2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

侠客の歴史

1054 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/24(木) 17:50:51.41 ID:POxaKVerA
>>963
「博徒と自由民権」
1977年に中公新書から出版され、その後1995年に平凡社から出版されています。
別の機会に「侠客 原田常吉」を「東海遊侠伝」と対比したい、という記述がありますが、
きっとそれが水谷藤博氏に託して「東海近代史研究」に発表された論文なのだと思います。

>>1005
小松村七五郎
石松の知人であったというだけで、どれだけ清水一家とかかわりがあったかは不明ですね。
戸羽山 翰の「清水次郎長正伝」には、亡くなった時に「香奠もとどかなかったという。」との記述があります。
さすがにこれは想像を膨らませすぎだとは思いますが、「奥郡遊侠伝」という本では、
都田一家とともに石松をだまし討ちにした、ということにまでされています。

>>1038
「次郎長」も父親の名前が「治郎八」(あるいは「治郎右衛門」)だから
「治郎長」た正しい、と言われていますね。
榎本武揚が墓石に誤って揮毫したのが間違いの始まり、とどこかに書いてありましたが、
それ以前に天田愚庵が「東海遊侠伝 一名次郎長物語」で「次郎長」と書いています。
当て字も頻繁に使われていた時代ですし、身近にいた学のある養子が書いているので
「次郎長」でいいと思っています。

>>1047
同じく「清水次郎長正伝」には勝蔵とかかわりのあった女性として、
浜松の「お時」、雲風の亀吉の家で知り合った「お繁」、古市の「お君」、
安東文吉の家で知り合った「お京」という名前を挙げています。
小説的要素もある本なので、どれほどの信憑性があるかはわかりませんが。

>>1052 1053
20何年か前、「奥郡遊侠伝」は市販はされていないようで、愛知県立図書館で閲覧可能です。
親常吉、嫌次郎長の立場で書かれた小説で、新たな事実を求めたり、
様々な考証をするにはやや不向きな本です。

総レス数 1800
880 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200