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ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義4

1 :考える名無しさん:2019/11/20(水) 23:06:19 ID:0.net
・課題にあげられた文献や言説の精読が中心
・上記に関連のない議論は禁止

論文検索(CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所)
http://ci.nii.ac.jp/

前スレ
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義総合スレ3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1566561216/
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2
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ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/

498 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 10:41:56 ID:0.net
>>497
>>488のレスの内容がただの主観だと言ってるんだけど、それについての感想はないの?

499 :当たり前だろう:2020/03/02(月) 10:46:04 ID:0.net
A sunset is a sunset if and only if it is meant to be a sunset.

500 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 11:57:01 ID:0.net
>>498
ただの主観だよって感想なんだなってぐらい

501 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 12:03:25 ID:0.net
>>500
君は >>488 のレスが主観ではないと思うの?

502 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 12:08:05 ID:0.net
>>501
主観じゃないと思ってたら反論するだろwお前馬鹿なんだな

503 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 12:12:57 ID:0.net
>>502
そうか。

確かに俺はバカだな。

504 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 12:21:25 ID:0.net
反論はないのかw

505 :考える名無しさん:2020/03/02(月) 12:26:02 ID:0.net
>>504
ないよ。

ただ議論が進まなかったのが少し残念だ。

506 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:40:21 ID:0.net
主観とか客観とか、高校の科学みたいな世界観から離れること

507 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:43:06 ID:0.net
ガブリエルの「世界は存在しない」ということ>>476

・「世界は存在しない」=「あらゆる物事を包摂するような単一の現実は存在しない」
・現実はいわゆる「意味の場」に現れる

<例1>
・グラスがある
・私から見たグラスがある
・あなたから見たグラスがある
・実在のグラスは上記三つが交差したもので、それ自体が完全に独立したグラスという実体はない → 世界は存在しない

<例2>
・机の上にグラスがある(普通の知覚の意味の場)
・グラスを拡大視すると原子の世界がある(科学的な意味の場。ここではグラスの形はなくなる)
・グラスと原子の間に第三の対象はない → 意味の場の外に現実はない → 世界は存在しない

508 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:46:47 ID:0.net
唯物論の変遷もこういう話

509 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:47:30 ID:0.net
唯物論的にモノを眺めていった時、

グラス→ 分子 → 原子 →

この辺ぐらいまではモノの内だが、

→ 電子 → 陽子・中性子 → クォーク

の段には、理念的なものになっていく

510 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:51:43 ID:0.net
この辺は廣松が詳しい(全集で読む必要がある)

511 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:52:05 ID:0.net
メイヤスーも「思弁的実在論」という言葉以前には「思弁的唯物論」といってた

512 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:53:08 ID:0.net
>・あなたから見たグラスがある

あるのか?

513 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:54:31 ID:0.net
古典的マルクス主義

・一元的
・必然的
・階級的
・唯物論的
・構造主義的

↓↓↓↓

ポスト・マルクス主義

・複数的
・偶然的
・非階級的
・現象学的、存在論的
・ポスト構造主義的(ポストモダン的)

514 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:54:54 ID:0.net
これも、ハイゼンベルグの「不確定性原理」、ゲーデルの「不完全性定理」といったパラダイムシフトからの要請。
モノの中心が確率で表される時代に、一元的も必然的もない。

515 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:55:29 ID:0.net
今や、新しい唯物論でも足らない

516 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 01:55:43 ID:0.net
新しい唯物論の公準

・あらゆるものは絶え間なく変化している。
・あらゆるものは、明確な境界や切断点によってではなく、連続した傾向にのっとって生起する。
・あらゆるものは偶発的である。
・われわれは実体/名詞よりも行為/動詞に焦点をあてなければならない。
・モノはわれわれの「実践」において生み出され、ゆえにこれに先立ついかなる本質も欠いている。
・あるモノが行うことの方が、それが何であるかということより関心を引く。
・思考と世界は決して別々に存在するのではない、ゆえに両者は「相互作用」interactするのではなく「内的に行為する」intra-act。
・モノは唯一特異ではなく多数多様である。
・世界は純粋に内在的であり、それは良いことである。なぜなら、いかなる超越も抑圧的になるものだから。

↓↓↓↓

非唯物論の公準

・変化は間欠的であり、安定が標準である。
・あらゆるものは連続的な傾向に即してではなく、明確な境界と切断点にしたがって分割される。
・あらゆるものが偶発的というわけではない。
・実体/名詞が行為/動詞よりも優位を占める。
・あらゆるものには、どんなにはかないものであっても自律した本質があり、われわれの実践はその本質をわれわれの理論がそうするのと同じに把握する。
・あるモノが何であるかということが、あるモノが行うことよりも興味ぶかいことになる。
・思考とその対象は、他のいかなる二つの対象以上に分離しているわけでも、それよりも分離していないのでもないので、両者は「内的に行為する」よりも相互行為しあう。
・モノは多種多様であるよりも唯一特異である。
・この世界はただ単に内在的なのではない、これは良いことである。なぜなら、純粋な内在は抑圧的になるからである。

― グレアム・ハーマン 『非唯物論:オブジェクトと社会理論』 河出書房新 (2019) p25-28

517 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 08:56:36 ID:0.net
「世界は存在しない」という表現が不適切であるというのは、
そのように表現すること自体が存在論的に偏った前提に基づいて
いるからだ。最初から日本語で考えるなら、そのように奇を衒ふ
表現をする必要がない。

存在するとは、「どのようにか(somehow)ある」ということであり、
「どのようにも(in anyway)ない(not)」のであれば、存在しない
ことになる。それがどのようであれ、あるようにあるのが世界
である。

518 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 08:59:46 ID:0.net
どちらがより簡潔な表現であり、考える助けになるだろうか。
○○主義の教条を暗記する必要性などさらさらないだろう。

519 :Jacques le fatalist:2020/03/03(火) 09:13:14 ID:0.net
The world is what it is meant to be.

520 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 09:36:43 ID:0.net
運命論者ゴットフリートとその主人/神

521 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 14:52:57 ID:0.net
>>506
高校の科学の水準にすら達してないのが、現代思想なんじゃない?

522 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 14:53:22 ID:0.net
>>512
あるよ。

523 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 14:54:45 ID:0.net
>>513
ポスト・マルクス主義というのは、階級闘争を否定したいだけの戯言だね。

資本主義社会である以上、階級が存在するのはしかたがないのにw

524 :考える名無しさん:2020/03/03(火) 14:56:48 ID:0.net
>>517
ほんとうだね。
存在論とかバカの戯言。
ただの現実逃避と支配権力への阿りだね。

525 :tellement quellement:2020/03/03(火) 15:43:08 ID:0.net
La sagesse du moine de Rabelais est la vraie sagesse pour son
repos et pour celui des autres : faire son devoir tellement quellement,
toujours dire du bien de monsieur le Prieur et laisser aller le monde
à sa fantaisie. Il va bien, puisque la multitude en est contente.
— (Denis Diderot, Le Neveu de Rameau,
dans Mémoires, correspondance et ouvrages inédits, Paris:
Garnier frères & H. Fournier aîné, 1841, vol. 2, p. 205)

526 :tellement quellement:2020/03/04(水) 07:48:53 ID:0.net
どうにかこうにか(tellement quellement)というのが、
世のあり様であり、世界について哲学によって得られる
知見もそれを超えるものではない。状況に応じて
どのようにすればよいのかは、その都度、模索する
しかなく、哲学にどのようにすればよいのか、特定の
ノウハウを求めても無駄である。哲学にできるのは、
どうにかこうにかやっていくほかないことを、
はっきりと自覚させることだけである。

527 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 08:39:33 ID:0.net
>>526
哲学は最大の労力で最小の効果を求め学問ですよね by 宇野弘蔵

528 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 09:13:45 ID:0.net
「ブリコラージュ」と聞くとなにか難しく聞こえるが、
平たく言えば「どうにかこうにかする」ということである。

「どうにかこうにかやっていくほかない」と言われても、
「何を当たり前のこと」を、と思うかもしれない。
しかし、人々はそのことを往々にして忘れている。
というのも、人々は、集団の組織化された生活のなかで、
「どうにかこうにか」においてではなく、「どれだけ」
に限定されて評価されるようになっており、「どうにか
こうにか」は、むしろ、隠蔽されなければならないもの
となっているからだ。

529 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 09:45:47 ID:0.net
>>528
哲学は処世術w

530 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 10:31:03 ID:0.net
組織のなかで「どれだけ」を基準とすることに考え方を
限定されてしまうから、「『どれだけ』やってもどうにも
ならない」とすぐに絶望することになる。

531 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 10:34:00 ID:0.net
>>530
共同幻想論の話なのか、ひきこもりの原因の話なのか、どっちなんだ?

532 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 10:42:10 ID:0.net
重要なのは、階層組織がダブルバインドにおいてしか機能し得ない
理由をきんちんと認識し、理解することでしょう。

533 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 10:43:04 ID:0.net
誤:きんちんと
正:きちんと

534 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 10:44:20 ID:0.net
>>532
なんだそれw

535 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:03:58 ID:0.net
階層組織において、指示を受ける側が、「どれだけ」を規定する
ノルマを与えられたなら、現場で「どうにかこうにか」して、
そのノルマをこなすしかないでしょう。上から指示する側は、
その「どうにかこうにか」を実際には把握していたとしても、
それを知っていたことにすると責任問題が生じて、とても
都合が悪いのですよ。

536 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:26:32 ID:0.net
>>535
君は労働争議とかサボタージュとかを知らないの?
労働組合というのはそのためにあるんだよ。
日本では死滅してるけど、先進国では活発に活動してる。

まあ日本では、忖度が大切だということになってるから、「どうにかこうにか」で動いている組織もあるんだろうな。

537 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:34:40 ID:0.net
指導者というのは、導いているという建前が成立している限りで、
上から指導する地位を確保しているのですよ。

538 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:37:03 ID:0.net
したがって、導きが与えられたなら、現場は、実際には「どうにかこうにか」
やっているとしても、導きに従って「どれだけ」に専念できていることに
ならなければならない。

539 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:41:12 ID:0.net
>>537
階級の利益を実現するために指導者を立てる。

他の階級に対しては指導者だが、自分たちにとっては自分たちが指導する相手だ。

540 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:42:27 ID:0.net
これは、誰が上に立つのであれ、指導がどのようなイデオロギー
に基づくのであれ、人々の組織が階層として機能するための
仕組みの問題だ。

541 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:43:53 ID:0.net
>>540
そもそも組織が階層として機能する必要があるのか?

542 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:47:58.12 0.net
>そもそも組織が階層として機能する必要があるのか?

階層として機能しない組織は、未開人として征服され、
生活していた土地から追いやられて消えていったでしょう。
組織は、人々の対抗関係において階層化されていった
のです。

543 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:54:18 ID:0.net
>>542
民主主義国家は未開人として征服されるのか?

544 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:58:32 ID:0.net
階層組織として機能していない「民主主義国家」が存在しますか。

545 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 11:59:37 ID:0.net
>>544
階層を否定するのが民主主義だが?

546 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:01:43 ID:0.net
企業組織の人間関係が民主主義化しないかぎり、本来の意味での
民主主義の国家は成立し得ないが、民主主義化した企業組織の
運営はあり得ない。

547 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:03:24 ID:0.net
>>546
それが資本主義というものだよね。

548 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:04:57 ID:0.net
>階層を否定するのが民主主義だが?

人々の実際の日常生活、人生設計がどのように成立しているか、
その仕組みを完全に無視する限りでしか、そういう戯言は通用しない。

549 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:06:10 ID:0.net
>それが資本主義というものだよね。

企業が、国営企業に代わっても同じことだ。

550 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:09:03 ID:0.net
>>548
思想や哲学と処世術を一緒にするのが戯言ではない、と?w

551 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 12:11:08 ID:0.net
>>549
業務管理者を選挙で選んだり輪番制にしたりすれば、資本主義国でも社会主義国でも民主主義になる。

552 :哲学の正しいをしへ/導き:2020/03/04(水) 12:47:17 ID:0.net
哲学は、「『どうにかこうにか』しようとする」より外に
「仕方(way of doing things)がない」ことを正しく
をし(教)へてくれる。

553 :哲学の正しいをしへ/導き:2020/03/04(水) 13:22:49 ID:0.net
>思想や哲学と処世術を一緒にするのが戯言ではない、と?w

哲学をすることによってはっきりと分かるようになるのは、
処世術は、各自が工夫するしかないということですよ?

554 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 16:21:07 ID:0.net
>>552
なんだそれw

555 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 16:23:51 ID:0.net
>>553
哲学で処世術がわかる?
そんなことはないだろw
というより、哲学でなにかわかったことが、一つでもあると思ってる?

556 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 17:44:34 ID:0.net
>>555
むしろ、あなた自身、哲学に何を求めてこの板に張り付いているのか
自問してみてはどうでしょうか?

557 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 17:46:21 ID:0.net
>>556
哲学の無効性(無用性)を論じるためだよ?

558 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:02:04.43 0.net
無用なのに論じる意味あるの?

559 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:07:30.66 0.net
>>558
もちろん、あるよ?

有用の証明は事実が出してくれるが、無用の証明は誰かが出さなければならない。

560 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:08:48.25 0.net
>>559
出してないじゃん

561 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:09:52.18 0.net
>>560
出してるつもりだけど?w

562 :安西大樹:2020/03/04(水) 18:11:26.39 0.net
基体というものは主語になることはあっても、述語になることを端的に拒むものじゃよ。

563 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:11:43.07 0.net
つもりねぇ

564 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:17:25 ID:0.net
>>563
日本語が理解できないの?

565 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:19:32 ID:0.net
日本語は理解できるけど、「つもり」の中身は論理的に構文できない限り脳内妄想だから

566 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:24:29 ID:0.net
>>565
日本語では曖昧な表現で謙譲を表す。

この程度のことは中学で習ってる、はず、だよ?w

567 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:33:50.54 0.net
>>557-566
今、自演が熱い

568 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:37:08.17 0.net
>>567
5ch病?

569 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 18:48:39 ID:0.net
https://www.youtube.com/watch?v=TCj5jdNIn1A

570 :考える名無しさん:2020/03/04(水) 23:55:55.16 0.net
>>566
脳内妄想とズバリ指摘されるだろうと予測できる知能が備わっていない馬鹿に
曖昧な表現で謙譲を表しても無駄

571 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:15:22 ID:0.net
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。


“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
 今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”

― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)

572 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:15:50 ID:0.net
しかし、今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはその続きがあるように思える。

井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。

このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。

573 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:16:15 ID:0.net
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。

574 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:16:55 ID:0.net
『ドゥルーズ『意味の論理学』の注釈と研究: 出来事、運命愛、そして永久革命』 岩波書店 (2020/2/23)
鹿野祐嗣


早稲田リンクス@wasedalinks
【Vol.37 壊す 記事紹介?】
「壊すの源流を求めて」鹿野祐嗣

ドゥルーズはその理論によって哲学界に大きな変革をもたらした
それは同時に現実における革命をも志向するものであった
29歳という若さで活躍されているドゥルーズ研究者、鹿野先生に現代における革命の在り方について、お話を伺った
午後10:49 ・ 2018年10月29日

575 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:17:23 ID:0.net
ドゥルージアンは、千葉や佐藤嘉幸のように大化けする例があるから楽しみだが、
願わくば、「解体」の先に何を「構築」するかというところまでを見せてほしい。
今、その作業をやっているのが千葉の『デッドライン』だ。

576 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:18:07 ID:0.net
解体の哲学は、このスレでも何度かやってきたが、
今一度整理してみる。

577 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:18:46 ID:0.net
井筒は、デリダやドゥルーズといったポストモダン哲学に、
ニーチェの精神を受け継ぐ「解体(アンチコスモス)の哲学」を見ていた。


“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
 現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。

 コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
 西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
 東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”

― 井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 3 (1989) p193-194

578 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:19:20 ID:0.net
井筒がデリダから相談を受けたという「脱構築」の訳語について、
丸山圭三郎は「解体構築」という語をあてた(「〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か」)。

井筒は「解体/構築」のように、観想と実践が対をなす東西の哲学モデルを他にもいくつか紹介している(『神秘哲学』2章、『ルーミー語録』解説)。
「ファナー(消融)/バカー(存続)」、「向上(アナバスィス)/向下(カタバスィス)」、
「往相/還相」、「還源/起動」、「スウード(登り)/ヌズール(降下)」など。

哲学的真理への道は、往ったら還るものでなければ独善主義に過ぎないという。

579 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:19:46 ID:0.net
>>577
デリダの「戯れ jeu」、ハイデガーの「遊動 Spiel」の背景にあるニーチェ+ヘラクレイトスの「戯れる子ども pais paizon」。
ここにも解体/構築が対で見られる。


“いかなる道義的な責任もとわれることなく、永遠に変わることなき無垢のまま、生成と消滅、建設と破壊を営むものは、この世においてはただ芸術家と小児との遊戯のみである。
 そして小児や芸術家が戯れるように、永遠に生ける火が、無心に、戯れ、築き上げ、崩してゆく――そしてこの遊戯をみずからと戯れるのがアイオーン〔永劫の時〕である。
 彼は、水や土に身を変じながら、小児のように海浜に砂山を築き、築き上げるかと思えば崩してゆく。
 往々にして彼はこの遊戯を最初からやり直すことがある。満足したと見えるのもつかのま、欲求が芸術家を創作に駆り立てるように、欲求が彼を襲う。傲慢ではなく、繰り返し新たに目覚める遊戯衝動が、他のもろもろの世界を生み出すのである。
 小児は一度は玩具を放り出すが、やがてまた無邪気な気まぐれでそれを取り上げる。しかし築くとなれば、子供は、法則に従い内なる秩序に従って結び合わせ、繋ぎ合わせ、形づくってゆく。”

― ニーチェ 「ギリシア人の悲劇時代における哲学の誕生」 『ニーチェ全集 第2巻 悲劇の誕生』 ちくま学芸文庫 (1993) 7節、p389

580 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:20:33 ID:0.net
千葉の場合は、「偶然性」や「絶滅」といった解体体験を経て、
その後の構築の局面にあたるのが『デッドライン』。

581 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 00:22:09 ID:0.net
絶滅からの帰還。哲学者未踏の地へ。

582 :学術:2020/03/06(金) 07:49:48.85 0.net
人間は欲望の奴隷なのはなく人間の欲望が奴隷だ。
人間は動物の奴隷だよな。仕事をしながら動物に仕え、より上位の奴隷を目指すだけだ。

583 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 08:02:00.67 0.net
役畜は使ってもらえてこと価値がある

584 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 08:02:19.74 0.net
こと× こそ〇

585 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 08:30:03 ID:0.net
餌やりが不規則になり、もらえる餌も不足がちになると、
物言わぬ役畜たちも不安になるのですよ
実際に餌が不足しているなら、その不安を和らげるには
どうすればいいのか

586 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 09:51:45 ID:0.net
ただの備蓄w>>583

587 :学術:2020/03/06(金) 12:22:49 ID:0.net
動物ペットの買い物のお手伝いや豪華料理を作ってればいい。

588 :学術:2020/03/06(金) 12:30:48.39 0.net
動物の旅行や戦争に帯同して、オフィスも手伝う、アートも代わりに実現する。
動物園あくはあるな。何人も連続で対応させるし、狭い土地だ。退屈だろうな。

589 :考える名無しさん:2020/03/06(金) 22:30:45 ID:0.net
 
        __
        ´       ` 、
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 l  l | /! /,ヽ.、 /イ |_,、、ハ
 l  ! | ナレ´  ヽ\ル  ヽ! リ
  ! | |/ ニ=-     -=ニ K
  l ゝ | xxx    '   xx | }   < キャハハ!学術〜学術〜wwww
.  ! {r∧   r-ー--ァ  ノ'
.  ! `ー-r、  `ー---'  イi |
.  !   | | フ`、ー_‐ 〔 \ー、
  l   ! / \  ` .|、 |  ヽ       _/ ̄二フ
  l i /    \_」|oV  i ヽ     /〈  つノ)
 /|.ノ{ ⌒ヽ、      ヽ r‐‐!/ \  /   ヽ´イー'
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   |   /   ヽ  )ヽ   〉 .\  . /
 

590 :考える名無しさん:2020/03/07(土) 10:38:08 ID:0.net
プラトンとアリストテレスの対立つまり外在と内在の対立という構図でだいたい理解できる
ポスト構造主義も例外じゃない

591 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:33:53 ID:0.net
一度、内在と外在をやっておこう。
これは大まかな整理。

[西洋] 一神教世界(外在的超越、西洋的二元論、非対称性)
[東洋] アニミズム、仏教世界(内在的超越、東洋的一元論、対称性)

ヘブライズムやイスラムは西洋と東洋の中間的性格を持つ。

592 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:35:29 ID:0.net
内在 

② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)


外在 

[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)

593 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:37:14 ID:0.net
内在的超越から汎神論への影響

【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム

【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」

スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」

ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」

594 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:37:39 ID:0.net
(1)外在的超越のイメージ。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外ということ)


“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
 これって、エイリアンみたいだと思う。
 だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”

― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011) 1部

595 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:37:53 ID:0.net
(2)内在的超越のイメージ。
イブン・アラビーの存在一性論。神が世界の内に顕現する。


“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”

― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 (2019) 4章1部

596 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:38:26 ID:0.net
>>591
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』

井上克人 (2009)

I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」

井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。

ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。

597 :考える名無しさん:2020/03/09(月) 02:38:41 ID:0.net
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。

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