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仏教哲学総合スレ8

1 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:27:50.60 0.net
原始仏教から現代まで

前スレ
仏教哲学総合スレ7
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1702129720/

◆オンライン仏典
大正新脩大蔵経(大正蔵)
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

サンスクリット語仏典
http://www.dsbcproject.org/

パーリ語仏典
http://www.tipitaka.org/
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/

Buddhist Digital Resource Center(チベット大蔵経など)
https://www.tbrc.org/

Thesaurus Literaturae Buddhicae(University of Oslo)
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=library&bid=2
Sanskrit, Chinese, Tibetan, English, etc.

◆論文検索
http://ci.nii.ac.jp/ (CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所)
http://www.inbuds.net/jpn/index.html (インド学仏教学論文データベース)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ibk1952/-char/ja/ (印度學佛教學研究)

2 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:28:13.70 0.net
仏教思想解説

・塚本善隆編、角川書店(1968)
『仏教の思想 1 知恵と慈悲 <ブッダ>』 梅原猛、増谷文雄
『仏教の思想 2 存在の分析 <アビダルマ>』 上山春平、桜部健
『仏教の思想 3 空の論理 <中観>』 梶山雄一、上山春平
『仏教の思想 4 認識と超越 <唯識>』 上山春平、服部正明
『仏教の思想 5 絶対の真理 <天台>』 田村芳朗、 梅原猛
『仏教の思想 6 無限の世界観 <華厳>』 鎌田茂雄、上山春平
『仏教の思想 7 無の探求 <中国禅>』 柳田聖山、 梅原猛
『仏教の思想 8 不安と欣求 <中国浄土>』 塚本善隆
『仏教の思想 9 生命の海 <空海>』 宮坂宥勝、梅原猛
『仏教の思想 10 絶望と歓喜 <親鸞>』 増谷文雄、梅原猛
『仏教の思想 11 古仏のまねび <道元>』高崎直道、梅原猛
『仏教の思想 12 永遠のいのち <日蓮>』 塚本 善隆

・集英社(1983)
『仏教を読む 1 生とはなにか <阿含経>』 金岡秀友
『仏教を読む 2 宇宙観を開く <華厳経>』 松原哲明
『仏教を読む 3 一切は空 <般若心経・金剛般若経>』 平田精耕
『仏教を読む 4 ほんとうの道 <法華経>』 中村瑞隆
『仏教を読む 5 自在に生きる <涅槃経>』 平川彰
『仏教を読む 6 迷いを超える <法句経>』 松原泰道
『仏教を読む 7 秘密の庫を開く <密教教典 理趣経>』 松長有慶
『仏教を読む 8 捨ててこそ得る <浄土三部経>』 花山勝友 
『仏教を読む 9 沈黙の教え <維摩経>』 鎌田茂雄
『仏教を読む 10 こころの開眼 <仏語仏戒>』 松原泰道

大乗仏典を中心とした解説と抄訳。
より新しいものとしては以下がある。

『シリーズ大乗仏教 1-10』 高崎直道 監修、春秋社 (2011-2014)

3 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:28:38.68 0.net
原始仏典

・中村元訳、岩波文庫 (1958-1986)
『ブッダのことば(スッタニパータ)』
『ブッダの真理のことば・感興のことば(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)』
『仏弟子の告白(テーラガーター)』
『尼僧の告白(テーリーガーター)』
『ブッダ神々との対話(サンユッタ・ニカーヤ 1)』
『ブッダ悪魔との対話(サンユッタ・ニカーヤ 2)』
『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』

・増谷文雄訳、ちくま学芸文庫(1979/2012)
『阿含経』 全3巻

・丘山新ほか訳、平河出版社 (1995)
『現代語訳「阿含経典」長阿含経』 全6巻

ブッダが説いた、最も平易かつ主要な教え。
その他は>>4の「南伝仏教」も参照。

4 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:29:32.58 0.net
翻訳仏典

・北伝仏教

『国訳大蔵経』全31巻、国民文庫刊行会 (1910) [旧字体・文語体] (>>8
『国訳一切経』全255巻、大東出版社 (1930) [旧字体・文語体]
『昭和新纂国訳大蔵経』全48巻、東方書院 (1930) [旧字体・文語体](>>9-10
『新国訳大蔵経』既刊62巻、大蔵出版 (1993) [新字体・文語体]

・南伝仏教

『南伝大蔵経』全65巻、大蔵出版 (1935) [旧字体・文語体]
『原始仏典 1〜3』全21巻、中村元編、春秋社 (2003)
『パーリ仏典』全22巻、片山一良訳、大蔵出版 (1996)
Pali Text Society(PTS)http://www.palitext.com/

・オムニバス

『世界古典文学全集 第6・7巻 仏典 1・2』 中村元編、筑摩書房 (1965)(>>11
『世界の名著 1 バラモン教典、原始仏典 』長尾雅人編、中央公論社 (1969)
『大乗仏典 中国・日本篇』 全30巻、中央公論社 (1973)(>>12

5 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:30:00.56 0.net
仏教以前

『リグ・ヴェーダ讃歌』 辻直四郎 訳、岩波文庫 (1978)

『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌:古代インドの呪法』 辻直四郎 訳、岩波文庫 (1979)

『ウパニシャッド 翻 訳および解説』 湯田豊 訳、大東出版社 (2000)(13ウパニシャッドの全訳)
『ウパニシャド』 日野紹運、奥村文子 訳、日本ヴェーダーンタ協会 (2009)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『ウパニシャッド』 佐保田鶴治 訳、平河出版社 (1979)(主要12ウパニシャッドの抄訳)
『原典 訳 ウパニシャッド』 岩本裕 訳、ちくま学芸文庫 (2013)(主要5ウパニシャッドの抄訳)

『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦 訳、岩波文庫 (1992)(章題なし)
『バガヴァッド・ギーター』 鎧淳 訳、講談社学術文庫 (2008)(章題なし)
『神の詩 バガヴァッド・ギーター』 田中嫺玉 訳、三学出版 (1988)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター詳解』 藤田晃 訳、東方出版 (2015)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター』 辻直四郎 訳、講談社 (1980)(章題なし、〜なり調)

『実践「ヨーガ・スートラ」入門』 番場裕之 訳、春秋社 (2008)(全訳)
『現代人のためのヨーガ・スートラ』 グレゴール・メーレ、ガイアブックス (2009)(全訳)
『解説ヨーガ・スートラ』 佐保田鶴治 訳、平河出版社 (1980)(全訳)
『図説ヨーガ・スートラ』 伊藤武 訳、出帆新社 (2016)(全訳、図解つき)

『ウパデーシャ・サーハスリー:真実の自己の探求』 シャンカラ、岩波文庫 (1988)
『ブラフマ・スートラ:シャンカラの註釈 上下』 シャンカラ、湯田豊 訳、大東出版社 (2006-07)(ブラフマン表記)  
『シャンカラの哲学:ブラフマ・スートラ釈論の全 訳 上下』 シャンカラ、金倉円照 訳、春秋社 (1980-84) (梵表記)

『古典インドの言語哲学 1-2』 バルトリハリ、平凡社 (1998)

『インド最古の二大哲人:ウッダーラカ・アールニとヤージュニャヴァルキヤの哲学』 宮元啓一、春秋社 (2011)

インド哲学総合スレ2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1611447371/1-9

6 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:30:35.40 0.net
『中村元選集』 春秋社 (1961-、決定版1988-)
第1巻 インド人の思惟方法 東洋人の思惟方法 I
第2巻 シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法 II
第3巻 日本人の思惟方法 東洋人の思惟方法 III
第4巻 チベット人・韓国人の思惟方法 東洋人の思惟方法 IV
第5巻 インド史 I、第6巻 インド史 II
第7巻 インド史 III
第8巻 ヴェーダの思想
第9巻 ウパニシャッドの思想
第10巻 思想の自由とジャイナ教
第11巻 ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I
第12巻 ゴータマ・ブッダ II 原始仏教 II
第13巻 仏弟子の生涯 原始仏教 III
第14巻 原始仏教の成立 原始仏教 IV
第15巻 原始仏教の思想 I 原始仏教 V
第16巻 原始仏教の思想 II 原始仏教 VI
第17巻 原始仏教の生活倫理 原始仏教 VII
第18巻 原始仏教の社会思想 原始仏教 VIII
第19巻 インドと西洋の思想交流
第20巻 原始仏教から大乗仏教へ 大乗仏教 I
第21巻 大乗仏教の思想 大乗仏教 II
第22巻 空の論理 大乗仏教 III
第23巻 仏教美術に生きる理想 大乗仏教 IV
第24巻 ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学 I
第25巻 ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想 インド六派哲学 II
第26巻 ミーマーンサーと文法学の思想 インド六派哲学 III
第27巻 ヴェーダーンタ思想の展開 インド六派哲学 IV
第28巻 インドの哲学体系 I 全哲学綱要訳註 I
第29巻 インドの哲学体系 II 全哲学綱要訳註 II
第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩
第31巻 近代インドの思想
第32巻 現代インドの思想

7 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:31:21.21 0.net
『新アジア仏教史』佼成出版社 (2010-11)
第1巻 インドⅠ「仏教出現の背景」
第2巻 インドⅡ「仏教の形成と展開」
第3巻 インドⅢ「仏典からみた仏教世界」
第4巻 スリランカ・東南アジア「静と動の仏教」
第5巻 中央アジア「文明・文化の交差点」
第6巻 中国Ⅰ 南北朝「仏教の東伝と受容」
第7巻 中国Ⅱ 隋唐「興隆・発展する仏教」
第8巻 中国Ⅲ 宋元明清「中国文化としての仏教」
第9巻 チベット「須弥山の仏教世界」
第10巻 朝鮮半島・ベトナム「漢字文化圏への広がり」
第11巻 日本Ⅰ「日本仏教の礎」
第12巻 日本Ⅱ「躍動する中世仏教」
第13巻 日本Ⅲ「民衆仏教の定着」
第14巻 日本Ⅳ「近代国家と仏教」
第15巻 日本Ⅴ「現代仏教の可能性」

8 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:31:56.46 0.net
国訳大蔵経(http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%9B%BD%E8%A8%B3%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%B5%8C&featureCode=all&filters=1%3A00&viewRestrictedList=0
経部 --- 全14巻
  第1巻 - 法華三部経、浄土三部経
  第2巻 - 般若経(大品)
  第3巻 - 大般若経・第十般若理趣分、金剛経、仁王経、般若心経、勝鬘経
  第4巻 - 円覚経、入楞伽経、首楞厳経
  第5巻 - 華厳経
  第6巻 - 華厳経
  第7巻 - 華厳経
  第8巻 - 涅槃経
  第9巻 - 涅槃経
  第10巻 - 維摩経、大日経、解深密経など
  第11巻 - 金光明経、過去現在因果経、遺教経、四十二章経、尸迦羅越六方礼経など
  第12巻 - 弥蘭陀王問経、法句経、長老偈、長老尼偈
  第13巻 - 仏本行集経
  第14巻 - 仏本行集経
論部 --- 全15巻
  第1巻 - 大智度論
  第2巻 - 大智度論
  第3巻 - 大智度論
  第4巻 - 大智度論
  第5巻 - 大乗起信論、中論、百論、十二門論、十住毘婆沙論易行品、無量寿経優婆提舎願生偈、妙法蓮華経優婆提舎など
  第6巻 - 瑜伽師地論
  第7巻 - 瑜伽師地論
  第8巻 - 瑜伽師地論
  第9巻 - 瑜伽師地論
  第10巻 - 成唯識論、摂大乗論
  第11巻 - 倶舎論
  第12巻 - 倶舎論
  第13巻 - 倶舎論、入阿毘達磨論、十地経論、異部宗輪論
  第14巻 - 大品・小品
  第15巻 - 成実論、因明入正理論

9 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:32:47.48 0.net
昭和新纂国訳大蔵経(http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%9B%BD%E8%A8%B3%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%B5%8C+%3A+%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%96%B0%E7%BA%82&facetOpenedNodeIds=&featureCode=all&viewRestrictedList=0&pageNo=1
経典部 --- 全12巻
  第1巻 - 法華三部経・ほか五経
  第2巻 - 浄土三部経・ほか七経
  第3巻 - 般若経 第一
  第4巻 - 般若経 第二・金光明経
  第5巻 - 涅槃経 第一
  第6巻 - 涅槃経 第二・仏遺教経・維摩経
  第7巻 - 楞伽経・首楞厳経・円覚経
  第8巻 - 真言三部経・解深密経
  第9巻 - 華厳経 第一
  第10巻 - 華厳経 第二
  第11巻 - 華厳経 第三
  第12巻 - 因果経・仏所行讃・法句経

論律部 --- 全12巻
  第1巻 - 倶舎論 第一
  第2巻 - 倶舎論 第二・入阿毘達磨論・異部宗輪論
  第3巻 - 大智度論 第一
  第4巻 - 大智度論 第二
  第5巻 - 大智度論 第三
  第6巻 - 大智度論 第四
  第7巻 - 大智度論 第五
  第8巻 - 大智度論 第六・中論・百論・十二門論
  第9巻 - 成唯識論・大乗起信論・ほか三書
  第10巻 - 四分律 第一
  第11巻 - 四分律 第二
  第12巻 - 四分律 第三

10 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:33:21.08 0.net
宗典部 --- 全22巻
  第1巻 - 天台宗聖典
  第2巻 - 真言宗聖典
  第3巻 - 浄土宗聖典
  第4巻 - 真宗聖典
  第5巻 - 曹洞宗聖典
  第6巻 - 臨済宗聖典
  第7巻 - 日蓮宗聖典
  第8巻 - 華厳宗・法相宗・律宗・融通念仏宗・時宗聖典
  第9巻 - 日本支那浄土門聖典
  第10巻 - 日本支那聖道門聖典
  第11巻 - 法華玄義
  第12巻 - 法華文句
  第13巻 - 摩訶止観
  第14巻 - 華厳経探玄記 第一
  第15巻 - 華厳経探玄記 第二
  第16巻 - 華厳経探玄記 第三
  第17巻 - 華厳五教章・十住心論・三論玄義
  第18巻 - 法苑義林章
  第19巻 - 大乗義章 第一
  第20巻 - 大乗義章 第二
  第21巻 - 大乗義章 第三
  第22巻 - 信心銘義解・六祖法宝壇経・伝心法要・宏智頌古・人天眼目・博山警語・天台菩薩戒疏

解説部 --- 全2巻
  第1巻 - 仏像解説
  第2巻 - 仏典解説

11 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:34:02.66 0.net
『世界古典文学全集 第6巻 仏典 1』 中村元編、筑摩書房 (1966)

仏伝
・「仏伝に関する章句」 中村元
・「偉大なる死」 中村元 (大パリニッバーナ経)
原始経典
・「経典のことば」 中村元
・「シンガーラへの教え」 中村元
・「本生経」 平川彰 (ジャータカ)
・「長老の詩」 早島鏡正 (テーラ・ガーター)
・「長老尼の詩」 早島鏡正 (テーリー・ガーター)
「アヴァダーナ」 奈良康明
「百五十讃」 奈良康明
「金剛の針」 中村元
「ラトナーヴァリー」 瓜生津隆真
「ナーガーナンダ」 原実


『世界古典文学全集 第7巻 仏典 2』 中村元編、筑摩書房 (1965)

「維摩経」 中村元
「法華経」 紀野一義
「勝鬘経」 高崎直道
「華厳経」 玉城康四郎
「阿弥陀経」 早島鏡正
「大無量寿経」 早島鏡正
「般若波羅蜜多心経」 平川彰
「八千頌よりなる般若波羅蜜経」 平川彰
「中論の頌」 平川彰
「大乗起信論」 柏木弘雄
「理趣経」 金岡秀友
「ダラニ集」 金岡秀友

12 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:34:36.65 0.net
『大乗仏典 中国・日本篇』 全30巻、中央公論社 (1973-1996)

第1巻 大智度論
第2巻 肇論・三論玄義
第3巻 出三蔵記集・法苑珠林
第4巻 弘明集
第5巻 浄土論註・観経疏
第6巻 摩訶止観
第7巻 華厳五教章・原人論
第8巻 中国密教
第9巻 大唐西域記
第10巻 敦煌1
第11巻 敦煌2
第12巻 禅語録
第13巻 祖堂集
第14巻 高僧伝
第15巻 ツォンカパ
第16巻 聖徳太子・鑑真
第17巻 最澄・円仁
第18巻 空海
第19巻 安然・源信
第20巻 栄西・明恵
第21巻 法然・一遍
第22巻 親鸞
第23巻 道元
第24巻 日蓮
第25巻 無住・虎関
第26巻 一休・良寛
第27巻 白隠
第28巻 妙好人
第29巻 仮名法語
第30巻 説教集

13 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:35:36.82 0.net
仏教伝播ルート
http://daishinji.net/essay/images/01.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/Buddhist_sects.png

【北伝仏教】大乗仏教
・[サンスクリット語圏] インド、ネパール
・[漢訳圏] 中国、半島、台湾、日本、ベトナム、シンガポール

【南伝仏教】上座部仏教(小乗仏教)、テーラワーダ仏教
・[パーリ語圏] スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス

【密教】大乗仏教
・[チベット語圏] チベット、モンゴル、ブータン、南シベリア、カスピ海北岸

14 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:36:29.30 0.net
中論

・ナーガールジュナ [150-250]
『根本中頌を読む』 桂紹隆、五島清隆 (2016)(全訳と解説)
『龍樹』 中村元、講談社学術文庫 (2002)(中論全訳)(原文なし)
『中論 - 縁起・空・中の思想 上中下』 三枝充悳、レグルス文庫 (1984)(漢文・梵文あり)
『中論』 西嶋和夫、金沢文庫 (1996)(梵文あり)
『新国訳大蔵経 中観部 中論 上下』 丹治昭義 (2019)

・チャンドラキールティ [600-650]
『中論註釈書の研究:チャンドラキールティ「プラサンナパダー」和訳』 奥住毅 (2014)(梵文あり)

・ツォンカパ [1357-1419]
『全訳 ツォンカパ 中論註「正理の海」』 クンチョック・シタル、奥山裕 (2014)(蔵文あり)

※現存する唯一完全なサンスクリット原本は、チャンドラキールティの注釈書『プラサンナパダー』に挿入されたもののみ。
中村、三枝、西嶋も『プラサンナパダー』から訳出。


大乗起信論

「大乗起信論」 柏木弘雄 『世界古典文学全集 第7巻 仏典 2』 筑摩書房 (1965)
『大乗起信論新釈』 吉津宜英、大蔵出版 (2014)
『訳注大乗起信論』 古賀英彦、思文閣出版 (2003)
『現代語訳大乗起信論:仏教の普遍性を説く』 池田魯参、大蔵出版 (1998)  
『大乗起信論』 平川彰、大蔵出版 (1973)

15 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:36:58.35 0.net
唯識

『「唯識三十頌」を読む』 広沢隆之、大正大学出版会 (2005)(梵蔵漢和対照)
『唯識こころの哲学:唯識三十頌を読む』 多川俊映、角川ソフィア文庫 (2012)


華厳経

『口語全訳 華厳経 全2巻』 江部鴨村、国書刊行会 (1928/2006)(旧字体・文語体)
『善財童子 求道の旅―華厳経入法界品華厳五十五所絵巻より』 森本公誠、朝日新聞社 (1998)(絵巻)
『さとりへの遍歴―華厳経入法界品 上・下』 丹治昭義、中央公論社 (1994)(梵語原典訳)
『仏教経典選 5 華厳経:浄行品・夜摩天宮菩薩説偈品・十地品(抄)・入法界品(抄)』 木村清孝、筑摩書房 (1986)


空海

『弘法大師 空海全集 全8巻』 弘法大師空海全集編集委員会、筑摩書房 (1983)
『空海コレクション 1 秘蔵宝鑰・弁顕密ニ教論』 宮坂宥勝、頼富本宏、福田亮成、ちくま学芸文庫 (2004-)
『空海コレクション 2 即身成仏義・声字実相義・吽字義・般若心経秘鍵・請来目録』
『空海コレクション 3 秘密曼荼羅十住心論 上』
『空海コレクション 4 秘密曼荼羅十住心論 下』
『空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」』 加藤精一、角川ソフィア文庫 (2007-)
『空海「性霊集」抄 』
『空海「三教指帰」』
『空海「般若心経秘鍵」』
『空海「秘蔵宝鑰」』
『空海「弁顕密二教論」』

16 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:37:38.33 0.net
道元

『正法眼蔵 全8巻』 増谷文雄、講談社学術文庫 (2004)
『現代文訳正法眼蔵 全5巻』 石井恭二、河出文庫 (2004) (現代語訳のみ)
『「正法眼蔵」読解 全10巻』 森本和夫、ちくま学芸文庫 (2003)
『道元禅師全集:原文対照現代語訳 全17巻』 水野弥穂子ほか、春秋社 (2002)
『正法眼蔵:現代語訳 全6巻』 玉城康四郎、大蔵出版 (1993)
『正法眼蔵 全4巻』 水野弥穂子、岩波書店 (1990) (現代語訳なし)
『現代語訳 正法眼蔵 全13巻』 西嶋和夫、仏教社 (1978)
『全訳正法眼蔵 全4巻』 中村宗一、誠信書房 (1971)
『正法眼蔵:全巻現代訳 上・下』 高橋賢陳、理想社 (1971)
『Shôbôgenzô, la vraie Loi, Trésor de l'Oeil 全8巻』 de Dôgen、Yoko Orimo (2005)


親鸞

『歎異抄』 阿満利麿、ちくま学芸文庫 (2009)
『新版 歎異抄』 千葉乗隆、角川ソフィア文庫 (2001)
『歎異抄』 梅原猛、講談社学術文庫 (1972/2000)
『歎異抄全講読』 安良岡康作、大蔵出版 (1990)


仏教辞典

『岩波 仏教辞典 第二版』 中村元、田村芳朗、末木文美士、福永光司、今野達、岩波書店 (2002)
『広説佛教語大辞典 全4巻』 中村元、東京書籍 (2001)
『望月佛教大辞典 全10巻』 望月信亨、世界聖典刊行協会 (1954)
『梵和大辞典』 荻原雲来、講談社 (1986)
『パーリ語辞典』 水野弘元、春秋社 (2005)

17 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:39:16.67 0.net
仏教3.0(上座部仏教/大乗仏教/その他)

『〈仏教3.0〉を哲学する 』 藤田一照、永井均、山下良道、春秋社 (2016)
『サンガジャパン Vol.9 上座仏教と大乗仏教』 サンガ (2012)
『別冊100分de名著:集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑、NHK出版 (2017)
『大乗非仏説をこえて:大乗仏教は何のためにあるのか』 大竹晋、国書刊行会 (2018)
『シャカ族:仏陀を輩出した一族に今なお伝わる仏教の原点』 アジャヤ・クラーンティ・シャーキャ、徳間書店 (2009)


仏教史

『新アジア仏教史』全15巻、佼成出版社 (2010-11)
『日本仏教史』末木文美士、新潮社 (1996)


現代の仏教

『井筒俊彦全集』 全13巻、慶應義塾大学出版会 (2013)
『柳宗悦宗教選集』 全3巻、春秋社 (1990)
『清沢満之全集』 全9巻、岩波書店 (2002)
『西田幾多郎全集』 全24巻、岩波書店 (2002)(新字体)
『鈴木大拙全集』 全40巻、岩波書店 (2000)
ダライ・ラマ14世(チベット)89冊
ティク・ナット・ハン(ベトナム)32冊
アルボムッレ・スマナサーラ(スリランカ)147冊


座禅入門

『禅を楽しむ本 』 ひろさちや (2008)
『禅 ―心と体が綺麗になる坐り方』 池田書店 (2004)
巻末には、参禅できる全国のお寺の一覧がある。

18 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 02:39:43.75 0.net
以上テンプレ

19 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 04:29:58.70 ID:0.net
お疲れ様

20 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 09:46:30.71 ID:0.net
お疲れ様です。梵天さんは空を飛んでいるって知ってる方いるかな

21 :考える名無しさん:2024/03/05(火) 14:23:21.54 ID:0.net
うる星やつらでみた

22 :仏教哲学総合スレ6の503:2024/03/08(金) 02:59:05.00 ID:0.net
うむ、何と言うか、この感覚を。
何も感じないんだ。
人々は「無」と言うが、「無」からも離れたんだ。
何も感じないんだ。
これをどうやって人々に伝えようか。
どうやってこの世界を人々に伝えたらよいか。
ゴータマ・シッダールタは、ここまでの道を、八正道として言葉で伝えた。

23 :考える名無しさん:2024/03/08(金) 03:06:59.15 ID:0.net
ただの賢者モードだろ(性的な意味じゃなく)
俺も経験あるよ

24 :22:2024/03/08(金) 05:49:03.97 ID:0.net
普通の体に戻った。
しかし、瞬間ではあったが、涅槃の世界を垣間見れたことがうれしい。

25 :考える名無しさん:2024/03/08(金) 06:12:18.64 ID:0.net
うむ ほう
コテつけてどうぞ

26 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/03/08(金) 11:28:01.53 0.net
コテハン作った

27 :考える名無しさん:2024/03/09(土) 23:34:01.55 0.net
承認欲は仏教でいうと名誉欲
欲も無しに起こる行ならどうなるの

28 :考える名無しさん:2024/03/10(日) 00:07:32.89 0.net
周りにどうされる周りがどうするとかは周りに任せといてあなたはあなたに集中しなさいって八正道があるんじゃないの

29 :考える名無しさん:2024/03/10(日) 08:57:19.20 0.net
>並川孝儀は、八正道を釈迦の死後に成立した教説であると主張している

何が「正」かを他者と争わずに暮らす効力とは

30 :仏教哲学総合スレ6の503 ◆Ul0zgec5wo :2024/03/10(日) 14:50:57.82 ID:0.net
2500年前を考えてみろ
文字も成立してなかった時代に。
声伝えしかできなかった時代に。
食物も石で潰して食うしかできなかった時代に。
ゴータマ・シッダールタは、八正道の原型と作ったんだよ。

31 :考える名無しさん:2024/03/10(日) 15:43:36.42 ID:0.net
バラモン達がヴェーダを椰子の葉に刻んでいたろ
葉っぱと筋を刻むものがあれば紙とペン状態のものはあったと言っていいと思うよ

32 :仏教哲学総合スレ6の503 ◆Ul0zgec5wo :2024/03/10(日) 15:58:34.82 ID:0.net
ならなんで全部の経の先頭に
「かようにわたしは聞いた。 」
が付くの?

33 :考える名無しさん:2024/03/10(日) 16:36:29.14 ID:0.net
著作権のない時代に( ・◇・)?

34 :考える名無しさん:2024/03/10(日) 22:02:54.58 0.net
なんの為に生まれて何をして生きるのかわからないまま終わるそんなのは嫌だ
なんの為に生まれてって部分は顛倒で因があった為に生まれただけと言えますか?
何をして生きるのか~、これは大きく言うと覚りたいっていう裏返しと捉えてます

35 :考える名無しさん:2024/03/11(月) 15:02:19.33 0.net
>>32
その貝葉には「この仏言を他に伝えよ」でなくて「この経典を書き写せ」と書いてあったりしないかな?

36 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 02:56:59.76 ID:0.net
漢字では、「如是我聞」じゃなかったけ?

37 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 14:58:25.58 0.net
理屈を言っても世界は変わらない
自分が変わっても世界は変わらない

38 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 15:09:44.44 0.net
小本「般若心経」に如是我聞はないよ
karaniya metta-suttamにもない

39 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 16:02:35.15 0.net
つまり、聞いてない?ダチョウ倶楽部?

40 :仏教哲学総合スレ6の503 ◆Ul0zgec5wo :2024/03/12(火) 19:26:40.63 ID:0.net
ゴータマ・シッダールタより

わが迷いの生涯はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはや迷いの生涯を繰返すことはないであろう。

41 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 22:51:00.87 0.net
ヤー⊂(・∀・⊂*)

42 :考える名無しさん:2024/03/12(火) 23:01:01.95 0.net
>>40
一言でいうとウノって事か

43 :考える名無しさん:2024/03/13(水) 07:35:09.82 ID:0.net
ヴィマラミトラって昔のインドの坊さんは
「如是我聞」と書いてあるからといって仏説とはいえないし
書いてないからと言って仏説じゃないとは決めつけられないと言いました

44 :考える名無しさん:2024/03/13(水) 12:32:04.66 0.net
>>43
肝心なのは文章の内容に対する「立て分け」だと思いますよ。この文章はこう、この文章はこうではないとかで。。

45 :考える名無しさん:2024/03/13(水) 13:20:02.73 0.net
大乗仏教経典なんてすべて捏造なのに「如是我聞」と言っている。
どう考えればいい?
@心で釈迦の声を聴いた
A法悦の中での幻聴
B善意からの方便
C宣伝のための嘘

46 :考える名無しさん:2024/03/13(水) 13:32:45.21 0.net
>>45
ほほう。すべて捏造か。

まず心で釈迦の声は聴いていない。釈迦は仏典に残すこと究極考えていない。
釈迦は仏教の本など読んでいない。

幻聴とは何なのか、そこからなのかもしれないが、特殊情報を幻聴でも聞くかというと聞かないに賭けてみる

善意からの方便というより仏典に残したかっただけなのかもしれない。

宣伝のための嘘も中にはあるかもしれない。

47 :考える名無しさん:2024/03/13(水) 14:21:43.29 0.net
初期仏教でも、どれが釈迦自身の発言かは不明。
歴史事実としての釈迦の言説は確かめようもない。
すべては信仰的伝統の中でしか意味を持たない。

なにも頼りにできないから、結局、自分自身が
自分自身によってブッダを実現するしかない。

48 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 07:54:24.21 0.net
仏教は宗教であり哲学ではない。
「仏教とは仏教理論か?」いやそんなことはないだろうに。

49 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 14:35:44.93 0.net
自分の判断を是として
自分の意見で仏教を観て、釈尊をはかる
諦観とは違うよね、それは
それは自分の意見を釈尊のものと同一視する、釈尊気分になって自分以外の存在を判じるってことでしかない

50 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 15:23:23.10 0.net
>>45
菩薩のための説法は菩薩が結集したので声聞の三蔵からは漏れた
菩薩の結集は弥勒菩薩や文殊菩薩、金剛薩埵が行った

51 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 17:53:27.03 0.net
各人の声は各人の声でしかない。

52 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 23:18:49.18 ID:0.net
仏教は宗教ではない。哲学でもない。
釈迦は仏教を説かなかった。
宗教をやりたい奴らが、釈迦の教えを仏教にした。

53 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 23:21:28.10 ID:0.net
釈迦の声も釈迦の声でしかない。
各人の声が各人の声であるのは行幸だ。
それが素晴らしい。

54 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 23:38:51.45 ID:0.net
大乗経典が捏造であることを疑う者はおるまい。
如是我聞と前置きして創作した作者がいる。

それはキリスト教聖書も似たようなものだ。
キリストの言葉と言いつつ創作した作者がいる。

クルアーン(コーラン)は、ムハンマドが神の啓示を語ったと言う。
神の啓示か創作かは知らんが、作者を示しているのは透明性がある。
もっとも、クルアーンには外典がないと言われるが、言い切れるか?

55 :考える名無しさん:2024/03/14(木) 23:56:42.50 ID:0.net
捏造された大乗経典は、?釈迦の真意を全く消したのか、
?あるいは僅かでも残っているのか? ?あるいは釈迦の
真意を大きく発展させたのか?

?か?か?かを、どのように明らかにすることができるか?
文献や歴史から解明するのは限界がある。
2000年経ってもできてない。
やはり釈迦と同じ見解を持ったものが明らかにするのだろう。

56 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 15:59:16.01 0.net
>>55
@釈迦は仏説を説いていないため、真意が伝わらない
A僅かでも残っているとは何のことかな
B釈迦の真意ではなく他の僧侶の真意を大きく発展したとかさ

57 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 16:28:42.55 0.net
47 名前:考える名無しさん 2024/03/13(水) 14:21:43.29 0
初期仏教でも、どれが釈迦自身の発言かは不明。
歴史事実としての釈迦の言説は確かめようもない。
すべては信仰的伝統の中でしか意味を持たない。

なにも頼りにできないから、結局、自分自身が
自分自身によってブッダを実現するしかない。

ーーーーーー

このレスが秀逸かな

58 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 20:30:17.02 ID:0.net
仏教を宗教とするなら
上座仏教は選民思想じゃね?悟りを開いたものだけ
どんな人でも救われる大乗仏教は一般向け宗教
ユダヤ教がユダヤ人だけ救われるのが上座仏教
神を信じるものは救われるキリスト教が大乗仏教

哲学とするなら後者が偽物

59 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 20:50:38.08 ID:0.net
>>58
「救われる」とはどういうことか?
「神が存在し、人を救う」という発想は釈迦にはない。
釈迦は苦からの開放を求めたのであって、超越者による救済を求めたのではない。

大乗には救済の概念があるが。大乗仏教はキリスト教の影響を受けたとも言われる。

60 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 20:56:46.09 ID:0.net
>>59
解脱って全ての苦しみから解放される事じゃねの?
救いじゃないか
だいたい特に苦しんでない人は仏教とか何それ?だろうし

61 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 22:07:07.64 ID:0.net
>>60
「解脱」は自発的なもので、誰かから成されるものではないだろう。
「救い」は誰かが誰かに成すもだろう。

多分、解脱者の感慨も「救われた」ではなく「本来に戻った」ではないか。

62 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:02:24.86 0.net
【如是我聞】にょぜ‐がもん(デジタル大辞泉)

仏語。このように私は聞いた、の意。経典の冒頭に記される語。
経典中の釈迦の言動を、経蔵の編集者とされる阿難が聞いたことを示す言葉。

63 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:02:55.82 0.net
阿難(アーナンダ)(wikiより)

出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、
当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。
そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに仏典結集当日の朝のことであったという。

※結集=編集会議

64 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:03:33.81 0.net
◆大乗非仏説

大乗仏教の経典はゴータマ・シッダッタの直説ではなく、後世に成立した偽経という説。

(1)『別冊100分de名著:集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑、NHK出版 (2017)

“"自己鍛錬"を目的に興ったはずの「釈迦の仏教」は、いつ・どこで・なぜ・どのようにして、“衆生救済"を目的とする「大乗仏教」へと変わっていったのか。”(表紙)


◆大乗仏説論

(2)「大乗仏説論から見た仏説の意味」藤田祥道

“古代インドにおいて「仏説」とは、すでに原始経典の段階からシャーキャムニの直説を意味するばかりでなく、法性(法の本性)にかない、<宗教的利益>をもたらすことばも仏説とみなされていた”p1

(3)『大乗非仏説をこえて:大乗仏教は何のためにあるのか』 大竹晋、国書刊行会 (2018)

“"大乗経"が仏説であることは大乗経にもとづいて修行した者たちの悟りの体験によってはじめて確かめられる”(まえがき)

“考えてみれば、しかたがない話である。たとえば、ユダヤ教の旧約聖書に新たに新約聖書を追加したキリスト教が、ユダヤ教と同じ宗教であると見なされないように、歴史的ブッダの仏教の阿含経に新たに大乗経を追加した大乗仏教も、歴史的ブッダの仏教と同じ宗教であると見なされなくてもしかたがない”p7

65 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:04:36.21 0.net
>>64の2冊は>>17にもあるけど、
「仏教3.0」とか、上座部と大乗を複眼的に観るようになった最近の文献学的議論に詳しい説明がある。

66 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:12:54.65 0.net
釈迦と同等、あるいはそれ以上の知見を得た者は、仏教3.0とか言う前に、
単に「私は究極の知見を得た」と言えばいい。仏教とも言うな。
もはや、それが釈迦と同じものかは知るべくもないからだ。

「釈迦に帰依する」と言われるのは釈迦も望むまい。

67 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:24:56.22 ID:0.net
もちろん勝手な想像になるが、釈迦は宗教をやるつもりも無かったし、
教祖になるつもりも無かったし、社会を変えようとも思わなかったろう。

その意味では、彼の成したことは、ささやかなものだ。
たった一人の安寧が得られれば良いのだから。
しかし、その「一人」は「万人」でもある。

68 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:38:36.12 ID:0.net
阿耨多羅三藐三菩提

69 :考える名無しさん:2024/03/15(金) 23:49:32.57 ID:0.net
>>68
呪文は、もっとも釈迦的でないものだ。
だから、般若心経も危うい。
「ギャーテイギャーテイ(掲諦掲諦)・・・」は明らかに呪文。
大乗は好んでも、釈迦は厭うだろうに。

70 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 01:32:32.48 0.net
>>69
律蔵で善呪は許されてるけど
禁止されてるのは黒魔術

71 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 01:35:11.91 ID:0.net
>>70
善呪などというものはない。
知恵に呪は不要。釈迦の知恵は明晰に極まる。

72 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 01:41:37.15 ID:0.net
釈迦の知恵を事細かに噛み砕いて話すと長くなるし聞いたところですぐに理解出来ない(悟れない)から、自分の備忘録も兼ねてなんとなく流れとかニュアンスとか形だけでも触れて欲しくて略して略して260文字に纏めたと捉えてる

73 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 01:45:56.55 ID:0.net
スマナサーラも指摘しているが、「色即是空」は良いとして、
「空即是色」は釈迦の知恵ではない。空は空だ。
知恵が徹底していない。

74 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 01:59:19.69 ID:0.net
>>73
「空即是色」と述べて色を仮設することで涅槃を現証することから離れて、波羅蜜行を強調しているだけ
そもそも「色即是空」と知ってもそれは悟りではない
「色即是空」と知って一切の貪欲を吐き出すならば、それは悟りだが

75 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:03:44.41 ID:0.net
>>74
「色を仮設」は何か?
オレには、単に調子で「空即是色」と口を滑らしたとしか見えん。
「色即是空」で十分過ぎる。

76 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:15:37.94 0.net
>>61
仏教は自発的じゃ無いな
仏の教え、経典(仏典)がある
解脱方法をパイセンに教わっている

77 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:19:21.00 0.net
>>76
教わろうが何だろうが、最後は自発的でしかない。
経典はせいぜいヒントに過ぎん。
リアリティは自分において実現するしかない。当然のこと。

78 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:37:50.97 0.net
>>77
解脱したら救われるなんて思い込みじゃないか
それ宗教
人によって合わないかもしれない

79 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:42:53.92 0.net
>>78
>解脱したら救われる

そんなことは言っていない。
>>59はオレのレスだが、このように、゛救われる"などとは考えもしない。

80 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 02:45:44.52 0.net
>>79 つづき
そもそも、>>77では「自発的に」と言っているのに、
どこから「救われる」なんてことが出てくる? 
誤読が過ぎる。

81 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 03:02:22.91 ID:0.net
>>75
>「色を仮設」は何か?
色を空とみて、一切の概念が止んだ「空」から、さらに概念的世界に戻ってくるということ。色という概念を消したのを、また、そういう概念で認識する立場に戻ること

龍樹が『中論』で「輪廻と涅槃にはいかなる区別もない」と述べるように、そもそも菩薩道では涅槃を目指すのじゃなくて、一切智に到達するまで涅槃を避ける傾向がある

82 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 03:08:07.73 ID:0.net
>>81
いちいち、引っかかる。
>色を空とみて
 →いやいや、色は即ち空だよ。「空とみて」とは間が抜けている。

>色という概念を消したのを・・以下省略
 →なんか、概念操作でことが運んでいるように思っているようだが、
  ことは概念どころじゃないぞ。全部、リアル(現実)のことだ。

>輪廻と涅槃にはいかなる区別もない
 →だから、そのように理解したらいいじゃないか。なに誤解してんの?

83 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 05:50:23.96 0.net
>>82
分かってないのはお前
スマナサーラは色即是空で解脱しなさい、阿羅漢になりなさいといってる
龍樹は「輪廻即涅槃」で涅槃に行かずに般若波羅蜜の修行を続けんさい、一切知者ブッダになりなさいと言ってる

84 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 10:53:17.78 ID:0.net
善行人は出家者の生活費を支援する
雑用人は出家者の身の回りをお世話する
そうすれば仏のような表情、仏のような気分の人が生まれる
ミャンマー仏教はそんな仕組みだ、善行を行うのはむしろ周囲の人々の方
スリランカ仏教はどうなんだろうな

85 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 11:15:06.38 ID:0.net
持ちつ持たれつなのか、経済的な支援がなければ修行は成らないのか、仏教以前の風習なのか

ここらへんも、仏教史として顧みたらいいよね

86 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 11:30:31.18 0.net
この龍樹の理論を持ち出したのは芸能人か。ジョイだったかな

87 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 11:41:06.91 0.net
>>85
持ちつ持たれつや経済的支援があってこその修行かって?
出家すればできるんじゃないの

88 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 11:44:07.22 0.net
仏教は経験主義実証主義を徹底して、五感で確かめられないもの=形而上学には無記なのに
スピリチュアルや神秘主義がインド哲学に憑依しだしたのは国連とも密接な神智学協会の影響か
造物主概念の耶蘇と同一視する無知も多いし
万教帰一という詐欺がある

89 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 12:24:13.93 0.net
日本に来た長老の雑務人か雑用人担当になって、長老に叱責され幻滅して辞めた人の書き込みどっかにあったよね

90 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 12:48:22.66 0.net
>仏教は経験主義実証主義を徹底して、五感で確かめられないもの=形而上学には無記なのに

ないない
普通に釈迦が梵天界にピュンと飛んで行ったり神々と対話しとるわ

スッタニパータでも悪魔と対話したりニグローダ・カッサパの死後はどうなったか教えたり

形而上学的な要素を抜きにするというのは単にそういう要素を意図的に無視して読んでるだけ

91 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 13:04:40.69 0.net
五感というのは訂正
経験世界の全てを五蘊等のカテゴリで表示し、それ(経験世界)についてのみ語り、他の形而上学的見解には無記で対処した
例えば五蘊(色受想行識)とか十二処(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)とかはそのカテゴリ自体より、それで経験世界の全てを表示した事に意味がある
これらのカテゴリを打ち出す事は根拠を持って語れる事のみを語ると宣言したに等しい
客観的な根拠を持って語れない事は無記で対処した
まさか悪魔や神々を実体視しているのか?

92 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 13:05:22.42 0.net
実体論は仏教の真逆だよ

93 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 13:45:43.07 0.net
議論するな。瞑想せよ。

94 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:30:43.89 0.net
5チャンで、薄っぺらい議論することほど、反釈迦的なものはない。
バカな議論をする時間を瞑想に当てよ。

95 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:32:30.51 0.net
>>94
じゃあ見るなよ書き込むなよ

96 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:33:39.44 0.net
>>95
老婆心、慈悲心である。

97 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:35:12.96 0.net
>これらのカテゴリを打ち出す事は根拠を持って語れる事のみを語ると宣言したに等しい

それはお前さんの解釈に過ぎない
実際は人間の寿命が何万歳だった頃や未来世に弥勒仏が現れることetc.およそ根拠をもって語れる以上のことを釈迦は語っている
その例は枚挙にいとまがない

ブッダ=経験主義というある基準を作って、そこから帰結的にこの記述は神話だとか実体視してはならないとか決めつけるのは余りに恣意的にすぎる
およそまともなテクスト読解とは言えない

98 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:35:23.96 0.net
>>96
それはみっともない
まだ議論の場と認識した上で活用しているほうが潔い

99 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:36:49.51 0.net
>>98
議論は無用どころか、悪をなす。瞑想せよ。

100 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:37:19.69 0.net
>>99
という議論をしてる

101 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:38:28.47 0.net
>>100
瞑想せよ。慈悲心だ。

102 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:38:44.08 0.net
ソクラテスがダイモーンの声を聞いたことを否定するものはいないのに
なぜキリストや釈迦などの人気のカリスマになると神を否定しただの、トンデモな近代的解釈が好まれるのか

103 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:42:58.17 0.net
実体化して捉える層の輩がいるから

104 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:48:45.67 0.net
日本人や東洋思想の存在感の根底は「成る」
「有る」の根底に「成る」がある
古語では「ムスビ」
仏教の縁起(=無自性=空)観も「成る=生成」を基調とする存在感である事は増谷文雄氏が指摘した通り
「ありてある」という「有」(それと裏腹な「無」)の実体観を根底とする西洋思想との違い

105 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 14:52:50.46 0.net
一神教も神秘主義も理性主義も同根だよ
西洋思想と東洋思想とは根本的に異なる
それだけで存在する絶対究極
を見出した時点で仏教ではなくなる

106 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 15:00:47.98 0.net
と思われているが

107 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 15:04:02.24 0.net
こんな基本的なことが受け入れられないとは
やはりここも神智学に憑依された「認識の拡張」を目指す似非仏教のニューエイジ系で溢れかえっているのか
引き算の教えに足し算を目指すという滑稽さ

108 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 15:29:13.74 0.net
薄っぺらい。瞑想せよ。

109 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 15:57:25.38 0.net
スピリチュアルは迷妄か否か

110 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 20:08:44.96 0.net
>>107
似非仏教って一体なんだよ
お前は仏教をこうあって欲しいように理想化しすぎなんだよ

111 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 20:26:25.92 0.net
逆だよ逆
あんたらが仏教にこうであってほしい像を抱いでる
「煩悩・執着を無くせば苦しみが消える」という現実に沿ったものではなく
と「自分の願望を達成したい」「神秘体験をしたい」と言っているんでしょ
全く方向性が異なる
「貪瞋痴の滅」とは逆の近代的功利性を帯びている、新自由主義と親和的

112 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 20:42:12.79 0.net
>>111


113 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 20:54:19.80 0.net
射精寂静💦

114 :考える名無しさん:2024/03/16(土) 22:58:41.81 ID:0.net
どうでもいいですよ

115 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 02:19:28.95 0.net
苦痛の原因を無くすにしても単純にそれらを無にすることは出来ないと思う(このスレでも「瞑想しろ」だとか「慈悲心」だとかで誤摩化してるけど)

116 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 02:43:20.89 0.net
苦痛を無くすんではなくて苦痛を感じている己を無くすん

117 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 02:54:21.86 0.net
ああ、そうなんですか。
苦痛の原因を無くすんことはなかなか難しいということで。

118 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 03:39:37.94 0.net
苦集滅道だから、苦の原因を精査してそれを起こしている自身の迷妄と対峙せよ向き直れってのがあるだろう
苦を感じている己を無くしても、苦の原因がそのまんまなんだから目を覚ましたらまた同じ苦に苛まれるってことやろ
その己を無くすってのは苦に蓋をしろ見ないことにすりゃええって言ってるように聞こえる
それは生活の知恵であって、釈尊の悟りとは違うんではないですか

119 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 04:04:09.82 0.net
釈尊の悟りは凡夫には果てなく遠いものでどうでもいいんじゃない、その凡夫でもそれぞれの立場でより善く生きやすくなる生活の知恵とかハウ・ツーを方便で説いてくれたんだと受け取ってる
自分は在家の凡夫であって釈迦とか他の出家のようには生きていないけど八正道は当たり前といえばそうだけど凄くシンプルでいて他の宗教でも通じてる道徳だと思う

120 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 06:07:18.02 0.net
>>115
苦しみをなくすってことは喜びもなくすってことだからな

‘‘Nandati puttehi puttimā, (iti māro pāpimā)

Gomā [gomiko (sī. pī.), gopiko (syā. kaṃ.), gopiyo (ka.)] gohi tatheva nandati;

Upadhī hi narassa nandanā, na hi so nandati yo nirūpadhi’’.

‘‘Socati puttehi puttimā, (iti bhagavā)

Gopiyo gohi tatheva socati;

Upadhī hi narassa socanā, na hi so socati yo nirūpadhī’’ti.

悪魔パーピマントが言った「子ある者は、子によって喜ぶ。同じく、牛あるものは牛によって喜ぶ。
依着は人の喜びである。ああ、依着なきものには喜びがない。」

世尊が言った「子ある者は、子によって悲しむ。同じく、牛あるものは牛によって悲しむ。
依着は人の悲しみである。ああ、依着なきものには悲しみがない。」

121 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 06:35:14.41 ID:0.net
すべてが空しいことを知ったら

生きてるだけで丸儲けだという

如是我聞さんまのまんま大先生

122 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 06:41:32.00 ID:0.net
仏教的には生きてるだけで大損なのでは?

123 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 06:53:45.14 ID:0.net
すべて在ると思うから、
大損だと思ってしまう

仏教的にw

124 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 08:38:07.34 0.net
ごめん気を悪くしないで聞いて欲しいのだけど
仏教では苦痛と苦痛の原因を区別してない(出来ない)感じなのかな。

125 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 10:24:14.71 0.net
>>122
はやく解脱しろよwっていうのが仏教

126 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 14:01:30.65 0.net
瞑想とはどのような瞑想?噛み砕いて言えば瞑想法はどんな瞑想法をすればいい?

127 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 16:02:12.02 0.net
>124
釈尊自身は苦の原因を一つ一つ解いて諦らかにしていけ、と勧めている。四諦がそうじゃんよ
そして八正道てのは行動をできれば智に基づいたものにあらためていけよな、という話でもある

128 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 19:02:21.98 0.net
苦しみの源は執着です。、

129 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 20:22:13.62 0.net
執著をなくし生への渇愛を枯らせば喜びも悲しみもない境地に至る

130 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:45:20.92 ID:0.net
仏教は何でも説明できてしまう
何なら量子論も説明できる

131 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:47:25.44 ID:0.net
めでたく執着を無くし渇愛を枯らしたら世界は、喜びも悲しみも無いだろうが、
さて、安寧であろうか?

132 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:47:31.41 ID:0.net
生も死も意味がない
存在には意味がない

133 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:48:36.76 ID:0.net
全ての感覚には意味がない

134 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:49:11.66 ID:0.net
思考も瞑想も意味がない

135 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:52:59.13 ID:0.net
悟りも救いも意味がない

136 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 21:56:16.10 ID:0.net
善にも悪にも意味はない

137 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:02:41.74 ID:0.net
何でも説明できるものは意味がない

138 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:03:46.17 ID:0.net
しかし安寧であるのか?

139 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:08:39.65 ID:0.net
>>131
むしろそれ以外に安寧があるのか?

140 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:09:33.98 ID:0.net
仮定の問題ではなく、事実として安寧なのか?

141 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:10:55.06 ID:0.net
美味いもの食っても、美味くも不味くもない。
セックスしても、快でも不快でもない。
老いても、病気になっても、死んでも、苦しみはない。
生きていても、喜びも悲しみもない。
それでも構わぬが、安寧なのか?

142 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:16:30.67 ID:0.net
セックスをして喜べば安寧なのではない
性欲を降伏したところに安寧がある
これはそんなに難しい話ではないですよ

143 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:20:45.23 ID:0.net
>>142
>性欲を降伏

「降伏」は「執着無くし、渇愛を枯らす」こととは違うようだ。
無理矢理なところがある。

ビルの屋上から飛び降りるのは簡単なことだ。
だからと言って、できるとは限らない。

144 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 22:39:32.94 ID:0.net
仏教を肴に酔っ払ってるんだから
執着を絶つのは難しい

145 :考える名無しさん:2024/03/17(日) 23:08:59.18 ID:0.net
仏教は目覚めることなのだから、酔っていては難しい

146 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 00:18:07.61 0.net
酒はのう、我が宗では「般若湯」と言ってな、智慧を授けるものじゃ、わはっはっ。

147 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 02:42:11.09 0.net
結論として
宗教に関わる者は
死を迎えることを喜ばなければならない
喜んで死んで行きなさい
それが救いといえよう

148 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 02:43:29.01 0.net
酒を飲んで死ぬもよし飲まぬもよし
喜んで死んで行きましょう

149 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 02:49:14.53 ID:0.net
哲学するもよしせぬもよし
喜んで死んで行きましょう

150 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 08:10:51.20 0.net
それも変な話である
死とはあらたな生に他ならないのだから
やはり解脱するしかない

151 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 13:41:27.00 ID:0.net
主観的に考えれば、死は断絶であり、終焉でも始まりでもない。
断絶以後のことは誰も判らない。

有物論的に考えれば、死はある組織体が分解したこと。
水が酸素と水素に変じたのと変わりない。

欲望と幻想に駆られている人々は、死と死後に思い込みがある。
あれやこれやを妄想するのだ。宗教はその最たるもの。

152 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 15:08:26.95 0.net
仏教哲学はお坊さんの欲望を充たすことができる
その意味で仏教には存在意義が有る

153 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 16:37:31.49 0.net
我は悟ったというコテハンが連日仏教スレに入り浸ってるのどう思う?

154 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 16:55:06.50 0.net
みじめ
まあ若いうちのはしかみたいなもんでしょ

155 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 17:18:21.18 0.net
あるスレでコミュニティを破壊して乗っ取ったのはワロタ

過疎スレになっても離さないんだから🤣

156 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 22:06:33.75 0.net
>>151
断絶を死というのだ
断絶以後のことを語ったのが釈迦だ
人は輪廻の輪から離れよと

157 :考える名無しさん:2024/03/18(月) 22:47:29.39 0.net
>>156
>>151にも書いたように、断絶を死とするのは、
「欲望と幻想に駆られ、死と死後に思い込みがある」人々だ。

「今日のごとく明日がある」として暮らす人々にとっては、
死は断絶でしかない。意味はないのだ。

158 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 00:05:15.29 ID:0.net
「今日のごとく明日がある」と捉える人にとっては死は生の剥奪を意味するものなんじゃないの?

159 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 01:37:59.08 0.net
だから五蘊無明
現在するものを前提にするのではなく、記憶を頼りに記憶を実在するものと思いなして物を見ているのだから

160 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 02:08:09.96 0.net
めちゃくちゃな論理だな
釈迦も天国で嘆いておられる

161 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 02:19:53.03 0.net
明日日が登って来るとは限らないと喝破したのがヒュームだ😔
断じて当たり前の事ではないという慧眼☺

162 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 04:48:16.95 ID:0.net
気になることで極楽浄土は仏様がいる世界とあるのですが仏様が死んだ時
入滅という言葉がありますが仏様は生きている時に異世界の極楽浄土にいたということ
なのでしょうか?

163 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 05:10:07.72 ID:0.net
初期仏教に極楽浄土なんて概念はない

164 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 06:10:46.42 ID:0.net
極楽浄土はお坊さんの欲望を充たすためにあるので
感謝しなければなりませんよ

165 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 06:14:01.88 ID:0.net
ただお坊さんは地獄に落ちているのが見えたのでこれがよくわからない
己れの掘った穴に落ちるみたいな謎

166 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 06:21:07.60 ID:0.net
広義の意味で信者さんは各々のおそらく己れが作ったであろう各々の浄土というべきか
そこに行くのが見えた

167 :考える名無しさん:2024/03/19(火) 12:55:16.98 0.net
詳しくありがとう
そういう世界はお坊さんが考えたものなのですね
お坊さんが地獄を見たというのは自ら人を人を救うために落ちるというのを
聞いたことがありますね

168 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 04:44:07.10 0.net
>>117
苦痛を作ってるのは自分自身(の欲)というのが仏教でないの

169 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 05:21:36.73 0.net
Yahoo!知恵袋でお釈迦さまはあの世はないと言っていたと書いていた方がいるのですが
そういったことを言ったのは事実なのでしょうか?
因みに検索してもそのようなのは出ませんでした

170 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 05:42:01.68 0.net
>>169
こんなやつですかね
原始仏教ならこっちだと思う
https://fudousin.com/learning-awareness/paradise-does-not-exist-buddhisms-teachings-are-for-living-people

極楽浄土や輪廻転生はバラモン教の教えだからね
バラモンの言うこと聞かないと極楽浄土に行けないぞ、あれこれしないと畜生に落ちる
この考え方で差別や階級が生まれ悩む人が多かった

宗教改革者かな

171 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 07:39:02.08 0.net
>>168
ええと、上の人>>111が「貪瞋痴(とんじんち)」について話をしているのを見ればわかるかな。分からないなら自分で調べてください。

172 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 10:16:03.47 ID:0.net
自分の欲と言っても執着

173 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 10:29:58.81 ID:0.net
ブッダは「平和主義者」だったのか?
ブッダは「男女平等」を主張したのか?
ブッダは「業」と「輪廻」を否定したのか?
ブッダは「無我」を説いたか?
ブッダは「縁起」を説いたか?

174 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 11:03:18.32 0.net
2500年前の釈迦をこの現代に連れてきて、世界中の様々な社会を観察させる。
その結果、釈迦の見解は変わるだろうか? 変わるならどんなことが?

@現代の科学知識にも関わらず「輪廻」を主張するだろうか?
A同じく、「無我」や「縁起」をどのように説明するだろうか?
B世界の政治問題をどのように評価するか、あるいは行動するか?
CLGBTQ運動を否定するだろうか?
Detc

175 :111:2024/03/20(水) 11:08:38.24 0.net
>>171
>>111だけど自分の仏教信者はこうだといいなあという願望を言ってるだけだから違うよ
勝手に解釈しないで

176 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 11:36:10.27 0.net
>>175
勝手に解釈しないために聞くけど、>>111は「煩悩・執着を無くせば苦しみが消える」という方向性を支持することを言っているんだよね?なら文脈的にはさほど気にするようなことは無いと思うけど、あなたの何が気に障ったのでしょう?

177 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 12:03:50.89 0.net
浄土というのは元々は仏土、ブッダフィールドを指す言葉
三帰依が成立し、仏の説法を正受できた時の境地を意味する

178 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:31:35.35 ID:0.net
釈迦も人だから、その当時の社会から影響を受けている。
釈迦の説いたことにも、当時の社会の特殊性が反映してるはずだ。

科学知識、社会常識、人権意識などは、現在のほうが知見が広い
と思われるが、その影響下で釈迦は、自説をどのように変え、
どのように変えないか?

179 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:41:28.04 ID:0.net
>>173
ブッダは「平和主義者」だったのか?
ブッダは「男女平等」を主張したのか?
ブッダは「業」と「輪廻」を否定したのか?
ブッダは「無我」を説いたか?
ブッダは「縁起」を説いたか?

------
お釈迦様は、平和主義者でした。男女平等は主張してません。
業と輪廻を否定していませんでした。
ーーーーーーー
?現代の科学知識にも関わらず「輪廻」を主張するだろうか?
?同じく、「無我」や「縁起」をどのように説明するだろうか?
?世界の政治問題をどのように評価するか、あるいは行動するか?
?LGBTQ運動を否定するだろうか?

?主張しない。
?説明しない。
?わからない
?否定しない。

無我は説かなかった。

縁起は述べた。風風風・・・と縁起の意味を言った。

180 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:42:34.28 ID:0.net
>>178 つづき
「輪廻」が最も議論になるだろう。現代の科学では肯定できない。

「釈迦は輪廻を説かなかった」とする人々は、僧侶にも仏教学者にもいる。
しかし、文献(経典など)を公平に見たら、釈迦は輪廻を説いていると見るべき。
比喩とか例え話として説いているのではない。

では、現代の科学知識を釈迦に見せても、依然として輪廻を説くだろうか?

181 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:43:22.19 ID:0.net
輪廻転生を否定したなら簡単だろう
自殺すれば苦しみは終わる
転生を前提にしないと仏教ってなりたたなくない?

182 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:47:36.74 0.net
>>180 つづき
現代人になった釈迦が、自説をどのように変更するか、しないか?
釈迦でない現代人が、ひとりよがりの解釈であれこれ断言しても不毛。

そうではなく「どのような根拠で、そう言うか」を説明することが有意義だ。

183 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 13:56:26.75 0.net
>>181
すると、その釈迦に説明を求めたいのは、

転生した先の時空は、現在の時空とどのように関係するか?
肉体を離れて転生したら、その魂(?)はどのように存在するのか?
「この世からあの世へ、あの世からこの世へ」の移転メカニズムを説明して。
涅槃を得て転生を絶てたら、魂(?)はどうなるのか?

「無記」では許さんぞと、現代人の釈迦に言う。

184 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 14:53:17.34 ID:0.net
>>177
ブッダ・クシェートラ、仏刹ともいうな

185 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 15:20:36.19 ID:0.net
ギリシャの哲学者が処刑される際に死後の魂がどうなるのかという命題が自分で解けることに喜んだ、もし魂のみで友である哲学者に接触できたならそれについて語ると周りに話してたと本で読んだ
肝心の事については記載がなかったのは魂のみでは接触出来ないのか、それとも死後の魂はないのか

186 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 15:34:57.28 ID:0.net
釈迦の「無記」を、
「釈迦が答えなかっのは、問題設定が間違っており、その線で答えることはできない、
もしくは誤解されるから。」
とか言う説明をする人がいる。

しかし、普段は懇切丁寧に答えてくれる釈迦が、この件で素っ気ないのは理解できない。

187 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 16:34:31.78 0.net
仏教ってのは話の基盤をどこに置くかで話が変わってくる独特の難しさがあんね‥

188 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 16:37:29.80 0.net
バラモンとの対比以上のことは語り得ないよ

189 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 17:23:18.58 ID:0.net
「語り得ない」では止まらない。
「語り得ない」からの出発だ。

190 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 17:57:31.01 0.net
とっくに出てる答えを言語化するのが嫌なだけなんだよ
何度言われても無視するし、思考の外に置くように人間というものはできている
生まれ変わり死に変わりを言い来世は上部カーストを目指すヒンズー教世界の中でこれが最後の一生だ、これを自分の最後の一生とする、と唯一人平生業成、自覚的に生きられたのが仏陀、釈尊だよ
私はもう生まれないと言った
そしてそれを輪廻からの解脱と呼んだんだ

191 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 19:27:04.16 0.net
>>190
分かりやすい☺

192 :考える名無しさん:2024/03/20(水) 23:07:43.68 0.net
>>170
詳しくありがとうございます。
内容を見たのですがお釈迦様が残した言葉は解釈であの世はあるとないで意見が分かれているのですね

193 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 00:48:26.12 0.net
浄土をバラモン教の教えとか、言葉を大事にしない自己満仏教の典型になってんよ

194 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 06:42:59.23 0.net
条件付けられたものは無常であってすべてのものは無我である
真理は特別なの?

195 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 09:26:25.34 0.net
ブッダは目の前の苦しみから脱することしか考えてなかったのかもしれない。ようするに科学的にそんなことが可能かとかは考えなくて、こんな風に思うと気が楽だという話じゃなかったかな。それを普遍的に説かなきゃいけなくなった教団の都合で体系化していったのかもしれん

闇は深いw

196 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 19:35:57.48 0.net
>>193
まあこういう輩は百回言っても聞かないから仕様がない
一生俺様仏教を語って死んでいくんだろう

197 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 20:09:37.93 0.net
岩波文庫のブッダだと
受け答えがリアクションで成り立ってるように感じるんよね
ひろゆきっぽい要素

198 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 20:11:36.94 0.net
結局のところ論破論破と言いたいのが
仏教なのかも知れない😔

199 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 21:10:32.35 0.net
原始仏教で繰り返されたのは、競うな、無常だというエッセンスの独り語りか、言い聞かせだ

200 :考える名無しさん:2024/03/21(木) 22:29:26.11 0.net
岩波のブッタの説いたこと読んでると厭世観を感じる
大乗みたいに食って寝て念仏三昧でイイんだよって方が凡夫や在家にはいい、釈迦と膝を交えて話せるならいいかもしれないけど、すでに苦しんだり病んだりしてる中で原始仏教というか釈迦の説いたことを取り込もうと思っても混乱するか絶望したところで止まって自殺でもしてしまいそう

201 :考える名無しさん:2024/03/22(金) 23:24:09.52 0.net
>このような「大切なもの」への感情は私たちの心の中にあるもので、亡くなったものからすると何の意味もありません。
要するに、あの世にあるとされている「極楽浄土」も「地獄」も生きている私たちの心の中にあるのです。

極楽浄土もキリスト教やらイスラム教の神も、居る居ないの話はこれだよな
自分の脳の中に居るもの
神とか天国とか必要が無くて居ない人も居る

202 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 03:53:43.78 0.net
『唯脳論』はスレ違いですぅ

203 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 10:13:18.15 0.net
厭世観がなければ仏教の意味ないだろ
涅槃というもう生まれないことがゴールなのに

204 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 16:20:57.90 0.net
仏教を宗教と捉えるなら唯脳でしかない
宗教はみんなこれ

205 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 19:20:19.58 0.net
「一切は唯脳」と見るのは唯識ならぬ唯色論者に過ぎない
仏教的には極めて程度の低い邪見

206 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 19:23:40.57 0.net
自身を含め全てを否定することが肝要

207 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 20:37:02.91 0.net
宗教仏教の話なのか哲学仏教かで違うかね
釈迦はバラモン教を全否定した

208 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 20:55:35.82 0.net
あれは嫌だこれも嫌だ
あいつはダメだこいつもよろしくない
おれもダメだ嗚呼なにもしたくない
してもろくなことにならない
全てに嫌気がさす
否定して導き出される答えがあるそれが

209 :考える名無しさん:2024/03/23(土) 22:44:47.08 0.net
答えがあってもなくても一緒じゃないのかと思うんだ、釈尊や仏教に限らず他の覚者や先達たちが解った後どうなったか
善く生きたり善く生きるよう導いたり今まで通り過ごしたりあるがままでいたり、肉体が死を迎えた後は生まれる前になる
あってもなくてもそこに集約されるとしか思えない、こればかりはどっちにしろ死んでみないと分からない、釈尊も死後については無記だったりニルヴァーナとか他の言葉で説いてるからどうなのか分からない

210 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 08:06:19.02 ID:0.net
我執に気付かなくなってるだけの仏教徒が多い

211 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 08:34:53.05 ID:0.net
仏教を自己否定する事だと思ってる奴がいるな
仏教は難しいね
自己問答やればいいのに

212 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 09:13:16.18 ID:0.net
要するに科学的に否定できるか否かが問われる

大乗を仏教哲学だとすると空即是色が問われる

逆に広がりが生まれるがバラモンまで含むのか

つまりここまでが宗教、ここから哲学の線引き

換言すれば、バラモンを否定した、で肯定は?

213 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 10:44:27.47 ID:0.net
対象相手を否定することで
おのれが肯定される

214 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 11:39:37.37 0.net
>>207
バラモン教というよりバラモンとかクシャトリヤの階層制を否定じゃね

215 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 12:52:31.21 0.net
>>213
その原理を問答してみたらいい
何で私はこの人を否定しているんだろう
この否定心は正しいのか間違ってるのか
私の嫉妬からか、この人が他人を不幸にしているから気持ちが憤慨しているのか
とか考えるのが仏教

216 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 13:25:26.93 0.net
なぜバラモンを否定するのだろう
↓↑
なぜ或る仏説を否定するのだろう

217 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 15:20:36.36 0.net
中村元監修の辞典には、解脱の認識は仏教オリジナルじゃないとあるから、全否定ではない?

当時の布施の慣習を受け継いだのは間違いない

218 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 15:35:36.10 0.net
バラモン教も解脱を説いてる

219 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 15:35:36.44 0.net
相手を否定したからと言って自分が正しくなる訳じゃないと思うけど

220 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 15:53:46.57 0.net
yesキリスト

221 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 16:16:41.45 0.net
相手を相手をって何で話ずれてんだw
仏教スレッドだよねここ

222 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 16:19:05.88 0.net
仏教哲学総合スレだけど?

223 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 16:50:44.05 ID:0.net
>>219
そのその通りだ
仏教虚無主義の「あいつは悪いやつだ ゆえに わたしは良い者だ」が導かれるわけではないことを喝破したのがニーチェだ

224 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 18:26:12.94 ID:0.net
>>223
哲学者でも無い、なんか良い人のキリストも言ってるからそれは、初歩の初歩だろ
何で自分が良い人になるのか導き出さないと意味がない

225 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 18:28:21.74 ID:0.net
>>219
そんなもの今更、だいたい思春期でそんなの分かって来るだろ
おばさんなのになんか子供っぽいね

226 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 18:34:18.58 ID:0.net
信者さん向けにレベルを下げて説法したと思う

227 :考える名無しさん:2024/03/24(日) 23:50:00.12 ID:0.net
相手を否定したからと言って自分が正しくなる訳じゃない!!

これ何才の人が言ってるんだろ

228 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 00:15:20.45 0.net
>これ何才の人が言ってるんだろ

↑これ何才の人が言ってるんだろ

229 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 02:48:55.56 0.net
>>195
まあそんなところだと思う

230 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 03:09:35.30 0.net
現実ってのを作り出して感じてるだけで総ては苦で因果が流れ続けているだけってことにようやく気が付いたけど人に話す時に相手に合わせて砕いて話したりざっくり話したり方便交えたりしてる内に小難しくなっていった、入滅後はそれが加速した
もともと生きとし生ける物を導く為とか殊勝な理由ではなく死に対して思い悩んで苦しんだ果に出家してるんだし、ここでの因は自己と自己からくる苦悩だよな
総ては因果でそれはフラクタルみたいな構造だから言い換えはいくらでも出来るしこれもそのうちの一つにしか無いから、何でも言えるしどうでもいいわ

231 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 03:28:43.45 0.net
>>230
うむ 言い当てているような気がする

232 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 04:13:04.87 0.net
空見ても青は青だけど無数の色があるし、同じ青を観てもクオリアを正確に共有は出来ないから不確かであるのと同じでこちらの苦も楽や喜になってる人もいるかもしれない
もしブッダが楽しくて嬉しくて狂おしい程喜びに満ちて自他の死も何もキラキラして尊く素敵なものと観じて出家してたとしたら、どんな事を説いたのかとふと思った
書いてて思ったけど赤子の心だよな

233 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 08:12:51.36 0.net
>>195
ブッダ凡庸説か
じゃあこのスレにいる必要もないな

エピクロスとかディオゲネスとか、もっと「マトモ」な哲学者を崇めてたらいい

234 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 08:51:31.30 0.net
ディオゲネスは好き、広場で自慰をして性欲を観察するところとか仏教以前に社会的にみてまずいけど、諦観して受け入れて俯瞰で観じることが出来てたとは思う

235 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 09:39:17.56 0.net
“空の青さが視覚的な幻影であるように、
 この世界の現れは精神の錯乱でしかない。
 それに思いを馳せるよりは無視したほうがいい。
 「世界という現象は非実在である」という確信が自分の内に起こらないかぎり、
 不幸からの自由も、自己の本性の実現も不可能だ。”
 
― 『ヨーガ・ヴァーシシュタ(Yoga Vāsiṣṭha):至高の真我』スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ、福間巌 訳、ナチュラルスピリット、2021年、p16。

236 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 10:16:28.49 0.net
要するにブッダが闘ってたのは超常的なものでなく、バラモン社会の「不要と思える」規律だろうな。そうして、その闘いはなかなか難しい

「そんな下らない思いこみ捨てちまいなよ」

「その方が楽だ」というのが彼の解脱の解釈。そうでなければ、カント的なアプリオリな説明が一端でも残っているはずで、再解釈はいらん

現代の仏教は、あまりに後代に依存し過ぎだな

237 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 17:36:24.89 0.net
ブッダはこの世に虚無を認識した
それのみならず虚無への意志を発動させた

238 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 19:21:19.20 ID:0.net
>>236
それはアジタケーサカンバラ

239 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 20:16:22.46 0.net
一つは当時、バラモン教に反抗する風紀があった。その中にブッダもいた。各人が様々な説を唱える中で、ブッダの説が大衆受けして残った

その要因は、解脱に独自の解釈を加えず、布施の慣習もそのまま受け継ぎ、哲学ではなく、感覚的な実践を重視し、弟子をよく育てたことだ

240 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 21:22:14.29 0.net
>哲学ではなく、感覚的な

え??

241 :考える名無しさん:2024/03/25(月) 22:33:08.31 ID:0.net
瞑想という快楽

242 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 00:26:42.88 0.net
>>240
ブッダの仏教読んだことないだろ

243 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 01:02:28.65 0.net
ブッダの教えはチャンダラ層の心の傷と襞にフィットした

244 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 05:41:09.64 0.net
>>242
「ブッダの仏教」って誰の本?

245 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 09:02:52.96 0.net
仏教の根底には他者への憎しみが渦巻いている

246 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 09:28:25.96 0.net
まずブッダという概念についてだが、ブッダとは覚った者という意味がある。

お釈迦様はゴータマという。ブッダとも呼ばれるが、他の悟った者のことをブッダと呼ぶのが本筋なので、ブッダとは呼ばない方がいい。

247 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 10:04:39.77 0.net
仏陀では無く覚醒者にすればわかりやすい
ニュータイプでもいいな、悟れない者はオールドタイプ
バラモン教の天国、極楽浄土、輪廻転生、神様など神秘主義やオカルトな部分を排除したのが仏陀だ
これらは人間が作った概念、そもそも存在はしていない(無)

248 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 10:06:47.25 0.net
本当は、ゴータマ教と言ったほうがいい

249 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 10:12:36.70 0.net
それだと個人を崇める一神教になりまへん?キリスト教みたいな
悟る方法を「教える」という事で仏教でしっくりくるんでないかい
スレタイの仏教哲学を語るなら
教が宗教臭いから仏学でも構わない
宗教としての仏教ならそっちでいいと思う

250 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 11:11:27.36 0.net
では悟る方法は何なのか。ここに焦点を当ててみたい。

ひとつは座禅である。無心になってずっと座禅をするのである。
真光という教団では、座禅はよくない、と言われている。
座禅をすると霊がついてしまう恐れがあるとか。

ふたつは、一つの物体を見続けることである。
集中力が高くなるらしい。アインシュタインも実践していたとか。

251 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 11:33:29.47 0.net
睡眠時半覚醒と補助的な幽体離脱
ただ仏教とか狭い事細かな言語世界を超越してしまうな

252 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 11:45:13.41 0.net
>>248
じゃあジャイナ教もマハーヴィーラ教にしないとな
ジナは他の悟った人にも使うからな

253 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 11:49:04.92 0.net
仏とは目が覚める、目を覚ますって意味だ
日本語に直せば自覚教
自身の現状に無自覚なのを仏教とは言わない
自身を無明であったと理解していない人に仏教、そもそも三帰依は成立しない

254 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 12:49:40.08 0.net
俺はチンポ星から来た宇宙人で人間ではないという仮設定にして、
人間の振る舞いを動物として見てるんだけど良くない方法かね
俺が上お前は下、私は可愛いあの子ブス、ホストかっこいいチー牛きもい
などの言動を見てニンゲンとはこういう動物なのだと観察物にしている
動物として捉えれば、こういう人とも付き合うのは苦痛ではない
与えたら喜ぶ餌(その人に合った褒め言葉、聞く側に回るなど)も分かってくる

255 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 17:06:52.25 0.net
仏教哲学といってもその正体はなんちゃって哲学なんよ
そこんとこ噛みしめておいた方が良いよ

256 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 18:11:59.62 0.net
たーまん、独特のもちもち感はやむられんどー!

257 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 18:41:33.10 0.net
「宗教」という言葉も、「哲学」ということばも、西洋由来のもの。
「仏教」に宗教とか哲学という言葉をつかっても合わない。そのどちらでもない。

258 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 18:59:38.29 0.net
ヒトを、あのヒトだとか実感を込めて思う必要はないことに気づくと、日常生活は楽なもんだ

リスク評価だけして離れて見てればいいだろう

259 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 19:03:44.07 0.net
哲学になんちゃって哲学とか本当の哲学や嘘の哲学なんか無いけど
答えの無いものを模索するのが哲学(文系)
こうしたら社会がよくなりませんか?俺の考えどう?って感じ

宗教はこれが正しくこれが悪いが決まっている、校則みたいに
徳を積んだら天国に行けます、人を殺したら地獄に行きます
肉食ったら穢れ、豚肉食うななど

260 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 19:11:25.43 0.net
じゃあ仏教は明確に宗教だな

261 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 19:29:14.34 0.net
独自の哲学が生まれず日本に伝来すると何でも宗教になるし、教義も弄られるから宗教
日本仏教に懐疑的になると哲学

262 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 19:30:56.16 0.net
間違った

× 独自の哲学が生まれず日本に伝来すると
◯ 独自の哲学が生まれなかった日本に伝来すると

263 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 19:49:08.74 0.net
まぁこの日本とういう環境下でなんちゃって哲学だろうがなんであれ
おれらは先験的ゴータマと同じ地平に立っていると言えるかも知れない

264 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 20:01:02.46 0.net
仏教には誰でもが認める「聖典」はない。
それぞれの国、それぞれの宗派が、それぞれの「聖典」を持っている。
かつ、それらの聖典が用いる言語もさまざま。

そうなった元々は釈迦の意向だ。
釈迦は各々の人が使う言葉で説き、理解されることを望んだ。

265 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 20:24:09.91 0.net
>>263
そもそも現代人は輪廻と解脱を信じていないので先験的ゴータマと同じ地平には立っていないし
輪廻と解脱の存在自体を懐疑しているので、覚醒後ゴータマと同じ地平にも立っていない

266 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 20:50:09.45 0.net
仏教説話の絵解きでいう変文とか変相の意味を俺は易々と解明したが、俺は天才なのか。
世界中の多数の学者が何十年も考えても分からなかったことを俺は数時間でいとも簡単に分ってしまった。
大秀才と言われた?長年の研究者の辛島静志は解明できないままに亡くなってしまったが。
彼が秀才なら、俺はその数千倍は凄いことになる。

267 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 21:13:34.92 0.net
周囲のあなたへの評価と自己評価が釣り合ってないということですか?それは辛いですね

268 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 21:16:39.36 0.net
辛島静志先生は大乗経典がやっぱり大衆部(≒多聞部)から現れたということを論証したことで天才
プラークリットへの造詣の深さも素晴らしい
惜しい人を亡くしたものだ

269 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 21:18:08.66 0.net
>>267
今に俺が天才であることを世界が認める時が来るであろう。

270 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 21:20:05.39 0.net
>>265
墓は無いの?
あるなら墓仕舞いが出来るかどうかで本当に懐疑的かどうか問われる
輪廻の権化みたいなもんだよね墓は
ご先祖様を自分の代で捨てるという事
日本に染み付いた宗教的概念がご先祖の墓
ご先祖は仏教に儒教がドッキングしたもので仏教とは関係ないけど

271 :考える名無しさん:2024/03/26(火) 23:23:28.05 0.net
どの宗教も墓に対する執着は異常
死の恐怖は世界共通なんだね

272 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 00:20:04.03 0.net
風葬や鳥葬は墓には無関心だけど、あれもなんかの宗教でしょ?

273 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 00:48:38.55 0.net
>>272
鳥葬は布施波羅蜜の修行だな

274 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 11:17:41.57 0.net
人間死んで何もしなかったら自然と風葬か獣葬にしかならないよ
ほっとけば自然に行われる分解を人為的に進めるのは宗教感は感じないな

275 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 15:38:04.60 ID:0.net
焼いた骨を海にばら撒くのも宗教ですね。

死体を生ゴミ回収日に捨てるとしたら、さすがに宗教感はないが、
無神教という宗教かも知れない。

276 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 18:06:25.40 0.net
そもそもあなたのいう宗教ってのは何なのかがわからないから同意も否定も出来ない
墓を拵えたり拵えなかったり遺体を処理したりしなかったりで宗教とするか
遺体をどう処理するかってのは衛生面でどうしてきたかってのもある

277 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 19:59:39.63 0.net
>>244
原始仏典とか初期仏典とか呼ばれるもの

278 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 20:23:07.08 ID:0.net
>>246
辞典やwikiにも、ブッダは「歴史的には実在の釈迦(ゴータマ)を指す」とある

279 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:06:58.29 ID:0.net
>>275
なんか教義と戒律が無いと宗教じゃ無いんだけど
宗教の定義さえ分かって無く無い?

280 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:24:12.86 0.net
>>279
神道には教義も戒律もないよ。じゃ、宗教じゃないね? 
もっとも先の戦時では、「神道は宗教にあらず」とも主張されてたがw

世間に流通する宗教の定義にだけ従っていたら、新しい知見は得られないよ。
オレは「信仰に基づく世界理解と行動様式」とでも定義しよう。
すると「無神教」も宗教だし、「自然科学」も宗教となる。

281 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:31:58.53 0.net
アカデミックな科学哲学の分野では
科学という観念自体も批判的(否定ではない)に哲学されている
科学という宗教的信念に陥ることもあると

ただまあ学術とはいえ仏教哲学は仏教哲学によって同じ仏教哲学でさえも相手を叩きのめそうって底意の哲学なのでそこんとこ注意

282 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:34:33.77 0.net
今現在、日本は大韓民国と北朝鮮に侵略行為を受けている
だから「政治家に立候補する時、帰化朝鮮人の家系の人間か否かを公表する」を提出して過半の賛成を取って立法化しよう。
新聞、テレビ局、出版社が帰化朝鮮人の家系の人間に乗っ取られているから大変な騒ぎになるだろう。それでいいじゃないか、それが狙いよ。 
帰化朝鮮人たちに日本人のふりをされてこのまま緩やかなホロコーストに向かうなら、戦った方がまし。奴らがやっているのは緩い民族虐殺。隣国を侵略して
いいという国際法はない、差別を盾に奴らがやっているのは、隣国侵略行為そのものだろ?
帰化人たちが暴動やら起こすと日本は荒廃の一途を辿る、夜道も歩けないぐらいに。。。内戦状態になるだろう
でもそこでようやく海外の人間たちにも伝わるはずだ、日本が朝鮮人に乗っ取られて見る影もなくなっていると、やつらが日本で隣国侵略行為をしているのかと。。
自衛隊の機能も衰退しているはずだから中国だって武力で侵攻してくるかもしれん。
日本は一度灰燼に帰すだろう。
だがこのまま帰化人に日本人に成りすまされて、日本人が日本の国で迫害されて、過半を帰化人に占められるよりよっぽどましだ、
時間はあまりない、やつらが過半数を確保してからでは遅い。合法的に侵略行為が完了してしまう
戦おう 拡散希望

283 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:36:28.78 0.net
>>280
神道は宗教じゃ無いよ

国家神道は宗教

284 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:39:57.73 0.net
>>280
進学で宗教の定義はされてるのに「おばはんが勝手に考えた定義」を押されても困る

285 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 21:58:27.16 0.net
>>283
神道が宗教じゃない理由を言うべき。
国家神道が宗教である理由を言うべき。

戦時の帝国憲法でも政教分離を定めていた。
国家神道が宗教だとすると、それに反するので不都合。宗教でないとしたのは国家神道。

>>284
自分で定義して何が悪い? 神学の定義を使おうが使わまいが自由。
何が本質をつかんでいるかだよ。

286 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 22:01:51.53 0.net
>>283
じゃあ神社って固定資産税払ってるんだ

287 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 22:45:59.15 0.net
>>279-280
宗教(wikiより)

宗教は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
なお広辞苑では、「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」としている。

288 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 22:49:50.22 0.net
>>287
だから何? >>285に答えてないじゃん。

289 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 22:56:14.65 0.net
辞書ぐらい引いてこいって話

290 :考える名無しさん:2024/03/27(水) 23:12:48.61 0.net
「重要なものは物質である」と考える唯物論者が、尊崇する指導者の遺体を冷凍保存している共産主義も宗教だよね

291 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 00:51:26.24 ID:0.net
>>289
「進学で宗教の定義はされてるのに・・」と大口叩いたのに、
慌ててググってきたのがwikiかよw お手軽だな。
どせなら神学の権威書からの定義を持ってこいよw
それに>>289は「定義」ではなく、説明じゃん。

依然として、>>285に答えてないよ。

292 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 01:01:09.48 ID:0.net
>>291
哲学事典引いてこい

293 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 01:38:47.87 0.net
ブッダ「喧嘩はやめろ」

294 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 01:57:14.06 0.net
>>293
ど素人が

295 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 02:10:50.15 0.net
お、プロがきたぞ

296 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 02:16:31.41 0.net
善くも悪くも行ずる事に意味があるんよ
その行は善いのか悪いのかどっちでもいいのか内観してからレスするようにしよう

297 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 03:57:15.40 0.net
お坊さんの説教にしかならんわな

298 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 03:58:18.80 0.net
お布施大事ですな
信仰の基盤ですぞ

299 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 06:57:17.63 0.net
自分を正しいと思った瞬間に誰の話も得手に恣意的に聞くようになる、話が通じなくなり脳内世界の主張を垂れ流すだけの産廃となる

300 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 07:12:31.47 0.net
仏教の潮流は2つある、釈尊の行実を辿り釈尊と同じ道をたどり同じ経験をして釈尊に成ることを目指す仏教
そして仏の念、つまり念仏に遇って三帰依を頂くことを命題とする仏教

301 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 09:38:29.02 ID:0.net
またそんなテキトーな

302 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 11:21:13.39 0.net
もう1つは仏祖を殺すんだろ

303 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 22:14:17.11 0.net
言葉の枠にあてはめて、これは当てはまる、これは違うみたいなレスばかりですね。
キリスト教でも、仏教でも神道でもなんでもいいんですよ、
重要なのは、自分がそれらに触れた時どう響くかということだと思ってます。

304 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 23:48:06.32 0.net
>>303
>それらに触れた時

何に、どうやって触れるのですか?

305 :考える名無しさん:2024/03/28(木) 23:58:59.59 0.net
>>304
それらの言葉そのものに触れたとき
という意味だと思います

306 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:03:29.65 0.net
イキスギ

307 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:23:41.35 ID:0.net
>>305
     /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ    ___
     /;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、  /     ヽ
    /ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/  リ!: ::/ノ  l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
   /: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、  / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | /   う う  前  |
.   /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::||    ノノ  イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/   な 思 が
   /: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン    ´   i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l     ん う
 ∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―-      ,  ー=z_ソ   |/ ハメ;, :: ::|.   だ ん
   i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ     、  ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|.   ろ な
   |!l |: : : : : : : : :、: ::\    、-―-,      / : : :丶;,,;,:ミヽ   う  ら
     丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__  `~ "      /: : ト; lヽ)   ゝ
       レ `| `、l`、>=ニ´        ,  _´ : :} `   /
         ,,、r"^~´"''''"t-`r、 _  -、 ´ヽノ \ノ   /    お ・
       ,;'~  _r-- 、__     ~f、_>'、_         |  で  前 ・
      f~  ,;"     ~"t___    ミ、 ^'t         |  は  ん ・
      ,"  ,~         ヾ~'-、__ ミ_ξ丶     |  な  中 ・
     ;'  ,イ ..          ヽ_   ヾ、0ヽ丶    l         /
     ( ;":: |: :: ..          .`,   ヾ 丶 !    \____/
     ;;;; :: 入:: :: ::      l`ー-、   )l   ヾ 丶
     "~、ソ:: :い:: :     \_  ノ ,    ヾ 丶

308 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:57:13.87 ID:0.net
仏教の信者もキリスト教信者も全ての宗教の信者は消される運命にある

309 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:58:05.10 ID:0.net
全ては運命であり運命による

310 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:58:46.15 ID:0.net
運命もまた運命なのである

311 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 00:59:58.09 ID:0.net
何をするも運命しないも運命である

312 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 01:01:25.71 ID:0.net
これがニーチェの語った運命愛という哲学

313 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 02:26:37.45 ID:0.net
>>307-312
お前、ニーチェ読んだことあるのか?

314 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 02:29:57.17 ID:0.net
“仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。
 仏教のよいところは「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っているところです。
 これは、仏教が何百年と続いた哲学運動の後に現われたものだからでしょう。”
 
“インドで仏教が誕生したときには、「神」という考えは、すでに教えの中から取り除かれていたのです。”
 
“仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。”
 
“仏教という宗教は「善悪の彼岸」に立っているのです。”

“ブッダは心を平静にする、または晴れやかにする想念だけを求めました。”

“ブッダは、「善悪」とは、人間の健康をよくするものだと考えたのです。
 そして神に祈ることや、欲望を抑え込むことを教えの中から取り除きました。”

“仏教では、心の晴れやかさ、静けさ、無欲といったものが最高の目標になりました。”

“仏教は、いい意味で歳をとった、善良で温和な、きわめて精神化された種族の宗教です。”

“残念なことに、ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していません。”

“キリスト教は、いまだに文明にたどりついていないのです。”

― ニーチェ 『現代語訳 アンチクリスト』 適菜収 訳、講談社+α新書 (2005)

315 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 04:30:39.29 0.net
仏教は衛生学に過ぎない

316 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 04:31:58.26 0.net
ルサンチマンに陥らないためのな ニーチェ

317 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 04:33:12.20 0.net
ニーチェは仏教を引き合いにし
そこでキリスト教ルサンチマンを批判したんよ

318 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 04:41:08.73 0.net
>>313
哲学科のゼミ適当に取っただけだよ

319 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 09:44:41.78 ID:0.net
仏教てのは要は安楽死を意志していると考えとけ

320 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 10:21:34.15 ID:0.net
ブッダは神に生まれることが最終目標ではないと説いたけど、
神を否定したわけではないだろ。

321 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 10:23:38.45 ID:0.net
それに無欲だとか心の平静は古代ギリシアの理想でもあるし、キリスト者の理想でもあるだろう。
>>314

322 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 10:30:21.21 ID:0.net
>>320
六道をさまようか、そこから解脱するかだから神なんて意識してないよ

323 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/03/29(金) 11:50:21.64 0.net
世間の動きを見て、
「あ、そういう世界があったんだよなー。遠いところまで来てしまった(感情は全く無い)」

324 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 13:27:58.53 0.net
釈迦は「神はいてもいなくてもいい」と考えていたろう。
彼の関心事は、神ではない。

325 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 13:31:54.84 0.net
苦 からの解放

326 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 13:49:37.06 0.net
神が苦から開放してくれるなら、神が関心事になったはず。
釈迦は神が苦から開放してくれるとは思わなかった。
なぜだろう?

327 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:12:35.28 0.net
バラモンの神様にそんな気の利いたのがいなかったんじゃないか?
釈尊が覚って自死しようとした時に梵天さんが現れて衆生を教化してくれってお願いするぐらいなんだから

328 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:31:43.23 ID:0.net
>>326 つづき
仮に、神が自分の苦を解放してくれたとしよう。
するとただちに、次のことが問題となる。

?神は信用できるか?
 −セラピストや催眠術師以上のものなのか?
 −そもそも存在するのか?
?今の苦からは解放されても、再び苦は生じないのか?
 −未来永劫の解放なのか?

329 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:43:40.61 ID:0.net
>>328 つづき
そこで釈迦は考えた。

?苦からの解放を考えるより、まずは苦の原因を探ろう。
?「神の存在」を探るより、まずは「なぜ神を探すのか」を考えよう。
 (「なぜ神を探すのか」 = 「なぜ神に頼るのか?」)

330 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:50:39.27 ID:0.net
>>329 つづき
そして考えた末、次の結論を得た。

?>>329の?と?は、同じ問題であった。
?そして、その解は存在する。

その「解」とは?

331 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:51:41.74 ID:0.net
>>330 つづき

332 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 14:55:31.84 ID:0.net
>>331 つづき

333 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 15:00:28.01 ID:0.net
>>332 つづき

334 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 15:07:53.71 ID:0.net
キリスト教者にとっては、「神」の存在が決定的。
彼らにとっては、「神」こそが最終的な「解」だから。
よって、理性的な人々なら「神の存在証明」に拘ることになる。


しかし、問題を作ったのも「神」なのだが・・・。

335 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 15:24:54.93 ID:0.net
神道者にとっては「苦」は存在していない。
つまり、(ほとんどの)日本人に「苦」は存在しないのだ。
「苦」ではなく「憂鬱」「残念無念」「不都合」などがあるばかり。

よって現世利益の解で済み、力不足の神ばかりでもやっていける。
日本よいとこ一度はおいで。

336 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 15:51:35.43 ID:0.net
苦行に関してはさほどでもないが、瞑想に関しては捉え方で意見がわかれるかもしれないな

https://www.chugainippoh.co.jp/article/kanren/books/20240322-003.html

>他宗教に吸収されず瞑想や苦行を否定し、知恵による解脱で世界を認識できるとした点に、ブッダの独自性を見る。

337 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 15:53:59.70 0.net
苦行は否定したけど瞑想は否定しとらんな

338 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 16:33:06.52 0.net
「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」は、釈迦直伝の瞑想法だ。
「大蔵経」の中に、どれだけ釈迦の直接の言葉が入っているかには
疑問があっても、釈迦が瞑想したことには疑いはない。

だから「大蔵経」を読むより、瞑想したほうが確実だ。
ただし、瞑想は釈迦が始めたものではないが、釈迦の瞑想は釈迦の瞑想だ。
よって、ただ瞑想するのではダメだ。

339 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 16:58:37.53 0.net
仏教の瞑想と言っても、禅宗の瞑想法があり、チベットの瞑想法があり、いろいろだ。
禅宗でも臨済宗と曹洞宗では違う、チベット密教でも、テーラワーダでも、様々な瞑想法がある。

技術は進歩する。
瞑想法も進歩するかも知れないし、退歩するかも知れない。

340 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 17:40:01.13 0.net
成功した瞑想というのは、結局のところ、左脳の抑制と右脳の活性化である。
それを薬物で達成しても、脳手術で達成しても変わりはない。

変わりないだろうか?

341 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 19:21:41.78 0.net
それがSEKAIの認識を変えたなら瞑想依存な仏

342 :考える名無しさん:2024/03/29(金) 22:24:37.20 0.net
睡眠こそが生命の本来の姿であるって言うしな

343 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 03:01:19.54 0.net
LSDやってみるといい
あれが涅槃の姿

344 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 03:36:33.72 0.net
>>343
ヒッピーかよw

345 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 04:18:17.89 0.net
廃人こそが涅槃の領域かも知れんな😔

346 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 04:22:15.27 0.net
精神の苦行僧もまた涅槃に至るのであろうか🤔

347 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 04:56:32.66 0.net
シロシビンでもDMTでもいい
サイケトリップと瞑想どちらも脳内の環境は似てる

348 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 05:06:05.94 0.net
結局のところヒッピームーブメント
スピリチュアリズムなんかな
わいも若い頃はネオサイケ
spaceman3やスピチュアライズド聴いてたで😌

349 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 05:50:55.95 0.net
>>334
その神は自分の脳の中にいるってだけだよ
古代から一部のエリートは気付いている
仏陀もその一人

350 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 09:06:49.76 ID:0.net
連続性とか条件そのものの類が神とか悟り何じゃないかと考えてる
全ての物質も物事も単独や1人にはなれない、程度の違いこそあれ

351 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 10:02:27.79 0.net
>>343>>347
お寺など、ちゃんとしたところで座禅などをやったことあるのか?

352 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 10:05:25.70 0.net
>>328

>>@神は信用できるか?
 −セラピストや催眠術師以上のものなのか?
 −そもそも存在するのか?

神はいるだろう。我々人間より上位の者だ。


A今の苦からは解放されても、再び苦は生じないのか?
 −未来永劫の解放なのか?

再び苦になる場合と、そうでない場合がある。

353 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 10:23:07.63 0.net
>>351
というか、曹洞宗の坊主が言ってたよ
LSDの幻覚と似てるって

354 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 10:29:57.81 0.net
>>353
自分でやって比較しないと、分からないだろ

355 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 10:35:14.05 0.net
>>343
お寺で座禅でもやってみるといい

356 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 11:35:18.53 0.net
曼荼羅なんてモロに幻覚剤で見える世界よな

357 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 12:32:16.97 0.net
>>351
座禅や瞑想に場所とか肩書とか関係無いよ

358 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 12:36:42.75 0.net
>>353
禅の坊主が、ソコに何か見えるとか言ったらダメだなw
道元さんに怒られるぞ

359 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 12:53:42.54 0.net
幻覚が見えました!悟りました!とか言ったら百棒くらうぞ

360 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:05:30.19 0.net
しかしどうだね、ブッダとは目ざめた人のことだ
普通の人に見えないものが見えるということなのだよ

361 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:06:47.49 0.net
違うよ

362 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:21:47.44 0.net
>>357
自己啓発本やYoutubeで瞑想を練習して、道に迷ったり、変なクセをつけるよりかは、
社会的ないしは歴史的由緒のあるお寺などで手ほどきを受けた方がいい。

近所にあるお寺の掲示板やwebサイトを見れば、
一般の人でも参禅できる座禅会の案内があったりする。
無料のものから有料のものまである。

363 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:22:43.44 0.net
身体知を扱う広義の神秘主義は、誰に教わるのか、師次第と言われる。
良い師に導かれれば、真理に辿り着けるし、
悪い師につけば、まがい物を見せられるだけ。

364 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:25:31.94 0.net
釈迦が修行中に師事した瞑想実践者の瞑想と仏陀釈迦の其れとの違いは?

365 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:36:22.95 0.net
>>364
それが説かれているのが仏典
仏典読みなさい

366 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 13:45:05.35 0.net
神秘体験だの求めてるわ、煩悩塗れじゃあないですか

367 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 14:13:04.54 0.net
精神統一なんて言い方するけど、集中力を高めてより長い時間継続させる事ってだけの事に固有名詞を与えてそれ自体をありがたがるのはどうでもいいことと思う
命題に向き合う前提でもあるし今を生きる事にも直結する事だけどそれが総てでも無い

368 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 14:25:00.66 0.net
由緒あるお寺😂

369 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 14:35:29.12 0.net
師の無い仏教など存在し得ないよ
衆人皆師の南無阿弥陀仏

370 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 14:51:10.36 0.net
瞑想で魔境なんて言われてるようなぶっ飛んだビジョンに至った事はないけど、気がついたら瞼の裏というか眼の裏から短い蝋燭なのか燃えさしの様なシルエットがチラチラ見え隠れして呼吸への集中が切れる事はある
その昔アカシア茶ってのを試した時は、横になって呼吸を意識しだしたらいつの間にか呼吸も集中も置き去りにして白黒の曼荼羅の様な空間に放り出された
努力して精神統一や集中をして前提を作って~なんてのをすっ飛ばして脳をあの状態に持っていけるのは、使い方を間違えなければいい道具になる

371 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 15:45:15.55 0.net
>>370
ディストーションやファズの効いたサイケデリック・ロックの轟音にしても、
人工的に脳震とうやてんかんに近い状態を起こすのだし、
ドラッグやアルコールや変なお茶の酩酊で観る幻覚にしても、
キミは脳が麻痺した状態を求めているんだよ。

それに対して、仏教の座禅などは、迷いごとも飽食も避けて臨むなど、
意識も身体もクリアにする。

脳の状態は全く異なる。

372 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:06:41.88 0.net
今時のビジネスパーソンなら、
脳をシャープにして仕事を効率化させるために、

・アルコールやタバコの禁止
・糖質制限などの食事制限
・仕事帰りにチョコザップ
・ヤクルト1000飲んで睡眠の質向上

とかまでやって、マインドフルネスやるんだろ。

373 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:15:37.26 0.net
>>369
独覚は?

374 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:22:00.49 0.net
>>368
禅が入ってきたのが鎌倉時代だから、創建数百年とか。
極めるなら、大本山や総本山にも行って、ガイジは棒で殴られてこいよ。

375 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:53:17.22 0.net
>>371
どう違うの?

376 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:54:45.50 0.net
ドラッグと瞑想については以下が詳しい。


中沢「ドラッグと瞑想法の違いは、(略)ドラッグから入っていくのは、過呼吸から入る方法にかなり近いラインでしょうか。そのドラッグを使わないやり方がインドの瞑想法で発達しますけども、これは過呼吸ではありません。だからこれは何か二つの方法があるんだと思います。
僕はその呼吸法を勉強している最中、ドラッグは絶対やってはいけないと強く言われました。倫理的にドラッグはいけないと言っているのではないんですね。」

河合「方法としてでしょう。(略)ドラッグのほうはヘリコプターで高山の頂上にゆくみたいな方法で、呼吸法でやる人は下から歩いて上がっていく(略)。
時間はかかるけど、ずうっと歩いて頂上までいった場合、問題ないですね。ところが急にヘリコプターで"もう四千メートル、頂上に来ました"と言うと、頂上にいるだけの話であって(略)」

中沢「ありますね。それでは高山病になりやすい。」

河合「本当ですよ。その高山病体験と悟りの体験が一緒くたになってしまう。」

中沢「エリアーデの考え方だと、太古の高度文明ではこれを使わなかったのではないか。
大体、呼吸法とか、あるいはシャーマンの太鼓を使ったトランスはやっていたかもしれないが、
この技術が弱くなっていったときに、それを補助するためにドラッグ、幻覚性植物を使い始めたのではないかと」

- 河合隼雄×中沢新一 『仏教が好き!』 朝日新聞社(2003) p65-67から抜粋

377 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 16:59:37.32 0.net
中沢と河合は、ドラッグなどを使っても>>370のようなビジョンを見ることはできるが、
それは、仏教などの実践的な瞑想修行に比べて、
行っただけ、見ただけの「サイトシーイング」でしかなく意味はないといっている。(p67)

378 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:00:47.52 0.net
>>365
その比較について言及してる仏典ってある?
キリスト教でいえば聖書みたいに、第三者視点での記録みたいな感じの。
ブッダが過去世でいろんな人生を送ったみたいな話とか、アングリマーラの話とか
って初期の段階で文献として残ってるんでしょうか?
ブッダがソロ活し始める前に師事してた人とかの話ってかなり謎めいてますよね。

379 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:04:07.61 0.net
こういう話は比喩的になりやすい、が

副作用が瞑想ならショック療法の一種

380 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:12:08.46 0.net
>>370
シラフでの瞑想がLV10とかLV50みたいなところだとしたら
いきなりLV50000みたいな感じだったな。
>>376-377
の話はすごく納得する感じがある。
プロセスが思い出せずただただすごく怖かったことと、素晴らしい境地だったみたいな記憶が残るだけ。

聖徳太子の時代の人が、いままでずっと神道出来てたのが
他所から来た仏教をすんなり受け入れたのが自分には信じられないんだけど
当時の人たちって、現代人よりもなんか悟りがしやすい脳だったのかな?みたいなことは思う。

381 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:18:32.17 0.net
シリーズ「日本の仏教」

第1回:目覚めた人ブッダの誕生

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09401/

382 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:34:45.72 0.net
>>374
永平寺 妻帯
観音さま😍😍😍

383 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:47:07.31 0.net
ホモ・サピエンスの進化の過程でマジックマッシュルーム(シロシビン)を摂取して脳を発達させて言語を習得したり火を活用しだしたってのをナショナルジオグラフィックかなんかで観た
当時の彼らが言語がないところから言語を作り出したのはもはや悟りとも言えると思うん
脳の抑制と活性化、脳の最適化に至る道はどっちでもなんでもよくてその結果とその結果の結果がその結果が

384 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 17:56:31.52 0.net
>>371
座禅はそうなんだろうけど瞑想は何時でも何処でも誰でもどんな状態だろうとやろうとすればやれるものだよ、みんながレスを打ち込んでる時も読んでる時も普段の営みの最中でも今の瞬間に集中する
悩み迷いがあってはダメ、体も意識もクリア出ないといけない事もなく意思があればすることもしないことも自由だよ

385 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 21:08:43.46 ID:0.net
儀式をやり遂げた高揚感が瞑想と思う人もいる

386 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 21:20:16.00 ID:0.net
仏教に囚われていましたがもう自分なりに解脱できました
先生さようなら みなさんさようなら

387 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 21:55:02.62 ID:0.net
皆さんは蒙昧の中を彷徨うことでしょう
それもまた運命でありましょう
善く悪くもないもないのです

388 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 21:57:41.13 ID:0.net
『仏教が好き!』の中で中沢は、瞑想を以下の二つに分けている。

中沢「アジアの宗教のなかには、二つのメディテーションのスタイルがあるでしょう。
一つは、仏教の静寂瞑想法です。ところが北のほうへ行くと、シャーマンのトランスがあるわけですね。
一般には両方とも「トランス」と訳される。仏教の瞑想も「トランス」と訳すことがありますから。
ところがこの二つはシャープな違いを持っている。仏教が呼吸法を整えておこなう瞑想法と、シャーマンの忘我の瞑想との違い。(続く)」p30-31

どちらが良い・悪いではなく、方法や目的、脳の使われ方にも違いがある。

389 :考える名無しさん:2024/03/30(土) 22:00:52.20 ID:0.net
>>383>>356
上座部仏教国タイ「ペロっ…あ、これアカンやつや」


タイ、娯楽目的の大麻使用を禁止へ 歴史的な合法化から1年半 - CNN.co.jp
https://www.cnn.co.jp/world/35213700.html

390 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 00:33:18.22 0.net
お坊さんはこの世で捕獲した信徒さんを生口に
あの世で欲望を充たすことが出来ます

391 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 00:52:55.14 0.net
大麻とLSDの違いもわからんか
精進しなさい

392 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 01:52:27.55 0.net
>>388
中沢ってzhi gnasとlhag mthongの違いも教わらなかったのか?
よくそれでニンマ行者気取れたな

393 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 02:26:30.75 0.net
そういう話ではない

394 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 03:46:42.70 0.net
そういう話だよ

395 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 10:49:22.30 0.net
tst

396 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 10:58:07.66 0.net
>373
如是我聞する人がいないでしょ
釈尊が釈尊として人類に認識されたのは菩提樹の下でなく初転法輪の地においてだよ
独覚は自認であって、実際の行動八正道を無視すんなら証というものはどこにも表れないことになる
釈尊の「成道」は初転法輪に至るものだから「成道」と言われるんだよ、それ無しに入滅していたらいくら梵天勧請があっても仏教は衆生に届かず釈尊の心の中だけで終わっていた
小節を書かない小説家、行動のあらたまらない瞑想者みたいなもんだよ、他人にとっては面白いだけで意味ないでしょそんなの

まあ独覚の意味も宗派ごとに違ってたりするけど、伝わってくれたらありがたい

397 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 11:47:13.67 0.net
>>388は文明の類型の話。
若干拡張して補足すると、

(1)トランス、シャーマニズム型
・「神の声」を聴く啓示宗教(ユダヤ教、イスラム、キリスト教、天理教)
・忘我やエクスタシーを伴う神秘主義(キリスト教、イスラム)
・キリスト教(ゴスペル)
・ユーラシア大陸の遊牧民
・アメリカ先住民
・仏教密教のシャーマニズム
・サイケデリックカルチャー

(2)非トランス、非シャーマニズム型
・ヨーガ
・仏教の禅定、声明
・道教の坐忘
・朱子学の静坐
・無へ向かう神秘主義(キリスト教、イスラム)
・キリスト教(ケノーシス、正教のヘシカズム、グレゴリアン・チャント)
・マインドフルネス

398 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 12:05:37.24 0.net
瞑想の副作用は悟った気分♪

399 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 12:09:47.87 0.net
瞑想は手段に過ぎない

400 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 15:26:07.48 0.net
手段としての阿片

401 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 15:44:12.91 0.net
>>351
場所なんて必要なのか
寺が出来たのは仏陀が死んだ仏滅以後だ
仏陀本人が悟りを開いたのは木の下だし(麻原彰晃が座って怒られた場所)
達磨大師は洞窟の中で壁に向かって瞑想

402 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 17:43:23.72 ID:0.net
少なくとも静かなところだったのでは?
日本の都市部で車の音が聞こえない場所ってなくない?

403 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 18:00:58.18 0.net
夢中になってると環境音も耳もなくなるでしょ

404 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 19:40:58.79 0.net
>>397
イスラム教に無へ向かう神秘主義なんてあったっけ?

405 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:06:06.40 0.net
>>401
必要だよ

要は人は自然の一部なので自然で解毒できる空間が必要
逆にいうと現代は統治が進みすぎてどこも不自然=俗世が進んでるから
悟りにくく解脱しにくい環境になってる

仏陀も木の下という自然地だったりそもそも王族統治から離れる事を大事にしてたでしょ

406 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:10:02.12 0.net
アジール(聖域)って言葉があるように
人が俗世から離れられる空間は必要だよ

尚且つ人の苦しみは俗世的な人間関係で発生することが多いので
そういう今でも俗世かつ俗人から離れられるの大事

それでいうと日本は統治が進みきって
どの土地も国の所有物だし、不自然な建築物や車など、人口も多く
つまり非常に俗🟰苦しみの多い環境になってる

407 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:34:01.98 0.net
そんなことにとらわれているようじゃ・・

408 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:44:53.26 0.net
ポエム帳

409 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:50:32.88 0.net
何をもって自然なのか
諸法実相は縁によってそこに在るだけ

410 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 20:57:13.11 0.net
仏陀が悟りを開いた事を周りの者はどうやって確認したの?

411 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 21:39:03.48 ID:0.net
全身が黄金に輝いてるんだからわかるでしょ

412 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 22:25:29.17 0.net
臍から産まれてテクテク歩いて天上天下唯我独尊とか笑っちゃうよ
水がワインに、石がパンにと同じだよ

413 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 22:27:29.39 0.net
麻原彰晃も空中に浮いてたね

414 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 22:44:27.09 0.net
仏陀は拘りを捨てよ、苦痛は拘り
こんな感じだろ

静かな場所じゃ無いと悟りは開けない(はずだ)
自然の中じゃないと絶対ダメ(なはずだ)
静かで自然が無くなったから悟れないよ 


いいのかこれでw

415 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 22:55:11.35 0.net
森の中入れば分かるけどドカ雪でも降ってない限り音が溢れてるよ

416 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 23:39:57.22 0.net
>>405
岩山でもいいだろ
誰もいない廃墟でもいい

417 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 23:51:54.08 0.net
カラオケボックスの中で瞑想出来るやつが本物
自然の中はただの憧れ
未熟者め

418 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 23:56:34.02 0.net
暗室プールの中で浮いていると出来るかも知れませんね

419 :考える名無しさん:2024/03/31(日) 23:57:23.64 0.net
フフフ

420 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 00:30:38.60 ID:0.net
おまえらにはやっぱりオウム指向な素地ってんのが備わってんだな

421 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 00:31:38.06 ID:0.net
麻原彰晃尊師は最終解脱者

422 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 00:49:26.94 0.net
智慧とは・・・

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その12」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
https://m.youtube.com/watch?v=bFvHGOcc0hs

423 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 19:28:55.75 ID:0.net
全て手放すこと可能なのか?
それとも、手放すことできないから様々な欲があり囚われる
人間としてそういふけいかうがありますってことに気付いていれば良いのか?

424 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 19:31:21.30 ID:0.net
宮沢賢治の作品ってすごく詩的に表現した仏典と言っても過言ではないと思う。
春と修羅の序文なんか般若心経に匹敵すると思ってる。

425 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 20:28:52.84 ID:0.net
この言葉が分かる自分は優れている、特別だとか思う気持ちがあったら
我に囚われてるな。
このあたりに気持ちよさを感じてしまうのが癖になっている。

426 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 22:42:24.55 0.net
ブッダを想像する時、神のように特別で神々しいものを無意識にイメージしてた。
目の前にいるただの人としてのブッダをイメージしてみたら、ブッダが言葉で残してくれたものに対して愛と優しさを感じる。

427 :考える名無しさん:2024/04/01(月) 23:31:41.80 ID:0.net
ゴーダマさんが特別な因果にある選ばれし存在であったのなら俺はもう何もしなくていいし後は死ぬだけだから楽でいいんだけど、もうそうであったんだろうと思ってる

428 :考える名無しさん:2024/04/02(火) 00:31:31.01 0.net
http://keida.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2007/10/04/004.jpg .

429 :考える名無しさん:2024/04/02(火) 00:36:17.66 0.net
美智子、あれはブッダだ
石を投げなさい

430 :考える名無しさん:2024/04/02(火) 03:34:15.65 0.net
仏教とは自我のマインドコントロールである

431 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 03:58:49.57 0.net
昨日夢で亡き母に首絞められた、感謝と懺悔とそのまま殺してくれとの願いがあったけどまた現実の日常に戻ってしまった
意識はどう証明できるのか

432 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 12:47:06.02 ID:0.net
私は家族捨てるくらいなら悟らんでも良い🙆🆗
と思いタイ🇹🇭で出家したけど在家になりました。
渇愛からくる期待は簡単に捨てることが出来た。
苦悩は滅せられた。


日本僧侶を見習え🧑🏻‍🦲👩🏻👶🏻🤜🏻👨🏽‍🦲💦

433 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 15:59:43.76 ID:0.net
タイで1年間だけ出家みたいなコースってあります?

434 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 18:46:46.38 0.net
あるよ
タイ人は人生に悩むと出家するんだよな

435 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 19:04:09.98 0.net
コンビニ感覚だな

436 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 19:26:59.81 0.net
いいなー、そういう手軽さ。
日本の寺で出家ってなると、まず全部手放さないといけない。
だから、悟るために出家すると言うより
悟ったから出家するって感覚。
出家するためにはまず悟って手放さなければならない・・。

行きたいな、ちょっと調べてみる。

437 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 19:40:42.02 0.net
🧑🏻‍🦲酒、女、車!!

438 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 21:08:46.70 0.net
コンビニ感覚で良いんだと思うよ

鬼の形相して怖い顔して何でそんなに悩むの
https://m.youtube.com/watch?v=HYOodY3kacQ

439 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 22:29:31.16 0.net
仏教に意味を求め過ぎると、それができない

440 :考える名無しさん:2024/04/03(水) 22:52:32.98 0.net
タイやスリランカの仏陀の像は寝てるもんな
しかも肩肘でお行儀が悪いやつ

441 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 01:07:13.99 0.net
戒律ナニそれ美味しいの🧑🏻‍🦲👩🏻👶🏻

442 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 04:00:11.91 ID:0.net
アンチ仏教としてのブッダ
現代の僧侶における共通認識

443 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 06:21:57.97 0.net
坊主撫で斬りにて候

444 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 12:14:24.17 ID:0.net
0018名無しさん@京都板じゃないよ2022/12/31(土) 02:41:24.28ID:OTIj5h1T0
>>14
自分、専学出身だけど
たしかに寮監は最悪だったよ。
ことあるごとに院生に罰則として写経や礼拝行を課してたけど
本人たちは酒は飲むし結婚するしで。
ぜんぜん戒律守る気なかったし。
それに寮監に限らず幹事や山内各塔頭寺院の院主もみんな飲酒妻帯してる。
自分は彼らのような破戒僧を見て
心底バカバカしくなったから僧侶やめたよ。

445 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 13:28:18.76 0.net
ほんと日本の坊主はダメだな

446 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 16:37:02.53 ID:0.net
【本編】『ファンシイダンス』<2週間限定公開>
https://www.youtube.com/watch?v=XdH1Fm50OK0&t=3367s

447 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 17:07:02.39 0.net
坊主は必ず死ななければならない

448 :考える名無しさん:2024/04/04(木) 18:59:20.88 0.net
【日本を破壊せよ】

449 :考える名無しさん:2024/04/05(金) 01:16:26.79 0.net
欲にまみれ欲を貪る坊主ども

450 :考える名無しさん:2024/04/05(金) 02:44:20.31 0.net
>>446
令和版のこれ、あってもいいかもね
今ならタイかな

451 :考える名無しさん:2024/04/05(金) 08:47:23.37 0.net
>>423
自分の生命や身体は死ぬから手放せない人が多いだろうしな。自分の生命を脅かさない範囲で極限まで手放すことはできるだろうけど

452 :考える名無しさん:2024/04/06(土) 10:14:42.59 0.net
>>404
龍樹『中論』の「空亦復空(くうやくぶくう)」(空に達したところでその空もまた空ぜられねばならない)に対応するものとして、
イスラムにはジュナイドの「ファナーのファナー」(意識を消滅させる意識そのものの消滅)というのがある。

中沢が例に挙げているのは、イブン・アラビーの辺り。
神の名で呼ばれる以前の絶対未分節的無である神とか。

453 :考える名無しさん:2024/04/06(土) 10:33:40.89 0.net
空スレでは否定的な結論で解散した様だけど、このスレも「仏教」に厳しい終わり方しそう

454 :考える名無しさん:2024/04/06(土) 17:40:46.69 ID:0.net
( ゚д゚) 、ペッ🧑🏻‍🦲💦

455 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 09:38:07.38 0.net
【心を世界に投射する!】プロジェクション・サイエンス  見えないものを見、存在しないものを感じる知性の不思議 | ガリレオX第185回

https://m.youtube.com/watch?v=kajOIUnQvs8&pp=ygUt44Ks44Oq44Os44Kq44CA44OX44Ot44K444Kn44Kv44K344On44Oz56eR5a2m

456 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 10:08:23.88 ID:0.net
幻想と執着

457 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 10:25:26.38 0.net
非想非非想処

458 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 13:52:45.28 0.net
今ここの感覚は動物だってさ😹
社会生活苦しちぃおなら仕方ないね🫠

459 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 14:09:30.67 0.net
ARを活用すればバックプロジェクションによりタルパの視覚化に役立ちそう

460 :考える名無しさん:2024/04/08(月) 14:14:13.93 0.net
非仏非非仏処

461 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 16:30:33.70 0.net
>>452
ファナーは「自我意識の消滅」であって、神への「服従」としてはむしろ王道だと思う
それを「無」と呼んでもいいかもしれないけど、仏教の「無神論的無思想」とは区別すべきだと思う

462 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 16:33:05.34 0.net
>>459
AIを活用すればタルパなんて必要なくなるでしょ

463 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 17:54:09.78 0.net
全ての願望を断つという願望をも絶ち
死を選ぶという願望も絶ち
死に任せるのが仏教である

464 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 20:38:49.49 0.net
もうブッダの教えとはかけ離れすぎてるな

465 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 21:01:45.70 0.net
神は間違いなくいない。
完全に保証する。
なぜわかるかって?
それは私がユダヤ人だから。

466 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 21:08:44.93 0.net
>>461
> それを「無」と呼んでもいいかもしれないけど、仏教の「無神論的無思想」とは区別すべきだと思う

そういう話をしているのではない。

単なる「空」や「ファナー」ではなく、「空の空」や「ファナーのファナー」というのは、
二重の自己解体だということ。

西洋哲学に、こういう二重の自己否定があるかい?

467 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 21:09:49.87 0.net
キリスト教の人ってなんか上から目線で、
それ以外の人をかわいそうな人たちみたいな認識じゃない?

知り合いに誘われて教会に行ったら、みんな好意的で親切だったが
口には出さないが見下されてる気がした。

468 :考える名無しさん:2024/04/09(火) 21:19:41.23 0.net
ヒンドゥー教の祭事の動画で、
翻訳してみたら
「かわいそうな未開の文化」
みたいなキリスト教徒のコメントで埋め尽くされてて、やっぱそうなのかって思った。

469 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 07:41:42.46 0.net
夢の夢もまた夢

470 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 09:40:29.46 ID:0.net
>>468
あいつらナチュラルに俺たちアジア人を見下してるからな
仏教だってアジア人に間違って歪められてると思ってる

471 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 09:57:07.24 ID:0.net
本来はキリスト教が病者貧者かわいそうな人向けの文化だろ
仏教は比較的聡明で裕福な人向け

472 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 10:12:22.24 0.net
>>471
荒野を彷徨う病人と◯痴の群れだと
ニーチェは書いていたな

473 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 14:17:14.31 0.net
キリスト自体はブッダみたいにすごく優れた人だったのだと思うんだけど、
その後の聖書を作った人たちとか、本質を見ようとしないで盲目的に書かれてることを信じてる人たちが多く狂信的だけど
元の教えはやっぱりいいものだから、続いてるのかな。聖書全く読んだことないが。

それ考えると大乗仏教の阿弥陀如来侵攻と似てるよね。
阿弥陀如来の成立時期ってキリストの死と近いから
色々辻褄が合うんだよね。
西方浄土=日本から見たインドでなく、インド、中国から見たヨーロッパって捉えることもできるし。

474 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 14:18:11.94 0.net
原始仏教みたいに、
原始キリスト教みたいのがあるのかな。

475 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 15:11:05.33 0.net
>>473
近い時代の法華経なんかの初期大乗経典で釈尊が法身化してるんだから阿弥陀に限ったことでもないだろ

476 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 16:28:35.73 0.net
キリストは、ブッダよりも500年も新しい人なんだぞ

477 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 16:57:06.27 0.net
>>473
本(聖書)も読まずに偉そうなことを言うな

478 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 18:24:13.80 0.net
すみませぬ

479 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 18:25:44.73 0.net
いや、読もうとしたことはあるんだけど、
アブラハムの子の〇〇の子の〇〇、みたいのがずっと続いていつ面白くなるの?って感じで断念したw

480 :考える名無しさん:2024/04/10(水) 18:55:28.25 0.net
かわいそうな未開の文化

481 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 01:30:05.87 ID:0.net
仏教徒は良い意味で昆虫みたいな存在

482 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 08:47:09.45 ID:0.net
鉄の時代になり、鉄が普及し始めたことが仏教の始まりと一致する。

483 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 08:56:06.82 ID:0.net
聖書より仏教より大乗思想の方が新しい

484 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 09:27:26.76 ID:0.net
スマナサーラ長老の動画
煽るようなテロップ、タイトルで仏教的じゃない感じがするから避けてたんだけど
気になって動画開いてみたら
無常と死の見解について勉強になった。

良くないもの、仕方ないものって意味合いが自分の中で強かったけど
この捉え方がすごく洗脳されてるんだなと。

485 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 09:51:37.39 ID:0.net
ショートは流れてくるけど、最近もう見てない

486 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 10:01:53.73 ID:0.net
仏教徒は来世昆虫に良い意味で生まれ変わるのが一番良い

487 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 10:10:59.12 ID:0.net
一切衆生 悉有仏性
輪廻しません

488 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 10:59:28.24 ID:0.net
在家の受
出家の受

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その19」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
https://m.youtube.com/watch?v=r87D8UtX_ws&t=909s

489 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 12:09:39.81 0.net
ゲーム脳を実践してゲームオーバーしたら還俗

490 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 12:20:59.31 0.net
仏教徒はあれこれ考えるな
五分の魂の範囲内で生きよ

491 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 12:46:43.32 0.net


492 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 12:55:05.85 0.net
>>484
アレは右腕の佐藤哲郎さんが煽ってるだけ
スマナサーラ長老は別にそんなでもない

493 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 13:35:11.86 ID:0.net
>>492
佐藤氏いわく扇情的なサムネはボランティア?がやってるらしい。
まあ佐藤氏のサムネもけっこう煽り気味だけど

494 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 13:35:59.39 ID:0.net
でもスマナサーラってけっこう指定されてるけど
「怒らないこと」って本書いときながらけっこう怒ることあるよな。

495 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 13:36:01.54 ID:0.net
切り抜き動画は無関係だからな

496 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 13:41:32.96 ID:0.net
メシの事を馬鹿にされて許さないとは言ってたね。
スリランカのしきたりを日本に持ち込まれてもなぁ😟

497 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 14:26:56.26 ID:0.net
>>494
話してううちに熱くなってきて、何かを批判的にこき下ろす感じの発言が結構あるね。
東南アジア出身のおばちゃんの知り合いがよくそんな感じになるから、
悟りの境地と、そういった人間的な癖は別問題なのかなと思ったり。

498 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 14:53:26.51 0.net
龍樹批判してる動画は面白かった
目からウロコ

499 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 14:59:03.99 0.net
スマナサーラは賢い一仏教徒だけど覚者とは思わない

500 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 15:17:23.86 0.net
お布施が必要

501 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 19:16:30.35 0.net
東洋と西洋の「空」や「二重の否定」は以下でやった。

仏教哲学総合スレ5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1549185357/700-720

東洋
・龍樹「空亦復空」(空もまた空)
・ジュナイド「ファナーのファナー」

西洋
・旧約聖書「空の空」(空の強調)
・新約聖書「キリストのケノーシス(空)」
・アリストテレス「空の空(ケノウ...ケノン)」(空の延長)

加えて、

・ヘーゲル弁証法「否定の否定」(否定の繰り返し)

502 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 19:17:07.78 0.net
>>461
「神」も「空」もどちらも超越的(Transzendent)。
それに対して、「空亦復空」や「ファナーのファナー」は超越論的(Transzendental)事態。
自己言及的で再帰的な自己解体。

503 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 21:22:07.62 0.net
仏教て自我を制御して減らしいく事ですか?
そうなら読書することは自我を形付くり育ててしまう悪しき習慣なのでは
色んな本読んできたことが逆に自分自身を生きづらくしてると思う今日このごろ

504 :考える名無しさん:2024/04/11(木) 21:34:50.03 0.net
>>503
読書して生きづらくなった?
自分は逆なんだけど、興味深いな

505 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 00:54:54.38 0.net
>>503
文盲ね

506 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 07:52:12.78 0.net
読書で得た知恵にも執着するな、というのがブッダの教え
知恵は筏に過ぎない

507 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 08:04:32.43 0.net
都合よ

508 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 08:15:45.18 0.net
読書で得た知識を誇れというのがヤージュニャヴァルキヤの教え
自己を誇れ
自己を死をも超える永遠の竜骨大船

509 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/04/12(金) 10:41:43.92 0.net
神になったわけではない。
普通な人なのだ。
だけれども心は一切動かない、普通な人なのだ。

510 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 23:30:34.85 0.net
誰かの名言集みたいなのとか、見ると生きづらくなる。
それに当てはまってない自分が許せなくなって、
制限事項が多くなって頭でっかちになるよ。

511 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 23:31:53.53 0.net
〇〇な人はダメ
成功する人は〇〇している
〇〇な人からはすぐ離れてください
人から嫌われる人の特徴

的なやつ。

512 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 23:34:41.38 0.net
若い女の子が二人で男の話してて
〇〇な男きらいとか、〇〇なひとかっこいい
みたいのが聞こえてきて、
しばらくの間、無意識にそういう男を演じようとしている自分がいて生きづらくなった。

513 :考える名無しさん:2024/04/12(金) 23:42:27.61 0.net
無にしろとか最初から禅をやるのは難しい、日本人なら道から入ってはどうか

ジョブズやゴディバの社長(実際に弓道家)などが愛読した「弓と禅」
日本で弓道を習ったオイゲン・ヘリゲルの代表作であり世界のビジネスマンに今も愛読されている長期ベストセラー
無心になれだの自我を捨てろだの何言ってんだコノヤロー
言語で理解しようとするとすると悪循環にしかならない

本読みたく無い人用
ポイントを拾い簡潔にした朗読で聞いて興味持ったら本を手に取れば良い
youtube.com/watch?v=U_H6rnJG1h0#dialog

514 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 00:47:02.73 0.net
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』には、
その元となった講演「日本の弓術(武士道的弓道)」というのがあって、そちらの方が決定的。

“弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行おうとするのではなく、
 自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとする意味をもっている。
 それゆえ、弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託に過ぎない。
 目的に至る道であって、目的そのものではない。
 この道の通じるべき目的そのものは、簡単に言ってしまえば、
 神秘的合一(ウーニオ ミスチカ)、神性との一致、仏陀(ぶっだ)の発現である。”

− オイゲン・ヘリゲル 『日本の弓術』 柴田治三郎 訳、オイゲン・ヘリゲル、岩波文庫 (1982) p16

515 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 00:52:34.46 0.net
「神性との一致」とか「仏陀の発現」とかやった?
読むべきもの読んで、さっさとやれよバカヤロー

516 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 01:25:18.37 0.net
仏教徒ってのは人間の屑
自覚しとけ

517 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 02:21:24.75 0.net
弓と禅に出て来る弓ってその後の話も変なルート辿るんだよね
ドイツ人だからナチスを疑われ連合軍に師匠から貰った弓は没収されてしまう
弓は師匠から弓に飽きたり老いて使えなくなったら燃やして灰にしなさい必要ないものになっている
決して飾って眺めて過去にしがみ付いたりしてはいけないと言われていた
ヘリゲルの死後に戻ってきたが奥さんが気分的に処分できず、交流のあった日本人に連絡
今は鎌倉の円覚寺に飾られている(本物)
お坊さんが燃やして灰に出来ずに飾って有り難がっているww

518 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 05:45:02.75 0.net
オイゲン・ヘリゲルの師匠ってハッタリで暗闇の中、矢を放ったり面白い人なんだよな
先生は禅に凝ってたりしたのかしら

519 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 10:22:58.00 0.net
合一するアートマン論争は仏教の宿命だろうな

520 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 10:56:24.54 0.net
仏性、空性と合一するのはアートマンなのか?

521 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 14:54:13.76 ID:0.net
初っ端から禅をするより道の方が入りやすい理屈は分かるけど
今は柔道も剣道も弓道も立禅を実践してるような道場なんかないだろうし
スポーツ化してるよね
東洋哲学好きな外人の方が立禅は分かってんじゃないの

522 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 14:55:16.53 ID:0.net
初っ端から禅をするより道の方が入りやすい理屈は分かるけど
今は柔道も剣道も弓道も立禅を実践してるような道場なんかないだろうし
スポーツ化してるよね
東洋哲学好きな外人の方が立禅は分かってんじゃないの

523 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 15:42:35.88 0.net
無我

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その5」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=EOzG1u8gi3I&list=PLmwYOQLkF8YgdZq1uQl_2uFw7L7JvQyEc&index=5

524 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 16:29:46.07 0.net
外人の方が仏教をよく理解してるということはよくある
wikipediaの仏教用語でも英語版のが詳細に書かれてることが多い
というか、日本の仏教用語は漢語だから取っつきにくいんだよな

525 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 18:57:46.03 ID:0.net
海外之研究者と比較すると
日本のそれは信者並に頭打ち悪い

526 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 20:46:15.15 0.net
日本人は日本にいるせいで禅も道も外国人よりは知ってるつもりの勘違いで終わってる

527 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 21:09:07.17 0.net
僧侶からして戒律ナニそれ美味しいの🧑🏻‍🦲👩🏻👶🏻🍶なのだからしょうがない😂

528 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 21:26:20.26 0.net
歎異抄を読むとどんなことが得られますか?

529 :考える名無しさん:2024/04/13(土) 22:19:46.41 ID:0.net
ミリンダ問経が「演出」であるとか「理解が早い」というのは、佐々木氏が言うような教団の都合で創作された面も問題だが、もっと深刻なのは、例えばマッジマニカーヤと並べれば判るように、ブッダの教え方ではないことだろうな

530 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 00:25:51.89 0.net
>>514の原文。
最近、国会図書館所蔵のものがデジタル化された。

> オイゲン・ヘリゲル氏の講演「Die ritterliche Kunst des Bogenschiessens」の原文について,
> 資料1 北島 芳雄『射道:わが師の教え』北島工務店, 1995【789.5/キヨ952】
> pp.89-110に掲載されています。
> なおp.89に日本語の題名として「『射』における武士的芸術」,頁数に相当する番号として「資料1-20」と付されています。
> 宮城県図書館

531 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 00:58:12.86 0.net
悪人正機

532 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 09:52:53.74 ID:0.net
>>524
それ思ってた。
ヴィパッサナーの英語で説明してる冊子読んでたら「気づき」、「感覚」って言葉にしても
日本語だと文脈でニュアンスを把握するしかないが、英語だと3種類くらいの言葉で分けられてた。

感覚って言葉とか、あまりにもいろいろな意味を含んでるよね。
直感って意味だったり、五感の感覚だったり、フィーリングだったり、考え方って意味だったり

533 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 11:30:30.70 ID:0.net
>>528
不断煩悩得涅槃

534 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 11:55:41.28 0.net
鎌倉仏教は末法に相応しく「菩薩」の精神史だ

535 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 15:19:26.28 0.net
逆説で真理を説くばかはとっくに喝破されとるんよ
賢いばかなんちゅうのはいらんねん

536 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 15:20:22.70 0.net
仏陀「言葉で理解しようとするな」

537 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 17:29:06.37 0.net
>>535
禅坊主「………」

538 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 18:26:26.80 0.net
道元なんかも老人との出逢いから点禅と決める

もはや原たる識論など無視の物語の悟りになる

539 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 21:41:18.13 0.net
道元とかいう禅師の語録からパクりまくって『正法眼蔵』を書いた文字の徒

540 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 23:03:38.48 ID:0.net
スマナサーラ長老が
楽と楽しみは同じ漢字だが全く別のものって言ってて
そりゃそうだと思うわけだけど、
楽という漢字のイメージにかなり引っ張られて見てしまうところはある。

541 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 23:48:34.22 0.net
>>536
どこでそんなこと言ってる?

542 :考える名無しさん:2024/04/14(日) 23:50:05.09 0.net
もはやこのスレ的に柔い印象の喩え話はいいだろうけど、出家の楽は対象のある楽しみだわな

543 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 01:48:12.41 0.net
>>541
宗派色々あるけど何一つ経典の意味調べた事ないの
経典の暗記なんか重要じゃ無いから修行しろ

544 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 02:36:08.48 0.net
>>540
comfortとenjoyだから違うとかそういう発想でしょ
あんまり真に受ける必要はないな

545 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 03:03:05.81 0.net
仏説摩訶般若波羅なら漢字で何と無くわかる
仏様は説きました、だけど訳のわからん事を、空だの無たの訳の分からない事を言い出した
こんなもんで

546 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 07:37:55.96 0.net
同じ言葉を用いながら意味が変わった理由は、「見たひと」の解釈で意味がずれたのか、例えば「五蘊」を肯定しながら、それは我ではないという論法だったものが五蘊の否定になった。

ちょうど無限判断がトピックになってるスレ↓
https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/philo/1710145308

547 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 08:03:25.76 0.net
>>544
そう、英語で表現するとわかりやすいな。

pityやスカの日本語の説明を見た時、
いまいちよくわからんのは、このあたりの問題がある気がする。
一切皆苦も、他に表す言葉がないから苦って漢字を当ててるって言うよね。

548 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 09:16:50.59 0.net
ドゥッカの訳は英語でもしっくりこない、一般にはsufferingなんだけど

549 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 11:05:05.33 0.net
>>545
そんなとこでブツ切ってるようなら何もわかってないじゃん

550 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 11:36:23.12 0.net
>>548
諸行皆苦を否定したい人が苦はsufferingじゃないとか言うよね
邪見だと思う

551 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 11:47:13.10 0.net
生きることは苦

スマナサーラ長老の初期仏教法話(14 Apr 2024 北とぴあ)
https://m.youtube.com/watch?v=Wsf7b9oeKMY&t=17s

552 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 13:06:01.31 0.net
横で言うと、上の学者の見解では、欲≠苦なんだよね、そうすると『一切皆苦』は否定されたのか、という理解には、「苦」とは何かと問う

そこから、じゃあ「輪廻」とはとかズルズルと

553 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 13:37:49.74 0.net
五木寛之の本のたんにしょうを読めば良い?

554 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 13:49:44.45 0.net
親鸞は親鸞教だよな。戒は無理だと悟る、それはちゃぶ台返しというもので、逆張りしている

555 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 13:58:09.43 0.net
>>553
歎異抄なら>>16にある

556 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 14:41:40.93 0.net
>>554
親鸞教にも高田派の真淳上人みたいに戒律を擁護する人はいる

557 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 14:49:41.21 0.net
理由次第じゃないの。親鸞が悪人正機しか言わなかったから善人なお救われると唯円は足した

558 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 15:35:21.16 0.net
>>549
仏教解ってんの?
分かってるつもりの奴が一番ヤバイよ
事故解釈仏教はそうかとかでしょ
カルト

559 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 16:08:54.77 0.net
>>550
sufferingではない
ではなく、もっと広い意味があるということ

Duḥkha (Sanskrit: दुःख; Pali: dukkha) is a term found in the Upanishads and Buddhist texts, meaning anything that is "uneasy, uncomfortable, unpleasant, difficult, causing pain or sadness".[13][14] It is also a concept in Indian religions about the nature of life that innately includes the "unpleasant", "suffering", "pain", "sorrow", "distress", "grief" or "misery."[13][14] The term duḥkha does not have a one-word English translation, and embodies diverse aspects of unpleasant human experiences.

560 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 17:08:42.27 0.net
双極性の鬱持ちの自分は、
楽しみ=苦っていうのがすごくわかるんだよね。
楽しさ、幸福感を得ると
それは必ず失われる、後に苦が生じる。

同時に苦があると、
そこから抜け出したときに
解放されたことによる快が生じる。

双極性障害はまさにこれを繰り返してるよ。

仏教の教え的に
苦が生じることわかってるんだから刺激を求めるな
ってことなのか
苦が発生するシステム、それに気づいているのなら苦は苦ではなくなる
ってことなのかがわからない。

一番いい例が子供を作ることだと思うけど、
最愛のものを得る、最愛のものを失うがセットになってるよね。
だから得ないようにするべきなのか、それでも得るべきなのかっていう。

561 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 17:12:04.19 0.net
日本は江戸時代まで武士階級以上は漢語を使っていた
方言というものが通じなかった
だから仏教もそこそこ理解できたし武士の嗜みだったんだろう
仏教や禅に関して今は日本人の方がガイジン

562 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 17:56:11.33 0.net
『縁』という観点では現代の飽食の資本主義下より、末法思想の蔓延る時代の方があっただろう。延暦寺の僧侶は刀と鉾で政権と和して戦った。民衆は救いもなく捨て置かれたと法然は嘆く。仏門は世俗化の一途を辿り、カルトを生んだ。

563 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 18:18:07.32 0.net
自我って言葉、意識って意味はなくて欲求のことだよね

564 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 18:27:53.87 0.net
意識は今あるのだから、これがないと言うことは言えないはず。

これが意識ではなくて、虫のように無意識の反射のように勝手に作動しているだけだって仮定してみても
その作用のことを意識と、我々は呼んでるのだからそれは存在してるよね。

欲求は実は存在してないけど、自分の体や自意識は変化しつつ存在してるとしか思えない。
その変化を実態がないと取るか、実態がある変化と取るかはなんかもう言葉遊びの違いに位に思える。

565 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 18:42:57.87 0.net
>>559
>"unpleasant", "suffering", "pain", "sorrow", "distress", "grief" or "misery."

「苦しみ」でいいわね

sorrowならparidevaでいいし

566 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 18:58:40.73 0.net
個人的にはdukkhaは、保有株がストップ高になったとき、高級料理を食べているとき、美女とセックスして射精したとき、などに感じる空しさのようなものだと思っている

567 :考える名無しさん:2024/04/15(月) 19:25:25.24 0.net
>>566
それはsuññaṃだね

568 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 00:27:11.85 0.net
良い意味でありがたい舶来品だよ

569 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 02:00:37.12 0.net
仏教と共に坊主が持ってきてしまったのが天然痘ウイルス
天然痘撲滅まで1000年以上苦しめられることになる

570 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 07:57:56.51 0.net
因果応報も、後で整える、という観点で、教学の世俗化を見ながら、「なぜ苦が」まして他者に有るのか、と問うて世俗まみれの宗派を作る

もはや『呪い』、としたら次は仏のパリッタだ

571 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 09:55:10.99 0.net
>教学の世俗化

??

572 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 11:01:58.92 ID:0.net
https://youtu.be/s6qql_CO4qA?si=ASZyCRsB3K6erJyN

負けることもありますからね。一平に聞かせたい

573 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 11:10:59.86 ID:0.net
日本的なものを全て破壊するには神社と仏教が最適であった

574 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 14:43:05.98 ID:0.net
聖徳太子の時代から仏教国ですが

575 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 14:49:54.03 ID:0.net
太子信仰は古代ミトラ教の流れでもあるな

576 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 16:37:11.62 ID:0.net
>>575


577 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 20:00:16.52 0.net
>>575
古代の理想的な美男子像がギリシャのアポロから、ミズラ、聖徳太子像と一貫してる気はする。
端正な顔立ちと表面的な笑顔と、裏の残虐さ。

578 :考える名無しさん:2024/04/16(火) 23:40:31.06 0.net
縄文文化にはかなわないんだよ😊

579 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 09:04:56.06 0.net
「日本」具体例「天皇」抽象例「人間」及び『精神』に対して、伝説の聖徳太子は儒教と仏教を組み合わせた可能性もあるが世俗を虚仮にする思想を併せ持つ。だが以降の仏教統制を考えると『精神』は、利得は二二六の肯定の否定

580 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 15:56:47.83 0.net
木魚をぽこぽこ叩くお坊さんも、仏教なのかい?

581 :考える名無しさん:2024/04/17(水) 16:10:39.80 0.net
本人に訊くしかない

582 :考える名無しさん:2024/04/18(木) 05:13:01.53 ID:0.net
一瞬の快楽のために、どんな努力もいとわなかった若いころ。。。

583 :考える名無しさん:2024/04/18(木) 05:34:14.48 ID:0.net
ブッダも苦行という努力を6年も続けた
あなたもセックスの為に同じ様に努力をした
ブッダはその6年から苦行はただの苦行であると見出してあなたは快楽は瞬間であると見出した

584 :考える名無しさん:2024/04/18(木) 12:18:26.92 0.net
釈迦は凄くないね。会話したことあるけどさ。頭大きいよ。大きすぎるっていったほうが的を得てるかな

585 :考える名無しさん:2024/04/18(木) 17:07:32.70 0.net
八正道

586 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 01:39:52.57 0.net
ブッダは苦の元となった

587 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 03:12:07.30 0.net
最近自我がないってことを体感できるようになってきた

588 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 03:58:05.35 0.net
自我は虚空なものである
虚空としての自我であり
虚空に囚われること無かれ

589 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 04:04:19.41 0.net
苦を受け容れよ
これが仏教イデオロギーとして個人に機能してしまった

590 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 04:50:07.60 0.net
苦を受け容れよ×
苦を滅せよ○

591 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 06:33:51.68 0.net
不生であれば滅する苦もないんじゃないかな

592 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 09:12:32.11 0.net
苦を滅することって、苦を受け入れることと同じだと思うんだけど
受け入れたから、苦と感じなくなった>苦を滅したに言い換えてるだけじゃない?

執着(キープしたい)を手放す、というけど
これも
無常(変化)を受け入れると同義だよね。

593 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 09:20:45.41 0.net
前なんかで見た

「世界には汚いものも綺麗なものも本当はないが
あなたが何かを見て汚いと思ったときに、汚いものが生まれる。
それが穢れです。」

って言ってたのが、なるほどなーと思ってすごく記憶に残ってるんだけど。

別のなにかでみた「潔癖症の人は汚いものだらけの世界に生きてる」って言葉も納得だった。
これ汚れ以外にも色々言えるね。

594 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 11:13:29.10 0.net
痩せ我慢の味噌汁覚者

595 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 14:06:30.32 0.net
>>591
不生を説くのは大乗経典

596 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 14:25:36.77 0.net
>>593
屁理屈やね

597 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 14:37:02.67 0.net
四諦

598 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 14:57:10.07 0.net
《ブッダのことば》涅槃という境地ーーNibbāṇa is ineffable ウダーナ第8パータリ村民の章1〜4「涅槃についての経」を読む|スマナサーラ長老のパーリ経典解説
https://m.youtube.com/watch?v=6_oFxn3Iun8&t=1452s

599 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 15:27:30.47 0.net
生(老病死)の反対概念としての不生=涅槃なら部派でも説かれるけれど
大乗的な一切法は生じるのでもなく滅するのでもなく・・・みたいなのは説かれない

600 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 15:32:02.06 0.net
>>596
そんなこと言ってたら中観〜唯識なんて・・

601 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 15:35:37.94 0.net
>>593
釈迦のうんちは汚く臭い。

602 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 16:12:07.97 0.net
>>600
唯識は不浄観を説くし、空性も中観派のような相対論として解釈しないからマシ

603 :考える名無しさん:2024/04/19(金) 22:56:52.23 0.net
>>571
>>教学の世俗化

仏教は日本へ伝来して以来、時代を経て日本独特の芸能を産み、大衆化して行ったわな。
初期仏教の頃はジャイナ教とそんなに変わらなかったんだろうが、ジャイナ教はイメージの種類では
左程多様化しなかったが、仏教は法隆寺の救世観世音菩薩像などは聖徳太子の実像とされるほどに、
信仰者自身のためにカスタム化された面もあった。つい最近知って驚いたw
仏教の念仏やお経は日本語のラップに影響を与えたという説もあるw
超有名な大作漫画ドラゴンボールは西遊記の行脚僧に題材を取ってるという説もあるが、
敦煌莫高窟の9‐10世紀の行脚僧を描いた絵巻をネットで数種類見たが、非常に生き生きして面白い。

604 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 00:39:26.32 0.net
由緒正しきお寺🤤

605 :仏教哲学総合スレ6の503 ◆Ul0zgec5wo :2024/04/20(土) 02:40:27.26 ID:0.net
ゴータマ・シッダールタだって仏置物じゃない。
楽しいことは楽しむし、嫌なことは嫌だって言う。
ただ、心が完全に不動なのだ。

606 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 11:13:36.49 ID:0.net
「悟り無用論」の呪いを解く|深夜対談(星飛雄馬✕佐藤哲朗)

https://m.youtube.com/watch?v=tfe1JMzvWos

607 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 13:36:09.35 ID:0.net
仏教的には「生きる意味」ってあるのか?

608 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 14:26:13.84 0.net
無い

609 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 16:26:49.31 0.net
梵我一如ってどういうこと?

610 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 20:53:04.75 0.net
勝義諦からは私と梵声王仏とが不二であること
つまり一切衆生悉有仏性ということ

611 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 20:55:14.35 0.net
>>607
ある
出家し比丘と為りて世間の福田となること

612 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 23:37:44.90 0.net
      ,r;;;;ミミミミミミヽ,,_
    ,i':r"      `ミ;;,
    彡        ミ;;;i
    彡 ,,,,,、 ,,,,、、 ミ;;;!      
     ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ,       
    ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r'      あなたとは違うんです
    `,|  / "ii" ヽ  |ノ       
     't ←―→ )/イ     
       ヽ、  _,/ λ、
    _,,ノ|、  ̄//// \、
_,,..r''''"   | \`'/  /    ̄`''ー
      |  /\  /
      |/)::::/\/
      | ,r":::ヽ /  
      |i´:::::::::| /

613 :考える名無しさん:2024/04/20(土) 23:39:14.76 0.net
>>607
生きる意味を見出そうと頑張ってるのが下らないんじゃないの

614 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 02:35:17.77 0.net
>>607
仏教とはなんの感情も抱かずに死んでゆくことそれ自体に意味がある

615 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 03:32:07.93 0.net
>>613
○○はくだらないという価値判断を下すのは増上慢では?

616 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 03:36:28.65 0.net
>>609
一如と言っている時点での我の極地

617 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 05:18:02.57 0.net
>>616
そんなことはない
世俗の意識に戻れば森羅万象が自相自体を持って成立しているように見える
世俗で一如という月を指し示さなければいけないから言葉にしているだけ

618 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 10:21:57.37 0.net
自我は存在しない←わかる
死んだら輪廻転生する←まあわかる
転生するのはカルマが原因である←わからない

善業悪業が転生に影響するってのが、仏教の意味わからんポイント

619 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 11:56:47.74 0.net
転生するのは迷いがあるから
悟ってしまえばそこから解脱する

620 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 13:27:17.14 0.net
>>618
それは単に君が倫理を嫌っているからに過ぎない

621 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 15:46:33.69 0.net
>>615
仏教の基本に反発するならお前が生きる価値の意味を語ればいいだけなんだよ
何か一個ぐらいあるだろう

622 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 16:05:53.32 0.net
意味はない
無明ゆえ意味を見出そうとするだけ

623 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 16:53:38.11 0.net
>>618
輪廻転生はバラモン教
このバラモン教の倫理観のなさやおどし的苦痛を追い出したのが仏陀

624 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 16:57:04.95 0.net
>>617
うむ なるほどな☺

625 ::2024/04/21(日) 17:26:12.01 0.net
日本に来てるのはバラモン教って言うけどヒンドゥー教のような気がする
観音とか菩薩とかはヒンドゥーじゃないの
ただファッションだけは仏教のカタチが残った

626 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 17:46:10.02 0.net
>>621
615じゃないけど下らないこともなければ下ることもないってのが言いたいたいことじゃないのかな
下らないと観るのはニヒリズムで仏の説いたこととはニュアンスが違うと思う

627 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 18:12:09.38 0.net
>>626
ニヒリズムの意味を含まないくだらないを別の表現方法が日本語にあるのか、
「無」ぐらいしかないけど
お前は615だし

628 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 18:54:10.69 0.net
空とか六波羅蜜とかよくわからん

629 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 20:42:59.30 0.net
空がわかったら覚っちゃうからな
六波羅蜜は調べなさいよ

630 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 21:22:14.41 0.net
>>627
病院が来い案件か

そもそも「くだらない」を言い出したのは>>613だが、613は仏説であり、613こそ覚者釈迦牟尼仏その人であったの歟

631 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 21:23:44.32 0.net
「しょうもない」にはニヒリズム的含意はありやなしや

632 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 22:31:46.16 0.net
>>627
面白いよな、615じゃない一方で615であるんだから
言葉遣いとか態度に気を配ろうよ、それもあなたを形作るよ

633 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 22:44:26.82 0.net
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

これ仏教っぽいよね
諸行無常 一切皆苦

634 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 23:26:01.03 0.net
本質を話しているならどの口から出ても通じてるんだから当たり前体操

635 :考える名無しさん:2024/04/21(日) 23:29:00.82 0.net
>>633
これは単なるナースティカ(虚無論者)の嘆息であって仏教ではないな
そもそも仏教は「大地は不変」なんていわないし

636 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 05:35:20.41 0.net
教えを読みそこで悦に入ることが仏教最大の魅力である

637 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 05:52:34.82 0.net
行もやってるよ

638 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 06:03:34.45 ID:0.net
真理はなぜ真理で不変といえるのか、これもまた包括してるものから見た一に過ぎないのでは
こんな事考えるならいっそ娑婆に埋没して生きるほうが有意義なのでは

639 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 10:24:36.58 ID:0.net
   ∧∧
  (,,゚Д゚) < 四禅へイッテヨシ!
 ヽノ `∽)
  (_ ⌒)^)

640 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 12:13:41.82 0.net
仏教には思考瞑想以外の一切の行いは不要だと思うよ
人を助ける必要は全く無い
人を助けようとするのもエゴでしか無い

641 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 12:40:20.01 0.net
ひとを助けることで自分の助け方を知ることができるのではないか。また、それを知れるのならエゴでも何でもよいのではないか?

642 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 13:41:05.35 ID:0.net
釈尊自身が最晩年まで教えを説いてるし
その後数百年を経て成立する大乗仏教では菩薩行こそが主なんだから
仏教に利他行の必要は無いなどと言っても虚しく響くだけだろ

643 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 13:53:03.40 0.net
俺がスレ民を救うんだぁ🤪
とポエムを連投してスレを壊滅

644 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 13:58:40.28 0.net
今生きてたら釈尊ポエマー説だな

645 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 14:23:01.09 0.net
今生きてるけどこれが少しずつ移行していて死ぬのに現状であることが苦しく感じた、瞑想したり奉仕したり供養したりしてもそれは今の些末であって逆の悪行為も今の些末だと観ずると全てが虚しくて苦しさと焦りが去来する
それを誤魔化すように働くことに集中しても布団に入って振り返る度に

646 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 14:47:06.68 0.net
>>642
考えてみろ
もし梵天勧請がなかったら

647 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 15:00:27.58 0.net
梵天さんにお願いされたと感じた釈尊自身の行動だろ

648 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 15:01:24.35 0.net
スマナサーラ長老の初期仏教法話(14 Apr 2024 北とぴあ)
https://m.youtube.com/watch?v=Wsf7b9oeKMY&t=7530s

菩薩行について
2:00:00〜

649 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 15:20:11.64 0.net
神話の様なファンタジーの神々を否定するのに梵天帝釈天を当たり前に語るのに納得がいかない

650 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 16:09:35.20 0.net
だれかを救いたいと思うのは明らかに執着なので
梵天勧請という第三者の介入が必要だった

651 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 19:51:30.60 0.net
>>649
当時の人には、そういう説話の形式が分かりやすかったって、解説にあるだろ

652 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 20:36:48.76 ID:0.net
密教に興味が出てきた

653 :考える名無しさん:2024/04/22(月) 22:04:55.91 0.net
娑婆行というのもあるからな( ´-`)

654 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 00:19:33.16 0.net
>>640
四摂事の利行、利他はエゴだった?謗法か?誹謗正法か?

655 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 00:20:44.24 0.net
>>649
はあ?インドラは実在するしブラフマーも実在するけど

656 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 01:42:27.25 0.net
そうなんだね

657 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 01:46:26.54 0.net
知らなかったの?ニワカかな

658 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:30:51.89 0.net
>>633
日本人にも分かりやすいように、仏教の表現に寄せた訳だという話

659 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:33:42.23 0.net
旧約聖書の「空の空」

“ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。”

― 『旧約聖書』 「伝道の書(コヘレト)」 1:1-5 (口語訳)


日本語聖書
http://bbbible.com/bbb/bbbecc012.html#ec1.4-11

口語訳1955
1:2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
1:3 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
1:4 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
1:5 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

新共同訳1987
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。
1:3 太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。
1:4 一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。
1:5 日は昇り、日は沈み/あえぎ戻り、また昇る。

660 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:34:17.72 0.net
>>659
「Ecclesiastes 1:2」

英語聖書
https://biblehub.com/ecclesiastes/1-2.htm

New Living Translation
“Everything is meaningless,”

English Standard Version
Vanity of vanities,

Berean Standard Bible
“Futility of futilities,”

Christian Standard Bible
“Absolute futility,”

International Standard Version
"Utterly pointless,"


ヘブライ語聖書
https://biblehub.com/interlinear/ecclesiastes/1.htm
「הֲבֵל הֲבָלִים(havel havalim)」
Vanity of vanities


「空虚」とか「無価値」、「無益」というニュアンス。

661 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:38:42.99 0.net
「Onto-theology(存在-神論)」(カント、ハイデガー、デリダ)というように、
西洋のヘブライ=ヘレニズム文明は、どちらかというと、「有、存在(sein、being)」に根差してきた。

ライプニッツの有名な問い「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」。

662 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:39:50.95 0.net
>>661
旧約聖書における神の神名「有りて在る者」の箇所(『旧約聖書』「出エジプト記」3:14)

日本語聖書
http://bbbible.com/bbb/bbbex032.html..htm#ex3.13-21
新共同訳1987
3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあな たたちに遣わされたのだと。」

口語訳1955
3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあな たがたのところへつかわされました』と」。

文語訳1917
3:14 神モーセにいひたまひけるは我は有て在る者なり又いひたまひけるは汝かくイスラエルの子孫にいふべし我有といふ者我を汝らに遣したまふと


英語聖書
https://biblehub.com/exodus/3-14.htm

English Standard Version
God said to Moses, “ I AM WHO I AM.”

King James Bible
And God said unto Moses, I AM THAT I AM:

Brenton Septuagint Translation
And God spoke to Moses, saying, I am THE BEING;


ヘブライ語聖書
https://biblehub.com/exodus/3-14.htm#lexicon
解説「在りて在るもの」は神の固有名詞ですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211649942

663 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:41:12.80 0.net
キリストの「ケノーシス kenosis(自己無化、自己卑下)」

“キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。”

― 『新約聖書』 「フィリピの信徒への手紙」 2:6-7 (新共同訳)

664 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:41:47.77 0.net
>>663
「Philippians 2:7」

英語聖書 該当箇所
https://biblehub.com/philippians/2-7.htm

New International Version
he made himself nothing

English Standard Version
Instead emptied himself,

Christian Standard Bible
he emptied himself

American Standard Version
but emptied himself,

International Standard Version
Instead, poured out in emptiness,


ギリシャ語聖書 該当箇所
https://biblehub.com/interlinear/ecclesiastes/1.htm
「κένωσεν(ekenōsen)」
emptied


仏教同様「emptied(空)」、「nothing(無)」と訳され、「空」が多い。

665 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 02:59:57.57 0.net
>>659
世の「空しさ」を悲観している

>>663
自分を「無」にするキリストを肯定している

666 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 03:04:27.95 0.net
『世界のなかの日本の哲学』 藤田正勝、ブレット・デービス (2005)所収の
・「自己を空ずる神と動的な空」 阿部正雄
・「神はどこまで自己を空ずるか -阿部正雄のケノーシス論をめぐる議論」 ブレット・デービス

が、キリストのケノーシスと仏教の空を比較していて詳しい。

667 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 03:30:36.09 ID:0.net
>>666
その他は、

・西田幾多郎 「場所的論理と宗教的世界観」 (1945)(西田の遺稿、終戦の年)
・デリダ 『名を救う:否定神学をめぐる複数の声』 ポイエーシス叢書 (2005)
・レヴィナス 『超越と知解可能性』 彩流社 (1996)
・ドゥルーズ 『ニーチェと哲学』 国文社 (1984)(同等の問題)

初めてキリストのケノーシスを論じたのは、ゴットフリート・トマシウス(1802–1875)だというから、
こうした見方はそれほど古いものではない。

668 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:11:46.83 0.net
マイスター・エックハルト(1260-1328)の「無」

“パウロは地から起き上がって、眼を開けたが、何も見えなかった(『旧約聖書』「使徒言行録」9:8)”

“パウロが地から立ち上がったとき、彼は眼を開けたが何も見えなかった。
 すなわち、開けた眼で無を見た。そして、この無は神であった。
 神を見たとき、それをパウロは一つの無(ein niht)と呼んだ”

― マイスター・エックハルト 「無である神を捉えること」 『ドイツ神秘主義叢書2』 創文社 (2006) p100

669 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:13:22.78 0.net
「無の博士」十字架のヨハネ(1542-1591)の「無」

“無、無、無、無、無、無、山中においても無
 (nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)”

― 十字架のヨハネ 「カルメル山図(完徳の山)」(『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄、 創文社、2000年、p20と口絵)


カルメル山図(中央に「nada, nada, nada」とある)
ペン画
https://i.imgur.com/3NffsK7.png
イラスト画
https://i.imgur.com/leA6UGz.png

670 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:15:36.99 0.net
>>654
当たり前の事として素直な者はいちいち利他とか考えないで行動するんだよ
わざわざ教義ドグマに沿って行動したからとしてなんになろう
これは惻隠の心とも言われている(儒教の一派だが)
おれの宗教宗派はすごいんだぞとドヤ顔か?
利他が自己の見せびらかしならそれはエゴだ
利他と言うこと自体エゴなんよ
こんなのはとっくにニーチェが喝破している

671 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:16:54.69 0.net
>>667
まさに東洋学が元気な頃だな

672 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:17:43.95 0.net
>>670
それは大乗仏教でいう布施の三輪清浄であって本来仏教にそういう教説はなかった

673 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:38:02.40 0.net
現代思想の特徴とされる注目点の大きな転換

・フロイトの「意識」から「無意識」へ
・マルクスの「上部構造」から「下部構造」へ
・レヴィ=ストロースの「西洋」から「未開社会」へ
・フーコーの「理性」から「狂気」へ

これらの先駆けが、エックハルトの「有」から「無」>>668

674 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:47:19.15 0.net
>>631
ばかばかしいの意味合いなら(否定的なら)
それはまた幼子の生成として肯定されるものでもある
全ては解釈である
刹那という仏教的生成の因果といわゆる虚無(ニヒリズム)は異るものと思われる

675 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 04:47:47.35 0.net
>>672
なるほど うむ☺

676 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 09:59:37.41 ID:0.net
>>663
法身仏と応身仏だな

677 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 17:06:24.11 0.net
釈尊は梵にも我にも変わらぬ本質があるとは考えなかった
梵も我も縁起の中で変化し続けるのである。

↑このような話がある
 

678 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 19:18:24.57 0.net
>>677
生成の無垢といえるのかも知れんな

679 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 21:08:47.47 0.net
仏(説)は意味があるのみならず、意味を伝えている、無いことが有るのではなく、ただ無いと言えるために「示し」を求める道を作るとする、偶像を否定したプロテスタントのように。

680 :考える名無しさん:2024/04/23(火) 21:46:08.97 0.net
>>677
中村元三千大世界大先生の説とは違いますねぇ……
却下

681 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 00:44:01.03 0.net
>>676
今までに読んだ文献の中にはなかったけど、
三身で説明するのが分かりやすいね。
仏教と一神教に共通のフレームワークだし。

https://kouunji.or.jp/buddhism_lecture/understand/3988/
第一の法身仏とは、この宇宙をなりたたせ、すべての生類を仏たらしめる絶対原理で、時間、空間を超越してどこにもあまねく存在する大日如来のような汎神教的仏である。

第二の応身仏とは、絶対原理が人格化されてこの世に現われ、再びもとの仏土に還るところから化身とも呼ばれ、釈迦のように悟って覚者となった者を指し、わが国では、この仏土に還るという考えから、死者が成仏することを仏(ほとけ)になったという多神教的仏である。

第三の報身仏とは、宇宙の絶対原理と人格身が合体したもので、阿弥陀如来のように永遠な真理の生きた姿であらわれる一神教的仏である。
このように仏教では、どの仏に重点をおくかによっていろいろな仏を汎神教的とも、多神教的とも、一神教的とも解釈できる。

682 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 00:56:00.04 0.net
>>666-667
“単に超越的に自己満足的なる神は真の神ではなからう。
 一面に又何処までもケノシス的でなければならない。
 何処までも超越的なると共に何処までも内在的、
 何処までも内在的なると共に何処までも超越的なる神こそ、
 真に弁証法的なる神であらう。”

― 西田幾多郎 「場所的論理と宗教的世界観」 『西田幾多郎全集10』 岩波書店 (2004) p317


“神の子としてのキリストは、本質的にまた根本的に自己を空ずるもの、
 あるいは自己を否定するものである――この根本的本性のゆえに、
 神の子はすなわちキリスト、メシヤ(救世主)なのである。
 神の子が自己を空ずる過程を通して人間になったのではない。
 神の子は根本的に、自己を空ずるという動的な御業、働きの中で、
 同時に真の人間でありかつ真の神であるのである”

― 阿部正雄 「自己を空ずる神と動的な空」 『世界のなかの日本の哲学』 藤田正勝、ブレット・デービス、昭和堂 (2005) p227


“(トマス・)アルタイザーは、京都学派こそが、仏教的な洞察を用いて、
 キリスト教の忘れられた核としてのケノーシス的な空の神を再発見したのだと考える。”

― ブレット・デービス 「神はどこまで自己を空ずるか:阿部正雄のケノーシス論をめぐる議論」 『世界のなかの日本の哲学』 藤田正勝、ブレット・デービス、昭和堂 (2005) p253

683 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 01:02:35.34 0.net
何で仏教哲学スレにニーチェが言ってるから正しいみたいたアホが湧いてるんだ
西洋哲学とキリスト教関連は他でやれ

684 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 02:36:36.66 0.net
>>683
何言ってるんだお前?

685 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 07:38:52.26 ID:0.net
>>670
仏教がニーチェに否定されたからって何なの?バカなの?

686 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 08:20:24.47 ID:0.net
『ニーチェ・コントラ・ブッダ』

687 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 09:16:03.22 0.net
>>681
成仏することを仏になったという・・
頭痛が痛いみたいなw

688 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 11:55:32.16 0.net
ニーチェよ、語りなさい

689 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 12:27:47.21 0.net
仏教はこの世を穏やかに過ごす精神衛生学であるとニーチェは評価解釈した
端的にそう見做した
宗教信者的な肯定否定の論争では無い
哲学者ショペンハウアーの解釈した仏教からだが

690 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 13:02:46.28 0.net
アンチクリストで、ニーチェの矛先は模倣の信者に向けられた。仏教徒にも向くかもしれない

691 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 15:25:58.69 0.net
>>685,690
お前ら『アンチクリスト>>314』は読んだことあるのか?
最晩年だぞ。

692 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 15:44:10.04 0.net
哲学の右も左も分からない
中卒のマルクス信者だろうが

693 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 15:54:04.24 0.net
仏教哲学スレでマルクス信者とか言われても困っちゃうんじゃないか?w

694 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 18:39:35.85 0.net
いつもこのスレを荒らしているのは
・マルクス信者(マルクスも読めない)
・統一教会
政治目的でやっている。

ニーチェなんて、5chで一番名前の挙がる哲学者で、
誰も自分では読んでいないし、
仏教も哲学も知らない奴らを相手にする必要はない。

695 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 19:01:31.89 0.net
お大事に

696 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 21:42:14.93 0.net
マルクスの弁証法のどこが問題か解るだろうか

まぁ、それは置いておいて、『善悪の彼岸』も『アンチクリスト』も蔵書だが、ニーチェの書には『誰でも読めるが誰にも読まれない書』と銘打ってある。信仰批判は解釈批判であって、

仏教が賞揚された時、大乗の文脈が読まれるか

697 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 22:53:09.06 0.net
大乗仏教とりわけ般若経典を信仰批判とか批判理論と解釈している向きがいるが
甚だしい誤解である

ナーガールジュナの中論も熱い信仰告白の書であって、あの本の主眼は部派批判や実体論批判ではない

698 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 22:56:44.05 0.net
中論の冒頭に「不生の縁起を説いた仏陀に帰依する」と書いてあるが、その不生の縁起という摩訶不思議な教えを説いているのが、ほかならぬ般若経典である

中論は般若経典への信仰告白であって哲学書ではない

699 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:08:30.34 0.net
>>696
> 『善悪の彼岸』も『アンチクリスト』も蔵書だが、
> ニーチェの書には『誰でも読めるが誰にも読まれない書』と銘打ってある。信仰批判は解釈批判であって、

ニーチェの言葉が一言も読まれていない。

>>697-698
たわいもない話。
本の冒頭だけ読んで、読んだ気になっている人が多い。

700 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:09:12.09 0.net
マルクス=エンゲルスと仏教

“弁証法的思考は――まさにそれが概念そのものの本性の研究を前提としているがゆえに――人間にだけ可能である。
 そして人間にとっても、それは比較的高い発展段階(仏教徒とギリシア人たち)ではじめて可能となり、
 またさらにずっとあとに近代哲学によってその十分な発展を見るのである”

― エンゲルス 「自然の弁証法」 『マルクス=エンゲルス全集 20』 大月書店 (1968) p531

701 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:09:51.55 0.net
ヘーゲル/マルクスの様に、
有に根差して互いに止揚と超越を目指す類の弁証法が衝突しているのが、
今のイスラエル・パレスチナ戦争。
一方で、仏教は「無(空)」との弁証法>>682

702 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:31:27.12 0.net
>>699
『無畏註』を読めばいかに中論が般若経典を根拠にしているかがハッキリ分かる
梵文に目を通さず、現代語訳された全偈を読み流すだけで理解せず、あまつさえ注釈書すら参照せずに何か分かった気になっているだけの仏教読書人が多すぎる

703 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:47:41.59 0.net
>>702
中身のない話

704 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:48:48.94 0.net
>>699
そんな>読み方では無駄だろう ;-)

705 :考える名無しさん:2024/04/24(水) 23:51:05.20 0.net
仏教読みの仏教知らず

706 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 00:01:27.47 0.net
>>704-705
何とでも言える話

707 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 01:16:02.98 ID:0.net
「仏教について」レヴィ=ストロース

“この偉大な不知の宗教は、われわれが理解するということの不具性の上に築かれていない。”

“この大宗教は――マルキシズムとこの宗教だけが――形而上学の問題を人間の行為の問題に還元した。”

― レヴィ=ストロース 『悲しき熱帯 下』 「40 チャウンを訪ねて」 川田順造訳、中央公論新社 (1977) p353-354

708 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 01:16:47.85 ID:0.net
西洋文明に対し、未開社会や仏教を評価し相対化してくれたことはありがたいが、
以下を読むと、レヴィ=ストロースも人の子で、単なる遠交近攻となっている点には注意すべき。

709 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 01:17:08.77 ID:0.net
“人間は大きな宗教的試みをした。およそ五百年の間隔で隔てられて、
 人間は仏教、キリスト教、それからイスラムを次々に考案した。
 そして、各々の段階が、前者との関係での進歩を記すどころか、むしろ後退を示しているのは驚くべきことだ。”

― レヴィ=ストロース 『悲しき熱帯 下』 「40 チャウンを訪ねて」 川田順造訳、中央公論新社 (1977) p347-348

710 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 07:21:07.41 0.net
『苦』の解釈を行わない点がニーチェの評価であり、バラモン教を含む点では原始仏教の理解なのだろう。空海伝説に観られるような『嘘』の教学で『知』が発展した東洋ではないようだ

711 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 14:21:11.31 0.net
生臭い坊主が愚かな民衆向けにカスタマイズしていったんよ

712 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 14:22:52.73 0.net
未開民に相応しいのが仏教という宗教なのである

713 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 14:25:08.25 0.net
民は苦、ゆえに坊主は楽という支配の構図
これが仏教という宗教

714 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 14:25:42.49 0.net
民は常に苦しんでいなければならない

715 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 14:26:23.63 0.net
歯医者みたいなもんよ

716 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 17:39:28.38 ID:0.net
春の風物詩?5年ぶり復活「坊走族」 僧侶が集団「バイク」で檀家を回り“托鉢”「ご先祖様も喜んでいる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/961882c84b5db11a8ff0505219c46f4338343fd2

托鉢👨🏻‍🦲👌💴💴

717 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 18:08:06.12 ID:0.net
>>716
地元八王子のの各宗派のお坊さんらはベンツですよ☺かっこいいんよね

718 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 20:18:40.83 ID:0.net
セブンのおにぎりで済ませたらどんな顔すんかな🤔🫱🍙🫲👨🏻‍🦲

719 :考える名無しさん:2024/04/25(木) 22:16:34.44 ID:0.net
>>709
かわいそうに
怠け者のレヴィ=ストロースは神学大全を読んだことがないんだろうな

720 :考える名無しさん:2024/04/26(金) 11:44:05.40 0.net
ジャップ坊主嫌い

721 :考える名無しさん:2024/04/26(金) 21:28:24.24 0.net
お坊さんらは仏教は日本に来て進化し完成したと言うね

722 :考える名無しさん:2024/04/26(金) 21:28:24.24 0.net
お坊さんらは仏教は日本に来て進化し完成したと言うね

723 :考える名無しさん:2024/04/26(金) 21:41:08.81 0.net
空海や道元は所謂天才だったかも知れんけど、親鸞や日蓮はクズだし・・
その天才にしても上には龍樹がいるし

724 :考える名無しさん:2024/04/26(金) 22:17:53.15 0.net
紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士

725 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 03:07:18.22 0.net
な、統一教会だろ

726 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 03:08:39.00 0.net
マルクス信者と統一教会

727 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 05:30:08.31 0.net
統一教会がカトリックの『神学大全』を読めというかね?

728 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 14:13:10.10 0.net
>>696
>ニーチェの書には『誰でも読めるが誰にも読まれない書』と銘打ってある

『誰でも読めるが誰にも読まれない書』の仏教版といえば『正法眼蔵』だな
過去の禅師の語録を元にしていることだけは分かるのだが本当に何を言ってるのか分からない
多分、道元自身も自分が何を言っているのか理解してなかっただろう

その点、空海の教えは難解だが理解できないわけではない。言いたいことは分かる
龍樹も分かる

道元だけは何を言いたいのか本当に理解できない

729 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 15:07:12.81 0.net
絶対矛盾的自己同一というのも理解できない。わたしには解りやすく教えてください

730 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 15:45:24.80 0.net
>仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

これをもし西田的に解するなら、我の我を法にならいて造っていき『矛盾』を止揚するわけだ

しかし、これはメタな話である。瞬間は存在しないというプラトンの理解が入るからであるが

道元ひとりが仏陀を超えた実践をしたのだろうか?

731 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 15:49:29.15 0.net
道元って何を述べたか知らないけど、自然回帰説すなわち老子の教えに近いかい

732 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 16:32:08.11 0.net
全然

733 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 17:09:24.34 0.net
全然かなあほんとに ほんとに

734 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 19:27:25.44 0.net
>>728
正法眼蔵は誰の訳で読んだんた?

735 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 21:23:53.60 ID:0.net
騙しのテクと考えれば読めるよ
わりとマニュアルっぽいからな

736 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 21:27:04.30 ID:0.net
仏教は何でも知っている
仏教が知らないことは無い
あまつさえ量子論だろうが不確定性原理だろうが11次元だろうが何でも説明してしまう

737 :考える名無しさん:2024/04/27(土) 21:34:53.39 0.net
現世の生き方だろうが死後の世界だろうが全て事細かに説明してしまう
それが仏教なのだ

738 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 01:02:53.72 0.net
道元「現成公案」

<原文>
“仏道をならふといふは、自己をならふ也。
 自己をならふといふは、自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。”

<訳文>
“仏道をならうとは、自己をならうことである。
 自己をならうとは、自己を忘れることである。
 自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。
 よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。”

― 『正法眼蔵 全8巻』 増谷文雄、講談社学術文庫 (2004) p44-45

739 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 01:03:39.24 0.net
“仏教的真理を学ぶということは、自分自身を学ぶということであり、
 自分自身を学ぶということは、自分自身を意識しなくなることである。
 <また>自分自身を意識しなくなるということは、自分自身が宇宙によって体験させられることである。
 <そして>自分自身が宇宙によって体験させられるとは、
 自己の身心すなわち主観と、他己の身心すなわち客観とから主観とか客観とかいう意識を脱落させることである。”

― 『現代語訳 正法眼蔵 全13巻』 西嶋和夫、仏教社 (1978) p86


“仏道を習うということは、自分を習うということである。
 自分を習うということは、自分を忘れることである。
 自分を忘れるということは、対象の側から照らし出されることである。
 対象の側から照らし出されるとは、自分の身心と他人の身心との間に対立がなくなることである。”

― 『正法眼蔵:全巻現代訳 上・下』 高橋賢陳、理想社 (1971) p10-11


“仏道を学ぶということは自己を学ぶことである。
 自己を学ぶということは自己を忘れることである。
 自己を忘れるということは、無我になることである。
 無我になると、体験の世界と一つになって他と対立しない解脱の自己を会得することができる。”

― 『全訳正法眼蔵 全4巻』 中村宗一、誠信書房 (1971) p2

740 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 01:04:30.62 0.net
“仏法を求めるとは、自己とは何かを問うことである。
 自己とは何かを問うのは、自己を忘れることである、答えを自己のなかに求めないことだ。
 すべての現象のなかに自己を証(あか)すのだ。
 自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。
 覚りとは、自己および自己を認識する己れをも脱落させて真の自己を無辺際な真理のなかに証すことである。”

― 『現代文訳正法眼蔵 全5巻』 石井恭二、河出文庫 (2004) p23


“仏道をならう(修行する)というのは自己をならう(修行する)ことである。
 自己を修行するというのは、自己が(諸法ばかり、万法ばかりになって、)
 自己を忘れることである。
 そういう自己を忘れるということは、万法から(自己が)実証されることである。
 万法から実証されるということは、自己の身心および他己(わたしの中にある他人)の身心が
 自分のものでないことを徹底させるのである。”

― 『正法眼蔵 全4巻』 水野弥穂子、岩波書店 (1990) p51


“仏道を習うということは、自己を習うことである。
 自己を習うということは、自己を忘れることである。
 自己を忘れるということは、環境世界に実証されることである。
 環境世界に実証されるということは、自己の身心も他己の身心も、脱落して果てることである。”

― 『正法眼蔵:現代語訳 全6巻』 玉城康四郎、大蔵出版 (1993) p96

741 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 01:05:04.74 0.net
“仏道をならうことは、自己をならうことだ。
 自己をならうことは、自己を忘れることだ。
 自己を忘れることは、宇宙の真理に目覚めさせられることだ。
 宇宙の真理に目覚めさせられることは、自分の身心と他人の身心を脱落させることである。”

― 『すらすら読める 正法眼蔵』 ひろさちや、講談社 (2007) p65-66

742 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 01:13:25.68 0.net
>>670
ニーチェが言ったことは神の言葉だとでも思ってんのか?
ニーチェ宗教は出てくんなよ

743 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 02:19:15.44 0.net
>>738-740
増谷 第1巻
西嶋 第1巻
高橋 上巻
中村 第1巻
石井 第1巻
水野 第1巻
玉城 第1巻

744 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 04:15:37.28 0.net
>>740
水野弥穂子先生はやはり良いね

745 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 04:57:19.20 0.net
西田も引用している>>738の一節が、どういう哲学モデルなのか理解できないと、
西田も読んでいるうちには入らない。
西田は道元の直系。

ラカンがフロイトを、
アルチュセールがマルクスを、
それぞれ読み直したように。

746 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 08:15:55.94 0.net
逆もあるぞ、むしろ

747 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 08:50:34.01 0.net
仏教の『直伝という』ものは爆発している。ここだけ詳しい吾人の立てたスレを紹介しておく

https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/philo/1713934841

748 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 09:52:44.59 0.net
『方便心論』の還元サンスクリット訳と解説を載せた本を出したいから、君たち俺に金を恵んでくれ

749 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 11:27:46.16 ID:0.net
てか正法眼蔵はそのまま読めるじゃん

750 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 15:37:21.59 ID:0.net
「無我」は自己でも他者でも無いような定義をしていない無定義用語(述語)に近いのかな

751 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 15:52:37.91 ID:0.net
すべての言葉が無定義用語なんだわ。それぞれの言葉の関係性にこそ意味があるのであり、話す言葉を全てカッチリと「定義する」としたら言葉と言葉の関係性が失われて自分でも自分が何を言ってるのか分からなくなってくる。

752 :考える名無しさん:2024/04/28(日) 23:17:21.07 0.net
おんあろりきゃそわか

753 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 01:15:27.99 0.net
論理学の要素すら成立しない言葉遊びが仏教というもの
適当な敷衍に効果があるのみ😌

754 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 01:51:47.89 0.net
>>753
ギリシア哲学とインド哲学、どちらが古いか論理的に説明できる?

755 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 06:34:18.16 0.net
「言葉遊び」や「仏教」「論理学」、どれも言葉を曖昧にして使う言葉遊びなのじゃ

756 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 07:23:50.98 0.net
曖昧な言葉が嫌いなら仏教スレになど来ずに記号論理学スレを立てれ

757 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 09:43:37.75 0.net
「λ∈λ」→「λ∈Λ」

758 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 09:47:40.18 0.net
2500年前のゴータマ・シッダールタと言う人が語った哲学たるものは、2000年以上経って姿が変わっているのは、当たり前。

759 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 10:53:07.03 0.net
2000年以上前にピタゴラスという人が語ったと言われる「ピタゴラスの定理」は
、2000年以上経った今、変わっているだろうか? 
そこからの発展はあっても、定理の正しさに変わりはない。

760 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 11:21:02.43 0.net
木魚ポコポコ叩いて念仏となえるのが、仏教なのか?

761 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 11:47:14.52 0.net
>>760
そうだよやってる感大事

762 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 12:27:21.55 0.net
むしろ葬式坊主のせいで仏教を知る機会が奪われてるよな

763 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 12:41:40.11 0.net
文字を重視するようになるのも木魚を叩くようになるのも仏典解釈の一つ

764 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 14:02:12.51 ID:0.net
托鉢と称して集金に回るものね😉👌💴

765 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 14:20:51.54 ID:0.net
>>738
商売をならうとは、商売を忘れることである
商売を忘れるとは、見えざる手(市場)に教えられることである

松下幸之助

766 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:23:54.36 0.net
死を思う時に結局何がしたいのかがわからなくなってなんで死を思ってんのかもわからなくなる、このまま死ぬのが不安でもあるしどうでもよくもなる
どうすればいいの

767 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:47:38.67 0.net
>>765
出典は?

>>766
人生相談は心と宗教板で

768 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:48:00.81 0.net
智慧によって、無常である。苦である。と見る。

今すべき事をただやりましょう

769 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:49:32.47 0.net
インド論理学とギリシア論理学

ジレンマ(dilemma) - 対立する2つの間に立つこと
トリレンマ(trilemma) - 対立する3つの間に立つこと
テトラレンマ(tetralemma) - 対立する4つの間に立つこと

◇四句分別(テトラレンマ、四句否定)

1 肯定            (Aである)
2 否定            (Aではない)
3 肯定かつ否定      (Aであり且つAではない)(両是)
4 肯定でも否定でもない  (AであるのでもなくAでないのでもない)(両否)

770 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:50:00.00 0.net
西洋の論理学

ヨーロッパ的論理の基盤であるアリストテレスの俳中律は、
曖昧で中間的な判断を排し>>766の1と2に収斂させて二元論とすることで
明晰な論理空間を構築した。

・パルメニデス「有るものは有る。無いものは無い」
・旧約聖書「無からの(有の)創造」

以降、西洋思想は、「存在と無(有と無)」(サルトル)を土台としてきたが、
現在では、その鋭利すぎる論理が落としてしまったものの回復が求めらることがある。
(ex.「二大政党制の限界」、「ファジィ」など)

771 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:50:27.22 0.net
東洋の論理学

ところが、仏教の「空」は「非有非無」(有るのでもなく無いのでもない)と定義される。
つまり、仏教や東洋の論理学は、西洋が二千数百年の間、問題にしてこなかった論理空間を扱ってきた。

・「そのとき(宇宙始原のとき)無もなく、有もなかった。」(リグ・ヴェーダ「宇宙開闢の歌」(10.129))
・空の定義「非有非無」(有るのでもなく無いのでもない)
・「不一不異」(同一でもなく差異があるのでもない)
・イスラムの「タウヒード(一性)」(言語や民族の多様な差異を認めながら、一つにまとまろうとする)
・解脱の段階の一つ「非想非非想処」(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)

772 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:50:58.28 0.net
>>759
メイヤスーは、数学的形式主義における「空記号」のあり方に注目した。
数学は二千数百年かけて、仏教に追いつこうとしている。


“私が関心を抱いていてなおかつ議論するつもりのタイプ、すなわち純粋形式の下にあるタイプ、つまりは意味の空虚な記号のタイプを識別するために、新語を提起しておく。
 空虚な記号のこうしたタイプを ―「空虚」を意味するギリシャ語の形容詞kenosに基づいて― ケノタイプと呼ぼう。”

― カンタン・メイヤスー 「反復・重復・再演 意味を欠いた記号の思弁的分析」『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019 ポスト・ヒューマニティーズ』


cf.「ケノーシス」>>663-664

773 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 15:52:02.08 0.net
今やっているのは、>>769-772の射程で、
道元の「現成公案」や西田を読み直すこと。

774 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 16:17:44.59 0.net
>>767
ごめんごめん
PHPの損得考えずやるもの(成功するとして考える)という考えの敷衍でした

775 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 16:38:21.23 0.net
西田の公案は科学(背景にマルクスを含む)にあると思う。1つの違いは『矛盾』を認め『流れ』の理解をしている。道元は『あるがまま』であって構成に意味を置かない点が仏教的ではある

哲学の公案として見れば後者の可能性だろうし、ここに言語哲学の公案が可能になるのではないか。即ち認識とは個物のイメージであるかそれとも観念の分有であるかというものだが

776 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 21:36:59.50 ID:0.net
>>766
「ブッダという男」っていう本を読む限り釈迦が輪廻を説いたのは確実みたいだし
自己存在が無になる不安というのはないかな オレはね

777 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 22:52:54.12 0.net
釈尊が輪廻を説いたというか、当時の一般常識だし
そこから解脱するために思惟しまくったわけで

778 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 22:54:33.73 0.net
仏教はカントールだろうが現代数学だろうが理論物理学だろうが何でも
常に先取りしていたすごい「教え」だと言えてしまうんよ
そこが味噌なんですよ

779 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 22:55:18.81 0.net
ようやく仏教に科学が追いついたなんてね

780 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 22:57:40.10 0.net
また科学者とやらも科学者ってだけであって哲学者じゃあないんで
いささか仏教に結び付けて深遠に語ってしまうっつうのもよくあるパターンではある

781 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 23:55:15.80 0.net
そういう説明でしか理解できない人もいるだろ

782 :考える名無しさん:2024/04/29(月) 23:58:10.69 0.net
輪廻がないと仏教は成り立たないだろ
苦しみから逃れるには死ねば解決という自殺教になる

783 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 00:16:33.25 0.net
苦を滅する術を見つけたんやぞ

784 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 00:23:57.12 0.net
>>766
>>768
自然の中で生きている命は体が動くうちは働いて、動かなくなったら風に任せて消えていくよ
人間も社会の中で麻痺してるけど同じだよ、気張らずにのらりくらりと生きてりゃいいよ

785 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 00:32:19.00 0.net
八正道とか十善戒ってわかりやすい指針だけもって居られれば平和に過ごせる

786 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/04/30(火) 01:02:30.09 0.net
こねくりまわして、わけわかんなくなるよりも、
八正道を「正しく」実行していきゃいいんだよ。

787 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 01:42:40.24 0.net
農業とか苦痛なことしないで人生を楽にお布施で生きてゆくというお坊さんシステムを生んだ仏教は良い意味で偉いと思うよ

788 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/04/30(火) 08:56:51.98 0.net
心は、ただ無念という念あり、
これをゴータマ・シッダールタは、「清浄なる境地」と呼んだ。

789 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/04/30(火) 09:13:07.64 0.net
たしかに、これは「人間の生きている世界」から隔離されたものだ。

790 :仏教哲学総合スレ6の503 :2024/04/30(火) 09:21:12.98 0.net
一般人からここに登る階段を、ゴータマ・シッダールタは、「言葉」で、「八正道」として残してくれた。

791 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 17:38:27.17 ID:0.net
>>785
マンガ読んだり小説、映画、テレビは十善戒では不綺語に抵触するんだが
八正道は「瞑想しなさい」だし

仏教を自己啓発本の代わりには出来ない

792 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 18:31:16.56 ID:0.net
普通の会社員だけど、平日は睡眠を削って三時間座禅している。
土日は十時間座禅している。
始めて1年半。まだまだだ。

793 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 18:41:47.97 ID:0.net
>>792
座禅というより瞑想と言ったほうがよいかも知れない。
ヴィパッサナーの座る瞑想と歩く瞑想が主。
本はあまり読まない。
Sayadaw Jotikaの「A map of the Journey」ぐらい。50回は読んだ。

794 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 20:03:20.57 0.net
ウ・ジョーティカ長老のはちと難解だな
文学的で美しくはあるんだが

795 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 20:17:46.36 0.net
右足出します出ます出てます出ました着地します

796 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 20:38:04.57 0.net
>>793
これまでに十数度「これがそれか?!」という体験をしたことがある。
しかし一人でやってる瞑想では「変性意識の罠」に注意している。
で、いずれの場合も、それではなかった。

797 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 21:11:25.37 0.net
案外ととのいつつあるやつ多いんだな
おれはサウナで体験したよ

798 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 21:32:28.84 0.net
a map of journeyって、ググったら無料で読めるんだな。
いい本なん?
英文だけど気合い入れて読もうかな

799 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 22:34:30.22 0.net
>>798
魚川祐司氏の邦訳もある。同じく無料。
オレはもっぱら英文を読んでいる。

800 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 23:19:53.64 0.net
>>738の用語の補足

現成=眼前に現れること
万法=諸法、万物、宇宙
証する=気づく。悟る。真理を体得する
自己=自分自身
他己=自己以外の存在
身心脱落=道元の用語。禅を通じて自我意識やあらゆるこだわりをなくして、真理の世界に溶け込んでいくこと

801 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 23:20:45.18 0.net
>>775
道元のこの「現成公案」にみられる哲学モデルは、マルクスやソシュールと同じ。
彼らが構造主義に数えられるのはどの点においてだったか、ということ。

802 :考える名無しさん:2024/04/30(火) 23:24:33.68 0.net
>>728
> その点、空海の教えは難解だが理解できないわけではない
> 龍樹も分かる
> 道元だけは何を言いたいのか本当に理解できない

空海にははっきりと形而上学をやっているという意識があるし、
龍樹は哲学的。
道元は、ブッダと同様、形而上学を忌避しているし、
大文字の「悟り」や「真理」というのを認めず、
生活のあらゆるプロセスが修行であり、悟りの契機であるとしている。

803 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 00:10:29.37 0.net
>>799
邦訳あるんだな。
でも英文も平易だし英文読んでみるわ

804 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 00:12:47.15 0.net
>>791
それも驕りとなる

805 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 03:26:48.23 0.net
日常生活になんてのには全く意味を認めませんよ
仏教とはそういう世界
この世は仮象でありこの世などに意味は無い

806 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 06:16:46.76 0.net
「意味がない」とはどういう意味で用いてる言葉なのか…

807 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 10:35:37.22 0.net
輪廻を断ったら、この世しか残らない。
この世 = 涅槃

808 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 11:23:32.16 0.net
>>806
比較としてですよ方法論としての比較です
意味とは何かという本質は無いと考えます
ウィトゲンシュタインの類似性の敷衍です

809 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 13:46:33.16 0.net
涅槃というのは「ニュートラル」な境位である。

私の体験では、つらいことがあって「ダウン」した際に、幸せを目指して「ニュートラル」な境位にたどり着いたというもの。

私の知り合いも「涅槃はニュートラルですよ」と話していた。

810 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 19:10:44.24 0.net
>>798-803
「Google 翻訳」知らんの?

811 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 19:42:07.99 0.net


812 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 23:12:54.19 0.net
戦国時代の末期に、日本の巨大仏寺建築の為に、日本中の杉や檜の巨木をほぼ刈り尽くしてしまったのは
もったいないことだった。今でいうsustainable持続可能な、という思想とは程遠かった訳だ。
現代の全国の名刹は文化財の保管場所として面目を保っているが、果たしてそのような価値はあるのか?
単に、日本中の名木を刈り尽くしてしまったことの言い訳に過ぎないのではないか?

813 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 23:37:09.02 0.net
別に仏寺だけじゃないでしょ
イギリスなんかも元は森林だったところが、伐採しつくして平原やハゲ山になっている。

814 :考える名無しさん:2024/05/01(水) 23:39:32.46 0.net
>>809
安心は無を受け入れるところにある。
喜びや快楽を求めることがつねに不幸に終わるのは、それらが有だからだ。
有は滅びる。有は空しい。
苦しみがなく、喜びがない、それが到達点だと

815 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 02:36:45.89 ID:0.net
自然界など弱肉強食の世界であり
決して良い世界では無い救いの無い獣の世界だ
自然環境など保全する必要など無い

816 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 02:38:34.86 ID:0.net
神道的な自然崇拝を叩き潰さなければならない

817 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 07:57:41.75 0.net
道元が構造主義なら『あるがまま』を否定する構造の中に『あるがまま』の意味を見出だしているのが、『流れ』の要素還元に留まるだろう

それは何故かと公案するなら『仏教』だからだ

818 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 10:02:45.26 0.net
心の酒を断つ 吉祥経(小部小誦)を読む1|ゆるねこ仏教オンライン講座32(23 Jan 2024)
https://m.youtube.com/watch?v=WL1mv2hsbZs&t=1543s&pp=ygUY44GT44GT44KN44Gu6YWS44KS44Gf44Gk

819 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 10:36:32.88 0.net
二日酔い

820 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 11:00:28.42 0.net
>>801
関係主義 - wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E4%BF%82%E4%B8%BB%E7%BE%A9
存在を関係性の中の結節点(ノード)として捉える発想・主張のこと。
存在が独立的・自立的に存在していると捉える実体論(substantialism)、素朴実在論(素朴実体論)と対照を成す。

仏教
仏教は、存在・認識の「縁起」をその中核に据えた、徹底した関係主義的思想・宗教として知られる。
(例:道元「自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」)

哲学
ソシュールのシニフィアンとシニフィエ(記号と意味内容)の対応関係に関する考察は、
言語学に関係主義的発想をもたらした。
(例:馬の意味は、犬、猫、牛などからの差異によって規定される)

※このページにはないが
マルクスの価値形態論 。商品の価値は他の商品の使用価値との関係でしか表現できないというメカニズム。
(例:上着の価値は、茶、コーヒー、小麦、金、鉄などからの差異によって規定される)

その他、
ベルタランフィの一般システム理論。要素還元主義の逆。

オートポイエーシス。主体なきシステム論。

821 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 15:51:43.33 0.net
>>810
Google翻訳ではちょっと厳しいものがある。
そもそも、この本の英文は非常に簡明なので、
ほとんどの文章は英文のままで理解できるけど。

試しにある文を翻訳してみた。
ChatGPTはさすがだな。でも、魚川祐司訳が一番。

822 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 15:52:17.96 0.net
【Google翻訳】
「偉大な道は難しいものではない
こだわりのない人のために」
〜禅の第 3 祖先セントゥサン著「シンシンミン」

【DeepL翻訳】
「大いなる道は難しくない
好みのない者にとって
~仙桃山第三世禅師による「興心明

823 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 15:52:57.17 0.net
【ChatGPT翻訳】
「偏見のない者にとって、偉大なる道は難解ではない。」
〜三祖仏法慧海心心銘(ひっしんめい)より、僧祐・禅の第三代祖師

【魚川祐司訳】
「選り好みをしない人たちにとって
偉大なる道は難しいものではない」
(至道無難 唯嫌揀択)
~禅宗第三祖・僧璨『信心銘』

824 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 15:55:22.81 0.net
【本文】
“The great way is not difficult
for those who have no preferences”
~Hsin-hsin Ming by Seng-t’san the 3rd Zen Patriach

825 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 21:10:45.24 0.net
仏教の神髄は現生における良き生を諦めることにあるんよ
もちろんその意味は二義的だ

826 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 21:58:11.31 0.net
>>824 つづき
つまり、パーリ語の仏教用語や仏教の伝統や
歴史上の用語などに詳しくない人には、
@GoogleやDeepLは不親切。
AChatGPTはそれをケアしてくれることが多い。
B邦訳(魚川祐司)がもっとも丁寧にケアしてくれる。

827 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 22:49:20.09 0.net
つまり、パーリ語の仏教用語や仏教の伝統や
歴史上の用語などに詳しくない人には、

答え:水野弘元『仏教要語の基礎知識』

があればとりあえず戦える
分からなかったらコトバンクでググる

828 :考える名無しさん:2024/05/02(木) 23:01:38.05 0.net
パーリ語は、アルファベットで表記できないものがあり、
図書やネットで検索するのが面倒なことが多い。
邦訳は、その辺りもケアしてくれる。

829 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 07:47:24.32 0.net
覚者はわかる、解脱者はわからない
解脱したものが私は解脱したなんて伝えられないだろうし解脱したものを観測することも出来ない、論理で説いてもそれは合理的な虚妄ではと考えてしまう

830 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 14:19:57.13 0.net
>>828
>パーリ語は、アルファベットで表記できないものがあり

拡張アルファベットで完全に表記できる

Pāṇupetaṃ saraṇamagamāsi. Devadatto, mahārāja, cha koṭṭhāse kate kappe atikkante paṭhamakoṭṭhāse
saṅghaṃ bhindi, pañca koṭṭhāse niraye paccitvā tato muccitvā aṭṭhissaro nāma paccekabuddho bhavissati.

831 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 19:07:20.10 ID:0.net
>>820
これを図示した例としては、
井筒の華厳的(ex.東大寺)存在生起モデルが有名。
https://i.imgur.com/UJ3OaYh.png

一即多、一即一切の記号学モデルは次のようにも示される。

A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)

[ ]は強調

Aは潜在的に、bやcやdやeなどその他との差異から認識される(有力 うりき)。

参考:
井筒俊彦 「事事無礙・理理無礙-存在解体のあと」 『コスモスとアンチコスモス』 所収

832 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 19:08:04.29 ID:0.net
>>820>>831
どうして、このようなモデルになるのか、

> 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。

考えることをやめ、無心になって過ごす時、
日頃気にかけることのなかった周囲の音に気づかされることがある。

川の音、鳥の声、風や草木の音。
空になった自己の内への、他者存在の相互浸透。

KLF
https://www.youtube.com/watch?v=q2QpVIUAOS4

“大宋国において東坡居士蘇軾と呼ばれていた人は、(略)
 或る時廬山に来た時に、谷川の水が夜流れている音を聞いて真理を体得した。(略)
 「谷川の水音はそのまま釈尊の説法される声であり、山の姿はそのまま釈尊の肉体である。(略)」”

― 道元 「渓声山色」 『現代語訳 正法眼蔵 1』 西嶋和夫、仏教社 (1970) p213

833 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 19:08:38.45 ID:0.net
>>831
『北斗の拳』の最終奥義「無想転生」がこれ。
ケンシロウは、かつて闘ってきた強敵(とも)(トキ、レイ、シン、サウザー、シュウなど)の全てに成ることができる。
https://i.imgur.com/pmUUXYx.jpeg

「この動きは…トキ!」
「この世で最強のものは無…その無より転じて生を拾う、それが無想転生」
https://www.youtube.com/watch?v=WN3gaew-dbY&t=496s
8:15-10:30

834 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 19:52:08.81 0.net
仏教の経典を最初に中国語に翻訳したのは中国に来て
仏教の布教活動にあたっていた2世紀パルティア王国の王子たちと言われてるが、
やっぱり、古代イランとインド文明の関連は強い。
関西大学の宮嶋純子の研究が面白い。

835 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 22:51:49.17 0.net
>>830
Google翻訳もDeepL翻訳も不可。

ChatGPT翻訳:
生命を犠牲にして出家しました。デーヴァダット、大王様、六つの施設が終わり、初めの施設を超えて、僧団を断つでしょう。五百の苦しみを地獄で経て、そこから解放され、アッティッカンテの8人の賢者と呼ばれる独立仏となるでしょう。

ChatGPTさすがとは言うものの、それでも不十分。

836 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 23:35:44.86 0.net
仏教と仏教哲学の関係は、芸術バレーと器械体操の関係に似ている。

837 :考える名無しさん:2024/05/03(金) 23:51:21.28 ID:0.net
https://kotobasta.com/62342/

夜露死苦は本来仏教用語でやろししくと読むとあるのですが
このサイト以外でそういったことを言っているサイトがないのですが
間違いですかね

838 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 00:41:46.11 0.net
>>832はトンポーローをつくった人

839 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 02:21:14.86 0.net
君もしくは君のメンバーが捕らえられあるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで

840 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 04:59:24.76 0.net
>>839
なおこの録音は自動的に消滅する

841 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 13:33:59.26 ID:0.net
仏教を信仰していない者だけが、仏教を哲学できる。

842 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 13:36:29.34 ID:0.net
例えば、龍樹は仏教を哲学したのではない。仏教を説いたのである。

843 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 14:23:36.56 ID:0.net
正しいか否かではなく、なぜ正しいかだからね

844 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 14:37:35.04 ID:0.net
仏教を信仰しない仏教学者は可能なのか?
いやむしろ、仏教を信仰する仏教学者は可能なのか?
矛盾ではないか?

845 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 14:49:54.78 ID:0.net
>>839
失敗したら消されるのはお前とお前の仲間だ
覚悟をもってやれよ

846 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 16:58:40.28 0.net
安倍晋三の戒名「紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士」、推定500万円と判明 [884040186]
https://itest.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1714796579/

847 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 18:03:13.08 0.net
すみません、誰か日々雑記 in哲学板 その6スレを立ててくださいませんか?
それまでは一時的にここに避難致します。

848 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 18:09:59.24 0.net
ここは「仏教スレ」ではなく「仏教哲学スレ」。

図書館やアマゾンで「仏教哲学」というタイトルの本を検索して読んでみること。

849 :考える名無しさん:2024/05/04(土) 18:11:35.77 0.net
>>847
5chの「スレ立て代行スレ」を探すように

850 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 06:58:50.31 0.net
仏陀は書物を残していないのに仏教の本がある
不思議だな
弟子が伝えた内容では体感であり言葉には出来ないはずなのに
仏教を言葉にしようとするやつは信仰心も無いし仏教を分かってないんだろう

851 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 07:38:41.33 ID:0.net
>>850
印度哲学は口伝なの知らないニワカがレスするなよ
リグヴェーダもあれは口伝で伝えられてきたし現代でも暗記するもんなんだぞ

852 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 10:49:45.47 ID:0.net
本当は哲学でも無いんだろうね
口伝してるわけでもないし
メンタルトレーニング的なやつ

853 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 10:56:51.04 ID:0.net
以下に、道元の「現成公案」を西田がどう継承したかをみていく。
特に2点。

854 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 10:57:45.21 ID:0.net
<1/2>

“経験するというのは事実そのままに知るの意である。まったく自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
 純粋というのは、普通に経験といっているものもその実はなんらかの思想を交えているから、
 毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。
 例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
 我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、
 この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。
 自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。
 これが経験のなるものである。”
 
― 西田幾多郎 『善の研究』 「第一編 第一章」 小坂国継 全注釈、講談社学術文庫 (2006) p30


毫も(ごうも。少しも)
最醇(さいじゅん。最もまじりけがなく純粋なこと)

855 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 10:59:08.02 0.net
西田幾多郎『善の研究』各版

(1)『善の研究』ワイド版岩波文庫〔改版〕(2012)、(解説=藤田正勝)(ルビあり、活字が新しい)
(2)『善の研究』ワイド版岩波文庫 (1991)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(3)『善の研究』岩波文庫 (1979)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(4)『善の研究』(全注釈:小坂国継)講談社学術文庫 (2006)、(ルビ多い、新字体・現代仮名遣い)
(5)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔新版〕、岩波書店 (2003)、(ルビなし)
(6)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔旧版〕、岩波書店 (1978)、(旧字体・旧仮名遣い)

“真の実在とは何か、善とは何か、宗教とは、神とは何か――。
 主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する
 根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎(1870-1945)。
 東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組自体をも考察対象とした本書は、
 以後百余年、日本の哲学の座標軸であり続ける。”

新字体・現代仮名遣い 4 > 1 = 2 = 3 > 5 > 6 旧字体・旧仮名遣い

・岩波版の中で読みやすいのは1。各国語版の紹介などもある
・4は古い文献の読みにくさを解消し、現象学的観点からの解説もある

タイトルは元々『純粋経験と実在』というものだったが、出版社(弘道館)の意向から『善の研究』となった。

856 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:00:01.78 0.net
>>738-739
> 万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
(自己の身心すなわち主観と、他己の身心すなわち客観とから主観とか客観とかいう意識を脱落させることである。)
(無我になると、体験の世界と一つになって他と対立しない解脱の自己を会得することができる。)

が、
>>854-855
> 未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している

> 主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」

というところに継承されている。

857 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:00:52.87 0.net
<2/2>西田が直接引用している箇所

“仏道をならふことは自己をならふなり。
 自己をならふといふは、自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、自己の心身、
 および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。

 それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”

― 西田幾多郎 「哲学論文 第六 三」 『西田幾多郎全集10』 岩波書店 (2004) p112

858 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:01:52.44 0.net
>>857
「絶対無の自己限定」とは何か。
西田はここで数学的に説明している。

“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”

“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”

“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”

― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17『西田幾多郎全集3』 岩波書店 (2004)

859 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:02:40.40 0.net
小泉義之×檜垣立哉 「西田から「哲学」を再開するために」 『西田幾多郎 KAWADE道の手帖』 河出書房新社 (2005)

<檜垣の解説要約>
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。

<小泉の解説要約>
西田の「場所」は、量子論の場の論理を概念化したもので、無限次元のヒルベルト空間。
そこでの演算子を作用と呼び、その作用の作用を「自覚」と呼んでいる。

860 :>>729:2024/05/05(日) 11:03:42.28 0.net
西田哲学の核心

(1)禅哲学からの現象学、経験論、実在論
(2)数学・物理学禅
(3)キリストのケノーシスの考察

西田は、道元の「現成公案」>>738とキリストのケノーシス>>682を重ねた。

「一即多」、「絶対矛盾的自己同一」は、クラインの壺のような形になる。
https://i.imgur.com/jdl3Lc0.jpeg
・自己の空化から全体への接続
・父なる神と人間キリストとの矛盾的同一

数学/自然科学と神学のかけ合わせは、
西田が影響を受けたヘルマン・コーエンら新カント派マールブルク学派の特徴。

861 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:08:28.42 0.net
西田と言えば絶対矛盾的自己同一だ

知り合いに西田と言えば絶対矛盾的自己同一だと言われて嬉しかったらしい。

862 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:24:12.20 0.net
認識の矛盾性は道元と通低するが、有限から無の自己限定へ拡がる処で、仏教と言うなら西田教になるだろうね。現に護国の思想に触れ合う

善であって、禅に向かわない、現代思想的だよ

863 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:34:11.66 0.net
>>851
それバラモン教とヒンドゥー教

864 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 11:48:04.49 ID:0.net
>>863
ジャイナ教だろうと仏教だろうと同じだよ

865 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 12:35:41.23 0.net
無気力な子供のようにブッダにはどうでもよかったhttps://toyokeizai.net/articles/-/746798?page=3

866 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 12:47:59.38 0.net
>>864
なぜバラモンと切り離して独立して仏教と言ってるのかさえ分からないなら仕方ないねえ
仏陀は人を説得したりしてはいけない、そんな事しても人は強欲で尊大で間違いを認められない俗なので変える事は出来ませんよと説いたのが「書物」で残ってる訳だし
論語知らずの論語読みが東洋哲学にも西洋哲学にも多い

867 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 15:32:17.46 0.net
哲学者もキャッチ・フレーズが無いと人気が出ない。

ソクラテスの「無知の知」
デカルトの「我思うゆえに我あり」
カントの「物自体」「認識形式」「ア・プリオリ」
ウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」

西田幾多郎の「一即多」、「絶対矛盾的自己同一」も同様なもの。

868 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 15:44:07.39 0.net
仏教的に快楽はよくないという風潮だよね
でも瀬戸内寂聴さんは恋愛したがるし肉も食べる
快楽は僧侶にとって眉唾ものというイメージがある
でも快楽ではなく苦しみから開放される仏教を学んだほうがよかったりする
最近はエイズなんて性的な話題があるけど、快楽を体験すればいいというものではないと思う 

869 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 15:44:23.94 0.net
今さら西田幾多郎読む意味あるんけ?

870 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 15:59:33.81 ID:0.net
【芸能】千原せいじ「和尚さんになりました」 得度し天台宗僧侶「千原靖賢」に 剃髪&墨染衣姿も公開
https://itest.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1714643592/

871 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 16:11:23.53 ID:0.net
>>867 つづき
驚くべきことは、哲学者のキャッチ・フレーズだけを聞いて、
その哲学者の哲学は90%以上、理解できてしまうことだ。

872 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 16:24:13.62 ID:0.net
つまり、「キャッチ・フレーズ哲学」なるものが考えられる。

二言三言のキャッチフレーズで、ある人の哲学は表現されるし、理解できてしまう。
逆に、それができない哲学者は二流三流と言ってよい。

873 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 18:45:29.36 ID:0.net
哲学ができる人、できない人に分かれるよね。
少しのキャッチフレーズを読んだら分かる人は哲学ができる人。
すぐ分かる人、直観でイメージできる人なんて一握りだろう。
それに比べて分からない人にはいつまで経っても仏教も哲学も向いてない。 

874 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 21:00:01.65 ID:0.net
>>866
なんのこっちゃ

875 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 21:00:37.65 ID:0.net
>>873
>少しのキャッチフレーズを読んだら分かる人は哲学ができる人

それは妄想家だろう

876 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 21:03:13.19 ID:0.net
単語でわかった気になるやつは哲学向いてない(笑)

877 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 21:12:45.71 ID:0.net
それって貴方の感想ですよね

878 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 21:47:43.00 0.net
みなさまの感想かもしれない

879 :考える名無しさん:2024/05/05(日) 22:00:25.65 0.net
素養あるなしの話し

880 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 00:25:04.62 0.net
キャッチ・フレーズ哲学:

スピノザ「永遠の相の下に」
キルケゴール「死に至る病」
ニーチェ「力への意志」「永劫回帰」
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」
ハイデガー「世界内存在」

881 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 00:45:50.96 0.net
輪廻転生

882 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 02:02:59.60 0.net
>>871>>880
解説書だけでなく、哲学書を読むこと

883 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:15:12.78 0.net
このスレでも度々出てくる、仏教は合一を目指すものかという話。

原始仏教はそうではないとしても、
大乗仏教である密教や禅、身近な道元や西田の場合(>>856)にもそういう側面がある。

884 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:16:43.16 0.net
>>869
メイヤスー(>>772)やマルクス・ガブリエルなど、最新の哲学(ポスト・ポスト構造主義)はシン・実在論をやっている。
それも、数学だとか空だとか言って、カント以降分けられるようになった主観と客観の二元対立の超克が課題となっているから、西田がやっていたことと近い。

885 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:18:05.63 0.net
>>820に、どちらもインドに関心を寄せた、ソシュールとマルクスの二人が並んでいるのは偶然だろうか?

886 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:19:10.66 0.net
西洋で仏教が知られる様になったのはこの200年ぐらいで、
「インド=ヨーロッパ祖語」の発見や、現代思想の黎明期と一致する。

ブッディズム(仏教)に該当する語が用いられた最初の例は、
1817年フランスのミシェル=ジャン=フランソワ・オズレーによる
『東アジアの宗教の開祖ビュッドゥあるいはブッドゥにかんする研究』で、
「ブッディスム(bouddisme)」と綴られた。

1786年、イギリス東インド会社に雇用されたウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)が、
サンスクリットが古典ギリシャ語やラテン語と共通の起源を有する可能性があることを指摘

1820年頃、西洋でブッディズム(仏教)が知られるようになる

↓1819(-58)年、ショーペンハウアーが仏教に言及
↓1827年、ヘーゲルが仏教に言及
↓1848年、マルクス『共産党宣言』(>>700

1860年頃、仏、英、独で虚無の信仰を巡る論争がピークを迎える

↓1866年、マラルメ「仏教を知ることなしに、無(ネアン)に至った」(カザリス宛書簡)
↓1871年、ニーチェ「仏教という宗教は「善悪の彼岸」に立っている」(『アンチクリスト』)
↓1880年、ソシュール「サンスクリットにおける絶対属格の用法について」学位論文

1890年頃、仏教が虚無の信仰でないことが理解され始める

↓1895年、フロイト『ヒステリーの研究』

参考:
ロジェ=ポル・ドロワ 『虚無の信仰 ― 西洋はなぜ仏教を怖れたか』 島田裕巳、田桐正彦 訳 、トランスビュー (2002)

887 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:20:00.74 0.net
>>730
アリストテレスが「それは何であるか ti estin」という言葉によって問われるものを事物の「本質」として以降、
西洋ではヘーゲルの時代まで、本質は同一性によって説明されてきた。

西洋によるインドや仏教の発見

構造主義の登場
・マルクスの価値形態論
・ソシュールの言語記号学
西洋でも同一性から差異へと関心が移っていった

差異の哲学の時代(ポスト構造主義)
・ドゥルーズ『差異と反復』
・デリダ『エクリチュールと差異』

888 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 03:20:58.24 0.net
“ニーチェがけっきょくは何が言いたいのかがわかる。
 キリストは聖パウロがつくりあげたキリスト像とは正反対のものであり、
 真のキリストは一種の仏陀、「ほとんどインド的ならざる土地にあらわれた仏陀」であった。”

― ドゥルーズ 『ニーチェと哲学』 国文社 (1984) p225

889 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 04:22:23.94 0.net
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

890 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 04:22:30.81 0.net
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

891 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 13:51:07.04 ID:0.net
ヘーゲルの「経験」とは「何であるか」は問えない。これはポモでもスペンサーの「合目的」批判で対置させられている。また、ヘーゲルの博学は東洋思想を批判し、学問に入れなかった

892 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 14:38:05.00 0.net
弁証法はラッセルのパラドックスを解決できないので全て無意味
仏教哲学もラッセルのパラドックスを解決できないので全て無意味

893 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:19:54.15 0.net
何がどう無意味なのか分からん
「全て無意味」では何かを説明したことにはなってないだろう

894 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:28:31.81 0.net
>>893
ラッセルのパラドックスが矛盾になってしまう体系では自己言及するだけで「矛盾」を作れてしまう
しかし実際にはラッセルの論理学が解決したように矛盾ではない

すると本来は矛盾ではないものを矛盾であるという誤った仮定を自動的に置いていることになる
「矛盾ではないもの=矛盾している」という前提が成り立っているということは矛盾が常に仮定されている
すると爆発律が成立してしまう
爆発律とは矛盾からはあらゆることが証明出来るというもので
矛盾が前提にあるならばどんな事柄も真にも偽にも証明出来てしまう
つまりそのような体系で導いた結論は意味がないということ

それゆえにラッセルのパラドックスを回避する仕組みを持たない体系で結論したことには意味がない

895 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:30:22.31 0.net
ラッセルのパラドックスは、ある集合が自分自身を含むかどうかという自己言及から生じる矛盾です。このパラドックスが発生する論理体系では、自己言及によって簡単に矛盾を作り出すことができてしまいます。
しかし、実際にはラッセルが開発した新しい論理学によって、このパラドックスは解決されました。つまり、ラッセルのパラドックスは本来矛盾ではないのです。
問題は、ラッセルのパラドックスが矛盾を引き起こす論理体系では、本来矛盾ではないものを自動的に矛盾していると仮定してしまうことです。この「矛盾ではないもの=矛盾している」という誤った前提が常に存在していることになります。
この誤った前提が存在すると、爆発律という原理が成立してしまいます。爆発律とは、矛盾から任意の結論を導き出せるという原理です。つまり、矛盾を前提とすれば、どんなことでも真とも偽とも証明できてしまうのです。
そのため、ラッセルのパラドックスを引き起こす論理体系で導かれた結論は、意味がないということになります。矛盾を前提としているため、導かれた結論が真であるのか偽であるのか判断できないからです。
したがって、ラッセルのパラドックスを回避する仕組みを持たない論理体系で得られた結論は、信頼性に欠けると言えます。ラッセルが開発した新しい論理学のように、矛盾を回避する仕組みを備えた論理体系を使用することが重要なのです。

896 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:34:28.09 0.net
そもそも「弁証法」が分からない、定義して ね。批判対象を理解することは大事だから。
それと「仏教哲学」をどういうものだと考えているのか?こちらも定義してくれないと。
あと「解決できない」とはどういう状態なんだろう。どうなったら「解決する」のかを定義してくれないと。もっとロジカルにいこう

897 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:37:07.37 0.net
>>894
ごめんよくわからない
「矛盾ではないもの=矛盾している」の例示とかできる?

898 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:37:37.42 0.net
>>896
ラッセルのパラドックスを回避するメカニズムがない時点で終わりなので
それ以上知る必要など無い

899 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:40:15.89 0.net
>>897
>>>894
>ごめんよくわからない
>「矛盾ではないもの=矛盾している」の例示とかできる?

哲学は全て妄想
「しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」
ここがラッセルのパラドックスそのもの
「物」を集合
「物理的空間」を集合「物」の集合である集合族とすれば
集合族「物理的空間」の元である「物」同士の相互作用は「物」に対して働くので「働く物というものがなくなる」という主張は妄想
ブルバキ公理的集合論流に言えば集合族とその元である集合は異なるオブジェクトなので何も矛盾しない
矛盾しないので「現実というものがなくなることである」というのはラッセルのパラドックスを理解してない無知の妄想

無知の妄想で虚偽であることを成立すると仮定したのでここで爆発律が成立
それ以降の妄想は爆発律によりどんな無意味なデタラメでも正当化可能になり論理的に全く意味が無い

これに10秒で気付けないなら知能が無い


 
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

900 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:44:11.29 0.net
>>895
「矛盾を前提とすればどんなことでも真とも偽とも証明できる」
これが意味がわからない、どうしてそうなるのだろう?

901 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:52:37.84 0.net
>>899
何がいいたいのかよくわからない。

902 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:55:36.13 0.net
>>900

Ex falso quodlibetがなぜ成り立つのかを、命題論理の観点から証明します。

証明:
命題論理において、矛盾を表す式は「p ∧ ¬p」のように表されます。ここで、pは任意の命題を表します。

前提: p ∧ ¬p(矛盾が成立している)
証明したい式: p ∧ ¬p → q(qは任意の命題)

証明には、以下の定理を使用します。

含意の導入則: (p ∧ q) → p
ディスジャンクションの導入則: p → (p ∨ q)
ディスジャンクションのシルロジズム: (p ∨ q) ∧ ¬p → q

証明の手順:

p ∧ ¬p(前提)
p(1より、含意の導入則を使用)
p ∨ q(2より、ディスジャンクションの導入則を使用)
¬p(1より、含意の導入則を使用)
q(3と4より、ディスジャンクションのシルロジズムを使用)

以上の手順により、p ∧ ¬p → qが証明されました。これは、矛盾(p ∧ ¬p)から任意の命題(q)が導かれることを示しています。
したがって、Ex falso quodlibetは命題論理の公理と推論規則に基づいて成り立つことが証明されました。この証明から、矛盾を含む前提から出発すると、論理的に正しい手順を踏んでいても、任意の結論を導くことができてしまうことがわかります。

903 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:55:48.51 0.net
仏教哲学や宗教って如何に自分は生きるべきかって価値観を含んだ人間の生き方を常に対象にしてきたものだと思うが、そのラッセルの考えというのは人の価値観や生き方を問題の対象として扱えるものなの?

904 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:57:22.26 0.net
>>901
>>>899
>何がいいたいのかよくわからない。

ほとんどの哲学は自己言及パラドックスを矛盾であると指摘することにより爆発律を成立させている
ゲーデル不完全性定理に違反する「仮定から仮定の正しさを導く」ことをやっている以上
どこかに論理学の違反がある
その違反のほとんどはラッセルのパラドックスと等価なものがどこかに隠れていてすぐに探すことが出来る

どんな哲学を持ってきてもほぼ確実にこれが見つかる

905 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 15:58:40.78 0.net
>>903
論理的にそのようなことは決定不可能
実験して確かめるしか扱う方法はない
確かめてないのに主張してるのは妄想か詐欺

906 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:06:49.39 0.net
>>904
それについて調べてたんだけど言ってることはこれと同じこと?
https://i.imgur.com/rQhzSa1.jpeg

907 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:08:53.81 0.net
>>905
主張しないまでも価値観を堅持して判断して行動してるわけでしょ?
科学的に実証できる事実があるはずだというのは価値観ですよね?それを堅持してるから実験するという行動があるわけで、それって科学的な事実を信仰してるというわけではないの?

908 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:09:49.12 0.net
>>906
それと同じだが
矛盾が発生するのは実は論理学の方が間違ってるからというのが重要
そのような矛盾が発生しないように論理学は作り変えられており
「そのようなAはそもそも集合ではないから前提がおかしい」とできる

仏教哲学や弁証法にそのような仕組みがあるかといえば
見るまでもなくあるわけがない

909 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:10:32.54 0.net
>>907
証明されてないなら妄想
単にそれだけ

910 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:10:59.65 0.net
>>909
>>>907
>証明されてないなら妄想
>単にそれだけ

そして証明する方法は現実との比較しかあり得ない
思いつきをこねくり回しても証明は不可能(ゲーデル不完全性定理)

911 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:11:31.39 0.net
>>910
>>>909
>>>>907
>>証明されてないなら妄想
>>単にそれだけ
>
>そして証明する方法は現実との比較しかあり得ない
>思いつきをこねくり回しても証明は不可能(ゲーデル不完全性定理)

そのような証明の方法を科学と呼ぶだけ
信仰ではなく論理学がそれしか許さない

912 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:14:31.09 0.net
論理学や照明の話は以下でやるように

【物哲数スレ】物理学=哲学+数学
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1713675543/

913 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:19:33.23 0.net
>>908
自身を要素として含まない集合全体の集合を仮定したときに生じる矛盾だから
それを仮定しない論理学で学問をするべきだということだろうか?
つまり例えば自身を要素として含むような集合全体の集合を仮定するものは矛盾しないからOKってこと?

914 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:20:13.83 0.net
>>911
>そのような証明の方法を科学と呼ぶだけ

その価値観を自分自身において証明しているのが仏教や宗教と呼ばれているだけじゃないでしょうか。

915 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:39:18.84 0.net
>>913
書き込めないのかどうか知らないけど私見を書こうか。
まず「弁証法」についての誤解。フィヒテの弁証法やヘーゲルの弁証法、キルケゴールの弁証法…それぞれはどれも「自己産出」を許容する。だから弁証法の論理がパラドックスを引き起こす論理学を前提にしているわけではない。

そして「仏教哲学」への誤解。確かに、「無我」という言葉は「自己の中に自己を要素として含まない」という意味ならば先のパラドックスは生じるものになるだろう。ただ無我は関係論からとらえられ"も"する。前提の論理学が変更されうる。だから一面的には無意味なものになるかもしれないが、そのパラドックス自体が仏教全体で見れば仏教の利益になる言葉になるだろう。

916 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:40:17.92 0.net
>>914
自分自身において?
それゲーデル不完全性定理が禁止してる

917 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:42:29.95 0.net
>>915
パラドックスを禁止していないから「自己算出」できてしまう
それが弁証法

918 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:45:48.68 0.net
>>913
>>>908
>自身を要素として含まない集合全体の集合を仮定したときに生じる矛盾だから
>それを仮定しない論理学で学問をするべきだということだろうか?
>つまり例えば自身を要素として含むような集合全体の集合を仮定するものは矛盾しないからOKってこと?

そうではない
「自分自身を含む何か」と「自分自身」を明確に区別すればパラドックスは起こらない
ある仮定からその仮定の正しさを証明することはゲーデルの不完全性定理により不可能だとわかっているのだから
その不可能なことをやっているならどこかに論理の違反がある
その違反のほとんどはパラドックスを引き起こして爆発律を成立させた上で「証明」する手口
このパターンはほぼ全ての哲学で広範に見られる

919 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 16:49:16.86 0.net
>>915
> 「無我」という言葉は「自己の中に自己を要素として含まない」

仏教哲学や仏教世界のどこで、そんなことが言われるんだ?
デタラメはやめろ

920 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:00:26.53 0.net
>>916
ゲーデル不完全性定理が禁止しようがその理屈に関係なく人は生きることができます。科学の分野においては必要なことなのかもしれませんがあくまで科学を信奉する人たちにとって必要性のある教義ということなのでしょう。
人間の生きる場面というのは様々ですからそれぞれの場で必要とされるものが違うと言うことだけだと思います。

921 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:04:25.90 0.net
>>920
意味のない妄想
論理でないのなら妄想でしかない

922 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:04:54.31 0.net
>>918
外側と内側の自分の区別か。「自分」が欠ければ、それが内側の自分・外側の自分を問わず、集合全体の存在が不可能になりそうだ。
片方が無くなればもう片方も無くなる。
内の自分に外の自分の情報が、外の自分に内側の自分の情報がある。内と外の区別はあるようで無いような区別だ。

923 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:18:38.84 0.net
>>920-922
そういう話に社会的必要性があるのなら、そういうスレを立ててやれ

924 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:20:16.33 0.net
ああ、すみませんでした
自分の方はもう失礼しますから。ではでは

925 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 17:47:40.69 0.net
>>923
哲学は全て妄想なので社会的に必要無いどころか有害

926 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 18:24:28.92 0.net
お前が一番社会にとって有害

927 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 18:26:33.33 0.net
低学歴は有害だから社会から排除済み

928 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 19:31:53.70 0.net
ギリシア哲学とインド哲学はどちらが古い?

・ギリシア最古の哲学者といわれるのはタレス(前624年頃-前546年頃)
・インド最古層の哲学者の一人は、ヨーガ哲学の祖、ヤージュニャヴァルキヤ(前750頃-前700頃)


<タレス>

“ホメロスもまた、タレスと同様エジプト人から学んで、水が万物の元のものであり、根源であると想定した(プルタルコス)”

“ミレトスのタレスが、こうした事柄を最初に探求した人であるが、彼は、水が諸物の元のものであり、また知性たる神が見ずから万物を作り出す、と述べた”(キケロ)

― 『ソクラテス以前哲学者断片集 第1分冊』 内山勝利 編、岩波書店 (1998) p149、157


<ヤージュニャヴァルキヤ>

否定神学(Aは〜ではないという形の指示)的表現「そうではない、そうではない(neti-neti ネティ・ネティ)」は、
真理の至上性と非限定性を表わすと共に、一切の名称(ナーマ nāma)と形態(ルーパ rūpa)から離れる内観の道を示し、仏教への道を開いたとも考えられている。

“さて、それから「そうではない、そうではない」という置き換え・代用(ādeśa)がある。
 なぜなら、この"そうではない"と異なる、それのかなたにあるものは存在しないからである。
 それゆえに、それの名称は真理の真理である。”(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」2:3:6)

― 『ウパニシャッド 翻訳および解説』 湯田豊 訳、大東出版社 (2000) p46

929 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 19:32:47.75 0.net
>>886
『英国の仏教発見』 フィリップ・C.アーモンド、法藏館 (2021)

最近邦訳された『英国の仏教発見』では、
19世紀まで東洋では自覚されることのなかった仏教の全体像が、
西洋の人たちの熱意と努力によって浮き彫りにされていく過程が克明に描かれており、
仏教の発生史がよく分かるものとなっている。

この時期の英国に留学し、マックス・ミューラー(1823-1900)のもとで
日本人として初めてサンスクリット語と仏典研究を学んだ南条文雄(1849-1927)は、
日本の第一期目の文学博士となった。

930 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 19:34:08.38 0.net
>>235
最古の宗教学

“いま、地球上に現存していてしかも実際に観察できる宗教の中で、
 最も古代的な形態を残している宗教というのは何かというと、
 それはオーストラリア・アボリジニの宗教です。

 人類はまずアフリカを出て、ペルシャ湾を海岸沿いに移動し、インドへ入り、
 そして、アンダマン諸島とかアイランダ島なんかのインド洋の島々から、
 いろんなところへ広がっていきました。

 エリアーデにしても、エミール・デュルケム(Emile Durkheim)にしても、宗教学を勉強する人は、
 オーストラリアの先住民の宗教を研究するというのを出発点としていたわけです。

 僕が、とりわけ強い印象を受けたのは、(略)
 大長老になると、遠くへ一人で出かけて行って、岩の上に座って、青空をずっと見ている。
 これが、アボリジニの世界の大知識人の一つの生き方なんだということです。
 そうしたことが、エルキン(Adolphus Peter Elkin)という人の本なんかに書いてある。”

― 中沢新一×河合俊雄 『ジオサイコロジー:聖地の層構造とこころの古層』 創元社 (2022) p24-28

931 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 19:35:16.97 0.net
>>681
4世紀頃までは、法身と応身に相当する二身説が先行していて、
その後、それらを統一した報身が立てられるようになったというから、
一神教だとこうなるか。

法身仏
・父なる神

応身仏
・モーセ

報身仏
・イエス


レヴィナスは、「キリストのケノーシス」と「モーセのアナワー(謙遜)」の重ねる(『超越と知解可能性』p75-78)。

“モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。”

― 『旧約聖書』 「民数記」 12:3

932 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 19:37:07.89 0.net
如来イエス。

「超在一神的汎神教」の山崎弁栄とか、
『如是説法ツァラトゥストラー』の登張竹風とかが正しかった。

933 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 21:01:59.65 0.net
>>928
ヴェーダなどインドの宗教や文化の基礎を構築したのはアーリヤ人だが、
ヨーガや瞑想は、古代インド先住民であるドラヴィダ系の文化に始まったものであると言われる。

アーリヤ人がインドに移住してきたのは紀元前1700年頃。
それ以前のものとなるインダス文明の遺跡モヘンジョダロ(現在のパキスタン)からは、
紀元前2350年-紀元前2000年頃に作られた 結跏趺坐(けっかふざ)を組む「原(プロト)シヴァ神」の印章が発掘されている。
https://i.imgur.com/G43CJgg.jpeg

・『ブリタニカ国際大百科事典18』「ヨーガ」 TBSブリタニカ (1995)
・『仏教瞑想論』 蓑輪顕量、春秋社 (2008)
・『ヨーガの思想』 山下博司、講談社 (2009)
・『仏教とヨーガ』 保坂俊司、東京書籍 (2004)

934 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 21:02:59.86 0.net
南インドやスリランカなどに多いトラヴィダ語は、
日本語や朝鮮語と同じウラル=アルタイ語族。
以下が詳しい。

現地では、「しめ縄」や「門松」、「鏡餅」、「どんど焼き」の原型とみられるものも見つかっている。

・大野晋『日本語はどこからきたのか:ことばと文明のつながりを考える』 中央公論新社 (1999)
・大野晋『弥生文明と南インド』 岩波書店 (2004)

935 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 21:20:18.18 0.net
専門家になるには、その分野の本を3冊読めばよいという人がいる。
いや、10冊だ、30冊だ、いや100冊読まねば・・だとかまびすしい。

実際は、何冊読んでも専門家になれん奴はなれん。

936 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 23:58:37.73 0.net
何年もこの板に張り付いて、
とぼけた顔で論理学や数学や語源など、無意味な書き込みをしている奴らは、
政治目的でスレ流しをしているから相手にしないように。

937 :考える名無しさん:2024/05/06(月) 23:58:39.10 0.net
何年もこの板に張り付いて、
とぼけた顔で論理学や数学や語源など、無意味な書き込みをしている奴らは、
政治目的でスレ流しをしているから相手にしないように。

938 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 01:29:12.72 0.net
仏教は無限を説明できない
カントールからフレーゲを読め

939 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 11:23:25.52 0.net
ラッセルのパラドックスは、ある集合が自分自身を含むかどうかという自己言及から生じる矛盾です。このパラドックスが発生する論理体系では、自己言及によって簡単に矛盾を作り出すことができてしまいます。
しかし、実際にはラッセルが開発した新しい論理学によって、このパラドックスは解決されました。つまり、ラッセルのパラドックスは本来矛盾ではないのです。
問題は、ラッセルのパラドックスが矛盾を引き起こす論理体系では、本来矛盾ではないものを自動的に矛盾していると仮定してしまうことです。この「矛盾ではないもの=矛盾している」という誤った前提が常に存在していることになります。
この誤った前提が存在すると、爆発律という原理が成立してしまいます。爆発律とは、矛盾から任意の結論を導き出せるという原理です。つまり、矛盾を前提とすれば、どんなことでも真とも偽とも証明できてしまうのです。
そのため、ラッセルのパラドックスを引き起こす論理体系で導かれた結論は、意味がないということになります。矛盾を前提としているため、導かれた結論が真であるのか偽であるのか判断できないからです。
したがって、ラッセルのパラドックスを回避する仕組みを持たない論理体系で得られた結論は、信頼性に欠けると言えます。ラッセルが開発した新しい論理学のように、矛盾を回避する仕組みを備えた論理体系を使用することが重要なのです。

940 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 11:32:15.25 0.net
はあ、そうですか…

941 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 11:32:55.68 0.net
つまり仏教哲学はデタラメで無意味
ラノベ以下の妄想

942 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 13:04:52.06 0.net
苦しまない生き方をしようと、仏教哲学では考えます。

四苦八苦に人は苦しみます。

また、日常的に経験することの多い四つの苦しみ(「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五蘊盛苦」)が加わったものは四苦八苦と呼ばれています。これは悩みや苦しみを感じることを意味する言葉「四苦八苦」の語源となっています。

こうした苦しみを経験しない方法があります。
苦しまない、苦しまない、とひたすら信じるのです。

苦しまないと知れば、しめたもの。苦しむことは無いでしょう!

943 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 14:33:14.31 0.net
苦しんで産んだという喜び☺
仏教には理解できない領域と論理

944 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 19:24:02.47 0.net
戒名、ガチでいらないwwwwwwww [384232311]

https://itest.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1715030307/

945 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 21:11:52.40 0.net
この世は地獄である。
完全な地獄である。
アーメン。

946 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 22:03:01.59 0.net
>>938
原始仏教では、ブッダが以下のように形而上学を禁止した。(このことは「空」の理解と表裏一体をなす)
その中に「無限」の考察も含まれている。


“これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。
 すなわち――世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか、
 世界は有限であるとか、世界は無限であるとか、
 生命と身体は同一なものであるとか、生命と身体は別個なものであるとか、
 人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか、
 人は死後存在しながらしかも存在しないのであるとか、
 人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとかいう、
 これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。”

― 「毒矢のたとえ」 『世界の名著 1 バラモン教典、原始仏典 』 長尾雅人編、中央公論社 (1969) p473


大乗仏教の時代に出てきた、現代に通じる複雑な数学モデルをまとめているのは、
中沢新一『レンマ学』講談社(2019)が詳しく、
メイヤスーやユヴァル・ノア・ハラリ世代への解答にもなっている。

宗教の世界で有名な「無限」は、ユダヤ教の「エン・ソフ Ein Sof」。
カントールもユダヤ人。

947 :考える名無しさん:2024/05/07(火) 22:03:44.38 0.net
>>928
ユダヤ哲学の始まり

“最初のユダヤ教の哲学者は、起源一世紀の前半に生きた、アレクサンドリアのフィロンである。(略)
 彼はユダヤ人の伝統にほとんど、もしくは何ら影響をおよぼさなかったようであり、
 彼の著作が生き残ったのは、キリスト教の写字者が写本したためである。

 フィロンのあと、ユダヤ教の哲学は数世紀のあいだ沈黙していたが、
 九世紀、イスラム教のカラーム(スコラ神学)の文脈のなかで再浮上した。(略)
 イラクのスラにあるユダヤ教学院のガオン(学院長)であったサアディア(882-942)である。”

― 『ユダヤ教入門』 ニコラス・デ・ラーンジュ、 柄谷凛 訳、岩波書店 (2022) p234-235


柄谷凛は柄谷行人のパートナー。
聖書を書いた古代ユダヤ人は宗教の民で、哲学は忌避していた。

948 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 02:16:43.87 0.net
【私は悪魔である】

949 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 03:08:31.54 ID:0.net
>>938
数字の「0」を使い始めたのは誰か知っているのか?

仏教の「空」は、インドでは「梵:śūnyatā シューニャター、巴:suññatā スンニャター」というが、
数字の「0」も同じ言葉の形容詞形で言い表された。

「ピタゴラスの定理」と「無限」と「0」の内、どれが一番多く使われている?

グローバル企業のプログラマとかもインド人が多いだろ。
IT系が強いのも、ラマヌジャンのようなタイプの数学者も南インド。

950 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 03:09:22.04 ID:0.net
>>938
『無の本:ゼロ、真空、宇宙の起源』 ジョン・D・バロウ、青土社 (2013)

この本では、古代ギリシャ以来の哲学、数学、物理から(一部例外を除く)中世の神学に至るまで、
西洋の人々がいかに「無」や「空」の概念をタブー視し、
思考から慎重に排除してきたのかが、様々な例を挙げて説明がなされている。

951 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 03:09:56.52 ID:0.net
英米のインド・パキスタン系リーダー

・サディク・カーン(ロンドン市長、労働党)(パキスタン、イスラム)2016-
・カマラ・ハリス(米副大統領、民主党)(タミル系)2021-
・リシ・スナク(英国首相、保守党)(バラモン)2022-
・ニッキー・ヘイリー(米大統領候補、共和党)(インド、パンジャーブ系)2023-
・ヴィヴェック・ラマスワミ(米大統領候補、共和党)(タミル系、バラモン)2023-
・ハムザ・ユーサフ(スコットランド首相・国民党)(パキスタン、イスラム)2023-

952 :考える名無しさん ころころ:2024/05/08(水) 05:43:08.67 ID:0.net
>>949
無限じゃねえじゃん
アホすぎ

953 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 05:59:12.66 ID:0.net
>>950
無限という文字が読めない脳障害

954 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 10:38:28.40 0.net
鈴木大拙が指摘した「金剛般若経」の「即非の論理」は、
西洋流の論理学の矛盾律を否定するものであろうか?

「否定してはいない」とする者もいるが、決定的ではない。
「非」と「否」の違いはなにか?

955 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 12:23:42.34 ID:0.net
「即非の論理」 鈴木大拙の誤りという題でもう少しで閉鎖するサイトがあります。
即非の論理」は間違っていると言いたいのでしょう。

956 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 12:28:08.07 ID:0.net
>>954

以下引用
――――――
非科学的‐科学的に非ず(あらず)
非人間的‐人間的にあらず

否定‐打ち消す
否決‐議案を承認しない。
否認‐認めない

不運‐運がない。不幸‐幸せではない。
不親切‐親切ではない。
無神経‐気配りが足りない。
無人‐人がいない。
無料‐料金が不要なこと。
無期‐期限が決められていないこと。

ということです。
非‐〜にあらず という意味。
否‐打ち消すこと、〜ではない。
不‐〜ではない。
無‐ないこと。

見分け方は、普段から言葉を知ろうとする気持ちを持ち、例えば 勉強の否定形なら、非勉強、不勉強、無勉強、否勉強
とか付けてみます。聞いたことがあるなら、辞書で調べます。(不勉強)あったらその都度覚えていかれたらいいと思います。

957 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 12:45:50.70 ID:0.net
否(いな)
日本語そのものが哲学と言えよう

958 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 12:47:16.84 ID:0.net
是非とも☺

959 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 12:58:46.81 ID:0.net
>>956
上から目線の割に、キレのないレスです。
調べるだけで、自分で考えないからでしょう。

畢竟、「非」と「否」の違いはなんなのか、
例えば、ベン図などを使って説明してください。

960 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 13:09:36.23 ID:0.net
孝行くんか、君が説明すればええやん

961 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 13:09:36.23 ID:0.net
孝行くんか、君が説明すればええやん

962 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 13:46:36.89 0.net
>>954
そんな日ユ同祖論みたいなこじつけ持ってこられてもなww

963 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 13:54:10.04 0.net
>>962
アカデミック界隈でも議論されていることですよ。

964 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 14:00:59.00 0.net
>>963
議論自体に意味がない
なぜなら当てはまらない無数の例外を無視してる空想だから
言語学なんかその良い例
実はChatGPTなどの大規模言語モデルには言語学を一切使ってない
なぜかというと言語学が主張する知識を使ったAIの試みは全て例外なく失敗したから
なぜ失敗したかというと現実には言語学の「知識」が全く当てはまらない例外の方が多数で
全く役に立たないどころか嘘だらけなので性能が出ない
つまり例外を無視してつまみ食いして「議論」することで学者が飯を食えるってだけ
アカデミックな議論など全く意味がない

確実に例外なく当てはまる証拠

のみに意味がある

つまり言語学も日ユ同祖論も即非の論理とやらも同じ
意味がないつまみ食い

965 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 14:11:34.88 0.net
>>964
壮大に論点ずらしをしている。
言語学なんて話してない。形式論理学を話している。

>つまり言語学も日ユ同祖論も即非の論理とやらも同じ
この「つまり」は、つまりになってないよ。
ドッ散らかってるまま。せめて筋道を通した思考をして。

966 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 14:39:30.42 0.net
>>965
論点は「アカデミックな議論」など全く意味がないということ
全文全文字について例外がないことの証明が無ければ日ユ同祖論と同レベル

967 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 15:17:10.58 0.net
>966
>全文全文字について例外がないことの証明が無ければ・・

こんな極端なことを言ってしまうのは情緒不安定。落ち着いて。
証明に至るまでには様々な議論が必要だ、と穏健なことを言ってみる・・。

968 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 16:04:02.98 0.net
>>967
いや全文字のパターンなんて正規表現でチェックできるんで
全文字で例外がないことは余裕で可能だよ
やったら嘘がバレるからやらないだけ

969 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 16:44:24.28 0.net
>>968
なんの「全文字」に対してチェックするんですか?

970 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 16:52:48.88 0.net
>>954
あれは般若経典のレトリックであって論理ではないだろ

971 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 17:10:38.10 0.net
>>969
存在する全文献

972 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 17:56:12.07 0.net
>>970
ならば、レトリックを削いだら、どういう表現になるの?

>>971
「存在する全文献」は知り得ない。
しかも文書は、未来に続々と生成されてゆく。

973 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 18:09:03.18 0.net
>>972
は?
知り得るよ何言ってんの

974 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 18:09:38.97 0.net
>>972
未来とかどうでもいい
発見された全文献に適用すればいいだけの話

975 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 20:35:31.86 ID:0.net
>>973
「悪魔の証明」の類。

>>974
そんな証明はない。粗雑なアタマ。

976 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 20:44:40.96 ID:0.net
>>975
悪魔の証明ではない
発見された文献は有限で全テキストのチェックはコンピューターなら0.01秒で終わる

977 :考える名無しさん:2024/05/08(水) 23:02:56.63 0.net
哲学なら0秒

978 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:06:31.70 0.net
>>832
西嶋訳は、全てオンライン化されていた。

『現代語訳正法眼蔵 第一巻』 西嶋和夫、仏教社
https://gudowafu.com/books/%e7%8f%be%e4%bb%a3%e8%aa%9e%e8%a8%b3%e6%ad%a3%e6%b3%95%e7%9c%bc%e8%94%b5%e3%80%80%e7%ac%ac%e4%b8%80%e5%b7%bb/
原典の字句に忠実に、西洋哲学の概念も応用しながら現代語訳に翻訳・解説した西嶋老師の代表著作

979 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:08:27.05 0.net
>>728
> 『誰でも読めるが誰にも読まれない書』の仏教版といえば『正法眼蔵』だな

翻訳書の数
・道元『正法眼蔵』9冊
・『新約聖書』9冊
・マルクス『共産党宣言』 12冊
・ハイデガー 『存在と時間』10冊

980 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:09:15.92 0.net
>>749
翻訳は9種類読んでいるけど、全部足してもまだ足りない

981 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:11:56.01 0.net
>>730
「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(普遍的)」。
ヨーロッパ文明は、プラトンなどのギリシア哲学も、キリスト教も、共に普遍的なものを求めていた。

それで、ものごとを時間が静止したような状態、つまり静態的に捉えようとするのが得意で特徴的。
反対に、ユダヤ人から仏教までアジア人は、ものごとを動態的に捉えようとする。


ヘブライ的言葉「ダーバール」(ex.旧約「創世記」15:1)
・原義「背後にあるものを前へと駆り立てる」 → 話す → 動的な行為的言葉

ギリシャ的言葉「ロゴス」(ex.新約「ヨハネ」1:1)

・原義「集める、秩序」 → 話す、計算する、思惟する → 静的な理性的言葉


仏教では、少なくとも1500年ぐらい前には、深層心理学や現象学的な考え方があったが、
西洋では、19世紀にフロイトやフッサールが出てくるまでなかった。

982 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:13:48.65 0.net
>>738
現成(げんじょう)=現象

983 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:19:17.26 0.net
西洋の言語記号学
・ソシュール
https://i.imgur.com/lfjIMcH.jpeg
・静的
・日常言語
・アルファベット/表音文字文化圏


東洋の言語記号学
・井筒
https://i.imgur.com/xEnASxF.png
・動的
・深層言語
・漢字/表意文字文化圏


“言語意識の深層領域には、既成の意味というようなものは一つもない。
 時々刻々に新しい世界がそこに開ける。言語意識の表面では、惰性的に固定されて浮遊状態となり、
 まるで一瞬一瞬に形姿を変えるアミーバーのように伸び縮みして、
 境界線の大きさと形を変えながら微妙に移り動く意味エネルギーの力動的ゲシュタルトとして現れてくる。” 

― 井筒俊彦 『意味の深み』 岩波書店 (1985) p257

984 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:22:05.62 0.net
構造主義世代(静的)
・マルクス
・ソシュール



ポスト構造主義世代(動的)
・ドゥルーズ
・デリダ
・井筒
・ポスト・マルクス主義


エルンスト・マッハや現象学、量子力学が出てくると、
マルクス主義はその硬質で柔軟性に欠けた点が批判され、過去の哲学となった。

「マッハ的光景」
https://i.imgur.com/AoScLd5.jpeg
知覚している自身の眼窩までを含めて見ているものだという絵。
仏教の瞑想のような観照。

985 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:30:18.52 0.net
一神教の世界だと>>983の井筒モデルのような形にはならないよね。
さて、それは何故か?

986 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 05:44:18.67 0.net
1500年前だって、釈迦の1000年後
ということに注意な。

987 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 06:38:35.64 0.net
意味は人間が見出だす等で一神教もノガレルか

さて、それはそうと、西田の矛盾的同一と大拙即非の論理はほぼ同じ(前者は機能的な側面)だが、レスにあった西田の切り抜きは矛盾でない

一なるものが部分と同一と言っていないからだ

988 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 08:36:50.44 0.net
即非の論理っていうのはすごく単純で、

「菩薩は菩薩でない、故にかれは菩薩なのである」というのは単純に無自性空を示すレトリックで、
『中論』風に言えば、
「菩薩は無自性空であり、空である諸法において、依って仮設することで、菩薩という名称が生じる」ということに過ぎない

989 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 09:55:16.60 0.net
>>988
公理的集合論と論理式で書き直して

990 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:00:16.62 0.net
>>988
爆発律そのもので全く無意味だな

991 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:41:42.56 0.net
頭爆発くんに粘着されてんの?このスレ

992 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:53:24.59 0.net
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

993 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:53:32.72 0.net
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。

994 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:53:41.09 0.net
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。

995 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:53:56.18 0.net
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」

996 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:54:03.95 0.net
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。

ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。

以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。

997 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:54:10.96 0.net
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

998 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:54:18.08 0.net
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の議論には、ラッセルのパラドックスが潜んでおり、それが爆発律につながって詭弁を正当化してしまう問題がある。
西田は、「物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」と述べている。ここで、「物」を集合、「物理的空間」を集合族と解釈すると、ラッセルのパラドックスが生じる可能性がある。つまり、「物」(集合)が「物理的空間」(集合族)の要素であると同時に、「物」同士の相互作用が「物」に働きかけるという矛盾だ。
しかし、ブルバキ流の公理的集合論では、集合族とその要素である集合は異なるレベルの対象なので矛盾は生じない。したがって、西田の「現実というものがなくなることである」という主張は、ラッセルのパラドックスを正しく理解していない誤謬だと言える。
問題は、この誤謬を前提として議論を進めると、爆発律が成立してしまうことだ。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導出できるというものである。西田の議論では、集合の階層性を無視したラッセルのパラドックスを矛盾として認めてしまうことで、爆発律が適用可能になる。
その結果、西田の議論は「絶対矛盾的自己同一」という概念に至るが、これは爆発律によって正当化された詭弁だと言える。爆発律が成立してしまえば、どんな不合理な主張でも導出できてしまうからだ。
西田は集合の階層性を踏まえずに議論を展開したために、パラドックスに陥り、爆発律によって詭弁を正当化してしまったと言えるだろう。ラッセルのパラドックスや爆発律は、論理的な誤謬を見抜く上で重要な概念であり、哲学的な議論においても適切に理解し、用いることが求められる。

999 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:54:32.02 0.net
全ての哲学は無意味な妄想

1000 :考える名無しさん:2024/05/09(木) 10:59:26.42 0.net
妄想に時間割いて哀れw

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