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モンゴルはいかに世界を変えたのか

1 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 11:49:51.01 0.net
語れ。

221 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 18:44:10.88 0.net
ワールシュタットの戦いそのものが捏造という人も居る
歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw

222 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 23:50:34.79 0.net
ワールシュタットの戦いが捏造だったとしても
その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし

223 :名無し募集中。。。:2012/05/12(土) 17:49:20.10 0.net
モンゴル以前にもフン族とかスキタイ族とかいたからね

224 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 00:06:36.31 O.net
モンゴルは日本の
相撲界を制圧しつつある。

225 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 09:54:44.52 0.net
>>221
あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ

226 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 12:58:19.49 0.net
>室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
>って真顔で言ってる

それ出典は? 気になる

227 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 21:46:12.17 0.net
お杉の本ならどれでも似たようなこと書いてあるよ、マジキチ

228 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:10:34.66 0.net
杉山が注目されたのなんって最初の頃だけだろ
当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな

229 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:17:10.33 0.net
お杉はチューオーユーラシア史の権威でしょ
他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw

230 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:41:50.16 0.net
その権威とやらもどんどん化けの皮剥がれてるけどな
今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ

231 :世界@名無史さん:2012/05/14(月) 23:57:09.67 0.net
中央アジアの歴史って部分なら今はウィキペディアじゃなくっても
ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし

232 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 13:56:15.82 0.net
南宋って政治がダメダメなんじゃないの?内部分裂がひどくて女真や西夏やモンゴルの蛮族に対抗できない。
もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。

233 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 15:10:49.31 0.net
南宋はむしろ北宋滅亡後百年以上持ったことを評価してやれよ

234 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 18:55:24.76 0.net
>>227
でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?

235 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 19:48:17.80 0.net
>>227
能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる

勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな

236 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 19:48:48.59 0.net
すまん>>235のは>>234宛てな

237 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:04:11.54 0.net
お杉の話はおいておくとして、日元貿易って実態としてあったの?
交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?

238 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:10:59.93 0.net
それなりにあったよ、南宋代ほどではないけど。
南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?

239 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:12:22.70 0.net
そもそも日元貿易って鎌倉時代にどれだけ行ってたか疑問だし
鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ

240 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:16:04.35 0.net
前期倭寇は14世紀頃ので陳舜臣なんかはこれを
元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど

241 :世界@名無史さん:2012/05/15(火) 20:18:42.76 0.net
>明と違って海禁はしてないから
明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど

242 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 00:52:19.22 0.net
>>227
>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い

詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ

243 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 01:06:04.43 O.net
「元から多大な影響を受けた」って、
それは「中国」の影響じゃないの?

244 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 02:25:54.89 0.net
お杉にとっちゃ元はイコールモンゴルだからモンゴルの影響って事なんだよ
元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ

245 :聖徳太子:2012/05/16(水) 05:24:44.74 0.net
 
朝青龍は生れた時から横綱になることが

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html

横綱になることが決まっていたのだろうか。

誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。

246 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 13:46:51.90 0.net
宋、明の官僚主義が中国の発展を押しとどめた点も大きいのではないか。
中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。

247 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 14:02:20.91 0.net
中国の発展を押しとどめたのはモンゴル支配による破壊や
縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ

248 :世界@名無史さん:2012/05/21(月) 19:31:17.95 0.net
>>247
ブラック企業・整理屋のノリが強い中国では自分がいかに権力を乗っ取るかに関心が高い。
それで内ゲバやってる内にモンゴルやら女真やらイギリスやらに攻め込まれて王朝が滅亡するパターン。
権謀術数を外敵ではなく漢族同士でやって、外敵に攻められる。

249 :世界@名無史さん:2012/05/21(月) 20:27:34.35 O.net
>>242
禅宗は宋代でしょ。
北条時頼が帰依していた=13世紀前半〜半ばには既に日本に定着してただから。

250 :世界@名無史さん:2012/05/25(金) 23:03:07.88 0.net
漢族って近代になってできたものだろ。
民族という概念が発明されたのも日本。

日本に留学してた中国人を革命家として送り込んで漢民族ができた。
漢民族に似たものはあっただろうけど民族という概念が理論家されたのが最近なんだから
あやふやなもの。
1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった。
それも欧米の植民地国家だったから支配者は大変で民衆は国とはつながってなかった。
日本の反植民地運動によって国家意識が目覚めたけど。
中国の革命家や社会主義者がほとんど日本留学生組なのはその為。

共産主義革命と文化大革命によって中国の歴史と文化を全部破壊してやっと漢民族が
支配者になれた。
ウイグル系とかもあれは元はトルコ人だよ。
香港やシンガポールの漢民族もキリスト教徒が支配者のイギリスのコントロール下にある国として
作られた。中国の本土もキリスト教徒は凄く多い。
愛国教会とかそんあ感じの名前なんだけど伝統的な仏教やイスラムは普通に弾圧されてる。
儒教と道教は宗教なのか分からない。道教は日本の神道みたいなもので信仰や神学ではない
民族文化だろうし儒教は日本の儒学みたいに政治学だと思うからどうかとして、
漢民族の宗教といったらほとんどキリスト教徒なんだよ。
信じられないだろ?漢民族の支配者や知識人はマルクス主義かキリスト教徒なんだよ。
欧米の思想で動くんだよ漢民族って。漢民族って中国とは本来何も関係ないんだと思うよ。
あっても断絶されてる。

251 :世界@名無史さん:2012/05/25(金) 23:16:54.13 0.net
中華思想という最狂の思想が健在


252 :世界@名無史さん:2012/05/26(土) 00:29:12.29 0.net
>1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった

満洲族の首長がモンゴルのハーンと中華皇帝とチベット仏教のパトロンを兼任してる国の間違いでは?

253 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 10:54:58.97 O.net
中国語しかしゃべれない満州人の首長

254 :世界@名無史さん:2012/05/31(木) 02:36:51.00 i.net
>>214
第一次ベトナム侵攻 3000名
チャンパ侵攻 2万5000名
第二次ベトナム侵攻 2万名 + チャンパ侵攻軍
第三次ベトナム侵攻 9万3700余名

255 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 01:35:49.14 0.net
ワールシュタットの戦いについてだけど、
双方、数万くらいの戦闘で、欧州軍が大敗したんでしょ。
当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。
例えば、日本の鎌倉武士団と、当時の欧州軍が戦ったらどちらに
軍配があがるでしょうか??



256 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 07:39:23.06 P.net
そりゃ欧州軍が負けたモンゴル軍に鎌倉武士は勝ったんだから当然武士の方に軍配上がるだろ

257 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 13:52:37.60 0.net
武士が向こうに攻めてくんだったら、鎌倉幕府が滅びた時の経緯なんかを見るに
楠木正成みたいに要害に立てこもってゲリラ戦で後方攪乱すれば何とかなるでしょう。

258 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 19:28:52.67 0.net
当時の欧州軍は、そんなに弱かったのか・・・
ワールシュタットの戦いの、絵は、気違いじみた絵だよな。

259 :世界@名無史さん:2012/06/13(水) 19:30:55.12 0.net
民族という概念が発明されたのも日本。

すげー
民族という概念まで発祥捏造しちゃったよw

260 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 00:28:00.36 0.net
元寇のときのモンゴル軍って朝鮮軍と宋兵軍が主体だろ
船の構造が奴隷を輸送する時のような人を詰め込む為の舟だったそうだし


261 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:16:59.42 i.net
>>260
文永の役はモンゴル兵主体だよ
そこに更に旧南宋兵10万人が加わったのが弘安の役のモンゴル軍

262 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:20:27.71 0.net
>>255
>当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
>ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。

それ欧州軍じゃなくてポーランド軍
ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している

263 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:49:12.87 0.net
>>261
旧南宋人の兵は6万、旧高麗人の兵が4万、モンゴル兵は数千人

264 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 01:56:29.12 i.net
>>263
当時の高麗は兵4万も動員できないから
文永の役は蒙漢軍2万5000と高麗軍8000だったと記録が残ってる

265 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 02:26:53.59 0.net
>ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している
バトゥの本隊はオゴダイの死までハンガリー平原に悠々と
居座って役人の任命を行い通貨の発行まで始めていたというが。


266 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 03:05:58.34 0.net
馬乳酒に雑巾の汁入れたり、鎧の裏に画鋲貼り付けたりして
戦ったんだよきっと

267 :世界@名無史さん:2012/06/16(土) 13:35:13.21 0.net
>>265
それはハンガリー軍を倒した後の話
スブタイの別動隊がポーランドからやってきて初めて勝てた

268 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 00:02:44.55 0.net
バトゥは、オゴタイの訃報で撤退しなかったら、大西洋まで
到達していた可能性はありますかね。


269 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 03:05:30.77 0.net
ドイツの森林地帯で弾き返されるとも思うけれども
そのドイツ人を配下にして進軍しそうだな

270 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 10:06:58.53 0.net
>>269
それだともう完全にアッティラのパターンだな。
ガリアまで侵入した頃には遊牧民よりゲルマン人の歩兵の方が多くなってたとか。

271 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 17:42:14.48 0.net
そもそも当時の暗黒ヨーロッパに遠征する価値があったのかと

272 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 18:49:24.83 0.net
素敵なヨーロッパ娘は犯し放題

273 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:03:28.08 0.net
>素敵なヨーロッパ娘
体臭きついし鮫肌だし


274 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:40:06.68 0.net
あんさ273
裏山しい癖に

275 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 19:49:05.55 0.net
バトゥが強かったのは、間違いないですよね。


276 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 00:56:38.31 0.net
>>274
ヨーロッパが昔から先進地だと思ってる馬鹿

277 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:15:35.18 0.net
バトゥとフラグとでは、どちらがGenocideの数はおおいですかね?
フラグもバグダッドを包囲殲滅して一説によると百万人が死んだと
されてますよね。


278 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:45:15.85 P.net
フラグは大都市の多い先進文明圏へ侵攻したが
バトゥのは遊牧民の多い地域と土人が住む未開の地だからな

279 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 02:51:47.79 0.net
当時のバグダッドは、世界の中心とよばれるほど
文明科学が発達してたんでしょ。『知恵の館』とよばれる人類の英知を
集めた場所があったとか。
当時は、暗黒時代の欧州より、遥かに中近東の方が先進国だったんですね。


280 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 09:18:17.48 0.net
アッバース朝の文明的最盛期は8〜9世紀で、その頃だったら欧州は暗黒時代だね。
13世紀になるともうそっちの学問がアラブ語からの翻訳という形で欧州に入ってきている。

281 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 15:12:16.23 0.net
欧州が暗黒期なわけじゃなく、西欧が発展に取り残されていたのであって
東欧にはビザンツ帝国があったろ

282 :世界@名無史さん:2012/06/18(月) 18:33:33.06 0.net
13世紀は、欧州は暗黒時代で
中近東は、最盛期をたもってたということですね。


283 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 01:38:27.91 P.net
>>282
十字軍が侵攻した時既に混乱の極みだったんだから最盛期を保ってたなんてことないだろ

284 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 03:06:15.17 0.net
当時の欧州と比べてら、文化や科学は中近東の方が
発達してたんですかね?


285 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 03:45:20.16 P.net
当たり前だろwww
当時の西欧貴族の子女は乳幼児期や幼年期にバタバタ死ぬのがデフォ

第一回の時分から住み着いて多少文明化した十字軍の諸侯の逸話にも
せっかくイスラム医師に治療して貰い快方へ向かってたのを
後から来た脳筋カルトがフランク式の治療を施して
侍女共々速攻で死んだってのがある

286 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 04:05:50.18 0.net
漢方とイスラム医療が併用できたモンゴル最強

287 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:28:36.94 0.net
>>285
その話が載っているウサーマ・ブン・ムンキズの回想録には
フランク人の医者がちゃんと治した例も書かれている。

288 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:41:19.82 0.net
奇跡みたいなもんだけどな
当時の西欧医学の水準考えたら

289 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 13:52:02.86 0.net
当時はまだどちらも古代のガレノスなんかの理論に基づいてやってた訳だし
西欧でもイブン・シーナを翻訳して医学テキストにしてたんだから似たような状況でしょ。

290 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 17:45:49.11 0.net
モンゴルが世界を変えたのなら倭寇やバイキングだって世界を変えたと言えるんじゃないのか?
残虐性に限ればモンゴル軍がどれほど皆殺しの為の破壊をやろうが古代のフェニキア人もギリシャ人も驚かないが。
南京大虐殺があったかなかったか、慰安婦が商行為かどうかで問題になるのはジュネーブ協定等で
捕虜・民間人の扱いを問題にし始めたからでしょ。西洋ですら奴隷制廃止は19世紀から豪州は20世紀初頭だ。
そんなもん敵の都市なんて古代都市国家間の戦争では皆殺しにした後、都市を徹底破壊して塩を蒔くもんだ。
生き残ったら全員奴隷にするのは当たり前。日本の戦国時代でも老若男女住民皆殺しはあるでしょうが。国宝の寺が燃えたって知らんよ。
近代人はすぐ民間人ガー非戦闘員ガー女子供ガーだ。近代以前は30万殺そうが600万殺そうが関係あるかい。負ける方が悪い。
良かったね。近代以前に原爆や水爆がなくて。古代だったらギリシャ人同士でも平気で使う可能性は高いから。

291 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 18:42:47.55 P.net
>>289
中近東に学べるだけの基礎があったのはシチリアくらいだね
イベリアも1世紀くらい経つと翻訳事業が進み始めるが
独仏英は完全な蛮族の棲息地、医療水準は剰りにも劣っていて比較しようがない。

衛生が酷く支配階級ですら夭折は日常行事だしね

292 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 18:49:47.52 P.net
>>287
ちゃんと治したんじゃなく
酷い治療を施したが患者の生命力により治癒した、が正解

293 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 19:38:18.69 0.net
ワールシュタットの戦いのあの有名な絵を描いた人物は
だれかな?
兵士やら馬やらが混ざり合ったあの異様な絵。
子供の時、偶然見てトラウマになったよ・・・・・

294 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:19:23.04 0.net
>>292
ウサーマはそのようには書いてないが?

295 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:33:05.89 P.net
>>294
医者が肺の病気の女性に健康食を与えていたのに
フランク土人の聖医術師は悪魔祓いの大蒜と辛子をたっぷり食べさせ病状悪化
最後は頭皮を剥ぎ取って頭蓋骨剥き出しにさせ殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。

同じく足に腫物の出来た騎士に塗り薬を塗って膿を出す治療をしていたところ
フランク土人の聖医術師は斧で脚を切断し殺害、無知蒙昧とはまさにこの事。

296 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:44:33.57 0.net
>>268
西欧の都市や城塞は石や焼き煉瓦製だから、かなりの苦戦が予想される。
ロシア東欧の都市の城壁は当時まだ木製だったので、あっけなく陥落した。
旧ローマ帝国領外ライン河以東ドナウ河以北のゲルマンやスラブは、元来
木造建築の文化圏だったが、当時ドイツはかなり西欧化して都市の城壁は
石や焼き煉瓦になっていた。
モンゴル軍は、華北やイラン・イラクなどの日干し煉瓦製城壁の都市を
次々と陥落させたが、シリアや南宋など石や焼き煉瓦の城壁の攻略には
時間を要している。

297 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 20:52:32.63 0.net
>>295
その話の続き

359 名前: >356の続き 投稿日: 2005/08/30(火) 16:13:04 0
しかしながら私は、それとはきわめて異なる彼らの治療の例を見たのだった。

フランク人の王の会計官にベルナルドという騎士がいて、その男は(彼の上に神の呪いあれ!)フランク人の中で
もっとも憎むべき、邪悪な人物の一人であった。一頭の馬が彼の脚を蹴り、そこから病気に感染して四十箇所もの
別々の場所に傷口が開いてしまった。一箇所の傷口がふさがるたび、別の箇所で別の傷口が開く有様であった。
その間ずっと私は彼の堕地獄を祈っていた。そこで彼のところへフランク人の医者がやってきて、脚に塗られて
いた膏薬をすべて落とし、きつい酢で脚を洗いはじめた。この処置によって傷はすべて治り彼は再び元気になった。
彼は再び起き上がって悪魔のようになった。彼らの面白い治療をあきらかにする別の例は次のごとくである。
シャイザールにアブー・アル・ファトフという職人がいて、彼の息子は首にできた瘰癧に苦しんでいた。それの
一部がふさがるたび、決まって別の部分が開くのであった。この男はたまたま私用があり、息子とアンティオキア
にいった。一人のフランク人が少年を見て、父親にその子のことを尋ねた。アブー・アル・ファトフは「私の息子
だ」と答えた。フランク人は彼にいった。「汝は汝の宗教にかけて誓うか。もし汝の子を治す処方を教えても、
汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと? そうすれば、その子を治す処方を教えてやろう」
男は誓いをたてたのでフランク人はこういった。

つぶしていないアツケシソウの葉を燃やし、灰をオリーブ油と強い酢に漬けろ。それで瘰癧を手当てすると、そこに
できていた吹き出物が消える。そこで燃やした鉛をギー油に漬けてそれで彼を手当てしろ。そうすれば治るだろう。

父親はその通りに少年を手当てし、少年は治癒した。傷はふさがり少年は元の健康な状態に戻ったのだった。

私自身、この処方でそのような病に冒された大勢の人々を治療し、病因を取り除くのに成功したのである

298 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 21:06:21.47 0.net
>>296
中国の城壁はモルタル版築で外側だけ煉瓦では?

299 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:12:31.35 P.net
>>298
土に凝固剤を混ぜて固めるセメント版築は雨に弱いから
江南の大都市や開封は明代長城と同じく煉瓦造り

300 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:14:11.79 0.net
アッティラ率いるフン軍がヨーロッパの諸都市を陥落させたのを見ると
モンゴル軍の脅威はヨーロッパの城壁ではなく風土病かもしれない


301 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:35:24.56 P.net
>>297
その話に続きは無いよ
回想録にはその2つの話やその他のフランク人の野蛮な習俗は書かれてるが
フランク人の医者が治療する話は出て来ない
捏造か他の記録をムンキズの名に改竄して作ったか、何にしても虚偽情報。

302 :世界@名無史さん:2012/06/19(火) 22:48:59.99 0.net
>296
西欧の城壁は硬かったということですか。
今までのようには簡単にいかないという・・・
時のローマ教皇に、脅しの手紙を送ったという話が
あるらしいけど、本当でしょうか。
しかし、当時の欧州に、バトゥの本隊を退ける力は、正直なかったでしょうね。。。

303 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:06:57.95 0.net
>>301
回想録の英訳がここで読めるが、ちゃんと両方載っている。
Usmah Ibn Munqidh (1095-1188): Autobiography, excerpts on the Franks
ttp://www.fordham.edu/halsall/source/usamah2.html

304 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:13:56.44 0.net
The lord of al-Munaytirah wrote to my uncle asking him to dispatch a physician to treat certain sick persons among his people. My uncle sent him a Christian physician named Thabit.
Thabit was absent but ten days when be returned. So we said to him, "How quickly has thou healed thy patients!" He said:

They brought before me a knight in whose leg an abscess had grown; and a woman afflicted with imbecility. To the knight I applied a small poultice until the abscess opened and became well;
and the woman I put on diet and made her humor wet. Then a Frankish physician came to them and said, "This man knows nothing about treating them." He then said to the knight, "Which wouldst thou prefer,
living with one leg or dying with two?" The latter replied, "Living with one leg." The physician said, "Bring me a strong knight and a sharp ax." A knight came with the ax. And I was standing by.
Then the physician laid the leg of the patient on a block of wood and bade the knight strike his leg with the ax and chop it off at one blow. Accordingly he struck it-while I was looking on-one blow,
but the leg was not severed. He dealt another blow, upon which the marrow of the leg flowed out and the patient died on the spot. He then examined the woman and said, "This is a woman in whose head
there is a devil which has possessed her. Shave off her hair." Accordingly they shaved it off and the woman began once more to cat their ordinary diet-garlic and mustard. Her imbecility took a turn for the worse.
The physician then said, "The devil has penetrated through her head." He therefore took a razor, made a deep cruciform incision on it, peeled off the skin at the middle of the incision until the bone of the skull
was exposed and rubbed it with salt. The woman also expired instantly. Thereupon I asked them whether my services were needed any longer, and when they replied in the negative I returned home,
having learned of their medicine what I knew not before.

305 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:15:55.62 0.net
I have, however, witnessed a case of their medicine which was quite different from that.

The king of the Franks bad for treasurer a knight named Bernard, who (may Allah's curse be upon him!) was one of the most accursed and wicked among the Franks.
A horse kicked him in the leg, which was subsequently infected and which opened in fourteen different places. Every time one of these cuts would close in one place, another would open in ancther place.
All this happened while I was praying for his perdition. Then came to him a Frankish physician and removed from the leg all the ointments which were on it and began to wasb it with very strong vinegar.
By this treatment all the cuts were healed and the man became well again. He was up again like a devil.
Another case illustrating their curious medicine is the following: In Shayzar we had an artisan named abu-al-Fath, who had a boy whose neck was afflicted with scrofula.
Every time a part of it would close, another part would open. This man happened to go to Antioch on business of his, accompanied by his son. A Frank noticed the boy and asked his father about him.
Abu-al-Fath replied, "This is my son." The Frank said to him, 'Wilt thou swear by thy religion that if I prescribe to you a medicine which will cure thy boy, thou wilt charge nobody fees for prescribing it thyself?
In that case, I shall prescribe to you a medicine which will cure the boy." The man took the oath and the Frank said:

306 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 00:17:28.15 0.net
Take uncrushed leaves of glasswort, burn them, then soak the ashes in olive oil and sharp vinegar. Treat the scrofula with them until the spot on which it is growing is eaten up.
Then take burnt lead, soak it in ghee butter and treat him with it. That will cure him.

The father treated the boy accordingly, and the boy was cured. The sores closed and the boy returned to his normal condition of health.

I have myself treated with this medicine many who were afflicted with such disease, and the treatment was successful in removing the cause of the complaint.

307 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 02:49:57.89 0.net
>>286
中国の城塞はレンガじゃなくて版築だよ
安くて簡単、強度も煉瓦作りより上
メンテに手が掛かるものの土を使ってるから破城兵器にも強い

308 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 07:08:00.99 P.net
城の防御力なんて個別に検証しないと素材だけで単純に測れるものじゃないだろ
モンゴル軍は現地調達に頼っていたから、戦略的重要度の低い城が激しく抵抗するとわりとあっさり諦める
モンゴル側から見れば放置しただけでも、攻め込まれた側は「モンゴル軍を撃退した」ってなるわけで

309 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 14:41:39.66 0.net
日本やベトナム、インドネシアなんかは損害出たら諦めたけど
南宋に関してはあらゆる損害を度外視して落としたからな

310 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 14:42:49.36 0.net
その辺は距離の遠近もあるでしょ

311 :世界@名無史さん:2012/06/20(水) 15:51:16.21 0.net
>>310
西ヨーロッパもまさに遠いだけで旨味がないと判断されるんじゃね
バクダットはどんな損害出しても落としたけど、ダマスカスは一回撃退された
だけで諦めてたりするし

312 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 00:41:09.39 0.net
開封府は北宋朝の頃から三重の煉瓦覆いで堅牢な高い城壁に
包まれていたというけど、60年ばかり金の首都だった中都燕京は
どうだったんだろ? 以前から遼の副首都・燕雲十六州の要衝
だったんだから、そっちも相当に強固な防衛施設が整えられてた
と思うけど。モンゴルの脅威が顕在化してからは特に。

313 :世界@名無史さん:2012/06/21(木) 02:01:37.04 P.net
北京は開封と違って降水量少ないからなあ
宋代絵図見た限り宮城は煉瓦だけど外城は多分版築。
開封の城壁は低いよ、同じ煉瓦造りの平江府より低いし

314 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:31:51.59 0.net
いわゆる俗説モンゴルと

モンゴル史じゃまったく違うからな。

モンゴル前までの各種遊牧部族の歴史
モンゴル崩壊と、ロシアの台頭

にわかれるんだろうけど、モンゴル以降の歴史もだいぶ違うよな。

315 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:36:05.35 0.net
いわゆる俗説モンゴルと

モンゴル史じゃまったく違うからな。

モンゴル前までの各種遊牧部族の歴史
モンゴル崩壊と、ロシアの台頭

にわかれるんだろうけど、モンゴル以降の歴史もだいぶ違うよな。

316 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 04:36:43.04 0.net
そして一般的なモンゴルってのはむしろ衰退期のほうが領土大きいから有名。

同時にモンゴルの歴史は金融しでもある。

317 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 09:38:52.90 0.net
>同時にモンゴルの歴史は金融しでもある。

?

318 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 10:13:35.68 0.net
モンゴロイドが史上最強の帝国を築いたという事実

319 :世界@名無史さん:2012/06/24(日) 23:12:26.50 0.net
世界史はモンゴル帝国からはじまる

モンゴルと手を組んだイスラム商人が世界金融を扱うテクニークの基礎をつくった

それを模倣したのがイタリア商人たちであり、それをさらに発展させたのが
ユダヤ人だな。←いまここ



320 :世界@名無史さん:2012/06/27(水) 01:09:49.32 0.net
とりあえずコンギラッド族とやらの写真かなんか見てみたいな〜
まだその部族が残ってればの話だが
聞くところによるとかなりの美女揃いとのこと

321 :世界@名無史さん:2012/06/30(土) 23:36:02.14 0.net
>>319 ペルシャ、マケドニア、漢とローマ、唐とイスラムの時代じゃないの?
最初の世界帝国はペルシャ 世界史はイランからはじまる

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