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秦氏はどこから来たか 4

867 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:09:27.97 .net
弓月など漢人にとっては単に三日月という意味でしかない そんな地名は中国国内で探せば複数あったであろう
>
「弓月国」なる国が中央アジアのどこかに存在したなど、中国の史書にはいっさい書かれていない。日本の史書にも、「弓月君は弓月国から来たとされる」なんて記述は登場しない。

868 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:10:26.67 .net
>
「資治通鑑」には、唐と西突厥との戦争の記述で「弓月城」というのが二箇所登場するだけで、それが国だったとはどこにも書かれていない。
それ以外の中国の歴史書に「弓月国」なる国の存在は一切書かれていない。

869 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:11:50.79 .net
>
「弓月国」というのは、日ユ同祖論者の妄想の中にのみ存在する、いっさい史料的裏付けのない空想の国家。真に受けないように。

870 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:13:32.27 .net
妄想を撒き散らすなとばかりにヤフー知恵袋で怒られてますな

871 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:07:05.72 .net
>>860
いやいや、その塹壕人民が作っていた絹は、山マユ糸だよ。
人工育成された蚕とは遺伝子がちゃいまんねん。

872 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:10:33.17 .net
>>859
ワイの考えでは、秦氏(弓月君)はいわゆるイスラエル民ではない。
ギリシャ系改宗ユダヤ教徒が弓月君。
失われた十部族系ではないと思うわ。

873 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:12:05.67 .net
ホータンマンは多分老人だから何言っても理解しないで自説を垂れ流し続けるだろうよ

874 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:15:10.01 .net
>>861
天皇も泣いて喜んだという秦氏の絹。
ちゅうことは、それまで日本にはなかった絹だということ。
どこからその絹糸を出す蚕と織物職人を持って来たというのよ。
ホータンから呼んだのに決まっとる。

875 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:16:07.09 .net
>>873
ちゃうちやう。
おめーらが知識不足で論破できんだけ。

876 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:19:13.11 .net
>>867
資治通鑑には「弓月道」と書いてあるな。
弓月国とは書いてない。
ちゃんと目ん玉開いて見てる?

877 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:20:32.85 .net
論破されまくってるけど効いてないの間違いだろ
あんたはオカルト次元にいるから効いてない
良いじゃん オカ板行けよ

878 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:33:57.02 .net
>>865
ホータンでは、5世紀から突然ペルシャ語系のコータン語に入れ替わる。
ペルシャ系の部族によって、人民掃討が行われたのは明らか。

879 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:43:28.60 .net
>>878
ホータンでは、5世紀の前までは、突厥系のチュルク族が支配的だった。
そこへ、ペルシャ系の部族が侵入を始めたので、弓月君らは4世紀末頃にホータンを脱出したのさ。

880 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:55:54.81 .net
>>874
>福岡県の有田遺跡(紀元前200年頃)からは平絹が出土しているが、当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている[3]。記紀には仲哀天皇の4年に養蚕の記録がある[3]。

つまり畿内が養蚕の技術を手に入れたのは九州を制圧した後のことなのかな

881 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 19:36:01.74 .net
そうやろな。

882 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 21:11:25.13 .net
日本ていきなり技術革新が進む断続なブレイクスルーがいくつもあるよな
西洋などで厳しい状況から明日を夢見てコツコツ積み上がった科学技術が時折友好的かつ直接的にぶつかって来て衝撃を受ける→浸透するの繰り返し
日本て科学技術に関しては世界的に見ても稀でメチャクチャ恵まれた好条件な文化的・文明的進化してる
八百万の神々っていうけどまさにあらゆる恩恵がこれでもかという程もたらされて来る
グローバル経済が当たり前になってからはシェアを握る事が多くなったけど、新基準を作る革新・独創性に関してはいつも後発
最先端というには受け身な国民性もこの当たりの慣習が響いてたりするんだろうか

883 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 21:11:49.29 .net
断続→断続的

884 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 01:12:37.81 .net
ローマやアメリカは技術の応用・実用化が得意で、アメリカは現在でも次々に新しい技術を生み出している。
それと比べると、日本は開発のための資本投下とその技術の応用になんかの欠陥がある。
典型的な例は、二宮忠八が世界に先駆けてプロペラ式の模型飛行機実権に成功したが、日本の社会はその技術を実用化する方向に動かなかったことに見られる。
そのあと、ライト兄弟がプロペラ型飛行機を世界で初めて実用化した。
また、欧米は八木アンテナとレーダーを組み合わせることでレーダーの性能を飛躍的に向上させた。
ドイツは、この組み合わせによるレーダーを双発メッサーシュミットに搭載して、航空機によるレーダー索敵を実際に行っていた。

この日本の社会のなんかの欠陥性は、確かにあるわな。
おそらく、死に物狂いで金儲けに走る目的性の欠如だろうよ。

885 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 10:03:10.34 .net
>>879
残念です それでは秦氏の渡来には間に合いませんなw
出直してこい詐欺師が

886 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 19:43:39.32 ID:syzT0Mnad
冗談は池子さん。
神功皇后3世紀前半説は、いくらなんでも、いまどき誰も信じないよ。
おととい来たまえ。

887 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 17:56:47.38 .net
ザンネン。
応神天皇は4世紀末の人物。
この応神のときに弓月君が渡来してきた。
ちゃんと、時代は合っている。
書紀の記述を信じて、まさかの父ちゃんみたいに、3世紀前半が応神の時代と信じてるのとちゃいまんのか。

888 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 21:22:40.84 .net
話通じなさすぎだろこいつ
博物館でも学芸員相手に延々珍説垂れ流して嫌われてそう

889 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 22:50:31.13 .net
ハタから見たら
はた目に見る

の「ハタ」だよ

単に「外から来た人」程度の意味しかない

だから要するに「その他の渡来人」やね
蘇我氏とかの単独で氏を持つ有名渡来人ではない「その他の渡来人」を総称して秦氏といった

八幡も「数多くのハタから来た人」の意味だし
八幡神は「いろんな外国の神」の意味

890 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 12:27:08.19 .net
ハタ(端)は、ハシ(離れたところ)+端(タン)の和漢合成語。
弓月君が渡来した4世紀末頃には、日本ではまだこのような高度な漢字の用い方はなかった。
つまりやな、ハタ(秦)のハタは、端(ハタ)のハタではないちゅうことでんねん。

891 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 12:35:21.68 .net
八幡(ヤハタ)の幡(ハタ)は、旗(ハタ)の意。
このハタ(旗)の発音と語義は、パンジャブ語のjhada(ハダ=旗)に由来する。
八幡(ヤハタ)は、「たくさんの旗」の意だよ。
「たくさんの端(ハタ=周縁部)の者」なんて、頭大丈夫か。

892 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:16:07.08 .net
ホータンマン「◯◯(何の根拠も無い与太話)だからな」「(反論後)しかし◻︎◻︎(関係ない話)だからな しかも△△(別の与太話)だし」

基地外荒らし

893 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:25:37.83 .net
>>891
ソースは?
個人ブログなんか持ってきたら承知しねえぞ

894 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:48:50.15 .net
つうかこのスレ建てたのホータンマンかよw
通りで何かおかしいと思ったわ
ここは隔離スレってことで

895 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:44:14.22 .net
おめーら、皆、欠陥知識振り回すの得意やけど、まっとう純正学問知識には全然歯が立たんやんけ。
まあ、どこかの学者の論文チョロ見して、どや顔で相手を攻めるくらいがオチや。
ワイみたいに、学究辛苦飽くことなき向上心の結果した論議ならまだしも、浅瀬の石ころみたいな論は甚だものたりない。
一昨日来たまえ。

896 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:46:47.30 .net
>>894
てめーは、あほか。

897 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:49:01.57 .net
>>891
秦氏の氏としての役割と一致してるだろ
蘇我氏など有名氏族以外の渡来人の管理をしてたのが秦氏なんだから

そのまま「ハタ=外国」の氏だろ

898 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:51:52.61 .net
ヤハタの神=いろんな外国神

いろんな外国神を渡来人の代表者だった秦氏がまとめて祭ったのが八幡神社

外国人の中には遊牧民も多かった
秦氏の源流のひとつである弓月氏が中央アジア系というのもある程度事実だろう
ただ唯一の源流ではないというだけ

899 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:55:30.02 .net
秦酒公の大酒神社が大避でダビデにまつわる名前だっていう説があるけど


俺はどちらかといえば海が裂けて道ができるモーセの説話から取ったと思うぞ

一般論として人の名前は伝わりにくいが、物語は伝わりやすいんだよ

アレキサンダー大王もインドではイスカンダルだし
名前は伝播するにつれてちょっとずつ変わっていく

900 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:57:33.59 .net
そして当然だけど仏教も倭王権に先駆けて秦氏が受容してただろうね

秦氏が持っていたはずの仏像や秦氏の領地にあったはずの古寺はどこに消えたんだろうな

901 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 21:21:38.46 .net
こいつは何を言ってるんだ?w
偏差値40ぐらいだろおまえ

902 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 21:27:07.42 .net
ホータンマンって呼び方良いな
変な外人の名前っぽいのが皮肉効いてる

903 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 22:08:02.02 .net
>>895
こんな所でそんなどうでも良い事語ってもスレ汚しなだけ

904 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 22:11:58.86 .net
>>889-891が841のレスだったら建設的なレスは835-837のみ
そしてこれは至極興味深い、というただそれだけの話

お前らの欠陥知識云々とかそういうのどうでも良いんだよ、嫌味ではなくまっとうな純正学問知識を存分に披露して欲しいと願う

905 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 03:02:00.73 .net
>>897
弓月氏が中央アジア系というのもある程度事実というのは卓見だ。
しかし、いろんな外国神を渡来人の代表だった秦氏がまとめて祭ったのが八幡神社、というのは浅瀬の石ころ。
深みに欠ける。
なぜわざわざ宇佐八幡に祭ったのか理由が書けてない。

906 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 03:11:05.97 .net
>>902
アイヒマンだけはやめてくれ。

907 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 08:14:31.76 .net
宇佐八幡に祭った理由は「空いてたから」だと思うよ単に

渡来人の神なんだから朝鮮半島~大阪湾の渡来ルートのどこかに祭るところを作りたいわけだ
みんなが立ち寄りやすいところに

その「みんなが立ち寄りやすいところ」の中で空いてたのが宇佐だったってことだろ

というか宇佐以外にもあるじゃん大阪湾にも福岡にも

でも大阪湾や福岡は他にも神社が多くあってそこまで参詣を集めなかった

宇佐は大きな神社がそこしかないから宇佐が渡来人以外からも参詣を集めて大きくなったってことじゃないか

908 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 09:18:16.86 .net
資料に基づいた根拠も示さない妄想はオカルト版でやってくれよ

909 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 10:24:40.00 .net
秦氏がどこから来たかという妄想を語り合うスレだろバカか

古代史に根拠なんか現存してるわけねーだろ

910 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 14:45:27.69 .net
>>907
秦氏がごっそり渡来系の人民を囲い込んだのが宇佐地方だった関連から、ついでに「たくさんの外来神」も宇佐に押し込んだのだ、くらいの解説が出て来るかと思ったが、なんだ単に「空いていた」からか。

911 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 17:40:33.10 .net
>>909
実存した氏族について語るのに単なる妄想のやり取りして何の意味があるんだよ 脳内お花畑かお前は
小卒かお前は 最低限でも文献その他の資料に基づく根拠を示せゴミが
それができないなら単なるオカルトだよ 消えろ

912 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 18:14:47.04 .net
根拠資料が現存してたら謎の秦氏とか言われてねーわ

根拠資料がない中で、根拠資料がないなりに少ない事実と解釈を積み上げて説得力のある仮説を立てていくゲームだろ?っての

これは邪馬台国論争も同じ

「根拠がないことを言うな」なんて言ったらこのゲームは成り立たないんだよ

わからないか?

913 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 18:32:23.80 .net
大避がダビデで太秦がローマ、稲荷はINRIでキリスト教だ!って言いたいんだろお前ら
でも頭領の秦河勝が建てたのは仏教寺院なんだよ

914 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 00:13:34.24 .net
その秦河勝が建てた仏教寺院の境内の配置が、エルサレムの神殿の配置とまったく同じなんだよな。

915 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 00:27:04.11 .net
大避(ダイヒ)はダビデというのは、現代のこじつけ。
大避(オオサケ)が正しい。
誰かが、紅海の海が裂けたことを表しているのが大避(オオサケ)だと言っていたが、ダビデも紅海亀裂もダメダメ。
大避(オオサケ)は、神がエジプトの子どもを無き者とするとき、イスラエルの民たちは自分たちの子どもへの難を避けるために、門に血を塗って結界にした。
この神の災難を避けた故事を表すのが大避(オオサケ)だ。
ここからイスラエルの民の荒野の苦行がスタートするわけだから、大避(オオサケ)はイスラエルの民の苦難の旅を象徴する言葉なんよ。

916 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:19:03.39 .net
そこだけ何でユダヤかホータンの言葉じゃないの 都合よくつまみ食いするよなお前は 笑かしてくれる 漢人がから逃げてきただけだなやっぱり

917 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:20:54.67 .net
>>914
具体的にはどこが一緒なんだ?

918 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:30:49.52 .net
>>916
漢人っていっても新羅人なんだよな

渡来してきた新羅人はなぜか漢人を自称した

919 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 14:33:05.18 .net
>>916
神社ができるのは仏教寺院が建てられるようになってから。
まあ、飛鳥時代頃だろうね。
だいたい7世紀。
だから、大避神社は7世紀以降のものになる。
秦氏が渡来した4世紀末頃からは、200年ほども経っている。
さしもの秦氏も、トルコ語よりも日本語生活に馴染んでいたということだろうね。

920 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 15:07:05.13 .net
>>917
エルサレムの神殿 (東西軸線上に並ぶ) 入口→銅の祭壇→聖所入り口両脇に柱→聖所→至聖書
広隆寺 (南北の軸線上に並ぶ) 入口→講堂→上宮王院太子殿入り口の両脇に灯篭→上宮王院太子殿→新旧霊宝殿

双方異なるのは並ぶ軸線方向だけで、エルサレムの神殿は東西軸線上に並び、広隆寺は南北軸線上に並んでいる。
このほかに、神殿域の南にはギホンの泉があり、広隆寺では西側にイサラ井がある。
広隆寺の方位を90度回転させれば、神殿と広隆寺の配置、ギボンの泉とイサラ井はそれぞれぴったり重なる。
このほかにも類似物はあるが省略。



双方の方位の違いは、広隆寺が立地した場所の地形などによるのではないか。

921 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 16:36:39.44 .net
エルサレムの神殿ってのは具体的に何神殿なんだ

922 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 21:05:06.25 .net
>>921
エルサレムの神殿=ユダヤ教の神を祀る聖所

923 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 21:23:51.17 .net
>>922
いやだから、すべての神殿が同じ作りではないやろ?と

924 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 01:29:27.52 .net
>>923
ソロモンの時代の神殿やがな。
イスラエルの民の栄光の時代やぞ。

925 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 01:46:46.59 .net
いやだからそんなことは聞いてない
エルサレムの神殿とはどの神殿かと聞いている
エルサレムに神殿は複数あるだろと

926 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 02:08:17.04 .net
旧市街の神殿の丘やがな。

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102003126

927 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 02:13:14.13 .net
ついでやが、赤穂市の大避神社の面とホータン出土の面が、よう似てるわ。
弓月君がホータンから来たのは、間違いないで。

https://www.ako-minpo.jp/smp/news_834.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

928 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 14:13:46.19 .net
全く似てないし どこが似てるんだよ いい加減にしろ

929 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 15:55:37.50 .net
わかるわかる
実は日英同祖論もあるぞ
意味はミーン
道路はロード
名前はねーむ(ローマ字でna me なめ 訛れば ナメェ)
台風はタイフーン(笑)

930 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 16:00:51.30 .net
実は日英は同祖だっていう証拠を詳しく(もちろんネタ)
日本語&英語訳 ←→ 英語
設定 ←→ setting(セッティング)
掬う ←→ scoop(スクープ)
イライラさせる ←→ irritate(イラテイト)
負う ←→ owe(オウ)
簿記 ←→ book keeping(ブックキーピング)
信号 ←→ signal(シグナル)
茶 ←→ tea(ティー)
浮浪者 ←→ hobo(ホーボー)
買 ←→ buy(バイ)
坊や ←→ boy(ボーイ)
籠 ←→ cage(ケージ)
妨害 ←→ jammer(ジャマー)
なし ←→ nothing(ナッシング)
冗談 ←→ joke(ジョーク)
だるい ←→ dull(ダル)
缶 ←→ can(キャン)
吠える ←→ howl(ハウル)
骨 ←→ bone(ボーン)
塔 ←→ tower(タワー)
煤(すす) ←→ soot(スート)

もちろんいくつか借用語もあるぞ!問題無いな!?

931 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 00:27:38.36 .net
>>926
顔ひらべったく丸いし、目玉も丸い、額にバンド巻いて髪を上に反り上がらせているのも同じ。
大避神社の面の鼻は、取って付けたようで、天狗を真似したものだろう。
ホータンの面の鼻は、そんなに長くない。
双方は、瓜二つと言っていい。

おぬしは、目が節穴とちゃうか。

932 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 00:30:01.61 .net
>>930
和語はそれでいいが、漢語は関係ないやろ。

933 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 03:54:48.56 .net
>>930
秦氏のトルコ語は、そんなダジャレみたいなものやない。

例えば、日本語で果物などの種は、タネと発音する。
しかし、この種の漢音はシュで、タネとは異なる。
また、この漢語のシュの発音が訛ったのが韓国語の種で、発音はssias(シア)だ。
そして、日本語の語彙と大いに関係するベトナム語では、種はhat(ハ)だ。

このように、日本語の種(タネ)と似たものは、まったくみられない。
そこで、いろいろ探してみると、トルコ語に行き当たるのだ。
驚くなかれ、トルコ語で種は、tane(タネ)なのだ。
このことからすると、日本語のタネ(種)は、トルコ語のtane(タネ=種)が語源の可能性が極めて大きい。
そして、秦氏はトルコ語話者だったというワイの説からすると、タネ(種)の言葉は秦氏のトルコ語がもたらしたものだとほぼ断定できるだよ。

ダジャレでは、こうはいかんやろ。

934 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 10:18:43.85 .net
こいつは何を力説してんの?
秦氏がトルコ語話してたなんtね証拠が一切ない上に
ホータン人がトルコ語話してたわけでもない

お面が似てたとしてもだから何なんだと言う話
同じ系統のお面には全く見えないので目が丸いとか言われたところで、当たり前過ぎて意味はない

935 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 12:35:08.18 .net
>>931
論理の飛躍が酷い

B(古)とC(新)が似てるとして CがBから来たとは限らない
BがAからコピーしただけかもしれないからだ
言ってることが小学生とレベルが変わらんと自覚してくれ

936 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 12:49:12.77 .net
>>932,933
875,876書いた者だがそれに関しては何の反論も無いよ、その通りだと思う
俺のはこのスレの日ユ同祖論などへの当て付けレベルではあったな、すまん

一見誰もが本気にしない共通祖先の感じられない言語でも対応している言葉は割と多いので、
これは音対応的な心理学も絡む別な研究課題提起にはならないだろうか(というか既に有る筈)と感じた次第

まぁ、日本人が横文字をサラッと混ぜるのもこうした親近感と使い勝手の良さが理由の1つかも知れないね

937 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 13:41:06.98 .net
>>936
そこらのアホどもと違って、率直なところが頭の良さを感じさせる。
だが、心理学へ持って行く論理転換は、コロ付きゴールポストの移動と同じ。
つまり、ワイ説を心理学的ダマシ現象に同定して、実際の語彙移動はないとする否定論。
言語を異にする異民族が身近にいないという日本の特殊環境から生まれたトルコ語話者の日本移住を信じないガラパゴス脳は、やはり時代遅れ。
異民族と歴史的に闘争を繰り返してきている漢族国家やその他の大陸国家では、さすがにそのようなガラパゴス脳の論者はいないだろう。
トルコ語を話すユダヤ教徒なんてざらにいすぎて、むしろ特殊性はゼロの存在だ。
反省したまえ。

938 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 13:57:29.99 .net
>>934
お面が似ていて、その一方の面は秦河勝が作ったとする伝承があるとなれば、その秦氏は西域ホータンとなんらかの関連があることが推測されるよね。
そして、この面を所蔵している神社は大避神社の社名を持つのだから、秦氏は西域ホータンから来たユダヤ教徒だったとする推測が生まれてもなんの不思議もなく、むしろ当然のこと。
第一、この大避神社の神主は、ウイグル人系の顔してるしな。

939 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 15:26:36.81 .net
秦河勝って名前にも一応、トルコ語で紐解ける意味があったりするんだろうか
あと縄文人あたりになんかハザールとの繋がりを感じているブロガー考察組とかも居るよね

940 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 15:30:16.64 .net
>>937
俺は比較言語学的な専門知識が皆無だから、そこまで突っ込んで考察が出来ない
俺のスタンスとしては帰属意識が日本人だからか海外の唱える日ユ同祖論は不信に感じるけど、
同族であるはずの日本人が唱える各種同祖論には興味があるんだよね
ただそれだけであって、結局ダブスタな見解になってしまい申し訳無い
まぁ否定的な表現になるから最後に持ってきて濁す感じにしたいが、どれもまだ半信半疑なんだよね

941 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 17:37:15.60 .net
半島にユダヤ系、ホータン人の集団がいた記録はないし痕跡もないと来たらもう
中国ですらユダヤ人が万里の長城を越えて入ってきたのが確認されたのはずっと後
まあ秦氏の墓場にユダヤ系なら絶対にあるはずの特徴がないなら諦めたまえ

942 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 18:37:25.30 .net
正直、日ユ同祖論は目的と手段が乖離した陰謀論的なものを感じる
海外との親和性を語る内容は明治政府が樹立される以前から既に普遍的に存在はしていたけど、
俺は単純にそこに論理的正統性を探る足掛かりとして戦国時代から宗教的な植民地化を模索する勢力の何かがあったからだと勘繰ってしまう
時の将軍のほぼ全てが仏教・キリスト教に寛容でありながら、常に政権を反故にする能力を見せ付けると徹底的に弾圧していたのは
政変の憂いというよりも海外のように国内の倫理的基準を掌握される事での不幸の増加を未然に防ぎたかった狙いがあったからじゃないかと思う
例えば仏教やキリスト教の教え以上に都合良く解釈を歪める事でのこれらの変質は未然に防がれていた筈だ
これらの大前提として殺害を是とはしていない
これらは僧兵や教化による民族浄化の動向を数百年潰しまくった事でこれらに纏わるカルト化の怪異は江戸まで起こっていない事から判る

943 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 21:15:28.89 .net
>>939
河勝の名は、三輪山の神の子とする縁起に由来するようだ。
泊瀬川の氾濫で大神神社の前まで流されて来た子を見た欽明天皇が、以前見た夢のことを思い出して、奇瑞としてその子を殿上に召した。
この子が秦河勝で、洪水に勝ったという意味で河勝(河に勝つ)と自称したというもの。
パターンとしては、川を流れてくる丹塗り矢伝承と同じ。
神の子を表している。
欽明天皇の愛顧と三輪山の神の子に縁起づけていて、大族秦氏に大きな箔付けをしているものだ。
今のところ、トルコ語との関連は調査中。

944 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 21:45:23.29 .net
>>939
秦河勝をかなり無理してトルコ語で解釈してみると、次のようになる。

トルコ語 kahkaha(カフカハ)=笑い声、笑い

これを短縮して、kahka(カフカ、カハカ)でも同じ。
意味は、笑い声、笑い。

このkahka(カフカ、カハカ=笑い声、笑い→楽しい)をカハカッに手直しして、泊瀬川の洪水に勝った子の奇瑞伝承化すれば、カハカッ→河勝は可能だ。
まあ、元々はトルコ語のkahka(カハカ=笑い声→楽しい)だろうな。

945 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 02:49:17.84 .net
>>944
トルコ語のkahka(カハカ=笑い声、笑い→楽しい)、これが秦河勝の俗名だろうな。
にわかには信じがたいが、可能性はある。
ハタ・カハカ。

946 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 07:46:38.87 .net
お前の妄想力にはいつも感心するよ
ぜひ文学方面で頑張ってくれ給え

947 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 08:00:09.44 .net
謎の氏族だから好き勝手に妄想するしかないんだってさ
言うほど謎でもないんだけどな…

948 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 15:01:38.11 .net
やっぱり、無理すると調子が狂う。
秦氏のトルコ語がもたらした言葉が、tane(タネ=種)。
日本語の種(タネ)は、この秦氏のトルコ語のtane(タネ=種)が語源。
秦氏がトルコ語話者だったのは、これをみても明らか。

949 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 15:19:07.05 .net
トルコ語を話すユダヤ教徒は、大陸においては別段特別な存在ではない。
黒海沿岸に住むクリムチャク人はユダヤ教徒で、「鬢のあるユダヤ人」と呼ばれ、「鬢のないユダヤ人」とは区別されている。
そして、このクリムチャク人が話す言語クリムチャク語はチュルク語系なのだ。
つまり、トルコ語を話し、鬢を長く伸ばすユダヤ教徒は、大陸ではとくに珍しいと言うわけではないのが分かる。

つまり、トルコ語を話すユダヤ教徒なんて、なにそれ、信じられないと叫ぶのは、言語的に隔離された環境にいるガラパゴス日本人だけなんよ。

950 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 15:25:13.16 .net
ユダヤ人=ヘブライ語というステレオタイプの先入観は捨てるべき。
話語としてのヘブライ語は2世紀頃には完全に廃れていた。
ユダヤ教徒は、2世紀以降にはヘブライ語では話していなかったというのが歴史事実。
では何語を話していたのかというと、移住した先の言語をそれぞれ話していたということ。
ホータンに住んでいたユダヤ教徒弓月君は、ごく当たり前に現地のトルコ語を話していた。
で、日本に移住してきた弓月君がトルコ語話者だったのは、当たり前中の当たり前なのだね。

951 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 15:58:18.62 .net
証拠がないんだからオカルトだね
秦氏がユダヤでもホータンでもいいが、商売人なら持ち込んだはずの当時中央アジアで流通してた通貨や金貨が一つでも国内で見つかってるなら出してみな

半両銭は国内の複数の場所で見つかってるよ

952 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 20:38:34.52 .net
>>951
いや、当時、日本では金貨という概念はなかった。
持って来た金貨があったとしても、日本ではそれらは金貨という価値物ではないわけだから、金貨は鋳つぶして金として用いたはず。
だから、考古でも出土しないのよ。
このあたりの実態について、>>951はまったく見当はずれとしかいいようがないので、シモ。

953 :日本@名無史さん:2023/09/10(日) 20:46:15.11 .net
>>951
半両銭は、銅貨。
しかし、弓月君がどっさり半両銭を持ち込んでいたとしても、この時期、日本では銭貨はまだ制度化されていなかったことから、珍物として少し手元に置き、その他は鋳つぶして青銅器の材料にされただろう。

954 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 11:04:46.15 .net
どうでもい仮面を証拠にしてるような奴はこの程度です
ユダヤ人の財産といえば絶体的にゴールド、金だが秦氏にそんな伝説はないもんな。秦氏の金貨が見つからないのもユダヤ人じゃないからだわ。

955 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 11:15:54.13 .net
>日本ではそれらは金貨という価値物ではないわけだから、金貨は鋳つぶして金として用いたはず。
だから、考古でも出土しないのよ。

銅でも建築の飾りその他に使うから一緒なんだよボケ
秦氏は全くユダヤ人らしくないな こいつの勝手なオナニー自説に都合のいい解釈には呆れるわ

956 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 11:23:57.02 .net
>金貨は鋳つぶして金として用いたはず。

例えば? ユダヤ人の金細工みたいなのは国内産で見つかってないでちゅよ

957 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 13:49:35.96 .net
ホータンマンはユダヤのこともテュルクのことも碌に知らないから仕方ないよ

958 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 15:30:57.31 ID:V1Yn8rGep
貨幣制度もなく、金細工の需要もなかった4世紀末頃の日本に、金貨や金細工がみつからないのでユダヤ人はこの時期にはいなかったと歴史背景無視のご高説を垂れる筋違い論者は、秦氏を語るに欠陥があると言わざるを得ないよね。

959 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 15:57:00.52 .net
>>956
金細工そのものが、その時期の日本で需要がなかった。
需要がなく、価値がないものをわざわざ造らないよね。
ユダヤ人が価値ある物とみなした物品は、この時期の日本では価値がなかった。
だから、考古発掘では出土しない。

ちゃんと、時代背景を考えようね。

960 :日本@名無史さん:2023/09/11(月) 15:59:00.24 .net
>>957
ガラパゴス男が胸張ってるのが、可笑しい。

961 :日本@名無史さん:2023/09/12(火) 00:27:35.63 .net
末裔です

962 :日本@名無史さん:2023/09/12(火) 01:02:39.03 .net
>>956
金細工物は半島や中華で造られたものはブランドとして価値があったが、ユダヤ人が作る金細工物は4世紀や5世紀の日本で価値があったかどうか。
価値を持たない物をつくるより刀の象嵌に用いるほうが、まだ価値があったろうから、そっちの方で用いたのとちゃうか。

963 :日本@名無史さん:2023/09/12(火) 01:28:37.00 .net
済州島(耽羅国)の赤く塗られた門は稲荷系の鳥居そっくり

秦氏の交易範囲だと思われる

964 :日本@名無史さん:2023/09/12(火) 04:21:23.18 .net
中国では古来、門柱や扉に朱を塗るのが伝統だからな。
耽羅の門に朱を塗ってあるのは、中国の影響だろう。
日本の鳥居の朱塗りも中国の影響か。
しかし、日本では縄文時代から朱が墓に用いられているから、鳥居の朱塗りもいろいろありそうだよ。

965 :日本@名無史さん:2023/09/12(火) 04:48:07.15 .net
秦氏は太秦から埼玉の行田まで交易路を構築していたようだ。
その交易路は、太秦→四日市→尾張→諏訪→行田のルートと見られる。
この中で、語義がよく分からないのが諏訪(スワ)だが、これを秦氏のトルコ語で見ると次のようになる。

スワ(諏訪)
トルコ語 su var(スバ)=水がある

水があるとは、どういうことか。
諏訪で有名なのは諏訪湖なので、これが「水がある」という言葉が指し示しているものであるのは明らか。
そして、su var(スバ=水がある)の発音と諏訪(スワ)の発音がほぼ同じあることからすると、諏訪(スワ)はトルコ語のsu var(スバ=水がある)が語源の言葉であるとすることができるのだ。

このように、秦氏のトルコ語の存在は、交易路の関連からあちこちで確認できるのだね。
これは、日本語のタネ(種)がトルコ語のtane(タネ=種)とまったく同じであることと軌を一にすることなのだ。
もはや、秦氏がトルコ語話者だったことは、疑えない事実なのだよ。

966 :日本@名無史さん:2023/09/13(水) 18:14:17.64 .net
半島にあった秦韓は秦帝国の中国系移民から成った国でした

『後漢書」、「三国志(魏書)」「晋書」の辰韓伝では

・労役や厳罰など秦の圧政から逃亡してきた秦人が半島に来た事。

・三韓の内の「馬韓」が東の地に彼らを住まわせ「辰韓人」と呼んだ事

・王族は馬韓の人が務めた事

・秦の言葉が混じった言語を使っていた事

などが書かれています。

時代が下った「北史」の新羅伝でも新羅の前身が辰韓・秦韓であった事と併記してほぼ同じ記述があります。



最初の記述を後続の史書が踏襲した可能性も大きいのですが、現時点では中国史書にしか記述が無いのですから信じざるを得ないという事かと思います。

967 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 04:06:26.71 .net
秦韓の秦(シン)の字は、辰韓の辰(シン)に置き換えたものだと思う。
秦の長城労役から逃亡してやってきたという伝承があって、その秦(シン)の字を同音の辰(シン)の字に当てたということ。
辰韓の辰(シン)は十二支の5番目だが、これを方角に当てるときは東南東の方位を指し、馬韓から見て辰韓は東南東の方角に当たることから、この地を辰韓(馬韓の東南東にある地方)と呼んだものだと思う。
なので、辰韓が正式な呼び名であって、秦韓は正式名呼び名ではなかったと思うね。

968 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 07:24:13.64 .net
馬韓から見ての方角で辰と呼ばれた訳がない 

969 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 07:29:19.02 .net
秦韓も正式名称
倭王が大陸政府にもらった称号に入ってる国名だからな

970 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 07:32:12.79 .net
ホータン野郎はこの程度の知識しかないってことやね

971 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 14:46:44.81 .net
>>969
理解の程度が低すぎ。
秦韓は、中国王朝の認識や。
半島における認識とは別。
魏志韓伝では辰韓としており、秦韓なんてどこにもない。
半島での正式名称が辰韓だったことは、明らか。
魏志韓伝の辰韓の150年ほども後になって、宋書に秦韓が登場する。
しかも、宋王朝による認定であって、半島での正式名でなかった。
よくよく考えてみたまえ。

972 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 14:58:45.87 .net
>>971
訂正
魏志辰韓伝に秦韓はないとしたが、秦韓の呼称はある。
ただし、秦韓と呼ぶ者もいるとしているのであり、正式名称は辰韓だよ。
この辰韓(シンカン)の辰(シン)と発音が同じなので、秦韓(シンカン)と呼ぶ者もあったということ。

973 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 18:03:26.37 .net
じゃあ秦韓はあるじゃないかw

974 :日本@名無史さん:2023/09/14(木) 23:18:00.24 .net
どれだけ反証されても秦氏はユダヤでテュルクでホータンなんだという奇説を頑なに唱え続けるのって普通に何かしらの病気だと思うよ
専門板にはよくいるタイプだが

975 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 01:07:37.99 .net
>>973
正式な名呼び名は、辰韓。
その辰韓をもじって、秦韓と呼ぶ呼び方もあった。
秦の苦役から逃亡した者が居付いたところなので、秦韓と呼ぶ呼び方もあったということ。
なので、この時期には、辰韓が正しい呼び方だった。
そして、その辰韓の名の由来は、馬韓から見て辰(東南東)の方角にその土地があったことによる。

第一、魏志韓伝自体が、辰韓の呼び名を用いている。

976 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 01:17:08.37 .net
>>974
それらしい反論は、なかったけどな。
あったのは、根拠を伴わない単なる主張だけ。

977 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 01:30:27.00 .net
秦氏系図では、弓月君の子は4人いて、真徳、雲師、武良、裏東の4君。
このうち浦東(ホトゥ)がホータンの略だとすれば、他の3人もタリム盆地あたりのオアシス都市の名に違いないと目星を付けて、地図上を探してみると、まぎれもなくこの3君と同じ発音の都市が見られるのよ。
ということは、タリム盆地のオアシス都市のこの者たちが一団になってタリム盆地を脱出して、日本にやってきたということになるわけだ。
そして、そのうちの浦東君(ホータン脱出者)が、秦氏の祖ということになっているのよ。

こうしたデータに根拠ある反論もせずに、ただただ、ソレハネーヨの一言だけだからなあ、おぬしらは。

978 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 09:38:33.62 .net
倭王武が宋朝から正式文書で与えられた称号とは・・・

478年 使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王に任じられる。

哀れなりホータン爺

979 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 09:42:55.60 .net
ホータンから来た連中が何の関連もないのに勝手に秦氏を名乗れるとでも思ってんのかねこいつは

秦姓を名乗る氏族が大陸にいるということが分かっていないし、比較検討すらしていないわな
ただただホータンから来たの一点張り 証拠は一切示さないので論外

980 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 09:48:42.42 .net
>>977 そういうのはこじつけであって証拠にはならない

だったら証明してみろと言われても何もできないのがお前

981 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 14:25:57.88 .net
>>978
ちゃんと考える脳味噌持ってるなら、この南朝宋の文書がおかしいのは、すぐ分かること。
新羅=秦韓とすれば、新羅と秦韓が別々の国だと書かれているいる。
また、慕韓は馬韓であり、馬韓は百済のことなので、百済が書かれていずに慕韓となっていることもおかしい。
宋は百済を倭国王の軍事領域に入れていないので百済は書かれていないが、百済と同じである慕韓はちゃっかり書き入れている。
こんな文章が正式な認定証であるわけがない。
なので、秦韓が正式な呼び名であったとは、到底考えられない。
辰韓が正式なんだよ。

982 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 14:39:22.24 .net
辰韓、馬韓と書かずに秦韓、慕韓とずらした書き方をしているところがミソだ。
辰韓、馬韓じゃありませんよ、別の秦韓、慕韓ですよ、とだましの書き方をしているわけだ。

983 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 19:36:42.02 .net
>>975
そりゃ漢の楽浪郡があるのに、秦韓なんて名前を残してたら、秦復興を目指していると疑われて滅ぼされるだろ。
身を護るために辰韓に変えたのだろう。

984 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 19:36:44.24 .net
>>975
そりゃ漢の楽浪郡があるのに、秦韓なんて名前を残してたら、秦復興を目指していると疑われて滅ぼされるだろ。
身を護るために辰韓に変えたのだろう。

985 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 19:42:46.45 .net
>>979
弓月君が渡来した4世紀末頃は、日本ではまだ漢字がうまく使いこなせてない。
そんな状態で、ハタに秦の字を被せることができたわけがない。
秦の字は、ウズマサに太秦の字を被せた頃にその太秦の秦を取ってハタに被せたものだ。
ずっと後のことなんよ。

ほんじゃ、ハタは、いつからこの一族の族名になっていたのかというと、出身地のホータンを短縮したホタが訛ってハタとなったと考えれば、弓月君の渡来後すぐにハタの名は成立していたとするのがよいということになる。
論が一貫しとるだろが。
おめーらみたいに、具体的例証なしのシンジラレン一点張りとはわけが違うよ。

986 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 19:54:28.31 .net
>>983
そもそもが、馬韓から見て辰(東南東)の方角にある地方だから辰韓と呼ばれたのよ。
その辰韓の辰(シン)に、秦からの逃亡者が居ついたところという意味で秦(シン)の字を被せたのが、秦韓。
辰韓がドンと押す太鼓判、秦韓は軽く押す認め印みたいなもの。
その違いは大きいのだなあ。

987 :日本@名無史さん:2023/09/15(金) 23:38:20.18 .net
>>978
讃が朝貢して大将軍の肩書を求めたのは、宋太祖の元嘉年(425年)。
この時の奏上文に新羅と秦韓がみえる。
新羅と秦韓が別の国のように記してあるのが分かる。

これは、どういうことかと考えれば、次のように解釈できる。
元々、辰韓と呼ばれた部族連合体の中で、斯盧国が力をつけて新羅と名乗るようになる。
この時点では、新羅は他の部族をまだ吸収併合できていず、それらの部族連合は辰韓諸国ではなく便宜的に秦韓諸国とよばれるようなずらした書き方となったと思われる。
これは百済も同じで、百済は大きくなったものの、馬韓諸国をまだ吸収併合できていない状況だったため、それらの部族連合は馬韓諸国ではなく慕韓諸国とずらした書き方がなされたと思われる。
このように見ることが可能であれば、秦韓は便宜的な呼称だったということになる。
たぶん、これが宋書倭国伝の讃の奏上文の実態だろう。

つまり、この時点では、辰韓はすでになくなっていて、新羅と秦韓諸国に分れていたということが言えるだろう。
ということは、辰韓と秦韓は同じではなかったということだな。

988 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 00:09:13.03 .net
>>987
この考え方が正しければ、弓月君が渡来した4世紀末頃には、半島には辰韓の呼称はあったが、秦韓の呼び名はまだなかったということになる。
その後、半島では斯盧国が力をつけて大きくなり新羅と称するようになった結果、辰韓諸国はまとまりをなくして、新羅以外のこれらの旧辰韓諸国は秦韓と便宜的に呼ばれる部族連合になっていたということだ。
そして、倭王の讃が宋王朝に朝貢した425年頃には、かつての辰韓は大きくなった新羅と残余の秦韓諸国に分裂していたと理解すれば、讃の奏上文をそのままに受け入れることができることになる。

なので、秦氏が秦韓の秦の字をハタの名に被せたのだとすれば、それは弓月君が渡来した4世紀末頃のことではなく、それから30数年くらいも後になってからのことになるわけだ。
しかし、その仁徳のころに、氏族の名に漢字を被せることが慣習的に行われていたかどうか、その検証が必要だろうな。

989 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 09:17:14.79 .net
「秦」の漢字が重い・・・
ホータンから来た中央アジア顔の氏族が存在しヤマトに渡来してきたとしても、軽々しく「秦」姓を勝手に盗用し名乗るなどできるものではないことは分かる
ホータン爺はしばらく閉門し外出せず反省した方がいい

990 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 09:25:04.32 .net
ホータン爺はこういう無知なやつなので、一切信用がない

>>967
> なので、辰韓が正式な呼び名であって、秦韓は正式名呼び名ではなかったと思うね。

991 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 14:30:00.72 .net
>>988
5世紀後半とされる埼玉行田の稲荷山古墳出土鉄剣の銘では、人名が多数刻まれているが、すべて万葉仮名風の漢字音でその名が表されている。
そして、この鉄剣銘には、一族の苗字に当たる表記はみられない。
このことからして、5世紀後半においても、倭人は苗字のようなものを持っていなかったことが推測される。
つまり、弓月君の子孫たちも、5世紀後半には氏族を表す苗字のような名は持っていなかったと考えることが可能だ。
つまり、弓月君の子孫たちも、この時期にはまだ漢字による秦(ハタ)の氏族名を持っていなかったとするのがよいことになる。
秦氏がウズマサ(太秦)に拠点を築くのは5世紀後半とされるが、このウズマサに太秦の漢字が当てられるのはまだ後のこととするのがよいだろう。
つまり、この時期には、弓月君の子孫たちは、まだハタ氏であって、秦氏ではなかったということになるよ。

992 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 14:35:42.67 .net
>>989
>>991でそのことを言っているのよ。
5世紀後半ですら、まだ氏族名に漢字を当てる習俗が成立していない。
ハタ氏はハタ氏であって、秦の漢字を被せるのはまだずっと後のことなんだよ。

993 :日本@名無史さん:2023/09/18(月) 16:01:59.19 .net
迫害から逃れ、生き延びたシュメール系ユダヤ人は、日本にたどり着いた。

994 :日本@名無史さん:2023/09/19(火) 14:33:04.12 .net
シュメールと関連するのは、の雲の八岐大蛇(やまたのおろち)だけ。
シュメール神話では、嵐の神が持つ武器がムシュマッへで、このムシュマッへは七頭の蛇の意味。
出雲神話では、嵐の神であるスサノオによって、八頭の蛇が退治されている。
シュメールの七頭蛇が、出雲神話では八頭蛇に変わっているのは、日本では吉数が偶数だったからだろう。

このシュメールの神話はペルシャ商品の交易に付随して日本にもたらされたか、中国を経由して日本に伝播したか、いずれかだろう。
ユダヤがこの神話に紛れ込むのは、まあ、不可能とちゃう。

995 :日本@名無史さん:2023/09/19(火) 15:12:56.33 .net
太陽は神の目から生まれたとするエジプト神話がインドに伝わって、これが神が目を洗ったときに太陽が生まれたとする神話に変容し、このインド神話が中国に伝わったあと日本にも伝わったとされるのが、イザナギが禊をして顔を洗ったときに左目から生まれたのが日の神だとする神話だ。
このことからすると、シュメールの嵐の神の武器である七頭蛇の神話は、中国を経て伝わった可能性が高い。
ユダヤがこの嵐の神と七頭蛇の神話の日本への伝播に関与したとは、考えにくい。

996 :日本@名無史さん:2023/09/19(火) 15:32:03.25 .net
嵐の神の武器である七頭蛇はニヌルタというシュメールの農耕神に殺されたとする神話もあるそうだ。
素戔嗚の八岐大蛇退治の神話は、嵐の神とニヌルタがごっちゃになっている可能性がある。
素戔嗚の八岐大蛇退治の神話は、シュメールの神話がルーツである可能性が極めて高い。
そして、このニヌルタ神は、ユダヤ教の旧約聖書の列王記に出て来る二クロスと同一かも知れないとする主張がみられる。
素戔嗚の八岐大蛇退治は、ユダヤ教との関連の線もあるのかも知れない。

997 :日本@名無史さん:2023/09/21(木) 15:51:32.37 .net
このシュメールの神話が日本書紀の八岐大蛇神話に取り入れられていて、それがユダヤ教との関連も取り沙汰されることからしても、まあ、どちらにしろ、秦氏の先祖の弓月君が中央アジアからやって来た可能性の高いことは、もう動かないよ。

998 :日本@名無史さん:2023/09/21(木) 15:59:26.87 .net
秦氏のハタはタリム盆地のオアシス都市ホータンのホタが訛ってハタになったものだし、そのハタ氏はどうやらユダヤ教徒だったらしいことを合わせると、ハタ氏はホータン出身のユダヤ教徒で、ホータンがイラン系部族に襲撃されたときにからくも脱出して、他のオアシス都市の者たちと一団になって日本にやって来たということになるよ。
新羅から来たなんて、無理。
また、百済から来たというのも、百済のほうから来ましたという意味にすぎんから、ハタ氏が半島出身者であることを示すものはどこにもないのよ。
ハタ氏ホータン出身説は、歴史の真実だからね。

999 :日本@名無史さん:2023/09/21(木) 22:34:30.20 .net
あーあ壊れちゃった

1000 :日本@名無史さん:2023/09/22(金) 07:38:11.85 .net
クンダル「お、そうだな」

1001 :日本@名無史さん:2023/09/22(金) 12:23:51.75 .net
ホータンにユダヤ人がいたってどこの記録なんや 教えて ホータン翁

1002 :日本@名無史さん:2023/09/22(金) 19:24:00.03 .net
秦氏がトルコ語話者だったことは、明白なこと。
その当時、トルコ語が日常話語だったエリアのうち、日本に最も近いのがタリム盆地あたり。
なので、トルコ語を話す秦氏の出身地がタリム盆地だったとしても、なんの不思議もない。

おめーらに、この道理がわかるかなあー。
脳味噌に難のあるおめーらには、わかんねーだろうなあ。

1003 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 12:56:49.00 .net
根拠となる記録もないようではお話になりません 喚き散らせば歴史の事実になる訳じゃない そんなの捏造だよ

1004 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 18:12:54.76 .net
根拠になる記録は、なんども言ってるように、家系図に記載の弓月君の子の浦東、武良、雲師、真徳の名とタリム盆地のオアシス都市の名がぴったり重なる事実。
そうなると、浦東(ホトゥ)はホータンの短縮形であることがおのずと分かる。
おめーらは、中国の地図開いてタリム盆地のオアシス都市を見てみる努力くらいせえよ。
そしたら、納得、納豆、甘柿の汁だ。
ひと目氷解、秦氏はホータンだから。
他人の努力に乗っかるだけなら成長しないからな。

1005 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 18:20:10.72 .net
前にも言ったように、日本語のタネ(種)はトルコ語のtane(タネ=種)由来の言葉だからね。
このトルコ語のtane(タネ=種)を日本に持って来たのは、トルコ語話者の秦氏なんよ。
わっかるかなあ〜。

1006 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 18:38:32.86 .net
ではgoogle翻訳レベルではトルコ語の種を意味するtohumは現代語でしか無いという事なのだろうか?

1007 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 18:40:06.71 .net
×レベルでは
→○レベルで

1008 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 20:42:07.22 .net
残念です 古代の発音はウテ
だから音写で于闐の漢字表記となっております

1009 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 20:44:20.54 .net
失礼
漢字名の于闐はウテンが当時のホータンの発音だったから 残念でした

1010 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 20:47:14.70 .net
>>1004
妄想にすぎない
だったらまずは土地の呼称を人の名前にする慣習があったと証明しないとな

1011 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 20:48:00.91 .net
グーグル翻訳は便利だが、1語しか翻されないのが難点。
その点、GLOSBEは数語が例示される。
このGLOSBEでは、種はトルコ語でtohumのほかにtaneも示されている。
日本にもたらされたのは、このtaneのほうなんよ。

1012 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 21:01:44.42 .net
>>1010
古来、日本では住んでいる土地の名を部族名とし、氏族が誕生するとその居住地の土地名を氏族の苗字とする慣習があった。
その慣習によって、太秦と名付けた土地名の秦の字を取って、氏族名のハタの音に被せたのが秦氏の名。
もちろん、その基になったハタの呼称も、出身地の土地名であるホータンから取ったもの。
これらは日本の習俗によるものであり、ハタの名は弓月君自身ではなく、その子の浦東君あたりから用いたものだろう。
弓月君自身は、ユダヤ教徒としての元々の氏族名を用いていたのではないか。

1013 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 21:15:44.12 .net
>>1009
于闐(ウテン)の于の音は、中古音ではfiuoなので、ホ音に近い。
中世音ではfiuとなり、ウ音に近くなる。
というわけだから、中国語においてもホータンの音が忠実に再現されていたとするのがよい。

ざんねーん!!!!!

1014 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 21:23:45.88 .net
百済に住んでたからクンダル名乗ってたのかな
ちなみにペクチェは秦語(上古音)の発音だよな

1015 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 22:59:42.35 .net
>>1013 言い訳は聞き飽きました そもそも方言だらけの中国で古代の音など正確に分かるわけがない

それより子供の名前を地名にちなんでつける慣習など一体どこにあったのか?w
さあ実際の例ぐらい挙げてみろよ 

ユダヤ系ではありえないんだがまだユダヤ系とおっしゃるのかなこのバカはw

1016 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:00:19.04 .net
哀れすぎるww

1017 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:08:34.13 .net
ユダヤ人がそんな意味のない名前の付け方する訳が無いだろが
それぐらいお前みたいな脳なしでも分かるよな

しょせんこいつはこの程度

1018 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:14:31.97 .net
>于闐(ウテン)の于の音は、中古音ではfiuoなので、ホ音に近い。
中世音ではfiuとなり、ウ音に近くなる。

これも全く的外れ
上古音だろうが中古音だろうが、時代により発音は変わっていた。

ホータンは当時は「ウテン」とチベット語で呼ばれていたのを中国人が漢字で表したから于闐だったのだ

1019 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:23:55.07 .net
>>1014
クンダル?

クダラは、三羅の一つ。
三羅は、クダ羅(クダラ)、加羅(カラ)、新羅(シンラ)。

つまり、百済の自称名が、巨太羅(コテラ=大国)だったのだ。
この巨太羅(コテラ)を、日本が万葉仮名読みでコダラと発音し、これが訛ってクダラ(百済)となったのだ。
なので、クダラ(巨太羅)は、元々は百済の自称の巨太羅(コテラ)で、それが日本読みでクダラ(巨太羅=百済)となったもの。

1020 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:38:01.45 .net
>>1013
中国の地方語の発音は、その地方でしか残らない。
しかし、中央で認知された言葉は、その中央発音で残る。
于闐は中央で認知されたから、fiuo tianの発音が残った。
fiuo tianは、フィォ・ティァンだから、ホータンそのもの。

1021 :日本@名無史さん:2023/09/23(土) 23:39:23.88 .net
>>1018
ウソこくでねえ。

1022 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 11:55:37.44 .net
もともと土地の名前はペクチェなんだよな
だから中国語の上古音でペクチェ(百済)ってちゃんと表記されてる
その百済(ペクチェ)の住民だった一族がクンダル名乗ったから倭人がそいつらの住んでた土地を同じように呼んだわけで

1023 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 12:11:27.00 .net
これから先、誰に何を言われようともホータン爺はホータン爺のままなのだろうね。
悲しいね。

1024 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:22:49.79 .net
>>1022
百済(baegjie=ペチェ)の前身は伯済(baegjie=ペチェ)だったことが分かっている。
伯を百に置き替えただけ。
その百済の中に住んでいたクンダル氏族から取ったクダラの名を日本が百済の読みとした、など聞いたことがない。
デタラメだろう。
クダラは百済の自称である巨太羅(コテラ)の日本読みで、加羅、新羅とともに三羅の一つだった。

1025 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:30:30.48 .net
漢字の日本語読みとかいつ頃の話なんだ……

1026 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:32:47.70 .net
>>1023
誰が何と言おうと、ちゃんとした反証がない限り、ハタ(秦)氏のハタはホータンのホタの訛ったものとするのがOK。
おめーらは、ハタの発音の由来が全然説明できてない。
イェフダ(ユダヤ人)のフダ、ハダがハタの語源だとする日ユ同祖論や大氏族の波多氏のハタに背乗りした説のほうがまだましと言える。
はやく、ちゃんとした反証を示したまえ。

1027 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:40:14.42 .net
>>1025
4世紀前半頃に日本人が漢字を普通に読めたとは思えん。
朝鮮語読みの巨太羅(コテラ)の発音を聞いた日本人が、これをクダラと訛っただけ。
だから、クダラの読みが日本にしかないのよ。
巨太羅(コテラ)は百済の単なる自称だから、文章には残らなかった。

1028 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 21:39:17.75 .net
自分で墓穴をほったホータン爺、哀れなり!

1029 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 22:43:27.68 .net
あほちゃう。

1030 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 20:05:25.35 .net
ハタは、ホータンのホタが訛ったもの。
ハタ氏の秦は、太秦(ウズマサ)の秦を取ったもの。
ハタ氏に秦の字を被せたのは、かなりあとになってから。
秦氏の苗字が成立したのは、欽明天皇のあたりではないか。

1031 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 20:51:46.08 .net
隋書に記録された秦王国が先なのでそれはない

「住民は華夏に同じ(中国人に似ている、同様)でここが夷洲(中国から見て東の野蛮人の住む土地とは思えない」と記録されていますw

ホータン野郎は妄想をやめたほうがいい。

1032 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 21:07:01.60 .net
秦氏のルーツはホータン
日本人のルーツはブータン

1033 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 01:19:29.51 .net
>1032
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。

1034 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 01:29:15.22 .net
ホータンじゃなくてノータリン

1035 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:01:48.40 .net
>1032
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。

1036 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:34:25.02 .net
>>1031
原文の読みが変だ。
秦王国は、皇帝が特別に家臣に土地を与えて王にした国のこと。
なので、この原文は「…筑紫国(伊都国)に着いて、さらに東に進んで秦王国に来た。風俗が倭国のそれと全然違って中華と同じだ。野蛮人の国だと思っていたのにまさか皇帝の秦王国がここにあるなんて、混乱してその理由を明らかにできないよ…」というもの。
皇帝の秦王国があると思ってしまったのは、実はここは那津官家がある博多であって、官人たちがそろって中国風の衣服を着ていたからだ。
使節の裴世清は、このことは普通に承知していたが、桃源郷に来たように脚色して異郷感を漂わせる文飾を行ったということだよ。
この文飾は、このあと十数国を経て「海岸に着いた」とする倭国の旅程を謎めかすための前置きだね。
なので、この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。
漢文は、少し読み違えると全然違った解釈をしてしまうから、要注意だよ。

1037 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:37:30.10 .net
>>1034
きみはアホタリン。

1038 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 06:40:47.45 .net
ホータン爺は功満王の渡来も嘘だと決めつけてるからな。ただ宇佐八幡の辺りも秦氏系の人が多い訳でね。また墓穴掘ったんじゃないかな。

>この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。

1039 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 08:21:32.24 .net
遣隋使がいる時代に何が桃源郷だよ 正気で言ってるならどんな時代だったか全く分かっていない

1040 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 17:31:19.44 .net
>>1038
始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。
宇佐八幡の近傍に秦姓が多いのは事実のようだが、これは秦氏がその土地の渡来系人民を囲い込んだ結果、それらの者が秦姓を名乗るようになったというふうに考えられているからね。
当然、そのあたりに対して太秦の秦氏の影響が強かったということは言えても、宇佐八幡が秦氏と深い縁があったかどうかは分からない。
まして、秦王国が宇佐八幡を指しているという確証もないわけで。

1041 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 17:57:32.03 .net
ほ〜たそ〜

1042 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 18:41:07.00 .net
忍者のルーツは「中国」にあった!? 服部半蔵の「驚くべき血筋」とは
https://www.rekishijin.com/31436
 秦氏とは東漢氏と並ぶ渡来系氏族で、3〜7世紀頃に渡来。『日本書紀』応神天皇紀によれば、百済より百二十県の人を率いて
やってきた弓月君を祖とすると記しているが、天日槍を祖とする新羅・加羅系渡来氏族とみなす識者も少なくない。

1043 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 21:30:56.00 .net
秦氏はピューリタン?

秦氏は古代キリスト教『景教』

1044 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 22:13:44.30 .net
>>1042>>1043
そう考えるについては、何かの根拠があるはず。
その微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠を挙げてみたまえ。
聞いてみたいもんやわ。

1045 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 11:01:05.98 .net
>>1040

↓ホータン爺の発言とは思えず、腹抱えて笑ったわ あんまり笑かすなよ
秦氏がホータンからきたって記録がどこにあるんだよ!?w

> 始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。

いいかげんにしろよインチキ野郎

1046 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 11:25:44.03 .net
そもそも弓月国だかも妄想であって、史書に記録はない。ホータン爺はぺてん師としか思えん オカルト板にいけ

1047 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 13:17:03.11 .net
なんだかんだ言いながら、あっち向いてホイか。
微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠すらも出せない秦氏新羅説者と秦氏景教説者の空虚な妄説。

秦氏はトルコ語話者。
トルコ語は、当時、西域以西でしか話されてなかった。
ホータンは、西域の超有名オアシス都市。
5世紀になるとチュルク系のホータン語は、ペルシャ系言語に取って変わられる。
その動乱で、ホータンを脱出して日本にやってきたのが秦氏の祖の弓月君。
ごく普通にトルコ語話者だったのよ。
百済や新羅がトルコ語話していた国なんか?
ダメダメ。
無理無理。
一昨日きたまえ。

1048 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 03:18:55.78 .net
トルコ語でtikis(チクシ)は「出口」の意味。
筑紫は、このトルコ語を語源とするのは明らか。
ということは、このトルコ語を話していた人物は九州ではなく、畿内あたりにいたということになるな。
まさに、太秦にいた秦氏がトルコ語話者だったことを示すものなんだよ。
ついでに、iki(イキ)は数字の2を表す。
壱岐は半島から2番目の島だよね。
秦氏がこの島を2番目の島(iki=イキ)と言ったのが壱岐と書かれた。
もう、秦氏がトルコ語話者だったことで手を打とうじゃないか。

1049 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 14:50:24.69 .net
秦氏が百済、新羅出身だとする説は、根拠がほとんどない希望的妄想以外の何ものでもない。
それに比べて、秦氏ホータン出身説は、根拠がいくらでもあるから余裕。
どう、この違いは。

第一、当時日本にはなかった上質絹織物を秦氏が天皇に貢いだということは、その養蚕と織物技術を秦氏が調達できたということだ。
これは、秦氏が先祖の弓月君がいた西域ホータンと連絡が取れていたことを示しているわけ。
蚕と織物技術を先進地のホータンから入手していたということだな。

根拠は、いくらでもあるのよ。

1050 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 15:01:56.68 .net
>>1049
このような視点からすれば、筑紫はトルコ語のtikis(チクシ=出口)、壱岐はトルコ語のiki(イキ=数詞の2)に由来することもちゃんと説明できることになる。
弓月君が西域ホータンの出身でトルコ語話者だったことを示す有力な根拠になるのよ。
どうよ、この明察は。

1051 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 09:22:56.20 .net
そもそもトルコ語の地名だとしても秦氏とは関係ない
秦氏と吸収に会ったであろう秦王国は関係ないと言っておきながらこれだからな

矛盾だらけの根拠なき主張をしておるだけの脳みそが足りない愚か者だとしか思えんw
そもそもお前の主張の根拠もただの憶測、妄想にしか過ぎない。

1052 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:24:51.72 .net
トルコ語は妄想ではな〜い!
現実そのものだ。
おめーらの空想妄想などと一緒にするな。

1053 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:27:25.19 .net
そのトルコ語の語彙が秦氏の周りにうじゃうじゃみられると言うとるのよ。

1054 :日本@名無史さん:2023/09/30(土) 02:32:46.31 .net
秦氏の残した寺院や遺跡、墓である古墳からもホータンやトルコ、ユダヤと繋がるものは何も有りません、出てきませんがな。

壱岐島にしても秦氏と何の関係があるのか 秦氏の勢力下にあったならともかく 「イ」から始まる地名なんて古代から珍しくもない ホータン爺のこじつけに過ぎない 何の根拠もない

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