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崇神天皇と畿内「ヤマト」成立説

38 :日本@名無史さん:2023/03/03(金) 00:19:33.96 .net
富雄丸山古墳
生駒のふもと、奈良盆地の北西
この古墳の東3キロ程に同時代の垂仁天皇陵があることに関連しているかもしれない

大型円墳の造り出しから出土した蛇行剣と縦型鏡
どちらも隼人系の武具と類似しているが、ここまで立派なものは唯一無二だ
そのため九州由来の武人でかなり財を成した人物であることが想定される

このあたりは南の生駒西麓や纒向遺跡などから出土する庄内式、布留式土器の発掘が少ない地域
これは移住民定住による技術伝播の土地ではなく天孫や出雲系貴族による直轄地を表しているのではないだろうか

土地名である「トミ」からしても、元はトミナガスネヒコの直轄地であり奈良盆地を俯瞰する好立地でヤマト王権成立期に皇族の土地として確立されていた可能性がある

総合して推察すると
皇族などの高位な人物が円墳に葬られ、それを守護しつつ自らの存在を誇示するような、婿入した九州隼人をルーツに持つ将軍クラスの男性
このようなイメージ

これに当てはまる人物像が3世紀から4世紀の記紀にいるのかと考えるとかなり難しいのだが、
九州征伐を行った垂仁の息子の景行天皇が九州行幸で得た女王が円墳に葬られ、その側近又は息子であった隼人由来の将軍クラス(ヤマトタケルのモデルなど)が造り出しに葬られた可能性などを感じる

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