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崇神天皇と畿内「ヤマト」成立説
- 58 :日本@名無史さん:2023/03/18(土) 21:31:19.17 .net
- 畿内において、物部氏の祖である饒速日に仕えていたという長髄彦は、出雲の事代主の末裔、つまり大国主の末裔である登美家の頭領であった。
筑紫が出雲を下したことにより両者の関係は固定化され、子々孫々の代になって畿内においても主従関係は維持されていたということになる。
四道将軍をわざわざ派遣する理由にはならないだろう。
まして陸奥は出雲との縁も深いとは言えないし。
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