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靖国神社&日本近代史における食人を語る統合スレ

1 :代理屋 ◆XFizselqIb3B:2024/05/01(水) 19:59:04.08 ID:Hs3b+XcQp
当スレは、倉庫入りした以下2つを統合した後継スレッドです。
        ↓
●靖国神社
https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1388793318/

●日本近代史における食人を語るスレ
https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1369046613/


統合理由の詳しくは後述するとして、まず両スレの経緯につい
て説明しておきます。

上のスレ主は私ではありませんが、両者ともにヘイトスピーチ
の一種とされる歴史修正主義≠理解するうえで有意義なス
レで、個人的に大いに利用されて頂いていました。
ことに両スレは2015年暮れ、旧2ch.net版を同時に強制倉庫送
りにされた経緯が−−歴史修正主義に与する一部運営の意向と
想像されますが−−あります。
したがって、両スレはsc版にしかない貴重≠ネスレです。

(※私の立てた「70年談話狂詩曲」という修正主義的な安倍首
相を批判したシリーズなどとともに消されました笑)
https://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history2/1388793318/805-806

本来は単独復活がベストですが、両者は「歴史修正主義」の観
点から密接な関連性をもち、かつ今後も荒らしにより落とされ
る蓋然性は高く、復活の手間を考え勝手ながら統合しました。
           ↓つづく↓

2 :代理屋 ◆XFizselqIb3B:2024/05/05(日) 15:14:17.11
>>1に続き、統合理由をもう少し掘り下げて説明します。

【歴史修正主義と極論的食人言説の蜜月】その1

靖国の遊就館売店には、歴史修正主義に属す書籍が散見されました。

歴史修正主義を、フランスのある史家は「記憶の暗殺者」と表して、
(ヴィダル=ナケ『記憶の暗殺者たち』)
そのロジックの特徴を、真逆の立場にたつ2つの食人言説≠例
に説明しました。ひとつは全ての食人記録を虚構と断じ、ひとつは
全て事実としたうえで、動物性タンパク質を摂取する行為だったと
する、いずれも極論といえる内容で話題を集めました。
(アレンズ『人喰いの神話』&ハリス『ヒトはなぜヒトを食べたか』)

そうした極端な食人言説と歴史修正主義=記憶の暗殺者には、親和
性が認められるようです。

この視座からも、両スレッドの統合は意味があると考えました。

しかもそればかりか……(↓)その2につづく

3 :代理屋 ◆XFizselqIb3B:2024/05/11(土) 16:25:44.38
【歴史修正主義と極論的食人言説の蜜月】拙>>2つづき

日本では200年前の1823年、今日から見れば“歴史修正主義的な
食人言説”としかいえない珍説が登場していました。

高名な儒学者が、日本の食人を記したさまざまな文献を、たまた
ま知らなかったか、あるいは失念したのかわかりませんが、「日
本に食人の記録は存在せず、日本人は中国人と異なり食人しない」
といった食人言説を唱えたのです。
(*太田錦城『梧窓漫筆後篇』1823)

これは当時すでに存在した『日本書紀』や、一次史料にも準じた
『信長公記』や、上梓されていた杉田玄白『後見草』(1787)、
『形影夜話』(1810)などなど、一度でも眼を通した江戸期の読
者にとっても苦笑する内容といえたでしょう。

したがって本来なら、この記憶喪失にもとづくような食人言説は、
とうに忘れ去られてしかるべきでした。

ところが明治期、『教育勅語』が公布された翌年の1891年に、今
度は国学者の筆によって復活させられます。それも教養ある神職
を育成する神宮皇学館創設に尽力し、また同校の教授も勤めたよ
うな一流の国学者によってです。
         (↓)その3につづく

4 :代理屋 ◆XFizselqIb3B:2024/05/20(月) 23:45:31.01
【歴史修正主義と極論的食人言説の蜜月】拙>>3つづき

儒学者の説と矛盾する『日本書紀』の飢餓食人の行を、その国学者
は8世紀の編纂者が中華を慕うあまり、中国の史書を「丸抜きの盗
み書き」したためだと強弁。今回も玄白『後見草』などの記録には
沈黙し、さらに今度は維新後の戊辰、西南の両内戦下における新た
な食人の記憶やモース論文をめぐる論争の記憶まで封じたうえで、
「皇国では神代より人を食べた話は聞かない」などと書きました。

それ以上に記憶すべきは、この国学者が例えて云うなら、水戸光圀
の評伝に『水戸黄門漫遊記』の挿話を忍び込まるようなやり方で、
孔子が人肉でできた塩辛を食べていたと読者が誤読しかねない怪し
げな表現を用いて「中国では食人が常」だと強調した点でしょう。

そうした儒学者を唖然とさせるような奇怪な説でしたが、唱えたの
が国学の権威で、また日清戦争前夜の時勢も手伝ってか異論も出ず、
南方熊楠の1902年の食人論考によると『日本書紀』の記述は《……
災害の大きさを強調するための、中国文献からの借用表現であると
いうのが通説……》とされるに到ったそうです。
(*「日本の記録に見る食人の形跡」訳:松井竜五『南方熊楠英文
論考』集英社 2005 頁285)

そしてこの通説≠ヘ、20世紀定説≠ニして流布されます。
(↓)その4へ

5 :代理屋 ◆XFizselqIb3B:2024/05/23(木) 20:20:59.68 ID:uzOLutfz1
【歴史修正主義と極論的食人言説の蜜月】拙>>4つづき

本題に入る前に……通説となった国学者の奇妙な食人言説は、国立
国会図書館デジタル・コレクション(NDL)で閲覧可能です。
(*敷田年治『日本紀標註〈16〉』1891)
また食人を記録した『後見草』については、国立公文書館サイトの
「天下大変〈45.〉」が解説しているので是非ご覧ください。
ttps://www.archives.go.jp/exhibition/digital/tenkataihen/famine/contents/45/index.html
いずれも後ほど、書かれた時代状況と照合しながら詳しく述べます。

話を本題に戻します。
20世紀の日露戦争後、かの「通説」を自著のベストセラーを通して
「定説」として広めた人物が登場します。それは国定教科書の編纂
に携わった、国学者を父にもつ勲章を授与された国文学者でした。
(*芳賀矢一『国民性十論』1908)
日本人は諸国民のように、飢餓でも食人しない温和な国民性をもつ
と論じた同書は、翻訳され中国にも伝えられたといいます。

その国文学者は1918年に、神宮皇学館と同様、神職の養成も担う國
學院の総長となり、東宮職御用掛にも任命されましたから、江戸の
大飢饉の記憶すら暗殺するような言説は、皇室をふくむ神道界全体
に浸透したといえるかも知れません。話はこれで終わりません。
      (↓)その5へ

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