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中国の洪武帝(朱元璋)詳しいやつ教えてくれ
- 1 :ぱあ:2021/02/24(水) 00:48:27.34 0.net
- テストの問題に洪武帝が行った政策の特色について具体的な制度、改革を述べて150文字にまとめろ
って無茶な問題が出るんだけど、誰か助けてくれませんか?
- 2 :世界@名無史さん:2021/02/24(水) 09:28:12.87 0.net
- 賦役黄冊と魚鱗図冊のワード入れとけ
- 3 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:02:06.47 0.net
- 里甲制と衛所制。
堤防の整備。
大商人を弾圧し農民と小商人を保護。
文字の獄。
胡藍の獄。
中書省の廃止。
- 4 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:11:26.03 0.net
- 偉大なる陛下の事績を簡略してまとめても1万字を下るまいに。
- 5 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:13:56.37 0.net
- 明律の制定は以後500年にわたって中国大陸に秩序をもたらす。
- 6 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:44:24.50 0.net
- 「光」「禿」「僧」の字を禁止。
- 7 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:45:20.81 0.net
- 科挙の回答は八股文に限定。
- 8 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 08:47:53.74 0.net
- いろいろと劉邦を真似した。
劉邦以上に功臣粛清。
- 9 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 10:12:46.82 0.net
- 子息を次々と藩王に封じる。
封土の分布地図を見るとまるで封建体制を目指してるかのよう。
- 10 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 18:56:51.14 0.net
- 劉邦が粛清したのって劉邦見逃した丁固と英布くらいやろ
彭越は呂雉、韓信は呂雉と蕭何
- 11 :世界@名無史さん:2021/02/25(木) 22:44:35.19 0.net
- 禿は死刑
- 12 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 08:18:16.60 0.net
- さてはここにも錦衣衛の手の者が潜んでるな。
- 13 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 16:04:35.75 0.net
- 自分の出身母体が白蓮教なのに、白蓮教を邪教として弾圧。
- 14 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 20:25:57.04 0.net
- 貧農の出なのに、地主階級と結託した
- 15 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 20:42:46.99 0.net
- 慈しみに溢れる陛下は乱世が続き人心が荒廃し道徳が低下したのを大層嘆かれました。
そこで六諭を百姓万民が諳んじるよう命じられたのです。
六諭は日本の教育勅語にまで影響を与えた素晴らしき教訓でありまするぅ。
- 16 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 21:36:22.31 0.net
- 正義感に溢れる陛下は汚職を嫌悪され
汚職役人の生皮を剥いで藁を詰めたものを役所に吊るさせて、
役人たちに戒めとされました。
いかなる特権を持った上級国民も陛下の公正を歪めることはできません。
高官や武将たちが私腹を肥やせば即処刑。
例外は皆無でありまするぅ。
- 17 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 21:51:27.35 0.net
- 勤勉なる陛下は1日平均632件の案件を親しく裁決なさいました。
中書省を廃止し宰相を置かず六部を御自ら統括され、
森羅万象全てを担当されたのです。
後世、人は皇帝独裁制の確立と評しますが
生易しいものではございません。
人間離れした超人だけが成し得るのです。
- 18 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 22:45:19.04 0.net
- 陛下の生家は貧しく両親や兄が餓死し
御身も乞食坊主もとい托鉢僧として飢えに苦しむ経験をなさいました。
なので食糧増産を最重要課題とされたのです。
灌漑工事と開墾を進め
建国後20年で農地は5倍に増加。
農村復興に里甲制が役立ちました。
- 19 :世界@名無史さん:2021/02/26(金) 22:56:35.66 0.net
- 陛下は国内の安定を第一に考え
朝貢貿易以外の外国との交易を禁止なさいました。
なんと元朝がついになし得なかった日本からの入貢もあったのです。
農業生産が軌道に乗ると商工業も健全な発展を始め
大明帝国は唐、宋、元を上回る超大国となりました。
- 20 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 07:22:35.73 0.net
- 陛下は漢民族の勃興を願い、
漢族が蒙古式辮髪をするのを禁止なさいました。
明代のファッションこそ漢族のあるべき姿でありましょう。
- 21 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 07:32:15.93 0.net
- 徳川吉宗も、清朝の時代なのに明律を研究し、法治国家のお手本としていた
- 22 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 07:48:32.65 0.net
- >>19
あのまつろわぬ野蛮国の日本ですら
陛下の栄光に平伏し、
尻尾を振り出したのですが、
この時に日本国王と封じたのは
九州の懐良親王でした。
しかも懐良親王は朝貢を促す陛下の使節団を斬殺するという暴挙を働いたのです。
それでも陛下は忍耐強く寛大に使節団を遣わし続けたので、
懐良親王も陛下の寛大さと栄光に気付き、
陛下に臣従を約束するに至りました。
その後ずる賢い日本人は懐良親王の名を騙って入貢してきました。
九州の地方勢力や倭寇や足利幕府ですら懐良親王の使節団と偽称してたのです。
足利幕府将軍を全国政権と認定して正式に冊封したのはずっと後の永楽帝の御代まで待たねばなりませぬ。
- 23 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 09:04:28.68 0.net
- >>21
清朝は基本、明代の制度をそのまま。
清の順治帝が臣下たちに対し、
漢の高祖から明代までの皇帝の中で一番は洪武だと述べた。
曰く、
洪武が定めた条例・章程は、規則の鑑にして周密。
歴代の君主が洪武に及ばないゆえんである。
だそうだ。
明朝の法体系はしっかりしてたんだろう。
- 24 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 13:08:54.13 0.net
- 三国演義を作らせ劉備に重ね合わせるようにした
- 25 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 13:39:53.34 0.net
- このスレってカンニングのものかと思ったけどカキコの時間帯をみてその可能性は否定しよう
ところで朱元璋はなぜ人気がないの?
大明帝国のドラマでききたいけど
李善長はなぜ死ななければならなかったの?
- 26 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 14:14:59.92 0.net
- >>25
やっぱ功臣粛清がエグすぎて人気がないんじゃ?
李善長は派閥のボスになったのが逆鱗に触れたんじゃ?
陰謀で他派を排斥する行為も嫌われる。
- 27 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 15:39:31.49 0.net
- なるほどなー
劉邦も似たような感じだと思うけどなー
- 28 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 16:34:51.98 0.net
- >>25
劉基なんて諸葛孔明を上回る天才軍師。
陽湖の戦いは赤壁を上回る火計。
血湧き肉躍るドラマなのに。。
- 29 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 16:36:40.50 0.net
- >>28
ハ陽湖のハの字が化けちゃった。ごめんなさい
- 30 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 16:44:21.80 0.net
- >>27
粛清規模が違うんじゃ?
血湧き肉躍る活躍を数々成した人達が一族郎党諸共片っ端から消されちゃう。
そして誰もいなくなった。
晩年は孤独な独裁者。
皆んな殺しちゃんだもん。
- 31 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 16:54:33.39 0.net
- 朱元璋本人の殺人癖もさることながら、家臣団同士の派閥争いによるものも大きい
ゴロツキ上がりのチンピラヤクザみたいな家臣と、士大夫階級のエリート家臣が混在する宮廷
お互いの陰謀合戦、暗闘も激しかった
- 32 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 17:26:14.29 0.net
- >>28
それ以前の問題として、赤壁の戦いのエピソードは、ハ陽湖をモデルにした創作ではないかと言われている
いくらホウ統が天才軍師でも、火薬のない時代にあの戦法は無理
- 33 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 17:48:23.47 0.net
- 対モンゴル関係についてですが
あくまでも蒙古帝国は陛下の軍によって滅ぼされたというストーリーでなければなりません。
北元というものは存在せず
蒙古高原に存在する遊牧民国家は韃靼と記載しないと検閲に引っかかるでありましょう。
錦衣衛の目はどこにでも光っています。
お互い気を付けましょう。
- 34 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 17:57:21.47 0.net
- 家臣を大量に粛清した朱元璋も自分の息子達に対する粛清はやってないな。
朱元璋の猜疑心からすれば
「こいつは皇太子(皇太子亡き後は皇太孫)を追い落とそうしてる」
とかで粛清をおこなってもおかしくなさそうだし,実際皇位を継いだ皇太孫が
追い落とされてるんだよな
- 35 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 18:12:07.97 0.net
- 呉楚七國の乱とか八王の乱とかを知らなかったとは思えないが
それにもかかわらず自分の子供たちを王にしてしまった
- 36 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 18:38:18.08 0.net
- 家康も秀忠率いる徳川本隊を主体に西軍を蹴散らし論功で親藩大名を増やそうと
考えていたけど、本隊が真田に手こずり関ケ原に遅参したから、
外様らにたっぷりと報酬を渡さないといけなくなり外様がかなり増えたのね
でも結果的に功臣を大幅に粛清しなくても300年は支配できるマニュアルを整備できたんだ
朱元璋も、特定の家臣に権力が集中しない月番の老中制や、家臣の経済状況を弱める参勤交代
とかつくればよかったのにな
- 37 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 18:46:16.90 0.net
- 参勤交代はやらなかったが、その代わり、全国に科挙官僚を送り込んだ
- 38 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 19:05:03.70 0.net
- 地方へ配属された科挙官僚と各地の王(地方領主)との関係ってどんなんだった?
- 39 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 20:47:23.72 0.net
- >>37
派遣された官僚は任期を過ぎると異動する。
役所にいる無給の胥吏は異動しない。
かくして胥吏が実質の役所の主となり、官僚は美辞麗句を並べた行政文書の作成とハンコを押すだけのお仕事。
胥吏を怒らせて胥吏たち一同のストライキに遭った官僚もいる。
- 40 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 20:50:08.66 0.net
- 中央からの科挙官僚=国司
胥吏=在庁官人
みたいなもんか
- 41 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 20:56:06.73 0.net
- >>38
各地の王は統治権はなく兵権もない。
勝手に移動もできず常に監視されてた。
ただ収入は多く、朱元璋の子孫がどんどん増加したので、
俸禄の拠出が国庫を大きく圧迫した。
その分の重税が住民に課されたので
農民たちに恨まれており、
李自成の乱では多くの王家一族が大虐殺されてる。
- 42 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:03:35.96 0.net
- >>35
諸王分封の危険を訴えた人がいたけど、
洪武帝は我が家族の仲を引き裂くつもりかと激怒して投獄し、
その人は獄中で餓死しちゃった。
たぶん生家の家族がみんな衰弱死しちゃった分、
家族の絆への思いが強かったんだろう。
- 43 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:27:53.34 0.net
- >>36
陛下が功臣一掃という汚れ仕事をなさったからこそ
276年続く体制ができたのです。
早世しちゃった皇太子が生前に
父の苛烈な政治に反抗なさいました。
すると陛下は棘の草束を持ってこさせ
素手で草束を掴み、引っ張ってトゲを抜いて見せたのでございます。
御手は血だらけでございました。
朕は汝の為に国家のトゲを全て除く所存であると曰われました。
皇太子は陛下の思いに絶句なさいました。
- 44 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:33:38.52 0.net
- 大粛清は息子が帝位を引き継ぐにあたり障壁をなくすため。
息子のためとはいえ,温厚な人間である皇太子にとっては自分のせいで
多くの血が流されてる事にさぞかし心を痛めてたんだろうな
(そのためか朱元璋より先に亡くなってしまったな)
- 45 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:38:42.99 0.net
- 家族が大事、後継者である息子が温厚な人物で父より先に亡くなったという点で
平清盛とも被る朱元璋。王族への粛清は朱元璋の後を継いだ孫がおこなったが
これが自身の滅亡へつながったか
- 46 :45:2021/02/27(土) 21:46:11.88 0.net
- ○:皇族
×:王族
ついでながら同じ大粛清をおこなった君主の後継者でもイワン雷帝のツァレーヴィチは
親父の影響で残虐な部分があったか(トロワイヤの本でそういう箇所を見たおぼえある)
- 47 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:51:25.80 0.net
- 天下統一に貢献した家来はやっぱり意気がっているから
皇帝だったら猜疑心の塊になってしまうのはわかる
功臣への報いと粛清はバランスが本当に難しい
ちなみにドラマで徐達にガチョウ与えたシーンは涙ものだった(泣いてしまった)
徐達も粛清されない処世術を覚えていればなと思う
君主を凌ぐ実力がありながら、中国で最も処世術に長けた家来は劉基以外に誰かいる?
候補としては
范雎
王翦
蕭何
司馬懿
賈詡
陳廷敬 ぐらいしか思い浮かばん
- 48 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 21:53:22.68 0.net
- 地方の地主は、「三代つづけて科挙に不合格なら没落する」と言われた。
どんなに有力な地主でも三代で財産がなくなるほど、明朝の税金や賄賂の負担は重かった
没落しないためには、なんとしてでも湖挙に合格して自分も収奪する側に回らなければならない
逆に科挙に合格して官僚になれば、「清官三代」と言われた。
賄賂をあんまり取らない、わりと清廉潔白な官僚でさえ、三代つづくほどの蓄財ができた
- 49 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:09:39.49 0.net
- 科挙合格=進士
進士となっても大物官僚に賄賂を贈って後ろ盾になってもらわないときつそう。
その大物官僚の失脚に連座して自分も粛清の対象となる可能性もアリだがw
- 50 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:11:44.67 0.net
- 日本でも下級・中級貴族が有力貴族に賄賂を贈って栄達をはかってたな
- 51 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:14:49.36 0.net
- そんなことを五百年もやってたのだから、全国各地の有力者が、みんな北京の本社から転勤してきたサラリーマンみたいになってしまった
かつてない中央集権と皇帝専制の体制が実現された
- 52 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:24:14.98 0.net
- >>47
劉基は胡惟庸に毒殺されてなかったら
どうなったかわからない。
- 53 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:26:19.21 0.net
- >>48
明代の官僚の給与が歴代王朝の中で最低。
給与だけでは暮らせず賄賂を取るしかなかった。
- 54 :世界@名無史さん:2021/02/27(土) 22:57:03.85 0.net
- 科挙以外で栄達をはかりたいなら宦官になるのが手っ取り早かったが
その分,宦官の専横も激しかったな
- 55 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 00:36:54.38 0.net
- そもそも科挙ってなんで日本でなじまなかったの?
- 56 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:06:11.55 0.net
- >>54
賢くも陛下は宦官の地位を低められ、
政治に口出すことを固く戒められました。
宦官に教育を施すことすら禁止なさいました。
ですが後継者がこの戒めを守らなかったのであります。
- 57 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:10:05.01 0.net
- 中国のような皇帝が人事権を掌握し
すべてトップダウンで決めるにあたっては科挙は便利ちゃ便利
それに対し殿様でも1人で決めれない合議制の日本なら科挙は邪魔者だろう
「勝手にどこの馬の骨かわかんねんやつに政治任せてんじゃねえよ」
と追い出されるにきまってる
- 58 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:20:36.91 0.net
- >>55
偉大なる陛下は科挙を停止したことがございます。
科挙で選ばれた人材が皆揃って役立たずの青二才であったからでした。
また合格者の地域格差が問題となりました。
北方地域は戦乱の荒廃が酷く、受験勉強のユトリがありません。
一方、南方は経済的に豊かで、文化が華やぎ、学問が盛んでした。
必然的に合格者が南方人ばかりになってしまいました。
陛下は巨大帝国の統一感を重視なさいます。
北方人側に下手に配慮すれば、
南方人が不公平だと怒ります。
これに陛下は頭を悩まされ、
科挙を一時停止されたのでした。
- 59 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:41:23.27 0.net
- >>41
諸王はやることないんで
子作りに励んだ。
なのでネズミ算式に増加し続けた。
10世代経過する王朝末期には
系図が残る者だけで数万人。
実数は推定百万人。
だが王朝滅亡期に大半が殺され、根絶やしされちゃう。
- 60 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:46:50.54 0.net
- 江戸時代の日本でも、科挙の制度こそなかったが、武家の子弟は藩校その他で一生懸命に儒学を勉強しなければならず、出来が悪いとヤバかった
武家といっても、職種としては文官だし
- 61 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 08:55:57.97 0.net
- 中国では、科挙に合格すれば誰でも官僚になれた
実際には親が金持ちじゃないと勉強するのはまず無理だが、昔の世の中としては驚くほど平等な制度だった
日本では、学歴より家柄を重視していたと言える
- 62 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 09:21:14.13 0.net
- >>1
どのように150字以内で課題をまとめられたか興味ある。
発表してよ。
- 63 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 11:54:06.82 0.net
- 漠然というとこれでいいか
・出る杭は殺す
・全部自分で決済する
・1庶民の行動も監視する
・漢民族主体の統治
- 64 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 12:20:44.38 0.net
- 鬼舞辻無惨だな
- 65 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 20:55:13.95 0.net
- 家臣への大粛清で悪名高い朱元璋もスターリンやイワン雷帝がおこなったような
一般大衆への残虐行為はあまり聞かない(自分が知らんだけかもしれんけど)
- 66 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 23:20:01.64 0.net
- 太祖とともに苦難を乗り越えてゆきましょう
- 67 :世界@名無史さん:2021/02/28(日) 23:25:07.24 0.net
- 朱元璋の肖像画は秀吉を連想させるような顔(ヒゲなしの赤服)だったり家康を連想させるふくよか顔だったり
- 68 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 06:41:35.03 0.net
- >>33
少し前の日本の教科書にも1388年に元朝滅亡とか記載されてたような。
漢籍史料に引っ張られちゃったんだろう。
大明帝国は大元に取って代わったというストーリーでないと政権正当性が問われるらしい。
最近は「北元」という用語が使われ、
南北の2つの勢力が対立し続けた
一種の南北朝時代じゃないかという見方になってる。
- 69 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 06:42:02.88 0.net
- 馬皇后の薬も医者もいらないといった理由に涙したな
どちらもそれで失敗したらそのものは殺されるからいらないんですと
秀吉もな秀長が死んだの痛かったな それで秀吉が狂人化した
馬皇后をなくした後のいっそう狂人化した朱元璋と似ている
- 70 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 07:33:40.10 0.net
- 馬皇后は纏足してない。
皇上は戯れに馬皇后が纏足してないことをからかう。
すると皇后は自分が纏足していたら
どのように皇上の大業を補佐できたか?
と反論した。
皇上が紅巾軍の一兵卒に過ぎなかった頃からの馬皇后の献身を思い出した皇上は何も言えなくなった。
- 71 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 08:02:26.61 0.net
- 朱元璋が紅巾軍武将の郭子興に仕えてたとき、
郭子興の怒りに触れて監獄に飯抜きで入れられた。
郭子興の養女の後の馬皇后が
焼きたての饅頭を隠し持って
監獄にやって来てこっそりと朱元璋に与えた。
彼女の胸に火傷が出来てたというエピソードが伝わってる。
暴君も彼女には頭が挙がらない。
- 72 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 08:39:32.23 0.net
- 漢民族支配の復活という事から辛亥革命後の孫文が朱元璋の墓前で報告を
おこなってたが,その後は清朝の旧臣だった袁世凱(彼も漢民族だが)に
追い落とされてるな
- 73 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 09:20:06.14 0.net
- >>68
> 最近は「北元」という用語が使われ、
> 南北の2つの勢力が対立し続けた
> 一種の南北朝時代じゃないかという見方になってる。
遼と北宋も、南北朝時代という位置づけで良いと思われる
なんたって、首都・北京が遼なんだからな
日本でいえば東京が別の国なのに統一王朝とは言えない
- 74 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 19:48:36.76 0.net
- 光の字は忌み嫌ってても国号は明
- 75 :世界@名無史さん:2021/03/01(月) 23:21:57.06 0.net
- 曹叡は朱元璋のように司馬一族を粛清できなかったのはなぜですか?
曹一族・夏侯一族が司馬懿に粛清され司馬一族の時代が来ました。
これを曹叡は防げなかったのでしょうか?やはり司馬懿・司馬昭・司馬師と
朱元璋の家臣じゃ比較になりませんかね?
- 76 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 08:11:04.03 0.net
- >>75
唐末期より貴族が没落。
有力な大貴族が存在しない時代に突入。
強い皇帝が登場すれば気ままに粛清できる。
- 77 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 09:21:39.66 0.net
- 曹操が天下統一していたら、みんな粛清されていた
- 78 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 11:32:23.09 0.net
- >>76-77
猜疑心の強い始皇帝から生き延びた王翦なら
朱元璋の下でも曹操の下でもやっていける
- 79 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 18:21:25.81 0.net
- >>74
元と戦ってたのになぜか名前に元が入っている
- 80 :世界@名無史さん:2021/03/02(火) 22:20:57.01 0.net
- 避諱ってどうしていたの?元璋の「元」は多用される漢字だし。
- 81 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 07:34:04.72 0.net
- 易姓革命思想の大前提があるので
明朝は元朝を正統な中華政権だったと公認してる。
「元」を避ける理由はない。
但し北元を「元」朝と認めず、「韃靼」と呼ぶ。
元朝は藍玉率いる明軍によって滅んだというのが公式見解。
- 82 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 07:53:38.90 0.net
- >>80
文字の獄の恐ろしいところは
何の字がアウトなのかがわからなかったこと。
文字の獄が一通り終わったぐらいに
やっと禁止文字一覧が発表された。
文字は単なる口実で
科挙官僚たちを恐怖させることが目的。
- 83 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 08:19:02.78 0.net
- >>79
大元帝国は天命によって天下を支配した。
天命は改まり大明帝国に下った。
天命が下ってる間の大元は正しい王朝。
ちなみに朱元璋は大臣クラスを含め
大元帝国の官僚の多くをそのまま
多くの場合、元の地位のまま採用している。
大元の首都の大都(今の北京)はほぼ無抵抗で明軍を迎え入れたし。
朱元璋は百官や市民に安心して日常業務を続行せよと布告した。
明軍による略奪や乱暴狼藉はない。
- 84 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 09:05:03.06 0.net
- 大都攻略時の格調高い檄文を書いたのが李善長。
この中で元朝を正統と認めた。
攻略軍の指揮官が徐達。まさに名将中の名将。
元朝皇帝トグス・テムルの軍を壊滅させたのが勇猛な藍玉軍。
後に李善長、藍玉は大虐殺を伴って粛清。
徐達は病に悪いアヒル肉を食わされて、病が悪化して死亡。
悲しい末路。。。。
- 85 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 09:18:56.14 0.net
- >>84
間違ってた。m(__)m
檄文書いたのは儒学者の宋濂だった。
宋濂も後に胡惟庸の獄に連座して流刑。
流刑地に向かう途中で病死。
- 86 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 09:41:22.18 0.net
- 洪武元年に衣冠をモンゴル式から漢式に変更させる詔勅を発した。
辮髪も禁止。
モンゴル人は右を上位としていたのを
左の官職を上位に変更。
右相国の李善長を左相国に配置替え。
脱モンゴル政策である。
一方でモンゴル人への敵愾心や根絶を目指すようなことはしていない。
元朝皇孫のマイダリ・バラを捕らえたが、
彼を崇礼侯に封じ手厚く遇した。
モンゴル人であろうとどこの民族であろうと
臣民になることを願う者は中華の民とみなした。
- 87 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 10:10:04.31 0.net
- 朱元璋の臨終の際,高位の役職にあった人物は粛清を免れたという事なんだろうけど
(遺言や遺言状でも相変わらず粛清の指示を出してた?),そういった連中の多くは
次の建文帝の時に粛清されたんやろか
- 88 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 10:26:06.10 0.net
- 大都など華北は比較的順調に制圧できたが、
長城以北になるとモンゴル人は強い。
というか明軍の補給が続かなくて、
退却するしかないことが多い。
洪武帝が派遣した遠征軍が大敗したこともある。
満洲地域を支配していたナガチュが明に投降したことが大きな転機となった。
東北部に飢餓が発生していたためにナガチュが明に降ったのだ。
これがモンゴルにとって打撃になってると考えた洪武帝は
勇将の藍玉に遠征させる。
藍玉ですら水不足に苦しみ、兵糧が尽き始めたので、
退却を考えたほどだったが、
モンゴル軍主力の駐留地点近くまで進軍した。
モンゴル軍側は明軍が兵站維持に苦労していることを知っていたために油断していた。
そこへ藍玉軍が奇襲をかける。
モンゴル軍の大部分が投降し、ハーンは逃亡中に殺され、フビライ王統が断絶。
ここに元朝は完全に滅亡したというのが明側の主張。
洪武21年のことである。
明に服属した者たちはウリヤンハイ三衛などの衛所制度に組み込まれる。
明に対抗したのがドルベン・オイラト(4オイラト部族連合)とドチン・モンゴル(韃靼)。
- 89 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 10:44:57.44 0.net
- >>87
洪武帝は皇太孫に対し、
自分は乱世だったので刑罰を重くした。
お前は平世を治めるので刑罰も軽くせよ。
と命じている。
なので粛清の継続はないはず。
- 90 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 10:55:00.00 0.net
- 洪武28年6月の奉天門での宣言では
「起兵より40余年、朕は法外に刑罰を用いてきた。
これらは法典ではない。
朕の後継者は明律等に依拠して法を適用し
残虐刑を用いてはならぬ。」
だそうだ。
- 91 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 11:02:10.38 0.net
- 洪武20年には錦衣衛の囚人を刑部に移動させ、
錦衣衛の刑具を破棄させている。
藍玉の獄の後も同じ処置を実施させた。
恐怖政治は止めようという気持ちだけはあった。
- 92 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 11:21:24.89 0.net
- 大明帝国が建国当初、応天府(今の南京)を暫定的な首都と考え、
他に北京(開封のこと。今の北京ではない)、中都(朱元璋の故郷)の3都体制にする計画だった。
しかし中都建設に費用が掛かり過ぎるということで中止。
洪武24年に皇太子を西安に派遣し巡察させた。
新首都を西安にしようかと考えてたため。
ところが洪武25年に皇太子が世を去る。
西安遷都は中止になってしまった。
遷都は永楽帝になってやっと実現した。
今の北京に。
- 93 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 21:34:18.84 0.net
- >>89
そのかわり「叔父達(朱元璋にとっては息子達か)には気をつけろ」とかいって釘さしてたりして。
自分が息子達を粛清できない分,皇太孫がその役割を担う事となったのかも
- 94 :世界@名無史さん:2021/03/03(水) 21:38:20.01 0.net
- 映画「ゴッドファーザー」で晩年のヴィトーが後継者マイケルに内部に裏切り者が
いる事をほのめかしてたけどそういう感じかね
- 95 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 09:40:43.63 0.net
- 朱元璋が子供のときに両親と兄が飢餓と疫病で相次いで死亡。
棺桶も買えず途方に暮れていた。
地主の劉継祖が彼らを憐れんで山裾の少しの土地を与え、埋葬させた。
隣人の汪という老婆が年少の朱元璋が生き延びられるように皇覚寺を紹介し、
少しの礼物を持たせて寺に入門させた。
後に洪武帝は汪の子孫に官位を与え、
劉継祖には爵位を与えて恩義に報いた。
朱元璋は義理堅い。
- 96 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 09:55:41.44 0.net
- >>95
そりゃ義理人情には厚いわな
心根がヤクザなだけに
- 97 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 15:37:02.34 0.net
- ドヤ顔で恩賞出した感ありあり
韓信みたい
- 98 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 16:19:56.69 0.net
- 「寛大な君主」というイメージ作りも必要だからな
- 99 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 16:21:19.38 0.net
- 似顔絵が魔除けに使われるほど、民衆から怖れられていたが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8e/Hongwu_emperor3.jpg/220px-Hongwu_emperor3.jpg
- 100 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 16:44:06.44 0.net
- イメージアップのため、絵師を雇って優しそうな肖像画を描かせた
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/%E6%98%8E%E5%A4%AA%E7%A5%96%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg/200px-%E6%98%8E%E5%A4%AA%E7%A5%96%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg
- 101 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 18:38:31.22 0.net
- かつての南朝支配地域から出発して支那大陸統一した希有な例
- 102 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 21:08:39.07 0.net
- 「朱元璋 皇帝の貌 (講談社文庫)小前亮」
悪相といわれた男が、皇帝としての風貌を備えるに至った、
史上最大の“成り上がり”半生を描く中国歴史長編。。。
だそうだが、これ面白いかなぁ?
読んでみようかな。。
- 103 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 22:57:28.59 0.net
- 朱元璋が漢民族って証拠どこにあるの?
錦衣衛の目も気になるしな
- 104 :世界@名無史さん:2021/03/04(木) 23:09:19.47 0.net
- >>99
怖いというよりは狡賢そうな印象を受けるわ
- 105 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 07:51:08.89 0.net
- 僧侶を辞めて紅巾軍に加わろうと決めた朱元璋。
しかし郭子興の兵士たちからは怪しまれ間諜と思われて殺される寸前だった。
郭子興は朱元璋の異様な顔を一目見て、
只者ではないと感じて執行を停止させ、
自軍に採用した。
どんな顔?
- 106 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 09:07:30.64 0.net
- アンサイクロペディアが面白い
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%9C%B1%E5%85%83%E7%92%8B
- 107 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 09:11:15.07 0.net
- 史書には「奇骨貫項」とあるだけで、具体的な描写が無い
- 108 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 09:19:12.15 0.net
- いずれにしても、チンピラ・ゴロツキ・荒くれ者ぞろいの乱世の反乱軍の中でも、「親分、怪しい奴がいますぜ」といって捕まる
親分は、「コイツは普通じゃない」といって殺すのを止めたほどの人相
現代の悪役俳優なんか目じゃないでしょうなあ
- 109 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 09:34:31.30 0.net
- >>102
小説とかの作品が悲しいまでに少ないんだよねぇ。
昔、中国のどこぞの空港の売店で買った漫画が面白かった。
『明朝那些事児1 萌太祖!朱元璋!』
https://www.quick-china.com/mag/detail/bk01739.html
まさに朱元璋は「萌え」の対象!!
冒頭の人物紹介ページで朱元璋の座右の銘は
「お前のものは俺のもの、俺のものの俺のもの」
ジャイアンですな。
- 110 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 09:37:59.94 0.net
- 中国では、朱元璋は人気ないけど、軍師の劉伯温や、将軍の徐達は講談や芝居に欠かせないスーパースター
- 111 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 22:02:30.34 0.net
- 実績も大きいけどな
孔明が成しえなかった北伐を達成させたし
江南から王朝築いたし、しかも相手はチンギスの子孫だし
- 112 :世界@名無史さん:2021/03/05(金) 22:55:37.69 0.net
- >>99
なんで髭が描かれていないの?
他の朱元璋の肖像は描かれているのに。
- 113 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 01:32:43.28 0.net
- 坊主上がりな朱元璋の仏教政策
repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/2123/1/AA112829850050002.pdf
- 114 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 07:28:20.27 0.net
- >>111
最大の実績は農村復興だと思う。
明建国前から開墾に力を注いでるし、
新たな占領地域へは免税措置、
耕牛や種籾の支給、
灌漑水利の整備などきめ細やかな措置。
建国後10年で耕地面積が2倍、20年で5倍に拡大してる。
- 115 :世界@名無史さん:2021/03/06(土) 17:34:25.26 0.net
- 長安も取れないクソ雑魚孔明と洪武帝を比べるのもおこがましい
- 116 :世界@名無史さん:2021/03/07(日) 23:38:36.92 0.net
- 荊州がないからね
蜀から長安へ攻めるには祁山経由しかない
祁山経由とは迂回ルートなのね 蜀から北へ進んで涼州まで行って日本側に向けて進軍するイメージ
蜀からの糧道を確保しつつどれだけ大変なことか
洪武帝でも無理だよ
- 117 :世界@名無史さん:2021/05/18(火) 11:49:17.29 0.net
- >>103
もうこの時代になると漢民族とか意味ないよ
色んな民族が混血しているからね
漢民族と言えたのは後漢から三国時代にかけてぐらいだね
隋を建てた楊堅なんて北周出身で鮮卑の血が混じっていると言われているし
- 118 :世界@名無史さん:2021/05/26(水) 14:46:22.59 0.net
- ある日、洪武帝が南京の街を通っていると、傍らにいた一人の老婆がそれに気づいて、
「老頭児」(おやじ)だとささやいているのを耳にして、大いに怒った
「張士誠は江東の地を盗んだコソ泥だが、いまでも蘇州では、張王と敬っている。
それにひきかえ、天子である朕を”おやじ”呼ばわりするとはなにごとか」
といい、軍隊に非常呼集をかけ、罰としておびただしい民衆を没収したとか
- 119 :世界@名無史さん:2021/06/02(水) 12:15:57.21 0.net
- ふと思ったんだけど、第二次世界大戦後の日本で、昭和天皇を処刑して、
天皇制を廃止していたから、左右どちらが政権をとっても、洪武帝や
スターリンのような大量粛清をして力で押さえつけるえげつない
独裁体制ができあがったのかな
- 120 :世界@名無史さん:2021/06/02(水) 19:15:55.14 0.net
- >>119
>昭和天皇を処刑して、天皇制を廃止していたから、
どこの異世界の日本や?
オレが住んでる世界では昭和天皇は昭和64年まで生きて終生在位したで
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