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物流の歴史

1 :世界@名無史さん:2018/12/07(金) 11:00:14.74 0.net
元日本通運株式会社の従業員でした。
三井物産グローバルロジスティクス株式会社に入社したいです。

231 :ウムウル :2019/03/01(金) 22:21:02.68 0.net
変形合体してレールから飛び出したら
地面にも潜れるんだろうか、、、

【鉄道】中国初の編成可変型高速鉄道車両、出荷試験に合格[02/26]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1551341062/1

232 :世界@名無史さん:2019/03/02(土) 08:55:20.31 0.net
>>230
まるで国鉄の下山事件みたい。
怖。

233 :世界@名無史さん:2019/03/02(土) 08:58:54.32 0.net
>>231
ただの編成変えじゃん。
変形合体ロボじゃないんだから。

234 :世界@名無史さん:2019/03/02(土) 09:43:32.28 0.net
>>232
社長と相談役の二人も変死してるからね。

北海道に住んでいた時に起きた事件だからすごいショックで気味悪かった。
よくあれだけの事件が起きているのに全国ニュースで騒がれないのかと、
それもすごく気持ち悪かった。

235 :ウムウル :2019/03/02(土) 10:22:10.18 0.net
時期も軌道間の>>53とは異なりますよね、、、

>>220>>221

紀元前 428 年に、スパルタ人はサロニカ湾に戦艦を輸送して、アテネに脅威を与えようとしたし、
ペロポンネソス戦争の時には、 BC 411 年に素早くキオス (Chios) の作戦に向かわせるために戦隊 (squadron) を牽引した。

236 :ウムウル :2019/03/02(土) 16:58:43.53 0.net
【考古学】5000年ほど前のストーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表 英国の考古学者チーム[02/26]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1551183870/1

(抜粋)
■陸路で290キロ離れた採石場、学術誌に論文を発表

■広大な施設が築かれていた
 ブルーストーンの採石場は、ストーンヘンジから陸路で北西におよそ290キロ離れたウェールズのプレセリ山地にある。
ブルーストーンの重さは1〜2トン、高さは最大で2.4メートルほどだ。(参考記事:「ストーンヘンジの原点 最果ての巨石文明」)

 木炭と焼けたクリの実から放射性炭素年代測定を行ったところ、
新石器時代に当たる5200〜5400年前に、この採石場で人の活動があったことが明らかになった。
一方、ストーンヘンジが建てられたのは、5000年前よりは後のことと考えられている

■どうやって切り出し、運び出したのか?

採石場周辺には自然に形成された柱状の岩があり、石切り作業に従事した先史時代の人々はいくらか楽ができただろうと考えられている。
「彼らは石柱同士の間に走っているひびに木のくさびを打ち込みさえすれば、
あとは雨で木が膨張して、石柱を1本ずつ切り離してくれるのを待てばよかったのです」と、
英サウサンプトン大学のジョシュ・ポラード博士は言う。

「切り離された石柱は次に、土と石でできた土台まで下ろされます。
この『荷の積み降ろし区画』から先は、採石場の外へと続く通路に沿って引きずられていくわけです」
(参考記事:「ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘」)

 石を採石場から運び出すのは、力と器用さの両方が必要とされる作業だ。
出口に続く通路(幅わずか1.8メートル)は狭すぎて、木材を敷いた上に石を載せて転がす方法は使えない。
考古学者らは、古代の人々が縄、てこ、支点を利用して石を木製のそりに乗せ、
それを山裾まで引っ張るか、滑らせたかしたのだろうと考えている。
「この作業には二つのチームが必要です。

パーカー・ピアソン氏は、少なくとも25人が石切りの作業に従事しており、近くにあった居住地から毎日徒歩で通っていたのだろうと考えている。

237 :ウムウル :2019/03/02(土) 17:04:42.23 0.net
>>233
2両から編成長が自由というのは凄いですよ
新幹線だとたしか普通は4ユニット構成なので
そんで、これが2セットないとまともな運行できないですね

238 :ウムウル :2019/03/02(土) 19:35:50.13 0.net
>>237
ユニットの使い方間違ってました

上越に投入されたE7系は10M2T
ベースは2台で1ユニット先頭車2両は付随車で3両構成で
3ユニットあれば動かせるようになってるみたいですね

239 :世界@名無史さん:2019/03/03(日) 14:02:51.36 0.net
新幹線は0系や100系は2両で1ユニットだったから山陽新幹線ではかつて4両編成や6両編成の組み合わせがあった

240 :ウムウル :2019/03/04(月) 18:42:54.80 0.net
>>239
おおぅ、山陽新幹線で4両編成が走ってたのかww
これは隔世の間がありますね

241 :ウムウル :2019/03/04(月) 20:52:31.95 0.net
>>42
さすがおいらが信頼する知恵袋さまです
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145977134

Q: 軌間についてお伺いします。

中国古代、秦の時代に車軌の統一をしたとありますが、具体的な長さはどのくらいだったのでしょうか?
また、その期間がヨーロッパの車軌統一に影響を及ぼしたようなことはありますか?


A: 回答

始皇帝が定めた車軌というか車軸の長さは「6尺」だったようです。
これは車輪の幅を規格化する事で、轍も統一され交通の円滑化をも図ったという事になると思います。
秦代の一尺は現在の「約23cm」でしたので、
車軸の長さは約138cmで統一され車輪の厚さも含めた車軌の幅は約150cmくらいだったようです。

特に西欧の事情との関連は無いと思いますが、これも古代の中国とヨーロッパ諸国の間の「文化の差」であったかもしれませんね。

242 :低学歴脱糞老女・清水婆婆の連絡先:葛飾区青戸6−23−19:2019/03/04(月) 21:14:02.89 0.net
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
 youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください

【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111

C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている

243 :世界@名無史さん:2019/03/04(月) 21:44:48.69 0.net
東南アジアでの海賊事業発生件数
2017年76件
2018年60件(うち36件がインドネシア)

244 :ウムウル :2019/03/04(月) 22:18:45.01 0.net
>>221
>>53

ローマ帝国の軌間は約1.2mで約4ftっぽいのですが
これはフェイクニュースということなんでしょうか、、、

245 :ウムウル :2019/03/04(月) 22:31:11.04 0.net
>>241

兵馬俑の車軸は統一されてないらしい

別のソースだと
秦の軌間はおそらく9尺で約2mとのこと

ここらへんは何頭立てかでも考え方が異なりそうですね

246 :世界@名無史さん:2019/03/05(火) 21:20:20.72 0.net
2019年1月ガンビア川初の架橋、トランス・ガンビア橋開通。
物流改善が期待される。



https://cceonlinenews.com/2019/01/22/huge-trans-gambia-bridge-launched-2/

247 :ウムウル :2019/03/12(火) 20:55:57.88 0.net
王の道と書いて
王道

248 :ウムウル :2019/03/21(木) 09:12:15.22 0.net
>>44>>50

轍がガイドとして機能的に利用されるのは
特に山道において有効とのことです

崖から落ちないようにするため使ったのでしたら
おそらく内側に溝を作って
外側はフリーにしたんではないでしょうか
これならカントも有効利用できますし

249 :ウムウル :2019/03/21(木) 10:30:58.01 0.net
>>248

ちなみに最近も話題の
車線変更にまつわるトラブルのかなり古い事例は
オイディプース王の物語りらしい、、、
この事例から単線が運用の主体であったと思われます


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%B9

父殺し

戦車に乗って旅をしている最中、ポーキスの三叉路に差し掛かったところで、前から戦車に乗ったラーイオスがあらわれた。
ポリュポンテースというラーイオスの従者が、オイディプースに道を譲るよう命令し、これに従わぬのをみるや彼の馬を殺した。
これに怒ったオイディプースはポリュポンテースとラーイオスを殺した(殺害方法には、打ち殺したという説と谷底に突き落としたという説がある)。

ラーイオスが名乗らなかった為、オイディプースは自分が殺した相手が誰であるかを知らなかった。
ラーイオスはプライタイアイ王ダマシストラトスが埋葬し、彼亡き後のテーバイは、メノイケオスの子クレオーンが摂政として治めた。

250 :ウムウル :2019/03/21(木) 10:51:25.71 0.net
あとおいら調べによると
周代には交通法規が整備されたの情報もありますが
これに関しては検討が必要と思われまする

戦車兵の複雑な駆け引きは
このサイトに書いてありました

春秋時代114 東周定王(十九) ?の戦い(後) 前589年(2)
https://blogs.yahoo.co.jp/sanokuangxian/34862495.html

251 :ウムウル :2019/03/21(木) 11:14:05.18 0.net
>>250

ここにある
狄卒(狄には車がないため、卒といいます)
に関してもなぜかの興味が沸きますね

252 :世界@名無史さん:2019/03/21(木) 18:39:34.40 0.net
日本の林業がいまいちなのは物流・流通網の影響?

253 :ウムウル :2019/03/21(木) 23:11:13.42 0.net
道がないから林業ダメ
という話はよく聞きますが、、、

254 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 00:04:01.27 0.net
道がないならヘリがあるじゃないの

255 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 00:30:46.80 0.net
空なんか飛んだらコスト爆上げダルルォ!?

256 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 06:24:33.93 0.net
答えは飛行船
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Piasecki_Heli-Stat.jpg/220px-Piasecki_Heli-Stat.jpg

257 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 07:59:06.98 0.net
江戸時代までは山で切り出した木材を
山の斜面を滑り落として、
川まで運ぶ。
滑り落とす途上で損傷する確率高し。
無事に川に着いたもので筏を組み、下流に流す。
海でそのまま消費地まで移送。
木場と呼ばれる貯木場で、
丸太乗りが活躍。
陸に上げて乾燥させ、製材という流れでしょう。
火事の多い江戸じゃ、大量の木材をストックしてて、
大火事の後の復興需要に備えていた。

258 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 08:29:22.60 0.net
明治以降から昭和半ばまでは森林鉄道の時代。
伐採地から仮設の作業軌道を設置し、
森林軌道(2級)、森林鉄道(1級)まで輸送する。
台湾の阿里山森林鉄路は観光客に人気。

259 :世界@名無史さん:2019/03/22(金) 08:41:47.84 0.net
>>257
林野庁のHPで確認したら、
丸太を伐採現場から人力、畜力によって河川のそばまで運び、
上流域では、河川を堰止め、
そこに丸太を浮かべ堰を切る。
鉄砲水とともに一挙に多くの丸太を下流に押し出す「管流し」が行われてたそうな。
危険で人命が数多く失われ、丸太の損傷も多かったらしい。
大きな河川に達してから、丸太を筏に組む。

260 :ウムウル :2019/03/24(日) 23:01:49.82 0.net
>>258
日本の森林鉄道が維持できなかったのは
どんな理由なんでしょうかね
そもそも需要が少なかったんでしょうか?

261 :ウムウル :2019/03/24(日) 23:03:03.31 0.net
>>254
重機が奥に入れないと
あんまり意味がないのです

262 :世界@名無史さん:2019/03/25(月) 06:51:26.12 0.net
>>260
トラックが便利だから。
世界中がそうでしょう。

263 :世界@名無史さん:2019/03/25(月) 07:49:06.79 0.net
昔、木馬道(きんばみち、きんまみち、きうまみち)。
現代、大型バスも通行できちゃう高規格林道。

264 :世界@名無史さん:2019/03/25(月) 11:54:57.18 0.net
3千年前のソロモン王はエルサレムの神殿建設のために
レバノン杉を調達すべく
毎月1万人を月交代でレバノンに派遣した。
木の切り出しや加工はティルスのフェニキア人技術者の指導と助力を得てる。
他に荷物運搬に7万人、
石切りに8万人を徴用。
古代王国は人海戦術ですな。
エルサレムは標高750mの高地なんで
運ぶのは大変なはず。
山城の城壁なんて、運ぶのも命懸け。
ソロモン王の死後、
高負担に苦しむ国民の不満爆発、
王国は分裂しちゃう。

265 :ウムウル :2019/03/25(月) 19:25:23.45 0.net
>>262
そしたらやっぱり
輸送量があんまり必要なかった
ということに決定されました

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9E%97%E9%89%84%E9%81%93

266 :ウムウル :2019/03/25(月) 22:26:49.67 0.net
>>262>>265

やっぱりよく考えたら
便利だから以上の解答はありませんでした

>>263
いつ頃からあるもんなんだろか
https://wood.co.jp/shinrinbassai/024kinma.htm

267 :ウムウル :2019/03/25(月) 22:36:18.27 0.net
>>264
おいらも前にソロモンの神殿建設に関連して
レバノン杉の輸送ルートを調べたことがありましたが
どういう結論だったっけかなぁ

なんか不思議な構造になってたような木はします

技術者はここに載ってる方ですよね

ヒラム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%A0
また、ヒラムという王と同じ名前の青銅職人がティルスから派遣され、ソロモンの神殿建築に際して青銅工芸の技術によって貢献した[4]。

268 :世界@名無史さん:2019/03/25(月) 22:52:45.44 0.net
仕事より人のあら捜しに夢中のゲスイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする 
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする

大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ

今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923

269 :ウムウル :2019/03/25(月) 22:54:10.13 0.net
>>267
ここにもうちょっと詳しい説明がありました
おいらの記憶だと建築家だと思っていたのですが諸芸に通じていたようです

ヒラム(細工師)
(別名: ヒラム・アビ[ブ])
論考: 洞‐2 635
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200272724

2. ソロモンの神殿の調度品の多くを造った熟練した工匠。この人の父親はティルス人でしたが,
母親は「ダンの子らの出」で(代二 2:13,14),「ナフタリの部族の出身の」やもめでした。
(王一 7:13,14)食い違って見えるこれらの記述も,一部の学者の見解に従うならおのずと解決されます。
つまり,その女性はダンの部族に生まれ,ナフタリの部族出身の最初の夫と死別してやもめとなり,ティルス人と再婚したのです。

ティルスの王ヒラム(1項)は,ソロモンのための特別な建設を監督するようこのヒラムを派遣しました。
この人には,金,銀,銅,鉄,石,木材などの材料を取り扱う能力と経験があったからです。
ヒラムは,染色,彫り物,あらゆる考案物の設計にも特別に熟練していました。
ヒラムは子供のころからティルス人の父親によって当時の工業技術の専門的な訓練を幾らか施されていたに違いありません。
彼の父親自身,熟達した銅の細工師でした。―王一 7:13‐45; 代二 2:13,14; 4:11‐16。

ティルスの王はこの人物を指してヒラム・アビと呼んでいるようです。
これは,字義的には「わたしの父ヒラム」という意味の呼称と思われます。(代二 2:13)
王は,ヒラムが自分の実の父親であるという意味でそのように呼んだのではなく,
ヒラムが王の「顧問」もしくは「優れた職人」という意味でそのように呼んだのかもしれません。
同様に,ヒラム・アビブ(字義的には「彼の父ヒラム」)は『ヒラムは彼の(すなわち,王の)優れた職人』を意味するようです。―代二 4:16。

270 :世界@名無史さん:2019/03/26(火) 09:34:50.40 0.net
>>269
ティルスって、古代の貿易港として栄えた都市国家だけど、
意外とポテンシャルの大きい国家の気がする。

工芸技術に優れており、
航海術に長けて、手広く貿易を行い、
商業の中心であり、
海外植民都市を各地に設け、
ローマと覇権を争ったカルタゴは
伝説ではティルス人の植民で始まっていて、
一歩、歴史の歯車がずれていたら、
大帝国はローマではなく、ティルスが建設してたんじゃないかと。

新バビロニアのネブカドネザルによる13年間の長期攻囲で、
ネブカドネザルに降伏したけれど、
実はかなり余裕。
バビロンの代官を受け入れて、
少しばかりの貢物を捧げる、
形だけの降伏に過ぎず、
ティルス中心部は全くの無傷で、
陸軍中心のバビロン軍は海からの補給を途絶できていないので、
いわば不完全な攻囲網しか作れないバビロン側の消耗が大きいだけ。
結局、バビロンはほとんど戦利品を得られないまま、
頭を下げてきたティルスの虫のいい条件を飲んで、
撤兵するしかなかった。
そしてティルスの繁栄は続く。

271 :世界@名無史さん:2019/03/26(火) 09:58:52.11 0.net
>>266
トラックの性能が上がって、
ラクラク険しい坂道を登れるようになったので、
便利ということかな・・。

江戸時代は木材の需要が急増して、
森林資源の枯渇の危機が起きている。
それに気づいた幕府や諸藩が留山を実施するなど、
森林保全と育成に励み、
緑豊かな国土を形成できた。

秋田藩家老渋江政光
「国の宝は山也。
 然れ共伐り尽くす時は用に立たず。
 尽さざる以前に備えを立つるべし。
 山の衰えは則ち国の衰えなり。」

儒学者の熊沢蕃山
「山川は国の本もとなり。」
「山は木あるときは、神気さかんなり。
 木なきときは、神気おとろへて、
 雲雨ををこすべきちからすくなし。」
「木草しげき山は・・・・洪水の憂いなし」
「草木なければ・・・洪水の憂いあり。」

等の治山論も盛ん。
こうした政策がなかったら、
禿山だらけになってたかも。

272 :世界@名無史さん:2019/03/26(火) 20:47:00.81 0.net
ベリーズのスパニッシュ・ルックアウトにある人力フェリー

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/SLFerry.jpg/1280px-SLFerry.jpg

レトロ感がすごい

273 :ウムウル :2019/03/26(火) 22:35:40.95 0.net
>>270
そういえばアレキサンダーさんは
どうやってティルスまでの海を埋めたんですかね?

陸上輸送と海上輸送
やっぱ制海権的に陸上輸送に軍配?

フェニキアさんの中の人は
例外的にペルシャとは仲良かったので
ギリシャ遠征が成功してサラミ海で勝ってたら
歴史が回転したかもしれませんね

まぁ、カルタゴさんはシチリアでけっ躓いてますがww

274 :ウムウル :2019/03/26(火) 22:41:59.85 0.net
>>271
森林軌道(2級)を引かないと森林軌道(1級)は無用の長物になっちゃうのですが

トラックが森林軌道(2級)を置換えれるようになったら
現地にトラックをいれるのに森林軌道(1級)は
邪魔モノにしかならないと思いましたので

275 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 07:54:10.40 0.net
>>273
アレクサンドロスは本土側の破壊済みのティルスの瓦礫を海に投げ込んで、
抵抗を続ける島側までの道を作ったはず。
兵種として騎兵や歩兵以外に、工兵もいたんだろうな。
射出兵器も駆使し、
数カ月かかってやっとのことで島側も制圧。
アレクサンドロスは強力な艦隊も持っていて、
海上封鎖ができたこともネブカドネザルとの違いだよね。

ローマ人は戦争を始める前に、神々に戦勝祈願を行い、
敵がいかに悪逆非道であることを訴えて、
征服戦争を正当化する習慣がある。
実態はローマ側の一方的な侵略なんだが。
その中でフェニキア人が幼児を生贄にする悪習を持ってると訴えてた。
実際カルタゴ遺跡から2万人分とも言われる幼児の骨の大量集積が見つかっている。
本当に生贄によるものかはわからないが、
聖書中にでてくる幼児を火で焼いて捧げるバアル崇拝の話ともつながると思う。
そんなことをする民族はサッサと滅んで正解かもしれない。

276 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 15:56:18.27 0.net
>>264
ソロモンの栄光と富の源泉は交易だ。
 ・エジプト、ヒッタイト、シリア相手に馬の取引。
 ・ティルスの貿易船への出資で、ボロ儲け。
  タルシシュ(スペインのタルテッソスかもしれない)船団が
  金・銀・象牙・猿・孔雀を載せてきた。
なんかが聖書の記述にある。
特に超大国エジプトとの良好な関係が重要。
ファラオの娘との政略結婚で
エジプトと親しくなったことで得た利益は絶大だ。

しかしソロモン統治後半はエジプトとの関係が怪しい。
ソロモン軍によって一族を皆殺しされた
エドム人少年ハダドはエジプトに逃げて、
ファラオの家で成長する。
長ずるとソロモンへの抵抗活動のため元の地に戻る。
ファラオはハダドを引き止めるが、
ハダドの意志は変わらなかった。
明らかにハダドの活動をエジプトが支援している。
もう一つが反ソロモン運動の中心人物ヤロブアムの
亡命先がエジプトだったこと。
ヤロブアムが反体制危険人物となったと知って、
ソロモンがヤロブアムの命を狙うようになると、
ヤロブアムはエジプトへ逃げた。
エジプトが反ソロモン運動の拠点になる。
これもエジプトのソロモン王国への
態度が変化した表れじゃないか?
結局、ソロモン後継のレハブアム王のときに、
ファラオ・シシャク(シェションク1世かもしれない)が
率いるエジプト軍の直接攻撃を受けて、
王国はエジプトの属国に堕ちてしまった。

277 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 16:20:34.09 0.net
>>276
結局、エジプト王国のレバントに対するスタンスってのは、
「夷を以て夷を制す」なんだよ。
複数の拮抗する勢力を操って対立させ、地域全体に対するプレゼンスを維持する。

278 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 16:33:25.14 0.net
>>274
建設コスト、維持コスト、車両コストの全てで、
鉄道はトラックに敵わないよなぁ。
今は鉄道敷設や保線もトラック頼りじゃないか?

279 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 17:37:27.39 0.net
石津のえっちゃんっていうのが黒幕
やばいよ、こいつら
近所づきあいで人殺し
やばいね、ももぞの 百里 

ベルルスコーニみたいな特殊メイクがいまの赤池千明の子で、いまいるやつ
特殊メイクはオバマあたりから有名で、こういう特殊メイク野郎、全部殺処分せい

世の中をおかしくしてる奴すべて殺処分にせい
洪水までに

280 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 20:43:47.29 0.net
>>266
鉄路は急勾配の坂道に不向き。
スイッチバックやループ線と
いった工夫を要する。
ゴムタイヤの滑り抵抗に敵わない。

281 :世界@名無史さん:2019/03/27(水) 21:11:39.74 0.net
>>280
そういう工夫で代表的なのがアプト式とか鋼索鉄道だな

282 :世界@名無史さん:2019/03/28(木) 07:24:06.42 0.net
>>277
なるほど。
ソロモンめ、あいつ最近調子に乗ってるな。
強くなり過ぎてる。
そろそろ弱めさせてやらんと。
誰か使える駒はおらんか?
とかいう議論がファラオ王宮であったかも。

283 :世界@名無史さん:2019/03/28(木) 08:30:33.23 0.net
>>275
世界支配者としての資格は
ローマ > カルタゴ。
歴史の審判は正しい。

少なくともローマ人は遵法精神に溢れてる。
処女を死刑にしてはいけないという法を守るため、
レイプしてから死刑に処するのがローマ人。

法こそが正義!

284 :世界@名無史さん:2019/03/28(木) 08:42:35.22 0.net
>>281
ラック式鉄道にもいろいろあるんだね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラック式鉄道

285 :ウムウル :2019/03/30(土) 02:16:28.36 0.net
>>276
オフィルと芝の女王ですかね

乳の香りもします

286 :ウムウル :2019/03/30(土) 02:47:53.43 0.net
>>285>>276

ラクダが輸送に用いられた時期について
ここはエジプト占領後としてますな

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8886/

◆銅とラクダの関係

 アラバ渓谷は、死海から紅海のアカバ湾まで伸び、イスラエルとヨルダンの国境を成す。
紀元前14世紀?9世紀後期ごろまで、同地域では銅の精錬が盛んだった。

 研究チームは、渓谷の遺跡で見つかる動物の遺骸に興味深い傾向があることを発見。
大量のラクダの骨が、ほぼすべて紀元前930?900年代のものだったのだ。

 紀元前925年、古代エジプト王シェションク1世が同地域を侵略した時期とも重なっている。

 研究チームは現在、この史実とラクダの関係性について調査中だ。
エジプトがユダ王国とイスラエル王国を征服した後、銅精錬事業を再編、
その過程でそれまで利用されていたロバやラバよりも効率的な輸送手段として、ラクダが導入された可能性がある。

 地中海東側の地域では、ラクダの家畜化によって経済的、社会的に大きな変化が訪れたはずだ。
活動範囲も、広大な砂漠地帯を越えてかつてないほどに広がったとみられる。

287 :世界@名無史さん:2019/03/30(土) 08:49:27.35 0.net
>>286
ラクダは可愛い。
つぶらな巨大な瞳で見つめるので、
撫でてやると巨大な頭を擦り寄せてきた。
あんなデカイ図体で人懐っこい甘えん坊!

キリンに餌やりをしたことがある。
長大な舌で餌を巻き上げる。
手がヨダレでビショビショ。
ラクダより巨大な瞳で、もっとクレとねだる。
雰囲気がラクダそっくり。

キリンを家畜化しようと挑戦した古代民族はいなかったのか?
象すら家畜化できたのに。
難しいのかなぁ。
キリン戦隊を編成すれば無敵じゃないか!

288 :世界@名無史さん:2019/03/30(土) 09:11:15.06 0.net
>>285
金、アルグムの木、宝石の産地「オフィル」はインド、アラビア、アフリカ北東部のどれかで
イエメン付近が有力視されてるね。
シェバの女王もイエメンあたり。

ソロモンから百年後のヨシャファトも
オフィルへ船を送ったけど
アカバ湾頭のエツヨン・ゲベルで難破。
もはやソロモンの真似はできない感じ。

289 :ウムウル :2019/03/30(土) 09:53:28.28 0.net
>>287
なかなかの大食漢の模様です、、、
たしかアフリカゾウさんも中の人は家畜化されてなかった気がしますね


人間よりも豪華!動物達の食事代。(あのかわいい◯◯◯は超グルメなんです。)
/odai/2135989238618263401

◆◇◆ 妥当な食事代?な動物たち ◆◇◆

@ジャイアントパンダ
"1日1万5千円程度かかるジャイアントパンダ"
"上野動物園の最新の資料によると、ジャイアントパンダの1日のえさ代は約1万1000円。これは伊豆から竹を運ぶための運送費が9割を占める。"

Aアフリカゾウ
1頭あたり11,685円"
"参考資料として多摩動物園の一頭あたりの年間食費アフリカゾウ400万円"

Bキリン
"それぞれ一日のエサ代を計算してみると・・・キリン1頭当たり3,834円"
"多摩動物公園の動物1匹あたりにかかるエサ代(1年分)キリン87万円"

Cホッキョクグマ
Dライオン

290 :ウムウル :2019/03/30(土) 11:11:30.74 0.net
>>19

航海条例(イングランド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E4%BE%8B

Actsと複数形で呼ばれるのは、航海条例が制定されたのが複数回(1381年から1696年にかけて9回)だからであるが、
歴史的に最も頻繁に言及される1651年の航海条例を中心に扱う。

1651年の航海条例は、オリバー・クロムウェルが実権を握っていたイングランド共和国の議会により可決され、
共和国政府が発布した条例で、オランダ商人による中継貿易の排除を目的とした。英蘭戦争のきっかけとなり、イギリス商業革命の要因ともなった。

イングランド及び植民地に外国船を入れない
イングランド人(植民地の住民を含む)乗組員が、最低半数を占めること[8]
イングランドの船であること[1]

である。また、イングランドは、居住地でなく国籍を重視したため、イングランド植民地の住民は、植民地間の貿易をおこなうことができた。
また、イングランド領アジアやアフリカの物品は、ブリテン諸島やアメリカの植民地のみにしか送れなかった。
逆に、西インド諸島やアメリカの植民地からは、外国船で諸外国に送ることができ、ヨーロッパ諸国の輸出品は、
イングランド船で運送するか、産出国の船で運ぶかのどちらかだった[8]。


航海条令 (スウェーデン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E4%BB%A4_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3)

636年にスウェーデン政府が発布した条令である。
スウェーデンによる生産と輸出の増加を図るためと、バルト海貿易におけるオランダ商人による貿易を規制する事を目的とした。
条令はイングランド商人にも適用されたが、実際は、輸送面でスウェーデンはオランダの優位を崩す事が出来なかった事が原因だった。

航海条令では、ストックホルムとオーボ(トゥルク)以北の都市は、外国と直接取引きをする事を禁じられた。
さらにイェヴレやカルマルが条令に加えられた。これによって取引は以後、ストックホルムが独占していく事となった。

291 :ウムウル :2019/03/30(土) 11:50:24.30 0.net
>>19
18世紀が手薄ですな、、、


1503年(スペイン)商務院

1600年(イギリス)イギリス東インド会社

1602年(オランダ)オランダ東インド会社

1636年(スウェーデン)航海条例

1651年(イングランド)「クロムウェル航海法」

1806年(フランス)大陸封鎖令→ベルリン勅令

292 :世界@名無史さん:2019/03/30(土) 12:00:27.15 0.net
現代でもカボタージュ規制はある

293 :ウムウル :2019/03/31(日) 08:41:35.77 0.net
>>215>>107

EUの10カ国以上が参加しているらしいです

294 :世界@名無史さん:2019/04/01(月) 06:24:01.98 0.net
トルシエ「コンビニが日本の若者をダメにする」

過剰な物流が日本の若者をダメにする

295 :ウムウル :2019/04/05(金) 07:49:42.16 0.net
>>291
ヴェンド同盟

ワールシュタットの戦いが起きた1241年、リューベックとハンブルクと間に商業同盟が結ばれた。
これは、その都市の資源はその都市の商人が扱い、外来の商人は排他するというもの。
1256年、リューベックとロストックが対立する。
しかし、ヴィスマールが両者の仲を取持ち、3都市は友好関係(ヴェンド同盟)を築くことに成功した。

296 :ウムウル :2019/04/05(金) 11:42:54.40 0.net
>>41
単純にアユタヤかと思ったがどうなのだろうか、、、

チャオプラヤー川
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Chaophrayarivermap.png/800px-Chaophrayarivermap.png

チャオプラヤー川は、ナーン川とピン川が交差する地点、ナコーンサワン県で始まる。ピン川の水量が多い。

チャオプラヤー川流域の県は、バンコクの外、
ウタイターニー県、チャイナート県、シンブリー県、アーントーン県とアユタヤ県である。

チャイナート県でターチン川とチャオプラヤー川に二分され、
ターチン川はチャオプラヤー川と平行に流れたのちサムットサーコーン県から、
チャオプラヤー川はサムットプラーカーン県からタイランド湾に至る。

297 :ウムウル :2019/04/05(金) 12:14:32.02 0.net
>>296

アユタヤはPa Sakと交差する地点の西
円形水路の内側に存在するみたいですね

水量的にはナーン川の合流点まで遡れそうな気はしますが、、、

298 :ウムウル :2019/04/05(金) 12:42:43.47 0.net
>>297

ナコーンサワン県
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AF%E3%83%B3%E7%9C%8C

「ナコーンサワン」=「天国の都市」をシンボライズし、雲の上に三つの頂上を持つ離宮がデザインされている。

歴史

ナコーンサワンはドヴァーラヴァティー王国時代からの歴史を有する町である。
スコータイ王朝時代は、スコータイの南の前衛都市として機能し、ムアン・プラバーンと呼ばれた。
アユタヤ王朝時代もピン川とナーン川が合流する地点にあることから物流の中心地として栄えた。

また、ビルマ軍のアユタヤ攻撃ルートの中にある軍事的要所であった。
タークシン王はプラバーンを基地として用いた。

ラーマ4世(モンクット)がボーリング条約にサインすると米やチーク材の取引の中心として機能しナコーンサワンの繁栄が始まった。
しかし、1922年のタイ国鉄の開通、1932年の立憲革命の前の世界恐慌、1950年のパホンヨーティン通りの開通に伴い、ナコーンサワンの重要性は低下した。

1895年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)はモントン・ナコーンサワンを設置し、ナコーンサワンをその中心においた。

299 :ウムウル :2019/04/06(土) 07:16:45.05 0.net
>>270
ティルスさんの中の人に比べて
シドンさんの影の薄さは異常な気がします

とりあえず外交センスに関しては
あきらかにシドンさんに軍配が上がると思いますね

300 :世界@名無史さん:2019/04/06(土) 08:05:30.57 0.net
>>299
ティルスの始まりはシドンからの移民。
シドンの植民地の地位だった。
後に経済面でティルスに抜かれる。
子会社が親会社を上回るのはよくあること。

301 :世界@名無史さん:2019/04/06(土) 08:44:01.90 0.net
ティルスの特産品はレバノン杉と並んで
紫布。
シリアなんとか貝?から採れる染料をもとに染めるのだが、
その技法はティルス人の秘伝中の秘伝。
ギリシア人たちも真似しようとしたが失敗し、
現代でも再現不能と聞いた。

302 :世界@名無史さん:2019/04/06(土) 08:54:46.22 0.net
物流?大事だね。軍事力で物流を支配して貿易を支配し利益を支配する。

いまのグーグルとかアマゾンだって同じやり方。ずっと同じ。

303 :ウムウル :2019/04/06(土) 09:31:53.07 0.net
>>54

カパックニャン アンデスのみち【カパック・ニャン アンデスの道】
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%B3%20%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%81%93-1712235

2014年に登録された世界遺産(文化遺産)。広大な国土を誇ったインカ帝国が支配した海岸砂漠地帯とアンデス高山地帯を東西南北につなぎ、
コミュニケーションと交易、防衛のネットワークの要であった全長約3万kmに及ぶ道路網。

数世紀の期間をかけて造られた道路であり、一部はインカ帝国以前からの道路を活用している。
インカ帝国の支配エリアは、現在のアルゼンチン・ボリビア・チリ・コロンビア・エクアドル・ペルーの南米6ヵ国にまたがり、
その地形の多様性はすさまじく、15世紀に最盛期を迎えたインカ帝国は、
海抜0mの灼熱の砂漠から6000mを超し冠雪する極寒のアンデス山脈までに道路を建設した。

その主役であるカパック・ニャンの、273の構成資産を有する6000kmの道路には、橋や階段、石畳、側溝などが残っており、
砂漠やジャングルといった多彩な環境をつなぎ、
マチュピチュ遺跡やチャビン・デ・ワンタル遺跡など主要な観光スポットもつないでいる。

インカ帝国の首都クスコがあったペルーのビルカノタ川など60ヵ所を中心に多様な構成資産を擁し、
この交通網の社会的、政治的、建築学的、工学的な価値も高く評価される。
◇英名はQhapaq Nan, Andean Road System

304 :ウムウル :2019/04/06(土) 09:46:47.30 0.net
>>54


【世界遺産】カパック・ニャン:アンデスに広がる6カ国、3万kmにも及ぶ道路網の軌跡を見る
https://www.travelbook.co.jp/topic/12730
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Inca_roads-en.svg/512px-Inca_roads-en.svg.png

目次

2000年前からの続くアンデスの道
ペルーのカパック・ニャン
エクアドルのカパック・ニャン
ボリビアのカパックニャン チチカカ湖からパリアへの道
アルゼンチンのカパック・ニャン
カパック・ニャン、どこの国からアクセスするか
観光のおすすめ記事

305 :ウムウル :2019/04/06(土) 10:02:45.25 0.net
トリポリ解放軍
めっちゃトヨタでした

306 :世界@名無史さん:2019/04/06(土) 10:24:52.67 0.net
世界の民族紛争の背後にはトヨタがいる
となっても、驚かないぐらいに見かけるな。
あれは全部本物のトヨタ車なんだろうか?

307 :ウムウル :2019/04/09(火) 02:06:59.67 0.net
>>306
おいらも違法改造なのか
それともマニュアル内なのか
気になりますね

308 :ウムウル :2019/04/09(火) 02:20:53.04 0.net
>>301
それがまぁ
けっこういろんな都市で
作ってたみたいですよ

ここに出てるシドンとか
他の複数で貝塚が見つかってたはずです

309 :世界@名無史さん:2019/04/09(火) 14:29:14.68 0.net
>>308
吉野ケ里遺跡からは、アカニシ貝由来の紫で染めた布が見つかってるそうな。

ティリアンパープル(ティルスの紫)はローマ皇帝や教皇の衣に使われる帝王色。
東アジアでは紫衣(しえ)が高貴な者、高官や高僧に許される。
天帝が住まうは紫宮で、北京の宮城は紫禁城。
キリストが処刑時に着せられた外套をヨハネ福音書は紫としている。
(マタイ福音書では緋色、
 ルカ福音書では色鮮やかな or きらびやかと表現。
 赤みが強い紫か?)

関連があるんかな?

310 :ウムウル :2019/04/14(日) 15:19:29.09 0.net
ルクソール西岸のコム・エル・ヘタン地区

かつて観光名所だったメムノンの巨像は
前一世紀の地震以後から鳴き始めたことで有名
ローマ時代の後二世紀に修復されて「神の叫び」は口封じされる。

ここの近くに5つの台座に地名のリストが
「城壁の楕円」で囲まれた中に残されており
アメンヘテプ3世時代に
エジプトとの交易を含む関係性を持っていた世界(都市)と推測される。

・北のヒッタイト
・ミナミのヌビア
・東のアッシリアとバビロン
・西の島国ケフティウ(クレタ)とタナヤ(ギリシャ本土)

西の部分に記載されているのがエーゲ海リストと呼ばれる15の地名

311 :世界@名無史さん:2019/04/15(月) 09:17:52.99 0.net
>>303
インカ帝国の物流は謎が多いのだろうな。
貨幣がないので、市場がない。
物々交換ぐらいあったかもしれないが。
基本的に国民は国家に労役を提供し、
国家の蔵から必要物を分配するらしい。
社会主義じゃん、それ?て気がしちゃう。
それだけ強大な権力を有していた。
一方で、中央が完全支配する統一国家ではなくて、
地域勢力との緩やかな連合でもあるらしい。
長大な道路は緩やかな連合を結びつける大事なもの。

それから高度差もあって、
一般に高地の平原部が雨が降りやすいとか。
当然、高低で産出する作物が異なる。
なので標高差の間で物資のやり取りが必要となるはず。

宗教面ではなんか古代エジプト文明を連想しちゃう。
雰囲気が。

312 :世界@名無史さん:2019/04/15(月) 09:42:18.62 0.net
そういえば既出だろうけど皇太子殿下も水上交通がご専門でしたな

313 :ウムウル :2019/04/16(火) 01:01:54.04 0.net
>>309
これは前に調べたことあって
またネット検索したけど
わからないですね


>>250

殷の戦車が中華様式でなく
中央アジア系の系統に属するという
説明はよく見かけてたのですが
その根拠は発見しますた

314 :ウムウル :2019/04/16(火) 22:05:43.97 0.net
>>310
そういえばアブラハムまでの系図が
交易都市のリストという説もありますね


マリとヌジ
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000344

シリア南東部のアブ・ケマールの北北西約11`の所にある,
ユーフラテス川の近くの古代の王都マリ(テル・ハリーリ)の遺跡は,1933年以来,何度も発掘調査が行なわれてきました。
そして,面積がおよそ6f,300室を擁する巨大な宮殿が発見され,その公文書保管所から2万点余りの粘土板が出土しました。

この宮殿の建造物群には王族の居室だけでなく,行政当局者の事務所や書記のための学校もありました。
多くの建物の壁は壁画やフレスコ画で飾られており,浴室には浴槽も調っていましたし,厨房には菓子を作る型も見つかりました。
この都市は西暦前2千年紀の初期には最も際立った壮麗な都市の一つだったようです。

粘土板のテキストには,勅令,公報,会計,および運河・閘門・ダムその他かんがい設備を造るようにとの命令,
それに輸出,輸入,および外交問題に関する通信も含まれていました。
徴税や徴兵に関係した人口調査もしばしば行なわれました。

宗教,とりわけ豊饒の女神イシュタルの崇拝が顕著でした。その女神の神殿も見つかっています。
バビロンにおけると同様,肝臓を調べたり,天体を観察したりするなど,他の類似の方法で占いが行なわれました。
この都市の大部分はバビロニアの王ハンムラビにより滅ぼされました。

特に興味深いのは,ペレグ,セルグ,ナホル,テラ,およびハランという名前が出て来ることです。
それらは皆,メソポタミア北部の都市として列挙されており,アブラハムの親族の名前を反映しています。―創 11:17‐32。

315 :世界@名無史さん:2019/04/17(水) 04:17:55.91 0.net
中国・朝鮮王朝では穀物系の年貢は何に入れて運んだんだ?
やっぱり俵?

316 :ウムウル :2019/04/17(水) 22:07:32.91 0.net
>>315

穀倉の話はよく聞きますが
運ぶ方は確かにあんまり聞かないですね

あの穴のネズミ対策がどうなっていたのかが
めっちゃ気になりました

317 :ウムウル :2019/04/18(木) 02:39:01.06 0.net
アファール塩のキャラバン

・アフリカ最低のアッサル湖からエチオピア高地まで運搬
・採掘と運搬の分業制
・アファール族は塩板価格をコントロールする。ティグレ族はラクダの交易ルートを支配

(以下から抜粋)
「ラクダのキャラバン」が消滅の危機?1,000年以上続いてきた歴史に終止符が訪れる理由とは
https://tabippo.net/ethiopia-disappearance/

○塩のキャラバンの仕組み

村から湖畔までは10kmぐらい。日が昇ると、ラクダとロバの群れは、一斉に湖畔に向かいます。
岩塩の採掘工たちはトラックの荷台に乗り運ばれて行きます。

ラクダのキャラバン隊は、採掘工が掘り出した岩塩を、海抜マイナス100mのアサール湖から、
加工工場のある標高2,000mのメケレまで、片道2週間かけて運ぶそうです。


○塩のキャラバンの経済学

1)採掘工は、一人1日当たり約200枚の塩板を採掘し、
それを1枚当たり3-5ブル(1ブル=5円なので約20円)でラクダオーナーに売る。
つまり採掘工の日当は約800ブル(4000円) 。
これは、国民の25%が1日1ドル以下で生活するエチオピアにおいてはかなり良い待遇と言えます。

2)ラクダオーナーは、買い取った塩板を1枚50ブル(250円)で工場に売る。

往復1カ月の運搬の労、ラクダ所有・維持のコスト等があるにしても、同じ塩板が隣の州で一気に10倍になるという事実は驚きでした。
ラクダオーナーの月収は約2,500ドル(28万円)というのも理解できます。
そもそも、ロバ一頭100ドル(約1.1万円)、ラクダ一頭1000ドル(約11万円)するので、
それらを所有しているラクダオーナーはかなりの資産家なのかもしれません

318 :ウムウル :2019/04/18(木) 02:58:02.05 0.net
>>317

運搬量と維持費の関係でいくと
ラクダよりもロバの方が効率が高いらしい

おいらが見たのは
ラクダが20kgの塩インゴット6本を
背負って歩く姿でした

寒暖の差は100℃ぐらい
日中は50℃ぐらいになるんでやはり
日が昇りきると休んで、朝が来る前に出発するようです

319 :世界@名無史さん:2019/04/18(木) 08:53:35.43 0.net
>>318
ロバは粗食に耐えて丈夫なので、
古代中東ではどんな貧乏人でも飼えるものとされてたと聞く。
女性や子供でも手軽に扱える。
ただ、気に入らないことがあると、
大の男がどんなに叱りつけてもテコでも動かなくなる。

320 :ウムウル :2019/04/20(土) 14:09:56.00 0.net
>>247
ここに遺構写真がありました
有名碑文は三叉路にあったかと思っておりましたが記憶違いでした

ヨコハマ古道紀行さんからの抜粋です
【本邦初公開!?】アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が紀元前5世紀に築いた「王の道」

イラン中西部のハマダーンは古代の大国メディアの首都であり、イラン最古の都市の一つとして知られる歴史ある都市です。
その近郊の山岳地帯で近年、道路遺構が確認されました。

改めてご紹介すると「王の道」は、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世によって紀元前5世紀に敷設された幹線道で、
全長は首都スーサから小アジアのサルディスに至る2,400km。広大な版図を迅速な交通と通信で繋いでいました。

ハマダーンへ向かうルートは、「王の道」の支路と考えられてます。

「20〜30kmごとに、111の宿駅が設けられ、馬や食料が備えられていた。
宿ごとに待機した郵便夫が書状をリレー方式で中継し、スサからサルデスまで6日〜8日で伝えた(普通人は3ヶ月かかった)」(宮田律『物語イランの歴史』2002年)

アケメネス朝ペルシアにおいてハマダーンは、平均標高1,850mと高地にあることから、夏季の王都としての機能を持っていました。
このためスサ=サルデスのメーンルートから支路が伸びていました。

https://66.media.tumblr.com/b3bd33a66aa4cde5215068c5cefcead3/tumblr_inline_pepzat56iC1r4rrp5_500.jpg
https://66.media.tumblr.com/98f44b84ddf39fa6afb3acfe2595ed1f/tumblr_inline_peq0jkxdUU1r4rrp5_500.jpg
https://66.media.tumblr.com/7619f370ee3271638a15af4174547ae7/tumblr_inline_perddzSsHt1r4rrp5_500.jpg

典型的なソイルマークであり、これが日本国内であれば古代道路の痕跡と断言するところです。
Balmakiさんも存在自体はご存知だったそうですが、発掘調査をしてみないとなんともいえない、とのことでした。

問題はこのソイルマークの幅。なんと30mもあるのです。 後になって調べたところ、
他所での発掘調査の結果、「王の道」の幅は5-7mであったと考えられています。
後の時代のローマ街道が4mですから、実用上、必要十分なサイズであったと言えますね。

321 :ウムウル :2019/04/20(土) 14:42:17.56 0.net
ここのケチャップの話が好きです
おいらが知っている世界を一周した島と構造が似てますね


食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 107皿目
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1549950295/67

67 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2019/02/19(火) 23:42:47.31 0
「ケチャップ」ってもともとはインドネシア語起源だっけ。
たしか元祖「ケチャップ」は魚醤みたいなものだったはずだけど。


72 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2019/02/20(水) 08:47:17.72 0
ケチャップの語源は福建省南部の閩南語「鮭汁」koe-chiap
もとは魚醤のことだけど、これがマレー語に入ってソース類全般を表す言葉になった
でマレーを侵略したイギリスにもこの言葉が入って、そこからアメリカに伝わった
そしてアメリカでトマトケチャップが発明されて日本にも普及する
最後にトマトケチャップが日本領台湾に入り、台湾閩南語でke-chiap-puと呼ばれるようになった
ちょうど地球一周してる


73 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2019/02/20(水) 09:13:48.03 0
インドネシア語じゃなくて兄弟言語のマレー語だったんだ!
で、さらにそのルーツは福建系統の言葉と。

>>「鮭汁」koe-chiap
確か、「鮭」の字に「サケ」の意味を持たせるのは日本だけで、
本来の意味は「ケツギョ」っていうスズキに似た、
日本産だとオヤニラミに近縁な魚なんだよね。

それにしても、「ケチャップ」にしても「ウースターソース」にしても、
アングロサクソン系の食生活にアジア食が及ぼした影響って大きいもんだね。

322 :ウムウル :2019/04/22(月) 23:51:37.21 0.net
>>310
ちなみに台座はぶっこわされております

都市名称はここから引っ張ってるので正しいかは不明です
https://historum.com/threads/early-greek-history.18804/


クレタ系 5つ
amnisa, bajasta, kutunaja, kunusa ,and rikata.
→amnisos, phaistos,kydonia, knossos and lyktos

ミュケナイ系 7つ
mukanu, deqajis,misane,nuplija,kutira,weleja and amukla
→Mykene, Theben, Messene, Nauplia, Kythera, Elis and Amyklai

Argeioi
→Argos

これでたぶん13で最初の2つを合せて15のリストですね
掲載順番は違ってるかもしれません。

実際は初めは西から東の順に掲載されていて
つぎは西から東に並んでいることから、
エジプトからエーゲ海地域への往復の旅程表と推測されているそうです。

323 :世界@名無史さん:2019/04/23(火) 21:10:13.74 O.net
中国では
通常は,卸売り業者を通さずに
メーカー から直接
小売り店舗に,納品するのは,何故なんでしょうか ?

324 :ウムウル :2019/04/23(火) 22:50:27.62 0.net
ローマの郵便屋さんの中の人は
なんという名前だったのでしょうか、、、


クルスス・プブリクス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9

クルスス・プブリクス(ラテン語:Cursus publicus、「公道」の意。古代ギリシア語: δημ?σιο? δρ?μο?, d?mosios dromos)とは、
ローマ帝国の国営伝馬制度で、後に東ローマ帝国にも継承された。
皇帝アウグストゥスが、イタリアと属州間の役人、メッセージ、税金を移動させるために創設した。

高官の私用濫用や偽造許可証に加え、施設維持はその地域の責任で人民の負担は大きく、生活も圧迫されて、
4世紀には「ローマ世界の悪疫」とまで嘆かれるようになった[1]。

6世紀前半まで東ローマ帝国で完全に機能していたが、
東ローマ帝国の歴史家プロコピオスは皇帝ユスティニアヌス1世がペルシア国境への道以外を廃止したと非難している[2]。

クルスス・プブリクスの行程は、西暦400年ごろのローマ道路網の地図ポイティンガー図に示されている[3]。

325 :ウムウル :2019/04/24(水) 07:14:33.89 0.net
>>324
神聖ローマのポストマンは名前がありましたww

下記サイトはローマ帝国の道路が載ってますが
馬車事情と軌間については情報なしですね

道路幅は載ってましたが実際はもうちょっと広いかと思います
ローマは舗装が大変だったのか、車線は複線までの情報しかでてこないです
中国は片側3車線まであったような気がします


ローマの道路 (Roman roads)
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/canal10/roman_roads.htm

法律と伝統

およそ BC 450 年頃の 十二表法が明示していることは、 道路は直線区間では幅が 8 フィート (2.45 m) で曲線区間では幅が 16 フィート (4.90 m) であった。
実際の実践はこの標準から変動した。

この表 (Table) はローマ人に道路を建設する命令を与え、 道路が荒れている時は、徒歩の旅行者が私有地を通過する権利を与えている。
しばしば修理する必要がない道路建設は理想的なこととなり、
更には道路をできる限り直線にして、細い道路の建設を可能とし、 資材の節約をした。

ローマの法律は道路を使用することをセルビートス (servitus、要求) として定義した。
ユーセンオンディ (ius eundi, 通行権) は私有地を越えて、イーテル (iter、歩行路) を使用する要求として制定した。
ユーサジェンディ (ius agendi, 車両の通行権) はアークトス (actus、車路) の場合に同様である。
ヴィア (via、道) は両方の形式のセルビートス (servitus, 要求) を併せ持った。
但し、これは道の幅が適当な場合であり、これを決定したのはアルビーテル (arbiter、調停者) であった。
無指定の場合の幅は合法的な幅である 8 フィート (2.45 m) であった。

ローマの法律と伝統は特別な場合を除き都市での車両の使用を禁止した。
既婚女性と公務における官吏は車に乗ることができた。 Lex Iulia Municipalis は商用荷車の夜間の進入を制限し、 市の壁の中と壁の外 1 マイル以内の進入を禁止した。

326 :ウムウル :2019/04/24(水) 19:59:27.82 0.net
>>247

後の時代になりますがパルティアの駅程と中継地のリストが
以下のサイトにありました

パ ルティアの駅程
http://zae06141.client.jp/iranhistory_parthian_station.html

カラクスのイシドルスにおるパルティアの駅程の訳*1
紀元前1世紀のレバント地方とインドの間の陸上貿易路の旅程

-メソポタミアとバビロニアの間 171  Schoeni*1
-Apolloniatis    33、
-Chalonitis     21
-メディア      22
-Cambadena    31
-上メディア     38
メディア ラガイアナ 58
-Choarena     19
-Comisena     58
-ヒルカニア     60
-Astauena     60
-Parthyena     25
-Apauarticena   27
-マルギアナ    30
-アリア       30
-Anaua       55
-Zarangiana(ドランギアナ) 21
-サカスターナ   63
-アラコシア     36
----- - -----------
合計 858 Schoeni

327 :ウムウル :2019/04/25(木) 00:35:03.27 0.net
>>42

ここに始皇帝さんの中の人が
中の人になる前につくらせた
「馳道」と「直道」についてです


ヨコハマ古道奇行さんのところですが
リンクは長くて貼れません


秦の始皇帝が築いた”中国最古の高速道路”「直道」

@道路網「馳道」
https://66.media.tumblr.com/ffb24ff890ffb2015231aeb3f4861896/tumblr_inline_pa5kaqS7h61r4rrp5_500.jpg

A北方の匈奴対策のための軍道で「直道」
https://66.media.tumblr.com/1920bc20ff9e687d17a43b394c4567b3/tumblr_inline_pam8bki7uv1r4rrp5_640.jpg

がありました。
そして現地画像とNHKスペシャル「アジア巨大遺跡」のコラムへのリンク先が記載されております

328 :世界@名無史さん:2019/04/26(金) 08:10:07.48 0.net
>>320
古代道路って必要以上の幅の立派なことが多い。
必要というより、権力を見せつける象徴なんじゃないかなぁ?
日本の律令時代の官道なんかは、
見栄っ張りそのもので、
国力からすれば身分不相応。
ほとんどが維持できずに消滅。
古代ローマの街道だけは必要に応じた幅と規模だったのかも?

329 :世界@名無史さん:2019/04/26(金) 08:21:08.37 0.net
>>320
岩波文庫のアナバシスを読んだことがあるけど、
あちこちにペルシア王に服さない部族がいたりして、
近代国家の領土のイメージとはだいぶ違う気がした。
王の道と言えども、武装隊列を組んで行かないと危ないぞ、きっと。
優雅な一人旅なんて、できるんか?

330 :ウムウル :2019/04/26(金) 18:38:34.70 0.net
>>328

古代ローマの道路は
舗装が他と比べて圧倒的ですね
そのぶんコストがかかってると思います

あと、おそらく幹線のみを発達させるんじゃなくて
ネットワークを重視したので
車線を増やす方針にしなかったのではないでしょうか

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