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崇神天皇と畿内「ヤマト」成立説

34 :日本@名無史さん:2023/02/26(日) 06:35:23.23 .net
四道将軍の各系譜の信憑性は非常に怪しいと言わざるを得ない

吉備津彦や百襲媛命は祖父の世代だし、親世代の開化天皇の事績に比べて大彦の活躍が大きすぎてそれでも反逆が起こらないし
丹波道主命は甥っ子なのにさらにその娘の日葉酢媛と垂仁が結婚するというのは外戚関係を得るという意味でも不可解だ
この時代の記紀の系譜は全く当てにならないと思う

この辺りの不明さと比較して四道将軍の事績はあまりに輝いていてその後の一族も活躍するし考古学的にも派遣地と発掘品が一致する

更に言うと四道将軍は牛馬持ち込みの始祖であった可能性もある
これは結構なトンデモになるが

崇神であるミマキイリヒコが入婿を指してないとしたらミマキは牛馬導入を指しているかもしれない
マキを「牧」とするとそういう連想も浮かぶ

四道将軍が牛馬をもたらしそれを利用して各地を平定したとしたらそれこそ彼らの存在とは大陸から来た一族である可能性を増す
ただしそうだとすると3世紀の古墳内部に必ず馬関連の遺物があったと思うのだが未だそこに確信を得る成果がないのがもどかしいところだ

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