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ラジオな音ですみません

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 06:10:31.05 ID:dDxmbxB8.net
問答無用の名盤なのに。。。音が悪い!
そんなラジオな音と奮闘している人。
励まし合っていきましょう。

例)
フルトヴェングラーのライブ盤
チャーリー・パーカーの初期録音
エルヴィスの初期録音
戦前のデルタ・ブルース

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 06:31:47.38 ID:dDxmbxB8.net
ちなみに最近買ったCD。

三木鶏郎 NHK日曜娯楽版(1951〜54)
ソニーのG型テープレコーダー(第1号機!)で録音したアーカイヴ。
基本的にはコミックソングだが、痛烈な皮肉で番組終了。

フルトヴェングラーの指輪(1953 RAI盤)
ローマでやってたバイロイト裏番組。物語の理解を深めるべく
里中満智子のマンガと一緒に購入。

美空ひばり 青春アワー(1958)
TBSラジオの歌番組。芸能10周年の実況録音を含む。

キング・コール・トリオ ラジオ・トランスクリプション(1938〜40)
NBCのラジオ番組に出演してた頃のアセテート盤復刻。
米デッカの復刻よりはましかな。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 06:42:16.60 ID:dDxmbxB8.net
再生装置の問題はずっとつきまとっていて
オリジナル盤、ビンテージ機器を買い揃える金もないのに
かれこれ30年以上奮闘している。

現在はジェンセンのギターアンプ用フルレンジを元手に
CD再生用システムを構築してようやく形になってきた。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 06:55:37.33 ID:dDxmbxB8.net
ジェンセンのギターアンプ用ユニットの復刻版は
もともと1947年に開発されたシリーズで、そのときは汎用のトランスデューサー。
電蓄、ラジオ、テレビのスピーカー入れ替えに有効と宣伝していた。
ttps://www.jensentone.com/vintage_alnico
ttp://www.hifilit.com/Jensen/1955-1.jpg
ttp://www.alliedcatalogs.com/html/1947-112/hr100.html
ジュークボックスの修理屋が、これこそ代替ユニットの定番と言ってたので
音もろくに聴かずに購入してモノラル再生。実に安くて良い。
今は1インチドライバーを付けて、汎用性が増した。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 07:09:33.34 ID:dDxmbxB8.net
CECのCDプレイヤーからデノンのプリメインアンプの間には
ヤマハの簡易ミキサー、UTCのマイク用トランス、ベリンガーのチャンデバと
音調を整えるトラップを仕掛けている。
ttp://quwa.fc2web.com/monoralsystem15.jpg
ステレオアンプはモノラルスピーカーのマルチアンプに流用。
真空管のデバイスは、EL84プッシュ、45シングル、色々試してみたけど
音が日に日に変わるので、付けたり外したりの繰り返し。
ある音調が気に入ったら、それをソリッドステートで追認して安定化。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 07:15:37.82 ID:dDxmbxB8.net
スピーカーの遍歴は、ヤマハのテンモニからスタートして
英パイのマグネチックスピーカー、JBL D130+Altec 802C+511B
英ステントリアンJr、エレボイ SP8Bなどなど、色々試して
現在はジェンセンに落ち着いてる。モノラル再生は終わりのない旅。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 07:31:10.81 ID:dDxmbxB8.net
ジェンセンに落ち着くというのは、モノラルで問題になる
SP盤とLP盤との規格が切れ変わる1947年問題に対処できること。

1950年代に旧規格50〜8,000Hzから新規格50〜15,000Hzに変わったが
クラシックやジャズは、もともと音楽が長尺なのですぐに移行した。
そのため、ビンテージ機器のハイファイ再生のノウハウがそのまま使える。
モノラル名盤というと、この頃の録音を指す。

ところが、ロカビリー、流行歌の類は、AMラジオ放送が主流なので
1960年代前半までこの問題を引きずっている。
ドイツでのクラシック放送用録音も、旧式のマグネトフォンの規格のまま。
モノラルの優秀録音は、時代のなかでも氷山の一角、
草の根のレベルまで探索すると、モノラルはラジオ音が主役になる。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 07:50:33.88 ID:dDxmbxB8.net
この草の根のラジオ音声というのがやっかいで
音楽的な「事件」はいつもラジオのような音で収録されている。

例えば、ベニー・グッドマンの1938年カーネギー・ホール・ジャズ・コンサート。
スウィングジャズをアメリカの文化として認知させた、記録として聴くべきものだが
放送録音のメソッドに沿って、低域を切って中域を際立たせると
テレビ中継のような音質までは追いつける。

戦前の1937〜40年頃のメンゲルベルク、トスカニーニ、フルトヴェングラーなども
同じようなキリっとした音に整えると、実況的なドキュメンタリーに変わる。
SP録音はフルオーケストラではやらないが、ラジオ実況は可能だった。

ビートルズのBBC音源、ディランのロンドン公演、ベルベットの解散ライブ
1960年代に入っても事件はいつもラジオ品質で残される。

100〜6,000HzのAMラジオ品質でも、帯域内をきっちり再生すれば
大きな音で部屋中を満たしても、素晴らしい音楽として楽しめる。
歴史的な事件に立ち会えたと実感したときの喜びは、何事にも代えがたい。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 18:57:18.85 ID:dDxmbxB8.net
今聴けるAMラジオの音は200〜4,000Hz
ヘタすると高域は3,000Hzからロールオフする。
8kHzのバンド幅で混信を避けるために
早めにフィルターでカットして、ノイズを軽減する。
蛍光灯はおろか、デジタル家電など
サージ電流をばら撒く電子機器はそこかしこにあり
AMラジオの音質も落ちる一方である。
このため、AMラジオの規格そのものへの偏見がやまない。

もうひとつの問題は、今のオーディオ機器には
倍音=歪み成分が少なく、音の輝き、パンチ力が全く出ない。
ラジオ音域で見落としがちなのが、この倍音成分で
レコード針の針鳴き、真空管の共鳴、トランスのリンギング
スピーカーの分割振動と、音に味付けが加わる要素が
かつては沢山あった。それでナローレンジのバランスが取れてた。
入ってる信号が2kHzでも、その2倍音、3倍音と累加する。

だから、漠然と周波数レンジが狭ければラジオ風なのではなく
周波数レンジが狭いのに、全体に力のみなぎるサウンドである。

10 :一方通行 ◆.RAMsEHKDA :2017/01/06(金) 20:54:15.01 ID:JcA7hJmU.net
車の運転中のマスメディアはAMラジオで十分。
長年ラジオの音質に慣れているため、音楽鑑賞はMP3で十分になっている。
別にハイレゾにこだわらなくてもいいじゃん。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/06(金) 23:02:10.56 ID:dDxmbxB8.net
モノラル音源をMP3に落とすと、高域の余計なノイズが減って聴きやすくなる半面
キレのある音が出しにくくなる。別にジャズばかりではなく、流行歌やブルースでも
歌の臨場感というか、迫ってくる感じが希薄になる。レンジは狭いんだけどね。
1950年代のラジオ音源は、ラジオという言葉だけで損をしやすい気がする。
30cm、38cmのフィックスドエッジで支えると、ドカンと来るのがあまり知られてない。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 08:08:54.31 ID:ggSZ2H7U.net
フルヴェンの指輪(1953、ローマ放送)の再生はイマイチだったけど
美空ひばりの青春アワー(1958、TBS)は本当に良かった。
上品なラジオ〜トーキーの音で、レンジは8kHzくらいまでだけど
ボーカル域にいっぱい歪み成分があって、ベルベットのような光沢がある。

個人的には、ヤマハのエフェクターに付いてる「ラジオボイス」というのが好きで
800Hzあたりをマルッと切り取った音を混ぜ合わせると
ボーカルにピントを絞ったあと、同心円状にピンボケが広がるバランスになる。

エフェクター〜アンプ〜スピーカーのトータルの特性を測ると以下通り。

「ラジオボイス」フィルター100%の特性:ボーカルだけの電話なみの音
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-26140.png

フィルター70%、元音30%の特性:これでトーキー風の特性
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-2258.png
これのパルス応答(実音より大きいけど、最初の出音だけ)
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-2598.png

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 08:26:05.59 ID:+m/Q3s/A.net
爺さんの朝は早い

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 11:15:25.77 ID:ggSZ2H7U.net
ついでに高域も聞こえにくくなって、ラジオの音が耳になじむ、とくりゃ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 14:35:38.01 ID:0FV6lWjk.net
”ディラン”の人ですか。ガンガン行ってください!

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 16:13:58.81 ID:ggSZ2H7U.net
ちょっと変わった本で「再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし」ろいうのがあって
千葉県松戸市が造った団地まるごと博物館のパンフレットのような本。
そこの内容が面白くて、洗濯機、冷蔵庫、テレビと買い揃えていくワクワク感というか
時代が少しずつ上向いていくときの高揚感が、モノの歴史で浮き上がってくる。

2DKという小さな生活空間で、当時としてはモダンな生活を志向した「ダンチ族」。
当時としてはテレビのほうが必需品で、洗濯機、冷蔵庫は贅沢品というのが面白い。
夕飯の支度、衣類の手洗いは、節約できるが、テレビは他に代りがない。
さらに嗜好品が、ステレオセット。アンサンブル型という一体型コンポだが
ジャズが好きな旦那が一部屋占領してたらしい。2DKのなかで一番の贅沢だ。

今だと、例えば無印良品が、こういう団地暮らしのリノベ^ーションをしているが
片や清楚でシンプルと思っていて、この時代の慎ましい贅沢感との差がみえる。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 16:28:06.40 ID:ggSZ2H7U.net
私たちがラジオ的な音響の原風景とイメージするものも
2DKのなかの慎ましい贅沢というのが精々で
それ以上の贅沢な仕様はふさわしくないと思ってしまう。
ここでは、20cmウーハー+コーンツイーターが最高点で
それ以上の装置は、音源そのものを選別しないと
バチがあたるというもの。針先の摩耗だってあるんだから。

ところが、この大衆的でどこにでもある音響=AMラジオ規格は
ちゃんと調整して突き詰めると、バランスよい上品な音で鳴りだす。
清貧のオーディオではない、昔日の演奏を生き生きと鳴らすために
最適なスペックと十分なコストを掛けることが重要だと思うのだ。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 16:56:28.45 ID:ggSZ2H7U.net
オーディオ批評家が出会った機器の物語で
岩崎千明氏のJBL D130、瀬川冬樹氏のAxiom80は
憧憬のなかにあるオーディオの音として双璧だろう。
ttp://www.audiosharing.com/people/iwasaki/houkou/hou_23_1.htm
ttp://www.audiosharing.com/people/segawa/kyokou/kyo_28_1.htm
そのどちらを見ても、ちゃんとした使い方をしていない。
それなのに、自分のサウンドというものを、堂々と語っている。
心の耳で聴いているというものかもしれない。
音楽を聴く心も備わって初めて、オーディオは一人前に語り出すのだ。

実はラジオっぽい音は、ともすると、物理的なスペックで見限りやすい。
小さなラジオでも、大きな機材を投入しても、スペックの数字は同じである。
ましてや、聴いてるソフトの音質も、元は同じものを聴いている。
しかし、D130もAxiom80も、当時としては大変高価なユニットである。
その再生能力の差は、単純なスペック表では語りつくせないのだ。
だから文系の作文で何とか伝えようとする。益々、心の音に染まっていく。
このことの悪循環が、ラジオな音の本質を見失わせるのだ。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 17:08:19.19 ID:ggSZ2H7U.net
ラジオのような公共の電波は、聴いてる音は同じものという前提があって
いわゆるアナログ盤を所有することによる優越感というものがない。
しかし、AMラジオ用音源もしくは旧規格のモノラル音声でも
スペックを絞り込んでコストを掛けると、ヘタなステレオを簡単に凌駕できる。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 17:57:11.68 ID:ggSZ2H7U.net
TBSの美空ひばり 青春アワーのCDで面白い志向だったのは
芸能10周年を振り返って、昔のヒット曲のレコードを流している番組で
それならオリジナルSPの復刻盤を聴けばいいんじゃないかと思うけど
実はリリースして10年も経たないオリジナルSPの盤質を聴けるという
二段落ちのマニアックな音源になってる。
ひばりさん自身のスピーチと比較することで
SP盤の復刻で見失いやすいトーンバランスも確認できる。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 19:04:09.96 ID:Sjo1Xk68.net
リノベーションした団地に似合うのはやっぱりコンソールステレオだよなあ。

いっそ、自作したろかと思ってます。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 19:14:24.12 ID:Bp2Myprr.net
例のモノラル礼賛の人が建てたスレか。自分のページだけでやっていればいいのに。
http://quwa.fc2web.com/Audio-1162.html#Top

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 19:32:25.24 ID:ggSZ2H7U.net
>21
コーンスピーカー、小型ビーム管までは手に入るけど
キラーアイテムのクリスタル・カートリッジが。。。
あのジャリついた音が加わらないと、洞窟の奥なんでござんす。

>22
ステレオ音源のモノラル・ミックスというのは序の口。
ぜひここも読んで修行していただければ。
ttp://quwa.fc2web.com/Audio-119.html
45ドライブ-MOS-FETアンプですよ。
これで悟りをえて、ソリッドステートで組み直したのがコレ。
ttp://quwa.fc2web.com/Audio-121.html
正月休みの宿題&マイ・ブームでございます。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 19:36:13.76 ID:dZB1tHTw.net
クラシックからロックまで30点で卒なくこなすある意味完璧なおーでお
それがラジオ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 19:56:28.65 ID:ggSZ2H7U.net
今聴いているのは、Rev, Garry Davisの1962年弾き語りライブ。
フォーク歌手のS,グロスマンが個人蔵で残してたテープによる。
ディランに貸し出したときもそうだが、おそらくアンペックスの可搬型リール。
スペック上は10kHzより少し下回る高域しか入らない。

デイビス牧師は、戦前のブルース・ゴスペルを伝承する生き証人で
ニューヨークの路頭で、ずっと歌ってたらしい。
盲目で黒人という強力なハンディキャップが
R&B、ドゥーワップなど時代の流行に埋もれることなく
ドスの効いた声を惜しげもなく披露する。

戦前のブルースのダミ声がSP盤特有の歪みと思ってるのが
大きな間違いだと判る。怒鳴って声を割ってる。
基本的にマイクの生音をほぼそのまま収録しているので
ジェンセンのようなステージPA用スピーカーのもつ
過入力時の荒くれ感がないと、小さな所作がビシッとこない。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 20:01:31.55 ID:ggSZ2H7U.net
>24
スタジオ・ハイファイ70点、放送用アーカイブ60点、個人ブートレグ50点だな。
普通のオーデイオだと、ハイファイ90点、他が20〜30点。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 20:24:22.64 ID:ggSZ2H7U.net
今のオーディオは、ステレオ音場を繊細に再生するため
エコー成分を比較的大きく再生するようにできている。
例えば、ディランのビッグピンクでの私家録音では
スプリングエコーを深くかけた、変な録音が入ってる。
おそらくアンペックスのオーデプンリールと対になるアクティブスピーカーが
それほどエコーに反応しない古いタイプのスピーカーなのが理由だ。
同じことは、古いロカビリーにも言えて
今のスピーカーだと洞窟で聴いてるようで面喰らう。
フィックスドエッジのスピーカーでタイトに支えてあげなければ芯が出てこない。
ラジオな音は、しっかり制動してないと、音楽の推進力が不足する。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 20:50:46.06 ID:ggSZ2H7U.net
制動力というと、遊びのないタイトな音だけを想像してしまうが
ただタイトなのではなく、立ち上がりのパルス音に隈取りのような
倍音とかリンギングがビシッと入るんだけど、それが尾を引かない。

こういう音は、JBLのようなアメリカン・サウンドを思い浮かべるかもしれないが
古いイギリス製のラジオも、楕円スピーカー+小型双極管でパリっとしてる。
ドイツの16〜25cmのフルレンジも、ジャーマン・サウンドと言われるカチッとした音。
日本でも、長岡鉄男が1960年代末にテレビの音がジャリジャリしていると言ってた。
それでいてアナウンサーの声は、生声と間違うほどリアルだと好意的だった。
100〜8,000Hzというラジオ音声にも、盛り上げるコツがあるようだ。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 21:19:49.65 ID:ggSZ2H7U.net
日本でラジオな音が不利だと思えるのが、戦後の技術史と絡んでいて
意外に見落としがちなのが、テレビ塔としての東京タワーの存在で
1958年にテレビでのFM音声と歌謡番組が広く家庭に知れ渡った。
その前後のオーディオ技術は、並四ラジオからステレオ盤に一気に飛んでおり
上質なモノラル再生機器を味わう時代を経験していない。

同じように敗戦したドイツでさえ、ラジオ受信機のオーディオ品質が高く
膨大なモノラルのクラシック・ライブ録音を残している。
アメリカだって貧しい人は大勢いたけど、ジュークボックスで上質なモノラルが聴けた。
日本もふたを開けてみると、良質な放送用アーカイブがあるんだけど
それを活かす音響機器が16cmフルレンジ以上で想像がつかない。
個人的には、せめてジュークボックスなみの規模で鳴らすことで
かなり印象が変わるように思っている。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 22:01:17.83 ID:ggSZ2H7U.net
ビング・クロスビーが1947〜51年頃に残したSingin' with Bingという歌番組。
アセテート盤でのアーカイブだが、自身の財団がちゃんと管理していたもの。
この手のアセテート盤も崩壊の危機にさらされていて、2004年復刻はおそらく最後だろう。

この歌番の面白さは、ビングが誘ったゲストの多彩さも魅力で
アンドリュース・シスター、ナットキング・コール、サッチモ、エラ・フィッツジェラルドなど
スタンダード・ナンバーの名歌手がゾロリと揃って、音楽を楽しむ志向。

ところが、復刻は高域にフィルターをかけたナローレンジで、なかなか手ごわい。
2kHzあたりにカリッとしたアクセントを加えると持ちなおす。
アメリカンなテイストが合うんだけど、全体はシルクのような柔らかさを保ってる。
揚げたてのドーナッツのような感じかな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/07(土) 22:13:41.28 ID:ggSZ2H7U.net
アメリカン・サウンドというと西海岸のアクの強い音を思い浮かべるけど
実際は東海岸のRCAとかエレボイのマイクで収録したものが多い。
スピーカーだと、ARとかBOSEのように低域偏重のニュアンスがあるけど
中立的なフラットな感じの音で、まさに放送にふさわしい感じ。
あとUREIという録音機器全般を製造してた会社もあって
真空管のテイストを残しながら、太い中音域を重視したサウンドだ。
よく、JBLにマッキンという組合せがあったけど
本当はマッキントッシュのような脂っこい音が本質なのかもしれない。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 00:18:14.40 ID:SMJZPU77.net
>>31
>実際は東海岸のRCAとかエレボイのマイクで収録したものが多い。

2010年頃までアメリカのリアルラジオ放送局のリアル放送が
ネットで聞き放題だったんだで良く聴いていた。

それで東海岸と西海岸だと音色に違いが確かにありましたね。

お気に入りの放送局はニューヨークのCBSラジオでした。
お天気オジさんとかメッチャくちゃニューヨーク訛りで早口で
聞き始めの頃は何を言っているかサッパリ解らなかったw

慣れたら、気分はニューヨーカー!

マンハッタンのタワービルで勤務するリーマンになりきる
妄想をした。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 00:25:04.38 ID:rAyytCEh.net
WCBSは今でも普通に聞けるけど?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 00:31:41.15 ID:SMJZPU77.net
ローカルCBSは駄目なんよ。

WCBS聴くなら沖縄のAFNの方が面白いよ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 08:18:26.13 ID:aD1p4+i3.net
今のネットラジオで聴けるAFNの音は、送信側で高域をシャリシャリにした音を
そのまま配信しているから、ちょっと聞き辛いね。曲もヒップホップ系が多いし。
昔のウルフマンジャックの頃が懐かしい。

と思って、スピーカーを古レンジだけで鳴らすと、ラジオの音に戻った。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-5841.png
30cmスピーカーのラジオは、なんというか、声がセクシーだ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 08:42:15.16 ID:aD1p4+i3.net
何がセクシーかというと、アゴの付近から出るゴリッとした胸声が
小口径だとバスレフなりの箱の共鳴を待つので、ボワンかモゴモゴになるけど
30cmフィックスドエッジともなると、ダイレクトに発音と一緒のタイミングで出てくる。

これは男性、女性を問わず、バランスは違うけど出てくる。
ttp://quwa.fc2web.com/image64.jpg
この分布図のうち、第一フォルマウントと第二フォルマウントの
バランスとタイミングが両方揃ってることが重要で
自然なボーカル域の条件になる。

なので、大口径でも重たいコーン紙で1〜2kHzの倍音が出にくいウーハーは
胸声が出過ぎてモゴモゴする。
1950年代の古レンジのスピーカーは、この辺のバランスが絶妙にできてる。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 17:56:12.80 ID:aD1p4+i3.net
大口径で古レンジのスピーカーというのは、高音も伸びないけど
実は重低音もでない。スペック的には、中途半端なシロモノだ。
しかし、パンっと張った中低音のスピード(時にはヘッドホンより速い)
それと800〜2,000Hzくらいの抜けの良さは、他のどれにも代えがたい。

さらに薦めるのは、ツイーターの追加で3kHz前後でクロスさせると
恐ろしく強健なサウンドに仕上がる。JBL D130+075が有名だが
ジェンセン C12R+ホーンツイーターでも結構バリバリ鳴る。
こちらのほうが、古いロカビリー時代のジュークボックスの仕様に近い。

初期のハイファイというのが、ともかく聴く人をビックリさせようとしていた
そういうワクワク感が楽しいサウンドだ。ドラムがまんまでドカっと出てくる。
ボーカルがそこで話してるかのようなリアリティも出る。

しかし、ラジオな音で足らないのは、ほんの1オクターブ程度。
そこの帯域から分割振動で、さらにオクターブ上の倍音を狙うのが
リアリティを増す秘訣なのだ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 18:27:09.50 ID:aD1p4+i3.net
ラジオな音の敗退する時期は、
録音用ミキサーが真空管からトランジスターに変わる頃で
1960年代末にチャンネル数の倍増で
ノイズの軽減のためトランジスターが増えた。
そのときの印象は、音の天井が低くパンチのない音というものだった。

実際、ロックバンドのドアーズを担当してた録音エンジニアは
セッションの合間で、経営者が勝手にトランジスターに変えたため
まったくサウンドが変わってしまい、結局やめて他に移る決意をしたという。
その後は、リバーブなどで倍音を別途加えることで、倍音を確保したが
逆のことを言えば、ラジオな音は、豊かな倍音がなければ
天井の低いパンチのない音になる。これって現在のラジオな音の印象そのまま。

このため、オーディオ装置が倍音を出す要因を掻き集めて
録音に本来必要だった輝きを取り戻さなければならない。
かつて私も、これは周波数バランスの問題だと考え
イコライザーで周波数を整えていたが、倍音成分が出す輝きは出ない。
ライントランス、真空管バッファ、分割振動の多いスピーカーなどで
かつての輝きが取り戻せることが判った。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 19:50:16.61 ID:aD1p4+i3.net
今日は今日とて、フルヴェンのローマでの指輪が調子いい。
エフェクターで少し残響を増してあげて、高域を増してあげると
歌手の声の響きがスッキリして、神話の住人たちが暴れまわる。
いわゆるゲルマンの森に潜む得体の知れぬ精霊たちが渦巻く世界ではなく
ギリシア彫刻のような筋肉隆々の男女が公開討論しながら織りなすドラマ。
なので、フルヴェンの魔法の杖というよりも、ローマ皇帝の指輪という感覚が強い。

おそらく、トスカニーニのワーグナー演奏がそれに近いんだけど
金管の乾いた響き、弦のブッファ風の推進力が、不思議な合金を造ってるようで
それが、ラインの黄金の指輪、ジークムントの剣という、明快な強さを引き出す。
ワーグナーが近代文明の愚かさを告発しようとした、暗鬱な思いとは裏腹に
理想の神々しい世界が、今や崩れていく瞬間を画いているようなのだ。
気高ければ気高いほど、その悲劇の影が深くなる。
イタリアでのワーグナー受容史の一幕というより
歯切れのいい明晰なドラマを展開する新しいワーグナー解釈を打ち出してる。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 20:30:23.20 ID:aD1p4+i3.net
ワーグナーの描く指輪の世界は、神々の世界の崩壊が
人間の愚かな思い、貪欲さ、ねたみによって蝕まれていく感じがするけど
不思議なことに、フルヴェンはもはやそのことを人間のせいにはしない。
気高い神々の世界が崩壊していく、その事実だけを真摯に受け止めるよう促す。
崩れゆく世界のなかで、小さな愛をはぐくむ兄妹さえ、災難に呑み込まれる。
しかし、その災難を取り除くことができなかったと嘆かないし、犯人を責めない。
そのことが、中世の物語を語り聞かせる吟遊詩人のようで
指輪物語の原作のスタンスにより深く分け入ってるように思える。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 21:02:28.91 ID:aD1p4+i3.net
変な感想だけど、1960年代のディランも合衆国の没落を歌ってた点で
同じような感覚をおぼえる。引き留めるよりも、事実として提示する。
一方で、ロックが政治的なパワーをもたらすという幻想に惑わされる大衆に
深い猜疑心をもって隠遁の道を選んだような気もする。
ビッグピンクで子育てに励んでた、というのも、ワーグナーのモチーフに似てる。
1953年のローマ、1968年のウッドストック。もう少し慎重に考えてみよう。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/09(月) 09:33:48.64 ID:r/+Bv3E3.net
今日は今日とて、シュナイダーハンのモーツァルトのバイオリン・ソナタが機嫌いい。
ゼーマンとのモノラル録音だが、帯域が狭いのにヴァイオリンが細くてどうしようもない。
これがウィーンの伝統だと言われたら、誰もが疑問に感じるだろう。
ところが、昨夜のフルヴェンの指輪でトレーニングした後、何か皮が取れたように
スッキリとなって解決していた。生まれたての赤ん坊の肌のようにモチモチしてる。
戦時中はウィーンフィルのコンマスとして、フルヴェンと一緒に楽団の維持に奔走した人。
何かの縁で、ラジオな音で結びついたようだ。

同じく、戦前にベルリンフィルを錐揉みしていたが、ユダヤ系のためあえなく亡命した
ゴールドベルクのブラームスのヴァイオリン・ソナタ集も試聴。
独グラモフォンの米国での販売権をもってた米デッカによる録音だが
ヨーロッパ録音でないというだけで、ちょっと割の食わない扱いを受けてる。
こちらは、中音域を渋く響かせる正統なベルリン楽派の音。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/12(木) 18:47:06.47 ID:KVVEfi7p.net
今日はヌヴーのヴァイオリンでブラームスVn協奏曲など。
ブラームスだからと、バックの北ドイツ放送響の音をしっかり出したくなるんだけど
ここは我慢してバイオリンの音が前に出るように調整。
そうすると本来のラジオ実況のバランスが見えてくるし
ヌヴーの音色が惑うことなきフランコ・ベルギー派のそれだと判る。
同じ年代のボベスコやグリュミオーなどに比べて録音機会が薄いが
炎のような演奏を聴くと、ヨアヒム門下の構成感とは違うものの
艶やかで妖艶なバイオリンの音色から
ブラームスがハンガリー舞曲の作曲家でもあったことを思い出す。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/14(土) 14:16:40.06 ID:gsLJI3oB.net
昨日からは、サンレコードのシングル盤全集Vol.1と
チャーリー・パーカーの1950年スウェーデン公演などを聴いてる。

サンレコードの初期はSP盤でのリリースで、録音もダイレクトカット。
そういう時代なので、基本的にレンジは狭く荒々しい。
サム・フィリップス自身がDJをやってたラジオで流すこともあったらしいが
RCAやコロンビアのような大手とは比べようもなく貧しい音質。
しかしミュージシャンに対する目利きが全く違う。ともかく変人ばかり。
そのなかにエルヴィスが居た。たった5枚のシングルはともすると聞き逃すようなもの。
ロシアン・ルーレットのように、個性いっぱいの音楽に隠れている。

バードのスウェーデン公演は、おそらく実況中継のエアーチェック。
当時はアセテート盤での録音で、同じようなものがフルトヴェングラーの
ベト8、ドイツ・レクイエムにも残されているが、電話越しのような貧しい音。
と思ったら、例のごとくウェブスター社のワイヤーレコーダーによるらしい。
ただ、最近のウッディ・ガトリー、美空ひばりのライブ録音のリカバリー状態では
全く別の音質で蘇える可能性もある。

で、こういう非情に悪い録音を、それなりの大音量で聴くには
ジェンセンのギターアンプ用ユニットは、恐ろしいほどの耐性を示す。
毒をもって毒を制すというか、なるほどこういう感じで
ラジオの音に噛り付いて聴いていたのか。。。と思えるところがある。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 21:32:31.59 ID:mcOe8dS/.net
キング・コール・トリオの1938〜40年の放送録音集を購入したのだが
今来ているのはVol.2、Vol.4、Vol.5で、
ドイツ経由で5枚がバラバラに送られてくるのでやや難儀する。

トリオ・ジャズとは言いながら、ビバップのような激しいものではなく
軽妙でおしゃれな雰囲気で、むしろ現在のほうが受け容れ易いだろう。
各々にゲストのボーカルが加わったときの古風な歌い口が面白い。

ビックバンドによるスウィングジャズが全盛だった時代に
こうしたリリシズムに溢れた音楽をあえてやろうというのも面白い。
本当なら、ジャンゴ・ラインハルトのグループと双璧のはずだが
この後のナット・キング・コールのボーカリストへの転身が評価を阻んでいる。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 21:52:57.14 ID:mcOe8dS/.net
軽妙さを売りにしていたピアニストではファッツ・ウォーラーのほうが有名で
ソロからビッグバンドまで、いたるところに出現する。
個性がどうのというより、何にでも合わせてしまう感じもあり
引き立て役に回ることでもそつなくこなすマルチタレントぶりも発揮する。

考えてみればピアノというのは評価の難しい楽器で
ガーシュウィンのように作曲家としてのネームバリューのある人から
名前もクレジットされない単なる伴奏まで本当に幅がある。
そういう意味では、ファッツ・ウォーラーはえり好みせずにセッションするタイプで
むしろナット・キング・コールのほうが、強いコダワリをもっていたかもしれない。
しかし、そのシンプルで洒脱な雰囲気を保つのは本当に難しかったと思う。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:22:11.33 ID:9CT6nOoV.net
キング・コール・トリオのトランスクリプション・ディスク集だが
英国Naxsosの復刻は、昔のParlほどではないが
高域のノイズをフィルタリングした、全体に落ち着きのあるサウンド。

こういう復刻は、ともすると録音が古いから高域が少ないと思われがちだが
中高域でも2〜3kHzに辛目のピークを付けてあげると
途端にシャキッとした音に変わる。
単純な周波数バランスだけではノイズが目立つんだけど
共振したときのピンと立つ音が加わると、オーディオ的に面白くなる。

むしろ、トランスクリプション・ディスクの音は
テ−プ収録よりもエッジが立っているというか、切れ味がいい。
それがキング・コール・トリオのスマッシュ感と合っている。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:02:55.34 ID:0YkqXSGK.net
レコード各社のサウンド傾向の違いで
最も引き合いに出されるのはEMIとデッカの違い
EMIはビロードのような底光り、デッカが金銀のようにキラキラ。
両者の差として引き合いに出されるのがEQカーブで
デッカがRIAAに加入した後も、この問題は引き摺ってる。
ttp://quwa.fc2web.com/londonffrr.jpg
ところが、このEQカーブの違いは、トーンコントローラーのそれと
非常に良く似ている。
ttp://quwa.fc2web.com/sq63-3.jpg

デジタル時代になって、ない方が良いみたいにいわれるけど
リマスターも種々雑多に出てくる現状では
トーンコントローラーも結構重宝する。
EMI派か?デッカ派か?
そういう区分をしておくと色々と便利だ。

ちなみにラジオな機材で映えるのはデッカ派。
チープな装置でも輝かしい音。
中途半端な機材だと高域がうるさい。
これの差分をトーンコントローラーが取り持ってくれる。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 18:07:42.12 ID:0YkqXSGK.net
クラシック系でドイツの古い放送音源についていうと
旧来の墺プライザ−、米M&AなどはEMI以上のカマボコ形
新興のオルフェオ、ターラなどはデッカ派と言えそうだ。

どうやら試聴している機器の年代に合わせているようで
デッカ風のほうが新しい機器と相性がいいので
そちらを最新リマスター盤として選ぶ傾向にあるかもしれない。
旧来のバランスは中高域の辛いラジオ用フルレンジを対象にしてる。

英ナクソス、パールは、明らかに古いグループで
今どきのオーディオ機器で聴くと、埃っぽい感じで
それがラジオ風と誤解されているように思う。
これも分割振動バリバリで鳴らすと、キリッと二枚目に変わる。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/22(日) 19:51:52.64 ID:jejYNIMW.net
今日は、ギュンター・ラミン指揮のマタイ受難曲を聞いてる。
英国資本だった独エレクトローラの戦中最後期のセッション録音で
ウォルター・レッグが協会制予約販売のマタイ受難曲の最初の全曲録音で
録音風景のなかにEMI製のダイナミック型マイクが写っている。

このマイクは、ステレオ録音で有名なブルムライン博士の開発したものだが
高S/N比を買いかぶったせいか、マイク位置の遠いダイナミックレンジの狭い音が多く
個人的にはあまり良い印象がない。例えば、英コロンビアのカヤヌスのシベリウス録音は
このマイクによる最初期のもので、フィンランド政府が肝入りで大金をつぎ込んだ
にも拘わらず、条件の悪いなかで日雇いのオーケスラで録音されたなんて
変な噂が立つほどのもの。

実はEMIはステレオのパイロット録音をビーチャム/ロンドン響のドイツ公演に合わせ
マグネトフォンの開発元である独AEG社の社内ホールで行っており
そういう意味からしても、色んな技術的な新規性を盛り込めたはずだが
相手が長尺のマタイ受難曲の最初の全曲録音となると、保守的にならざるをえない。

で、この復刻盤には甘酸っぱい思い出があって
どうにか良い音で鳴ってはくれないものか?と悩んで
ビンテージショップの戸を最初に開けたときの品。
店主もサジを投げて、20cmのフルレンジを格安で分けてくれた。
ラジオな音の求道初日のできごとである。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:11:26.03 ID:Ho8R5d6M.net
とはいえ、カマボコ系の録音で一番面食らったのは
グレン・グールドのゴルドベルク変奏曲(1955)だ。
まず最初に感じるのは、ピアノらしい輝きがほとんどない。
よくジャズ風に解釈されたような話も聞くけど
それほどタッチに切れがあるとも感じられない。
なかなかツボの判りにくい録音&演奏である。

それもそのはず、例の鼻歌をマイクに入れないために
頭上にマイクを吊るして、遠巻きにピアノの弦をねらっている。
ttp://quwa.fc2web.com/glenn-gould-studio-piano.jpg
ピアノの余韻は絶ち切れになり、タッチも曇りがちになる。

最近になって、この録音に足らないものの正体も判ってきて
ひとつは高域における余韻、次に低域のスピードである。
実はこのふたつは、普通に考えると両立しない。
余韻が増えるとタッチは遅れ、タッチをタイトに引き締めると音が痩せる。
自分の場合は、四角四面の部屋の響きをシミュレートしたデジタルリバーブで
鳴き竜と呼ばれる響きを累加して、何となくバランスが取れた。

リズムと響きという単純な要素が、全音域で一度に鳴らないと
グールドベルク変奏曲は生き生きと再生しないようだ。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:42:45.29 ID:Ho8R5d6M.net
最近判ってきたのは、このグールドベルクがちゃんと鳴れば
他のカマボコ族のピアノ録音が、瞬く間に氷解して生き返る。
どうせ1950年より昔の冷凍食品だから、味だってソコソコだろう。。。
ところがその頃にしか獲れなかった食材となれば、話は別である。
ケンプのベートーヴェン、コルトーのショパン、ペルルミシュテールのラヴェル。。。
もっと良い音のする同曲の録音はあるが、独特の味わいは出ない。
例えば、同じ版画でも、少しクリーム掛かったマット紙に刷るのと
ツヤツヤのホワイトに刷るのとでは、色の出方が全く違う。
一聴してレンジの狭いラジオな音も、調整すれば深い味わいが出る。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 19:40:36.88 ID:mJ9YS31o.net
ここのところクラシックを中心に「ラジオな音」を取り上げているが
思うにこの手のアーカイブの発掘は欧米のほうが圧倒的に多い。

逆に日本では、記録メディアに高い税金が掛けられ
NHKでも録音・録画を渋ったといわれるくらいで
何とももったいないものである。
自分で持ってるのも、三木鶏郎「日曜娯楽版」
美空ひばり10周年記念番組くらいで
ラジオ、テレビのドラマ主題歌などはシングル盤も出てたので
グレーゾーンに属する。

あと、やっぱり思うのは、ラジオ=貧相な音という誤解が多い。
わざわざ「オリジナル音源に基づく雑音があります」云々の注意書きは
むしろ「昔のままの音をお楽しみください」と言うくらい気を利かしてほしい。
あとは何度も書いてる再生装置の最適化である。
このスピーカーはSP盤の復刻に最適です。。。くらいの落ち着きが欲しい。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 20:05:28.86 ID:mJ9YS31o.net
リマスター盤の音の良し悪しの基準は
もちろん今どきの最新スピーカーで聴いても良い、というものだが
ラジオな音のCDも100枚を超すようなコレクションともなると
オーディオ機器のほうから録音に寄り添ったほうが合理的である。

ちなみに私は400枚くらいはあるかもしれない。
むしろモノラルで録音の良いものは100枚あるかどうか。
おそらくモノラルの名録音は全体の15〜20%というのは間違ってないだろう。
さらに演奏内容まで厳選すると、5%以下になるかもしれない。
そして多くのモノラル盤愛好家は、この数%の名盤のために投資する。
残りの80%のアーカイブのためには、方策が示されないまま。
しかし、よく飽きもせず次から次へと売り出されるものだと思う。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 20:20:16.22 ID:mJ9YS31o.net
今日の調子の良い鍛冶屋は、ワーグナーのジークフリート。
フルトヴェングラー/ローマ公演だが、金槌の音がカチンとしっかり鳴る。
昨日までやってたグールドベルクでの調整で完全によみがえった。

フルヴェンなので、低音のおどろおどろしさは必須と思ってたが
思い切ってトンコンの低域を-3dB落としてみると
何ともメリハリの良い舞台が浮かび上がってきた。

まるでテレビの実況みたい、何て言うと怒られそうだが
テレビだってFM音声なのでほどほどに良いハズだが
そのツボにうまくハマるまで、やや遠回りしたようだ。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/29(日) 17:46:46.01 ID:rwxaIflC.net
ワルター/コロンビアフィルのマーラーの1番って、
CBS/SONYレーベルで買うと超良録音盤なんですが
オデッセイ/コロンビアで買ったら
レンジが狭いのに音が前にでてくる
こういうのを目指してるんですか??

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/30(月) 05:34:44.78 ID:0A6KSZIX.net
基本的に後者なんだけど、そういう音でしか録れてない演奏があって
1960年代末、つまりFMステレオ放送が世界的に広がる頃から
この手のアーカイブがゴミ同然のように扱われてきた経緯があるんです。
ある意味、オーディオの発展という面から言えば正常なんだけど
元の演奏を主体にみると、進化でも発展でもない。
この手の演奏はただ記録データとして存在しているだけでなく
文字通り再生されて、はじめて意味をもつと思うんです。

例えば、ワルターのマーラーでも
ステレオの1番はエバーグリーンな名盤だが
モノラルの5番はどちらかというとマニア向け。
この敷居が外せれば、全く違う世界がみえてくるわけです。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 06:34:23.44 ID:esx3+ETF.net
英米の録音で1947年問題というのがあって
ワルター マーラー5番
フルトヴェングラー ベト7番
トスカニーニ オテロ
などがそれに当たり、SP盤のフォーマットで録音されたが
翌年のLP発売の時期と重なり、難しい局面にあった名演だ。

面白いのがフルトヴェングラーで
録られたのは磁気テープだったが、SP原盤を作った後に破棄。
これをまたテープに起こして保存する際に、女性の会話が漏れて入った
という曰くつきのもの。

こういう録音は、実際に今のオーディオ機器では音に輝きと張りがない。
原因は、後の録音がホールの残響、機械的なエコーを取り入れてるためで
実際に古い録音にリバーブを掛けると聞きやすくなる。
代りに音の芯というか、モノラルっぽい骨格のいい躍動感というのが減退する。

実際には、クレデンザ、オートグラフなど、残響成分を造り出すような
オーディオ機器が多かったことを考えると、リバーブなどは方便のひとつだろうと思う。
ターラのような新しいリマスターでは、リバーブを加えているものがあり
あえて「エコーの累加なし」という原音主義を謳ったCDも存在する。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 22:50:28.92 ID:woTBw6j7.net
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル  総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/01(水) 06:26:59.23 ID:DdN5TfEr.net
ラジオな音の面白さは、ラジオが持っている実況的なライブ感だと思う。
今はスタジオでライブは少なくなっているけど、昔の録音にはそれが多い。
ラジオがマスメディアで独占的な地位にあった時代だからとも言えるが
録音機材が高価な割にそれほど性能が良くないので
生演奏のほうが手軽だった、という今では嘘のような話が多い。

その今では貴重な生演奏の記録だが
実演ならではの、空気の揺らぎがあって、それだけで心が躍る。
ラジオな音は、音質的には劣るのに、この身体的な揺らぎの信号が
たっぷり含まれている。ややラフスケッチだが、味のある描画という感じ。
描線のうねり、構造の浮き立たせ方、デフォルメ。。。
こうした味わいは、正確をモットーとする写真では難しい。
ラジオな音には、アーチストの琴線に触れる、アナログ的な揺らぎがある。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/02(木) 06:53:26.64 ID:4+7e5QCd.net
ラジオっぽい音というのがある一方で、テレビっぽい音というのもある。
何が違うか?というと
AMモノラル100〜8,000Hzか、FMモノラル80〜12,000Hzか
大型マイクで近接配置か、小型マイク、ショットガンで集音か
という違いがあって、テレビはラジオに比べてさらに辛口な音になる。

見掛けの周波数特性はテレビのほうが優秀なのだが
ライブ会場、スタジオ照明など、色々なノイズ源が多いので
実際には、各マイクのレンジをかなり区切って寄せ集めている。
なので、AM音源の元テープの収録のほうが、揺らぎの成分が多い。
これに倍音が加われば、鬼に金棒なのである。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/02(木) 07:06:36.64 ID:4+7e5QCd.net
アナログ盤にはワウフラッターという揺らぎがあって
ターンテーブルの性能以外にも、溝の偏心、盤の反りなどで生じる。
これが音楽全体にノリを造り出す効果がある。
テープのワウでは、こうしたノリは出ないので
おそらくスピードによる変化ではないと思う。

時折、デジタルリバーブのフランジャーを加えてやると
このワウ感が含まれてきて、音が渦を巻くように溢れてくる。
古い歌謡曲を聴くときなど、何かが足らない、空気が凍っている
と思うとき、フランジャーを薄く掛けると、メリーゴーランドのように
リズムに重力のアップダウンが加わって、場がほぐれるときがある。

考えてみれば、フランジャーもテープデッキの故障から生まれたのだが
それぐらい露骨なワウフラッターでないと、認識できないというのも事実だ。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/03(金) 07:13:33.40 ID:onAbb4lq.net
昨日聴いていたヨゼフ・ホフマンのショパンP協(1938)は、
高音の出し方が本当にデリケートで
アントン・ルービンシュタインの秘蔵っ子というのに全く気負いがない
まさに天賦の詩人のような感じだった。

こういう音が出るならと、ニキタ・マガロフの1990年録音「舞踏への勧誘」を聴く。
恐ろしいことに、同じ高音の冴えを聞き取れたのでびっくり。
録音品質はアセテート盤からデジタルに変わっても
実はピアノ演奏の技術は変わりない。それどころか音色のパレットは減ってる。

こんなことを書くと、さぞかしローファイな音で聴いているのだろうと思うかもしれないが
Jensen C12R+ツイーターの素の特性は以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-16718.png
ラジオボイスというフィルターで入り口を少しいじると以下のとおり。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-2258.png
これは大型蓄音機のトーンと似ていて堂々としたローファイだ。
ttp://quwa.fc2web.com/plan-img036.jpg
50年間の目まぐるしいオーディオの発展とは逆に
演奏の中身を検証する方法が、発展の影で破棄されていると思っていい。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/03(金) 20:26:19.09 ID:onAbb4lq.net
個人的にJensenのエクステンデッドレンジ・スピーカーを薦めるのは
ラジオな音がミュージック・シーンの主役だった時代の入門機だというのと
現在も安く安定して供給されているのが、一番の理由だ。

入門用らしく、ツイーターを足してグレードアップというのも容易だし
明るく張りのあるミッドローは、ローファイな音源でも生き生きと再生する。

一方で、やんちゃな一面もあって、音の濁り、歪みを嫌う人には薦められない。
むしろ、録音自体が歪みっぽいもの、カマボコ型でレンジの狭いものに
艶と潤いを与えてくれる。リバーブとかが生まれる前に、その役割を果たしたのだ。

現在は、録音側であらかじめ艶や潤いを与えるのがデフォルトで
いわば調味料や防腐剤は最初から入れた状態で売っている。
もちろんリマスターと称して、今風にチンするだけでOKというような録音もあるが
そうでない録音のほうが圧倒的に多いのも事実。
その壁を取り除けるリプロデューサーがJensenのユニットだ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/03(金) 20:56:02.79 ID:onAbb4lq.net
ピアノで、ニキタ・マガロフとヨゼフ・ホフマンを並べたが
バッハの無伴奏バイオリンで、シゲティとクイケンという聴き比べも可能だ。
それぞれ、間にホロヴィッツ、シェリングが入ることで補完されるが
録音の発展史のように聴くと、本来の意図が失われるだろう。

例えば、シゲティとシェリングだと、ヨアヒム門下のポリフォニックで構造的な美が
浮彫になるが、クイケンの第一期の録音は、イタリア的な古楽器奏法よりも
作品解釈としての伝統に挑んでいる感じが強い。
このため、基本的にはフランコ・ベルギー派の源流に戻ろうとしていて
バッハがフランス風組曲として考えた無伴奏チェロと同じ血筋として
バイオリン奏法を開示しているのである。

ここで、ドイツ風、つまり形而上の哲学的な論調がどこで形成されたかを
考えるとき、イタリアとフランスの音楽観の論争と同じようなことが
バッハの作品にも投影されていると考えていいだろう。

で、シゲティとクイケンを聴き比べると、その論争の起点と結論が
録音年代的とは逆転して、再解釈されていることが判る。
クイケンを聴くことで、ヨアヒム門下の伝統がさらに理解しやすくなる。
逆に、シゲティを聴くことで、クイケンの構造的な主張が判りやすくなる。
このデジャブな体験が、私なりのオーディオ装置の調整の方向性にある。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/04(土) 07:20:01.05 ID:l9yTLopV.net
話をJensenの古レンジに戻すと
このタイプのフィックスドエッジ&エクステンデッドレンジのレジェンドは
JBL D130、D123、Altec 600B、WE728などのいわゆるウェスタン系列である。
Jensenはもう2ランクくらい格下のユニットであり
PA用という更に荒っぽい現場での使用になる。

しかしながら、1950年代にはそういう区分けは難しかった。
それどころか、あらゆるところでJensenのユニットがOEM供給され
アメリカンな音楽のサウンドはこれでチューニングされている
と思っても問題ないくらいである。

ところで、アメリカン・サウンドというと、ジャズ、ロック、ブルースを思い浮かべるが
戦後しばらくは世界のレコード市場の中心で、クラシックで言うと
独グラモフォンは米デッカがプレスしていて、そっちの品質のほうが高かったし
墺プライザーは今でもモニターがアルテック604Eである。
日本の歌謡曲の場合も、技術のベースはアメリカ経由である。

つまり、今のようにレンジが広く中域が沈んでいるヨーロピアン・サウンドは
BBCのモニターシリーズが出たずっと後の時代のものであり
それに合わせたリマスター盤が出たのも20世紀末からなので
古いLPで凌ぎを削ってきた人にとっては、アメリカン・サウンドが基礎にある。

とは言っても、Jensenだってデンマーク移民。つまり生粋のヨーロッパ人である。
むしろ商業的な拡大路線のなかに、スウィング・ジャズ、ブルース、ロックがあったわけで
基本的な部分はドイツもイギリスも同じ傾向にある。
戦争で技術史が分離して、再び統一されるまで50年掛かったという感じだろう。
その50年間の録音技術の進展の誤差について、あれこれ考えるわけである。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/05(日) 20:07:42.32 ID:ZoMgt/Si.net
アメリカの移民社会のなかで、特異な位置にあるのがニューイングランド地方で
ここでのオーディオ嗜好が、極めてハイ落ちの低音重視。
AR、ボザーク、BOSEなどがそれにあたる。
つまり生粋の白人文化をもつ人々は、カマボコ型が好みなのだ。
そういえば、英パールのSP復刻盤もカマボコ型で、いつも疑問に思ってた。

これよりも低音好きなのがジャマイカ人で、巨大ウーハーが並ばないと
音楽にならないらしい。街頭のPAシステムはサウンドマシーンと呼ばれる。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/09(木) 14:45:09.12 ID:s0dm/jhB.net
なんだこの密なスレは
ラジ音スレと呼ばせてくれ

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/10(金) 06:11:29.42 ID:lKoVVRo9.net
ローファイは世界を結ぶ

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 07:51:50.24 ID:pIzqf4oH.net
今から30年くらい前に山下洋輔のヨーロッパ演奏旅行のエッセイ本がありました
ヨーロッパのラジオは、信じられないくらい音が良いというのです

米と技術体系が球からして異なること
もう1つには、球時代にFM放送が普及してる
上下ランクの差が大きくて
高級ラジオは、日米の電蓄クラスから、簡易クラスは、球の少ないのもあるのです
日米が2A5とか42の出力管をつかっていた頃にヨーロッパは、
米より種類が多くレス球もあるのですが例を挙げるとPEN45とかって、
6BQ5的のような少ない入力で、振れる多極出力管を使っていました
ドライバー3極管が無くても済むので、PEN45DDは、
険波2極管付出力管で4球スーパーがあるようです
http://www.radiomuseum.org/r/murphy_a124a_12.html

日本の管球電蓄でOTLのアンプの物があってようですが、
フィリップスのBX998Aは、マルチアンプで高音EL84 低音PL81のSRPPのOTLです
http://www.radiomuseum.org/r/philips_bi_ampli_bx998a.html

ヨーロッパのラジオは、マニアックです
=>聴いた事も無いですが

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 18:32:53.00 ID:2dDo4gEi.net
戦前〜戦中は、ラジオの実況ライブのほうが
SP盤よりも音が良かった時代があり
例えば、ドイツのマグネトフォンは連合軍側が実況と間違った
という逸話が残るほどで、逆に考えると、実況のほうが優れていた。

アメリカも1930年代も後半に入ると、Hi-Fiという言葉が登場し
大型ラジオともなると、ダブル・ウーハー+ツイーターという
1950年代とそれほど変わらないスペックでした。
SP盤のスクラッチノイズ除去のためノッチフィルターが付属してた程。

マグネトフォンの話に戻ると、国策としてドイツ傘下の放送局に
設備が行き渡っていたので、ジーメンス〜ツァイスの技術が
ラジオにまで浸透していたと考えるのが妥当ですね。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/16(木) 07:28:55.12 ID:FfWT7S4E.net
AM伝送か、FM伝送か、というと周波数レンジのことを思い浮かべるけど
オンラインでの伝送となれば話は異なってくる。

ラジオ用アーカイブを聴いていると、AM時代は確かにレンジを欲張っていない。
しかし、中域のしっとり感と、中高域のキレの良さが両立している。
これを、実際のラジオの音のようにしようとすると、わざと劣化させなければいけないほど。

もうひとつは、現在のAMラジオは、実装しているフィルターのレンジが狭く
4kHz辺りからロールオフするものがほとんど。
昔は8kHzは当たり前、16kHzも存在した。(フィルター幅はその倍数である)
コリンズ製のフィルターは、キレ味がすごくて、スパッとその周波数で切る。

では、8kHzまでフラットだと、どう聞こえるかというと
少し出過ぎと感じるほどに、意外にうるさく感じる。
実は、一般のステレオでも少し首を振ると、5kHz辺りからロールオフしている。
定位置から逸れるとステレオ定位が崩れやすいのは、このためである。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/16(木) 12:42:49.93 ID:McFyCFRZ.net
スーパーヘテロダインは、感度がよいがビート障害が起きやすいけど
高1検波程度のAMチューナーを作るとそういうのが全く無いです。
選択度も広いので広域もすっきり伸びます
ただ、感度が悪くて2-3mのアンテナが無いと受信できないし
高い方の周波数は、あまり入らない。
TBSとNHKしか入らない

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/17(金) 06:57:05.66 ID:Q0if5981.net
高1検波チューナー面白そうですね。
ネットで調べて、1950年代にスーパーvs高1論争があったことを知りました。
NHK放送技術研究所まで乗り出して、ブラインドテストしたとのこと。
結果、広帯域化した高1ラジオのほうが優れてるという評価だったようです。
面白いのは、上杉佳郎氏が晩年に、高周波2段増幅の改良版を製作した
というもので、なかなかコアな世界だと思いました。

受信感度の問題は、個人の努力ではどうしようもなく
ウチは市内に中継局のあるニッポン放送しか届きません。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 00:33:35.87 ID:0crDz5PV.net
>>58
自分がLPを買った1970年代にモノラルLPは、店頭に無かったので
わからないのですがLPの初期は、SPの質の録音だったのですか?
ワルター マーラー5番 は、そういう狭い感じの音がします

骨董市でみつけたアンセルメ/スイスロマンド管弦のドビッシーの
曲のLPレコードは、モノラルなのに音が澄み切っていて、時代がちがうのか?
ステレオLPの時代に?モノLPをあえて出していたとしたら、
いつ頃までそういう事をしていましたか?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 19:13:17.49 ID:XzJFFYh6.net
公式には1947年までがSP盤、つまりラッカー盤に78rpmダイレクトカットです。
その後1957年までがテープ録音をオリジナルにしたモノラルLP、
1958年以降はステレオLPという順になりますが
ステレオ録音開発元のEMI、RCAでは1955年頃からステレオテープが残っています。
実際には1960年代に新譜で、モノラルLPはおろかSP盤も併売してました。

ポップスのほうは、1960年代中頃までモノラル録音が主流で
1955年頃もまだSP盤が主流でした。
プレスリーのデビュー盤もSP盤です。

クラシックやジャズは長尺の録音のメリットが多かったのですが
そのままHi-Fiオーディオの偏愛の対象として残っていることになります。

77 :75:2017/02/19(日) 00:13:36.55 ID:9o/YPhne.net
>>76
おかげさまで理解できました。
テープ録音以前のモノLPがあったとは、知りませんでした

そういうテープ録音の初期の時代によい録音がいっぱいあって
あとあと千円盤で売られるようなのは、そういう旧録音の再販
で、古い元盤を聴くと、異なる音質でそういうのがおもしろいです

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 08:53:03.01 ID:8gYMPRRW.net
そうやって初期プレス盤とかにハマっていく人も多いんだけど。。。
50年以上は文化遺産に近づくので、消費(摩耗)するために蒐集するのは
個人的に気が引けるのです。。。
ちゃんとしたコレクターの出す復刻CDを聴くにつれ、そういう思いが募ります。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 19:20:12.98 ID:8gYMPRRW.net
ラジオ局の専属オーケストラというのは、思ったより少ない。
自分としては、NBC交響楽団を一番に思い浮かべるが
創立は1937年ということだ。
NHK交響楽団が1931年、フィンランド放送響が1927年と比べ
思ったより後初なのだが、録音量となれば全く規模が違う。

1937年というと、随分古いようにも思えるけど
このスタート時点で、現在のライブ放送の基本形が出来上がっている。
一番の担い手は、77型リボンマイク、Presto社のアセテート録音機
6L6真空管アンプ、ランシングのアイコニック・モニターなどである。
ttp://www.coutant.org/antler/index.html
ttp://l7.alamy.com/zooms/fff9f1d57cfa49dd9c5c22f2b6b6bf2e/arturo-toscanini-1867-1957-receives-the-applause-at-radio-city-on-cwag2e.jpg
ttp://www.prestohistory.com/Presto2.html
ttp://www.bunkerofdoom.com/xfm/THOR_MISC/THOR1937SAG.pdf
ttp://quwa.fc2web.com/1939cat-1.jpg
この時代は10kHzまで再生できてHi-Fiと呼んでいたが
今でも十分に通用する実力のあったことが判る。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 23:28:42.05 ID:SbeHcaQN.net
今日、新宿でワルターが1938年にウィーン・フィルで
でマーラー9番というレコードがみつかりました。
tp://usedrecords.blog.fc2.com/blog-entry-317.html
モノの録音なのですが、
自分は、後に録音されたニューヨークフィルの方が良いはずと思っていたが
こっちの1938年のウィーンフィルの方が
同じモノ録音でもクリアーだったのです
おまけの5番のアダージョがあったのもめっけものでした。
ヨーロッパの方がテープで録音が早く行われた例ということですか?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/20(月) 06:49:03.08 ID:uRdYUCwP.net
1938年のウィーンライブが上出来なら、この手の録音のオーディオ装置としては
かなり良い仕上がりだと思います。まずは、おめでとう、と言いましょう!

1938年のウィーンライブは、EMI傘下の独エレクトローラの録音なので
オリジナルはアセテート盤録音からのSP盤かその原盤だと思います。
同じ時期のヨーロッパでのアセテート録音は、メンゲルベルクのライブなどで聴けますが
それなりに良い録音です。

テープ録音が一定の水準に達したのは1941年に交流バイアスを採用した後で
EMIも1935年にビーチャムのドイツ演奏旅行で
テープでのステレオ録音までテストしましたが、音質はラッカー盤より下でした。
当時のリリースも当然、SP盤のほうです。

マグネトフォンは、テープ録音→SP原盤→テープ復刻という
ややこしい仕組みも存在し、テープの劣化が早いという側面もありました。
EMIのフルヴェン/ベト7は、そういう手順のなかでダビング室の女性の会話が混入
というものもあって、なかなかユニークです。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/20(月) 07:40:58.68 ID:uRdYUCwP.net
かの宇野功芳さんは、スピーカーをワーフェデールで聴いていたが
メンゲルベルクのマーラー4番を「色彩感のない録音で魅力が半減」ということを
言っていたけど、今の時分で聴くと、そうとは思えない。
飴色の木管の響き、絹のような弦の絡まりなど、まさにアールヌーボーの家具に
囲まれた部屋に入ったかのような、アンティークだけど雅な音だ。
おそらくドイツ系のユニットで聴くと、かなり味わいが違ったのではないだろうか。

演奏の癖が相当強いので、なかなかこの辺のニュアンスは伝わりにくいが
けして各楽器の音色が疎かにされているわけではなく
むしろ細部に凝りすぎて、空中分解しないように、リズムの流れを造り出している。
この歌モノを集積したアンサンブルの切り分けは、ワルターの5番にも聴けるもので
NYPの演奏はアッサリしているようで、楽器間の流れが一体感をもって紡がれる。
まだ多重人格的な雰囲気が認められない時代のマーラー像だと判るが
その内声の動きを読み取るのは、それほど難しいことでもない。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/22(水) 20:54:46.27 ID:AP6qm4Du.net
トスカニーニ生誕150周年の記念ボックスCDを購入したけど
録音史の流れとしても興味深いものだった。
1929〜52年まで全てモノラルだが
1929〜39年が初期の電機吹き込み
1941〜47年がHi-Fi移行期
1949〜52年がテープ収録
という具合に、ほぼ3期の録音規格に分かれる。

一番の収穫は、1941〜47年のSP盤ダイレクトカットの時代で
放送用アセテート盤と金属マスターの音の差が歴然としている。
この時期の末期にはオテロ、ボエームなどの定番が目白押しだが
録音手法としても円熟期に入っていたことが判る。

賛否両論なのは、8Hスタジオのエコーを全く抜いた音源を出していることで
個人的には、自分でエコーなりリバーブなり好みで味付けすれば良い
と思っている。1950年代には高域を持ち上げ、エコーを掛けるということをした。
一方で、音響バランスは、低域、高域を+2dB/oct程持ち上げた感じで
少しワイドレンジに見せかけたように思える。

この2点が、自分なりに納得いくかたちで処理できれば
色々と楽しめるボックスセットだと思った。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/22(水) 21:33:56.30 ID:AP6qm4Du.net
録音技術について保守的と思えるトスカニーニだが
アメリカで最初の放送管弦楽団を組織して
ラジオでの高音質な実況放送を行ったことから始め
その時代のRCAの録音技術を柔軟に受け入れている。
この点に関しては、ストコフスキーがパイオニアだが
その数年後に録音システムが熟した頃には採用している。

トスカニーニは、最晩年にアルテックVOTTとウィリアムソン・アンプ
アンペックスのテープレコーダーで試聴したが
8Hスタジオを離れ、カーネギーホールでのセッションに移っている。
むしろ8Hスタジオは、フルオーケストラでも音のクリアネスを強く意識した
新しい発想の録音環境だったことも思える。
この時代は、まだレコード用に小編成オケで録音した時代だったが
トスカニーニのライブ実況以降は、多くの巨匠がフルオケで挑んでいる。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/23(木) 06:26:24.70 ID:Y1H3rRsg.net
ちなみに1949年頃からのトスカニーニ自宅のシステムは以下のとおり。
トスカニーニ個人が集めたというより、NBC響のバイオリン奏者だった
デヴィッド・サーサーに依頼して組んでもらったもの。
( ttp://www.audiohistory.com/files/documents/AudioSystemsOfTheRichAndFamous.html)
Tape Library in basement:
RCA 16" Transcription turntable, then
Jerry Minter 16" Transcription turntable
early Westrex disc cutting lathe
Pultec pre amp (custom made for AT)
Musician's Amplifier (Nov. 1949 by David Sarser)
Altec 604 and Olson LC-1A speakers
Main Hall:
Altec Voice of the Theater (furniture finish)

デヴィッド・サーサーに作ってもらったウィリアムソン・アンプは以下のとおり。
ttp://oestex.com/tubes/maestro.html
アルテックのVOTTは、A7の前身にあたる800型を家具調にアレンジしたのだろう。
ttp://www.lansingheritage.org/html/altec/specs/pro-speakers/800.htm
サーサーの業績全般は以下のとおり。
ttp://www.reevesaudio.com/studiothree.html

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/23(木) 07:04:11.91 ID:Y1H3rRsg.net
デヴィッド・サーサーはコロンビア側のエンジニアで
スタジオではアルテックのプレイバック・システム(商標)を使っていた。
グレン・グールドのセッションでも、プレイバックにアルテック800型が見える。
ttps://www.youtube.com/watch?v=g0MZrnuSGGg
RCAなので、例えばラビリンス・システムを思い浮かべるが
ttp://zozosir.blogspot.jp/2013/12/rca-64-speaker-8.html
実際はコロンビアのようなシステムを導入した。

初期型のRCA LC-1Aが持ち込まれているが
RCAとしては、自社のシステムへのこだわりと
トーキー時代からの技術競争の名残も感じられる。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/23(木) 07:31:30.36 ID:Y1H3rRsg.net
トスカニーニの録音でどうしても比較してしまうのが
モノラル時代のハイフェッツやモントゥーの録音との格差である。
豪華賢覧なビクターのHi-Fiサウンドがほとんど生かされていない。
逆に、イコライザーをいじり過ぎてギスギスしたサウンドのイメージもあり
LP時代のトスカニーニのイメージを牽引してきた。

一方で、アメリカで牽引していたのはラジオでの実況ライブ放送である。
高級電蓄で試聴できたのは一握りと思われるが
残響をなくしてクリアネスを増した8Hスタジオの音が電波に流れた。
この手法が取られたのが1949年までで
例えば、1947年にカーネギーホールで録られた「悲愴」などは
木管のバランスが奥まるなど、マイク位置がまだ完璧ではない。
逆に1949年の8Hスタジオでの「ライン」は、硬さが抜けない。
その2週間後のカーネギーホールでの「ダフニスとクロエ」は完璧である。
LPへの移行期での試行錯誤はこれで落ち着いたはずであった。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/23(木) 17:13:28.79 ID:4SvnFwKk.net
>>81
ありがとうございます。
ワルターのマーラーの9番の2枚組は、
うちのMONO盤では、良い方の物らしく
ワルター/ウィーンフィルのMONO盤で
モーツアルトの「レクイエム」とマーラーの「大地の歌」
があったのを思い出してかけてみましたが
そんなによくありません。
1つ良いのがみつかるとほかのアラがみえるのは、
難しいですね。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/23(木) 19:37:03.69 ID:Y1H3rRsg.net
声楽は癖が判りやすいのと、SP時代はオケとのバランスが難しく
コンサートホールで聴くようには再生できません。
かわりにラジオ・ドラマのように聴くと、そういうもんだという感じになります。
有名な指揮者の云々というより、劇判の付いた歌物語という感じで
ワーグナーの楽劇でさえ歌手が中心という感覚です。

オケとのバランスには、新即物主義の恩恵も絡んでいて
例えば、フリッツ・ブッシュの指揮したモーツァルトのオペラは
歌とオケが全体でアンサンブルとして進行しているのに対し
ビーチャムの指揮では、歌手が大見得を切っていて、歌手本意です。
トスカニーニとセラフィンも、その違いを感じ取ることができるでしょう。
さらにメトロポリタン歌劇場の職人指揮者ともなると
指揮者の名前はそれ以外では全く聞かないような人たちで
歌手のほうが名声もギャラも高いことは一目瞭然です。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/24(金) 06:57:04.57 ID:/2/9EeU4.net
モノラル時代に録音機会が不遇だったのがホロヴィッツで
自分ではライブをアセテート盤でこまめに記録していたのだが
1947年問題もあり、ほとんどがお蔵入りとなった。
当時は、ミスタッチに関する考え方も厳しく
レコードが後世まで永遠に残る記録として考えられ
小さなミスタッチがお蔵入りの理由ともなったようだ。
ヒストリック・リターンでも、修正箇所が話題になった。

話をトスカニーニに戻すと
SP録音はクレデンザ(これもアメリカ製)での再生に適した音
放送用録音はAM放送でも負けないドライでメリハリの強い音
そこからHi-Fiのモノラル・システムに移行する際のドタバタが
1947〜49年に現れている。
1941年のフィラデルフィア管のほうがサウンドが落ち着いている。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/24(金) 07:43:07.97 ID:/2/9EeU4.net
トスカニーニの150周年ボックスCDの選曲をみると
いわゆる超名盤は外されている。
メンデルスゾーンのイタリア、ベト7の新盤、ロッシーニ序曲集
レスピーギのローマ三部作、展覧会の絵、ヴェルディのレクイエムなど
これらは既にXRCDで発売されており、リマスターは行き届いている。
一方で、これらの録音は、最晩年の録音に限定されているのが実情だ。

150周年ボックスは、いずれもそれより前の時代をクローズアップして
功成り名遂げたはずの60歳以降のマエストロの戦歴を鳥瞰させてくれる。
戦歴と言ったのは、60〜80歳にかけての芸術への向上心がことのほか強いのだ。

その中で目玉なのが、ヴェルディ「オテロ」「フォルスタッフ」
プッチーニ「ボエーム」のリマスター盤で
「オテロ」と「ボエーム」は、全く残響なしのバージョン。
「フォルスタッフ」はマイク位置を少し引いて響きを取り入れてる。

この残響なしバージョンには、1948年のLP発売に絡んだ紆余曲折があって
もともとSP盤でのリリースで企画され、ラッカー盤のダイレクトカットで収録されたが
いざプレスしようとする段階で、LP発売となって一端ストップが掛かった。
特にオテロは、録音当初は輝かしい芯のあるSP盤らしい美質に溢れていたが
リリース段階でテープにダビングするとき、エコーを付加して全く別物になったとのこと。
その反証として、英GuildからLPと併売されたSP盤復刻CDが出ている。
ttp://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BC%881813-1901%EF%BC%89_000000000018199/item_Otello-Toscanini-Nbc-so-Vinay-Nelli-Valdengo-Etc-1947-reheasal_1847707
今回は、こうした反証をもとに出された最新リマスターなのである。

逆に、ここで「音の詰まったような放送録音」といわれた「ボエーム」も
「オテロ」とほぼ同質の音質に収まっている。RCA陣営も一矢報いたと言うべきか。
この2つのオペラだけでも、5,000円の価値は十分にあるというもの。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/24(金) 20:54:53.78 ID:/2/9EeU4.net
よくトスカニーニの演奏をギリシア彫刻に喩えるが
硬質なのにカンタービレの効いた感覚は、まさに磨き込んだ肌合いがある。
晩年のブラームス第二がそうで、造形美をそのまま表出している。

対極にあると言われるフルトヴェングラーが情念的、形而上的と言われるが
どちらかというとホール全体を空間的に鳴らすという建築的なニュアンスがあって
ドカーンとくるのに躍動的に感じるのは、やはり造詣的な持ち味があってのこと。

両者のシンフォニーの在り方の根底に、音響の造詣というキーワードがあるなら
その再生がどうあるべきか? 色々と考えさせられるわけである。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/25(土) 07:41:03.19 ID:7nDmt+Wk.net
オーディオ・システムで造詣というと
周波数レンジ、音響出力、S/N比、歪み率のような数値化があって
電子工学という背景から説明しようとする。
それは製造側が大量の製品を安定供給するための考え方で
ユーザーとの間で取り交わされた性能保証のようなものだ。

録音のテクニックというのもあって、モノラル時代からマルチマイクはあったし
ステレオ録音になってエフェクターを多用するようになった。
デッカのウィーンフィルやマントヴァーニの音は、本物よりも美しいと言われ
今でもウィーンのムジークフェラインだから音が違うのだと思われてる。

トスカニーニの音楽の造形は、明らかにラジオ、レコードという
新しいメディアのために切磋琢磨されたもののような気がする。
楽器の質感とかホールの響きとか、そういう要素が無くても
骨格がしっかりしていて、筋肉の動きがわかる、という類の造形だ。
よくカラヤンが発展形だと言われるが、骨格の良さは同じだが
楽器の質感へのこだわりは、新しいHi-Fiオーディオへの追従である。

フルトヴェングラーのほうも、あまり各楽器の質感は気にならない。
それよりも何もかも呑み込んでしまうカオスのような
ホール全体の響きのコントロールが巧みなのだ。
こうした収録方法は、現在ではほとんど顧みられないが
それはスコアを見通すような演奏方法が主流だからだろう。
かわりにステレオ装置という幅の間で展開する録音しかなくなってしまった。
これはシンフォニーという製品規格に収まっていることに他ならない。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/25(土) 08:05:13.96 ID:7nDmt+Wk.net
フルトヴェングラーの晩年の指揮棒がプルプル震える件について
コリオラン序曲のジャ〜〜〜〜〜ジャン!の「ジャン」のタイミングを
ティンパニー奏者に問うたところ
ウィーン・フィル:我慢できなくなったところで打つ
ベルリン・フィル:何回目かをあらかじめ決めておく

面白いことにベルリン・フィルの方法でも、日によってプルプルの波長が違うので
なんとなくそれらしくなるらしい。

ウィーン・フィルの場合は、リハに時間を掛けない指揮者も何人かいて
クナッパーツブッシュはともかく、クレンペラーのような人でも
一見放任主義ともとれる方法でライブにのぞむことがあったらしい。
ウィーン・フィルという楽器をあまりいじることをしないで
自然な状態で鳴らすということから、音楽がはじまっている。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/25(土) 08:35:09.94 ID:7nDmt+Wk.net
そのウィーン・フィルの音だが、各レコード会社で大分違う。
デッカかグラモフォンかの議論は、高価なステレオを持っていない人でも話題になり
これにEMI、フィリップスを加えると、そのどれもが違う。

最近では、テクニクスが映像も含めたパートナーシップを取っているので
サラウンド技術などを含めると、このことの議論は尽きない。
ウィーン・フィルの楽器のメンテナンスも、現在はヤマハが行っているので
日本人ほどウィーン・フィルを愛している国民もそれほどないであろう。
それもこれも過去のレコードのお陰なのだが、どうも話が噛み合わない。
いったいどのレーベルの音をイメージしているのだろうか?

これにオーディオ装置の癖まで勘定すると、際限のないものになる。
タンノイなのか、ハーベスなのか、それだけでも議論を呼ぶし
一時期グラモフォンがモニターに使ってたJBLまで加われば混乱間違いなし。
アンプも古株なら、クォードかマランツか、というところだが
アキュフェーズ、ラックスマンでも全体のトーンはかなり変わるだろう。

そうなると、音楽を骨格で聴くことが必要になるのである。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 21:06:15.23 ID:NU1RcoRi.net
ラジオの音でびっくりしたのは、
SONYのラジオでデジタル目覚ましクロックラジオで
まあ。FM放送をとても小さいスピーカーで聴いて鮮鋭なのに驚いたのです
https://www.youtube.com/watch?v=wC5BT39D-nA

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 21:14:18.17 ID:NU1RcoRi.net
https://www.youtube.com/watch?v=7KmNC58Jl-8
こっちの方が音が入ってる

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/19(日) 08:34:02.57 ID:uXWvZ/7+.net
あの頃は、AMしか聴いていなかったのと
トランジスターラジオは、トランスが2個くらいで
高音がすぱっと切れた音だったが、こちらは、10cmもないSPで
鮮明な音がするラジオだった

99 :一方通行 ◆.RAMsEHKDA :2017/03/20(月) 06:38:17.07 ID:FvvVcEzt.net
ICF-801の音質はRadiko.jpを遥かに凌駕する。
※受信状態が良ければの話だが…。

最近のカーラジオはDSP回路を組み込んだモデルも増えた。
※カーラジオは移動しながらラジオを聞くため、受信感度が高いものが多い。

車がトンネルに入るとラジオは聞こえない(当たり前田のクラッカー)。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/30(木) 19:38:08.61 ID:UdbCvE2b.net
こんなスレあったんだ。
自分、ドイツの60年代ラジオスピーカー好きでいつくか使ってる(モノラル、ステレオ両方)けど、
なんか高尚な難しい話ばかりで付いていくのが大変。
勉強するよ。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 07:39:08.99 ID:Xp6/1lJJ.net
埋め立て規制に引っ掛かったようなので
しばらく休憩してました。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 07:46:48.23 ID:Xp6/1lJJ.net
美空ひばりアワーの音が気に入って、昭和30年代の音源を蒐集しようと思ってて
ラジオ実況の漫才アーカイブ、米山正夫全集、服部良一のビクター録音集
バタヤンの戦後録音集など、ほんとうにサイフに穴が開くかと思う状態。
CD時代も末期になり、情報量で圧倒させようとする戦略なんだろうけど。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 19:30:08.73 ID:Xp6/1lJJ.net
娘の小学校の英語の先生がジャマイカ人ということで
今日は気分を変えて1960年代初頭のスカを聞いてる。
ジェンセンの巨大バックロードホーンに38cmを入れた
サウンドシステムで再生したであろうもの。
ttps://pbs.twimg.com/media/CscQsl7UAAEn1Lr.jpg
ttp://cgb-1.com/pod/20090927system.jpg
意外にイギリスのモッズたちがリスペクトしてて
これのレコードを持っているのがかっこよかったらしい。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 20:45:59.10 ID:/+5uo00B.net
ここは個人の日記スレなのかな

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/12(水) 06:08:33.34 ID:DCX30a0F.net
日本でローファイなSP盤やAM放送から、ハイファイなLP、FM放送に切れ変わる期間
1950年代のことを考えると、色々なものが見えてくる。

ひとつは、1953年にテレビ放送がはじまり、対抗してLP、ドーナッツ盤が出たが
初期はSP盤が99%占めていた。
ところが、オーディオ製品に関しては、1960年まで買い控えが起きたのである。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-22697.png

このレコード業界の谷間の時期は、ハイファイラジオ、AMステレオ放送という
実験的な試みがあり、15kHzまでバンド幅を広げて音楽放送をした。
従来のラジオをハイファイ化するため、フルレンジ、広帯域IFTに交換することも
雑誌の記事として残っている。
ttp://quwa.fc2web.com/008.jpg
ttp://quwa.fc2web.com/009.jpg
つまり、SP盤からドーナッツ盤に切れ変わる間は、ラジオで音楽を聴いていた。
この時代を境に、懐メロと歌謡曲の境界線が引かれている。

ハイファイ化は、広帯域のテープレコーダーが先行していて
アンペックスの模造品を国産化したのが1953年。
三木鶏郎グループの「日曜娯楽版」の録音品質も格段に良くなる。
しかし、生演奏でなくても繰り返し再生できる、という利便性のほかには
ハイファイである理由はそれほどなかった。これの最後の要石は
三菱 2S-305モニタースピーカーだろうと、段々と思い始めてる。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/12(水) 06:33:01.63 ID:DCX30a0F.net
この懐メロと歌謡曲の狭間にある、レコード業界の谷間の問題は
それぞれの再生ノウハウの違いにあることが大きい。

ハイファイのほうが上位互換であると思いがちだが
実際に抜けているのが、スクラッチに伴うパルス性の歪みである。
ハイファイでは、中高域にリンギングが目立つと耳ざわりなので排除したが
旧規格の録音は、中高域の倍音が出ないと、曇った音になる。

個人的に使っているジェンセン C12Rは、ギターアンプ用として売られているが
もとはジュークボックスにも使われた中規模PA用の汎用フルレンジで
斜めから聞いたサインスイープは平坦な特性。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-5841.png
しかしパルス波を与えたときの高次歪みがすごい。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-6178.png
つまり、音源がローファイでも、それを補うプレートリバーブのような機能が
1950年代初頭のスピーカーには付随していたのだ。

よく勘違いされるのは、高次歪みによる倍音と
単なる高域不足をイコライザーで補正することの違いである。
私自身も勘違いしてたが、高次歪みはあくまでも中域の楽音から連動するが
イコライザーでの補正は中域の楽音とは関係ないノイズも一緒に増幅する。
つまり、古い録音の高域不足は、倍音不足なのである。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/13(木) 06:11:54.99 ID:jv58lKUK.net
ラジオな音の文化の喪失は、ラジオの次にくるオーディオ機器にもあって
1960年代からモノラルラジオ→ステレオ・セットというパターンになってから
その前に存在したモノラルの高級電蓄が存在できなくなっている。
ステレオ・ラジカセが登場した1970年代末からは、良質なモノラルの家電は消滅した。
その頃から40年の歳月が過ぎていて、もはや記憶のなかからも消えつつある。

では、良質なモノラル・システムで聴く、かつての放送音源はどうかというと
これが本当に味のある音である。スイング感、語り口、これらが全く自然で
アコースティックに機能している。架空の存在ではなく、存在感がありリアルなのだ。

ラジオ用だからと小さくしちゃダメで、ステレオのように疑似的な音像がないので
スピーカーという名の通り、人間の大きさと等価に考えるのが基本である。
10cmだと唇、20cmだと顔面、30cmだと胴体、という風にリアルさが変わる。

そして、かつてのモノラル・ラジオの録音は、それにちゃんと応えてくれる。
そのためには、重低音のためのウーハーでは中域が曇ってダメで
ボーカル域に強い大口径のエクステンデッドレンジが最良の結果を出す。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/14(金) 06:13:22.50 ID:vFpnovdC.net
ラジオな音が主役の時代の録音を
30cmフルレンジ(+ツイーター)で鳴らすとどうなるか?
これが、本当に躍動感のある音になる。
ステージを中心に活動してたエンターテイナーが
体全体で声を出しているのが判る。
その身体能力が、オーディオの機能と噛みあったときの快感は
何にも代えがたい体験だ。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/14(金) 07:09:33.12 ID:vFpnovdC.net
スピーカーのエンターテインメントとの関わりで言うと
ジェンセンはまさに、PA技術の創生期のブランドであり
おおよそ20世紀の音楽は、ジェンセンのサウンドを基準にして発展してきた
と言っても過言ではない。あまりに浸透しすぎて、空気のような存在になってるが
ボーカルのクルーン唱法から、エレキのつんざく音まで、幅広く存在する。

製品のグレードこそ様々だが、一番安いギターアンプ用ユニットでも
ジュークボックスに使われた、その美質は十分に備えている。
OEMの視点でいうと、企業の主戦場はこっちにあったわけで
大量生産品なりの熟成したバランス感覚がある。

高い安いの違いは、音響出力にあって、歪みのプレークポイントが
安いユニットほど低いワット数で歪みが大きくなる。
このため、ダイナミックレンジの広い、クラシックやジャズは破綻しやすい。

ところが、ラジオ用に録音された音楽は、ダイナミックレンジは抑え気味で
しかも高次倍音で中高域を補わないとバランスが取れない。
小さなラジオ用スピーカーだと1Wで歪みが増えだすところを
その音色を変えずに能率だけ6dB増やしてやる。
これがジェンセンの得意としたPA技術である。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/14(金) 07:28:36.95 ID:vFpnovdC.net
音響出力が90dB/mから+6dBになるというのは
単に2倍大きい音がするというだけでなく
見掛けのダイナミックレンジが増えて
音のディティールが2倍聞き取りやすくなる。
しかも通常の家庭だと、96dB/mは大音響になり
そのヘッドマージンも適当なのだ。

これがトーキー用の高級ユニットになると
同じ高能率でも歪ませるまで5〜10W必要とする。
100dBを超える大騒音になってクライマックスを迎える。

もうひとつの利点は、後面解放箱に入れても
中低域までフルスイングする鳴りっぷりの良さで
ドラムがリアルにドカッと来ると、それだけで快感である。
これとボーカルの繊細な味わいの共存は
ジェンセンが百戦錬磨で勝ち取ったブランド力である。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/14(金) 07:39:58.94 ID:vFpnovdC.net
以上、大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーで
SP盤、AMラジオの時代の音楽を聴くベき理由を述べた。

一方で、これは何も1940年代までの話ではなく、
歌謡曲、スタンダード・ポップスだと1950年代末まで続き
ロックのブートレグ盤、映画、テレビの音源で含めると
1970年代前半まで続く。多くのヨーロッパ映画はモノラルである。

この辺がオーディオ業界の見落としがちな、ニッチなこだわりである。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/15(土) 20:31:53.93 ID:nawG7jrL.net
今日は、昭和の上方漫才のエアチェックテープを集めたCD-BOXを拝聴。
ここまでくると、ジェンセン30cm一発で十分な帯域なので
色々とトーンやエコーを見直してみたら、段々とツボがハマってきて
1950年代の色々な音楽が実に生々しく鳴りだした。
サン・レコードのブルース&カントリー、初期モータウンのポップス
日本のカバーポップス、美空ひばり、何でも良い感じで鳴る。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/16(日) 07:05:42.05 ID:NYNajpIg.net
上方漫才の貴重な記録を蒐集した澤田隆治さんは
さすがに音質そのものについてはコメントしないが
本当にラジオの音というのを大切にしているように感じる。

一方で、ダイヤトーン 2S-305の開発に携わった佐伯多門さんの記事を読むと
ハイファイ移行期の録音ソースと再生機器の関係が見えてくる。
ttp://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2015/12/201511-076-080.pdf
「 SP レコードの音や中継所を通じた AM ラジオの音を聴いていた私は、
 格段に違う音質に大きなショックを受けた」
つまり、送信機に入る前の音は、1952年(昭和27年)で十分にハイファイだったし
そこでモニターに使用してたP-65Fも、ラジオ少年が手にしてみれる状況にあった。
一方で、SP盤、中継所の音質は、まだ旧規格のままだった。

そこで、まだ並四ラジオに噛り付いて、
日々生活して喜怒哀楽を共にする人々とのやり取りがあるわけで、
新しい規格の先導役となったエンジニアの意見と
古い規格で聴くリスナーの身近で考えたプロデューサーの意見とで
時代という緩やかな連帯の姿を見出すのが大事だと思った。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 06:28:20.73 ID:jE1d+TyU.net
1960年前後まで続いらローファイ録音に耐性をもつスピーカーだが
1950年代半ば以降のハイファイ対応製品では歯が立たず
一番手っ取り早そうで、悩ましいのがビンテージ品だ。
ラジオ用ならドイツ製フルレンジ、トーキー用ならアメリカ製などがあり
こうした製品に黄金時代の雰囲気を感じ取れる。
この逆のドイツ製キネマ用、アメリカ製ラジオ用はすごく希少だ。

一方で、最初に流行った1980年代から比べて30年の年月が流れており
最初の掘り出し物は消耗しきっており、かといって使用感のないまま
捨てられず残っていることは本当に稀だ。一番の問題は、見た目は同じでも
コンディションがまちまちなことで、本当にそのユニットの実力か?と問われて
ちゃんと答えられる一般ユーザーはほぼ皆無だろう。

そのくせして、録音ソースの出版事業は本当に旺盛だ。
個人的にはこうした人には、オーディオにも興味をもってもらいたい。
高級志向ではなく、ちゃんと最適化された拡声器である。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 07:20:35.80 ID:jE1d+TyU.net
ラジオ時代の録音の再生機器として
ジェンセンのギターアンプ用スピーカー C12R を薦めているのは
至高の存在だからではなく、むしろ安くて品質が安定しているからだ。
ジュークボックスの修復には最適であるというのを手掛かりにすると
クラシックを除く8割方のジャンルを網羅できる。

このユニットの広範なOEM先を考えると
プレスト社のカッターレース用モニター
ベル&ハウエルの小型映写機の簡易PA
ロック・オラのジュークボックス
フェンダー、ギブソンのギターアンプ
これだけでも考えうるメディアのほとんどを網羅してる。

大きな難点は、安すぎるため、商売にならない。
ギターのように、アンプだけでなく腕が重要な分野はいいが
オーディオのように指をくわえて見てるだけのものは
何かとステータスが必要である。
しかし、ビギナー向けに最適なのは、ジェンセンだ。
これは1950年代でも変わりなかった。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 07:55:34.26 ID:jE1d+TyU.net
ラジオな音のコレクションから
クラシックとモダンジャズを除外するとスッキリするのは
長尺の楽曲のため、早い時期にLPの恩恵を受けられたからで
5分未満の大多数の楽曲は、1950年代を通じてSP盤が優勢だった。
やはりメディアとしてのラジオの影響力が甚大だったのだ。

しかし、シカゴ・ブルース、ロカビリー、R&Bなど
アメリカの音楽シーンを語るうえで、この時代の録音は欠かせないし
日本だと懐メロ〜歌謡曲への橋渡しの時期で
ハイファイへの移行の早かったカバーポップスからレコード蒐集を語ると
芸能史にはあまりにも抜けが多い。
この辺は、SP盤時代のオーディオ的な考察が足らないので
音楽そのもので説得できないまま、知識ばかり集積されているからだ。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 07:15:00.05 ID:1+jqnYeq.net
ジェンセン P12Rの開発されたのは1947年。
実はジムランのD130とほぼ同じ年の製品である。

この手の大口径エクステンデッドレンジとしては
ジムランが$70に対し、ジェンセンは$12。
WE 728が$35で標準的な価格設定なのに対し
両極端に分かれている。

ジェンセンの背後には、GE、RCAのラジオ&電蓄用の
汎用品のラインが$6〜12にひしめいており
むしろジェンセン P12Rは、このクラスの代表なのだ。

一方で、電蓄用としてはパワーハンドリングが高く
ダンスホールで鳴らしても躍動感が保持できるため
中規模PAとしてのほうが、ずっと利用価値があった。

この辺の価値観の切り分けが重要で
1947年というSP盤と真正面から向き合って開発された
最終コーナーに構えている立ち位置があって
そのバトンの先には1950年代の曖昧なレンジ感がある。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 07:26:50.44 ID:1+jqnYeq.net
通常フルレンジは低域と高域のバランスから20cmが上限だが
1950年代は30cmを購入する人が多かった。
じゃあ、30cmだと低音がズンズン響くのかというとそうでもない。
今からみると中途半端に思える仕様は
実は中低域のレスポンスに魅力があって
腰までスイングする躍動感は、30cm以上でないと出ない。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 06:06:39.61 ID:Hzrd5jZk.net
放送業界にとって、三菱 2S-305モニタースピーカーの登場はいかほどだっただろう?
とくに記録があるわけではないが、FMステレオが実用化する1963年に5年先駆けて
ラジオやテレビのオーディオ性能はともかく、世界の標準を大きく上回っていただけに
次世代の録音品質の在り方に一石を投じたことは、1958年以降のアーカイブの
録音を聴けばよくわかる。もちろんモノラルだが、音に輝きが出てきたのだ。
2S-305は、放送業界のハイファイ化の起点に立つと同時に、到達点にもなった。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 06:56:59.06 ID:Hzrd5jZk.net
では、1958年以前のオーディオ技術はというと
SP盤、AMラジオという規格の枠のなかで、到達点を模索していた。
1950年代のSP盤の音質は、8kHz近傍までシャリシャリに伸びており
むしろLPの高音がおとなしいと思えるくらいである。

かといって戦前のように、柔らかい絹のような感覚は、薄らいでいる。
おそらく、戦前の蓄音機の最高峰だったクレデンザを目標にせず
欧米が戦中に模索していたハイファイ規格の影響を受けていたのだろう。

このハイヒールを履き、肩パッドを入れたようなスタイルは
1940年代から等ラウドネス曲線の音響理論を応用したもので
中高域を持ち上げることで、耳元で話すように錯覚させ
小出力でも明瞭度を上げる目的がある。
シュアーのボーカルマイク、ジェンセンのPA用スピーカー
入力、出力の両方から、この効果を狙っていた。
ttp://cdn.shure.com/user_guide/upload/493/us_pro_55s_1951_ug.pdf
ttps://www.jensentone.com/vintage_alnico/p12r

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/20(木) 05:49:29.09 ID:3eOemeMU.net
最近になってエコーの効果を色々と試していて
フィックスドエッジのスピーカーや古いライントランスを通した音は
低音に締まりがあって中域の反応が機敏な一方で
高域がドライすぎてギスギスする傾向がある。

エコー自体は、1960年前後の初期の家庭用ステレオ機器に
スプリング・リバーブを搭載したものがいくつかあって
日本でもビクターが製造していた。目的はステレオらしさの演出。
一方で、録音スタジオにエコールームを併設することも行われ
ロカビリーというと強いエコーのボーカルという印象をもつ人も
多いかもしれない。繊細なツイーターで再生すると、特にそう感じる。

ところが、フィックスドエッジとエコーは相性がよくて
高域のギスギス感を緩和して、倍音も増えるという良い傾向がある。
1950年代のモノラル録音を、ステレオ世代から眺めた感じだ。
古い録音だからと干物のように考えず、適度に調理してやると甘味が出る。
いや、干物のほうがアミノ酸の旨み成分が多いのだ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 07:13:28.75 ID:nIx5vp0v.net
中域の解像度を知るのに、本当に中域しかないローファイ録音で
スピードを要求される音源がある。上方漫才とチャーリー・パーカーだ。

前者は、朝日放送の元プロデューサー澤田隆治氏が方々から集めた
AMラジオのエアチェック音源で、これがなかなか手ごわい。
だいたいがダミ声でモゴモゴ言って、なにがオモロイのかが判らない。
原因は、子音の2〜4kHzが地声の200〜500Hzとしっかり連動してないと
マシンガンのように話すタイミングがずれてしまう。
そうなると相方でいえば3人目の相槌になるお客の笑うタイミングに
全くついていけなくなる。

同じことは、バードの1940年代にもいえて
最初はスウェーデンでのライブ録音を聴いたが
おおよそジャズらしい輝かしさがないし、長尺で飽きるのだ。
ところがダイヤル盤で、中域の吹き上がりを整えて
演奏テクニックの発展史を理解していくと
ジェットコースターのように観客を巻き込んでいくさまが判る。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:02:39.93 ID:nIx5vp0v.net
バードの起こしたビバップは、その後のモダン・ジャズの方向性を決定づけたが
戦中に活躍したジャンゴ・ラインハルト、ナット・キング・コールの
小構成で洒脱なジャズは、一時期すっかり影を潜めた。

録音は1930〜40年代に集中しており
そこでの再生の難しさも手伝って、渋好みの音楽になってる。
魅力は何か?と言われると、凝った技巧もさりげなくこなす
リラックスした空気のながれである。
後年に似たアレンジで録音されたものは、即興性に緊張感が漂っていて
音質は良くても、音楽がどこかぎこちない。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:44:58.82 ID:nIx5vp0v.net
松戸市の博物館には公団住宅の団地3階建てモックアップがあって
昭和30年代の品々で部屋が埋め尽くされている。
そこにあった白黒テレビが、味があっていいなと思って
余った液晶テレビの色合いを最低にしてみるとちゃんと白黒に。
シャープネスも落とすと、昔のとぼけた雰囲気も出て、これが結構ハマった。
サスペンス物なんか、役者の表情が判りやすくて食い入るように見てしまう。
照明とか、何気ない明暗がしっかりしてて、改めて関心してしまった。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/09(火) 15:46:04.68 ID:eP1+af4Z.net
モノクロ画面にジェンセンの30cm モノラルをかますと、これまた実に良い。
かつての標準だった16cmに比べ、4本分の迫力でようやく納得できるデフォルメ具合に。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 06:01:54.24 ID:keNLm7Ri.net
橋本トランスがサンスイのトランス事業を引き継いでいるのだが
そのなかに昭和32年から作り続けているのが
トランジスター回路用のトランスだ。

今回は10kΩ:10kΩのST-78を、ライントランス用に購入した。
もともと小型化の要請が強いので15mm角の小ささ
スペックは低域が300Hz付近から落ち始めて、高域も10kHz以上は保証しない。
ラジオやテープレコーダーの終段プッシュプルの位相反転分割用のものだ。
特に低域は、磁気飽和がしやすく、アタック音が潰れた感じになりやすいので
ハイファイ用には薦められない。

ところが、このトランスを通した途端、古い録音のモヤモヤがすっきり晴れ渡った。
どうも今までがセピア色に染まってるのが、年代なりの味付けだと思ってたが
1950年頃にソニー最初のテープレコーダーで録音された「日曜娯楽版」
1957年に美空ひばりが芸能生活10周年記念のラジオ番組
1960年代のBBC放送でのビートルズのR&Bカバー
どれも今ラジオ局のモニタールームで歌ってるかのように生き生きしている。

ジェンセン C12Rの開発が1947年、サンスイが1957年。
今も製造を続けている歴としたビンテージ品である。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/28(日) 18:52:10.23 ID:Br5pcl2O.net
同じサンスイ・トランスで、さらにローファイ仕様のST-17Aというのがあって
4kHzあたりから徐々に落としていくラジオ用。
これがさらに驚きの音で、本当にまいってしまった。
ST-78がカセットテープのような音なら、ST-17Aは蓄音機。
それも本当に甘い音のする蓄音機の音である。

一番の強みは、マグネトフォンの延長線にある戦後ドイツの放送録音。
少しギスギスした感じになりやすいところを、年代と共に熟成したワインのように
見事にバランスを取ってくれる。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 07:26:50.36 ID:qTaXOWyf.net
ラジオ、蓄音機というと、ピュアオーディオじゃないと思うかもしれないけど
昔だから低規格というのではなく、あくまでも人間の聴覚で決めたもの。
1950年代のSP盤もドーナッツ盤も、復刻CDではそれほど音質に違いはない。
同じマイクで録っているのだから、あとは録音機器の性能の違いなのだが
50〜10,000Hzまでしっかり入ってると、むしろSP盤のほうが音に勢いがある。
むしろ古い録音ばかり聴かないで、新譜を買わせようとする戦略だと思う。

一方で、一生懸命演奏した人の記録はどうするのか?
演奏技術の良し悪しだけは、録音技術では解決できない。
例えば、戦前のエノケンと浅草レビューが奏でるディキシーランド・ジャズと
1970年代にアレンジされたラグタイム風のバンドとでは、当り前だが趣が違う。
同時代のアメリカのスウィング・ジャズ・バンドもディキシーランドとなると
浅草レビューのバンドより腕は落ちる。
オーディオの再生能力は、レンジ感の広さでは測れない。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/05(月) 05:28:59.83 ID:Il3Osmba.net
ライントランスをサンスイ ST-17Aに変えてから
段々とエージングも進み、色々なことが判ってきた。

ひとつはボーカル域を中心に聴くという習慣付けで
低音、高音はボーカル域を聴いてから把握することで
より音楽の構造が判りやすくなった。

もうひとつは、1950年代以前のピアノ録音に対する
カマボコで聞き辛いという意識が、逆に減った点である。
これは不思議に思うかもしれないが、古い設計のトランスは
パルス波に鋭敏に反応して高次倍音を出す。
いわゆる歪みが多いのだ。
さらには、リバーブのノリが良いことで、
今風のスピーカーのように、高音だけが浮き出ることがない。
これは共鳴の多い昔のスピーカーとも符合する。

つまり、カマボコで乾いたピアノの音は
倍音も共鳴も多い、昔のオーディオシステムに合わせてある。

グレン・グールドのデビュー時代、ケンプのベト全 旧盤など
味わい深い名演が残されている。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/06(火) 06:26:42.00 ID:flz4z/+7.net
ボーカル域での出音のタイミングを優先し
その両脇の周波数帯域がやや遅れて出てくるバランスで
一番有意義なのが、AM放送用のクラシック録音だ。

ほとんどの収録がマイク1本の宙づりで、交響曲までこなす。
ttp://quwa.fc2web.com/bpo1947funkhaus.jpg
この録音方式がやっかいなのは、オケの一体感があるようで
実は響きが乾いてして、なかなか音が混ざらない。
それでいて、低音の床からの反射は遅れてやってくる。
フルヴェンのように、ホール全体をドライブする指揮者は
独特のうねりがなかなか掴めないのだ。

ところが、こうした現象は、高域を先に認知させるスタイルで起きることで
ツイーターでステレオ録音の定位や音色をコントロールするためにおきる。
どうもAM放送用の録音は、これとは逆で中域に情報が詰まっていて
ツイーターをコントロールする信号は希薄でノイズで埋もれてる。

サンスイ・トランスは、この領域の位相が遅れていくので
周波数バランスを時間領域でも区切っていくことになり
マイクで拾った情報が元の中域寄りのバランスで流れるようになる。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/06(火) 06:44:04.55 ID:flz4z/+7.net
中域寄りのバランスは、自分のシステムだと以下のようになる。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-8399.png
100〜800Hzで強い盛り上がりがあり、両端はおとなしい。
しかし、パルス性の応答となると、びっしり高域まで伸びている。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-8568.png

AMラジオ用のトランスが入り口での引き締め役なら
もうひとつの基本アイテムがフィックスドエッジ・スピーカーで
中低域の反応に遊びがない、というのが売りである。
低域のアインザッツが揃うという快感は何にも代えがたい。
この瞬発力があるから、ラジオ用トランスが生きてくる。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/07(水) 07:36:37.85 ID:YamRmZBh.net
フルトヴェングラーのライブ録音について、1980年代に大量のコピーテープが
セブンシーズというレーベルから提供されていたが、これには随分と悩まされた。
興味深い演奏が多いのに、エアチェックのような雑然とした雰囲気の音質。
後に放送協会に保存されていた元テープが出るようになって疑問は氷解したが
一方で、コピーテープの出所が伊チェトラだったというのだから少し驚いた。
てっきりアメリカのArt&Musicだと思ってたからだ。

最近になって、ジェンセン C12Rを使いだして、こうしたエアチェック物との付き合いも
随分と楽になったが、このジェンセンは現在イタリアのSICA社で製造されている。
PARCオーディオ主催の方が、ソニーのカーオーディオのエンジニアをしていた頃
イタリア人の音の嗜好が、高域はそれほど伸びてなくても良いかわりに
中高域にエネルギーがないとダメだということで、オペラの国だからだろうという意見だった。

一方で、ドイツには昔からジャーマン・サウンドと呼ばれる地場の嗜好があって
やはり中高域が強いサウンドで、海外に輸出する際の障壁と思われていた。
現在では、エラックなどを筆頭に、とても端正なサウンドがウケているのだが
こと古い放送用録音となると、このジャーマン・サウンドが標準になるようだ。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/10(土) 06:23:50.94 ID:OU0tYoBU.net
とはいえ、ジェンセンもドイツ製も基本は攻撃性の強い音だ。
音質が刺激的というだけでなく、音に噛みついてくるという点でも
CD直結アンプで鳴らすと歯が立たないどころか、逆に耳を食いちぎられる。

その頃の録音やアンプを考えてみると、かなりのフィルターが掛かっていて
レンジは狭い、アタックは緩い、そういう環境のなかで拡声器に求められる
メカニカルなパフォーマンスが、スピーカーの設計のなかに存在していた。

それをそれなりに聴ける音に制御するほうのシステムも必要なのだが
どうもビンテージ・スタイルのアンプというのが扱いにくいシロモノで
例えば直熱三極管ひとつにしても、造りが単純なだけに
トランスをはじめ、抵抗器、コンデンサーなど凝れば再現がない。
特に現在は、能率の悪いスピーカーに合わせて設計されるので
レンジが広くてアッサリ味が結局生き残る。

そこで見つけたのが、ラジオ用のサンスイ・トランスで
攻撃的なスピーカーに対して「まぁまぁそこは」という調停役を買って出て
なおかつ出すべきエネルギーの分布を集約してくれる。
バレーでいうセッター、野球でいうキャッチャー、サッカーではミッドフィルダーである。

考えてみれば、ドイツ製のラジオにも似たようなトランスが実装されてて
その名残がどういうわけか工業用として今も残っていたということだ。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/10(土) 16:04:54.73 ID:OU0tYoBU.net
ラジオな音のクラシックを聴く理由は? と言えば
音楽への情熱というか、演奏行為そのものへの
全人格的な傾倒が半端じゃないからだ。
根性で演奏してたというべきか、技術の限界を突破する破綻が
あちらこちらで聴かれる。その壊れ加減が人間らしく美しい。
変な言い方だが、今の演奏はリアリティを通り越して
精巧な蝋人形のような、完璧な複製品である。
ラジオな音の描写は、そこら辺がせいぜい劇画で留まってる。
つまりドラマの伏線があったうえでの、デフォルメされた表現である。

クラシック音楽を鑑賞したいとき、何を求めるか?
精巧なオーケストラ、ピアノのサウンドそのものの再現か
それとも演奏で伝えたいものの再現か。
音の忠実度と引き換えに失ったものが、ラジオな音から聞こえてくる。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 15:05:32.10 ID:ujL2/R6k.net
ラジオな音にもリアリティが存在するが、それは肉声のもつリアリズムに留まっている。
つまりボーカル域だけで、クラシックの言語的な構造を押し込めているのだ。
その意味では、些細なアーティキュレーションも逃さない再生能力が
中域だけに集中して求められることになる。
これは、今のオーディオ技術が一番苦手とすることで、
音像を奥行き方向に展開し、高域で楽器のニュアンスを伝える方向とは逆である。
ラジオな音は、音像が前に出て、高音抜きで演奏を鑑賞する。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 15:07:35.50 ID:ujL2/R6k.net
よく勘違いされるのが、ラジオな音=低スペックということで
16cm以下のフルレンジを基本にしたシステムを組もうとすることで
私も散々やったが、なかなか良い結果が出ない。
これは、コーン紙でダイレクトに駆動できる範囲が口径で決まるためで
16cmだと500Hz以下はエンクロージャーの反射音を聴くことになり
中低域のガッツある骨太な表現が柔らかく離散してしまう。
30cmでようやく300Hzより低くなり、このスピーカーの規模を外すと
何をやっても力感のない表現になる。

例えば、ティタニア・パレストのベルリン・フィルの録音は
低音の跳ね返りがドンヨリしやすくて、あまり録音には向いていないのだが
中低域までちゃんとグリップ感を保って再生してあげると
蹄のがっしりした馬で引く鉄輪の荷馬車のように力強い推進力が出る。
劇場を包み込む暗雲のような低音は、それだけ再生装置を選ぶのだ。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/21(水) 07:46:34.62 ID:EjaTxpcv.net
クレンペラー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管によるマーラー「復活」
1951年のアセテート録音によるモノラル録音だ。
1940年代のメンゲルベルクと同じ機材での録音だが
オタケン・レコードがテストプレス盤を復刻している。

クレンペラーがまだフィルハーモニア管に招かれる前の演奏で
すごくエキセントリックで表現主義的な表現が目立つ。
1楽章も葬送行進曲というより死への突入というような鮮烈さ。
この辺がニーチェのような傲慢さと時代性をひとつにしているし
ダンテ以来の煉獄をテーマとした中世的なモチーフの最後の片鱗だ。
こうした演奏・録音は、ステレオ的な音場感、奥行き感なんてもので
誤魔化すと随分と損をする。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/22(木) 07:01:35.83 ID:cIdZlhvQ.net
同じタイミングで購入したのが、フルトヴェングラー/BPOのヴィースバーデン演奏会で
プフィッツナーの追悼も兼ねたコンサートだった。
こちらのブラームス4番は「枯葉がひとひらひとひら落ちるような」という評価もあるが
1948年のEMI盤に比べると、1音1音を慈しむように演奏しているが
微妙な音の間が寂寥感を深めている。

ただ、先のマーラーと比べると、現在定着している古典的造形というよりは
かなり表現主義的で、ココシュカ画「風の花嫁」を連想させる切なさが浮き彫りになる。
時代の風に翻弄された人間の弱さをひと時でも包み込みたいと思う瞬間だ。

こうした録音を扱うときは、フォルテでの圧倒的な力量よりも
ピアニッシモでの表情の濃さのほうがとても重要になる。
弱音が遠く霞んでしまうのではなく、凛と立ち尽くす感じである。
ヴィースバーデンの会場の響きは乾いていて、そこが寂寥感をさらに増し加える。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/23(金) 07:21:41.45 ID:Do/tgVtp.net
カザルス/ゼルキンのベートーヴェン/チェロ・ソナタ全集
1951〜3年にプラード音楽祭の合間に録られたようだが
70歳を超えたカザルスは少し腕が細り、枯れた味わいで
ゼルキンがガッチリ支えてソナタの構成を縁取ってる。
このため、チェロ・ソナタというよりも、通奏低音付きピアノ・ソナタ
というバランスなのだが、これが即興性のある味わい深さを出してる。

プラード音楽祭のライブか?と最初は思ったのだが、そうでもない。
どちらかというと、周到なリハーサルを抜きに本番に挑んだかのようで
18世紀の室内楽が音楽家の私的な会合だったことを思い起こさせ
ライブよりももっと大きな枠の、生活そのものを切り取ったような演奏。
カザルスの枯れた味わいが、まるで樹齢を重ねた老木のようにそそり立つ。
その周辺を鳥のさえずりのようにピアノが舞ってる。

チェロのボウイングは、切れ込みを出すのが難しく漠然としやすい。
高域の擦音だけでなく、出音が踏ん張る瞬間で
音の深みが全く違って聞こえる。
今回の録音は、チェロの音が霞んでいて
カザルスの唸り声のほうが大きいくらい。
老木の気迫は、ボウイングの再生がポイントなのだ。

チェロ・ソナタという作品の完成度としては落ち度が多いのだが
なぜか足りないと思うところを頭が捕捉しながら耳を傾け
感情の溢れ出すときに「おお!」「そうくるか!」と相槌を打つ。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 07:40:31.48 ID:uGjXZpNG.net
今日は、気分を変えてビートルズのBBCセッションズを試聴。
1960年代前半までのBBCには独自のルールがあって
国営放送であるため公益以外の利益を追求できないこと
もうひとつはレコード業界との紳士協定でレコードの放送
すなわちDJによる番組を禁止していることがあげられ
ビートルズも例外ではなく、基本的にカバー曲を中心に演奏している。

では、カバーしたレパートリーはというと、黒人のR&Bが主体なのだが
当時は白人の作詞家、作曲家も手広く活躍していて
例えば、キャロル・キングのような人は、ビートルズのひとつの目標になった。

このビートルズによるR&Bカバー集というのが、演奏がシンプルなのに
結構ロックンロールしてて、当時のティーンズを熱狂させた理由が判る。
ただ条件があって、ドラムがバシッと鳴ること、ボーカルが喰い付くことなど
レンジが狭くても俊敏性に優れた再生装置でないと、ロkックの野趣がでない。
当時の英国のティーンズが愛用してたラジオや卓上プレーヤーは
ECL86のような複合管と楕円フルレンジが主体で
全体にパリッとした乾いた音のものが多く、いわゆるブリティッシュの暗い感じじゃない。

日本における。イエスタデイ、ヘイ・ジュードのようなバラード好みから想像する
ビートルズの様相とは、全く相いれない初期のビートルズのロック魂を堪能しよう。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 08:49:57.03 ID:uGjXZpNG.net
こういうロカビリー時代を活き活きと再生するのに
ジェンセンのエクステンデッドレンジ(ギターアンプ用)は
とても相性が良いのだが、漠然と鳴らしてもちっとも良くない。

プリメインアンプは広帯域のもので良いのだが
箱を後面解放型にすることで、低域を絞って反応を俊敏にする
高域は5kHz以上を薄くツイーターで補ってやる
前座でサンスイ・トランスST-17Aでレンジを絞る
さらにデジタルエフェクター(ラジオボイス)で帯域を絞る
などなど、盆栽のように、イジメに苛め抜いて
最後のひと絞りの雫が、ギュッとつまったエッセンスになる。

フラットで広帯域で鳴らすと、低音はブヨブヨ、中高域はザラザラ
ボーカルはエコーのお化け。。。そういうものが、ロカビリーの印象だ。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/26(月) 06:55:50.09 ID:49/wXk6w.net
ビートルズのBBCセッションで周波数レンジを狭めるという手段に出たが
ラジオ的に音響がまとまっているうえに、スパイスも効いたバランスになる。
このバランスは、放送音源のクラシックにも適用できて
特にオペラ物の場合は、見直す必要があるように思っている。

1950年代で復刻される音源の場合、大物指揮者のネームバリューが先だって
オケの音場感の再現のほうに耳が行き勝ちだが、そうしても限界がある。
手持ちのものでも、フルヴェンの指輪、クナのオランダ人など
ワーグナーの演奏史に残るはずのライブだが、どうも本来のバランスが判りずらい。
録音年代の古さだけの理由ではないだろうと、ずっと思い悩んでいた。

最近フルヴェン/RAIの指輪について、アーカーイヴの顛末を読み直してみると
テープからアセテート盤へダビングして、その後テープの行方が判らなくなった
というのをヒントに、アセテート盤に合わせたバランスで調整すると
今まで何をやってたんだろう? という感じで、疑問の多くが氷解した。
1940年代の技術水準で理解すると、箱詰めの音のパッケージがしっかり収まる。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 05:54:37.80 ID:3C5RUvAL.net
最適な周波数特性を探っていたら、偶然にも「40万の法則」に行き着いた。
ttp://quwa.fc2web.com/wps_clip_image-26586.png
200〜2.000Hzを同心円状に広がる黄金比。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/13(日) 07:31:09.74 ID:edUGvJns.net
1950年代というと、LP発売、ハイファイ・オーディオの夜明けという感じで
ジャズやクラシックの優秀録音が取り沙汰されるが
同時代の録音を色々と聞いていると、どうもSP盤、AMラジオという
ローファイ規格のほうが、音楽文化として地続きで安定している感じがする。

ローファイだからと、ラジカセ並みでスペックが満たされてると思いがちだけど
こうした偏見は1960年代後半のことで、モノラル電蓄が製造されなくなってから。
ステレオ装置のほうが電蓄よりも立派にみえるので
そっちで良い音が鳴らなければ、悪い音質という偏見が先だっている。
だからラジオ=音が悪いという、ステレオタイプの意見が多い。

1950年代のローファイ仕様は、シカゴブルース、フルトヴェングラー、懐メロ。。。
広い海原のように、ミュージシャンの群れが広がっている。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/13(日) 07:42:48.72 ID:edUGvJns.net
ここ2年くらい、電蓄〜ジュークボックス並みの規模感のモノラルシステムを
安い部品を掻き集めて構築しているが、餅は餅屋というべきか
ローファイ録音は、かえってマイクの音そのままが刻まれた
色付けのないストレートな音だと気づくことが多い。
ttp://quwa.fc2web.com/monoralsystem18.jpg

それを原寸大で取り出すオーディオは、それなりに大きくすべきだ。
そう感じたのは30cmのエクステンデッドレンジ・スピーカーにしてからで
中低域に弾力性があって、音楽が腰から動き出すのが良く分かる。
100〜6,000Hzで音楽表現の質を究めるというのは意外に難しい。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 08:22:14.57 ID:NcS72AcZ.net
ワーグナーの指輪といえば、クラシック史上最大の楽曲であり
クラシックファンなら一度は登頂してみたいと思う
レコード界のマッターホルンのようなもの。
ともかくそれを買って聴くために
結構なお金と時間とを費やさねねばならなかった。

ところが今はどうであろうか。
1950年代の豪華キャストの録音が、3000円を切る事態になっており
逆に何を選べばいいのか? その悩みのほうが大きい事態になっている。

例えば、切り口としては
フルベンの1953年ローマ公演、同じ年のクラウス、カイベルト盤との聞き比べ
クナ将軍の1956、57、58年のバイロイト公演揃い踏み
これだけ、解釈の違いが聞き比べられると、楽曲のイメージを実体化するのに
どれだけの伝統的書法を駆使したかかなり判る。
実はワーグナー的書法は、ロマン派にいたる様々な伝統の総決算なのだ。

さらに、この彩りを再生するオーディオの調整はどうすべきか?
その登頂ルートを割り出していくのも、マッターホルンのように険しい。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 08:55:24.75 ID:NcS72AcZ.net
廉価盤オペラの宿命として訳詞がないわけだが
指輪に関しては、色んな訳が単行本で出ている。
自分としては、コミック版の要約のほうが場面設定が判りやすく
里中満智子、あずみ椋と立派すぎるほどの布陣で読めるのもいい。

コミック版が画のイメージで一目で判るのに対し
ワーグナーは楽劇に仕立てるときに
歌詞をかなり長々と説明に要していることが判るし
牧師を父にもった放蕩息子の姿も浮かび上がる。
同じようなコンプレックスをもった王子との出会いが
ロマン派の大曲を生み出したというのは面白い。
コミックのオタク文化と並べて違和感がないのがすごく変だ。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 09:10:03.87 ID:NcS72AcZ.net
要約という点に注目すると
1950年代のライブ録音は、すべてラジオ用の放送録音で
リアルな実体というよりは、だんぶ音響サイズを縮めて収録されている。

ステレオ録音のように、楽器の遠近や歌手のザイスが整えられてなく
これがモノラルの再生の難しさとも繋がっている。
自分はモノラル専用システムで聴くが、多くの人はステレオ装置で再生する。
その場合の音像、レンジ感のデコボコ感は修復しようがない。
放送用モノラル録音に相応しい、音響サイズの要約と拡声のルート開拓が必要で
まさに今も実況で聴いている一期一会の時間を表出しないといけない。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 09:26:16.52 ID:NcS72AcZ.net
70年前の録音を、今も実況で聴いているような錯覚を得るまでには
オーディオ機器の特性と聴き手の心理状況とが鍵になると思う。

音響的なリアリティの定義を、10kHz以上の超高音とかに頼らず
200〜2.000Hzまで下ろしてレスポンスを俊敏にすることが必要で
なおかつ不用なパルス音、重低音のグランドノイズなどを除去して
楽音に集中させる環境づくりが必要である。

不用なパルス音、グランドノイズの除去は従来イコライザーが主流だったが
最近はライントランスのほうが有効だと判ってきた。
特性としては2dB程度しか下がらないのに、ノイズ成分は位相が遅れて
楽音の帯域から遠のいてボケていくのが判る。
その代りに、トランスから発生する磁気歪み=高次倍音が楽音を彩る。
つまりレンジ感をそれほど犠牲にせずに、楽音とノイズ成分を分離できるのだ。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 09:41:50.21 ID:NcS72AcZ.net
聴き手の心理状況のほうは
レンジ感への耳の慣れと同時に、片耳から聴くことの慣れが必要だ。

片耳から聴くというと、ステレオ試聴の方法論から考えると怪訝に思うかもしれないが
実は昔のモノラル時代の人は、押し並べてスピーカーを斜め横から聴いていた。
有名な瀬川冬樹さんのAxiom80も右側に置いてある。
ttp://quwa.fc2web.com/segawa-img_0.jpg
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今なら、レコードプレーヤー近くの椅子に座って正面から聴くだろうが
これは正式なモノラルの聞き方ではなく
ほとんど後方に近い位置で、斜め横から聴くのが正統なのだ。

片耳で聴く場合の注意は、他の耳でレンジ感を捕捉することに慣れること。
あきらかに聞こえてる音は、左右で違うのだが、
人間とは不思議なもので、左右のレンジの違いは脳内で補完する。
この補完作業がとても重要で、足りない音を補完する作用を生み出し
脳内を楽音がグルグル駆け回る状況を生み出す。
音楽の流れに身を任せ、グルグルと反芻するときの快感は
ステレオのときとは違う陶酔感を生み出す。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 10:07:59.99 ID:NcS72AcZ.net
ステレオ録音が、楽器の遠近や歌手のザイスが整えられているというのは
あくまでもディスクトップ、ニアフィールド、部屋の壁面をスクリーンに見立てた
サウンドステージが前提としてあって、その範囲内で整合性をとっている。
オペラの場合は、いい意味でも、悪い意味でも、小人が躍ってる状況である。
これはモノラル装置で聴くと、遠景で印象の薄い状況になる。

一方で、モノラルはテレビ画面にすし詰めになったレイアウトで
何が主人公でクローズアップされるべきかを予め整理している。
そのデフォルメが、いきなりステレオの大型スクリーンに映し出されると
大写しのヒロインに食べられてしまうのではないかと思う。
いわゆるビックマウスという現象だが、もちろん録音が悪いわけではなく
オーディオ装置の不整合が理由である。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/18(金) 11:28:16.11 ID:57s6pVTn.net
モノラル期の複数の録音で他に気になるのは
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲で
それほど有名でもないというか、内容が渋すぎるのに
どうしてこんなに多いのだろうか? と思うくらい。

ブタペスト(CBS)、バリリ(ウェストミンスター)のセットは昔から有名だったが
ハンガリー、ヴェーグ、ケッケルト、1曲足らずのアマデウスなど
これらのうちで何が一番か? と言われても、正直答え辛い。
時代的に新即物主義のパートに優位をつけずにガッチリ組んだアンサンブルで
オーストリア、ハンガリー、チェコ、ロシアと、それぞれ別ルートの伝統から
輩出してきたという点でも、我こそは元祖という威風が感じられ
その暖簾の真正に疑いの余地はない。

じゃあ、せめて録音で比べてはどうかというと、これまた甲乙つけがたい。
モノラルだからというハンデもなく、
ブタペストSQの場合のように、むしろ硬派で凝集力があるということで
ベートーヴェンにとってはむしろアドバンテージともとられている。

これだけ揃い踏みしても、いずれ菖蒲か杜若、というような華やぎはなく
盆栽の品評会のようなところが、これまた謎に輪をかけている。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/18(金) 17:29:24.12 ID:57s6pVTn.net
上記のうち、バリリSQは純正なウィーン・フィル団員が残した全集として唯一のもので
ハンガリー、ヴェーグは共にバルトークと親交のあった機能主義に貫かれていた。

ブタペストは結成時こそフバイを中心とするハンガリー人の団体だったが
全集録音時の奏者はロシア人で占められており
その出自もアウアー門下、ウィーンで学んだ者、ライプチヒで学んだ者と
様々な伝統が再統合されたような感じだ。
アマデウスSQも国際的だが、アンサンブルはより柔軟性のある
むしろウィーン寄りの風情がある。ステレオ時代のほうが有難味が大きいだろう。

変わっているのが、ケッケルトSQで、プラハ在住のドイツ人で結成され
後にバンベルク響、バイエルン放送響の設立時に中核を担っている。
両者の演奏スタイルが異なることとは裏腹に、四重奏団の演奏を聴くと
その機能性のあるアンサンブルは、単純なザハリッヒな解釈とは一線を画している。
オケの団員で維持された四重奏団としては、全集録音の数少ない事例になる。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/18(金) 17:56:28.00 ID:57s6pVTn.net
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏は
特に後期作品において、ラズモフスキー伯爵が結成させた
シュパンツィヒ四重奏団という、四重奏団としては初のプロ演奏家によって
演奏会が行われたという特別な経緯がある。

従来は、モーツァルトがそうだったように、公開演奏会の演目ではなく
腕に覚えのある親密な仲間うちだけで、演奏しながら作品を味わうという
文字通りの家庭音楽そのものであった。

そういう経緯から言うと、専門の四重奏団が演奏会の演目に取り上げる
というのは判らないわけれはないが
個人的な感想からいうと、オケの団員が数多ある演奏会で身に着けた
伝統的な語法で奏でた、バリリやケッケルトの全集に思いを馳せる。
一見して伝統の惰性になりやすい傾向がありながら
土の香り、木々の香りのする自然さが、ベートーヴェンには不可欠なように
思えるのだ。つまり、孤高の精神性ではなく、彼を支えた人脈の愛情である。

ウィーンに居たロシア人外交官ラズモフスキー伯爵の友情とも言えるが
そもそも専門の四重奏団を置いた経緯も、楽友協会の咀嚼を介さずに
ベートーヴェンに自由な発想で書いてもらいたいという厚意の現れであり
後期作品集の大きな礎になっているように思う。

この友情を、孤高に昇華させ峻別するのではなく
あたかも居心地のよい邸宅のような佇まいで
さり気なくもてなすのが貴重なように思う。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 06:38:53.60 ID:5Pj7TMRN.net
さりげなく、という言葉がオーディオに相応しいかには議論の余地があるだろう。
オーディオ自体には、コストに相応しい、特別な時間を共有すべき身構えが必要だ。
というより、オーディオ装置そのものが特別な何かであることを望んでいるかのようだ。

自分は、オーディオ・ポエムという呼んでいるが
オーディオ装置自体がソフトの特性を押しのけて
独立して音響的な価値観を主張しはじめたのは
それほど昔のことではない。
オーディオ装置に商品説明に留まらない
批評が加わったのは1950年代からで
日本では1960年代の半ば過ぎてからである。

単純には、予算に合わせたステレオを購入するガイドブックだが
そのなかでも、何が高性能でリーズナブルかの理由を述べるため
宣伝の枠を取り払って、比較論議を噛ましたのが初期の話。
今でも、この相対的な優越の比較=批評というスタンスは
大枠で変化していない。

一方で、オーディオにはメーカー毎のサウンド・ポリシーが存在し
その個性をちゃんと評価するというか、言葉で説明する批評も存在する。
一種のオーディオ機器を製作する側のアイデンティティの主張だが
そのアイデンティティの表現が、電子機器の擬人的な表現に結びついて
あたかもオーディオ機器を通じて製作者のメッセージと受け取るという
不思議な体験を文章として留めることをし始めた。
レコードは台本、オーディオは演者、そういう役割をもたせて
役者たるオーディオ機器の擬人的な魅力を紡ぎ出す。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 07:03:16.62 ID:5Pj7TMRN.net
物質がその特性以上の人格を有するというのは
楽器の世界ではよくあるもので、ストラディバリのような伝説も存在する。
今でも、才能のある若手にストラディバリ、ガルネリなどの名器を貸し出し
デビュー後の10年間という期間限定で活動させるプログラムがある。
つまるところ、楽器の威力を使ってコンサートを牽引する期間から
自身の芸風がちゃんと確立して、立派なアーチストに成長したら返却する。
これは人間の成長に合わせたサポートの仕方である。

一方で、オーディオ機器に関しては、商業主義が表に立つため
経済力の成長にしたがって、大器晩成型のグレードアップを推奨する。
それと並行して、過去の製品からの進化、改善点を宣伝する。
つまり、一生卒業などない所有欲をくすぐることが本来の目的であり
人間の成長などはあまり気にしていない。
自分のマニファクチャの成果を、購入してくれさえすれば良いのであり
それ以上の関係を築くことが、オーディオ・メーカーには出来ていない。

オーディオを楽器のように考える人がいるが
同じ音を奏でる道具であることには変わりないものの
持ち主を肉体的・精神的に成長させるようなものは
楽器にはあっても、オーディオにはほとんど存在しない。
むしろユーザーは能動的にオーディオに関わらないと
成長するどころか、退化するのみである。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 07:35:05.77 ID:5Pj7TMRN.net
レコードは演奏の記録であると同時に
生きていた頃の記憶、墓標のようなもののように思うときがある。
私は、作品の特徴を刻銘に留めたスタジオ録音よりも
ミスタッチや不測な事柄を内包したライブ録音のほうが好きだ。

フィレンツェ派の人々は、完成された油絵よりも素描のデッサンを尊重したというが
巨匠の生きた筆使い、ニュアンスのほうに、画家本来の技法があると考えた。

同じように、一期一会の人生の通過点に過ぎないコンサートの記録は
そのときの肉体的な限界、会場を取り巻く環境的な要因と交錯しながら
過去の事件へと記憶をいざなってくれる。

それがラジオのような、便宜的な機械のための録音であっても
半世紀も経た時空を飛び越えて届けられた実況という感覚が蘇る。
演奏家その人以外にも、その頃生きていた人へ届けたい思いも一緒に
録音のざわめきのなかから浮かび上がってくるようだ。

現在鳴っている音響というオーディオ的な完成度ではなく
時間軸のスパンの長さが自分の人生の長さを飛び越えたとき
何か新しい事柄が起こっているような気がするのだが
その再生行為に何の意味があるのかを、あまり言葉にできないでいる。

オーディオが物質である、という概念を超えていくような気がしているが
それを再生=輪廻のような宗教的なサイクルでは説明したくない。
もっと現生的な理由のほうに、自分自身しがみ付いているからだ。

半世紀も経て届けられた実況録音にも、今現在という前提が必要で
むしろ生きている側の意味について、将来この時代がどう思われるのか
そのことの繰り返しのほうが気になる。
それこそ話にもならないミスタッチの集合体なのだと自戒する。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 08:09:52.47 ID:5Pj7TMRN.net
話をケッケルトやバリリのベートーヴェン弦楽四重奏曲に向けると
ライブ録音とは別のレベルでの日常が綴られていて
これもまた時間軸の枠を超えているような気がする。
オーケストラ団員が過ごした時間の流れが感じられるからだ。

その頃に形式化された新即物主義による四重奏の技法に対し
ハプスブルク王朝が育んだ伝統的な技法の名残が
土臭さというか、街路の埃が街並みまで代弁するかのような
感覚を呼び起こしてくれる。

こうしたトータルな情報量の前では
バイオリンらしい音色とか、コンサートホールのような奥行きとかは
むしろドラッグクイーンのように美的感覚の一線を越えていくようで
モノラル録音のまじめさが、むしろ安心できるような気がする。

モノラル録音のまじめさというのは、商業録音だと割り切った謙虚さであり
むしろパッケージ化する際のお約束を愚直に守っている。ただそれだけだ。

しかし、その愚直なまでの商業性が、オケ団員による全集録音という
一見するとルーチンワークに見える職人芸と、とてもマッチしている。
だから変なスポットライトを浴びせずに、自然な太陽光だけで構成した
セッション録音が成立したのである。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 08:26:11.16 ID:5Pj7TMRN.net
現在の進化したと言われるオーデイオ技術は
ドラッグクイーンのように美的感覚の一線を越えていくような感じがする。

そう気づいたのは、1950年代のマイク音のみで加工していない
スッピンのライブ録音に多く接したからだと思う。

そのリプロデューサーも、Jensenが1947年に設計したPA用スピーカーで
今はギターアンプ用スピーカーとして製造されている。
これは、音量の小さいボーカルやギターを拡声しながら
ジャズバンドの生音とホールで対抗するように造られた
最初期の機材である。

これの使いこなしはそれなりにコツが要って
つまり高次歪みを積極的にコントロールしながら鳴らなければならない。
CD→アンプ直結でストレートに鳴らすと、じゃじゃ馬そのもので話にならない。
そういう意味では、ライントランスでの帯域制限、磁気ヒステリシスの累加など
非オーディオ的な歪みを巧く利用することで、サウンドが整っていく。
モノラルのライブ録音は、少しハッタリも含めたPA技術のほうがシックリ行くのだ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 07:59:23.36 ID:hvTuMGkJ.net
少しハッタリも含めたという点では
初期のハイファイ録音には、やや高域と低音を強調したものが多い。
デッカ ffrrなどは代用的な例だが、テレカンケンとも言われた硬質なテレフンケン
米マーキュリーもリッチな音にアザトさが目立つ。
旧コロンビア系列の、CBS、EMI、グラモフォンが大人しめな音調であるのに対し
どこか下剋上を伺うようなサウンドであるのも特徴的だろう。
両者の中間で、米RCA、蘭フィリップスがあるが、リッチさの感じ方の違いがある。

こうしたレーベル毎のサウンド・ポリシーの違いは
そのままハイファイとは何か? という考え方に結びつくだろう。
その意味では、モノラルでハイファイというのは、けして一筋縄ではいかない。
しかし、正解がなくても、別に良いように思う。十人十色がむしろ普通なのだ。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 06:22:21.55 ID:vE1Hmc/r.net
こうした個性あるモノラル録音に囲まれて
オーディオ装置を調整するのに色々と難儀する。

例えば、デッカもEMIも、スタジオモニターはタンノイだったが
デッカが音の柔らかく広がるコーナーカンタベリーなのに対し
EMIはロックウッド製のタイトな音のする箱などの違いがあった。
金ピカのデッカと、ビロード地のEMIとの違いを相殺する感じがある。

ただ興味深いのは、HMVとデッカの高級電蓄で
HMVは自社の楕円コーンにデッカ製のリボンツイーター
デッカはタンノイにグッドマンのウーハーを付け足すという構成だ。
ステレオ時代のデコラは、EMI製のユニットで占められた。
ようするに、デッカとEMIは、互いに互恵関係にあったのである。

では、自分のモノラル・システムで、何を選択すべきか?
これがなかなか難しいのだと思う。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 06:38:18.03 ID:vE1Hmc/r.net
デッカの金ピカのサウンドと、EMIのビロードの光沢の特徴について考えてみたい。
どちらも高域に癖があるというのは相違ないが
デッカが直接音をキッチリ収録するので、4〜8kHzのピーク成分を嫌う。
一方で、EMIのほうは、中域からの倍音成分を必要としており
それが上品なビロードの光沢に繋がる。

色々試してみて判ったのは、イコライザーで高域の調整をしても
デッカはほんの3dBも変われば激変するのと
EMIに必要な高次倍音が増えるわけではない。
周波数特性だけでは、どうしても最適解が見つからない。

デジタルに移行した頃、真空管プリがデジタルと相性が良いと言い出したのは
EMIの録音技師だったが、恣意的に倍音成分を累加するのが良いのだ。
倍音を増やす方法は、真空管、トランス、古い設計のスピーカーにみられ
いずれも1950年代にピークを迎えた音響技術だったことが判る。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 07:16:22.65 ID:vE1Hmc/r.net
最近になってようやく理解できたのだが
EMIのスモーキーなサウンドは、戦前のHMV時代との連続性を考えて練られており
高次倍音を大量に出すシステムを構築すると、SP盤の再生を調子良くなる。
一番の違いはピアノの録音で、倍音で底光りするサウンドを獲得すると
SP時代の録音でも、高音の鍵盤のピンと立つ音が引き立ってくる。

実は、蓄音機の金属製リプロデューサーにも、一種の共振が仕組まれている。
クレデンザも筐体の奥深さが強調されるが、WEが開発したリプロデューサーと
対になって本当の実力を発揮する。
リプロデューサーにも雲母製のものがあり、そちらはスクラッチノイズが目立たない
実に円やかな音が出るのだが、金属振動版のように朗々とは鳴らない。
電気録音とアコーステック録音の狭間を狙うときにひとつの選択肢になるだろう。
仏パテのように紙振動版の特殊なものがあるが
パテのSP盤を直接電気変換すると、電話の声のような味気ないものになる。
総じて蓄音機自体は、一種の楽器のような要素を多分に残してたといえる。

Jensenのギターアンプ用ユニットは、それ自体は汎用PA用に開発されたが
最終的には楽器的な特徴をもった部分が評価され、現在に至っている。
JBL D130と同じ時代に開発された、SP盤時代の最後の覇者だと思う。
これ以降は、高次倍音は減っていく方向に、設計思想が変わるからだ。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 07:46:24.93 ID:vE1Hmc/r.net
レーベルのサウンドに個性が薄れたのは
FMステレオ放送の影響が大きいと思う。

それ以前のレコードは、自宅のステレオ装置でしか聴かないもので
住めば都といわんばかりの一国一城の主のように居座ってた。
ところが日本でFM放送が開始された頃に話題になったのは
同じレコードなのに音が全く違うということで
どうやら原因がカートリッジの違いにあるらしいことが判った。
これが、現在も製造されるデンオン DL-103のことで
業務用にしか考えていなかったサービス体制を整えて
一般に販売されたのが1970年のこと。

こうした例に漏れず、レコードがFM放送されることで
サウンドの平準化が行われたように思う。
この均衡が崩れたのは1990年代に入って
FM局間でラウドネス競争がはじまってからだと思う。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 11:12:14.92 ID:M71G/5UQ.net
ステレオ録音の高音質という分類の仕方が平準化される。
それ以前のオーディオの楽しみ方というものに、とても興味がある。
さりとてビンテージ・オーディオというのは、一品だけではけして全貌はみえず
そしてゴールのみえない底なし沼のようでもある。

それでも惹きつけてやまないのは、ミュージシャンの個性が強いことである。
何とかもっと魅力的に鳴らしてやろうと苦心する。そうして感性も育っていく。

たどり着いたのは、フラットで均等に接する八方美人ではなく
さりとてグラマーで凹凸の明瞭なグラビア美女でもない。
ファースト・インプレッションだけの恋ほど冷めやすいものもない。

古いオーディオ機器には、個性が強くて、なかなか本音を話さない
そういうときがある。その時期を辛抱強く環境を整えてあげると
あるとき、ぴったり波長の合う時間が現れる。
取っ付き難いところはあっても、よく知ると、愛嬌があり話し上手な人のようだ。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/18(水) 06:38:44.81 ID:UIFktEcV.net
そこまで突き詰めて分析しないと電気音響再生を楽しめないのか?
そもそもスピーカーで音を発生する行為は誰かと時空を共有する目論みじゃないだろうか、、、とか思うけど他人の感性に踏み込むのは非常にデリケートな技術ですね

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/18(水) 23:15:33.19 ID:T10fFeZzl
とても素敵なお話で、楽しませてもらったんですが、
俺は結局、モノもスピーカー2つで聞いてる。

最近は、CDラジカセでもいいや、という心境にw

ドイツの大きな古ラジオは押入れに直しこんじゃったよ。

168 :takasi23参上:2017/11/08(水) 16:21:37.18 ID:zKFEFal73
http://video.fc2.com/content/20171107uuJykbzc

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 18:45:57.23 ID:vb9Wz0Cy.net
酷暑の今年は、クラシックのモノラル盤の名録音などについて感想など。
よくウィーン・フィルだ、ベルリン・フィルだと、古き良き名門オケの話題が沸騰しがちだが
個人的にはモノラル録音に収まりやすい機能的なオケが好きで
ウィーン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団などが挙げられる。

ウィーン交響楽団でまず思い浮かべるのが
ハスキルとのモーツァルトP協奏曲(フィリップス)で
これ以上の透明なタッチが得られないと思う一方で
ザッヒャーやパウムガルトナーなど職人的な伴奏も聞き逃せない。

若いころのギトリスが録音したVn協奏曲集(ヴォックス)も秀演で
チャイコフスキー、メンデルスゾーン、シベリウスと
正統派として期待されていた通りの演奏を堪能できる。
バックはホルライザー、ホーレンシュタイン、スワロフスキーなど
これまた渋いが手堅い演奏で、オケのppの表情が卓越してる。

あとは、ウィーン・コンチェルトハウス四重奏団(ウエストミンスター)で
これはウィーン交響楽団の団員で結成されたアンサンブルで
その気負いなく流れる息の合いようが卓越している。
シューベルト、ハイドンなどウィーンにゆかりのある四重奏曲を
地元の味付けで落ち着いて堪能するような感じだ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 19:51:03.01 ID:vb9Wz0Cy.net
モノラル期のフィルハーモニア管は、唯一無二のソリストとの邂逅が光る。
ヌヴーとのシベリウスVn協、リパッティとのシューマン&グリークP協
デニス・ブレインとのモーツァルトHr協などである。

一方のオペラ録音のほうでも
フルトヴェングラーのトリスタン、シュヴァルツコップのメリーウィドウなど
忘れられない名演が存在する。
個人的に好きなのは、カラス/コロラトゥーラ・オペラ・アリア集で
珍しいレパートリーの復興に賭けた思い入れの強さが凄まじい。
マイクに収まるギリギリまで寄って録った緊張感が伝わる。

カラヤンとのベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集を挙げる人も
いるかもしれない。今でもフレッシュな感覚で聴ける演奏だ。
面白いことに、トスカニーニとのブラームスSym全集は
むしろヨーロッパ系オケでの味わいの違いと取られている。
NBC響とのほうがずっとソリッドで近代的なのだ。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 07:02:32.19 ID:Na9+6Vbk.net
モノラル期のウィーン交響楽団とフィルハーモニア管の録音に共通するのは
中域に潜んでいる艶であり、それを引き出すと蜜のように甘く黄金色に輝く。
多くの人は中高域のバイオリンの音に耳がいって
それだけでウィーン風、ロンドン風と評するのだが
どちらも木管の扱いにより一層の特徴がある。

2wayスピーカーで聴く場合、その中域のキャラクターの多くは
800〜1500Hzのウーハーの帯域に収められているのだが
現在のウーハーの設計は重低音の再生に注力していて
中域はむしろダンプして音色を抑制したものになっている。
こればかりは真空管で補うことも難しい。

例外的に、1970年代までのイギリス製のスピーカー
それとドイツ製のラジオ用フルレンジにその名残があり
概ね欧州製=クラシックの再生に特化したと思われている。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 07:10:20.14 ID:Na9+6Vbk.net
中域の色艶について、真空管の倍音が上品で好まれる。
EL84は最も美しく、EL34はスレンダー、KT88はファットである。
むしろこれらの真空管は、現在の重たいウーハーの駆動力に合わせ
選択されている節があるが、中域の音色で選ぶのも楽しいものだ。

一方で、あまり知られないのが、その倍音をさらに深めているのが
真空管には必須のトランスで、磁気歪みと一緒に倍音を出す。
個人的には、ライントランスを歪ませるのが好みで
現在は安いサンスイトランスで用を足している。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 08:19:53.12 ID:Na9+6Vbk.net
EL84について言うと、その中域から高域にかけての艶やかさは
美しいとしか言いようがない。
とはいえ難点をあげると
・シングル動作では6W程度で、汎用性をもたせるとプッシュプルになる。
・真空管は安いが、周辺部品は変わらないため、EL34やKT88に見劣りする。
・テレフンケン、ムラードのビンテージ品は品薄で高価。
という感じで、見掛けの性能や価格面で割を食う感じだ。
そのためメーカー製もアマチュア自作との差が十分に詰められず
浮いては沈んでの繰り返しになる。

しかし多くの理由は、それを駆動するスピーカーとの相性が悪い。
多くは高域ばかり目立って、安っぽいメッキ製品のようでいただけない。
多くの人はスピーカーのせいにはせず、アンプが悪いと思うだろう。
実際には、スピーカーの素の音が醜いかもしれないのに。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 17:23:09.78 ID:sA5p2tts.net
オーディオ製品の音の色艶は「美音系」と呼ばれる系譜にいたる。
1980年代のデジタル化を境に、原音主義=色付けなしが定着し
再生側で音を作り込むのは異端視された。
一方で、J-POPなどに代表されるように、スタジオでの厚化粧は増すばかり。

逆に1960年代までのEMIの録音を再生するのに
これほどまで色艶の不足を感じる時代があっただろうか?
ライティングがへたくそで、なんでも白日の下にさらすのが正確な音ではない。
陰影も含めて、キラメキのセンスが必要だ。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 06:37:07.75 ID:2V0f9VHn.net
古いオーディオ機器に付きまとうキャラクターについて
一種の歪みとみなすのは簡単だ。
真空管にはパルス性分へのリンギングがあり
トランスには磁気の飽和によるヒステリシスがある。
スピーカーには分割振動、ネットワークの位相分離がある。
いずれも電気信号を再生するときに
ある種の引っかかりのように感じるやつだ。

しかし、それらの癖をまとめるセンスが大事で
オーディオの組合せの妙がいつも話題になる。
色艶で言えば、ラックスマンのアンプは暖色系のトーンを保持しているが
そこからスピンアウトしたエアータイトはガスコンロのように燃焼度が高い。
同じ色艶でも、ヤマハのアンプはもっと高域寄りの輝きがある。
マッキントッシュの脂ぎった艶は、多くの点でトランスの影響が大きい。

おそらく抵抗成分による高域の延滞もあるだろうが
古いオーディオ機器は、中高域のキャラクターが明瞭で
逆にケーブルや抵抗でバランスを取る傾向がある。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/20(月) 07:02:30.74 ID:2V0f9VHn.net
スピーカーの分割振動の扱いは
ほとんどの場合、クロスオーバーの位置で判る。
もちろんコストの点で何も考えずにいるメーカーが大多数だが
ウーハーの分割振動をどのように制御するかが鍵で
2kHz以下は分割振動を嫌い、それ以上の場合は積極的に使う。
例えばタンノイは1.2kHz、BBCモニターは3kHz
JBLはD130だと2.5kHz、130Aは1.2kHzと変わる。
日本ビクター SX-3は1.8〜2kHz、クリプトン KX-3は3.5kHzで
これはボーカル域への対処の仕方で異なる。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 19:25:57.13 ID:1P1PGFQ6.net
AMの危機
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6317950

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