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崇神天皇と畿内「ヤマト」成立説

31 :日本@名無史さん:2023/02/25(土) 23:53:19.22 .net
崇神天皇(ミマキイリヒコ)でよく議論されるのが名の中にある「ミマキ」「イリ」の意味
崇神の皇后がミマキヒメだから崇神は入婿婚を行っており、垂仁天皇以降にはイリは名付けられないからここから男系相続が始まったというものだ

名前だけで解釈するのだから少々弱々しい説なんだけどこの説もヤマト王権成立に関しては符号する点がある

仮説として四道将軍は狗邪韓国からの元邪馬台国由来の物部一族とみているから、ミマキヒメの父であるオオヒコはその筆頭であり大王家との入婿婚によって天皇家の外戚となることで権威を増した構図が浮かんでくる

さらにミマキ姫のミマキが後の任那になったと古志にもあるから
状況的にも合点する
さらにオオヒコを中心とする四道将軍たちが遠征した丹波、北陸、山城、吉備、関東はいずれも初期前方後円墳の地でもある

そして何故オオヒコは天皇ではなかったかという点
当然外戚であるからなのだが、
それならば逆に入婿を続けても打倒されずに存続する天皇家の血筋とは思っている以上に尊ばれていたものの可能性を感じる
(これは天皇礼讃を言いたいわけじゃない)

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