2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3

688 :日本@名無史さん:2023/07/16(日) 11:13:53.90 ID:eqVOWGeOC
>>619
>古代中国において、倭人とは特定の部族や国民を示すのではなく、
>沿岸の水上生活者全般のことを倭人と呼んでいたのではないか。

後漢書 烏桓鮮卑列伝 檀石槐伝
『種?日多 田畜射獵不足給食 檀石槐乃自徇行 見烏侯秦水廣從數百里 水停不流 其中有魚 不能得之
 聞倭人善網捕 於是東?倭人國 得千餘家 徙置秦水上 令捕魚以助糧食』

鮮卑の大人である檀石槐(137-181)が、鮮卑の人口が急激に増えたので、農耕・牧畜・狩猟では食料が不足し、
烏侯秦水(北京の北東の川)の魚を捕まえようとしたが上手くいかなかった。
「倭人」が網で上手に魚を捕らえると聞いて、
「倭人國」を東撃して「千余家」を捕まえて、彼らを「烏侯秦水の上」に置いて、
魚を捕らせて食糧供給の助けとした。

倭人を北部九州倭国の人々と解釈すると、遥か大陸奥地の鮮卑との関係など意味不明になりますが、
古代漢語においては、倭人=水上生活者であったと考えれば、

版図を広げて栄えた檀石槐鮮卑が、
渤海湾の水上生活者倭人の小国があったのに目をつけて、
これを攻めて千余「家」の家船生活者を捕獲して、
烏侯秦水の上、つまり「烏侯秦水の水上生活者」として移住させて、魚取りに従事させた、
ということで意味が通じますね。

>>687
坩堝の両腕はもっと細長くて、先端に紐を結んで水でも掛けながら作業していた、
と考えていましたが、
双方中円墳の形状だと、紐ではなく、
江辻型青銅器工房の土壙炉両側の柱穴に、石柱か土器柱を立てて、
その上面に窪み・溝をつけてあって、
そこに双方中円墳型坩堝の両腕を嵌め載せたわけですね。
たしかにその方が耐熱性にも安定性にも優れていますね。

総レス数 719
533 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200