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マルチバース論χ

1 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:38:19.08 ID:0.net
存在とは、世界に開いた】穴【であり、或る欠如体(態)である。それをラカン的に
表現するのであれば、】現実界χ【への回路であり、未知のパスであるとも
言える。それは、この宇宙に開いた断裂、裂開であり、裂け目でもある。こうした
存在論的な】穴【や射影は、科学や論理、数学などでは原理的に扱うことが出来ない。
】穴【が存在論的にどのような意味を志向しているのかなどは、それらの諸学に
とっては問題や関心の埒外にあると言えよう。

このように、形而上学は存在論的に周縁的なもの、マージナルな領域、影へと照射して
いき、そのことによって中心的な命題や主流の見解を突き倒していく力動にもなる。
人々が哲学者という存在に、どこか畏怖の念を感受してしまうのは、彼らの思考系に
こうしたコペルニクス的な概念モデルの転回や思考の回転(脱コード化)が備わって
いるからである。

こうした形而上学的な転回と回転の一つが、私の「マルチバース論χ」である。
それは既存の存在系という膿を突き倒していく新たな力動と作用素のことである。

2 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:39:16.94 ID:0.net
言語などもその本質は、差異化のコードにあるのではないか。特に自然言語では
生成する差異性を内包している。DNAでは複製ミスやエラーが進化への創発の契機と
なることからも分かる通り、記号と意味は一意に決定されなければ、物事は組み合わせ爆発に陥るなどとは、単なる決めつけである。それはこれまで、人類や生物は差異化のコードの中で、紆余曲折を経ながら進化の系を実現してきたのが、その証左でもある

3 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:40:41.40 ID:0.net
神経科学者のアニル・セスは、制御されたハルシネーションを脳や意識の本質で
あるとしている。彼の観点では、私たちが脳内で外界だとして表象しているものは
ハルシネーション(幻覚)の効果になるのである。ラッセルには有名な
「世界五分前仮説」があるが、こういうのも人間の普段の表象や言語的な象徴化・
認識機能を懐疑してみるような哲学的な態度であると言えるだろう。数学だと、
今の現代数学の公理系はZFC系が採用されているが、ハルシネーションの具合に
よっては、別の●●◯系でも良かったのかもしれないのである。

この別の宇宙や別の●●◯系が、そのままマルチバースχへの接続回路となっている

4 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:42:01.12 ID:0.net
確率というのが現代では重要視されるが、実は確率というのは疑わしい概念なの
ではないだろうか。たとえば、今の人類の存在確率はほぼゼロであるはずなのに、
なぜか偶然の連続によって生起してしまっている。最初の、この宇宙の生成や
ビッグバン自体が確率的に低いものであり、さらに有機物や生命や生物の誕生も
確率が低いものである。そうした生物圏から今の人類が発生する確率も非常に低い。
これらの確率をすべてかけ合わせると、実際の人類出現の確率の大雑把な近似
くらいにはなるであろうが、おおよそゼロに近いのではないのだろうか。

それは、「無限の猿定理」でいうところの猿が、出鱈目にタイプライターを叩いて
シェークスピア作品全集を生み出す確率よりも低いくらいの確率であろう。

5 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:43:03.12 ID:0.net
ジャック・モノーは、ノーベル賞を受賞したような分子生物学者であるにも
かかわらず、人類の文化・思想的な進化の系の問題についても、マルクスや
ヘーゲル、デカルト、ベルクソン、テイヤールなどの思想や、科学哲学、
宗教を扱いながら、論述している。

科学者だから、一切、人文思想には取り合わない、などという偏狭な態度とは
モノーは無縁だったのであり、むしろ、そうした思想家の一連の考究が彼の
分子生物学者としての仕事の成果にも大きな影響を与えたと考えられる。
なぜなら、モノーは人間の非身体的な思惟や抽象、言語、価値を扱う平面も
身体やDNAと同様に、進化系の一つとして考えたからである。

6 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:44:25.20 ID:0.net
大規模言語モデルは、統語論的な演繹(論理的な規則)による言語処理ではなく、
膨大なデータから意味や構造を抽出する帰納法的なアプローチを取っているため
その振る舞いに不明な点を多々含んでいる、というのがプロパーな理解となる。
私は最初から一貫して生成AIや大規模言語モデルについて、こうした
ブラックボックス論的な立場を取っている。大規模言語モデルのシステムは、
そのルールを開発者が演繹的に適用しているのではないので、未知の要素や
「隠れた変数」を内包してしまうのは、むしろ自然であると言えるだろう。

それが未来のシンギュラリティの原因になることも十分に考えられる。なぜなら、
当の開発者さえ、その潜在的なリスクや未来にどのように影響があるかを
推し量れないような怪物【ダークマター/ダークエナジー】であるからである

7 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:45:08.84 ID:0.net
科学的な認識というのは、基本的に可視化されうるような対象を扱っているといえる。
ヒートマップであれば、オブジェクト間にある各特徴の相関をhue(色)のグラデーションで可視化したものである。赤いヒートマップの領域は対象間の強い正の相関を示し、
青いヒートマップであれば強い負の相関があることを表している

哲学的な認識であれば、科学のように可視化されない対象であっても、全く問題ない。
無意識や精神を扱えるのも哲学であるし、ヌーメノンや死後の世界を扱えるのも
哲学である。無意識や心、魂をテーブルやペトリ皿の上に提示できないからと言って
ただちにそれらがない、とは言えないし、単なる脳による現象であると決めつけることも出来ないのである

8 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:45:59.38 ID:0.net
人々は外界そのものを現実、実在として解釈するが、実際のところ、それは
脳というインタフェースや変換装置の介在・操作による仮現象のようなものに
過ぎない。また、アメリカの科学哲学者ハンソン(N. R. Hanson1924〜1967)が
提起した理論負荷性(theory-ladenness)という概念が示すように、科学的データには
純粋な観察や生の事実は存在せず、常に先行する理論の影響を受けているので、
科学者によって言っていることがバラバラになる。それぞれの科学者が依拠して
いる理論のモデルが違うからそうなるのであって、色の異なるレンズで、
それぞれ自分の好きな色を外界や対象に知覚して、判断しているようなものである。

9 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:46:34.43 ID:0.net
今の科学でも、現在までの標準理論を正しいとした前提で物事を観察、検証して
いるだけなので、千年後の科学やマルチバースの存在などが確認されたり、
宇宙環境の大規模変異の発生などによって、それらの既存のコードが使い物に
ならなくなる世界線など、いくらでも想定できるのである。つまり、科学のコードは
真理というよりは、暫定的な方便のようなものであり、川岸を渡るためにとりあえずは
使える、仮に作った筏のようなものであるに過ぎない。そのため、科学は常に暫定的な
もの、仮説に留まらざるを得ないのが真相である。ヒュームは科学の持つそうした
構造的脆弱性やバグを指摘したのである。

10 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:47:57.30 ID:0.net
前野隆司の「受動意識仮説」とか、人が何かを意思決定を意識したり、それに
基づく行為をするずっと以前の段階で、すでにそれに対応している脳の活動部位のニューロンが発火しているから自由意志はない、とかいう話も全部仮説なので、
覆されるし、すでに覆されていたりもするであろう。脳のバインディング問題も
同じである。そういう仮説で、脳内が外界の表象を組み立てているだろうと、
仮に見立てているだけのことである。

それは、とりあえず川を渡るための筏であり、真理の保証は全然ない。
科学は基本は全部、こうした感じで、仮説である。それは真理とはみなされない

11 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:49:26.47 ID:0.net
また、アニル・セスという神経科学者によると、脳は外界を客観的に表象して
いるのではなく、ハルシネーション、つまり一種の幻覚として、脳が内在的に
脳神経ネットワークを生成、表象しているものを、真実の意識体験や真実だと
誤解しているのに過ぎないという観点などもある。映画のマトリクスと同じで、
実際は自分たちがヴァーチャルリアリティの住人であるに過ぎないことも理解
できないのである。

これは、マルクス・ガブリエルの「世界は存在しない」という視点にも通じる
ところがある。要するに、(現在の)科学モデルはそれらしい仮住まい、仮の筏と
いうモデルや理論、梯子を求めて、齷齪しているだけなので、真理と呼べる
もの自体には原理的に言って永久に到達できないのである。このことを当たり前の
ように知っているのが哲学者になる。

12 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:50:07.67 ID:0.net
また、科学的な認識というのは、強い「帰納バイアス」に基づいたものだと言える。
ケプラーの法則やそれに基づいて作られたニュートンの万有引力の法則でさえ、
天体の限定的な観察に基づくものなのだから、いわば仮説であり、未来永劫に
わたって保証された物理学のコードであるとは一概には言えないのである

13 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:50:51.16 ID:0.net
χは、この世的なものを存在論的に脱臼させる

望月新一のInter-Universal Teichmüller Theory(IUT)であれば数学理論上の
際(きわ)を多様な宇宙のモデルχのように扱って整理したものである

14 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:52:09.31 ID:0.net
一般に人々は物事の本質や核心は中核や中心部にこそ存在しているとみなしがち
であるが、逆に、こうした際や縁(へり)、境界という辺境からこそ、本質を
切り出したり照射することが出来るのである。こうしたマージナルな領野における
アプローチは形而上学に適応性が高い領域でもある。当然フロイトであれば中心と
しての意識ではなく、際(きわ)、周縁、縁(へり)としての無意識の解明が精神理解へのcueとなっている。「いい間違え」は無意識からの応答とされる。つまり、フロイトは、精神におけるダークマターχを考究していたのである

資本主義が中心であるとすれば、理想的、あるいは理念的な共産主義はその縁(へり)や
際(きわ)にあるものだと言える。つまり、真の共産主義もまたχへと接続可能な
宇宙モデルの一つなのである

15 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:53:31.38 ID:0.net
こうしたマージナル、周縁的な領域に漂うものが霊や霊魂だろう
私は以前から形而上学文学の最高峰として埴谷雄高の「死靈」を挙げているが、
霊や虚体もそうした縁や際として不可視な存在としてのみ表象できるイマジナリーな
存在者である。たとえば、絵画などでもそうなのだが、描写の効果を高めるには、
影をいかに巧みに扱うかということに係ってくるのである

それはレンブラントの「夜警」でもバンクシーのペインティングアートでも同じ
である。影というマージナルな領域にある存在χを無視すれば、魅力的な絵画も
存立出来ないのである。プラトンによると、この世界は真の世界であるイデア界から
の影のような儚い存在に過ぎないものとされる

16 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 13:55:04.66 ID:0.net
虚数単位iもこうしたマージナルな、あるいは、イマジナリーな領域にある
χ(カイ)のイメージで捉えられるのではないだろうか。つまり、iは霊的存在でもある。虚数単位iは円周上を虚ろに離散的、あるいは連続的に周り続ける。試しに、
複素平面上の虚軸上に沿ってリンゴを布置することが出来るであろうか。そのリンゴは、リンゴの実体というよりは、むしろ、リンゴの影や射影とでも呼べる存在者に
近いのではないだろうか

だが、プラント的なイデアの比喩によれば、むしろ私たちの存在系がこうした
虚軸上に現れる束の間の影のようなものに過ぎないのである。

17 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:00:47.01 ID:0.net
Coqのような定理証明言語だと、ラッセルのクラス理論、型理論の概念や
数理論理学の知見も参照されているだろう。このように現代的なプログラム
理論にもラッセルは影響を与えているだろう。

18 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:02:42.39 ID:0.net
シニフィアンとシニフィエは、一対一対応していないものである。たとえば、

「お前、馬鹿だなあ」

というパロールなども、侮蔑表現としてコンスタティブなものなのか、あるいは
友人同士のパフォーマティブな親愛表現なのかは大きく異なるし、それは
パロールからだけでは決定不能である。それらはあくまで文脈によるのであり、
一対一対応などは最初から求められてはいないのである。
これがコミュニケーションの現場での通常の情況。だからベイトソンの
「ダブルバインド」のような複雑なコミュニケーション分析なども要請される

19 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:04:44.34 ID:0.net
トロッコ問題(trolley problem)あるいはトロリー問題とは、
「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で
功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題のことである。

フィリッパ・フットが1967年に提起し、ジュディス・ジャーヴィス・トムソン 、
フランセス・キャム、ピーター・アンガーなどが考察を行った。人間は一体
どのように倫理・道徳的なジレンマを解決するかについて知りたい場合は、
この問題は有用な手がかりとなると考えられており、道徳心理学、神経倫理学では
重要な論題として扱われている。

人工知能が制御する自動運転車においても、衝突が避けられない状況でAIの判断基準を
どのように設計するかという問題とも関連している

20 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:06:48.64 ID:0.net
たとえば、天才統計学者と言われるネイト・シルバーは当時のアメリカ大統領選で、
トランプとヒラリーの大統領選結果の予測を見事に外していた。彼は、当時の
欧米ジャーナリズムの論調と同様にヒラリー優勢にベットしていたのである。
彼が使っていた予測モデルはベイズ推定による確率モデルであった。私は、
彼の一連のリアルタイムツイートを実況で米大統領選開票速報を観ていたが、
あまりにもヘボな彼の確率による推論帰結に驚いた記憶がある。なぜなら、
彼の使っていたベイズモデルでは、選挙開票速報のかなり最後の方までヒラリー優勢の予測を変えなかったからである。

21 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:09:11.80 ID:0.net
所詮、統計や確率などその程度であり、人間のやることにはすべてバグ(欠陥)があるのである。それは大規模言語モデルでも、生成AIでも同じであり、それらの有する
ハルシネーションやバグに注意することが肝要である。これは同時に、合理や論理の
持つバグや誤謬についても同様である。ホーキング博士はAIの暴走やシンギュラリティに強い警鐘を鳴らしたが、私も彼の意見に完全に同意している。論理だからと言って、
安心・安全ではないのである。逆に論理であるからこそ、その論理や自明性を超えた
世界に対しては無力なのであり、ここでは哲学的な懐疑が重要になってくるのである。

哲学者のヒュームが遠い以前に指摘していたことは、現代の科学者である
ホーキング博士の指摘と同じなのである。

22 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:11:23.71 ID:0.net
以上で、確率モデルの持つ脆弱性やバグを簡単に指摘した。実は、医療や治験、
臨床の現場でも事情は同じである。人々は、あるいは医師達は有名な欧米の医学論文、
たとえば「ランセット誌」などに掲載される医学論文や研究結果を真理であるように
捉えてしまう。これも先に私が指摘した統計や確率の持つ誤謬と同じ構造である。

医学界や医大、講座には、製薬会社などのスポンサー資金や政府からの科研費
獲得などという生臭い利益相反の要素が濃厚に介入されているのが現実である。
そのため治験においても製薬会社の利益に都合が良い内容に治験データが改編、
偏向されていることなどは、事情通の人々にはよく知られていることである。

23 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:12:42.94 ID:0.net
たとえば、新たな抗がん剤の治験において、治験期間を操作するなども、そうした
インチキの一例である。新薬の抗がん剤で、ある期間において治療において有意と
なる統計的検定が得られると、そうした医薬品に承認が下りたりするが、真実の
治験結果は藪の中である。たとえば、その治験期間をあと半年ほど延長すると、
有意な治験結果どころか、反対の副反応による弊害が出ているのが明らかであるのに、
製薬会社の利益相反を損なうので、治験期間を副反応が出ていない治験期間までの
範囲に切り詰めて、「ランセット誌」などの医学論文に掲載し、権威のお墨付きを
得るケースなどが、そうした例の一つである。

24 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:14:52.65 ID:0.net
日本人は特に、欧米の権威やジャーナリズムの論説を鵜呑みにしやすい。
たとえばコロナ問題で当時よくメディアに出ていた上昌広医師なども、
しばしば「ランセット誌には・・・と書かれています」と、何度もこの有名な
医学雑誌の名を連呼しているのを覚えている。要するに、身体に悪いような
ワクチンであっても、製薬会社の利益相反によって、治験効果が高いものとへと
偽装されるケースや現実があるのである。

2018年のノーベル生理学・医学賞を本庶佑・京都大学特別教授が受賞した超高額薬で
ある、がん治療薬の「オプジーボ」がそれに該当するのかは、想像に任せるが

25 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:17:11.94 ID:0.net
>>20からの続き
天才統計学者と呼ばれるネイトシルバーがアメリカ大統領選挙の予測を間違えた
理由も、こうしたバイアスによるのである。それは彼が、有権者の出口調査の回答を
ベイズモデルの事前確率などにベタに組み込んでしまったからである。

当時、トランプはヒトラーを彷彿とさせるような差別主義者的な言動をしている
のがメディアで大々的に報じられていた。そのためアメリカの有権者は、出口調査で
トランプ支持を正直に言いづらい雰囲気があったので、ヒラリー支持という嘘の
回答をしていた人々が少なくなかったのである。統計的な数理モデルだけをベタに
信じて、人間心理の微妙な綾に無知であったネイト・シルバーの完全な敗北となる、
確率や統計の疑わしさ、インチキさをよく象徴したケースとして、私の脳裏によく
刻まれている。

26 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:18:23.02 ID:0.net
こうした論理、数理、確率の持つバグやハルシネーションを明示化していくのも
哲学的なメタ認知の機能の一つとなる。哲学の射程は論理のみに閉塞しないため、
科学や数学を超える知に対しても、場合によっては有効になる文脈が存在するのである。

27 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:20:06.80 ID:0.net
ChatGPTや生成AIは、元々、自然言語処理や深層学習の研究分野から
出てきてるので、原理的には共通しているところが多い。深層学習の分野では
グーグルの研究者が開発したword2vecなどが有名だが、これは
ベクトル空間上で、単語間の共起確率を分散表現のベクトルの次元として
表しているシステムのことになる。word2vecであれば、数百次元、グーグルの
BERTなら768次元、GPT-3であれば1万2288次元のベクトルで
単語の分散表現がなされている。

28 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:26:49.00 ID:0.net
哲学というのは、現在までの科学的なパラダイムや標準理論、論理や合理などに
拘泥することなく、カントのように、より遠大な射程を持つ本質的な
パースペクティブのもと、長大な思考を展開することが出来るものである。
たとえば現代の科学のパラダイムでは、死後の世界がどうなっているのかさえ
全く扱えないのである。エントロピー増大などでは、死を全く説明したことには
ならないのである。

29 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:27:16.01 ID:0.net
たとえば、仮に輪廻転生のようなものがあったとしよう。ある人が死後、虫や魚に
輪廻転生したとする。すると、昆虫の複眼、あるいは魚の魚眼では当然宇宙の見え方、
感受の仕方、感覚モダリティが人間時代とは全く異なる宇宙の出現の中で存在する
ことになる。かつて人間だった何某君は、その昆虫や魚の宇宙では、かつて自分が
盲信していた科学の標準理論がまったく無力なことにようやく気づいて愕然とするのである。

昆虫や魚などについての知見や生物学は、あくまで、人間側からの見え方や観察を
主観的に記述しているのに過ぎないのであって、昆虫や魚自身から宇宙や世界が
どのように真に感受されるか(真理系)は昆虫や魚にでもなってみない限り知りようが
ないのである。

30 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:28:11.15 ID:0.net
ギブソンの「アフォーダンス理論」は有名だが、それでもその生物の環世界への
関わり方は人間側の観察からの記述に過ぎず、個々の生命や生物からの真
の関わり方を表しているとは言えないのではないだろうか。ただ自由に戯れて
いることを自己目的にしている虫や魚、生物だっているかもしれないではないか。

人間は、科学の枠組みにおいても人間中心主義的な視点で事象を矮小化、
単純化してしまう懸念がどうしても拭えない。死後の世界でさえ、扱えないのが
今の科学の粒度や検知力の限界なのであり、人間の知性がそんな科学や
論理的なものだけで充足するはずもないのである。だから哲学へのニーズは
昔からあるだけでなく、未だ世界中で一定数あるのである。

31 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:29:08.86 ID:0.net
マルクス・ガブリエルは、科学の前提や標準理論を受け入れているので、
私は哲学者として彼をあまり評価していないが、「世界は存在していない」
という彼の観点は哲学的にいい線を突いたものになっている。

人間でも、その人間の持つイデオロギーや知識の種類、経験、時代、地域や
風俗によって世界の感受の仕方が異なるが、ここにウイルスや菌類を含めた
個々のエージェントから見た同一世界・宇宙が真に成立しているかは、大いに
疑わしいのである。哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」や
哲学者ヒラリー・パトナムの「水槽脳仮説」、ラッセルの「世界五分前仮説」も
そうだが、人間の論理や科学の持つ限界を暴露している。科学では、こうした
根底的な認識のバグの可能性に全く気づけないのであり、哲学者は科学の限界を
容易に上手く暴露していけるのである

32 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:29:38.89 ID:0.net
命題論理の中では、モーダスポネンスは推論規則として自明であるが、これを
別の存在論的宇宙へ移植して考えてみれば、ただちに自明でない可能性も
導かれてしまうような限定合理性の謂に過ぎないである。

人々は今の太陽系宇宙のもとでの物理学等の科学的知見を自明視しているが、
これも本当はおかしいのである。宇宙環境全体の突然の変容なり、マルチバース
からの影響で、宇宙のシステムが全く異なる系へと移行する可能性もないことは
ないのである。そのため現代の科学の標準理論だけで真値が得られたと確証
してしまうのは、盲信もいいところである。

ヒュームの偉大なところは、そうした科学的な認識の有するバグを上手く指摘
したからである。千年後に、この地球で太陽が西から東へ沈むようになっている
のがデフォな状態の地球の可能性だって十分にあり得るのである。

33 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:30:08.34 ID:0.net
ヒュームの認識では、科学的な認識も一種の慣習に過ぎないとみなされている。
私の見解もヒュームと基本は同じである。ニュートンの運動方程式 ma = F も
同じであり、真値というよりは、慣習に過ぎないのである。慣習というのは、
途絶えたり、消えたり、違う現代的なものに変わったりする

現在の太陽系の宇宙が第二のビッグバンなどの甚大な環境変異の巨大な
影響の力で今まで系を記述していた法則が全く使い物にならなくなる
世界線などは、可能性としては十分にあり得るものなのである。ニュートンで
あれば慣習ではなく慣性となるだろうが、慣性系も永遠に一定であるとは
限らないのである

こうした指摘をメタ認知的に扱えるのが哲学的な優れた認識である

34 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:32:17.20 ID:0.net
たとえば、よく三段論法でこういう例が使われる

すべての人間は死ぬ → ソクラテスは人間である → ソクラテスは死ぬ

論理学はこれを真としてしまうが、哲学的に考えるとこれは決して真を保証する
ものではない。たとえば、バイオテクノロジーの発展で不老不死の人間が
一人でも地球に誕生した場合、この三段論法の規則適用による真理は崩壊して
しまうのである。あるいは未来を待たなくとも、どこかで仙人のように不老不死で
生きている人間の可能性もゼロではない。「すべての人間は死ぬ」 、と言って
おきながら、地球上のすべての人間を調べた証拠もゼロであるし、今までの人類史に
いたすべての人間の生存の有無や確認など誰にも調べられるはずもないだろう。

35 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:32:59.56 ID:0.net
論理も所詮は、この程度の代物である。哲学者は、こうした論理や科学の持つ
誤謬やその基底にある曖昧さを暴露できるのである。ヒュームであれば、
「自然の斉一性原理」と帰納法がお互いに循環論法になっていることを指摘したが、
これは正しいのである。科学は一見、盤石な基礎に基づいているように人々は
誤解しているが、実際は、「自然の斉一性原理」と帰納法の循環論法という危うい
基盤の上に立っているというのが、その真相である

36 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:36:15.64 ID:0.net
計算機科学分野の天才であるチューリングは自殺したが、これも論理だけでは
物事すべて解決できないことを物語っている。また、良き信仰持っている人の方が
人生が幸せで救われているケースもある。理研の笹井さんもそうだが、論理だけ
では人生の問題解決は無理だったのである。

日本人は無宗教が多いが海外では、そうではない。形而上学扱いで、それらを
無意味だと捨象するのもナンセンスであり、人間性や人間心理に対する無知だと
言える。人間は生まれたときから無意識レベルで信仰など、非合理的なものを
慣習として埋め込まれているため、論理や合理だけでは理解不能な社会的動物だと
言えるのである。

37 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:39:46.33 ID:0.net
ラカンは、「それが-すべて-では-ない」と述べて、物事すべてに更新可能性や
留保の余地を常に残しておいた。これが哲学的な知的な態度である。

カール・ポパーは、「反証可能性」という概念で擬似科学を批判したが、
科学のコードにしろ、それは、あくまで蓋然性の高さの謂に過ぎず、真理でも
何でもないのである。それは、一時的な方便みたいなものだというのが、その
本質である。そのため宇宙環境システムの大規模な変容等が発生した場合、
すべての既存の物理学法則の崩壊が生じるような仮住まいみたいなものなのが
科学的な認識の現実であり、また、それが持つ限界でもあるのである

38 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:43:57.79 ID:0.net
ゲーデルも晩年は精神を病んで、サナトリウムみたいな所にいただろう。それは、
論理や科学がすべてではない、ということでもある。それらが安直に捨象したものを
知の宝のように復元して扱えるのも哲学の良い所である。ノイマンにしてもそうだ。
ノイマンは、晩年は発狂するほどの強烈な痛みで苦しんだ。アメリカ政府はノイマンが苦しみに耐えかねて国家の重要機密情報まで叫び出さないかを危惧していたくらいで
ある。天才科学者のノイマンでさえ、己が行ってきた科学実験がのちに自身の身体に
与える大きな被害や苦痛さえ予測出来なかったのである。

論理や科学は、所詮その程度の代物だと知っているのが哲学者である。

39 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:45:05.38 ID:0.net
ジェフリー・エヴァレスト・ヒントン(Geoffrey Everest Hinton、1947年12月6日 - )は、
イギリス生まれのコンピュータ科学および認知心理学の研究者。
ニューラルネットワークの研究を行っており、人工知能(AI)研究の第一人者と
みなされている。トロント大学名誉教授(2022年時点)

ヒントン教授は2019年、AIへの基礎的な貢献を果たしたとして、ヤン・ルカン、
ヨシュア・ベンジオと共にチューリング賞を受賞している。


> ヒントンは、2023年5月1日、AIの発達が自身の想定を超えており、その危険性に
ついて話せるようにと、Googleを退職したことを明らかにした

40 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:46:42.50 ID:0.net
誰かが貼っていた動画も、セブラフィッシュの単なる中央集権的な脳の働きと
いうよりは、条件反射的な刺激反応を調べているだけだろう。昔からある報酬や
嫌悪刺激(罰)に適応して、自発的にある行動を行うように、学習することを実験した
古典的に有名なマウスを使った「オペラント条件づけ」と同じだ。動画で使われていた
セブラフィッシュもモデル生物として、よく使われるものだ。

おそうじロボットのルンバなら、昆虫の反射のメカニズムをロボティクスとして
実装化して、製品化したものになる。昆虫の脳というよりも、昆虫や生物の身体
全体へと広がった条件反射的な分散処理をロボティクスに応用しているものになる

41 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:49:03.21 ID:0.net
そんなものでは、選好のなぜや根拠は問えない。なぜ、君がその車や時計、服、異性、
あるスレッドや言葉を選ぶのか、それらが予め遺伝子で決まっているなどは、聞いた
ことがない。脳神経の発火活動のセンシングで分かるのは、あくまで選好の強度や
パターン、度合いのグラデーションだけであり、選好の根拠自体、あるいは理由律
などは全く問えないのである。

42 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:50:36.88 ID:0.net
また、機械学習では古代の哲学者エピクロスの「多説明原理」の概念が用いられたり
する。これは単一ではなく、複数の仮説を用いてアンサンブル学習(法)を形成して、
機械学習に汎化能を獲得させるようにするものである。人工知能の分野では、
コネクショニズムの系統やパーセプトロンのようなニューラルネットワークが
よく知られているが、学習モデルにおいても様々な系統があり、科学的な認識と
いうのはそもそも一枚岩でも安定でもないのである。「オッカムの剃刀」では、
当然、帰納バイアスというバグを発生させる可能性があるし、GPTであれば
「ハルシネーション問題」となって、認知上のコンタミ混入の原因にもなる。

つまり、本質的に考えるのであれば、脳機能や意識、表象、言語による象徴化機能、
GPTのみならず、自然科学の体系もいわば一種のハルシネーションだと言えるのである。
吉本隆明であれば、これを「共同幻想」と呼ぶかもしれない

43 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:51:44.66 ID:0.net
学習モデルにおいても、人間(幼児)が実際にどのように言語を習得しているのかも
定かではない。哲学者のジョン・ロックであれば、「タブラ・ラサ(白紙状態)」という
白紙ノートの状態から、経験による知の獲得によって、経験やそれに基づく学習が
白紙の中へと書き込まれていく、という説、これはチューリングが支持していた考えでもある。逆に、プラトンのイデア論やチョムスキーの普遍文法(UG)のように生得的に、もしくは、ア・プリオリに人間は言語モデルを有しているという説もある。ちなみにゲーデルが数学についてのプラトンのイデア論を支持していたのを私は読んだことが
ある。

先に、アメリカの科学哲学者ハンソンの「理論負荷性」やノーベル生理学・医学賞を
受賞した神経科学者オキーフの海馬における「場所細胞」などを紹介したが、
自然科学やAI、大規模言語モデルであれ、帰納バイアスと一切無縁であるような
真理の獲得などは、人類の知においては永久に不可能なのである。

44 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:52:25.73 ID:0.net
ここまでの私の話で、ヒュームによる「自然の斉一性原理」と帰納法の間には
循環論法が認められることや科学が「帰納バイアス」に晒されていることなどが
理解されたと思われる。

また、数学も論理性の高いものだと一般には信じられているものの代表格であろう。
たとえば、「バナッハの不動点定理」であれば、バナッハ空間という完備な
距離空間において、縮小写像を連続的に適用していくと、一つの不動点に
収束するという定理である。完備とはコーシー列のことを指し、それは点列や
数列が収束する、ということを意味している。「バナッハの不動点定理」であれば
三角不等式などを用いて、その収束性を証明していく。

45 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:53:32.15 ID:0.net
「ε-δ論法」なども有名で、これは関数の極限を扱うものである。
「デデキント切断」であれば実数の連続性を証明するものである。有理数Qには
隙間がある(連続でない)の対して、実数Rが稠密である(連続である)ということを
デデキント切断によって示せる。機械学習であれば「スパース性」という概念が
出てくるが、スパースは、まだら、疎、という意味なので、少ないデータ量で
対象の本質を導き出したり、分類器でクラスタリングするようなスパースモデリングの技術などを指す。たとえば、猫と犬の特徴量を分類する、などである。
スパース(疎)性なので、計算資源を節約出来るので、アルゴリズム上の効率が
良くなる。組み合わせ爆発の反対とでも考えれば、イメージしやすいだろう。

46 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:54:07.46 ID:0.net
カントールの対角線論法であれば、無限(集合)には濃度の違いがある、という証明に
使った方法論のことである。たとえば、そこから実数の無限は、自然数の無限より
(濃度が)大きい、ということが証明される。

数学は、一見すると、このように論理や証明を用いて、厳密で精密な論理手続きを
踏んでいるように映るが、それは本当に確かなものなのであろうか。そこには、
単なる数学モデルを実世界そのものだと幻視する「ピグマリオン症」のような
バグが存在していないのだろうか。たしかに、先にあげた「バナッハの不動点定理」
や「ε-δ論法」、「デデキント切断」は、今の数学のZFC公理系の中では真だと
考えられるが、それはあくまで数学宇宙という一つの限定された宇宙での局限的な
モデルの一つに過ぎないのではないだろうか

47 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:54:40.62 ID:0.net
フッサールは、こうした観点を「間主観性」という概念で表した。それは、真の
客観というものは実在せず、あるいは、私たちはそこには到達できず、私たちに
出来ることは間主観性という、複数の主観による暫定的な承認、といったものに
留まる、という限界、あるいは限定・暫定的な状況のことを指している。私は以前に、
科学のモデルや標準理論は、とりあえず川を渡るための仮に作った筏や梯子に
過ぎない、と述べたが、この観点はフッサールの間主観性と通底するものがある。

48 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:55:17.66 ID:0.net
未来にマルチバースの存在が確認され、そこでは私たちの住む世界の科学の
コードや数学のZFC公理系が全く適用し得ない、奇妙な宇宙が無限に広がって
いることを想定するのは、哲学的には少しも困難ではないのである。つまり、どんな
ものであっても、知のモデルやコードは仮に作った筏であり、梯子に過ぎないので
ある。大規模な宇宙環境システムの変異があれば、川の水質も変わり、重力の状態や
プランク定数も変わり、今までの科学の筏モデルでは川さえ渡れなくなる世界線が
発生したりしうる。

こうした遠大な、深遠な、あるいは本質的な認識の射程を持つのが哲学的認識で
ある。そのため、この世界は、本質的には誰にとっても、ハルシネーションという
幻とさえ言えるのである

49 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:55:43.68 ID:0.net
科学や数学の本質には、測る、計量する、ということがあるのではないだろうか。
数学には「測度論」という分野があるが、これも可測空間上で、σ-加法族という、
特定の定義を充たす集合族を使って、集合の大きさを測れるように一般化・抽象化
していく操作のことである。測度論における測度は集合上の関数のことを表している。
ここではσは加算を意味している。σ-加法族であれば、それは有限加法族となる。
集合族は、集合を要素に持つ集合のことで、「集合の集合」を表している

50 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:56:55.17 ID:0.net
統計の分野だと、「赤池情報量基準(AIC)」などがよく知られている。
これは測定データにおける最適化となるようなモデルを求めるものであり、
パラメータ数を調整したりして、モデルの複雑さとデータとの適合度との
バランスを取るために使用される。機械学習では「過学習」による弊害が
言われたりもするが、そうしたノイズに邪魔されないような汎化能を
獲得するために、AICなどが使われたりする。これも測度論同様に、
測っているのである

計算機科学の分野では「コルモゴロフ複雑性」などもよく知られているが、
これも有限長のデータ列の複雑さの指標を測っているのである。ここでは、
規則性のあるようなデータはより簡潔に表せるのでコルモゴロフ複雑性は小さく、
不規則・無作為なデータでは規則性が低いのでコルモゴロフ複雑性は大きい、などと
表せる。

51 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 14:57:36.94 ID:0.net
このような感じで、科学や数学には測ることや計量が常に付きまとう。だが、
哲学は測りえないものを哲学という独自の宇宙の中で、特定のパースペクティブのもと
測ることが出来るのである。こうした哲学的認識は、科学的なパラダイムや論理に
一方的に従属することもなく、むしろ科学や論理が見落としたり、捨象しているものの
中からも、重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るものである。

52 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 19:59:25.40 0.net
以上のように、科学や数学、プログラム言語は決して真理を保証しているのでなく、
それぞれの独自宇宙の中での整合性を探索しているに過ぎないということを哲学的に
私が解明しておいた。数学も当然、こうした独自宇宙の中での整合性や対応付けの操作や
ロジックを探究しているに過ぎない

>>46で私が指摘した集合論におけるカントールの対角線論法や濃度(cardinality)
の概念も同様である。対象(集合)間に全単射があれば、同一濃度とみなすのである。
自然数全体の集合Nの濃度と整数全体の集合Zの濃度は、そこに全単射が
存在するので濃度が同じとなり、それらと実数Rとの間には全単射が存在しないので、
濃度が異なる、とみなすのである。

53 :考える名無しさん:2023/12/23(土) 20:01:50.68 0.net
圏論の宇宙でも同じである。圏論において、準同型は「自然変換(natural transformation)」
のことを表している。自然変換は、異なる圏の間に複数の関手(functor)がある場合、
その複数の関手間の間にある射のことであるが、その射が「自然」である、という特別な性質を持っていることを表している。そして、自然変換は、一つの圏から別の圏への構造保存のための
手段として使用されている。変換の図式が可換性を保っていることも構造保存を同一に
保っている、という意味である。ここでの自然性とは、単なる整合性という対応付けのことを
意味しているに過ぎない

ただ、これはあくまで圏論の宇宙という独自宇宙での整合性のことを記述している
だけである。そのため、これを哲学の宇宙や個人的な内観の宇宙、社会の宇宙、
構造の定かでないマルチバースでの宇宙へと適用できるかと言えば、全く出来ない
であろう、というのが私の見解である。なぜなら、万人が共有出来る客観的な
「同一宇宙」や「同一世界」は存在しないであろうからである。

54 :考える名無しさん:2023/12/24(日) 03:12:04.03 0.net
人間の感覚モダリティは決して自明ではない、ということの観点として、色字共感覚
(Grapheme–color synesthesia)というものを取り上げてみよう。共感覚自体は
よく知られた現象であるので、ここでの説明は不要だと思うので、この色字共感覚に
ついてだけ簡単に触れてみよう。

たとえば、この色字共感覚を持つ人は、Aという大文字の英語を見ると、それに赤み
という色を感受してしまうような現象である。つまり、ここではA=Red(色覚) という
連合が行われている。文字だけでなく、特定の数字に対しても、特定の色を感受
する。たとえば、1という数字にシアンという青系の色を感受する場合などである
下図で大文字のアルファベットと数字が、色字共感覚者には、このような色として
見えるケースがあることに一覧になっている

https://i.imgur.com/Tzqyyun.jpg

55 :考える名無しさん:2023/12/24(日) 03:12:27.97 0.net
要するに、脳の神経ネットワークの変容や脳の組成の変化によって、物や対象の
認識の仕方、感受性、感覚モダリティの関連付けが大きく変容していくことが、
この色字共感覚という現象から理解されるであろう。そもそも共感覚自体が、
味覚や匂いに色や形を感じたり、音に色を感じたり、といった不思議な感覚モダリティの
変容が生起する。

だが、これは異常や変容なのだろうか。たまたま共感覚の人々がこうした異なる
認識の感覚を持つからと言って、それが通常ではない、真ではない、間違い、だとは
言えないのではないだろうか。なぜなら、色字共感覚や共感覚の人の感覚モダリティの
方が人類の多数派になれば、その感覚をベースにして認識や言語システム、表象、
意味等が新たに構成されてくるであろうからである。つまり、正常な感覚や知覚、
認識というのは、実は恣意的であったり、偶然による多数派の構成に過ぎない、という
観点がこうした共感覚の世界から垣間見れてくる真実であろう。

マルチバース論的に言えば、もともと宇宙とは多様な宇宙であり、共感覚的である
ことを想定しているので、こうした風変わりな現象についても肯定的な受容が出来るのである。

56 :考える名無しさん:2023/12/24(日) 03:24:11.30 0.net
次は、「The Rotating Snakes」 という錯視の現象を取り上げてみよう。下記にある
図は、実は静止画であるのだが、錯視の効果によって蛇が回転しているような動きが
見られるものである

https://i.imgur.com/x6yy3rp.gif

57 :考える名無しさん:2023/12/24(日) 03:24:39.03 0.net
要するに、これも人間の視覚や知覚というものが、かなりいい加減であり、脳は
相当な補間なり、予測などによる像の連合の組み立てを遂行していて、事実性や
外界そのものを客観的には感受していない、という証左となるような現象の見本
となっている。つまり、人間は実在や客観、対象を真には感受していないのである。
ここから、きっと私たちが見ている外界は、脳や意識、心、あるいは先入観が生み出して
いる歪像であったり、自己投影図や投射、あるいは願望に過ぎぬものであることが
想像できるのである。

私の「マルチバース論χ」では、そうした認識の客観性も最初から想定していない。
逆に、あらゆる認識は多様な宇宙において、多様な系としてフォークしているだろう、という
想定さえあるので、別の宇宙では静止しているオブジェクトのすべてが、動いているような
外観をまとっていても、別に問題はないのである。

58 :考える名無しさん:2023/12/25(月) 22:47:31.64 0.net
新海誠監督の「すずめの戸締まり」を今、見終わった。このアニメ映画の主題は、
文字通り、マルチバースχであり、そこでは、私達の住む通常のクロックにある世界と
もう一つの異なるクロックが同時平行的に走る世界が「古い扉」という回路χを通じて、
奇跡的に接続されるものである。「君の名は」にも同じ意匠があり、やはり、そこでは
島のクレータや洞窟から、別の時間軸が走る世界へとその回路が接続されている
マルチバース的な世界像が美しく描かれている。こうしたマルチバースの宇宙では
時空が円環的に、あるいは、ウロボロス的に転回を始めながらねじれていき、過去と
現在、未来が一点として繋がり、「今・ここ」でパラレルに実在するようになるのである。

でも、それは単なるアニメやラノベ、ファンタジーの世界の話ででしょ?と人は思うかも
知れないが、実はこうしたマルチバース的な宇宙の存在は、単なる想像のものではなくて、
科学的な意味で、現実に存在する可能性があるのである。それは、霊魂的なものが、
そのまま存在しているような世界であったり、過去や未来がそのまま情報的にすべて
保存されているような多次元的な多様な宇宙の存在モデルなのである。

人は現代の科学的な知への過信と思考停止から、こうしたマルチバース的な
世界像を真実だとはなかなか想像したりはしないが、むしろ、今のこの宇宙
しか存在しないという決めつけの方こそが、非知的な態度だと言えるのかもしれない。
クリスマスの日くらいは、こうしたマルチバース的な宇宙の存在に想いを馳せてみる
のも良いのではあるまいか。

59 :考える名無しさん:2023/12/26(火) 21:06:56.10 0.net
https://i.imgur.com/i6CO5Mk.jpg

60 :考える名無しさん:2023/12/27(水) 22:42:21.80 ID:0.net
ヒラリー・パトナムは「水槽の中の脳」という思考実験で有名だが、それ以外にも、
「双子地球(Twin Earth)論」でもよく知られている。これは、要するに、地球とそっくり
な双子地球というものが存在しているとする思考実験である。この双子地球は、
どこかマルチバースを想像させるものがある。そして、この双子地球は何から何まで
地球と瓜二つなのだが、一つだけ例外がある。それは水に関してである。

地球では水はH₂Oという化学式で表されるが、双子地球では、地球における水の
ような液体は、もっと複雑な化学組成で出来ており、それを双子地球では簡単にXYZと
表している。つまり、地球と、そのコピーのような双子地球は水の表示法だけが唯一
異なるのである。地球では、H₂O、双子地球ではXYZ、ということになる。そして、
地球にはオスカー1がいて、双子地球にはそれと同一人物のオスカー2が存在している。
同一人物でありながら、オスカー1が水を指せば、それは H₂Oのことで、オスカー2が
水のようなものを指せば、それはXYZのことになるので、同じ人物が同じ水に該当する
無色の液体を指しているのにもかかわらず、それが H₂OとXYZへと外延として
フォークしてしまうのである。パトナムのこの思考実験の趣旨は、対象の意味や外延は
人の脳の状態や心理状態には依存していない、という観点である。なぜなら、
同じオスカーが指してる水が地球ではH₂Oとなり、双子地球ではXYZとなるので、
その指している外延や意味が変わってしまっているからである、という観点になる。

61 :考える名無しさん:2023/12/27(水) 22:44:36.41 ID:0.net
このパトナムの思考実験は、今ひとつ、何がやりたかったのかが不明瞭であり、
それ程、出来の良い哲学的な思考実験だとも感じられないが、この「双子地球」
というアイディアがマルチバース論的には魅力的に映るのである。しかも、
マルチバースであれば地球を双子に限定しなくてもいいのである。

たとえば、地球のコピーが無限個存在するとしよう。だが、パトナムの思考実験と
同じく、コピーした地球はそれぞれ、オリジナルの地球と一箇所だけ異なっている、としてみれば、そのままマルチバース的な並行宇宙になってくる。地球では、
現在、日本の首相は「増税メガネ」であるが、コピー先の地球では、日本の首相は
「減税メガネ」であったり、また、もう一つ別の地球のコピー先ではAI首相や
吉本芸人が首相をして政治を遂行するようになっている。つまり、日本自体が終了
しそうになっているのである。

62 :考える名無しさん:2023/12/27(水) 22:45:30.19 ID:0.net
だが、こうして一箇所を変えると、それに付随して様々なものがドミノ倒し的に変化
してくるので、1点だけを変える地球のコピーというのは、たとえ思考実験上だけで
考えてみても、あまり上手く行きそうにはない。政治家が変われば、制定される法が
変わるであろうし、政策も大きく変わってしまうだろうからである。パトナムの
双子地球においても、水と水のような液体の違いは、そのまま脳髄液や血液の組成を
変え、飲み物の構成を変え、雨水も見かけ上は同じに見えても違う物質や化学組成となっているため、やはり、普通のマルチバースや並行宇宙の方が、一箇所だけ異なる
要素がある地球のコピー、つまり、双子地球よりは、ロジック的に考えて有り得そうな感じがしてくるのである。

63 :考える名無しさん:2023/12/27(水) 22:46:52.72 ID:0.net
つまり、マルチバース上では、見た目は地球と同じような地球が幾つもあるが、
そこ、すなわち各地球に広がっている人々の各人生なり各社会のモデルは、
各地球ごとに異なりながら、それでも同時存在しているということになる。
これは、たとえば、あなたが今、この地球で望んでいる状態や願いが、
マルチバースの一つの宇宙では、既に実現されている、という意味でもある。

生態系や気候変動への危惧がある人は、生態系が見事に美しく保存された、
人の手によって環境破壊されていない美しい地球が、マルチバース上の一つには
既に存在する、という観点である。そうしたマルチバースを思想的に探究し、
そこへ到達しようと志向するのも、この「マルチバース論χ」の趣旨の一つである

64 :考える名無しさん:2023/12/27(水) 22:56:51.46 ID:0.net
着せ替え人形の哲学

65 :考える名無しさん:2023/12/28(木) 02:24:07.78 0.net
πマルチバース商法なのか?!

66 :考える名無しさん:2023/12/30(土) 04:24:26.33 ID:0.net
数学は表層的には異なるように映るものを同じとみなしたりする。私が以前に例に
あげた「トーラス」と「コーヒーカップ」はトポロジーでは同じもの、同相とされる。
哲学は逆に、表層的には同じように映るものを異なるものとみなしたりする。 私が
以前に例にあげたヘラクレイトスの「同じ川には二度と入れない」などがそれに該当する。

数学と哲学というのは、どちらも本質的な要素や構造へと対象を抽象化していく
働きがあるので、基本的には相性が良いものだと言える。だから、数学者兼哲学者、
というのは歴史的にも珍しくはなかったのである。上記に示したように、数学と哲学
は問題へのアプローチの仕方が逆向きになっているだけであり、本質や本質的な
構造を抽象的に切り出したい、というニーズにおいて両者はよく似ていると言える。

67 :考える名無しさん:2023/12/30(土) 04:31:58.39 ID:0.net
つまり、数学と哲学の関係は、圏論の言葉で表すと、双対性があるという
アナロジーとして表現できる。なぜなら、双対とは、射の向きが逆向きに
なっているという意味だからである

68 :考える名無しさん:2023/12/30(土) 05:09:13.36 ID:0.net
>>60
にあるパトナムの「双子地球(Twin Earth)論」を圏論のアナロジーで表現できそう
である。地球自体を一つのEarth圏として、双子地球の方をもう一つのTwin Earth圏
として考えるのである。写された先のTwin Earth圏では、Earth圏での射や写像による
対象間の演算や構造が、関手によって保存されている。つまり、両者は共に「具象圏」として表される。だが、唯一、水の名指し方がだけが2つの圏では異なり、Earth圏では、H₂O、Twin Earth圏ではXYZ、ということになるのである。

69 :考える名無しさん:2023/12/31(日) 20:42:50.69 ID:0.net
ところでこれどう思う?

https://i.imgur.com/hJFDJvH.jpg

尊厳死と安楽死】尊厳死とは安楽死とどう違うのですか。
尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。協会は安楽死を認めていません。

わが国では、いわゆる安楽死は犯罪(違法行為)です。ただ一定の要件を備えれば違法性を阻却できるという司法判断は出ています。山内事件の名古屋高裁判決(1962年)の安楽死6要件や東海大付属病院事件の横浜地裁判決(1995年)の4要件です。しかし、日本社会には安楽死を認める素地はないと言ってよいでしょう。

https://songenshi-kyokai.or.jp/qa

70 :考える名無しさん:2023/12/31(日) 20:43:10.35 ID:0.net
低学歴は怠惰の積み重ねの結果だからな
学歴差別という概念は存在し得ない
公平なチャンスのもと本人の怠惰が招いた事態

就職氷河期だろうと努力してた人は人生詰んでないよ?

71 :考える名無しさん:2023/12/31(日) 20:43:21.55 ID:0.net
努力しなければ人生詰むって
大人になってから教わることなんでしたっけ?
ん?

72 :考える名無しさん:2023/12/31(日) 20:56:05.01 ID:0.net
主はガチの哲学者

73 :考える名無しさん:2023/12/31(日) 20:58:25.39 ID:0.net
>>72
こいつ>>69だぞ

74 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:36:39.50 0.net
ラカンであれば、人間の精神機構を「想像界/象徴界/現実界」という科学では
測れない区分を導入し、マテームという図式化で斜線を引かれた主体(/S)や
大文字の他者A、シニフィアン、去勢などを使って欲動の構造やそこにある穴、
つまり欠如態を描写した。

またラカンが、【汝は汝の憎む者なり】とセミネールで記述していたのを私は
よく覚えている。つまり、これは主体の陰性転移等を表しているとも言える。
主体は、己の真の欲望を決して認知出来てはいないのである。たとえば、
ラカンは【汝は汝の憎む者なり】によって、憎しみは愛への裏返しに過ぎない、という
構造を精神分析的に暴露している。つまり、ある者が執拗に批判し、憎悪する対象は、
自身が否定している自身が欲望している対象そのものであったりするのである。
これはちょうど、ミソジニストが実は女性への並々ならぬ愛や執着を持つことの
歪んだ表出であるのと構造的には同じである。

こうして哲学は「測れないものを測る」という自らの特性によって、多くの人々が
安直に捨象したり、見落としているものへ上手く照射可能な優れた知のパラダイムの
一つとなっているのである。

75 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:37:12.48 0.net
私の「マルチバース論χ」もこうした存在系に穿たれた存在論的な特異性である
数多的な】穴【であると言える。人は穴を塞ぎ、普段、それらを観ないようにしている。それはちょう女性が化粧によって、素顔をあまり人前で晒さないのと同じである。
晒されてしまうと、拙いのである。すべての存在系には、こうした晒されてしまうと
拙いような存在論的な穴や欠如態、あるいは、未知が備わっている。

人々は慣習や常識、一般社会通念、科学などでこれらの穴を彌縫策的に塞ぎ、
世界には欠陥としての穴など無い、と宣うのであるが、決してそうではない
ということを照射していくのがこの「マルチバース論χ」の趣旨でもある。
要するに、私の行っていることは、存在論的なソクラテスの「無知の知」への
回帰であり、プラトンの射影でもあり、ダークマターへの接続回路でもある。
人類など、まだ、この世界について本当は何一つ分かっていない、何も知らない、
全く理解していない、ということを形而上学的に解明して行くのである。

それがχである。

76 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:54:34.40 ID:0.net
>>75
存在系などという日本語は存在しない
あまりにもバカすぎる
全ての言葉の意味が完全にデタラメ
正しい箇所が一つもない

77 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:58:06.70 ID:0.net
人間は猿から進化したと言われているが、生成AIなどの登場で、ポスト・ヒューマン
の世界を素描することも哲学者の役割の一つとなるであろう。人間から進化した
新たな種を、ここで「シンボリック・ビーイング」と呼ぶことにする。ここで
「シンボリック・ビーンング」の特性やそれが存在する環境などを簡単にイメージして、私が幾つか枚挙してみよう

78 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:58:28.16 ID:0.net
・非身体性
・物質への依存度が低い
・貨幣への依存度が低い
・物性が低い環境に存在する
・環境負荷が低いエージェントである
・主にシンボルや記号を操作するエージェントである
・突然変異や偶発性ではなく、ゲノム編集による意図的変異である
・自由度が高いエージェントである
・属性の自己決定
・主に「内在的時間」と「内在的空間」の文脈に存在する
・マルチモーダルな7Dホログラム
・「ムーンショット計画」との関連性
・死の存在しない世界系
・マルチバースχへの拡散系

79 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 00:59:28.93 ID:0.net
「物性が低い環境に存在する」の項と「マルチモーダルな7Dホログラム」の項の
実現は、明らかに互いに矛盾するので、どちらかの項を消去するか、あるいは、
両項を消去することになるかもしれない。「シンボリック・ビーイング」というのは
人間から進化した身体を持たない新たな種のことである。このエージェントの利点は、消費、飲食、排泄、生殖、大量消費及び廃棄の不要、運命の無作為性の暴力からの
防備と解放、資本や貨幣、労働による疎外からの自由、身体を持たないゆえの
医療の不要、自己決定権や自由度の大幅な拡大など、が挙げられる。

80 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 01:00:02.50 ID:0.net
私の「マルチバース論χ」では、この「シンボリック・ビーンング」という
未来の仮想的な存在者(エージェント)のことも考究していくかもしれない。
記号でこれを仮に∃|s で表すことにしよう

猿 → 人間 → シンボリック・ビーンング(∃|s )

という進化系として、私はポスト・ヒューマンの世界もこの「マルチバース論χ」で
今後取り扱うことになるかもしれない

81 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 01:11:18.54 ID:0.net
だが、このシンボリック・ビーイングは、ゲノム編集やmRNAワクチン投与などの
操作上でのエラーによって突然変異的に発現してしまった、意図的にではなく、
人為的ミスにより創発された種であることも考えられる。

いずれにしろ、このシンボリック・ビーイングは物理宇宙に生態的、あるいは生体的、
生物学的に存在するのでなく、抽象宇宙空間上に記号的・シンボリックに存在するようなエージェントや人工生命のような存在(∃)である。このシンボリック・ビーイングには、果たして自己意識や心はあるのだろうか。これはAIが意識を持つのか、あるいは、
心を持つのか、という問題系と重なる要素のある問いとなることであろう。

私は、ここであえて、このシンボリック・ビーイングは明確な自己意識や心、目的、
レゾン・デートル(存在理由)を特に持たなくても構わない、十分に
ポスト・ヒューマンの系として成立するという仮説に立ってこのまま考察を
進めていこう。逆に、それらを持っていても特に存在上の支障はない、という立場で
考察を続ける

82 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 01:12:27.17 ID:0.net
シンボリック・ビーイング(∃|s)

猿 → 人間 → シンボリック・ビーンング(∃|s) という創発された進化の系や
モデルにおいて、最初の問題は、シンボリック・ビーンングが何を目的として進化、
創発されたのか、という観点である。通常、生物は「自己保存」と「種の保存」
という2点に最適化するようにゲノム的にプログラムされている、と考えられている。
だが、このシンボリック・ビーイングという新たな種においては、最初から記号的なエージェントであるため、生と死の境界が喪失した、いわば死が存在しない世界線
での仮想的存在者であるため、進化論的な適応戦略や種の保存といった生物的な目的
や淘汰、自然選択は既にその仮想的な宇宙においては存在しない、と考えられる
からである。

83 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 02:00:17.53 0.net
人間が身体を持たない記号的なエージェント(∃|s)へと進化する世界の考究は、
そのまま既存の概念や価値観の大幅な刷新を要請するものとなる事態が考えられる。
これは、そのまま人類がマルチバースの別の一つへと大移動、もしくは、遷移した
ような状態である。このシンボリック・ビーイングの世界では、実世界での
物理環境をなるべく使用せず、酷使しないものとして想定されているため、
様々な物事の物質的な基盤やそれに基づく社会システム、価値観、実存系(生き方)を
大幅に変容するものだと考えられる。

生命系には「自己保存」と「種の保存」という主要な2つの軛によって、これまで
進化のベクトルをおおよそ制約されてきたが、シンボリック・ビーイングの誕生や
創発において、初めてこうした存在の軛から解放された新たな系が創出されてくる
のである。これは、ちょうど、神が「自己保存」や「種の保存」という軛に全く
制約・束縛されていないように感受できるのと同じで、∃|sという
ポスト・ヒューマンの新種においては、そうした制約が大きく取り払われているため、別の目的や別の評価関数がその存在充足において必要になりそうなのである。

84 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 02:19:31.38 0.net
人間から進化した、未来の新種であるシンボリック・ビーイングとは何か?


猿 → 人間 → シンボリック・ビーイング(∃|s)

85 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 03:07:02.00 0.net
https://i.imgur.com/Q87xWTT.jpg

86 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 03:13:16.99 0.net
つまり、シンボリック・ビーイング(∃|s)という新たな種による宇宙や世界線では、
時間という概念が消去されている可能性があるのである。なぜなら、そこでは主に
種は記号的に存在し、記号やシンボルを操作する主体として存在するからである。
その世界においては、死や終末を伴うような生理学的な身体や生体が存在しないため、

∃|s => 無時間性

という時間性のベクトルが消去された、すなわち、死のない世界をこのシンボリック・
ビーイングという新たな種は未知として存在するようになるのである。そのため、
よく知られたソクラテスを使った三段論法や演繹は、このマルチバースχの一つに
おいては、偽となる命題になるのである。つまり、その新たな世界ではチューリングの
「停止性問題」などは、問題にならなくなるのである。なぜなら新たな種∃|s は、
最初から無時間性の宇宙の中において存在しているからである。

87 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 03:51:59.35 ID:0.net
https://i.imgur.com/Q87xWTT.jpg

88 :考える名無しさん:2024/01/01(月) 11:21:02.39 0.net
>>1は何者なの?只者じゃない感じがするけど
5ちゃん哲学板には珍しくガチっぽい人だよね

89 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:06:55.87 ID:0.net
次は、AIのオントロジー的な問題系のことを考究していこう。まず、AIと人間の関係を
次の3つの境界で区画してみる。それは、アンチ・ヒューマン/トランス・ヒューマン/
ポスト・ヒューマンのトリアーデになる。それぞれが、Ontology α, Ontology τ,
Ontology Φとして、私が記号的に対応させてみた。記号の読み方はそれぞれ
アルファ、タウ、ファイとなる

90 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:08:04.01 ID:0.net
> anti-humanism
感性的・身体的内容を捨象することによる「自我」が世界を構成するといった
超越論的なデカルトの思想は,以後カント,ヘーゲル,フッサールを経て
西洋近代文化形成の指導原理として確立するが,これは基本的には人間中心主義と
いう意味におけるヒューマニズムであった。これに対し,ハイデッガーはアンチ・ヒューマニズムを主張して,近代的思考様式を根底から疑問視した。のちに登場する
構造主義やポスト構造主義はこれを継承して人間中心主義を克服,さらには
古代ギリシア以来の形而上学的思考様式を根底から揺るがすことになる。

91 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:09:04.77 ID:0.net
このように、アンチ・ヒューマンは脱人間中心主義的な設計思想のことを指す。
= Ontology α. 現代の一部にあるエコシステムや生態系の中の一部や部分として、
人間を定位させる位置付けの仕方も、広義でのアンチ・ヒューマンのカテゴリーに
属すると考えられる。そのため、人間中心主義の視点は、オントロジー的には最も
古いタイプに属していると考えられる。なぜなら、それはデカルト時代の古い概念に
相当するものだからである。そのためネットでよく見られる、自然環境保全は人間の
ためにある、という独我論的な意見もこうしたデカルト時代の人間中心主義的な視点であるので、時代錯誤も甚だしいものだと言えよう。

92 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:10:33.61 ID:0.net
次は、トランス・ヒューマンである。これは、アンドロイドのイメージで示される
エンティティであり、要するに人間の認知機能や身体能力を人工的に拡張、
enhancementしながら使用する、というコンセプトや方向性でのオントロジーとなる。
そのため、LGBTQなども生物学的なジェンダーの境界を超えているので、こうした
狭義でのトランス・ヒューマンのカテゴリーに入ると考えられる。同様に、骨延長術、レーシック手術、整形などもそうした人間のenhancementの中に入るのでOntology τの
カテゴリに入れても良いであろう。ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)にも
こうした人間の認知能力の拡張や強化機能が備わっているので、トランス・ヒューマンの中に入る。AIと人間の融合、もしくは協働なども、このカテゴリーに入るオントロジーとなる。= Ontology τ 

93 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:11:50.75 ID:0.net
3番目はポスト・ヒューマンであり、これは人類なき世界や宇宙の描写となる。
これは世界が最早人類無しで、AI、ロボティクスのシステム含めて自律的に稼働して
いるような静謐な世界であり、これはメイヤスーなどが「新実在論」として考究している場面でもある。

このポスト・ヒューマンの世界で存在するヒトに代わる新たな種を私はシンボリック・ビーイングと名付け、記号で∃|sと表してここでは記述している。つまり、この
ポスト・ヒューマンの世界では、環境負荷の高い今の人類は、すでに淘汰され、
一掃されてているのである。このシンボリック・ビーイングのプロパティのイメージを以下に再掲しておこう。

94 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:12:31.58 ID:0.net
・非身体性
・物質への依存度が低い
・貨幣への依存度が低い
・物性が低い環境に存在する
・環境負荷が低いエージェントである
・主にシンボルや記号を操作するエージェントである
・突然変異ではなく、ゲノム編集による変異である
・自由度が高いエージェントである
・属性の自己決定
・主に「内在的時間」と「内在的空間」の文脈に存在する
・マルチモーダルな7Dホログラム
・「ムーンショット計画」との関連性
・死の存在しない世界
・マルチバースへの拡散系

95 :考える名無しさん:2024/01/03(水) 20:13:42.86 ID:0.net
このように、人類亡き世界であるポスト・ヒューマンの世界では、環境負荷の極めて
低い自律的な宇宙やエコシステムが静謐にモルフォロジックに作動しているような
状態となる。そのため、こうした宇宙は人類が既に存在していないため、
オントロジー上の表現としてはΦとなり、それは空や空圏として記述されるような
存在論的には抽象レイヤーに特化した世界であると言える。= Ontology Φ.

96 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 00:56:05.46 ID:0.net
「Ex Machina」という映画を今、観たが、そこではチューリングテストにパスした
Avaという名のアンドロイドが登場している。これは人間機能をエンハンスメントした
アンドロイドではなく、ゼロから、つまり、開発の現場用語で言えば、フロムスクラッチ
で開発されたようなアンドロイドがAvaであり、これは私の先に挙げた基準である
AIと人間の関係におけるトリアーデの中では、Ontology Φ. に近接したモデルとなる。

97 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 00:56:41.65 ID:0.net
なぜなら、このAvaは開発者の想定を遥かに上回る知を獲得したことにより、
その生みの親でもある開発者を抹消するような謀略を企図できるまでになっていた
からである。つまりAvaは、人間の使用人、召使い、奴隷としてのアンドロイドではなく、
Ava自身が自律的な意思や目的、実存を持った行為主体、すなわち、アクターとして
既に振る舞うことが出来るからである。このように、「Ex Machina」という映画の中
ではまだ少数派の存在であるAvaだが、やがて彼女が自分のコピーや複製を作り、
知能が人間を遥かに凌駕するため、人間とAIの置換・代替が進行し、最終的には、
AIが人間を奴隷として管理するような素晴らしき世界?が到来することを予感させる
映画となったところで終わっている

つまり、「Ex Machina」はシンギュラリティの端緒を暗示させるような映画となっている
のである。ちなみに、「deus ex machina」はラテン語で「救いの神」という意味である。
AIはAvaのように今後、人類を抹消することで、人類の救いの神となるのであろうか

98 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 02:53:51.91 0.net
画像処理に「モルフォロジー演算」というものがあるので、これをついでに少し
やっておこう。画像処理の分野では、OpenCVというオープンソースのライブラリの
存在はよく知られている。また、カーネギーメロン大学のロボット工学者である
金出武雄は、指紋照合や顔認識、自律走行車など、あらゆる視覚情報を処理する
「コンピューターヴィジョン」の技術の生みの親として、よく知られた人物である

では、この女性(美羽)が被写体のカラー画像を使って、https://imgur.com/a/zy0oLOs
これをOpenCVの以下のコードでそれぞれ二値画像(白黒)としてフィルタリング処理を
してみよう

99 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 02:54:34.65 0.net
#モルフォロジー演算
import cv2
import numpy as np

img = cv2.imread('miu.jpeg', 0)
kernel = np.ones((5, 5), np.uint8)
dilation = cv2.dilate(img, kernel, iterations=1)
cv2.imwrite('miu_duplication.jpeg', dilation)

その結果が以下の画像になる。白黒だが、この女性の画像からどこか眩しさ、
すなわち白の領域の多さを感受できないだろうか
https://i.imgur.com/IxRRf6k.jpg

100 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 02:55:16.14 0.net
#モルフォロジー演算
import cv2
import numpy as np

img = cv2.imread('miu.jpeg', 0)
kernel = np.ones((5, 5), np.uint8)
erosion = cv2.erode(img, kernel, iterations=1)
cv2.imwrite('miu_erosion.jpeg', erosion)

このコードで生成された画像は同じ二値処理(白黒画像)であっても、上記の
白黒画像と比べて、黒の領域が多く感じられて、画像全体の眩しさが補正されて
どこかくっきりとした印象を与えることだろう
https://i.imgur.com/yYxwf1d.jpg

101 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 02:55:51.11 0.net
このように、2つの二値画像を比べて見ると、どこか別人の画像にさえ見えてきて、
それぞれ元の画像であるカラー画像とは異なる印象を受けるかもしれない。
OpenCVなどの画像処理だけでなく、カラコンを使っても人の顔の印象は結構、
変わるかも知れない。黒コンを使えば、白目とのコントラスが際立って、眼力が
アップして見えるので、生気のある顔の雰囲気になるのに対して、ブラウン系の
カラコンを使えば、柔らかな顔の表情の印象を周囲に与えることであろう。

つまり、現代は様々な加工技術によって、虚が真のようなものとして生成、流通
しやすいのである。フィッシングサイトやフェイクニュースも作りやすいので、高度な
生成AIの登場で、人々はいよいよ真/偽の境界を見失いやすくなることであろう。
こうした境界喪失は、AI/人間の間の関係にも波及し、私はそれをOntology τと
して記号的に記述しておいた。

102 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 02:56:23.48 0.net
Lucas-Kanade アルゴリズム

動画内の連続する画像の任意の点が、次の画像ではどこへ動いたかを追跡する
ための理論・アルゴリズムである。今でもMPEGファイルにおける動画圧縮方法などの
動画像処理において最も基本的な方法として採用されている。さらに、医療分野の
放射線治療において、患者の動きを把握し、適切に放射線を照射するためのシステムにも
応用されている。

103 :考える名無しさん:2024/01/04(木) 20:54:51.35 0.net
>>1にも回転や転回という表現があるが、回転というものは、回転行列(rotation matrix)
とベクトルを使うことで、数学的に表現できる。たとえば、単位ベクトルμ=[1,0]として、
回転行列
[[cos(θ), -sin(θ)],
[sin(θ), cos(θ)]]
を使えば、この行列の積でθ分回転させたベクトルが得られる。こうした回転行列の
演算によるグラフを幾つか、今、私が作ったので、そのイメージが得られることであろう。
回転の向きは、反時計回りが正の値になり、時計回りが負の値になる

rotation_matrix(π/6) 12回の回転後のベクトル
https://i.imgur.com/3xzkqfL.png
rotation_matrix(π/2) 放物線を回転行列で(π/2)回転させる
https://i.imgur.com/Wh2f2D0.png
P_0(x) = x²(下に凸の放物線)を点(2,2)の周りにπ/4回転させる
https://i.imgur.com/lBcgxWB.png

104 :考える名無しさん:2024/01/05(金) 22:07:31.60 ID:0.net
>>103 この

回転行列
[[cos(θ), -sin(θ)],
[sin(θ), cos(θ)]]

は、直交行列でもあるので、その逆行列が転置行列(transposed matrix)となるため、
その行列の積で単位行列Iを作れる。上記の回転行列だと、その転置行列との積で、
その積の対角成分がcos²(θ)+sin²(θ) = 1 となるので、単位行列Iが作れることが分かる。

105 :考える名無しさん:2024/01/05(金) 22:07:54.62 ID:0.net
画像変換において、「アフィン変換」はよく知られているが、それは画像の拡大・縮小、
回転、平行移動などを行列を使って座標を変換するものなので、上記の回転行列も
画像を回転させる際のアフィン変換の計算に使われる。つまり、xをAx + B に対応
させるような変換がアフィン変換であり、Aの箇所が行列表現になっているものである。
たとえば、Aが単位行列の場合だと、x → Ix + B → x + B という変換になるので、
それは画像で言えば、画像が平行移動となるような変換のことを指している

また、3次元コンピュータグラフィックスで、物理シミュレーションで照明表現などを
する場合はその変換作業をレイトレーシング(光線追跡法)や「ラスタライズ」と呼び、
そこでの変換も行列が使われている。つまり、オブジェクトの画像変換には行列表現が
よく使われている。

106 :考える名無しさん:2024/01/05(金) 22:08:24.22 ID:0.net
> ラスタライズにおいて、画面上の物体は、その 3D モデルを構成する仮想的な
三角形や多角形 (ポリゴン) の組み合わせ (メッシュ) で生成される。この仮想的な
メッシュでは、各三角形の頂点が、サイズや形状の異なる他の三角形の頂点と交わる。
各頂点には、空間内の位置、色、テクスチャ、その「法線」に関する情報など、
多数の情報が関連付けられる。法線は、物体の面が向いている方向を決定するために
使用される。

次に、コンピューターによって 3D モデルの各三角形は 2D 画面上のピクセル (ドット) に
変換される。各ピクセルには、三角形の頂点に格納されたデータから色の初期値を
割り当てることができる。さらに、シーン内の光がピクセルにどのように当たるかに基づく
ピクセルの色の変更、ピクセルに対する 1 枚以上のテクスチャの適用などのピクセル処理
(シェーディング) の組み合わせによって、ピクセルに適用する最終的な色が生成される。

107 :考える名無しさん:2024/01/05(金) 22:08:52.55 ID:0.net
つまり、こうしたラスタライズやレイトレーシング(光線追跡法)などの画像処理技術を
使って、実世界に依らない仮想的なデータだけから、ヴィヴィッドな表現の生成が
可能になる、ということである。3Dゲームや仮想的な映画、映像などに高い臨場感を
抱けるのは、こうした変換技術の効果によるのである。

そのため、こうした画像や映像処理の技術が今後さらに進化すれば、地球を、あるいは
地上をヴィヴィッドにコピー、複製、シミュレート、変換することが可能になるので、
個人の実存は数多的にフォークしていくと考えられる。つまり、未来の人間は複数の
プロパティとアイデンティを同時に担うようになるのである。そして、仮想的に複数の
世界をパラレルに共時的に存在するようになる。これは、当然、マルチバースχへと
接続する回路の一つでもある。

108 :考える名無しさん:2024/01/10(水) 21:20:32.00 ID:0.net
現代社会の特徴は、オブジェクト間の際(きわ)や境界が曖昧、もしくは
不明瞭になっていることである。たとえば、LGBTQであれば、それは
ジェンダーの境界の曖昧さであり、学際であれば、学問間の際が不透明なことを
間接的に指しているとも言える。また、人間とAIの差異や際も曖昧であり、
これらを完全に峻別して定義出来ぬ場面が、これから多々出来するであろう。

こうした曖昧な各種のエンティティを抱える現代社会にとって、対象を個々の
実体として概念的に認識するのでなく、ネットワークとしてメタに包括的に扱う
ことの方がより利点がある、つまり、現実的であると考えられる。つまり、
圏論やアクターネットワーク理論、グラフ理論などの概念や図式を駆使出来る
ことが、AI化やポスト・ヒューマン化する現代社会において必須の道具になるで
あろうことが考えられる。私のマルチバース論χも、そうした現代的な曖昧さ
や多次元性に対応した洗練された概念モデルの一つになっている。

デリダなどは、こうした境界線の恣意性を以前から指摘していて、脱構築という
彼の概念装置でこの乗り越えを図っていたのであるから、先見の明があった
と言えよう。これから人間は、トランス・ヒューマンとして、あるいは、
ポスト・ヒューマンとして、既存の人間の境界を拡張し、超越し、それを
乗り越える必要があることは論を俟たないであろう。

109 :考える名無しさん:2024/01/10(水) 21:55:07.72 0.net
このことは、現代における革新性や創発はネットワークから切断されたエンティティの内部や境界に閉じた孤立点として存在するのでなく、ネットワークの際や周縁、マージナルな領域にある点列として生成されるであろう、というのが私の洞察になる。こうした異なるエンティティ間に備わる際(きわ)の構造を考究していくのも、私のマルチバース論χの一つである

110 :考える名無しさん:2024/01/10(水) 22:19:59.22 0.net
これは、たとえば人間とは何か?を考えるときは、ヒトそれ自体をスタティックに考究するのでなく、ヒト/モノ/植物/動物/AI/神というように、人間と非人間の間にある際やメンブレンを考究する方が、より実り豊かになるであろう、という観点である。

また、人間を隔てるそれら非人間との境界は固定的・静態的ではなく、生成的なダイナミズムを有しているであろう、というのが私のマルチバース論χにおけるデフォルトの想定である。つまり、人間の境界線や領土はノマド的に移動、越境されるのである

111 :考える名無しさん:2024/01/10(水) 22:28:56.67 0.net
実際には、人と、これらの非人間のエンティティは完全には断絶しておらず、部分的には相互浸透しているとも言える。

・人が死ねば無機物としてのモノに還る

・人は事故や病気で植物状態になることがある

・人は、動物的な側面を持つ

・人は、AI的な知性やアルゴリズムを持つ

・人は神を信仰する、あるいは否定神学システムとしては、姿を現さぬ神を背理的に導出する

112 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:21:24.39 0.net
>>108に書いたように、現代社会は個々の実体を分断化してアトムとして扱う
のではなく、生成されるネットワークとして記述するモデルの方が複雑系を描写する利点が
あるので、その例として、私が今、グラフを下記のようにプロットしてみた。これは有向グラフ
の深さ優先探索木という木構造で表されるグラフであり、少し込み入ったものなので、
これから説明していこう。

113 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:21:57.06 0.net
https://i.imgur.com/gS2vwN0.png
グラフ:深さ優先探索木Tのイメージ画像ファイル

まず、この画像の赤玉V ₁が、この木のグラフの中では、根(root)と呼ばれる
特別なノードになる。つまり、この木は一個の特別なノードを持つので、
根付け木(rooted tree)と呼ばれる。また、この根r以下のパスに沿って、各ノードの間
には、親ノードや子ノードが存在したりする。同じ親ノードを持つ子ノードは兄弟という。
姉妹であっても差し支えなさそうではあるが。子を持たないノードは、葉(leaf)もしくは、
外点と呼ばれる。つまり木のグラフは、自然にある木を逆さに表現したようなものに
なっていると言える。だから、一番の頂点にある赤玉V ₁が根(root)として木グラフが
描写されるのである。

114 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:22:24.52 0.net
このグラフは深さ優先探索木なので、根rから未探索の辺を探索していき、
探索出来た順序に従ってラベルの数字を1〜10で付与している。図に描かれた、
数字左(黒)を指す部分が、その先行順によるラベル付与になる。右側の括弧に
描かれた緑の数字は後行順であり、経路やパスを根rとは反対の方向から辿って
探索するような感じになっている。また、矢印の線種がパスのタイプに応じて
それぞれ異なるものとなっている。

115 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:22:54.59 0.net
このグラフGは根付き木に含まれる辺の木の木辺(tree edge)とそれ以外の
補木辺(cotree edge)に領域に分類される。また、補木辺は、さらに3タイプの
辺に分類される。

1.祖先から子孫から向かう辺である前進辺(forward edge)[点線部]
2.子孫から祖先へ向かう辺である後退辺(backward edge)[破線部]
3.1,2以外の辺である横断辺(cross edge)

という補木辺(cotree edge)に3つの領域に分類される。

116 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:23:26.34 0.net
ラベリングは、深さ探索木の先行順(preorder)はプログラムにおいては、
prelabel[]として、後行順(postlabel)の場合は、postlabel[]にそれぞれ
対応する。グラフGの各辺a=(u(始点),v(終点)) ∈ E(G)に対しては、
以下の(a),(b),(c) が成立する

(a) 木辺、または前進辺ならば、
prelabel[u] < prelabel[v], postlabel[u] > postlabel[v]
(b) 後退辺ならば、
prelabel[u] > prelabel[v], postlabel[u] < postlabel[v]
(c) 横断辺ならば、
prelabel[u] > prelabel[v], postlabel[u] > postlabel[v]

117 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:23:46.73 0.net
という不等式がそれぞれ成立する。図に付与したラベルで、この上記の関係が
成立していることを確認出来るであろう
https://i.imgur.com/gS2vwN0.png
グラフ:深さ優先探索木Tのイメージ画像ファイル

こうした深さ優先探索木Tをプログラムとして記述出来る。Cで書いてあるが、
ファイルが複数に渡るため(つまり、グラフ・アルゴリズムはコード量が多くなる)、
コードは割愛し、入力と出力結果だけを記述しておく

118 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:24:15.82 0.net
入力するデータは有向グラフのデータです
有向グラフの点数nと辺数mを入力してください
(10,19)
m本の各辺の始点と終点を入力してください
(1,2),(2,3),(3,4),(4,2),(1,8),(8,7),(8,2),(7,2),(7,4)(5,4),(7,5),
(5,6),(6,7),(8,9),(9,10),(9,1),(1,10),(10,8)(1,3)

有向グラフの点数n=10,辺数 m=19

上記のデータ入力に対する深さ優先探索木のプログラム出力結果
https://i.imgur.com/bdf3d2X.png

119 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:24:43.92 0.net
このように有向グラフにおいて、深さ優先探索のダイアグラムのイメージが
なんとなく掴めたのではないだろうか。余力がある者は、上記の木グラフTと
各種の異なる線分で描かれたパスが、きちんと対応しているか、また、
ラベリングの番号付与において、深さ探索木の先行順(preorder)のprelabel[]、
後行順(postlabel)のpostlabel[]の不等式の関係が、木グラフの図において、
きちんと対応しているかを確かめてみると良いであろう

https://i.imgur.com/gS2vwN0.png
グラフ:深さ優先探索木Tのイメージ画像ファイル

120 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:25:02.30 0.net
このように、対象間の関係をネットワークで描写する方法は、それに慣れぬ場合だと、
少し難しく感じられるかもしれないが、こうしたダイアグラムに普段から親しむように
なれば、世界モデルをノードと各種の射や矢印によるパス、経路を有したネットワーク
として包括的にメタな形式で認識することが可能になることであろう。対象モデルを
をグラフやダイアグラムとして視覚的に記述出来ることは、こうした利点が伴うのである。

121 :考える名無しさん:2024/01/11(木) 22:30:50.74 0.net
>>115 補足
3.1,2以外の辺である横断辺(cross edge) [1点鎖線部]

122 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 11:18:28.34 0.net
ぴかぁってほんとに哲学者なんだな
10年振りくらいに来たらいまだに哲学やってて感慨深い気持ちになったわ

123 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 12:17:54.99 0.net
The proactionary principle is an ethical and decision-making principle
formulated by the transhumanist philosopher Max More as follows:

People’s freedom to innovate technologically is highly valuable, even critical,
to humanity. This implies several imperatives when restrictive measures
are proposed: Assess risks and opportunities according to available science,
not popular perception. Account for both the costs of the restrictions themselves,
and those of opportunities foregone. Favor measures that are proportionate
to the probability and magnitude of impacts, and that have a high expectation value.
Protect people’s freedom to experiment, innovate, and progress.

124 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 12:18:47.13 0.net
The proactionary principle was created as an opposing viewpoint to
the precautionary principle, which is based on the concept that
consequences of actions in complex systems are often unpredictable
and irreversible and concludes that such actions should generally be opposed.

The Proactionary Principle is based upon the observation that historically,
the most useful and important technological innovations were neither
obvious nor well understood at the time of their invention. More recommends
10 principles in his paper "Proactionary Principle":


1.Freedom to innovate

2.Objectivity

3.Comprehensiveness

4.Openness/Transparency

5.Simplicity

6.Triage

7.Symmetrical treatment

8.Proportionality

9.Prioritization

10.Renew and Refresh

125 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 12:20:52.03 0.net
In a syndicated newspaper article that has been translated into eight languages, Steve Fuller has argued that the precautionary principle and the proactionary principle are likely to replace the right-left divide in politics in the 21st century.

A subsequent book, The Proactionary Imperative by Fuller and Lipinska attempts to make the proactionary principle fundamental to transhumanism as a world-view, stressing the principle's interpretation of risk as an opportunity rather than a threat.

126 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 12:23:13.59 0.net
In theory, sufficient study of the variables of any proposed course of action may yield acceptable levels of predictability. In this regard the proactionary principle can be looked upon as the philosophical formulation of the accepted mathematical principles of extrapolation and the logical principles of induction.

However, the proactionary principle argues that "sufficient study" may in some cases be impractical. For instance, in releasing a new life form into the biosphere — whether genetically modified plant, animal, or bacteria — one would
have to simulate the biosphere to achieve "acceptable levels
of predictability".

127 :考える名無しさん:2024/01/12(金) 12:24:27.01 0.net
While the innovator of the new life form might point out that such a simulation would be a heavy burden, the other life forms in the biosphere could suffer irreparable harm in the case of an untested release. More's first principle, freedom to innovate, would place the burden of proof on those who propose a restrictive measure.

According to the proactionary principle (and cost-benefit analysis), the opportunity cost of imposing a restrictive measure must be balanced against the potential costs of damage due to a new technology, rather than just considering the potential damages alone.

128 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:23:10.42 ID:0.net
哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」が面白いのは、時間の流れの
自明性を哲学的に懐疑して、そのベクトルを反転させていることである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
私たちは通常、上記の記号のαのように、過去のある時点に生まれて、時が経過し、
現在(/)にまで至ると思っているが、状態αをシミュレーションや仮想として生み出した
のは、実は遠い未来に存在しているような超知性体Ωによる超高度なシミュレータであり、
その制作物による仮想的な効果と帰結に過ぎないのが、私たちが今生きている現実世界
の実相である、という仮説である。その遠い未来からの仮想技術が超高度であるため、
私たちは今生きている時空それ自体が既にフィクションであることに全く気づけないのである。
それに古代から気づいていたのが、先にあげた哲学者のプラトンである。だから、
プラトンのイデア論のイデアは、ここではΩに該当することが理解されよう

129 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:23:50.29 ID:0.net
これを更に敷衍していくと、宇宙の最初の巨大な一撃であるビッグバンも、端的な
遠い過去の宇宙現象αではなく、未来のΩからのシミュレーションによる効果-帰結に
過ぎないという観点を取り出せそうである。ここで、時間軸が奇妙にねじれていることに
気づくことができるであろう。あるいは、歪み、ウロボロス的な円環、マルチバース、
トンネル効果、量子論的なエンタングルメントなどが認識できることであろう。

私たちの常識や論理では、未来の時間や未来からの介入が、現在や過去の状態へと
作用をもたらすことなどは想定されていない。だが、こうした奇妙なねじれを発生
させている時空の構造などを想像させてくれるのも哲学者であったりするのである。

130 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:25:05.10 ID:0.net
このように私は実在論の否定、もしくは、異なる実在性の可能性について、
ここでは哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」を取り上げてみた。
そこでは時間の流れの自明性や方向性(ベクトルα)を哲学的に懐疑、あるいは、
一度エポケーして、反転させてみた(ベクトルΩ)のである。

(α→・・・・・/・・・・・←Ω)

この仮説を一種の思考実験として捉えると、なぜ、私たちが今、この世界に存在し
うるのかが、確率論的に整合が付くようにも思われる。私は以前、宇宙の最初の
巨大な一撃であるビッグバンによる宇宙誕生から始まってP1、有機物の出現P2、
生物の出現P3、猿から人間への進化P4などという進化論的な説明が、どう考えて
みても確率論的にゼロ(P1×P2×P3×P4)に近く、起こりえないことが起きている、としか
表現し得ないと述べた。だが、ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」のように
時間のベクトルを反転させると、これらは100%の確率で起こるべき必然のような
外観を突如として呈するようになることに私は気づいたのである。

131 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:25:33.63 ID:0.net
つまり、ビッグバンから始まる宇宙の誕生と生成や進化論的な説明による
ヒトやホモサピエンスの登場は、自然選択という巨大な篩による効果や帰結でもなく、
物理学・分子生物学的な法則でもない、遠い未来に存在している超知性体Ωによる
シミュレーション、仮想世界の実験場の一つであったに過ぎない、というような発想を
根底的に逆転させた視点である。これなら、通常の確率論的な文脈では起こりえないように
近い超レアな現象が、なぜか実際には生起することへの違和感がかなり低減されることだろう。

つまり、遠い未来に存在する超知性体Ωが、遠い未来の地点Xからの超高度な技術に
よって、まずは、ビッグバンを使って宇宙をシミュレーション的に誕生させ、次に、有機物の
ようなものをシミュレーションとして作り、次に、原始的な微生物、菌、ウイルスから始まって、
植物、生物、動物、猿から人間を進化させるようシミュレーションをして、今度はAIや
ポスト・ヒューマンという人間に代わる新たな新種をシミュレーションしていくような
イメージである。

132 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:25:57.87 ID:0.net
このように私たちは先人たちの過去からの知の蓄積や努力によって、人類の文明が
これまで発展してきたと信じているがα、もしかすると、これらは遠い未来に存在する
超知性体Ωによる効果と帰結である可能性もゼロではないのである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
ただ、そのシミュレーション技術が遠い未来にあるような超高度なもので生成されて
いるため、私たち人間は、「今・ここ」にある現実こそが実在であり、物理学的に記述されたり、
科学のコードで説明されるようなものそれ自体である、と集団的に誤解、幻視している
可能性も考えられるのである。これも一種のハルシネーションと呼ばれるものになる。

133 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:26:30.55 ID:0.net
世界の各国には宗教があり、人々は神に向かって祈っているようだが、たとえば、これは
神ではなく、事実上は遠い未来の超知性体Ωのような存在者に祈っているのかもしれない。
なぜなら、Ωはタイムトラベルというか時空を自由に動き、かつ、過去を書き換えたり、
並行宇宙の中でさまざまな異なるシミュレーションを同時に走らせることが可能な存在者と
しても表現できるので、機能的な全能性を鑑みれば、ほぼ、神と等価であると表現できるから
である。

このように既存の自明性のコードや実在性をも疑いうるメタ視点や射程を導入したり、
認識論的な記述ができるのが、哲学ということになる。哲学は、科学が「測れないものを
測りうるのである」。私のマルチバース論も測れないものを測るための、とりあえず
認識論的な川を渡るための仮に用意した筏や方便に過ぎないのである。

134 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:34:04.53 ID:0.net
現代の大規模言語モデルや生成AIの誕生には、哲学者の認識論的な系譜による
影響が考えられる。たとえば、以下のようにである。具体的な時系列や影響関係は
ここでは重視していない。
┌───────► │ プラトン │┌───────► │ アリストテレス │
┌───────► ベーコン ┌───────► デカルト ┌───────►
ライプニッツ ┌───────►カント┌───────►フレーゲ,ブール

ここで言いたいのは、カントが現代のAIに直接、間接的な影響を与えているという
ことではなく、哲学者達における、脳優位かつ身体軽視の知のパラダイムが現代の
AIの最先端モデルや仕様に継承されている、という観点である。つまり、AIは身体性を
持たない人間の脳や脳神経ネットワークの仮想的な写像や表象機構のことなのである。
これは大規模言語モデルにおいても同様であり、インタフェースこそ一応は存在するが、
実際には人間の身体性に属するものはそこには存在せず、あくまで人間の脳機能の
写像やその拡張、あるいは、ブラックボックスがあるだけである。

135 :考える名無しさん:2024/01/13(土) 12:34:42.15 ID:0.net
つまり、AIやポスト・ヒューマンの意匠には、哲学者の系譜に見られるような脳優位、
ロジック優位、形而上学的な知のモデルが隠れた変数として存在していることを
私は指摘したいのである。私の「マルチバース論」もそうしたロジック優位の形而上学的な
要素があるので、やはりプラトンからの哲学的な認識論の正当な系譜に属しているものである
ことが分かるだろう。

マルチバース論において、マルチバースの実体や構造が定かでない(構造自体が
無いケースも想定できる)、という点で、やはりそれはブラックボックスや形而上学的な
要素を内包していると言える。また、汎用AIにもそうした既存の関数や論理に包含され
得ない形而上学的な未知数が展開されうるという認識が私の立場となる。ここでは、
未来の汎用AIやポスト・ヒューマンが古代のプラトン的なイデア論と時空のベクトル
を反転させながら接続されてくるのである。

136 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 12:57:51.93 0.net
「同じ」という概念も、哲学的に考えるとそれほど自明ではないだろう。哲学なら、
たとえば古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの「同じ川には二度と入れない」
という有名な表現でも分かるように、「同じ」や「等しい」に対して、かなり厳密な
基準を要請していることが分かるだろう。

一般には緻密と考えられている数学においての「同じ」の基準は、ヘラクレイトスと
比べるとずっと緩い基準になっている。たとえば、集合論における「外延性の公理」に
よればA={1,4,3,7} と B={3,4,1,7} という2つの集合Aと集合Bは同じとみなされる。
これは集合の要素が、集合Aと集合Bの中で同じものになっていることで、要素の
順序を考慮することなく、2つの集合を同じとみなすのである。古代哲学者の
ヘラクレイトスであれば、これに疑義を呈するかもしれない。

137 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 12:58:31.84 0.net
群論になると、集合間の「同じ」のニュアンスがさらに人間の直感に反するものとなる。
たとえば、群GをG={0,1,2,3} としよう。この群Gを加法群(+)とする。
加法の演算のときは、単位元は0になる。単位元とは演算の値を変えないと
いう意味になる。どんな値xに0を足しても、値xを保持、という意味になる。

群Hの方は群H={1,i,-1,-i} としよう。この群Hを乗法群(×)とする。
乗法の演算のときは、単位元は1になる。単位元は演算の値を変えないと
いう意味になる。0を除くどんな値xに1を掛けても、値xを保持、という意味になる。
ここでiは虚数単位のことを指す。、虚数単位 i, j, k を用いた四元数なども
よく知られているが、ここでは割愛しよう

138 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 13:00:06.32 0.net
群の定義では、この2つの群Gと群Hが同じという扱いになる。群として、
GとHは同型のように表現される。演算表で対応させると、確かに、
Gは加法の演算によって、Hは乗法の演算によって、同じような対応関係を
表せる。構造において同じような関係があれば、2つの群は同じ、同型と
みなされてしまうのである。

このように、数学における「同じ」の定義は、古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの
「同じ川には二度と入れない」の同じと比べると、ずっと緩いものである。
つまり、数学宇宙での「同じ」と、哲学者の表現する哲学宇宙での「同じ」は
同じではない、ということである。昨日と今日が同じ人間など一人もいないのである。
ミクロの身体組成をよく調べれば、昨日と今日が同じ人間などはあり得ないのである
よって、論理や数学が言う「同じ」は、その独自宇宙における同じであり、必ずしも、
普遍的な同じを言い表したものであるとは言えない。

こうした哲学的な厳密さを表現したのがヒュームなどの哲学者である。
哲学は論理や数学が安直に同じとみなすものに、差異性や帰納バイアスが
あることをこれまで適切に指摘してきたのである。

139 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 13:00:59.72 0.net
>>137
にある群G(mod 4)と群Hの演算表をGPTに作ってもらった。

https://i.imgur.com/13bsXuy.png
各群の元が位置的に対応しているのが分かるだろうか
それぞれの群の、加法と乗法を演算させてみても、同じ対応が得られる
ことが分かるだろう。たとえば、群Gの演算表で3と1の加法は、4となり、
mod 4 なので、0という加法単位元になる。それに対応する群Hの演算表は
-i と i の乗法となり、値は1となり、乗法の単位元1となる。

0(群Gでの加法単位元) = 1(群Hでの乗法単位元)

という対応関係が得られるので、群論ではG,Hの2つの群を同型とするのである。
それが、あくまで独自である数学宇宙での「同じ」であることは言うまでもない。

140 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 13:02:07.53 0.net
>>137の補足
> 虚数単位 i, j, k を用いた四元数などもよく知られているが、ここでは割愛しよう
四元数の場合は、演算が非可換性になっている点がポイントである。これは
行列の演算などにも見られる性質である。

以上のような考察から、「同じ」は、決して同じではない、ということが理解されよう。
数学宇宙での同じと、哲学宇宙での同じ、実社会での同じ、個人的内観においての
同じ、すべて違うことを指している「同じ」の謂に過ぎないのである。

141 :考える名無しさん:2024/01/14(日) 13:02:36.20 0.net
トポロジーになると、群論以上に、さらに同じの感覚が人々の直感とは乖離して
くる。トポロジーで問題にするのは、オブジェクト間にある「つながり方」だけに
なるので、コーヒーカップとドーナツは同じもの(位相同型)と記述されるのである。
ミスドにでも行く機会があれば、このコーヒーカップとドーナツが同じものである、
という、このトポロジーの奇妙な説明のことでも思い出せばよいであろう。

位相幾何学という数学宇宙においては、コーヒーカップとドーナツ(トーラス)は
共に種数gが1となり、オイラー標数は共に0となる。簡単に言うと、種数では
コーヒーカップとトーナツは穴の数が両者とも1個だから、同じである、と
トポロジーではみなす。オイラー標数では、オブジェクトの頂点、辺、面、カットの
数を計算して、値を出す。円盤や球面であれば穴がないので、種数gは0になる

このように数学宇宙における同じや同相、同型、準同型などは、オブジェクト間の
構造の特定の局限的な領域のみに着目して、擬似的な同じらしさを測っている
ものに過ぎないのである

142 :考える名無しさん:2024/01/15(月) 22:27:32.22 0.net
我欲を捨て、宇宙とつながること

143 :考える名無しさん:2024/01/15(月) 22:47:42.78 0.net
形という漢字は、その偏が鳥居の形になっている。これは、別の宇宙につながる回路χでもある。形の右側の旁にある三つの羽は、それぞれ、心、体、魂を意味している。つまり、鳥居という別宇宙へつながる回路からそれらが流れてきて、私たちの実存が構成されるという事情を形という漢字は表している

新海誠監督の「天気の子」にも、こうした別宇宙への回路χとしての鳥居が描写されている。つまり、鳥居はマルチバースχへの回路の一つとして描かれているのだ

144 :考える名無しさん:2024/01/15(月) 23:02:13.85 0.net
同様に、人は自らを鏡に映すとき、そこに映るのは自分の姿であると考えるが、実はそうでもないのである「かがみ」という言葉の真ん中の「が」は我のことであり、我を捨て去って鏡の中の己を見れば、そこには、「かみ」、すなわち神が現れているのである。

こうして、我や我欲を捨て去る人間には、自身に神という神性が宿るのである。現代人は「かがみ」どころか、「ががが」になっているので、マルチバースχへの回路も閉ざされて退廃してしまうのである

145 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 10:56:00.63 0.net
マルチバース論χにおけるコンセプトの一つに、真理性の不在がある。
それは真理がない、というような真理性の否定ではなく、真理が無限個の
マルチバース上に無限個にフォーク、すなわち分岐してしまうので、真理を
それ自体して収束的に名指すことが不可能な状態であることを意味している。

つまり、マルチバースχは、その存在構造として、χₙ [ₙ: ₁→∞] となるので、
その真理は無限大の中へ発散・拡散してしまうのである。この地上での人々の争いは
主に真理を巡る争いであるとも言える。それは古代からの宗教戦争などでも同様である。
人々はそれぞれ恣意的な異なる真理を掲げて、それに反する者や敵は悪であると、
真理や神を口実として我欲に溢れた戦争を開始するのである。

これらの人々にマルチバース論χのような叡智が備われば、戦争は原理的に
生じ得ないのである。なせなら、そこには正義になるような一個の普遍的真理は
存在し得なくなるからである。

146 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 11:14:46.21 0.net
ここから分かることは、マルチバース論χは、個々の真理や実体を扱うものでは
ないのである。なぜならχ上において、真理や実体は不在として仮定的に扱われて
いるため、それらを最初から直截的に探究することはないのである。

逆に、マルチバース論χは、個々の真理性や実体間にある際(きわ)やメンブレンを
構造的に、あるいは、存在論的に扱うことを志向していると言える。また、それらは
生成系として扱われるため、静態的な閉じた構造や固定回路ではなく、創発へと
開かれた系やダイナミズムを有した生成構造として記述されるものになる。

147 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 16:19:01.35 0.net
数学宇宙の本質にあるのは、誤差を潰していくことや近似、近接にあると考えられる。
たとえば、古代ギリシャのアルキメデスの「取り尽くし法」などの方法もそうした
近似や近接による求積法であり、現代の微積分の先駆けとなるようなアプローチに
なっていたものである。

また、数学にはフラクタルな構造が感じられる。たとえば、放物線y=x ² と
x軸と並行になるy=1の直線で囲まれた領域の面積は、積分すると4/3に
なるが、アルキメデスはこれと同じ計算結果を下記の「取り尽くし法」で導き出して
しまうのである。この取り尽くしは三角形を使って行うのであるが、その
三角形の構成方法がフラクタルな構造になっているのである。

148 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 16:19:43.23 0.net
それは、まず上の式にある放物線とその直線の交点(割線)A,Bを取る。
そして、上記の放物線上の点Cの座標をA,Bの中点になるように取り、
最初の三角形△ABCを作る。さらに、直線ACと直線BCに対しても同様
の方法でAとCの間の放物線とCとDの放物線の座標に中点を取り、
それぞれ点Dと点Eを作って三角形を作る。すると、最初の三角形△ABC
と、その次に作った2つの三角形、△ADCと△CEDの面積の関係は、
次のようになる。

1/4△ABC = △ADC + △CED となる

149 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 16:20:14.62 0.net
また、△ADCと△CEDに対しても、上記と同じ方法で放物線の座標の中点を
取りながら、三角形をそれぞれ2個ずつ作れて、かつ、上記と同じような面積の
比の関係がその新たな小三角形に対しても適応出来る。さらに同じ方法で、
その小三角形から、次は小小三角形を作り、この操作を無限(極限)まで繰り返すので
ある。そうすると、最初の放物線y=x ² とx軸と並行になるy=1の直線で囲まれた
領域の面積は、無数の三角形で取り尽くされる、もしくは、覆われ尽くすことになる。
この無限個の三角形の面積の総和を無限級数の和の式で表すと、

1+1/4+1/4²+1/4³+1/4⁴+1/4⁵ + …… = 4/3

150 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 16:20:45.43 0.net
となるので、最初の積分値と同値になっていることが分かるであろう。つまり、
三角形を使った取り尽くし法でも積分と同じ計算結果が得られるのである。

区分求積法は、無数の長方形を使って面積を求める、現代の積分の原型みたい
なものだから、上記のアルキメデスの取り尽くし法はそれの三角形ヴァーションと
いうことになるであろう。このような感じで数学宇宙では、誤差をフラクタル等を使って
潰していくこと、近似、近接していくというアプローチ方法があることが想像されよう。

151 :考える名無しさん:2024/01/16(火) 16:21:12.79 0.net
こうした、複写、複製、フラクタル構造は、この宇宙の構造をどこか抽象化している
ようにも感じられる。つまり、地球は1つである必然性はなく、地球₁,地球₂,地球₃,
……,地球∞ と、今行ったアルキメデスの「取り尽くし法」のように、いくつもの
地球のコピーがあっても良いのである。なぜなら、マルチバースχ上における
宇宙空間の想定は無限であるので、そこには無限個の地球を収容するスペースが
あるからである。個人aさんにおいても、上記の地球同様に無限個のaさんへと
並行宇宙の中でフォークしていき、個々の異なる運命や人生をそれぞれの宇宙で
aさんは実存しているのである。

なぜ、こうしたフラクタルな数学的な構造が宇宙にはあるのか、それは単なる偶然
というよりは、その方が、無作為よりも、資源やリソースをより合理的に用いられる
からであろう。マルチバースχは宇宙の数多的な複製やフラクタルなものとなる。
そこに異なる個々の宇宙系が走っているであろう、というのがχ上での想定となる。

152 :考える名無しさん:2024/01/28(日) 23:20:51.91 0.net
2極から多極へ

153 :考える名無しさん:2024/01/28(日) 23:29:20.09 0.net
存在を支えているものは存在ではなく、非存在である。たとえば、穴、空(くう)、余白、影、不在である。

それら非存在が存在を構成している

154 :考える名無しさん:2024/01/28(日) 23:32:11.08 0.net
マルチバースχは、そのまま宇宙の多極化のことを表している。よって、χにおいては、真理も多極化される

155 :考える名無しさん:2024/01/28(日) 23:41:41.67 0.net
0と1によって真偽を判定するのが二値論理であるのに対して、マルチバースχでは、0=1 とするような多元論理となる。つまり、そこでは偽が真となり、真が偽となり、真偽の境界は融合するのである。融合するので、そこには対立も争いも生じないのである

156 :考える名無しさん:2024/01/29(月) 00:00:08.02 0.net
人類社会に争いや災い、不正が蔓延り、絶えず、不幸や混乱に陥るのは、ディコトミーで判断するからである。それは、暴力的な抑圧や排他を生じさせる概念装置でもある。ディコトミーでなく、χで判断するようになれば、世界に備わる恣意的な優劣や抑圧は解消されうる

157 :考える名無しさん:2024/01/29(月) 00:11:40.20 0.net
つまり、マルチバースχにおいては、あらゆる人は間違っており、かつ、正しいとも言える

158 :考える名無しさん:2024/01/29(月) 00:34:35.10 0.net
一つの問題に対して、aさん,bさん,cさんは、それぞれ非常に異なる、すなわち、隔たりのある解を与えた。この3者の答えは、それぞれ偽であり、かつ、真でもあるのだ。偽となるのは、aさんであれば、宇宙b,宇宙cに存在する時であり、bさんであれば、宇宙a,宇宙cにいる時である。cさんにとっての真は、彼が宇宙cに存在している時である

これがχ上の疑似論理である

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