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モンゴルはいかに世界を変えたのか

1 :世界@名無史さん:2012/02/03(金) 11:49:51.01 0.net
語れ。

457 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 13:48:12.12 0.net
>>456
実際には次の都市まで移動する間の食糧も徴発する必要があるから量はもっと多くなるけどね。
いずれにしろ、どれだけの規模の軍を運用可能かは、その国の余剰生産量に左右される。
となると食糧生産性の低いモンゴル帝国は、それよりも圧倒的に豊かな農耕民族の中国や日本よりも
小規模な軍を運用するのが精一杯ってことになる。
モンゴル帝国が10万人なんて大兵力を東欧遠征に投入可能だったとは考えられないな。

458 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 18:47:43.19 0.net
モンゴル人の1世帯数人につき平均100頭強の家畜がいた

モンゴル高原から中央アジアまでの広大な領土を持ち
支配機構の整備されていたモンゴル帝国にとって10万人の動員は造作も無いこと
西欧の土人国家と一緒に考えてはダメ

459 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 20:57:52.33 0.net
>>458
で、その10万人の兵站はどうするのさ?

460 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 21:20:06.09 0.net
モンゴル帝国の食糧生産性が低いってのはどっから出てきた話なんだ

461 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 21:34:42.48 0.net
キプチャク平原が兵站の拠点となった。欧州遠征の主力はトルコ系で
モンゴル本国からわざわざ遠征してきたのは2〜3万程度


462 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 22:27:58.18 0.net
>>460
遊牧社会の食糧生産性が農耕社会より低いなんてのは常識レベルの話だと思うが

463 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 23:03:11.49 0.net
>>457
>実際には次の都市まで移動する間の食糧も徴発する必要があるから量はもっと多くなるけどね。

だから行軍路上に倉庫建てて食糧備蓄しとけばいいじゃん。

>となると食糧生産性の低いモンゴル帝国は、それよりも圧倒的に豊かな農耕民族の中国や日本よりも
>小規模な軍を運用するのが精一杯ってことになる。

実際明が元を駆逐して中国統一した頃の、衛所軍に登録された兵士の数なんて120万ぐらいまでいってるよw
ちなみに遊牧民は成人男子のほとんどが騎馬弓兵として戦えるので定住民よりも人口における戦闘員の比率が高い。
逆に中原に進出して元朝を建てた後でも、漢人の軍戸は数軒に1戸ぐらいしか兵士を出していない。

464 :世界@名無史さん:2012/09/06(木) 23:37:02.53 0.net
>>462
モンゴル高原界隈の生産性が低いっつーんなら分かるけど、モンゴル帝国規模になると無論農耕地帯だって囲ってるから
食糧生産性が低いってのが意味わかんね
ホラズム朝支配地域なんてオアシス農業の最たる例みたいなとこじゃないの

465 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 00:10:23.21 0.net
>>462
それは面積当たりの話であって人口当たりの話じゃないよね
しかも人口当たりの戦闘員の数は、募兵制の場合の農耕社会と比べ10倍以上

466 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 18:42:35.71 0.net
日本一国に限っても例えば秀吉の小田原攻めの時は10万近い軍勢を動員してる
初期モンゴル帝国の面積で遠征軍10万って充分少ないと思うが

467 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 07:56:55.10 P.net
>>466
いや、初期モンゴル帝国って面積がデカいだけで動員力は秀吉軍よりショボいから。
チンギス汗死亡時の帝国の総兵力は僅か12万9000人。
東欧遠征に投入されたのは、その12万9000人の中の一部でしかない訳で。

468 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 14:22:22.51 0.net
初期モンゴル帝国とキプチャク遠征した頃のモンゴルは規模が段違いだから

469 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 17:56:02.58 0.net
モンゴル統一時のミンガン(千人隊)の数が95なのにテムジンが死んだときには激減してたのか?

470 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 17:58:38.95 0.net
いや、12万9000人なら増えてるか

471 :世界@名無史さん:2012/09/08(土) 21:46:42.53 0.net
オトラル事件の時のモンゴルの総兵力は25万で
西方遠征に投入された兵力は15万、
ホラズムの総兵力は40万だったが、まとまった指揮系統が無く、
チンギスハンの下で統制のとれたモンゴル軍に各個撃破されていった。


472 :世界@名無史さん:2012/09/09(日) 17:25:04.54 0.net
>>471
チンギス汗死亡時の総兵力か12万9000人なのにホラズム遠征に15万も投入できるわけないじゃん。

473 :世界@名無史さん:2012/09/09(日) 20:40:11.55 0.net
12万9千は総兵力じゃなく千戸隊に編成済みの部隊でしょ

474 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 13:12:11.76 P.net
>>473
総兵力だろ。
チンギス汗の死後、その12万9千を弟たちや息子たち一族で分け合ったんだから。
領土の観念が希薄で財産とは人と家畜というモンゴル帝国にとっては
総財産と言ってもいい。

475 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 13:30:25.51 0.net
ナイマン、西夏、カラキタイ、ホラズム、森林部族などの兵力をどれだけ吸収したかだな。
天山ウイグル王国なんかはすぐに帰順してるし。

476 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 21:57:50.63 0.net
>>475
総兵力12万9000人の内10万1000人は末子トルイが相続。
更にその内の6万2000人が左翼軍で、その中には契丹人1万人、バアリン氏族1万人、女真人1万人、
オイラート族4000人、オングト族4000人が含まれた。

あと、ホラズムは攻め滅ぼされただけで吸収されてはいない。
オゴデイが即位後真っ先にやったことは旧ホラズム領を平定するため3万の兵力を割いて派遣したこと。

477 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 23:12:16.31 0.net
60リットル/雌一頭・一年
馬乳酒4リットル=米三合(江戸時代人の一日摂取1600カロリー)

馬乳酒ベースの必要頭数:雌24頭/年

羊肉30kg/一頭
140kcal/羊肉100g

羊肉ベースの必要頭数:15頭/年

馬肉も食えるので一人あたり馬10頭羊10頭あれば生計が立ちそう。

牧草面積:
羊3頭/草原1ha
馬1頭/草原1ha

つまり一人あたり13ha(350m四方)の草原を確保できれば保持可能。
ステップ植生を草原率25%、20万の軍勢で
300km×300kmの年間移動範囲で維持可能。

478 :世界@名無史さん:2012/09/10(月) 23:34:05.60 0.net
一方定住民

一反=米一石=一人/年 (江戸時代基準)
一反=30m×30mで生活可能

移動?
1俵60kg=400合=4ヵ月移動分
60kgを運ぶのには馬が必要。馬食料7kg/日。800kg/4ヵ月
800kgを運ぶのには馬6頭が必要・・・?

結論:定住民には戦争は出来ない。

479 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 02:20:43.19 0.net
>あと、ホラズムは攻め滅ぼされただけで吸収されてはいない。
>オゴデイが即位後真っ先にやったことは旧ホラズム領を平定するため3万の兵力を割いて派遣したこと。

40万以上いたホラズム軍が3万で鎮圧できるくらいに激減してるんだから
大半は殺されたか降伏したんだろう

480 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 06:13:22.66 0.net
>>477
現実にはあの広大な初期モンゴル帝国で12万9000の兵力が精一杯だったんだぜ
モンゴル帝国の兵力が急増したのは中国など肥沃な定住民地域を征服して、そこの定住民の軍勢が
大量に加わってから
それまでのモンゴル軍なんて精々遠征軍5万程度だろ

481 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 12:58:08.40 0.net
仮に5万だとしても、ほぼ全てが熟練騎兵なら会戦においては相当な脅威だと思うがな。
あとは、それを一体のものとして運用できる組織力+有効な戦術があれば無双できても奇異じゃない。

482 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 17:36:13.46 0.net
ちなみに12万9000人の内、東欧遠征の中核となったジョチ家が相続したのは4000人

483 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 17:47:55.97 P.net
>>476
ホラズム平定の時は千戸に属する本隊の3万とは別に各地で徴募してるんだけどね

484 :世界@名無史さん:2012/09/11(火) 22:42:29.17 0.net
モンゴル帝国の総兵力は、書類上はずっと129,000人
そっからはみ出た兵力がものすごいいる

485 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 07:29:59.15 0.net
モンゴル兵だけではなく契丹兵や女真兵、漢族兵などを入れれば
兵数だけなら軽く20万は超えるだろう

486 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 14:04:40.14 0.net
>>482
バトゥの遠征には各千戸長・百戸長から人質としてハーン家に預けられてた子弟
単なる人質ではなく現代で言えば士官学校生を兼ねてた連中が参加したと言うけど
そいつらはその4000人に入ってないのかな

487 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 21:29:29.90 0.net
ジョチ家の4000人ってお前んとこは最低4000人以上は兵隊出せよって意味も込められてるから、
入ってるっちゃ入ってるし、逆もまた然り。
だからモンゴル帝国軍の兵数ってチンギス死んでからは書類以上に絶対増えてるはずなのに、
いつまで経っても12万9千人。
んで、その増えた中で「10人の内2人を提供しろ」なんて言って供出して、その2人にはさらに従者が数人必ず
ついて回るんだから実態はさらに大勢になっていく。
しかも現地徴発部隊はこれに含まないから、バトゥ軍15万もフレグ軍30万もありえたっちゃーありえたかもしれない。

488 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 22:30:57.47 0.net
モンゴルというのはイスラム過激派でいえばアルカイダのようなものだろう。
アルカイダ以前は色々な過激派がいたが、今はほぼアルカイダ一本になっている。
同様にモンゴルというのはそれまで色々いたスキート・シベリア文化圏にいた遊牧民を一本化した。

489 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 23:48:16.95 0.net
>>487
チンギス汗死亡時の総兵力が12万9000人ってだけで、いつまでも12万9000人じゃないよ。
中国を征服してからは急増してる。
ただ遊牧民の兵数はそれが限界。
もともと少ない遊牧民の人口の4人〜5人に1人を兵数に数えてその数だからそれ以上徴兵しようがない。
バトゥ軍15万もフレグ軍30万も絶対ありえない。


490 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 01:08:13.80 0.net
>>489
戸籍上は12万9千人で、12万9千戸の家が常備軍を形成してるっていう格好。
戸籍は13世紀後半まで軍の兵員名簿として各部族間で共有していたから、チンギス死去までは正確でも、
それ以降増えた分は計算しないのでやたらいい加減だねっていう話。
実数が12万9千人のまま推移したという話ではない。

人口で言えば、オゴタイが1235年に行った人口調査では約100万戸が戸籍登録され、それを仲間内で分配している。
その20年後にモンケがイランのマー・ワラー・アンナフル周辺の人口調査をして約20万戸増加したのでそれも改めて再分配している。
この約120万戸の中には農業従事者も多く含まれるので、何割か引いたとしても男子皆兵の遊牧社会で言ったら、
2、30万人ぐらいの動員なら、あくまで人口だけで言えばありえる話じゃないのっていうだけ。
まぁもちろん、動員可能な数と実際に動かす数っていうのはイコールじゃないってのは念頭に置くべきだけどね。

491 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 01:10:29.59 0.net
当時のモンゴル高原と満州と南シベリアを合わせた推定人口は300万超える

492 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 12:04:37.86 0.net
>>490
オゴタイが1235年に行った人口調査は対象地域が旧金朝なんだから、約100万戸はほぼ全て
定住生活の中国人じゃん。
もちろんその結果モンゴル帝国の総兵力自体は大幅に増加してるけど、増えた兵力が投入されたのは
もっぱら南宋を中心とした東アジアだろ。
キプチャク平原や中東地域に中国人が大量に移住した痕跡なんてないわけで、バトゥ軍やフレグ軍の
増強には繋がってない。

>>461
いや、成人男子皆兵のモンゴル帝国で総兵力12万9000なんだから、4〜5人に1人がが兵になったと
仮定して当時のモンゴル高原と満州と南シベリアを合わせた推定人口は50〜65万人な。

493 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 13:17:05.45 0.net
>>492
あ、ごめん。
1235年のやつは確かに旧金領の人口調査だ、何を書いてるんだ俺は。

書き直すと、チンギスの時代に行った戸籍調査の結果12万9千戸の家が一人ずつ兵を出して、
それが総兵力12万9千人の元ネタになってるけど、その内訳には現地徴発で編成した部隊(タンマは別として)と、
兵一人につく従者が含まれてない。
なのでその後の人口増加分は加味していないから、実際の兵力はチンギス死後いきなり増えてても
別におかしくはないんじゃないのって事だな。
単位は戸なんだから最低兵力が12万9千人以上って話なんじゃないかと思うんだけど。

昔のモンゴルの平均的家族構成知らんから聞くけど、4〜5人に1人の兵士って何を元にして言ってるの?

494 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 13:19:42.09 0.net
>>492
「長春真人西遊記」によると、ホラズムシャー朝が倒された後の中央アジアには
すでに大勢の漢人が来てたようだ。

495 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 18:06:49.88 P.net
>>493
「12万9千戸の家が一人ずつ兵を出して」じゃないでしょ。
「家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした」
結果が総兵力12万9千人。

496 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 18:51:58.59 0.net
>>495
モンゴルについて酷く無知なのに、何故このスレに来てるのかね?

497 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 19:16:14.20 0.net
>>495
いや、あのね、そうじゃなくてさ。
戸≠人なのであって、129ミンガンがそのまんま人になるのはさすがに変でしょうにと言っとるんですよ。
「一族10人につき○人」みたいな感じで召集かけてんだから、その10人の内何人かは予備役って事でしょ。
全部を動員したら生産性が一気に落ちて税負担に耐えられなくなりますがな。

498 :世界@名無史さん:2012/09/13(木) 21:21:27.83 0.net
女真の金相手に戦っていたモンゴル軍の主力は契丹兵でさらに漢人豪族だったという。
これでモンゴルが全軍あわせて15万未満とは考えにくい


499 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 00:55:34.82 0.net
>>497
「家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした」のソースは
『元史』兵一ね。

徴兵や納税を家単位で行うのは中国式。
それに対して人口調査を行い成人男子全てを1000人でミンガンとするのがモンゴル式。
チンギス汗時代の129ミンガンが家単位なわけないでしょ。
例えば1253年からグルジアで行われた人口調査でも、
「彼(アミール・アルグン)は到着すると、報告し、グルジアに進んだ。そこで彼は人口調査を実施し、
住人を千人毎に分けた」(『集史』フラグ・ハン紀)。
この人口調査の対象は、「10歳に始まって、それ以上の人々は、女性を除いて、台帳に記入された」
(キラコス・ガンザケッツィ『歴史』)なわけよ。

あと、モンゴル社会においては、戸=人だよ。
これについては大葉昇一が『モンゴル帝国=元朝の軍隊組織』の中で指摘してる。
モンゴル社会では一族に兵役の対象となる成人男子が2人いれば2戸と数えたということ。

500 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 02:17:29.96 0.net
いいや違うよ、カラコルムから見つかった文書中に
十人長の領有している戸に関する記載があり
1戸を領有しているケースが多く見られるけど
戸=人じゃ意味不明だよね。

自分なりに解釈を編み出すのは悪い事じゃないけど、裏付けは取らないとね
モンゴル帝国の把握単位の基本は軍事面では人だが、戸籍は家

>家に男子15以上70歳以下の者があれば、多少に関係なく全てを集めて兵とした
のは軍戸に属する兵士、民戸と軍戸をモンゴルは区別している

501 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 02:46:19.36 0.net
戸=人が成立するならそもそも旧金領の人口がたった100万人って事になっちまうで・・・
元史には4,754,975人って書いてんのにさ・・・

502 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 05:40:11.01 0.net
>>500
モンゴルにおけるミンガンが家単位じゃないってのは元史兵一で裏付けられてることじゃん。
15歳〜70歳の成人男子は一家から何人でも兵役の対象になったんだから。
モンゴルでは税制だって家単位じゃなく成人男子一人ごとの人頭税だし。
そもそも、129ミンガンが家単位だって解釈の根拠を何も提示してないよね。
裏付けのない自分なりの解釈を編み出してるのはどっちなのさ?

503 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 06:52:58.48 0.net
>>501
モンゴル及び西域諸国と旧金領とでは戸の意味が違う。
モンゴル及び西域諸国では丁(成人男子)一人を以て一戸と為す。
だからチンギス汗の死後行われた129ミンガンの分封も戸=人。
でも、1236年に旧金領の人口調査を行った際に、モンゴル式の「以丁為戸」を漢人には適用せずに
従来からの制度を尊重することになったんよ。

504 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 09:58:32.70 0.net
誰も気にしてないようなので聞くが
「チンギス汗死亡時の総兵力12万9000」についての出典って何?

505 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 13:45:21.73 0.net
>>502-503
兵役を務めたのは軍戸、千戸・百戸・十戸長は軍戸に割り振られた役職分の人数を管轄した。
それらの部民が所有する大多数を占めた大量の奴隷は兵役を負わず
軍系統とは別の徴発官によって家を単位として管理もしくは放置された。

506 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 14:19:18.56 0.net
>>504
ラシード・ウッ・ディーンの『集史』。

>>505
モンゴルでは徴発官による管理も家単位じゃなく人単位だよ。
ソースは、『元文類』 巻五七 中書令耶律公神道碑

「朝臣共欲以丁為戸、公独以為不可。皆曰、我朝及西域諸国莫不以丁為戸。」

モンゴルでは軍制も税制も人単位だったのに、チンギス汗死後の分封が家単位だったわけないじゃん。

507 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 17:31:51.00 0.net
盛り上がってんね

ミンガン所属の兵士は一人一人元の家とは絶縁して独立してるんだから、一人一戸の計算になるのはお言葉の通り
ただ、モンゴル語における一戸ってのは1アイルって事だから、何個かのゲルが集まってるって事になる
当然それを一人で管理してるわけじゃないから、従者だの家族だのが管理をしてると予想され、結果的に見れば
一戸=一家族となっているわけだ
妻と従者は家長の所有物なので人として計算しないけど、中華だとそうはいかなかった
楚材が旧金領では家に対する課税をすべきと進言したのはモンゴル方式だと男子が増えれば増える程課税額が増えてしまうから
家族制度の概念が違うので戸に対する課税に切り替えてモンゴル式と同じにする必要があった

129ミンガン=129の千戸=各戸から一人の輩出で129000人って計算
これはこれですごい確実な計算だと思うけど、限界かと言われると、上述の通り一戸=1アイルなので
こっから人口を逆算するのは、数に入らない捕虜人口と民戸が入ってないから無謀過ぎ

予備役みたいな浮いた人員がどれくらいいたかは推測の域を出ないので、>>506の中の人が言いたい事は一つの道理だと思うけど
家族制度の扱いが違うからちょっと難しいよな

508 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 19:34:18.84 0.net
>>506
いや、家単位だよ
フフホト出土文書-漢文文書-F249W22
賀龍徒沙牌子の下には5戸、吾即忍布の下には3戸、李黒党立嵬と也火俺伯の下には1戸が属したが
当然どの牌子頭も管轄していたのは10人。

チンギス時代もモンゴル部民は家族や多数の奴隷を所有していたが
それらは軍戸にも民戸にも数えられないのだから、結局は口=戸にはならない。

509 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 21:58:27.80 0.net
チンギスハンはホラズム王国を攻める前にジェベに2万の兵を率いさせ西遼を滅ぼさせた。
チンギスハン自身は十数万の本隊を率いて天山山脈の北のステップ地帯を西に向かい、
イルティシ河畔で休息をとる。1219年夏のことだ。〜西野広祥〜

510 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:00:08.56 0.net
契丹人や漢族の部隊を対金戦に残し、モンゴル騎兵はほぼ全軍西方遠征に出陣したのではないか


511 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:38:19.70 0.net
バトゥがキエフルーシやブダペストを陥落させたときこんなスラブ女を犯しまくったんだろうか。。。羨ましすぎる
http://www.europornstar.com/DPFG/Lili-Lamour/images/gang-bang-20.jpg

あと1年計画を前倒ししてればドイツ女も頂けたのになー


512 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:57:54.01 0.net
寧ろゴツいスラヴやゲルマンの女に萎えて退却したのではないか。
オゴダイの死は建前であって実際はこんなところだろう。


513 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:03:16.41 0.net
いつもの基地外レイプ厨はいつになったらモンゴルが東欧に攻め入った時代
と現在じゃ住民の外見も違うという事を理解できるんだろう

514 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:36:48.59 0.net
税制に関して言えばオゴタイの時代のウィグル語出土資料だとウィグリスタンでは課税対象を整理するのに
人口を十戸、百戸、千戸に分けて、十戸が徴税の最小単位として各十戸長が徴税責任を負ってた
河北の場合税を包銀の名で十戸で60両、毎年7斤の絹糸を納めさせていた
イランだとヤラワチが定めた貧富によって一人頭の税を1〜10ディナールに増減させたヤラワチ税法も導入してる
同時期アルグン・アカのホラーサーンでの税率は10人につき70ディナールで、ヤラワチ税法と設定がまったく違うので
恐らくヤラワチも10人を課税の最小単位に設定して、各人の税率を貧富に応じて増減させてると思われる
オゴタイ時代の家畜税は一戸につき保有家畜の1パーセント程度の課税

個人に対する課税って何かあったっけ?

515 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 00:02:59.47 0.net
12万9千って狼の数とかもちゃんと入れたのか

516 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 12:05:18.51 0.net
>>508
一つの家から複数人が登録されていて、それを10人ごとに管轄してたってこと?
つまり管轄は10の家ごとではなく10人ごとだったってことでしょ。
それって家単位じゃなく人単位だってとこを裏付ける史料なんじゃ・・・

517 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 13:16:03.31 0.net
>>516
軍戸は人で、それ以外の戸は家で
十戸長は行政の職権無し

518 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 22:42:00.15 P.net
>>517
根拠は何なの?
『中書令耶律公神道碑』の記述からモンゴルでは行政も人単位だったって明白でしょ。
軍政と行政で全く違う単位使うなんて非効率的なことやってたわけないじゃん。

519 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 23:01:33.09 0.net
× 人単位
○ 10人単位

520 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 02:45:29.38 0.net
モンゴルが中央アジア・東欧に侵攻する

逃げてきた東欧系ユダヤがついでにペスト菌感染者やペスト菌を持ったネズミもつれてくる

ヨーロッパでペスト菌が大流行 人口が四分の一に減少する

元々嫌われていたユダヤがペスト菌をバラ撒いたとして更に嫌われ迫害される
後々まで続くヨーロッパでのユダヤ差別の遠因となる

ペスト菌に対する耐性と治療法を獲得したヨーロッパ人が新大陸に移住

ヨーロッパ人による殺戮とペスト患者が着ていた服や毛布を品物としてヨーロピアンから受け取った新大陸の先住民が
ペスト菌に感染して全滅する事でヨーロピアンは新大陸を楽々ゲット

ヨーロッパでユダヤ系差別が頂点に達した事により
ヒトラーが政権を獲得してWW2勃発
ナチスドイツは敗北して同情票を集めた事によりユダヤ人がイスラエルを建設する事に成功する
今日まで続く中東不安定化の要因になる

モンゴル帝国の禍根が現代まで続いてる…まだバタフライ効果だな

521 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 08:44:29.35 0.net
>>518
>>508の例から、少なくとも華北・漠南・旧西夏領では、戸は家単位だし
千夫長、ノヤンに属する兵士は各々私属の牧奴と奴隷を抱えていたから、人=戸とはならない
農耕社会に例えれば、家長の名前と財産(家畜、私属民、奴隷)だけを戸籍に載せる様なものでしょ

522 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 11:32:22.22 0.net
>>521
華北・漠南・旧西夏領ではどうだろうと、モンゴル及び西域諸国では成人男子1人=1戸だろ。
で、問題なのは「モンゴルではどうなのか?」なんだが。。。

523 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 13:13:33.84 0.net
>>507
たとえば1アイルをもつ父親が数人の息子に財産分与する場合
1アイル未満の「戸」が数個発生してしまうことになったりしない?
それとも1人の息子にアイルを丸ごと相続させて
他の息子たちは浪人みたいに武器と馬だけ持って就職先探すとか?

524 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 18:09:04.94 0.net
>>523
成人すると一定数の財産や家畜を連れて分戸
最期に末子や未成人が残ってる分を相続。
1アイルは妻子や老親、クレヤンや奴隷を含むものだから
分戸すれば当然複数のアイルに分かれるよ

525 :世界@名無史さん:2012/09/17(月) 19:39:10.73 0.net
はやくチンギスハンの墓見つからないかなー

そしてDNA解析して白人を犯しまくったのを証明してほしい。
まあロシア人の顔見れば一目瞭然だが・・・

始皇帝なんかよりこっちのがロマンがあるよ。


526 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 18:14:20.52 0.net
だから
ホラズムまでしか行ってないチンギスハンがどうやって白人犯しまくるんだ
基地外レイプ厨w

527 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 21:21:15.16 0.net
>>526
んじゃフビライの遺伝子で(どっちでも同じだが)

528 :世界@名無史さん:2012/09/19(水) 19:16:57.68 0.net
やりちんチンギス

529 :世界@名無史さん:2012/09/19(水) 23:26:59.96 0.net
>>527
フビライなんてそれこそ西夏くらいまでしか行ってねーよw

530 :世界@名無史さん:2012/09/20(木) 00:30:25.87 0.net
んじゃ、バトゥ(どっちみちチンギスの遺伝子)で。

531 :世界@名無史さん:2012/09/25(火) 23:05:48.19 0.net
お前らの主張だと源氏の始祖や平氏の始祖はものすごいレイプ魔だったってことになるな。
江戸時代の武士三百万が名乗る。その末裔およそ数千万。チンギスを軽く凌駕する。
西洋人には血統秩序や疑似血族の概念が無いからレイプとしか理解できないのだろう。

532 :世界@名無史さん:2012/09/26(水) 11:39:15.74 0.net
最近数百年で遺伝変異を起こしたY染色体の持ち主が数千万いるから
それだけ子孫を残すための性交の機会に恵まれたY染色体の持ち主はチンギスくらいしかいないと推測しているだけ
江戸時代の武士のほうは単なる祖先捏造の類だけど
Y染色体のほうはちゃんとした科学的根拠があるからね

533 :世界@名無史さん:2012/09/26(水) 19:44:55.79 0.net
>>531
お前らって
複数形にするなよw

534 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 02:44:09.52 0.net
全然関係ねえだろ。
王族だから子孫が多かっただけでしょ。
チンギス一人のレイプ力で数十世代にまで渡る拡散力に繋がるわけが無い。
チンギス系だって系図捏造くらいやっとるわ。
でないとヌルハチがハーン継承相当になれるはずがない。

535 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 09:04:44.80 0.net
チンギスの残虐レイパーぶりはキリスト教圏だけじゃなくイスラム、チャイナでも語られてるからね。ガチだろうね

536 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 12:02:02.92 0.net
その割には大量の漢民族が女真族の金からモンゴルへ鞍替えしていたようだが


537 :世界@名無史さん:2012/09/29(土) 22:11:43.27 0.net
チンギスとフビライとは
統治体制が違うだろ。
フビライ自体が漢人化してたしな。
政治も漢人が握ってた。


538 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 02:55:26.34 0.net
モンゴル軍の悪行話はキリスト圏よりイスラムの方が遥かに多いだろ。
全部おおげさ。神話の類。

539 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 12:10:42.69 0.net
しかし、アフガニスタンやペルシャなど
イスラム圏を荒廃したのは歴史的事実。


540 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 12:27:14.61 0.net
中国人も世界に名立たる文明人から幼稚なパクリ民族に転落したのもモンゴルに犯されてからだね。


541 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 13:33:58.90 0.net
古代中国人はビルマ系とかチベット系とかイラン系とかか文明を築いたんだろ。
満州族が征服してた時代もあったし、モンゴルだけじやないから征服と被征服が
中国の歴史なのに何で日本が数十年ぐらい一部を制圧したぐらいてキャ〜キャ〜言うん?

542 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 13:42:16.48 0.net
千年近くも前の話に荒廃も転落もクソもないわ。
その頃にゃ江戸も大阪もまだ無いくらい。京が凋落したのは鎌倉武士のせいですか。そうですか。
凋落も復興もいつどっちが起こってんだかもよくわからんよ。

543 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:07:50.84 0.net
アッカド、ヒクソス、アッシリア、ミケーネ、ドーリア、スキタイ、フン、ゴート、バンダル、フランク、
タタール、アバール、マジャール、ノルマン、匈奴、鮮卑、柔然、突厥、女真、ウイグル、キルギス
世界史上でモンゴルが最大の勢力で、これ以上の勢力はこの後欧米列強しかないと思われ。

544 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:26:56.47 0.net
中国の歴史:周→春秋・戦国時代、漢→三国・五胡十六国、唐→五代十国、宋→女真・モンゴルの侵略、
明→女真・倭寇の侵略、清→中華民国軍閥戦争 中国は王朝交代期に人口が激減する

545 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:33:34.91 0.net
統計が取れなくなるからでしょ

546 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 19:27:14.74 0.net
大量に死んでいるだろうが
難民化した住民は数えることは出来なからなあ。


547 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 21:57:31.19 0.net
そもそも王朝交代期のような戦乱が起こると
整備された戸籍に載らない農奴が増えるし

548 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:54:04.53 0.net
実は零細農民にとっては、戦乱のどさくさに紛れて生きられる時期が一番よかったりして。
流民化して落ち延びた先で放棄集落を発見、徴税者も来ずにウマーみたいな。

549 :世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:54:59.21 0.net
大部分は災難だろ。
一部そういう奴も居ただろうが

550 :世界@名無史さん:2012/10/01(月) 01:23:23.92 0.net
中国の戦乱期に人口が数分の1に激減 → それは戸籍での捕捉ができなくなっただけで大して死んでない!
という主張をたまに見かけるが、仮にそれが事実だとすると流民の大部分が>>548状態という結果になってしまう。
人口推移のグラフとか見ると、2〜3世代の間は徴税されてないことになるんでね。

551 :世界@名無史さん:2012/10/06(土) 01:34:19.59 0.net
有り得ると思う。

満州の人口推移
1873年 320万人
1908年 1583万人
1941年 5000万人

こんな凄まじい人口変動をする国だ。なにがあってもおかしくない。

552 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 07:32:26.00 0.net
>>538
ホラズム・シャー朝の滅亡やバグダードの陥落など、
モンゴル帝国の中東戦略における悪行話は確かに良く耳にするね。
まぁ、それらの話が誇張にまみれてるのか否かは置いといて、
個人的に不思議なのは、中国ではあまりそういう話が残ってないことなんだよね。
このことは、前に他のスレでも書いた覚えがあるんだけど、
モンゴル帝国が金や南宋に攻める際に大規模な虐殺話があったという話はあまり聞かない。
実際にあったのかどうかはともかく、ヨーロッパや中東に比べ中国ではそういう話があまり残ってないのは不思議だ。

553 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 09:07:16.66 0.net
普通に略奪暴行はあったが、戦の常として特に語ることも無かったのだろう。


554 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 09:51:43.59 0.net
>>553
それだったら他の地域も同じだと思うんだけどね。
別に中東やヨーロッパの戦争だって略奪や暴行がなかった訳ではないだろうし。

555 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 10:44:17.31 0.net
今のモンゴルはロシアのことを好きなんだか嫌いなんだか分からんな
逆もしかりだ

556 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 11:12:39.84 0.net
>>555
国家体制ではともかく民族レベルじゃロシア人は大嫌いだよ
勿論文化や文明を伝えたって部分での感謝も有るから捩れた部分も有るけどな
中国人とロシア人はモンゴル人の大嫌いな人間トップ2だし

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