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モンゴルはいかに世界を変えたのか

1 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 11:49:51.01 0.net
語れ。

2 :1:2012/02/03(金) 11:52:23.98 0.net
【カナダ】「名誉の殺人」で娘ら4人殺害、アフガン移民に終身刑
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1328108316/

74 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/02(木) 08:22:15.71 ID:ciTtjfH90 [2/5]
イスラムの教えが悪いとは思わない。
中東の風土を生き抜くには必要な教義だったのだろう。ただ、日本でやったら排除される。
カナダでも多分そうだろう82 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/02/02(木) 08:45:15.57 ID:dqd3PeZg0
>>74
農耕民族でこんな宗教押し付けられたらたまらんわな
日本の女性も大変だとかいうけど
少なくとも火で焼かれても、こいつみたいなのに殺されても相手は無罪なんてことはないからな

108 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/02(木) 09:20:59.09 ID:fQoq5x5d0 [1/3]
>>82
ナイル流域、チグリス・ユーフラテス流域などの肥沃な三日月、
ホラーサーン、トランスオクシアナなど豊かな農耕・商業地域が
多く、政治経済文化の中心もその辺だったのに不寛容なのは
モンゴルのせいと思う。あれは、何かを変えた。ロシアも中国も
きっと同じ。それとアッバース朝時代の合理主義神学の敗北。



3 :1:2012/02/03(金) 12:11:41.95 0.net
スターリンもそれを許したらしい専制のロシアの風土も、その前は小さな都市国家の集合体でしかなかった地域だった。
酒を愛し合理主義を愛した詩人が尊ばれていたイスラムの繁栄も、ワッハービー派とタリバン的な原理主義の世界をしか生み出せなくなった・・・
知識人は決して粛正されず、緩やかで文化的な繁栄を誇っていた中国も、皇帝の独裁と言論の自由などない、今も皆が知る、あの中国になってしまった。
そしてまだしも色んないみでましだったらしい朝鮮半島はエラ張りと失笑と恐怖の混じる性的風土に、華夷秩序にこだわることが国のありようになってしまった腐った儒教の地になった。


そして十字軍で狂い、宗教に荒れた西洋は、まさに彼らに負けなかったおかげで、現在に至る合理主義と近代文明の創始者となり、誇りと自由を自らの礎にしている・・・
ベトナムは正面から戦って勝ったことにより、その後のあらゆる大国の侵攻にも最終的に打ち勝ち、自らの国を疑うこともない。

我らの国もまた、然り。独裁無き地に、自分たちで考える国民を持ち、誰に比較しなくても、自らの歴史と風土に誇りを持つことを当然としうる国を今も持つ。

全ては彼らとどう向き合ったのかで変化が起きた。モンゴルによって。

ここまで書けば分かると思うが、このスレはモンゴルの偉業と栄光を称えるスレでは決してない。今に至る世界の構造を作ったと言ってもいいかも知れない、モンゴルがもたらした破壊と変容についてのスレだ。

彼らは世界に何をもたらしたんだろうか?





4 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 12:14:07.77 0.net
DQN帝国モンゴル

5 :1:2012/02/03(金) 12:14:12.09 0.net
関連スレ

ロシア人がモンゴル人にした酷いことを教えてくれ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1286535391/
モンゴル帝国総合スレ part2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1316863687/


6 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 12:17:22.38 0.net
モンゴルが世界にもたらしたもの それは破壊

7 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 19:02:34.43 0.net
ノート:バグダードの戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

8 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 19:13:20.37 0.net
西のマムルーク 東の鎌倉武士

9 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 20:33:57.53 0.net
モンゴル帝国の支配地域の大部分が後の共産圏になってしまう。



10 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 20:39:19.02 0.net
いまの馬の原型をつくったのはモンゴル人

11 :名無し募集中。。。:2012/02/03(金) 21:48:47.47 0.net
アラブ人は交易商人が多かったから
モンゴル人よりは文明的だったんだろうな

12 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 21:51:47.29 0.net
モンゴル人自身がやったのは虐殺と強姦だけ。
モンゴル帝国のプラス面は全て被支配民族の手による。

13 :名無し募集中。。。:2012/02/03(金) 21:53:31.71 0.net
モンゴルのユーラシア帝国ってのもイスラム帝国の真似だからな
文化的になにもないからイスラム化しちゃうしね

14 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 22:59:38.11 0.net
モンゴル帝国は単なる野蛮人国家
世界中で虐殺・強姦やった西欧人でさえ優れた文明を持っていた

15 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 00:04:43.58 0.net
>>12
モンゴル帝国と同じようなことしてたっぽい匈奴とか突厥とかはどうして大帝国を築けなかったんだ

16 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 08:05:52.35 0.net
>>14
西洋人は凶悪残虐性がある一方で知識・文明も兼ね備えてたからチートだよな
武力で徹底的に制圧する中でも合理的というか抜け目無いんだよな

17 :名無し募集中。。。:2012/02/04(土) 10:05:34.13 0.net
イスラムとか西欧は教義を世界にひろげる目的があったけど
モンゴルはただ略奪して現地の女を犯すだけだしな

18 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 13:13:00.78 0.net
>>15
モンゴルには農耕民族を効果的に攻撃し支配するためのなんらかの技術・制度的ブレイクスルーがあった?

19 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 13:38:08.99 0.net
失う物がないものの強み。
それと騎馬技術と弓射的技術が極めて優れ、ヒットエンドラン攻撃が出来た。
例え不利になっても逃げるだけ。残虐な方法で殺戮を繰り返し戦意を相手に無くさせた。
だが、投降しても次の略奪の先頭に立たされるだけ。征服した兵隊を失ってもモンゴルには痛では無い。

20 :名無し募集中。。。:2012/02/04(土) 14:37:29.05 0.net
モンゴルは野蛮すぎて

21 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 15:06:10.29 0.net
古代ギリシャやマケドニアは6mにも及ぶ槍軍団を先頭に立てたファランクスという戦法をとった。
だが、小回りがきかずローマ軍に敗れる。ローマは100人隊長制度で重装備して白兵戦に強く、
歩兵同士の戦闘ではほとんど無敵であったが、遊牧民族の軽騎兵の攻撃にはもともと弱かった。

モンゴルと同じ戦法で残虐だったフン族には、やられっぱなしで膨大なる金貨を与えたり、傭兵に
雇ったりしておとなしくしてもらっていた。フン族もモンゴルもいわば、バイクや車に乗って突然
現れ、殺戮強姦破壊を繰り返す極悪非道のマッドマックス軍団のようなもの。

騎馬で攻撃してくるのモンゴルはプロの極悪殺人スナイパー軍団でもあり、当時の文明民族でこれに
対応するのは無理な話である。


22 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 18:57:13.09 0.net
弓騎兵を大量に用意運用できるのが騎馬遊牧民の強み
ペルシャや欧州の騎士は重装騎兵だし、
中華やイスラムは騎馬遊牧民を傭兵に雇いすぎて乗っ取られた

23 :ハリガタ:2012/02/04(土) 21:05:12.35 0.net
>>21
>騎馬で攻撃してくるのモンゴルはプロの極悪殺人スナイパー軍団でもあり、当時の文明民族でこれに
対応するのは無理な話である。

それを撃退した日本武士は最強過ぎるな。
ていうか、20世紀まで異民族相手に負け知らずだし。

後出しジャン拳のアメリカさえ相手にになけりゃ今でも世界最強民族だったんだが。
しかも、トチ狂った軍部が優秀な学徒まで特攻戦で消費したから戦後の再建が不完全になってしまった。

24 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 22:31:13.34 0.net
>>23
渡海遠征はあんまり上手じゃなかったから。
日本遠征軍は高麗人や旧南宋人や女真人や
契丹人などの被征服民が多くてモンゴル人は
そう多くない。船だって被征服民に作らせて。
地続きだったら純正のモンゴル騎馬軍団に
侵攻されて滅んでると思う。
ヨーロッパは遠いからオゴデイ死亡後の混乱、
グユク即位後の内紛で助かったけど、日本の
近さでは厳しいだろ。フビライより前に誰かに
目を付けられて攻められる。地続きだったら。

25 :名無し募集中。。。:2012/02/05(日) 09:25:23.48 0.net
>>23
海があったけどモンゴルを撃退したのはそれなりに
日本武士がつよかったからだろうな
陸地つながりで日本が平原だったらまずモンゴルに勝てないだろうけど

マムルークだって砂漠で勝負したからモンゴルに勝てたんだと思う

26 :世界@名無史さん:2012/02/05(日) 09:42:07.08 0.net
平地でモンゴル破ったリトアニアが最強という事か

27 :世界@名無史さん:2012/02/05(日) 14:18:06.46 0.net
日本を攻めたのは宋兵の在庫処分の為でしょ?

28 :世界@名無史さん:2012/02/05(日) 15:34:01.09 0.net
今、白鵬の番組やってるけど白鵬の部屋にチンギスカンの縦軸があった。
残虐な帝王でもモンゴルでは英雄なんだ。

29 :名無し募集中。。。:2012/02/05(日) 15:59:59.72 0.net
遊牧民系のあいだではチンギスハーンは英雄でしょ

30 :世界@名無史さん:2012/02/05(日) 19:33:30.66 0.net
>>15
匈奴は冒頓単于が一代で大帝国を築き上げた後は徐々に衰退した
4世紀以降は勢力を盛り返して劉淵やアッティラが東西で大暴れしてるな
突厥はシルクロードを支配するまでに拡大したが東西分裂した挙句に唐に軍事力で圧倒された

31 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 15:41:04.99 0.net
始皇帝や漢の武帝も残虐さでは負けず劣らず

32 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:13:56.71 0.net
女性で「モンゴル帝国大好き」ってのが理解しがたいんだが・・・。
「研究対象としてやりがいがある」じゃなくて
当時のモンゴル人自体にロマン、魅力を感じるってのが。

男の俺でもチンギスほかは野獣の群れにしか思えない。
「上天から俺達は世界征服の使命を賜った。だから逆らう奴らは
強姦略奪皆殺しにする権利がある」ってこれ紛れもなくレイピスト・狂信者の集団だろ。


33 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:21:08.39 0.net
チンギスハーンのような虐殺鬼を現代でも英雄として崇拝しないと
国としてまとまりがもてないモンゴルってある意味気の毒な国だと思う。
ばかでかい銅像がウランバートルに建ってる。

ユーラシア大陸中に遺伝子をばらまいた強姦魔が英雄だなんて
俺なら恥ずかしくて仕方ない。

34 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:24:42.50 0.net
そもそもモンゴルの残虐さは誇大宣伝だとか言われるけど
事実が殆どないただの宣伝だけでユーラシア中に
その残虐さが何百年も伝わるとは思えない。
降伏した敵を一般住民まで最前線に立たせて
己の楯にするなんて現代人の思考と言われようが吐き気がする。

35 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:25:17.99 0.net
アレキサンダー大王だって英雄とか言われてるけどやってる事は殺戮・強姦だしな
英雄っていうのはそんなもんなんだろうな

36 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:25:19.99 0.net
アジア人が世界最大の版図を築いた。
それだけで、同じアジア人として誇りに思うやつもいるだろ。

37 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:34:05.66 0.net
全然誇りに思えない
新大陸で強姦虐殺やりたいほーだいやった西洋人と同じ

38 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 22:43:36.69 0.net
グローバルな世界史はモンゴル帝国から始まった
それ以前は東と西で全くの別世界だった

39 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 23:17:57.14 O.net
>>35
現代でも蒋介石の軍隊がやってただろ。
日本軍に勝てないから民衆を鎖でつないで
盾代わりに前面に立てたり。
地元民でやったのは新しいな。

40 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 23:45:34.72 0.net
>>34
>そもそもモンゴルの残虐さは誇大宣伝だとか言われるけど

これは岡田英男夫妻とか杉サマが言ってるんだが、結構疑問はある。
サマルカンドはモンゴルの破壊で別に新しく町を作り直してるし(旧サマルカンド
はアフラーシアーブの遺跡として残ってる)、カルピニの報告でも中央アジアの
道中にモンゴル軍に殺された死体が白骨化してゴロゴロしてたらしい。
トゥルイもニシャプール攻めたときに人首ピラミッド作って、これをティムールも
踏襲してたりもする。
他にも、バーミヤーン付近も本来豊かな土地だったのが荒地になったのは、
モンゴル軍がカレーズを破壊したせいだとも言われてる。アフガニスタンに関しては、
杉サマはチンギスではなく部下の武将が攻めたとかぼやかしたような書き方してたな。

今のモンゴル史や「中国の歴史」の元代に関する概説書がみな杉サマ著になって
て、大分困ってるわ。多分、岡田史観以外の研究者だと全く違った話になってる希ガス

41 :世界@名無史さん:2012/02/06(月) 23:50:49.44 0.net
なんかすごく興奮している人がいる。

42 :名無し募集中。。。:2012/02/07(火) 00:11:04.13 0.net
日本人はモンゴル好きなやつ多いからね

43 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 00:19:04.87 0.net
女が社会の強者になびき、彼らのものになるのは理の当然
見苦しいのう

44 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 02:05:04.53 0.net
住居と飯と安全を提供できる男に女は寄る。
ニート、弱虫の理屈と似非道徳に女は寄らず。

これが世の道理

45 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 03:20:58.30 0.net
童貞なんだろ

46 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 21:08:09.49 0.net
道徳を似非云々と軽侮する時点でチンギスの徒党だと分かる。
現代モンゴル人にはなんら怨みは無いが、
チンギスの巨大な銅像拝んでるモンゴル大統領とか見ると
「それでいいの?」って思う。

47 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 22:03:03.91 0.net
ジャパンのサムラーイはとても紳士的でーしたねーHAHAHA

48 :世界@名無史さん:2012/02/07(火) 23:18:57.34 0.net
道徳は軽侮していない。
>>46が語るような似非道徳を軽侮してるんだよ

49 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 04:54:15.52 0.net
日本軍の南京大虐殺、従軍慰安婦は文明的なの?
731部隊の生体実験はモンゴル人よりひどいのかな。
マニラで赤ん坊を放り投げて銃剣で串刺しにしたのは君らのおじいさんwww


50 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 06:39:18.84 0.net
おいチョン、それがどうした?
バカじゃねーの(笑)

51 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 09:21:39.50 0.net
結局モンゴルが変えてしまった世界に我々は生きてるわけだから、
どう変わったのかなかなか気付けなかった。
変わる以前を忘れていたから。

52 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 09:46:26.93 0.net
アレクサンドロスはソグドで、カエサルはガリアで、それぞれ大虐殺を行ってる。
だが、被害者からの生々しい記述は充分に残されていない。
味方には気前よく寛容な名君・英雄としてのプロパガンダが主に残る。
チンギスやチムールの時代になると、歴史記述がどこもかしこも盛んなので、
あちこちで被害者の声が聞かれるようになり、モンゴル人にとって「名君」
だったことは関係なくなる。

53 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 09:57:58.38 0.net
アレクサンドロスやカエサルがチンギスハーンよりも野蛮でないように
見えるとしたら、それは歴史の当時の書き手が全て、彼らによって
甘い汁を吸えた国々の史家だったからに過ぎない。
モンゴルによるチンギスハーン崇拝の記録だけが後世に残ってるようなもの。
ただ、現代は逆に帝国の情報発信能力が飛び抜けすぎてて、古代に回帰してるが。

54 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 12:24:10.41 0.net
モンゴルにはチョンも皆殺しにして欲しかったわ。
戦う前に降伏して日本に強姦部隊を送りやがって。

55 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 13:57:51.75 0.net
朝鮮はモンゴルと30年くらい戦ってから降伏したからな
中央アジアや中東よりも善戦してるし良いタイミングで降伏した

56 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 15:42:13.20 0.net
かつての共産圏のほとんどがモンゴル支配領域だったのは興味深い

57 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 15:48:08.93 0.net
朝鮮という国はまだないな、高麗だ

58 :世界@名無史さん:2012/02/08(水) 17:29:52.83 0.net
>>55
人間30年もイジメッコに脅かされ続けたら根性曲がっちゃうよな
哀れなり(笑)

59 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 23:37:17.46 0.net
・ユーラシア大陸で安全に陸上輸送の交易が出来るようになった事
・紙幣の発行

60 :世界@名無史さん:2012/02/19(日) 19:39:26.26 0.net
ほす

61 :世界@名無史さん:2012/03/19(月) 22:50:18.26 0.net
モンゴルの名を騙る輩たくさんいただろうね

62 :世界@名無史さん:2012/03/19(月) 22:58:09.45 0.net
ロシア・中国・イスラムで一番モンゴルに否定的なのはイスラム(アラブ・イラン系)で
とモンゴルがスラヴ人や漢民族よりも比較的優遇したのに皮肉であり、
ロシアや中国では比較的モンゴルの歴史的役割を客観視している。

63 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 01:14:19.74 0.net
そうかー?バトウなんか文字通り罵倒されているじゃん。
なんか露助が世界遺産登録した城塞もたしかバトウの猛攻に耐えてその後ボクロムされた
ニダとなんかやたらシツコイことほざいているじゃん。

64 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 02:47:25.66 0.net
>>33
>モンゴルってある意味気の毒な国だと思う。ばかでかい銅像がウランバートルに建ってる。ユーラシア大陸中に遺伝子をばらまいた強姦魔が英雄だなんて俺なら恥ずかしくて仕方ない。

まったく余計なお世話だな。モンゴルからすれば、ユーラシアに遺伝子をばらまいたからこそ
英雄なんじゃないか。まああの巨大像は確かに少し恥ずかしい感じはするが。

>>62
>ロシア・中国・イスラムで一番モンゴルに否定的なのはイスラム(アラブ・イラン系)で

>モンゴルがスラヴ人や漢民族よりも比較的優遇し
の出典教えて。

65 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 03:14:13.53 0.net
>>52
というか、アレクサンドロスが建設した図書館には膨大な史書が保存されていたそうだが、
全て消失したのでわからなくなっている。
中国はやたらに保存する文化があるので他国よりも膨大なライブラリーが現存してい

66 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 05:35:07.97 0.net
モンゴルで高官の地位には漢族系やスラヴ系よりもイスラム系が多く取り立てられた。
またロシアの税制や統治機構がキプチャクハン国時代が基礎となって成り立ったという。
タタールのくびきはロシアにとって良くも悪くも基礎を成していることは認める視点が
庶民的にはともかく史家的な視点ではある。


67 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 05:38:13.35 0.net
高麗はチンギスハンの死を聞いて貢物を取り立てに来たモンゴルの使者を殺害、
見せしめとしてモンゴルに懲罰隊を送られ徹底的に打ち懲らされた。


68 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 05:42:24.92 0.net
北条氏はそれを知らなかったのだろうか。
素直に降伏していれば、二度の戦争をおこさずにすんだ。
大河ドラマでやっていたように時宗は開国すべきだったな。

69 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 05:53:37.86 0.net
高麗とは違い当初は使者を殺害せず手ぶらで返しただけだが、
それを聞いたフビライが高麗側の進言もあって軍を起こした。

70 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 09:58:24.11 0.net
中国、イラン、イラク、シリアを徹底的に荒廃させ
アジア落伍の主要な原因となった癌そのもの

71 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 10:48:12.86 O.net
高麗は何度も元と戦わないように日本に呼びかけていたらしい。
もちろん元には秘密でしかも相当に日本を立てた表現で。

72 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 13:26:34.26 0.net
忠烈王は日本侵攻を元に嘆願していたからな

73 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 15:13:59.08 0.net
>>70
その全てが「徹底的」ではないな。ブハラ、サマルカンド、ニーシャプール、バルフ、メルブ、スーサは
徹底的に破壊されたが、イスファハーン、バグダッド、ダマスクスは殆ど破壊されていない。

例えばバグダッドだが、
1180年頃にバグダッドを訪問したイブン・ジュバイルの
旅行記に記載されるバグダッドの様子(荒廢している部分と繁栄している部分)と、
1330年頃にバグダッドを訪問したイブン・バツゥータの記載にあまり相違が無い。
フレグによる陥落時に虐殺は行われただろうが、破壊は大きく無かった可能性が
高い。しかも現在のバグダッドに残るマドラサの史跡は現在まで残っている。

74 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 17:34:35.98 0.net
アメリカ大陸を徹底的に荒廃させたスペインやポルトガルよりは
モンゴルの方がまだまし。

75 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 19:57:10.06 0.net
>>73
アル・アシールは他にもヘラート、バグダードでの徹底的な破壊、殺戮、略奪を記してるよ
シリアでキトブカがバイバルスとクトゥズに大敗したからその先は被害を被ってないけどね。
まあ新大陸を徹底的に荒廃させた英国人よりマシなのは確かだが

76 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 02:40:12.70 0.net
>>75
「徹底した破壊」とは抽象的な表現だね。アシールの記載を具体的に教えて。
あと、アシールの「完史」は1231年迄の記載のようだけど、1258年のバグダッドの
モンゴル攻撃が記載してあるの?

77 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 09:29:34.76 0.net
>>75
そもそもアル・アシールって1233年に死亡してるし、「完史」も>>76の言うように、
1231年までしか書かれてないと思うんだけど。モンゴル帝国がバグダード攻略したのは、
1258年だから、バグダードの破壊が載ってるのはおかしいんじゃないかな。

78 :名無し募集中。。。:2012/03/24(土) 13:34:37.49 0.net
バグダッドの都市半分は廃墟になっていたことが
イブンジュバイルの旅行記に書かれているからね
しかしカリフを殺害したことは蛮族モンゴルの犯した最大の罪


79 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 14:05:39.43 0.net
>>78
フレグがカリフを殺したことが敵対勢力であるマムルーク朝の権威付けになってしまったんだから、
冷静に考えても彼がカリフを殺したのは失敗だったね。歴代イスラーム王朝がそうしたように、
自らの権威付けに利用したほうが良かっただろうに。まぁ、フレグは宗教に対して寛容というか、
適当みたいな感じだったからね。キリスト教なんかはフレグに親しみ抱いてたみたいだし。

80 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 14:07:19.68 0.net
男は皆殺し。女は強姦した後皆殺し。モンゴル人の面影が西域にないのはそのせいか?

81 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 14:21:35.39 0.net
単なる災厄。馬賊がユーラシアで暴れまくっただけだろう。
古代カタストロフィ=フン族→ゲルマン族→スラブ族
平安カタストロフィ=バイキング&セルジュークトルコ&十字軍
鎌倉カタストロフィ=ジンギスカンとモンゴル侵攻=立正安国論
戦国カタストロフィ=コロンブスと中南米侵略=秀吉のキリシタン弾圧
大江戸カタストロフィ=ナポレオンとフランス革命=海国兵談
大正カタストロフィ=WWTとオスマン帝国滅亡&パレスチナ紛争勃発=新興宗教ブーム
昭和カタストロフィPart1=ヒトラーとWWU&スターリンと大粛清
昭和カタストロフィPart2=ベトナム戦争&毛沢東と文化大革命&金日成と収容所政治

82 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 14:48:55.76 0.net
>>80
モンゴル帝国解体後にイラン・アフガンでモンゴル系支配層がどんな運命を辿っていったのだろうか。
かつてアッシリア人は帝国崩壊後に報復としてひどい目に合わされたようだ。
イラン・アフガンではモンゴロイド系は未だに地位は低い。モンゴルの子孫は散々な目に合ったと思うよ。
哀れ

83 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 16:07:39.06 0.net
>>82
アフガニスタンのモンゴル遺民・ハザラ人は、まさに差別を受け続けた民族だね。
不可触賤民とまではいかないけど、だいたいエジプトでのコプト教徒レベルの扱いかな。

84 :名無し募集中。。。:2012/03/24(土) 18:27:37.26 0.net
チンギスハーンは蛮族でしかないからな


85 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 21:47:51.56 0.net
>しかしカリフを殺害したことは蛮族モンゴルの犯した最大の罪
でも兵隊に払う給料をケチったとかみみっちい奴だったらしく、
こんなしみったれた奴を真っ当な貴族としては認めがたいのか、
面当てに財宝に満ちた蔵に閉じ込めて全く食料を与えず餓死させたという伝説が生まれた。


86 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 21:55:30.88 0.net
ロシア貴族の多くがモンゴル貴族との縁を持っていたという。
イスラムでは許されなかった仏教だがロシアでは制約を受けたものの
仏教は存続できた。


87 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 22:36:57.13 0.net
>>85
ムスタアスィムはカリフであることを鼻にかけた自尊心の高い無能者だったと、
書かれることが多いね。フレグもそういう小物だったからこそ殺したのかも知れないね。

>>86
>ロシア貴族の多くがモンゴル貴族との縁を持っていたという。
そもそもロシア帝国の前身となったモスクワ大公国はモンゴル帝国の強い影響下で、
発展した訳だからね。イヴァン4世もチンギスの血を引くシメオンに一時的に譲位してるし。
初期のロシアはモンゴル人の血統をそれなりに重んじてたということだね。

88 :名無し募集中。。。:2012/03/25(日) 09:46:57.25 0.net
アッバース朝カリフでもナースィルは評判が良かった
イブンジュバイルの旅行記でもナースィルは容姿も評判も
良かったことが記録されている




89 :名無し募集中。。。:2012/03/25(日) 09:47:44.09 0.net
まあwikipediaに書いたの俺なんだけどねw

イブン・ジュバイルはナースィル在位中にバグダードを訪れており、
実際にナースィルを目撃している。
以下は、イブン・ジュバイルの旅行記におけるナースィルの評判と容姿についての記述である。
『カリフは時々チグリス河で船に乗っているのを見かけられるし、また、砂漠に狩猟に出かけることもある。
カリフは人々に気づかれないように質素に出かけるが、お忍びであるにもかかわらず、
カリフの名声はいや増すのである。けれども実は、カリフは人前に姿を現し、
人々に親愛の情を示すのを好んでいるのである。このようなカリフの性格は大衆に喜ばれている。
彼の治世は安楽で、公正で、人々は良い生活を送っているため、身分の上下を問わず彼のために祈りを捧げている[1]。』


90 :名無し募集中。。。:2012/03/25(日) 09:48:04.91 0.net

『われわれはカリフが西岸の見晴し台の前にいるのを見かけた。
カリフは見晴らし台から降りてきて、船で東岸の上流にある邸宅まで河を遡るところであった。
彼は若年で、顔一面に短い赤毛をたくわえ、姿麗しくまた見目麗しい色白の肌をしており、
背丈は中くらいで、好ましい容貌をしている。年の頃はおおよそ25歳。
金の刺繍を施したカバーウ様に裾の長い白衣をまとい、頭には金糸で刺繍した、
周囲にテンやそれ以上に高価な毛皮をつけた帽子を戴いていた。
カリフは本性を隠すためにこのようなトルコ人の衣服をまとっていたのだが、
いかに覆いをかけても、太陽は隠しとおせない[2]。」

91 :名無し募集中。。。:2012/03/25(日) 09:51:10.48 0.net
ナースィルは政治的手腕もあったみたいだし
彼の治世にモンゴルが攻めてきたとしても外交でうまいことしのいだかもしれないな

セルジュク朝がモンゴルに変わっただけで


92 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 10:51:50.30 0.net
モンゴル定刻は最悪だな…正に文明の破壊者
モンゴルに侵略されてなけりゃ今頃先進国になってた国も幾つかあっただろうに
モンゴル支配領域は総じて後進国
当のモンゴルですらが後進国


93 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 11:29:41.73 0.net
美しいコーカソイドのトルコ娘を尻も拭かない薄汚いモンゴロイドが強姦しまくった
せいで、カザフ人やウズベク人、ウィグル人、キルギス人はモンゴル顔になってしまった。

94 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 12:27:28.86 0.net
薄汚いモンゴロイド×
薄汚いモンゴル人○

95 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:10:16.73 0.net
モンゴルに征服されたユーラシア諸国=大国
>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>>>>
スペイン・ポルトガルに征服されたラテンアメリカ諸国=雑魚

96 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 01:50:30.21 0.net
なんで一般人は、韓国、朝鮮人を忌み嫌うのかなぁ・・・

確かに日本が統治するまで土人国で日本がインフラや教育制度、医療制度など

全ての近代化につながる基礎を整備してやったのに、台湾と違って逆うらみや

難癖、恐喝、強姦、詐欺、エセ右翼、パクリなど悪行の限りを尽くしてるけど、

それは、ああいう根っからの極悪非道民族だからしょうがないこと。

嘘つきに嘘はいけない、泥棒に盗みはいけないと説教しても同じで無駄なんだよ。

97 :世界@名無史さん:2012/04/13(金) 07:38:39.86 O.net
時宗は無能だよな
島国にまともな外交を求めてはいけないのだろう
ベトナムもモンゴルを撃退したが、何度も中国に侵略されてるから日本は島国でよかったのだが

20世紀まで日本無敗とかいうやつはなんなんだ
白村江、秀吉の朝鮮出兵しらんのか?

>>81のやつも大日本帝国の中国、東南アジア侵略を挙げてねーし、公平じゃないな

98 :世界@名無史さん:2012/04/17(火) 12:27:11.73 0.net
世界を変えた?アレは中華民国の馬賊が巨大化しただけじゃねえの?彼ら自身が認めてるだろ。
日本は陸続きでなくて良かったな。モンゴルは最大かも知れないが、それ以前も何回か混乱期はあった。
ただモンゴルは範囲が広かったに過ぎない。モンゴルが変えたならアッシリアもフン族もゲルマンもノルマンも
倭寇も世界を変えただろう。シュメールとアッカドの戦争も凄まじいものだったようだし、
コロンブスもヒトラーもスターリンもトルーマンも、本当はジンギスカンを羨ましいとしか思ってないだろ。

99 :世界@名無史さん:2012/04/18(水) 12:54:27.25 0.net
でも1240年代のポーランド侵攻後こんどはポーランドがモンゴルをウクライナまで押し返して、
それ以来一度もモンゴルはポーランド再攻撃に成功していないんだが

逆にポーランドがモンゴルのキプチャク・ハン国に攻め込んでる

ポーランド側がモンゴルの戦術を研究して対応策を採ってしまったため

100 :世界@名無史さん:2012/04/18(水) 23:48:29.81 0.net
最後のポーランド侵攻は二度目の侵攻で1280年代ね。
まあこの時はそんなに大被害は受けなかったが。
その後はポーランドが勝つコツを掴んでモンゴル勢力を圧倒していく時代に入る。


101 :世界@名無史さん:2012/04/19(木) 23:08:13.15 0.net
世界史上最強なのはモンゴル軍でしょうね。アレクサンダーですら快進撃できたのはイランまででしょう。
アフガン・パキスタンの部族地域にもなってくると悪路と部族の抵抗に苦戦し始めている感じがする。
英ソ米が征服できなかったアフガンを簡単に征服し、アサシン派を壊滅に追い込んだモンゴル軍。
明らかに今の米軍より強いと思います。モンゴル以外の民族がアフガン部族に勝てる気がしない。

102 :世界@名無史さん:2012/04/19(木) 23:30:27.81 0.net
そりゃあ、皆殺しアリなら米軍がやっちまうだろ。
いちおうか、民間人に犠牲者が少ないようにやってるようだが
モンゴルは皆殺しと強姦が目的だから。
アレクサンドロスはウズベキスタン国境付近のアフガニスタンに都市を造ってるが?

103 :世界@名無史さん:2012/04/19(木) 23:36:35.03 0.net
その先でスキタイにボコられて逃げ帰ってきたけどねw

104 :世界@名無史さん:2012/04/20(金) 00:02:33.70 0.net
スキタイなんてシルダリヤ川で大王に屠られてるじゃん

105 :世界@名無史さん:2012/04/20(金) 00:10:16.30 0.net
最強は実はサルマタイ
ただサルマタイの場合ギリシャ人やローマ人があまり記録に残していないからマイナー

106 :世界@名無史さん:2012/04/20(金) 19:55:11.44 0.net
>>101

モンゴルみたいに野蛮さ全開で逆らう者は皆殺しって感じなら
米軍なら本気出せばアフガン部族を核の投入で瞬殺されてるだろ
手こずってるのはあくまでも一般人に配慮してるからだよ
モンゴルは一般人に配慮なんてしていただろうか?

107 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 13:45:02.67 0.net
>でも1240年代のポーランド侵攻後こんどはポーランドがモンゴルをウクライナまで押し返して、
>それ以来一度もモンゴルはポーランド再攻撃に成功していないんだが

1259年と1287年にタタール軍がやってきてポーランドを略奪しまくってる

108 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 15:25:29.28 0.net
>>107
防衛手薄な地域だけ狙った襲撃は何処でもある
まともに戦って勝てるような力はもうないだろ

109 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 16:04:18.70 0.net
まぁ、あの時代は騎馬民族での弓矢攻撃、かつ皆殺し攻撃が最強だったんだろうな。
おそらく新大陸を侵略したスペイン軍がインディオじゃなくてモンゴル軍だったらひとたまりもない。

つまり火縄銃時代は全盛期のモンゴル軍の方が強かったと思う。
さすがにライフル銃時代になると違うだろうけど。

ギリシャ式のファランクス戦法がローマ式戦法に敗れ、それもフン族からモンゴル軍
までの騎馬民族の戦法に負けて火器戦法になるまでは最強だったはず。

通常兵器での史上最強は当然、ダントツに現在の米軍だろ。
ソ連が手こずったアフガニスタンを抵抗勢力は残してるものの中央政府は瞬殺した。

110 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 16:06:57.70 0.net
読み返したら日本語がオカシイ・・・きのうキムチ食ったからか?

111 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 18:45:49.21 0.net
さすがに16世紀のスペイン軍相手にモンゴルじゃ惨敗だろ
インディアンと同じ目にあう

112 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 18:57:47.10 0.net
16世紀のスペイン軍とか、まだまだ武装がへぼく統制も取れない雑魚だからw

113 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:05:03.55 0.net
それ以上にモンゴル軍が時代遅れだったて事だろ

114 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:17:33.51 0.net
例え16世紀にチンギスハンがいてもコルテスに火炙りにされて終わり

115 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:25:05.08 0.net
五分五分の兵力だったら、そら16世紀のスペイン軍が有利だろうて。
でも新大陸に万単位のモンゴル軍が構えてたら、1000人未満のスペイン軍じゃフルボッコされて終わりだろう。
スペインが無双できたのは、文明的ではあっても武器は石器メインの並行世界が相手だったから。

116 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:35:57.25 0.net
チンギスに犯された白人

117 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:37:51.70 0.net
いや分からんよ突然カノン砲やらマスケット銃の弾幕浴びたら
モンゴル軍でも統制崩れるだろ

118 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:57:16.43 0.net
炸裂弾を使ってたモンゴル軍なら、射程距離・連射速度が要点であることはすぐ分かる。
騎兵少数突撃→有効射程が確認できたところで散開。これを繰り返して性能分析を完了。
包囲持久戦にもちこみスペイン軍の弾薬が尽きたところで、鼻と耳を削ぎ頭皮を剥ぐことになろう。

119 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:59:21.51 0.net
コロンブスが置いていった船員は土人に皆殺しにされてた。
火縄銃なんて詰め替えるのにどんだけ時間がかかると思う?
スペイン軍は土人相手に勝っただけ。しかもほとんど伝染病にやられたようなもの。

しかし、コロンブス時代の船ってのが想像以上に小さくて笑ったわ。
あんなんで大航海したのかと、世界を変えたのかと逆に感心する。ちょっとした小型漁船並みだぞ。マジで。

120 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 20:31:37.29 0.net
あの小さい船でヨーロッパ人は世界を支配したのだから有色人種のヘタレぶりが悲しい。
たが、日本は秀吉時代に全ヨーロッパより多くの火縄銃を持ってたし、
秀吉時代の東南アジアでスペイン軍が倭寇と思われる「ローニン」の部隊に襲われて全滅したとの記録もある。

121 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 20:36:26.95 0.net
スペインポルトガル(カナリア諸島)〜南米や英〜北米って結構近いしね

122 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 20:41:04.04 0.net
>>118
まず包囲に持ち込んだ所でマスケット銃の的になるだけだろう
その前にモンゴル軍の矢が尽きて接近戦に持ち込んでもパイク兵の餌食
捕えたモンゴル兵は火炙りにされバーベキュー

123 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 20:44:04.52 0.net
>>119
土人でも現地で戦えば結構手ごわい
モンゴルもジャワや琉球で痛い目に合ったろう

124 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 21:14:25.64 0.net
>>115
所詮伝染病のないシロンボなんて雑魚でしかない
病気を移すエイズ患者みたいなのがシロンボ

125 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 21:31:29.45 0.net
>>124
欧州へペスト菌持ち込んだのはモンゴル人なんだが
そんな気持ち悪いエイズ患者のモンゴル土人を打ち破ったのがロシア・コサック

126 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 21:43:59.45 0.net
マスケットvs騎馬隊か・・・
長篠の戦いが思い浮かんだからスペイン勝利にしとく
多分間違ってるけど

127 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 21:53:34.19 0.net
>>125
ペストは西欧の土着伝染病だよ

128 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 21:57:51.66 0.net
倭寇は、元寇に際して元軍とその支配下にあった高麗軍によって住民を虐殺
された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心であり、「三島倭寇」
と総称された。 朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇に対する地方
の私軍による復讐の意味合い、 および、再度の侵攻への予防という側面も
あったと考えられる。

清の徐継畭の『瀛環志略』や 李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の
原因は 日本に対する侵略行為を行った高麗人(朝鮮人) への報復である、と
記述されている。

さらには、連れ去られた家族を取り戻すためであった事例もあり、実際に家族と
再会した 記録も残っている。

129 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 22:11:19.14 0.net
>>127
14世紀に突然大流行した事や感染ルートから見てモンゴル経由なのは間違いない

130 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 22:59:44.04 0.net
チンギスに犯された白人女

131 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 23:15:48.85 0.net
>>129
>14世紀に突然大流行した事や感染ルートから見てモンゴル経由なのは間違いない
ペスト菌は多くの齧歯類が保持してるし、突然流行したわけでもない。
感染の伝播ルートが確定したのかそれは凄いな、その業績だけで教授になれるw

132 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 23:30:50.19 0.net
ユダヤ人が差別されたのもモンゴルのせい

モンゴルがユダヤ教に改宗した東欧国家を襲撃

東欧系ユダヤ人が欧州に逃げる

ついでにペスト菌も持ち込んだのでユダヤ人が病気をバラ撒いた!とされて
ユダヤ人が迫害された

133 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 23:38:47.15 0.net
>>131
14世紀に黒死病が流行り東方との交易の際に持ち込まれた
こんなのお前が知らないだけで常識だろ
教科書でもwikiでも見れば

134 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 00:08:31.41 0.net
>>133
ペスト菌は一般的に都市よりも郊外、植物の茂った場所や水辺にいる齧歯類で保菌率が高いよ
都市だと感染の蔓延が速いから目立つだけであって。

135 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 01:07:09.55 0.net
>>126
遥か彼方の異国で100対1の兵力差で無双できるかって話なんだよな(例:5万対5百)
そのへんは長篠の戦とは全く事情が違う。
もっとも上手くやれて、関が原での「島津の錐もみ突破」のようにして戦線離脱できるかというレベル。

136 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 01:30:40.34 0.net
いや別にスペインも本国から突然侵略したわけじゃ無く
まずは現地の情報収集や諜報を済ませてから拠点であるカリブ諸島から
上陸地へ橋頭保を築きそこから一気に攻め込む
海上からの後方支援ルートがある限りもうスペインの独壇場

137 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 02:52:22.37 0.net
スペイン軍が強いわけがない。レコンキスタで戦争慣れは
してたかもしれないが、コロンブス直前までムーア人に
国土を取られてたやんけ。しかも復讐で対岸すら攻め込まないし。

だが、俺はコロンブスとスペインを尊敬している。
コロンブスが発見してなくてもいずれ誰かが発見したのは明白だが
何十年、百年以上先だったかもしれない。彼がいなかったら歴史は変わってた。

メソポタミア発の小麦を手に入れた旧世界の人類は新大陸でトウモロコシと
ポテトなどを手に入れた。この貧相な土地でも育ちカロリーも高い食料は
アイルランドやドイツ、ロシアの主食、準主食になっただけでなく我々にも
どれだけ恩恵を受けてるか。玉子もニワトリのエサのトウモロコシが無いと
食えない。チキンも牛肉も。あんなちっぽけな船でスペインは世界を変えた。
モンゴルは我々の英雄である倭寇を残したが、残虐性を歴史の本に残しただけ。


138 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 03:23:47.40 0.net
16世紀のモンゴル軍とスペイン軍ってマジでどっちが強いの?

139 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 03:59:14.49 0.net
16世紀のモンゴルって四分五裂してるけど

140 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 04:25:46.39 0.net
さすがに比較しようにも時代も地域も違いすぎて・・・
つか16世紀のモンゴルって何してたんだろ
モンゴルは騎馬隊、スペインはガリオンで大帝国作ったけどやっぱ兵力の迅速な移動ってのは必要だね

141 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 04:38:57.12 0.net
マングダイとテルシオか・・・指揮官の能力次第で大きく勝敗が変わるな
どっちも相手の先手を誘う戦術だから沈着状態で終りそうw

142 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/22(日) 05:33:46.59 0.net
>>140
>つか16世紀のモンゴルって何してたんだろ
16世紀のモンゴルと言えばダヤン・ハーン及びアルタン・ハーンの下で結構栄えてたよ。
彼らはしばしば明に侵入し、アルタン・ハーンなんかは首都の北京まで迫ったりしてる。

当時のスペインとは離れすぎてるので流石にどっちが強いかまでは分からないけど。

143 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 05:42:42.95 0.net
例えばコルテスと同時代のモンゴル支配者はダヤン・ハーンだわな。
すでに、同数の兵力ではまともに戦えるレベルになかったろうね。
もちろん、10倍とかの兵数差があれば話は別かもしれんがな。

144 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 05:43:45.46 0.net
おお・・・被った。

145 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 06:32:08.02 0.net
>>143
マジレスするけど、同数で野戦やったらスペイン軍は負ける
装備、軍の組織、士気、どれも劣るからね。

146 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 07:06:27.75 0.net
モンゴルは弓であるがスペイン軍は火砲・・マスケット銃・・クロスボウ
得意の騎馬突撃もパイク兵によって潰される
烏合の衆である氏族連合のモンゴルに対して志願制で集った精鋭集団のスペイン
ゴンサロ将軍の下で培われた騎兵戦力を無力化する土塁、塹壕等の野戦築城のノウハウも持つ
この時代にモンゴルが勝利するには苦しいな正直

147 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 07:25:03.33 0.net
西仏戦争の際に騎馬隊の突撃を食らって手痛い被害出している。
極めて軽装のスペイン兵はモンゴル軍の射撃に大して抵抗できない。
長柄槍部隊も非常に硬直した粗雑な軍組織のせいで長所を発揮しない。
結束の堅い氏族から構成され、常時訓練している精強なモンゴル軍と比べ
金で徴募され縁も所縁もなくロクに訓練も施されない雑兵の群れでしかないスペイン軍。
この時代のスペイン軍の実態を知らずに同等に戦えると誤った判断をしてはいけないよ。

148 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 07:46:36.89 0.net
西仏戦争て17世紀だぜ?テルシオが本格的に破られるのも17世紀
軽装とも言われるが甲冑はプレートアーマであり当時から見れば重装備
中世とは違いモンゴルの矢では通用しない水準まで達している
パイク兵の長所は攻めて来る敵軍への迎撃であり騎兵対しては十分な効果
イタリア南部やネーデルラントなど特に最重要視した地域では練度組織力の高い軍団を編成して送り込んでいる
これが私的利益しか考えていない氏族の集まりのモンゴル軍が勝つには苦しいな

149 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 08:09:51.90 0.net
西仏戦争は16世紀にも何度も起きているよw
長柄槍部隊は100人以上を単位に行動するため非常に魯鈍かつ硬直的
軽装弓兵と重装突撃兵の散兵が攻撃した時に十全の対応が可能な軍組織になっていない。
スペイン軍で甲冑(非板金鎧)を付けていたのは1割程度の主力兵のみ
大多数のスペイン軍兵士は厚手の防護服しか着ていない。
低地諸国へ送られたのは当時のスペイン軍の中で最も精鋭の部隊で
これは封建領主である軍閥が組織した軍、つまり言ってる事が自己矛盾している。

150 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 08:29:01.32 0.net
フランスとの戦争自体は何度も起きてるが西仏戦争は17世紀だろ
パイク兵は迎撃で効果を発揮する機動性は求められていない
当時のスペイン軍はほぼ兵卒まで板金鎧寧ろ前時代に重装備過ぎた形式を軽量化したぐらい
カトリックという一つの帰属意識があったスペインと比べ
モンゴルにあったのは氏族間の私益でありやはり勝つには苦しい

151 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 08:48:38.43 0.net
ああなるほど、君の脳内のモンゴル兵は長柄槍を構えた所へわざわざ突っ込んで行くのか。
スペイン兵ですら当時は集団脱走が度々起きているよ、イタリア兵やドイツ兵に至っては
少し給与の払いが遅れれば暴動、逃亡、戦闘ではロクに戦わず略奪三昧、そういう集団。
西仏戦争は16世紀前半だけで3度か4度起きてるよ。
スペイン軍の防具としては雑兵へは服を支給していた。寝言と妄想はほどほどにねw

152 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 09:07:19.49 0.net
いや火砲マスケット銃の放火に耐えかねたモンゴル軍が接近戦に挑んだ場合を想定してる
まぁ、そうなる前に身の安全を優先する氏族らの離脱で勝手に崩壊するだろうけど
まず装備に関してだが最優先された地域への軍には板金鎧の着用が義務化されている
これはマトモに矢では貫けない一方のモンゴル軍の中世的な装備じゃ鉛玉の餌食だろう
当時ハン一人死ぬとすぐ内乱起して揉めてたモンゴルと太陽が沈まぬ帝国だったスペインを比べるには
やはり無理があったな

153 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 13:22:36.21 0.net
>>108
その2回ともピアスト朝の中心だったクラクフまで略奪されてる。

154 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 14:54:59.70 0.net
16世紀のモンゴルとスペインが直接繋がらないから妄想するしかないとして、妄想の仕方は補助線を使おうよ・・・・
例えば、同時代のイヴァン雷帝。
キプチャク・ハン国の分裂した4国のうち3国に対して征服戦争を行っていた一方で、
リヴォニア戦争ではスウェーデン、ポーランド=リトアニア相手に戦争を仕掛けていた(おおむね劣勢)。
スペインはスウェーデンやポーランドの戦闘力と比べてどうか、モンゴルはシビル・ハン国らの戦闘力と比べてどうか。

155 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 19:56:43.19 0.net
>>154
16世紀のロシアはタタール風の騎兵に鉄砲などで武装した歩兵と砲兵隊という
オスマントルコに近い感じの軍隊だったが、タタールには勝てても
ヨーロッパからの侵略に対抗できなくなりパイク&ショットの編成等を取り入れてる。

156 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 21:06:32.48 0.net
>>153
スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
軍組織は非常に粗雑、指揮命令伝達や行動は酷く魯鈍、不利な状況でしか戦わせて貰えず
苛烈な戦闘ではオスマン軍相手の際と同じく尻尾を巻いて逃げ回るしかなかったよ。

157 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 22:25:04.12 0.net
アングロサクソンすら手が出せなかったロシアを木っ端微塵に粉砕して女根こそぎレイプしたモンゴルが世界最強だよ



158 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 23:05:31.88 0.net
>スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
>甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
>一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。

モンゴルも突撃や近接戦闘を行う装甲騎兵は一部のエリート部隊で
大多数は軽装の弓射騎兵。
当時のヨーロッパの歩兵も胸甲や鉄兜を装備していた。

>16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
>弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。

オスマン朝軍がサファヴィー朝と戦ったときにはキジルバシの部族騎兵を
火縄銃の射撃によって破っている。
その後サファヴィー朝も銃兵隊を導入してジョチウルス系のシャイバーニー朝を破っている。

159 :世界@名無史さん:2012/04/22(日) 23:49:06.66 0.net
当時とはいつを指しているのだろうか、火縄銃が登場する16世紀の話をしていながら
防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている、6割を大多数と言い換えるのは詭弁。
サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。

160 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 00:13:41.96 0.net
何百年も後に大陸の東端の小島の住人が大陸西端の半島の国と戦争したらどっちが強いか白熱議論するぐらい
モンゴルは世界を変えた

161 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 00:33:01.73 0.net
>当時とはいつを指しているのだろうか、火縄銃が登場する16世紀の話をしていながら
>防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。

胸甲や鉄兜ってのは当然パイク兵や銃兵の話だが?

>5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている

これ出典は?

>サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵

サファヴィー朝はシャー・アッバースの軍事改革まではキジルバシの遊牧騎兵が主力。
モンゴルも中国やイランでは歩兵が加わっている。

>16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。

オーストリアの間違いでは?

162 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 02:54:22.36 0.net
スペインもモンゴルも今や弱小国。
何も無いモンゴルになぜあのパワーがあったのか不思議。
あの勢いで西ヨーロッパに進軍してたらそれこそ歴史が変わっただろう。

それとスペイン。ピサロのような字も読めないヤクザ者の数百人の軍勢が
土人とはいえ帝国を滅ぼす事が出来るのか? 
ライフル彫りが無い火縄銃なんて命中率どんだけ? 詰め替える時間も長いし3人が槍で突撃すれば楽勝だろ。


163 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 03:32:38.48 0.net
>>156
歩兵まで丸裸とかギャグかよ板金鎧の着用はもう義務化され武装も統一されてる段階
モンゴルの鎧は防弾性がほぼ皆無であり容易に撃ち抜かれる
もうマスケット銃の射程は容易に合成弓越えてる
同じように新大陸で弓術に特化した先住民が太刀打ちできなかった
騎兵戦術と銃兵器を兼ね合わせた高度な指揮系統持った先進的なオスマン軍と
中世レベルの兵器と士気の低い氏族連合のモンゴルとじゃ比較対象にする意味が無い

164 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 03:51:40.22 0.net
>>162
狩猟民族ならまだ対抗出来たかも知れないけどアステカは馬とか車輪とか以前に鉄器すら無いしね
古代エジプトでもチャリオットと鉄器使ってたと言うのに・・・
軍事的には何千年クラスの差がありそうだ・・・

165 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 04:12:12.19 0.net
種子島に火縄銃が来てからすぐに冥土員JAPANの銃を作り
戦国時代には50万丁保有してて、当時の全ヨーロッパの保有より多かった。
戦国時代の日本軍が結集すればスペイン軍なんてイチコロだな。
現に東南アジアで倭寇と見られるローニンにスペイン軍が全滅されたらしい。
怪しい話だが戦争すればスペイン軍には勝てる。

166 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 04:27:59.88 0.net
フィリピンだと倭寇勢力全滅されてるけどな

167 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 04:35:23.25 0.net
さすがに遠すぎる・・・
まぁ隣にあったとして海戦は明らかに無理だけど陸の会戦なら勝てたかもね
まぁこう言うのって条件次第だろうけど
条件次第だと最強の米軍がベトナムにも負ける

168 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 04:49:21.38 0.net
ペリーに恫喝されて開国した鉄道すら無い日本がわずか35年後に軍艦で
ロシアのバルチック艦隊を壊滅させたなんて凄くね?
開国してから71年後には負けたけど潜水艦、空母、航空機でアメリカに
戦争を仕掛けた。サムライ時代からたった71年に航空母艦とか潜水艦だよ。

全部、白人の発明だけど。

169 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 09:10:56.91 0.net
>>165
それよく聞く話だけど戦国時代当時の全ヨーロッパの鉄砲保有数っていったい誰が数えたの? 具体的に何挺?

170 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 10:28:15.46 0.net
単純に保有数なら明のほうが上だと思うんだけどw

171 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 18:58:10.90 0.net
明のは秀吉の朝鮮征伐以前は火縄銃じゃないよ
>>169
16世紀西仏の火器装備率が年が降るにつれて増え2割〜5割
保有する軍隊が合わせて約16万、より火器率の低い独と英が半分として
合わせて12万丁、倍に増えても日本の国内所有数に全然届かないw

172 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 20:12:05.40 0.net
戦国期日本の50万丁ってすごい数だな
16世紀末の人口が1200万人だから総人口の4%に火縄銃が装備されるってこと?
足軽・雑兵含めて当時の日本の総兵数はどれくらいに見積もられてるんだ?

173 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 22:00:29.30 O.net
「元史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。

174 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 22:12:26.67 0.net
チンギスハーンがアッバース朝と宋とキエフルーシを併合した後に、もっともっと後世に影響力が残るようなデッカいことをしてたら
我々モンゴロイドも今の白人キリスト教世界のように中国人日本人朝鮮人台湾人同士で団結しあって地上の支配者になってたかも知れないのに(アウグストゥスなんて目じゃねえぐらいに)


彼はモンゴロイドに数少ない絶対的カリスマ性を持った人物だった。


175 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 23:29:52.61 0.net
ポーランドもドイツとロシアだけでなく、遥か彼方から来たモンゴルにまで襲われて災難続きの国ざな。
何であの草原のカザフスタンと変わらないような遊牧土人が大それた事ができたのか?
白鴎の部屋にもジンギスカンの絵が飾ってあったな。モンゴルでは当然だけど超英雄なんやね。
世界一の強姦魔だろ?

176 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 23:32:49.30 0.net
>>171
東欧・北欧・ロシア・オスマントルコの火器保有数は?

177 :世界@名無史さん:2012/04/23(月) 23:56:45.55 0.net
まあ、単なるバカやただのマグレじゃ成し遂げられないね。当時世界最先端だった宋とアッバース朝の2つの超大国を同時壊滅させるなんて。
なんか古代ローマ人に通じる凄みを感じるんだよね>少数民族で世界帝国築いた

オゴデイが死ななければ…バトゥなら絶対イベリア半島までやってくれたはず
そうすれば神聖ローマもロスチャイルドも無く、白人の時代も無かった。



178 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 00:09:12.77 0.net
そうなったらフランク汗国、イスパニア汗国、イタリア汗国が産まれてたか?

179 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 00:13:04.06 0.net
>>176
ロシアツァーリ国は欧州じゃないよねw
オスマン帝国も良識ある我々はわざわざ欧州に含まないよね
はい、あとは東欧と北欧の保有数を出せばいいだけだよ
合計で30万丁以上保有していたという根拠をねw

180 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 00:17:23.85 0.net
戦国末期の火縄銃総数50万丁ってどこから来た数字だろうと思ってググッたら、
Wiki「火縄銃」に書いてあるのか・・・ソースはノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」になってるね。
貿易取引書から推計した数字らしいが、暇ができたら一度読んでみるか・・・。
常識的に考えれば15万丁くらいだと思うが、意外な発見とかあるかもしれんしな。

181 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 00:23:59.91 0.net
>>179
オスマンは西欧列強に「ヨーロッパの病人」と認定されてるよw
ウラル山脈の西がヨーロッパだからロシアも充分入るな
シベリアは植民地ってことで

182 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 01:10:58.03 0.net
ウラジオストックはヨーロパです。白人の町だから。

183 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 01:11:46.62 0.net
戦国末期の人口が1200万だから
24人に一丁あったわけだ とんでもないな

184 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 01:17:27.36 0.net
「全米ライフル協会」 に対抗して 「全日本鉄砲協会」 が出来そうだな。

それよりウラジオストック、美しすぎるwww
http://merryhome.air-nifty.com/himu/2010/08/post-1f10.html

185 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 06:35:09.06 0.net
戦国日本って確かに火縄銃に関してはかなり高度に発達してたけど
火砲・大砲はイマイチだね

186 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 07:48:53.38 0.net
総人口1200万のうち女を除いて600万、次に児童・老人を除いた壮健男子400万。
うち、戦闘行為への参加見込みのあった男性は、雑兵含めて100万〜150万人くらいが上限だろう。
(関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人から見ても・・・)

で、そういう半農半兵の連中まで含めて2〜3人につき1丁ってのはさすがに多すぎ、他兵科も必要だし。
仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。

187 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 08:55:32.86 0.net
関ヶ原の戦いって銃撃戦だったわけ?

188 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 09:12:32.75 0.net
両軍あわせて5万丁の火縄銃が使われたってのはネットでよく見るね

189 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 14:38:47.39 0.net
>>2
名誉の殺人はイスラムの戒律じゃなくそれ以前からある慣習なんだが
むしろ家畜同然だった女性に男性の半分の権利を保障したのがイスラム教だぞ

190 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 14:41:41.03 0.net
でもそれは1000年以上の前の話っすよね

191 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 18:53:39.26 0.net
>>186
>総人口1200万
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>そういう半農半兵の連中
一般的に農業を営みつつも確固とした専業の兵身分と認められている
西仏の雇用雑兵などより余程ね。関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁。

>仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
妄想は要らないからソース出そうね。

192 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 21:21:27.42 0.net
>>191
一般的に認められてる関ヶ原の時の人口ってなんぼ?

193 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 21:33:04.53 0.net
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
1200万〜2200万まで推定に幅があるようだ
一般に江戸時代前半に急増し半ばに3000万超ぐらいで安定したとの
推定が多いので3000万人に比べてかなり少ないというのが定説らしい

194 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 21:40:34.20 0.net
関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁

はいソース

195 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:25:54.01 0.net
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/

196 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:33:16.56 0.net
>>192
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
>>194
はい、ソース
千姫事件、改易、亀井政矩入封、城鉄炮並びに武具之目録
(1020挺÷43000石)/(3人÷100石)=さあ、何%でしょう?

1020挺÷43000石×1800万石≒427000挺
これに領主の所有物ではない武士の軍役負担分を含めると50万丁説ともよく合致するね。

197 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:37:13.62 0.net
宋がモンゴルに倒されてなければ
アジアで産業革命が起こりアジアがヨーロッパ列強に蹂躙されるなんて事はなかったかもしれない
本当にチンギス・ハーンは罪深い

198 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:42:06.61 0.net
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/

199 :世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:55:15.07 0.net
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/l50

200 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 01:14:30.73 0.net
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
>現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ

それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?

201 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 01:31:06.73 0.net
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/


202 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 02:33:43.71 0.net
>>200
>それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
>そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが
そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
まさに不徳の至る所と言わざる負うことが出来ない

203 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 21:54:44.28 0.net
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

撤回したのは鬼頭宏だけみたいだが?

>そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?

「一般的に認められてる数字」とか言い出したのは自分では?

204 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 22:26:11.54 0.net
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/


205 :世界@名無史さん:2012/04/25(水) 22:42:50.99 0.net
>>202
速水融が撤回していないと言い張る根拠は何かな?ん?
6派の推定はそれぞれ、2200万、1937万、1700万、1600万、1490万、1200万
となっていて、概ね1500〜2000万の間に収まっているようだ

206 :世界@名無史さん:2012/04/26(木) 20:30:38.19 0.net
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

速水融は622万〜980万人→1230万人

207 :世界@名無史さん:2012/04/26(木) 20:37:04.84 0.net
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/



208 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 20:47:42.72 0.net
ティムールはオスマントルコのビザンチウム攻略を半世紀遅らせた

209 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 20:56:54.53 0.net
倭寇は日本人の誇るべきものなのに教科書を変える必要があるな。

210 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 21:22:39.61 0.net
北虜南倭と明朝衰亡に一役かってはいる。


211 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 21:52:31.37 0.net
>>208
ものすごくどうでもいい功績だな

212 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 23:06:54.58 0.net
ティムールは歴史に少なからぬ影響を確実に与えた。

213 :世界@名無史さん:2012/04/27(金) 23:12:24.19 0.net
密告情報大好きの
赤い坂が書き込んでいますわ

214 :世界@名無史さん:2012/04/29(日) 10:04:11.74 0.net
フビライのベトナム遠征軍の元側資料規模は何人なの?
30万とか50万という数字は信用できん。

215 :世界@名無史さん:2012/04/29(日) 13:40:15.37 O.net
歴史はだいたい10倍掛け。近代史すらむちゃくちゃな数字だから。

216 :世界@名無史さん:2012/04/29(日) 19:59:04.76 0.net
弘安の役は実際に10万以上の大軍だったというが。


217 :世界@名無史さん:2012/04/30(月) 01:07:58.31 0.net
ベトナム遠征軍は2~3万くらいじゃね
第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし

218 :世界@名無史さん:2012/04/30(月) 01:48:03.73 0.net
弘安の役は江南軍10万半島軍4万でモンゴル軍ほとんど居なかったシナ

219 :世界@名無史さん:2012/04/30(月) 02:58:33.54 0.net
江南軍10万 元軍2万 高麗軍2万5000人くらいだろ
元軍も居たよ

220 :世界@名無史さん:2012/05/08(火) 23:09:47.83 0.net
ワールシュタットではヘンリク軍4万VSバトゥ軍15万とか
凄まじい戦力差の説は誇張?

221 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 18:44:10.88 0.net
ワールシュタットの戦いそのものが捏造という人も居る
歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw

222 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 23:50:34.79 0.net
ワールシュタットの戦いが捏造だったとしても
その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし

223 :名無し募集中。。。:2012/05/12(土) 17:49:20.10 0.net
モンゴル以前にもフン族とかスキタイ族とかいたからね

224 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 00:06:36.31 O.net
モンゴルは日本の
相撲界を制圧しつつある。

225 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 09:54:44.52 0.net
>>221
あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ

226 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 12:58:19.49 0.net
>室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
>って真顔で言ってる

それ出典は? 気になる

227 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 21:46:12.17 0.net
お杉の本ならどれでも似たようなこと書いてあるよ、マジキチ

228 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:10:34.66 0.net
杉山が注目されたのなんって最初の頃だけだろ
当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな

229 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:17:10.33 0.net
お杉はチューオーユーラシア史の権威でしょ
他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw

230 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:41:50.16 0.net
その権威とやらもどんどん化けの皮剥がれてるけどな
今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ

231 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:57:09.67 0.net
中央アジアの歴史って部分なら今はウィキペディアじゃなくっても
ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし

232 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 13:56:15.82 0.net
南宋って政治がダメダメなんじゃないの?内部分裂がひどくて女真や西夏やモンゴルの蛮族に対抗できない。
もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。

233 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 15:10:49.31 0.net
南宋はむしろ北宋滅亡後百年以上持ったことを評価してやれよ

234 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 18:55:24.76 0.net
>>227
でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?

235 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 19:48:17.80 0.net
>>227
能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる

勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな

236 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 19:48:48.59 0.net
すまん>>235のは>>234宛てな

237 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:04:11.54 0.net
お杉の話はおいておくとして、日元貿易って実態としてあったの?
交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?

238 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:10:59.93 0.net
それなりにあったよ、南宋代ほどではないけど。
南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?

239 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:12:22.70 0.net
そもそも日元貿易って鎌倉時代にどれだけ行ってたか疑問だし
鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ

240 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:16:04.35 0.net
前期倭寇は14世紀頃ので陳舜臣なんかはこれを
元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど

241 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:18:42.76 0.net
>明と違って海禁はしてないから
明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど

242 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 00:52:19.22 0.net
>>227
>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い

詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ

243 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 01:06:04.43 O.net
「元から多大な影響を受けた」って、
それは「中国」の影響じゃないの?

244 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 02:25:54.89 0.net
お杉にとっちゃ元はイコールモンゴルだからモンゴルの影響って事なんだよ
元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ

245 :聖徳太子:2012/05/16(水) 05:24:44.74 0.net
 
朝青龍は生れた時から横綱になることが

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html

横綱になることが決まっていたのだろうか。

誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。

246 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 13:46:51.90 0.net
宋、明の官僚主義が中国の発展を押しとどめた点も大きいのではないか。
中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。

247 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 14:02:20.91 0.net
中国の発展を押しとどめたのはモンゴル支配による破壊や
縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ

248 :世界@名無史さん:2012/05/21(月) 19:31:17.95 0.net
>>247
ブラック企業・整理屋のノリが強い中国では自分がいかに権力を乗っ取るかに関心が高い。
それで内ゲバやってる内にモンゴルやら女真やらイギリスやらに攻め込まれて王朝が滅亡するパターン。
権謀術数を外敵ではなく漢族同士でやって、外敵に攻められる。

249 :世界@名無史さん:2012/05/21(月) 20:27:34.35 O.net
>>242
禅宗は宋代でしょ。
北条時頼が帰依していた=13世紀前半〜半ばには既に日本に定着してただから。

250 :世界@名無史さん:2012/05/25(金) 23:03:07.88 0.net
漢族って近代になってできたものだろ。
民族という概念が発明されたのも日本。

日本に留学してた中国人を革命家として送り込んで漢民族ができた。
漢民族に似たものはあっただろうけど民族という概念が理論家されたのが最近なんだから
あやふやなもの。
1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった。
それも欧米の植民地国家だったから支配者は大変で民衆は国とはつながってなかった。
日本の反植民地運動によって国家意識が目覚めたけど。
中国の革命家や社会主義者がほとんど日本留学生組なのはその為。

共産主義革命と文化大革命によって中国の歴史と文化を全部破壊してやっと漢民族が
支配者になれた。
ウイグル系とかもあれは元はトルコ人だよ。
香港やシンガポールの漢民族もキリスト教徒が支配者のイギリスのコントロール下にある国として
作られた。中国の本土もキリスト教徒は凄く多い。
愛国教会とかそんあ感じの名前なんだけど伝統的な仏教やイスラムは普通に弾圧されてる。
儒教と道教は宗教なのか分からない。道教は日本の神道みたいなもので信仰や神学ではない
民族文化だろうし儒教は日本の儒学みたいに政治学だと思うからどうかとして、
漢民族の宗教といったらほとんどキリスト教徒なんだよ。
信じられないだろ?漢民族の支配者や知識人はマルクス主義かキリスト教徒なんだよ。
欧米の思想で動くんだよ漢民族って。漢民族って中国とは本来何も関係ないんだと思うよ。
あっても断絶されてる。

251 :世界@名無史さん:2012/05/25(金) 23:16:54.13 0.net
中華思想という最狂の思想が健在


252 :世界@名無史さん:2012/05/26(土) 00:29:12.29 0.net
>1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった

満洲族の首長がモンゴルのハーンと中華皇帝とチベット仏教のパトロンを兼任してる国の間違いでは?

253 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 10:54:58.97 O.net
中国語しかしゃべれない満州人の首長

254 :世界@名無史さん:2012/05/31(木) 02:36:51.00 i.net
>>214
第一次ベトナム侵攻 3000名
チャンパ侵攻 2万5000名
第二次ベトナム侵攻 2万名 + チャンパ侵攻軍
第三次ベトナム侵攻 9万3700余名

255 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 01:35:49.14 0.net
ワールシュタットの戦いについてだけど、
双方、数万くらいの戦闘で、欧州軍が大敗したんでしょ。
当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。
例えば、日本の鎌倉武士団と、当時の欧州軍が戦ったらどちらに
軍配があがるでしょうか??



256 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 07:39:23.06 P.net
そりゃ欧州軍が負けたモンゴル軍に鎌倉武士は勝ったんだから当然武士の方に軍配上がるだろ

257 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 13:52:37.60 0.net
武士が向こうに攻めてくんだったら、鎌倉幕府が滅びた時の経緯なんかを見るに
楠木正成みたいに要害に立てこもってゲリラ戦で後方攪乱すれば何とかなるでしょう。

258 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 19:28:52.67 0.net
当時の欧州軍は、そんなに弱かったのか・・・
ワールシュタットの戦いの、絵は、気違いじみた絵だよな。

259 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 19:30:55.12 0.net
民族という概念が発明されたのも日本。

すげー
民族という概念まで発祥捏造しちゃったよw

260 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 00:28:00.36 0.net
元寇のときのモンゴル軍って朝鮮軍と宋兵軍が主体だろ
船の構造が奴隷を輸送する時のような人を詰め込む為の舟だったそうだし


261 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:16:59.42 i.net
>>260
文永の役はモンゴル兵主体だよ
そこに更に旧南宋兵10万人が加わったのが弘安の役のモンゴル軍

262 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:20:27.71 0.net
>>255
>当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
>ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。

それ欧州軍じゃなくてポーランド軍
ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している

263 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:49:12.87 0.net
>>261
旧南宋人の兵は6万、旧高麗人の兵が4万、モンゴル兵は数千人

264 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:56:29.12 i.net
>>263
当時の高麗は兵4万も動員できないから
文永の役は蒙漢軍2万5000と高麗軍8000だったと記録が残ってる

265 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 02:26:53.59 0.net
>ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している
バトゥの本隊はオゴダイの死までハンガリー平原に悠々と
居座って役人の任命を行い通貨の発行まで始めていたというが。


266 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 03:05:58.34 0.net
馬乳酒に雑巾の汁入れたり、鎧の裏に画鋲貼り付けたりして
戦ったんだよきっと

267 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 13:35:13.21 0.net
>>265
それはハンガリー軍を倒した後の話
スブタイの別動隊がポーランドからやってきて初めて勝てた

268 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 00:02:44.55 0.net
バトゥは、オゴタイの訃報で撤退しなかったら、大西洋まで
到達していた可能性はありますかね。


269 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 03:05:30.77 0.net
ドイツの森林地帯で弾き返されるとも思うけれども
そのドイツ人を配下にして進軍しそうだな

270 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 10:06:58.53 0.net
>>269
それだともう完全にアッティラのパターンだな。
ガリアまで侵入した頃には遊牧民よりゲルマン人の歩兵の方が多くなってたとか。

271 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 17:42:14.48 0.net
そもそも当時の暗黒ヨーロッパに遠征する価値があったのかと

272 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 18:49:24.83 0.net
素敵なヨーロッパ娘は犯し放題

273 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:03:28.08 0.net
>素敵なヨーロッパ娘
体臭きついし鮫肌だし


274 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:40:06.68 0.net
あんさ273
裏山しい癖に

275 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:49:05.55 0.net
バトゥが強かったのは、間違いないですよね。


276 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 00:56:38.31 0.net
>>274
ヨーロッパが昔から先進地だと思ってる馬鹿

277 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:15:35.18 0.net
バトゥとフラグとでは、どちらがGenocideの数はおおいですかね?
フラグもバグダッドを包囲殲滅して一説によると百万人が死んだと
されてますよね。


278 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:45:15.85 P.net
フラグは大都市の多い先進文明圏へ侵攻したが
バトゥのは遊牧民の多い地域と土人が住む未開の地だからな

279 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:51:47.79 0.net
当時のバグダッドは、世界の中心とよばれるほど
文明科学が発達してたんでしょ。『知恵の館』とよばれる人類の英知を
集めた場所があったとか。
当時は、暗黒時代の欧州より、遥かに中近東の方が先進国だったんですね。


280 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 09:18:17.48 0.net
アッバース朝の文明的最盛期は8〜9世紀で、その頃だったら欧州は暗黒時代だね。
13世紀になるともうそっちの学問がアラブ語からの翻訳という形で欧州に入ってきている。

281 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 15:12:16.23 0.net
欧州が暗黒期なわけじゃなく、西欧が発展に取り残されていたのであって
東欧にはビザンツ帝国があったろ

282 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 18:33:33.06 0.net
13世紀は、欧州は暗黒時代で
中近東は、最盛期をたもってたということですね。


283 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 01:38:27.91 P.net
>>282
十字軍が侵攻した時既に混乱の極みだったんだから最盛期を保ってたなんてことないだろ

284 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 03:06:15.17 0.net
当時の欧州と比べてら、文化や科学は中近東の方が
発達してたんですかね?


285 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 03:45:20.16 P.net
当たり前だろwww
当時の西欧貴族の子女は乳幼児期や幼年期にバタバタ死ぬのがデフォ

第一回の時分から住み着いて多少文明化した十字軍の諸侯の逸話にも
せっかくイスラム医師に治療して貰い快方へ向かってたのを
後から来た脳筋カルトがフランク式の治療を施して
侍女共々速攻で死んだってのがある

286 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 04:05:50.18 0.net
漢方とイスラム医療が併用できたモンゴル最強

287 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:28:36.94 0.net
>>285
その話が載っているウサーマ・ブン・ムンキズの回想録には
フランク人の医者がちゃんと治した例も書かれている。

288 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:41:19.82 0.net
奇跡みたいなもんだけどな
当時の西欧医学の水準考えたら

289 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:52:02.86 0.net
当時はまだどちらも古代のガレノスなんかの理論に基づいてやってた訳だし
西欧でもイブン・シーナを翻訳して医学テキストにしてたんだから似たような状況でしょ。

290 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 17:45:49.11 0.net
モンゴルが世界を変えたのなら倭寇やバイキングだって世界を変えたと言えるんじゃないのか?
残虐性に限ればモンゴル軍がどれほど皆殺しの為の破壊をやろうが古代のフェニキア人もギリシャ人も驚かないが。
南京大虐殺があったかなかったか、慰安婦が商行為かどうかで問題になるのはジュネーブ協定等で
捕虜・民間人の扱いを問題にし始めたからでしょ。西洋ですら奴隷制廃止は19世紀から豪州は20世紀初頭だ。
そんなもん敵の都市なんて古代都市国家間の戦争では皆殺しにした後、都市を徹底破壊して塩を蒔くもんだ。
生き残ったら全員奴隷にするのは当たり前。日本の戦国時代でも老若男女住民皆殺しはあるでしょうが。国宝の寺が燃えたって知らんよ。
近代人はすぐ民間人ガー非戦闘員ガー女子供ガーだ。近代以前は30万殺そうが600万殺そうが関係あるかい。負ける方が悪い。
良かったね。近代以前に原爆や水爆がなくて。古代だったらギリシャ人同士でも平気で使う可能性は高いから。

291 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 18:42:47.55 P.net
>>289
中近東に学べるだけの基礎があったのはシチリアくらいだね
イベリアも1世紀くらい経つと翻訳事業が進み始めるが
独仏英は完全な蛮族の棲息地、医療水準は剰りにも劣っていて比較しようがない。

衛生が酷く支配階級ですら夭折は日常行事だしね

292 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 18:49:47.52 P.net
>>287
ちゃんと治したんじゃなく
酷い治療を施したが患者の生命力により治癒した、が正解

293 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 19:38:18.69 0.net
ワールシュタットの戦いのあの有名な絵を描いた人物は
だれかな?
兵士やら馬やらが混ざり合ったあの異様な絵。
子供の時、偶然見てトラウマになったよ・・・・・

294 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:19:23.04 0.net
>>292
ウサーマはそのようには書いてないが?

295 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:33:05.89 P.net
>>294
医者が肺の病気の女性に健康食を与えていたのに
フランク土人の聖医術師は悪魔祓いの大蒜と辛子をたっぷり食べさせ病状悪化
最後は頭皮を剥ぎ取って頭蓋骨剥き出しにさせ殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。

同じく足に腫物の出来た騎士に塗り薬を塗って膿を出す治療をしていたところ
フランク土人の聖医術師は斧で脚を切断し殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。

296 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:44:33.57 0.net
>>268
西欧の都市や城塞は石や焼き煉瓦製だから、かなりの苦戦が予想される。
ロシア東欧の都市の城壁は当時まだ木製だったので、あっけなく陥落した。
旧ローマ帝国領外ライン河以東ドナウ河以北のゲルマンやスラブは、元来
木造建築の文化圏だったが、当時ドイツはかなり西欧化して都市の城壁は
石や焼き煉瓦になっていた。
モンゴル軍は、華北やイラン・イラクなどの日干し煉瓦製城壁の都市を
次々と陥落させたが、シリアや南宋など石や焼き煉瓦の城壁の攻略には
時間を要している。

297 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:52:32.63 0.net
>>295
その話の続き

359 名前: >356の続き 投稿日: 2005/08/30(火) 16:13:04 0
しかしながら私は、それとはきわめて異なる彼らの治療の例を見たのだった。

フランク人の王の会計官にベルナルドという騎士がいて、その男は(彼の上に神の呪いあれ!)フランク人の中で
もっとも憎むべき、邪悪な人物の一人であった。一頭の馬が彼の脚を蹴り、そこから病気に感染して四十箇所もの
別々の場所に傷口が開いてしまった。一箇所の傷口がふさがるたび、別の箇所で別の傷口が開く有様であった。
その間ずっと私は彼の堕地獄を祈っていた。そこで彼のところへフランク人の医者がやってきて、脚に塗られて
いた膏薬をすべて落とし、きつい酢で脚を洗いはじめた。この処置によって傷はすべて治り彼は再び元気になった。
彼は再び起き上がって悪魔のようになった。彼らの面白い治療をあきらかにする別の例は次のごとくである。
シャイザールにアブー・アル・ファトフという職人がいて、彼の息子は首にできた瘰癧に苦しんでいた。それの
一部がふさがるたび、決まって別の部分が開くのであった。この男はたまたま私用があり、息子とアンティオキア
にいった。一人のフランク人が少年を見て、父親にその子のことを尋ねた。アブー・アル・ファトフは「私の息子
だ」と答えた。フランク人は彼にいった。「汝は汝の宗教にかけて誓うか。もし汝の子を治す処方を教えても、
汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと? そうすれば、その子を治す処方を教えてやろう」
男は誓いをたてたのでフランク人はこういった。

つぶしていないアツケシソウの葉を燃やし、灰をオリーブ油と強い酢に漬けろ。それで瘰癧を手当てすると、そこに
できていた吹き出物が消える。そこで燃やした鉛をギー油に漬けてそれで彼を手当てしろ。そうすれば治るだろう。

父親はその通りに少年を手当てし、少年は治癒した。傷はふさがり少年は元の健康な状態に戻ったのだった。

私自身、この処方でそのような病に冒された大勢の人々を治療し、病因を取り除くのに成功したのである

298 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 21:06:21.47 0.net
>>296
中国の城壁はモルタル版築で外側だけ煉瓦では?

299 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:12:31.35 P.net
>>298
土に凝固剤を混ぜて固めるセメント版築は雨に弱いから
江南の大都市や開封は明代長城と同じく煉瓦造り

300 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:14:11.79 0.net
アッティラ率いるフン軍がヨーロッパの諸都市を陥落させたのを見ると
モンゴル軍の脅威はヨーロッパの城壁ではなく風土病かもしれない


301 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:35:24.56 P.net
>>297
その話に続きは無いよ
回想録にはその2つの話やその他のフランク人の野蛮な習俗は書かれてるが
フランク人の医者が治療する話は出て来ない
捏造か他の記録をムンキズの名に改竄して作ったか、何にしても虚偽情報。

302 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:48:59.99 0.net
>296
西欧の城壁は硬かったということですか。
今までのようには簡単にいかないという・・・
時のローマ教皇に、脅しの手紙を送ったという話が
あるらしいけど、本当でしょうか。
しかし、当時の欧州に、バトゥの本隊を退ける力は、正直なかったでしょうね。。。

303 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:06:57.95 0.net
>>301
回想録の英訳がここで読めるが、ちゃんと両方載っている。
Usmah Ibn Munqidh (1095-1188): Autobiography, excerpts on the Franks
ttp://www.fordham.edu/halsall/source/usamah2.html

304 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:13:56.44 0.net
The lord of al-Munaytirah wrote to my uncle asking him to dispatch a physician to treat certain sick persons among his people. My uncle sent him a Christian physician named Thabit.
Thabit was absent but ten days when be returned. So we said to him, "How quickly has thou healed thy patients!" He said:

They brought before me a knight in whose leg an abscess had grown; and a woman afflicted with imbecility. To the knight I applied a small poultice until the abscess opened and became well;
and the woman I put on diet and made her humor wet. Then a Frankish physician came to them and said, "This man knows nothing about treating them." He then said to the knight, "Which wouldst thou prefer,
living with one leg or dying with two?" The latter replied, "Living with one leg." The physician said, "Bring me a strong knight and a sharp ax." A knight came with the ax. And I was standing by.
Then the physician laid the leg of the patient on a block of wood and bade the knight strike his leg with the ax and chop it off at one blow. Accordingly he struck it-while I was looking on-one blow,
but the leg was not severed. He dealt another blow, upon which the marrow of the leg flowed out and the patient died on the spot. He then examined the woman and said, "This is a woman in whose head
there is a devil which has possessed her. Shave off her hair." Accordingly they shaved it off and the woman began once more to cat their ordinary diet-garlic and mustard. Her imbecility took a turn for the worse.
The physician then said, "The devil has penetrated through her head." He therefore took a razor, made a deep cruciform incision on it, peeled off the skin at the middle of the incision until the bone of the skull
was exposed and rubbed it with salt. The woman also expired instantly. Thereupon I asked them whether my services were needed any longer, and when they replied in the negative I returned home,
having learned of their medicine what I knew not before.

305 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:15:55.62 0.net
I have, however, witnessed a case of their medicine which was quite different from that.

The king of the Franks bad for treasurer a knight named Bernard, who (may Allah's curse be upon him!) was one of the most accursed and wicked among the Franks.
A horse kicked him in the leg, which was subsequently infected and which opened in fourteen different places. Every time one of these cuts would close in one place, another would open in ancther place.
All this happened while I was praying for his perdition. Then came to him a Frankish physician and removed from the leg all the ointments which were on it and began to wasb it with very strong vinegar.
By this treatment all the cuts were healed and the man became well again. He was up again like a devil.
Another case illustrating their curious medicine is the following: In Shayzar we had an artisan named abu-al-Fath, who had a boy whose neck was afflicted with scrofula.
Every time a part of it would close, another part would open. This man happened to go to Antioch on business of his, accompanied by his son. A Frank noticed the boy and asked his father about him.
Abu-al-Fath replied, "This is my son." The Frank said to him, 'Wilt thou swear by thy religion that if I prescribe to you a medicine which will cure thy boy, thou wilt charge nobody fees for prescribing it thyself?
In that case, I shall prescribe to you a medicine which will cure the boy." The man took the oath and the Frank said:

306 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:17:28.15 0.net
Take uncrushed leaves of glasswort, burn them, then soak the ashes in olive oil and sharp vinegar. Treat the scrofula with them until the spot on which it is growing is eaten up.
Then take burnt lead, soak it in ghee butter and treat him with it. That will cure him.

The father treated the boy accordingly, and the boy was cured. The sores closed and the boy returned to his normal condition of health.

I have myself treated with this medicine many who were afflicted with such disease, and the treatment was successful in removing the cause of the complaint.

307 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 02:49:57.89 0.net
>>286
中国の城塞はレンガじゃなくて版築だよ
安くて簡単、強度も煉瓦作りより上
メンテに手が掛かるものの土を使ってるから破城兵器にも強い

308 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 07:08:00.99 P.net
城の防御力なんて個別に検証しないと素材だけで単純に測れるものじゃないだろ
モンゴル軍は現地調達に頼っていたから、戦略的重要度の低い城が激しく抵抗するとわりとあっさり諦める
モンゴル側から見れば放置しただけでも、攻め込まれた側は「モンゴル軍を撃退した」ってなるわけで

309 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 14:41:39.66 0.net
日本やベトナム、インドネシアなんかは損害出たら諦めたけど
南宋に関してはあらゆる損害を度外視して落としたからな

310 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 14:42:49.36 0.net
その辺は距離の遠近もあるでしょ

311 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 15:51:16.21 0.net
>>310
西ヨーロッパもまさに遠いだけで旨味がないと判断されるんじゃね
バクダットはどんな損害出しても落としたけど、ダマスカスは一回撃退された
だけで諦めてたりするし

312 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 00:41:09.39 0.net
開封府は北宋朝の頃から三重の煉瓦覆いで堅牢な高い城壁に
包まれていたというけど、60年ばかり金の首都だった中都燕京は
どうだったんだろ? 以前から遼の副首都・燕雲十六州の要衝
だったんだから、そっちも相当に強固な防衛施設が整えられてた
と思うけど。モンゴルの脅威が顕在化してからは特に。

313 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 02:01:37.04 P.net
北京は開封と違って降水量少ないからなあ
宋代絵図見た限り宮城は煉瓦だけど外城は多分版築。
開封の城壁は低いよ、同じ煉瓦造りの平江府より低いし

314 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:31:51.59 0.net
いわゆる俗説モンゴルと

モンゴル史じゃまったく違うからな。

モンゴル前までの各種遊牧部族の歴史
モンゴル崩壊と、ロシアの台頭

にわかれるんだろうけど、モンゴル以降の歴史もだいぶ違うよな。

315 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:36:05.35 0.net
いわゆる俗説モンゴルと

モンゴル史じゃまったく違うからな。

モンゴル前までの各種遊牧部族の歴史
モンゴル崩壊と、ロシアの台頭

にわかれるんだろうけど、モンゴル以降の歴史もだいぶ違うよな。

316 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:36:43.04 0.net
そして一般的なモンゴルってのはむしろ衰退期のほうが領土大きいから有名。

同時にモンゴルの歴史は金融しでもある。

317 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 09:38:52.90 0.net
>同時にモンゴルの歴史は金融しでもある。

?

318 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 10:13:35.68 0.net
モンゴロイドが史上最強の帝国を築いたという事実

319 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 23:12:26.50 0.net
世界史はモンゴル帝国からはじまる

モンゴルと手を組んだイスラム商人が世界金融を扱うテクニークの基礎をつくった

それを模倣したのがイタリア商人たちであり、それをさらに発展させたのが
ユダヤ人だな。←いまここ



320 :世界@名無史さん:2012/06/27(水) 01:09:49.32 0.net
とりあえずコンギラッド族とやらの写真かなんか見てみたいな〜
まだその部族が残ってればの話だが
聞くところによるとかなりの美女揃いとのこと

321 :世界@名無史さん:2012/06/30(土) 23:36:02.14 0.net
>>319 ペルシャ、マケドニア、漢とローマ、唐とイスラムの時代じゃないの?
最初の世界帝国はペルシャ 世界史はイランからはじまる

322 :世界@名無史さん:2012/07/06(金) 01:13:38.00 0.net
最初の世界帝国はアッシリア。

323 :世界@名無史さん:2012/07/06(金) 01:34:39.31 0.net
世界最初の帝国はサルゴンのアッカド帝国。

324 :世界@名無史さん:2012/07/13(金) 23:52:55.73 0.net
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた
ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城
Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ
崩御の報を得て囲みを解いたという。これとは別に蒙古軍は
オーストリア に侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。
この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の
ように叙述している。

一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを
なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は
五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの
一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10)

このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに
恐れをなしていたと記している。
たった五十人の騎士で一城が守れるとは信じがたいがノイシュタット
の防衛はドーソンも、 ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と
二十人の石弓兵とを備える のみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、
ボヘミア王、カリンチア公、 バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを
以て退却したり。(「蒙古史」)
 今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61



325 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 06:10:45.91 0.net
フン>ゲルマン>モンゴル土人

326 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 07:36:49.13 0.net
モンゴルに従属するネフスキー公にフルボッコされたドイツ騎士団について


327 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 11:46:53.57 0.net
だいたい、モンゴルの脅威ってバトゥの征西軍だけじゃない。
キプチャク汗国そのものが脅威だったはずだ。
ロシアなどはモンゴルの属国を200年も続けていたんだから
でもドイツ騎士団などにはモンゴルの脅威は全く感じられないし、
ポーランドやハンガリーでは国土防衛を目的としてドイツ人を殖民
させている。
また、バトゥは折角占領したハンガリーやポーランドに兵力の一部を駐留も
させず、全軍で撤退している。
これなんかも「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を裏付ける。

328 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 15:17:12.10 0.net
ポーランドやリトアニアが度々タタールに援軍を依頼して
ドイツ騎士団を撃破したことについて



329 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 17:16:24.57 0.net
それって、結局ポーランドやリトアニアがタタールと組んでようやく
ドイツ騎士団に買ったってことだろ。
ポーランドやリトアニアはもちろんタタールでさえも単独でドイツ騎士団
に勝てたかわかんねえじゃん。

330 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 17:37:42.00 0.net
ワールシュタットで連合組んだ上でモンゴルにボロ負けしてるのに何を

331 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 17:54:17.95 O.net
しかし300年後には立場が逆転してモンゴルはあらかたロシアに滅ぼされた

332 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:03:10.52 0.net
>>330
1241年4月に世に言うワールシュタットの戦いが行われたリーグニッツって
当時のポーランドのドイツ国境付近なんだよ。
この戦いの敗北によりポーランドの組織的抵抗は事実上おわったんだ。
オゴタイハーンの崩御をきっつかけとしてモンゴル軍が全軍撤退した
のは1242年3月ごろである、これはワールシュタットの戦いがドイツと国境
付近で行われてから10ヶ月以上たっている。
ポーランドもハンガリーも蹂躙したモンゴルがなぜドイツを蹂躙できなかったか
を考えれば、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。


333 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:11:24.97 0.net
平原地帯ではポーランド王国軍もドイツ騎士団もフルボッコ出来ても森林地帯になると
モンゴルの騎兵は無力化される。オーストリア方面でも限界が出ている。
ドイツ人の武勇が脅威だったというよりハンガリー・ポーランド以西の
地勢がモンゴル騎兵にとって不利だったのだろう



334 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:12:41.47 0.net
シュッツェンフェスト (Schützenfest 射撃祭)
 もともと狩猟民族であったドイツ。夏の間週末は必ずどこかで
シュッツェンフェストが開かれている。 
それぞれの地区の射撃協会メンバーが集まって射撃の技を競い合う
お祭りはすでに13世紀ころには始まっていたようである。
http://www.jap.pianokoshino.de/sub4.html

これなんかも、意外とモンゴルの襲撃から都市を防衛した過去の
教訓に基づいてるのかもしれない。




335 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:20:53.31 0.net
モンゴル史に詳しければ知っていると思うがオゴダイ崩御後は後継者問題が再燃焼
一時は内戦発展が危ぶまれたほどで遠征軍の貴弟、貴子からすれば
ジョチ家の領土拡大戦争なんてもんに参加するよりかはよっぽど重大な問題が本拠地で待ち構えてたわけで
いたずらに戦役を拡大したところで利点がないんだよね
10ヶ月てのはそういう連中に対してバトゥが粘りに粘った結果だろう、バトゥ本人はクリルタイの参加する気はないみたいだし
実際崩御がなけりゃドイツ突入しててもおかしくはない

336 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:25:58.36 0.net
ドイツ人によるトランシルヴァニア植民は、ハンガリー王ゲーザ2世
(1141年-1162年)によって始められた。
10年間の、ドイツ人移住者の主な義務はハンガリー王国の南東部国境
地帯の防衛をすることだった。植民は13世紀終盤まで続けられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E4%BA%BA

337 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:40:59.14 0.net
派遣軍の総大将バトゥはモンゴルに帰らず
ジョチ・ウルス(キプチャックハン国)を建国し
ルーシ各国を支配(タタールのくびき)してたんだが。
ポーランドに対しても1259年、1286年、1287年と3回も
侵攻しながらもポーランドを征服できなかった。
とくに1287年の侵攻はジョチ・ウルス(キプチャックハン国)
第8代宗主トゥラ・ブカによる親征だったが撃退され、
それ以後2度とポーランドへの侵攻を行わなかった。






338 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:42:27.06 0.net
13世紀前半に起こったモンゴルのポーランド侵攻もドイツ人の東方植民
を後押しした。
ピャスト朝の流れを汲むポーランド諸侯の分裂と戦乱、幾度ものモンゴル
侵攻や住民の拉致もあり、ポーランド西部の公国群は13世紀には急速に
衰退した。
荒廃したシレジア地方の復興に際しては、ポーランド人だけでは人手が
足りず、西方からの農民たちを招いたが、フランス人やオランダ人より
もドイツ人が大きな割合を占めた。
その結果、シレジアは急速にドイツ化してゆく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E6%A4%8D%E6%B0%91



339 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:04:06.93 0.net
そもそも当時のドイツにネフスキーに勝る勇将がいたのか


340 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:16:11.44 0.net
戦争の勝敗は指揮官の優劣だけでは決まらない。
軍を構成する兵の訓練の熟練度や士気の高さも
重要な要因だ。その点に関しては今も昔もドイツの方が
ロシアより上だろう。

341 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:26:50.62 0.net
ノヴォゴロドとドルパットやドイツ騎士修道会などリヴォニアに勢力を
持つドイツ人勢力との間に起きた戦い。
兵力は不明だがノヴォゴロド軍の方が多数であったことは間違いない。
当時、ドイツ騎士修道会がリヴォニアに展開できた兵力を考えると修道会軍
の兵力は多くても数百名程度だったと考えられる。
兵力差が60対1と伝える史料などから推測するとノヴォゴロド軍の
兵力は数千名程度だと考えられる。
ドイツ側は楔形の陣形でノヴォゴロド軍中央へ突撃を行った。
ノヴォゴロド軍は両翼をのばして独逸軍を包囲撃滅した。
ドイツ側は400人の戦死者と50名の捕虜を出して敗退した。
ドイツ騎士修道会は20名の戦死者と6名の捕虜をだした。
ドイツ騎士修道会軍の戦い方は中東十字軍と同じに敵の中央突破
を狙ったもので、負け方も同様のパターンで突破に失敗して包囲
されて壊滅したといったところだ。
見ようによっては単純に兵力差から負けたとも言える。
 http://crazyhis.web.fc2.com/war/battle/1242chud.htm

342 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:30:21.91 0.net
当時のドイツは皇帝勅令で選定侯や諸侯の権利が認められて分裂かが進む時期だからなんとも
皇帝自体は名君なんだけどね、出身地がアレなもんでイタリアに深入りしすぎた感
とてもモンゴル相手に戦線増やせる状況じゃない

343 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:45:26.18 0.net
チンギスハンvsヒトラー

344 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 22:16:06.67 0.net
中東を征服したフレグは兄のキト・ブカに2万程の兵を与えて
占領地に駐留させたけど、バトゥは占領地を放棄した。
それこそ、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。



345 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:01:19.22 0.net
どんだけエドワード・ギボンが好きなんだよw

346 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:11:52.72 0.net
お前がろくに根拠もなくモンゴルを過大評価し、ドイツを過小評価
するからだよ。

347 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:17:37.43 0.net
見境無いやっちゃな

348 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:23:00.77 0.net
恐れている割にはポーランドが「ドイツ騎士団と戦うから援軍送ってくれ」との要請に
「よっしゃぁ」と応じてドイツ騎士団はフルボッコされているが。
この当時のドイツはポーランドやクリミアに太刀打ちできる力は無かったのだろう。

349 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:28:42.91 O.net
普通にヨーロッパみたいなゴミタメより、
モンゴル内部の覇権争いが大事だったんだろ。

別にむきになるところじゃないし。
ヨーロッパよりモンゴルの軍事力が上だったのは当たり前で、
征服されなかったのは偶然だが、征服されたとしても、
やがては放棄してたろ。ロシアみたいに。中華みたいに。
政治力は大したことないから。
軍事力じゃドイツなど大したものでないが、モンゴルの政治力も、
大したものじゃないから世界史に爪痕を残せないで終わる。
それが妥当なところだろ。
ヨーロッパ信仰もモンゴル信仰も馬鹿くさい。

遠路はるばる来て勝利を積み重ねたモンゴルが強いのは、
当たり前で、同時に世界史を変える力がないのも、
歴史が証明してる。

ドイツにはモンゴルみたいに世界に押し出せる力なんかない、
辺境の弱小国。
かといってモンゴルがヨーロッパ支配してもその後の、
西洋の覇権は変わらない。

350 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 00:11:46.85 0.net
キプチャックハン国は最大20万の兵員を要していたのに
なんでヨーロッパ各国を征服できなかったの。
>恐れている割にはポーランドが「ドイツ騎士団と戦うから援軍送ってくれ」との要請に
>「よっしゃぁ」と応じてドイツ騎士団はフルボッコされているが。
これだってその後、ルーシ諸国のように属国にしちゃえばよかったのに
どうしてできなかったんだ。
キプチャックハン国の20万の兵力ではポーランドやドイツ騎士団国を属国にする
力がなかったんだろ。

351 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 00:15:34.20 0.net
ドイツ騎士団国さえ属国にできなかったキプチャックハン国の20万
の兵力ではドイツ本国を征服なんて全然無理だな(笑)

352 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 00:22:21.69 0.net
Wikipedia英語版によるとポーランドのカジミエシ大王はウズベク汗に帰服して貢納を送っていたようですね。

353 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 00:25:51.17 0.net
>>350
モンゴルの歴史に詳しければすぐに分かると思うがオゴダイ死後のハン位争奪戦終了後
再びハン位争奪戦が繰り広げられた上
フレグ・ウルスとチャガタイ・ウルスと敵対関係になって
王統断絶とか内紛とかで欧州の端にまで気が回らなかっただけで
ドイツが征服を免れたのは全く運としか言いようがない
そもそも国力だけで比較しても当時のドイツなんかホラズム、金、宋と比べて格段に劣るわけで
しかもそれが諸侯の手で分裂してるときた

354 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 00:49:52.40 0.net
タタールの目的はドイツの征服ではなく略奪による戦利品とポーランドからの謝礼


355 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 13:18:56.14 0.net
>>353
ドイツの東欧における植民地ともいえるドイツ騎士団国は
キプチャックハン国の属国であるルーシ諸国にとって現実
的な脅威だったんだから、宗主国の対面からもドイツ騎士団
を滅ぼしか屈服させる必要はあるだろ。
動員兵力20万の1〜2割程を動員しただけでも兵数ではドイツ騎士
を圧倒できるはずなんだから。

356 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 14:02:10.17 0.net
ドイツ騎士団はポーランドにフルボッコされっぱなしで歯が立たず、
タタールの領分である黒海やドニエプル川など伺うような状況には無かった。


357 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 15:01:30.74 0.net
ドイツ騎士団国から一方的な圧力を受けてたリトアニア大公国にさえ
1362年の青水の川(シニュハ川)の戦いで一敗地に塗れる。
この戦いでウクライナの大部分とキエフを失い、それ以後、リトアニア
との関係が逆転する。
それでもドイツ騎士団国に対しては一方的な圧力を受け続けていた。

358 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 22:28:24.43 O.net
ドイツも欧州も雑魚でモンゴルに殴り込みに行く力なんかないし。
ポーランドとかが遠路はるばるきたモンゴルにたこ殴りされた事実があるだけ。
武力じゃあの時代はモンゴル>>>>>欧州は当たり前だろ?
何、基地外が喚いてんだ?
意味不明なんだが?

359 :世界@名無史さん:2012/07/15(日) 23:44:26.61 0.net
>>355
汗国の西の果てでルーマニア人がタタールを追い出して勝手にモルダヴィア公国を建てたり
ポーランドやリトアニアがウクライナに侵入しても何もしなかったんだから
プロイセン行くどころじゃないだろw
>>356
それ1410年以降の話

360 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 11:51:15.03 0.net
ジョチウルス(キプチャク・ハン国)とドイツ騎士団国は直接戦ってないのでどちらが
強いかわからないが、両方と戦っているリトアニア大公国との戦闘で両国の強さを比較できる。
1362年ジョチウルス(キプチャク・ハン国)内での後継者争いの隙を
突いてリトアニア大公国が攻め込んだ。
ウクライナ一帯を治めていた領主の間で戦われた戦闘(青水の戦い)で
リトアニアが圧勝し、ウクライナのほとんどを征服し国力を増強させた。
しかしそれでもドイツ騎士団の侵略を跳ね返すことはできず、同じく
ドイツ騎士団に苦しめられていたポーランドと合同し1410年の戦い
(タンネンベルクの戦い)でようやくドイツ騎士団の脅威を跳ね除ける
ことに成功した。
リトアニア大公国にとってはジョチウルス(キプチャク・ハン国)より
ドイツ騎士団国の方がよっぽど強敵だったんだろう。


361 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 12:01:32.78 O.net
そんなことよりロシアに滅ぼされまくったモンゴル諸国

362 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 12:16:07.91 0.net
リトアニアに奪われたキエフ方面はほっといて
アゼルバイジャンやアルメニアをイル汗国と
血で血を洗う抗争を繰り広げたキプチャク汗国。
最後は仲良くティムールに踏み潰された。



363 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 12:58:18.91 0.net
1399年のヴォルスクラ河の戦いではリトアニア軍もドイツ騎士団も
仲良くタタールに敗れている。

364 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 13:21:08.10 O.net
1380年にはすでにロシアに敗れていたモンゴル

365 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 13:36:20.08 0.net
>>349
モンゴルの統治体制は同時代で並ぶもののほとんどない最先端だよ

366 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/16(月) 13:47:12.41 0.net
>>355
でも、ジョチウルスのルーシ支配って間接統治が基本だったし、
初期はそれなりにうまくいってたからそこまで深入りする必要性もなかったんじゃないかな。
それよりも中央でのカアン位を巡る争いやイル・ハン国との対立のほうが重要だったんだと思う。
そもそも、モンゴルが出てくるまでもなく、アレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破ってるし。

>>360
14世紀半ば以降のジョチ・ウルスはあなたも言ってるように内部での後継者争いで混乱してたからね。
まぁ、後にトクタミシュが現れて一時的に盛り返すとは言え、分裂し衰退しかかってる時期だったのには違いない。
その頃のジョチウルスとドイツ騎士団を比べて、タタールはドイツ騎士団を恐れてたと言っても説得力に欠ける気がする。
ジョチウルスがドイツ騎士団のほうまで攻め入らなかったのは、中央でのゴタゴタやイル・ハン国との対立のせいで、
大して必要のない遠征をする暇がなかったからでしょ。まぁ、ドイツ騎士団も当時としては強い勢力だったと思うけどね。

367 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 15:27:57.93 0.net
>>363
>1399年のヴォルスクラ河の戦いではリトアニア軍もドイツ騎士団も
>仲良くタタールに敗れている。
ヴォルスクラ河の戦ってリトアニアとジョチ・ウルスの戦いだろ。
ジョチ・ウルスにとっては1380年にモスクワ大公国とリトアニアが組んで
ジョチ・ウルスの軍勢に大勝したクリコヴォの戦いの報復戦だろ。

368 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 16:01:04.65 O.net
1380年にはモンゴルに大勝していたロシア

369 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 16:15:47.11 0.net
1382年にトクタミシュがモスクワに焼きを入れた件について
(その後トクタミシュはティムールにフルボッコされるが)

370 :学部生:2012/07/16(月) 17:53:21.26 0.net
バグダードが陥落した時のモンゴル軍の行状を知ってモンゴルが大嫌いになりました

371 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 18:18:26.18 0.net
↑コルテス・ピサロ乙

372 :学部生:2012/07/16(月) 18:42:06.79 0.net
↑なんなん、それ
ググんのんさえメンドイから教えてーな

373 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 18:47:38.62 0.net
ティムールもソ連もモンゴルの血が入った国家
じゃなきゃヨーロッパの辺境国家があそこまで強くなれなかった

374 :学部生:2012/07/16(月) 18:55:10.95 0.net
何万人という無抵抗の市民を虐殺するとか文化財的なものも一切合財破壊しつくすとか、酷くないですか?
モンゴルなんかなければよかったのに

375 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 21:38:59.35 0.net
何万人という無抵抗の市民を虐殺するとか文化財的なものも一切合財破壊しつくすとか、酷くないですか?
スペインなんかなければよかったのに

376 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 22:08:45.32 0.net
モンゴル諸国と東欧の力関係が逆転したのは14世紀〜15世紀と見ていいことは分かった

377 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 23:12:45.51 0.net
モンゴル系クリミア汗国を傘下に収めたのは
コンスタンティノーブルを陥落させたオスマントルコだが


378 :世界@名無史さん:2012/07/16(月) 23:48:16.99 0.net
また、南西ルーシの強国ガリチ=ヴォルイニ公国のダニイル・ロマノ
ヴィチはベルケ汗の治世に、この当時国家的統一を達成していた
リトアニアのミンドフクと同盟を結んで(婚姻関係と従臣関係を結んだ)、
汗国の支配に抵抗しようとした。
これに対して、ベルケ汗はブルンダイの率いる強力な汗国軍を南西ルーシ
に派遣し、南西ルーシ諸公を軍事的に威嚇することによって彼らをリト
アニアから離反させようとした。
ヴェルナツキイによれば、「おそらくモンゴル人はリトアニアの勢力の
増大を懸念しており、リトアニアの拡大は、それが初期の段階のもので
あっても、西ロシアにおける自分たちの支配に対する潜在的な脅威であ
ることを認識していたのであろう」
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm

379 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 00:02:35.33 0.net
>>372
まったくスレ違いだけど
知らないやつは世界史板に来ちゃいけないレベルだろw

380 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 00:14:08.49 O.net
クリミアハン国はロシアの平原で美少女を狩ってイスタンブールで性奴隷として売りまくり。
そのクリミアハン国がロシア女帝に支配され滅ぼされたのは皮肉な限り

381 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 04:36:04.08 0.net
モンゴル人とスペイン人がかつてやった事は震撼する
つくづく大陸人とは凶暴であると思う

382 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 16:49:17.86 0.net
スペイン人「機関銃も原爆もねーのに百万も殺せるかよ、バカかテメー」

383 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 17:35:26.16 0.net
>>382
スペイン人が中南米を何年支配したと思ってるんだ?

384 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 19:13:29.47 0.net
モンゴル軍団の凶暴性は朝鮮人や中国人やロシア人に血として受け継がれた

385 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 20:07:22.62 0.net
スペイン人の悪質性は中南米のバナナ共和国に受け継がれた


386 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 21:49:51.21 0.net
EURO全体に思いっきり迷惑かけてるところを見ると悪性質が変異しただけかもな

387 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 22:54:19.63 0.net
>>376
>モンゴル諸国と東欧の力関係が逆転したのは14世紀〜15世紀と見ていいことは分かった
ベルケ汗の治世(在位1257年 - 1266年)にはすでにリトアニア大公国がキプチャック
ハン国の潜在的な脅威になっていた。
ドイツ騎士団んからの圧力がなかったら、13世紀中には力関係は逆転していた。

388 :世界@名無史さん:2012/07/17(火) 23:01:40.89 0.net
>>370
その頃のバグダッドは塩害や異端やマムルークの横暴やヤクザの抗争でだめだめだが

389 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 00:56:35.70 0.net
ティムール>バヤジット>トクタミシュ>モスクワ>リトアニア・ポーランド>ドイツ騎士団
ティムールにドイツ騎士団なんかが歯が立つなんて本気で思ってるのかよw


390 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 01:45:29.67 0.net
余裕だろ
攻めん込んだ側がやられるだけの話

391 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 01:50:40.57 0.net
ドイツ騎士団は余裕でバヤジットを撃退したんだじょ〜ってかw


392 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 08:12:40.67 O.net
ロシアはモンゴルの宗主オスマンなんかフルボッコにしたがな。

393 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 13:27:59.83 0.net
おそロシア美女
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-1.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-2.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-5.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-6.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-77.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-259.jpg
http://24.media.tumblr.com/tumblr_m6k05oGh661qa8o34o1_500.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/b/u/h/buhisoku/20111122230001_28_1.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/moro1977-004/imgs/4/f/4fb55678.jpg
上ロシア 下・・・
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-241.jpg

394 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 18:47:32.74 0.net
バトゥはこんなスラブ女強姦してたの

395 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 19:25:19.89 0.net
>>392
ロシアは300年間モンゴル領だったけどな

396 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 19:32:55.68 0.net
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397 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 23:20:31.11 0.net
バトゥの弟、ベルケ汗の治世(在位1257年 - 1266年)にはすでにリトアニア
大公国がキプチャックハン国の潜在的な脅威になっていた。


398 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 23:46:12.75 0.net
現実の脅威はイル・汗国だし対抗するためにマムルーク朝と同盟した

399 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 00:35:49.46 0.net
そりゃリトアニアが動員できる兵数は2万〜3万程
キプチャックが動員できる兵数は20万
現実的な脅威にはなりにくい。
ただ、ほぼ同数の兵数で戦った青水の戦い(1362年)では
リトアニアが圧勝したことからも兵力ではリトアニア軍のほうが
キプチャック軍より強いだろう。

400 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 00:38:34.99 0.net
実際にコンスタンティノーブルのピンチを救ったのは
その強力であるというリトアニアではなくティムール

401 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 00:44:23.82 0.net
ティムールは関係ないだろ・・・・ああいうチートは反則技みたいなもんだ。

402 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 01:00:03.33 0.net
>>395
実質支配してのは南の平原だろ
リューリク朝滅んでないし

403 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 01:02:36.81 0.net
そして、そのリトアニアに対して一方的に侵略戦争を仕掛けていたのが
ドイツ騎士団国。
当然、ドイツ騎士はキプチャック騎兵よりだいぶ強いだろう。
それこそ、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。



404 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 01:06:13.74 0.net
バヤジット、
ハンガリー・イングランド・ドイツなどから成る十字軍をフルボッコ。
コンスタンティノーブル包囲を開始。


405 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 13:51:25.11 i.net
>>403
ポーランドの属国化した騎士団風情が

406 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 15:49:20.87 0.net
>>403
ギボンを持ち出すのは、司馬遼や塩野やブローデルの歴史小説を根拠にするのと一緒、説得力皆無

407 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 20:09:57.79 0.net
>>406
そいつを根拠にするのと杉山を根拠にするのはどっちがマシだろうな
杉山もドンドンメッキが剥げて来たけどさ

408 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 20:52:48.43 0.net
1382年:トクタミシュ、モスクワに焼きを入れて再貢納をドミトリーに誓わせる。


409 :世界@名無史さん:2012/07/19(木) 23:59:35.79 0.net
>>406
バトゥの弟ベルケ汗の治世(在位1257年 - 1266年)にはすでにリトアニア大公国が
キプチャックハン国の潜在的な脅威になっていた。
キプチャック軍は20万、リトアニア軍は3万ほど動員できたことから兵数が同じなら
間違いなくリトアニアの方が強いだろう。
そのリトアニアに対し一方的に侵略を繰り返していたドイツ騎士団は当然もっと強いだろう。
んからの圧力がなかったら、13世紀中には力関係は逆転していた。
それこそ、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。





410 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 00:04:36.67 0.net
モスクワに焼きを入れ、みか締め料の貢納を誓わせたトクタミシュは
強力なリトアニア大公国に恐れをなしてティムールに喧嘩を売った
ってかw


411 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 00:26:20.83 0.net
ウソを100回書き込むと真実になるのは大寒憫国や英仏だけ

412 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 08:38:53.07 0.net
マンパワーが無くてポーランドリトアニアに決戦申し込んだチュートンが強いねえ

413 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 17:19:50.57 0.net
プレートアーマーが発展したのは十字軍後で特に14世紀〜15世紀に発展したのだとか
東欧がモンゴル相手に優勢になったのと同時期だな

414 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 18:57:50.43 0.net
14〜15世紀は東欧がオスマンに飲み込まれていった時期だけどw

415 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 19:56:05.13 0.net
モンゴルが衰退してオスマンが出てきたってことだな
オスマンもティムールにはやられまくってたがなw

モンゴルが短命だったのは相続する時に荒れて武力闘争に発展しやすかったのが原因
中国を征服した遊牧民や狩猟民が中国化したのはそうしたほうが政権運営がしやすかったのも理由の一つ

416 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 21:40:21.69 0.net
モンゴルが短命?
2世紀から3世紀も間、ユーラシアの覇権握ってて落ち目になった15世紀、16世紀辺りでも
中国北部やインド北部で猛威振るってるじゃないか

417 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 21:43:34.16 0.net
エセンなど辺境の一雄としては活発だったが、
かつては世界帝国だった頃に比べると・・・
あくまでも比較の問題である。

418 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 00:12:13.28 0.net
短命だったのはモンゴルじゃなくてモンゴル帝国

419 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 00:39:41.28 0.net
やっぱティムールとその子孫のとこだけ異常値な感じだよな・・・
よその趨勢ではモンゴル退潮気味なのに

420 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 12:20:06.94 0.net
なんでリトアニアやドイツ騎士団とキプチャックモンゴルとの強弱について
主張しているのに、やれティムールやオスマントルコが出てくるんだよ。
大体、ティムールの軍団もオスマントルコの軍団もティムールやバヤジット
など勇将あっての強卒(弱卒の反対)だっただけだ。
本当に強い軍隊とは指導者がだれでも精強であらねばならない。
その点、ドイツ騎士団やリトアニアの方が指導者の優劣に関係なく精強さを
維持していたのだから強い軍隊といえる。

421 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 13:55:43.29 0.net
ドイツ騎士団も参加した十字軍はバヤジットにフルボッコされ
"精強な"ドイツ騎士団・リトアニア大公国はコンスタンティノーブル陥落を阻止できなかった。
大体モンゴルスレでティムールの話するななんて何言ってんだ?


422 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 22:34:15.58 0.net
精強っていったんて動員兵数が少なければできることは少なくなるのは
あたりまえだ。


423 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 22:45:50.98 0.net
肉弾戦メインの時代じゃ小規模な軍が精強なのは割と普通の話なんじゃないの

424 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 23:04:56.50 0.net
"歴史に与えた影響"が
"精強なドイツ騎士団"とか"強力なリトアニア大公国"が
バヤジットやティムールを上回るなどという新説が極めて新鮮で香ばしい


425 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 01:20:10.60 0.net
>>424
>"歴史に与えた影響"が
>"精強なドイツ騎士団"とか"強力なリトアニア大公国"が
>バヤジットやティムールを上回るなどという新説が極めて新鮮で香ばしい
そんなことは一言もいってないが、おれがいいたいことは、
「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
主張しているだけだ。



426 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 02:02:19.25 0.net
ギボンの推測とか、俺の推測より無価値だから

427 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 02:05:21.67 0.net
>>423
大規模な軍を精強にしにくいからって小規模な軍が精強であるかっていうとそれも違う
精強な軍そのものが希少価値

428 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 02:43:09.25 0.net
まぁその通りなんだけど、歴史に名を残してて弱小ってのはほら、基本的に無いからさ

429 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 02:54:12.68 0.net
無いってのはさすがに言いすぎか

430 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 03:02:06.74 0.net
動員兵力何十万いうてもホントのモンゴル兵はジョチ・ウルスじゃたった4千騎だからな
恐ろしいでほんま


431 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 07:48:29.58 0.net
西に行ったジョチの軍団って今のロシア近辺まで行った頃は
構成の9割以上がテュルク系だったって話だとか

432 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 09:52:17.93 0.net
この遠征はチンギス汗の長子ジュチの采領(ウルス)の拡大事業の継続として
計画されたものであり、ジュチの次男[10]バトゥが遠征軍の総司令官となった
のもこの意味においてであった。
総兵力12万から14万と推定されるモンゴル遠征軍は、1236年にヴォルガ・
ブルガール人の土地に侵入し当地を制圧すると、1237年秋から1238年春に
かけて、リャザーン、ヴラヂーミル、トヴェーリなど北東ルーシの有力都市を
すべて軍事的に征服した。
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm



433 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 20:02:51.49 0.net
西方遠征軍の総大将となったジョチ家の当主バトゥには5万の戦闘経験の
豊かなモンゴル人と2万人の徴用兵、さらに中国人とペルシア人の専門兵が
与えられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

434 :世界@名無史さん:2012/07/28(土) 21:11:07.79 0.net
世界不思議発見で契丹特集やってるね

435 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 08:23:04.58 O.net
西遊記とかが編集されたのは元の時代
それまでは、まともな文章力ある奴は皆様役人になろうと努力して、小説や芝居の脚本書かなかったが
元の時代は学力あっても役人になれず、仕方ないから小説書いたらしい

436 :世界@名無史さん:2012/09/03(月) 15:51:57.40 0.net
モンゴル関連スレでいつも思うけどバトゥ遠征軍の兵力を過大評価し過ぎ
13世紀当時、10万近い大軍がユーラシア大陸を東西に横断するとか不可能だろ

437 :世界@名無史さん:2012/09/03(月) 19:24:41.67 0.net
余裕だからwww
しょっぱいしょっぱい西欧土人と一緒にすんなよww

438 :世界@名無史さん:2012/09/03(月) 20:00:08.20 0.net
ヘンリク軍4万VSバトゥ軍15万とかいうのはさすがに誇張じゃないか。
「あんな大軍で押し寄せて来られたらとても敵わん」とか負けた言い訳だと思う。

439 :世界@名無史さん:2012/09/03(月) 21:55:10.48 0.net
10万人が横断するだけで、戦う前に部族が消耗している 席巻するどころか
欧州に着くころにはとても戦える状態ではないだろう。マラソンの42.195キロとはわけが違う
へとへとになりながら戦う。相手は体力を温存して構えている。

440 :世界@名無史さん:2012/09/03(月) 22:51:15.83 0.net
無論、現地勢力を巻き込むとか、現地の草原を占拠して体力回復を図るとか
色々手を尽くしてはいるようではある

441 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 08:39:49.84 0.net
その10万人の兵站はどうするの?
遊牧を甘く考えすぎなんだよ。
遊牧って生産性がメチャ低いから広範囲に超低密度で分散しても極貧生活支えるのが精一杯なのに・・・
10万もの大兵力とそれを支える数百万頭の家畜が集結なんかしたら、あっというまに周辺一帯の草原を
食い尽くして全軍餓死だろ。

442 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 09:59:20.72 0.net
>>441
ウクライナあたりまでほとんど草原なんだから食い尽くしたら移動すればいいだけじゃんw
むしろヨーロッパに入ってからのほうが問題。

443 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 10:10:12.58 0.net
>>442
無理だよ。
だって低密度に分散した普通の遊牧生活ですら常時移動し続けないとやっていけないんだから。
家畜数百万頭ともなれば食い尽くす草原の面積が移動可能な距離を上回る。

444 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 10:59:38.41 0.net
>>443
普通の遊牧は何キロか移動すると数日とどまって家畜に草を食わせ、また移動。
軍事遠征では一日に50〜100キロの移動を続ける。
また夏営地や冬営地ではある程度長期滞在になり、特に冬営地には普段分散して
暮らしていた牧民たちが家畜ごと集結して暮らす。

あと聞き忘れてたけど10万人に家畜数百頭っていったいどういう計算?

445 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 11:38:39.47 0.net
>>444
モンゴル軍の機動力は家畜を後方に残して騎馬部隊だけで行動した場合1日50キロ。
ただこれは兵糧の限界から長期間続けることはできない。
羊の行動半径は1日6キロ程度だから家畜と一緒なら機動力は大幅に低下する。

1918年のモンゴルの人口は65万人で、その生活をラクダ22万9000頭、 馬115万1000頭、
牛107万8000頭、羊570万頭、山羊148万 8000頭で支えていたんだよね。
モンゴル軍10万なら単純に6分の1としても家畜約160万頭が必要な計算になる。
補助戦闘員をその10万に含めるか否かによっては必要な家畜の数ももっと多くなるし。

446 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 12:49:12.24 0.net
>>445
もし羊ごとモンゴルから出発して、行動半径1日6キロに合わせて進軍してたら
ロシアに着くまでに2年半ぐらいはかかるよw 実際はヴォルガ・ブルガールや
クマン族を征服しながらもっと速い。
それを考えると食糧については携行食のほかに帝国内では備蓄や供出、敵地では
略奪が現実的だろう。キプチャク草原征服によって大量の家畜が手に入っただろうし。

447 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 13:15:47.54 0.net
>>446
1235年に遠征決定、1236年春にブルガル地方との国境に集結、1237年末にロシア侵攻だから
実際に2年半ぐらいかかってるじゃん

448 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 18:44:48.95 0.net
スラブ女やゲルマン女が犯されるのみてええーーー

白人が犯される側の貴重な歴史的瞬間

古代ローマ人とモンゴル人のみの名誉

残虐でアグリーなモンゴルに侵されるほうが興奮するね。

449 :世界@名無史さん:2012/09/04(火) 18:59:36.64 0.net
>>447
時間が掛かったのは徴発官の兵員や獣畜や物資の割当調整と
その伝達であって、羊の移動じゃないよw

450 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 04:08:56.17 0.net
>>449
でも遠征に家畜を伴っていれば行軍速度も当然物理的な制約受けるでしょ。
それに兵站を家畜に依らないのだとすれば、当時のモンゴル帝国の支配地域なんてその他農耕民族の
領域よりも人口密度や食糧生産性が圧倒的に低いんだから、長距離遠征に投入可能な兵力だって
かなりの少数になるはず。
なおさらバトゥ軍10万人なんて不可能。

451 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 08:56:21.26 0.net
>>447
1236年春に出発して、夏中移動して秋にイリ盆地に着いてるから
出発地点はモンゴルだろう。
>>450
羊や牛を生きたままモンゴルから連れて行かなくても
携行食糧化(干し肉、乾燥乳等)、行軍路上にて食糧備蓄・徴発が可能。
馬や駱駝だけ連れて行けば済む。

452 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 09:33:42.32 0.net
>>451
帝国内での食糧調達を行軍路上にて食糧備蓄・徴発に頼るとすれば、モンゴル軍の運用可能な兵力は
同時代の他の国よりも大幅に少なくなるよね。
だって領内の人口密度や食糧生産性が農耕地域よりも低いんだから。
10万人の兵力が数千キロもの長距離遠征を行うことは当然不可能ってことでOK?


453 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 10:18:33.90 0.net
>>452
意味が分からないんだが。
10万人が生存可能な食糧がそもそもないとすれば
兵力どころか人口が10万以下だったことになり、領土の維持すら困難だろう。

454 :世界@名無史さん:2012/09/05(水) 18:46:57.17 0.net
だね、人員や家畜の権限を持った高位の徴発官が存在した現実と矛盾する

455 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 11:29:13.53 0.net
>>453
行軍路上にて食糧徴発するんだから、その地域の住人は普段より徴発分の食糧を余分に負担しなくちゃ
いけないだろ。
例えば、モンゴル軍10万人が行軍路上にある人口5万人の交易都市で食糧徴発するならその都市には
住人5万人分の食糧+モンゴル軍10万人の食糧で計15万人分の食糧が必要じゃん。


456 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 13:09:22.36 0.net
>>455
モンゴル軍が1日で通り過ぎてくなら5万人の2日分の食糧だぞ。
モンゴル帝国の住民は食糧または食糧調達のための資源をきっかり1年365日分しか持ってないのか?w
そこまで余剰生産がない国なら誰も税なんて払えないし戦争どころか国家維持も不可能。

457 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 13:48:12.12 0.net
>>456
実際には次の都市まで移動する間の食糧も徴発する必要があるから量はもっと多くなるけどね。
いずれにしろ、どれだけの規模の軍を運用可能かは、その国の余剰生産量に左右される。
となると食糧生産性の低いモンゴル帝国は、それよりも圧倒的に豊かな農耕民族の中国や日本よりも
小規模な軍を運用するのが精一杯ってことになる。
モンゴル帝国が10万人なんて大兵力を東欧遠征に投入可能だったとは考えられないな。

458 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 18:47:43.19 0.net
モンゴル人の1世帯数人につき平均100頭強の家畜がいた

モンゴル高原から中央アジアまでの広大な領土を持ち
支配機構の整備されていたモンゴル帝国にとって10万人の動員は造作も無いこと
西欧の土人国家と一緒に考えてはダメ

459 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 20:57:52.33 0.net
>>458
で、その10万人の兵站はどうするのさ?

460 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 21:20:06.09 0.net
モンゴル帝国の食糧生産性が低いってのはどっから出てきた話なんだ

461 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 21:34:42.48 0.net
キプチャク平原が兵站の拠点となった。欧州遠征の主力はトルコ系で
モンゴル本国からわざわざ遠征してきたのは2〜3万程度


462 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 22:27:58.18 0.net
>>460
遊牧社会の食糧生産性が農耕社会より低いなんてのは常識レベルの話だと思うが

463 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 23:03:11.49 0.net
>>457
>実際には次の都市まで移動する間の食糧も徴発する必要があるから量はもっと多くなるけどね。

だから行軍路上に倉庫建てて食糧備蓄しとけばいいじゃん。

>となると食糧生産性の低いモンゴル帝国は、それよりも圧倒的に豊かな農耕民族の中国や日本よりも
>小規模な軍を運用するのが精一杯ってことになる。

実際明が元を駆逐して中国統一した頃の、衛所軍に登録された兵士の数なんて120万ぐらいまでいってるよw
ちなみに遊牧民は成人男子のほとんどが騎馬弓兵として戦えるので定住民よりも人口における戦闘員の比率が高い。
逆に中原に進出して元朝を建てた後でも、漢人の軍戸は数軒に1戸ぐらいしか兵士を出していない。

464 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 23:37:02.53 0.net
>>462
モンゴル高原界隈の生産性が低いっつーんなら分かるけど、モンゴル帝国規模になると無論農耕地帯だって囲ってるから
食糧生産性が低いってのが意味わかんね
ホラズム朝支配地域なんてオアシス農業の最たる例みたいなとこじゃないの

465 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 00:10:23.21 0.net
>>462
それは面積当たりの話であって人口当たりの話じゃないよね
しかも人口当たりの戦闘員の数は、募兵制の場合の農耕社会と比べ10倍以上

466 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 18:42:35.71 0.net
日本一国に限っても例えば秀吉の小田原攻めの時は10万近い軍勢を動員してる
初期モンゴル帝国の面積で遠征軍10万って充分少ないと思うが

467 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 07:56:55.10 P.net
>>466
いや、初期モンゴル帝国って面積がデカいだけで動員力は秀吉軍よりショボいから。
チンギス汗死亡時の帝国の総兵力は僅か12万9000人。
東欧遠征に投入されたのは、その12万9000人の中の一部でしかない訳で。

468 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 14:22:22.51 0.net
初期モンゴル帝国とキプチャク遠征した頃のモンゴルは規模が段違いだから

469 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 17:56:02.58 0.net
モンゴル統一時のミンガン(千人隊)の数が95なのにテムジンが死んだときには激減してたのか?

470 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 17:58:38.95 0.net
いや、12万9000人なら増えてるか

471 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 21:46:42.53 0.net
オトラル事件の時のモンゴルの総兵力は25万で
西方遠征に投入された兵力は15万、
ホラズムの総兵力は40万だったが、まとまった指揮系統が無く、
チンギスハンの下で統制のとれたモンゴル軍に各個撃破されていった。


472 :世界@名無史さん:2012/09/09(日) 17:25:04.54 0.net
>>471
チンギス汗死亡時の総兵力か12万9000人なのにホラズム遠征に15万も投入できるわけないじゃん。

473 :世界@名無史さん:2012/09/09(日) 20:40:11.55 0.net
12万9千は総兵力じゃなく千戸隊に編成済みの部隊でしょ

474 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 13:12:11.76 P.net
>>473
総兵力だろ。
チンギス汗の死後、その12万9千を弟たちや息子たち一族で分け合ったんだから。
領土の観念が希薄で財産とは人と家畜というモンゴル帝国にとっては
総財産と言ってもいい。

475 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 13:30:25.51 0.net
ナイマン、西夏、カラキタイ、ホラズム、森林部族などの兵力をどれだけ吸収したかだな。
天山ウイグル王国なんかはすぐに帰順してるし。

476 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 21:57:50.63 0.net
>>475
総兵力12万9000人の内10万1000人は末子トルイが相続。
更にその内の6万2000人が左翼軍で、その中には契丹人1万人、バアリン氏族1万人、女真人1万人、
オイラート族4000人、オングト族4000人が含まれた。

あと、ホラズムは攻め滅ぼされただけで吸収されてはいない。
オゴデイが即位後真っ先にやったことは旧ホラズム領を平定するため3万の兵力を割いて派遣したこと。

477 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 23:12:16.31 0.net
60リットル/雌一頭・一年
馬乳酒4リットル=米三合(江戸時代人の一日摂取1600カロリー)

馬乳酒ベースの必要頭数:雌24頭/年

羊肉30kg/一頭
140kcal/羊肉100g

羊肉ベースの必要頭数:15頭/年

馬肉も食えるので一人あたり馬10頭羊10頭あれば生計が立ちそう。

牧草面積:
羊3頭/草原1ha
馬1頭/草原1ha

つまり一人あたり13ha(350m四方)の草原を確保できれば保持可能。
ステップ植生を草原率25%、20万の軍勢で
300km×300kmの年間移動範囲で維持可能。

478 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 23:34:05.60 0.net
一方定住民

一反=米一石=一人/年 (江戸時代基準)
一反=30m×30mで生活可能

移動?
1俵60kg=400合=4ヵ月移動分
60kgを運ぶのには馬が必要。馬食料7kg/日。800kg/4ヵ月
800kgを運ぶのには馬6頭が必要・・・?

結論:定住民には戦争は出来ない。

479 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 02:20:43.19 0.net
>あと、ホラズムは攻め滅ぼされただけで吸収されてはいない。
>オゴデイが即位後真っ先にやったことは旧ホラズム領を平定するため3万の兵力を割いて派遣したこと。

40万以上いたホラズム軍が3万で鎮圧できるくらいに激減してるんだから
大半は殺されたか降伏したんだろう

480 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 06:13:22.66 0.net
>>477
現実にはあの広大な初期モンゴル帝国で12万9000の兵力が精一杯だったんだぜ
モンゴル帝国の兵力が急増したのは中国など肥沃な定住民地域を征服して、そこの定住民の軍勢が
大量に加わってから
それまでのモンゴル軍なんて精々遠征軍5万程度だろ

481 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 12:58:08.40 0.net
仮に5万だとしても、ほぼ全てが熟練騎兵なら会戦においては相当な脅威だと思うがな。
あとは、それを一体のものとして運用できる組織力+有効な戦術があれば無双できても奇異じゃない。

482 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 17:36:13.46 0.net
ちなみに12万9000人の内、東欧遠征の中核となったジョチ家が相続したのは4000人

483 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 17:47:55.97 P.net
>>476
ホラズム平定の時は千戸に属する本隊の3万とは別に各地で徴募してるんだけどね

484 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 22:42:29.17 0.net
モンゴル帝国の総兵力は、書類上はずっと129,000人
そっからはみ出た兵力がものすごいいる

485 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 07:29:59.15 0.net
モンゴル兵だけではなく契丹兵や女真兵、漢族兵などを入れれば
兵数だけなら軽く20万は超えるだろう

486 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 14:04:40.14 0.net
>>482
バトゥの遠征には各千戸長・百戸長から人質としてハーン家に預けられてた子弟
単なる人質ではなく現代で言えば士官学校生を兼ねてた連中が参加したと言うけど
そいつらはその4000人に入ってないのかな

487 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 21:29:29.90 0.net
ジョチ家の4000人ってお前んとこは最低4000人以上は兵隊出せよって意味も込められてるから、
入ってるっちゃ入ってるし、逆もまた然り。
だからモンゴル帝国軍の兵数ってチンギス死んでからは書類以上に絶対増えてるはずなのに、
いつまで経っても12万9千人。
んで、その増えた中で「10人の内2人を提供しろ」なんて言って供出して、その2人にはさらに従者が数人必ず
ついて回るんだから実態はさらに大勢になっていく。
しかも現地徴発部隊はこれに含まないから、バトゥ軍15万もフレグ軍30万もありえたっちゃーありえたかもしれない。

488 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 22:30:57.47 0.net
モンゴルというのはイスラム過激派でいえばアルカイダのようなものだろう。
アルカイダ以前は色々な過激派がいたが、今はほぼアルカイダ一本になっている。
同様にモンゴルというのはそれまで色々いたスキート・シベリア文化圏にいた遊牧民を一本化した。

489 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 23:48:16.95 0.net
>>487
チンギス汗死亡時の総兵力が12万9000人ってだけで、いつまでも12万9000人じゃないよ。
中国を征服してからは急増してる。
ただ遊牧民の兵数はそれが限界。
もともと少ない遊牧民の人口の4人〜5人に1人を兵数に数えてその数だからそれ以上徴兵しようがない。
バトゥ軍15万もフレグ軍30万も絶対ありえない。


490 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 01:08:13.80 0.net
>>489
戸籍上は12万9千人で、12万9千戸の家が常備軍を形成してるっていう格好。
戸籍は13世紀後半まで軍の兵員名簿として各部族間で共有していたから、チンギス死去までは正確でも、
それ以降増えた分は計算しないのでやたらいい加減だねっていう話。
実数が12万9千人のまま推移したという話ではない。

人口で言えば、オゴタイが1235年に行った人口調査では約100万戸が戸籍登録され、それを仲間内で分配している。
その20年後にモンケがイランのマー・ワラー・アンナフル周辺の人口調査をして約20万戸増加したのでそれも改めて再分配している。
この約120万戸の中には農業従事者も多く含まれるので、何割か引いたとしても男子皆兵の遊牧社会で言ったら、
2、30万人ぐらいの動員なら、あくまで人口だけで言えばありえる話じゃないのっていうだけ。
まぁもちろん、動員可能な数と実際に動かす数っていうのはイコールじゃないってのは念頭に置くべきだけどね。

491 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 01:10:29.59 0.net
当時のモンゴル高原と満州と南シベリアを合わせた推定人口は300万超える

492 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 12:04:37.86 0.net
>>490
オゴタイが1235年に行った人口調査は対象地域が旧金朝なんだから、約100万戸はほぼ全て
定住生活の中国人じゃん。
もちろんその結果モンゴル帝国の総兵力自体は大幅に増加してるけど、増えた兵力が投入されたのは
もっぱら南宋を中心とした東アジアだろ。
キプチャク平原や中東地域に中国人が大量に移住した痕跡なんてないわけで、バトゥ軍やフレグ軍の
増強には繋がってない。

>>461
いや、成人男子皆兵のモンゴル帝国で総兵力12万9000なんだから、4〜5人に1人がが兵になったと
仮定して当時のモンゴル高原と満州と南シベリアを合わせた推定人口は50〜65万人な。

493 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 13:17:05.45 0.net
>>492
あ、ごめん。
1235年のやつは確かに旧金領の人口調査だ、何を書いてるんだ俺は。

書き直すと、チンギスの時代に行った戸籍調査の結果12万9千戸の家が一人ずつ兵を出して、
それが総兵力12万9千人の元ネタになってるけど、その内訳には現地徴発で編成した部隊(タンマは別として)と、
兵一人につく従者が含まれてない。
なのでその後の人口増加分は加味していないから、実際の兵力はチンギス死後いきなり増えてても
別におかしくはないんじゃないのって事だな。
単位は戸なんだから最低兵力が12万9千人以上って話なんじゃないかと思うんだけど。

昔のモンゴルの平均的家族構成知らんから聞くけど、4〜5人に1人の兵士って何を元にして言ってるの?

494 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 13:19:42.09 0.net
>>492
「長春真人西遊記」によると、ホラズムシャー朝が倒された後の中央アジアには
すでに大勢の漢人が来てたようだ。

495 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 18:06:49.88 P.net
>>493
「12万9千戸の家が一人ずつ兵を出して」じゃないでしょ。
「家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした」
結果が総兵力12万9千人。

496 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 18:51:58.59 0.net
>>495
モンゴルについて酷く無知なのに、何故このスレに来てるのかね?

497 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 19:16:14.20 0.net
>>495
いや、あのね、そうじゃなくてさ。
戸≠人なのであって、129ミンガンがそのまんま人になるのはさすがに変でしょうにと言っとるんですよ。
「一族10人につき○人」みたいな感じで召集かけてんだから、その10人の内何人かは予備役って事でしょ。
全部を動員したら生産性が一気に落ちて税負担に耐えられなくなりますがな。

498 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 21:21:27.83 0.net
女真の金相手に戦っていたモンゴル軍の主力は契丹兵でさらに漢人豪族だったという。
これでモンゴルが全軍あわせて15万未満とは考えにくい


499 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 00:55:34.82 0.net
>>497
「家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした」のソースは
『元史』兵一ね。

徴兵や納税を家単位で行うのは中国式。
それに対して人口調査を行い成人男子全てを1000人でミンガンとするのがモンゴル式。
チンギス汗時代の129ミンガンが家単位なわけないでしょ。
例えば1253年からグルジアで行われた人口調査でも、
「彼(アミール・アルグン)は到着すると、報告し、グルジアに進んだ。そこで彼は人口調査を実施し、
住人を千人毎に分けた」(『集史』フラグ・ハン紀)。
この人口調査の対象は、「10歳に始まって、それ以上の人々は、女性を除いて、台帳に記入された」
(キラコス・ガンザケッツィ『歴史』)なわけよ。

あと、モンゴル社会においては、戸=人だよ。
これについては大葉昇一が『モンゴル帝国=元朝の軍隊組織』の中で指摘してる。
モンゴル社会では一族に兵役の対象となる成人男子が2人いれば2戸と数えたということ。

500 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 02:17:29.96 0.net
いいや違うよ、カラコルムから見つかった文書中に
十人長の領有している戸に関する記載があり
1戸を領有しているケースが多く見られるけど
戸=人じゃ意味不明だよね。

自分なりに解釈を編み出すのは悪い事じゃないけど、裏付けは取らないとね
モンゴル帝国の把握単位の基本は軍事面では人だが、戸籍は家

>家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした
のは軍戸に属する兵士、民戸と軍戸をモンゴルは区別している

501 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 02:46:19.36 0.net
戸=人が成立するならそもそも旧金領の人口がたった100万人って事になっちまうで・・・
元史には4,754,975人って書いてんのにさ・・・

502 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 05:40:11.01 0.net
>>500
モンゴルにおけるミンガンが家単位じゃないってのは元史兵一で裏付けられてることじゃん。
15歳〜70歳の成人男子は一家から何人でも兵役の対象になったんだから。
モンゴルでは税制だって家単位じゃなく成人男子一人ごとの人頭税だし。
そもそも、129ミンガンが家単位だって解釈の根拠を何も提示してないよね。
裏付けのない自分なりの解釈を編み出してるのはどっちなのさ?

503 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 06:52:58.48 0.net
>>501
モンゴル及び西域諸国と旧金領とでは戸の意味が違う。
モンゴル及び西域諸国では丁(成人男子)一人を以て一戸と為す。
だからチンギス汗の死後行われた129ミンガンの分封も戸=人。
でも、1236年に旧金領の人口調査を行った際に、モンゴル式の「以丁為戸」を漢人には適用せずに
従来からの制度を尊重することになったんよ。

504 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 09:58:32.70 0.net
誰も気にしてないようなので聞くが
「チンギス汗死亡時の総兵力12万9000」についての出典って何?

505 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 13:45:21.73 0.net
>>502-503
兵役を務めたのは軍戸、千戸・百戸・十戸長は軍戸に割り振られた役職分の人数を管轄した。
それらの部民が所有する大多数を占めた大量の奴隷は兵役を負わず
軍系統とは別の徴発官によって家を単位として管理もしくは放置された。

506 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 14:19:18.56 0.net
>>504
ラシード・ウッ・ディーンの『集史』。

>>505
モンゴルでは徴発官による管理も家単位じゃなく人単位だよ。
ソースは、『元文類』 巻五七 中書令耶律公神道碑

「朝臣共欲以丁為戸、公独以為不可。皆曰、我朝及西域諸国莫不以丁為戸。」

モンゴルでは軍制も税制も人単位だったのに、チンギス汗死後の分封が家単位だったわけないじゃん。

507 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 17:31:51.00 0.net
盛り上がってんね

ミンガン所属の兵士は一人一人元の家とは絶縁して独立してるんだから、一人一戸の計算になるのはお言葉の通り
ただ、モンゴル語における一戸ってのは1アイルって事だから、何個かのゲルが集まってるって事になる
当然それを一人で管理してるわけじゃないから、従者だの家族だのが管理をしてると予想され、結果的に見れば
一戸=一家族となっているわけだ
妻と従者は家長の所有物なので人として計算しないけど、中華だとそうはいかなかった
楚材が旧金領では家に対する課税をすべきと進言したのはモンゴル方式だと男子が増えれば増える程課税額が増えてしまうから
家族制度の概念が違うので戸に対する課税に切り替えてモンゴル式と同じにする必要があった

129ミンガン=129の千戸=各戸から一人の輩出で129000人って計算
これはこれですごい確実な計算だと思うけど、限界かと言われると、上述の通り一戸=1アイルなので
こっから人口を逆算するのは、数に入らない捕虜人口と民戸が入ってないから無謀過ぎ

予備役みたいな浮いた人員がどれくらいいたかは推測の域を出ないので、>>506の中の人が言いたい事は一つの道理だと思うけど
家族制度の扱いが違うからちょっと難しいよな

508 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 19:34:18.84 0.net
>>506
いや、家単位だよ
フフホト出土文書-漢文文書-F249W22
賀龍徒沙牌子の下には5戸、吾即忍布の下には3戸、李黒党立嵬と也火俺伯の下には1戸が属したが
当然どの牌子頭も管轄していたのは10人。

チンギス時代もモンゴル部民は家族や多数の奴隷を所有していたが
それらは軍戸にも民戸にも数えられないのだから、結局は口=戸にはならない。

509 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 21:58:27.80 0.net
チンギスハンはホラズム王国を攻める前にジェベに2万の兵を率いさせ西遼を滅ぼさせた。
チンギスハン自身は十数万の本隊を率いて天山山脈の北のステップ地帯を西に向かい、
イルティシ河畔で休息をとる。1219年夏のことだ。〜西野広祥〜

510 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:00:08.56 0.net
契丹人や漢族の部隊を対金戦に残し、モンゴル騎兵はほぼ全軍西方遠征に出陣したのではないか


511 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:38:19.70 0.net
バトゥがキエフルーシやブダペストを陥落させたときこんなスラブ女を犯しまくったんだろうか。。。羨ましすぎる
http://www.europornstar.com/DPFG/Lili-Lamour/images/gang-bang-20.jpg

あと1年計画を前倒ししてればドイツ女も頂けたのになー


512 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:57:54.01 0.net
寧ろゴツいスラヴやゲルマンの女に萎えて退却したのではないか。
オゴダイの死は建前であって実際はこんなところだろう。


513 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:03:16.41 0.net
いつもの基地外レイプ厨はいつになったらモンゴルが東欧に攻め入った時代
と現在じゃ住民の外見も違うという事を理解できるんだろう

514 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:36:48.59 0.net
税制に関して言えばオゴタイの時代のウィグル語出土資料だとウィグリスタンでは課税対象を整理するのに
人口を十戸、百戸、千戸に分けて、十戸が徴税の最小単位として各十戸長が徴税責任を負ってた
河北の場合税を包銀の名で十戸で60両、毎年7斤の絹糸を納めさせていた
イランだとヤラワチが定めた貧富によって一人頭の税を1〜10ディナールに増減させたヤラワチ税法も導入してる
同時期アルグン・アカのホラーサーンでの税率は10人につき70ディナールで、ヤラワチ税法と設定がまったく違うので
恐らくヤラワチも10人を課税の最小単位に設定して、各人の税率を貧富に応じて増減させてると思われる
オゴタイ時代の家畜税は一戸につき保有家畜の1パーセント程度の課税

個人に対する課税って何かあったっけ?

515 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 00:02:59.47 0.net
12万9千って狼の数とかもちゃんと入れたのか

516 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 12:05:18.51 0.net
>>508
一つの家から複数人が登録されていて、それを10人ごとに管轄してたってこと?
つまり管轄は10の家ごとではなく10人ごとだったってことでしょ。
それって家単位じゃなく人単位だってとこを裏付ける史料なんじゃ・・・

517 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 13:16:03.31 0.net
>>516
軍戸は人で、それ以外の戸は家で
十戸長は行政の職権無し

518 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 22:42:00.15 P.net
>>517
根拠は何なの?
『中書令耶律公神道碑』の記述からモンゴルでは行政も人単位だったって明白でしょ。
軍政と行政で全く違う単位使うなんて非効率的なことやってたわけないじゃん。

519 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 23:01:33.09 0.net
× 人単位
○ 10人単位

520 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 02:45:29.38 0.net
モンゴルが中央アジア・東欧に侵攻する

逃げてきた東欧系ユダヤがついでにペスト菌感染者やペスト菌を持ったネズミもつれてくる

ヨーロッパでペスト菌が大流行 人口が四分の一に減少する

元々嫌われていたユダヤがペスト菌をバラ撒いたとして更に嫌われ迫害される
後々まで続くヨーロッパでのユダヤ差別の遠因となる

ペスト菌に対する耐性と治療法を獲得したヨーロッパ人が新大陸に移住

ヨーロッパ人による殺戮とペスト患者が着ていた服や毛布を品物としてヨーロピアンから受け取った新大陸の先住民が
ペスト菌に感染して全滅する事でヨーロピアンは新大陸を楽々ゲット

ヨーロッパでユダヤ系差別が頂点に達した事により
ヒトラーが政権を獲得してWW2勃発
ナチスドイツは敗北して同情票を集めた事によりユダヤ人がイスラエルを建設する事に成功する
今日まで続く中東不安定化の要因になる

モンゴル帝国の禍根が現代まで続いてる…まだバタフライ効果だな

521 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 08:44:29.35 0.net
>>518
>>508の例から、少なくとも華北・漠南・旧西夏領では、戸は家単位だし
千夫長、ノヤンに属する兵士は各々私属の牧奴と奴隷を抱えていたから、人=戸とはならない
農耕社会に例えれば、家長の名前と財産(家畜、私属民、奴隷)だけを戸籍に載せる様なものでしょ

522 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 11:32:22.22 0.net
>>521
華北・漠南・旧西夏領ではどうだろうと、モンゴル及び西域諸国では成人男子1人=1戸だろ。
で、問題なのは「モンゴルではどうなのか?」なんだが。。。

523 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 13:13:33.84 0.net
>>507
たとえば1アイルをもつ父親が数人の息子に財産分与する場合
1アイル未満の「戸」が数個発生してしまうことになったりしない?
それとも1人の息子にアイルを丸ごと相続させて
他の息子たちは浪人みたいに武器と馬だけ持って就職先探すとか?

524 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 18:09:04.94 0.net
>>523
成人すると一定数の財産や家畜を連れて分戸
最期に末子や未成人が残ってる分を相続。
1アイルは妻子や老親、クレヤンや奴隷を含むものだから
分戸すれば当然複数のアイルに分かれるよ

525 :世界@名無史さん:2012/09/17(月) 19:39:10.73 0.net
はやくチンギスハンの墓見つからないかなー

そしてDNA解析して白人を犯しまくったのを証明してほしい。
まあロシア人の顔見れば一目瞭然だが・・・

始皇帝なんかよりこっちのがロマンがあるよ。


526 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 18:14:20.52 0.net
だから
ホラズムまでしか行ってないチンギスハンがどうやって白人犯しまくるんだ
基地外レイプ厨w

527 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 21:21:15.16 0.net
>>526
んじゃフビライの遺伝子で(どっちでも同じだが)

528 :世界@名無史さん:2012/09/19(水) 19:16:57.68 0.net
やりちんチンギス

529 :世界@名無史さん:2012/09/19(水) 23:26:59.96 0.net
>>527
フビライなんてそれこそ西夏くらいまでしか行ってねーよw

530 :世界@名無史さん:2012/09/20(木) 00:30:25.87 0.net
んじゃ、バトゥ(どっちみちチンギスの遺伝子)で。

531 :世界@名無史さん:2012/09/25(火) 23:05:48.19 0.net
お前らの主張だと源氏の始祖や平氏の始祖はものすごいレイプ魔だったってことになるな。
江戸時代の武士三百万が名乗る。その末裔およそ数千万。チンギスを軽く凌駕する。
西洋人には血統秩序や疑似血族の概念が無いからレイプとしか理解できないのだろう。

532 :世界@名無史さん:2012/09/26(水) 11:39:15.74 0.net
最近数百年で遺伝変異を起こしたY染色体の持ち主が数千万いるから
それだけ子孫を残すための性交の機会に恵まれたY染色体の持ち主はチンギスくらいしかいないと推測しているだけ
江戸時代の武士のほうは単なる祖先捏造の類だけど
Y染色体のほうはちゃんとした科学的根拠があるからね

533 :世界@名無史さん:2012/09/26(水) 19:44:55.79 0.net
>>531
お前らって
複数形にするなよw

534 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 02:44:09.52 0.net
全然関係ねえだろ。
王族だから子孫が多かっただけでしょ。
チンギス一人のレイプ力で数十世代にまで渡る拡散力に繋がるわけが無い。
チンギス系だって系図捏造くらいやっとるわ。
でないとヌルハチがハーン継承相当になれるはずがない。

535 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 09:04:44.80 0.net
チンギスの残虐レイパーぶりはキリスト教圏だけじゃなくイスラム、チャイナでも語られてるからね。ガチだろうね

536 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 12:02:02.92 0.net
その割には大量の漢民族が女真族の金からモンゴルへ鞍替えしていたようだが


537 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 22:11:43.27 0.net
チンギスとフビライとは
統治体制が違うだろ。
フビライ自体が漢人化してたしな。
政治も漢人が握ってた。


538 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 02:55:26.34 0.net
モンゴル軍の悪行話はキリスト圏よりイスラムの方が遥かに多いだろ。
全部おおげさ。神話の類。

539 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 12:10:42.69 0.net
しかし、アフガニスタンやペルシャなど
イスラム圏を荒廃したのは歴史的事実。


540 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 12:27:14.61 0.net
中国人も世界に名立たる文明人から幼稚なパクリ民族に転落したのもモンゴルに犯されてからだね。


541 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 13:33:58.90 0.net
古代中国人はビルマ系とかチベット系とかイラン系とかか文明を築いたんだろ。
満州族が征服してた時代もあったし、モンゴルだけじやないから征服と被征服が
中国の歴史なのに何で日本が数十年ぐらい一部を制圧したぐらいてキャ〜キャ〜言うん?

542 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 13:42:16.48 0.net
千年近くも前の話に荒廃も転落もクソもないわ。
その頃にゃ江戸も大阪もまだ無いくらい。京が凋落したのは鎌倉武士のせいですか。そうですか。
凋落も復興もいつどっちが起こってんだかもよくわからんよ。

543 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:07:50.84 0.net
アッカド、ヒクソス、アッシリア、ミケーネ、ドーリア、スキタイ、フン、ゴート、バンダル、フランク、
タタール、アバール、マジャール、ノルマン、匈奴、鮮卑、柔然、突厥、女真、ウイグル、キルギス
世界史上でモンゴルが最大の勢力で、これ以上の勢力はこの後欧米列強しかないと思われ。

544 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:26:56.47 0.net
中国の歴史:周→春秋・戦国時代、漢→三国・五胡十六国、唐→五代十国、宋→女真・モンゴルの侵略、
明→女真・倭寇の侵略、清→中華民国軍閥戦争 中国は王朝交代期に人口が激減する

545 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:33:34.91 0.net
統計が取れなくなるからでしょ

546 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 19:27:14.74 0.net
大量に死んでいるだろうが
難民化した住民は数えることは出来なからなあ。


547 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 21:57:31.19 0.net
そもそも王朝交代期のような戦乱が起こると
整備された戸籍に載らない農奴が増えるし

548 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:54:04.53 0.net
実は零細農民にとっては、戦乱のどさくさに紛れて生きられる時期が一番よかったりして。
流民化して落ち延びた先で放棄集落を発見、徴税者も来ずにウマーみたいな。

549 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:54:59.21 0.net
大部分は災難だろ。
一部そういう奴も居ただろうが

550 :世界@名無史さん:2012/10/01(月) 01:23:23.92 0.net
中国の戦乱期に人口が数分の1に激減 → それは戸籍での捕捉ができなくなっただけで大して死んでない!
という主張をたまに見かけるが、仮にそれが事実だとすると流民の大部分が>>548状態という結果になってしまう。
人口推移のグラフとか見ると、2〜3世代の間は徴税されてないことになるんでね。

551 :世界@名無史さん:2012/10/06(土) 01:34:19.59 0.net
有り得ると思う。

満州の人口推移
1873年 320万人
1908年 1583万人
1941年 5000万人

こんな凄まじい人口変動をする国だ。なにがあってもおかしくない。

552 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 07:32:26.00 0.net
>>538
ホラズム・シャー朝の滅亡やバグダードの陥落など、
モンゴル帝国の中東戦略における悪行話は確かに良く耳にするね。
まぁ、それらの話が誇張にまみれてるのか否かは置いといて、
個人的に不思議なのは、中国ではあまりそういう話が残ってないことなんだよね。
このことは、前に他のスレでも書いた覚えがあるんだけど、
モンゴル帝国が金や南宋に攻める際に大規模な虐殺話があったという話はあまり聞かない。
実際にあったのかどうかはともかく、ヨーロッパや中東に比べ中国ではそういう話があまり残ってないのは不思議だ。

553 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 09:07:16.66 0.net
普通に略奪暴行はあったが、戦の常として特に語ることも無かったのだろう。


554 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 09:51:43.59 0.net
>>553
それだったら他の地域も同じだと思うんだけどね。
別に中東やヨーロッパの戦争だって略奪や暴行がなかった訳ではないだろうし。

555 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 10:44:17.31 0.net
今のモンゴルはロシアのことを好きなんだか嫌いなんだか分からんな
逆もしかりだ

556 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 11:12:39.84 0.net
>>555
国家体制ではともかく民族レベルじゃロシア人は大嫌いだよ
勿論文化や文明を伝えたって部分での感謝も有るから捩れた部分も有るけどな
中国人とロシア人はモンゴル人の大嫌いな人間トップ2だし

557 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 11:42:54.66 O.net
モンゴル史学者の宮脇淳子さんによると

モンゴル人にとって一番親しい国がロシア、二番目はアメリカ、三番目は日本、四番目が中国だそうです。

558 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 11:47:54.23 0.net
逆に漢族系中国人もロシア人もモンゴルをそれほど忌み嫌ってはいないようだが。
漢族に至ってはチンギスハン廟に金儲けできますようにとお参りしているみたいだし。


559 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 12:26:12.87 0.net
だって南モンゴルのモンゴル人って現在モンゴル国のモンゴル人の倍以上の人口だもん
世界で一番モンゴル系の人口の多い国はモンゴルじゃなくって中国だからな
そのモンゴル人抱えてる中国だから漢族も自分の国の英雄って事で御利益増やしてもおかしくない

560 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 12:44:16.08 0.net
>>557
ごめん、宮脇さんのどの本に書いてある?
あるいは講演かな?

ぜひ読んでみたい。

561 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 17:38:36.18 0.net
> モンゴルの中国での悪行
現代の世界の立ち位置次第では。

正義と悪のヒエラルキー

表(正義史)
↑ 西洋
| 中華
| イスラム
| 遊牧系
↓ コミュニズム
裏(悪玉史)

今の中国は中華ではなくコミュニズムのジャンルだから。

562 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 17:57:57.10 0.net
>>552
金の旧首都・中都燕京ではホラズムの使節が見るに相当な虐殺が
あったんじゃなかったか? いつのものだったか忘れたけど、ナショ
ジオには華北の人口の9割がモンゴルの殺戮とペスト流行で死んだ
って書いてあった記憶がある。
それと西夏の首都・興慶府の市民も皆殺しにされたはずだけど。

563 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 18:20:46.76 0.net
今のモンゴル−ロシアの関係については、
モンゴルはソ連の衛星国だったわけだから複雑感情は当然だろう。
ロシア革命時には白軍に虐殺されたりしてる。
・中国辛亥革命→ロシア帝国援助で蒙古独立
・ロシア革命→中国が蒙古占領
・ロシア白軍介入→蒙古独立
・白軍による虐殺→ソ連赤軍援助による人民政府誕生
・ラマ法主死去により共産政権樹立→ソ連軍から宗教弾圧。17000人の僧侶処刑。
・中共成立により毛沢東外蒙古要求→ソ連却下

564 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 18:47:12.62 0.net
>>562
一応、中国でもそういう話が残ってはいるのか。
中東やヨーロッパのほうが有名なだけで、中国にもなくはないのかな。

565 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 20:45:34.31 0.net
>>563
じゃあ社会主義時代を覚えている世代と、そうでない世代とで
対ロ感情にはギャップがあったりするのかもね。

566 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 20:52:55.72 0.net
漢人豪族が金を見限ってさっさとモンゴルに帰順しているし、女真族は必死だったが
華北ではオトラルやサマルカンド、西夏のような頑強な抵抗は無かったようで
大規模な殺戮も起こらなかったのでは。本格的な支配の後で漢族を皆殺しにして
牧草地にしてしまおうという具申があったが却下されたというし。


567 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 22:24:26.64 0.net
>>566
なるほど、他の地域に比べてあまり頑強な抵抗がなかったのか。
でも、南宋なんかは結構しぶとく抵抗したほうだと思うんだけど、
そっちではその手の虐殺話は残ってないのかな?

568 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 22:47:50.02 0.net
>>565
いちばん嫌いなのは現在進行形の中国かもしれない。
でも中華民国に戻ったら逆に外蒙古まで中国版図なんだよな。

569 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 22:55:48.02 0.net
南宋征服に際してフビライは司令官のバヤンに出来るだけ降伏させろと指示していたので
長期に篭城して抵抗した襄陽でも降伏させて虐殺はしていない。
臨安でもモンゴル軍が迫ると南宋の部隊はわれ先に投降してしまう有様でまともな抵抗は無かった。
虐殺が無かった分、大量の捕虜を抱え込む結果となって反乱分子をこのままにもしておけず、
日本への遠征という名目で使い捨てにしたという説もある。

570 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 23:10:40.78 0.net
日本支援でモンゴル統一運動を行った徳王(チンギス統)とか
ボグドハーンことジェプツンダンバ法王とか、
満蒙独立運動の蒙古貴族馬賊バボージャブとか、
その息子で川島芳子こと愛新覚羅顕仔と結婚したカンジュルジャブとか、
先の大戦でモンゴルは日本とも密接に最重要の役割を果たしたのにな。

みんな中原に攻め込んだ日本バカが悪いんだ。
北方人の目標を台無しにしてしまった。
中韓コンプ馬鹿が全てを台無しにするのは今も同じ。

571 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 23:18:06.07 0.net
相手主語

572 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 23:28:56.02 0.net
中原に攻め込んだ日本は狂ったほど馬鹿だよ。
生物史上最悪の愚行。
今の対中問題に沸き上がるウジムシも死んだ方がまし。というか死ね。
満蒙構想消し飛んだ。

573 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:02:13.01 0.net
色んなスレで日本憎しと妬みを振りまいてんだなおまえは。昨夜は本スレで追い詰められたので誰も言い返せないようわざと朝鮮語で罵倒して火病起こしてたみたいだが。そういうとこ幼稚だよね朝鮮族、嫉妬だよね朝鮮族


574 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:19:09.68 0.net
死ねカス。満州とモンゴルがわからない奴は八兆回死ね

575 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:27:49.88 0.net
中国のチンピラゴロツキをどつきまわす皇軍に
モンゴルも朝鮮も歓喜の声援を送っていた。

576 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:30:44.19 0.net
モンゴルはそんな日本を見限って最期は日本兵を皆殺しにしてソ連に投降しました。

577 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:43:46.44 0.net
あまりにもモンゴルが日本に声援を送るので
不安に思ったスターリンは反動分子粛清という名目で大量虐殺を行った


578 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 00:57:33.82 0.net
そんなモンゴルを見捨てて中原中国中原中国中原中国だけを繰り返して
アスペみたいに突っ込んで行ってモンゴルの独立をこっぱみじんに打ち砕いた日本の限界を超えたバカっぷり。

579 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:08:59.11 0.net
日本を憎めるならなんだってする乞食民族。巣に戻れよ。おまえらに歴史を語る資格なんて無いんだから。

580 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:10:28.42 0.net
日本を憎むんじゃなくて日本のお前みたいなバカを憎んでる。
お前が敗戦の張本人だ。なぜ死なない。

581 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:12:58.37 0.net
皇軍はチンピラゴロツキを木っ端微塵に粉砕したが
チンピラゴロツキの版図は未だモンゴルは中華民国の領土のままだ


582 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:15:39.05 0.net
皇軍はチンピラゴロツキを木っ端微塵に粉砕したが
チンピラゴロツキはモンゴルへの野心だけは相変わらずであり、
台湾に寄生している今なお版図上は未だモンゴルは中華民国の領土のままである。

583 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:16:08.72 0.net
>日本のお前みたいなバカを憎んでる。

これってつまり日本人ってことだぞ(笑) おまえら朝鮮族の文化泥棒や数々の悪徳に目を瞑るのがおまえらが”見えてる日本人”だから

584 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:18:15.10 0.net
気持ち悪い腐れ脳。
このアスペウヨが居る限り日本は暗黒だ。

585 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:20:33.66 0.net
国を滅ぼしても尚理解しない無能力。
中国・韓国・中国・中国・朝鮮・韓国  頭の中はそれだけ。
満州開拓放棄。モンゴル支援放棄。北方中央アジア連係無視。
アスペはオモチャの執着を社会に使うな。猿脳

586 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:22:43.60 0.net
ネアスペネトウヨ=中国執着=韓国執着=満州放棄=蒙古崩壊=日本のガン

587 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:32:37.18 0.net
相手主語

588 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 01:38:35.69 0.net
>中国・韓国・中国・中国・朝鮮・韓国  頭の中はそれだけ。

世界で日本に異常なまでに粘着して因縁だけ付けて来るのってこの3国だけだったりするんだよね、反日を国の宗教にまでしてる国な。
つまり日本人がこの乞食3国に徹底的に毅然とした態度と、付け入る隙さえ与えなければ日本人が文化泥棒されたり、領土泥棒されたり、人さらいされたりせずに済むってことな。

589 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 04:58:41.44 0.net
執着してるのはキチガイのお前。

590 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 05:58:59.27 0.net
>>566
対金戦でも空白の帯と呼ばれるくらいの
大殺戮と破壊と略奪をしてるけど

591 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 10:01:19.06 0.net
>>589
相手主語

592 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 10:20:28.67 0.net
華北で全く虐殺が無かったというわけではなく比較として
サマルカンドやガズニやヘラトのような根こそぎ
破壊して使い物にならなくなるようにはせず
中京を攻略した後も破壊せず大都として利用した。
荒廃はさせたが西域のような再建不能にさせるような破壊には至らなかった。


593 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/08(月) 11:18:41.11 0.net
>>569
なるほど、南宋も臨安などが無血開城してるから、
頑強な抵抗よりも降伏を促すほうが多かったのかな。
虐殺はあまりせずに、降伏したという訳か。

594 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 17:29:22.17 0.net
>>567
中都燕京の陥落後に登用され、重用された耶律楚材が
開封市民を皆殺しにしないように必死に止めたとか。
ちなみに陥落の時は禅寺に隠れてて、登用されたのは
二年後らしい。
南宋とかの場合でも、その影響が出てるんじゃないか。
耶律楚材は後でイスラム系官吏に押されて失権するが。

595 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 22:32:28.12 0.net
税制に関しても、何年もかけてモンゴル式税法を中華用に変更させるように懇願してたのも耶律楚材だな
あんなに優秀だったのに晩年の扱いがかわいそうだ

596 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 22:49:52.17 0.net
>>595
しかし耶律氏が束ねていた契丹人も、開封城内も洛陽も陥れて荒らしまわり、
華北一帯を劫掠して逆らう人間は皆殺しにして回り、それを平然と麦刈りさとか
言ってた連中だったのに、250年以上も経つと変わるもんだな。

597 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 23:02:20.42 0.net
開封包囲戦の頃には河北や山西からの避難民が大量に流入して、
城内の人口はは6,700万に膨れ上がってはちきれんばかりだった
そうだから、開封だけでも随分と助けたことになる。約三世紀ぶりの
耶律氏の贖罪かね。北宋朝の頃はすぐ落ちたのに、その状態で
三ヶ月も持った金の守備軍も凄いけれど。開封自体の城壁や濠は
北宋時代と変わってないはずだが、何か改良したのかな?支城を
作るとかして。

598 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 23:18:35.63 0.net
>城内の人口はは6、700万に膨れ上がってはちきれんばかりだった
本当なら3ヶ月といわず1ヶ月で餓死や疫病死が100万人単位で出たと思うんだが。
このへんの記録ってのは、やっぱ筆がすべって大げさに書いてるのかな。

599 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 23:46:22.91 0.net
開封の人口が200万で、食料備蓄が1年半分くらいあるから
無補給でも半年は飢えずに済むね、衛生環境も酷い有様の西欧とは違う

600 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 00:06:51.13 0.net
旧暦六月には腸チフス患者が発生して城内に蔓延し、
三ヶ月で武器食糧医薬の欠乏に苦しむようになったそうな。
いくら開封でも人口が三、四倍に膨らむと長くは持たない。

601 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 02:57:40.11 0.net
近世以前の人口が集まってる大都市で衛生環境がいいわけないだろ
幕末の頃の西欧人の記録じゃ中国や韓国の都市は不潔で悪臭が凄まじかったらしい

602 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 03:59:02.50 0.net
>>600
3ヶ月経過してやっと食料の心配を始めたのだから倍は持つ
1カ月で餓死や疫病が発生という妄想が荒唐無稽というのがよく分かる
>>601
江戸の衛生環境は悪くない、開封の廃棄物処理や水道の整備もそれに近い
無残な医療・衛生水準だった同時代の西欧と同じに考えてはいけないよ。

603 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 08:45:58.18 0.net
>>601
開封城内には川や運河が何本も流れてるし、江南と違って
下流ではないから都市衛生は確保しやすいと思う。平常時の
人口であれば。数倍に膨らむとさすがに苦しいだろうけど。

604 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 10:08:30.99 0.net
とはいえ川や運河に糞尿垂れ流してるんだから限界がある
古代ローマも川や運河があっても疫病が蔓延してたのが実態
中世西欧はそもそも大都市がなかったんだから衛生レベルが稚拙だったとしても
数千数万レベルの都市が人口100万の都市より衛生環境がひどいといえるかどうか
結局人が集まれば糞尿の処理がそれだけ大変だからな
あと江戸は比較的清潔だったが同時期の中国の衛生環境は最悪だったのが
複数の西欧人の証言からわかる、まぁ地域差もあるかもしれんが
ドイツも昔っから清潔好きだったといわれてる

605 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 10:43:28.18 0.net
イザベラバード
>>中国の町のごろつき連中は、無作法で、野蛮で、下品で、横柄で、自惚れが強く、卑劣で、その無知さ加減は筆舌に尽くせない。
>>そして、表現することも信じることもできないような不潔さの下に暮らしている。その汚さといったら想像を絶するし、
>>その悪臭を言い表せる言葉は存在しない。そんな連中が日本人を、何と、「野蛮な小人」と呼ぶのである
今と変わらんw

606 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 12:31:10.59 0.net
比較的清潔だった江戸時代も都市部より農村部の方が出生率が高く死亡率も低い
都市部は出生率より死亡率の方が高い
だから農村部の過剰人口が都市に流入する
結局自然の浄化作用を超える量の汚物を川に流すと周辺部が汚染され
その農作物を食べる都市住民の死亡率が高くなる


607 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 14:21:47.26 0.net
江戸も開封も汚物は垂れ流しじゃなく城外へ持ち運び熱処理。
都市住民の死亡率が高いのは過酷な労働環境と人口密集による感染症流行じゃないかな
出生率が低いのは今のワーブアと一緒で結婚出来る状況になかったから
それに結婚は農村部へ戻ってするケースも多かった。

608 :世界@名無史さん:2012/10/09(火) 21:34:16.36 0.net
モンゴルは南宋の都市や運河などのインフラの破壊を避けて利用しようとした。
一方で西域ではサマルカンドやブハラ、ガズニなど跡形も無く破壊した。


609 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 00:37:19.42 0.net
>>608

やっぱ、耶律楚材のせいかな?
バクダードもめちゃくちゃに破壊されているしな

610 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:16:58.25 0.net
>>609
それも一因には有るだろうし、あとフビライが漢文化に理解と傾倒をしてたのも有ると思う
モンケの代がもっと続いてたら南宋の都市の扱い方ももっと危なかったかもしれないと思う

611 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:29:57.87 0.net
>>609
耶律楚材の後はフビライ担当地域になれたかどうかかな。
まぁ耶律楚材を重用したオゴタイ時代でも高麗なんか悲惨なことに
なってるけど。チンギスの遺言とも言われるけど西夏も。重用された
と言ってもモンゴル人の功臣や皇族級の発言権があったわけでは
ないだろうからな。

612 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 02:01:04.64 0.net
チンギスハンの死を聞いた高麗がモンゴルの使者を殺害したので
見せしめの血祭りの意図もあって高麗は徹底的に叩かれた


613 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 02:20:45.13 0.net
>>612
モンゴルの使者を殺したのはチンギス死去の二年前じゃなかった?
十中八九、高麗か高麗内の過激派の仕業だろうけど犯人は不明。
まぁ兄弟国になろうとか言ってたのに、いきなり掌を返して巨額の
貢物を要求してきたら普通怒るわ。オゴタイ時代のダルガチ皆殺し
と江華島遷都も講和の内容を考えるとわからなくもない。国力差と
地続きということと虐殺魔が相手ってことを認識すべきではあった
だろうけど。

614 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 04:07:26.88 0.net
誰がどう考えても外交儀礼上全面的に高麗に非がある
>>613は頭おかしいわ。
特別永住者の異常な歴史感覚は我々日本人には理解出来ない

615 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 04:41:50.52 0.net
>>614
友邦にいきなり高圧的な態度で貢物を要求するのが
外交儀礼上の正しい態度なわけ? 元寇の時だって
最初は「モンゴルとしては」丁重な内容の国書だった
けれど、それでも武力行使を仄めかしていた。日本は
それを拒否し、書状内容は服属要求までいつの間に
吊り上げられた。第二次侵攻時には使者も殺した。
高麗とそれほど違うかね。
比較的文化水準が高く、軍事力もそれなりに高かった
高麗朝が元に蹂躙されることなく存続ができたのなら、
今みたいな仮想敵国じみた状況よりは有益な関係を
構築できたかもしれない。今の特別永住資格者への
嫌悪で、今と違う過去の判断までして何になる。

616 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 05:00:55.83 0.net
どうせふたばちゃんねる二次裏mayの歴史スレ程度の知識で書き込んでるヤツだろ>>614

617 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 08:09:00.59 0.net
>>573
満蒙構想も知らないお前にこの板は半世紀早いし
572の文が「日本憎し」に見えるお前は小学校の国語からやり直せw

618 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 08:12:33.90 0.net
>>584
安心しろ
こんな馬鹿が日本の将来に与える影響はゼロだw

619 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 11:05:44.06 P.net
>>615
日本と高麗は全く違うぞ。
日本は最初から最後まで一貫した主張を守り抜いただけ。
高麗は服属や降伏を約束しながら使者を暗殺したりダルガチを皆殺しにしたりしてるわけで
明確に違約背信行為じゃん。
高麗の為政者がやったことは対外的には卑怯で、国内の民に対しては無責任。

620 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 15:08:37.83 0.net
>>615
友好的宗主国を友邦などと言い換えてる時点で、歴史的事実より願望重視だと解る。
モンゴルと高麗は最初から朝貢などを条件として友好的主従関係を結んだ
日本は一貫して南宋友好、対モンゴルへの服属を認めていないので、事情が全く異なる。

しかも高麗は一旦従属しながら、使者を殺害するという外交儀礼上最大級の愚挙に出た
更にモンゴル領高麗を統括するダルガチを全員殺害、北朝鮮でもここまで非常識な行動は執らない
国益を護る観点からすれば評価される面もあるが、結局は元朝に併合されたのでそれも高くは評価出来ない。

621 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 18:41:40.60 0.net
1000年前から既に屑が出来上がってたのか朝鮮族は

622 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 20:36:59.28 0.net
恭順した後は日本征伐を進言したりしてちゃんと従順になっています。


623 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 21:40:26.04 0.net
>>622
高麗って公式には1218年からモンゴルに恭順してたことになってるんだぜ。
モンゴル帝国には率先帰服といって古くに率先して帰服した国ほど序列が高くなるって原則があるの。
降伏してからそれに気付いた高麗は、使者暗殺とかダルガチ皆殺しとか無かったことにして、
自分たちは1218年から率先帰服してたって主張し出したん。
信じられない厚かましさだろ。


624 :世界@名無史さん:2012/10/10(水) 22:45:05.25 0.net
>>620
モンゴル側では高麗が殺害したと断定しているし、状況的に
可能性は高いけどオトラール事件と違って確定情報ではない。
それに元史では1225年以前に朝貢したことになってるけれど、
それでは1225年に朝貢形式での巨額の貢物を求めたわけが
わからんし、オゴタイが侵攻前に臣従要求するのも意味不明。
最初の約定では君臣ではなく兄弟の関係だったというのが
正しいんだろう。軍事的に協力したことから始まった関係だし、
上下関係はあれど友邦と言っても差し支えはないんじゃないの。
弟扱いから臣下扱いにされたら、そりゃ怒るだろうよ。
兄たるモンゴルの軍事力が圧倒的で、弟が経済力で兄を掣肘
できるわけでもないという点で、北宋と遼の兄弟関係と決定的
に異なっていて、いずれ君臣関係への移行が図られるであろう
ものだったけど、それは客観的に見ればの話だからね。

当事者からすると容易には受け入れ難いだろう。高麗は内部で
天子とか皇帝とか称していてプライド高かったし、政権を握って
いたのは武臣だから、軍人としてのプライドだってあっただろうし。
大間違いの選択ではあっても、責める気にはなれないよ。
高麗青磁の美しさを思うと、モンゴル服属後には禄でもない国に
なってしまったのが物悲しいし。

625 :世界@名無史さん:2012/10/11(木) 01:36:54.36 0.net
>>624
特に反論する気は無いけれども
高麗がモンゴルの送った使者を殺害した事件や1225年以前にも朝貢していたのは
モンゴルを貶めがちな元史の編纂傾向からしても確定的
使者殺害や朝貢の記述が信用出来ないというのなら
大方の史料が信憑性を欠いた無意味な物となり歴史学が成立しない。

朝貢国が従順に見えなければ、貢納を要求する事は宗主国の権利であるし
従属度合いの深化を要求されたとしても、横暴な超大国と付き合う以上致し方ない事だし
拒絶すれば善いことで、使者の殺害という非常な蛮行が免罪されるわけではない。
ダルガチの大量殺害という愚挙に関しても同様、新羅の対唐反乱の様に
政治的利益を得たのなら評価されるが、結果も悪いのだから批判される行為だろう。

モンゴルの高麗支配がロクでも無かったのは悲運でも、それはまた別のお話。

626 :世界@名無史さん:2012/10/11(木) 05:32:49.99 0.net
金に服属していた高麗が金をフルボッコしているモンゴルに対等の関係なんて可能なのか


627 :世界@名無史さん:2012/10/11(木) 15:34:46.31 0.net
>>624
>高麗青磁の美しさを思うと、モンゴル服属後には禄でもない国に
なってしまったのが物悲しいし

高麗 世界初の艦砲射撃しました 金属印字作りました
李朝 布を多色染めできません 木材の屈曲加工できません
本当になんでここまで落ちたんだw


628 :世界@名無史さん:2012/10/11(木) 15:46:52.98 0.net
水車作れません
多層建築できません

629 :世界@名無史さん:2012/10/11(木) 22:10:20.12 0.net
>>625
元史が元の資料丸写しなとこが多いのもわかってるでしょう。
初期の明帝国は夷狄であり、夷狄として、夷狄の官吏を重用して
中華を支配した元を貶めると共に、大元の遺産を継ぐ世界帝国に
なろうという野心を抱いていた国家。だから新宮殿建設の出費や
部下が江淮出身だったことから結局は永楽帝のクーデターまで
なされなかったが、洪武帝時代から北方遷都が常に念頭にあった。
奇氏一派を粛清して元から離反した後の親明政策を翻し、遼河線
までの領土化を目論んだ高麗を廃した親明恭順派の革命政権で
あった李氏朝鮮に対して貢女を義務付けたのもその表れ。
明が元に続く世界帝国であるということを主張する意味においては
元を貶める必要はなく、元の資料つまりは元側の捉え方を丸呑み
しても構わなかったのが元史。

>>626
高麗はそれを見て金の正朔を奉ずるのを止めている。南宋と似た
ようなものかな。下手をすると次は自分の番になるという認識が
乏しかった。対岸の火事で、漁夫の利だけを得られると楽観的に
捉えていたんじゃないか。それとモンゴルが兄、高麗が弟の関係。
対等ではないが、面子からすると君臣とは大違い。金と南宋との
関係が海陵王後の講和で君臣から叔姪に改められたように。

630 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 01:11:21.10 0.net
一口に朝貢といっても、様々な段階があるからね
数年に一度使者を送って頭擦り付けるだけの軽度の従属もあれば
厳格に規定された歳貢や人身供出を強制される強度の従属もある。
>>629
史書編纂において史料丸写しなど有り得ないことくらい解ってるよね。
公文書や民間の文書から広く史料を収集し、真偽を取捨選択する目的からして
現代の帝国が抱く願望を前代の歴史編纂事業中に反映して捏造改竄する事は有り得ない。

そもそも、北元が残存し西域と南越も中華の手を離れていたうえ
世界帝国たらんとする野心を抱いていた事を窺わせる証拠も何も無く
洪武帝が南北統一の為に遷都しようとしたのも華北ではなく華中
明の北京遷都や世界帝国願望というのは、裏付けが何も無い>>629の個人的な主張。

631 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 09:41:16.93 0.net
>>630
元史は超高速編纂だから吟味してる暇なんかない。
それ故に丸写しだらけ、一綴りの書物としての体裁も
なっておらず評価が低い。それに永楽帝はベトナムに
介入し北部を制圧、直轄領としている。四夷館には
モンゴル、女真、チベット、インド、ペルシャ、シャン人、
ウイグル、ビルマの担当部局があった。これらを朝貢
国もしくは朝貢すべき国と定義。ティムール帝国まで
朝貢国扱い。ティムールも遠征準備がほぼ完了する
まで上辺だけでも従ってる。洪武帝時代から北元の
本土のみならず雲南、青海、満州等の北元勢力圏を
制圧にかかってるし。

632 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 14:03:28.52 0.net
使者を殺したのが高麗の仕業じゃないのなら、その次に送られた使者を丁重に扱うはずでしょ。
高麗って次の使者を弓で射て追い返してるんだよね。
モンゴルが使者殺しの犯人を高麗だと判断するのは当然。

633 :世界@名無史さん:2012/10/12(金) 18:28:28.95 0.net
>>631
まず以て史料の取捨選択をしなければ書簡集に過ぎず、編纂者の判断がされない史書は無い
そもそも採用史料の大半は公文書だから、丸写しでも事の真偽に関しては問題が無い。

明の成立から永楽帝の即位まで、一体何十年の空白が在っただろうね。
漢、南北朝、唐、いずれも西域・満州・朝鮮半島・ベトナムを領国或は影響下に置いていた。

歴代中国王朝は周辺諸国を羈縻・冊封し、或いは朝貢国と認め
漢代には鴻臚の下に蛮夷邸、南北朝期には四夷館、隋唐宋代には礼部の下に四方館など
朝貢国の言葉を習得し応接を司る担当部局があった、明朝も全く元を含む歴代王朝を踏襲している。

以上の様に明が完全に歴代中国王朝の延長線上にあり
元史も時間不足故の拙速さを除けば史書編纂の伝統に則している以上
高麗がモンゴルの使者やダルガチを殺害する外交上最大級の非礼と
1225年以前も朝貢していた、2つの事実を疑う余地は全く存在しない。

634 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 10:25:33.33 0.net
高麗に攻め込んだモンゴル軍の兵数ってどのくらいかね?
たぶん一番多かった時期でも1万人以下だったと思うけど

635 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 11:33:59.06 0.net
ちんこ出したい
心からそう思います。

























あはは

636 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 12:47:17.27 0.net
プールでじゃぶじゃぶ泳ぎたいですそしてさわやかな気分になりたいです私はいまそう思っている次第であります
プールでじゃぶじゃぶ泳ぎたいですそしてさわやかな気分になりたいです私はいまそう思っている次第であります
プールでじゃぶじゃぶ泳ぎたいですそしてさわやかな気分になりたいです私はいまそう思っている次第であります
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637 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 12:52:19.03 0.net
金玉

638 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 13:58:33.22 0.net
>>738
その一番上のサイトから見つけた陝西北部の農村の写真なんだけど
このじゃがいも集めてる女の子も胡漢融合的な顔立ち?
http://www.ylrb.com/uploadfile/district/uploadfile/201110/20111028084439633.jpg
定辺県
http://www.ylrb.com/district/2011/1028/article_12026.html
3〜4世紀以降に匈奴や拓跋氏の勢力範囲だったり統万城があったのもここらへんだし
11世紀にはタングート族の西夏の支配地域。
だから血統的には胡族化した漢族、漢族化した胡族入り乱れているわけね
>>
白馬青牛さんって中国史は詳しいの?

639 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 14:01:22.53 0.net
間違えました

640 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 19:51:14.14 O.net
>>627
つハングル

高麗時代にも片仮名はあったようだが、
朝鮮語の性質上日本のようには使えなかったようで。

641 :世界@名無史さん:2012/10/16(火) 20:23:47.32 0.net
在チョン火病かw

642 :世界@名無史さん:2012/10/17(水) 17:41:43.84 0.net
ちんこ丸出し小僧
ここに参上。

643 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 14:53:29.81 0.net
>>641
バカ発見
半島やチョン校でこのスレで議論されてるような詳しい半島史を習うとでも思ってるのかw
歴史と称するファンタジーなら習うけどw

644 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 19:38:59.11 0.net
モンゴルの政府関係の庁舎は日本製

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/38/265.html

日本とソ連、そして関連国の手の込んだ企てがそこにあった。


645 :世界@名無史さん:2012/11/03(土) 21:41:35.55 0.net
ワールシュタットの闘いで、モンゴル側の偉い武将が西洋連合軍を蹂躙したあと、たまたま本国で主君が急死した知らせが届いて
世継ぎの選挙に出なきゃだから俺帰るわ
ってなって西洋諸国はモンゴルの支配からまぬがれたんだろ

646 :世界@名無史さん:2012/11/03(土) 22:31:23.44 0.net
オゴデイが死ななければモンゴルに皆殺しにされてたろうけど、どの道ペストで人口の半数が死ぬ運命にあった

647 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 06:29:22.54 0.net
日本がやるべきことは軍事ではない。
戦前からの目的を継続すること。

日本は中国と朝鮮を一度見限っている。脱亜入欧というやつだ。
もう少し形を変えて五族協和が生まれる。戦前暴論と言うこと無かれ、
満蒙漢朝日が協調するマトモな策だ。

日本は明治期から満蒙独立運動というのを行っている。
これは国策というより志士の系譜。攘夷志士は自由民権運動家となり
その後大陸に渡り辛亥革命を支援し満蒙独立運動を興した

648 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 06:34:49.20 0.net
>オゴデイが死ななければモンゴルに皆殺しにされてたろうけど、どの道ペストで人口の半数が死ぬ運命にあった

窓から排泄物投げ落としたり下水道整備すればかなり被害は抑えられたはず。
ローマ時代の方が衛生状態良かったのではないか?


649 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 06:54:49.35 0.net
なあ
スレ違い とかいうのはたまにはやめにしないか

650 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 06:58:13.02 0.net
辛亥革命支援と満蒙独立運動。
これは清をあきらめ再構築するための方針。
満州馬賊は武士の習俗とも似通い新天地として中国名を持つ者も現れる。
事実上最後の遊牧騎馬兵である蒙古馬賊も含め複数の集団が東北に群雄割拠した。
最強が張作霖。

一方遠く東欧でウラルアルタイが確立される。
アルタイは民族としてテュルク諸語族を生み、
広義概念としてツラン民族圏が提唱される。

ツランとはペルシャ叙事詩シャーナーメに出て来る
主人公『イラン』に対する敵方の古代北方民族。
ツラン民族圏はハンガリーから日本まで入る概念。

651 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 07:12:57.50 0.net
トゥーラーンは大体アルタイより向こう側カスピ海よりこっち側なんだけど

652 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 07:13:10.07 0.net
トルコ系のよく言う”バイカル付近の騎馬民が西へ行ってトルコ人に、
東に行って日本人になった”とか言う小噺はここから来る。
日本は知らぬ間に組み込まれてた(笑)

ハザールという北コーカサスの先住民がいた。
彼らはユダヤ教を国教とした遊牧民。上述アルタイに属する。
これは暗黙には東欧アシュケナジーの祖とされる。

かつて河豚計画という満州にユダヤを呼ぶ計画があった。
これは上述アシュケナジーが対象。
当時ハザールやアルタイなど意識したかはわからないが、
結果としてそうなっている。妙な連中が騒ぎ出す寸前の話題だが総合すると日ユ・・・になっているという与太話になる。これは無視する。

653 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 07:27:47.33 0.net
満蒙からツランを経て東欧へ。
彼方から同胞とされる呼び掛けに対して、
独自に未開拓地域への協力で答えることが出来た計画。
この方針は中国を見限るというより中国からの自立と成り得たはずだった。

脱亜入欧は実際には脱華入欧だった。
それが脱華入阿(アルタイ)であるなら矛盾は無かった。
ところが愚かにも中華にこだわり戦争を仕掛けた。
まるで親にこだわる子供のように。

前回の愚行を繰り返すことなく、
早く北方ルートへの北朝鮮と和解して、
今度は軍事侵略ではなく平和的に市場進出して大陸を目指すべき。
以上

654 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 07:37:47.47 0.net
>>651
トゥーラーンはあくまで架空の存在だから。

ペルシャ世界が北方遊牧民の攻撃を表現するために作った登場人物で、
トルコ民族思想ではむしろそれこそ理想とする祖先の姿だと
真っ向主張したところから来る象徴なので。

655 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 11:56:39.41 0.net
キリスト教を中心にまとまりかけていたヨーロッパを再び暗黒時代に
叩き込んだ。古典文化に頼らざるをえなくさせる状況を作った
モンゴルがいなければルネサンス以外の歴史があったかもしれない

656 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 12:55:43.55 0.net
神聖ローマ帝国とかローマ教皇とかビザンツとか魔女裁判とか
全然まとまっても理性的にもなっていないって。


657 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 13:38:26.47 0.net
魔女裁判とか、そんな狂気の制度が歴史上でキリスト教以外に存在したことがあるか?
カルト以下。オウム真理教よりひどいよ。完全にキチガイだろ。
しかも原始時代の話じゃないぜ。1500年代から1700年代だよ。
日本では寺子屋がいくつで識字率はどのくらいで、とか話してる頃だよ。
そりゃキリシタンも禁止するだろ。危険すぎるわ。

658 :世界@名無史さん:2012/11/04(日) 13:55:38.30 0.net
モンゴルが暗殺教団を壊滅させたのは今で言うカルト狩りの意味合いもあったのかもしれない


659 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 14:36:49.46 0.net
中央アジアから遊牧民が原住民を征服しては土着化し、土着化してはまた新たな遊牧民に征服された。その都度帝国の版図は拡大。
一番最後の方のトルコ語族は現在も広範囲にユーラシアに拡散、その後のモンゴルがユーラシアほぼ全域を押えた。
唐とイスラム教主国の領土をほぼ押えたものだ。中華帝国が最も西に伸びたのが唐であり、西トルキスタンまで行った。
一方、中東の帝国の最東端も常に西トルキスタンであった。モンゴルのみが短期間中国と中東両方押えたが、その後は現在までない。

660 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 15:13:52.92 0.net
>>656>>657
理性が重要視されるようになったのはギリシア精神のせいで
それが男尊女卑の概念にまで進展していき魔女狩りが起こった
女には理性がない、だから殺すべきと。それにキリスト教は関係ない
そして年代を見ても分かるように1500年代から1700年代というのは
モンゴル進入以後であり、ルネサンス以後だ、
そのころはキリスト教も非難されていた時代でもある
ヨーロッパ人が急激に残虐になるのはモンゴルのせいであり、ルネサンスのせいだ

661 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 15:23:18.55 0.net
中世は暗黒時代では無い。神に身をゆだね、敬虔に祈り、静かな時間が流れていた。
人口だって増えていたし、女性にも優しく動物にも優しく、自然回帰の時代だった
聖書を基盤とした文化を着実に蓄積し、待ち、さあこれから花開かせよう
と、いう時のモンゴル襲来だ。モンゴル自体も酷かったが、その後の
ペストが酷かった。人口も激減。神に絶望し人間中心、理性中心主義がはびこった

662 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 15:27:36.72 0.net
ギリシア・ローマ文化は蛮族に滅ぼされたのでは無い。
負けたのだ。より高次のキリスト教文化に負けたのだ。捨てられたのだよ。ギリシャ・ローマは
今のこの近代という時代は敗北したものによりすがって生きているようなものだ
これこそ本当のルサンチマンとは呼べないか

663 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 17:44:10.37 0.net
遊牧民というのは秩序が回復した頃に来る感じがある。
ゴート、ロンバート、マジャール、フランク、アラブ、デーン、ブルガール、ノルマン、モンゴル、トルコは一度には来ない。
秩序が回復してきて、これからという時に破壊に来る。今は中世なら蛮族侵入サイクルに入ってるのかも知れん。
日本から見れば今の中韓は蛮族側・新モンゴル帝国だろう。大体、70年が一つの時代か。
モンゴル以後もインドと中東は基本スタンスをあまり変えなかった。しかし欧州では魔女狩り、中国・朝鮮では閉鎖的な朱子学の方向性が強まった。
ここで一つモンゴル侵入やペスト、凶作など同じ事が起きてもアジアであまり魔女狩り、植民地主義が起きる気はしない。
欧米侵略まではアジアは全く内向きだった。欧米の影響でアジアでは外向きになるグローバル思考革命が起きた。

664 :世界@名無史さん:2012/11/05(月) 22:46:52.76 0.net
暗殺団を壊滅させたのは、マジで凄いと思うわ。
モンゴル異常すぎる。


665 :世界@名無史さん:2012/11/06(火) 13:03:34.53 0.net
アサシンかっこいいよ
アラムート山城まじ燃える
ハイヤームとも関わりがあったし
文化の香りもあったのに・・・

666 :世界@名無史さん:2012/11/06(火) 13:05:26.03 0.net
カスピ海の南岸にひっそりとあいた空白地帯・・・

そう、そここそが伝説の暗殺者教団の秘密基地なのである!

667 :世界@名無史さん:2012/11/06(火) 13:10:11.79 0.net
知らぬ間に666取ってたw
怪しいレス番で怪しいレスをw

668 :世界@名無史さん:2012/11/07(水) 23:30:57.18 0.net
>>660
それを野蛮人というんだよ。
どんな野蛮にも理屈はある。ホモサピエンスの知能を持っているのだから。
大体その頃キリスト教なんて存在として大した意味を持っていない、と思っている。
文化として意義があるのはギリシャでありローマであり、
そのローマを乗っ取って内部から滅ぼしたのがキリスト教。

669 :世界@名無史さん:2012/11/08(木) 01:34:14.84 0.net
中世ヨーロッパがギリシャの学術文芸を学んだ書籍はアラビア語で書かれていたというが。


670 :世界@名無史さん:2012/11/08(木) 13:33:37.44 0.net
>>669
アッバース朝がギリシアの学術文芸を継承してるんじゃなかったっけかな

671 :世界@名無史さん:2012/11/08(木) 20:05:00.74 0.net
モンケ汗はギリシャの幾何学を西欧の宣教師ではなくイスラムの学者から教えられている

672 :世界@名無史さん:2012/11/09(金) 07:19:55.78 0.net
ギリシャの学術よりキリスト教に興味を持ったけど

673 :世界@名無史さん:2012/11/20(火) 15:04:42.38 0.net
スレ過疎ってるね
モンゴル帝国なんて所詮は日本に負けた国

674 :世界@名無史さん:2012/11/20(火) 16:02:42.74 0.net
だが最も白人女を多くレイプした国

675 :世界@名無史さん:2012/11/20(火) 16:19:58.00 0.net
レイプした白人女の数ならモンゴルよりもフン族やマジャール人の方が多いだろ

676 :世界@名無史さん:2012/11/20(火) 18:34:28.71 0.net
まあ お下品な話ですこと

677 :世界@名無史さん:2012/11/26(月) 09:14:36.41 0.net
http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211180001/

678 :世界@名無史さん:2012/11/30(金) 16:41:43.39 0.net
>>660
>女には理性がない、だから殺すべきと
「魔女狩り」の魔女はあくまで訳語であって
男も魔術を使ったとされて大量に殺されてるんだがw

679 :世界@名無史さん:2012/12/01(土) 00:27:18.66 0.net
>>678
正解。
魔女狩りもあったけど、対抗権力者とか
金持ちを告発して、利益を得る者とか居てたらしいね。
女も犠牲になったけど、男も犠牲になってる。

680 :世界@名無史さん:2012/12/01(土) 15:55:51.71 0.net
チンギスハーンは数多くの女をレイプしまくった。今も世界の200人に一人は彼の血を引いてると昨夜のヒストリーチャンネルでもやってたぞ
敵の妻や娘を奪うのが楽しみだったんだそうだ

681 :世界@名無史さん:2012/12/01(土) 16:52:01.39 O.net
ヒストリーチャンネルはヒステリーチャンネル
面白いけど、よくとんでもないこと言い出すよ。

682 :世界@名無史さん:2012/12/01(土) 17:40:25.71 0.net
ヒスチャンはディスカバやナシォジオと違って、dでもプロパガンダ枠だからなw

683 :世界@名無史さん:2012/12/01(土) 22:15:54.56 i.net
モンゴル「勝つたび自称モンゴル系が増えるな」

684 :世界@名無史さん:2012/12/02(日) 05:48:01.79 0.net
>>680
俺も見た。
支配地域のみに民族に関わらずチンギスハンの遺伝子が残されてるっていう。
男のロマンすなぁ

685 :世界@名無史さん:2012/12/02(日) 23:29:46.18 i.net
本当にチンギスの子孫なのか?
確かにモンゴル系だが自称チンギスな野盗や地方軍なんじゃねーの?
チンギスの墓さえ見つからないのにDNAがわかるのか?

686 :世界@名無史さん:2012/12/03(月) 01:02:06.31 0.net
チンギスの墓見つかったらどんなスゲー財宝があるんだろ。始皇帝でさえあんなだからそれよりもっと凄いチンギスは相当なもんだろ

687 :テムジン:2012/12/03(月) 17:10:03.81 0.net
モンゴル高原の地中深くに骨だけ残っている。見つけるのはまず不可能だろう

688 :世界@名無史さん:2012/12/03(月) 22:21:10.90 0.net
帝都も宮殿も残ってないしな
寺院に流用されたんだっけ

689 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 10:17:50.29 0.net
帝都→大都(北京)

宮殿→紫禁城 

690 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 11:27:27.44 0.net
>>689
そっちじゃなくてカラコルムの方

691 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 11:50:16.47 0.net
世界一の虐殺、強姦、破壊した男がモンゴルでは英雄。
柔道の鈴木刑事はチンギスカン杯てのに優勝したこともある。

韓国は征服されて元寇に駆り出されたが謝罪と賠償を求めないのか?

692 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 13:13:11.57 0.net
>>691
求めるわけ無いだろ
日本侵攻を提案した側なのに

693 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 13:26:16.01 0.net
高麗がやったことでしょ
国が違うからいいんじゃない

694 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 17:10:18.52 0.net
秀吉の朝鮮出兵も韓国じゃないからいいんじゃない

695 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 19:31:43.26 0.net
韓国は日本が皇族に準ずる待遇で保護していた李王家の復位を拒否して
作った国ですw

696 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 00:36:53.77 0.net
李朝は北部閥だから、南部閥の大韓てい国や某韓国とは関係無いなw

697 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 02:44:02.55 0.net
朝鮮(北部起源)と韓(南部起源)、どっちがあの半島にふさわしいんだろうか?

李氏朝鮮を大韓帝国と改めた背景に、三韓征伐を史実としていた大日本帝国の影がちらつく。

698 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 08:50:28.64 i.net
北部の朝鮮だろ
韓国人の妄想国家も高句麗がモデルだろ

699 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 13:25:48.13 0.net
とはいえ、歴史上初めて先進的な水準に至ったのが南韓なのも事実だしな

700 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 16:22:07.72 0.net
元の無茶ぶりに欠陥船だらけとはいえとりあえず数を揃えたり
高麗は当時としては工業力の高い国だったよ
李朝時代には水車を作れない古代水準まで落ちたけどw

701 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 17:34:55.45 0.net
>>700
古代は朝鮮から水車の技士引っ張ってきたりしてるのにな
元寇の船は一級らしいですぜ

702 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 22:37:23.86 0.net
なんで李氏朝鮮ってそこまで文明が衰退したんだ
職人階級の虐殺でもしたのか

703 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 23:21:54.19 0.net
>>702
朱子学、儒学の発達
貧富の拡大
両班(?)と白丁という貴族か奴隷という2元化が原因では?

704 :世界@名無史さん:2012/12/05(水) 23:45:29.10 0.net
ここモンゴルのスレな

705 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 05:20:10.70 O.net
モンゴル弓騎術動画を見たいのですが、欧米か日本の流鏑馬くらいしか見あたりません。
モンゴルではもうやってないのでしょうかね。

見たもので興味深いのは、流鏑馬は三的それぞれ射ますが、
欧米では、一的を前方 正横 後方と三度射ました。

706 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 08:54:08.24 i.net
モンゴルと朝鮮は兄弟ニダ
スレチじゃないニダ

707 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 12:37:49.28 O.net
>>702
ヨーロッパもローマから一旦落ちたじゃん

708 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 13:07:57.02 0.net
>>705
欧米?
ヨーロッパで騎馬で弓なんぞハンガリーくらいだろ

709 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 17:17:01.08 O.net
蒙古人の弓騎兵術が見たいのですが、
モンゴル人民共和国内では現在伝統は残ってないのでしょうか。
YouTubeにてhorseback archery で検索すると、
米国、カナダの弓騎学校、ブルガリアの観光用、日本の流鏑馬等がありますが、
モンゴルは出てきません。

710 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 18:41:58.38 i.net
>>709
確かに見当たらないな
ナーダムの映像ならあるが

711 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 20:40:51.89 O.net
>>710
弓騎兵は廃れた戦術であり、スポーツとしても定着しなかったのだろうな。
弓騎馬が逆光の中向かって来る映像は、ケンタウルスそのもの。
襲撃される側の恐怖心が想像できる。

712 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 21:38:58.56 0.net
>>709
モンゴルは分からないがそのリスト以外にハンガリーのを見た記憶が

713 :世界@名無史さん:2012/12/06(木) 21:49:51.55 i.net
>>712
それカッサイっ言う弓具メーカーヤツだろ

714 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 13:01:28.26 0.net
1241年8月初め、バトゥの命により、モンゴルの先遣隊はオーストリアに侵入
し、ウィーン近くのノイシュタットまで侵攻した。しかし、オーストリア公、
ボヘミア王、その他の君侯、アクレイアの総主教ら率いる強力な合同軍に迎撃
され、退却した。モンゴル勢はそれ以上西方に踏み込むことは出来なかった。
モンゴル vs.西欧 vs.イスラム 13世紀の世界大戦 (講談社選書メチエ) [単行本(ソフトカバー)]
伊藤 敏樹

715 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 13:03:05.55 0.net
ハンガリー王から皇帝に宛てた書簡で、「領土奪還のあかつきには、神聖
ローマ帝国に臣従する」とまで明言して救援要請を訴えると、彼はすぐさま
嗣子コンラートに軍団を委ねて派遣した。同軍団は、タタール勢とその傘下に入ったキプチャック勢の合同軍を迎え撃ち、ドナウ川の一支流河畔で激戦の末に撃退した。
モンゴル vs.西欧 vs.イスラム 13世紀の世界大戦 (講談社選書メチエ) [単行本(ソフトカバー)]
伊藤 敏樹

716 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 13:23:10.28 0.net
>>702
李氏朝鮮の支配階級は蒙古及び満州系で、土着の朝鮮人を収奪の対象としか見てなかったからじゃね?
中南米でスペイン人が原住民支配したのと同じ構図

717 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 18:33:17.04 0.net
モンゴル人の残虐性なら白人の残虐性に対抗できる、唯一ユダヤやアングロサクソンをコテンパンにできる素質を秘めていると信じている
何せあのロシア人を真正面からコテンパンにして屈服させたんだから。

718 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 18:51:40.42 O.net
>>716
李成桂の部下に女真がいたが、
それを持って李朝を征服王朝とみなすのは飛躍しすぎでは
大体、女真語とか使ってないよね

719 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 19:12:29.68 0.net
宮脇淳子の「モンゴルの歴史」によると、
女直人社会は高麗人を奴隷にして、畑や豚の世話をさせてたらしい
でもまあ、満州平野での話であって、朝鮮半島とは関係ないな

720 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 19:55:26.38 0.net
少なくとも15世紀には李朝は女真を夷狄扱いして咸鏡道を奪い取ったりしてたけどな

721 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 20:44:58.81 0.net
>>717 モンゴル人にとって清朝の征服は大日本帝国無条件降伏に匹敵するように思う。
これ以後モンゴル軍が活躍した試しがないように思う。清朝征服前と後では戦前と戦後くらい違うだろ。
あれで世界が変わったと思う。今でもユダヤ・アングロをコテンパンにしてるのはアフガンだな。
モンゴル・トルコ・ブルガリア系は気質が戦後日本の農家にかなり近づいた感じだな。
逆に近代戦の時代でもモンゴル軍が強ければ中国を牽制できるのだが、実態は外蒙古はソ連傀儡で成立で、内蒙古は漢族による圧迫だ。

722 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 21:02:03.99 0.net
>>721
ハルハモンゴルだかオイラート系のジュンガルは清朝支配下のモンゴル統合をしようとして清朝によって絶滅政策で滅亡したからモンゴルより中国人のほうが狂暴だと思う

723 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 21:03:59.20 0.net
>>720
李氏の意識としては自分たちのことを高麗人と考えていたんだろうが、
高麗人から見たらたぶん半分異民族と考えていたんだろう。

724 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 21:15:13.47 0.net
フィギュアスケートのトゥクタミシェワってトクタミシュの血筋なんだろうか

725 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 21:31:30.52 0.net
アジア人の中で最も成功したのがモンゴル人

中国はヨーロッパはおろか中東はおろか中央アジアすら落とせなかった。

726 :世界@名無史さん:2012/12/08(土) 23:06:42.02 0.net
>>725
安西、北庭都護府支配下の驥尾州・都督府として唐代に支配してるだろ。
タラス河畔でアッバース朝に敗れるまでの短い期間だし、李氏も鮮卑系っぽい
けど、李氏は秦の利信に連なる漢族と自称してたわけだからOKってことで。

727 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 03:24:31.83 O.net
オラ、米のめしと日本語がしゃべれれば、それで成功だ。
元の征服欲の動機がわからん。
大陸は、やるかやられるかの世界と言うことか。

728 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 05:00:29.19 0.net
昔なんて大した娯楽もないし モンゴルなんて辺境なら尚更だろう
戦争なら略奪し放題・女犯し放題だからそんな理由じゃねーの

729 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 06:20:38.67 0.net
李氏は女真系で、李氏朝鮮は貴族が女真系から始まり、後に清に服属した後はさらに満州系が上から被さった形。言語的にはフランスを征服したノルマン族がゲルマン語からフランス語に変わったように、朝鮮語を話すようになっただけ。
ただし元々高麗時代も王室貴族ほどモンゴル系の血が強く、高麗王は実質モンゴル人だったこともあり、朝鮮語はモンゴル語女真語満州語の語彙が大量に流入した。

730 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 10:50:55.82 O.net
>>729
朝鮮語に女真語の単語なんかあるのか

731 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 15:09:11.91 0.net
>>725
唐と吐蕃はトゥーラーンを支配してたよ
>>720
その夷狄が、例えば満州から南下した鮮卑や契丹や女真(金)なんかは
半島政権を臣下にしたら、半島そのものは無視して中原へ侵攻するのがふつうだけど
高句麗や李朝は中国王朝の勃興期と重なったから半島に征服王朝建てたんだよな

732 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 15:50:40.92 0.net
最終領土でも半島部分は国土の半分以下の高句麗を半島征服王朝と言っていいかどうか
むしろ百済が半島に亡命した王朝じゃね

733 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 19:06:24.17 0.net
まずモンゴルの何世紀の前の時点で西欧までフン族に荒らし回されている。
モンゴルは東欧どまりだったから、西ローマ帝国を滅亡させたフン族は余計凄いとも言える。
ハンガリーもロシアもブルガリアも、フンやモンゴルなどアジア系遊牧民によって形成された国なんだね。
日本史からイタリア史までアジア系遊牧民侵入で間接的にはつながっているんだ。

734 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 19:13:10.45 0.net
フンはトルコ人だしね

735 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 19:13:57.18 0.net
じゃなかった、最近はモンゴル系に比定する方が多いか

736 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 19:53:28.74 0.net
ハンガリー人はロシア人みたいにアジア人との混血みたいな顔じゃないんだよな。イタリア人とかベルギー人みたいに完全に白人顔
ハンガリーは今から1500年以上前だから白人と混血しすぎて白人化しちゃったのかなあ。ロシアはモンゴル軍のレイプが激しかったのと700年ぐらいしか経ってないからな

737 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 20:55:42.77 0.net
それでも今、ロシアとモンゴルの関係は良好なんだから
世の中っていうか人間の営みってのは分かんねえなあ

738 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 21:43:05.59 0.net
>>736
マジャールの原住地はウラル近辺と昔(モンゴル帝国の時代も)から認識されてるけど
その辺の住民は元々こてこてのアジア人顔だったかどうか。場所的に元々混血してた
かもしれん

739 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 22:31:24.27 0.net
ロシア(白い皮を被ったタタール)

740 :世界@名無史さん:2012/12/09(日) 23:11:33.26 0.net
シュメールやクレタの文明を破壊した残忍なアッカド、アッシリア、ペリシテ、ミケーネ、ドーリアの蛮族ども。
その後に来たのが残忍なチュルク、モンゴル系遊牧民だが、あいつらはもうトルコ、タタール、ブルガリア、モンゴル
と言ったタタール系の国にはいないんだよ。今のトルコ・モンゴル系は善良な田舎者で、
文明を破壊し歪ませる略奪者どもはタタールの侵攻を受けた民族のいる欧米、中東、中国、朝鮮に転移したと思われる。
日本にも日英同盟成立頃には侵入を開始したのではないか。

741 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 08:09:31.11 0.net
史上初の図書館がアッシリアで造られたことについて

742 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 20:28:37.74 0.net
アレクサンドロスの遠征でヘレニズムが生まれたといわれるけど
中東と中国を支配したモンゴルは特に何も言われてないよね

743 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 20:41:14.66 0.net
ヘレニズムは欧州の願望が産んだ妄想だけどな。

744 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 21:05:30.47 0.net
>>743
願望とは美化してるということですか?

745 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 22:10:27.02 0.net
>>742
モンゴル「やっぱ高原がええわ」

746 :世界@名無史さん:2012/12/10(月) 22:39:58.88 0.net
>>742
ソ連、中国、半島、イスラム過激派のDQNオールスターズを生んだ。

747 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 00:25:53.71 0.net
まあ、もともとDQNっぽい気もするけど

748 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 01:31:35.97 0.net
>>744
単にペルシャとエジプトの文明を乗っ取っただけ、って事じゃね

749 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 13:12:06.39 0.net
モンゴル語の語感ってかっこいいーよな。バトゥとかフレグとかジョチとかカンバリクとか。なんで?

750 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 13:21:38.00 O.net
どこが?

751 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 20:59:02.79 0.net
むかし安本美典の統計で確認したけど、
モンゴル語の子音は有声音(濁音)の頻度が非常に高い
あとざっと見た感じ流音(RとL)もよく出てくる
どっちも厨二病ぽい固有名詞には多いからね

752 :世界@名無史さん:2012/12/11(火) 21:27:22.50 0.net
バトゥはカッコイイ名前だな。
実際にヨーロッパで最も恐れられたアジア人だろうな。

753 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 01:36:49.20 0.net
アッティラという先客について

754 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 12:51:44.00 0.net
バトゥって攻殻機動隊のおっさん思い出す

755 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 22:51:09.05 0.net
>>752
だが歴史に詳しくないほとんどの欧米人が
攻めてきたのは実際にはその頃には墓の下のチンギスハーンだと思ってる

756 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 23:43:38.16 0.net
犬の頭の蛮族が攻めてきた!

757 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 00:02:57.68 0.net
チンギスハン在世中もルーシはジュチに任せていて
自らは専らホラズムや西夏攻めに専念。

758 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 00:16:17.25 0.net
チンギスの存命中はジュチもルーシには行ってないんじゃね
確か西方を切り取り次第取れるだけジュチに与えるというチンギスの遺命ということで
西方遠征に出たはず
遺命自体兄を中央から遠ざけたかったオゴタイの捏造かもしれない

759 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 00:40:07.72 0.net
つか、長男のジュチはチンギスより先に死んでいるし。
そもそもジュチはルーシ攻略やってないし。

760 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 00:53:33.26 0.net
チンギス死後のクリルタイで西方与えられたのはジュチじゃないな
バトゥと兄のオルダだ

761 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 03:23:40.73 0.net
ジンギスカンは義経だったらしいぞ

762 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 15:15:21.85 0.net
ジンギスカンは鍋料理じゃね

763 :世界@名無史さん:2012/12/13(木) 18:45:17.50 0.net
アバ

764 :世界@名無史さん:2012/12/14(金) 23:54:03.96 0.net
 
国民党政府がモンゴル帝国を記念し、・・

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/1/111_3.html

国民党政府がモンゴル帝国を記念していることは、

少なくとも、東アジア諸国は、モンゴル帝国の支配が続いていることを意味する。

それは、世界の支配者が全く変わっていないことを意味する。

(仮説を含む)

765 :世界@名無史さん:2012/12/15(土) 00:37:24.49 0.net
モンゴル自治区でチンギスハンの生まれ変わりとするヤギをぶっ殺して食う祭には驚いたな
チンギスの生まれ変わりの設定いるのか?

766 :世界@名無史さん:2012/12/15(土) 01:31:48.18 0.net
日本だったら、天皇の生まれ変わりを殺して食べるようなもんだぞ。
あんまり理解できんな。
まあ、日本でも骨噛みみたいな習慣のあるとこはあるけどさ。
俺はやりたくないな。

767 :世界@名無史さん:2012/12/15(土) 02:45:27.93 O.net
>>765
嘘くさ

768 :世界@名無史さん:2012/12/15(土) 17:20:30.05 0.net
サカとかトルコとかモンゴルとか中国とかフランクとかゲルマンには
高貴な人間を塩漬けした人肉食う習慣あったけど
日本には無いんだよな

769 :世界@名無史さん:2012/12/15(土) 18:36:32.84 0.net
バトゥは西方でいちばん恐れられた東洋人だが、
ジュチはキプチャク周辺でチンギス氏族のブランドとして残り続けたので、
どちらも有名だろう。

770 :世界@名無史さん:2012/12/16(日) 05:19:35.47 0.net
ジュチは極力敵を降伏させようとして時間をかけた為に
チンギスハンの命じた作戦期日に遅れることがしばしばあった。

771 :世界@名無史さん:2013/02/04(月) 14:17:16.73 P.net
郭侃の西方遠征の記録って信用できるの?
本当ならモンゴル軍が地中海でも渡海作戦やってたことになり、結構大事だと
思うんだけど、真面目に研究した人いないのかな?

772 :世界@名無史さん:2013/02/04(月) 19:40:29.98 0.net
元史じたい批判の多い書物だけど、はたして…

773 :世界@名無史さん:2013/02/06(水) 20:39:35.58 P.net
何故世界史上最大帝国のスレが過疎る?

774 :世界@名無史さん:2013/02/08(金) 00:41:45.74 0.net
クビライが内部闘争を始めたおかげでカーンの権威が薄れ
モンゴル内の分裂が始まったんじゃないの?

775 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 04:45:04.53 0.net
始めたも何も内部闘争自体はクビライ以前にもあった。
クビライが宗族を取りまとめることが出来なくなったから分裂傾向が顕著になっただけ。

776 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 07:20:09.92 0.net
モンゴルは末子相続が基本だがなぜそうなったか?
それは古来よりモンゴルでは花嫁強奪が盛んに行われた事に依る。
あのチンギスハンの母親も強奪された花嫁だし、チンギスハンの花嫁も強奪された事がある。
そうなると最初に生まれた子は必然的に前の夫の子の可能性も出てくる。
それが跡継ぎ争いの原因にもなりかねないので、確実に現在の夫の子である末っ子に相続させるようになった。

777 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 13:04:15.62 0.net
チンギスハンって蒼き狼の男系子孫じゃないよね
アランゴアの前夫が死んだあとに太陽光ではらんで産んだ息子の子孫だから

778 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 16:47:49.87 0.net
>>776
遊牧民は世帯密度を上げられないから
成人した順に分家もしくは独立させるのが一般的だった
んで、最後に相続権残ってるのが末子

779 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 18:47:38.39 0.net
>>776
ドヤ顔でデタラメを語るバカ
子供が十月十日で生まれる事くらい中世の遊牧民どころか古代人や未開人でも知ってる
たまたま一発やった直後に拉致でもされない限り自分の子供かどうかなんて一目瞭然だw

780 :世界@名無史さん:2013/02/10(日) 21:34:34.63 0.net
>>776の奥さんがNTRとか

781 :世界@名無史さん:2013/02/11(月) 01:25:24.08 0.net
キリスト教徒の方が数百倍は殺してる。
宗教やってるやつなんて原始人以下だと思うが。
どれだけ頭がいかれてるか想像つかないか。

782 :世界@名無史さん:2013/02/11(月) 05:01:41.44 0.net
キリスト教の大義に基づく異教徒・未開人の聖絶なのでOK。

783 :世界@名無史さん:2013/02/11(月) 21:34:28.83 0.net
クビライって無能だよね

784 :世界@名無史さん:2013/02/11(月) 22:12:22.52 0.net
つまりクビライに征服された南宋はそれ以下に無能だということですね。わかります。

785 :世界@名無史さん:2013/02/12(火) 00:02:26.28 P.net
ということは南宋征服できなかったオゴデイとモンケは更に無能だし、
そのオゴデイとモンケ時代の西征で蹂躙された東欧と中東は最低の無能ってこと

786 :世界@名無史さん:2013/02/12(火) 00:14:02.86 0.net
敵を褒めて自分を上げるよりも自分を下げて敵も引き摺り下ろすほうが
2chらしいのかもしれんのう

787 :世界@名無史さん:2013/02/12(火) 23:49:28.49 0.net
モンケが四川や雲南を蹂躙する前になす術の無かった南宋について

788 :世界@名無史さん:2013/02/15(金) 20:25:14.19 0.net
チンギスって義経だよね

789 :世界@名無史さん:2013/02/27(水) 19:14:02.63 0.net
平均気温:ウランバートル=モントリオール

790 :世界@名無史さん:2013/03/04(月) 14:36:59.34 0.net
>>781
もう自己犠牲精神に基づく欧米人の自己批判には飽き飽きだお
精神へのダメージの大きさを考えると蒙古の残虐さは宗教の比では無いお

791 :世界@名無史さん:2013/03/04(月) 14:46:04.21 0.net
人命尊重のうすっぺらい人道主義で歴史を断罪するなんて愚かだよねえ全く
でも言ってることとやってることの不一致についてはキリスト教徒の理不尽さは群を抜く
クリスチャンでなくてほんとよかったわw

792 :世界@名無史さん:2013/03/04(月) 15:18:57.61 0.net
でも結婚式は教会でします

793 :世界@名無史さん:2013/03/04(月) 23:29:01.02 0.net
そもそも女性や子供、非戦闘員が犠牲になる事を問題視し出したのは二度の世界大戦以後だろう。
古代・中世では敵は殲滅するのが当たり前。生かすなら全員奴隷にする。
情けをかけたら後に反抗する可能性があるからティルスもカルタゴも綺麗さっぱり破壊し尽くした。
敵に戦闘員も非戦闘員もない。パックスロマーナは殲滅によって成ったのだ。殺らねば殺られる。
それが良い事なのかは分からないが、古代世界で奴隷になってないのに生かされるのは理解できないだろう。

794 :世界@名無史さん:2013/03/04(月) 23:48:55.84 0.net
そこまで拗れる前に方が付くことも多いからなあ
ローマにしてもモンゴルにしても全部殲滅したわけじゃない
そこまで何でもかんでも殲滅するのは能力的に言っても難しい

795 :世界@名無史さん:2013/03/05(火) 11:03:20.30 0.net
誇張もいっぱいあるだろうしな
モンゴル軍なんて行く先々で100万人皆殺しとか
どこまで信じていいのかわからない

796 :世界@名無史さん:2013/03/05(火) 15:11:00.15 0.net
都市を攻略するのにカレーズ(カナート)を破壊したのが恨みの種になってるらしいね
生命線から断ったやり方が酷い、と
現地の戦争でもそこだけは手を付けないような暗黙の了解があったんだろう

797 :世界@名無史さん:2013/03/06(水) 07:23:43.82 0.net
>>795
異民族が攻めてくるのは異様な恐怖心をあるし

798 :世界@名無史さん:2013/03/15(金) 16:00:20.60 0.net
モンゴルって各国を征服したけど文化への影響が少ないよね。
アレクサンドロスはインドまで征服したけど、そこにヘレニズム文化が根付いた
同じ征服でもこの違いは大きいと思うの

799 :世界@名無史さん:2013/03/15(金) 16:50:31.05 0.net
モンゴルって各国を征服したけど文化への影響が大きいよね
ロシア、中国の文化や政治風土に与えた影響は正負両面で大きい
CIS諸国も行政や司法を含めて完全にトルコ語圏になり、文化の中心も都市から郊外へ移った。
アレクサンドロスはパキスタンを征服したけど、そこに何の文化も根付かなかった
同じ征服でもこの違いは大きいと思うの

800 :世界@名無史さん:2013/03/15(金) 23:53:22.49 0.net
モンゴル高原をモンゴルにした、これが最も手堅い影響かな

801 :世界@名無史さん:2013/03/16(土) 00:06:27.78 0.net
モンゴルって室韋時代だと内モンゴル自治区と吉林省の境目付近にいたみたいな

802 :世界@名無史さん:2013/03/16(土) 00:22:47.63 0.net
鮮卑も契丹も本貫はその辺じゃね

803 :世界@名無史さん:2013/03/16(土) 01:28:57.17 0.net
モンゴル語圏は仏教圏になったかというとそうでもないね
カルムイクのような例を除いて

804 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 20:28:15.82 0.net
>>803
モンゴルが仏教に執着し始めたのは後世ですし
オイラート、ジュンガルがチベットを掌握してから話で

805 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 06:41:16.34 0.net
フビライは仏教を支持してたの?

806 :世界@名無史さん:2013/06/25(火) 21:20:50.56 0.net
ふと今のモンゴルがパッとしないのは

中原(中国)の領土を失ったのもそうだけど
産業革命の影響で
海を持つ国が通商国家ないし工業国として飛躍し易くなって
海を持たない大陸国家、特に内陸国の地位が相対的に低下したのもあるのかな

807 :世界@名無史さん:2013/06/25(火) 21:48:40.78 0.net
人口も資源も少ないのに何言ってるんだおまえわ

808 :世界@名無史さん:2013/06/25(火) 22:18:53.76 0.net
所詮騎馬民族優位時代になりあがっただけの単なる蛮族だからな
絶頂期に何らかの文化的・技術的・科学的成功を収めてれば
多少パッとしていたかもしれんな

809 :世界@名無史さん:2013/06/26(水) 01:24:48.39 O.net
今日はモンゴルの横綱を決める日か。

810 :世界@名無史さん:2013/06/29(土) 18:41:08.31 O.net
古代(or古代的な価値観)の英雄ってのはそういうものなんでしょう。
それにそういうのって自国では「誇張されてる、実際はもっと良かった」ってなりがちだし。

スターリンの故郷ではスターリンを評価する人もいるらしいし、まあ皆がそうじゃないだろうけど。

811 :世界@名無史さん:2013/06/29(土) 19:01:56.93 0.net
チンギス統原理は世界のほとんどに影響を及ぼしてるんだが。
モンゴルが無ければ今の中国もロシアもキリスト世界も無い。

812 :世界@名無史さん:2013/06/29(土) 19:18:43.73 O.net
誤爆した…

813 :世界@名無史さん:2013/06/30(日) 20:23:48.53 O.net
個人的に好きなモンゴル元首はブンツェンド同士(1883〜1953)

814 :世界@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN 0.net
幸霊(さきみたま) 奇霊(くしみたま)祓(はら)へ 給(たま)へ 清(きよ)め 給(たま)へ 守(まも)り 給(たま)へ
幸(さき)はへ 給(たま)へ 照(て)らし 給(たま)へ 導(みちび)き 給(たま)へ
   ◇       ミ ◇
   ◇◇   / ̄|  ◇◇
 ◇◇ \  |  | ◇◇
    彡 O(,,゚Д゚) /
       (  P `O
      /彡#_|ミ\
       </」_|凵_ゝ
>>1ポニテryアイスラッガーngバギクロスryヘッヌンがボ!
縁起物おいときますね。
閑吟大勝利w
ネトユヨ涙目w

815 :世界@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN 0.net
同じ大帝国でも、イギリスと破格が違いすぎる
所詮スペインやロシアと同格の二流帝国

816 :世界@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN 0.net
モンゴルの覇権は200年、英帝はたった150年

817 :世界@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN P.net
オルドバリク

818 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 22:28:11.19 i.net
杉山はいつになったら集史の日本語訳を出版するの?

819 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 23:00:16.47 0.net
自分がエバれる虎の子のタネ本を訳すもんか!と言えば正解?

820 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 23:59:12.43 0.net
タネ本を訳すもんか!→まちがい

ペルシャ語も中世モンゴル語も読めにゃい→正解

821 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 18:59:19.64 i.net
杉山が訳さないなら他の研究者が訳すわけにはいかないの?

822 :世界@名無史さん:2013/09/17(火) 21:48:10.64 0.net
末子相続の風習はヘロドトスのスキタイの記述に既に出ており
モンゴル特有というより遊牧民の一般的な風習ではないのか

823 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 23:17:14.15 0.net
1241年8月初め、バトゥの命により、モンゴルの先遣隊はオーストリアに侵入
し、ウィーン近くのノイシュタットまで侵攻した。しかし、オーストリア公、
ボヘミア王、その他の君侯、アクレイアの総主教ら率いる強力な合同軍に迎撃
され、退却した。モンゴル勢はそれ以上西方に踏み込むことは出来なかった。

またハンガリー王から皇帝に宛てた書簡で、「領土奪還のあかつきには、神聖
ローマ帝国に臣従する」とまで明言して救援要請を訴えるとw
彼はすぐさま 嗣子コンラートに軍団を委ねて派遣した。同軍団は、タタール勢
とその傘下に入ったキプチャック勢の合同軍を迎え撃ち、ドナウ川の一支流河
畔で激戦の末に撃退した。
モンゴル vs.西欧 vs.イスラム 13世紀の世界大戦 (講談社選書メチエ)
[単行本(ソフトカバー)] 伊藤 敏樹

824 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 23:54:36.78 0.net
こんな妄想で金貰えるんだから楽な商売だよな

825 :世界@名無史さん:2013/09/25(水) 11:46:12.64 0.net
バイト

びーるうまい

中生ドライブ

仕事オマエラ

826 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 03:42:04.95 0.net
>>821
中性ペルシャ語に堪能な学者なら可能だろうけど、
そう言う学者はそもそもモンゴル史に興味は無いと思う
よって日本で翻訳される可能性は今後の低いだろうな
もっとも杉山みたいな吹聴と嘘騙りを平気でやるようなのが
モンゴル研究学の権威とかって言われてるようじゃ今後の日本のモンゴル研究もタカがしれてる
杉山の嘘もどんどんメッキが剥がされてきつつは有るけどな

827 :世界@名無史さん:2013/09/27(金) 23:43:08.12 0.net
集史の英訳とか独訳とか露訳とかはあるんでぃすか?

828 :世界@名無史さん:2013/09/28(土) 00:27:09.91 0.net
露訳と中訳はある、英訳もあるんじゃねーの?知らんが

829 :世界@名無史さん:2013/10/01(火) 19:55:26.07 0.net
>>781
インディアンの虐殺のことを言ってるなら、それはモンゴルがペストをばら撒いたせいでしょ
十字軍ならそれこそモンゴルのイスラム虐殺とは比較にならない

830 :世界@名無史さん:2013/10/04(金) 18:55:03.75 P.net
>>781
お前みたいな世界史を客観的に見れない嫌白人バカはニュー速に帰れって
どうせお前の世界史は1500年からしか始まってねえんだろ

傑作ドキュメンタリー、未来への遺産でも見てみろよ

831 :世界@名無史さん:2013/10/04(金) 22:53:24.60 0.net
つまり博愛の白人キリスト教徒マンセーですねw

832 :世界@名無史さん:2013/10/04(金) 22:57:52.31 0.net
基督凶徒は奴隷売買と虐殺がお仕事だよねw

833 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 00:19:23.36 0.net
でもそれは神御名の下の異教徒の聖絶なのですw

834 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 02:29:32.25 P.net
>>831ー833
>つまり博愛の白人キリスト教徒マンセーですねw
言っても無駄だろうが人類史を勉強しろよ
殺戮と破壊の歴史だ

日本人だろうが中国人だろうがスペイン人だろうがイギリス人だろうがマヤ人だろうが
やってきたことは同じだ、規模が違うだけだ

まあこういってもてめえらは欧州人だけが悪人だろうというんだろうが
バビロニア人やモンゴル人や中華人やローマ人やペルシャ人が生存競争の中で
同じようなこと繰り返してきたということを理解できないんだろうな

835 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 03:01:07.74 0.net
いえ、だから欧州キリスト教徒こそが世界の光であり
暗黒の異教徒どもから世界を救うメシアなのですw

836 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 08:40:05.54 0.net
世話になった人間が死んでも
悪魔崇拝にイエスの罰が下ったと言い放つゴミ屑だからなw

837 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 11:43:44.59 0.net
人類史は殺戮と破壊の歴史だ。その通りだ。
その歴史は途切れることなく現在に至ってるわけだが。

838 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 16:57:40.07 0.net
誰がなんと言おうと正直白人キリスト教徒って好きじゃない
特にスペイン人

839 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 17:19:39.00 0.net
アッティラやチンギスハンは男を殺して女を奪えと
公然と欲望を掲げて虐殺・略奪するが
神の博愛だのと偽善ぶって虐殺するのが西欧キリスト狂徒
正直なジャイアンか
偽善的なジャイアンだったら
まだ正直なジャイアンの方がまし

840 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 19:23:30.65 0.net
>>838
スペイン人でさえ英国人よりは遥かにマシ

841 :世界@名無史さん:2013/10/06(日) 00:01:18.97 0.net
アンチキリストの人々は
そいつらと中国人と朝鮮人とかと比較してみろよ
あるいはアフリカの黒んぼとか

世の中にはマシな人間はいないんだ

842 :世界@名無史さん:2013/10/06(日) 01:05:55.84 0.net
英国人に比べると中国人は文明的で開明であり
穏健柔和な紳士と云える

843 :世界@名無史さん:2013/10/06(日) 07:52:32.13 0.net
キリスト狂徒は地球規模で欲望を博愛の偽善で覆い隠して虐殺を働いた
中国人も全くしなかったわけではないが
西欧ほど他国の他民族を虐殺はせず寧ろ共食いを常としていた。

844 :世界@名無史さん:2013/10/06(日) 18:45:13.12 0.net
>>3 は無茶苦茶言い過ぎだろう
ロシアはもともと遅れた部族制社会だったところにモンゴルが官僚制や様々なシステムを持ち込んだ
ロシアの後年の大国化はモンゴルによって礎を築かれている
元朝の中国でも知識人が言論によって虐殺される事は無かった、皇帝独裁制は宋代に完成しており
知識人を言論で殺すようになったのは明になってモンゴルより程度の低い朱元璋の知識人虐殺以来である
アラブやイランがモンゴル以降、文化的で合理的精神を見失い熱狂と神秘主義的傾向を持ったのは事実だが
これもモンゴル以前から入り込んでいたトルコ系の遊牧部族の影響が直接的には大きいだろう
あと東アジアはモンゴルに関係なくダメ臭い

845 :世界@名無史さん:2013/10/07(月) 00:24:11.81 0.net
モンゴル族の古代的な未開さが原因だから

846 :世界@名無史さん:2013/10/07(月) 01:26:17.85 0.net
古代的で未開なモンゴル族が世界征服できた
というのは単純な見方だな。

847 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 16:15:38.87 0.net
>>840 イベリア人を超える殺戮者はいない。イギリス人が最悪だとしてもイベリア人は最悪だ。
あの殺戮は超えられないだけでなはなく、開拓農民・開発業者VS先住民の不可逆な歴史を作った。
あれ以後「開発」はアフリカ、更に東南・東アジアに拡大して、アジア・アフリカ独立後は
開拓農民・開発業者にアジア黄人やアフリカ黒人も加わり、地球環境を破壊しながら現在進行中である。
熱帯雨林はこのままでは消えるかも知れない。とにかく環境破壊が大規模・地球規模化したのはコロンブス以後であろう。

848 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 19:31:51.07 0.net
イベリア人は現地人の自治を認めていたが
英国人は残らず根絶やしにした
英国人を超える虐殺者は居らず、英国人とその子孫は人類史上最悪の人道の敵である。

849 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 19:47:21.92 0.net
中南米の先住民はほぼ皆殺しですがな
こんな自治を認めていた(笑)

850 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 20:27:23.32 0.net
嘘は駄目だよ、英国植民地と違い皆殺しになっていない。
北米に先住民の混血は殆ど存在せず度重なる虐殺で民族浄化されたが
中南米は今でも住民の数割が先住民の血を引いている

851 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 20:29:02.32 0.net
オマエラ、英西の代理ケンカして誰得なん?

852 :世界@名無史さん:2013/10/08(火) 21:15:41.06 0.net
モンゴルのルーシ支配の寛容さが分かる。
まあイギリス・スペインに比べてだけどw

853 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 06:52:23.54 0.net
>>850
男系先住民の割合なんて数lだから
これは男はほぼ皆殺しにされて
女は犯されて子供を生まされたってだけの話
英国との違いは男女皆殺しにするか、男だけ皆殺しにして女はレイプしたの違いでしかない

854 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 16:26:25.98 P.net
英土人儲は嘘しか吐かない、まるで切支丹宣教師だな。

現在も数千万人居る中南米の先住民のうちY-DNAがアジア由来に属する割合は7割以上
スペイン人は男女とも根絶やしにした英土人やポルト下種と違い多少寛容だった。

855 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 19:41:12.66 0.net
そりゃ先住民の割合ってだけだろ?
5億7000万人いる中のたった数千万人の7割

856 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 20:07:58.69 0.net
で如何にモンゴルのルーシ統治が寛大だったかという結論になるわけだな

857 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 20:37:04.54 0.net
>>855
メヒコや太平洋側諸国のメスチソではほぼ半々、約4000万人と合わせれば
全3億数千万人のうち1億人前後が該当する

ほぼ絶滅させて動物園にしか居ない英国領とは大違い

858 :世界@名無史さん:2013/10/14(月) 21:55:17.97 0.net
新大陸文明も黒人アフリカ文明もある程度まではいい線行っていたが、潰されて潰れたな。
まあ、ユーラシアの影響なしにあそこまで発達出来たのだから大健闘だ。旧大陸より遅れてたのは仕方ない。
それでも馬が伝わるのがもっと早ければ北米にもモンゴルやオスマンに匹敵する大帝国が出来、
文明の発達・伝播もより早く、より広大になっていただろうな。北米史の先住民の記録には白人に劣らぬ知性が感じられた。

859 :世界@名無史さん:2013/10/15(火) 10:28:00.73 0.net
まぁユーラシアの人口や先にユーラシアのほうが人が何時いて
北米のほうは当然あとからだっただろうから
そういう移住した後に住み着いた時間や人口を考えたら
ユーラシア諸民族のほうが文明の発達という観点で視たら圧倒的に有利だよね

860 :世界@名無史さん:2013/10/15(火) 11:46:06.29 0.net
旧大陸で農耕始める前の話だしその点はそこまで影響してないんじゃない、1万年以上前にはチリにまで到達してるし
単純に、多様性(植物・家畜動物・人間集団自体も)に恵まれてなかったんだろう、相対的な話だけどね
決定打は、病原体の源となる家畜に触れ合う機会が少なく、またほぼO型というのが顕著だが遺伝的な拡がりの少ない点
新大陸先住民のHLA(白血球抗原)タイプは種類が限られ、未知の伝染病拡大を防ぎにくかったので勝ち目はなかった

861 :世界@名無史さん:2013/10/15(火) 13:16:53.89 0.net
旧大陸で農耕が始まるまで8万年掛かってるんだけどな

862 :世界@名無史さん:2013/10/15(火) 13:46:23.53 0.net
氷期が終わって間氷期になったことがターニングポイントなんでその前の7万年はほぼ関係なし

863 :世界@名無史さん:2013/10/18(金) 01:54:23.01 P.net
アメリカ大陸は疫病が圧倒的な原因だろ
それと時代背景を考えたら、まさに弱肉強食の時代だろ
日本でも戦国時代は戦争と殺戮を繰り返した

864 :技術・経営ノウハウの拡散 (スピルオーバー)効果:2013/10/25(金) 04:01:33.89 0.net
養豚所で消費減税なるもののスレが立ったが元で導入されたらどうなっていただろうか?

865 :世界@名無史さん:2013/10/31(木) 23:41:32.02 0.net
最近知ってびっくりしたことスレがなくなったので、こちらに・・・
ザナドゥ(キサナドゥ): 元の上都(シャンドゥ)がマルコポーロの『東方見聞録』に記録され、それが後に桃源郷扱いされたもの

866 :世界@名無史さん:2013/11/01(金) 07:56:03.20 0.net
ロシア語で中国を指す「キタイ(キリル文字はぐぐってちょ)」という言葉も
地図か何かが中途半端に伝わったのが由来だと宮崎市定のどれかで読んだが
あれはモンゴルの前じゃろか後じゃろか

867 :世界@名無史さん:2013/11/05(火) 00:36:04.31 0.net
>>866
キタイは契丹で遼。王族は耶律氏。金が興って×。その後モンゴル興って金が×

868 :世界@名無史さん:2014/04/25(金) 18:32:33.64 0.net
>>34
>降伏した敵を一般住民まで最前線に立たせて
>己の楯にするなんて現代人の思考と言われようが吐き気がする。

支配したばかりの国の民を尖兵にするって大河ドラマでもよく見かけるし
レッドクリフでも魏軍がやってたし史実ではどこの国でも当たり前にやってることだと思うんだが
何でモンゴルだけ口を酸っぱくして叩いてる奴が居るのか不思議

869 :世界@名無史さん:2014/04/27(日) 21:09:30.63 0.net
モンゴルの場合はずっと奴隷兵やらされる処が違うかな
そのせいで反乱が多いんだけども

870 :世界@名無史さん:2014/05/25(日) 11:36:40.82 O.net
別にモンゴル「だけ」叩いてるとは限らんでしょ

871 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 13:05:25.13 0.net
ワールシュタットが目立って、
モヒの激戦が目立たないのはなぜでしょう

872 :世界@名無史さん:2014/10/13(月) 15:27:26.78 0.net
ドイツだから

873 :世界@名無史さん:2014/10/13(月) 15:42:37.00 0.net
ドイツ史学とドイツパワー。ハンガリー史学が勝てるわけがない。

874 :世界@名無史さん:2014/10/13(月) 17:15:49.63 0.net
中央アジアをモンゴロイド化したのが大きいね、人類学的には。

875 :世界@名無史さん:2014/10/13(月) 19:23:20.72 0.net
中央アジアに純血の人種なんて昔からいる訳ないだろいい加減にしろ!

876 :世界@名無史さん:2014/10/13(月) 19:49:55.88 0.net
朝鮮半島は濊貊族と倭人と漢人と女真人と韓族と海胡の混血地帯だしな
日本人は純血の人種だけど

877 :世界@名無史さん:2014/10/30(木) 19:50:43.15 O.net
もしモンゴル軍がヨーロッパを制服してたら白人女はみんなレイプされていたんでしょうか?

878 :世界@名無史さん:2014/10/30(木) 21:23:58.96 0.net
東西交流の活発化で世界的に疫病が蔓延
おかげ俺らは抗体をたくさんもってる

879 :世界@名無史さん:2014/11/08(土) 01:22:27.82 0.net
通史でモンゴルまできたけど、やっぱりガッカリだった
みんな思うことは一緒なのねw

880 :世界@名無史さん:2014/11/08(土) 02:16:07.01 0.net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

881 :世界@名無史さん:2014/11/08(土) 19:47:44.61 0.net
>>877
秀吉軍が朝鮮女をみんなレイプしなかったからしないんじゃないか?

882 :世界@名無史さん:2014/11/09(日) 01:57:52.55 0.net
チンギスレイプ魔論は、
血統の正当性で争うチンギス統の東洋文化を、
原始的と揶揄する為の差別の論理。まともに聞く話じゃない。
日本の天皇とか源氏血統も西洋の独善主義者からみればレイプ魔の系譜。

883 :世界@名無史さん:2014/11/20(木) 10:33:13.83 0.net
日本人のほとんどがレイプつながりだし

884 :世界@名無史さん:2014/12/20(土) 01:35:41.41 0.net
♪ジン、ジン、ジンギスカーン
https://www.youtube.com/watch?v=ol50CA0WQEk

885 :世界@名無史さん:2015/05/27(水) 21:55:21.29 0.net
近親相姦は偉大な朝鮮の文化だよ
兄弟のようにソックリ顔が多いのも納得だね

886 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 07:38:26.71 O.net
軽装騎兵の軍事力最強

887 :佐藤光@新潟市江南区西町2-2-12:2015/08/05(水) 07:39:35.03 O.net
モンゴル人は腰抜け

888 :世界@名無史さん:2015/08/05(水) 13:38:59.85 0.net
万年奴隷のオカマグック猿

889 :世界@名無史さん:2015/08/05(水) 19:24:00.04 0.net
>>866
キタイはモンゴル人が華北をよんだ地名。華中華南はマンジ。
当時の華北は契丹人・女真人・渤海人・高麗人・トルコ人が住んでたので
契丹で代表させただけ。

890 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 00:11:22.96 0.net
モンゴルに支配された地域は例外なく停滞し、
支配されなかったヨーロッパと日本が台頭するきっかけになった
恐竜が絶滅した後で哺乳類が発展したのと同じ

891 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 08:47:59.42 O.net
タタールの軛

892 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 17:46:32.77 0.net
モンゴルの征服地はその後モンゴル帝国を引き継いで大帝国が繁栄はしたが
文明レベル的にはモンゴル前の時代よりもむしろ退化してる。
特にイスラム圏に顕著で、寛容の気風が消え、厳格主義が幅をきかせるようになっていく。
明も文明レベル的には宋より退化してる。

893 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 22:05:51.18 0.net
結局、アストラハンのあたりにモンゴロイドを定着させただけ

894 :世界@名無史さん:2015/08/19(水) 21:55:37.44 0.net
明って宋より下がったんだろうか?
よくマニュファクチュアとか庶民文化とかが取り上げられるよ

895 :世界@名無史さん:2015/08/20(木) 19:09:24.08 O.net
馬の機動力は偉大だ

896 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 07:44:51.89 0.net
モンゴルなんてのは、野暮ったい遊牧民の集まり、盲目の羊。
チンギス・ハンには、世界一馬鹿な殺し屋集団のリーダーってだけだ。

>>1 世界どころか、何の影響も与えていないよ。

何かさ、アホくさいよ。

897 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 08:14:03.40 0.net
ジンギス・カンは、世界ナンバーワンの性犯罪者集団のリーダーです。

898 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 08:18:31.03 0.net
モンゴル・ギャング団

899 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 09:17:47.07 0.net
>>892
イスラムに関してはモンゴルがカリフ朝廷を滅ぼしちゃったからだよ

900 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 09:23:45.37 0.net
>>892
インドと中国に関してはモンゴル以前と比べて格別劣化した印象はないけど
具体的にどんな?

901 :世界@名無史さん:2015/08/22(土) 15:41:16.71 O.net
北海道でジンギスカンを食おう

902 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 19:55:44.32 0.net
アジュ

903 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 19:56:25.89 0.net
アダチ

904 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 19:57:03.42 0.net
アブドゥッラフマーン

905 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 19:57:39.20 0.net
アントン

906 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 19:58:11.64 0.net
ウリヤンカダイ

907 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 20:28:15.47 0.net
908

908 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 20:28:47.97 0.net
909

909 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 20:29:21.33 0.net
910

910 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 20:29:51.86 0.net
911

911 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 20:30:19.99 0.net
912

912 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:00:22.11 0.net
カイドゥ

913 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:00:58.56 0.net
カチウン

914 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:01:29.39 0.net
キト・ブカ

915 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:02:01.63 0.net
丘長春

916 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:02:32.85 0.net
クビライ

917 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:06:51.43 0.net
仁宗アイユルハリバトラ

918 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:32:56.23 0.net
919

919 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:33:26.45 0.net
920

920 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:33:52.78 0.net
921

921 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:34:17.77 0.net
922

922 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 21:35:22.53 0.net
923

923 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:03:58.12 0.net
元好問

924 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:04:37.03 0.net
ココ・テムル

925 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:05:10.48 0.net
サイイド・アジャッル

926 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:05:42.37 0.net
史天沢

927 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:06:16.41 0.net
ジェベ

928 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:34:25.09 0.net
929

929 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:34:58.83 0.net
930

930 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:35:27.72 0.net
931

931 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:35:57.37 0.net
932

932 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 22:36:27.52 0.net
933

933 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:01:50.71 0.net
ジェルメ

934 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:02:24.76 0.net
シギ・クトク

935 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:02:57.45 0.net
ジブゲン

936 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:03:30.83 0.net
ジャマールッディーン

937 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:04:06.26 0.net
アラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニー

938 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:26:40.48 0.net
939

939 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:27:08.20 0.net
940

940 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:28:48.39 0.net
941

941 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:29:25.19 0.net
942

942 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:29:51.84 0.net
943

943 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:52:55.71 0.net
ジョチ・カサル

944 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:53:28.38 0.net
シリギ

945 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:54:01.57 0.net
シレムン

946 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:54:35.88 0.net
スブタイ

947 :世界@名無史さん:2015/11/13(金) 23:55:04.50 0.net
石抹明安

948 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:29:23.10 0.net
949

949 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:29:59.26 0.net
950

950 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:30:33.08 0.net
951

951 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:31:07.01 0.net
952

952 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:31:42.95 0.net
953

953 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:34:09.40 0.net
恵宗トゴンテムル

954 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:58:49.70 0.net
チュベイ

955 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:59:24.52 0.net
チラウン

956 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 00:59:58.53 0.net
チンカイ

957 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:00:30.53 0.net
テムゲ・オッチギン

958 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:01:07.44 0.net
ナスィールッディーン・トゥースィー

959 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:36:35.61 0.net
960

960 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:37:01.28 0.net
961

961 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:37:25.87 0.net
962

962 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:37:52.21 0.net
963

963 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 01:38:49.11 0.net
964

964 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 02:25:06.14 0.net
ナヤン

965 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 02:25:39.18 0.net
バイジュ

966 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 02:26:12.77 0.net
バイジュ

967 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 02:26:43.03 0.net
バヤン

968 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 02:27:23.24 0.net
ハンクス

969 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 09:44:22.63 O.net
モンゴル万歳

970 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 10:11:30.90 0.net
971

971 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 10:12:07.38 0.net
972

972 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 10:12:44.33 0.net
973

973 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 10:13:18.90 0.net
974

974 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 10:13:56.91 0.net
975

975 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 11:00:02.98 0.net
976

976 :世界@名無史さん:2015/11/14(土) 11:00:29.88 0.net
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