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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 354 :日本@名無史さん:2022/11/23(水) 19:29:59.28 ID:dlk2F1+sv
- 解析すると、
斉の方士であった徐福は、始皇帝の歓心を得るために、
不老不死の神薬を求めて来倭した。
1回目は、朝鮮半島経由で、対馬海峡に到達した。
>>112
燕系の衛氏朝鮮が建国する前ですから、秦の使者が通過できたわけですね。
そこで遭遇したのが、海神・大鮫魚、ですから、
サメ=ワニ、つまり古代出雲=宗像を本拠とした、熊鰐の勢力に遭遇したわけです。
対馬海峡の北岸は、燕系の神a派。
対馬海峡は、吉武高木王家の外戚だったであろう、女系ワニ。
が管理していて、
共に、吉武高木大王に従っていた。
とっくに稲作を開始していて、金属器も保有していて、国家運営していましたから、
秦始皇帝の探索隊を日本列島へ入れるなんてとんでもない話だったわけですね。
徐福は吉武高木宮殿に連れてこられたが、
大王や殿上人には会わせてもらえず、
口上の使者とだけお話させていただいて、追い払われた。
>>115
前285年の斉土笛難民は、政治色の無い避難民だったので、人道的に保護した。
けれども、
前219年の徐福は、秦始皇帝の配下で、
始皇帝は周囲の国々を滅ぼして奴隷化した恐るべき皇帝ですから、
青銅製武器で武装した軍隊でぐるりと取り囲んで徐福を威嚇して、
追い返したわけですね。
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