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稲作は中国大陸から直接渡来【遺伝子解析】
- 1 :日本@名無史さん:2020/06/17(水) 00:20:41.21 .net
- 水稲のDNA解析結果
中国大陸 abcdefgh
朝鮮半島 a cdefgh (bがゼロ)
日本列島 abc (bが最多)(defghはゼロ)
中国大陸→日本列島に「ごく少数の」渡来人が直接やって来ました。
日本社会に同化したんですね。
21世紀の最新科学によって真実が明らかにされました。
(>>1-3)
- 428 :日本@名無史さん:2020/07/10(金) 19:04:26 .net
- いやもう学説として中国南部から稲作伝播で決着ついてるから。
レーダー照射みたく、
逆を主張してごまかしても無駄。
日本列島のが先だった。
ただ、bが半島に伝わってないから、日本→半島ってのは検討の余地があるだろうね。
- 429 :日本@名無史さん:2020/07/10(金) 19:17:16.77 .net
- チャンコロナ
- 430 :日本@名無史さん:2020/07/10(金) 20:15:29 .net
- チャンコロナ
- 431 :日本@名無史さん:2020/07/12(日) 19:34:33 .net
- チャンコロナ
- 432 :日本@名無史さん:2020/07/12(日) 19:34:36 .net
- チャンコロナ
- 433 :日本@名無史さん:2020/07/12(日) 19:34:38 .net
- チンカス
- 434 :日本@名無史さん:2020/07/15(水) 10:05:29 .net
- チャンコロナ
- 435 :日本@名無史さん:2020/07/15(水) 10:05:32 .net
- チャンコロナ
- 436 :日本@名無史さん:2020/07/15(水) 10:05:34 .net
- チャンコロナ
- 437 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 19:06:11.59 .net
- 贅六コソコソしてる?
- 438 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:47:49 .net
- 贅六チンカス
- 439 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:47:54 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。
- 440 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:47:57 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。
- 441 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:05 .net
- 贅六キチガイ 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。
- 442 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:09 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。チンカス
- 443 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:14 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。贅六腰抜け
- 444 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:20 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。ぶりゅりゅりゅりゅ
- 445 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:23 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。
- 446 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:27 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。ウンコ
- 447 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:35 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。贅六賎民
- 448 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:41 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。贅六チキン野郎
- 449 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:48:47 .net
- 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。贅六逃亡
- 450 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 23:55:04 .net
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- テドロス
- 496 :日本@名無史さん:2020/08/01(土) 22:48:01.99 .net
- ρ(ーoー)♪
あなたも私もアベコロナ
- 497 :日本@名無史さん:2020/08/10(月) 21:52:30 .net
- 細川幽斎アベコロナ
- 498 :日本@名無史さん:2020/08/10(月) 22:13:06.47 .net
- >>256
インドネシアは、いくらなんでも遠すぎるだろ。
江蘇省の淮河下流域からだね。
淮河下流域の稲作民が倭人(いじん)で、
その倭人(いじん)が北部九州へ渡って来たのを倭人(わじん)と呼んだ。
- 499 :日本@名無史さん:2020/08/10(月) 22:30:16.49 .net
- >>498
考古整合してないし、考古立証もできない
チンコロの願望乙
- 500 :日本@名無史さん:2020/08/10(月) 22:57:04 .net
- 菜畑の短粒炭化米と同じのが長江下流域と朝鮮半島の松菊里で出ている。
長江下流域あたりから北上した短粒稲が菜畑に渡来し、
それから松菊里へも渡ったことはすでに考古立証されていること。
無駄な悪あがきはダメ。
- 501 :日本@名無史さん:2020/08/10(月) 23:36:06.27 .net
- >>500
デタラメチンコロ乙
菜畑のやや小粒のイネ粒が長江下流域の炭化米粒の中にも類似するものが
かなり見られたというだけの話で、けっきょく大部分は中粒種だぞ
伝播ルートにしたって、けっきょく山東半島→朝鮮中西部→九州北部という
ルートだけは変わらない
(7)山東半島の楊家圏遺跡、松菊里遺跡(紀元前500年)、および日本の北部九州最古の
稲作遺跡・菜畑遺跡のやや小粒の古代稲粒は、浙江省呉興県の銭山漾遺跡の炭化米粒の
中に類似するものがかなり見られた。このことは、日本への最初の稲作渡来が
江南地方から中国大陸の黄海沿岸に沿って北上し、山東半島から韓国の西海岸を
南下しながら北部九州に上陸した可能性を示すものである
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-04041079/
- 502 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 02:36:37.52 .net
- >>501
魏志倭人伝の半島沿岸南下→唐津ルートとおんなじ。
半島にはランディングしなかったということ。
松菊里は菜畑よりあとの遺跡だからな。
山東半島から半島にランディングしたにしろ、とにかくそれは菜畑のあと。
むしろ、菜畑から半島にもたらされた可能性すらある。
- 503 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 07:46:30 .net
- >>502
あるわきゃねえ
口を開けば妄想と願望だけのサギサギチンコロ乙
半島は松菊里どころか、4000年前から稲作やってるよ
1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
https://madenokouji.wordpress.com/2008/03/19/%E7%A8%B2%E3%81%AE%E4%BC%9D%E6%9D%A5/
- 504 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 14:03:19 .net
- >>503
陸稲だろ。
半島は水稲を行う土地とは見られていなかったということだな。
第一、半島南部では、梅雨は中国江蘇省や日本より半月ほども遅くやってくる。
そもそもが水稲の適地ではないのよ。
直播きの粗放農耕としての陸稲なら、なんとかやっていけたのだろう。
高度緻密な水稲農法は、直接菜畑にやってきたということ。
- 505 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 17:29:54 .net
- 本国じゃ誰も研究対象にしない幻の詐欺遺跡
それかイルサンのオッキョン遺跡
嘘がバレるのを恐れ、証拠隠滅としてマンション建てちゃった(笑)
- 506 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 19:15:04 .net
- 水稲農耕が中国の長江流域で始まったのは、梅雨と関係がある。
この時期に河川には水があふれ、苗を植えた水田にはたっぷりと水が供給される。
稲の成長期に水田に水が確保されることは、極めて重要なことだった。
この梅雨の時期と雨量が長江流域と一致するのが、菜畑なのだ。
長江の水田稲作の方法をそっくり再現できたというわけだ。
しかし、半島では梅雨は南部で現れるだけで、その梅雨も菜畑より半月ほども遅く始まり、
梅雨明けも早い。
半島南部での水稲栽培は、長江での栽培方式をそのまま用いることができなかった。
それで、大陸から来た稲作民は半島に定着せず、菜畑で好適地をみつけたということだ。
あるいは、大陸にいたときからすでに半島と九州の気候条件の違いを知っていたのかも知れん。
後者の可能性が高いかもな。
まあ、そういうことだな。
- 507 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 20:16:33.17 .net
- >>506
願望ブタ広鼻半ニグロ乙
長江江南から稲作民が菜畑に渡来定着しといてだ、
何で菜畑に長江江南の中粒種のイネも耕作用農具も炊飯器もねえんだよゴミカス
死ねよブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇ホラフキ醜悪汚物
- 508 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 00:43:12 .net
- >>507
長江流域の短粒種が菜畑の稲じゃ。
耕作用の農具は縄文人の畑作のものを転用したのよ。
菜畑はまだ縄文時代だから集団炊飯社会。
中国のような家族炊飯器なんかお呼びじゃなかったということ。
常識的に考えたら、謎もなんにもない。
- 509 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 01:29:50.24 .net
- >>508
で、長江流域の中粒種は?
で、縄文人の畑作の耕作用農具とやらはどこどこどこどこ?
で、菜畑が家族炊飯ではないとウソブいている文献は?
つか、菜畑に中国大陸から稲作が直伝したとサギブいている頭のおかしな考古学者の文献は?
.
- 510 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 08:02:09.51 .net
- <<中国大陸→日本列島に「ごく少数の」渡来人が直接やって来ました。
ワ族は呉の太公望の子孫との記述がある
太公望は 漢人ではない 少数民族
シナ大陸から日本に渡来したのは
シナ大陸にいた少数民族の呉
自然崇拝 天孫伝説 社会主義
- 511 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 08:16:49 .net
- 呉王室は龍と鼎がシンボルの、何ら変哲のない漢人の中の漢人
王族はふつうに漢字の読み書きが出来た
縄文弥生を通して日本には中国大陸から渡来定着した事が証明できる中国系の
衣食住に関する生活必需文物や住居跡のある中国系の生活痕遺構が一切存在しない
繰り返す
縄文弥生を通して日本には中国大陸から渡来定着した事が証明できる中国系の
衣食住に関する生活必需文物や住居跡のある中国系の生活痕遺構が一切存在しない
.
- 512 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 12:25:18 .net
- 漢字もないね
- 513 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 15:29:09 .net
- 日本語のクワ(鍬)とベトナム語のcuoc(クオ=鍬)は、発音も語義もおんなじ。
ベトナム語はO1b1種族の言語で、そのO1b1と日本のO1b2とは親戚。
そして、菜畑に水稲持って来たのがO1b2。
O1b2は、クワ(鍬)の言葉をO1b1種族と共有していたのよ。
O1b1は江蘇省の淮河中流域にもいて、魏の初代となった曹操もこのY-DNAだった。
農具の鍬をクワと発音していたO1b2は、淮河下流域にいたということになるな。
- 514 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 18:51:49.46 .net
- >>513
鍬は国字なんだがw
つまり日本からベトナムに伝わった言葉という事
- 515 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 23:40:54 .net
- >>514
クワの発音に日本で作った字の鍬を当てたんだよ。
クワの発音が先にあったの。
- 516 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 23:58:24 .net
- 日本語 コメ(米) → ベトナム語 com(コム=米)
- 517 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 02:26:03.89 .net
- >>509
縄文時代から石鍬があるじゃん。
知らんのか〜あぁぁぁぁぁ!
- 518 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 07:24:15 .net
- >半島の東岸の「オクキョン遺跡」に水田稲作が突然現れるのがおかしいってことね
半島の東岸の「オクキョン遺跡」に水田稲作が突然現れることは、至極当然の事である。
佐賀県唐津市にある「菜畑遺跡」は、半島への出航地(平戸市周辺))に近く、
おそらく「菜畑遺跡」等から半島の東岸の「オクキョン遺跡」等に水田稲作が伝わったものだろう。
朝鮮半島の東岸は、対馬からの着岸地だから、「オクキョン遺跡」に水田稲作が突然現れるのは、至極当然の事である。 @阿波
- 519 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 08:49:33 .net
- >じゃあ菜畑へはどこから稲作が伝わったの?
>イネの粒種、耕作用農具、炊飯器などの不一致から中国からの直伝はあり得ないぞ
もちろん、「阿波」から。
日本の灌漑稲作は、「阿波」が発祥地だよ。 根拠:「庄・蔵本遺跡」 @阿波
- 520 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 09:02:02 .net
- >菜畑遺跡の弥生人たちは朝鮮土器を一つも作ってないんだから
朝鮮人の日本着岸地は福津市( 万津浦)・宗像市。
だから、朝鮮土器は福津市( 万津浦)・宗像市から出土する。
佐賀県唐津市にある「菜畑遺跡」周辺は、朝鮮人の日本着岸地ではないので、
当然、朝鮮土器の出土はない。 @阿波
http://www.yado.co.jp/tiiki/munakan/Imagawaiseki/Imagawaiseki.htm
- 521 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 17:58:54 .net
- >>514
縄文晩期末に菜畑からベトナムへ水稲籾持って遊びに行くかよ。
あまりの暑さで、あたまファイラになったみたいだな。
- 522 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 18:25:41 .net
- 中国史書の魏略に、『倭国の人民に伝承を聞いたら「わしらの先祖は(史記に有名な呉の)太伯なんよ」と言って胸張った』と書いてある。
太伯は呉の王だから、倭国人民は元々今の江蘇省あたりに居たと証言していることになる。
この魏略の記述を疑う理由はないし。
で、魏略は「道理であんたらが身体に刺青してるわけだ。その刺青は越人と同じみたいだしな」とも書いていて、なんとなく刺青=野蛮人と臭わしているけどな。
まあ、そこらあたりはかまわんが、刺青した文字も読めん野蛮人が史記の太伯の話を知ってるのはまた聞きだろうくらいに軽く鼻であしらっているのが透けてみえる。
いずれにしても、魏略の元資料をまとめた魏の役人が、倭国の人民が呉地方から来たとの伝承を持っていることを疑ってないことが重要だ。
- 523 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 19:50:30 .net
- >>518
泡チヨンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ
- 524 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 19:50:46 .net
- >>519
九州に憧れすぎ(笑)www
____
/_ノ ヽ、_\
o゚((●)) ((●))゚o ,. -- 、 _
/::::::⌒(__人__)⌒:::::: / __,>─ 、 ◎_,-,_ロロ | |
| |r┬-| / ヽ | ̄ ̄ ̄ | |_ _|. л __ | |
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_ _(_) | | | } \ ,丿 ヽ / /  ̄| | ̄ |_| '-' □
l_j_j_j^⊃ | | | / 、 `┬----‐1 }  ̄  ̄
ヽ | | | | / `¬| l ノヽ
ヽ \ `ー'ォ / 、 !_/l l / }
{ \ l / ,'
\ ´`ヽ.__,ノ / ノ
\ ヽ、\ __,ノ /
 ̄ ヽ、_ 〉 ,!、__/
 ̄
- 525 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 19:51:06 .net
- >>520
泡チヨンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww
- 526 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 21:01:53.39 .net
- >>513
当時の東南アジアを含めた中国大陸以南には地面を掘り起こしたり、
打ち起こしたりするクワという耕作用農具はないんだが
あったのは「鋤(ジョ)」という地面を引き削って除草する除草用農具で
古代日本には伝わっていない
これが「鋤(ジョ)」だ
http://www.cpcjapan.com/china/industry/agriculture/photo2/tetsusuki001.jpg
https://inews.gtimg.com/newsapp_bt/0/11207883258/641
メイン農具の「石耜」(菜畑遺跡には石耜どころかスキという耕作用農具自体がない)
https://inews.gtimg.com/newsapp_bt/0/11207833487/641
金属製の「鋤(ジョ)」など
https://xw.qq.com/partner/gdtadf/20200115A0L81L/20200115A0L81L00?ADTAG=gdtadf&pgv_ref=gdtadf
.
- 527 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 21:35:03 .net
- >>526
縄文時代の石鍬と除草用小鍬の写真があるぞ。
「縄文農耕論発祥の地・井戸尻」と入力して検索する。
こうした縄文農耕具が菜畑の水稲農耕に転用されたのだろう。
- 528 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 21:51:48 .net
- >>527
縄文時代にすでに鍬があるのだから、菜畑の水田で使うために鍬があって当然。
ただ、水田では田底は軟弱なんだから石鍬は必要なく、木製のものが考案されたのだろう。
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