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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3

493 :日本@名無史さん:2023/01/03(火) 22:32:10.62 ID:Pl6QGsmmk
さらに梁王城遺跡から出土した5000年前の人骨は、
いずれも上顎の側切歯を抜歯しており、
身長180センチ以上の高身長の人も複数いたとのことですから、
弥生人と共通する資質を持っていたことになります。

縄文時代には上顎の犬歯を抜歯していたのが、弥生時代から上顎の側切歯が多くなる。
また安徳台遺跡の甕棺墓被葬者には身長176センチの人が2人いたり、
弥生時代に入ってから高身長になるわけですから、

まあ弥生時代開始時期にこの地域から複数回の「集団の渡来」があったのだろうと
考えられますね。

文献で対応するものとして、上で検討したように、
臨錙遺跡からの「集団の渡来」は徐福が候補になるわけですし、

梁王城遺跡からの「集団の渡来」については、呉の太伯の子孫も候補になってきますね。

>>489
>穆王の事績と江蘇省あたりの地方が重なるのは、大規模な淮夷排撃です。
淮夷の反乱を平定したり、東夷26邦を従わせたのは、
穆王の前の4代昭王(前995-977)とありますから、
菜畑遺跡の開始時期と重なってきます。

あとは石棚墓との関係が焦点になってきますね。

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