ホラ吹きも大概にせえよ悍ましい

646 :日本@名無史さん:2022/02/17(木) 15:55:36.47 .net
>>645
そんなのは良くある話だ
昔の価値基準と今のあなたの価値基準は違うものだし、先祖のことを悪し様に罵るものじゃない

いつからかは知らないが、親から子、孫に代々伝えられてきた事があるのなら素晴らしいことじゃないか

647 :日本@名無史さん:2022/02/17(木) 16:12:36.18 .net
経団連会長の元上司の父親役の息子の俺に、
富士通のパシコンを使わせずハーウェイのパソコンを使わせるって、
どういうことだろう?
経団連からの富士通外し?

648 :日本@名無史さん:2022/02/17(木) 22:06:12.48 .net
平安時代の有名貴族の末裔だと言われて育ってきたが、調べてみたら穢多だった、てかw

649 :日本@名無史さん:2022/02/18(金) 07:20:31.13 .net
関西ってまだ釣書の交換なんかやってるだろ

釣書ってのは身上書みたいなもの
見合いや結婚のときに交換する。
今は家族全員の学歴とか勤務先程度になっているみたいだが、
ちょっと前まで家の歴史(先祖がどうのこうの)まで書いた。

母の従姉妹が兵庫の男と結婚するときに釣書を書かねばならなくなって
困っていたそうだ。
向こうの釣書は、先祖は木曾源氏で義仲を最後まで守ってどうのこうの
とか書いてあるそうで、うちは何を書けばいいんだと絶句だったとか。

そういうのが普通だとすると、嘘でも何でも系図って必要なんだなと思う。
昔は子供が多いから、系図一本買って子供5人なら五回使えると思えば
安いものだ

650 :日本@名無史さん:2022/02/19(土) 01:56:56.25 .net
>>644
雷電って名字だったらめっちゃ格好良いじゃん
尤も彼なら自力で打ち負かすだろうけど

651 :日本@名無史さん:2022/02/19(土) 03:33:36.06 .net
祖父の実家に木彫りの像と束帯姿の貴族の古い掛け軸が飾ってあって、てっきり先祖は偉い人でその肖像の掛け軸かと思ってたら全然違って草。
どうやら祖父の実家のある地域では長男が生まれると天神様の掛け軸と木彫り像を送る風習があるらしい。そんな風習全然知らなかったけど興味深かった。
本家はもう途絶えるから、もし掛け軸とかいらないなら譲って貰おうかな。

652 :日本@名無史さん:2022/02/21(月) 14:25:15.77 .net
昔見た本に書かれてたことを調べようとしても、既に廃刊されてるのが殆ど。
発行部数数百だなんてのも沢山あるし。
自分の頭の中にあることや古本をかき集めてある程度情報が集まってきた段階でWiKi にまとめた。

本来WiKi には個人史や家系について書いてはいけない規則だが、歴史上の人物でもあったから誰からも問題視されていない。

苗字も日本で一つだけの苗字だし歴史が混乱することもないし、神社が本家を守ってるから嘘偽りはどこにもない。
珍しい苗字は迷惑でもあるが便利でもある。

653 :日本@名無史さん:2022/02/23(水) 00:53:12.01 .net
面倒な奴に発見されていないだけかも知れないが、自分はその記事を見付けても邪魔立てはしない

654 :日本@名無史さん:2022/02/23(水) 13:11:58.98 .net
今の神主は、自分の一族が大昔からそこの神社を仕切っていたようなことを言うが、
そんなことはない。
幕末・明治の神仏分離令まで、神社と寺は一緒くたで、別当が支配していた。
別当というのは坊主である。

例えば京都の石清水八幡 ウィキの記述はこうなっている。

「創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し
山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の
話で知られる。
その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。
仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として
葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。 」。

石清水八幡を勧請した鎌倉の鶴岡八幡も同じである。
鎌倉タイム という鎌倉紹介サイトにはこう説明してある。

「鶴岡八幡宮を知る上で忘れてはならないことは、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮は神仏双方が
祀られた場所であったことです。現在のように国家神道のみの神社となったのは明治維新の
廃仏毀釈によるものです。
それまでは20を超える塔頭があり、源頼朝は法華経を始め仏を篤く信奉し『吾妻鏡』には
幾度も法華経や一切経などの読誦が鶴岡八幡宮において行われた記録が残ります。」。

655 :つづき:2022/02/23(水) 13:12:22.44 .net
鶴岡八幡は僧である別当が支配する場所だったのである。
名称も鶴岡八幡宮寺であり、寺であった。
鎌倉二代将軍頼家の息子善哉(幼名)は、幼くして出家させられ公暁という法名の僧となった。
長じて鶴岡八幡の別当となった。そして父の仇としてつけ狙っていた三代実朝を暗殺した。
明治維新のときに仏教の堂塔はほぼ全て打ち壊された。
やったのは仏寺12院の僧から神主に転身した者たちだったというが、いわば踏み絵のような
形でやらされたのだろう。その規模は今の三倍あったといわれている。

石清水八幡では、下層の神職の者たちが僧たちを虐待した。
仏教の僧が神をお祀りしてはいけないのだからと法衣を剥ぎ取り、今の作務衣のような格好をさせた。
頭を剃ることもやめさせた。
僧たちは戒律により魚肉を食べなかったが、神職の者たちは僧の口に肉を突っ込んだという。
秘仏として行基像が秘蔵してあったが、神職たちはこれを引っ張り出し、仏像に神主の衣服を着せ、
頭に烏帽子をのせた。烏帽子が落ちるので、釘で打ち付けたという。

656 :日本@名無史さん:2022/02/23(水) 14:21:29.98 .net
>>655
なんかそれ平家臭いなあ・・・

657 :日本@名無史さん:2022/02/24(木) 13:59:27.13 .net
>>654 その記述はあまりにも偏っている。
基本的に神社は天皇家(或いは近い神)を祀り歴史も寺より古い。
例えば現在の上賀茂神社を建て直したのは、徳川家康で有りあくまでも神を祀った。

その記事の中で、岩清水八幡宮の山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたとあるが。
ただ単に高良大社からご神体を戴いて来たというだけだろう。
700年位までは宇佐神宮より高良大社の方が格式が高かった。(天皇家の祖廟として祀っていた)
武内宿禰の本陣とも言われている。
筑後一の宮。

八幡宮総本社は宇佐神宮ということになってるが、高良大社はその左殿に八幡大神を祀っている。 

うちの神社は比較的歴史が浅い(700年位前)が神社がメインで仏様を1体置いてただけみたい。

658 :日本@名無史さん:2022/02/24(木) 14:13:27.94 .net
因みに、鎌倉時代に書かれた八幡愚童訓は、高良山の神人達が資料を書き石清水八幡宮の社僧がまとめたもの。
なぜかと言うと日本で詳しく神功皇后の戦記を書ける人達は高良山にしかいなかったため。

659 :日本@名無史さん:2022/02/24(木) 23:10:25.27 .net
神人なんてのは神社の縁の下に住み着いた乞食が掃除をしたり番人になったりして
養われ隷属民になったもの。
字なんてろくに書けやしないよ

660 :日本@名無史さん:2022/02/25(金) 05:16:09.05 .net
藤=唐、
つまり辛!!
そんな事もあって、ゲーム「大神」
は、ああなのかなあ。

661 :日本@名無史さん:2022/02/25(金) 15:47:32.33 .net
宗廟の間違い。 高良大社は全国6社しかない国幣大社の一つ。
国幣大社は国の費用で祭事を行う神社のこと。

宇佐神宮や宇佐神宮などは官幣大社で天皇家の費用で祭り事をおこなっている。

宗廟は先祖を祀る廟の事.
宇佐神宮、伊勢神宮、岩清水八幡宮など。

662 :日本@名無史さん:2022/02/26(土) 11:13:54.84 .net
>>657
>例えば現在の上賀茂神社を建て直したのは、徳川家康で有りあくまでも神を祀った。

そんなことないよ。上賀茂神社にも神宮寺はあった。観音堂とかもね
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/kyo_kamosimosya.htm

伊勢神宮にだって神宮寺があり、お坊さんが仕切ってたんだぜ

さらに、金剛証寺という寺は天照大神=大日如来を祀り、伊勢神宮内宮の奥の院とされ、
伊勢参りの人は必ず参詣した。
http://www.asahi.com/travel/hikyou/TKY201103270195.html

高良大社にも神宮寺はあった。
高隆寺という寺だ。
ネットに
「神仏混交の時代高良山には、26の寺と360の坊ができました。
その最初の寺が高隆寺でした。お堂には弥勒菩薩、毘沙門天が安置されていたそうです。
創建の僧隆慶は、高良山中の政令を司る初代の座主となりました。
後年この場所には鐘楼が建てられました。江戸時代高良山十景の詩歌に高隆の晩鐘とよまれています。」
なんて書き込まれてるよ
僧坊が360もあるなんて大きなお寺だったんだね

663 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 10:34:05.47 .net
家系図なら10代さかのぼれるけど血統は4代前の高祖父
くらいまでしかわからないだろ。明治19年式戸籍をみて
5代まえの知らない名前が出てきてびっくりしたよ。

664 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 14:57:12.59 .net
>>663
家系図と血統図って、
8割方一緒じゃない?
もちろん、養子に入ったり、母方の姓名乗ったりすることあるだろうけど・・・

665 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 16:09:24.39 .net
>>664 自分の場合、本家の家系図は残っている(自分もその血筋というのは間違いない) が、自分の血統を調べようとすると戸籍から上に追いかけるしかないから、江戸末期でプツンと途切れてしまう。
ほとんどの人がここで途切れるはず。

過去帳も見せてもらったが、戒名と俗名が記録されているだけで、親の名前の記録がなかったから何の役にも立たなかった。

666 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 16:25:27.18 .net
自分は家祖から36代目くらいだから、本家の家系図に載せたらものすごい数になるからそんなもの普通は直系しか載せない。
二人ずつ子供を産んだとしたら700億人にもなる。

667 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:28:13.85 .net
うちの母方は、名家のせいか旧家のせいか、
家系図に本当に那須与一まで書かれているらしい。
もしかしたら、更にその先まで遡れるかも知れない。
とにかく、家系図に那須与一がいるとは母から聞いた。

668 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:37:08.11 .net
何故自分の血統を追いかけようと思うかと言うと、自分の場合、大病を患い生きてる間に自分の思い出せることを記録しようと思ったから。

自分が色んな土地に移動したりして昔の記憶を繋ぎ止める書籍とも巡り会えなくなってしまってた。
でも今はネットで古本に巡り合えるから少しずつ情報が集まるようになってる

家系図を追いかけるのは、冒険物語を追いかけるみたいで面白い。 血統を追いかけるのはもう殆ど諦めてるが、親族が集まり昔の写真(明治)などを見るのは同じ楽しみがある。

669 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:47:50.43 .net
>>667 面白いよね。 義経と一緒に戦ったとかこんなのが家系図の横に描かれてるのが家系図の面白さだと思うね。

昔の家系図というのは、伝記に近い。

今自分は自分史を描こうと思ってる。 

暇つぶしではあるがなかなか資料が集まらない。

670 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:48:15.93 .net
大病か。
病が癒えますように。
一応、パソコンかスマホは扱える訳ですね?

671 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:49:33.64 .net
>>667
那須与一か

それじゃ間違いなくインチキな家系図だなw

672 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:55:16.10 .net
>>669
まあ、ある意味個人情報だから、あんまりおおっぴらに出来ないが、
それさえ全国公表されたら、
日本史学はものすごく進むでしょうよね。
惜しいですよね。

うーん、うちの母の家は、河内源氏だから、無茶苦茶遡れば、
歴史学に貢献できる人物や社会のことが判明しそうだ。
これは、各家そうでしょう。
まあ、中世は武士の国だったから、
やはり、源平藤橘の家は、なにか歴史的価値がある家系図をお持ちかも知れませんね。
あとは、宗教家、公家、あとは、まあ、士農工商すべて、なにかわかることがあるでしょうよね。

673 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 18:58:53.10 .net
>>671
それがですね、
家紋が十六菊に一なんですね。
家紋というのは、偽造詐称は、恐らく出来ない。
地元の名家ではあるようで、
歴史もある程度分かるようなんですよね。
語ろうと思えば、色々語れますが、
それを書いてしまうと、悪側が不機嫌になりそうなので、
辞めときます。
やはり、自慢になってしまうので。

674 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:06:32.94 .net
一般に、
那須家、また、那須与一もかな、
は、藤原氏とされてるんですよ。
しかし、
那須家の本家が有る栃木県の那須市の、
那須さんが経営しているホテルか旅館に泊まったら、
家紋がやはり十六菊に一だったのですね。
十六菊に一とは、源氏の家紋ですから、
そういうことから考えると、
歴史学も浅く薄いんですよ。

675 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:08:19.68 .net
>>673 イチャモンつける人はほっときなさい。
確かに珍しい家紋で那須与一ですね。

ま、家紋は部下に与えたりしたからどんな経由かはわかりませんけど、誇らしい家系でしょうね。

676 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:17:02.81 .net
>>675
うーん、私の家紋の血筋は、地元の県では多数派でして、
何で畿内から来た血筋が地方で多数派になるのかわからないんですけども・・・
ああ、途中で家柄が変わったとか有るのかいな?
藤原家から、源氏に変わったとか?
まあ、養子や母方の姓を名乗ったり、それから、
武家のボスが家名を下賜したりすることがあるのかな?
家門制度はちょっとわからないな・・・
日本史学上、一番ややこしい箇所ではありますし、
また、国の根幹みたいなものですからね。
大体、天皇に繋がるとか、ものすごい歴史的事実になるんじゃないかな?

677 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:26:47.18 .net
ちょっと俺は5ch中毒過ぎかな
なんか常に書き込んでる気がする。
普通、閲覧時間が8〜9割なはずだが、
長文書いてるせいかな・・・

678 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:32:55.63 .net
那須与一なんて人物は実在しなかったのよ

そんな系図を売りつけられる先祖も馬鹿だわな

しかも子孫がまたそんな系図を信じている

馬鹿な先祖からは馬鹿な子孫しか生まれない。馬鹿の連鎖w

679 :日本@名無史さん:2022/03/04(金) 19:39:17.91 .net
もう、病気

680 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 08:04:18.66 .net
那須氏と言えば弘前大教授夫人殺し事件だね
裁判費用捻出のために那須家伝来の甲冑、系図や古文書なども売り払ったらしいからそういう出物の系図をかった人もいるのだろうね

681 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 09:58:57.34 .net
家紋は頻繁に下賜され味方の紋とするのも頻繁にあった。

秀吉が天皇から下賜された二両引紋や桐紋を全国にばら撒いたことは有名、ばら撒きすぎて価値がなくなってしまった。
うちも大名から下賜された紋を使ってる。この紋を使ってる仲間を同紋衆と呼んでる。未だに同紋衆の祭りすらある。

苗字を与えるケースは少なかったが、忌み字を一字与えるケースが多かった。 

元手なしの褒美

682 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 11:16:02.30 .net
家紋と血筋は基本的には別物と考えた方が良い、
極々有名な家紋でない限り、勝手に他所の武将の紋を使ったりもしていた。
あまりにも混乱しすぎたので江戸時代には、他所の武将の紋を使うべからずとのおふれまで出た。
江戸時代初期には町人まで勝手に紋を使ってた。
(後期には町人が使う紋が定められた)

家紋は一般に複雑なので有名な家紋で作りやすく、言えばどんな家紋かわからないと困る。
だから流通している家紋はあまり多くはない。

683 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 11:43:16.30 .net
そうなんだね・・・
名家以外は由来調査諦めるべきだわな

684 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 11:57:58.23 .net
見分諸家紋 日本最古の家紋集 15世紀末
収録数260

室町幕府8代将軍足利義政の頃、将軍家を初め守護大名から国人層に至るまで諸家の家紋260ほどを次第不同に集録した古書

応仁末年(1467年)から文明2年(1470年)までの間に成立したと推定される。

、、、、
家紋は何らかのつながりを見つけるヒントにはなる.どんな武将と関係がありそうだとか。 その場合は家に伝わる何らかの伝承があるはず。
かといって血筋とはほぼほぼ無関係。

685 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 12:20:39.06 .net
>血筋とはほぼほぼ無関係

うちの家紋は「山桜」
右翼の先生いわく南朝の末裔らしいw

686 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:06:25.86 .net
>>685 南朝の末裔だなんてあり得ない。
山桜紋は江戸時代に作られたから南朝に関係するわけがない。

桜は散るので不吉として武家ではほとんど使われなかった。

吉野南朝が使った紋は、十六弁菊の紋、菊水の紋、などなど。

687 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:34:10.01 .net
おそらく、
源平藤橘の家紋は?
それでもだめかい?
楠木家は、橘氏流の可能性があり、
おそらく橘紋は、南朝方であると俺は推測する。

688 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:36:22.28 .net
歴史学って飽きないねえ・・・
恐らく、血を扱ってるからじゃねえ?
意納血


689 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:41:26.93 .net
玉虫色を証らしむる

690 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:43:46.11 .net
そういや、古今東西、
男性はシンプルにかっこよくまとめて、
女性は芸術的に美しくしてるよね

691 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:44:52.23 .net
お灑落でカッコよけりゃ何だっていいや

692 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:46:20.61 .net
全様美

693 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:47:29.43 .net
全様それぞれにいいや

694 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:48:48.00 .net
方式と様式にとらわれないのは無理だな恐らく
それは浮浪者通り越して原始人だろう

695 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:51:38.90 .net
マトゥ
源平十魔伝

696 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:53:17.95 .net
皇別討魔伝!!

697 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:58:25.26 .net
>>687 南朝方で戦った子孫というだけならかなりの確率でありうる話だが、山桜紋は一切なさそう。

南朝方で戦った武将が江戸時代に新しくできた不吉な紋を使い始めるわけもない。
例外的に桜紋(山桜紋ではない)を使った例は、桜井松平氏、細川氏、仙石氏、

吉野の山は桜の名所だから南朝に関連してると思ったのかも、そんな話はさもありなん。
後醍醐天皇が兵を挙げたのが吉野の山。

698 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 13:59:11.30 .net
武源力平能藤忠橘

699 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:02:06.77 .net
武源力平才藤忠橘
ぶげんりきへいさいとうちゅうきつ
才か能かはちとわからん

700 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:02:57.39 .net
才藤はちとおかしいか

701 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:04:06.89 .net
武力忠能

702 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:18:50.22 .net
時代順なら、
藤橘源平になるかな?
能藤忠橘武源力平
このゴロはいい方だ

703 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:19:49.81 .net
武力能忠か
まあ、これだね

704 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:34:02.37 .net
西知正悦
西智正悦
前田忠義
どれがいいかな・・・
前田忠義は、要するに花の慶次ってだけだ。やめとこう。
一番いいのは、
にししろすまさよしか
にししろしめすまさよしと、強要しちゃうな
さいちしょうえつが、やっぱり、響きいい
結局、この名前に正しいのは、
知か、智かということになってしまうな・・・
はっきり言って、文殊観音と普賢観音の区別だ。
普賢理知なわけだから、
やはり西知正悦が正しいのかな?
文殊漢音が司るのは、文殊の「智慧」らしい。
きまった、とりあえず、姓名字体は、
西知正悦にしよう。
あとは、どう読むかだが・・・

705 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:38:03.87 .net
西知ろし召す正悦さんは、
要するに、11次元素神、嬉々素神、奇々素神、つまり、kikiだ。
俺ではないだろう。
普賢菩薩が最高神じゃ、仏教的におかしい。意外性は有るけれども。
じゃあ、もう、さいちしょうえつだな。
さいちまさよしもいいがなあ・・・

706 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:40:10.64 .net
本名の、にしともただよしもいいがなあ・・・
此れは、誰も読めない。
通常は、さいちしょうえつだろう。
正悦の最適名義読解は、
しょうえつだと、姓名判断サイトにも出てる。

707 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:43:48.96 .net
そもそも、俺は本当に普賢菩薩なのだろうか?
そういったのは、音声操作された深見東州先生と、
関西人中小企業社長自称真言宗住職の、春田爺だけだ。
まあ、本当に住職の気はするが・・・
高野山大学卒業と言ってたな・・・
大阪。

708 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 14:47:33.39 .net
そもそも、西知氏の血は、
全く引いていない!!
となると、
父が前田で母が西智の場合、
どっちにするかというより、
法的にどうなるかだが・・・
父系血氏をとるのか、
母系をとるのか・・・
普通は父系になるとは思うんだが・・・
家名をとるんだろうな、国内法では・・・

709 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:03:16.92 .net
平清盛が1118?1181だから、
それ以後西知家は誕生したわけだ。
もし、西知家を平家が乗っ取ったとした場合、
此れ以前は、西知家は存続していたことになる。
平家が乗っ取ろうとした家。そう、姓から言って、
京都御所奥の院西知ろす又は西知ろしめす家!!
元西知家本家在籍地、京都府京都市右京区京北上弓削町西知谷・・・
弓削道鏡・・・
文武天皇4年(700年)に 河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれた、か・・・
弓削氏は弓を製作する弓削部を統率した氏族・・・か
物部氏・・・か
太政大臣禅師・・・か
まあ、邪馬台国阿波説に則ると、
700年代、神武天皇即位だから、
それまでは、ああ、
ソロモン国王の父方血縁親戚の血筋は有るわな。
恐らく、西知家は、西知ろしめす家で、半ば中った。

710 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:09:03.80 .net
弓削とは、弓作り物部と言うだけだな。
西知谷か・・・
にしともだに・・・一応日本語の読み方に違反はしてないな・・・
しかし、八尾ねえ・・・

711 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:13:02.87 .net
西知谷(にしちだに)とでたなあ・・・
にしちで西知と一発変換・・・

712 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:15:20.51 .net
前田家と西知家の関係が気になる・・・
西智家、弓野家も、どういう関係なんだろう・・・

713 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:18:21.34 .net
道鏡一派か・・・

714 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:18:48.04 .net
左三つ巴紋・・・

715 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:21:07.85 .net
うちの西知氏の血筋は明治期位に途絶えている・・・
それ以前は血がつながっていたのか・・・
他にも西知家は全国にあったが・・・

716 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:23:38.25 .net
弓野家もおかしい・・・
そこまでする理由は何だ?

717 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:25:52.24 .net
出た答えは、
昔、
本当に西知ろしめす or 西知ろす家があったのでは?ということ・・・
京都か奈良あたりに・・・

718 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:29:32.05 .net
なんで京都奥の院で、
魔王殿鞍馬寺がでるんだ?
あと、貴船神社・・・
ソロモン御一行渡来・・・

719 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:31:02.03 .net
鞍馬寺と言えば源義経・・・

720 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:46:26.81 .net
貴船神社南門の神紋は、十六菊
本宮 二葉葵 双葉葵
奥宮本殿 高 神   闇 神
間に、雨冠に龍
平安京鬼門守護・・・

721 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:48:52.06 .net
うーん・・・
藤原氏
平家
道鏡
平城京から、
大陸半島・・・

722 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:52:30.48 .net
白村江か・・・

723 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:53:55.04 .net
結果的に、平安京勝利したんだろうが、
平城京や藤原京や各都はどうだったんだろうか・・・

724 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 15:55:28.15 .net
平城京は、奈良京と呼ばれたのか・・・

725 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 16:00:33.27 .net
恐らくだが、
剣山はソロモン王の荒御魂だけ守護してないか?
それ以外は、余計だ。足手纏。
貴船神社は、結界を張って鬼門を守護するのだから、
奇魂守護
和御魂と幸魂はわからないが・・・

726 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 16:04:14.85 .net
平城京は、シルクロード終点か・・・
平安京もそうだろうが・・・

727 :日本@名無史さん:2022/03/05(土) 16:19:40.10 .net
鬼星精霊。

728 :日本@名無史さん:2022/03/08(火) 17:01:35.27 .net
こんなに荒らされたら次のスレを急ぐしかないかな。

729 :日本@名無史さん:2022/03/09(水) 12:40:38.04 .net
>>1

ここは血族先祖に限ると言うスレだから、
自分から上に辿って行かないと血縁関係が続いている証明にはならない。
養子断絶はダメだと書かれてるから、たとえ家を継いだとしても血縁関係が途絶えていたら失格という話。
遠い先祖がわかっていても、血縁を辿るというのは難しいぞ。
血縁が辿れるのなら自分から何代前の先祖かは言えるはず。

730 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 13:41:38.37 .net
夜這いが当たり前の昔の日本は誰の子なんて分からん。

731 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 13:57:01.85 .net
日本人が不細工なのって島国で外部の血が入らなくてしかも引っ越し禁止で近親相姦ばかり繰り返してたからっていう説があるよなw

732 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 15:13:16.89 .net
>>730 わかるに決まってるだろうが、犬の子じゃあるまいし。

>>731 引越し禁止っていつの時代だ? 江戸時代くらいしか知らないな。

733 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 16:11:19.03 .net
ざっと調べたが農民は、耕す土地が無いと暮らせないから土地に縛られてた。それも江戸時代だけ。

商人芸人は自由に行き来してた。

734 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 19:19:45.17 .net
第一、明治時代までの家督制度では血は関係ない、上杉謙信とか、養子は沢山。

735 :日本@名無史さん:2022/03/10(木) 19:41:39.05 .net
>>733
江戸期の商人はほぼ農民

736 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 19:03:50.64 .net
しかしさあまり深入りすると切りがないんだよな

母方を調べようと思うとまた面倒臭いし、若い頃付き合いのあった母方の親戚とも今更付き合おうとも思わない。
少しくらい前までは年賀状程度の付き合いかあっても。
それなりにFaceBook で消息は知れるが、連絡しようとも思わない。

また、直系の祖先が養子で入ってきてると悩んでしまう。
その前の江戸時代の戸籍はないだろうからせいぜい1世代遡れる程度かなと思う。
もう疲れた。

737 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 22:49:40.97 .net
うちは、おそらく、
前田利益が滝川家だから、
滝川氏、楠木氏、橘氏と、ふんでるっぽい。
家紋は、橘。

738 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 22:51:36.66 .net
藤原氏に、
橘紋、藤紋、その他が有るのは、
様々な理由があるのだろう。

739 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 22:56:44.97 .net
人文、社会、自然科学を総合的に判断するしか無いのだが、
例えば色黒の肌の人は、
赤道に近い地方由来の血筋とか、
大まかに判断がつく。
失われた3大陸と、南極を含めて、9大陸。
九星学。

740 :日本@名無史さん:2022/03/11(金) 22:58:15.00 .net
易占は関係ないだろうが、
数意は必ずある。
訳もなくそうならない。

741 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 03:28:59.62 .net
うちの本家は甲斐の国の田舎なんだが、都の陰陽頭土御門家発給の古文書や◯◯守を受領してたらしい古文書もあるけど、人から言わせると江戸時代の民間陰陽師は被差別民だと言うんだがそれは疑問だ。差別部落ではないよね?

742 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 07:15:31.69 .net
>>741
甲斐国には、武田信玄と武田勝頼っていてさ、
武田信玄は、イエズス会に戦国一番に立ち上がってね?
あとは、三方ヶ原の戦い、川中島の戦い等で、織田、徳川、上杉、
その他強力戦国大名が震え上がった。
その陰陽師だからね?
キリスト教異端派のエクソシストを破ったかも知れないし、
戦国武将を呪い殺したかも知れない。
まじで、日本史の実際は物凄いからね?

743 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 11:32:49.27 .net
>>741
土御門家は陰陽師というけど、清明みたいなのではなく、暦法の家元でもあった。
暦は神社が配布してた。頒暦(毎年暦を売る)の利益は全国で70万石といわれ、
室町時代から暦の利益(今でいえば利権かな)をめぐる争いは熾烈だった。
信長が三島暦に統一しようとしたことは有名。
おたくのご先祖は暦の版元とか販売人だったんじゃないかな。
丹生暦(伊勢暦)は伊勢参りの御師が配布してたというが、各地の御師も絵入りの
暦などを扱っていた。
冨士講とか駒ヶ岳講とか甲斐には山岳講がたくさんあったから、そういうところの
御師だったのかも知れない。

江戸時代の暦の分布
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter2/s2.html

744 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 13:02:46.39 .net
20歳の大学生に調査したところ自分の曽祖父を知ってるのは4人に1人
という結果。

745 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 13:16:41.87 .net
知り合いに曾祖母が亡くなったときに初めて曾祖母が中国人だと聞かされてビックリしたって人いたなあ
そういうのって生きてる間も「私は中国人なのよ」って聞かされたりしないもんなのかねぇ

746 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 17:02:48.87 .net
俺48だけど、
両家曾祖母の名は、
全く知らない。
父方曾祖母が、大正スペインかぜかなんかで家を出されているのと、
曾祖父の名前が義三郎とうらしい、、、

747 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 17:23:26.93 .net
自分は高校生の時まで曾祖母が生きてて毎年お盆に親族集まって曾祖母を囲んで飯食ってたけど最近になってルーツ調べで除籍謄本取り寄せるまで曾祖母の旧姓はおろか名前すら知らなかったことに気付いた
みんな大おばあちゃんて呼んでたから名前を知る機会なかったんだよなあ

748 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 19:32:18.84 .net
>>46 うちの一族の納骨堂は、昭和40年頃だと思われる。
昭和43年没の元自治大臣の山崎巌が祖廟の揮毫をしている。

残ってる墓石は明治以降だけ見たい。 それ以前の墓は祖廟にまとめたみたい。
本家の系統の墓は本家が別に管理しているが。

749 :日本@名無史さん:2022/03/12(土) 21:05:31.67 .net
>>748
なんか穢多っぽいな
穢多は金持ちで、政治家なんかも動かした。

750 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 07:03:48.02 .net
日本人は個人で祖廟なんて作らない。
大谷祖廟というのあるけど。これは親鸞聖人の御廟所。

祖廟を作るのは中国人だろ。福建人か台湾の人。
あと在日共同墓地というのもあるけどね。

751 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 08:12:43.40 .net
>>741
「近世に於ける遊行の陰陽師」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/39/2/39_2_761/_pdf/-char/en

土御門家から免許を得て○○守まで名乗っていたのなら正式の陰陽師だろう。
免許なしに占いや呪法を行っていたモグリも多かった。

同類に唱聞師(声聞師とも書く。しょうもんじ)などというのもあり、これは門付けなどを
する芸人の一種で被差別民である。

752 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 11:57:33.39 .net
>>748
北九州かな?

753 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 14:53:08.38 .net
>>749 何処から穢多だなんて発想が出てくるのか不思議だな。 >>46 を読み直したら?
>>750 個人じゃないが同じ血統、家系の一族。 同じ苗字
>>752 福岡ではあるが。

754 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 15:08:42.33 .net
意外と祖廟としてお祀りしている所ははほとんどないんだな。中を覗いたことはないが多分納骨堂と同じだと思う。

墓の管理は一族のものの中から担当を選んで、墓参りが途絶えている墓を整理して最終的に祖廟に移すらしい。 
だから墓参りに行くと明治時代の先祖の墓も手入れして帰る。

755 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 15:28:34.85 .net
>>46
一方、九州、特に福岡県では、都市部だけではなく村落部においても土葬の共同墓地を改葬し、納骨堂にしていった地域が多い。寺院納骨堂もあるが、他の地方と比較して珍しいのは集落の共同納骨堂が多いことである。納骨堂の多くは仏壇式となっており、上段に位牌や過去帳、下段が納骨スペースであり、完全に墓地の代替となっている(写真4)。

、、、、
うちの祖廟も始まりは集落の共同納骨堂の一つだったのかもしれない。
自分の直系は全て墓石が並んでるが、その他の人たちの墓石がほとんどなさそうに思うのは最初から祖廟/納骨堂に納めてるのかも。

756 :祖廟:2022/03/13(日) 15:57:50.26 .net
今まで何の疑問も抱かなかったが、想像するに共同納骨堂が流行り始めてたまたまうちの家系の場合は一つの集落(元々本家がかなりの範囲を治めてた)の中に相当数の一族が住んでたから、一族だけの共同納骨堂を作り、祖廟と呼んだのかも。
その管理の仕方は独特見たいだが。

自分は東京に住んでてほとんど墓参りにも行けないが今度何かのついでがあったら祖廟の成り立ちを聞いてみよう。
そうだ、そんなことしなくても一族だけのFacebook のグループがあるからそこで聞けば誰かが教えてくれそうだな。

757 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 18:56:10.76 .net
>>741
近世中期における甲斐国陰陽師の動向
http://id.nii.ac.jp/1132/00001160/

江戸時代、甲斐国巨摩郡小笠原村(現山梨県南アルプス市)には、吉田出羽という陰陽師がいた。出羽は宝暦四年(一七五四)に陰陽道の本所である公家の土御門家から、巨摩一郡の小頭役と一国の惣押役に任じられた。この出羽が明和六年(一七六九)に居村の長百姓藤右衛門を相手取る訴訟を起こした。きっかけは出羽の下作地における小作金の滞納問題であったが、出羽、藤右衛門、村方百姓、陰陽師仲間らの主張を検討するなかで、上下帯刀の着用といった陰陽師としての身分のあり方や、村方と陰陽師との関係、出羽の小頭としての役割などについて考察した。

758 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 18:57:23.90 .net
>>741
情念的存在としての歴代組
http://www.blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0096-10.pdf

近世陰陽師については滝川政次郎の『枚岡市史』第一巻に記載がある。夙と同一視し、差別的な記述もあるが、土地を持つ農耕民で、生活様式は一般常民と異ならないが、陰陽道の家元である土御門家と支配関係にある点で常民と異なるとされている。

川嶋将生「陰陽師」(『部落史用語事典』)では、陰陽師のうち畿内の歴代組は宮廷の祭祀に奉仕し、ほかに院内と呼ばれる者もいたとされる。

明治33年の「若杉家文書」によれば、摂津・河内の陰陽師村(歴代組)は12ヵ村に及び、和泉国には存在しない。このうち、5ヵ村はかわた村に隣接する。

河内国茨田郡の走谷文書によると、近世末の歴代組の実態は、以下のようなものであった。

日常的には農耕に従事し、百姓と変わりのない生活をしていた。たとえば享保2年(1717)には他の二つの百姓村と連署して代官所へ訴状を出しているように、一般農民と遜色のない行動様式を取っていたと思われる。

しかし、婚姻は周辺の百姓も拒否したし、歴代組の側も「同じ筋目」同志で縁組した。

また院内と呼ばれたものを「新加入」と称し、歴代組は彼らと自己区別していたが、幕末になると周辺の村からは夙と同様のものとして差別視されていた。

近世社会において歴代組は、次のように位置づけられる。

(1)その職分(役)としては、天神地祇を祭るいわゆる穢れとされる仕事ではなく、逆にきよめに類する仕事だった。

(2)共同体からの疎外(従属化)という面で見ても、一村独立あるいは本村内に生活の場を持つ点で、すべての面で疎外されていたとは言えない。

(3)支配関係を見ると、貢租の面では庄屋・代官所の支配を受けながら、身分の面では土御門家の支配を受けるという、二面性があった。

(4)別火・別婚の慣習では、他者とともに自らも同火、同婚を拒否していたと考えられる。

総じて歴代組は、限りなく農耕民に近い存在でありながら同時に何がしかの差別あるいは賤視されたのは、明確な制度としてではなく、周辺の村落共同体からみて畏怖感の倒錯として情念的な差別を受ける存在としてあったところにある。

759 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 19:16:47.37 .net
京都女子大学文学部史学科准教授 梅田千尋

山城国綴喜郡北谷村の歴代組陰陽師居村の事例から、村落社会における民間宗教者としての陰陽師の存在形態と、彼等に対する土御門家支配のもたらした意義について考察した。

まずは、地域社会との関わりについて。本論に登場する陰陽師村は、中世の荘園(宋智庄)を母体とし、近世に至ってなお神事や首座を介して結ばれていた普賢寺郷という郷村において、「キヨメ」的役割を坦い、差別の対象となった村の内の一つである。

これは、荘園・郷村という枠組の中で、北谷集落の成立が見られたことを意味するが、近世に入ると、領主からは陰陽師も百姓身分として把握された。

また、北谷は本村に従属する枝郷として位置付けられていたが、村の経済状況を示す石高分析からは、陰陽師である西尾家の、本村を凌ぐ富の集積が明らかとなり、同氏が枝郷庄屋であった事実とともに、本村一枝郷という序列が、陰陽師村に対する決定的な支配となりえない側面を指摘した。

こうした陰陽師村と本村とは、村落間の序列をめぐって争論を構えることとなった。

本論では、土御門家の許状による陰陽師らの名字・帯刀が、本村側の訴えによって差し止められた事例を以て、土御門家による支配は、地域社会においては影響を及ぼし得なかったことを示している。

760 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 19:17:53.87 .net
京都女子大学文学部史学科准教授 梅田千尋

山城国綴喜郡北谷村の歴代組陰陽師村を取り上げ、この村の陰陽師たちは、領主からは百姓身分として把握されたが、この村を含む普賢寺郷においては「キヨメ」的役割を担い、差別の対象となっていたこと、また、本村に従属する枝郷として位置付けられた北谷ではあるが、経済的には本村を凌ぐ者が現れまた庄屋が置かれるなど、本村による北谷への一方的支配は貫徹していないこと、いっほう本所土御門家が認可した北谷陰陽師への名字帯刀が本村の訴えで否定されたように、土御門家の支配も地域社会を規定するほどの影響を持ち得なかったこと、比較的古くから土御門家の配下であった北谷の陰陽師は、近世後期、組頭の西尾氏が陰陽師組織の重職に就くなど、土御門家との関係をいっそう強めていったこと、また婚姻関係で結ばれた「仲間村」が、寛政年間以降、貢納金の徴収単位として組織されたこと、従来の研究で土御門家主宰の宮廷陰陽道に参加する特権を持った陰陽師を「歴代組」と呼んできたが、その公認は嘉永期に寺社奉行によってなされたこと、を明らかにした。

さらに政治的賤民ではなかった陰陽師への賤視は、職能による蔑視というよりは、種姓的な「筋目」=血筋そのものへの忌避として周囲の百姓に意識され、それゆえに「ケガレ」観に基づく習俗的差別の対象となっていたこと、こうした状況に対し陰陽師たちは土御門家の権威を利用することによって蔑視からの脱却を図ったと論じる。

761 :日本@名無史さん:2022/03/13(日) 22:19:01.76 .net
>婚姻は周辺の百姓も拒否したし、歴代組の側も「同じ筋目」同志で縁組した。

>歴代組は、限りなく農耕民に近い存在でありながら同時に何がしかの差別あるいは賤視されたのは、明確な制度としてではなく、周辺の村落共同体からみて畏怖感の倒錯として情念的な差別を受ける存在としてあったところにある。

>政治的賤民ではなかった陰陽師への賤視は、職能による蔑視というよりは、種姓的な「筋目」=血筋そのものへの忌避として周囲の百姓に意識され、それゆえに「ケガレ」観に基づく習俗的差別の対象となっていた

762 :749-750:2022/03/13(日) 22:39:17.59 .net
>>753
 >>>46 を読み直したら?
おー、読んでてくれたか。46は俺が書いたんだ。

763 :祖廟:2022/03/13(日) 23:09:05.25 .net
>>762 何故穢多だと思うのかな?

764 :祖廟:2022/03/14(月) 01:08:00.76 .net
>>762 何をどう勘違いしてるのか知らないが、穢多の廟(納骨堂)に元自治大臣が揮毫するか?
うちはその地に住み着いた時(1193年)は武士であり、本家は今でも神社を継いでいる。 南北朝の戦いで負けて領地を取られ細々と神社への寄付で食い繋いできた家系。

墓もあれば菩提寺もあり、過去帳も有る。その上に祖廟がある。 本家ではさらに別の墓石を守り先祖祭りもしている。
うちの戸籍にある明治以降の直系の墓は全て存在してるから祖廟には入っていない。
自分が見つけられた直系の墓石は文政生まれの高曽祖父の墓までだがその前の墓もいくつかあるが読み取れない。
それ以降は全て墓石はある。

祖廟の大きさは20坪位。 簡易的な神社風な日本建築の家。

うちは北九州(筑前)ではなく筑後だからね。
北九州は中国や朝鮮の系(ここから宇佐神宮に流れたという言い伝えもある)
が住み着いてた複雑な街ではあるが、うちは全く別

765 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 07:05:06.09 .net
同和対策事業ってのがあったからねえ。
昭和44年(1969)に同和対策事業特別措置法というのが出来て、この法律に
基づいて平成2年に終了するまで、約15兆円の税金が支出された。
15兆円が今なら幾らに当たるか、ウィキで調べてみたら、昭和40年から
平成22年までの間に、物価は3.2倍になっているというんだな。
50年程前の15兆円なら今なら軽く45兆円を超すだろうな。
ところで、この15兆円の予算は44年度以降だが、それ以前から小さな各種法令に
基づいて同和事業は行われていた。
同和対策事業特別措置法は、それ以前の集大成みたいなものなんだな。

同和事業といっても、中身を見てみると土建屋行政・箱物行政そのままなんだな。
昭和62年(1987)に
「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律(地対財特法)」なる
法律が施行され、財政上の根拠が与えられた。

1.まず、被差別部落とされる地域の環境改善ということで道路の整備。
山中の地域である場合の広い舗装道路の開設やバス運行の整備。
それ以外に橋だの河川の改良・護岸工事。
2.地域住民を対象にした社会福祉施設の設置。
隣保館などという名前の地域厚生施設。人権文化センターなどの教育施設。
3.貧弱な住宅が差別を生むという現状があったため、公営住宅を整備する。
4.住民が働きやすくするための保育施設。
5.葬儀や埋葬の点での差別があったため、公営斎場や墓地・納骨堂の設置。
6.住居の建設、子弟の進学、就職の場合などにおける補助金・助成金。
固定資産税の減免。保育料の補助など。

箱物行政、ばらまき福祉の典型。

766 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 07:07:23.47 .net
youtube の「 部落研究 」という動画を見るといいよ。
同和地区探訪
【学術】部落研究(75) 大阪市東淀川区西淡路1丁目、2丁目
https://www.youtube.com/watch?v=tNYQNQZOBVE
高村薫「レディ・ジョーカー」の舞台

【座学】如何にして同和住宅を見分けるか
 https://www.youtube.com/watch?v=DafNZxKwffg
これは面白い。住宅改良事業によって作られた公営住宅。
この2つとも視聴者の書き込みが面白い。

お風呂屋さんに行くと嫌がられるというので、同和事業として公衆浴場が設営された
こともあった。この公営浴場は今でも建物だけは建っているようである。

墓については
【学術】部落研究(26)八尾市安中町
https://www.youtube.com/watch?v=aT6OGrKgn-U
同和対策で作られた墓地が出てくる。橋下徹のオジサンの墓まで出てくる。
そのオジサンが住んでいた住所周辺も。
被差別部落の墓は自分たちだけの共同墓地が多く、墓地自体も墓もみすぼらしい
ものが多かった。それが差別を生むということで、墓地にも同和事業の手が入った。
それまでの土葬式墓地を改装して土中の遺骨は火葬にし、納骨堂を建てて収容する。
整地し直した墓地に新たに整然とした墓石を並べるというやり方だ。
集落の墓地に納骨堂がある場合、そこは被差別部落であるということが多いのである。

部落というものが、いかに実体の無いものか。
実体の無いものに莫大な金を流し込んできた。
それは高度成長時代の土建屋箱物行政とばらまき福祉の典型だった。
同和事業はようやく終焉を迎えつつあるように思える。
しかし、ここで本気で無くさなければ、あと一世代ぐらいは続くだろう。

767 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 07:07:35.78 .net
さて同和対策事業は、上述のように昭和44年以降だけでも現在の物価にして
45兆円以上の資金が投下された。
この資金はどのように調達されたかというと、地方債の起債による。
地方公共団体が同和対策事業の実施を必要と判断すると地方債を発行するわけだが、
国家の経済政策との調整も必要なので、起債には自治大臣の認可が必要となる。
だから、結局ある年度にどれだけ同和事業をやるかは実質的に自治大臣が決める
わけである。

山崎巌は熱心な同和事業の推進者だった。
同和事業を推進した議員団は建設族グループが中心だったが、その中で山崎巌は
重鎮と言えた。
昭和35年に「同和対策審議会設置法」という法律が制定された。
山崎厳はこの法律の法案提出者に名を連ねている。
東条内閣のときの内務次官、戦後の東久邇内閣で内務大臣という有力者である。
ただ名を連ねているだけの議員ではない。中心人物だったに決まっている。
そしてこの「同和対策審議会設置法」が制定されたその年に、山崎厳は自治大臣、
兼国家公安委員長に就任している。
同和対策事業のフロンティアというか、道を切り開いた人物なのである。

768 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 08:41:36.80 .net
>>744
それは4人全員ということ?
知ってると言うのは何をもって知ってるとみなすの?名前知ってたらOK?

769 :祖廟:2022/03/14(月) 09:55:37.58 .net
>>765 勝手な思い込みをするなよ。、山崎巌は昭和43年に死んでるんだぞ。
全く関係ないだろ。

770 :祖廟:2022/03/14(月) 10:09:33.97 .net
昔の墓はそのまま残ってるって、明治時代は個人別の墓だったので夫婦隣同士で小さなスペースに立ってる。  墓石は当時のまま。
土葬であるわけがない。

771 :祖廟:2022/03/14(月) 10:57:08.61 .net
村落共同納骨堂の成り立ちと地域との関わりについての研究
http://www.urban.eng.osaka-cu.ac.jp/graduate/masterthesis/2017/m17-041.pdf

772 :祖廟:2022/03/14(月) 11:28:14.93 .net
祖廟という言葉は、高良大社と宇佐神宮で知った。
最初高良大社が天皇の祖廟をお祀りする権利を持ってたが宇佐神宮にその座を譲った。

全国八幡社の本宮の宇佐ハ幡宮は、皇室より天皇家の 始祖神を祀る祖廟として、伊勢神宮に次いで崇敬されて いる。

http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/bs01403.pdf?file_id=121

773 :祖廟:2022/03/14(月) 15:11:04.47 .net
日本最古の廟は、香椎廟だったが平安時代に神社の形態を取るようになり神社へと変化した。
仲哀天皇、神功皇后を祀る。
武内宿禰を祀る武内神社も本殿左にある。

今でも10年に一度天皇家が勅祭を行なっている。

774 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 15:26:35.27 .net
wikiから拾ったレスばかりw

775 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 16:52:51.39 .net
>>774
じゃお前が何か書けよw

776 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 17:19:36.34 .net
>>769
馬鹿だなお前は。
上に書いたとおり、
昭和44年(1969)に同和対策事業特別措置法というのが出来て、そこから大々的に
各種の同和対策事業が展開していったわけだが、この同和対策事業特別措置法と
いうのは同和対策審議会の答申に基づいて制定されたものなの。
同和対策審議会というのは総理大臣の諮問機関で、総理府の付属機関。
同和対策をどのように行っていくかについて、総理大臣にああしなさい、こうしなさいと
答申する機関で、総理はそれに基づいて各種の法令を整備したり各官庁に指示したりする。
同和対策審議会というのは、言ってみれば軍隊における参謀本部みたいなものだ。

昭和35年に「同和対策審議会設置法」という法律が制定され、この法律にもとづいて
参謀本部たる同和対策審議会が設置された。
だから同和対策の第一歩は「同和対策審議会設置法」の制定ということになるのだよ。

山崎巌は、この「同和対策審議会設置法」の制定に熱心に取り組み、そして制定のすぐ後に
自ら自治大臣に就任した人物なの。
同和対策のパイオニアというか、道を切り開いた人。

自治大臣(自治省というのは今は総務省に名称替えしたが)は地方公共団体の起債にあたって
承認を与える。また地方債の引き受け手は公的なものと民間(銀行や市場での公募)があるが、
公的なものには財政融資資金、地方公共団体金融機構資金などがあって、まさに政治力が
試される場面。山崎巌はここを仕切ったのだ。
だから同和対策事業特別措置法が制定される前、同和事業はすでにバンバン行われていた。

>山崎巌は昭和43年に死んでるんだぞ。全く関係ないだろ。
とはものを知らないにもほどがある。究極の馬鹿。恥を知れ恥をw

777 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 17:21:30.62 .net
納骨堂なんて個人で作るものじゃない。

田舎の集落に納骨堂があって、その納骨堂に山崎巌の揮毫があるなら
まあちょっと特殊な関係かな、と思うのが普通じゃないかな

778 :祖廟:2022/03/14(月) 18:43:13.37 .net
やはり納骨堂と祖廟は全く性質の異なるもののようだな。
納骨堂はお骨を治める場所。
廟は、基本的にお骨を治めるのではなく先祖や神様などをお祭りする場所。 うちの祖廟の中身を除いたことがないのではっきりしたことは言えないが、そのミックスされたようなものかも。

いずれにしろ同和だとか穢多だとかいい加減なことを言うな。

うちは武士で有り、神社だと言ってるのに。
うちの墓の隣の墓の人とは親しくなって時々話すが、その人は10年位前まで高良大社の禰宜をしてた。今は別の神社の禰宜をしている。
宇佐神宮の禰宜も居たたようだ、 その子孫からキリスト教で大変有名な人物も輩出してる。

>>777 山崎巌と特殊な関係があってもおかしくない。
宮司は、校長や教頭などもやってきてるのでどこかで繋がりがあってもおかしく無い。 
お祓いするのも宮司の仕事だし、色んな場所で顔を合わせててもおかしく無い。
あまり想像ばかりしてても仕方ないあるがまま受け止めれば良い。

ただ、同和だとか穢多だとかありもしない差別用語を並べ立てるのはやめなさい。
差別用語は使ってはいけないと習わなかったか?
Youtubeの橋下云々の部落訪問だなんて人に宣伝するような内容じゃ無いだろ、下手すりゃ裁判になるよ。
密かに一人で調査するのが適当だろ。 吐き気がした。
こんな人達がいるからいつまで経っても差別がなくならないんだよ。肝に銘じておくべき。

779 :祖廟:2022/03/14(月) 18:46:36.36 .net
山崎巌の生まれ故郷の大川市も筑後だし、うちの家も筑後。

780 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 19:26:20.28 .net
うちの先祖が江戸時代に福井の刀工が作った銘ありの刀を近くの神社に奉納してるんだが銘ありってことはそこそこ裕福だったんだろうか

781 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 19:36:14.76 .net
>>780
以南蛮鉄の越前康継の系統の銘刀ならかなり裕福

782 :日本@名無史さん:2022/03/14(月) 19:55:48.91 .net
大川市議会 第2回定例会会議録
https://www.city.okawa.lg.jp/s078/010/080/gi_070_010_220304.pdf

山崎健元大川市長が、大川市へ山崎邸跡地を平成21年に無償寄附されました。それは皆さん御承知のとおりだと思っておりますが、土地面積は1,508平方メートルでございます。標準価格として約30,000千円。それから、山崎邸を解体するのに用したお金が約5,000千円かかっております。

これは皆様御案内のとおりだと思いますが、改めて申し上げますと、山崎家は元来名家でありまして、長崎の出身で、柳川の立花家の御典医として仕えられ、相当の大地主でありました。

その後、山崎健元市長のおじの山崎達之輔氏が代議士となられまして、農林大臣を2期務められております。それから、山崎健元市長の父上の山崎巌氏は内務大臣を務められ、その後、自治大臣と国家公安委員長を兹任されております。その後、いとこの山崎平八郎氏が衆議院議員で、国土庁長官を歴任されております。

783 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 08:41:40.55 .net
>>778
納骨堂に政治家の揮毫があるというので、おかしな話だと思ったんだよな
納骨堂ってのは早い話「墓」だろ。
墓になんで揮毫するんだよ。
それが廟であってもおかしい。
納骨堂や墓や廟なんてものは高度にプライベートなものだ。
そこに他人の揮毫なんてものは必要ない。
どんなに偉い政治家だろうとご先祖様には関係ないし、赤の他人だ。
それに政治家なんて今はときめいていたとしても将来はどういう評価になるか
分からん。田中角栄見たってわかるだろ。
墓に田中角栄の揮毫があったら、誰もが「何なのこれ?」と思うだろう。

コ川幕府は普請(城の修復だの道路だの橋だの)の大きなものはみんな外様大名に
やらせた。だが日光東照宮だけはいっさい大名の手は借りなかった。
家光が指揮をとり、すべて将軍家の費用と手間でやった。
墓ってのはそういうものだろ。
他人は関係なし。他人には関係させない。どんな形でも他人の手を借りることではない。

784 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 08:43:46.33 .net
納骨堂は墓地にあるし、人に見せるためのものでもない。
揮毫なんてあったって何にもならない。
墓に揮毫なんかする人もいないだろう。
もし墓に揮毫してくれなんて頼まれたなら普通はビビルるわ。
そんなこと頼まれたら、「な、なんでだよ」としばし呆然だろうなw
人の家の墓に自分の文字や名前なんか残したくないよ、気持ち悪い。縁起悪いし。

唯一揮毫なんてものが自然に行われるとしたら、それは公共事業関係だろう。
そういう場合、この予算引っ張ってきたのは俺ですよ、と政治家も名前を残したいだろ。
で、山崎厳の場合はどうかというとバリバリの建設族。建設族のドン。
そして建設族は利権の拡張を狙い同和事業に狙いを定めた。
山崎はその中心人物だった。これは事実だ。
そういうことから自然に考えられることを書いただけ。

あなたの家が穢○だと言ってるわけじゃない。
納骨堂に山崎厳の揮毫がありますよといえば、一般的にそういうふうに受け取られますよと
老婆心ながらご忠告申し上げたかっただけだ。
書き方が攻撃的にすぎたかも知れない。申し訳なかった。

785 :祖廟:2022/03/15(火) 09:36:28.58 .net
事実なんだから変なら変で良いじゃん。 憶測しても何もならない。

なお墓そのものに揮毫されてるのもあるよ。
うちの直系先祖の中で、戦死したときの階級などが書き込まれ、上官が揮毫して上官の階級や名前も入ってる。

他にも誰々の書とかあったと思う。

786 :祖廟:2022/03/15(火) 09:56:44.30 .net
通常、上手い人に書を書いて貰えば誰々の書と表すのは当たり前だよ。 単に祖廟の書が山崎巌の書だったというだけの話では? 不思議でも何でも無い。

書を書いてもらって無名だったら失礼にあたる。

上でも言ったように墓石にも誰々の書と書き込まれたものはある。

787 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 13:37:28.75 .net
>>764
ほんとに祖廟と書いてあるのかよ。
お前の家は神主なんだろ。
なら葬儀も墓も神式だろ。
神式の場合、祖廟とは言わない。

788 :祖廟:2022/03/15(火) 14:15:38.38 .net
下衆の勘ぐり、、、と口から出そうになってやめていたが、下衆の意味が少しわかったのでご披露する。

うちの祖先は、当地に任ぜられたときに 自分の事を鎌倉下衆 と称したらしい。
この下衆だけ調べてみても悪い意味しか出て来ないから不思議だった。

公家から見て武家全体を下衆として蔑んでいたらしい。
また、平安時代に領地や荘園の管理を任されてた職が、下司 と呼ばれていたらしい。これが鎌倉時代に地頭に変化するのも多かったらしい。

それで鎌倉(頼朝)から勅命を受けた 下衆(下司)ですよと知らしめたかったと思われる。
(奥州退治の戦功に対し、今の地辺りの地頭に任ぜられた)

もしかしたらまだ地頭という言葉が地元の人達にも余り馴染みがないだろうから、昔からあった 下衆/下司という言葉を使ったのかもしれない。

789 :祖廟:2022/03/15(火) 14:34:43.85 .net
>>787 今時神式の葬儀なんてやらないよ。 境内に墓石なんかない。
墓石は、自分達の土地で自分達で管理してるが、菩提寺で弔ってもらってる。

だから変なら変で構わないよ。 自分でもかなり珍しいことに今更ながら気がついたくらいだから。

790 :祖廟:2022/03/15(火) 15:04:00.78 .net
墓は仏式、祖霊舎は神式の祖廟と理解して貰えば良いのかな。 先祖祀りは当然神式(但し祖廟の周りでは行わない)

https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/katei/grave

791 :祖廟:2022/03/15(火) 15:08:13.69 .net
祖廟
https://i.imgur.com/2KU6m82.jpg

792 :祖廟:2022/03/15(火) 15:19:44.38 .net
>>787 祖廟は、天皇家の祖先をお祭りしているものが有名だから、神式そのものだよ。
上の方で書いたと思うが、廟は基本的に納骨堂ではない。 祖先をお祭りする場所。

廟を仏式で言うと仏壇にあたるもの。

793 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 15:25:17.28 .net
これからの時代、萬霊堂ですな。
もう宗派とか、あまり関係なくなりそう。

794 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 15:31:36.54 .net
>>793
自分の家は曹洞宗で、家紋は丸に桔梗。
だが、そういった伝統もいつまで続くのか。

795 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 16:09:10.38 .net
最近は自分の家の宗派がわからない、家紋も分からないって人が多いみたいだな
葬式も無宗教葬だったりとか
なんか宗教色のない葬式って個人的に受け入れられないわ

796 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 17:06:01.81 .net
何周忌だなんてオンラインでも良いと思うな。

殆どの人は故郷を離れて遠いんだから行くのも大変。
そんな古い風習を残してたら、墓自体を移して檀家がなくなると思うな。

そろそろ自分の骨をどこに入れるか考えないといけない時期に差し掛かってる。 前に癌の手術をしたら子供が墓はどうするんだとか聞きやがる。

自分としては親と同じ墓に入りたいのだが。 子供達が忙しくてとても墓参りに来れそうにもない事を考えると難しい。

797 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 17:50:51.46 .net
>>789
なに言ってるんだか。神式の葬儀なんかどこでもやってるじゃん。
俺の親戚に神道の家があって当然神式で葬儀とか結婚式とかやってる。
お前の言うことは無理ありすぎ。

>>792
ああ、これはお寺の納骨堂だ。
浄土真宗のお寺では、お骨を受け入れる納骨堂を祖廟ということが多いね。

よくもまあ、こんなの自分の家の納骨堂だなんてやるわな
おまえ罰が当たるぞ

798 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 18:43:22.35 .net
納骨堂っていうと、北九州小倉の部落とか、田川あたりの炭坑の落盤事故での朝鮮人物故者の骨壺が乱雑に置いてあるのを見たことがある

799 :祖廟:2022/03/15(火) 19:05:54.96 .net
>>797 浄土真宗が祖廟と言う?もしや、大谷祖廟とかと混乱してるんじゃないの?
あれは親鸞聖人をお祀りしている廟と言うだけだよ。
廟にお骨は入れない。
納骨堂では無い。 納骨堂は別にある。

納骨堂を祖廟だと言ってる例があったら教えてほしい。

うちは臨済宗だよ、なぜバチが当たるのか全く訳がわからない。
例え祖廟に納骨されてたとしても。
墓は各々別にあるよ。 何を言いたいのか後学のために教えて。

800 :日本@名無史さん:2022/03/15(火) 21:48:46.28 .net
>>799
残念でした。大谷祖廟と勘違いしているわけではない。
馬鹿だなお前。ググってそう言うだろうと思ってたよw

>>754 にこう書いてあるじゃないか
>意外と祖廟としてお祀りしている所ははほとんどないんだな。中を覗いたことはないが多分納骨堂と同じだと思う。
>墓の管理は一族のものの中から担当を選んで、墓参りが途絶えている墓を整理して最終的に祖廟に移すらしい。 
お前が言ってたのは祖廟という納骨堂だよ

>納骨堂を祖廟だと言ってる例があったら教えてほしい。
お前の写真のやつw
祖廟という名の霊園とか納骨堂とかいくらでもあるよ
ググってみなって

お前は前にも写真あげてたろ。一族が先祖祀りをする場所の写真とか
寺の境内だったよな。先祖の古い墓というのは仏式。
お前んちは神主なんだろ。代々ずっと神主の家なんだろ。
なんでお寺さんの世話になってんだよ。

うちは臨済宗だよ、ってのは爆笑もん
何が臨済宗だ、馬鹿がwww

そもそも神主の一族なのに何で祖廟なんだよ。馬鹿が
大谷の親鸞もそうだが、日蓮聖人も祖廟塔ってのに祀られてるんだよ
法然の廟も浄土宗の聖地になっている。知恩院の御廟

801 :祖廟:2022/03/15(火) 22:41:38.16 .net
>>800 貴方が>>797で浄土真宗では納骨堂を祖廟と言うことが多いと言ったんだよ。
多いんなら一つくらいは教えてくださいよ。

802 :祖廟:2022/03/15(火) 23:21:44.60 .net
>>800 寺の境内の写真なんて一度も出したことないよ。 出した写真は自分達の墓地と、本家の先祖の墓地。 全てうちの家系の土地内。
先祖祭りは、本家の宮司の敷地の中。 そこに本家に近い墓が並んでて本家が守ってる。 祀りは当然神式だよ。
お寺とは全く関係ない。 祖廟も寺とは全く関係ない。

去年まで菩提寺がどこかすら知らなかったし一度も行ったこともない。兄がやりとりしてたし。
去年うちの菩提寺の住職の名刺を貰った。
墓が仏式と言ったのは墓に戒名が書かれてるから。

自分自身が祖廟と納骨堂は同じものだと勘違いしてて
変な話をしてたかもしれないと思うがよくわからない。
墓の整理をしたのが別の納骨堂なのかどこなのかは知らない。 なんせ明治以前の墓整理だから。

なにか勘違いしてるようだが、神社では墓は持たない。普通は公共の墓地に埋葬するだけの話。
また、神仏混淆だったからどう言う埋葬をするかは仏式でも何らおかしくない。

祖廟が納骨堂だと言う例を一つでもご紹介下さいよ。
沢山あるなら名前くらいは出せるでしょ。

803 :祖廟:2022/03/16(水) 00:12:50.36 .net
私が混同してたために祖廟の説明に矛盾が出てたりした事を誤ります。
この辺で終わりにします。

単に祖廟があると言う事実だけです。

お騒がせいたしました。

804 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 02:03:18.71 .net
それで穢○ってことでよろしいか?

805 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 10:28:22.33 .net
>>803
スーパーエッター君、残念だったね
また来てね

806 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 16:22:35.03 .net
どうでもいいけど先祖に穢多身分の者がいたらそんなにダメなの?別にいいじゃんって思うけど。
オンボウとかの雑賎民はいいの?関西特に摂津あたりにはかなりあるけど?

807 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 17:43:57.84 .net
まさに先祖に穢多身分いるけど嫌とかないな
むしろ化外の民っぽくてかっこいいとすら思う

808 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 21:24:14.39 .net
>>806-807
スーパーエッター君の連チャン負け惜しみw

809 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 21:34:35.38 .net
>>799
>浄土真宗が祖廟と言う?もしや、大谷祖廟とかと混乱してるんじゃないの?
>あれは親鸞聖人をお祀りしている廟と言うだけだよ。
>廟にお骨は入れない。
>納骨堂では無い。 納骨堂は別にある。

よくもシャアシャアと嘘書くよな
どこか壊れてるんじゃないのか?

東本願寺のサイトに以下のように書いてあるよ

「大谷祖廟は、親鸞聖人の御廟所(墓所)です。東本願寺の飛地境内である大谷祖廟には、聖人をはじめ、
本願寺の歴代、全国各地の寺院・ご門徒の方々のご遺骨が納められています。 」

門徒の遺骨も納められているし、今も希望すれば遺骨を納めることが出来る。
ただし、遺骨全部を納めるとすぐに一杯になってしまうので、喉仏様だけ。
喉仏様って分かるか?
焼き場で骨にしたときの喉仏の骨だよ。中に仏様のお姿があると昔から言われている。
たしかにそんな形だわな。骨揚げのときに、大事にとっておいて、一番終わりに骨の一番上に置く。
骨揚げの経験のある人はみな知っているだろう。
あの喉仏の骨だけを祖廟のお納めするんだ。もちろん有料だけど。

810 :日本@名無史さん:2022/03/16(水) 21:42:40.51 .net
>>801
>多いんなら一つくらいは教えてくださいよ。

大谷祖廟wwww

811 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 03:32:07.44 .net
この馬鹿馬鹿言っているだけの爺さんは全部ハッタリだけの嘘八百だから一切信用しない方が良い

前科としては、
・明治民法では家族の定義は定められていないと言う
・戸籍の基本的な読み方を知らず、日付の「弐」も読めない
・縁組無効は取消しだとするのが通説だと言い張る
とか枚挙に暇がない

812 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 04:38:54.82 .net
東本願寺って怪しくね?
大谷ってことは、
大谷氏と関係有るの?

813 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 10:04:29.37 .net
>>812 大谷氏では無い。 大谷家
本願寺法王を世襲で継いでる一族

814 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 10:56:30.67 .net
大谷祖廟も怪しげだな。 親鸞聖人をお祭りしてると言っててちゃっかり大谷家の祖廟にしてるんだから。

築地本願寺の納骨堂は祖廟ではないから納骨堂で、全骨も入れられる。

815 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 11:05:01.35 .net
>東本願寺って怪しくね?
>大谷ってことは、
>大谷氏と関係有るの?

大ボケw
これ本気で書いてるなら日本人じゃないわ

816 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 11:31:39.00 .net
西本願寺は大谷本廟というところで納骨を受け入れている。

https://www.youtube.com/watch?v=EGl7ZHg5zEY

817 :日本@名無史さん:2022/03/17(木) 12:42:27.47 .net
ちょっと関東人にはよくわからないけれど、
うちの妻の実家が東本願寺宗派なんですね。
小谷家っていうんだけど、
向こうの父が言うには、
小谷城の武士由来の家で、
元々は福井鯖江らしい。
しかも、
平清盛の血脈、つまり平家らしいんですね。
それ、まんま大谷氏じゃね?と思うんだけど、
いま頭を整理したら、小谷城にいた大谷氏かと思うんですけどね。
大谷氏は、西軍ですね。
そもそも、東西本願寺って、なんで別れたんだろ?
なにか対抗してるんですか?
なむ阿彌陀佛じゃなくて、
なも阿彌陀佛って唱えるんですよね。
はっきり言って、
そんな所にこだわるのは、稲荷かなんかじゃないかなと勘ぐってしまいます。

818 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 10:14:27.07 .net
母の父親系譜が毛利家の下級武士らしいが微妙やな
なんか嬉しいが推しの大名家じゃないし毛利家の下級武士ってだけで色々胡散臭いから信用性ないし

819 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 18:39:02.34 .net
>>818 それはご先祖様に対して失礼。 戦国時代は波瀾万丈だから結構面白い時代。

いろいろ調べてると点と点がむすびついてくることもある。 好きな武将とも繋がるかもよ。

調べる気が有るかないか次第
手がかりを見つけるのが難しいけど、主君の足取りを辿ると見えてくるものもある。

820 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 18:50:20.25 .net
台湾の皆さんは、
本当に善良な方が多いという印象。
中には、台湾マフィアのような人もいるけど、
善良さの人口比率で言ったら、
もしかしたら、日本を超えるかも知れない。
もちろん、台湾訪問はしたことはないのだが、
テレビなどの映像から。

821 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 18:50:45.89 .net
スレチ失礼

822 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 19:18:32.58 .net
>>820 誤爆かな? ついでにこのスレの話題。

俺の女房の母方の祖父が、中国革命を助けたらしい。
大陸浪人と言われてた。
孫文が仲間の上司の墓参りに来るほど日本には感謝してた、

所が、うーん、 文筆家で有りすこししらべようとも思ったが表に出すと逆効果かもあるから、調べるのをやめた。 かなりの富豪だったみたいだが。

何冊も書籍を残してるが、後の世からは右翼と見做されてる。 
うちの次男は書籍を買って読んでたが。 古書はかなり高価なんだよね。
うちの長男は、誤解されるから人に話すなと言う。 

妻だけが有名人を泊まらせたり書があると言って誇らしげに言ってるが。

823 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 19:37:34.26 .net
>>791
童話行政のカリスマ、山崎厳の揮毫で「祖廟」かあ
ま、この建物は祖廟なんだろうけど、納骨堂みたいなものなんだろうな。
どういうことかというと
部落の貧弱な墓地に童話の手が入った場合、まず土葬墓を全部掘り上げて火葬。
その後に上の橋下の叔父さんが入っているような整然とした墓石を並べるわけだが、
掘って火葬した遺骨は墓の片隅に埋めてしまう。
(もちろん誰の遺骨とハッキリ分かってるものはその家の墓に入れるんだろうけど。)

ということで納骨堂と言ってもいいようなものだが、ただ将来納骨堂として使って
いくものではない。
作ったらそれで終わりだから土管の大きいのか何かを利用するんだろ。
まるっきり封じてしまうのはよくないので、地上に20センチぐらい浅く出して
コンクリの板を乗せて終わり。
その上に、民間の墓地なら観音様のお堂か何かを建てるんだろうが、童話の場合
政教分離原則があるのでそれは出来ない。
それでこの「祖廟」という建物になるんだろうな。
写真の祖廟の看板(?)は天然木を加工したもので実に立派。金もかかっている。
個人の祖廟でできるようなことではない。
童話の金が山崎氏にもたんと流れたということだよw
こういうのは山崎事務所から秘書が来てやってくれちゃったものなんだろうな。

824 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 19:39:33.79 .net
私は、近代中国史を有料テレビなどでたまに見るんだが、
孫文と蒋介石は、ガチに良い人だと思う。
どちらも有名だが、日本では、蒋介石のほうが有名か。
孫文か。具体的には何した人なんだろう?
いいきっかけだから調べてみよう。

825 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 19:41:37.23 .net
蒋介石は、雅号かなんかが中正なんだよね。
まあ、素晴らしいと思う。

826 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 19:52:45.11 .net
>>818
下級武士なんて、どこでもうさん臭いものだと思うよ。
うちも何時から武士になったのか不明だし、実態はほとんど商人だったみたい。
自分の場合みたいに、近所に有名人が住んでいたとか、意外な発見もあるかもよ。
特に長州ならね。

827 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 20:29:20.56 .net
日本人の先祖調査って正直ショボいし醍醐味ないよな
どこまでいっても日本人だけ
アメリカみたいな移民国家とか民族の往来が激しかった大陸の国家は自分は黒人だと思ってたけど300年前に白人の血が少し入ってた!とか白人だと思ってたけどインディアンの先祖がいた!とか、自分に関係ないと思ってた国の先祖がいた!とか異人種異国の先祖がいるとか普通だしスケールがデカくて面白い発見多いから羨ましい

828 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 21:40:08.83 .net
>>827 はそれはちょっと違うみたいだけどね。
どこから移住してきたかがわかってて、その前もある程度わかってる人達は上流階級として生活してるが、ほとんどの人達はどこからいつ頃の移民からもわからず、祖先を調べることに憧れてる。

だから先祖が同じと思う人たちを調査するのが流行になってるだけ。
Facebook 見たいに自分の情報をオープンにして、似た様な情報がある人達がリンクに情報をオープンにして遊んでる状態。

自分もそんなソフトを入れてリンクを作ろうとしたけど使いずらい。

829 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 21:47:15.16 .net
日本の方がずっと奥が深くて情報も豊富。

アメリカの先祖探しはあくまでも遊び。 それはそれで楽しいと思うけどね。 正確かどうかは関係ない、そこで夢を見る。

日本の先祖探しでも夢が見られたら良いんじゃないかな。

830 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 22:53:20.74 .net
匿名ネット社会では無理だね。
インターネット創世記は実名だけだったんだけど。

831 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 22:58:10.54 .net
無名の家の人は、名乗り上げる価値が正直ないし、
有名人がいる家系の人も、やはり名乗りあげないか。
軽く話の種に、こんな武将が居てさあみたいな会話が有ってもいいと思うけども。
なんかねえ、先祖を遡っていくと、血縁が無茶苦茶な人数になるそうで、
少なくても一人は、有名人と血縁の可能性高いらしい。
そんな、太古の昔から、ずーっと奴隷階級だったとかは、さすがにないだろうしね。

832 :日本@名無史さん:2022/03/18(金) 23:06:57.09 .net
何度かこのスレでも話題になっているが有名人は無名の庶民とは交わることはないから代々百姓やってた無名庶民が自分に繋がる系統の先祖全部辿れたとしても貴族と繋がるなんてことはないだろう
それに昔は下方婚は有り得なかったから百姓同士で結婚してたし親族同士や近隣の村々といった狭い地域での結婚ばかりだったから余計に貴族の血が入る可能性はないと言える

833 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 00:18:39.03 .net
>>832
ああ、そうかあ・・・
大体は、天皇家や武士と源流はつながると思ってたけど、
代々農家の人も多いわなそりゃあ・・・
なんか、学歴差別も的を得ている気がするな・・・
日大以上しか評価されない国だが、
中学の時は、そのレベルで30点以下の人もいたしな・・・
共通学力テストでも、
聖徳太子の答えを問う問題で、
100%の回答率なかったからな・・・
普通、中学の聖徳太子の問題は、
教科書レベルの問題の場合、
仏教興隆、摂政、憲法17か条、冠位十二階しか無いと思うんだけどな・・・
Wikipedia ですべてを見てください
上宮聖徳法王帝説とかが、進学校では問われるけど・・・
俺も其れ以外は知らないな・・・
お寺の名前は問われるだろうけど、
それは低レベルの人は、イメージが結びつかないと言うか、
難しい問題だろうなあ。
俺も、お寺の名前と仏教宗派、他には文学史などが、
大学受験の時苦手だった。

834 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 00:20:20.45 .net
Wikipediaのは余計です。

835 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 00:29:00.79 .net
そういや、姓名のNHKの番組で、
木村さんの「木」は、
紀氏のきだとやってたな。

836 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 00:40:22.02 .net
これ系の名字の由来ネタって勘違い野郎増産の温床だから罪だよな
自分も先祖調査に興味を持ち始めで知識がなかった頃は自分の名字の由来を本で読んで『先祖は日本神話の神で河内で豪族やってたらしい!すげえ!』って盛大に勘違いしてた
実際はただ名字が同じの全くの庶民だったわけだがw

837 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 01:19:12.43 .net
>>836
名前の字句からでは判断つかないですよね。
血統図と家紋しか、証拠にならないわけですね。

838 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 01:20:39.18 .net
でも、真に近づくことは、ある程度できるでしょうね。
今はインターネットで多角的に情報調査できるから。

839 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 01:26:05.64 .net
検索エンジンの多数利用が良いですね。
場合によっては、中国のも使うといいかも知れません。
無法検索エンジンということは、
裏を返せば縛りがないわけですから。
やっぱり、峰不二子ちゃんみたいなのが一番有力ですよね。

840 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 06:07:56.51 .net
>>817 以下〜839まで (>>823 以外)



穢○が一人で埋めまくり(w

841 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 08:41:59.78 .net
>>840
戸籍から言っても、源平藤橘だぞ

842 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 09:08:59.37 .net
源平藤橘穢多非人

843 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 13:15:16.24 .net
>>826 武士なんて江戸時代でも7%,
農民は85%居たんだから殆どは気にすることもないし、辿るのも難しい。
(ただ、それ以前に負け戦から農民になった人たちもかなりの割合で居たと思うが。)
農民の中でも、庄屋や農民をまとめる力のあった家は、商人に近い商いもしてたから、ある程度は遡れるかも。

普通、血族を辿るのは戸籍が限度だからやるだけやって時間があるなら母方も調べるとかすれば結構な情報が集まるよ。

出身地、家紋、仏教宗派からもある程度系統が絞られる。(昔の家紋は手書きでかなり図案も歪んでるし、別名で呼ばれてるものも多かった)

>>833 過去から下れば膨大な血族がいるはず
(人類の祖先はアフリカからとか)
だが、現代から過去にだけ遡ると段々少なくなる。特に男系だけで辿ると全くゼロになるケースが殆どだろう。

まあゲームと思って楽しめば良い、SFのタイムスリップ物なんて先祖巡りの話も多い。

844 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 15:14:15.56 .net
>>843
なんで男系で辿るとゼロになるんだ?無から男系が突然現れたわけでもあるまいし

845 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 16:20:09.90 .net
確かねえ、
10代遡ると、血縁が1万人だか10万人になるんだったかなあ

846 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 16:59:14.93 .net
その数万人の血縁のうち4割は近親婚でダブルカウントされてそうだから実際の血縁はもっと少ない人数だろう

847 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 17:00:12.08 .net
10代前の先祖は2^10で1024人じゃないの?

848 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 21:12:59.25 .net
>>847 一世帯が二人生むとするとそうだよ。
逆に10世代上に辿ると1024人が一人になる

849 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 21:50:30.38 .net
だって、その親戚が全員一応は親戚になるんだよ
おそらく10代遡れば10万人くらいになるはず

850 :日本@名無史さん:2022/03/19(土) 22:59:10.70 .net
>>849 親戚っちゃ親戚だけどね。 
世界は一つ、八紘一宇

男系女系全てひっくるめると収集がつかなくなる。

昔小さな村社会だった頃は、近親婚を避けるために又従兄弟以内は結婚してはいけないとか言ってた覚えが有る。

851 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 04:58:27.91 .net
誰が言ってたんだよ...?
事実、従兄弟の結婚とか普通にあるし

852 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 05:25:10.05 .net
特に大名家とかではね

853 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 07:23:54.67 .net
言ってた覚えがある?
村社会から大名とか話がブレブレ、具体的な史実をだせよ。

854 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 11:16:48.74 .net
現在の法律ではいとこ同士以上は結婚できるな。
(逆に言うとそれまでは余り厳密な定めがなかったのでそれ以下の婚姻も多くあった)

普通は厳密に言わなくても親戚同士の結婚はダメとか言わないか? なんとなくの嫌悪感

855 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 12:01:00.13 .net
菅直人夫妻は従兄弟婚

856 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 12:11:00.10 .net
ダラダラとスレ消耗しやがって。


穢○が一人でやってるんだろ

857 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 12:35:15.34 .net
同じ村だと血が濃い可能性が高いから出来るだけ隣村以上離れた所と結婚するなんて言われてる所は多かったんじゃないのかな。

おしんも隣村と結婚した

858 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 12:57:16.66 .net
伊達政宗とその正室(田村潔顕の娘)は又いとこだったかな

859 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 13:12:08.57 .net
うちの親父も従姉妹の母ちゃんと結婚してるし、友達もいるわ

860 :日本@名無史さん:2022/03/20(日) 22:16:41.83 .net
ターザン姉妹

861 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 06:57:19.18 .net
岸、佐藤総理大臣や渋沢栄一もいとこだろ

862 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 07:45:59.09 .net
>>849
池沼かよw
親戚は先祖ではない

863 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 08:04:46.35 .net
ハハー、ここのエッター君は両親がイトコ婚なんだな
だから俺の一族はとか先祖がどうしたとかばかり言ってるわけだ

神官の一族とは血がつながってないようだ。
家が臨済宗だってwwww

爺さんあたりが戸籍買ったな、、、、

864 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 08:55:31.96 .net
>>863
神官ということでちょっと興味がある話があるんだけど、関八州の穢多頭浅草弾佐衛門の囲い内にあった白山神社の神主として中森豊前って言う人がいたと記録にあるけどこの人も穢多身分だったのかな?
神主でありながら正式な「守」の受領名を名乗れてないからほぼほぼ完全民間の神主だとおもうんだが・・・
どうなんだろう?

865 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 12:48:06.52 .net
>>862
違うよ?
上方親戚は、
全て先祖。

866 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 18:29:08.28 .net
>>849 が勘違いしてるのは、上下一緒くたに考えてること。
一緒くたにしたら世界中すべて親戚ということになる。
そんな事を調べてなんになる? 調べる意味すらない。

867 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 20:53:14.06 .net
>>865
「上方親戚」 って何だよ

その範囲を言ってごらん

868 :日本@名無史さん:2022/03/21(月) 21:01:11.63 .net
くだらん話は辞めようよ。

869 :日本@名無史さん:2022/03/22(火) 06:46:38.03 .net
>>868
お前がそのくだらん話を始めたんだろうがボケ

870 :日本@名無史さん:2022/03/22(火) 09:12:15.71 .net
>>869
百済ん出身

871 :日本@名無史さん:2022/03/22(火) 09:31:23.78 .net
わしの祖先は百済の武寧王
奈良県高野出身
高野新笠

872 :日本@名無史さん:2022/03/22(火) 11:36:16.92 .net
百済は くだら とは読まなかったんだよな
ひゃくさい とか はくさい とか読んでたらしい。

百済をくだらと読むようになったのは江戸中期以降。
朝鮮の古語で大村(おおきな村)を意味するクダラという語があり、
それを「百済」の読みとしたのだという。
朝鮮ではクダラとは読まず、「ペクチェ」と読むらしい。

以上くだらない話

873 :日本@名無史さん:2022/03/22(火) 23:25:00.26 .net
>>864
中森豊前というのは中森豊前守の略称じゃないの。
勝海舟は勝安房守だが勝安房と呼ばれていたし、大岡越前守も大岡越前。
吉良上野介も吉良上野。
守とか介とかは略されることが多いよ。

874 :日本@名無史さん:2022/03/23(水) 01:19:56.26 .net
>>873
浅草弾佐衛門囲い内の白山神社の神主の中森という人が吉田家や白川家の繋がりで豊前守に補任された記録はないので自称か私称と思うが
まあ自称とか私称でも、国名を名乗れるのは、たとえそれが穢多の世界でも
それなりの格式があったのだと思うけど

875 :日本@名無史さん:2022/03/23(水) 19:52:12.16 .net
豊前で思い出した。 豊前国には英彦山と言う有名な修験の場所があるな。
一度だけ行ったことがある。 物凄く巨大な杉の大木が生い茂ってた。
その奥に親戚が窯元を開いてた。

白山信仰は元々、山岳信仰だったらしいから何か繋がりがあるのかも。

876 :日本@名無史さん:2022/03/23(水) 20:40:35.31 .net
>>875
豊前の被差別部落にあるのは、宿神とか八坂神社ばかりだよ

877 :日本@名無史さん:2022/03/24(木) 20:33:15.55 .net
この囲い内の白山社というのはただの屋敷神かも知れないしな。
囲い内の中というだけでなく、弾左衛門の屋敷の中にお祀りしてある社なのでは。
祠みたいなものだが、ただ弾左衛門ともあろうものがいい加減な祭祀をしていては
いけないので、神主に来てもらってたとか。
もともとこの土地にあった社なのかも知れない。
初代(初代は実在していないというが)が今の日本橋から移ってきたときに、産土と
いうことで大事にし、本社の神主に来てもらっていたとか。
神主というのは昔から掛け持ちが多い。
その中森某というのは、どこかの本社の神主じゃないかな
屋敷地に元から在ったのではなく、弾左衛門が勧請して建立した社であるかも知れない。
勧請したという場合、ではその分祀してくれた本社はどこなのか。
最初からあったのではない場合でも、ではいつからあるのかとなると何も分からない。

まあ、俺は囲い内に神主がいるような大きな神社を置いたとは思わないな。
囲い内といっても浅草新町という町で、300人から400人の役人(穢多の役人)がいて
お白州まであったというから、そこそこ大きな町なんだよな。
おそらく町の建物はとてつもなく立派で、そこにいる人々もそこいらへんの貧乏旗本なんぞ
比較にもならないような立派な服装をしていたのだろうと思う。
だからふつうの神社があっても不思議じゃないんだけど。
だが、新町には人は来られないようになっていた。
寺やいろんな建物に遮られ、外からは見えないし、一般の人間は中には絶対に入れない
ようになっていた。
そんなところに神社を作ると人が来る名目になってしまう。
それに浅草新町といっても穢多部落なわけで、そこに普通人の神主が常住しているとは
考えにくい。

ちなみに、弾左衛門一族の寺(菩提寺だが、旦那寺でもあると思われる)は近くにある。
真宗大谷派臨川山本龍寺といって浅草今戸にある。その隣が今戸神社。
弾左衛門の囲い内にあった白山神社は、明治になってからもそこに建っていたそうだが、
昭和12年だかに今戸八幡と一緒にされて今戸神社になった。
今戸神社は、この本龍寺という寺の隣だ。

878 :日本@名無史さん:2022/03/24(木) 20:33:43.61 .net
想像だが、今戸神社の境内というのは、その昔は本龍寺という寺の境内だったんじゃ
なかろうか。昔は寺と神社が一緒だった。
それに昔の寺の敷地は広大だった。最低でも今の小学校の敷地ぐらいあった。
白山神社の本社もここにあったのではないか。ここの白山様を分祀して屋敷内に勧請
したのではないかと思われる。
明治の神仏分離で分けられてしまった。そしてその本社はそのときに取り壊された。
寺として残る方を選べば、神社の方は無くなるのが普通。
で、弾左衛門屋敷の跡地にあった白山神社は世話をする人もなしで放置されていて、
これをどうしようかという話になったときに、本社があった今戸の本龍寺のところに帰せば
いいだろうということで、今の今戸神社ができたんじゃなかろうか。
https://ameblo.jp/sharaku-hiroshige/entry-12430670732.html

穢多寺は浄土真宗が多い。これは前にも書いたことがある。
穢多は墓を作ろうにも弔ってくれる寺がない。弔ってもらえても畜生戒名を付けられたり
して差別される。それで自分たちで寺を建てようとした。だが、その寺を預かろうという
宗派は無かった。それをやりましょうと言ってくれたのが浄土真宗である。
穢多寺といっても、そこにいる住職は穢多ということはない。
むしろ選び抜かれたような立派な坊さんが本山から派遣されたのではないか。
同じく境内にある神社(鎮守)の神主も穢多ではないはずである。
穢多というと一般人は下に見たがるが、穢多は金はあるし、住む家や着るものや食べる
もの、遊びの仕方まで、普通の庶民など比較にもならないような生活をしていた。
何でも豪勢で立派なものだったのだ。

879 :日本@名無史さん:2022/03/24(木) 22:52:02.90 .net
多分、エタヒニンって、
仕方なくその階級に落とされたんじゃないかな
普通、日本人は、犯罪者に対しても、時間が経てば許してあげるもの。
それが、苦しい家柄に固定されていたということは、つまり、藤原氏と平家に嵌められたということじゃないかな?
例えば、天皇家がエタヒニン家を僥倖されたら、普通は、なんて可哀想と思うはずだ。
そもそも、この国は、貴族などいたものの、差別階級はないはずだ。
とにかく、おかしいんだ、この国の歴史は。

880 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 05:43:33.35 .net
本龍寺は豊原国周の菩提寺でもあるから穢多寺ってわけでもないと思う
東京の穢多寺は真宗ではなく時宗のはずだから
弾左衛門の権限で特別に一般の寺に入れてもらったんじゃないの?

881 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 06:54:12.48 .net
>>880
>東京の穢多寺は真宗ではなく時宗のはずだから
これほんとなの?w

東京の穢多寺は浄土真宗ではなく、時宗に限られるなんて聞いたことない。
埼玉には真言宗の穢多寺もある。

豊原国周という人は明治33年に亡くなってるが、その頃はもう穢多寺では
なくなっているのじゃないのかな。

882 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 07:00:23.77 .net
なお、上記「囲い内の白山社が弾左衛門屋敷の中の祠のようなものでないか」という推測は
撤回しておく。
白山社は浅草新町の中の弾左衛門屋敷とは違うところに存在し、昭和12年まで在った。
明治以降のものはちゃんとした神社。それ以前の白山社がどんなものだったかは分からない。
ちなみに弾左衛門屋敷は明治42年に存在していたことは確か。
全く関係のない普通の人が住んでいたという。

883 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 07:08:58.48 .net
浅草弾佐衛門囲い内の白山神社神主だった中森氏は加賀の守護、富樫介の家人が祖とのこと

884 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 07:16:38.44 .net
穢多の村には白山神社が多いというのは、穢多が白山信仰をしているからではなく、
浄土真宗と白山信仰に繋がりがあるかららしい。

白山信仰はもともと白山の修験者たちが広めたものである。
白山は修験の山で、熊野の次に修験者が多かったという。
加賀や越中、信濃、越後などの人はほとんど白山信仰だったが、戦国の頃に入って来た
一向宗に駆逐されたのだそうだ。平地の武士や農民はほとんど全部が一向宗になり、
山の中の小さな部落のようなところだけ白山信仰が残った。
それらが関東の方に広まってきて、上州や武蔵の国には白山神社が多かった。

北陸の白山信仰は一向宗に駆逐されたなどというと、両者は敵対関係にあるかのように
思われやすい。俺も前はそんな印象を抱いていたが、どうもそうではない。
白山信仰を持っていた人々は、一向宗徒になっても白山信仰を持っていたみたい。
浄土真宗は関東にもわずかに広がっていったが、その時に白山信仰も一緒に伝わって
行った。浄土真宗の寺と白山神社はタイアップしてたような感じがある。

885 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 18:46:38.92 .net
浅草の白山神社の神官中森氏は加賀の出身で、富樫介の使いかなんかで千葉の介に遣わされてそのまま浅草に移住し白山社も加賀から勧進してきたと言われている

886 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 19:07:53.50 .net
豊原国周研究序説
https://researchmap.jp/sugawaram/published_papers/11798605/attachment_file.pdf

本龍寺は台東区浅草に今もあり、国周の生家の墓所と目される「大島屋」と刻された墓石もあるが、国周個人の墓石およびここで記される碑は現存しない(現地調査による)。

豊原国周研究2
https://www.nua.ac.jp/research/files/pdf/fca2af4523c8796ca9cfbe6661e6aa26.pdf

明治33年(1900)7月1日、66歳で没。法名は「鶯雲院釋國周居士」。菩提寺である浅草今戸の本龍寺には、残念ながら墓は遺されていない。

887 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 19:12:55.65 .net
地域的にみると、東北・関東地方の部落には真宗寺院は少なく、逆に他宗派寺院が80%も占めている。

888 :日本@名無史さん:2022/03/25(金) 23:49:21.77 .net
そういえば、自分の母方の本家にも屋敷神があり先祖を祭っている。
あまり考えたことがなかったが、かつては神道の祭祀も行っていたのかな。
何時の頃か分からないが、近くにある神社で祭りがおこなわれる際には、
うちの本家の人が来ないと始まらなかったと、地域の民俗学関係の本で読んだことがある
(といっても、語り部は本家の亡き爺さんだが)。

889 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 11:00:55.97 .net
>>880
>東京の穢多寺は真宗ではなく時宗のはずだから

まあこれは当たっているといえないこともない。
書き方が悪い

もともと鎌倉時代に一向という僧が踊り念仏を始めた。
この宗派を一向宗という。一向が創始した宗派だから一向宗なのである。
浄土真宗とは全く関係がない。

これが同じ踊り念仏の一遍上人の時宗と混同され、混じり合い、さらに親鸞の興した浄土真宗とも
混じり合い、本来の浄土真宗(一向宗)とは全く違う宗派として存在していた。
みんな念仏を唱えれば救われるとする点は同じだから、混同されるのは仕方ないかも知れない。
この一向宗や時宗は権力者に取り入り、民衆とは離れていった。

親鸞八世の蓮如は自分の宗派が一向創始の一向宗と混同され、混じり合っている事態を憂い、
今後わが門徒にして一向宗の名を使った者は破門するとまで言った。

江戸幕府が成立すると、踊り念仏・勧進僧系統の宗派は時宗の下に統一された。
本山末寺制度では、こうした宗派の総本山は時宗の清浄光寺とされたのである。
浄土真宗も幕府の作ったこの枠組みから逃れることは出来なかった。
浄土真宗は、幕府から一向宗と呼ばれ、時宗12宗派の一つと位置づけられた。
一向宗と呼ばれたのは、浄土宗が浄土真宗という名称を嫌ったからだという。
それは嫌うだろう。同じ浄土で紛らわしいし、それに「真」をつけて浄土宗より偉そうである。
とにかく、浄土真宗は江戸時代は一向宗であり、一向宗とは何かといえば時宗の一派なのであった。

890 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 11:01:23.25 .net
時宗は明治維新で壊滅状態になった。時宗の寺が多かった薩摩では、幕末に領内の寺を破却された。
佐渡にも末寺が多かったが、廃仏毀釈でほとんど打ち壊されてしまった。
ただし、現在でも全国に教区があり、寺院の数は400を数える。
踊り念仏の様子はヨーツベでも見られる。時宗 踊り念仏で検索してみるといい。

一向の一向宗は、明治になってから浄土宗の配下に入ってしまった。自分でそうしたのである。

浄土真宗の一向宗はどうなったかというと、
明治になってから政府への教団名の登録に際し、現在の浄土真宗本願寺派のみが「浄土真宗」として申請、
他は「真宗」として申請した。
それが現在の宗教法人名に影響している。

お西さん、西本願寺は 浄土真宗本願寺派
お東さん、東本願寺は 真宗大谷派

891 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 11:26:35.85 .net
誰か関係してる人いるのか? ただの歴史解説ならやめてくれ。

892 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 11:29:09.85 .net
話題が少ないから少しの脱線は構わないと思うが、長文ダラダラは迷惑。 関係が薄そうなことは簡潔に。

893 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 11:59:24.39 .net
>>891-892
弾左衛門の菩提寺で旦那寺でもある本龍寺は、江戸時代は一向宗で、それは
時宗の一派であった。
ということなんだから、現在のテーマにぴったりの話題じゃないか
お前は何を読んでるんだ
スレの話題に着いてこれないのなら他に行けっての

894 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 13:13:15.47 .net
血族先祖に限る先祖探しというスレなんだけど。
誰の先祖探しなのかな? 

浅草弾左衛門って誰に関係してるのかな? >>630 から突然出てきたが?
多分穢○繋がりで話をダラダラと伸ばしてるんだと思うが、この穢○は誰に関係してるのかな? その人は浅草弾左衛門と繋がりが有るの?

そもそも、穢○とか知ってるの? 今では立派な革加工の街として発展してるところが沢山有るのに何を今更特別視して話題にするのかさっぱりわからん。
阪神淡路大震災で靴の街が大きなダメージを受けたのは有名な話。
特別視するのは自分に何か負い目があるのかなと思うくらいに変に感じる。

895 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 13:49:51.79 .net
うちの地元に中森さんがたくさん住んでる地域あるよ
埼玉県の南の方だけど、いろいろ調べてみるとたぶん弾左衛門配下の穢◯村だよ
皮革業なんてやってないけどね

896 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 14:02:16.36 .net
>>895 だからさ、誰かの先祖に関係なければ地元の話しなんか何でするの? 無関係でしょ。
中森という名前も誰かの先祖に関係してるのなら無関係ではないけど。

897 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 14:22:53.84 .net
>>885
中森某は加賀の守護大名、富樫の家人で、その遣いとして千葉の介のところに来て
そのまま浅草に移住したと、、、、

昔は遣いというのは山伏がやったものだ。
戦国の大名間などでも書状は山伏が届けた。
なんで山伏かというと、諸国の霊場を巡って歩くので道をよく知っているとか、健脚だと
いった理由もあるだろうが、一番の理由は読み書きが出来たことだ。
書状だっていろいろあったろうし、書状を届ければ受取や返書も貰うわけだし、字も
読めずに通信を扱うのは難しいだろうと思う。
当時身分の低い者は字などまともに読み書きできなかった。
だが、山伏は教典の勉強などもするので、ちゃんとした文字が書け、読めたのだ。
だから山伏は大名に雇われて足軽のようなものになった場合、戦場では記録係の
ような役につくことがあった。
戦場を駆け巡り、味方の手柄を記録するのである。
斥候や諜報のような役についても、文書で報告できるのは大きかっただろう。

中森某という人は、加賀白山の山伏(修験)で、千葉に来て本場の白山の行者様だと
いうので、地元の修験や行者たちに崇められ、そのまま居着いてしまったのではないか。
富樫は一向一揆で滅亡するが、裏にそんな事情があるのかも知れない。
白山の修験なら白山権現を勧請するのは簡単だろうし、本場の呪法が出来るのだから
有り難がられただろう。
神社として単立していたのではなく、別当寺は本龍寺だったのではないか。
本龍寺は1622年建立で、こちらが後かも知れない。
すると事後的にそうなったのかも知れない。
関東に入ってきた一向宗は北陸の蓮如の一向宗の系統なので、白山権現とは折り合いも
よかったのだろう。

898 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 14:25:36.62 .net
>>895
はいはいここ。
中森明菜さんのお父さんの出身地。

https://ameblo.jp/omicankorokoro/entry-12356252950.html

899 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 14:47:48.98 .net
>>896
アホなんか虫した方がいいよ

900 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 14:55:16.39 .net
>>899
自演w

901 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 15:02:15.80 .net
加賀の富樫、そして山伏と言うと「義経&弁慶」「安宅の関」や「勧進帳」を思い浮かべる
一説には、義経主従も白山の御師を騙って奥州平泉までたどり着いたとか

902 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 15:05:29.57 .net
ちなみに加賀の守護富樫は一向一揆で滅んで残党が加賀から山形あたりに落ちて行ったという伝承があり、実際に山形に富樫姓がかなり多い

903 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 15:53:09.73 .net
>>897 コテハンつけてくれないかな、ウザい

904 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 18:28:36.88 .net
弾左衛門ったって襲名してるだけだろ、血筋は関係ない

905 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 18:33:00.75 .net
町奉行の承認無くしては襲名できないのだから一応は血縁のある家から養子もらってるのだろう
弾さんは当時の苗字は矢野だよね

906 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 19:25:41.14 .net
誰とお話ししてるの?

907 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 19:28:16.83 .net
>>906
穢多とお話ししてる

908 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 19:51:17.09 .net
ご先祖様をお大事に

909 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 20:32:18.74 .net
血縁のある家から養子をもらってるのだろうww

史実を出せよ…

910 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 20:39:07.67 .net
>>909
矢野弾左衛門は血縁でつながっているのではない。
誰を養子にするかは穢多の世界の評判で決めていた。
なんかダライ・ラマの後継者探しに似ているところがある。
どこそこの子供がたいへんな神童だとか。
よく人物と能力を見極め、最後は町奉行の裁定で決まった。

911 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 20:49:24.14 .net
なお、弾左衛門は子供のときに養子に入るのではない。
大人になってから、その人物の評判で選ばれるのである。
もちろん、穢多の中でも格式のある長吏の子弟であることが前提。

上にも書いたが
たとえば十二代弾左衛門・大友周治は
信州筑摩郡の長吏で松本藩の穢多頭である大友彦太夫の弟周司(集司)なる者である。
この弾左衛門周司が引退した後、最後の浅草弾左衛門(第十三代弾左衛門)になったのは
摂津国菟原郡住吉村中ノ町(現・兵庫県神戸市東灘区住吉宮町)の寺田利左衛門の長男で
ある直樹(集保)である。
父の寺田利左衛門は尼崎藩の穢多頭。母方の祖父は京都の元銭座村の長吏頭の専左衛門
であり、母の妹は紀伊国海部郡広瀬の長吏・甚之丞の妻である。
十二代目も十三代目も、江戸入りにあたっては大名行列を模した行列を組んだ。
先頭に毛槍を立て、高張り提灯を掲げ、多数の手代・手下を従え、塗りの籠に乗って浅草の屋敷に
入ったという。

912 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 21:19:48.49 .net
弾左衛門の仕事のうち重要なものはお白州での「仕置き」だった。
つまり裁判をすること。
裁判は今でも刑事と民事に別れているように、犯罪人の処罰と
穢多同士の民事の争訟の二つがあった。
穢多の犯罪者の処罰はともかく、民事の裁判は難しい。
これを難なくやりとげるだけの能力と器量が必要であった。

浅草新町には宿屋が何軒もあった。
訴訟のために遠くからやってくる穢多のための宿である。
江戸時代は公事宿というのがあった。
公事(訴訟)をするために地方から出てくる人のための宿で、
そこの主人は公事師といって、今の弁護士のようなことをする。
文書を作ったり、訴訟のアドバイスをしたりするのである。
公事というのは時間がかかるので、泊まり客は半年も居続けることもあった。
公事に出るには身なりを整えないといけない。
そのため床屋が何軒もあったという。風呂屋もあった。
風呂で垢を落とし、床屋で髪を整え髭を剃ってもらってお白州に出たのである。

913 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 22:30:41.25 .net
ダラダラ書くつもりならコテハンをつけてくれないかな。
何のためにこんなことを書いて荒らしてるんだ?
あんたと関係ないんだろ? 長文書く人悪い人

914 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 22:55:02.04 .net
どうでもいいけどさ、とりあえず中森さんっと部落なんだよね?

915 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 22:56:57.61 .net
浅草の白山神社宮司の中森さんや埼玉の中森さんが部落か、そうじゃないかしかキョウミナインデ

916 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 23:01:48.47 .net
あっこれ荒らしなのか

917 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 23:03:45.36 .net
>>916
どうなんですかねぇ

918 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 23:09:26.90 .net
>>917
会話調で書くな。書くな書くなって、へそ曲がりの阿呆が一人でわめいてるんだろ

919 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 23:10:02.43 .net
浅草弾左衛門の手代やってた秦野の部落民の三川さんは井上の家督を買って士族だけどそんなの他にもあったんだろうな

920 :日本@名無史さん:2022/03/26(土) 23:12:33.16 .net
興味がある方は井上自衛で調べてください

921 :日本@名無史さん:2022/03/27(日) 09:39:00.91 .net
うちの実家は利根川流域の田舎町にあって片岡っていうんだけど、源九郎義経の老党だったという伝承があるが本当だろうか?
江戸時代はただの百姓なんだけど。

922 :日本@名無史さん:2022/03/27(日) 11:38:53.16 .net
片岡常春だろ

923 :日本@名無史さん:2022/03/27(日) 11:59:35.88 .net
義経の郎党って片岡、駿河、行方、鷲尾、堀、鈴木に佐藤とか苗字的に気になるね
鈴木と佐藤は日本の最多姓になったけど、これは判官贔屓の影響だろうね
片岡とか行方は源平合戦でのエピソードがあまりないから流行らなかったのかな?

924 :日本@名無史さん:2022/03/28(月) 20:46:53.83 .net
>>919
薩摩焼の朝鮮人陶工がそうだよ。
文禄・慶長の役。秀吉の朝鮮出兵で朝鮮に渡った大名たちは、朝鮮の陶工を日本に
連れ帰り、陶器を焼かせた。
鍋島氏の有田焼、寺沢氏の唐津焼、毛利氏の萩焼などがそうであるが、島津氏の
薩摩焼もそうである。
島津氏は連れ帰った陶工たちを、主として領内の苗代川という土地に住まわせた。
薩摩では他の大名と違い、朝鮮人陶工たちに朝鮮にいたときと同じ生活をさせた。
朝鮮人だけで村を作らせ、祖先の祭祀もそのままにさせた。
そこでは言葉も衣服も髪型もそのままだった。

苗代川の陶工たちは武士身分ではなかったが、藩に大事にされ、差別を受けるような
ことは一切無かった。武士と同じように禄を与えられ(介抱高という)、さらに
陶器作りの収入もあって生活は豊かだった。
ところが明治維新の後から様子が変わってきた。
とくに、日本が日清戦争に勝ってからは、朝鮮人に対する態度がガラリと変わった。
陶工の村の周囲の村人から、お前たちがいるお陰で、俺たちまで朝鮮人と思われる、
迷惑だと言われるようになった。
江戸時代を知っている人たちがいる間はまだよかった。維新から年月を経るごとに
昔を知らない人ばかりになり、まるきりの朝鮮人扱いになった。

925 :日本@名無史さん:2022/03/28(月) 20:47:10.44 .net
そこで苗代川という地名が変えられた。
美山という取って付けたような地名になった。
さらに、陶工たちは蔑視から免れるため、独自の行動を起こした。
士族の戸籍を買うのである。
鹿児島には士族がたくさんいた。もともと武士が全人口の70%を占めていたといわれる
土地柄である。さらに、西南の役で男手を失い、貧窮に陥ったままの士族家庭も多かった。

戸籍を買うというのは、具体的には養子に入るのであるが、当時は入籍などはいい加減で、
間に立つ人がいればお互いに顔も見ないで手続が出来てしまったという。
間に立つのは代書屋であった。
戸籍を買って士族になるというのは陶工村の住人のブームのようになり、ほとんど全員が
そのようにした(ただ一人、朝鮮名のままで横浜で成功した人がいるという)。

現在、朝鮮人陶工の子孫だといって朝鮮名を名乗っている陶芸家が何人もいるが、それは
商標として使っているのである。
みなとっくの昔に日本名になっている。
最も有名と思われる沈壽官(ちんじゅかん)という陶芸家もそうである。
現在の当主は第15世、その父親の14世沈壽官は司馬遼太郎の著作にも取り上げられ、
韓国でも名士であった。
14世・15世ともに日韓のシンポジウムなどにも出席している。
15世は韓国ではシム・スグァンと名乗っていて、韓国の大学の客員教授もしている。
しかしこの家は明治の終わり頃に大迫(おおさこ)という姓に代わっている。
その時に士族にもなっている。14世は大迫恵吉、15世は一輝という名である。

926 :日本@名無史さん:2022/03/28(月) 22:24:33.73 .net
わずらしか、誰も聞いとらんばい。
波多野は源氏の領地ばい

927 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 06:00:19.32 .net
故郷忘じがたく候(司馬遼太郎、文春文庫)のカスタマーレビュー

「5つ星のうち2.0 私は50年間騙されていたのか
2019年6月24日に日本でレビュー済み
先日、沈寿官氏が亡くなられたと言う報に接して、改めて、本書に関する情報を得んと、
ネットを渡り歩いていたら、驚愕のサイトに出会ってしまった。
本書に書かれている内容の多くは虚偽乃至捏造だと言うのだ。俄かには信じ難かったが、
読み進むうちに、さもありなんと納得させられてしまった。
沈壽官氏の作陶技術についての疑問符も然りだが、一番驚かされたのは、氏が、
旧制中学校に入学した時のエピソードが虚偽だったと言うことだ。
朝鮮人と言うことがわかって上級生からリンチを受けたと言う有名な下りだ。
教員時代、私も何度も引用させてもらい、生徒に語ったものだ。
このエピソードは真っ赤な嘘だと言うのだ。氏は当時、吉本と言う日本の姓を名乗っており、
朝鮮人だと上級生が知るはずもないと。
念のため、他のサイトも覗いて見たが、同じような記述がなされていた。
当の鹿児島二中のOBの方々からは抗議の声も上がっていたと。
これらの記述の日時を見ると、既に10年近く前ではないか。
否、これらの指摘は、ずっと以前からなされていたと。
ネットに不得手な私のような老境の人間には知る術もなかったわけだ。
これが事実とすると、私の50年近くの人生とは何だったのかと思わざるを得ない。
人間、長生きするものではない、と言う格言がふと頭をよぎった。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています」

928 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 06:12:55.71 .net
ここのブログが詳しい。

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55476886.html

この沈寿官窯というのは、遅くとも13代目には焼き物など作っていなかった。
ブローカーというか薩摩焼の販売店にすぎないのではないか。

14代が鹿児島二中に入学したときに暴行を受けたという「エピソード」が
「故郷忘じがたく候」の最初の方にあるが
これは全くの司馬遼太郎の創作。

入学早々、教室にすぐ上級の者が数人はいってきて、
「このクラスに朝鮮人が居っとじゃろ。手をあげい」とわめいた。(同書四十ぺージ)。
上級生たちは「新人生名簿によって韓姓の少年がいることを知っただけであるし
(同書四一ぺージ)。その後、上級生たちは「沈少年が名乗らなかったということで、
少年たちは激昂した。精神を注入してやる、と吼え、沈少年を教室のそとへ出し、
屋上へつれてゆき、十人ほどが寄ってたかって殴った」(同書四二ぺージ)

沈少年が家に帰ると、両親が門口に立っていた。
少年を待っていたのだ。
両親は何もかも分かっていて、黙って出迎えた。
そして三人黙ったまま家に入った。

というのだが、こんなのも勿論創作。

929 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 08:14:00.10 .net
お前は一体何の話をしてるんだ?

930 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 09:36:00.80 .net
妄想と闘う病気だろ、 病院に早く行けば
ひどくなるのを止められるのに。放っておくと強制入院させられる様になる。

931 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 19:46:45.39 .net
>>929-930
理解できないのは自分の能力のせい。

文句言うなら馬鹿に生んだ親に言え

932 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:16:05.92 .net
こんなところでわざわざ見たくもない
司馬遼太郎で十分だわ

933 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:19:24.99 .net
しかも旧穢多が士族になる話しとは背景も事情もまるで違うし

934 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:22:16.52 .net
司馬遼太郎はとんでもないイカ野郎だった。

自分で歴史的エピソードを作って、それについて「考察」したりしている。
そんな書き方をしたら誰だって史実だと思ってしまうよ

司馬の与太話で歴史が分かったような気になるのが一番よくない

935 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:24:15.52 .net
>>933
士族になるのは簡単。戸籍を買えばよい。誰でもなれる。ということである。

それは穢多でも朝鮮人でも同じ。

936 :日本@名無史さん:2022/03/29(火) 20:54:55.80 .net
>>935
違うね

937 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 00:18:42.84 .net
>>936
そりゃお前からしたら朝鮮人と一緒じゃ困るんだろうけど
ふつうの人間からすると変わらんのだわw

938 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 19:51:44.71 .net
中森豊前について、上記とは別の可能性を考える。
浅草新町内の白山社は、弾左衛門が勧請して建立した社であるかも知れない。
その場合は穢多の頭領として職業上必要だから社を置いたのだろう。
そういう社である場合、社を預かっているのは神主ではない可能性がある。
おそらく祝(ほうり)である。
祝とは神職であるが、神官や禰宜より位は低い。神祇官の下級官職に祝部(ほうりべ)
という職能民がいた。ホウリは「放る」から来ており、祝は嘉字を当てたものである。
もともとは山にいて、捨てられた遺体の衣類を剥ぎ、谷に放るところからその名が来た
という人もいる。
穢いものを始末するのがその仕事である。
平安の頃から、御所や公家の御殿の中で掃除の仕事をするようになった。
室町や江戸時代に武家の城や屋敷でもこのような職能の者はいた。
武家では小坊師と呼ばれることが多い。
室内でネズミが死んでいたとか、猫の死骸とかの小さなものから、人の亡骸を運び出す
ことまで、穢れたものを処理する仕事であった。
しかし、最近は運び出して処理するということより、穢れを取り除く呪い(まじない)の
ようなことが仕事の中心だったと理解されるようになっている。
ただの掃除人ではなく、呪術を執り行う陰陽師のような存在だった。
賤視されながら一種神聖視されるという特殊な職能民であった。

穢れを祓うというのは晴れ(ハレ)の儀式ではない。だから昔は「お祓い」という
ものは神主はやらなかった。地鎮祭といった儀式も地の穢れを祓うものであるから
陰陽師のような者が執り行った。神主がお祓いをするようになったのは明治以降である。

939 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 19:53:23.33 .net
死体の衣服を剥ぎ取る行為と、屍牛馬の皮を剥ぎ取る行為とは共通性がある。
そういう行為をする特権を与えられた民がいたということである。
実は、屍牛馬の処理といっても、死んだ牛馬を引き取りに行く人々と、引き取った
その屍牛馬を解体する人々は別だったらしい。
飼っている牛馬が死ぬと、飼い主とその家族は、穢多のところに使いを出した後は家に
閉じこもっていなければならない。
屍牛馬引き取りの穢多が来て、馬なら厩に、牛なら牛小屋に御札を貼ってもらう。
その御札を貼ってもらうまでは外に出ることはできないのである。
引き取りに来る穢多は御札を貼るだけでなく、何らかの呪いをして死の穢れを祓った
のだろう。屍牛馬の穢れを祓う特殊な力があると見なされた人々だったのである。
また、祓いのための御札を発行する神社とつながりがあることは勿論である。

さて、上述の白山神社であるが、それは死穢を祓うための社であり、そこには祝(ほうり)
がいた。祝が穢れを祓う務めをし、浄めの御札も作製していた、と考えることもできる。
穢多の仕事そのものが自分に穢れを背負い込む性格のものであるから、それを祓うことは
必要不可欠だったと思われる。
祝のいる神社は一定の規模以上の穢多部落には必須のものであったのかも知れない。

さて、白山神社の中森氏と志木の中森姓の部落との関係であるが、もしも志木の中森なる
一族が本当に被差別民であるのなら、祝の中森氏と関係があるのかも知れない。
中森氏配下で屍牛馬引き取りとキヨメをしていた白山神社の隷属民であった可能性がある。
その人たちには姓など無かったが、明治になって中森姓を名乗ったのかも知れない。

940 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 21:58:56.67 .net
>>938
あなたはこの辺りの問題に詳しく無いようだから言っておくけど、埼玉のその地区の中森さんは小頭ではない。その地区の小頭は 清水さんなのでは?

941 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 22:05:56.75 .net
志木の久保白衣観音堂に行けばわかる人にはわかるんだけどな
近隣の東京都の部落地区民と共同で石碑作ったりしててさ

942 :日本@名無史さん:2022/03/30(水) 22:15:06.33 .net
>>940
小頭って何?
中森さんが小頭でないと何なの?w

943 :日本@名無史さん:2022/03/31(木) 06:31:05.79 .net
>>940
>埼玉のその地区の中森さんは小頭ではない。その地区の小頭は 清水さんなのでは?

俺は、「埼玉のその地区の中森さんは小頭である」なんて書いてないが、、、、
いったい何を質問してるんだろ。
清水さんがどうしたんだよ

俺は君のように地元の穢○じゃないんで、清水さんとか知らんわ
君の叔父さんか何かか?

944 :日本@名無史さん:2022/03/31(木) 18:46:56.65 .net
>>943
僕の実家ですわぁ

945 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 08:16:51.03 .net
志木って、小頭がいるような穢多の集団が住んでたのか?
ちょっと信じられないな
白岡町(今は市)に大きな集団があって、小頭が統率していたというのは確か。
その屋敷にはお白州があって裁判をしていたという。

946 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 13:56:40.02 .net
かなり多くの人がその様な集落に集まっていたことには驚いたが、殊更差別につながる様な話で長引かせるのはやめた方が良い。

今では差別していないと言っても、この中でも差別的な発言も見られる。

特定の集落を紹介する様な記事や動画も法的に禁止すべき事柄。

自分から意識して止める様にしない限りはいつまで経っても差別は無くならない。

自分の先祖がどこそこに済んでたという話は問題ないとは思うが。 他人がとやかく言う話ではない。

947 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 18:32:43.44 .net
うちの母方の家系の一部が浅草と橋場の出身だ

948 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 19:22:09.68 .net
けっこうな数の中森さんが住んでいるということだろ。
だったら元々は農家なんじゃないの。
多摩だってそうだよ。農家は土地を持ってるから、相続のときに子供に宅地用に分け与えて
同じ苗字がどんどん増える。
苗字を聞けば、ああ土地の人だなって分かるぐらい。

明治から相続を何回か繰り返してれば相当な数の中森さんがいるはず。

穢多だとこうはいかないだろ。
農家から土地を借りたり買ったりして農業をしていた穢多もいたらしいが、そういうのは村はずれに
一軒とか二軒とか。ずっと住んでいるということもないらしい。
農業をやっていない穢多なんかだと、明治以降いなくなってしまった。

もともとは田舎だけれど、東京に通勤できるというような土地だと、農家の子供たちは土地を
離れずに宅地を貰って増えていく。
ほんとの田舎だと土地を捨ててしまう。そのうち限界集落とかになる。
志木あたりだと余裕で通勤圏なので、元農家なら増えていくはず。

なんで中森さんかというと、このへんの神主さんが中森という姓だったのかもな。
地主というか、江戸時代は白山神社の社領で、中森なる人が治めていたのかも知れない。
まあ、むやみに穢多と決めつけることもないよ。

>>946
差別に結びつくなんて言うのは、はじめから穢多と決めつけているようなものだ。
もっと柔軟に考えないと駄目だよ

949 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 20:56:39.26 .net
>>948
史料にも館村の穢◯として出てくるんだが?
弾左衛門の廻文の順番も出ていて、浅草弾左衛門役所→赤塚→練馬→館(志木)って順番でね

950 :日本@名無史さん:2022/04/01(金) 22:07:48.67 .net
志木に穢多はいたんだろ
でも中森がそうだとは限らん

951 :日本@名無史さん:2022/04/04(月) 05:17:11.90 .net
>>949
>史料にも館村の穢◯として出てくるんだが?

中森という人が村の穢多として出てくるのかい?

952 :日本@名無史さん:2022/04/04(月) 16:58:31.15 .net
立教大学志木キャンパスにある演劇サークルは

劇団志木 

というんだよな

953 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 17:40:47.16 .net
うちの家は江戸時代から曹洞宗なんだが、祖父が自分の妻(つまり自分の祖母)が死んだときに、
何を考えたのか臨済宗の寺に墓を作ってしまったようだ(その時すでに故郷を離れていた)。
もちろん、亡き祖父もその臨済宗の寺に葬られている。
たぶん祖父が禅宗としか記憶していなかったから起こった間違いだと思うが、
こんなやらかし、よくあるものだろうか。

954 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 17:42:52.33 .net
>>953
つまり自分の祖母→つまり私の祖母
です。

955 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 18:03:21 .net
>>953
そういえば、20年ほど前に明治初期の高祖父とその後の曾祖父墓の墓じまいをしたんだが、
甕棺墓だったと聞いた。つまり土葬だったんだね。当然火葬だと思っていたんで、ちょっと驚いた。
まあこういうのは、地域にもよるだろうけどね。

956 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 19:24:52.11 .net
宗派でふと思った
家は曹洞宗なんだが先祖の墓に刻まれた戒名見ていると2人(どっちも女性)だけ真宗の戒名がいたな
その他の先祖は男女とも曹洞宗の戒名だし宗門改を見ても初代から菩提寺は曹洞宗の寺院なんだよ
真宗信徒を嫁に貰ったと考えたが普通は嫁ぎ先の宗派に改宗するよな?謎だわ

957 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 21:51:43.80 .net
転籍を繰り返している人の戸籍を集めているのですが
 
死亡時の戸籍 (コンピュータ化後
改製原戸籍 

転籍していたので除籍謄本

さらに転籍がわかり県外に従前戸籍請求予定

何度転籍しているのか、出生時の本籍がどこだったのかわかりません
役所に出生からの戸籍がそこにあるか調べて欲しいときなんと手紙をかけばよいでしょうか?

958 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 22:00:57.89 .net
>>957 そのまま素直に問い合わせれば?
全ての転籍の履歴が現戸籍に書かれてる気がするけど、そうで無ければ転籍前の戸籍を聞いて辿っていくしかないね。

959 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 22:14:30.96 .net
>>958
ありがとうございます

>全ての転籍の履歴が現戸籍
そうなんですか?
コンピュータ化後の横書きの戸籍謄本には全然書いてなかったです
従前戸籍も書いてなかった

960 :日本@名無史さん:2022/04/18(月) 23:42:06.60 .net
なんとか村から転籍、と記載があればそのなんとか村の今の役所に請求、というふうに辿っていくしかないのでは?

961 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 00:55:30.44 .net
家の父方の祖母は、自分は臨済宗南禅寺派の寺の娘なのに、父方の家の浄土宗知恩院に死後入った。

962 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 05:12:41 .net
>>957 >>959
全ての転籍履歴は書いていないよ
出生地は書いてあるから推測が可能な場合もあるけど、本籍地とは限らないので絶対ではない

手紙で問い合わせる意味は余りないと思う
請求権者であることの確認ができなければ通常答えてくれないし、確認書類を送るならそのまま請求した方が早い

中間を飛ばして出生時の戸籍が欲しいということかも知れないけど、
出生地の役所としてもそこに繋がる戸籍を示さなければ開示できない

尚、何らかの理由で二つ以上前の本籍地が書かれている場合は飛ばして請求できることもある
例えば、一旦他の家の戸籍に入籍したが離婚や離縁をして復籍した場合、その間の戸籍は飛ばせる

963 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 06:01:36.15 .net
>>956
その二人の女性は寺に入って死んだんじゃないかな。
昔は死期が近づくと寺に入って、そこで死ぬという形で身の始末をする人がけっこういた。
今のホスピスみたいな面もあったんだろうが、家族に迷惑をかけたくないとか、身寄りがない
とか、いろんな事情があったんだろう。純粋な信仰心からそうする人もいただろう。
寺で死ねば経をあげてもらい、それが葬式ということになる。頼めば戒名もつけてもらえた
はずである。その後骨になって引き取られていくんだろう。

死ぬための参籠を受け入れている寺があって、紫式部は石山寺のそういう僧坊で源氏物語を
書いたと言われている。
参籠というのは普通は広い一室に雑魚寝なんだが、個室もあったのだろう。
そういう寺で死ぬときには、阿弥陀仏の指に糸を結んで自分の部屋まで引いてくれ、
その糸にすがりながら往生するんだそうだ。
赤穂浪士の妻だか母親だか、浪士切腹後に残されて、寺に入って死んだ人が二人ぐらいいる
はずである。そんな話を読んだことがある。

南極探検の白瀬矗という軍人がいるが、あの人の妻も寺に入って死んだそうだ。
白瀬隊長が南極探検から帰ってきたら、寄付金を納めた貯金がなくなっていた。
貯金をあずかった後援会の誰かが引き出してしまったらしい。
それで隊員の給料を自分が立て替え、その借金を返すのにほとんど終生を費やした。
そもそも白瀬という人は軍に対する不満を新聞に投書して予備役に回された人だった。
予備役は暇なので南極探検などということもできたのだが、給料はすずめの涙である。
若いときからそういう状態で、しかも借金を背負ったのだから、赤貧洗うがごとき生活だった。
白瀬本人は昭和21年に85歳で死んだ。晩年は軍人恩給で暮らしていたが、敗戦後軍人の
恩給は切られた。それで生きていく気力を失ったのかも知れない。
次女の間借り先の部屋で死んだ。葬儀の祭壇は蜜柑箱で、その上にかぼちゃが二つ、
茄子がいくつか、うどんの乾麺が一束乗っていたという。
妻の「やす」という人は昭和26年に亡くなった。
病気になり、寺に入って死んだのだという。本人がそうすると言って聞かなかった。
愛知県の今の豊田市のあたりらしい。
その頃までは往生のための寺も存在したということになる。

964 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 07:19:43.00 .net
曹洞宗の寺ではない理由の話をしているんだがな

965 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 08:47:12.22 .net
曹洞宗なのに真宗の戒名がついている理由だろw

966 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 13:59:14 .net
長文はやめて欲しいな

967 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 19:11:30.40 .net
都内に引っ越してきた家庭ならよくあるだろ
うちの母なんて都内に住んでたから縁もない父方の田舎の墓に入るのは嫌だと言って、自分の実家の墓に入ってるし。

968 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 19:38:17.43 .net
>>966
>長文はやめて欲しいな

無駄な書き込みするなボケ

>>967
よその墓に入ったなら墓石に戒名刻まれてないだろ
>>956 見ると
>先祖の墓に刻まれた戒名見ていると
と書いてある。

969 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 19:54:48 .net
戒名刻まれてるよ…実家だし

970 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 20:00:23.01 .net
>>969
だから実家の墓に刻まれてるんだろ・・・実家だし

971 :日本@名無史さん:2022/04/20(水) 23:35:43.66 .net
>>959
待った
全ての転籍履歴なんて勿論書いていないが、従前戸籍もないということはあり得ない
それは見逃しているだけだろう

972 :日本@名無史さん:2022/04/21(木) 05:51:18.60 .net
>>967
お前のお母さんは夫の田舎の家の墓に入るのなんか嫌だと言って自分の実家の墓に入ったんだろ。
だったら夫の家の墓に戒名が刻んであるわけがなかろうが。
お骨入れてないのに戒名だけ刻むなんてありえない。

973 :日本@名無史さん:2022/04/21(木) 10:22:56.19 .net
>>971
マイナンバーカードでコンビニでとれる「戸籍全部事項証明」のほうには書いてなかったんです
戸籍事項のとこにも身分事項のとこにも
あと親が離婚してるけど離婚や婚姻のことも載ってなかったです
でも「原戸籍」のほうを見たら従前の戸籍も婚姻離婚も載ってました

974 :日本@名無史さん:2022/04/22(金) 23:06:47.07 .net
真宗の戒名は 男なら 釋○○  女なら 釋尼○○

なお、真宗では戒名とはいわず「法名」というんだそうだ。

戒名というのは、戒律を守って修行を行いますという誓いを立てて授かる名前。
出家するときに師匠である僧(導師という)につけてもらう。
この出家の儀式と戒名をつけるという行為を、死んだ人の供養に転用したのが葬式なのだ。

浄土真宗では戒律はない。
戒律など守れない弱い人間でも阿弥陀様は救って下さる。
人間は阿弥陀様を信じておすがりすればよい。それだけで成仏できる。
そういう教義だから真宗には戒律はない。
戒律は無いから戒名も無いのである。
法名とは、親鸞上人の教えに随い阿弥陀信仰を持って生活する人、を表す名前である。
だから法名は死後に与えられるものではなく、生きている間に授かるものである。
北陸などでは子供のときに入信の儀式があり、その時点で法名が与えられた。
おかみそり(帰敬式)という儀式であるが、一部だけ髪を剃ったり切ったりした。
今は剃刀を当てるだけのことも多いらしい。
生きて間に法名を授かっていなかった人は葬式のときに地元の僧侶から法名を
つけてもらうことになる。
築地本願寺 帰敬式(ききょうしき)の宣伝
https://www.youtube.com/watch?v=HdS6jFnwAog
やたら法名は生きてる間にいただくもの、と強調している。

上記、死ぬために真宗寺院に参籠する人は、(その時に法名がなければ)お寺に入る段階で
法名を貰うらしい。生きている間にもらうのが原則だからである。

975 :日本@名無史さん:2022/04/22(金) 23:41:33.95 .net
婚姻の件は、改製前に離婚していたのならば通常書かれない

従前戸籍の件も、改製前に筆頭者が死亡していたならばその人に関しては書かれないことが多い
それ以外の人に関しては書かれることも書かれないこともあるようである
以上のどれも、規定では「省略することができる」となっているので理論上はどちらも可能

976 :日本@名無史さん:2022/04/22(金) 23:51:19.67 .net
>>973
ということで改製の場合に従前戸籍が書かれないことはあり得る
訂正してお詫びします

977 :日本@名無史さん:2022/04/23(土) 07:16:05.18 .net
俺の経験では戸籍にどの項目を表示するかは、かなり係の人間の考え方が反映する。
通り一遍の憲法教育でプライバシーだの人権だの教え込まれ、情報を出さないのが
正しいと誤解してしまっている公務員がいる。
そういう奴は最低限必要な事項以外は出さない。
戸籍謄本なのに戸籍抄本と変わらないようなものまである。
俺は女房に頼まれて戸籍謄本を取りに行ったら、俺だけが載っており女房の方は
真っ白の謄本を渡されたことがある。
文句言ってやり直させたが。
コンビニで取れるような謄本だとほとんど何も載ってないんじゃないか。
こういう場合、戸籍の窓口まで行って、こうこうこういう用件だからこの項目はちゃんと
表示してくれと言わないとダメだろう。

978 :日本@名無史さん:2022/04/23(土) 08:15:22.16 .net
真宗の戒名は 男なら 釋○○  女なら 釋尼○○
なお、真宗では戒名とはいわず「法名」というんだそうだ。

戒名というのは、戒律を守って修行を行いますという誓いを立てて授かる名前。
出家するときに師匠である僧(導師という)につけてもらう。
この出家の儀式と戒名をつけるという行為を、死んだ人の供養に転用したのが葬式なのだ。

浄土真宗では戒律はない。
戒律など守れない弱い人間でも阿弥陀様は救って下さる。
人間は阿弥陀様を信じておすがりすればよい。それだけで成仏できる。
そういう教義だから真宗には戒律はない。
戒律は無いから戒名も無いのである。
法名とは、親鸞上人の教えに随い阿弥陀信仰を持って生活する人、を表す名前である。
だから法名は死後に与えられるものではなく、生きている間に授かるものである。
北陸などでは子供のときに入信の儀式があり、その時点で法名が与えられた。
おかみそり(帰敬式)という儀式であるが、一部だけ髪を剃ったり切ったりした。
今は剃刀を当てるだけのことも多いらしい。
生きて間に法名を授かっていなかった人は葬式のときに地元の僧侶から法名を
つけてもらうことになる。
築地本願寺 帰敬式(ききょうしき)の宣伝
https://www.youtube.com/watch?v=HdS6jFnwAog

上記、死ぬために真宗寺院に参籠する人は、(その時に法名がなければ)お寺に入る段階で
法名を貰うらしい。生きている間にもらうのが原則だからである。

979 :日本@名無史さん:2022/04/24(日) 01:55:23.02 .net
>>977
原本には書いてあるのに、それを省略して謄本だの全部事項証明だの言っているということ?
それは流石に違法なのでは
それとも指摘されてから原本に書き加えたか?

980 :日本@名無史さん:2022/04/24(日) 06:55:14.42 .net
戸籍簿の原本を書き換えちゃうのかよwww

981 :日本@名無史さん:2022/04/24(日) 15:47:27.22 .net
だから後北条は多摩川沿いの新田開発に注力したのでは?

982 :日本@名無史さん:2022/04/24(日) 16:04:50.08 .net
新田開発する人ってどこから募集するものなんだろうな
先祖は江戸時代に開発された富山のある村出身なんだがその村に移住する前はどこにいたのか分からない
郷土資料読んだら大阪や山形など全国から集まってきてたみたい
付近には先祖と同じ名字の家が数件くらいあるんだが小さい村だし恐らく同族。言い伝えがないか聞いてみたいが高祖父の代に北海道に移住したから今は他人同然で怪しまれるだろうし難しい
村落の寺も廃寺になってて荒れてたし原戸籍も残ってないと言われたしもうこれ以上は無理か

983 :日本@名無史さん:2022/04/24(日) 16:08:37.52 .net
>>982
>郷土資料読んだら大阪や山形など全国から集まってきてたみたい

その村の村民が全国から集まってきた者で構成されていたって意味ね
代々富山だと思ってた先祖が実は他府県から移住してきたとかだったら面白いのにそれを知れないのがもどかしい

984 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 07:30:29.02 .net
新田開発というのは、はじめから新田を作り出すことだけを目的として行われることは少ない。
たいがいは河川の改修とか開削事業が先にある。
河川工事が完了すると、今度は周辺での開拓が始まるわけだ。
例えば利根川の河床付け替え工事では、利根川が今のように銚子の方面に流れるようになった後、
それまで大湿地帯だった羽生から五霞町、関宿や野田などの流域が開発されていった。
その後、利根川の関宿・境町のあたりからさらに江戸川が開削されると、今度は江戸川流域の
開拓がはじまる。
幸手や粕壁(春日部)、流山などに新田が作られていくわけだ。

河川工事にはたくさんの人足が集まる。その人足は遠くからやってきた人足稼ぎの渡世人が多い。
その他に現場周辺の農家の二男や三男なども日傭稼ぎに出てくるが、数はそれほどでもない。
河川工事の主体は、工事の規模が大きいほど人足たちが中心になる。
飯場(はんば)を作って集団で管理しながら働かせるわけだ。
大人数の動員は都会の方が便利だから、人足は都市で集められて送り込まれることが多かった
のではないか。
周辺の新田開発となると今度は逆になる。
大部分は周辺の農民である。
開拓は江戸の大商人が金を出し、入植者たちが組合をつくって行う。
周辺の農村の二男三男の方がまとまりもよく、新しく村を作るには適しているに決まっている。
そもそも開拓に入るには数年の無収入を覚悟しなければならず、ある程度の資金力が必要だった。
しかしよそから来た人足でも働きぶりのよい者もいたのだろう。
流しの渡世人もいないことはなかった。

985 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 07:31:56.38 .net
一例をあげよう。
利根川の河川工事が進むと、下流の方でも附属工事などが行われるようになった。
新利根川の開削工事などがそうである。
茨城県の取手のさらに下流、今の利根町や河内町のあたりである。
今は広大な水田の広がる農村地帯であるが、昔は高台の布川のあたりに人が住み、
傾斜地の棚田を耕している程度であった。
そこから東は一面の葦原であった。
人間の手が入るなど考えることすら出来ない土地であった。
そういう場所に川を通し、土手を築き、水を霞ヶ浦に落として両岸の土地を干し上げ、
芦を刈り、根を掘り上げ、土を運び入れ、水田にしたのである。
川を開鑿し水田を拓いたのはどのような人たちだったのか。
興味深いことに、地名からそれが分かるのである。

新利根川に接する地区は両岸にそれぞれ二つづつある。
集落側(南岸)に手栗新田、庄布川新田。対岸に羽子騎新田、古河林新田である。
変わった地名だが、どうしてこのような地名になったのか。
まず、手栗は幸手・栗橋を合わせた地名。(こうした地名を合成地名という)。
栗橋はかつて日光街道の宿場町で、日光街道を来た旅人たちが舟で利根川を渡る
渡し場のある町だった。関所もあった。栗橋関は日光街道唯一の関で、日本三大関所
の一つである。
もちろん利根川が東遷するまではここに利根川は無いのだから、渡し場や関所が
できたのは東遷工事後のことである。
利根川を渡る渡し場(房川渡、ぼうせんわたし)が設けられたのと関所が設置されたのは
同時である。

986 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 07:32:41.10 .net
庄布川(しょうぶがわ)は、下総国葛飾郡にあった庄内藩領の庄の字と、
布河(布川、現利根町)をくっつけたもの。
下総国葛飾郡庄内藩領は江戸川右岸の43ヶ村であった。
後の北葛飾郡庄和町を中心とする地域。
江戸時代には地名として「ショーナイ」と呼ばれていたようである。
下総であるから本来は千葉県のはずだが、明治八年に千葉県から埼玉県に移管された。
庄内町は現在春日部市の一部となっている。
春日部市の東端、野田市に隣接する地域である。
幸手市の南、野田市の関宿も近い。

羽子騎(はねき)は現在埼玉県の羽生市の羽の字に子(ね)をつけて
羽子(はね)と読ませた上、騎西の騎をつけたものである。
「羽騎」ではどう読むのか分からないから、後から「子」の字を入れたのだろう。
騎西町は現在は加須市の一部で、羽生市の南側にある。
古河林(こがばやし)は、茨城県古河と群馬県館林の林をくっつけたものである。

要するに、現在の地名で言うと、埼玉の幸手・栗橋という同一地域から来た農民たちが
拓いたのが手栗新田。
北葛飾郡庄和町と地元の布川の農民たちが拓いたのが庄布川新田。
埼玉の羽生市と騎西町という同一地域から来た農民が拓いたのが羽子騎新田。
茨城県古河と群馬県館林という同一地域から来た農民たちが拓いたのが
古河林新田である。

987 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 07:33:42.91 .net
総括。新田開発というのは河川の工事が終わった後に、川の周辺の付随的工事として
行われるもので、入植者はほとんどは地元の農民である。
現在の感覚だと、埼玉の幸手だの羽生だのといったところと茨城の利根町河内町というのは
かなり離れているように思える。
しかし、川船という水運を使えばおそらく一時間ぐらいのものだったろう。
おそらく、利根町・河内町が今の埼玉の村民を主体として開かれたのは、以下の理由による。
上流の羽生や関宿方面で長年河川工事や新田開発が行われたことで、工事に慣れきった村人が
多くなった。しかし彼らのすべてが自分の田を持てるようになるわけではない。
そこで、河川工事があればすかさず参加し、後の入植要員に選んでもらえるよう努力したのだろう。
上流部での開拓の勢いが下流に波及したということである。

988 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 17:06:08.72 .net
流石にここまでの長文は読みたくないな、 元ネタのURL を貼れば済む話でしょ、

989 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 21:14:28.18 .net
大徳鍋子新田を

990 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 21:15:04.08 .net
説明してほしい。

991 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 21:30:33.21 .net
>>988
どこかネット上に元ネタがあると思ってるんだw
高卒は気楽だな

992 :日本@名無史さん:2022/04/25(月) 23:08:48.10 .net
文章は中卒だな

993 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 05:23:19.43 .net
長文だからというだけで読み辛いわけではない
文章が下手だから読み辛いのだ
要約能力がなく話題に関係ない無駄なことまで長々と書く癖は直さないといけない
間違いだらけで指摘されても直さないのは特に悪い
間違いを強引に押し通そうとするのは学問ではない

994 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 06:08:40 .net
>>992
お前は言ってることがおかしい。文章は元ネタそのままかも知れんぞw
早く元ネタ出してみろボケ

そもそもお前の長文イヤンの書き込みでどんだけスレを消費してんだ?
お前だけだぞ、こんなこと書き込んでんのは
学校行ってないからまとまった文章が読めないんだよ
てめえが書き込むときは一本指打法で一行だろw どうしようもないな
5ちゃんは卒業しろ。
早いとこご先祖様のところに行った方がいいんじゃないか

995 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 06:31:15.60 .net
>>993
お前こそズレてる。
俺が書いたことは >>982 の質問にピッタリじゃないか
お前はそれに一行も加えることができず、揚げ足をとろうにも
とるだけの知識がない。
それで苦し紛れに文章が下手だとか要約能力がどうしたとか
糞みたいな悪口を書くしかなくなるわけだ。

内容的に反駁できなければ駄目だよ

学校へ行けなかったのは親のせいか?
それでも優秀なら道はあったはずだ。
結局アタマが人並みじゃなかったってことだよ
親と先祖を怨むしかないな。俺に当たるな

996 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 06:31:31.73 .net
>>982 のレスを補足
江戸時代の農家の二三男というのは外に働きにでるか、家に残って作男みたいになるか、
そういった選択肢しか無かった。
だから開拓→自作農になるチャンスがあればそれに飛びつくに決まっている。
目の前に開拓予定地があって、そこに開拓民として入植できるとなれば、むざむざ他人に
渡そうとは思わないだろう。
領主の側としても、河川工事に来た流れ者や渡世人の土方なんぞに土地を与える理由はない。
元々の領民に開拓させた方がいいに決まっている。
だから開拓するのは地元の住民だ。
地元といっても、水運による移動があるのでやや遠隔の村から来ることもあろうが、さほど
遠いところからは来ない。
また入植は団体で行う。開拓が成功すればそのまま村になる。
だからもともと気心が知れ合った仲間で開拓地jに入るのだ。
遠い大阪から来た人足を入植させるなど、この意味からもあり得ない。
入植して米が作れるようになると、三年ぐらいは作り取り(年貢無し)などの特権があったようだ。
それならそっちの方がいいやというので、地元の村が村ごと開拓地の方に移住してしまったと
いう例まであったらしい。
ということで、あなたのご先祖は遠いところから来た人ではないと思う。

997 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 12:08:16 .net
「戸主」が出てくる大正の戸籍とったが書かれてる字がぐちゃぐちゃでわからないよ!
生年月日とか住所がよめねえ

998 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 12:54:31.61 .net
だからパソコン入力時に間違いが多かったんだよ。

999 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 16:02:05.17 .net
役場の係の人間の質によるんだろうな。
うちの戸籍は明治初めから始まり戸主も書かれているが、戦後苗字は当用漢字にしないといけないと言う話になって、旧字から当用漢字に変更した。
取り寄せた戸籍は全て当用漢字版になってたから戦後書き直されたものと思われる。

1000 :日本@名無史さん:2022/04/26(火) 16:30:30.06 .net
文政8年(1825年)生まれの高祖父までは生年月日がわかるが、その上の高曽祖父の生年月日は書かれていない。1700年代後半か1800年代初めだろうけど。

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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