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ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義4

1 :考える名無しさん:2019/11/20(水) 23:06:19 ID:0.net
・課題にあげられた文献や言説の精読が中心
・上記に関連のない議論は禁止

論文検索(CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所)
http://ci.nii.ac.jp/

前スレ
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義総合スレ3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1566561216/
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1518478416/
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/

313 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:05:13 ID:0.net
>>309
日本会議、日本会議と喚くけど君の思う日本会議とやらの思想って何?

314 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:08:56 ID:0.net
>>311
ソ連弱体化と並行はしてるけどね。

315 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:09:20 ID:0.net
>>313
反共の一点w

316 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:10:07 ID:0.net
>>309
ソ連の影響とか以前にサッチャーやレーガンによる民営化による労働組合弱体化政策と新自由主義の推進があり中曽根はそれらを真似ただけでは

317 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:11:28 ID:0.net
>>314
大した因果関係はないだろ。

318 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:14:45 ID:0.net
>>315
反共なら右はナチから左は社会民主主義やアナキズムまで大抵反共だろ。
ドイツは共産党を禁止してて国家自体が反共だよ。

319 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 14:41:07 ID:0.net
労働組合や福祉弱体化と新自由主義を推進したサッチャーが首相になるのはソ連のブレジネフ時代の1979年。

この年にソ連はアフガニスタン侵攻をする。
このアフガン紛争がソ連崩壊の大きな要因となる。
アフガニスタンでアメリカの支援を受けソ連に対抗してムジャヒディンしてたのがビン・ラディン。
ここでビン・ラディンは力をつける。
アフガニスタン紛争は冷戦終了からアメリカ同時多発テロ、イスラム国にまで繋がる現代の出発点だ。

320 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 15:01:31 ID:0.net
「地獄の熱さなど実現する事のない理想に身を捧げた苦痛に比べれば何でもない。」
             フィデル・カストロ
共産主義を実践しようとしたカストロの絶望の言葉である。

321 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 15:39:26.67 0.net
 
 
 
 
 
 
>>267-299>>301-320
他スレでやってこい
 
 
 
 
 
 

322 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 15:55:28 ID:0.net
マルクスにしろ、宗教哲学にしろ、基本的な哲学の古典も読めないような人たちの話は役に立たないし、相手をしている暇もない。

323 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 15:56:21 ID:0.net
>>1にあるだろ。
・課題にあげられた文献や言説の精読が中心
・上記に関連のない議論は禁止

これは意地悪でいっているのではない。
このスレほど、哲学書の引用をしているスレはないし、
本を読む気があれば、誰でもこのスレの議論をトレースできる>>2-8

324 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 16:20:54.47 0.net
構造主義以降の哲学的態度とは、西洋も未開社会も、文系も理系も分けるものではないし>>216
好き嫌いなどの情動に左右されて本が読めない人は「テクストを読む」ということの意味を知らない。

325 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 16:21:52.49 0.net
テクスト論 (仏)la th(e)orie du texte

文章を作者の意図に支配されたものと見るのではなく、あくまでも文章それ自体として読むべきだとする思想のことをいう。
文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる。
これは悪いことではなく積極的な意味をもつのであり、文章を読む際に、常にそれを支配しているであろう「作者の意図」を想定し、それを言い当てようとするほうが不自然であるとする。
およそこうした考え方を、フランスの批評家ロラン・バルトは「作者の死」と呼んだ(『作者の死』〈1968年〉)。
ポストモダンの哲学者デリダもほぼ同時期に、自分自身のなかに立ち現れる純粋な「いいたいこと」がまずあって、それが文章として表現される、という考え方を否定している。
「いいたいこと」は純粋にそれだけとしてあるのではなく、言葉と不可分に結びついて成り立つと考えるからである。
こうしたテクスト論は、フランスのポストモダン思想全体の流れから見ると、文章というものに絶対の真理(著者が真にいいたかったこと)を求める姿勢への批判であり、「形而上学批判」の1つと見ることができる。

326 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 19:32:16 ID:0.net
>>322
役に立つ哲学なんてあるのか?w

327 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 19:33:50 ID:0.net
>>323
>哲学書の引用をしている

なんという無駄なことをw

328 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 20:57:25 ID:0.net
>>326-327
チンパンジー共による「車輪の再発明」という言葉を知らない?

329 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 23:54:04 ID:0.net
>>300
ソシュールの哲学は実体や実在を扱わなかったし、
ポスト構造主義の性格もあるが、ニューアカ〜東の世代も実在を問題にしてこなかった。

だから、日本人が実在を議論した例となると、西田らの京都学派や明治期の哲学を参照する必要がある。

330 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 23:54:35 ID:0.net
『日本哲学史』 藤田正勝、昭和堂 (2018)

この150年、日本にも「哲学」はあった。しかし、それらは個々にしか語られてこなかった。その全体像がいま浮かび上がる。


序 章 日本の「哲学」と「哲学史」
 1 「哲学」をどう捉えるか
 2 哲学史とは何か

■第一部 受容期――明治の哲学

第一章 明治前期の哲学
 1 「哲学」受容前史
 2 西周による哲学の受容
 3 福沢諭吉と近代日本の学問
 4 中江兆民――「理学」としての哲学

第二章 大学という制度(アカデミズム)のなかの哲学
 1 東京大学におけるフェノロサの哲学講義
 2 現象即実在論――井上哲次郎・井上円了
 3 哲学史の著述を通しての哲学受容――三宅雪嶺・清沢満之
 4 批判的・合理的な知の形成――大西祝と狩野亨吉
 5 フェノロサと岡倉天心の美学・美術史についての理解
 6 ブッセ・ケーベルの日本における哲学研究への寄与

第三章 明治中期・後期における国家社会への関心と個人の自覚
 1 近代化の歩みへの反省
 2 個人の自覚
 3 社会の矛盾や平和へのまなざし

331 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 23:54:53 ID:0.net
■第二部 形成期――大正・昭和前期の哲学

第一章 大正・昭和前期の思想状況
 1 大正という時代
 2 昭和前期の思想状況

第二章 西田哲学と田辺哲学
 1 西田幾多郎の前期の思索
 2 田辺元の思想形成と西田哲学批判
 3 後期西田哲学
 4 田辺元の「種の論理」

第三章 西田・田辺と同時代の哲学のさまざまな展開
 1 高橋里美
 2 九鬼周造
 3 和辻哲郎
 4 美学研究の発展
 5 宗教の哲学

第四章 西田・田辺の弟子たち
 1 禅の伝統――久松真一・西谷啓治
 2 現象学・歴史哲学・社会存在論――山内得立・高坂正顕・務台理作
 3 構想力の論理――三木清
 4 マルクス主義への接近――戸坂潤・梯明秀
 5 多様な分野への展開――木村素衛・高山岩男・土田杏村・下村寅太郎

第五章 京都学派
 1 京都学派とは
 2 近代の超克

332 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 23:55:15 ID:0.net
■第三部 展開期――終戦後の哲学

第一章 敗戦からの出発
 1 「近代」と「主体性」の問題
 2 平和の実現に向けて
 3 戦後の相対化

第二章 戦後の京都学派
 1 田辺哲学の展開
 2 無(空)の哲学の展開
 3 京都学派の多様な展開

第三章 戦後の日本の哲学の多様な展開
 1 存在と知識
 2 自己と他者
 3 言 葉
 4 身体へのまなざし
 5 比較という視座

後  語

333 :考える名無しさん:2020/01/10(金) 23:56:47 ID:0.net
この本でいうところの「現象即実在論>>330」は、その元を辿ると、中世の秘密仏教にまで遡る。

ポスト・ポスト構造主義では、
デリダやハイデガーらの現象学を超克すべく、メイヤスーが思弁的実在論を強調したが、
日本の哲学の伝統は、正に、その「現象」と「実在」の間を自由に行き来するもので、
その「現象」と「実在」を統一する認識を「金剛」と呼んでいた。

334 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 00:09:17 ID:0.net
自分の頭で考えないマルクス主義者は、哲学をやっているとは認めない

335 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 00:29:21 ID:0.net
「現象即実在論」の井上円了 → 東洋大学設立 → 清水高志『実在への殺到』

336 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 01:30:28.69 0.net
グノーシス
「身体性」を捨てて → 「観念」を追及する

ヨーガ
「観念」を捨てて → 「身体性」を追及する

337 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 07:49:15.04 0.net
グノーシスが似てるのはサーンキヤ哲学だな

338 :学術:2020/01/11(土) 08:13:54.88 0.net
上智大学の哲学科や神学科は機能してると思うが。

339 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 11:13:18 ID:0.net
>>334
そもそもマルクス主義者というのは、哲学を否定してるんだよ?w

340 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 11:21:13.51 0.net
どうでもいいからどっかいけ

341 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 11:27:15 ID:0.net
現存する最古の大学の一つであるパリ大学の起源は、ノートルダム教会付属の神学校。
ローマ教皇も数多く輩出していて、神学は学問の中心だった。
これからの時代に、神学が科学を上回るとは思わないが、体系的に古典を読むにはそれぐらいの認識はあってもいい。

342 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 11:28:31.96 0.net
批評という言葉の由来も、聖書などのTextkritik(テクストクリティーク=正文批判=いろいろ異なった写本の読みを比較検討して、原文の文章を確定する作業のこと)。(参考:田川健三『書物としての新約聖書』より)
カントが今日的な批評家の走り、といわれることがあるが、それは文化コメンテーターというぐらいの意味。

343 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 11:34:46.85 0.net
>>342
そもそも、その原文自体がそれほど厳密に考えて書かれているわけじゃないから、精読なんてやっても無駄だよね。

344 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 12:04:18 ID:0.net
マルクス主義者が精読とかいっているのを見るといつも緊張するよ。吹き出してしまわないかと思って

345 :学術:2020/01/11(土) 12:16:33 ID:0.net
ソルヴォンヌ 34 ぐらいが管轄だよ。第一は昔だぞ。

346 :学術:2020/01/11(土) 12:17:21 ID:0.net
第九 は経済 そっちにも日本経済だから参加。

347 :学術:2020/01/11(土) 12:28:35 ID:0.net
憲法九条にもまつわるいい話だ。

348 :学術:2020/01/11(土) 12:31:02.02 0.net
炎の腐海 第九 ベートーベン。https://www.youtube.com/watch?v=qy-kTOb9f_g

フランス物はパスカルパンセがいいぜ。

349 :学術:2020/01/11(土) 12:31:58.20 0.net
宗教書だよ。公開されない。

350 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 13:12:34.91 0.net
>>344
それはそうだろうね。

君は内容を忘れちゃってるぐらいマルクスを精読したんだもんねw

351 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 14:50:11.34 0.net
「私有財産と結びついた市場制度は依然として、私益追及によって広範な経済進歩と厚生改善
を実現する強力な原動力になる…
こうした洞察が妥当であることは、東欧と西欧の戦後の経験の比較、
アジア太平洋圏の新興工業諸国の経験、そして中国の改革などの近年の歴史が証明している。

青木昌彦(元ブントのイデオローグ)推薦「組織の経済学」

私有財産に基づく私益による市場主義が社会的厚生を達成する最大の手段である。

352 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:39:46.10 0.net
>>351
スレチ。他スレでやってこい

353 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:41:24 ID:0.net
新刊レビュー
『デッドライン』千葉雅也著 生への切実な希求が根底に
https://www.sanyonews.jp/article/971374
 
 哲学は生きるためにある。生への切実な希求がない思考が、強度を持つはずはない。

 気鋭の哲学者で、『勉強の哲学』などがベストセラーになっている千葉雅也が初めて書いた小説『デッドライン』は、まさに切実な思考のための虚構である。数々の純粋かつ哲学的な問いを内包し、読者をそれらの問いに巻き込んでゆく。

 物語は「僕」が暗闇の中、パンツ1枚の男たちの中で「回遊する魚」のようにうごめく場面から始まる。好みの男性と出会うための「ハッテン場」のシーンだ。主人公はゲイの現実を生きている。

 2001年春、東京の大学院の修士課程に進んだ「僕」は、まだ研究テーマが決まっていない。高校時代からつるんでいる男性の友人Kとは、今でもしょっちゅうドライブする仲だ。
大学院で文学を専攻する友人の知子とは研究の悩みなどを共有している。ゼミ学生たちとの交流、実家とのやりとり、そして「ハッテン場」での行きずりの性愛…。

 大学院のゼミの場面も何度か出てくる。指導教官は中国哲学が専門の徳永先生。この先生がなんとも魅力的である。

 例えば『荘子』に出てくる故事を示し、フランス現代思想につなげていく。話題は「言語の不純さ」についてだ。「デリダは言語の不純さを徹底的に考えた人です。
(略)逆に、古代中国にはそもそもデリダ的な問いがあったのだ、ということなのです」。読みながら、哲学の面白いゼミに紛れ込んでいるような気分になっていく。

354 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:41:47 ID:0.net
>>353
 この徳永先生の指導により、「僕」はジル・ドゥルーズを修士論文のテーマに決める。ドゥルーズの思想の中には、マジョリティとマイノリティの対立の問題が含まれている。

 ドゥルーズは「人間=男性」に対するマイノリティとしての「動物と女性」を提示する。そして動物になることと女性になること、つまり動物と女性への「生成変化」を「言祝いでいる」。この「生成変化」とは何か。

 同性愛者である「僕」はマイノリティの側にいる。このテーマは「僕」の生き方の悩みに直結しているのだ。しかし修士論文提出のデッドラインが迫ってもなかなか考えがまとまらない。「僕」の焦りは徐々に高まってゆく―。

 終盤、「僕」の視点が女性の知子に乗り移ったかのような場面がある。「女性に生成変化する」というドゥルーズ的実験だろうか。

 「いかに生きるべきか」という哲学の根本と普遍的な若者の悩みが核にある。フランス現代思想という学問を武器にマイノリティを生き延びようとする学徒の青春小説である。

355 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:43:19 ID:0.net
『デッドライン』の中では、デリダやドゥルーズと並んで荘子も出てくる。

356 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:43:53 ID:0.net
「老子」各種翻訳

・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005)) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文

357 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:44:04 ID:0.net
「荘子」各種翻訳

・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文

・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3

・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文

・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文

・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文

358 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:44:43 ID:0.net
>>356-357
老荘というように、古くてシンボリックなのは老子だが、
荘子の哲学はポスト構造主義に近い。

359 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:45:43 ID:0.net
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。


“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”

― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

360 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:46:38 ID:0.net
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)


“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

361 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:47:08 ID:0.net
>>359
その際に、デリダやレヴィナスに特徴的な「痕跡」がないのは、文明論的な違い(どういう違いか?)。


“〔万物を生成する道は〕現われ来たってもその跡を見せず、過ぎ去ってのちはゆくえも知らない。”
“其來無迹。其往無崖。(知北遊篇第二十二 5)”

― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

362 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:48:15 ID:0.net
「無無無」が定立される箇所。


“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”
“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)


荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。

解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)

363 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 15:49:52 ID:0.net
>>362
ハイデガーの存在論は、メイヤスーやガブリエルによって「無限後退」と批判されたが、それは悪いことばかりではない。
無限後退する際から立ち現れてくるものを言語化して整理していくのが、科学や哲学の役割。


“量子力学が見いだした非可換空間の考えからは、アラン・コンヌ(一九四七-)による非可換幾何学が生まれている。
 この新しい幾何学は人類の空間概念を本質的に変化させようとさえしている。
 どのような数学モデルにも、標準的(standard)な部分の外に
 超準的(non-standard)な領域が存在していることが、数学基礎論によって示されている。
 この超準的な領域の存在を認めると、長いこと実在ではないと考えられてきた無限小や無限大のような概念が実在するようになる。
 レンマ的知性は、ロゴス的知性の真に外部にある実在に触れている。”

― 中沢新一 『レンマ学』 講談社 (2019)

364 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 21:30:36 ID:0.net
>>355
荘子は古の幻視者としてね。

デリダやドゥルーズと並列するのは間違いだよ。

まぁ、荘子が構造主義を経ないで、ただただ抽象的な思考で「ゲームの空白の升目」に気が付いていた偉人なのは認める。

365 :考える名無しさん:2020/01/11(土) 22:31:20 ID:0.net
今、言えるか、いや勢いで言おう・・・

蔡志忠
『マンガ 老荘の思想』
『マンガ 孔子の思想』
『マンガ 孫子・韓非子の思想』
『マンガ 禅の思想』
『マンガ 菜根譚・世説新語の思想』
『マンガ 孟子・大学・中庸の思想』
『マンガ 李白・杜甫の思想』
『マンガ 史記・列子の思想』
『マンガ 老荘3000年の知恵』

366 :考える名無しさん:2020/01/12(日) 02:18:18.74 0.net
>>364
失礼。分かりづらかったかもしれない。
『デッドライン』の話は、一旦>>353-355まで。

ポスト構造主義を通して荘子を読んでいるのは、このスレの見立て>>356-363
他スレで井筒の『スーフィズムと老荘思想』が話題になっていて、
その中にイブン・アラビーと荘子が出てくる。

ハイデガーには「無の無化>>363」という言葉があったが、荘子には「無無無>>362」という段階があり、
イブン・アラビーは一神教の中心に根源的無>>265を導入した。

デリダもドゥルーズも、中国には(古代ギリシャ由来という意味での)哲学はないという立場だったし、
井筒に言わせても老荘はシャマニズムとなるわけだけど、
ここでは、例えば、華厳経の四方界を差異の哲学や生成論として、荘子は存在の解体構築論として、
それらを形而上学という言葉を生んだ地域の哲学的営為として読んでいる。

367 :考える名無しさん:2020/01/12(日) 02:37:21.20 0.net
×四方界
○四法界

368 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 01:57:01.89 0.net
『現代思想2020年1月号 特集=現代思想の総展望2020』

【インタビュー】
「レンマ学」とは何か――惑星的時代のもう一つの知性 / 中沢新一 

【芸術・情動・文化】
エバとアダムの完全化――性的(不)平等をめぐるスピノザの見解 / H・シャープ/山口 尚訳 
ラリュエル的ホラーの言語 / 仲山ひふみ 
関係と無関係、あるいは美と崇高――ホワイトヘッドとハーマンの形而上学 / 飯盛元章
音楽はどのような情動を喚起するのか? / 源河亨 

【インタビュー】
東西のはざまで――世界の哲学者はいま何を考えているのか / ユク・ホイ 

【言語・身体・意識】
広がる翻訳の思想への試論――翻訳の身体性 / 上原麻有子 
人間の生の《ありえなさ》――シモーヌ・ヴェイユの「不幸」の概念を手掛りにして / 脇坂真弥
共同行為と複数自己意識 / S・レードル/山名 諒訳 

【形而上学のその先へ】
私たちが形而上学を行うとき、私たちは何を行うことができるのか? / A・L・トマソン/松井隆明訳 
ポストトゥルース試論 2020 ver. 1.0――「真実以後」を思考する(ための)哲学 / 大橋完太郎 

【討議】
ポスト資本主義と人新世 / 篠原雅武+斎藤幸平 

【自然・存在・物質】
人新世、気候変動、思想の終わり / 小林卓也
アニミズムを再起動する――インゴルド、ウィラースレフ、宮沢賢治と、人間と非人間の「間」 / 奥野克巳
描線の生態系――漫画『風の谷のナウシカ』における森=腐海の発生 / 山内朋樹

369 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 01:57:20.00 0.net
【新連載●ポスト・ヒューマニティーズへの百年●第一回】
シェリングと現代実在論――メイヤスーの相関主義批判に寄せて / 浅沼光樹

【短期集中連載●『弱くある自由へ』第二版に●補章2】
なぜ書いたか、なぜ新版か / 立岩真也

【連載●デミウルゴス●第九回】
虚諧(一) / 磯崎新

【連載●科学者の散歩道●第六五回】
科学マスコミ情報の日本での変貌――科学のイメージと人材 / 佐藤文隆 

【研究手帖】
「肥満差別」という差別のあり方について / 碇陽子 

370 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 01:57:47.67 0.net
『現代思想2019年12月号 特集=巨大数の世界-アルキメデスからグーゴロジーまで-』

371 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 01:58:27.88 0.net
【東京】「一神教の人には切迫感」 コンピューターが未来を支配するのか ベストセラー「ホモ・デウス」批判的に読み解く[10/11]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1539263246/

372 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 01:59:37.00 0.net
>>368
中沢新一 「「レンマ学」とは何か――惑星的時代のもう一つの知性」(『現代思想2020年1月号 特集=現代思想の総展望2020』)

中沢がポスト・ヒューマニティ議論に参戦。
メイヤスー、ガブリエル、ハーマン、グロタンディークからホモ・デウス、華厳経、大乗起信論まで。

レンマ学の3つの区分
・現代レンマ学…今現在刷新が必要なもの(AI人工知能の時代、トポスや圏の数学に対応)
・近代レンマ学…京都学派のレンマ学(集合論の危機に対応)
・古レンマ学…レンマ学の起源

373 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 02:03:00.63 0.net
最近の中沢は数学の話が多い。
特に『レンマ学』(2019)は、新しい思想潮流として
メイヤスーの思弁的実在論が出てきたことに対する、中沢からのアンサーになっていて、
西洋的な数学論に対し、日本的、仏教的な数学論のあり方が示されている。

374 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 09:03:42 ID:0.net
√(32+10√7)+√(32-10√7)=10

これって、5+√7=(32-10√7)、5-√7=(32-10√7)ってことで、
5+√7と5-√7からの方向からだと簡単にそうなることが
分かるんだけど、√(32+10√7)と√(32-10√7)の方から
だとどうやって計算したらいいの?

375 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 09:05:27 ID:0.net
意見ではなく、単純に手法についての質問です

376 :考える名無しさん:2020/01/14(火) 09:09:05.85 0.net
誤:5+√7=(32-10√7)、5-√7=(32-10√7)
正:5+√7=√(32+10√7)、5-√7=√(32-10√7)

377 :考える名無しさん:2020/01/16(木) 02:18:44 ID:0.net
>>372
中沢「人類学者としての僕は「人類のいない世界」について語られた
レヴィ=ストロースの爽やかなペシミズムに深い共感を抱いているものですから、
ポスト・ヒューマニティをめぐる議論にも肯定的に参加していくことができます。」

378 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 02:51:57 ID:0.net
第41回野間文芸新人賞受賞、第162回芥川賞候補
千葉雅也 『デッドライン』 新潮社 (2019/11/27)

もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に。

珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。
ゲイであること、思考すること、生きること。
修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。
気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。

379 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 02:52:20 ID:0.net
『デッドライン』は誰にも読める青春小説だが、
「アウト・イン・ザ・ワイルズ」や『動きすぎてはいけない』などで語られてきた
様々な概念が出てきて、千葉の哲学全体へのインデックスにもなっている。
スピノザの汎神論、ドゥルーズの自然哲学からの生成変化、別の仕方で、偶然性、存在論、
マジョリティ/マイノリティ、セクシャリティの問題、ポスト構造主義とポスト・ポスト構造主義。

380 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 02:52:50 ID:0.net
ドゥルーズの生成変化と荘子の物化

381 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 02:53:34 ID:0.net
“荘子が恵子とともに濠水の橋のたもとを散歩していた。
 荘子がいうには、「ハヤがのびのびと泳ぎまわっている、あれこそ魚の楽しみだね」。

 恵子が答えた。「君は魚でもないのに、どうして魚の楽しみが分かるんだい」。
 荘子「君はぼくじゃないのに、どうしてぼくに魚の楽しみが分からないと分かるんだい」。(秋水第十七 7)”

― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

382 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 18:46:37.96 0.net
しょうことけいこかぁ。

383 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 18:55:39.75 0.net
「ハヤがのびのびと泳ぎまわっている、あれこそ魚の楽しみよね」。
「荘子は魚でもないのに、どうして魚の楽しみが分かるのよ」。
「恵子はあたしじゃないのに、どうしてあたしに魚の楽しみが分からないと分かるの?」。
「だって荘子は食い意地がはってるじゃない。よだれがたれているわよ」
「恵子だってそうじゃない」
二人「おいしそー」

384 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 19:20:41.23 0.net
ふざけているようだが、ふざけているわけではない(なくもない)。
これがポスト・ポスト構造主義である。
ポスト・ヒューマニティではなく、
ポスト・ポスト・ポスト実存としての食欲魔神の復権である。

385 :考える名無しさん:2020/01/25(土) 20:42:13 ID:0.net
>>384
ふざけているとは思わないが、まじめな分だけ酷くつまらない。

ポストをいくつ並べても、くだらなさが増殖するだけだね。

386 :考える名無しさん:2020/01/27(月) 01:13:46 ID:0.net
ここで必要としている老荘は、「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」の身近な例>>359-361としてね。

387 :考える名無しさん:2020/01/29(水) 01:17:31 ID:0.net
道(tao)は神ではなく、
万物の根源、究極的存在、一者(to hen ト・ヘン)、第一原因、究極原因、宇宙の根本原理、真実在とでもいうところ。

388 :考える名無しさん:2020/02/07(金) 01:46:59.05 0.net
タオ、タオ、タオって言っているところのタオだね。

https://www.thesun.co.uk/wp-content/uploads/2020/01/NINTCHDBPICT000551599828.jpg

389 :考える名無しさん:2020/02/07(金) 01:47:54.71 0.net
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。


“真昼時――地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
 キラビヤカに浮かびあがる光の世界――に、
 どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
 事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
 各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
 有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
 存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
 地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
 何か言いしれぬ魅惑がある。”

― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991))

390 :考える名無しさん:2020/02/08(土) 19:33:34 ID:0.net
オタはタオの行き着く先なのか。
逆道なのか。

391 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:39:26 ID:0.net
『週刊読書人』 2020年1月31日
千葉雅也×佐々木敦 対談 「「デッドライン」を越えた、その先:『デッドライン』(新潮社)刊行を機に」
https://dokushojin.com/article.html?i=6547

水槽/ラカン/「魚の楽しみ」

千葉「水槽って正面から見ると綺麗に金太郎飴がカットされたようにイメージが見えるわけですが、上から見るとまさにレエル=現実という感じがする。僕の中で正面にあるのはイマジネールとサンボリックで、真上から見るとレエルなんです。」

392 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:40:38 ID:0.net
ついに、水槽の秘密が明かされた。

393 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:41:17 ID:0.net
“何をするかわからない他者たちと共存するために、それらの解釈の諦めを理論的に取り扱う、これが必要だと思います。
 無解釈性を理論に含めている人文学、それを僕は、フランソワ・ラリュエルを背景として「非人文学」と呼んでいます。
 解釈を努力する部分と、解釈をあきらめる部分が、両方ある。

 諦めるといっても、すぐに暴力的なぶつかりあいになるのではなく、ただたんに隣にいることです。
 つまり、ナマコとヤドカリのイメージです。空間的並置とはそういうことだと思います。
 複数の秘密が隣り合って並んでいる状態です。少なくとも僕は、そういう状態について考えたいのです。
 それも、意味を伝える言語だけではなく、非シニフィアン的でフォルム的な言語を駆使して考えたいのです。”

― 千葉雅也 「ナマコとヤドカリ」 『現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話』 (2017)

394 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:43:21 ID:0.net
>>393
千葉が「意味/無意味」、「解釈/無解釈」といっているのは、
「書きつつ/消す」ハイデガーやデリダの抹消記号やエクリチュール、
あるいは、解体や脱構築といった「解体/構築」の現場に相当する。

ドゥルーズ=ガタリにおける「非意味的切断/接続」にあたり、
言語以前の存在論レベルで試みられる。

395 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:45:51 ID:0.net
ブッダの切断論

“池に生える蓮華の茎や花をば、水にもぐって折り取るように、
 迷妄をすっかり断ち切った修行僧はこちらの岸を捨て去る。(感興のことば 18:21)”

― 『ブッダの真理のことば・感興のことば』 中村元訳、岩波文庫 (1978)

396 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:48:00 ID:0.net
水族館、ラッセン、
ナマコとヤドカリ、
ブラックライトが照らす黒いマリリン、
ごつごつした珊瑚…

偶然性のしじまを破るのは、言葉ともの(事物)のshen yun的邂逅である。

397 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:48:46 ID:0.net
https://ja.shenyun.com/japan#video

398 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:49:18 ID:0.net
中国は細部に宿る。

399 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 00:52:59.46 0.net
>>379
千葉雅也 「アウト・イン・ザ・ワイルズ」 連載

(新連載・第1回)無関心、自我、エレメント : レヴィナス論(1)、『現代思想』 2012年5月号 p.8-21

(第2回)「エロスの現象学」と半開きの箱 : レヴィナス論(2)、『現代思想』 2012年6月号 p.46-52

(第3回)無人島と先祖性、『現代思想』 2012年7月号 p.14-20

(第4回)間奏、半面、『現代思想』 2012年8月号 p.14-17

(第5回)とても強い相関主義と「否定神学」批判、『現代思想』 2012年10月号 p.8-15

(第6回)親無しへの生成変化、『現代思想』 2012年11月号 p.32-37

(第7回)アイソレーション(上)、『現代思想』 2012年12月号 p.34-38

(第8回)アイソレーション(下)、『現代思想』 2013年2月号 p.18-20

(第9回)すべてではない、『現代思想』 2013年4月号 p.14-23

(第10回)紋切型と否認、『現代思想』 2013年5月号 p.25-59

(最終回)終わりある分析、『現代思想』 2013年7月号 p.19-21

400 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 12:30:16 ID:0.net
>>391
他愛もないことを大げさに表現する能力にかけては確かに一流だな

401 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 13:08:35 ID:0.net
要するに、哲学の種はもうない、ということだねw

402 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 18:45:31 ID:0.net
生命倫理とか社会正義なんてのは世の中が複雑化するにつれつねに
要請されているとおもうがこれらはがんらい哲学の守備範囲だったはずなんだけどな

403 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 19:31:07 ID:0.net
>>402
社会正義というのはその人の立場にとっての正義に過ぎないからね。
マルクスが論じきってるともいえるかな。

生命倫理というのはよく分からないけど、正義も倫理も、やっぱり立場によるとしか言いようがないんじゃないかな?
正義や倫理を哲学で扱うと、哲学は支配の学、ということになってしまう。

404 :考える名無しさん:2020/02/18(火) 20:18:41 ID:0.net
>>393
>ナマコとヤドカリのイメージ
>非シニフィアン的でフォルム的な言語
何これ?
意味不明なんだけど

405 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 01:36:26 ID:0.net
>>404
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/763-767
説明としてはこの辺。

フロイトでいう「語表象/物表象」の間ぐらいの話。
言語以外の記号を用いたり、意味や解釈から離れた形象的思惟。

406 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 08:20:48 ID:0.net
千葉雅也@masayachiba

哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。

午後9:22 ・ 2020年2月7日

407 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 09:11:40 ID:0.net
千葉は文学ができず芸術にシフトして満足するスタイルが格好が付くと踏んだんだろう

408 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 09:20:27 ID:0.net
千葉って、ドゥルーズ理解に関して吉本隆明に吹っ飛ばされた人じゃなかったっけ?

409 :学術:2020/02/19(水) 16:02:39 ID:0.net
哲学を理解しているレヴェルではなあ。理解すらできてないのか。理解じゃないけど。

410 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 17:17:00 ID:0.net
>>403
立場で全て片付けようとしたら中国政府には多民族を弾圧する権利がある、なんてことまで認めなきゃならないわな
しかし他者の生存を脅かす権利を容易に受け入れる訳にはいかないってのは現代社会において概ね一致する
ところで合理的な判断力によるものと言えるだろう

つまり、人権や平和主義のような人類が共存を目的とする限りにおいて互いに受け入れるべき普遍的な
原理はあるんじゃないかと
世界がまだまだ狭くて各々が相対主義を唱えていた時代から交易が盛んになるにつれ社会性の哲学に
移行していった、本格的な哲学ってのはソクラテスの時代にそこんとこから始まったんだろう
立場による、なんてのは一見妥当なようで議論の逆戻りだとおもうけどな。

411 :学術:2020/02/19(水) 18:42:18 ID:0.net
弾圧のような圧政がないと統制は不可能だ。世直しも現れない。

412 :考える名無しさん:2020/02/19(水) 23:10:52 ID:0.net
>>408
吉本は何と言ったんだ?

413 :考える名無しさん:2020/02/20(木) 13:34:04 ID:0.net
>>410
中国政府が多民族(どの民族のことだ?)を弾圧してるのか?
テロリスト集団なら取り締まってるらしいが。
弾圧してるとしても、それはどこの国でもやってる反政権運動に対する弾圧だろ?

人権も平和主義も、なにかの利益集合にとっての人権であり平和に過ぎない。
アメリカも自由という人権と平和を守るために戦争をすると主張している。

日本もまた、平和を守るために軍備を拡大し、アメリカの戦争に加担している。
中国も自分たちと平和を守るためにテロリストであるイスラム原理主義を封じ込めようとしていると主張している。
世界中の国の多くが、人権と平和を守るために暴力的な実力行使に出ている。

どこに「普遍的な原理」などというものがあると思うんだ?

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